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88,282,038
最初はコンピュータ用の一般的チップが使われることも多かったが、その後、簡単にソフトウェアをコピーされてしまうことを防止するために、さまざまな工夫をしてプロテクトをかけるということも多くなった。初代ファミリーコンピュータ時代の「ゲームソフト」は、とても質素な紙箱、ゲームカートリッジと同じサイズか、せいぜい2倍程度のサイズの紙箱に入っていた。説明書も小さな紙切れのようなものだった。その後、初代PlayStationなどからCD-ROMに記録された形で販売されるようになり、CD-ROMケースに入れた状態で(音楽CDの歌詞冊子と同じサイズの)取扱説明書が付属して販売されるようになった。その後次第に、光ディスクの大容量化が行われ、いくつか段階を踏んで、Blu-ray Discでの販売へと変化してきたわけである。
ゲーム機用
ゲームソフト
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ゲームに熱中するゲームプレーヤーの本棚やクローゼットには、ゲームソフトのパッケージがずらずらと並ぶことになった。最近では、ゲーム専用コンソールでも、インターネット経由のデジタル配信による販売が盛んである(ダウンロード販売またはオンラインソフトウェアとも)。ユーザー側としては、デジタル配信なら、わざわざ時間をかけて実店舗に出向いて購入する手間も不要であるし、ネット通販のように商品が自宅に届くまで1~3日など待つ必要もない。PSNなどのサイトに接続し、ソフトウェアのリストを見て、気に入ったらすぐにダウンロードを開始することができるというメリットがある。次第にソフトの購入数が増えても、それらは全部ハードディスクの中におさまり、「物体」のパッケージは増えないので、部屋のスペースを余分にとらない、部屋がちらからない、というメリットもある。
ゲーム機用
ゲームソフト
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ゲーム開発会社やプラットフォーマー(つまりゲームプラットフォームを開発・販売しているSIEやNintendoなど)の側としても、サーバーにゲームソフトのデータを置いておけば、ユーザーたちがアクセスして、クレジットカードの番号なども入力して有料でダウンロードされるたびに確実に売上を計上できるので、とても便利な仕組みである。また、ダウンロード版販売の場合、メーカー側はDISCやそのパッケージなどの「物体」を大量に製造せずに済む。メーカーにとっては「物体」を大量に製造するというのは、悩みのタネである。というのは、どれくれい売れるか製造するためには予想しなければならない。「よく売れるはず」と見込んで、一度に大量に作ってしまうと、それが売れなかった場合、大量のデッドストック(不良在庫)になってしまう。
ゲーム機用
ゲームソフト
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大量のデッドストックというのは、今まで無数のメーカーを倒産に追い込んだような、とても恐ろしい現象である。製造にかかったコストがまるまる損失として企業の会計(経理、キャッシュフロー)に襲いかかる。かといってデッドストックを恐れるあまり、あまりに小さなロット(製造数)で製造すると、今度は予想以上に売れた場合に、需要に応えられず供給不足となり、売上が伸びない。マーケティングの分野ではしばしば「販売チャンスの喪失」などと厳しい言い方で表現する。つまり販売責任者は、販売予想数を大きく見積もってしまっても「地獄」を見るし、小さく見積もってしまっても、やはりなにかと社内・社外から責められて苦しむことになる。
ゲーム機用
ゲームソフト
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その点、ダウンロード方式ならば、(誰もできるはずのない)販売数予想をする必要もないし、先行費用を投入してしまって「物体」を製造する必要がないので、プラットフォーマーもゲーム開発会社も、「物体」の製造コストを気にしなくて済む分、より安心できる。パッケージ版販売方式の場合、発売からしばらくしてプレーヤーたちがゲームをコンプリートする(最後までやりきる)ころを過ぎると中古ソフトが大量に出回るようになってしまい、新品の売上に強いブレーキがかかりがちだが、ダウンロード版販売方式ならそれも防げるというメリットもある。ユーザーにとっては、インターネットのダウンロードはそれなりの速度でしかないので、近年のゲームソフトはサイズが大きい(バイト数が多い)ので、ダウンロードに数時間もかかってしまうもの増えてきているので、悩みのタネである。
ゲーム機用
ゲームソフト
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またダウンロード版の場合、ゲーム・コンソールのハードがHDDごと故障したりすると、せっかく料金を支払ってダウンロードしたゲームソフトも全部使えなくなってしまい復旧できない場合があるが、パッケージ版の場合はそうした事態は免れてゲーム機を買い替えるなどして何度でもインストールすれば済むので、コンソールの故障などにあった経験のあるプレーヤーの一部などは、ダウンロード版を意識的に避けて手堅くパッケージ版を選ぶこともある。PCゲームではSteamなどを利用したダウンロード販売が主流となっている。2010年代に入るとスマートフォン(スマートデバイス)が普及したので、「パッケージで収益を上げる時代は終わった」ともいわれる。
ゲーム機用
ゲームソフト
5,619
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ゲームコンソールのメーカー自身によって意図的に「キラーソフト」として開発されたソフト、つまりそれがあるから他のコンソールではなくそのコンソールを購入しようと消費者に思わせるような魅力あるソフトウェアは、他の機種には移植されない。他社のコンソールに移植してしまっては、そのコンソールの売り上げを支えるキラーソフトではなくなってしまうからである。たとえばPlayStationシリーズの『グランツーリスモ』シリーズはそういう役割を担ってきた。一方、後発となったマイクロソフト社はXBOXというコンソールのためにキラーソフトとして『Forza』シリーズを用意してそれに対抗した。
ゲーム機用
ゲームソフト
5,620
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88,282,038
特にコンソールの売上をささえるための「キラーソフト」というわけではない、第三者的なソフト開発会社から開発・販売されるゲームソフトは、最初は1種類のゲームコンソールを想定して開発されたとしても、評判が良ければ、しばしば複数のゲーム機に移植される。複数のプラットフォームで売れば、ゲームソフトの売上の総額は増えるからである。なお、ゲームコンソールは下位互換機能を持つように開発されることも多い。たとえばPS2ゲームの中にはPS3コンソールでもプレイできるものもかなりある。XBOXシリーズでも同様にプレイできるソフトがある。ただし、原則的には動作する、と謳っていても、実際には上位機種では完全には動かないソフトも多い。ソフトウェア開発会社があまり標準的でない方式、たとえば(旧)コンソールのハードの一部の機能を特殊なやりかたで利用する方法などをソフトウェア上で採用していたりすると、動作しない場合がある。
ゲーム機用
ゲームソフト
5,621
789
88,780,880
ゲーム機(ゲームき)とは、ビデオゲーム(コンピューターゲーム)を動作させるための装置の総称。ゲーム用のハードウェア全般。あくまで総称なので、 家庭用ゲーム機やアーケードゲーム機、(もっと素朴な)任天堂のゲーム&ウオッチや(初期の)たまごっちなどもゲーム機であり、さらに言うとビデオゲームをプレイするために使われている状態のPC(パーソナルコンピュータ)も、ゲーム専用機ではないが、ゲーム機の一種である。とは言え世の中に普及している台数の比率の影響で、子供などが漠然と「ゲーム機」と言う場合は「家庭用ゲーム機」を指すことが多くなっている。
__LEAD__
ゲーム機
5,622
789
88,780,880
総称でゲーム機と呼ばれるものには、アーケードゲーム機、家庭用ゲーム機、電子ゲーム、パーソナルコンピュータなどがある。それぞれがさらに下位分類されている。→#種類・分類その後、2004年に発売されたPSPはゲームだけに留まらない多機能さにより、「ゲーム機という線引きが曖昧になっている("ゲーム機"が消える)」と指摘され、2000年代後半からはスマートフォンが普及し始めたことで、スマートフォン内にゲームアプリをダウンロード・インストールすることで、一種の携帯型の高性能ゲーム機としても使うことが広く一般化している。
概要
ゲーム機
5,623
789
88,780,880
当記事の最初で説明したように、ゲーム機には以下のような種類がある。分類方法はさまざまであるが、たとえば以下のように分類する方法がある。家庭用ゲーム機の下位分類としては、以下のような大分類をされることがある。家庭用ゲーム機は、時代とともにそのアーキテクチャや性能の水準が変化してきており、複数のメーカーによって開発・製造されているにもかかわらず、大まかに言うと時代ごとにある種の類似性でまとめることができるので、第一世代、第二世代...などと、世代(generation)で分類するということが広く行われている。据置型で顕著であるが、携帯型ゲーム機についても同様の分類がされることがある。アーケードゲーム機は、下位分類としては、以下のように大分類されることがある。ビデオゲーム用のアーケード機は筺体のタイプで以下のように大分類されることがある。また 汎用筺体 / 専用筺体 に分類されることもある。
種類・分類
ゲーム機
5,624
789
88,780,880
汎用筺体(汎用タイプ)というのは、ソフトウェアやボード類を入れ替えてさまざまなゲームを走らせることができる業務用ゲーム機のことである。それに対して専用筺体(専用タイプ)というのは、ある特定のゲームにしか使えないようなゲーム機であり、たとえば特定のカー・レースゲームに特化して、ハンドル・座席・画面・画面まわりの装飾などを作りこんであって、他のゲームには転用できないようなゲーム機、そのゲームの需要が無くなったら、分解・廃棄処分せざるを得ないようなゲーム機のことである。ゲーム機として用いられている状態のパーソナルコンピュータは以下のように分類することも可能である。前者は汎用のPC、つまりさまざまな用途に使う目的で設計された汎用のPC(パソコン)に、ゲームソフトをインストールしてプレイしている状態である。
種類・分類
ゲーム機
5,625
789
88,780,880
「2Dゲーム」など呼ばれる、平面的な、立体視をともなわないゲーム類は汎用のPCで十分に楽しむことができる。一方、「ゲーミングPC」とはいわゆる「3Dゲーム」を(快適に)プレイするために(高速、美麗な)3Dグラフィックスを実現可能な高性能なパーツ類を搭載したPCのことであり、一般には、滑らかで美麗な3D画像を実現するため、高速に無数のポリゴンを描画できるGPU (画像処理ユニット)および特に高速なCPUや大きな主メモリ 等を備えたPCのことを指している。
種類・分類
ゲーム機
5,626
789
88,780,880
ここではゲーム機と呼ばれているものがどのようにして確立したかを年代順に簡略に述べる。ゲーム機が誕生した1970年頃には、コンピューターと言えばメインフレームや、せいぜいミニコンであり、大企業や大学や、それらあるいは軍の研究所で使われる高価なシステムしかなかった。初期のコンピューターゲームで最も有名なものとしては、ミニコン上で書かれ不特定多数の大学生に遊ばれた宇宙戦ゲーム『スペースウォー!』が挙げられる。その後、ゲームは4つの道を通って発展した。1972年、史上初のビデオゲーム機が登場するが商業的に成功せず、最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲーム『ポン』だった。ビデオゲームは、それまでゲームセンターで人気を博していたピンボールを瞬く間に駆逐した。
歴史
ゲーム機
5,627
789
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アーケードビデオゲームは次第に内容が複雑化していき、ワイヤードロジックの回路では実現が難しくなるにつれマイクロプロセッサーが採用されるようになっていった。1970年代中盤に登場した最初期のテレビゲーム機(第1世代)は、それらのアーケードゲームを家庭で手軽に楽しむためのものであった。当初のテレビゲーム機は、初期のアーケードゲーム同様にワイヤードロジックで構成されていたため、1ハード1ゲーム、もしくは複数のゲームをスイッチで切り替える方式だった。第2世代(1970年代後半 - 1980年代前半)では、1つのハードでさまざまなゲームをプレイしたいというユーザーの欲求に応えるため、ハードにゲームソフトを組み合わせることで、コンピューターゲームをプレイすることができるシステムが採用された。
歴史
ゲーム機
5,628
789
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ソフトの供給メディアはカセットテープを採用したマシンもあったが、Atari 2600はカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムを採用し、それが標準となった。1979年には史上初のサードパーティーが誕生し、ここで、ゲーム機本体を販売する産業とは別に、ゲームのプログラムそのものを販売して利益を上げるゲーム産業が誕生した。このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた。
歴史
ゲーム機
5,629
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(1975年には「史上初の市販パーソナルコンピュータ」と呼ばれるAltair 8800が登場したが、これは家庭用テレビに繋ぐなどして画面があるようなコンピュータではなかったのでゲームにはほぼ使われておらず)パーソナルコンピュータ上で動くゲームソフトが制作されるようになったのは1977年に、スティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックによってApple IIが開発・発売され、それの販売が成功してからである。AppleIIは家庭用テレビ受像機をモニタとして使うタイプであり、Apple IIには、ハードの開発者であるスティーブ・ウォズニアック自身によって制作されたBreakOutつまりブロック崩しゲームがつけられ、購入者たちは次々とゲームソフトを制作してゆくことになった。
歴史
ゲーム機
5,630
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Apple IIのCPUはMOS社の6502で、 この時期、8ビットマイクロプロセッサの開発競争が起こり、インテル社やザイログ社などのいわゆる「80系」のプロセッサと、モトローラ社などのいわゆる「68系」のプロセッサの間で激しいシェア争いが起きた結果、マイクロプロセッサの価格が大幅に下がり、そのおかげでそれを使って安価に、一般家庭でも購入できるような価格でコンピュータを作れる状態になり、Apple IIも開発・販売が可能になったわけだが、その後各社から続々と「パーソナルコンピュータ」(当時は「ホームコンピュータ」や「ホビーコンピュータ」などとも呼ばれていた。)に分類できる8ビットパソコンが発売されてゆくことになった。
歴史
ゲーム機
5,631
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この頃すでにテレビゲームやアーケードゲームはあったので、パソコンのユーザらはこれらのアーケードゲームを自宅で無料で楽しもうと、自力でプログラミングしアーケードゲームに似せたゲームを制作したり、出来た作品を互いに交換しあったりした。パソコンゲームはその後アドベンチャーゲームやロールプレイングゲーム、シミュレーションゲームといった、同時代のアーケードゲームやコンシューマーゲームとは異なる分野で発展を遂げていくことになる。1970年代後半のマイクロプロセッサは、グラフィックをそれ自体で処理するには速度不足であったため(例えばNTSCのグラフィック表示にはドットクロック12〜15MHz程度が必要であり、当時のマイクロプロセッサでは力不足)、当時のゲーム機・パソコン・アーケードゲームのいずれも、映像表示のために独自に作り込まれた回路設計となっており、それぞれの機種の個性となっていた。
歴史
ゲーム機
5,632
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画像処理機能も含め、ゲーム向け機能の代表的なものはスプライト(オブジェクト)機能やスクロール機能などのハードウェア支援であろう。いずれも目的や想定するユーザー層などとコストの兼ね合いでこのあたりの機能と性能は決定されるため、目的のゲームに特化して設計されるアーケードゲーム機の回転機能などは花形であった。ゲーム機・パソコン・アーケードゲームが個々に独自のアーキテクチャを持つ傾向はその後も続いた。1970年代後半には携帯型ゲーム機も人気となった。1979年には既にカートリッジ交換型携帯型ゲーム機が登場していたが、当時は技術的な制約から他の形態と比べて十分な製品を作れずにいた。かわりに主流となっていたものが電子ゲームと呼ばれるものであった。電子ゲームとは電卓の技術を応用したもので、アーケードゲームやパソコンゲームとはまったく別系統に生まれたものである。
歴史
ゲーム機
5,633
789
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表示装置としては特定の形状を表示する液晶や発光ダイオードが使われた。汎用のグラフィック表示機能を備えておらず、必然的に1ゲーム1ハードが基本であった。第3世代(1980年代前半 - 1980年代中盤)では、ザイログ社のZ80とMOS社の6502の競争激化により安価になったマイクロプロセッサや、その他の集積回路技術によってテレビゲーム機にも簡略化・低価格化を施されたスプライト機能とハードウエアスクロール機能が追加されていった。
歴史
ゲーム機
5,634
789
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任天堂から1983年に発売されたファミリーコンピュータは、安価になった6502を搭載したうえに、さらにサードパーティーによるソフトウェアの製造をライセンス(ゲーム機メーカがサードパーティーにゲームソフトウエア開発・販売を許諾する)形式にし、ゲームソフトメーカからのライセンス収入を見込むことでゲーム機のハードウェア自体を低価格で販売することができ、それによりゲーム機所有者数が増えることでゲームソフトメーカも恩恵を得ることができた。1980年代後半には、パソコンの性能向上速度が加速し最新機種が入れ替えられていったために、ゲームに対するパソコンのプラットフォーム性が失われた一方、相対的に機種変更頻度が少ないゲーム機はそのプラットフォーム性が高まった。
歴史
ゲーム機
5,635
789
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パソコンやゲーム機などで、単一の機種が長期的に基本性能が変わらないまま販売され続ける(商品寿命が長い)と、その機種はひとつのプラットフォームとして認識され、その機種で他機種用のゲームを遊べるよう多くのソフトウェアが製作された(いわゆる移植)。「プラットフォームハードウェアと多数のソフトウェア」という手法は、ハードウェアの進歩や新しいプログラミング手法の導入(これらのゲーム機のソフトはほとんどがアセンブリ言語で記述されていたが、世の中のプログラミングはC言語などに移行しつつあった)を阻害するものではあったが、ゲームソフトという特定の先鋭分野における競争と技術開発を促進することでゲームソフト業界を急速に発展させる一因にもなった。
歴史
ゲーム機
5,636
789
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第4世代(1980年代後半 - 1990年代前半)ではさらにゲームソフトの技術力や表現力が向上し、より高性能のハードウェアが求められるようになり、ゲーム機専用のプロセッサ類が設計されるようになった。それまでのゲーム機は、パソコン用チップや汎用製品を流用したものが多かったが、この時代になるとゲーム機はゲーム用途としてはパソコンをはるかに凌ぐ性能を持つとのイメージが確立された。また、他のハードウエア形態と遜色がない十分な性能をもつ CPU とグラフィック表示装置を備えるカートリッジ交換型の「携帯型ゲーム機」がこの頃に発売され、人気を得るようになった。なお、2000年代以降のゲーム機では再び据置機(テレビゲーム機)・携帯機・アーケードゲーム・パソコンゲームの区別が曖昧となるが、下記で詳しく述べる。
歴史
ゲーム機
5,637
789
88,780,880
ゲームハードの世代分けについては、英語版ウィキペディアにおける「Video game console」(en:Video game console を参照)にだいたい相当するもの、すなわち、「コンシューマーゲーム機」「家庭用ゲーム機」「ゲーム専用機」 等と呼ばれているものに関しての話題を主として扱う。マイナーなものまで含めれば多種多様のさまざまな形態がある ものの、この項ではひとまず各機種を据置機(いわゆるテレビゲーム機)と、携帯型ゲーム機の二つに分類している。世代については、英語版ウィキペディアが「First generation」から「Eighth generation」まで分類しているためそれに沿っているが、おそらく独自研究であり、ここで見られる世代分けは日本のゲーム研究等ではあまり見られず、また英語による資料においても異同が見られる。
略史
ゲーム機
5,638
789
88,780,880
ここでは家庭用ゲームコンソール、つまり家庭で使われるゲームコンソールについて解説する。これが一般に「家庭用ゲーム機」と呼ばれている。 ゲーミングPCは対象外である。1970年代前半 - 中盤を、この記事では「第1世代」とする。1972年に史上初の家庭用ゲーム機とされる『オデッセイ』がリリースされた。オデッセイはCPUではなく、アナログ回路で電子ゲーム機能を実現していた。オデッセイを参考にして製作したビデオゲーム『ポン』をアーケードで大ヒットさせたアタリが、テレビに接続するだけで家庭でもポンが楽しめる『ホーム・ポン』を1975年にリリースし、大ヒットとなった。これによって家庭用ゲーム機という存在が広く知られ、「ポンクローン」と呼ばれるポンのコピーゲーム・亜流ゲームが、大手から中小までおびただしい数の玩具メーカーからリリースされた。
略史
ゲーム機
5,639
789
88,780,880
日本ではオデッセイを発売したマグナボックスと提携したエポック社と任天堂からゲーム機が発売されたが、これらもポンクローンと呼ばれている。アタリが1976年に発売した『ブレイクアウト』(ブロック崩し)なども多くのクローン機が出回った。これらのゲーム機が最初期に現れたゲーム機、すなわちゲーム第1世代と呼ばれる。この時代はソフトがハードに組み込まれていて、後からソフトを買い足すことはできなかったが、スイッチで複数のゲームを切り替えることができるもの、切り替えカードを追加購入することでオプションのゲームをプレイできるものもあった。ブレイクアウトクローン1970年代後半 - 1980年代前半を、この記事では「第2世代」とする。1976年、フェアチャイルドがチャンネルFを発売した。チャンネルFはROMカートリッジを差し込むことで様々な種類のゲームを楽しむことができる最初の家庭用ゲーム機であった。
略史
ゲーム機
5,640
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マグナボックスも1978年に同様のシステムを採用したゲーム機Odyssey2を発売した。アタリも1977年にAtari 2600(VCS)を発売した。『スペースインベーダー』などの人気アーケードゲームのコンシューマ移植をキラータイトルとし、1980年頃にはアメリカにおいて爆発的な人気を博した。さらに、1979年にアタリからアクティビジョンが独立してゲーム史上初のサードパーティーとなって以後、続々と誕生するサードパーティーのソフトを積極的に受け入れるビジネスモデルを確立した。北米では他にインテレビジョンやコレコビジョンも人気となり、欧州ではドイツのインタートンによるVC 4000なども人気を博した。しかし1982年のクリスマス商戦で決定的な市場崩壊(いわゆるアタリショック)を起こした。
略史
ゲーム機
5,641
789
88,780,880
Atari 2600のみならずアメリカのゲーム機市場(パソコンゲーム市場は含まない)そのものが一時壊滅状態に追い込まれた。日本や南米などの地域におけるゲーム機の本格的な普及は、次のファミコン時代以後になる。1980年代前半 - 中盤を、この記事では「第3世代」とする。アタリショック後、北米と欧州ではゲーム機能に加えてプログラミング機能をそなえたゲームパソコンが勢力を増し、多くのゲームメーカーがゲームリリースを家庭用機からパソコン主力に移した。ゲームパソコンとして北米ではコモドール64が、欧州ではZX Spectrumが成功を収めた。日本でも同様の機種(ぴゅう太、M5、SC-3000、MSXなど)が登場したが、最終的にはゲーム機能に特化し、第1・第2世代より優れたゲーム性能を実現した機種が成功を収めた。
略史
ゲーム機
5,642
789
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特に1983年に発売された任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)は日本における家庭用ゲーム機の本格的普及を担い、1985年にはアメリカで海外版ファミコンであるNintendo Entertainment System(NES)が発売され成功を収めた。RPGや対戦型格闘ゲーム、2Dアクションゲームなどの今日に繋がるゲームシステムの原型もこの時期に出来上がった。これまではAtari 2600に由来するATARI仕様と呼ばれるジョイスティック型のコントローラーが一般的であったが、ファミコンのパッド型コントローラー(ゲームパッド)はコンパクトだが汎用性に優れ、以後のほとんど全てのゲーム機における入力機器の基礎となった。1980年代後半 - 1990年代前半を、この記事では「第4世代」とする。従来機種より高度なスプライト機能を搭載し、2Dグラフィックスの表現力が向上した。
略史
ゲーム機
5,643
789
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ステレオサウンドが標準になり、ゲームの複雑化・高度化も進み、対応するコントローラーも多ボタン化が進んだ。他方、複雑で表現力豊かなゲームをROMカートリッジに詰め込むのには、容量不足による限界が見え始めてきた。ゲームソフトの大容量化によりROMの製造コストも高騰し、9,800円以上のソフトが続出した。このような情勢から、従来のROMカートリッジに代わり世界初のCD-ROMをゲーム媒体に使用したCD-ROM が現れ、対応タイトルは、大容量を活かしたものとなっており、後の光ディスクによるソフト供給の基礎となった。主なハードは、PCエンジン・メガドライブ・スーパーファミコンの3機種である。スーパーファミコンは他の2種よりも大幅に発売が遅れたが、日本ではファミリーコンピュータからの圧倒的シェアを受け継いで移行することに成功した。
略史
ゲーム機
5,644
789
88,780,880
一方の北米市場では任天堂のSNES(日本国外版スーパーファミコン)とセガのGENESIS(同メガドライブ)が市場競争を展開し、GENESISがシェア55%の2000万台を売り上げ一定の成功を収めた。アーケード市場において対戦型格闘ゲームなどで絶大な人気を得ていたSNKが、アーケードのシステムをそのまま家庭用機に流用したNEOGEOでゲーム機市場に参入した。家庭用ゲーム機の高性能化によりアーケードゲームやパソコンゲームとの性能差は縮まった。海外市場ではホビーパソコンのAtari STとAmigaがリリースされ、ゲームパソコンとして拮抗した人気を得た。日本でもX68000やFM TOWNSなどのホビーパソコンが発売されたが、据置機とソフトに恵まれた日本ではパソコンゲームは家庭用ゲーム機で扱えないアダルトゲームを除いて衰退した。
略史
ゲーム機
5,645
789
88,780,880
第4世代ゲーム機はドット絵とスプライトによる2Dゲームの成熟・完成期に当たる。1990年代中盤 - 後半を、この記事では「第5世代」とする。この世代では、従来のROMカセットに代わって光ディスクがコンテンツ販売パッケージの主力となった。光ディスクは読み込みに時間がかかるという難点があるものの、データ容量がROMと比較して大きく、再プレスが容易であり、安価にゲーム媒体を量産可能になった。これに伴い音質の向上やムービー再生による演出が広がった。本格的な3Dグラフィックス機能が搭載されたゲーム機が現れ、ゲーム内での映像表現の幅が広がった。振動機能やアナログスティックを備えたコントローラも登場した。ドット絵とポリゴンでは製作ノウハウが違い、中小の新しいソフトハウスも台頭した。
略史
ゲーム機
5,646
789
88,780,880
この世代から第6世代にかけて、コンソール・ウォー(ゲーム機戦争)と呼ばれるハードウェア同士の性能競争が最高潮に達し、各社とも自社製ゲーム機の高性能ぶりを盛んにアピールした。主要な機種はPlayStation、セガサターン、NINTENDO64の3機種である。この世代でゲーム機市場に新規に参入したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント〈SIE〉)のPlayStationは、安価で開発のしやすいシステムと、サードパーティーの高い支持による充実したソフト群を背景に首位に立った。セガのセガサターンは、PlayStationより早く100万台を売り上げるなど、発売直後は好調さを見せたが、コストカットしにくいハード構成であることからPlayStationとの値下げ競争で苦境に立たされた。
略史
ゲーム機
5,647
789
88,780,880
また、北米では米セガがスーパー32Xを先行して投入するなど、販売戦略において日本セガ側との食い違いが見られ、結果的にユーザー側の混乱を招いて共倒れする形となってしまい、海外市場で不評を買った。任天堂が発売したNINTENDO64は、64ビットの高性能をその名でアピールする象徴的な存在を目指したが、他社に比べて発売が大きく出遅れた上、サードパーティーが少なく、旧来的なROMカセットを採用したためソフトウェアの価格は高めであり価格競争力も低く、北米では成功したが主流となることはなかった。日本でもPlayStationに大きな遅れをとることとなった。北米最大のコンシューマゲーム会社であるエレクトロニック・アーツの創設者が、3DO社を設立してゲーム機市場に参入した。
略史
ゲーム機
5,648
789
88,780,880
ゲーム機やゲームパソコンのメーカーとして黎明期から長らくゲーム業界を支えたアタリがこの世代を最後にハード事業において四半世紀に渡る長い休眠期間に突入し、コモドールが倒産した。それによって、ゲーム用途で使われるパソコンとしてはPC/AT互換機がほとんどとなった。Windows 95の登場後もしばらくゲーム用途ではMS-DOSが主流であったが、DirectXの登場以後は次第にゲーム用途としてもWindowsがメイン環境となった。マイクロソフトはパソコン用ゲームの開発スタジオを多数抱える大手ゲームメーカーとなり、続く第6世代でついにコンシューマ機に参入した。1990年代末 - 2000年代初頭を、この記事では「第6世代」とする。3Dグラフィックスの表現力が上がり、インターネットとの通信や5.1chサウンドにも限定的に対応し始めた。
略史
ゲーム機
5,649
789
88,780,880
メディアはDVD、もしくはDVDの技術を応用した独自規格のディスクが主流となった。この世代を最後にセガはハード販売から撤退し、入れ替わる形でマイクロソフトのXboxが参入した。Xboxは日本国外市場において成功を収めてPS2に次ぐシェアを獲得したが、日本では一般にゲーム機が売れる年末を過ぎた2月に発売したり、初期不良やそれに関する対応などが批判を受けるなど振るわなかった。NINTENDO64の後継機のニンテンドーゲームキューブは日本で一定の支持を得たが、日本国外では前ハードほど振るわなかった。パソコンにおけるブロードバンドの普及期に当たり、ネット対応が不十分な家庭用ゲーム機に先行して、パソコン用のオンラインゲームが充実した。
略史
ゲーム機
5,650
789
88,780,880
中国や韓国などアジアの新興国においても自国製ゲームの普及が見られ始めるが、据置型ゲームは多大な開発コストなどの参入障壁が大きかったことや、アジア諸国における海賊版の横行のためコンテンツ販売では利益を得にくかったなどの理由から、課金制のパソコンオンラインゲームが開発の主流となっていき、これらの国の作品が世界に輸出されるのも多く見られ始めた。2000年代中盤 - 末を、この記事では「第7世代」とする。任天堂のWiiは、Wiiリモコンという体感型のコントローラを搭載し、ハイデフィニション (HD) に対応したPS3とXbox 360もPlayStation MoveやKinectを発売した。いずれの機種もかつてのハードで発売されたソフトの公式エミュレータを用意しコンテンツのダウンロード販売も行われるようになった。
略史
ゲーム機
5,651
789
88,780,880
ビデオ・オン・デマンドなど海外ではXbox 360がスマートテレビのデファクトともいわれた。ソフトメーカーにとってはシェアの先行き不透明な状況が続き、前世代以上にマルチプラットフォームが増加した。Xbox 360とPS3は売れ行きは鈍く、人気ゲームの続編・リメイク・HD対応版の発売が多くなった。Wiiは今までのゲーム機の常識を変え体感型として出したため、新しくて面白さが分かりやすく、同世代のハードに比べ非常に速いペースでシェアを伸ばし2世代振りにハードシェアでのトップになったものの、他のハードとは異なり入力デバイスが特殊である事や同世代のハード中で唯一画質がHD画質に対応していない事等からマルチプラットフォームリリースの対象から外れる事が多かった。
略史
ゲーム機
5,652
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特に画質面において、2011年に地上デジタル放送の完全移行を控え、高画質テレビ(主にHDテレビ)の普及率が大きく上がった事がWiiの長期展開にとって大きなミスとなってしまった。また、後年はWii専用タイトルの数も大きく減少した。結果的にXbox 360やPS3のラインナップが充実していく中、逆にWiiは新作ソフトが不足するようになっていった。第7世代機ではネットワークサービスを利用して、当時のゲームや「ドット絵を利用した、当時のハードウェア環境そのままでの新作」が配信された。
略史
ゲーム機
5,653
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南米やアジアなどの新興国ではネットワーク対応や体感型などを盛り込みながらも安価で低性能なゲーム機が盛んにリリースされており、ブラジルで長らくセガの代理店として活動していたTectoy社が2009年に独自にリリースしたドリームキャストの後継機Zeeboや、中国におけるセガの代理店であるAtGamesがリリースしたZONEおよびそのバリエーションであるSEGA Reactorが代表的な製品である。先進国ではハードから撤退したセガは新興国ではTectoyやAtGamesなどを介してハード事業を継続しており、Tectoyからはメガドライブのモデルチェンジ版であるメガドライブ4も2009年発売された。2010年代前半 - 中盤を、この記事では「第8世代」とする。Wii Uが2012年11月、PS4とXbox Oneが2013年11月に、共に北米地域のホリデーシーズンに合わせて発売された。
略史
ゲーム機
5,654
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3機種全てで北米地域での発売が優先されている。。2012年にはスマートフォンやタブレットの普及によりコモディティ化した高度なモバイルハードウェア・ソフトウェア技術がゲーム機に転用され始め、クラウドファンディングの流行を背景にOUYAやGameStickなど新興企業の手によるAndroidゲーム機の企画・開発が相次いだ。ゲーム開発自由な「オープンプラットフォーム」およびメディア在庫を持たない「デジタルディストリビューション」といった特徴は共通している。また、2013年にはValve CorporationがSteamOS/Steam Machine/Steam Controllerを発表した。
略史
ゲーム機
5,655
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Steam Machineはかねてより構想が伝えられていたSteam Box、すなわち同社のPCゲームプラットフォームSteamのコンシューマ市場展開を担う家庭用ゲーム機・専用ゲーミングPCの規格である(Xi3のPistonは非公認となった)。Gaikai/OnLive/PlayStation Now、Microsoft AzureやAmazon Web Services のように各クラウドのサービス・プラットフォームが台頭し、NVIDIA GeForce GRIDやGクラスタ/Ubitus などはSTBにも使用された(スーパーコンピューターゲーミングを目指していたシンラ・テクノロジーは解散したが、主要メンバーはGenvid Technologiesを立ち上げた)。コンシューマーゲーム機2010年代後半 - 2020年代前半を、この記事では「第9世代」とする。
略史
ゲーム機
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任天堂は前世代のWii Uが販売不振で短命となり、他社に先行する形で2017年3月に、据置機としても携帯機としても遊べるハイブリッドゲーム機としてNintendo Switchを発売。ゲームボーイ発売以降分離していた据置機と携帯機のプラットフォームが統合された。また2019年9月にNintendo Switchの携帯専用機、および廉価版としての位置付けでNintendo Switch Liteも発売された。Oculus VRは2019年5月、初のスタンドアローン型VRゲーム機であるOculus Questを発売。アタリはAtari Jaguar以来約四半世紀ぶりに家庭用ゲーム機業界に復帰し、Atari VCSを発表した。また、マテルもインテレビジョンの権利を買い戻し、Intellivision Amicoを発表した。
略史
ゲーム機
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さらに、ソニー・コンピュータエンタテインメントはPlayStation 5、マイクロソフトはXbox Series X/Sを2020年11月にそれぞれ発売している。この時期からはゲームハードのさらなる高性能化、動画配信サイトの普及によるゲーム実況の人気の高まり、そして営利目的の転売の横行などから、特に発売直後のゲームハードがしばしば供給不足に苦しむようになる。Nintendo Switchは発売3ヵ月が経過しても品薄状態が収まらず、任天堂が公式に謝罪文を発表する事態となった。また2020年には新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって巣ごもり需要がさらに高まり、PlayStation 5などはハードの供給不足が原因でゲームソフトの深刻な販売不振が発生、日本国内では発売二ヵ月後にも関わらず店頭販売に人が殺到し警察が出動する騒ぎも起きている。
略史
ゲーム機
5,658
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この世代ではクラウドゲームサービス・プラットフォームも注目を集めており、Google、Amazon、Facebook、NVIDIAが参入した。コンシューマーゲーム機クラウドゲーム機・サービス1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。
略史
ゲーム機
5,659
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当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。1980年代前半 - 中盤に当たる。1980年代に入るとLCDが安価となり、LCDを搭載した電子ゲームがブームとなった。代表的な製品が、任天堂が1980年に発売したゲーム&ウオッチシリーズであり、モノクロでシンプルなゲームが多数を占めたが、非常に普及した携帯ゲーム機の1つである。ゲーム&ウオッチの一部機種では、後にの主力インターフェイスへと発展する十字キーも先行して採用された。
略史
ゲーム機
5,660
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任天堂、バンダイ、トミー(現在のタカラトミー)、タイガー・エレクトロニクスと言った大手玩具メーカーの他にも多数のメーカーがさまざまな電子ゲームをリリースし、アーケードの移植も盛んであった。1982年、本体に太陽電池を採用し、電池が不要な初のゲーム機であるLCD SOLARPOWERシリーズをバンダイが発売した。1983年、2つのディスプレイを搭載し、3D表示を可能とした初の携帯型ゲーム機であるTomytronic 3D(トミー3D立体グラフィックゲーム)シリーズをトミーが発売した。1984年にはエポック社から、日本初のROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機であるゲームポケコンが発売されたが、商業的にはまたしても失敗に終わった。1980年代後半 - 1990年代前半に当たる。
略史
ゲーム機
5,661
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ROMカートリッジ交換型の携帯型ゲーム機が実用的なスペックを獲得し、多彩なゲームが楽しめるようになった最初の世代である。Atari Lynx、ゲームギアのスペックは第3世代の据置ハードとほぼ同等であり、PCエンジンGTは据置機第4世代のPCエンジンと互換性があった。モノクロ液晶を採用したゲームボーイは、当時としては卓越した性能と画質を持つ他機種に大きく劣っていたが、当時の液晶技術は未熟で消費電力も大きく、カラー液晶機種はさらに高価でバッテリー(単三乾電池)消費も激しかったなかで、コンパクトで長時間駆動できるゲームボーイは携帯型ゲーム機で最も人気を集めた。ゲームギアは日本では商業的に苦戦したが、北米ではゲームボーイに対して善戦した。
略史
ゲーム機
5,662
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実用的な携帯型ゲーム機の登場によって電子ゲームのブームはこの世代で終了したが、電子ゲームは販売されつづけて一定の市場を維持しており、時にたまごっち(バンダイ・1997年)のような大ヒットとなるものもあった。1990年代中盤 - 後半に当たる。スペックは据置ハードの第3世代と同等か、やや上回る程度であり、携帯ハードの第3世代から大きく向上してはいないが、携帯性に優れた薄く小さいボディを実現した。液晶技術の発達により、カラー液晶を採用した機種でも、長時間の運用に耐えられるようになった。赤外線通信機能などを搭載し、通信機能を生かしたゲームが流行した。ビジュアルメモリとポケットステーションは、据置機の外部記憶媒体(メモリーカード)にゲーム機能を付加するものだったが、普及には至らず、後世代機においては採用されなかった。
略史
ゲーム機
5,663
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メガドライブと互換性のあるセガ・ノーマッドや、この時代にあえてモノクロで挑んだワンダースワンなどの意欲的な機種が出たものの、この世代ではカラー化を果たした任天堂のゲームボーイシリーズが一人勝ち状態であった。据置機の外部記憶媒体1990年代末 - 2000年代初頭に当たる。反射型TFT液晶や反射型FSTN液晶を採用したカラー液晶のゲーム機が主流となった。スペック的には据え置きハードの第4世代を上回る程度の機能を搭載し、携帯型ゲーム機における表現の幅が飛躍的に拡大した。前世代と同様に任天堂以外の機種は振るわない結果となり、携帯型ゲーム機において任天堂の独占状態が確立した。この頃から携帯電話の普及率が激増したため、それを使った携帯電話ゲームが登場し始めた。N-GageのようにPDAや携帯電話機能を搭載したゲーム機も出始めた。
略史
ゲーム機
5,664
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N-GageはS60を搭載し、2008年にはアプリケーション・プラットフォーム化した。2000年代中盤 - 末に当たる。DSとPSPによって二分された。前世代までの乾電池に代わりエネルギー密度が高いリチウムイオン電池を採用し、明るいバックライト付き液晶となった。据置機同様にグラフィックの3D化が進み、ネットワークを介したデータのダウンロードやオンラインプレイが可能となった。DSはブルー・オーシャン戦略でライト層もターゲットに据え、PSPはコア層を主なターゲットに据えた。DSはネットへのハードルを下げたニンテンドーWi-Fiコネクション や、タッチパネルの採用は携帯型ゲーム機としては史上初であり、特徴的な2画面による「Touch! Generations」のヒットによってユーザー層が広がり、DSが教育にも取り入れられた。PSPは大型液晶画面と光学ドライブ、高性能マイクロプロセッサを搭載した。
略史
ゲーム機
5,665
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PSPは日本市場においては『モンスターハンター ポータブル』シリーズに恵まれたこともあり、任天堂のハードが一人勝ち状態であった前世代までとは違い善戦した。そして、タカトクイスからゲームロボットを継いだハナヤマは、ゲームロボット九の復刻電子ゲーム機、ゲームロボット21を発売した。2010年代初頭 - 後半に当たる。3DSやPS VitaはカメラによるARやコミュニケーション・ソーシャルを意識した機能が多数盛り込まれた。2013年にはGPUメーカーとして知られるNVIDIAがTegra/Android搭載のNVIDIA SHIELD Portableを発売した。新参Androidゲーム機はこの年のトレンドといえるが、同機はPCをサーバとするゲームストリーミングクライアントでもあり、新たなストリーミングサーバ技術とともに発表され注目を集めた。
略史
ゲーム機
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スマートフォン/タブレットといったスマートデバイス用OSにゲームを意識した機能が盛り込まれた。2008年にAppleのiPhone OS(現・iOS)のSDKが公開されて以降、iPod touch/iPhone/iPadといったiOS用のApp Store やGoogleのGoogle Playが提供された。これまで家庭用ゲーム機向けに展開されてきたシリーズが提供されたり連携も図られた。2010年代後半以降に当たる。SIEが携帯ゲーム機から撤退し、任天堂も据置・携帯両対応のNintendo Switchを出すことで厳密な意味での携帯ゲーム機が出されなくなった中、新たにPanic Inc.がPlaydateを発表した。また、Steam DeckやONEXPLAYER、AYA NEOのように携帯型ゲーム機の形状をしたゲーミングPCも登場し始めるようになった。
略史
ゲーム機
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1980年代にトミーから立体視のできる電子ゲームが発売された(『宇宙壮絶戦車戦』、『ジョーズ』、『スペースレーザーウォー』、『ジャングルファイター』、『コスモ・ル・マン』、『ドッグファイト』、『シャーマンアタック』の7作品が確認されている)。任天堂からは1987年にファミコン3Dシステムが発売、セガからはアメリカ市場においてセガ・マスターシステムでSegaScope 3-D Glassesと複数の対応ソフトが発売された。1994年にはアタリから『ミサイルコマンド3D』と『Wolfenstein3D』のわずか2タイトルだったが、Jaguar VR ヘッドセットが発売された。1995年7月には任天堂からスタンドタイプのバーチャルボーイが発売されるものの、販売台数は振るわなかった。以上のように200x年代前半までは、いずれも散発的にリリースされたに留まる。
立体映像対応のゲーム機
ゲーム機
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2006年11月に発売されたPlayStation 3は2010年4月に公開されたシステムアップデートで3次元ディスプレイへの映像出力に対応し、また2011年2月に任天堂から裸眼立体映像に対応した携帯型ゲーム機ニンテンドー3DSが発売された。
立体映像対応のゲーム機
ゲーム機
5,669
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汎用タイプのPCについてはパーソナルコンピュータの記事を参照のこと。3Dゲーム用に、高性能なGPUやCPU、大容量のメモリなどを搭載したPCについてはゲーミングPCを参照のこと。
PC
ゲーム機
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近年、1970年代後半や1980年代などのゲーム機を懐かしむ人々(当時の若者、現在の年配者)も増えてきており、またそれらの2D的なゲーム、数十年前の雰囲気を現代視点で面白がって楽しむ現代の若者も増えてきており、それらの需要に応えるかたちで、数十年前のゲーム機を復刻させることが活発になってきている。以前と同じゲーム群が動き、概観は当時に似せて小型化し、テレビ受像機との接続についてはHDMI端子で行えるように進化させたものが人気である。また筺体サイズやキータッチまで当時のものに似せて、端子はHDMIやUSBを用意しているものもある。
復刻系ゲーム機
ゲーム機
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790
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『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(ドラゴンクエストツー あくりょうのかみがみ)は、1987年1月26日に株式会社エニックス(現:株式会社スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ用ロールプレイングゲーム。日本では翌年にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録されている。2000年代以降には携帯電話用アプリ(iアプリ、EZアプリ (BREW)、S!アプリ)、スマートフォンアプリ(iOS。Android)としての配信も行われるようになった。
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ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,672
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2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版が、2019年9月27日にはNintendo Switch版がダウンロード配信されている。北米では、1990年にNESにて『Dragon Warrior II』として発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録されている。ファミリーコンピュータ版はゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」にてプラチナ殿堂入りを獲得、また『ファミリーコンピュータMagazine』の「ゲーム通信簿」にてキャラクタ1位、音楽1位、熱中度1位、操作性2位、オリジナリティ1位、お買い得度1位、総合評価1位を獲得した。
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ドラゴンクエストII 悪霊の神々
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ドラゴンクエストシリーズの第2作。徐々に高まった前作の人気を受け、発売直後から方々で品切れ、最終的に大ヒットとなり後に「ドラゴンクエスト現象」といわれる基礎を作った。キャッチコピーは「勇者の伝説が再びよみがえる」。タイトルロゴの「II」のデザインは、盾を模したものとなっている。本作の時代設定は前作『ドラゴンクエスト』(1986年発売)から100年後である。本作の主人公たち3人は勇者ロトの血を引く前作の主人公の子孫たちであり、主人公・ローレシアの王子は、まず仲間のサマルトリアの王子とムーンブルクの王女を見つけ、そして3人で力をあわせて悪の大神官ハーゴンに立ち向かう。前作と本作、後に発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』(1988年発売)の3作はストーリーの関連があることから、後に登場する英雄「ロト」の名を取って「ロトシリーズ」、「ロト三部作」などと呼ばれるようになった。
概要
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,674
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ROM容量は前作の倍の1メガビット(約128キロバイト)となり、既存システムの整理やパーティー制などの新システムが追加され、本作で取り入れられたシステムの大部分は後の作品にも受け継がれている。フィールドマップの広さは前作(100×100)の6倍以上(256×256)となっており、冒険できる範囲が広がり、徒歩だけでなく、船に乗ったり、「旅の扉」で遠隔地へ瞬時に移動したりすることも可能となった。ビジュアル面では海岸線や壁などに代表されるグラフィックが強化されたほか、使用している楽曲数も増加されている。社会現象を巻き起こした続編『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』の発売後には、本作のゲームブック化や小説化、ドラマCD(CDシアター)化も行われている(小説ドラゴンクエスト、ゲームブックドラゴンクエスト、CDシアター ドラゴンクエストを参照)。
概要
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,675
790
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なお、2003年(平成15年)に発売されたスピンオフ作品『ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート』は、本作の世界よりさらに未来という設定になっており、本作とほぼ同様の世界地図が登場している。
概要
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,676
790
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2021年3月19日に改定された。
動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,677
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移植版・リメイク版については移植・リメイクの節を参照。前作は主人公1人だけで冒険をするシステムであったが、本作では複数人のキャラクターが集団で行動するパーティーシステムを採用し、最終的には3人パーティーとなる。3人は能力の成長の仕方、覚える呪文、装備できる武器などが異なる。ただし、前作を経験していないプレイヤーへの配慮として、いきなり2人以上のパーティーで始まるのではなく、ゲームスタート時は1人だけでゲームを進めていくようになっている。本作に登場する3人のプレイヤーキャラクターのうち、「あなた」と呼ばれているのは「ローレシアの王子」であり、その名前はゲームスタート時にプレイヤー自身が付ける。後に仲間になる「サマルトリアの王子」と「ムーンブルクの王女」の名前は、「ローレシアの王子」の名前によって自動的に決定されるが、隠しコマンドを使うことによって自分の好きなように名前を付けることもできる。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,678
790
88,796,709
貨幣のゴールドは全員共有だが、経験値やHP、MPなどのステータスは各キャラクターで別々となっている。アイテムも各キャラクターごと個別に管理され、それぞれ装備品を含めて8個まで持つことができる(まとめ持ちはできない)。仲間がいるときは、移動中にアイテムをほかのキャラクターに渡したり、回復用のアイテムや呪文を他のメンバーに対して使ったりすることもできる。ダンジョンとして前作の『洞窟』のほかに『塔』が登場しており、地下に降りていく洞窟ダンジョンと、上層へ登っていく塔ダンジョンに分かれている。本作における塔は、外縁または吹き抜けから落ちることで地上に脱出したり、下階に移動したりできる(洞窟の場合、脱出の呪文が使えなければ、来た道を最初まで戻って脱出する必要がある)。あるアイテムを装備していると塔から落ちた際にやや離れたところに着地し、これを使わなければ行けない場所がある。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,679
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また、前作では洞窟ダンジョン内は真っ暗で、アイテム「たいまつ」や呪文「レミーラ」で明かりを灯す必要があり、どちらも使えない場合は全くの手探りで移動しなくてはならなくなるという演出であったが、本作では大幅に演出を変え、「たいまつ」「レミーラ」が廃止され、主人公から見通せる範囲だけ表示されるような演出となり、(前作に比べて)こういった演出であれば当時のハードウェア性能を最大限に生かすことができた。すなわち、テレビ画面全体を使いつつも、主人公たちからは見えるはずのない壁の向こうの空間などは表示されず、広い部屋に入れば部屋全体が見渡せる。壁の間にある通路の先が暗闇となっており、この暗闇部分に入ることで画面が切り替わり、隣のエリアに進む。しかし、画面を切り替えた瞬間は、視界の外に潜んでいたモンスターが現れるため、通常より高い確率で敵と遭遇する。これらの演出方法は本作から数作にわたって採用された。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,680
790
88,796,709
移動画面でのメニューコマンドは6つに整理され、1つのコマンドに複数の役割を持たせたり、無駄なコマンドをそぎ落とすなどの整理が行われている。また、階段は上に乗ることで自動的に昇降するようになったため、前作の「かいだん」コマンドは廃止された。城や町などに置かれた店は、武具を買える武器と防具の店、使用する道具を買える道具屋、HP・MPを全回復する宿屋、新しく登場した教会の4つが存在する。前作に登場した聖水屋は道具屋で聖水が販売され、鍵屋は鍵が何度でも使えるようになったため、それぞれ廃止されている。教会では、寄付金を払うことにより、死んだキャラクターの蘇生、毒の治療、呪いの解除が可能である。また、本作限りの店として福引所が用意されている。「ふくびきけん」1枚につき1回福引(スロットマシン形式)に挑戦でき、絵柄が揃えばアイテムが手に入る。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,681
790
88,796,709
「ふくびきけん」は主に、道具屋で買い物をした時に、たまにおまけとしてもらうことができる。本作では移動手段が徒歩(と城へ帰還する呪文やアイテム)だけでなくなり、ほかの移動手段が追加された。シリーズで初めての乗り物として、水上(海・川・湖)を移動することができる船が登場した。フィールド上から主人公たちが乗り込むことによって、水上を移動することができる。ただし浅瀬は通れない。上陸の際は、歩いて通ることのできる地形であればどこにでも上陸できる。地上同様、水上でもモンスターとの戦闘が発生し、水上のみ出現するモンスターもいる。瞬間移動の呪文「ルーラ」や道具「キメラのつばさ」を使ったときは、最後に復活の呪文を聞いた城や町に瞬間移動するようになった。主人公たちと同時に船も移動先の城や町の近くへ移動する。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,682
790
88,796,709
また、旅の扉という青い渦巻状の物体が各地の城・町やほこらなどに用意されており、飛び込むと、遠く離れた場所に一瞬で移動することができる。これを使わないと行くことのできない場所もある。旅の扉の多くは鍵が無いと利用できない。前作同様、フィールド上・ダンジョン内などでランダムエンカウントでモンスターとの戦闘となる。本作ではフィールド画面に戦闘ウィンドウが開くのではなく、背景が黒一色の戦闘専用の画面に移行する形式となっている。コマンド選択時の「コマンド?」のメッセージは削除された。本作ではパーティーを組んでいる主人公一行に対して、敵も徒党を組んで襲い掛かってくる。同じ敵モンスターが複数集まりグループを組んでいる場合もあり、同じモンスターの集団に対しては通常攻撃(たたかう)では通常一体ずつしか攻撃できず、攻撃呪文にはグループ全員や敵全員を攻撃する効果を持つものもある。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,683
790
88,796,709
何匹いるのかはコマンド入力時のメッセージとともにグラフィックでも表示される。前作での主人公と敵とが交互に行動する戦闘システムから、最初に味方全員の行動をコマンド選択で一度に指示し、1ラウンド内に敵・味方各キャラクターが1回ずつ(複数回連続攻撃する敵もいる。味方も装備により2回連続攻撃することも)、各自の素早さにランダム要素を加味して計算された順番で行動するというシステムへと変化した。ただし、戦闘の最初のラウンドでプレイヤー側から一方的に攻撃できる場合(先制攻撃)や、逆に敵から一方的に攻撃を受ける場合(不意打ち)もある。複数のキャラクターが入り乱れるようになったことで戦闘は一気に戦略性が向上し、後のドラゴンクエストシリーズ作品の戦闘システムの基礎を築いた。呪文には、攻撃や回復、状態異常を及ぼすものの他、命中率や防御力などの能力値に影響を与える補助呪文が追加された。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,684
790
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また状態異常には、この「死亡」やコマンド入力が行えない「眠り」、呪文が使えない「マホトーン」に加えて、移動画面に戻ったときに歩くごとにHPが減っていく「毒」と、通常攻撃の命中率が低下する「マヌーサ」が新たに追加された。戦闘コマンドには、何もせず身を守ることにより敵からの攻撃のダメージを減少させるコマンド「ぼうぎょ」が追加された。1キャラクターが選べる戦闘コマンドは4つで、ローレシアの王子は「じゅもん」を選択することができない代わりに「にげる」を選択でき、他のメンバーは「にげる」を選択できない。ローレシアの王子が眠ったり死亡したりしていてコマンド入力できない状態の場合は、コマンド入力可能な最前のキャラクターの「ぼうぎょ」コマンドが「にげる」に変わる。プレイヤーキャラクターのHPが0になると死亡扱いとなり、そのキャラクターは一切の行動ができなくなる。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,685
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88,796,709
全員が死ぬと全滅となり、所持金が半減し、ローレシアの王子のみ生き返り、直前に「復活の呪文」を聞いた場所に戻される。現れた敵をすべて倒すと勝利になり、経験値はとどめを刺したキャラクターと関係なく全員平等に手に入る。ただし死んでいるキャラクターは経験値を得ることはできない。本作ではモンスターが2体以上出現した場合のみ、その匹数により獲得した経験値が割増になるシステムがあり、倒したモンスターの経験値合計×{1+(出現匹数-1)/10}+1(小数点以下切り捨て)が実際の獲得経験値となる。敵の中にはザオリクを唱え、生き返らせるモンスターもいる。本作ではザオリクで生き返ったモンスターを倒すと、その分多くの敵を倒したものとして、戦闘終了後に入る経験値が加算される。途中で逃げたり、味方が「メガンテ」の呪文を使った場合は、一部の敵を倒していても経験値やゴールド(貨幣)は手に入らない。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,686
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本作からは、戦闘に勝利したときに敵モンスターが一定確率で宝箱を落とすことがあり、中には敵の宝箱からしか手に入らないアイテムもある。前作同様、本作にはセーブ用のメモリが搭載されていないため、ゲームの中断と再開には「ふっかつのじゅもん」(復活の呪文)とよばれるパスワードを利用する。本作では最大52文字と前作の20文字より長いが、パーティーの人数や所持品の数などによってパスワードの長さが異なる可変長方式となっている。パスワード入力画面で流れる楽曲は「Love Song 探して」。前作ではパスワードは「ラダトームの城」1か所でしか聞けなかったが、マップの広くなった本作では複数の場所でパスワードを聞くことができ、ゲームを再開するときの出発地点はそのパスワードを聞いた場所となる。前作で城に帰る呪文・道具だった「ルーラ」「キメラのつばさ」は今作では最後にパスワードを聞いた場所に移動する。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,687
790
88,796,709
前作と同じくパスワードには現在のHPやMPの値が記録されないため、パスワードを入力してゲームを再開した時点でHP・MPは必ず最大値となる。死亡状態でも復活した状態で再開するが、この場合は復活に必要なゴールドが差し引かれた状態のパスワードが発行される(不足の場合はゴールドが0となる)。本作発売後には、語呂合わせによっていきなり高レベルからスタートできるなど、さまざまなパスワードが雑誌などに掲載された。もっとも有名な語呂合わせパスワードである「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺ...(以降最後まで「ぺ」)」については、元々裏技として仕込まれたものではなく偶然ユーザーによって発見されたものだと堀井雄二が語っている。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,688
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なお、本作のふっかつのじゅもんは、「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」でも使用可能となっており、ゲームをある程度有利な状態から始めることができるようになっている。当初はオープニングのエピソードは絵物語形式で進行する予定だったが、容量の都合により削除され、使用される予定だったドット絵(正確には線を引いて内部を塗りつぶすプログラムとそれを指定するデータにより描画しており、これを担当した専任のプログラマがいた)は取扱説明書の6ページに1枚だけ採用されている。また他にもストーリーの途中で紙芝居的な演出を行う予定があったがそれも削除された。アイテムでは「あぶないみずぎ」がFC版で使用可能なアイテムとして収録される予定だった。後述するようにMSX版以降では収録が実現している。他にも「耳せん」「死のオルゴール」などのアイテムがカットされ、その影響でダンジョン内のからっぽの宝箱が増えた。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
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次作『ドラゴンクエストIII』から登場するだいおうイカを始めとするイカのモンスターは当初は本作で登場予定であった。これに関する出典はファミリーコンピュータMagazineの『ドラゴンクエストII』の記事にて登場モンスターの一体として写真付きで掲載されている。北米で発売されたNES版『Dragon Warrior II』は、内容は日本版とほぼ同じだが、日本版には無かったプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)が追加されている。また、データの保存にバッテリーバックアップ方式が採用され、日本版での教会の十字架が五芒星のマークに、棺桶が幽霊のグラフィックに変更されている。本作では次のようなバグが確認された。これらは雑誌などでは「裏技」として紹介された。一部はゲームブック版(エニックス刊)でも採用された。以上はリメイク版では解消されているが、SFC版については別のバグがいくつか発覚している。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,690
790
88,796,709
後のGB版以降で修正された。
ゲーム内容
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,691
790
88,796,709
『ドラゴンクエスト』において、アレフガルドを恐怖に陥れた竜王は勇者ロトの血を引く勇者によって倒され、それ以降、世界は平和な時代が続いた。勇者はラダトームの姫であったローラとともに新たな地を訪れ、国を築く。国号は妻の名を採って「ローレシア」とされた。その後、国はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクという3つの王国に分割され、勇者とローラがもうけた3人の子供とその子孫が各国を治めていった。本作はそれから100年が経ち、平和が破られた後の物語である。ムーンブルク王国の城が邪教の教祖大神官ハーゴンの手先によって滅ぼされ、ムーンブルクから脱出した1人の兵士がローレシアにたどり着く。兵士はハーゴンのことをローレシア王に伝えるとその場で息絶える。サマルトリアやローレシアがハーゴンの手に落ちてしまうのを阻止するため、ロトの末裔であるローレシアの王子(主人公)が、ハーゴン討伐のためローレシアを旅立つ。
設定
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,692
790
88,796,709
旅の途中、サマルトリアの王子、そして行方不明となっていたムーンブルクの王女と出会い、仲間に加える。旅を続ける一行は、アレフガルドにて竜王のひ孫と出会い、ハーゴンを倒すには精霊の力が必要であり、その力を借りるには5つの紋章が必要だと聞かされる。そして一行は世界各地を巡って5つの紋章を集め、精霊ルビスの加護を授かる。その後、一行はハーゴンを討ち倒すことに成功するが、その死に際にハーゴンは破壊神シドーを召喚する。こうして主人公たちはシドーとの最後の戦いに臨むこととなる。アレフガルド一国のみが舞台だった前作だが、本作ではそのアレフガルドを含んだ世界すべてが舞台となる。世界地図の北端と南端、東端と西端はそれぞれ繋がっており、例えば世界地図の北西に位置するルプガナから北方へ向かうと南西のベラヌールに、西方へ向かうと北東のローレシア大陸に着く。
設定
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,693
790
88,796,709
これは以降のドラゴンクエスト作品すべてについていえることである。物理的なマップの広さは前作の6倍以上となったが、アレフガルドのみにマップ全域を充てていた前作に比べればアレフガルドそのものは縮小され、ラダトーム城、竜王の城、沼地の洞窟、聖なるほこらのみを残し、前作で登場したそれ以外の町・村や洞窟は省略されはしたが、ドムドーラからメルキドヘ向かう途中で通る砂漠の山岳は規模を縮小しながらも残された他、リムルダールの町があった場所には、町を取り囲んでいた湖が残されているなど、特徴的な物がいくつか残されており、縮小、簡素化されながらも前作を彷彿させている。物語を進めるうえで特に重要な道具について解説する。
設定
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,694
790
88,796,709
この節ではゲーム内で語られる設定を中心に述べる。100年後ということにより、前作の登場人物の子孫が主要キャラクターとして登場している。ファミリーコンピューターMagazineに掲載されたロト一族の家系図(中村光一が子どもたちの質問に答える記事)によると、3人は「はとこ」の関係となる。前作から100年後という設定を考慮し、キャラクターのコスチュームアレンジが中近世的なものからスチームパンク作品的なものとなった。それぞれの盾、服、頭巾にロトの紋章が施されている。同盟国同士でもあるが、物語開始時点ではプレイヤーキャラクター3人に互いの面識はない(双葉社のゲームブックも同様)。ただし、リメイク版ではサマルトリア王子、ムーンブルク王女が幼少時にローレシア城を訪れていることが明らかになっている。小説やエニックスのゲームブック、CDシアターでは物語開始時点で3人とも顔見知りである。
登場人物
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,695
790
88,796,709
最高レベルはFC、MSX/MSX2、SFC、GB版での値。携帯電話版では3人とも50に統一されている。解説文中の呪文の詳細はドラゴンクエストシリーズの呪文体系を参照。
登場人物
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,696
790
88,796,709
FC版の約一年後に発売されており、内容はFC版とほぼ同じだが、ロムの容量が増えたことでオリジナルアイテムとしてムーンブルクの王女のみが装備できる防具「あぶないみずぎ」のアイテム並びにイベントの追加や、「あくましんかん」4匹などFC版では無かった敵のフォーメーションが登場し、全体的に敵が強く設定されているなどの変更が行われている。音源が異なるため、メロディーラインが全てデューティ比50:50の矩形波になっている他、BGMにアレンジが施されており、特にパスワードを入力する際のBGM「Love Song 探して」はポルタメントを多用し、「歌」を強く意識したアレンジとなっている。ほぼ全曲においてFC版より長2度低く、例えばハ長調の王宮のテーマは変ロ長調になる。コマンド画面でのアイテム表示が、8個一列ではなく4個二列に変更されている。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,697
790
88,796,709
MSX版では、単色スプライトでないと複数個のキャラクターの横並びが困難で、PCGが横8ドット毎に2色までしか表現できないために、スプライトとPCGを組み合わせてキャラクターを表示している。そのためにキャラクターの背景が黒く表示されるが、MSX1でもファミコン版に近い色使いのキャラクターを実現し、主人公3人の行進が可能となった。前述のPCGの表示制限により敵の色や背景の模様がのFC版と一部異なる、効果音が鳴っている間はBGMのパートが一部欠けるなどの違いもある。「あぶないみずぎ」入手時のイベントで、露出度の高い水着を着たムーンブルクの王女(鳥山明のデザインとは別物)のグラフィックが画面全体に表示される。 画面スクロールはPCG8ドット毎。MSX2版はFC版に忠実なグラフィックを実現している。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,698
790
88,796,709
戦闘突入時のフェードアウトがFC版と違い、MSX版はパレットが固定なので直接に戦闘画面・MSX2版はパレットを暗くしていく(フェードイン・フェードアウト)方式となる。「あぶないみずぎ」のグラフィック表示はカットされているが、台詞など、イベントそのものは同一である。画面のスクロールにおいて、MSX2版の速度はFC版よりも遅い。FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から6年後の1993年(平成5年)に第1作『ドラゴンクエスト』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売された。町の人の台詞なども一部が変更・追加されたほか、NES版に追加されていたプロローグ(ムーンブルク城が襲われるシーン)とゲーム中盤でのシナリオの追加も行われた。1999年(平成11年)に発売。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,699
790
88,796,709
SFC版と同様、第1作とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、GB版ではその場でゲームを中断する「中断の書」機能が追加されている。2005年(平成17年)から配信が開始された携帯電話アプリ。iアプリ(メガアプリ非対応機種)版では容量の問題のために前編アプリと後編アプリに分けられており、それ以外の機種では1つのアプリに全編が収録されている。グラフィックはSFC版『III』を、サウンドはゲームボーイ版『I・II』をベースとしたものになっているが、音楽の長さが一部短縮されている(FC版相当)ものもある。また、プロローグでは「パストラール〜カタストロフ」は使用されず、「王城」と「戦い」に変更されている。GB版同様、「中断の書」機能が搭載されている。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,700
790
88,796,709
このほかには、レベルや必要経験値・呪文習得レベルの設定の変更や、攻撃呪文「ギラ」「ベギラマ」の対象範囲の変更、瞬間移動呪文「ルーラ」および瞬間移動アイテム「キメラの翼」の仕様変更(『ドラゴンクエストIII』以降のように行先の選択が可能に)、出現するモンスターの一部変更、「命の紋章」の入手場所の変更(紋章を全て揃えないとロンダルキアの洞窟に入れない仕様に変更された)、最高レベルが3人とも50までに変更(FC版・SFC版・GB版では、ローレシアの王子が50、サマルトリアの王子が45、ムーンブルクの王女が35)、などが行われている。2011年(平成23年)9月に発売。FC版の第1作・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加されている。2014年6月26日にAndroidおよびiOS向けに配信開始。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,701
790
88,796,709
『I』同様にアプリケーション『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』から購入・起動する方式。フィーチャーフォン版をベースに移植。グラフィック、操作方法はスマートフォン版『I』同様。戦闘画面ではNintendo DSのリメイク作等のように指定した行動が表示される。BGMはスマートフォン版『I』、『IV』同様交響組曲版をベースにしたシンセサイザー音源で、戦闘終了後のBGMは『I』同様途中から続けて流れる。2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。ニンテンドー3DS版はアイテムの「やまびこのふえ」が紋章のある場所と無い場所でのSEが逆になっている。
他機種版
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,702
790
88,796,709
すぎやまこういちは本作のBGM用として前作でベースにしていたバロック音楽を踏襲しつつ、前作から100年後の未来という世界設定に合わせ、ポップス寄りの曲も作曲した。エンディング曲「この道わが旅」は、アニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』およびアーケードゲーム『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』でもエンディング曲として採用された。ゲーム中の名前・パスワード入力時に使用されている楽曲には、牧野アンナが歌う「Love Song 探して」が使用されている。牧野はゲーム中に「アンナ」の名前でゲスト出演しており、話しかけるとBGMが同曲に変化するというサービスがある。リメイク版ではこの演出は無くなっている。この曲もアニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』のBGMで使用されている。
音楽
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,703
790
88,796,709
本作は、特にゲーム後半で重要アイテムを持つ人物「ラゴス」の発見が難解とされたこと、序盤から雑魚敵が強い、ダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さ、ルビスのほこらの発見が困難、最終ダンジョンの2階へ行くヒントが無い、最終ボスのシドーが完全回復呪文「ベホマ」を使用する(リメイク版は使用しないかわりにHPが多くなっている)ことなどから、「最高難度のドラゴンクエスト」と評されることもある。製作者の中村光一はテレビ番組でのクリエイターインタビューにおいて、ロンダルキアへの洞窟について「(迷路を抜ける古典的なテクニックである)壁を右手伝いで辿って行けば、穴に落ちずに抜けられるように作ってあるので、あんなに反響が多いとは思わなかった」とコメントしていた。
評価
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,704
790
88,796,709
さらに、終盤のテストプレイに十分な時間をかけられなかったせいで、「洞窟に挑む際は多分これくらいのレベルだろう」との想定で行われたバランスを読み誤り、高い難易度のまま確定してしまったことも明かしている。
評価
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,705
790
88,796,709
本作のゲーム画面の雑誌への掲載が著作権侵害とされたハイスコア事件の裁判の判決(地裁)と解説が判例百選に掲載されている。中村光一によると、最終的に容量は10バイトほど余ったため、当時の開発用基板についていたLEDランプを順番に点灯させるお遊びが仕込まれている。当然一般ユーザーは発見することができないものだったが、遠藤雅伸はこの仕掛けに気付いたという。
備考
ドラゴンクエストII 悪霊の神々
5,706
792
87,491,758
癇癪玉(かんしゃくだま)は花火の一種であり、火薬を利用して大きな音を立てて遊ぶための玩具。クラッカーボール、投げ弾とも言う。赤・青・黄などで彩色された直径7~8mm の玉の形をしている。外皮の中に火薬と小石が入っており、地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。パチンコを使用して発射する場合もある。平玉火薬と同様に、映画やドラマなどで銃弾が命中したときの特殊効果・効果音にも使用される。鉄柱やコンクリート壁など、穴を開けて弾着(特殊効果用の煙火)を仕掛けることのできない物体に対して、パチンコで飛ばして破裂させ、火花と煙を出す効果を得る(ちなみに銃弾は爆発しないので、この演出は実は誤り)。火薬類取締法施行規則(第1条の5第1号のヘ「爆発音を出すことを主とするもの」の(1))では、「直径1cm以下、重量1g以下、爆薬量が0.08g以下」である事が定められている。
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癇癪玉
5,707
792
87,491,758
材質は鶏冠石と塩素酸カリウムを砂にまぶし、薄紙で包んだものであるとされる。音を出す事を目的とした玩具用花火には、他にクリスマス・クラッカーがあるが、癇癪玉が1919年に日本で考案されたものであるのに対して、クリスマス・クラッカーは1847年に英国で考案されたものとされている。両者の英語名の語源である爆竹(ファイアークラッカー)の歴史は更に古く、紀元前200年の中国まで遡る。癇癪玉の考案者は静岡県のイケブンであるとされるが、当初は「五色玉花火」や「五色玉」と呼ばれていたものが、第二次世界大戦後の対米輸出開始時にクラッカーボールの名称が使われ始めたという。欧米の花火コレクターの間で現存する日本製の玩具花火には、クラッカーボールの他にロケット花火(英語版)が存在しており、連合国軍占領下の日本における比較的著名な輸出品であった事が偲ばれる。
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癇癪玉
5,708
792
87,491,758
欧米では癇癪玉よりも大きな、アメリカンクラッカーに近い大きさのクラッカーボールもあり、爆竹のように導火線に着火して用いる。癇癪玉と類似した「衝突させて大きな音を出す玩具花火」では、ハンド・ブラスター(Hand Blaster)と呼ばれるものもあり、2個一組で販売されている球を互いにぶつけあう事で、400回程度大きな音を発生させる事ができ、表面に塗布された火薬がぶつけた個所のみ発火する構造のため、「手の中で発火させても安全」であるとされている。
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癇癪玉
5,709
793
84,081,867
銀玉鉄砲(ぎんだまでっぽう)は、遊戯銃の一種である。スプリングガンやストライカーガンとも呼ばれる。装填した銀玉を、ばねの力で前進するストライカーによって叩き、発射する機構をもつ。この機構を、銃器雑誌「月刊Gun」では「ストライカー方式」と呼んでいる。ばねを押し縮める動作を引き金と連動させた、実銃でいうダブルアクションに相当するものは、連続して発射することができる反面、引き金の引きが重くなりがちであるが、初期のものを除けば、ほとんどがこのタイプである。発売は1960年(昭和35年)という。これらは主に駄菓子屋や玩具店で販売され、また縁日の露店でも販売されていた。小学校低~中学年向けで威力は弱く、至近距離でも新聞紙一枚射抜けなかったほどである。1980年代頃までは、児童らが盛んにお互いを撃ち合ったりして遊ぶのに用いられていた。エアソフトガンの先祖とも言える製品である。
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銀玉鉄砲
5,710
793
84,081,867
引き金を引くと内部のストライカーが後退し、ストライカーが一定範囲以上に後退すると、弾丸となる銀玉の入っているチャンバー内から一個の銀玉が銃身内に落下、ストライカーが完全に後退しきった所でフックが外れ、ストライカーがバネの力で勢いよく前進して銀玉を押し出し、発射する。チャンバーには10~30発程度の銀玉を入れることが出来た。なお、人を狙うことができる射程は精々5m未満であった。モデルとなるピストルには、コルト・ガバメントやワルサーP38、ルガーP08があった。これらは小学校低学年の児童の手に馴染むサイズに縮小化されていた。他にもオリジナルの形状をしたものも見られ、形状はリボルバーだが上部にドラムマガジンが付いているなど構造的には自動拳銃のようなものもあった。銀玉は、石膏や土(粘土)のようなものを丸めて直径7mm程度にして、表面を銀に着色してある。
構造
銀玉鉄砲
5,711
793
84,081,867
また1970年代~1980年代には緑色をしたプラスチック製の円盤を発射する製品もあった。また、1980年代初頭から、銀玉より一回り小さいBB弾を使用するモデルも登場してきている。銀玉は先に述べたように土を圧搾して固めてあるだけの物であるため、雨に打たれたり踏み潰されたりすれば数日程度で自然に風化するようなものだった。
構造
銀玉鉄砲
5,712
794
87,866,923
オンラインゲーム(英: Online game)とは、主にオンラインによるコンピュータネットワークを利用したゲーム(コンピュータゲーム)。略して、オンゲー、ネットワークゲーム、ネットゲーム、ネトゲとも呼ばれる。テーブルトークRPGのチャットプレイである「オンラインセッション」や投稿参加型のマルチユーザーゲームである「定期更新型オンラインゲーム」など、必ずしもコンピュータによるゲーム進行処理やリアルタイム処理を必要としないゲームプレイも、オンラインの場で多数のユーザーを集めて行うものはオンラインゲームと呼ぶこともある。
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オンラインゲーム