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736
88,069,468
高校時代に、萩尾望都やガロ系の漫画を読み、漫画家を志望する。多摩美術大学在学中、漫画研究会でしりあがり寿、祖父江慎、しゅりんぷ小林らと知り合う。1981年風雅名義にて、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に「ふぉ~てぃん」が掲載されデビュー。しかしその後は作品が雑誌に掲載されることはなく、しりあがりらと多摩美OB何名かで同人誌を刊行したところ、他の漫画家の作品と間違われて編集者に評価され、本人はまったく描いたことがなかったギャグ4コマを描き、『ビッグコミックスピリッツ』増刊号に読み切り作品「大人は分かってくれない」で再デビューする。翌1987年より『週刊ヤングサンデー』(小学館)にて4コマ漫画『傷だらけの天使たち』を連載。一躍人気ギャグ漫画家となる(後にジャパンホームビデオよりアニメ化18話+実写化13話から成るビデオが発売される)。
来歴
喜国雅彦
5,410
736
88,069,468
1980年代末から1990年代初頭にかけて、『別冊近代麻雀』(竹書房)にて名作漫画をパロディにした麻雀漫画を多数発表。これもまた評判を呼び、『mahjong まんが王』『mahjong まんが大王』として出版された。1989年にみうらじゅんなどと組んだバンド大島渚で、ベーシストとしてイカすバンド天国(TBS)に出場。その後、同バンドによる「カリフォルニアの青いバカ」でベストソング賞を受賞する。1990年に竹書房から月刊誌風の単行本『YOUNGキクニ』が発売されて話題となった。1994年に初の非ギャグ作品である『月光の囁き』が連載開始に。この作品は1999年に塩田明彦監督により実写映画化された。以降、現在までギャグ漫画を中心に活動。近年は探偵小説の古書収集の趣味を生かしたマニアなエッセイも手がける。
来歴
喜国雅彦
5,411
736
88,069,468
その趣味もあってか、新本格派ミステリー作家に友人が多く、本格ミステリ作家クラブ及び日本推理作家協会の会員でもある。綾辻行人、竹本健治、我孫子武丸など、ミステリ作品の装画や挿絵を多数手がけている。
来歴
喜国雅彦
5,412
737
87,158,728
北崎 拓(きたざき たく、本名同じ、1966年7月27日 - )は、日本の漫画家。兵庫県芦屋市出身。男性。血液型はAB型。
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北崎拓
5,413
737
87,158,728
漫画家としてデビューする前は、「北崎ひろみ」「北崎拓美」のペンネームで、『月刊ホビージャパン』『模型情報』の読者投稿欄にイラストを投稿していた。
人物
北崎拓
5,414
738
88,581,862
衣谷 遊(きぬたに ゆう、本名:池本裕治、1962年 - )は、日本の漫画家。愛媛県北宇和郡松野町出身。
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衣谷遊
5,417
743
77,392,514
くじらい いく子(くじらい いくこ、1958年3月20日 - )は、日本の漫画家。東京都新宿区出身。女性。青年漫画誌を中心に作品を発表している。中学のときから漫画を描き始める。その後、OLとして会社に勤めていたが、1978年『タナーのねこのたなた』(『ちゃお』)でデビュー。ペンネームは漢字だったが、雑誌掲載時にひらがなにされていたという。
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くじらいいく子
5,418
744
87,700,108
楠 桂(くすのき けい、本名:大橋真弓、1966年3月24日 - )は、日本の漫画家。女性。愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)出身・在住。同じく漫画家の大橋薫とは一卵性双生児の姉妹で、自身はその妹。代表作に『八神くんの家庭の事情』、『鬼切丸』など。小学3年生の頃より漫画を描き始め、中学3年生の頃よりペンを使いはじめる。1981年に15歳で集英社の第14回りぼん新人漫画賞で準入選を受賞する。その後「何かが彼女にとりついた?」でデビュー。既婚で娘と息子がいる。
__LEAD__
楠桂
5,419
747
85,049,027
紅林 直(くればやし なお、1971年11月18日 - )は日本の漫画家。男性。静岡県出身。妻は漫画家の仙道ますみ。公益社団法人日本漫画家協会所属。『週刊少年サンデー』(小学館)でデビュー。代表作の『嬢王』は2005年、続編『嬢王Virgin』も2009年にテレビドラマ化されている。
__LEAD__
紅林直
5,420
747
85,049,027
2016年7月公開の短編映画『風のように』のトークイベントが、同月に東京都の下北沢トリウッドにて開催。イベントで紅林も登壇し、トークを行った。2019年6月4日、実写映画『アルキメデスの大戦』を上映する「漫画家特別試写会」が開催。原作者の三田紀房が漫画家仲間を試写に案内し、紅林も参加。
活動
紅林直
5,421
748
77,979,656
黒岩 よしひろ(くろいわ よしひろ、1962年9月9日 - 2018年5月8日)は、日本の漫画家。長野県上水内郡信州新町(現・長野市)出身、血液型O型。代表作に『鬼神童子ZENKI』(谷菊秀原作)など。
__LEAD__
黒岩よしひろ
5,422
748
77,979,656
桂正和の下でアシスタントを務めながら自身の作品を投稿し、1983年に『ビューティビースト』で第26回手塚賞佳作、『舞子ミステリアス』でフレッシュジャンプ賞入選を受賞。『週刊少年ジャンプ』(集英社)でデビューを果たす。作風や絵柄については桂の他、永井豪などの影響を受けている事を単行本の後書きなどで自ら語っている。テーマとしてはオカルト物、演出的には特撮的なテイストが入っている作品が多い。後に『ジャンプ』専属を離れて児童漫画から成年コミックまで幅広いジャンルを手がけるようになる。2018年5月8日、心筋梗塞のため死去。55歳没。同月16日にブログにおいて黒岩の妻から公表された。
略歴
黒岩よしひろ
5,423
751
83,018,809
現代 洋子(げんだい ようこ、1964年11月3日 - )は、日本の漫画家。三重県四日市市出身。
__LEAD__
現代洋子
5,424
751
83,018,809
三重県立四日市南高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。在学中は早稲田大学漫画研究会に所属。元々は漫画家希望ではなく、一条ゆかりに会えるという子供の頃からの夢もあり、雑誌編集者希望で、大学時代に1年間『漫画サンデー』編集部でアルバイトをしていた。編集者になるためにアピールするという目的で漫画を描いて投稿したところ、デビューが決まってしまったとインタビューで答えている。ペンネームの由来は投稿時、ペンネームを決める際に、そばに就職活動で希望であった出版社の受験向けに勉強していた際に利用していた、現代用語の基礎知識という本があったことからとされる。1986年集英社「オールマーガレット新人まんが大賞」にて、準グランプリを受賞。同年、『ザ・マーガレット』で『19 1/2(ナインティーン・ハーフ)』でデビュー。
概要
現代洋子
5,425
751
83,018,809
集英社の女性向け漫画雑誌での連載が多いが、『コーラス』で「ともだちなんにんなくすかな♪」を連載していた際、小学館の編集者八巻和弘の誘いにより、男性向け漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』に、著名人のインタビューを漫画にした「おごってジャンケン隊」を連載したことで、男性にも有名になった。1998年「ともだちなんにんなくすかな♪」を通じて知り合った夫と結婚。現在、二女の母。夫の従妹が声優の倖月美和で、結婚式では司会を務めたとのこと。けらえいこは大学の先輩に当たる。中日ドラゴンズ、水戸泉の大ファン。容姿が光浦靖子に似ており、かつて「おごってジャンケン隊」に光浦がゲストでやってきた際には、光浦から借りた眼鏡をかけた現代の写真が掲載され、そのそっくり度合いがアピールされたこともある。
概要
現代洋子
5,426
752
84,341,975
郷田 マモラ(ごうだ マモラ、本名:上之郷 守(かみのごう まもる)、1962年 - )は、日本の漫画家である。
__LEAD__
郷田マモラ
5,427
752
84,341,975
三重県伊勢市出身、東京都在住。血液型B型。大阪総合デザイン専門学校でグラフィックデザインを学び、卒業。フリーのイラストレーターとして活動した後、1993年に『虎の子がゆく!』がちばてつや賞一般部門大賞を受賞、『花の咲く庭』がミスターマガジンの新人漫画賞入選を受賞し、二誌同時デビューとなった。1998年、女性監察医の活躍を描いた『きらきらひかる』がフジテレビ系にて深津絵里主演によりドラマ化。2005年、『MAKOTO』が君塚良一監督、松竹配給のもと映画化。2007年には拘置所の新人刑務官と死刑囚の友情を描いた『モリのアサガオ』で、平成19年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。2008年、生野慈朗監督、ギャガ・コミュニケーションズ配給による映画化されたのに続き、2010年にはテレビ東京系にて伊藤淳史主演・テレパック制作によりドラマ化される。
略歴
郷田マモラ
5,428
752
84,341,975
2013年4月から5月にかけて、自身の事務所で女性アシスタントに陰茎を手淫させるなどの猥褻な行為をしたり、野球の硬球を投げつけ、突き飛ばして後頭部を蹴るなどの暴行をしたとして、強制猥褻や傷害により6月5日に逮捕された。8月27日、東京地裁立川支部により懲役3年・執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。判決直後は被害者への謝罪と、今後はペンネームを変えてやり直すとしていたが、判決が公告された翌年、原作者として『ニコラオスの嘲笑 警部補・森村つぐみ』を週刊女性8/26号より連載を開始し、わずか1年と経たない内に前言を撤回する行動をとった。2017年よりcomicoにて原作者として『「卒業」ぼくらと、ことりの物語』を連載するが2018年7月9日を以て連載終了となり、2018年より『[poor] (プア)ゼラニウムの誘惑』を連載、2021年完結。
略歴
郷田マモラ
5,429
752
84,341,975
2021年、『モリのアサガオ2』が執筆され、『モリのアサガオ』の続編として描かれている。
略歴
郷田マモラ
5,430
752
84,341,975
趣味は音楽鑑賞。好きなアーティストにさねよしいさ子、モーツァルト、スコット・ジョプリンを挙げている。スポーツ観戦も趣味。いとこにドールハウス作家の工藤和代がいる。
人物
郷田マモラ
5,431
752
84,341,975
物語は大阪の町を舞台に展開し、大半の人物のセリフは関西弁となっている。作中に登場する「根古田区」は架空の町。作画には穂先が1cmの面相筆を使用している。
特徴
郷田マモラ
5,432
754
85,017,445
コージィ 城倉(コージィ じょうくら、1963年 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。長野県出身。初期のペンネームはコージィ♡城倉(『おれはキャプテン』開始時に♡を外す)。漫画原作者としてのペンネームは森高 夕次(もりたか ゆうじ)。
__LEAD__
コージィ城倉
5,433
754
85,017,445
長野県赤穂高等学校卒業後、デザイン系専門学校に2年間通う。卒業後はグラフィックデザイナーとして働くが、勤務先の経営不振に危機感を感じて出版各社へ漫画を持ち込み、25歳でスピリッツ賞の佳作となる。1989年に『男と女のおかしなストーリー』で漫画家となり、2021年現在、グランドジャンプにて『 プレイボール2』を、グランドジャンプむちゃにて『キャプテン2』を連載中である。代表作に『砂漠の野球部』『おれはキャプテン』『ももえのひっぷ』、漫画原作の代表作に『グラゼニ』、『おさなづま』などがある。東京ヤクルトスワローズのファンで、TBSラジオとヤクルト戦中継が多いニッポン放送を聴いており、『鶴光の噂のゴールデンアワー』のアシスタントだった田中美和子の大ファンで、2013年9月15日の『ニッポン放送ショウアップナイター』にゲスト出演して神宮球場で田中と対面した。
経歴・人物
コージィ城倉
5,434
754
85,017,445
『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)2007年第34号において、森高夕次名義でイラストを描いている。
備考
コージィ城倉
5,435
756
88,395,963
こした てつひろ(1965年3月8日 - )は、日本の漫画家。岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里出身、埼玉県蓮田市在住。1985年、『週刊少年サンデー増刊号』(小学館)誌上にて、『拝啓サラダボーイ』でデビュー。少年誌から児童誌へ活動の場を移し、『炎の闘球児 ドッジ弾平』で第37回(平成3年度)小学館漫画賞受賞。代表作は『炎の闘球児 ドッジ弾平』、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』など。『ドッジ弾平』でドッジボールブームを、『レッツ&ゴー』でミニ四駆ブームを起こすなど、特に1990年代に第一線で活躍した漫画家である。
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こしたてつひろ
5,436
757
84,125,266
こせき こうじ(1959年2月5日 - )は、日本の漫画家。千葉県八街市出身。1978年、『ああ一郎』が第16回手塚賞準入選(同期受賞者に門馬もとき)、1980年より同作品でデビュー。代表作に『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』、『県立海空高校野球部員山下たろーくん』など。
__LEAD__
こせきこうじ
5,437
758
88,848,105
小谷 憲一(こたに けんいち、1954年2月10日 - )は、日本の漫画家。京都府宮津市出身。血液型はAB型。
__LEAD__
小谷憲一
5,438
758
88,848,105
京都府宮津市に生まれる。小学生の頃までは漫画らしい絵を描く程度で、中学・高校の頃も漫画を時々読む程度であり、漫画執筆とはおよそ縁の遠い少年時代だった。高校卒業後、絵を描くことが好きだったことから京都市のデザインスタジオに就職する。しかし講師の指導内容に納得が行かず、従わない事がしばしばあった。結果、19歳の時に講師と喧嘩になり「東京へ行って勉強して来い」と言われ、スタジオを追い出される。追い出された当初は漫画の道に進む事も考えていたが、親の反対と親戚が清水焼の職人をしていた事もあって、一時は陶芸の道に進む。しかしどうしてもデザイン(描く仕事)がしたかった小谷は、全財産の8万円を持って東京へ飛び出す。親の支援も無く、背水の陣の思いの中での決意だった。東京に出てきた当初は、銀座のクラブで働きながら漫画を描き、時に投稿などを行うという生活を送っていた。
経歴
小谷憲一
5,439
758
88,848,105
そんな生活を送る中、22歳の時に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に掲載されていた手塚プロダクションのアシスタント募集の広告を目にし応募、採用されアシスタントの一員となる。手塚プロには1年ほど在籍しており、小谷にとって実り多い時期であったが、「自分の目指す絵の方向性と異なるのではないか」という考えと、「保障された生活では甘えが出るため自分を追い込みたい」との考えにより手塚プロを離れ、再び銀座のクラブで働きながら、他の漫画家のアシスタントや漫画の投稿などを行う生活に戻る。編集者との縁もあって、23歳の時、『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年20号に読切作品「山犬狩り」が掲載されデビュー。
経歴
小谷憲一
5,440
758
88,848,105
翌1978年には『週刊少年ジャンプ』37号に読切作品「黒獅子魂」を掲載し、同年同誌43号から1979年2号まで掲載された『渡り教師』(原作:高山芳紀)での連載デビューを経て、『週刊少年ジャンプ』1979年31号より代表作『テニスボーイ』(原作:寺島優)の連載を始める。以後、『週刊少年ジャンプ』や『月刊少年ジャンプ』、『スーパージャンプ』等の集英社の漫画雑誌を中心に執筆活動を続けている。
経歴
小谷憲一
5,441
759
84,802,014
小手川 ゆあ(こてがわ ゆあ、1月12日 - )は、日本の女性漫画家である。大分県出身、熊本県熊本市育ち。血液型はO型。代表作に『おっとり捜査』、『死刑囚042』、『ARCANA』など。
__LEAD__
小手川ゆあ
5,442
759
84,802,014
1995年、「週刊ヤングジャンプ増刊・漫革」9/5号に『おっとり捜査』を初掲載。その後何回かの読み切りを掲載した後、1996年の「週刊ヤングジャンプ」33号にて連載開始。「漫革」1997年9/26号より増刊不定期連載へ移行し、「別冊ヤングジャンプ」2000年8/15号にて最終回を迎える。同年「月刊少年エース」9月号で『Anne・Freaks』を連載開始。また、同時期に「週刊ヤングジャンプ」にて月イチ連載として『ARCANA』を連載開始。その後、2002年から「週刊ヤングジャンプ」にて『死刑囚042』を単発的に連載し、2004年に完結する。2007年には歌人・枡野浩一の小説が原作の『ショートソング』を「スーパージャンプ」にて連載。2009年から2013年にかけて「スーパージャンプ」、後「グランドジャンプPREMIUM」にて『君のナイフ』を連載。
来歴
小手川ゆあ
5,443
759
84,802,014
デビュー作である『おっとり捜査』は今も根強い人気を誇る。また『死刑囚042』は死刑囚を通じて生と死を描いた彼女の新たな代表作となった。漫画家の仙道ますみ、竹田エリと交友がある。竹田エリには『おっとり捜査』や『ARCANA』の巻末に四コマ漫画を描いてもらっている。
来歴
小手川ゆあ
5,444
761
87,555,245
小林 まこと(こばやし まこと、1958年〈昭和33年〉5月13日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。本名:小林誠。主に講談社の漫画雑誌にて執筆。プロレス、格闘技好きで知られる。歌手の小林幸子と親戚である。
__LEAD__
小林まこと
5,445
761
87,555,245
郷里では小ん林(こんばやし)と呼ばれる。小学生の頃から漫画を200ページほどペン入れしていたが、楳図かずおの影響が濃い少女漫画風恐怖漫画ばかりだった。作品タイトルには野山の遊び相手の一人であるヘビの名ばかりを使い、作品の主題歌まで作っていた。黒埼町立(現:新潟市立)黒埼中学校時代も続けてヘビの名を使った作品を描き、その作品で『りぼん』の新人賞に応募して努力賞に入賞、その賞金5千円で学生服を買う。新潟県立新潟商業高等学校時代は柔道部に入り、その経験が『格闘三兄弟』『柔道部物語』など後の作品に生きた。柔道を続けながら、やはりヘビの名を使った144ページの怪奇物の大作『シロマダラ』を描き、高校2年生の時小学館に持ち込む。この作品はプロデビュー後に編集者の栗原良幸に見込まれ、描き直しの上「月刊少年マガジン」で大々的に連載したが、無理なスケジュールが祟って中断となった。高校卒業後、上京する。
経歴
小林まこと
5,446
761
87,555,245
望月三起也に頭を下げてアシスタントにしてもらうも、本人曰く「きつい」とのことで2ヶ月で退職した。漫画以外のアルバイトを1ヶ月続けては、きつくて辞めるを繰り返す。この間に描きあげた怪奇物の作品で各誌に持ち込みを行うもどこからも採用されず、ついに小学生時代から描き続けてきた恐怖漫画を断念する。そこで開き直って、音楽バンドをテーマにしたコメディ漫画『格闘三兄弟』を、子供の頃から好きだった「週刊少年マガジン」に持ち込むと、編集者の工富保にそのキャラクターを見込まれる。そして、工富に話した「高校時代、柔道部の試合でブレーンバスターをかけられて負けた」という実体験をヒントに、格闘技をテーマにして新たに描き直した『格闘三兄弟』で第20回週刊少年マガジン新人漫画賞に応募する。
経歴
小林まこと
5,447
761
87,555,245
この時の「週刊少年マガジン」は創刊1000号記念で、賞金が普段の30万円から、100万円+ステレオセットというビッグプライズになっていた。当初小野新二が有利と見られていたが、小林の応募で受賞者選びは難航した。最後は決選投票で小林の入選(1位)が決まり、1978年に同誌でデビューを果たした。『格闘三兄弟』掲載後、引き続き同誌でこの作品の主要キャラクター達を登場人物とした『1・2の三四郎』の連載を始める。この作品で、1982年に第5回講談社漫画賞少年部門を、『週刊少年マガジン』連載の漫画家としては史上最年少の23歳で受賞した。1995年には、市川徹監督、佐竹雅昭主演により映画化されている。『What's Michael?』は、アニメ化・CM・テレビドラマ化されるだけでなく、日本国外にも輸出されるほどのヒット作となり、1987年に第10回講談社漫画賞一般部門を受賞した。
経歴
小林まこと
5,448
761
87,555,245
体力的な問題で一時期漫画家を引退していたが、『JJM 女子柔道部物語』の執筆のために復帰した。
経歴
小林まこと
5,449
762
87,742,596
小山 ゆう(こやま ゆう、本名:大竹 由次(おおたけ よしじ)、男性、1948年2月20日 - )は、日本の漫画家。静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市)出身。
__LEAD__
小山ゆう
5,450
762
87,742,596
代表作は『がんばれ元気』『お〜い!竜馬』『あずみ』など。『がんばれ元気』『おれは直角』『お〜い!竜馬』はテレビアニメ化され、『あずみ』は上戸彩主演で映画化された。ペンネームの「小山ゆう」は、恩人である小池一夫の「小」、友人の山本又一朗の「山」、そして自身の本名である由次(よしじ)の「ゆう」を組み合わせたものである。
概要
小山ゆう
5,451
762
87,742,596
静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市)で専業農家の長男として出生。静岡県立島田商業高等学校卒業後、作曲家を目指して上京した。上京まで漫画はほとんど読まず、興味も薄かったという。上京後、新聞広告で見て入ったアニメ制作会社のテレビ動画株式会社でアニメーターのアルバイトを1年ほどする。休憩時間中にさいとう・たかをの『無用ノ牙』の模写をしていたのがきっかけで、1968年にさいとう主宰の「さいとう・プロダクション」を紹介され。アシスタントとして漫画の世界へ入り、漫画家を目指す決意をする。3年半後、さいとうプロの友人だった山本又一朗とやまさき拓味と3人でオリオンプロを設立し、キャラクター商品のデザインや挿絵やカットの仕事を請け負うも1年半で廃業。1971年、漫画の仕事をするため、先にさいとうプロを独立していた小池一夫のスタジオシップ(現・小池書院)へ3人で移籍した。
略歴
小山ゆう
5,452
762
87,742,596
1973年、『週刊少年サンデー』に掲載の『おれは直角』でデビュー。ペーソス溢れる作中のギャグ調の描写で人気作となる。同作連載終了後の1976年にスタジオシップを退社。1976年から『週刊少年サンデー』誌上で連載開始した、ボクシング漫画『がんばれ元気』では一転してギャグを使わず、少年の成長物語を描いた。同作は5年間の長期連載作となり、1977年には第22回小学館漫画賞少年少女部門を受賞。そして、1980年に自身初のテレビアニメ化作品になった。この頃、『週刊少年ジャンプ』の西村繁男編集長や本宮ひろ志に見込まれ、手塚賞の審査員を務めたが、引き抜きには応じなかった。
略歴
小山ゆう
5,453
762
87,742,596
1980年代はディストピアSF漫画『愛がゆく』、スピリチュアル陸上漫画『スプリンター』、青春ファンタジー漫画『チェンジ』などで異彩を放っていたが、『少年ビッグコミック』が青年漫画誌『ヤングサンデー』へリニューアルし、久々に『週刊少年サンデー』で連載した『少年』が不可解な打ち切りになるなど、少年漫画誌の地殻変動を受けたこともあり、1990年代に入ると『ビッグコミック』系の青年漫画誌へホームグラウンドを移していく。1986年から1996年にかけて、大好きだという坂本龍馬を主人公とした『お〜い!竜馬』を武田鉄矢を原作担当に迎えて連載。1991年には『おれは直角』が、1992年には『お〜い!竜馬』がそれぞれテレビアニメ化された。1994年から『ビッグコミックスペリオール』誌上で連載開始した『あずみ』は、長年の念願だったというチャンバラの時代劇漫画だった。
略歴
小山ゆう
5,454
762
87,742,596
同作で1998年に、第43回小学館漫画賞青年一般部門と第1回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。さらに2003年と2005年には旧友の山本又一朗のプロデュースにより映画化されるなど、続編も含めてシリーズ合計66巻の大長編となった。
略歴
小山ゆう
5,455
763
83,840,632
近藤 和久(こんどう かずひさ、1959年4月2日 - )は、日本の漫画家。愛知県豊田市出身。男性。
__LEAD__
近藤和久
5,456
763
83,840,632
1983年、講談社の第8回ちばてつや賞ヤング部門で佳作賞を受賞。翌1984年にSF作品『THE マシーン』(雑誌未掲載)でコミックボンボン新人賞の大賞を受賞後、ホラー漫画『血を吸うマンション』(コミックボンボン1984年10月号)でデビュー。1984年11月号から『機動戦士ガンダム MS戦記』を全4回で連載、続く1985年3月号からは『機動戦士Ζガンダム』を1年間連載。以降、主にアニメ『機動戦士ガンダム』シリーズを題材にした漫画作品を手がけ、アニメ『機動戦士Ζガンダム』にはメカニックデザイナーとしても参加している(「ジムII」原案、「Ζガンダム」変形修正案など)。大友克洋や小林源文などに強い影響を受けた画風で、ミリタリー色の強い描写と独自の解釈によるアレンジされた兵器が特徴。
経歴など
近藤和久
5,457
763
83,840,632
特に『機動戦士ガンダム MS戦記』で発表したハードディテール版ザクIIの意匠は当時の読者に衝撃を与え、ガンダムシリーズの漫画作品における独自にアレンジされたモビルスーツは「近藤版」と呼ばれ、ガレージキット化もされている(なお、近藤の後発作品に登場するザクIIは、この「近藤版」よりかなり線が減らされている)。
経歴など
近藤和久
5,458
764
88,911,945
さいとう・たかを(本名:齊藤 隆夫〈さいとう たかお〉、1936年11月3日 - 2021年9月24日)は、日本の漫画家。和歌山県和歌山市生まれ、大阪府堺市出身。東京都中野区、岩手県花巻市在住。貸本漫画時代に劇画の分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。また「さいとう・プロダクション」を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。
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さいとう・たかを
5,459
764
88,911,945
1936年(昭和11年)、5人兄弟の末子として和歌山市に生まれるが、生後まもなく転居し、のちに大阪府堺市に移り住む。さいとう自身は43歳になるまで和歌山で生まれたことを知らなかった。父親はさいとうが幼い時に家を出たため、母親が理髪店を営みながら女手一つで子供5人を育てた。小さい頃は図画工作(美術)科目とケンカが得意の、いわゆる不良少年であり、将来の夢はボクサーか画家になることであった。中学時代には府の絵画展で金賞を獲得している。1950年に堺市立福泉中学校を卒業し、実家の理髪店で働き始める。当時は漫画に興味がなく将来の夢は挿絵画家だったが、挿絵業界は今後狭まっていく、あるいは自分の考えている方向とは違う方に行くだろうという漠然とした不安感 から、当時はまっていた映画や進駐軍が持ち込んだ「10セント・コミックス」に影響を受け、ストーリー漫画を志す。
来歴
さいとう・たかを
5,460
764
88,911,945
同時期に手塚治虫(同じ誕生日でもある)の『新寶島』を見て衝撃を受け、「紙で映画が作れる!」と興奮したという。当時のさいとうは手塚の影響を受け、柔らかなタッチの絵を描いていた。1952年には家業である理髪店を姉と継ぐが、1955年に仕事の合間に2年近く掛けて描いたストーリー漫画『空気男爵』を大阪の貸本出版社日の丸文庫に持ち込む。等倍の紙に漫画を描いたため、社長の山田秀三にダメ出しされるが、一年かけて書き直し、デビューが決まる。それ以降、日の丸文庫の看板漫画家として単行本を次々と発表する。1956年には漫画に専念するために家業の理髪店を辞めるが、母親は激怒して漫画を親の仇であるかのごとく嫌うようになった。さいとうによれば、自身が漫画家として大成した後も「母親は漫画家という職業を死ぬまで嫌い、病床に置かれた僕の本に一度たりとも触れなかった」と述べている。
来歴
さいとう・たかを
5,461
764
88,911,945
同年には辰巳ヨシヒロや松本正彦らと同じアパートで共同生活を送りながら漫画を描き始めた。当時、さいとうは高校生だった川崎のぼるをアシスタントとして働かせていたが、さいとうの人使いが荒かったことから、川崎は早々に逃げ出している。1958年(昭和33年)先輩漫画家の久呂田まさみに連れられて上京、東京都国分寺市のアパートに居を構える。1959年、国分寺に居住していた日の丸文庫系劇画家のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、松本正彦ら8人で劇画制作集団「劇画工房」が結成される。人気劇画家の制作集団とあって貸本出版社からの執筆依頼が殺到して多数の貸本劇画短編集を出版するが、組織論や仕事配分、ギャラの分配などで揉め、翌年1960年春に劇画工房は短期で分裂した。
来歴
さいとう・たかを
5,462
764
88,911,945
「劇画工房」の分裂後、佐藤まさあきや川崎のぼる、南波健二、ありかわ栄一ら、ガンアクション系の劇画家5人で新・劇画工房の設立を計画するが、頓挫。その計画を元に1960年(昭和35年)、東京都国分寺市に自らの漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立した。さいとうの組織論に共鳴していた石川フミヤスらがスタッフに加わり、さいとうの兄の斉藤發司がマネージャーを務めることになる。以後、多数の貸本劇画を出版する。中でも『台風五郎』はシリーズ化され人気を博した。1962年(昭和37年)、貸本劇画家有志と「劇画集団」を設立。メンバーはさいとう・たかを、横山まさみち、永島慎二、南波健二、石川フミヤス、ありかわ栄一、旭丘光志、都島京弥、いばら美喜、山田節子、武本サブロー、影丸譲也、他。
来歴
さいとう・たかを
5,463
764
88,911,945
もっとも、この団体は漫画制作を目的とした新・旧劇画工房とは違い劇画家の親睦のための団体であり、一般読者会員にも会報などを発行していた。貸本業界が傾き始めた1963年、ボーイズライフ連載の『007』のコミカライズを機に一般漫画誌に本格進出。1967年には時代劇アクション劇画『無用ノ介』(『週刊少年マガジン』)を連載。劇画路線の『マガジン』を代表するヒット作となった。その後、1968年(昭和43年)10月より連載開始の『ゴルゴ13』(『ビッグコミック』)は、さいとうにとっての代表作であり、日本の「劇画」の代名詞となる。
来歴
さいとう・たかを
5,464
764
88,911,945
『ゴルゴ13』は現在も連載中の長寿漫画であり、1976年(昭和51年)1月に1975年度小学館漫画賞の青年一般部門、2005年(平成17年)1月に2004年度小学館漫画賞の審査委員特別賞を受賞し、2021年(令和3年)7月には「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。21世紀に入ると『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』の3作の長期連載を軸に活動、大ベテランとなっても月産150ページ以上の旺盛な執筆活動を展開した。しかし、2008年に武本サブロー、2014年に石川フミヤスと、長年にわたって仕事を支えてきたチーフアシスタントが相次いで死去したこともあって、さいとうの作業量が増加した。そのため2015年2月、体力的な負担を理由に『仕掛人・藤枝梅安』の休載を決定した。
来歴
さいとう・たかを
5,465
764
88,911,945
残り2作品の連載執筆に専念しつつ(これらもページ数を減らしている)、『梅安』再開も模索したが、結局体力の限界を理由に2016年3月『梅安』連載終了を告知した。そうした状況であったが、最晩年の2021年7月から『ビッグコミック増刊号』(元は『ビッグコミック』本誌と並行して『ゴルゴ13』を連載していたが、上述の事情で新作を休止していた)にて、『ゴルゴ13』のスピンオフ作品である『銃器職人・デイブ』の連載を開始している。2021年9月24日、膵臓がんのため死去。84歳没。連載中の『ゴルゴ13』については「自分抜きでも続いていってほしい」とのさいとうの遺志に沿い、さいとう・プロダクションと脚本スタッフ、連載元の『ビッグコミック』編集部の協力体制で連載を継続させていくという。もう一つの連載作品である『鬼平犯科帳』も同年9月30日に連載の継続がリイド社公式サイトで発表された。
来歴
さいとう・たかを
5,466
764
88,911,945
さいとうが確立した漫画制作の分業制は、自身の死をもって究極の形となった。2021年10月26日、日本国政府は正六位に叙することを閣議決定した。
来歴
さいとう・たかを
5,467
764
88,911,945
株式会社さいとう・プロダクションは、初めて漫画制作に分業体制や脚本部門を置いた漫画制作プロダクションである。漫画アシスタントは低賃金長時間労働が一般的であるが、さいとう・プロダクションは雇用条件に気を配っており、スタッフの待遇の良さには定評がある。分業で漫画制作することによって無理なく長期連載を請け負うことが出来ているゆえに可能なビジネスモデルである。例えば、手塚治虫が手塚プロダクションで漫画作品を描いた場合には、手塚治虫個人の名前だけが作家名として表記されるのが常であったが、さいとう・プロダクションの作品の場合は、最後のページでスタッフ一覧のクレジットタイトルが映画作品と同様に示されている。但し、単行本ではこれらのクレジットは削除されており、単なる余白となっている。
さいとう・プロダクション
さいとう・たかを
5,468
764
88,911,945
以下はさいとう・プロダクション公式サイト内、制作スタッフ(2021年3月 閲覧)を参照にして記述、このページでの紹介順、さいとう自身と物故者の石川フミヤスは除く
さいとう・プロダクション
さいとう・たかを
5,469
764
88,911,945
リイド社はさいとう・プロダクションの出版部門が分社化されたものであり、さいとうの兄の斉藤發司がリイド社およびさいとう・プロダクションの代表取締役社長を務めてきた。2016年に發司が死去したため、發司の長男で専務取締役だった斉藤哲人が社長を引き継いでいる。設立当時、大手出版社では漫画雑誌の出版がメインで、単行本を出版するということをあまりしていなかったため、その当時からの慣例で、さいとうの漫画は他社の雑誌に連載されている作品であっても単行本はリイド社から出版されている(『ゴルゴ13』は、小学館『ビッグコミック』連載で、単行本はリイド社、小学館でも一部再刊)。
リイド社
さいとう・たかを
5,470
764
88,911,945
前述の通り、さいとうの作品はプロダクション形式で、それぞれのエキスパートが集まって漫画制作をしているものであったが、1990年代後半までは一部の漫画家・漫画評論家がそれをきちんと理解しなかったため、「目だけ描いている漫画家」など、いわれのない批判を受けることが多かった。夏目房之介はさいとうの描く女体を、不特定多数がよってたかって色っぽいだろうと思う線をかき集めたために、個人の思い入れが極めて希薄である、と吾妻ひでおなどと対比して評している(ただし夏目は、さいとうが完全分業制による漫画制作というビジネススタイルを確立したことに対しては一定の評価をしている)。また、いしかわじゅんはさいとうの書き文字(擬音)を例にとり、新人であった時代からいっさい変化していないことを挙げ、進歩する意志を失った証拠として批判している。
作風への批評
さいとう・たかを
5,471
764
88,911,945
もっとも、さいとう本人は、作品が「色あせてしまう」ため「その時代の観念、その時代の常識では絶対描かない」ことを「作品を描く時に一番気をつけている」と述べており、意図的に作品を描いていることを言明している。
作風への批評
さいとう・たかを
5,472
765
87,953,704
斉藤 富士夫(さいとう ふじお、1961年5月21日 - )は、日本のギャグ漫画家。新潟県白根市(現在の新潟市南区)出身。新潟県立新潟江南高等学校→法政大学文学部卒業。1984年、『俺はドラマティック』(マガジンSPECIAL)でデビュー。1992年、激烈バカのVシネマ『吉本軍団激烈バカ』に出演した。
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斉藤富士夫
5,473
768
84,802,015
三枝 義浩(さえぐさ よしひろ、1967年 - )は、日本の漫画家。代表作に『キムンカムイ』。2008年よりペンネームを奥井 義浩(おくい よしひろ)に変更しネット配信漫画を執筆している。
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三枝義浩
5,474
768
84,802,015
1989年、講談社の漫画雑誌『マガジンSPECIAL』掲載の『毎度ラーメン屋です』でデビュー。『毎度ラーメン屋です』はコメディタッチの作品だった。長期連載作品として『毎度ラーメン屋です』と『キムンカムイ』のほか、1~2話完結の実話をもとに描いたドキュメントシリーズを『週刊少年マガジン』上で定期的に執筆しており、その内容は反戦運動を主体とした戦争作品と医療・福祉・環境系をテーマにした作品などである。
来歴・人物
三枝義浩
5,475
768
84,802,015
全作品「三枝義浩」名義で執筆している。
作品リスト
三枝義浩
5,476
770
87,315,023
酒井 美羽(さかい みわ、1956年2月23日 - )は、日本の漫画家。熊本県熊本市出身。女性。本名・来栖涼
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酒井美羽
5,477
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87,315,023
東京デザイナー学院卒業後、山田ミネコ、忠津陽子、田中雅子らのアシスタントを経験。1977年、「ロリオン」で第2回白泉社アテナ大賞第2席に入賞。1978年、『花とゆめ』(白泉社)9号に掲載の「2年の春」でデビュー。以後、『花とゆめ』などに少女漫画作品を掲載。後に『Silky』(白泉社)、『YOU』(集英社)などでレディースコミック作品を描く。恋愛をテーマとした作品を得意とする。『ミステリーボニータ』(秋田書店)2020年12月号より「酒井美羽の少女まんが戦記」をスタートした。酒井が定番としている設定の一つに「年の差カップル」の存在が挙げられる。この年の差カップル設定は、酒井が中学生の頃に読んで夢中となったシャーロット・ブロンテの長編小説『ジェーン・エア』が原点となっているという。
概要
酒井美羽
5,478
770
87,315,023
年の差カップルをメインに掲げた初期作品としては、2年近く連載された『ミルクタイムにささやいて』を含む「ミミと州青のラブコメディ」シリーズ(年齢差は12歳)が挙げられる。より後期の作品としては『抱いて抱いて抱いて♥ダーリン』(年齢差は18歳)が挙げられ、この作品を作成したきっかけは年の差カップルの決定版を描きたかったからだと酒井は語っている。
概要
酒井美羽
5,479
771
69,482,705
坂口 いく(さかぐち いく、12月31日 - )は、日本の漫画家・漫画原作者。神奈川県出身。代表作に『闇狩人』など。1982年、第23回手塚賞佳作(『BREAK A ROAD』)。
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坂口いく
5,480
771
69,482,705
集英社の子会社。冊子の編集・出版を請け負い、販売は集英社から行われる。東京三世社の子会社。倒産後、親会社に統合。
作品リスト
坂口いく
5,481
772
87,608,864
坂田 靖子(さかた やすこ、1953年2月25日 - )は、日本の漫画家。女性。ポスト24年組の一人に数えられる。短編が多く、コメディからシリアスまで多岐にわたる。ユーモアとウィットに富んだ洒脱で粋な作風、ナンセンス性、ストーリー性、シンプルでコントラストのある独特の構図など評価が高い。同人界の初期から石川県で漫画研究会ラヴリを主宰し様々な影響を与えた。現在も石川県金沢市在住。
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坂田靖子
5,482
772
87,608,864
大阪府高槻市出身。幼児の頃から本が好きで、保育園に入る前にマンガを読み始めていたという。小学校に入る2年ほど前に、水野英子の少女漫画『星のたてごと』を読み感動。中学3年生の時に初めてマンガ友達ができ、漫画を描いて見せあうようになる。石ノ森章太郎の本で手書きの原稿を綴じて回し読みする「肉筆回覧誌」を知り、雑誌の読書コーナーでメンバーを募り20人ほどで活動を始め、中学3年生の時に漫画研究会ラヴリを創設。高校生の時16歳で初の肉筆回覧誌を発行。漫画の描き手を探し回り、17歳で花郁悠紀子と出会い大親友となる。萩尾望都の熱烈なファンで、1971年(当時高校生18歳)の冬に、萩尾ら24年組の少女漫画家が集まって住んでいた通称・大泉サロン(大泉学園)を花郁悠紀子と共に訪問、その後夏に花郁と共に長期で滞在し食事や原稿の手伝いをする。
来歴
坂田靖子
5,483
772
87,608,864
漫画研究会ラヴリには、花郁悠紀子、橋本多佳子 (漫画家)、小沢真理、岡野史佳といったのちのプロ作家が参加し、地方都市金沢で活動しながら70年代後半には同人界で全国的に知られるレジェンド的存在となった。1975年、『花とゆめ』掲載の「再婚狂騒曲」でデビュー。デビュー時の編集長・小長井信昌は漫画界のベテランであったが、坂田のマンガはよくわからないが、読者は面白いと言っているので好きなように描くようにと言い、一般受けする学園ラブコメなどを描くよう強制することも全くなかった。坂田は深く尊敬する編集長のもとで自由に創作し、小長井が1976年に創刊した新雑誌『LaLa』に創刊メンバーとして参加。1979年から、ラヴリの同人誌が肉筆回覧誌からオフセット印刷になり、同人誌「ラヴリ」は1990年代初頭までに50冊弱刊行された。(ラヴリから「やおい」という言葉が生まれた。
来歴
坂田靖子
5,484
772
87,608,864
参考:やおい#やおいという言葉の誕生)白泉社との専属契約がおわると、1980年代から小学館『プチフラワー』、マガジン・マガジン『JUNE』、新書館『グレープフルーツ』、ペヨトル工房『銀星倶楽部』、朝日ソノラマ『DUO』、早川書房『SFマガジン』、潮出版社『コミックトム』、白泉社『MOE』など幅広い雑誌で活動。2016年時点で金沢在住。2016年3月に銀座で初の個展を行う。
来歴
坂田靖子
5,485
772
87,608,864
デビュー前は今と異なり、少し悲しい話の方が多かった。『バジル氏の優雅な生活』の頃から、ユーモアのある、ウィットに富んだ作品が増える。坂田はこの変遷について、「最初の頃はよくわからなかったせいもありまして、しっとりした話だとか悲しい話とかにも惹かれたんですけど、だんだん年を取ってきますと、人生はけっこう楽しいなって(笑)。開き直ってきまして。」と語っている。坂田曰く、依頼を貰う時に内容についての指定はほとんどなく、事前の打ち合わせも滅多になく、それぞれの雑誌の読者の好みに合わせて自由に描いているという。しかし、坂田の中では商業作品と同人作品は分かれており、あえて描き分けていた。『アモンとアスラエール』『ベル デアボリカ』のように自主的な制限もせず趣味で描いた作品は、最初自費出版や同人誌の形で本になり、その後単行本に収録されている。
作風
坂田靖子
5,486
772
87,608,864
イギリスを舞台にした小品が多く、また、無国籍なファンタジーから日本の怪談・説話を素地にした作品を描く。代表作にヴィクトリア朝イギリスが舞台の『バジル氏の優雅な生活』、『マーガレットとご主人の底抜け珍道中』などがある。海外が舞台の作品も多いが、海外旅行には全く行ったことがなく、想像だけで作品を作っている。主にコメディタッチの作風で知られるが、人間の複雑な心理面に迫る深刻な主題の作品も見られ、多種多様な作品を描く多才な作家である。(本人によると、シリアスな作品が少ないのは単純に依頼が少ないからとのこと。そのため、同人誌や自費出版の作品にはシリアスな物が多い)。シリアスな作品としては、『誇り高き戦場』(アラン・シリトー原作)、『パエトーン』、『桃の村』などがある。
作風
坂田靖子
5,487
772
87,608,864
全体としては悲惨な結末や退廃的なラストは少なく、ユーモア・ナンセンス性があり、児童文学史研究家の土井安子は、坂田作品は失敗続きでも生きることを肯定しており、その点は児童文学と共通で、両方を好きな人も多いと述べている。萩尾望都は、坂田のユーモアとウィットに富んだ洒脱で粋な作風、ストーリー性、シンプルでコントラストのある独特の構図を高く評価しており、『ベル デアボリカ』を究極のラブストーリーと評してる。「少年」という存在が好きで、『D班レポート』のような少年たちが活躍するコメディや、雑誌『JUNE』で連載したやおいテイストのあるショートショートもある。
作風
坂田靖子
5,488
772
87,608,864
名画や芸術、テレビCMなど、現実のネタを作品に埋め込むのが好きで、今だったら編集部の許可が必要になるだろうが、東洋の伝統的な「以前にある素晴らしい完成度のものを下に敷いて、さらに二次的、三次的に膨らませて創作物を作っていく」という「本歌取り」の感覚を好んでいると述べている。
作風
坂田靖子
5,489
772
87,608,864
深く影響を受けた漫画家は手塚治虫、水野英子、萩尾望都。ファンタジーでは、『メアリー・ポピンズ』と『ナルニア国物語』に特に大きな影響を受けた。映画好きで、中学生くらいから映画ばかり見ていた。ミュージカル映画が好きで、フレッド・アステアやジーン・ケリーなどの「ザッツ・エンタテインメント」系の作品群、当時の封切映画では「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージック」「メリー・ポピンズ」などを好む。アルフレッド・ヒッチコック、ウィリアム・ワイラー、デビッド・リーンも好きで、フェデリコ・フェリーニの映画にも一時期はまっていた。アジアものに関しては、NHKで放送された『遠野物語』のドキュメンタリー風の紹介番組や、当時のアジアブームでメディアで紹介された文化や物語の数々、手塚治虫『西遊記』、上田としこ『フイチンさん』の影響を受けているようだと述べている。また、落語や狂言のような笑いを好んでいる。
影響
坂田靖子
5,490
772
87,608,864
RPGゲーマーとしても知られ、RPGの魔法使いから『ベル デアボリカ』が生まれた。
影響
坂田靖子
5,491
773
88,723,890
桜沢 エリカ(さくらざわ エリカ、1963年7月8日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。女性。既婚。テレビ番組のコメンテーターも務める。
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桜沢エリカ
5,492
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88,723,890
東京都文京区出身。早くに両親が離婚したため、小学3年生まで祖父母の家で育つ。少女時代は母の買ってくる一条ゆかり、竹宮惠子、山岸凉子らの作品に親しみ、絵を真似て描くようになった。東京都立向丘高等学校2年の頃に自販機本『少女アリス』に興味を持ち、出版社を訪れたことをきっかけに文章と漫画を雑誌掲載するようになる。19歳で漫画家としてデビュー。同時期にデビューした岡崎京子、内田春菊らと共に、性的な内容を描く女性漫画家として「女の子エッチ漫画家」として知られるようになる。特に岡崎京子とは同年生まれであり、初期は作風や発表媒体も近かったため、比較されることが多かった(2人とも伝説的漫画雑誌『漫画ブリッコ』にも執筆している)。セツ・モードセミナー中退。
経歴
桜沢エリカ
5,493
773
88,723,890
1985年に初の単行本『ウーくんのソフト屋さん Special』を出版後、1985年短編集『かわいいもの』、1987年『フールズ・パラダイス』、同年『チェリーにおまかせ!』など、思春期の少女を主人公とした作品を発表。1991年から1993年にかけて発表した『メイキン・ハッピィ』で人気を得る。1999年、35歳のときに4歳年下の西麻布のクラブ店長兼DJだった青木武紀と結婚。一男一女をもうける。出産後は自身の経験を元にした『今日もお天気』シリーズを発表している。なお、自身の妊娠が分かった際、当時DJの仕事をしていた夫に対し、「子育てして欲しいから、仕事をやめてくれる?」と専業主夫になるよう要望し、夫は快諾したとのことである。2006年には『贅沢なお産』が水野真紀主演でドラマ化、また『天使』が深田恭子主演で映画化された。2009年、映画化を前提に書き下ろした新作『プール』を発表。
経歴
桜沢エリカ
5,494
774
88,350,363
桜多 吾作(おうた ごさく、1948年3月16日 - )は、日本の漫画家。山形県上山市出身。
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桜多吾作
5,495
774
88,350,363
石ノ森章太郎のアシスタントを経た後、「ボーイフレンドや~い」で少女漫画家・山上純一郎としてデビュー。単独名義のほか、萩尾望都との合作なども発表する。少年誌に活躍の場を移行後、北川寛・太田順一などのペンネームを経て「桜多吾作」名となる。また一時、石森プロの先輩である永井豪率いるダイナミックプロにも合流、同プロ原作アニメ作品のコミック化を数多く手がける。一方で「桜多吾作とプロダクション・アドベンチャー」としても独立した作品を発表した。児童誌のコミックボンボンで執筆する際にはおうたごさくと平仮名表記で執筆している。代表作『釣りバカ大将』を始めとして、趣味である釣りをテーマにした釣り漫画を多く執筆している。また、釣り関係の入門書や学習漫画の執筆にも数多く携わっている。
経歴・人物
桜多吾作
5,496
774
88,350,363
桜多吾作版『マジンガーZ』は、初期は『別冊少年ジャンプ』(集英社)に掲載された後、『冒険王』(秋田書店)に連載された。また、続編の『グレートマジンガー』『UFOロボ グレンダイザー』も同誌で引き続き連載された。そのベースとなったアニメ版は、登場人物や世界設定を共有するゆるやかな連作だったのに対し、桜多版コミックではシリーズとしての継続性をさらに強めている。第1作目の『マジンガーZ』序盤までは、一般的な「TVアニメのコミカライズ」の範疇だったが、徐々に桜多自身のオリジナリティを発揮。ペシミスティックな社会的視点、TVアニメでは語られなかった部分への言及・補完などが盛りこまれ、大河ドラマ的な一大SFストーリーへと変貌していった。
桜多版マジンガーシリーズ
桜多吾作
5,497
775
88,794,408
さくら ももこ(1965年〈昭和40年〉5月8日 - 2018年〈平成30年〉8月15日)は、日本の漫画家、エッセイスト、作詞家、脚本家。また、自身の少女時代をモデルとした代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の主人公の名前でもある。(そちらについては「ちびまる子ちゃんの登場人物#さくら家」を参照)静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。身長159cm。血液型A型。二男の母。代表作のコミック『ちびまる子ちゃん』の単行本の売上は累計3000万部を超える。また、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録。「平成の清少納言」と称されたこともある。愛称は「ももちゃん」。エッセイの販促用の帯などでは、『ちびまる子ちゃん』の「まる子」と同一人物として扱われることもある。
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さくらももこ
5,498
775
88,794,408
漫画は、「ヘタウマ」とも評される素朴なタッチで描かれる場合が多い。これは、投稿時代にエッセイ漫画に舵を切った際、戦略として少女漫画のタッチから変更したことに起因している。なお、少女漫画風のタッチを用いることもあり、特に漫画版『ひとりずもう』では多く用いられている。一方で、一時期の『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』の扉絵は、絵画風の凝ったデザインで描かれた。これは、さくらが敬愛するシンガポール生まれの絵本作家、エロール・ル・カインに影響を受けたものである。初期はエッセイ漫画を軸に描いていたが、徐々にブラックユーモアな作風も取り入れていった。後年~晩年にかけて発表した『4コマちびまる子ちゃん』『ちびしかくちゃん』ではその傾向が強く、読者の評価もはっきり割れる形となった。さくらと交友のあった尾田栄一郎は、「さくらさんは少しいじわるな笑いが大好き。人が持っているムズがゆい部分をつつく。
作風
さくらももこ
5,499
775
88,794,408
これができるのは、人間が大好きで鋭く見ていて、正直な人。」と彼女の没後に語っている。エッセイも含めて、「〇〇って一体...(例:私って一体...)」「あたしゃ情けないよ」など、自虐的なフレーズもよく用いている。エッセイでは、家族や親しい友人相手でも、歯に居着せぬ物言いで綴っているほか、初期のエッセイでは独特の比喩表現も多く用いている。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『青春と読書』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である。」と自著で述べている。2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。
作風
さくらももこ
5,500
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ペンネームの由来は、花の「さくら」と「もも」から。経緯は、高校3年生の夏に漫才師か落語家を目指そうと考えていた時期に(最初の漫画投稿が不発だったため)、同時に芸名も考えていたことによる。自身の好きな花から候補を挙げ、最終的に残った「すみれ」「さくら」「もも」の中から、「さくら」と「もも」を繋いで「さくらももこ」とした。後に漫画の投稿活動を再開したときから、このペンネームを使用している。「すみれ」は、後に『ちびまる子ちゃん』での母親の名前に使用している。漫画家の夢については、高校3年生の夏に親友のたまちゃんに明かすまでは誰にも語っていなかったが、一部の教師や友人にはそれ以前に気付かれていた。また、最終的にはエッセイストになりたい、という夢を中学・高校以降の友人(浜崎憲孝が『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦のモデルと評した女性)には明かしていた。
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さくらももこ
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デビュー以降の自画像は、デビュー当初はおかっぱ頭、もしくはまる子そっくりな姿で描かれていた。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の制作レポート(1992年)では二つ結びに変化、1993年ごろからは、顔と前髪はまる子と同一・髪型は三つ編み、で定着するようになった。小学校(「まる子」だった)時代は、『ちびまる子ちゃん』で描かれていたように怠け者かつ勉強に真面目に取り組まなかったことから、しょっちゅう母親に怒られていたという。怒られること自体への煩わしさは感じていたが、作者曰く「居眠りで他人に迷惑をかけているわけではない」「万引きや、家庭内暴力みたいに人や物を傷付けたりはしてないので、怒られる筋合いは無い」と、反省はしなかったと語っている。17歳までは怠け者な生活習慣が直らず、母親に「苦労して産んだのに」と泣かれたこともある。
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さくらももこ
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一方で、漫画・アニメで怠け者だった過去の自分を描いているため、息子が怠けていてもきつく叱れなくなった、とも自著で述べている。課外活動は、小学校ではそろばん塾、中学校では学習塾に通っていたが、いずれも先生が怖くて苦痛だったと語っている。塾とは別に、小学校ではバトントワリングの教室や部活動にも参加していた。姉とは、幼少期は『ちびまる子ちゃん』などで描かれているようにケンカが絶えず(友人と遊んでいるときでも、ひょんなことからケンカを始めてしまうほど)、母親を困らせていたという。成人後は、姉の厄年(1995年ごろ)に姉妹始まって以来の大ゲンカをして2年間絶縁状態に陥ったが、その後関係を持ち直したほか、2002年には姉妹共同でゲームソフトの制作にも携わった(後述)。姉も絵が好きだったこともあり、短大時代に高額な絵画を購入して親から咎められた際、姉がかばってくれたこともある、と自著で述べている。
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さくらももこ
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同級生として元サッカー日本代表の長谷川健太や放送作家の平岡秀章がいる。「はまじ」のモデルとなった浜崎憲孝が自伝を出版した際にはさくらが表紙のイラストを書き下ろした。浜崎によると、小学生時代はかなり内気な性格であり、穂波たまえのモデルとなった友人の方がより「まる子」に近いキャラクターだったと語っている。さくら自身も、自著において自身を内向的な性格で、華のないタイプであったと評している。前述の長谷川健太もさくらの小学生時代の事を「覚えていない」と語っている。子供の頃、「青島幸男みたいに偉くなりたい。歌を作りたい」と言ったが、父親に「青島幸男は国会議員だ、無理に決まっている」と一蹴された。そのさくらが青島を目標とし大人になって作詞した歌が「おどるポンポコリン」である。また学生時代、春風亭小朝に弟子入りしようとしたこともある。
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『仮面ライダー』で一文字隼人=仮面ライダー2号を演じた佐々木剛のファンだった。一文字のカード欲しさに仮面ライダースナックを買ったこともある。中高生時代は、『ドカベン』に傾倒しており、中でも里中智の大ファンであった。当時、単行本の購入費を工面するために親戚から贈られた『ベルサイユのばら』の単行本を勝手に売り捌いてしまい家庭内で問題になったほか、前述の怠け癖に怒った母親に単行本を窓から投げ捨てられ、泣きながら回収する羽目になったとも自著で述べている。西城秀樹のファンで、『ちびまる子ちゃん』の作中では、まる子のお姉ちゃんがファンという設定で何度か登場させており、また西城は1991年から1992年にかけて使われたエンディングテーマ曲「走れ正直者」の歌唱も担当していた。2018年5月に西城が死去した際には、さくらは自身のブログで追悼のコメントを述べた。
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さくらももこ
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高校時代にアマチュア無線技士の免許を取得しており、アマチュア無線家の月刊誌『CQ ham radio』1998年1月号の表紙では、ちびまる子ちゃんのイラストを寄稿したこともある。自伝的エッセイの「ひとりずもう」によると、さくらは高校に入学して部活を決める際に、なるべく早く家に帰りたいという理由で最も楽そうな物理部を選んだが、この物理部ではアマチュア無線の免許を取得することが義務付けられており、そのために彼女は1回2時間・週2回の講習会へ2か月間通わなければならず、それについて非常に煩わしい思いをしたと語っている。高校時代には、一部の後輩から「米虫の先輩」との異名が付けられていた。健康の研究を日々行い、飲尿療法や茶葉による水虫治療など多くの民間療法を実践していた。30代の時には『ももこのおもしろ健康手帖』(幻冬舎刊)と題するエッセイ本を出版したこともある。
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その一方でヘビースモーカーでもあり、自著では「私は大の愛煙家だ。朝起きてまずタバコを吸い、昼間から夕方まで仕事をしている間もずっと吸い、夜眠る直前までタバコを吸う」「タバコが健康をもたらしてくれる。タバコをガンガンに吸っているからこそ、吸っていない人の20倍は、健康に気をつける」「タバコは私に健康の大切さを考えさせ、吸うからにはまず健康を確保しろということに気づかせてくれた」などと語っていた。また、生前に交流があった和田アキ子は、没後に自身を上回る酒豪だったと語っている。さくら自身は、父と祖父が酒豪だったのを見て育っており、その影響で酒に興味を持つようになったと述べている。妊娠時において一瞥体験のような経験を自著に残している。少女時代から作文が得意で、短大の模擬試験の作文課題では採点者から「清少納言が現代に来て書いたようだ」と評価されるほどであった。
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さくらももこ
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このことが、エッセイ漫画へと舵を切るきっかけの一つとなった。投稿時代は、何度も編集側からストーリーギャグ漫画への路線変更を提言されていたが、無視してエッセイ漫画での勝負を続けた。最終的には編集側も折れ、エッセイ漫画でのデビューを認めた。さくらの書籍の装丁を多数手がけたデザイナーの祖父江慎は、彼女の没後のインタビューにおいて「まる子がそのまま大人になったような人物」「面倒臭がり」と評していた。祖父江曰く「楽しいことにはノリノリだが、義務っぽい雰囲気が出るとすぐ消極的になる」とのことで、彼女を乗り気にさせるための作戦を考えるのが大変であり、一方で楽しみでもあったと語っている。宝石商の岡本憲将が記した『宝石の常識』を読んで以降、宝石に興味を持つようになり、彼を頼って宝石の収集を行ったこともある。そのときの経験をもとに、『ももこの宝石物語』『ももこのおもしろ宝石手帖』を出版している。
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「はまじ」とあだ名される人物とは、同級生の浜崎憲孝だけでなく、モデルの浜島直子とも接点がある。浜島直子とは、『MOMOKO TIMES』の仕事で同行したこともある。このとき、さくらプロダクションのスタッフが浜崎憲孝と勘違いして少し混乱したという。
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※表記はジャケットデザインも担当。
主な作品
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1992年NHKドラマ『さくら家の人びと』ももこ役『ちびまる子ちゃん』関連作品で演じた人物。
関係人物
さくらももこ