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5,209
689
88,271,183
以下の議論では、「通常の」基底 e→0, e→1, e→2, e→3 を一組固定し、e→, e→, e→, e→ をその双対基底とする。しかし上の定理でもわかるように、どちらの基底を「通常の」基底とみなし、どちらを双対基底とみなすのかは任意である。本項では、空間方向が右手系のものを通常の基底とみなし、左手系のものをその双対基底とみなすことにする。V の元 a→ を基底 e→0, e→1, e→2, e→3 で表す場合、a→ の各成分の添え字をのように上つきに書く(アインシュタインの縮約で表記)。一方、a→ を e→0, e→1, e→2, e→3 の双対基底 e→, e→, e→, e→ を用いて表す場合、a→ の各成分の添え字をのように下つきに書く。明らかにである。また正規直交基底の場合は明らかに
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,210
689
88,271,183
V の2つの元 a→、b→ のミンコフスキー内積をとるとき、一方を基底 e→0, e→1, e→2, e→3 で表し、他方をその双対基底で表すと、と通常の内積のように書け、ミンコフスキー内積特有の符号の煩わしさから解放されるので便利である。基底を一つ指定したとき、a は添え字 μ に対し反変、aμ は添え字 μ に対し共変であるという。これらの名称は、基底を取り替えた際の成分の変化に由来する。すなわち、ミンコフスキー空間上にもう1組の基底 (e′→0, e′→1, e′→2, e′→3) を用意し、基底の間の座標変換が成分表示でと書けていたとすると4元ベクトル a→ の反変成分 a→ = a′e′→ν = ae→μ は、という関係になるので、ダッシュつきの座標系にうつるとき、基底とは反対に Λν の逆行列で結ばれる。それゆえ、「反対の変化」、すなわち反変と呼ばれる。
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,211
689
88,271,183
一方、基底の変更に対する共変成分の変化を見るため、双対基底が基底の変更でどのような影響を受けるか調べる。すなわち、Γμ は Λμ の逆行列 (Λ)ν であるので、双対基底はという変換規則に従うことがわかる。よって4元ベクトル a→ の共変成分 a→ = a′νe′→ = aμe→ は、という関係になるので、ダッシュつきの座標系にうつるとき、基底と共通の行列 Λν で結ばれる。それゆえ、「共通の変化」、すなわち共変と呼ばれる。本節ではテンソルに関する基本的な知識を紹介する。ただし本節での解説はミンコフスキー空間 V 上に限定したものであるので、一般の空間で成り立つとは限らない。n を自然数とする。写像 T : V n → R {\displaystyle T\colon V^{n}\to \mathbb {R} } が以下の性質(多重線形性)を満たすとき、T をn次のテンソルという:
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,212
689
88,271,183
特殊相対性理論で重要なのは主に2次のテンソルであるので、以下2次のテンソルに話を限定するが、一般の場合も同様である。なお、2次のテンソルは数学で二次形式と呼ばれるものと同一である。2次のテンソル T に対し、が全ての4元ベクトル a→、b→ に対して成り立つとき、T を対称テンソルという。またが全ての4元ベクトル a→、b→ に対して成り立つとき、T を反対称テンソルという。T をミンコフスキー空間上の2次のテンソルとし、e→0, e→1, e→2, e→3 をミンコフスキー空間の基底とし、e→, e→, e→, e→ をその双対基底とする。このとき、上述の基底や相対基底を使って T を4通りに成分表示する事が可能である:4元ベクトル a→, b→ をと成分表示する(アインシュタインの縮約で表記)と、
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,213
689
88,271,183
T ( a → , b → ) = T μ ν a μ b ν = T μ ν a μ b ν = T μ ν a μ b ν = T μ ν a μ b ν {\displaystyle T({\vec {a}},{\vec {b}})=T_{\mu \nu }a^{\mu }b^{\nu }=T^{\mu }{}_{\nu }a_{\mu }b^{\nu }=T_{\mu }{}^{\nu }a^{\mu }b_{\nu }=T^{\mu \nu }a_{\mu }b_{\nu }}上述の4通りの成分表示において、T は上付きの添え字に対し反変、下付きの添え字に対し共変であるという。4元ベクトルの場合と同様、基底を別のものに取り替えたとき T の各成分は、反変の添え字に関しては基底変換行列の逆行列が、共変の添え字に関しては基底変換行列そのものが作用する。例えば
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,214
689
88,271,183
なので、ダッシュつきの基底に関する成分 T′ν はと、上付きの添え字には反変、下付の添え字には共変に変化する。ミンコフスキー計量 η も二次の対称テンソルであるので、上述のように成分表示できる。基底が正規直交であれば、ミンコフスキー計量の成分表示は非常に簡単になり、のように書くことができる。ミンコフスキー空間上の線形写像 f : V → V が与えられたとき、2次のテンソルを逆にミンコフスキー空間上の2次のテンソル T が任意に与えられたとき、(T1)式を満たす線形写像 f が一意に存在する事が知られている。従って2次のテンソルと線形写像を自然に同一視できる。2次のテンソル T に対応する線形写像は基底 e→0, e→1, e→2, e→3 を用いると、下記のように具体的に書き表す事もできる:
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,215
689
88,271,183
ミンコフスキー空間上の各世界点 P にテンソル TP を割り振ったもの(すなわちミンコフスキー空間からテンソルの集合への写像 P ⤅ TP)をテンソル場という。相対性理論でテンソル場は中核に位置する概念であり、電磁場を初めとして様々なものをテンソル場として表現する。
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
5,216
689
88,271,183
本節では、電磁気学の基本的な概念や方程式を特殊相対性理論に合致する形に書き換える。を1つ固定し、この慣性系において電磁気学を記述する。詳細は省くが、本節の記述は、他の慣性系で電磁気学を記述したものとローレンツ変換で移りあう事を確認できるので、特殊相対性理論に合致している。なお、本項では国際単位系を用いる場合に対して記述したが、Landau, Lifshitz (3rd ed.) (1971)などガウス単位系(英語版)を用いている書籍における定義とは光速度 c のかかる位置が違うなどの差があるので注意が必要である。電荷密度 ρ と電流密度 j = (jx, jy, jz) を使って、4元電流密度を、は、4元電流密度と4元勾配(英語版) (4–gradient) (∂0, ∂1, ∂2, ∂3) を用いてと表現できる。ここで ∂ν は ∂ / ∂x の略記である。
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,217
689
88,271,183
真空の誘電率、透磁率をそれぞれ ε0, μ0 とすると、マクスウェル方程式により導かれる電磁波の速度 1 / √μ0ε0 が真空中の光速度と一致する事が実験・観測により確かめられたので、光の正体は電磁波であると考えられるようになった。この事実から、さらに電場 E = (Ex, Ey, Ez) と磁束密度 B = (Bx, By, Bz) を用いて電磁テンソルを電磁場を別の慣性系から見た場合、電場と磁束密度がそれぞれ E′ = (E′x, E′y, E′z) と B′ = (B′x, B′y, B′z) であったとし、これらから作った電磁テンソルを F′ とする。F′ と F がローレンツ・ブースト(L4)式で移りあう為の必要十分条件は、が成立する事である事を簡単な計算で確認できる。ここで v は2つの慣性系の間の相対速度で、γ = 1 / √1 − (|v|/c) はローレンツ因子である。
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,218
689
88,271,183
非相対論的極限 v / c ≈ 0 では γ ≈ 1 なので、上述の条件式は、古典電磁気学で知られている慣性系間の変換公式よって電磁テンソルはローレンツ変換に対して共変であると結論づけられる。特殊相対性理論以前のマックスウェル方程式の解釈には非対称性があった。例えば磁石を固定されたコイルに近づけた場合は電磁誘導により電流が流れると解釈されるが、逆にコイルを固定された磁石に近づけた場合はローレンツ力で電子が動かされることにより電流が流れると解釈された。今日的な視点から見れば、これら2つのケースは単なる慣性系の取り替えに過ぎないにも関わらず、両者の解釈が異なるのは不自然である。事実、流れる電流の量はどちらのケースであっても同一であり、磁石とコイルの相対速度だけで決まる。このような非対称な解釈になったのは、当時は電場と磁束密度は完全に別概念であったことによる。
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,219
689
88,271,183
(E1)式も、今日の目から見ると電場と磁束密度を電磁テンソルという同一のテンソルとしてまとめるべき事を示唆しているように見えるが、当時は(E1)式の第二項はあくまでも「仮想的な」電場や磁束密度の効果であるとみなされた。上述したような理論の非対称性の解消に関心のあったアインシュタインは、特殊相対性理論によりこの非対称性を解消した。すでに電磁テンソルがローレンツ変換に対して共変であることを示したので、マクスウェル方程式を電磁場テンソルで表せば、マクスウェル方程式もローレンツ変換に対して共変であることを示せる。電磁テンソルと4元電流密度を使うとマクスウェル方程式の2式と同一の形で表現でき、残りの2式と同一の形で表現できる。なお、リッチ計算の記法を用いると、上の式は
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,220
689
88,271,183
マクスウェル方程式は微分形式と外微分を用いるとさらに簡潔に表現できる事が知られているが、微分形式に関する予備知識を必要とするので本節では述べない(マクスウェル方程式#微分形式による表現を参照)。電磁場には必ず以下の条件をみたす組 φ, A(電磁ポテンシャル)が存在する事が知られている本節では、電磁ポテンシャルの4元ベクトル版である4元ポテンシャルA → = ( A 0 , A 1 , A 2 , A 3 ) := ( φ / c , A ) {\displaystyle {\vec {A}}=(A^{0},A^{1},A^{2},A^{3}):=(\phi /c,{\boldsymbol {A}})}を用いる事で、マクスウェル方程式を表現する。1つの電磁場に対し(E2)式を満たす電磁ポテンシャルは一意ではない事が知られている。
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,221
689
88,271,183
そこでローレンツ共変性を損ねない形で電磁ポテンシャルを制限するため、4元勾配を使った以下の条件(ローレンツ・ゲージ)を課す:∂ A α ∂ x α = 0. {\displaystyle {\frac {\partial A^{\alpha }}{\partial x^{\alpha }}}=0.}このとき、マクスウェル方程式は4元電流密度を用いて◻ A → = μ 0 j → {\displaystyle \Box {\vec {A}}=\mu _{0}{\vec {j}}}という一本の式で書き表せる。ここではダランベルシアンである。今、電荷 q を持った質点があるとし、この質点の4元速度を u→ とし、u→ の反変成分を (u0, u1, u2, u3) とする。このとき、この質点が電磁場から受ける4元力を、電磁場テンソル F を用いて
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,222
689
88,271,183
f α = q F α β u β {\displaystyle f^{\alpha }=qF^{\alpha \beta }u_{\beta }}によって定義すると、この4元力からできる質点の運動方程式はである。ここで p は質点の4元運動量の β 成分で、τ は質点の固有時間である。上の運動方程式は α = 0, 1, 2, 3 に対して定義されているが、4元運動量と4元速度の空間成分(の共変表現)p = (p, p, p), v = (u, u, u) に着目すると、電磁場テンソルの定義より、運動方程式の空間成分はとなることがわかる。ここで γ はローレンツ因子 1 / √1 − (|v|/c) である。すなわち相対論における運動方程式の空間成分は、ローレンツ力に関する運動方程式運動方程式の時間成分に関しては、cp が質点のエネルギー E を表していた事に着目すると、
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,223
689
88,271,183
なので、下記の式が従う:右辺は単位時間当たりに電磁場のローレンツ力が質点に対してした仕事なので、この式はローレンツ力による仕事がエネルギーに変わる事を意味している。すなわちこれは、エネルギー保存則にあたる式である。
特殊相対性理論における電磁気学
特殊相対性理論
5,224
689
88,271,183
特殊相対性理論は、次のような事象からも検証されている。
特殊相対性理論の実験的検証
特殊相対性理論
5,225
689
88,271,183
特殊相対性理論は重力のない状態での慣性系を取り扱った理論である。後にアインシュタインは空間のゆがみとして重力場をも組み込んだ、より一般的な理論である一般相対性理論を発表した。この理論はニュートンの万有引力論を全面的に書き換えるものになった。特殊相対性理論と一般相対性理論の2つの理論をあわせて相対性理論と呼ばれる。
一般相対性理論へ
特殊相対性理論
5,226
690
84,802,009
冬季 ねあ(ふゆき ねあ)は、日本の漫画家。主に、『月刊ガンガンWING』(スクウェア・エニックス)で活動。
__LEAD__
冬季ねあ
5,227
691
77,470,149
別天 荒人(べってん こうと、1973年6月25日 - )は、日本の漫画家、イラストレイター。島根県出身。東京都国分寺市在住。男性。
__LEAD__
別天荒人
5,228
691
77,470,149
1997年、漫画家デビュー(イラストレーターとしてはそれ以前から活動)。「源平伝NEO」以降は原作者を付けて掲載している。
略歴
別天荒人
5,229
693
85,737,038
青年漫画(せいねんまんが)は、日本における漫画のジャンルのひとつであり、少年漫画よりも上の年齢層を対象とした漫画。
__LEAD__
青年漫画
5,230
693
85,737,038
かつては成人の男性をおもな対象としていたが、現在では若年層や女性の読者も増え、少年漫画・少女漫画もしくは女性漫画との境界も薄れつつある。幅広い作風の作品を取り扱う事により広範な読者を獲得し、漫画業界においては掲載雑誌数および対象読者層の観点から市場の大きなジャンルとなっている。扱われるテーマはビジネス、賭博、グルメなど多岐にわたるが、少年漫画や少女漫画ではあまり扱われない大学生、社会人の生活、社会人向けの実践的な知識、本格的なミステリー、社会問題、経済関連のテーマなどが扱われることも多く、思想的・政治的な表現を盛り込んだ作品もある。老若男女、様々な人物たちを成人男性の視点で傍観する作品もある為、少年漫画に近い作品、少女漫画に近い作品を生み出すこともできる(実際に、青年漫画の用法を使った「マニア向け少年漫画」「男性向け少女漫画」を名乗っている雑誌もある)。
概要
青年漫画
5,231
693
85,737,038
概ね高校生以上の年代層をターゲットとしており、少年漫画と比べてが読者層の年齢が高いことから、ホラー漫画や格闘漫画の傾向による性的・暴力的な描写への制約も薄い。性的・暴力的な描写、喫煙・飲酒シーンなどがなく、それに関する概念・問題点のみを描写している全年齢対象の青年漫画もある。少年漫画・少女漫画もしくは女性漫画に近べて表現の制約が少なく、作者の自由度が高いジャンルであり、少年漫画や少女漫画から移籍してきた作家も多い。掲載作品のメディアミックスに関してはテレビドラマ化・映画化の割合が多く、アニメ(TVアニメ作品・OVA作品)化もしくはゲーム化される機会が多い少年漫画・少女漫画・メディアミックス系の漫画雑誌と対比すれば、より広範な読者層の支持が期待される。
概要
青年漫画
5,232
693
85,737,038
ただし、少年漫画にも言える事だが、女性キャラクターは男性キャラクターと比べるとエロティックさ、目に見える行動といった外見的な魅力、役割が重視されており、男性キャラクターと同じぐらい登場頻度を増やすと背景画と一続きのような絵柄になり、読者の感情移入を促す人物として描写する分には限度がある。少年漫画と同様に男性キャラクター、男性が抱える社会問題を描くのに向いている。成人向け漫画(漫画によるポルノグラフィ)の通称である「成年漫画」とは全く異なるジャンルであり、出版・流通の段階では厳密に区別される。しかし、成人向け漫画業界から青年漫画業界への作家の流入もあり、一部の雑誌では実質的に成人向け漫画雑誌に近い誌面になっている(作品において「成年向け青年漫画」となっている)場合もある。
概要
青年漫画
5,233
693
85,737,038
他方、成人向け漫画雑誌にも「マークなし」と呼ばれるソフト路線の作品を扱う雑誌が存在し、グレーゾーンの存在が両者の区別を困難にしている場合がある。出版・流通・販売の段階では、マニアックな漫画雑誌や、月刊コミック電撃大王などメディアミックスに重点を置いた漫画雑誌に掲載された作品も青年漫画に含まれるが、マーケティングの手法や消費者の立場からは青年漫画と区別されることもある。
概要
青年漫画
5,234
694
84,598,099
SF漫画(えすえふまんが)とは科学、もしくは空想(擬似)科学をテーマとしたり、あるいは舞台背景や小道具に用いた漫画を指す。ここでいう「SF」とは小説のサイエンス・フィクション(science fiction)のことであり、そういう小説に書かれるような内容を描いた漫画をSF漫画という。アメリカ合衆国では1930年代初めごろ、新聞に連載される形で始まった。その後世界各国で書かれているが、アメリカと日本で特に盛んである。
__LEAD__
SF漫画
5,235
694
84,598,099
アメリカ合衆国でのSF漫画(コミック)のはじまりは、1938年の『スーパーマン』である。その後、SF的設定のスーパーヒーローもの、『フラッシュ・ゴードン』や『バック・ロジャーズ(英語版)』のように宇宙を舞台にしたもの等、様々なSF漫画が登場した。1950年代、ECコミックはSF漫画を洗練させていくことで大きな成功を収めたが、フレデリック・ワーサムの著書 Seduction of the Innocent を端緒として漫画排斥の機運が子を持つ親や教育者の間で高まり、漫画出版を続けられなくなった。そのような中でも、子どもや若者向けのSF漫画は1960年代を通して出版され続けた。60年代末にはヒッピー運動の中でアンダーグラウンド・コミックスが生まれ、大人向けSF漫画が復活する。
歴史
SF漫画
5,236
694
84,598,099
それ以前にもSFと見なされる漫画はあったが、日本におけるSFを題材にした漫画の主要な流れは、第2次世界大戦以後、横山光輝、松本零士、藤子不二雄、永井豪、石ノ森章太郎などの少年漫画から始まった。その後、萩尾望都や竹宮惠子などが少女漫画においてSFを描き始めるようになると、内容的にも一層の多様性と発展が見られるようになった。大友克洋の『AKIRA』や士郎正宗の『アップルシード』等の作品は海外でもよく知られている。イギリスでは、コミック誌 Eagle に『ダン・デア(英語版)』が1950年から連載された。60年代半ばには教育雑誌 Look and Learn にドン・ローレンス(英語版)の描いた The Trigan Empire が連載され、その後彼は Storm を生み出した。
歴史
SF漫画
5,237
694
84,598,099
1970年代になるとコミック誌 2000 AD でスポーツや戦争といった一般的テーマを扱ったSF漫画が定期的に掲載され、ジャッジ・ドレッドなどのキャラクターも生み出した。その成功を受けて Tornado、Starlord、Crisis といった類似のコミック誌が登場したが、いずれも数年しか続かなかった。フランス初のSF漫画は、1925年から新聞に連載された Zig et Puce au XXIème Siècle(21世紀のZigとPuce)で、1935年に単行本化された。十代のキャラクター Zig と Puce の冒険物語である。大人向けのSF漫画としては Futuropolis (1937-38) が最初であり、続編的な Electropolis (1940) が続いた。
歴史
SF漫画
5,238
694
84,598,099
第二次世界大戦中、ナチスの占領によって『フラッシュ・ゴードン』の輸入が禁止されたため、連載していた雑誌の穴埋めのために Le Rayon U が描かれることになった。フランス初のSF漫画専門誌は1947年創刊の Radar だが、長くは続かなかった。長く続いたSF漫画誌としては Meteor があり、1953年から1964年まで続いた。その後の有名な作品としては『バーバレラ』(1962)、雑誌としてはメタル・ユルラン (1974) がある。漫画家としては、エンキ・ビラルやジャン・ジロー(メビウス〈Moebius〉)が知られている。インターネットの普及により、ネット上でSF漫画を発表することが増えている。SFウェブコミックの草分けとしては、Polymer City Chronicles (1994) がある。
歴史
SF漫画
5,239
694
84,598,099
他にも Schlock Mercenary (2000) や Starslip Crisis (2005) といったSFウェブコミックがある。
歴史
SF漫画
5,240
694
84,598,099
SF作家の小松左京、筒井康隆は漫画を描いていた時期がある。それぞれの項目を参照のこと。
SF漫画家
SF漫画
5,241
695
88,791,681
ホラー漫画(ホラーまんが)は、漫画のジャンルのひとつ。怪奇漫画、恐怖漫画とも言う。
__LEAD__
ホラー漫画
5,242
695
88,791,681
主に恐怖感を煽ることを目的として構成された作品を指す。精神的・生理的恐怖に訴えるもの、目に見えない存在・理解できない存在(主に幽霊を題材とする)による超常現象等をテーマにしたものや、死や痛みを直接的にテーマにしたブルータルなもの(残酷描写を主眼に置いた作品)等もあり、これらの作品においては「被害者の視点」を重視したものが多い。楳図かずお、日野日出志、伊藤潤二、古賀新一などが、このジャンルを中心として数多くの作品を発表している代表的な作家である。広義には、シュールなユーモアやナンセンスなギャグ表現を盛り込んでコメディを目指したもの、妖怪や異世界を描くことを中心としたもの(「妖怪漫画」など)、非日常的な存在と対決するいわゆる「退魔もの」(オカルト的な要素を持ち、「バトルもの」の性質も含む)、等も含まれることがある。
概要
ホラー漫画
5,243
695
88,791,681
ただしこれらの作品は、本来の主題である「恐怖感」の要素とは不可分ではあるものの、直接それを目的としたものではない。1960年代の貸本劇画、1960年代から1980年代にかけて、ひばり書房・立風書房・曙出版などから出版された描き下ろし単行本、1980年代から1990年代にかけて朝日ソノラマの『ハロウィン』・ぶんか社の『ホラーM』などのレディース・少女向けの専門漫画雑誌などに発表されたホラー漫画作品は、アングラ的サブカルチャーとしての性質が強く、その方面での愛好者も存在する。アメリカ合衆国では、1930年代ごろからホラー漫画が登場し始め、この当時はユニバーサル・ホラーに影響を受けたものが多かった。 1940年代にはホラー要素のある推理物や犯罪ものが増えた。
概要
ホラー漫画
5,244
695
88,791,681
1960年代半ばに行われた表現規制の緩和に伴う 殺人鬼映画やスプラッター映画の大ブームが来るまで、映画では成しえなかったおぞましい描写はテイルズ・フロム・ザ・クリプト(英語版)等で知られるECコミックをはじめとする漫画雑誌が担っていた。 この当時のホラー漫画の描写はあまりにも過激であるため、賛否両論が巻き起こり、しばしば検閲にかけられた。 20世紀末期から21世紀にかけてはDCコミックスの『ヘルブレイザー』や、ダークホースコミックの『ヘルボーイ』などが登場し、映画化を果たした作品も出てきている。
概要
ホラー漫画
5,245
695
88,791,681
主にホラー漫画を多く執筆している漫画家を記述。
ホラー漫画家
ホラー漫画
5,246
696
88,789,141
篳篥(ひちりき)は、雅楽や、雅楽の流れを汲む近代に作られた神楽などで使う管楽器の1つ。吹き物。「大篳篥」と「小篳篥」の2種があり、一般には篳篥といえば「小篳篥」を指す。
__LEAD__
篳篥
5,247
696
88,789,141
篳篥は漆を塗った竹の管で作られ(現在では安価なプラスチック製のものも作られている)、表側に7つ、裏側に2つの孔(あな)を持つ縦笛である。発音体にはダブルリードのような形状をした蘆舌(ろぜつ)を用いる。乾燥した蘆(葦、あし)の管の一方に熱を加えてつぶし(ひしぎ)、責(せめ)と呼ばれる籐を四つに割り、間に切り口を入れて折り合わせて括った輪をはめ込む。もう一方には管とリードの隙間を埋める為に図紙(ずがみ)と呼ばれる和紙が何重にも厚く巻きつけて作られている。図紙には細かな音律を調整する役割もある。そして図紙のほうを篳篥本体の上部から差し込んで演奏する。西洋楽器のオーボエに近い構造である。リードの責を嵌めた部分より上を「舌」、責から下の部分を「首」と呼ぶ。
構造
篳篥
5,248
696
88,789,141
音域は、双調(西洋音階のソ・G4)から1オクターブと全音(長2度)上の黄鐘(ラ・A5)が基本である。しかし、息の吹き込み方の強弱や蘆舌のくわえ方の深さによってかなり音高が変化する。これを利用した奏法を塩梅(えんばい)と呼ぶ。塩梅を使うことによって、音高の変化が連続的になり、旋律の進行が滑らかになる。例えば、指遣いはそのままに、一旦塩梅で音を下げ、それから高音に移る、といったことができる。雅楽では、笙(しょう)、龍笛(りゅうてき)と篳篥をまとめて三管と呼び、笙は天から差し込む光、龍笛は天と地の間を泳ぐ龍の声、篳篥は地に在る人の声をそれぞれ表すという。篳篥は笙や龍笛より音域が狭いが音量が大きい。篳篥は主旋律(より正しくは「主旋律のようなもの」)を担当する。雅楽における篳篥の楽譜は、唱歌がカタカナで書いてあり、その左側の漢字が音程を表す。
概要
篳篥
5,249
696
88,789,141
篳篥にはその吹奏によって人が死を免れたり、また盗賊を改心させたなどの逸話がある。しかしその一方で、胡器であるともされ、高貴な人が学ぶことは多くはなかった。名器とされる篳篥も多くなく、海賊丸、波返、筆丸、皮古丸、岩浪、滝落、濃紫などの名が伝わるのみである。その名人とされる者に、和邇部茂光、大石峯良、源博雅、藤原遠理(とおまさ)、源俊頼などがいる。特に大石峯良を「篳篥の楽祖」としている。西洋の楽曲を演奏するために篳篥を演奏するとき、その音はサックスに似ている。篳篥のリードは伝統的には鵜殿のヨシ原で採取されたヨシを使ってきたが、高速道路計画の影響や、毎年行われる蘆原焼きが新型コロナパンデミックの影響で2年連続で実行されなかった影響などで、このままだと篳篥に適したヨシが全滅してしまうと言われており、雅楽の歴史的危機とも言われている。
概要
篳篥
5,250
696
88,789,141
亀茲が起源の地とされている。植物の茎を潰し、先端を扁平にして作った蘆舌の部分を、管に差し込んで吹く楽器が作られており、紀元前1世紀頃から中国へ流入した。3世紀から5世紀にかけて広く普及し、日本には6世紀前後に、中国の楽師によって伝来されたが、正倉院には当時の遺物はない。
歴史
篳篥
5,251
696
88,789,141
大篳篥は現行の篳篥(小篳篥)に比べて音域が完全4度低いとされる。また古文献には大篳篥・小篳篥の他に「中篳篥」が紹介されていることもある。大篳篥は平安時代にはふんだんに使用されていた。「扶桑略記」「続教訓抄」「源氏物語」などの史料、文学作品にも、大篳篥への言及がある。しかし、平安時代以降は用いられなくなった。大篳篥も平安時代の廃絶以前の当時の遺物は現存しておらず、記録上でのみその存在を知られるものとなっていた。再び大篳篥が日の目を浴びるのは明治時代であった。1878年(明治11年)、山井景順が大篳篥を作成し、それを新曲に用いた。大篳篥の伝承曲も現存しておらず、現代では記録を元に復元された大篳篥が西洋音楽系の楽曲の編曲や邦楽の新作曲、現代音楽等に利用されている。
大篳篥
篳篥
5,252
696
88,789,141
篳篥の指孔は、表側の7つは吹き口に近い順に、「丁」「一」「四」「六」「凢」「工」「五」、裏側の2つは「丄」「ム」と名づけられている。運指の形もそれぞれの孔名と同じ名称を用いるが、その場合は孔名の指孔を開け、その直前までの指孔を閉じた形を基本とする。全ての指孔を閉じた形は「舌」という。裏側の「丄」「ム」はそれぞれ左手親指と右手親指が担当する指孔だが、このうち右手親指の「ム」を開けた時の音は構造上は出すことができるが、実際の曲(少なくとも現行の古典曲)では用いられず、右手親指の「ム」の指孔は実際の曲では常に閉じたままであり、その「ム」の音は「出すと国が滅びる亡国の音」という言い伝えがあるという。そのため実際の楽譜では「ム」以外の9つの譜字が用いられる。「丄」は「上」の異体字である。
指孔名(譜字)と音程
篳篥
5,253
696
88,789,141
「丁」は古くは「丅」(げ、「下」の異体字)であったが、篳篥の最高音なのに「下」なのはおかしいということで、のちに「丁」に改められた。
指孔名(譜字)と音程
篳篥
5,254
696
88,789,141
篳篥の音程には寺院の鐘の音が使われる。京都の妙心寺、知恩院の梵鐘の音とそれぞれ決められている。楽器の音階を決める穴配りと穴開けには高度の製作技術が必要とされる。 穴開けには電動錐は使われない。穴と穴に距離がある楽器ならば素材が割れないので電動錐を使えるが、篳篥は穴の間隔が近く、使う素材は枯れて古く乾燥し、農家の囲炉裏の天井で 300年 - 350年、日々の生活の中で燻(いぶ)された煤竹であるため非常に堅く割れやすい。 紐巻上げ式で、神社の儀式で神火をおこすときに使われることでも知られる日本古来から使われてきた火熾しの「巻き錐」を使い、割れないように穴をあける。 素材の竹は自然に育ったものなので内径、肉厚がすべて微妙に異なるため、外形の穴の位置を正確に真似ただけでは音階は決まらない。漆を中に塗って音階を調整する。
篳篥の製作
篳篥
5,255
696
88,789,141
製作技術習得者には、音律の習得は技術習得の最初の 6 ヶ月間に集中して習得してしまうことが求められる。 木漆と水を合せて内径をヘラで塗る。乾かして吹いて確認し、音階を調整する。 篳篥に使われている素材は乾ききった古くもろい竹であるため、塗りに失敗すると漆の乾き際に穴から下まで一直線に割れが入る。漆は湿度が高いと急激に固まり(乾き)湿度が低いと固まらない(乾かない)ため、昔の京都でこの作業ができた時期は春は3月末から5月末、秋はさらに短い期間であった。篳篥の内側の漆はこの時期のみ塗ることができ、この時期以外は塗ると割れてしまう、とされた。篳篥の形は古来から大きさが決まっているので先人の作品が技術向上の参考になる。 管楽器の笙は1尺7寸、13世紀の鎌倉初期までは大きな笙だったがその後は小さくなった。しかし笛と篳篥は昔から長さが決まっているのでそれ以前の昔に作られた名器が参考になる。
篳篥の製作
篳篥
5,256
696
88,789,141
舌の材料に用いられる葦は琵琶湖、淀川から採取されることが多い。なかでも淀川右岸の鵜殿で採取される葦は堅さ、締り共に最良とされていた。しかし環境の悪化の影響で材料に使える良質な葦の確保が難しくなっている。採取した葦は4,5年ほどの年月をかけ、一切の湿気を排除した場所で乾燥させる。その後、拉鋏という専門の道具を用い、火鉢の上にかざして押し潰して平滑にし、先端に和紙を貼り付ける。舌を磨く際にはムクノキの葉が用いられる。
篳篥の製作
篳篥
5,257
697
88,660,031
三線(さんしん)は、弦楽器の一種。日本の沖縄県と鹿児島県の奄美群島で主に用いられる。
__LEAD__
三線
5,258
697
88,660,031
中国福建省で生まれた弦楽器「三弦」を原型とする撥弦楽器である。戦国時代の永禄年間、琉球王国や堺を経由して日本本土に伝わり、三味線の起源の一つとなった。三線と比べて、本土の三味線は棹が長く、中国の三弦は棹の長さの割には胴が小さい。 またオリジナルの中国の三弦も、江戸時代に長崎に来舶した中国人がもたらした清楽(しんがく)とともに、あらためて日本本土で定着した。三味線は猫や犬の皮を使ったので、中国の三弦は日本本土では俗称で「蛇皮線」とも呼ばれた。蛇皮線は、1894年に勃発した日清戦争をきっかけに清楽が衰退したことで、日本本土では姿を消した。15世紀以降、琉球王国(現在の大東諸島を除いた沖縄県および鹿児島県奄美群島)で独自に発展した。福建省からは閩人三十六姓の来琉(1392年~)によりもたらされたとの見方もある。
概要
三線
5,259
697
88,660,031
三線は音を出す胴の部分に蛇(ニシキヘビ)の皮を張り、胴の尻から棹の先(天部)に向けて3本の弦を張り渡して、弦を弾いて鳴らす。主に単音でメロディ部分を演奏する。助数詞には「本」「棹/竿(さお)」「挺/丁(ちょう)」等を用いる。沖縄県では楽譜は「工工四(くんくんしー)」という独特の記譜法を用いる。これは、中国の三弦楽譜「工六四」(くるるんしー、と沖縄で呼ばれる)が原点とみられる。沖縄文化(琉球文化)を象徴する存在の一つとして知られる。かつては琉球王国領内において、宮中での琉球舞踊に用いる琉球古典音楽や、士族や農民たちが歌う民謡(沖縄民謡や奄美民謡)のために男性が三線を弾いた。琉球王府は、美術工芸品を製作する貝摺(かいずり)奉の下に三線職人を抱えていた。今日では古典音楽や民謡の他、ポップスやクラブミュージックなど様々なジャンルで用いられ、演奏するアーティストも沖縄音楽や沖縄文化圏に留まらない。
概要
三線
5,260
697
88,660,031
沖縄県は近代以降移民が盛んになったため、日本本土に移り住む人やハワイ、南米のブラジルやボリビアなど海外移民先の沖縄人コミュニティーを通して、琉球文化圏外にも広まった。日本の音楽界では長く注目されなかったが、第二次世界大戦前に「安里屋ユンタ」(1934年録音、歌詞は日本語標準語の「新民謡」)がラジオ放送で人気を博したり、1970年代に竹中労らが沖縄音楽を紹介したりした後、1990年代の「沖縄ブーム」の到来により全国的に知られるようになった。三線を前面に押し出した楽曲として初めてのミリオンセラーはロックバンド・THE BOOMの「島唄」(1992年全国発売)である。2018年11月に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。沖縄以外の南西諸島にも、それぞれ独自の三線が存在する。
概要
三線
5,261
697
88,660,031
例えば奄美群島の「奄美三線」(あまみさんしん)は、弦や撥(ばち)が沖縄三線と違うだけでなく、使用楽譜は横三つの線で番号を使う奄美独特の楽譜だったり(沖縄は工工四)、奏法もアップストロークが主で(沖縄三線はダウンストローク)左手の抑え指は中指を使わずに行う(沖縄三線は薬指を使わない)など、現地の演奏者から見ると大きな違いがある。
概要
三線
5,262
697
88,660,031
沖縄県では一般に「さんしん」「しゃみせん」という。奄美群島においては「三味線」「蛇皮線」「ジャミセン」という。「さんしん」という呼称については、起源である三弦との関係が指摘される。三弦は福建語でsamhian(サムヒエン)、北京官話ではsānxiàn(サンシエン)と読む。山内盛彬はサンセン(三線)からサミセンへ変化していったという説を唱えている。三線の胴の太鼓部分に蛇の皮を張るため、三味線(猫や犬の皮を張る)と区別するために、日本本土を含めて「ジャビセン(蛇皮線)」「ジャミセン(蛇味線)」と呼ばれることも多い。ただし、この呼称は沖縄では嫌われるという。小さな島が点在する南西諸島では島ごとに方言が大きく異なるため、数多くの異称がある。統一名称として「三線(サンシン)」の言葉が広く使われている。
呼称
三線
5,263
697
88,660,031
琉球処分後の明治時代、沖縄の伝統的な地名・人名を「日本風に」2文字で表記する方法が流行した(汀志良次→汀良、古波蔵→古蔵、神里原→神原など)。三味線の「味」を同様に省略して三線という呼称になったという俗説がある。
呼称
三線
5,264
697
88,660,031
三線は元々中国発祥で三線を琉球時代の沖縄に持って行ったところ沖縄の文化になったと言える。中国大陸の東南部(現在の福建省)の弦楽器「三弦」を直接のルーツとする。琉球王国は統一(1429年)後、中国大陸や東南アジアとの交易により多くの文物を取り入れていた。伝承では久米三十六姓帰化(14世紀末)以前にはすでに琉球に持ち込まれていたという。15世紀後半には尚真王が士族の教養のために三弦を奨励していた。その後、日本でいう永禄年間初頭(1558年または1559年)に泉州(現在の大阪府南部)堺へと伝わり、日本本土の三味線の起源となった。福建省の三弦は部位・構造・素材のいずれも三線とほぼ同じものだが、三線の方が棹が短く、胴は平べったく変化した。17世紀初頭には琉球王国が三線主取(サンシンヌシドゥイ)という役職を設けた。
歴史
三線
5,265
697
88,660,031
琉球王国は、清から訪れる冊封使の接遇のために典礼を定めて盛大な接待式典を挙行していたが、そのための役職である踊奉行の玉城朝薫が1719年、能や歌舞伎など日本の芸能を参考にした組踊を創始し、三線・島太鼓・胡弓といった沖縄音楽・琉球舞踊の発展の礎となった。日本の芸能が取り入れられた背景には、日本文化への造詣が深かった王国摂政・羽地朝秀(任期1666年 - 1673年)の影響が伺える。琉球舞踊同様に三線は男性の楽器とされてきた。その為、調弦は男性用になっている。蛇皮は中国との貿易でもたらされた。乾隆32年(1767年)の輸入品の中には5張の蛇皮が見える。王国時代は貴族や士族といえども経済的には必ずしも恵まれず、高価な蛇皮を張った三線は富裕さの象徴であったとされる。
歴史
三線
5,266
697
88,660,031
裕福な士族は一本の原木から二丁の三線を製作し「夫婦三線(ミートゥサンシン)」と称したり、漆塗りの箱に納めて「飾り三線」と称し丁重に床の間に飾ったりする文化があった。蛇皮に手が届かない庶民の青年は、芭蕉の渋を紙に塗って強化した渋紙張りの三線を製作して毛遊び(もうあしび)し、農作業の後の時間を楽しんでいた。那覇の辻・仲島などの遊郭では芸妓・遊女が座敷芸として唄三線を身につけた。19世紀後半、琉球処分を経て日本の施政下に入った明治時代以降には、様々な流派が王朝時代の楽曲の保存や三線の普及に務めた。第二次世界大戦末期には沖縄は激しい戦火に見舞われ(沖縄戦)、多くの三線が被害を受けた。製作後250年を経た三線や琉球国王所有の三線の他、「開鐘(ケージョー)」と総称される名器のうち数丁も永遠に失われた。沖縄戦後、沖縄はアメリカ軍の統治下に置かれた。
歴史
三線
5,267
697
88,660,031
米軍基地内のバーやコザの繁華街などではアメリカ兵相手に、三線によるライブが盛んに催された。基地に流れていたアメリカのヒット曲を聞きかじって三線でコピーした登川誠仁の『ペストパーキンママ』(1948年。原曲はアル・デクスター『ピストル・パッキン・ママ』)などは当時の沖縄の世相を反映している。戦後は沖縄大衆演劇を中心に復興し、古典や民謡の各流派も大会を開催している。日本の民謡や歌謡曲の節回しを取り入れた曲やポップミュージックの曲の中にも三線が採り入れられるようになったが、影響は沖縄文化圏に留まっていた。南米ボリビアに移民した沖縄県出身地の街・オキナワ移住地(コロニア・オキナワ)や同じく南米のブラジル、米国ハワイの沖縄系日系人コミュニティでは、三線が彼らのアイデンティティを示すアイコンとなっている。
歴史
三線
5,268
697
88,660,031
1972年に沖縄がアメリカ合衆国から日本に返還された後、知名定男率いるネーネーズやりんけんバンドなど一部は日本本土の音楽シーンでも活躍したが、三線や沖縄音楽が本格的に知られるようになるのは1990年代の沖縄ブーム以降である。1992年には山梨県出身の宮沢和史らのバンド・THE BOOMが三線を全面に押し出した琉球音階のポップス曲『島唄』を発表し、150万枚に迫る大ヒットとなった。1999年公開の映画『ナビィの恋』は沖縄をモチーフとした映画としては異例のヒットを記録し、2001年に放映されたNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』で沖縄ブームが不動となったことで、趣味として三線を始めたり沖縄音楽に親しむことが沖縄文化圏以外においても一般的となった。三線は生産量が増え、初心者向けのセットや教本なども多数発売されるようになった。
歴史
三線
5,269
697
88,660,031
一方で三線の素材として理想的とされる黒檀は手に入りにくくなって価格が高騰し、質の悪い素材を塗装でごまかした粗悪品も存在する。2010年3月、沖縄県内の三線職人の有志が集い、三線製作の技術向上と地域ブランド化、後進の育成、品質の保全を目的とした沖縄県三線製作事業協同組合が発足した。2021年現在、三線は沖縄県伝統工芸に指定され、7名の工芸士が認定されている。鹿児島県では伝統工芸品奄美のサンシン(奄美地方)として指定されている。
歴史
三線
5,270
697
88,660,031
沖縄三線と奄美三線では形状が異なる。本土の三味線の影響をより強く受けた奄美三線は全体的に大きい。沖縄三線は棹の形状から7種類の型(かた)に分類される。それぞれの型の元となった三線が存在し、名称は元となった三線の製作者の名を冠している。現在製作されている三線はすべてそれらの複製である。かつては形状の差異についての認識は曖昧だったが、琉球三線楽器保存育成会らが定義を整理した。そのため以前は、例えば天は真壁型で鳩胸は与那城型といった折衷型の三線も多く出回っていた。近年では又吉真栄による「マテーシ千鳥」や「マテーシ鶴亀」のように、新しい型の棹を製作する試みもなされている。三線には様々な改良楽器が存在する。
型と種類
三線
5,271
697
88,660,031
三線の音色と価値はその棹で決まるといわれる。素材としてはカリン、ゆし木、紫檀、縞黒檀(カマゴン)、黒檀などがある。その中でも材質が重くて硬く、年月が経過しても反りや狂いの生じにくい黒檀(黒木=クルチ)が珍重されている。三線の棹として現在最高級とされるのは八重山産の黒檀(八重山黒木=ヤイマクルチ)である(希少なために高価になっている面もあり、八重山産であれば必ず良い音を保証するという意味ではない)。現在では台湾やフィリピン産の南方黒木(カミゲン)やカマゴンと呼ばれる種類が黒木の代用として多く使われているが、これらも年々出回らなくなってきている。棹の原木はよく「寝かせて」自然乾燥させ、材質を締める必要がある。良い棹を作るには最低でも5年は寝かせた素材を使う。職人によっては、よく響く棹には黒木を使い、柔らかい音色を求めてあえてゆし木を棹に使うといった工夫も行われる。
部位と素材
三線
5,272
697
88,660,031
名高い三線の名器を「開鐘(ケージョー)」と呼ぶが、そのうち富盛開鐘(トムーイケージョー)の棹はゆし木製である。音色を度外視すれば棹の素材に制限はなく、純金や銀、ガラス、アルミ、樹脂を用いた棹も実際に存在する。胴の部材には主にイヌマキ(チャーギ)やクスノキ、リュウガンが用いられる。高価な三線にはケヤキ、カリン、黒檀が用いられることもある。廉価品には東南アジア産のゴムノキなども用いられる。この胴部材にインドニシキヘビの蛇皮を張るのが伝統的な三線の胴の製法である。胴は弦の音を増幅させる場所となる重要部分となる。皮の張り具合(強さ)をみて、音の高い方を表、反対側を裏とする。南風原型や真壁型は小型の胴、知念大工型と与那城型は大型の胴とされてはいるが、違いは曖昧である。
部位と素材
三線
5,273
697
88,660,031
第二次世界大戦直後、アメリカ合衆国による沖縄統治下で物資が乏しかった時代には、コンビーフなどの空き缶を胴に用いたカンカラ三線や、馬の皮、セメント袋、落下傘生地(いずれも米軍の軍用品で、ヤミ市に出回った)を張った三線も存在した。カンカラ三線は戦後の沖縄史を語る文脈では欠かせない存在でもあり、金武村(当時)の日本兵捕虜収容所で作られた楽曲「屋嘉節」などはカンカラ三線で歌うことにこだわる奏者も多い。こうした経緯から、20世紀末頃からは学校教育でもカンカラ三線が社会科や音楽、総合的学習の教材として取り入れられている。野生の蛇からの蛇皮採取はワシントン条約に抵触する可能性があるため、現在ではビルマニシキヘビやアミメニシキヘビが養殖され、三線に使用されている。
部位と素材
三線
5,274
697
88,660,031
1954年(昭和29年)発行の『琉球三味線寶鑑』や戦前の演奏風景を収めた写真からは、ボールパイソンやボア、クサリヘビ科(ハブやマムシが属する毒蛇の仲間)など、大きな厚めの皮が取れる蛇皮が使われていた形跡も伺える。本張りと呼ばれる蛇皮一枚張りは、薄い皮をいっぱいに張った状態のままでは湿度の微細な変化によって皮が伸縮するため割けるおそれがある。そもそも三線の製法が沖縄県の風土に合わせたものであるため、県外では特に管理が難しい。そのため、管理がしやすい「人工張り(人工皮)」(蛇皮模様のプリント素材を張ったもの)や、プリント素材の上に蛇皮を重ねて張る「強化張り(二重張り)」も一般的である。人工張りは環境の変化に強い反面、高く鋭い音になりやすい特徴がある。
部位と素材
三線
5,275
697
88,660,031
奄美群島では徳之島以南などを除き沖縄県と比べて薄い皮を強く張った三線を好んで用いる人も多いが、撥さばきが荘重な傾向のある奄美大島南部では厚い蛇皮をより強く張る事を好む人も多く、また沖永良部島や与論島の南奄美地方の民謡では薄めの皮をやや緩く張るのが好まれるなど、その地域により傾向が異なる。古謝美佐子のように合皮を積極的に利用する奏者もおり、本土の三味線に比べ合皮への抵抗感は薄い。特に海外公演もする者の場合は蛇皮製品は出入国時に税関で手続きに苦労したり、本皮は気候の違いで調子が悪くなりやすいため避けられる。 なお札幌市豊平川さけ科学館にある鮭皮を胴に使用した三線のように、胴の素材を変えた変わり種三線もある。三線の弦はその名の通り3本である。太い弦(抱えたときに上側)から順に「男絃(ヲゥーヂル)」「中絃(ナカヂル)」「女絃(ミーヂル)」と呼称する。
部位と素材
三線
5,276
697
88,660,031
それぞれ三味線の一の糸、二の糸、三の糸に相当する。素材は伝統的には絹糸を撚ったものであったが、音のバランスを保ちにくく非常に切れやすかったために今日では白色のテトロンかナイロン製の弦が普及している。まれにエナメル製の弦も用いられるが、手触りの悪さから一般的ではない。奄美群島の三線では、黄色く染色したナイロン製の細い弦「大島弦(ウーシマヂル)」が用いられる。大島弦が黄色なのは、かつて音に張りを与えるため弦に卵黄を塗った名残である。ティーガーとは「手皮」の琉球語読み。胴の周りにつける装飾的な胴巻きのこと。以前は家紋をあしらったシンプルなものが多かったが、高度経済成長期を経て色や素材、デザインにバリエーションが増し、オリジナル性やファッション性に富んだティーガーがよく見られるようになった。
部位と素材
三線
5,277
697
88,660,031
大正時代頃までは、胴の手を乗せるために小さな面積の金襴製・毛皮製のティーガーを巻いたが、現在ではほとんど作られない。弦の張り具合を調節する糸巻きをカラクイという。調弦により音階を調節する。その形状から、首里、梅、菊、カンプー、歯車型などいくつかのデザインがある。素材は主に黒檀や紫檀、黒柿である。中国の楽器の糸巻きをまねて、牛骨、ラクト材、象牙、プラスチックなどで装飾したものが多い。駒(ウマ)を胴面に立てると弦が離れ、弾ける状態になる。ウマは前後で微妙に傾斜が異なっており、背側を棹に向けると倒れにくい。素材は竹(モウソウチク)や牛骨が一般的であるが、規定はない。ウマの素材によって音色も変わる。職人の間では竹製の駒を油で揚げる(油煎加工する)と良い駒になるとされる。夜間など音を響かせられないときの練習のために、三線用の消音駒(忍び駒、忍びウマ)も存在する。義甲(バチ)のこと。
部位と素材
三線
5,278
697
88,660,031
標準語で「ツメ」ともいう。バチの材質は水牛の角が高級、上質とされる。普及用にはエナメル製のバチが一般的に市販されている。ただ、他の部位と同じく定義は特にないため、非常に様々な素材のバチが存在する。奄美群島では細長い竹箆状のバチを使用して演奏する。形状はやや湾曲し、先端は削って使用する。大きさは5〜15センチほどで、大まかな傾向として古典や舞踊の曲には大型のツメを、民謡やポップスには中型や小型を使うことが多い。三線の奏法はダウンストロークが基本となるため、ツメの背(下側)は丸みを帯びている。「掛け音」(アップストローク)の際には文字通り先端を弦に「掛けて」音を出す形になる。必ずツメを使うというわけではなく、自分の人差し指の爪で「爪弾く」ことも多い。よなは徹など爪弾くスタイルにこだわる奏者もいる。早弾きの曲にはギターのピックを用いることもよくある。
部位と素材
三線
5,279
697
88,660,031
元来、棹の表面は黒く漆塗りされる。近年ではウレタンの吹き付け塗装が主流である。黒木や花梨といった用材で棹を作製する場合には、その木目や色合いを生かすために春慶塗り(スンチーヌイ)と呼ばれる透明の漆塗りを施すことが多い。また、奄美群島では塗りを施さない地のままの棹を好む人も多い。
塗り
三線
5,280
697
88,660,031
棹がやや細く、短く、皮が緩めに張られた型。弦は絹糸を使う。太い低音が響くため、琉球王朝時に城門を開ける合図の鐘の音に似ていたことからこう呼ばれた。後述のように「盛嶋開鐘」が現存しているほか、2000年代に復刻された。開鐘の名の由来となった、明け方に突かれる鐘の音は「開静鐘」と呼ばれた。開鐘と称されている名器の全ては真壁型である。尚家に伝わる三線の中でも非常に良い品とされていた三線は俗に「五開鐘」や「十開鐘」と呼ばれていたが、それがどの三線だったのかは文献によって諸説有る。他に開鐘に準ずる三線として十数挺あり、戦後はこれらの準開鐘も含めて開鐘と呼んでいる。五開鐘のなかでも最高峰と言われていた盛島(盛嶋)開鐘は第二次世界大戦により焼失したと伝えられていたが、戦後、尚家の元へ戻り、1982年に尚裕より沖縄県立博物館に寄贈された。現在は沖縄県立博物館・美術館にて収容、展示されている。
開鐘(ケージョー、ケージョウ)とは
三線
5,281
697
88,660,031
ちなみに、沖縄県立博物館・美術館では盛島開鐘の心の部分に「盛嶋開鐘」という記載がされているため「盛島」ではなく「盛嶋」という表記を使用している。ただし、戦後、長いあいだ行方不明だった点を考慮すると、後から作為的に手を加えられた可能性や、その真偽について今なお憶測が絶えない。開鐘には属しないが、護佐丸が愛用した三線と言われている泊綾爪や続面、勝連虎毛、鴨口与那城、江戸与那城は三線の名器として知られている。
開鐘(ケージョー、ケージョウ)とは
三線
5,282
697
88,660,031
沖縄県では基本的に撥を上から下へ下ろして弦を弾く奏法(ダウンストローク)で弾かれる。奄美群島では下から上に弾き上げる奏法(アップストローク)が多用される。沖縄県では本土の三味線と異なり、撥で胴を叩かない。奄美群島では竹製の撥で胴を叩く奏法もある。楽譜には勘所や壺(チブドゥクル)と呼ばれる弦を押さえるポジション、タイミング、弾き方を文字で表した工工四(クンクンシー)と呼ばれる縦書き譜が用いられる。最も一般的な「本調子」では C-F-C(男弦-中弦-女弦)で調弦するが、弾き語りの時は奏者の声域に合わせて全体の音高を上げ下げする。
奏法
三線
5,283
697
88,660,031
三線の演奏には琉球王朝の宮廷音楽として発達した琉球古典音楽と、庶民の間に歌い継がれてきた沖縄民謡、奄美群島の島唄とに大きく分けられる。伝えによれば、歌と三線は「いんこねあがり」という者がおもろや自作の即興詩を三線に合わせて伴奏していたのが始まりとされる。村々を放浪していたため、そのスタイルは広く取り入れられた。俗にいう赤犬子(アカインコ)は当て字。現在、赤犬子神社(赤犬子宮 (アカナクー) )が読谷村楚辺にある。湛水親方こと幸地賢忠が創設した湛水流から、知念績高の弟子であった安冨祖正元と野村安趙が、それぞれの流れを伝える安冨祖流と野村流を興す。ちなみに古典という呼称は近代に入って、その継承や保存という意識が強まることによって生まれた。
流派
三線
5,284
697
88,660,031
仲宗根幸市は、楽曲の種類によって大節(ウフブシ)や端節(ファブシ)と呼ばれていたものを総称して古典と呼ばれるようになったのがいつ頃なのかハッキリしないとしながら、おおよそ大正末頃ではないかと推測している。主に士族の作法や教養であった難解な古典音楽と異なり、毛遊びや祝いの席などで親しまれた沖縄民謡は、当時の流行や地域のうわさ話、替え歌、春歌、男女間の愛憎に密接した内容が歌われている。沖縄本島の民謡とは別に宮古民謡や八重山民謡などに分けられる。音楽だけに限った話ではないが、琉球古典音楽や沖縄民謡の世界では、その考え方の違いや諸々の事情から複数の団体や会派に分かれている。例えば、琉球民謡協会では「新人賞・優秀賞・最高賞・教師・師範・最高師範」の段階分けがあり「師範免許を取得すると教師を指導できる」と言ったように、その所属団体によって会費やコンクールの段階等に違いが生じる。
流派
三線
5,285
697
88,660,031
これは本土の家元制を参考にしたもので、通っている研究所の先生の推薦で受験するシステムが一般的。
流派
三線
5,286
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ガムラン(インドネシア語: gamelan)は、東南アジアのインドネシアで行われている大・中・小のさまざまな銅鑼や鍵盤打楽器による合奏の民族音楽の総称である。広義では、インドネシア周辺のマレーシア、フィリピン南部スールー諸島などの地域の類似の音楽をも含める場合がある。欧米や日本などでは、ガムラン音楽 (Gamelan music) とも呼ばれる。2021年12月15日、インドネシアのガムランは国連教育科学文化機関(UNESCO)無形文化遺産の代表リストに登録された。
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ガムラン
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「ガムラン」とは古代ジャワ語の「たたく、打つ、つかむ」等の意味を持つ、動詞ガムル (gamel) に由来する。 元来はインドネシア、ジャワ島中部の伝統芸能であるカラウィタンで使われるサロン (saron) やゴン (gong) などの伝統楽器のことであった。 また、打楽器以外にも、古代詩を朗詠する歌もガムランの重要な要素となっている。ガムランは二極対立的なインドネシアの宇宙観を反映した音楽構造をもっている。例えば、AのパートとBのパートを組み合わせると、Cという本来の旋律が浮かび上がる。このガムランの基本的な演奏技法をコテカン(kotekan)といい、ほぼすべての楽器に及んでいる。ヤープ・クンストはこうした二元論的なインドネシア音楽の基本構造を指して「コロトミー構造の音楽」と名付けた。
概要
ガムラン
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ガムランは16もしくは32ビートで上記のように対になって演奏されるが、調律されていない2つの楽器の微妙なずれによって生まれる音のうねりをオンバ(ombak)といい、ガムランの聴きどころとされている。
概要
ガムラン
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ジャワ島のガムランの打楽器に使われる素材は青銅が主であり、鉄製のものもあるが、青銅製のものが最も音が美しいとされている。インドネシアでは青銅の原料となる錫はほとんど産出されず、ほとんどがマレーシアから運ばれたものであり、かつての青銅文化であるドンソン文化がマレー半島を経由してインドネシアに伝わったことを物語っている。現在では、ジャワ島隣のバリ島の銅鑼、鍵盤打楽器の音楽もガムランと呼ばれるが、バリ島には金属打楽器の代わりに竹を使ったガムランも存在する。青銅楽器は、鍵盤打楽器(鉄琴のようなもの)と銅鑼の二つのタイプに分かれる。さらに、鍵盤打楽器は、鍵盤が木枠の上に釘と緩衝材を用いて直接置かれるサロンと、鍵盤の穴に紐を通し、木枠の両端に吊り橋状にぶら下げたグンデルとに分かれる。サロンは重厚な響きが特徴で、それに対してグンデルは重厚感はないものの長い残響を得ることができる。
楽器の原材料
ガムラン
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銅鑼は、楽曲の節目を示す「節目楽器」であるゴンと、旋律、リズムを刻んだり、旋律装飾を行ったりするボナンに分かれる。竹製楽器の種類には、打ち付けたり、吹いて音を出す竹の閉管であるブンブン、その発展型であるティンクリック、竹琴、グンタン(竹の一弦琴)、スリン(竹笛)、西ジャワより広まったと言われるゆすってカラカラと音を出すアンクルンなどがある。カチャピやシトゥル、チェレンプンが有名である。スンダのカチャピ・スリンは、日本の尺八と琴の二重奏とほぼ同一の演奏形態であり青銅楽器は存在しないが、これもガムランである。
楽器の原材料
ガムラン
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中部ジャワのガムランは、単にジャワ・ガムランと呼ばれるもので、以下のような種類がある(ジャワ語の発音をカタカナで表し難いため、楽器名のカタカナ表記には揺れがある)。もっとも古い楽曲にモンガン (Monggang)がある。西部ジャワのガムランは、いわゆるスンダ・ガムランと呼ばれるものである。ガムラン・ドゥグン、ジャイポンガン、ガムラン・サレンドロ、カチャピ・スリン(楽器の名前が様式に転じた)、トゥンバン・スンダなどがある。北西部ジャワのチルボンなどのガムランは、チルボン・ガムランと呼ばれる。バリ島のガムラン、いわゆるバリ・ガムランには、以下のような楽器がある。そのほかには以下のような楽器がある。バリ島のガムラン音楽は、その時期によって、古楽、中世音楽、近代音楽とに分けることができる。
各地のガムラン
ガムラン
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マジャパヒト王国の崩壊に伴って、その貴族や僧がバリ島への移住を始める16世紀以前からバリ島にすでにあったと考えられている音楽。基本的に宗教的な性格を強く帯びており、儀式の際に奏でられる。音階の種類の多彩さが、その特徴である。その後、マジャパヒト王国の末裔によって中部ジャワに開花した16世紀来の宮廷文化から、20世紀のオランダ植民地支配が実効化するまでの期間の音楽。レゴンなどの舞踊や舞踏劇などの宮廷芸能と結びついた音楽で、ガムラン・ガンブー、ブバロンガンなどがこれにあたる。20世紀以降の観光、娯楽と結びついた民衆音楽で、ゴン・クビヤール、ガムラン・アルジャ、ジェゴグなどがこれにあたる。
各地のガムラン
ガムラン
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インドネシアでは伝統的なペロッグ音階 (インドネシア語: pelog) とスレンドロ音階 (インドネシア語: slendro) の二つの五音音階(一オクターブを五分割した音階)が演奏目的別に使い分けられる。バリでは、前者がサイ・ゴン、後者がサイ・グンデル・ワヤンと呼ばれる。単純に2の倍数だけでは説明のつかない、加速や減速を伴うリズムがジャワにある。近年は観光客に合わせ、演奏時間の短縮が行われているものの、伝統音楽を保持していた時代は、演奏時間の長さが指摘された。影絵芝居のために一昼夜を要する曲もある。
音楽としてのガムラン
ガムラン
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以下に挙げた国のみならず、楽器が国外に流出したためにガムラン演奏は世界中で盛んにおこなわれている。サルヴァトーレ・シャリーノ、ジョン・ケージ、ウィル・エイスマ、ホセ・マセダのようにガムランアンサンブルに刺激されて作曲する者も少なくない。アメリカの作曲家ルー・ハリソンはこれらの楽器を調律しなおして自分の作曲に用いており、インドネシアの伝統美とは一風変わったオリジナリティが漂う。アメリカのいくつかの大学では、ガムランのサークルが大変に盛り上がりを見せており、大変高い水準を維持するサークルも見られる。インドネシアはかつての宗主国だった経緯もあり(「オランダ領東インド」を参照)、ガムランの楽器がオランダで使われる例も見られた。松平頼則のオーケストラ作品「舞楽」の初演の際、打楽器の種類は特に指定していない部分を、ブルーノ・マデルナがガムランの楽器を用いて1963年にアムステルダムで指揮した。
インドネシア国外における受容
ガムラン
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ガムラン演奏家・音楽学者エリシェ・プラントゥマ(Elsje Plantema)が1993年に設立したガムラングループがアムステルダムを拠点にオランダ国内、ヨーロッパ各地で演奏活動、ワークショップを行っている。かつてインドネシアと共にオランダの植民地であったスリナムには、ジャワ島からの移民が居住しており、複数のガムラングループが存在する。2020年に移民130周年を迎えるにあたり、これらのスリナム・ガムラングループがオランダの無形文化遺産に登録される計画がある。1889年のパリ万国博覧会でガムランが紹介され、クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルら近代フランスの作曲家に大きな影響を与えた。オリヴィエ・メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』の第1楽章には「ガムラン」と題された部分が登場する。
インドネシア国外における受容
ガムラン
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1937年6月19日にはパリでオランダ公使館の催しとしてジャワ舞踊家レイデン・マス・ジョジャナ Raden Mas Jodjanaの公演が行われた。阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店などの阪急東宝グループの創始者、小林一三(逸翁)商工大臣として1940年にジャワ島を訪問した際、ジョグジャカルタの王家筋に伝えられていたガムランの楽器が寄贈されたのが日本へ運ばれたガムランの最初とされる。しかし、その後その楽器はしまいこまれ、演奏は行われていなかったが、インドネシアでの修復を経て1998年に披露コンサートが行われていた。2007年には宝塚歌劇『MAHOROBA』でも使用されている。これとは別に東京芸術大学の楽理科の教授であった小泉文夫が、東洋音楽の研究等のために一式購入してアンサンブルを組織し始めた。現在では、バリ、ジャワ、スンダのいずれのスタイルのガムラン・アンサンブルも組織されている。
インドネシア国外における受容
ガムラン
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伝統に回帰するグループが存在する一方、ガムランによる即興や、ガムランによる新曲委嘱といった可能性を追求するグループもある。目下、大学での正式なカリキュラムで学べるように環境を整えていくことが課題となっているが、西洋音楽偏重で始まった日本の常識を超えることはなかなか難しい。現在ガムラン演奏芸術では日本の大学の学位は取れないため、インドネシアへの留学が必要になる。なかでも沖縄県立芸術大学ではバリ、ジャワ双方のアンサンブルがあり、いずれも専門課程としては組み込まれてはいないものの、活動を続けている。特にバリ・ガムランのアンサンブルは、日本における代表的なガムラン奏者の一人と目される梅田英春准教授(音楽民族学、人類学)の指導の下、意欲的な活動が行われている。さらに、東京音楽大学付属民族音楽研究所では学生に限らず、広く一般にも門戸を広げこの「青銅のシンフォニー」を紹介している。
インドネシア国外における受容
ガムラン
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ポピュラー音楽では、坂本龍一が、ガムランのサンプリング音や音階などを作品に積極的に取り入れている。また、現代音楽のフィールドでも評価されるなど、世界的にも評価の高い日本のプログレッシブロックバンドKENSOが、スレンドロ音階とペログ音階の両方を用いた「Tjandi Bentar」(アルバム「天鳶絨症綺譚」収録。2002年)を発表し、NEARfest 2005など海外で演奏し、高い評価を受けている。ACジャパンの消える砂浜のBGMとして使われたり、聖剣伝説2のBGMとしても用いられており、日本ではシンセサイザーのプリセットほかでも馴染みのある音になりつつある。
インドネシア国外における受容
ガムラン
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ウード (アラビア語: عود(ˁūd)、トルコ語: ud、ペルシア語: بربط(barbat)、英語: oud、スペイン語: laúd) は、リュート属に分類される撥弦楽器。プレクトラムを用いて演奏する。中東から(アラビア、イラクなど)北アフリカのモロッコにかけてのアラブ音楽文化圏で使われる。リュートや琵琶と近縁であり、半卵形状の共鳴胴を持ち、ネックの先が大きく反っている。ただし、リュートや琵琶と違いフレットを持たない。弦は一般に6コース11弦で、10本の弦を5対の複弦とし最低音の弦のみ単弦である。
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ウード
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楽器の「ウード」(ならびに語源的に近縁なリュート)の語源ははっきりしないが、アラビア語のالعود (al-ʿūd) は文字通りには藁のような形状の薄い木片を指す。よってウードの演奏に伝統的に用いられていた木製のプレクトラムや、背面に使われる薄い木片や、類似の皮張りの楽器とは異なる木製の共鳴板を指しているのかもしれない。en:Eckhard Neubauerの近年の研究によれば、ウードという単語は、糸や弦楽器やリュートを指すペルシャ語の単語 rud の単なる借用語である可能性がある。
語源
ウード
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ファーラービーによると、ウードはアダムの六世孫であるレメクによって発明されたという。この伝説では、息子の死を悲しむレメクがその死体を木に架けたという。そして息子の漂白された骨の形から、最初のウードの着想を得たという。リュート系の楽器の最古の図像的記録は、ウルク期の南部メソポタミア(現在のナーシリーヤ市)にさかのぼる。これはDominique Collon博士により発見された5000年以上前の円筒印章上のもので、現在大英博物館に所蔵されている。テュルク系民族の同系の楽器に、「コプズ(コムズ)」(en:komuz)という楽器がある。かつてこの楽器には魔力があると信じられ、戦場の軍楽隊で使用された。このことは突厥碑文に記録され、軍楽隊は後代に他のテュルク系国家やヨーロッパ人によって使用された。
歴史
ウード
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音楽学者のジヌチェン・タンルコルルen:Çinuçen Tanrıkorurは、今日のウードは中央アジア付近のテュルク系民族のコプズから派生したものであり、追加弦は彼らによって追加されたものだとしている。ウードはイラクで特に長い伝統を有しており、イラクでは「その音楽には国の魂が宿る」と言われている。 9世紀のバグダードの法学者は楽器の持つ癒しの力を称賛し、19世紀の作家のムハンマド・シハーブ・アッ=ディーンは「情緒を平静に置き」「心を落ち着けよみがえらせる」と述べた。2003年のイラク進攻en:2003 invasion of Iraqと世俗派のバアス党の崩壊に伴い、世俗的音楽を「ハラーム」(禁止)とみなすイスラーム過激派の増加によって、多くのウード演奏者と教師は潜伏や亡命を余儀なくさせられた。
歴史
ウード
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ネック:ウードはその他の多くの撥弦楽器と異なり、ネック(棹)(en:Neck (music))にフレット(柱)を持たない。それにより奏者はグリッサンドやトリル(en:Trill (music))の技法をより良く表現できる。またフレットがないことによりマカームに見られる微分音を演奏できる。ウードにフレットがないのは後代の改良の結果である。1100年ごろのウードにはフレットが存在したが、1300年にはフレットは消失した。ウードからフレットが除かれたことは、中東音楽の発展が装飾音を重視していたことを反映している。弦:多くのウードは11本の弦を持つ。10本の弦は、5コースの複弦であり、11本目の弦は最低音の1本で、単弦である。ウードの演奏に用いる力は現代のギターに比べると軽い。ペグボックス:ウードのペグボックス(糸蔵)(en:Pegbox)はネックから45度から90度曲がっている。
構造
ウード
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胴:ウードの胴の背面は半卵形状に膨らんでおり、ギターの背面のように平らではない。この設計によってウードは共鳴を生み出し、複雑な音色を作る。サウンドホール:ウードには1から3のサウンドホールがある(en:Sound hole)。
構造
ウード
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ウードのプレクトラムの長さは人差し指よりも少し長い。アラビア語ではこのプレクトラムを「リーシャ」(reesheまたはrisha)といい、トルコではmızrapという。伝統的には、ウードのプレクトラムはタカの羽軸や亀の甲羅を使って作る。しかし今日では安いプラスチック製のプレクトラムが一般的である。ウード奏者はプレクトラムの質への要求が厳しく、通常はプラスチック製品から自作する。ウード奏者は、サンドペーパーでプレクトラムのへりをとがらせて、最高の音色が出せるように気を付ける。
プレクトラム
ウード
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以下は各地のウードの種類であり、こうしたウードは形状や調律に大きな差がある。トルコ語:“ud”、ギリシアやアルメニアで使用される類型を含み、ギリシアでは“outi”という。大きさはより小さく、ネックがより短く、音がより高く、音色がより明亮である。アラブ・ウードより小型で、アラブ・ウードと音調が異なり、音高がより高い。トルコ・ウードと似るが、より小さい。北アフリカのウードだが、すでに使用する人がいない。ギリシアの楽器のen:Laoutoとen:Lavtaは、その形はウードに似るが、奏法が大いに異なり、フレットを持つ。その源流はビザンティン・リュート(Byzantine lutes)にさかのぼる。Laoutoはクレタ島で使用される。
各地の種類
ウード
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ウードには各種の調律法がある。以下に述べる調律は、最下部の単弦から最上部の双弦への順の配列である。
ウードの調律
ウード
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ドラゴンクエストモンスターズ(DRAGON QUEST MONSTERS)は、スクウェア・エニックス(旧エニックス)から発売されているRPGのシリーズ作品。『ドラゴンクエストシリーズ』の派生作品。
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ドラゴンクエストモンスターズ