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5,309 | 700 | 88,624,525 | 略称は「DQM」。開発はトーセが行っており、3DSリメイクとDQMJ3ではスクウェア・エニックスが行っている。ゲーム中に登場するさまざまなモンスターを主人公の仲間にして育成しながら冒険を進めるロールプレイングゲームである。モンスターを仲間にするシステムは『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』のホイミンが初出で、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』から本格的に始まったが、本シリーズはそれをメインとしたゲームである。シリーズ累計売上は700万本を超えており、後に多く発売されるドラゴンクエストの「外伝」シリーズの筆頭作品である。また、ウェブサイトとアプリを連携させた携帯電話コンテンツもある。 | 概要 | ドラゴンクエストモンスターズ |
5,310 | 700 | 88,624,525 | 主人公となっているキャラクターは戦闘に直接参加せず、基本的に仲間にしたモンスターが戦いの中心となる。『ジョーカー2P』まで、直接戦闘に参加できるモンスターのパーティは敵味方互いに3体までとなっている(残りは控えの交代制で参加。『テリー3D』以降は4体に増加)。一度ストーリーをクリアしてしまったあとも、モンスター図鑑を完成させたり、最強のモンスターを育てたりするというやり込み目的で遊ぶことができるなど、それまでの物語を追っていくドラゴンクエストとは別に目的が置かれていた。通信機能を利用して他のプレイヤーと対戦したり、他のプレイヤーが育てたモンスターと自分のモンスターを「おみあい」させて子供を作ることもできるようになっている。 | ゲームシステム | ドラゴンクエストモンスターズ |
5,311 | 700 | 88,624,525 | 各機種対応の携帯電話コンテンツ。中心となるウェブサイト(街)と、ダウンロードして使用する4つのアプリケーション「牧場アプリ」「森アプリ」「塔アプリ」「闘技場アプリ」から構成される。ルールが若干異なり、モンスターを「牧場」から旅に出すことによってモンスターを成長させるシステム。ローグライクゲーム形式の「森」や「塔」でアイテムやゴールドを入手する、鍛えたモンスターを市場で売買する、「闘技場」で他のユーザのモンスターと対決させるといったこともできる。また、2005年より、他の2人のユーザのモンスターとパーティを組んでの旅に出すこともできるようになった(当初はiアプリ版のみであったが後にEZ版とS版にも対応)。iアプリ版とS! | シリーズ一覧 | ドラゴンクエストモンスターズ |
5,312 | 700 | 88,624,525 | アプリ版では、パスワード(「認証キー」と「転送の呪文」)の使用による、プレイステーションソフト『ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち』とのモンスターの受け渡しも可能である。携帯電話版ドラゴンクエストモンスターズの新バージョン。ダンジョンでの宝探しやモンスターを旅に出す、闘技場での他ユーザのモンスターとの対決など、『i/S/EZ』のシステムを継承しているが、電話機のスペックにあわせてグラフィックが強化されている。「フレンド登録」により、他ユーザとの手紙の交換も可能。旧バージョン『i/EZ/S』からのモンスターやゴールドの転送を行うことも可能である。モンスターは1ヶ月につき1回可能で、転送元のモンスターは消えない。ゴールドは計1回のみ転送可能で、転送元のゴールドは転送した分減少する。携帯電話向けの完全新作。一部アイテム課金。 | シリーズ一覧 | ドラゴンクエストモンスターズ |
5,313 | 700 | 88,624,525 | 2013年9月1日より、月額利用料金が不要となった。スマートフォン版はワイド画面に対応し、グラフィックも強化されている。フィーチャーフォン版からのデータを移行させることも可能。『MOBILE』と本作のグラフィックと図鑑は『モンスターズ1・2』をベースにしている。ジョーカーシリーズよりも後に出た作品ではあるが、配合方法はジョーカー以前のルールが採用されている。2017年4月26日にサービスを終了した。iOS、Android向け作品。一部アイテム課金。開発はCygames。2014年1月23日配信開始、2月17日には300万ダウンロードを突破した。 | シリーズ一覧 | ドラゴンクエストモンスターズ |
5,314 | 705 | 87,375,790 | しげの 秀一(しげの しゅういち、本名:重野 秀一〈読み同じ〉、1958年(昭和33年)3月8日 - )は、日本の漫画家・同人作家。新潟県十日町市松之山出身。新潟県立十日町高等学校卒業。血液型はA型。星座はうお座。代表作に『バリバリ伝説』、『頭文字D』。 | __LEAD__ | しげの秀一 |
5,315 | 705 | 87,375,790 | 学生時代より同人活動を行っており、その作品を見た漫画家よりひおあきらを紹介されアシスタントとなる(時期としては『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』執筆時)。『増刊少年サンデー』に投稿しデビュー。数作描いたところで1981年(昭和56年)、『増刊少年マガジン』(講談社)に掲載の『おれたち絶好調』で再デビュー。アシスタント歴では石渡治、小林まことなど。1985年(昭和60年)、第9回講談社漫画賞少年部門受賞(『バリバリ伝説』)。 | 経歴 | しげの秀一 |
5,316 | 705 | 87,375,790 | ※ 発行は注記のない限り全て講談社。 | 作品リスト | しげの秀一 |
5,317 | 708 | 85,674,392 | 河合 克敏(かわい かつとし、1964年5月2日 - )は日本の漫画家。血液型はO型。静岡県浜松市北区(旧・引佐郡引佐町)出身。 | __LEAD__ | 河合克敏 |
5,318 | 708 | 85,674,392 | 上條淳士のアシスタントを経て、1987年『爆風ガールズ』(週刊少年サンデー8月増刊号)でデビュー。1988年に第1回コミックグランプリ受賞作として連載が開始された柔道漫画『帯をギュッとね!』(週刊少年サンデー)が初の連載作品となる。この作品が全30巻を数える長期連載となり、一気に人気漫画家となった。1996年より競艇を題材とした漫画『モンキーターン』(週刊少年サンデー)を連載、こちらも全30巻というヒット作となり、同作品にて1999年度第45回小学館漫画賞を受賞している。また2004年にはアニメ化もされた。2006年12月より『週刊ヤングサンデー』にて書道を題材にした漫画『とめはねっ! 鈴里高校書道部』を連載開始、同誌の休刊により『ビッグコミックスピリッツ』に掲載の場を移し、2015年16号まで隔週連載した。同作はNHKでドラマ化され、2010年1月から2月にかけて全6回放映された。 | 経歴 | 河合克敏 |
5,319 | 709 | 84,367,788 | チェンバロ(独: Cembalo, 伊: clavicembalo)は、弦をプレクトラムで弾いて発音する鍵盤楽器である。英語ではハープシコード (harpsichord)、フランス語ではクラヴサン (clavecin) という。狭義にはグランド・ピアノのような翼形の楽器を指すが、広義には同様の発音機構を持つヴァージナルやスピネット等を含めた撥弦鍵盤楽器を広く指す。チェンバロはルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが、18世紀後半からピアノの興隆と共に徐々に音楽演奏の場から姿を消した。しかし20世紀には古楽の歴史考証的な演奏のために復興され、現代音楽やポピュラー音楽でも用いられている。 | __LEAD__ | チェンバロ |
5,320 | 709 | 84,367,788 | 撥弦鍵盤楽器の大きさや外形は多様であるが、発音機構の基本は共通している。鍵を押し下げると、鍵の他端に立てられているジャックと呼ばれる板状の棒が持ち上がり、ジャックの側面に装着されたプレクトラムが弦を下から上に弾いて音を出す。鍵から手を放すとジャックが下がる。このときプレクトラムは回転するタングに取り付けられているため弦を回り込んで下に戻る。ジャックが元の位置に戻るとジャック上部のダンパーによって弦の振動が止められる。以下では上記の基本原理をより詳細に説明する。鍵(1)は単純な梃子で、鍵にあけられた穴に差し込まれたバランスピン(24)を支点として動く。ジャック(17)は、木製の平たく細長い棒で、鍵の端に垂直に立てられ、上下のジャックガイド(7・22、レジスターとも)で支えられている。 | 構造 | チェンバロ |
5,321 | 709 | 84,367,788 | ジャックガイドは、スパイン(左側の長い側板)側からチーク(鍵盤右の短いまっすぐな側板部分)側まで走るギャップの中に設置される、ほぞ穴のある細長い2枚の板で、このほぞ穴の中をジャックが上下に動く。アッパー・ガイドはしばしば可動である(#レジスターを参照)。 イタリアのチェンバロでは、ボックス・スライドと呼ばれる厚みのある単一のジャックガイドが用いられる。ジャックにはタング(図2-3)という木製の可動の部品が取り付けられており、タングにはプレクトラム(図2-4)が取り付けられる。タングはプレクトラムに上から力がかかる場合は動かないが、下から力がかかる場合は回転してプレクトラムをそらすように動作する。これによってプレクトラムが下から上に弦を弾いた後、上から下へは弦を弾かずに戻ることができる。 | 構造 | チェンバロ |
5,322 | 709 | 84,367,788 | タングはイノシシの毛や薄い真鍮板などで作られたバネによって保持されており、動いた後はバネの弾力により元の位置に戻る。プレクトラムは通常ごく僅かに上方向に角度をつけて取り付けられ、弦の下ぎりぎりの位置に設置される。歴史的にはプレクトラムはワタリガラス (raven) などの鳥の羽軸で作られていたが、現代では保守が容易なデルリン製のプレクトラムを用いる場合も多い。プレクトラムが弾く弦の箇所(プラッキング・ポイント)は音質を決定する重要な要素であり、ナット(図1-5、手前側にあるブリッジと共に弦の振動長を決定する構造)からの距離で示される。ナットに近い位置で弦を弾くと倍音が強調され、「鼻にかかった」音色となる。一般にプラッキング・ポイントの距離は低音域に向かって漸増するが、弦の振動長(ナット-ブリッジ間距離)に対する比率は減少する。 | 構造 | チェンバロ |
5,323 | 709 | 84,367,788 | ジャックの上部にはフェルト製のダンパーが付けられており、ジャックが持ち上がっていないときにはダンパーが弦の上に乗り消音するようになっている。(A) 操作されていない状態のジャック。ジャックの一番上にはフェルト製のダンパー(図3-3)が突き出ており、鍵が押されていないときには弦の振動を止めている。(B) 鍵を押すことでジャックが上がり始めた状態。ジャックが上昇するにつれ弦に押し当てられたプレクトラムは徐々にたわんでいく。(C) プレクトラムは湾曲の限界点を超えて、弦を弾き、振動を起こす(音の発生)。ジャックの垂直に跳ね上がる動きはジャックレール(図3-1)によって止められる。ジャックレールの内側はジャックの衝撃を和らげるために柔らかいフェルト(図3-2)がつけられている。(D) 鍵から手を離すと、鍵のもう一方の端は自重で元の位置に戻り、それに従ってジャックも下に降りる。 | 構造 | チェンバロ |
5,324 | 709 | 84,367,788 | この際プレクトラムは再び弦に接触するが、タング(図3-6)の働きによって、ほとんど音を生じさせることなく弦の下に戻る。ジャックが元の位置まで降りるとダンパーが弦の上に乗り消音する。弦の素材には真鍮、鉄、丹銅などが使われる。一般にスケールの短いタイプの楽器では全域で真鍮弦が用いられるが、長いスケールの楽器では高音域に鉄弦を用い、低音域に真鍮弦、さらに最低音域では丹銅弦が用いられる。弦の一端(鍵盤から遠い側)は小さな輪を作りねじって止めたものを、ヒッチピン(図1-10)にかける。ヒッチピンはライナー(11)に打ち込まれている。もう一方はチューニングピン(図1-4)に巻き取り、適切な音高となるように調整する。チューニングピンは堅い木で作られたレストプランク(ピンブロックとも、図1-23)にねじ込まれている。 | 構造 | チェンバロ |
5,325 | 709 | 84,367,788 | 近代的なピアノのような金属フレームを持たないチェンバロは、湿度の変化に弱く、調律が変動しやすいため、演奏者は演奏のみならず、自ら調律する技術も要求される。弦はブリッジ(図1-9)を介して響板(サウンドボードとも、図1-14)を振動させる。響板とケースの構造体は、弦の振動を効率良く空気の振動へ変換し、音量を拡大する。 響板は一般的にトウヒやモミあるいはイトスギなどの針葉樹の木材の2~4mm程度の薄い板である。 イタリアのチェンバロの響板は、裏側全体がリブで補強されている物が多くあるが、フランドルのルッカース一族、及びその影響を受けた様式のチェンバロの響板は、リブがあるのは低音側手前の領域のみで、ブリッジの下にはリブを持たない。 通常、響板の低音側の手前の部分には、リュートやギターのように穴が開けられ、木や羊皮紙、または金属の装飾が嵌め込まれる、これをローズと呼ぶ。 | 構造 | チェンバロ |
5,326 | 709 | 84,367,788 | イタリアのチェンバロのケースは、底板を基礎とした構造で側板は薄い。製作は底板に次々に部品を取り付けていく方法で行われる。まず底板が用意され、その上に縁に沿って側板やライナーを支えるための三角形の板(ニー)が数枚立てた形で取り付けられる。数本の補強材(ボトム・ブレース)とローワー・ベリーレールが底板を横切って取り付けられ、アッパー・ベリーレールがローワー・ベリーレールの上に取り付けられる。ニーの上部にライナーが取り付けられ、ベントサイド側のライナーは、さらに底板にかけて斜めに補強材(アッパー・ブレース)が数本取り付けられる。そうしてできた骨格の周囲に側板が貼られる。これに対し、フランドルのルッカース一族、及びその影響を受けた様式のチェンバロでは、厚い側板の枠組みがケースの構造の基礎となっている。 | 構造 | チェンバロ |
5,327 | 709 | 84,367,788 | まず側板とレストプランク、ベリーレール、ブレースを組んで外枠が作られ、響板を取り付けた後、最後に底板が取り付けられる。以下の画像の楽器は18世紀フランス様式のものであり、後者に属する。チェンバロの音量は打鍵の強弱には殆ど依存しない。しかしチェンバロは音量、音色を段階的に切り替える仕組みを備えているものが多い。音色の選択機構および音色単位そのものを、オルガンの用語と同様に、レジスター、もしくはストップと呼ぶ。音量の増加と音色の変化を得る方法として、複数の弦列を備えて、それらを共に鳴らすことが挙げられる。ピッチの異なる弦列を共に鳴らすことも行われる。8フィート弦は通常のピッチの弦であり、これに対して4フィート弦はオクターヴ高く調律される。同様に、稀に用いられる16フィート弦はオクターヴ低く、2フィート弦は2オクターヴ高く鳴る。 | 構造 | チェンバロ |
5,328 | 709 | 84,367,788 | なお、これらの「フィート」という用語はオルガンの用語から来ており、実際の弦の長さとは関係ない。異なるピッチの音を共に鳴らすことで音色の変化を得るという方法はオルガンと共通のものである。複数の弦列を共に用いる場合、プレクトラムが同時に弦を弾くようになっていると、タッチが重くなり演奏に支障を生じる。そのため各弦列の間で発音に僅かな時差が生じるように調節される、これをスタガリングと呼ぶ。またスタガリングにより、鍵盤を押す速さによって発音の集中の度合いが変化するため、タッチによる表現がより豊かになる。音色の違いは、プラッキング・ポイントの違いによっても得られる。ナットに近い位置で弾くほど、倍音が強調され、鼻にかかった、明るく細い音になる。 | 構造 | チェンバロ |
5,329 | 709 | 84,367,788 | 同じピッチでプラッキング・ポイントの異なるレジスターを持つ場合、相対的にナットに近いところを弾くものを「フロント」と呼び、ナットから遠いところを弾くものを「バック」と呼ぶ。特にナットに近い位置を弾くレジスターとしてナザールがある。その他、弦のナット近くに革やフェルトを接触させて振動を抑えることでピッツィカート的な音にするバフ・ストップ、プレクトラムに揉み革を用いて柔らかい音を出すポー・ド・ビュフル などがある。レジスターの選択は、上のジャックガイドを少し横に動かし、プレクトラムが弦に触らないようにして、「除音」の状態にすることで実現される。バフ・ストップの場合は、革やフェルトの小片の並んだレールを横に動かして接触を切り替える。 | 構造 | チェンバロ |
5,330 | 709 | 84,367,788 | レジスターの操作は、一般に直接あるいはレバーを介してジャックガイドを手で動かして行うため、レジスターを切り替えるためには鍵盤から手を移動させなければならないが、18世紀後期には膝レバーやペダルでレジスターを操作する機構を持つ楽器も作られた。楽器に複数の鍵盤を備えることで、鍵盤ごとに異なる音量、音色を持たせ、それらを対比して用いる演奏が可能となる。複数の鍵盤を持つ場合、上下鍵盤のレジスターを結合する機構を備えることが一般的である。これには主に2種類あり、一つは、引き出し型カプラーで、上鍵盤が前後にスライドするようになっている。上鍵盤を奥に入れることによって、下の段の鍵盤に取り付けられた垂直方向のクサビ状の突起が上の段の鍵盤の端の下に入る。この状態で下段鍵盤を操作すると同時に対応する上段鍵盤が連動する(逆に上段を操作しても下段鍵盤は連動しない)。 | 構造 | チェンバロ |
5,331 | 709 | 84,367,788 | 鍵盤とカプラーの位置の選択によって、奏者は図5におけるジャックA、BとC、および3つ全てという選択肢を得る。もう一つは、ドッグレッグ・ジャック(英:dogleg jack)と呼ばれるもので、上鍵盤は「犬の足」(ドッグレッグ)型のジャック(図6-A)のくぼみにもぐりこんでおり、下鍵盤を操作しても上鍵盤を操作してもジャックAは動く。カプラー式のように下鍵盤からジャックAを使用する際に上鍵盤を介する必要がないが、ジャックAの使用を上鍵盤に限定することは出来ない。これらの機構により、下鍵盤の強音と上鍵盤の弱音の対比を効果的に行うことができる。ルッカース一族の楽器にみられる二段鍵盤は、上述のような対比型二段鍵盤とは異なり、上下鍵盤が四度ずれた配置で同一の弦を弾くもので、移調に使われたと考えられている。 | 構造 | チェンバロ |
5,332 | 709 | 84,367,788 | イタリアやフランドルのチェンバロの鍵盤は、現代のピアノと同じくナチュラル・キーが白ないし明るい木材の色でシャープ・キーが黒いが、フランスでは逆にナチュラル・キーが黒くシャープ・キーが白い鍵盤が好まれた。ドイツのチェンバロやモダン・チェンバロにも白黒の逆転した配色の鍵盤が見られる。チェンバロの鍵盤は一般に現代のピアノの鍵盤よりも奥行きが短い。これは当時の親指をくぐらせない運指に関係している。鍵の横幅はイタリアやフランドルのチェンバロでは3オクターヴで約500mm程度で現代のピアノに近いが、フランスのチェンバロの鍵は横幅が狭く、18世紀フランスの典型例は3オクターヴで約477mmである。16世紀のイタリアのチェンバロはC/E-f3かC/E-c3(ショート・オクターヴを参照)の音域のものが一般的で、前者のほうが優勢であった。その後17世紀には逆にC/E-c3が主流となる。 | 構造 | チェンバロ |
5,333 | 709 | 84,367,788 | これはC/E-f3の最高音域は元々通常の演奏には要求されず、演奏に変化を与えるために用いていたものが、後にその演奏習慣が廃れたためと考えられる。17世紀半ばから最低音がGGのものが普及し、18世紀には再び最高音がf3に達して、FF,GG,AA-f3やGG,AA-f3のものが見られるようになった。しかしながらC/E-c3のものも依然として製作された。エンハーモニック鍵盤と呼ばれる、異名同音を弾き分けるための分割されたシャープ・キーを持つチェンバロは、特に16世紀から17世紀初期のイタリアで多く作られた。ルッカースの一段鍵盤のチェンバロの音域は殆どがC/E-c3であるが、ショート・オクターヴではない半音階の低音を持つものもわずかながら製作された。二段鍵盤の楽器は一般に下鍵盤にC/E-f3、上鍵盤にC/E-c3の鍵盤を有し、両鍵盤は最高音で揃えられて同一の弦を共有している。 | 構造 | チェンバロ |
5,334 | 709 | 84,367,788 | したがって上鍵盤に対して下鍵盤のピッチは四度低い。より音域の広い、下鍵盤がGG-c3、上鍵盤がF-f3で、同様に両鍵盤を最高音で揃えた二段鍵盤の楽器も作られた。この場合は逆に下鍵盤に対し上鍵盤のピッチが四度低い。17世紀のフランスのチェンバロの音域はGG/BB-c3が一般的である。ショート・オクターヴによって欠ける変化音のために、最低音域の鍵のいくつかを前後に分割したものもある。 18世紀の前半にはGG-e3やFF-e3が普及し、1760年頃から18世紀末のチェンバロの衰退に至るまでFF-f3がフランスのチェンバロの標準となった。後期の楽器の中には、おそらく視覚的なバランスを取るためにさらにEEを加えたものもある。18世紀のイギリスのカークマンとシュディのチェンバロの音域はFF,GG-f3が一般的であり、おそらく視覚的に左右対称にするためにFF#を欠いている。 | 構造 | チェンバロ |
5,335 | 709 | 84,367,788 | 1780年頃以降は通常通りFF#が含まれるようになった。カークマンの5オクターヴより広い音域の楽器は、1772年のFF-c4の二段鍵盤の楽器1台のみが知られるが、シュディはCC-f3の楽器を定期的に製作し、 1765年から1782年までの日付を持つ12台が現存している。 | 構造 | チェンバロ |
5,336 | 709 | 84,367,788 | ヴァージナル、スピネットなども、チェンバロと同様の発音原理による鍵盤楽器である。ただし、チェンバロ、ヴァージナル、スピネットといった名称は、歴史的には曖昧に用いられており、厳密に区別することは難しい。ヴァージナル(英: virginal [virginals], 独: Virginal)は小型の撥弦鍵盤楽器で、弦が楽器の長辺および鍵盤と平行に張られているものを指す 。 特に長方形の楽器を指すこともある。一般に弦は一組のみで、手前に低音、奥に高音の弦が張られる。そのため鍵の全長は低音で短く、高音で長い。ヴァージナルという語は1460年頃のプラハのパウルス・パウリリヌスによる記述に最初に見られる。語源に関しては様々な説があるが確かなことはわからない。ヴァージナルという語の指し示す範囲はしばしば曖昧である。エリザベス朝の頃のイギリスでは virginal という語は撥弦鍵盤楽器全般を指していた。 | 他の撥弦鍵盤楽器 | チェンバロ |
5,337 | 709 | 84,367,788 | イタリアの多角形のヴァージナルはスピネットと呼ぶことが多い。イタリア語には本来ヴァージナルという語は存在せず、spinetta や arpicordo と呼ばれていた。イタリアのヴァージナル(あるいはスピネット)は、長方形、あるいは多角形のケースで、突き出た形の鍵盤を持つものが多い。フランドルのヴァージナルは、鍵盤が本体の左側に位置するスピネット型と、右側に位置するミュゼラー型(muselar, muselaar)に分けられる。どちらも一般に長方形で鍵盤が窪んだ場所に位置し本体から突き出ない。イタリアのヴァージナルやフランドルのスピネット型のヴァージナルでは弦を弾く位置が通常のチェンバロに近いが、ミュゼラーでは全域で弦の中央に近い所で弾かれる。このことにより、基音が強く倍音の弱い、独特の太くて暖かい音質を持つ。 | 他の撥弦鍵盤楽器 | チェンバロ |
5,338 | 709 | 84,367,788 | しばしば倍音を補うためにアルピコルドゥムという金属片によってざわざわした音を付加する装置がテノールからバスの音域に付けられる。ミュゼラーでは中低音域のアクションは楽器の響板の真ん中に置かれるため、この音域を弾くときの打鍵音が増幅される問題がある。加えて、弦の中央付近で弾くために、まだ響いている弦の動きがプレクトラムが再度弦に触れることを難しくしてしまい、低音部の連打が難しい。このようなことから、ミュゼラーは複雑な左手のパートを持たない、旋律と和声の組合わせのような曲に向いているとされる。ミュゼラーは16、17世紀には人気があったが、18世紀にはあまり使われなくなった。18世紀のある評論家は、ミュゼラーは「低音部では若い豚のようにブーブー言う」と評している (Van Blankenberg, 1739)。フランドルでは大小2台のヴァージナルを組み合わせたダブル・ヴァージナルも作られた。 | 他の撥弦鍵盤楽器 | チェンバロ |
5,339 | 709 | 84,367,788 | スピネット(英: spinet, 仏: épinette, 独: Spinett, 伊: spinetta, 西: espineta)は小型の撥弦鍵盤楽器で、弦が鍵盤に対して斜めに張られているものを指す 。一般に弦は一組のみで鍵盤も一段のみである。典型的にはおおよそ三角形の形状で右側板が湾曲している「ベントサイド・スピネット」を指す。ベントサイド・スピネットは特に18世紀のイギリスでヴァージナルに代わる家庭用鍵盤楽器として普及した。ヴァージナルと同じくスピネットという語の指し示す範囲もしばしば曖昧である。イタリアでは小型の撥弦鍵盤楽器全般を指して spinetta という語が使われた。フランスでは épinette という語はイギリスにおける virginal と同様に撥弦鍵盤楽器全般に対して用いられた。 | 他の撥弦鍵盤楽器 | チェンバロ |
5,340 | 709 | 84,367,788 | クラヴィツィテリウム (clavicytherium) は響板と弦が垂直に、奏者の顔の前にくるように立てられた楽器である。同様の省スペース原理は、後のアップライトピアノでも用いられることとなった。興味深いことに、現存最古のチェンバロはクラヴィツィテリウムである。クラヴィツィテリウムはチェンバロの主流とはならなかったが、その後も散発的に製作され続けており、18世紀にはフランドルのアルベルトゥス・ドゥランによって優れたクラヴィツィテリウムが製作されている。4フィート弦のみを持つ、1オクターヴ高いピッチの小型の楽器もあり、オッタヴィーノ (ottavino) と呼ばれる。クラヴィオルガヌム (claviorganum) はチェンバロやヴァージナルをオルガンと組み合わせ、両方の音を同時に鳴らすことのできる複合楽器であり、ヨーロッパ各地で製作された。 | 他の撥弦鍵盤楽器 | チェンバロ |
5,341 | 709 | 84,367,788 | 1397年のパドヴァの法律家による、ヘルマン・ポールという人物がクラヴィチェンバルムと呼ばれる楽器を発明したと主張している、という記述がチェンバロについての最古の記述である。 1425年のドイツのミンデンの大聖堂の祭壇の彫刻にはチェンバロとこれを奏する人が確認できる。 1440年頃にはアンリ・アルノー・ド・ズヴォレがチェンバロとその発音機構の詳細な図面を残している。 現存する最古のチェンバロは、1480年頃おそらくドイツのウルムで作られたクラヴィツィテリウムで、ロンドンの王立音楽大学に保存されている。製作者名と製作年代の分かる最古のチェンバロは、1515年から1516年にフィレンツェのヴィンチェンティウスによって作られたものであり、次に1521年のボローニャのヒエロニムスによるものが続く。イタリアのチェンバロの側板は薄く、ケースの外形は細長い。 | 歴史 | チェンバロ |
5,342 | 709 | 84,367,788 | イタリアでは多少の変化がありながらも、18世紀末まで独自の様式のチェンバロ製作の伝統が維持された。1700年頃イタリアのバルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明したが、ピアノは当時のイタリアでは大きな影響を与えることがなかった。アルプスから北では1537年にライプツィヒのミュラーによる作例が存在する。薄い側板のケースはイタリアの楽器と同様であるが、ずんぐりとした外形や、ボックス・スライドではない2枚構成のジャックガイドはイタリアの楽器に見られない特徴である。 このような北ヨーロッパの初期のチェンバロは、かつてはイタリアの楽器から派生したものと考えられたが、現在はむしろイタリアのチェンバロ製作の伝統が北ヨーロッパに起源を持つ可能性が高いと考えられている。フランドルでは16世紀末から17世紀前半にかけてアントウェルペンのルッカース一族がチェンバロの製作において成功を収めた。 | 歴史 | チェンバロ |
5,343 | 709 | 84,367,788 | ルッカースのチェンバロはイタリアのものより厚い側板が用いられている。 ルッカースの楽器は高く評価され、後にしばしば改造を施されながらも各地で使われ続けた。そして他の地域のチェンバロ製作にも大きな影響を与えた。ルッカースのチェンバロが各地に輸出される一方で、北ヨーロッパの他の地域ではルッカース以前からの北ヨーロッパの在来の様式によるチェンバロが製作されていたが、 その後、18世紀のフランスでは、ルッカースに倣ったチェンバロが作られるようになり、18世紀フランス様式のチェンバロはフランドル様式の構造を受け継ぎながら、より広い音域と優美な音色を持つことになった。有名な製作者としてはブランシェ一族やパスカル・タスカンなどが挙げられる。 18世紀のイギリスでもカークマンやシュディの工房においてルッカースの影響を受けたチェンバロが製作された。 | 歴史 | チェンバロ |
5,344 | 709 | 84,367,788 | カークマンとシュディのチェンバロの音はフランスの楽器に比べ繊細さに欠けるが華麗で力強い。チェンバロは18世紀後半から、より強弱表現に長けるピアノに徐々に人気を奪われ、19世紀中は殆ど演奏されることがなくなり、楽器製作の伝統も途絶えた。19世紀末から古楽演奏のためにチェンバロが復興され、当時のピアノ製作の技術を応用してチェンバロの改良が試みられた。このような楽器は現在ではモダン・チェンバロと呼ばれ、伝統的な製法のチェンバロとは区別される。1860年代半ばにフランスのピアニスト、ルイ・ディエメがリサイタルにチェンバロの演奏を取り入れた。彼は1769年製のパスカル・タスカンのチェンバロを主に用いた。 1882年にこの楽器は修復され、その後パリのエラール社が借り受けて研究した。 プレイエル社もタスカンの楽器を研究し、両社とも1889年のパリ万国博覧会にチェンバロを出品した。 | 歴史 | チェンバロ |
5,345 | 709 | 84,367,788 | ドイツでは通称「バッハ・チェンバロ」と呼ばれる楽器 がチェンバロ復興の参考にされた。この楽器の、下鍵盤に16′と8′、上鍵盤に8′と4′という歴史的なチェンバロでは特殊なレジスター構成が理想的なものとされ、モダン・チェンバロに大きな影響を与えた。 1899年にベルリンのヴィルヘルム・ヒールによってこの楽器に基づいたチェンバロが製作されている。1912年にワンダ・ランドフスカの構想によりプレイエル社が近代的なコンサートホールでの演奏に向けた新型のチェンバロを開発した。 この楽器は、鉄製のフレームを持ち、太い弦が高い張力で張られ、響板の補強法はグランド・ピアノとほぼ同じで、ケースも頑丈に作られていた。下鍵盤に16′、8′、4′、上鍵盤に8′の構成で、レジスターは7本のペダルで操作された。 | 歴史 | チェンバロ |
5,346 | 709 | 84,367,788 | プレイエル社の楽器はドイツのチェンバロ製作にも影響を及ぼし、幾つかのメーカーはプレイエル型のレジスター構成や鉄製フレームを採用した。1930年ごろからドイツのチェンバロ製作は再び「バッハ」型のレジスター構成に戻り、鉄製フレームは用いられなくなったが、依然としてそれは歴史的な楽器とは大きく異なるものであった。 ノイペルト、ヴィトマイヤー、シュペアハーケ、アンマー、ザスマンなどのメーカーにより製造されたモダン・チェンバロは世界各地に輸出され、演奏家や聴衆の一般的なチェンバロのイメージとなった一方で20世紀半ば頃からフランク・ハバード、ウィリアム・ダウド、マルティン・スコヴロネックなどの製作家により歴史的なチェンバロの研究がなされ、伝統的製法の再現が試みられた。彼らの作る楽器は高い人気を博し、他の多くの製作家たちも歴史考証的な楽器の製作に転じた。 | 歴史 | チェンバロ |
5,347 | 709 | 84,367,788 | 現在では歴史考証的な楽器が主流となり、ルネサンス・バロック期の音楽を演奏する際に、モダン・チェンバロを用いることは殆ど無い。一方、モダン・チェンバロを前提とした音楽作品、例えば、フランシス・プーランクの「クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール」などはモダン・チェンバロで演奏するのが妥当とされる。 | 歴史 | チェンバロ |
5,348 | 709 | 84,367,788 | イタリアのチェンバロは、底板を基礎として支持材を組み、約4~6mm程度の薄い側板を貼り合わせた構造をとっている。ケースの素材には主にイトスギ材が用いられた。一般にこの薄手の本体は、より頑丈なアウターケースに収納された。後に単一の厚手のケースを持つ楽器も現れたが、外見上は従来通りアウターケースの中にインナーケースが納められているかのように装飾がほどこされた。これを「フォルス・インナー・アウター」(偽インナー・アウター)と呼ぶ。 弦長は全音域の5/6程度までオクターヴごとに倍になる自然な比率に従っている。そのためベントサイドは深く窪み、外形は細長い。鍵盤は一段鍵盤が一般的である。弦列は16世紀には1×8′または1×8′、1×4′の構成が一般的であったが、17世紀以降は2×8′が主流となった。これは通奏低音の演奏に適応したものと考えられる。 | 様式 | チェンバロ |
5,349 | 709 | 84,367,788 | 16世紀の楽器や文献は、高音域で鉄弦が使用されたことを示唆しているが、17世紀以降は全域で真鍮弦を使用することが一般的となった。ジャックガイドは上下2枚構成ではなく、ボックス・スライドと呼ばれる単一の厚みのあるものが用いられる。レストプランクの幅は高音域で狭く、ジャックの列は斜めに並ぶ。響板の裏側は、数本のリブがブリッジの下を横切って取り付けられることが多い。イタリアのチェンバロの音質は、減衰が早く、歯切れの良い音が特徴である。フランドルのチェンバロ製作では、アントウェルペンのルッカース一族が重要な役割を果たした。ルッカース一族の工房は、ハンス・ルッカースが1579年にアントウェルペンの聖ルカのギルドに加入してから、約1世紀に渡ってアントウェルペンのチェンバロ製作を支配した。 | 様式 | チェンバロ |
5,350 | 709 | 84,367,788 | ルッカースのチェンバロは、厚い側板を上下の内部補強材によって連結した枠組が構造の基礎となっており、底板は後から取り付けられた。ケースの素材にはポプラ材が用いられ、側板は約14mm程度の厚さを持っている。高音域の弦長が長めで、低音域の弦長は抑えられており、イタリアのチェンバロよりもずんぐりとした外形をしている。高音域は鉄弦、低音域は真鍮弦が使われた。標準的な弦列構成は1×8′、1×4′で、8′にはバフ・ストップを備える。音域は通常ショート・オクターヴのC/Eからc3までの4オクターヴである。プラッキング・ポイントはナットに近く、一段鍵盤のルッカースのチェンバロの8′のプラッキング・ポイントは、ほぼ18世紀フランスのチェンバロのフロント8′に相当する。ブリッジはイタリアの楽器のものよりも大きく、響板のブリッジの下にはリブを持たない。 | 様式 | チェンバロ |
5,351 | 709 | 84,367,788 | 8′のブリッジと4′のブリッジの間の響板の裏側には4′のヒッチピンにかかる張力に耐えるための補強として4′ヒッチピン・レールがある。4′のブリッジの手前の裏側には斜めにカットオフ・バーと呼ばれる細長い棒が取り付けられ、カットオフ・バーによって区切られた三角形の領域がリブで補強されている。ルッカースのチェンバロの音質は、イタリアのものとは明らかに異なり、響きが長く持続する。ルッカースは二段鍵盤のチェンバロも製作したが、これは上下で四度ずれた配置の鍵盤で同一の弦を弾くものであり、四度の移調を容易にするためのものであったと考えられている。通常C/E-f3の下鍵盤がC/E-c3の上鍵盤と最高音で揃えられており、下鍵盤では上鍵盤より四度低い音が鳴る。また下鍵盤のプラッキング・ポイントは上鍵盤よりナットから遠い。ルッカースのチェンバロは規格化された幾つかのサイズで製作され、装飾も規格化されている。 | 様式 | チェンバロ |
5,352 | 709 | 84,367,788 | 外装は大理石を模した柄や鉄帯模様が描かれ、内装は文様を印刷した紙が貼られた。響板およびレストプランク表面は、花や果物、鳥、昆虫、エビなどがテンペラ画によって描かれた。このような響板装飾はイタリアの楽器には見られない特徴である。ローズは鉛と錫の合金で鋳造され金箔が貼られた。ローズの意匠はハープを弾く天使で、製作者のイニシャルが左右に配される。蓋の内側は文様紙が貼られ、ラテン語の格言が書かれるのが標準的だが、高級なものは画家により絵画が描かれた。ルッカースのチェンバロは合理的な製法により量産され、近隣諸国に大量に輸出されたが、後に時代の要請に従って多くのルッカースのチェンバロは改造され、現存する楽器でオリジナルの状態にあるものは極めて少ない。音域の拡大、弦の増設、一段鍵盤や移調二段鍵盤の楽器の対比二段鍵盤化などが行われ、時には響板及びケースを拡張する大規模な改造も行われた。 | 様式 | チェンバロ |
5,353 | 709 | 84,367,788 | このような改造はフランス語でラヴァルマン ravalement と呼ばれる。改造が盛んに行われた背景にはルッカースの楽器が高額で取引されたことがある。改造されたルッカースの楽器は他の新しい楽器の数倍の値段で取引されたため、ルッカースの改造楽器を装った贋作も作られた。18世紀のフランドルの有力なチェンバロ製作者としてはドゥルケン一族が知られている。ヨハン・ダニエル・ドゥルケンの製作した楽器は少なくとも8台が知られている。彼の楽器の多くは5オクターヴの音域で、2×8′、1×4′の弦列を備える。二段鍵盤の楽器ではドッグレッグ・ジャックを用い、しばしば上鍵盤にナザールのレジスターを備えている。ヨハン・ダニエル・ドゥルケンの1745年の楽器をモデルとして、現代の製作家マルティン・スコヴロネックが1962年に製作したチェンバロは、グスタフ・レオンハルトが多くの録音に使用したことで有名である。 | 様式 | チェンバロ |
5,354 | 709 | 84,367,788 | 17世紀のフランスのチェンバロの構造はイタリアとフランドルの中間的な特徴を示し、音質的にも両者の中間に位置する。この様な特徴を持つチェンバロは北ヨーロッパの広い地域で製作されていた。フランスでは、17世紀半ばから2組の8′弦を独立して演奏できるカプラー式二段鍵盤のチェンバロが発達していた。フランスに典型的な技法である右手と左手で同じ音域を重ねて弾くピエス・クロワゼはこれによって可能となる。17世紀には下鍵盤をスライドさせる形式のカプラーが用いられていたが、18世紀になるまでには上鍵盤をスライドさせるようになった。18世紀のフランスのチェンバロはルッカースに大きく影響を受けている。フランスの製作家たちはルッカースの楽器の改造を通じてその設計を学んだものと考えられる。 | 様式 | チェンバロ |
5,355 | 709 | 84,367,788 | 標準的な18世紀フランスのチェンバロの構造はルッカースの設計を踏襲しつつ、より大型化したものであり、カプラー式二段鍵盤を備え、上鍵盤が1×8′、下鍵盤が1×8′、1×4′で、音域は5オクターヴに達する。このような18世紀フランス様式のチェンバロは、現代のチェンバロ製作のモデルの主流となっている。ドイツでは古くからチェンバロの存在が確認できるが、17世紀までのドイツで製作されたチェンバロは僅かな数しか現存していない。18世紀のチェンバロもイタリア、フランス、イギリスなどに比べると現存するものは少ない。18世紀ドイツのチェンバロ製作には幾つかの流派が存在したが、その中でハンブルクの楽器が比較的多く現存している。ハンブルクで活躍したチェンバロ製作者としてはフライシャー一族とハス一族が有名である。 | 様式 | チェンバロ |
5,356 | 709 | 84,367,788 | ハンブルクのチェンバロの構造は、フランドルの楽器の様に底板の上面に側板が接合されているが、アッパー・ブレースは無く、底板からライナーまでの深さがあるブレースがベントサイドからスパインにかけて横切っている。外見はS字型のベントサイドが特徴的である。ハス一族のチェンバロには16′や2′のレジスターを備えたものも現存している。ベルリンのミヒャエル・ミートケのチェンバロは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハがケーテン宮廷で使用したチェンバロがミートケのものであることから、現代のチェンバロ製作のモデル楽器として人気が高い。16世紀から17世紀にかけてのイギリスでは、多くのチェンバロのための楽曲が生み出されたが、現存する当時のイギリス製の楽器は少ない。現在知られるイギリスのチェンバロは主に18世紀以降のもので、ジェイコブ・カークマンと、バーカット・シュディの2人の製作家が有名である。 | 様式 | チェンバロ |
5,357 | 709 | 84,367,788 | 彼らの楽器はルッカースの流れをくむ設計で、華麗で力強い音質が特徴であるが、現代のチェンバロ製作のモデルとしてはあまり用いられていない。二段鍵盤の楽器ではドッグレッグ・ジャックを用い、上鍵盤にナザールのレジスターを備える。18世紀後半には音量を変化させる仕組みとして、マシン・ストップと呼ばれるペダルによってレジスターを操作する機構や、オルガンのようなスウェル・シャッター(よろい戸)をペダルで開閉する機構を持つチェンバロも作られた。20世紀初頭のチェンバロ復興と共に、チェンバロを近代化するべく様々な改良を試みた重構造のチェンバロが製作されるようになった。現在ではこのようなチェンバロは、歴史的なチェンバロや、それらに準じて製作されたチェンバロとは区別して、モダン・チェンバロと呼ばれる。 | 様式 | チェンバロ |
5,358 | 709 | 84,367,788 | モダン・チェンバロは20世紀半ば過ぎまでチェンバロの主流であったが、歴史的なチェンバロが見直されるようになったため、現在では用いられることは少ない。一般にモダン・チェンバロは、近代的なピアノのように底が開放された構造をとっている。ケースや響板は厚く頑丈に作られており、中には金属製のフレームを用いるものもある。プレクトラムには主に革が用いられ、ジャックには調整用のネジが備えられている。レジスターはペダルにより操作され、演奏中に自在に切り替えることが可能である。また歴史的なチェンバロでは稀な16′の弦列を備えているものが多い。 | 様式 | チェンバロ |
5,359 | 709 | 84,367,788 | 初期の鍵盤楽器音楽は楽器の指定が無いことが普通で、チェンバロ、クラヴィコード、オルガンなどで演奏される。現存する最古の鍵盤楽器音楽とされるのは、14世紀のロバーツブリッジ写本(英語: Robertsbridge_Codex)である。ルネサンス時代には、イベリア半島でアントニオ・デ・カベソンをはじめとする作曲家により、ティエントやディフェレンシアスなどの鍵盤楽器音楽が栄えた。ディエゴ・オルティスは『変奏論』 Trattado de Glossas (1553) でヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの合奏について述べている。イギリスではウィリアム・バードやジョン・ブルなどの作曲家達により多くのチェンバロ曲が書かれ、『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』などの手稿で残されている。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,360 | 709 | 84,367,788 | バロック時代には、イタリアで劇的な感情の表出を重視したモノディ様式が生まれ、チェンバロは通奏低音のための楽器として重要な役割を担った。鍵盤楽器音楽においても劇的な表現が追求され、ジローラモ・フレスコバルディは、『トッカータ集 第1巻』 (1615) の序文において、厳格な拍子にとらわれない、情感に応じた自由な演奏を要求している。18世紀にはナポリ出身のドメニコ・スカルラッティが、ポルトガル王女のバルバラ・デ・ブラガンサに音楽教師として仕え、555のソナタとして知られる個性的なチェンバロ曲を残している。一方、ルイ14世時代のフランスではジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエールやルイ・クープランをはじめとする作曲家によって、リュート音楽の延長上にチェンバロ(クラヴサン)音楽が栄え、スティル・ブリゼと呼ばれる分散奏法や、繊細な装飾音を多用した、優美な作品が多く生み出された。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,361 | 709 | 84,367,788 | 中心となるのはアルマンドやクーラントといった舞曲であり、これらを組み合わせた組曲はバロック時代のチェンバロ音楽を代表するジャンルの一つとなった。フランスのクラヴサン音楽は18世紀前半、フランソワ・クープランやジャン=フィリップ・ラモーらの時代に繁栄の頂点に達する。彼らの作品においては、古典的な舞曲に代わって、描写的な標題を持つ作品が主体となっていった。その後、ジャック・デュフリやクロード=ベニーニュ・バルバトルらを輩出するものの、フランス革命の勃発により打撃を受けて、フランスのクラヴサン音楽は終焉を迎える。ドイツのチェンバロ音楽は、イタリアとフランス双方の影響を受け、さらに北ドイツ・オルガン楽派の伝統が加わる。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品には、それらの様式の高度な総合が見られる。バッハの息子や弟子の時代にはクラヴィコードが流行し、さらにピアノがそれに取って代わっていった。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,362 | 709 | 84,367,788 | 通奏低音にチェンバロを用いることはオペラにおいては19世紀まで残存したが、19世紀を通じて、チェンバロは実質的にピアノに地位を奪われていた。しかし20世紀に入って、古楽復興運動により、再びチェンバロが演奏されるようになると、さまざまな音色を求めるなかで、チェンバロに目を向ける作曲家も登場した。アーノルド・ドルメッチの影響の下、ヴァイオレット・ゴードン=ウッドハウス(1872-1951)、およびフランスではワンダ・ランドフスカがチェンバロ再興の最前線で演奏を行った。チェンバロ協奏曲がプーランク、ファリャ、ベルトルト・フンメル、グレツキ、グラス、ロベルト・カルネヴァーレなどによって作曲され、マルティヌーはチェンバロのために協奏曲とソナタを作曲し、カーターの二重協奏曲はチェンバロ、ピアノと2つの室内オーケストラのために書かれている。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,363 | 709 | 84,367,788 | 室内楽の分野では、リゲティがいくつかの独奏曲("Continuum"など)を作曲しているほか、デュティユーの "Les Citations" (1991年)はチェンバロ、オーボエ、タブルバスとパーカッションのために書かれている。 その他、ショスタコーヴィチは『ハムレット』(1964年)でチェンバロを用いている。シュニトケはオーケストラ用作品でしばしばチェンバロを用いている。日本の作曲家が取り組みはじめたのは戦後になってからであり、その数も多いとはいえないが、武満徹の「夢見る雨」(独奏曲)などが生まれている。チェンバロ奏者でもあるヘンドリク・ボウマンは17世紀、18世紀の様式に基づいたチェンバロ独奏曲、チェンバロ協奏曲などを作曲している。現代では、チェンバロ、もしくはシンセサイザーによる類似の音色がポピュラー音楽でも用いられている。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,364 | 709 | 84,367,788 | 代表的な例としては、ビージーズ、ローリング・ストーンズの「イエスタデイズ・ペイパー」やR.E.M.の "Half a World Away" (アルバム「アウト・オブ・タイム」1991年、収録)、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「タンク」があげられる。また、イージー・リスニングにおいては、ポール・モーリアがチェンバロ(の音色)を好んで用いたことで知られる(「恋はみずいろ」「オリーブの首飾り」が代表的)。 | チェンバロのための音楽 | チェンバロ |
5,365 | 713 | 88,854,072 | 東京スカパラダイスオーケストラ(とうきょうスカパラダイスオーケストラ、英: Tokyo Ska Paradise Orchestra)は、日本のスカバンド。主な略称は「スカパラ」。所属レーベルはcutting edge、所属事務所はソニー・ミュージックアーティスツ。 | __LEAD__ | 東京スカパラダイスオーケストラ |
5,366 | 713 | 88,854,072 | ここではメジャー・デビュー当時及びそれ以降に在籍し、既に脱退した過去のメンバーについて記載する。脱退順。 | メンバー | 東京スカパラダイスオーケストラ |
5,367 | 713 | 88,854,072 | ※プロモーション及びインタビュー出演除く | テレビ出演 | 東京スカパラダイスオーケストラ |
5,368 | 713 | 88,854,072 | ※インタビュー出演及びDJ出演を除く ※ホーンズ3=NARGO、北原、GAMO | メンバー個別の出演、客演など | 東京スカパラダイスオーケストラ |
5,369 | 717 | 84,419,523 | 加倉井 ミサイル(かくらい みさいる、女性、2月1日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都在住。『ミミまん』連載初期はnobody.というペンネームで活動していた。 | __LEAD__ | 加倉井ミサイル |
5,370 | 718 | 84,887,529 | かたおか 徹治(かたおか てつじ、1952年9月4日 - )は、大阪府出身の漫画家。別名義:片岡徹治、西井とおる、あにま健児。 | __LEAD__ | かたおか徹治 |
5,371 | 718 | 84,887,529 | 高校1年時から、当時大阪在住だった山上たつひこ宅に自作原稿を頻繁に持ち寄り親交を持つ。1971年、浪速短期大学のデザイン美術専攻科第1部入学と同時に山上に師事。翌年春に独立し、『ミラーマン』でデビュー。短期大学は後に中退している。1977年、小池一夫が主宰した劇画村塾の第一期生となる。2010年4月から2018年3月まで、日本デザイナー学院 M(マンガ)科の非常勤講師を勤めた。ウルトラマンを始め特撮関連の作品を多く手掛けており、過去に特集記事掲載の依頼は何本もあったという。ウルトラマン関連では、2013年に初の取材を受けている。 | 略歴 | かたおか徹治 |
5,372 | 720 | 87,735,822 | 片山 まさゆき(かたやま まさゆき、1959年4月20日 - )は、日本の漫画家。本名、片山 政幸。千葉県旭市出身。明治大学文学部中退。血液型B型。麻雀漫画を数多く発表しており、同ジャンルの第一人者と目される。愛称は「片チン」。 | __LEAD__ | 片山まさゆき |
5,373 | 720 | 87,735,822 | 明治大学漫画研究会に在籍し、在学中から漫画を描いて収入を得ていた。ただし漫研内ではほとんど描いておらず、麻雀ばかりしていたと語っている。1981年、『週刊ヤングマガジン』に掲載された『平和(ピンフ)警察』でデビュー。その後同誌で連載された麻雀漫画『ぎゅわんぶらあ自己中心派』は、強運を持つ主人公・持杉ドラ夫を始めとする個性的なキャラクターが登場して話題となり、片山の出世作となった。一方で、とことんツキのないキャラクターを主人公に据えた『スーパーヅガン』を『近代麻雀オリジナル』誌上に連載。こちらは『ぎゅわんぶらあ自己中心派』の1年前から掲載が開始されていた。こちらは、駆け出しこそ今ひとつであったが、半年後ぐらいには同誌の看板漫画にまで成長し、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』とともに若者の麻雀人口拡大に寄与した。 | 概要 | 片山まさゆき |
5,374 | 720 | 87,735,822 | また、この『スーパーヅガン』は連載終了後の1992年にフジテレビ系列でテレビアニメ化されており、同氏で唯一のアニメ作品である。アニメ版では他作品の主人公爆岡やドラ夫が雀荘の客としてカメオ出演しており、また、本編終了後にファミコンソフト『ぎゅわんぶらあ自己中心派』のコマーシャルを流す演出となっていた。『ぎゅわんぶらあ自己中心派』『スーパーヅガン』の終了後、明大前に雀荘「ミスチョイス」を開店。店名の由来は『ぎゅわんぶらあ自己中心派』の舞台だった同名の雀荘。しばしば作中にも登場させたが、経営が行き詰って閉店した。その後2002年に吉祥寺駅前に雀荘「ミスチョイスR」を開店。2007年には高円寺駅前に2号店となる雀荘「ミスチョイスQ」を開店している。上記ギャグ漫画2作品終了後はストーリー漫画に路線を転換。 | 概要 | 片山まさゆき |
5,375 | 720 | 87,735,822 | その代表作として『ノーマーク爆牌党』があり、片山が持つ麻雀ノウハウと理論を生かした闘牌シーンを描いた本格派の作品である(ただし、同作は当初からシリアスだったわけではなく当初はギャグ寄りの内容だった)。自身の麻雀の実力も高く、第1回麻雀最強戦では並み居るプロを押しのけて第1期最強位の座に就いており、麻雀界での人脈を生かしてプロの闘牌協力を得ている作品もある。2004年から2010年まで連載された『打姫オバカミーコ』は、初心者同然の主人公に一流プロが手ほどきする内容を通して、読者の麻雀学習にも役立つ作品となっている。この作品は同氏の作品で最も巻数が多く、自身も代表作と位置付けている。 | 概要 | 片山まさゆき |
5,376 | 720 | 87,735,822 | 一方、画力に難があることは本人も自認しており、キャラクターが上手く描けないでスランプに陥った時、たまたま入手した自作品のパロディ同人誌を参考にしてキャラクターのデザインを修正したというエピソードがあったり、一時期アシスタントとして修行していた時に「片山くんは一生懸命線を引く練習をしている(そこから勉強しなければならなかった)」と報告されたという逸話も持っている。明大の先輩である漫画家のいしかわじゅんの元へデザインのアシスタントに行ったこともある。BSマンガ夜話へいしかわが出演した際その時のことについて触れ、「昔片山がウチに1日だけデザインで来たことがあるが、アシスタントとしてはまったく役に立たなかったので二度と呼ばなかった」と語っている。麻雀以外の題材を扱った作品も何点か発表している。 | 概要 | 片山まさゆき |
5,377 | 720 | 87,735,822 | ファミコン漫画『大トロ倶楽部』や、三国志をモチーフにした『SWEET三国志』など、いずれもギャグタッチの作品となっている。また青木裕司との共著で、国際関係史をモチーフにした『サクサク現代史!』、続刊『中国がわからない!、サクサク現代史!・アジア激闘編』を「ナレッジエンタ読本」メディアファクトリーで2008-09年に出した。 | 概要 | 片山まさゆき |
5,378 | 721 | 87,742,875 | 克・亜樹(かつ・あき、本名:中村 克明、男性、1961年9月19日 - )は、日本の漫画家。福岡県福岡市西区出身。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。 | __LEAD__ | 克・亜樹 |
5,379 | 721 | 87,742,875 | 大学在学中の1983年、小学館の第12回小学館新人コミック大賞少年部門で佳作を、白泉社の『花とゆめ』で第88回HMC(花とゆめまんが家コース)トップ賞を受賞。受賞作の『メアリー♥ララバイ』が同年5月発売の『花とゆめ 大増刊』に、『ルピア!』が同年7月発売の『週刊少年サンデー 夏休み増刊号』に掲載されてデビュー。以後しばらくは、『月刊コミコミ』や『週刊少年サンデー増刊号』などで読み切り作品と短期集中連載作品の執筆を担当。後に、それと並行して『週刊少年サンデー』で連載を持つようになる。1993年以降は青年誌での執筆が中心となり、現在『ヤングアニマル』および『ヤングアニマル嵐』で『ふたりエッチ』を連載中。 | 来歴 | 克・亜樹 |
5,380 | 721 | 87,742,875 | 5年制の高等専門学校に通っていた関係から、大学に入学したのは高校卒業・現役入学者の2年遅れであり、年齢が同じ島本和彦は大学の先輩に当たる。また、MEIMUは大学の同級生、樹崎聖は後輩である。元アシスタントに吉崎観音などがいる。克が小学館で世話になった編集者が島本和彦の担当者でもあったことから、デビュー後しばらく島本のアシスタントをしていたことがある。影響を受けた作家は高橋葉介。ホラー漫画やホラー映画が好きで『ふたりエッチ』の小野田優良がホラー映画好きという設定は自分の好みを反映させている。投稿作の1本目はホラー漫画であったが、投稿先の『花とゆめ』にも『サンデー』にも没にされた。 | 人物 | 克・亜樹 |
5,381 | 722 | 85,526,166 | かどた ひろし(生年非公表、5月22日生)は、日本の漫画家・キャラクターデザイナー。宮城県仙台市出身。 | __LEAD__ | かどたひろし |
5,382 | 722 | 85,526,166 | 様々な職種を経て、23歳に「かどたひろし」としてデビューする。数年後、ペンネームを富子 海に改名するが、周囲から分かりづらいという意見があり、約1年でかどたひろしに戻す。同県出身の少女漫画家安孫子三和とは、専門学校日本ビジネススクール仙台校(現・日本デザイナー芸術学院仙台校)在学中に同じクラスであり、友人でもある。『BLUE CITY』『アヒル真昼に翔びしゃんせ』は「富子海」時代に描かれた作品であるが、現在は「かどたひろし」名義となっている。コーエーの競馬シミュレーションゲーム、ウイニングポストシリーズのキャラクターデザイナーも務めている。 | 経歴 | かどたひろし |
5,383 | 723 | 85,648,945 | 金井 たつお(かない たつお、1955年10月7日 - )は、日本の漫画家。山形県山形市出身。血液型B型。本名は金井龍郎。山形県立山形中央高等学校卒業後、上京。約2年間の本宮ひろ志のアシスタントを経て1977年に代表作『ホールインワン』でデビュー。『ホールインワン』において、漫画におけるパンチラ描写をほぼ完成させた人物として、『サルまん』などで高く評価されている。文芸評論家の池上冬樹は高校の同級生。 | __LEAD__ | 金井たつお |
5,384 | 724 | 88,801,091 | 鎌田 洋次(かまた ようじ、1957年7月3日 - )は、日本の漫画家。男性、宮城県登米市中田町浅水出身。 | __LEAD__ | 鎌田洋次 |
5,385 | 724 | 88,801,091 | 1979年、週刊少年マガジンSPECIAL増刊掲載の『俺たちの三遊間』 でデビュー 1981年、『こんちきちん』で週刊ヤングマガジンに初の連載。主に青年漫画雑誌を舞台としていて、スポーツ漫画を数多く描いている。漫画でも野球、サッカーだけでなく、体操や自転車などのジャンルのスポーツ漫画も手がけている。また、登山・山岳漫画の数少ない描き手でもある。2010年現在、つりコミックにて『Match the Hatch』を連載中。 | 経歴 | 鎌田洋次 |
5,386 | 726 | 87,640,887 | 神矢 みのる(かみや みのる、6月8日 - )は、日本の漫画家。神奈川県鎌倉市出身。多摩美術大学卒業、漫画研究会の二年後輩にしりあがり寿がいた。 | __LEAD__ | 神矢みのる |
5,387 | 727 | 88,821,205 | かわぐち かいじ(本名:川口 開治、1948年7月27日 - )は、日本の漫画家。広島県御調郡向東町(現・尾道市)出身。広島県立尾道北高校、明治大学文学部日本文学科卒業。東京都小金井市在住。血液型AB型。1968年に『ヤングコミック』(少年画報社)にて掲載された「夜が明けたら」でデビュー。 代表作に『沈黙の艦隊』、『ジパング』、『太陽の黙示録』、『空母いぶき』など。 1990年代以降、壮大な舞台で男達が活躍する大河ストーリーを得意としている。 マンガジャパン会員となっている。イラストレーター・漫画家のカワグチニラコは娘。シテ方観世流能楽師の川口晃平は息子。 | __LEAD__ | かわぐちかいじ |
5,388 | 727 | 88,821,205 | 御調郡向東町(現・尾道市)生まれ。父親は戦時中に掃海艇の乗組員をつとめ、戦後は小型タンカーの船長となっていた。子供時代のかわぐちは、瀬戸内海を航行する父親の船によく乗せてもらっていた。一卵性双生児の弟と幼少時からプラモデル造りに熱中。戦闘機、軍艦、戦車などの実物の性能を詳しく調べていくうち、兄弟2人だけのオタク的な世界を形成していく。同級生の友達が入ってきても、兄弟のあまりのマニアぶりについていけず、一緒に遊ぶことは出来なかったという。他に誰も入れない兄弟2人だけの世界は、この後東京に行ってからも続く。子供のころ、よく木を削って潜水艦を作って遊んでいた。水面から位相を移動して海中に潜るという感覚がおもしろかったという。また小学生のころ、小澤さとるの潜水艦漫画『サブマリン707』に夢中になり、その作品に出てきたアスロックという自動追尾魚雷を、自分でも描いてみたいと思っていた。 | 来歴 | かわぐちかいじ |
5,389 | 727 | 88,821,205 | のちの『沈黙の艦隊』では、そうした潜水艦の、描きたかった絵を描けたという。中学時代に見た黒澤明監督の映画『用心棒』に大きなショックを受け、兄弟2人でシナリオを擦り切れる程読む。脚本家志望だったが、貸本屋で永島慎二の漫画『漫画家残酷物語』に影響を受け漫画を描き始める。明治大学に入学し上京。明治大学漫画研究会に入り、初めて見る欧米の漫画に驚嘆したという。当時活発だった学生運動に背を向け、在学中の1968年、21歳の時に「夜が明けたら」(『ヤングコミック』掲載)で漫画家デビュー。デビュー後、実家の家業を兄弟どちらかが継がなければならないことになったが、弟はミュージシャンの道を諦めてかいじに漫画家を続けさせた。その後は漫画原作者とタッグを組んで作品を描くものの、10年ほど鳴かず飛ばずが続き、気付くとスタッフがたった1人になっていた。 | 来歴 | かわぐちかいじ |
5,390 | 727 | 88,821,205 | しかし麻雀を題材にした漫画を描き始めると次第に売れるようになり、『近代麻雀オリジナル』(竹書房)で1980年代前半に連載した『プロ マージャン界の光と影』では、得意の「リアルな世界観で価値観がぶつかり合う」ストーリーを見せる。これによりほぼ同時に連載されていた片山まさゆきの漫画『スーパーヅガン』と共に、麻雀漫画の世界に、多彩な表現方法を持ち込む原動力となった。その後、初の時代劇作品『意気に感ず』で画風を変更(キャラクターの目を大きくする)し、これをきっかけに人気が出始めて人気作家となる。1980年代中ごろ以降は、『モーニング』(講談社)や『ビッグコミック』(小学館)等で人気作・話題作を多数生み出し、現在に至る。 | 来歴 | かわぐちかいじ |
5,391 | 728 | 86,002,105 | 川 三番地(かわ さんばんち、1957年1月15日 - )は、日本の漫画家。青森県三戸郡田子町出身。本名:田中敬三。 | __LEAD__ | 川三番地 |
5,392 | 728 | 86,002,105 | 高校卒業後に印刷会社に就職するも漫画家を志し退職。上京し、ちばてつやのアシスタントとなった。1980年、講談社新人漫画賞に本名である田中敬三名義にて「武道半人前」にて特別入選し、同年より『週刊少年マガジン』にて『男ぞ!硬介』の連載を開始した。初期のペンネームは「川 三番地」(かわ みつばち)。以降、講談社や秋田書店の少年誌を中心に執筆し、双葉社の『週刊漫画アクション』や日本文華社の青年誌でも執筆していた。キャリア初期は下ネタ系のドタバタギャグが多かったが、1986年に連載開始した『4P田中くん』以降は、師匠ちばてつやの末弟である漫画原作者・七三太朗と組んだ少年誌での仕事が中心となり、その大半が高校野球を題材とした大長編野球漫画である。代表作は『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載された『4P田中くん』と、『月刊少年マガジン』(講談社)に連載された『風光る』(どちらも七三原作)。 | 概要 | 川三番地 |
5,393 | 728 | 86,002,105 | 2009年3月頃から病気療養のために一時活動を休止、連載中の漫画も休載したが、同年7月頃から活動を再開している。 | 概要 | 川三番地 |
5,394 | 730 | 88,535,139 | 川原 正敏(かわはら まさとし、1960年8月17日 - )は、日本の漫画家。広島県三原市出身。国立広島商船高等専門学校航海科出身。血液型はA型。『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』においては自身の筆と挿絵による小説も手がけており、全1巻が刊行されている。2009年、広島県三原市のふるさと大使の1人に任命される。 | __LEAD__ | 川原正敏 |
5,395 | 731 | 87,700,094 | 川原 由美子(かわはら ゆみこ、1960年4月20日 - )は、日本の漫画家。北海道北斗市生まれ、東京都育ち。血液型はO型。 | __LEAD__ | 川原由美子 |
5,396 | 731 | 87,700,094 | 小学生の頃から漫画を書き始め、中学生の頃から投稿を始める。中学の頃から登校拒否をするなど学校が嫌いで、高校に進学するも1か月で辞めてしまった。原稿を持って『週刊少女コミック』(小学館)編集部へ見学に行ってアシスタントになりたいと訴えたところ河野やす子を紹介してもらい、8月から約1年半、アシスタントを務めた。アシスタント中も『週刊少女コミック』や『花とゆめ』などに持ち込みを続けた。デビュー以前はSFっぽい作品を描いていたが、河野やす子の担当者に見せたところ、「マニアックな方面へ行きたいんだったらいらない」と言われ、路線変更。『週刊少女コミック』の「まんが研究生」に応募し、努力賞に選ばれた。もう1作描いた後、1978年、『週刊少女コミック』10号に掲載の「こっちむいてマリー!!」でデビュー。1979年、『週刊少女コミック』に「風のおとしもの」を初連載。以後、同誌には『KNOCK! | 経歴 | 川原由美子 |
5,397 | 731 | 87,700,094 | 』『すくらんぶるゲーム』を連載。1983年から『別冊少女コミック』(小学館)に『前略・ミルクハウス』を連載。1985年、同作で第31回小学館漫画賞少女部門を受賞した。1990年代以降は『月刊ASUKA』(角川書店)や『ネムキ』(朝日新聞出版)などに作品を発表する。 | 経歴 | 川原由美子 |
5,398 | 731 | 87,700,094 | 1983年までは「川原由美子作品リスト」(『ぱふ』1984年3月号)参照 | 作品リスト | 川原由美子 |
5,399 | 732 | 87,734,522 | 神崎 将臣(かんざき まさおみ、1964年8月17日 - )は、日本の漫画家。代表作は「KAZE」「重機甲兵ゼノン」シリーズなど。1985年、少年ビッグコミック2号掲載の「HUNTER」でデビュー。 | __LEAD__ | 神崎将臣 |
5,400 | 733 | 69,017,467 | 神戸 さくみ(かんべ さくみ、1月1日 - )は、日本の漫画家。埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。 | __LEAD__ | 神戸さくみ |
5,401 | 733 | 69,017,467 | 1980年、少年画報社『週刊少年キング』で「9ヶ月年上」(原作:さとう和久)にてデビュー。同年同誌にて初連載開始となった『龍一くんライブ』が7巻まで発行され著者の代表作の1つとなった。以降、1988年頃まで、同社や小学館の『ビッグコミック』などの少年誌を中心に連載や読み切りを執筆していた。1989年頃より、主な執筆の場をこれまでの少年誌から女性をターゲットとした雑誌に切り替え、小学館の少女漫画誌や祥伝社の女性向け漫画雑誌『FEEL YOUNG』などにて1994年頃まで執筆していた。 | 概要 | 神戸さくみ |
5,402 | 734 | 88,693,227 | きくち 正太(きくち しょうた、1961年1月8日 - )は、日本の漫画家。秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)出身。 | __LEAD__ | きくち正太 |
5,403 | 734 | 88,693,227 | 大学卒業後から1988年4月に、『獣王バイオ』にて『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)よりデビュー。 | 来歴 | きくち正太 |
5,404 | 734 | 88,693,227 | 漫画家の中でも非常に珍しいガラスペン愛用者。デフォルメされた特徴的な絵により、色気とギャグ(時代遅れの親父ギャグを含む)、最近は「和」に対する傾倒と蘊蓄を前面に押し出した作風が特徴(ガラスペンを用いるようになったのはこの作画に適した描線を描くためである)。根底には「義理、人情、努力」などの古よりある価値観の存在が感じられる。釣りに対する思い入れが大きい。2008年、『おせん』が蒼井優主演により日本テレビ系でテレビドラマ化された。きくちはそのあまりの出来の悪さにショックを受け、一時活動を休止したことを後に語っている。作者の嗜好のせいか、作品中に眼鏡をかけた大人の女性や少女が登場することが多い。『ブラック・ジャック』のカバー作品では、ヒロインのピノコまで眼鏡をかけている。 | 人物 | きくち正太 |
5,405 | 734 | 88,693,227 | ギタリストとしても音楽活動を行なっており、Acoustic Instrumental Trio「あらかぷ」を結成し、東京都内のライブハウスに出演している。 | 人物 | きくち正太 |
5,406 | 735 | 88,602,587 | 菊池 としを(きくち としを、1960年7月23日 - )は、日本の漫画家。愛知県東海市出身。本名は菊池 俊夫 | __LEAD__ | 菊池としを |
5,407 | 735 | 88,602,587 | 政岡としやのアシスタントを経て、1983年講談社『週刊少年マガジン』に「スリー・シックスティ」が掲載されデビュー。初連載作品は1985年より同社の『マガジンSPECIAL』にて連載開始された『蓮華伝説アスラ』。以降1995年ごろまでは同社の『週刊少年マガジン』やその増刊号である『マガジンSPECIAL』など少年誌を中心に執筆。当時としては珍しく、PCを駆使した作画もしていた。1995年より執筆の場を集英社の青年誌である『ビジネスジャンプ』に移し約2年間『天空の門』を連載。新宗教幸福の科学に入会したことを公表しており、1992年から幸福の科学のグループ会社、幸福の科学出版発行の雑誌『ザ・リバティ』などに現在も作品を発表している。 | 概要 | 菊池としを |
5,408 | 736 | 88,069,468 | 喜国 雅彦(きくに まさひこ、1958年10月17日 - )は、日本の漫画家。香川県高松市出身。香川県立坂出高等学校を経て多摩美術大学油絵学科卒業。妻は同じく漫画家の国樹由香。 | __LEAD__ | 喜国雅彦 |
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