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張った筈の『一』は消えて、開いたのはスペードの『女王』であった。―この指が引き違いをする筈はないのだが。― そのとき、スペードの『女王』が眼を窄めて、北叟笑みを漏らしたと見えた。その生き写しの面影に、彼は悚然とした。......ゲルマンは精神に変調をきたし、ほどなく精神病院に入れられた。何を聞かれても早口で「三トロイカ」「七セミョルカ」「一トウズ」、「三トロイカ」「七セミョルカ」「女王ダーマ」と呟くだけになったのだという。
あらすじ
スペードの女王
5,110
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『スペードの女王』の萌芽は、1819年に創作ノートに書き留められた『ナージニカ』に求められる。その後1828年にゴリツィン公爵から「3枚のトランプ」の話を聞いたプーシキンは、構想段階であった『ナージニカ』とこのアネクドートをもとにした作品を肉付けしていった。そして1833年8月、プーシキンは『プガチョフ叛乱史』を執筆するために、この暴動が起こった土地であるオレンブルクなどをまわって資料を集め、その帰路でボロジノの村に逗留した。しかしコレラが発生したために滞在の予定が伸びて、2ヶ月近く留まることになって時間が生まれる。この時期に『プガチョフ叛乱史』や、やはり傑作である『青銅の騎士』などとともに『スペードの女王』が書かれたのである。そして「読書文庫」紙上で発表され、後に選集にもおさめられたが、原稿は散逸してしまった。発表後すぐに人気を集め、プーシキンが手紙でそれを自賛するほどであった。
解題
スペードの女王
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当時こそ文学として真に評価されていたとはいいがたいが、すぐにベリンスキーやドストエフスキー、フランスではメリメやジイドといった人々に絶賛を受け、現在ではプーシキンの、つまりロシア文学における最高傑作の1つに数えられるようになった。帰化したドイツ人を父に持つ平民出の青年で、計算高さだけでなく立身への野心もそなえている。モデルと考えられているのは、南方結社を組織しデカブリストの乱を率いたパーヴェル・ペステリである。ゲルマン同様にこのペステリも帰化ドイツ人の子で、やはりナポレオンに似ていたと伝わっている。また『スペードの女王』を書いていた頃の日記には、ある公爵とペステリの話をしたことを記してもいる。ペステリと交際のあったプーシキンは、敗れ去ったデカブリストたちへの「痛恨」を詩的形象としてゲルマンにことよせたのである。
解題
スペードの女王
5,112
682
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ゲルマンと比較される主人公を描く他作品としてドストエフスキー『罪と罰』(ラスコーリニコフ)、スタンダール『赤と黒』(ジュリヤン・ソレル)、バルザック『あら皮』(ラファエル)などの名が挙がる。かつては美貌を誇ったが、いまでは醜く老い、うら若いリザヴェータを「殉教者のように」こき使っている。モデルとしてきわめて有力なのは、プーシキンが手紙で触れるN・P公爵夫人ことナターリヤ・ペトロヴナ・ゴリツィナ公爵夫人である。これはモスクワ特別市長ドミートリー・ゴリツィン公爵の妻であり、エカチェリーナ2世にも仕えたことのある女官である。プーシキンは実際に面識があったわけではなかったが、公爵夫人はマダム・ムスタッシュとも呼ばれ、『スペードの女王』の老伯爵夫人のようにかつてはパリの花形だった。そうしたゴリツィナ夫人の噂話を取り込む形で、フェドトブナ伯爵夫人という人物をつくりあげたと考えられている。
解題
スペードの女王
5,113
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一方で人となりや容貌などで矛盾する点もあり、伯爵夫人のモデルは実はエカテリーナ・アプラクシナという女性であったか、もしくはディテールに使用されていたとする説もある。トムスキイやリザヴェータのモデルを求める試みは成功をみていない。またプーシキンその人も賭博好きでありたばたび賭博を作中に登場させているが、ゲルマンのそれは単なる気晴らしではなく、「安楽と独立」をもたらす希望であった点は重要な対比である。ゲルマンにカルタで勝つチェカリンスキイのプロトタイプにはアゴーニ=ドガノフスキーという人物がいる。プーシキンはよくこの人物の家で賭博をし、カルタで数万ルーブリの借金まで負っている。この作品におけるひと揃いの数字三、七、一はたいへん重要なモチーフであり、賭博の場面だけでなく小説全体を貫いている。
解題
スペードの女王
5,114
682
88,795,803
つまりトランプの数字としてだけはなく、登場人物の思考や時間、金銭、さらには数字に由来する動詞や音韻、図像として読み込まれてきた。ネイサン・ローゼンは三、七、一という数字が持つ魔術的な意味に注目し、それらがこの小説における超自然的な力を生み出す源泉だとしている。またこの数字の組み合わせの触発源として、グリンカの1828年の詩『トビアの結婚披露宴(Брачный пир Товия)』やカール・ホインの小説『オランダのユダ(Der holländische Jude)』、賭けトランプの『ファロ』などが考えられる。「横から見ればナポレオン」とトムスキイに評される『スペードの女王』の主人公ゲルマンにはその通り「ナポレオン主義」が見いだされてきた。金と名誉とを求める平民出のゲルマンは、伯爵夫人の殺害や無垢なリザヴェータをただ利用することを躊躇しない。
解題
スペードの女王
5,115
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容貌だけでなく、この野心と「メフィストフェレス」じみた悪魔性においてゲルマンはナポレオンのイメージが重ねられているといってよい。しかし彼はこのナポレオン主義によって破滅し、死の手前で「不条理な生」を生きなければならなくなるのである。『スペードの女王』において真に謎めいているのは、亡霊が現れて予言をすることではなく、その予言を聞いたはずのゲルマンが『一』の代わりに『女王』を張ったことである。この不思議な現象を説明するためにいくつもの論文が書かれており、ゲルマンの負けを「純粋な偶然」や「見間違い」とする見方も存在してきた。ダヴィドフは、伯爵夫人とスペードの女王の間の図像的な連関や、ジェンダーの混乱、伯爵夫人の夫(つまり『一』)への優位などを指摘し、こういった見方にも論拠があるとしている。
解題
スペードの女王
5,116
682
88,795,803
ヴィノグラードフによる終局の解釈は有名であり、これは『女王』の出現を、ゲルマンの内面に抑圧された殺人への罪の意識の物象化とみなすものである。いずれにせよ多くの研究者はこの謎めいたクライマックスを超自然的な力と現実的な力の融合によって説明しようとしている。
解題
スペードの女王
5,117
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この小説への評価と同様、オペラ化も最初に行ったのはロシア人でなくフランス人だった。1850年のパリで、ウジェーヌ・スクリーブの台本、ジャック・アレヴィの作曲による3幕物がオペラ=コミック座で上演されたが、これは失敗したといわれている。しかし1890年にチャイコフスキー作曲(モデスト・チャイコフスキー作詞)の3幕のオペラがペテルブルクで初演され、大成功をおさめる。そもそもチャイコフスキーはオペラ化に対して積極的でなく、『スペードの女王』は「ぼくの心を動かさない」とまで手紙に書いていた。だが1889年に、帝室劇場の支配人であるイワン・フセヴォロシュスキイに依頼されて、翌年1月にはフィレンツェで作曲にとりくんだ。熱がこもっていたのは明らかで、わずか44日ほどで完成をみている。その後もマーラーの指揮による1902年、ウィーンでの上演を皮切りに、ミラノ、ベルリンなどでも好評を博した。
オペラ
スペードの女王
5,118
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ストーリーは原作と大きく異なり、結末においては最後の札で『女王』を出して負けたゲルマンの前に伯爵夫人が亡霊となって現れ、ゲルマンは自らの運命をさとり死を選ぶ、といった内容だった。大きな相違点はそれだけでなく、オペラの『スペードの女王』は「ペテルブルクもの」ではあっても、ゴーゴリやドストエフスキーの作品がそうであるように暗鬱な「楽屋裏の」街ではなく、女帝エカテリーナの時代の輝かしいペテルブルクなのである。そこには同時代のロシアに絶望していたチャイコフスキーとプーシキンの確かな人間賛歌が響き合っている。
オペラ
スペードの女王
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684
88,801,127
かごめかごめは、こどもの遊びの一つ。または、その時に歌う歌。「細取・小間取(こまどり)」「子捕り・子取り(こどり)」「子をとろ子とろ」とも言う。「目隠し鬼」などと同じく、大人の宗教的儀礼を子供が真似たものとされる。
__LEAD__
かごめかごめ
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鬼は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。各地方で異なった歌詞が伝わっていたが、昭和初期に山中直治によって記録された千葉県野田市の歌が全国へと伝わり現在に至った。野田市が発祥地といわれることから、東武野田線の清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建立されている。被差別部落を扱っている歌だとされるため、東京では放送できるが大阪では放送できず排除される形となっている。地方により歌詞が異なる。なお、文献では、このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない。
概要
かごめかごめ
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この歌の歌詞が表現する一風変わった(ある意味神秘的な)光景に関しては、その意味を巡って様々な解釈がある。ただ、『鶴と亀』以降の表現は明治期以降に成立したと思われるため、それらの解釈に古い起源などを求めることは困難である。また、この歌の発祥の地についても不詳である。姑によって後ろから突き飛ばされ流産する妊婦や、監視された環境から抜け出せない遊女、徳川埋蔵金の所在を謡ったものとする俗説などがある。解釈に際しては、歌詞を文節毎に区切り、それぞれを何かの例えであると推定し、その後で全体像を論じる形をとっているものが多い。以下に一部を紹介する。
「かごめかごめ」に関する俗説
かごめかごめ
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杉浦 茂(すぎうら しげる、1908年4月3日 - 2000年4月23日)は、日本の漫画家である。東京府東京市本郷区湯島新花町(現在の東京都文京区湯島二丁目)生まれ。戦前はユーモア漫画や教育漫画を多く描いたが、戦後に手掛けた多くの独特でナンセンスなギャグ漫画は熱狂的な人気を呼び、88歳まで執筆活動を続けた。
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杉浦茂
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杉浦の創作活動は3期に分けられる。戦前の第1期ではユーモア漫画や教育漫画を、徴兵を挟んで終戦の翌年からの第2期では、一転してナンセンスな子供向け漫画を多く手掛けた。この時期のうち、1953年から1958年までは、その殺人的な仕事量と、多くの代表作が生み出されたことから「杉浦茂の黄金期」とされ、「奇跡の5年間」とも表される。その後、仕事の休止を挟んで1968年からの第三期では、シュールレアリスムを思わせる奔放な漫画を描き、サブカルチャーブームにも乗ってイラスト仕事も行った。1908年(明治41年)、東京市本郷区湯島に開業医の三男として生まれる。湯島尋常小學校(今の文京区立湯島小学校)時代は友人に恵まれ、押川春浪から田山花袋、上田秋成などの多様な小説や、『猿飛佐助』を初めとする立川文庫(立川文明堂刊)などで講談趣味を教わった。
生涯
杉浦茂
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88,384,601
また、週末には本郷の第五福寶館や、長じてからは新宿の武蔵野館などの映画館に通い、アメリカ製の喜劇物や西部劇などをたびたび鑑賞した。20歳ごろからは兄が定期購読していた『新青年』(博文館発行)にも親しみ、これらの文物が後の漫画創作の下地となった。郁文館中學校(旧制・現在の郁文館中学校・高等学校)時代に、当時の人気漫画家北沢楽天とその一門に影響され、初めての漫画(ポンチ絵)を描く。餠を題材にした四ページほどのこの滑稽なコマ漫画は、後の漫画家人生の原点になった。しかし、その後も継続して漫画を描いていたわけではなく、杉浦によると、漫画家になるまでは漫画への興味、知識は特に無かったという。父親は杉浦を眼科医にさせたかったが、杉浦の夢はプロの西洋画家になることであった。
生涯
杉浦茂
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88,384,601
中学時代に上級生から教えられた藤田嗣治に憧れ、また、趣味で日本画を描いていた父と文展(文部省美術展覽会、後の帝展、日展)に通うことで、その思いを募らせた。1924年(大正13年)、父が、過労によって当時流行していた嗜眠性脳炎(眠り病)を患い急死。二人の兄が医学校に進学したこともあって家計が悪化し、杉浦は美術学校(芸大)への進学の道を絶たれる。その後、医者になった兄の金銭援助を受け、1926年から1930年まで太平洋畫會研究所に入所。西洋画の制作に取り組む。人物画のモデルを雇うには金がかかるいうこともあり、杉浦は、好んで西洋建築のある風景画を描いた。外出して写生をしている内に、野獣派の長谷川利行や横山潤之助と知り合うことにもなった。また、研究所とは別に1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)まで洋画家の高橋虎之助にも師事。
生涯
杉浦茂
5,126
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88,384,601
1930年には、日展(日本美術展覧会)の前身である第11回帝展(帝国美術展覧会)洋画部に、油彩(50号)の風景画『夏の帝大』で入選している。全ての生活の糧を二人の兄に頼っていた杉浦は、一念発起して洋画家とは別の道を目指すことにする。知人から田河水泡への紹介状をもらい、その後3カ月、勝手の分らない漫画家の道を目指すかどうか悩んだ末、1932年(昭和7年)4月1日、小石川の高級アパート・久世山ハウスを訪ね、田河の門下となった。田河はこの時、すでに『のらくろ』により売れっ子作家となっており、杉浦もその名前は知っていた。入門の数日後には、山梨から上京してきた倉金虎雄(後の倉金章介)も門下になり、それまで弟子がいなかった田河に、二人の門下生ができた。
生涯
杉浦茂
5,127
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田河の妻、高見澤潤子によれば、「弟子と言えば、杉浦茂が一番弟子であり、荻窪の家へはときどき訪ねて来て、倉金章介やその他の若い人たちと、よくいっしょにあつまっていたが、その後は、あまり家に来なくなった。」という。ただし、杉浦は戦後の1947年にも、その頃荻窪にあった田河の家を訪れており、親交が全く途絶えたわけではなかった。田河は「制作環境に接していれば漫画は自然と分るものだ」という考えから、指導を特に行わなかった。杉浦は、倉金とともに原稿のベタ塗りなどを手伝いつつ、東京朝日新聞(1932年12月18日付)に一枚ものの『どうも近ごろ物騒でいけねえ』を執筆、デビューを果たす。その後もいくつかの短中篇作品が少年誌に掲載された。しかし、杉浦はネタの引出しが少なく、苦肉の策として別の雑誌に同じネタを使い回すこともあり、この傾向はその後も続いた。
生涯
杉浦茂
5,128
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88,384,601
また、戦前の作品からは、描線や登場人物の表情に横井福次郎の影響も見受けられる。杉浦の元には、洋画家の岩月信澄(栗原信門下)と日本画家の加藤宗男(堅山南風門下)という同い年の2人の親友がアシスタントに入った。1933年(昭和8年)には、家から独立。杉並区高円寺のアパートに移り住んだのち、翌1934年に音羽の小石川アパートへ引っ越し、同アパートに住んでいた挿絵画家の霜野二一彦、漫画家の広瀬しん平と親交を得る。その後、1936年には本郷区本郷森川町にある徳田秋声の経営する不二ハウスへ移った。1937年(昭和12年)、田河を顧問に昭和漫畫會が結成され、杉浦もその一員となる。この頃より、軍役召集が始まり、漫画家にも令状が届くようになったため、その5月より田河が創刊した『小學漫畫新聞』は、発行停止を余儀なくされる。
生涯
杉浦茂
5,129
687
88,384,601
また、国家統制に関る漫画家団体として、1939年、宮尾しげをを会長に日本兒童漫畫家協會が結成され、昭和漫畫會同人全員とともに杉浦も参加。この後も、1940年に新日本漫畫家協會、1942年に少年文學作家畫家協會が発足し、1943年には、新日本漫画家協会が発展解消、大政翼贊會肝煎で日本に居た全漫画家が入会した日本漫畫奉公會(会長北沢楽天)が結成され、杉浦もそれらに参加した。戦争が激化するにつれ、政府は企業への統制を強めた。出版社が統廃合され、雑誌の数も減少し、雑誌の仕事が無くなるにつれ、多くの漫画家は発表の場を単行本へ移した。杉浦も1941年(昭和16年)に初めての単行本『ゲンキナコグマ』を國華堂書店より出版。その後も啓蒙的な教育作品を制作し、単行本での発表を続けた。戦前期の杉浦は、主に國華堂書店から10冊の描下ろし単行本を出版した。
生涯
杉浦茂
5,130
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1943年(昭和18年)に結婚し、横浜市港北区妙蓮寺から江戸川区小岩町へ移り住む。しかし、結婚披露宴の費用で貯金を費やし、単行本の仕事も無くなり、漫画家生活を諦める寸前にまで陥ってしまう。前年に出した『コドモ南海記』(國華堂書店)の印税が頼りで、仕事机や本棚、結婚祝いの柱時計も古道具屋に売ってしまうほどだった。そんな時、電車内で、通勤途中であった旧友の漫画家岡田晟(倉金と同郷で親友)と偶然出会い、そのまま勤め先である映画会社の茂原映画研究所に同行し、就職させてもらう。杉浦の後に、仕事に困っていた旧知の漫画家の帷子進もここで働いた。杉浦は軍関連の教材映画のセル画の仕事を担当した。元来病弱な杉浦は、徴兵検査で丙種とされていたたが、1945年(昭和20年)7月に召集を受け、世田谷の砲兵連隊に入隊、熊本県へ派兵される。
生涯
杉浦茂
5,131
687
88,384,601
アメリカ軍の有明海上陸に備え、玉名郡梅林村の梅林國民學校に駐屯し、首から吊るした火薬箱を両手で抱えて人間爆弾として突撃するための訓練などを受けたが、急な環境の変化と栄養失調により下痢を起こし、半病人となった。終戦後、杉浦は1945年(昭和20年)9月末に復員したが、翌年まで漫画の仕事は無く、食料(さつまいも)の確保に明け暮れる。戦中の勤め先であった茂原映画研究所は、日本映画社(日映)に吸収されてアニメ映画専門の会社となり、後に漫画家となる福井英一と知り合えたものの、杉浦と同僚の帷子はアニメ映画が大嫌いだったことから、共に会社を辞めることになる。1946年(昭和21年)、杉浦は、帷子宅で出版社新生閣の社長鈴木省三に紹介される。小学館出身の鈴木は、新生閣で当時大流行していたこども漫画に注力していた。杉浦は、単行本『冒険ベンちゃん』を描き下ろし、これが戦後初の漫画仕事となった。
生涯
杉浦茂
5,132
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88,384,601
その後、新生閣では西部劇を中心に執筆し、同社発行誌の『少年少女漫画と読物』には『冒険ベンちゃん』や『弾丸トミー』、『コッペパンタロー』(後に『ピストルボーイ』に改題)を連載した。鈴木は、経営不振の責任を取って新生閣社長を辞任後、1953年に小学館出版部長に復帰し、同じ一ツ橋グループの集英社出版部長を兼任。集英社で『おもしろ漫画文庫』を創刊した。杉浦の代表作となる『猿飛佐助』は、その21巻目として描かれた。同作は12万4千部刷られ、同文庫の中で一番の売上を記録。この大好評を受け、『猿飛佐助』は雑誌『おもしろブック』(集英社)に連載となる(1954年3月 - 1955年12月)。また、これをきっかけに杉浦の仕事は大幅に増え、1958年までの 5年間の間(46歳 - 50歳)に、後の代表作となる様々な長編漫画が生み出された。忍術物の『猿飛佐助』、『少年児雷也』、完全オリジナルの『ドロンちび丸』。
生涯
杉浦茂
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88,384,601
西部劇では、背景の描き方等にアメコミの影響が見受けられる『弾丸トミー』、『ピストルボーイ』、SF物の『怪星ガイガー』(改題改稿して『0人間』)などである。また、コミカライズ作品では『モヒカン族の最後』、『ゴジラ』、『大あばれゴジラ』がある。この時期の作品テーマは、冒険物(1950年まで)から西部劇(1953年まで)に移り、さらに時代物へと変わっていったが、それぞれの作品に、戦前の小説や映画を盛んに見た経験が活かされている。1958年には、集英社から、描下ろし作品『杉浦茂傑作漫画全集』が全 8巻で刊行された。しかし、対応しきれないほどの仕事が殺到し、昼も夜も仕事をし続けた杉浦は体調を崩してしまう。
生涯
杉浦茂
5,134
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1959年という年は『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』(講談社)の二つの漫画誌が創刊され、有力漫画家の仕事が月刊誌から週刊誌へ移行していった時期だが、杉浦は、とてもやりきれないと週刊誌の依頼を断っている。この子供向け漫画を中心とした第 2期の活動は1966年(昭和41年)まで続いた。1960年代以降は、ストーリー漫画が主流となり、子供向け漫画専門の杉浦は苦戦するようになる。慣れぬ持ち込み行い、時流に乗る様な大人漫画も描いた。1968年(杉浦60歳)から漫画の仕事を再開(第3期)。この時期は「とにかく漫画は面白さが大切」という考えから、さらに作風が奔放になり、アートの様な、シュールレアリスティックでサイケデリックな作品を多く手掛けた。
生涯
杉浦茂
5,135
687
88,384,601
また、1969年の虫コミックス(虫プロ商事)での『猿飛佐助』の再単行本化以降、自身の手で過去の作品をよりはちゃめちゃに改稿するようになるが、このことに対する読者から抗議の投書が来たことにより、改稿をやめている。70歳に入ってからも精力的に活動を続けた。名作を杉浦流に改変した『日本名作劇場』を『太陽 (平凡社)』(1980年1月号 - 1981年6月号)に執筆。単行本『まんが聊斎志異』(上巻 1989年刊、中巻 1990年刊)を描き下ろす。また、1980年代から、杉浦のナンセンスでシュールな作風がサブカルチャーの興隆と共に再評価されると、1989年の第29回児童文化功労者に選出された。さらに、杉浦の作品集が何度か編まれている。また、この他にイラストの仕事も手掛けている。
生涯
杉浦茂
5,136
687
88,384,601
森永製菓「ぼうチョコ」のパッケージイラストや、有楽町西武の開店を宣伝するポスターと、CM のキャラクターのデザイン(1984年)、ソニー、日立、横浜ドリームランド、ニコンへのイラスト提供、筒井康隆『お助け・三丁目が戦争です』金の星社(1986年)と、糸井重里『私は嘘が嫌いだ』ちくま文庫(1993年)の挿絵などである。1996年(平成8年)、88歳になった杉浦は『杉浦茂マンガ館』第5巻のために「2901年宇宙の旅」を描下ろし、64年に及んだ長い長い画業を終えた。1999年(平成11年)、杉浦は交通事故で腰の骨を折って寝たきりになり、その後椅子に座れるほどには回復したものの、2000年(平成12年)4月23日、入院先の病院で腹膜炎により死去した。92歳だった。杉浦の原稿は散逸がひどく、死後も作品の発掘が進められている。
生涯
杉浦茂
5,137
687
88,384,601
2007年から中野書店のものと同名の『杉浦茂傑作選集』が青林工藝舎より刊行され、これまでに未収録だった改稿版が単行本化された。2013年には、1958年に刊行された『杉浦茂傑作漫画全集』(集英社)全8巻の内、 4巻(2, 5, 6, 7)が選ばれ、BOX入り『杉浦茂傑作漫画選集 0人間』として小学館クリエイティブから刊行された。また、2002年に、東京都三鷹市の三鷹市美術ギャラリーにて「杉浦茂 - なんじゃらほい - の世界展」、2009年に、京都市中京区の京都国際マンガミュージアムで「冒険と奇想の漫画家・杉浦茂101年祭」展、2012年には、東京都江東区の森下文化センター(田河水泡・のらくろ館と同じ建物)で「びっくりどんぐり奇想天外 杉浦茂のとと? 展」と、画業を紹介する展覧会も開催された。
生涯
杉浦茂
5,138
687
88,384,601
四方田犬彦は、著書『日本の漫画への感謝』(潮出版社、2013年)の中で、杉浦茂を最初に取り上げている。
生涯
杉浦茂
5,139
687
88,384,601
杉浦作品は、その独自色の強い強烈な作風から漫画の歴史では語りづらく異端である。同時代に活躍した手塚治虫も、戦前から杉浦のことをユニークな作品を描く漫画家として注目していたが「田河水泡門下とはつゆ知らず、倉金良行(章介)さんとは一線を劃した独立独歩の作家だと思っていた」と語っている。呉智英は、杉浦作品を「戦後復興期から高度成長開始期という現代マンガ成立期でも特筆すべき存在」とし、全盛期の1950年代でさえ、様式的でないギャグや超現実的な物が横溢する作風は異質であり、時代を先取りするものであったと評する。米沢嘉博は、杉浦茂の世界を「メタモルフォセスと奇人変人と食い物にあふれかえった、マンガ故のでたらめで自由な世界」と表現した。杉浦作品の大胆な筋運びは、杉浦の漫画に対する独特な姿勢が大きく影響している。
作風と評価
杉浦茂
5,140
687
88,384,601
普通は、構想をまとめた後にネームや下書きなどを経てペン入れに至るが、杉浦は頭の中で、大体の構想をまとめた後、下書きをせずに一発でペンを入れ、執筆途中でも「こちらの方が面白い」と思い至ったら話の筋を曲げるようなことを頻繁に行っていた。弟子の斉藤によれば、杉浦は「ぼくはね、話が前とつながってなくてもいいんだよ」と語っていたという。こうした奔放さは、杉浦作品の大ゴマでよく見る、物語の筋と関係ない群衆が、主要登場人物を埋没させるほどにてんでバラバラに行動し、おしゃべりしたり歌ったりするお祭り騒ぎのような賑やかさにも表れている。また、画家時代の腕を活かしたリアル調の絵でギャグをしたり、デフォルメの絵とリアルの絵を交互に挟んだりする奇抜なセンスも見られる。また、杉浦作品に欠かせないものの一つに、気味の悪い怪物がある。
作風と評価
杉浦茂
5,141
687
88,384,601
カンブリア紀の生き物さながらのものや、文化や時代性に捕らわれないぶっ飛んだデザインの数々の怪物が現れ、忍術物では登場人物の忍者たちがそういったものに変化(へんげ)している。杉浦は登場人物の名づけ方も独特である。代表作の『猿飛佐助』を例にとると、食べ物に由来した「うどんこプップのすけ」や「コロッケ五えんのすけ」、「おおそうじでんじろう」(大河内傳次郎)や「たんげ五ぜん」(丹下左膳)などのダジャレ、「おもしろかおざえもん」といった何とも言えないものなど、独自の言語センスを発揮した。斉藤は、杉浦が読者の子供の覚えやすさと親しみやすさを重視してのことだという。こうした言語センスは登場人物の台詞回しにも表れている。
作風と評価
杉浦茂
5,142
687
88,384,601
例えば、杉浦のプロレスマニアぶりが発揮された『拳斗けん太』や『プロレスの助』では、「えーい」と兇器も辞さない激しい挌闘、暴力で倒された相手が、「ぱ」や「パ」、「て」などの一言悲鳴をあげたり、「ふわ」、「ホワッ」、「ふういてえ」などと笑顔で断末魔をあげたりするところは読者に牧歌的な印象を与える効果が出ている。歌を歌う群衆について前述したが、主要人物もよく歌を歌っている。『猿飛佐助』では真田十勇士の一人三好青海入道が、「しらないまーに食べちゃった♪」と他人の食べ物をテンポよく歌って歌詞で状況説明してつまみ食いをするギャグを披露している。
作風と評価
杉浦茂
5,143
687
88,384,601
戦後の黄金期(第二期)、杉浦には3人のアシスタントがいた。戦前から引き続き、友人加藤宗男が杉浦を手伝っていたが、加藤はその後早くに逝去。この加藤以外の2人が杉浦の弟子で、1人は斉藤あきら、もう1人は藤巻悟郎である。藤巻は数年で引退したため、長く杉浦の元に残ったのは斉藤だけだった。戦前の杉浦は漫画の素人だったにも関らず、師匠の田河から漫画について直接教わらなかったが、斉藤も1954年の入門当時、印刷工場勤務の傍ら定時制の高校に通う10代の少年であり、漫画については高校の新聞部で1コマ漫画を描いた経験がある程度だった。斉藤は杉浦が近くに住んでいることを知って親しみをもち、ファンレターを出した。すると、杉浦から地図付きの返信が届き、江戸川区小岩町の自宅に招かれた。訪問当日、杉浦と談笑した後、急に杉浦が描きかけの原稿の余白に絵を描くことを指示した。
弟子
杉浦茂
5,144
687
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この時斉藤は自分が絵を描くことを伝えていなかったし、また、漫画は好きだったものの、漫画家になるつもりは全くなかった。斉藤本人は手伝いはこれきりにするつもりだったのだが、また杉浦から手伝いの依頼が来て、ついに入門することになったという。杉浦と斉藤は、漫画のアイデアの出し方など漫画制作の根本に関る様なことはほぼ話し合わなかった。ただ、田河がそうだったように、杉浦も斉藤には仕事を紹介した。斉藤は、長じて漫画技術を習得して杉浦以外にも高野よしてるや手塚治虫、横山光輝の元でもアシスタントを経験し、独立して「ジャガープロ」を設立した。その後、ジャガープロは赤塚不二夫のフジオ・プロダクション「斉藤班」となり、斉藤は赤塚のアシスタントも務めたが、他の漫画家のそれと比較して杉浦の仕事振りの独特さに驚いたという。
弟子
杉浦茂
5,145
687
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杉浦への弟子入り後にフジオ・プロに入った斉藤が語るように、赤塚不二夫は杉浦茂のファンで、登場人物の「レレレのおじさん」の「レレレ」は杉浦作品から来ているし、それ以外にも「あたいのことさ」とか「いっけねえ」、「いたいのなんのって、もう」等の定番の台詞にも影響も与えた。また、杉浦作品の登場人物が頻繁に見せる手のポーズに、広げた指のうち中指と薬指を曲げるポーズがあるが(アメリカ手話の「I Love You」の形。読者に向かって手の甲を向けるか平を向けるかは一定しない)、このポーズは手塚治虫『鉄腕アトム』や赤塚不二夫『天才バカボン』、いしいひさいち『ののちゃん』でも確認できる。もう一つ、有名なポーズがあり、腕とつながっていない拳が頭を掻くものだが、手塚治虫が『七色いんこ』や『旋風Z』(SGUIURA SHIGERU の手書き註釈あり)などでギャグポーズとして活用している。
影響
杉浦茂
5,146
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また、手塚の『おれは猿飛だ!』は杉浦の『猿飛佐助』の自己流解釈であると語っている。また、漫画家の日野日出志やいしかわじゅん、みなもと太郎、花輪和一、タイガー立石などやSF作家のかんべむさし、横田順彌、ミュージシャンの細野晴臣が杉浦から影響を受けたことを語っている。ギャグ漫画家の唐沢なをきは、杉浦への追悼と表し、自作『カスミ伝』にて一話まるまる作風と絵柄を杉浦に似せて描いている。 アニメ監督の宮﨑駿も影響を受けた一人であり、宮﨑によって読売新聞のテレビCMとして、杉浦作品のアニメ化が企画され、『猿飛佐助』、『太閤記』、『八百八狸』などを原作に、駿の長男である宮﨑吾朗が演出を担当し、スタジオジブリによって制作された。このテレビCMは『ふうせんガムすけ』編と題され、2009年より放送された。
影響
杉浦茂
5,147
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主要作品のみ掲載とし、例えば新聞雑誌掲載作品は特筆すべきもの以外割愛した。杉浦茂『杉浦茂マンガ館:2901年宇宙の旅』第5巻巻末収録の「杉浦茂・全作品リスト」を主に参考に、ペップ出版編集部編『杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』』ペップ出版<杉浦茂ワンダーランド>別巻収録の小野寺正巳編「完璧作品リスト」で補足して作成した。
作品
杉浦茂
5,148
689
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特殊相対性理論(とくしゅそうたいせいりろん、独: Spezielle Relativitätstheorie、英: Special relativity)とは、慣性運動する観測者が電磁気学的現象および力学的現象をどのように観測するかを記述する、物理学上の理論である。アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した論文に端を発する。特殊相対論と呼ばれる事もある。最も端的に述べると、重力のない状態での慣性系を取り扱った理論である。
__LEAD__
特殊相対性理論
5,149
689
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ニュートンは力学を記述するに当たって以下のような、いわゆる「絶対時間と絶対空間」を仮定した(ニュートン力学)。つまり時間と空間はそこにある物体の存在や運動に何ら影響を受けないと仮定したのである。これは我々が抱いている時間や空間に対する漠然とした感覚を明確化したものであった。ニュートン力学の一つの帰結として、すべての慣性座標系が本質的に等価であり、同一点上にある2つの慣性座標系 A = (t, x)、B = (t′, x′) が(t′, x′) = (t, x − v t)という変換(ガリレイ変換)によって結ばれる事が示されている。ここで t, x は慣性系Aにおける時刻と位置であり、t′, x′ は慣性系Bにおける時刻と位置であり、v はAから見たBの速度である。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,150
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ニュートン力学においてすべての慣性座標系は本質的に等価なものであるので、ニュートン力学においては空間に対して「絶対的に静止している座標系」といった概念は意味をなさず、あくまで「慣性系Aが慣性系Bに対して相対的に静止している」という概念のみが意味を持つ。このことから、力学の法則はすべての慣性座標系で同一であることが結論付けられ、この事実を ガリレイの相対性原理 (Galilean invariance) と呼ぶ。一方、19世紀後半になると、当時知られていた電磁気学に関する基礎方程式がジェームズ・クラーク・マクスウェルにより、マクスウェル方程式として整備された。そしてマクスウェル方程式を解くことにより、電磁波の速度を計算したところ、これが光速度 c と一致したため、光の正体は電磁波であると考えられるようになった(そしてそれは正しかった)。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,151
689
88,271,183
光学の学問分野でも光の回折を説明するため、光を波だとみなす波動説が広まり、光を伝えるための媒質であるエーテルで宇宙が満たされているという仮説がホイヘンスにより提案された(これは後に特殊相対性理論により否定される)。こうした知見から、マクスウェル方程式はエーテルに対して静止している理想的な座標系において電磁気学を記述する方程式とみなされたが、エーテルに対して運動する基準系から見た電磁気現象についての理解は未だ不充分であった。今日の目から見ると、これは電磁気学とニュートン力学の間に明確な齟齬があった事に起因する。まず、マクスウェル方程式はガリレイ変換の下で不変ではない。すなわち、ある慣性系でマクスウェル方程式が成り立つものとすると、そこからガリレイ変換で移った別の基準系ではマクスウェル方程式は成り立たず、別の変形された方程式が成り立つことになるのである。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,152
689
88,271,183
実際、ヘルツはこの変形された方程式を運動座標系における電磁場の振る舞いを表す方程式として提案したが、Wilson や Röntgen–Eichenwald の実験によって否定された。またエーテルの存在を仮定することは、エーテルに対して静止している「絶対静止系」が存在する事を意味するが、前述のようにニュートン力学におけるガリレイの相対性原理は「絶対静止系」のようなものを認めておらず、明確な齟齬をきたしていた。両者の齟齬が特に先鋭化したのは、光の速度に関する解釈である。ガリレイの相対性原理を前提とした場合、光の速度は慣性系に依存するはずであるので、光の速度を異なる慣性系で計測すれば、マクスウェル方程式が成立するただ一つの「静止基準系」を見つけることができるはずである。この発想からマイケルソン・モーリーの実験が行われたが、後述のようにどれもが「静止基準系」であるかのような結果が得られてしまった。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,153
689
88,271,183
以上のように、特殊相対性理論以前の物理学はガリレイの相対性原理を認める立場と絶対静止系を認める立場が混然としていたが、両者には上述したような矛盾があるので、どちらかを修正もしくは放棄する必要がある。特殊相対性理論以前の理論であるエーテル仮説は、「エーテルに対する静止系」という絶対静止系を採用する代わりにガリレイの相対性原理を放棄する立場に立っていたのである。しかしながらその後、エーテル仮説に対する重大な反証が得られた(マイケルソン・モーリーの実験、Michelson–Morley experiment)。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,154
689
88,271,183
エーテル仮説が正しいとすれば、地球はその公転によりエーテルに対して動いているので、地球上では公転方向に「エーテルの風」が感じられ、その影響により公転方向とそれ以外では光の速度が異なるはずであるが、実験によりそのような速度差は生じず、「エーテルの風」の風速はほぼ0であることが結論付けられたのである。これをうけてヘルツ、フィッツジェラルド、ローレンツ、ポアンカレなどの学者がいくつかの理論を提唱したが、いずれもエーテル仮説の域を出ず、既存のエーテル仮説にアド・ホックな仮定を加えることで整合性を取ろうとする内容だった。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,155
689
88,271,183
例えばローレンツはローレンツのエーテル理論(英語版)で、運動する物体が「エーテルの風」を受けて収縮する(フィッツジェラルド=ローレンツ収縮)をフィッツジェラルドと独立に提案し、これが原因で、マイケルソン・モーリーの実験の実験では「エーテルの風」の効果がキャンセルされたのだと説明し、収縮度合いを記述した変換式(ローレンツ変換、Lorentz transformation)を定式化したが、検証可能性を欠いていた。またローレンツとポアンカレは時間の流れが観測者によって異なるとするとする「局所時間」という相対性理論の萌芽ともいうべき考えを提案し、Wilson や Röntgen–Eichenwald の実験に合致する電磁場の方程式を導出した。彼らはアインシュタインの重要な先駆者であり、彼らの理論は数式上は相対性理論のそれと一致している。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,156
689
88,271,183
しかし彼らの理論はあくまでエーテル仮説に基づいており、エーテル仮説の立場を取らない相対性理論とはその物理的解釈が根本的に異なり、下記のような大きな不満が残るものであった。
特殊相対性理論に至るまでの背景
特殊相対性理論
5,157
689
88,271,183
こうしたローレンツやポアンカレ等の成果とはほぼ独立にアインシュタインは自身の論文において特殊相対性理論を確立した。特殊相対性理論では、エーテルの存在を仮定せず、代わりに理論の基盤として以下の二つの原理を採用した:光速度不変の原理は前述したマイケルソン・モーリーの実験の結果から帰結される。実際、この実験の結果によれば、地球から見た光速度は季節によらず同一であった。地球の運動方向や速度は季節によって異なるので、この実験の結果は、光速度が系の運動方向や速度によらないことを意味し、これはすなわちどの慣性系から見ても光速度が不変である事を強く示唆しているのである。一方、相対性原理はガリレイの相対性原理を緩和したもので、全ての慣性座標系が等価であることは仮定するが、慣性座標系の間の変換則がガリレイ変換であるとは仮定しない。この原理は、光速度不変の原理から示唆される。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,158
689
88,271,183
光速度不変の原理によれば、どの慣性座標系でも同一であるのだから、絶対静止座標系のような「特別な」座標系は存在せず、全ての慣性座標系は等価であると思われるのである。 エーテル仮説は、エーテルによる「絶対静止座標系」が存在するという仮定を採用し、全ての慣性系は等価であるというガリレイの相対性原理を捨て去ったものであった。それに対し特殊相対性理論では、ガリレイの相対性原理を緩和した相対性原理を仮定し、代わりに「絶対静止座標」とその基盤であるエーテル仮定とを放棄したのである。なお、相対性原理理論の成果はそれまでのニュートン力学と次の意味で両立していなければならない:なおアインシュタインは特殊相対性理論の構築において前述した指導原理のみならず、空間の等質性や等方性を暗に仮定していた事をのちに認めている。以上の指導原理をもとに、2つの慣性系の間の変換則を導く。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,159
689
88,271,183
まずはそのための準備として、変換則がどのようなものでなければならないかについて考察する。以下、c を光速度とし、計算を簡単にするため、時間の単位として時刻 t のかわりに ct を用いることとする。ct の単位は距離の単位と一致するので、これは時間と距離に同一の単位を用いた事を意味する。今、慣性運動する2人の観測者(すなわち何ら外力のかかっていない観測者)A、Bがある一点ですれ違ったとする。A の慣性系における位置と時刻を表す座標系を (ct, x) とし、B の慣性系における位置と時刻を表す座標系を (ct′, x′) とする。なお、両者の座標系で同一の光速度 c を用いることができるのは、光速度不変の原理による。ここで注意しなければならないのは、2つの慣性系における時刻 ct、ct′ が同一であるとは仮定していない事である。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,160
689
88,271,183
すなわちここで、ニュートン力学の前提であった絶対時間の概念が放棄されているのである。必要なら位置と時刻の起点を取り直すことで、A、B がすれ違った位置と時刻がどちらの座標系でも0であるとしてよい。このとき、これら2つの座標系の間の変換則をテイラー展開したものを考えると、何らかの定数ベクトル b→ と行列 Λ とを用いてと表記できる。しかし A、B がすれ違った位置と時刻がどちらの座標系でも0であるとしたことから、b→ = 0→でなければならない。また二次以上の項もゼロでなければならない。なぜなら、もし二次以上の項があるのであれば、B の系で外力が加わっていないにも関わらず、B は A に対して加速度運動していることになってしまうからである。よってと線形変換でなければならない。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,161
689
88,271,183
すなわち、特殊相対性理論は4次元のベクトル空間で記述され、慣性系はそのベクトル空間の基底であり、慣性系の間の変換は線形写像である事がわかる。前述した考察により、特殊相対性理論では時空間は4次元のベクトル空間で記述される事がわかった。このベクトル空間の点を世界点と呼ぶ。慣性座標系から見てある時刻 t1 に(3次元空間上の) x1 を光が通過し、この光が時刻 t2 に位置 x2 まで伝播したとする。光速度は c であったので、これはである事を意味する。世界点 1 と世界点 2 の間に定義される量を世界間隔もしくは世界距離と呼ぶことにすると、ある慣性系において s12 = 0 が成り立つならば、他の任意の慣性系でも s′12 = 0 が成り立つことになる。よって、微小世界間隔は同次微小量であることからという関係式が成り立つはずである。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,162
689
88,271,183
ここで、時空の均質性からこの係数 a は慣性系間の相対速度の絶対値にのみ依存することが要請される。三つの慣性系 K1, K2, K3 の間の相対速度を V12, V23, V31 などとすると、それぞれの慣性系における微小世界間隔 ds1, ds2, ds3 および係数 a(|V|) についての関係式としてが得られるが、後者の左辺は V12, V23 の絶対値にのみ依存するのに対して右辺は向きにも依存するので、この関係式が成り立つのは a(|V|) ≡ 1 のときのみである。したがって、微小世界間隔はあらゆる慣性系間で保存されることになるので、有限の世界間隔についても慣性系間での保存量となる。世界距離の定義から、以下の内積風の二項演算子を考えると、世界距離の二乗は η((ct,x,y,z),(ct,x,y,z)) に一致する。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,163
689
88,271,183
このような二項演算子 η をミンコフスキー内積もしくはミンコフスキー計量と呼び、ミンコフスキー内積の定義されたベクトル空間をミンコフスキー空間と呼ぶ。ミンコフスキー空間上の点を世界点もしくは事象と呼び、ミンコフスキー空間のベクトルは通常の3次元のベクトルと区別する為、4元ベクトルという。なお、世界点 P は、P と原点 O とを結ぶ4元ベクトル O P → {\displaystyle {\overrightarrow {\mathrm {OP} }}} と自然に同一視できるので、以下、表現に紛れがなければ世界点を4元ベクトルとして表現する。特殊相対性理論は、時空間をミンコフスキー空間として記述する理論である。4元ベクトル a→ に対し η(a→, a→) が非負であれば
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,164
689
88,271,183
‖ a → ‖ := η ( a → , a → ) {\displaystyle \|{\vec {a}}\|:={\sqrt {\eta ({\vec {a}},{\vec {a}})}}}をミンコフスキー・ノルムといい、世界点 a→、b→ に対し、η(a→ − b→, a→ − b→) が非負であれば η(a→ − b→, a→ − b→) の平方根を a→、b→ の世界距離という。なお、世界「距離」という名称ではあるが、といった点から数学的な距離の公理を満たさない。また、||a→|| は常に定義できるとは限らないばかりかミンコフスキー・ノルムが定義できる値に対しても三角不等式の逆向きの不等式
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,165
689
88,271,183
‖ a → + b → ‖ ≥ ‖ a → ‖ + ‖ b → ‖ {\displaystyle \|{\vec {a}}+{\vec {b}}\|\geq \|{\vec {a}}\|+\|{\vec {b}}\|}が成り立つ事から、ミンコフスキー・ノルムも数学で通常使われるノルムの定義を満たさない。本項では、ミンコフスキー内積をとしたが、書籍によっては符号を逆にしたをミンコフスキー内積としているものもあるので注意が必要である。本項と同じ符号づけを時間的規約、本項とは反対の符号づけを空間的規約と呼んで両者を区別する。また本項ではミンコフスキー内積を η で表したが、g で表したり、両者を混用したりするものもある。例えば佐藤 (1994)では、特殊相対性理論の場合は η を用いているのに一般相対性理論では g を用いている。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,166
689
88,271,183
またシュッツ (2010)ではミンコフスキー内積には g を用いているのにその行列表示は η で表している。V を n 次元実ベクトル空間とし、を V 上の対称二次形式とする。このとき、V の基底 e→1, ..., e→n と非負整数 p、q が存在し、が成立する事が知られている。しかも p、q は (V, η) のみに依存し、基底 e→1, ..., e→n には依存しない(シルヴェスターの慣性法則)。p = 1、q = n − 1 となる二次形式 η をミンコフスキー計量と呼び、組 (V, η) を n次元ミンコフスキー空間という。特殊相対性理論で用いるのは、次元 n が4の場合なので、以下特に断りがない限り、n = 4とする。空間方向の次元を2に落としたミンコフスキー空間を図示した。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,167
689
88,271,183
図では何らかの慣性系から見たミンコフスキー空間が描かれており、この慣性系に対して静止している観測者 (observer) が原点にいる。この観測系における座標の成分表示を (ct, x, y) とする。この観測者にとっての時間軸 (ct, 0, 0) は図で「時間」と書かれた軸であり、この観測者にとって時間は時間軸にそって流れる。従って図の上方が未来であり、下方が過去である。観測者が慣性系に対して静止している事を仮定したので、時間が t 秒経つと、観測者のミンコフスキー空間上の位置は (ct, 0, 0) に移る。一方、この観測者にとって現在にある世界点の集まり(すなわちこの観測者にとっての空間方向)は図の「現在」と書かれた平面であり、この観測者からみた空間方向の座標軸 (0, x, 0), (0, 0, y) が「空間」と書かれた二本の軸である。世界距離の定義から、原点を通る光の軌跡は
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,168
689
88,271,183
を満たす。この方程式を満たす世界点の集合は2つの円錐として描かれ、これを光円錐という。図の上にある逆さまの円錐が未来の光円錐 (future light cone) であり、図の下にある円錐が過去の光円錐 (past light cone) である。原点を通る光の軌跡は、光円錐上にある直線である。観測者は光を使って物をみるので、過去の光円錐の上にある世界点が観測者に見える(もちろん、他の物体に遮られなければ)。ミンコフスキー空間上の4元ベクトル x→ の終点が(未来もしくは過去の)光円錐の内側にあるとき x→ は時間的であるといい、終点が光円錐の外側にあるとき x→ は空間的であるといい、光円錐上にあるとき x→ は光的であるという。定義より明らかに、以下が成り立つ:x→ が時間的、空間的、光的であるのは、η(x→, x→) がそれぞれ正、負、0のときである。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,169
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88,271,183
光円錐上の点 x→ は η(x→, x→) という座標系と無関係な値の符号で特徴づけられるので、4元ベクトルが時間的か、空間的か、光的かは原点を起点するどの慣性座標系からみても不変である事がわかる。特に、光円錐は原点を起点するどの慣性座標系からみても同一である。原点Oを通る観測者から見た慣性座標系を一つ固定すると、前述のようにその慣性座標系における二つの位置ベクトル間のミンコフスキー内積はと書ける。このような座標系で、と定義すると、e→0、e→1、e→2、e→3 はあきらかにミンコフスキー空間の基底であり、しかもユークリッド空間の類似から(M2)式を満たす基底 e→0、e→1、e→2、e→3 を正規直交基底と呼ぶ事にすると、慣性座標系から正規直交基底が1つ定まった事になる。e→0 をこの基底の時間成分といい、e→1、e→2、e→3 をこの基底の空間成分という。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,170
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88,271,183
逆に(M2)式の意味で正規直交基底である e→0、e→1、e→2、e→3 を一つ任意に選び、この基底における座標の成分表示を (ct, x, y, z) と書くことにすると、ミンコフスキー内積が(M1)式を満たすことを簡単に確認できる。以上の議論から、原点にいる観測者の慣性座標系と正規直交基底は1対1に対応する事がわかる。従って以下両者を同一視する。ただし、正規直交基底の中には、e→0 が過去の方向を向いていたり、e→1、e→2、e→3 が左手系だったりするものもあるので、このようなものは以下除外して考えるものとする。運動している質点がミンコフスキー空間内に描く軌跡を世界線と言う。今、世界線が原点を通る直線となる質点の運動があるとし、その直線の(4元)方向ベクトルを u→ とする(長さは問わない)。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,171
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88,271,183
この質点の運動を慣性座標系 e→0、e→1、e→2、e→3 にいる観測者 A が原点で眺めるとする。この慣性座標系における u→ の成分表示を (ct, x, y, z) とすると、3次元ベクトル (x/t, y/t, z/t) は A から見た質点の速度ベクトルであると解釈できる。次に u→ の速度を光速と比較してみる。u→ の速度が光を下回る必要十分条件は、√x + y + z / t < c となることであるので、これを書き換えると、(ct) − x − y − z > 0 となる。ミンコフスキー計量の定義より、この式は η(u→, u→) > 0 と慣性座標系によらない形で表現できる。従って、η(u→, u→) > 0 であれば、どの慣性系から見ても光速度を下回り、逆に η(u→,u→) < 0 であれば どの慣性系から見ても光速度を上回る。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,172
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88,271,183
前述のように η(u→, u→) の正負によって、u→ を時間的もしくは空間的と呼ぶので、まとめると以下が結論づけられる:最後のものは光速度不変の原理からの直接の帰結でもある。なお、上の議論では、質点の世界線が直線である事を仮定したが、そうでない場合も原点での接線を u→ として同様の議論をする事で同じ結論が得られる。ローレンツ変換とは、ミンコフスキー空間 V 上の線形変換 φ : V → V でミンコフスキー計量を変えないもの、すなわち任意の4元ベクトル a→、b→ に対し、が成立するものの事である。ユークリッド空間で内積を変えない線形変換は合同変換であるので、ローレンツ変換とは、ミンコフスキー空間における合同変換の対応物である。ただし正規直交基底の場合と同様、ローレンツ変換にもが存在するのでこのようなものは以下除外して考える。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
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88,271,183
なお、空間方向の向き、時間方向の向きの両方を保つローレンツ変換を正規ローレンツ変換という事があるが、本項では以下、特に断りがない限り、単にローレンツ変換と言ったならば正規ローレンツ変換を指すものとする。ローレンツ変換 φ と4元ベクトル b→ を使っての形に書ける線形変換をポアンカレ変換という。特殊相対性理論では、2人の観測者が原点で出会ったケースにおいてローレンツ変換に関して議論する事が多いが、これは出会った場所を原点に平行移動した上で議論しているという事なので、実質的にはポアンカレ変換に関する議論である事が多い。4次元ミンコフスキー空間 (V, η) では、 次の定理が成立する事が知られている。定理 ― (e→0, e→1, e→2, e→3)、(e′→0, e′→1, e′→2, e′→3)を V の2組の正規直交基底とする。このとき、V 上の線形変換 φ で
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
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689
88,271,183
を満たすものがただ一つ存在し、しかも φ はローレンツ変換である。この定理はユークリッド空間における2つの正規直交基底が直交変換により写りあう事の類似である。前述のように、正規直交基底は慣性座標系と対応している。よって上の定理は、以下を意味する:慣性座標系から別の慣性座標系への座標変換はローレンツ変換である。ローレンツ変換の具体的な形を求める為、まずは基底をより解析がしやすいものに置き換える。基底 e→0, e→1, e→2, e→3 の「空間部分」である e→1, e→2, e→3 の張るミンコフスキー空間上の部分空間を E とし、同様に基底 e′→0, e′→1, e′→2, e′→3 の空間部分である e′→1, e′→2, e′→3 の張るミンコフスキー空間上の部分空間を E′ とする。これらはそれぞれの慣性座標系における空間方向を表している。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,175
689
88,271,183
e→1, e→2, e→3 を E 内で回転した別の正規直交基底に取り替えても、e→0, e→1, e→2, e→3 と実質的に同じ慣性系を表しているとみなしてよい。そこで (e→1, e→2, e→3), (e′→1, e′→2, e′→3) をそれぞれ E 内、E′ 内で回転することで、ローレンツ変換 φ の行列表示 Λ を簡単な形で表すことを試みる。E と E′ の共通部分 E ∩ E′ を U とすると、U は4次元ベクトル空間上の2つの3次元部分ベクトル空間の共通部分なので、U は2次元(以上)のベクトル空間である。従って E 内で (e→1, e→2, e→3) を回転することで、e→2, e→3 ∈ U としてよく、同様に E′ 内の回転により e′→2, e′→3 ∈ U とできる。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,176
689
88,271,183
最後に U 内で e→'1, e→'2 を回転することで e′→2 = e→2、e′→3 = e→3 としてよい。これらの基底に対し、(L1)式を満たすローレンツ変換 φ の行列表現を Λ = (Λν)μν とする。これはすなわち、を満たすという事であり、これら2つの基底における座標の成分表示をそれぞれ (ct, x, y, z)、(ct′, x′, y′, z′)とするとが成立するという事でもある。e′→2 = e→2、e′→3 = e→3 であったので、ローレンツ変換の行列表示は、という形であり、ローレンツ変換がミンコフスキー空間における「回転」であったことを利用すれば、上の行列の(*)の部分が、という形であることがわかる。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,177
689
88,271,183
これを導く厳密な方法はいくつかあるが、簡便な方法としては虚数単位 i を用いて時間軸を τ = ict と置く事で通常のユークリッド空間の回転とみなせる(ウィック回転)という事実を使うものがある。最終的に2つの基底における座標の成分表示の関係(L2)式は以下のように書ける事がわかる。定理(ローレンツ変換の具体的な形) ― 必要なら空間方向の座標軸を回転させる事で、ローレンツ変換はこの値 ζ は正規直交基底の取り方に依存せず、ローレンツ変換 φ の固有値のみによって決まることが知られており、ζ を φ のラピディティという。なお、ζ はと具体的に求めることもできる。慣性座標系 (ct, x, y ,z) にいる観測者 A は、原点を通過した後、(ct, 0, 0, 0) という直線(世界線)にそって進んでいく。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,178
689
88,271,183
この様子を別の観測者 B の慣性座標系 (ct′, x′, y′, z′) で記述した式は(L3)式に (x, y, z) = (0, 0, 0) を代入したによって表現できる。この世界線の「傾き」は2人の観測者の相対速度と解釈できるので、観測者 A から見た観測者 B の相対速度を v とすると、である。そこでローレンツ因子 γ をγ := 1 1 − ( v / c ) 2 {\displaystyle \gamma :={\frac {1}{\sqrt {1-(v/c)^{2}}}}}と定義すると、以下が導かれる:相対速度を用いたローレンツ変換の表示 ― 観測者Aから見た観測者Bの相対速度を v とするとき、必要なら空間方向の座標軸を回転させる事で、ローレンツ変換は我々は(L4)式やそれと同値な(L3)式を導くとき、空間方向の座標変換をおこなった。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,179
689
88,271,183
これは別の見方をすると、ローレンツ変換から空間方向の回転成分を取り除いたものが(L3)式や(L4)式であるということである。(L3)式や(L4)式のように書けるローレンツ変換、すなわち空間方向に回転しないローレンツ変換の事をローレンツ・ブーストと呼ぶ。ローレンツ変換の式(L4)式において、v/c ≈ 0 (0に近似) とすると、(L4)式は、となり、ガリレイ変換に一致する。すなわち、「ニュートン力学近似」とは、慣性座標系間の相対速度 v が光速 c と比べて十分小さい場合の理論であるということが言える。このことからニュートン力学はガリレイ変換に不変であるというガリレイの相対性原理は、特殊相対性理論では以下の形で成立していると考えられる:全ての物理法則はローレンツ変換に対して不変でなければならない
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,180
689
88,271,183
本節では光速を超えずに移動する観測者 A の感じる時間の長さ(観測者の固有時間)s が、A の世界線の(ミンコフスキー計量で測った)「長さ」に一致することを示す。固有時間について述べる前に、まず慣性系から見た時間についての公式を与える。x→ を世界点とし、(e→0, e→1, e→2, e→3) を原点における慣性座標系とする。このとき、以下が成立する:慣性座標系 (e→0, e→1, e→2, e→3) における x→ の起こる時刻は η(x→, e→0)である。ただしここでいう「時間の長さ」は c 秒を1単位として数えた時間である。秒を単位とした時間の長さの場合は右辺を c で割る必要がある。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,181
689
88,271,183
実際、(e→0, e→1, e→2, e→3) における成分表示を (ct, x, y, z) とすると、x→ の起こる時刻は x→ を時間軸方向へ射影したものに一致するが、x→ を時間軸方向へ射影した値は η(x→,e→0) である。本節では以下を示す:時間的もしくは光的な4元ベクトル u→ に沿って原点から u→ の終点まで直線的に動く観測者の固有時間 s は u→ のミンコフスキー・ノルム ‖ u → ‖ = η ( u → , u → ) {\displaystyle \|{\vec {u}}\|={\sqrt {\eta ({\vec {u}},{\vec {u}})}}} に一致する。なお、u→ が時間的もしくは光的な4元ベクトルであることから η(u→, u→) > 0 であるので、上式の平方根は意味を持つ。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,182
689
88,271,183
ただしここでいう「時間の長さ」は c 秒を1単位として数えた時間である。秒を単位とした時間の長さは τ = s/c である。上の事実を示すため、O から u→ に沿って移動する観測者を考えると、この観測者の慣性座標系は、e→0 = u→ / ||u→|| を時間方向の単位(4元)ベクトルとする正規直交基底 (e→0, e→1, e→2, e→3) により表せる。この座標系に前述の公式を適用すれば、この座標系で観測者が原点から u→ の終点まで世界線を移動するのにかかる固有時間は
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,183
689
88,271,183
η ( u → , e → 0 ) = ‖ u → ‖ η ( e → 0 , e → 0 ) = ‖ u → ‖ {\displaystyle \eta ({\vec {u}},{\vec {e}}_{0})=\|{\vec {u}}\|\eta ({\vec {e}}_{0},{\vec {e}}_{0})=\|{\vec {u}}\|}となり、最初の公式が示された。上では観測者が原点を通る世界線に沿って移動する場合について述べたが、原点を通らない世界線に関しても、観測者が上を u→ から w→ まで直線的に動く間に ||u→ - w→|| の固有時間が流れる事を同様の議論により証明できる。本節では光速を超えずに移動する観測者 A の世界線 C が曲線である場合に対して A の固有時間を求める方法を述べる。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,184
689
88,271,183
観測者 A の時空間上の位置 x→ が実数 r によってパラメトライズされて x→ = x→(r) と書けているとすると、観測者が x→(r0) から x→(r0 + Δr) まで移動する間に、の固有時間が流れることになる。したがって観測者 A が C に沿って動いた際に流れる固有時間 s は以下のように求まる:s = ∫ C d s = ∫ C ‖ d x → d r ‖ d r . {\displaystyle s=\int _{\mathrm {C} }\mathrm {d} s=\int _{\mathrm {C} }\left\|{\frac {\mathrm {d} {\vec {x}}}{\mathrm {d} r}}\right\|\mathrm {d} r.}
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,185
689
88,271,183
これはユークリッド空間において曲線の長さを求める弧長積分のミンコフスキー空間版であるので、上の公式は、観測者 A の固有時間が A の描く世界線 C の「長さ」に一致することを意味している。次に上で示した式を慣性座標で表す。A とは別の観測者 B が慣性運動しており、B の慣性座標系 (ct, x, y, z) における A の位置 x→(r) がと書けていたとすると、以下が言える:d s 2 = ‖ d x → d r ‖ 2 d r 2 = ‖ d x → ‖ 2 = c 2 d t 2 − d x 2 − d y 2 − d z 2 .
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,186
689
88,271,183
{\displaystyle {\begin{aligned}\mathrm {d} s^{2}&=\left\|{\frac {\mathrm {d} {\vec {x}}}{\mathrm {d} r}}\right\|^{2}\mathrm {d} r^{2}=\|\mathrm {d} {\vec {x}}\|^{2}\\&=c^{2}\mathrm {d} t^{2}-\mathrm {d} x^{2}-\mathrm {d} y^{2}-\mathrm {d} z^{2}.\end{aligned}}}以上の議論では変数 r で世界線 C をパラメトライズしたが、物理学的に自然な値である秒を単位とした固有時 τ そのものを使って、x→ = x→(τ) とパラメトライズするのが一般的である。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,187
689
88,271,183
このようにパラメトライズしたとき、質点 x→ の4元速度(英語版) u→ と4元加速度(英語版) a→ を以下のように定義する:すなわち、x→ のミンコフスキー空間上の位置の変化率を固有時間 τ で測ったものが4元速度で、4元速度の変化率を τ で測ったものが4元加速度である。4元速度のミンコフスキー・ノルムはを満たす。このことから、4元速度は x の世界線の接線で長さが c であるものである事がわかる。この事実は、ユークリッド空間の曲線を弧長で微分したときの長さが1になることと対応している。長さが1でなく c なのは時間の単位が c 秒でなく1秒だからである。以上の事から4元速度のミンコフスキー・ノルムの2乗が定数 c なので、これを微分する事でη ( u → , a → ) = 0 {\displaystyle \eta ({\vec {u}},{\vec {a}})=0}
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,188
689
88,271,183
である事がわかる。すなわち4元速度と4元加速度は「直交」している。変分法を用いる事で、以下の事実を示せる:ミンコフスキー空間上の2つの世界点 x→, y→ を結ぶ世界線(で光速度未満のもの)のうち、最も固有時間が長くなるのは、x→ と y→ を直線的に結ぶ世界線である。x→ から y→ へと直線的に動く観測者は慣性系にいることになるので、これは慣性運動している場合が最も固有時間が長くなる事を意味する。固有時間が世界線の「長さ」であった事に着目すると、上述した事実は、ユークリッド空間上の二点を結ぶ最短線が直線であることに対応している事がわかる。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,189
689
88,271,183
なお、ユークリッド空間では「最短」であったはずの直線がミンコフスキー空間上では「最大」に変わっているのは、ミンコフスキーノルムの2乗 (ct) − x − y − z の空間部分がユークリッドノルムの2乗 x + y + z とは符号が反対である事に起因する。
特殊相対性理論の基礎
特殊相対性理論
5,190
689
88,271,183
ニュートン力学では、3次元空間のガリレイ変換に対して不変になるように理論が構築されている。それに対し特殊相対性理論では、4次元時空間のローレンツ変換に対して不変になるように理論を構築する必要があるので、ニュートン力学の概念をそのまま用いることはできない。本節では、ニュートン力学の諸概念を「4次元化」し、それがローレンツ変換(と平行移動)に対して不変になることを示すことで特殊相対性理論における力学を構築する。以下、記法を簡単にするため、4元ベクトルの成分を( x 0 , x 1 , x 2 , x 3 ) := ( c t , x , y , z ) {\displaystyle (x^{0},x^{1},x^{2},x^{3}):=(ct,x,y,z)}などと書くことにする。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,191
689
88,271,183
光速を超えないで運動する質点 x→ の世界線を x→ = x→(τ) と秒を単位とした固有時 τ でパラメトライズする。このとき、質点 x→ の4元運動量をと定義する。ここで m は質点 x→ の慣性座標における質量(静止質量と呼ぶ)である。すなわち、4元運動量は、4元速度に静止質量を掛けたものである。4元運動量の物理学的意味を見るため、慣性座標系 (x, x, x, x) を固定し、p→ をこの座標系に関して p→ = (p, p, p, p) と成分表示する。i = 1, 2, 3 に対し、4元運動量の定義より、である。ここで v = (v, v, v) はこの慣性座標系における質点の速度ベクトルであり、v = |v|である。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,192
689
88,271,183
v / c → 0 の極限において p は mv に漸近するので、4元運動量の空間部分 (p, p, p) はニュートン力学の運動量 (mv, mv, mv) をローレンツ変換で不変にしたものであるとみなす事ができる。また、(p, p, p) は質点の「見かけ上の重さ」がである場合の運動量とみなすこともできる。4元運動量の時間成分 p に c を掛けたものをテイラー展開すると、第二項はニュートン力学における運動エネルギーであるので cp はエネルギーに相当していると考えられる。E := m c 2 {\displaystyle E:=mc^{2}}もエネルギーを表していると解釈できる。この値は質点が例え慣性系に対して静止していて v = 0 であっても持つエネルギーであることから、この値を質点の静止質量エネルギーと呼ぶ。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,193
689
88,271,183
また、質量欠損や核反応・対消滅から、質量を持つ物質は mc2 のエネルギーを持つことが確かめられている。4元運動量のミンコフスキー・ノルムはである。一方、慣性座標系を1つ固定して4元運動量を成分表示したとき、前に示したように、E = cp はエネルギーを表し、p = (p, p, p) は運動量に対応していた。運動量の大きさを p = |p| とすると、E と p は以下の関係式を満たす:左辺は慣性系によらないので、E − (cp) は慣性系によらず一定値 (mc) になることを意味する。p ≪ mc であれば上の式はとなり、静止質量エネルギー mc を無視すれば、p / 2m が質点の運動エネルギーに相当するというニュートン力学の式に対応していることがわかる。光速で移動する有限のエネルギーを持った粒子を考える。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,194
689
88,271,183
この時、mγc2 の γ が無限大に発散してしまうので、m = 0 でなければならない。この逆も成立するため、質量を持たずに有限のエネルギーを持つ物質は常に光速で走り続けねばならず、また光速で移動するエネルギーを持つ物質はすべて質量が0であることが分かる。特殊相対性理論以前の電磁気学において、J.J.トムソンやワルター・カウフマン(英語版)によって電子の質量の速さ依存性が指摘されていた。それを説明する理論としてマックス・アブラハムは、電子の慣性質量の起源を全て電磁場に求めるという電磁質量概念 (Electromagnetic mass) を提唱したが、電子以外の物質の構成要素に対して一般化することができなかった。一方、特殊相対性理論はその物質の質量の速さ依存性についての一般的な説明と慣性質量とエネルギーに関する普遍的な関係を与える。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,195
689
88,271,183
すでに運動量の概念を4元ベクトル化したので、力の概念を4元ベクトル化した4元力 f→ が定義できれば、 ニュートンによる質点の運動方程式 f = dp / dt をローレンツ変換に不変にした特殊相対性理論の運動方程式現在知られている4種類の力のうち、電磁気力、強い力、弱い力の3つは4元力として表現可能な事が知られている。このうち電磁気力を4元力として表現する方法は後の節で述べる。一方、重力は特殊相対性理論の範囲で4元ベクトル化しようとしてもローレンツ変換に対して不変にならないためうまくいかない。重力を扱うには一般相対性理論が必要となる。
特殊相対性理論における力学
特殊相対性理論
5,196
689
88,271,183
以下では話を簡単にするため時間1次元+空間1次元の計2次元の場合について述べる。ある慣性系 (ct′, x′) において静止している剛体について、この慣性系 (ct′, x′) で測った剛体の長さをこの剛体の固有長さと呼ぶ。今、固有長さ l の棒が慣性系 (ct′, x′) に対して静止しており、これを別の慣性系 (ct, x) から眺めたとする。話を簡単にするため、2つの慣性系の原点はいずれも棒の1つの端点 O に一致しているものとする。棒は慣性系 (ct′, x′) に対して静止しているので、棒の他方の端点が描く世界線 C は (ct′, l) と t′ でパラメトライズできる。慣性系 (ct, x) における現在 (0, x) と世界線 C との交わりはローレンツ変換によりx = l / γ {\displaystyle x=l/\gamma }となる。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,197
689
88,271,183
ここで γ > 1 はローレンツ因子 1/√1 − (v/c) である。これにしたがうと、棒に対して長さ方向に運動している座標系からみると、棒の長さは 1/γ 倍に縮んだかのように見える。この現象を ローレンツ収縮もしくはフィッツジェラルド=ローレンツ収縮という。具体例をあげると、高速で飛んでいるロケットは停まっているときより短く見える。ロケットの後端を基準にしたとき、先端へいくにつれロケット側と観測者側との時刻のずれが大きくなる。ロケット側からすれば新しい時刻・位置の後端と、古い時刻・位置の先端が、観測者側には同時に見える。※進行方向にのみ収縮する。※実際にはロケットから観測者までの光の到達具合によってさらに歪んだ見え方となりうる。ローレンツ収縮は、アインシュタインが特殊相対性理論を提案する以前に、ローレンツとフィッツジェラルドが独立に提案したものである。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,198
689
88,271,183
彼らの提案は数式上は特殊相対性理論のそれと同一であるが、彼らの理論はエーテル仮説を前提としており、物体は「エーテルの風」を受けて3次元空間内で実際に縮むとするものであった。それに対し特殊相対性理論では、ローレンツ収縮を4次元時空間において解釈したものであり、前述のように慣性系によって測っている場所が違う事が収縮の起こる原因である。運動する観測者 A があり、A とは別の観測者 B が慣性運動し、A 側の座標系 (ct, x, y, z) にて B の位置が、というローレンツ変換について不変な量 s をとり、A側の固有時刻を τ = s / c とする。d τ d t = 1 − ( v / c ) 2 {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} \tau }{\mathrm {d} t}}={\sqrt {1-(v/c)^{2}}}}である。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,199
689
88,271,183
右辺はローレンツ因子 γ の逆数である。これを観測者 A の世界線 C に沿って積分するとT = ∫ C 1 − ( v ( t ) / c ) 2 d t {\displaystyle T=\int _{\mathrm {C} }{\sqrt {1-(v(t)/c)^{2}}}\mathrm {d} t}により、A 側の固有時間 T が得られる。ここで v(t) は時刻 t における A と B の相対速度である。v < c ゆえ、積分内は常に1未満であり、慣性系B側の時間 T′ との関係は次式となる:T < T ′ . {\displaystyle T<T'.}これはすなわち、ある慣性系でみたときの時間は固有時間よりも長い事を意味する。特に観測者 A も慣性運動しているときは、相対速度 v は常に一定であり、次式となる:T = T ′ 1 − ( v / c ) 2 .
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,200
689
88,271,183
{\displaystyle T=T'{\sqrt {1-(v/c)^{2}}}.}観測者 A、B が慣性運動しており、さらに質点 C が運動しているとする(慣性運動とは限らない)。観測者 A の座標系を (ct, x, y, z) とし、観測者 B の座標系を (ct′, x′, y′, z′) とし、A から見た B の相対速度の大きさを V とし、をローレンツ因子とする。必要ならミンコフスキー空間の原点を取り替えることで C は原点を通っているとしてよく、さらに C の運動方向は y軸、z軸と直交しているとし、y'軸、z'軸がy軸、z軸と一致しているとしても一般性を失わない。観測者 A、B から見た C の速度をそれぞれ (vx,vy,vz)、(v′x,v′y,v′z) とするとき、B の座標系から A の座標系への速度変換則は、ローレンツ変換の(L4)式より以下のようになる:
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,201
689
88,271,183
本節では、質点の速度が光速を越えない限り、特殊相対性理論においても因果律が成り立つことを示す。以下、特に断りがない限り、質点、観測者の双方とも光速度以下であるものとする。x→, y→ をミンコフスキー空間上の2つの世界点とする。y→ − x→ が未来の光円錐の内部にあるとき、x→ は y→ の因果的過去 (causally precede) といい、x→ < y→ と書く。同様に y→ − x→ が未来の光円錐の内部もしくは未来の光円錐上にあるとき、x→ は y→ の年代的過去 (chronologically precede) といい、x→ ≦ y→ と書く。因果的過去は以下のように特長づけられる:ミンコフスキー空間上の点 x→ にある質点が光速未満(resp. 以下)で y→ に到達できる ⇔ x→ < y→ (resp. x→ ≦ y→)。よって特に以下が成立する:
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,202
689
88,271,183
x→ ≦ y→ かつ y→ ≦ z→ ⇒ x→ ≦ z→。従って「≦」は数学的な(半)順序の公理を満たす。以下の事実は、質点の速度が光速を越えない限り座標系の取り替えで因果律が破綻しない事を意味している:x→ ≦ y→ かつ x→ ≠ y→ ⇔ 全ての慣性座標系で、y→ は x→ より時間的に後に起こる。実際、どのような慣性座標系を選んでも、その時間軸 e→0 は未来の光円錐内または未来の光円錐上にあるので、x→ ≦ y→ であれば、x→ から y→ までに流れる時間 η(y→ - x→, e→0) は正である。一方、x→ ≦ y→ でも y→ ≦ x→ でもないとき、すなわち y→ − x→ が空間的なときはこのような関係は成り立たない。y→ − x→ が空間的なとき、以下の3種類の慣性座標系が存在する:
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,203
689
88,271,183
つまり空間的な関係にある2点 x→、y→ の時間的な順序関係は慣性系に依存してしまう。これはニュートン力学的な直観に反するが、x→ と y→ には因果関係がないので、どちらが先に起ころうとも因果律が破綻することはない。今、ここに一組の双子がおり、二人は慣性運動しながら次第に離れているとする。このとき兄から見ると、弟の時計は遅れてみえ、逆に弟から見ると兄の時計は遅れてみえる事が特殊相対性理論から帰結される。これは一見奇妙に見えるため、時計のパラドックスと呼ばれることもあるが、実は特に矛盾している訳ではない。なぜなら慣性運動している二人は二度と出会うことがないので、もう一度再会してどちらの時計が遅れているのかを確認するすべはないからである。では次の状況はどうだろうか。やはり一組の双子がいて、弟は慣性運動している。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,204
689
88,271,183
一方、兄はロケットに乗って遠方まで行き、その後ロケットで弟のもとに帰ってきたとする。前述のように弟からみれば兄の時計は遅れるはずで、兄の時計からみれば弟の時計は遅れるはずなので、ふたりが再会したときに矛盾が生じるはずである。結論からいえば、特殊相対性理論から示されるのは、ロケットに乗った兄より慣性運動していた弟の方が再会時に時計が進んでいるという事である。すなわち再会時に兄が弟よりも若い。なぜならミンコフスキー空間上で、兄がロケットで飛び立ったときの世界点を x→ とし、兄が再び弟に再会したときの世界点を y→ とすると、x→ と y→ を結ぶ世界線のうち最も固有時間が長くなるのは慣性運動する世界線であることをすでに示したからである。従って慣性運動していた弟はロケットに乗った兄より多くの固有時間を費やした事になるのである。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,205
689
88,271,183
では逆に弟のほうが兄より若くなったとする主張のどこが間違っていたのかというと、我々が時間の縮みの公式を導いたとき、慣性系である事を仮定していたのであるが、兄の座標系はロケットが行きと帰りで向きを変える際加速度運動しているので慣性系ではない。従って兄の座標系に対して単純に時間の縮みの公式を適応したのが間違いだったのである。今、長さ l のハシゴ と奥行き L < l のガレージがあるとし、ハシゴは高速でガレージに近づいてきたとする。ガレージが静止して見える慣性系から見ると、ハシゴがローレンツ収縮するので、ハシゴはガレージに入ってしまう。一方、ハシゴが静止して見える慣性系からみると、逆にガレージの方がローレンツ収縮してしまうので、ハシゴはガレージに入らないはずである。正しいのはどちらであろうか。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,206
689
88,271,183
結論からいうと、どちらも正しく、ガレージの系から見た場合は、ハシゴはガレージに入るように見え、ハシゴの系から見るとハシゴはガレージに入らないように見える。すなわち、ハシゴの前端と後端に関する事象を区別して述べれば、ガレージの静止系ではハシゴの後端がガレージに入りきった後、ハシゴの前端がガレージの裏の壁にぶつかるのに対し、ハシゴの静止系ではハシゴがガレージに入り切らず、ハシゴの後端がガレージに入る前にハシゴの前端がガレージの裏壁にぶつかる。ハシゴの前端がガレージの裏壁にぶつかる事象とハシゴの後端がガレージに入りきる事象には因果関係がないので、どちらが先に起こるのかは慣性系によって変化するのである。
特殊相対性理論の帰結
特殊相対性理論
5,207
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先に進む前に、特殊相対性理論で頻繁に用いられるテンソル代数の知識について述べる。特殊相対性理論では、のように上つきと下つきで同じ添え字(この場合は μ)が使われているときは、Σ 記号を省略し、と書き表す慣用的な記法が用いられることが多い。この記法をアインシュタインの縮約記法という。この縮約記法は行列の積や3項以上の場合にも同様に用いられ、例えば一方、たとえ2箇所の添え字が共通していても、のように添え字が両方下つき、もしくは両方上つきの場合は Σ を省略しない。(V, η) を4次元ミンコフスキー空間とし、e→0, e→1, e→2, e→3 を (V, η) 上の(正規直交とは限らない)基底とする。このとき、以下の性質を満たす V の基底 e→, e→, e→, e→ が一意に存在する事が知られており、この基底を e→0, e→1, e→2, e→3 の双対基底という:
テンソル代数の準備
特殊相対性理論
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ここで δ μ ν {\displaystyle \delta ^{\mu }{}_{\nu }} はクロネッカーのデルタである。正規直交基底の場合は双対基底は非常に簡単に書くことができる:上でも分かるように、双対基底は元の基底と空間方向の向きが反対である。本項では正規直交の場合にしか双対基底の概念を用いないが、一般相対性理論を定式化する際には一般の基底に対する相対基底が必要となる為、以下基底は正規直交とは限らない場合について述べる。双対基底はミンコフスキー計量の成分表示を使って具体的に求めることができる。とするとき、(ημν)μν の逆行列を ((η))μν とすれば、双対基底の定義から、次が成立する:e→0, e→1, e→2, e→3 の双対基底の双対基底は e→0, e→1, e→2, e→3 自身である。
テンソル代数の準備
特殊相対性理論