id
int64
3
39.4k
title
stringlengths
1
80
text
stringlengths
2
313k
paragraphs
listlengths
1
6.47k
abstract
stringlengths
1
52k
wikitext
stringlengths
10
330k
date_created
stringlengths
20
20
date_modified
stringlengths
20
20
templates
listlengths
0
20
url
stringlengths
32
653
19,438
中学校社会 公民/悪徳商法と消費者トラブルについて
街角で声をかけ、事務所や喫茶店や営業所などにつれこんで、強引に契約させたりする。 電話などで「抽選に当たった」などと言って、「賞品を受け渡したいので事務所に来てほしい」などと言って事務所に呼び出して、事務所で強引に賞品を購入させる方法。 商品を販売しながら会員を勧誘し、会員は会費として高い値段で商品を買わねばならないが、もし自分が会員になれば、一時的には会費を出費するが、新規の会員を勧誘して入会させれば、今度は自分は紹介料をもらえて儲かるので、最終的には得をする、・・・などと言って勧誘する。 もちろん、マルチ商法は、いきづまる。 なぜかというと、新規会員を入会させるともらえる「紹介料」とやらの出どころは、もとをただせば、今までの会員が買わされた高額商品の出費である。なので、多くの会員は損をする側になっている。また、人間の数には限りがあり、いつかは必ず、会員が増えなくなる。よってマルチ商法の会員は、だいたいの場合は損をする側になる。 消費者トラブルについての相談機関として、地方自治体が消費生活センターを設置している。 また、国が、国民生活センターという機関を設置しており、消費者への情報提供、商品テストなどの活動をしており、消費生活センターとも連携している。 消費者庁では、電話で相談できる窓口の「消費者ホットライン」をもうけている。消費者庁は2009年に設立した省庁である。消費者庁は、2009年のそれまで、いろんな省庁で別々に行われていた消費者トラブルなどについての対応を、あたらしく消費者庁で一元化することによって行政を効率的にするため、あたらしく設立された庁である。 消費者トラブルになってしまったと感じたら、けっして一人では悩まずに、なるべく消費生活センターなど、公共の相談機関に、直接、行って、相談したほうがよいだろう。詐欺師の中には、ウソの肩書として「消費生活センター」などの職員を名乗る詐欺師も、いるかもしれない。なので、消費生活センターなどに相談する場合は、なるべく直接、消費生活センターなどに出向くのが望ましい。 消費生活センターの場所が分からない場合は、市役所などの役所に相談して教えてもらおう。地域によっては市役所の中に、消費生活センターの窓口がある場合もある。 悪質な業者や詐欺師(さぎし)には、いちど、詐欺にあった人を、「だましやすい人」と判断して、「もっと、だまそう」と考えて、さらにだまして来る場合もある。そのような、さらにだます手口として、たとえば「詐欺への救済手続きの代行をする」などのウソをついて、「手数料」などとして、お金をだまし取る詐欺業者もある。 詐欺師には、ウソの肩書として警察や弁護士または、警察・弁護士などの関係者などを名乗り、やはり、手数料などと称して、金をだまし取る手口もある。詐欺師の中には、消費生活センターの職員を名乗る詐欺業者も、いるかもしれない。 なので、悪質業者や詐欺業者に引っかかってしまったと感じたら、消費者の取るべき対策は、まず消費生活センターなどの公共の相談機関に、直接に出向いて相談することである。 契約とは、法律上の約束のことである。契約は、原則的には、一方的には解除できない。 もし、一方的に契約が解除できるとすると、合法的に契約されたものまで解除されてしまうと、社会が混乱してしまうからである。 ただし、訪問販売やキャッチセールスなどのように、消費者が自ら店舗に出向いた取引の場合、一定期間内なら、書面で取り消しを通知することで契約の取り消しができる。この制度をクーリング・オフ制度という。 クオーリング・オフ(cooling off)とは「頭を冷やしてから、考える」という意味である。 クーリング・オフは、契約直後から一定期間内しか出来ないので注意。販売方法の種類によって取り消しできる期間の日数がちがうが、たいていの場合の期間は販売後8日まで、である。 また、通信販売は、クーリング・オフできない。通院販売では事業者が自主的にクーリング・オフに応じない限りは、通院販売ではクーリングオフができない。 訪問販売だからといって、かならずしも詐欺とか悪質商法とは限らず、そのため商品の購入の契約をしてしまった場合、契約を守る義務が発生するからである。 また、消費者契約法(しょうひしゃ けいやくほう)により、事業者が契約内容について事実とちがう説明をした場合に、契約を取り消すことができる。また、事務所などにつれこまれて、契約しないと帰らしてもらえなかったりして、強制的に契約させられた場合も、消費者契約法により、契約を取り消しできる。 ・いらない場合は、けっして「いいです」とか「結構です」などのような、どちらとも受け取れる表現では、ことわらない。「いらないです」「買わないです」などというふうに、はっきりと断る。「いりません」だと、「いりま」と言った段階で相手が「いりますか? いるんですね?」と拒否の返答を遮ってきたりする場合がありうるで、「いらないです」と言って断るほうが、より安全です。 ・むやみやたらにサイン、署名(しょめい)をしない。サインしただけでも、契約が成り立つ。 家庭などで、宅配などの際、受け取りにサインをお願いされる場合もあるが、親などが留守で、子供だけでは信頼していいかどうかわかりづらい業者の場合、サインをせず、「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」という事情を話して、いったん帰ってもらうのが望ましいだろう。 宅配や郵送をよそおった詐欺商法などの場合もありうる。なので、なるべく宅配時に留守をしている子供は、親に確認してから受け取る、あるいは親本人に受け取ってもらうのが望ましい。 まともな業者なら、どのみち、もしも宅配時に相手が留守なら不在通知をポストなどに入れて商品は持ち帰るので、事情を話せば、まともな業者なら、不在通知などをわたして帰ってくれるはずである。 「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」というのは、一時的な受け取りを拒否する理由として、常識的には正当な理由であろう。 それでも宅配員が帰らない場合は、そもそも信頼できない業者であるか、または信頼できない宅配員である。 もしも、大手の宅配企業の宅配員が、そのような、親が不在の場合に受け取り拒否を認めない対応をすれば、相手企業に苦情を入れるべきである。相手企業に苦情を入れられるようにするため、相手企業の連絡先のメモをして、ひかえておくべきであろう。 こまったことに、一部の宅配員や宅配企業の中には、受け取り家庭の子供が「親が外出中」という理由を話しても、受取り拒否をみとめようとしない場合がある。なので、こういう場合には、あとで消費生活センターなどに相談を入れるのが望ましいだろう。 「無料」と言っても、サービスの一部が無料なだけで、有料な部分があるゲームが多い。ゲーム中で有料サービスを申し込むとゲームを有利に進められるなどのサービスがあり、そのためお金のない子どもが不用意に有料サービスを購入してトラブルになる事例がある。そもそもゲーム会社は利益を出すためには、何らかの有料サービスを売らなければいけない。 商品の実物が直接は確認できないので、購入後に、事前の情報と違っていたというトラブルがある。 オークションとは、一種の せり である。そのため、定価のような決まった価格はないので、たとえ法律にのっとって行われても、最終的な値段が、とても高い値段になることがある。 一個人が出品しているのが普通なので、出品者が詐欺的な人物だったりすると、たとえば代金を支払ったのに、商品が渡されないなどの詐欺がある。 ほかの詐欺の方法では、たとえば出品者の関係者が落札希望者として参加して、不当に価格をつりあげる詐欺などの事例もある。 また、国際的な消費者運動の団体である国際消費者機構(CI)が、消費者の8つの権利と5つの責任を定めている。 ※ 検定教科書でも近年では、電子教科書版や教師用マニュアルなどで家庭科の教科書にリンクしています(東京書籍の公式サイトのデジタルパンフレットで確認)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "街角で声をかけ、事務所や喫茶店や営業所などにつれこんで、強引に契約させたりする。", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "電話などで「抽選に当たった」などと言って、「賞品を受け渡したいので事務所に来てほしい」などと言って事務所に呼び出して、事務所で強引に賞品を購入させる方法。", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "商品を販売しながら会員を勧誘し、会員は会費として高い値段で商品を買わねばならないが、もし自分が会員になれば、一時的には会費を出費するが、新規の会員を勧誘して入会させれば、今度は自分は紹介料をもらえて儲かるので、最終的には得をする、・・・などと言って勧誘する。", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "もちろん、マルチ商法は、いきづまる。", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なぜかというと、新規会員を入会させるともらえる「紹介料」とやらの出どころは、もとをただせば、今までの会員が買わされた高額商品の出費である。なので、多くの会員は損をする側になっている。また、人間の数には限りがあり、いつかは必ず、会員が増えなくなる。よってマルチ商法の会員は、だいたいの場合は損をする側になる。", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "", "title": "悪質商法の例" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "消費者トラブルについての相談機関として、地方自治体が消費生活センターを設置している。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、国が、国民生活センターという機関を設置しており、消費者への情報提供、商品テストなどの活動をしており、消費生活センターとも連携している。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "消費者庁では、電話で相談できる窓口の「消費者ホットライン」をもうけている。消費者庁は2009年に設立した省庁である。消費者庁は、2009年のそれまで、いろんな省庁で別々に行われていた消費者トラブルなどについての対応を、あたらしく消費者庁で一元化することによって行政を効率的にするため、あたらしく設立された庁である。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "消費者トラブルになってしまったと感じたら、けっして一人では悩まずに、なるべく消費生活センターなど、公共の相談機関に、直接、行って、相談したほうがよいだろう。詐欺師の中には、ウソの肩書として「消費生活センター」などの職員を名乗る詐欺師も、いるかもしれない。なので、消費生活センターなどに相談する場合は、なるべく直接、消費生活センターなどに出向くのが望ましい。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "消費生活センターの場所が分からない場合は、市役所などの役所に相談して教えてもらおう。地域によっては市役所の中に、消費生活センターの窓口がある場合もある。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "悪質な業者や詐欺師(さぎし)には、いちど、詐欺にあった人を、「だましやすい人」と判断して、「もっと、だまそう」と考えて、さらにだまして来る場合もある。そのような、さらにだます手口として、たとえば「詐欺への救済手続きの代行をする」などのウソをついて、「手数料」などとして、お金をだまし取る詐欺業者もある。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "詐欺師には、ウソの肩書として警察や弁護士または、警察・弁護士などの関係者などを名乗り、やはり、手数料などと称して、金をだまし取る手口もある。詐欺師の中には、消費生活センターの職員を名乗る詐欺業者も、いるかもしれない。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なので、悪質業者や詐欺業者に引っかかってしまったと感じたら、消費者の取るべき対策は、まず消費生活センターなどの公共の相談機関に、直接に出向いて相談することである。", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "", "title": "消費者トラブルの相談先" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "契約とは、法律上の約束のことである。契約は、原則的には、一方的には解除できない。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "もし、一方的に契約が解除できるとすると、合法的に契約されたものまで解除されてしまうと、社会が混乱してしまうからである。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ただし、訪問販売やキャッチセールスなどのように、消費者が自ら店舗に出向いた取引の場合、一定期間内なら、書面で取り消しを通知することで契約の取り消しができる。この制度をクーリング・オフ制度という。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "クオーリング・オフ(cooling off)とは「頭を冷やしてから、考える」という意味である。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "クーリング・オフは、契約直後から一定期間内しか出来ないので注意。販売方法の種類によって取り消しできる期間の日数がちがうが、たいていの場合の期間は販売後8日まで、である。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、通信販売は、クーリング・オフできない。通院販売では事業者が自主的にクーリング・オフに応じない限りは、通院販売ではクーリングオフができない。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "訪問販売だからといって、かならずしも詐欺とか悪質商法とは限らず、そのため商品の購入の契約をしてしまった場合、契約を守る義務が発生するからである。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "また、消費者契約法(しょうひしゃ けいやくほう)により、事業者が契約内容について事実とちがう説明をした場合に、契約を取り消すことができる。また、事務所などにつれこまれて、契約しないと帰らしてもらえなかったりして、強制的に契約させられた場合も、消費者契約法により、契約を取り消しできる。", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "消費者トラブルの解決法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "・いらない場合は、けっして「いいです」とか「結構です」などのような、どちらとも受け取れる表現では、ことわらない。「いらないです」「買わないです」などというふうに、はっきりと断る。「いりません」だと、「いりま」と言った段階で相手が「いりますか? いるんですね?」と拒否の返答を遮ってきたりする場合がありうるで、「いらないです」と言って断るほうが、より安全です。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "・むやみやたらにサイン、署名(しょめい)をしない。サインしただけでも、契約が成り立つ。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "家庭などで、宅配などの際、受け取りにサインをお願いされる場合もあるが、親などが留守で、子供だけでは信頼していいかどうかわかりづらい業者の場合、サインをせず、「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」という事情を話して、いったん帰ってもらうのが望ましいだろう。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "宅配や郵送をよそおった詐欺商法などの場合もありうる。なので、なるべく宅配時に留守をしている子供は、親に確認してから受け取る、あるいは親本人に受け取ってもらうのが望ましい。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "まともな業者なら、どのみち、もしも宅配時に相手が留守なら不在通知をポストなどに入れて商品は持ち帰るので、事情を話せば、まともな業者なら、不在通知などをわたして帰ってくれるはずである。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」というのは、一時的な受け取りを拒否する理由として、常識的には正当な理由であろう。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "それでも宅配員が帰らない場合は、そもそも信頼できない業者であるか、または信頼できない宅配員である。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "もしも、大手の宅配企業の宅配員が、そのような、親が不在の場合に受け取り拒否を認めない対応をすれば、相手企業に苦情を入れるべきである。相手企業に苦情を入れられるようにするため、相手企業の連絡先のメモをして、ひかえておくべきであろう。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "こまったことに、一部の宅配員や宅配企業の中には、受け取り家庭の子供が「親が外出中」という理由を話しても、受取り拒否をみとめようとしない場合がある。なので、こういう場合には、あとで消費生活センターなどに相談を入れるのが望ましいだろう。", "title": "勧誘などを断るときの注意点" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "「無料」と言っても、サービスの一部が無料なだけで、有料な部分があるゲームが多い。ゲーム中で有料サービスを申し込むとゲームを有利に進められるなどのサービスがあり、そのためお金のない子どもが不用意に有料サービスを購入してトラブルになる事例がある。そもそもゲーム会社は利益を出すためには、何らかの有料サービスを売らなければいけない。", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "商品の実物が直接は確認できないので、購入後に、事前の情報と違っていたというトラブルがある。", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "オークションとは、一種の せり である。そのため、定価のような決まった価格はないので、たとえ法律にのっとって行われても、最終的な値段が、とても高い値段になることがある。", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "一個人が出品しているのが普通なので、出品者が詐欺的な人物だったりすると、たとえば代金を支払ったのに、商品が渡されないなどの詐欺がある。", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ほかの詐欺の方法では、たとえば出品者の関係者が落札希望者として参加して、不当に価格をつりあげる詐欺などの事例もある。", "title": "消費者トラブルの事例" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また、国際的な消費者運動の団体である国際消費者機構(CI)が、消費者の8つの権利と5つの責任を定めている。", "title": "消費者の権利と責任" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "", "title": "消費者の権利と責任" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "※ 検定教科書でも近年では、電子教科書版や教師用マニュアルなどで家庭科の教科書にリンクしています(東京書籍の公式サイトのデジタルパンフレットで確認)。", "title": "※ 他教科関連" } ]
null
== 悪質商法の例 == * キャッチセールス 街角で声をかけ、事務所や喫茶店や営業所などにつれこんで、強引に契約させたりする。 * アポイントメント・セールス 電話などで「抽選に当たった」などと言って、「賞品を受け渡したいので事務所に来てほしい」などと言って事務所に呼び出して、事務所で強引に賞品を購入させる方法。 * マルチ商法、マルチまがい商法 商品を販売しながら会員を勧誘し、会員は会費として高い値段で商品を買わねばならないが、もし自分が会員になれば、一時的には会費を出費するが、新規の会員を勧誘して入会させれば、今度は自分は紹介料をもらえて儲かるので、最終的には得をする、・・・などと言って勧誘する。 もちろん、マルチ商法は、いきづまる。 なぜかというと、新規会員を入会させるともらえる「紹介料」とやらの出どころは、もとをただせば、今までの会員が買わされた高額商品の出費である。なので、多くの会員は損をする側になっている。また、人間の数には限りがあり、いつかは必ず、会員が増えなくなる。よってマルチ商法の会員は、だいたいの場合は損をする側になる。 * 押し売り :※ 未記述. == 消費者トラブルの相談先 == 消費者トラブルについての相談機関として、地方自治体が'''消費生活センター'''を設置している。 また、国が、'''国民生活センター'''という機関を設置しており、消費者への情報提供、商品テストなどの活動をしており、消費生活センターとも連携している。 '''消費者庁'''では、電話で相談できる窓口の「消費者ホットライン」をもうけている。消費者庁は2009年に設立した省庁である。消費者庁は、2009年のそれまで、いろんな省庁で別々に行われていた消費者トラブルなどについての対応を、あたらしく消費者庁で一元化することによって行政を効率的にするため、あたらしく設立された庁である。 消費者トラブルになってしまったと感じたら、けっして一人では悩まずに、なるべく消費生活センターなど、公共の相談機関に、直接、行って、相談したほうがよいだろう。詐欺師の中には、ウソの肩書として「消費生活センター」などの職員を名乗る詐欺師も、いるかもしれない。なので、消費生活センターなどに相談する場合は、なるべく直接、消費生活センターなどに出向くのが望ましい。 消費生活センターの場所が分からない場合は、市役所などの役所に相談して教えてもらおう。地域によっては市役所の中に、消費生活センターの窓口がある場合もある。 :(読者は、今ここで、インターネット検索などで、あらかじめ、地元の消費生活センターの場所を確認しておこう。) 悪質な業者や詐欺師(さぎし)には、いちど、詐欺にあった人を、「だましやすい人」と判断して、「もっと、だまそう」と考えて、さらにだまして来る場合もある。そのような、さらにだます手口として、たとえば「詐欺への救済手続きの代行をする」などのウソをついて、「手数料」などとして、お金をだまし取る詐欺業者もある。 詐欺師には、ウソの肩書として警察や弁護士または、警察・弁護士などの関係者などを名乗り、やはり、手数料などと称して、金をだまし取る手口もある。詐欺師の中には、消費生活センターの職員を名乗る詐欺業者も、いるかもしれない。 なので、悪質業者や詐欺業者に引っかかってしまったと感じたら、消費者の取るべき対策は、まず消費生活センターなどの公共の相談機関に、直接に出向いて相談することである。 == 消費者トラブルの解決法 == === クーリング・オフ === 契約とは、法律上の約束のことである。契約は、原則的には、一方的には解除できない。 もし、一方的に契約が解除できるとすると、合法的に契約されたものまで解除されてしまうと、社会が混乱してしまうからである。 ただし、訪問販売やキャッチセールスなどのように、消費者が自ら店舗に出向いた取引の場合、一定期間内なら、書面で取り消しを通知することで契約の取り消しができる。この制度を'''クーリング・オフ制度'''という。 クオーリング・オフ(cooling off)とは「頭を冷やしてから、考える」という意味である。 クーリング・オフは、契約直後から一定期間内しか出来ないので注意。販売方法の種類によって取り消しできる期間の日数がちがうが、たいていの場合の期間は販売後8日まで、である。 また、通信販売は、クーリング・オフできない。通院販売では事業者が自主的にクーリング・オフに応じない限りは、通院販売ではクーリングオフができない。 訪問販売だからといって、かならずしも詐欺とか悪質商法とは限らず、そのため商品の購入の契約をしてしまった場合、契約を守る義務が発生するからである。 === 消費者契約法 === また、'''消費者契約法'''(しょうひしゃ けいやくほう)により、事業者が契約内容について事実とちがう説明をした場合に、契約を取り消すことができる。また、事務所などにつれこまれて、契約しないと帰らしてもらえなかったりして、強制的に契約させられた場合も、消費者契約法により、契約を取り消しできる。 == 勧誘などを断るときの注意点 == * 勧誘などを断るときの注意点 ・いらない場合は、けっして「いいです」とか「結構です」などのような、どちらとも受け取れる表現では、ことわらない。「いらないです」「買わないです」などというふうに、はっきりと断る。「いりません」だと、「いりま」と言った段階で相手が「いりますか? いるんですね?」と拒否の返答を遮ってきたりする場合がありうるで、「いらないです」と言って断るほうが、より安全です。 ・むやみやたらにサイン、署名(しょめい)をしない。サインしただけでも、契約が成り立つ。 * 家庭などで、宅配員を名乗る者が家に来た時に、親が外出中の場合 家庭などで、宅配などの際、受け取りにサインをお願いされる場合もあるが、親などが留守で、子供だけでは信頼していいかどうかわかりづらい業者の場合、サインをせず、「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」という事情を話して、いったん帰ってもらうのが望ましいだろう。 宅配や郵送をよそおった詐欺商法などの場合もありうる。なので、なるべく宅配時に留守をしている子供は、親に確認してから受け取る、あるいは親本人に受け取ってもらうのが望ましい。 まともな業者なら、どのみち、もしも宅配時に相手が留守なら不在通知をポストなどに入れて商品は持ち帰るので、事情を話せば、まともな業者なら、不在通知などをわたして帰ってくれるはずである。 「現在は親が外出中で不在」「家にいるのは契約者とされる本人ではない」というのは、一時的な受け取りを拒否する理由として、常識的には正当な理由であろう。 それでも宅配員が帰らない場合は、そもそも信頼できない業者であるか、または信頼できない宅配員である。 もしも、大手の宅配企業の宅配員が、そのような、親が不在の場合に受け取り拒否を認めない対応をすれば、相手企業に苦情を入れるべきである。相手企業に苦情を入れられるようにするため、相手企業の連絡先のメモをして、ひかえておくべきであろう。 こまったことに、一部の宅配員や宅配企業の中には、受け取り家庭の子供が「親が外出中」という理由を話しても、受取り拒否をみとめようとしない場合がある。なので、こういう場合には、あとで消費生活センターなどに相談を入れるのが望ましいだろう。 == 消費者トラブルの事例 == === インターネット関連 === *「無料」を歌ったオンラインゲーム 「無料」と言っても、サービスの一部が無料なだけで、有料な部分があるゲームが多い。ゲーム中で有料サービスを申し込むとゲームを有利に進められるなどのサービスがあり、そのためお金のない子どもが不用意に有料サービスを購入してトラブルになる事例がある。そもそもゲーム会社は利益を出すためには、何らかの有料サービスを売らなければいけない。 *ネットショッピング 商品の実物が直接は確認できないので、購入後に、事前の情報と違っていたというトラブルがある。 *ネットオークションのトラブルや詐欺 オークションとは、一種の せり である。そのため、定価のような決まった価格はないので、たとえ法律にのっとって行われても、最終的な値段が、とても高い値段になることがある。 一個人が出品しているのが普通なので、出品者が詐欺的な人物だったりすると、たとえば代金を支払ったのに、商品が渡されないなどの詐欺がある。 ほかの詐欺の方法では、たとえば出品者の関係者が落札希望者として参加して、不当に価格をつりあげる詐欺などの事例もある。 == 消費者の権利と責任 == === 消費者の8つの権利と5つの責任 === また、国際的な消費者運動の団体である国際消費者機構(CI)が、'''消費者の8つの権利と5つの責任'''を定めている。 * 消費者の8つの権利 :1. 生活の基本的なニーズが保証される権利 :2. 安全である権利 :3. 情報がえられる権利 :4. 選ぶ権利 (選択する権利) :5. 意見を反映させる権利 :6. 救済を受ける権利 :7. 消費者教育を受ける権利 :8. 健全な環境で暮らす権利 * 5つの責任 :1. 批判的意識を持つ責任 :2. 行動する責任 :3. 自分の消費行動が、社会に与える影響(とくに弱者に与える影響)を自覚する責任 :4. 環境への配慮を自覚する責任 :5. 消費者として団結し連帯する責任 == ※ 他教科関連 == ※ 検定教科書でも近年では、電子教科書版や教師用マニュアルなどで家庭科の教科書にリンクしています(東京書籍の公式サイトのデジタルパンフレットで確認)。 * [[中学校家庭/家庭生活と消費]] [[Category:中学校公民|あくとくしようほうとしようひしやとらふるについて]]
null
2020-10-03T00:53:12Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E6%82%AA%E5%BE%B3%E5%95%86%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%B6%88%E8%B2%BB%E8%80%85%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
19,439
中学校家庭/省エネルギーと持続可能な社会
自分や家族の消費行動が環境に与える影響を学びましょう。 エネルギー消費を減らす方法を考え、消費生活を工夫しましょう。 持続可能な社会をつくるために何が出来るのかを考えてみましょう。 化石燃料(石油・石炭・天然瓦斯)由来の瓦斯・電気などのエネルギーが私達の生活を支えています。二酸化炭素は化石燃料を燃やすと発生するので、地球温暖化の原因となっています。化石燃料を大量に消費すると、大気中の二酸化炭素を含む温室効果瓦斯が高濃度になり、世界の気温も少しずつ上昇を続けています。地球温暖化で自然環境や健康への影響が心配されています。そのため、環境に優しい再生可能エネルギー(太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスなど)の利用がますます重要になっています。 ※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「省エネルギー政策について」から抜粋しています。 冬の寒い時期は、家庭で最も灯油・瓦斯・電気を利用しています。冬の暖房は夏の冷房より長時間使用され、給湯も冷たい水から作らなければなりません。つまり、夏よりも冬の方が多くのエネルギーが使われています。 地球を守るため、エネルギー消費が環境にどのような影響をもたらすのかを考え、毎日の生活の中でエネルギー消費を減らす方法を見つけ、取り組みを続けていかなければなりません。地球のために何が出来るのか、消費者として考えなければなりません。 LEDはLight Emitting Diodeの略称です。日本語では発光ダイオードといわれています。まず赤色LEDが作られました。その後、黄色LED・青色LED・緑色LEDが作られました。1996年になると白色LEDが作られ、一般照明用として広く出回りました。 ※上の統計については、EDMC「エネルギー・経済統計要覧2023年版」から抜粋しています。 ※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「令和3年度エネルギーに関する年次報告(エネルギー白書2022)」から抜粋しています。 エネルギー消費から来る二酸化炭素の排出を減らすために何が出来るのかを考えてみましょう。 水道水も浄水場で汚れた水を綺麗にして、家庭に配り、その水を家庭で使い汚れた水を綺麗にするためには、エネルギーが必要です。水の使用量を気にしたり、汚水を流さないように工夫したりすれば、省エネにつながります。 私達が毎日消費している物の大半は、石油・石炭・瓦斯・鉱物など、自然エネルギー以外のエネルギーで作られており、そのエネルギーは元に戻せません。また、無計画な生産と利用のために、森林資源や漁業資源のような再生可能な資源も大きく使い果たしてしまうかもしれません。 私達はこれらの資源を使って、いらなくなった物は捨てます。一人一人が毎日出す約1kgのゴミを捨てるのに多くの時間とエネルギーが必要です。また、日本では大量のごみが燃やされ、大量の二酸化炭素も発生しています。 地球温暖化・環境汚染・生態系の破壊など、様々な環境問題は、先進国の国民が多くの物を使い捨てているから起きています。私達は、生産から廃棄までを見通して環境を壊さない消費生活をしなければなりません。 家電リサイクル法は2001年4月に施行されました。家電リサイクル法では、テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品をリサイクルしなければならないと定めています。製造会社はこれらの廃棄家電をリサイクルしなければなりません。これらを捨てた場合はリサイクル料金が発生します。 循環型社会では、限られた資源を使い続けながら、少しでも多く利用しています。資源の使用量を減らし、ごみも少なくしていきましょう。 循環型社会を目指すには、3つの方法(3R)があります。発生抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)です。拒否(refuse)も消費者の態度として大切です。 このように、資源を上手に使い、エネルギーの消費を減らす努力をすれば、持続可能な社会を実現出来ます。私達だけでなく、次の世代が豊かな自然の恵みを受けるようになるでしょう。 ある液体衣料用洗剤をボトルから「詰め替え用」を使うと、消費エネルギーが約70%減り、二酸化炭素の排出量も約40%減ります。 使い捨て容器のごみを減らすため、イベントではリユース食器を使うように呼びかけています。 断る、修理を加えて4Rや5Rなどの取り組みを進めている地域もあります。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "自分や家族の消費行動が環境に与える影響を学びましょう。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "エネルギー消費を減らす方法を考え、消費生活を工夫しましょう。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "持続可能な社会をつくるために何が出来るのかを考えてみましょう。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "化石燃料(石油・石炭・天然瓦斯)由来の瓦斯・電気などのエネルギーが私達の生活を支えています。二酸化炭素は化石燃料を燃やすと発生するので、地球温暖化の原因となっています。化石燃料を大量に消費すると、大気中の二酸化炭素を含む温室効果瓦斯が高濃度になり、世界の気温も少しずつ上昇を続けています。地球温暖化で自然環境や健康への影響が心配されています。そのため、環境に優しい再生可能エネルギー(太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスなど)の利用がますます重要になっています。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「省エネルギー政策について」から抜粋しています。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "冬の寒い時期は、家庭で最も灯油・瓦斯・電気を利用しています。冬の暖房は夏の冷房より長時間使用され、給湯も冷たい水から作らなければなりません。つまり、夏よりも冬の方が多くのエネルギーが使われています。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "地球を守るため、エネルギー消費が環境にどのような影響をもたらすのかを考え、毎日の生活の中でエネルギー消費を減らす方法を見つけ、取り組みを続けていかなければなりません。地球のために何が出来るのか、消費者として考えなければなりません。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "LEDはLight Emitting Diodeの略称です。日本語では発光ダイオードといわれています。まず赤色LEDが作られました。その後、黄色LED・青色LED・緑色LEDが作られました。1996年になると白色LEDが作られ、一般照明用として広く出回りました。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "※上の統計については、EDMC「エネルギー・経済統計要覧2023年版」から抜粋しています。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「令和3年度エネルギーに関する年次報告(エネルギー白書2022)」から抜粋しています。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "エネルギー消費から来る二酸化炭素の排出を減らすために何が出来るのかを考えてみましょう。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "水道水も浄水場で汚れた水を綺麗にして、家庭に配り、その水を家庭で使い汚れた水を綺麗にするためには、エネルギーが必要です。水の使用量を気にしたり、汚水を流さないように工夫したりすれば、省エネにつながります。", "title": "私達の生活とエネルギー消費" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "私達が毎日消費している物の大半は、石油・石炭・瓦斯・鉱物など、自然エネルギー以外のエネルギーで作られており、そのエネルギーは元に戻せません。また、無計画な生産と利用のために、森林資源や漁業資源のような再生可能な資源も大きく使い果たしてしまうかもしれません。", "title": "資源の消費と廃棄物" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "私達はこれらの資源を使って、いらなくなった物は捨てます。一人一人が毎日出す約1kgのゴミを捨てるのに多くの時間とエネルギーが必要です。また、日本では大量のごみが燃やされ、大量の二酸化炭素も発生しています。", "title": "資源の消費と廃棄物" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "地球温暖化・環境汚染・生態系の破壊など、様々な環境問題は、先進国の国民が多くの物を使い捨てているから起きています。私達は、生産から廃棄までを見通して環境を壊さない消費生活をしなければなりません。", "title": "資源の消費と廃棄物" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "家電リサイクル法は2001年4月に施行されました。家電リサイクル法では、テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品をリサイクルしなければならないと定めています。製造会社はこれらの廃棄家電をリサイクルしなければなりません。これらを捨てた場合はリサイクル料金が発生します。", "title": "資源の消費と廃棄物" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "循環型社会では、限られた資源を使い続けながら、少しでも多く利用しています。資源の使用量を減らし、ごみも少なくしていきましょう。", "title": "持続可能な社会" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "循環型社会を目指すには、3つの方法(3R)があります。発生抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)です。拒否(refuse)も消費者の態度として大切です。", "title": "持続可能な社会" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "このように、資源を上手に使い、エネルギーの消費を減らす努力をすれば、持続可能な社会を実現出来ます。私達だけでなく、次の世代が豊かな自然の恵みを受けるようになるでしょう。", "title": "持続可能な社会" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ある液体衣料用洗剤をボトルから「詰め替え用」を使うと、消費エネルギーが約70%減り、二酸化炭素の排出量も約40%減ります。", "title": "持続可能な社会" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "使い捨て容器のごみを減らすため、イベントではリユース食器を使うように呼びかけています。", "title": "持続可能な社会" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "断る、修理を加えて4Rや5Rなどの取り組みを進めている地域もあります。", "title": "持続可能な社会" } ]
自分や家族の消費行動が環境に与える影響を学びましょう。 エネルギー消費を減らす方法を考え、消費生活を工夫しましょう。 持続可能な社会をつくるために何が出来るのかを考えてみましょう。
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[中学校の学習]]>[[中学校家庭]]>省エネルギーと持続可能な社会 自分や家族の消費行動が環境に与える影響を学びましょう。 エネルギー消費を減らす方法を考え、消費生活を工夫しましょう。 持続可能な社会をつくるために何が出来るのかを考えてみましょう。 == 私達の生活とエネルギー消費 == '''化石燃料(石油・石炭・天然瓦斯)'''由来の瓦斯・電気などのエネルギーが私達の生活を支えています。二酸化炭素は化石燃料を燃やすと発生するので、'''地球温暖化'''の原因となっています。化石燃料を大量に消費すると、大気中の二酸化炭素を含む温室効果瓦斯が高濃度になり、世界の気温も少しずつ上昇を続けています。地球温暖化で自然環境や健康への影響が心配されています。そのため、環境に優しい'''再生可能エネルギー(太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスなど)'''の利用がますます重要になっています。 {| class="wikitable" ! colspan="4" |省エネルギーの効果 |- |省エネルギーのための行動 |年間節約電力量<ref>電力量とは単位時間で使用される電力全体の量です。電力量の単位はワット時(Wh)です。1kWhは1000Whに等しくなります。</ref> |年間CO2削減量 |年間節約金額 |- |エアコンの冷房設定温度を27度から28度にした場合 (出力2.2kW、外気温度31℃、使用時間:1日9時間) |30.24kWh |14.8kg |約940円 |- |テレビを見る時間を1日1時間減らした場合(32V型液晶テレビ) |16.79kWh |8.2kg |約520円 |- |冷蔵庫の設定温度を「強」から「中」にした場合(周囲温度22℃) |61.72kWh |30.1kg |約1910円 |} ※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「[https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/saving/index.html 省エネルギー政策について]」から抜粋しています。 冬の寒い時期は、家庭で最も灯油・瓦斯・電気を利用しています。冬の暖房は夏の冷房より長時間使用され、給湯も冷たい水から作らなければなりません。つまり、夏よりも冬の方が多くのエネルギーが使われています。 地球を守るため、エネルギー消費が環境にどのような影響をもたらすのかを考え、毎日の生活の中でエネルギー消費を減らす方法を見つけ、取り組みを続けていかなければなりません。地球のために何が出来るのか、消費者として考えなければなりません。 LEDはLight Emitting Diodeの略称です。日本語では発光ダイオードといわれています。まず赤色LEDが作られました。その後、黄色LED・青色LED・緑色LEDが作られました。1996年になると白色LEDが作られ、一般照明用として広く出回りました。 === 世界の二酸化炭素排出割合 === [[ファイル:世界の二酸化炭素排出量.png|なし|サムネイル|532x532ピクセル|四捨五入のため、合計は100%になりません。]] ※上の統計については、EDMC「[https://www.jccca.org/download/66920 エネルギー・経済統計要覧2023年版]」から抜粋しています。 === 家庭の用途別エネルギー消費の変化 === [[ファイル:家庭の用途別エネルギー消費の変化.png|なし|サムネイル|568x568ピクセル|四捨五入のため、合計は100%となりません。]] ※上の統計については、経済産業省資源エネルギー庁「[https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/index.html 令和3年度エネルギーに関する年次報告(エネルギー白書2022)]」から抜粋しています。 === 私達にも出来る省エネルギー === エネルギー消費から来る二酸化炭素の排出を減らすために何が出来るのかを考えてみましょう。 ==== エアコン ==== * 夏の冷房設定温度は、28℃を目安にしましょう。 * 冬の暖房設定温度は、20℃を目安にしなしょう。 * 冷暖房は必要なときだけつけましょう。 * カーテンで外からの熱の出入りを防ぎましょう。 * 室外機の吹き出し口付近に物を置いてはいけません。 * 扇風機も使いましょう。 ==== 照明器具 ==== * 電球形蛍光ランプやLED電球に取り替えましょう。 * 使わない部屋の照明は消しましょう。 * 照明のかさやカバーを、こまめに掃除しましょう。 ==== 洗濯機 ==== * 洗濯物はまとめ洗いをしましょう。 * 風呂の残り湯を利用しましょう。 ==== 冷蔵庫 ==== * 食品を詰め込み過ぎないようにしましょう。 * 熱い物は冷ましてから保存しましょう。 * 冷蔵庫の中の整理をしましょう。 * 無駄な開閉を避けましょう。 ==== 給湯器 ==== * 家族が続けて入浴して、風呂の追いだきを行わないようにしましょう。 * シャワーは不必要に流したままにしないようにしましょう。 ==== その他 ==== * 機器の主電源を消し、使わない時の消費電力(待機時消費電力)を減らしましょう。 * 長期間留守にする時は、電源プラグをコンセントから抜きましょう。 ==== 水の使用もエネルギーを消費 ==== 水道水も浄水場で汚れた水を綺麗にして、家庭に配り、その水を家庭で使い汚れた水を綺麗にするためには、エネルギーが必要です。水の使用量を気にしたり、汚水を流さないように工夫したりすれば、省エネにつながります。 == 資源の消費と廃棄物 == 私達が毎日消費している物の大半は、石油・石炭・瓦斯・鉱物など、自然エネルギー以外のエネルギーで作られており、そのエネルギーは元に戻せません。また、無計画な生産と利用のために、森林資源や漁業資源のような再生可能な資源も大きく使い果たしてしまうかもしれません。 私達はこれらの資源を使って、いらなくなった物は捨てます。一人一人が毎日出す約1kgのゴミを捨てるのに多くの時間とエネルギーが必要です。また、日本では大量のごみが燃やされ、大量の二酸化炭素も発生しています。 {| style="border:2px solid Chartreuse;width:80%" cellspacing="0" ! style="background:Chartreuse" |'''ごみゼロを目指して''' |- | style="padding:5px" |徳島県上勝町では、買物の時に無駄を減らす目的で食品を量り売りしています。また、持ってきた袋に入れて持ち帰るようになっています。こうした取り組みは、過剰な包装や買いすぎから食品廃棄を大幅に減らすのに役立ちます。 |} 地球温暖化・環境汚染・生態系の破壊など、様々な環境問題は、先進国の国民が多くの物を使い捨てているから起きています。私達は、生産から廃棄までを見通して環境を壊さない消費生活をしなければなりません。{{コラム|お客様と企業をつなぐ 消費生活アドバイザー 杉本美穂さん|私は、洗剤などを製造・販売する会社に勤めています。 以前はマーケティングの仕事をしていて、お客さんが何を求めているのかを調べて、その要求を満たすのが仕事でした。例えば、環境について考えなければならない時、詰め替え容器や詰め替え用のスタンディングパウチを作りました。 今は、これまでの経験を生かして、お客様に役立つ情報を伝えています。 お客様や社会に役立つ情報として、使いやすさ、安全性、楽しさを大切にしています。また、企業が自分達だけでお金を稼ごうとしたり、無理にお金を稼がせたりしないために、様々な対策を取っています。お客様が完全に理解していなくても、企業側はいつもそれを行っています。お客様からの質問や間違った使い方からも多く学びます。仕事として、企業がお客様に届きやすくする方法も考えなければなりません。}}家電リサイクル法は2001年4月に施行されました。家電リサイクル法では、テレビ・エアコン・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品をリサイクルしなければならないと定めています。製造会社はこれらの廃棄家電をリサイクルしなければなりません。これらを捨てた場合はリサイクル料金が発生します。 === ごみ総排出量と1人1日当たりのごみ排出量の推移 === [[ファイル:ごみ総排出量と1人1日当たりのごみ排出量の推移.png|なし|サムネイル|817x817ピクセル|統計については、環境省「[https://www.env.go.jp/recycle/waste_tech/ippan/r1/data/disposal.pdf 日本の廃棄物処理(令和3年度版)]」から抜粋しています。]] == 持続可能な社会 == [[ファイル:循環型社会.png|サムネイル|440x440ピクセル|循環型社会を推進するための消費者の行動]] '''循環型社会'''では、限られた資源を使い続けながら、少しでも多く利用しています。資源の使用量を減らし、ごみも少なくしていきましょう。 循環型社会を目指すには、3つの方法('''3R''')があります。'''発生抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)'''です。拒否(refuse)も消費者の態度として大切です。 このように、資源を上手に使い、エネルギーの消費を減らす努力をすれば、'''持続可能な社会'''を実現出来ます。私達だけでなく、次の世代が豊かな自然の恵みを受けるようになるでしょう。 ==== Reduce ==== * 必要な分だけ買いましょう。 * 詰め替え製品を選びましょう。 * 過剰包装は断りましょう。 * 買い物袋(エコバッグ)を持っていきましょう。 * 長く使える物を選んで、大切に使いましょう。 ある液体衣料用洗剤をボトルから「詰め替え用」を使うと、消費エネルギーが約70%減り、二酸化炭素の排出量も約40%減ります。 ==== Reuse ==== * 使える物は捨てずに繰り返してつかいましょう。 * リサイクルショップや不用品交換などを利用しましょう。 ===== リユース食器(神奈川県横浜市など) ===== 使い捨て容器のごみを減らすため、イベントではリユース食器を使うように呼びかけています。 ==== Recycle ==== * 資源ごみの分別収集に協力しましょう。 * リサイクル製品を利用しましょう。 ==== 最終処分 ==== * どうしても使えない物は、燃やして熱を利用します。 * 最後に残った物は処分しましょう。 断る、修理を加えて4Rや5Rなどの取り組みを進めている地域もあります。 == ここに注意!! == [[Category:中学校家庭科|かていせいかつとかんきよう]] [[カテゴリ:経済生活]] [[カテゴリ:環境問題]]
2014-09-14T04:23:09Z
2023-08-31T23:39:05Z
[ "テンプレート:コラム" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%AE%B6%E5%BA%AD/%E7%9C%81%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%81%A8%E6%8C%81%E7%B6%9A%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%AA%E7%A4%BE%E4%BC%9A
19,446
実用新案法第48条の15
実用新案法第48条の15 第7章の規定に関し、特許法「第9章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例」の規定の中から必要なものについて準用する。 (特許法の準用) 第48条の15 特許法第184条の7(日本語特許出願に係る条約第十九条に基づく補正)及び第184条の8第1項から第3項まで(条約第三十四条に基づく補正)の規定は、国際実用新案登録出願の条約に基づく補正に準用する。この場合において、同法第184条の7第2項及び第84条の8第2項中「第17条の2第1項」とあるのは、「実用新案法第2条の2第1項」と読み替えるものとする。 2 特許法第184条の11(在外者の特許管理人の特例)の規定は、国際実用新案登録出願に関する手続に準用する。 3 特許法第184条の9第6項及び第184条の14の規定は、国際実用新案登録出願に準用する。 平成5年改正において、特184条の9第6項を新たに準用したのは、同改正で無審査登録制移行に伴い補償金請求制度が廃止され、外国語国際実用新案登録出願に補償金請求権を認めるために必要となる国内公表の規定であった旧48条の8も削除されることとなったが、第6項において特184条の9第5-7項を準用していたところ、同条第6項は国内公表とは直接関係の無い規定であり、引き続き実用新案法で準用する必要があったためである。 平成6年改正において、特184条の7、特184条の8が改正されたが、特184条の8第4項を準用しなかったのは、実用新案法において、外国語書面出願制度が導入されず、誤訳訂正書による補正も導入されなかったからである。 また、1項後段の読み替えは、平成5年改正で実用新案法において、明細書(なお、当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた。)または図面の補正の根拠規定(2条の2)が書き起こされており、読み替えを追加したものである。ただ、なぜ平成6年改正に至って読み替えが追加されたのかは詳らかではない。 なし
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "実用新案法第48条の15", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "第7章の規定に関し、特許法「第9章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例」の規定の中から必要なものについて準用する。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(特許法の準用)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第48条の15 特許法第184条の7(日本語特許出願に係る条約第十九条に基づく補正)及び第184条の8第1項から第3項まで(条約第三十四条に基づく補正)の規定は、国際実用新案登録出願の条約に基づく補正に準用する。この場合において、同法第184条の7第2項及び第84条の8第2項中「第17条の2第1項」とあるのは、「実用新案法第2条の2第1項」と読み替えるものとする。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2 特許法第184条の11(在外者の特許管理人の特例)の規定は、国際実用新案登録出願に関する手続に準用する。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "3 特許法第184条の9第6項及び第184条の14の規定は、国際実用新案登録出願に準用する。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "平成5年改正において、特184条の9第6項を新たに準用したのは、同改正で無審査登録制移行に伴い補償金請求制度が廃止され、外国語国際実用新案登録出願に補償金請求権を認めるために必要となる国内公表の規定であった旧48条の8も削除されることとなったが、第6項において特184条の9第5-7項を準用していたところ、同条第6項は国内公表とは直接関係の無い規定であり、引き続き実用新案法で準用する必要があったためである。", "title": "改正履歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "平成6年改正において、特184条の7、特184条の8が改正されたが、特184条の8第4項を準用しなかったのは、実用新案法において、外国語書面出願制度が導入されず、誤訳訂正書による補正も導入されなかったからである。", "title": "改正履歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、1項後段の読み替えは、平成5年改正で実用新案法において、明細書(なお、当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた。)または図面の補正の根拠規定(2条の2)が書き起こされており、読み替えを追加したものである。ただ、なぜ平成6年改正に至って読み替えが追加されたのかは詳らかではない。", "title": "改正履歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "なし", "title": "関連条文" } ]
実用新案法第48条の15 第7章の規定に関し、特許法「第9章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例」の規定の中から必要なものについて準用する。
{{知財コンメンヘッダ|実用新案}} '''実用新案法第48条の15''' 第7章の規定に関し、特許法「第9章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例」の規定の中から必要なものについて準用する。 == 条文 == (特許法の準用) 第48条の15 特許法第184条の7(日本語特許出願に係る条約第十九条に基づく補正)及び第184条の8第1項から第3項まで(条約第三十四条に基づく補正)の規定は、[[実用新案法第48条の3|国際実用新案登録出願]]の条約に基づく補正に準用する。この場合において、同法第184条の7第2項及び第84条の8第2項中「[[特許法第17条の2|第17条の2]]第1項」とあるのは、「[[実用新案法第2条の2]]第1項」と読み替えるものとする。 2 特許法第184条の11(在外者の特許管理人の特例)の規定は、国際実用新案登録出願に関する手続に準用する。 3 特許法第184条の9第6項及び第184条の14の規定は、国際実用新案登録出願に準用する。 === 準用条文 === * [[特許法第184条の7|特184条の7]] * [[特許法第184条の8|特184条の8]]第1-3項 * [[特許法第184条の9|特184条の9]]第6項 * [[特許法第184条の11|特184条の11]] * [[特許法第184条の14|特184条の14]] == 改正履歴 == * 昭和53年法律第30号 - 追加 * 昭和60年法律第41号 - 新設の[[特許法第184条の11|在外者の特許管理人の特例]]、[[特許法第184条の14|発明の新規性の喪失の例外の特例]]についての規定の準用追加(新第3, 5項) * 平成5年法律第26号 - 無審査登録制移行に伴う[[実用新案法第13条の3|補償金請求制度]]廃止のため[[特許法第184条の10|特184条の10]]の準用削除(旧第2項)、証明等の請求の規定の特例についての準用追加(新第3項(旧第5項))、[[実用新案法第48条の8|補正の特例]]規定新設に伴う特184条の11(現[[特許法第184条の12|特184条の12]])の準用削除(旧第4項) * 平成6年法律第116号 - 条文移動(48条の13から)、特184条の7の見出し改正に伴う改正、特184条の8第4項の不準用・読み替え追加(第1項)、条文移動対応(第2, 3項) 平成5年改正において、[[特許法第184条の9|特184条の9]]第6項を新たに準用したのは、同改正で無審査登録制移行に伴い[[実用新案法第13条の3|補償金請求制度]]が廃止され、外国語国際実用新案登録出願に補償金請求権を認めるために必要となる国内公表の規定であった旧48条の8も削除されることとなったが、第6項において特184条の9第5-7項を準用していたところ、同条第6項は国内公表とは直接関係の無い規定であり、引き続き実用新案法で準用する必要があったためである。 平成6年改正において、特184条の7、特184条の8が改正されたが、特184条の8第4項を準用しなかったのは、実用新案法において、[[特許法第36条の2|外国語書面出願制度]]が導入されず、誤訳訂正書による補正も導入されなかったからである。 また、1項後段の読み替えは、平成5年改正で実用新案法において、[[特許法第36条#明細書|明細書]](なお、当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた。)または[[特許法第36条#図面|図面]]の補正の根拠規定([[実用新案法第2条の2|2条の2]])が書き起こされており、読み替えを追加したものである。ただ、なぜ平成6年改正に至って読み替えが追加されたのかは詳らかではない。<!--初版筆者注:改正忘れとは判断できませんでした--> == 関連条文 == なし {{前後 |[[コンメンタール実用新案法|実用新案法]] |第7章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例 |[[実用新案法第48条の14|48条の14]] |[[実用新案法第48条の16|48条の16]] }} [[カテゴリ:実用新案法|48-15]]
null
2014-09-17T07:16:01Z
[ "テンプレート:知財コンメンヘッダ", "テンプレート:前後" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%94%A8%E6%96%B0%E6%A1%88%E6%B3%95%E7%AC%AC48%E6%9D%A1%E3%81%AE15
19,447
実用新案法第48条の13の2
実用新案法第48条の13の2 特許協力条約に基づく国際出願における訂正の特例について規定する。 (訂正の特例) 第48条の13の2 外国語実用新案登録出願に係る第14条の2第1項の規定による訂正については、同条第3項中「願書に最初に添付した明細書、実用新案登録請求の範囲又は図面」とあるのは、「第48条の4第1項の国際出願日における国際出願の明細書、請求の範囲又は図面」とする。 PCT特例が導入された当初は、明細書(当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた)または図面の訂正は、実質上実用新案登録請求の範囲を拡張し、または変更するものであってはならなかったが(旧39条2項)、その基準は出願翻訳文であった。平成5年改正において、訂正は請求項の削除を目的とするもののみ認められることとなり(14条の2第1項(現第7項))、実質的な訂正自体が認められなくなった。 ところが、平成16年改正において、余りに厳格であった訂正の許容範囲を緩和することとなり(実用新案法第14条の2#改正履歴参照)、外国語実用新案登録出願の場合は、外国語特許出願の場合(特184条の19)と同様に、第48条の4第1項の国際出願日における国際出願の明細書、実用新案登録請求の範囲または図面の範囲内で訂正を認めることとした。 本条の読み替えは14条の2第3項かっこ書を対象としているため、誤記の訂正を目的とする訂正(同条第2項2号)に限って特例を認めることとなる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "実用新案法第48条の13の2", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "特許協力条約に基づく国際出願における訂正の特例について規定する。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(訂正の特例)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第48条の13の2 外国語実用新案登録出願に係る第14条の2第1項の規定による訂正については、同条第3項中「願書に最初に添付した明細書、実用新案登録請求の範囲又は図面」とあるのは、「第48条の4第1項の国際出願日における国際出願の明細書、請求の範囲又は図面」とする。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "PCT特例が導入された当初は、明細書(当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた)または図面の訂正は、実質上実用新案登録請求の範囲を拡張し、または変更するものであってはならなかったが(旧39条2項)、その基準は出願翻訳文であった。平成5年改正において、訂正は請求項の削除を目的とするもののみ認められることとなり(14条の2第1項(現第7項))、実質的な訂正自体が認められなくなった。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ところが、平成16年改正において、余りに厳格であった訂正の許容範囲を緩和することとなり(実用新案法第14条の2#改正履歴参照)、外国語実用新案登録出願の場合は、外国語特許出願の場合(特184条の19)と同様に、第48条の4第1項の国際出願日における国際出願の明細書、実用新案登録請求の範囲または図面の範囲内で訂正を認めることとした。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "本条の読み替えは14条の2第3項かっこ書を対象としているため、誤記の訂正を目的とする訂正(同条第2項2号)に限って特例を認めることとなる。", "title": "解説" } ]
実用新案法第48条の13の2 特許協力条約に基づく国際出願における訂正の特例について規定する。
{{知財コンメンヘッダ|実用新案}} '''実用新案法第48条の13の2''' 特許協力条約に基づく国際出願における訂正の特例について規定する。 == 条文 == (訂正の特例) 第48条の13の2 [[実用新案法第48条の4|外国語実用新案登録出願]]に係る[[実用新案法第14条の2|第14条の2]]第1項の規定による訂正については、同条第3項中「[[特許法第36条#願書|願書]]に最初に添付した[[特許法第36条#明細書|明細書]]、[[特許法第36条#特許請求の範囲|実用新案登録請求の範囲]]又は[[特許法第36条#図面|図面]]」とあるのは、「[[実用新案法第48条の4|第48条の4]]第1項の国際出願日における国際出願の明細書、請求の範囲又は図面」とする。 == 解説 == {{See also|特許法第184条の19#解説}} PCT特例が導入された当初は、明細書(当時は明細書に実用新案登録請求の範囲が含まれていた)または図面の訂正は、実質上実用新案登録請求の範囲を拡張し、または変更するものであってはならなかったが(旧39条2項)、その基準は出願翻訳文であった。平成5年改正において、訂正は請求項の削除を目的とするもののみ認められることとなり([[実用新案法第14条の2|14条の2]]第1項(現第7項))、実質的な訂正自体が認められなくなった。 ところが、平成16年改正において、余りに厳格であった訂正の許容範囲を緩和することとなり([[実用新案法第14条の2#改正履歴]]参照)、外国語実用新案登録出願の場合は、外国語特許出願の場合([[特許法第184条の19|特184条の19]])と同様に、[[実用新案法第48条の4|第48条の4]]第1項の国際出願日における国際出願の[[特許法第36条#明細書|明細書]]、[[特許法第36条#特許請求の範囲|実用新案登録請求の範囲]]または[[特許法第36条#図面|図面]]の範囲内で訂正を認めることとした。 本条の読み替えは14条の2第3項かっこ書を対象としているため、誤記の訂正を目的とする訂正(同条第2項2号)に限って特例を認めることとなる。 == 改正履歴 == * 平成16年法律第79号 - 追加 == 関連条文 == * [[特許法第184条の19]] - [[実用新案法第48条の13の2]] {{前後 |[[コンメンタール実用新案法|実用新案法]] |第7章 特許協力条約に基づく国際出願に係る特例 |[[実用新案法第48条の13|48条の13]] |[[実用新案法第48条の14|48条の14]] }} [[カテゴリ:実用新案法|48-13-2]]
null
2014-09-17T23:48:49Z
[ "テンプレート:知財コンメンヘッダ", "テンプレート:See also", "テンプレート:前後" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%94%A8%E6%96%B0%E6%A1%88%E6%B3%95%E7%AC%AC48%E6%9D%A1%E3%81%AE13%E3%81%AE2
19,451
ボイラー技士免許試験
ボイラー技士免許試験は特級、一級、二級の3種類からなり、二級は受験資格に制限はありません。 特級、一級、二級を問わず以下の科目となる
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ボイラー技士免許試験は特級、一級、二級の3種類からなり、二級は受験資格に制限はありません。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "特級、一級、二級を問わず以下の科目となる", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > ボイラー技士免許試験 試験 > 資格試験 > ボイラー技士免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー技士免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー技士免許試験''' == 試験概要 == ボイラー技士免許試験は'''特級'''、'''一級'''、'''二級'''の3種類からなり、二級は受験資格に制限はありません。 == 試験対策 == 特級、一級、二級を問わず以下の科目となる * [[ボイラー技士免許試験/ボイラーの構造に関する知識|ボイラーの構造に関する知識]] * [[ボイラー技士免許試験/ボイラーの取扱いに関する知識|ボイラーの取扱いに関する知識]] * [[ボイラー技士免許試験/燃料及び燃焼に関する知識|燃料及び燃焼に関する知識]] * [[ボイラー技士免許試験/関係法令|関係法令]] {{stub}} [[Category:資格試験|ぼいらあぎしめんきょしけん]]
null
2014-09-18T16:01:13Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%8A%80%E5%A3%AB%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,452
ボイラー溶接士免許試験
ボイラー溶接士免許試験は特別、普通の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。 特別、普通を問わず以下の科目となる
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ボイラー溶接士免許試験は特別、普通の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "特別、普通を問わず以下の科目となる", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > ボイラー溶接士免許試験 試験 > 資格試験 > ボイラー溶接士免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー溶接士免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー溶接士免許試験''' == 試験概要 == ボイラー溶接士免許試験は'''特別'''、'''普通'''の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。 == 試験対策 == 特別、普通を問わず以下の科目となる ;学科試験 * [[ボイラー溶接士免許試験/ボイラーの構造及びボイラー用材料に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/ボイラーの工作及び修繕方法に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/溶接施行方法の概要に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/溶接棒及び溶接部の性質の概要に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/溶接部の検査方法の概要に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/溶接機器の取扱方法に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/溶接作業の安全に関する知識]] * [[ボイラー溶接士免許試験/関係法令]] ;実技試験 * [[ボイラー溶接士免許試験/突合せ溶接]] {{stub}} [[Category:資格試験|ぼいらあようせつしめんきょしけん]]
null
2022-07-15T03:33:34Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%BA%B6%E6%8E%A5%E5%A3%AB%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,453
衛生管理者免許試験
衛生管理者は労働安全衛生法に定める資格であり、常時50人以上を雇用する事業場において事業場の規模及び業種によって必要な免許を持つものの中から必要数選任の義務がある。 衛生管理者免許試験は第一種、第二種の2種類からなる。 受験資格は、第一種・第二種とも共通である。主な受験資格は次のとおりである。 などがあり、学歴によって実務経験の必要期間が異なる。ここに記載したもの以外にも受験資格を有する場合があるので、詳しくは、指定試験機関のホームページなどで確認のこと。 なお、労働衛生の実務とは次のものが該当する。 第一種、第二種を問わず以下の科目となる。なお、第二種の場合には有害業務試験範囲から除かれる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "衛生管理者は労働安全衛生法に定める資格であり、常時50人以上を雇用する事業場において事業場の規模及び業種によって必要な免許を持つものの中から必要数選任の義務がある。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "衛生管理者免許試験は第一種、第二種の2種類からなる。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "受験資格は、第一種・第二種とも共通である。主な受験資格は次のとおりである。", "title": "受験資格" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "などがあり、学歴によって実務経験の必要期間が異なる。ここに記載したもの以外にも受験資格を有する場合があるので、詳しくは、指定試験機関のホームページなどで確認のこと。", "title": "受験資格" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、労働衛生の実務とは次のものが該当する。", "title": "受験資格" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "第一種、第二種を問わず以下の科目となる。なお、第二種の場合には有害業務試験範囲から除かれる。", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > 衛生管理者免許試験 衛生管理者は労働安全衛生法に定める資格であり、常時50人以上を雇用する事業場において事業場の規模及び業種によって必要な免許を持つものの中から必要数選任の義務がある。
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''衛生管理者免許試験''' 衛生管理者は労働安全衛生法に定める資格であり、常時50人以上を雇用する事業場において事業場の規模及び業種によって必要な免許を持つものの中から必要数選任の義務がある。 == 試験概要 == 衛生管理者免許試験は'''第一種'''、'''第二種'''の2種類からなる。 == 受験資格 == 受験資格は、'''第一種'''・'''第二種'''とも共通である。主な受験資格は次のとおりである。 *学校教育法による大学(短期大学を含む。)又は高等専門学校(専修学校・各種学校等は含まれない)を卒業した者。または、大学評価・学位授与機構により学士の学位を授与された者で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *省庁大学校(防衛大学校、防衛医科大学校、水産大学校、海上保安大学校、職業能力開発総合大学校の長期課程・総合課程、気象大学校の大学部及び国立看護大学校の看護学部看護学科(それぞれ旧法令による同等のものを含む。))を卒業(修了)した者で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *専修学校の専門課程(2年以上・1700時間以上)の修了者(大学入学の有資格者に限る。)などで、その後大学等において大学評価・学位授与機構により学士の学位を授与されるのに必要な所定の単位を修得した者で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *指定を受けた専修学校の専門課程(4年以上)を一定日以後に修了した者など(学校教育法施行規則第155条第1項該当者)で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *学校教育法による高等学校又は中等教育学校(中等教育学校とは中高一貫教育の学校)を卒業した者で、その後3年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *10年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *船員法による衛生管理者適任証書の交付を受けた者で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *高等学校卒業程度認定試験に合格した者、外国において学校教育における12年の課程を修了した者など[[学校教育法施行規則第150条]]に規定する者で、その後3年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *外国において、学校教育における14年以上の課程を修了した者で、その後1年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの *特別支援学校(旧盲学校、聾(ろう)学校又は養護学校)の高等部を卒業した者など[[学校教育法第90条]]第1項の通常の課程による12年の学校教育を修了した者で、その後3年以上労働衛生の実務に従事した経験を有するもの などがあり、学歴によって実務経験の必要期間が異なる。ここに記載したもの以外にも受験資格を有する場合があるので、詳しくは、指定試験機関のホームページ[http://exam.or.jp]などで確認のこと。 なお、労働衛生の実務とは次のものが該当する。 # 健康診断実施に必要な事項又は結果の処理の業務 # 作業環境の測定等作業環境の衛生上の調査の業務 # 作業条件、施設等の衛生上の改善の業務 (職場の清掃などの業務は含まれない) # 労働衛生保護具、救急用具等の点検及び整備の業務 # 衛生教育の企画、実施等に関する業務 # 労働衛生統計の作成に関する業務 # 看護師又は准看護師の業務 # 労働衛生関係の作業主任者(高圧室内作業主任者,エックス線作業主任者,ガンマ線透過写真撮影作業主任者,有機溶剤作業主任者,特定化学物質作業主任者,鉛作業主任者,四アルキル鉛等作業主任者,酸素欠乏危険作業主任者又は石綿作業主任者)としての業務 # 労働衛生関係の試験研究機関における労働衛生関係の試験研究の業務 # 自衛隊の衛生担当者、衛生隊員の業務 # 保健所職員のうち、試験研究に従事する者の業務 # 建築物環境衛生管理技術者の業務 == 試験対策 == 第一種、第二種を問わず以下の科目となる。なお、第二種の場合には有害業務試験範囲から除かれる。 * [[衛生管理者免許試験/労働衛生]] * [[衛生管理者免許試験/関係法令]] * [[衛生管理者免許試験/労働生理]] {{stub}} [[Category:資格試験|えいせいかんりしゃめんきょしけん]]
null
2015-11-03T08:58:40Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E8%A1%9B%E7%94%9F%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,454
作業環境測定士試験
作業環境測定士試験は第一種、第二種の2種類からなり、それぞれ受験資格に制限がある。第一種は共通科目と選択科目があり、第二種は共通科目のみである。 第一種については 第二種については
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "作業環境測定士試験は第一種、第二種の2種類からなり、それぞれ受験資格に制限がある。第一種は共通科目と選択科目があり、第二種は共通科目のみである。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "第一種については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "第二種については", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > 作業環境測定士試験 試験 > 資格試験 > 作業環境測定士試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''作業環境測定士試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''作業環境測定士試験''' == 試験概要 == 作業環境測定士試験は'''第一種'''、'''第二種'''の2種類からなり、それぞれ受験資格に制限がある。第一種は共通科目と選択科目があり、第二種は共通科目のみである。 == 試験対策 == 第一種については ;共通科目 * [[作業環境測定士試験/労働衛生一般|労働衛生一般]] * [[作業環境測定士試験/労働衛生関係法令|労働衛生関係法令]] * [[作業環境測定士試験/作業環境について行うデザイン・サンプリング|作業環境について行うデザイン・サンプリング]] * [[作業環境測定士試験/作業環境について行う分析に関する概論|作業環境について行う分析に関する概論]] ;選択科目 * [[作業環境測定士試験/有機溶剤|有機溶剤]] * [[作業環境測定士試験/鉱物性粉じん|鉱物性粉じん]] * [[作業環境測定士試験/特定化学物質|特定化学物質]] * [[作業環境測定士試験/金属類|金属類]] * [[作業環境測定士試験/放射性物質|放射性物質]] 第二種については ;共通科目 * [[作業環境測定士試験/労働衛生一般|労働衛生一般]] * [[作業環境測定士試験/労働衛生関係法令|労働衛生関係法令]] * [[作業環境測定士試験/作業環境について行うデザイン・サンプリング|作業環境について行うデザイン・サンプリング]] * [[作業環境測定士試験/作業環境について行う分析に関する概論|作業環境について行う分析に関する概論]] {{stub}} [[Category:資格試験|さぎょうかんきょうそくていしけん]]
null
2014-09-19T05:16:15Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%B8%AC%E5%AE%9A%E5%A3%AB%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,455
ボイラー整備士免許試験
ボイラー整備士免許試験はボイラーの整備を行う免許で、受験資格を有する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ボイラー整備士免許試験はボイラーの整備を行う免許で、受験資格を有する。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > ボイラー整備士免許試験 試験 > 資格試験 > ボイラー整備士免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー整備士免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''ボイラー整備士免許試験''' == 試験概要 == ボイラー整備士免許試験はボイラーの整備を行う免許で、受験資格を有する。 == 試験対策 == * [[ボイラー整備士免許試験/ボイラー及び第一種圧力容器に関する知識]] * [[ボイラー整備士免許試験/ボイラー及び第一種圧力容器の整備の作業に関する知識]] * [[ボイラー整備士免許試験/ボイラー及び第一種圧力容器の整備の作業に使用する器材、薬品等に関する知識]] * [[ボイラー整備士免許試験/関係法令]] {{stub}} [[Category:資格試験|ぼいらあせいびしめんきょしけん]]
null
2014-09-19T05:26:18Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%95%B4%E5%82%99%E5%A3%AB%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,456
潜水士免許試験
潜水士免許試験は潜水作業を行う免許で、受験資格に制限はないが本人確認証明書の添付が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "潜水士免許試験は潜水作業を行う免許で、受験資格に制限はないが本人確認証明書の添付が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > 潜水士免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''潜水士免許試験''' == 試験概要 == 潜水士免許試験は潜水作業を行う免許で、受験資格に制限はないが本人確認証明書の添付が必要となる。 == 試験対策 == * [[潜水士免許試験/潜水業務]] * [[潜水士免許試験/送気、潜降及び浮上]] * [[潜水士免許試験/高気圧障害]] * [[潜水士免許試験/関係法令]] {{stub}} [[Category:資格試験|せんすいしめんきよしけん]]
null
2014-09-19T22:40:01Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E5%A3%AB%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,457
発破技士免許試験
発破技士免許試験は発破作業を行う免許で、受験資格に制限はないが、免許交付の際には試験合格後に実務経験等を証明する書類が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "発破技士免許試験は発破作業を行う免許で、受験資格に制限はないが、免許交付の際には試験合格後に実務経験等を証明する書類が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > 発破技士免許試験 試験 > 資格試験 > 発破技士免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''発破技士免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''発破技士免許試験''' == 試験概要 == 発破技士免許試験は発破作業を行う免許で、受験資格に制限はないが、免許交付の際には試験合格後に実務経験等を証明する書類が必要となる。 == 試験対策 == * [[発破技士免許試験/火薬類の知識]] * [[発破技士免許試験/火薬類の取扱い]] * [[発破技士免許試験/発破の方法]] {{stub}} [[Category:資格試験|はっぱぎしめんきょしけん]]
null
2014-09-19T05:38:24Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E7%99%BA%E7%A0%B4%E6%8A%80%E5%A3%AB%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,458
高圧室内作業主任者免許試験
高圧室内作業主任者免許試験は高圧室内での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高圧室内作業主任者免許試験は高圧室内での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > 高圧室内作業主任者免許試験 試験 > 資格試験 > 高圧室内作業主任者免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''高圧室内作業主任者免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''高圧室内作業主任者免許試験''' == 試験概要 == 高圧室内作業主任者免許試験は高圧室内での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。 == 試験対策 == * [[高圧室内作業主任者免許試験/圧気工法]] * [[高圧室内作業主任者免許試験/送気及び排気]] * [[高圧室内作業主任者免許試験/高気圧障害]] * [[高圧室内作業主任者免許試験/関係法令]] {{stub}} [[Category:資格試験|こうあつしつないさぎょうしゅにんしゃめんきょしけん]]
null
2020-04-26T11:02:36Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9C%A7%E5%AE%A4%E5%86%85%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,459
ガス溶接作業主任者免許試験
ガス溶接作業主任者免許試験はガス溶接での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ガス溶接作業主任者免許試験はガス溶接での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > ガス溶接作業主任者免許試験 試験 > 資格試験 > ガス溶接作業主任者免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''ガス溶接作業主任者免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''ガス溶接作業主任者免許試験''' == 試験概要 == ガス溶接作業主任者免許試験はガス溶接での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。 == 試験対策 == * [[ガス溶接作業主任者免許試験/ガス溶接等の業務に関する知識]] * [[ガス溶接作業主任者免許試験/関係法令]] * [[ガス溶接作業主任者免許試験/アセチレン溶接装置及びガス集合溶接装置に関する知識]] * [[ガス溶接作業主任者免許試験/アセチレンその他可燃性ガス、カーバイド及び酸素に関する知識]] {{stub}} [[Category:資格試験|かすようせつさきようしゆにんしやめんきよしけん]]
null
2017-01-17T13:24:57Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E6%BA%B6%E6%8E%A5%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,460
林業架線作業主任者免許試験
林業架線作業主任者免許試験は林業架線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "林業架線作業主任者免許試験は林業架線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > 林業架線作業主任者免許試験 試験 > 資格試験 > 林業架線作業主任者免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''林業架線作業主任者免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''林業架線作業主任者免許試験''' == 試験概要 == 林業架線作業主任者免許試験は林業架線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。 == 試験対策 == * [[林業架線作業主任者免許試験/機械集材装置及び運材索道に関する知識]] * [[林業架線作業主任者免許試験/林業架線作業に関する知識]] * [[林業架線作業主任者免許試験/関係法令]] * [[林業架線作業主任者免許試験/林業架線作業に必要な力学に関する知識]] {{stub}} [[Category:資格試験|りんぎょうかせんさぎょうしゅにんしゃめんきょしけん]] [[カテゴリ:農林水産業]]
2014-09-19T06:02:41Z
2024-02-06T05:58:40Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%9E%97%E6%A5%AD%E6%9E%B6%E7%B7%9A%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,461
エックス線作業主任者免許試験
エックス線作業主任者免許試験はエックス線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "エックス線作業主任者免許試験はエックス線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > エックス線作業主任者免許試験 試験 > 資格試験 > エックス線作業主任者免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''エックス線作業主任者免許試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''エックス線作業主任者免許試験''' == 試験概要 == エックス線作業主任者免許試験はエックス線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが免許交付の際には試験合格後に本人確認の証明が必要となる。 == 試験対策 == * [[エックス線作業主任者免許試験/エックス線の管理に関する知識]] * [[エックス線作業主任者免許試験/関係法令]] * [[エックス線作業主任者免許試験/エックス線の測定に関する知識]] * [[エックス線作業主任者免許試験/エックス線の生体に与える影響に関する知識]] {{stub}} [[Category:資格試験|えっくすせんさぎょうしゅにんしゃめんきょしけん]]
null
2014-09-19T11:37:44Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B7%9A%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,462
ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験
ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験はガンマ線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが本人確認の添付が必要となる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験はガンマ線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが本人確認の添付が必要となる。", "title": "試験概要" } ]
試験 > 資格試験 > ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験''' == 試験概要 == ガンマ線透過写真撮影作業主任者免許試験はガンマ線での労働災害を防止するための免許で、受験資格に制限はないが本人確認の添付が必要となる。 == 試験対策 == * [[ガンマ線秀過写真撮影作業主任者免許試験/ガンマ線による透過写真の撮影の作業に関する知識]] * [[ガンマ線秀過写真撮影作業主任者免許試験/関係法令]] * [[ガンマ線秀過写真撮影作業主任者免許試験/ガンマ線照射装置に関する知識]] * [[ガンマ線秀過写真撮影作業主任者免許試験/ガンマ線の生体に与える影響に関する知識]] {{stub}} [[Category:資格試験|かんませんとうかしやしんさつえいさきよしゆにんしやめんきよしけん]]
null
2014-09-19T22:36:44Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E%E7%B7%9A%E9%80%8F%E9%81%8E%E5%86%99%E7%9C%9F%E6%92%AE%E5%BD%B1%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85%E5%85%8D%E8%A8%B1%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,463
労働安全コンサルタント試験
労働安全コンサルタント試験は機械、電気、化学、土木、建築の5種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら5つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。 機械については 電気については 化学については 土木については 建築については
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "労働安全コンサルタント試験は機械、電気、化学、土木、建築の5種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら5つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "機械については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "電気については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "化学については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "土木については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "建築については", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > 労働安全コンサルタント試験 試験 > 資格試験 > 労働安全コンサルタント試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''労働安全コンサルタント試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''労働安全コンサルタント試験''' == 試験概要 == 労働安全コンサルタント試験は'''機械'''、'''電気'''、'''化学'''、'''土木'''、'''建築'''の5種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら5つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。 == 試験対策 == 機械については * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全一般]] * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全関係法令]] * [[労働安全コンサルタント試験/機械安全]] 電気については * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全一般]] * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全関係法令]] * [[労働安全コンサルタント試験/電気安全]] 化学については * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全一般]] * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全関係法令]] * [[労働安全コンサルタント試験/化学安全]] 土木については * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全一般]] * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全関係法令]] * [[労働安全コンサルタント試験/土木安全]] 建築については * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全一般]] * [[労働安全コンサルタント試験/産業安全関係法令]] * [[労働安全コンサルタント試験/建築安全]] {{stub}} [[Category:資格試験|ろうどうあんぜんこんさるたんとしけん]]
null
2014-09-19T11:54:53Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,464
労働衛生コンサルタント試験
労働衛生コンサルタント試験は保健衛生、労働衛生工学の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら2つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。 保健衛生については 労働衛生工学については
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "労働衛生コンサルタント試験は保健衛生、労働衛生工学の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら2つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。", "title": "試験概要" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "保健衛生については", "title": "試験対策" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "労働衛生工学については", "title": "試験対策" } ]
試験 > 資格試験 > 労働衛生コンサルタント試験 試験 > 資格試験 > 労働衛生コンサルタント試験
* [[試験]] > [[資格試験]] > '''労働衛生コンサルタント試験''' * [[試験]] > [[資格試験]] > '''労働衛生コンサルタント試験''' == 試験概要 == 労働衛生コンサルタント試験は'''保健衛生'''、'''労働衛生工学'''の2種類からなり、それぞれ受験資格を有する。また、これら2つの中から自分の希望する科目を選択し、それについての筆記試験と口述試験がある。 == 試験対策 == 保健衛生については * [[労働衛生コンサルタント試験/労働衛生一般]] * [[労働衛生コンサルタント試験/労働衛生関係法令]] * [[労働衛生コンサルタント試験/健康管理]] 労働衛生工学については * [[労働衛生コンサルタント試験/労働衛生一般]] * [[労働衛生コンサルタント試験/労働衛生関係法令]] * [[労働衛生コンサルタント試験/労働衛生工学]] {{stub}} [[Category:資格試験|ろうどうえいせいこんさるたんとしけん]]
null
2014-09-19T11:58:36Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%A1%9B%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88%E8%A9%A6%E9%A8%93
19,466
小学校理科/けんび鏡の使い方
けんび鏡のレンズには、接眼レンズと対物レンズの2種類があります。 けんび鏡の倍率は、 (接眼レンズの倍率)×(対物レンズの倍率) です。 たとえば接眼レンズの倍率が15倍であり、対物レンズの倍率が4倍ならば、顕微鏡の倍率は60倍です。 ミジンコやミドリムシなど、いわゆる「微生物」と言われるものは、虫眼鏡などでは倍率が小さすぎて確認できない場合が多いので、微生物はけんび鏡などで観察しましょう。 まず、プレパラートの用意が必要です。 このプレパラートの用意の方法を、つぎに説明します。 けんび鏡で観察する時は、プレパラートを使う必要がある。 うすい物しか観察できません。厚い物を観察したい場合は、うすくする必要があります。 もっと高倍率で観察したい場合には、レボルバーを回して、高倍率の対物レンズにかえます。 いきなり高倍率の対物レンズで観察すると、視野がせまいので調整が難しくなります。そのため、まずは低倍率の対物レンズを使用します。また、高倍率にするほど、明るさは暗くなります。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "けんび鏡のレンズには、接眼レンズと対物レンズの2種類があります。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "けんび鏡の倍率は、", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(接眼レンズの倍率)×(対物レンズの倍率)", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "です。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "たとえば接眼レンズの倍率が15倍であり、対物レンズの倍率が4倍ならば、顕微鏡の倍率は60倍です。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ミジンコやミドリムシなど、いわゆる「微生物」と言われるものは、虫眼鏡などでは倍率が小さすぎて確認できない場合が多いので、微生物はけんび鏡などで観察しましょう。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "まず、プレパラートの用意が必要です。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このプレパラートの用意の方法を、つぎに説明します。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "けんび鏡で観察する時は、プレパラートを使う必要がある。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "うすい物しか観察できません。厚い物を観察したい場合は、うすくする必要があります。", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "けんび鏡の使いかた" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "もっと高倍率で観察したい場合には、レボルバーを回して、高倍率の対物レンズにかえます。 いきなり高倍率の対物レンズで観察すると、視野がせまいので調整が難しくなります。そのため、まずは低倍率の対物レンズを使用します。また、高倍率にするほど、明るさは暗くなります。", "title": "けんび鏡の使いかた" } ]
null
== けんび鏡の使いかた == [[File:LaborMik2.jpg|thumb|200px|left|けんび鏡。{{Ruby|一般的|いっぱんてき}}な学校のものとは{{Ruby|異|こと}}なりますが、仕組みは同じです。]] [[File:ステージ上下式顕微鏡イラストsvg.svg|thumb|ステージ上下式けんび鏡の各部の図。]] [[File:鏡筒上下式顕微鏡イラスト.png|thumb|鏡筒上下式けんび鏡の図。]] けんび鏡のレンズには、{{ruby|接眼|せつがん}}レンズと{{Ruby|対物|たいぶつ}}レンズの2種類があります。 けんび鏡の{{Ruby|倍率|ばいりつ}}は、 (接眼レンズの倍率)×(対物レンズの倍率) です。 たとえば接眼レンズの倍率が15倍であり、対物レンズの倍率が4倍ならば、顕微鏡の倍率は60倍です。 ミジンコやミドリムシなど、いわゆる「{{Ruby|微|び}}生物」と言われるものは、虫{{Ruby|眼鏡|めがね}}などでは倍率が小さすぎて{{Ruby|確認|かくにん}}できない場合が多いので、微生物はけんび鏡などで観察しましょう。 *手順 まず、'''プレパラート'''の用意が必要です。 このプレパラートの用意の方法を、つぎに説明します。 ===== プレパラート ===== [[Image:Microscope slide.jpg|thumb|right|250px|プレパラートとカバーガラス。細長いプレパラートの上に、中央に正方形状のカバーガラスが乗っています。]] けんび鏡で観察する時は、'''プレパラート'''を使う必要がある。 うすい物しか観察できません。{{Ruby|厚|あつ}}い物を観察したい場合は、うすくする必要があります。 # スライドガラスの上に、観察したいものを乗せます。必要に応じて、観察したいものに水をスポイトなどで1てきたらしましょう。 # ピンセットなどで'''カバーガラス'''を乗せます。このとき空気のあわが入らないようにします。 # カバーガラスから、はみでた水をろ紙で{{Ruby|吸|す}}い取ります。 {{clear}} ===== {{Ruby|一般|いっぱん}}的なけんび鏡の使用手順 ===== # まず、水平で{{ruby|直接|ちょくせつ}}日光の当たらない場所に、けんび鏡を置きます。 # '''{{ruby|接眼|せつがん}}レンズ'''・次に'''{{Ruby|対物|たいぶつ}}レンズ'''を取り付けます。この順番を逆にすると、もし{{ruby|鏡筒|きょうとう}}の内部にホコリなどが入ってしまうと、対物レンズの上にホコリが落ちてしまいます。 # 対物レンズを、もっとも低倍率の物にセットし、次に接眼レンズをのぞきながら、全体が明るく見えるように '''{{Ruby|反射|はんしゃ}}鏡'''を調節します。 # プレパラートをステージの上に乗せて、クリップで固定し、けんび鏡を横から見ながら、なるべく対物レンズとプレパラートを近づけます。 # 接眼レンズをのぞきながら、ピントを合わせるため、対物レンズとプレパラートを離していくように、調節ねじ をゆっくり回して調節します。 もっと高{{Ruby|倍率|ばいりつ}}で観察したい場合には、レボルバーを回して、高倍率の対物レンズにかえます。 いきなり高倍率の対物レンズで観察すると、{{Ruby|視野|しや}}がせまいので調整が{{Ruby|難|むずか}}しくなります。そのため、まずは低倍率の対物レンズを使用します。また、高倍率にするほど、明るさは暗くなります。 {{コラム|プレパラートの動かし方| [[File:顕微鏡での見たい方向と動かす方向.jpg|400px|thumb|けんび鏡などでの、像を動かしたい方向と、プレパラートを動かす方向との関係。]] けんび鏡で見える像は、ふつう上下左右が反対になっています。そのため、プレパラートを動かすと、{{Ruby|像|ぞう}}は反対方向に動いて見えます。よって、プレパラートを動かしたい場合には、動かしたい方向とは反対の方向に動かします。}} {{clear}} [[カテゴリ:小学校理科]]
null
2022-04-25T12:51:57Z
[ "テンプレート:コラム", "テンプレート:Ruby", "テンプレート:Clear" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%90%86%E7%A7%91/%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%B3%E9%8F%A1%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9
19,467
民事訴訟法第33条
法学>民事法>コンメンタール民事訴訟法 (外国人の訴訟能力の特則)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "法学>民事法>コンメンタール民事訴訟法", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(外国人の訴訟能力の特則)", "title": "条文" } ]
法学>民事法>コンメンタール民事訴訟法
[[法学]]>[[民事法]]>[[コンメンタール民事訴訟法]] ==条文== (外国人の訴訟能力の特則) ;第33条 :外国人は、その本国法によれば訴訟能力を有しない場合であっても、日本法によれば訴訟能力を有すべきときは、訴訟能力者とみなす。 ==解説== ==参照条文== ---- {{前後 |[[コンメンタール民事訴訟法|民事訴訟法]] |[[コンメンタール民事訴訟法#1|第1編 総則]]<br> [[コンメンタール民事訴訟法#1-3|第3章 当事者]]<br> [[コンメンタール民事訴訟法#1-3-1|第1節 当事者能力及び訴訟能力]] |[[民事訴訟法第32条|第32条]]<br>(被保佐人、被補助人及び法定代理人の訴訟行為の特則) |[[民事訴訟法第34条|第34条]]<br>(訴訟能力等を欠く場合の措置等) }} {{stub}} [[category:民事訴訟法|033]]
null
2023-01-02T02:41:40Z
[ "テンプレート:前後", "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%B3%95%E7%AC%AC33%E6%9D%A1
19,468
民事訴訟法第10条
法学>民事法>民事訴訟法>コンメンタール民事訴訟法 (管轄裁判所の指定) 具体的事件において管轄が明確でない場合が生じた場合において、当該事件についての管轄裁判所を裁判所が決定し、当事者の裁判を受ける権利を確保する 必要があることから裁判所が決定をもって管轄裁判所を定める旨規定された。これを指定管轄という。 3項は管轄を定める必要性から不服申立てを認めない。しかし、申立を却下する決定に対しては不服申立てが出来る(民事訴訟法第328条1項)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "法学>民事法>民事訴訟法>コンメンタール民事訴訟法", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(管轄裁判所の指定)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "具体的事件において管轄が明確でない場合が生じた場合において、当該事件についての管轄裁判所を裁判所が決定し、当事者の裁判を受ける権利を確保する 必要があることから裁判所が決定をもって管轄裁判所を定める旨規定された。これを指定管轄という。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "3項は管轄を定める必要性から不服申立てを認めない。しかし、申立を却下する決定に対しては不服申立てが出来る(民事訴訟法第328条1項)。", "title": "解説" } ]
法学>民事法>民事訴訟法>コンメンタール民事訴訟法
[[法学]]>[[民事法]]>[[民事訴訟法]]>[[コンメンタール民事訴訟法]] ==条文== (管轄裁判所の指定) ;第10条 # 管轄裁判所が法律上又は事実上裁判権を行うことができないときは、その裁判所の直近上級の裁判所は、申立てにより、決定で、管轄裁判所を定める。 # 裁判所の管轄区域が明確でないため管轄裁判所が定まらないときは、関係のある裁判所に共通する直近上級の裁判所は、申立てにより、決定で、管轄裁判所を定める。 # 前二項の決定に対しては、不服を申し立てることができない。 ==解説== 具体的事件において管轄が明確でない場合が生じた場合において、当該事件についての管轄裁判所を裁判所が決定し、当事者の裁判を受ける権利を確保する 必要があることから裁判所が決定をもって管轄裁判所を定める旨規定された。これを指定管轄という。 3項は管轄を定める必要性から不服申立てを認めない。しかし、申立を却下する決定に対しては不服申立てが出来る([[民事訴訟法第328条]]1項)。 ==参照条文== ---- {{前後 |[[コンメンタール民事訴訟法|民事訴訟法]] |[[コンメンタール民事訴訟法#1|第1編 総則]]<br> [[コンメンタール民事訴訟法#1-2|第2章 裁判所]]<br> [[コンメンタール民事訴訟法#1-2-2|第2節 管轄]] |[[民事訴訟法第9条|第9条]]<br>(併合請求の場合の価額の算定) |[[民事訴訟法第10条の2|第10条の2]]<br>(管轄裁判所の特例) }} {{stub}} [[category:民事訴訟法|010]]
null
2023-01-02T02:32:47Z
[ "テンプレート:前後", "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%B3%95%E7%AC%AC10%E6%9D%A1
19,473
労働安全衛生規則第328条の2
(タイヤの空気充てん作業の基準)第三百二十八条の二 事業者は、自動車(二輪自動車を除く。)用タイヤ(以下この条において「タイヤ」という。)の組立てを行う場合において、空気圧縮機を用いてタイヤに空気を充てんする作業を行うときは、タイヤの破裂等による危険を防止するため、当該作業に従事する労働者に、タイヤの種類に応じ て空気の圧力を適正に調節させ、及び安全囲い等破裂したタイヤ等の飛来を防止するための器具を使用させなければならない。 2 前項の作業に従事する労働者は、タイヤの種類に応じて空気の圧力を適正に調節し、及び同項の器具を使用しなければならない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "(タイヤの空気充てん作業の基準)第三百二十八条の二", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "事業者は、自動車(二輪自動車を除く。)用タイヤ(以下この条において「タイヤ」という。)の組立てを行う場合において、空気圧縮機を用いてタイヤに空気を充てんする作業を行うときは、タイヤの破裂等による危険を防止するため、当該作業に従事する労働者に、タイヤの種類に応じ て空気の圧力を適正に調節させ、及び安全囲い等破裂したタイヤ等の飛来を防止するための器具を使用させなければならない。 2 前項の作業に従事する労働者は、タイヤの種類に応じて空気の圧力を適正に調節し、及び同項の器具を使用しなければならない。", "title": "" } ]
(タイヤの空気充てん作業の基準)第三百二十八条の二 事業者は、自動車(二輪自動車を除く。)用タイヤ(以下この条において「タイヤ」という。)の組立てを行う場合において、空気圧縮機を用いてタイヤに空気を充てんする作業を行うときは、タイヤの破裂等による危険を防止するため、当該作業に従事する労働者に、タイヤの種類に応じ て空気の圧力を適正に調節させ、及び安全囲い等破裂したタイヤ等の飛来を防止するための器具を使用させなければならない。 2 前項の作業に従事する労働者は、タイヤの種類に応じて空気の圧力を適正に調節し、及び同項の器具を使用しなければならない。
(タイヤの空気充てん作業の基準)第三百二十八条の二 事業者は、自動車(二輪自動車を除く。)用タイヤ(以下この条において「タイヤ」という。)の組立てを行う場合において、空気圧縮機を用いてタイヤに空気を充てんする作業を行うときは、タイヤの破裂等による危険を防止するため、当該作業に従事する労働者に、タイヤの種類に応じ て空気の圧力を適正に調節させ、及び安全囲い等破裂したタイヤ等の飛来を防止するための器具を使用させなければならない。 2 前項の作業に従事する労働者は、タイヤの種類に応じて空気の圧力を適正に調節し、及び同項の器具を使用しなければならない。 [[Category:労働安全衛生規則|328 2]]
null
2015-09-13T05:38:36Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%AE%89%E5%85%A8%E8%A1%9B%E7%94%9F%E8%A6%8F%E5%89%87%E7%AC%AC328%E6%9D%A1%E3%81%AE2
19,474
中学校国語/現代文
おもに、入試の現代文対策を述べる。学校の定期テスト対策では、授業中にとったノートや教科書や教科書ガイドなどをキチンと復習すればよい。 学校のテストでも、教科書に書いてない作品を問題文として出題する場合がある。そういう問題の対策にも、これから述べる入試対策の現代文対策と似たような勉強法が必要になるだろう。 これから述べる読解の作法は、あくまで、入試対策や、定期テストでの授業で扱っていない範囲から出題された問題文への対策です。授業でならった範囲から出た問題文の場合は、あらかじめ内容や解釈を覚えた方が、てっとり早いです。というより、授業で習った範囲の問題文の解釈は、あらかじめテスト前の復習で、解釈ごと覚えておかないと、テスト中に問題をテスト時間内に解き終わりません。 現代文の読解は、筆者の主張を短時間で正確に理解するための作業です。読解力とは、そのような短時間での理解の作業を遂行していく能力でしょう。 数学に公式と言う「手法」があるように、現代文の読解にも「手法」があります。 読解中の具体的な作業として、「それ」とか「その○○」みたいな指示語などの「それ」とは何を指すかを明確にしながら、問題文を読み進めます。 このため、国語の問題練習では、鉛筆や消しゴムなど筆記用具が必要になります。単に読むだけでは、練習になりません。数学などと学習法が似ています。数学などでは、計算練習のような、鉛筆を使った作業が必要な科目です。現代文も、鉛筆などの筆記用具を使った作業が必要です。 テスト問題にも、問題文(作品の文章本文のこと)中に代名詞の「それ」とか「あれ」とかに傍線が引いてあって、設問文で "傍線部Aの「それ」とは何を指すかを問題文中から抜き出して書きなさい。" というような設問が多く出ます。 なので、文を読むときに、最初から「それ」とか「その」などの代名詞などが出てきたら、問題文の何に相当するかをメモしながら(試験用紙などにメモ)、読み進めます。線で結ぶとか、カタカナ書きなどで具体的に対応する語句をメモしておくと良いでしょう。 話題は変わりますが、もし自分で文章を書くときは、代名詞をあまり多用しすぎないように書いたほうが、読み手にとっては分かりやすい文章が書けるでしょう。 「それ」などの代名詞を用いるよりも、「その○○」などというふうに具体的に指示対象を併記したほうが読み手が分かりやすいでしょう。 とくに実社会での報告書や説明文などでは、なるべく読み手に掛かる読解の手間を、減らす工夫をしなければなりません。報告書での文の読まれる順序は、かならずしも文章のはじめから文が読まれるとはかぎらず、抜粋(ばっすい)などをされて、第三者の読者に途中だけ読まれる場合もあります。なので、もし書く際に代名詞を多用すると、読み手が前の文を読み返す負担が増えるので、なるべく代名詞を抑えたほうが良いのです。途中の段落の始めや、途中の章の始めなどでは、読み手がわざわざ前の段落や前の章を読み返さなくてもすむように、代名詞や指示語の使用はひかえめにして、具体的に名称を書くほうが読みやすくなる場合が多いでしょう。 中学生・高校生では、別に報告書の書き方をここまで練習する必要は無いでしょう。学習時間も足りませんし。(学生は、他の教科・他の単元の学習もしなければならない。) まあ、読者は頭の片隅にでも、報告書の書き方を入れといてください。 たとえるなら算数で引き算の練習をやれば、自然に足し算も上達しますよね。同様に、読解の練習をすると、自然に書く能力も上がります。 なので読解練習での指示語の指示対象を探す練習の学習成果によって、自然に報告書や説明文を書く能力も上がります。 ただし、詩歌や俳句や物語文などの場合は、文を書く際のノウハウが変わります。俳句の場合は字数の制限がありますし、詩歌や物語文などの場合には音のリズムの関係もあるでしょうから、あまりに具体的に名称を書いてばかりいると、かえって読みづらくなってしまうかもしれません。このような詩歌などの場合には、指示語や代名詞も用いたほうが良いかもしれません。 なので、書き手は用途に応じて、書き方を分けてください。 問題文の主張に、感心する必要はありません。そんな事は入試では要求されません。現代文のテスト問題には、出題者が「この作品は優れた内容の作品であるので、出題しよう。」と判断した作品が問題文として採用されているので、ついつい感心しやすい内容の問題文が出ます。しかし、テスト中には、感心している暇がありません。そういう感傷(かんしょう)は、テスト後にひたりましょう。 もっとも、検定教科書に採用された作品の場合、とくに説明文や近代文学などの場合は、内容の理解も教育の一部として考えられているので、もし予習復習の時間に余裕があったら、感心するような作品の問題文は何度か読み返すのも良いでしょう。また、現代文ではないですが、古文や漢文などでも、あらかじめ内容を理解してないと読解に時間が掛かるので、古文・漢文の作品は内容ごと覚えてしまうのも良いでしょう。 ただし、作品に「感心した」「感動した」という感情は、主観的な感情にすぎません。テスト等では、客観的に測定できる分析力や読解力が要求されます。客観的な読解能力とは、訓練しないと身につきづらいものです。客観的な読解能力のほうが、需要(じゅよう)が高いのです。 読解問題には時間が掛かります。なので、まずは暗記してれば解ける、漢字問題などを中心とした大問(たいもん)があれば、そちらから解くことで、得点を確保しましょう。 また、古文・漢文などの古典の問題は、比較的、短時間で読解できたり、あるいは暗記問題だったりするので、現代文よりも先に古典文の大問から解いたほうが、得点できるでしょう。 さて、問題の問題文を読む前に、設問を読むのが、受験テクニックです。現代文の大問では当然、設問から読むべきだし、古典の大問でも同様に、設問から読むべきです。 その上で、設問で問われることを念頭に置きながら、問題文を読みます。もし、そうせずに、かりに試験用紙の掲載順どおりに読んでしまい、つまり問題文を読んでから設問文を読むと、そうすると設問文を読んだあとに再び問題文を読み直す必要がありますので、問題文を2度読むことになります。だから掲載順どおりの読み方をしてしまうと、問題文の読み直しをする必要が生じてしまうので、余計な時間が掛かり、設問を考える時間が足りなくなります。 多少の例外はあるかもしれませんが、たいていの場合、設問から先に読んだほうが、得(とく)な場合が多いです。 もしくは、本文の最初の段落など、本文の一部だけ先に読んでおいて、そのあとに設問を読んで、それから本文全部を順番に読む、などという方法も、よいかもしれません。 かりに設問の数がやたらと多い場合とかは別でしょうが、普通のテストでは、そういう事はありません。そういう例外的な場合(設問の数がメチャクチャと多い場合とか)でない限りは、まずは設問を読んでから問題文全体を読んだほうが安全でしょう。 そして、設問を先に読んでいるので、問われる内容が分かってるので、問題文を読んでる途中に、ある設問の答えが分かる場合があります。もし答えが分かった場合、その答えを忘れないうちに、もう解答用紙に書いてしまいましょう。どうしても解答用紙にかけない場合(たとえば字数内にマトメルのに時間が掛かる、とか)でも、せめて、答えの内容のメモ書きくらいは、問題用紙の余白などに、しておきましょう。 数分でも時間がたつと、意外と忘れるものです。なので、忘れない内にメモ、です。 なお、「代名詞の内容を追いながら、読む」などのテクニックを実行しながら、問題文本文を読むことを忘れないようにしてください。 つまり、これまでの読解テクニックをまとめると というような順番になります。 もし問題文を1回読んでも分からない場合、ほんの1分ほど設問に関係しそうな場所を読み直して、それでも分からない場合、もし他にも別作品の大問があれば、そちら(別作品)を解くのに取りかかります。 たいてい1つのテストで、2個や3個の作品が問題文として別々に出題されてるので、それらに均等に時間配分をして、テストを解いていきます。ときどき、最初に掲載された問題文が、やたらと難しい場合もあるので、もしそういう場合に、最初の問題文だけに時間を割くと、ほかの問題を解く時間が無くなってしまいます。 「問題用紙に掲載された作品中、どの作品が易しく解けて、どの作品が難しいか」なんてのは、読んでみないと分からないので、とりあえず、設問を読み終わったら、さっさと問題文を最初の作品から順番に読み始めましょう。 さて、問題文と設問文との掲載順序について、けっして出題者は「気を利かして先に設問を掲載してから、次に問題文を掲載する、」なんて事は、してくれません。なので、しかたなく受験者のほうが、気を利かして先に設問文を読む必要があります。 実社会でも、上司に報告や連絡や相談などをするときには、先に概要(がいよう)とか要約(ようやく)を話してから、続けて詳細を続けて話す必要があります。そうやって先に要約を話しておかないと、上司が聞きなおす必要が生じて、上司の時間を奪ってしまうからです。実社会での報告・連絡・相談では、もし先に要約を話さずに、先に詳細から話しはじめると、おそらく上司に叱られます。 なので、新人の社会人は報告での要約の練習をさせられたりします。 学校の現代文での練習で、設問を先に読むことも、そういう実社会での要約の練習だと思って、がんばりましょう。 また、実社会でも、文献調査(ぶんけんちょうさ)や取材(しゅざい)などをするときは、客先(きゃくさき)などから質問されそうなことを先に目星をつけておきながら、それから文献調査したり取材したりして、気付いたことをノートなどにメモをしながら、調査をしていくわけです。(※ ここで私のいう「取材」とは、一般企業の社員などが、勤務する業界の関連する展示会(てんじかい)イベントなどを取材することです。テレビ局などマスコミの「取材」の場合とは、ちがうかもしれません。) 特に取材の場合、出張費用などが掛かったり、イベントなどの取材だと年に1回しか取材できない場合とかがありますので、取材前に事前に目星をつける必要があるわけです。 話を戻すと、中学の国語の読解問題の解きかたの話でしたね。 ともかく、設問を先に読んでから、問題文を読むのが、受験テクニックです。 学校や入試での、国語の現代文の長文読解での読解作業は、報告書の書き方とは逆方向の読み方を、やれば良いワケです。 それでは、報告書の書き方のノウハウを例示しましょう。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。なので、一文が長いと、読む際の負担が増えます。この「一文は、短めに書く。」という文章自体、なるべく短く書こうとしています。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。さて日本語では、否定形は、文の最後に来ます。否定形の前後では、文全体の意味が正反対に変わります。なので、否定形があると、読み直しの手間が生じます。だから否定形が多いと、読み直しの手間が増えて、読みにくい文章になります。この記事の「なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。」という文章じたい、「○○で書く」という肯定形の表現を優先し、「△△は用いない。」というような否定形の表現を後回しにしています。 たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、読み手が文意を予測できるようにして、冒頭に接続詞などを用いて、文意を示します。この「たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、」という文節自体が、「たとえ」という接続詞によって、文意を予測させています。 理由は、箇条書きによって説明対象が明示的になるから。そのため、この記事自体、箇条書きを利用しています。 なぜなら、読者にとっては、読み直しの手間が減ります。この記事自体、なるべく結論から書こうとしています。 学生のテスト対策では、これの逆の文章が出題されることを意識すれば、対策しやすいわけです。つまり国語テストの読解問題の設問には、文章の結論を問う設問が、ほぼ必ず一問は出題されたりします。 「作者の主張に近いものを、次の選択肢の中から選べ」というような設問です。 あるいは接続詞を問う問題が出題されます。たとえば問題文のある文の接続詞を隠して空欄にして、その空欄に適した接続詞を選択させる選択問題なども、よく出題されます。 ある指示語のさす内容について、字数を一定以下に限定し、「この指示語の内容を○○文字以内で書け。」というような設問も、箇条書きの能力に近いでしょう。 ある動作の主語の内容を問う選択問題も多いです。たとえば設問文で 「傍線部Aの「彼」とは誰ですか? 問題文の中から抜き出しなさい。」みたいに主語の内容を問う問題も多いです。 学校で習う文章は、テスト問題として出すための文章であるという理由から、実社会で書くべき文章とはズレがあります。学校で習う文章は、読解練習用に教育用に編集された文章であるので、やや読解が難しめの文章になっています。 「教育用に編集」という主張の意味は、たとえば、たとえ作者が読み手に分かりやすいように、作者が文の冒頭に要約を書いていたりしても、出題者が冒頭の要約を隠して問題文を出題したりして、わざと分かりづらくさせたりまします。しまいには選択問題として、隠された要約にふさわしい選択肢を選ぶ問題が出題される場合すらも、あります。同様に、たとえ作者が文章の最後に結論やマトメなどを書いていても、出題者が結論などを隠して、問題の一つとして出題する場合もあります。 ですが、教育訓練の用途としては、あえて分かりづらく編集する出題も、必要な措置(そち)です。 実は「具体的に明示的に書く。読み手に読みやすくなるように、書き手が書く。」というのは、書き手にとっては、難しいのです。読み手にとっては読むのが簡単な文章ほど、書き手にとっては書くのが難しくなります。 たとえば全自動の洗濯機とか、あるいは全自動の炊飯器とかで、家事をするのは、利用者にとってはボタン一つで簡単かもしれませんが、その全自動の製品を作っている企業での仕事は、決してボタンひとつでは片付きません。 同様に、読み手がスラスラと読めて内容を即座に把握しやすい文章であるほど、その文章を書き手は時間を多く掛けて書いています。 だから、いきなり学生に文を書かせる教育は、難しいのです。なので、まずは、やや難しめにした文章を読ませる練習から、学生は教育されるわけです。 たとえば小学校の算数の練習で、全自動の電卓をあまり使わない事と似ていますね。「電卓を作れ!」「計算機を作れ!」という課題は、小学生には解決が無理です。なので、まずは電卓に頼らなくても計算できるように、小学生は教育されますよね。 同様に、中学での国語の読解練習でも、たとえ書き手の親切心に頼らなくても中学生が読解を出来るようになるため、中学生は読解練習をさせられているわけです。 読解は独学しづらいので、学校の授業や塾などを活用する。まずは、キチンと学校に通って、キチンと予習復習をする。 宿題などで「課題図書を読め」などという宿題も、読解力など訓練も兼ねているだろうから、キチンと宿題をする。 ここでは高校受験の国語のうち、現代文の対策について解説する。高校受験の現代文は以下の内容が出されることが多い。 国語は数学・英語と並んで「主要3教科」と呼ばれることが多いが、3教科の中ではもっとも扱いが低い傾向にある。それは普段私たちが使用している日本語の読み書きが中心で、普段の生活でなんとなく身についているかのように見えるからであろう。しかし、国語の現代文の力は数学や英語と同じくらい、力をつけるのに時間のかかるものである。たとえば新聞が読めるからといって、哲学書や難解な評論が読める(理解できる)とはかぎらない。これらを読むには筆者の主張を丁寧に追うトレーニングを積まなければならない。小説でもストーリーを理解することはそれほど難しくはないが、登場人物の心理といった表面的な部分に描かれていないものを理解するには日常体験や他の本で読んだことなどと重ね合わせるなどを行わなければ読み間違えるであろう。また、筆者・作者が用いている日本語の表現技法も理解する必要がある。読解に限らず、作文でも同じことが言える。メールが書けることと仕事の報告書などを書くこととは全くことなる。この二つはそもそもルールが違うのだ。 国語の現代文が英語・数学に比べて軽視されがちなもう一つの理由は勉強方法がわかりにくいというのもあるだろう。数学は計算練習や公式の暗記と適用が、英語は単語や文法の学習が基礎となることがはっきりしているが、国語の現代文では何をやればよいのかがよくわからないまま「なんとなく」点を取ったり落としたりすることは珍しいことではない。 国語の学習に必要なものは丁寧に文章を追い、筆者の主張や作者の意図を汲み取るのに必要な読解力だけではなく、それを自分で組み立てなおす論理的な思考や体験や経験、一般常識などと重ね合わせる力である。これらは漫然と学習しても身につかない。正解・不正解にかかわらず「なぜこの答えになるのか(なったのか)」ということを考えながら解いてゆかなければならない。 大雑把に分けると、あるものごとについて説明することが中心で筆者の意見が少ない説明文(たとえば「科学はどのように進んできたか」「サルの行動からわかること」など)、ある事実を踏まえて筆者の意見を述べているため筆者の主張がはっきりとしている評論文(たとえば「環境問題を解決するには何が必要か」など)、詩や俳句がどのようにしてでき、そのみどころなどを作品に沿って筆者の意見も交えながら解説している解説文に分けられる。 全体として現在も存命の評論家や学者の文章が多い。これは現代文が現在進行しているいろいろな問題について評論・説明している文章を扱うことが多いためである。 筆者の意見とその理由などが明確なため、文章を丁寧に追えば根拠となる部分を見つけることは難しくない。そのため、比較的力をつけやすく点を取りやすい。 説明文や評論文では筆者の意見なのか事実なのかを理解しなければ文章を読んでいるうちに混乱してしまう。 大学入試の現代文で出題されることの多い鷲田清一の文章だが、易しいところを高校入試に出題することもある。エコロジーへの関心などから内山節の評論も近年出題されやすくなった。また、数十年前から入試国語で人気のある大岡信・外山滋比古・加藤周一も、時間があればチェックしても損はない。 物語文と随筆文に分けることができる。説明的文章と同様に現在も活躍している作家の作品が多く、公立高校や中堅私立高校ではすでに亡くなった作家はあまり登場しない。詩・短歌(和歌)・俳句が単独で出されることはあまりなく、解説文や古文と共に出題されることが多い。 感覚的な理解や心理の読み取りといったものが必要とされるが、これはすぐに身につくものではない。そのため、早くからいろいろな問題を練習するのがよい。 物語文ではまず、登場人物や場面をおさえなければならない。どんな人がいて、その人の人物像を簡単にとらえること、場面はどんなところで登場人物が何をしているのかをしっかりおさえるのが基本である。その上で場面の転換やストーリーの展開、登場人物の言動とその理由を考えると解きやすくなる。 随筆文の読解は説明的文章に近い。つまり、筆者が何についてどう感じたのかを文章にそって考えなければならない。 小説文ではあまりメジャーな作家の作品は出題されない。例外が重松清で、彼の作品は中学入試・高校入試共にどこかで出題されることが多い。そのため、彼の著作に一冊ぐらい目を通しておくと役に立つかもしれない。随筆では五木寛之の文章が比較的出題されやすい。白洲正子や向田邦子の随筆は、故人である上に教科書や問題集に文章が掲載されていることが多く、(公平性を保つことを目的に)公立高校を中心に高校入試では出題されにくい。しかし、今でも読みつがれている作家であるので、私立入試では出題者が「これくらいは読んでほしい」という気持ちを含めて、出題することもある。 漢字の読み書きは大問1に出されることが多い。数学の計算問題と同じように始めにすませるのがよい。また、漢字の書き順に関する問題が出ることもある。 奈良県の公立高校入試問題などのように手本の文を楷書で書き写すというのもある。この場合、止め・はねの正確さなどがチェックされる。 多くの公立高校の入試では200字程度の作文を書かせる。作文には以下のような傾向が見られる。 文章の内容や構成だけでなく、原稿用紙の基本的な使い方や言葉づかいなどもチェックされる。作文に限らないが国語の記述問題では制限字数の80%は最低書かなければ、減点される恐れがある。 現代文と古文・漢文をセットにした問題が出されることがある。また、2008年まで都立高校の入試問題には対談が出題された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "おもに、入試の現代文対策を述べる。学校の定期テスト対策では、授業中にとったノートや教科書や教科書ガイドなどをキチンと復習すればよい。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "学校のテストでも、教科書に書いてない作品を問題文として出題する場合がある。そういう問題の対策にも、これから述べる入試対策の現代文対策と似たような勉強法が必要になるだろう。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これから述べる読解の作法は、あくまで、入試対策や、定期テストでの授業で扱っていない範囲から出題された問題文への対策です。授業でならった範囲から出た問題文の場合は、あらかじめ内容や解釈を覚えた方が、てっとり早いです。というより、授業で習った範囲の問題文の解釈は、あらかじめテスト前の復習で、解釈ごと覚えておかないと、テスト中に問題をテスト時間内に解き終わりません。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現代文の読解は、筆者の主張を短時間で正確に理解するための作業です。読解力とは、そのような短時間での理解の作業を遂行していく能力でしょう。", "title": "現代文の読解とは" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "数学に公式と言う「手法」があるように、現代文の読解にも「手法」があります。", "title": "現代文の読解とは" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "読解中の具体的な作業として、「それ」とか「その○○」みたいな指示語などの「それ」とは何を指すかを明確にしながら、問題文を読み進めます。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "このため、国語の問題練習では、鉛筆や消しゴムなど筆記用具が必要になります。単に読むだけでは、練習になりません。数学などと学習法が似ています。数学などでは、計算練習のような、鉛筆を使った作業が必要な科目です。現代文も、鉛筆などの筆記用具を使った作業が必要です。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "テスト問題にも、問題文(作品の文章本文のこと)中に代名詞の「それ」とか「あれ」とかに傍線が引いてあって、設問文で \"傍線部Aの「それ」とは何を指すかを問題文中から抜き出して書きなさい。\" というような設問が多く出ます。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "なので、文を読むときに、最初から「それ」とか「その」などの代名詞などが出てきたら、問題文の何に相当するかをメモしながら(試験用紙などにメモ)、読み進めます。線で結ぶとか、カタカナ書きなどで具体的に対応する語句をメモしておくと良いでしょう。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "話題は変わりますが、もし自分で文章を書くときは、代名詞をあまり多用しすぎないように書いたほうが、読み手にとっては分かりやすい文章が書けるでしょう。 「それ」などの代名詞を用いるよりも、「その○○」などというふうに具体的に指示対象を併記したほうが読み手が分かりやすいでしょう。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "とくに実社会での報告書や説明文などでは、なるべく読み手に掛かる読解の手間を、減らす工夫をしなければなりません。報告書での文の読まれる順序は、かならずしも文章のはじめから文が読まれるとはかぎらず、抜粋(ばっすい)などをされて、第三者の読者に途中だけ読まれる場合もあります。なので、もし書く際に代名詞を多用すると、読み手が前の文を読み返す負担が増えるので、なるべく代名詞を抑えたほうが良いのです。途中の段落の始めや、途中の章の始めなどでは、読み手がわざわざ前の段落や前の章を読み返さなくてもすむように、代名詞や指示語の使用はひかえめにして、具体的に名称を書くほうが読みやすくなる場合が多いでしょう。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中学生・高校生では、別に報告書の書き方をここまで練習する必要は無いでしょう。学習時間も足りませんし。(学生は、他の教科・他の単元の学習もしなければならない。) まあ、読者は頭の片隅にでも、報告書の書き方を入れといてください。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "たとえるなら算数で引き算の練習をやれば、自然に足し算も上達しますよね。同様に、読解の練習をすると、自然に書く能力も上がります。 なので読解練習での指示語の指示対象を探す練習の学習成果によって、自然に報告書や説明文を書く能力も上がります。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ただし、詩歌や俳句や物語文などの場合は、文を書く際のノウハウが変わります。俳句の場合は字数の制限がありますし、詩歌や物語文などの場合には音のリズムの関係もあるでしょうから、あまりに具体的に名称を書いてばかりいると、かえって読みづらくなってしまうかもしれません。このような詩歌などの場合には、指示語や代名詞も用いたほうが良いかもしれません。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なので、書き手は用途に応じて、書き方を分けてください。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "問題文の主張に、感心する必要はありません。そんな事は入試では要求されません。現代文のテスト問題には、出題者が「この作品は優れた内容の作品であるので、出題しよう。」と判断した作品が問題文として採用されているので、ついつい感心しやすい内容の問題文が出ます。しかし、テスト中には、感心している暇がありません。そういう感傷(かんしょう)は、テスト後にひたりましょう。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "もっとも、検定教科書に採用された作品の場合、とくに説明文や近代文学などの場合は、内容の理解も教育の一部として考えられているので、もし予習復習の時間に余裕があったら、感心するような作品の問題文は何度か読み返すのも良いでしょう。また、現代文ではないですが、古文や漢文などでも、あらかじめ内容を理解してないと読解に時間が掛かるので、古文・漢文の作品は内容ごと覚えてしまうのも良いでしょう。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ただし、作品に「感心した」「感動した」という感情は、主観的な感情にすぎません。テスト等では、客観的に測定できる分析力や読解力が要求されます。客観的な読解能力とは、訓練しないと身につきづらいものです。客観的な読解能力のほうが、需要(じゅよう)が高いのです。", "title": "テクニック" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "読解問題には時間が掛かります。なので、まずは暗記してれば解ける、漢字問題などを中心とした大問(たいもん)があれば、そちらから解くことで、得点を確保しましょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "また、古文・漢文などの古典の問題は、比較的、短時間で読解できたり、あるいは暗記問題だったりするので、現代文よりも先に古典文の大問から解いたほうが、得点できるでしょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "さて、問題の問題文を読む前に、設問を読むのが、受験テクニックです。現代文の大問では当然、設問から読むべきだし、古典の大問でも同様に、設問から読むべきです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その上で、設問で問われることを念頭に置きながら、問題文を読みます。もし、そうせずに、かりに試験用紙の掲載順どおりに読んでしまい、つまり問題文を読んでから設問文を読むと、そうすると設問文を読んだあとに再び問題文を読み直す必要がありますので、問題文を2度読むことになります。だから掲載順どおりの読み方をしてしまうと、問題文の読み直しをする必要が生じてしまうので、余計な時間が掛かり、設問を考える時間が足りなくなります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "多少の例外はあるかもしれませんが、たいていの場合、設問から先に読んだほうが、得(とく)な場合が多いです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "もしくは、本文の最初の段落など、本文の一部だけ先に読んでおいて、そのあとに設問を読んで、それから本文全部を順番に読む、などという方法も、よいかもしれません。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "かりに設問の数がやたらと多い場合とかは別でしょうが、普通のテストでは、そういう事はありません。そういう例外的な場合(設問の数がメチャクチャと多い場合とか)でない限りは、まずは設問を読んでから問題文全体を読んだほうが安全でしょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "そして、設問を先に読んでいるので、問われる内容が分かってるので、問題文を読んでる途中に、ある設問の答えが分かる場合があります。もし答えが分かった場合、その答えを忘れないうちに、もう解答用紙に書いてしまいましょう。どうしても解答用紙にかけない場合(たとえば字数内にマトメルのに時間が掛かる、とか)でも、せめて、答えの内容のメモ書きくらいは、問題用紙の余白などに、しておきましょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "数分でも時間がたつと、意外と忘れるものです。なので、忘れない内にメモ、です。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "なお、「代名詞の内容を追いながら、読む」などのテクニックを実行しながら、問題文本文を読むことを忘れないようにしてください。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "つまり、これまでの読解テクニックをまとめると", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "というような順番になります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "もし問題文を1回読んでも分からない場合、ほんの1分ほど設問に関係しそうな場所を読み直して、それでも分からない場合、もし他にも別作品の大問があれば、そちら(別作品)を解くのに取りかかります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "たいてい1つのテストで、2個や3個の作品が問題文として別々に出題されてるので、それらに均等に時間配分をして、テストを解いていきます。ときどき、最初に掲載された問題文が、やたらと難しい場合もあるので、もしそういう場合に、最初の問題文だけに時間を割くと、ほかの問題を解く時間が無くなってしまいます。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "「問題用紙に掲載された作品中、どの作品が易しく解けて、どの作品が難しいか」なんてのは、読んでみないと分からないので、とりあえず、設問を読み終わったら、さっさと問題文を最初の作品から順番に読み始めましょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "さて、問題文と設問文との掲載順序について、けっして出題者は「気を利かして先に設問を掲載してから、次に問題文を掲載する、」なんて事は、してくれません。なので、しかたなく受験者のほうが、気を利かして先に設問文を読む必要があります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "実社会でも、上司に報告や連絡や相談などをするときには、先に概要(がいよう)とか要約(ようやく)を話してから、続けて詳細を続けて話す必要があります。そうやって先に要約を話しておかないと、上司が聞きなおす必要が生じて、上司の時間を奪ってしまうからです。実社会での報告・連絡・相談では、もし先に要約を話さずに、先に詳細から話しはじめると、おそらく上司に叱られます。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "なので、新人の社会人は報告での要約の練習をさせられたりします。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "学校の現代文での練習で、設問を先に読むことも、そういう実社会での要約の練習だと思って、がんばりましょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、実社会でも、文献調査(ぶんけんちょうさ)や取材(しゅざい)などをするときは、客先(きゃくさき)などから質問されそうなことを先に目星をつけておきながら、それから文献調査したり取材したりして、気付いたことをノートなどにメモをしながら、調査をしていくわけです。(※ ここで私のいう「取材」とは、一般企業の社員などが、勤務する業界の関連する展示会(てんじかい)イベントなどを取材することです。テレビ局などマスコミの「取材」の場合とは、ちがうかもしれません。)", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "特に取材の場合、出張費用などが掛かったり、イベントなどの取材だと年に1回しか取材できない場合とかがありますので、取材前に事前に目星をつける必要があるわけです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "話を戻すと、中学の国語の読解問題の解きかたの話でしたね。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ともかく、設問を先に読んでから、問題文を読むのが、受験テクニックです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "学校や入試での、国語の現代文の長文読解での読解作業は、報告書の書き方とは逆方向の読み方を、やれば良いワケです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "それでは、報告書の書き方のノウハウを例示しましょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。なので、一文が長いと、読む際の負担が増えます。この「一文は、短めに書く。」という文章自体、なるべく短く書こうとしています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。さて日本語では、否定形は、文の最後に来ます。否定形の前後では、文全体の意味が正反対に変わります。なので、否定形があると、読み直しの手間が生じます。だから否定形が多いと、読み直しの手間が増えて、読みにくい文章になります。この記事の「なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。」という文章じたい、「○○で書く」という肯定形の表現を優先し、「△△は用いない。」というような否定形の表現を後回しにしています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、読み手が文意を予測できるようにして、冒頭に接続詞などを用いて、文意を示します。この「たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、」という文節自体が、「たとえ」という接続詞によって、文意を予測させています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "理由は、箇条書きによって説明対象が明示的になるから。そのため、この記事自体、箇条書きを利用しています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "なぜなら、読者にとっては、読み直しの手間が減ります。この記事自体、なるべく結論から書こうとしています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "学生のテスト対策では、これの逆の文章が出題されることを意識すれば、対策しやすいわけです。つまり国語テストの読解問題の設問には、文章の結論を問う設問が、ほぼ必ず一問は出題されたりします。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "「作者の主張に近いものを、次の選択肢の中から選べ」というような設問です。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "あるいは接続詞を問う問題が出題されます。たとえば問題文のある文の接続詞を隠して空欄にして、その空欄に適した接続詞を選択させる選択問題なども、よく出題されます。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ある指示語のさす内容について、字数を一定以下に限定し、「この指示語の内容を○○文字以内で書け。」というような設問も、箇条書きの能力に近いでしょう。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ある動作の主語の内容を問う選択問題も多いです。たとえば設問文で 「傍線部Aの「彼」とは誰ですか? 問題文の中から抜き出しなさい。」みたいに主語の内容を問う問題も多いです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "学校で習う文章は、テスト問題として出すための文章であるという理由から、実社会で書くべき文章とはズレがあります。学校で習う文章は、読解練習用に教育用に編集された文章であるので、やや読解が難しめの文章になっています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "「教育用に編集」という主張の意味は、たとえば、たとえ作者が読み手に分かりやすいように、作者が文の冒頭に要約を書いていたりしても、出題者が冒頭の要約を隠して問題文を出題したりして、わざと分かりづらくさせたりまします。しまいには選択問題として、隠された要約にふさわしい選択肢を選ぶ問題が出題される場合すらも、あります。同様に、たとえ作者が文章の最後に結論やマトメなどを書いていても、出題者が結論などを隠して、問題の一つとして出題する場合もあります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ですが、教育訓練の用途としては、あえて分かりづらく編集する出題も、必要な措置(そち)です。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "実は「具体的に明示的に書く。読み手に読みやすくなるように、書き手が書く。」というのは、書き手にとっては、難しいのです。読み手にとっては読むのが簡単な文章ほど、書き手にとっては書くのが難しくなります。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "たとえば全自動の洗濯機とか、あるいは全自動の炊飯器とかで、家事をするのは、利用者にとってはボタン一つで簡単かもしれませんが、その全自動の製品を作っている企業での仕事は、決してボタンひとつでは片付きません。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "同様に、読み手がスラスラと読めて内容を即座に把握しやすい文章であるほど、その文章を書き手は時間を多く掛けて書いています。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "だから、いきなり学生に文を書かせる教育は、難しいのです。なので、まずは、やや難しめにした文章を読ませる練習から、学生は教育されるわけです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "たとえば小学校の算数の練習で、全自動の電卓をあまり使わない事と似ていますね。「電卓を作れ!」「計算機を作れ!」という課題は、小学生には解決が無理です。なので、まずは電卓に頼らなくても計算できるように、小学生は教育されますよね。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "同様に、中学での国語の読解練習でも、たとえ書き手の親切心に頼らなくても中学生が読解を出来るようになるため、中学生は読解練習をさせられているわけです。", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "", "title": "読解問題よりも先に、暗記問題を解く" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "読解は独学しづらいので、学校の授業や塾などを活用する。まずは、キチンと学校に通って、キチンと予習復習をする。", "title": "勉強法" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "宿題などで「課題図書を読め」などという宿題も、読解力など訓練も兼ねているだろうから、キチンと宿題をする。", "title": "勉強法" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "ここでは高校受験の国語のうち、現代文の対策について解説する。高校受験の現代文は以下の内容が出されることが多い。", "title": "高校受験に向けて" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "国語は数学・英語と並んで「主要3教科」と呼ばれることが多いが、3教科の中ではもっとも扱いが低い傾向にある。それは普段私たちが使用している日本語の読み書きが中心で、普段の生活でなんとなく身についているかのように見えるからであろう。しかし、国語の現代文の力は数学や英語と同じくらい、力をつけるのに時間のかかるものである。たとえば新聞が読めるからといって、哲学書や難解な評論が読める(理解できる)とはかぎらない。これらを読むには筆者の主張を丁寧に追うトレーニングを積まなければならない。小説でもストーリーを理解することはそれほど難しくはないが、登場人物の心理といった表面的な部分に描かれていないものを理解するには日常体験や他の本で読んだことなどと重ね合わせるなどを行わなければ読み間違えるであろう。また、筆者・作者が用いている日本語の表現技法も理解する必要がある。読解に限らず、作文でも同じことが言える。メールが書けることと仕事の報告書などを書くこととは全くことなる。この二つはそもそもルールが違うのだ。", "title": "高校受験に向けて" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "国語の現代文が英語・数学に比べて軽視されがちなもう一つの理由は勉強方法がわかりにくいというのもあるだろう。数学は計算練習や公式の暗記と適用が、英語は単語や文法の学習が基礎となることがはっきりしているが、国語の現代文では何をやればよいのかがよくわからないまま「なんとなく」点を取ったり落としたりすることは珍しいことではない。", "title": "高校受験に向けて" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "国語の学習に必要なものは丁寧に文章を追い、筆者の主張や作者の意図を汲み取るのに必要な読解力だけではなく、それを自分で組み立てなおす論理的な思考や体験や経験、一般常識などと重ね合わせる力である。これらは漫然と学習しても身につかない。正解・不正解にかかわらず「なぜこの答えになるのか(なったのか)」ということを考えながら解いてゆかなければならない。", "title": "高校受験に向けて" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "大雑把に分けると、あるものごとについて説明することが中心で筆者の意見が少ない説明文(たとえば「科学はどのように進んできたか」「サルの行動からわかること」など)、ある事実を踏まえて筆者の意見を述べているため筆者の主張がはっきりとしている評論文(たとえば「環境問題を解決するには何が必要か」など)、詩や俳句がどのようにしてでき、そのみどころなどを作品に沿って筆者の意見も交えながら解説している解説文に分けられる。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "全体として現在も存命の評論家や学者の文章が多い。これは現代文が現在進行しているいろいろな問題について評論・説明している文章を扱うことが多いためである。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "筆者の意見とその理由などが明確なため、文章を丁寧に追えば根拠となる部分を見つけることは難しくない。そのため、比較的力をつけやすく点を取りやすい。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "説明文や評論文では筆者の意見なのか事実なのかを理解しなければ文章を読んでいるうちに混乱してしまう。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "大学入試の現代文で出題されることの多い鷲田清一の文章だが、易しいところを高校入試に出題することもある。エコロジーへの関心などから内山節の評論も近年出題されやすくなった。また、数十年前から入試国語で人気のある大岡信・外山滋比古・加藤周一も、時間があればチェックしても損はない。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "物語文と随筆文に分けることができる。説明的文章と同様に現在も活躍している作家の作品が多く、公立高校や中堅私立高校ではすでに亡くなった作家はあまり登場しない。詩・短歌(和歌)・俳句が単独で出されることはあまりなく、解説文や古文と共に出題されることが多い。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "感覚的な理解や心理の読み取りといったものが必要とされるが、これはすぐに身につくものではない。そのため、早くからいろいろな問題を練習するのがよい。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "物語文ではまず、登場人物や場面をおさえなければならない。どんな人がいて、その人の人物像を簡単にとらえること、場面はどんなところで登場人物が何をしているのかをしっかりおさえるのが基本である。その上で場面の転換やストーリーの展開、登場人物の言動とその理由を考えると解きやすくなる。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "随筆文の読解は説明的文章に近い。つまり、筆者が何についてどう感じたのかを文章にそって考えなければならない。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "小説文ではあまりメジャーな作家の作品は出題されない。例外が重松清で、彼の作品は中学入試・高校入試共にどこかで出題されることが多い。そのため、彼の著作に一冊ぐらい目を通しておくと役に立つかもしれない。随筆では五木寛之の文章が比較的出題されやすい。白洲正子や向田邦子の随筆は、故人である上に教科書や問題集に文章が掲載されていることが多く、(公平性を保つことを目的に)公立高校を中心に高校入試では出題されにくい。しかし、今でも読みつがれている作家であるので、私立入試では出題者が「これくらいは読んでほしい」という気持ちを含めて、出題することもある。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "漢字の読み書きは大問1に出されることが多い。数学の計算問題と同じように始めにすませるのがよい。また、漢字の書き順に関する問題が出ることもある。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "奈良県の公立高校入試問題などのように手本の文を楷書で書き写すというのもある。この場合、止め・はねの正確さなどがチェックされる。", "title": "分野別の傾向" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "多くの公立高校の入試では200字程度の作文を書かせる。作文には以下のような傾向が見られる。", "title": "作文" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "文章の内容や構成だけでなく、原稿用紙の基本的な使い方や言葉づかいなどもチェックされる。作文に限らないが国語の記述問題では制限字数の80%は最低書かなければ、減点される恐れがある。", "title": "作文" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "現代文と古文・漢文をセットにした問題が出されることがある。また、2008年まで都立高校の入試問題には対談が出題された。", "title": "その他" } ]
おもに、入試の現代文対策を述べる。学校の定期テスト対策では、授業中にとったノートや教科書や教科書ガイドなどをキチンと復習すればよい。 学校のテストでも、教科書に書いてない作品を問題文として出題する場合がある。そういう問題の対策にも、これから述べる入試対策の現代文対策と似たような勉強法が必要になるだろう。 これから述べる読解の作法は、あくまで、入試対策や、定期テストでの授業で扱っていない範囲から出題された問題文への対策です。授業でならった範囲から出た問題文の場合は、あらかじめ内容や解釈を覚えた方が、てっとり早いです。というより、授業で習った範囲の問題文の解釈は、あらかじめテスト前の復習で、解釈ごと覚えておかないと、テスト中に問題をテスト時間内に解き終わりません。
おもに、入試の現代文対策を述べる。学校の定期テスト対策では、授業中にとったノートや教科書や教科書ガイドなどをキチンと復習すればよい。 学校のテストでも、教科書に書いてない作品を問題文として出題する場合がある。そういう問題の対策にも、これから述べる入試対策の現代文対策と似たような勉強法が必要になるだろう。 これから述べる読解の作法は、あくまで、入試対策や、定期テストでの授業で扱っていない範囲から出題された問題文への対策です。授業でならった範囲から出た問題文の場合は、あらかじめ内容や解釈を覚えた方が、てっとり早いです。というより、授業で習った範囲の問題文の解釈は、あらかじめテスト前の復習で、解釈ごと覚えておかないと、テスト中に問題をテスト時間内に解き終わりません。 == 現代文の読解とは == 現代文の読解は、筆者の主張を短時間で正確に理解するための作業です。読解力とは、そのような短時間での理解の作業を遂行していく能力でしょう。 数学に公式と言う「手法」があるように、現代文の読解にも「手法」があります。 == テクニック == === 指示語(「その」「あの」など)や代名詞(「それ」「彼」など)の内容を確認しながら、メモしながら読み進める。 === 読解中の具体的な作業として、「それ」とか「その○○」みたいな指示語などの「それ」とは何を指すかを明確にしながら、問題文を読み進めます。 このため、国語の問題練習では、鉛筆や消しゴムなど筆記用具が必要になります。単に読むだけでは、練習になりません。数学などと学習法が似ています。数学などでは、計算練習のような、鉛筆を使った作業が必要な科目です。現代文も、鉛筆などの筆記用具を使った作業が必要です。 テスト問題にも、問題文(作品の文章本文のこと)中に代名詞の「それ」とか「あれ」とかに傍線が引いてあって、設問文で "傍線部Aの「それ」とは何を指すかを問題文中から抜き出して書きなさい。" というような設問が多く出ます。 なので、文を読むときに、最初から「それ」とか「その」などの代名詞などが出てきたら、問題文の何に相当するかをメモしながら(試験用紙などにメモ)、読み進めます。線で結ぶとか、カタカナ書きなどで具体的に対応する語句をメモしておくと良いでしょう。 話題は変わりますが、もし自分で文章を書くときは、代名詞をあまり多用しすぎないように書いたほうが、読み手にとっては分かりやすい文章が書けるでしょう。 「それ」などの代名詞を用いるよりも、「その○○」などというふうに具体的に指示対象を併記したほうが読み手が分かりやすいでしょう。 とくに実社会での報告書や説明文などでは、なるべく読み手に掛かる読解の手間を、減らす工夫をしなければなりません。報告書での文の読まれる順序は、かならずしも文章のはじめから文が読まれるとはかぎらず、抜粋(ばっすい)などをされて、第三者の読者に途中だけ読まれる場合もあります。なので、もし書く際に代名詞を多用すると、読み手が前の文を読み返す負担が増えるので、なるべく代名詞を抑えたほうが良いのです。途中の段落の始めや、途中の章の始めなどでは、読み手がわざわざ前の段落や前の章を読み返さなくてもすむように、代名詞や指示語の使用はひかえめにして、具体的に名称を書くほうが読みやすくなる場合が多いでしょう。 中学生・高校生では、別に報告書の書き方をここまで練習する必要は無いでしょう。学習時間も足りませんし。(学生は、他の教科・他の単元の学習もしなければならない。) まあ、読者は頭の片隅にでも、報告書の書き方を入れといてください。 たとえるなら算数で引き算の練習をやれば、自然に足し算も上達しますよね。同様に、読解の練習をすると、自然に書く能力も上がります。 なので読解練習での指示語の指示対象を探す練習の学習成果によって、自然に報告書や説明文を書く能力も上がります。 ただし、詩歌や俳句や物語文などの場合は、文を書く際のノウハウが変わります。俳句の場合は字数の制限がありますし、詩歌や物語文などの場合には音のリズムの関係もあるでしょうから、あまりに具体的に名称を書いてばかりいると、かえって読みづらくなってしまうかもしれません。このような詩歌などの場合には、指示語や代名詞も用いたほうが良いかもしれません。 なので、書き手は用途に応じて、書き方を分けてください。 === 問題文の主張に、感心する必要は無い === 問題文の主張に、感心する必要はありません。そんな事は入試では要求されません。現代文のテスト問題には、出題者が「この作品は優れた内容の作品であるので、出題しよう。」と判断した作品が問題文として採用されているので、ついつい感心しやすい内容の問題文が出ます。しかし、テスト中には、感心している暇がありません。そういう感傷(かんしょう)は、テスト後にひたりましょう。 もっとも、検定教科書に採用された作品の場合、とくに説明文や近代文学などの場合は、内容の理解も教育の一部として考えられているので、もし予習復習の時間に余裕があったら、感心するような作品の問題文は何度か読み返すのも良いでしょう。また、現代文ではないですが、古文や漢文などでも、あらかじめ内容を理解してないと読解に時間が掛かるので、古文・漢文の作品は内容ごと覚えてしまうのも良いでしょう。 ただし、作品に「感心した」「感動した」という感情は、主観的な感情にすぎません。テスト等では、客観的に測定できる分析力や読解力が要求されます。客観的な読解能力とは、訓練しないと身につきづらいものです。客観的な読解能力のほうが、需要(じゅよう)が高いのです。 == 読解問題よりも先に、暗記問題を解く == 読解問題には時間が掛かります。なので、まずは暗記してれば解ける、漢字問題などを中心とした大問(たいもん)があれば、そちらから解くことで、得点を確保しましょう。 また、古文・漢文などの古典の問題は、比較的、短時間で読解できたり、あるいは暗記問題だったりするので、現代文よりも先に古典文の大問から解いたほうが、得点できるでしょう。 === 問題の問題文を読む前に、設問を読む。 === さて、問題の問題文を読む前に、設問を読むのが、受験テクニックです。現代文の大問では当然、設問から読むべきだし、古典の大問でも同様に、設問から読むべきです。 その上で、設問で問われることを念頭に置きながら、問題文を読みます。もし、そうせずに、かりに試験用紙の掲載順どおりに読んでしまい、つまり問題文を読んでから設問文を読むと、そうすると設問文を読んだあとに再び問題文を読み直す必要がありますので、問題文を2度読むことになります。だから掲載順どおりの読み方をしてしまうと、問題文の読み直しをする必要が生じてしまうので、余計な時間が掛かり、設問を考える時間が足りなくなります。 多少の例外はあるかもしれませんが、たいていの場合、設問から先に読んだほうが、得(とく)な場合が多いです。 もしくは、本文の最初の段落など、本文の一部だけ先に読んでおいて、そのあとに設問を読んで、それから本文全部を順番に読む、などという方法も、よいかもしれません。 かりに設問の数がやたらと多い場合とかは別でしょうが、普通のテストでは、そういう事はありません。そういう例外的な場合(設問の数がメチャクチャと多い場合とか)でない限りは、まずは設問を読んでから問題文全体を読んだほうが安全でしょう。 そして、設問を先に読んでいるので、問われる内容が分かってるので、問題文を読んでる途中に、ある設問の答えが分かる場合があります。もし答えが分かった場合、その答えを忘れないうちに、もう解答用紙に書いてしまいましょう。どうしても解答用紙にかけない場合(たとえば字数内にマトメルのに時間が掛かる、とか)でも、せめて、答えの内容のメモ書きくらいは、問題用紙の余白などに、しておきましょう。 数分でも時間がたつと、意外と忘れるものです。なので、忘れない内にメモ、です。 なお、「代名詞の内容を追いながら、読む」などのテクニックを実行しながら、問題文本文を読むことを忘れないようにしてください。 つまり、これまでの読解テクニックをまとめると # なるべく暗記問題から解く。古典(古文・漢文)から解く。こうすることで、得点を先に確保。 # まずは設問をさきに読む。 こうすることで、問題文の二度読みの時間ロスを防止。 # それから問題文を読み始める。 # 代名詞などの内容を(問題用紙に)メモしながら問題文を読むことを実行。 # もし設問の答えが分かったら、解答用紙に書く。なんらかの理由で解答できない場合は、メモを問題用紙に残す。 というような順番になります。 '''もし問題文を1回読んでも分からない場合、ほんの1分ほど設問に関係しそうな場所を読み直して、それでも分からない場合、もし他にも別作品の大問があれば、そちら(別作品)を解くのに取りかかります。''' たいてい1つのテストで、2個や3個の作品が問題文として別々に出題されてるので、それらに均等に時間配分をして、テストを解いていきます。ときどき、最初に掲載された問題文が、やたらと難しい場合もあるので、もしそういう場合に、最初の問題文だけに時間を割くと、ほかの問題を解く時間が無くなってしまいます。 「問題用紙に掲載された作品中、どの作品が易しく解けて、どの作品が難しいか」なんてのは、読んでみないと分からないので、とりあえず、設問を読み終わったら、さっさと問題文を最初の作品から順番に読み始めましょう。 さて、問題文と設問文との掲載順序について、けっして出題者は「気を利かして先に設問を掲載してから、次に問題文を掲載する、」なんて事は、してくれません。なので、しかたなく受験者のほうが、気を利かして先に設問文を読む必要があります。 実社会でも、上司に報告や連絡や相談などをするときには、先に概要(がいよう)とか要約(ようやく)を話してから、続けて詳細を続けて話す必要があります。そうやって先に要約を話しておかないと、上司が聞きなおす必要が生じて、上司の時間を奪ってしまうからです。実社会での報告・連絡・相談では、もし先に要約を話さずに、先に詳細から話しはじめると、おそらく上司に叱られます。 なので、新人の社会人は報告での要約の練習をさせられたりします。 学校の現代文での練習で、設問を先に読むことも、そういう実社会での要約の練習だと思って、がんばりましょう。 また、実社会でも、文献調査(ぶんけんちょうさ)や取材(しゅざい)などをするときは、客先(きゃくさき)などから質問されそうなことを先に目星をつけておきながら、それから文献調査したり取材したりして、気付いたことをノートなどにメモをしながら、調査をしていくわけです。(※ ここで私のいう「取材」とは、一般企業の社員などが、勤務する業界の関連する展示会(てんじかい)イベントなどを取材することです。テレビ局などマスコミの「取材」の場合とは、ちがうかもしれません。) 特に取材の場合、出張費用などが掛かったり、イベントなどの取材だと年に1回しか取材できない場合とかがありますので、取材前に事前に目星をつける必要があるわけです。 話を戻すと、中学の国語の読解問題の解きかたの話でしたね。 ともかく、設問を先に読んでから、問題文を読むのが、受験テクニックです。 === 報告書を作れるような能力が、設問で要求される === 学校や入試での、国語の現代文の長文読解での読解作業は、報告書の書き方とは逆方向の読み方を、やれば良いワケです。 それでは、報告書の書き方のノウハウを例示しましょう。 ==== 報告書の書き方のノウハウ ==== * なるべく主語は省略せず、あるいは目的語は省略せず、主語・目的語を書いたほうが分かりやすいです。 :物語文などでは文章の主語は省略される場合もあります。ですが、説明文や報告書などでは、なるべく主語を書いたほうが分かりやすいです。この箇条書き項目の「なるべく主語は省略せず、あるいは目的語は省略せず、主語・目的語を書いたほうが分かりやすいです。」という文章も、主語や目的語を省略せず、書いています。 * 一文は、短めに書く。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。なので、一文が長いと、読む際の負担が増えます。この「一文は、短めに書く。」という文章自体、なるべく短く書こうとしています。 * なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。報告書などでは、二重否定よりも、肯定形に置き換える。 日本語は、文章の最後まで読まないと意味が確定しません。さて日本語では、否定形は、文の最後に来ます。否定形の前後では、文全体の意味が正反対に変わります。なので、否定形があると、読み直しの手間が生じます。だから否定形が多いと、読み直しの手間が増えて、読みにくい文章になります。この記事の「なるべく肯定形で書く。あまり、否定形は用いない。」という文章じたい、「○○で書く」という肯定形の表現を優先し、「△△は用いない。」というような否定形の表現を後回しにしています。 * 接続詞を用いて、文の概要を示す。 たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、読み手が文意を予測できるようにして、冒頭に接続詞などを用いて、文意を示します。この「たとえ読み手が文章を最後まで読まなくても、」という文節自体が、「たとえ」という接続詞によって、文意を予測させています。 * 箇条書きを利用する。 理由は、箇条書きによって説明対象が明示的になるから。そのため、この記事自体、箇条書きを利用しています。 * なるべく結論から書く。あるいは冒頭に、要約(ようやく)や概要(がいよう)などを書く。段落の始め近くや章の始め近くにも、なるべく結論や要約などを書く。 なぜなら、読者にとっては、読み直しの手間が減ります。この記事自体、なるべく結論から書こうとしています。 ==== 学校のテストの問題文では、報告書の書き方とは逆の問題文が出題されます。 ==== 学生のテスト対策では、これの逆の文章が出題されることを意識すれば、対策しやすいわけです。つまり国語テストの読解問題の設問には、文章の結論を問う設問が、ほぼ必ず一問は出題されたりします。 「作者の主張に近いものを、次の選択肢の中から選べ」というような設問です。 あるいは接続詞を問う問題が出題されます。たとえば問題文のある文の接続詞を隠して空欄にして、その空欄に適した接続詞を選択させる選択問題なども、よく出題されます。 ある指示語のさす内容について、字数を一定以下に限定し、「この指示語の内容を○○文字以内で書け。」というような設問も、箇条書きの能力に近いでしょう。 ある動作の主語の内容を問う選択問題も多いです。たとえば設問文で 「傍線部Aの「彼」とは誰ですか? 問題文の中から抜き出しなさい。」みたいに主語の内容を問う問題も多いです。 === 学校で習う文章は、実社会の文章とは違う。学校で習う文章は、読解練習のために編集されている。 === 学校で習う文章は、テスト問題として出すための文章であるという理由から、実社会で書くべき文章とはズレがあります。学校で習う文章は、読解練習用に教育用に編集された文章であるので、やや読解が難しめの文章になっています。 「教育用に編集」という主張の意味は、たとえば、たとえ作者が読み手に分かりやすいように、作者が文の冒頭に要約を書いていたりしても、出題者が冒頭の要約を隠して問題文を出題したりして、わざと分かりづらくさせたりまします。しまいには選択問題として、隠された要約にふさわしい選択肢を選ぶ問題が出題される場合すらも、あります。同様に、たとえ作者が文章の最後に結論やマトメなどを書いていても、出題者が結論などを隠して、問題の一つとして出題する場合もあります。 ですが、教育訓練の用途としては、あえて分かりづらく編集する出題も、必要な措置(そち)です。 実は「具体的に明示的に書く。読み手に読みやすくなるように、書き手が書く。」というのは、書き手にとっては、難しいのです。読み手にとっては読むのが簡単な文章ほど、書き手にとっては書くのが難しくなります。 たとえば全自動の洗濯機とか、あるいは全自動の炊飯器とかで、家事をするのは、利用者にとってはボタン一つで簡単かもしれませんが、その全自動の製品を作っている企業での仕事は、決してボタンひとつでは片付きません。 同様に、読み手がスラスラと読めて内容を即座に把握しやすい文章であるほど、その文章を書き手は時間を多く掛けて書いています。 だから、いきなり学生に文を書かせる教育は、難しいのです。なので、まずは、やや難しめにした文章を読ませる練習から、学生は教育されるわけです。 たとえば小学校の算数の練習で、全自動の電卓をあまり使わない事と似ていますね。「電卓を作れ!」「計算機を作れ!」という課題は、小学生には解決が無理です。なので、まずは電卓に頼らなくても計算できるように、小学生は教育されますよね。 同様に、中学での国語の読解練習でも、たとえ書き手の親切心に頼らなくても中学生が読解を出来るようになるため、中学生は読解練習をさせられているわけです。 == 勉強法 == === 学校の活用 === 読解は独学しづらいので、学校の授業や塾などを活用する。まずは、キチンと学校に通って、キチンと予習復習をする。 宿題などで「課題図書を読め」などという宿題も、読解力など訓練も兼ねているだろうから、キチンと宿題をする。 == 高校受験に向けて == ここでは高校受験の国語のうち、現代文の対策について解説する。高校受験の現代文は以下の内容が出されることが多い。 * 説明的文章(説明文・評論文・解説文) * 文学的文章(物語文・随筆・詩歌) * 文法・言語(漢字、ことわざ・慣用句など) * 作文 国語は数学・英語と並んで「主要3教科」と呼ばれることが多いが、3教科の中ではもっとも扱いが低い傾向にある。それは普段私たちが使用している日本語の読み書きが中心で、普段の生活でなんとなく身についているかのように見えるからであろう。しかし、国語の現代文の力は数学や英語と同じくらい、力をつけるのに時間のかかるものである。たとえば新聞が読めるからといって、哲学書や難解な評論が読める(理解できる)とはかぎらない。これらを読むには筆者の主張を丁寧に追うトレーニングを積まなければならない。小説でもストーリーを理解することはそれほど難しくはないが、登場人物の心理といった表面的な部分に描かれていないものを理解するには日常体験や他の本で読んだことなどと重ね合わせるなどを行わなければ読み間違えるであろう。また、筆者・作者が用いている日本語の表現技法も理解する必要がある。読解に限らず、作文でも同じことが言える。メールが書けることと仕事の報告書などを書くこととは全くことなる。この二つはそもそもルールが違うのだ。 国語の現代文が英語・数学に比べて軽視されがちなもう一つの理由は勉強方法がわかりにくいというのもあるだろう。数学は計算練習や公式の暗記と適用が、英語は単語や文法の学習が基礎となることがはっきりしているが、国語の現代文では何をやればよいのかがよくわからないまま「なんとなく」点を取ったり落としたりすることは珍しいことではない。 国語の学習に必要なものは丁寧に文章を追い、筆者の主張や作者の意図を汲み取るのに必要な読解力だけではなく、それを自分で組み立てなおす論理的な思考や体験や経験、一般常識などと重ね合わせる力である。これらは漫然と学習しても身につかない。正解・不正解にかかわらず「なぜこの答えになるのか(なったのか)」ということを考えながら解いてゆかなければならない。 == 分野別の傾向 == === 説明的文章 === 大雑把に分けると、あるものごとについて説明することが中心で筆者の意見が少ない'''説明文'''(たとえば「科学はどのように進んできたか」「サルの行動からわかること」など)、ある事実を踏まえて筆者の意見を述べているため筆者の主張がはっきりとしている'''評論文'''(たとえば「環境問題を解決するには何が必要か」など)、詩や俳句がどのようにしてでき、そのみどころなどを作品に沿って筆者の意見も交えながら解説している'''解説文'''に分けられる。 全体として現在も存命の評論家や学者の文章が多い。これは現代文が現在進行しているいろいろな問題について評論・説明している文章を扱うことが多いためである。 筆者の意見とその理由などが明確なため、文章を丁寧に追えば根拠となる部分を見つけることは難しくない。そのため、比較的力をつけやすく点を取りやすい。 ==== 読解のポイント ==== 説明文や評論文では筆者の意見なのか事実なのかを理解しなければ文章を読んでいるうちに混乱してしまう。 ==== 頻出テーマ ==== * エコロジー・科学技術 * 言語論(「言葉とは何か」など) * 社会批評(社会の移り変わりなどを論じた文章) * 学問論(「なぜ勉強するのか」といった問題を扱う) * 美術・芸術についての評論 * 詩歌とその解説 ==== 論者 ==== * [[W:大岡信|大岡信]](詩歌の解説文・随筆文) * [[W:鷲田清一|鷲田清一]](身体論) * [[W:内山節|内山節]](共同体・エコロジー) * [[W:外山滋比古|外山滋比古]](言語論・学問論) * [[W:加藤周一|加藤周一]](文学論・学問論・文化論 故人) 大学入試の現代文で出題されることの多い鷲田清一の文章だが、易しいところを高校入試に出題することもある。エコロジーへの関心などから内山節の評論も近年出題されやすくなった。また、数十年前から入試国語で人気のある大岡信・外山滋比古・加藤周一も、時間があればチェックしても損はない。 === 文学的文章 === '''物語文'''と'''随筆文'''に分けることができる。説明的文章と同様に現在も活躍している作家の作品が多く、公立高校や中堅私立高校ではすでに亡くなった作家はあまり登場しない。詩・短歌(和歌)・俳句が単独で出されることはあまりなく、解説文や古文と共に出題されることが多い。 感覚的な理解や心理の読み取りといったものが必要とされるが、これはすぐに身につくものではない。そのため、早くからいろいろな問題を練習するのがよい。 ==== 読解のポイント ==== 物語文ではまず、登場人物や場面をおさえなければならない。どんな人がいて、その人の人物像を簡単にとらえること、場面はどんなところで登場人物が何をしているのかをしっかりおさえるのが基本である。その上で場面の転換やストーリーの展開、登場人物の言動とその理由を考えると解きやすくなる。 随筆文の読解は説明的文章に近い。つまり、筆者が何についてどう感じたのかを文章にそって考えなければならない。 ==== 作家 ==== * [[w:重松清|重松清]](物語文) * [[W:五木寛之|五木寛之]](随筆文) * [[W:白洲正子|白洲正子]](随筆文 故人) * [[W:向田邦子|向田邦子]](随筆文 故人) 小説文ではあまりメジャーな作家の作品は出題されない。例外が重松清で、彼の作品は中学入試・高校入試共にどこかで出題されることが多い。そのため、彼の著作に一冊ぐらい目を通しておくと役に立つかもしれない。随筆では五木寛之の文章が比較的出題されやすい。白洲正子や向田邦子の随筆は、故人である上に教科書や問題集に文章が掲載されていることが多く、(公平性を保つことを目的に)公立高校を中心に高校入試では出題されにくい。しかし、今でも読みつがれている作家であるので、私立入試では出題者が「これくらいは読んでほしい」という気持ちを含めて、出題することもある。 === 文法・言語 === === 漢字 === 漢字の読み書きは大問1に出されることが多い。数学の計算問題と同じように始めにすませるのがよい。また、漢字の書き順に関する問題が出ることもある。 === 文法 === === ことわざ・慣用句 === === その他 === 奈良県の公立高校入試問題などのように手本の文を楷書で書き写すというのもある。この場合、止め・はねの正確さなどがチェックされる。 == 作文 == 多くの公立高校の入試では200字程度の作文を書かせる。作文には以下のような傾向が見られる。 # 出題された本文の感想や本文を踏まえたスピーチ原稿。 # 文学的文章において登場人物の気持ちを考える。または自分ならどうするかを考える。 # 中学校時代の出来事などを書く。 # 手紙や報告書などを書く。 文章の内容や構成だけでなく、原稿用紙の基本的な使い方や言葉づかいなどもチェックされる。作文に限らないが国語の記述問題では制限字数の80%は最低書かなければ、減点される恐れがある。 == その他 == 現代文と古文・漢文をセットにした問題が出されることがある。また、2008年まで都立高校の入試問題には対談が出題された。 {{stub}}
null
2021-11-25T08:10:07Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87
19,475
中学校国語 古文/竹取物語
小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校国語 > 中学校国語 古文 > 中学校国語 古文/竹取物語 このページでは「地球人」は地球の人類のことを、「宇宙人」は地球人を除いた宇宙人を指します。ご注意ください。 かぐや姫はじつは月の世界の人。天人である。 だが、単にかぐや姫が宇宙人というだけでは、ここまで後世に残る名作にはならない。かぐや姫と人間との関わりが面白さの醍醐味。 かぐや姫がじつは宇宙人といっても、考え方の様式はほぼ地球人である。ただし、月 (の国) に帰らなければならないという宿命があるので、いくつかの地上の権威は結果的に通用しないことになる。もっとも、かぐや姫本人は、地上の権威を理解しているし、なるべく育ての親のおじいさんやおばあさんに幸せな暮らしをさせたいとも思っている。かぐや姫に地上の権威が通用しないという例を、作品中ではかぐや姫への求婚を、姫がすべて断る、ということで表現している。そのためか、かぐや姫はとても美人だ、という設定になっている。結果的に求婚を断る行動は地上の権威を否定することになるから読者には痛快であろう{{}}。しかも、かぐや姫の行動は、法に逆らっているわけでもないので、読者は大して罪悪感を感じないで済む。 かぐや姫が通常の人間ではないということが読者に分かるように、冒頭で竹の中から小さな姫が発見される。しかし、この冒頭の段階では、かぐや姫の正体が月の住人だということは、まだ読者には分からない。かぐや姫の正体が分かるのは、結末ちかくになってからである。冒頭を読んだ読者に「かぐや姫はひょっとしたら普通の人間ではないのかもしれない」という事が分かれば十分である。 そのような、姫の生い立ちの前置きが無いと、単に強情な娘が求婚を断り続けるだけのわがままな箱入り娘、という印象になってしまう。作中でも求婚を断り続けるかぐや姫のあまりの強情っぷりに、後に出てくる帝 (天皇) があきれるようなシーンもある。 姫は全ての求婚を断るが、あまりの美貌に「我こそ」という美青年も数人 (より多い可能性もある) 現れる。この中でも特に美しい5人の貴族たちがおり、彼らの求婚は可能性を残した形で断られる。彼らは入手困難なものをそれぞれ要求され、持参した者と結婚するとした。5人の貴族はそれぞれの財力などを用いて自身に命じられたものを用意しようと一念発起した。しかし、偽物を献上し見破られたり、大金をはたいて天竺 (現在のインド) の商人か偽物しか得られなかったり、船が難破したりと散々だった。求婚をした貴族のうちの一人は、その自身の不幸な結末から、かぐや姫を疫病神あつかいをしはじめて、すっかり、かぐや姫への恋愛をなくしてしまうぐらいである(そのようなストーリ-中盤での疫病神あつかいが、ストーリー後半で明らかになる、かぐや姫の正体の伏線にもなってるのかもしれない)。 五人の貴族の求婚がすべて失敗に終わったあと、(日本の)帝 (=天皇) がかぐや姫に興味を抱き、宮中に召抱えようとする。最終的に、かぐや姫を抱えようとする天皇も、姫に断られる。この帝ですら、かぐや姫の宿命を引き立てるための、引き立て役である。 終盤にでてくる、天界の人たちの言説では、地上の権威や、地上人たちの人情などは、取るに足らない下らないものとして扱われている。 中国や朝鮮などの外国では、日本の権威があまり通用しないが、どうも、そういう影響が作品にあるのかもしれない。仏教などの外来宗教の影響もあるのだろう。 そのような、日本の権威や常識が通用しない世界が、地球上には存在することが、この地上の権威や人情を見下す天人たちの行動に、説得力などを与えているのであろうか。 単に感情だけが、地上の感情だけが、天人にとって取るに足らないのでなく、かぐや姫を守ろうとする地上の兵士たちの警備の行動といった武力的な能力すらも、天人たちの超能力的な力の前には、地上は無力である。 こうして、地上の感情も、地上の力も、天人たちの前では、無力・無駄な物として表現される。 そして、ついに、かぐや姫は、天界に、つれて帰られてしまう。そして、天界の超能力的な力により、かぐや姫は地上のことも忘れてしまう。「天の羽衣」という物を、かぐや姫が着せられることにより、かぐや姫は地上のことを忘れてしまう。 こうして、天人とともに、かぐや姫が月に帰って以降、もう、かつての人情のあった「かぐや姫」は出てこない。地上のことを忘れ去っているので、出てくる余地も無い。実際に、もうストーリー中には、天人もかぐや姫も登場しない。 しかし、結末は、べつに月に帰るシーンでない。かぐや姫が帰る直前に、地上の者が、かぐや姫から貰った 不死の薬 があるのだが、この薬を地上の人たちが、不要な物として燃やすのが、結末である。 かぐや姫が月に帰ったシーンを結末にするのではなく、結末は、そのあとの地上の人たちの、あきらめたあとの行動を結末にしているのである。 悲劇的な結末である。 ストーリー冒頭での、竹の中が光っているという幻想的なシーンとは対照的に、結末は、つらい。 竹取物語が書かれた時代は、かな文字が成立した時代であると考えられている。 そもそも、かな文字が成立したので、日本語で物語が書きやすくなったと考えられている(※ 教育出版の見解)。 (抜粋) 「いふもの」(イウモノ)、「ゐたり」(イタリ)などのように、明治時代よりも以前(つまり古代~江戸時代の終わり)までの古典の仮名遣い(かなづかい)は、現代の仮名遣いとは違っている。 この(「いふもの」「ゐたり」などの)ように、明治以前の古典に見られるような仮名遣いのことを「歴史的仮名遣い」という。 その他、仮名遣いの現代と古典との違いの例をあげる。 「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。 「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。 古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。 この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)のこと。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。 のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、 というふうになる。 意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 ※ 高校の範囲だが、『枕草子』にも「小さきものは、みな、うつくし」(145段)という表現があるので、古語の「うつくし」は現代語の「かわいい」に対応する語だと推測することができるだろう。 この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。 「いと美しうて」の「いと」とは、現代では「非常に」「とても」に置きかえられています。現代日本語では、「非常に」という意味での「いと」は使われていません。 このように、古典には、現代に使われなくなった言葉も多くあります。 竹から見つかった、この美しい娘は「なよたけのかぐや姫」と名づけられた。 「ありけり」や「使ひけり」の文末の「けり」は、過去についての伝聞をあらわす。 「けり」は、『竹取物語』のように昔話などで用いられることが多いので、覚えておこう。 「名をば、さかきのみやつことなむいいける」や「もと光る竹なむ一筋ありける。」の文末の「ける」は、「けり」の連体形。「ける」になっている理由は、文中に係り助詞「なむ」があるため。 文中に、係り助詞「ぞ」・「なむ」・「や」・「か」がある場合、文末は連体形(れんたいけい)になる。 なお、文中に係り助詞「こそ」がある場合、文末は已然形(いぜんけい)になる。 「ける」の意味は、連体形になっていても、「けり」と同じであり、過去についての伝聞をあらわす。 美しいかぐや姫には多くの男たちが求婚した。しかし、かぐや姫は求婚を断り続けた。なので、求婚をしつづける者は減っていった。そのうち、求婚をしつづける者が5人の男の貴族へとしぼられていった。 かぐや姫はいっさい結婚をする気は無かったが、娘の将来を心配する翁が結婚をせかすのでかぐや姫は結婚の条件として5人の貴族たちに無理難題(むりなんだい)を出した。入手が至難の品物を持ってくることを結婚の条件にした。品物は5人の貴族ごとにそれぞれ別である。「蓬莱の玉の枝」はその品物の一つである。 貴族の一人の「くらもちの皇子」(くらもちのみこ)が、「蓬莱の玉の枝」(ほうらいのたま の えだ)を持ってくる条件を出された。 ちなみに「蓬莱」(ほうらい)とは、中国(チャイナのほうの中国)の神話にある伝説上の島で、中国の東の海にある伝説の島である。中国の西・北・南には海はなく陸地であり、異民族の国であり、伝説の島などはありようがない。中国の東の島といってもべつに台湾(たいわん)でなければ、日本列島でもない。 この「蓬莱」のように中国の神話の影響が『竹取物語』にはあるようだ。 さて、条件を出されたくらもちの皇子は、最初から「蓬莱の玉の枝」を探すのをあきらめ、かわりに偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」をつくってかぐや姫をだまそうとした。 そのため手下の匠(たくみ)たちに「蓬莱の玉の枝」そっくりの枝を作らせた。 そして、3年の月日がかかり、ようやく偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」が出来上がった。そして、翁の家をおとずれかぐや姫たちをだますために架空の冒険談をでっちあげて話しはじめた。 当初、かぐや姫たちは「蓬莱の玉の枝」が偽造だとは知らなかった。しかし、話のあと匠たちが給料をかぐや姫に請求しに翁の家につめかけに来たことから皇子の嘘(うそ)がばれる。 ちなみに5人の貴公子の名前はそれぞれ 結婚の条件として持ってくるべき品物はそれぞれ 入手のための方法はそれぞれ 以下の話はくらもちの皇子がでっち上げた、架空の冒険談である。 (中略) (後略) 玉の枝が偽物とはいえ匠たちが3年もの歳月をかけて作りあげたのだからとても高価な品物ではあろう。しかし、そんなことにはかぐや姫は興味が無い。かぐや姫はさっさと球の枝を皇子に返した。 他の4人もすべて失敗した。ある貴公子は大金を使ったが失敗する。ある貴公子は船旅の途中に暴風雨にあって失敗し、かぐや姫を疫病神あつかいしはじめかぐや姫への興味がなくなる。ある貴公子は事故にあい大けがをして失敗する。ある貴公子はかぐや姫をだまそうとして失敗する。 そして結局、5人の貴公子の求婚はすべて失敗した。 このあと天皇がかぐや姫の話題を聞きつけ、興味をいだき、かぐや姫を見てほれてしまい、天皇もかぐや姫に求婚しはじめる。 天皇はこの物語世界では地上での最高の権力者である。その天皇からかぐや姫は求婚された。 しかし、かぐや姫はかたくなに結婚をしようとしない。 天皇はかぐや姫を無理やり宮中に連れようとかぐや姫をにぎるとかぐや姫は変身して影(かげ)になって一時的に消えてしまう。 なので無理やりつれていくことも出来ない。 かぐや姫が変身することで、かぐや姫が通常の人間でないことが説得力を持って読者や登場人物に伝わる。 このあと、いろんなやり取りがあって、そうこうしているうちに月日が流れ、かぐや姫は月に帰らなければならない日が近づく。 かぐや姫を月に連れもどそうとする天人からかぐや姫を守ろうと、帝は翁の家に警備の兵を派遣して守らせる。 その山、見るに・・・ このように、古文では助詞や主語が省略されることが多い。また、省略される主語の人称はかならずしも話し手(1人称)自身とはかぎらないので注意のこと。前後の文の文脈から主語をおぎなうことになる。 そして、ついに天人たちがかぐや姫を月に連れかえりに地上の翁の家にやってくる。 警備の兵は捕まえようとするが、天人たちの不思議な超能力によりまったく力が入らない。 かろうじて弓矢を持ったものが矢を射っても、矢がまったく違う方向へ飛んでしまい当たらない。 そして、かぐや姫は天人の超能力により自動的に屋外へと引きずりだされ、天人の居る場所へと動いてしまう。 ついに天人がかぐや姫を月に連れ戻そうとする。ここでかぐや姫は手紙を書き残すための時間が欲しいと頼み、天人に手紙を書くための時間を与えられる。 月にかえる直前のかぐや姫はまだ地上の情の記憶が残ってるうちに手紙を書き残し、その手紙は天皇へ当てられた。 かぐや姫は連れてかれてしまった。そして、かぐや姫は「天の羽衣」を着たことにより、地上の人情は忘れてしまい、かぐや姫は翁たちにも興味はなくなった。 月に帰る直前のかぐや姫から地上の者たちは「不死の薬」を受け取り、天皇に薬がわたされたが、天皇も翁も嫗(おうな)もだれも薬を飲もうとしない。かぐや姫のいない世界で不死を生きることに翁たちはもはや興味が無い。翁と嫗は自分の娘としてかぐや姫をかわいがっていた。天皇も不死に興味が無く、その薬を士たちに富士山で燃やさせる。「不死の薬を燃やしたから不死=富士」と思わせておいて、実は「士に富む」(原文では「士どもあまた」)から「富士」というオチである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校国語 > 中学校国語 古文 > 中学校国語 古文/竹取物語", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "このページでは「地球人」は地球の人類のことを、「宇宙人」は地球人を除いた宇宙人を指します。ご注意ください。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "かぐや姫はじつは月の世界の人。天人である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "だが、単にかぐや姫が宇宙人というだけでは、ここまで後世に残る名作にはならない。かぐや姫と人間との関わりが面白さの醍醐味。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "かぐや姫がじつは宇宙人といっても、考え方の様式はほぼ地球人である。ただし、月 (の国) に帰らなければならないという宿命があるので、いくつかの地上の権威は結果的に通用しないことになる。もっとも、かぐや姫本人は、地上の権威を理解しているし、なるべく育ての親のおじいさんやおばあさんに幸せな暮らしをさせたいとも思っている。かぐや姫に地上の権威が通用しないという例を、作品中ではかぐや姫への求婚を、姫がすべて断る、ということで表現している。そのためか、かぐや姫はとても美人だ、という設定になっている。結果的に求婚を断る行動は地上の権威を否定することになるから読者には痛快であろう{{}}。しかも、かぐや姫の行動は、法に逆らっているわけでもないので、読者は大して罪悪感を感じないで済む。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "かぐや姫が通常の人間ではないということが読者に分かるように、冒頭で竹の中から小さな姫が発見される。しかし、この冒頭の段階では、かぐや姫の正体が月の住人だということは、まだ読者には分からない。かぐや姫の正体が分かるのは、結末ちかくになってからである。冒頭を読んだ読者に「かぐや姫はひょっとしたら普通の人間ではないのかもしれない」という事が分かれば十分である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "そのような、姫の生い立ちの前置きが無いと、単に強情な娘が求婚を断り続けるだけのわがままな箱入り娘、という印象になってしまう。作中でも求婚を断り続けるかぐや姫のあまりの強情っぷりに、後に出てくる帝 (天皇) があきれるようなシーンもある。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "姫は全ての求婚を断るが、あまりの美貌に「我こそ」という美青年も数人 (より多い可能性もある) 現れる。この中でも特に美しい5人の貴族たちがおり、彼らの求婚は可能性を残した形で断られる。彼らは入手困難なものをそれぞれ要求され、持参した者と結婚するとした。5人の貴族はそれぞれの財力などを用いて自身に命じられたものを用意しようと一念発起した。しかし、偽物を献上し見破られたり、大金をはたいて天竺 (現在のインド) の商人か偽物しか得られなかったり、船が難破したりと散々だった。求婚をした貴族のうちの一人は、その自身の不幸な結末から、かぐや姫を疫病神あつかいをしはじめて、すっかり、かぐや姫への恋愛をなくしてしまうぐらいである(そのようなストーリ-中盤での疫病神あつかいが、ストーリー後半で明らかになる、かぐや姫の正体の伏線にもなってるのかもしれない)。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "五人の貴族の求婚がすべて失敗に終わったあと、(日本の)帝 (=天皇) がかぐや姫に興味を抱き、宮中に召抱えようとする。最終的に、かぐや姫を抱えようとする天皇も、姫に断られる。この帝ですら、かぐや姫の宿命を引き立てるための、引き立て役である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "終盤にでてくる、天界の人たちの言説では、地上の権威や、地上人たちの人情などは、取るに足らない下らないものとして扱われている。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "中国や朝鮮などの外国では、日本の権威があまり通用しないが、どうも、そういう影響が作品にあるのかもしれない。仏教などの外来宗教の影響もあるのだろう。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "そのような、日本の権威や常識が通用しない世界が、地球上には存在することが、この地上の権威や人情を見下す天人たちの行動に、説得力などを与えているのであろうか。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "単に感情だけが、地上の感情だけが、天人にとって取るに足らないのでなく、かぐや姫を守ろうとする地上の兵士たちの警備の行動といった武力的な能力すらも、天人たちの超能力的な力の前には、地上は無力である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "こうして、地上の感情も、地上の力も、天人たちの前では、無力・無駄な物として表現される。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "そして、ついに、かぐや姫は、天界に、つれて帰られてしまう。そして、天界の超能力的な力により、かぐや姫は地上のことも忘れてしまう。「天の羽衣」という物を、かぐや姫が着せられることにより、かぐや姫は地上のことを忘れてしまう。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "こうして、天人とともに、かぐや姫が月に帰って以降、もう、かつての人情のあった「かぐや姫」は出てこない。地上のことを忘れ去っているので、出てくる余地も無い。実際に、もうストーリー中には、天人もかぐや姫も登場しない。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "しかし、結末は、べつに月に帰るシーンでない。かぐや姫が帰る直前に、地上の者が、かぐや姫から貰った 不死の薬 があるのだが、この薬を地上の人たちが、不要な物として燃やすのが、結末である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "かぐや姫が月に帰ったシーンを結末にするのではなく、結末は、そのあとの地上の人たちの、あきらめたあとの行動を結末にしているのである。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "悲劇的な結末である。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ストーリー冒頭での、竹の中が光っているという幻想的なシーンとは対照的に、結末は、つらい。", "title": "あらすじ・解説・ネタばれ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "竹取物語が書かれた時代は、かな文字が成立した時代であると考えられている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "そもそも、かな文字が成立したので、日本語で物語が書きやすくなったと考えられている(※ 教育出版の見解)。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "(抜粋)", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "「いふもの」(イウモノ)、「ゐたり」(イタリ)などのように、明治時代よりも以前(つまり古代~江戸時代の終わり)までの古典の仮名遣い(かなづかい)は、現代の仮名遣いとは違っている。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この(「いふもの」「ゐたり」などの)ように、明治以前の古典に見られるような仮名遣いのことを「歴史的仮名遣い」という。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "その他、仮名遣いの現代と古典との違いの例をあげる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)のこと。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "というふうになる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "※ 高校の範囲だが、『枕草子』にも「小さきものは、みな、うつくし」(145段)という表現があるので、古語の「うつくし」は現代語の「かわいい」に対応する語だと推測することができるだろう。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "「いと美しうて」の「いと」とは、現代では「非常に」「とても」に置きかえられています。現代日本語では、「非常に」という意味での「いと」は使われていません。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "このように、古典には、現代に使われなくなった言葉も多くあります。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "竹から見つかった、この美しい娘は「なよたけのかぐや姫」と名づけられた。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "「ありけり」や「使ひけり」の文末の「けり」は、過去についての伝聞をあらわす。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "「けり」は、『竹取物語』のように昔話などで用いられることが多いので、覚えておこう。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "「名をば、さかきのみやつことなむいいける」や「もと光る竹なむ一筋ありける。」の文末の「ける」は、「けり」の連体形。「ける」になっている理由は、文中に係り助詞「なむ」があるため。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "文中に、係り助詞「ぞ」・「なむ」・「や」・「か」がある場合、文末は連体形(れんたいけい)になる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "なお、文中に係り助詞「こそ」がある場合、文末は已然形(いぜんけい)になる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "「ける」の意味は、連体形になっていても、「けり」と同じであり、過去についての伝聞をあらわす。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "美しいかぐや姫には多くの男たちが求婚した。しかし、かぐや姫は求婚を断り続けた。なので、求婚をしつづける者は減っていった。そのうち、求婚をしつづける者が5人の男の貴族へとしぼられていった。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "かぐや姫はいっさい結婚をする気は無かったが、娘の将来を心配する翁が結婚をせかすのでかぐや姫は結婚の条件として5人の貴族たちに無理難題(むりなんだい)を出した。入手が至難の品物を持ってくることを結婚の条件にした。品物は5人の貴族ごとにそれぞれ別である。「蓬莱の玉の枝」はその品物の一つである。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "貴族の一人の「くらもちの皇子」(くらもちのみこ)が、「蓬莱の玉の枝」(ほうらいのたま の えだ)を持ってくる条件を出された。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ちなみに「蓬莱」(ほうらい)とは、中国(チャイナのほうの中国)の神話にある伝説上の島で、中国の東の海にある伝説の島である。中国の西・北・南には海はなく陸地であり、異民族の国であり、伝説の島などはありようがない。中国の東の島といってもべつに台湾(たいわん)でなければ、日本列島でもない。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "この「蓬莱」のように中国の神話の影響が『竹取物語』にはあるようだ。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "さて、条件を出されたくらもちの皇子は、最初から「蓬莱の玉の枝」を探すのをあきらめ、かわりに偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」をつくってかぐや姫をだまそうとした。 そのため手下の匠(たくみ)たちに「蓬莱の玉の枝」そっくりの枝を作らせた。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "そして、3年の月日がかかり、ようやく偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」が出来上がった。そして、翁の家をおとずれかぐや姫たちをだますために架空の冒険談をでっちあげて話しはじめた。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "当初、かぐや姫たちは「蓬莱の玉の枝」が偽造だとは知らなかった。しかし、話のあと匠たちが給料をかぐや姫に請求しに翁の家につめかけに来たことから皇子の嘘(うそ)がばれる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ちなみに5人の貴公子の名前はそれぞれ", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "結婚の条件として持ってくるべき品物はそれぞれ", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "入手のための方法はそれぞれ", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "以下の話はくらもちの皇子がでっち上げた、架空の冒険談である。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "(中略)", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "(後略)", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "玉の枝が偽物とはいえ匠たちが3年もの歳月をかけて作りあげたのだからとても高価な品物ではあろう。しかし、そんなことにはかぐや姫は興味が無い。かぐや姫はさっさと球の枝を皇子に返した。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "他の4人もすべて失敗した。ある貴公子は大金を使ったが失敗する。ある貴公子は船旅の途中に暴風雨にあって失敗し、かぐや姫を疫病神あつかいしはじめかぐや姫への興味がなくなる。ある貴公子は事故にあい大けがをして失敗する。ある貴公子はかぐや姫をだまそうとして失敗する。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "そして結局、5人の貴公子の求婚はすべて失敗した。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "このあと天皇がかぐや姫の話題を聞きつけ、興味をいだき、かぐや姫を見てほれてしまい、天皇もかぐや姫に求婚しはじめる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "天皇はこの物語世界では地上での最高の権力者である。その天皇からかぐや姫は求婚された。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "しかし、かぐや姫はかたくなに結婚をしようとしない。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "天皇はかぐや姫を無理やり宮中に連れようとかぐや姫をにぎるとかぐや姫は変身して影(かげ)になって一時的に消えてしまう。 なので無理やりつれていくことも出来ない。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "かぐや姫が変身することで、かぐや姫が通常の人間でないことが説得力を持って読者や登場人物に伝わる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "このあと、いろんなやり取りがあって、そうこうしているうちに月日が流れ、かぐや姫は月に帰らなければならない日が近づく。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "かぐや姫を月に連れもどそうとする天人からかぐや姫を守ろうと、帝は翁の家に警備の兵を派遣して守らせる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "その山、見るに・・・", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "このように、古文では助詞や主語が省略されることが多い。また、省略される主語の人称はかならずしも話し手(1人称)自身とはかぎらないので注意のこと。前後の文の文脈から主語をおぎなうことになる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "そして、ついに天人たちがかぐや姫を月に連れかえりに地上の翁の家にやってくる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "警備の兵は捕まえようとするが、天人たちの不思議な超能力によりまったく力が入らない。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "かろうじて弓矢を持ったものが矢を射っても、矢がまったく違う方向へ飛んでしまい当たらない。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "そして、かぐや姫は天人の超能力により自動的に屋外へと引きずりだされ、天人の居る場所へと動いてしまう。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ついに天人がかぐや姫を月に連れ戻そうとする。ここでかぐや姫は手紙を書き残すための時間が欲しいと頼み、天人に手紙を書くための時間を与えられる。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "月にかえる直前のかぐや姫はまだ地上の情の記憶が残ってるうちに手紙を書き残し、その手紙は天皇へ当てられた。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "かぐや姫は連れてかれてしまった。そして、かぐや姫は「天の羽衣」を着たことにより、地上の人情は忘れてしまい、かぐや姫は翁たちにも興味はなくなった。", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "", "title": "本文および解説" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "月に帰る直前のかぐや姫から地上の者たちは「不死の薬」を受け取り、天皇に薬がわたされたが、天皇も翁も嫗(おうな)もだれも薬を飲もうとしない。かぐや姫のいない世界で不死を生きることに翁たちはもはや興味が無い。翁と嫗は自分の娘としてかぐや姫をかわいがっていた。天皇も不死に興味が無く、その薬を士たちに富士山で燃やさせる。「不死の薬を燃やしたから不死=富士」と思わせておいて、実は「士に富む」(原文では「士どもあまた」)から「富士」というオチである。", "title": "本文および解説" } ]
小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校国語 > 中学校国語 古文 > 中学校国語 古文/竹取物語 このページでは「地球人」は地球の人類のことを、「宇宙人」は地球人を除いた宇宙人を指します。ご注意ください。
{{Pathnav|小学校・中学校・高等学校の学習|中学校の学習|中学校国語|中学校国語 古文}} このページでは「地球人」は地球の人類のことを、「宇宙人」は地球人を除いた宇宙人を指します。ご注意ください。 == あらすじ・解説・ネタばれ == かぐや姫はじつは月の世界の人。{{Ruby|[[wikt:天人|天人]]|てんにん}}である。 だが、単にかぐや姫が宇宙人というだけでは、ここまで後世に残る名作にはならない。かぐや姫と人間との関わりが面白さの醍醐味。 かぐや姫がじつは宇宙人といっても、考え方の様式はほぼ地球人である。ただし、月 (の国) に帰らなければならないという宿命があるので、いくつかの地上の権威は結果的に通用しないことになる。もっとも、かぐや姫本人は、地上の権威を理解しているし、なるべく育ての親のおじいさんやおばあさんに幸せな暮らしをさせたいとも思っている。かぐや姫に地上の権威が通用しないという例を、作品中ではかぐや姫への求婚を、姫がすべて断る、ということで表現している。そのためか、かぐや姫はとても美人だ、という設定になっている。結果的に求婚を断る行動は地上の権威を否定することになるから読者には痛快であろう{{}}。しかも、かぐや姫の行動は、法に逆らっているわけでもないので、読者は大して罪悪感を感じないで済む。 かぐや姫が通常の人間ではないということが読者に分かるように、冒頭で竹の中から小さな姫が発見される。しかし、この冒頭の段階では、かぐや姫の正体が月の住人だということは、まだ読者には分からない。かぐや姫の正体が分かるのは、結末ちかくになってからである。冒頭を読んだ読者に「かぐや姫はひょっとしたら普通の人間ではないのかもしれない」という事が分かれば十分である。 そのような、姫の生い立ちの前置きが無いと、単に強情な娘が求婚を断り続けるだけのわがままな箱入り娘、という印象になってしまう。作中でも求婚を断り続けるかぐや姫のあまりの強情っぷりに、後に出てくる帝 (天皇) があきれるようなシーンもある。 姫は全ての求婚を断るが、あまりの美貌に「我こそ」という美青年も数人 (より多い可能性もある) 現れる。この中でも特に美しい5人の貴族たちがおり、彼らの求婚は可能性を残した形で断られる。彼らは入手困難なものをそれぞれ要求され、持参した者と結婚するとした。5人の貴族はそれぞれの財力などを用いて自身に命じられたものを用意しようと一念発起した。しかし、偽物を献上し見破られたり、大金をはたいて天竺 (現在のインド) の商人か偽物しか得られなかったり、船が難破したりと散々だった。求婚をした貴族のうちの一人は、その自身の不幸な結末から、かぐや姫を疫病神あつかいをしはじめて、すっかり、かぐや姫への恋愛をなくしてしまうぐらいである(そのようなストーリ-中盤での疫病神あつかいが、ストーリー後半で明らかになる、かぐや姫の正体の伏線にもなってるのかもしれない)。 五人の貴族の求婚がすべて失敗に終わったあと、(日本の)帝 (=天皇) がかぐや姫に興味を抱き、宮中に召抱えようとする。最終的に、かぐや姫を抱えようとする天皇も、姫に断られる。この帝ですら、かぐや姫の宿命を引き立てるための、引き立て役である。 終盤にでてくる、天界の人たちの言説では、地上の権威や、地上人たちの人情などは、取るに足らない下らないものとして扱われている。 中国や朝鮮などの外国では、日本の権威があまり通用しないが、どうも、そういう影響が作品にあるのかもしれない。仏教などの外来宗教の影響もあるのだろう。 そのような、日本の権威や常識が通用しない世界が、地球上には存在することが、この地上の権威や人情を見下す天人たちの行動に、説得力などを与えているのであろうか。 単に感情だけが、地上の感情だけが、天人にとって取るに足らないのでなく、かぐや姫を守ろうとする地上の兵士たちの警備の行動といった武力的な能力すらも、天人たちの超能力的な力の前には、地上は無力である。 こうして、地上の感情も、地上の力も、天人たちの前では、無力・無駄な物として表現される。 そして、ついに、かぐや姫は、天界に、つれて帰られてしまう。そして、天界の超能力的な力により、かぐや姫は地上のことも忘れてしまう。「天の羽衣」という物を、かぐや姫が着せられることにより、かぐや姫は地上のことを忘れてしまう。 こうして、天人とともに、かぐや姫が月に帰って以降、もう、かつての人情のあった「かぐや姫」は出てこない。地上のことを忘れ去っているので、出てくる余地も無い。実際に、もうストーリー中には、天人もかぐや姫も登場しない。 しかし、結末は、べつに月に帰るシーンでない。かぐや姫が帰る直前に、地上の者が、かぐや姫から貰った 不死の薬 があるのだが、この薬を地上の人たちが、不要な物として燃やすのが、結末である。 かぐや姫が月に帰ったシーンを結末にするのではなく、結末は、そのあとの地上の人たちの、あきらめたあとの行動を結末にしているのである。 悲劇的な結末である。 ストーリー冒頭での、竹の中が光っているという幻想的なシーンとは対照的に、結末は、つらい。 == 備考 == 竹取物語が書かれた時代は、かな文字が成立した時代であると考えられている。 そもそも、かな文字が成立したので、日本語で物語が書きやすくなったと考えられている(※ 教育出版の見解)。 == 本文および解説 == (抜粋) === かぐや姫の生い立ち === [[File:竹取物語 幼き、かぐや姫.jpg|thumb|400px|幼き、かぐや姫]] {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 今は昔、竹取の翁(おきな)とい{{ruby|ふ|ウ}}ものありけり。 野山にまじりて竹をとりつつ、万(よろづ)のことにつか{{ruby|ひ|イ}}けり。 名をばさぬきのみやつことな{{ruby|む|ン}}い{{ruby|ひ|イ}}ける。 その竹の中に、{{ruby|本|もと}}光る竹な{{ruby|む|ン}}一筋(ひとすぢ)ありけり。 怪しがりて(あやしがりて)寄りて(よりて)見るに、筒の中光りたり。 それを見れば、三寸ばかりなる人いと<sup>[[#1_7|7]]</sup>美{{ruby|しう|シュウ}}て{{ruby|ゐ|イ}}たり。 翁い{{ruby|ふ|ウ}}{{ruby|や|ヨ}}う、<br/> 「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給{{ruby|ふ|ウ}}(たまう)べき人なめり。」<br/> とて、手にうち入れて家に持ちて来ぬ(きぬ)。 妻(つま)の嫗(おうな)に預けて養{{ruby|は|ワ}}す。 美しきこと限りなし。 いと幼けれ<sup>[[#1_10|10]]</sup>ば、{{ruby|籠|こ}}に入れて{{ruby|ふ|ウ}}。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| 今となっては昔のことだが、竹取の翁(おきな)というものがいた。 野山に分け入って竹をとっては、様々なことに使っていた。 名を「さぬきのみやつこ」と言った。 その竹の中に、根元が光るものが一本あった。 不思議がって近づいて見ると、竹の筒の中が光っていた。 それを見ると、三寸ほどの人がたいそうかわいらしく座っていた。 翁が言うことは、<br/> 「私が毎朝毎晩見ている竹の中にいらっしゃるために分かった。子供になってくださる人であるようだ。」<br/> と、手に入れて家に持って来た。 妻の嫗にあずけて育てさせる。 かわいらしいこと限りがない。 たいそう小さいので、籠に入れて育てる。 |} ==== '''かなづかい'''の違い ==== 「いふもの」(イウモノ)、「ゐたり」(イタリ)などのように、明治時代よりも以前(つまり古代~江戸時代の終わり)までの古典の仮名遣い(かなづかい)は、現代の仮名遣いとは違っている。 この(「いふもの」「ゐたり」などの)ように、明治以前の古典に見られるような仮名遣いのことを「歴史的仮名遣い」という。 :※ 日本の小中学校と高校の教育では、発音は、現代仮名遣いに直して発音する。つまり、「いふもの」は日本の小中高では「イウモノ」と発音する。さらに音便(おんびん)で「ユウモノ」と「いふもの」を読む場合もある。 その他、仮名遣いの現代と古典との違いの例をあげる。 :いふもの → 意味は「言う者」のこと。現代仮名づかいでは「いうもの」と書く。読みは「ゆーもの」と読む。 :よろづ → 「よろず」と読む。現代仮名づかいでは「よろず」と書く。 :使ひけり → 「つかいけり」と読む。 :なむ  → 「なん」と読む。 :いひける → 「いいける」と読む。 :うつくしう → 「うつくしゅう」と読む。 :ゐたり → 「いたり」と読む。 * 語頭以外での「は・ひ・ふ・へ・ほ」 「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。 * 「なむ」 「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。 :竹(たけ)なむ → 「たけなん」 :さぬきのみやつこなむ → 「さぬきのみやつこなん」 * 「しう」 古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。 この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)のこと。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。 * 「わ・ゐ・う・ゑ・を」 :ゐたり → 「いたり」 のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、 :古文の「わ・ゐ・う・ゑ・を」は、読みが、「わ」→「わ」(そのまま)、「ゐ」→「い」、「う」→「う」(そんまま)、「ゑ」→「え」、「を」→「お」、 というふうになる。 ==== 現代と意味のちがう言葉 ==== * あやしがりて 意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 * うつくしう (うつくしゅう) :「うつくし」で「かわいらしい」という意味。現代の「うつくしい」とは、少し意味がちがうので、注意。 ※ 高校の範囲だが、『枕草子』にも「小さきものは、みな、うつくし」(145段)という表現があるので、古語の「うつくし」は現代語の「かわいい」に対応する語だと推測することができるだろう。 * ゐたり :「ゐる」(「いる」)の変化。「ゐる」の意味は「座る」(すわる)という意味。現代での「居る」(いる)の意味の「存在している」とは、すこし意味がちがうので注意。 この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。 ==== 現代では使われなくなった言葉 ==== * いと 「いと美しうて」の「いと」とは、現代では「非常に」「とても」に置きかえられています。現代日本語では、「非常に」という意味での「いと」は使われていません。 このように、古典には、現代に使われなくなった言葉も多くあります。 ==== 語の意味 ==== # <span id="1_1"></span>今は昔 #: 物語のはじめの決まり文句。この場合は現代で言うところの「むかしむかし」にあたる部分で、読者をこの世界に引き込ませる言葉の一つ。 # 翁(おきな) ・・・ 「おじいさん」の意味。 # 万(よろず) ・・・ 「いろいろな物・事」「さまざまな物・事」の意味。 # 「いふもの」・・・ 発音は「いうもの」と発音する。旧仮名遣いなので、文字と発音とちがっている事に注意。 # 「つかひけり」・・・ 発音は「つかいけり」、「けり」とは過去をあらわす助動詞であり、「つかいけり」の意味は「つかっていた」となる。 # (讃岐造と)なむ ・・・ 発音は「なん」 # <span id="1_2"></span>(あり)[[wikt:けり|けり]] #: 過去の助動詞。助動詞「[[wikt:き|き]]」との違いの一つは、「き」が直接経験し記憶にある過去の意味をあらわすのに対し、「けり」は人から伝え聞いたことの回想をあらわすことである。そのため現代語訳は「・・・した」の他にも「・・・したそうだ」などと訳す場合もある。 # <span id="1_3"></span>[[wikt:つつ|つつ]] #: 反復・継続の意味の接続助詞。ここでは、「竹をとる」という動作と「よろづのことにつかふ」という動作が同時に行われていることをあらわす。 # <span id="1_4"></span>[[wikt:をば|をば]] #: 格助詞「を」に係助詞「は」が付き、「は」が連濁を起こしたもの。「を」を強調する。係助詞「は」の結びで文末の「けり」が連体形の「ける」になっている。 # <span id="1_5"></span>さぬきのみやつこ #: 竹取の翁の名前である。「さぬき」氏は朝廷に竹細工を献上していたとされる。 # <span id="1_6"></span>[[wikt:なむ|なむ]] #: 係助詞。係り結びで文末「ける」は連体形で結ばれている。 # <span id="1_7"></span>いと #: 「とても」「非常に」の意味。 # <span id="1_7"></span>[[wikt:うつくし|美しう]] #: 「かわいらしい」の意味。形容詞の連用形「―しく」「―く」が助詞「[[wikt:く|く]]」「[[wikt:しく|しく]]」や他の用言に続くときはウ音便になる。 # <span id="1_8"></span>[[wikt:にて|にて]] #: 理由や原因をあらわす接続助詞。 # <span id="1_9"></span>[[wikt:なめり|なめり]] #: 断定の助動詞「[[wikt:なり|なり]]」の連体形「なる」に推量の助動詞「[[wikt:めり|めり]]」が付いた「なるめり」の撥音便形「なんめり」の「ん」が表記されないもの。古くは「ん」の文字は用いられなかった。 # <span id="1_10"></span>[[wikt:ば|ば]] #: 順接の接続助詞。ここでは、前の語「幼けれ」は已然形であるので確定条件である。 ---- {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 竹取の{{ruby|翁|おきな}}この子を見つけて後に、竹をとるに、節をへだてて<sup>[[#2_1|1]]</sup>よごとに金ある竹を見つくること重なりぬ。 <sup>[[#2_2|2]]</sup>かくて翁やうやう豊かになりゆく。 この{{ruby|児|ちご}}養ふ<sup>[[#2_3|3]]</sup>ほどに、すくすくと大きになりまさる。 {{ruby|三月|みつき}}ばかりになる程に、<sup>[[#2_4|4]]</sup>よき程なる人になりぬれば、<sup>[[#2_5|5]]</sup>髪上げなどさうして、髪上げさせ<sup>[[#2_6|6]]</sup>{{ruby|裳着|もぎ}}す。 {{ruby|帳|ちやう}}の内よりも{{ruby|出|いだ}}さず、いつき養ふ。 この児のかたち{{ruby|清|けう}}らなること<sup>[[#2_7|7]]</sup>世になく、{{ruby|家|や}}の内は暗き処なく光満ちたり。 翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ。 腹だたしきことも慰みけり。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| 竹取の翁はこの子を見つけて以後に、竹を取ると、節を隔てて空洞(よ)ごとに金が入っている竹を見つけることが重なった。 このようにして、翁はだんだん豊かになっていく。 この子を育てると、すくすくと大きくなっていく。 三か月ほどたった頃に、成人したので、髪上げなどをあれこれ手配して、髪上げし裳着を行った。 帳台の中からも出さず、心をこめて大切に育てる。 この子の顔だちの美しいことは世に類がなく、家の中は暗いところなど無いほど光に満ち溢れていた。 翁は気分が悪く苦しいときでも、この子を見ると苦しいこともなくなった。 腹立たしいことも気が晴れた。 |} # <span id="2_1"></span>[[wikt:よ|よ]] #: 竹の節と節の間の空洞のこと。 # <span id="2_2"></span>[[wikt:かくて|かくて]] #: このようにして、の意。 # <span id="2_3"></span>[[wikt:ほどに|ほどに]] #: 理由や原因をあらわす。 # <span id="2_4"></span>よき程 #: かぐや姫は、三か月で十二、三歳のように育ち、成人した。 # <span id="2_5"></span>[[wikt:かみあげ|髪上げ]] #: 平安時代、女性は成人(十二、三歳ごろ)すると、髪を結い上げた。これを「髪上げ」という。 # <span id="2_6"></span>[[wikt:もぎ|裳着]] #: 「[[wikt:も|裳]]」は女性が腰から下にまとう衣。女性が成人すると、髪上げと同時に、裳着の式が行われた。 # <span id="2_7"></span>世になし #: 世の中に比類がない、の意。 ---- 竹から見つかった、この美しい娘は「なよたけのかぐや姫」と名づけられた。 ==== 文法 ==== *文末の「けり」 「ありけり」や「使ひけり」の文末の「けり」は、過去についての伝聞をあらわす。 「けり」は、『竹取物語』のように昔話などで用いられることが多いので、覚えておこう。 「名をば、さかきのみやつことなむいいける」や「もと光る竹なむ一筋ありける。」の文末の「ける」は、「けり」の連体形。「ける」になっている理由は、文中に係り助詞「なむ」があるため。 文中に、係り助詞「ぞ」・「なむ」・「や」・「か」がある場合、文末は連体形(れんたいけい)になる。 なお、文中に係り助詞「こそ」がある場合、文末は已然形(いぜんけい)になる。 「ける」の意味は、連体形になっていても、「けり」と同じであり、過去についての伝聞をあらわす。 === 蓬莱の玉の枝 === [[File:竹取物語 くらもちの皇子.jpg|thumb|400px|くらもちの皇子]] 美しいかぐや姫には多くの男たちが求婚した。しかし、かぐや姫は求婚を断り続けた。なので、求婚をしつづける者は減っていった。そのうち、求婚をしつづける者が5人の男の貴族へとしぼられていった。 かぐや姫はいっさい結婚をする気は無かったが、娘の将来を心配する翁が結婚をせかすのでかぐや姫は結婚の条件として5人の貴族たちに無理難題(むりなんだい)を出した。入手が至難の品物を持ってくることを結婚の条件にした。品物は5人の貴族ごとにそれぞれ別である。「蓬莱の玉の枝」はその品物の一つである。 貴族の一人の「くらもちの皇子」(くらもちのみこ)が、「蓬莱の玉の枝」(ほうらいのたま の えだ)を持ってくる条件を出された。 ちなみに「蓬莱」(ほうらい)とは、中国(チャイナのほうの中国)の神話にある伝説上の島で、中国の東の海にある伝説の島である。中国の西・北・南には海はなく陸地であり、異民族の国であり、伝説の島などはありようがない。中国の東の島といってもべつに台湾(たいわん)でなければ、日本列島でもない。 この「蓬莱」のように中国の神話の影響が『竹取物語』にはあるようだ。 さて、条件を出されたくらもちの皇子は、最初から「蓬莱の玉の枝」を探すのをあきらめ、かわりに偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」をつくってかぐや姫をだまそうとした。 そのため手下の匠(たくみ)たちに「蓬莱の玉の枝」そっくりの枝を作らせた。 そして、3年の月日がかかり、ようやく偽(にせ)の「蓬莱の玉の枝」が出来上がった。そして、翁の家をおとずれかぐや姫たちをだますために架空の冒険談をでっちあげて話しはじめた。 当初、かぐや姫たちは「蓬莱の玉の枝」が偽造だとは知らなかった。しかし、話のあと匠たちが給料をかぐや姫に請求しに翁の家につめかけに来たことから皇子の嘘(うそ)がばれる。 [[File:竹取物語 石づくりの皇子.jpg|thumb|400px|石づくりの皇子]] [[File:竹取物語 大伴大納言.jpg|thumb|400px|大伴大納言]] ちなみに5人の貴公子の名前はそれぞれ :石作(いしづくり)の皇子(みこ) :くらもちの皇子 :右大臣 阿倍御主人(あべの みうし) :大納言 大伴御行(おおともの みゆき) :中納言 石上麿足(いそのかみの まろたり) 結婚の条件として持ってくるべき品物はそれぞれ :石作(いしづくり)の皇子(みこ) ・・・ 「仏の御石」 (ほとけのみいし)。釈迦(しゃか)が使ったと言う。 :くらもちの皇子 ・・・ 「蓬莱の玉の枝」 。蓬莱にあるという。根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝。 :右大臣 阿倍御主人(あべの みうし) ・・・ 「火鼠の皮衣」 (ひねずみのかわぎぬ)。焼いても燃えない布。 :大納言 大伴御行(おおともの みゆき) ・・・ 「龍の首の玉」 (たつのくびのたま)。龍の首にあるという玉。 :中納言 石上麿足(いそのかみの まろたり) ・・・ 「燕(つばくらめ)の子安貝(こやすがい)」。ツバメが産むという貝。 入手のための方法はそれぞれ :石作(いしづくり)の皇子(みこ) - 仏の御石 ・・・ 偽物でかぐや姫をだまそうとするが失敗。 :くらもちの皇子 - 蓬莱の玉の枝 ・・・ 手下に偽物を作らせてかぐや姫をだまそうとするが失敗。 :右大臣 阿倍御主人(あべの みうし) - 火鼠の皮衣 ・・・ 商業的に購入。偽物を買わされた。竹取の翁の家で皮衣を燃やす実験をしたところ、あっけなく燃える。 :大納言 大伴御行(おおともの みゆき) - 龍の首の玉 ・・・  冒険に出かけ、船旅で事故。あきらめる。 :中納言 石上麿足(いそのかみの まろたり) - 燕の子安貝 ・・・ ツバメが卵を産むのを待つ。はしごから転落し、事故死。 以下の話はくらもちの皇子がでっち上げた、架空の冒険談である。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| これやわが求むる山ならむと思ひて、さすがに怖しく思えて、山のめぐりをさしめぐらして、二三日ばかり見ありくに、天人の装ひしたる女、山の中より出で(いで)来て、銀(しろがね)の鋺(かなまる)を持ちて水を汲みありく。これを見て舟より下りて(おりて)、「この山の名を何とか申す」と問ふ。女、答へていはく、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。これを聞くに、うれしきことかぎりなし。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| これこそが、自分が探している(蓬莱の)山だろうと思って、(うれしかったが)やはり恐ろしく思われて、山のまわりをこぎまわって二日・三日ほど、様子を見て回っていたら、天人の服装をした女が山の中から出てきて、銀のお椀で水をくんでいます。これを(私が)見て、(私は)船から降りて、「この山の名を、何というのですか。」と尋ねました。女は答えて、「この山は、蓬莱の山です。」と答える。これを聞いて、(私は)うれしくて、たまらない。 |} (中略) {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| その山、見るに、さらに登るべきやう(ヨウ)なし。 その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。 金(こがね)・銀(しろがね)・瑠璃(るり)色の水、山より流れいでたり。 それには、色々の玉の橋渡せり(わたせり)。 そのあたりに、照り輝く(かがやく)木ども立てり。 その中に、この取りてまうで(モウデ)来たりしは、いとわろかりしかども、のたまひし(ノタマイシ)に違は(タガワ)ましかばと、この花を折りてまうで(モウデ)来たるなり。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| その山を、見ると、(険しくて)まったく登れそうには、ありません。その山の斜面を回ってみると、この世の物には無い(この世の物とは思えないほど美しい)花の木が立っています。金色の水、銀色の水、瑠璃色の水が、山より流れ出ています。 その川には、色さまざまの玉でつくられた橋が架けられています。その付近に、光り輝く木々が立っています。その中で(その木の中から取ってきた)、この取ってきたのは(取ってきた枝は)、かなり見劣りするものではありましたが、(姫の)おっしゃった物とは違ってはいけないだろうと思い、この花(の枝)を折って、まいってきたのです。 |} (後略) <br /><br /> ---- 玉の枝が偽物とはいえ匠たちが3年もの歳月をかけて作りあげたのだからとても高価な品物ではあろう。しかし、そんなことにはかぐや姫は興味が無い。かぐや姫はさっさと球の枝を皇子に返した。 他の4人もすべて失敗した。ある貴公子は大金を使ったが失敗する。ある貴公子は船旅の途中に暴風雨にあって失敗し、かぐや姫を疫病神あつかいしはじめかぐや姫への興味がなくなる。ある貴公子は事故にあい大けがをして失敗する。ある貴公子はかぐや姫をだまそうとして失敗する。 そして結局、5人の貴公子の求婚はすべて失敗した。 このあと天皇がかぐや姫の話題を聞きつけ、興味をいだき、かぐや姫を見てほれてしまい、天皇もかぐや姫に求婚しはじめる。 :(結局、5人の貴公子はのちに登場する天皇の引き立て役である。貴族を登場させずにいきなり天皇が求婚しても急展開すぎるしストーリーも短くなる。だいたい天皇は格下の貴族とちがって宝探しの冒険なんてしないから(宮中での仕事があるので、冒険に行けない。)なので、いきなり天皇が登城しても面白くならない。かといって天皇が出てこないと物語中での地上界の最高権力者である天皇が出てこないので、のちの天人の引き立て役が不十分である。) 天皇はこの物語世界では地上での最高の権力者である。その天皇からかぐや姫は求婚された。 しかし、かぐや姫はかたくなに結婚をしようとしない。 天皇はかぐや姫を無理やり宮中に連れようとかぐや姫をにぎるとかぐや姫は変身して影(かげ)になって一時的に消えてしまう。 なので無理やりつれていくことも出来ない。 かぐや姫が変身することで、かぐや姫が通常の人間でないことが説得力を持って読者や登場人物に伝わる。 このあと、いろんなやり取りがあって、そうこうしているうちに月日が流れ、かぐや姫は月に帰らなければならない日が近づく。 [[File:竹取物語 警備の兵.jpg|thumb|600px|警備の兵]] かぐや姫を月に連れもどそうとする天人からかぐや姫を守ろうと、帝は翁の家に警備の兵を派遣して守らせる。 *語法解説 その山、見るに・・・ :その山、見るに - 「その山は、(私が)見るに」「(私が)その山を見るに」などの意味。助詞(は、を)や主語(私は)などが省略されてる。 :玉の橋渡せり。 - 「玉の橋を渡せり」のように「を」が省略されている。 :のたまひしに - 「(姫が)のたまいし」「(姫の)のたまいし」のように、主語が省略されている。 このように、古文では助詞や主語が省略されることが多い。また、省略される主語の人称はかならずしも話し手(1人称)自身とはかぎらないので注意のこと。前後の文の文脈から主語をおぎなうことになる。 {{-}} === 天の羽衣 === [[File:竹取物語 月へ帰るかぐや姫.jpg|thumb|400px|月へ帰るかぐや姫]] そして、ついに天人たちがかぐや姫を月に連れかえりに地上の翁の家にやってくる。 警備の兵は捕まえようとするが、天人たちの不思議な超能力によりまったく力が入らない。 かろうじて弓矢を持ったものが矢を射っても、矢がまったく違う方向へ飛んでしまい当たらない。 そして、かぐや姫は天人の超能力により自動的に屋外へと引きずりだされ、天人の居る場所へと動いてしまう。 ついに天人がかぐや姫を月に連れ戻そうとする。ここでかぐや姫は手紙を書き残すための時間が欲しいと頼み、天人に手紙を書くための時間を与えられる。 月にかえる直前のかぐや姫はまだ地上の情の記憶が残ってるうちに手紙を書き残し、その手紙は天皇へ当てられた。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣(はごろも)入れり。また、あるは不死の薬入れり。 一人の天人言{{ruby|ふ|ウ}}。「壺(つぼ)なる御薬(みくすり)たてまつれ。きたなき所の物きこしめしたれば、御心地(おんここち)悪しからむ(あしからン)ものぞ。」とて、持て寄りたれば、いささかなめたまひ{{ruby|ひ|イ}}て、少し形見とて、脱ぎ置く衣(きぬ)に包ま{{ruby|む|ン}}とすれば、ある天人包ませず。 御衣(みぞ)を取り出でて(いでて)着せ{{ruby|む|ン}}とす。その時にかぐや姫、「しばし待て。」と言{{ruby|ふ|ウ}}。 「衣、着せつる人は、心、異(こと)になるなりとい{{ruby|ふ|ウ}}。物(もの)一言(ひとこと)い{{ruby|ひ|イ}}おくべきことありけり。」とい{{ruby|ひ|イ}}て文(ふみ)書く。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| 天人の中の一人に持たせている箱がある。(その箱には)天の羽衣が、入っている。また別の箱には、不死の薬が入っている。一人の天人が言う、「壷に入っているお薬を飲みなさい。汚い所(=地上)のものを召し上がってきたので、ご気分が、(きっと)悪いでしょう。」と言って、(薬の壷を)持って寄ってきたので、(かぐや姫は)僅か(わずか)おなめになって、少し形見といて脱いでおく着物に包もうとすると、天人が(薬を)包ませない。 (そして、)(天人が)お召し物(=天の羽衣)を取り出して、(かぐや姫に)着せようとする。 その時に、かぐや姫は、「しばらく待ちなさい。」と言う。「天の羽衣を着せられた人は、心が、この地上の人間とは(別の心に)変わってしまうという。(じつは)一言、(地上の者たちに)言っておかなければならないことがあった。」と言って、(帝に当てた)手紙を書く。 |} :※ 「たてまつれ」: 古語での「たてまつる」(奉る)の意味は、たとえば「めしあがる」のような「○○しなさる」というような意味の尊敬的な用法。けっして現代語の「たてまつる」(祀る)とは違い、祭壇などで拝むような意味はない。だから古語の「たてまつれ」(奉れ)では、この文脈では「召し上がってください」のような意味。なお、具体的に何をしてもらいたいかは文脈によるので、暗記の必要はない。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 中将取りつれば、 ふと天の羽衣うち着せたてまつりつれば、翁をいと{{ruby|ほ|ホ}}し、かなしとおぼしつることも{{ruby|失|う}}せぬ。この衣(きぬ)着つる人は、もの思ひ(イ)なくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人(てんにん)具して昇り(のぼり)ぬ。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| (地上の人間の)中将が(手紙と壷を)受け取ると、 天人が、いきなり、さっと天の羽衣を(かぐや姫に)着せてさしあげたので、(もう、かぐや姫は)「翁を気の毒だ、かわいそうだ。」と思っていた気持ちも消え失せてしまった。 この天の羽衣を着た人(=元・かぐや姫)は、(もはや、地上の人としての気持ちが失せてしまったので、)(たかが地上のことで)思い悩むことも無くなり、(そのまま、)(天を飛ぶ)車に乗って、百人ほどの天人とともに、天に昇ってしまった。 |} <br /><br /> :※ 「いとほし」: 古語では「いとおし」「いとほし」には「気の毒だ」「かわいそうだ」の意味がある。だが、古典作品によっては現代語の「いとおしい」と同様に「かわいらしいと思う」の意味でも使われることもあり、たとえば『源氏物語』では「宮はいといとほしと思す(おぼす)なかにも」(宮は「たいへん、かわいいなあ」とお思いになっても)のような意味もある。 かぐや姫は連れてかれてしまった。そして、かぐや姫は「天の羽衣」を着たことにより、地上の人情は忘れてしまい、かぐや姫は翁たちにも興味はなくなった。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 翁・嫗(おうな)、血の涙を流して惑へど(まどえど)、かひ(かい)なし。あの書きおきし文を読みて聞かせけれど、「何せ{{ruby|む|ン}}にか命も惜し(おし)から{{ruby|む|ン}}。誰(た)がためにか何事も用なし。」とて、薬も食{{ruby|は|ワ}}ず、やがて起きも上がらで、病み伏せり。 中将、人々引き具して帰り参り(ま{{ruby|ゐ|イ}}り)て、かぐや姫をえ戦{{ruby|ひ|イ}}留めずなりぬる事を細々(こまごま)と奏す(そうす)。薬(くすり)の壺(つぼ)に御文(おんふみ)添へ(そエ){{ruby|参|マイ}}らす。広げて御覽(ごらん)じて、いといたくあ{{ruby|は|ワ}}れがらせたま{{ruby|ひ|イ}}て物もきこしめさず。御遊びなどもなかりけり。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| 翁と嫗(おうな)は、血の涙を流すほどに(悲しみ)取り乱したが、どうしようもない。(かぐや姫によって)書き置かれた、あの手紙を読み聞かせたが、「(今さら)何をすることがあるのでしょう。(どうして、)命が惜しいでしょうか。誰のために生きるのですか。もう、何も無用です。」と言って、薬も飲まず、やがて病み伏せってしまって、起き上がらない。 中将は、人々(=兵士など)を引きつれ(宮中に)帰り参上した。(帝に報告し、)かぐや姫を引き留めるために戦うことが出来なかった事を細々と申し上げた。 (そして、中将が預かっていた)薬の壷および手紙を、帝に、さしあげた。 (帝は手紙を)広げて、お読みになり、とても、たいそう悲しみになり、食事も召し上がらない。(音楽などの)お遊びも、なされなかった。 |} <br /><br /> === ふじの煙 === 月に帰る直前のかぐや姫から地上の者たちは「不死の薬」を受け取り、天皇に薬がわたされたが、天皇も翁も嫗(おうな)もだれも薬を飲もうとしない。かぐや姫のいない世界で不死を生きることに翁たちはもはや興味が無い。翁と嫗は自分の娘としてかぐや姫をかわいがっていた。天皇も不死に興味が無く、その薬を{{ruby|士|つわもの}}たちに富士山で燃やさせる。「不死の薬を燃やしたから不死=富士」と思わせておいて、実は「士に富む」(原文では「士どもあまた」)から「富士」というオチである。 :(もし薬を飲んだ不死の人間が出てきたらストーリーが終わらないので、こういう薬を処分する結末になるのも当然だろう。しかし、ではなぜ、わざわざ不死の薬が出てきたのだろうか。当時の富士山は噴火活動中で、絶え間なく噴煙を上げていたからだとされている。) {| style="width:100%" |valign=top style="width:50%;background:#ccf;text-indent:1em"| 御文(おんふみ)、不死の薬の壺(つぼ)並べて、火をつけて燃やすべきよし仰せ(おほせ)たまふ。 そのよしうけたまはりて、士(つはもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づけける。 その煙(けぶり)、いまだ雲の中へ立ち上るとぞ、言ひ伝へたる。 |valign=top style="width:50%;background:#fcc;text-indent:1em"| (帝は)お手紙と不死の手紙を並べて、火をつけて燃やすようにと、ご命令になった。その旨を承り、兵士たちを大勢ひきつれて山に登ったという事から、その山を「ふじの山」と名づけたという。 その煙は、いまだに雲の中へと立ち上ってると、言い伝えられている。 |} ---- [[カテゴリ:中学校国語]] [[カテゴリ:竹取物語]]
null
2023-02-02T14:23:46Z
[ "テンプレート:Ruby", "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E5%8F%A4%E6%96%87/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,476
中学校国語/故事成語 1年
「故事」(こじ)とは、昔の出来事のことである。 「故事成語」(こじせいご)とは、ある故事が元になって出来た熟語である。たいてい、中国の古典に書かれた故事が、故事成語の元になっている。 ここでいう「中国」は、チャイナのほうの中国である。なお、中学校のこの単元においては以下の漢文についてを習うこと及びその次に述べる故事成語を覚えることを目的とする。 wikibooksの仕組みではどうしても横書きになってしまう。一文字ずつ改行してならできなくもないものの、ページが大変なこと(長さ)になってしまうので、やむをえず横書きにした。横書きで上つきの記号は、縦書きでは右側に、同じく下つきの記号は左側に、と読み替えてほしい。 以下に例を述べる。その前に、簡易的ではあるが、説明をしておく。右側(ここでは横書きなので倒して上側)にあるカタカナが送り仮名で、左側(ここでは同じく横書きなので倒して下側)にあるのが訓読記号である。 1 まず、上(実際には縦書きなので右側)のカタカナは前述の通り「送り仮名」である。無論古文の読み方によって読まなくてはならない。次に、下(これまた実際には縦書きなので左側)の前述の通り訓読記号の『レ』はレ点と称し、これがある文字の一つ前の文字を読むのは後であり、先にこれの後の文字を先に読んだ後(一文字)先ほどのレ点の前の文字を読む。 2 まず、最初の有にレ点がついているので、また同様に無しにもレ点がついているので、読む順番は1、備え(古文の読み方で)2、有れば3、患い(古文の読み方で)4、無し、となる。ここでは古文の読み方を適用することが重要である。間違っても、『備え患い有れば無し』(先に「レ点のないもの」を全て読んでしまった例)のようにしてはならない。レ点がついている文字は、レ点の次の文字を読んだ後、すぐに読む。 3 まず、『一』・『二』・『三』は『一・二・三点』という。二文字以上戻る場合、レ点では対処できないから出てくる。番号順に読む。 では、これを踏まえて、見てみよう。先に訓読記号のついていないものを読むので、1、東のかた2、鳥江を3、渡らんと4、欲す、となる。1、を読んだ後、他に訓読記号のついていない文字がないので、一(訓読記号)から順番に読む。こうすると、読むことができる。なお、漢文を書く場合においてもレ点と一・二・三点の使い分けをしよう。 では、これらを生かして、下の故事成語を読んでみよう。 ある主張の辻褄(つじつま)が合わないこと。 矛盾 楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻ぐ(ひさぐ)者あり。之(これ)を誉(ほ)めて曰(いは)く「わが盾(たて)の堅き(かたき)こと、能く(よく)陥す(とおす)ものなきなり。」と。また、その矛(ほこ)を誉めて曰く「わが矛の利なること、物において陥さざるなきなり。」と。 ある人いはく(いわく)「子(し)の矛を以て、子の盾を陥さば(とおさば)いかん。」と。その人応ふる(こたうる)こと能はざる(あたわざる)なり。 楚の国の人で、盾と矛とを売る者がいた。その人が、盾をほめて、「私の盾の堅いことといったら、突き通せる物が無い。」と。また、その人は、矛をほめて、「私の矛の鋭いことといったら、どんな物でも突き通す。」 ある人が尋ねて、「あなたの矛で、あなたの盾を突きさすと、どうなるのか。」と言った。その商人は、答えることができなかった。 中学校国語 漢文/矛盾も参照のこと。 よけいなもの。 中国の楚(そ)の国で、数名の者が地面に蛇の絵を早く描く競争をしていて、いちばん早く描き終えた者は酒を飲めるという競争をした。このときに、ある者が、いったん先に描き終えたが、「足まで描ける」と言ったら、別の者が「蛇には足がない。」と言われ、足を描いた男が負けてしまい、酒をうばわれたという。 周囲を敵に囲まれること。または、周囲が敵ばかりで味方のいないこと。 紀元前202年ごろの、古代の中国で、楚(そ)の国と、漢(かん)の国が、天下をめぐって争っていた。秦(しん)の王朝が滅んだあとの時代であり、いくつかの国が天下を争っていた。最終的に、楚と漢に、集約されていった。 そして、ついに楚と漢との決戦が起きた。 楚(そ)の指導者の項羽(こうう)は、楚軍が垓下(がいか)の戦いで劣勢になり、敵側の漢の大軍に包囲された。その日の夜、項羽は四方の漢軍の陣のほうから、故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか。」と驚き(おどろき)嘆いた(なげいた)。この故事から"周囲を敵に囲まれること"を四面楚歌(しめんそか)と言うようになった。 ※最終的に項羽は戦に負け自殺し、漢が天下をにぎる。漢の指導者の劉邦(りゅうほう)が、あたらしい王朝の「漢」を作る。これが、漢王朝の始まりである。 ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。 ハマグリが殻(から)を開けてひなたぼっこをしていると、鳥のシギがやってきて、ハマグリの身をついばもうとした。ハマグリは殻をとじて、シギのくちばしをはさみました。シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、ハマグリは死ぬだろう』と言い、ハマグリは『今日も明日もこのままならば、シギの方が死ぬだろう』と言う。そうして、争っている間に、両者(りゃうしゃ)とも、漁師に捕まってしまった。 中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。 必要のない心配、取り越し苦労(とりこしぐろう)のこと。 杞(き)の国に、ひどく心配性の人がいた。もしも天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどうしようと心配し、夜も眠れず食事ものどを通らぬほどに心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して杞憂(きゆう)という。 人の幸不幸は変わりやすいということ。 用例の一例として不幸な人をはげます場合に、「人間万事、塞翁が馬」などと使うことが多い。幸福で浮かれている人をいましめる場合にも、用いられる場合がある。 このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間万事塞翁が馬」などと使われる。 文章の言い回しを、よりよく考え直すこと。 単に、出版物などの誤字・脱字を訂正することは「校正」(こうせい)という熟語であり、推敲とは意味が異なる。 唐の詩人の賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧(そう)は推す(おす) 月下の門(げっかのもん)」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」(たたく)という語を思いついて迷った。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の韓愈(かんゆ)のひきいる行列がやってきたのにも気づかず、その中にぶつかってしまった。賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで賈島は経緯をつぶさに申し立てた。事情を知った韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。 このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。 あまりちがいのないこと。 (書き下し文) 中学校国語 漢文/五十歩百歩も参照のこと。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "「故事」(こじ)とは、昔の出来事のことである。 「故事成語」(こじせいご)とは、ある故事が元になって出来た熟語である。たいてい、中国の古典に書かれた故事が、故事成語の元になっている。 ここでいう「中国」は、チャイナのほうの中国である。なお、中学校のこの単元においては以下の漢文についてを習うこと及びその次に述べる故事成語を覚えることを目的とする。", "title": "故事成語とは" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "wikibooksの仕組みではどうしても横書きになってしまう。一文字ずつ改行してならできなくもないものの、ページが大変なこと(長さ)になってしまうので、やむをえず横書きにした。横書きで上つきの記号は、縦書きでは右側に、同じく下つきの記号は左側に、と読み替えてほしい。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "以下に例を述べる。その前に、簡易的ではあるが、説明をしておく。右側(ここでは横書きなので倒して上側)にあるカタカナが送り仮名で、左側(ここでは同じく横書きなので倒して下側)にあるのが訓読記号である。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "まず、上(実際には縦書きなので右側)のカタカナは前述の通り「送り仮名」である。無論古文の読み方によって読まなくてはならない。次に、下(これまた実際には縦書きなので左側)の前述の通り訓読記号の『レ』はレ点と称し、これがある文字の一つ前の文字を読むのは後であり、先にこれの後の文字を先に読んだ後(一文字)先ほどのレ点の前の文字を読む。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "まず、最初の有にレ点がついているので、また同様に無しにもレ点がついているので、読む順番は1、備え(古文の読み方で)2、有れば3、患い(古文の読み方で)4、無し、となる。ここでは古文の読み方を適用することが重要である。間違っても、『備え患い有れば無し』(先に「レ点のないもの」を全て読んでしまった例)のようにしてはならない。レ点がついている文字は、レ点の次の文字を読んだ後、すぐに読む。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "3", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "まず、『一』・『二』・『三』は『一・二・三点』という。二文字以上戻る場合、レ点では対処できないから出てくる。番号順に読む。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "では、これを踏まえて、見てみよう。先に訓読記号のついていないものを読むので、1、東のかた2、鳥江を3、渡らんと4、欲す、となる。1、を読んだ後、他に訓読記号のついていない文字がないので、一(訓読記号)から順番に読む。こうすると、読むことができる。なお、漢文を書く場合においてもレ点と一・二・三点の使い分けをしよう。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "では、これらを生かして、下の故事成語を読んでみよう。", "title": "漢文の訓読の仕方" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ある主張の辻褄(つじつま)が合わないこと。", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "矛盾 楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻ぐ(ひさぐ)者あり。之(これ)を誉(ほ)めて曰(いは)く「わが盾(たて)の堅き(かたき)こと、能く(よく)陥す(とおす)ものなきなり。」と。また、その矛(ほこ)を誉めて曰く「わが矛の利なること、物において陥さざるなきなり。」と。", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ある人いはく(いわく)「子(し)の矛を以て、子の盾を陥さば(とおさば)いかん。」と。その人応ふる(こたうる)こと能はざる(あたわざる)なり。", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "楚の国の人で、盾と矛とを売る者がいた。その人が、盾をほめて、「私の盾の堅いことといったら、突き通せる物が無い。」と。また、その人は、矛をほめて、「私の矛の鋭いことといったら、どんな物でも突き通す。」", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ある人が尋ねて、「あなたの矛で、あなたの盾を突きさすと、どうなるのか。」と言った。その商人は、答えることができなかった。", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "中学校国語 漢文/矛盾も参照のこと。", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "", "title": "矛盾" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "よけいなもの。", "title": "蛇足" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "中国の楚(そ)の国で、数名の者が地面に蛇の絵を早く描く競争をしていて、いちばん早く描き終えた者は酒を飲めるという競争をした。このときに、ある者が、いったん先に描き終えたが、「足まで描ける」と言ったら、別の者が「蛇には足がない。」と言われ、足を描いた男が負けてしまい、酒をうばわれたという。", "title": "蛇足" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "周囲を敵に囲まれること。または、周囲が敵ばかりで味方のいないこと。", "title": "四面楚歌" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "紀元前202年ごろの、古代の中国で、楚(そ)の国と、漢(かん)の国が、天下をめぐって争っていた。秦(しん)の王朝が滅んだあとの時代であり、いくつかの国が天下を争っていた。最終的に、楚と漢に、集約されていった。 そして、ついに楚と漢との決戦が起きた。", "title": "四面楚歌" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "楚(そ)の指導者の項羽(こうう)は、楚軍が垓下(がいか)の戦いで劣勢になり、敵側の漢の大軍に包囲された。その日の夜、項羽は四方の漢軍の陣のほうから、故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか。」と驚き(おどろき)嘆いた(なげいた)。この故事から\"周囲を敵に囲まれること\"を四面楚歌(しめんそか)と言うようになった。", "title": "四面楚歌" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "※最終的に項羽は戦に負け自殺し、漢が天下をにぎる。漢の指導者の劉邦(りゅうほう)が、あたらしい王朝の「漢」を作る。これが、漢王朝の始まりである。", "title": "四面楚歌" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。", "title": "漁夫の利" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ハマグリが殻(から)を開けてひなたぼっこをしていると、鳥のシギがやってきて、ハマグリの身をついばもうとした。ハマグリは殻をとじて、シギのくちばしをはさみました。シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、ハマグリは死ぬだろう』と言い、ハマグリは『今日も明日もこのままならば、シギの方が死ぬだろう』と言う。そうして、争っている間に、両者(りゃうしゃ)とも、漁師に捕まってしまった。", "title": "漁夫の利" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。", "title": "漁夫の利" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "必要のない心配、取り越し苦労(とりこしぐろう)のこと。", "title": "杞憂" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "杞(き)の国に、ひどく心配性の人がいた。もしも天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどうしようと心配し、夜も眠れず食事ものどを通らぬほどに心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して杞憂(きゆう)という。", "title": "杞憂" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "人の幸不幸は変わりやすいということ。", "title": "塞翁が馬" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "用例の一例として不幸な人をはげます場合に、「人間万事、塞翁が馬」などと使うことが多い。幸福で浮かれている人をいましめる場合にも、用いられる場合がある。", "title": "塞翁が馬" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間万事塞翁が馬」などと使われる。", "title": "塞翁が馬" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "文章の言い回しを、よりよく考え直すこと。", "title": "推敲" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "単に、出版物などの誤字・脱字を訂正することは「校正」(こうせい)という熟語であり、推敲とは意味が異なる。", "title": "推敲" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "唐の詩人の賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧(そう)は推す(おす) 月下の門(げっかのもん)」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」(たたく)という語を思いついて迷った。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の韓愈(かんゆ)のひきいる行列がやってきたのにも気づかず、その中にぶつかってしまった。賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで賈島は経緯をつぶさに申し立てた。事情を知った韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。", "title": "推敲" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。", "title": "推敲" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "あまりちがいのないこと。", "title": "五十歩百歩" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "(書き下し文)", "title": "五十歩百歩" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "中学校国語 漢文/五十歩百歩も参照のこと。", "title": "五十歩百歩" } ]
null
== 故事成語とは == 「故事」(こじ)とは、昔の出来事のことである。 「故事成語」(こじせいご)とは、ある故事が元になって出来た熟語である。たいてい、中国の古典に書かれた故事が、故事成語の元になっている。 ここでいう「中国」は、チャイナのほうの中国である。なお、中学校のこの単元においては以下の漢文についてを習うこと及びその次に述べる故事成語を覚えることを目的とする。 == 漢文の訓読の仕方 == ==== 注意点 ==== wikibooksの仕組みではどうしても横書きになってしまう。一文字ずつ改行してならできなくもないものの、ページが大変なこと(長さ)になってしまうので、やむをえず横書きにした。横書きで上つきの記号は、縦書きでは右側に、同じく下つきの記号は左側に、と読み替えてほしい。 ==== 例 ==== 以下に例を述べる。その前に、簡易的ではあるが、説明をしておく。右側(ここでは横書きなので倒して上側)にあるカタカナが送り仮名で、左側(ここでは同じく横書きなので倒して下側)にあるのが訓読記号である。 ① ====== 白文 ====== 月有陰 ====== 訓読文 ====== 月<sup>ニ</sup>有<sup>リ</sup><sub>レ</sub>陰 ====== 書き下し文 ====== 月に影有り まず、上(実際には縦書きなので右側)のカタカナは前述の通り「送り仮名」である。無論古文の読み方によって読まなくてはならない。次に、下(これまた実際には縦書きなので左側)の前述の通り訓読記号の『<sub>'''レ'''</sub>』はレ点と称し、これがある文字の一つ前の文字を読むのは後であり、先にこれの後の文字を先に読んだ後(一文字)先ほどのレ点の前の文字を読む。 ② ====== 白文 ====== 有備無患 ====== 訓読文 ====== 有<sup>レバ</sup><sub>レ</sub>備<sup>ヘ</sup>無<sup>シ</sup><sub>レ</sub>患<sup>ヒ</sup> ====== 書き下し文 ====== 備え有れば患い無し まず、最初の有にレ点がついているので、また同様に無しにもレ点がついているので、読む順番は1、備え(古文の読み方で)2、有れば3、患い(古文の読み方で)4、無し、となる。ここでは古文の読み方を適用することが重要である。<u>間違っても、『備え患い有れば無し』(先に「レ点のないもの」を全て読んでしまった例)のようにしてはならない。レ点がついている文字は、レ点の次の文字を読んだ後、すぐに読む。</u> ③ ====== 白文 ====== 欲東渡鳥江 ====== 訓読文 ====== 欲<sup>ス</sup><sub>三</sub>東<sup>ノカタ</sup>渡<sup>ラント</sup><sub>二</sub>鳥江<sup>ヲ</sup><sub>一</sub> ====== 書き下し文 ====== 東のかた鳥江を渡らんと欲す まず、『一』・『二』・『三』は『一・二・三点』という。二文字以上戻る場合、レ点では対処できないから出てくる。番号順に読む。 では、これを踏まえて、見てみよう。先に訓読記号のついていないものを読むので、1、東のかた2、鳥江を3、渡らんと4、欲す、となる。1、を読んだ後、他に訓読記号のついていない文字がないので、一(訓読記号)から順番に読む。こうすると、読むことができる。なお、漢文を書く場合においてもレ点と一・二・三点の使い分けをしよう。 ==== ここのまとめ ==== * レ点はついている文字の下の文字を読んだ後、ついている文字を読む。 * 一・二・三点は二文字以上戻るときに使い、番号順に読む。 * 訓読記号のついていないものを先に読む。 '''では、これらを生かして、下の故事成語を読んでみよう。''' == {{ruby|矛盾|むじゅん}} == ===意味=== ある主張の辻褄(つじつま)が合わないこと。 ===由来=== *書き下し文(かきくだしぶん) <big>'''矛盾'''</big><br /> <big>楚人(そひと)に盾(たて)と矛(ほこ)とを鬻ぐ(ひさぐ)者あり。之(これ)を誉(ほ)めて曰(いは)く「わが盾(たて)の堅き(かたき)こと、能く(よく)陥す(とおす)ものなきなり。」と。また、その矛(ほこ)を誉めて曰く「わが矛の利なること、物において陥さざるなきなり。」と。</big> <big>ある人いはく(いわく)「子(し)の矛を以て、子の盾を陥さば(とおさば)いかん。」と。その人応ふる(こたうる)こと能はざる(あたわざる)なり。</big> *口語訳 楚の国の人で、盾と矛とを売る者がいた。その人が、盾をほめて、「私の盾の堅いことといったら、突き通せる物が無い。」と。また、その人は、矛をほめて、「私の矛の鋭いことといったら、どんな物でも突き通す。」 ある人が尋ねて、「あなたの矛で、あなたの盾を突きさすと、どうなるのか。」と言った。その商人は、答えることができなかった。 *訓読(くんどく) [[File:矛盾.svg|600px|「矛盾」の漢文。]] [[中学校国語 漢文/矛盾]]も参照のこと。 {{-}} == {{ruby|蛇足|だそく}} == ===意味=== よけいなもの。 ===由来=== 中国の楚(そ)の国で、数名の者が地面に蛇の絵を早く描く競争をしていて、いちばん早く描き終えた者は酒を飲めるという競争をした。このときに、ある者が、いったん先に描き終えたが、「足まで描ける」と言ったら、別の者が「蛇には足がない。」と言われ、足を描いた男が負けてしまい、酒をうばわれたという。 == {{ruby|四面楚歌|しめんそか}} == ===意味=== 周囲を敵に囲まれること。または、周囲が敵ばかりで味方のいないこと。 ===由来=== 紀元前202年ごろの、古代の中国で、楚(そ)の国と、漢(かん)の国が、天下をめぐって争っていた。秦(しん)の王朝が滅んだあとの時代であり、いくつかの国が天下を争っていた。最終的に、楚と漢に、集約されていった。 そして、ついに楚と漢との決戦が起きた。 楚(そ)の指導者の項羽(こうう)は、楚軍が垓下(がいか)の戦いで劣勢になり、敵側の漢の大軍に包囲された。その日の夜、項羽は四方の漢軍の陣のほうから、故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか。」と驚き(おどろき)嘆いた(なげいた)。この故事から"周囲を敵に囲まれること"を'''四面楚歌'''(しめんそか)と言うようになった。 ※最終的に項羽は戦に負け自殺し、漢が天下をにぎる。漢の指導者の劉邦(りゅうほう)が、あたらしい王朝の「漢」を作る。これが、漢王朝の始まりである。 == {{ruby|漁夫の利|ぎょふのり}} == ===意味=== ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者が利益を得てしまうこと。 ===由来=== ハマグリが殻(から)を開けてひなたぼっこをしていると、鳥のシギがやってきて、ハマグリの身をついばもうとした。ハマグリは殻をとじて、シギのくちばしをはさみました。シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、ハマグリは死ぬだろう』と言い、ハマグリは『今日も明日もこのままならば、シギの方が死ぬだろう』と言う。そうして、争っている間に、両者(りゃうしゃ)とも、漁師に捕まってしまった。 中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。 == {{ruby|杞憂|きゆう}} == ===意味=== 必要のない心配、取り越し苦労(とりこしぐろう)のこと。 ===由来=== 杞(き)の国に、ひどく心配性の人がいた。もしも天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどうしようと心配し、夜も眠れず食事ものどを通らぬほどに心配した人がいた。このことから、無駄な心配、取り越し苦労のことを指して杞憂(きゆう)という。 == {{ruby|塞翁が馬|さいおうがうま}} == ===意味=== 人の幸不幸は変わりやすいということ。 用例の一例として不幸な人をはげます場合に、「人間万事、塞翁が馬」などと使うことが多い。幸福で浮かれている人をいましめる場合にも、用いられる場合がある。 ===由来=== :国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた老人は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。(「塞翁」とは、塞(とりで)の老人(=翁)という意味。) :その、かわいがられていた馬が、ある日、飛び出して逃げてしまう。(←不幸)  :しばらくして、逃げた馬が、別の白い名馬を連れ帰ってきた。(←幸)  :しかし、塞翁の息子がその白馬から落ちて、足を折る。(←不幸)  :しばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我(けが)をしていたため、兵にならずに命拾いした。(←幸)  このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、「人間万事塞翁が馬」などと使われる。 == {{ruby|推敲|すいこう}} == ===意味=== 文章の言い回しを、よりよく考え直すこと。 単に、出版物などの誤字・脱字を訂正することは「校正」(こうせい)という熟語であり、推敲とは意味が異なる。 ===由来=== 唐の詩人の賈島(かとう)は、乗っているロバの上で詩を作っていた。その途中、「僧(そう)は推す(おす) 月下の門(げっかのもん)」という一句を口ずさんでから、「推す」のほかに「敲く」(たたく)という語を思いついて迷った。あまりにも夢中になっていたので、向こうから役人の韓愈(かんゆ)のひきいる行列がやってきたのにも気づかず、その中にぶつかってしまった。賈島はすぐに捕らえられ、韓愈の前に連れて行かれた。そこで賈島は経緯をつぶさに申し立てた。事情を知った韓愈は、賈島の話を聞き終わると、「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬を並べていきながら詩を論じ合った。 このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という。 == {{ruby|五十歩百歩|ごじっぽひゃっぽ}} == ===意味=== あまりちがいのないこと。 ===由来=== :世は中国の戦国時代、魏(ぎ)という一つの国の王の恵王(けいおう)は、孟子(もうし)に たずねた。 「わたしは、ひごろから人々を大切にしているつもりだ。だが、他の国の人が、魏(ぎ)をしたって流入してきた様子がない。これはどういうことなのか。」 :孟子は言った。 「まず、王にたずねます。戦場で2人が、怖くなって、逃げました。ある者は百歩だけ、にげました。、ある者は、五十歩で、とどまったとします。そこで五十歩、にげた者が、百歩、にげた者を臆病者(おくびょうもの)と言って、笑った(わらった)とします。王は、どう思われますか。」 :王は言った。 「それはおかしい。どちらとも、逃げたことには、ちがいないではないか。」 :「そのとおり」、と孟子は言う。そして魏(ぎ)の政治(せいじ)も、他国と比べて五十歩百歩なのだと指摘し、孟子の勧める王道を唱えていく。 (書き下し文) :孟子対へて曰く「王、戦を好む。請ふ戦を以て喩へむ。填然として之を鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百歩にして後に止まり、或いは五十歩にして後に止まる。五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如」と。曰く「不可なり。直だ(ただ)百歩ならざるのみ。是(これ)も亦走るなり」と。曰く「王如し此を知らば、則ち民の隣国より多きこと望むこと無からむ。」 [[中学校国語 漢文/五十歩百歩]]も参照のこと。 [[Category:中学校国語|こしせいこ 1ねん]]
null
2021-11-12T05:22:09Z
[ "テンプレート:Ruby", "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E6%95%85%E4%BA%8B%E6%88%90%E8%AA%9E_1%E5%B9%B4
19,477
中学校国語/漢字 1年
(※漢字紹介の著作権に関する見解 --すじにくシチュー (トーク) 2014年9月24日 (水) 13:01 (UTC) 本記事では、各社の教科書や教科書ガイドなどを参考に、各学年の漢字の範囲を判断し、この記事で漢字を紹介しています。漢字そのものには著作権が無いと考えています。この「漢字そのものには著作権が無い」という考えに基づき、参考文献などとしても、教科書や教科書ガイド等は特に紹介はしません。)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "(※漢字紹介の著作権に関する見解 --すじにくシチュー (トーク) 2014年9月24日 (水) 13:01 (UTC) 本記事では、各社の教科書や教科書ガイドなどを参考に、各学年の漢字の範囲を判断し、この記事で漢字を紹介しています。漢字そのものには著作権が無いと考えています。この「漢字そのものには著作権が無い」という考えに基づき、参考文献などとしても、教科書や教科書ガイド等は特に紹介はしません。)", "title": "" } ]
null
(※漢字紹介の著作権に関する見解 --[[利用者:すじにくシチュー|すじにくシチュー]] ([[利用者・トーク:すじにくシチュー|トーク]]) 2014年9月24日 (水) 13:01 (UTC) <br /> 本記事では、各社の教科書や教科書ガイドなどを参考に、各学年の漢字の範囲を判断し、この記事で漢字を紹介しています。漢字そのものには著作権が無いと考えています。この「漢字そのものには著作権が無い」という考えに基づき、参考文献などとしても、教科書や教科書ガイド等は特に紹介はしません。) == 漢字 == :眺める(ながめる) :踏む(ふむ) :振るう(ふるう) :鮮やか(あざやか) :隠れる(かくれる) :駆ける(かける) :伸ばす(のばす) :歓 :恵む(めぐむ) :烈(れつ) :襲う(おそう) :幅(はば) :紳(しん) ・・・ 紳士(しんし) :勧める(すすめる) :挑む(いどむ) :紹(しょう) ・・・ 紹介(しょうかい) :介(かい) :滴 :影 : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : [[Category:漢字|中1]]
null
2022-12-14T09:13:01Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E6%BC%A2%E5%AD%97_1%E5%B9%B4
19,478
GNU Octave/Octファイル
Octファイル(Octfile)は、GNU OctaveからC++の実行ファイルを呼び出す仕組みです。 Oct filesを使えば、自分で作ったC++の関数を、GNU Octaveからライブラリ関数とまったく同様に呼び出して使うことができます。 GNU Octaveに必要とする関数がない場合や、GNU Octaveで作った関数が実行速度や計算精度で物足りない場合に有用です。以下にOctfileのsampleを示します。 実行例 上記のC++プログラムを、DEFUN_DLDの最初の文字をファイル名として保存する。この例では、 oct_AddTwoValues.cc として保存する。 GNU Octave上で以下を実行する。以下同様。 GNU Octaveテストプログラム 実行結果 実行例 文字列 実行例 実行例 Copyright (C) 1996-2014 John W. Eaton. Copyright (C) 2005-2007 MASUDA, Yutaka (日本語訳) Copyright (C) 2014 Bethlehem4. Permission is granted to make and distribute verbatim copies of this manual provided the copyright notice and this permission notice are preserved on all copies. Permission is granted to copy and distribute modified versions of this manual under the conditions for verbatim copying, provided that the entire resulting derived work is distributed under the terms of a permission notice identical to this one. Permission is granted to copy and distribute translations of this manual into another language, under the above conditions for modified versions.
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Octファイル(Octfile)は、GNU OctaveからC++の実行ファイルを呼び出す仕組みです。 Oct filesを使えば、自分で作ったC++の関数を、GNU Octaveからライブラリ関数とまったく同様に呼び出して使うことができます。 GNU Octaveに必要とする関数がない場合や、GNU Octaveで作った関数が実行速度や計算精度で物足りない場合に有用です。以下にOctfileのsampleを示します。", "title": "Octファイル" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "実行例", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "上記のC++プログラムを、DEFUN_DLDの最初の文字をファイル名として保存する。この例では、 oct_AddTwoValues.cc として保存する。 GNU Octave上で以下を実行する。以下同様。", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "GNU Octaveテストプログラム", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "実行結果", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "実行例", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "文字列", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "実行例", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "実行例", "title": "Octファイルの実行例" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "Copyright (C) 1996-2014 John W. Eaton. Copyright (C) 2005-2007 MASUDA, Yutaka (日本語訳) Copyright (C) 2014 Bethlehem4. Permission is granted to make and distribute verbatim copies of this manual provided the copyright notice and this permission notice are preserved on all copies. Permission is granted to copy and distribute modified versions of this manual under the conditions for verbatim copying, provided that the entire resulting derived work is distributed under the terms of a permission notice identical to this one. Permission is granted to copy and distribute translations of this manual into another language, under the above conditions for modified versions.", "title": "Octファイルの実行例" } ]
null
== Octファイル == Octファイル(Octfile)は、GNU OctaveからC++の実行ファイルを呼び出す仕組みです。 Oct filesを使えば、自分で作ったC++の関数を、GNU Octaveからライブラリ関数とまったく同様に呼び出して使うことができます。 GNU Octaveに必要とする関数がない場合や、GNU Octaveで作った関数が実行速度や計算精度で物足りない場合に有用です。以下にOctfileのsampleを示します。 == Octファイルの実行例 == === Hello world! === <source lang="cpp"> #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD (helloworld, args, nargout, "Hello World Help String") { int nargin = args.length (); octave_stdout << "Hello World has " << nargin << " input arguments and " << nargout << " output arguments.\n"; return octave_value_list (); } </source> === 実数入力可算 === <source lang="cpp"> //oct_AddTwoValues.cc #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD(oct_AddTwoValues, args, , "z=oct_AddTwoValues(x,y);") { ColumnVector x(args(0).vector_value()); ColumnVector y(args(1).vector_value()); ColumnVector z; z = x + y; return octave_value (z); } </source> 実行例 上記のC++プログラムを、DEFUN_DLDの最初の文字をファイル名として保存する。この例では、 oct_AddTwoValues.cc として保存する。 GNU Octave上で以下を実行する。以下同様。 <source lang="matlab"> GNU Octave, version 3.8.1 Octave was configured for "i686-w64-mingw32". >mkoctfile oct_AddTwoValues.cc >oct_AddTwoValues(1,2) ⇒ ans = 3 A=(1:2)' ⇒ A = 1 2 B=(2:3)' ⇒ B = 2 3 oct_AddTwoValues(A,B) ⇒ 3 5 </source> === ベクトル === <source lang="cpp"> //oct_ReturnTwoArrays.cc #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD (oct_ReturnTwoArrays, args, , "[C,D]=oct_ReturnTwoArrays(A,B);,A,B,C and D are arrays.\n") { octave_value_list retval; int nargin = args.length (); if (nargin != 2) { print_usage(); } else { //NDArray A = args(0).array_value(); //NDArray B = args(1).array_value(); NDArray A (args(0).array_value()); NDArray B (args(1).array_value()); if ( !error_state ) { retval(0) = A+B; retval(1) = A-B; } } return retval; } </source> === 行列 === <source lang="cpp"> //MatVecProd.cc #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD (MatVecProd, args, , "[nel,M,N,is_empty,ndims,Y]=MatVecProd(A,X); A is a matrix, X,Y are vectors.\n") { octave_value_list retval; int nargin = args.length(); if (nargin != 2){ print_usage(); return retval; } //Matrix A ( args(0).matrix_value()); //Matrix X ( args(1).array_value()); Matrix A = args(0).matrix_value(); Matrix X = args(1).array_value(); octave_idx_type nel = A.numel(); octave_idx_type M = A.rows(); //Rows M octave_idx_type N = A.columns(); //Colums N octave_idx_type is_empty = A.is_empty(); octave_idx_type ndims = A.ndims(); Matrix Y(M,1); //NDArray Y(M); It didn't work! if ( error_state ) return retval; for ( int m=0; m < M; ++m ) { Y(m)=0; for ( int n=0; n < N; ++n ) { Y(m) += A(m,n) * X(n); } } retval(0)=nel; retval(1)=M; retval(2)=N; retval(3)=is_empty; retval(4)=ndims; retval(5)=Y; return retval; } </source> GNU Octaveテストプログラム <source lang="matlab"> %TEST_MatVecProd.m function TEST_MatVecProd clear all; mkoctfile MatVecProd.cc M=4 N=2 A=1:M*N; A=reshape(A,M,N) X=(1:N)' [nel,M,N,is_empty,ndims,Y]=MatVecProd(A,X) sizeY=size(Y) AX=A*X ERR=Y-AX </source> 実行結果 <source lang="matlab">  TEST_MatVecProd ⇒ M = 4 N = 2 A = 1 5 2 6 3 7 4 8 X = 1 2 nel = 8 M = 4 N = 2 is_empty = 0 ndims = 2 Y = 11 14 17 20 sizeY = 4 1 AX = 11 14 17 20 ERR = 0 0 0 0 </source> === 複素数 === * [http://lists.gnu.org/archive/html/help-octave/2011-06/msg00312.html Ref] <source lang="cpp"> //pippo.cc #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD (pippo, args, , "test return statement") { dim_vector dims; dims.resize (3); dims(2) = 4; dims(1) = 3; dims(0) = 2; ComplexNDArray a(dims, std::complex<double> (0.0, 0.0)); // or //Array<std::complex<double> > a (dims, std::complex<double> (0.0, 0.0)); for (octave_idx_type i = 0; i < dims(0); i++) { for (octave_idx_type j = 0; j < dims(1); j++) { for (octave_idx_type k = 0; k < dims(2); k++) { a(i, j, k) = std::complex<double> (i, j + k); } } } return octave_value (a); } </source> === 複素数入出力 === <source lang="cpp"> //oct_complex.cc #include <octave/oct.h> DEFUN_DLD (oct_complex, args, , "[cx,cy,cz,Nc,Nr]=oct_complex(ca)\n") { octave_value_list retval; int nargin = args.length(); if (nargin != 1) { print_usage (); return retval; } ComplexMatrix cx(args(0).complex_matrix_value());//Input 0 ComplexMatrix cy(args(0).complex_matrix_value());//for Output 1 ComplexMatrix cz(args(0).complex_matrix_value());//for Output 2 octave_idx_type Nc = cx.columns(); octave_idx_type Nr = cx.rows(); cy=real(cx); for (octave_idx_type i = 0; i < Nc; i++) { cz(i) = Complex(real(cx(i))*real(cx(i)),imag(cx(i))*imag(cx(i))); } retval(0)=cx; retval(1)=cy; retval(2)=cz; retval(3)=Nc; retval(4)=Nr; return retval; } </source> 実行例 <source lang="cpp"> > mkoctfile oct_complex.cc > ca=[1+j 2+j]; > [cx,cy,cz,Nc,Nr]=oct_complex(ca) ⇒ cx = 1 + 2i 3 + 4i cy = 1 3 cz = 1 + 4i 9 + 16i Nc = 2 Nr = 1 </source> 文字列 === 構造体 === * Ref[https://www.gnu.org/software/octave/doc/interpreter/Structures-in-Oct_002dFiles.html#Structures-in-Oct_002dFiles A.1.5 Structures in Oct-Files] <source lang="cpp"> //oct_structdemo.cc #include <octave/oct.h> #include <octave/ov-struct.h> DEFUN_DLD (oct_structdemo, args, , "Struct Demo") { octave_value retval; int nargin = args.length (); if (args.length () == 2) { octave_scalar_map arg0 = args(0).scalar_map_value (); //octave_map arg0 = args(0).map_value(); if ( ! error_state ) { std::string arg1 = args(1).string_value (); if ( ! error_state ) { octave_value tmp = arg0.contents (arg1); //octave_value tmp = arg0.contents (arg1)(0); if ( tmp.is_defined() ) { octave_scalar_map st; st.assign ("selected", tmp); retval = octave_value (st); } else { error("structdemo: struct does not have a field named '%s'\n", arg1.c_str ()); } } else { error ("structdemo: ARG2 must be a character string"); } } else { error ("structdemo: ARG1 must be a struct"); } } else { print_usage (); } return retval; } </source> 実行例 <source lang="matlab"> x.a = 1; x.b="test"; x.c=[1, 2]; oct_structdemo (x, "b") ⇒ selected = test </source> === セル配列 === * Ref [https://www.gnu.org/software/octave/doc/interpreter/Cell-Arrays-in-Oct_002dFiles.html#Cell-Arrays-in-Oct_002dFiles A.1.4 Cell Arrays in Oct-Files] <source lang="cpp"> //oct_celldemo.cc #include <octave/oct.h> #include <octave/Cell.h> DEFUN_DLD (oct_celldemo, args, , "b=oct_celldemo(c);,c is a cell, b are elements.") { octave_value_list retval; int nargin = args.length(); if (nargin != 1) { print_usage(); } else { Cell c = args(0).cell_value(); if ( ! error_state ) { for ( octave_idx_type i = 0; i < c.numel(); ++i ) { retval(i) = c(i); // using operator syntax //retval(i) = c.elem (i); // using method syntax } } } return retval; } </source> 実行例 <source lang="cpp"> [b1, b2, b3] = oct_celldemo({1, [1, 2], "test"}) ⇒ b1 = 1 b2 = 1 2 b3 = test </source> ---- <small> Copyright (C) 1996-2014 John W. Eaton.<br/> Copyright (C) 2005-2007 [http://www.obihiro.ac.jp/~suzukim/masuda/octave/octave_ja.html MASUDA, Yutaka] (日本語訳)<br/> Copyright (C) 2014 Bethlehem4.<br/> Permission is granted to make and distribute verbatim copies of this manual provided the copyright notice and this permission notice are preserved on all copies. Permission is granted to copy and distribute modified versions of this manual under the conditions for verbatim copying, provided that the entire resulting derived work is distributed under the terms of a permission notice identical to this one. Permission is granted to copy and distribute translations of this manual into another language, under the above conditions for modified versions. </small> [[Category:GNU Octave|Octふあいる]]
null
2015-08-07T11:09:48Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/GNU_Octave/Oct%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB
19,479
学習方法/中学校美術
美術教育ってどういうものですかね。義務教育で行われる美術教育。高校以上、教養的に行う美術教育。そして高校以上大学も経る、専門的な美術教育、指導。様々な形態で美術が教育課題として扱われていますが、それぞれの場で芸術を知って、創作して、学問としても学習する。一つの体験、機会として、あまり難しいことは考えず、その場に身を置いて、生活の一つとして美術・芸術に接していくといいと思います。 大人たちや教育者たちはそれぞれ何らかの意図、主張を持って美術教育を提供するでしょうが、受け手の側は側で、ある意味楽しみながら、ある意味自律的にその意味を想像しながら、美術を行為していくといいのではないでしょうか。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "美術教育ってどういうものですかね。義務教育で行われる美術教育。高校以上、教養的に行う美術教育。そして高校以上大学も経る、専門的な美術教育、指導。様々な形態で美術が教育課題として扱われていますが、それぞれの場で芸術を知って、創作して、学問としても学習する。一つの体験、機会として、あまり難しいことは考えず、その場に身を置いて、生活の一つとして美術・芸術に接していくといいと思います。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大人たちや教育者たちはそれぞれ何らかの意図、主張を持って美術教育を提供するでしょうが、受け手の側は側で、ある意味楽しみながら、ある意味自律的にその意味を想像しながら、美術を行為していくといいのではないでしょうか。", "title": "" } ]
実技の課題は、期日までに、仕上げましょう。もし何らかの理由、あるいは明確な理由がなくても、期日までに完成しないようなら、期日前に、あるいはその後でもいいですが、担当の美術教諭に相談してみましょう。提出しないまま何も言わないというのは、印象も悪いうえ、好ましい態度ではありません。 定期テストでは、授業の講義部分や教科書で紹介された用語や技法、美術家、作品なども出題されるようですね。国語数学理科社会英語などの主要教科からは明らかに、重要度が低いように見えますが、芸術というのはまた人類文化の一つの花形ですから、学問的な勉強、学習もある程度やっておくといいですよ。 美術教育ってどういうものですかね。義務教育で行われる美術教育。高校以上、教養的に行う美術教育。そして高校以上大学も経る、専門的な美術教育、指導。様々な形態で美術が教育課題として扱われていますが、それぞれの場で芸術を知って、創作して、学問としても学習する。一つの体験、機会として、あまり難しいことは考えず、その場に身を置いて、生活の一つとして美術・芸術に接していくといいと思います。 大人たちや教育者たちはそれぞれ何らかの意図、主張を持って美術教育を提供するでしょうが、受け手の側は側で、ある意味楽しみながら、ある意味自律的にその意味を想像しながら、美術を行為していくといいのではないでしょうか。
*実技の課題は、期日までに、仕上げましょう。もし何らかの理由、あるいは明確な理由がなくても、期日までに完成しないようなら、期日前に、あるいはその後でもいいですが、担当の美術教諭に相談してみましょう。提出しないまま何も言わないというのは、印象も悪いうえ、好ましい態度ではありません。 *定期テストでは、授業の講義部分や教科書で紹介された用語や技法、美術家、作品なども出題されるようですね。国語数学理科社会英語などの主要教科からは明らかに、重要度が低いように見えますが、芸術というのはまた人類文化の一つの花形ですから、学問的な勉強、学習もある程度やっておくといいですよ。 美術教育ってどういうものですかね。義務教育で行われる美術教育。高校以上、教養的に行う美術教育。そして高校以上大学も経る、専門的な美術教育、指導。様々な形態で美術が教育課題として扱われていますが、それぞれの場で芸術を知って、創作して、学問としても学習する。一つの体験、機会として、あまり難しいことは考えず、その場に身を置いて、生活の一つとして美術・芸術に接していくといいと思います。 大人たちや教育者たちはそれぞれ何らかの意図、主張を持って美術教育を提供するでしょうが、受け手の側は側で、ある意味楽しみながら、ある意味自律的にその意味を想像しながら、美術を行為していくといいのではないでしょうか。 [[カテゴリ:中学校美術|がくしゅうほうほうちゅうがっこうびじゅつ]] [[Category:学習方法|ちゆうかつこうひしゆつ]]
2014-09-26T07:06:02Z
2024-03-16T05:32:39Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%BE%8E%E8%A1%93
19,480
学習方法/高校国語全般
古典は、現代文よりも勉強量が点数に反映されやすいという特徴がある。したがって、古典を重点的に学ぶというのは有効な戦略の一つだろう。 古典の学習で、まず最初に優先することは文法・単語の勉強である。有名作品の読解は建前上は不要であるか、せいぜいどこの参考書にでも書いてある程度の通説的な解釈を覚えていれば、とりあえずは十分である。これは、国語教育の理念としては、未知の古典の文章をどの程度読解できるかということが主で、このため実際に入試問題で問われるのは数問の有名な文学史の問題が出題されるという程度であり、有名作品の内容が問われることはまず無いからである。 また、そもそも古典作品に興味があって古典作品を読みたいといった場合ですらも、まずは単語文法をしっかりやったほうが良いだろう。文法・単語が曖昧な状況で古典作品を現代語訳を頼って読み進めるより、文法・単語を学習をした上で有名作品を読むほうが理解度が上がるはずだ。 共通テストや二次試験の古典は、受験者にとっては未知であろう文章からの出題である。当然だが、共通テスト予想問題集などで題材にされた文章が、共通テストの古典の題材になる確率は低い(参考書の宣伝文句にダマされないように)。 そのため、共通テスト古典の対策としては、特定の作品依存せずに文法・単語を覚えるなどの古典の言語能力そのものを高めるための学習を積み重ねていくのが一番の近道であり、それが堅実な選択肢となる。 古典の試験で主に出るのは、現代語訳・内容説明・心情説明・文法問題・文学史である。 品詞の活用など直接的な文法問題は共通テストでは出ないが、読解にはこれらの文法知識は必須である。現代語訳・内容説明・心情説明に文法・単語の知識が必須であるのは言わなくても良いだろう。文学史については共通テストで出る確率は低く、二次試験でも1,2問程度問われる程度であろう。ただし、私立大学の中にはほぼ毎回出すところもある。私大文系専願の高校生は文学史の内容を過去問研究で押さえておきたい。 国語の検定教科書にあるような有名作品の知識は、日本史や世界史の中国史など他教科の学習を助ける。また、国立大二次や私大入試では、たとえ直接は有名作品を扱わない場合でも、文学史などで有名作の知識を問う問題が国立私立ともよくあるので、口語訳集で有名作の知識を増やすことで、そういう問題に対応しやすくなる。 結局の古典の最適な勉強法は、文法・単語の学習をして、演習書などで問題演習をすることである。 後述するが、現在は国立大学文系学部や東京大学でもない限り、二次試験では漢文の出題がないことが多い。このような場合、当然であるが古文を重点的に学習したほうが良いだろう。 古文の場合は古典文法の解説書・単語集・演習問題集を購入し、文法・単語の学習を終わらせてから、演習問題・過去問の学習を進める。 漢文の場合は、句法・単語の解説書、演習問題集を購入し、句法・単語の学習を終わらせてから、問題演習に移ったほうがいい。 学校の授業を利用するなら、授業の取り組みでもわからない単語を事前に調べるなどの予習、授業内容の復習といった日々の学習をおろそかにしないということも必要かもしれない。 また、学校の授業から独立して参考書や単語帳などで自分で古典の勉強を進めるというのもこの勉強法が合うならば、効率的である。学校の授業というのは何十人もの人に対して画一的な速度で授業をしなくてはならないので、授業と自分の本来の学習ペースが合わないということがあってもおかしくはない。そのような場合、学校の授業中に内職して自分で独自に古典の勉強を進めるという対応を取れる。また、この方法を使うと、一部のプライドの高い教師からの心象は悪くなるが、一般入試では(一部を除き)学校の教師からの心象が一部関係する調査書は合否には関係ないので、受験を一般入試に振り切る決意をしたならば問題はない。 参考書の出版状況の分析としては、市販の参考書に有名古典の現代語訳集はあるが、しかしあれは仮に有名古典だけに限っても決してその古典の全文章を紹介しているわけではなく、ごく一部の文章の抜粋で現代語訳を紹介しているに過ぎない。つまり、有名作だけでも、あの現代語訳集の参考書には紹介されていない段落が参考書の文章の少なくとも5~10倍近くは多く存在しているだろう(作品にもよる)のが大半であり、むしろ紹介されてない段落や章のほうが大半である。また、そもそも現代語訳集の参考書には収録されてない古典も存在しており、難関大学などはそういった参考書に非収録の古典も出題したりする。 なので、「もしや古典の現代語訳の参考書を読んでストーリーを暗記すれば、ショートカット出来るのでは?」という考えは無謀であり、徒労に終わる。ほか、当然だが、図書館などにある古典の全作品を読むのは時間的に無謀である。 よって高校生としては、まずは普通に古典単語集を勉強するのが近道である。どうしても現代語訳集が必要なら、たとえば一通り市販の単語集にある古典単語を身につけたあとのステップアップとして古典の読書量を増やすために現代語訳集を使うとか(なお、これで文学史の知識もアップする)、あるいは単語集の内容を検証する程度に裏づけとして現代語訳集を利用する程度になるだろうか。 現在、漢文が出る入試は共通テストと国立大学文系学部くらいであり、難関私立文系学部でも漢文は選択問題もしくは文学部や外国語学部受験者のみということも珍しくない。これらを受験するのでなければ漢文に力を入れる理由がないのも事実である。 とはいえ、漢文学習は古文の力を高める働きがある。そして、執筆者の意見を述べれば、漢文は読めば読むほど色々な面白さに触れることができるため、入試で使うか否かだけで漢文学習の要不要を決めてほしくはないのだが。 入試に必要な漢文の句法・単語はせいぜい100~150程度である。句法集や単語集に目を通してさっさと覚えてしまおう。 歌舞伎・落語・浄瑠璃などの日本の古典芸能は入試には出ないし、そもそも高校の検定教科書には書かれてないし、授業でも扱われることはないだろう。高校生向けの国語便覧に古典芸能の話題もあるのだが、古典芸能は大学入試に出題されない。受験対策用の問題集や模擬試験を解いていけば当然わかるはずで、問題集などにも古典芸能の話題はないが、とはいえ高校1年生はまだそこまで知りようがない。 ほか、有名な西洋古典の翻訳などやその文学史なども、国語便覧には紹介されているにもかかわらず入試への出題率が低く、西洋文学の翻訳の出題事例をまず聞いた事が無い。 漢文以外の、白話小説は出ません。 平均的な難度の大学では、文系・理系の学部とも、あまり小論文が出題されない、もしくは小論文を受験する必要が無い場合が多い。 特に理系の場合、平均的な難度の大学および、それ以下の大学では、そもそも小論文が受験できない場合も多い(「以下」には、その基準自身も含む。つまり平均レベルの大学も含む。つまり、平均レベルの理系大学では、小論文は受験科目にないだろう)。 難関大学や、医学部などの難関学部で、小論文が要求される場合がある。医歯薬学の学部での小論文の場合、学部に関係するテーマが小論文のテーマとして出される場合もある。たとえば医学部ならクローン研究などの医学倫理などの問題とかについての小論文などである。理系の小論文の場合、国語と言うよりも、専門分野に関係する知識を勉強してるかどうかが大事であろう。医歯薬学部では特に職業とも関係している倫理的な問題(職業倫理・生命倫理・医療倫理など)が出題されることも多い。 市販の参考書で、志望分野別の小論対策の参考書があるので、必要ならば入手しておこう。 文系の場合、小論対策が入試で必要な場合、小論対策の参考書のほかにも、時事対策などの参考書でも買って読んでおくのも良いかもしれない。書店で、参考書コーナ-の社会科のあたりに時事対策の参考書が売ってる。国語として勉強するばかりでなく、社会科などの知識も必要である。 ただし文系・理系とも、たとえ入試に小論が出る大学の場合であっても、一般科目の成績のほうが評点の比重が大きいだろう。特に理系学部の場合、小論文の評価よりも、数学などの一般教科の成績の評価のほうが比重が大きいだろう。なお、国立大学では、後期入試で小論文が課されることは珍しくない。だが、実際には小論文よりもセンター試験の点数の方が重視されるため、やはりセンター試験対策を重視する方がいいだろう。 このため小論文対策よりも、まずは一般の参考書で、一般の問題が解けるように勉強をするほうが重要である。 現代文の教科書では、紹介されている文章中に、入試で覚えるべき範囲を越えた哲学用語や芸術用語などが、評論の都合上、出ることもある。 それらの用語は、もし余裕があり覚えられそうなら覚えればよいが、しかし、そのような範囲外の用語が膨大な量であるので、紹介された用語すべてを覚えきったり、辞書などで用語の意味を調べたりするのは非現実的であるし、他教科の勉強時間を減らしてしまう。 どの用語が入試で要求されないか、または入試で要求されるのかは、教科書だけでは高校生には分かりづらいので別の対策が必要である。 ではどうすべきかというと、国語教科書ばかりを勉強するのではなく、参考書でも勉強したり、教科書ガイドを参考にしたり、漢字ドリルをきちんと練習したりする必要がある。また、理科や地歴公民や数学などの他教科の勉強もする必要がある。 教科書にある文明評論をした作品だと、数学で習う用語や物理で習う用語などの理系の用語も、当然のごとく登場する場合もある。なので、けっして「数学や物理は、国語には不要」などと勘違いしないように。 語彙を増やす学習には、他教科の資料集を読むのも効果的だろう。例えば「公民」科目(政治経済)や「地理」科目など地歴公民教科の資料集が、話題が豊富であり、語彙をふやすのに効果的だろう。 また、明治大正の近代文学を読む場合に、日本史や世界史など歴史の知識が役立つ場合もある。 理科系の東洋古典の科学書・技術書の場合、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多く、なので入試で科学技術書の古典などが出題されることは、まず無いだろう。 なお、西洋でも同様に、古典の科学書・技術書が、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多いので、入試対策としては、西洋古典の科学書は一切、読む必要がない(現代文対策としても、理科・数学の対策としても、東西の古典は不要である)。 なお、社会評論の古典も、ほぼ同様である。古代・中世の学者が、政治や経済などの社会科学を評論した古文・漢文なども、現代の視点から見ると読むにたえない時代遅れのものが多かったり、現代社会には合わない内容だったりする。 なので、一般的な参考書・教科書で紹介されるような漢文作品であつかわれている政治評論以外は、あまり入試には出ないだろう。 このため、学生は、参考書を中心に勉強するのが、合理的である。 なお、明治・大正の近代の政治評論・経済評論などでも同様に、現代では間違いのため入試に出づらい作品がある。 なので高校生は、近代の評論文については、一般的な参考書・教科書で紹介されるような評論のみを読めば充分である。入試に出る可能性のある近代評論は、例えば、夏目漱石などの政治評論がよく教科書・参考書で取り上げられるで、参考書や教科書ガイドなどで、それらの作品の解説を読んでおけば充分である。 高校国語の現代文で扱うのは明治以降の文章である。 この「明治以降」というのが曲者で、一見古文にしか見えない文章もあるのだ。こういう文章を擬古文というが、これも現代文の範囲に含まれる点に気をつけたい。実際、樋口一葉の『たけくらべ』や森鴎外の『舞姫』などが検定教科書に掲載されている。そして、ごく少数とはいえ、擬古文が入試に出ることもある。 文学史は、特に私立大学では出題される場合がある。 現代文とは論理の教科であるといってもよい。現代文の試験で問われていることは、問に対して、いかに過不足なく簡潔に解答を書けるか(またはそれを選べるか)ということである。そのため、少なくとも建前では、必要な情報はすべて本文中で与えられている。実際には、物語文などで本文の情報からは答えを判定できない出題者の主観の混じっている出題もたびたびあり、予備校教師などから出題の不備が指摘される場合もあるが(例えば1998年度のセンター試験の物語文が日経新聞で連載中だった予備校講師のコラムで批判された実例がある)、しかしそういう不備のある出題は批判されるので全体的には本文中に答えのある問題のほうが多い。 現代文の学習としては、著者の主張、論理関係を正しく把握しながら文章を読むということがいいだろう。また、ここで注意したいのは、現代文で問われていることは、建前上は本文の文章・著者の考えであり、決して「あなたの考え」ではないということである(質の悪い作問者だと作問者自身の考えが混ざることがあるが、しかし有名大学やセンター・新共通試験などの出題なら後日に予備校などから批判されるので受験生としては安心していい)。したがって、解答に勝手に勝手にあなたの意見を付け足したら大幅な減点となる。 筆記試験の場合、誤字脱字などは減点の対象になる可能性があるので、余裕があれば漢字の勉強したほうがいいかもしれない。 漢字の問題は、筆記式の試験では、ほぼ必ず国語の入試に出題されるが、しかし通常、漢字問題の配点割合は少ない。 上記の話をまとめると、古文漢文を捨ててまで漢字ばかりを練習する必要は無いが、だからといって得点源にもなる漢字をわざわざ捨てる必要も無いという、考えてみれば当たり前の結論になる。なので受験生は、漢字も勉強しておこう。 高校や大学受験の国語教育では、「教育改革」などとして、小論文を重視するかのような主張がある。「受験では今後、断片的な知識を見るだけでなく、知識を組み立てられる能力があるかどうかを見るため、小論文を課すべきでは?」という改革意見だ。 だが、残念ながら、2017年現在、小論文は多くの大学の一般入試には出ない。なので、もしアナタが頑張ってて小論文を書けるように色々な勉強をしたところで、大学はまったく評価をしてくれないし、大学入学後も評価を受ける機会が少ない。 そして大学だけでなく、大企業もまた同様に、小論文の評価をしない。なぜなら、大企業には既に、国語については受験国語だけを勉強してきた人が選抜されて入社してるからだ(そもそも就活では国語試験を行わないのが通常だが、そういう企業もまた学歴で採用を判断しており、そして日本の大学入試の国語の出題では、小論試験とかをしてこなかったので、結局、小論の能力などは評価されない)。 そのため、受験参考書に書いてあることばかりを勉強したほうが安全だろう。むしろ、受験参考書以外の勉強をするのは、たいへん不利であり、とても危険でもある。 高校生だけを対象にした一般の刊行物というものは、数が少ない。 そもそも、高校生にもなればある程度の素養がついてるはずで、一般の大人向けの書籍なら(時間は掛かるが)読めるはずだ(ただし、時間も掛かるので、とくに読み込む必要は無い)。図書館に行けばそういった高校生でも読める大人向けの本はいくらでも存在する。 書店で売られている社会評論のなかには質の低い刊行物も多いので、それらを読んでも無駄である。そのような低レベルな社会評論を読むよりも、高校生用の社会科の資料集を読むほうがマシである。 一方、書店の評論書や文芸のなかには、高度な評論書や文芸も中にはあるだろうが、しかし高校生には見分けがつかないので、高校の時点では、あまり深入りしないほうが良い。 なぜなら、出版側は大人であり企業集団であり、若者の学生をダマすなんて簡単なのである。出版側の大人は、仕事として集団で、大金をかけて、出版物を宣伝したりしているので、低レベルな書籍をあたかも高度な内容かのように見せかける工夫が、とても上手なのである。 なので、あまり、書店の評論書や文芸には、深入りしないほうが良い。 または、社会科の参考書で、高度な参考書を読むのが良い。社会科の参考書の中には、入試範囲外の話題をあつかった話題も書かれている参考書がある。 国語便覧などで紹介された文学作品を実際に読むのは、5教科をある程度は学んだあとからで良い。また、紹介された名作すべてを読む必要はないし、そもそも不可能である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "古典は、現代文よりも勉強量が点数に反映されやすいという特徴がある。したがって、古典を重点的に学ぶというのは有効な戦略の一つだろう。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "古典の学習で、まず最初に優先することは文法・単語の勉強である。有名作品の読解は建前上は不要であるか、せいぜいどこの参考書にでも書いてある程度の通説的な解釈を覚えていれば、とりあえずは十分である。これは、国語教育の理念としては、未知の古典の文章をどの程度読解できるかということが主で、このため実際に入試問題で問われるのは数問の有名な文学史の問題が出題されるという程度であり、有名作品の内容が問われることはまず無いからである。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、そもそも古典作品に興味があって古典作品を読みたいといった場合ですらも、まずは単語文法をしっかりやったほうが良いだろう。文法・単語が曖昧な状況で古典作品を現代語訳を頼って読み進めるより、文法・単語を学習をした上で有名作品を読むほうが理解度が上がるはずだ。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "共通テストや二次試験の古典は、受験者にとっては未知であろう文章からの出題である。当然だが、共通テスト予想問題集などで題材にされた文章が、共通テストの古典の題材になる確率は低い(参考書の宣伝文句にダマされないように)。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "そのため、共通テスト古典の対策としては、特定の作品依存せずに文法・単語を覚えるなどの古典の言語能力そのものを高めるための学習を積み重ねていくのが一番の近道であり、それが堅実な選択肢となる。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "古典の試験で主に出るのは、現代語訳・内容説明・心情説明・文法問題・文学史である。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "品詞の活用など直接的な文法問題は共通テストでは出ないが、読解にはこれらの文法知識は必須である。現代語訳・内容説明・心情説明に文法・単語の知識が必須であるのは言わなくても良いだろう。文学史については共通テストで出る確率は低く、二次試験でも1,2問程度問われる程度であろう。ただし、私立大学の中にはほぼ毎回出すところもある。私大文系専願の高校生は文学史の内容を過去問研究で押さえておきたい。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "国語の検定教科書にあるような有名作品の知識は、日本史や世界史の中国史など他教科の学習を助ける。また、国立大二次や私大入試では、たとえ直接は有名作品を扱わない場合でも、文学史などで有名作の知識を問う問題が国立私立ともよくあるので、口語訳集で有名作の知識を増やすことで、そういう問題に対応しやすくなる。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "結局の古典の最適な勉強法は、文法・単語の学習をして、演習書などで問題演習をすることである。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "後述するが、現在は国立大学文系学部や東京大学でもない限り、二次試験では漢文の出題がないことが多い。このような場合、当然であるが古文を重点的に学習したほうが良いだろう。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "古文の場合は古典文法の解説書・単語集・演習問題集を購入し、文法・単語の学習を終わらせてから、演習問題・過去問の学習を進める。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "漢文の場合は、句法・単語の解説書、演習問題集を購入し、句法・単語の学習を終わらせてから、問題演習に移ったほうがいい。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "学校の授業を利用するなら、授業の取り組みでもわからない単語を事前に調べるなどの予習、授業内容の復習といった日々の学習をおろそかにしないということも必要かもしれない。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、学校の授業から独立して参考書や単語帳などで自分で古典の勉強を進めるというのもこの勉強法が合うならば、効率的である。学校の授業というのは何十人もの人に対して画一的な速度で授業をしなくてはならないので、授業と自分の本来の学習ペースが合わないということがあってもおかしくはない。そのような場合、学校の授業中に内職して自分で独自に古典の勉強を進めるという対応を取れる。また、この方法を使うと、一部のプライドの高い教師からの心象は悪くなるが、一般入試では(一部を除き)学校の教師からの心象が一部関係する調査書は合否には関係ないので、受験を一般入試に振り切る決意をしたならば問題はない。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "参考書の出版状況の分析としては、市販の参考書に有名古典の現代語訳集はあるが、しかしあれは仮に有名古典だけに限っても決してその古典の全文章を紹介しているわけではなく、ごく一部の文章の抜粋で現代語訳を紹介しているに過ぎない。つまり、有名作だけでも、あの現代語訳集の参考書には紹介されていない段落が参考書の文章の少なくとも5~10倍近くは多く存在しているだろう(作品にもよる)のが大半であり、むしろ紹介されてない段落や章のほうが大半である。また、そもそも現代語訳集の参考書には収録されてない古典も存在しており、難関大学などはそういった参考書に非収録の古典も出題したりする。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なので、「もしや古典の現代語訳の参考書を読んでストーリーを暗記すれば、ショートカット出来るのでは?」という考えは無謀であり、徒労に終わる。ほか、当然だが、図書館などにある古典の全作品を読むのは時間的に無謀である。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "よって高校生としては、まずは普通に古典単語集を勉強するのが近道である。どうしても現代語訳集が必要なら、たとえば一通り市販の単語集にある古典単語を身につけたあとのステップアップとして古典の読書量を増やすために現代語訳集を使うとか(なお、これで文学史の知識もアップする)、あるいは単語集の内容を検証する程度に裏づけとして現代語訳集を利用する程度になるだろうか。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現在、漢文が出る入試は共通テストと国立大学文系学部くらいであり、難関私立文系学部でも漢文は選択問題もしくは文学部や外国語学部受験者のみということも珍しくない。これらを受験するのでなければ漢文に力を入れる理由がないのも事実である。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "とはいえ、漢文学習は古文の力を高める働きがある。そして、執筆者の意見を述べれば、漢文は読めば読むほど色々な面白さに触れることができるため、入試で使うか否かだけで漢文学習の要不要を決めてほしくはないのだが。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "入試に必要な漢文の句法・単語はせいぜい100~150程度である。句法集や単語集に目を通してさっさと覚えてしまおう。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "歌舞伎・落語・浄瑠璃などの日本の古典芸能は入試には出ないし、そもそも高校の検定教科書には書かれてないし、授業でも扱われることはないだろう。高校生向けの国語便覧に古典芸能の話題もあるのだが、古典芸能は大学入試に出題されない。受験対策用の問題集や模擬試験を解いていけば当然わかるはずで、問題集などにも古典芸能の話題はないが、とはいえ高校1年生はまだそこまで知りようがない。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ほか、有名な西洋古典の翻訳などやその文学史なども、国語便覧には紹介されているにもかかわらず入試への出題率が低く、西洋文学の翻訳の出題事例をまず聞いた事が無い。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "漢文以外の、白話小説は出ません。", "title": "古典について" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "平均的な難度の大学では、文系・理系の学部とも、あまり小論文が出題されない、もしくは小論文を受験する必要が無い場合が多い。 特に理系の場合、平均的な難度の大学および、それ以下の大学では、そもそも小論文が受験できない場合も多い(「以下」には、その基準自身も含む。つまり平均レベルの大学も含む。つまり、平均レベルの理系大学では、小論文は受験科目にないだろう)。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "難関大学や、医学部などの難関学部で、小論文が要求される場合がある。医歯薬学の学部での小論文の場合、学部に関係するテーマが小論文のテーマとして出される場合もある。たとえば医学部ならクローン研究などの医学倫理などの問題とかについての小論文などである。理系の小論文の場合、国語と言うよりも、専門分野に関係する知識を勉強してるかどうかが大事であろう。医歯薬学部では特に職業とも関係している倫理的な問題(職業倫理・生命倫理・医療倫理など)が出題されることも多い。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "市販の参考書で、志望分野別の小論対策の参考書があるので、必要ならば入手しておこう。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "文系の場合、小論対策が入試で必要な場合、小論対策の参考書のほかにも、時事対策などの参考書でも買って読んでおくのも良いかもしれない。書店で、参考書コーナ-の社会科のあたりに時事対策の参考書が売ってる。国語として勉強するばかりでなく、社会科などの知識も必要である。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ただし文系・理系とも、たとえ入試に小論が出る大学の場合であっても、一般科目の成績のほうが評点の比重が大きいだろう。特に理系学部の場合、小論文の評価よりも、数学などの一般教科の成績の評価のほうが比重が大きいだろう。なお、国立大学では、後期入試で小論文が課されることは珍しくない。だが、実際には小論文よりもセンター試験の点数の方が重視されるため、やはりセンター試験対策を重視する方がいいだろう。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "このため小論文対策よりも、まずは一般の参考書で、一般の問題が解けるように勉強をするほうが重要である。", "title": "入試に小論文が出ない学校も多い" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "現代文の教科書では、紹介されている文章中に、入試で覚えるべき範囲を越えた哲学用語や芸術用語などが、評論の都合上、出ることもある。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "それらの用語は、もし余裕があり覚えられそうなら覚えればよいが、しかし、そのような範囲外の用語が膨大な量であるので、紹介された用語すべてを覚えきったり、辞書などで用語の意味を調べたりするのは非現実的であるし、他教科の勉強時間を減らしてしまう。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "どの用語が入試で要求されないか、または入試で要求されるのかは、教科書だけでは高校生には分かりづらいので別の対策が必要である。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ではどうすべきかというと、国語教科書ばかりを勉強するのではなく、参考書でも勉強したり、教科書ガイドを参考にしたり、漢字ドリルをきちんと練習したりする必要がある。また、理科や地歴公民や数学などの他教科の勉強もする必要がある。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "教科書にある文明評論をした作品だと、数学で習う用語や物理で習う用語などの理系の用語も、当然のごとく登場する場合もある。なので、けっして「数学や物理は、国語には不要」などと勘違いしないように。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "語彙を増やす学習には、他教科の資料集を読むのも効果的だろう。例えば「公民」科目(政治経済)や「地理」科目など地歴公民教科の資料集が、話題が豊富であり、語彙をふやすのに効果的だろう。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "また、明治大正の近代文学を読む場合に、日本史や世界史など歴史の知識が役立つ場合もある。", "title": "現代文の読解には他教科の学力も必要" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "理科系の東洋古典の科学書・技術書の場合、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多く、なので入試で科学技術書の古典などが出題されることは、まず無いだろう。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なお、西洋でも同様に、古典の科学書・技術書が、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多いので、入試対策としては、西洋古典の科学書は一切、読む必要がない(現代文対策としても、理科・数学の対策としても、東西の古典は不要である)。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "なお、社会評論の古典も、ほぼ同様である。古代・中世の学者が、政治や経済などの社会科学を評論した古文・漢文なども、現代の視点から見ると読むにたえない時代遅れのものが多かったり、現代社会には合わない内容だったりする。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "なので、一般的な参考書・教科書で紹介されるような漢文作品であつかわれている政治評論以外は、あまり入試には出ないだろう。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "このため、学生は、参考書を中心に勉強するのが、合理的である。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "なお、明治・大正の近代の政治評論・経済評論などでも同様に、現代では間違いのため入試に出づらい作品がある。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "なので高校生は、近代の評論文については、一般的な参考書・教科書で紹介されるような評論のみを読めば充分である。入試に出る可能性のある近代評論は、例えば、夏目漱石などの政治評論がよく教科書・参考書で取り上げられるで、参考書や教科書ガイドなどで、それらの作品の解説を読んでおけば充分である。", "title": "国語の古文漢文の作品の特徴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "高校国語の現代文で扱うのは明治以降の文章である。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "この「明治以降」というのが曲者で、一見古文にしか見えない文章もあるのだ。こういう文章を擬古文というが、これも現代文の範囲に含まれる点に気をつけたい。実際、樋口一葉の『たけくらべ』や森鴎外の『舞姫』などが検定教科書に掲載されている。そして、ごく少数とはいえ、擬古文が入試に出ることもある。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "文学史は、特に私立大学では出題される場合がある。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "現代文とは論理の教科であるといってもよい。現代文の試験で問われていることは、問に対して、いかに過不足なく簡潔に解答を書けるか(またはそれを選べるか)ということである。そのため、少なくとも建前では、必要な情報はすべて本文中で与えられている。実際には、物語文などで本文の情報からは答えを判定できない出題者の主観の混じっている出題もたびたびあり、予備校教師などから出題の不備が指摘される場合もあるが(例えば1998年度のセンター試験の物語文が日経新聞で連載中だった予備校講師のコラムで批判された実例がある)、しかしそういう不備のある出題は批判されるので全体的には本文中に答えのある問題のほうが多い。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "現代文の学習としては、著者の主張、論理関係を正しく把握しながら文章を読むということがいいだろう。また、ここで注意したいのは、現代文で問われていることは、建前上は本文の文章・著者の考えであり、決して「あなたの考え」ではないということである(質の悪い作問者だと作問者自身の考えが混ざることがあるが、しかし有名大学やセンター・新共通試験などの出題なら後日に予備校などから批判されるので受験生としては安心していい)。したがって、解答に勝手に勝手にあなたの意見を付け足したら大幅な減点となる。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "筆記試験の場合、誤字脱字などは減点の対象になる可能性があるので、余裕があれば漢字の勉強したほうがいいかもしれない。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "漢字の問題は、筆記式の試験では、ほぼ必ず国語の入試に出題されるが、しかし通常、漢字問題の配点割合は少ない。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "上記の話をまとめると、古文漢文を捨ててまで漢字ばかりを練習する必要は無いが、だからといって得点源にもなる漢字をわざわざ捨てる必要も無いという、考えてみれば当たり前の結論になる。なので受験生は、漢字も勉強しておこう。", "title": "現代文編" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "高校や大学受験の国語教育では、「教育改革」などとして、小論文を重視するかのような主張がある。「受験では今後、断片的な知識を見るだけでなく、知識を組み立てられる能力があるかどうかを見るため、小論文を課すべきでは?」という改革意見だ。", "title": "受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "だが、残念ながら、2017年現在、小論文は多くの大学の一般入試には出ない。なので、もしアナタが頑張ってて小論文を書けるように色々な勉強をしたところで、大学はまったく評価をしてくれないし、大学入学後も評価を受ける機会が少ない。", "title": "受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "そして大学だけでなく、大企業もまた同様に、小論文の評価をしない。なぜなら、大企業には既に、国語については受験国語だけを勉強してきた人が選抜されて入社してるからだ(そもそも就活では国語試験を行わないのが通常だが、そういう企業もまた学歴で採用を判断しており、そして日本の大学入試の国語の出題では、小論試験とかをしてこなかったので、結局、小論の能力などは評価されない)。", "title": "受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "そのため、受験参考書に書いてあることばかりを勉強したほうが安全だろう。むしろ、受験参考書以外の勉強をするのは、たいへん不利であり、とても危険でもある。", "title": "受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "高校生だけを対象にした一般の刊行物というものは、数が少ない。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "そもそも、高校生にもなればある程度の素養がついてるはずで、一般の大人向けの書籍なら(時間は掛かるが)読めるはずだ(ただし、時間も掛かるので、とくに読み込む必要は無い)。図書館に行けばそういった高校生でも読める大人向けの本はいくらでも存在する。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "書店で売られている社会評論のなかには質の低い刊行物も多いので、それらを読んでも無駄である。そのような低レベルな社会評論を読むよりも、高校生用の社会科の資料集を読むほうがマシである。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "一方、書店の評論書や文芸のなかには、高度な評論書や文芸も中にはあるだろうが、しかし高校生には見分けがつかないので、高校の時点では、あまり深入りしないほうが良い。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なぜなら、出版側は大人であり企業集団であり、若者の学生をダマすなんて簡単なのである。出版側の大人は、仕事として集団で、大金をかけて、出版物を宣伝したりしているので、低レベルな書籍をあたかも高度な内容かのように見せかける工夫が、とても上手なのである。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "なので、あまり、書店の評論書や文芸には、深入りしないほうが良い。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "または、社会科の参考書で、高度な参考書を読むのが良い。社会科の参考書の中には、入試範囲外の話題をあつかった話題も書かれている参考書がある。", "title": "読書" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "国語便覧などで紹介された文学作品を実際に読むのは、5教科をある程度は学んだあとからで良い。また、紹介された名作すべてを読む必要はないし、そもそも不可能である。", "title": "読書" } ]
null
== 古典について == 古典は、現代文よりも勉強量が点数に反映されやすいという特徴がある。したがって、古典を重点的に学ぶというのは有効な戦略の一つだろう。 古典の学習で、まず最初に優先することは文法・単語の勉強である。有名作品の読解は建前上は不要であるか、せいぜいどこの参考書にでも書いてある程度の通説的な解釈を覚えていれば、とりあえずは十分である。これは、国語教育の理念としては、未知の古典の文章をどの程度読解できるかということが主で、このため実際に入試問題で問われるのは数問の有名な文学史の問題が出題されるという程度であり、有名作品の内容が問われることはまず無いからである。 また、そもそも古典作品に興味があって古典作品を読みたいといった場合ですらも、まずは単語文法をしっかりやったほうが良いだろう。文法・単語が曖昧な状況で古典作品を現代語訳を頼って読み進めるより、文法・単語を学習をした上で有名作品を読むほうが理解度が上がるはずだ。 === 出題傾向と対策 === 共通テストや二次試験の古典は、受験者にとっては未知であろう文章からの出題である。当然だが、共通テスト予想問題集などで題材にされた文章が、共通テストの古典の題材になる確率は低い(参考書の宣伝文句にダマされないように)。 そのため、共通テスト古典の対策としては、特定の作品依存せずに文法・単語を覚えるなどの古典の言語能力そのものを高めるための学習を積み重ねていくのが一番の近道であり、それが堅実な選択肢となる。 古典の試験で主に出るのは、現代語訳・内容説明・心情説明・文法問題・文学史である。 品詞の活用など直接的な文法問題は共通テストでは出ないが、読解にはこれらの文法知識は必須である。現代語訳・内容説明・心情説明に文法・単語の知識が必須であるのは言わなくても良いだろう。文学史については共通テストで出る確率は低く、二次試験でも1,2問程度問われる程度であろう。ただし、私立大学の中にはほぼ毎回出すところもある。私大文系専願の高校生は文学史の内容を過去問研究で押さえておきたい。 国語の検定教科書にあるような有名作品の知識は、日本史や世界史の中国史など他教科の学習を助ける。また、国立大二次や私大入試では、たとえ直接は有名作品を扱わない場合でも、文学史などで有名作の知識を問う問題が国立私立ともよくあるので、口語訳集で有名作の知識を増やすことで、そういう問題に対応しやすくなる。 結局の古典の最適な勉強法は、文法・単語の学習をして、演習書などで問題演習をすることである。 後述するが、現在は国立大学文系学部や東京大学でもない限り、二次試験では漢文の出題がないことが多い。このような場合、当然であるが古文を重点的に学習したほうが良いだろう。 === 学習方法 === 古文の場合は古典文法の解説書・単語集・演習問題集を購入し、文法・単語の学習を終わらせてから、演習問題・過去問の学習を進める。 漢文の場合は、句法・単語の解説書、演習問題集を購入し、句法・単語の学習を終わらせてから、問題演習に移ったほうがいい。 学校の授業を利用するなら、授業の取り組みでもわからない単語を事前に調べるなどの予習、授業内容の復習といった日々の学習をおろそかにしないということも必要かもしれない。 また、学校の授業から独立して参考書や単語帳などで自分で古典の勉強を進めるというのもこの勉強法が合うならば、効率的である。学校の授業というのは何十人もの人に対して画一的な速度で授業をしなくてはならないので、授業と自分の本来の学習ペースが合わないということがあってもおかしくはない。そのような場合、学校の授業中に内職して自分で独自に古典の勉強を進めるという対応を取れる。また、この方法を使うと、一部のプライドの高い教師からの心象は悪くなるが、一般入試では(一部を除き)学校の教師からの心象が一部関係する調査書は合否には関係ないので、受験を一般入試に振り切る決意をしたならば問題はない。 === 現代語訳集の参考書は抜粋でしかない === 参考書の出版状況の分析としては、市販の参考書に有名古典の現代語訳集はあるが、しかしあれは仮に有名古典だけに限っても決してその古典の全文章を紹介しているわけではなく、ごく一部の文章の抜粋で現代語訳を紹介しているに過ぎない。つまり、有名作だけでも、あの現代語訳集の参考書には紹介されていない段落が参考書の文章の少なくとも5~10倍近くは多く存在しているだろう(作品にもよる)のが大半であり、むしろ紹介されてない段落や章のほうが大半である。また、そもそも現代語訳集の参考書には収録されてない古典も存在しており、難関大学などはそういった参考書に非収録の古典も出題したりする。 なので、「もしや古典の現代語訳の参考書を読んでストーリーを暗記すれば、ショートカット出来るのでは?」という考えは無謀であり、徒労に終わる。ほか、当然だが、図書館などにある古典の全作品を読むのは時間的に無謀である。 よって高校生としては、まずは普通に古典単語集を勉強するのが近道である。どうしても現代語訳集が必要なら、たとえば一通り市販の単語集にある古典単語を身につけたあとのステップアップとして古典の読書量を増やすために現代語訳集を使うとか(なお、これで文学史の知識もアップする)、あるいは単語集の内容を検証する程度に裏づけとして現代語訳集を利用する程度になるだろうか。 === 漢文学習 === 現在、漢文が出る入試は共通テストと国立大学文系学部くらいであり、難関私立文系学部でも漢文は選択問題もしくは文学部や外国語学部受験者のみということも珍しくない。これらを受験するのでなければ漢文に力を入れる理由がないのも事実である。 とはいえ、漢文学習は古文の力を高める働きがある。そして、執筆者の意見を述べれば、漢文は読めば読むほど色々な面白さに触れることができるため、入試で使うか否かだけで漢文学習の要不要を決めてほしくはないのだが。 ==== 漢文の文法・句法 ==== 入試に必要な漢文の句法・単語はせいぜい100~150程度である。句法集や単語集に目を通してさっさと覚えてしまおう。 === 古典の入試に出ないもの === ;古典芸能は出ない 歌舞伎・落語・浄瑠璃などの日本の古典芸能は入試には出ないし、そもそも高校の検定教科書には書かれてないし、授業でも扱われることはないだろう。高校生向けの国語便覧に古典芸能の話題もあるのだが、古典芸能は大学入試に出題されない。受験対策用の問題集や模擬試験を解いていけば当然わかるはずで、問題集などにも古典芸能の話題はないが、とはいえ高校1年生はまだそこまで知りようがない。 ;西洋文学の翻訳はまず出ない ほか、有名な西洋古典の翻訳などやその文学史なども、国語便覧には紹介されているにもかかわらず入試への出題率が低く、西洋文学の翻訳の出題事例をまず聞いた事が無い。 ;白話小説は出ない 漢文以外の、白話小説は出ません。 == 入試に小論文が出ない学校も多い == 平均的な難度の大学では、文系・理系の学部とも、あまり小論文が出題されない、もしくは小論文を受験する必要が無い場合が多い。 特に理系の場合、平均的な難度の大学および、それ以下の大学では、そもそも小論文が受験できない場合も多い(「以下」には、その基準自身も含む。つまり平均レベルの大学も含む。つまり、平均レベルの理系大学では、小論文は受験科目にないだろう)。 難関大学や、医学部などの難関学部で、小論文が要求される場合がある。医歯薬学の学部での小論文の場合、学部に関係するテーマが小論文のテーマとして出される場合もある。たとえば医学部ならクローン研究などの医学倫理などの問題とかについての小論文などである。理系の小論文の場合、国語と言うよりも、専門分野に関係する知識を勉強してるかどうかが大事であろう。医歯薬学部では特に職業とも関係している倫理的な問題(職業倫理・生命倫理・医療倫理など)が出題されることも多い。 市販の参考書で、志望分野別の小論対策の参考書があるので、必要ならば入手しておこう。 文系の場合、小論対策が入試で必要な場合、小論対策の参考書のほかにも、時事対策などの参考書でも買って読んでおくのも良いかもしれない。書店で、参考書コーナ-の社会科のあたりに時事対策の参考書が売ってる。国語として勉強するばかりでなく、社会科などの知識も必要である。 ただし文系・理系とも、たとえ入試に小論が出る大学の場合であっても、一般科目の成績のほうが評点の比重が大きいだろう。特に理系学部の場合、小論文の評価よりも、数学などの一般教科の成績の評価のほうが比重が大きいだろう。なお、国立大学では、後期入試で小論文が課されることは珍しくない。だが、実際には小論文よりもセンター試験の点数の方が重視されるため、やはりセンター試験対策を重視する方がいいだろう。 このため小論文対策よりも、まずは一般の参考書で、一般の問題が解けるように勉強をするほうが重要である。 == 現代文の読解には他教科の学力も必要 == 現代文の教科書では、紹介されている文章中に、入試で覚えるべき範囲を越えた哲学用語や芸術用語などが、評論の都合上、出ることもある。 それらの用語は、もし余裕があり覚えられそうなら覚えればよいが、しかし、そのような範囲外の用語が膨大な量であるので、紹介された用語すべてを覚えきったり、辞書などで用語の意味を調べたりするのは非現実的であるし、他教科の勉強時間を減らしてしまう。 どの用語が入試で要求されないか、または入試で要求されるのかは、教科書だけでは高校生には分かりづらいので別の対策が必要である。 ではどうすべきかというと、国語教科書ばかりを勉強するのではなく、参考書でも勉強したり、教科書ガイドを参考にしたり、漢字ドリルをきちんと練習したりする必要がある。また、理科や地歴公民や数学などの他教科の勉強もする必要がある。 教科書にある文明評論をした作品だと、数学で習う用語や物理で習う用語などの理系の用語も、当然のごとく登場する場合もある。なので、けっして「数学や物理は、国語には不要」などと勘違いしないように。 語彙を増やす学習には、他教科の資料集を読むのも効果的だろう。例えば「公民」科目(政治経済)や「地理」科目など地歴公民教科の資料集が、話題が豊富であり、語彙をふやすのに効果的だろう。 また、明治大正の近代文学を読む場合に、日本史や世界史など歴史の知識が役立つ場合もある。 == 国語の古文漢文の作品の特徴 == === 自然科学などを扱った古典作品には、間違いも多いので、入試に出ない === 理科系の東洋古典の科学書・技術書の場合、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多く、なので入試で科学技術書の古典などが出題されることは、まず無いだろう。 なお、西洋でも同様に、古典の科学書・技術書が、現代の科学技術から見れば、間違った内容も書いてあることも多いので、入試対策としては、西洋古典の科学書は一切、読む必要がない(現代文対策としても、理科・数学の対策としても、東西の古典は不要である)。 なお、社会評論の古典も、ほぼ同様である。古代・中世の学者が、政治や経済などの社会科学を評論した古文・漢文なども、現代の視点から見ると読むにたえない時代遅れのものが多かったり、現代社会には合わない内容だったりする。 なので、一般的な参考書・教科書で紹介されるような漢文作品であつかわれている政治評論以外は、あまり入試には出ないだろう。 このため、学生は、参考書を中心に勉強するのが、合理的である。 なお、明治・大正の近代の政治評論・経済評論などでも同様に、現代では間違いのため入試に出づらい作品がある。 なので高校生は、近代の評論文については、一般的な参考書・教科書で紹介されるような評論のみを読めば充分である。入試に出る可能性のある近代評論は、例えば、夏目漱石などの政治評論がよく教科書・参考書で取り上げられるで、参考書や教科書ガイドなどで、それらの作品の解説を読んでおけば充分である。 == 現代文編 == 高校国語の現代文で扱うのは明治以降の文章である。 この「明治以降」というのが曲者で、一見古文にしか見えない文章もあるのだ。こういう文章を擬古文というが、これも現代文の範囲に含まれる点に気をつけたい。実際、樋口一葉の『たけくらべ』や森鴎外の『舞姫』などが検定教科書に掲載されている。そして、ごく少数とはいえ、擬古文が入試に出ることもある。 文学史は、特に私立大学では出題される場合がある。 現代文とは論理の教科であるといってもよい。現代文の試験で問われていることは、問に対して、いかに過不足なく簡潔に解答を書けるか(またはそれを選べるか)ということである。そのため、少なくとも建前では、必要な情報はすべて本文中で与えられている。実際には、物語文などで本文の情報からは答えを判定できない出題者の主観の混じっている出題もたびたびあり、予備校教師などから出題の不備が指摘される場合もあるが(例えば1998年度のセンター試験の物語文が日経新聞で連載中だった予備校講師のコラムで批判された実例がある)、しかしそういう不備のある出題は批判されるので全体的には本文中に答えのある問題のほうが多い。 現代文の学習としては、著者の主張、論理関係を正しく把握しながら文章を読むということがいいだろう。また、ここで注意したいのは、現代文で問われていることは、建前上は本文の文章・著者の考えであり、決して「あなたの考え」ではないということである(質の悪い作問者だと作問者自身の考えが混ざることがあるが、しかし有名大学やセンター・新共通試験などの出題なら後日に予備校などから批判されるので受験生としては安心していい)。したがって、解答に勝手に勝手にあなたの意見を付け足したら大幅な減点となる。 === 漢字 === 筆記試験の場合、誤字脱字などは減点の対象になる可能性があるので、余裕があれば漢字の勉強したほうがいいかもしれない。 漢字の問題は、筆記式の試験では、ほぼ必ず国語の入試に出題されるが、しかし通常、漢字問題の配点割合は少ない。 上記の話をまとめると、古文漢文を捨ててまで漢字ばかりを練習する必要は無いが、だからといって得点源にもなる漢字をわざわざ捨てる必要も無いという、考えてみれば当たり前の結論になる。なので受験生は、漢字も勉強しておこう。 == 受験対策では受験国語ばかりを勉強すべし == 高校や大学受験の国語教育では、「教育改革」などとして、小論文を重視するかのような主張がある。「受験では今後、断片的な知識を見るだけでなく、知識を組み立てられる能力があるかどうかを見るため、小論文を課すべきでは?」という改革意見だ。 だが、残念ながら、2017年現在、小論文は多くの大学の一般入試には出ない。なので、もしアナタが頑張ってて小論文を書けるように色々な勉強をしたところで、大学はまったく評価をしてくれないし、大学入学後も評価を受ける機会が少ない。 そして大学だけでなく、大企業もまた同様に、小論文の評価をしない。なぜなら、大企業には既に、国語については受験国語だけを勉強してきた人が選抜されて入社してるからだ(そもそも就活では国語試験を行わないのが通常だが、そういう企業もまた学歴で採用を判断しており、そして日本の大学入試の国語の出題では、小論試験とかをしてこなかったので、結局、小論の能力などは評価されない)。 そのため、受験参考書に書いてあることばかりを勉強したほうが安全だろう。むしろ、受験参考書以外の勉強をするのは、たいへん不利であり、とても危険でもある。 == 読書 == 高校生だけを対象にした一般の刊行物というものは、数が少ない。 そもそも、高校生にもなればある程度の素養がついてるはずで、一般の大人向けの書籍なら(時間は掛かるが)読めるはずだ(ただし、時間も掛かるので、とくに読み込む必要は無い)。図書館に行けばそういった高校生でも読める大人向けの本はいくらでも存在する。 書店で売られている社会評論のなかには質の低い刊行物も多いので、それらを読んでも無駄である。そのような低レベルな社会評論を読むよりも、高校生用の社会科の資料集を読むほうがマシである。 一方、書店の評論書や文芸のなかには、高度な評論書や文芸も中にはあるだろうが、しかし高校生には見分けがつかないので、高校の時点では、あまり深入りしないほうが良い。 なぜなら、出版側は大人であり企業集団であり、若者の学生をダマすなんて簡単なのである。出版側の大人は、仕事として集団で、大金をかけて、出版物を宣伝したりしているので、低レベルな書籍をあたかも高度な内容かのように見せかける工夫が、とても上手なのである。 なので、あまり、書店の評論書や文芸には、深入りしないほうが良い。 または、社会科の参考書で、高度な参考書を読むのが良い。社会科の参考書の中には、入試範囲外の話題をあつかった話題も書かれている参考書がある。 国語便覧などで紹介された文学作品を実際に読むのは、5教科をある程度は学んだあとからで良い。また、紹介された名作すべてを読む必要はないし、そもそも不可能である。 [[カテゴリ:学習方法|こうとうかつこうこくこせんはん]]
2014-09-27T00:02:44Z
2024-03-16T05:37:42Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%85%A8%E8%88%AC
19,481
学習方法/高校英語
文科省の指導要領では、教科名は「外国語」です。 しかし、科目名は「英語コミュニケーション」とか「論理・表現」とか、英語の科目しかありません。「論理・表現」科目の内容も、英語の学習です。 なお、一部の高校で第二外国語を開講していますが、その高校でも英語が必履修です。そもそも高校卒業の要件として、英語の単位を一定以上取得しないと、高校卒業の資格を取得できないはずです。 また、高卒認定試験でも、外国語科目では英語が必修です。 第二外国語を学ぶにせよ英語に専念するにせよ、どちらにせよ、高校生は英語を勉強する必要があります。 大学受験では、いちおうは、文学部の仏文科とか独文科や、語学系の学部のフランス語学科とかの入試で、大学によってはフランス語やドイツ語などの第二外国語も入試も出る大学もあります(高校入試とは違い、大学入試では一部の大学では第二外国語でも受験できます)。しかし第二外国語の学習は検定教科書以外で自習などをする事になります。 フランス語とかドイツ語とかの検定教科書は、存在を聞いたことがありません(つまり、フランス語などの検定教科書は無いはず)。少なくともフランス語の検定教科書は存在しません。もし高校生向けのフランス語などの教材を教科書会社が出版・販売していたとしても、それは検定教科書ではありません。 なお、第二外国語の授業のある高校でのその授業の教材は、大学生向けの教材を用いたり、あるいはその高校独自の教材を用いたりしています。 大学入試共通試験(旧センター試験)の科目に、フランス語とドイツ語と中国語と韓国語もあります。語学系の学部・学科など、ごく一部の学科でなら、共通試験のフランス語なども使える場合もあ、そのような大学の学科なら一般入試でも使える可能性もあります。ですが、その他の多くの大学では、第二外国語ではなく英語を受験科目の外国語としては要求しています。 なお、一部の高校ではスペイン語とロシア語とアラビア語の科目もあり高校卒業のための単位として文科省により認められていますが、しかし大学入試共通試験(センター試験)の科目にはスペイン語などは存在していません。このように、高校の単位として日本国に認められていても大学入試共通試験にない科目もあります。 IPA(International Phonetic Alphabet, 国際音声記号)とは世界中の言語の発音を表記できるように開発された記号である。これが、英語の単語を発音する際、重要であることは明白であろう。日本には、「英語には日本語にはない音が存在する」「英語は発音が大事」などと声高に叫ぶが、どうやってその音を調音するかという肝要なことは教えていない高校も存在するようだ。しかし、調音方法を知らずに第一言語に存在しない音を発音しろというのは不可能と言っていい。IPAを学ぶ際には必然的に音声の調音方法を体系的に学ぶことになる。したがって、フィーリングではなく理論に基づいた音声の発音が可能となる。 高校英語の検定教科書は授業で教師が解説するのを前提にしているため独学用には作られていなません。 なので、予習復習や独学や受験準備などは教科書では無理です。なので、受験準備などのために教科書とは別に高校レベルの参考書や単語集が必要ですので、早めに購入しておきましょう。 たぶん、普通の高校なら、単語集なども購入させられると思います。もし学校で購入を指定されていなくても、まずは高校基礎と高校中級レベルの単語集を購入しましょう。 実際の検定教科書を見てみると、高校1年向けの検定教科書で、もう高校3年向けの4500語レベルの単語集にある単語が紹介されていることもあります。 とはいえ、さすがに高校1年で4500語レベルまで習得するのは困難です。 そこで普段の家庭などでの勉強では3000語レベルまでを勉強しておいて、検定教科書を読んでて単語集で見当たらない語があれば、そこだけ辞書に頼るのがラクでしょう。ただし既に単語帳で覚えた単語も用法が不明瞭ならば辞書を引くと良いであろう。単語帳は意味は載っているものの、用法は詳しく載っていないことが多いからである。また、少しは辞書の使い方も練習すべきです。 ともかく、高校では単語集がないと、まともに英語を勉強できないだろうと思います 検定教科書は入試対策本ではないので、大学受験を考えている人は、英語の勉強では検定教科書ばかりに深入りしすぎてはいけません。 ともかく、大学受験対策は、あくまで市販の参考書と辞書と単語集などで行います。 高校英語の学習指導要領などが掲げている目標の中には、高校生には荷が重い目標もあります。 検定教科書の英語表現IIの実物を見比べると、どうも英語でのプレゼンテーションなどが指導要領などで目標に掲げられているようですが、しかし正直、高校生には英語プレゼンテーションは荷が重いでしょう。英語以外の教科の学習を考えると、高校段階では外国語でのプレゼンテーションの習得は非現実的です。 高校英語のプレゼンテーション単元も、中学英語の留学生との会話の単元などと同じで、実際の多くの高校の教育現場ではそれを実行できる場面はまずないかと思います。 2022年の時点では、文科省の英語教育の目標が、かなり高負担な内容ですので、大学入試の傾向とは検定教科書の傾向は、差が大きいかと思います。 昔から教科書と受験英語との間には差がありましたが、とくに近年、上述のように教育目標の負担増の理由で、入試との差異が大きくなっているだろうと思います。なので大学受験を考える人は、教科書の勉強だけでなく、うまく学習スケジュールを自己管理する必要があるでしょう。 足きりのある大学(たとえば国立大や医学部など)でないかぎり、採点の手間があるので一般入試では数十語もある英作文は出されない可能性が高い、実態があります。 さて、昨今の教科書では、日本のことを英語で説明する課題がよくあります。検定教科書にあるので、いちおうは新共通試験などの出題範囲ではあるわけですが、やはりこれも大学入試の出題傾向の兼ね合いを考える必要があります。 難関大学の入試で要求される単語は、抽象性の高い単語、または学術的な単語などです。 英語スピーキングは、大学入試では採点の手間があるので、一般入試ではスピーチの実施はされない。もし入試でスピーチングをやるとしたら、せいぜい、受験者数が比較的に少人数に限られる推薦入試でしょう。 また、英検3級以上ではスピーングの試験がある。英検などの英語系資格を取っておくと入試でいくらか優遇される場合があるので、そういったものを使いたい人にはスピーキングの勉強をする必要がある。 教科書ガイドを買わなくても高校英語は勉強できるのですが、色々な理由により、教科書ガイドがあると効率的です。 英語教師のなかには低能な教員もいて、宿題などで、数学など他教科の予習復習の時間を無視して、毎週のように「辞書で教科書の英文の意味を調べてこい」などと、英語科目の事しか考えずに宿題を出す人がいます。 特に英語は、文系大学の志望でも理系大学の志望でも活用するため、教師がうぬぼれていて傲慢な場合があります。 このような英語教師の場合、もし教科書ガイドがあれば、辞書で調べる時間を、大幅に減らせることができます。教科書ガイドによって、空いた時間を活用することができ、単語の練習など、より本質的な勉強ができるようになります。 ただし、ガイドには、あまり細かい答えまで書いてありません。中学までの教科書ガイドとは違います。 ここに描かれた勉強法を覚えるよりも、まずは、とにかく、3000語レベルまでは英単語の習得のほうが重要です。勉強法マニアになっても、語学では価値がありません。勉強法を調べるよりも、実際に勉強してください。 とくに英語教育についての評論では、多くの評論家が英語教育を評論したがるし、また市販の英語教材などでも英語教育のノウハウをうたっている商品も多いですし、中には英語が苦手なのにウサンくさい勉強法(自称)を掲げる人も多くいるので、あまり勉強法そのものに深入りしないようにしてください。 勉強法に迷ったときにだけ、市販の参考書などに書かれた信頼できる勉強法などを参考にしてください。 まず、単語数3000語あたりの中級レベルを謡っている英単語集を1冊買いましょう。 初級レベル 1700~1800あたりのものは、これは一応高校レベルの単語も紹介していますが、ほとんどの単語が中学レベルなので、当面は読む必要がありません。 また、初級レベルの単語集のうち、中学で習わない可能性の高い単語は、中級レベルの単語集にも書いてあるので、わざわざ初級レベルを買う必要がありません。 さて、単語集の使い方は、赤シートを使って英単語の和訳を隠して、英単語のイメージを思い浮かべてから、その英単語の和訳を見て自分が思い浮かべたイメージと合致するか確認してみたりして、もし合致していたら次の単語へ、一方もし合致していなかったらチェックをして次の単語のテストを行う。これを1~2回もすれば英単語を覚えています。 中学単語については、意味のほうで中学では習わなかった意味がある可能性があるかもしれないので、そちらに注目してください。参考書をつくっている会社は、そうなるように工夫して参考書を編集しています。 もしかしたら、英語の単語を覚える作業は文法等の勉強をすることよりも大切なことかもしれません。 市販の学習ノウハウ本でも、高校英語および大学受験英語では、英単語力が決め手になると主張されています。 英文読解で、もし単語の意味が分からないと、せっかく文法の知識があっても、理解できない文も大学入試では多くあります。また大学入試では、暗記を要求される単語数が、ずいぶんと多くなります。 もっと言えば、単語という基礎があってこそ覚えた文の組み立て方が生きてくるのです 大学受験の標準(おおむね4500語レベル)~やや発展レベルまでの単語であれば、単語はいくら覚えても損はありません。学校で教えてもらう英単語だけで満足しないでください。近年では様々な出版社から英単語帳が出ています。 高校レベルでは、新しい単語の意味を覚えるときは、単語の日本語の訳の字面だけを覚えても不十分です。 いくつかの予備校の単語集には英単語の勉強法も書かれており、どれを見ても大抵、「新しい単語の学習では、一緒につかう単語とセットで覚えろ」といった内容が書かれています。 動詞も同様、セットになる名詞と一緒に練習するべきです。もっとも、普通の市販の単語集なら、そういうセットになる単語も書かれているので、市販の単語集で勉強すれば問題ありません。 進出単語がセットでなくても覚えられるのは、せいぜい中学の前半までです。高校ではもう、単語を1語ずつ単独でバラバラに勉強するのは、やめましょう。 しかし、ネット上の英語勉強サイトには、サイト作者・企業の手抜きからか、日本語の訳だけを羅列したような低品質なサイトもあります。まったくネットは参考になりません。きちんと市販の単語集を買いましょう。 まず、単語の学習では、けっしてヤミクモに多くの単語を覚えるのではなく、類義語や対義語との違いなども把握しなければなりません。そのため、例文なども交えつつ把握しながら勉強する必要があります。 なので、例文などの少ない単語集は、少なくとも高校基礎レベルとしてはアウトです。 高校生向けの参考書は、セット語彙や類義語・対義語の紹介の必要性など、そういう事をきちんと理解しているので、とりあえず高校生むけの単語集を買えばとくに問題はないのです。 しかし、高校生向けではない市販の英検対策やTOEFL対策本などの資格本の中には、単語を多く掲載したいあまりに、例文や類義語などを省略ぎみの単語集も(英検対策本などでは)多くあります。 なので高校生は、英検対策ではなく、まずは高校生向けの単語集を買いましょう。1社の単語集しか使わないと例文がどうしても不足するので、少なくとも4500語レベル付近では1社だけでなく2社以上が必要です。 現代では、高校の教科書レベル自体、上がっています。昭和の後半や平成の初期は、今で言う3000語レベルが、高校卒業レベルでした。 しかし、令和の今では、4500語レベルが、高校卒業レベルです。 なので本来なら、時代が大きく違えば、英検の級の数値は比較の参考になりません。つまり、年月とともに資格試験で保証された知識は、少しずつ錆びていくのです。 英検などを受けたいなら、高校生向けの単語集を買って習得したあとなら、必要に応じて英検対策本などを買うのは構いませんが、しかしいきなり最初から英検対策本などを買うのは失敗の道です。 なお、もし英検を参考にするなら、準1級までを買えば十分でしょう。 なぜなら、難関大の過去問から構成される桐原5500と英検1級の単語集とを比べてみましたが、傾向がだいぶ違っています。 英単語集には、主に2パターンあって、 と、 があります。 初めて高校英語を勉強する場合は、とりあえず、分野別に単語をまとめたパターンの参考書のほうが、使いやすいと思います。 なぜなら、分野別の単語集のほうが、類義語や対義語なども、まとめて勉強できるからです。 いっぽう、入試出題の頻度順に統計的に並べた単語集は、高校後半~高校3年からの仕上げなどで用いるのが効果的でしょう。 さて、分野別に単語をまとめたパターンの英単語集で勉強する場合は、レベルが「中学3年〜高校初期」「高校必修」「共通テスト」「二次試験」と何段階に分かれていたりしますが、とりあえず、高校1年の時点で、「高校必修」レベル(3000語レベル)と「共通テスト」レベル(4500語レベル付近)の2冊を買ってしまってください。 高校必修レベルの単語集を買えば、その単語集で中学レベルの復習もしますので、わざわざ中学レベルの復習をふくむ単語集を買う必要はないのです。 自分で単語集を予習する際は、次のペースで予習します。 つまり、高校1年のあいだに、予習をして、「高校必修」(3000語レベル)およびレベルの単語集を、ひととおり書き写して、勉強してしまう必要があります。(覚えられるかどうかは別として。) 4500レベルまでいければ理想ですが、それが無理でも必ず高校1年のあいだに3000レベルを終わらせてください。これが終わらせられないと、大学受験の現役合格は難しいでしょう。一見するとハイペースですが、実は後述のように中学で習う単語が3000レベルには多いので、意外とラクです。 高校必修レベルには、中学校できちんと5教科を勉強していれば、読みがある程度は身についているハズの単語が、多いのです。 なので、さっさと高校必修レベルをひととおり練習して終わらせてしまい、次ステップの「センター試験」レベルに時間を掛けたほうが得です。 なお、高校によっては、高校3年になっても、「センター試験」レベルの単語集までしか、高校3年の英語の授業では扱わない場合があります。 なので、授業とは別に、自分で単語集を予習する必要があります。 では、なぜ、上記のスケジュール(「高校必修」レベルの単語を高校1年の終わりまでに全部勉強するスケジュール)のようにするのが合理的かいうと、最終的に高校卒業までに(つまり高校3年の終わりまでに)、「二次試験」レベルの単語集(4,500語+アルファ)を終わらせる必要があるので、そこから逆算して、高校2年の終わりまでに「センター試験」レベルの単語集を終わらせる必要があります。 そして、高校2年の終わりまでに、4500レベルつまり「センター試験」レベルの単語集を終わらせるためには、逆算すれば、高校1年の終わりまでに3000レベルの「高校必修」レベルの単語集を、勉強してしまう必要があることが分かります。 そうするためには、普段からの予習も必要です。 また、もし「今読んでいる章を完全に覚えてから、次の章に進む」などというふうに勉強していると、特定の分野の単語ばかりを覚えることになってしまい、入試に対応できません。特に、学校で、このような分野別にまとめられた英単語を用いている場合に、気をつけましょう。 また、現代の高校英語の単語の紹介順序は、もはや学年別になっていません。高校1年の検定教科書でも、すでに3000語レベルの単語や4500語レベルの単語も平気で紹介したりしています。 現代の検定教科書がそうだということは、現代の入試もそうだという可能性があるということです。なので、あまり単語集の最初のほうばかりに詳しくなっても、現代ではあまりメリットがありません。 また、予習をしないと、たとえば学習ペースの配分ミスを起かしやすく、たとえば高校3年の終わりごろになって、やっと桐原4500語・東京書籍4500語レベルにしか到達できずに、そのため高校3年終わりの時点では「二次試験」レベルに対応したプラスアルファの単語集(旺文社や、予備校系の単語集)に到達できずに、志望校に不合格になってしまうような、ペース配分の失敗を起こしやすい原因にも、なります。 なので、とにかく、予習をして、単語集の先のほうへと進んでいくのが、合理的な勉強法なのです。 単語集にはさらに、「論理性重視で解説が多めの単語集」と「単語が多めの単語集」があります。 で、桐原・東京書籍・旺文社は、実は単語が多めの単語集です。 高校単語の範囲は広いので、少なくとも4500語レベルについては、まずこの3冊のうちの2冊が、受験までに、ほぼ必須で必要です。 しかしこれだけだと、論理的な知識が不足します。桐原などの単語数が多めの単語集などでは、スペース不足などの都合で解説できない知識が、いくつもあるのです。 そういうのを、予備校などの補足的な単語集で補う必要があるのです。だからもう高校2年の半ばあたりから、予備校系の単語集も読み始めてしまうのも、良いかもしれません。 ですが、あくまで予備校単語集「も」です。基本はまず、桐原・東京書籍・旺文社のような、高校英語を一通りカバーしている単語集をベースにするべきでしょう。 かといって、いきなり高校1年で入試対策レベルの単語集を使っても効率が悪いので、まずは基礎レベルの単語から始めるのが良いでしょう。 読解練習や文法練習よりも先に、単語力を増やす練習が大事です。熟語集の暗記よりも先に単語集あるいは単語・熟語集の暗記を優先してください。 標準レベルの3000語レベルの単語が高校2年あたりでひととおり終わったあたりから、桐原・東京書籍の4,500語に加えて予備校など受験対応の単語集も買って練習します。まだ、平均レベルの単語集を覚え切れて無くても構わないので、受験レベル(4500~5500)の単語集を勉強します。 学生・受験生の勉強科目は、数学など、英語科目以外にもあるので、大変でしょう。ですが、うまくスケジュールを工夫して時間を作ってください。 さらに単語を定着させるためには、英文読解やリスニングなどの単語以外の他の練習もします。 中学できちんと勉強してきた人なら、初級レベル(1800語)レベルの 単語集には、高校生には不要です。これは、どちらかというと中学3年~高校受験用のものです。 普通に受験勉強をしてきて偏差値48以上ぐらいの人なら、1800語レベルは買う必要はありません、。 本屋で表紙を見ると「高校基礎レベル」とか書いてあるかもしれませんが、ウソではないですが誤解を招く表現です。表紙の宣伝文句は信用しないでおくのが安全です。 この1700~1800語レベルは、おおむね英検3級レベルか、それに毛の生えた程度です。英検3級と英検準2級との間には、かなり難度の開きがあるので、このレベルの教材は英検教材コーナーにはないので、これはこれで1700~1800語レベルは出版・販売されてると便利です。 この1700~1800レベルの後半を見ると、中学で習わない単語も書いてありますが、しかしそれを買わなくても3000語レベルにも同様の単語が書いてあります。 たとえばある1700レベルの単語集で injure (けがをする)という単語を見つけましたが、同じ出版社の 3000語レベルでも同じ単語がありました。 わざわざ初級レベルの単語集で練習しなくても、中級(3000語レベル)の練習での例文の書き取りなどのついでに、自然と初級レベルの単語のスペルも身についていきます なお、初級レベル(1700~1800)の単語集の中に書いてある「高校1年 基礎レベル」みたいな難度の情報は、あまり信用してはいけません。(実際に買ってみて読んで確認しました。)ある単語集でそのレベルの単語を確認したら、いくつも中学レベルの単語がありました。 year (年)とか month (月)とかの中学で習ったはずの単語が、「高校1年 基礎レベル」になっていました。 どうしても1700~1800語レベルを活用するなら、どっちかというと単語練習よりも、高校受験のレベル確認用と言うか、「高校受験の終わり~遅くとも高校1年の1学期の終わりまでには、大体この程度の単語は出来るようになって欲しい」といった確認のためのツールでしょうか。 特別な事情がないかぎり、高校生は3000語レベルから単語集を勉強すると良いでしょう。 いきなり3000語を使うのは中学と高校の橋渡しに不安かもしれませんが、しかし出版社側が3000語レベル本の冒頭の第1章で、中学単語の復習およびそれを高校の視点で理解しなおす勉強をしてあります。桐原と東京書籍のどちらとも3000語レベルの本の第1章は、そういう中高の橋渡しのための単語の紹介です。 逆に、4500語レベルの本には、そういう橋渡しが書いてないので、高校1年では4500語レベルは不適切です。 スペルの暗記について、実は中級の単語であっても、すべてを暗記する必要はないし、すべてのスペル暗記は面倒です。優先して覚えるべき単語は、知的レベルの高い単語です。 また、東京書籍『コーパス』シリーズの単語集の前書きを見てみると、実は3000語レベルは「受信語彙」としており、つまりリーディング用の語彙にすぎず、受験の英作文などでは高校新出単語の多くは基本的に用いないことを想定しています。 受験では短時間に英文を書かないといけないので、中学レベルに毛の生えた単語力に、若干の高校中級レベルの単語を加えて、それで英作文を完成させれば十分なのです。もちろんビジネスの仕事の英文とは違いますが、そういう実務の英作文はそういう専門家の大人にまかせればいいのであり、高校生には関係ないです。 東京書籍の意見ではないですが、具体的に単語例を挙げて説明するなら、たとえば respond「応答する」 と nod 「うなづく」だったら、respondのほうを優先してスペルを覚えなければなりません。 なぜなら、respond のほうが名詞形の response などもあり、応用が多く、意味も広範であり英作文などで使わざるを得ない可能性が高いからです。一方で nod のほうの用途は、誰かがうなづく場面どまりです。また、ノッドの名詞形や形容詞形はないと思います。 また、nod はビジネス英語などでも agree 「賛成する」で言い換え可能です。入試の英作文ですら、ほとんどの場合は agree で十分でしょう。 この nod のように、利用価値の低い単語は、スペル暗記は後回しです。せいぜいリーディング用に「そういう単語もあるんだなあ・・・」と知っていれば十分です。 実は中堅私大や地方国立の英文の単語は、学科によっては案外センター試験ほど難しくない場合もあります。 さて、残念なことに、高校の単語集あたりから、だんだんと英語教育の質が形骸化しており、単語集がやみくもに単語数を多く紹介したいあまりに説明不足になってきています。 たとえば中級単語で content (満足する)という形容詞があるのですが、じゃあ satisfied (満足する)とどう違うのかは、単語集には書いていません。なぜならcontent は中級レベル、satisfied は初級レベルの単語なので、本を別冊にまたいでしまうからです。こういう縦割り教育なのが現状です。 辞書で content を調べるような思慮深い人は、他の単語を覚える勉強時間が不足してしまうので入試では不利になってしまうわけです。ひどいもんです。 3000語レベルの単語集(桐原『データベース3000』や東京書籍『コーパス3000』)については、2冊そろえるべきか1冊に集中すべきか、判断が分かれるでしょう。実際に各自が単語集を読んでみて判断してください。べつに2冊あっても構いませんし便利ですが、他の教科の勉強などもあるので、難しいところです。 旺文社の『英単語ターゲット1200』も、中級レベルでしょう。 あるいは、2冊そろえれば例文の数が単純計算で2倍になるので、辞書でいちいち高校レベルの例文を探す手間が減りますので、2冊目の単語集にはそういう活用法もあるかもしれません。あるいは、問題練習とかの手間を2冊目の単語集で減らせるかもしれません。 このように2冊目の単語集は便利かもしれませんが、しかし目的が上級レベル(4500~5500語)と中級レベル(3000語)では違います。 まあ各自がどうするか判断してください。 なお、東京書籍『コーパス3000』は、数字だけ見れば桐原『データベース3000』と同じですが、しかし東京書籍のほうで3000語レベルのもの(たとえばinjure)が桐原の4500語レベルに書いてあったり、あるいは別の単語ではその逆で桐原3000レベルの単語が東京書籍4500語に書いてあったりと、あまり分類は明確ではありません。 偏差値の低め~平均程度の大学のなかには、4500語レベルの単語をあまり出さない代わりに、3000語レベルの範囲の単語で、やたらと細かい語法を要求する問題もあります。 しかし、4500語レベルや5500語レベルも勉強する一方で、いつまでも3000語の語法ばかりを覚え続けるわけにもいきません。 だから勉強法としては、極端なことを言えば、3000語の語法を熱心に練習するよりも先に、まず4500語レベルの単語集で一通り、単語の訳を暗記したほうがマシです。 実際、入試問題にも、そういう傾向もあります。 文系私大の偏差値50前後の平均的な大学が3000語レベルの細かい語法を4択問題などで聞いてくる一方で、文系私大の偏差値60くらいの大学のある出題が、4500語レベルで単語の和訳の丸暗記だけで4択問題が解けてしまう、といったような出題事例も少なからずあります。 もし大学受験を目指しているなら、高校3年くらいになったら、4500語+アルファの単語集にステップアップします。ここでいうアルファは、予備校などの出している、補足的な単語集です。 いっぽう、桐原の5500語レベルの単語集は、あれは志望校などの傾向の確認用などで、辞書的に使うものです。 桐原5500をメインにするべきではありません。桐原4500語または東京書籍4500語を一通りクリアしたのなら、メインの単語集としては旺文社1900または予備校系の単語集に入るべきです。 5500語レベルの単語集の使い方なのですが、かなり難しいです。ここでいう5500語レベルとは、桐原『データベース5500』を想定しています。 旺文社の(1200ではなく)『英単語ターゲット1900』は、実はやや高レベルです。東京書籍4500・桐原4500にはない単語でも、旺文社1900には記述されていることもあります。なお、それらの単語の元ネタは、受験過去問もありますが、じつは英検2級~準1級あたりです。 旺文社のは、数字の小ささにダマされてはいけません。桐原や東京書籍の数字とは、旺文社の数字は意味が違います。 桐原4500はその装丁の厳めしさなどに比べて、実はやや単語のレベルは控えめです。東京書籍も桐原のスタイルを踏襲しているような所があり、やや控えめのレベルです。 だから旺文社は、派生語などで、桐原・東京書籍が紹介してない単語をポンポンとたくさん紹介しています。 このため、現代でも勉強法としては、「まずは高校2年の終わりまでに東京書籍または桐原の出している高校用参考集をベースに勉強。高校3年あたりで旺文社のレベル高めの単語集を買い足して勉強する」といった感じになるでしょうか。 4500語レベル単語集では、桐原と東京書籍のどちらの単語集でも不足です。なぜなら、単語集1冊だけでは、例文不足かつ解説不足により、あまり役立ちません。なので少なくとも上級レベルだけ、出版社を変えて2冊、必要でしょう。東京書籍4500+旺文社1900にするか、それとも桐原4500+旺文社1900にするか、判断は読者に任せます。 具体的に単語をあげて説明すると、たとえば「限定する」という意味のrestrict と confine、ともに似たような意味ですが、単語集には意味の細かい違いは書いていないか、書かれていても強調されていません。 桐原の単語集だとこの2つが類義語だという情報はあるのですが、しかしニュアンスの違いが説明不測です。 一方、東京書籍および旺文社だと、restrict を「制限する」の意味で説明しているのでニュアンスの違いは分かりますが、しかしconfineと類義語である情報が欠落していました。 さてconfine のほうが、「地理的に制限する」=「閉じ込める」のような意味合いが強いのですが、旺文社の単語集だと「閉じ込める」の意味もあるのですが、しかし桐原の単語集にはそこまで書いていないのです。 かといって東京書籍のほうには、confine の「限定する」の意味が書かれていません。 また、restrictは(限度内に)「制限する」という意味もあります。むしろ、こっちの意味で紹介している単語集もあります。 どちらの単語集を使うにも、例文が不足しており、ひとつの単語集だけでは意味がまったく分かりません。困った教育状況です。本来なら入試に出題する単語を減らすなどして理解を深めさせるべきでしょうが、しかしそういった教育が出来ていないのが日本の現実です。 それでも、まだしも大学受験用の単語集は、なんとか教育効果を高めようとした形跡も見られるのでマシです。なので、単語集を2つ組み合わせると、なんとか役立ちます。一方、TOEIC 高得点用の教材とか英検の1級あたりの教材の単語集とか、やたらと単語数を多くしているばかりで、ひどいものです。(資格本の活用法については別セクションで述べる。要点:出題傾向を把握する目的だけに英語資格本を使う。) なお、桐原の場合、紹介する単語数そのものは旺文社などと比べて減りますが、その代わり、桐原の密度の高さが長所であり、桐原では他の単語集には無い語法などを紹介しているなど、単語1つあたりの情報量が桐原では増えています。なので、桐原の単語集も油断はできません。 一見すると、桐原の単語の項目のひとつずつの情報量は多くないように見えますが、しかし、桐原では別ページの紹介単語を用いた熟語をまとめたページなどがあるので、それを含めると桐原の単語ひとつあたりの情報量は多くなります。 かといって高校生としては、英単語集ばかりをそう何社も比較して勉強するのは無理でしょうから(数学など他教科の勉強も必要だし、英語の勉強も単語以外にも読解練習やリスニングなど多々あるので)、受験では結局、すべての単語は覚えきれない状態で挑むことになるでしょうか。 大学受験もその後の資格試験も、けっして満点はとる必要は無く、人生の目的に必要な志望校などの合格最低点を上回って合格さえ出来ればいいのです。 別に大学受験の英語に限った話ではないですが、大学受験において、平均以上の大学の入試では満点をとるのは基本的には困難であり、普通は満点は無理です。小中学校の校内テストと事情が異なります。 実を言うと英語のスペルの暗記については、4500語レベルおよびそれ以上のレベルの単語のスペルは、まず覚える必要が低いです。 なぜなら英作文や和文英訳であまり使わないからです。 また、桐原5500や、東京書籍4500の後半部の単語などは、実はもうその1~2回のスペル練習すら、しないでも済むのです。おおよそのスペルと用法のイメージを頭に入れれば十分でしょう。 また、グローバル人材の育成などを目指す大学ならば、英作文などを要求してくると思いますが、だったら英作文で使うようなレベルの中級英語(4500)で十分なのです。むしろ、4500語レベルですらスペルミスなく習得していたら、かなりの勉強家です。 ましてや5500語レベルの単語については、読解問題で出題されたときに意味を把握できればいいのです。 仮に、桐原5500語レベルの単語のスペルを暗記させる問題を出す大学があっても、どうせ他の現役受験生の多くも解けない問題なので、実質的にスペル暗記は5500語レベルでは無視していいでしょう。 一部の浪人生で文系専願の人なら解けるかもしれませんが、難関大を目指して4浪だの8浪だのしている連中と、現役生は張り合ってはなりません。 TOEICなどの国際的な資格試験では普通、書き取りをしません。なぜなら採点の手間の都合で、TOEICでは選択問題ばかりです。大学側が入試で入学後のTOEIC対策などを考えた出題をしたとしても、スペル対策はもはや不要なのです。 英検でスペル暗記を使うかもしれませんが、しかし英検は日本でしか評価されません。 桐原5500は論外として、 正直、時間的に現役高校生が、桐原『データベース4500』と東京書籍『コーパス4500』または旺文社『英単語ターゲット1900』を使いこなすレベルにクリアするのですら、高校3年間では少しキツいと思います。たぶん多くの高校生は予想では3年生のときに「上級レベルの単語集の用法や用例を覚えている最中に、時間切れで、高校3年の卒業式を迎える」という結果になると思います。なぜなら、このレベルで、急に単語を覚えるのが難しくなるからです。かといって中級レベルまでしか勉強しないと、卒業後の実務のリーディングにも不便なので、上級レベルを高校3年で教えるのにも意義のあることなので、教育者には悩みどころなのでしょう。 なので勉強法としては、4500語レベルをクリアできなくてもいいので、ある程度の勉強をしたら、予備校などの出しているレベル高めの単語集をいくつか買います。 諸般の事情で、東京書籍・桐原・旺文社が紹介していないが、高校生に勉強してほしい定番の単語みたいなのがあって、そういうのが予備校系の単語集で紹介されています。 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の1990年代ごろまでの高レベル単語集には書かれていた単語があります。 そういう単語が、難関大学で狙われるかもしれません。 旺文社1900や桐原・東京書籍4500語にない単語の正体のひとつは、そういう昔の課程の単語です。 で、それが予備校系の単語集の元ネタのひとつでもあります。 東京書籍・桐原の3000語レベルや4500語レベルで旅行会話のような実用英語が増えたりビジネス英単語などが増えたので、昔なら4500語レベルに書いてあった単語のいくつかが今は5500語レベルにハミ出ているのです。 なので、予備校などの出す、受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。そういうハミ出た単語だけ、あとは予備校系の単語集で抑えておけば十分なのです。 予備校の単語集を見てみましたが、実はそれほど特別な英単語はないのです。また、じつは、桐原4500などの学校向け単語集の単語すべてを均等に覚える必要はなく、やや傾向があります。 たとえば旅行英語で使う単語など、検定教科書にあるから桐原・東京書籍は紹介しているものの、あまり大学が重視してない項目もあります。 だから、桐原/東京書籍 に加えて、旺文社ターゲット、さらに別の予備校系などの高校3年レベルの単語集を何か1~2冊つかって知識の穴埋めをすれば、もう十分でしょう。 もしかしたら、高校2年からもう、予備校の出版している難関向けの単語集を使ってもいいかもしれません。 市販の予備校の単語集を見ても、けっして、桐原5500語レベルの単語を片っ端からは教えていません。桐原5500のアレは、高校生には習得が無理だと思われているのでしょう。 大学受験英語の特殊な事情ですが、明らかに高校範囲外で実用的にもメッタに使われていない英単語が難関大学で出されており、当然に読めないのですが、しかしなぜか他の文章の単語から文脈にとって意味をとれるようになっています。 もちろん、現実ではそんな好都合なことは滅多に無いのですが、受験の英文はたいてい都合よくそうなっています。 また、万が一、他の英文の文脈から読めない単語が出ても、どうせ他の多くの受験生も解けないので、そういう問題は解けるようにしておく必要がありません。 ともかく、入試対策としては最低限、東京書籍4500・桐原4500をベースに、さらに旺文社1900で派生語を固める必要があります。 しかし、それとは別に、予備校などの出す、プラス・アルファ的な受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の高レベル単語集には書かれていた単語があって、4500語と旺文社1900をひととおりクリアしたあとは、そういう歴史的経緯のある単語だけ予備校単語集で攻略すればいいのです。 最初から高校在学中の読書計画に、英単語集の読書を想定して組み込んでおくと良いでしょう。また、桐原・東京書籍・旺文社あたりに基本の単語集とは別に、他社の少しだけ発展的な単語集を読書感覚で読むと良いでしょう。 高校必修の範囲を越えた単語や派生語などは、読書感覚でひととおり解説に目を通すだけの単語集の勉強でも十分に対応できる場合も多くあります。 しかし、いちども読んだこともない単語は、さすがに入試で対応できません。だから、一度でも解説に目を通してしまえば、済む単語も多くあるのです。 なので、広く浅くでいいので、読書しておく必要があります。 一般に、大学受験で、難関な学校の英語を読み解くには4000語程度を知っていることが望ましいといわれる。しかし、実際には近年センター試験でリスニングが導入されたことに代表される通り、英語の学習は、単に知識の量を問うよりも、より実践的な場面で言語能力を適用する方面の能力を重視するようになっている。 そのため、単純に単語数だけを増やすのではなく、単語の発音や用法を覚えることにも力を注ぐことが望ましい。 具体的には、まずは3000-4500語程度を使いこなせることを目指すのがよいだろう。 学校や塾で、単語の小テストを受けさせられる場合もあるでしょう。「単語集の○○ページから△△ページまでを小テストで出すので、書き取り練習して覚えるように」という小テストです。 たいていの高校生の場合、予習はテスト前にしますが、いっぽうで復習をしているかどうかは、個人任せです。 ですが、小テストをいくら受けても、復習しなければ、単語力は増えません。 もし、単語の小テストを受けたままで、その後は復習せずに、ほったらかしにしてしまったら、何も単語力が伸びません。 単語テストは、テストを受けた後に、自分の未修得の単語を復習するために存在しているので、テスト後に復習をする必要があります。(もちろん、テスト前に予習も必要である。予習をしていれば、未修得の単語が減るので、復習の単語数が減る。) 要するに、小テストの使い方は、全国模試の使い方と同じです。 全国の高校や塾のうちの一部では、どうも、小テストの目的を忘れていて、「とにかく毎週、単語の小テストをすればいい」と安易に考えているような教育も、ある気がします。 ここを読んでいる読者高校生は、小テスト本来の目的を思い出して、小テスト後には復習と予習をしましょう。 さて、たいていの高校や塾では、1週間に1回のペースで、単語20〜50語ほどの記憶をはかる小テストをしていると思います。 1週間ごとに50語ほどのペースで単語小テストをしていれば、充分にハイペースですので、それ以上は週あたりの単語数を増やす必要はありません。(英語が好きなら、さらに勝手に単語数のペースを増やせばいいだろう。) 裏を返せば、復習をしきれない量の単語小テストを毎回受けさせられても、非効率です。例えば、1週間ごとに300語の単語小テストを高校で受けたとしても(ただし高校1年の1学期だと、中学英語の復習で、そういう数百問のテストもありうる。しかしそれは期間限定)、そんなに英単語ばかり復習しきれないでしょう。(数学など他教科の勉強もありますし。) 万が一、そういう高校や塾の場合(1週間に300語の単語小テストの場合)、その高校や塾の小テストは後回しにして、自分で単語を予習・復習しましょう。 ただし、定期試験や期末試験などで、今までの単語小テストの合計の数百語のなかから単語が出題される場合は、多くあるので、その復習はしましょう。つまり、学期内の小テストは、その学期中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるだろうが・・・) 夏休み明けや、冬休み明けに、前の学期の小テストの範囲内の単語が出題されたりしますので、休み中にも、復習しましょう。(予習も忘れずに。小テストは最終目的ではなく、入試合格などが、より本質的な目的なので。) 同様に、3学期の年度末の期末テストなら、1年間の小テスト範囲の合計1000語ちかくがテスト範囲に含まれる場合も多いので、その復習はしましょう。つまり、年度内の小テストは、その年度中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるが。) 高校では、中学英語の不正確な文法を、修正するような内容も習います。 しかし、だからといって、けっして完全にネイティブ級な英文法を目指してはいけません。高校生には無理です(大学生ですら無理だろう)。それこそ、米英生まれの人以外は、もう専業の英語教師みたいに十年以上も勉強しもないと到達できない水準の世界です。 なので、大学受験で要求される文法は、せいぜい、大学受験用のどの参考書にも書いてあるレベルの基本的な文法さえ理解できればいいのです。 そういう基本事項さえ押さえていれば、少しくらい文法が不正確でも、たぶん多めに見てくれます。仮に多めに見てもらえなくても、もうそこまでの時間は高校生にはありません。 じつは、受験参考書の文法解説すら、本当はまだまだ説明不足です。ですが、大学受験参考書を超える内容はもう、高校生には時間的には無理だし、数学など他の教科の勉強も必要なので、あきらめる必要があります。 これはつまり、大学受験の英作文でも、実は少しくらいマチガイがあっても良いのです。どの参考書にもある基本的な文法事項さえ押さえてあれば、少しくらい文法が間違っていても、大学は許容するでしょう。(許容しない大学があっても、英数学など英語以外の他教科の勉強を無視した大学なので、無視していい。なお、国公立の東京外国語大学では、受験生に数学を要求しています。) 日本人と外国人の立場を変えれば分かります。日本在住の外国人タレントとかで、もう十年以上の長いあいだ日本に住んでいる人ですら、ときどき文法ミスをしますし、日本語の発音も日本人とは少し違います。ですが、それを日本社会は許容します。 英語でも同じことです。向こうの国の人は、少しくらい日本人の英語の単語の並びや発音がヘンでも、話の内容がシッカリしていれば、聞いてくれます。 高校英語の英文法の勉強は、検定教科書ではなく参考書で勉強するのが定石、基本です。 なので、まずは参考書を買い始めましょう。普通科高校なら、おそらく高校の入学時、検定教科書の購入と一緒に、参考書も買わされると思います。 もし大学受験を考えるなら、英文法の参考書を買わなければなりません。 とりあえず、下記に後述する網羅形式の本を持っていれば、ひとまずは安心でしょう。 中学の英文法の教育では、規則的・論理的な文法事項だけが取り上げられたのですが、高校は違います。 このことからか、高校英語では英文法の参考書のスタンスがいくつか分かれています。 1. 例外的な事例にはあまり深入りせず、基本的な事項を重視したスタンス 2. 辞書的に、英文法のあらゆるパターンを網羅的に掲載したスタンス があります。(実際にはこの中間の編集方針の参考書もあるが、説明の都合上、二極に単純化することにする。) 予備校系の講義形式をうたった参考書のいくつかや、高校英文法の入門書などの参考書のいくつかは、基礎的な重要事項を特に重視したスタンスです。(そのため、例外的な事項の説明は省かれているか、少なめです。) いっぽう、高校にもよりますが、高校で配布されるような昔からの、いかめしい感じのする参考書は、辞書的・網羅的なスタンスの参考書です。 センター試験などを考えるなら、網羅的なスタンスの文法参考書を最終的には読んで覚えざるを得ません。 一応、網羅本だけでも受験対策は可能ですが、塾や予備校などに通ってない人や、高校の授業の質に不安のある人は、さらに基礎的な事項を重視したスタンスの文法参考書もあると良いかもしれません。 例えば理系の中堅私大などで、あまり例外的な文法事項を要求するとは思えません。 ただし、これは私大の場合の話です。国公立の志望の場合は、共通試験を対策せざるを得ず、そのため二次試験がどうなっていようが、その対策のために辞書的・網羅的な参考書を読まざるを得ません。 TOEICなどの資格試験が近年重視されており、大学でも私大などで推薦入試や自己推薦などでTOEICの成績を考慮する大学も多く、企業もTOEICを表向きには重視していますが、TOEICは文法教育における論理性や高校生の論理性の涵養に配慮する義務はありません。なので、この問題の逃げ場は、大学受験にはありません。TOEICが果たして本当に実用英語かどうかはともかく、世間一般で「実用英語」だろうとは言われています。 例えば比較級の構文「A is B no more than C is D」は、ある参考書(網羅本)には紹介されていませんでした。 高校英語で習う構文は多いので、複合的な構文などは、網羅本といえども一冊の参考書では紹介しきれないのです。 もし英語だけしか学習しないので済むのであれば(実際は違いますが)、英文法の網羅本の参考書を2冊や3冊も読み比べることで自分にあった参考書を選べばいいですが、しかし他教科の勉強もあるので、そうはいきません。 悩みどころです。各自、うまく対応してください。 また、大学生・社会人向けの厚めの文法参考書でも、すべての構文が書いてあるわけではないです。例えば『ロイヤル英文法』という大人向けのやや専門的かつ高度な英文法参考書がありますが、「all the +比較級」の構文は書いてありませんでしたし、巻末の索引を調べてもありません。 だから、大人向けの文法参考書を読んだところで、この問題「網羅本でも全部の構文は紹介していない」は解決しないのです。 文法の学習は当然に必要ですし、入試にも良く出ます。しかし、文法の学習にばかり時間を掛けてはなりません。 高校に入学すると、高校の範囲の文法事項を、おそらく学校や塾などで急に教わり始めるでしょう。それらの文法の新知識の学習も大事ですし、当然に学習するべき知識ですが、読者のみなさんは英単語の学習も欠かさないようにしてください。文法なんて覚えることも少ないし、大学受験をするなら最終的には大学受験のころにまで文法を覚えられれば良いのです。なので文法の難問を練習する時間があるなら、それよりも、まず先に単語を優先的に勉強して語彙力を増やしたほうが効率的でしょう。 また、入試の文法問題も、文法の知識だけで解ける問題は少なく、単語の知識や語法の知識などと組み合わせないと解けない問題なども、入試では、よく出題されやすいです。なので、単語の知識が、大学受験対策では優先的に必要なのです。 2010年以降なら、中学校で、すでに大まかな文法の枠組みは習っています。2022年では、仮定法すら中学校で習っているはずです。もはや高校で習うのは、無生物主語など若干の単元と、あとは仮定法過去完了だとか、現在完了進行形とかくらいです。 そういった合わせ技は、それほど熱心に勉強しなくても、入門的な問題集などで問題練習すれば、普通に習得できます。 高校生用の文法参考書は、高校標準レベルの参考書は、基本的には、中学英語の復習も兼ねています。 このため、普通なら、高校1年生は復習のためにわざわざ中学参考書を買いなおす必要はないです。 それよりも重要なこととして、実は高校英語の文法参考書には、不正確な知識があるという事です。中学英語が理解重視のため少し不正確でかなりひどいカタコト英語が中学生用の参考書・教科書にあるので、同様に高校の英文法も少しだけ不正確なウソの知識があるのです。 さて、単語集では基礎レベルの単語集の前半が、中学英語の復習を兼ねているように、実は高校英文法の参考書も、少なくない割と多くの部分が中学の復習や、中学で習った分類など理解の再構成を兼ねています。 単語集ほどではありませんが、高校の文法参考書でも、あまり序盤にある中学文法の復習の部分には、高校でも深入りする必要がないことが、上述の考察・市場調査などから分かります。 また、このことに気づけば、つまり単語以外の知識で、一部の参考書にしか紹介されていない細かい文法の理論的な知識は、入試対策としては覚える必要が低いことが導かれます。単語集だと、細かい発展的な単語も入試に出ますが、しかし文法書については事情が違います。高校英文法には、深入りせずに、広く浅く学ぶのが安全でしょう。 文法参考書に書いてある知識がそもそも初学者の理解しやすさを重視したためのウソ知識なのですから、むしろ、けっして鵜吞みにして深入りしてはイケナイのです。 ほか、使用頻度の少ない表現など、参考書によって説明が微妙に食い違っています。たとえば接続詞 lest は、ある参考書では、「文語的であり、あまり使われない」と主張する一方、他社の参考書では「(for fear よりも)頻度は lest のほうが高い」(ジーニアス)と主張していたりします。 こういうふうに、細かい表現の英米での利用状況には諸説あるので、あまり参考書を鵜呑みにしすぎないようにしましょう。 大学生むけの参考書は高校生向けのものと、用途がやや異なります。 高校生は、高校生向けをターゲット層にした一般の高校生向けの英文法参考書を中心に勉強しましょう。 受験勉強では、細かなニュアンスの暗記よりも、英単語をたくさん覚えなければなりません。また英語以外の国語や数学などの勉強も必要です。 参考書で勉強をする際、あまり細かなニュアンスの違いの暗記に入り込まないように注意してください。 実際、ある検定教科書でも、文法事項の類似表現などは、たとえば Would you ~? と Could you ~? などの依頼表現としてのニュアンスの違いは説明していません。せいぜい、 「Please と比べたらWould You および Could you は丁寧な言い回しである」という程度のニュアンスさえ把握できていれば大学受験レベルでは十分です。 参考書にはもしかしたらもっと細かいニュアンスの違いなどが書いてあるかもしれませんが、そういう詳細な情報はせいぜい参考程度にしましょう。 実は参考書でも、もう細かいニュアンスの違いは教えていない書籍も多くあります。 つまり、大学受験用の英語参考書には2種類あり、 そういう2種類があります。 なお、上記とは別に英語研究者用の文法参考書がありますが、大学受験には全く対応していないので間違えて購入しないでください。 最低限のことを教える文法参考書の例として、ジーニアス英和辞典を出している大修館書店は高校生向けの文法参考書(『ジーニアス総合英語』)も出していますが、しかし文法参考書のほうでは辞書ほど細かいニュアンスの違いを説明していないのが現状です。 特に新共通試験(旧制度のセンター試験に相当)などの公共機関の試験や、英検・TOEICなどの資格試験では、細かいニュアンスを問う問題はまず出題が難しいでしょう。西暦2000年以降、国公立人気などでセンター試験や新共通試験の影響がどんどん強まっている影響も考えれば、文法学習であまり深入りニュアンスに深入りするメリットは残念ながら少ないのが現状だろうと思います。 それが英語教育として良いかどうか不明ですが、現在の大学入試の対策として要求される文法教育とはそういうものです。 基本構文などの細かなニュアンスの違いは、英会話などではそれなりに重要ですが、しかし入試や画一的な資格試験では英会話をそこまで細かく採点できないので、したがってニュアンスの違いに基づく使い分けもそれらの試験では出題されづらいことになります。新共通試験にリスニング試験はありますが、しかし実際に会話をさせる試験はありません。 裏を返せば、細かいニュアンスに深入りした文法参考書は、高校卒業後の英会話などの英語学習などのステップアップで使うのが効果的かもしれません。 高校の文法参考書の題名は、「文法」と書いてあるものを選んでもいいですが、2022年の書店で確認したところ『総合英語』と書かれている参考書も文法事項が中心的です。 参考書えらびの際に、高校1年生がたぶん勘違いしそうなことを、述べておく。 大修館「ジーニアス」ブランドは、辞書では昔から細かい説明で有名であり進学校などではジーニアスの辞書が勧められるとの噂も昔からよくあります。ですが、しかし「ジーニアス」ブランドの文法参考書はあまり細かくありません。注意してください。 別に細かい文法参考書がいいだの悪いだのという話ではなく、ともかく、辞書のような細かさを「ジーニアス」文法参考書に期待してはいけません。用途が違います。 いっぽう、数研出版のチャート式の文法参考書のほうが、多くの構文が細かく網羅的・羅列的には書いてある傾向にあります。このため、1990年代の昔からよくチャート式の一番難しいバージョン(白・黄・青など色々バージョンがある)が進学校などでの参考書として配布されることもありました(かつては赤チャートが難しかったが、現代は赤が廃止され次点だった青チャートが一番難しいバージョンになっている)。 ただし、果たして2020年代の現代の入試にもチャート式が効果的かどうかは分かりません(会話重視・リスニング重視や単語重視など、入試の流行の変化もあるので)。 なお、かつて文英堂『シグマベスト』というシリーズが、1990年代~2001年くらいは高校入門レベルの参考書として定番だったが、現代はそもそも英語のシグマベストが無いのと(英語は『インスパイア』に変更)、しかし同社・文英堂の『インスパイア』は、難しめです。高校生むけの一般的な参考書のなかでは、たぶんインスパイアが一番情報量が多いと思います(青チャートよりもインスパイアのほうが説明が細かいです)。 暗記科目なので、難しくても、とりあえず読めますが、しかし『インスパイア』のレベルはやや受験レベルを少し超えている記述もチラホラあります。 なお、例えば理科など他教科でも『シグマベスト』は実は2010年以降の現代はなかなか発展的であり難しくなってきていて、情報も細かく羅列的である。90年代の当時とは『シグマベスト』の中身の難しさが違うので、参考書選びのさいには、けっして90年代のままの世間の大人たちの評価を鵜吞みにしないように注意。 背景として、90年代の昔は、英数理の参考書選びのパターンとして、「シグマベストで入門レベルをカバーして、チャート式で高度な事項を勉強」という有名パターンがありました(なお、国語と社会科のチャート式は参考書としては無い)。あるいは、「その教科が苦手ならシグマベストを選ぶ。その教科が得意ならチャート式を選ぶ。」のようなパターンが90年代にありました。 しかし、現代では シグマ + チャート のパターンが、もはや上述の出版事情の変化で通用しなくなってるので注意。 2010年台の今だと例えば学研が高校入門レベルの初等的な参考書の立場だが、90年代の昔、学研がまだ高校参考書にあまり参入しておらず(昔の学研は小中学校むけの教材ばかりがメインだった)、当時は文英堂のシグマベストが今の学研の高校参考書に近い立場だったという背景事情がある。 インターネットで参考書の形式やレベルなどを調べたり、または、教師や塾講師、チューター、同じ学生などからの評判なども参考にしながら、実際に書店で参考書の内容を閲覧するなどして選ぶといいだろう。 また、古本屋などで参考書を購入すると出費を抑えられる可能性がある。 中学英語は昔とカリキュラムが大幅に変わったので古本屋は論外だが、高校英語は昔から到達地点が同じままなので、文法学習はちょっとぐらい古い本でも特に問題ないかもしれないかもしれない。とりあえず、古本屋で英文法書を購入するなら、なるべく最近のものを購入したほうがいいだろう。 「大学英文法」とかそういうのは一般的には無い。文法は高校英語で、とりあえずゴールである。あとは単語や熟語を増やすのが、その後の道である。 英語教師などを目指す人のための細かい英文法理論書はあるが、高校生には必要ない。なお、書店によってはそういう教師向けの英文法理論書が高校英語コーナーに売っていたりするので、間違えて買わないように。わかった上で買うなら自己責任で。 「時事的な文法」とか無いので、もし改訂などあっても、あまり頻繁に買い換える必要は無い。 他のセクションでも言ってるかもしれないが、「大学英文法」と言うのはない。なので、文法において「大学教養レベルの先取り」とかは不要であるし、そもそも存在しないし、そういう教材もまず無い。 このことは、大学受験においては、つまり文法問題は、高校生向けのやや高レベルな参考書を習得できたら、それ以上は英語教師でも目指さないかぎりは、英文科向けのさらに高度な文法書には進む必要は無い、という事である。 英文科の学生などに向けた文法書は、あれは教師向けまたは研究者向けの参考書である。内容も、基本的には高校生向けの文法参考書に書いてある内容を、大学生または教師志望者などの視点やレベルに合わせて書き直した程度のものである。なのでともかく、受験生には不要である。 このことから、ゴールが明確に定まり、受験生向けのやや高度なレベルの参考書がゴールである。 そこから逆算すると、あまり多くの参考書を読み漁る必要はない。せいぜい、2冊読めば十分だろう。 高校1年レベルから分かりそうな易しめのレベルのものと、あとは少し難しめの感じのもう一冊で十分である。もしかしたらどちらか片方だけでも十分かもしれない。 また、説明を省略したが、前提として、高校の参考書は、学年別とかには売ってない(書店で実物を見れば分かると思うが)。 なので参考書での学習の際にも、いちいち学年ごとにペースを3等分とかして「私は1年生なので、参考書の前半の3分の1だけ読む」みたいなことはする必要は無いし、むしろ現代では3等分すべきでもない。 つまり、参考書は高校1年で購入したら、とりあえず、さっさと通読すべきである。現代の中学・高校のカリキュラムなら、文法参考書の通読は中学英文法の復習にもなるので、まずは通読しよう。 そして何回か通読したら、問題集などにチャレンジしたり、あるいは単語なども増やそう。 これがもし英語でなく数学の勉強法だったら、先の学年の内容を通読するよりも学校で習った単元の復習などを重視するのも手かもしれないが、しかし英語はあまりそういう単元ではない。 高校の授業や定期テストなどは、あれはあれで教育ノウハウが詰まっているので活用すればいいが、別にそれを活用したからといって文法参考書を通読できなくなるわけでもない。 それに塾などだと、参考書の後ろのほうにある無生物主語などを高校クラスでは1年で先に教える流儀もある。 参考書の最初のほうにある文型がどうのこうのと言った話は、どうせ塾の中学生クラスや中学参考書などでも既に教えている可能性があるので、塾の高校生クラスではそういうのはもう後回しにして、先に無生物主語や仮定法など参考書の後半の単元を教えるというパターンもある。家庭での自習などの際にはご参考に。 また、そもそも2年の終わりくらいから高校や塾などで全国模試などを次第に受け始めることを考えるなら、けっして高校3年間で学校の授業で文法を習うのを待つのではなく、自習によって高校2年の後半の段階までに一通り、高校生むけの単元である無生物主語やら仮定法過去完了やら分詞構文などを含めて、とりあえず文法参考書は全ページを通読は済ましておいて、加えて問題練習を軽くでいいのでしておくべきだろう。 そして、高校3年では模試なども活用して、問題練習で定着させていく、・・・という段取りである。 単語集の前半のほうにも、実務ではあまり使わないだろう熟語、つまり、より平易な表現に言い換えることの多い表現がよくあります(少なくともこのセクションのある編集者が、ネット上の海外英語では見たことない表現がいくつもありました)。 中学1~2年で習うレベルの単語の組み合わせで作れるマニアックな熟語がいくつかあるので、学習時に注意が必要です。単語集では編集の都合上、そういうマニアック熟語が前半のほうに書いてありますが、正直、後回しにすべき熟語です。 一方、 come true (実現する)のような、たとえば構成する単語と意味が近い場合なら、学習効果は高いです。たとえばtrue 「=真実」と「実現する」は比較的に意味が近いです。参考書でも、よくSVC文型の例としてcome true が出てくるので、こっちは重要事項です。 しかし残念ながら、単語集にある出題頻度の情報を見ると、come true は出題頻度が低いようです。 そのほか優先して覚えるべき熟語は、たとえば no longer ~「もはや~ない」のように構文的な熟語や、あるいはget over ~「克服する。回復する」(= overcome)のように中学レベルの単語には言い換えできなくてその熟語表現を使わざるを得ない可能性の高そうな熟語とか、そういうのです。 このような熟語の教育状況になってるのは、つまり残念なことですが、「英語教育での英作文などでは、実務的を想定した教育がされておらず、つまり形骸化している可能性がある」という事です。 「出題頻度順」の掲載をうたった単語集で前半のほうに、不便なマニアック熟語があるので、つまり入試では、実際には仕事などで英語を使うつもりのない人たちを想定した入試が行われているという証拠です。 英作文をする際、getで一語で説明できることを「come by ~」で表現する可能性は実用では低いでしょう。英会話でも、果たして米英人が、日本人相手に come by で説明するでしょうか。はなはだ疑問です。 なぜなら外国人は、もし英語が得意な日本人相手なら躊躇なくobtain のような非熟語を会話で使うだろうし、あるいは「英語が苦手な日本人かな」と思って気を使ってくれるなら get で表現してくれるでしょう。 come の基本的な意味は「来る」ですから、熟語come byの「入手」とは、かけ離れています。おそらく「手元に来る」的なニュアンスなのでしょうが、しかし「by」からそれを想像するのは、かなり前置詞「by」の基本の意味から離れています。そういう、基本単語の意味からの距離の大きい表現は、実務では学習コストが高いので、いろいろと不便なのです。 不便とはいえ、海外での利用の可能性がないとは言えないので日本の受験英語でも教えられていますが、なるべくなら後回しにしたいマニアック熟語表現です。 come true 「実現する」のようなSVC文型の例にもなるような教育的な熟語だと出題頻度が低いようですが、これはつまり、入試出題者が、高校生の学習効果を見る良問よりも「落とすための問題」「ヒッカケ問題」を21世紀の少子化の時代になっても未だに出題し続けているという証拠でしょうか。 まずは、前提となる単語力をつける必要がある。その上で、参考書で、音声CDつきの参考書などで聞き取り練習をするなどすればいいだろう。また、例えばYouTubeやTEDなどで自分の興味のある分野の英語を聞くなどしてもいいだろう。 テレビのNHK教育の英語番組は、学校の授業用に作られており、大学受験対策には作られていないこと、洋画は字幕や吹き替えに尺や字数の都合などで意訳が多いため学習には向いてないとする意見もある。 読解練習をしたい場合は、まずは学校でのリーディングの教科書などをきちんと読むのは当然ですが、そのほかにも参考書があると便利かもしれません。 書店の参考書コーナーに、高校生用の英文読解の参考書などが置いてあるはずですから、それら高校生用の参考書で勉強してください。 大学入試の英文では、平均以上の難度の大学になると、単語の知識がないと、まったく内容が把握できないでしょう。なので、読解練習だけでなく単語の勉強もしてください。とりあえず単語集などで4500語レベルまでの範囲の単語は最低限、ひととおり学習してください。 出題英文を読むのに時間が掛かりますから、試験中の時間の配分にも気をつけてください。まずは単語力を増やすと読解スピードも上がるので、普段の勉強では単語力を増やしてください。 試験中の配分の対策として、実際の入試では、たとえば、長文読解問題よりも先に、短時間で解けそうな単語問題・文法問題などを先に解くとかして、時間配分の対策をしてください。あるいは、設問の問題文を先に読んでおいて、見当をつけてから長文を読むなどという方法もあります。ここらへんの対策は、じっさいに過去問や想定問題などを解いて練習してください。基本的に、入試国語での現代文などでの読解問題対策などの際の時間配分と似ていると思います。 ただし、時間配分のテクニックばかりを磨いてもダメであり、単語力などを増やさないと、読解スピードも上がりません。 入試では、ときどき、志望先の学部の内容に関する記述が出る場合もあります。また、高校で習う教科に関する記述が出る場合もあります。もっとも、べつに必ずしも志望先学部と近い内容の英文が出題されるとは限らず、あまり関係のない内容の英文も出題される場合もあります。 どちらにせよ、合格後の人生も考えて、学生は、志望先学部に近い内容の高校教科の勉強もしておいたほうが安全でしょう。たとえば経済学部に進学志望なら高校政治経済などの参考書を読んでおくとか、あるいは理工学部に志望なら理科・数学の参考書を読んでおいたほうが安全でしょう。 基本的には、標準的な参考書でカバーでき、あとは単語の記憶量を増やす練習とか、リスニングの練習とかの対策でよいです。あとは参考書などの英会話文例や発音問題を覚えておけば、入試での、だいたいの発音や英会話の試験もカバーできます。 発音問題は、入試に英単語と発音記号を照らしあわせる問題は出ます。ですが、自分で発音することは、入試ではない。 大学入試では文章題などで、英会話の空欄を埋める問題などが出されるかもしれません。いっぽう、大学側が、直接受験生と会話をする試験は、一般入試では出ないでしょう。 ただし、いくら一般入試に会話が出にくいといっても、基本的な会話くらいは、せっかく高校で習うのですから、きちんと練習してください。そもそも建前上は、高校で習うことは、高校生は学習するべきということになっています。そして大学側だってバカじゃないんだから、なるべくきちんと勉強している受験生を優先的に合格させたいのです。 英作文の練習よりも、まず先に文法学習や単語の記憶量を増やす勉強を優先したほうが安全でしょう。単語の記憶量が増えて、文法や熟語なども覚えれば、英作文なども、自然と上達します。逆に言うと、英作文だけを勉強しようとしても、難しいです。なお、単に英単語の意味や綴りを覚えているだけでは英作はできない。動詞ならば他動詞(Vt)なのか自動詞(Vi)なのか両方あるのか,他動詞ならば第4文型(SVOO)や第5文型(SVOC)をとれるのか,名詞ならば可算名詞(C)なのか不可算名詞なのかなど(これ以外にもたくさんある),とにかく用法まで正確に知っておく必要がある。従って辞書を引く必要がある。 問題練習をする際には、必ずしも偏差値順にステップアップする必要は無い、という事です。 また、日本人の高校生のレベルを越える難しすぎる問題は、そもそも解けるようになる必要もないでしょう。 選択問題では、高校レベルで習得できるレベルでの、初心者のよくやるミスをしない事のような、明らかに間違った言い回しを排除する事さえできれば、それでいいでしょう。 納得の行かない問題の対策はやりすぎないようにスキップして、他の勉強をすべきです。英語の勉強なら、もっと確実に偏差値アップの出来る勉強、たとえば単語力を増やすなどの勉強をしましょう。 高校によっては、第二外国語の授業を用意している高校もあります。 共通テストや二次試験では英語以外の外国語を使えるところもあるが、特別な理由がないなら英語を選択したほうがいいだろう。 また、中国語を勉強しても、漢文の入試問題を解くのには役立ちません。 帰国子女とか、あるいは進路志望が語学関連の分野で無い限り、あまり第二外国語には手を伸ばさないほうが良いでしょう。 英語能力を測る国際的な試験のTOEFLやTOEICなどは、高校生の学習用には作られていません。そもそも日本人に内容を合わせていません。 それにTOEICとTOEFLのどちらとも、試験の目的が、日本の高校英語の教育目的とは違います。 TOEICとTOEFLのどちらも目的は、英米への留学や海外生活のためなどの語学が目的です。日本の大学入試や、日本の大学での英語論文読解などの目的には、TOEIC・TOEFLなどは合わせていません。TOEFLとかTOEICとかで、ハイスコアを目指すのは、大学受験対策とは目的がズレています。 なお、そもそもTOEICをつくったのは日本の通産省(当時)であり、通産省がアメリカの非営利テスト開発機関、ETS(Educational Testing Service)に依頼をして、日本がつくったテストです。 よって、TOEICの出題内容は、アメリカ国内での実用とは若干、ズレていますので、てっきり実用英語だとは勘違いしないようにしましょう。また、てっきりTOEICは(OECDあたりの)「国際機関のつくった試験である」などと勘違いしないようにしましょう。 さらに、TOEICの参考書などにある「高校生レベルは◯◯点」などの数値も、じゃっかん、疑わしいので、あまり鵜呑みにしないようにしましょう。 ネット上では「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説が出回っており、英検2級が高校英語レベルを出題範囲として想定していることから、あたかも「高校を卒業したら TOEIC 600 点で当然」みたいな言説が出回っていますが、しかし2018年の統計などをもとに考えれば、この言説はデタラメです。 また、「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説の根拠も、よくよく調べてみると、2001年くらいに英検2級保持者にTOEICの点数をアンケートしたところ TOEIC 400点~800点あたりに得点がバラついたという統計を、とりあえず平均値をとって600点としただけにすぎないのが実態です。 高校の数学で統計値の「分散」という概念を習います。分散を知らないと、統計詐欺にダマされてしまいます。 さらに、欧米で英米への留学希望者むけのテストなどとして知られている英語検定試験はTOEFLです。 TOEICは、日本と韓国で流行っている英語検定です。 また、英検は日本人用の試験ですが、しかし高校生用には試験が作られていません。中学生・高校生なども意識して英検は作られているでしょうが、しかし、中高生だけを意識してはいません。 英検を入試対策で使うなら、志望校合格などが保証されないかぎりは、なるべく英検準1級までに止めるのが無難です。 ただし、推薦入試ではTOEICやTOEFL、英検などの成績が考慮される場合もあります。 大学によっては、入試で高校レベルを超えた、かなり難しい英語を出す場合もあります。そういう大学に対応する場合、市販の受験参考書では太刀打ちできないかもしれません。このような場合、しかたなくTOEFL対策や英検1級対策などの参考書が必要な場合もあるかもしれません。 ただし、大学生の就職活動では、企業にTOEICなどの点数を聞かれることもあります。就職活動時のエントリーシートに、最初からTOEICなど成績の記入欄がある場合もあります。また、外国大学への留学の際に、TOEICなどで一定以上の成績を修めることが必須の要件とされる場合も多いです。たとえ英語圏以外の国の大学への留学でも、TOEICやTOEFLなどの成績が必須要件として必要な場合があります。 なので高校生でも、TOEIC受験の機会があれば、受験をするのも良いでしょう。 ただし、TOEICの成績が良いからと言って、けっして、それだけで企業が「即・採用」をするなんて事はありません。 高校生の段階では、TOEICなどの語学検定については、もし受験できるなら、視野を広げるような目的で検定を受けるのが良いでしょう。 中学高校の英語の検定教科書には、他の教科では説明しづらい時事や古典文学、最近の日本のアニメやマンガの、海外での人気について、英文で紹介されたりするかもしれません。 そもそも、本来の目的は英語を学ぶということなので、これらの題材で得た知識がそのまま大学受験に役に立つということはありません。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "文科省の指導要領では、教科名は「外国語」です。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "しかし、科目名は「英語コミュニケーション」とか「論理・表現」とか、英語の科目しかありません。「論理・表現」科目の内容も、英語の学習です。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、一部の高校で第二外国語を開講していますが、その高校でも英語が必履修です。そもそも高校卒業の要件として、英語の単位を一定以上取得しないと、高校卒業の資格を取得できないはずです。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、高卒認定試験でも、外国語科目では英語が必修です。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "第二外国語を学ぶにせよ英語に専念するにせよ、どちらにせよ、高校生は英語を勉強する必要があります。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "大学受験では、いちおうは、文学部の仏文科とか独文科や、語学系の学部のフランス語学科とかの入試で、大学によってはフランス語やドイツ語などの第二外国語も入試も出る大学もあります(高校入試とは違い、大学入試では一部の大学では第二外国語でも受験できます)。しかし第二外国語の学習は検定教科書以外で自習などをする事になります。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "フランス語とかドイツ語とかの検定教科書は、存在を聞いたことがありません(つまり、フランス語などの検定教科書は無いはず)。少なくともフランス語の検定教科書は存在しません。もし高校生向けのフランス語などの教材を教科書会社が出版・販売していたとしても、それは検定教科書ではありません。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお、第二外国語の授業のある高校でのその授業の教材は、大学生向けの教材を用いたり、あるいはその高校独自の教材を用いたりしています。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大学入試共通試験(旧センター試験)の科目に、フランス語とドイツ語と中国語と韓国語もあります。語学系の学部・学科など、ごく一部の学科でなら、共通試験のフランス語なども使える場合もあ、そのような大学の学科なら一般入試でも使える可能性もあります。ですが、その他の多くの大学では、第二外国語ではなく英語を受験科目の外国語としては要求しています。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "なお、一部の高校ではスペイン語とロシア語とアラビア語の科目もあり高校卒業のための単位として文科省により認められていますが、しかし大学入試共通試験(センター試験)の科目にはスペイン語などは存在していません。このように、高校の単位として日本国に認められていても大学入試共通試験にない科目もあります。", "title": "「高等学校外国語」は実質的に英語" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "IPA(International Phonetic Alphabet, 国際音声記号)とは世界中の言語の発音を表記できるように開発された記号である。これが、英語の単語を発音する際、重要であることは明白であろう。日本には、「英語には日本語にはない音が存在する」「英語は発音が大事」などと声高に叫ぶが、どうやってその音を調音するかという肝要なことは教えていない高校も存在するようだ。しかし、調音方法を知らずに第一言語に存在しない音を発音しろというのは不可能と言っていい。IPAを学ぶ際には必然的に音声の調音方法を体系的に学ぶことになる。したがって、フィーリングではなく理論に基づいた音声の発音が可能となる。", "title": "IPA(国際音声記号)を学ぼう" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "高校英語の検定教科書は授業で教師が解説するのを前提にしているため独学用には作られていなません。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なので、予習復習や独学や受験準備などは教科書では無理です。なので、受験準備などのために教科書とは別に高校レベルの参考書や単語集が必要ですので、早めに購入しておきましょう。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "たぶん、普通の高校なら、単語集なども購入させられると思います。もし学校で購入を指定されていなくても、まずは高校基礎と高校中級レベルの単語集を購入しましょう。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "実際の検定教科書を見てみると、高校1年向けの検定教科書で、もう高校3年向けの4500語レベルの単語集にある単語が紹介されていることもあります。 とはいえ、さすがに高校1年で4500語レベルまで習得するのは困難です。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "そこで普段の家庭などでの勉強では3000語レベルまでを勉強しておいて、検定教科書を読んでて単語集で見当たらない語があれば、そこだけ辞書に頼るのがラクでしょう。ただし既に単語帳で覚えた単語も用法が不明瞭ならば辞書を引くと良いであろう。単語帳は意味は載っているものの、用法は詳しく載っていないことが多いからである。また、少しは辞書の使い方も練習すべきです。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ともかく、高校では単語集がないと、まともに英語を勉強できないだろうと思います", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "検定教科書は入試対策本ではないので、大学受験を考えている人は、英語の勉強では検定教科書ばかりに深入りしすぎてはいけません。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ともかく、大学受験対策は、あくまで市販の参考書と辞書と単語集などで行います。", "title": "参考書と辞書と単語集が基本" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "高校英語の学習指導要領などが掲げている目標の中には、高校生には荷が重い目標もあります。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "検定教科書の英語表現IIの実物を見比べると、どうも英語でのプレゼンテーションなどが指導要領などで目標に掲げられているようですが、しかし正直、高校生には英語プレゼンテーションは荷が重いでしょう。英語以外の教科の学習を考えると、高校段階では外国語でのプレゼンテーションの習得は非現実的です。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "高校英語のプレゼンテーション単元も、中学英語の留学生との会話の単元などと同じで、実際の多くの高校の教育現場ではそれを実行できる場面はまずないかと思います。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2022年の時点では、文科省の英語教育の目標が、かなり高負担な内容ですので、大学入試の傾向とは検定教科書の傾向は、差が大きいかと思います。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "昔から教科書と受験英語との間には差がありましたが、とくに近年、上述のように教育目標の負担増の理由で、入試との差異が大きくなっているだろうと思います。なので大学受験を考える人は、教科書の勉強だけでなく、うまく学習スケジュールを自己管理する必要があるでしょう。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "足きりのある大学(たとえば国立大や医学部など)でないかぎり、採点の手間があるので一般入試では数十語もある英作文は出されない可能性が高い、実態があります。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "さて、昨今の教科書では、日本のことを英語で説明する課題がよくあります。検定教科書にあるので、いちおうは新共通試験などの出題範囲ではあるわけですが、やはりこれも大学入試の出題傾向の兼ね合いを考える必要があります。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "難関大学の入試で要求される単語は、抽象性の高い単語、または学術的な単語などです。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "英語スピーキングは、大学入試では採点の手間があるので、一般入試ではスピーチの実施はされない。もし入試でスピーチングをやるとしたら、せいぜい、受験者数が比較的に少人数に限られる推薦入試でしょう。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、英検3級以上ではスピーングの試験がある。英検などの英語系資格を取っておくと入試でいくらか優遇される場合があるので、そういったものを使いたい人にはスピーキングの勉強をする必要がある。", "title": "大学入試に出づらい分野など" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "教科書ガイドを買わなくても高校英語は勉強できるのですが、色々な理由により、教科書ガイドがあると効率的です。", "title": "教科書ガイドを購入するほうがいい場合" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "英語教師のなかには低能な教員もいて、宿題などで、数学など他教科の予習復習の時間を無視して、毎週のように「辞書で教科書の英文の意味を調べてこい」などと、英語科目の事しか考えずに宿題を出す人がいます。", "title": "教科書ガイドを購入するほうがいい場合" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "特に英語は、文系大学の志望でも理系大学の志望でも活用するため、教師がうぬぼれていて傲慢な場合があります。", "title": "教科書ガイドを購入するほうがいい場合" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "このような英語教師の場合、もし教科書ガイドがあれば、辞書で調べる時間を、大幅に減らせることができます。教科書ガイドによって、空いた時間を活用することができ、単語の練習など、より本質的な勉強ができるようになります。", "title": "教科書ガイドを購入するほうがいい場合" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし、ガイドには、あまり細かい答えまで書いてありません。中学までの教科書ガイドとは違います。", "title": "教科書ガイドを購入するほうがいい場合" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ここに描かれた勉強法を覚えるよりも、まずは、とにかく、3000語レベルまでは英単語の習得のほうが重要です。勉強法マニアになっても、語学では価値がありません。勉強法を調べるよりも、実際に勉強してください。", "title": "英語勉強法マニアにならないように" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "とくに英語教育についての評論では、多くの評論家が英語教育を評論したがるし、また市販の英語教材などでも英語教育のノウハウをうたっている商品も多いですし、中には英語が苦手なのにウサンくさい勉強法(自称)を掲げる人も多くいるので、あまり勉強法そのものに深入りしないようにしてください。", "title": "英語勉強法マニアにならないように" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "勉強法に迷ったときにだけ、市販の参考書などに書かれた信頼できる勉強法などを参考にしてください。", "title": "英語勉強法マニアにならないように" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "まず、単語数3000語あたりの中級レベルを謡っている英単語集を1冊買いましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "初級レベル 1700~1800あたりのものは、これは一応高校レベルの単語も紹介していますが、ほとんどの単語が中学レベルなので、当面は読む必要がありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "また、初級レベルの単語集のうち、中学で習わない可能性の高い単語は、中級レベルの単語集にも書いてあるので、わざわざ初級レベルを買う必要がありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "さて、単語集の使い方は、赤シートを使って英単語の和訳を隠して、英単語のイメージを思い浮かべてから、その英単語の和訳を見て自分が思い浮かべたイメージと合致するか確認してみたりして、もし合致していたら次の単語へ、一方もし合致していなかったらチェックをして次の単語のテストを行う。これを1~2回もすれば英単語を覚えています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "中学単語については、意味のほうで中学では習わなかった意味がある可能性があるかもしれないので、そちらに注目してください。参考書をつくっている会社は、そうなるように工夫して参考書を編集しています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "もしかしたら、英語の単語を覚える作業は文法等の勉強をすることよりも大切なことかもしれません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "市販の学習ノウハウ本でも、高校英語および大学受験英語では、英単語力が決め手になると主張されています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "英文読解で、もし単語の意味が分からないと、せっかく文法の知識があっても、理解できない文も大学入試では多くあります。また大学入試では、暗記を要求される単語数が、ずいぶんと多くなります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "もっと言えば、単語という基礎があってこそ覚えた文の組み立て方が生きてくるのです", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "大学受験の標準(おおむね4500語レベル)~やや発展レベルまでの単語であれば、単語はいくら覚えても損はありません。学校で教えてもらう英単語だけで満足しないでください。近年では様々な出版社から英単語帳が出ています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "高校レベルでは、新しい単語の意味を覚えるときは、単語の日本語の訳の字面だけを覚えても不十分です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "いくつかの予備校の単語集には英単語の勉強法も書かれており、どれを見ても大抵、「新しい単語の学習では、一緒につかう単語とセットで覚えろ」といった内容が書かれています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "動詞も同様、セットになる名詞と一緒に練習するべきです。もっとも、普通の市販の単語集なら、そういうセットになる単語も書かれているので、市販の単語集で勉強すれば問題ありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "進出単語がセットでなくても覚えられるのは、せいぜい中学の前半までです。高校ではもう、単語を1語ずつ単独でバラバラに勉強するのは、やめましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "しかし、ネット上の英語勉強サイトには、サイト作者・企業の手抜きからか、日本語の訳だけを羅列したような低品質なサイトもあります。まったくネットは参考になりません。きちんと市販の単語集を買いましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "まず、単語の学習では、けっしてヤミクモに多くの単語を覚えるのではなく、類義語や対義語との違いなども把握しなければなりません。そのため、例文なども交えつつ把握しながら勉強する必要があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "なので、例文などの少ない単語集は、少なくとも高校基礎レベルとしてはアウトです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "高校生向けの参考書は、セット語彙や類義語・対義語の紹介の必要性など、そういう事をきちんと理解しているので、とりあえず高校生むけの単語集を買えばとくに問題はないのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "しかし、高校生向けではない市販の英検対策やTOEFL対策本などの資格本の中には、単語を多く掲載したいあまりに、例文や類義語などを省略ぎみの単語集も(英検対策本などでは)多くあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "なので高校生は、英検対策ではなく、まずは高校生向けの単語集を買いましょう。1社の単語集しか使わないと例文がどうしても不足するので、少なくとも4500語レベル付近では1社だけでなく2社以上が必要です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "現代では、高校の教科書レベル自体、上がっています。昭和の後半や平成の初期は、今で言う3000語レベルが、高校卒業レベルでした。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "しかし、令和の今では、4500語レベルが、高校卒業レベルです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "なので本来なら、時代が大きく違えば、英検の級の数値は比較の参考になりません。つまり、年月とともに資格試験で保証された知識は、少しずつ錆びていくのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "英検などを受けたいなら、高校生向けの単語集を買って習得したあとなら、必要に応じて英検対策本などを買うのは構いませんが、しかしいきなり最初から英検対策本などを買うのは失敗の道です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "なお、もし英検を参考にするなら、準1級までを買えば十分でしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "なぜなら、難関大の過去問から構成される桐原5500と英検1級の単語集とを比べてみましたが、傾向がだいぶ違っています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "英単語集には、主に2パターンあって、", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "と、", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "初めて高校英語を勉強する場合は、とりあえず、分野別に単語をまとめたパターンの参考書のほうが、使いやすいと思います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なぜなら、分野別の単語集のほうが、類義語や対義語なども、まとめて勉強できるからです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "いっぽう、入試出題の頻度順に統計的に並べた単語集は、高校後半~高校3年からの仕上げなどで用いるのが効果的でしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "さて、分野別に単語をまとめたパターンの英単語集で勉強する場合は、レベルが「中学3年〜高校初期」「高校必修」「共通テスト」「二次試験」と何段階に分かれていたりしますが、とりあえず、高校1年の時点で、「高校必修」レベル(3000語レベル)と「共通テスト」レベル(4500語レベル付近)の2冊を買ってしまってください。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "高校必修レベルの単語集を買えば、その単語集で中学レベルの復習もしますので、わざわざ中学レベルの復習をふくむ単語集を買う必要はないのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "自分で単語集を予習する際は、次のペースで予習します。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "つまり、高校1年のあいだに、予習をして、「高校必修」(3000語レベル)およびレベルの単語集を、ひととおり書き写して、勉強してしまう必要があります。(覚えられるかどうかは別として。) 4500レベルまでいければ理想ですが、それが無理でも必ず高校1年のあいだに3000レベルを終わらせてください。これが終わらせられないと、大学受験の現役合格は難しいでしょう。一見するとハイペースですが、実は後述のように中学で習う単語が3000レベルには多いので、意外とラクです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "高校必修レベルには、中学校できちんと5教科を勉強していれば、読みがある程度は身についているハズの単語が、多いのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "なので、さっさと高校必修レベルをひととおり練習して終わらせてしまい、次ステップの「センター試験」レベルに時間を掛けたほうが得です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "なお、高校によっては、高校3年になっても、「センター試験」レベルの単語集までしか、高校3年の英語の授業では扱わない場合があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "なので、授業とは別に、自分で単語集を予習する必要があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "では、なぜ、上記のスケジュール(「高校必修」レベルの単語を高校1年の終わりまでに全部勉強するスケジュール)のようにするのが合理的かいうと、最終的に高校卒業までに(つまり高校3年の終わりまでに)、「二次試験」レベルの単語集(4,500語+アルファ)を終わらせる必要があるので、そこから逆算して、高校2年の終わりまでに「センター試験」レベルの単語集を終わらせる必要があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "そして、高校2年の終わりまでに、4500レベルつまり「センター試験」レベルの単語集を終わらせるためには、逆算すれば、高校1年の終わりまでに3000レベルの「高校必修」レベルの単語集を、勉強してしまう必要があることが分かります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "そうするためには、普段からの予習も必要です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "また、もし「今読んでいる章を完全に覚えてから、次の章に進む」などというふうに勉強していると、特定の分野の単語ばかりを覚えることになってしまい、入試に対応できません。特に、学校で、このような分野別にまとめられた英単語を用いている場合に、気をつけましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "また、現代の高校英語の単語の紹介順序は、もはや学年別になっていません。高校1年の検定教科書でも、すでに3000語レベルの単語や4500語レベルの単語も平気で紹介したりしています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "現代の検定教科書がそうだということは、現代の入試もそうだという可能性があるということです。なので、あまり単語集の最初のほうばかりに詳しくなっても、現代ではあまりメリットがありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、予習をしないと、たとえば学習ペースの配分ミスを起かしやすく、たとえば高校3年の終わりごろになって、やっと桐原4500語・東京書籍4500語レベルにしか到達できずに、そのため高校3年終わりの時点では「二次試験」レベルに対応したプラスアルファの単語集(旺文社や、予備校系の単語集)に到達できずに、志望校に不合格になってしまうような、ペース配分の失敗を起こしやすい原因にも、なります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "なので、とにかく、予習をして、単語集の先のほうへと進んでいくのが、合理的な勉強法なのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "単語集にはさらに、「論理性重視で解説が多めの単語集」と「単語が多めの単語集」があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "で、桐原・東京書籍・旺文社は、実は単語が多めの単語集です。 高校単語の範囲は広いので、少なくとも4500語レベルについては、まずこの3冊のうちの2冊が、受験までに、ほぼ必須で必要です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "しかしこれだけだと、論理的な知識が不足します。桐原などの単語数が多めの単語集などでは、スペース不足などの都合で解説できない知識が、いくつもあるのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "そういうのを、予備校などの補足的な単語集で補う必要があるのです。だからもう高校2年の半ばあたりから、予備校系の単語集も読み始めてしまうのも、良いかもしれません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ですが、あくまで予備校単語集「も」です。基本はまず、桐原・東京書籍・旺文社のような、高校英語を一通りカバーしている単語集をベースにするべきでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "かといって、いきなり高校1年で入試対策レベルの単語集を使っても効率が悪いので、まずは基礎レベルの単語から始めるのが良いでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "読解練習や文法練習よりも先に、単語力を増やす練習が大事です。熟語集の暗記よりも先に単語集あるいは単語・熟語集の暗記を優先してください。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "標準レベルの3000語レベルの単語が高校2年あたりでひととおり終わったあたりから、桐原・東京書籍の4,500語に加えて予備校など受験対応の単語集も買って練習します。まだ、平均レベルの単語集を覚え切れて無くても構わないので、受験レベル(4500~5500)の単語集を勉強します。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "学生・受験生の勉強科目は、数学など、英語科目以外にもあるので、大変でしょう。ですが、うまくスケジュールを工夫して時間を作ってください。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "さらに単語を定着させるためには、英文読解やリスニングなどの単語以外の他の練習もします。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "中学できちんと勉強してきた人なら、初級レベル(1800語)レベルの 単語集には、高校生には不要です。これは、どちらかというと中学3年~高校受験用のものです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "普通に受験勉強をしてきて偏差値48以上ぐらいの人なら、1800語レベルは買う必要はありません、。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "本屋で表紙を見ると「高校基礎レベル」とか書いてあるかもしれませんが、ウソではないですが誤解を招く表現です。表紙の宣伝文句は信用しないでおくのが安全です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "この1700~1800語レベルは、おおむね英検3級レベルか、それに毛の生えた程度です。英検3級と英検準2級との間には、かなり難度の開きがあるので、このレベルの教材は英検教材コーナーにはないので、これはこれで1700~1800語レベルは出版・販売されてると便利です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "この1700~1800レベルの後半を見ると、中学で習わない単語も書いてありますが、しかしそれを買わなくても3000語レベルにも同様の単語が書いてあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "たとえばある1700レベルの単語集で injure (けがをする)という単語を見つけましたが、同じ出版社の 3000語レベルでも同じ単語がありました。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "わざわざ初級レベルの単語集で練習しなくても、中級(3000語レベル)の練習での例文の書き取りなどのついでに、自然と初級レベルの単語のスペルも身についていきます", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "なお、初級レベル(1700~1800)の単語集の中に書いてある「高校1年 基礎レベル」みたいな難度の情報は、あまり信用してはいけません。(実際に買ってみて読んで確認しました。)ある単語集でそのレベルの単語を確認したら、いくつも中学レベルの単語がありました。 year (年)とか month (月)とかの中学で習ったはずの単語が、「高校1年 基礎レベル」になっていました。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "どうしても1700~1800語レベルを活用するなら、どっちかというと単語練習よりも、高校受験のレベル確認用と言うか、「高校受験の終わり~遅くとも高校1年の1学期の終わりまでには、大体この程度の単語は出来るようになって欲しい」といった確認のためのツールでしょうか。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "特別な事情がないかぎり、高校生は3000語レベルから単語集を勉強すると良いでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "いきなり3000語を使うのは中学と高校の橋渡しに不安かもしれませんが、しかし出版社側が3000語レベル本の冒頭の第1章で、中学単語の復習およびそれを高校の視点で理解しなおす勉強をしてあります。桐原と東京書籍のどちらとも3000語レベルの本の第1章は、そういう中高の橋渡しのための単語の紹介です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "逆に、4500語レベルの本には、そういう橋渡しが書いてないので、高校1年では4500語レベルは不適切です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "スペルの暗記について、実は中級の単語であっても、すべてを暗記する必要はないし、すべてのスペル暗記は面倒です。優先して覚えるべき単語は、知的レベルの高い単語です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "また、東京書籍『コーパス』シリーズの単語集の前書きを見てみると、実は3000語レベルは「受信語彙」としており、つまりリーディング用の語彙にすぎず、受験の英作文などでは高校新出単語の多くは基本的に用いないことを想定しています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "受験では短時間に英文を書かないといけないので、中学レベルに毛の生えた単語力に、若干の高校中級レベルの単語を加えて、それで英作文を完成させれば十分なのです。もちろんビジネスの仕事の英文とは違いますが、そういう実務の英作文はそういう専門家の大人にまかせればいいのであり、高校生には関係ないです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "東京書籍の意見ではないですが、具体的に単語例を挙げて説明するなら、たとえば respond「応答する」 と nod 「うなづく」だったら、respondのほうを優先してスペルを覚えなければなりません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "なぜなら、respond のほうが名詞形の response などもあり、応用が多く、意味も広範であり英作文などで使わざるを得ない可能性が高いからです。一方で nod のほうの用途は、誰かがうなづく場面どまりです。また、ノッドの名詞形や形容詞形はないと思います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "また、nod はビジネス英語などでも agree 「賛成する」で言い換え可能です。入試の英作文ですら、ほとんどの場合は agree で十分でしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "この nod のように、利用価値の低い単語は、スペル暗記は後回しです。せいぜいリーディング用に「そういう単語もあるんだなあ・・・」と知っていれば十分です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "実は中堅私大や地方国立の英文の単語は、学科によっては案外センター試験ほど難しくない場合もあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "さて、残念なことに、高校の単語集あたりから、だんだんと英語教育の質が形骸化しており、単語集がやみくもに単語数を多く紹介したいあまりに説明不足になってきています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "たとえば中級単語で content (満足する)という形容詞があるのですが、じゃあ satisfied (満足する)とどう違うのかは、単語集には書いていません。なぜならcontent は中級レベル、satisfied は初級レベルの単語なので、本を別冊にまたいでしまうからです。こういう縦割り教育なのが現状です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "辞書で content を調べるような思慮深い人は、他の単語を覚える勉強時間が不足してしまうので入試では不利になってしまうわけです。ひどいもんです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "3000語レベルの単語集(桐原『データベース3000』や東京書籍『コーパス3000』)については、2冊そろえるべきか1冊に集中すべきか、判断が分かれるでしょう。実際に各自が単語集を読んでみて判断してください。べつに2冊あっても構いませんし便利ですが、他の教科の勉強などもあるので、難しいところです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "旺文社の『英単語ターゲット1200』も、中級レベルでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "あるいは、2冊そろえれば例文の数が単純計算で2倍になるので、辞書でいちいち高校レベルの例文を探す手間が減りますので、2冊目の単語集にはそういう活用法もあるかもしれません。あるいは、問題練習とかの手間を2冊目の単語集で減らせるかもしれません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "このように2冊目の単語集は便利かもしれませんが、しかし目的が上級レベル(4500~5500語)と中級レベル(3000語)では違います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "まあ各自がどうするか判断してください。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "なお、東京書籍『コーパス3000』は、数字だけ見れば桐原『データベース3000』と同じですが、しかし東京書籍のほうで3000語レベルのもの(たとえばinjure)が桐原の4500語レベルに書いてあったり、あるいは別の単語ではその逆で桐原3000レベルの単語が東京書籍4500語に書いてあったりと、あまり分類は明確ではありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "偏差値の低め~平均程度の大学のなかには、4500語レベルの単語をあまり出さない代わりに、3000語レベルの範囲の単語で、やたらと細かい語法を要求する問題もあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "しかし、4500語レベルや5500語レベルも勉強する一方で、いつまでも3000語の語法ばかりを覚え続けるわけにもいきません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "だから勉強法としては、極端なことを言えば、3000語の語法を熱心に練習するよりも先に、まず4500語レベルの単語集で一通り、単語の訳を暗記したほうがマシです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "実際、入試問題にも、そういう傾向もあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "文系私大の偏差値50前後の平均的な大学が3000語レベルの細かい語法を4択問題などで聞いてくる一方で、文系私大の偏差値60くらいの大学のある出題が、4500語レベルで単語の和訳の丸暗記だけで4択問題が解けてしまう、といったような出題事例も少なからずあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "もし大学受験を目指しているなら、高校3年くらいになったら、4500語+アルファの単語集にステップアップします。ここでいうアルファは、予備校などの出している、補足的な単語集です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "いっぽう、桐原の5500語レベルの単語集は、あれは志望校などの傾向の確認用などで、辞書的に使うものです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "桐原5500をメインにするべきではありません。桐原4500語または東京書籍4500語を一通りクリアしたのなら、メインの単語集としては旺文社1900または予備校系の単語集に入るべきです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "5500語レベルの単語集の使い方なのですが、かなり難しいです。ここでいう5500語レベルとは、桐原『データベース5500』を想定しています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "旺文社の(1200ではなく)『英単語ターゲット1900』は、実はやや高レベルです。東京書籍4500・桐原4500にはない単語でも、旺文社1900には記述されていることもあります。なお、それらの単語の元ネタは、受験過去問もありますが、じつは英検2級~準1級あたりです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "旺文社のは、数字の小ささにダマされてはいけません。桐原や東京書籍の数字とは、旺文社の数字は意味が違います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "桐原4500はその装丁の厳めしさなどに比べて、実はやや単語のレベルは控えめです。東京書籍も桐原のスタイルを踏襲しているような所があり、やや控えめのレベルです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "だから旺文社は、派生語などで、桐原・東京書籍が紹介してない単語をポンポンとたくさん紹介しています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "このため、現代でも勉強法としては、「まずは高校2年の終わりまでに東京書籍または桐原の出している高校用参考集をベースに勉強。高校3年あたりで旺文社のレベル高めの単語集を買い足して勉強する」といった感じになるでしょうか。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "4500語レベル単語集では、桐原と東京書籍のどちらの単語集でも不足です。なぜなら、単語集1冊だけでは、例文不足かつ解説不足により、あまり役立ちません。なので少なくとも上級レベルだけ、出版社を変えて2冊、必要でしょう。東京書籍4500+旺文社1900にするか、それとも桐原4500+旺文社1900にするか、判断は読者に任せます。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "具体的に単語をあげて説明すると、たとえば「限定する」という意味のrestrict と confine、ともに似たような意味ですが、単語集には意味の細かい違いは書いていないか、書かれていても強調されていません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "桐原の単語集だとこの2つが類義語だという情報はあるのですが、しかしニュアンスの違いが説明不測です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "一方、東京書籍および旺文社だと、restrict を「制限する」の意味で説明しているのでニュアンスの違いは分かりますが、しかしconfineと類義語である情報が欠落していました。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "さてconfine のほうが、「地理的に制限する」=「閉じ込める」のような意味合いが強いのですが、旺文社の単語集だと「閉じ込める」の意味もあるのですが、しかし桐原の単語集にはそこまで書いていないのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "かといって東京書籍のほうには、confine の「限定する」の意味が書かれていません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "また、restrictは(限度内に)「制限する」という意味もあります。むしろ、こっちの意味で紹介している単語集もあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "どちらの単語集を使うにも、例文が不足しており、ひとつの単語集だけでは意味がまったく分かりません。困った教育状況です。本来なら入試に出題する単語を減らすなどして理解を深めさせるべきでしょうが、しかしそういった教育が出来ていないのが日本の現実です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "それでも、まだしも大学受験用の単語集は、なんとか教育効果を高めようとした形跡も見られるのでマシです。なので、単語集を2つ組み合わせると、なんとか役立ちます。一方、TOEIC 高得点用の教材とか英検の1級あたりの教材の単語集とか、やたらと単語数を多くしているばかりで、ひどいものです。(資格本の活用法については別セクションで述べる。要点:出題傾向を把握する目的だけに英語資格本を使う。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "なお、桐原の場合、紹介する単語数そのものは旺文社などと比べて減りますが、その代わり、桐原の密度の高さが長所であり、桐原では他の単語集には無い語法などを紹介しているなど、単語1つあたりの情報量が桐原では増えています。なので、桐原の単語集も油断はできません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "一見すると、桐原の単語の項目のひとつずつの情報量は多くないように見えますが、しかし、桐原では別ページの紹介単語を用いた熟語をまとめたページなどがあるので、それを含めると桐原の単語ひとつあたりの情報量は多くなります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "かといって高校生としては、英単語集ばかりをそう何社も比較して勉強するのは無理でしょうから(数学など他教科の勉強も必要だし、英語の勉強も単語以外にも読解練習やリスニングなど多々あるので)、受験では結局、すべての単語は覚えきれない状態で挑むことになるでしょうか。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "大学受験もその後の資格試験も、けっして満点はとる必要は無く、人生の目的に必要な志望校などの合格最低点を上回って合格さえ出来ればいいのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "別に大学受験の英語に限った話ではないですが、大学受験において、平均以上の大学の入試では満点をとるのは基本的には困難であり、普通は満点は無理です。小中学校の校内テストと事情が異なります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "実を言うと英語のスペルの暗記については、4500語レベルおよびそれ以上のレベルの単語のスペルは、まず覚える必要が低いです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "なぜなら英作文や和文英訳であまり使わないからです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "また、桐原5500や、東京書籍4500の後半部の単語などは、実はもうその1~2回のスペル練習すら、しないでも済むのです。おおよそのスペルと用法のイメージを頭に入れれば十分でしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "また、グローバル人材の育成などを目指す大学ならば、英作文などを要求してくると思いますが、だったら英作文で使うようなレベルの中級英語(4500)で十分なのです。むしろ、4500語レベルですらスペルミスなく習得していたら、かなりの勉強家です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "ましてや5500語レベルの単語については、読解問題で出題されたときに意味を把握できればいいのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "仮に、桐原5500語レベルの単語のスペルを暗記させる問題を出す大学があっても、どうせ他の現役受験生の多くも解けない問題なので、実質的にスペル暗記は5500語レベルでは無視していいでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "一部の浪人生で文系専願の人なら解けるかもしれませんが、難関大を目指して4浪だの8浪だのしている連中と、現役生は張り合ってはなりません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "TOEICなどの国際的な資格試験では普通、書き取りをしません。なぜなら採点の手間の都合で、TOEICでは選択問題ばかりです。大学側が入試で入学後のTOEIC対策などを考えた出題をしたとしても、スペル対策はもはや不要なのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "英検でスペル暗記を使うかもしれませんが、しかし英検は日本でしか評価されません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "桐原5500は論外として、", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "正直、時間的に現役高校生が、桐原『データベース4500』と東京書籍『コーパス4500』または旺文社『英単語ターゲット1900』を使いこなすレベルにクリアするのですら、高校3年間では少しキツいと思います。たぶん多くの高校生は予想では3年生のときに「上級レベルの単語集の用法や用例を覚えている最中に、時間切れで、高校3年の卒業式を迎える」という結果になると思います。なぜなら、このレベルで、急に単語を覚えるのが難しくなるからです。かといって中級レベルまでしか勉強しないと、卒業後の実務のリーディングにも不便なので、上級レベルを高校3年で教えるのにも意義のあることなので、教育者には悩みどころなのでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "なので勉強法としては、4500語レベルをクリアできなくてもいいので、ある程度の勉強をしたら、予備校などの出しているレベル高めの単語集をいくつか買います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "諸般の事情で、東京書籍・桐原・旺文社が紹介していないが、高校生に勉強してほしい定番の単語みたいなのがあって、そういうのが予備校系の単語集で紹介されています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の1990年代ごろまでの高レベル単語集には書かれていた単語があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "そういう単語が、難関大学で狙われるかもしれません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "旺文社1900や桐原・東京書籍4500語にない単語の正体のひとつは、そういう昔の課程の単語です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "で、それが予備校系の単語集の元ネタのひとつでもあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "東京書籍・桐原の3000語レベルや4500語レベルで旅行会話のような実用英語が増えたりビジネス英単語などが増えたので、昔なら4500語レベルに書いてあった単語のいくつかが今は5500語レベルにハミ出ているのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "なので、予備校などの出す、受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。そういうハミ出た単語だけ、あとは予備校系の単語集で抑えておけば十分なのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "予備校の単語集を見てみましたが、実はそれほど特別な英単語はないのです。また、じつは、桐原4500などの学校向け単語集の単語すべてを均等に覚える必要はなく、やや傾向があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "たとえば旅行英語で使う単語など、検定教科書にあるから桐原・東京書籍は紹介しているものの、あまり大学が重視してない項目もあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "だから、桐原/東京書籍 に加えて、旺文社ターゲット、さらに別の予備校系などの高校3年レベルの単語集を何か1~2冊つかって知識の穴埋めをすれば、もう十分でしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "もしかしたら、高校2年からもう、予備校の出版している難関向けの単語集を使ってもいいかもしれません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "市販の予備校の単語集を見ても、けっして、桐原5500語レベルの単語を片っ端からは教えていません。桐原5500のアレは、高校生には習得が無理だと思われているのでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "大学受験英語の特殊な事情ですが、明らかに高校範囲外で実用的にもメッタに使われていない英単語が難関大学で出されており、当然に読めないのですが、しかしなぜか他の文章の単語から文脈にとって意味をとれるようになっています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "もちろん、現実ではそんな好都合なことは滅多に無いのですが、受験の英文はたいてい都合よくそうなっています。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "また、万が一、他の英文の文脈から読めない単語が出ても、どうせ他の多くの受験生も解けないので、そういう問題は解けるようにしておく必要がありません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "ともかく、入試対策としては最低限、東京書籍4500・桐原4500をベースに、さらに旺文社1900で派生語を固める必要があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "しかし、それとは別に、予備校などの出す、プラス・アルファ的な受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の高レベル単語集には書かれていた単語があって、4500語と旺文社1900をひととおりクリアしたあとは、そういう歴史的経緯のある単語だけ予備校単語集で攻略すればいいのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "最初から高校在学中の読書計画に、英単語集の読書を想定して組み込んでおくと良いでしょう。また、桐原・東京書籍・旺文社あたりに基本の単語集とは別に、他社の少しだけ発展的な単語集を読書感覚で読むと良いでしょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "高校必修の範囲を越えた単語や派生語などは、読書感覚でひととおり解説に目を通すだけの単語集の勉強でも十分に対応できる場合も多くあります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "しかし、いちども読んだこともない単語は、さすがに入試で対応できません。だから、一度でも解説に目を通してしまえば、済む単語も多くあるのです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "なので、広く浅くでいいので、読書しておく必要があります。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "一般に、大学受験で、難関な学校の英語を読み解くには4000語程度を知っていることが望ましいといわれる。しかし、実際には近年センター試験でリスニングが導入されたことに代表される通り、英語の学習は、単に知識の量を問うよりも、より実践的な場面で言語能力を適用する方面の能力を重視するようになっている。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "そのため、単純に単語数だけを増やすのではなく、単語の発音や用法を覚えることにも力を注ぐことが望ましい。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "具体的には、まずは3000-4500語程度を使いこなせることを目指すのがよいだろう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "学校や塾で、単語の小テストを受けさせられる場合もあるでしょう。「単語集の○○ページから△△ページまでを小テストで出すので、書き取り練習して覚えるように」という小テストです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "たいていの高校生の場合、予習はテスト前にしますが、いっぽうで復習をしているかどうかは、個人任せです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "ですが、小テストをいくら受けても、復習しなければ、単語力は増えません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "もし、単語の小テストを受けたままで、その後は復習せずに、ほったらかしにしてしまったら、何も単語力が伸びません。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "単語テストは、テストを受けた後に、自分の未修得の単語を復習するために存在しているので、テスト後に復習をする必要があります。(もちろん、テスト前に予習も必要である。予習をしていれば、未修得の単語が減るので、復習の単語数が減る。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "要するに、小テストの使い方は、全国模試の使い方と同じです。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "全国の高校や塾のうちの一部では、どうも、小テストの目的を忘れていて、「とにかく毎週、単語の小テストをすればいい」と安易に考えているような教育も、ある気がします。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "ここを読んでいる読者高校生は、小テスト本来の目的を思い出して、小テスト後には復習と予習をしましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "さて、たいていの高校や塾では、1週間に1回のペースで、単語20〜50語ほどの記憶をはかる小テストをしていると思います。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "1週間ごとに50語ほどのペースで単語小テストをしていれば、充分にハイペースですので、それ以上は週あたりの単語数を増やす必要はありません。(英語が好きなら、さらに勝手に単語数のペースを増やせばいいだろう。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 204, "tag": "p", "text": "裏を返せば、復習をしきれない量の単語小テストを毎回受けさせられても、非効率です。例えば、1週間ごとに300語の単語小テストを高校で受けたとしても(ただし高校1年の1学期だと、中学英語の復習で、そういう数百問のテストもありうる。しかしそれは期間限定)、そんなに英単語ばかり復習しきれないでしょう。(数学など他教科の勉強もありますし。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 205, "tag": "p", "text": "万が一、そういう高校や塾の場合(1週間に300語の単語小テストの場合)、その高校や塾の小テストは後回しにして、自分で単語を予習・復習しましょう。", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 206, "tag": "p", "text": "ただし、定期試験や期末試験などで、今までの単語小テストの合計の数百語のなかから単語が出題される場合は、多くあるので、その復習はしましょう。つまり、学期内の小テストは、その学期中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるだろうが・・・)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 207, "tag": "p", "text": "夏休み明けや、冬休み明けに、前の学期の小テストの範囲内の単語が出題されたりしますので、休み中にも、復習しましょう。(予習も忘れずに。小テストは最終目的ではなく、入試合格などが、より本質的な目的なので。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 208, "tag": "p", "text": "同様に、3学期の年度末の期末テストなら、1年間の小テスト範囲の合計1000語ちかくがテスト範囲に含まれる場合も多いので、その復習はしましょう。つまり、年度内の小テストは、その年度中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるが。)", "title": "単語" }, { "paragraph_id": 209, "tag": "p", "text": "高校では、中学英語の不正確な文法を、修正するような内容も習います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 210, "tag": "p", "text": "しかし、だからといって、けっして完全にネイティブ級な英文法を目指してはいけません。高校生には無理です(大学生ですら無理だろう)。それこそ、米英生まれの人以外は、もう専業の英語教師みたいに十年以上も勉強しもないと到達できない水準の世界です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 211, "tag": "p", "text": "なので、大学受験で要求される文法は、せいぜい、大学受験用のどの参考書にも書いてあるレベルの基本的な文法さえ理解できればいいのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 212, "tag": "p", "text": "そういう基本事項さえ押さえていれば、少しくらい文法が不正確でも、たぶん多めに見てくれます。仮に多めに見てもらえなくても、もうそこまでの時間は高校生にはありません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 213, "tag": "p", "text": "じつは、受験参考書の文法解説すら、本当はまだまだ説明不足です。ですが、大学受験参考書を超える内容はもう、高校生には時間的には無理だし、数学など他の教科の勉強も必要なので、あきらめる必要があります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 214, "tag": "p", "text": "これはつまり、大学受験の英作文でも、実は少しくらいマチガイがあっても良いのです。どの参考書にもある基本的な文法事項さえ押さえてあれば、少しくらい文法が間違っていても、大学は許容するでしょう。(許容しない大学があっても、英数学など英語以外の他教科の勉強を無視した大学なので、無視していい。なお、国公立の東京外国語大学では、受験生に数学を要求しています。)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 215, "tag": "p", "text": "日本人と外国人の立場を変えれば分かります。日本在住の外国人タレントとかで、もう十年以上の長いあいだ日本に住んでいる人ですら、ときどき文法ミスをしますし、日本語の発音も日本人とは少し違います。ですが、それを日本社会は許容します。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 216, "tag": "p", "text": "英語でも同じことです。向こうの国の人は、少しくらい日本人の英語の単語の並びや発音がヘンでも、話の内容がシッカリしていれば、聞いてくれます。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 217, "tag": "p", "text": "高校英語の英文法の勉強は、検定教科書ではなく参考書で勉強するのが定石、基本です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 218, "tag": "p", "text": "なので、まずは参考書を買い始めましょう。普通科高校なら、おそらく高校の入学時、検定教科書の購入と一緒に、参考書も買わされると思います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 219, "tag": "p", "text": "もし大学受験を考えるなら、英文法の参考書を買わなければなりません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 220, "tag": "p", "text": "とりあえず、下記に後述する網羅形式の本を持っていれば、ひとまずは安心でしょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 221, "tag": "p", "text": "中学の英文法の教育では、規則的・論理的な文法事項だけが取り上げられたのですが、高校は違います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 222, "tag": "p", "text": "このことからか、高校英語では英文法の参考書のスタンスがいくつか分かれています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 223, "tag": "p", "text": "1. 例外的な事例にはあまり深入りせず、基本的な事項を重視したスタンス", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 224, "tag": "p", "text": "2. 辞書的に、英文法のあらゆるパターンを網羅的に掲載したスタンス", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 225, "tag": "p", "text": "があります。(実際にはこの中間の編集方針の参考書もあるが、説明の都合上、二極に単純化することにする。)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 226, "tag": "p", "text": "予備校系の講義形式をうたった参考書のいくつかや、高校英文法の入門書などの参考書のいくつかは、基礎的な重要事項を特に重視したスタンスです。(そのため、例外的な事項の説明は省かれているか、少なめです。)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 227, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 228, "tag": "p", "text": "いっぽう、高校にもよりますが、高校で配布されるような昔からの、いかめしい感じのする参考書は、辞書的・網羅的なスタンスの参考書です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 229, "tag": "p", "text": "センター試験などを考えるなら、網羅的なスタンスの文法参考書を最終的には読んで覚えざるを得ません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 230, "tag": "p", "text": "一応、網羅本だけでも受験対策は可能ですが、塾や予備校などに通ってない人や、高校の授業の質に不安のある人は、さらに基礎的な事項を重視したスタンスの文法参考書もあると良いかもしれません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 231, "tag": "p", "text": "例えば理系の中堅私大などで、あまり例外的な文法事項を要求するとは思えません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 232, "tag": "p", "text": "ただし、これは私大の場合の話です。国公立の志望の場合は、共通試験を対策せざるを得ず、そのため二次試験がどうなっていようが、その対策のために辞書的・網羅的な参考書を読まざるを得ません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 233, "tag": "p", "text": "TOEICなどの資格試験が近年重視されており、大学でも私大などで推薦入試や自己推薦などでTOEICの成績を考慮する大学も多く、企業もTOEICを表向きには重視していますが、TOEICは文法教育における論理性や高校生の論理性の涵養に配慮する義務はありません。なので、この問題の逃げ場は、大学受験にはありません。TOEICが果たして本当に実用英語かどうかはともかく、世間一般で「実用英語」だろうとは言われています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 234, "tag": "p", "text": "例えば比較級の構文「A is B no more than C is D」は、ある参考書(網羅本)には紹介されていませんでした。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 235, "tag": "p", "text": "高校英語で習う構文は多いので、複合的な構文などは、網羅本といえども一冊の参考書では紹介しきれないのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 236, "tag": "p", "text": "もし英語だけしか学習しないので済むのであれば(実際は違いますが)、英文法の網羅本の参考書を2冊や3冊も読み比べることで自分にあった参考書を選べばいいですが、しかし他教科の勉強もあるので、そうはいきません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 237, "tag": "p", "text": "悩みどころです。各自、うまく対応してください。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 238, "tag": "p", "text": "また、大学生・社会人向けの厚めの文法参考書でも、すべての構文が書いてあるわけではないです。例えば『ロイヤル英文法』という大人向けのやや専門的かつ高度な英文法参考書がありますが、「all the +比較級」の構文は書いてありませんでしたし、巻末の索引を調べてもありません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 239, "tag": "p", "text": "だから、大人向けの文法参考書を読んだところで、この問題「網羅本でも全部の構文は紹介していない」は解決しないのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 240, "tag": "p", "text": "文法の学習は当然に必要ですし、入試にも良く出ます。しかし、文法の学習にばかり時間を掛けてはなりません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 241, "tag": "p", "text": "高校に入学すると、高校の範囲の文法事項を、おそらく学校や塾などで急に教わり始めるでしょう。それらの文法の新知識の学習も大事ですし、当然に学習するべき知識ですが、読者のみなさんは英単語の学習も欠かさないようにしてください。文法なんて覚えることも少ないし、大学受験をするなら最終的には大学受験のころにまで文法を覚えられれば良いのです。なので文法の難問を練習する時間があるなら、それよりも、まず先に単語を優先的に勉強して語彙力を増やしたほうが効率的でしょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 242, "tag": "p", "text": "また、入試の文法問題も、文法の知識だけで解ける問題は少なく、単語の知識や語法の知識などと組み合わせないと解けない問題なども、入試では、よく出題されやすいです。なので、単語の知識が、大学受験対策では優先的に必要なのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 243, "tag": "p", "text": "2010年以降なら、中学校で、すでに大まかな文法の枠組みは習っています。2022年では、仮定法すら中学校で習っているはずです。もはや高校で習うのは、無生物主語など若干の単元と、あとは仮定法過去完了だとか、現在完了進行形とかくらいです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 244, "tag": "p", "text": "そういった合わせ技は、それほど熱心に勉強しなくても、入門的な問題集などで問題練習すれば、普通に習得できます。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 245, "tag": "p", "text": "高校生用の文法参考書は、高校標準レベルの参考書は、基本的には、中学英語の復習も兼ねています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 246, "tag": "p", "text": "このため、普通なら、高校1年生は復習のためにわざわざ中学参考書を買いなおす必要はないです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 247, "tag": "p", "text": "それよりも重要なこととして、実は高校英語の文法参考書には、不正確な知識があるという事です。中学英語が理解重視のため少し不正確でかなりひどいカタコト英語が中学生用の参考書・教科書にあるので、同様に高校の英文法も少しだけ不正確なウソの知識があるのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 248, "tag": "p", "text": "さて、単語集では基礎レベルの単語集の前半が、中学英語の復習を兼ねているように、実は高校英文法の参考書も、少なくない割と多くの部分が中学の復習や、中学で習った分類など理解の再構成を兼ねています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 249, "tag": "p", "text": "単語集ほどではありませんが、高校の文法参考書でも、あまり序盤にある中学文法の復習の部分には、高校でも深入りする必要がないことが、上述の考察・市場調査などから分かります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 250, "tag": "p", "text": "また、このことに気づけば、つまり単語以外の知識で、一部の参考書にしか紹介されていない細かい文法の理論的な知識は、入試対策としては覚える必要が低いことが導かれます。単語集だと、細かい発展的な単語も入試に出ますが、しかし文法書については事情が違います。高校英文法には、深入りせずに、広く浅く学ぶのが安全でしょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 251, "tag": "p", "text": "文法参考書に書いてある知識がそもそも初学者の理解しやすさを重視したためのウソ知識なのですから、むしろ、けっして鵜吞みにして深入りしてはイケナイのです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 252, "tag": "p", "text": "ほか、使用頻度の少ない表現など、参考書によって説明が微妙に食い違っています。たとえば接続詞 lest は、ある参考書では、「文語的であり、あまり使われない」と主張する一方、他社の参考書では「(for fear よりも)頻度は lest のほうが高い」(ジーニアス)と主張していたりします。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 253, "tag": "p", "text": "こういうふうに、細かい表現の英米での利用状況には諸説あるので、あまり参考書を鵜呑みにしすぎないようにしましょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 254, "tag": "p", "text": "大学生むけの参考書は高校生向けのものと、用途がやや異なります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 255, "tag": "p", "text": "高校生は、高校生向けをターゲット層にした一般の高校生向けの英文法参考書を中心に勉強しましょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 256, "tag": "p", "text": "受験勉強では、細かなニュアンスの暗記よりも、英単語をたくさん覚えなければなりません。また英語以外の国語や数学などの勉強も必要です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 257, "tag": "p", "text": "参考書で勉強をする際、あまり細かなニュアンスの違いの暗記に入り込まないように注意してください。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 258, "tag": "p", "text": "実際、ある検定教科書でも、文法事項の類似表現などは、たとえば Would you ~? と Could you ~? などの依頼表現としてのニュアンスの違いは説明していません。せいぜい、 「Please と比べたらWould You および Could you は丁寧な言い回しである」という程度のニュアンスさえ把握できていれば大学受験レベルでは十分です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 259, "tag": "p", "text": "参考書にはもしかしたらもっと細かいニュアンスの違いなどが書いてあるかもしれませんが、そういう詳細な情報はせいぜい参考程度にしましょう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 260, "tag": "p", "text": "実は参考書でも、もう細かいニュアンスの違いは教えていない書籍も多くあります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 261, "tag": "p", "text": "つまり、大学受験用の英語参考書には2種類あり、", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 262, "tag": "p", "text": "そういう2種類があります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 263, "tag": "p", "text": "なお、上記とは別に英語研究者用の文法参考書がありますが、大学受験には全く対応していないので間違えて購入しないでください。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 264, "tag": "p", "text": "最低限のことを教える文法参考書の例として、ジーニアス英和辞典を出している大修館書店は高校生向けの文法参考書(『ジーニアス総合英語』)も出していますが、しかし文法参考書のほうでは辞書ほど細かいニュアンスの違いを説明していないのが現状です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 265, "tag": "p", "text": "特に新共通試験(旧制度のセンター試験に相当)などの公共機関の試験や、英検・TOEICなどの資格試験では、細かいニュアンスを問う問題はまず出題が難しいでしょう。西暦2000年以降、国公立人気などでセンター試験や新共通試験の影響がどんどん強まっている影響も考えれば、文法学習であまり深入りニュアンスに深入りするメリットは残念ながら少ないのが現状だろうと思います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 266, "tag": "p", "text": "それが英語教育として良いかどうか不明ですが、現在の大学入試の対策として要求される文法教育とはそういうものです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 267, "tag": "p", "text": "基本構文などの細かなニュアンスの違いは、英会話などではそれなりに重要ですが、しかし入試や画一的な資格試験では英会話をそこまで細かく採点できないので、したがってニュアンスの違いに基づく使い分けもそれらの試験では出題されづらいことになります。新共通試験にリスニング試験はありますが、しかし実際に会話をさせる試験はありません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 268, "tag": "p", "text": "裏を返せば、細かいニュアンスに深入りした文法参考書は、高校卒業後の英会話などの英語学習などのステップアップで使うのが効果的かもしれません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 269, "tag": "p", "text": "高校の文法参考書の題名は、「文法」と書いてあるものを選んでもいいですが、2022年の書店で確認したところ『総合英語』と書かれている参考書も文法事項が中心的です。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 270, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 271, "tag": "p", "text": "参考書えらびの際に、高校1年生がたぶん勘違いしそうなことを、述べておく。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 272, "tag": "p", "text": "大修館「ジーニアス」ブランドは、辞書では昔から細かい説明で有名であり進学校などではジーニアスの辞書が勧められるとの噂も昔からよくあります。ですが、しかし「ジーニアス」ブランドの文法参考書はあまり細かくありません。注意してください。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 273, "tag": "p", "text": "別に細かい文法参考書がいいだの悪いだのという話ではなく、ともかく、辞書のような細かさを「ジーニアス」文法参考書に期待してはいけません。用途が違います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 274, "tag": "p", "text": "いっぽう、数研出版のチャート式の文法参考書のほうが、多くの構文が細かく網羅的・羅列的には書いてある傾向にあります。このため、1990年代の昔からよくチャート式の一番難しいバージョン(白・黄・青など色々バージョンがある)が進学校などでの参考書として配布されることもありました(かつては赤チャートが難しかったが、現代は赤が廃止され次点だった青チャートが一番難しいバージョンになっている)。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 275, "tag": "p", "text": "ただし、果たして2020年代の現代の入試にもチャート式が効果的かどうかは分かりません(会話重視・リスニング重視や単語重視など、入試の流行の変化もあるので)。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 276, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 277, "tag": "p", "text": "なお、かつて文英堂『シグマベスト』というシリーズが、1990年代~2001年くらいは高校入門レベルの参考書として定番だったが、現代はそもそも英語のシグマベストが無いのと(英語は『インスパイア』に変更)、しかし同社・文英堂の『インスパイア』は、難しめです。高校生むけの一般的な参考書のなかでは、たぶんインスパイアが一番情報量が多いと思います(青チャートよりもインスパイアのほうが説明が細かいです)。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 278, "tag": "p", "text": "暗記科目なので、難しくても、とりあえず読めますが、しかし『インスパイア』のレベルはやや受験レベルを少し超えている記述もチラホラあります。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 279, "tag": "p", "text": "なお、例えば理科など他教科でも『シグマベスト』は実は2010年以降の現代はなかなか発展的であり難しくなってきていて、情報も細かく羅列的である。90年代の当時とは『シグマベスト』の中身の難しさが違うので、参考書選びのさいには、けっして90年代のままの世間の大人たちの評価を鵜吞みにしないように注意。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 280, "tag": "p", "text": "背景として、90年代の昔は、英数理の参考書選びのパターンとして、「シグマベストで入門レベルをカバーして、チャート式で高度な事項を勉強」という有名パターンがありました(なお、国語と社会科のチャート式は参考書としては無い)。あるいは、「その教科が苦手ならシグマベストを選ぶ。その教科が得意ならチャート式を選ぶ。」のようなパターンが90年代にありました。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 281, "tag": "p", "text": "しかし、現代では シグマ + チャート のパターンが、もはや上述の出版事情の変化で通用しなくなってるので注意。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 282, "tag": "p", "text": "2010年台の今だと例えば学研が高校入門レベルの初等的な参考書の立場だが、90年代の昔、学研がまだ高校参考書にあまり参入しておらず(昔の学研は小中学校むけの教材ばかりがメインだった)、当時は文英堂のシグマベストが今の学研の高校参考書に近い立場だったという背景事情がある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 283, "tag": "p", "text": "インターネットで参考書の形式やレベルなどを調べたり、または、教師や塾講師、チューター、同じ学生などからの評判なども参考にしながら、実際に書店で参考書の内容を閲覧するなどして選ぶといいだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 284, "tag": "p", "text": "また、古本屋などで参考書を購入すると出費を抑えられる可能性がある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 285, "tag": "p", "text": "中学英語は昔とカリキュラムが大幅に変わったので古本屋は論外だが、高校英語は昔から到達地点が同じままなので、文法学習はちょっとぐらい古い本でも特に問題ないかもしれないかもしれない。とりあえず、古本屋で英文法書を購入するなら、なるべく最近のものを購入したほうがいいだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 286, "tag": "p", "text": "「大学英文法」とかそういうのは一般的には無い。文法は高校英語で、とりあえずゴールである。あとは単語や熟語を増やすのが、その後の道である。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 287, "tag": "p", "text": "英語教師などを目指す人のための細かい英文法理論書はあるが、高校生には必要ない。なお、書店によってはそういう教師向けの英文法理論書が高校英語コーナーに売っていたりするので、間違えて買わないように。わかった上で買うなら自己責任で。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 288, "tag": "p", "text": "「時事的な文法」とか無いので、もし改訂などあっても、あまり頻繁に買い換える必要は無い。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 289, "tag": "p", "text": "他のセクションでも言ってるかもしれないが、「大学英文法」と言うのはない。なので、文法において「大学教養レベルの先取り」とかは不要であるし、そもそも存在しないし、そういう教材もまず無い。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 290, "tag": "p", "text": "このことは、大学受験においては、つまり文法問題は、高校生向けのやや高レベルな参考書を習得できたら、それ以上は英語教師でも目指さないかぎりは、英文科向けのさらに高度な文法書には進む必要は無い、という事である。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 291, "tag": "p", "text": "英文科の学生などに向けた文法書は、あれは教師向けまたは研究者向けの参考書である。内容も、基本的には高校生向けの文法参考書に書いてある内容を、大学生または教師志望者などの視点やレベルに合わせて書き直した程度のものである。なのでともかく、受験生には不要である。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 292, "tag": "p", "text": "このことから、ゴールが明確に定まり、受験生向けのやや高度なレベルの参考書がゴールである。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 293, "tag": "p", "text": "そこから逆算すると、あまり多くの参考書を読み漁る必要はない。せいぜい、2冊読めば十分だろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 294, "tag": "p", "text": "高校1年レベルから分かりそうな易しめのレベルのものと、あとは少し難しめの感じのもう一冊で十分である。もしかしたらどちらか片方だけでも十分かもしれない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 295, "tag": "p", "text": "また、説明を省略したが、前提として、高校の参考書は、学年別とかには売ってない(書店で実物を見れば分かると思うが)。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 296, "tag": "p", "text": "なので参考書での学習の際にも、いちいち学年ごとにペースを3等分とかして「私は1年生なので、参考書の前半の3分の1だけ読む」みたいなことはする必要は無いし、むしろ現代では3等分すべきでもない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 297, "tag": "p", "text": "つまり、参考書は高校1年で購入したら、とりあえず、さっさと通読すべきである。現代の中学・高校のカリキュラムなら、文法参考書の通読は中学英文法の復習にもなるので、まずは通読しよう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 298, "tag": "p", "text": "そして何回か通読したら、問題集などにチャレンジしたり、あるいは単語なども増やそう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 299, "tag": "p", "text": "これがもし英語でなく数学の勉強法だったら、先の学年の内容を通読するよりも学校で習った単元の復習などを重視するのも手かもしれないが、しかし英語はあまりそういう単元ではない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 300, "tag": "p", "text": "高校の授業や定期テストなどは、あれはあれで教育ノウハウが詰まっているので活用すればいいが、別にそれを活用したからといって文法参考書を通読できなくなるわけでもない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 301, "tag": "p", "text": "それに塾などだと、参考書の後ろのほうにある無生物主語などを高校クラスでは1年で先に教える流儀もある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 302, "tag": "p", "text": "参考書の最初のほうにある文型がどうのこうのと言った話は、どうせ塾の中学生クラスや中学参考書などでも既に教えている可能性があるので、塾の高校生クラスではそういうのはもう後回しにして、先に無生物主語や仮定法など参考書の後半の単元を教えるというパターンもある。家庭での自習などの際にはご参考に。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 303, "tag": "p", "text": "また、そもそも2年の終わりくらいから高校や塾などで全国模試などを次第に受け始めることを考えるなら、けっして高校3年間で学校の授業で文法を習うのを待つのではなく、自習によって高校2年の後半の段階までに一通り、高校生むけの単元である無生物主語やら仮定法過去完了やら分詞構文などを含めて、とりあえず文法参考書は全ページを通読は済ましておいて、加えて問題練習を軽くでいいのでしておくべきだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 304, "tag": "p", "text": "そして、高校3年では模試なども活用して、問題練習で定着させていく、・・・という段取りである。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 305, "tag": "p", "text": "単語集の前半のほうにも、実務ではあまり使わないだろう熟語、つまり、より平易な表現に言い換えることの多い表現がよくあります(少なくともこのセクションのある編集者が、ネット上の海外英語では見たことない表現がいくつもありました)。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 306, "tag": "p", "text": "中学1~2年で習うレベルの単語の組み合わせで作れるマニアックな熟語がいくつかあるので、学習時に注意が必要です。単語集では編集の都合上、そういうマニアック熟語が前半のほうに書いてありますが、正直、後回しにすべき熟語です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 307, "tag": "p", "text": "一方、 come true (実現する)のような、たとえば構成する単語と意味が近い場合なら、学習効果は高いです。たとえばtrue 「=真実」と「実現する」は比較的に意味が近いです。参考書でも、よくSVC文型の例としてcome true が出てくるので、こっちは重要事項です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 308, "tag": "p", "text": "しかし残念ながら、単語集にある出題頻度の情報を見ると、come true は出題頻度が低いようです。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 309, "tag": "p", "text": "そのほか優先して覚えるべき熟語は、たとえば no longer ~「もはや~ない」のように構文的な熟語や、あるいはget over ~「克服する。回復する」(= overcome)のように中学レベルの単語には言い換えできなくてその熟語表現を使わざるを得ない可能性の高そうな熟語とか、そういうのです。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 310, "tag": "p", "text": "このような熟語の教育状況になってるのは、つまり残念なことですが、「英語教育での英作文などでは、実務的を想定した教育がされておらず、つまり形骸化している可能性がある」という事です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 311, "tag": "p", "text": "「出題頻度順」の掲載をうたった単語集で前半のほうに、不便なマニアック熟語があるので、つまり入試では、実際には仕事などで英語を使うつもりのない人たちを想定した入試が行われているという証拠です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 312, "tag": "p", "text": "英作文をする際、getで一語で説明できることを「come by ~」で表現する可能性は実用では低いでしょう。英会話でも、果たして米英人が、日本人相手に come by で説明するでしょうか。はなはだ疑問です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 313, "tag": "p", "text": "なぜなら外国人は、もし英語が得意な日本人相手なら躊躇なくobtain のような非熟語を会話で使うだろうし、あるいは「英語が苦手な日本人かな」と思って気を使ってくれるなら get で表現してくれるでしょう。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 314, "tag": "p", "text": "come の基本的な意味は「来る」ですから、熟語come byの「入手」とは、かけ離れています。おそらく「手元に来る」的なニュアンスなのでしょうが、しかし「by」からそれを想像するのは、かなり前置詞「by」の基本の意味から離れています。そういう、基本単語の意味からの距離の大きい表現は、実務では学習コストが高いので、いろいろと不便なのです。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 315, "tag": "p", "text": "不便とはいえ、海外での利用の可能性がないとは言えないので日本の受験英語でも教えられていますが、なるべくなら後回しにしたいマニアック熟語表現です。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 316, "tag": "p", "text": "come true 「実現する」のようなSVC文型の例にもなるような教育的な熟語だと出題頻度が低いようですが、これはつまり、入試出題者が、高校生の学習効果を見る良問よりも「落とすための問題」「ヒッカケ問題」を21世紀の少子化の時代になっても未だに出題し続けているという証拠でしょうか。", "title": "熟語" }, { "paragraph_id": 317, "tag": "p", "text": "まずは、前提となる単語力をつける必要がある。その上で、参考書で、音声CDつきの参考書などで聞き取り練習をするなどすればいいだろう。また、例えばYouTubeやTEDなどで自分の興味のある分野の英語を聞くなどしてもいいだろう。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 318, "tag": "p", "text": "テレビのNHK教育の英語番組は、学校の授業用に作られており、大学受験対策には作られていないこと、洋画は字幕や吹き替えに尺や字数の都合などで意訳が多いため学習には向いてないとする意見もある。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 319, "tag": "p", "text": "読解練習をしたい場合は、まずは学校でのリーディングの教科書などをきちんと読むのは当然ですが、そのほかにも参考書があると便利かもしれません。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 320, "tag": "p", "text": "書店の参考書コーナーに、高校生用の英文読解の参考書などが置いてあるはずですから、それら高校生用の参考書で勉強してください。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 321, "tag": "p", "text": "大学入試の英文では、平均以上の難度の大学になると、単語の知識がないと、まったく内容が把握できないでしょう。なので、読解練習だけでなく単語の勉強もしてください。とりあえず単語集などで4500語レベルまでの範囲の単語は最低限、ひととおり学習してください。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 322, "tag": "p", "text": "出題英文を読むのに時間が掛かりますから、試験中の時間の配分にも気をつけてください。まずは単語力を増やすと読解スピードも上がるので、普段の勉強では単語力を増やしてください。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 323, "tag": "p", "text": "試験中の配分の対策として、実際の入試では、たとえば、長文読解問題よりも先に、短時間で解けそうな単語問題・文法問題などを先に解くとかして、時間配分の対策をしてください。あるいは、設問の問題文を先に読んでおいて、見当をつけてから長文を読むなどという方法もあります。ここらへんの対策は、じっさいに過去問や想定問題などを解いて練習してください。基本的に、入試国語での現代文などでの読解問題対策などの際の時間配分と似ていると思います。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 324, "tag": "p", "text": "ただし、時間配分のテクニックばかりを磨いてもダメであり、単語力などを増やさないと、読解スピードも上がりません。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 325, "tag": "p", "text": "入試では、ときどき、志望先の学部の内容に関する記述が出る場合もあります。また、高校で習う教科に関する記述が出る場合もあります。もっとも、べつに必ずしも志望先学部と近い内容の英文が出題されるとは限らず、あまり関係のない内容の英文も出題される場合もあります。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 326, "tag": "p", "text": "どちらにせよ、合格後の人生も考えて、学生は、志望先学部に近い内容の高校教科の勉強もしておいたほうが安全でしょう。たとえば経済学部に進学志望なら高校政治経済などの参考書を読んでおくとか、あるいは理工学部に志望なら理科・数学の参考書を読んでおいたほうが安全でしょう。", "title": "読解" }, { "paragraph_id": 327, "tag": "p", "text": "基本的には、標準的な参考書でカバーでき、あとは単語の記憶量を増やす練習とか、リスニングの練習とかの対策でよいです。あとは参考書などの英会話文例や発音問題を覚えておけば、入試での、だいたいの発音や英会話の試験もカバーできます。", "title": "発音・英会話など" }, { "paragraph_id": 328, "tag": "p", "text": "発音問題は、入試に英単語と発音記号を照らしあわせる問題は出ます。ですが、自分で発音することは、入試ではない。", "title": "発音・英会話など" }, { "paragraph_id": 329, "tag": "p", "text": "大学入試では文章題などで、英会話の空欄を埋める問題などが出されるかもしれません。いっぽう、大学側が、直接受験生と会話をする試験は、一般入試では出ないでしょう。", "title": "発音・英会話など" }, { "paragraph_id": 330, "tag": "p", "text": "ただし、いくら一般入試に会話が出にくいといっても、基本的な会話くらいは、せっかく高校で習うのですから、きちんと練習してください。そもそも建前上は、高校で習うことは、高校生は学習するべきということになっています。そして大学側だってバカじゃないんだから、なるべくきちんと勉強している受験生を優先的に合格させたいのです。", "title": "発音・英会話など" }, { "paragraph_id": 331, "tag": "p", "text": "英作文の練習よりも、まず先に文法学習や単語の記憶量を増やす勉強を優先したほうが安全でしょう。単語の記憶量が増えて、文法や熟語なども覚えれば、英作文なども、自然と上達します。逆に言うと、英作文だけを勉強しようとしても、難しいです。なお、単に英単語の意味や綴りを覚えているだけでは英作はできない。動詞ならば他動詞(Vt)なのか自動詞(Vi)なのか両方あるのか,他動詞ならば第4文型(SVOO)や第5文型(SVOC)をとれるのか,名詞ならば可算名詞(C)なのか不可算名詞なのかなど(これ以外にもたくさんある),とにかく用法まで正確に知っておく必要がある。従って辞書を引く必要がある。", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 332, "tag": "p", "text": "問題練習をする際には、必ずしも偏差値順にステップアップする必要は無い、という事です。", "title": "問題集を信じすぎるな" }, { "paragraph_id": 333, "tag": "p", "text": "また、日本人の高校生のレベルを越える難しすぎる問題は、そもそも解けるようになる必要もないでしょう。", "title": "問題集を信じすぎるな" }, { "paragraph_id": 334, "tag": "p", "text": "選択問題では、高校レベルで習得できるレベルでの、初心者のよくやるミスをしない事のような、明らかに間違った言い回しを排除する事さえできれば、それでいいでしょう。", "title": "問題集を信じすぎるな" }, { "paragraph_id": 335, "tag": "p", "text": "納得の行かない問題の対策はやりすぎないようにスキップして、他の勉強をすべきです。英語の勉強なら、もっと確実に偏差値アップの出来る勉強、たとえば単語力を増やすなどの勉強をしましょう。", "title": "問題集を信じすぎるな" }, { "paragraph_id": 336, "tag": "p", "text": "高校によっては、第二外国語の授業を用意している高校もあります。", "title": "あきらめるべき事" }, { "paragraph_id": 337, "tag": "p", "text": "共通テストや二次試験では英語以外の外国語を使えるところもあるが、特別な理由がないなら英語を選択したほうがいいだろう。", "title": "あきらめるべき事" }, { "paragraph_id": 338, "tag": "p", "text": "また、中国語を勉強しても、漢文の入試問題を解くのには役立ちません。", "title": "あきらめるべき事" }, { "paragraph_id": 339, "tag": "p", "text": "帰国子女とか、あるいは進路志望が語学関連の分野で無い限り、あまり第二外国語には手を伸ばさないほうが良いでしょう。", "title": "あきらめるべき事" }, { "paragraph_id": 340, "tag": "p", "text": "英語能力を測る国際的な試験のTOEFLやTOEICなどは、高校生の学習用には作られていません。そもそも日本人に内容を合わせていません。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 341, "tag": "p", "text": "それにTOEICとTOEFLのどちらとも、試験の目的が、日本の高校英語の教育目的とは違います。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 342, "tag": "p", "text": "TOEICとTOEFLのどちらも目的は、英米への留学や海外生活のためなどの語学が目的です。日本の大学入試や、日本の大学での英語論文読解などの目的には、TOEIC・TOEFLなどは合わせていません。TOEFLとかTOEICとかで、ハイスコアを目指すのは、大学受験対策とは目的がズレています。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 343, "tag": "p", "text": "なお、そもそもTOEICをつくったのは日本の通産省(当時)であり、通産省がアメリカの非営利テスト開発機関、ETS(Educational Testing Service)に依頼をして、日本がつくったテストです。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 344, "tag": "p", "text": "よって、TOEICの出題内容は、アメリカ国内での実用とは若干、ズレていますので、てっきり実用英語だとは勘違いしないようにしましょう。また、てっきりTOEICは(OECDあたりの)「国際機関のつくった試験である」などと勘違いしないようにしましょう。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 345, "tag": "p", "text": "さらに、TOEICの参考書などにある「高校生レベルは◯◯点」などの数値も、じゃっかん、疑わしいので、あまり鵜呑みにしないようにしましょう。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 346, "tag": "p", "text": "ネット上では「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説が出回っており、英検2級が高校英語レベルを出題範囲として想定していることから、あたかも「高校を卒業したら TOEIC 600 点で当然」みたいな言説が出回っていますが、しかし2018年の統計などをもとに考えれば、この言説はデタラメです。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 347, "tag": "p", "text": "また、「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説の根拠も、よくよく調べてみると、2001年くらいに英検2級保持者にTOEICの点数をアンケートしたところ TOEIC 400点~800点あたりに得点がバラついたという統計を、とりあえず平均値をとって600点としただけにすぎないのが実態です。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 348, "tag": "p", "text": "高校の数学で統計値の「分散」という概念を習います。分散を知らないと、統計詐欺にダマされてしまいます。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 349, "tag": "p", "text": "さらに、欧米で英米への留学希望者むけのテストなどとして知られている英語検定試験はTOEFLです。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 350, "tag": "p", "text": "TOEICは、日本と韓国で流行っている英語検定です。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 351, "tag": "p", "text": "また、英検は日本人用の試験ですが、しかし高校生用には試験が作られていません。中学生・高校生なども意識して英検は作られているでしょうが、しかし、中高生だけを意識してはいません。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 352, "tag": "p", "text": "英検を入試対策で使うなら、志望校合格などが保証されないかぎりは、なるべく英検準1級までに止めるのが無難です。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 353, "tag": "p", "text": "ただし、推薦入試ではTOEICやTOEFL、英検などの成績が考慮される場合もあります。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 354, "tag": "p", "text": "大学によっては、入試で高校レベルを超えた、かなり難しい英語を出す場合もあります。そういう大学に対応する場合、市販の受験参考書では太刀打ちできないかもしれません。このような場合、しかたなくTOEFL対策や英検1級対策などの参考書が必要な場合もあるかもしれません。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 355, "tag": "p", "text": "ただし、大学生の就職活動では、企業にTOEICなどの点数を聞かれることもあります。就職活動時のエントリーシートに、最初からTOEICなど成績の記入欄がある場合もあります。また、外国大学への留学の際に、TOEICなどで一定以上の成績を修めることが必須の要件とされる場合も多いです。たとえ英語圏以外の国の大学への留学でも、TOEICやTOEFLなどの成績が必須要件として必要な場合があります。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 356, "tag": "p", "text": "なので高校生でも、TOEIC受験の機会があれば、受験をするのも良いでしょう。 ただし、TOEICの成績が良いからと言って、けっして、それだけで企業が「即・採用」をするなんて事はありません。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 357, "tag": "p", "text": "高校生の段階では、TOEICなどの語学検定については、もし受験できるなら、視野を広げるような目的で検定を受けるのが良いでしょう。", "title": "一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全" }, { "paragraph_id": 358, "tag": "p", "text": "中学高校の英語の検定教科書には、他の教科では説明しづらい時事や古典文学、最近の日本のアニメやマンガの、海外での人気について、英文で紹介されたりするかもしれません。 そもそも、本来の目的は英語を学ぶということなので、これらの題材で得た知識がそのまま大学受験に役に立つということはありません。", "title": "英語の検定教科書にある時事や古典文学の勉強は不要だし、危険" } ]
null
== 「高等学校外国語」は実質的に英語 == 文科省の指導要領では、教科名は「外国語」です。 しかし、科目名は「英語コミュニケーション」とか「論理・表現」とか、英語の科目しかありません。「論理・表現」科目の内容も、英語の学習です。 なお、一部の高校で第二外国語を開講していますが、その高校でも英語が必履修です。そもそも高校卒業の要件として、英語の単位を一定以上取得しないと、高校卒業の資格を取得できないはずです。 また、高卒認定試験でも、外国語科目では英語が必修です。 第二外国語を学ぶにせよ英語に専念するにせよ、どちらにせよ、高校生は英語を勉強する必要があります。 ;第二外国語の授業の現状について 大学受験では、いちおうは、文学部の仏文科とか独文科や、語学系の学部のフランス語学科とかの入試で、大学によってはフランス語やドイツ語などの第二外国語も入試も出る大学もあります(高校入試とは違い、大学入試では一部の大学では第二外国語でも受験できます)。しかし第二外国語の学習は検定教科書以外で自習などをする事になります。 フランス語とかドイツ語とかの検定教科書は、存在を聞いたことがありません(つまり、フランス語などの検定教科書は無いはず)。少なくともフランス語の検定教科書は存在しません<ref>pdf [https://konan-wu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1159&file_id=22&file_no=1 前田美樹 著『高校でのフランス語教育: 現状報告 - 授業の活性化と発展に向けて,2011年3月, P35 ] 2023年10月5日に確認.</ref><ref>[https://www.jactfl.or.jp/wdps/wp-content/uploads/2020/03/JACTFL2_87-100.pdf 長谷川由起子 著『高等学校第二外国語必修化提言実現に伴う課題』,2014 , P92]</ref>。もし高校生向けのフランス語などの教材を教科書会社が出版・販売していたとしても、それは検定教科書ではありません。 なお、第二外国語の授業のある高校でのその授業の教材は、大学生向けの教材を用いたり、あるいはその高校独自の教材を用いたりしています。 ;第二外国語の大学受験について 大学入試共通試験(旧センター試験)の科目に、フランス語とドイツ語と中国語と韓国語もあります。語学系の学部・学科など、ごく一部の学科でなら、共通試験のフランス語なども使える場合もあ、そのような大学の学科なら一般入試でも使える可能性もあります。ですが、その他の多くの大学では、第二外国語ではなく英語を受験科目の外国語としては要求しています。 なお、一部の高校ではスペイン語とロシア語とアラビア語の科目もあり高校卒業のための単位として文科省により認められていますが、しかし大学入試共通試験(センター試験)の科目にはスペイン語などは存在していません。このように、高校の単位として日本国に認められていても大学入試共通試験にない科目もあります。 == IPA(国際音声記号)を学ぼう == IPA(International Phonetic Alphabet, 国際音声記号)とは世界中の言語の発音を表記できるように開発された記号である。これが、英語の単語を発音する際、重要であることは明白であろう。日本には、「英語には日本語にはない音が存在する」「英語は発音が大事」などと声高に叫ぶが、どうやってその音を調音するかという肝要なことは教えていない高校も存在するようだ。しかし、調音方法を知らずに第一言語に存在しない音を発音しろというのは不可能と言っていい。IPAを学ぶ際には必然的に音声の調音方法を体系的に学ぶことになる。したがって、フィーリングではなく理論に基づいた音声の発音が可能となる。 * [http://www.coelang.tufs.ac.jp/ipa/index.php IPAモジュール] * [[w:子音|子音]] * [[w:調音部位|調音部位]] * [[w:調音方法|調音方法]] * [[w:母音|母音]] * [[w:国際音声記号|国際音声記号]] * [[wikipedia:IPA_vowel_chart_with_audio|母音のIPAとその発音]] * [[wikipedia:IPA_pulmonic_consonant_chart_with_audio|子音のIPAとその発音]] * [[w:英語学#%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E3%83%BB%E9%9F%B3%E9%9F%BB%E5%AD%A6|英語の音素]] == 参考書と辞書と単語集が基本 == 高校英語の検定教科書は授業で教師が解説するのを前提にしているため独学用には作られていなません。 なので、予習復習や独学や受験準備などは教科書では無理です。なので、受験準備などのために教科書とは別に高校レベルの参考書や単語集が必要ですので、早めに購入しておきましょう。 たぶん、普通の高校なら、単語集なども購入させられると思います。もし学校で購入を指定されていなくても、まずは高校基礎と高校中級レベルの単語集を購入しましょう。 実際の検定教科書を見てみると、高校1年向けの検定教科書で、もう高校3年向けの4500語レベルの単語集にある単語が紹介されていることもあります。 とはいえ、さすがに高校1年で4500語レベルまで習得するのは困難です。 そこで普段の家庭などでの勉強では3000語レベルまでを勉強しておいて、検定教科書を読んでて単語集で見当たらない語があれば、そこだけ辞書に頼るのがラクでしょう。ただし既に単語帳で覚えた単語も用法が不明瞭ならば辞書を引くと良いであろう。単語帳は意味は載っているものの、用法は詳しく載っていないことが多いからである。また、少しは辞書の使い方も練習すべきです。 ともかく、高校では単語集がないと、まともに英語を勉強できないだろうと思います 検定教科書は入試対策本ではないので、大学受験を考えている人は、英語の勉強では検定教科書ばかりに深入りしすぎてはいけません。 ともかく、大学受験対策は、あくまで市販の参考書と辞書と単語集などで行います。 == 大学入試に出づらい分野など == === 教科書の学習目標を真に受けないように === 高校英語の学習指導要領などが掲げている目標の中には、高校生には荷が重い目標もあります。 検定教科書の英語表現IIの実物を見比べると、どうも英語でのプレゼンテーションなどが指導要領などで目標に掲げられているようですが、しかし正直、高校生には英語プレゼンテーションは荷が重いでしょう。英語以外の教科の学習を考えると、高校段階では外国語でのプレゼンテーションの習得は非現実的です。 高校英語のプレゼンテーション単元も、中学英語の留学生との会話の単元などと同じで、実際の多くの高校の教育現場ではそれを実行できる場面はまずないかと思います。 2022年の時点では、文科省の英語教育の目標が、かなり高負担な内容ですので、大学入試の傾向とは検定教科書の傾向は、差が大きいかと思います。 昔から教科書と受験英語との間には差がありましたが、とくに近年、上述のように教育目標の負担増の理由で、入試との差異が大きくなっているだろうと思います。なので大学受験を考える人は、教科書の勉強だけでなく、うまく学習スケジュールを自己管理する必要があるでしょう。 === 自己意見の英作文は入試に出ないところもある === 足きりのある大学(たとえば国立大や医学部など)でないかぎり、採点の手間があるので一般入試では数十語もある英作文は出されない可能性が高い、実態があります。 さて、昨今の教科書では、日本のことを英語で説明する課題がよくあります。検定教科書にあるので、いちおうは新共通試験などの出題範囲ではあるわけですが、やはりこれも大学入試の出題傾向の兼ね合いを考える必要があります。 難関大学の入試で要求される単語は、抽象性の高い単語、または学術的な単語などです。 === スピーキング === 英語スピーキングは、大学入試では採点の手間があるので、一般入試ではスピーチの実施はされない。もし入試でスピーチングをやるとしたら、せいぜい、受験者数が比較的に少人数に限られる推薦入試でしょう。 また、英検3級以上ではスピーングの試験がある。英検などの英語系資格を取っておくと入試でいくらか優遇される場合があるので、そういったものを使いたい人にはスピーキングの勉強をする必要がある。 == 教科書ガイドを購入するほうがいい場合 == 教科書ガイドを買わなくても高校英語は勉強できるのですが、色々な理由により、教科書ガイドがあると効率的です。 英語教師のなかには低能な教員もいて、宿題などで、数学など他教科の予習復習の時間を無視して、毎週のように「辞書で教科書の英文の意味を調べてこい」などと、英語科目の事しか考えずに宿題を出す人がいます。 特に英語は、文系大学の志望でも理系大学の志望でも活用するため、教師がうぬぼれていて傲慢な場合があります。 このような英語教師の場合、もし教科書ガイドがあれば、辞書で調べる時間を、大幅に減らせることができます。教科書ガイドによって、空いた時間を活用することができ、単語の練習など、より本質的な勉強ができるようになります。 ただし、ガイドには、あまり細かい答えまで書いてありません。中学までの教科書ガイドとは違います。 == 英語勉強法マニアにならないように == ここに描かれた勉強法を覚えるよりも、まずは、とにかく、3000語レベルまでは英単語の習得のほうが重要です。勉強法マニアになっても、語学では価値がありません。勉強法を調べるよりも、実際に勉強してください。 とくに英語教育についての評論では、多くの評論家が英語教育を評論したがるし、また市販の英語教材などでも英語教育のノウハウをうたっている商品も多いですし、中には英語が苦手なのにウサンくさい勉強法(自称)を掲げる人も多くいるので、あまり勉強法そのものに深入りしないようにしてください。 勉強法に迷ったときにだけ、市販の参考書などに書かれた信頼できる勉強法などを参考にしてください。 == 単語 == まず、単語数3000語あたりの中級レベルを謡っている英単語集を1冊買いましょう。 初級レベル 1700~1800あたりのものは、これは一応高校レベルの単語も紹介していますが、ほとんどの単語が中学レベルなので、当面は読む必要がありません。 また、初級レベルの単語集のうち、中学で習わない可能性の高い単語は、中級レベルの単語集にも書いてあるので、わざわざ初級レベルを買う必要がありません。 さて、単語集の使い方は、赤シートを使って英単語の和訳を隠して、英単語のイメージを思い浮かべてから、その英単語の和訳を見て自分が思い浮かべたイメージと合致するか確認してみたりして、もし合致していたら次の単語へ、一方もし合致していなかったらチェックをして次の単語のテストを行う。これを1~2回もすれば英単語を覚えています。 中学単語については、意味のほうで中学では習わなかった意味がある可能性があるかもしれないので、そちらに注目してください。参考書をつくっている会社は、そうなるように工夫して参考書を編集しています。 === 学習の優先順位 === もしかしたら、英語の単語を覚える作業は文法等の勉強をすることよりも大切なことかもしれません。 市販の学習ノウハウ本でも、高校英語および大学受験英語では、英単語力が決め手になると主張されています<ref>船登惟希 『改訂版 高校一冊目の参考書』、KADOKAWA、2019年3月18日120ページ</ref>。 英文読解で、もし単語の意味が分からないと、せっかく文法の知識があっても、理解できない文も大学入試では多くあります。また大学入試では、暗記を要求される単語数が、ずいぶんと多くなります。 もっと言えば、単語という基礎があってこそ覚えた文の組み立て方が生きてくるのです 大学受験の標準(おおむね4500語レベル)~やや発展レベルまでの単語であれば、単語はいくら覚えても損はありません。学校で教えてもらう英単語だけで満足しないでください。近年では様々な出版社から英単語帳が出ています。 === 英単語集の選び方 === ==== 基本の要求事項 ==== ===== セットになる別単語も必要 ===== 高校レベルでは、新しい単語の意味を覚えるときは、単語の日本語の訳の字面だけを覚えても不十分です。 いくつかの予備校の単語集には英単語の勉強法も書かれており、どれを見ても大抵、「新しい単語の学習では、一緒につかう単語とセットで覚えろ」といった内容が書かれています。 動詞も同様、セットになる名詞と一緒に練習するべきです。もっとも、普通の市販の単語集なら、そういうセットになる単語も書かれているので、市販の単語集で勉強すれば問題ありません。 進出単語がセットでなくても覚えられるのは、せいぜい中学の前半までです。高校ではもう、単語を1語ずつ単独でバラバラに勉強するのは、やめましょう。 しかし、ネット上の英語勉強サイトには、サイト作者・企業の手抜きからか、日本語の訳だけを羅列したような低品質なサイトもあります。まったくネットは参考になりません。きちんと市販の単語集を買いましょう。 ===== 類義語や対義語、例文など必須 ===== まず、単語の学習では、けっしてヤミクモに多くの単語を覚えるのではなく、類義語や対義語との違いなども把握しなければなりません。そのため、例文なども交えつつ把握しながら勉強する必要があります。 なので、例文などの少ない単語集は、少なくとも高校基礎レベルとしてはアウトです。 ==== 結局どうすればいいか ==== 高校生向けの参考書は、セット語彙や類義語・対義語の紹介の必要性など、そういう事をきちんと理解しているので、とりあえず高校生むけの単語集を買えばとくに問題はないのです。 しかし、高校生向けではない市販の英検対策やTOEFL対策本などの資格本の中には、単語を多く掲載したいあまりに、例文や類義語などを省略ぎみの単語集も(英検対策本などでは)多くあります。 なので高校生は、英検対策ではなく、まずは高校生向けの単語集を買いましょう。1社の単語集しか使わないと例文がどうしても不足するので、少なくとも4500語レベル付近では1社だけでなく2社以上が必要です。 ==== 英検などは後回し ==== 現代では、高校の教科書レベル自体、上がっています。昭和の後半や平成の初期は、今で言う3000語レベルが、高校卒業レベルでした。 しかし、令和の今では、4500語レベルが、高校卒業レベルです。 なので本来なら、時代が大きく違えば、英検の級の数値は比較の参考になりません。つまり、年月とともに資格試験で保証された知識は、少しずつ錆びていくのです。 英検などを受けたいなら、高校生向けの単語集を買って習得したあとなら、必要に応じて英検対策本などを買うのは構いませんが、しかしいきなり最初から英検対策本などを買うのは失敗の道です。 なお、もし英検を参考にするなら、準1級までを買えば十分でしょう。 なぜなら、難関大の過去問から構成される桐原5500と英検1級の単語集とを比べてみましたが、傾向がだいぶ違っています。 ==== 英単語集のパターン ==== 英単語集には、主に2パターンあって、 :・ パターン1: 単語を分野別にまとめているパターン(たとえば「旅行」の意味の単語なら、trip と tour と travel をひとつのページにまとめていたりする)の英単語集 と、 :・ パターン2: もうひとつのパターンとして、入試出題の頻度順に統計的に並べた英単語集 があります。 初めて高校英語を勉強する場合は、とりあえず、'''分野別に単語をまとめたパターンの参考書のほうが、使いやすい'''と思います。 なぜなら、分野別の単語集のほうが、類義語や対義語なども、まとめて勉強できるからです。 いっぽう、入試出題の頻度順に統計的に並べた単語集は、高校後半~高校3年からの仕上げなどで用いるのが効果的でしょう。 さて、分野別に単語をまとめたパターンの英単語集で勉強する場合は、レベルが「中学3年〜高校初期」「高校必修」「共通テスト」「二次試験」と何段階に分かれていたりしますが、とりあえず、高校1年の時点で、「高校必修」レベル(3000語レベル)と「共通テスト」レベル(4500語レベル付近)の2冊を買ってしまってください。 高校必修レベルの単語集を買えば、その単語集で中学レベルの復習もしますので、わざわざ中学レベルの復習をふくむ単語集を買う必要はないのです。 自分で単語集を予習する際は、次のペースで予習します。 :・ 高校1年: 「高校必修」レベル(3000語レベル)〜「センター試験」レベル(4500語レベル付近)の単語を高校1年の終わりまでに全部勉強する。 :・ 高校2年: 「センター試験」レベル(4500語レベル)の単語を高校2年の終わりまでに全部勉強する。 :・ 高校3年: 「二次試験」レベル(4500語レベル+アルファ)の単語を高校3年の2学期の終わりくらいまでに全部勉強する。 つまり、高校1年のあいだに、予習をして、「高校必修」(3000語レベル)およびレベルの単語集を、ひととおり書き写して、勉強してしまう必要があります。(覚えられるかどうかは別として。) 4500レベルまでいければ理想ですが、それが無理でも必ず高校1年のあいだに3000レベルを終わらせてください。これが終わらせられないと、大学受験の現役合格は難しいでしょう。一見するとハイペースですが、実は後述のように中学で習う単語が3000レベルには多いので、意外とラクです。 高校必修レベルには、中学校できちんと5教科を勉強していれば、読みがある程度は身についているハズの単語が、多いのです。 なので、さっさと高校必修レベルをひととおり練習して終わらせてしまい、次ステップの「センター試験」レベルに時間を掛けたほうが得です。 なお、高校によっては、高校3年になっても、「センター試験」レベルの単語集までしか、高校3年の英語の授業では扱わない場合があります。 なので、'''授業とは別に、自分で単語集を予習する必要があります'''。 では、なぜ、上記のスケジュール(「高校必修」レベルの単語を高校1年の終わりまでに全部勉強するスケジュール)のようにするのが合理的かいうと、最終的に高校卒業までに(つまり高校3年の終わりまでに)、「二次試験」レベルの単語集(4,500語+アルファ)を終わらせる必要があるので、そこから逆算して、高校2年の終わりまでに「センター試験」レベルの単語集を終わらせる必要があります。 そして、高校2年の終わりまでに、4500レベルつまり「センター試験」レベルの単語集を終わらせるためには、逆算すれば、高校1年の終わりまでに3000レベルの「高校必修」レベルの単語集を、勉強してしまう必要があることが分かります。 そうするためには、普段からの予習も必要です。 また、もし「今読んでいる章を完全に覚えてから、次の章に進む」などというふうに勉強していると、特定の分野の単語ばかりを覚えることになってしまい、入試に対応できません。特に、学校で、このような分野別にまとめられた英単語を用いている場合に、気をつけましょう。 また、現代の高校英語の単語の紹介順序は、もはや学年別になっていません。高校1年の検定教科書でも、すでに3000語レベルの単語や4500語レベルの単語も平気で紹介したりしています。 現代の検定教科書がそうだということは、現代の入試もそうだという可能性があるということです。なので、あまり単語集の最初のほうばかりに詳しくなっても、現代ではあまりメリットがありません。 また、予習をしないと、たとえば学習ペースの配分ミスを起かしやすく、たとえば高校3年の終わりごろになって、やっと桐原4500語・東京書籍4500語レベルにしか到達できずに、そのため高校3年終わりの時点では「二次試験」レベルに対応したプラスアルファの単語集(旺文社や、予備校系の単語集)に到達できずに、志望校に不合格になってしまうような、ペース配分の失敗を起こしやすい原因にも、なります。 なので、とにかく、予習をして、単語集の先のほうへと進んでいくのが、合理的な勉強法なのです。 ==== 予備校系パターン ==== 単語集にはさらに、「論理性重視で解説が多めの単語集」と「単語が多めの単語集」があります。 で、桐原・東京書籍・旺文社は、実は単語が多めの単語集です。 高校単語の範囲は広いので、少なくとも4500語レベルについては、まずこの3冊のうちの2冊が、受験までに、ほぼ必須で必要です。 しかしこれだけだと、論理的な知識が不足します。桐原などの単語数が多めの単語集などでは、スペース不足などの都合で解説できない知識が、いくつもあるのです。 そういうのを、予備校などの補足的な単語集で補う必要があるのです。だからもう高校2年の半ばあたりから、予備校系の単語集も読み始めてしまうのも、良いかもしれません。 ですが、あくまで予備校単語集「も」です。基本はまず、桐原・東京書籍・旺文社のような、高校英語を一通りカバーしている単語集をベースにするべきでしょう。 === 単語の練習法 === かといって、いきなり高校1年で入試対策レベルの単語集を使っても効率が悪いので、まずは基礎レベルの単語から始めるのが良いでしょう。 読解練習や文法練習よりも先に、単語力を増やす練習が大事です。熟語集の暗記よりも先に単語集あるいは単語・熟語集の暗記を優先してください。 標準レベルの3000語レベルの単語が高校2年あたりでひととおり終わったあたりから、桐原・東京書籍の4,500語に加えて予備校など受験対応の単語集も買って練習します。まだ、平均レベルの単語集を覚え切れて無くても構わないので、受験レベル(4500~5500)の単語集を勉強します。 学生・受験生の勉強科目は、数学など、英語科目以外にもあるので、大変でしょう。ですが、うまくスケジュールを工夫して時間を作ってください。 さらに単語を定着させるためには、英文読解やリスニングなどの単語以外の他の練習もします。 === 単語集のレベル別の利用法 === ==== 初級レベル(1700~1800語)はまず不要 ==== 中学できちんと勉強してきた人なら、初級レベル(1800語)レベルの 単語集には、高校生には不要です。これは、どちらかというと中学3年~高校受験用のものです。 普通に受験勉強をしてきて偏差値48以上ぐらいの人なら、1800語レベルは買う必要はありません、。 本屋で表紙を見ると「高校基礎レベル」とか書いてあるかもしれませんが、ウソではないですが誤解を招く表現です。表紙の宣伝文句は信用しないでおくのが安全です。 この1700~1800語レベルは、おおむね英検3級レベルか、それに毛の生えた程度です。英検3級と英検準2級との間には、かなり難度の開きがあるので、このレベルの教材は英検教材コーナーにはないので、これはこれで1700~1800語レベルは出版・販売されてると便利です。 この1700~1800レベルの後半を見ると、中学で習わない単語も書いてありますが、しかしそれを買わなくても3000語レベルにも同様の単語が書いてあります。 たとえばある1700レベルの単語集で injure (けがをする)という単語を見つけましたが、同じ出版社の 3000語レベルでも同じ単語がありました。 わざわざ初級レベルの単語集で練習しなくても、中級(3000語レベル)の練習での例文の書き取りなどのついでに、自然と初級レベルの単語のスペルも身についていきます なお、初級レベル(1700~1800)の単語集の中に書いてある「高校1年 基礎レベル」みたいな難度の情報は、あまり信用してはいけません。(実際に買ってみて読んで確認しました。)ある単語集でそのレベルの単語を確認したら、いくつも中学レベルの単語がありました。 year (年)とか month (月)とかの中学で習ったはずの単語が、「高校1年 基礎レベル」になっていました。 どうしても1700~1800語レベルを活用するなら、どっちかというと単語練習よりも、高校受験のレベル確認用と言うか、「高校受験の終わり~遅くとも高校1年の1学期の終わりまでには、大体この程度の単語は出来るようになって欲しい」といった確認のためのツールでしょうか。 ==== 3000語レベル ==== ===== 基本 ===== 特別な事情がないかぎり、高校生は3000語レベルから単語集を勉強すると良いでしょう。 いきなり3000語を使うのは中学と高校の橋渡しに不安かもしれませんが、しかし出版社側が3000語レベル本の冒頭の第1章で、中学単語の復習およびそれを高校の視点で理解しなおす勉強をしてあります。桐原と東京書籍のどちらとも3000語レベルの本の第1章は、そういう中高の橋渡しのための単語の紹介です。 逆に、4500語レベルの本には、そういう橋渡しが書いてないので、高校1年では4500語レベルは不適切です。 * スペル暗記の対象について スペルの暗記について、実は中級の単語であっても、すべてを暗記する必要はないし、すべてのスペル暗記は面倒です。優先して覚えるべき単語は、知的レベルの高い単語です。 また、東京書籍『コーパス』シリーズの単語集の前書きを見てみると、実は3000語レベルは「受信語彙」としており、つまりリーディング用の語彙にすぎず、受験の英作文などでは高校新出単語の多くは基本的に用いないことを想定しています。 受験では短時間に英文を書かないといけないので、中学レベルに毛の生えた単語力に、若干の高校中級レベルの単語を加えて、それで英作文を完成させれば十分なのです。もちろんビジネスの仕事の英文とは違いますが、そういう実務の英作文はそういう専門家の大人にまかせればいいのであり、高校生には関係ないです。 東京書籍の意見ではないですが、具体的に単語例を挙げて説明するなら、たとえば respond「応答する」 と nod 「うなづく」だったら、respondのほうを優先してスペルを覚えなければなりません。 なぜなら、respond のほうが名詞形の response などもあり、応用が多く、意味も広範であり英作文などで使わざるを得ない可能性が高いからです。一方で nod のほうの用途は、誰かがうなづく場面どまりです。また、ノッドの名詞形や形容詞形はないと思います。 また、nod はビジネス英語などでも agree 「賛成する」で言い換え可能です。入試の英作文ですら、ほとんどの場合は agree で十分でしょう。 この nod のように、利用価値の低い単語は、スペル暗記は後回しです。せいぜいリーディング用に「そういう単語もあるんだなあ・・・」と知っていれば十分です。 実は中堅私大や地方国立の英文の単語は、学科によっては案外センター試験ほど難しくない場合もあります。 さて、残念なことに、高校の単語集あたりから、だんだんと英語教育の質が形骸化しており、単語集がやみくもに単語数を多く紹介したいあまりに説明不足になってきています。 たとえば中級単語で content (満足する)という形容詞があるのですが、じゃあ satisfied (満足する)とどう違うのかは、単語集には書いていません。なぜならcontent は中級レベル、satisfied は初級レベルの単語なので、本を別冊にまたいでしまうからです。こういう縦割り教育なのが現状です。 辞書で content を調べるような思慮深い人は、他の単語を覚える勉強時間が不足してしまうので入試では不利になってしまうわけです。ひどいもんです。 * 2冊買うべきかどうか 3000語レベルの単語集(桐原『データベース3000』や東京書籍『コーパス3000』)については、2冊そろえるべきか1冊に集中すべきか、判断が分かれるでしょう。実際に各自が単語集を読んでみて判断してください。べつに2冊あっても構いませんし便利ですが、他の教科の勉強などもあるので、難しいところです。 旺文社の『英単語ターゲット1200』も、中級レベルでしょう。 あるいは、2冊そろえれば例文の数が単純計算で2倍になるので、辞書でいちいち高校レベルの例文を探す手間が減りますので、2冊目の単語集にはそういう活用法もあるかもしれません。あるいは、問題練習とかの手間を2冊目の単語集で減らせるかもしれません。 このように2冊目の単語集は便利かもしれませんが、しかし目的が上級レベル(4500~5500語)と中級レベル(3000語)では違います。 まあ各自がどうするか判断してください。 なお、東京書籍『コーパス3000』は、数字だけ見れば桐原『データベース3000』と同じですが、しかし東京書籍のほうで3000語レベルのもの(たとえばinjure)が桐原の4500語レベルに書いてあったり、あるいは別の単語ではその逆で桐原3000レベルの単語が東京書籍4500語に書いてあったりと、あまり分類は明確ではありません。 ===== 3000語の語法は初めは深追いするな ===== 偏差値の低め~平均程度の大学のなかには、4500語レベルの単語をあまり出さない代わりに、3000語レベルの範囲の単語で、やたらと細かい語法を要求する問題もあります。 しかし、4500語レベルや5500語レベルも勉強する一方で、いつまでも3000語の語法ばかりを覚え続けるわけにもいきません。 だから勉強法としては、極端なことを言えば、3000語の語法を熱心に練習するよりも先に、まず4500語レベルの単語集で一通り、単語の訳を暗記したほうがマシです。 実際、入試問題にも、そういう傾向もあります。 文系私大の偏差値50前後の平均的な大学が3000語レベルの細かい語法を4択問題などで聞いてくる一方で、文系私大の偏差値60くらいの大学のある出題が、4500語レベルで単語の和訳の丸暗記だけで4択問題が解けてしまう、といったような出題事例も少なからずあります。 ==== 上級レベル(4500~5500)の単語集について ==== ===== 原則 ===== もし大学受験を目指しているなら、高校3年くらいになったら、4500語+アルファの単語集にステップアップします。ここでいうアルファは、予備校などの出している、補足的な単語集です。 いっぽう、桐原の5500語レベルの単語集は、あれは志望校などの傾向の確認用などで、辞書的に使うものです。 桐原5500をメインにするべきではありません。桐原4500語または東京書籍4500語を一通りクリアしたのなら、メインの単語集としては旺文社1900または予備校系の単語集に入るべきです。 5500語レベルの単語集の使い方なのですが、かなり難しいです。ここでいう5500語レベルとは、桐原『データベース5500』を想定しています。 旺文社の(1200ではなく)『英単語ターゲット1900』は、実はやや高レベルです。東京書籍4500・桐原4500にはない単語でも、旺文社1900には記述されていることもあります。なお、それらの単語の元ネタは、受験過去問もありますが、じつは英検2級~準1級あたりです。 旺文社のは、数字の小ささにダマされてはいけません。桐原や東京書籍の数字とは、旺文社の数字は意味が違います。 桐原4500はその装丁の厳めしさなどに比べて、実はやや単語のレベルは控えめです。東京書籍も桐原のスタイルを踏襲しているような所があり、やや控えめのレベルです。 だから旺文社は、派生語などで、桐原・東京書籍が紹介してない単語をポンポンとたくさん紹介しています。 このため、現代でも勉強法としては、「まずは高校2年の終わりまでに東京書籍または桐原の出している高校用参考集をベースに勉強。高校3年あたりで旺文社のレベル高めの単語集を買い足して勉強する」といった感じになるでしょうか。 4500語レベル単語集では、桐原と東京書籍のどちらの単語集でも不足です。なぜなら、単語集1冊だけでは、例文不足かつ解説不足により、あまり役立ちません。なので少なくとも上級レベルだけ、出版社を変えて2冊、必要でしょう。東京書籍4500+旺文社1900にするか、それとも桐原4500+旺文社1900にするか、判断は読者に任せます。 具体的に単語をあげて説明すると、たとえば「限定する」という意味のrestrict と confine、ともに似たような意味ですが、単語集には意味の細かい違いは書いていないか、書かれていても強調されていません。 桐原の単語集だとこの2つが類義語だという情報はあるのですが、しかしニュアンスの違いが説明不測です。 一方、東京書籍および旺文社だと、restrict を「制限する」の意味で説明しているのでニュアンスの違いは分かりますが、しかしconfineと類義語である情報が欠落していました。 さてconfine のほうが、「地理的に制限する」=「閉じ込める」のような意味合いが強いのですが、旺文社の単語集だと「閉じ込める」の意味もあるのですが、しかし桐原の単語集にはそこまで書いていないのです。 かといって東京書籍のほうには、confine の「限定する」の意味が書かれていません。 また、restrictは(限度内に)「制限する」という意味もあります。むしろ、こっちの意味で紹介している単語集もあります。 どちらの単語集を使うにも、例文が不足しており、ひとつの単語集だけでは意味がまったく分かりません。困った教育状況です。本来なら入試に出題する単語を減らすなどして理解を深めさせるべきでしょうが、しかしそういった教育が出来ていないのが日本の現実です。 それでも、まだしも大学受験用の単語集は、なんとか教育効果を高めようとした形跡も見られるのでマシです。なので、単語集を2つ組み合わせると、なんとか役立ちます。一方、TOEIC 高得点用の教材とか英検の1級あたりの教材の単語集とか、やたらと単語数を多くしているばかりで、ひどいものです。(資格本の活用法については別セクションで述べる。要点:出題傾向を把握する目的だけに英語資格本を使う。) なお、桐原の場合、紹介する単語数そのものは旺文社などと比べて減りますが、その代わり、桐原の密度の高さが長所であり、桐原では他の単語集には無い語法などを紹介しているなど、単語1つあたりの情報量が桐原では増えています。なので、桐原の単語集も油断はできません。 一見すると、桐原の単語の項目のひとつずつの情報量は多くないように見えますが、しかし、桐原では別ページの紹介単語を用いた熟語をまとめたページなどがあるので、それを含めると桐原の単語ひとつあたりの情報量は多くなります。 かといって高校生としては、英単語集ばかりをそう何社も比較して勉強するのは無理でしょうから(数学など他教科の勉強も必要だし、英語の勉強も単語以外にも読解練習やリスニングなど多々あるので)、受験では結局、すべての単語は覚えきれない状態で挑むことになるでしょうか。 大学受験もその後の資格試験も、けっして満点はとる必要は無く、人生の目的に必要な志望校などの合格最低点を上回って合格さえ出来ればいいのです。 別に大学受験の英語に限った話ではないですが、大学受験において、平均以上の大学の入試では満点をとるのは基本的には困難であり、普通は満点は無理です。小中学校の校内テストと事情が異なります。 ===== 4500語以上のスペルは実は覚えなくていい ===== 実を言うと英語のスペルの暗記については、4500語レベルおよびそれ以上のレベルの単語のスペルは、まず覚える必要が低いです。 なぜなら英作文や和文英訳であまり使わないからです。 また、桐原5500や、東京書籍4500の後半部の単語などは、実はもうその1~2回のスペル練習すら、しないでも済むのです。おおよそのスペルと用法のイメージを頭に入れれば十分でしょう。 また、グローバル人材の育成などを目指す大学ならば、英作文などを要求してくると思いますが、だったら英作文で使うようなレベルの中級英語(4500)で十分なのです。むしろ、4500語レベルですらスペルミスなく習得していたら、かなりの勉強家です。 ましてや5500語レベルの単語については、読解問題で出題されたときに意味を把握できればいいのです。 仮に、桐原5500語レベルの単語のスペルを暗記させる問題を出す大学があっても、どうせ他の現役受験生の多くも解けない問題なので、実質的にスペル暗記は5500語レベルでは無視していいでしょう。 一部の浪人生で文系専願の人なら解けるかもしれませんが、難関大を目指して4浪だの8浪だのしている連中と、現役生は張り合ってはなりません。 TOEICなどの国際的な資格試験では普通、書き取りをしません。なぜなら採点の手間の都合で、TOEICでは選択問題ばかりです。大学側が入試で入学後のTOEIC対策などを考えた出題をしたとしても、スペル対策はもはや不要なのです。 英検でスペル暗記を使うかもしれませんが、しかし英検は日本でしか評価されません。 桐原5500は論外として、 正直、時間的に現役高校生が、桐原『データベース4500』と東京書籍『コーパス4500』または旺文社『英単語ターゲット1900』を使いこなすレベルにクリアするのですら、高校3年間では少しキツいと思います。たぶん多くの高校生は予想では3年生のときに「上級レベルの単語集の用法や用例を覚えている最中に、時間切れで、高校3年の卒業式を迎える」という結果になると思います。なぜなら、このレベルで、急に単語を覚えるのが難しくなるからです。かといって中級レベルまでしか勉強しないと、卒業後の実務のリーディングにも不便なので、上級レベルを高校3年で教えるのにも意義のあることなので、教育者には悩みどころなのでしょう。 なので勉強法としては、4500語レベルをクリアできなくてもいいので、ある程度の勉強をしたら、予備校などの出しているレベル高めの単語集をいくつか買います。 諸般の事情で、東京書籍・桐原・旺文社が紹介していないが、高校生に勉強してほしい定番の単語みたいなのがあって、そういうのが予備校系の単語集で紹介されています。 ==== 予備校の単語集は何をしているか ==== 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の1990年代ごろまでの高レベル単語集には書かれていた単語があります。 そういう単語が、難関大学で狙われるかもしれません。 旺文社1900や桐原・東京書籍4500語にない単語の正体のひとつは、そういう昔の課程の単語です。 で、それが予備校系の単語集の元ネタのひとつでもあります。 東京書籍・桐原の3000語レベルや4500語レベルで旅行会話のような実用英語が増えたりビジネス英単語などが増えたので、昔なら4500語レベルに書いてあった単語のいくつかが今は5500語レベルにハミ出ているのです。 なので、予備校などの出す、受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。そういうハミ出た単語だけ、あとは予備校系の単語集で抑えておけば十分なのです。 予備校の単語集を見てみましたが、実はそれほど特別な英単語はないのです。また、じつは、桐原4500などの学校向け単語集の単語すべてを均等に覚える必要はなく、やや傾向があります。 たとえば旅行英語で使う単語など、検定教科書にあるから桐原・東京書籍は紹介しているものの、あまり大学が重視してない項目もあります。 だから、桐原/東京書籍 に加えて、旺文社ターゲット、さらに別の予備校系などの高校3年レベルの単語集を何か1~2冊つかって知識の穴埋めをすれば、もう十分でしょう。 もしかしたら、高校2年からもう、予備校の出版している難関向けの単語集を使ってもいいかもしれません。 市販の予備校の単語集を見ても、けっして、桐原5500語レベルの単語を片っ端からは教えていません。桐原5500のアレは、高校生には習得が無理だと思われているのでしょう。 ==== 受験英語の特殊事情 ==== 大学受験英語の特殊な事情ですが、明らかに高校範囲外で実用的にもメッタに使われていない英単語が難関大学で出されており、当然に読めないのですが、しかしなぜか他の文章の単語から文脈にとって意味をとれるようになっています。 もちろん、現実ではそんな好都合なことは滅多に無いのですが、受験の英文はたいてい都合よくそうなっています。 また、万が一、他の英文の文脈から読めない単語が出ても、どうせ他の多くの受験生も解けないので、そういう問題は解けるようにしておく必要がありません。 ともかく、入試対策としては最低限、東京書籍4500・桐原4500をベースに、さらに旺文社1900で派生語を固める必要があります。 しかし、それとは別に、予備校などの出す、プラス・アルファ的な受験レベルの単語集が1~2冊は必要です。 歴史的な事情で、今の4500語レベルの単語集には書かれていないが実は昔の高レベル単語集には書かれていた単語があって、4500語と旺文社1900をひととおりクリアしたあとは、そういう歴史的経緯のある単語だけ予備校単語集で攻略すればいいのです。 ==== 英単語集の読書計画 ==== 最初から高校在学中の読書計画に、英単語集の読書を想定して組み込んでおくと良いでしょう。また、桐原・東京書籍・旺文社あたりに基本の単語集とは別に、他社の少しだけ発展的な単語集を読書感覚で読むと良いでしょう。 高校必修の範囲を越えた単語や派生語などは、読書感覚でひととおり解説に目を通すだけの単語集の勉強でも十分に対応できる場合も多くあります。 しかし、いちども読んだこともない単語は、さすがに入試で対応できません。だから、一度でも解説に目を通してしまえば、済む単語も多くあるのです。 なので、広く浅くでいいので、読書しておく必要があります。 === 大学受験に必要な単語量について === 一般に、大学受験で、難関な学校の英語を読み解くには4000語程度を知っていることが望ましいといわれる。しかし、実際には近年センター試験でリスニングが導入されたことに代表される通り、英語の学習は、単に知識の量を問うよりも、より実践的な場面で言語能力を適用する方面の能力を重視するようになっている。 そのため、単純に単語数だけを増やすのではなく、単語の発音や用法を覚えることにも力を注ぐことが望ましい。 具体的には、まずは3000-4500語程度を使いこなせることを目指すのがよいだろう。 === 単語の小テストばかりを受けても、復習しなければ単語力は身に付かない === 学校や塾で、単語の小テストを受けさせられる場合もあるでしょう。「単語集の○○ページから△△ページまでを小テストで出すので、書き取り練習して覚えるように」という小テストです。 たいていの高校生の場合、予習はテスト前にしますが、いっぽうで復習をしているかどうかは、個人任せです。 ですが、小テストをいくら受けても、復習しなければ、単語力は増えません。 もし、単語の小テストを受けたままで、その後は復習せずに、ほったらかしにしてしまったら、何も単語力が伸びません。 単語テストは、テストを受けた後に、自分の未修得の単語を復習するために存在しているので、テスト後に復習をする必要があります。(もちろん、テスト前に予習も必要である。予習をしていれば、未修得の単語が減るので、復習の単語数が減る。) 要するに、小テストの使い方は、全国模試の使い方と同じです。 全国の高校や塾のうちの一部では、どうも、小テストの目的を忘れていて、「とにかく毎週、単語の小テストをすればいい」と安易に考えているような教育も、ある気がします。 ここを読んでいる読者高校生は、小テスト本来の目的を思い出して、小テスト後には復習と予習をしましょう。 さて、たいていの高校や塾では、1週間に1回のペースで、単語20〜50語ほどの記憶をはかる小テストをしていると思います。 1週間ごとに50語ほどのペースで単語小テストをしていれば、充分にハイペースですので、それ以上は週あたりの単語数を増やす必要はありません。(英語が好きなら、さらに勝手に単語数のペースを増やせばいいだろう。) 裏を返せば、復習をしきれない量の単語小テストを毎回受けさせられても、非効率です。例えば、1週間ごとに300語の単語小テストを高校で受けたとしても(ただし高校1年の1学期だと、中学英語の復習で、そういう数百問のテストもありうる。しかしそれは期間限定)、そんなに英単語ばかり復習しきれないでしょう。(数学など他教科の勉強もありますし。) 万が一、そういう高校や塾の場合(1週間に300語の単語小テストの場合)、その高校や塾の小テストは後回しにして、自分で単語を予習・復習しましょう。 ただし、定期試験や期末試験などで、今までの単語小テストの合計の数百語のなかから単語が出題される場合は、多くあるので、その復習はしましょう。つまり、学期内の小テストは、その学期中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるだろうが・・・) 夏休み明けや、冬休み明けに、前の学期の小テストの範囲内の単語が出題されたりしますので、休み中にも、復習しましょう。(予習も忘れずに。小テストは最終目的ではなく、入試合格などが、より本質的な目的なので。) 同様に、3学期の年度末の期末テストなら、1年間の小テスト範囲の合計1000語ちかくがテスト範囲に含まれる場合も多いので、その復習はしましょう。つまり、年度内の小テストは、その年度中に復習し始めましょう。(どのみち、テスト後にも補習などがあるが。) == 文法 == === 完璧な文法理解はあきらめる === ==== 背景 ==== 高校では、中学英語の不正確な文法を、修正するような内容も習います。 しかし、だからといって、けっして完全にネイティブ級な英文法を目指してはいけません。高校生には無理です(大学生ですら無理だろう)。それこそ、米英生まれの人以外は、もう専業の英語教師みたいに年以上も勉強しないと到達できない水準の世界です。 なので、大学受験で要求される文法は、せいぜい、大学受験用のどの参考書にも書いてあるレベルの基本的な文法さえ理解できればいいのです。 そういう基本事項さえ押さえていれば、少しくらい文法が不正確でも、たぶん大学受験では多めに見てくれます。仮に多めに見てもらえなくても、もうそこまでの対策の時間は高校生にはありません。 じつは、受験参考書の文法解説すら、本当はまだまだ説明不足です。ですが、大学受験参考書を超える内容はもう、高校生には時間的には無理だし、数学など他の教科の勉強も必要なので、あきらめる必要があります。 これはつまり、大学受験の英作文でも、実は少しくらいマチガイがあっても良いのです。どの参考書にもある基本的な文法事項さえ押さえてあれば、少しくらい文法が間違っていても、大学は許容するでしょう。(許容しない大学があっても、英数学など英語以外の他教科の勉強を無視した大学なので、無視していい。なお、国公立の東京外国語大学では、受験生に数学を要求しています。) 日本人と外国人の立場を変えれば分かります。日本在住の外国人タレントとかで、もう十年以上の長いあいだ日本に住んでいる人ですら、ときどき文法ミスをしますし、日本語の発音も日本人とは少し違います。ですが、それを日本社会は許容します。 英語でも同じことです。向こうの国の人は、少しくらい日本人の英語の単語の並びや発音がヘンでも、話の内容がシッカリしていれば、聞いてくれます。 ==== 対策 ==== 上記のような背景のため、大学受験対策の英文法の勉強としては、せいせい平均レベルの問題集をせいぜい2冊ほどクリアすれば十分です。せいぜい、複合問題とかを解ければ、充分でしょう。 もっと言うなら、'''英作文の入試問題の場合、文法がすこしくらい間違っていてもいい'''のです。どの教科書・参考書にも書いてある基本を学んだ形跡さえある英作文を書ければ、あとは意味が通じれば、たとえば英作文中で冠詞がすこしくらい抜けててもいい、もしくは余計な冠詞があっても良い(本来は冠詞をつけない名詞に a とか the とか書いてもいい)のです。(ただし、あくまで「意味が通じるなら」の条件つきです。冠詞を間違えると意味が通じない英作文の場合は、間違えてはいけません。) 英作文の問題なんて、せいぜい英作文の参考書を数冊と、あとは普通の英文法の参考書の内容を押さえておいて、一通り学んだ形跡さえあれば、あとはもう小さなミスは受け入れるしかありません。仮に入試でその文法ミスが減点されようが、もう対策の時間がありません。 たとえば、日本語訳に引っ張られて、英語では、その単語には使わない冠詞をつけくわえても、そういうミスはもう、受け入れるしかありません。「英語以外にも日本語の知識も多いがゆえに、間違えてしまう」という類のミスは、もう受け入れるしかないのです。 日本語の学力に限らず、数学の学力でも理科でも社会でも、'''他教科の学力が高いがゆえに発生しやすいミスは、受け入れるしかありません'''。仮にこういう知識の多さゆえのミスをひどく減点する採点者のいる大学があっても、そういう大学はあまり教育水準が高くないので、もう相手しないほうが良いです。 また、辞書や一部の参考書のコラムにしか書いてないような細かい文法はもう、いちいち覚えてられないので、間違えてもいいのです。 また、仮に文法にミスが無くても単語にミスがあれば英作文では減点されかねないので、単語を学ぶほうが重要です。 ともかく英作文では、けっして「小さなミスを避ける」という発想ではなく、「'''大きなミスをなくすために、小さなミスを許容する'''」という発想の転換のほうが重要でしょう。 大きなミスにつながりかねない、文型とか過去形・完了形とか仮定法とか関係詞とか、「もし間違えると、意味がまったく変わってしまったり、逆の意味になってしまいかねない」という、そういう単元を重点的に身に着ける必要があります。いっぽう、助動詞などの高校で習うような微妙なニュアンスの違いとかは(たとえば助動詞 will は、「明日は日曜日だ」みたいな確実な未来では使わないというニュアンスがある)、間違えても小さなミスですので、ある程度は小さなミスを英作文では妥協する必要があります。 英作文では、よほど簡単な文でない限り、ミスは無くせません。また、だいたい英作文を要求してくる大学は、そこそこの長さの英作文を要求してきます。よって、ミスをゼロにしようという発想では、ネイティブ以外では対処できません。 たとえば、英作文がまったく逆の意味に受け取られてしまうような大きなミスは、避けなければいけません。また、そもそも米英人に通じないような文章も、避けなければいけません。 しかし裏を返せば、英作文で少しくらいニュアンスが変わってしまっても、教科書レベルの文法をきちんと押さえていて、もとの和文の意味の90%くらいが通じるなら、ミスは受け入れざるを得ません。 ;大学入試も英検・TOEICも単語重視 文法の要求水準がそんなに高くないので、平均的な文法問題集をクリアしたら、そのあとは単語などを勉強したほうが良いと思います。 もし仮に、文法で難問を入試に出してくるブランド大学があったとしても、そういう大学は単語力も多く要求してくるでしょうから、文法の難問よりも単語力の増強に時間を当てたほうが良いでしょう。 英検など検定試験では、単語については大学受験を超える単語も要求されます。しかし文法については上述の通り、大学受験を超えるような文法理解は英検・TOEICですら要求されないです。世間の人は、そもそも受験参考書を超える文法知識の存在そのものを知らない人すらも多くいるくらいです。 === 参考書で勉強する === 高校英語の英文法の勉強は、検定教科書ではなく参考書で勉強するのが定石、基本です。 なので、まずは参考書を買い始めましょう。普通科高校なら、おそらく高校の入学時、検定教科書の購入と一緒に、参考書も買わされると思います。 もし大学受験を考えるなら、英文法の参考書を買わなければなりません。 とりあえず、下記に後述する網羅形式の本を持っていれば、ひとまずは安心でしょう。 === 高校英文法は例外も多い === 中学の英文法の教育では、規則的・論理的な文法事項だけが取り上げられたのですが、高校は違います。 このことからか、高校英語では英文法の参考書のスタンスがいくつか分かれています。 1. 例外的な事例にはあまり深入りせず、基本的な事項を重視したスタンス 2. 辞書的に、英文法のあらゆるパターンを網羅的に掲載したスタンス があります。(実際にはこの中間の編集方針の参考書もあるが、説明の都合上、二極に単純化することにする。) 予備校系の講義形式をうたった参考書のいくつかや、高校英文法の入門書などの参考書のいくつかは、基礎的な重要事項を特に重視したスタンスです。(そのため、例外的な事項の説明は省かれているか、少なめです。) いっぽう、高校にもよりますが、高校で配布されるような昔からの、いかめしい感じのする参考書は、辞書的・網羅的なスタンスの参考書です。 センター試験などを考えるなら、網羅的なスタンスの文法参考書を最終的には読んで覚えざるを得ません。 一応、網羅本だけでも受験対策は可能ですが、塾や予備校などに通ってない人や、高校の授業の質に不安のある人は、さらに基礎的な事項を重視したスタンスの文法参考書もあると良いかもしれません。 例えば理系の中堅私大などで、あまり例外的な文法事項を要求するとは思えません。 ただし、これは私大の場合の話です。国公立の志望の場合は、共通試験を対策せざるを得ず、そのため二次試験がどうなっていようが、その対策のために辞書的・網羅的な参考書を読まざるを得ません。 TOEICなどの資格試験が近年重視されており、大学でも私大などで推薦入試や自己推薦などでTOEICの成績を考慮する大学も多く、企業もTOEICを表向きには重視していますが、TOEICは文法教育における論理性や高校生の論理性の涵養に配慮する義務はありません。なので、この問題の逃げ場は、大学受験にはありません。TOEICが果たして本当に実用英語かどうかはともかく、世間一般で「実用英語」だろうとは言われています。 === 網羅本でも全部の構文は紹介していない === 例えば比較級の構文「A is B no more than C is D」は、ある参考書(網羅本)には紹介されていませんでした。 高校英語で習う構文は多いので、複合的な構文などは、網羅本といえども一冊の参考書では紹介しきれないのです。 もし英語だけしか学習しないので済むのであれば(実際は違いますが)、英文法の網羅本の参考書を2冊や3冊も読み比べることで自分にあった参考書を選べばいいですが、しかし他教科の勉強もあるので、そうはいきません。 悩みどころです。各自、うまく対応してください。 また、大学生・社会人向けの厚めの文法参考書でも、すべての構文が書いてあるわけではないです。例えば『ロイヤル英文法』という大人向けのやや専門的かつ高度な英文法参考書がありますが、「all the +比較級」の構文は書いてありませんでしたし、巻末の索引を調べてもありません。 だから、大人向けの文法参考書を読んだところで、この問題「網羅本でも全部の構文は紹介していない」は解決しないのです。 === 時間配分 === 文法の学習は当然に必要ですし、入試にも良く出ます。しかし、文法の学習にばかり時間を掛けてはなりません。 高校に入学すると、高校の範囲の文法事項を、おそらく学校や塾などで急に教わり始めるでしょう。それらの文法の新知識の学習も大事ですし、当然に学習するべき知識ですが、読者のみなさんは英単語の学習も欠かさないようにしてください。文法なんて覚えることも少ないし、大学受験をするなら最終的には大学受験のころにまで文法を覚えられれば良いのです。なので文法の難問を練習する時間があるなら、それよりも、まず先に単語を優先的に勉強して語彙力を増やしたほうが効率的でしょう。 また、入試の文法問題も、文法の知識だけで解ける問題は少なく、単語の知識や語法の知識などと組み合わせないと解けない問題なども、入試では、よく出題されやすいです。なので、単語の知識が、大学受験対策では優先的に必要なのです。 2010年以降なら、中学校で、すでに大まかな文法の枠組みは習っています。2022年では、仮定法すら中学校で習っているはずです。もはや高校で習うのは、無生物主語など若干の単元と、あとは仮定法過去完了だとか、現在完了進行形とかくらいです。 そういった合わせ技は、それほど熱心に勉強しなくても、入門的な問題集などで問題練習すれば、普通に習得できます。 === 高校英文法は実は少しウソ知識 === 高校生用の文法参考書は、高校標準レベルの参考書は、基本的には、中学英語の復習も兼ねています。 このため、普通なら、高校1年生は復習のためにわざわざ中学参考書を買いなおす必要はないです。 それよりも重要なこととして、実は高校英語の文法参考書には、不正確な知識があるという事です。中学英語が理解重視のため少し不正確でかなりひどいカタコト英語が中学生用の参考書・教科書にあるので、同様に高校の英文法も少しだけ不正確なウソの知識があるのです。 さて、単語集では基礎レベルの単語集の前半が、中学英語の復習を兼ねているように、実は高校英文法の参考書も、少なくない割と多くの部分が中学の復習や、中学で習った分類など理解の再構成を兼ねています。 単語集ほどではありませんが、高校の文法参考書でも、あまり序盤にある中学文法の復習の部分には、高校でも深入りする必要がないことが、上述の考察・市場調査などから分かります。 また、このことに気づけば、つまり単語以外の知識で、一部の参考書にしか紹介されていない細かい文法の理論的な知識は、入試対策としては覚える必要が低いことが導かれます。単語集だと、細かい発展的な単語も入試に出ますが、しかし文法書については事情が違います。高校英文法には、深入りせずに、広く浅く学ぶのが安全でしょう。 文法参考書に書いてある知識がそもそも初学者の理解しやすさを重視したためのウソ知識なのですから、むしろ、けっして鵜吞みにして深入りしてはイケナイのです。 ほか、使用頻度の少ない表現など、参考書によって説明が微妙に食い違っています。たとえば接続詞 lest は、ある参考書では、「文語的であり、あまり使われない」と主張する一方、他社の参考書では「(for fear よりも)頻度は lest のほうが高い」(ジーニアス)と主張していたりします。 こういうふうに、細かい表現の英米での利用状況には諸説あるので、あまり参考書を鵜呑みにしすぎないようにしましょう。 === 大学生向けの参考書は例文不足 === 大学生むけの参考書は高校生向けのものと、用途がやや異なります。 高校生は、高校生向けをターゲット層にした一般の高校生向けの英文法参考書を中心に勉強しましょう。 === 細かなニュアンスの違いは覚えなくて良い === 受験勉強では、細かなニュアンスの暗記よりも、英単語をたくさん覚えなければなりません。また英語以外の国語や数学などの勉強も必要です。 参考書で勉強をする際、あまり細かなニュアンスの違いの暗記に入り込まないように注意してください。 実際、ある検定教科書でも、文法事項の類似表現などは、たとえば Would you ~? と Could you ~? などの依頼表現としてのニュアンスの違いは説明していません。せいぜい、 「Please と比べたらWould You および Could you は丁寧な言い回しである」という程度のニュアンスさえ把握できていれば大学受験レベルでは十分です。 参考書にはもしかしたらもっと細かいニュアンスの違いなどが書いてあるかもしれませんが、そういう詳細な情報はせいぜい参考程度にしましょう。 実は参考書でも、もう細かいニュアンスの違いは教えていない書籍も多くあります。 つまり、大学受験用の英語参考書には2種類あり、 :ひとつは受験用に入試に出る最低限のことだけを教える参考書と、 :もうひとつは細かいニュアンスの違いなども教える参考書と、 そういう2種類があります。 なお、上記とは別に英語研究者用の文法参考書がありますが、大学受験には全く対応していないので間違えて購入しないでください。 最低限のことを教える文法参考書の例として、ジーニアス英和辞典を出している大修館書店は高校生向けの文法参考書(『ジーニアス総合英語』)も出していますが、しかし文法参考書のほうでは辞書ほど細かいニュアンスの違いを説明していないのが現状です。 特に新共通試験(旧制度のセンター試験に相当)などの公共機関の試験や、英検・TOEICなどの資格試験では、細かいニュアンスを問う問題はまず出題が難しいでしょう。西暦2000年以降、国公立人気などでセンター試験や新共通試験の影響がどんどん強まっている影響も考えれば、文法学習であまり深入りニュアンスに深入りするメリットは残念ながら少ないのが現状だろうと思います。 それが英語教育として良いかどうか不明ですが、現在の大学入試の対策として要求される文法教育とはそういうものです。 基本構文などの細かなニュアンスの違いは、英会話などではそれなりに重要ですが、しかし入試や画一的な資格試験では英会話をそこまで細かく採点できないので、したがってニュアンスの違いに基づく使い分けもそれらの試験では出題されづらいことになります。新共通試験にリスニング試験はありますが、しかし実際に会話をさせる試験はありません。 裏を返せば、細かいニュアンスに深入りした文法参考書は、高校卒業後の英会話などの英語学習などのステップアップで使うのが効果的かもしれません。 高校の文法参考書の題名は、「文法」と書いてあるものを選んでもいいですが、2022年の書店で確認したところ『総合英語』と書かれている参考書も文法事項が中心的です。 === 各社ごとの注意 === 参考書えらびの際に、高校1年生がたぶん勘違いしそうなことを、述べておく。 * 大修館「ジーニアス」と数研出版「チャート式」の細かさ 大修館「ジーニアス」ブランドは、辞書では昔から細かい説明で有名であり進学校などではジーニアスの辞書が勧められるとの噂も昔からよくあります。ですが、しかし「ジーニアス」ブランドの文法参考書はあまり細かくありません。注意してください。 別に細かい文法参考書がいいだの悪いだのという話ではなく、ともかく、辞書のような細かさを「ジーニアス」文法参考書に期待してはいけません。用途が違います。 いっぽう、数研出版のチャート式の文法参考書のほうが、多くの構文が細かく網羅的・羅列的には書いてある傾向にあります。このため、1990年代の昔からよくチャート式の一番難しいバージョン(白・黄・青など色々バージョンがある)が進学校などでの参考書として配布されることもありました(かつては赤チャートが難しかったが、現代は赤が廃止され次点だった青チャートが一番難しいバージョンになっている)。 ただし、果たして2020年代の現代の入試にもチャート式が効果的かどうかは分かりません(会話重視・リスニング重視や単語重視など、入試の流行の変化もあるので)。 * 文英堂「インスパイア」と学研の参考書の入門者対応 なお、かつて文英堂『シグマベスト』というシリーズが、1990年代~2001年くらいは高校入門レベルの参考書として定番だったが、現代はそもそも英語のシグマベストが無いのと(英語は『インスパイア』に変更)、しかし同社・文英堂の『インスパイア』は、難しめです。高校生むけの一般的な参考書のなかでは、たぶんインスパイアが一番情報量が多いと思います(青チャートよりもインスパイアのほうが説明が細かいです)。 暗記科目なので、難しくても、とりあえず読めますが、しかし『インスパイア』のレベルはやや受験レベルを少し超えている記述もチラホラあります。 なお、例えば理科など他教科でも『シグマベスト』は実は2010年以降の現代はなかなか発展的であり難しくなってきていて、情報も細かく羅列的である。90年代の当時とは『シグマベスト』の中身の難しさが違うので、参考書選びのさいには、けっして90年代のままの世間の大人たちの評価を鵜吞みにしないように注意。 背景として、90年代の昔は、英数理の参考書選びのパターンとして、「シグマベストで入門レベルをカバーして、チャート式で高度な事項を勉強」という有名パターンがありました(なお、国語と社会科のチャート式は参考書としては無い)。あるいは、「その教科が苦手ならシグマベストを選ぶ。その教科が得意ならチャート式を選ぶ。」のようなパターンが90年代にありました。 しかし、現代では シグマ + チャート のパターンが、もはや上述の出版事情の変化で通用しなくなってるので注意。 2010年台の今だと例えば学研が高校入門レベルの初等的な参考書の立場だが、90年代の昔、学研がまだ高校参考書にあまり参入しておらず(昔の学研は小中学校むけの教材ばかりがメインだった)、当時は文英堂のシグマベストが今の学研の高校参考書に近い立場だったという背景事情がある。 === 文法参考書の選びかた === インターネットで参考書の形式やレベルなどを調べたり、または、教師や塾講師、チューター、同じ学生などからの評判なども参考にしながら、実際に書店で参考書の内容を閲覧するなどして選ぶといいだろう。 また、古本屋などで参考書を購入すると出費を抑えられる可能性がある。 中学英語は昔とカリキュラムが大幅に変わったので古本屋は論外だが、高校英語は昔から到達地点が同じままなので、文法学習はちょっとぐらい古い本でも特に問題ないかもしれないかもしれない。とりあえず、古本屋で英文法書を購入するなら、なるべく最近のものを購入したほうがいいだろう。 「大学英文法」とかそういうのは一般的には無い。文法は高校英語で、とりあえずゴールである。あとは単語や熟語を増やすのが、その後の道である。 英語教師などを目指す人のための細かい英文法理論書はあるが、高校生には必要ない。なお、書店によってはそういう教師向けの英文法理論書が高校英語コーナーに売っていたりするので、間違えて買わないように。わかった上で買うなら自己責任で。 === 高校の文法参考書はどういうものか === 「時事的な文法」とか無いので、もし改訂などあっても、あまり頻繁に買い換える必要は無い。 他のセクションでも言ってるかもしれないが、「大学英文法」と言うのはない。なので、文法において「大学教養レベルの先取り」とかは不要であるし、そもそも存在しないし、そういう教材もまず無い。 このことは、大学受験においては、つまり文法問題は、高校生向けのやや高レベルな参考書を習得できたら、それ以上は英語教師でも目指さないかぎりは、英文科向けのさらに高度な文法書には進む必要は無い、という事である。 英文科の学生などに向けた文法書は、あれは教師向けまたは研究者向けの参考書である。内容も、基本的には高校生向けの文法参考書に書いてある内容を、大学生または教師志望者などの視点やレベルに合わせて書き直した程度のものである。なのでともかく、受験生には不要である。 このことから、ゴールが明確に定まり、受験生向けのやや高度なレベルの参考書がゴールである。 そこから逆算すると、あまり多くの参考書を読み漁る必要はない。せいぜい、2冊読めば十分だろう。 高校1年レベルから分かりそうな易しめのレベルのものと、あとは少し難しめの感じのもう一冊で十分である。もしかしたらどちらか片方だけでも十分かもしれない。 また、説明を省略したが、前提として、高校の参考書は、学年別とかには売ってない(書店で実物を見れば分かると思うが)。 なので参考書での学習の際にも、いちいち学年ごとにペースを3等分とかして「私は1年生なので、参考書の前半の3分の1だけ読む」みたいなことはする必要は無いし、むしろ現代では3等分すべきでもない。 つまり、参考書は高校1年で購入したら、とりあえず、さっさと通読すべきである。現代の中学・高校のカリキュラムなら、文法参考書の通読は中学英文法の復習にもなるので、まずは通読しよう。 そして何回か通読したら、問題集などにチャレンジしたり、あるいは単語なども増やそう。 これがもし英語でなく数学の勉強法だったら、先の学年の内容を通読するよりも学校で習った単元の復習などを重視するのも手かもしれないが、しかし英語はあまりそういう単元ではない。 高校の授業や定期テストなどは、あれはあれで教育ノウハウが詰まっているので活用すればいいが、別にそれを活用したからといって文法参考書を通読できなくなるわけでもない。 それに塾などだと、参考書の後ろのほうにある無生物主語などを高校クラスでは1年で先に教える流儀もある。 参考書の最初のほうにある文型がどうのこうのと言った話は、どうせ塾の中学生クラスや中学参考書などでも既に教えている可能性があるので、塾の高校生クラスではそういうのはもう後回しにして、先に無生物主語や仮定法など参考書の後半の単元を教えるというパターンもある。家庭での自習などの際にはご参考に。 また、そもそも2年の終わりくらいから高校や塾などで全国模試などを次第に受け始めることを考えるなら、けっして高校3年間で学校の授業で文法を習うのを待つのではなく、自習によって高校2年の後半の段階までに一通り、高校生むけの単元である無生物主語やら仮定法過去完了やら分詞構文などを含めて、とりあえず文法参考書は全ページを通読は済ましておいて、加えて問題練習を軽くでいいのでしておくべきだろう。 そして、高校3年では模試なども活用して、問題練習で定着させていく、・・・という段取りである。 == 熟語 == 単語集の前半のほうにも、実務ではあまり使わないだろう熟語、つまり、より平易な表現に言い換えることの多い表現がよくあります(少なくともこのセクションのある編集者が、ネット上の海外英語では見たことない表現がいくつもありました)。 中学1~2年で習うレベルの単語の組み合わせで作れるマニアックな熟語がいくつかあるので、学習時に注意が必要です。単語集では編集の都合上、そういうマニアック熟語が前半のほうに書いてありますが、正直、後回しにすべき熟語です。 一方、 come true (実現する)のような、たとえば構成する単語と意味が近い場合なら、学習効果は高いです。たとえばtrue 「=真実」と「実現する」は比較的に意味が近いです。参考書でも、よくSVC文型の例としてcome true が出てくるので、こっちは重要事項です。 しかし残念ながら、単語集にある出題頻度の情報を見ると、come true は出題頻度が低いようです。 そのほか優先して覚えるべき熟語は、たとえば no longer ~「もはや~ない」のように構文的な熟語や、あるいはget over ~「克服する。回復する」(= overcome)のように中学レベルの単語には言い換えできなくてその熟語表現を使わざるを得ない可能性の高そうな熟語とか、そういうのです。 このような熟語の教育状況になってるのは、つまり残念なことですが、「英語教育での英作文などでは、実務的を想定した教育がされておらず、つまり形骸化している可能性がある」という事です。 「出題頻度順」の掲載をうたった単語集で前半のほうに、不便なマニアック熟語があるので、つまり入試では、実際には仕事などで英語を使うつもりのない人たちを想定した入試が行われているという証拠です。 英作文をする際、getで一語で説明できることを「come by ~」で表現する可能性は実用では低いでしょう。英会話でも、果たして米英人が、日本人相手に come by で説明するでしょうか。はなはだ疑問です。 なぜなら外国人は、もし英語が得意な日本人相手なら躊躇なくobtain のような非熟語を会話で使うだろうし、あるいは「英語が苦手な日本人かな」と思って気を使ってくれるなら get で表現してくれるでしょう。 come の基本的な意味は「来る」ですから、熟語come byの「入手」とは、かけ離れています。おそらく「手元に来る」的なニュアンスなのでしょうが、しかし「by」からそれを想像するのは、かなり前置詞「by」の基本の意味から離れています。そういう、基本単語の意味からの距離の大きい表現は、実務では学習コストが高いので、いろいろと不便なのです。 不便とはいえ、海外での利用の可能性がないとは言えないので日本の受験英語でも教えられていますが、なるべくなら後回しにしたいマニアック熟語表現です。 come true 「実現する」のようなSVC文型の例にもなるような教育的な熟語だと出題頻度が低いようですが、これはつまり、入試出題者が、高校生の学習効果を見る良問よりも「落とすための問題」「ヒッカケ問題」を21世紀の少子化の時代になっても未だに出題し続けているという証拠でしょうか。 == リスニング == まずは、前提となる単語力をつける必要がある。その上で、参考書で、音声CDつきの参考書などで聞き取り練習をするなどすればいいだろう。また、例えばYouTubeやTEDなどで自分の興味のある分野の英語を聞くなどしてもいいだろう。 テレビのNHK教育の英語番組は、学校の授業用に作られており、大学受験対策には作られていないこと、洋画は字幕や吹き替えに尺や字数の都合などで意訳が多いため学習には向いてないとする意見もある。 == 読解 == 読解練習をしたい場合は、まずは学校でのリーディングの教科書などをきちんと読むのは当然ですが、そのほかにも参考書があると便利かもしれません。 書店の参考書コーナーに、高校生用の英文読解の参考書などが置いてあるはずですから、それら高校生用の参考書で勉強してください。 大学入試の英文では、平均以上の難度の大学になると、単語の知識がないと、まったく内容が把握できないでしょう。なので、読解練習だけでなく単語の勉強もしてください。とりあえず単語集などで4500語レベルまでの範囲の単語は最低限、ひととおり学習してください。 * 試験での読解問題の時間配分について 出題英文を読むのに時間が掛かりますから、試験中の時間の配分にも気をつけてください。まずは単語力を増やすと読解スピードも上がるので、普段の勉強では単語力を増やしてください。 試験中の配分の対策として、実際の入試では、たとえば、長文読解問題よりも先に、短時間で解けそうな単語問題・文法問題などを先に解くとかして、時間配分の対策をしてください。あるいは、設問の問題文を先に読んでおいて、見当をつけてから長文を読むなどという方法もあります。ここらへんの対策は、じっさいに過去問や想定問題などを解いて練習してください。基本的に、入試国語での現代文などでの読解問題対策などの際の時間配分と似ていると思います。 ただし、時間配分のテクニックばかりを磨いてもダメであり、単語力などを増やさないと、読解スピードも上がりません。 * 学部と出題内容の関係 入試では、ときどき、志望先の学部の内容に関する記述が出る場合もあります。また、高校で習う教科に関する記述が出る場合もあります。もっとも、べつに必ずしも志望先学部と近い内容の英文が出題されるとは限らず、あまり関係のない内容の英文も出題される場合もあります。 どちらにせよ、合格後の人生も考えて、学生は、志望先学部に近い内容の高校教科の勉強もしておいたほうが安全でしょう。たとえば経済学部に進学志望なら高校政治経済などの参考書を読んでおくとか、あるいは理工学部に志望なら理科・数学の参考書を読んでおいたほうが安全でしょう。 == 発音・英会話など == 基本的には、標準的な参考書でカバーでき、あとは単語の記憶量を増やす練習とか、リスニングの練習とかの対策でよいです。あとは参考書などの英会話文例や発音問題を覚えておけば、入試での、だいたいの発音や英会話の試験もカバーできます。 * 入試の発音問題について 発音問題は、入試に英単語と発音記号を照らしあわせる問題は出ます。ですが、自分で発音することは、入試ではない。 * 入試での英会話について 大学入試では文章題などで、英会話の空欄を埋める問題などが出されるかもしれません。いっぽう、大学側が、直接受験生と会話をする試験は、一般入試では出ないでしょう。 ただし、いくら一般入試に会話が出にくいといっても、基本的な会話くらいは、せっかく高校で習うのですから、きちんと練習してください。そもそも建前上は、高校で習うことは、高校生は学習するべきということになっています。そして大学側だってバカじゃないんだから、なるべくきちんと勉強している受験生を優先的に合格させたいのです。 == 英作文 == 英作文の練習よりも、まず先に文法学習や単語の記憶量を増やす勉強を優先したほうが安全でしょう。単語の記憶量が増えて、文法や熟語なども覚えれば、英作文なども、自然と上達します。逆に言うと、英作文だけを勉強しようとしても、難しいです。なお、単に英単語の意味や綴りを覚えているだけでは英作はできない。動詞ならば他動詞(Vt)なのか自動詞(Vi)なのか両方あるのか,他動詞ならば第4文型(SVOO)や第5文型(SVOC)をとれるのか,名詞ならば可算名詞(C)なのか不可算名詞なのかなど(これ以外にもたくさんある),とにかく用法まで正確に知っておく必要がある。従って辞書を引く必要がある。 == 問題集を信じすぎるな == 問題練習をする際には、必ずしも偏差値順にステップアップする必要は無い、という事です。 また、日本人の高校生のレベルを越える難しすぎる問題は、そもそも解けるようになる必要もないでしょう。 選択問題では、高校レベルで習得できるレベルでの、初心者のよくやるミスをしない事のような、明らかに間違った言い回しを排除する事さえできれば、それでいいでしょう。 納得の行かない問題の対策はやりすぎないようにスキップして、他の勉強をすべきです。英語の勉強なら、もっと確実に偏差値アップの出来る勉強、たとえば単語力を増やすなどの勉強をしましょう。 == あきらめるべき事 == === 第二外国語は、あきらめるべき === ==== 入試に第二外国語は出ない ==== 高校によっては、第二外国語の授業を用意している高校もあります。 共通テストや二次試験では英語以外の外国語を使えるところもあるが、特別な理由がないなら英語を選択したほうがいいだろう。 また、中国語を勉強しても、漢文の入試問題を解くのには役立ちません。 帰国子女とか、あるいは進路志望が語学関連の分野で無い限り、あまり第二外国語には手を伸ばさないほうが良いでしょう。 == 一般入試対策ではTOEIC対策などには手を出さないほうが安全 == 英語能力を測る国際的な試験のTOEFLやTOEICなどは、高校生の学習用には作られていません。そもそも日本人に内容を合わせていません。 それにTOEICとTOEFLのどちらとも、試験の目的が、日本の高校英語の教育目的とは違います。 TOEICとTOEFLのどちらも目的は、英米への留学や海外生活のためなどの語学が目的です。日本の大学入試や、日本の大学での英語論文読解などの目的には、TOEIC・TOEFLなどは合わせていません。TOEFLとかTOEICとかで、ハイスコアを目指すのは、大学受験対策とは目的がズレています。 なお、そもそもTOEICをつくったのは日本の通産省(当時)であり、通産省がアメリカの非営利テスト開発機関、ETS(Educational Testing Service)に依頼をして、日本がつくったテストです。 よって、TOEICの出題内容は、アメリカ国内での実用とは若干、ズレていますので、てっきり実用英語だとは勘違いしないようにしましょう。また、てっきりTOEICは(OECDあたりの)「国際機関のつくった試験である」などと勘違いしないようにしましょう。 さらに、TOEICの参考書などにある「高校生レベルは◯◯点」などの数値も、じゃっかん、疑わしいので、あまり鵜呑みにしないようにしましょう。 ;* 平均点 :なお、高校生のTOEICの平均点は、年度にもよりますが、2018年の時点では、高校生の平均点はおおよそ350~400点くらいです。なおTOEICの満点は990点です。 ネット上では「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説が出回っており、英検2級が高校英語レベルを出題範囲として想定していることから、あたかも「高校を卒業したら TOEIC 600 点で当然」みたいな言説が出回っていますが、しかし2018年の統計などをもとに考えれば、この言説はデタラメです。 また、「TOEIC 600点が英検2級相当」という言説の根拠も、よくよく調べてみると、2001年くらいに英検2級保持者にTOEICの点数をアンケートしたところ TOEIC 400点~800点あたりに得点がバラついたという統計を、とりあえず平均値をとって600点としただけにすぎないのが実態です。 高校の数学で統計値の「分散」という概念を習います。分散を知らないと、統計詐欺にダマされてしまいます。 ;* TOEICは事実上は文系向けの試験である :世の中には、文系の大人が多く、その影響で、学生でも理系科目をサボってまで英語の勉強をして、英語の成績を上げる人がいます。TOEICの平均点も、そういう文系の人間を基準に算出されてしまいます。 :一般入試や国公立受験、理系の学部などを目指す人は、けっして、そういう文系の大人や、文系しかできない学生を多く含むTOEIC平均点を、参考にしてはいけません。 :* 4択問題と難易度 :TOEICの各問題は基本的に4択問題ですので、デタラメに選択しても、990点満点(約1000点)中のうちの4分の1である約250点を取れます。 : さらに、欧米で英米への留学希望者むけのテストなどとして知られている英語検定試験はTOEFLです。 TOEICは、日本と韓国で流行っている英語検定です。 また、英検は日本人用の試験ですが、しかし高校生用には試験が作られていません。中学生・高校生なども意識して英検は作られているでしょうが、しかし、中高生だけを意識してはいません。 英検を入試対策で使うなら、志望校合格などが保証されないかぎりは、なるべく英検'''準'''1級までに止めるのが無難です。 * 推薦入試などの評価事項になることも ただし、推薦入試ではTOEICやTOEFL、英検などの成績が考慮される場合もあります。 * 難関大学への対策用としての場合 大学によっては、入試で高校レベルを超えた、かなり難しい英語を出す場合もあります。そういう大学に対応する場合、市販の受験参考書では太刀打ちできないかもしれません。このような場合、しかたなくTOEFL対策や英検1級対策などの参考書が必要な場合もあるかもしれません。 * 就職活動でのTOEIC評価について ただし、大学生の就職活動では、企業にTOEICなどの点数を聞かれることもあります。就職活動時のエントリーシートに、最初からTOEICなど成績の記入欄がある場合もあります。また、外国大学への留学の際に、TOEICなどで一定以上の成績を修めることが必須の要件とされる場合も多いです。たとえ英語圏以外の国の大学への留学でも、TOEICやTOEFLなどの成績が必須要件として必要な場合があります。 なので高校生でも、TOEIC受験の機会があれば、受験をするのも良いでしょう。 ただし、TOEICの成績が良いからと言って、けっして、それだけで企業が「即・採用」をするなんて事はありません。 高校生の段階では、TOEICなどの語学検定については、もし受験できるなら、視野を広げるような目的で検定を受けるのが良いでしょう。 == 英語の検定教科書にある時事や古典文学の勉強は不要だし、危険 == 中学高校の英語の検定教科書には、他の教科では説明しづらい時事や古典文学、最近の日本のアニメやマンガの、海外での人気について、英文で紹介されたりするかもしれません。 そもそも、本来の目的は英語を学ぶということなので、これらの題材で得た知識がそのまま大学受験に役に立つということはありません。 [[カテゴリ:英語]]
2014-09-27T01:00:46Z
2024-03-31T16:22:29Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E8%8B%B1%E8%AA%9E
19,488
小学校国語/2学年
犬の なきごえは ワンワン 。 ねこの なきごえは ニャーニャー 。 にわとり コケコッコー。 どちらが、読みやすいですか? なきごえを カタカナで 書いているほうが、読みやすいですね。 そこで、どうぶつの なきごえは、カタカナで 書くことが 多いです。 カタカナで なきごえを かくことは、きまりではないです。なので、ひらがなで「わんわん」「にゃあにゃあ」「にゃーにゃー」と 書くことも あります。 ちかくで みかけることが すくないどうぶつの ばあい 、カタカナで なきごえを かくことが おおいです。 いろんな音に カタカナは つかわれます。 「ページ」 「ノート」 切る(きる) 着る(きる) おなじ「きる」の 字でも、いみが ちがいます。 かん字に すると「はさみで切る。」「ふくを着る。」となります。 「はさみで きる」の「きる」と、「ふくを きる」の「きる」は、いみが ちがうので、かん字も 「切る」「着る」というふうに、ちがっています。 ・ 会う(あう) ・ 合う(あう) 話し合う (はなしあう) 「会」は「かい」とも読む。 「会社」の 「会」と おなじ字。 なめると あまい「あめ」は、かん字で、飴と書きます。とても、むずかしい字なので、小学生は「飴を かけなくても、いいです。 文で あるものを、れいにあげまず。 「わたし」も「男」も「女」も「です」も「。」も、すべて文ではないです。 ことばが、ひとまとまりになって、いみが つうじるものを「文」(ぶん)といいます。 文の さいごには 「。」を つけます。 文には、つぎのような、かたちが あります。 文が あつまったものを 文しょうと いいます。 みたいなのは、文が いくつも あつまってるので 文しょうです。 せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。 ↑この「せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。」という 文しょうも、せつめいです 。 せつめいの ための 文や 文しょうを せつめい文と いいます、 せつめい文を 書いた人を、ひっしゃ(筆者)と いいます。 筆(ひつ)とは、おしゅうじの ふで(筆)と、おなじ字です。 むかしばなしの ももたろうとか みたいに、人が つくったおはなしで、ほんとには なかったおはなしを ものがたりと いいます。 さいきんつくられた おはなしでも、 人が つくったおはなしなら、 ものがたりです。 ものがたりを つくった人を さくしゃ(作者)と いいます。さく(作)とは、「つくる」といういみです。「つくる」も、かん字で、「作る」(つくる)と書きます。 あらすじとは ものがたりの おはなしを みじかく まとめたものです。 たとえば、ももたろうの あらすじは、 というふうに なります。 ものがたりに でてくる人など、こころを もったものたちを とうじょうじんぶつと いいます。にんげんで なくても、こころを もっていて、しゃべったり、かんがえたり できるものならば、とうじょうじんぶつと いいます。 ももたろうの とうじょうじんぶつは、にんげんである ももたろうと おじいさんと おばあさんが とうじょうじんぶつですし、ほかにも犬とか さるとか きじとかも、ももたろうと いっしょに おにたいじを するために かんがえたり しているので、とうじょうじんぶつです。 おにたいじされた おにたちも、とうじょうじんぶつです。 きびだんごは、 とうじょうじんぶつでは ありません。 たとえば「土」の かくすうは 三かくです。 ・上から下に書く 三の画数は、三画かくです。 ・左から右に書く 川の画数は、三画かくです。 ただし、「小」の字は、まんなかの ながいのを さいしょにかく 。 よこ から たて に 書く 十の画数は、二画(にかく)です。 春夏秋冬 (しゅん か しゅう とう) 東西南北(とう ざい なん ぼく) 父(ちち) とは、おとうさん の ことです。 「おとうさん」を かん字 で 「お父さん」とも 書きます。 母(はは)とは、「おかあさん」 の ことです。 「おかあさん」 を かん字 で 「お母さん」 と 書きます。 「兄」とは「おにいさん」の こと です。 「おにいさん」を「お兄さん」と かん字 で 書きます。 「弟」を「おとうと」 と読みます。 兄(あに)と弟(おとうと)を まとめて、 「兄弟」(きょうだい) と いいます。 姉:「おねえさん」のことです。 「おねえさん」を かん字 で、「お姉さん」と 書きます。 姉(あね)と 妹(いもうと)を まとめて、 姉妹(しまい)と いいます。 図書館(としょかん) ようち園(ようちえん、幼稚園) ほいく園(ほいくえん、保育園) 広い - せまい 「ぼく は、本を読む。」 「○○をする」「○○だ」のような ことば を、述語(じゅつご) と いいます。 「○○をする」人とかは、だれなのか、を せつめい している 部分(ぶぶん) を 主語(しゅご) といいます。 「本を読む、ぼく は。」の主語は、「ぼく は」です。述語は、「本を読む」です。じゅんばん が かわっても、主語は「ぼくは」の ままです。 「これから、ぼく は、ごはん を たべる。」 述語は、「ごはん を たべる。」です。 「これから」は、主語でもない し、述語でもない です。 「きみ と ぼく とは、おなじ 2年生 だ。」の主語は、「きみ と ぼく とは」です。述語は、「おなじ 2年生 だ。」です。 「うさぎ が、はねる。」 主語は、人間(にんげん)とは、かぎりません。 「今日(きょう)は、くもり だ。」 「えんぴつ が おいてある。」の主語は、「えんぴつ が」です。述語は、「おいてある。」です。 主語には、「○○は」とか「○○が」のように、「は」や「が」が ついている 場合 が 多いです。 とかは、ようす を あらわす ことば です。 左がわ が「言」ですね。 「読」も「語」も、ことば に かかわり が あります。 意味(いみ) に、かかわり の ある かん字 には、 にた 部分(ぶぶん) が あります。 水に かかわりのある 漢字(かんじ)には、氵(さんずい)がつく場合が多いです。 「道を通る。」 の部分を、「しんにょう」 と いいます。 刀(かたな) 雨(あめ)、雲(くも)、雪(ゆき)、 「雲」や「雪」の字の上の、「雨」の部分を 「あめかんむり」 と いいます。 この「絵」や「紙」の字の 左がわ のの部分(ぶぶん)を、「いとへん」と いいます。 池(いけ)、 地(ち、じ) 理(り、ことわり)、 里(り、さと) ちなみに、「みずがめざ」は「水瓶座」と漢字(かんじ)で書く。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "犬の なきごえは ワンワン 。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ねこの なきごえは ニャーニャー 。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "にわとり コケコッコー。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "どちらが、読みやすいですか?", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なきごえを カタカナで 書いているほうが、読みやすいですね。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "そこで、どうぶつの なきごえは、カタカナで 書くことが 多いです。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "カタカナで なきごえを かくことは、きまりではないです。なので、ひらがなで「わんわん」「にゃあにゃあ」「にゃーにゃー」と 書くことも あります。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ちかくで みかけることが すくないどうぶつの ばあい 、カタカナで なきごえを かくことが おおいです。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "いろんな音に カタカナは つかわれます。", "title": "ワンワン、ニャーニャー" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "「ページ」", "title": "カタカナの ことばを おぼえよう" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「ノート」", "title": "カタカナの ことばを おぼえよう" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "切る(きる)", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "着る(きる)", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "おなじ「きる」の 字でも、いみが ちがいます。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "かん字に すると「はさみで切る。」「ふくを着る。」となります。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "「はさみで きる」の「きる」と、「ふくを きる」の「きる」は、いみが ちがうので、かん字も 「切る」「着る」というふうに、ちがっています。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "・ 会う(あう) ・ 合う(あう)", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "話し合う (はなしあう)", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「会」は「かい」とも読む。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "「会社」の 「会」と おなじ字。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "なめると あまい「あめ」は、かん字で、飴と書きます。とても、むずかしい字なので、小学生は「飴を かけなくても、いいです。", "title": "「ふくを きる。」と「はさみで きる。」" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "文で あるものを、れいにあげまず。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「わたし」も「男」も「女」も「です」も「。」も、すべて文ではないです。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ことばが、ひとまとまりになって、いみが つうじるものを「文」(ぶん)といいます。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "文の さいごには 「。」を つけます。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "文には、つぎのような、かたちが あります。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "文が あつまったものを 文しょうと いいます。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "みたいなのは、文が いくつも あつまってるので 文しょうです。", "title": "文と 文しょう(ぶんしょう)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "↑この「せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。」という 文しょうも、せつめいです 。", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "せつめいの ための 文や 文しょうを せつめい文と いいます、", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "せつめい文を 書いた人を、ひっしゃ(筆者)と いいます。", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "筆(ひつ)とは、おしゅうじの ふで(筆)と、おなじ字です。", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "", "title": "「せつめい」" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "むかしばなしの ももたろうとか みたいに、人が つくったおはなしで、ほんとには なかったおはなしを ものがたりと いいます。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "さいきんつくられた おはなしでも、 人が つくったおはなしなら、 ものがたりです。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ものがたりを つくった人を さくしゃ(作者)と いいます。さく(作)とは、「つくる」といういみです。「つくる」も、かん字で、「作る」(つくる)と書きます。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "あらすじとは ものがたりの おはなしを みじかく まとめたものです。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "たとえば、ももたろうの あらすじは、", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "というふうに なります。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ものがたりに でてくる人など、こころを もったものたちを とうじょうじんぶつと いいます。にんげんで なくても、こころを もっていて、しゃべったり、かんがえたり できるものならば、とうじょうじんぶつと いいます。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ももたろうの とうじょうじんぶつは、にんげんである ももたろうと おじいさんと おばあさんが とうじょうじんぶつですし、ほかにも犬とか さるとか きじとかも、ももたろうと いっしょに おにたいじを するために かんがえたり しているので、とうじょうじんぶつです。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "おにたいじされた おにたちも、とうじょうじんぶつです。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "きびだんごは、 とうじょうじんぶつでは ありません。", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "", "title": "ものがたり" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "たとえば「土」の かくすうは 三かくです。", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "・上から下に書く", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "三の画数は、三画かくです。", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "・左から右に書く", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "川の画数は、三画かくです。", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ただし、「小」の字は、まんなかの ながいのを さいしょにかく 。", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "よこ から たて に 書く", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "十の画数は、二画(にかく)です。", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "", "title": "かくすう" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "春夏秋冬 (しゅん か しゅう とう)", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "東西南北(とう ざい なん ぼく)", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "父(ちち) とは、おとうさん の ことです。 「おとうさん」を かん字 で 「お父さん」とも 書きます。 母(はは)とは、「おかあさん」 の ことです。 「おかあさん」 を かん字 で 「お母さん」 と 書きます。", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "「兄」とは「おにいさん」の こと です。 「おにいさん」を「お兄さん」と かん字 で 書きます。 「弟」を「おとうと」 と読みます。", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "兄(あに)と弟(おとうと)を まとめて、 「兄弟」(きょうだい) と いいます。", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "姉:「おねえさん」のことです。 「おねえさん」を かん字 で、「お姉さん」と 書きます。", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "姉(あね)と 妹(いもうと)を まとめて、 姉妹(しまい)と いいます。", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "", "title": "まとめて、おぼえる ことば" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "", "title": "学校の へや を おぼえよう" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "図書館(としょかん)", "title": "学校 の そと の たてもの の かん字" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ようち園(ようちえん、幼稚園)", "title": "学校 の そと の たてもの の かん字" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ほいく園(ほいくえん、保育園)", "title": "学校 の そと の たてもの の かん字" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "広い - せまい", "title": "はんたい の いみ の ことば" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "", "title": "はんたい の いみ の ことば" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "「ぼく は、本を読む。」", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "「○○をする」「○○だ」のような ことば を、述語(じゅつご) と いいます。 「○○をする」人とかは、だれなのか、を せつめい している 部分(ぶぶん) を 主語(しゅご) といいます。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "「本を読む、ぼく は。」の主語は、「ぼく は」です。述語は、「本を読む」です。じゅんばん が かわっても、主語は「ぼくは」の ままです。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "「これから、ぼく は、ごはん を たべる。」", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "述語は、「ごはん を たべる。」です。 「これから」は、主語でもない し、述語でもない です。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "「きみ と ぼく とは、おなじ 2年生 だ。」の主語は、「きみ と ぼく とは」です。述語は、「おなじ 2年生 だ。」です。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "「うさぎ が、はねる。」", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "主語は、人間(にんげん)とは、かぎりません。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "「今日(きょう)は、くもり だ。」", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "「えんぴつ が おいてある。」の主語は、「えんぴつ が」です。述語は、「おいてある。」です。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "主語には、「○○は」とか「○○が」のように、「は」や「が」が ついている 場合 が 多いです。", "title": "主語と述語(じゅつご)" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "とかは、ようす を あらわす ことば です。", "title": "ようすを あらわす ことば" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "", "title": "ようすを あらわす ことば" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "左がわ が「言」ですね。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "「読」も「語」も、ことば に かかわり が あります。 意味(いみ) に、かかわり の ある かん字 には、 にた 部分(ぶぶん) が あります。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "水に かかわりのある 漢字(かんじ)には、氵(さんずい)がつく場合が多いです。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "「道を通る。」", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "の部分を、「しんにょう」 と いいます。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "刀(かたな)", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "雨(あめ)、雲(くも)、雪(ゆき)、", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "「雲」や「雪」の字の上の、「雨」の部分を 「あめかんむり」 と いいます。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "この「絵」や「紙」の字の 左がわ のの部分(ぶぶん)を、「いとへん」と いいます。", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "池(いけ)、 地(ち、じ)", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "理(り、ことわり)、 里(り、さと)", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "", "title": "にた ぶぶんのある かん字" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "", "title": "おなじ 読み で、いみ が ちがう ことば" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "ちなみに、「みずがめざ」は「水瓶座」と漢字(かんじ)で書く。", "title": "おなじ 読み で、いみ が ちがう ことば" } ]
null
== ワンワン、ニャーニャー == 犬の なきごえは <big>ワンワン</big> 。 ねこの なきごえは <big>ニャーニャー</big> 。 にわとり コケコッコー。 :「犬がワンワンと、ないている。」 :「犬がわんわんと、ないている。」 どちらが、読みやすいですか? なきごえを カタカナで 書いているほうが、読みやすいですね。 そこで、どうぶつの なきごえは、カタカナで 書くことが 多いです。 カタカナで なきごえを かくことは、きまりではないです。なので、ひらがなで「わんわん」「にゃあにゃあ」「にゃーにゃー」と 書くことも あります。 :うしが モー と なく 。 :ぶたが ブーブー。 :うまが ヒヒーン。 :にわとりが コケコッコー。 :すずめが チュンチュン。 ちかくで みかけることが すくないどうぶつの ばあい 、カタカナで なきごえを かくことが おおいです。 :ドアを トントン :かぜが ヒューヒュー :お金が チャリーン いろんな音に カタカナは つかわれます。 == カタカナの ことばを おぼえよう == 「ページ」 「ノート」 [[File:Notebooks.jpg|thumb|right|250px|ノート]] == 「ふくを きる。」と「はさみで きる。」 == 切る(きる) :はさみで きる。(「はさみで切る。」) 着る(きる) :ふくを きる。(「ふくを着る。」) おなじ「きる」の 字でも、いみが ちがいます。 かん字に すると「はさみで切る。」「ふくを着る。」となります。 「はさみで きる」の「きる」と、「ふくを きる」の「きる」は、いみが ちがうので、かん字も 「切る」「着る」というふうに、ちがっています。 *「会う」と「合う」 ・ 会う(あう)<br> ・ 合う(あう)<br> 話し合う (はなしあう) :出会う。(であう) :出会って、話す。 (であって はなす) :会って、話し合う。 (あって、はなしあう) 「会」は「かい」とも読む。 {{ruby|「会社」|かいしゃ|}}の 「会」と おなじ字。 :(れい)お{{ruby|父|とう}}さんは、{{ruby|会社|かいしゃ}}で はたらいている。」 *はし(橋)と はし(箸)<br> <gallery widths=250px heights=250px> File:Akashi Bridge.JPG|はし 画像:Chopstick.JPG|thumb|はし </gallery> *雨(あめ)と 飴(あめ) <gallery widths=250px heights=250px> File:Hà Anh.jpg|あめ |あめ </gallery> なめると あまい「あめ」は、かん字で、<big>飴</big>と書きます。とても、むずかしい字なので、小学生は「飴を かけなくても、いいです。 == てがみの 書きかた == :あいての 名まえ :じぶんの 名まえ :つたえたいこと == 文と 文しょう(ぶんしょう) == 文で あるものを、れいにあげまず。 :たとえば「わたしは男です。」とか「わたしは女です。」みたいなのは、文(ぶん)です。 「わたし」も「男」も「女」も「です」も「。」も、すべて文ではないです。 ことばが、ひとまとまりになって、いみが つうじるものを「文」(ぶん)といいます。 文の さいごには 「。」を つけます。 文には、つぎのような、かたちが あります。 :○○が なんとかだ。  (れい)「ここは 学校だ。」 :○○が なになにを する。  (れい)「犬が ほえる。」 文が あつまったものを 文しょうと いいます。 :(れい) 「あさ、わたしは おきた。 さて、きょうは、もえるゴミを すてられる日だ。 では、ごみすてばに ごみを すてに いこう。」 みたいなのは、文が いくつも あつまってるので 文しょうです。 == 「せつめい」 == せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。 ↑この「せつめいとは、なにかを しらせたい人が、そのことを はなしたり、かいたりして、おしえようと することです。」という 文しょうも、せつめいです 。 せつめいの ための 文や 文しょうを <big>せつめい文</big>と いいます、 せつめい文を 書いた人を、ひっしゃ(筆者)と いいます。 筆(ひつ)とは、おしゅうじの ふで(筆)と、おなじ字です。 == ものがたり == むかしばなしの ももたろうとか みたいに、人が つくったおはなしで、ほんとには なかったおはなしを ものがたりと いいます。 さいきんつくられた おはなしでも、 人が つくったおはなしなら、 ものがたりです。 ものがたりを つくった人を さくしゃ(作者)と いいます。さく(作)とは、「つくる」といういみです。「つくる」も、かん字で、「作る」(つくる)と書きます。 === あらすじ === あらすじとは ものがたりの おはなしを みじかく まとめたものです。 たとえば、ももたろうの あらすじは、 :「ももから生まれた ももたろうが、わるいおにを こらしめて、おにたいじを した 。」 というふうに なります。 === とうじょうじんぶつ === ものがたりに でてくる人など、こころを もったものたちを とうじょうじんぶつと いいます。にんげんで なくても、こころを もっていて、しゃべったり、かんがえたり できるものならば、とうじょうじんぶつと いいます。 ももたろうの とうじょうじんぶつは、にんげんである ももたろうと おじいさんと おばあさんが とうじょうじんぶつですし、ほかにも犬とか さるとか きじとかも、ももたろうと いっしょに おにたいじを するために かんがえたり しているので、とうじょうじんぶつです。 おにたいじされた おにたちも、とうじょうじんぶつです。 きびだんごは、 とうじょうじんぶつでは ありません。  == かくすう == :[[ファイル:土-bw.png|1000000x70px]] たとえば「土」の かくすうは 三かくです。 *書き順(かきじゅん) ・上から下に書く :[[ファイル:三-bw.png|1000000x70px]] 三の画数は、三画かくです。 ・左から右に書く :[[ファイル:川-bw.png|1000000x70px]] 川の画数は、三画かくです。 ただし、「小」の字は、まんなかの ながいのを さいしょにかく 。 :[[ファイル:小-bw.png|1000000x70px]] よこ から たて に 書く :[[ファイル:十-bw.png|1000000x70px]] 十の画数は、二画(にかく)です。 == まとめて、おぼえる ことば == *春(はる) - 夏(なつ - 秋(あき) - 冬(ふゆ) 春夏秋冬 (しゅん か しゅう とう) *東(ひがし) - 西(にし) - 南(みなみ) - 北(きた) 東西南北(とう ざい なん ぼく) *父(ちち) - 母(はは) 父(ちち) とは、おとうさん の ことです。 「おとうさん」を かん字 で 「お父さん」とも 書きます。 母(はは)とは、「おかあさん」 の ことです。 「おかあさん」 を かん字 で 「お母さん」 と 書きます。 *兄(あに) - 弟(おとうと) 「兄」とは「おにいさん」の こと です。 「おにいさん」を「お兄さん」と かん字 で 書きます。 「弟」を「おとうと」 と読みます。 兄(あに)と弟(おとうと)を まとめて、 「兄弟」(きょうだい) と いいます。 *姉(あね) - 妹(いもうと) 姉:「おねえさん」のことです。 「おねえさん」を かん字 で、「お姉さん」と 書きます。 姉(あね)と 妹(いもうと)を まとめて、 姉妹(しまい)と いいます。 *朝(あさ)・昼(ひる)・夜(よる) == 学校の へや を おぼえよう == :きょう室 (教室) :ほけん室 (保健室) :体いく館 (たいいくかん、体育館) :しちょうかく室 (視聴覚室) :きゅう食室 (きゅうしょくしつ、給食室) :図書室(としょしつ) == 学校 の そと の たてもの の かん字 == 図書館(としょかん) ようち園(ようちえん、幼稚園) ほいく園(ほいくえん、保育園) == はんたい の いみ の ことば == :上下(じょうげ) :大小(だいしょう) :左右(さゆう) :多少(たしょう) :内外(ないがい) 広い - せまい == 主語と述語(じゅつご) == 「ぼく は、本を読む。」 :「ぼく は、本を読む。」の主語(しゅご)は、「ぼく は」です。 :「ぼく は、本を読む。」の述語(じゅつご)は、「本を読む。」です。 「○○をする」「○○だ」のような ことば を、述語(じゅつご) と いいます。 「○○をする」人とかは、だれなのか、を せつめい している 部分(ぶぶん) を 主語(しゅご) といいます。 「本を読む、ぼく は。」の主語は、「ぼく は」です。述語は、「本を読む」です。じゅんばん が かわっても、主語は「ぼくは」の ままです。 「これから、ぼく は、ごはん を たべる。」 :「これから、ぼく は、ごはん を たべる。」の主語は、「ぼく は」です。主語は、文の はじめ に あるとは、かぎりません。 述語は、「ごはん を たべる。」です。 「これから」は、主語でもない し、述語でもない です。 :「ぼく は、日本人だ。」の主語は、「ぼく は」です。述語は「日本人だ。」です。 :「ぼく は、イタリア人だ。」の主語は、「ぼく は」です。述語は「イタリア人だ。」です。 :「わたし は、イタリア人でない。」の主語は、「わたし は」です。述語は、「イタリア人でない。」です。 「きみ と ぼく とは、おなじ 2年生 だ。」の主語は、「きみ と ぼく とは」です。述語は、「おなじ 2年生 だ。」です。 「うさぎ が、はねる。」 :「うさぎ が、はねる。」の主語は、「うさぎ が」です。述語は「はねる。」です。 主語は、人間(にんげん)とは、かぎりません。 「今日(きょう)は、くもり だ。」 :「今日(きょう)は、くもり だ。」の主語は、「今日は」です。主語は、生き物(いきもの)とは、かぎりません。述語は、「くもり だ。」です。 「えんぴつ が おいてある。」の主語は、「えんぴつ が」です。述語は、「おいてある。」です。 主語には、「○○は」とか「○○が」のように、「は」や「が」が ついている 場合 が 多いです。 == ようすを あらわす ことば == ::::(※編集者への注意 擬態語の単元) :「つるつる」 :「きらきら」 :「じっくり」 :「ひっそり」 :「しーん」 :「さらさら」 :「ぴったり」 とかは、ようす を あらわす ことば です。 == にた ぶぶんのある かん字 == === 言(ごん)べん === :「国語」の「語」、 :「読書」の「読」 左がわ が「言」ですね。 「読」も「語」も、ことば に かかわり が あります。  意味(いみ) に、かかわり の ある かん字 には、 にた 部分(ぶぶん) が あります。 === さんずい === :<big><big><big>池</big></big></big>(いけ) 水に かかわりのある 漢字(かんじ)には、<big><big><big>氵</big></big></big>(さんずい)がつく場合が多いです。 === しんにょう === :遠い(とおい) :道(みち) :通る(とおる) :週(しゅう) 「道を通る。」 [[File:しんにょう.svg|しんにょう]] の部分を、「しんにょう」 と いいます。 == にた ぶぶんのある かん字 == <big><big><big>刀</big></big></big>(かたな) :<big><big><big>切る</big></big></big>(きる) ::<big><big><big>刀で 切る。</big></big></big> :<big><big><big>鳥</big></big></big>(とり) :<big><big><big>鳴く</big></big></big>(なく) ::<big><big><big>鳥が 鳴く。</big></big></big> *雨 と あめかんむり <big><big><big>雨</big></big></big>(あめ)、<big><big><big>雲</big></big></big>(くも)、<big><big><big>雪</big></big></big>(ゆき)、 「雲」や「雪」の字の上の、「雨」の部分を 「あめかんむり」 と いいます。 *いとへん :<big><big><big>糸</big></big></big>、 <big><big><big>紙</big></big></big> :<big><big><big>紙</big></big></big>、 <big><big><big>絵</big></big></big> この「絵」や「紙」の字の 左がわ の[[File:いとへん.png|いとへん。]]の部分(ぶぶん)を、「いとへん」と いいます。 *地と池 <big><big><big>池</big></big></big>(いけ)、 <big><big><big>地</big></big></big>(ち、じ) :「地」は、「地面」(じめん)の「地」(じ)と、同じ(おなじ)字です。 :池(いけ)と地(ち)は、意味がちがいますが、どちらの字とも「ち」と読めます。 :「池」は、「電池」(でんち)の「池」(ち)と、同じ(おなじ)字です。 *理と里 <big><big><big>理</big></big></big>(り、ことわり)、 <big><big><big>里</big></big></big>(り、さと) :理は、「理科」の「理」と同じ字です。 :里も理も、「り」と読めます。 == おなじ 読み で、いみ が ちがう ことば == <gallery widths=250px heights=250px> ファイル:Kaki.JPG|<big>かき (柿)</big> ファイル:Huitres Cancale.jpg|<big>かき (牡蠣)</big> </gallery> <gallery widths=250px heights=250px> File:Chelonia mydas is going for the air.jpg|<big>かめ (亀)</big> File:Korean pottery-Onggi-01.jpg|<big>かめ (瓶)</big> </gallery> ちなみに、「みずがめざ」は「水瓶座」と漢字(かんじ)で書く。 [[Category:小学校国語|2かくねん]]
null
2020-08-02T00:58:56Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/2%E5%AD%A6%E5%B9%B4
19,492
小学校国語/はやくち ことば
かまないように いってみましょう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "かまないように いってみましょう。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "" } ]
かまないように いってみましょう。
かまないように いってみましょう。 :なまむぎ なまごめ なまたまご :あかまきがみ あおまきがみ きまきがみ :かえる ぴょこぴょこ みぴょこぴょこ  あわせて ぴょこぴょこ むぴょこぴょこ  :とうきょう とっきょ きょかきょく  :となりの きゃくは よく かきくう きゃくだ :すももも ももも もものうち :にわには にわ にわとりが いる [[Category:小学校国語|はやくち ことは]]
null
2020-03-12T22:21:55Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%8F%E3%81%A1_%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0
19,496
大分大対策
本項は、大分大学の入学試験対策に関する事項である。 大分大学は、大分県大分市にある総合大学である。 大分大学の入試では、センター試験は非常に大きな割合を占める。なので、大分大受験生は高校3年の春先を目安に計画的にセンター対策に取り組み、しっかりと得点できるようにしておかなくてはならない。センター・2次試験のボーダーとしては、前期センターランク60 - 67%、後期60 - 71%、2次試験の偏差値目安が50 - 54となっており、国立大学の中では比較的易しい部類に入るが、センター試験の5〜6教科7科目という科目負担を考えると「楽に合格できる」というわけでは決してない。 また、大分大学の特徴として大半の学科で2次試験に小論文を設けている。小論文の対策としては、日頃から新聞を読むなどして教養を深め、学校や塾で添削指導を受けるなどして、最終的に課題の要求に正確に答えられる文章を書けるようになって欲しい。 なお、どの大学にも言える事ではあるが、医学部は全国的にも難関レベルである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本項は、大分大学の入学試験対策に関する事項である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大分大学は、大分県大分市にある総合大学である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大分大学の入試では、センター試験は非常に大きな割合を占める。なので、大分大受験生は高校3年の春先を目安に計画的にセンター対策に取り組み、しっかりと得点できるようにしておかなくてはならない。センター・2次試験のボーダーとしては、前期センターランク60 - 67%、後期60 - 71%、2次試験の偏差値目安が50 - 54となっており、国立大学の中では比較的易しい部類に入るが、センター試験の5〜6教科7科目という科目負担を考えると「楽に合格できる」というわけでは決してない。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、大分大学の特徴として大半の学科で2次試験に小論文を設けている。小論文の対策としては、日頃から新聞を読むなどして教養を深め、学校や塾で添削指導を受けるなどして、最終的に課題の要求に正確に答えられる文章を書けるようになって欲しい。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、どの大学にも言える事ではあるが、医学部は全国的にも難関レベルである。", "title": "" } ]
日本の大学受験ガイド > 大分大対策 本項は、大分大学の入学試験対策に関する事項である。 大分大学は、大分県大分市にある総合大学である。 大分大学の入試では、センター試験は非常に大きな割合を占める。なので、大分大受験生は高校3年の春先を目安に計画的にセンター対策に取り組み、しっかりと得点できるようにしておかなくてはならない。センター・2次試験のボーダーとしては、前期センターランク60 - 67%、後期60 - 71%、2次試験の偏差値目安が50 - 54となっており、国立大学の中では比較的易しい部類に入るが、センター試験の5〜6教科7科目という科目負担を考えると「楽に合格できる」というわけでは決してない。 また、大分大学の特徴として大半の学科で2次試験に小論文を設けている。小論文の対策としては、日頃から新聞を読むなどして教養を深め、学校や塾で添削指導を受けるなどして、最終的に課題の要求に正確に答えられる文章を書けるようになって欲しい。 なお、どの大学にも言える事ではあるが、医学部は全国的にも難関レベルである。
{{wikipedia|大分大学}} *[[日本の大学受験ガイド]] > [[大分大対策]] 本項は、[[w:大分大学|大分大学]]の入学試験対策に関する事項である。<br /> 大分大学は、大分県大分市にある総合大学である。<br /> 大分大学の入試では、センター試験は非常に大きな割合を占める。なので、大分大受験生は高校3年の春先を目安に計画的にセンター対策に取り組み、しっかりと得点できるようにしておかなくてはならない。センター・2次試験のボーダーとしては、前期センターランク60 - 67%、後期60 - 71%、2次試験の偏差値目安が50 - 54となっており、国立大学の中では比較的易しい部類に入るが、センター試験の5〜6教科7科目という科目負担を考えると「楽に合格できる」というわけでは決してない。<br /> また、大分大学の特徴として大半の学科で2次試験に小論文を設けている。小論文の対策としては、日頃から新聞を読むなどして教養を深め、学校や塾で添削指導を受けるなどして、最終的に課題の要求に正確に答えられる文章を書けるようになって欲しい。<br /> なお、どの大学にも言える事ではあるが、医学部は全国的にも難関レベルである。 [[カテゴリ:大学入試]]
null
2022-11-27T17:32:44Z
[ "テンプレート:Wikipedia" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%88%86%E5%A4%A7%E5%AF%BE%E7%AD%96
19,497
小学校国語/4学年
慣用句(かんようく)とは、ふたつ以上の言葉(ことば)があわさって、もとの言葉とはちがう意味(いみ)をもつもののことです。 たとえば、 という慣用句があります。 「ねこの手もかりたい」とは、「とても、いそがしい」という意味です。もちろん、本当に ねこの手をかりるわけではありません。 いそがしすぎて、ちいさな動物のたすけも、かりたいので、「ねこの手もかりたい」というのです。 このほかにも、「ほねが おれる」という慣用句もあります。 「ほねがおれる」とは、「とても、つかれた」という意味です。 慣用句は、おおむかしの古い言葉とは、かぎりません。 たとえば、 なども慣用句です。 故事(こじ)とは、むかしの できごと や、いいつたえ のことです。 故事成語(こじせいご)とは、むかしの中国の ことわざ のことです。 これから紹介する「五十歩百歩」や「漁夫の利」などは、すべて、むかしの中国にあった ことわざ です。 意味: あまり、ちがい の ないこと。 このような出来事から、五十歩百歩という故事成語が、うまれました。 意味: ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者(別の人)が、苦労しないで利益を得てしまうこと。 むかしの中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。 意味: よけないものをつけたしたせいで、だいなしになること。 短歌は五・七・五・七・七音である。 季語は、ふくまれていなくてもよい。 柿本 人麻呂 (かきのもとの ひとまろ) 藤原敏行 (ふじわらの としゆき) 藤原定家 (ふじわらの さだいえ) 良寛(りょうかん) 「百人一首」(ひゃくにん いっしゅ)といった場合、ふつうは、いまから千年くらいに、まとめられた、小倉百人一首(おぐら ひゃくにんいっしゅ)のことをいいます。 その時代の、短歌をよむのが上手な人の短歌を100人ぶん集めたものなので、「百人一首」といいます。 小倉百人一首は、カルタにもなっています。(『いろはカルタ』とは、ちがうものです。) 持統天皇 (じとう てんのう) (はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま) 柿本人麻呂 (かきのもとの ひとまろ) (あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん) 山部赤人 (やまべの あかひと) (たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきワふりつつ) 猿丸太夫 (さるまるだゆう) (おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきワかなしき) 古式部内侍 (こしきぶの ないし) (おおえやま いくののみちの とおければ まだフミもみず あまのハシダテ) 安部仲麻呂 (あべの なかまろ) (あまのハラ ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも) 光孝天皇 (こうこう てんのう) (きみがため ハルののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきワふりつつ) 平兼盛 (たいらの かねもり) (しのぶれど いろにいでにけり わがこいワ ものやおもうと ひとのとうまで) 源経信 (みなもとの つねのぶ) (ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞフク) 藤原顕輔 (みなもとの あきすけ) 紀友則 (きの とものり) 紀貫之 (きの つらゆき) 能因法師 (のういん ほうし) 後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん) 藤原実定(ふじわらの さねさだ) 与謝野晶子 (よさの あきこ) 佐々木信綱(ささき のぶつな) 石川啄木 (いしかわ たくぼく) 要約 要点(ようてん) かじょう書き(かじょうがき、箇条書き) 漢字辞典では、漢字の読み方や成り立ち、使い方を調べることができます。 漢字辞典の使い方を勉強しましょう。 漢字辞典には、「音訓さくいん」「部首さくいん」「総画さくいん」の3種類のさくいんがあります。 「音訓さくいん」は、漢字の音訓で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわかっているときに使えます。 「音訓さくいん」を開き、音訓と漢字が五十音順にならんでいるので、調べたい漢字の読みから調べたい漢字を探します。 「部首さくいん」は、漢字の部首で漢字を探すさくいんです。漢字の読みがわからなくても、部首がわかれば使えます。 「部首さくいん」を開き、部首がその画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の部首の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。 「総画さくいん」は、漢字の総画で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわからず、部首もわからないときに使えます。 調べたい漢字の画数を調べ、「総画さくいん」を開き、漢字の画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の画数の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。 小学校では、社会科見学や、理科の実験などで、なにかをしらべたあとに、調べた内容について、報告書(ほうこくしょ)を書く場合があります。 大人(おとな)のいう、会社などで言う(いう)、「報告書」(ほうこくしょ)とは、仕事で起きた(おきた)出来事(できごと)や、仕事として何かの実験(じっけん)などをした結果を、書類(しょるい)にまとめて、報告した冊子のことです。 とはいえ、小学生に、そういう大人の書くような本格的(ほんかくてき)な報告書を書くのはむずかしくて、無理(むり)です。なので、まずあ、社会科見学など、学校で起きたことの報告書を書いてみて、練習(れんしゅう)しましょう。 この教科書(小学校国語/4学年)では、小学校での、報告書の書き方について説明します。 小学校での報告書を書く際には、つぎのような事を、心がけると、書きやすいでしょう。 まず、学校のそとの人が読んでも、分かるように、書きましょう。 学校の国語の授業では、成績(せいせき)をつけるのが、じぶんたちの学校の先生なので、ついつい、学校の先生にむけてのお手紙のように、書いてしまうかもしれません。 ですが、あなたが大人になったときに仕事(しごと)で書く報告書は、先生いがいの人が読むためのものです。 友達(ともだち)どうしの、日記でもないのです。 おおまかには、次のような構成(こうせい)で書くと、書きやすいでしょう。 また、見学した先の場所でもらったパンフレットなどは、「今後の疑問」などを調べるときに参考(さんこう)になるので、パンフレットは大切に取っておきましょう。 また、実験の報告書も、見学の報告書も、どちらの報告書でも、書いた自分の名前や、見学した日、実験した日を書くことも、忘れないようにしましょう。 では、なんで、これらの構成で書くと、よいのか、説明します。 時間にはかぎりがあります。なので、すべてを調べきることは、むりです。 なので、自分たちは、その調べごとをとおして、何を調べたいのかを、報告書の はじめ のほうに、書いておくとよいでしょう。 見学のさいちゅうは、報告書をかいている時間は、ないです。 かといって、なにもメモを書かないと、あとから思い出すのが、たいへん になります、。 なので、見学のときは、できれば、ノートと筆記用具を用意して、そのノートに、メモを書いておきましょう。 (※ 見学をする場所によっては、ノートなどのもちこみが、禁止(きんし)されている場合もあります。なので、見学する場合、ノートをもちこんでもいい場所なのかどうかを、あらかじめ、見学先の人に、教えてもらいましょう。) 見学の報告書では、じっさいに起きたことを、起きた順番で書いたほうが、読みやすくなります。 (しかし、実験の報告書の場合は、ちがう場合もあります。) たとえば、工場の見学では、いろんな場所を見せてもらって、それぞれの場所で、説明をしてもらったり、質問に答えてもらったりすることがあると思います。 報告書では、それぞれの場所ごとに、なにを見たのかを、みた場所の順番ごとに説明しましょう。 たとえば、パン工場で、 のような順番で見たとしたら、その順番で書きましょう。 ふつうは、工場の人が、パンをつくるための順番と、同じ順番で見学をさせると思います。なので、見学した順番どおりに報告書(ほうこくしょ)を書けば、ふつうは、だいじょうぶです。 ですが、工場によっては、ときどき、つくるための順番と、見学の順番とが、ちがう場合があります。 ですので、ねんのため、どういった順番でみたのかを、報告書に書いておきましょう。 たとえば、次のような構成になると思います。 もし、順番を思い出せないなら、けっして、むりしないで、順番を書かないでください。 報告書は、学校のテストとは、ちがいます。 自分の知らないことや、覚えてない(おぼえてない)ことなのに、もしもウソをついて覚えているフリをすると、報告書を読む人がだまされてしまい、とても、迷惑に、なってしまいます。 見学先の人に説明してもらったことなどがある場合、見学先の場所の説明のところで、いっしょに、説明された内容(ないよう)も、報告書で書いておくと、よいでしょう。 また、何かを見せてもらった時に、おどろいたり、感動したりしたことなど、思ったことがあるでしょうから、どう感動したり、どうして、おどろいたのか、報告書で、てみじかに説明しましょう。 このさい、気をつけることとして、感動したり など の思ったことは、実際に見学で目でみたもの とは、区別(くべつ)して 書くようにしましょう。 このように、2つ以上の文章にわけて書くと、よいでしょう。 実際に起きたことや、実際に目でみたものなどの事実(じじつ)と、自分の頭のなかで考えたこととは、ベツのことです。 自分のあたまで考えたことは、もしかしたら、実際とは、ちがうかもしれません。 なので、事実と、考えたこととは、区別するようにしましょう。 それぞれの場所の説明が長くなりそうな場合、次のように、場所ごとに見出しをつけると、読みやすくなる場合もあります。 見出しのつけかたは、上で紹介した方法のほかにも、べつの方法もあります。 ひとつの報告書のなかでは、見出しのつけかたは、同じ方法にしておきましょう。 小学校では、よく、報告書で、感想も書かせる場合があります。(※ 検定教科書でも、社会科見学での報告書の例として、文章のところどころに感想を書いている。) つまり、感想文と報告書とを、合わせて、ひとつの提出物(ていしゅつぶつ)の原稿用紙(げんこうようし)のなかに書く場合がある場合が、よくあります。 とはいえ、じつは大人の仕事の報告書では、かならずしも感想を書く必要はないです。 しかし小学校では、そこまで「報告書」を感想文と区別(くべつ)しません。 単に、社会科見学などをしたあとの学校にもどってから小学生に書かせる感想文のことを、小学校では「報告書」(ほうこくしょ)というような場合もあります。 大人の都合ですが、小学生が社会科見学で見学するような内容は、いっしょに見学に行った先生はすでに知っているので、見てきた物事(ものごと)の説明だけを読まされても、読んでる先生は、あまり楽しめないのです。 なので、授業で社会科見学について作文を書かされたときの授業の題名が「報告書」(ほうこくしょ)というタイトルであっても、感想も書いてあげましょう。 こういう、感想文と報告書のまざったような作文を書くように授業でいわれた場合、次のように、見学してきたものの説明のあとに、それぞれの感想を書くと、書きやすいでしょう。 ///////////////////////// 【1】 この見学について ぼくたちは、2019年6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 【2】 見学のときのこと (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 ← ※ この説明のように、見たもののあとに、感想を書くとよいだろう。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 (2) ベルトコンベア そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。← ※ この説明のように、なにか見たものを説明したあとには、その感想を書くとよい。 (3) ベルトコンベア このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) ) /////////////////// 報告書(ほうこくしょ)では、報告書のさいごか、または、さいしょのほうに、 報告したい内容について、全体的にどうだったかのまとめを書く場合もあります。 たとえば、社会科見学でのパン工場では、「まとめ」なら、たとえば見学全体を通して、いまのパン工場では、清潔(せいけつ)で安全(あんぜん)な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かったとしたら、そのことをまとめに書きます。 つまり、 のようにです。 単に「勉強になりました。」だけのような文章は、「まとめ」に書く必要はないのです。 もし「まとめ」として、勉強になったことをまとめるのなら、なにがどう勉強になったのかを、書いてください。 なぜなら、見学とは、見てこさせて勉強させるために見学させるわけですから、勉強になるのは当然ですので、読んでるほうは「勉強になりました。」とだけ読まされても、ぜんぜんオモシロくないのです。 さて、わたしたち小学生にとっての問題は、この「まとめ」を、原稿用紙(げんこうようし)のどこに書けばいいかです。 答えをいうと、たぶん多くの小学校の「報告書」の場合、「まとめ」は、さいごのほうに書くほうがよいでしょう。なぜなら、「まとめ」を書きなおすとき、「まとめ」の前の段落は直さなくてすむので、「まとめ」だけを直せるからです。 もし、文章のはじめのほうに「まとめ」を書いてしまうと、「まとめ」を書きなおしたい場合に、「まとめ」の段落の行数がかわってしまう場合がよくあるので、「まとめ」のあとの、見学してきた内容の説明までも、書きなおす必要があります。 これは、大人たちが仕事で書く「報告書」とは、じじょうが違います。 大人たちの仕事での報告書では、いまの時代ではコンピューター(いわゆるパソコン)で報告書を書くので、文章の前のほうの段落(だんらく)などの行が、かわっても、コンピューターが自動的(じどうてき)に、ほかの文章の場所を移動(いどう)してくれます。 なので、大人たちの報告書では、さいしょに「まとめ」を書く場合もあります。読む人の時間の足りない場合には、とりあえず「まとめ」だけを読んでも、そこそこ内容が分かるからです。 しかし、小学校の授業でつかうような、手書き(てがき)の作文では、前のほうの段落を書きかえたときは、コンピューターのような自動的な文章の移動(いどう)は無理です。なので、小学校の作文では、「まとめ」は、報告書(ほうこくしょ)の後ろ(うしろ)のほうに書くことになるでしょう。 また、「まとめ」の場所では、自分の考えも、書くとよいでしょう。 この教科書は、国語の教科書ですので、文字をつかって報告(ほうこく)をする方法(ほうほう)を説明しています。 ですが、おとなが仕事で書く報告書(ほうこくしょ)の場合、文字をつかうのも必要ですが、場合によっては、さらに図(ず)や写真(しゃしん)をつけくわえたりします。 なぜなら、目的(もくてき)は、報告をすることです。 けっして、文字だけで、ものごとを説明することは、目的ではないのです。 もし、報告のために、なにかの形について説明する必要(ひつよう)があれば、そのものの図や写真を報告書にのせたほうが、説明が早いし、読んでるほうも分かりやすいのです。 ただし、小学校の場合、社会科見学などでは、写真を撮影(さつえい)できないのが、ふつうです。 企業(きぎょう)や工場(こうじょう)などでは、ひみつのノウハウがあるので、社員(しゃいん)でない人による写真(しゃしん)の撮影(さつえい)を禁止しているのが、ふつうです。 こういうときにも、説明に便利なのが、その見学先の会社のパンフレットです。パンフレットには、ふつう、外部の人にみせてもいいものの写真や図がありますので、報告書などで見学して見てきたものを図や写真で説明する場合には、パンフレットの写真などを使えばいいのです。 また、たとえば、なにかについてアンケートで調べた結果と、その内容の分析(ぶんせき)のある報告書では、アンケートのそれぞれの回答をした人数の比較などは、棒(ぼう)グラフ や 円グラフ などにすると、分かりやすいでしょう。(いまの時代なら、パソコンで、かんたんにグラフを作れます。) 「国語だから、算数のグラフをつかってはいけない」なんてことは、ないのです。 なお、パソコンなどで、図や表を、文章といっしょにのせるのには、ちょっとしたワザが必要です。小学生はまだ、そこまでできなくても、だいじょうぶです。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "慣用句(かんようく)とは、ふたつ以上の言葉(ことば)があわさって、もとの言葉とはちがう意味(いみ)をもつもののことです。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "たとえば、", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "という慣用句があります。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「ねこの手もかりたい」とは、「とても、いそがしい」という意味です。もちろん、本当に ねこの手をかりるわけではありません。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "いそがしすぎて、ちいさな動物のたすけも、かりたいので、「ねこの手もかりたい」というのです。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "このほかにも、「ほねが おれる」という慣用句もあります。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「ほねがおれる」とは、「とても、つかれた」という意味です。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "慣用句は、おおむかしの古い言葉とは、かぎりません。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "たとえば、", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なども慣用句です。", "title": "慣用句" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "故事(こじ)とは、むかしの できごと や、いいつたえ のことです。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "故事成語(こじせいご)とは、むかしの中国の ことわざ のことです。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "これから紹介する「五十歩百歩」や「漁夫の利」などは、すべて、むかしの中国にあった ことわざ です。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "意味: あまり、ちがい の ないこと。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "このような出来事から、五十歩百歩という故事成語が、うまれました。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "意味: ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者(別の人)が、苦労しないで利益を得てしまうこと。 むかしの中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "意味: よけないものをつけたしたせいで、だいなしになること。", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "", "title": "故事成語" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "短歌は五・七・五・七・七音である。 季語は、ふくまれていなくてもよい。", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "柿本 人麻呂 (かきのもとの ひとまろ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "藤原敏行 (ふじわらの としゆき)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "藤原定家 (ふじわらの さだいえ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "良寛(りょうかん)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "「百人一首」(ひゃくにん いっしゅ)といった場合、ふつうは、いまから千年くらいに、まとめられた、小倉百人一首(おぐら ひゃくにんいっしゅ)のことをいいます。", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "その時代の、短歌をよむのが上手な人の短歌を100人ぶん集めたものなので、「百人一首」といいます。", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "小倉百人一首は、カルタにもなっています。(『いろはカルタ』とは、ちがうものです。)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "持統天皇 (じとう てんのう)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "(はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "柿本人麻呂 (かきのもとの ひとまろ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "(あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "山部赤人 (やまべの あかひと)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "(たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきワふりつつ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "猿丸太夫 (さるまるだゆう)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "(おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきワかなしき)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "古式部内侍 (こしきぶの ないし)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "(おおえやま いくののみちの とおければ まだフミもみず あまのハシダテ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "安部仲麻呂 (あべの なかまろ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "(あまのハラ ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "光孝天皇 (こうこう てんのう)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "(きみがため ハルののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきワふりつつ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "平兼盛 (たいらの かねもり)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "(しのぶれど いろにいでにけり わがこいワ ものやおもうと ひとのとうまで)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "源経信 (みなもとの つねのぶ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "(ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞフク)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "藤原顕輔 (みなもとの あきすけ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "紀友則 (きの とものり)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "紀貫之 (きの つらゆき)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "能因法師 (のういん ほうし)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん) 藤原実定(ふじわらの さねさだ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "与謝野晶子 (よさの あきこ)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "佐々木信綱(ささき のぶつな)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "石川啄木 (いしかわ たくぼく)", "title": "短歌" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "要約", "title": "要約(ようやく)とは" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "要点(ようてん)", "title": "要約(ようやく)とは" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "かじょう書き(かじょうがき、箇条書き)", "title": "要約(ようやく)とは" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "漢字辞典では、漢字の読み方や成り立ち、使い方を調べることができます。 漢字辞典の使い方を勉強しましょう。 漢字辞典には、「音訓さくいん」「部首さくいん」「総画さくいん」の3種類のさくいんがあります。", "title": "漢字辞典" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "「音訓さくいん」は、漢字の音訓で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわかっているときに使えます。 「音訓さくいん」を開き、音訓と漢字が五十音順にならんでいるので、調べたい漢字の読みから調べたい漢字を探します。", "title": "漢字辞典" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "「部首さくいん」は、漢字の部首で漢字を探すさくいんです。漢字の読みがわからなくても、部首がわかれば使えます。 「部首さくいん」を開き、部首がその画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の部首の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。", "title": "漢字辞典" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "「総画さくいん」は、漢字の総画で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわからず、部首もわからないときに使えます。 調べたい漢字の画数を調べ、「総画さくいん」を開き、漢字の画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の画数の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。", "title": "漢字辞典" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "", "title": "図書館・図書室" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "小学校では、社会科見学や、理科の実験などで、なにかをしらべたあとに、調べた内容について、報告書(ほうこくしょ)を書く場合があります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "大人(おとな)のいう、会社などで言う(いう)、「報告書」(ほうこくしょ)とは、仕事で起きた(おきた)出来事(できごと)や、仕事として何かの実験(じっけん)などをした結果を、書類(しょるい)にまとめて、報告した冊子のことです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "とはいえ、小学生に、そういう大人の書くような本格的(ほんかくてき)な報告書を書くのはむずかしくて、無理(むり)です。なので、まずあ、社会科見学など、学校で起きたことの報告書を書いてみて、練習(れんしゅう)しましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "この教科書(小学校国語/4学年)では、小学校での、報告書の書き方について説明します。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "小学校での報告書を書く際には、つぎのような事を、心がけると、書きやすいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "まず、学校のそとの人が読んでも、分かるように、書きましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "学校の国語の授業では、成績(せいせき)をつけるのが、じぶんたちの学校の先生なので、ついつい、学校の先生にむけてのお手紙のように、書いてしまうかもしれません。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "ですが、あなたが大人になったときに仕事(しごと)で書く報告書は、先生いがいの人が読むためのものです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "友達(ともだち)どうしの、日記でもないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "おおまかには、次のような構成(こうせい)で書くと、書きやすいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "また、見学した先の場所でもらったパンフレットなどは、「今後の疑問」などを調べるときに参考(さんこう)になるので、パンフレットは大切に取っておきましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、実験の報告書も、見学の報告書も、どちらの報告書でも、書いた自分の名前や、見学した日、実験した日を書くことも、忘れないようにしましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "では、なんで、これらの構成で書くと、よいのか、説明します。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "時間にはかぎりがあります。なので、すべてを調べきることは、むりです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "なので、自分たちは、その調べごとをとおして、何を調べたいのかを、報告書の はじめ のほうに、書いておくとよいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "見学のさいちゅうは、報告書をかいている時間は、ないです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "かといって、なにもメモを書かないと、あとから思い出すのが、たいへん になります、。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "なので、見学のときは、できれば、ノートと筆記用具を用意して、そのノートに、メモを書いておきましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "(※ 見学をする場所によっては、ノートなどのもちこみが、禁止(きんし)されている場合もあります。なので、見学する場合、ノートをもちこんでもいい場所なのかどうかを、あらかじめ、見学先の人に、教えてもらいましょう。)", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "見学の報告書では、じっさいに起きたことを、起きた順番で書いたほうが、読みやすくなります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "(しかし、実験の報告書の場合は、ちがう場合もあります。)", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "たとえば、工場の見学では、いろんな場所を見せてもらって、それぞれの場所で、説明をしてもらったり、質問に答えてもらったりすることがあると思います。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "報告書では、それぞれの場所ごとに、なにを見たのかを、みた場所の順番ごとに説明しましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "たとえば、パン工場で、", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "のような順番で見たとしたら、その順番で書きましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "ふつうは、工場の人が、パンをつくるための順番と、同じ順番で見学をさせると思います。なので、見学した順番どおりに報告書(ほうこくしょ)を書けば、ふつうは、だいじょうぶです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "ですが、工場によっては、ときどき、つくるための順番と、見学の順番とが、ちがう場合があります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ですので、ねんのため、どういった順番でみたのかを、報告書に書いておきましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "たとえば、次のような構成になると思います。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "もし、順番を思い出せないなら、けっして、むりしないで、順番を書かないでください。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "報告書は、学校のテストとは、ちがいます。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "自分の知らないことや、覚えてない(おぼえてない)ことなのに、もしもウソをついて覚えているフリをすると、報告書を読む人がだまされてしまい、とても、迷惑に、なってしまいます。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "見学先の人に説明してもらったことなどがある場合、見学先の場所の説明のところで、いっしょに、説明された内容(ないよう)も、報告書で書いておくと、よいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "また、何かを見せてもらった時に、おどろいたり、感動したりしたことなど、思ったことがあるでしょうから、どう感動したり、どうして、おどろいたのか、報告書で、てみじかに説明しましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "このさい、気をつけることとして、感動したり など の思ったことは、実際に見学で目でみたもの とは、区別(くべつ)して 書くようにしましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "このように、2つ以上の文章にわけて書くと、よいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "実際に起きたことや、実際に目でみたものなどの事実(じじつ)と、自分の頭のなかで考えたこととは、ベツのことです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "自分のあたまで考えたことは、もしかしたら、実際とは、ちがうかもしれません。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "なので、事実と、考えたこととは、区別するようにしましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "それぞれの場所の説明が長くなりそうな場合、次のように、場所ごとに見出しをつけると、読みやすくなる場合もあります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "見出しのつけかたは、上で紹介した方法のほかにも、べつの方法もあります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "ひとつの報告書のなかでは、見出しのつけかたは、同じ方法にしておきましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "小学校では、よく、報告書で、感想も書かせる場合があります。(※ 検定教科書でも、社会科見学での報告書の例として、文章のところどころに感想を書いている。)", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "つまり、感想文と報告書とを、合わせて、ひとつの提出物(ていしゅつぶつ)の原稿用紙(げんこうようし)のなかに書く場合がある場合が、よくあります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "とはいえ、じつは大人の仕事の報告書では、かならずしも感想を書く必要はないです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "しかし小学校では、そこまで「報告書」を感想文と区別(くべつ)しません。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "単に、社会科見学などをしたあとの学校にもどってから小学生に書かせる感想文のことを、小学校では「報告書」(ほうこくしょ)というような場合もあります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "大人の都合ですが、小学生が社会科見学で見学するような内容は、いっしょに見学に行った先生はすでに知っているので、見てきた物事(ものごと)の説明だけを読まされても、読んでる先生は、あまり楽しめないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "なので、授業で社会科見学について作文を書かされたときの授業の題名が「報告書」(ほうこくしょ)というタイトルであっても、感想も書いてあげましょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "こういう、感想文と報告書のまざったような作文を書くように授業でいわれた場合、次のように、見学してきたものの説明のあとに、それぞれの感想を書くと、書きやすいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "/////////////////////////", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "【1】 この見学について", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "ぼくたちは、2019年6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "【2】 見学のときのこと", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "(1) パンをこねる機械", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "この機械は、△△な動きをしていてました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 ← ※ この説明のように、見たもののあとに、感想を書くとよいだろう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "(2) ベルトコンベア", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。← ※ この説明のように、なにか見たものを説明したあとには、その感想を書くとよい。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "(3) ベルトコンベア", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "(※ 省略(しょうりゃく) )", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "///////////////////", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "報告書(ほうこくしょ)では、報告書のさいごか、または、さいしょのほうに、", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "報告したい内容について、全体的にどうだったかのまとめを書く場合もあります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "たとえば、社会科見学でのパン工場では、「まとめ」なら、たとえば見学全体を通して、いまのパン工場では、清潔(せいけつ)で安全(あんぜん)な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かったとしたら、そのことをまとめに書きます。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "つまり、", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "のようにです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "単に「勉強になりました。」だけのような文章は、「まとめ」に書く必要はないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "もし「まとめ」として、勉強になったことをまとめるのなら、なにがどう勉強になったのかを、書いてください。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "なぜなら、見学とは、見てこさせて勉強させるために見学させるわけですから、勉強になるのは当然ですので、読んでるほうは「勉強になりました。」とだけ読まされても、ぜんぜんオモシロくないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "さて、わたしたち小学生にとっての問題は、この「まとめ」を、原稿用紙(げんこうようし)のどこに書けばいいかです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "答えをいうと、たぶん多くの小学校の「報告書」の場合、「まとめ」は、さいごのほうに書くほうがよいでしょう。なぜなら、「まとめ」を書きなおすとき、「まとめ」の前の段落は直さなくてすむので、「まとめ」だけを直せるからです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "もし、文章のはじめのほうに「まとめ」を書いてしまうと、「まとめ」を書きなおしたい場合に、「まとめ」の段落の行数がかわってしまう場合がよくあるので、「まとめ」のあとの、見学してきた内容の説明までも、書きなおす必要があります。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "これは、大人たちが仕事で書く「報告書」とは、じじょうが違います。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "大人たちの仕事での報告書では、いまの時代ではコンピューター(いわゆるパソコン)で報告書を書くので、文章の前のほうの段落(だんらく)などの行が、かわっても、コンピューターが自動的(じどうてき)に、ほかの文章の場所を移動(いどう)してくれます。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "なので、大人たちの報告書では、さいしょに「まとめ」を書く場合もあります。読む人の時間の足りない場合には、とりあえず「まとめ」だけを読んでも、そこそこ内容が分かるからです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "しかし、小学校の授業でつかうような、手書き(てがき)の作文では、前のほうの段落を書きかえたときは、コンピューターのような自動的な文章の移動(いどう)は無理です。なので、小学校の作文では、「まとめ」は、報告書(ほうこくしょ)の後ろ(うしろ)のほうに書くことになるでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "また、「まとめ」の場所では、自分の考えも、書くとよいでしょう。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "この教科書は、国語の教科書ですので、文字をつかって報告(ほうこく)をする方法(ほうほう)を説明しています。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "ですが、おとなが仕事で書く報告書(ほうこくしょ)の場合、文字をつかうのも必要ですが、場合によっては、さらに図(ず)や写真(しゃしん)をつけくわえたりします。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "なぜなら、目的(もくてき)は、報告をすることです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "けっして、文字だけで、ものごとを説明することは、目的ではないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "もし、報告のために、なにかの形について説明する必要(ひつよう)があれば、そのものの図や写真を報告書にのせたほうが、説明が早いし、読んでるほうも分かりやすいのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "ただし、小学校の場合、社会科見学などでは、写真を撮影(さつえい)できないのが、ふつうです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "企業(きぎょう)や工場(こうじょう)などでは、ひみつのノウハウがあるので、社員(しゃいん)でない人による写真(しゃしん)の撮影(さつえい)を禁止しているのが、ふつうです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "こういうときにも、説明に便利なのが、その見学先の会社のパンフレットです。パンフレットには、ふつう、外部の人にみせてもいいものの写真や図がありますので、報告書などで見学して見てきたものを図や写真で説明する場合には、パンフレットの写真などを使えばいいのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "また、たとえば、なにかについてアンケートで調べた結果と、その内容の分析(ぶんせき)のある報告書では、アンケートのそれぞれの回答をした人数の比較などは、棒(ぼう)グラフ や 円グラフ などにすると、分かりやすいでしょう。(いまの時代なら、パソコンで、かんたんにグラフを作れます。)", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "「国語だから、算数のグラフをつかってはいけない」なんてことは、ないのです。", "title": "報告書のかきかた" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "なお、パソコンなどで、図や表を、文章といっしょにのせるのには、ちょっとしたワザが必要です。小学生はまだ、そこまでできなくても、だいじょうぶです。", "title": "報告書のかきかた" } ]
null
== 慣用句 == === 慣用句 === 慣用句(かんようく)とは、ふたつ以上の言葉(ことば)があわさって、もとの言葉とはちがう意味(いみ)をもつもののことです。 たとえば、 :「ねこの手も かりたい」 という慣用句があります。 「ねこの手もかりたい」とは、「とても、いそがしい」という意味です。もちろん、本当に ねこの手をかりるわけではありません。 いそがしすぎて、ちいさな動物のたすけも、かりたいので、「ねこの手もかりたい」というのです。 このほかにも、「ほねが おれる」という慣用句もあります。 「ほねがおれる」とは、「とても、つかれた」という意味です。 :・馬が合う(うあまがう) ・・・ 気が合うこと。 :・水入らず(みずいらず) :・うり二つ(うりふたつ) : 雲をつかむ : 朝めし前 : ごまをする : ねこのひたい : 慣用句は、おおむかしの古い言葉とは、かぎりません。 たとえば、 :ブレーキをかける なども慣用句です。 == 故事成語 == 故事(こじ)とは、むかしの できごと や、いいつたえ のことです。 故事成語(こじせいご)とは、むかしの中国の ことわざ のことです。 これから紹介する「五十歩百歩」や「漁夫の利」などは、すべて、むかしの中国にあった ことわざ です。 * 五十歩百歩 (ごじゅっぽ ひゃっぽ、ごじっぽ ひゃっぽ)<br /> 意味: あまり、ちがい の ないこと。 :むかしの中国の戦国時代、魏(ぎ)という一つの国の王さまの恵王(けいおう)は、孟子(もうし)に たずねた。 「わたしは、ひごろ から人々を大切にしているつもりだ。だが、他の国の人が、魏(ぎ)をしたって流入してきた様子がない。これはどういうことなのか。」 :孟子は言った。 「まず、王にたずねます。戦場で2人が、怖く(こわく)なって、逃げ(にげ)ました。ある者は100歩だけ、にげました。、ある者は、50歩で、とどまったとします。そこで50歩、にげた者が、100歩、にげた者を臆病者(おくびょうもの)と言って、笑った(わらった)とします。王は、どう思われますか。」 :王は言った。 「それはおかしい。どちらとも、逃げたことには、ちがいないではないか。」 :「そのとおりです」、と孟子は言う。そして魏(ぎ)の政治(せいじ)も、他国と比べて、ちがいがないと、思われているのです、と孟子(もうし)は説明しました。 このような出来事から、五十歩百歩という故事成語が、うまれました。 * 漁夫の利 (ぎょふのり) 意味: ふたつの勢力がひとつの事柄について争っている間に、第三者(別の人)が、苦労しないで利益を得てしまうこと。<br /> むかしの中国の戦国時代における、たとえ話の一つ。<br /> :ある日、川べりで、貝(かい)が、殻(から)を開けて ひなたぼっこ をしていると、鳥のシギ(鳥の種類(しゅるい)のひとつ)がやってきて、貝の身をついばもうとしました。貝は 殻(から)を とじて、シギのくちばしを はさみました。 シギは『このまま今日も明日も雨が降らなければ、死んだ貝があるだろう』と言いました。すると、貝は『今日も明日もこのままならば、死んだシギがあるだろう』と言う。そうして、両方とも意地をはって争って(あらそって)いました。その場所に、たまたま漁夫(ぎょふ、漁師(りょうし)のこと)が通りがかりました。そして、運のいい漁夫は、シギと貝の両方をつかまえました。 * 蛇足 (だそく) 意味: よけないものをつけたしたせいで、だいなしになること。 :むかしの中国で、えらい地位の人が、家来をあつめて、お酒をふるまおうとしました。しかし、みんなで飲むには、お酒が足りませんでした。そこで、えらい人は、家来に、こういいました。えらい人が言うには、「では、家来のそれぞれのものが、地面に蛇の書いてみて、いちばん上手に蛇の絵を書けた家来に、酒をふるまおう。」といいました。そして集まった家来みんなが、それぞれ、蛇の絵を書きました。 :そのとき、いちばん早く絵をかけた者が、ほかの家来たちに自慢(じまん)して、「わたしは、お前たちよりも絵がうまいから、お前たちが蛇の絵を描いているあいだに、私は足すらも書けてしまうぞ。」と自慢(じまん)しました。 :ほかの者たちが、蛇の絵をかき終わったころ、さいしょに蛇の絵を書いた人は、蛇に、足をつけたした絵を書きおわっていました。 :しかし、ほかの家来たちは、「蛇に足があるのは、おかしい。蛇には足がないはずだ。だから、お前の書いた、この絵に書かれている生き物(いきもの)は、蛇ではない。」と文句をつけられてしまいました。 :のせいで、蛇に足をつけたした絵を書いた人は、せっかく足をつけたしたのに、ほうびの酒をもらえませんでした。 * 矛盾 (むじゅん) * とら の威(い)を借る(かる)きつね * 蛍雪の功 (けいせつ の こう) * 温故知新 (おんこ ちしん) * 一刻千金 (いっこく せんきん) == 短歌 == 短歌は五・七・五・七・七音である。 季語は、ふくまれていなくてもよい。 柿本 人麻呂 (かきのもとの ひとまろ) :東(ひんがし)の  野にかぎろいの  たつみえて  かえり見すれば  月かたぶきぬ 藤原敏行 (ふじわらの としゆき) :秋来ぬと  目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ  おどろかねぬる 藤原定家 (ふじわらの さだいえ) :見わたせば  花ももみじも  なかりけり  浦(うら)の苫屋(とまや)の  秋の夕ぐれ 良寛(りょうかん) ::かすみたつ  ながきはるひに  こどもらと  てまりつきつつ  このひくらしつ ::むしのねも  のこりすくなに  なりにけり  よによなかぜの  さむくしなれば ---- === 百人一首 === 「百人一首」(ひゃくにん いっしゅ)といった場合、ふつうは、いまから千年くらいに、まとめられた、小倉百人一首(おぐら ひゃくにんいっしゅ)のことをいいます。 その時代の、短歌をよむのが上手な人の短歌を100人ぶん集めたものなので、「百人一首」といいます。 小倉百人一首は、カルタにもなっています。(『いろはカルタ』とは、ちがうものです。) 持統天皇 (じとう てんのう) :春(はる)すぎて 夏(なつ)来(き)にけらし 白たえ(しろたえ)の  衣(ころも)ほすちょう  天(あま)の香具山(かぐやま) (はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま) 柿本人麻呂 (かきのもとの ひとまろ) :あしびきの  山鳥(やまどり)の尾(お)の  しだり尾の  ながながし夜を  ひとりかもねん (あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん) 山部赤人 (やまべの あかひと) :田子の浦(たごのうら)に  うちいでて見れば 白たえの  富士(ふじ)の たかねに  雪はふりつつ (たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきワふりつつ) 猿丸太夫 (さるまるだゆう) :奥山(おくやま)に  もみぢ踏み分け(ふみわけ)  鳴く鹿(しか)の  声(こえ)聞くときぞ  秋は悲しき (おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきワかなしき) 古式部内侍 (こしきぶの ないし) :大江山(おおえやま)  生野(いくの)の道の  遠ければ   まだふみも見ず  天の橋立(あまのはしだて) (おおえやま いくののみちの とおければ まだフミもみず あまのハシダテ) 安部仲麻呂 (あべの なかまろ) :天の原(あまのはら)  ふりさけ見れば  春日(かすが)なる   三笠(みかさ)の山(やま)に  いでし月(つき)かも (あまのハラ ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも) 光孝天皇 (こうこう てんのう) :君(きみ)がため  春(はる)の野(の)にいでて  若菜(わかな)つむ  わが衣手(ころもで)に  雪はふりつつ (きみがため ハルののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきワふりつつ) 平兼盛 (たいらの かねもり) :しのぶれど 色にいでにけり  わがこいは  ものや思うと  人の問うまで (しのぶれど いろにいでにけり わがこいワ ものやおもうと ひとのとうまで) 源経信 (みなもとの つねのぶ) :夕されば  門田(かどた)の稲葉(いなば)  おとずれて  あしのまろやに 秋風ぞ ふく (ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞフク) 藤原顕輔 (みなもとの あきすけ) :秋風に  たなびく雲の  たえまより  もれいずる月の  かげの さやけさ 紀友則 (きの とものり) :ひさかたの  光(ひかり) のどけき  春(はる)の日(ひ)に   しず心なく   花(はな)の散る(ちる)らん 紀貫之 (きの つらゆき) :人は(ひとワ)いさ  心も(こころも)知らず  ふるさとは  花ぞ(はなぞ)昔の(むかしの)  香(か)に にほいける(においける) 能因法師 (のういん ほうし) :嵐(あらし)吹く(ふく)  三室(みむろ)の山(やま)の  もみぢ葉(ば)は  竜田(たつた)の川の   錦(にしき)なりけり 後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん) 藤原実定(ふじわらの さねさだ) :ほととぎす  鳴きつる方(かた)を  ながむれば  ただ有明(ありあけ)の  月(つき)ぞ 残れる(のこれる) ---- === 明治時代および明治時代よりあとの短歌 === 与謝野晶子 (よさの あきこ) :金色の ちいさき鳥の かたちして  いちょうちるなり  夕日のおかに 佐々木信綱(ささき のぶつな) :ゆく秋の  大和(やまと)の国の  薬師寺(やくしじ)の  塔(とう)の上なる  一ひら(ひとひら)の雲 石川啄木 (いしかわ たくぼく) :たわむれに  母を背負いて(せおいて)  そのあまり  軽き(かろき)に泣きて(なきて)  三歩あゆまず == 漢字の部首 == == 熟語の成り立ち == == 要約(ようやく)とは == 要約 要点(ようてん) かじょう書き(かじょうがき、箇条書き) == 点字 == == 漢字辞典 == 漢字辞典では、漢字の読み方や成り立ち、使い方を調べることができます。<br> 漢字辞典の使い方を勉強しましょう。 漢字辞典には、「音訓さくいん」「部首さくいん」「総画さくいん」の3種類のさくいんがあります。 === 音訓さくいん === 「音訓さくいん」は、漢字の音訓で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわかっているときに使えます。<br> 「音訓さくいん」を開き、音訓と漢字が五十音順にならんでいるので、調べたい漢字の読みから調べたい漢字を探します。 === 部首さくいん === 「部首さくいん」は、漢字の部首で漢字を探すさくいんです。漢字の読みがわからなくても、部首がわかれば使えます。<br> 「部首さくいん」を開き、部首がその画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の部首の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。 === 総画さくいん === 「総画さくいん」は、漢字の総画で漢字を探(さが)すさくいんです。漢字の読みがわからず、部首もわからないときに使えます。<br> 調べたい漢字の画数を調べ、「総画さくいん」を開き、漢字の画数が少ないほうから順にならんでいるので、調べたい漢字の画数の漢字一覧(いちらん)から調べたい漢字を探します。 == 図書館・図書室 == == 報告書のかきかた == :※ 検定教科書では、報告書の書き方の単元は、3年生~5年生の教科書に分散している。 小学校では、社会科見学や、理科の実験などで、なにかをしらべたあとに、調べた内容について、報告書(ほうこくしょ)を書く場合があります。 大人(おとな)のいう、会社などで言う(いう)、「報告書」(ほうこくしょ)とは、仕事で起きた(おきた)出来事(できごと)や、仕事として何かの実験(じっけん)などをした結果を、書類(しょるい)にまとめて、報告した冊子のことです。 とはいえ、小学生に、そういう大人の書くような本格的(ほんかくてき)な報告書を書くのはむずかしくて、無理(むり)です。なので、まずあ、社会科見学など、学校で起きたことの報告書を書いてみて、練習(れんしゅう)しましょう。 この教科書(小学校国語/4学年)では、小学校での、報告書の書き方について説明します。 小学校での報告書を書く際には、つぎのような事を、心がけると、書きやすいでしょう。 === だれにむけて書くか === まず、学校のそとの人が読んでも、分かるように、書きましょう。 学校の国語の授業では、成績(せいせき)をつけるのが、じぶんたちの学校の先生なので、ついつい、学校の先生にむけてのお手紙のように、書いてしまうかもしれません。 ですが、あなたが大人になったときに仕事(しごと)で書く報告書は、先生いがいの人が読むためのものです。 友達(ともだち)どうしの、日記でもないのです。 === 報告書の構成(こうせい) === おおまかには、次のような構成(こうせい)で書くと、書きやすいでしょう。 ;実験の報告書の場合 #  なにを調べたいのか?  #  実験の方法。 #  実験して、わかった事実。 #  実験の結果から考えたこと。 #  今後の疑問(ぎもん) ;見学の報告書の場合、 #  なにを見学したのか? なにを教えてもらうための見学なのか? #  見学で見たもの、教えてもらったこと、質問したこと、などなど。 #  今後の疑問(ぎもん) また、見学した先の場所でもらったパンフレットなどは、「今後の疑問」などを調べるときに参考(さんこう)になるので、パンフレットは大切に取っておきましょう。 また、実験の報告書も、見学の報告書も、どちらの報告書でも、書いた自分の名前や、見学した日、実験した日を書くことも、忘れないようにしましょう。 では、なんで、これらの構成で書くと、よいのか、説明します。 ;なにを調べたいのか 時間にはかぎりがあります。なので、すべてを調べきることは、むりです。 なので、自分たちは、その調べごとをとおして、何を調べたいのかを、報告書の はじめ のほうに、書いておくとよいでしょう。 ;見学のときは、メモをとる 見学のさいちゅうは、報告書をかいている時間は、ないです。 かといって、なにもメモを書かないと、あとから思い出すのが、たいへん になります、。 なので、見学のときは、できれば、ノートと筆記用具を用意して、そのノートに、メモを書いておきましょう。 (※ 見学をする場所によっては、ノートなどのもちこみが、禁止(きんし)されている場合もあります。なので、見学する場合、ノートをもちこんでもいい場所なのかどうかを、あらかじめ、見学先の人に、教えてもらいましょう。) * その他 見学の報告書では、じっさいに起きたことを、起きた順番で書いたほうが、読みやすくなります。 (しかし、実験の報告書の場合は、ちがう場合もあります。) たとえば、工場の見学では、いろんな場所を見せてもらって、それぞれの場所で、説明をしてもらったり、質問に答えてもらったりすることがあると思います。 報告書では、それぞれの場所ごとに、なにを見たのかを、みた場所の順番ごとに説明しましょう。 たとえば、パン工場で、 # 小麦こ をこねて、パンの形にする機械(きかい)。 # パンの形になった、やくまえのパンを運ぶベルトコンベア。 # パンをこれから焼く(やく)機械(きかい)。 # やいたあとにパンを、さます機械 # さめたパンを、袋(ふくろ)に つめる機械。 のような順番で見たとしたら、その順番で書きましょう。 ふつうは、工場の人が、パンをつくるための順番と、同じ順番で見学をさせると思います。なので、見学した順番どおりに報告書(ほうこくしょ)を書けば、ふつうは、だいじょうぶです。 ですが、工場によっては、ときどき、つくるための順番と、見学の順番とが、ちがう場合があります。 ですので、ねんのため、どういった順番でみたのかを、報告書に書いておきましょう。 たとえば、次のような構成になると思います。 <pre> 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。 このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) ) </pre> もし、順番を思い出せないなら、けっして、むりしないで、順番を書かないでください。 報告書は、学校のテストとは、ちがいます。 自分の知らないことや、覚えてない(おぼえてない)ことなのに、もしもウソをついて覚えているフリをすると、報告書を読む人がだまされてしまい、とても、迷惑に、なってしまいます。 見学先の人に説明してもらったことなどがある場合、見学先の場所の説明のところで、いっしょに、説明された内容(ないよう)も、報告書で書いておくと、よいでしょう。 また、何かを見せてもらった時に、おどろいたり、感動したりしたことなど、思ったことがあるでしょうから、どう感動したり、どうして、おどろいたのか、報告書で、てみじかに説明しましょう。 このさい、気をつけることとして、感動したり など の思ったことは、実際に見学で目でみたもの とは、区別(くべつ)して 書くようにしましょう。 <pre> この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 </pre> このように、2つ以上の文章にわけて書くと、よいでしょう。 実際に起きたことや、実際に目でみたものなどの事実(じじつ)と、自分の頭のなかで考えたこととは、ベツのことです。 自分のあたまで考えたことは、もしかしたら、実際とは、ちがうかもしれません。 なので、事実と、考えたこととは、区別するようにしましょう。 === うまく書くテクニック === それぞれの場所の説明が長くなりそうな場合、次のように、場所ごとに見出しをつけると、読みやすくなる場合もあります。 <pre> 【1】 この見学について ぼくたちは、せいれき2019年の6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 【2】 見学のときのこと (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 (2) ベルトコンベア そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。 (3) ベルトコンベア このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) ) </pre> 見出しのつけかたは、上で紹介した方法のほかにも、べつの方法もあります。 <pre> < この見学について > ぼくたちは、せいれき2019年の6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 < 見学のときのこと > (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 (※ 省略(しょうりゃく) ) </pre> ひとつの報告書のなかでは、見出しのつけかたは、同じ方法にしておきましょう。 === 小学校での報告書は、感想文でもある === 小学校では、よく、報告書で、感想も書かせる場合があります。(※ 検定教科書でも、社会科見学での報告書の例として、文章のところどころに感想を書いている。) つまり、感想文と報告書とを、合わせて、ひとつの提出物(ていしゅつぶつ)の原稿用紙(げんこうようし)のなかに書く場合がある場合が、よくあります。 とはいえ、じつは大人の仕事の報告書では、かならずしも感想を書く必要はないです。 しかし小学校では、そこまで「報告書」を感想文と区別(くべつ)しません。 単に、社会科見学などをしたあとの学校にもどってから小学生に書かせる感想文のことを、小学校では「報告書」(ほうこくしょ)というような場合もあります。 大人の都合ですが、小学生が社会科見学で見学するような内容は、いっしょに見学に行った先生はすでに知っているので、見てきた物事(ものごと)の説明だけを読まされても、読んでる先生は、あまり楽しめないのです。 なので、授業で社会科見学について作文を書かされたときの授業の題名が「報告書」(ほうこくしょ)というタイトルであっても、感想も書いてあげましょう。 こういう、感想文と報告書のまざったような作文を書くように授業でいわれた場合、次のように、見学してきたものの説明のあとに、それぞれの感想を書くと、書きやすいでしょう。 ///////////////////////// 【1】 この見学について ぼくたちは、2019年6月16日に、学校でパン工場を見学しに行きました。 そして、見学先の工場で、パンのつくられる機械や、はたらいている人たちの様子について、見せてもらったり、教えてもらったりしました。 【2】 見学のときのこと (1) パンをこねる機械 見学のさいしょ、ぼくたちは、小麦こをパンの形にこねる機械をみせてもらいました。 この機械は、△△な動きをしていてました。 '''ぼくは、それをみて、□□だなーと思いました。''' ← ※ この説明のように、見たもののあとに、感想を書くとよいだろう。 このとき、工場の人が説明をしてくれて、説明によると、この機械は、 ~~~~~~~(※ 省略) な機械のようです。 (2) ベルトコンベア そのあと、さっきこねられたばかりの、やく前のパンを、ベルトコンベアで運ぶ機械をみせてもらいました。 このベルトコンベアは、何本か横にならんでて、同じスピードで、パンを運んでいました。 '''それを見て、ぼくは、「人間の行進だと、おしゃべりをしたりして、同じスピードでは、なかなか行進できないから、3年生のときの運動会のれんしゅうでは先生によく、おこられたのに、機械はすごいなあ。」と思いました。'''← ※ この説明のように、なにか見たものを説明したあとには、その感想を書くとよい。 (3) ベルトコンベア このあと、ぼくたちは見学先の場所が移り、こんどは、パンをやく機械をみせてもらいました。 (※ 省略(しょうりゃく) ) /////////////////// === まとめ の書き方 === 報告書(ほうこくしょ)では、報告書のさいごか、または、さいしょのほうに、 報告したい内容について、全体的にどうだったかのまとめを書く場合もあります。 たとえば、社会科見学でのパン工場では、「まとめ」なら、たとえば見学全体を通して、いまのパン工場では、清潔(せいけつ)で安全(あんぜん)な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かったとしたら、そのことをまとめに書きます。 つまり、 <pre> < まとめ > この見学をとおして分かったことですが、いまのパン工場では、せいけつで安全な食品をつくるために、工場全体で、最新のすごい機械をつかったりいる事が分かりました。 ベルトコンベアーのような動く機械から、コンピューターのような機械まで、いろんな機械を使って工夫していました。 </pre> のようにです。 単に「勉強になりました。」だけのような文章は、「まとめ」に書く必要はないのです。 もし「まとめ」として、勉強になったことをまとめるのなら、なにがどう勉強になったのかを、書いてください。 なぜなら、見学とは、見てこさせて勉強させるために見学させるわけですから、勉強になるのは当然ですので、読んでるほうは「勉強になりました。」とだけ読まされても、ぜんぜんオモシロくないのです。 さて、わたしたち小学生にとっての問題は、この「まとめ」を、原稿用紙(げんこうようし)のどこに書けばいいかです。 答えをいうと、たぶん多くの小学校の「報告書」の場合、「まとめ」は、さいごのほうに書くほうがよいでしょう。なぜなら、「まとめ」を書きなおすとき、「まとめ」の前の段落は直さなくてすむので、「まとめ」だけを直せるからです。 もし、文章のはじめのほうに「まとめ」を書いてしまうと、「まとめ」を書きなおしたい場合に、「まとめ」の段落の行数がかわってしまう場合がよくあるので、「まとめ」のあとの、見学してきた内容の説明までも、書きなおす必要があります。 これは、大人たちが仕事で書く「報告書」とは、じじょうが違います。 大人たちの仕事での報告書では、いまの時代ではコンピューター(いわゆるパソコン)で報告書を書くので、文章の前のほうの段落(だんらく)などの行が、かわっても、コンピューターが自動的(じどうてき)に、ほかの文章の場所を移動(いどう)してくれます。 なので、大人たちの報告書では、さいしょに「まとめ」を書く場合もあります。読む人の時間の足りない場合には、とりあえず「まとめ」だけを読んでも、そこそこ内容が分かるからです。 しかし、小学校の授業でつかうような、手書き(てがき)の作文では、前のほうの段落を書きかえたときは、コンピューターのような自動的な文章の移動(いどう)は無理です。なので、小学校の作文では、「まとめ」は、報告書(ほうこくしょ)の後ろ(うしろ)のほうに書くことになるでしょう。 また、「まとめ」の場所では、自分の考えも、書くとよいでしょう。 === おとなの報告書 === この教科書は、国語の教科書ですので、文字をつかって報告(ほうこく)をする方法(ほうほう)を説明しています。 ですが、おとなが仕事で書く報告書(ほうこくしょ)の場合、文字をつかうのも必要ですが、場合によっては、さらに図(ず)や写真(しゃしん)をつけくわえたりします。 なぜなら、目的(もくてき)は、報告をすることです。 けっして、文字だけで、ものごとを説明することは、目的ではないのです。 もし、報告のために、なにかの形について説明する必要(ひつよう)があれば、そのものの図や写真を報告書にのせたほうが、説明が早いし、読んでるほうも分かりやすいのです。 :※ 小学校の3年でならう 説明文(せつめいぶん)の書き方 でも、図や表(ひょう)などを必要(ひつよう)だったら使う(つかう)と、習っています。 :※ また、5年生のある教科書では、報告書では必要ならば図や表をつかうほうがよいと、どうどうと言っています。(※ たとえば学校図書の小5国語の上巻) ただし、小学校の場合、社会科見学などでは、写真を撮影(さつえい)できないのが、ふつうです。 企業(きぎょう)や工場(こうじょう)などでは、ひみつのノウハウがあるので、社員(しゃいん)でない人による写真(しゃしん)の撮影(さつえい)を禁止しているのが、ふつうです。 こういうときにも、説明に便利なのが、その見学先の会社のパンフレットです。パンフレットには、ふつう、外部の人にみせてもいいものの写真や図がありますので、報告書などで見学して見てきたものを図や写真で説明する場合には、パンフレットの写真などを使えばいいのです。 また、たとえば、なにかについてアンケートで調べた結果と、その内容の分析(ぶんせき)のある報告書では、アンケートのそれぞれの回答をした人数の比較などは、棒(ぼう)グラフ や 円グラフ などにすると、分かりやすいでしょう。(いまの時代なら、パソコンで、かんたんにグラフを作れます。) 「国語だから、算数のグラフをつかってはいけない」なんてことは、ないのです。 なお、パソコンなどで、図や表を、文章といっしょにのせるのには、ちょっとしたワザが必要です。小学生はまだ、そこまでできなくても、だいじょうぶです。 [[Category:小学校国語|4かくねん]]
null
2019-10-09T13:23:09Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/4%E5%AD%A6%E5%B9%B4
19,498
小学校国語/ごんぎつね
本文は、小学生用に、一部を変更。(例:未習の漢字をかなに変更。) ごんぎつね これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。 むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手(うらて)につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。 ある秋(あき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がきんきん、ひびいていました。 ごんは、村の小川(おがわ)の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少(すくな)いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下(かわしも)の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。 「兵十(ひょうじゅう)だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子(ほくろ)みたいにへばりついていました。 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。 兵十はそれから、びくをもって川から上(あが)りびくを土手(どて)においといて、何をさがしにか、川上(かわかみ)の方へかけていきました。 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手(しもて)の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、 「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。 十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、 「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。 「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。 「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。 「兵十の家のだれが死んだんだろう」 お午(ひる)がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦(やねがわら)が光っています。墓地には、ひがん花(ばな)が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘(かね)が鳴って来ました。葬式の出る合図(あいず)です。 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声(はなしごえ)も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつま芋(いも)みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。 「ははん、死んだのは兵十のおっ母(かあ)だ」 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。 その晩、ごんは、穴の中で考えました。 「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。 兵十は今まで、おっ母と二人(ふたり)きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。 「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」 こちらの物置(ものおき)の後(うしろ)から見ていたごんは、そう思いました。 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。 「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助(やすけ)のおかみさんが、裏戸口から、 「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売(うり)は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向(むか)ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。 つぎの日には、ごんは山で栗(くり)をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯(ひるめし)をたべかけて、茶椀(ちゃわん)をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬(ほっ)ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。 「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすびと)と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。 「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。 「ああん?」 「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」 「何が?」 「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」 「ふうん、だれが?」 「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。 「ほんとかい?」 「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来(こ)いよ。その栗を見せてやるよ」 「へえ、へんなこともあるもんだなア」 それなり、二人はだまって歩いていきました。 加助がひょいと、後(うしろ)を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚(もくぎょ)の音がしています。窓の障子(しょうじ)にあかりがさしていて、大きな坊主頭(ぼうずあたま)がうつって動いていました。ごんは、 「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師(かげぼうし)をふみふみいきました。 お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」 「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。 「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」 「そうかなあ」 「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」 「うん」 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄(なわ)をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。 「ようし。」 兵十は立ちあがって、納屋(なや)にかけてある火縄銃(ひなわじゅう)をとって、火薬をつめました。 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間(どま)に栗が、かためておいてあるのが目につきました。 「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。 「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。 ウィキブックス本記事では、青空文庫より、文字データを引用した。 原典の出典情報などは、以下のとおり。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本文は、小学生用に、一部を変更。(例:未習の漢字をかなに変更。)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ごんぎつね", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。 むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手(うらて)につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。 ある秋(あき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がきんきん、ひびいていました。 ごんは、村の小川(おがわ)の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少(すくな)いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下(かわしも)の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。 「兵十(ひょうじゅう)だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子(ほくろ)みたいにへばりついていました。 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。 兵十はそれから、びくをもって川から上(あが)りびくを土手(どて)においといて、何をさがしにか、川上(かわかみ)の方へかけていきました。 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手(しもて)の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、 「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、 「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。 「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。 「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。 「兵十の家のだれが死んだんだろう」 お午(ひる)がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦(やねがわら)が光っています。墓地には、ひがん花(ばな)が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘(かね)が鳴って来ました。葬式の出る合図(あいず)です。 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声(はなしごえ)も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつま芋(いも)みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。 「ははん、死んだのは兵十のおっ母(かあ)だ」 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。 その晩、ごんは、穴の中で考えました。 「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。 兵十は今まで、おっ母と二人(ふたり)きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。 「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」 こちらの物置(ものおき)の後(うしろ)から見ていたごんは、そう思いました。 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。 「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助(やすけ)のおかみさんが、裏戸口から、 「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売(うり)は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向(むか)ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。 つぎの日には、ごんは山で栗(くり)をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯(ひるめし)をたべかけて、茶椀(ちゃわん)をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬(ほっ)ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。 「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすびと)と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。 「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。 「ああん?」 「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」 「何が?」 「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」 「ふうん、だれが?」 「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。 「ほんとかい?」 「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来(こ)いよ。その栗を見せてやるよ」 「へえ、へんなこともあるもんだなア」 それなり、二人はだまって歩いていきました。 加助がひょいと、後(うしろ)を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚(もくぎょ)の音がしています。窓の障子(しょうじ)にあかりがさしていて、大きな坊主頭(ぼうずあたま)がうつって動いていました。ごんは、 「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師(かげぼうし)をふみふみいきました。 お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」 「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。 「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」 「そうかなあ」 「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」 「うん」 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄(なわ)をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。 「ようし。」 兵十は立ちあがって、納屋(なや)にかけてある火縄銃(ひなわじゅう)をとって、火薬をつめました。 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間(どま)に栗が、かためておいてあるのが目につきました。 「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。 「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ウィキブックス本記事では、青空文庫より、文字データを引用した。 原典の出典情報などは、以下のとおり。", "title": "出典など" } ]
本文は、小学生用に、一部を変更。
本文は、小学生用に、一部を変更。(例:未習の漢字をかなに変更。) == 本文 == ごんぎつね ::新美南吉(にいみ なんきち) === 一 ===  これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。<br />  むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。<br />  その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手(うらて)につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。<br />  ある秋(あき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。<br /><br />  雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がきんきん、ひびいていました。  ごんは、村の小川(おがわ)の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少(すくな)いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下(かわしも)の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。<br />  ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。<br /> 「兵十(ひょうじゅう)だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子(ほくろ)みたいにへばりついていました。<br />  しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。<br />  兵十はそれから、びくをもって川から上(あが)りびくを土手(どて)においといて、何をさがしにか、川上(かわかみ)の方へかけていきました。<br />  兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手(しもて)の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。<br />  一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、<br /> 「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。<br />  ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。<br />  ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。<br /> === 二 ===  十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、<br /> 「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。<br /> 「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」  こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。<br /> 「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。<br /> 「兵十の家のだれが死んだんだろう」<br />  お午(ひる)がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦(やねがわら)が光っています。墓地には、ひがん花(ばな)が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘(かね)が鳴って来ました。葬式の出る合図(あいず)です。<br />  やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声(はなしごえ)も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。<br />  ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつま芋(いも)みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。<br /> 「ははん、死んだのは兵十のおっ母(かあ)だ」<br />  ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。<br />  その晩、ごんは、穴の中で考えました。<br /> 「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」<br /> === 三 ===  兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。<br />  兵十は今まで、おっ母と二人(ふたり)きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。 「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」<br />  こちらの物置(ものおき)の後(うしろ)から見ていたごんは、そう思いました。<br />  ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。<br /> 「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」<br />  ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助(やすけ)のおかみさんが、裏戸口から、<br /> 「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売(うり)は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向(むか)ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。<br />  ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。<br />  つぎの日には、ごんは山で栗(くり)をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯(ひるめし)をたべかけて、茶椀(ちゃわん)をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬(ほっ)ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。<br /> 「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすびと)と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。<br />  ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。<br />  ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。<br />  つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。<br /> === 四 ===  月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。<br />  ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。<br /> 「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。<br /> 「ああん?」<br /> 「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」<br /> 「何が?」<br /> 「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」<br /> 「ふうん、だれが?」<br /> 「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」<br />  ごんは、ふたりのあとをつけていきました。<br /> 「ほんとかい?」<br /> 「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来(こ)いよ。その栗を見せてやるよ」<br /> 「へえ、へんなこともあるもんだなア」<br />  それなり、二人はだまって歩いていきました。<br />  加助がひょいと、後(うしろ)を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚(もくぎょ)の音がしています。窓の障子(しょうじ)にあかりがさしていて、大きな坊主頭(ぼうずあたま)がうつって動いていました。ごんは、<br /> 「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。<br /> === 五 ===  ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師(かげぼうし)をふみふみいきました。<br />  お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。<br /> 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」<br /> 「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。<br /> 「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」<br /> 「そうかなあ」<br /> 「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」<br /> 「うん」<br />  ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。<br /> === 六 ===  そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄(なわ)をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。<br />  そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。<br /> 「ようし。」<br />  兵十は立ちあがって、納屋(なや)にかけてある火縄銃(ひなわじゅう)をとって、火薬をつめました。<br />  そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間(どま)に栗が、かためておいてあるのが目につきました。<br /> 「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。<br /> 「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」<br />  ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。<br />  兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。<br /> == 出典など == ウィキブックス本記事では、青空文庫より、文字データを引用した。 原典の出典情報などは、以下のとおり。 :底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店 :   1996(平成8)年7月16日発行第1刷 :   1997(平成9)年7月15日発行第2刷 :初出:「赤い鳥 復刊第三巻第一号」 :   1932(昭和7)年1月号 [[Category:小学校国語|こんきつね]]
null
2021-12-20T05:20:05Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E3%81%94%E3%82%93%E3%81%8E%E3%81%A4%E3%81%AD
19,499
小学校国語/雨ニモマケズ
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "雨ニモマケズ" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ", "title": "雨ニモマケズ" } ]
null
== 雨ニモマケズ == :::{{ruby|宮澤賢治|みやざわけんじ}} 雨ニモマケズ<br /> 風ニモマケズ<br /> 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ<br /> {{ruby|丈夫|じょうぶ}}ナカラダヲモチ<br /> {{ruby|慾|よく}}ハナク<br /> 決シテ{{ruby|瞋|いか}}ラズ<br /> イツモシヅカニワラッテ{{ruby|ヰ|イ}}ル<br /> 一日ニ{{ruby|玄米|げんまい}}四合ト<br /> 味噌ト少シノ野菜ヲタベ<br /> アラユルコトヲ<br /> ジブンヲカンジョウニ入レズニ<br /> ヨクミキキシワカリ<br /> ソシテワスレズ<br /> 野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)ノ<br /> 小サナ{{ruby|萓|かや}}ブキノ小屋ニ{{ruby|ヰ|イ}}テ<br /> 東ニ病気ノコドモアレバ<br /> 行ッテ{{ruby|看病|かんびょう}}シテヤリ<br /> 西ニツカレタ母アレバ<br /> 行ッテソノ{{ruby|稲|いね}}ノ{{ruby|朿|たば}}ヲ負ヒ<br /> 南ニ死ニサウナ人アレバ<br /> 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ<br /> 北ニケンクヮヤソショウガアレバ<br /> ツマラナイカラヤメロトイヒ<br /> ヒドリノトキハナミダヲナガシ<br /> サムサノナツハオロオロアルキ<br /> ミンナニデクノボートヨバレ<br /> ホメラレモセズ<br /> クニモサレズ<br /> サウイフモノニ<br /> ワタシハナリタイ<br /> [[Category:小学校国語|あめにもまけす]] == 出典 == 青空文庫より、文字データを引用した。
null
2020-03-11T13:22:14Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E9%9B%A8%E3%83%8B%E3%83%A2%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%82%BA
19,502
小学校国語/徒然草
徒然草
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "徒然草", "title": "" } ]
徒然草(つれづれぐさ)
[[ファイル:Yoshida Kenko.jpg|thumb|{{ruby|兼好法師|けんこうほうし}}]] '''{{ruby|徒然草|つれづれぐさ}}''' ::{{ruby|兼好法師|けんこうほうし}}({{ruby|吉田兼好|よしだけんこう}}) [[File:徒然草.ogg|thumb|left|「徒然草」の音読]] {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : つれづれなるままに、日ぐらし、 :すずりに向か{{ruby|ひ|い}}て、 :心にうつりゆく よしなごとを、 :そこはかとなく 書きつくれば、 :あやしう [あやしゅう] こそ ものぐる{{ruby|ほ|お}}しけれ。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (することもなく、){{ruby|退屈|たいくつ}}であるのに{{ruby|任|まか}}せて、一日中、すずりに向かって、心の中に次々とうかんでは消えていく、たわいのないことを、とりとめもなく書きつけていると、みょうに気持ちがおかしくなりそうだ。 |} [[Category:小学校国語|つれつれくさ]]
null
2021-11-02T11:58:55Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
19,503
小学校国語/平家物語
作者:不明 平家という、平安時代の日本を支配していた一族が、源氏という新たに勢力を強めた新興の武士に、戦争でほろぼされる歴史上の実際の出来事をもとにした物語です。 (書き出しの部分) 平家物語の作者は不明ですが、琵琶法師などによって語りつがれました。 作中で出てくる平清盛も、源義経も、実在した人物です。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」などの合戦も、歴史上の実際の出来事です。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "作者:不明", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "平家という、平安時代の日本を支配していた一族が、源氏という新たに勢力を強めた新興の武士に、戦争でほろぼされる歴史上の実際の出来事をもとにした物語です。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(書き出しの部分)", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "平家物語の作者は不明ですが、琵琶法師などによって語りつがれました。", "title": "解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "作中で出てくる平清盛も、源義経も、実在した人物です。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」などの合戦も、歴史上の実際の出来事です。", "title": "解説" } ]
作者:不明 平家(へいけ)という、平安(へいあん)時代の日本を支配(しはい)していた一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力(せいりょく)を強めた新興(しんこう)の武士に、戦争でほろぼされる歴史(れきし)上の実際(じっさい)の出来事をもとにした物語です。
作者:不明 {{ruby|平家|へいけ}}という、{{ruby|平安|へいあん}}時代の日本を{{ruby|支配|しはい}}していた一族が、{{ruby|源氏|げんじ}}という新たに{{ruby|勢力|せいりょく}}を強めた{{ruby|新興|しんこう}}の武士に、戦争でほろぼされる{{ruby|歴史|れきし}}上の{{ruby|実際|じっさい}}の出来事をもとにした物語です。 :なお、平家がほろび、{{ruby|源氏|げんじ}}の{{ruby|源頼朝|みなもとのよりとも}}が{{ruby|政権|せいけん}}をうばいとったことで、{{ruby|鎌倉|かまくら}}時代が始まりました。 == 本文 == (書き出しの部分) [[File:平家物語祇園精舎.ogg|thumb|「平家物語」の「祇園精舎」の音読。]] {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  :{{ruby|祇園精舎|ぎおんしょうじゃ}}の{{ruby|鐘|かね}}の声、<br /> :{{ruby|諸行無常|しょぎょうむじょう}}の{{ruby|響|ひび}}きあり。 :{{ruby|沙羅双樹|しゃらそうじゅ}}の花の色、 :{{ruby|盛者必衰|じょうしゃひっすい}}のことわりをあら{{ruby|は|わ}}す。 :おごれる人もひさしからず、 :ただ春の夜の{{ruby|夢|ゆめ}}のごとし。 :たけき者もつ{{ruby|ひ|い}}にはほろびぬ、 :ひと{{ruby|へ|え}}に風の前のちりに同じ。 : </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| ::{{ruby|現代語訳|げんだいごやく}} 祇園精舎の鐘の音には、「すべてのものは、(けっしてそのままではいられず)かわりゆく。」ということを知らせる響きがある(ように聞こえる)。 沙羅双樹の花の色には、どんなに{{ruby|勢|いきお}}いのさかんな者でも、いつかはほろびゆくという事をあらわしている(ように見える)。 おごりたかぶっている者も、その地位には長くはいられない。ただ、春の夜の夢のように(短くて)はかない。強い者も、最終的にはほろんでしまう。 まるで、風に吹き飛ばされるちりと同じようだ。 |} == 解説 == *祇園精舎…インドにある寺で、{{ruby|釈迦|しゃか}}の{{ruby|本拠地|ほんきょち}}。 平家物語の作者は不明ですが、{{ruby|琵琶法師|びわほうし}}などによって語りつがれました。 作中で出てくる{{ruby|平清盛|たいらのきよもり}}も、{{ruby|源義経|みなもとのよしつね}}も、{{ruby|実在|じつざい}}した人物です。作中で書かれる「{{ruby|壇ノ浦|だんのうら}}の戦い」などの{{ruby|合戦|かっせん}}も、{{ruby|歴史|れきし}}上の{{ruby|実際|じっさい}}の出来事です。 [[Category:小学校国語|へいけものかたり]]
null
2020-03-12T09:18:51Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,504
小学校国語/竹取物語
むかし話の「かぐやひめ」(かぐや姫)は、「竹取物語」(たけとりものがたり)という物語がもとになっている。今から1000年以上も前の平安時代に書かれた物語である。「竹取物語」の作者は不明。 「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。 ○h行でなる ○隠語で構成 「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。 [○nn=m ○vv=w]:2つある 古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。 この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。[てとち→t・うい] のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、古文の「わ・ゐ・う・ゑ・を」は、読みが、「わ」→「わ」(そのまま)、「ゐ」→「い」、「う」→「う」(そんまま)、「ゑ」→「え」、「を」→「お」、というふうになる。 意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "むかし話の「かぐやひめ」(かぐや姫)は、「竹取物語」(たけとりものがたり)という物語がもとになっている。今から1000年以上も前の平安時代に書かれた物語である。「竹取物語」の作者は不明。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "○h行でなる ○隠語で構成", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "[○nn=m ○vv=w]:2つある", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。[てとち→t・うい]", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、古文の「わ・ゐ・う・ゑ・を」は、読みが、「わ」→「わ」(そのまま)、「ゐ」→「い」、「う」→「う」(そんまま)、「ゑ」→「え」、「を」→「お」、というふうになる。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "書き出しの部分" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "", "title": "書き出しの部分" } ]
むかし話の「かぐやひめ」(かぐや姫)は、「竹取物語」(たけとりものがたり)という物語がもとになっている。今から1000年以上も前の平安時代に書かれた物語である。「竹取物語」の作者は不明。
[[File:竹取物語 幼き、かぐや姫.jpg|thumb|400px|ちいさいころの、かぐや姫。おじいさんとおばあさんに、たいせつに育てられている。]] むかし話の「かぐやひめ」(かぐや姫)は、「竹取物語」(たけとりものがたり)という物語がもとになっている。今から1000年以上も前の平安時代に書かれた物語である。「竹取物語」の作者は不明。 {{-}} == 書き出しの部分 == === 本文 === [[File:竹取物語.ogg|thumb|『竹取物語』の音読]] {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむいひける。 : その竹の中に、もと光る竹なむ一すぢありける。あやしがりて、寄りて見るに、つつの中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} <br /> <br /> {| style="width:100%" |valign=top style="width:10%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| <div style="border:1px solid #000000;"> === 訳(やく) === :今となっては昔のことだが、「竹取の翁」というものがいた。 :野山に分け入って竹をとっては、様々なことに使っていた。 :名を「さぬきのみやつこ」と言った。 :その竹の中に、根元が光るものが一本あった。 :不思議(ふしぎ)に思って近づいて見ると、竹の筒(つつ)の中が光っていた。 :それを見ると、三寸(さんずん、約10センチメートル)ほどの人が、たいそうかわいらしく座って(すわって)いた。 :  </div> |} === '''かなづかい'''の違い === :いふもの → 「いうもの」と読む。 :よろづ → 「よろず」と読む。 :使ひけり → 「つかいけり」と読む。 :なむ  → 「なん」と読む。 :いひける → 「いいける」と読む。 :うつくしう → 「うつくしゅう」と読む。 :ゐたり → 「いたり」と読む。 *語頭以外での「は・ひ・ふ・へ・ほ」 「いふもの」や「いひける」のように、語頭以外での「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」は、多くの場合、「は」→「わ」、「ひ」→「い」、「ふ」→「う」、「へ」→「え」、「ほ」→「お」と読むことが多い。 * 子音を取ってヤクした:いふもの・使ひけり・いひける・ゐたり ○h行でなる ○隠語で構成 * 同じ音で仮名を変更:よろず〈子音で覚える〉 *「なむ」 「なむ」を「なん」と読むように、「む」を「ん」と読む場合がある。 :竹(たけ)なむ → 「たけなん」 :さぬきのみやつこなむ → 「さぬきのみやつこなん」 [○nn=m ○vv=w]:2つある *「しう」 古文:「うつくしう」→ 読み:「うつくしゅう」 の様に、古文:「しう」→読み:「しゅう」。 この冒頭文の以外からも例を出せば、古文の「けふ」は「きょう」(今日)。古文の「てふ」は「ちょう」と読む。古文の「てふてふ」は読みは「ちょうちょう」で蝶々(ちょうちょう)。「てふてふ」はアゲハチョウとかモンシロチョウなど、昆虫のチョウのこと。[てとち→t・うい] *「わ・ゐ・う・ゑ・を」 :ゐたり → 「いたり」 のように 枕草子の「をかし」 → 読み:「おかし」の例のように、古文の「わ・ゐ・う・ゑ・を」は、読みが、「わ」→「わ」(そのまま)、「ゐ」→「い」、「う」→「う」(そんまま)、「ゑ」→「え」、「を」→「お」、というふうになる。 === 現代と意味のちがう言葉 === *あやしがりて 意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 *うつくしう :「うつくし」で、「かわいらしい」という意味。現代の「うつくしい」とは、少し意味がちがうので、注意。 *ゐたり :「ゐる」(「いる」)の変化。「ゐる」の意味は「座る」(すわる)という意味。現代での「居る」(いる)の意味の「存在している」とは、すこし意味がちがうので注意。 この「あやし」や「うつくし」のように、たとえ同じ語が現代にあっても、古文では意味が違う場合があるので、注意。 === 語の意味 === * 今は昔 (「いま は むかし」) : 日本の昔話のはじめの決まり文句。「今となっては昔のことだが」という意味。この場合は現代で言うところの「むかしむかし」にあたる部分で、読者をこの世界に引き込ませる言葉の一つ。 * 翁(「おきな」) ・・・ 「翁」と書いて「おきな」と読み、「おじいさん」の意味。古文で、よく出てくる言葉なので、おぼえよう。 * 「いふもの」・・・ 発音は「いうもの」と発音する。旧仮名遣い(きゅうかなづかい)なので、文字と発音とちがっている事に注意。 * 万(よろづ、読み:「よろず」) ・・・ 「いろいろな物・事」「さまざまな物・事」の意味。 :当時の竹は、竹細工(たけざいく)などのように、いろんな品物(しなもの)に、材料(ざいりょう)として使われていた。 * 「使ひけり」・・・ 発音は「つかいけり」、「けり」とは過去をあらわす助動詞であり、「つかいけり」の意味は「つかっていた」となる。 * (竹を取り)つつ : 「つつ」は、反復・継続の意味の接続助詞。ここでは、「竹をとる」という動作と「よろづのことにつかふ」という動作が同時に行われていることをあらわす。 * さぬきの造 (さぬきのみやつこ) : 竹取の翁の名前である。つまり、竹取のおじいさんの名前は「さぬきのみやつこ」。 * (さぬきのみやつこと)「なむ」 ・・・ 発音は「なん」 * <span id="1_2"></span>(あり)けり : 過去の助動詞。助動詞「き」との違いの一つは、「き」が直接経験し記憶にある過去の意味をあらわすのに対し、「けり」は人から伝え聞いたことの回想をあらわすことである。そのため現代語訳は「・・・した」の他にも「・・・したそうだ」などと訳す場合もある。 *(名) をば : 格助詞(かくじょし)「を」に係助詞(かかりじょし)「「は」が付き、「は」がにごったもの。「を」を強調している。「名をば」の意味は、「名前を」とか「名前は」などという意味である。 *あやしがりて :意味は「不思議に思って」。現代の「怪しいと思う」とは意味がちがい、「変だと思う」というような意味は無い。 *'''いと'''(うつくしう) :「いと」で、現代の「とても」という意味。古文で、よく出てくる言葉なので、おぼえよう。 *(いと)うつくしう :「うつくし」で、「かわいらしい」という意味。現代の「うつくしい」とは、少し意味がちがうので、注意。 :この「うつくし」のように、同じ語が現代にあっても、意味が違う場合があるので、注意。 *三寸(「さんすん」) :一寸(いっすん)で、約3センチメートル。3寸で約9cmになるが、10センチのほうが切りがいいので、訳では、10センチと訳した。 *ゐたり :「ゐる」(「いる」)の変化。「ゐる」の意味は「座る」(すわる)という意味。現代での「居る」(いる)の意味の「存在している」とは、すこし意味がちがうので注意。 [[Category:小学校国語|たけとりものかたり]] [[カテゴリ:竹取物語]]
2014-10-09T06:49:04Z
2023-09-26T11:15:17Z
[ "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,505
小学校国語/注文の多い料理店
二人の若い紳士(しんし)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲(てっぽう)をかついで、白熊(しろくま)のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥(やまおく)の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。 「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」 「鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ。」 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。 それに、あんまり山が物凄(ものすご)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠(うな)って、それから泡(あわ)を吐(は)いて死んでしまいました。 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼(ま)ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。 「ぼくはもう戻(もど)ろうとおもう。」 「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空(す)いてきたし戻ろうとおもう。」 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(きのう)の宿屋で、山鳥を拾円(じゅうえん)も買って帰ればいい。」 「兎(うさぎ)もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」 ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。 風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「喰(た)べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒(いっけん)の西洋造りの家がありました。 そして玄関(げんかん)には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 という札がでていました。 「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか」 「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」 「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」 「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸(せと)の煉瓦(れんが)で組んで、実に立派なもんです。 そして硝子(がらす)の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」 二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。 「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」 二人は戸を押(お)して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下(ろうか)になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。 「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」 二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。 「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」 「ぼくらは両方兼ねてるから」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗(ぬ)りの扉(と)がありました。 「どうも変な家(うち)だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」 そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」 「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。 「うん、これはきっと注文があまり多くて支度(したく)が手間取るけれどもごめん下さいと斯(こ)ういうことだ。」 「そうだろう。早くどこか室(へや)の中にはいりたいもんだな。」 「そしてテーブルに座(すわ)りたいもんだな。」 ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄(え)のついたブラシが置いてあったのです。 扉には赤い字で、 「お客さまがた、ここで髪(かみ)をきちんとして、それからはきもの の泥(どろ)を落してください。」 と書いてありました。 「これはどうも尤(もっと)もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」 「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉(えら)い人たちが、たびたび来るんだ。」 そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴(くつ)の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否(いな)や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。 二人はびっくりして、互(たがい)によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方(とほう)もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。 扉の内側に、また変なことが書いてありました。 「鉄砲と弾丸(たま)をここへ置いてください。」 見るとすぐ横に黒い台がありました。 「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」 「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」 二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。 「どうか帽子(ぼうし)と外套(がいとう)と靴をおとり下さい。」 「どうだ、とるか。」 「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは」 二人は帽子とオーバーコートを釘(くぎ)にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。 扉の裏側には、 「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(めがね)、財布(さいふ)、その他金物類、 ことに尖(とが)ったものは、みんなここに置いてください」 と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてありました。鍵(かぎ)まで添(そ)えてあったのです。 「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気(かなけ)のものはあぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯(こ)う云うんだろう。」 「そうだろう。して見ると勘定(かんじょう)は帰りにここで払(はら)うのだろうか。」 「どうもそうらしい。」 「そうだ。きっと。」 二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫のなかに入れて、ぱちんと錠(じょう)をかけました。 すこし行きますとまた扉(と)があって、その前に硝子(がらす)の壺(つぼ)が一つありました。扉には斯(こ)う書いてありました。 「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」 みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。 「クリームをぬれというのはどういうんだ。」 「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(へや)のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」 と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてありました。 「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到(しゅうとう)だね。」 「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」 するとすぐその前に次の戸がありました。 「料理はもうすぐできます。 十五分とお待たせはいたしません。 すぐたべられます。 早くあなたの頭に瓶(びん)の中の香水をよく振(ふ)りかけてください。」 そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。 二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。 ところがその香水は、どうも酢(す)のような匂(におい)がするのでした。 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」 「まちがえたんだ。下女が風邪(かぜ)でも引いてまちがえて入れたんだ。」 二人は扉をあけて中にはいりました。 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。 「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。 もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん よくもみ込んでください。」 なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。 「どうもおかしいぜ。」 「ぼくもおかしいとおもう。」 「沢山(たくさん)の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが......。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。 「その、ぼ、ぼくらが、......うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。 「遁(に)げ......。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押(お)そうとしましたが、どうです、戸はもう一分(いちぶ)も動きませんでした。 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、 「いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはいりください。」 と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉(めだま)がこっちをのぞいています。 「うわあ。」がたがたがたがた。 「うわあ。」がたがたがたがた。 ふたりは泣き出しました。 すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」 「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(まぬ)けたことを書いたもんだ。」 「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(く)れやしないんだ。」 「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」 「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿(さら)も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(きら)いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(かみくず)のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。 中ではふっふっとわらってまた叫(さけ)んでいます。 「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角(せっかく)のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」 二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。 そのときうしろからいきなり、 「わん、わん、ぐゎあ。」という声がして、あの白熊(しろくま)のような犬が二疋(ひき)、扉(と)をつきやぶって室(へや)の中に飛び込んできました。鍵穴(かぎあな)の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻(まわ)っていましたが、また一声 「わん。」と高く吠(ほ)えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。 その扉の向うのまっくらやみのなかで、 「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。 見ると、上着や靴(くつ)や財布(さいふ)やネクタイピンは、あっちの枝(えだ)にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 犬がふうとうなって戻(もど)ってきました。 そしてうしろからは、 「旦那(だんな)あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。 二人は俄(にわ)かに元気がついて 「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。 簔帽子(みのぼうし)をかぶった専門の猟師(りょうし)が、草をざわざわ分けてやってきました。 そこで二人はやっと安心しました。 そして猟師のもってきた団子(だんご)をたべ、途中(とちゅう)で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。 しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "二人の若い紳士(しんし)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲(てっぽう)をかついで、白熊(しろくま)のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥(やまおく)の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。 「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」 「鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ。」 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。 それに、あんまり山が物凄(ものすご)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠(うな)って、それから泡(あわ)を吐(は)いて死んでしまいました。 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼(ま)ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。 はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。 「ぼくはもう戻(もど)ろうとおもう。」 「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空(す)いてきたし戻ろうとおもう。」 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(きのう)の宿屋で、山鳥を拾円(じゅうえん)も買って帰ればいい。」 「兎(うさぎ)もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」 ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。 風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「喰(た)べたいもんだなあ」 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒(いっけん)の西洋造りの家がありました。 そして玄関(げんかん)には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 という札がでていました。 「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか」 「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」 「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」 「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」 二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸(せと)の煉瓦(れんが)で組んで、実に立派なもんです。 そして硝子(がらす)の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」 二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。 「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」 二人は戸を押(お)して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下(ろうか)になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。 「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」 二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。 「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」 「ぼくらは両方兼ねてるから」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗(ぬ)りの扉(と)がありました。 「どうも変な家(うち)だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」 そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」 「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。 「うん、これはきっと注文があまり多くて支度(したく)が手間取るけれどもごめん下さいと斯(こ)ういうことだ。」 「そうだろう。早くどこか室(へや)の中にはいりたいもんだな。」 「そしてテーブルに座(すわ)りたいもんだな。」 ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄(え)のついたブラシが置いてあったのです。 扉には赤い字で、 「お客さまがた、ここで髪(かみ)をきちんとして、それからはきもの の泥(どろ)を落してください。」 と書いてありました。 「これはどうも尤(もっと)もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」 「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉(えら)い人たちが、たびたび来るんだ。」 そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴(くつ)の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否(いな)や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。 二人はびっくりして、互(たがい)によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方(とほう)もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。 扉の内側に、また変なことが書いてありました。 「鉄砲と弾丸(たま)をここへ置いてください。」 見るとすぐ横に黒い台がありました。 「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」 「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」 二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。 「どうか帽子(ぼうし)と外套(がいとう)と靴をおとり下さい。」 「どうだ、とるか。」 「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは」 二人は帽子とオーバーコートを釘(くぎ)にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。 扉の裏側には、 「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(めがね)、財布(さいふ)、その他金物類、 ことに尖(とが)ったものは、みんなここに置いてください」 と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてありました。鍵(かぎ)まで添(そ)えてあったのです。 「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気(かなけ)のものはあぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯(こ)う云うんだろう。」 「そうだろう。して見ると勘定(かんじょう)は帰りにここで払(はら)うのだろうか。」 「どうもそうらしい。」 「そうだ。きっと。」 二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫のなかに入れて、ぱちんと錠(じょう)をかけました。 すこし行きますとまた扉(と)があって、その前に硝子(がらす)の壺(つぼ)が一つありました。扉には斯(こ)う書いてありました。 「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」 みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。 「クリームをぬれというのはどういうんだ。」 「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(へや)のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」 と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてありました。 「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到(しゅうとう)だね。」 「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」 するとすぐその前に次の戸がありました。 「料理はもうすぐできます。 十五分とお待たせはいたしません。 すぐたべられます。 早くあなたの頭に瓶(びん)の中の香水をよく振(ふ)りかけてください。」 そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。 二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。 ところがその香水は、どうも酢(す)のような匂(におい)がするのでした。 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」 「まちがえたんだ。下女が風邪(かぜ)でも引いてまちがえて入れたんだ。」 二人は扉をあけて中にはいりました。 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。 「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。 もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん よくもみ込んでください。」 なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。 「どうもおかしいぜ。」 「ぼくもおかしいとおもう。」 「沢山(たくさん)の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが......。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。 「その、ぼ、ぼくらが、......うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。 「遁(に)げ......。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押(お)そうとしましたが、どうです、戸はもう一分(いちぶ)も動きませんでした。 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、 「いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあおなかにおはいりください。」 と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉(めだま)がこっちをのぞいています。 「うわあ。」がたがたがたがた。 「うわあ。」がたがたがたがた。 ふたりは泣き出しました。 すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」 「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(まぬ)けたことを書いたもんだ。」 「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(く)れやしないんだ。」 「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」 「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿(さら)も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(きら)いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(かみくず)のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。 中ではふっふっとわらってまた叫(さけ)んでいます。 「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角(せっかく)のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」 二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。 そのときうしろからいきなり、 「わん、わん、ぐゎあ。」という声がして、あの白熊(しろくま)のような犬が二疋(ひき)、扉(と)をつきやぶって室(へや)の中に飛び込んできました。鍵穴(かぎあな)の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻(まわ)っていましたが、また一声 「わん。」と高く吠(ほ)えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。 その扉の向うのまっくらやみのなかで、 「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。 見ると、上着や靴(くつ)や財布(さいふ)やネクタイピンは、あっちの枝(えだ)にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 犬がふうとうなって戻(もど)ってきました。 そしてうしろからは、 「旦那(だんな)あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。 二人は俄(にわ)かに元気がついて 「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。 簔帽子(みのぼうし)をかぶった専門の猟師(りょうし)が、草をざわざわ分けてやってきました。 そこで二人はやっと安心しました。 そして猟師のもってきた団子(だんご)をたべ、途中(とちゅう)で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。 しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。", "title": "" } ]
 二人の若い紳士(しんし)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲(てっぽう)をかついで、白熊(しろくま)のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥(やまおく)の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。 「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」 「鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ。」  それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。  それに、あんまり山が物凄(ものすご)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠(うな)って、それから泡(あわ)を吐(は)いて死んでしまいました。 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼(ま)ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。  はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。 「ぼくはもう戻(もど)ろうとおもう。」 「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空(す)いてきたし戻ろうとおもう。」 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(きのう)の宿屋で、山鳥を拾円(じゅうえん)も買って帰ればいい。」 「兎(うさぎ)もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」  ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。  風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」 「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」 「喰(た)べたいもんだなあ」  二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。  その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒(いっけん)の西洋造りの家がありました。  そして玄関(げんかん)には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 という札がでていました。 「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか」 「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」 「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」 「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」  二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸(せと)の煉瓦(れんが)で組んで、実に立派なもんです。  そして硝子(がらす)の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」  二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。 「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」  二人は戸を押(お)して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下(ろうか)になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。 「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」  二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。 「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」 「ぼくらは両方兼ねてるから」  ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗(ぬ)りの扉(と)がありました。 「どうも変な家(うち)だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」  そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」 「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」  二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。 「うん、これはきっと注文があまり多くて支度(したく)が手間取るけれどもごめん下さいと斯(こ)ういうことだ。」 「そうだろう。早くどこか室(へや)の中にはいりたいもんだな。」 「そしてテーブルに座(すわ)りたいもんだな。」  ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄(え)のついたブラシが置いてあったのです。  扉には赤い字で、 「お客さまがた、ここで髪(かみ)をきちんとして、それからはきもの  の泥(どろ)を落してください。」 と書いてありました。 「これはどうも尤(もっと)もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」 「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉(えら)い人たちが、たびたび来るんだ。」  そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴(くつ)の泥を落しました。  そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否(いな)や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。  二人はびっくりして、互(たがい)によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方(とほう)もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。  扉の内側に、また変なことが書いてありました。 「鉄砲と弾丸(たま)をここへ置いてください。」  見るとすぐ横に黒い台がありました。 「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」 「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」  二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。  また黒い扉がありました。 「どうか帽子(ぼうし)と外套(がいとう)と靴をおとり下さい。」 「どうだ、とるか。」 「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは」  二人は帽子とオーバーコートを釘(くぎ)にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。  扉の裏側には、 「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(めがね)、財布(さいふ)、その他金物類、  ことに尖(とが)ったものは、みんなここに置いてください」 と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてありました。鍵(かぎ)まで添(そ)えてあったのです。 「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気(かなけ)のものはあぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯(こ)う云うんだろう。」 「そうだろう。して見ると勘定(かんじょう)は帰りにここで払(はら)うのだろうか。」 「どうもそうらしい。」 「そうだ。きっと。」  二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫のなかに入れて、ぱちんと錠(じょう)をかけました。  すこし行きますとまた扉(と)があって、その前に硝子(がらす)の壺(つぼ)が一つありました。扉には斯(こ)う書いてありました。 「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」  みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。 「クリームをぬれというのはどういうんだ。」 「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(へや)のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」  二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。  それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」 と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてありました。 「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到(しゅうとう)だね。」 「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」  するとすぐその前に次の戸がありました。 「料理はもうすぐできます。  十五分とお待たせはいたしません。  すぐたべられます。  早くあなたの頭に瓶(びん)の中の香水をよく振(ふ)りかけてください。」  そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。  二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。  ところがその香水は、どうも酢(す)のような匂(におい)がするのでした。 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」 「まちがえたんだ。下女が風邪(かぜ)でも引いてまちがえて入れたんだ。」  二人は扉をあけて中にはいりました。  扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。 「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。  もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん  よくもみ込んでください。」  なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。 「どうもおかしいぜ。」 「ぼくもおかしいとおもう。」 「沢山(たくさん)の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」 「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。 「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。 「遁(に)げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押(お)そうとしましたが、どうです、戸はもう一分(いちぶ)も動きませんでした。  奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、 「いや、わざわざご苦労です。  大へん結構にできました。  さあさあおなかにおはいりください。」 と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉(めだま)がこっちをのぞいています。 「うわあ。」がたがたがたがた。 「うわあ。」がたがたがたがた。  ふたりは泣き出しました。  すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」 「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(まぬ)けたことを書いたもんだ。」 「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(く)れやしないんだ。」 「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」 「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿(さら)も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(きら)いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」  二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(かみくず)のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。  中ではふっふっとわらってまた叫(さけ)んでいます。 「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角(せっかく)のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」  二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。  そのときうしろからいきなり、 「わん、わん、ぐゎあ。」という声がして、あの白熊(しろくま)のような犬が二疋(ひき)、扉(と)をつきやぶって室(へや)の中に飛び込んできました。鍵穴(かぎあな)の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻(まわ)っていましたが、また一声 「わん。」と高く吠(ほ)えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。  その扉の向うのまっくらやみのなかで、 「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。  室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。  見ると、上着や靴(くつ)や財布(さいふ)やネクタイピンは、あっちの枝(えだ)にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。  犬がふうとうなって戻(もど)ってきました。  そしてうしろからは、 「旦那(だんな)あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。  二人は俄(にわ)かに元気がついて 「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。  簔帽子(みのぼうし)をかぶった専門の猟師(りょうし)が、草をざわざわ分けてやってきました。  そこで二人はやっと安心しました。  そして猟師のもってきた団子(だんご)をたべ、途中(とちゅう)で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。  しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
{{stub}}  二人の若い紳士(しんし)が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲(てっぽう)をかついで、白熊(しろくま)のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥(やまおく)の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。<br /> 「ぜんたい、ここらの山は怪(け)しからんね。鳥も獣(けもの)も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」<br /> 「鹿(しか)の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞(みまい)もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒(たお)れるだろうねえ。」<br />  それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。  それに、あんまり山が物凄(ものすご)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまいを起こして、しばらく吠(うな)って、それから泡(あわ)を吐(は)いて死んでしまいました。<br /> 「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼(ま)ぶたを、ちょっとかえしてみて言いました。<br /> 「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。<br />  はじめの紳士は、すこし顔いろを悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。<br /> 「ぼくはもう戻(もど)ろうとおもう。」<br /> 「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空(す)いてきたし戻ろうとおもう。」<br /> 「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(きのう)の宿屋で、山鳥を拾円(じゅうえん)も買って帰ればいい。」<br /> 「兎(うさぎ)もでていたねえ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」<br />  ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。<br />  風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。<br /> 「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」<br /> 「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」<br /> 「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」<br /> 「喰(た)べたいもんだなあ」<br />  二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。<br />  その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒(いっけん)の西洋造りの家がありました。<br />  そして玄関(げんかん)には<br /> RESTAURANT<br /> 西洋料理店<br /> WILDCAT HOUSE<br /> 山猫軒<br /> という札がでていました。<br /> 「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか」<br /> 「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」<br /> 「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」<br /> 「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」<br />  二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸(せと)の煉瓦(れんが)で組んで、実に立派なもんです。<br />  そして硝子(がらす)の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。<br /> 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」<br />  二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。<br /> 「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理店だけれどもただでご馳走(ちそう)するんだぜ。」<br /> 「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」<br />  二人は戸を押(お)して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下(ろうか)になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。<br /> 「ことに肥(ふと)ったお方や若いお方は、大歓迎(だいかんげい)いたします」<br />  二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。<br /> 「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」<br /> 「ぼくらは両方兼ねてるから」<br />  ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗(ぬ)りの扉(と)がありました。<br /> 「どうも変な家(うち)だ。どうしてこんなにたくさん戸があるのだろう。」<br /> 「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなこうさ。」<br />  そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。<br /> 「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」<br /> 「なかなかはやってるんだ。こんな山の中で。」<br /> 「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」<br />  二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、<br /> 「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」<br /> 「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。<br /> 「うん、これはきっと注文があまり多くて支度(したく)が手間取るけれどもごめん下さいと斯(こ)ういうことだ。」<br /> 「そうだろう。早くどこか室(へや)の中にはいりたいもんだな。」<br /> 「そしてテーブルに座(すわ)りたいもんだな。」<br />  ところがどうもうるさいことは、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄(え)のついたブラシが置いてあったのです。<br />  扉には赤い字で、<br /> 「お客さまがた、ここで髪(かみ)をきちんとして、それからはきもの<br />  の泥(どろ)を落してください。」<br /> と書いてありました。<br /> 「これはどうも尤(もっと)もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」<br /> 「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉(えら)い人たちが、たびたび来るんだ。」<br />  そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴(くつ)の泥を落しました。<br />  そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否(いな)や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。<br />  二人はびっくりして、互(たがい)によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方(とほう)もないことになってしまうと、二人とも思ったのでした。<br />  扉の内側に、また変なことが書いてありました。<br /> 「鉄砲と弾丸(たま)をここへ置いてください。」<br />  見るとすぐ横に黒い台がありました。<br /> 「なるほど、鉄砲を持ってものを食うという法はない。」<br /> 「いや、よほど偉いひとが始終来ているんだ。」<br />  二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。<br />  また黒い扉がありました。<br /> 「どうか帽子(ぼうし)と外套(がいとう)と靴をおとり下さい。」<br /> 「どうだ、とるか。」<br /> 「仕方ない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。奥に来ているのは」<br />  二人は帽子とオーバーコートを釘(くぎ)にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。<br />  扉の裏側には、<br /> 「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(めがね)、財布(さいふ)、その他金物類、<br />  ことに尖(とが)ったものは、みんなここに置いてください」<br /> と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてありました。鍵(かぎ)まで添(そ)えてあったのです。<br /> 「ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。金気(かなけ)のものはあぶない。ことに尖ったものはあぶないと斯(こ)う云うんだろう。」<br /> 「そうだろう。して見ると勘定(かんじょう)は帰りにここで払(はら)うのだろうか。」<br /> 「どうもそうらしい。」<br /> 「そうだ。きっと。」<br />  二人はめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫のなかに入れて、ぱちんと錠(じょう)をかけました。<br />  すこし行きますとまた扉(と)があって、その前に硝子(がらす)の壺(つぼ)が一つありました。扉には斯(こ)う書いてありました。 「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」<br />  みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。<br /> 「クリームをぬれというのはどういうんだ。」<br /> 「これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(へや)のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」<br />  二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。<br />  それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、<br /> 「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」<br /> と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてありました。<br /> 「そうそう、ぼくは耳には塗らなかった。あぶなく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人はじつに用意周到(しゅうとう)だね。」<br /> 「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どうも斯うどこまでも廊下じゃ仕方ないね。」<br />  するとすぐその前に次の戸がありました。<br /> 「料理はもうすぐできます。<br />  十五分とお待たせはいたしません。<br />  すぐたべられます。<br />  早くあなたの頭に瓶(びん)の中の香水をよく振(ふ)りかけてください。」<br />  そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。<br />  二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。  ところがその香水は、どうも酢(す)のような匂(におい)がするのでした。<br /> 「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」<br /> 「まちがえたんだ。下女が風邪(かぜ)でも引いてまちがえて入れたんだ。」<br />  二人は扉をあけて中にはいりました。  扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありまし<br />た。 「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。<br />  もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさん<br />  よくもみ込んでください。」<br />  なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。<br /> 「どうもおかしいぜ。」<br /> 「ぼくもおかしいとおもう。」<br /> 「沢山(たくさん)の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」<br /> 「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(うち)とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。<br /> 「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。<br /> 「遁(に)げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押(お)そうとしましたが、どうです、戸はもう一分(いちぶ)も動きませんでした。<br />  奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、<br /> 「いや、わざわざご苦労です。<br />  大へん結構にできました。<br />  さあさあおなかにおはいりください。」<br /> と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉(めだま)がこっちをのぞいています。<br /> 「うわあ。」がたがたがたがた。<br /> 「うわあ。」がたがたがたがた。<br />  ふたりは泣き出しました。<br />  すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。<br /> 「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」<br /> 「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(まぬ)けたことを書いたもんだ。」<br /> 「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けて呉(く)れやしないんだ。」<br /> 「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」<br /> 「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。お皿(さら)も洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」<br /> 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌(きら)いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」<br />  二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑(かみくず)のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。<br />  中ではふっふっとわらってまた叫(さけ)んでいます。<br /> 「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角(せっかく)のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」<br /> 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」  二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。<br />  そのときうしろからいきなり、<br /> 「わん、わん、ぐゎあ。」という声がして、あの白熊(しろくま)のような犬が二疋(ひき)、扉(と)をつきやぶって室(へや)の中に飛び込んできました。鍵穴(かぎあな)の眼玉はたちまちなくなり、犬どもはううとうなってしばらく室の中をくるくる廻(まわ)っていましたが、また一声<br /> 「わん。」と高く吠(ほ)えて、いきなり次の扉に飛びつきました。戸はがたりとひらき、犬どもは吸い込まれるように飛んで行きました。  その扉の向うのまっくらやみのなかで、<br /> 「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。<br />  室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。<br />  見ると、上着や靴(くつ)や財布(さいふ)やネクタイピンは、あっちの枝(えだ)にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。<br />  犬がふうとうなって戻(もど)ってきました。<br />  そしてうしろからは、<br /> 「旦那(だんな)あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。<br />  二人は俄(にわ)かに元気がついて<br /> 「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。<br />  簔帽子(みのぼうし)をかぶった専門の猟師(りょうし)が、草をざわざわ分けてやってきました。<br />  そこで二人はやっと安心しました。<br />  そして猟師のもってきた団子(だんご)をたべ、途中(とちゅう)で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。<br />  しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。<br /> == 出典 == 初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社    1924(大正13)年12月1日 本記事では、文字データを青空文庫より引用した。
null
2014-10-09T06:59:07Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E6%B3%A8%E6%96%87%E3%81%AE%E5%A4%9A%E3%81%84%E6%96%99%E7%90%86%E5%BA%97
19,506
小学校国語/漢文
春眠不覚暁 春眠暁を覚えず、 処処聞啼鳥 処処啼鳥を聞く、 夜来風雨声 夜来風雨の声、 花落知多少 花落つること知る多少。 漢文とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「春眠暁を覚えず、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。 床前看月光 床前月光を看る、 疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと、 挙頭望山月 頭を挙げて山月を望み、 低頭思故郷 頭を低れて故郷を思う。 江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾白く、 山青花欲燃 山青くして花燃えんと欲す、 今春看又過 今春看又過ぐ、 何日是帰年 何れの日か是れ帰年ならん。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "孟浩然" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "春眠不覚暁 春眠暁を覚えず、 処処聞啼鳥 処処啼鳥を聞く、 夜来風雨声 夜来風雨の声、 花落知多少 花落つること知る多少。", "title": "孟浩然" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "漢文とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「春眠暁を覚えず、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。", "title": "孟浩然" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "李白" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "床前看月光 床前月光を看る、 疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと、 挙頭望山月 頭を挙げて山月を望み、 低頭思故郷 頭を低れて故郷を思う。", "title": "李白" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "杜甫" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾白く、 山青花欲燃 山青くして花燃えんと欲す、 今春看又過 今春看又過ぐ、 何日是帰年 何れの日か是れ帰年ならん。", "title": "杜甫" } ]
null
== {{furi|孟浩然|もうこうねん}} == [[File:春暁.svg|300px|漢文『春暁』。]] :<big>'''{{furi|春暁|しゅんぎょう}}'''</big>      <big>'''{{furi|孟浩然|もうこうねん}}'''</big> <big>'''春眠不覚暁'''</big>   {{furi|春|しゅん}}{{furi|眠|みん}}{{furi|暁|あかつき}}を{{furi|覚|おぼ|えず}}、<br /> <big>'''処処聞啼鳥'''</big>   {{furi|処処|しょしょ}}{{furi|啼|てい}}{{furi|鳥|ちょう}}を{{furi|聞|き|く}}、<br /> <big>'''夜来風雨声'''</big>   {{furi|夜|や}}{{furi|来|らい}}{{furi|風|ふう}}{{furi|雨|う}}の{{furi|声|こえ}}、<br /> <big>'''花落知多少'''</big>   {{furi|花|はな}}{{furi|落|お|つる}}こと{{furi|知|し|る}}{{furi|多|た}}{{furi|少|しょう}}。<br /> === 解説 === {{furi|漢文|かんぶん}}とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「{{furi|春眠|しゅんみん}}{{furi|暁|あかつき}}を{{furi|覚|おぼ|えず}}、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。 == {{furi|李白|りはく}} == [[File:静夜思.svg|300px|漢文『静夜思』]] :<big>'''{{furi|静夜思|せいやし}}'''</big>   <big>'''{{furi|李白|りはく}}'''</big><br /> <big>'''床前看月光'''</big>   {{furi|床|しょう}}{{furi|前|ぜん}}{{furi|月光|げっこう}}を{{furi|看|み|る}}、<br /> <big>'''疑是地上霜'''</big>   {{furi|疑|うたが|う}}らくは{{furi|是|こ|れ}}{{furi|地|ち}}{{furi|上|じょう}}の{{furi|霜|しも}}かと、<br /> <big>'''挙頭望山月'''</big>   {{furi|頭|こうべ}}を{{furi|挙|あ|げて}}{{furi|山月|さんげつ}}を{{furi|望|のぞ|み}}、<br /> <big>'''低頭思故郷'''</big>   {{furi|頭|こうべ}}を{{furi|低|た|れて}}{{furi|故|こ}}{{furi|郷|きょう}}を{{furi|思|おも|う}}。<br /> == {{furi|杜甫|とほ}} == [[File:絶句.svg|300px|漢文『絶句』]] :<big>'''{{furi|絶句|ぜっく}}'''</big>   <big>'''{{furi|杜甫|とほ}}'''</big><br /> <big>'''江碧鳥逾白'''</big>   {{furi|江|こう}}{{furi|碧|みどり}}にして{{furi|鳥|とり}}{{furi|逾|いよいよ}}{{furi|白|しろ|く}}、<br /> <big>'''山青花欲燃'''</big>   {{furi|山|やま}}{{furi|青|あお|く}}して{{furi|花|はな}}{{furi|燃|も|え}}んと{{furi|欲|ほっ|す}}、<br /> <big>'''今春看又過'''</big>   {{furi|今|こん}}{{furi|春|しゅん}}{{furi|看|みすみす}}{{furi|又|また}}{{furi|過|す|ぐ}}、<br /> <big>'''何日是帰年'''</big>   {{furi|何|いず|れ}}の{{furi|日|ひ}}か{{furi|是|こ|れ}}{{furi|帰|き}}{{furi|年|ねん}}ならん。<br /> [[Category:小学校国語|かんふん]] [[カテゴリ:漢文]]
null
2022-11-26T11:11:33Z
[ "テンプレート:Furi" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E6%BC%A2%E6%96%87
19,507
小学校国語/おくの細道
江戸時代の俳人の松尾芭蕉が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文。 出発年: 元禄2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。 5ヶ月のあいだ、旅を続けた。 関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣などを旅した。 旅の途中、句を多く、作った。 従者として、曾良という人物をつれて、ともに旅をした。 いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。 夏草 や 兵 どもが 夢 の跡 場所:平泉 解釈 季語は「夏草」。季節は夏。 芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。 閑かさや 岩に しみいる 蝉の声 場所:立石寺 解釈 もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。 季語は「蝉」。季節は夏。 五月雨を 集めて早し 最上川 場所:最上川 解釈 季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので) 五月雨の 降りのこしてや 光堂 場所:中尊寺金色堂(岩手県平泉) 荒海や 佐渡に 横たふ 天の河 場所:越後路 解釈 とりあえず、句を文字通りに解釈すると、 というふうな解釈にでも、なるだろう。 季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "江戸時代の俳人の松尾芭蕉が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "出発年: 元禄2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "5ヶ月のあいだ、旅を続けた。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣などを旅した。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "旅の途中、句を多く、作った。", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "従者として、曾良という人物をつれて、ともに旅をした。", "title": "" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "夏草 や 兵 どもが 夢 の跡 場所:平泉 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "季語は「夏草」。季節は夏。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "閑かさや 岩に しみいる 蝉の声 場所:立石寺 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "季語は「蝉」。季節は夏。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "五月雨を 集めて早し 最上川 場所:最上川 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので)", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "五月雨の 降りのこしてや 光堂 場所:中尊寺金色堂(岩手県平泉)", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "荒海や 佐渡に 横たふ 天の河 場所:越後路 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "とりあえず、句を文字通りに解釈すると、", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "というふうな解釈にでも、なるだろう。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。", "title": "俳句" } ]
江戸時代の俳人(はいじん)の松尾芭蕉(まつおばしょう)が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文(きこうぶん)。 出発年: 元禄(げんろく)2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。 5ヶ月のあいだ、旅を続けた。 関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣(おおがき)などを旅した。 旅の途中、句を多く、作った。 従者(じゅうしゃ)として、曾良(そら)という人物をつれて、ともに旅をした。
江戸時代の{{furi|俳人|はいじん}}の{{furi|松尾芭蕉|まつおばしょう}}が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた{{furi|紀行文|きこうぶん}}。 出発年: {{furi|元禄|げんろく}}2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。 5ヶ月のあいだ、旅を続けた。 関東・東北・北陸・(岐阜の){{furi|大垣|おおがき}}などを旅した。 旅の途中、句を多く、作った。 {{furi|従者|じゅうしゃ}}として、{{furi|曾良|そら}}という人物をつれて、ともに旅をした。 == 書き出し == {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 現代語訳 |} {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"|  {{furi|月日|つきひ}}は{{furi|百代|はくたい}}の{{furi|過客|かかく}}にして、{{furi|行|ゆ}}き{{furi|かふ|こう}}年もまた{{furi|旅人|たびびと}}なり。 {{furi|舟|ふね}}の{{furi|上|うえ}}に{{furi|生涯|しょうがい}}を{{furi|浮|う|かべ}}、{{furi|馬|うま}}の{{furi|口|くち}}とらえて{{furi|老|おい}}をむ{{furi|かふ|こう}}るものは、{{furi|日々|ひび}}{{furi|旅|たび}}にして{{furi|旅|たび}}をすみかとす。 {{furi|古人|こじん}}も多く{{furi|旅|たび}}に{{furi|死|し}}せるあり。 {{furi|予|よ}}も、いづれの年よりか、{{furi|片雲|へんうん}}の風に{{furi|誘|さそ|われて}}、{{furi|漂泊|ひょうはく}}の{{furi|思ひ|おもい}}やまず、{{furi|海浜|かいひん}}にさすら{{furi|へ|え}}、{{furi|去年|こぞ}}の{{furi|秋|あき}}、{{furi|江上|こうしょう}}の{{furi|破屋|はおく}}にくもの{{furi|古巣|ふるす}}を{{furi|払|はら|ひて}}、やや年も{{furi|暮|く|れ}}、{{furi|春立|はるた|てる}}{{furi|霞|かすみ}}の空に{{furi|白河|しらかわ}}の関こえんと、そぞろ{{furi|神|がみ}}の物につきて{{furi|心|こころ}}を{{furi|狂|くる|わせ}}、{{furi|道祖神|どうそじん}}の{{furi|招|まね|き}}にあ{{furi|ひ|い}}て、{{furi|取|と|る}}もの{{furi|手|て}}につかず。 ももひきの{{furi|破|やぶ|れ}}をつづり、{{furi|笠|かさ}}の{{furi|緒|お|つけかえて}}、{{furi|三里|さんり}}に{{furi|灸|きゅう}}すゆるより、{{furi|松島|まつしま}}の{{furi|月|つき}}まず心にかかりて、{{furi|住|す}}める{{furi|方|かた}}は{{furi|人|ひと}}に{{furi|譲|ゆず|り}}、{{furi|杉風|さんぷう}}が{{furi|別|べっ|しょ}}に{{furi|移|うつる}}に、 ::{{furi|草|くさ}}の{{furi|戸|と|も}} {{furi|住替|すみかわ|る}}{{furi|代|よ}}ぞ ひなの{{furi|家|いえ}} {{furi|面八句|おもてはっく}}を{{furi|庵|いおり}}の{{furi|柱|はしら}}に{{furi|懸|か|け}}{{furi|置|お|く}}。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 月日は永遠に旅をつづける旅人のようなものであり、毎年、来ては去る年も、また旅人のようなものである。  ({{furi|船頭|せんどう}}として{{furi|舟|ふね}}の上で一生を暮らす人や、({{furi|馬方|うまかた}}として)馬のくつわを取って老いをむかえる人は、旅そのものを毎日、(仕事として)住み家としている(ようなものだ)。 昔の人も、多くの人が旅の途中で死んだ。 私も、いつごろの年からか、ちぎれ雲が風に誘われて{{furi|漂|ただよ|う}}ように、旅をしたいと思うようになり、漂泊の思いやまず、海辺の地方などをさすらい歩きたく、去年の秋、川のほとりの{{furi|粗末|そまつ}}な家に(帰って)、くもの{{furi|古巣|ふるす}}を払ひって(暮らしているうちい)、しだいに年も暮れ、春になると、{{furi|霞|かすみ}}の立ちこめる空のもとで、{{furi|白河|しらかわ}}の{{furi|関|せき}}(奥州地方の関所、現在でいう福島県にあった。) をこえようと、「そぞろ{{furi|神|がみ}}」が(私に)乗りうつって心をそわそわさせ、「{{furi|道祖神|どうそじん}}」(旅や通行の安全を守る神)に招かれているように、何事も手につかない(ように、落ち着かない)。 そこで(もう、旅に出てしまおうと思い)、(旅支度として)ももひきの破れを{{furi|繕|つくろ|い}}、{{furi|笠|かさ}}の{{furi|緒|お}}をつけかえて、(足のツボの)「{{furi|三里|さんり}}」(ひざ下にあるツボ)に{{furi|灸|きゅう}}をすえて(足を健脚にして)(旅支度をすますと)、{{furi|松島|まつしま}}の{{furi|月|つき}}(の美しさ)がまず気になって、住んでいた家は人に{{furi|譲|ゆず|り}}(理由:帰れるかどうか分からないので)、自分はかわりに(弟子の一人の)「{{furi|杉風|さんぷう}}」が持っていた{{furi|別|べっ|しょ}}に移った。 ::{{furi|草|くさ}}の{{furi|戸|のと|も}} {{furi|住替|すみかわ|る}}{{furi|代|よ}}ぞ ひなの{{furi|家|いえ}} :::(この、わびしい{{furi|草庵|そうあん}}( 芭蕉の自宅のこと、{{furi|芭蕉庵|ばしょうあん}} )も、住む人が代わり、(ちょうど三月だから、)ひな人形などもかざって(私のような世捨て人とはちがって子どももいるだろうから)、にぎやかな家になることだろう。) と句を{{furi|詠|よ|んで}}、この句をはじめに{{furi|面八句|おもてはっく}}をつくり、{{furi|庵|いおり}}の{{furi|柱|はしら}}にかけておいた。 |} == 語句・解説など == * '''{{furi|百代|はくたい}}'''・・・解釈は「永遠」。入試などに問われやすいので、おぼえざるを得ない。ひっかけ問題などで、「百代」の間違った意味として、「百年」などの引っ掛けが出るので。 * '''{{furi|古人|こじん}}'''・・・ 古文・漢文での「古人」の意味は、「昔の人」という意味。 現代での「故人」という語句には「死んだ人」という意味があるが、古文・漢文での「古人」「故人」には、そのような「死んだ人」という意味は無いのが、ふつう。 * そぞろ{{furi|神|がみ}} ・・・ 人をそわそわさせる神。 * {{furi|道祖神|どうそじん}} ・・・  旅や通行の安全を守る神だと思われる。 * ももひき ・・・ 男性用の下着の一つ。 * 庵(いおり、あん) ・・・ 質素な小屋。 == 俳句 == いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。 <big>'''{{furi|夏草|なつくさ}}''' '''や'''  '''{{furi|兵|つわもの}}''' '''どもが'''  '''{{furi|夢|ゆめ}}''' '''の{{furi|跡|あと}}'''</big><br /> 場所:{{furi|平泉|ひらいずみ}} 解釈<br /> :その昔、ここ(平泉)では、源{{furi|義経|よしつね}}の一行や{{furi|藤原兼房|ふじわらのかねふさ}}らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が{{furi|生|お|い}}{{furi|茂|しげ|る}}ばかりである。 季語は「夏草」。季節は夏。 芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。 <br /><br /> <big>'''{{furi|閑|しず|かさ}}や'''  '''{{furi|岩|いわ}}に しみいる'''  '''{{furi|蝉|せみ}}の{{furi|声|こえ}}'''</big><br /> 場所:{{furi|立石寺|りっしゃくじ}}<br /> 解釈<br /> :よくある解釈は、文字通り、「あたりは人の気配がなく静かで、ただ、蝉の鳴く声だけが聞こえる。あたかも、岩に蝉の声が、しみわたっていくかのようだ。」・・・みたいな解釈が多い。 :単に、あたりが静かな事を主張するだけだと、わびしさが伝わらないし、単に蝉の声が聞こえることを主張するだけでも、わびしさが伝わらない。本来は、岩にしみいることのありえない「声」が、しみいるように感じられることを書くことで、うまく感じを表現している。 もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。 季語は「蝉」。季節は夏。 <br /><br /> <big>'''{{furi|五月雨|さみだれ}}を'''  '''集めて{{furi|早|はや|し}}'''  '''{{furi|最上川|もがみがわ}}'''</big><br /> 場所:最上川<br /> 解釈<br /> :まず読者は予備知識として、山奥での最上川は、もともと流れが速い、という事を知っておこう。山を流れている川は、平野を流れる川とは違い、流れが速いのである。この句の表現は、ただでさえ、もともと速い最上川が、{{furi|梅雨|つゆ}}の五月雨のあつまったことで水量をましたことで、さらに流れが速くなっていることを表現することで、自然界の{{furi|豪快|ごうかい|さ}}みたいなのを表現している。芭蕉は、{{furi|舟|ふね}}にのって最上川を川下りしたので、自身で最上川の速い流れを体験したのである。 季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので) <br /><br /> <big>'''五月雨の'''  '''{{furi|降|ふ|り}}のこしてや'''  '''{{furi|光堂|ひかりどう}}'''</big><br /> 場所:中尊寺金色堂(岩手県平泉) <br /><br /> <big>'''{{furi|荒海|あらうみ}}や'''  '''{{furi|佐渡|さど}}に {{furi|横たふ|よこたう}}'''  '''{{furi|天|あま}}の{{furi|河|がわ}}'''</big><br /> 場所:{{furi|越後路|えちごじ}}<br /> 解釈<br /> :この「荒海」とは日本海のこと。 :この句の解釈は、いくつかの解釈があり、分かれている。 :実際に見た光景をもとに句を読んだという解釈が一つ。もう一つの解釈は、現実には光景を見ておらず、佐渡の歴史などを表現したという解釈がある。「天の川が見える夜中だと、暗くて佐渡は見えないのでは?」「この句を読んだとされる場所では、地理的・天文学的には、佐渡の方角には天の川は見えないはずだ。」というような意見がある。 :実際に見たのか、見てないのか、どちらの解釈にせよ、「荒海」に対して「天の河」が対照的である。 :地上・海上の世界にある「荒海」と、そうでなく天高くにある「天の河」。荒れくるう海は海難事故(かいなんじこ)などで人の命をうばうこともあるだろうが、「天の河」には、そういうことは無いと思われる。そして、近くにいないと見られない「荒海」と、いっぽう、夏の晴れた夜空なら、どこでも見られる「天の河」。 とりあえず、句を文字通りに解釈すると、 :荒れる日本海のむこうに佐渡の島々が見える。そして、夜空には、天の川が横たわっていることよ。 というふうな解釈にでも、なるだろう。 季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。 [[Category:小学校国語|おくのほそみち]]
2014-10-11T06:08:07Z
2023-11-30T07:29:41Z
[ "テンプレート:Furi" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E7%B4%B0%E9%81%93
19,508
小学校国語/孔子
(抜粋)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "(抜粋)", "title": "" } ]
null
({{furi|抜粋|ばっすい}}) :*{{furi|子|し}}{{furi|曰|いわ|く}}、「{{furi|己|おのれ}}の{{furi|欲|ほっ|せざる}}{{furi|所|ところ}}は、人に{{furi|施|ほどこ|す}}こと{{furi|勿|な|かれ}}。」 :*{{furi|子|し}}{{furi|曰|いわ|く}}、「{{furi|過|あやま|ちて}}{{furi|改|あらた|めざる}}、{{furi|是|これ}}を過ちという。」 :*古きを温めて{{furi|新|あた}}らしきを知る、{{furi|以|も|って}}師と{{furi|為|な|る}}べし。 :*学びて思わざれば、{{furi|則|すなわ|ち}}{{furi|罔|くら|し}}、 思いて学ばざれば、{{furi|則|すなわ}}ち{{furi|殆|あやう|し}}。 [[Category:小学校国語|こうし]]
null
2020-03-13T09:42:45Z
[ "テンプレート:Furi" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E5%AD%94%E5%AD%90
19,511
小学校国語/6学年
『吾輩は猫である』夏目漱石 (冒頭部) 明治38(1905)年に発表された。 『坊っちゃん』(ぼっちゃん) 夏目漱石 (冒頭部) 日本の文章では、ふつう、漢字と平仮名、カタカナを使います。 このような文体のことを「漢字かな交じり文」といいます。 日本の古代の弥生時代などの大昔には、平仮名はありませんでした。しかし、その時代からも、日本語のもとになった言葉はありました。 平仮名が出来たのは、平安時代になってからです。 なので、平仮名がまだなかった古い時代の、日本の当時の役人などは、文字で何かを記録するときは、漢字をつかい、発音の近い字をあてていました。 たとえるなら、もし(食事を)「たべる」という和語に漢字を当てる場合、 たとえば、「太部留」のような当て字をするわけです。 もちろん、この「太」「部」「留」は、あまり意味と関係ないです。 このように、発音をしるすためだけに使う漢字のことを、万葉がなといいます。『万葉集』という古い和歌集で、このような発音の表記方法がつかわれているからです。 また、「がな」(仮名)とは、本来の漢字ではないという意味です。 「あ、い、う、え、お」の代わりに 「か、き、く、け、こ」の代わりに と書くような方法が、万葉がな です。 カタカナも、漢字が由来です。 ローマ字が伝わってきた時代は室町時代の終わりごろで、西洋から伝わってきました。 漢字の多くは、中国でつくられたものです。しかし、じつは少しだけ、日本でつくられた漢字もあります。 たとえば、峠、畑、働(はたら-く、どう)などです。 また、このような日本でつくられた漢字のことを国字といいます。 などで使われる、「て」「に」「を」「は」のことを、まとめて「てにをは」といいます。 ※ 三省堂『学びを広げる 6年』で、これらの記号を習う。 正式な名前は「三点リーダー」「六点リーダー」です。 「てんてん」などと読まれることもあります。 使い方とその例 会話文などで、数秒ていどの無言を表現する場合などに使う。 例2 長い説明などを省略する場合にも使う。 記号 「ダッシュ」と読む。「カレー」などの音を伸ばす棒線(「長音符」という)とは異なる。長音符と区別するために、ダッシュはやや長めに書くのが普通である。 使い方とその例 例1 省略なのか数秒ていどの無言なのかをハッキリさせず、余韻をもたせる場合にダッシュを使う場合もある。 例2 前の文に注釈をつける。注釈の終わりにも、終わりだと分かりやすくしやすくするためにダッシュをつける場合もよくある。 ※注釈には、ダッシュのほかにも、丸カッコ ( ) のような方法もある。 たとえば のように使う。 ※ダッシュによる注釈は、日本の場合、やや余韻をもたせた注釈をしたい場合に使う。 記号 ( ) 例1 なにかの解説、注釈など。 例2 などのように、別の言い方、別の発音を紹介する場合にも、丸カッコが使われる場合がある。(※ 小5の教育出版『ひろがる言葉 下』(下巻)75ページで、実際にこのような例文(「アニメーション((アニメ)」)がある)。 例3 演劇などの脚本で みたいに、カッコ内に追加的な指示を書く場合がある。 なお、芝居の脚本・台本などでは、カギカッコ「」を省略して のように書く場合もある。 (※ 学校図書の『みんなと学ぶ国語 5年 下』で、人形劇の台本・脚本のようなものの読み方を習う。) たとえば、インタビュー記事などで みたいな書き方をする場合もある。 記号 「・」 例1 何かを並び立てて説明する場合、「リンゴとミカンとバナナ」のような説明方法をするかわりに上記のように「・」記号で並びたてた物どうしを区切って説明する場合がある。 例2 発音の長い外来語などを、発音の区切りの場所で「・」で区切り、読みやすくする。 ここでいう「チョコレート・ケーキ」とは、チョコレート味のケーキのこと。けっして、チョコレートとケーキという2つのお菓子を買ってきたわけではない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『吾輩は猫である』夏目漱石", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(冒頭部)", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "明治38(1905)年に発表された。", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『坊っちゃん』(ぼっちゃん) 夏目漱石", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "(冒頭部)", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "近代の日本文学" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本の文章では、ふつう、漢字と平仮名、カタカナを使います。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このような文体のことを「漢字かな交じり文」といいます。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "日本の古代の弥生時代などの大昔には、平仮名はありませんでした。しかし、その時代からも、日本語のもとになった言葉はありました。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "平仮名が出来たのは、平安時代になってからです。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "なので、平仮名がまだなかった古い時代の、日本の当時の役人などは、文字で何かを記録するときは、漢字をつかい、発音の近い字をあてていました。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "たとえるなら、もし(食事を)「たべる」という和語に漢字を当てる場合、 たとえば、「太部留」のような当て字をするわけです。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "もちろん、この「太」「部」「留」は、あまり意味と関係ないです。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "このように、発音をしるすためだけに使う漢字のことを、万葉がなといいます。『万葉集』という古い和歌集で、このような発音の表記方法がつかわれているからです。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、「がな」(仮名)とは、本来の漢字ではないという意味です。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "「あ、い、う、え、お」の代わりに", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「か、き、く、け、こ」の代わりに", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "と書くような方法が、万葉がな です。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "カタカナも、漢字が由来です。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ローマ字が伝わってきた時代は室町時代の終わりごろで、西洋から伝わってきました。", "title": "日本語の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "漢字の多くは、中国でつくられたものです。しかし、じつは少しだけ、日本でつくられた漢字もあります。", "title": "国字" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "たとえば、峠、畑、働(はたら-く、どう)などです。", "title": "国字" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、このような日本でつくられた漢字のことを国字といいます。", "title": "国字" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "などで使われる、「て」「に」「を」「は」のことを、まとめて「てにをは」といいます。", "title": "日本語の用語" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "※ 三省堂『学びを広げる 6年』で、これらの記号を習う。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "正式な名前は「三点リーダー」「六点リーダー」です。 「てんてん」などと読まれることもあります。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "使い方とその例", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "会話文などで、数秒ていどの無言を表現する場合などに使う。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "例2", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "長い説明などを省略する場合にも使う。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "記号", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「ダッシュ」と読む。「カレー」などの音を伸ばす棒線(「長音符」という)とは異なる。長音符と区別するために、ダッシュはやや長めに書くのが普通である。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "使い方とその例 例1", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "省略なのか数秒ていどの無言なのかをハッキリさせず、余韻をもたせる場合にダッシュを使う場合もある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "例2", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "前の文に注釈をつける。注釈の終わりにも、終わりだと分かりやすくしやすくするためにダッシュをつける場合もよくある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "※注釈には、ダッシュのほかにも、丸カッコ ( ) のような方法もある。 たとえば", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "のように使う。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "※ダッシュによる注釈は、日本の場合、やや余韻をもたせた注釈をしたい場合に使う。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "記号 ( )", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "例1", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なにかの解説、注釈など。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "例2", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "などのように、別の言い方、別の発音を紹介する場合にも、丸カッコが使われる場合がある。(※ 小5の教育出版『ひろがる言葉 下』(下巻)75ページで、実際にこのような例文(「アニメーション((アニメ)」)がある)。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "例3 演劇などの脚本で", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "みたいに、カッコ内に追加的な指示を書く場合がある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "なお、芝居の脚本・台本などでは、カギカッコ「」を省略して", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "のように書く場合もある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "(※ 学校図書の『みんなと学ぶ国語 5年 下』で、人形劇の台本・脚本のようなものの読み方を習う。)", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "たとえば、インタビュー記事などで", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "みたいな書き方をする場合もある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "記号 「・」", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "例1", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "何かを並び立てて説明する場合、「リンゴとミカンとバナナ」のような説明方法をするかわりに上記のように「・」記号で並びたてた物どうしを区切って説明する場合がある。", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "例2", "title": "区切り符号" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "発音の長い外来語などを、発音の区切りの場所で「・」で区切り、読みやすくする。 ここでいう「チョコレート・ケーキ」とは、チョコレート味のケーキのこと。けっして、チョコレートとケーキという2つのお菓子を買ってきたわけではない。", "title": "区切り符号" } ]
null
== 近代の日本文学 == === {{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}} === 『{{ruby|吾輩|わがはい}}は{{ruby|猫|ねこ}}である』{{ruby|夏目漱石|なつめそうせき}} ({{ruby|冒頭|ぼうとう}}部) <div style="border:1px solid #000000;"> : {{ruby|吾輩|わがはい}}は猫である。名前はまだ無い。 : どこで{{ruby|生|うま}}れたか{{ruby|頓|とん}}と見当がつかぬ。何でも{{ruby|薄|うす}}暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事{{ruby|丈|だけ}}は記憶して居る。吾輩はここで始めて人間といふものを見た。{{ruby|然|しか}}もあとで聞くとそれは書生という人間中で一番{{ruby|獰悪|どうあく}}な種族であったそうだ。 </div> 明治38(1905)年に発表された。 ---- 『{{ruby|坊|ぼ}}っちゃん』(ぼっちゃん)   夏目漱石 ({{ruby|冒頭|ぼうとう}}部) <div style="border:1px solid #000000;"> : {{ruby|親譲|おやゆず}}りの{{ruby|無鉄砲|むてっぽう}}で{{ruby|小供|こども}}の時から損ばかりして居る。小学校に居る{{ruby|時分|じぶん}}学校の二階から飛び{{ruby|降|お}りて一週間ほど{{ruby|腰|こし}}を{{ruby|抜|ぬ}}かした事がある。なぜそんな{{ruby|無闇|むやみ}}をしたと聞く人があるかも知れぬ。{{ruby|別段|べつだん}}深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が{{ruby|冗談|じょうだん}}に、いくら{{ruby|威張|いば}}っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と{{ruby|囃|はや}}したからである。 </div> === {{ruby|芥川龍之介|あくたがわりゅうのすけ}} === == 日本語の歴史 == 日本の文章では、ふつう、漢字と{{ruby|平仮名|ひらがな}}、カタカナを使います。 このような文体のことを「'''漢字かな交じり文'''」といいます。 日本の古代の{{ruby|弥生|やよい}}時代などの大昔には、平仮名はありませんでした。しかし、その時代からも、日本語のもとになった言葉はありました。 平仮名が出来たのは、{{ruby|平安|へいあん}}時代になってからです。 なので、平仮名がまだなかった古い時代の、日本の当時の役人などは、文字で何かを記録するときは、漢字をつかい、発音の近い字をあてていました。 [[画像:Hiragana origin.svg|thumb|300px|漢字からひらがなへの変化]] たとえるなら、もし(食事を)「たべる」という和語に漢字を当てる場合、 たとえば、「{{ruby|太部留|たべる}}」のような当て字をするわけです。 もちろん、この「太」「部」「留」は、あまり意味と関係ないです。 このように、発音をしるすためだけに使う漢字のことを、'''{{ruby|万葉|まんよう}}がな'''といいます。『万葉集』という古い和歌集で、このような発音の表記方法がつかわれているからです。 また、「がな」(仮名)とは、本来の漢字ではないという意味です。 「あ、い、う、え、お」の代わりに :安、以、宇、衣、於 「か、き、く、け、こ」の代わりに :加、幾、久、計、己 と書くような方法が、万葉がな です。 {{-}} カタカナも、漢字が由来です。 [[ファイル:Katakana origine.svg|thumb|300px|カタカナの由来]] {{-}} ;ローマ字 ローマ字が伝わってきた時代は{{ruby|室町|むろまち}}時代の終わりごろで、西洋から伝わってきました。 == 国字 == 漢字の多くは、中国でつくられたものです。しかし、じつは少しだけ、日本でつくられた漢字もあります。 たとえば、{{ruby|峠|とうげ}}、{{ruby|畑|はたけ}}、働(はたら-く、どう)などです。 また、このような日本でつくられた漢字のことを'''{{ruby|国字|こくじ}}'''といいます。 == 日本語の用語 == ;てにをは :「食事して、そのあと風呂に入る」の「食事して」の「て」や、 :「学校に行く」の「に」や、 :「算数を勉強する」の「を」や、 :「ぼくは、勉強が苦手だ」の「は」 などで使われる、「て」「に」「を」「は」のことを、まとめて「てにをは」といいます。 == 区切り符号 == ※ 三省堂『学びを広げる 6年』で、これらの記号を習う。 * :記号 … または…… 正式な名前は「三点リーダー」「六点リーダー」です。 「てんてん」などと読まれることもあります。 使い方とその例 :「そんなつもりじゃ……」 会話文などで、数秒ていどの無言を表現する場合などに使う。 例2 :山田さんの好きな食べ物は、カレー、ラーメン、リンゴ、牛乳、……などである。 長い説明などを省略する場合にも使う。 * 記号 <strike>   </strike> 「ダッシュ」と読む。「カレー」などの音を{{ruby|伸|の}}ばす{{ruby|棒|ぼう}}線(「{{ruby|長音符|ちょうおんぷ}}」という)とは{{ruby|異|こと}}なる。長音符と区別するために、ダッシュはやや長めに書くのが{{ruby|普通|ふつう}}である。 使い方とその例 例1 :「そんなことって<strike>   </strike>」 省略なのか数秒ていどの無言なのかをハッキリさせず、{{ruby|余韻|よいん}}をもたせる場合にダッシュを使う場合もある。 例2 :十五年前<strike>   </strike>祖母の{{ruby|亡|な}}くなった年<strike>   </strike>は、私は大{{ruby|企業|きぎょう}}でサラリーマンをしていた。 前の文に{{ruby|注釈|ちゅうしゃく}}をつける。注釈の終わりにも、終わりだと分かりやすくしやすくするためにダッシュをつける場合もよくある。 ※注釈には、ダッシュのほかにも、丸カッコ (  ) のような方法もある。 たとえば :ひな祭り(3月3日) のように使う。 ※ダッシュによる注釈は、日本の場合、やや余韻をもたせた注釈をしたい場合に使う。 記号 ( ) 例1 :{{ruby|昭和|しょうわ}}55年(1980年) なにかの解説、{{ruby|注釈|ちゅうしゃく}}など。 例2 :アニメーション(アニメ) などのように、別の言い方、別の発音を{{ruby|紹介|しょうかい}}する場合にも、丸カッコが使われる場合がある。(※ 小5の教育出版『ひろがる言葉 下』(下巻)75ページで、実際にこのような例文(「アニメーション((アニメ)」)がある)。 例3 {{ruby|演劇|えんげき}}などの{{ruby|脚本|きゃくほん}}で :{{ruby|太郎|たろう}}  (右手を上に{{ruby|伸|の}}ばしながら)「ねえ、ハナコさんや、ここに、このくらい大きいハシゴを持った人が通らなかったかのう?」 みたいに、カッコ内に追加的な指示を書く場合がある。 なお、芝居の脚本・台本などでは、カギカッコ「」を省略して :太郎  (右手を上に伸ばしながら) ねえ、ハナコさんや、ここに、このくらい大きいハシゴを持った人が通らなかったかのう? のように書く場合もある。 (※ 学校図書の『みんなと学ぶ国語 5年 下』で、人形劇の台本・脚本のようなものの読み方を習う。) :※ 演劇だけにかぎらず、なにかの動作とセリフとをひとつの文章で書きあらわす場合に、こういう書き方をすることがあるので、知っておこう。 たとえば、インタビュー記事などで :記者  何か一言、コメントをお願いします。 :山田選手  (目に{{ruby|涙|なみだ}}を{{ruby|浮|う}}かべながら){{ruby|優勝|ゆうしょう}}できたのは、つらいとき支えてくれた、なき母のおかげです! みたいな書き方をする場合もある。 記号 「・」 例1 :好きな果物は、リンゴ・ミカン・バナナだ。 何かを並び立てて説明する場合、「リンゴとミカンとバナナ」のような説明方法をするかわりに上記のように「・」記号で{{ruby|並|なら}}びたてた物どうしを区切って説明する場合がある。 例2 :息子の{{ruby|誕生日|たんじょうび}}なので、ケーキ屋でチョコレート・ケーキを買ってきた。 発音の長い外来語などを、発音の区切りの場所で「・」で区切り、読みやすくする。 ここでいう「チョコレート・ケーキ」とは、チョコレート味のケーキのこと。けっして、チョコレートとケーキという2つのお菓子を買ってきたわけではない。 :※ 三省堂の小6国語『小学生の国語 6年』の{{ruby|掲載|けいさい}}作品の文中に、「チョコレート・ケーキ」という単語がある。 [[Category:小学校国語|6かくねん]]
null
2020-05-31T00:10:22Z
[ "テンプレート:-", "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/6%E5%AD%A6%E5%B9%B4
19,513
中学校国語/現代文/魯迅
わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。 わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行(ゆ)かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。 わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著(つ)いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫(ふる)えているのは、ちょうどこの老屋が主を更(か)えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷内(うち)に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒(こうじ)も飛出(とびだ)して来た。 母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。 わたしどもはとうとう家移りのことを話した。 「あちらの家も借りることに極(き)めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物(かさばりもの)を売払って向うで買うことにしましょう」 「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵(にごしら)えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭(あし)にならないよ」 こんな話をしたあとで母は語を継いだ。 「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」 「ええそうしましょう」 「あの閏土(じゅんど)がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして 「今度到著(とうちゃく)の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」 「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」 この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色(はなだいろ)の大空にかかる月はまんまろの黄金色(こがねいろ)であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜(すいか)畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項(えり)には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒(さすぼう)を握って一疋(ぴき)の土竜(もぐら)に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨(また)ぐらを潜(くぐ)って逃げ出す。 この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家(うち)の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜(やかま)しく行われ、参詣人が雑沓(ざっとう)するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家(うち)には忙月(マンユエ)が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅(せがれ)をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年(チャンネン)といい、日雇いの者を短工(トワンコン)という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月(マンユエ)という) わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月(うるうづき)生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。 わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで 「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳(か)け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽(すきらしゃぼう)をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪(くびわ)を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。 われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。 次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。 「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地(すなぢ)の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕(み)を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏(いねどり)、角鶏(つのどり)、※鴣(のばと)[#「孛+鳥」、105-11]、藍背(あいせ)......」 そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左(さ)のような話をした。 「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入(いら)っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入(いら)っしゃい」 「泥棒の見張をするのかえ」 「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家(うち)の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは※(「權」の「木」に代えて「豸」、第4水準2-89-10)猪(いのしし)、山あらし、土竜の類(るい)です。月明りの下でじっと耳を澄ましているとララと響いて来ます。土竜が瓜を噛んでるんですよ。その時あなたは叉棒を攫(つか)んでそっと行って御覧なさい」 わたしはそのいわゆる土竜というものがどんなものか、その時ちっとも知らなかった。――今でも解らない――ただわけもなく、小犬のような形で非常に猛烈のように感じた。 「彼は咬(か)みついて来るだろうね」 「こちらには叉棒がありますからね。歩いて行って見つけ次第、あなたはそれを刺せばいい。こん畜生は馬鹿に利巧な奴で、あべこべにあなたの方へ馳け出して来て、跨の下から逃げてゆきます。あいつの毛皮は油のように滑(すべ)ッこい」 わたしは今までこれほど多くの珍らしいことが世の中にあろうとは知らなかった。海辺にこんな五色(しき)の貝殻があったり、西瓜にこんな危険性があったり――わたしは今の先(さ)きまで西瓜は水菓子屋の店に売っているものとばかし思っていた。 「わたしどもの沙地の中には大潮の来る前に、たくさん跳ね魚が集(あつま)って来て、ただそれだけが跳ね廻っています。青蛙のように二つの脚があって......」 ああ閏土の胸の中には際限もなく不思議な話が繋がっていた。それはふだんわたしどもの往来(ゆきき)している友達の知らぬことばかりで、彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。 惜しいかな、正月は過ぎ去り、閏土は彼の郷里に帰ることになった。わたしは大哭(おおな)きに哭いた。閏土もまた泣き出し、台所に隠れて出て行くまいとしたが、遂に彼の父親に引張り出された。 彼はその後父親に託(ことづ)けて貝殻一包(つつみ)と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した。わたしの方でも一二度品物を届けてやったこともあるが、それきり顔を見たことが無い。 現在わたしの母が彼のことを持出したので、わたしのあの時の記憶が電(いなずま)の如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた。わたしは声に応じて答えた。 「そりゃ面白い。彼はどんな風です」 「あの人かえ、あの人の景気もあんまりよくないようだよ」 母はそういいながら室(へや)の外を見た。 「おやまた誰か来たよ。木器(もくき)買うと言っては手当り次第に持って行くんだから、わたしがちょっと見て来ましょう」 母が出て行くと門外の方で四五人の女の声がした。わたしは宏兒を側(そば)へ喚(よ)んで彼と話をした。字が書けるか、この家(うち)を出て行きたいと思うか、などということを訊いてみた。 「わたしどもは汽車に乗ってゆくのですか」 「汽車に乗ってゆくんだよ」 「船は?」 「まず船に乗るんだ」 「おや、こんなになったんですかね。お鬚がまあ長くなりましたこと」 一種尖ったおかしな声が突然わめき出した。 わたしは喫驚(びっくり)して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿(ももひきば)きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。 わたしはぎょっとした。 「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」 わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側(そば)から 「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」 とわたしの方へ向って 「これはすじ向うの楊二嫂(ようにそう)だよ。そら豆腐屋さんの」 おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処(きんじょ)で評判の「豆腐西施(せいし)」で白粉(おしろい)をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻(ぶんまわ)しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未(いま)だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加(アメリカ)人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。 「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」 「いえ、決してそんなことはありません、わたし......」 わたしは慌てて立上がった。 「そんなら迅(じん)ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多(がらくた)道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」 「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って......」 「おやおやお前は結構な道台(おやくめ)さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾(めかけ)さんがあって、外に出る時には八人舁(かつ)きの大轎(おおかご)に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰(おっしゃ)ろうが、私を瞞(だま)すことは出来ないよ」 わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると 「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」 コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。 そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸(ぬす)んで行李(こうり)をまとめ、こんなことで三四日も過した。 非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著(き)こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管(ながぎせる)を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮(まつかわ)のような裂け目があった。 わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら 「あ、閏土さん、よく来てくれた」 とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜......けれど結局何かに弾かれたような工合(ぐあい)になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。 彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。 「旦那様」 と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。 彼は頭を後ろに向け 「水生(すいせい)や、旦那様にお辞儀をしなさい」 と背中に躱(かく)れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。 「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」 母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声(はなしごえ)を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低(さ)げて 「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」 「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先(せん)にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」 母親はいい機嫌であった。 「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」 閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞(はずか)しがって背中にこびりついて離れない。 「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼(こわ)がるのは当前(あたりまえ)だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」 宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著(つ)いた。長煙管を卓の側(そば)に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。 「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家(うち)の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」 わたしは彼に暮向(くらしむき)のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。 「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。......世の中は始終ゴタついておりますし、......どちらを向いてもお金の費(い)ることばかりで、方途(ほうず)が知れません......実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」 彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。 母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付(いいつ)けた。 あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖(ふ)えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪(どひ)や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡(すべ)ての苦しみは彼をして一つの木偶(でく)とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰(よ)り取らせてもいい」と母は言った。 午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤(てんびん)一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前(ぜん)に船を寄越して積取ってゆく。 晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。 九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。 船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色(しんたいしょく)の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退(しりぞ)く。 わたしは船窓に凭(よ)って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。 「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」 「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」 「あの水生がね、自分の家(うち)へ遊びに来てくれと言っているんですよ」 宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。 わたしどもはうすら睡(ねむ)くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。 「あの豆腐西施は家(うち)で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判(ろっぱん)の挙句、これはきっと閏土が埋(うず)めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」 (犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌(は)め、中には餌(え)を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄(ついば)むことが出来る。犬は柵に鼻が閊(つか)えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという) だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。 母も宏兒も睡ってしまった。 わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。 わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。 夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。 (一九二一年一月) 青空文庫より引用。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。 わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。 わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行(ゆ)かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。 わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著(つ)いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫(ふる)えているのは、ちょうどこの老屋が主を更(か)えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷内(うち)に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒(こうじ)も飛出(とびだ)して来た。 母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。 わたしどもはとうとう家移りのことを話した。 「あちらの家も借りることに極(き)めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物(かさばりもの)を売払って向うで買うことにしましょう」 「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵(にごしら)えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭(あし)にならないよ」 こんな話をしたあとで母は語を継いだ。 「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」 「ええそうしましょう」 「あの閏土(じゅんど)がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして 「今度到著(とうちゃく)の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」 「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」 この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色(はなだいろ)の大空にかかる月はまんまろの黄金色(こがねいろ)であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜(すいか)畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項(えり)には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒(さすぼう)を握って一疋(ぴき)の土竜(もぐら)に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨(また)ぐらを潜(くぐ)って逃げ出す。 この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家(うち)の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜(やかま)しく行われ、参詣人が雑沓(ざっとう)するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家(うち)には忙月(マンユエ)が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅(せがれ)をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年(チャンネン)といい、日雇いの者を短工(トワンコン)という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月(マンユエ)という) わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月(うるうづき)生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。 わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで 「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳(か)け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽(すきらしゃぼう)をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪(くびわ)を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。 われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。 次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。 「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地(すなぢ)の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕(み)を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏(いねどり)、角鶏(つのどり)、※鴣(のばと)[#「孛+鳥」、105-11]、藍背(あいせ)......」 そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左(さ)のような話をした。 「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入(いら)っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入(いら)っしゃい」 「泥棒の見張をするのかえ」 「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家(うち)の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは※(「權」の「木」に代えて「豸」、第4水準2-89-10)猪(いのしし)、山あらし、土竜の類(るい)です。月明りの下でじっと耳を澄ましているとララと響いて来ます。土竜が瓜を噛んでるんですよ。その時あなたは叉棒を攫(つか)んでそっと行って御覧なさい」 わたしはそのいわゆる土竜というものがどんなものか、その時ちっとも知らなかった。――今でも解らない――ただわけもなく、小犬のような形で非常に猛烈のように感じた。 「彼は咬(か)みついて来るだろうね」 「こちらには叉棒がありますからね。歩いて行って見つけ次第、あなたはそれを刺せばいい。こん畜生は馬鹿に利巧な奴で、あべこべにあなたの方へ馳け出して来て、跨の下から逃げてゆきます。あいつの毛皮は油のように滑(すべ)ッこい」 わたしは今までこれほど多くの珍らしいことが世の中にあろうとは知らなかった。海辺にこんな五色(しき)の貝殻があったり、西瓜にこんな危険性があったり――わたしは今の先(さ)きまで西瓜は水菓子屋の店に売っているものとばかし思っていた。 「わたしどもの沙地の中には大潮の来る前に、たくさん跳ね魚が集(あつま)って来て、ただそれだけが跳ね廻っています。青蛙のように二つの脚があって......」 ああ閏土の胸の中には際限もなく不思議な話が繋がっていた。それはふだんわたしどもの往来(ゆきき)している友達の知らぬことばかりで、彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。 惜しいかな、正月は過ぎ去り、閏土は彼の郷里に帰ることになった。わたしは大哭(おおな)きに哭いた。閏土もまた泣き出し、台所に隠れて出て行くまいとしたが、遂に彼の父親に引張り出された。 彼はその後父親に託(ことづ)けて貝殻一包(つつみ)と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した。わたしの方でも一二度品物を届けてやったこともあるが、それきり顔を見たことが無い。 現在わたしの母が彼のことを持出したので、わたしのあの時の記憶が電(いなずま)の如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた。わたしは声に応じて答えた。 「そりゃ面白い。彼はどんな風です」 「あの人かえ、あの人の景気もあんまりよくないようだよ」 母はそういいながら室(へや)の外を見た。 「おやまた誰か来たよ。木器(もくき)買うと言っては手当り次第に持って行くんだから、わたしがちょっと見て来ましょう」 母が出て行くと門外の方で四五人の女の声がした。わたしは宏兒を側(そば)へ喚(よ)んで彼と話をした。字が書けるか、この家(うち)を出て行きたいと思うか、などということを訊いてみた。 「わたしどもは汽車に乗ってゆくのですか」 「汽車に乗ってゆくんだよ」 「船は?」 「まず船に乗るんだ」 「おや、こんなになったんですかね。お鬚がまあ長くなりましたこと」 一種尖ったおかしな声が突然わめき出した。 わたしは喫驚(びっくり)して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿(ももひきば)きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。 わたしはぎょっとした。 「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」 わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側(そば)から 「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」 とわたしの方へ向って 「これはすじ向うの楊二嫂(ようにそう)だよ。そら豆腐屋さんの」 おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処(きんじょ)で評判の「豆腐西施(せいし)」で白粉(おしろい)をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻(ぶんまわ)しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未(いま)だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加(アメリカ)人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。 「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」 「いえ、決してそんなことはありません、わたし......」 わたしは慌てて立上がった。 「そんなら迅(じん)ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多(がらくた)道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」 「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って......」 「おやおやお前は結構な道台(おやくめ)さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾(めかけ)さんがあって、外に出る時には八人舁(かつ)きの大轎(おおかご)に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰(おっしゃ)ろうが、私を瞞(だま)すことは出来ないよ」 わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると 「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」 コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。 そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸(ぬす)んで行李(こうり)をまとめ、こんなことで三四日も過した。 非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著(き)こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管(ながぎせる)を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮(まつかわ)のような裂け目があった。 わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら 「あ、閏土さん、よく来てくれた」 とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜......けれど結局何かに弾かれたような工合(ぐあい)になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。 彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。 「旦那様」 と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。 彼は頭を後ろに向け 「水生(すいせい)や、旦那様にお辞儀をしなさい」 と背中に躱(かく)れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。 「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」 母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声(はなしごえ)を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低(さ)げて 「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」 「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先(せん)にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」 母親はいい機嫌であった。 「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」 閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞(はずか)しがって背中にこびりついて離れない。 「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼(こわ)がるのは当前(あたりまえ)だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」 宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著(つ)いた。長煙管を卓の側(そば)に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。 「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家(うち)の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」 わたしは彼に暮向(くらしむき)のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。 「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。......世の中は始終ゴタついておりますし、......どちらを向いてもお金の費(い)ることばかりで、方途(ほうず)が知れません......実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」 彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。 母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付(いいつ)けた。 あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖(ふ)えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪(どひ)や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡(すべ)ての苦しみは彼をして一つの木偶(でく)とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰(よ)り取らせてもいい」と母は言った。 午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤(てんびん)一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前(ぜん)に船を寄越して積取ってゆく。 晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。 九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。 船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色(しんたいしょく)の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退(しりぞ)く。 わたしは船窓に凭(よ)って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。 「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」 「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」 「あの水生がね、自分の家(うち)へ遊びに来てくれと言っているんですよ」 宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。 わたしどもはうすら睡(ねむ)くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。 「あの豆腐西施は家(うち)で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判(ろっぱん)の挙句、これはきっと閏土が埋(うず)めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」 (犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌(は)め、中には餌(え)を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄(ついば)むことが出来る。犬は柵に鼻が閊(つか)えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという) だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。 母も宏兒も睡ってしまった。 わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。 わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。 夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。 希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。 (一九二一年一月)", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "青空文庫より引用。", "title": "出典など" } ]
null
== 本文 ==  わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。  おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。  わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳(よ)いところが多いのだ。しかしその佳いところを記すには姿もなく言葉もないので、どうやらまずこんなものだとしておこう。そうしてわたし自身解釈して、故郷はもともとこんなものだと言っておく。――進歩はしないがわたしの感ずるほどうら悲しいものでもなかろう。これはただわたし自身の心境の変化だ。今度の帰省はもともと何のたのしみもないからだ。  わたしどもが永い間身内と一緒に棲んでいた老屋がすでに公売され、家を明け渡す期限が本年一ぱいになっていたから、ぜひとも正月元日前に行(ゆ)かなければならない。それが今度の帰省の全部の目的であった。住み慣れた老屋と永別して、その上また住み慣れた故郷に遠く離れて、今食い繋ぎをしているよそ国に家移りするのである。  わたしは二日目の朝早く我が家の門口に著(つ)いた。屋根瓦のうえに茎ばかりの枯草が風に向って顫(ふる)えているのは、ちょうどこの老屋が主を更(か)えなければならない原因を説明するようである。同じ屋敷内(うち)に住む本家の家族は大概もう移転したあとで、あたりはひっそりしていた。わたしが部屋の外側まで来た時、母は迎えに出て来た。八歳になる甥の宏兒(こうじ)も飛出(とびだ)して来た。  母は非常に喜んだ。何とも言われぬ淋しさを押包みながら、お茶を入れて、話をよそ事に紛らしていた。宏兒は今度初めて逢うので遠くの方へ突立って真正面からわたしを見ていた。  わたしどもはとうとう家移りのことを話した。 「あちらの家も借りることに極(き)めて、家具もあらかた調えましたが、まだ少し足らないものもありますから、ここにある嵩張物(かさばりもの)を売払って向うで買うことにしましょう」 「それがいいよ。わたしもそう思ってね。荷拵(にごしら)えをした時、嵩張物は持運びに不便だから半分ばかり売ってみたがなかなかお銭(あし)にならないよ」  こんな話をしたあとで母は語を継いだ。 「お前さんは久しぶりで来たんだから、本家や親類に暇乞いを済まして、それから出て行くことにしましょう」 「ええそうしましょう」 「あの閏土(じゅんど)がね、家へ来るたんびにお前のことをきいて、ぜひ一度逢いたいと言っているんだよ」と母はにこにこして 「今度到著(とうちゃく)の日取を知らせてやったから、たぶん来るかもしれないよ」 「おお、閏土! ずいぶん昔のことですね」  この時わたしの頭の中に一つの神さびた画面が閃き出した。深藍色(はなだいろ)の大空にかかる月はまんまろの黄金色(こがねいろ)であった。下は海辺の砂地に作られた西瓜(すいか)畑で、果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。項(えり)には銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒(さすぼう)を握って一疋(ぴき)の土竜(もぐら)に向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼の跨(また)ぐらを潜(くぐ)って逃げ出す。  この少年が閏土であった。わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。あの時分は父も在世して家事の都合もよく、わたしは一人の坊ッちゃまであった。その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る家(うち)の大祭の年に当り、祭は鄭重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、祭器の撰択が八釜(やかま)しく行われ、参詣人が雑沓(ざっとう)するので泥棒の用心をしなければならぬ。わたしの家(うち)には忙月(マンユエ)が一人きりだから手廻りかね、祭器の見張番に倅(せがれ)をよびたいと申出たので父はこれを許した。(この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年(チャンネン)といい、日雇いの者を短工(トワンコン)という。自分で地面を持ち節期時や刈入時に臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月(マンユエ)という)  わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、年頃もわたしとおつかつだし、閏月(うるうづき)生れで五行の土が欠けているから閏土と名づけたわけも知っていた。彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。  わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで 「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳(か)け出して行ってみると、彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔! 頭に小さな漉羅紗帽(すきらしゃぼう)をかぶり、項にキラキラした銀の頸輪(くびわ)を掛け、――これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、彼を庇護しているのである――人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。誰もいない時に好く話をして、半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。  われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、まだ見たことのないいろいろの物を街へ来て初めて見たとの話だった。  次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。 「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。わたしどもの沙地(すなぢ)の上に雪が降ると、わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、短い棒で大きな箕(み)を支え、小米を撒きちらしておきます。小鳥が食いに来た時、わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、小鳥は箕の下へ入ってしまいます。何でも皆ありますよ。稲鶏(いねどり)、角鶏(つのどり)、※鴣(のばと)[#「孛+鳥」、105-11]、藍背(あいせ)……」  そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた左(さ)のような話をした。 「今は寒くていけませんが、夏になったらわたしの処へ被入(いら)っしゃい。わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、観音様の手もあります。晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたも被入(いら)っしゃい」 「泥棒の見張をするのかえ」 「いいえ、旅の人が喉が渇いて一つぐらい取って食べても、家(うち)の方では泥棒の数に入れません。見張が要るのは※(「權」の「木」に代えて「豸」、第4水準2-89-10)猪(いのしし)、山あらし、土竜の類(るい)です。月明りの下でじっと耳を澄ましているとララと響いて来ます。土竜が瓜を噛んでるんですよ。その時あなたは叉棒を攫(つか)んでそっと行って御覧なさい」  わたしはそのいわゆる土竜というものがどんなものか、その時ちっとも知らなかった。――今でも解らない――ただわけもなく、小犬のような形で非常に猛烈のように感じた。 「彼は咬(か)みついて来るだろうね」 「こちらには叉棒がありますからね。歩いて行って見つけ次第、あなたはそれを刺せばいい。こん畜生は馬鹿に利巧な奴で、あべこべにあなたの方へ馳け出して来て、跨の下から逃げてゆきます。あいつの毛皮は油のように滑(すべ)ッこい」  わたしは今までこれほど多くの珍らしいことが世の中にあろうとは知らなかった。海辺にこんな五色(しき)の貝殻があったり、西瓜にこんな危険性があったり――わたしは今の先(さ)きまで西瓜は水菓子屋の店に売っているものとばかし思っていた。 「わたしどもの沙地の中には大潮の来る前に、たくさん跳ね魚が集(あつま)って来て、ただそれだけが跳ね廻っています。青蛙のように二つの脚があって……」  ああ閏土の胸の中には際限もなく不思議な話が繋がっていた。それはふだんわたしどもの往来(ゆきき)している友達の知らぬことばかりで、彼等は本当に何一つ知らなかった。閏土が海辺にいる時彼等はわたしと同じように、高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。  惜しいかな、正月は過ぎ去り、閏土は彼の郷里に帰ることになった。わたしは大哭(おおな)きに哭いた。閏土もまた泣き出し、台所に隠れて出て行くまいとしたが、遂に彼の父親に引張り出された。  彼はその後父親に託(ことづ)けて貝殻一包(つつみ)と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した。わたしの方でも一二度品物を届けてやったこともあるが、それきり顔を見たことが無い。  現在わたしの母が彼のことを持出したので、わたしのあの時の記憶が電(いなずま)の如くよみがえって来て、本当に自分の美しい故郷を見きわめたように覚えた。わたしは声に応じて答えた。 「そりゃ面白い。彼はどんな風です」 「あの人かえ、あの人の景気もあんまりよくないようだよ」  母はそういいながら室(へや)の外を見た。 「おやまた誰か来たよ。木器(もくき)買うと言っては手当り次第に持って行くんだから、わたしがちょっと見て来ましょう」  母が出て行くと門外の方で四五人の女の声がした。わたしは宏兒を側(そば)へ喚(よ)んで彼と話をした。字が書けるか、この家(うち)を出て行きたいと思うか、などということを訊いてみた。 「わたしどもは汽車に乗ってゆくのですか」 「汽車に乗ってゆくんだよ」 「船は?」 「まず船に乗るんだ」 「おや、こんなになったんですかね。お鬚がまあ長くなりましたこと」  一種尖ったおかしな声が突然わめき出した。  わたしは喫驚(びっくり)して頭を上げると、頬骨の尖った唇の薄い、五十前後の女が一人、わたしの眼の前に突立っていた。袴も無しに股引穿(ももひきば)きの両足を踏ん張っている姿は、まるで製図器のコンパスみたいだ。  わたしはぎょっとした。 「解らないかね、わたしはお前を抱いてやったことが幾度もあるよ」  わたしはいよいよ驚いたが、いい塩梅にすぐあとから母が入って来て側(そば)から 「この人は永い間外に出ていたから、みんな忘れてしまったんです。お前、覚えておいでだろうね」  とわたしの方へ向って 「これはすじ向うの楊二嫂(ようにそう)だよ。そら豆腐屋さんの」  おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処(きんじょ)で評判の「豆腐西施(せいし)」で白粉(おしろい)をコテコテ塗っていたが、頬骨もこんなに高くはなく、唇もこんなに薄くはなく、それにまたいつも坐っていたので、こんな分廻(ぶんまわ)しのような姿勢を見るのはわたしも初めてで、その時分彼女があるためにこの豆腐屋の商売が繁盛するという噂をきいていたが、それも年齢の関係で、わたしは未(いま)だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。ところがコンパス西施はわたしに対してはなはだ不平らしく、たちまち侮りの色を現し、さながらフランス人にしてナポレオンを知らず、亜米利加(アメリカ)人にしてワシントンを知らざるを嘲る如く冷笑した。 「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」 「いえ、決してそんなことはありません、わたし……」  わたしは慌てて立上がった。 「そんなら迅(じん)ちゃん、お前さんに言うがね。お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。こんな我楽多(がらくた)道具なんか要るもんかね。わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」 「わたしは決して金持ではありません。こんなものでも売ったら何かの足しまえになるかと思って……」 「おやおやお前は結構な道台(おやくめ)さえも捨てたという話じゃないか。それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾(めかけ)さんがあって、外に出る時には八人舁(かつ)きの大轎(おおかご)に乗って、それでもお金持じゃないの? ホホ何と被仰(おっしゃ)ろうが、私を瞞(だま)すことは出来ないよ」  わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると 「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」  コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立去った。  そのあとで近処の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、わたしはそれに応酬しながら暇を偸(ぬす)んで行李(こうり)をまとめ、こんなことで三四日も過した。  非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。この人はほかでもない閏土であった。わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。身の丈けは一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、これはわたしも知っている。海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので皆が皆こんな風になるのである。彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その著(き)こなしがいかにも見すぼらしく、手に紙包と長煙管(ながぎせる)を持っていたが、その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、荒っぽくざらざらして松皮(まつかわ)のような裂け目があった。  わたしは非常に亢奮して何と言っていいやら 「あ、閏土さん、よく来てくれた」  とまず口を切って、続いて連珠の如く湧き出す話、角鶏、飛魚、貝殻、土竜……けれど結局何かに弾かれたような工合(ぐあい)になって、ただ頭の中をぐるぐる廻っているだけで口外へ吐き出すことが出来ない。  彼はのそりと立っていた。顔の上には喜びと淋しさを現わし、唇は動かしているが声が出ない。彼の態度は結局敬い奉るのであった。 「旦那様」  と一つハッキリ言った。わたしはぞっとして身顫いが出そうになった。なるほどわたしどもの間にはもはや悲しむべき隔てが出来たのかと思うと、わたしはもう話も出来ない。  彼は頭を後ろに向け 「水生(すいせい)や、旦那様にお辞儀をしなさい」  と背中に躱(かく)れている子供を引出した。これはちょうど三十年前の閏土と同じような者であるが、それよりずっと痩せ黄ばんで頸のまわりに銀の輪がない。 「これは五番目の倅ですが、人様の前に出たことがありませんから、はにかんで困ります」  母は宏兒を連れて二階から下りて来た。大方われわれの話声(はなしごえ)を聞きつけて来たのだろう。閏土は丁寧に頭を低(さ)げて 「大奥様、お手紙を有難く頂戴致しました。わたしは旦那様がお帰りになると聞いて、何しろハアこんな嬉しいことは御座いません」 「まあお前はなぜそんな遠慮深くしているの、先(せん)にはまるで兄弟のようにしていたじゃないか。やっぱり昔のように迅ちゃんとお言いよ」  母親はいい機嫌であった。 「奥さん、今はそんなわけにはゆきません。あの時分は子供のことで何もかも解りませんでしたが」  閏土はそう言いながら子供を前に引出してお辞儀をさせようとしたが、子供は羞(はずか)しがって背中にこびりついて離れない。 「その子は水生だね。五番目かえ。みんなうぶだから懼(こわ)がるのは当前(あたりまえ)だよ。宏兒がちょうどいい相手だ。さあお前さん達は向うへ行ってお遊び」  宏兒はこの話を聞くとすぐに水生をさし招いた。水生は俄に元気づいて一緒になって馳け出して行った。母は閏土に席をすすめた。彼はしばらくうじうじして遂に席に著(つ)いた。長煙管を卓の側(そば)に寄せ掛け、一つの紙包を持出した。 「冬のことで何も御座いませんが、この青豆は家(うち)の庭で乾かしたんですから旦那様に差上げて下さい」  わたしは彼に暮向(くらしむき)のことを訊ねると、彼は頭を揺り動かした。 「なかなか大変です。あの下の子供にも手伝わせておりますが、どうしても足りません。……世の中は始終ゴタついておりますし、……どちらを向いてもお金の費(い)ることばかりで、方途(ほうず)が知れません……実りが悪いし、種物を売り出せば幾度も税金を掛けられ、元を削って売らなければ腐れるばかりです」  彼はひたすら頭を振った。見ると顔の上にはたくさんの皺が刻まれているが、石像のようにまるきり動かない。たぶん苦しみを感ずるだけで表現することが出来ないのだろう。しばらく思案に沈んでいたが煙管を持出して煙草を吸った。  母は彼の多忙を察してあしたすぐに引取らせることにした。まだ昼飯も食べていないので台所へ行って自分で飯を焚いておあがりと吩付(いいつ)けた。  あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。子供は殖(ふ)えるし、飢饉年は続くし、税金は重なるし、土匪(どひ)や兵隊が乱暴するし、官吏や地主がのしかかって来るし、凡(すべ)ての苦しみは彼をして一つの木偶(でく)とならしめた。「要らないものは何でも彼にやるがいいよ。勝手に撰(よ)り取らせてもいい」と母は言った。  午後、彼は入用の物を幾つか撰り出していた。長卓二台、椅子四脚、香炉と燭台一対ずつ、天秤(てんびん)一本。またここに溜っている藁灰も要るのだが、(わたしどもの村では飯を焚く時藁を燃料とするので、その灰は砂地の肥料に持って来いだ)わたしどもの出発前(ぜん)に船を寄越して積取ってゆく。  晩になってわたしどもはゆっくり話をしたが、格別必要な話でもなかった。そうして次の朝、彼は水生を連れて帰った。  九日目にわたしどもの出発の日が来た。閏土は朝早くから出て来た。今度は水生の代りに五つになる女の児を連れて来て船の見張をさせた。その日は一日急がしく、もう彼と話をしている暇もない。来客もまた少からずあった。見送りに来た者、品物を持出しに来た者、見送りと持出しを兼ねて来た者などがゴタゴタして、日暮れになってわたしどもがようやく船に乗った時には、この老屋の中にあった大小の我楽多道具はキレイに一掃されて、塵ッ葉一つ残らずガラ空きになった。  船はずんずん進んで行った。両岸の青山はたそがれの中に深黛色(しんたいしょく)の装いを凝らし、皆連れ立って船後の梢に向って退(しりぞ)く。  わたしは船窓に凭(よ)って外のぼんやりした景色を眺めていると、たちまち宏兒が質問を発した。 「叔父さん、わたしどもはいつここへ帰って来るんでしょうね」 「帰る? ハハハ。お前は向うに行き著きもしないのにもう帰ることを考えているのか」 「あの水生がね、自分の家(うち)へ遊びに来てくれと言っているんですよ」  宏兒は黒目勝ちの眼をみはってうっとりと外を眺めている。  わたしどもはうすら睡(ねむ)くなって来た。そこでまた閏土の話を持出した。母は語った。 「あの豆腐西施は家(うち)で荷造りを始めてから毎日きっとやって来るんだよ。きのうは灰溜の中から皿小鉢を十幾枚も拾い出し、論判(ろっぱん)の挙句、これはきっと閏土が埋(うず)めておいたに違いない、彼は灰を運ぶ時一緒に持帰る積りだろうなどと言って、この事を非常に手柄にして『犬ぢらし』を掴んでまるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足の足でよくまああんなに早く歩けたものだね」 (犬ぢらしはわたしどもの村の養鶏の道具で、木盤の上に木柵を嵌(は)め、中には餌(え)を入れておく。鶏は嘴が長いから柵をとおして啄(ついば)むことが出来る。犬は柵に鼻が閊(つか)えて食うことが出来ない。故に犬じ[#「じ」はママ]らしという)  だんだん故郷の山水に遠ざかり、一時ハッキリした少年時代の記憶がまたぼんやりして来た。わたしは今の故郷に対して何の未練も残らないが、あの美しい記憶が薄らぐことが何よりも悲しかった。  母も宏兒も睡ってしまった。  わたしは横になって船底のせせらぎを聴き、自分の道を走っていることを知った。わたしは遂に閏土と隔絶してこの位置まで来てしまった。けれど、わたしの後輩はやはり一脈の気を通わしているではないか。宏兒は水生を思念しているではないか。わたしは彼等の間に再び隔膜が出来ることを望まない。しかしながら彼等は一脈の気を求むるために、凡てがわたしのように辛苦展転して生活することを望まない。また彼等の凡てが閏土のように辛苦麻痺して生活することを望まない。また凡てが別人のように辛苦放埒して生活することを望まない。彼等はわたしどものまだ経験せざる新しき生活をしてこそ然(しか)る可(べ)きだ。  わたしはそう思うとたちまち羞しくなった。閏土が香炉と燭台が要ると言った時、わたしは内々彼を笑っていた。彼はどうしても偶像崇拝で、いかなる時にもそれを忘れ去ることが出来ないと。ところが現在わたしのいわゆる希望はわたしの手製の偶像ではなかろうか。ただ彼の希望は遠くの方でぼんやりしているだけの相違だ。  夢うつつの中(うち)に眼の前に野広い海辺の緑の沙地が展開して来た。上には深藍色の大空に掛るまんまろの月が黄金色であった。  希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。 (一九二一年一月) == 出典など == 青空文庫より引用。 :底本:「魯迅全集」改造社 :   1932年(昭和7年)11月18日発行 [[Category:中学校国語|けんたいふん ろしん]]
null
2015-09-20T09:52:47Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E9%AD%AF%E8%BF%85
19,514
中学校国語/現代文/走れメロス
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。 「王様は、人を殺します。」 「なぜ殺すのだ。」 「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」 「たくさんの人を殺したのか。」 「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」 「おどろいた。国王は乱心か。」 「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。 「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。 「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。 「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」 「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」 「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」 「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」 「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」 「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」 「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」 「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。 「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」 「なに、何をおっしゃる。」 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」 メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。 「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」 妹は頬をあからめた。 「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気に歌をうたい、手を拍った。メロスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、 「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」 花嫁は、夢見心地で首肯いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、 「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」 花婿は揉み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に浚われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。 「待て。」 「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」 「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」 「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」 「その、いのちが欲しいのだ。」 「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、 「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。 ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。 「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。 「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。 「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」 「いや、まだ陽は沈まぬ。」 「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」 「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。 「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」 「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」 「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。 「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、 「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。 「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。 「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。 群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。 「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」 どっと群衆の間に、歓声が起った。 「万歳、王様万歳。」 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。 (古伝説と、シルレルの詩から。) 青空文庫より引用。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。 「王様は、人を殺します。」 「なぜ殺すのだ。」 「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」 「たくさんの人を殺したのか。」 「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」 「おどろいた。国王は乱心か。」 「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」 メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。 「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以て問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。 「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。 「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」 「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」 「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」 「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」 「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」 「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」 「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」 「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。 「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」 「なに、何をおっしゃる。」 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」 メロスは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。 竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。 メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。 「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」 妹は頬をあからめた。 「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」 メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。 眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺え、陽気に歌をうたい、手を拍った。メロスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、 「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」 花嫁は、夢見心地で首肯いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、 「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」 花婿は揉み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟は残らず浪に浚われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」 濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。 「待て。」 「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」 「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」 「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」 「その、いのちが欲しいのだ。」 「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、 「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。 ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。 「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。 「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。 「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方をお助けになることは出来ません。」 「いや、まだ陽は沈まぬ。」 「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」 「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。 「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」 「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」 「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。 「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、 「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。 「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。 「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。 群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。 「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」 どっと群衆の間に、歓声が起った。 「万歳、王様万歳。」 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。 (古伝説と、シルレルの詩から。)", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "青空文庫より引用。", "title": "出典など" } ]
null
== 本文 ==  メロスは激怒した。必ず、かの{{Ruby|邪智暴虐|じゃちぼうぎゃく}}の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた{{Ruby|此|こ}}のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、{{Ruby|花婿|はなむこ}}として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった{{Ruby|筈|はず}}だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて{{Ruby|老爺|ろうや}}に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。<br> 「王様は、人を殺します。」<br> 「なぜ殺すのだ。」<br> 「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」<br> 「たくさんの人を殺したのか。」<br> 「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお{{Ruby|世嗣|よつぎ}}を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」<br> 「おどろいた。国王は乱心か。」<br> 「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」<br>  聞いて、メロスは激怒した。「{{Ruby|呆|あき}}れた王だ。生かして置けぬ。」<br>  メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、{{Ruby|巡邏|じゅんら}}の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。<br> 「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を{{Ruby|以|もっ}}て問いつめた。その王の顔は{{Ruby|蒼白|そうはく}}で、{{Ruby|眉間|みけん}}の{{Ruby|皺|しわ}}は、刻み込まれたように深かった。<br> 「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。<br> 「おまえがか?」王は、{{Ruby|憫笑|びんしょう}}した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」<br> 「言うな!」とメロスは、いきり立って{{Ruby|反駁|はんばく}}した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」<br> 「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて{{Ruby|呟|つぶや}}き、ほっと{{Ruby|溜息|ためいき}}をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」<br> 「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」<br> 「だまれ、{{Ruby|下賤|げせん}}の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、{{Ruby|磔|はりつけ}}になってから、泣いて{{Ruby|詫|わ}}びたって聞かぬぞ。」<br> 「ああ、王は{{Ruby|悧巧|りこう}}だ。{{Ruby|自惚|うぬぼ}}れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」<br> 「ばかな。」と暴君は、{{Ruby|嗄|しわが}}れた声で低く笑った。「とんでもない{{Ruby|嘘|うそ}}を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」<br> 「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」<br>  それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと{{Ruby|北叟笑|ほくそえ}}んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに{{Ruby|騙|だま}}された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう{{Ruby|奴輩|やつばら}}にうんと見せつけてやりたいものさ。<br> 「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」<br> 「なに、何をおっしゃる。」<br> 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」<br>  メロスは口惜しく、{{Ruby|地団駄|じだんだ}}踏んだ。ものも言いたくなくなった。<br>  竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、{{Ruby|佳|よ}}き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で{{Ruby|首肯|うなず}}き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。<br>  メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、{{Ruby|翌|あく}}る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、{{Ruby|疲労困憊|こんぱい}}の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。<br> 「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」<br>  妹は頬をあからめた。<br> 「うれしいか。{{Ruby|綺麗|きれい}}な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」<br>  メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。<br>  眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、{{Ruby|葡萄|ぶどう}}の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも{{Ruby|怺|こら}}え、陽気に歌をうたい、手を{{Ruby|拍|う}}った。メロスも、満面に喜色を{{Ruby|湛|たた}}え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、<br> 「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」<br>  花嫁は、夢見心地で{{Ruby|首肯|うなず}}いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、<br> 「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」<br>  花婿は{{Ruby|揉|も}}み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも{{Ruby|会釈|えしゃく}}して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。<br>  眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。<br>  私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の{{Ruby|奸佞|かんねい}}邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も{{Ruby|止|や}}み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは{{Ruby|額|ひたい}}の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの{{Ruby|呑気|のんき}}さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って{{Ruby|湧|わ}}いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は{{Ruby|氾濫|はんらん}}し、{{Ruby|濁流滔々|とうとう}}と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、{{Ruby|木葉微塵|こっぱみじん}}に{{Ruby|橋桁|はしげた}}を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、{{Ruby|繋舟|けいしゅう}}は残らず浪に{{Ruby|浚|さら}}われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、{{Ruby|鎮|しず}}めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」<br>  濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、{{Ruby|煽|あお}}り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと{{Ruby|掻|か}}きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに{{Ruby|憐愍|れんびん}}を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。<br> 「待て。」<br> 「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」<br> 「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」<br> 「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」<br> 「その、いのちが欲しいのだ。」<br> 「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」<br>  山賊たちは、ものも言わず一斉に{{Ruby|棍棒|こんぼう}}を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、<br> 「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ{{Ruby|隙|すき}}に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、{{Ruby|流石|さすが}}に疲労し、折から午後の{{Ruby|灼熱|しゃくねつ}}の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく{{Ruby|眩暈|めまい}}を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し{{Ruby|韋駄天|いだてん}}、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、{{Ruby|稀代|きたい}}の不信の人間、まさしく王の思う{{Ruby|壺|つぼ}}だぞ、と自分を叱ってみるのだが、{{Ruby|全身萎|な}}えて、もはや{{Ruby|芋虫|いもむし}}ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな{{Ruby|不貞腐|ふてくさ}}れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を{{Ruby|截|た}}ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を{{Ruby|欺|あざむ}}いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる{{Ruby|哉|かな}}。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。<br>  ふと耳に、{{Ruby|潺々|せんせん}}、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から{{Ruby|滾々|こんこん}}と、何か小さく{{Ruby|囁|ささや}}きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で{{Ruby|掬|すく}}って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の{{Ruby|疲労恢復|かいふく}}と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。<br>  私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。<br>  路行く人を押しのけ、{{Ruby|跳|は}}ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を{{Ruby|蹴|け}}とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と{{Ruby|颯|さ}}っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。<br> 「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。<br> 「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。<br> 「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの{{Ruby|方|かた}}をお助けになることは出来ません。」<br> 「いや、まだ陽は沈まぬ。」<br> 「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」<br> 「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。<br> 「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」<br> 「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」<br> 「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」<br>  言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。<br> 「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、{{Ruby|喉|のど}}がつぶれて{{Ruby|嗄|しわが}}れた声が{{Ruby|幽|かす}}かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、<br> 「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、{{Ruby|齧|かじ}}りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。<br> 「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が{{Ruby|若|も}}し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」<br>  セリヌンティウスは、すべてを察した様子で{{Ruby|首肯|うなず}}き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく{{Ruby|微笑|ほほえ}}み、<br> 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」<br>  メロスは腕に{{Ruby|唸|うな}}りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。<br> 「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。<br>  群衆の中からも、{{Ruby|歔欷|きょき}}の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。<br> 「おまえらの望みは{{Ruby|叶|かな}}ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」<br>  どっと群衆の間に、歓声が起った。<br> 「万歳、王様万歳。」<br>  ひとりの少女が、{{Ruby|緋|ひ}}のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。<br> 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」<br>  勇者は、ひどく赤面した。<br> (古伝説と、シルレルの詩から。) == 出典など == 青空文庫より引用。 [[Category:中学校国語|けんたいふん はしれめろす]]
null
2023-01-19T04:33:01Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E8%B5%B0%E3%82%8C%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%82%B9
19,515
中学校国語/現代文/坊っちゃん
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。 庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という十三四の倅が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえてやった。その時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかかってきた。向うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こっちの胸へ宛ててぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中にはいった。邪魔になって手が使えぬから、無暗に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦をかけて向うへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。 この外いたずらは大分やった。大工の兼公と肴屋の角をつれて、茂作の人参畠をあらした事がある。人参の芽が出揃わぬ処へ藁が一面に敷いてあったから、その上で三人が半日相撲をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。古川の持っている田圃の井戸を埋めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲にみずがかかる仕掛であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。たしか罰金を出して済んだようである。 おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。 母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲って大いに痛かった。母が大層怒って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。 三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。 引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。 家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という十三四の倅が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸の蔭に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえてやった。その時勘太郎は逃げ路を失って、一生懸命に飛びかかってきた。向うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢の開いた頭を、こっちの胸へ宛ててぐいぐい押した拍子に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷の袖の中にはいった。邪魔になって手が使えぬから、無暗に手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦をかけて向うへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "この外いたずらは大分やった。大工の兼公と肴屋の角をつれて、茂作の人参畠をあらした事がある。人参の芽が出揃わぬ処へ藁が一面に敷いてあったから、その上で三人が半日相撲をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。古川の持っている田圃の井戸を埋めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲にみずがかかる仕掛であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤になって怒鳴り込んで来た。たしか罰金を出して済んだようである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役に行かないで生きているばかりである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "母が病気で死ぬ二三日前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を撲って大いに痛かった。母が大層怒って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜しかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真っ直でよいご気性だ」と賞める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺めている。自分の力でおれを製造して誇ってるように見える。少々気味がわるかった。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口へ入れて、懐へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架の中へ落してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐を引き懸けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄したものでお兄様はお父様が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想だ、不仕合だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴れた家の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易えをして入らぬ気兼を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒くさくって旨く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平ご免だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "引き受けた以上は赴任せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "家を畳んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさえすれば、何くれと款待なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴した事もある。独りで極めて一人で喋舌るから、こっちは困まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点したものらしい。甥こそいい面の皮だ。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。", "title": "本文" } ]
null
== 本文 == === 一 ===  {{ruby|親譲|おやゆず}}りの{{ruby|無鉄砲|むてっぽう}}で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど{{ruby|腰|こし}}を{{ruby|抜|ぬ}}かした事がある。なぜそんな{{ruby|無闇|むやみ}}をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が{{ruby|冗談|じょうだん}}に、いくら{{ruby|威張|いば}}っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と{{ruby|囃|はや}}したからである。{{ruby|小使|こづかい}}に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな{{ruby|眼|め}}をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす{{ruby|奴|やつ}}があるかと{{ruby|云|い}}ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。  親類のものから西洋製のナイフを{{ruby|貰|もら}}って{{ruby|奇麗|きれい}}な{{ruby|刃|は}}を日に{{ruby|翳|かざ}}して、{{ruby|友達|ともだち}}に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の{{ruby|甲|こう}}をはすに切り{{ruby|込|こ}}んだ。{{ruby|幸|さいわい}}ナイフが小さいのと、親指の骨が{{ruby|堅|かた}}かったので、今だに親指は手に付いている。しかし{{ruby|創痕|きずあと}}は死ぬまで消えぬ。  庭を東へ二十歩に行き{{ruby|尽|つく}}すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、{{ruby|真中|まんなか}}に{{ruby|栗|くり}}の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに{{ruby|背戸|せど}}を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が{{ruby|山城屋|やましろや}}という質屋の庭続きで、この質屋に{{ruby|勘太郎|かんたろう}}という十三四の{{ruby|倅|せがれ}}が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の{{ruby|癖|くせ}}に四つ目垣を乗りこえて、栗を{{ruby|盗|ぬす}}みにくる。ある日の夕方{{ruby|折戸|おりど}}の{{ruby|蔭|かげ}}に{{ruby|隠|かく}}れて、とうとう勘太郎を{{ruby|捕|つら}}まえてやった。その時勘太郎は{{ruby|逃|に}}げ{{ruby|路|みち}}を失って、{{ruby|一生懸命|いっしょうけんめい}}に飛びかかってきた。{{ruby|向|むこ}}うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。{{ruby|鉢|はち}}の開いた頭を、こっちの胸へ{{ruby|宛|あ}}ててぐいぐい{{ruby|押|お}}した{{ruby|拍子|ひょうし}}に、勘太郎の頭がすべって、おれの{{ruby|袷|あわせ}}の{{ruby|袖|そで}}の中にはいった。{{ruby|邪魔|じゃま}}になって手が使えぬから、無暗に手を{{ruby|振|ふ}}ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら{{ruby|靡|なび}}いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の{{ruby|腕|うで}}へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、{{ruby|足搦|あしがら}}をかけて向うへ{{ruby|倒|たお}}してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分{{ruby|崩|くず}}して、自分の領分へ{{ruby|真逆様|まっさかさま}}に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に{{ruby|詫|わ}}びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。  この外いたずらは大分やった。大工の{{ruby|兼公|かねこう}}と{{ruby|肴屋|さかなや}}の{{ruby|角|かく}}をつれて、{{ruby|茂作|もさく}}の{{ruby|人参畠|にんじんばたけ}}をあらした事がある。人参の芽が{{ruby|出揃|でそろ}}わぬ{{ruby|処|ところ}}へ{{ruby|藁|わら}}が一面に{{ruby|敷|し}}いてあったから、その上で三人が半日{{ruby|相撲|すもう}}をとりつづけに取ったら、人参がみんな{{ruby|踏|ふ}}みつぶされてしまった。{{ruby|古川|ふるかわ}}の持っている{{ruby|田圃|たんぼ}}の{{ruby|井戸|いど}}を{{ruby|埋|う}}めて{{ruby|尻|しり}}を持ち込まれた事もある。太い{{ruby|孟宗|もうそう}}の節を抜いて、深く埋めた中から水が{{ruby|湧|わ}}き出て、そこいらの{{ruby|稲|いね}}にみずがかかる{{ruby|仕掛|しかけ}}であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や{{ruby|棒|ぼう}}ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ{{ruby|挿|さ}}し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が{{ruby|真赤|まっか}}になって{{ruby|怒鳴|どな}}り込んで来た。たしか{{ruby|罰金|ばっきん}}を出して済んだようである。  おやじはちっともおれを{{ruby|可愛|かわい}}がってくれなかった。母は兄ばかり{{ruby|贔屓|ひいき}}にしていた。この兄はやに色が白くって、{{ruby|芝居|しばい}}の{{ruby|真似|まね}}をして{{ruby|女形|おんながた}}になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ{{ruby|碌|ろく}}なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ{{ruby|懲役|ちょうえき}}に行かないで生きているばかりである。  母が病気で死ぬ{{ruby|二三日|にさんち}}前台所で宙返りをしてへっついの角で{{ruby|肋骨|あばらぼね}}を{{ruby|撲|う}}って大いに痛かった。母が大層{{ruby|怒|おこ}}って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ{{ruby|泊|とま}}りに行っていた。するととうとう死んだと云う{{ruby|報知|しらせ}}が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し{{ruby|大人|おとな}}しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。{{ruby|口惜|くや}}しかったから、兄の横っ面を張って大変{{ruby|叱|しか}}られた。  母が死んでからは、おやじと兄と三人で{{ruby|暮|くら}}していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は{{ruby|駄目|だめ}}だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。{{ruby|妙|みょう}}なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に{{ruby|一遍|いっぺん}}ぐらいの割で{{ruby|喧嘩|けんか}}をしていた。ある時{{ruby|将棋|しょうぎ}}をさしたら{{ruby|卑怯|ひきょう}}な{{ruby|待駒|まちごま}}をして、人が困ると{{ruby|嬉|うれ}}しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を{{ruby|眉間|みけん}}へ{{ruby|擲|たた}}きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに{{ruby|言付|いつ}}けた。おやじがおれを{{ruby|勘当|かんどう}}すると言い出した。  その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている{{Ruby|清|きよ}}という下女が、泣きながらおやじに{{Ruby|詫|あや}}まって、ようやくおやじの{{Ruby|怒|いか}}りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを{{Ruby|怖|こわ}}いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと{{Ruby|由緒|ゆいしょ}}のあるものだったそうだが、{{Ruby|瓦解|がかい}}のときに{{Ruby|零落|れいらく}}して、つい{{Ruby|奉公|ほうこう}}までするようになったのだと聞いている。だから{{Ruby|婆|ばあ}}さんである。この婆さんがどういう{{Ruby|因縁|いんえん}}か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に{{Ruby|愛想|あいそ}}をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と{{Ruby|爪弾|つまはじ}}きをする――このおれを無暗に{{Ruby|珍重|ちんちょう}}してくれた。おれは{{Ruby|到底|とうてい}}人に好かれる{{Ruby|性|たち}}でないとあきらめていたから、他人から木の{{Ruby|端|はし}}のように取り{{Ruby|扱|あつか}}われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを{{Ruby|不審|ふしん}}に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは{{Ruby|真|ま}}っ{{Ruby|直|すぐ}}でよいご気性だ」と{{Ruby|賞|ほ}}める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。{{Ruby|好|い}}い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は{{Ruby|嫌|きら}}いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を{{Ruby|眺|なが}}めている。自分の力でおれを製造して{{Ruby|誇|ほこ}}ってるように見える。少々気味がわるかった。  母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、{{Ruby|廃|よ}}せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の{{Ruby|小遣|こづか}}いで{{Ruby|金鍔|きんつば}}や{{Ruby|紅梅焼|こうばいやき}}を買ってくれる。寒い夜などはひそかに{{Ruby|蕎麦粉|そばこ}}を仕入れておいて、いつの間にか{{Ruby|寝|ね}}ている{{Ruby|枕元|まくらもと}}へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には{{Ruby|鍋焼饂飩|なべやきうどん}}さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。{{Ruby|靴足袋|くつたび}}ももらった。{{Ruby|鉛筆|えんぴつ}}も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を{{Ruby|蝦蟇口|がまぐち}}へ入れて、{{Ruby|懐|ふところ}}へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと{{Ruby|後架|こうか}}の中へ{{Ruby|落|おと}}してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を{{Ruby|捜|さが}}して来て、取って上げますと云った。しばらくすると{{Ruby|井戸端|いどばた}}でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の{{Ruby|紐|ひも}}を引き{{Ruby|懸|か}}けたのを水で洗っていた。それから口をあけて{{Ruby|壱円札|いちえんさつ}}を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で{{Ruby|乾|かわ}}かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて{{Ruby|臭|くさ}}いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り{{Ruby|換|か}}えて来て上げますからと、どこでどう{{Ruby|胡魔化|ごまか}}したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。  清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から{{Ruby|菓子|かし}}や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには{{Ruby|遣|や}}らないのかと清に聞く事がある。すると清は{{Ruby|澄|すま}}したものでお{{Ruby|兄様|あにいさま}}はお{{Ruby|父様|とうさま}}が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは{{Ruby|頑固|がんこ}}だけれども、そんな{{Ruby|依怙贔負|えこひいき}}はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に{{Ruby|溺|おぼ}}れていたに{{Ruby|違|ちが}}いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに{{Ruby|逢|あ}}っては{{Ruby|叶|かな}}わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う{{Ruby|了見|りょうけん}}もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると{{Ruby|馬鹿馬鹿|ばかばか}}しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ{{Ruby|手車|てぐるま}}へ乗って、立派な{{Ruby|玄関|げんかん}}のある家をこしらえるに{{Ruby|相違|そうい}}ないと云った。  それから清はおれがうちでも持って独立したら、{{Ruby|一所|いっしょ}}になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も{{Ruby|繰|く}}り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、{{Ruby|麹町|こうじまち}}ですか{{Ruby|麻布|あざぶ}}ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで{{Ruby|並|なら}}べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も{{Ruby|日本建|にほんだて}}も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。  母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も{{Ruby|一概|いちがい}}にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお{{Ruby|可哀想|かわいそう}}だ、{{Ruby|不仕合|ふしあわせ}}だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。  母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって{{Ruby|行|ゆ}}かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ{{Ruby|出立|しゅったつ}}すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の{{Ruby|厄介|やっかい}}になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに{{Ruby|極|きま}}っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると{{Ruby|覚悟|かくご}}をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の{{Ruby|瓦落多|がらくた}}を{{Ruby|二束三文|にそくさんもん}}に売った。{{Ruby|家屋敷|いえやしき}}はある人の{{Ruby|周旋|しゅうせん}}である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、{{Ruby|詳|くわ}}しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の{{Ruby|小川町|おがわまち}}へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に{{Ruby|渡|わた}}るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは{{Ruby|何|なんに}}も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。  兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて{{Ruby|九州下|くんだ}}りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは{{Ruby|四畳半|よじょうはん}}の安下宿に{{Ruby|籠|こも}}って、それすらもいざとなれば直ちに引き{{Ruby|払|はら}}わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、{{Ruby|奥|おく}}さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、{{Ruby|甥|おい}}の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には{{Ruby|差支|さしつか}}えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み{{Ruby|馴|な}}れた{{Ruby|家|うち}}の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ{{Ruby|奉公易|ほうこうが}}えをして入らぬ{{Ruby|気兼|きがね}}を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、{{Ruby|妻|さい}}を貰えの、来て世話をするのと云う。{{Ruby|親身|しんみ}}の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。  九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして{{Ruby|商買|しょうばい}}をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも{{Ruby|随意|ずいい}}に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ{{Ruby|淡泊|たんばく}}な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の{{Ruby|停車場|ていしゃば}}で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。  おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって{{Ruby|面倒|めんど}}くさくって{{Ruby|旨|うま}}く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は{{Ruby|生来|しょうらい}}どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは{{Ruby|真平|まっぴら}}ご{{Ruby|免|めん}}だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り{{Ruby|掛|かか}}ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から{{Ruby|起|おこ}}った失策だ。  三年間まあ{{Ruby|人並|ひとなみ}}に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から{{Ruby|勘定|かんじょう}}する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも{{Ruby|可笑|おか}}しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。  卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、{{Ruby|田舎|いなか}}へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと{{Ruby|即席|そくせき}}に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が{{Ruby|祟|たた}}ったのである。  引き受けた以上は{{Ruby|赴任|ふにん}}せねばならぬ。この三年間は四畳半に{{Ruby|蟄居|ちっきょ}}して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは{{Ruby|比較的|ひかくてき}}{{Ruby|呑気|のんき}}な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に{{Ruby|鎌倉|かまくら}}へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。  家を{{Ruby|畳|たた}}んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが{{Ruby|行|ゆ}}くたびに、{{Ruby|居|お}}りさえすれば、何くれと{{Ruby|款待|もて}}なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの{{Ruby|自慢|じまん}}を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと{{Ruby|吹聴|ふいちょう}}した事もある。独りで{{Ruby|極|き}}めて{{Ruby|一人|ひとり}}で{{Ruby|喋舌|しゃべ}}るから、こっちは{{Ruby|困|こ}}まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は{{Ruby|昔風|むかしふう}}の女だから、自分とおれの関係を{{Ruby|封建|ほうけん}}時代の{{Ruby|主従|しゅじゅう}}のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと{{Ruby|合点|がてん}}したものらしい。甥こそいい{{Ruby|面|つら}}の皮だ。  いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を{{Ruby|尋|たず}}ねたら、北向きの三畳に{{Ruby|風邪|かぜ}}を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、{{Ruby|坊|ぼ}}っちゃんいつ{{Ruby|家|うち}}をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した{{Ruby|容子|ようす}}で、{{Ruby|胡麻塩|ごましお}}の{{Ruby|鬢|びん}}の乱れをしきりに{{Ruby|撫|な}}でた。あまり気の毒だから「{{Ruby|行|ゆ}}く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と{{Ruby|慰|なぐさ}}めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「{{Ruby|越後|えちご}}の{{Ruby|笹飴|ささあめ}}が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「{{Ruby|箱根|はこね}}のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。  出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る{{Ruby|途中|とちゅう}}小間物屋で買って来た{{Ruby|歯磨|はみがき}}と{{Ruby|楊子|ようじ}}と{{Ruby|手拭|てぬぐい}}をズックの{{Ruby|革鞄|かばん}}に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご{{Ruby|機嫌|きげん}}よう」と小さな声で云った。目に{{Ruby|涙|なみだ}}が{{Ruby|一杯|いっぱい}}たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう{{Ruby|大丈夫|だいしょうぶ}}だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。 == 出典 == 青空文庫より [[Category:中学校国語|けんたいふん ほつちやん]]
null
2023-01-19T04:28:33Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E5%9D%8A%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93
19,516
中学校国語 古文/平家物語
(書き出しの部分) 一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家は海上に逃れていった。 源氏の武将、熊谷(くまがい)が磯(いそ)のほうに進むと、なにやら立派な鎧の敵将が、これから海に逃れようとしている。 結末: 結局、与一の放った矢は命中する。 那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。 海上にいる平家の側の舟から、扇(おうぎ)のついた棒の立った舟が出てきたので、疑問に思った義経が「あれは何だ?」と部下に聞いたところ、「この扇を射ってみろ、という事でしょう。おそらく、弓をいろうと出てきた義経さまを、逆に射殺してやろうという策略でしょう。それでも、部下のものに、扇を射させたほうが、よろしいでしょう。」と。 そして、与一が選ばれる。 途中、いろいろあったが、最終的に扇に、与一の矢が命中する。 作者は、舞をまった男を殺した源氏の行為を、戦場の非情さの例として書いている、と思われる。 戦場なので、敵を殺すこと自体には、非難される理由はない。 しかし、作者は、「情けなし。」(非常だ。心無いことだ。)という意見を、あえて取り上げている。ここに、戦場の敵側とはいえ、自分たち源氏を祝う者を殺した源氏に対しての、作者の不快感が出ていると思われる。そして、なにより、戦場の非情さを描いていると思われる。 そして、人生の "はかなさ" を書こうとしているものと思われる。 そのほか、平家と源氏との美意識のちがいなどを、作者は書こうとしていると思われる。平家の、敵とはいえ素晴らしい者には祝って舞を舞うという風流な価値観。いっぽう、源氏の側は戦争の勝利こそが、武士の名誉と考えている。 平家と源氏の美意識のちがいは、ひいては、貴族と武士との価値観の違いであろう。 (なお、平家も、武士の一族である。) 平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。 作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者:不明 平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興(しんこう)の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。 なお、平家がほろび、源氏(げんじ)の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。 那須与一は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、那須与一を実在人物としては習わないだろう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "(書き出しの部分)", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家は海上に逃れていった。", "title": "敦盛(あつもり)の最期(さいご)" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "源氏の武将、熊谷(くまがい)が磯(いそ)のほうに進むと、なにやら立派な鎧の敵将が、これから海に逃れようとしている。", "title": "敦盛(あつもり)の最期(さいご)" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "敦盛(あつもり)の最期(さいご)" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "結末: 結局、与一の放った矢は命中する。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "海上にいる平家の側の舟から、扇(おうぎ)のついた棒の立った舟が出てきたので、疑問に思った義経が「あれは何だ?」と部下に聞いたところ、「この扇を射ってみろ、という事でしょう。おそらく、弓をいろうと出てきた義経さまを、逆に射殺してやろうという策略でしょう。それでも、部下のものに、扇を射させたほうが、よろしいでしょう。」と。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "そして、与一が選ばれる。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "途中、いろいろあったが、最終的に扇に、与一の矢が命中する。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "作者は、舞をまった男を殺した源氏の行為を、戦場の非情さの例として書いている、と思われる。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "戦場なので、敵を殺すこと自体には、非難される理由はない。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "しかし、作者は、「情けなし。」(非常だ。心無いことだ。)という意見を、あえて取り上げている。ここに、戦場の敵側とはいえ、自分たち源氏を祝う者を殺した源氏に対しての、作者の不快感が出ていると思われる。そして、なにより、戦場の非情さを描いていると思われる。 そして、人生の \"はかなさ\" を書こうとしているものと思われる。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "そのほか、平家と源氏との美意識のちがいなどを、作者は書こうとしていると思われる。平家の、敵とはいえ素晴らしい者には祝って舞を舞うという風流な価値観。いっぽう、源氏の側は戦争の勝利こそが、武士の名誉と考えている。", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "平家と源氏の美意識のちがいは、ひいては、貴族と武士との価値観の違いであろう。 (なお、平家も、武士の一族である。)", "title": "那須与一" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者:不明", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興(しんこう)の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なお、平家がほろび、源氏(げんじ)の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "那須与一は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、那須与一を実在人物としては習わないだろう。", "title": "作品解説" } ]
null
== 冒頭部 == === 本文 === (書き出しの部分) {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  :祇園精舎({{ruby|ぎをんしやうじや|ギオンショウジャ}})の鐘(かね)の声、<br /> :諸行無常({{ruby|しよぎやうむじやう|ショギョウムジョウ}})の響き(ひびき)あり。 :沙羅双樹({{ruby|しやらさうじゅ|シャラソウジュ}})の花の色(ハナのイロ)、 :盛者必衰({{ruby|じやうしやひつすい|ジョウシャヒッスイ}})のことわりをあらはす。 :おごれる人もひさしからず、 :ただ春の夜の夢のごとし。 :たけき者もつひ(つい)にはほろびぬ、 :ひとへに(ひとえに)風の前のちりに同じ。 : </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| ::現代語訳(げんだいご やく) (インドにある)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の音には、「すべてのものは、(けっして、そのままでは、いられず)かわりゆく。」ということを知らせる響きがある(ように聞こえる)。 沙羅双樹の花の色には、どんなに勢い(いきおい)のさかんな者でも、いつかはほろびゆくという事をあらわしている(ように見える)。 おごりたかぶっている者も、その地位には、長くは、いられない。ただ、春の夜の夢のように、はかない。強い者も、最終的には、ほろんでしまう。 まるで、風に吹き飛ばされる塵(ちり)と同じようだ。 |} {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 遠く異朝(いてう、イチョウ)をとぶらへば、秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢(かん)の王莽(おうまう、オウモウ)、梁(りゃう、リョウ)の朱伊(しうい、シュウイ)、唐(たう、トウ)の禄山(ろくざん)、これらは皆(みな)、旧主先皇(せんくわう、センコウ)の政(まつりごと)にも従はず(したがはず)、楽しみを極め(きはめ)、諌め(いさめ)をも思ひ(オモイ)入れず、天下の乱れむ事を悟らず(さとらず)して、民間の愁ふる(ウレウル)ところを知らざりしかば、久しからずして、亡(ぼう)じにし者どもなり。 近く本朝(ほんてう、ホンチョウ)をうかがふに、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これらはおごれる心もたけき事も、皆(みな)とりどりにこそありしかども、 間近くは(まぢかくは)、六波羅(ろくはら)の入道(にふだう、ニュウドウ)前(さきの)太政大臣平朝臣(タイラノアッソン)清盛公と申しし人のありさま、伝へ(ツタエ)承る(うけたまはる、ウケタマワル)こそ、心も詞(ことば)も及ばれね(およばれぬ)。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| ::現代語訳(げんだいご やく) 遠く外国の(例を)さがせば、(盛者必衰の例としては)秦(しん、王朝の名)の趙高(ちょうこう、人名)、漢(かん)の王莽(おうもう、人名)、梁(りょう)の朱伊(しゅい、人名)、唐(とう)の禄山(ろくざん、人名)(などの者がおり)、これら(人)は皆、もとの主君や皇帝の政治に従うこともせず、栄華をつくし、(他人に)忠告されても深く考えず、(その結果、民衆の苦しみなどで)世の中の(政治が)乱れていくことも気づかず、民衆が嘆き訴えることを気づかず、(権力も)長く続かずに滅んでしまった者たちである。 (いっぽう、)身近に、わが国(=日本)(の例)では、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これら(の者ども)は、おごった心も、勢いの盛んさも、皆それぞれに(大したものであり、)、(こまかな違いはあったので、)まったく同じではなかったが、最近(の例)では、六波羅の入道の平清盛公と申した人の有様(ありさま)は、(とても、かつての権勢はさかんであったので、)(有様を想像する)心も、(言い表す)言葉も、不十分なほどである。 |} === 解説 === * 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)・・・ インドにある寺で、釈迦(しゃか)の根拠地(こんきょち)。 == 敦盛(あつもり)の最期(さいご) == * 予備知識 一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家は海上に逃れていった。 源氏の武将、熊谷(くまがい)が磯(いそ)のほうに進むと、なにやら立派な鎧の敵将が、これから海に逃れようとしている。 === 本文 === {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| {{ruby|熊谷|くまがい}}、 「あれは大将軍とこそ見まいらせ候へ({{ruby|さふらえ|ソウロエ}})。まさなう(ノウ)も敵(かたき)に後ろ(うしろ)を見せさせたまふものかな。返させたま{{ruby|へ|エ}}。」 と扇(あふぎ、オウギ)を上げて招き(まねき)ければ、招かれてとつて(トッテ)返す。  汀に(みぎはに、ミギワに)うち上がらむとするところに、おし並べてむずと組んでどうど落ち、とつて(トッテ)おさへて首をかかんと甲(かぶと)をおしあ{{ruby|ふ|ウ}}のけて見ければ、年十六七ばかりなるが、薄化粧(うすげ{{ruby|しやう|ショウ}})して、かねぐろなり。わが子の小次郎(こじ{{ruby|らう|ロウ}})がよはひ(ヨワイ)ほどにて容顔まことに美麗(びれい)なりければ、い{{ruby|づ|ズ}}くに刀を立べしともおぼえず。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| 熊谷が(言った)、 「そこを行かれるあなたは大将軍とお見受けいたします。見苦しくも敵(=源氏)に後ろ(=後ろ姿、背中)をお見せになるものよ。お引き返しなされ。」 と扇を上げて、招くと、(その平家の武者は、)招かれて引き返す。 (平家の武者が)波打ち際に上がろうとするところに、(熊谷は、馬を)強引に並べて、むずと組んでどうっと落ち、(熊谷が、平家の武者を)取り押さえて、(平家の武者の)首を切ろうと、かぶとを仰向け(おうむけ)にして(顔を)見てみると、年十六、七くらいの(若武者)が薄化粧して、お歯黒をつけているのであった。わが子の(熊谷の子の)小次郎ぐらいの年齢であった。顔立ちがたいへんに美しく、(熊谷は)どこに刀をさしてよいかも分からない。 |} :;語釈 ::'''みぎわ''' ・・・ 水際(みずぎわ)のこと。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 「そもそも、いかなる人にてましまし候ふ(さふらふ、ソウロウ)ぞ。名のらせたまへ、助けまいらせん。」 と申せば、「汝は(ナンジは)たそ」 ととひ給ふ。 「物そのもので候はねども、武藏(むさし)の国(くに)の住人、熊谷(くまげへの、クマガエノ)次郎(じらう、ジロウ)直実(なほざね、ナオザネ)。」と名のり申す。 「さては、なん{{ruby|ぢ|ジ}}にあふては名のるまじゐ(イ)ぞ、なん{{ruby|ぢ|ジ}}がためにはよい敵(かたき)ぞ。名のらずとも首をとって人に問へ(トエ)。見知らふ(ミシロウ)ずるぞ。」 とぞのたまひ(イ)ひける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| (熊谷が若武者に言った、)「いったい、(あなたは)どういう身分の人にて、いらっしゃいますか。お名乗りください。お助けいたしましょう。」と申すと、「(そういう)おまえは誰だ。」とお尋ねになる、(熊谷は答えて、)「物の数に入るほどの者ではございませんが、武蔵野の国の住人、熊谷次郎直実。」と名乗り申し上げる。 (若武者は答えて)「それでは、お前に対しては名乗る気はないぞ。お前の(手柄の)ためには、(私は)よい敵だぞ。(私が)名乗らなくても、首を切って、人に(私の名を)尋ねてみろ。見知っているだろうよ。」と、おっしゃった。 |} :※ ネタバレ: 若武者の正体は、平敦盛(あつもり)。平清盛の弟である平経盛(つねもり)の末子。位階は従五位下。熊谷は、まだ若武者の正体を知らない。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 熊谷(くまがえ) 「あつぱれ(アッパレ)大将軍(たい{{ruby|しやう|ショウ}}ぐん)や、この人一人(いちにん)討ち(うち)たてまたりとも、負くべきいくさに勝べきやう(ヨウ)もなし。また討ちたてまつらずども、勝つべきいくさに負くることよもあらじ。小次郎が薄手(うすで)負うたるをだに、直実は心苦しう(クルシュウ)こそおもふに、この殿(との)の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆き(なげき)たまはん(タマワン)ずらん、あはれ(アワレ)、助けたてまつらばや」と思ひて、後ろをきっと見ければ、土肥(とひ、トイ)・梶原(かぢはら、カジワラ)五十騎(き)ばかりで続いたり。   熊谷(くまがえ)泪(なみだ)をおさへて申けるは、 「助けまゐ(イ)らせんとは存じ候へども、味方(みかた)の軍兵(ぐんぴょう)、雲霞(うんか)のごとく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまゐ(イ)らせんより、同じくは、直実が手にかけまゐ(イ)らせて、後の御孝養(おんけんやう)をこそ仕り(つかまつり)候はめ。」 と申ければ、 「ただ、とくとく首をとれ。」 とぞのたまひける。 熊谷あまりにいとほ(オ)しくて、いづくに(イズクニ)刀を立つべしともおぼえず、目もくれ心も消えはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、泣く々く首をぞかいてんげる。 「あはれ、弓矢とる身ほど口惜し(くちをし、クチオシ)かりけるものはなし。武芸の家に生れずは、何とてかかる憂き目(うきめ)をばみるべき。情けなうも討ちたてまつる物かな。」 とかきくどき、袖を顔(かほ)に押し(おし)あててさめざめとぞ泣きゐ(イ)たる。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| 熊谷は(言った)、「ああ、立派な大将軍だ。この人一人を討ち申したとしても、負けるはずのいくさに勝てるわけでもない。また、討ち申さなくとも、勝つはずのいくさに負けることも、まさかあるまい。わが子の小次郎が軽い傷を負っただけでも、この直実(自分)はつらく思うのに、まして、この殿(若武者)の父親は、(子が)討たれたと聞いたら、どれほどお嘆きになるだろう。ああ、お助け申したい。」と思って、(自分の)後ろをさっと見てみれば、(味方の源氏の)土肥・梶原の軍勢が五十騎ほど続いている。 熊谷は泪(なみだ)を抑えて、(若武者・敦盛(あつもり)に)申したことは、「お助け申したいとは思いますが、味方(=源氏側)の軍勢が雲霞のように(大ぜい)おります。決して、お逃げにはなれないでしょう。他の者の手にかかるならば、(どっちみち命が助からないのならば、)同じことなら、この直実の手でお討ちになり、のちのご供養(ごくよう)をさせていただきましょう。」と申したところ、 (若武者は、)「とにかく、さっさと(私の)首を取れ。」とおっしゃった。 熊谷は、あまりに、(若武者が)かわいそうに感じて、どこに刀を刺してよいかも分からず、涙で目もくらみ、気も動転して、(まるで)前後も分からないようなほどに思われたけど、(けっして、いつまでも、)そうばかりもしていられないので、泣く泣く首を切ってしまった。 (熊谷は、)「ああ、弓矢を取る(武士の)身ほど、悔やまれるものはない。武芸の家に生まれさえしなければ、なんでこのようなつらい目にあったであろうか。非情にも、お討ち申しあげたものだ。」と、くりかえし嘆き(「かきくどき」=繰り返し、つぶやく。)、そでを顔に押し当てて、さめざめと泣き続けた。 |} :若武者を討ち、しばらくしてから、熊谷は若武者の腰の袋の中から、一本の笛を見つける。戦場にあっても笛を手放さない優雅さに、源氏の武士たちも心を打たれる。 :のちに、この若武者の正体は、平敦盛(たいらのあつもり)、大夫敦盛(たいふあつもり)であることが分かり、年は17歳であることが分かる。 :このようなことから、熊谷は、出家を願う思いが強くなっていった。 :(※ 教科書では、敦盛の件については、ここまで。このあと、以下のような内容に続く。) === その後の展開 === {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| やや久しう(シュウ)あつて(アッテ)、さてもあるべきならねば、鎧(よろい)直垂(びたたれ ←ひたたれとも読むがこの場合はびたたれ)をとつて(トッテ)、首を包まん(つつまん)としけるに、錦(にしき)の袋に入れたる笛をぞ、腰にさされたる。  「あないとおし、この暁(あかつき)、城のうちにて管絃(くわんげん、カンゲン)したまひつるは、この人々にておはしけり。当時味方に東国の勢何万騎(ぎ)かあるらめども、いくさの陣(ぢん)へ笛持つ人はよもあらじ。上﨟(じやうらふ)は、なほも(ナオも)やさしかりけり。」 とて、九郎御曹司(くらういんざうし)の見参(げんざん)に入れたりければ、これをみる人、涙を流さずといふことなし。後に聞けば、修理大夫(しゅりのだいぶ)経盛(つねもり)の子息に大夫敦盛(あつもり)とて、生年(しょうねん)十七にぞなられける。 それよりしてこそ熊谷が発心(ほつしん、ホッシン)の思ひ(オモイ)はすすみけれ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| (翻訳は省略前節の解説を読んでください。) |} == 那須与一 == === 解説 === 結末: 結局、与一の放った矢は命中する。 那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。 海上にいる平家の側の舟から、扇(おうぎ)のついた棒の立った舟が出てきたので、疑問に思った義経が「あれは何だ?」と部下に聞いたところ、「この扇を射ってみろ、という事でしょう。おそらく、弓をいろうと出てきた義経さまを、逆に射殺してやろうという策略でしょう。それでも、部下のものに、扇を射させたほうが、よろしいでしょう。」と。 そして、与一が選ばれる。 途中、いろいろあったが、最終的に扇に、与一の矢が命中する。 === 本文 === {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 頃(ころ)は二月(にんぐわつ)十八日の酉(とり)の刻ばかりのことなるに、をりふし北風(ほくふう)激しくて、磯(いそ)打つ波も高かりけり。 舟は、揺り上げ揺りすゑ(え)漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。 沖には平家、舟を一面に並べて見物す。 陸(くが)には源氏、くつばみを並べてこれを見る。 いづれもいづれも晴れならずといふことぞなき。 与一目をふさいで、 「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、我が国の神明(しんめい)、日光(につくわう、ニッコウ)の権現(ごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯泉大明神(ゆぜんだいみやう(ミョウ)じん、)、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り白害して、人に二度(ふたたび)面(おもて)を向かふべからず。いま一度(いちど)本国へ迎へん(ムカエン)とおぼしめさば、この矢はづさせ(ハズサセ)たまふな。」 と心のうちに祈念(きねん)して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。 与一、鏑(かぶら)を取つてつがひ、よつ引ぴいて(ヨッピイテ)ひやう(ヒョウ)ど放つ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| ::現代語訳(げんだいご やく) 時は二月十八日の酉の刻(=午後六時)ごろのことであったが、折から北風が激しく(吹い)て、磯に打ち付ける波も高かった。舟は(並みのため)上へ下へと揺れて漂うので、扇も竿の先に静止しておらず、ひらひらとしている。沖では平家が、舟を一面にならべて見物している。(いっぽう、)陸では源氏が、馬のくつわを並べて、これを見守る。 どちらも、どちらも、晴れがましい情景である。与一は目をふさいで、 「南無八幡大菩薩(なむはちまん だいぼさつ)、わが故郷の神々の、日光の権現(ごんげん)、宇都宮大明神と、那須の湯泉(ゆぜん)大明神よ、願わくは、あの扇の真ん中を射させてください。(もし、)これを射損じるものならば、弓を切りおって(私・与一が)自害(自害=自殺・切腹など)し、人に(他人に)二度と顔を合わせるつもりはありません。いま一度、(私を)故郷に迎えてやろうとお思いになるなら、この矢を外させないでください。」 と(与一が)心のうちに祈り(いのり)念じて、(与一が)目を見開いたところ、風も少し弱まり、扇も(静かになり)射やすくなった。 与一は鏑矢(かぶらや)を取ってつがえ、十分に引きしぼって(「よっぴいて」=「よく引いて」の音便)、ひょうと(矢を)放った。 |} :語釈 :'''つがえる''' ・・・ 矢を弓の弦(つる)にあてがうこと。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 小兵(こひやう、コヒョウ)といふぢやう(イウジョウ)、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、浦(うら)響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要(かなめ)際(ギワ、ぎは)一寸ばかりおいて、ひいふつ(ヒイフッ)とぞ射切つ(キッ)たる。 鏑(かぶら)は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。 しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海へさつ(サッ)とぞ散つたり(チッタリ)ける。 夕日のかかやいたるに、みな紅(ぐれなゐ、クレナイ)の扇の日出(い)だしたるが、白波の上に漂ひ(タダヨイ)、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、船端(ふなばた)をたたいて感じたり、陸には源氏、箙(えびら)をたたいてどよめきけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (与一は)小柄な武者とは言いながら、矢(の長さ)は十二束三伏で(長くて)、弓も強く、浦一帯に響くほど(鏑矢は)長いあいだ鳴り響き、誤りなく扇の要際から一寸ほど離れたところを、ひいふっと射きった。かぶら矢は海へ落ち、扇は(衝撃で)空へと舞い上がった。 扇は、しばらく空中で舞っていたが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっと散り落ちていった。夕日のかがやいている中に、日輪を描いた真っ赤な扇が白波の上に漂い、(扇が)浮きつ沈みつ揺られれば、沖では平家が(感嘆し)、船端を叩いて感嘆し、陸では源氏が、えびらをたたいて、はやしたてた。 |} :語釈 :'''あやまつ''' ・・・ 失敗する。 :'''しばし''' ・・・ しばらく。少しの間。 :このあと、平家のほうから、扇の立ててあった場所に男が近づき、舞を踊る。伊勢義盛(いせの よしもり)は、与一にその平家側の男を射ることを命じる。命令どおり、与一は射って、舞っていた男は首のあたりを射られ、射殺され、船底へ倒れる。 :平家のほうからは、静まり返って声も出ない。 :源氏のほうからは、今度も歓声を上げる。 :「ああ、射当てた。」と言う人もあれば、「非情だ。」と言う者もいる。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| あまりのおもしろさに、感に堪へざるにやとおぼしくて、舟のうちより、年五十ばかりなる男(をのこ)の、黒革をどしの鎧(よろひ)着て、白柄(しらえ)の長刀(なぎなた)持つたる(モッタル)が、扇立てたりける所に立つて舞ひしめたり。 伊勢三郎義盛(いせのさぶらうよしもり)、与一が後ろへ歩ませ寄って、 「御定(ごぢやう)ぞ、つかまつれ。」 と言ひければ、今度は中差(なかざし)取つて(トッテ)うちくはせ、よつぴいて、しや(シャ)頸(くび)の骨をひやうふつ(ヒョウフッ)と射て、舟底へ逆さまに射倒す。 平家の方(かた)には音もせず、源氏の方にはまたえびらをたたいてどよめきけり。 「あ、射たり。」 と言ふ(イウ)人もあり、また、 「情けなし。」 と言ふ者もあり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| あまりの面白さに、感に堪えなかったのであろうか、舟の中から年のころ五十歳ばかりの男で、黒革おどしの鎧を着ていて、白江の長刀を持った男が、扇の立ててあった場所に男が近づき、舞を踊る。(源氏側の)伊勢(いせの)三郎(さぶろう)義盛(よしもり)は、与一の後ろに馬を歩み寄らせ、「ご命令だ、射よ。」と言うので、(与一は)今度は中差を取って弓につがえ、十分に引きしぼり、男の首の骨をひょうふっと射て、男を(船底へ)真っ逆さまに射倒す。 その平家側の男を射ることを命じる。命令どおり、与一は射って、舞っていた男は首のあたりを射られ、射殺され、海へと落ちる。 :平家方(へいけがた)からは、静まり返って声も出ない。 :源氏方からは、今度もえびらを叩いて、どよめいた。 「ああ、射当てた。」と言う人もあれば、「非情だ。」と言う者もいる。 |} :語釈 :'''感に堪えない''' ・・・ 深く感動して、その気持ちをあらわさずには、いられない。 作者は、舞をまった男を殺した源氏の行為を、戦場の非情さの例として書いている、と思われる。 戦場なので、敵を殺すこと自体には、非難される理由はない。 しかし、作者は、「情けなし。」(非常だ。心無いことだ。)という意見を、あえて取り上げている。ここに、戦場の敵側とはいえ、自分たち源氏を祝う者を殺した源氏に対しての、作者の不快感が出ていると思われる。そして、なにより、戦場の非情さを描いていると思われる。 そして、人生の "はかなさ" を書こうとしているものと思われる。 そのほか、平家と源氏との美意識のちがいなどを、作者は書こうとしていると思われる。平家の、敵とはいえ素晴らしい者には祝って舞を舞うという風流な価値観。いっぽう、源氏の側は戦争の勝利こそが、武士の名誉と考えている。 平家と源氏の美意識のちがいは、ひいては、貴族と武士との価値観の違いであろう。 (なお、平家も、武士の一族である。) == 作品解説 == [[File:Biwa-Hoshi-71-Shokunin-Uta-Awase-Picture-Scroll.png|thumb|琵琶法師。]] 平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。 作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者:不明  平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興(しんこう)の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。  なお、平家がほろび、源氏(げんじ)の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。 * 備考 那須与一は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、那須与一を実在人物としては習わないだろう。 [[Category:中学校国語|こふん へいけものかたり]]
2014-10-13T23:59:18Z
2023-10-12T14:14:13Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E5%8F%A4%E6%96%87/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,517
中学校国語 古文/徒然草
仁和寺の僧侶の失敗談。 ある仁和寺の僧侶が、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を拝もうと旅行したが、付属の神社などを本体と勘違いし、本体である石清水八幡宮には参拝しないまま、帰ってきてしまった、という話。 兼好法師は、教訓として「ささいなことにも、指導者は、あってほしいものだ。」と結論づけている。 石清水八幡宮は山の上にあり、その山のふもとには付属の自社である極楽寺や高良神社がある。 「尊く」は「とうとく」「荘厳で」。「おはす」は「あられる」「いらっしゃる」。「けれ」は過去を表す助動詞「けり」の已然形。 → 仁和寺のお坊さんは、他の参拝者の皆が山に登るので、なぜ登っているのか、山の上に何があるのかが、たいそう気になったのである。多くの人は、岩清水八幡宮(のご本尊)が山上にあることくらい知っている。しかし、このお坊さんは、岩清水八幡宮へはもうすでに全部お参りしたと勘違いしていて、長年の夢を果たしたとひとり思い込んで(せっかく出かけたのに)帰ってしまった。しかも、それを仲間に得意げに(きまじめな顔で)話している、少しおっちょこちょいなお坊さんである。 そうして、著者の兼好法師は、ちょっとしたことも、ガイドさんがいた方が、失敗が無くてすむというものだ、という結論で締めくくっているのである。この話を読んだ私たち読者は、これを教訓として捉えるのである。 ※「係り結びの法則」について (書き出しの部分) 「ものぐるほし」: 単語集によっては意味が「気が変になりそうだ」というものもあれば(桐原)、「馬鹿げている」というものもある(三省堂)。このように、単語集によって訳が違うので、訳出において、あまり細部を暗記する必要はない。 「つれづれなる」: 徒然草は鎌倉時代に書かれた作品である。さて、「つれづれなる」という言葉を使い始めたのは、けっして鎌倉時代の吉田兼好ではない。すでに平安時代の『源氏物語』という作品で(高校で源氏物語を習う。なお、鎌倉幕府の源平合戦とは無関係)、「つれづれなるままに、南の半蔀(はじとみ)ある長屋に渡り来つつ」(源氏物語・夕顔(ゆうがお) )という文がある。「手持ちぶさたなので(「特にすることがないので」という意味)、南の半蔀(はじとみ)ある長屋にやって来ては」と訳せる。 上述の語注の「(3) 静かで集中できるさま」は、やや意訳である。高校レベルの単語集を見ても(桐原、三省堂)、そのような意味は無い。 このほか、平安時代に『枕草子』で、134段「つれづれなるもの、除目(ずもく)に官(つかさ)得ぬ人の家。」とあるが、ただし前後の文脈からこの場合、「退屈」とは意味がやや違っている。 兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼好(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、崩御ののち、兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので(あるいは、京都の「吉田神社」にちなんで)、江戸時代以降、吉田兼好(よしだけんこう)の名で広く呼ばれるようになった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "仁和寺の僧侶の失敗談。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ある仁和寺の僧侶が、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を拝もうと旅行したが、付属の神社などを本体と勘違いし、本体である石清水八幡宮には参拝しないまま、帰ってきてしまった、という話。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "兼好法師は、教訓として「ささいなことにも、指導者は、あってほしいものだ。」と結論づけている。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "石清水八幡宮は山の上にあり、その山のふもとには付属の自社である極楽寺や高良神社がある。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「尊く」は「とうとく」「荘厳で」。「おはす」は「あられる」「いらっしゃる」。「けれ」は過去を表す助動詞「けり」の已然形。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "→ 仁和寺のお坊さんは、他の参拝者の皆が山に登るので、なぜ登っているのか、山の上に何があるのかが、たいそう気になったのである。多くの人は、岩清水八幡宮(のご本尊)が山上にあることくらい知っている。しかし、このお坊さんは、岩清水八幡宮へはもうすでに全部お参りしたと勘違いしていて、長年の夢を果たしたとひとり思い込んで(せっかく出かけたのに)帰ってしまった。しかも、それを仲間に得意げに(きまじめな顔で)話している、少しおっちょこちょいなお坊さんである。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "そうして、著者の兼好法師は、ちょっとしたことも、ガイドさんがいた方が、失敗が無くてすむというものだ、という結論で締めくくっているのである。この話を読んだ私たち読者は、これを教訓として捉えるのである。", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "※「係り結びの法則」について", "title": "仁和寺(にんなじ)にある法師" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(書き出しの部分)", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "「ものぐるほし」: 単語集によっては意味が「気が変になりそうだ」というものもあれば(桐原)、「馬鹿げている」というものもある(三省堂)。このように、単語集によって訳が違うので、訳出において、あまり細部を暗記する必要はない。", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "「つれづれなる」: 徒然草は鎌倉時代に書かれた作品である。さて、「つれづれなる」という言葉を使い始めたのは、けっして鎌倉時代の吉田兼好ではない。すでに平安時代の『源氏物語』という作品で(高校で源氏物語を習う。なお、鎌倉幕府の源平合戦とは無関係)、「つれづれなるままに、南の半蔀(はじとみ)ある長屋に渡り来つつ」(源氏物語・夕顔(ゆうがお) )という文がある。「手持ちぶさたなので(「特にすることがないので」という意味)、南の半蔀(はじとみ)ある長屋にやって来ては」と訳せる。", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "上述の語注の「(3) 静かで集中できるさま」は、やや意訳である。高校レベルの単語集を見ても(桐原、三省堂)、そのような意味は無い。", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "このほか、平安時代に『枕草子』で、134段「つれづれなるもの、除目(ずもく)に官(つかさ)得ぬ人の家。」とあるが、ただし前後の文脈からこの場合、「退屈」とは意味がやや違っている。", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "", "title": "冒頭部" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "兼好法師は、鎌倉時代の人物。", "title": "作者の兼好法師について" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "本名は、卜部兼好(うらべ かねよし)。", "title": "作者の兼好法師について" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、崩御ののち、兼好法師は出家した。", "title": "作者の兼好法師について" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "京都の「吉田」という場所に住んでいたので(あるいは、京都の「吉田神社」にちなんで)、江戸時代以降、吉田兼好(よしだけんこう)の名で広く呼ばれるようになった。", "title": "作者の兼好法師について" } ]
null
== 仁和寺(にんなじ)にある法師 == === だいたいの内容 === 仁和寺の僧侶の失敗談。 ある仁和寺の僧侶が、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を拝もうと旅行したが、付属の神社などを本体と勘違いし、本体である石清水八幡宮には参拝しないまま、帰ってきてしまった、という話。 兼好法師は、教訓として「ささいなことにも、指導者は、あってほしいものだ。」と結論づけている。 石清水八幡宮は山の上にあり、その山のふもとには付属の自社である極楽寺や高良神社がある。 === 本文 === {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  仁和寺(にんなじ)にある法師({{ruby|ほふ|ホウ}}し)、年寄(としよ)るまで、石清水(い{{ruby|は|ワ}}しみ{{ruby|づ|ズ}})を拝ま({{ruby|を|オ}}がま)ざりければ、心憂(う)く覚えて、ある時(とき)思{{ruby|ひ|イ}}立ちて、ただひとり、徒歩(かち)より詣で({{ruby|まう|モウ}}で)けり。極楽寺(ごくらくじ)、高良({{ruby|かう|コウ}}ら)などを拝みて、かばかりと心得(こころえ)て帰りにけり。  さて、かた{{ruby|へ|エ}}の人にあ{{ruby|ひ|イ}}て、「年ごろ思{{ruby|ひ|イ}}つること、果(はた)し侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊く(たっとく)こそお{{ruby|は|ワ}}しけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事(なにごと)かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほい)なれと思{{ruby|ひ|イ}}て、山までは見ず。」とぞ言{{ruby|ひ|イ}}ける。  すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 仁和寺(にんなじ)にいる僧が、年をとるまで、岩清水八幡宮(いわしみず はちまんぐう)を参拝しなかったので、(まだ参拝してないことを)残念に思ったので、あるとき(参拝しようと)思い立って、たった一人で徒歩で、お参りした。極楽寺(ごくらくじ)や高良神社(こうらじんじゃ)などを拝んで、これだけのものと思い、帰ってしまった。  さて(帰ったあと)、仲間に向かって、「長年の間、思っていたことを、果たしました。(八幡宮は、)(うわさに)聞いていた以上に、とうとくあられた。それにしても、(岩清水に)お参りにきていた人が、みんな、山に登って行ったのは、何があったのだろうか。(私も)ぜひ見てみたかったけれど、(岩清水八幡宮の)神へお参りするのが最初からの目的であると思って(観光旅行ではないので、よそはよそと)、山までは見なかった。」と言ったという。  (こういうことがあるので、)ちょっとしたことにも、その道の案内者はあってほしいものである。 :(第52段) |} ;語釈・解説など * 心憂く(こころうく) ・・・ 残念に。情けなく。 * かた{{ruby|へ|エ}}の人 ・・・ 仲間。同僚。友だち。「かたへ」とは「そば(側)」。 * 年ごろ ・・・ 長年。数年来。 * 尊く(たっとく)こそお{{ruby|は|ワ}}しけれ ・・・ 係り結び(※)になっている。「こそ」は係助詞。 「尊く」は「とうとく」「荘厳で」。「おはす」は「あられる」「いらっしゃる」。「けれ」は過去を表す助動詞「けり」の已然形。 * 何事かありけん ・・・ 係り結び(※)になっている。「か」は疑問を表す係助詞。「けん(けむ)」は「…たのだろう」。 * ゆかしかりしかど ・・・ 原形「ゆかし」は「見たい」「知りたい」という強い願望を表す。「しか」の原形は、過去を表す助動詞「き」。「ど」は接続助詞で「…けれど」という意味。 → 仁和寺のお坊さんは、他の参拝者の皆が山に登るので、なぜ登っているのか、山の上に何があるのかが、たいそう気になったのである。多くの人は、岩清水八幡宮(のご本尊)が山上にあることくらい知っている。しかし、このお坊さんは、岩清水八幡宮へはもうすでに全部お参りしたと勘違いしていて、長年の夢を果たしたとひとり思い込んで(せっかく出かけたのに)帰ってしまった。しかも、それを仲間に得意げに(きまじめな顔で)話している、少しおっちょこちょいなお坊さんである。  そうして、著者の兼好法師は、ちょっとしたことも、ガイドさんがいた方が、失敗が無くてすむというものだ、という結論で締めくくっているのである。この話を読んだ私たち読者は、これを教訓として捉えるのである。 * 本意(ほい) ・・・ 本来の目的。最初からの目的。つまり、ここでは、長年の夢、宿願(しゅくがん)である。現代語では「ほんい」と読む。 * 先達(せんだち) ・・・ 指導者。案内者。現代語では「せんだつ」と読む。 ※「係り結びの法則」について * 係助詞「ぞ・なむ・や・か」のとき → 文末は連体形。 * 係助詞「こそ」のとき → 文末は已然形(いぜんけい)。 == 冒頭部 == (書き出しの部分) {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : つれづれなるままに、日暮らし(ひくらし)、<br /> :硯(すずり)に向か{{ruby|ひ|イ}}て、心にうつりゆく<br /> :よしなしごとを、そこはかとなく<br /> :書きつくれば、あやしうこそ<br /> :ものぐる{{ruby|ほ|オ}}しけれ。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (一人で特にすることもなく、)退屈なのにまかせて、一日中、机に向かって、心の中に次々と浮かんでは消えていく、たわいのないことを、(勢いにまかせて、)とりとめもなく書きつけていると、妙になんだかおかしな気分になってくる。 |} ;語注など * つれづれ(徒然)なるままに ・・・ ①話し相手が居らず、一人で寂しいさま(和訳するときは単に「寂しい」でいい<ref>吉沢康夫『入試対応 必修古文単語735』、三省堂、2011年12月10日 第14刷発行、P160</ref>)②何かしたい気持ちはあるけれど、これといってすることが無く、退屈なさま(和訳は単に「手持ちぶさただ」でいい<ref>吉沢康夫『入試対応 必修古文単語735』、三省堂、2011年12月10日 第14刷発行、P160</ref>)、※ ②の意味もあるが、さらに③しかし、静かで集中できるさま)の意味をうまく訳出できると良い。(※ (3)について要出典) * 日暮らし(ひくらし、ひぐらし) ・・・ 一日中。終日。 * 硯に向かひて ・・・ 硯という、ものを書くための一道具により、机という「全体」を表したと考えられる。 * 心にうつりゆく ・・・ 「映る」「移る」の意味をうまく訳出できるとよい。 * よしなしごと ・・・ たわいのない、とりとめもないこと。埒(らち)も無い、つまらないこと。「よし(由)」というのは「理由」のこと。 * そこはかとなく ・・・ とりとめもなく。ハッキリした理由も無く。一説に、そこ(其処)は「か(彼)」(一定の場所)というわけではない、つまり、どこということなくハッキリしないさま。あるいは、其処「はか(計)」で、「あて」が無いさま。 * あやしう ・・・ 不思議と。妙に。ここでは「不審な」の意味は無い。 * ものぐるほしけれ ・・・ 何となく変な気分である。自分の心もちがおかしくなりそうだ。「こそ」と係り結びで、原形「ものぐるほし」の已然形。現代語にもある「狂おしい」は、一説に「苦しい」とも同語源である。 * 単語 「ものぐるほし」: 単語集によっては意味が「気が変になりそうだ」というものもあれば(桐原)、「馬鹿げている」というものもある(三省堂)。このように、単語集によって訳が違うので、訳出において、あまり細部を暗記する必要はない。 「つれづれなる」: 徒然草は鎌倉時代に書かれた作品である。さて、「つれづれなる」という言葉を使い始めたのは、けっして鎌倉時代の吉田兼好ではない。すでに平安時代の『源氏物語』という作品で(高校で源氏物語を習う。なお、鎌倉幕府の源平合戦とは無関係)、「つれづれなるままに、南の半蔀(はじとみ)ある長屋に渡り来つつ」(源氏物語・夕顔(ゆうがお) )という文がある。「手持ちぶさたなので(「特にすることがないので」という意味)、南の半蔀(はじとみ)ある長屋にやって来ては」と訳せる。 上述の語注の「(3) 静かで集中できるさま」は、やや意訳である。高校レベルの単語集を見ても(桐原、三省堂)、そのような意味は無い。 このほか、平安時代に『枕草子』で、134段「つれづれなるもの、除目(ずもく)に官(つかさ)得ぬ人の家。」とあるが、ただし前後の文脈からこの場合、「退屈」とは意味がやや違っている。 == ある人、弓射ることを習ふに == === 本文 === {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  ある人、弓射ることを習{{ruby|ふ|ウ}}に、諸矢(もろや)をたばさみて、的(まと)に向か{{ruby|ふ|ウ}}。 師の言{{ruby|は|ワ}}く、 「初心(しょしん)の人、二つの矢を持つことなかれ。後(のち)の矢を頼みて、初めの矢にな{{ruby|ほ|オ}}ざりの心あり。毎度(まいど)、ただ、得失(とくしつ)なく、この一矢(ひとや)に定むべしと思{{ruby|へ|エ}}。」 と言{{ruby|ふ|ウ}}。  わ{{ruby|づ|ズ}}かに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせ{{ruby|む|ン}}と思{{ruby|は|ワ}}んや。懈怠(けだい)の心、自ら(み{{ruby|づ|ズ}}から)知らずとい{{ruby|へ|エ}}ども、師、これを知る。この戒(いまし)め、万事(ばんじ)にわたるべし。道を学する人、夕(ゆ{{ruby|ふ|ウ}}べ)には朝あら{{ruby|む|ン}}ことを思{{ruby|ひ|イ}}、朝には夕あら{{ruby|む|ン}}ことを思{{ruby|ひ|イ}}て、重ねてねんごろに修(しゅ)せ{{ruby|む|ン}}ことを期(ご)す。い{{ruby|は|ワ}}{{ruby|む|ン}}や、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知ら{{ruby|む|ン}}や。何(なん)ぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難(かた)き。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"|  ある人が、弓を射ることを習うときに、二本の矢を手にはさんで、的に向かう。先生の言うには、 「初心者は(= 習い始めの人は)、二つの矢を持ってはいけない。(なぜなら、)のちの矢(= 二本目の矢)をあてにして、はじめの矢(一本目の矢)を、おろそかにしてしまう気持ちがでる。毎回、当たるか外れるかを考えず、この一本で当てようと思え。」  たった二本の矢を射るのに、先生の前で、おろそかにしよう(射よう)と思うだろうか。(いや、思うはずがない。)(しかし、)怠け心というものは、(弓を習っている)本人は気付かなくても、(実は)心の片隅に生じてしまうということを、先生は分かっている。(ところで、)この(弓についての)教訓は、全ての物事に通用するだろう。仏道を修める人は、夕方には翌朝があることを思い、朝には夕方があることを思って、あとでもう一度丁寧に修行する心づもりでいる。(そんなにのんきでいて、)どうしてほんの一瞬間の中に、怠けおこたる心があることを気付くだろうか、いや、気付きはしない。(しかし、実はここに怠けりの心が潜んでいるのである。)  (こう考えてくると、)なんとまあ、たった今の一瞬間において、すぐに実行することの非常に難しいことよ。 :(第92段) |} ;語注など * 諸矢(もろや) ・・・ 二本一組の矢。ふつう、弓道では、的に向かうとき、二本の矢を持つ。さいしょに射る矢を「早矢」(はや)といい、つぎにいる矢を「おとや」(弟矢、乙矢)という。 * なほざり(なおざり) ・・・ おろそかにしてしまうこと。本気でないこと。いい加減なさま。 * 得失(とくしつ)なく ・・・ いわゆる「損得勘定」を巡らすことなく。毎回、当たり外れを考え、結果に一喜一憂していては、たった今この一回を大事にできない、という教え。「矢」と「失」の違いにも注意。 * おろかに(疎かに)す ・・・ おろそかにする。物事をいい加減にして不十分にする。 * 学(がく)する ・・・ 修行する。 * 懈怠(けだい) ・・・ なまけ心。現代文では、「けたい」と読む。 * いはむや(いわんや) ・・・ 文末に「や」をともなって「どうして…だろうか。」。「をや」をともなうと「ましてや…はなおさらだ。」。 * 刹那(せつな) ・・・ 一瞬間。非常に短い時間。もと仏教用語で、数の単位にもある。 * 難き(かたき) ・・・ 難しい。「なんぞ」の「ぞ」と係り結びで、原形「難し」の連体形。 == 作者の兼好法師について == 兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼好(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、崩御ののち、兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので(あるいは、京都の「吉田神社」にちなんで)、江戸時代以降、吉田兼好(よしだけんこう)の名で広く呼ばれるようになった。 [[Category:中学校国語|こふん つれつれくさ]]
null
2022-03-01T10:44:15Z
[ "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E5%8F%A4%E6%96%87/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
19,520
中学校国語/現代文/高瀬舟
高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。 當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡(だうあく)な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。 さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書(くちがき)を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。 同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。 ―――――――――――――――― いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。 それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。 護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。 庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。 其日は暮方から風が歇(や)んで、空一面を蔽つた薄い雲が、月の輪廓をかすませ、やうやう近寄つて來る夏の温さが、兩岸の土からも、川床の土からも、靄になつて立ち昇るかと思はれる夜であつた。下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである。 夜舟で寢ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横にならうともせず、雲の濃淡に從つて、光の増したり減じたりする月を仰いで、默つてゐる。其額は晴やかで目には微かなかがやきがある。 庄兵衞はまともには見てゐぬが、始終喜助の顏から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。それは喜助の顏が縱から見ても、横から見ても、いかにも樂しさうで、若し役人に對する氣兼がなかつたなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌ひ出すとかしさうに思はれたからである。 庄兵衞は心の内に思つた。これまで此高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつも殆ど同じやうに、目も當てられぬ氣の毒な樣子をしてゐた。それに此男はどうしたのだらう。遊山船にでも乘つたやうな顏をしてゐる。罪は弟を殺したのださうだが、よしや其弟が惡い奴で、それをどんな行掛りになつて殺したにせよ、人の情として好い心持はせぬ筈である。この色の蒼い痩男が、その人の情と云ふものが全く缺けてゐる程の、世にも稀な惡人であらうか。どうもさうは思はれない。ひよつと氣でも狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合はぬ言語や擧動がない。此男はどうしたのだらう。庄兵衞がためには喜助の態度が考へれば考へる程わからなくなるのである。 ―――――――――――――――― 暫くして、庄兵衞はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」 「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと氣遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衞の氣色を伺つた。 庄兵衞は自分が突然問を發した動機を明して、役目を離れた應對を求める分疏(いひわけ)をしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。實はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは隨分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに來て、一しよに舟に乘る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の樣子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一體お前はどう思つてゐるのだい。」 喜助はにつこり笑つた。「御親切に仰やつて下すつて、難有うございます。なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出來ます。しかしそれは世間で樂をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして參つたやうな苦みは、どこへ參つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖(す)む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい體ではございますが、つひぞ病氣をいたしたことがございませんから、島へ往つてから、どんなつらい爲事をしたつて、體を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目(てうもく)を戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を當てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、當時の掟であつた。 喜助は語を續いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。どこかで爲事(しごと)に取り附きたいと思つて、爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。それがお牢に這入つてからは、爲事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、お上に對して濟まない事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお牢を出る時に、此二百文を戴きましたのでございます。かうして相變らずお上の物を食べてゐて見ますれば、此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出來ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。島へ往つて見ますまでは、どんな爲事が出來るかわかりませんが、わたくしは此二百文を島でする爲事の本手にしようと樂しんでをります。」かう云つて、喜助は口を噤んだ。 庄兵衞は「うん、さうかい」とは云つたが、聞く事毎に餘り意表に出たので、これも暫く何も云ふことが出來ずに、考へ込んで默つてゐた。 庄兵衞は彼此初老に手の屆く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、儉約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寢卷しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が滿足する程手元を引き締めて暮して行くことが出來ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内證で里から金を持つて來て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふものを毛蟲のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衞は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つては、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を填(う)めて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。 庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ扶持米(ふちまい)を、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤(そろばん)の桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。 さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。 喜助は世間で爲事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出來るだけで滿足した。そこで牢に入つてからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ滿足を覺えたのである。 庄兵衞はいかに桁を違へて考へて見ても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知つた。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折々足らぬことがあるにしても、大抵出納が合つてゐる。手一ぱいの生活である。然るにそこに滿足を覺えたことは殆ど無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過してゐる。しかし心の奧には、かうして暮してゐて、ふいとお役が御免になつたらどうしよう、大病にでもなつたらどうしようと云ふ疑懼(ぎく)が潜んでゐて、折々妻が里方から金を取り出して來て穴填をしたことなどがわかると、此疑懼が意識の閾の上に頭を擡げて來るのである。 一體此懸隔はどうして生じて來るだらう。只上邊だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こつちにはあるからだと云つてしまへばそれまでである。しかしそれは※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)である。よしや自分が一人者であつたとしても、どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない。この根柢はもつと深い處にあるやうだと、庄兵衞は思つた。 庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた。 庄兵衞は今さらのやうに驚異の目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つて喜助を見た。此時庄兵衞は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光(がうくわう)がさすやうに思つた。 ―――――――――――――――― 庄兵衞は喜助の顏をまもりつつ又、「喜助さん」と呼び掛けた。今度は「さん」と云つたが、これは十分の意識を以て稱呼を改めたわけではない。其聲が我口から出て我耳に入るや否や、庄兵衞は此稱呼の不穩當なのに氣が附いたが、今さら既に出た詞を取り返すことも出來なかつた。 「はい」と答へた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ふらしく、おそる/\庄兵衞の氣色を覗つた。 庄兵衞は少し間の惡いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。」 喜助はひどく恐れ入つた樣子で、「かしこまりました」と云つて、小聲で話し出した。「どうも飛んだ心得違(こゝろえちがひ)で、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げやうがございませぬ。跡で思つて見ますと、どうしてあんな事が出來たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫(じえき)で亡くなりまして、弟と二人跡に殘りました。初は丁度軒下に生れた狗(いぬ)の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお惠下さいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を搜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、一しよにゐて、助け合つて働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しよに、西陣の織場に這入りまして、空引(そらびき)と云ふことをいたすことになりました。そのうち弟が病氣で働けなくなつたのでございます。其頃わたくし共は北山の掘立小屋同樣の所に寢起をいたして、紙屋川の橋を渡つて織場へ通つてをりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買つて歸ると、弟は待ち受けてゐて、わたくしを一人で稼がせては濟まない/\と申してをりました。或る日いつものやうに何心なく歸つて見ますと、弟は布團の上に突つ伏してゐまして、周圍は血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、手に持つてゐた竹の皮包や何かを、そこへおつぽり出して、傍へ往つて『どうした/\』と申しました。すると弟は眞蒼な顏の、兩方の頬から腮へ掛けて血に染つたのを擧げて、わたくしを見ましたが、物を言ふことが出來ませぬ。息をいたす度に、創口でひゆう/\と云ふ音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも樣子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と云つて、傍へ寄らうといたすと、弟は右の手を床に衝いて、少し體を起しました。左の手はしつかり腮の下の所を押へてゐますが、其指の間から黒血の固まりがはみ出してゐます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるやうにして口を利きました。やう/\物が言へるやうになつたのでございます。『濟まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない病氣だから、早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思つたのだ。笛を切つたら、すぐ死ねるだらうと思つたが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く/\と思つて、力一ぱい押し込むと、横へすべつてしまつた。刃は飜(こぼ)れはしなかつたやうだ。これを旨く拔いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して拔いてくれ』と云ふのでございます。弟が左の手を弛めるとそこから又息が漏ります。わたくしはなんと云はうにも、聲が出ませんので、默つて弟の咽の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持つて、横に笛を切つたが、それでは死に切れなかつたので、其儘剃刀を、刳るやうに深く突つ込んだものと見えます。柄がやつと二寸ばかり創口から出てゐます。わたくしはそれだけの事を見て、どうしようと云ふ思案も附かずに、弟の顏を見ました。弟はぢつとわたくしを見詰めてゐます。わたくしはやつとの事で、『待つてゐてくれ、お醫者を呼んで來るから』と申しました。弟は怨めしさうな目附をいたしましたが、又左の手で喉をしつかり押へて、『醫者がなんになる、あゝ苦しい、早く拔いてくれ、頼む』と云ふのでございます。わたくしは途方に暮れたやうな心持になつて、只弟の顏ばかり見てをります。こんな時は、不思議なもので、目が物を言ひます。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と云つて、さも怨めしさうにわたくしを見てゐます。わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐる/\廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷(や)めません。それに其目の怨めしさうなのが段々險しくなつて來て、とう/\敵の顏をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとう/\、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞(つ)くやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。此時わたくしの内から締めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆あさんが這入つて來ました。留守の間、弟に藥を飮ませたり何かしてくれるやうに、わたくしの頼んで置いた婆あさんなのでございます。もう大ぶ内のなかが暗くなつてゐましたから、わたくしには婆あさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆あさんはあつと云つた切、表口をあけ放しにして置いて驅け出してしまひました。わたくしは剃刀を拔く時、手早く拔かう、眞直に拔かうと云ふだけの用心はいたしましたが、どうも拔いた時の手應(てごたへ)は、今まで切れてゐなかつた所を切つたやうに思はれました。刃が外の方へ向ひてゐましたから、外の方が切れたのでございませう。わたくしは剃刀を握つた儘、婆あさんの這入つて來て又驅け出して行つたのを、ぼんやりして見てをりました。婆あさんが行つてしまつてから、氣が附いて弟を見ますと、弟はもう息が切れてをりました。創口からは大そうな血が出てをりました。それから年寄衆(としよりしゆう)がお出になつて、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいた儘死んでゐる弟の顏を見詰めてゐたのでございます。」 少し俯向き加減になつて庄兵衞の顏を下から見上げて話してゐた喜助は、かう云つてしまつて視線を膝の上に落した。 喜助の話は好く條理が立つてゐる。殆ど條理が立ち過ぎてゐると云つても好い位である。これは半年程の間、當時の事を幾度も思ひ浮べて見たのと、役場で問はれ、町奉行所で調べられる其度毎に、注意に注意を加へて浚つて見させられたのとのためである。 庄兵衞は其場の樣子を目のあたり見るやうな思ひをして聞いてゐたが、これが果して弟殺しと云ふものだらうか、人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、話を半分聞いた時から起つて來て、聞いてしまつても、其疑を解くことが出來なかつた。弟は剃刀を拔いてくれたら死なれるだらうから、拔いてくれと云つた。それを拔いて遣つて死なせたのだ、殺したのだとは云はれる。しかし其儘にして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であつたらしい。それが早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。 庄兵衞の心の中には、いろ/\に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。 次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。 (大正五年一月「中央公論」第三十一年第一號)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。 當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡(だうあく)な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。 さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書(くちがき)を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。 同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。 それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。 護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。 庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。 其日は暮方から風が歇(や)んで、空一面を蔽つた薄い雲が、月の輪廓をかすませ、やうやう近寄つて來る夏の温さが、兩岸の土からも、川床の土からも、靄になつて立ち昇るかと思はれる夜であつた。下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである。 夜舟で寢ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横にならうともせず、雲の濃淡に從つて、光の増したり減じたりする月を仰いで、默つてゐる。其額は晴やかで目には微かなかがやきがある。 庄兵衞はまともには見てゐぬが、始終喜助の顏から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。それは喜助の顏が縱から見ても、横から見ても、いかにも樂しさうで、若し役人に對する氣兼がなかつたなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌ひ出すとかしさうに思はれたからである。 庄兵衞は心の内に思つた。これまで此高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつも殆ど同じやうに、目も當てられぬ氣の毒な樣子をしてゐた。それに此男はどうしたのだらう。遊山船にでも乘つたやうな顏をしてゐる。罪は弟を殺したのださうだが、よしや其弟が惡い奴で、それをどんな行掛りになつて殺したにせよ、人の情として好い心持はせぬ筈である。この色の蒼い痩男が、その人の情と云ふものが全く缺けてゐる程の、世にも稀な惡人であらうか。どうもさうは思はれない。ひよつと氣でも狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合はぬ言語や擧動がない。此男はどうしたのだらう。庄兵衞がためには喜助の態度が考へれば考へる程わからなくなるのである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "暫くして、庄兵衞はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」 「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと氣遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衞の氣色を伺つた。 庄兵衞は自分が突然問を發した動機を明して、役目を離れた應對を求める分疏(いひわけ)をしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。實はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは隨分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに來て、一しよに舟に乘る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の樣子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一體お前はどう思つてゐるのだい。」 喜助はにつこり笑つた。「御親切に仰やつて下すつて、難有うございます。なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出來ます。しかしそれは世間で樂をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして參つたやうな苦みは、どこへ參つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖(す)む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい體ではございますが、つひぞ病氣をいたしたことがございませんから、島へ往つてから、どんなつらい爲事をしたつて、體を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目(てうもく)を戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を當てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、當時の掟であつた。 喜助は語を續いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。どこかで爲事(しごと)に取り附きたいと思つて、爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。それがお牢に這入つてからは、爲事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、お上に對して濟まない事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお牢を出る時に、此二百文を戴きましたのでございます。かうして相變らずお上の物を食べてゐて見ますれば、此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出來ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。島へ往つて見ますまでは、どんな爲事が出來るかわかりませんが、わたくしは此二百文を島でする爲事の本手にしようと樂しんでをります。」かう云つて、喜助は口を噤んだ。 庄兵衞は「うん、さうかい」とは云つたが、聞く事毎に餘り意表に出たので、これも暫く何も云ふことが出來ずに、考へ込んで默つてゐた。 庄兵衞は彼此初老に手の屆く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、儉約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寢卷しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が滿足する程手元を引き締めて暮して行くことが出來ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内證で里から金を持つて來て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふものを毛蟲のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衞は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つては、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を填(う)めて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。 庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ扶持米(ふちまい)を、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤(そろばん)の桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。 さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。 喜助は世間で爲事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出來るだけで滿足した。そこで牢に入つてからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ滿足を覺えたのである。 庄兵衞はいかに桁を違へて考へて見ても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知つた。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折々足らぬことがあるにしても、大抵出納が合つてゐる。手一ぱいの生活である。然るにそこに滿足を覺えたことは殆ど無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過してゐる。しかし心の奧には、かうして暮してゐて、ふいとお役が御免になつたらどうしよう、大病にでもなつたらどうしようと云ふ疑懼(ぎく)が潜んでゐて、折々妻が里方から金を取り出して來て穴填をしたことなどがわかると、此疑懼が意識の閾の上に頭を擡げて來るのである。 一體此懸隔はどうして生じて來るだらう。只上邊だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こつちにはあるからだと云つてしまへばそれまでである。しかしそれは※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)である。よしや自分が一人者であつたとしても、どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない。この根柢はもつと深い處にあるやうだと、庄兵衞は思つた。 庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた。 庄兵衞は今さらのやうに驚異の目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つて喜助を見た。此時庄兵衞は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光(がうくわう)がさすやうに思つた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "庄兵衞は喜助の顏をまもりつつ又、「喜助さん」と呼び掛けた。今度は「さん」と云つたが、これは十分の意識を以て稱呼を改めたわけではない。其聲が我口から出て我耳に入るや否や、庄兵衞は此稱呼の不穩當なのに氣が附いたが、今さら既に出た詞を取り返すことも出來なかつた。 「はい」と答へた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ふらしく、おそる/\\庄兵衞の氣色を覗つた。 庄兵衞は少し間の惡いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。」 喜助はひどく恐れ入つた樣子で、「かしこまりました」と云つて、小聲で話し出した。「どうも飛んだ心得違(こゝろえちがひ)で、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げやうがございませぬ。跡で思つて見ますと、どうしてあんな事が出來たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫(じえき)で亡くなりまして、弟と二人跡に殘りました。初は丁度軒下に生れた狗(いぬ)の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお惠下さいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を搜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、一しよにゐて、助け合つて働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しよに、西陣の織場に這入りまして、空引(そらびき)と云ふことをいたすことになりました。そのうち弟が病氣で働けなくなつたのでございます。其頃わたくし共は北山の掘立小屋同樣の所に寢起をいたして、紙屋川の橋を渡つて織場へ通つてをりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買つて歸ると、弟は待ち受けてゐて、わたくしを一人で稼がせては濟まない/\\と申してをりました。或る日いつものやうに何心なく歸つて見ますと、弟は布團の上に突つ伏してゐまして、周圍は血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、手に持つてゐた竹の皮包や何かを、そこへおつぽり出して、傍へ往つて『どうした/\\』と申しました。すると弟は眞蒼な顏の、兩方の頬から腮へ掛けて血に染つたのを擧げて、わたくしを見ましたが、物を言ふことが出來ませぬ。息をいたす度に、創口でひゆう/\\と云ふ音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも樣子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と云つて、傍へ寄らうといたすと、弟は右の手を床に衝いて、少し體を起しました。左の手はしつかり腮の下の所を押へてゐますが、其指の間から黒血の固まりがはみ出してゐます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるやうにして口を利きました。やう/\\物が言へるやうになつたのでございます。『濟まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない病氣だから、早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思つたのだ。笛を切つたら、すぐ死ねるだらうと思つたが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く/\\と思つて、力一ぱい押し込むと、横へすべつてしまつた。刃は飜(こぼ)れはしなかつたやうだ。これを旨く拔いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して拔いてくれ』と云ふのでございます。弟が左の手を弛めるとそこから又息が漏ります。わたくしはなんと云はうにも、聲が出ませんので、默つて弟の咽の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持つて、横に笛を切つたが、それでは死に切れなかつたので、其儘剃刀を、刳るやうに深く突つ込んだものと見えます。柄がやつと二寸ばかり創口から出てゐます。わたくしはそれだけの事を見て、どうしようと云ふ思案も附かずに、弟の顏を見ました。弟はぢつとわたくしを見詰めてゐます。わたくしはやつとの事で、『待つてゐてくれ、お醫者を呼んで來るから』と申しました。弟は怨めしさうな目附をいたしましたが、又左の手で喉をしつかり押へて、『醫者がなんになる、あゝ苦しい、早く拔いてくれ、頼む』と云ふのでございます。わたくしは途方に暮れたやうな心持になつて、只弟の顏ばかり見てをります。こんな時は、不思議なもので、目が物を言ひます。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と云つて、さも怨めしさうにわたくしを見てゐます。わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐる/\\廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷(や)めません。それに其目の怨めしさうなのが段々險しくなつて來て、とう/\\敵の顏をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとう/\\、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞(つ)くやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。此時わたくしの内から締めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆あさんが這入つて來ました。留守の間、弟に藥を飮ませたり何かしてくれるやうに、わたくしの頼んで置いた婆あさんなのでございます。もう大ぶ内のなかが暗くなつてゐましたから、わたくしには婆あさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆あさんはあつと云つた切、表口をあけ放しにして置いて驅け出してしまひました。わたくしは剃刀を拔く時、手早く拔かう、眞直に拔かうと云ふだけの用心はいたしましたが、どうも拔いた時の手應(てごたへ)は、今まで切れてゐなかつた所を切つたやうに思はれました。刃が外の方へ向ひてゐましたから、外の方が切れたのでございませう。わたくしは剃刀を握つた儘、婆あさんの這入つて來て又驅け出して行つたのを、ぼんやりして見てをりました。婆あさんが行つてしまつてから、氣が附いて弟を見ますと、弟はもう息が切れてをりました。創口からは大そうな血が出てをりました。それから年寄衆(としよりしゆう)がお出になつて、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいた儘死んでゐる弟の顏を見詰めてゐたのでございます。」 少し俯向き加減になつて庄兵衞の顏を下から見上げて話してゐた喜助は、かう云つてしまつて視線を膝の上に落した。 喜助の話は好く條理が立つてゐる。殆ど條理が立ち過ぎてゐると云つても好い位である。これは半年程の間、當時の事を幾度も思ひ浮べて見たのと、役場で問はれ、町奉行所で調べられる其度毎に、注意に注意を加へて浚つて見させられたのとのためである。 庄兵衞は其場の樣子を目のあたり見るやうな思ひをして聞いてゐたが、これが果して弟殺しと云ふものだらうか、人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、話を半分聞いた時から起つて來て、聞いてしまつても、其疑を解くことが出來なかつた。弟は剃刀を拔いてくれたら死なれるだらうから、拔いてくれと云つた。それを拔いて遣つて死なせたのだ、殺したのだとは云はれる。しかし其儘にして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であつたらしい。それが早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。 庄兵衞の心の中には、いろ/\\に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。 次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。 (大正五年一月「中央公論」第三十一年第一號)", "title": "本文" } ]
null
== 本文 ==  高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。  當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡(だうあく)な人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科(とが)を犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。  さう云ふ罪人を載せて、入相(いりあひ)の鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族(けんぞく)の悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲(しらす)で、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書(くちがき)を讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。  同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。  そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。      ――――――――――――――――  いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。  それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。  護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。  庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。  其日は暮方から風が歇(や)んで、空一面を蔽つた薄い雲が、月の輪廓をかすませ、やうやう近寄つて來る夏の温さが、兩岸の土からも、川床の土からも、靄になつて立ち昇るかと思はれる夜であつた。下京の町を離れて、加茂川を横ぎつた頃からは、あたりがひつそりとして、只舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである。  夜舟で寢ることは、罪人にも許されてゐるのに、喜助は横にならうともせず、雲の濃淡に從つて、光の増したり減じたりする月を仰いで、默つてゐる。其額は晴やかで目には微かなかがやきがある。  庄兵衞はまともには見てゐぬが、始終喜助の顏から目を離さずにゐる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返してゐる。それは喜助の顏が縱から見ても、横から見ても、いかにも樂しさうで、若し役人に對する氣兼がなかつたなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌ひ出すとかしさうに思はれたからである。  庄兵衞は心の内に思つた。これまで此高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せて行く罪人は、いつも殆ど同じやうに、目も當てられぬ氣の毒な樣子をしてゐた。それに此男はどうしたのだらう。遊山船にでも乘つたやうな顏をしてゐる。罪は弟を殺したのださうだが、よしや其弟が惡い奴で、それをどんな行掛りになつて殺したにせよ、人の情として好い心持はせぬ筈である。この色の蒼い痩男が、その人の情と云ふものが全く缺けてゐる程の、世にも稀な惡人であらうか。どうもさうは思はれない。ひよつと氣でも狂つてゐるのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つ辻褄の合はぬ言語や擧動がない。此男はどうしたのだらう。庄兵衞がためには喜助の態度が考へれば考へる程わからなくなるのである。      ――――――――――――――――  暫くして、庄兵衞はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」 「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと氣遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衞の氣色を伺つた。  庄兵衞は自分が突然問を發した動機を明して、役目を離れた應對を求める分疏(いひわけ)をしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。實はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは隨分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに來て、一しよに舟に乘る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の樣子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一體お前はどう思つてゐるのだい。」  喜助はにつこり笑つた。「御親切に仰やつて下すつて、難有うございます。なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出來ます。しかしそれは世間で樂をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして參つたやうな苦みは、どこへ參つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖(す)む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。それにわたくしはこんなにかよわい體ではございますが、つひぞ病氣をいたしたことがございませんから、島へ往つてから、どんなつらい爲事をしたつて、體を痛めるやうなことはあるまいと存じます。それからこん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目(てうもく)を戴きました。それをここに持つてをります。」かう云ひ掛けて、喜助は胸に手を當てた。遠島を仰せ附けられるものには、鳥目二百銅を遣すと云ふのは、當時の掟であつた。  喜助は語を續いだ。「お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。どこかで爲事(しごと)に取り附きたいと思つて、爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。それがお牢に這入つてからは、爲事をせずに食べさせて戴きます。わたくしはそればかりでも、お上に對して濟まない事をいたしてゐるやうでなりませぬ。それにお牢を出る時に、此二百文を戴きましたのでございます。かうして相變らずお上の物を食べてゐて見ますれば、此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出來ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。島へ往つて見ますまでは、どんな爲事が出來るかわかりませんが、わたくしは此二百文を島でする爲事の本手にしようと樂しんでをります。」かう云つて、喜助は口を噤んだ。  庄兵衞は「うん、さうかい」とは云つたが、聞く事毎に餘り意表に出たので、これも暫く何も云ふことが出來ずに、考へ込んで默つてゐた。  庄兵衞は彼此初老に手の屆く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、儉約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寢卷しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が滿足する程手元を引き締めて暮して行くことが出來ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内證で里から金を持つて來て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふものを毛蟲のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衞は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つては、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を填(う)めて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。  庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ扶持米(ふちまい)を、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤(そろばん)の桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。  さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。  喜助は世間で爲事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出來るだけで滿足した。そこで牢に入つてからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ滿足を覺えたのである。  庄兵衞はいかに桁を違へて考へて見ても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知つた。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折々足らぬことがあるにしても、大抵出納が合つてゐる。手一ぱいの生活である。然るにそこに滿足を覺えたことは殆ど無い。常は幸とも不幸とも感ぜずに過してゐる。しかし心の奧には、かうして暮してゐて、ふいとお役が御免になつたらどうしよう、大病にでもなつたらどうしようと云ふ疑懼(ぎく)が潜んでゐて、折々妻が里方から金を取り出して來て穴填をしたことなどがわかると、此疑懼が意識の閾の上に頭を擡げて來るのである。  一體此懸隔はどうして生じて來るだらう。只上邊だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こつちにはあるからだと云つてしまへばそれまでである。しかしそれは※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)である。よしや自分が一人者であつたとしても、どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない。この根柢はもつと深い處にあるやうだと、庄兵衞は思つた。  庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた。  庄兵衞は今さらのやうに驚異の目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つて喜助を見た。此時庄兵衞は空を仰いでゐる喜助の頭から毫光(がうくわう)がさすやうに思つた。      ――――――――――――――――  庄兵衞は喜助の顏をまもりつつ又、「喜助さん」と呼び掛けた。今度は「さん」と云つたが、これは十分の意識を以て稱呼を改めたわけではない。其聲が我口から出て我耳に入るや否や、庄兵衞は此稱呼の不穩當なのに氣が附いたが、今さら既に出た詞を取り返すことも出來なかつた。 「はい」と答へた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思ふらしく、おそる/\庄兵衞の氣色を覗つた。  庄兵衞は少し間の惡いのをこらへて云つた。「色々の事を聞くやうだが、お前が今度島へ遣られるのは、人をあやめたからだと云ふ事だ。己に序にそのわけを話して聞せてくれぬか。」  喜助はひどく恐れ入つた樣子で、「かしこまりました」と云つて、小聲で話し出した。「どうも飛んだ心得違(こゝろえちがひ)で、恐ろしい事をいたしまして、なんとも申し上げやうがございませぬ。跡で思つて見ますと、どうしてあんな事が出來たかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫(じえき)で亡くなりまして、弟と二人跡に殘りました。初は丁度軒下に生れた狗(いぬ)の子にふびんを掛けるやうに町内の人達がお惠下さいますので、近所中の走使などをいたして、飢ゑ凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を搜しますにも、なるたけ二人が離れないやうにいたして、一しよにゐて、助け合つて働きました。去年の秋の事でございます。わたくしは弟と一しよに、西陣の織場に這入りまして、空引(そらびき)と云ふことをいたすことになりました。そのうち弟が病氣で働けなくなつたのでございます。其頃わたくし共は北山の掘立小屋同樣の所に寢起をいたして、紙屋川の橋を渡つて織場へ通つてをりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買つて歸ると、弟は待ち受けてゐて、わたくしを一人で稼がせては濟まない/\と申してをりました。或る日いつものやうに何心なく歸つて見ますと、弟は布團の上に突つ伏してゐまして、周圍は血だらけなのでございます。わたくしはびつくりいたして、手に持つてゐた竹の皮包や何かを、そこへおつぽり出して、傍へ往つて『どうした/\』と申しました。すると弟は眞蒼な顏の、兩方の頬から腮へ掛けて血に染つたのを擧げて、わたくしを見ましたが、物を言ふことが出來ませぬ。息をいたす度に、創口でひゆう/\と云ふ音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも樣子がわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と云つて、傍へ寄らうといたすと、弟は右の手を床に衝いて、少し體を起しました。左の手はしつかり腮の下の所を押へてゐますが、其指の間から黒血の固まりがはみ出してゐます。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるやうにして口を利きました。やう/\物が言へるやうになつたのでございます。『濟まない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなほりさうにもない病氣だから、早く死んで少しでも兄きに樂がさせたいと思つたのだ。笛を切つたら、すぐ死ねるだらうと思つたが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く/\と思つて、力一ぱい押し込むと、横へすべつてしまつた。刃は飜(こぼ)れはしなかつたやうだ。これを旨く拔いてくれたら己は死ねるだらうと思つてゐる。物を言ふのがせつなくつて可けない。どうぞ手を借して拔いてくれ』と云ふのでございます。弟が左の手を弛めるとそこから又息が漏ります。わたくしはなんと云はうにも、聲が出ませんので、默つて弟の咽の創を覗いて見ますと、なんでも右の手に剃刀を持つて、横に笛を切つたが、それでは死に切れなかつたので、其儘剃刀を、刳るやうに深く突つ込んだものと見えます。柄がやつと二寸ばかり創口から出てゐます。わたくしはそれだけの事を見て、どうしようと云ふ思案も附かずに、弟の顏を見ました。弟はぢつとわたくしを見詰めてゐます。わたくしはやつとの事で、『待つてゐてくれ、お醫者を呼んで來るから』と申しました。弟は怨めしさうな目附をいたしましたが、又左の手で喉をしつかり押へて、『醫者がなんになる、あゝ苦しい、早く拔いてくれ、頼む』と云ふのでございます。わたくしは途方に暮れたやうな心持になつて、只弟の顏ばかり見てをります。こんな時は、不思議なもので、目が物を言ひます。弟の目は『早くしろ、早くしろ』と云つて、さも怨めしさうにわたくしを見てゐます。わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐる/\廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷(や)めません。それに其目の怨めしさうなのが段々險しくなつて來て、とう/\敵の顏をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとう/\、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞(つ)くやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。此時わたくしの内から締めて置いた表口の戸をあけて、近所の婆あさんが這入つて來ました。留守の間、弟に藥を飮ませたり何かしてくれるやうに、わたくしの頼んで置いた婆あさんなのでございます。もう大ぶ内のなかが暗くなつてゐましたから、わたくしには婆あさんがどれだけの事を見たのだかわかりませんでしたが、婆あさんはあつと云つた切、表口をあけ放しにして置いて驅け出してしまひました。わたくしは剃刀を拔く時、手早く拔かう、眞直に拔かうと云ふだけの用心はいたしましたが、どうも拔いた時の手應(てごたへ)は、今まで切れてゐなかつた所を切つたやうに思はれました。刃が外の方へ向ひてゐましたから、外の方が切れたのでございませう。わたくしは剃刀を握つた儘、婆あさんの這入つて來て又驅け出して行つたのを、ぼんやりして見てをりました。婆あさんが行つてしまつてから、氣が附いて弟を見ますと、弟はもう息が切れてをりました。創口からは大そうな血が出てをりました。それから年寄衆(としよりしゆう)がお出になつて、役場へ連れて行かれますまで、わたくしは剃刀を傍に置いて、目を半分あいた儘死んでゐる弟の顏を見詰めてゐたのでございます。」  少し俯向き加減になつて庄兵衞の顏を下から見上げて話してゐた喜助は、かう云つてしまつて視線を膝の上に落した。  喜助の話は好く條理が立つてゐる。殆ど條理が立ち過ぎてゐると云つても好い位である。これは半年程の間、當時の事を幾度も思ひ浮べて見たのと、役場で問はれ、町奉行所で調べられる其度毎に、注意に注意を加へて浚つて見させられたのとのためである。  庄兵衞は其場の樣子を目のあたり見るやうな思ひをして聞いてゐたが、これが果して弟殺しと云ふものだらうか、人殺しと云ふものだらうかと云ふ疑が、話を半分聞いた時から起つて來て、聞いてしまつても、其疑を解くことが出來なかつた。弟は剃刀を拔いてくれたら死なれるだらうから、拔いてくれと云つた。それを拔いて遣つて死なせたのだ、殺したのだとは云はれる。しかし其儘にして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であつたらしい。それが早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。  庄兵衞の心の中には、いろ/\に考へて見た末に、自分より上のものの判斷に任す外ないと云ふ念、オオトリテエに從ふ外ないと云ふ念が生じた。庄兵衞はお奉行樣の判斷を、其儘自分の判斷にしようと思つたのである。さうは思つても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが殘つてゐるので、なんだかお奉行樣に聞いて見たくてならなかつた。  次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべつて行つた。 (大正五年一月「中央公論」第三十一年第一號) == 出典 == 青空文庫より 初出:「中央公論 第三十一年第一號」    1916(大正5)年1月 [[Category:中学校国語|けんたいふん たかせふね]]
null
2015-09-20T09:52:27Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E9%AB%98%E7%80%AC%E8%88%9F
19,521
中学校国語 漢文/春望
国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり) 城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし) 時に感じては 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじては はなにもなみだをそそぎ) 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす) 烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり) 家書 万金に抵たる (かしょ ばんきんにあたる) 白頭掻けば 更に短く (はくとうかけば さらにみじかく) 渾て簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす) 国の都の長安は戦争で破壊されてしまったが、自然の姿は昔のままである。 町にも春が来て、草木は深く生い茂っている。 このような戦乱の時世を思えば、花を見ても涙が落ちる。 家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。 戦乱ののろし火は、もう何ヶ月も続いていて、家族からの手紙は万金にも値(「あたい」)する(ほど貴重である)。 (悲しみのあまり頭を掻いて)白髪頭を掻けば、(髪が抜けるので)髪は更に薄くなって、簪(かんざし)も挿せなく(させなく)なりそうだ。 四句からなる詩を絶句(ぜっく)といい、八句からなる詩を律詩(りっし)という。 『春望』の形式は律詩。(八句からなるので。) 律詩のうち、一句の字数が五字のものを五言律詩(ごごんりっし)といい、一句の字数が七字のものを七言律詩(しちごんりっし)という。 『春望』の形式は五言律詩。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "時に感じては 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじては はなにもなみだをそそぎ)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "家書 万金に抵たる (かしょ ばんきんにあたる)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "白頭掻けば 更に短く (はくとうかけば さらにみじかく)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "渾て簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "国の都の長安は戦争で破壊されてしまったが、自然の姿は昔のままである。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "町にも春が来て、草木は深く生い茂っている。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "このような戦乱の時世を思えば、花を見ても涙が落ちる。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "戦乱ののろし火は、もう何ヶ月も続いていて、家族からの手紙は万金にも値(「あたい」)する(ほど貴重である)。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "(悲しみのあまり頭を掻いて)白髪頭を掻けば、(髪が抜けるので)髪は更に薄くなって、簪(かんざし)も挿せなく(させなく)なりそうだ。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "四句からなる詩を絶句(ぜっく)といい、八句からなる詩を律詩(りっし)という。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "『春望』の形式は律詩。(八句からなるので。)", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "律詩のうち、一句の字数が五字のものを五言律詩(ごごんりっし)といい、一句の字数が七字のものを七言律詩(しちごんりっし)という。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『春望』の形式は五言律詩。", "title": "形式" } ]
null
== 本文 == [[File:春望.svg|600px|漢文『春望』]] == 書き下し文 == 国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり) 城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし) 時に感じては 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじては はなにもなみだをそそぎ) 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす) 烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり) 家書 万金に抵たる (かしょ ばんきんにあたる) 白頭掻けば 更に短く (はくとうかけば さらにみじかく) 渾て簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす) == 口語訳 == 国の都の長安は戦争で破壊されてしまったが、自然の姿は昔のままである。 町にも春が来て、草木は深く生い茂っている。 このような戦乱の時世を思えば、花を見ても涙が落ちる。 家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。 戦乱ののろし火は、もう何ヶ月も続いていて、家族からの手紙は万金にも値(「あたい」)する(ほど貴重である)。 (悲しみのあまり頭を掻いて)白髪頭を掻けば、(髪が抜けるので)髪は更に薄くなって、簪(かんざし)も挿せなく(させなく)なりそうだ。 *語注など :春望 ・・・ 春の眺め(ながめ)。 :城 ・・・ 城壁で囲まれた都市。この作品では長安のこと。 :簪(しん) ・・・ かんむりをとめるピンのこと。 == 形式 == 四句からなる詩を'''絶句'''(ぜっく)といい、八句からなる詩を'''律詩'''(りっし)という。 『春望』の形式は律詩。(八句からなるので。) 律詩のうち、一句の字数が五字のものを'''五言律詩'''(ごごんりっし)といい、一句の字数が七字のものを'''七言律詩'''(しちごんりっし)という。 『春望』の形式は五言律詩。 [[Category:中学校国語|かんふん しゆんほう]] [[カテゴリ:漢文]]
2014-10-14T00:39:17Z
2023-12-10T09:12:41Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E6%98%A5%E6%9C%9B
19,522
中学校国語 漢文/黄鶴楼にて孟浩然の 広陵に之くを送る
黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然(もうこうねん)の 広陵(こうりょう)に之く(ゆく)を送る 故人(こじん)西のかた、黄鶴楼(こうかくろう)を辞(じ)し 煙花(えんか)三月(さんがつ)揚州(ようしゅう)に下(くだ)る 孤帆(こはん)の遠影(えんえい)、碧空(へきくう)に尽(つ)き 唯だ(ただ)見る長江(ちょうこう)の天際(てんさい)に流るる(ながるる)を 古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼(こうかくろう)に別れを告げ、 花が咲き春の霞が立つ三月に、揚州へと(長江を)下っていった。 遠くに見える(友が乗っている)一そうの舟の帆も、青空に消えそうになり、 ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。 七言絶句
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然(もうこうねん)の 広陵(こうりょう)に之く(ゆく)を送る", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "故人(こじん)西のかた、黄鶴楼(こうかくろう)を辞(じ)し", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "煙花(えんか)三月(さんがつ)揚州(ようしゅう)に下(くだ)る", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "孤帆(こはん)の遠影(えんえい)、碧空(へきくう)に尽(つ)き", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "唯だ(ただ)見る長江(ちょうこう)の天際(てんさい)に流るる(ながるる)を", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼(こうかくろう)に別れを告げ、", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "花が咲き春の霞が立つ三月に、揚州へと(長江を)下っていった。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "遠くに見える(友が乗っている)一そうの舟の帆も、青空に消えそうになり、", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "七言絶句", "title": "形式" } ]
黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然(もうこうねん)の 広陵(こうりょう)に之く(ゆく)を送る
[[File:黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 返り点.svg|400px|left|漢文『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』。返り点。]] 黄鶴楼(こうかくろう)にて孟浩然(もうこうねん)の 広陵(こうりょう)に之く(ゆく)を送る ::作者の李白(りはく)は唐の詩人。詩仙とも呼ばれていた。 == 書き下し文 == 故人(こじん)西のかた、黄鶴楼(こうかくろう)を辞(じ)し 煙花(えんか)三月(さんがつ)揚州(ようしゅう)に下(くだ)る 孤帆(こはん)の遠影(えんえい)、碧空(へきくう)に尽(つ)き 唯だ(ただ)見る長江(ちょうこう)の天際(てんさい)に流るる(ながるる)を == 口語訳 == 古くからの友人(孟浩然)は、西にある黄鶴楼(こうかくろう)に別れを告げ、 花が咲き春の霞が立つ三月に、揚州へと(長江を)下っていった。 遠くに見える(友が乗っている)一そうの舟の帆も、青空に消えそうになり、 ただ、長江が天の果てまで流れていくのを見るばかりである。 {{-}} *語注など [[File:Yellow_Crane_Tower,_2013_photo.jpg|right|200px|thumb|黄鶴楼(復元)]] :故人(こじん) ・・・ 古くからの友人。ここでは孟浩然(もうこうねん)のこと。 :黄鶴楼(こうかくろう) ・・・ 長江の岸にあった高楼。現在の湖北省(こほくしょう、フーペイしょう)武漢(ぶかん、ウーハン)にあった。 :孟浩然(もうこうねん) ・・・ 唐の時代の詩人の一人。(六八九年 ~ 七四〇年) :広陵(こうりょう) ・・・ 揚州(ようしゅう)のこと。現在の江蘇省(こうそしょう、チャンスーしょう)揚州(ようしゅう、ヤンチョウ)。 == 形式 == 七言絶句 [[Category:中学校国語|かんふん こうかくりようにてもうこうせんの こうりようにゆくをおくる]]
2014-10-14T00:40:32Z
2024-02-13T16:37:35Z
[ "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E9%BB%84%E9%B6%B4%E6%A5%BC%E3%81%AB%E3%81%A6%E5%AD%9F%E6%B5%A9%E7%84%B6%E3%81%AE_%E5%BA%83%E9%99%B5%E3%81%AB%E4%B9%8B%E3%81%8F%E3%82%92%E9%80%81%E3%82%8B
19,523
中学校国語 漢文/絶句
江(こう)は 碧(みどり)にして 鳥(とり)は 逾々(いよいよ)白(しろ)く 山(やま)は 青(あお)くして 花(はな)は 然えん(もえん)と欲す(ほっす) 今春(こんしゅん) 看(みすみす) 又(また)過(す)ぐ 何(いず)れの日(ひ)か 是(こ)れ 帰年(きねん)ならん
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "江(こう)は 碧(みどり)にして 鳥(とり)は 逾々(いよいよ)白(しろ)く", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "山(やま)は 青(あお)くして 花(はな)は 然えん(もえん)と欲す(ほっす)", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "今春(こんしゅん) 看(みすみす) 又(また)過(す)ぐ", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "何(いず)れの日(ひ)か 是(こ)れ 帰年(きねん)ならん", "title": "書き下し文" } ]
null
[[File:絶句 返り点.svg|400px|漢文『絶句』。返り点。]] == 書き下し文 == 江(こう)は 碧(みどり)にして 鳥(とり)は 逾々(いよいよ)白(しろ)く 山(やま)は 青(あお)くして 花(はな)は 然えん(もえん)と欲す(ほっす) 今春(こんしゅん) 看(みすみす) 又(また)過(す)ぐ 何(いず)れの日(ひ)か 是(こ)れ 帰年(きねん)ならん [[Category:中学校国語|かんふん せつく]]
null
2023-01-12T04:52:24Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E7%B5%B6%E5%8F%A5
19,524
中学校国語 漢文/春暁
春眠不覚暁 春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、 処処聞啼鳥 処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、 夜来風雨声 夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、 花落知多少 花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。 漢文(かんぶん)とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。 四句からなる詩を絶句(ぜっく)といい、八句からなる詩を律詩(りっし)という。 絶句のうち、一句の字数が五字のものを五言絶句(ごごんぜっく)といい、一句の字数が七字のものを七言絶句(しちごんぜっく)という。 一句の字数は五字で四句からなるので、『春暁』の形式は五言絶句である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "春眠不覚暁 春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "処処聞啼鳥 処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "夜来風雨声 夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "花落知多少 花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "漢文(かんぶん)とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。", "title": "" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "四句からなる詩を絶句(ぜっく)といい、八句からなる詩を律詩(りっし)という。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "絶句のうち、一句の字数が五字のものを五言絶句(ごごんぜっく)といい、一句の字数が七字のものを七言絶句(しちごんぜっく)という。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "一句の字数は五字で四句からなるので、『春暁』の形式は五言絶句である。", "title": "形式" } ]
春眠不覚暁   春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、 処処聞啼鳥   処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、 夜来風雨声   夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、 花落知多少   花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。
[[File:春暁 返り点.svg|400px|漢文『春暁』。返り点。]] :<big>'''春暁'''</big>(しゅんぎょう)      <big>'''孟浩然'''</big>(もう こうねん) <big>'''春眠不覚暁'''</big>   春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、 <big>'''処処聞啼鳥'''</big>   処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、 <big>'''夜来風雨声'''</big>   夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、 <big>'''花落知多少'''</big>   花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。 === 解説 === 漢文(かんぶん)とは、昔の中国の文章。漢文の原文は、漢字のみ。しかし、漢字だけでは、われわれ日本人が読みづらいので、古くから日本では、送り仮名をつけて読んでいた。「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、」といった読み方は日本での読み方であり、べつに中国人が、こう読んでいるわけではない。また、日本語での語順と、漢文の語順はちがっている。文法が、中国語と日本語ではちがうので、語順がちがってくるのである。 == 形式 == 四句からなる詩を'''絶句'''(ぜっく)といい、八句からなる詩を'''律詩'''(りっし)という。 絶句のうち、一句の字数が五字のものを'''五言絶句'''(ごごんぜっく)といい、一句の字数が七字のものを'''七言絶句'''(しちごんぜっく)という。 一句の字数は五字で四句からなるので、『春暁』の形式は五言絶句である。 [[Category:中学校国語|かんふん しゆんきよう]] [[カテゴリ:漢文]]
null
2022-11-26T11:11:27Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E6%98%A5%E6%9A%81
19,525
学習方法/高校受験/国語
参考書を良く読んで、市販のドリル、ワークブック、問題集を練習、学習するのが有効です。そして、語句や漢字などの書き取り練習も有効でしょう。 読書よりも、むしろ、素朴な訓練、書き取り練習のほうが、試験結果に直結し、効果的な学習になるだろう。 語句や漢字の書き取り対策には、ノートに漢字を何回か反復的に書いて、記憶を定着させる方法が有効です。 また、読書をするなら、小説を読むよりも、平均的な国語参考書にある例文を読んでしまうほうが効率的である。 まず、高校入試の出題文は物語文だけではありません。 説明文の出題分野も、特定の分野にかたよらず、色々な範囲から狙われます。 文法(現代文法、古語文法)なども出題範囲ですが、現代文法は問題にしづらいのが悩みどころです。深入りしないようにしましょう。 現代文法は、標準的な参考書などにある用語などを覚えれば十分だと思います。 中学国語では、習字や硬筆などの書写を習いますが、これらは普通の高校入試には出ません。 大学入試でも習字や硬筆書写は出題されません。 高校の国語では、習字や硬筆書写は、国語では学習課題には採用されていません。(高校では、習字は「芸術」教科の選択科目「書道」に移ります。) 大学入試の国公立の2次試験や私大受験の国語では、「小論文」と言って1ページ~2ページくらいの長文が紹介されて、受験生の意見を長文で書かせるジャンルがあります。しかし高校受験では、採点の手間があるので小論文は出題されないと思います。 大学入試でも、新・共通試験(かつてのセンター試験)では小論文は出ません。国公立受験の場合、小論文は、大学ごとの二次試験でしか出ませんでした。 よって、各都道府県の共通の公立高校入試でも、小論文は出ないはずです。 原理的には私立高校入試でなら小論文は出せますが、しかし実際の過去問を見ると、高校入試の段階では私立でも小論文は出していません。小論文の過去問を見かけません。 物語を自分で作ったりとか、劇を作ったりとか、そういうのは公立入試では出ないはずです。 原理的には私立では出せますが、しかし過去問集では見かけません。 歌舞伎(かぶき)、浄瑠璃(じょうるり)といったジャンルの紹介など、国語資料集などにもありますが、個々の作品は入試では出ません。 そもそも、文章として出題のしようがありません。 基本的に高校入試は、印刷された問題と、せいぜい、聞き取り問題などで放送される問題があるだけです。 高校入試の場合、多くの入試問題で、語句などを書かせる問題があるからである。その問題の解答の際、漢字が間違っていたら減点または不正解になる。 よって、書き取りの練習が必要である。 漢字書き取り練習は、小学校でもそれ以降でもやっていたでしょうが、1語当たり、数回~10回ほど繰り返して書くのがいいでしょう。漢字は読むだけならできるという事があるでしょうが、やはり自分自身の手で書けるという事は重要です。自分で書ける時はたいてい読むことができますので。 ドリルなどで読みを出題された漢字でも、あまり難しくない、難読ではない漢字は、書き取り練習もしておくといい。 ことわざ、故事成語、熟語は、読んで意味を理解するだけではなく、実際に自分で鉛筆を持って書き取りして、その言葉を行為して練習してみましょう。 学校や塾で漢字や語句の書き取りテストがある時は、その課題について予習復習、練習をしておくといいでしょう。 高校入試でも、大学入試でも文学史は出題されますが、これもただ参考書や各種資料を読むだけではなく、念のため一度でいいので書き取りをして、ノートに鉛筆で作品名や作者名を実際に書いて、書き取り練習として学習すると効果的でしょう。 あまり難しいことわざは出ない。普通の参考書に書いてある、標準的なことわざを習得していれば十分である。故事成語なども同様。 書き取りは文章というよりは語句を繰り返し書けば十分である。「漢字」「故事成語」「熟語」「ことわざ」「語彙」「外来語」などの重要語句を書く。他の教科でも、語句を覚えるときは、繰り返し書く書き取り練習が効果的です。 入試問題の現代語や国語の長文としても、教科書で使用された文章がそのまま使われることはない。ほとんどの場合、初見の文章に関する課題を解くことになる。市販の過去問集で確認できる。公立高校入試も、私立高校入試も、長文は基本的には教科書にはない初見の文章である、 このため、学校で習う現代文しか読んでこないと、やや国語力が不足します。 かといって、小説などを読み漁る必要もありません。 普通に参考書を読み、普通に問題練習を欠かさずにすれば十分です。 国語の入試問題では、ヤングアダルト文庫などは基本的に出ません。つまり、わざわざ中学生むけに書き下ろした作品などは出題しません(なので、岩波ヤングアダルト文庫などは受験対策としては読まなくていいのが普通)。 出題される文章のレベルは基本的に、子供向けではなく、大人たちの読んでいる本のうち、高校生に分かりやそうな部分だけを抜粋して紹介して出題したりします。 岩波ヤングアダルト文庫などを、社会科などの自由研究の手段と思って読むぶんには構いませんが、しかしそれは受験国語の傾向とは違います。 同様、朝日小学生新聞なども、まず出ません。というか基本、新聞は高校入試に出ません。新聞のように政治などの価値判断が分かれる文章は、高校受験レベルの国公立の入試などでは出しづらいのです(私立はどうか知りませんが、あまり新聞の出題を見かけません)。 さて、読解問題で、中学レベルを大幅に越えた単語などがある場合はヒントの注釈などが追記される場合もあります。しかし、参考書などにあるような単語は、いちいち注釈がつきません。 このため、市販の参考書などにある読解のための語彙は、きちんと習得しておきましょう。 さて、読解の練習は、塾などで長文を何作も抜粋して多く読まされる場合には、とりあえず、特に問題ありません。 もし塾に通っておらず、そういう読解を勉強していない場合、単純に読んできた教育的な文章の量が、学校の授業だけでは不足していますので、市販の高校受験レベルの平均的な国語問題集などでよいので、問題集に書いてある国語の長文をまず十数本ぐらいは読んでください。 この段階では、設問を解かずとも、長文を読んでおおよその意味を把握した上で、もし分からない単語があれば辞書で確認するだけでも、十分に効果的でしょう。長文を読むだけでなく、きちんと現代語の国語辞典で確認しましょう。 この際に使う辞書は、標準的な片手で運べるサイズの国語辞典で構いません。広辞苑は不要です。広辞苑などの大型の辞書を読まないと載っていない単語を問うのは、そもそも高校入試や大学入試としては不適切です。もし長文でふつうのサイズの辞書にない単語があっても、注釈があるでしょう。仮にそのような難単語が注釈なしで出題されても、どうせ他の受験生も解けないので、気にする必要はないです。 もし分からない単語があった場合に、普段の学習では、「前後の文脈から単語の意味を判断しよう」とかの手法は不要です。もし分からない単語があった場合、普通に片手サイズの国語辞典を引いたほうが、普段の学習としては早いです。 よほどの難しい単語の場合、そもそも注釈がついているはずです。また、この注釈が必要なので、なので長文読解の練習では、市販の小説などではなく、高校受験生むけの問題集や過去問などを使う必要があります。 とはいえ、長文を読むたびに毎回辞書を当たるのも非効率なので、ある程度の文章量を読んだら(大体、問題集で数十ページぶんでしょうか)、そこで参考書にある用語集の勉強に切り替えるのがよいでしょう。 長文の実際の読解をしないで、単語だけ用語集でイキナリ覚えようとしても、なかなか頭に入りません。なので、まず先に、ある程度の作品数の長文を読んでおく必要があるのです。 読者が日本の小中の義務教育を受けており、小学時代から参考書なども5教科とも全部読むのを中学でも続けていれば、とりあえず、それ以上は単語の学習には深入りする必要は無いでしょう。 そこまで勉強した上で高校入試で分からない単語があっても、おそらく他の受験生もその単語を分からないはずです。 中学卒業までに習うはずの理科や社会科や数学などの用語も知ってて当然だという前提で、長文は出題される。いちいち設問としては理科用語などの意味を問うような問題は出されないと思いますが、しかし長文問題などで小学校レベルの用語はふつうに注釈なしで本文中で使われます。 なので、もし読者が私立高校の志望者で国・数・英の3教科しか受験しない場合でも(私立の入試科目は国数英の3教科が一般的)、とりあえずは理科や社会も夏ごろに一通りは参考書で勉強する必要がある。(いちいち小学生むけの参考書に戻る必要はありません。) 理科や社会で習うはずの用語については、標準的な高校受験むけの参考書にある用語を押さえておけば、高校受験の国語の対策としては、もう充分である。 小学生むけの恐竜図鑑とかそういう参考書にない書籍でしか紹介されない用語は、入試では要求されないので、特に読まなくていい。 文法(現代文・古文)や漢文の句法は、ドリルやワークブック・問題集があると効率的かもしれません。 文法、句法は暗記というより、言葉の仕組みを考えることですから、興味深く学習できると思います。 中学レベルの場合、漢文は、英語のような感覚で理解してもよいかもしれません。(ただし、あくまで高校受験レベルです。大学受験では、細々とした暗記が必要です。) 日本人に漢文を書くのは無理なので、漢文を作文させるような問題は出ない。古文も同様。 よって、基本的には古文・漢文は読解問題になるだろう。 入学試験問題では一般的に、教科書で学習した文章が出題されるのではなく、初見の文章が提示されるはずです。 ただし、偶然、高校参考書などの内容と、高校受験の出題が、重なる場合があります。 とりあえず、下記の基本事項は、志望が公立でも私立でも、押さえておく必要がある。 まず、この三点を押さえておきましょう。 古文の読解問題については、基本は現代文と同じです。「だれが」「だれに」「なにをしたのか」を整理すること、物語なら展開、評論なら作者の論理はなにか、といった点を読み取ってみましょう。 教科書の問題が入試にそのまま出ることは基本的に無いので、よって教科書のストーリーを暗記しても、ほぼ無駄です。なので、きちんと古文を読解できるようにしましょう。 古文は現代文とリズムや調子が違うので、高校生向けだが古文に特化した参考書があるので、それを手に入れて、その文章に慣れるといいかもしれない。 下記にそれを紹介する。 中学の国語参考書を買えば、参考書内に単語集コーナーが存在しているのが普通なので、まずはそれを勉強する必要がある。 加えて、できれば高校生むけの単語集を1冊でいいので買って、読んでおくのもよいかもしれません。高校受験中には高校単語集は覚えきれないでしょうが、とりあえず無理のない範囲で、古文の単語力を増やしていきましょう。 高校生の古文単語集というのは出版市場に存在するが、しかし中学生向け単語集と言うのは基本的には出版されていない。 大学受験用の参考書として、三省堂(さんせいどう)や日栄社(にちえいしゃ)が著名な古文作品の口語訳集を出版しています。 ただし、もう公立高校の受験の段階で、市販の口語訳集に無いマイナー作品から出題されることも多々ありますし、それが普通です。 なので、和訳本ばかりに頼らず、基本的な古文の単語力を身につけることが必要です。 口語訳集は、単語集と平行して、単語を定着させるためのトレーニング手段として使いましょう。 あるいは、高校生むけの古文・漢文のやさしめの本で、予習してもいいかもしれません。 漱石(そうせき)、芥川(あくたがわ)、太宰、川端(かわばた)、鴎外(おうがい)、などの作品名とジャンルなど、近代や終戦直後あたりまでの作家を押さえておけばいい。検定教科書や、どの参考書にも書いてあるのを押さえればいい。 いちいち作品を読む必要は無いし、内容の詳細も入試では問われない。 昭和後期や平成の作品は、基本的には文学史の問題としては出ないだろう。 また、戦前でも、推理小説とかホラー小説とかSF小説とか、そういうのは入試には基本的には出ない。戦後の推理小説などは、もちろん出ない。 せいぜい、江戸川乱歩が出そうなくらいか。 ホラーの場合、体質的に苦手とする人がいたり、健康上の問題があるので、そういうのは入試には出せない。 千葉県や青森県など、一部の都道府県で、高校入試の国語に、聞き取り問題がありました。今後も、一部の県で出るかもしれません。 特に対策はありません。 聞き取り中にメモが認められている場合があるので、その場合は、単語などをメモすると良いでしょう。 なお、面接などで口頭で答えを述べるような問題は、ありません。そのような面接問題は、採点が大変です。 読書感想文や一般の作文のように、答えが人によって異なる問題は、基本的には出ない。 ただし、千葉県で、条件付きの作文が出たことがある。与えられた話題に対して、5~10行ていどで、具体的な根拠とともに自分の意見をまとめる問題が、出たことがあります。 決して自由な作文ではなく、論理的で具体的な根拠が必要です。これは、大学入試における「小論文」(しょうろんぶん)のようなものです。 決して独特・斬新な意見を書く必要は無く、試験時間内で説明できる程度に、論理的な文章を書けばいい。国語科の入試なので、決して哲学的な発想の深さなどを採点しているのではなく、あくまで日本国民に必要な国語力としての文章力を見ているので、なので論理的で具体的な意見を書ければいいのである。 学校などで要求される作文とは、書き方が違います。決して、どちらの書き方が正しいという事ではなく、それぞれの場で求められている能力が違うという事です。 条件付き作文は、独学が難しいので、塾などで添削(てんさく)してもらうと良いでしょう。 条件付き作文で書くべき意見は、たとえ自分の本音とは少し違っても、与えられた行数の範囲内で論理的に書くことを優先すべきである。 つまり、どんなに自分の意見がじつは正しくても、与えられた10行以内で説明できない意見は、書かないでおこう。 自分の意見そのものではなく、与えられた話題について自分の意見に近い大人(ただし、一般的な大人で、立派な大人)の言っていた短めの話を思い出して、それをベースにして、少しだけ自分の意見を付け足すアレンジをして、まとめれば充分だろう。 普段から、そういった練習をしておくと良いだろう。つまり、普段から、会話のあとなどに、脳内でいいので、手短かに自分の意見をまとめる練習をするのである。 普段から、「話が長い」とか「前置きが長い」とか言われる人は、気を付けよう。 要するに、作文には人格が現れる。 研究論文ではないので、内容の新規性の高さではなく、分かりやすさが必要なのである。少しくらい、新規性や独自性などを犠牲にしてもいいし、犠牲にせざるを得ない。入試の作文では、研究論文とは要求されている能力が違う。 これは大学入試の小論文でも同様のテクニックである。 小論文は、名前に「論文」とあるので、ついつい新規性を追求してしまいがちだが、しかし入試の場合、高校入試でも大学入試でも「小論文」には新規性は基本的には問われていない。 条件付き作文の詳しい採点基準は非公開だが、一般に、この手の、意見を述べる問題の場合、公平を期すために複数人の採点者によって評価が行われるだろう。なので、高校受験での作文の対策としては、まずは大きなミスをなくした文章を書くべきである。致命的な論理の飛躍とか、誤字脱字とか、そういうのを無くすのが優先である。 「複数人で採点」の根拠として、作文ではなく面接テクニックで大学受験において知られている話だが、数学者で大学教授の秋山仁(あきやま じん)が、1990年代に大学側の面接評価の大学側での採点基準を著書で述べたのだが、複数の大学教員による評価であった。秋山によると、受験生の長所は採点者ごとに人それぞれだが、受験生の短所はどの採点者が評価しても、おおよそ一致する、という傾向があるとの知見がある。 都道府県の高校入試は誰が採点しているかは不明だが、複数の高校教師(国語科とは限らないかもしれない)が読んでも納得するように書けば良いだろうか。 大学教授は読んでくれないし(採点者の人数が少ない)、そもそも、専門家でないと理解できないような専門性の強い意見は、求められていない。 このため、高校入試の作文でもちいる単語について、使用を避けるべき単語として、流行語や(国語辞典に載ってないし、複数の採点者ごとに解釈が異なりうるのでダメ)、特定の業界でしか通用しない用語は(高校教師や一般的な公務員が知らないのでダメ)、使用を避ける必要があります。入試では、普通の国語教科書の文章にある単語のように、平易で一般的で国語辞典で検証可能な単語をもちいて意見などを説明する必要があります。 高校入試でも、論述問題はありうる。「傍線部Aの内容を作者の言いたいことを、15文字以内でまとめなさい。句読点も含む。」のような要約のような設問は出るかもしれません。 なので、決して単語など読解のための部品を覚えるだけでなく、文章全体の意味も理解できるようにする必要がある。 ただし、採点に手間が掛かるので、あまり出題されない。よって、対策の優先順位は低い。 (※要出典)古文があまり出ない高校もある一方で、高校入試ではあまり出題されない漢文を課す高校もあります。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "参考書を良く読んで、市販のドリル、ワークブック、問題集を練習、学習するのが有効です。そして、語句や漢字などの書き取り練習も有効でしょう。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "読書よりも、むしろ、素朴な訓練、書き取り練習のほうが、試験結果に直結し、効果的な学習になるだろう。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "語句や漢字の書き取り対策には、ノートに漢字を何回か反復的に書いて、記憶を定着させる方法が有効です。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、読書をするなら、小説を読むよりも、平均的な国語参考書にある例文を読んでしまうほうが効率的である。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "まず、高校入試の出題文は物語文だけではありません。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "説明文の出題分野も、特定の分野にかたよらず、色々な範囲から狙われます。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "文法(現代文法、古語文法)なども出題範囲ですが、現代文法は問題にしづらいのが悩みどころです。深入りしないようにしましょう。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "現代文法は、標準的な参考書などにある用語などを覚えれば十分だと思います。", "title": "基本のスタイル・課題" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "中学国語では、習字や硬筆などの書写を習いますが、これらは普通の高校入試には出ません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大学入試でも習字や硬筆書写は出題されません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "高校の国語では、習字や硬筆書写は、国語では学習課題には採用されていません。(高校では、習字は「芸術」教科の選択科目「書道」に移ります。)", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "大学入試の国公立の2次試験や私大受験の国語では、「小論文」と言って1ページ~2ページくらいの長文が紹介されて、受験生の意見を長文で書かせるジャンルがあります。しかし高校受験では、採点の手間があるので小論文は出題されないと思います。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "大学入試でも、新・共通試験(かつてのセンター試験)では小論文は出ません。国公立受験の場合、小論文は、大学ごとの二次試験でしか出ませんでした。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "よって、各都道府県の共通の公立高校入試でも、小論文は出ないはずです。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "原理的には私立高校入試でなら小論文は出せますが、しかし実際の過去問を見ると、高校入試の段階では私立でも小論文は出していません。小論文の過去問を見かけません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "物語を自分で作ったりとか、劇を作ったりとか、そういうのは公立入試では出ないはずです。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "原理的には私立では出せますが、しかし過去問集では見かけません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "歌舞伎(かぶき)、浄瑠璃(じょうるり)といったジャンルの紹介など、国語資料集などにもありますが、個々の作品は入試では出ません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "そもそも、文章として出題のしようがありません。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "基本的に高校入試は、印刷された問題と、せいぜい、聞き取り問題などで放送される問題があるだけです。", "title": "出ない分野" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "高校入試の場合、多くの入試問題で、語句などを書かせる問題があるからである。その問題の解答の際、漢字が間違っていたら減点または不正解になる。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "よって、書き取りの練習が必要である。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "漢字書き取り練習は、小学校でもそれ以降でもやっていたでしょうが、1語当たり、数回~10回ほど繰り返して書くのがいいでしょう。漢字は読むだけならできるという事があるでしょうが、やはり自分自身の手で書けるという事は重要です。自分で書ける時はたいてい読むことができますので。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ドリルなどで読みを出題された漢字でも、あまり難しくない、難読ではない漢字は、書き取り練習もしておくといい。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ことわざ、故事成語、熟語は、読んで意味を理解するだけではなく、実際に自分で鉛筆を持って書き取りして、その言葉を行為して練習してみましょう。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "学校や塾で漢字や語句の書き取りテストがある時は、その課題について予習復習、練習をしておくといいでしょう。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "高校入試でも、大学入試でも文学史は出題されますが、これもただ参考書や各種資料を読むだけではなく、念のため一度でいいので書き取りをして、ノートに鉛筆で作品名や作者名を実際に書いて、書き取り練習として学習すると効果的でしょう。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "あまり難しいことわざは出ない。普通の参考書に書いてある、標準的なことわざを習得していれば十分である。故事成語なども同様。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "書き取りは文章というよりは語句を繰り返し書けば十分である。「漢字」「故事成語」「熟語」「ことわざ」「語彙」「外来語」などの重要語句を書く。他の教科でも、語句を覚えるときは、繰り返し書く書き取り練習が効果的です。", "title": "書き取り練習" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "入試問題の現代語や国語の長文としても、教科書で使用された文章がそのまま使われることはない。ほとんどの場合、初見の文章に関する課題を解くことになる。市販の過去問集で確認できる。公立高校入試も、私立高校入試も、長文は基本的には教科書にはない初見の文章である、", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "このため、学校で習う現代文しか読んでこないと、やや国語力が不足します。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "かといって、小説などを読み漁る必要もありません。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "普通に参考書を読み、普通に問題練習を欠かさずにすれば十分です。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "国語の入試問題では、ヤングアダルト文庫などは基本的に出ません。つまり、わざわざ中学生むけに書き下ろした作品などは出題しません(なので、岩波ヤングアダルト文庫などは受験対策としては読まなくていいのが普通)。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "出題される文章のレベルは基本的に、子供向けではなく、大人たちの読んでいる本のうち、高校生に分かりやそうな部分だけを抜粋して紹介して出題したりします。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "岩波ヤングアダルト文庫などを、社会科などの自由研究の手段と思って読むぶんには構いませんが、しかしそれは受験国語の傾向とは違います。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "同様、朝日小学生新聞なども、まず出ません。というか基本、新聞は高校入試に出ません。新聞のように政治などの価値判断が分かれる文章は、高校受験レベルの国公立の入試などでは出しづらいのです(私立はどうか知りませんが、あまり新聞の出題を見かけません)。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "さて、読解問題で、中学レベルを大幅に越えた単語などがある場合はヒントの注釈などが追記される場合もあります。しかし、参考書などにあるような単語は、いちいち注釈がつきません。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "このため、市販の参考書などにある読解のための語彙は、きちんと習得しておきましょう。", "title": "国語長文問題の傾向・対策" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "さて、読解の練習は、塾などで長文を何作も抜粋して多く読まされる場合には、とりあえず、特に問題ありません。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "もし塾に通っておらず、そういう読解を勉強していない場合、単純に読んできた教育的な文章の量が、学校の授業だけでは不足していますので、市販の高校受験レベルの平均的な国語問題集などでよいので、問題集に書いてある国語の長文をまず十数本ぐらいは読んでください。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "この段階では、設問を解かずとも、長文を読んでおおよその意味を把握した上で、もし分からない単語があれば辞書で確認するだけでも、十分に効果的でしょう。長文を読むだけでなく、きちんと現代語の国語辞典で確認しましょう。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "この際に使う辞書は、標準的な片手で運べるサイズの国語辞典で構いません。広辞苑は不要です。広辞苑などの大型の辞書を読まないと載っていない単語を問うのは、そもそも高校入試や大学入試としては不適切です。もし長文でふつうのサイズの辞書にない単語があっても、注釈があるでしょう。仮にそのような難単語が注釈なしで出題されても、どうせ他の受験生も解けないので、気にする必要はないです。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "もし分からない単語があった場合に、普段の学習では、「前後の文脈から単語の意味を判断しよう」とかの手法は不要です。もし分からない単語があった場合、普通に片手サイズの国語辞典を引いたほうが、普段の学習としては早いです。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "よほどの難しい単語の場合、そもそも注釈がついているはずです。また、この注釈が必要なので、なので長文読解の練習では、市販の小説などではなく、高校受験生むけの問題集や過去問などを使う必要があります。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "とはいえ、長文を読むたびに毎回辞書を当たるのも非効率なので、ある程度の文章量を読んだら(大体、問題集で数十ページぶんでしょうか)、そこで参考書にある用語集の勉強に切り替えるのがよいでしょう。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "長文の実際の読解をしないで、単語だけ用語集でイキナリ覚えようとしても、なかなか頭に入りません。なので、まず先に、ある程度の作品数の長文を読んでおく必要があるのです。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "読者が日本の小中の義務教育を受けており、小学時代から参考書なども5教科とも全部読むのを中学でも続けていれば、とりあえず、それ以上は単語の学習には深入りする必要は無いでしょう。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "そこまで勉強した上で高校入試で分からない単語があっても、おそらく他の受験生もその単語を分からないはずです。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "中学卒業までに習うはずの理科や社会科や数学などの用語も知ってて当然だという前提で、長文は出題される。いちいち設問としては理科用語などの意味を問うような問題は出されないと思いますが、しかし長文問題などで小学校レベルの用語はふつうに注釈なしで本文中で使われます。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "なので、もし読者が私立高校の志望者で国・数・英の3教科しか受験しない場合でも(私立の入試科目は国数英の3教科が一般的)、とりあえずは理科や社会も夏ごろに一通りは参考書で勉強する必要がある。(いちいち小学生むけの参考書に戻る必要はありません。)", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "理科や社会で習うはずの用語については、標準的な高校受験むけの参考書にある用語を押さえておけば、高校受験の国語の対策としては、もう充分である。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "小学生むけの恐竜図鑑とかそういう参考書にない書籍でしか紹介されない用語は、入試では要求されないので、特に読まなくていい。", "title": "現代語の単語力を増やすには" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "文法(現代文・古文)や漢文の句法は、ドリルやワークブック・問題集があると効率的かもしれません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "文法、句法は暗記というより、言葉の仕組みを考えることですから、興味深く学習できると思います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "中学レベルの場合、漢文は、英語のような感覚で理解してもよいかもしれません。(ただし、あくまで高校受験レベルです。大学受験では、細々とした暗記が必要です。)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "日本人に漢文を書くのは無理なので、漢文を作文させるような問題は出ない。古文も同様。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "よって、基本的には古文・漢文は読解問題になるだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "入学試験問題では一般的に、教科書で学習した文章が出題されるのではなく、初見の文章が提示されるはずです。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ただし、偶然、高校参考書などの内容と、高校受験の出題が、重なる場合があります。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "とりあえず、下記の基本事項は、志望が公立でも私立でも、押さえておく必要がある。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "まず、この三点を押さえておきましょう。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "古文の読解問題については、基本は現代文と同じです。「だれが」「だれに」「なにをしたのか」を整理すること、物語なら展開、評論なら作者の論理はなにか、といった点を読み取ってみましょう。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "教科書の問題が入試にそのまま出ることは基本的に無いので、よって教科書のストーリーを暗記しても、ほぼ無駄です。なので、きちんと古文を読解できるようにしましょう。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "古文は現代文とリズムや調子が違うので、高校生向けだが古文に特化した参考書があるので、それを手に入れて、その文章に慣れるといいかもしれない。 下記にそれを紹介する。", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "", "title": "私立高校入試の古文漢文" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "中学の国語参考書を買えば、参考書内に単語集コーナーが存在しているのが普通なので、まずはそれを勉強する必要がある。", "title": "古文の単語集" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "加えて、できれば高校生むけの単語集を1冊でいいので買って、読んでおくのもよいかもしれません。高校受験中には高校単語集は覚えきれないでしょうが、とりあえず無理のない範囲で、古文の単語力を増やしていきましょう。", "title": "古文の単語集" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "高校生の古文単語集というのは出版市場に存在するが、しかし中学生向け単語集と言うのは基本的には出版されていない。", "title": "古文の単語集" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "大学受験用の参考書として、三省堂(さんせいどう)や日栄社(にちえいしゃ)が著名な古文作品の口語訳集を出版しています。", "title": "古文の和訳本" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ただし、もう公立高校の受験の段階で、市販の口語訳集に無いマイナー作品から出題されることも多々ありますし、それが普通です。", "title": "古文の和訳本" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "なので、和訳本ばかりに頼らず、基本的な古文の単語力を身につけることが必要です。", "title": "古文の和訳本" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "口語訳集は、単語集と平行して、単語を定着させるためのトレーニング手段として使いましょう。", "title": "古文の和訳本" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "あるいは、高校生むけの古文・漢文のやさしめの本で、予習してもいいかもしれません。", "title": "古文の和訳本" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "漱石(そうせき)、芥川(あくたがわ)、太宰、川端(かわばた)、鴎外(おうがい)、などの作品名とジャンルなど、近代や終戦直後あたりまでの作家を押さえておけばいい。検定教科書や、どの参考書にも書いてあるのを押さえればいい。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "いちいち作品を読む必要は無いし、内容の詳細も入試では問われない。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "昭和後期や平成の作品は、基本的には文学史の問題としては出ないだろう。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "また、戦前でも、推理小説とかホラー小説とかSF小説とか、そういうのは入試には基本的には出ない。戦後の推理小説などは、もちろん出ない。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "せいぜい、江戸川乱歩が出そうなくらいか。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ホラーの場合、体質的に苦手とする人がいたり、健康上の問題があるので、そういうのは入試には出せない。", "title": "文学史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "千葉県や青森県など、一部の都道府県で、高校入試の国語に、聞き取り問題がありました。今後も、一部の県で出るかもしれません。", "title": "聞き取り問題" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "特に対策はありません。", "title": "聞き取り問題" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "聞き取り中にメモが認められている場合があるので、その場合は、単語などをメモすると良いでしょう。", "title": "聞き取り問題" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "なお、面接などで口頭で答えを述べるような問題は、ありません。そのような面接問題は、採点が大変です。", "title": "聞き取り問題" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "読書感想文や一般の作文のように、答えが人によって異なる問題は、基本的には出ない。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ただし、千葉県で、条件付きの作文が出たことがある。与えられた話題に対して、5~10行ていどで、具体的な根拠とともに自分の意見をまとめる問題が、出たことがあります。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "決して自由な作文ではなく、論理的で具体的な根拠が必要です。これは、大学入試における「小論文」(しょうろんぶん)のようなものです。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "決して独特・斬新な意見を書く必要は無く、試験時間内で説明できる程度に、論理的な文章を書けばいい。国語科の入試なので、決して哲学的な発想の深さなどを採点しているのではなく、あくまで日本国民に必要な国語力としての文章力を見ているので、なので論理的で具体的な意見を書ければいいのである。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "学校などで要求される作文とは、書き方が違います。決して、どちらの書き方が正しいという事ではなく、それぞれの場で求められている能力が違うという事です。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "条件付き作文は、独学が難しいので、塾などで添削(てんさく)してもらうと良いでしょう。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "条件付き作文で書くべき意見は、たとえ自分の本音とは少し違っても、与えられた行数の範囲内で論理的に書くことを優先すべきである。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "つまり、どんなに自分の意見がじつは正しくても、与えられた10行以内で説明できない意見は、書かないでおこう。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "自分の意見そのものではなく、与えられた話題について自分の意見に近い大人(ただし、一般的な大人で、立派な大人)の言っていた短めの話を思い出して、それをベースにして、少しだけ自分の意見を付け足すアレンジをして、まとめれば充分だろう。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "普段から、そういった練習をしておくと良いだろう。つまり、普段から、会話のあとなどに、脳内でいいので、手短かに自分の意見をまとめる練習をするのである。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "普段から、「話が長い」とか「前置きが長い」とか言われる人は、気を付けよう。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "要するに、作文には人格が現れる。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "研究論文ではないので、内容の新規性の高さではなく、分かりやすさが必要なのである。少しくらい、新規性や独自性などを犠牲にしてもいいし、犠牲にせざるを得ない。入試の作文では、研究論文とは要求されている能力が違う。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "これは大学入試の小論文でも同様のテクニックである。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "小論文は、名前に「論文」とあるので、ついつい新規性を追求してしまいがちだが、しかし入試の場合、高校入試でも大学入試でも「小論文」には新規性は基本的には問われていない。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "条件付き作文の詳しい採点基準は非公開だが、一般に、この手の、意見を述べる問題の場合、公平を期すために複数人の採点者によって評価が行われるだろう。なので、高校受験での作文の対策としては、まずは大きなミスをなくした文章を書くべきである。致命的な論理の飛躍とか、誤字脱字とか、そういうのを無くすのが優先である。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "「複数人で採点」の根拠として、作文ではなく面接テクニックで大学受験において知られている話だが、数学者で大学教授の秋山仁(あきやま じん)が、1990年代に大学側の面接評価の大学側での採点基準を著書で述べたのだが、複数の大学教員による評価であった。秋山によると、受験生の長所は採点者ごとに人それぞれだが、受験生の短所はどの採点者が評価しても、おおよそ一致する、という傾向があるとの知見がある。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "都道府県の高校入試は誰が採点しているかは不明だが、複数の高校教師(国語科とは限らないかもしれない)が読んでも納得するように書けば良いだろうか。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "大学教授は読んでくれないし(採点者の人数が少ない)、そもそも、専門家でないと理解できないような専門性の強い意見は、求められていない。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "このため、高校入試の作文でもちいる単語について、使用を避けるべき単語として、流行語や(国語辞典に載ってないし、複数の採点者ごとに解釈が異なりうるのでダメ)、特定の業界でしか通用しない用語は(高校教師や一般的な公務員が知らないのでダメ)、使用を避ける必要があります。入試では、普通の国語教科書の文章にある単語のように、平易で一般的で国語辞典で検証可能な単語をもちいて意見などを説明する必要があります。", "title": "作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "高校入試でも、論述問題はありうる。「傍線部Aの内容を作者の言いたいことを、15文字以内でまとめなさい。句読点も含む。」のような要約のような設問は出るかもしれません。", "title": "論述問題" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "なので、決して単語など読解のための部品を覚えるだけでなく、文章全体の意味も理解できるようにする必要がある。", "title": "論述問題" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ただし、採点に手間が掛かるので、あまり出題されない。よって、対策の優先順位は低い。", "title": "論述問題" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "", "title": "論述問題" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "(※要出典)古文があまり出ない高校もある一方で、高校入試ではあまり出題されない漢文を課す高校もあります。", "title": "要出典" } ]
null
== 基本のスタイル・課題 == 参考書を良く読んで、市販のドリル、ワークブック、問題集を練習、学習するのが有効です。そして、語句や漢字などの書き取り練習も有効でしょう。 読書よりも、むしろ、素朴な訓練、書き取り練習のほうが、試験結果に直結し、効果的な学習になるだろう。 語句や漢字の書き取り対策には、ノートに漢字を何回か反復的に書いて、記憶を定着させる方法が有効です。 また、読書をするなら、小説を読むよりも、平均的な国語参考書にある例文を読んでしまうほうが効率的である。 まず、高校入試の出題文は物語文だけではありません。 説明文の出題分野も、特定の分野にかたよらず、色々な範囲から狙われます。 文法(現代文法、古語文法)なども出題範囲ですが、現代文法は問題にしづらいのが悩みどころです。深入りしないようにしましょう。 現代文法は、標準的な参考書などにある用語などを覚えれば十分だと思います。 == 出ない分野 == === 習字、硬筆は高校入試では出題されない === 中学国語では、習字や硬筆などの書写を習いますが、これらは普通の高校入試には出ません。 大学入試でも習字や硬筆書写は出題されません。 高校の国語では、習字や硬筆書写は、国語では学習課題には採用されていません。(高校では、習字は「芸術」教科の選択科目「書道」に移ります。) === 小論文は出ない === 大学入試の国公立の2次試験や私大受験の国語では、「小論文」と言って1ページ~2ページくらいの長文が紹介されて、受験生の意見を長文で書かせるジャンルがあります。しかし高校受験では、採点の手間があるので小論文は出題されないと思います。 大学入試でも、新・共通試験(かつてのセンター試験)では小論文は出ません。国公立受験の場合、小論文は、大学ごとの二次試験でしか出ませんでした。 よって、各都道府県の共通の公立高校入試でも、小論文は出ないはずです。 原理的には私立高校入試でなら小論文は出せますが、しかし実際の過去問を見ると、高校入試の段階では私立でも小論文は出していません。小論文の過去問を見かけません。 === 創作は出ない === 物語を自分で作ったりとか、劇を作ったりとか、そういうのは公立入試では出ないはずです。 原理的には私立では出せますが、しかし過去問集では見かけません。 === 歌舞伎など出ない === 歌舞伎(かぶき)、浄瑠璃(じょうるり)といったジャンルの紹介など、国語資料集などにもありますが、個々の作品は入試では出ません。 そもそも、文章として出題のしようがありません。 基本的に高校入試は、印刷された問題と、せいぜい、聞き取り問題などで放送される問題があるだけです。 == 書き取り練習 == === 漢字の書き取り練習 === 高校入試の場合、多くの入試問題で、語句などを書かせる問題があるからである。その問題の解答の際、漢字が間違っていたら減点または不正解になる。 よって、書き取りの練習が必要である。 漢字書き取り練習は、小学校でもそれ以降でもやっていたでしょうが、1語当たり、数回~10回ほど繰り返して書くのがいいでしょう。漢字は読むだけならできるという事があるでしょうが、やはり自分自身の手で書けるという事は重要です。自分で書ける時はたいてい読むことができますので。 ドリルなどで読みを出題された漢字でも、あまり難しくない、難読ではない漢字は、書き取り練習もしておくといい。 === ことわざ、故事成語、熟語 === ことわざ、故事成語、熟語は、読んで意味を理解するだけではなく、実際に自分で鉛筆を持って書き取りして、その言葉を行為して練習してみましょう。 学校や塾で漢字や語句の書き取りテストがある時は、その課題について予習復習、練習をしておくといいでしょう。 高校入試でも、大学入試でも文学史は出題されますが、これもただ参考書や各種資料を読むだけではなく、念のため一度でいいので書き取りをして、ノートに鉛筆で作品名や作者名を実際に書いて、書き取り練習として学習すると効果的でしょう。 あまり難しいことわざは出ない。普通の参考書に書いてある、標準的なことわざを習得していれば十分である。故事成語なども同様。 === 書き取り練習では重要語句を === 書き取りは文章というよりは語句を繰り返し書けば十分である。「漢字」「故事成語」「熟語」「ことわざ」「語彙」「外来語」などの重要語句を書く。他の教科でも、語句を覚えるときは、繰り返し書く書き取り練習が効果的です。 == 国語長文問題の傾向・対策 == 入試問題の現代語や国語の長文としても、教科書で使用された文章がそのまま使われることはない。ほとんどの場合、初見の文章に関する課題を解くことになる。市販の過去問集で確認できる。公立高校入試も、私立高校入試も、長文は基本的には教科書にはない初見の文章である、 このため、学校で習う現代文しか読んでこないと、やや国語力が不足します。 かといって、小説などを読み漁る必要もありません。 普通に参考書を読み、普通に問題練習を欠かさずにすれば十分です。 ;若者向けの長文は出ない 国語の入試問題では、ヤングアダルト文庫などは基本的に出ません。つまり、わざわざ中学生むけに書き下ろした作品などは出題しません(なので、岩波ヤングアダルト文庫などは受験対策としては読まなくていいのが普通)。 出題される文章のレベルは基本的に、子供向けではなく、大人たちの読んでいる本のうち、高校生に分かりやそうな部分だけを抜粋して紹介して出題したりします。 岩波ヤングアダルト文庫などを、社会科などの自由研究の手段と思って読むぶんには構いませんが、しかしそれは受験国語の傾向とは違います。 同様、朝日小学生新聞なども、まず出ません。というか基本、新聞は高校入試に出ません。新聞のように政治などの価値判断が分かれる文章は、高校受験レベルの国公立の入試などでは出しづらいのです(私立はどうか知りませんが、あまり新聞の出題を見かけません)。 さて、読解問題で、中学レベルを大幅に越えた単語などがある場合はヒントの注釈などが追記される場合もあります。しかし、参考書などにあるような単語は、いちいち注釈がつきません。 このため、市販の参考書などにある読解のための語彙は、きちんと習得しておきましょう。 == 現代語の単語力を増やすには == :※ 本節では、前提として、小学生むけの市販の国語のワークブックなどにある長文問題が解けることを前提としています。もし読者が小学生レベルの文章を読めない場合、さすがに本節では手に負えませんので、そういう人は補習塾などを活用してください。独学では難しいと思います。 :※ 以下の文章では、とりあえず小学校レベルの平均的な国語の問題は解ける事を前提にしています。 さて、読解の練習は、塾などで長文を何作も抜粋して多く読まされる場合には、とりあえず、特に問題ありません。 もし塾に通っておらず、そういう読解を勉強していない場合、単純に読んできた教育的な文章の量が、学校の授業だけでは不足していますので、市販の高校受験レベルの平均的な国語問題集などでよいので、問題集に書いてある国語の長文をまず十数本ぐらいは読んでください。 この段階では、設問を解かずとも、長文を読んでおおよその意味を把握した上で、もし分からない単語があれば辞書で確認するだけでも、十分に効果的でしょう。長文を読むだけでなく、きちんと現代語の国語辞典で確認しましょう。 この際に使う辞書は、標準的な片手で運べるサイズの国語辞典で構いません。広辞苑は不要です。広辞苑などの大型の辞書を読まないと載っていない単語を問うのは、そもそも高校入試や大学入試としては不適切です。もし長文でふつうのサイズの辞書にない単語があっても、注釈があるでしょう。仮にそのような難単語が注釈なしで出題されても、どうせ他の受験生も解けないので、気にする必要はないです。 もし分からない単語があった場合に、普段の学習では、「前後の文脈から単語の意味を判断しよう」とかの手法は不要です。もし分からない単語があった場合、普通に片手サイズの国語辞典を引いたほうが、普段の学習としては早いです。 よほどの難しい単語の場合、そもそも注釈がついているはずです。また、この注釈が必要なので、なので長文読解の練習では、市販の小説などではなく、高校受験生むけの問題集や過去問などを使う必要があります。 とはいえ、長文を読むたびに毎回辞書を当たるのも非効率なので、ある程度の文章量を読んだら(大体、問題集で数十ページぶんでしょうか)、そこで参考書にある用語集の勉強に切り替えるのがよいでしょう。 長文の実際の読解をしないで、単語だけ用語集でイキナリ覚えようとしても、なかなか頭に入りません。なので、まず先に、ある程度の作品数の長文を読んでおく必要があるのです。 読者が日本の小中の義務教育を受けており、小学時代から参考書なども5教科とも全部読むのを中学でも続けていれば、とりあえず、それ以上は単語の学習には深入りする必要は無いでしょう。 そこまで勉強した上で高校入試で分からない単語があっても、おそらく他の受験生もその単語を分からないはずです。 ;理科や社会の用語も、前提になっている 中学卒業までに習うはずの理科や社会科や数学などの用語も知ってて当然だという前提で、長文は出題される。いちいち設問としては理科用語などの意味を問うような問題は出されないと思いますが、しかし長文問題などで小学校レベルの用語はふつうに注釈なしで本文中で使われます。 なので、もし読者が私立高校の志望者で国・数・英の3教科しか受験しない場合でも(私立の入試科目は国数英の3教科が一般的)、とりあえずは理科や社会も夏ごろに一通りは参考書で勉強する必要がある。(いちいち小学生むけの参考書に戻る必要はありません。) 理科や社会で習うはずの用語については、標準的な高校受験むけの参考書にある用語を押さえておけば、高校受験の国語の対策としては、もう充分である。 小学生むけの恐竜図鑑とかそういう参考書にない書籍でしか紹介されない用語は、入試では要求されないので、特に読まなくていい。 == 文法 == 文法(現代文・古文)や漢文の句法は、ドリルやワークブック・問題集があると効率的かもしれません。 文法、句法は暗記というより、言葉の仕組みを考えることですから、興味深く学習できると思います。 中学レベルの場合、漢文は、英語のような感覚で理解してもよいかもしれません。(ただし、あくまで高校受験レベルです。大学受験では、細々とした暗記が必要です。) 日本人に漢文を書くのは無理なので、漢文を作文させるような問題は出ない。古文も同様。 よって、基本的には古文・漢文は読解問題になるだろう。 == 私立高校入試の古文漢文 == 入学試験問題では一般的に、教科書で学習した文章が出題されるのではなく、初見の文章が提示されるはずです。 ただし、偶然、高校参考書などの内容と、高校受験の出題が、重なる場合があります。 とりあえず、下記の基本事項は、志望が公立でも私立でも、押さえておく必要がある。 # 仮名づかい(頻出) # 「をかし」「あはれ」「いと」などの基本的な古文単語 # 係り結びなどの基本的な文法 まず、この三点を押さえておきましょう。 古文の読解問題については、基本は現代文と同じです。「だれが」「だれに」「なにをしたのか」を整理すること、物語なら展開、評論なら作者の論理はなにか、といった点を読み取ってみましょう。 教科書の問題が入試にそのまま出ることは基本的に無いので、よって教科書のストーリーを暗記しても、ほぼ無駄です。なので、きちんと古文を読解できるようにしましょう。 古文は現代文とリズムや調子が違うので、高校生向けだが古文に特化した参考書があるので、それを手に入れて、その文章に慣れるといいかもしれない。 下記にそれを紹介する。 == 古文の単語集 == 中学の国語参考書を買えば、参考書内に単語集コーナーが存在しているのが普通なので、まずはそれを勉強する必要がある。 加えて、できれば高校生むけの単語集を1冊でいいので買って、読んでおくのもよいかもしれません。高校受験中には高校単語集は覚えきれないでしょうが、とりあえず無理のない範囲で、古文の単語力を増やしていきましょう。 高校生の古文単語集というのは出版市場に存在するが、しかし中学生向け単語集と言うのは基本的には出版されていない。 == 古文の和訳本 == 大学受験用の参考書として、三省堂(さんせいどう)や日栄社(にちえいしゃ)が著名な古文作品の口語訳集を出版しています。 ただし、もう公立高校の受験の段階で、市販の口語訳集に無いマイナー作品から出題されることも多々ありますし、それが普通です。 なので、和訳本ばかりに頼らず、基本的な古文の単語力を身につけることが必要です。 口語訳集は、単語集と平行して、単語を定着させるためのトレーニング手段として使いましょう。 あるいは、高校生むけの古文・漢文のやさしめの本で、予習してもいいかもしれません。 == 文学史 == 漱石(そうせき)、芥川(あくたがわ)、太宰、川端(かわばた)、鴎外(おうがい)、などの作品名とジャンルなど、近代や終戦直後あたりまでの作家を押さえておけばいい。検定教科書や、どの参考書にも書いてあるのを押さえればいい。 いちいち作品を読む必要は無いし、内容の詳細も入試では問われない。 昭和後期や平成の作品は、基本的には文学史の問題としては出ないだろう。 また、戦前でも、推理小説とかホラー小説とかSF小説とか、そういうのは入試には基本的には出ない。戦後の推理小説などは、もちろん出ない。 せいぜい、江戸川乱歩が出そうなくらいか。 ホラーの場合、体質的に苦手とする人がいたり、健康上の問題があるので、そういうのは入試には出せない。 == 聞き取り問題 == 千葉県や青森県など、一部の都道府県で、高校入試の国語に、聞き取り問題がありました。今後も、一部の県で出るかもしれません。 特に対策はありません。 聞き取り中にメモが認められている場合があるので、その場合は、単語などをメモすると良いでしょう。 なお、面接などで口頭で答えを述べるような問題は、ありません。そのような面接問題は、採点が大変です。 == 作文は基本的に出ないが、条件付き作文を出す県がある == 読書感想文や一般の作文のように、答えが人によって異なる問題は、基本的には出ない。 ただし、千葉県で、条件付きの作文が出たことがある。与えられた話題に対して、5~10行ていどで、具体的な根拠とともに自分の意見をまとめる問題が、出たことがあります。 決して自由な作文ではなく、論理的で具体的な根拠が必要です。これは、大学入試における「小論文」(しょうろんぶん)のようなものです。 決して独特・斬新な意見を書く必要は無く、試験時間内で説明できる程度に、論理的な文章を書けばいい。国語科の入試なので、決して哲学的な発想の深さなどを採点しているのではなく、あくまで日本国民に必要な国語力としての文章力を見ているので、なので論理的で具体的な意見を書ければいいのである。 学校などで要求される作文とは、書き方が違います。決して、どちらの書き方が正しいという事ではなく、それぞれの場で求められている能力が違うという事です。 条件付き作文は、独学が難しいので、塾などで添削(てんさく)してもらうと良いでしょう。 条件付き作文で書くべき意見は、たとえ自分の本音とは少し違っても、与えられた行数の範囲内で論理的に書くことを優先すべきである。 つまり、どんなに自分の意見がじつは正しくても、与えられた10行以内で説明できない意見は、書かないでおこう。 自分の意見そのものではなく、与えられた話題について自分の意見に近い大人(ただし、一般的な大人で、立派な大人)の言っていた短めの話を思い出して、それをベースにして、少しだけ自分の意見を付け足すアレンジをして、まとめれば充分だろう。 普段から、そういった練習をしておくと良いだろう。つまり、普段から、会話のあとなどに、脳内でいいので、手短かに自分の意見をまとめる練習をするのである。 普段から、「話が長い」とか「前置きが長い」とか言われる人は、気を付けよう。 要するに、作文には人格が現れる。 研究論文ではないので、内容の新規性の高さではなく、分かりやすさが必要なのである。少しくらい、新規性や独自性などを犠牲にしてもいいし、犠牲にせざるを得ない。入試の作文では、研究論文とは要求されている能力が違う。 これは大学入試の小論文でも同様のテクニックである。 小論文は、名前に「論文」とあるので、ついつい新規性を追求してしまいがちだが、しかし入試の場合、高校入試でも大学入試でも「小論文」には新規性は基本的には問われていない。 条件付き作文の詳しい採点基準は非公開だが、一般に、この手の、意見を述べる問題の場合、公平を期すために複数人の採点者によって評価が行われるだろう。なので、高校受験での作文の対策としては、まずは大きなミスをなくした文章を書くべきである。致命的な論理の飛躍とか、誤字脱字とか、そういうのを無くすのが優先である。 「複数人で採点」の根拠として、作文ではなく面接テクニックで大学受験において知られている話だが、数学者で大学教授の秋山仁(あきやま じん)が、1990年代に大学側の面接評価の大学側での採点基準を著書で述べたのだが、複数の大学教員による評価であった。秋山によると、受験生の長所は採点者ごとに人それぞれだが、受験生の短所はどの採点者が評価しても、おおよそ一致する、という傾向があるとの知見がある。 都道府県の高校入試は誰が採点しているかは不明だが、複数の高校教師(国語科とは限らないかもしれない)が読んでも納得するように書けば良いだろうか。 大学教授は読んでくれないし(採点者の人数が少ない)、そもそも、専門家でないと理解できないような専門性の強い意見は、求められていない。 このため、高校入試の作文でもちいる単語について、使用を避けるべき単語として、流行語や(国語辞典に載ってないし、複数の採点者ごとに解釈が異なりうるのでダメ)、特定の業界でしか通用しない用語は(高校教師や一般的な公務員が知らないのでダメ)、使用を避ける必要があります。入試では、普通の国語教科書の文章にある単語のように、平易で一般的で国語辞典で検証可能な単語をもちいて意見などを説明する必要があります。 == 論述問題 == 高校入試でも、論述問題はありうる。「傍線部Aの内容を作者の言いたいことを、15文字以内でまとめなさい。句読点も含む。」のような要約のような設問は出るかもしれません。 なので、決して単語など読解のための部品を覚えるだけでなく、文章全体の意味も理解できるようにする必要がある。 ただし、採点に手間が掛かるので、あまり出題されない。よって、対策の優先順位は低い。 == 要出典 == (※要出典)古文があまり出ない高校もある一方で、高校入試ではあまり出題されない漢文を課す高校もあります。 [[Category:中学校教育|がくしゅうほうほうこうこうじゅけんこくご]] [[Category:学習方法|こうこうしゆけんこくこ]]
2014-10-14T03:47:19Z
2024-03-16T05:26:36Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93/%E5%9B%BD%E8%AA%9E
19,526
学習方法/高校受験/数学
数学では、「交換法則」などと用語を問う問題は出題されない。 入試の記述の答案でもし用語を使いまちがえたら減点なので、中学の授業では「交換法則」などの用語を問う問題も出るかもしれない。だが入試では、直接的に用語を問う問題は出ない。 授業は、普通に問題を解くのに使いましょう。一字一句を書き写す必要は無い。それよりも問題を解くのが重要である。 塾や参考書などで既に予習済みであっても、復習だと思って、もう一度、学校で練習したほうがいい人もいるだろう。 逆に言うと、学校を復習の場として使うことも考えれば、予習のさいに同じ問題を何周もする必要はありません。予習は1周すれば十分です。 ただ、予習や問題演習をしっかりやって学習範囲に不安が残ってないなら、授業中に内職をして先の範囲の学習や演習をするというのは有効な手段である。 入試前の数学の勉強は、中1・2の内容の復習の時間と現在進行の内容の復習の時間で、(※要出典、または根拠の提示→)なんやかんやで一日30分~1時間程必要であろう。(人にもよる)。 お薦め時間配分は、(※要出典、または根拠の提示→)過去のノート・教科書の見返しに5分、見返した範囲の問題演習に20分~30分、その日学習した内容の問題演習に5分~15分程度。 在宅学習時に、過去のノートや教科書の内容を別のノートに丁寧にまとめ直したり、公式の一覧を作ったりするような学習があるが、編集者Bはあまり推奨していない。 基礎を固めたいなら、実際に基礎問題を解いてみることです。 また、理解を整理するためにノートにまとめたいなら、情報不足の検定教科書を読み返しても不合理です。 勉強と言うのは、習字のように、手本を見ながら、自分の手技を修正していくものです。 ノートを使った勉強をするのなら、たとえば市販の参考書の解説をよんだり、例題などの模範解答を読んで、それを自分のノートと比べて、自分の穴を探して埋めるのです。 授業中にとった自分のノートを読み返したところで、ノートを書いたあなたは数学教師ではないので、あまり勉強になりません。 手本をみないで自分の下手なノートだけを見るのは無駄です。お習字と一緒です。うまい人の手本(参考書のこと)を見て真似しましょう。 数学の場合、まずは入試問題の過去問をやってみるとよいだろう。入試問題は中学の定期テストや普段の課題とは少し異なる出題形式をしている。入試独特の出題形式に慣れることに加え、出題傾向をつかむことが出来ると、受験対策として非常に有効だろう。 多くの入試で、最初の小問集合に計算問題が出題される。ここでは基本的な計算能力・計算順序の理解が問われている。 入試では基礎から応用・発展まで幅広く出題される。もちろん学問・勉強で一番大事なのは基礎だが、多くの試験問題作成者は応用、発展問題の出題を好む。基礎が固まったら、教科書、学校で使っている問題集の、やや発展的な問題をやってみるといいだろう。(実際の入試では、教科書応用問題のさらに斜め上を行く問題が出る事が多い。) 公立入試では特別に難しい証明問題は出題されない。しかし、かといって、用語を暗記だけしていれば解ける問題も、あるかもしれないが、もっと応用的な問題も多い。 ともかく、普通に教科書にある内容を理解しながら勉強していけば、対策としては十分なはずである。 中学校の中間期末テスト対策だと、用語や解法そのものを暗記してしまっているかもしれない。 なので、市販の参考書や問題集などで、簡単な問題でもいいので証明問題も練習しておくのが良いだろう。 教科書に載っている図形や数の性質、定理を積み重ねていき、問題としている場合に適合させれば、普通に証明をできる問題が、一般的な高校入試における証明問題であろう。 計算問題と同様に慣れの要素もあるので、問題集を手に入れて様々な課題をやってみるのもいいだろう。 高校1~2年レベルの 昔からよく、やや難しめ以上の私立高校で出ます。 特に数列は、難しめの私立では、高校入試どころか中学入試でも定番です。 等差数列の級数の総和の問題は、もう事実上、私立高校の範囲だと思った方が良いでしょう。 中学範囲のやたらと小難しい超難問を練習をするよりも、高校の検定教科書レベルの、確率・順列や、数列などを勉強したほうが得です。 全国レベルに名前の知られたよほど有名なブランド高校の難関でも受験しないかぎり、あまり中学レベル範囲の数学の超難問を解きまくる必要はないでしょう。 そこまで受験でしか使えない数学勉強に時間を割くくらいなら、ほとんどの私立高校では、英語などを高校の範囲まで勉強したほうが、受験にも合格後にも得でしょう。 確率・数列が私立高校の入試に出るというのは、逆に言うと、微分積分は私立ですら高校入試には出ません。三角関数も、私立高校の入試に出すのが難しいでしょう。 3次以上の因数分解は、あまり出ません。そういう問題よりも、上述のような数列など、中学受験でも狙われるような問題のほうが、狙われます。 3次以上の因数分解を勉強しても構いませんし知っていることで、解くのが早くなるかもしれませんが、知っているくらいで十分でしょう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "数学では、「交換法則」などと用語を問う問題は出題されない。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "入試の記述の答案でもし用語を使いまちがえたら減点なので、中学の授業では「交換法則」などの用語を問う問題も出るかもしれない。だが入試では、直接的に用語を問う問題は出ない。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "授業は、普通に問題を解くのに使いましょう。一字一句を書き写す必要は無い。それよりも問題を解くのが重要である。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "塾や参考書などで既に予習済みであっても、復習だと思って、もう一度、学校で練習したほうがいい人もいるだろう。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "逆に言うと、学校を復習の場として使うことも考えれば、予習のさいに同じ問題を何周もする必要はありません。予習は1周すれば十分です。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ただ、予習や問題演習をしっかりやって学習範囲に不安が残ってないなら、授業中に内職をして先の範囲の学習や演習をするというのは有効な手段である。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "入試前の数学の勉強は、中1・2の内容の復習の時間と現在進行の内容の復習の時間で、(※要出典、または根拠の提示→)なんやかんやで一日30分~1時間程必要であろう。(人にもよる)。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "お薦め時間配分は、(※要出典、または根拠の提示→)過去のノート・教科書の見返しに5分、見返した範囲の問題演習に20分~30分、その日学習した内容の問題演習に5分~15分程度。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "在宅学習時に、過去のノートや教科書の内容を別のノートに丁寧にまとめ直したり、公式の一覧を作ったりするような学習があるが、編集者Bはあまり推奨していない。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "基礎を固めたいなら、実際に基礎問題を解いてみることです。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、理解を整理するためにノートにまとめたいなら、情報不足の検定教科書を読み返しても不合理です。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "勉強と言うのは、習字のように、手本を見ながら、自分の手技を修正していくものです。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ノートを使った勉強をするのなら、たとえば市販の参考書の解説をよんだり、例題などの模範解答を読んで、それを自分のノートと比べて、自分の穴を探して埋めるのです。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "授業中にとった自分のノートを読み返したところで、ノートを書いたあなたは数学教師ではないので、あまり勉強になりません。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "手本をみないで自分の下手なノートだけを見るのは無駄です。お習字と一緒です。うまい人の手本(参考書のこと)を見て真似しましょう。", "title": "用語は出ない" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "数学の場合、まずは入試問題の過去問をやってみるとよいだろう。入試問題は中学の定期テストや普段の課題とは少し異なる出題形式をしている。入試独特の出題形式に慣れることに加え、出題傾向をつかむことが出来ると、受験対策として非常に有効だろう。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "多くの入試で、最初の小問集合に計算問題が出題される。ここでは基本的な計算能力・計算順序の理解が問われている。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "入試では基礎から応用・発展まで幅広く出題される。もちろん学問・勉強で一番大事なのは基礎だが、多くの試験問題作成者は応用、発展問題の出題を好む。基礎が固まったら、教科書、学校で使っている問題集の、やや発展的な問題をやってみるといいだろう。(実際の入試では、教科書応用問題のさらに斜め上を行く問題が出る事が多い。)", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "公立入試では特別に難しい証明問題は出題されない。しかし、かといって、用語を暗記だけしていれば解ける問題も、あるかもしれないが、もっと応用的な問題も多い。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ともかく、普通に教科書にある内容を理解しながら勉強していけば、対策としては十分なはずである。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "中学校の中間期末テスト対策だと、用語や解法そのものを暗記してしまっているかもしれない。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "なので、市販の参考書や問題集などで、簡単な問題でもいいので証明問題も練習しておくのが良いだろう。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "教科書に載っている図形や数の性質、定理を積み重ねていき、問題としている場合に適合させれば、普通に証明をできる問題が、一般的な高校入試における証明問題であろう。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "計算問題と同様に慣れの要素もあるので、問題集を手に入れて様々な課題をやってみるのもいいだろう。", "title": "公立高校入試の対策" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "高校1~2年レベルの", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "昔からよく、やや難しめ以上の私立高校で出ます。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "特に数列は、難しめの私立では、高校入試どころか中学入試でも定番です。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "等差数列の級数の総和の問題は、もう事実上、私立高校の範囲だと思った方が良いでしょう。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "中学範囲のやたらと小難しい超難問を練習をするよりも、高校の検定教科書レベルの、確率・順列や、数列などを勉強したほうが得です。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "全国レベルに名前の知られたよほど有名なブランド高校の難関でも受験しないかぎり、あまり中学レベル範囲の数学の超難問を解きまくる必要はないでしょう。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "そこまで受験でしか使えない数学勉強に時間を割くくらいなら、ほとんどの私立高校では、英語などを高校の範囲まで勉強したほうが、受験にも合格後にも得でしょう。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "確率・数列が私立高校の入試に出るというのは、逆に言うと、微分積分は私立ですら高校入試には出ません。三角関数も、私立高校の入試に出すのが難しいでしょう。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "3次以上の因数分解は、あまり出ません。そういう問題よりも、上述のような数列など、中学受験でも狙われるような問題のほうが、狙われます。", "title": "難関の私立の対策" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "3次以上の因数分解を勉強しても構いませんし知っていることで、解くのが早くなるかもしれませんが、知っているくらいで十分でしょう。", "title": "難関の私立の対策" } ]
null
== 用語は出ない == 数学では、「交換法則」などと用語を問う問題は出題されない。 入試の記述の答案でもし用語を使いまちがえたら減点なので、中学の授業では「交換法則」などの用語を問う問題も出るかもしれない。だが入試では、直接的に用語を問う問題は出ない。 しかしながら、法則や公式の名前は入試に直接出題されないとは言っても、これらは数学の学習には必要な概念なので覚えておきましょう。 === 授業中の学習方針 === 授業は、普通に問題を解くのに使いましょう。一字一句を書き写す必要は無い。それよりも問題を解くのが重要である。 塾や参考書などで既に予習済みであっても、復習だと思って、もう一度、学校で練習したほうがいい人もいるだろう。 逆に言うと、学校を復習の場として使うことも考えれば、予習のさいに同じ問題を何周もする必要はありません。予習は1周すれば十分です。 ただ、予習や問題演習をしっかりやって学習範囲に不安が残ってないなら、授業中に内職をして先の範囲の学習や演習をするというのは有効な手段である。 === 帰宅後 === 入試前の数学の勉強は、中1・2の内容の復習の時間と現在進行の内容の復習の時間で、(※要出典、または根拠の提示→)なんやかんやで一日30分~1時間程必要であろう。(人にもよる)。 お薦め時間配分は、(※要出典、または根拠の提示→)過去のノート・教科書の見返しに5分、見返した範囲の問題演習に20分~30分、その日学習した内容の問題演習に5分~15分程度。 在宅学習時に、過去のノートや教科書の内容を別のノートに丁寧にまとめ直したり、公式の一覧を作ったりするような学習があるが、編集者Bはあまり推奨していない。 基礎を固めたいなら、実際に基礎問題を解いてみることです。 また、理解を整理するためにノートにまとめたいなら、情報不足の検定教科書を読み返しても不合理です。 勉強と言うのは、習字のように、手本を見ながら、自分の手技を修正していくものです。 ノートを使った勉強をするのなら、たとえば市販の参考書の解説をよんだり、例題などの模範解答を読んで、それを自分のノートと比べて、自分の穴を探して埋めるのです。 授業中にとった自分のノートを読み返したところで、ノートを書いたあなたは数学教師ではないので、あまり勉強になりません。 手本をみないで自分の下手なノートだけを見るのは無駄です。お習字と一緒です。うまい人の手本(参考書のこと)を見て真似しましょう。 == 公立高校入試の対策 == 数学の場合、まずは入試問題の過去問をやってみるとよいだろう。入試問題は中学の定期テストや普段の課題とは少し異なる出題形式をしている。入試独特の出題形式に慣れることに加え、出題傾向をつかむことが出来ると、受験対策として非常に有効だろう。 * 計算問題 多くの入試で、最初の小問集合に計算問題が出題される。ここでは基本的な計算能力・計算順序の理解が問われている。 * 関数・図形等の問題 入試では基礎から応用・発展まで幅広く出題される。もちろん学問・勉強で一番大事なのは基礎だが、多くの試験問題作成者は応用、発展問題の出題を好む。基礎が固まったら、教科書、学校で使っている問題集の、やや発展的な問題をやってみるといいだろう。(実際の入試では、教科書応用問題のさらに斜め上を行く問題が出る事が多い。) * 証明問題 公立入試では特別に難しい証明問題は出題されない。しかし、かといって、用語を暗記だけしていれば解ける問題も、あるかもしれないが、もっと応用的な問題も多い。 ともかく、普通に教科書にある内容を理解しながら勉強していけば、対策としては十分なはずである。 中学校の中間期末テスト対策だと、用語や解法そのものを暗記してしまっているかもしれない。 なので、市販の参考書や問題集などで、簡単な問題でもいいので証明問題も練習しておくのが良いだろう。 教科書に載っている図形や数の性質、定理を積み重ねていき、問題としている場合に適合させれば、普通に証明をできる問題が、一般的な高校入試における証明問題であろう。 計算問題と同様に慣れの要素もあるので、問題集を手に入れて様々な課題をやってみるのもいいだろう。 高校入試としては、最頻出は、三角形の合同条件(三つのうちどれか)で証明する問題だろう。 ただし、二次方程式の解の公式を導出させる証明問題も、公立高校の入試で出題されたこともある<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=OBpXnuPlipw 『高校時代の思い出27 どこまで理解し、どこから暗記するか 理解と暗記のバランス』 2024/03/22 ]</ref>。 == 難関の私立の対策 == === 傾向 === 高校1~2年レベルの :順列・組み合わせ および (高校の)確率と、 :数列・級数の問題 は、 昔からよく、やや難しめ以上の私立高校で出ます。 高校入試では、中学でならう「場合の数」の発展問題という名目で、難関の私立入試に順列・組み合わせが出題されます。名目でこそ「場合の数」ですが、しかし難関私立の入試問題では、その場合分けの数が膨大だったりするので、事実上、高校の順列・組み合わせに慣れていないと時間内に解けないのが実態だったりします。 ほか、数列は、難しめの私立では、高校入試どころか中学入試でも定番です。たとえば、鉛筆をピラミッド上につみかさねて、それに対応させる「1+2+3+4+・・・+49+50 」みたいな計算をさせるのが、中学入試でよくある問題です。 こういったのが、等差数列の級数の総和(「1+2+3+4+・・・+49+50 」みたいな計算)です。等差数列の問題は、もう事実上、私立高校の範囲だと思った方が良いでしょう。 高校入試の場合、2+5+8+11+14+17+ ・・・ + 101 + 103 のように、差が1とは限りません。 ほか、公立入試だが、二次方程式の解の公式を導出させる証明問題が、出題されたこともある<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=OBpXnuPlipw 『高校時代の思い出27 どこまで理解し、どこから暗記するか 理解と暗記のバランス』 2024/03/22 ]</ref>。 これらの事と合わせると、入試対策として高校レベルの予習をする場合は、きちんと定理の導出などを理解した上で公式を覚えるほうが安全そうである。もし公式を丸暗記する方法をしてしまうと、たとえば鉛筆のピラミッド積み重ねの公式を覚えても、等差数列の問題で、差の間隔を1以外の数値に変えられて出題されたら、解けなくなってしまう。 === 対策 === 中学範囲のやたらと小難しい超難問を練習をするよりも、高校の検定教科書レベルの、確率・順列や、数列などを勉強したほうが得です。 全国レベルに名前の知られた難関高を受験しないなら、あまり中学レベル範囲の数学の超難問を解きまくる必要はないでしょう。 そこまで受験でしか使えない数学勉強に時間を割くくらいなら、ほとんどの私立高校では、英語などを高校の範囲まで勉強したほうが、受験にも合格後にも得でしょう。 確率・数列が私立高校の入試に出るというのは、逆に言うと、微分積分は私立ですら高校入試には出ません。三角関数も、私立高校の入試に出すのが難しいでしょう。 * 高校数学の内容について 3次以上の因数分解は、あまり出ません。そういう問題よりも、上述のような数列など、中学受験でも狙われるような問題のほうが、狙われます。 3次以上の因数分解を勉強しても構いませんし知っていることで、解くのが早くなるかもしれませんが、知っているくらいで十分でしょう。 また、ベクトルについて知っていると高校受験の空間図形や平面図形の問題が解きやすくなる場合があるが、しかし時間的に難しいかもしれない。(2024年の現在、数学Cに回っており、中学生では学習が困難) == その他 == また、学校の授業は同じ授業を20人30人が同時に受ける。習熟度別のクラス編成だとしても、自分の学習ペースが学校の授業の進度と合わないという可能性はあり得る。自分の学習ペースが学校の進度よりも遅い場合、どこの単元でつまづいているのか、確認した上で、その単元の学習をして、なんとか学校の進度に追いつくなどの対策が求められる。自分の学習ペースが学校の進度よりも早く、学校の授業内容をすでに知っている場合は、場合によっては、学校の授業を無視して自分で学習を進めるということをしてもよいだろう。中学校の場合、内申点が高校受験に関係するので、堂々と内職をすることは難しいかもしれない。   [[Category:中学校教育|かくしゅうほうほうこうこうしゆけんすうかく]] [[Category:学習方法|こうこうしゆけんすうかく]]
2014-10-14T05:03:56Z
2024-03-22T11:18:27Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93/%E6%95%B0%E5%AD%A6
19,527
学習方法/高校受験/英語
高校受験の英語においては、英単語、文法や熟語、発音の練習なども要求される。 英作文は、難関高校を除いて、実はあまり比重が高くない。 県立高校など都道府県の入試の場合は、中学範囲の出題がされる。ただし、私立の場合は、高校1年レベルの英単語なども要求される場合もある。さらに私立の難関校では、英作文の出題がやや多い。 入試の英作文は、じつは決して米英ネイティブレベルに正確に書く必要は無い。市販の高校受験レベルの参考書にある英文法および英単語を確実に習得したことを英作文でアピールできる程度の文章さえ書ければいい。 例外として帰国子女向けの入試を除いて、難関高校の英作文ですらも参考書レベルで十分である。 そもそも、ネイティブレベルの英語だと、日本人の高校英語教師では採点が出来ない。(多くの高校では、十分な人数の米英人の教師を雇えない。) また、どんなにネイティブレベルの流暢で意外な表現ができても、入試では配点までしか得点を貰えないので、そこまで英作文に深入りするのは損である。 もし、帰国子女レベルのネイティブな英語を特別に評価されたいなら、そういう特殊な入試を行っている一部の私立を志望すべきである。 高校入試の英単語の問題でよくある出題方法は、和文を英文に翻訳する問題で、すでに英文がほぼ完成している状態で提示されるが、壱語か二語だけ英文が欠けていて空欄になっており、その空欄を補え、というタイプの問題である。空欄の中に英単語の頭文字が書いてあり、解答欄には、その頭文字ごと単語を書け、といった出題が多い。 英語のスペルは正しく書けなければならない。もちろん試験ではスペル間違いはそれなりに減点、あるいは不可になる。 英単語のスペルを覚えるいい方法については、それぞれの学習者ごとに異なるが、一般的にもさまざまな主張やアドバイスがある。 『進研ゼミ 高校入試情報サイト』では、中学校の英単語学習として、意味や用法を覚え、スペルも書いて練習しようと勧めている。 英単語書き取り練習は漢字練習と同じようなものでしょう。まず中学校必須単語から、一単語あたり5~10回書いて覚えたい。 しかし、それらの書籍の主張に反する論文もある。 書き取り練習は、英単語を覚えるための効果的な学習法ではない、という主張と、それを支持する論文もある。 その場合は、こういうやり方がいいだろう。まず、英単語を見てその意味を思い浮かべる。思い浮かべた意味と真の意味が違っていたら、真の意味を覚えて次の単語に移る。これを覚えるまで何回か繰り返す。こういう学習法が最適だという主張もあります。 また、最近は英単語を覚えるためのスマホアプリなどが登場している。これらを活用することも有効な手段であろう。 実は世の中、学習法については諸説あり、いろいろな方法を語る人物がいるから、学習者の自主的な判断が必要になるだろう。 どのような学習法にして、学習するなら、重要度の高い単語から覚えていく必要がある。ただし、長文や、読解問題では、結局それほど重要だとみなされない単語が使われることも多いので、この視点がどれほど的を射ているかも一考の余地がある。 なので、とりあえず単語のスペルを暗記できるかどうかは置いといて、学習の早い段階で高校受験レベルの英単語を一通り練習してしまい、意味を知ってしまうのが良いだろう。 たとえすぐにはスペルを覚えられなくても、意味を覚えるだけなら比較的に容易である。そもそも単語集などで意味を早めに調べないと、英文読解の練習すらできない。 なので、自発的な予習が必要である。 しかし高校入試の英語の試験問題の長文では、あまり馴染み(なじみ)のない単語には注釈として語釈(ごしゃく)がついている場合が多いので、あまり英単語の予習を進めすぎる必要もない。 ただ大筋では、中学校重要単語、高校重要単語と、段階を示す事が出来るでしょうが、実際の試験問題でその分類が徹底的に守られるわけではない。例えば disappoint「がっかりする」や opinion「意見」などは高校参考書などでは高校 2~3年で学習する単語だと見なされてれているが、高校入試の長文読解でも使われている。とはいえほとんどの場合は中学生では難しすぎる単語として、注釈、解説はあるのが普通である。 さて、英単語学習の話に戻りますが、例えば中学校向けあるいは高校受験対策向けの英単語集で勉強する道もありますよね。 wiki編集者の多くの人の推奨では、中学レベルの単語集の学習では前半部分は飛ばすのが良い、という意見があります。理由は、初歩的すぎる単語は学校などで既に学習している可能性が高いから、中間の単語から学習するのが良い、という根拠です。そして最後まで学習したら最初に戻るか、あるいは前半部分はもうやらないで、より次のレベルの単語集、例えば高校レベルの単語の勉強に向かうのが良い、という意見もある。 前項でも書いたように、中学範囲、高校範囲と区別して、その違いにこだわることはあまり意味がないし、その区別も事実上あいまい。特に学習すべき単語については、明確に中学単語、高校単語と区別することは、ごく基本的な単語以外、はっきりしない、おおざっぱな物になるだろう。 公立高校の入学試験は、一般的に標準的、基本的な出題が多いので、英単語に関してもそんな難しい単語を使わず、学校教科書の範囲の単語が使用されると思われる。 近年は中学校英語で扱う単語数が増加しているようだ。しかし、基本的には学校で習う単語をよく理解して覚えておくのを現編集者は推奨するが、むしろ少し背伸びして手を伸ばして、高校1年向けの参考書(3000語程度)を学習するのも良いのではないか、という意見もある。 ただし、国立大付属高校の試験でも、それほど英単語の難度は高くない。だから多少難易度の高い単語を使用するのは、私立の難易高入試だろう。ただその場合でも、例えば英単語において、決して高校3年くらいをターゲットにした難関大学受験用英単語を覚える必要はなく、せいぜい高校1年の程度の基本的な高校英単語で十分だろう。 まして、県立・都立などの公立高校やごく普通の偏差値の私立高校では、それほど難度の高い英単語は出てこない。 難関の私立高校の場合(ただし、「○○御三家」とか言われるレベルのかなりの名門私立)、使用される単語、熟語も、かなり難しい言葉が使われる場合もある。 まず、やはり使われる英単語の難度として、高いものになるだろうから、高校初等の単語集の学習は有用。 しかし、仮にその学習をするにした所で、高校初等の重要語3000~3500語を覚えればもう十分だろう。つまり、高校中級の英単語4500語は覚える必要はない。なぜなら、難関校ですら、入試の長文では、ある程度難易度の高い単語には解説がつく。 単語よりも、私立難易高では英作文の出題が目立つ。そのためには少しハードルを下げて、高校1800語でいいので、しっかり学習するとよいだろうという指摘もある。 中学校で学習する英文法は、我々の英語理解の基本になるものだが、しかし絶対的なものではないだろう。高校では高校で、英文法のアップデートがなされるし、そして高校を卒業した後でも、何度も何度も英文法と言語文法のアップデートはなされていくだろう。 しかし我々は小学校でさらっと英語を知った後、中学校で最初に割と深く英文法を学習することになる。これは受験対策でもそうでなくても、よく理解しておきたい。受験勉強として取り組むなら、受験標準問題集による演習でもよいし、参考書類での理解を主軸にした学習でも良いだろう。 このページは高校受験対策がテーマだから、問題集での演習を勧める人が多い。 一部の編集者は別の意見で、各種参考書類での理解と読解を主体にした学習も勧める(←具体的に何?)。その根拠として、勉強とは結局、他者の発する質問や問題に答えることではなく、物事を知り理解することだからだという。 古い本にももちろん内容はあるが、高校受験勉強をするなら、毎年最新の情報と教材をもとに学習するのが一番望ましいだろう。 現代、多くの私立高校は付属中学を持っており、ほとんどの私立の付属中学では、英語教育では検定外教科書を使っており、ハイペースな授業が行われており、中学時代のうちに高校1年レベルの内容に突入しています。 なので、2020年代の現代では、私立高校の入試英語は、単語数が中学英語を越えています。 なので、もし読者のあなたが私立高校志望をするなら、英単語の勉強は、高校1年レベル程度の英単語まで勉強しておいてください。 英単語なら、書店で売っている市販の高校生向けの単語集で、独学できるはずです。 高校生向けの単語集を買うべきか、それとも中学生向けの難関私立高校用の入試対策の単語集を買うべきかは、読者の判断に任せます。 なお、中高一貫校用の英語教材は学校専売品であり、そのため一般の書店では販売されておらず、購入できません。なので、購入のために探す必要はありません。 なお、文法事項に関しては、独学などが困難なので、よほどの難関校を除けば、高校レベルの文法は高校入試には、あまり出ないと思われます。仮に中学レベルを超えた文法が出るとしても、市販されている受験用の発展的な参考書を学習しておけば十分だろう。(社会通念的に考えて、市販の教材で勉強しようのないものは入試に出さないだろう。) 高校レベルの文法よりも、英作文とかそういうのが難関高校では出ますので、あまり文法には深入りする必要が無いと思います。 中学英語の文法に関しては、高校学習に手を出しても利点が少ない。2020年代では、中学英語で学習する文法事項が、1990年代より進んでいる。仮定法や無生物主語が現代では中学範囲ですので、わざわざ高校レベルの文法参考書を買う必要はうすいかもしれない。 志望校の過去問などで傾向を確認してもらいたい。 受験対策としては、発音は決してネイティブにソックリである必要ではなく、単語集などにある「発音注意」とか注記されている発音を間違えなければいい。 今時の単語集や参考書などには音声教材がついているので、それで音を覚えてしまうのも有効だろう。 英語教育でも、リスニングやスピーキングという分野もある。リスニング問題というのも出るので、音声教材を聞いて慣れてよくと良い。 都立共通問題英語ではリスニング問題が出題される。おそらく他県でも多くの場合、出題される。 対策は、各種の音声教材を活用すればよい。参考書にもCD音声素材が付録になっていることが多い。 YouTubeは、中学生にはレベルが合ってない。 しかし言葉とは、まず口で発して耳で聞くものだったはずだ。文字や文章は文明の後期で生まれてきた。今でこそCDやカセットテープなど、それらしい音声教材があるが、どちらにしろ昔から、発声としての、音としての英語をうまく表現し、教える工夫は必要だったろう。 その辺の歴史資料として、国会図書館サイトや、https://www.nier.go.jp/library/textbooks/ には面白い資料があるので、気晴らしや教養として少し見てみるのも良いだろう。 しかし昔から様々な英語教育の工夫がされていたとはいえ、 英単語・熟語、英文読解、英作文、発音、リスニングとスピーキング。それぞれバランスよく学習していくのがいいのだろう。 都立高入試では、2023年度からスピーキングテストが導入されます。おそらく、他県でもスピーキングテストが導入されるようになるのではないでしょうか。 英検を取っておくと高校受験において有利になる可能性があります。 東京都の場合、英検3級以上を取っておくと、私立併願や推薦で内申点を加算されるところが多いです。加算される点数は1点の場合が多いですが、加算方法や加算基準は高校により異なるので、公式HPや学校見学などで事前に確認しておきましょう。 英検3級以上は英語で面接官とのインタビューがあるので、英検を取得する場合、その対策が必要になります。 都立高一般入試の場合は英検取得が受験に有利になることはありません。 しかし、推薦の場合は都立私立どちらでも、英検取得を告げれば、自分の学力を証明する証拠としては好印象にはなります。 英検のサイトには3級が「中学卒業程度」と、書かれています。ただ、あくまでも大きな目安です。基本的に学校教育と英検では、英語の概念的な捉え方にも違いがあり、出題傾向や試験としての合否も、別々の発想を持っていると思います。 このため、志望校によっては、英検3級は評価されないかもしれない(準2級からでないと、志望校によっては評価されないかもしれない)。志望校の募集要項などで確認してほしい。募集要項に、英検が何級から評価されるのか等、書いてあるはず。英検以外に漢字検定や数学検定なども同様。 私立受験の場合、推薦以外では英検の比重は入試ではあまり重くなく、それよりも入試本番での得点のほうが重要です。なので、英語の受験勉強としては、わざわざ英検対策をする必要は無いでしょう。普通に国数英理社の5科を受験勉強を日常的にしながら、そのついでに英検を受けるので十分でしょう。時間に限りがあるので、受験勉強とは別にわざわざ英検用の勉強をするのは、あまりおすすめしません。 私立高校によってはTOEICの一定スコア以上を評価する高校もあると思いますが、しかしTOIECの出題範囲が中学レベルや高校1年レベルに合っておらず、そのため、中学生がTOEIC受験をすると対策のために他教科の勉強の時間が大きく奪われるので、あまりTOEIC受験による評価アップはオススメしません。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高校受験の英語においては、英単語、文法や熟語、発音の練習なども要求される。", "title": "傾向" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "英作文は、難関高校を除いて、実はあまり比重が高くない。", "title": "傾向" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "県立高校など都道府県の入試の場合は、中学範囲の出題がされる。ただし、私立の場合は、高校1年レベルの英単語なども要求される場合もある。さらに私立の難関校では、英作文の出題がやや多い。", "title": "傾向" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "入試の英作文は、じつは決して米英ネイティブレベルに正確に書く必要は無い。市販の高校受験レベルの参考書にある英文法および英単語を確実に習得したことを英作文でアピールできる程度の文章さえ書ければいい。", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "例外として帰国子女向けの入試を除いて、難関高校の英作文ですらも参考書レベルで十分である。", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "そもそも、ネイティブレベルの英語だと、日本人の高校英語教師では採点が出来ない。(多くの高校では、十分な人数の米英人の教師を雇えない。)", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、どんなにネイティブレベルの流暢で意外な表現ができても、入試では配点までしか得点を貰えないので、そこまで英作文に深入りするのは損である。", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "もし、帰国子女レベルのネイティブな英語を特別に評価されたいなら、そういう特殊な入試を行っている一部の私立を志望すべきである。", "title": "英作文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "高校入試の英単語の問題でよくある出題方法は、和文を英文に翻訳する問題で、すでに英文がほぼ完成している状態で提示されるが、壱語か二語だけ英文が欠けていて空欄になっており、その空欄を補え、というタイプの問題である。空欄の中に英単語の頭文字が書いてあり、解答欄には、その頭文字ごと単語を書け、といった出題が多い。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "英語のスペルは正しく書けなければならない。もちろん試験ではスペル間違いはそれなりに減点、あるいは不可になる。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "英単語のスペルを覚えるいい方法については、それぞれの学習者ごとに異なるが、一般的にもさまざまな主張やアドバイスがある。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "『進研ゼミ 高校入試情報サイト』では、中学校の英単語学習として、意味や用法を覚え、スペルも書いて練習しようと勧めている。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "英単語書き取り練習は漢字練習と同じようなものでしょう。まず中学校必須単語から、一単語あたり5~10回書いて覚えたい。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "しかし、それらの書籍の主張に反する論文もある。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "書き取り練習は、英単語を覚えるための効果的な学習法ではない、という主張と、それを支持する論文もある。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "その場合は、こういうやり方がいいだろう。まず、英単語を見てその意味を思い浮かべる。思い浮かべた意味と真の意味が違っていたら、真の意味を覚えて次の単語に移る。これを覚えるまで何回か繰り返す。こういう学習法が最適だという主張もあります。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また、最近は英単語を覚えるためのスマホアプリなどが登場している。これらを活用することも有効な手段であろう。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "実は世の中、学習法については諸説あり、いろいろな方法を語る人物がいるから、学習者の自主的な判断が必要になるだろう。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "どのような学習法にして、学習するなら、重要度の高い単語から覚えていく必要がある。ただし、長文や、読解問題では、結局それほど重要だとみなされない単語が使われることも多いので、この視点がどれほど的を射ているかも一考の余地がある。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なので、とりあえず単語のスペルを暗記できるかどうかは置いといて、学習の早い段階で高校受験レベルの英単語を一通り練習してしまい、意味を知ってしまうのが良いだろう。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "たとえすぐにはスペルを覚えられなくても、意味を覚えるだけなら比較的に容易である。そもそも単語集などで意味を早めに調べないと、英文読解の練習すらできない。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "なので、自発的な予習が必要である。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "しかし高校入試の英語の試験問題の長文では、あまり馴染み(なじみ)のない単語には注釈として語釈(ごしゃく)がついている場合が多いので、あまり英単語の予習を進めすぎる必要もない。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ただ大筋では、中学校重要単語、高校重要単語と、段階を示す事が出来るでしょうが、実際の試験問題でその分類が徹底的に守られるわけではない。例えば disappoint「がっかりする」や opinion「意見」などは高校参考書などでは高校 2~3年で学習する単語だと見なされてれているが、高校入試の長文読解でも使われている。とはいえほとんどの場合は中学生では難しすぎる単語として、注釈、解説はあるのが普通である。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "さて、英単語学習の話に戻りますが、例えば中学校向けあるいは高校受験対策向けの英単語集で勉強する道もありますよね。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "wiki編集者の多くの人の推奨では、中学レベルの単語集の学習では前半部分は飛ばすのが良い、という意見があります。理由は、初歩的すぎる単語は学校などで既に学習している可能性が高いから、中間の単語から学習するのが良い、という根拠です。そして最後まで学習したら最初に戻るか、あるいは前半部分はもうやらないで、より次のレベルの単語集、例えば高校レベルの単語の勉強に向かうのが良い、という意見もある。", "title": "英単語" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "前項でも書いたように、中学範囲、高校範囲と区別して、その違いにこだわることはあまり意味がないし、その区別も事実上あいまい。特に学習すべき単語については、明確に中学単語、高校単語と区別することは、ごく基本的な単語以外、はっきりしない、おおざっぱな物になるだろう。", "title": "受験勉強の学習範囲" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "公立高校の入学試験は、一般的に標準的、基本的な出題が多いので、英単語に関してもそんな難しい単語を使わず、学校教科書の範囲の単語が使用されると思われる。", "title": "受験勉強の学習範囲" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "近年は中学校英語で扱う単語数が増加しているようだ。しかし、基本的には学校で習う単語をよく理解して覚えておくのを現編集者は推奨するが、むしろ少し背伸びして手を伸ばして、高校1年向けの参考書(3000語程度)を学習するのも良いのではないか、という意見もある。", "title": "受験勉強の学習範囲" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ただし、国立大付属高校の試験でも、それほど英単語の難度は高くない。だから多少難易度の高い単語を使用するのは、私立の難易高入試だろう。ただその場合でも、例えば英単語において、決して高校3年くらいをターゲットにした難関大学受験用英単語を覚える必要はなく、せいぜい高校1年の程度の基本的な高校英単語で十分だろう。", "title": "受験勉強の学習範囲" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "まして、県立・都立などの公立高校やごく普通の偏差値の私立高校では、それほど難度の高い英単語は出てこない。", "title": "受験勉強の学習範囲" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "難関の私立高校の場合(ただし、「○○御三家」とか言われるレベルのかなりの名門私立)、使用される単語、熟語も、かなり難しい言葉が使われる場合もある。", "title": "難関私立高校" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "まず、やはり使われる英単語の難度として、高いものになるだろうから、高校初等の単語集の学習は有用。", "title": "難関私立高校" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "しかし、仮にその学習をするにした所で、高校初等の重要語3000~3500語を覚えればもう十分だろう。つまり、高校中級の英単語4500語は覚える必要はない。なぜなら、難関校ですら、入試の長文では、ある程度難易度の高い単語には解説がつく。", "title": "難関私立高校" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "単語よりも、私立難易高では英作文の出題が目立つ。そのためには少しハードルを下げて、高校1800語でいいので、しっかり学習するとよいだろうという指摘もある。", "title": "難関私立高校" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "中学校で学習する英文法は、我々の英語理解の基本になるものだが、しかし絶対的なものではないだろう。高校では高校で、英文法のアップデートがなされるし、そして高校を卒業した後でも、何度も何度も英文法と言語文法のアップデートはなされていくだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "しかし我々は小学校でさらっと英語を知った後、中学校で最初に割と深く英文法を学習することになる。これは受験対策でもそうでなくても、よく理解しておきたい。受験勉強として取り組むなら、受験標準問題集による演習でもよいし、参考書類での理解を主軸にした学習でも良いだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このページは高校受験対策がテーマだから、問題集での演習を勧める人が多い。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "一部の編集者は別の意見で、各種参考書類での理解と読解を主体にした学習も勧める(←具体的に何?)。その根拠として、勉強とは結局、他者の発する質問や問題に答えることではなく、物事を知り理解することだからだという。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "古い本にももちろん内容はあるが、高校受験勉強をするなら、毎年最新の情報と教材をもとに学習するのが一番望ましいだろう。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "現代、多くの私立高校は付属中学を持っており、ほとんどの私立の付属中学では、英語教育では検定外教科書を使っており、ハイペースな授業が行われており、中学時代のうちに高校1年レベルの内容に突入しています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なので、2020年代の現代では、私立高校の入試英語は、単語数が中学英語を越えています。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "なので、もし読者のあなたが私立高校志望をするなら、英単語の勉強は、高校1年レベル程度の英単語まで勉強しておいてください。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "英単語なら、書店で売っている市販の高校生向けの単語集で、独学できるはずです。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "高校生向けの単語集を買うべきか、それとも中学生向けの難関私立高校用の入試対策の単語集を買うべきかは、読者の判断に任せます。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお、中高一貫校用の英語教材は学校専売品であり、そのため一般の書店では販売されておらず、購入できません。なので、購入のために探す必要はありません。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なお、文法事項に関しては、独学などが困難なので、よほどの難関校を除けば、高校レベルの文法は高校入試には、あまり出ないと思われます。仮に中学レベルを超えた文法が出るとしても、市販されている受験用の発展的な参考書を学習しておけば十分だろう。(社会通念的に考えて、市販の教材で勉強しようのないものは入試に出さないだろう。)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "高校レベルの文法よりも、英作文とかそういうのが難関高校では出ますので、あまり文法には深入りする必要が無いと思います。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "中学英語の文法に関しては、高校学習に手を出しても利点が少ない。2020年代では、中学英語で学習する文法事項が、1990年代より進んでいる。仮定法や無生物主語が現代では中学範囲ですので、わざわざ高校レベルの文法参考書を買う必要はうすいかもしれない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "志望校の過去問などで傾向を確認してもらいたい。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "受験対策としては、発音は決してネイティブにソックリである必要ではなく、単語集などにある「発音注意」とか注記されている発音を間違えなければいい。", "title": "発音" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "今時の単語集や参考書などには音声教材がついているので、それで音を覚えてしまうのも有効だろう。", "title": "発音" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "英語教育でも、リスニングやスピーキングという分野もある。リスニング問題というのも出るので、音声教材を聞いて慣れてよくと良い。", "title": "発音" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "都立共通問題英語ではリスニング問題が出題される。おそらく他県でも多くの場合、出題される。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "対策は、各種の音声教材を活用すればよい。参考書にもCD音声素材が付録になっていることが多い。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "YouTubeは、中学生にはレベルが合ってない。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "しかし言葉とは、まず口で発して耳で聞くものだったはずだ。文字や文章は文明の後期で生まれてきた。今でこそCDやカセットテープなど、それらしい音声教材があるが、どちらにしろ昔から、発声としての、音としての英語をうまく表現し、教える工夫は必要だったろう。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "その辺の歴史資料として、国会図書館サイトや、https://www.nier.go.jp/library/textbooks/ には面白い資料があるので、気晴らしや教養として少し見てみるのも良いだろう。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "しかし昔から様々な英語教育の工夫がされていたとはいえ、", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "英単語・熟語、英文読解、英作文、発音、リスニングとスピーキング。それぞれバランスよく学習していくのがいいのだろう。", "title": "リスニング" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "都立高入試では、2023年度からスピーキングテストが導入されます。おそらく、他県でもスピーキングテストが導入されるようになるのではないでしょうか。", "title": "スピーキング" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "英検を取っておくと高校受験において有利になる可能性があります。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "東京都の場合、英検3級以上を取っておくと、私立併願や推薦で内申点を加算されるところが多いです。加算される点数は1点の場合が多いですが、加算方法や加算基準は高校により異なるので、公式HPや学校見学などで事前に確認しておきましょう。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "英検3級以上は英語で面接官とのインタビューがあるので、英検を取得する場合、その対策が必要になります。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "都立高一般入試の場合は英検取得が受験に有利になることはありません。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "しかし、推薦の場合は都立私立どちらでも、英検取得を告げれば、自分の学力を証明する証拠としては好印象にはなります。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "英検のサイトには3級が「中学卒業程度」と、書かれています。ただ、あくまでも大きな目安です。基本的に学校教育と英検では、英語の概念的な捉え方にも違いがあり、出題傾向や試験としての合否も、別々の発想を持っていると思います。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "このため、志望校によっては、英検3級は評価されないかもしれない(準2級からでないと、志望校によっては評価されないかもしれない)。志望校の募集要項などで確認してほしい。募集要項に、英検が何級から評価されるのか等、書いてあるはず。英検以外に漢字検定や数学検定なども同様。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "私立受験の場合、推薦以外では英検の比重は入試ではあまり重くなく、それよりも入試本番での得点のほうが重要です。なので、英語の受験勉強としては、わざわざ英検対策をする必要は無いでしょう。普通に国数英理社の5科を受験勉強を日常的にしながら、そのついでに英検を受けるので十分でしょう。時間に限りがあるので、受験勉強とは別にわざわざ英検用の勉強をするのは、あまりおすすめしません。", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "", "title": "英検など検定試験" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "私立高校によってはTOEICの一定スコア以上を評価する高校もあると思いますが、しかしTOIECの出題範囲が中学レベルや高校1年レベルに合っておらず、そのため、中学生がTOEIC受験をすると対策のために他教科の勉強の時間が大きく奪われるので、あまりTOEIC受験による評価アップはオススメしません。", "title": "英検など検定試験" } ]
null
{{Notice|'''{{PAGENAME}}'''では、中学校英語高校受験対策の学習方法について解説します。独自研究や中立性を欠いた文章が含まれる場合があります。ご了承ください。}} == 傾向 == 高校受験の英語においては、英単語、文法や熟語、発音の練習なども要求される。 英作文は、難関高校を除いて、実はあまり比重が高くない。 県立高校など都道府県の入試の場合は、中学範囲の出題がされる。ただし、私立の場合は、高校1年レベルの英単語なども要求される場合もある。さらに私立の難関校では、英作文の出題がやや多い。 == 英作文 == 入試の英作文は、じつは決して米英ネイティブレベルに正確に書く必要は無い。市販の高校受験レベルの参考書にある英文法および英単語を確実に習得したことを英作文でアピールできる程度の文章さえ書ければいい。 例外として帰国子女向けの入試を除いて、難関高校の英作文ですらも参考書レベルで十分である。 そもそも、ネイティブレベルの英語だと、日本人の高校英語教師では採点が出来ない。(多くの高校では、十分な人数の米英人の教師を雇えない。) また、どんなにネイティブレベルの流暢で意外な表現ができても、入試では配点までしか得点を貰えないので、そこまで英作文に深入りするのは損である。 もし、帰国子女レベルのネイティブな英語を特別に評価されたいなら、そういう特殊な入試を行っている一部の私立を志望すべきである。 == 英単語 == 高校入試の英単語の問題でよくある出題方法は、和文を英文に翻訳する問題で、すでに英文がほぼ完成している状態で提示されるが、壱語か二語だけ英文が欠けていて空欄になっており、その空欄を補え、というタイプの問題である。空欄の中に英単語の頭文字が書いてあり、解答欄には、その頭文字ごと単語を書け、といった出題が多い。 英語のスペルは正しく書けなければならない。もちろん試験ではスペル間違いはそれなりに減点、あるいは不可になる。 英単語のスペルを覚えるいい方法については、それぞれの学習者ごとに異なるが、一般的にもさまざまな主張やアドバイスがある。 『進研ゼミ 高校入試情報サイト』では、中学校の英単語学習として、意味や用法を覚え、スペルも書いて練習しようと勧めている<ref name=":0">[https://czemi.benesse.ne.jp/open/nyushi/study/1367896_13980.html]2022年4月25日に確認</ref>。 英単語書き取り練習は漢字練習と同じようなものでしょう。まず中学校必須単語から、一単語あたり5~10回書いて覚えたい。 しかし、それらの書籍の主張に反する論文もある。 書き取り練習は、英単語を覚えるための効果的な学習法ではない、という主張と、それを支持する論文もある<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy/2005/0/2005_0_104/_article/-char/ja/ 見崎研志, & 仲真紀子. (2005). 記憶促進における反復書記の有効性に関する検討. ''日本認知心理学会発表論文集'', ''2005''(0), 104-104.]</ref><ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy/2006/0/2006_0_171/_article/-char/ja/ 見崎研志, & 仲真紀子. (2006). 反復書記学習が記憶に及ぼす影響. ''日本認知心理学会発表論文集'', ''2006''(0), 171-171.]</ref>。 その場合は、こういうやり方がいいだろう。まず、英単語を見てその意味を思い浮かべる。思い浮かべた意味と真の意味が違っていたら、真の意味を覚えて次の単語に移る。これを覚えるまで何回か繰り返す。こういう学習法が最適だという主張もあります。 また、最近は英単語を覚えるためのスマホアプリなどが登場している。これらを活用することも有効な手段であろう。 実は世の中、学習法については諸説あり、いろいろな方法を語る人物がいるから、学習者の自主的な判断が必要になるだろう。 どのような学習法にして、学習するなら、重要度の高い単語から覚えていく必要がある。ただし、長文や、読解問題では、結局それほど重要だとみなされない単語が使われることも多いので、この視点がどれほど的を射ているかも一考の余地がある。 なので、とりあえず単語のスペルを暗記できるかどうかは置いといて、学習の早い段階で高校受験レベルの英単語を一通り練習してしまい、意味を知ってしまうのが良いだろう。 たとえすぐにはスペルを覚えられなくても、意味を覚えるだけなら比較的に容易である。そもそも単語集などで意味を早めに調べないと、英文読解の練習すらできない。 なので、自発的な予習が必要である。 しかし高校入試の英語の試験問題の長文では、あまり馴染み(なじみ)のない単語には注釈として語釈(ごしゃく)がついている場合が多いので、あまり英単語の予習を進めすぎる必要もない。 ただ大筋では、中学校重要単語、高校重要単語と、段階を示す事が出来るでしょうが、実際の試験問題でその分類が徹底的に守られるわけではない。例えば disappoint「がっかりする」や opinion「意見」などは高校参考書などでは高校 2~3年で学習する単語だと見なされてれているが、高校入試の長文読解でも使われている。とはいえほとんどの場合は中学生では難しすぎる単語として、注釈、解説はあるのが普通である。 <!-- 「ところで前編集者はやたら中学範囲と高校範囲の分別にこだわるけど、そんなの最初っからあいまいなものでね。結局学校での学習内容なんて、学校により、クラスにより、それぞれ違うもので、あるクラスで学習したことが別のクラスでは学習しない、ある中学課程の本に書かれていることがあるクラスでは学習しない、あるいはその逆、そんなことはしょっちゅうだし、あって当たり前だよ。 そういう差異やあいまいさ、むらを踏まえた上で、統一の試験問題、選考方針で入学者を選ぼうというのが高校入試なんだよね。その差異や違いについていちいち理屈を言って、不平を言って議論するなんて、愚論の極みだろう。 しかもそうやって選考した結果が、絶対の人間判断基準でもない。入試に受かるのも人生なら、落ちるのも人生だよ。 」 ↑ マチガイ。学習指導要領というのを知ってほしい。公立中学カリキュラムは全国統一。 --> さて、英単語学習の話に戻りますが、例えば中学校向けあるいは高校受験対策向けの英単語集で勉強する道もありますよね。 wiki編集者の多くの人の推奨では、中学レベルの単語集の学習では前半部分は飛ばすのが良い、という意見があります。理由は、初歩的すぎる単語は学校などで既に学習している可能性が高いから、中間の単語から学習するのが良い、という根拠です。そして最後まで学習したら最初に戻るか、あるいは前半部分はもうやらないで、より次のレベルの単語集、例えば高校レベルの単語の勉強に向かうのが良い、という意見もある。 == 受験勉強の学習範囲 == 前項でも書いたように、中学範囲、高校範囲と区別して、その違いにこだわることはあまり意味がないし、その区別も事実上あいまい。特に学習すべき単語については、明確に中学単語、高校単語と区別することは、ごく基本的な単語以外、はっきりしない、おおざっぱな物になるだろう。 公立高校の入学試験は、一般的に標準的、基本的な出題が多いので、英単語に関してもそんな難しい単語を使わず、学校教科書の範囲の単語が使用されると思われる。 2020年代は中学校英語で扱う単語数が増加している。なので、もしかしたら従来ほどは私立対策と公立対策に差が無いかもしれない。 どちらにせよ、まずは基本的には学校で習う単語をよく理解して覚えておくのが必要だ。 私立対策では、もしかしたら、し背伸びして手を伸ばして、高校1年向けの参考書(3000語程度)を学習するのも良いのではないか、という意見もある。 ただし、国立大付属高校の試験でも、それほど英単語の難度は高くない。だから多少難易度の高い単語を使用するのは、私立の難易高入試だろう。ただその場合でも、例えば英単語において、決して高校3年くらいをターゲットにした難関大学受験用英単語を覚える必要はなく、せいぜい高校1年の程度の基本的な高校英単語で十分だろう。 まして、県立・都立などの公立高校やごく普通の偏差値の私立高校では、それほど難度の高い英単語は出てこない。 == 難関私立高校 == 難関の私立高校の場合(ただし、「○○御三家」とか言われるレベルのかなりの名門私立)、使用される単語、熟語も、かなり難しい言葉が使われる場合もある。 まず、やはり使われる英単語の難度として、高いものになるだろうから、高校初等の単語集の学習は有用。 しかし、仮にその学習をするにした所で、高校初等の重要語3000~3500語を覚えればもう十分だろう。つまり、高校中級の英単語4500語は覚える必要はない。なぜなら、難関校ですら、入試の長文では、ある程度難易度の高い単語には解説がつく。 単語よりも、私立難易高では英作文の出題が目立つ。そのためには少しハードルを下げて、高校1800語でいいので、しっかり学習するとよいだろうという指摘もある。 :※ 英作文の対策については、他の節で説明しているので、説明を省略する。 == 文法 == === 基本 === 中学校で学習する英文法は、我々の英語理解の基本になるものだが、しかし絶対的なものではないだろう。高校では高校で、英文法のアップデートがなされるし、そして高校を卒業した後でも、何度も何度も英文法と言語文法のアップデートはなされていくだろう。 しかし我々は小学校でさらっと英語を知った後、中学校で最初に割と深く英文法を学習することになる。これは受験対策でもそうでなくても、よく理解しておきたい。受験勉強として取り組むなら、受験標準問題集による演習でもよいし、参考書類での理解を主軸にした学習でも良いだろう。 このページは高校受験対策がテーマだから、問題集での演習を勧める人が多い。 一部の編集者は別の意見で、各種参考書類での理解と読解を主体にした学習も勧める(←具体的に何?)。その根拠として、勉強とは結局、他者の発する質問や問題に答えることではなく、物事を知り理解することだからだという。 :(※ 別編集者からの反論)だからその「理解」と「読解」を確認する手段が問題練習なのでは? せいぜい、言えるのは「問題練習を通して、理解力を確認しよう」くらいではないか。 === 古い参考書 === 1年前くらいの古い本にももちろん内容はあるが、高校受験勉強をするなら、毎年最新の情報と教材をもとに学習するのが一番望ましいだろう。 なお、2022年に学習指導要領が大きく変わったので、10年前とかの平成時代の古すぎる参考書は、現代の指導要領とはズレているので、使わないのが安全である。 === 私立高受験 === ;付属中学のペースに追いつく英単語の予習が必要 現代、多くの私立高校は付属中学を持っており、ほとんどの私立の付属中学では、英語教育では検定外教科書を使っており、ハイペースな授業が行われており、中学時代のうちに高校1年レベルの内容に突入しています。 なので、2020年代の現代では、私立高校の入試英語は、単語数が中学英語を越えています。 なので、もし読者のあなたが私立高校志望をするなら、英単語の勉強は、高校1年レベル程度の英単語まで勉強しておいてください。 英単語なら、書店で売っている市販の高校生向けの単語集で、独学できるはずです。 高校生向けの単語集を買うべきか、それとも中学生向けの難関私立高校用の入試対策の単語集を買うべきかは、読者の判断に任せます。 なお、中高一貫校用の英語教材は学校専売品であり、そのため一般の書店では販売されておらず、購入できません。なので、購入のために探す必要はありません。 なお、文法事項に関しては、独学などが困難なので、よほどの難関校を除けば、高校レベルの文法は高校入試には、あまり出ないと思われます。仮に中学レベルを超えた文法が出るとしても、市販されている受験用の発展的な参考書を学習しておけば十分だろう。(社会通念的に考えて、市販の教材で勉強しようのないものは入試に出さないだろう。) 高校レベルの文法よりも、英作文とかそういうのが難関高校では出ますので、あまり文法には深入りする必要が無いと思います。 ;中学生だけど高校参考書を先行して読んじゃうという勉強。 中学英語の文法に関しては、高校学習に手を出しても利点が少ない。2020年代では、中学英語で学習する文法事項が、1990年代より進んでいる。仮定法や無生物主語が現代では中学範囲ですので、わざわざ高校レベルの文法参考書を買う必要はうすいかもしれない。 志望校の過去問などで傾向を確認してもらいたい。 == 発音 == 受験対策としては、発音は決してネイティブにソックリである必要ではなく、単語集などにある「発音注意」とか注記されている発音を間違えなければいい。 今時の単語集や参考書などには音声教材がついているので、それで音を覚えてしまうのも有効だろう。 英語教育でも、リスニングやスピーキングという分野もある。リスニング問題というのも出るので、音声教材を聞いて慣れてよくと良い。 == リスニング == 都立共通問題英語ではリスニング問題が出題される。おそらく他県でも多くの場合、出題される。 対策は、各種の音声教材を活用すればよい。参考書にもCD音声素材が付録になっていることが多い。 YouTubeは、中学生にはレベルが合ってない。 == スピーキング == 都立高入試では、2023年度からスピーキングテストが導入されます。おそらく、他県でもスピーキングテストが導入されるようになるのではないでしょうか。 == 英検など検定試験 == ;英検 英検を取っておくと高校受験において有利になる可能性があります。 東京都の場合、英検3級以上を取っておくと、私立併願や推薦で内申点を加算されるところが多いです。加算される点数は1点の場合が多いですが、加算方法や加算基準は高校により異なるので、公式HPや学校見学などで事前に確認しておきましょう。 英検3級以上は英語で面接官とのインタビューがあるので、英検を取得する場合、その対策が必要になります。 都立高一般入試の場合は英検取得が受験に有利になることはありません。 しかし、推薦の場合は都立私立どちらでも、英検取得を告げれば、自分の学力を証明する証拠としては好印象にはなります。 英検のサイトには3級が「中学卒業程度」と、書かれています。ただ、あくまでも大きな目安です。基本的に学校教育と英検では、英語の概念的な捉え方にも違いがあり、出題傾向や試験としての合否も、別々の発想を持っていると思います。 このため、志望校によっては、英検3級は評価されないかもしれない(準2級からでないと、志望校によっては評価されないかもしれない)。志望校の募集要項などで確認してほしい。募集要項に、英検が何級から評価されるのか等、書いてあるはず。英検以外に漢字検定や数学検定なども同様。 私立受験の場合、推薦以外では英検の比重は入試ではあまり重くなく、それよりも入試本番での得点のほうが重要です。なので、英語の受験勉強としては、わざわざ英検対策をする必要は無いでしょう。普通に国数英理社の5科を受験勉強を日常的にしながら、そのついでに英検を受けるので十分でしょう。時間に限りがあるので、受験勉強とは別にわざわざ英検用の勉強をするのは、あまりおすすめしません。 ;TOEICについて 私立高校によってはTOEICの一定スコア以上を評価する高校もあると思いますが、しかしTOIECの出題範囲が中学レベルや高校1年レベルに合っておらず、そのため、中学生がTOEIC受験をすると対策のために他教科の勉強の時間が大きく奪われるので、あまりTOEIC受験による評価アップはオススメしません。 [[Category:中学校教育|かくしゅうほうほうこうこうしゆけんえいこ]] [[Category:学習方法|こうこうしゆけんえいこ]]
2014-10-14T05:11:21Z
2023-12-09T07:07:11Z
[ "テンプレート:Notice" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93/%E8%8B%B1%E8%AA%9E
19,528
学習方法/高校受験/理科
公立高校の入試問題は、普遍的で標準的な問題を出題するという基本姿勢があるので、学校教科書の範囲から出題されると見ていいでしょう。 私立高校の多くは、理科と社会を入試に出さない場合も多い。その理由は様々考えられますし、さまざま言及されていますが、そんなに詮索する必要はなく、単に入学試験の構成を簡単にしている、と、考えていいと思います。 ですから一般的な入試対策として、基本的、標準的な教科書に準拠した学習が必要ですね。 理科は暗記科目だといわれることもありますが、実際には知的な理解を求め、数学を応用していることも多い。 やや雑談的ですが、現編集者が昔学習塾講師をアルバイトでしていた時、理科の時間に数学のことを一生懸命説明していたら生徒に、 「えー、なんでー、理科の時間なのにー。」 と、言われたことがあります。 「いやいや、ガンガン関係あるからね...」 と、その時は言っておきましたが...。 ですから教科書が基本で、標準的な参考書を持っていれば、何かと有用でしょう。 ノートに書いてまとめたり、とにかくいろいろな工夫をして実際に鉛筆で書いて勉強するといいですよ。後、理科は計算問題もありますね。 学校教科書は図版が豊富でいいのですが、解説や説明はやや少ないかもしれません。授業でそこが補われますが、その内容を十分きれいにノートにまとめるのは、なかなか難しいですよね。 どの教科でも、参考書を複数読んで、読み比べることを推奨する人がいますが、もちろんそれができる状況にあるなら有効ですが、普通中学生が同じ教科の参考書を二冊持つことはあまり無いでしょう。 そういう時はもう一冊で割り切って、一冊の参考書で知る事が出来ることをしっかり学習するのが良いと思う。 昆虫図鑑や植物図鑑などの図鑑には、具体的な生物に関する様々な知識、そしてその分野全体にかかわる有用な情報が書かれているが、中学校での学習自体とはやや趣を異にする知識であり、中学校理科自体ではもう少し総論的な普遍的な生物に関する学習が提供されるだろう。 だから、受験勉強の目的に即物的に効果を持つ書物ではないが、しかし自然科学、理科、を理解するための重要な資料であることには変わりなく、受験勉強は受験勉強として、それぞれ個人の判断で参照した場合、知的な収穫が、明らかにあるだろう。 理科の場合、用語を問う問題は、よく出題されるでしょう。 基本的には教科書の記述にある漢字で覚えるべきですね。平仮名片仮名書きでも場合によっては部分点がもらえますが、学校で習う教科は教科書に準拠させて、そこの漢字表現で、言葉、文を覚えるのが推奨です。 原子の記号、化学式、イオン式、生物名、薬品名、各種覚えることがありますが、ノートやに鉛筆で書く習慣によって記憶を目指すのは、常套であり、有効でしょう。 難関校を受験する人も、割と一般的な高校を受験する人も、まずは、基本的な内容のドリルやワークブック、受験標準難度の問題集を練習するのがいいでしょう。 物事にはちょうど良い、程よい程度というのがあるようですね。あまり簡単すぎる課題は、学習として薄くなってしまいますし、かといって難しすぎる問題は、ストレスや負荷も多いし、悪い影響をもたらすことも多いですよね。 私立の難関進学高校でも、あまり理科で込み入った出題はなされないようです。 現状がそうなっているのは、それなりの高校側の意図はあるでしょうが、あまりそれらの方針を絶対視して、詮索して、特定の考え方を断定しないほうがいいと思います。 前編集者は計算力がどうのとか、マニアックがどうとか、逃げないのがどうとか、さぼる口実の悪用とか、インチキな議論を重ねに重ねていますが、これこそ正に下衆の勘繰り以外の何物でもなく、こんな議論を弄する人間の相手は一切しないのが唯一の正解でしょう。そもそもさぼるとかさぼらないとか平気で言う人間が多いけど、実際にはそんな人間のためには、指一本動かす義務もないんだよね。 中学校は一般に中等教育の前期と呼ばれ、理科や社会では基本的、標準的なことを学習し、あまり高度な難しいことを勉強することにはならないでしょう。私立高校入試も、標準的な出題、そんな難しい問題は出題されないと見ていい。 ですから、理科に関して、難問集の学習などはあまり推奨されない。その時間があるなら他の事、任意にそれぞれ見出すとよいが、有益なことに時間を費やしたい。 しかし一部の私立ではそこそこの難問が出題されることもあるようですね。例えば浸透圧(しんとうあつ)に関して、出題されたことがあった。ただこの課題については、事実上は高校で学習することですが、中学生に出題する問題としては、それなりに配慮や解説が加えられ、難問ではあるが、中学校の知識を応用すれば何とか解答できるものではあるでしょう。 こういう問題の対策として、高校の学習まで手を伸ばすのは、おそらくやりすぎで、むしろ、難関高校受験向けの参考書を読んでみる、という手段はありますね。 難関高校受験対策用の参考書は、あくまでも中学校理科の参考書ですし、深い内容は持っているでしょうが、読むこと自体はそれほど難しくないという指摘があります。 高校に入ると理科は物理、化学、生物、地学と、専門分野ごとに細分化されていきますし、大学に入るとさらに自然科学として、深度の高い様々な専門分野を学習することになります。基本的に我々の社会は、特定の分野の専門家になり、その分野に特化した職業に就くことを求めています。 しかし総合的に自然科学、理科を見るという視点も非常に重要なので、中学校ではある意味では理想的な形態で理科を学んでいることになると思います。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "公立高校の入試問題は、普遍的で標準的な問題を出題するという基本姿勢があるので、学校教科書の範囲から出題されると見ていいでしょう。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "私立高校の多くは、理科と社会を入試に出さない場合も多い。その理由は様々考えられますし、さまざま言及されていますが、そんなに詮索する必要はなく、単に入学試験の構成を簡単にしている、と、考えていいと思います。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ですから一般的な入試対策として、基本的、標準的な教科書に準拠した学習が必要ですね。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "理科は暗記科目だといわれることもありますが、実際には知的な理解を求め、数学を応用していることも多い。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "やや雑談的ですが、現編集者が昔学習塾講師をアルバイトでしていた時、理科の時間に数学のことを一生懸命説明していたら生徒に、", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「えー、なんでー、理科の時間なのにー。」", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "と、言われたことがあります。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「いやいや、ガンガン関係あるからね...」", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "と、その時は言っておきましたが...。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ですから教科書が基本で、標準的な参考書を持っていれば、何かと有用でしょう。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ノートに書いてまとめたり、とにかくいろいろな工夫をして実際に鉛筆で書いて勉強するといいですよ。後、理科は計算問題もありますね。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "学校教科書は図版が豊富でいいのですが、解説や説明はやや少ないかもしれません。授業でそこが補われますが、その内容を十分きれいにノートにまとめるのは、なかなか難しいですよね。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "どの教科でも、参考書を複数読んで、読み比べることを推奨する人がいますが、もちろんそれができる状況にあるなら有効ですが、普通中学生が同じ教科の参考書を二冊持つことはあまり無いでしょう。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "そういう時はもう一冊で割り切って、一冊の参考書で知る事が出来ることをしっかり学習するのが良いと思う。", "title": "参考書の利用" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "昆虫図鑑や植物図鑑などの図鑑には、具体的な生物に関する様々な知識、そしてその分野全体にかかわる有用な情報が書かれているが、中学校での学習自体とはやや趣を異にする知識であり、中学校理科自体ではもう少し総論的な普遍的な生物に関する学習が提供されるだろう。", "title": "図鑑" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "だから、受験勉強の目的に即物的に効果を持つ書物ではないが、しかし自然科学、理科、を理解するための重要な資料であることには変わりなく、受験勉強は受験勉強として、それぞれ個人の判断で参照した場合、知的な収穫が、明らかにあるだろう。", "title": "図鑑" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "理科の場合、用語を問う問題は、よく出題されるでしょう。", "title": "理科に関する様々な用語" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "基本的には教科書の記述にある漢字で覚えるべきですね。平仮名片仮名書きでも場合によっては部分点がもらえますが、学校で習う教科は教科書に準拠させて、そこの漢字表現で、言葉、文を覚えるのが推奨です。", "title": "理科に関する様々な用語" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "原子の記号、化学式、イオン式、生物名、薬品名、各種覚えることがありますが、ノートやに鉛筆で書く習慣によって記憶を目指すのは、常套であり、有効でしょう。", "title": "理科に関する様々な用語" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "難関校を受験する人も、割と一般的な高校を受験する人も、まずは、基本的な内容のドリルやワークブック、受験標準難度の問題集を練習するのがいいでしょう。", "title": "ドリルとワークブック、計算問題" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "物事にはちょうど良い、程よい程度というのがあるようですね。あまり簡単すぎる課題は、学習として薄くなってしまいますし、かといって難しすぎる問題は、ストレスや負荷も多いし、悪い影響をもたらすことも多いですよね。", "title": "ドリルとワークブック、計算問題" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "私立の難関進学高校でも、あまり理科で込み入った出題はなされないようです。", "title": "難関の私立志望の場合" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "現状がそうなっているのは、それなりの高校側の意図はあるでしょうが、あまりそれらの方針を絶対視して、詮索して、特定の考え方を断定しないほうがいいと思います。", "title": "難関の私立志望の場合" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "前編集者は計算力がどうのとか、マニアックがどうとか、逃げないのがどうとか、さぼる口実の悪用とか、インチキな議論を重ねに重ねていますが、これこそ正に下衆の勘繰り以外の何物でもなく、こんな議論を弄する人間の相手は一切しないのが唯一の正解でしょう。そもそもさぼるとかさぼらないとか平気で言う人間が多いけど、実際にはそんな人間のためには、指一本動かす義務もないんだよね。", "title": "難関の私立志望の場合" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "中学校は一般に中等教育の前期と呼ばれ、理科や社会では基本的、標準的なことを学習し、あまり高度な難しいことを勉強することにはならないでしょう。私立高校入試も、標準的な出題、そんな難しい問題は出題されないと見ていい。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ですから、理科に関して、難問集の学習などはあまり推奨されない。その時間があるなら他の事、任意にそれぞれ見出すとよいが、有益なことに時間を費やしたい。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "しかし一部の私立ではそこそこの難問が出題されることもあるようですね。例えば浸透圧(しんとうあつ)に関して、出題されたことがあった。ただこの課題については、事実上は高校で学習することですが、中学生に出題する問題としては、それなりに配慮や解説が加えられ、難問ではあるが、中学校の知識を応用すれば何とか解答できるものではあるでしょう。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "こういう問題の対策として、高校の学習まで手を伸ばすのは、おそらくやりすぎで、むしろ、難関高校受験向けの参考書を読んでみる、という手段はありますね。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "難関高校受験対策用の参考書は、あくまでも中学校理科の参考書ですし、深い内容は持っているでしょうが、読むこと自体はそれほど難しくないという指摘があります。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "高校に入ると理科は物理、化学、生物、地学と、専門分野ごとに細分化されていきますし、大学に入るとさらに自然科学として、深度の高い様々な専門分野を学習することになります。基本的に我々の社会は、特定の分野の専門家になり、その分野に特化した職業に就くことを求めています。", "title": "私立高校入試(難関含む)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "しかし総合的に自然科学、理科を見るという視点も非常に重要なので、中学校ではある意味では理想的な形態で理科を学んでいることになると思います。", "title": "私立高校入試(難関含む)" } ]
null
==参考書の利用== 公立高校の入試問題は、普遍的で標準的な問題を出題するという基本姿勢があるので、学校教科書の範囲から出題されると見ていいでしょう。 私立高校の多くは、理科と社会を入試に出さない場合も多い。その理由は様々考えられますし、さまざま言及されていますが、そんなに詮索する必要はなく、単に入学試験の構成を簡単にしている、と、考えていいと思います。 ですから一般的な入試対策として、基本的、標準的な教科書に準拠した学習が必要ですね。 理科は暗記科目だといわれることもありますが、実際には知的な理解を求め、数学を応用していることも多い。 やや雑談的ですが、現編集者が昔学習塾講師をアルバイトでしていた時、理科の時間に数学のことを一生懸命説明していたら生徒に、 「えー、なんでー、理科の時間なのにー。」 と、言われたことがあります。 「いやいや、ガンガン関係あるからね…」 と、その時は言っておきましたが…。 ですから教科書が基本で、標準的な参考書を持っていれば、何かと有用でしょう。 ノートに書いてまとめたり、とにかくいろいろな工夫をして実際に鉛筆で書いて勉強するといいですよ。後、理科は計算問題もありますね。 学校教科書は図版が豊富でいいのですが、解説や説明はやや少ないかもしれません。授業でそこが補われますが、その内容を十分きれいにノートにまとめるのは、なかなか難しいですよね。 どの教科でも、参考書を複数読んで、読み比べることを推奨する人がいますが、もちろんそれができる状況にあるなら有効ですが、普通中学生が同じ教科の参考書を二冊持つことはあまり無いでしょう。 そういう時はもう一冊で割り切って、一冊の参考書で知る事が出来ることをしっかり学習するのが良いと思う。 ==図鑑== 昆虫図鑑や植物図鑑などの図鑑には、具体的な生物に関する様々な知識、そしてその分野全体にかかわる有用な情報が書かれているが、中学校での学習自体とはやや趣を異にする知識であり、中学校理科自体ではもう少し総論的な普遍的な生物に関する学習が提供されるだろう。 だから、受験勉強の目的に即物的に効果を持つ書物ではないが、しかし自然科学、理科、を理解するための重要な資料であることには変わりなく、受験勉強は受験勉強として、それぞれ個人の判断で参照した場合、知的な収穫が、明らかにあるだろう。 == 理科に関する様々な用語 == 理科の場合、用語を問う問題は、よく出題されるでしょう。 基本的には教科書の記述にある漢字で覚えるべきですね。平仮名片仮名書きでも場合によっては部分点がもらえますが、学校で習う教科は教科書に準拠させて、そこの漢字表現で、言葉、文を覚えるのが推奨です。 原子の記号、化学式、イオン式、生物名、薬品名、各種覚えることがありますが、ノートやに鉛筆で書く習慣によって記憶を目指すのは、常套であり、有効でしょう。 ==ドリルとワークブック、計算問題== 難関校を受験する人も、割と一般的な高校を受験する人も、まずは、基本的な内容のドリルやワークブック、受験標準難度の問題集を練習するのがいいでしょう。 物事にはちょうど良い、程よい程度というのがあるようですね。あまり簡単すぎる課題は、学習として薄くなってしまいますし、かといって難しすぎる問題は、ストレスや負荷も多いし、悪い影響をもたらすことも多いですよね。 == 難関の私立志望の場合 == 私立の難関進学高校でも、あまり理科で込み入った出題はなされないようです。 現状がそうなっているのは、それなりの高校側の意図はあるでしょうが、あまりそれらの方針を絶対視して、詮索して、特定の考え方を断定しないほうがいいと思います。 前編集者は計算力がどうのとか、マニアックがどうとか、逃げないのがどうとか、さぼる口実の悪用とか、インチキな議論を重ねに重ねていますが、これこそ正に下衆の勘繰り以外の何物でもなく、こんな議論を弄する人間の相手は一切しないのが唯一の正解でしょう。そもそもさぼるとかさぼらないとか平気で言う人間が多いけど、実際にはそんな人間のためには、指一本動かす義務もないんだよね。 ==私立高校入試(難関含む)== 中学校は一般に中等教育の前期と呼ばれ、理科や社会では基本的、標準的なことを学習し、あまり高度な難しいことを勉強することにはならないでしょう。私立高校入試も、標準的な出題、そんな難しい問題は出題されないと見ていい。 ですから、理科に関して、難問集の学習などはあまり推奨されない。その時間があるなら他の事、任意にそれぞれ見出すとよいが、有益なことに時間を費やしたい。 しかし一部の私立ではそこそこの難問が出題されることもあるようですね。例えば浸透圧(しんとうあつ)に関して、出題されたことがあった。ただこの課題については、事実上は高校で学習することですが、中学生に出題する問題としては、それなりに配慮や解説が加えられ、難問ではあるが、中学校の知識を応用すれば何とか解答できるものではあるでしょう。 こういう問題の対策として、高校の学習まで手を伸ばすのは、おそらくやりすぎで、むしろ、難関高校受験向けの参考書を読んでみる、という手段はありますね。 難関高校受験対策用の参考書は、あくまでも中学校理科の参考書ですし、深い内容は持っているでしょうが、読むこと自体はそれほど難しくないという指摘があります。 高校に入ると理科は物理、化学、生物、地学と、専門分野ごとに細分化されていきますし、大学に入るとさらに自然科学として、深度の高い様々な専門分野を学習することになります。基本的に我々の社会は、特定の分野の専門家になり、その分野に特化した職業に就くことを求めています。 しかし総合的に自然科学、理科を見るという視点も非常に重要なので、中学校ではある意味では理想的な形態で理科を学んでいることになると思います。 [[Category:中学校教育|かくしゅうほうほうこうこうしゆけんりか]] [[Category:学習方法|こうこうしゆけんりか]]
null
2022-07-09T05:43:10Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93/%E7%90%86%E7%A7%91
19,529
学習方法/高校受験/高校受験全般
高校受験の範囲は、中学の3年分です。中1~中3です。 中3だけではないので、復習を忘れないようにしましょう。 高校受験に臨む時、まず実際の試験の出題がどうなっているか、市販の過去問集で把握しておくと良い。 公立校なら、自分の受ける都道府県の過去問集、私立なら、各有名校の過去問をまとめて抜粋している書籍がありますのでそれを読めば良いでしょう。 3年生の初めの方では、まだ過去問を解く必要はなく、一覧してざっと読んで、高校入試の出題範囲を確認してみるのが推奨です。 なお、文系科目で顕著な傾向なのですが、高校入試の試験問題で、中学範囲を少し超えた問題、おそらく高校で扱うような事柄にも少し触れる事があるようです。 国語で少し発展的な難しい語句が使われたり、社会の歴史で学校教科書で扱わないような古文書が取り上げられたり。 鳥取県の英語の試験問題では鳥取砂丘(とっとりさきゅう)に関する英単語が使われていました。 しかし多くの場合、難しい英単語には、試験問題上で注釈がついて、説明がある場合が多いですね。 住んでいる地域に特徴的な事項は、よく出題されるようです。 あくまでも一例ですが、すべての教科にわたっての総合的な学習方針として、以下のような指摘をしておきます。 高校受験の学習のスタートは、3年になってからでよいと思われる。そして部活はふつう中3の1学期で終了するはずだから、そこから本格的な受験生という事になる。 そして受験生になったら、一般的には趣味や娯楽は、時間削減や中止するものだけど、大学受験に比べたら高校受験はまだ、緩やかで厳しさも少ないから、それぞれの個人的な事情に合わせて、精神の安寧を保てるような生活習慣を作っても良いと思う。 そしてほぼ当たり前のことですが、学校にはきちんと出席するのが望ましい。ただそもそも、中学生が大した正当な理由もないのに気楽に学校を欠席すること自体が困難ですが。 公立校入試では、難問、奇問はほとんどないでしょう。非常に標準的で一般的な出題がされると予想して大丈夫だろう。ですから入試平均点については、難関私立、普通の私立の入試問題と比べても公立高校入試の平均点は高い。 常識的には、網羅的、総合的な学習、理解が望ましいし、その方が事実上、試験の成績も良くなるだろう。ですから苦手分野もそれなりに頑張る必要はあるだろう。 難関私立ではさらに踏み込んで、苦手科目を上手に克服すると、試験の成績も良くなるだろうという指摘がある。 高校受験の場合、1科目あたり100点満点の科目×3科目の入学試験なら、1科目だけをどう頑張っても、100点までしか取れない。このため、苦手科目もそれなりに手をつけなければいけない。 指摘の例 3年生の時点で、基礎に拘り過ぎて、1、2年の内容を、徹底的に学習して、あまり3年の内容を知らないまま受験勉強を終えてしまう、という事もあるようです。 中学生を通してあまり勉強や家庭学習をして来なかったのならば1、2年の勉強は重要ですが、しかし普通に学習を続けてきたのであれば、むしろ1~2年の学習に拘らず、なるべく3学年の内容を中心に学習していった方がスケジュール管理をしやすい。(ただし、ときどき復習すること。塾などでも中3の夏期などに中2終わりまでの内容を復習するだろう) 前学年の科目の復習の場合、気分的には、学校教科書を読むより先に、参考書を読んだほうが楽しいです(ただし、私立高校受験~難関校の対策に片寄るが)。基本的には、知識が多めのほうが記憶力が定着しやすくなるので、参考書レベルの発展的なことも含めて勉強したほうが効率的です。 前学年の教科書は、学校の授業に普通に出て勉強してれば、あとは復習は1度か2度読んでおけば、あとは用語の書き取り練習など一通りしてしまえば、あとは前学年の教科書をめったに読む必要は無いでしょう。(ただし、中学の範囲確認などのため、少なくとも高校入学までは残す必要がある) 教科書よりも市販の参考書の方が、受験勉強の教材として良いという指摘もあります。これはここの中学校の学習方法のページで折に触れて書かれてていますが、学校教科書は授業の導入として書かれている性質があるので、やや記述や内容、解説に不十分なところが多いというのが、多くの人の見るところでしょう。 中学校の学習範囲、高校の学習範囲というのは、文科省など行政機関によってある程度は示されていますが、事実上はそんな明白な範囲というのはなく、分離できない連続性もあるし、試験問題制作者もそれほど明確に範囲を意識していないでしょう。 wiki編集者によって意見が分かれます。 wiki編集者Sは高校1年の範囲も含めて学習せよと、繰り返し指摘していますが、別の編集者Hはむしろ、中学校範囲を網羅的にきちんと勉強することを推奨しています。もちろん高校範囲と見なされる出題はあるかもしれませんが、よほどの難易校ではない限り、中学範囲の知識の組み合わせでも試験合格が果たせる内容が出題されるだろうと考えます。 しかし事実上、難易度がある程度高い私立高校入試では、英語や数学ではやや難かしめの、高校範囲と見なされる出題も多いという指摘はあります。 また、中学範囲だけの学習では、ある意味簡単すぎて面白くないから、高校1年の範囲まで受験勉強に取り入れたほうがおもしろく学習できるだろうという指摘がありますが、しかしどうでしょうね、中学範囲の学習って、人類の今までの知の集積を現代を生きている教育者たちの判断でまとめ上げた、かなり高度な知的体系であり、これを本当の意味で簡単すぎて面白みがないなんて言えるのは、徹底的に事実上知能が高い、ごく一部の超賢人だけだと思いますが... しかし一般論としては、公立高校の入試問題より、私立高校の入試問題の方が難易度が高いのは事実でしょうね。 指摘の例 得意教科は基本的に成績も、テストの点数も良くなるものですが、それでも、見たこともないあっと驚くような不可思議な問題というのは、出題されるものです。出題側が工夫を凝らせば作れるものです。 基本的には難問奇問対策は、難しめの問題集などに取り組むといいだろうが、そもそも世の中にはわからないもの、解けない問題はいっぱいある、誰にでも、という感覚を持つという事も重要だと思われる。 試験を受けるときのコツとして、分からない問題は、まずあまり気にせず後回しにする(試験時間が余った時に手をつける)、というのは有効な試験対策手段だろう。 編集者Hは地方の公立進学校・高校出身ですし、難関校に特化した受験業界、業務にも絡んでいないので、東京や関西の私立難関高校試験対策については、特に語るものを持たないのですが、前編集Sを継承して書くと、中学校の5教科全範囲に関して網羅的に、総合的に学習し、理解することが重要だろう。つまり中学全範囲に関して、一部だけ学習して受験勉強終了では心許ない。苦手分野もそれなりに十分に学習することが必要だろう。 しかしこれは実際には難関校だけではなく、中学生全員に推奨される姿勢ではある。せっかく中学で学習するなら、その全貌を総合的に知ってもらいたいという気持ちもある。 ところでこれ↑は前編集者Sの記述だが、現編集者はむしろ、私立の難関校なんかに行く人は、むしろ才能だの、感性だの、天性の知性だの、そういうものを持っている人だけでいいんじゃあないの? なんて思う。 確かに実行力だの手を動かすだのの言葉で盛り上がって、中学生時代きりきり舞いして勉強して、俺は偉いだの俺は努力してるだのあいつらは馬鹿だの、そんな荒み切った毎日を送った結果、私立の難関校とやらに合格したところで、そんな意味ないんじゃないかなー。 そこそこの公立高校や私立校で3年過ごしても、充実した学校生活送れるかもしれないし、勉強だって、自分のいいペースと方法を見つけることが出来れば、いくらでもそれなりの大学に進学できると思うけど... 私立高校、特に難関校では、高校1年の範囲から出題される場合もある。対策としては、難関校向けの学習、あるいは受験参考書を手に入れて、学習するのがいいだろう。 数学の場合なら、中学範囲の知識の組み合わせでも解けるが、しかし英語だと どうしようもない。なので、特に英語については、難関私立を受験する場合は、高校1年の範囲にも手をつけないといけない。 ただし私立受験でも、上位の難関私立でない場合なら、中学校の発展的な学習をすることを目指した方が良いかもしれない。なぜなら難関校用の高校受験の参考書は、結局は高校範囲と思われる部分にも突っ込んで解説しているからである。 難関校向けの参考書も、(暗記科目なら)それほど難解ではないという指摘がある。だとしたら、すべての中学生にとって、程々の参考になる書籍かもしれない。 現編集者Hの主張としては、基本的には中学生は受験でも中学範囲の学習理解の充実が一番重要だと考えるが、しかし私立の難関高校の英語では、高校1年範囲の単語が使われることも多いようなので、自己判断で、高校基礎範囲の単語集や熟語集に手を伸ばしてもいいだろう。確かに余裕があれば、早めに単語の記憶や理解を進めておくと、あとあと様々な局面で利益がある。 最近はインターネット通販が盛んなので、地方と首都圏での差はなくなって来たが、書店で主に参考書を手に入れる場合、もし難関高校受験向けの単語集や熟語集が手に入らなければ、(と、いうのは結局はそちらの本を推奨するので)、高校基礎英語の単語集や熟語集を手に入れて学習することになるだろう。 基本的には難関私立受験の場合でも、中学校範囲の学業の理解をしっかり確立することが重要だし、そのためには苦手分野もそれなりに頑張る必要があるだろう。 だから、中学校時代に高校範囲まで学習することを選ぶ人は、やはり限られた、学習理解の特に進んでいる人のみになるだろう。中学生のうちに高校範囲の学習を進めると、大学受験において大きなアドバンテージを得ることができる。特に、数学と英語は大学受験において重要なので、高校範囲の先取り学習をする場合は、数学と英語に重点を置いて学習を進めるといいだろう。 さて、前編集者Sの指摘では、公立中学校の教員は、立場上、進路指導の場でも明言できないことがあるという。 前編集者によると具体的にはこういう内容↑だそうだ。(前編集者の文章そのまま引用)。 まあね、具体的にその内容かはともかく、この社会、色々と言えないことはあるだろうね、あらゆる大人が、そして子供もみんなね。 そして前編集者Sの最終結論はこれ↓。(これも一字一句そのまま引用) いやー、相変わらず馬鹿話も極まったね。生徒に対する進路指導、公立の学校教師が、生徒に一番重要な本音言わないで何言うの? 生徒に良くして、それを言うからこそ給料もらえてるんじゃあないの? 逆説的だが、そんなに生徒の事より、毎月の給料、自分の肩書と職が大事かね? そんな教師しかいない公立中学なら、最初っから無いほうがよっぽどいいんじゃあないの?
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高校受験の範囲は、中学の3年分です。中1~中3です。", "title": "範囲" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "中3だけではないので、復習を忘れないようにしましょう。", "title": "範囲" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "範囲" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "高校受験に臨む時、まず実際の試験の出題がどうなっているか、市販の過去問集で把握しておくと良い。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "公立校なら、自分の受ける都道府県の過去問集、私立なら、各有名校の過去問をまとめて抜粋している書籍がありますのでそれを読めば良いでしょう。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "3年生の初めの方では、まだ過去問を解く必要はなく、一覧してざっと読んで、高校入試の出題範囲を確認してみるのが推奨です。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、文系科目で顕著な傾向なのですが、高校入試の試験問題で、中学範囲を少し超えた問題、おそらく高校で扱うような事柄にも少し触れる事があるようです。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "国語で少し発展的な難しい語句が使われたり、社会の歴史で学校教科書で扱わないような古文書が取り上げられたり。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "鳥取県の英語の試験問題では鳥取砂丘(とっとりさきゅう)に関する英単語が使われていました。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "しかし多くの場合、難しい英単語には、試験問題上で注釈がついて、説明がある場合が多いですね。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "住んでいる地域に特徴的な事項は、よく出題されるようです。", "title": "高校入試の実際" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "あくまでも一例ですが、すべての教科にわたっての総合的な学習方針として、以下のような指摘をしておきます。", "title": "まず…" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "高校受験の学習のスタートは、3年になってからでよいと思われる。そして部活はふつう中3の1学期で終了するはずだから、そこから本格的な受験生という事になる。", "title": "まず…" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "そして受験生になったら、一般的には趣味や娯楽は、時間削減や中止するものだけど、大学受験に比べたら高校受験はまだ、緩やかで厳しさも少ないから、それぞれの個人的な事情に合わせて、精神の安寧を保てるような生活習慣を作っても良いと思う。", "title": "まず…" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "そしてほぼ当たり前のことですが、学校にはきちんと出席するのが望ましい。ただそもそも、中学生が大した正当な理由もないのに気楽に学校を欠席すること自体が困難ですが。", "title": "まず…" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "公立校入試では、難問、奇問はほとんどないでしょう。非常に標準的で一般的な出題がされると予想して大丈夫だろう。ですから入試平均点については、難関私立、普通の私立の入試問題と比べても公立高校入試の平均点は高い。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "常識的には、網羅的、総合的な学習、理解が望ましいし、その方が事実上、試験の成績も良くなるだろう。ですから苦手分野もそれなりに頑張る必要はあるだろう。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "難関私立ではさらに踏み込んで、苦手科目を上手に克服すると、試験の成績も良くなるだろうという指摘がある。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "高校受験の場合、1科目あたり100点満点の科目×3科目の入学試験なら、1科目だけをどう頑張っても、100点までしか取れない。このため、苦手科目もそれなりに手をつけなければいけない。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "指摘の例", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "3年生の時点で、基礎に拘り過ぎて、1、2年の内容を、徹底的に学習して、あまり3年の内容を知らないまま受験勉強を終えてしまう、という事もあるようです。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "中学生を通してあまり勉強や家庭学習をして来なかったのならば1、2年の勉強は重要ですが、しかし普通に学習を続けてきたのであれば、むしろ1~2年の学習に拘らず、なるべく3学年の内容を中心に学習していった方がスケジュール管理をしやすい。(ただし、ときどき復習すること。塾などでも中3の夏期などに中2終わりまでの内容を復習するだろう)", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "前学年の科目の復習の場合、気分的には、学校教科書を読むより先に、参考書を読んだほうが楽しいです(ただし、私立高校受験~難関校の対策に片寄るが)。基本的には、知識が多めのほうが記憶力が定着しやすくなるので、参考書レベルの発展的なことも含めて勉強したほうが効率的です。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "前学年の教科書は、学校の授業に普通に出て勉強してれば、あとは復習は1度か2度読んでおけば、あとは用語の書き取り練習など一通りしてしまえば、あとは前学年の教科書をめったに読む必要は無いでしょう。(ただし、中学の範囲確認などのため、少なくとも高校入学までは残す必要がある)", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "教科書よりも市販の参考書の方が、受験勉強の教材として良いという指摘もあります。これはここの中学校の学習方法のページで折に触れて書かれてていますが、学校教科書は授業の導入として書かれている性質があるので、やや記述や内容、解説に不十分なところが多いというのが、多くの人の見るところでしょう。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "中学校の学習範囲、高校の学習範囲というのは、文科省など行政機関によってある程度は示されていますが、事実上はそんな明白な範囲というのはなく、分離できない連続性もあるし、試験問題制作者もそれほど明確に範囲を意識していないでしょう。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "wiki編集者によって意見が分かれます。 wiki編集者Sは高校1年の範囲も含めて学習せよと、繰り返し指摘していますが、別の編集者Hはむしろ、中学校範囲を網羅的にきちんと勉強することを推奨しています。もちろん高校範囲と見なされる出題はあるかもしれませんが、よほどの難易校ではない限り、中学範囲の知識の組み合わせでも試験合格が果たせる内容が出題されるだろうと考えます。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "しかし事実上、難易度がある程度高い私立高校入試では、英語や数学ではやや難かしめの、高校範囲と見なされる出題も多いという指摘はあります。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、中学範囲だけの学習では、ある意味簡単すぎて面白くないから、高校1年の範囲まで受験勉強に取り入れたほうがおもしろく学習できるだろうという指摘がありますが、しかしどうでしょうね、中学範囲の学習って、人類の今までの知の集積を現代を生きている教育者たちの判断でまとめ上げた、かなり高度な知的体系であり、これを本当の意味で簡単すぎて面白みがないなんて言えるのは、徹底的に事実上知能が高い、ごく一部の超賢人だけだと思いますが...", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "しかし一般論としては、公立高校の入試問題より、私立高校の入試問題の方が難易度が高いのは事実でしょうね。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "指摘の例", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "得意教科は基本的に成績も、テストの点数も良くなるものですが、それでも、見たこともないあっと驚くような不可思議な問題というのは、出題されるものです。出題側が工夫を凝らせば作れるものです。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "基本的には難問奇問対策は、難しめの問題集などに取り組むといいだろうが、そもそも世の中にはわからないもの、解けない問題はいっぱいある、誰にでも、という感覚を持つという事も重要だと思われる。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "試験を受けるときのコツとして、分からない問題は、まずあまり気にせず後回しにする(試験時間が余った時に手をつける)、というのは有効な試験対策手段だろう。", "title": "学習の基本的姿勢" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "編集者Hは地方の公立進学校・高校出身ですし、難関校に特化した受験業界、業務にも絡んでいないので、東京や関西の私立難関高校試験対策については、特に語るものを持たないのですが、前編集Sを継承して書くと、中学校の5教科全範囲に関して網羅的に、総合的に学習し、理解することが重要だろう。つまり中学全範囲に関して、一部だけ学習して受験勉強終了では心許ない。苦手分野もそれなりに十分に学習することが必要だろう。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "しかしこれは実際には難関校だけではなく、中学生全員に推奨される姿勢ではある。せっかく中学で学習するなら、その全貌を総合的に知ってもらいたいという気持ちもある。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ところでこれ↑は前編集者Sの記述だが、現編集者はむしろ、私立の難関校なんかに行く人は、むしろ才能だの、感性だの、天性の知性だの、そういうものを持っている人だけでいいんじゃあないの? なんて思う。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "確かに実行力だの手を動かすだのの言葉で盛り上がって、中学生時代きりきり舞いして勉強して、俺は偉いだの俺は努力してるだのあいつらは馬鹿だの、そんな荒み切った毎日を送った結果、私立の難関校とやらに合格したところで、そんな意味ないんじゃないかなー。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "そこそこの公立高校や私立校で3年過ごしても、充実した学校生活送れるかもしれないし、勉強だって、自分のいいペースと方法を見つけることが出来れば、いくらでもそれなりの大学に進学できると思うけど...", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "私立高校、特に難関校では、高校1年の範囲から出題される場合もある。対策としては、難関校向けの学習、あるいは受験参考書を手に入れて、学習するのがいいだろう。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "数学の場合なら、中学範囲の知識の組み合わせでも解けるが、しかし英語だと どうしようもない。なので、特に英語については、難関私立を受験する場合は、高校1年の範囲にも手をつけないといけない。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ただし私立受験でも、上位の難関私立でない場合なら、中学校の発展的な学習をすることを目指した方が良いかもしれない。なぜなら難関校用の高校受験の参考書は、結局は高校範囲と思われる部分にも突っ込んで解説しているからである。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "難関校向けの参考書も、(暗記科目なら)それほど難解ではないという指摘がある。だとしたら、すべての中学生にとって、程々の参考になる書籍かもしれない。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "現編集者Hの主張としては、基本的には中学生は受験でも中学範囲の学習理解の充実が一番重要だと考えるが、しかし私立の難関高校の英語では、高校1年範囲の単語が使われることも多いようなので、自己判断で、高校基礎範囲の単語集や熟語集に手を伸ばしてもいいだろう。確かに余裕があれば、早めに単語の記憶や理解を進めておくと、あとあと様々な局面で利益がある。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "最近はインターネット通販が盛んなので、地方と首都圏での差はなくなって来たが、書店で主に参考書を手に入れる場合、もし難関高校受験向けの単語集や熟語集が手に入らなければ、(と、いうのは結局はそちらの本を推奨するので)、高校基礎英語の単語集や熟語集を手に入れて学習することになるだろう。", "title": "難関校・私立高校" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "基本的には難関私立受験の場合でも、中学校範囲の学業の理解をしっかり確立することが重要だし、そのためには苦手分野もそれなりに頑張る必要があるだろう。", "title": "高校範囲の学習について" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "だから、中学校時代に高校範囲まで学習することを選ぶ人は、やはり限られた、学習理解の特に進んでいる人のみになるだろう。中学生のうちに高校範囲の学習を進めると、大学受験において大きなアドバンテージを得ることができる。特に、数学と英語は大学受験において重要なので、高校範囲の先取り学習をする場合は、数学と英語に重点を置いて学習を進めるといいだろう。", "title": "高校範囲の学習について" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "さて、前編集者Sの指摘では、公立中学校の教員は、立場上、進路指導の場でも明言できないことがあるという。", "title": "学校での進路指導について" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "前編集者によると具体的にはこういう内容↑だそうだ。(前編集者の文章そのまま引用)。", "title": "学校での進路指導について" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "まあね、具体的にその内容かはともかく、この社会、色々と言えないことはあるだろうね、あらゆる大人が、そして子供もみんなね。", "title": "学校での進路指導について" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "そして前編集者Sの最終結論はこれ↓。(これも一字一句そのまま引用)", "title": "学校での進路指導について" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "いやー、相変わらず馬鹿話も極まったね。生徒に対する進路指導、公立の学校教師が、生徒に一番重要な本音言わないで何言うの? 生徒に良くして、それを言うからこそ給料もらえてるんじゃあないの? 逆説的だが、そんなに生徒の事より、毎月の給料、自分の肩書と職が大事かね? そんな教師しかいない公立中学なら、最初っから無いほうがよっぽどいいんじゃあないの?", "title": "学校での進路指導について" } ]
null
== 範囲 == 高校受験の範囲は、中学の3年分です。中1~中3です。 中3だけではないので、復習を忘れないようにしましょう。 == 高校入試の実際 == 高校受験に臨む時、まず実際の試験の出題がどうなっているか、市販の過去問集で把握しておくと良い。 公立校なら、自分の受ける都道府県の過去問集、私立なら、各有名校の過去問をまとめて抜粋している書籍がありますのでそれを読めば良いでしょう。 3年生の初めの方では、まだ過去問を解く必要はなく、一覧してざっと読んで、高校入試の出題範囲を確認してみるのが推奨です。 なお、文系科目で顕著な傾向なのですが、高校入試の試験問題で、中学範囲を少し超えた問題、おそらく高校で扱うような事柄にも少し触れる事があるようです。 国語で少し発展的な難しい語句が使われたり、社会の歴史で学校教科書で扱わないような古文書が取り上げられたり。 鳥取県の英語の試験問題では鳥取砂丘(とっとりさきゅう)に関する英単語が使われていました。 しかし多くの場合、難しい英単語には、試験問題上で注釈がついて、説明がある場合が多いですね。 住んでいる地域に特徴的な事項は、よく出題されるようです。 == まず… == あくまでも一例ですが、すべての教科にわたっての総合的な学習方針として、以下のような指摘をしておきます。 :* まずドリルやワークブックで、中学範囲を一通り練習してみよう。 :* それを完遂したなら、次は適度に選んだ問題集で、中学範囲を一通り練習してみよう。 :* 家での自習は市販の参考書を読み学習するのが良い。おそらく前2項目よりこちらの方が優先で重要だと考える。というのは、学問・勉強の本質は、物事を理解することだからです。教科書は、授業の前提の導入として作られているので、やや説明不足な場合もあり、ですが図版が豊富という利点もあったりするので、補助教材として教科書を使おう。過去問集は、重視して取り組むよりは、傾向の確認用に使うのが推奨。 :* 様々な用語は漢字で書けるようにするのが基本。使う漢字は教科書の記述が基準。難しすぎる漢字を使う用語は、教科書でも漢字ではなく仮名(カナ、かな)になっているし、その場合はもちろん教科書での表記で覚えよう。また、理科や数学の計算の問題に関して、ノートと鉛筆を使って計算練習もしておく。 :* 普段の予習復習も出来ればしたほうが良い。 :* 普段の健康、体調、精神の安寧の維持のために工夫して生活すると良い。睡眠や食事は大事。徹夜などの睡眠不足は、健康を害したりするので、学習効率が低下するだろう<ref>船登惟希 『改訂版 高校一冊目の参考書』、KADOKAWA、2019年3月18日、69ページ</ref>。 ::夜型より朝型の勉強が良いという意見もある<ref>『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、149ページあたりページ</ref>。しかし一般的には若い人は朝眠い傾向があるから、この方法がすべての生徒に適しているかは分からない。 :* 難関校を目指す場合、いや実はそうでなくとも、受験勉強としては中学校の全範囲を網羅的に学習しておきたい。特定の範囲だけではなく、中学校の学習の理解は確立しておきたい。 高校受験の学習のスタートは、3年になってからでよいと思われる。そして部活はふつう中3の1学期で終了するはずだから、そこから本格的な受験生という事になる。 そして受験生になったら、一般的には趣味や娯楽は、時間削減や中止するものだけど、大学受験に比べたら高校受験はまだ、緩やかで厳しさも少ないから、それぞれの個人的な事情に合わせて、精神の安寧を保てるような生活習慣を作っても良いと思う。 そしてほぼ当たり前のことですが、学校にはきちんと出席するのが望ましい。ただそもそも、中学生が大した正当な理由もないのに気楽に学校を欠席すること自体が困難ですが。 == 学習の基本的姿勢 == 公立校入試では、難問、奇問はほとんどないでしょう。非常に標準的で一般的な出題がされると予想して大丈夫だろう。ですから入試平均点については、難関私立、普通の私立の入試問題と比べても公立高校入試の平均点は高い。 常識的には、網羅的、総合的な学習、理解が望ましいし、その方が事実上、試験の成績も良くなるだろう。ですから苦手分野もそれなりに頑張る必要はあるだろう。 難関私立ではさらに踏み込んで、苦手科目を上手に克服すると、試験の成績も良くなるだろうという指摘がある。 高校受験の場合、1科目あたり100点満点の科目×3科目の入学試験なら、1科目だけをどう頑張っても、100点までしか取れない。このため、苦手科目もそれなりに手をつけなければいけない。 === 苦手教科の学習 === 指摘の例 :* 1年範囲だけで受験勉強終了は心許ない。 :* 教科書範囲を超える学習も有用。 3年生の時点で、基礎に拘り過ぎて、1、2年の内容を、徹底的に学習して、あまり3年の内容を知らないまま受験勉強を終えてしまう、という事もあるようです。 中学生を通してあまり勉強や家庭学習をして来なかったのならば1、2年の勉強は重要ですが、しかし普通に学習を続けてきたのであれば、むしろ1~2年の学習に拘らず、なるべく3学年の内容を中心に学習していった方がスケジュール管理をしやすい。(ただし、ときどき復習すること。塾などでも中3の夏期などに中2終わりまでの内容を復習するだろう) 前学年の科目の復習の場合、気分的には、学校教科書を読むより先に、参考書を読んだほうが楽しいです(ただし、私立高校受験~難関校の対策に片寄るが)。基本的には、知識が多めのほうが記憶力が定着しやすくなるので、参考書レベルの発展的なことも含めて勉強したほうが効率的です。 前学年の教科書は、学校の授業に普通に出て勉強してれば、あとは復習は1度か2度読んでおけば、あとは用語の書き取り練習など一通りしてしまえば、あとは前学年の教科書をめったに読む必要は無いでしょう。(ただし、中学の範囲確認などのため、少なくとも高校入学までは残す必要がある) 教科書よりも市販の参考書の方が、受験勉強の教材として良いという指摘もあります。これはここの中学校の学習方法のページで折に触れて書かれてていますが、学校教科書は授業の導入として書かれている性質があるので、やや記述や内容、解説に不十分なところが多いというのが、多くの人の見るところでしょう。 中学校の学習範囲、高校の学習範囲というのは、文科省など行政機関によってある程度は示されていますが、事実上はそんな明白な範囲というのはなく、分離できない連続性もあるし、試験問題制作者もそれほど明確に範囲を意識していないでしょう。 wiki編集者によって意見が分かれます。 wiki編集者Sは高校1年の範囲も含めて学習せよと、繰り返し指摘していますが、別の編集者Hはむしろ、中学校範囲を網羅的にきちんと勉強することを推奨しています。もちろん高校範囲と見なされる出題はあるかもしれませんが、よほどの難易校ではない限り、中学範囲の知識の組み合わせでも試験合格が果たせる内容が出題されるだろうと考えます。 しかし事実上、難易度がある程度高い私立高校入試では、英語や数学ではやや難かしめの、高校範囲と見なされる出題も多いという指摘はあります。 また、中学範囲だけの学習では、ある意味簡単すぎて面白くないから、高校1年の範囲まで受験勉強に取り入れたほうがおもしろく学習できるだろうという指摘がありますが、しかしどうでしょうね、中学範囲の学習って、人類の今までの知の集積を現代を生きている教育者たちの判断でまとめ上げた、かなり高度な知的体系であり、これを本当の意味で簡単すぎて面白みがないなんて言えるのは、徹底的に事実上知能が高い、ごく一部の超賢人だけだと思いますが… しかし一般論としては、公立高校の入試問題より、私立高校の入試問題の方が難易度が高いのは事実でしょうね。 === 得意教科の学習 === 指摘の例 :* 中学校全範囲を網羅的に学習しよう。学習範囲が偏向してしまうのは良くない。 :* 得意教科は楽しい、でも苦手教科もなんとかせねば、と思おう。 :* 得意教科だから、基礎は固まっていると見る、応用、発展問題を中心に学習しよう。 得意教科は基本的に成績も、テストの点数も良くなるものですが、それでも、見たこともないあっと驚くような不可思議な問題というのは、出題されるものです。出題側が工夫を凝らせば作れるものです。 基本的には難問奇問対策は、難しめの問題集などに取り組むといいだろうが、そもそも世の中にはわからないもの、解けない問題はいっぱいある、誰にでも、という感覚を持つという事も重要だと思われる。 試験を受けるときのコツとして、分からない問題は、まずあまり気にせず後回しにする(試験時間が余った時に手をつける)、というのは有効な試験対策手段だろう。 == 難関校・私立高校 == 編集者Hは地方の公立進学校・高校出身ですし、難関校に特化した受験業界、業務にも絡んでいないので、東京や関西の私立難関高校試験対策については、特に語るものを持たないのですが、前編集Sを継承して書くと、中学校の5教科全範囲に関して網羅的に、総合的に学習し、理解することが重要だろう。つまり中学全範囲に関して、一部だけ学習して受験勉強終了では心許ない。苦手分野もそれなりに十分に学習することが必要だろう。 しかしこれは実際には難関校だけではなく、中学生全員に推奨される姿勢ではある。せっかく中学で学習するなら、その全貌を総合的に知ってもらいたいという気持ちもある。 この勉強法で必要なのは "実行力" である。けっして、才能ではなく、感性でもなく、天性の知性でもなく、じっさいに手を動かして、しらみつぶしに一通りの勉強をするという実行力である。 ところでこれ↑は前編集者Sの記述だが、現編集者はむしろ、私立の難関校なんかに行く人は、むしろ才能だの、感性だの、天性の知性だの、そういうものを持っている人だけでいいんじゃあないの? なんて思う。 確かに実行力だの手を動かすだのの言葉で盛り上がって、中学生時代きりきり舞いして勉強して、俺は偉いだの俺は努力してるだのあいつらは馬鹿だの、そんな荒み切った毎日を送った結果、私立の難関校とやらに合格したところで、そんな意味ないんじゃないかなー。 そこそこの公立高校や私立校で3年過ごしても、充実した学校生活送れるかもしれないし、勉強だって、自分のいいペースと方法を見つけることが出来れば、いくらでもそれなりの大学に進学できると思うけど… === 中学範囲外の出題について === 私立高校、特に難関校では、高校1年の範囲から出題される場合もある。対策としては、難関校向けの学習、あるいは受験参考書を手に入れて、学習するのがいいだろう。 数学の場合なら、中学範囲の知識の組み合わせでも解けるが、しかし英語だと どうしようもない。なので、特に英語については、難関私立を受験する場合は、高校1年の範囲にも手をつけないといけない。 ただし私立受験でも、上位の難関私立でない場合なら、中学校の発展的な学習をすることを目指した方が良いかもしれない。なぜなら難関校用の高校受験の参考書は、結局は高校範囲と思われる部分にも突っ込んで解説しているからである。 難関校向けの参考書も、(暗記科目なら)それほど難解ではないという指摘がある。だとしたら、すべての中学生にとって、程々の参考になる書籍かもしれない。 === 英語科目について === 現編集者Hの主張としては、基本的には中学生は受験でも中学範囲の学習理解の充実が一番重要だと考えるが、しかし私立の難関高校の英語では、高校1年範囲の単語が使われることも多いようなので、自己判断で、高校基礎範囲の単語集や熟語集に手を伸ばしてもいいだろう。確かに余裕があれば、早めに単語の記憶や理解を進めておくと、あとあと様々な局面で利益がある。 最近はインターネット通販が盛んなので、地方と首都圏での差はなくなって来たが、書店で主に参考書を手に入れる場合、もし難関高校受験向けの単語集や熟語集が手に入らなければ、(と、いうのは結局はそちらの本を推奨するので)、高校基礎英語の単語集や熟語集を手に入れて学習することになるだろう。 == 高校範囲の学習について == 基本的には難関私立受験の場合でも、中学校範囲の学業の理解をしっかり確立することが重要だし、そのためには苦手分野もそれなりに頑張る必要があるだろう。 だから、中学校時代に高校範囲まで学習することを選ぶ人は、やはり限られた、学習理解の特に進んでいる人のみになるだろう。中学生のうちに高校範囲の学習を進めると、大学受験において大きなアドバンテージを得ることができる。特に、数学と英語は大学受験において重要なので、高校範囲の先取り学習をする場合は、数学と英語に重点を置いて学習を進めるといいだろう。 == 学校での進路指導について == さて、前編集者Sの指摘では、公立中学校の教員は、立場上、進路指導の場でも明言できないことがあるという。 たとえば「あの高校は、生徒のガラが悪い・・・」とか「あの高校は、進学実績があまり良くない・・・」とか、「過去にあの高校で、ああいう不祥事があった・・・」とか、そういう事です。 前編集者によると具体的にはこういう内容↑だそうだ。(前編集者の文章そのまま引用)。 まあね、具体的にその内容かはともかく、この社会、色々と言えないことはあるだろうね、あらゆる大人が、そして子供もみんなね。 そして前編集者Sの最終結論はこれ↓。(これも一字一句そのまま引用) 「公立の教師だから本音は言えない」という事自体すら、公立中高の教師は言えないという事実を、生徒側であるアナタは念のために把握しておきましょう。 いやー、相変わらず馬鹿話も極まったね。生徒に対する進路指導、公立の学校教師が、生徒に一番重要な本音言わないで何言うの? 生徒に良くして、それを言うからこそ給料もらえてるんじゃあないの? 逆説的だが、そんなに生徒の事より、毎月の給料、自分の肩書と職が大事かね? そんな教師しかいない公立中学なら、最初っから無いほうがよっぽどいいんじゃあないの? == 脚注・参考文献 == [[Category:中学校教育|がくしゅうほうほうこうこうじゅけん]] [[Category:学習方法|こうこうしゆけんせんはん]]
2014-10-14T05:53:27Z
2024-03-16T05:25:48Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%85%A8%E8%88%AC
19,531
中学校国語 漢文/元二の安西に使ひするを送る
元二(げんじ)の安西(あんせい)に使ひ(つかい)するを送る 王維(おうい) 渭城の朝雨軽塵を浥し 客舎青青柳色新たなり 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽関を出づれば(仮定未然形+ば) 故人無からん ※ 予備知識 旅立つのは友人・元二であり、王維ではない。 (友人・元二との別れの日、)渭城に、朝、降った雨が、土ぼこりを潤して、 雨が降ったので旅館のそばの柳の木は、(葉が)青々として色も鮮やかだ。 さあ、君に勧めよう、(前日にすでに飲みあかしたが)さらに、もういっぱいの酒を飲もうではないか。 西のほうにある関所の陽関を出てしまったら、(君のような)親しい友人も、もう、いなくなるだろうから。 (左から右に読んでください。) 前半の二句 は、友人の出発を祝う句。 後半の二句 は、別れをさびしんでいることを表現した句。 七言絶句
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "元二(げんじ)の安西(あんせい)に使ひ(つかい)するを送る 王維(おうい)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "渭城の朝雨軽塵を浥し", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "客舎青青柳色新たなり", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "君に勧む更に尽くせ一杯の酒", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "西のかた陽関を出づれば(仮定未然形+ば) 故人無からん", "title": "書き下し文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "※ 予備知識 旅立つのは友人・元二であり、王維ではない。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "(友人・元二との別れの日、)渭城に、朝、降った雨が、土ぼこりを潤して、", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "雨が降ったので旅館のそばの柳の木は、(葉が)青々として色も鮮やかだ。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "さあ、君に勧めよう、(前日にすでに飲みあかしたが)さらに、もういっぱいの酒を飲もうではないか。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "西のほうにある関所の陽関を出てしまったら、(君のような)親しい友人も、もう、いなくなるだろうから。", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(左から右に読んでください。)", "title": "口語訳" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "前半の二句", "title": "解釈" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "は、友人の出発を祝う句。", "title": "解釈" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "後半の二句", "title": "解釈" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "は、別れをさびしんでいることを表現した句。", "title": "解釈" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "七言絶句", "title": "形式" } ]
元二(げんじ)の安西(あんせい)に使ひ(つかい)するを送る   王維(おうい)
元二(げんじ)の安西(あんせい)に使ひ(つかい)するを送る   [[w:王維|王維]](おうい) {{-}} == 本文 == [[File:元二の安西に使ひするを送る 返り点.svg|400px|left|漢文『元二の安西に使ひするを送る』。返り点。]] == 書き下し文 == <ruby><rb>渭城</rb><rp>(</rp><rt>ゐじやう</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>朝雨</rb><rp>(</rp><rt>てうう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>軽塵</rb><rp>(</rp><rt>けいぢん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>浥</rb><rp>(</rp><rt>うるほ</rt><rp>)</rp></ruby>し <ruby><rb>客舎</rb><rp>(</rp><rt>かくしや</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>青青</rb><rp>(</rp><rt>せいせい</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>柳色</rb><rp>(</rp><rt>りうしよく</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>新</rb><rp>(</rp><rt>あら</rt><rp>)</rp></ruby>たなり <ruby><rb>君</rb><rp>(</rp><rt>きみ</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>勧</rb><rp>(</rp><rt>すす</rt><rp>)</rp></ruby>む<ruby><rb>更</rb><rp>(</rp><rt>さら</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>尽</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>くせ<ruby><rb>一杯</rb><rp>(</rp><rt>いつぱい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>酒</rb><rp>(</rp><rt>さけ</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby><rb>西</rb><rp>(</rp><rt>にし</rt><rp>)</rp></ruby>のかた<ruby><rb>陽関</rb><rp>(</rp><rt>やうくわん</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>出</rb><rp>(</rp><rt>い</rt><rp>)</rp></ruby>づれば(仮定未然形+ば) <ruby><rb>故人</rb><rp>(</rp><rt>こじん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>無</rb><rp>(</rp><rt>な</rt><rp>)</rp></ruby>からん == 口語訳 == ※ 予備知識 旅立つのは友人・元二であり、王維ではない。 (友人・元二との別れの日、)渭城に、朝、降った雨が、土ぼこりを潤して、 雨が降ったので旅館のそばの柳の木は、(葉が)青々として色も鮮やかだ。 さあ、君に勧めよう、(前日にすでに飲みあかしたが)さらに、もういっぱいの酒を飲もうではないか。 西のほうにある関所の陽関を出てしまったら、(君のような)親しい友人も、もう、いなくなるだろうから。 *語注 :元二 ・・・ 王維の友人。 :渭城(いじょう) ・・・ 地名。街の名前。[[w:渭水|渭水]](いすい)の近くにある街。 :朝雨 ・・・ 朝の雨 :軽塵 ・・・ 軽い塵。土ぼこり、など。 :客舎(かくしゃ) ・・・ 旅館 :[[w:陽関|陽関]] ・・・ 関所名。[[w:敦煌|敦煌]](とんこう)の西にある。 :故人(こじん) ・・・ 古くからの友人。 (※ 日本語の「故人」とは意味が違い、「死んだ人」の意味ではない。) {{-}} (左から右に読んでください。) :渭 城 朝 雨 浥 軽 塵 :客 舎 青 青 柳 色 新 :勧 君 更 尽 一 杯 酒 :西 出 陽 関 無 故 人 == 解釈 == 前半の二句 :渭 城 朝 雨 浥 軽 塵 :客 舎 青 青 柳 色 新 は、友人の出発を祝う句。 後半の二句 :勧 君 更 尽 一 杯 酒 :西 出 陽 関 無 故 人 は、別れをさびしんでいることを表現した句。 == 形式 == 七言絶句 [[Category:中学校国語|かんふん けんしのあんせいにつかひするをおくる]] [[カテゴリ:漢文]]
null
2023-01-12T10:25:16Z
[ "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E5%85%83%E4%BA%8C%E3%81%AE%E5%AE%89%E8%A5%BF%E3%81%AB%E4%BD%BF%E3%81%B2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%92%E9%80%81%E3%82%8B
19,532
中学校国語 古文/おくのほそ道
芭蕉は、自然の雄大さと、人間の儚さとを対比させ、無常観を表現している。しかし人の世が儚いからと言って決して人を見下しているわけではなく、儚いながらも、精一杯生きようとすることに人の意義を見出している。 三代(さんだい)の栄耀(えいよう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。まづ高館(たかだち)に登れば、北上川(きたかみがわ)、南部(なんぶ)より流るる大河(たいが)なり。衣川(ころもがわ)は和泉が城(いすみがじょう)を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて南部口(なんぶぐち)をさし固め、夷(えぞ)を防ぐと見えたり。さても、義臣(ぎしん)すぐつてこの城にこもり、功名(こうみょう)一時(いちじ)の叢(くさむら)となる。『国破れて山河あり、城(しろ、じょう)春にして草青みたり』と、笠うち敷きて(しきて)、時の移るまで泪(なみだ)を落としはべりぬ。 かねて耳驚かしたる二堂開帳(かいちょう)す。経堂(きょうどう)は三将の像を残し、光堂(ひかりどう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊(さんぞん)の仏を安置す。七宝(しっぽう)散り失せて、珠(たま)の扉風に破れ、金(こがね)の柱霜雪(そうせつ)に朽ちて、既に頽廃空虚(たいはいくうきょ)の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ(しのぐ)。しばらく千歳の記念(せんざいのかたみ)とはなれり。 語注 予備知識: 「平泉」(ひらいずみ)は、今で言う岩手県の一地方。 (奥州に居た、奥州・藤原氏の)三代にわたる栄華も、(後世の歴史の視点からみれば、一瞬のあいだの夢のように)一睡のうちに消えて 、(いまや廃墟になり、)大門のあとは一里ほど手前にある。(藤原)秀衡の館のあとは、いまや田野になってしまい、(彼が築かせた)金鶏山のみ、形を残している。 (源義経が居たという)高館にのぼれば、北上川(きたかみがわ)が見えるが、北上川は南部地方から流れてくる大河である、 衣川(ころもがわ)は( 藤原泰衡(やすひら)のいた )和泉が城(いすみがじょう)をめぐって流れ、高館のもとで大河に流れ込んでいる。 源頼朝と対立した源義経は、奥州へと逃げのび、藤原秀衡に保護された。だが、秀衡の子の泰衡(やすひら)は、義経を攻め滅ぼした。高館ちは、そのときの戦場になった。 川の流れという自然現象だけでなく、歴史を掛けていると思われる。 芭蕉の一行が平泉を訪れた季節は、夏。以下の芭蕉の文章の訳は、夏ごろの風景を前提にしている。 泰衡(やすひら)らの旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて、(平泉への入口である)南部からの入口(なんぶぐち)をかたく守り、夷(えぞ)の侵入を防ぐと思われる。それにしても、(義経に忠誠をちかう、)よりすぐられた忠義の臣が、この高館にたてこもり、奮戦したのだが、その功名(こうみょう)も一時(いちじ)の叢(くさむら)となってしまった。(漢文の杜甫の詩「春望」にあるように)『国(くに)破れて山河(さんが)あり、城(しろ、じょう)春にして草(くさ)青みたり』(国は破壊されても、自然の山や川は変わらず残り続ける。(廃墟となってしまった)城は、春ともなれば、草が生い茂り、青みがかっている。)と、笠を敷きて(しいて)、しばらくの間、泪を落としたのでありました。 その昔、ここ(平泉)では、源義経(よしつね)の一行や藤原兼房(ふじわらのかねふさ)らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が生い茂る(おいしげる)ばかりである。 (季語は「夏草」。季節は夏。) (卯(う)の花は白いが、)白い卯の花を見ると、義経の家来として、老臣ながら奮戦した兼房が、白髪(しらが)を振り乱して奮戦している様子が思い浮かぶことよ。 (季語は「卯の花」。季節は夏。曾良は芭蕉に同行してるのだから、季節は同じはず。芭蕉の「夏草や・・・」に対応させて、植物で句をはじめたと思われる。) (義経の高館をめぐったあと、芭蕉の一行は、中尊寺の金色堂を見に行く。) 前々から耳にしていて、驚かされていた金色堂の二堂(経堂・光堂)が、開かれていた。経堂(きょうどう)には、像が三体あり、藤原清衡(ふじわらのきよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら)の三将の像が残っている。 光堂には、この三代の棺をおさめられてあり、仏の像が三体ある。阿弥陀(あみだ)・観世音(かんぜおん)・勢至(せいし)の、三尊(さんぞん)の仏像が安置されている。 (七宝が、かつては堂内を飾っていたが、)今では七宝(しちほう)も散り失せ、かつては珠玉(しゅぎょく)をちりばめられていただろう扉も、(長年の風雨により)今では風雨にいたみ、金箔の柱も霜や雪に朽ちて、もうすこしで退廃して草むらとなるところを、(鎌倉時代に)周囲の四面を囲い、風雨をよけるようにした(鞘堂が建てられた)。こうして、しばらくの間、千年の記念として残ることになったのである。 五月雨の 降り(ふり)のこしてや 光堂(ひかりどう) 光堂は昔のままだ。まるで、五月雨が、この光堂には降り残したかのようだ。(あたかも、光堂だけには降らなかったかのようだ。) 江戸時代の俳人(はいじん)の松尾芭蕉(まつおばしょう)が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文(きこうぶん)。 出発年: 元禄(げんろく)2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。 5ヶ月のあいだ、旅を続けた。 関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣(おおがき)などを旅した。 旅の途中、句を多く、つくった。 従者(じゅうしゃ)として、曾良(そら)という人物をつれて、ともに旅をした。 いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。 夏草(なつくさ)や 兵(つわもの)どもが 夢(ゆめ)の跡(あと) 場所:平泉(ひらいずみ) 解釈 季語は「夏草」。季節は夏。 芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。 閑かさ(しずかさ)や 岩(いわ)に しみいる 蝉(せみ)の声(こえ) 場所:立石寺(りっしゃくじ) 解釈 もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。 季語は「蝉」。季節は夏。 五月雨(さみだれ)を 集めて早し(はやし) 最上川(もがみがわ) 場所:最上川 解釈 季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので) 五月雨の 降り(ふり)のこしてや 光堂(ひかりどう) 場所: 荒海(あらうみ)や 佐渡(さど)に 横たふ(よこたう) 天の河(あまのがわ) 場所:越後路(えちごじ) 解釈 とりあえず、句を文字通りに解釈すると、 というふうな解釈にでも、なるだろう。 季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、この句が「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "芭蕉は、自然の雄大さと、人間の儚さとを対比させ、無常観を表現している。しかし人の世が儚いからと言って決して人を見下しているわけではなく、儚いながらも、精一杯生きようとすることに人の意義を見出している。", "title": "解説など" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "三代(さんだい)の栄耀(えいよう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。まづ高館(たかだち)に登れば、北上川(きたかみがわ)、南部(なんぶ)より流るる大河(たいが)なり。衣川(ころもがわ)は和泉が城(いすみがじょう)を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて南部口(なんぶぐち)をさし固め、夷(えぞ)を防ぐと見えたり。さても、義臣(ぎしん)すぐつてこの城にこもり、功名(こうみょう)一時(いちじ)の叢(くさむら)となる。『国破れて山河あり、城(しろ、じょう)春にして草青みたり』と、笠うち敷きて(しきて)、時の移るまで泪(なみだ)を落としはべりぬ。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "かねて耳驚かしたる二堂開帳(かいちょう)す。経堂(きょうどう)は三将の像を残し、光堂(ひかりどう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊(さんぞん)の仏を安置す。七宝(しっぽう)散り失せて、珠(たま)の扉風に破れ、金(こがね)の柱霜雪(そうせつ)に朽ちて、既に頽廃空虚(たいはいくうきょ)の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ(しのぐ)。しばらく千歳の記念(せんざいのかたみ)とはなれり。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "語注", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "予備知識: 「平泉」(ひらいずみ)は、今で言う岩手県の一地方。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "(奥州に居た、奥州・藤原氏の)三代にわたる栄華も、(後世の歴史の視点からみれば、一瞬のあいだの夢のように)一睡のうちに消えて 、(いまや廃墟になり、)大門のあとは一里ほど手前にある。(藤原)秀衡の館のあとは、いまや田野になってしまい、(彼が築かせた)金鶏山のみ、形を残している。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "(源義経が居たという)高館にのぼれば、北上川(きたかみがわ)が見えるが、北上川は南部地方から流れてくる大河である、 衣川(ころもがわ)は( 藤原泰衡(やすひら)のいた )和泉が城(いすみがじょう)をめぐって流れ、高館のもとで大河に流れ込んでいる。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "源頼朝と対立した源義経は、奥州へと逃げのび、藤原秀衡に保護された。だが、秀衡の子の泰衡(やすひら)は、義経を攻め滅ぼした。高館ちは、そのときの戦場になった。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "川の流れという自然現象だけでなく、歴史を掛けていると思われる。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "芭蕉の一行が平泉を訪れた季節は、夏。以下の芭蕉の文章の訳は、夏ごろの風景を前提にしている。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "泰衡(やすひら)らの旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて、(平泉への入口である)南部からの入口(なんぶぐち)をかたく守り、夷(えぞ)の侵入を防ぐと思われる。それにしても、(義経に忠誠をちかう、)よりすぐられた忠義の臣が、この高館にたてこもり、奮戦したのだが、その功名(こうみょう)も一時(いちじ)の叢(くさむら)となってしまった。(漢文の杜甫の詩「春望」にあるように)『国(くに)破れて山河(さんが)あり、城(しろ、じょう)春にして草(くさ)青みたり』(国は破壊されても、自然の山や川は変わらず残り続ける。(廃墟となってしまった)城は、春ともなれば、草が生い茂り、青みがかっている。)と、笠を敷きて(しいて)、しばらくの間、泪を落としたのでありました。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "その昔、ここ(平泉)では、源義経(よしつね)の一行や藤原兼房(ふじわらのかねふさ)らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が生い茂る(おいしげる)ばかりである。 (季語は「夏草」。季節は夏。)", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "(卯(う)の花は白いが、)白い卯の花を見ると、義経の家来として、老臣ながら奮戦した兼房が、白髪(しらが)を振り乱して奮戦している様子が思い浮かぶことよ。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "(季語は「卯の花」。季節は夏。曾良は芭蕉に同行してるのだから、季節は同じはず。芭蕉の「夏草や・・・」に対応させて、植物で句をはじめたと思われる。)", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "(義経の高館をめぐったあと、芭蕉の一行は、中尊寺の金色堂を見に行く。) 前々から耳にしていて、驚かされていた金色堂の二堂(経堂・光堂)が、開かれていた。経堂(きょうどう)には、像が三体あり、藤原清衡(ふじわらのきよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら)の三将の像が残っている。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "光堂には、この三代の棺をおさめられてあり、仏の像が三体ある。阿弥陀(あみだ)・観世音(かんぜおん)・勢至(せいし)の、三尊(さんぞん)の仏像が安置されている。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "(七宝が、かつては堂内を飾っていたが、)今では七宝(しちほう)も散り失せ、かつては珠玉(しゅぎょく)をちりばめられていただろう扉も、(長年の風雨により)今では風雨にいたみ、金箔の柱も霜や雪に朽ちて、もうすこしで退廃して草むらとなるところを、(鎌倉時代に)周囲の四面を囲い、風雨をよけるようにした(鞘堂が建てられた)。こうして、しばらくの間、千年の記念として残ることになったのである。", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "五月雨の 降り(ふり)のこしてや 光堂(ひかりどう)", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "光堂は昔のままだ。まるで、五月雨が、この光堂には降り残したかのようだ。(あたかも、光堂だけには降らなかったかのようだ。)", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "", "title": "平泉" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "江戸時代の俳人(はいじん)の松尾芭蕉(まつおばしょう)が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文(きこうぶん)。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "出発年: 元禄(げんろく)2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "5ヶ月のあいだ、旅を続けた。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣(おおがき)などを旅した。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "旅の途中、句を多く、つくった。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "従者(じゅうしゃ)として、曾良(そら)という人物をつれて、ともに旅をした。", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "", "title": "小学校の復習" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "夏草(なつくさ)や 兵(つわもの)どもが 夢(ゆめ)の跡(あと) 場所:平泉(ひらいずみ) 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "季語は「夏草」。季節は夏。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "閑かさ(しずかさ)や 岩(いわ)に しみいる 蝉(せみ)の声(こえ) 場所:立石寺(りっしゃくじ) 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "季語は「蝉」。季節は夏。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "五月雨(さみだれ)を 集めて早し(はやし) 最上川(もがみがわ) 場所:最上川 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので)", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "五月雨の 降り(ふり)のこしてや 光堂(ひかりどう) 場所:", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "荒海(あらうみ)や 佐渡(さど)に 横たふ(よこたう) 天の河(あまのがわ) 場所:越後路(えちごじ) 解釈", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "とりあえず、句を文字通りに解釈すると、", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "というふうな解釈にでも、なるだろう。", "title": "俳句" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、この句が「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。", "title": "俳句" } ]
null
== 解説など == 芭蕉は、自然の雄大さと、人間の儚さとを対比させ、無常観を表現している。しかし人の世が儚いからと言って決して人を見下しているわけではなく、儚いながらも、精一杯生きようとすることに人の意義を見出している。 == 平泉 == === 本文 === 三代(さんだい)の栄耀(えいよう)一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。まづ高館(たかだち)に登れば、北上川(きたかみがわ)、南部(なんぶ)より流るる大河(たいが)なり。衣川(ころもがわ)は和泉が城(いすみがじょう)を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて南部口(なんぶぐち)をさし固め、夷(えぞ)を防ぐと見えたり。さても、義臣(ぎしん)すぐつてこの城にこもり、功名(こうみょう)一時(いちじ)の叢(くさむら)となる。『国破れて山河あり、城(しろ、じょう)春にして草青みたり』と、笠うち敷きて(しきて)、時の移るまで泪(なみだ)を落としはべりぬ。 :夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡 :卯(う)の花に 兼房(かねふさ)見ゆる 白毛(しらが)かな   曾良 かねて耳驚かしたる二堂開帳(かいちょう)す。経堂(きょうどう)は三将の像を残し、光堂(ひかりどう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊(さんぞん)の仏を安置す。七宝(しっぽう)散り失せて、珠(たま)の扉風に破れ、金(こがね)の柱霜雪(そうせつ)に朽ちて、既に頽廃空虚(たいはいくうきょ)の叢(くさむら)となるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ(しのぐ)。しばらく千歳の記念(せんざいのかたみ)とはなれり。 :五月雨(さみだれ)の 降り残してや 光堂(ひかりどう) ---- 語注 :奥州・藤原氏の、)'''三代''' ・・・ 藤原清衡(ふじわらのきよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら)の三代にわたって、約百年の間、栄えた。 :'''栄耀'''(えいよう) ・・・ 栄華。高い地位や、豊かな財産などで、豊かに栄えること。 :こなた ・・・ こっち。こちら。 :'''金鶏山'''(きんけいざん) ・・・ 秀衡が築かせたという小山。山の山頂に黄金作りの雌雄の鶏を二羽、埋めたと言う。館(の跡)の西にある。 :'''功名'''(こうみょう) ・・・ 手柄を立てて有名になること。「功」とは手柄、功績。 :'''七宝'''(しちほう) ・・・ 金・銀・めのう、など :'''卯の花''' ・・・ ウツギの花。または、豆腐の、しぼりかす。 :'''開帳'''(かいちょう) ・・・ 寺院で、特定の日に、内部を一般人に公開すること。 :'''経堂'''(きょうどう) ・・・ 経文(きょうもん)をしまっておくための、お堂。 :'''光堂'''(ひかりどう) ・・・ '''金色堂'''(こんじきどう)のこと。 :霜雪(そうせつ) ・・・ 霜(しも)と雪(ゆき)。 :甍(いらか) ・・・ 瓦ぶきの屋根。 :凌ぐ(しのぐ) ・・・ がまんして、なんとか切り抜ける。 ※ 文中の意味とはちがうが、別の意味では、上回る、勝るという意味もある === 口語訳 === 予備知識: 「平泉」(ひらいずみ)は、今で言う岩手県の一地方。 *訳 (奥州に居た、奥州・藤原氏の)三代にわたる栄華も、(後世の歴史の視点からみれば、一瞬のあいだの夢のように)一睡のうちに消えて 、(いまや廃墟になり、)大門のあとは一里ほど手前にある。(藤原)秀衡の館のあとは、いまや田野になってしまい、(彼が築かせた)金鶏山のみ、形を残している。 *訳 (源義経が居たという)高館にのぼれば、北上川(きたかみがわ)が見えるが、北上川は南部地方から流れてくる大河である、 衣川(ころもがわ)は( 藤原泰衡(やすひら)のいた )和泉が城(いすみがじょう)をめぐって流れ、高館のもとで大河に流れ込んでいる。 *歴史知識 源頼朝と対立した源義経は、奥州へと逃げのび、藤原秀衡に保護された。だが、秀衡の子の泰衡(やすひら)は、義経を攻め滅ぼした。高館ちは、そのときの戦場になった。 *解釈 川の流れという自然現象だけでなく、歴史を掛けていると思われる。 *予備知識 芭蕉の一行が平泉を訪れた季節は、夏。以下の芭蕉の文章の訳は、夏ごろの風景を前提にしている。 *訳 泰衡(やすひら)らの旧跡は、衣が関(ころもがせき)を隔てて、(平泉への入口である)南部からの入口(なんぶぐち)をかたく守り、夷(えぞ)の侵入を防ぐと思われる。それにしても、(義経に忠誠をちかう、)よりすぐられた忠義の臣が、この高館にたてこもり、奮戦したのだが、その功名(こうみょう)も一時(いちじ)の叢(くさむら)となってしまった。(漢文の杜甫の詩「春望」にあるように)『国(くに)破れて山河(さんが)あり、城(しろ、じょう)春にして草(くさ)青みたり』(国は破壊されても、自然の山や川は変わらず残り続ける。(廃墟となってしまった)城は、春ともなれば、草が生い茂り、青みがかっている。)と、笠を敷きて(しいて)、しばらくの間、泪を落としたのでありました。 :<big>'''夏草'''(なつくさ)'''や'''  '''兵'''(つわもの)'''どもが'''  '''夢'''(ゆめ)'''の跡'''(あと)</big><br /> その昔、ここ(平泉)では、源義経(よしつね)の一行や藤原兼房(ふじわらのかねふさ)らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が生い茂る(おいしげる)ばかりである。 (季語は「夏草」。季節は夏。) :<big>'''卯'''(う)'''の花に''' '''兼房'''(かねふさ)'''見ゆる''' '''白毛'''(しらが)'''かな''' </big>   曾良(そら) (卯(う)の花は白いが、)白い卯の花を見ると、義経の家来として、老臣ながら奮戦した兼房が、白髪(しらが)を振り乱して奮戦している様子が思い浮かぶことよ。   (季語は「卯の花」。季節は夏。曾良は芭蕉に同行してるのだから、季節は同じはず。芭蕉の「夏草や・・・」に対応させて、植物で句をはじめたと思われる。) <gallery widths=200px heights=200px> ファイル:Deutzia crenata for. plena's flowerage 02.JPG|卯の花の一種、ヤエウツギ ファイル:Deutzia crenata 6.JPG|卯の花の一種、ウツギ </gallery> (義経の高館をめぐったあと、芭蕉の一行は、中尊寺の金色堂を見に行く。) 前々から耳にしていて、驚かされていた金色堂の二堂(経堂・光堂)が、開かれていた。経堂(きょうどう)には、像が三体あり、藤原清衡(ふじわらのきよひら)、藤原基衡(もとひら)、藤原秀衡(ひでひら)の三将の像が残っている。 [[File:Interior of Konjikido, Chusonji (62).jpg|thumb|250px|三尊の像。白黒写真。実物は金色にかがやく。]] 光堂には、この三代の棺をおさめられてあり、仏の像が三体ある。阿弥陀(あみだ)・観世音(かんぜおん)・勢至(せいし)の、三尊(さんぞん)の仏像が安置されている。 [[ファイル:Konjikido-Ooido.jpg|right|240px|thumb|金色堂を覆う鞘堂(さやどう)]] (七宝が、かつては堂内を飾っていたが、)今では七宝(しちほう)も散り失せ、かつては珠玉(しゅぎょく)をちりばめられていただろう扉も、(長年の風雨により)今では風雨にいたみ、金箔の柱も霜や雪に朽ちて、もうすこしで退廃して草むらとなるところを、(鎌倉時代に)周囲の四面を囲い、風雨をよけるようにした(鞘堂が建てられた)。こうして、しばらくの間、千年の記念として残ることになったのである。 <br /> <big>'''五月雨の'''  '''降り'''(ふり)'''のこしてや'''  '''光堂'''(ひかりどう)</big><br /> 光堂は昔のままだ。まるで、五月雨が、この光堂には降り残したかのようだ。(あたかも、光堂だけには降らなかったかのようだ。) {{-}} == 小学校の復習 == 江戸時代の俳人(はいじん)の松尾芭蕉(まつおばしょう)が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた紀行文(きこうぶん)。 出発年: 元禄(げんろく)2年、(1689年)に芭蕉は江戸を出発した。 5ヶ月のあいだ、旅を続けた。 関東・東北・北陸・(岐阜の)大垣(おおがき)などを旅した。 旅の途中、句を多く、つくった。 従者(じゅうしゃ)として、曾良(そら)という人物をつれて、ともに旅をした。 == 書き出し == {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 現代語訳 |} {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"|  月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。 舟(ふね)の上(うえ)に生涯(しょうがい)を浮かべ(うかべ)、馬の口(うまのくち)とらえて老(おい)をむかふるものは、日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)をすみかとす。 古人(こじん)も多く旅(たび)に死(し)せるあり。 予(よ)も、いづれの年よりか、片雲(へんうん)の風に誘われて(さそわれて)、漂泊(ひょうはく)の思ひ(おもい)やまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋(あき)、江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣(ふるす)を払ひて(はらひて)、やや年も暮れ(くれ)、春立てる(はるたてる)霞(かすみ)の空に白河(しらかわ)の関こえんと、そぞろ神(がみ)の物につきて心(こころ)を狂はせ(くるわせ)、道祖神(どうそじん)の招き(まねき)にあひて、取(と)るもの手(て)につかず。 ももひきの破れ(やぶれ)をつづり、笠(かさ)の緒(お)つけかえて、三里(さんり)に灸(きゅう)すゆるより、松島の月(まつしまのつき)まず心にかかりて、住(す)める方(かた)は人(ひと)に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別しょ(べっしょ)に移る(うつる)に、 ::草の戸も(くさのと も) 住替る(すみかわる)代(よ)ぞ ひなの家(いえ) 面八句(おもてはっく)を庵(いおり)の柱(はしら)に懸け(かけ)置(お)く。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 月日は永遠に旅をつづける旅人のようなものであり、毎年、来ては去る年も、また旅人のようなものである。  (船頭(せんどう)として)舟(ふね)の上で一生を暮らす人や、(馬方(うまかた)として)馬のくつわを取って老いをむかえる人は、旅そのものを毎日、(仕事として)住み家としている(ようなものだ)。 昔の人も、多くの人が旅の途中で死んだ。 私も、いつごろの年からか、ちぎれ雲が風に誘われて漂う(ただよう)ように、旅をしたいと思うようになり、漂泊の思いやまず、海辺の地方などをさすらい歩きたく、去年の秋、川のほとりの粗末(そまつ)な家に(帰って)、くもの古巣(ふるす)を払ひって(暮らしているうちい)、しだいに年も暮れ、春になると、霞(かすみ)の立ちこめる空のもとで、白河の関(「しらかわのせき」、奥州地方の関所、現在でいう福島県にあった。) をこえようと、「そぞろ神」(そぞろがみ)が(私に)乗りうつって心をそわそわさせ、「道祖神」(どうそじん、旅や通行の安全を守る神)に招かれているように、何事も手につかない(ように、落ち着かない)。 そこで(もう、旅に出てしまおうと思い)、(旅支度として)ももひきの破れを繕い(つくろい)、笠(かさ)の緒(お)をつけかえて、(足のツボの)「三里」(さんり、ひざ下にあるツボ)に灸(きゅう)をすえて(足を健脚にして)(旅支度をすますと)、松島の月(まつしまのつき)(の美しさ)がまず気になって、住んでいた家は人に譲り(ゆずり)(理由:帰れるかどうか分からないので)、自分はかわりに(弟子の一人の)「杉風」(さんぷう)が持っていた別しょ(べっしょ)に移った。 ::草の戸も(くさのと も) 住替る(すみかわる)代(よ)ぞ ひなの家(いえ) :::(この、わびしい草庵( 「そうあん」、芭蕉の自宅のこと、芭蕉庵(ばしょうあん) )も、住む人が代わり、(ちょうど三月だから、)ひな人形などもかざって(私のような世捨て人とはちがって子どももいるだろうから)、にぎやかな家になることだろう。) と句を詠んで(よんで)、この句をはじめに面八句(おもてはっく)をつくり、庵(いおり)の柱(はしら)にかけておいた。 |} == 語句・解説など == *'''百代'''(はくたい)・・・解釈は「永遠」。入試などに問われやすいので、おぼえざるを得ない。ひっかけ問題などで、「百代」の間違った意味として、「百年」などの引っ掛けが出るので。 *'''古人'''(こじん)・・・ 古文・漢文での「古人」の意味は、「昔の人」という意味。 現代での「故人」という語句には「死んだ人」という意味があるが、古文・漢文での「古人」「故人」には、そのような「死んだ人」という意味は無いのが、ふつう。 *そぞろ神(そぞろがみ) ・・・ 人をそわそわさせる神。「そぞろ」が副詞という節もある。 *道祖神(どうそじん) ・・・  旅や通行の安全を守る神だと思われる。 *庵(いおり、あん) ・・・ 質素な小屋。 == 俳句 == いくつかの句が、おくの細道で詠まれているが、代表的な句を挙げる。 <big>'''夏草'''(なつくさ)'''や'''  '''兵'''(つわもの)'''どもが'''  '''夢'''(ゆめ)'''の跡'''(あと)</big><br /> 場所:平泉(ひらいずみ) 解釈<br /> :その昔、ここ(平泉)では、源義経(よしつね)の一行や藤原兼房(ふじわらのかねふさ)らが、功名を夢見て、敵とあらそっていたが、その名も今では歴史のかなたへと消え去り、ひと時の夢となってしまった。いまや、ただ夏草が生い茂る(おいしげる)ばかりである。 季語は「夏草」。季節は夏。 芭蕉が旅をした季節は、月を陽暦になおすと5月から10月のあいだなので、基本的に『おくの細道』に出てくる句の季節は、夏の前後である。 <br /><br /> <big>'''閑かさ'''(しずかさ)'''や'''  '''岩'''(いわ)'''に しみいる'''  '''蝉'''(せみ)'''の声'''(こえ)</big><br /> 場所:立石寺(りっしゃくじ)<br /> 解釈<br /> :よくある解釈は、文字通り、「あたりは人の気配がなく静かで、ただ、蝉の鳴く声だけが聞こえる。あたかも、岩に蝉の声が、しみわたっていくかのようだ。」・・・みたいな解釈が多い。 :単に、あたりが静かな事を主張するだけだと、わびしさが伝わらないし、単に蝉の声が聞こえることを主張するだけでも、わびしさが伝わらない。本来は、岩にしみいることのありえない「声」が、しみいるように感じられることを書くことで、うまく感じを表現している。 もともと、芭蕉は最初は「閑かさや」のかわりに「さびしさや」と書いていたが、「さびしさや」だと直接的すぎて、読者にわびしさを感じさせようとする意図が見え見えで興ざめするし、芭蕉なりの工夫のあとがあるのだろう。 季語は「蝉」。季節は夏。 <br /><br /> <big>'''五月雨'''(さみだれ)'''を'''  '''集めて早し'''(はやし)  '''最上川'''(もがみがわ)</big><br /> 場所:最上川<br /> 解釈<br /> :まず読者は予備知識として、山奥での最上川は、もともと流れが速い、という事を知っておこう。山を流れている川は、平野を流れる川とは違い、流れが速いのである。この句の表現は、ただでさえ、もともと速い最上川が、梅雨(つゆ)の五月雨のあつまったことで水量をましたことで、さらに流れが速くなっていることを表現することで、自然界の豪快さ(ごうかいさ)みたいなのを表現している。芭蕉は、舟(ふね)にのって最上川を川下りしたので、自身で最上川の速い流れを体験したのである。 季語は「五月雨」。季節は梅雨どき。(旧暦の5月なので) <br /><br /> <big>'''五月雨の'''  '''降り'''(ふり)'''のこしてや'''  '''光堂'''(ひかりどう)</big><br /> 場所: <br /><br /> <big>'''荒海'''(あらうみ)'''や'''  '''佐渡'''(さど)'''に 横たふ'''(よこたう)  '''天の河'''(あまのがわ)</big><br /> 場所:越後路(えちごじ)<br /> 解釈<br /> :この「荒海」とは日本海のこと。 :この句の解釈は、いくつかの解釈があり、分かれている。 :実際に見た光景をもとに句を読んだという解釈が一つ。もう一つの解釈は、現実には光景を見ておらず、佐渡の歴史などを表現したという解釈がある。「天の川が見える夜中だと、暗くて佐渡は見えないのでは?」「この句を読んだとされる場所では、地理的・天文学的には、佐渡の方角には天の川は見えないはずだ。」というような意見がある。 :実際に見たのか、見てないのか、どちらの解釈にせよ、「荒海」に対して「天の河」が対照的である。 :地上・海上の世界にある「荒海」と、そうでなく天高くにある「天の河」。荒れくるう海は海難事故(かいなんじこ)などで人の命をうばうこともあるだろうが、「天の河」には、そういうことは無いと思われる。そして、近くにいないと見られない「荒海」と、いっぽう、夏の晴れた夜空なら、どこでも見られる「天の河」。 とりあえず、句を文字通りに解釈すると、 :荒れる日本海のむこうに佐渡の島々が見える。そして、夜空には、天の川が横たわっていることよ。 というふうな解釈にでも、なるだろう。 季語は「天の河」。季節は秋。芭蕉たちの旅の期間が夏の前後なので、この句が「天の河」から秋の句だと分かる。したがって、「荒海」は、この句では季語ではない。 まちがって、「荒海」などから台風どきの日本海や、冬の日本海などを連想しないように注意。 [[Category:中学校国語|こふん おくのほそみち]]
null
2022-07-06T04:37:33Z
[ "テンプレート:-" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E5%8F%A4%E6%96%87/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93
19,535
中学校国語 古文/枕草子
『枕草子』(まくらのそうし)とは、清少納言(せい しょうなごん)という実在の女が、ひごろ、感じたことを書いた文章である。現代(げんだい)でいう、いわゆる「随筆」(ずいひつ)である。枕草子は、物語ではない。平安時代の作品である。 語註など 「をかし」と「あはれ」の違い: 「をかし」も「あはれ」も、ともに「趣(おもむき)が深い」と訳される場合があるが、しかし意味あいは微妙に異なる。「をかし」は基本的に、やや明るい感じにさせるものを言う場合に使う傾向がある。 いっぽう、「あはれ」は、しみじみとした気分にさせるものを言う。 (読み: はる わ あけぼの。 ようよう しろく なりゆく やまぎわ、 すこし あかりて、むらさきだちたる くも の ほそく たなびきたる。) 「さらなり」の和訳の「言うまでもない」は、けっして意訳ではない。ほかの古典作品でも「言うまでもない」という意味である。 高校レベルだが「大鏡」(おおかがみ)という古典でも「さらなり」という単語があり、ここでも「言うまでもない」という意味である。 大鏡・6・冒頭部「延喜の御時に古今撰ぜられしをり、貫之はさらなり」(以下略)とあるのだが、これは意味は「延喜の時代、古今和歌集を撰じられたとき、紀貫之(きのつらゆき、※ 和歌ですごく有名な歌人のひとり)は言うまでもなく、」という内容である。 (※高校の範囲)「つきづきし」 ・・・ 意味は「似つかわしい」。 清少納言は、清原元輔(きよはらのもとすけ、908年 - 990年)の娘。清少納言の本名は不明。 清原の姓にちなんで「清少納言」と呼ばれた。 清少納言は、平安時代の女房(にょうぼう)の一人。女房とは、宮中の女官。 清少納言は、枕草子の作者である。 一条天皇の時代に、藤原定子(ふじわらのていし)の女房として宮中に仕えた。藤原定子は、一条天皇の中宮。 藤原定子は女。「中宮」とは、天皇の妻たちの一つ。 源氏物語の作者の紫式部とともに、平安時代の王朝についての代表的な作家として、清少納言は有名。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『枕草子』(まくらのそうし)とは、清少納言(せい しょうなごん)という実在の女が、ひごろ、感じたことを書いた文章である。現代(げんだい)でいう、いわゆる「随筆」(ずいひつ)である。枕草子は、物語ではない。平安時代の作品である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "語註など", "title": "うつくしきもの" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "うつくしきもの" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「をかし」と「あはれ」の違い: 「をかし」も「あはれ」も、ともに「趣(おもむき)が深い」と訳される場合があるが、しかし意味あいは微妙に異なる。「をかし」は基本的に、やや明るい感じにさせるものを言う場合に使う傾向がある。 いっぽう、「あはれ」は、しみじみとした気分にさせるものを言う。", "title": "うつくしきもの" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "(読み: はる わ あけぼの。 ようよう しろく なりゆく やまぎわ、 すこし あかりて、むらさきだちたる くも の ほそく たなびきたる。)", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "「さらなり」の和訳の「言うまでもない」は、けっして意訳ではない。ほかの古典作品でも「言うまでもない」という意味である。", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "高校レベルだが「大鏡」(おおかがみ)という古典でも「さらなり」という単語があり、ここでも「言うまでもない」という意味である。", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "大鏡・6・冒頭部「延喜の御時に古今撰ぜられしをり、貫之はさらなり」(以下略)とあるのだが、これは意味は「延喜の時代、古今和歌集を撰じられたとき、紀貫之(きのつらゆき、※ 和歌ですごく有名な歌人のひとり)は言うまでもなく、」という内容である。", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(※高校の範囲)「つきづきし」 ・・・ 意味は「似つかわしい」。", "title": "春はあけぼの" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "清少納言は、清原元輔(きよはらのもとすけ、908年 - 990年)の娘。清少納言の本名は不明。 清原の姓にちなんで「清少納言」と呼ばれた。", "title": "清少納言" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "清少納言は、平安時代の女房(にょうぼう)の一人。女房とは、宮中の女官。", "title": "清少納言" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "清少納言は、枕草子の作者である。", "title": "清少納言" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "一条天皇の時代に、藤原定子(ふじわらのていし)の女房として宮中に仕えた。藤原定子は、一条天皇の中宮。", "title": "清少納言" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "藤原定子は女。「中宮」とは、天皇の妻たちの一つ。", "title": "清少納言" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "源氏物語の作者の紫式部とともに、平安時代の王朝についての代表的な作家として、清少納言は有名。", "title": "清少納言" } ]
『枕草子』(まくらのそうし)とは、清少納言という実在の女が、ひごろ、感じたことを書いた文章である。現代(げんだい)でいう、いわゆる「随筆」(ずいひつ)である。枕草子は、物語ではない。平安時代の作品である。
『枕草子』(まくらのそうし)とは、<big>'''清少納言'''</big>(せい しょうなごん)という実在の女が、ひごろ、感じたことを書いた文章である。現代(げんだい)でいう、いわゆる「随筆」(ずいひつ)である。枕草子は、物語ではない。平安時代の作品である。 {{-}} == うつくしきもの == {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| うつくしきもの。瓜(うり)に描きたる(かきたる)ちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り({{ruby|を|オ}}どり)来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這ひ(はイ)くる道に、いと小さき塵(ちり)のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげ(おかしげ)なる指(および)にとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつくし。 頭(かしら)は尼(あま)そぎなるちごの、目に髪(かみ)のお{{ruby|ほ|オ}}えるをかきはやらで、うち傾きて(かたぶきて)ものなど見たるも、うつくし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 現代語訳 かわいらしいもの。瓜に描いてある幼児の顔。(また、他にも、かわいらしいものとしては、)すずめの子が、(人が)ねずみの鳴きまねをしてチュウチュウとすると、踊るようにして、やってくる(のも、かわいらしい)。 (他にも。)二歳か三歳ぐらいの幼児が、急いで這ってくる途中に、とても小さいごみがあったのを、目ざとく見つけて、とても愛らしげな指(ゆび)につまんで、大人などに見せているのは、とてもかわいらしい。 髪をおかっぱにしている幼児の、目に髪の毛がおおいかぶさっているのを、かきあげもしないで、首をかしげて何かを見ているのも、かわいらしい。 (第一四五段) |} 語註など :; ちご : 幼児、乳幼児、子ども、乳飲み子、など。 :; 尼そぎ : 当時の尼は、髪の毛を肩のあたりで切りそろえていた。そのような髪型。 :; ねず鳴き : ねずみの鳴き声をまねて、ちゅうちゅうと言うこと。 :;うつくし : 小さいものなどを、かわいらしいと思う気持ち。 :; をかし : 「をかし」には、多くの意味がある。「趣がある。」「かわいらしい。」「美しい」「興味深い」・・・など。ここでは文脈から、「かわいらしい」という意味。 * 単語(※ 高校レベル) 「をかし」と「あはれ」の違い: 「をかし」も「あはれ」も、ともに「趣(おもむき)が深い」と訳される場合があるが、しかし意味あいは微妙に異なる。「をかし」は基本的に、やや明るい感じにさせるものを言う場合に使う傾向がある。 いっぽう、「あはれ」は、しみじみとした気分にさせるものを言う<ref>(※ 高校生用の単語集)吉沢康夫『入試対応 必修古文単語 735』三省堂、2011年12月10日 第14刷発行 、P142</ref>。 == 春はあけぼの == {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 現代語訳 |} {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : 春はあけぼの。やうやう(ようよう)白くなりゆく山ぎは(やまぎわ)、少し明(あ)かりて、紫(むらさき)だちたる雲の細くたなびきたる。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 春は、明け方(あけがた)が良い。 だんだん、白くなっていく山ぎわが、 少し明るくなって、紫がかった雲が、細くたなびいているのが、良い。 |} (読み: はる わ あけぼの。 ようよう しろく なりゆく やまぎわ、 すこし あかりて、むらさきだちたる くも の ほそく たなびきたる。) *あけぼの ・・・ 意味は「明け方」(あけがた)、「夜明け」(よあけ)など。 *やうやう ・・・ 「ようよう」と読む。意味は、「だんだん」。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : 夏は夜。月の頃はさらなり。やみもなほ(なお)、ほたるの多く飛びちがひ(い)たる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 夏は夜が良い。 月のあるころは言うまでも無い。(言うまでもなく、良い。) 月のない闇夜(やみよ)ですらも、蛍の多く飛び立っているのが見れて良い。 ただ、一ひき、二ひきなど、少しずつ飛んでいくのも、おもむきがある。 雨などがふるのも、おもむきがある。 |} * 発展:「さらなり」 ※ 高校レベル 「さらなり」の和訳の「言うまでもない」は、けっして意訳ではない。ほかの古典作品でも「言うまでもない」という意味である。 高校レベルだが「大鏡」(おおかがみ)という古典でも「さらなり」という単語があり、ここでも「言うまでもない」という意味である。 大鏡・6・冒頭部「延喜の御時に古今撰ぜられしをり、貫之はさらなり」(以下略)とあるのだが、これは意味は「延喜の時代、古今和歌集を撰じられたとき、紀貫之(きのつらゆき、※ 和歌ですごく有名な歌人のひとり)は言うまでもなく、」という内容である。 * をかし :「をかし」で一つの単語であり、古語での意味は、「おもむきがある。」という意味。現代で言う「面白おかしい」とは意味がちがうので、注意。古文の重要単語なので、おぼえよう。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : 秋(あき)は夕暮れ(ゆうぐれ)。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、かりなどのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音(かぜのおと)、虫の音(むしのね)など、はた言ふべきにあらず。 :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 秋は夕暮れが良い。 夕日がさして、山ぎわに近くなったころに、からすが、ねぐらに帰るために、三羽・四羽、あるいは二羽・三羽、飛んでゆくのも、しみじみとしている。 まして、かりなどの列をつくっているようすが、(遠くを飛んだりして)小さく見えるのは、とても、おもむきがある。日がしずんでしまって、風の音や虫の声が聞こえてくるのは、言うまでも無い。(言うまでもなく、とても、おもむきがある。) ※ 「言ふべきにあらず。」の訳を、「言うことが出来ない。」「言いようが無い。」という訳をする場合もある。「言いようが無いほど、おもむきがある。」というような意味。 |} *いと(をかし) ・・・ 「いと」の意味は「とても」。「いとをかし」で、「とても、おもむきがある。」などの意味になる。「いと」と「をかし」は古文の重要単語なので、おぼえよう。 *あはれ ・・・ 「あわれ」と読む。意味は「しみじみとしている。」とか、「ものがなしい。」など。現代で言う、「かわいそう」という意味の「哀れ」(あわれ)とは、古語では意味がちがうので注意。古文の重要単語なので、おぼえよう。 {| style="width:100%" |valign=top style="width:45%;text-indent:0em"| <div style="border:1px solid #000000;"> :  : 冬はつとめて。雪のふりたるは言ふべきにもあらず、霜(しも)のいと白きも、またさらでもいと寒き(さむき)に、火(ひ)など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火をけ(ひおけ、火桶)の火も、白い灰がち(はいがち)になりてわろし。<br /> :  </div> |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 冬は、早朝が良い。雪のふりつもった朝は、言うまでもない。(言うまでもなく、良い。) 霜(しも)がおりて、たいそう白くなっているのも、また、そうでなくとも、たいそう寒い朝に火などを急いで起こして炭火を持って、廊下(ろうか)などをわたるのも、(冬らしくて)とても似つかわしい。(しかし、)昼になって、寒さがしだいにゆるんでいくと、火おけの火が、灰がちに白くなっているのは、みっともない。 |} * つとめて ・・・ 意味は「早朝」 :現代語の「つめたい」とは無関係なので、混同しないように。 (※高校の範囲)「つきづきし」 ・・・ 意味は「似つかわしい」。 == 清少納言 == [[File:Hyakuninisshu 062.jpg|thumb|清少納言]] 清少納言は、清原元輔(きよはらのもとすけ、908年 - 990年)の娘。清少納言の本名は不明。 清原の姓にちなんで「清少納言」と呼ばれた。 清少納言は、平安時代の女房(にょうぼう)の一人。女房とは、宮中の女官。 清少納言は、枕草子の作者である。 一条天皇の時代に、藤原定子(ふじわらのていし)の女房として宮中に仕えた。藤原定子は、一条天皇の中宮。 藤原定子は女。「中宮」とは、天皇の妻たちの一つ。 源氏物語の作者の紫式部とともに、平安時代の王朝についての代表的な作家として、清少納言は有名。 [[Category:中学校国語|こふん まくらのそうし]] [[カテゴリ:枕草子]]
2014-10-16T23:29:12Z
2023-09-15T23:59:52Z
[ "テンプレート:-", "テンプレート:Ruby" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E5%8F%A4%E6%96%87/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90
19,536
中学校国語 漢文/静夜思
牀前看月光 牀前(しょうぜん) 月光(げっこう)を看(み)る 疑是地上霜 疑うらくは 是(こ)れ 地上(ちじょう)の霜(しも)かと 挙頭望山月 頭(こうべ)を挙げて(あげて) 山月(さんげつ)を望み(のぞみ) 低頭思故郷 頭(こうべ)を低れて(たれて) 故郷(こきょう)を思う(おもう) 五言律詩
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "牀前看月光 牀前(しょうぜん) 月光(げっこう)を看(み)る", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "疑是地上霜 疑うらくは 是(こ)れ 地上(ちじょう)の霜(しも)かと", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "挙頭望山月 頭(こうべ)を挙げて(あげて) 山月(さんげつ)を望み(のぞみ)", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "低頭思故郷 頭(こうべ)を低れて(たれて) 故郷(こきょう)を思う(おもう)", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "五言律詩", "title": "形式" } ]
牀前看月光   牀前(しょうぜん) 月光(げっこう)を看(み)る 疑是地上霜   疑うらくは 是(こ)れ 地上(ちじょう)の霜(しも)かと 挙頭望山月   頭(こうべ)を挙げて(あげて) 山月(さんげつ)を望み(のぞみ) 低頭思故郷   頭(こうべ)を低れて(たれて) 故郷(こきょう)を思う(おもう)
[[File:静夜思 返り点.svg|400px|漢文『静夜思』。 返り点。]] :<big>'''静夜思'''</big>(せいやし)   <big>'''李白'''</big>(りはく)<br /> <big>'''牀前看月光'''</big>   牀前(しょうぜん) 月光(げっこう)を看(み)る<br /> <big>'''疑是地上霜'''</big>   疑うらくは 是(こ)れ 地上(ちじょう)の霜(しも)かと<br /> <big>'''挙頭望山月'''</big>   頭(こうべ)を挙げて(あげて) 山月(さんげつ)を望み(のぞみ)<br /> <big>'''低頭思故郷'''</big>   頭(こうべ)を低れて(たれて) 故郷(こきょう)を思う(おもう)<br /> == 形式 == 五言絶句。 [[Category:中学校国語|かんふん せいやし]] [[カテゴリ:漢文]]
2014-10-17T06:08:48Z
2023-12-10T09:13:38Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E_%E6%BC%A2%E6%96%87/%E9%9D%99%E5%A4%9C%E6%80%9D
19,537
中学校国語/現代文/最後の一句
元文(げんぶん)三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乘業(ふなのりげふ)桂屋太郎兵衞(かつらやたろべゑ)と云ふものを、木津川口(きづがはぐち)で三日間曝(さら)した上、斬罪に處すると、高札(かうさつ)に書いて立てられた。市中到る處太郎兵衞の噂ばかりしてゐる中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衞の家族は、南組(みなみぐみ)堀江橋際(ほりえばしぎは)の家で、もう丸二年程、殆ど全く世間との交通を絶つて暮してゐるのである。 この豫期すべき出來事を、桂屋へ知らせに來たのは、程遠からぬ平野町(ひらのまち)に住んでゐる太郎兵衞が女房の母であつた。この白髮頭の媼(おうな)の事を桂屋では平野町のおばあ樣と云つてゐる。おばあ樣とは、桂屋にゐる五人の子供がいつも好い物をお土産に持つて來てくれる祖母に名づけた名で、それを主人も呼び、女房も呼ぶやうになつたのである。 おばあ樣を慕つて、おばあ樣にあまえ、おばあ樣にねだる孫が、桂屋に五人ゐる。その四人は、おばあ樣が十七になつた娘を桂屋へよめによこしてから、今年十六年目になるまでの間に生れたのである。長女いちが十六歳、二女まつが十四歳になる。其次に、太郎兵衞が娘をよめに出す覺悟で、平野町の女房の里方(さとかた)から、赤子(あかご)のうちに貰ひ受けた、長太郎と云ふ十二歳の男子がある。其次に又生れた太郎兵衞の娘は、とくと云つて八歳になる。最後に太郎兵衞の始て設けた男子の初五郎がゐて、これが六歳になる。 平野町の里方は有福なので、おばあ樣のお土産はいつも孫達に滿足を與へてゐた。それが一昨年太郎兵衞の入牢(にふらう)してからは、兎角孫達に失望を起させるやうになつた。おばあ樣が暮し向の用に立つ物を主に持つて來るので、おもちややお菓子は少くなつたからである。 しかしこれから生ひ立つて行く子供の元氣は盛んなもので、只おばあ樣のお土産が乏しくなつたばかりでなく、おつ母樣(かさま)の不機嫌になつたのにも、程なく馴れて、格別萎(しを)れた樣子もなく、相變らず小さい爭鬪と小さい和睦との刻々に交代する、賑やかな生活を續けてゐる。そして「遠い/\所へ往つて歸らぬ」と言ひ聞された父の代りに、このおばあ樣の來るのを歡迎してゐる。 これに反して、厄難(やくなん)に逢つてからこのかた、いつも同じやうな悔恨と悲痛との外に、何物をも心に受け入れることの出來なくなつた太郎兵衞の女房は、手厚くみついでくれ、親切に慰めてくれる母に對しても、ろく/\感謝の意をも表することがない。母がいつ來ても、同じやうな繰言(くりごと)を聞せて歸すのである。 厄難に逢つた初には、女房は只茫然と目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つてゐて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分は殆ど何も食はずに、頻(しきり)に咽が乾くと云つては、湯を少しづつ呑んでゐた。夜は疲れてぐつすり寢たかと思ふと、度々目を醒まして溜息を衝く。それから起きて、夜なかに裁縫などをすることがある。そんな時は、傍に母の寢てゐぬのに氣が附いて、最初に四歳になる初五郎が目を醒ます。次いで六歳になるとくが目を醒ます。女房は子供に呼ばれて床にはいつて、子供が安心して寢附くと、又大きく目をあいて溜息を衝いてゐるのであつた。それから二三日立つて、やう/\泊り掛けに來てゐる母に繰言を言つて泣くことが出來るやうになつた。それから丸二年程の間、女房は器械的に立ち働いては、同じやうに繰言を言ひ、同じやうに泣いてゐるのである。 高札の立つた日には、午過ぎに母が來て、女房に太郎兵衞の運命の極まつたことを話した。しかし女房は、母の恐れた程驚きもせず、聞いてしまつて、又いつもと同じ繰言を言つて泣いた。母は餘り手ごたへのないのを物足らなく思ふ位であつた。此時長女のいちは、襖の蔭に立つて、おばあ樣の話を聞いてゐた。 ―――――――――――――――― 桂屋にかぶさつて來た厄難と云ふのはかうである。主人太郎兵衞は船乘とは云つても、自分が船に乘るのではない。北國通ひの船を持つてゐて、それに新七と云ふ男を乘せて、運送の業を營んでゐる。大阪では此太郎兵衞のやうな男を居船頭と云つてゐた。居船頭の太郎兵衞が沖船頭の新七を使つてゐるのである。 元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。其船が不幸にも航海中に風波の難に逢つて、半難船の姿になつて、積荷の半分以上を流出した。新七は殘つた米を賣つて金にして、大阪へ持つて歸つた。 さて新七が太郎兵衞に言ふには、難船をしたことは港々で知つてゐる。殘つた積荷を賣つた此金は、もう米主に返すには及ぶまい。これは跡の船をしたてる費用に當てようぢやないかと云つた。 太郎兵衞はそれまで正直に營業してゐたのだが、營業上に大きい損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇つて、其金を受け取つてしまつた。 すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、殘り荷のあつたことやら、それを買つた人のあつたことやらを、人傳(ひとづて)に聞いて、わざ/\人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衞に渡つた金高までを探り出してしまつた。 米主は大阪へ出て訴へた。新七は逃走した。そこで太郎兵衞が入牢してとう/\死罪に行はれることになつたのである。 ―――――――――――――――― 平野町のおばあ樣が來て、恐ろしい話をするのを※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、252-下-27]娘のいちが立聞をした晩の事である。桂屋の女房はいつも繰言を言つて泣いた跡で出る疲が出て、ぐつすり寐入つた。女房の兩脇には、初五郎と、とくとが寢てゐる。初五郎の隣には長太郎が寢てゐる。とくの隣にまつ、それに並んでいちが寢てゐる。 暫く立つて、いちが何やら布團の中で獨言を言つた。「ああ、さうしよう。きつと出來るわ」と、云つたやうである。 まつがそれを聞き附けた。そして「※(ね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-上-7]えさん、まだ寐ないの」と云つた。 「大きい聲をおしでない。わたし好い事を考へたから。」いちは先づかう云つて妹を制して置いて、それから小聲でかう云ふ事をささやいた。お父つさんはあさつて殺されるのである。自分はそれを殺させぬやうにすることが出來ると思ふ。どうするかと云ふと、願書(ねがひしよ)と云ふものを書いてお奉行樣に出すのである。しかし只殺さないで置いて下さいと云つたつて、それでは聽かれない。お父つさんを助けて、其代りにわたくし共子供を殺して下さいと云つて頼むのである。それをお奉行樣が聽いて下すつて、お父つさんが助かれば、それで好い。子供は本當に皆殺されるやら、わたしが殺されて、小さいものは助かるやら、それはわからない。只お願をする時、長太郎だけは一しよに殺して下さらないやうに書いて置く。あれはお父つさんの本當の子でないから、死ななくても好い。それにお父つさんが此家の跡を取らせようと云つて入らつしやつたのだから、殺されない方が好いのである。いちは妹にそれだけの事を話した。 「でもこはいわねえ」と、まつが云つた。 「そんなら、お父つさんが助けてもらひたくないの。」 「それは助けてもらひたいわ。」 「それ御覽。まつさんは只わたしに附いて來て同じやうにさへしてゐれば好いのだよ。わたしが今夜願書を書いて置いて、あしたの朝早く持つて行きませうね。」 いちは起きて、手習の清書をする半紙に、平假名で願書を書いた。父の命を助けて、其代りに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにして戴きたい、實子でない長太郎だけはお許下さるやうにと云ふだけの事ではあるが、どう書き綴つて好いかわからぬので、幾度も書き損つて、清書のためにもらつてあつた白紙が殘少になつた。しかしとう/\一番鷄の啼く頃に願書が出來た。 願書を書いてゐるうちに、まつが寐入つたので、いちは小聲で呼び起して、床の傍に疊んであつた不斷着に著更へさせた。そして自分も支度をした。 女房と初五郎とは知らずに寐てゐたが、長太郎が目を醒まして、「ねえさん、もう夜が明けたの」と云つた。 いちは長太郎の床の傍へ往つてささやいた。「まだ早いから、お前は寐ておいで。ねえさん達は、お父つさんの大事な御用で、そつと往つて來る所があるのだからね。」 「そんならおいらも往く」と云つて、長太郎はむつくり起き上がつた。 いちは云つた。「ぢやあ、お起(おき)、著物を著せて上げよう。長さんは小さくても男だから、一しよに往つてくれれば、其方が好いのよ」と云つた。 女房は夢のやうにあたりの騷がしいのを聞いて、少し不安になつて寢がへりをしたが、目は醒めなかつた。 三人の子供がそつと家を拔け出したのは、二番鷄の啼く頃であつた。戸の外は霜の曉であつた。提灯を持つて、拍子木を敲(たゝ)いて來る夜廻の爺いさんに、お奉行樣の所へはどう往つたら往かれようと、いちがたづねた。爺いさんは親切な、物分りの好い人で、子供の話を眞面目に聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教へてくれた。當時の町奉行は、東が稻垣淡路守種信(いながきあはぢのかみたねのぶ)で、西が佐佐又四郎成意(なりむね)である。そして十一月には西の佐佐が月番に當つてゐたのである。 爺いさんが教へてゐるうちに、それを聞いてゐた長太郎が、「そんなら、おいらの知つた町だ」と云つた。そこで※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-下-29]妹は長太郎を先に立てて歩き出した。 やう/\西奉行所に辿り附いて見れば、門がまだ締まつてゐた。門番所の窓の下に往つて、いちが「もし/\」と度々繰り返して呼んだ。 暫くして窓の戸があいて、そこへ四十恰好の男の顏が覗いた。「やかましい。なんだ。」 「お奉行樣にお願があつてまゐりました」と、いちが丁寧に腰を屈めて云つた。 「ええ」と云つたが、男は容易に詞の意味を解し兼ねる樣子であつた。 いちは又同じ事を言つた。 男はやう/\わかつたらしく、「お奉行樣には子供が物を申し上げることは出來ない、親が出て來るが好い」と云つた。 「いゝえ、父はあしたおしおきになりますので、それに就いてお願がございます。」 「なんだ。あしたおしおきになる。それぢやあ、お前は桂屋太郎兵衞の子か。」 「はい」といちが答へた。 「ふん」と云つて、男は少し考へた。そして云つた。「怪しからん。子供までが上を恐れんと見える。お奉行樣はお前達にお逢(あひ)はない。歸れ歸れ。」かう云つて、窓を締めてしまつた。 まつが※(あね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、254-上-22]に言つた。「ねえさん、あんなに叱るから歸りませう。」 いちは云つた。「默つてお出。叱られたつて歸るのぢやありません。ねえさんのする通りにしてお出。」かう云つて、いちは門の前にしやがんだ。まつと長太郎とは附いてしやがんだ。 三人の子供は門のあくのを大ぶ久しく待つた。やう/\貫木(くわんのき)をはづす音がして、門があいた。あけたのは、先に窓から顏を出した男である。 いちが先に立つて門内に進み入ると、まつと長太郎とが背後(うしろ)に續いた。 いちの態度が餘り平氣なので、門番の男は急に支へ留めようともせずにゐた。そして暫く三人の子供の玄關の方へ進むのを、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて見送つて居たが、やう/\我に歸つて、「これこれ」と聲を掛けた。 「はい」と云つて、いちはおとなしく立ち留まつて振り返つた。 「どこへ往くのだ。さつき歸れと云つたぢやないか。」 「さう仰やいましたが、わたくし共はお願を聞いて戴くまでは、どうしても歸らない積りでございます。」 「ふん。しぶとい奴だな。兎に角そんな所へ往つてはいかん。こつちへ來い。」 子供達は引き返して、門番の詰所(つめしよ)へ來た。それと同時に玄關脇から、「なんだ、なんだ」と云つて、二三人の詰衆(つめしゆう)が出て來て、子供達を取り卷いた。いちは殆どかうなるのを待ち構へてゐたやうに、そこに蹲(うづくま)つて、懷中から書附を出して、眞先にゐる與力(よりき)の前に差し附けた。まつと長太郎も一しよに蹲つて禮をした。 書附を前へ出された與力は、それを受け取つたものか、どうしたものかと迷ふらしく、默つていちの顏を見卸してゐた。 「お願でございます」と、いちが云つた。 「こいつ等は木津川口で曝し物になつてゐる桂屋太郎兵衞の子供でございます。親の命乞をするのだと云つてゐます」と、門番が傍から説明した。 與力は同役の人達を顧みて、「では兎に角書附を預かつて置いて、伺つて見ることにしませうかな」と云つた。それには誰も異議がなかつた。 與力は願書をいちの手から受け取つて、玄關にはいつた。 ―――――――――――――――― 西町奉行の佐佐は、兩奉行の中の新參で、大阪に來てから、まだ一年立つてゐない。役向(やくむき)の事は總て同役の稻垣に相談して、城代(じやうだい)に伺つて處置するのであつた。それであるから、桂屋太郎兵衞の公事(くじ)に就いて、前役の申繼を受けてから、それを重要事件として氣に掛けてゐて、やうやう處刑の手續が濟んだのを重荷を卸したやうに思つてゐた。 そこへ今朝になつて、宿直の與力が出て、命乞(いのちごひ)の願に出たものがあると云つたので、佐佐は先づ切角運ばせた事に邪魔がはいつたやうに感じた。 「參つたのはどんなものか。」佐佐の聲は不機嫌であつた。 「太郎兵衞の娘兩人と倅とがまゐりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預つてをります。御覽になりませうか。」 「それは目安箱(めやすばこ)をもお設になつてをる御趣意から、次第によつては受け取つても宜しいが、一應はそれぞれ手續のあることを申聞せんではなるまい。兎に角預かつてをるなら、内見しよう。」 與力は願書を佐佐の前に出した。それを披いて見て佐佐は不審らしい顏をした。「いちと云ふのがその年上の娘であらうが、何歳になる。」 「取り調べはいたしませんが、十四五歳位に見受けまする。」 「さうか。」佐佐は暫く書附を見てゐた。不束(ふつゝか)な假名文字で書いてはあるが、條理が善く整つてゐて、大人でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思はれる程である。大人が書かせたのではあるまいかと云ふ念が、ふと萌した。續いて、上を僞る横着物(わうちやくもの)の所爲(しよゐ)ではないかと思議した。それから一應の處置を考へた。太郎兵衞は明日の夕方迄曝すことになつてゐる。刑を執行するまでには、まだ時がある。それまでに願書を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役に伺ふことも出來る。又縱(よ)しや其間に情僞(じやうぎ)があるとしても、相當の手續をさせるうちには、それを探ることも出來よう。兎に角子供を歸さうと、佐佐は考へた。 そこで與力にはかう云つた。此願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持つて歸つて町年寄(まちどしより)に出せと云へと云つた。 與力は、門番が歸さうとしたが、どうしても歸らなかつたと云ふことを、佐佐に言つた。佐佐は、そんなら菓子でも遣つて、賺(すか)して歸せ、それでも聽かぬなら引き立てて歸せと命じた。 與力の座を起つた跡へ、城代(じやうだい)太田備中守資晴(おほたびつちゆうのかみすけはる)が訪ねて來た。正式の見廻りではなく、私の用事があつて來たのである。太田の用事が濟むと、佐佐は只今かやうかやうの事があつたと告げて、自分の考を述べ、指圖を請(こ)うた。 太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稻垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衞が子供を召し連れて出させることにした。情僞があらうかと云ふ、佐佐の懸念も尤もだと云ふので、白洲へは責道具を並べさせることにした。これは子供を嚇して實を吐かせようと云ふ手段である。 丁度此相談が濟んだ所へ、前の與力が出て、入口に控へて氣色を伺つた。 「どうぢや、子供は歸つたか」と、佐佐が聲を掛けた。 「御意でござりまする。お菓子を遣(つかは)しまして歸さうと致しましたが、いちと申す娘がどうしても聽きませぬ。とうとう願書を懷へ押し込みまして、引き立てて歸しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに歸りました。」 「餘程情の剛(こは)い娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて云つた。 ―――――――――――――――― 十一月二十四日の未(ひつじ)の下刻(げこく)である。西町奉行所の白洲ははればれしい光景を呈してゐる。書院には兩奉行が列座する。奧まつた所には別席を設けて、表向の出座ではないが、城代が取調の模樣を餘所(よそ)ながら見に來てゐる。縁側には取調を命ぜられた與力が、書役を隨へて著座する。 同心(どうしん)等が三道具(みつだうぐ)を衝き立てて、嚴めしく警固してゐる庭に、拷問に用ゐる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋太郎兵衞の女房と五人の子供とを連れて、町年寄五人が來た。 尋問は女房から始められた。しかし名を問はれ、年を問はれた時に、かつがつ返事をしたばかりで、其外の事を問はれても、「一向に存じませぬ」、「恐れ入りました」と云ふより外、何一つ申し立てない。 次に長女いちが調べられた。當年十六歳にしては、少し穉(をさな)く見える、痩肉(やせじし)の小娘である。しかしこれは些(ちと)の臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物蔭から聞いた事、夜になつて床に入つてから、出願を思ひ立つた事、妹まつに打明けて勸誘した事、自分で願書を書いた事、長太郎が目を醒したので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に來て門番と應對し、次いで詰衆の與力に願書の取次を頼んだ事、與力等に強要せられて歸つた事、凡そ前日來經歴した事を問はれる儘に、はつきり答へた。 「それではまつの外には誰にも相談はいたさぬのぢやな」と、取調役が問うた。 「誰にも申しません。長太郎にも精しい事は申しません。お父つさんを助けて戴く樣に、お願しに往くと申しただけでございます。お役所から歸りまして、年寄衆のお目に掛かりました時、わたくし共四人の命を差し上げて、父をお助け下さるやうに願ふのだと申しましたら、長太郎が、それでは自分も命が差し上げたいと申して、とうとうわたくしに自分だけのお願書を書かせて、持つてまゐりました。」 いちがかう申し立てると、長太郎が懷から書附を出した。 取締役の指圖で、同心が一人長太郎の手から書附を受け取つて、縁側に出した。 取締役はそれを披いて、いちの願書と引き比べた。いちの願書は町年寄の手から、取調の始まる前に、出させてあつたのである。 長太郎の願書には、自分も※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-2]や弟妹と一しよに、父の身代りになつて死にたいと、前の願書と同じ手跡で書いてあつた。 取調役は「まつ」と呼びかけた。しかしまつは呼ばれたのに氣が附かなかつた。いちが「お呼になつたのだよ」と云つた時、まつは始めておそるおそる項垂れてゐた頭を擧げて、縁側の上の役人を見た。 「お前は※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-8]と一しよに死にたいのだな」と、取調役が問うた。 まつは「はい」と云つて頷いた。 次に取調役は「長太郎」と呼び掛けた。 長太郎はすぐに「はい」と云つた。 「お前は書附に書いてある通りに、兄弟一しよに死にたいのぢやな。」 「みんな死にますのに、わたしが一人生きてゐたくはありません」と、長太郎ははつきり答へた。 「とく」と取調役が呼んだ。とくは※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-16]や兄が順序に呼ばれたので、こんどは自分が呼ばれたのだと氣が附いた。そして只目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて役人の顏を仰ぎ見た。 「お前も死んでも好いのか。」 とくは默つて顏を見てゐるうちに、唇に血色が亡くなつて、目に涙が一ぱい溜まつて來た。 「初五郎」と取調役が呼んだ。 やう/\六歳になる末子の初五郎は、これも默つて役人の顏を見たが、「お前はどうぢや、死ぬるのか」と問はれて、活溌にかぶりを振つた。書院の人々は覺えず、それを見て微笑んだ。 此時佐佐が書院の敷居際まで進み出て、「いち」と呼んだ。 「はい。」 「お前の申立には※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)はあるまいな。若し少しでも申した事に間違があつて、人に教へられたり、相談をしたりしたのなら、今すぐに申せ。隱して申さぬと、そこに並べてある道具で、誠の事を申すまで責めさせるぞ。」佐佐は責道具のある方角を指さした。 いちは指された方角を一目見て、少しもたゆたはずに、「いえ、申した事に間違はございません」と言ひ放つた。其目は冷かで、其詞は徐かであつた。 「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」 「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。 佐佐の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、險しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。 次いで佐佐は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄に、「御用が濟んだから、引き取れ」と言ひ渡した。 白洲を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と稻垣とに向いて、「生先(おひさき)の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆(けうさ)せられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。 ―――――――――――――――― 城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑(つ)いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中(うかゞひちゆう)日延(ひのべ)」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會(だいじやうゑ)御執行(ごしつかう)相成候(あひなりさふらう)てより日限も不相立儀(あひたたざるぎ)に付、太郎兵衞事、死罪(しざい)御赦免(ごしやめん)被仰出(おほせいだされ)、大阪北、南組、天滿の三口御構(おかまひ)の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げることが出來た。大嘗會と云ふのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があつてから、桂屋太郎兵衞の事を書いた高札の立つた元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に、五十一年目に、櫻町天皇が擧行し給ふまで、中絶してゐたのである。 青空文庫より引用。 (大正四年十月「中央公論」第三十年第十一號)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "元文(げんぶん)三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乘業(ふなのりげふ)桂屋太郎兵衞(かつらやたろべゑ)と云ふものを、木津川口(きづがはぐち)で三日間曝(さら)した上、斬罪に處すると、高札(かうさつ)に書いて立てられた。市中到る處太郎兵衞の噂ばかりしてゐる中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衞の家族は、南組(みなみぐみ)堀江橋際(ほりえばしぎは)の家で、もう丸二年程、殆ど全く世間との交通を絶つて暮してゐるのである。 この豫期すべき出來事を、桂屋へ知らせに來たのは、程遠からぬ平野町(ひらのまち)に住んでゐる太郎兵衞が女房の母であつた。この白髮頭の媼(おうな)の事を桂屋では平野町のおばあ樣と云つてゐる。おばあ樣とは、桂屋にゐる五人の子供がいつも好い物をお土産に持つて來てくれる祖母に名づけた名で、それを主人も呼び、女房も呼ぶやうになつたのである。 おばあ樣を慕つて、おばあ樣にあまえ、おばあ樣にねだる孫が、桂屋に五人ゐる。その四人は、おばあ樣が十七になつた娘を桂屋へよめによこしてから、今年十六年目になるまでの間に生れたのである。長女いちが十六歳、二女まつが十四歳になる。其次に、太郎兵衞が娘をよめに出す覺悟で、平野町の女房の里方(さとかた)から、赤子(あかご)のうちに貰ひ受けた、長太郎と云ふ十二歳の男子がある。其次に又生れた太郎兵衞の娘は、とくと云つて八歳になる。最後に太郎兵衞の始て設けた男子の初五郎がゐて、これが六歳になる。 平野町の里方は有福なので、おばあ樣のお土産はいつも孫達に滿足を與へてゐた。それが一昨年太郎兵衞の入牢(にふらう)してからは、兎角孫達に失望を起させるやうになつた。おばあ樣が暮し向の用に立つ物を主に持つて來るので、おもちややお菓子は少くなつたからである。 しかしこれから生ひ立つて行く子供の元氣は盛んなもので、只おばあ樣のお土産が乏しくなつたばかりでなく、おつ母樣(かさま)の不機嫌になつたのにも、程なく馴れて、格別萎(しを)れた樣子もなく、相變らず小さい爭鬪と小さい和睦との刻々に交代する、賑やかな生活を續けてゐる。そして「遠い/\\所へ往つて歸らぬ」と言ひ聞された父の代りに、このおばあ樣の來るのを歡迎してゐる。 これに反して、厄難(やくなん)に逢つてからこのかた、いつも同じやうな悔恨と悲痛との外に、何物をも心に受け入れることの出來なくなつた太郎兵衞の女房は、手厚くみついでくれ、親切に慰めてくれる母に對しても、ろく/\\感謝の意をも表することがない。母がいつ來ても、同じやうな繰言(くりごと)を聞せて歸すのである。 厄難に逢つた初には、女房は只茫然と目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つてゐて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分は殆ど何も食はずに、頻(しきり)に咽が乾くと云つては、湯を少しづつ呑んでゐた。夜は疲れてぐつすり寢たかと思ふと、度々目を醒まして溜息を衝く。それから起きて、夜なかに裁縫などをすることがある。そんな時は、傍に母の寢てゐぬのに氣が附いて、最初に四歳になる初五郎が目を醒ます。次いで六歳になるとくが目を醒ます。女房は子供に呼ばれて床にはいつて、子供が安心して寢附くと、又大きく目をあいて溜息を衝いてゐるのであつた。それから二三日立つて、やう/\\泊り掛けに來てゐる母に繰言を言つて泣くことが出來るやうになつた。それから丸二年程の間、女房は器械的に立ち働いては、同じやうに繰言を言ひ、同じやうに泣いてゐるのである。 高札の立つた日には、午過ぎに母が來て、女房に太郎兵衞の運命の極まつたことを話した。しかし女房は、母の恐れた程驚きもせず、聞いてしまつて、又いつもと同じ繰言を言つて泣いた。母は餘り手ごたへのないのを物足らなく思ふ位であつた。此時長女のいちは、襖の蔭に立つて、おばあ樣の話を聞いてゐた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "桂屋にかぶさつて來た厄難と云ふのはかうである。主人太郎兵衞は船乘とは云つても、自分が船に乘るのではない。北國通ひの船を持つてゐて、それに新七と云ふ男を乘せて、運送の業を營んでゐる。大阪では此太郎兵衞のやうな男を居船頭と云つてゐた。居船頭の太郎兵衞が沖船頭の新七を使つてゐるのである。 元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。其船が不幸にも航海中に風波の難に逢つて、半難船の姿になつて、積荷の半分以上を流出した。新七は殘つた米を賣つて金にして、大阪へ持つて歸つた。 さて新七が太郎兵衞に言ふには、難船をしたことは港々で知つてゐる。殘つた積荷を賣つた此金は、もう米主に返すには及ぶまい。これは跡の船をしたてる費用に當てようぢやないかと云つた。 太郎兵衞はそれまで正直に營業してゐたのだが、營業上に大きい損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇つて、其金を受け取つてしまつた。 すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、殘り荷のあつたことやら、それを買つた人のあつたことやらを、人傳(ひとづて)に聞いて、わざ/\\人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衞に渡つた金高までを探り出してしまつた。 米主は大阪へ出て訴へた。新七は逃走した。そこで太郎兵衞が入牢してとう/\\死罪に行はれることになつたのである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "平野町のおばあ樣が來て、恐ろしい話をするのを※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、252-下-27]娘のいちが立聞をした晩の事である。桂屋の女房はいつも繰言を言つて泣いた跡で出る疲が出て、ぐつすり寐入つた。女房の兩脇には、初五郎と、とくとが寢てゐる。初五郎の隣には長太郎が寢てゐる。とくの隣にまつ、それに並んでいちが寢てゐる。 暫く立つて、いちが何やら布團の中で獨言を言つた。「ああ、さうしよう。きつと出來るわ」と、云つたやうである。 まつがそれを聞き附けた。そして「※(ね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-上-7]えさん、まだ寐ないの」と云つた。 「大きい聲をおしでない。わたし好い事を考へたから。」いちは先づかう云つて妹を制して置いて、それから小聲でかう云ふ事をささやいた。お父つさんはあさつて殺されるのである。自分はそれを殺させぬやうにすることが出來ると思ふ。どうするかと云ふと、願書(ねがひしよ)と云ふものを書いてお奉行樣に出すのである。しかし只殺さないで置いて下さいと云つたつて、それでは聽かれない。お父つさんを助けて、其代りにわたくし共子供を殺して下さいと云つて頼むのである。それをお奉行樣が聽いて下すつて、お父つさんが助かれば、それで好い。子供は本當に皆殺されるやら、わたしが殺されて、小さいものは助かるやら、それはわからない。只お願をする時、長太郎だけは一しよに殺して下さらないやうに書いて置く。あれはお父つさんの本當の子でないから、死ななくても好い。それにお父つさんが此家の跡を取らせようと云つて入らつしやつたのだから、殺されない方が好いのである。いちは妹にそれだけの事を話した。 「でもこはいわねえ」と、まつが云つた。 「そんなら、お父つさんが助けてもらひたくないの。」 「それは助けてもらひたいわ。」 「それ御覽。まつさんは只わたしに附いて來て同じやうにさへしてゐれば好いのだよ。わたしが今夜願書を書いて置いて、あしたの朝早く持つて行きませうね。」 いちは起きて、手習の清書をする半紙に、平假名で願書を書いた。父の命を助けて、其代りに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにして戴きたい、實子でない長太郎だけはお許下さるやうにと云ふだけの事ではあるが、どう書き綴つて好いかわからぬので、幾度も書き損つて、清書のためにもらつてあつた白紙が殘少になつた。しかしとう/\\一番鷄の啼く頃に願書が出來た。 願書を書いてゐるうちに、まつが寐入つたので、いちは小聲で呼び起して、床の傍に疊んであつた不斷着に著更へさせた。そして自分も支度をした。 女房と初五郎とは知らずに寐てゐたが、長太郎が目を醒まして、「ねえさん、もう夜が明けたの」と云つた。 いちは長太郎の床の傍へ往つてささやいた。「まだ早いから、お前は寐ておいで。ねえさん達は、お父つさんの大事な御用で、そつと往つて來る所があるのだからね。」 「そんならおいらも往く」と云つて、長太郎はむつくり起き上がつた。 いちは云つた。「ぢやあ、お起(おき)、著物を著せて上げよう。長さんは小さくても男だから、一しよに往つてくれれば、其方が好いのよ」と云つた。 女房は夢のやうにあたりの騷がしいのを聞いて、少し不安になつて寢がへりをしたが、目は醒めなかつた。 三人の子供がそつと家を拔け出したのは、二番鷄の啼く頃であつた。戸の外は霜の曉であつた。提灯を持つて、拍子木を敲(たゝ)いて來る夜廻の爺いさんに、お奉行樣の所へはどう往つたら往かれようと、いちがたづねた。爺いさんは親切な、物分りの好い人で、子供の話を眞面目に聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教へてくれた。當時の町奉行は、東が稻垣淡路守種信(いながきあはぢのかみたねのぶ)で、西が佐佐又四郎成意(なりむね)である。そして十一月には西の佐佐が月番に當つてゐたのである。 爺いさんが教へてゐるうちに、それを聞いてゐた長太郎が、「そんなら、おいらの知つた町だ」と云つた。そこで※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-下-29]妹は長太郎を先に立てて歩き出した。 やう/\\西奉行所に辿り附いて見れば、門がまだ締まつてゐた。門番所の窓の下に往つて、いちが「もし/\\」と度々繰り返して呼んだ。 暫くして窓の戸があいて、そこへ四十恰好の男の顏が覗いた。「やかましい。なんだ。」 「お奉行樣にお願があつてまゐりました」と、いちが丁寧に腰を屈めて云つた。 「ええ」と云つたが、男は容易に詞の意味を解し兼ねる樣子であつた。 いちは又同じ事を言つた。 男はやう/\\わかつたらしく、「お奉行樣には子供が物を申し上げることは出來ない、親が出て來るが好い」と云つた。 「いゝえ、父はあしたおしおきになりますので、それに就いてお願がございます。」 「なんだ。あしたおしおきになる。それぢやあ、お前は桂屋太郎兵衞の子か。」 「はい」といちが答へた。 「ふん」と云つて、男は少し考へた。そして云つた。「怪しからん。子供までが上を恐れんと見える。お奉行樣はお前達にお逢(あひ)はない。歸れ歸れ。」かう云つて、窓を締めてしまつた。 まつが※(あね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、254-上-22]に言つた。「ねえさん、あんなに叱るから歸りませう。」 いちは云つた。「默つてお出。叱られたつて歸るのぢやありません。ねえさんのする通りにしてお出。」かう云つて、いちは門の前にしやがんだ。まつと長太郎とは附いてしやがんだ。 三人の子供は門のあくのを大ぶ久しく待つた。やう/\\貫木(くわんのき)をはづす音がして、門があいた。あけたのは、先に窓から顏を出した男である。 いちが先に立つて門内に進み入ると、まつと長太郎とが背後(うしろ)に續いた。 いちの態度が餘り平氣なので、門番の男は急に支へ留めようともせずにゐた。そして暫く三人の子供の玄關の方へ進むのを、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて見送つて居たが、やう/\\我に歸つて、「これこれ」と聲を掛けた。 「はい」と云つて、いちはおとなしく立ち留まつて振り返つた。 「どこへ往くのだ。さつき歸れと云つたぢやないか。」 「さう仰やいましたが、わたくし共はお願を聞いて戴くまでは、どうしても歸らない積りでございます。」 「ふん。しぶとい奴だな。兎に角そんな所へ往つてはいかん。こつちへ來い。」 子供達は引き返して、門番の詰所(つめしよ)へ來た。それと同時に玄關脇から、「なんだ、なんだ」と云つて、二三人の詰衆(つめしゆう)が出て來て、子供達を取り卷いた。いちは殆どかうなるのを待ち構へてゐたやうに、そこに蹲(うづくま)つて、懷中から書附を出して、眞先にゐる與力(よりき)の前に差し附けた。まつと長太郎も一しよに蹲つて禮をした。 書附を前へ出された與力は、それを受け取つたものか、どうしたものかと迷ふらしく、默つていちの顏を見卸してゐた。 「お願でございます」と、いちが云つた。 「こいつ等は木津川口で曝し物になつてゐる桂屋太郎兵衞の子供でございます。親の命乞をするのだと云つてゐます」と、門番が傍から説明した。 與力は同役の人達を顧みて、「では兎に角書附を預かつて置いて、伺つて見ることにしませうかな」と云つた。それには誰も異議がなかつた。 與力は願書をいちの手から受け取つて、玄關にはいつた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "西町奉行の佐佐は、兩奉行の中の新參で、大阪に來てから、まだ一年立つてゐない。役向(やくむき)の事は總て同役の稻垣に相談して、城代(じやうだい)に伺つて處置するのであつた。それであるから、桂屋太郎兵衞の公事(くじ)に就いて、前役の申繼を受けてから、それを重要事件として氣に掛けてゐて、やうやう處刑の手續が濟んだのを重荷を卸したやうに思つてゐた。 そこへ今朝になつて、宿直の與力が出て、命乞(いのちごひ)の願に出たものがあると云つたので、佐佐は先づ切角運ばせた事に邪魔がはいつたやうに感じた。 「參つたのはどんなものか。」佐佐の聲は不機嫌であつた。 「太郎兵衞の娘兩人と倅とがまゐりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預つてをります。御覽になりませうか。」 「それは目安箱(めやすばこ)をもお設になつてをる御趣意から、次第によつては受け取つても宜しいが、一應はそれぞれ手續のあることを申聞せんではなるまい。兎に角預かつてをるなら、内見しよう。」 與力は願書を佐佐の前に出した。それを披いて見て佐佐は不審らしい顏をした。「いちと云ふのがその年上の娘であらうが、何歳になる。」 「取り調べはいたしませんが、十四五歳位に見受けまする。」 「さうか。」佐佐は暫く書附を見てゐた。不束(ふつゝか)な假名文字で書いてはあるが、條理が善く整つてゐて、大人でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思はれる程である。大人が書かせたのではあるまいかと云ふ念が、ふと萌した。續いて、上を僞る横着物(わうちやくもの)の所爲(しよゐ)ではないかと思議した。それから一應の處置を考へた。太郎兵衞は明日の夕方迄曝すことになつてゐる。刑を執行するまでには、まだ時がある。それまでに願書を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役に伺ふことも出來る。又縱(よ)しや其間に情僞(じやうぎ)があるとしても、相當の手續をさせるうちには、それを探ることも出來よう。兎に角子供を歸さうと、佐佐は考へた。 そこで與力にはかう云つた。此願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持つて歸つて町年寄(まちどしより)に出せと云へと云つた。 與力は、門番が歸さうとしたが、どうしても歸らなかつたと云ふことを、佐佐に言つた。佐佐は、そんなら菓子でも遣つて、賺(すか)して歸せ、それでも聽かぬなら引き立てて歸せと命じた。 與力の座を起つた跡へ、城代(じやうだい)太田備中守資晴(おほたびつちゆうのかみすけはる)が訪ねて來た。正式の見廻りではなく、私の用事があつて來たのである。太田の用事が濟むと、佐佐は只今かやうかやうの事があつたと告げて、自分の考を述べ、指圖を請(こ)うた。 太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稻垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衞が子供を召し連れて出させることにした。情僞があらうかと云ふ、佐佐の懸念も尤もだと云ふので、白洲へは責道具を並べさせることにした。これは子供を嚇して實を吐かせようと云ふ手段である。 丁度此相談が濟んだ所へ、前の與力が出て、入口に控へて氣色を伺つた。 「どうぢや、子供は歸つたか」と、佐佐が聲を掛けた。 「御意でござりまする。お菓子を遣(つかは)しまして歸さうと致しましたが、いちと申す娘がどうしても聽きませぬ。とうとう願書を懷へ押し込みまして、引き立てて歸しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに歸りました。」 「餘程情の剛(こは)い娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて云つた。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "十一月二十四日の未(ひつじ)の下刻(げこく)である。西町奉行所の白洲ははればれしい光景を呈してゐる。書院には兩奉行が列座する。奧まつた所には別席を設けて、表向の出座ではないが、城代が取調の模樣を餘所(よそ)ながら見に來てゐる。縁側には取調を命ぜられた與力が、書役を隨へて著座する。 同心(どうしん)等が三道具(みつだうぐ)を衝き立てて、嚴めしく警固してゐる庭に、拷問に用ゐる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋太郎兵衞の女房と五人の子供とを連れて、町年寄五人が來た。 尋問は女房から始められた。しかし名を問はれ、年を問はれた時に、かつがつ返事をしたばかりで、其外の事を問はれても、「一向に存じませぬ」、「恐れ入りました」と云ふより外、何一つ申し立てない。 次に長女いちが調べられた。當年十六歳にしては、少し穉(をさな)く見える、痩肉(やせじし)の小娘である。しかしこれは些(ちと)の臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物蔭から聞いた事、夜になつて床に入つてから、出願を思ひ立つた事、妹まつに打明けて勸誘した事、自分で願書を書いた事、長太郎が目を醒したので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に來て門番と應對し、次いで詰衆の與力に願書の取次を頼んだ事、與力等に強要せられて歸つた事、凡そ前日來經歴した事を問はれる儘に、はつきり答へた。 「それではまつの外には誰にも相談はいたさぬのぢやな」と、取調役が問うた。 「誰にも申しません。長太郎にも精しい事は申しません。お父つさんを助けて戴く樣に、お願しに往くと申しただけでございます。お役所から歸りまして、年寄衆のお目に掛かりました時、わたくし共四人の命を差し上げて、父をお助け下さるやうに願ふのだと申しましたら、長太郎が、それでは自分も命が差し上げたいと申して、とうとうわたくしに自分だけのお願書を書かせて、持つてまゐりました。」 いちがかう申し立てると、長太郎が懷から書附を出した。 取締役の指圖で、同心が一人長太郎の手から書附を受け取つて、縁側に出した。 取締役はそれを披いて、いちの願書と引き比べた。いちの願書は町年寄の手から、取調の始まる前に、出させてあつたのである。 長太郎の願書には、自分も※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-2]や弟妹と一しよに、父の身代りになつて死にたいと、前の願書と同じ手跡で書いてあつた。 取調役は「まつ」と呼びかけた。しかしまつは呼ばれたのに氣が附かなかつた。いちが「お呼になつたのだよ」と云つた時、まつは始めておそるおそる項垂れてゐた頭を擧げて、縁側の上の役人を見た。 「お前は※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-8]と一しよに死にたいのだな」と、取調役が問うた。 まつは「はい」と云つて頷いた。 次に取調役は「長太郎」と呼び掛けた。 長太郎はすぐに「はい」と云つた。 「お前は書附に書いてある通りに、兄弟一しよに死にたいのぢやな。」 「みんな死にますのに、わたしが一人生きてゐたくはありません」と、長太郎ははつきり答へた。 「とく」と取調役が呼んだ。とくは※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-16]や兄が順序に呼ばれたので、こんどは自分が呼ばれたのだと氣が附いた。そして只目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて役人の顏を仰ぎ見た。 「お前も死んでも好いのか。」 とくは默つて顏を見てゐるうちに、唇に血色が亡くなつて、目に涙が一ぱい溜まつて來た。 「初五郎」と取調役が呼んだ。 やう/\\六歳になる末子の初五郎は、これも默つて役人の顏を見たが、「お前はどうぢや、死ぬるのか」と問はれて、活溌にかぶりを振つた。書院の人々は覺えず、それを見て微笑んだ。 此時佐佐が書院の敷居際まで進み出て、「いち」と呼んだ。 「はい。」 「お前の申立には※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)はあるまいな。若し少しでも申した事に間違があつて、人に教へられたり、相談をしたりしたのなら、今すぐに申せ。隱して申さぬと、そこに並べてある道具で、誠の事を申すまで責めさせるぞ。」佐佐は責道具のある方角を指さした。 いちは指された方角を一目見て、少しもたゆたはずに、「いえ、申した事に間違はございません」と言ひ放つた。其目は冷かで、其詞は徐かであつた。 「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」 「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。 佐佐の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、險しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。 次いで佐佐は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄に、「御用が濟んだから、引き取れ」と言ひ渡した。 白洲を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と稻垣とに向いて、「生先(おひさき)の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆(けうさ)せられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "――――――――――――――――", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑(つ)いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中(うかゞひちゆう)日延(ひのべ)」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會(だいじやうゑ)御執行(ごしつかう)相成候(あひなりさふらう)てより日限も不相立儀(あひたたざるぎ)に付、太郎兵衞事、死罪(しざい)御赦免(ごしやめん)被仰出(おほせいだされ)、大阪北、南組、天滿の三口御構(おかまひ)の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げることが出來た。大嘗會と云ふのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があつてから、桂屋太郎兵衞の事を書いた高札の立つた元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に、五十一年目に、櫻町天皇が擧行し給ふまで、中絶してゐたのである。", "title": "本文" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "青空文庫より引用。", "title": "出典など" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(大正四年十月「中央公論」第三十年第十一號)", "title": "出典など" } ]
null
== 本文 ==  元文(げんぶん)三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乘業(ふなのりげふ)桂屋太郎兵衞(かつらやたろべゑ)と云ふものを、木津川口(きづがはぐち)で三日間曝(さら)した上、斬罪に處すると、高札(かうさつ)に書いて立てられた。市中到る處太郎兵衞の噂ばかりしてゐる中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衞の家族は、南組(みなみぐみ)堀江橋際(ほりえばしぎは)の家で、もう丸二年程、殆ど全く世間との交通を絶つて暮してゐるのである。  この豫期すべき出來事を、桂屋へ知らせに來たのは、程遠からぬ平野町(ひらのまち)に住んでゐる太郎兵衞が女房の母であつた。この白髮頭の媼(おうな)の事を桂屋では平野町のおばあ樣と云つてゐる。おばあ樣とは、桂屋にゐる五人の子供がいつも好い物をお土産に持つて來てくれる祖母に名づけた名で、それを主人も呼び、女房も呼ぶやうになつたのである。  おばあ樣を慕つて、おばあ樣にあまえ、おばあ樣にねだる孫が、桂屋に五人ゐる。その四人は、おばあ樣が十七になつた娘を桂屋へよめによこしてから、今年十六年目になるまでの間に生れたのである。長女いちが十六歳、二女まつが十四歳になる。其次に、太郎兵衞が娘をよめに出す覺悟で、平野町の女房の里方(さとかた)から、赤子(あかご)のうちに貰ひ受けた、長太郎と云ふ十二歳の男子がある。其次に又生れた太郎兵衞の娘は、とくと云つて八歳になる。最後に太郎兵衞の始て設けた男子の初五郎がゐて、これが六歳になる。  平野町の里方は有福なので、おばあ樣のお土産はいつも孫達に滿足を與へてゐた。それが一昨年太郎兵衞の入牢(にふらう)してからは、兎角孫達に失望を起させるやうになつた。おばあ樣が暮し向の用に立つ物を主に持つて來るので、おもちややお菓子は少くなつたからである。  しかしこれから生ひ立つて行く子供の元氣は盛んなもので、只おばあ樣のお土産が乏しくなつたばかりでなく、おつ母樣(かさま)の不機嫌になつたのにも、程なく馴れて、格別萎(しを)れた樣子もなく、相變らず小さい爭鬪と小さい和睦との刻々に交代する、賑やかな生活を續けてゐる。そして「遠い/\所へ往つて歸らぬ」と言ひ聞された父の代りに、このおばあ樣の來るのを歡迎してゐる。  これに反して、厄難(やくなん)に逢つてからこのかた、いつも同じやうな悔恨と悲痛との外に、何物をも心に受け入れることの出來なくなつた太郎兵衞の女房は、手厚くみついでくれ、親切に慰めてくれる母に對しても、ろく/\感謝の意をも表することがない。母がいつ來ても、同じやうな繰言(くりごと)を聞せて歸すのである。  厄難に逢つた初には、女房は只茫然と目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つてゐて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分は殆ど何も食はずに、頻(しきり)に咽が乾くと云つては、湯を少しづつ呑んでゐた。夜は疲れてぐつすり寢たかと思ふと、度々目を醒まして溜息を衝く。それから起きて、夜なかに裁縫などをすることがある。そんな時は、傍に母の寢てゐぬのに氣が附いて、最初に四歳になる初五郎が目を醒ます。次いで六歳になるとくが目を醒ます。女房は子供に呼ばれて床にはいつて、子供が安心して寢附くと、又大きく目をあいて溜息を衝いてゐるのであつた。それから二三日立つて、やう/\泊り掛けに來てゐる母に繰言を言つて泣くことが出來るやうになつた。それから丸二年程の間、女房は器械的に立ち働いては、同じやうに繰言を言ひ、同じやうに泣いてゐるのである。  高札の立つた日には、午過ぎに母が來て、女房に太郎兵衞の運命の極まつたことを話した。しかし女房は、母の恐れた程驚きもせず、聞いてしまつて、又いつもと同じ繰言を言つて泣いた。母は餘り手ごたへのないのを物足らなく思ふ位であつた。此時長女のいちは、襖の蔭に立つて、おばあ樣の話を聞いてゐた。      ――――――――――――――――  桂屋にかぶさつて來た厄難と云ふのはかうである。主人太郎兵衞は船乘とは云つても、自分が船に乘るのではない。北國通ひの船を持つてゐて、それに新七と云ふ男を乘せて、運送の業を營んでゐる。大阪では此太郎兵衞のやうな男を居船頭と云つてゐた。居船頭の太郎兵衞が沖船頭の新七を使つてゐるのである。  元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。其船が不幸にも航海中に風波の難に逢つて、半難船の姿になつて、積荷の半分以上を流出した。新七は殘つた米を賣つて金にして、大阪へ持つて歸つた。  さて新七が太郎兵衞に言ふには、難船をしたことは港々で知つてゐる。殘つた積荷を賣つた此金は、もう米主に返すには及ぶまい。これは跡の船をしたてる費用に當てようぢやないかと云つた。  太郎兵衞はそれまで正直に營業してゐたのだが、營業上に大きい損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇つて、其金を受け取つてしまつた。  すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、殘り荷のあつたことやら、それを買つた人のあつたことやらを、人傳(ひとづて)に聞いて、わざ/\人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衞に渡つた金高までを探り出してしまつた。  米主は大阪へ出て訴へた。新七は逃走した。そこで太郎兵衞が入牢してとう/\死罪に行はれることになつたのである。      ――――――――――――――――  平野町のおばあ樣が來て、恐ろしい話をするのを※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、252-下-27]娘のいちが立聞をした晩の事である。桂屋の女房はいつも繰言を言つて泣いた跡で出る疲が出て、ぐつすり寐入つた。女房の兩脇には、初五郎と、とくとが寢てゐる。初五郎の隣には長太郎が寢てゐる。とくの隣にまつ、それに並んでいちが寢てゐる。  暫く立つて、いちが何やら布團の中で獨言を言つた。「ああ、さうしよう。きつと出來るわ」と、云つたやうである。  まつがそれを聞き附けた。そして「※(ね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-上-7]えさん、まだ寐ないの」と云つた。 「大きい聲をおしでない。わたし好い事を考へたから。」いちは先づかう云つて妹を制して置いて、それから小聲でかう云ふ事をささやいた。お父つさんはあさつて殺されるのである。自分はそれを殺させぬやうにすることが出來ると思ふ。どうするかと云ふと、願書(ねがひしよ)と云ふものを書いてお奉行樣に出すのである。しかし只殺さないで置いて下さいと云つたつて、それでは聽かれない。お父つさんを助けて、其代りにわたくし共子供を殺して下さいと云つて頼むのである。それをお奉行樣が聽いて下すつて、お父つさんが助かれば、それで好い。子供は本當に皆殺されるやら、わたしが殺されて、小さいものは助かるやら、それはわからない。只お願をする時、長太郎だけは一しよに殺して下さらないやうに書いて置く。あれはお父つさんの本當の子でないから、死ななくても好い。それにお父つさんが此家の跡を取らせようと云つて入らつしやつたのだから、殺されない方が好いのである。いちは妹にそれだけの事を話した。 「でもこはいわねえ」と、まつが云つた。 「そんなら、お父つさんが助けてもらひたくないの。」 「それは助けてもらひたいわ。」 「それ御覽。まつさんは只わたしに附いて來て同じやうにさへしてゐれば好いのだよ。わたしが今夜願書を書いて置いて、あしたの朝早く持つて行きませうね。」  いちは起きて、手習の清書をする半紙に、平假名で願書を書いた。父の命を助けて、其代りに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにして戴きたい、實子でない長太郎だけはお許下さるやうにと云ふだけの事ではあるが、どう書き綴つて好いかわからぬので、幾度も書き損つて、清書のためにもらつてあつた白紙が殘少になつた。しかしとう/\一番鷄の啼く頃に願書が出來た。  願書を書いてゐるうちに、まつが寐入つたので、いちは小聲で呼び起して、床の傍に疊んであつた不斷着に著更へさせた。そして自分も支度をした。  女房と初五郎とは知らずに寐てゐたが、長太郎が目を醒まして、「ねえさん、もう夜が明けたの」と云つた。  いちは長太郎の床の傍へ往つてささやいた。「まだ早いから、お前は寐ておいで。ねえさん達は、お父つさんの大事な御用で、そつと往つて來る所があるのだからね。」 「そんならおいらも往く」と云つて、長太郎はむつくり起き上がつた。  いちは云つた。「ぢやあ、お起(おき)、著物を著せて上げよう。長さんは小さくても男だから、一しよに往つてくれれば、其方が好いのよ」と云つた。  女房は夢のやうにあたりの騷がしいのを聞いて、少し不安になつて寢がへりをしたが、目は醒めなかつた。  三人の子供がそつと家を拔け出したのは、二番鷄の啼く頃であつた。戸の外は霜の曉であつた。提灯を持つて、拍子木を敲(たゝ)いて來る夜廻の爺いさんに、お奉行樣の所へはどう往つたら往かれようと、いちがたづねた。爺いさんは親切な、物分りの好い人で、子供の話を眞面目に聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教へてくれた。當時の町奉行は、東が稻垣淡路守種信(いながきあはぢのかみたねのぶ)で、西が佐佐又四郎成意(なりむね)である。そして十一月には西の佐佐が月番に當つてゐたのである。  爺いさんが教へてゐるうちに、それを聞いてゐた長太郎が、「そんなら、おいらの知つた町だ」と云つた。そこで※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、253-下-29]妹は長太郎を先に立てて歩き出した。  やう/\西奉行所に辿り附いて見れば、門がまだ締まつてゐた。門番所の窓の下に往つて、いちが「もし/\」と度々繰り返して呼んだ。  暫くして窓の戸があいて、そこへ四十恰好の男の顏が覗いた。「やかましい。なんだ。」 「お奉行樣にお願があつてまゐりました」と、いちが丁寧に腰を屈めて云つた。 「ええ」と云つたが、男は容易に詞の意味を解し兼ねる樣子であつた。  いちは又同じ事を言つた。  男はやう/\わかつたらしく、「お奉行樣には子供が物を申し上げることは出來ない、親が出て來るが好い」と云つた。 「いゝえ、父はあしたおしおきになりますので、それに就いてお願がございます。」 「なんだ。あしたおしおきになる。それぢやあ、お前は桂屋太郎兵衞の子か。」 「はい」といちが答へた。 「ふん」と云つて、男は少し考へた。そして云つた。「怪しからん。子供までが上を恐れんと見える。お奉行樣はお前達にお逢(あひ)はない。歸れ歸れ。」かう云つて、窓を締めてしまつた。  まつが※(あね)[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、254-上-22]に言つた。「ねえさん、あんなに叱るから歸りませう。」  いちは云つた。「默つてお出。叱られたつて歸るのぢやありません。ねえさんのする通りにしてお出。」かう云つて、いちは門の前にしやがんだ。まつと長太郎とは附いてしやがんだ。  三人の子供は門のあくのを大ぶ久しく待つた。やう/\貫木(くわんのき)をはづす音がして、門があいた。あけたのは、先に窓から顏を出した男である。  いちが先に立つて門内に進み入ると、まつと長太郎とが背後(うしろ)に續いた。  いちの態度が餘り平氣なので、門番の男は急に支へ留めようともせずにゐた。そして暫く三人の子供の玄關の方へ進むのを、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて見送つて居たが、やう/\我に歸つて、「これこれ」と聲を掛けた。 「はい」と云つて、いちはおとなしく立ち留まつて振り返つた。 「どこへ往くのだ。さつき歸れと云つたぢやないか。」 「さう仰やいましたが、わたくし共はお願を聞いて戴くまでは、どうしても歸らない積りでございます。」 「ふん。しぶとい奴だな。兎に角そんな所へ往つてはいかん。こつちへ來い。」  子供達は引き返して、門番の詰所(つめしよ)へ來た。それと同時に玄關脇から、「なんだ、なんだ」と云つて、二三人の詰衆(つめしゆう)が出て來て、子供達を取り卷いた。いちは殆どかうなるのを待ち構へてゐたやうに、そこに蹲(うづくま)つて、懷中から書附を出して、眞先にゐる與力(よりき)の前に差し附けた。まつと長太郎も一しよに蹲つて禮をした。  書附を前へ出された與力は、それを受け取つたものか、どうしたものかと迷ふらしく、默つていちの顏を見卸してゐた。 「お願でございます」と、いちが云つた。 「こいつ等は木津川口で曝し物になつてゐる桂屋太郎兵衞の子供でございます。親の命乞をするのだと云つてゐます」と、門番が傍から説明した。  與力は同役の人達を顧みて、「では兎に角書附を預かつて置いて、伺つて見ることにしませうかな」と云つた。それには誰も異議がなかつた。  與力は願書をいちの手から受け取つて、玄關にはいつた。      ――――――――――――――――  西町奉行の佐佐は、兩奉行の中の新參で、大阪に來てから、まだ一年立つてゐない。役向(やくむき)の事は總て同役の稻垣に相談して、城代(じやうだい)に伺つて處置するのであつた。それであるから、桂屋太郎兵衞の公事(くじ)に就いて、前役の申繼を受けてから、それを重要事件として氣に掛けてゐて、やうやう處刑の手續が濟んだのを重荷を卸したやうに思つてゐた。  そこへ今朝になつて、宿直の與力が出て、命乞(いのちごひ)の願に出たものがあると云つたので、佐佐は先づ切角運ばせた事に邪魔がはいつたやうに感じた。 「參つたのはどんなものか。」佐佐の聲は不機嫌であつた。 「太郎兵衞の娘兩人と倅とがまゐりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預つてをります。御覽になりませうか。」 「それは目安箱(めやすばこ)をもお設になつてをる御趣意から、次第によつては受け取つても宜しいが、一應はそれぞれ手續のあることを申聞せんではなるまい。兎に角預かつてをるなら、内見しよう。」  與力は願書を佐佐の前に出した。それを披いて見て佐佐は不審らしい顏をした。「いちと云ふのがその年上の娘であらうが、何歳になる。」 「取り調べはいたしませんが、十四五歳位に見受けまする。」 「さうか。」佐佐は暫く書附を見てゐた。不束(ふつゝか)な假名文字で書いてはあるが、條理が善く整つてゐて、大人でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思はれる程である。大人が書かせたのではあるまいかと云ふ念が、ふと萌した。續いて、上を僞る横着物(わうちやくもの)の所爲(しよゐ)ではないかと思議した。それから一應の處置を考へた。太郎兵衞は明日の夕方迄曝すことになつてゐる。刑を執行するまでには、まだ時がある。それまでに願書を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役に伺ふことも出來る。又縱(よ)しや其間に情僞(じやうぎ)があるとしても、相當の手續をさせるうちには、それを探ることも出來よう。兎に角子供を歸さうと、佐佐は考へた。  そこで與力にはかう云つた。此願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持つて歸つて町年寄(まちどしより)に出せと云へと云つた。  與力は、門番が歸さうとしたが、どうしても歸らなかつたと云ふことを、佐佐に言つた。佐佐は、そんなら菓子でも遣つて、賺(すか)して歸せ、それでも聽かぬなら引き立てて歸せと命じた。  與力の座を起つた跡へ、城代(じやうだい)太田備中守資晴(おほたびつちゆうのかみすけはる)が訪ねて來た。正式の見廻りではなく、私の用事があつて來たのである。太田の用事が濟むと、佐佐は只今かやうかやうの事があつたと告げて、自分の考を述べ、指圖を請(こ)うた。  太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稻垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衞が子供を召し連れて出させることにした。情僞があらうかと云ふ、佐佐の懸念も尤もだと云ふので、白洲へは責道具を並べさせることにした。これは子供を嚇して實を吐かせようと云ふ手段である。  丁度此相談が濟んだ所へ、前の與力が出て、入口に控へて氣色を伺つた。 「どうぢや、子供は歸つたか」と、佐佐が聲を掛けた。 「御意でござりまする。お菓子を遣(つかは)しまして歸さうと致しましたが、いちと申す娘がどうしても聽きませぬ。とうとう願書を懷へ押し込みまして、引き立てて歸しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに歸りました。」 「餘程情の剛(こは)い娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて云つた。      ――――――――――――――――  十一月二十四日の未(ひつじ)の下刻(げこく)である。西町奉行所の白洲ははればれしい光景を呈してゐる。書院には兩奉行が列座する。奧まつた所には別席を設けて、表向の出座ではないが、城代が取調の模樣を餘所(よそ)ながら見に來てゐる。縁側には取調を命ぜられた與力が、書役を隨へて著座する。  同心(どうしん)等が三道具(みつだうぐ)を衝き立てて、嚴めしく警固してゐる庭に、拷問に用ゐる、あらゆる道具が並べられた。そこへ桂屋太郎兵衞の女房と五人の子供とを連れて、町年寄五人が來た。  尋問は女房から始められた。しかし名を問はれ、年を問はれた時に、かつがつ返事をしたばかりで、其外の事を問はれても、「一向に存じませぬ」、「恐れ入りました」と云ふより外、何一つ申し立てない。  次に長女いちが調べられた。當年十六歳にしては、少し穉(をさな)く見える、痩肉(やせじし)の小娘である。しかしこれは些(ちと)の臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物蔭から聞いた事、夜になつて床に入つてから、出願を思ひ立つた事、妹まつに打明けて勸誘した事、自分で願書を書いた事、長太郎が目を醒したので同行を許し、奉行所の町名を聞いてから、案内をさせた事、奉行所に來て門番と應對し、次いで詰衆の與力に願書の取次を頼んだ事、與力等に強要せられて歸つた事、凡そ前日來經歴した事を問はれる儘に、はつきり答へた。 「それではまつの外には誰にも相談はいたさぬのぢやな」と、取調役が問うた。 「誰にも申しません。長太郎にも精しい事は申しません。お父つさんを助けて戴く樣に、お願しに往くと申しただけでございます。お役所から歸りまして、年寄衆のお目に掛かりました時、わたくし共四人の命を差し上げて、父をお助け下さるやうに願ふのだと申しましたら、長太郎が、それでは自分も命が差し上げたいと申して、とうとうわたくしに自分だけのお願書を書かせて、持つてまゐりました。」  いちがかう申し立てると、長太郎が懷から書附を出した。  取締役の指圖で、同心が一人長太郎の手から書附を受け取つて、縁側に出した。  取締役はそれを披いて、いちの願書と引き比べた。いちの願書は町年寄の手から、取調の始まる前に、出させてあつたのである。  長太郎の願書には、自分も※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-2]や弟妹と一しよに、父の身代りになつて死にたいと、前の願書と同じ手跡で書いてあつた。  取調役は「まつ」と呼びかけた。しかしまつは呼ばれたのに氣が附かなかつた。いちが「お呼になつたのだよ」と云つた時、まつは始めておそるおそる項垂れてゐた頭を擧げて、縁側の上の役人を見た。 「お前は※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-8]と一しよに死にたいのだな」と、取調役が問うた。  まつは「はい」と云つて頷いた。  次に取調役は「長太郎」と呼び掛けた。  長太郎はすぐに「はい」と云つた。 「お前は書附に書いてある通りに、兄弟一しよに死にたいのぢやな。」 「みんな死にますのに、わたしが一人生きてゐたくはありません」と、長太郎ははつきり答へた。 「とく」と取調役が呼んだ。とくは※[#「姉」の正字、「女+※(第3水準1-85-57)のつくり」、256-下-16]や兄が順序に呼ばれたので、こんどは自分が呼ばれたのだと氣が附いた。そして只目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つて役人の顏を仰ぎ見た。 「お前も死んでも好いのか。」  とくは默つて顏を見てゐるうちに、唇に血色が亡くなつて、目に涙が一ぱい溜まつて來た。 「初五郎」と取調役が呼んだ。  やう/\六歳になる末子の初五郎は、これも默つて役人の顏を見たが、「お前はどうぢや、死ぬるのか」と問はれて、活溌にかぶりを振つた。書院の人々は覺えず、それを見て微笑んだ。  此時佐佐が書院の敷居際まで進み出て、「いち」と呼んだ。 「はい。」 「お前の申立には※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)はあるまいな。若し少しでも申した事に間違があつて、人に教へられたり、相談をしたりしたのなら、今すぐに申せ。隱して申さぬと、そこに並べてある道具で、誠の事を申すまで責めさせるぞ。」佐佐は責道具のある方角を指さした。  いちは指された方角を一目見て、少しもたゆたはずに、「いえ、申した事に間違はございません」と言ひ放つた。其目は冷かで、其詞は徐かであつた。 「そんなら今一つお前に聞くが、身代りをお聞屆けになると、お前達はすぐに殺されるぞよ。父の顏を見ることは出來ぬが、それでも好いか。」 「よろしうございます」と、同じような、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。  佐佐の顏には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、險しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎惡を帶びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。  次いで佐佐は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄に、「御用が濟んだから、引き取れ」と言ひ渡した。  白洲を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と稻垣とに向いて、「生先(おひさき)の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆(けうさ)せられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。      ――――――――――――――――  城代も兩奉行もいちを「變な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑(つ)いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に對する同情は薄かつたが、當時の行政司法の、元始的な機關が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衞の刑の執行は、「江戸へ伺中(うかゞひちゆう)日延(ひのべ)」と云ふことになつた。これは取調のあつた翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。次いで元文四年三月二日に、「京都に於いて大嘗會(だいじやうゑ)御執行(ごしつかう)相成候(あひなりさふらう)てより日限も不相立儀(あひたたざるぎ)に付、太郎兵衞事、死罪(しざい)御赦免(ごしやめん)被仰出(おほせいだされ)、大阪北、南組、天滿の三口御構(おかまひ)の上追放」と云ふことになつた。桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げることが出來た。大嘗會と云ふのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があつてから、桂屋太郎兵衞の事を書いた高札の立つた元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に、五十一年目に、櫻町天皇が擧行し給ふまで、中絶してゐたのである。 == 出典など == 青空文庫より引用。 (大正四年十月「中央公論」第三十年第十一號) [[Category:中学校国語|けんたいふん さいこのいつく]]
null
2015-09-20T09:41:54Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%8F%A5
19,543
センター試験 倫理、政治・経済対策
倫理分野・政治分野と経済分野から幅広く出題され、学習の達成度を問うものである。問題はほぼ全ての問題(リード文は異なることがある)が倫理と政治・経済との共通問題であるが、2013年度以降この科目独自問題が2問程度出題されている。政治・経済分野の独自問題は2015年度に初めて出題された。なお、2016年度は独自問題の出題はなかった。 センター試験初回の平成2年度から8年度までも「倫理,政治・経済」という形で実施されてきた。センター試験初期時代、現在共に前半の3問が倫理分野から、後半の4~7問が政経分野からの出題である(最近は倫理3問、政治1問、経済1問、政経総合1問の6題となっている)。 総説欄でも述べたが、ほぼ全ての問題が倫理又は政治・経済と同じ問題を使用する。このため、各単元の対策についてはセンター試験 倫理対策、センター試験 政治・経済対策を参照してほしい。 私大文系の場合センター試験では公民2単位も利用可能である上に、個別の試験も政治・経済のみが指定されており倫理を必要とする大学はほぼない。一方で、国公立の場合、センター試験の地歴公民は4単位科目(地歴のBとこの科目)しか受験出来ない大学が多く存在する。その結果として、この科目を受験する人は国公立志望であることがほとんどである。 地歴公民は2科目受験必須とし、片方は4単位科目受験必須としているが、片方は2単位科目でも可能としている大学が稀に存在する(代表例:京都大学経済学部論文方式)。この場合、地歴公民では同一名称がつく科目は受験できないため、地歴選択の場合もう一科目勉強しないといけないが、この科目を選択している場合、現代社会を選択することが出来るため負担を軽減させることが出来る。このような大学を志望している場合は現代社会との併用も検討すると良いだろう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "倫理分野・政治分野と経済分野から幅広く出題され、学習の達成度を問うものである。問題はほぼ全ての問題(リード文は異なることがある)が倫理と政治・経済との共通問題であるが、2013年度以降この科目独自問題が2問程度出題されている。政治・経済分野の独自問題は2015年度に初めて出題された。なお、2016年度は独自問題の出題はなかった。", "title": "総説" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "センター試験初回の平成2年度から8年度までも「倫理,政治・経済」という形で実施されてきた。センター試験初期時代、現在共に前半の3問が倫理分野から、後半の4~7問が政経分野からの出題である(最近は倫理3問、政治1問、経済1問、政経総合1問の6題となっている)。", "title": "傾向" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "総説欄でも述べたが、ほぼ全ての問題が倫理又は政治・経済と同じ問題を使用する。このため、各単元の対策についてはセンター試験 倫理対策、センター試験 政治・経済対策を参照してほしい。", "title": "傾向" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "私大文系の場合センター試験では公民2単位も利用可能である上に、個別の試験も政治・経済のみが指定されており倫理を必要とする大学はほぼない。一方で、国公立の場合、センター試験の地歴公民は4単位科目(地歴のBとこの科目)しか受験出来ない大学が多く存在する。その結果として、この科目を受験する人は国公立志望であることがほとんどである。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "地歴公民は2科目受験必須とし、片方は4単位科目受験必須としているが、片方は2単位科目でも可能としている大学が稀に存在する(代表例:京都大学経済学部論文方式)。この場合、地歴公民では同一名称がつく科目は受験できないため、地歴選択の場合もう一科目勉強しないといけないが、この科目を選択している場合、現代社会を選択することが出来るため負担を軽減させることが出来る。このような大学を志望している場合は現代社会との併用も検討すると良いだろう。", "title": "備考" } ]
日本の大学受験ガイド > センター試験 > 倫理、政治・経済対策
*[[日本の大学受験ガイド]] > センター試験 > 倫理、政治・経済対策 == 総説 == 倫理分野・政治分野と経済分野から幅広く出題され、学習の達成度を問うものである。問題はほぼ全ての問題(リード文は異なることがある)が倫理と政治・経済との共通問題であるが、2013年度以降この科目独自問題が2問程度出題されている。政治・経済分野の独自問題は2015年度に初めて出題された。なお、2016年度は独自問題の出題はなかった。 == 傾向 == センター試験初回の平成2年度から8年度までも「倫理,政治・経済」という形で実施されてきた。センター試験初期時代、現在共に前半の3問が倫理分野から、後半の4~7問が政経分野からの出題である(最近は倫理3問、政治1問、経済1問、政経総合1問の6題となっている)。</br> 総説欄でも述べたが、ほぼ全ての問題が倫理又は政治・経済と同じ問題を使用する。このため、各単元の対策については[[センター試験 倫理対策]]、[[センター試験 政治・経済対策]]を参照してほしい。 == 備考 == 私大文系の場合センター試験では公民2単位も利用可能である上に、個別の試験も政治・経済のみが指定されており倫理を必要とする大学はほぼない。一方で、国公立の場合、センター試験の地歴公民は4単位科目(地歴のBとこの科目)しか受験出来ない大学が多く存在する。その結果として、この科目を受験する人は国公立志望であることがほとんどである。 地歴公民は2科目受験必須とし、片方は4単位科目受験必須としているが、片方は2単位科目でも可能としている大学が稀に存在する(代表例:京都大学経済学部論文方式)。この場合、地歴公民では同一名称がつく科目は受験できないため、地歴選択の場合もう一科目勉強しないといけないが、この科目を選択している場合、現代社会を選択することが出来るため負担を軽減させることが出来る。このような大学を志望している場合は現代社会との併用も検討すると良いだろう。 [[Category:センター試験|りんり せいし けいさいたいさく]]
null
2018-12-17T06:53:04Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%A9%A6%E9%A8%93_%E5%80%AB%E7%90%86%E3%80%81%E6%94%BF%E6%B2%BB%EF%BD%A5%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AF%BE%E7%AD%96
19,545
実用数学技能検定
実用数学技能検定とは日本数学検定協会が運営している検定。就職・進学では優遇される事もある。略して「数検」とも呼ばれる。また、数学領域である1級から5級までを「数学検定」、算数領域である6級から11級、かず・かたち検定までを「算数検定」とも呼ぶ。 学習する方法としては公式ガイドブックなどを使用して学習するとよい。 その他受験に関することで分からないことがある場合は、直接問い合わせていただきたい。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "実用数学技能検定とは日本数学検定協会が運営している検定。就職・進学では優遇される事もある。略して「数検」とも呼ばれる。また、数学領域である1級から5級までを「数学検定」、算数領域である6級から11級、かず・かたち検定までを「算数検定」とも呼ぶ。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "学習する方法としては公式ガイドブックなどを使用して学習するとよい。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "その他受験に関することで分からないことがある場合は、直接問い合わせていただきたい。", "title": "受験方法" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "リンク集" } ]
実用数学技能検定とは日本数学検定協会が運営している検定。就職・進学では優遇される事もある。略して「数検」とも呼ばれる。また、数学領域である1級から5級までを「数学検定」、算数領域である6級から11級、かず・かたち検定までを「算数検定」とも呼ぶ。 学習する方法としては公式ガイドブックなどを使用して学習するとよい。
{{Pathnav|メインページ|試験|資格試験|frame=1}} '''実用数学技能検定'''とは[[w:日本数学検定協会|日本数学検定協会]]が運営している検定。就職・進学では優遇される事もある。略して「数検」とも呼ばれる。また、数学領域である1級から5級までを「数学検定」、算数領域である6級から11級、かず・かたち検定までを「算数検定」とも呼ぶ。 学習する方法としては公式ガイドブックなどを使用して学習するとよい。 == 各級の程度 == {|class="wikitable" cellpadding="4" cellspacing="0" style="font-size:100%;" !style="background: #574e54; color: White;"|級 !style="background: #574e54; color: White;"|レベル !style="background: #574e54; color: White;"|試験 |- |1||大学程度・一般||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |準1||高校3年程度(数学Ⅲ程度)||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |2||高校2年程度(数学Ⅱ、数学B程度)||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |準2||高校1年程度(数学Ⅰ、数学A程度)||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |3||中学3年程度||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |4||中学2年程度||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |5||中学1年程度||1次:計算技能検定、2次:数理技能検定 |- |6||小学6年程度|| |- |7||小学5年程度|| |- |8||小学4年程度|| |- |9||小学3年程度|| |- |10||小学2年程度|| |- |11||小学1年程度|| |- |かず・かたち検定<br>(ゴールドスター、シルバースター)||就学前児童|| |- |} * 出題範囲は、1級とかず・かたち検定を除き、主に相当学年'''まで'''の学習指導要領に掲載された学習事項である<ref group="注釈">現行の学習指導要領の数学Ⅲ範囲に行列が含まれていないにも関わらず、準1級で出題されるなど、一部の例外がある。</ref>。その学年の内容だけでなく、それ以前の学年の内容も多く出題される。また、思考力を問う問題がある。 * 5級以上は1次試験と2次試験がある。 == 受験方法 == * 個人受験、団体受験、提携会場受験の3つの受験方法がある。 * いずれの級、受験方法でも筆記試験で行われる。 === 持ち物について === {| class="wikitable" style="text-align:center" ! 階級 !! 1 - 5級 !! 6 - 8級 !! 9 - 11級 !! かず・かたち検定 |- ! 筆記用具 | colspan="4" | 必須 |- ! ものさし(定規) | 2次試験のみ必須 || colspan="2" | 必須 || × |- ! コンパス | 2次試験のみ必須 || 必須 || colspan="2" | × |- ! 分度器 | × || 必須 || colspan="2" | × |- ! 電卓(算盤) | 2次試験のみ任意 || colspan="3" | × |} * 「×」は持ち込み不可を表す。 その他受験に関することで分からないことがある場合は、直接問い合わせていただきたい。 == 注釈 == <references group="注釈"/> == リンク集 == *[https://www.su-gaku.net/suken/ 公式ホームページ] *[https://www.su-gaku.net/suken/support/past/questions.php 各級の過去問題 ※1回分] {{Wikipedia|実用数学技能検定}} [[Category:資格試験|しつようすうかくきのうけんてい]]
null
2022-09-18T04:15:05Z
[ "テンプレート:Pathnav", "テンプレート:Wikipedia" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%94%A8%E6%95%B0%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%83%BD%E6%A4%9C%E5%AE%9A
19,552
高校受験参考書/社会 公民
小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校社会 >中学校社会 公民 中学校で習う社会科 公民(こうみん)とは、日本の社会の仕組みなどについて学習する教科である。たいていは中学3年生になってから学習する。公民は大きく3つの分野に分かれる(下の学習単元・内容を参照)。それぞれの分野の学習内容は高等学校の内容の基礎であり、高等学校の内容と重なるところが多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校社会 >中学校社会 公民", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "中学校で習う社会科 公民(こうみん)とは、日本の社会の仕組みなどについて学習する教科である。たいていは中学3年生になってから学習する。公民は大きく3つの分野に分かれる(下の学習単元・内容を参照)。それぞれの分野の学習内容は高等学校の内容の基礎であり、高等学校の内容と重なるところが多い。", "title": "概要" } ]
小学校・中学校・高等学校の学習 > 中学校の学習 > 中学校社会 >中学校社会 公民
{{stub}} <small> [[小学校・中学校・高等学校の学習]] > [[中学校の学習]] > [[中学校社会]] >中学校社会 公民 </small> == 概要 == 中学校で習う社会科 公民(こうみん)とは、日本の社会の仕組みなどについて学習する教科である。たいていは中学3年生になってから学習する。公民は大きく3つの分野に分かれる(下の学習単元・内容を参照)。それぞれの分野の学習内容は[[高等学校]]の内容の基礎であり、[[高等学校]]の内容と重なるところが多い。 == 学習単元・内容 == === 現代社会と私達の生活 === *[[/現代社会の特徴]] *[[/現代社会をとらえる見方や考え方]] *[[/家族]] *[[/戦後の日本経済の歩み]] *[[/現代社会における文化]] *[[/個人と社会生活]] *[[/自由と責任、権利と義務]] === 現代の民主政治 === ==== 人間の尊重と日本国憲法の原則 ==== *[[/日本国憲法の原則]] :*[[/国民主権]]  :*[[/基本的人権の尊重]] :*[[/平和主義]] *[[/国民の義務]] *[[/請求権]] *[[/新しい権利]] *[[/国内の差別問題]] *[[/在日外国人の権利に関する国内問題と議論]] *[[/人権思想と民主主義の歩み]] ==== 民主政治と政治参加 ==== *[[/世論とマスメディア]] *[[/選挙・政党]] *[[/国会]] *[[/内閣]] *[[/裁判所]] *[[/三権分立]] :*[[/外国での政府のしくみ]](参考) *[[/地方自治]] === 国民生活と経済 === ==== 私達の生活と経済 ==== *[[/経済活動とは]] *[[/企業の種類・株式会社のしくみ]] *[[/金融のしくみ]] *[[/景気の変動と物価]] *[[/企業競争の意義と独占禁止法]] *[[/消費生活・消費者の保護]] :*[[/悪徳商法と消費者トラブルについて]](参考。事例および解決法など。) *[[/流通のしくみ]] *[[/需要と供給]] *[[/価格の種類]] *[[/貿易と円高・円安]] *[[/国内総生産と国民総生産]] *[[/日本経済の課題と現状]] ==== 政府の財政活動 ==== *[[/国家財政・地方財政とその役割]] *[[/租税]] *[[/日本の財政の問題]] ==== 国民生活と福祉 ==== *[[/社会保障制度]] *[[/労働者の権利と保護]] *[[/公害の防止と環境保全]] === 国際社会 === *[[/国際社会における国家]] *[[/国際連合・他の国際組織]] *[[/文化の多様性の大切さ]] *[[/紛争とテロ]] *[[/核問題と軍縮]] *[[/日本の防衛と国際貢献]] === 地球規模の問題 === *[[/地球環境問題]] *[[/資源問題、エネルギー問題、食料問題]] *[[/貧困問題]] == 資料 == === 法令集 === *[[中学校社会 公民/日本国憲法]] *[[中学校社会 公民/大日本帝国憲法]](抜粋) *[[中学校社会 公民/大日本帝国憲法(全条文)]] *[[中学校社会 公民/民法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/男女雇用機会均等法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/男女共同参画社会基本法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/女子差別撤廃条約]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/フランス人権宣言]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/世界人権宣言]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/国際連合憲章]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/児童の権利に関する条約]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/国際人権規約(B規約)]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/人種差別撤廃条約]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/ユネスコ憲章]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/教育基本法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/環境基本法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/国会法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/公職選挙法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/地方自治法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/情報公開法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/憲法改正手続法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/裁判員法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/日米安全保障条約]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/武力攻撃事態対処法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/海賊対処法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/同和対策審議会答申]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/アイヌ文化振興法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/障害者基本法]](抜粋) *[[中学校社会 公民/介護保険法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/老人福祉法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/労働基準法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/労働組合法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/製造物責任法]] (PL法)(抜粋) *[[中学校社会 公民/独占禁止法]] (抜粋) *[[中学校社会 公民/消費者基本法]] (抜粋) === 用語集 === *[[中学校社会 公民/用語集]] == 練習問題 == *[[中学校社会 公民/練習問題]] == 他分野へのリンク == :*[[中学校社会 地理]] :*[[中学校社会 歴史]] :*中学校社会 公民(現在地) == 学習方法 == *[[学習方法/中学校公民]] *[[学習方法/中学校社会全般]] *[[学習方法/中学校地理]] *[[学習方法/中学校歴史]] {{Stub}} [[Category:中学校教育|こうみん]] [[Category:社会|ちゆううかつこうしやかいこうみん]]
null
2022-10-23T07:29:51Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%8F%82%E8%80%83%E6%9B%B8/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91
19,553
高校受験参考書/社会 公民/家族
家族に関する法律には、民法などに定めがある。また戸籍法では、出生や婚姻や死亡などの際の、戸籍の届け出についての定めがある。 婚姻(こんいん、英:Marriage )では、本人および相手の両方の合意が必要。つまり両性の合意が必要。婚姻では男女が平等である。 なお、未成年の婚姻では、保護者の許可が必要。 財産の相続(そうぞく、英:Inheritance)において、男女は平等。 現行の民法では、特に遺言(ゆいごん、いごん、英: testament)が無いかぎり、もし死者に配偶者(はいぐうしゃ、 spouse)がいれば、まず、配偶者がその半分を相続する。子供がいれば、残りの半分を子供どうしで均等に分け合う。子供がおらず配偶者だけなら、配偶者が全て相続する。配偶者が既に死亡しており、子供だけが残っていれば、全財産を子供どうしで均等に受け継ぐ。 父母と子の間の財産相続は、平等では無い。子供の財産は、親の財産の半分を子供どうしが均分に相続する。 たとえば、ある家庭の父親(Aとする)が死んだとして、父親Aの財産の半分つまり 2分の1 をAの配偶者である妻が受け継ぐ。 ある家庭で父が死んだ場合の財産を「母」が受け継ぐ場合、その「母」とはA本人の生みの親の母親ではなく、Aの妻のことである。Aの子供から見た場合の「母」のことである。 そのあと、残りの半分を、Aの子供が分け合う。 もし子供が3人なら、 1/2 × 1/3 = 1/6 だから、子供は1人あたり 父親の 1/6 の財産を受け継ぐ。(均分相続) 明治時代〜第二次大戦終戦までの民法などでは、財産は父親が管理することが定められていて、長男が受け継ぐ。男女平等では無いし、男同士でも次男以下や次男や三男は財産を受け継がない。 当時は、家は長男が受け継ぐものと考えられていた。 もし親が死んだら、子は財産(inherited property)を相続しますが、このとき、もし親に借金(a debt)が多いと、子供は借金も相続することになります。民法で、そう定められています。日本の相続制度は、このような単純承認(たんじゅん しょうにん、英:unqualified acceptance)という制度になっています。 貯金よりも借金が多い場合に相続を断るには、税務署に死亡後から三ヶ月以内までに家庭裁判所に申請しなければなりません。限定承認(げんてい しょうにん、英:qualified acceptance)や相続放棄(そうぞく ほうき)などを家庭裁判所に申請します。(ふつうは限定承認のほうが得なので、限定承認を選ぶ。) 限定承認か相続放棄をしないと、貯金よりも借金が多くても相続しないと、いけなくなります。 親が会社経営をしている場合などで、会社の業績が悪い場合に、多額の借金を抱えてる場合がありうるので、注意が必要です。 相続の際の税金の仕組みなどを知らないのが普通なので、ついつい申請をためらってしまいがちですが、早めに申請しないと大変なことになる場合があります。 単純承認を原則にした民法自体に欠陥がある気もしますが、現実として日本の民法の相続の制度は、親の財産が借金の場合でも単純に相続する単純承認を原則とした制度になってるのが実情です。 相続については、相続税の細かいことよりも、まずは借金の相続を放棄できる限定承認・相続放棄の期間が死亡後3ヶ月と限られているということを知っておいてください。 本人を基準に、血のつながった父と母、子供や、兄、姉、弟、妹や祖父母、おじ、おば、おい、めい、いとこ、などを血族(けつぞく、blood relatives)と言う。 本人を基準に、血の繋がっていない、結婚相手である配偶者(はいぐうしゃ)や、けっこない手の父親(義父)、母親(義母)、義兄(ぎけい)、義弟(ぎてい)、義妹(ぎまい)、義姉(ぎし)などを、姻族(いんぞく、a relative by affinity)という。 法律で、親族の範囲を定める場合には、「親等」(degree of kinship)という、血縁関係や婚姻関係などに基づき決められる階級が用いられる。 親等では、血族と姻族を区別しない。 ・ 1親等(いっしんとう) 本人および配偶者(夫や妻のこと)を基準とし、本人の子どもと本人および配偶者の父親・母親を1親等とする。 兄弟姉妹は2親等であり、1親等では無いので、間違えないように。 要は、「父」、「母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に1親等になるはずである。 そして、本人の子供は1親等である。 ・ 2親等(にしんとう) 具体的に言うと、兄弟姉妹や祖父母や孫などが2親等である。また配偶者の兄弟・姉妹も本人の兄弟姉妹と区別しないので、配偶者の兄弟・姉妹も2親等である。つまり、兄弟姉妹は2親等である。 本人および配偶者を除く、1親等である人間の子供や父母を2親等とする。 本人の兄の配偶者の義姉や、姉の配偶者の義兄も、実の兄や姉と同じく2親等である。 配偶者の兄弟姉妹は2親等である。本人と配偶者を区別しないので、つまり本人および配偶者の兄弟姉妹および2親等とする。 要は、「兄弟姉妹」や「祖父母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に2親等になるはずである。 ・3親等(さんしんとう) 3親等とは、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、「おじ」とか「おば」とか「おい」とか「めい」とかが3親等である。 おじ、おばの子供のことを「いとこ」と言うが、いとこは4親等である。 日本の民法では、「親族」とは、6親等内の血族と、配偶者と、3親等内の姻族を「親族」として定める(民法第725条)。 親族の範囲では、血族と姻族は平等では無いので、間違えないように。 いわゆる苗字(みょうじ)の、「山田」とか「田中」とか「鈴木」とか「斉藤」とか、このような家族が名乗る名称を姓(せい)という。 ある家庭での夫婦の姓(せい)は、法律では夫婦は同じ姓を、戸籍などに登録することになっている。 戸籍に登録される姓が、夫婦どちらかの姓なので、証明書などで名乗る姓も、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。また、公共機関に登録する姓は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。夫婦の仕事が公務員の場合は、仕事上の名前は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。 したがって、結婚の際には、夫婦のどちらかが姓を変更することになる。 夫婦別姓制度などの議論で、夫婦の同一の姓の強制には反対論や反対する市民運動などが存在しているが、まだ日本の現行法では、夫婦の別姓は認められていないので、間違えないように。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "家族に関する法律には、民法などに定めがある。また戸籍法では、出生や婚姻や死亡などの際の、戸籍の届け出についての定めがある。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "婚姻(こんいん、英:Marriage )では、本人および相手の両方の合意が必要。つまり両性の合意が必要。婚姻では男女が平等である。", "title": "婚姻における両性の平等" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、未成年の婚姻では、保護者の許可が必要。", "title": "婚姻における両性の平等" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "財産の相続(そうぞく、英:Inheritance)において、男女は平等。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現行の民法では、特に遺言(ゆいごん、いごん、英: testament)が無いかぎり、もし死者に配偶者(はいぐうしゃ、 spouse)がいれば、まず、配偶者がその半分を相続する。子供がいれば、残りの半分を子供どうしで均等に分け合う。子供がおらず配偶者だけなら、配偶者が全て相続する。配偶者が既に死亡しており、子供だけが残っていれば、全財産を子供どうしで均等に受け継ぐ。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "父母と子の間の財産相続は、平等では無い。子供の財産は、親の財産の半分を子供どうしが均分に相続する。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "たとえば、ある家庭の父親(Aとする)が死んだとして、父親Aの財産の半分つまり 2分の1 をAの配偶者である妻が受け継ぐ。 ある家庭で父が死んだ場合の財産を「母」が受け継ぐ場合、その「母」とはA本人の生みの親の母親ではなく、Aの妻のことである。Aの子供から見た場合の「母」のことである。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "そのあと、残りの半分を、Aの子供が分け合う。 もし子供が3人なら、 1/2 × 1/3 = 1/6 だから、子供は1人あたり 父親の 1/6 の財産を受け継ぐ。(均分相続)", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "明治時代〜第二次大戦終戦までの民法などでは、財産は父親が管理することが定められていて、長男が受け継ぐ。男女平等では無いし、男同士でも次男以下や次男や三男は財産を受け継がない。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "当時は、家は長男が受け継ぐものと考えられていた。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "もし親が死んだら、子は財産(inherited property)を相続しますが、このとき、もし親に借金(a debt)が多いと、子供は借金も相続することになります。民法で、そう定められています。日本の相続制度は、このような単純承認(たんじゅん しょうにん、英:unqualified acceptance)という制度になっています。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "貯金よりも借金が多い場合に相続を断るには、税務署に死亡後から三ヶ月以内までに家庭裁判所に申請しなければなりません。限定承認(げんてい しょうにん、英:qualified acceptance)や相続放棄(そうぞく ほうき)などを家庭裁判所に申請します。(ふつうは限定承認のほうが得なので、限定承認を選ぶ。)", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "限定承認か相続放棄をしないと、貯金よりも借金が多くても相続しないと、いけなくなります。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "親が会社経営をしている場合などで、会社の業績が悪い場合に、多額の借金を抱えてる場合がありうるので、注意が必要です。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "相続の際の税金の仕組みなどを知らないのが普通なので、ついつい申請をためらってしまいがちですが、早めに申請しないと大変なことになる場合があります。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "単純承認を原則にした民法自体に欠陥がある気もしますが、現実として日本の民法の相続の制度は、親の財産が借金の場合でも単純に相続する単純承認を原則とした制度になってるのが実情です。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "相続については、相続税の細かいことよりも、まずは借金の相続を放棄できる限定承認・相続放棄の期間が死亡後3ヶ月と限られているということを知っておいてください。", "title": "相続の順位" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "本人を基準に、血のつながった父と母、子供や、兄、姉、弟、妹や祖父母、おじ、おば、おい、めい、いとこ、などを血族(けつぞく、blood relatives)と言う。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "本人を基準に、血の繋がっていない、結婚相手である配偶者(はいぐうしゃ)や、けっこない手の父親(義父)、母親(義母)、義兄(ぎけい)、義弟(ぎてい)、義妹(ぎまい)、義姉(ぎし)などを、姻族(いんぞく、a relative by affinity)という。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "法律で、親族の範囲を定める場合には、「親等」(degree of kinship)という、血縁関係や婚姻関係などに基づき決められる階級が用いられる。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "親等では、血族と姻族を区別しない。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "・ 1親等(いっしんとう) 本人および配偶者(夫や妻のこと)を基準とし、本人の子どもと本人および配偶者の父親・母親を1親等とする。 兄弟姉妹は2親等であり、1親等では無いので、間違えないように。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "要は、「父」、「母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に1親等になるはずである。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "そして、本人の子供は1親等である。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "・ 2親等(にしんとう) 具体的に言うと、兄弟姉妹や祖父母や孫などが2親等である。また配偶者の兄弟・姉妹も本人の兄弟姉妹と区別しないので、配偶者の兄弟・姉妹も2親等である。つまり、兄弟姉妹は2親等である。 本人および配偶者を除く、1親等である人間の子供や父母を2親等とする。 本人の兄の配偶者の義姉や、姉の配偶者の義兄も、実の兄や姉と同じく2親等である。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "配偶者の兄弟姉妹は2親等である。本人と配偶者を区別しないので、つまり本人および配偶者の兄弟姉妹および2親等とする。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "要は、「兄弟姉妹」や「祖父母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に2親等になるはずである。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "・3親等(さんしんとう) 3親等とは、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、「おじ」とか「おば」とか「おい」とか「めい」とかが3親等である。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "おじ、おばの子供のことを「いとこ」と言うが、いとこは4親等である。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本の民法では、「親族」とは、6親等内の血族と、配偶者と、3親等内の姻族を「親族」として定める(民法第725条)。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "親族の範囲では、血族と姻族は平等では無いので、間違えないように。", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "", "title": "親族(しんぞく)と親等(しんとう)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "いわゆる苗字(みょうじ)の、「山田」とか「田中」とか「鈴木」とか「斉藤」とか、このような家族が名乗る名称を姓(せい)という。 ある家庭での夫婦の姓(せい)は、法律では夫婦は同じ姓を、戸籍などに登録することになっている。", "title": "夫婦の姓" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "戸籍に登録される姓が、夫婦どちらかの姓なので、証明書などで名乗る姓も、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。また、公共機関に登録する姓は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。夫婦の仕事が公務員の場合は、仕事上の名前は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。", "title": "夫婦の姓" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "したがって、結婚の際には、夫婦のどちらかが姓を変更することになる。", "title": "夫婦の姓" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "夫婦別姓制度などの議論で、夫婦の同一の姓の強制には反対論や反対する市民運動などが存在しているが、まだ日本の現行法では、夫婦の別姓は認められていないので、間違えないように。", "title": "夫婦の姓" } ]
家族に関する法律には、民法などに定めがある。また戸籍法では、出生や婚姻や死亡などの際の、戸籍の届け出についての定めがある。
家族に関する法律には、民法などに定めがある。また戸籍法では、出生や婚姻や死亡などの際の、戸籍の届け出についての定めがある。 == 婚姻における両性の平等 == 婚姻(こんいん、英:Marriage )では、本人および相手の両方の合意が必要。つまり両性の合意が必要。婚姻では男女が平等である。 なお、未成年の婚姻では、保護者の許可が必要。 == 相続の順位 == 財産の'''相続'''(そうぞく、英:Inheritance)において、男女は平等。 現行の民法では、特に遺言(ゆいごん、いごん、英: testament)が無いかぎり、もし死者に配偶者(はいぐうしゃ、 spouse)がいれば、まず、配偶者がその半分を相続する。子供がいれば、残りの半分を子供どうしで均等に分け合う。子供がおらず配偶者だけなら、配偶者が全て相続する。配偶者が既に死亡しており、子供だけが残っていれば、全財産を子供どうしで均等に受け継ぐ。 父母と子の間の財産相続は、平等では無い。子供の財産は、親の財産の半分を子供どうしが均分に相続する。 たとえば、ある家庭の父親(Aとする)が死んだとして、父親Aの財産の半分つまり 2分の1 をAの配偶者である妻が受け継ぐ。 ある家庭で父が死んだ場合の財産を「母」が受け継ぐ場合、その「母」とはA本人の生みの親の母親ではなく、Aの妻のことである。Aの子供から見た場合の「母」のことである。 そのあと、残りの半分を、Aの子供が分け合う。 もし子供が3人なら、 1/2 × 1/3 = 1/6 だから、子供は1人あたり 父親の 1/6 の財産を受け継ぐ。(均分相続) *明治時代の相続 明治時代〜第二次大戦終戦までの民法などでは、財産は父親が管理することが定められていて、長男が受け継ぐ。男女平等では無いし、男同士でも次男以下や次男や三男は財産を受け継がない。 当時は、家は長男が受け継ぐものと考えられていた。 === 発展的内容:相続での親の借金 === :(※ 中学校・高校普通科では、一般には習いません。) もし親が死んだら、子は財産(inherited property)を相続しますが、このとき、もし親に借金(a debt)が多いと、子供は借金も相続することになります。民法で、そう定められています。日本の相続制度は、このような単純承認(たんじゅん しょうにん、英:unqualified acceptance)という制度になっています。 貯金よりも借金が多い場合に相続を断るには、税務署に死亡後から三ヶ月以内までに家庭裁判所に申請しなければなりません。限定承認(げんてい しょうにん、英:qualified acceptance)や相続放棄(そうぞく ほうき)などを家庭裁判所に申請します。(ふつうは限定承認のほうが得なので、限定承認を選ぶ。) 限定承認か相続放棄をしないと、貯金よりも借金が多くても相続しないと、いけなくなります。 親が会社経営をしている場合などで、会社の業績が悪い場合に、多額の借金を抱えてる場合がありうるので、注意が必要です。 相続の際の税金の仕組みなどを知らないのが普通なので、ついつい申請をためらってしまいがちですが、早めに申請しないと大変なことになる場合があります。 単純承認を原則にした民法自体に欠陥がある気もしますが、現実として日本の民法の相続の制度は、親の財産が借金の場合でも単純に相続する単純承認を原則とした制度になってるのが実情です。 相続については、相続税の細かいことよりも、まずは借金の相続を放棄できる限定承認・相続放棄の期間が死亡後3ヶ月と限られているということを知っておいてください。 == 親族(しんぞく)と親等(しんとう) == [[画像:Japanese Kinship.svg|thumbnail|350px|right|日本法での親族・親等]] 本人を基準に、血のつながった父と母、子供や、兄、姉、弟、妹や祖父母、おじ、おば、おい、めい、いとこ、などを血族(けつぞく、blood relatives)と言う。 本人を基準に、血の繋がっていない、結婚相手である配偶者(はいぐうしゃ)や、けっこない手の父親(義父)、母親(義母)、義兄(ぎけい)、義弟(ぎてい)、義妹(ぎまい)、義姉(ぎし)などを、姻族(いんぞく、a relative by affinity)という。 法律で、親族の範囲を定める場合には、「親等」(degree of kinship)という、血縁関係や婚姻関係などに基づき決められる階級が用いられる。 親等では、血族と姻族を区別しない。 ・ 1親等(いっしんとう)<br /> 本人および配偶者(夫や妻のこと)を基準とし、本人の子どもと本人および配偶者の父親・母親を1親等とする。 兄弟姉妹は2親等であり、1親等では無いので、間違えないように。 要は、「父」、「母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に1親等になるはずである。 そして、本人の子供は1親等である。 ・ 2親等(にしんとう)<br /> 具体的に言うと、兄弟姉妹や祖父母や孫などが2親等である。また配偶者の兄弟・姉妹も本人の兄弟姉妹と区別しないので、配偶者の兄弟・姉妹も2親等である。つまり、兄弟姉妹は2親等である。 本人および配偶者を除く、1親等である人間の子供や父母を2親等とする。 本人の兄の配偶者の義姉や、姉の配偶者の義兄も、実の兄や姉と同じく2親等である。 配偶者の兄弟姉妹は2親等である。本人と配偶者を区別しないので、つまり本人および配偶者の兄弟姉妹および2親等とする。 要は、「兄弟姉妹」や「祖父母」と呼ばれる相手は、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、基本的に2親等になるはずである。 ・3親等(さんしんとう)<br /> 3親等とは、血がつながってようが、義理で血がつながっていまいが、「おじ」とか「おば」とか「おい」とか「めい」とかが3親等である。 おじ、おばの子供のことを「いとこ」と言うが、いとこは4親等である。 日本の民法では、「親族」とは、6親等内の血族と、配偶者と、3親等内の姻族を「親族」として定める(民法第725条)。 親族の範囲では、血族と姻族は平等では無いので、間違えないように。 == 夫婦の姓 == いわゆる苗字(みょうじ)の、「山田」とか「田中」とか「鈴木」とか「斉藤」とか、このような家族が名乗る名称を姓(せい)という。 ある家庭での夫婦の姓(せい)は、法律では夫婦は同じ姓を、戸籍などに登録することになっている。 戸籍に登録される姓が、夫婦どちらかの姓なので、証明書などで名乗る姓も、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。また、公共機関に登録する姓は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。夫婦の仕事が公務員の場合は、仕事上の名前は、夫婦どちらかの姓になるのが通常である。 したがって、結婚の際には、夫婦のどちらかが姓を変更することになる。 夫婦別姓制度などの議論で、夫婦の同一の姓の強制には反対論や反対する市民運動などが存在しているが、まだ日本の現行法では、夫婦の別姓は認められていないので、間違えないように。 [[カテゴリ:家族]]
null
2023-01-28T11:43:34Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%8F%82%E8%80%83%E6%9B%B8/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E5%AE%B6%E6%97%8F
19,554
高校受験参考書/社会 公民/国民主権
日本国憲法では、主権者は日本国民であると、されています。 政治の決め方は、国民からの選挙で選ばれた議員を代表者として、議員を通して議会で政治が決まります。なお、このように、議会を通して政治を決める方式を議会制民主主義(ぎかいせい みんしゅしゅぎ、Representative democracy)と言い、また、間接民主制(かんせつ みんしゅせい、 indirect democracy)とも言います。 日本国憲法では、大日本帝国憲法の時代と同様に、議会制が取られています。 日本国憲法では選挙権が与えられる対象が大日本帝国憲法の時代よりも拡張され、選挙権は国民であれば男女ともに20歳以上の大人に選挙権が平等に与えられます。 選挙で選ばれた議員が政治を決めるので、政治に投票する選挙権などの 参政権(さんせいけん, 英: Suffrage) が大事な権利になります。また、政策を主張するには、そのための自由や権利が無くてはなりません。そのため、言論の自由や表現の自由が、大切な権利です。 参政権とは、国民の誰もが政治に参加できる権利です。 日本では、20歳以上の日本国民ならば、誰でも国会や地方議会の選挙のときに投票をできる選挙権(せんきょけん)があります。また、25歳以上の日本国民ならば誰でも衆議院の議員に立候補できる被選挙権(ひせんきょけん)の権利です。 なお、参議院の立候補は、30歳からです。 また、憲法改正のときの国民投票の権利なども参政権である。 大日本帝国憲法では国家の主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国の「象徴」(しょうちょう)と憲法第1条で規定されています。 政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく)の助言と証人にもとづくとされています。 もっとも、実際には大日本帝国憲法の時代でも、形式的には政治の主権は天皇にあったものの、実際の政治は議会の意向を優先で決めていました。 日本国憲法では、明確に国民主権が明記され、天皇の主権が否定されました。 外国からは、天皇が日本の元首(げんしゅ、英:Head of State)と見なされることもあります。元首とは、国家の長(ちょう)のことです。 大日本帝国憲法では主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国のまとまりの象徴(しょうちょう)になりました。 政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく、 Cabinet)の助言と証人にもとづくとされています。 天皇の国事行為には、次の行為があります。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本国憲法では、主権者は日本国民であると、されています。 政治の決め方は、国民からの選挙で選ばれた議員を代表者として、議員を通して議会で政治が決まります。なお、このように、議会を通して政治を決める方式を議会制民主主義(ぎかいせい みんしゅしゅぎ、Representative democracy)と言い、また、間接民主制(かんせつ みんしゅせい、 indirect democracy)とも言います。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本国憲法では、大日本帝国憲法の時代と同様に、議会制が取られています。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本国憲法では選挙権が与えられる対象が大日本帝国憲法の時代よりも拡張され、選挙権は国民であれば男女ともに20歳以上の大人に選挙権が平等に与えられます。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "選挙で選ばれた議員が政治を決めるので、政治に投票する選挙権などの 参政権(さんせいけん, 英: Suffrage) が大事な権利になります。また、政策を主張するには、そのための自由や権利が無くてはなりません。そのため、言論の自由や表現の自由が、大切な権利です。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "参政権とは、国民の誰もが政治に参加できる権利です。", "title": "" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本では、20歳以上の日本国民ならば、誰でも国会や地方議会の選挙のときに投票をできる選挙権(せんきょけん)があります。また、25歳以上の日本国民ならば誰でも衆議院の議員に立候補できる被選挙権(ひせんきょけん)の権利です。 なお、参議院の立候補は、30歳からです。", "title": "" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、憲法改正のときの国民投票の権利なども参政権である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大日本帝国憲法では国家の主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国の「象徴」(しょうちょう)と憲法第1条で規定されています。", "title": "" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく)の助言と証人にもとづくとされています。", "title": "" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "もっとも、実際には大日本帝国憲法の時代でも、形式的には政治の主権は天皇にあったものの、実際の政治は議会の意向を優先で決めていました。", "title": "" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "日本国憲法では、明確に国民主権が明記され、天皇の主権が否定されました。", "title": "" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "外国からは、天皇が日本の元首(げんしゅ、英:Head of State)と見なされることもあります。元首とは、国家の長(ちょう)のことです。", "title": "" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "大日本帝国憲法では主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国のまとまりの象徴(しょうちょう)になりました。", "title": "天皇について" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく、 Cabinet)の助言と証人にもとづくとされています。", "title": "天皇について" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "天皇の国事行為には、次の行為があります。", "title": "天皇について" } ]
null
=== 国民主権 === [[File:Fukuzawa Yukichi.jpg|200px|thumb|福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)。明治20年(1887年)頃の肖像。彼の考えでは、国を発展させるには、国民の一人ひとりが自分の頭で物事の善悪などを考えられるようになる必要があり、そのためには経済的にも独立できるように努力するべきであり、「一身(いっしん)独立して、一国(いっこく)独立する」と、福沢は著書『学問のすすめ』で主張した。]] 日本国憲法では、主権者は日本国民であると、されています。 政治の決め方は、国民からの選挙で選ばれた議員を代表者として、議員を通して議会で政治が決まります。なお、このように、議会を通して政治を決める方式を議会制民主主義(ぎかいせい みんしゅしゅぎ、Representative democracy)と言い、また、間接民主制(かんせつ みんしゅせい、 indirect democracy)とも言います。 日本国憲法では、大日本帝国憲法の時代と同様に、議会制が取られています。 日本国憲法では選挙権が与えられる対象が大日本帝国憲法の時代よりも拡張され、選挙権は国民であれば男女ともに20歳以上の大人に選挙権が平等に与えられます。 {| class="wikitable" style="float:right" |+ 国政への参政権の年齢 | || <big>衆議院</big>  ||  <big>参議院</big>  |- |  <big>選挙権</big> <br>(投票の権利のこと) | colspan="2" |<center> 満20歳以上 </center> |- |  <big>被選挙権</big> <br>(立候補の権利のこと) |  満25歳以上 || 満30歳以上  |} 選挙で選ばれた議員が政治を決めるので、政治に投票する選挙権などの <big>参政権</big>(さんせいけん, 英: Suffrage) が大事な権利になります。また、政策を主張するには、そのための自由や権利が無くてはなりません。そのため、言論の自由や表現の自由が、大切な権利です。 [[File:Abraham Lincoln head on shoulders photo portrait.jpg|thumb|left|200px|リンカーン。アメリカの第16代大統領。「人民の、人民による、人民のための政治」(government of the people, by the people, for the people)という演説で有名。]] *参政権(さんせいけん) 参政権とは、国民の誰もが政治に参加できる権利です。 日本では、20歳以上の日本国民ならば、誰でも国会や地方議会の選挙のときに投票をできる<big>選挙権</big>(せんきょけん)があります。また、25歳以上の日本国民ならば誰でも衆議院の議員に立候補できる被選挙権(ひせんきょけん)の権利です。 なお、参議院の立候補は、30歳からです。 また、憲法改正のときの国民投票の権利なども参政権である。 ==== 天皇について ==== 大日本帝国憲法では国家の主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国の「象徴」(しょうちょう)と憲法第1条で規定されています。 政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく)の助言と証人にもとづくとされています。 もっとも、実際には大日本帝国憲法の時代でも、形式的には政治の主権は天皇にあったものの、実際の政治は議会の意向を優先で決めていました。 日本国憲法では、明確に国民主権が明記され、天皇の主権が否定されました。 外国からは、天皇が日本の元首(げんしゅ、英:Head of State)と見なされることもあります。元首とは、国家の長(ちょう)のことです。 == 天皇について == 大日本帝国憲法では主権者であった天皇は、日本国憲法では天皇は日本国のまとまりの象徴(しょうちょう)になりました。 政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式(ぎしき)的な国の仕事である国事行為(こくじこうい)を行うとされています。また、その国事行為は、内閣(ないかく、 Cabinet)の助言と証人にもとづくとされています。 天皇の国事行為には、次の行為があります。 :・ まず、国会を招集したり、衆議院を解散する行為があります。ただし、国会で政策を天皇が決定することは出来ません。このように、天皇は政治の儀式的な仕事のみを行なっています。<br> :・ 国会で決まった法律や政令や、内閣の決めた条約を公布することも、天皇の仕事です。天皇は法律そのものを決定する権限は行えません。立法の権限を持っているのは国会議員のみであり、天皇に立法の権限は、ありません。<br> :・ 勲章(くんしょう)などの栄典(えいてん 、honors )を授与するのも、天皇の仕事です。<br> :・ 外国の大使(たいし)や公使(こうし)を接待(せったい)するのも、天皇の仕事です。<br> :・ 国会がえらんだ内閣総理大臣を、天皇は任命します。内閣がえらんだ最高裁判所の長官を、天皇は任命(appoint)します。<br> [[カテゴリ:権利]]
2014-10-21T02:45:49Z
2023-11-15T21:39:53Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%8F%82%E8%80%83%E6%9B%B8/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%A8%A9
19,555
高校受験参考書/社会 公民/基本的人権の尊重
平等権(びょうどうけん、equal right) 、 自由権(じゆうけん、civil liberties) 、 社会権(しゃかいけん,social rights) ・ 国民の参政権(さんせいけん,Suffrage) 、 裁判を受ける権利(right to fair trial) などの権利です。 このうち、自由権は大まかには身体の自由( personal liberty)、精神の自由、経済の自由( economic freedom)に分かれます。 以下のような権利があります。 犯罪をして逮捕されるときなどをのぞけば、体を不当に拘束されない、という権利です。 日本国憲法では、 という言い方をしています。 生命を法によらなければ奪われない権利と合わせて「生命・身体の自由」と言われています。 法律によらなければ、逮捕はされません。(第33条) 警察官が逮捕をする場合も、裁判官の発行する令状(warrant、逮捕令状)が必要になります。 逮捕された場合でも、裁判をすぐに受ける権利があります。(第37条) また、裁判とも関連して、憲法の条文では、取り調べでの自白の強要はゆるされていないというような定めがあり、自白のみを証拠にする場合には裁判の判決で処罰を下すことはできないことが定められています。被告人には不都合なことを黙る黙秘権(もくひけん、right to remain silent)もあります。 また、「身体の自由」は、奴隷的な拘束を禁じた義務でも、あります。 どのような考えを持っていても、少なくとも法律では、その考えを持つだけでは罰しない、ということに、憲法では、なっています。 精神に自由には、思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由や、学問の自由 などがあります。 どのような政治信条を持っていたり人生観を持っていようが、法律では罰されません。 また、何を正義と思おうが、思うだけなら罰されません。 ただし、思うだけでなく、実際に行動にうつせば、もし、その行動が法律に違反していれば、当然、 取り締まりを受けます。 また、国や役所以外が、特定の考えを批判しても、べつに思想の自由を侵害したことになりません。 たとえば、政治の政党は、当然、政党ごとに政治信条がちがってきます。ですが、たとえ政党が別の政党の政治信条を批判したところで、それはべつに憲法違反になりません。 あなたの父母などの保護者が、あなたの考えを批判しても、保護者は憲法違反になりません。 学校などの場合、生徒の考えが道徳に違反している場合、先生が生徒の考えを批判する場合もあります。 厳密(げんみつ)に考えれば、たとえ子供であっても精神の自由があるのですが、教育上の理由から、生徒の考えが明らかに社会道徳にさからっている場合には、慣習的に教育者は生徒をしかることも、社会的には、ゆるされています。 どんな考えを発表しても、その主張が侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などの違法な主張で無い限りは、発表をしたことで刑罰や取り締まりを受けません。 キリスト教を信じようが、仏教を信じようが、神道を信じようが、あるいは自分で作った宗教を信じようが、信じているだけなら、法律では罰されません。ともかく、どんな宗教を信じても、信じるだけなら自由です。 なお、キリスト教の教会が、教会の中で仏教など他教の儀式を禁じようが、それは信教の自由をやぶったことになりません。国や法律以外のことについては、憲法による信教の自由は関与しません。 ただし、ある宗教の信者が、もしも、その宗教をやめたいと思ったら、教団の側は、信者が信仰をやめて宗教から抜ける自由をみとめなければ、ならないでしょう。 また、政府と宗教とは分離されています。(政教分離) 原則として日本では、政府が特定の宗教を保護することは禁じられています。ただし、裁判の判例では、例外として、宗教的文化財への補助や宗教系私立学校への補助などを許しています。 職業選択の自由(しょくぎょうせんたく の じゆう)などがあります。近代よりも昔は、人々は身分のしばりがあって、自由に職業を選ぶことが出来ませんでした。職業選択の自由では、そのような職業をえらぶ際の制限をなくしています。(第22条) ただし、どんな仕事も、お金を払う客がいないと成り立たないので、かならずしも、ある職業を目指したからと、その職業になれるとはかぎりません。 たとえばプロのスポーツ選手を目指しても、その職業につける人は少ないでしょう。 職業選択の自由は、その職業になれることまでは、保証しません。職業選択の自由が保証するのは、ある職業を目指しても、法律では、その目標が禁止されることはない、ということです。 ただし医者や弁護士のように、その仕事につくのに免許などの資格が必要な仕事もあります。 原則的に、どこの地域にも引越し(ひっこし)ができて、住所をかえることができます。明治よりも前の、江戸時代では、人々は自由には移り住むことが出来ませんでした。明治時代になって、こういった引越し(ひっこし)をさまたげる制限は、なくなりました。 ただし未成年の子供は、親など保護者の許可がなくては、引越しはできません。 自分の財産をもてる権利と、その財産が不当におかされない権利です。(第29条)むかしは、支配者が勝手に人々の財産を取り上げることがあったので、そういう不当な取り上げが出来ないようにしています。 どうしても、国が土地などの財産をゆずってほしい場合には、かわりに、たとえば国が金を払って買い取るなどの、相応の補償(ほしょう)をしなければなりません。 憲法で定められた権利は、どうあつかっても良いのではなく、社会全体の利益をそこなわない範囲や、または他人の権利をそこなわない範囲(はんい)で、憲法の権利の活用がみとめられています。 このように、社会全体の利益や権利のことを、公共の福祉(こうきょうのふくし、 public welfare )と言います。 たとえば授業中に大声でさわいだりして他の生徒の勉強をじゃますることは、他の生徒の「教育を受ける権利」を侵害しているので、公共の福祉の考えによって、授業中に大声でさわぐ生徒を先生が叱っても(しかっても)、人権侵害にはなりません。 しかし、「公共の福祉」を理由にして、人権を侵害することは、ゆるされていません。 社会権(しゃかいけん、social rights)とは、社会を生きていく上で人間が人間らしく文化的に生きるための権利のことです。 日本では生存権(right to life)、教育を受ける権利(英: right to receive education)、勤労の権利()、社会保障を受けられる権利()などの権利を社会権と呼ぶ。 「生存権」(せいぞんけん)とは、だれもが生きる権利をもっているという信念をあらわす語句であり、とりわけ他者の手で殺されない権利を意味する。 日本では、これに加えて、さらに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と憲法第25条において定めているように、文化的な最低限の生活を保証することも「生存権」に含めている。 そして、日本での生存権が、社会での「文化的な」最低限の生活を保証することから、日本では生存権が社会権に含まれる。 そして、この「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことを保障するための手段として、教育を受ける権利の保障や、社会保障などの行政が行われている。 現代の社会では、子供は、親や学校などから教育を受けなければ、社会で必要な知識を身につけることは困難です。 そのため、子供が教育を受ける権利が、保障されています。 日本では義務教育として、子供は小学校および中学校に通う義務がありますが、義務教育は無償になっており(第26条)、授業料などは取っていませんし、義務教育の学校教科書も無料になっています。 (ただしエンピツやノートなどの文房具は、各家庭が自費で出費している。) 病気にかかった場合に、安い価格で適切な医療や介護を受けられるような医療保険(いりょう ほけん、Health Insurance)や介護保険(かいご ほけん、Long-term care insurance)などの行政や、働きたいのに働けない人が収入をかせげなくても生活できるようにする生活保護(せいかつ ほご、public Assistance)などの行政です。 老齢になったときに受け取る年金(ねんきん、pension)も、社会保障です。 勤労の権利は、日本では社会権に含まれています。日本国憲法は、国民に勤労の権利を保障しています。(第27条) 賃金などの最低基準は、労働基準法などの法律で定められています。 また、一般に会社の従業員などは経営者などに対して弱い立場に落ちいりやすいので、従業員の権利を保護するために、権利が保護されており、従業員の権利を守るための法律もあります。 自由経済では、原理的には、労働者にも転職の自由があるので、仕事先の職場の待遇が不満だったら退職して転職すればいい。 しかし、その雇われ労働者を、ほかに雇ってくれそうな会社がない場合は、その雇われ労働者は不満が合っても会社で働きつづけなければならない。 雇われ労働者も人間なので、もちろん人権があり、そのため我が国は従業員も会社から最低限の保護を受けられるように、国は求めている。 そのため労働者を保護する法律が定められており、 労働基準法(ろうどう きじゅんほう) や 労働組合法(ろうどう くみあいほう) 、 労働関係調整法(ろうどう ちょうせいほう) などの法律で、労働者の権利が保証されている。この3つの法(労働基準法・労働組合法・労働関係調整法)をまとめて 労働三法(ろうどう さんぽう) と言う。 労働者は労働組合(ろうどう くみあい)の結成をする権利が憲法や法律で認められており( 団結権(だんけつけん) )、組合などがその会社の労働者の賃金を上げる賃上げ(ちんあげ)交渉などをする 団体交渉権(だんたい こうしょうけん) を認めている。 労働者の権利には、他にも、ストライキなどの 団体行動権(だんたい こうどうけん) が認められている。 ストライキとは、労働者が団結して仕事を停止することである。 これら3つの権利(団結権・団体交渉権・団体行動権)をまとめて 労働三権(ろうどう さんけん) と言う。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "平等権(びょうどうけん、equal right) 、 自由権(じゆうけん、civil liberties) 、 社会権(しゃかいけん,social rights) ・ 国民の参政権(さんせいけん,Suffrage) 、 裁判を受ける権利(right to fair trial) などの権利です。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "このうち、自由権は大まかには身体の自由( personal liberty)、精神の自由、経済の自由( economic freedom)に分かれます。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "以下のような権利があります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "犯罪をして逮捕されるときなどをのぞけば、体を不当に拘束されない、という権利です。 日本国憲法では、", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "という言い方をしています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "生命を法によらなければ奪われない権利と合わせて「生命・身体の自由」と言われています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "法律によらなければ、逮捕はされません。(第33条) 警察官が逮捕をする場合も、裁判官の発行する令状(warrant、逮捕令状)が必要になります。 逮捕された場合でも、裁判をすぐに受ける権利があります。(第37条)", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、裁判とも関連して、憲法の条文では、取り調べでの自白の強要はゆるされていないというような定めがあり、自白のみを証拠にする場合には裁判の判決で処罰を下すことはできないことが定められています。被告人には不都合なことを黙る黙秘権(もくひけん、right to remain silent)もあります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、「身体の自由」は、奴隷的な拘束を禁じた義務でも、あります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "どのような考えを持っていても、少なくとも法律では、その考えを持つだけでは罰しない、ということに、憲法では、なっています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "精神に自由には、思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由や、学問の自由 などがあります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "どのような政治信条を持っていたり人生観を持っていようが、法律では罰されません。 また、何を正義と思おうが、思うだけなら罰されません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ただし、思うだけでなく、実際に行動にうつせば、もし、その行動が法律に違反していれば、当然、 取り締まりを受けます。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、国や役所以外が、特定の考えを批判しても、べつに思想の自由を侵害したことになりません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "たとえば、政治の政党は、当然、政党ごとに政治信条がちがってきます。ですが、たとえ政党が別の政党の政治信条を批判したところで、それはべつに憲法違反になりません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "あなたの父母などの保護者が、あなたの考えを批判しても、保護者は憲法違反になりません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "学校などの場合、生徒の考えが道徳に違反している場合、先生が生徒の考えを批判する場合もあります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "厳密(げんみつ)に考えれば、たとえ子供であっても精神の自由があるのですが、教育上の理由から、生徒の考えが明らかに社会道徳にさからっている場合には、慣習的に教育者は生徒をしかることも、社会的には、ゆるされています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "どんな考えを発表しても、その主張が侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などの違法な主張で無い限りは、発表をしたことで刑罰や取り締まりを受けません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "キリスト教を信じようが、仏教を信じようが、神道を信じようが、あるいは自分で作った宗教を信じようが、信じているだけなら、法律では罰されません。ともかく、どんな宗教を信じても、信じるだけなら自由です。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "なお、キリスト教の教会が、教会の中で仏教など他教の儀式を禁じようが、それは信教の自由をやぶったことになりません。国や法律以外のことについては、憲法による信教の自由は関与しません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ただし、ある宗教の信者が、もしも、その宗教をやめたいと思ったら、教団の側は、信者が信仰をやめて宗教から抜ける自由をみとめなければ、ならないでしょう。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "また、政府と宗教とは分離されています。(政教分離) 原則として日本では、政府が特定の宗教を保護することは禁じられています。ただし、裁判の判例では、例外として、宗教的文化財への補助や宗教系私立学校への補助などを許しています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "職業選択の自由(しょくぎょうせんたく の じゆう)などがあります。近代よりも昔は、人々は身分のしばりがあって、自由に職業を選ぶことが出来ませんでした。職業選択の自由では、そのような職業をえらぶ際の制限をなくしています。(第22条)", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ただし、どんな仕事も、お金を払う客がいないと成り立たないので、かならずしも、ある職業を目指したからと、その職業になれるとはかぎりません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "たとえばプロのスポーツ選手を目指しても、その職業につける人は少ないでしょう。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "職業選択の自由は、その職業になれることまでは、保証しません。職業選択の自由が保証するのは、ある職業を目指しても、法律では、その目標が禁止されることはない、ということです。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ただし医者や弁護士のように、その仕事につくのに免許などの資格が必要な仕事もあります。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "原則的に、どこの地域にも引越し(ひっこし)ができて、住所をかえることができます。明治よりも前の、江戸時代では、人々は自由には移り住むことが出来ませんでした。明治時代になって、こういった引越し(ひっこし)をさまたげる制限は、なくなりました。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ただし未成年の子供は、親など保護者の許可がなくては、引越しはできません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "自分の財産をもてる権利と、その財産が不当におかされない権利です。(第29条)むかしは、支配者が勝手に人々の財産を取り上げることがあったので、そういう不当な取り上げが出来ないようにしています。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "どうしても、国が土地などの財産をゆずってほしい場合には、かわりに、たとえば国が金を払って買い取るなどの、相応の補償(ほしょう)をしなければなりません。", "title": "基本的人権" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "憲法で定められた権利は、どうあつかっても良いのではなく、社会全体の利益をそこなわない範囲や、または他人の権利をそこなわない範囲(はんい)で、憲法の権利の活用がみとめられています。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "このように、社会全体の利益や権利のことを、公共の福祉(こうきょうのふくし、 public welfare )と言います。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "たとえば授業中に大声でさわいだりして他の生徒の勉強をじゃますることは、他の生徒の「教育を受ける権利」を侵害しているので、公共の福祉の考えによって、授業中に大声でさわぐ生徒を先生が叱っても(しかっても)、人権侵害にはなりません。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "しかし、「公共の福祉」を理由にして、人権を侵害することは、ゆるされていません。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "社会権(しゃかいけん、social rights)とは、社会を生きていく上で人間が人間らしく文化的に生きるための権利のことです。 日本では生存権(right to life)、教育を受ける権利(英: right to receive education)、勤労の権利()、社会保障を受けられる権利()などの権利を社会権と呼ぶ。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "「生存権」(せいぞんけん)とは、だれもが生きる権利をもっているという信念をあらわす語句であり、とりわけ他者の手で殺されない権利を意味する。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本では、これに加えて、さらに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と憲法第25条において定めているように、文化的な最低限の生活を保証することも「生存権」に含めている。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "そして、日本での生存権が、社会での「文化的な」最低限の生活を保証することから、日本では生存権が社会権に含まれる。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "そして、この「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことを保障するための手段として、教育を受ける権利の保障や、社会保障などの行政が行われている。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "現代の社会では、子供は、親や学校などから教育を受けなければ、社会で必要な知識を身につけることは困難です。 そのため、子供が教育を受ける権利が、保障されています。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "日本では義務教育として、子供は小学校および中学校に通う義務がありますが、義務教育は無償になっており(第26条)、授業料などは取っていませんし、義務教育の学校教科書も無料になっています。 (ただしエンピツやノートなどの文房具は、各家庭が自費で出費している。)", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "病気にかかった場合に、安い価格で適切な医療や介護を受けられるような医療保険(いりょう ほけん、Health Insurance)や介護保険(かいご ほけん、Long-term care insurance)などの行政や、働きたいのに働けない人が収入をかせげなくても生活できるようにする生活保護(せいかつ ほご、public Assistance)などの行政です。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "老齢になったときに受け取る年金(ねんきん、pension)も、社会保障です。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "勤労の権利は、日本では社会権に含まれています。日本国憲法は、国民に勤労の権利を保障しています。(第27条) 賃金などの最低基準は、労働基準法などの法律で定められています。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "また、一般に会社の従業員などは経営者などに対して弱い立場に落ちいりやすいので、従業員の権利を保護するために、権利が保護されており、従業員の権利を守るための法律もあります。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "自由経済では、原理的には、労働者にも転職の自由があるので、仕事先の職場の待遇が不満だったら退職して転職すればいい。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "しかし、その雇われ労働者を、ほかに雇ってくれそうな会社がない場合は、その雇われ労働者は不満が合っても会社で働きつづけなければならない。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "雇われ労働者も人間なので、もちろん人権があり、そのため我が国は従業員も会社から最低限の保護を受けられるように、国は求めている。 そのため労働者を保護する法律が定められており、 労働基準法(ろうどう きじゅんほう) や 労働組合法(ろうどう くみあいほう) 、 労働関係調整法(ろうどう ちょうせいほう) などの法律で、労働者の権利が保証されている。この3つの法(労働基準法・労働組合法・労働関係調整法)をまとめて 労働三法(ろうどう さんぽう) と言う。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "労働者は労働組合(ろうどう くみあい)の結成をする権利が憲法や法律で認められており( 団結権(だんけつけん) )、組合などがその会社の労働者の賃金を上げる賃上げ(ちんあげ)交渉などをする 団体交渉権(だんたい こうしょうけん) を認めている。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "労働者の権利には、他にも、ストライキなどの 団体行動権(だんたい こうどうけん) が認められている。 ストライキとは、労働者が団結して仕事を停止することである。", "title": "社会権" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "これら3つの権利(団結権・団体交渉権・団体行動権)をまとめて 労働三権(ろうどう さんけん) と言う。", "title": "社会権" } ]
null
== 基本的人権 == <big>'''平等権'''</big>(びょうどうけん、equal right) 、 <big>'''自由権'''</big>(じゆうけん、civil liberties) 、 <big>'''社会権'''</big>(しゃかいけん,social rights) ・ 国民の参政権(さんせいけん,Suffrage) 、 裁判を受ける権利(right to fair trial) などの権利です。 このうち、自由権は大まかには<big>'''身体の自由'''</big>( personal liberty)、<big>'''精神の自由'''</big>、<big>'''経済の自由'''</big>( economic freedom)に分かれます。 以下のような権利があります。 === 自由権 === ==== 身体の自由 ==== 犯罪をして逮捕されるときなどをのぞけば、体を不当に拘束されない、という権利です。 日本国憲法では、 :「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」(第31条) という言い方をしています。 生命を法によらなければ奪われない権利と合わせて「生命・身体の自由」と言われています。 法律によらなければ、逮捕はされません。(第33条) 警察官が逮捕をする場合も、裁判官の発行する令状(warrant、逮捕令状)が必要になります。  逮捕された場合でも、裁判をすぐに受ける権利があります。(第37条)  また、裁判とも関連して、憲法の条文では、取り調べでの自白の強要はゆるされていないというような定めがあり、自白のみを証拠にする場合には裁判の判決で処罰を下すことはできないことが定められています。被告人には不都合なことを黙る黙秘権(もくひけん、right to remain silent)もあります。 また、「身体の自由」は、奴隷的な拘束を禁じた義務でも、あります。 ==== 精神の自由 ==== どのような考えを持っていても、少なくとも法律では、その考えを持つだけでは罰しない、ということに、憲法では、なっています。 精神に自由には、思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由や、学問の自由 などがあります。 *思想・良心の自由 どのような政治信条を持っていたり人生観を持っていようが、法律では罰されません。 また、何を正義と思おうが、思うだけなら罰されません。 ただし、思うだけでなく、実際に行動にうつせば、もし、その行動が法律に違反していれば、当然、 取り締まりを受けます。 また、国や役所以外が、特定の考えを批判しても、べつに思想の自由を侵害したことになりません。 たとえば、政治の政党は、当然、政党ごとに政治信条がちがってきます。ですが、たとえ政党が別の政党の政治信条を批判したところで、それはべつに憲法違反になりません。 あなたの父母などの保護者が、あなたの考えを批判しても、保護者は憲法違反になりません。 学校などの場合、生徒の考えが道徳に違反している場合、先生が生徒の考えを批判する場合もあります。 厳密(げんみつ)に考えれば、たとえ子供であっても精神の自由があるのですが、教育上の理由から、生徒の考えが明らかに社会道徳にさからっている場合には、慣習的に教育者は生徒をしかることも、社会的には、ゆるされています。 * <big>表現の自由</big>(Freedom of speech ) どんな考えを発表しても、その主張が侮辱(ぶじょく)や脅迫(きょうはく)などの違法な主張で無い限りは、発表をしたことで刑罰や取り締まりを受けません。 * <big>信教(しんきょう)の自由</big>(Freedom of religion) キリスト教を信じようが、仏教を信じようが、神道を信じようが、あるいは自分で作った宗教を信じようが、信じているだけなら、法律では罰されません。ともかく、どんな宗教を信じても、信じるだけなら自由です。 なお、キリスト教の教会が、教会の中で仏教など他教の儀式を禁じようが、それは信教の自由をやぶったことになりません。国や法律以外のことについては、憲法による信教の自由は関与しません。 ただし、ある宗教の信者が、もしも、その宗教をやめたいと思ったら、教団の側は、信者が信仰をやめて宗教から抜ける自由をみとめなければ、ならないでしょう。 また、政府と宗教とは分離されています。(政教分離) 原則として日本では、政府が特定の宗教を保護することは禁じられています。ただし、裁判の判例では、例外として、宗教的文化財への補助や宗教系私立学校への補助などを許しています。 ==== 経済活動の自由 ==== <big>職業選択の自由</big>(しょくぎょうせんたく の じゆう)などがあります。近代よりも昔は、人々は身分のしばりがあって、自由に職業を選ぶことが出来ませんでした。職業選択の自由では、そのような職業をえらぶ際の制限をなくしています。(第22条) ただし、どんな仕事も、お金を払う客がいないと成り立たないので、かならずしも、ある職業を目指したからと、その職業になれるとはかぎりません。 たとえばプロのスポーツ選手を目指しても、その職業につける人は少ないでしょう。 職業選択の自由は、その職業になれることまでは、保証しません。職業選択の自由が保証するのは、ある職業を目指しても、法律では、その目標が禁止されることはない、ということです。 ただし医者や弁護士のように、その仕事につくのに免許などの資格が必要な仕事もあります。 *居住(きょじゅう)・移転(いてん)の自由 原則的に、どこの地域にも引越し(ひっこし)ができて、住所をかえることができます。明治よりも前の、江戸時代では、人々は自由には移り住むことが出来ませんでした。明治時代になって、こういった引越し(ひっこし)をさまたげる制限は、なくなりました。 ただし未成年の子供は、親など保護者の許可がなくては、引越しはできません。 *財産権(ざいさんけん、英: property right) 自分の財産をもてる権利と、その財産が不当におかされない権利です。(第29条)むかしは、支配者が勝手に人々の財産を取り上げることがあったので、そういう不当な取り上げが出来ないようにしています。 どうしても、国が土地などの財産をゆずってほしい場合には、かわりに、たとえば国が金を払って買い取るなどの、相応の補償(ほしょう)をしなければなりません。 == その他 == *公共の福祉(こうきょうのふくし、 public welfare ) 憲法で定められた権利は、どうあつかっても良いのではなく、社会全体の利益をそこなわない範囲や、または他人の権利をそこなわない範囲(はんい)で、憲法の権利の活用がみとめられています。 このように、社会全体の利益や権利のことを、<big>'''公共の福祉'''</big>(こうきょうのふくし、 public welfare )と言います。 たとえば授業中に大声でさわいだりして他の生徒の勉強をじゃますることは、他の生徒の「教育を受ける権利」を侵害しているので、公共の福祉の考えによって、授業中に大声でさわぐ生徒を先生が叱っても(しかっても)、人権侵害にはなりません。 しかし、「公共の福祉」を理由にして、人権を侵害することは、ゆるされていません。 == 社会権 == <big>'''社会権'''</big>(しゃかいけん、social rights)とは、社会を生きていく上で人間が人間らしく文化的に生きるための権利のことです。 日本では<big>'''生存権'''</big>(right to life)、<big>'''教育を受ける権利'''</big>(英: right to receive education)、<big>'''勤労の権利'''</big>()、<big>'''社会保障を受けられる権利'''</big>()などの権利を社会権と呼ぶ。 *生存権 「生存権」(せいぞんけん)とは、だれもが生きる権利をもっているという信念をあらわす語句であり、とりわけ他者の手で殺されない権利を意味する。 日本では、これに加えて、さらに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と憲法第25条において定めているように、文化的な最低限の生活を保証することも「生存権」に含めている。 そして、日本での生存権が、社会での「文化的な」最低限の生活を保証することから、日本では生存権が社会権に含まれる。 そして、この「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことを保障するための手段として、教育を受ける権利の保障や、社会保障などの行政が行われている。 *教育を受ける権利 現代の社会では、子供は、親や学校などから教育を受けなければ、社会で必要な知識を身につけることは困難です。 そのため、子供が教育を受ける権利が、保障されています。 日本では義務教育として、子供は小学校および中学校に通う義務がありますが、義務教育は無償になっており(第26条)、授業料などは取っていませんし、義務教育の学校教科書も無料になっています。 (ただしエンピツやノートなどの文房具は、各家庭が自費で出費している。) *社会保障 病気にかかった場合に、安い価格で適切な医療や介護を受けられるような医療保険(いりょう ほけん、Health Insurance)や介護保険(かいご ほけん、Long-term care insurance)などの行政や、働きたいのに働けない人が収入をかせげなくても生活できるようにする生活保護(せいかつ ほご、public Assistance)などの行政です。 老齢になったときに受け取る年金(ねんきん、pension)も、社会保障です。 *勤労の権利 勤労の権利は、日本では社会権に含まれています。日本国憲法は、国民に勤労の権利を保障しています。(第27条) 賃金などの最低基準は、労働基準法などの法律で定められています。 また、一般に会社の従業員などは経営者などに対して弱い立場に落ちいりやすいので、従業員の権利を保護するために、権利が保護されており、従業員の権利を守るための法律もあります。 自由経済では、原理的には、労働者にも転職の自由があるので、仕事先の職場の待遇が不満だったら退職して転職すればいい。 しかし、その雇われ労働者を、ほかに雇ってくれそうな会社がない場合は、その雇われ労働者は不満が合っても会社で働きつづけなければならない。 雇われ労働者も人間なので、もちろん人権があり、そのため我が国は従業員も会社から最低限の保護を受けられるように、国は求めている。 そのため労働者を保護する法律が定められており、 労働基準法(ろうどう きじゅんほう) や 労働組合法(ろうどう くみあいほう) 、 労働関係調整法(ろうどう ちょうせいほう) などの法律で、労働者の権利が保証されている。この3つの法(労働基準法・労働組合法・労働関係調整法)をまとめて 労働三法(ろうどう さんぽう) と言う。 労働者は労働組合(ろうどう くみあい)の結成をする権利が憲法や法律で認められており( 団結権(だんけつけん) )、組合などがその会社の労働者の賃金を上げる賃上げ(ちんあげ)交渉などをする 団体交渉権(だんたい こうしょうけん) を認めている。 :・憲法28条 「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」 労働者の権利には、他にも、ストライキなどの 団体行動権(だんたい こうどうけん) が認められている。 ストライキとは、労働者が団結して仕事を停止することである。 これら3つの権利(団結権・団体交渉権・団体行動権)をまとめて 労働三権(ろうどう さんけん) と言う。 [[カテゴリ:人権]]
null
2023-01-27T06:44:56Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%8F%82%E8%80%83%E6%9B%B8/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E3%81%AE%E5%B0%8A%E9%87%8D
19,558
高校受験参考書/社会 公民/内閣
内閣(ないかく、英:cabinet キャビネット)は、日本の行政権を担当する合議制の機関。内閣は、内閣総理大臣と国務大臣とで構成される。 法律に基づき、実際に国の政治を行うことを行政(ぎょうせい、英:public administration)という。専門の行政機関が行政を行う。この行政機関を指揮・監督するのが内閣(ないかく)の仕事である。そして、内閣の最高責任者が内閣総理大臣(ないかく そうりだいじん)である。内閣総理大臣は首相(しゅしょう、英:prime minister プライム・ミニスター)とも呼ばれる。 国会議員(こっかい ぎいん,英:Member of Parliament 、略:MP)の中から国会(こっかい、英:Diet ダイエット)が指名した人物を天皇が任命する。 通常は、衆議院で多数を占める政党( 与党(よとう) )の党首が首相に指名される。 国務大臣の職には、財務大臣や文部科学大臣などのような各省庁の長が多い。 国務大臣には、内閣総理大臣が任命したものを天皇が承認する。 ただし国務大臣の過半数は国会議員でなければならない。国務大臣の数は17人以内である。内閣法(ないかくほう)第2条第2項により「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる。」 国務大臣のことを「~~大臣」、もしくは「~~相(しょう)」と呼ぶ。 内閣総理大臣と全ての国務大臣が参加する閣議を開き、全会一致(ぜんかい いっち)で決定・実行に移す。 憲法第73条、79条、3条、7条参照 1. 国会に提出するための法律案や予算案を作成する(憲法第73条第5項) 2. 国会で決められた法律を執行する。またそのために必要であれば政令を制定する。(憲法第73条第1、6項) 3. 国家公務員の任用、免職などの事務を行う(憲法第73条第4項) 4. 外国との条約の締結(ていけつ)や外交関係の処理。(承認は国会)(憲法第73条第3項) 5. 天皇の国事行為(こくじ こうい)に対する助言と承認(憲法3条、7条) 6. 最高裁判所長官の指名(任命は天皇)(憲法79条) 7. 刑罰が課せられている人に対する恩赦(おんしゃ)の決定(憲法第73条第9項) 内閣総理大臣は国会議員の中から選ばれる。(憲法第67条) また国務大臣の過半数は国会議員であることが定められている。(第68条) このように、内閣が国会の信任に基づいて成立し、内閣が国会に対して連帯して責任を負う仕組みを議院内閣制(ぎいん ないかくせい、 parliamentary cabinet system)という。 衆議院が内閣を信頼できない場合は、衆議院は内閣不信任案(ないかく ふしんにんあん、英:Motion of no confidence)を提出できる。(第69条) 衆議院が内閣不信任案を決議した場合、内閣は10日以内に、衆議院を解散するか、内閣を総辞職しなければならない。 衆議院の解散 「国民に信を問おうじゃありませんか」とは衆議院解散および総選挙を行うことをさす。 内閣総辞職 日本では内閣と国会の関係は「議院優位の内閣制度」である。 各省庁の行政を実際に行こなっているのは、公務員です。公務員(こうむいん、英:public servan または civil servant)は国民のために働くことが憲法で義務づけられています。(憲法第15条 第2項) 公務員になる人の選び方は、なりたい人の中から、試験を行い、試験の合格者が公務員につけます。(公務員試験) 公務員の選び方には選挙はありません。 公務員は働く場所により、大きく2つに分けられる。 国家公務員(こっか こうむいん): 国の機関で働く公務員。 地方公務員(ちほう こうむいん): 地方公共団体で働く公務員。 実際の業務は、高度で専門的なため、国会議員がその実態を知るのは難しい。 これを良い事にして、公務員が役所のためだけに働いたり、政治家、記者、企業と結びついたりすることがあると考えられ、批判の対象になっている。(鉄のトライアングル、原子力ムラ、官僚主義(官僚政治)などはこの類をさす)。 行政の仕事(行政権)が、国会・裁判所(他の三権)に比べて多くなっている事を言う。 仕事の増大にともない各省庁の権限も強化され、メディアなどからは既得権益(きとく けんえき)だという批判もある。 これは法律の作成が実際には各省庁で行われていたり、法律に基づき細かなことを定める政令・省令・通達・規則が増えていることなどが影響している。 仕事が増えれば増えるほど、費用がかさみ、国民の税負担が増す。 こういった問題点に対し省庁再編(2001年~)、規制緩和、独立行政法人に仕事を移す、民間委託(官から民へ)などを行なった。 日本の議院内閣制は、イギリスの制度にならったものである。 いっぽうアメリカ合衆国では行政の最高責任書の選挙は議会によらず、事実上は国民によって直接に選ばれる大統領(だいとうりょう、英:President プレジデント)が行政の長になる。(実際はアメリカ国民が大統領選挙人(英:the Electoral College ジ・エレクトラル・カリージ)を選ぶ。この選挙人は議会とは異なる。) アメリカの場合、議会には大統領の不信任決議権が無く、また大統領にも議会の解散権が無い。このように議会と大統領が独立している。 アメリカでは、法律の立法は、議会だけが立法権を持ち、大統領には立法権は無い。大統領には、議会が提案した法案への法案拒否権(ほうあんきょひけん)がある。大統領は議会には議席を持たない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "内閣(ないかく、英:cabinet キャビネット)は、日本の行政権を担当する合議制の機関。内閣は、内閣総理大臣と国務大臣とで構成される。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "法律に基づき、実際に国の政治を行うことを行政(ぎょうせい、英:public administration)という。専門の行政機関が行政を行う。この行政機関を指揮・監督するのが内閣(ないかく)の仕事である。そして、内閣の最高責任者が内閣総理大臣(ないかく そうりだいじん)である。内閣総理大臣は首相(しゅしょう、英:prime minister プライム・ミニスター)とも呼ばれる。", "title": "内閣" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "国会議員(こっかい ぎいん,英:Member of Parliament 、略:MP)の中から国会(こっかい、英:Diet ダイエット)が指名した人物を天皇が任命する。 通常は、衆議院で多数を占める政党( 与党(よとう) )の党首が首相に指名される。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "国務大臣の職には、財務大臣や文部科学大臣などのような各省庁の長が多い。 国務大臣には、内閣総理大臣が任命したものを天皇が承認する。 ただし国務大臣の過半数は国会議員でなければならない。国務大臣の数は17人以内である。内閣法(ないかくほう)第2条第2項により「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる。」", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "国務大臣のことを「~~大臣」、もしくは「~~相(しょう)」と呼ぶ。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "内閣総理大臣と全ての国務大臣が参加する閣議を開き、全会一致(ぜんかい いっち)で決定・実行に移す。", "title": "仕事" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "憲法第73条、79条、3条、7条参照", "title": "仕事" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1. 国会に提出するための法律案や予算案を作成する(憲法第73条第5項) 2. 国会で決められた法律を執行する。またそのために必要であれば政令を制定する。(憲法第73条第1、6項)", "title": "仕事" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "3. 国家公務員の任用、免職などの事務を行う(憲法第73条第4項) 4. 外国との条約の締結(ていけつ)や外交関係の処理。(承認は国会)(憲法第73条第3項) 5. 天皇の国事行為(こくじ こうい)に対する助言と承認(憲法3条、7条)", "title": "仕事" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "6. 最高裁判所長官の指名(任命は天皇)(憲法79条) 7. 刑罰が課せられている人に対する恩赦(おんしゃ)の決定(憲法第73条第9項)", "title": "仕事" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "内閣総理大臣は国会議員の中から選ばれる。(憲法第67条) また国務大臣の過半数は国会議員であることが定められている。(第68条)", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "このように、内閣が国会の信任に基づいて成立し、内閣が国会に対して連帯して責任を負う仕組みを議院内閣制(ぎいん ないかくせい、 parliamentary cabinet system)という。", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "衆議院が内閣を信頼できない場合は、衆議院は内閣不信任案(ないかく ふしんにんあん、英:Motion of no confidence)を提出できる。(第69条) 衆議院が内閣不信任案を決議した場合、内閣は10日以内に、衆議院を解散するか、内閣を総辞職しなければならない。", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "衆議院の解散", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "「国民に信を問おうじゃありませんか」とは衆議院解散および総選挙を行うことをさす。", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "内閣総辞職", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "日本では内閣と国会の関係は「議院優位の内閣制度」である。", "title": "国会との関係" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "各省庁の行政を実際に行こなっているのは、公務員です。公務員(こうむいん、英:public servan または civil servant)は国民のために働くことが憲法で義務づけられています。(憲法第15条 第2項)", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "公務員になる人の選び方は、なりたい人の中から、試験を行い、試験の合格者が公務員につけます。(公務員試験) 公務員の選び方には選挙はありません。", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "公務員は働く場所により、大きく2つに分けられる。", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "国家公務員(こっか こうむいん): 国の機関で働く公務員。", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "地方公務員(ちほう こうむいん): 地方公共団体で働く公務員。", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "実際の業務は、高度で専門的なため、国会議員がその実態を知るのは難しい。 これを良い事にして、公務員が役所のためだけに働いたり、政治家、記者、企業と結びついたりすることがあると考えられ、批判の対象になっている。(鉄のトライアングル、原子力ムラ、官僚主義(官僚政治)などはこの類をさす)。", "title": "公務員" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "行政の仕事(行政権)が、国会・裁判所(他の三権)に比べて多くなっている事を言う。 仕事の増大にともない各省庁の権限も強化され、メディアなどからは既得権益(きとく けんえき)だという批判もある。 これは法律の作成が実際には各省庁で行われていたり、法律に基づき細かなことを定める政令・省令・通達・規則が増えていることなどが影響している。 仕事が増えれば増えるほど、費用がかさみ、国民の税負担が増す。", "title": "行政権の肥大化" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "こういった問題点に対し省庁再編(2001年~)、規制緩和、独立行政法人に仕事を移す、民間委託(官から民へ)などを行なった。", "title": "行政権の肥大化" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "日本の議院内閣制は、イギリスの制度にならったものである。", "title": "外国での議院内閣制および大統領制" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "いっぽうアメリカ合衆国では行政の最高責任書の選挙は議会によらず、事実上は国民によって直接に選ばれる大統領(だいとうりょう、英:President プレジデント)が行政の長になる。(実際はアメリカ国民が大統領選挙人(英:the Electoral College ジ・エレクトラル・カリージ)を選ぶ。この選挙人は議会とは異なる。)", "title": "外国での議院内閣制および大統領制" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "アメリカの場合、議会には大統領の不信任決議権が無く、また大統領にも議会の解散権が無い。このように議会と大統領が独立している。 アメリカでは、法律の立法は、議会だけが立法権を持ち、大統領には立法権は無い。大統領には、議会が提案した法案への法案拒否権(ほうあんきょひけん)がある。大統領は議会には議席を持たない。", "title": "外国での議院内閣制および大統領制" } ]
内閣は、日本の行政権を担当する合議制の機関。内閣は、内閣総理大臣と国務大臣とで構成される。
[[File:Soridaijinkantei2.jpg|thumb|400px|内閣総理大臣の執務(しつむ)の中心である総理大臣官邸(そうりだいじん かんてい)]] 内閣(ないかく、英:cabinet キャビネット)は、日本の行政権を担当する合議制の機関。内閣は、内閣総理大臣と国務大臣とで構成される。 == 内閣 == 法律に基づき、実際に国の政治を行うことを'''行政'''(ぎょうせい、英:public administration)という。専門の行政機関が行政を行う。この行政機関を指揮・監督するのが'''内閣'''(ないかく)の仕事である。そして、内閣の最高責任者が'''内閣総理大臣'''(ないかく そうりだいじん)である。内閣総理大臣は'''首相'''(しゅしょう、英:prime minister プライム・ミニスター)とも呼ばれる。 {| class="wikitable" |- ! 憲法第六十五条 |- | 行政権は、内閣に属する。 |} {| class="wikitable" |- ! 憲法第六十六条 |- | 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。<br /> 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。<br /> 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。 |} == 構成 == === 内閣総理大臣(首相) === '''国会議員'''(こっかい ぎいん,英:Member of Parliament 、略:MP)の中から'''国会'''(こっかい、英:Diet ダイエット)が'''指名'''した人物を天皇が任命する。 通常は、衆議院で多数を占める政党( 与党(よとう) )の党首が首相に指名される。 === 国務大臣 === 国務大臣の職には、財務大臣や文部科学大臣などのような各省庁の長が多い。 国務大臣には、'''内閣総理大臣が任命'''したものを天皇が承認する。 ただし国務大臣の過半数は国会議員でなければならない。国務大臣の数は17人以内である。内閣法(ないかくほう)第2条第2項により「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる。」 {| class="wikitable" |- ! 憲法第六十七条 |- | #內閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行う。<br /> #衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会九回中の期間を除いて十日以内に、參議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。 |} 国務大臣のことを「~~大臣」、もしくは「~~相(しょう)」と呼ぶ。 :例.)  「岸田外相」(きしだ がいしょう)、外務大臣の名前が岸田という名の場合。 == 仕事 == 内閣総理大臣と全ての国務大臣が参加する閣議を開き、全会一致(ぜんかい いっち)で決定・実行に移す。 :*閣議(かくぎ): 内閣全体の意思を統一させ、政治の方針を決める非公開の会議。 === 内閣総理大臣の仕事  === # 閣議(かくぎ)を主催(中心となってまとめる)する。 # 内閣を代表して、国会に法律案や予算案を提出する。 # 国の一般行政や外交について、国会に報告する。 # 行政の各部門(内閣府・省等)を指揮・監督する。 # 国務大臣の任命と罷免。 # NHK経営委員の任命。(承認は国会) 放送法 第31条 {| class="wikitable" |- ! 憲法第七十三条 |- | 內閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行う。<br /> :一 法律を誠実に執行(しっこう)し、国務を総理すること。<br /> :二 外交関係を処理すること。<br /> :三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜(じぎ)によつては事後に、国会の承認を経る(へる)ことを必要とする。<br /> :四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。<br /> :五 予算を作成して国会に提出すること。<br /> :六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。<br /> :七 大赦(たいしゃ)、特赦(とくしゃ)、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。 |} {| class="wikitable" |- ! [http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html#1000000000003000000003000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 放送法第三十一条第2項] |- | 委員の任期が満了し、又は欠員を生じた場合において、国会の閉会又は衆議院の解散のため、両議院の同意を得ることができないときは、内閣総理大臣は、前項の規定にかかわらず、両議院の同意を得ないで委員を任命することができる。この場合においては、任命後最初の国会において、両議院の同意を得なければならない。 |} === 内閣全体としての仕事 === 憲法第73条、79条、3条、7条参照 1. '''国会'''に提出するための法律案や予算案を作成する(憲法第73条第5項)<br /> 2. 国会で決められた法律を執行する。またそのために必要であれば'''政令'''を制定する。(憲法第73条第1、6項)<br /> :[[w:政令|政令]](せいれい) :憲法・法律を実施するために内閣が出せる命令のこと。<br /> 3. '''国家公務員'''の任用、免職などの事務を行う(憲法第73条第4項)<br /> 4. '''外国'''との'''条約'''の'''締結'''(ていけつ)や外交関係の処理。(承認は国会)(憲法第73条第3項)<br /> 5. '''天皇の国事行為'''(こくじ こうい)に対する助言と承認(憲法3条、7条)<br /> :[[w:国事行為|国事行為]](こくじ こうい) :既に国会などで決定したことを天皇が国民に示す儀式。<br /> 6. '''最高裁判所長官'''の指名(任命は天皇)(憲法79条)<br /> 7. 刑罰が課せられている人に対する恩赦(おんしゃ)の決定(憲法第73条第9項)<br /> :[[w:恩赦|恩赦]](おんしゃ) :国家が国家的な祝賀(しゅくが)に際して特別に刑罰を減免する制度。減刑や刑の執行の免除など<br /> {| class="wikitable" |- ! 憲法第三条 |- | 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 |} {| class="wikitable" |- ! 憲法第七条 |- | 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。<br /> :一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布(こうふ)すること。<br /> :二 国会を召集すること。<br /> :三 衆議院を解散すること。<br /> :四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。<br /> :五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。<br /> :六 大赦(たいしゃ)、特赦(とくしゃ)、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。<br /> :七 栄典を授与(じゅよ)すること。<br /> :八 批准書(ひじゅんしょ)及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。<br /> :九 外国の大使及び公使を接受(せつじゅ)すること。<br /> :十 儀式を行ふこと <br /> |} == 国会との関係 == 内閣総理大臣は国会議員の中から選ばれる。(憲法第67条)  また国務大臣の過半数は国会議員であることが定められている。(第68条) このように、内閣が国会の信任に基づいて成立し、内閣が国会に対して連帯して責任を負う仕組みを'''議院内閣制'''(ぎいん ないかくせい、 parliamentary cabinet system)という。 衆議院が内閣を信頼できない場合は、衆議院は'''内閣不信任案'''(ないかく ふしんにんあん、英:Motion of no confidence)を提出できる。(第69条) 衆議院が内閣不信任案を決議した場合、内閣は10日以内に、衆議院を解散するか、内閣を総辞職しなければならない。 '''衆議院の解散'''<br /> :すべての衆議院議員の議員としての地位を、任期満了前に失わせる。'''総選挙を行うため'''にやる。 「国民に信を問おうじゃありませんか」とは衆議院解散および総選挙を行うことをさす。 '''内閣総辞職'''<br /> :内閣の全国務大臣が全員いっせいに辞職することを内閣総辞職(ないかく そうじしょく、英:general resignation of Cabinet など)という。 日本では内閣と国会の関係は「'''議院優位'''の内閣制度」である。 == 日本の主な省庁 == * 省庁 [[File:省庁図.png|thumb|日本の省庁の関係図簡略版]] :・ 法務省(ほうむしょう、Ministry of Justice ) :: 民法や刑法などの一般の法律を運用するための制度を作っている。なお、教育に関する法律や制度は文部科学省が担当(たんとう)している。医療に関する法律は厚生労働省が担当している。税金に関する法律や制度などは財務省が担当している。このように、法律によっては、他の省庁が担当するので、法務省では、それら他省の管理する法律・制度以外の一般の法律を担当している。 :・ 外務省(がいむ しょう、Ministry of Foreign Affairs ) ::外国との外交のしごとをしています。 :・ 厚生労働省(こうせい ろうどうしょう、Ministry of Health, Labour and Welfare ) ::おもに、医療(いりょう)や、国民の健康にかんする仕事をしています。失業問題などの労働問題も、この省であつかっています。 ::病院の医師は、厚生労働省の職員では無い。 :・ 文部科学省(もんぶかがくしょう、Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology ) ::おもに学校教育に関する制度を作ったり仕事をしています。 ::小学校など学校の教員は、文部科学省の職員では、無い。教育委員会も、文部科学省とは別の組織である。文部科学省は教育委員会などを通して学校を監督する立場にある。 :・ 財務省(ざいむ しょう、Ministry of Finance ) ::国の予算や決算をつくる省です。税金をあつめる税務署は、財務省が管理しています。 :・ 農林水産省(のうりんすいさんしょう、Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries ) ::農業や漁業に関する制度をつくったり、振興したりするなどの仕事をしています。 ::じっさいに農業を行うのは、農家であり、農林水産省の職員では無い。 :・ 経済産業省(けいざいさんぎょうしょう、Ministry of Economy, Trade and Industry ) ::商業や工業の振興や、貿易に必要な制度をつくったりしています。 :・ 国土交通省(こくどこうつうしょう、Ministry of Land, Infrastructure and Transport ) ::交通機関を管理しています。 ::実際に土木工事などの作業をおこなうのは民間企業であり、国土交通省の職員では無い。たとえば国道などの道路工事なら、管理をしているのは国土交通省かもしれないが、じっさいに建設機械などを用いて工事をするのは民間の工事会社であるのが普通である。 :・ 防衛省(ぼうえいしょう、Ministry of Defense ) ::自衛隊(じえいたい)を管理しています。 ::自衛隊員は、防衛省の職員では、無い。 :・ 総務省(そうむしょう、Ministry of Internal Affairs and Communications  ) ::地方自治に関する仕事や、消防・防災などの仕事をしています。放送や通信に関する制度をつくる仕事もしています。選挙の事務もしている。消防署の消防隊員は、総務省の職員では無い。 :・ 環境省(かんきょうしょう、 Ministry of the Environment ) ::環境保護などの仕事をしています。 :・ 内閣府(ないかくふ、Cabinet Office ) ::内閣の重要政策に関する内閣の事務を助ける。 == 公務員 == 各省庁の行政を実際に行こなっているのは、公務員です。公務員(こうむいん、英:public servan または civil servant)は国民のために働くことが憲法で義務づけられています。(憲法第15条 第2項) 公務員になる人の選び方は、なりたい人の中から、試験を行い、試験の合格者が公務員につけます。(公務員試験)  公務員の選び方には選挙はありません。 公務員は働く場所により、大きく2つに分けられる。 国家公務員(こっか こうむいん): 国の機関で働く公務員。 地方公務員(ちほう こうむいん): 地方公共団体で働く公務員。 {| class="wikitable" |- ! 憲法第十五条 |- | # 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。<br /> # すべて公務員は、全体の奉仕者(ほうししゃ)であつて、一部の奉仕者ではない。<br /> # 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。<br /> # すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。 |} 実際の業務は、高度で専門的なため、国会議員がその実態を知るのは難しい。 これを良い事にして、公務員が役所のためだけに働いたり、政治家、記者、企業と結びついたりすることがあると考えられ、批判の対象になっている。([[w:鉄のトライアングル|鉄のトライアングル]]、[[w:原子力ムラ|原子力ムラ]]、[[w:官僚主義#.E3.83.9E.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.B3.E3.81.AB.E3.82.88.E3.81.A3.E3.81.A6.E6.98.8E.E3.82.89.E3.81.8B.E3.81.AB.E3.81.95.E3.82.8C.E3.81.9F.E5.AE.98.E5.83.9A.E5.88.B6.E3.81.AE.E9.80.86.E6.A9.9F.E8.83.BD|官僚主義]](官僚政治)などはこの類をさす)。 == 行政権の肥大化 == 行政の仕事(行政権)が、国会・裁判所(他の三権)に比べて多くなっている事を言う。 仕事の増大にともない各省庁の権限も強化され、メディアなどからは既得権益(きとく けんえき)だという批判もある。 これは法律の作成が実際には各省庁で行われていたり、法律に基づき細かなことを定める政令・省令・通達・規則が増えていることなどが影響している。 仕事が増えれば増えるほど、費用がかさみ、国民の税負担が増す。 === 行政改革 === こういった問題点に対し省庁再編(2001年~)、規制緩和、独立行政法人に仕事を移す、民間委託(官から民へ)などを行なった。 == 外国での議院内閣制および大統領制 == 日本の議院内閣制は、イギリスの制度にならったものである。 いっぽうアメリカ合衆国では行政の最高責任書の選挙は議会によらず、事実上は国民によって直接に選ばれる大統領(だいとうりょう、英:President プレジデント)が行政の長になる。(実際はアメリカ国民が大統領選挙人(英:the Electoral College ジ・エレクトラル・カリージ)を選ぶ。この選挙人は議会とは異なる。) アメリカの場合、議会には大統領の不信任決議権が無く、また大統領にも議会の解散権が無い。このように議会と大統領が独立している。 アメリカでは、法律の立法は、議会だけが立法権を持ち、大統領には立法権は無い。大統領には、議会が提案した法案への法案拒否権(ほうあんきょひけん)がある。大統領は議会には議席を持たない。 :(※ 高校の教育事情: )高校の科目『公共』だったか『政治経済』だったか忘れたが、高校の検定教科書にてアメリカの議会制度の説明で「President」という英語が使われていたことを教科書会社の公式サイトで確認した。どうやら将来的に簡単な英語は公民科目あたりでも紹介される可能性あり。(なお、すでに理科では、どの出版社のものでも用語の簡単な英語を紹介している。) [[カテゴリ:内閣]]
null
2022-12-02T13:18:12Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%8F%97%E9%A8%93%E5%8F%82%E8%80%83%E6%9B%B8/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E5%86%85%E9%96%A3
19,560
法人税法第52条
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第52条(前)(次) (貸倒引当金)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第52条(前)(次)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(貸倒引当金)", "title": "条文" } ]
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第52条(前)(次)
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール法人税法]] [[法人税法第52条]]([[法人税法第51条|前]])([[法人税法第53条|次]]) == 条文 == (貸倒引当金) ;第52条   #次に掲げる内国法人が、その有する金銭債権のうち、更生計画認可の決定に基づいて弁済を猶予され、又は賦払により弁済されることその他の政令で定める事実が生じていることによりその一部につき貸倒れその他これに類する事由による損失が見込まれるもの(当該金銭債権に係る債務者に対する他の金銭債権がある場合には、当該他の金銭債権を含む。以下この条において「個別評価金銭債権」という。)のその損失の見込額として、各事業年度(被合併法人の適格合併に該当しない合併の日の前日の属する事業年度及び残余財産の確定(その残余財産の分配が適格現物分配に該当しないものに限る。次項において同じ。)の日の属する事業年度を除く。)において損金経理により貸倒引当金勘定に繰り入れた金額については、当該繰り入れた金額のうち、当該事業年度終了の時において当該個別評価金銭債権の取立て又は弁済の見込みがないと認められる部分の金額を基礎として政令で定めるところにより計算した金額(第5項において「個別貸倒引当金繰入限度額」という。)に達するまでの金額は、当該事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #:一 当該事業年度終了の時において次に掲げる法人に該当する内国法人(当該内国法人が連結子法人である場合には、当該事業年度終了の時において当該内国法人に係る連結親法人が次に掲げる法人に該当する場合における当該内国法人に限る。) #::イ 普通法人のうち、資本金の額若しくは出資金の額が1億円以下であるもの(第66条第6項第2号又は第3号(各事業年度の所得に対する法人税の税率)に掲げる法人に該当するものを除く。)又は資本若しくは出資を有しないもの #::ロ 公益法人等又は協同組合等 #::ハ 人格のない社団等 #:二 次に掲げる内国法人 #::イ 銀行法(昭和56年法律第59号)第2条第1項(定義等)に規定する銀行 #::ロ 保険業法(平成7年法律第105号)第2条第2項(定義)に規定する保険会社 #::ハ イ又はロに掲げるものに準ずるものとして政令で定める内国法人 #:三 第64条の2第1項(リース取引に係る所得の金額の計算)の規定により売買があつたものとされる同項に規定するリース資産の対価の額に係る金銭債権を有する内国法人その他の金融に関する取引に係る金銭債権を有する内国法人として政令で定める内国法人(前2号に掲げる内国法人を除く。) #前項各号に掲げる内国法人が、その有する売掛金、貸付金その他これらに準ずる金銭債権(個別評価金銭債権を除く。以下この条において「一括評価金銭債権」という。)の貸倒れによる損失の見込額として、各事業年度(被合併法人の適格合併に該当しない合併の日の前日の属する事業年度及び残余財産の確定の日の属する事業年度を除く。)において損金経理により貸倒引当金勘定に繰り入れた金額については、当該繰り入れた金額のうち、当該事業年度終了の時において有する一括評価金銭債権の額及び最近における売掛金、貸付金その他これらに準ずる金銭債権の貸倒れによる損失の額を基礎として政令で定めるところにより計算した金額(第6項において「一括貸倒引当金繰入限度額」という。)に達するまでの金額は、当該事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #前2項の規定は、確定申告書にこれらの規定に規定する貸倒引当金勘定に総り入れた金額の損金算入に関する明細の記載がある場合に限り、適用する。 #税務署長は、前項の記載がない確定申告書の提出があつた場合においても、その記載がなかつたことについてやむを得ない事情があると認めるときは、第1項及び第2項の規定を適用することができる。 #内国法人が、適格分割、適格現物出資又は適格現物分配(適格現物分配にあつては、残余財産の全部の分配を除く。以下この条において「適格分割等」という。)により分割承継法人、被現物出資法人又は被現物分配法人に個別評価金銭債権を移転する場合(当該適格分割等の直前の時を事業年度終了の時とした場合に当該内国法人が第1項各号に掲げる法人に該当する場合に限る。)において、当該個別評価金銭債権について第1項の貸倒引当金勘定に相当するもの(以下この条において「期中個別貸倒引当金勘定」という。)を設けたときは、その設けた期中個別貸倒引当金勘定の金額に相当する金額のうち、当該個別評価金銭債権につき当該適格分割等の直前の時を事業年度終了の時とした場合に同項の規定により計算される個別貸倒引当金繰入限度額に相当する金額に達するまでの金額は、当該適格分割等の日の属する事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #内国法人が、適格分割等により分割承継法人、被現物出資法人又は被現物分配法人に一括評価金銭債権を移転する場合(当該適格分割等の直前の時を事業年度終了の時とした場合に当該内国法人が第1項各号に掲げる法人に該当する場合に限る。)において、当該一括評価金銭債権について第2項の貸倒引当金勘定に相当するもの(以下この条において「期中一括貸倒引当金勘定」という。)を設けたときは、その設けた期中一括貸倒引当金勘定の金額に相当する金額のうち、当該一括評価金銭債権につき当該適格分割等の直前の時を事業年度終了の時とした場合に同項の規定により計算される一括貸倒引当金繰入限度額に相当する金額に達するまでの金額は、当該適格分割等の日の属する事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #前2項の規定は、これらの規定に規定する内国法人が適格分割等の日以後2月以内に期中個別貸倒引当金勘定の金額又は期中一括貸倒引当金勘定の金額に相当する金額その他の財務省令で定める事項を記載した書類を納税地の所轄税務署長に提出した場合に限り、適用する。 #内国法人が、適格合併、適格分割、適格現物出資又は適格現物分配(以下この項及び第11項において「適格組織再編成」という。)を行つた場合には、次の各号に掲げる適格組織再編成の区分に応じ、当該各号に定める貸倒引当金勘定の金額又は期中個別貸倒引当金勘定の金額若しくは期中一括貸倒引当金勘定の金額は、当該適格組織再編成に係る合併法人、分割承継法人、被現物出資法人又は被現物分配法人(第11項において「合併法人等」という。)に引き継ぐものとする。 #:一 適格合併又は適格現物分配(残余財産の全部の分配に限る。) 第1項又は第2項の規定により当該適格合併の日の前日又は当該残余財産の確定の日の属する事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入されたこれらの規定に規定する貸倒引当金勘定の金額 #:二 適格分割等 第5項又は第6項の規定により当該適格分割等の日の属する事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入された期中個別貸倒引当金勘定の金額又は期中一括貸倒引当金勘定の金額 #第1項、第2項、第5項及び第6項の規定の適用については、個別評価金銭債権及び一括評価金銭債権には、次に掲げる金銭債権を含まないものとする。 #:一 第1項第3号に掲げる内国法人(第5項又は第6項の規定を適用する場合にあつては、適格分割等の直前の時を事業年度終了の時とした場合に同号に掲げる内国法人に該当するもの)が有する金銭債権のうち当該内国法人の区分に応じ政令で定める金銭債権以外のもの #:二 内国法人が当該内国法人との間に連結完全支配関係がある連結法人に対して有する金銭債権 #第1項又は第2項の規定により各事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入されたこれらの規定に規定する貸倒引当金勘定の金額は、当該事業年度の翌事業年度の所得の金額の計算上、益金の額に算入する。 #第8項の規定により合併法人等が引継ぎを受けた貸倒引当金勘定の金額又は期中個別貸倒引当金勘定の金額若しくは期中一括貸倒引当金勘定の金額は、当該合併法人等の適格組織再編成の日の属する事業年度の所得の金額の計算上、益金の額に算入する。 #第10条の3第1項(課税所得の範囲の変更等の場合のこの法律の適用)に規定する特定普通法人が公益法人等に該当することとなる場合の当該特定普通法人のその該当することとなる日の前日の属する事業年度については、第1項及び第2項の規定は、適用しない。 #第3項、第4項及び第7項に定めるもののほか、第1項、第2項、第5項、第6項及び第8項から前項までの規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 {{stub}} [[category:法人税法|52]]
null
2014-10-23T05:58:41Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A8%8E%E6%B3%95%E7%AC%AC52%E6%9D%A1
19,563
会社計算規則第77条
法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則 (たな卸資産及び工事損失引当金の表示) 同一の工事契約に係るたな卸資産及び工事損失引当金がある場合には、両者を相殺した差額をたな卸資産又は工事損失引当金として流動資産又は流動負債に表示することができる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(たな卸資産及び工事損失引当金の表示)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "同一の工事契約に係るたな卸資産及び工事損失引当金がある場合には、両者を相殺した差額をたな卸資産又は工事損失引当金として流動資産又は流動負債に表示することができる。", "title": "条文" } ]
法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則
[[法学]]>[[民事法]]>[[商法]]>[[会社法]]([[コンメンタール会社法]])>[[会社計算規則]] ==条文== (たな卸資産及び工事損失引当金の表示) ;第七十七条   同一の工事契約に係るたな卸資産及び工事損失引当金がある場合には、両者を相殺した差額をたな卸資産又は工事損失引当金として流動資産又は流動負債に表示することができる。 [[Category:会社法|77]]
null
2015-09-11T06:58:35Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E8%A8%88%E7%AE%97%E8%A6%8F%E5%89%87%E7%AC%AC77%E6%9D%A1
19,564
会社計算規則第3条
法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則 (会計慣行のしん酌) この省令の用語の解釈及び規定の適用に関しては、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌しなければならない。 資産および負債の評価は、会社計算規則第5条および第6条にその評価方法が規定されています。しかし、これらは通則的な規定であり、具体的な会計処理については、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌することになります。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(会計慣行のしん酌)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "この省令の用語の解釈及び規定の適用に関しては、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌しなければならない。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "資産および負債の評価は、会社計算規則第5条および第6条にその評価方法が規定されています。しかし、これらは通則的な規定であり、具体的な会計処理については、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌することになります。", "title": "解説" } ]
法学>民事法>商法>会社法(コンメンタール会社法)>会社計算規則
[[法学]]>[[民事法]]>[[商法]]>[[会社法]]([[コンメンタール会社法]])>[[会社計算規則]] ==条文== (会計慣行のしん酌) ;第三条   この省令の用語の解釈及び規定の適用に関しては、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌しなければならない。 ==解説== 資産および負債の評価は、[[会社計算規則第5条]]および[[会社計算規則第6条|第6条]]にその評価方法が規定されています。しかし、これらは通則的な規定であり、具体的な会計処理については、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準その他の企業会計の慣行をしん酌することになります。 [[カテゴリ:会社計算規則|3]]
null
2022-11-25T10:34:28Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E8%A8%88%E7%AE%97%E8%A6%8F%E5%89%87%E7%AC%AC3%E6%9D%A1
19,566
法人税法第25条
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第25条(前)(次) (資産の評価益の益金不算入等)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第25条(前)(次)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(資産の評価益の益金不算入等)", "title": "条文" } ]
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第25条(前)(次)
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール法人税法]] [[法人税法第25条]]([[法人税法第24条|前]])([[法人税法第26条|次]]) ==条文== (資産の評価益の益金不算入等) ;第25条   #内国法人がその有する資産の評価換えをしてその帳簿価額を増額した場合には、その増額した部分の金額は、その内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上、益金の額に算入しない。 #内国法人がその有する資産につき更生計画認可の決定があつたことにより会社更生法 (平成十四年法律第百五十四号)又は金融機関等の更生手続の特例等に関する法律 (平成八年法律第九十五号)の規定に従つて行う評価換えその他政令で定める評価換えをしてその帳簿価額を増額した場合には、その増額した部分の金額は、前項の規定にかかわらず、これらの評価換えをした日の属する事業年度の所得の金額の計算上、益金の額に算入する。 #内国法人について再生計画認可の決定があつたことその他これに準ずる政令で定める事実が生じた場合において、その内国法人がその有する資産の価額につき政令で定める評定を行つているときは、その資産(評価益の計上に適しないものとして政令で定めるものを除く。)の評価益の額として政令で定める金額は、第一項の規定にかかわらず、これらの事実が生じた日の属する事業年度の所得の金額の計算上、益金の額に算入する。 #第一項の規定の適用があつた場合において、同項の評価換えにより増額された金額を益金の額に算入されなかつた資産については、その評価換えをした日の属する事業年度以後の各事業年度の所得の金額の計算上、当該資産の帳簿価額は、その増額がされなかつたものとみなす。 #第三項の規定は、確定申告書に同項に規定する評価益の額として政令で定める金額の益金算入に関する明細(次項において「評価益明細」という。)の記載があり、かつ、財務省令で定める書類(次項において「評価益関係書類」という。)の添付がある場合(第三十三条第四項(資産の評価損の損金不算入等)に規定する資産につき同項に規定する評価損の額として政令で定める金額がある場合(次項において「評価損がある場合」という。)には、同条第七項に規定する評価損明細(次項において「評価損明細」という。)の記載及び同条第七項に規定する評価損関係書類(次項において「評価損関係書類」という。)の添付がある場合に限る。)に限り、適用する。 #税務署長は、評価益明細(評価損がある場合には、評価益明細又は評価損明細)の記載又は評価益関係書類(評価損がある場合には、評価益関係書類又は評価損関係書類)の添付がない確定申告書の提出があつた場合においても、当該記載又は当該添付がなかつたことについてやむを得ない事情があると認めるときは、第三項の規定を適用することができる。 #前三項に定めるもののほか、第一項から第三項までの規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 ==解説== ==参照条文== ==判例== {{stub}} [[category:法人税法|25]]
null
2014-10-24T06:49:32Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A8%8E%E6%B3%95%E7%AC%AC25%E6%9D%A1
19,567
法人税法第33条
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第33条(前)(次) (資産の評価損の損金不算入等)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第33条(前)(次)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(資産の評価損の損金不算入等)", "title": "条文" } ]
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第33条(前)(次)
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール法人税法]] [[法人税法第33条]]([[法人税法第32条|前]])([[法人税法第34条|次]]) ==条文== (資産の評価損の損金不算入等) ;第33条 #内国法人がその有する資産の評価換えをしてその帳簿価額を減額した場合には、その減額した部分の金額は、その内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入しない。 #内国法人の有する資産につき、災害による著しい損傷により当該資産の価額がその帳簿価額を下回ることとなつたことその他の政令で定める事実が生じた場合において、その内国法人が当該資産の評価換えをして損金経理によりその帳簿価額を減額したときは、その減額した部分の金額のうち、その評価換えの直前の当該資産の帳簿価額とその評価換えをした日の属する事業年度終了の時における当該資産の価額との差額に達するまでの金額は、前項の規定にかかわらず、その評価換えをした日の属する事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #内国法人がその有する資産につき更生計画認可の決定があつたことにより会社更生法 又は金融機関等の更生手続の特例等に関する法律 の規定に従つて行う評価換えをしてその帳簿価額を減額した場合には、その減額した部分の金額は、第一項の規定にかかわらず、その評価換えをした日の属する事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #内国法人について再生計画認可の決定があつたことその他これに準ずる政令で定める事実が生じた場合において、その内国法人がその有する資産の価額につき政令で定める評定を行つているときは、その資産(評価損の計上に適しないものとして政令で定めるものを除く。)の評価損の額として政令で定める金額は、第一項の規定にかかわらず、これらの事実が生じた日の属する事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。 #前三項の内国法人がこれらの内国法人との間に完全支配関係がある他の内国法人で政令で定めるものの株式又は出資を有する場合における当該株式又は出資については、これらの規定は、適用しない。 #第一項の規定の適用があつた場合において、同項の評価換えにより減額された金額を損金の額に算入されなかつた資産については、その評価換えをした日の属する事業年度以後の各事業年度の所得の金額の計算上、当該資産の帳簿価額は、その減額がされなかつたものとみなす。 #第四項の規定は、確定申告書に同項に規定する評価損の額として政令で定める金額の損金算入に関する明細(次項において「評価損明細」という。)の記載があり、かつ、財務省令で定める書類(次項において「評価損関係書類」という。)の添付がある場合(第二十五条第三項(資産の評価益の益金不算入等)に規定する資産につき同項に規定する評価益の額として政令で定める金額がある場合(次項において「評価益がある場合」という。)には、同条第五項に規定する評価益明細(次項において「評価益明細」という。)の記載及び同条第五項に規定する評価益関係書類(次項において「評価益関係書類」という。)の添付がある場合に限る。)に限り、適用する。 #税務署長は、評価損明細(評価益がある場合には、評価損明細又は評価益明細)の記載又は評価損関係書類(評価益がある場合には、評価損関係書類又は評価益関係書類)の添付がない確定申告書の提出があつた場合においても、当該記載又は当該添付がなかつたことについてやむを得ない事情があると認めるときは、第四項の規定を適用することができる。 #前三項に定めるもののほか、第一項から第五項までの規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 ==解説== ==参照条文== ==判例== {{stub}} [[category:法人税法|33]]
null
2014-10-24T07:04:10Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A8%8E%E6%B3%95%E7%AC%AC33%E6%9D%A1
19,571
法人税法第61条の3
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第61条の3(前)(次) (売買目的有価証券の評価益又は評価損の益金又は損金算入等)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第61条の3(前)(次)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(売買目的有価証券の評価益又は評価損の益金又は損金算入等)", "title": "条文" } ]
コンメンタール>コンメンタール法人税法 法人税法第61条の3(前)(次)
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール法人税法]] [[法人税法第61条の3]]([[法人税法第61条の2|前]])([[法人税法第61条の4|次]]) ==条文== (売買目的有価証券の評価益又は評価損の益金又は損金算入等) ;第61条の3   #内国法人が事業年度終了の時において有する有価証券については、次の各号に掲げる有価証券の区分に応じ当該各号に定める金額をもつて、その時における評価額とする。 #:一  売買目的有価証券(短期的な価格の変動を利用して利益を得る目的で取得した有価証券として政令で定めるものをいう。以下第三項までにおいて同じ。) 当該売買目的有価証券を時価法(事業年度終了の時において有する有価証券を銘柄の異なるごとに区別し、その銘柄の同じものについて、その時における価額として政令で定めるところにより計算した金額をもつて当該有価証券のその時における評価額とする方法をいう。)により評価した金額(次項において「時価評価金額」という。) #:二  売買目的外有価証券(売買目的有価証券以外の有価証券をいう。) 当該売買目的外有価証券を原価法(事業年度終了の時において有する有価証券(以下この号において「期末保有有価証券」という。)について、その時における帳簿価額(償還期限及び償還金額の定めのある有価証券にあつては、政令で定めるところにより当該帳簿価額と当該償還金額との差額のうち当該事業年度に配分すべき金額を加算し、又は減算した金額)をもつて当該期末保有有価証券のその時における評価額とする方法をいう。)により評価した金額 #内国法人が事業年度終了の時において売買目的有価証券を有する場合には、当該売買目的有価証券に係る評価益(当該売買目的有価証券の時価評価金額が当該売買目的有価証券のその時における帳簿価額(以下この項において「期末帳簿価額」という。)を超える場合におけるその超える部分の金額をいう。次項において同じ。)又は評価損(当該売買目的有価証券の期末帳簿価額が当該売買目的有価証券の時価評価金額を超える場合におけるその超える部分の金額をいう。次項において同じ。)は、第二十五条第一項(資産の評価益の益金不算入)又は第三十三条第一項(資産の評価損の損金不算入)の規定にかかわらず、当該事業年度の所得の金額の計算上、益金の額又は損金の額に算入する。 # 内国法人が適格分割、適格現物出資又は適格現物分配(適格現物分配にあつては、残余財産の全部の分配を除く。以下この項において「適格分割等」という。)により分割承継法人、被現物出資法人又は被現物分配法人に売買目的有価証券を移転する場合には、当該適格分割等の日の前日を事業年度終了の日とした場合に前項の規定により計算される当該売買目的有価証券に係る評価益又は評価損に相当する金額は、第二十五条第一項又は第三十三条第一項の規定にかかわらず、当該適格分割等の日の属する事業年度の所得の金額の計算上、益金の額又は損金の額に算入する。 #第二項に規定する評価益又は評価損の翌事業年度における処理その他前三項の規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 ==解説== ==参照条文== ==判例== {{stub}} [[category:法人税法|61の3]]
null
2014-10-24T12:36:50Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A8%8E%E6%B3%95%E7%AC%AC61%E6%9D%A1%E3%81%AE3
19,572
学習方法/高校5教科全般
中学と違い高校では、予習・復習をしないと実質的に、教科書の内容が高校在学中には終わりません。なので大学進学を志望する場合は、この点に注意して、高校2年までの家庭での勉強スケジュールを立てましょう。 べつに当wikiでは、「高校生はそう勉強すべきだ」とかは言っていません。単に、「現状の仕組みはこうなっているので、なのでこうなりたい人は、こうしなければならないだろう」という事実とそれに対する対応の例示をしているだけです。 では、予習復習が必要とはどういう事なのかを下記に説明します。 たとえばテレビのNHK教育の放映スケジュールなどを見ると、あたかも1年間に全部終わりそうに見えてしまい、たとえば数学Aなら、NHKは1年間にむりやり詰め込んでテレビ上では終わらせてます。 しかし(テレビ上ではなく)現実の高校では、定期試験とその返却の週には単元が進まないので(返却の週の前半で解説を終わらせて後半は単元を進められるだろうが、解説が面倒なので省略)最低でも4週間は遅れます(定期試験が多くの高校で年5回(1学期の中間・期末、2学期の中間・期末、3学期は期末のみ)あるので、うまく詰め込んでも定期テスト関連のせいで年あたり3~4週は遅れる)、ほか学校行事(文化祭などで最低1週間は遅れます)などもあるので、けっしてテレビ通りのハイペースでは進みません。加えて、理系科目では計算問題などの演習の時間も必要なので、教科書の単元のうち 4分の1 ~ 3分の1 くらいは授業時間をオーバーして、教科書を完了できないと思われます。 中学では学校行事などあっても教科書が終わりましたが、しかし高校では教科書で習う知識の量が多いので、決して授業だけでは終わりません(普通の高校ではそうです。例外として、私学などで、全寮制で寮内で授業があるとか、もしくは夜中にまで校舎で授業するような私立高校でもないかぎりは(実在するかどうかは知りません))。 このため、多くの高校では、多くの科目で、高校1年までには高校1年でもらった教科書の範囲が終わりませんし、高校2年でも同様に高校2年の教科書が終わりません(特に理系科目は計算練習の時間不足で、後半が終わらないでしょう)。 もしくは、もし高校でハイペースで終わらせた場合、授業での「練習問題を解く」などの演習がかなり少なくなりますので、家庭での自発的な勉強にて演習を補う必要が生じます。 予習と復習の量をどうするかは個人によって異なるし、また高校や科目によっても異なるので本ページでは明言しませんが、ともかく普通科高校はそういうものだと事前に知っておきましょう。 これはつまり、家庭での5教科の勉強以外の趣味につかう時間を、減らす必要があるという事です。それが良い事かどうかは知りませんが、その家庭での5教科の予習・復習を前提にして、文部科学省の指導要領および大学受験の出題範囲が組まれてしまっています。 定期テストの2週間前の勉強だけしか家庭で勉強しないペースでは、それで可能なのはあくまで「定期テスト対策」だけであり、もはや各学年の教科書の内容を終わらせるのは2週間だけ(×5回。 定期テストが年5回あるので)の家庭学習では無理です。 なお、高校の「探求学習」および大学受験の総合型選抜(かつての「AO入試」)で評価されるのは、あくまで学術的な未知への「探究」なので、どんなにスポーツや芸術が上手だろうが評価の対象にはなりません(少なくとも、ネット公表されている東大や慶応大などの総合型選抜の合格テーマを見る限りはそう)。 偏差値の高い進学校の高校では、たとえば、いくつかの中間的な科目が省略され、いつの間にか習得した事を前提にカリキュラムが組まれます。たとえば国語の古文漢文では、多くの進学校では「文学国語」という選択科目が省略されている事例が、私立進学校の公開カリキュラムで確認できます。私立高校だけでなく公立高校でも省略されます。 代わりに「古典探究」という高校国語の古典系の最上級の科目があるので、授業科目が「古典探究」に置き換わります。 進学校では、「文学国語」の内容は自然と身に付いた事にされるでしょう(こういう事は高校以降では、よくあります)。なので、参考書などで国語も予習しておきましょう。 大学入試では、省略された科目でも出題範囲になります。個別の高校のカリキュラムには合わせてくれません。 理系科目でも、数学Aや数学Bなどの全単元は授業では紹介しきれない高校が多いと思われますが、しかし高校3年になると、多くの進学校の理系クラスでは、家庭学習などで自然と身に付いた事にされます。 いきなり受験用の問題集を解こうにも、高校1年 - 2年では、まったく解けません。高校の授業レベルをきちんと理解することが基本ですが、それと並行して、教科書や参考書を自分で読むことが重要です。 まずは、教科書(ただし国語科目を除く)や参考書を読みすすめてください。文系科目は、参考書などで重要語句とか単語・熟語などを覚えてください。理系科目も、とりあえず参考書を読み進めて、参考書の問題練習を解いてください。参考書に問題が無い場合、学校でもらった問題集か、または同レベルの入門的な問題集などの問題を解いてください。 参考書の購入のさいの注意事項として、新しい版の参考書を買うことです。なぜなら、出題範囲などが当然ですが新しい版の本のほうが現代の高校生に合っているからです。 高校レベルの参考書の場合、90年代やそれ以前に出版されたままの古い版の参考書が、大型書店だと今でも印刷されて販売されていることもあります。たとえば大手の予備校の出版した本だと、平成初期の1990年代にユニークな企画の参考書が多く出版されたので、そのような本も現代では改訂が無いのでいまだに出版されています。ほか、古文漢文の現代語訳集では、もっと古い昭和の1980年代の版の時代の本すらもあります。 そのほか、古い名著の参考書でも、著者が死んでしまって改訂できないままになっている参考書もあります。 数学の参考書にある「モノグラフ」シリーズは、監修者の矢野健太郎(やのけんたろう)が1993年に死没しているので、現代では基本的に改訂が不可能です。にもかかわらず、他に比較的に平易に高校範囲外の内容を解説した参考書が普及していないので、この参考書はよく、ちょっと参考書の充実した書店には令和の今も残っています。 ほか、チャート式の日本史の著者の門脇禎二(かどわきていじ)も2007年に死没しています。 ほか、チャート式の世界史の前川貞次郎(まえかわていじろう)も2004年に死没しています。 (なお、チャート式の倫理の共著者の佐藤正英は2023年に亡くなられました。もう一人の共著者の片山洋之介も2014年に亡くなられています。) そういった古い内容の参考書もそれはそれで必要とする人もいるし高学年で使うようになる可能性もあるので書店にはおいてあるのですが、とりあえず入学はじめのころ~高校2年の段階では新しい版の参考書を買うのが無難です。 ほか、駿台の英語の参考書の伊藤和夫(いとうかずお)も1997年に死没しており、改訂不可能です。駿台の化学の三國均(みくにひとし)も2005年に死没。なお、物理の山本義隆(やまもとよしたか)は2023年現在まだ生きています。 それでもどうしても古い参考書を使うなら、普段の学習では、歴史科目なら他社の時事的な資料集で補うか、あるいは他の教科なら別の新しい参考書を使用すると良いでしょう。 (問題集ではなく)標準的な参考書にあるていどの問題は、すべてやりましょう。数学以外では、そんなに参考書の問題は時間が掛からないと思います。数学については、その科目の学習方法のページを参照してください。 大学受験をして日東駒専(日大・東洋・駒沢・専修)とかに一般入試で行きたいなら、最終的に高校2年後半~3年くらいから問題練習を中心とした勉強に移る必要があります。3年次にそれを実践できるペースを意識して日々の予習復習などの勉強をしてください。 入門的な参考書なら、そんなに問題をやりぬくのに時間が掛からないと思うので(ただし数学を除く)、2冊目の参考書を読むに行きましょう。この際、前の参考書で練習したことは、新しい参考書では、いちいち再練習する必要ありません。まだ練習してないタイプの問題を練習してください。 問題集はよく吟味し、少ない冊数に絞りこんでやりこむのが適切です。 参考書によって、伝統的な教育内容を中心的にあつかった参考書もあれば、近年の入試動向を反映した参考書、さらには近年の検定教科書のあつかう話題を組み込んだ参考書もあり、多種多様です。たとえば、文英堂シグマベストと数研出版チャート式と学研の高校参考書では、明らかに編集方針が違っています。 ですので、複数冊所持することは一向にかまいませんが、科目や参考書のタイプによっては、記述が膨大だったりしてやたら沢山買っても読むのに時間をとられてしまい問題練習をできなくなってしまいます(もし問題練習を無視すれば、読むだけなら時間はある)。問題練習できなくなるぐらいなら、そういう科目では、これと決めた参考書を1冊やりこむ方が適切でしょう。 ある程度教科書・参考書を読んだら、次は高校の定期テスト対策レベルの簡単な問題集に取り掛かり、読み終えたぶんの問題を練習します。 (このような定期テストレベルの問題集は、「ワークブック」などと呼ばれる。書店では、参考書コーナーに置いてあるのが普通。) 教科書・参考書を読むだけだと、書き取り練習や計算練習などができません。そこで、高校1年 - 2年2学期くらいの段階では、高校生用の市販のワークブック(高校から配布される場合もある)を活用してください。書店の高校参考書コーナーの付近にあります。もし高校から教科書会社などの出版しているワークブックを配布されていたら、その配布されたワークブックを利用しても構いません。 教科書や参考書を読みつつ、必要に応じて、ワークブックの問題を解いてください。 参考書にも練習問題がある場合もありますが、問題量が不足してたり、問題レベルが初心者に合ってなかったりして、いきなり参考書の問題集に取りかかるのは非効率です。まずは「ワークブック」から練習するのが効率的です。 ただし、ワークブックは出題が基礎的な内容に限られているため、高校2年生の2学期くらいからは将来的に入試問題慣れをするため、受験を意識した問題集に切り替えましょう。 参考書を読み進めることと並行して、問題集での問題練習に取り掛かってください。 このさい、問題集には書き込みしないように。教科書にも、書き込みしない。今後の復習のためです。そして、なるべく早めに教科書や参考書の未読部分を通読し、教科書や参考書を読み終え、なるべく早めに簡単な問題集を終えてください。 国立志望などのように受験教科数が多い場合や、部活や委員会などに時間を取られる場合、高校2年終わりまでにワークブックが終わらないかもしれません。その場合、偏差値50以上の高校で普段から真面目に勉強してるなら、わざわざ3年生でワークブックを勉強する必要がありません。高校3年になったら、より実践的な問題集に時間を割くべきです。 さて、基本的なレベルの問題集だけだと入試を突破するのは難しいが、基本的なレベルの問題集も確実に解けないようでは入試を突破できるはずがない。まずは基本的なレベルの問題集もきちんと問題練習するべきです。 定期テストの前には言われなくても試験勉強をするでしょう。それはそれで、試験前の勉強も必要なのですが、しかし、定期テストをこなすだけで満足してはいけません。定期テスト後に、最低限、未修得の分野を復習する事が必要です。全国模試の場合も同様です。 次に、入試対策用の問題集に取り組みます。まずは平均的な難度の大学向けの問題集でよいので、問題集を入手して、問題練習してください。この「標準的」とされる「入試」対策用の問題集ですら、現役の高校生には、解くのがかなり難しいです。なので、まだ「難関校むけ」の問題集には取り掛からないほうが良いでしょう。解けない問題集の解答冊子を読む作業ほど無駄な勉強はありません。たとえ難関校を志望する場合ですら、標準難度の入試問題を解く能力も要求されます。なので、志望校が難関校か中堅校かのどちらにせよ、平均的な難度の入試対策問題集を解きまくれる能力が、受験生のころまでに必要になります。難関校向けの問題集よりも、まず先に標準レベルの入試対策問題集を使用してください。 高校1年生でも、授業で習うだろう数学IAや生物基礎などの入試問題は解けるかもしれませんが、入試問題集に深入りするのは2年以降で構いません。どうしても高1で入試問題集をしたい場合、センター試験対策の問題集にしておきましょう。 なお、たとえどんなに数学IAの入試難問が解けたところで、数学IIIの平均的な入試問題が解けなければ、理系のまともな大学には不合格です。どんなに生物基礎の難問が解けたところで、高2高3で習う生物(旧・生物II)科目の平均的な入試問題が解けなければ、理工学部の生物学科には不合格です。 2024年の現在、探求学習が増えたりして座学的な知識の授業時間が減ったにもかかわらず、実際の大学入試問題では、座学的な知識の要求量はあまり減っていません。 科目によっては私大どころか国の新共通試験ですら、過去のセンター試験時代とあまり量が変わってないように見えるような実態があります。 対策としては、(検定教科書だけでなく)参考書・問題集による予習が必要になっています(もちろん復習もそのあとに必要ですが、まずは予習です)。いつから予習をするかやその程度については志望校や科目にも寄るので個々人に任せますが、ともかく検定教科書と一般入試の出題とのギャップが大きくなっている事は把握してください。 もちろん一般入試以外の経路(指定校推薦や総合型選抜(AO入試)など)で進学するのも人によっては手段ですが、ともかく検定教科書と一般入試がズレています。 日本史で、探究学習で日本史の教科書が薄くなったにもかかわらず、市販の教材を見てみると入試に要求される知識量が変わっていない、という報告があります。 大学入試対策の最後の仕上げとして、志望校の過去問に取り組みます。注意すべきなのは、過去問とは出題傾向や難度のレベルを調べるためのものであり、使用者の学力向上を第一目的としてはいないということです。眺めるのは早いに越したことはないですが、やりこむのは入試直前期だけで十分です。ただし、入試直前期には必ずやりこむべきです。特にセンター試験の過去問などは、試験馴れの目的も含めて、少なくとも過去数年分のセンター過去問ぐらいは練習したほうが良いでしょう。 高校3年になったばかりの時期では、過去問の得点が悪いのが通常だと市販の学習ノウハウ本にも言われてますので、あまり過去問対策を急ぎすぎないようにしましょう。 特に受験直前ではない低学年の学習において、基本的な教科として重要なのは英語・数学・国語の3教科です。これは、これら3教科の学力をつけるには付け焼刃ではなく時間をかけたじっくりとした学習が必要なこと、これら3教科の学力をつけることが他教科の学習効率にもつながってくること、これら3教科は大学入試において大きな配点で課されることが多いこと、などによります。中でも大学入試においては、国語は文系、数学は理系において特に重視されがちですが、英語は文理ともに最重要な教科であり、1年生のときから英語の学習を重点的に行うことが推奨されます。大学入学後の学習にも英語力は文理とも必要なことを考えれば、当然と言えるかもしれません。数学に関しては、英語についで文理ともに重要であり時間のかかる教科ですので、英語についで早くから重点的に学習することが必要になります。 普通科の高校の多くでは、高校2年生から文系と理系に分かれたカリキュラムで学習するために、その選択は実際には1年生の間に迫られることになります。大昔は3年生で初めて文理を選択することが主流の時代もありましたが、昨今の学習内容の増加により、それでは各教科の学習が十分できなくなっているためです。高校1年生で進路を真剣に考えなければならないというのはそれだけでとても高いハードルですが、厳しい言い方をすればもう高校生なのですから、自分のことは自分の頭で真剣に考え、適切な選択をしなければなりません。 2年生以降の学習では、文理選択によりカリキュラムが決まってくることで、学習する教科のバランスは自ずと希望する進路に最適化された形で調整されます。逆に言えば、そこから進路志望を変更すること(いわゆる文転など)は極めて厳しい道になりますので、文理選択の前に十分に進路について考えておく必要があります。 記憶の定着を図るために、授業の内容などをノートにとるという学習は有用かもしれません。 ノートを作る際に注意すべきなのは、ノートはあくまで手段であって、ノートづくりが目的ではないということです。複数の色のボールペンやマーカーを駆使して鮮やかなノートを作り上げる人がときどきいますが、その作業自体はあまり学習には役立たず、無駄な時間になることがほとんどです。 ノートは、書き取り練習だと割り切って、使ったほうが良いでしょう。手を動かして練習したいなら、ノートづくりをするよりも、語句の書き取り練習とか、あるいは問題練習などに時間を割いたほうが良いでしょう。「必要に応じて、ノートを作れる」という能力は、学習の結果・成果であって、けっして学習の手法ではありません。 たとえノートで色ペン・色マーカーを使うにして、せいぜい赤ボールペンまたは青ボールペンか、あるいは色マーカーの一本でもあれば、高校生のノートでは十分でしょう。べつに予備として青ペンとか5色マーカーとかを持っていても構いませんが、あまり色の使い分けを気にする必要はありません。教師が色チョークを使うたびにその色のペンでノートをとる人が多くみられますが、実は教師自身も使い分けを意識せずなんとなく別の色を使っている場合もあります。ですので、わざわざマーカーの色を語句によって使い分けることを、いちいち気にするぐらいなら、いっそのこと、ぜんぶ同じ色のペンで使ってしまったほうが良いでしょう。複数の色ペンを使い分ける労力があるなら、授業中ならば教師の説明を聞いて理解することに集中してください。家庭学習なら、複数の色ペンを使いわける労力があるんだったら、その時間を使って参考書を読み込むとか、問題練習とかをしたほうが良いでしょう。 英語や社会科や古文漢文などの文系科目において、ある程度の書き取り練習は必要ですが、すべてを丸暗記しようとして1度に10回や20回もの書き取りをするような学習はやめましょう。高校では中学のように易しい内容ばかりを問うてはくれませんので、丸暗記ではとても乗り切れないのです。 高校生の文系科目の勉強法は、まずは、ひととおり教科書・参考書の各章・各節を読みおえたら、重要語句を覚えたり、その周辺の知識を覚えるなどしましょう。このとき、細部の丸暗記は後回しで、全体の流れを理解するように努めましょう。 しかし、社会科の場合、何十回と書き取るヒマがあるなら、市販の用語集などを読み込んだほうがマシでしょう。 なお、共通テストはマークシート方式のため、社会科の用語の漢字を問う問題などの書き取りは出題されないので、注意のこと。 また、書き取りの他にも、教科書・参考書を声に出して読んだりと自分で勉強方法を工夫しましょう。 高校の5教科の家庭学習では、ノートの復習・整理よりも、書き取り練習用の用紙や、あるいは計算練習用の用紙などの「雑紙」が、必要になります。なので紙の枚数のことを気にせずに好きなだけ書き取り練習などに使えるような「紙」はたくさん用意しておくべきです。不要になったプリントの裏紙など、なるべく遠慮なく使い捨てられる紙を、たくさんストックしておくとよいでしょう。そのような紙を用いて、書き取り練習をしたり、計算練習をしたり、問題練習をしたりと、どんどん手を動かして記憶や理解を定着させる練習作業のほうが、はるかに学習として役に立ちます。 もしノートに知識をまとめるなら、雑紙で練習したあとの自分の知識をまとめたものをノートにきれいに記すとよいでしょう。むろん「きれいに」というのは日本語の「てにをは」をしっかり補って答案を作成するということで、けっして色鮮やかにすることではありません。 そうして、もし、そこそこ整理されたノートがあれば、機会があれば、学校教員または塾講師などに確認してもらえるように、彼ら教員・講師などに頼んでください。ここで、採点者に通用する答案を作成する練習をすることができます。単にノートで知識を整理するだけでは、あまり論述の練習にはなりません。だれかにノートの質を確認してもらう必要があります。質の確認の取れてないノートは、その時点では、まだ単なる鉛筆で書き込みされた紙の集まりに過ぎません。 ただし、教員にも仕事があるでしょうし、あなた以外の生徒も相手にしないといけませんので、無理にはノート確認をお願いしてはいけません。塾講師などを利用する必要があるかもしれません。もし、教員や塾講師が忙しくて、あなたのノート確認まで時間を取れないなら、自分でワークブックや問題集などで問題練習して、知識の質を確認します。簡単なワークブックとか、簡単な問題集などでも良いので、それらの教材を利用して問題練習することで、知識の質を検証してください。 さて、学校によっては、ノート提出を学生に要求する場合もあります。もし、そういう機会があれば、せっかくの機会を利用して、ノートを提出して教員に確認してもらいましょう。また、レポート課題などを出す学校もあります。ノートに整理した内容がレポートに利用できそうであれば、せっかくノートにまとめたのですから、その内容をレポートにも利用しましょう。 ただし何度も注意していますが、ノート作りはあくまで補助であって、けっしてノートづくりが目的ではありません。無理にノート作りに時間を割く必要はありません。また、無理にノートを教員・塾講師などに提出・確認依頼する必要もありません。「もし、そこそこ整理されたノートがあれば、」というふうに「もし」という条件つきです。ノートの整理のために、書き取り練習などの時間を減らしてしまうのは、本末転倒です。 ノート作りは、自然に授業中の内容とかをノートにメモしていく程度で良いのです。自然にそこそこのノートが出来上がれば、せっかくノートがあるのでしょうから、利用するのも一手というだけです。 思い切ってノートを全く書かないというのも一つの手です。せっかく苦労してノートを書いても、専門家の書いた教科書・参考書には遠く及びません。それならば、最初から既に完成された教科書・参考書を使って勉強したほうが良いでしょう。 教科書ガイドの使い方について、次の2通りの意見が提出され、議論になっています。読者は、自己責任で判断してください。 書店には、「教科書ガイド」があふれています。特に古典や英語なら、これがあれば予習のためにわざわざ自分で訳を考える必要はない、という代物です。教科書ガイドは、次のような目的には大いに役に立ちます。 一方、次のような目的には全く役に立ちません。 そもそもなぜ授業の予習で訳をさせるのでしょう。それは、訳を覚えるためではありません。なにしろ、教科書に載っているのとまったく同じ文章は、(稀に不注意な大学がうっかり「やらかす」ことを除けば)受験には絶対に出ないのです。授業の予習で訳をするのは、訳をするという経験を積むことによって、次に見る文章は自分で訳せるようにそのノウハウを身につけるためです。出来上がった訳などはどうでもよく、訳を作るという経験が重要なのです。その経験をすっ飛ばしてしまう教科書ガイドは、百害あって一利なしです。赤点をとらなければそれでいい、というのであれば構いませんが、学力をつけたいと思うのであれば、次の古紙回収の日にまとめて捨ててしまいましょう。 古典や英語なら、教科書ガイドがあれば、自分で訳を調べる手間が、かなり省けます。古典の場合、訳を考える必要が英語よりも少ないため、古典の教科書ガイドに現代語訳がすでに書かれており、古典の教科書ガイドは大いに役に立ちます。(とはいえ、古文単語集なども勉強しておきましょう。) また、古典の市販の和訳集は、たとえ高校生向けのものでも、巻号(「第○○巻」などのこと)ごとに特定の作品にばかり深入りしているものが多く(たとえば第1巻は1冊まるごと「枕草子」とか)、入試動向とはズレているので、リスク分散のためにも、古典の教科書ガイドを何冊か購入して読んでおくのが安全でしょう。 また、国語では現代文の場合でも、著作権の理由などか、国語の市販の参考書では解説の書かれていない作品についても、教科書ガイドで解説が書かれており、参考になる場合があります。 ただし、古典を除けば、英語や現代文では、教科書とまったく同じ文章は、普通は入試には出ないので、入試対策としては、あまり教科書ガイドは役立ちません。 なので、その教科の入試動向が分からないうちは、なるべく普段の学習では、教科書ガイドでなく、まずは参考書で勉強しましょう。例外的に、教科書ガイドも深く読んだほうが入試対策もふくめて勉強しやすい科目や事柄(古典の訳、定期テスト対策など)だけ、教科書ガイドで勉強するのが効率的でしょう。 なお、英語の教科書ガイドには、そもそも、教科書の英文そのままの翻訳は教科書ガイドには書いておらず、かわりに教科書で使用されている熟語や構文などの解説が書いてあるだけです。結局、教科書ガイドを読んでも、自分で和文翻訳を考える必要が残ります。英語の教科書ガイドは、単に辞書や単語集を調べる手間を減らすためのものです。 教科書ガイドだけで勉強していると、本来は理解できていない構文でも、教科書の構文まるごと訳を覚えてしまったりして、それでも定期試験では高得点がとれてしまう場合もあり、ついつい「理解したつもり」になってしまいがちです。なので、英語の教科書ガイドにある(構文や熟語などの)翻訳は、あくまでも定期テスト前などの確認の用途にしておきましょう。 もし、自分のこれから勉強しようとする教科が、教科書ガイドを使用せずとも充分に勉強できる教科であれば(例えば数学や理科では、教科書ガイドを使う機会がない場合がほとんど)、むしろ、わざわざ教科書ガイドを購入しないほうが、「理解したつもり」に陥る(おちいる)ことを防げるので、安全かもしれません。 同様に、国語や英語などの定期試験対策をする場合でも、なるべく、教科書ガイドに頼る時間を減らすように努力しましょう。そのため、教科書ガイドだけを購入するのではなく、5教科の参考書も購入しましょう。 また、国語の古典でも、平均レベルを越えた大学の場合、検定教科書でも扱ってない作品を出題する事があるので、教科書ガイド以外に古文単語集などの勉強も必要です。 なお、どの教科でも、授業ではその教科書すべてを扱いきれず、いくつかの単元が未習になる場合もあります。そのような場合に、独学したい場合に、教科書ガイドは活用できます。センター試験の出題範囲は、その科目の検定教科書の範囲を参考にしていますので、時間に余裕があれば、検定教科書の未集でやり残した範囲も勉強しておくと、入試対策としても安全です。 教科書ガイドがなくても、参考書などを頼りにして、ある程度は独学する事はできますが、しかし教科によっては(国語など)、教科書の問題の答え合わせが、参考書だけではできない場合があります。そのような場合の、教科書の答え合わせに、教科書ガイドが役立ちます。 特に国語の場合、参考書でも扱っていない作品があり、すべての作品の解説を購入するのは無理なので(金銭的にも難しいし、そもそも現代文では高校生向けの解説書が販売されてない作品がほとんど)、独学の際にも役立ちます。 教員の中には、不適切な量の予習を要求する教師もいて、そのような教師への対策としても教科書ガイドが有効な場合があります。生徒にはまず全教科の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目ばかり、大量の予習を要求したりする指導などがありますが、しかし教科書ガイドがあれば予習がしやすくなり、そのような不適切指導による負担が軽減されます。 学校教員のなかには、教科書ガイドの内容をよく知らずに、憶測だけで「教科書ガイドを使うべきではない。教科書ガイドは役に立たない。」という主旨の指導をする人も、ときどき居ます。ですが、教科書ガイドの出版社も、それほど馬鹿ではないので、マジメな高校生が読んでも役立つように内容を工夫しています。 もし、教科書ガイドによって、教員の授業の価値が成り立たなくなるとしたら、役に立たないのは教科書ガイドではなく、教科書本体に何らかの欠陥があるのでしょう。裏をかえせば、数学や理科などのように、教科書ガイドがなくても、教科書と参考書だけで充分に勉強できる教科では、当然ながら、教科書ガイドは、あまり役立ちません。 なので、その教科・科目の特徴や入試傾向によって、教科書ガイドを購入するかどうか、使い分けましょう。 教科ごとの学習量のバランスにも注意しましょう。特定の科目に偏るのではなく、全教科をしっかり学習することが、進路実現のためにも役に立つのです。このように言うのは簡単ですが、各教科の担当教員ごとに予習復習や課題の要求量が違いますので、ついつい課題の多い教科の学習に偏りがちです。ですので、バランスよく学習するためには、そのような意識を常に持っていることが不可欠なのです。 ※ 次の2通りの意見が提出され、議論になっています。 これらの教科はどのような進路を選ぶにしろ学習を避けられませんし、力をつけるのに時間のかかる教科です。2年生後半からは理社にも力を入れ、5教科のバランスを整えていくことになります。このときまだ英数国の基礎力が不十分だと、理社まで手が回らず、どっちつかずでどうしようもなくなります。1年生から2年生前半までで英数国に穴をつくらないことが必要不可欠です。 塾や予備校の中には、不適切な指導をするところもあるので、注意が必要です。生徒にはまず学校での学習があり、他科目の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目の、自分の塾オリジナルの、不必要な難問を含んでいたりする教材を勉強させたり、大量の宿題を要求したりする指導などが代表的でしょう。 志望校や受験校の選択についても、過度に現役合格にこだわるあまりの不適切な指導をされることもしばしばあります。こういった指導をする塾や予備校は、市場原理で淘汰されてはいるものの、根絶されてはいません。その塾・予備校に相談しても改善が見られない場合、保護者に相談して、他の塾・予備校に変えるなどの対策が必要です。 勉強には「理解」が大事と言いますが、では大学受験で要求される「理解」とは具体的にどのような知的水準でしょうか。目安として、答えは、書籍『高校の勉強のトリセツ』によると、何とか年下に教えられるレベルです。 もっとも、若干は比喩であって、実際には高校生が年下に教える必要はありませんし、じっさいに高校時代に教えるのは時間の無駄でしょう。なぜなら素人の高校生が教育しても非効率なので。教員免許をもった専門家である学校の教師や、塾などの大卒の講師がいますので、彼らに任せたほうが効率的です。 とりあえず勉強のさいの脳内シミュレーションとして、架空の弟や妹などで、性格が少し生意気だけど根がマジメで勉強家で理屈屋のイマジナリー弟みたいなのを脳内で想定して、ときどき、彼に教育するシミュレーションというかメンタルトレーニング的な何かをする感じで脳内で授業を論理構成して自分に教育すると良いでしょう。過去の自分に教育するように、自分が悩んだところを、彼に分かりやすく教えることを目指すと良いでしょう。ときどき、で良いです。毎日やると面倒ですので。 じっさい、一昔前の2001年あたりの学習塾の大学生アルバイトも、たとえば大学進学して文系の学部に入学した学生なら、塾講師のバイト内容は、中学生の塾生への文系科目の講義がバイト内容です。同様、理系の学部に進学したら、塾講師バイトの内容は中学生に理系科目を教えられるレベルが水準です。 また、大学の教職課程(きょうしょくかてい)について、どんな大学でも教職課程を修了して大学卒業すれば、少なくともその学部学科の専門分野についての教員免許は取れます(実際には、公立教師の場合、加えて都道府県の採用試験などがある)。大学進学とはそういうレベルですので、そこから逆算すると、つまり本来の高校教育で大学進学コースの生徒に要求されている知的レベルが分かります。 もっとも、現実の高校は中学の延長上のようになっており、その水準まで到達していませんが。 もちろん、教科書・参考書などの助けもあって何とか教育できる、という話です。少なくとも、進学校の高校1~2年の基礎レベルでも、脳内弟(理屈屋)の教育は、そこそこ有効な勉強法でしょう。 なぜなら、そもそも進学校の高校1~2年に選ばれる科目の内容は、使用頻度が比較的に高く、加えて論理的思考力を養いやすい内容が選ばれているので、なので比較的に実用的で理路整然とした内容が選ばれているはずだから、です。 高校前半の教育内容が、そういった思考力のようなものを涵養できる教育内容になるように、文科省が定期的に指導要領を変えているし、大学入試センターなどにも行政命令をしているから、です。 また、教える職業なら、実用的にはスピードが要求されますので、そのためには自分が問題練習することも必要です。 第二次世界大戦の日本の海軍の提督(ていとく)である山本五十六(やまもと いそろく)という人物が、次のように格言を言っています、 という川柳のような格言を山本は言っています。 大学進学者は、学問をやってみせる事ができるように、だから問題練習も必要なのです。 仮に自分が教師だとして授業中に予習不足で1分なやんだら、もし40人学級の担当なら、40倍の40分間の時間の無駄になってしまうのです。だから架空の授業で扱うレベルの練習問題は、スムーズに授業ができるように、きちんと練習をしないといけません。 だから大学進学コースの高校生には問題練習が必要であり、受験基礎レベル~標準レベルの簡単な問題集でもいいので、問題練習が必要なのです。 仮に中学卒業生に高校1年の内容を教えるなら、教育側としては評判の良い参考書などにも目を通して検定教科書以外にも周辺知識を増やさないといけません。一般に教育学などでは「人にものを教えるには、教える内容の3倍の知識が必要」と言われており、大学教育での授業時間の計算も本来はそういう理念に基づいています(大学教育の実態とは違いますが)。 ただし、高校3年で習うレベルの選択科目(世界史探究など探究科目や、専門『化学』など理系専門科目、数学III・C など)は、なんだかんだで問題練習などを多くして覚えるしかないでしょう。探究科目などの上級の分野は、なんだかんだで、思考力うんぬんを抜きにして網羅的に繰り返し反復練習などで覚えるしかないので、だから後回しの3年生の科目にされているわけです。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中学と違い高校では、予習・復習をしないと実質的に、教科書の内容が高校在学中には終わりません。なので大学進学を志望する場合は、この点に注意して、高校2年までの家庭での勉強スケジュールを立てましょう。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "べつに当wikiでは、「高校生はそう勉強すべきだ」とかは言っていません。単に、「現状の仕組みはこうなっているので、なのでこうなりたい人は、こうしなければならないだろう」という事実とそれに対する対応の例示をしているだけです。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "では、予習復習が必要とはどういう事なのかを下記に説明します。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "たとえばテレビのNHK教育の放映スケジュールなどを見ると、あたかも1年間に全部終わりそうに見えてしまい、たとえば数学Aなら、NHKは1年間にむりやり詰め込んでテレビ上では終わらせてます。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "しかし(テレビ上ではなく)現実の高校では、定期試験とその返却の週には単元が進まないので(返却の週の前半で解説を終わらせて後半は単元を進められるだろうが、解説が面倒なので省略)最低でも4週間は遅れます(定期試験が多くの高校で年5回(1学期の中間・期末、2学期の中間・期末、3学期は期末のみ)あるので、うまく詰め込んでも定期テスト関連のせいで年あたり3~4週は遅れる)、ほか学校行事(文化祭などで最低1週間は遅れます)などもあるので、けっしてテレビ通りのハイペースでは進みません。加えて、理系科目では計算問題などの演習の時間も必要なので、教科書の単元のうち 4分の1 ~ 3分の1 くらいは授業時間をオーバーして、教科書を完了できないと思われます。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "中学では学校行事などあっても教科書が終わりましたが、しかし高校では教科書で習う知識の量が多いので、決して授業だけでは終わりません(普通の高校ではそうです。例外として、私学などで、全寮制で寮内で授業があるとか、もしくは夜中にまで校舎で授業するような私立高校でもないかぎりは(実在するかどうかは知りません))。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "このため、多くの高校では、多くの科目で、高校1年までには高校1年でもらった教科書の範囲が終わりませんし、高校2年でも同様に高校2年の教科書が終わりません(特に理系科目は計算練習の時間不足で、後半が終わらないでしょう)。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "もしくは、もし高校でハイペースで終わらせた場合、授業での「練習問題を解く」などの演習がかなり少なくなりますので、家庭での自発的な勉強にて演習を補う必要が生じます。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "予習と復習の量をどうするかは個人によって異なるし、また高校や科目によっても異なるので本ページでは明言しませんが、ともかく普通科高校はそういうものだと事前に知っておきましょう。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これはつまり、家庭での5教科の勉強以外の趣味につかう時間を、減らす必要があるという事です。それが良い事かどうかは知りませんが、その家庭での5教科の予習・復習を前提にして、文部科学省の指導要領および大学受験の出題範囲が組まれてしまっています。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "定期テストの2週間前の勉強だけしか家庭で勉強しないペースでは、それで可能なのはあくまで「定期テスト対策」だけであり、もはや各学年の教科書の内容を終わらせるのは2週間だけ(×5回。 定期テストが年5回あるので)の家庭学習では無理です。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "なお、高校の「探求学習」および大学受験の総合型選抜(かつての「AO入試」)で評価されるのは、あくまで学術的な未知への「探究」なので、どんなにスポーツや芸術が上手だろうが評価の対象にはなりません(少なくとも、ネット公表されている東大や慶応大などの総合型選抜の合格テーマを見る限りはそう)。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "偏差値の高い進学校の高校では、たとえば、いくつかの中間的な科目が省略され、いつの間にか習得した事を前提にカリキュラムが組まれます。たとえば国語の古文漢文では、多くの進学校では「文学国語」という選択科目が省略されている事例が、私立進学校の公開カリキュラムで確認できます。私立高校だけでなく公立高校でも省略されます。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "代わりに「古典探究」という高校国語の古典系の最上級の科目があるので、授業科目が「古典探究」に置き換わります。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "進学校では、「文学国語」の内容は自然と身に付いた事にされるでしょう(こういう事は高校以降では、よくあります)。なので、参考書などで国語も予習しておきましょう。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "大学入試では、省略された科目でも出題範囲になります。個別の高校のカリキュラムには合わせてくれません。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "理系科目でも、数学Aや数学Bなどの全単元は授業では紹介しきれない高校が多いと思われますが、しかし高校3年になると、多くの進学校の理系クラスでは、家庭学習などで自然と身に付いた事にされます。", "title": "高校生の勉強量" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "いきなり受験用の問題集を解こうにも、高校1年 - 2年では、まったく解けません。高校の授業レベルをきちんと理解することが基本ですが、それと並行して、教科書や参考書を自分で読むことが重要です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "まずは、教科書(ただし国語科目を除く)や参考書を読みすすめてください。文系科目は、参考書などで重要語句とか単語・熟語などを覚えてください。理系科目も、とりあえず参考書を読み進めて、参考書の問題練習を解いてください。参考書に問題が無い場合、学校でもらった問題集か、または同レベルの入門的な問題集などの問題を解いてください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "参考書の購入のさいの注意事項として、新しい版の参考書を買うことです。なぜなら、出題範囲などが当然ですが新しい版の本のほうが現代の高校生に合っているからです。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "高校レベルの参考書の場合、90年代やそれ以前に出版されたままの古い版の参考書が、大型書店だと今でも印刷されて販売されていることもあります。たとえば大手の予備校の出版した本だと、平成初期の1990年代にユニークな企画の参考書が多く出版されたので、そのような本も現代では改訂が無いのでいまだに出版されています。ほか、古文漢文の現代語訳集では、もっと古い昭和の1980年代の版の時代の本すらもあります。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "そのほか、古い名著の参考書でも、著者が死んでしまって改訂できないままになっている参考書もあります。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "数学の参考書にある「モノグラフ」シリーズは、監修者の矢野健太郎(やのけんたろう)が1993年に死没しているので、現代では基本的に改訂が不可能です。にもかかわらず、他に比較的に平易に高校範囲外の内容を解説した参考書が普及していないので、この参考書はよく、ちょっと参考書の充実した書店には令和の今も残っています。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ほか、チャート式の日本史の著者の門脇禎二(かどわきていじ)も2007年に死没しています。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ほか、チャート式の世界史の前川貞次郎(まえかわていじろう)も2004年に死没しています。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "(なお、チャート式の倫理の共著者の佐藤正英は2023年に亡くなられました。もう一人の共著者の片山洋之介も2014年に亡くなられています。)", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "そういった古い内容の参考書もそれはそれで必要とする人もいるし高学年で使うようになる可能性もあるので書店にはおいてあるのですが、とりあえず入学はじめのころ~高校2年の段階では新しい版の参考書を買うのが無難です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ほか、駿台の英語の参考書の伊藤和夫(いとうかずお)も1997年に死没しており、改訂不可能です。駿台の化学の三國均(みくにひとし)も2005年に死没。なお、物理の山本義隆(やまもとよしたか)は2023年現在まだ生きています。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "それでもどうしても古い参考書を使うなら、普段の学習では、歴史科目なら他社の時事的な資料集で補うか、あるいは他の教科なら別の新しい参考書を使用すると良いでしょう。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "(問題集ではなく)標準的な参考書にあるていどの問題は、すべてやりましょう。数学以外では、そんなに参考書の問題は時間が掛からないと思います。数学については、その科目の学習方法のページを参照してください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "大学受験をして日東駒専(日大・東洋・駒沢・専修)とかに一般入試で行きたいなら、最終的に高校2年後半~3年くらいから問題練習を中心とした勉強に移る必要があります。3年次にそれを実践できるペースを意識して日々の予習復習などの勉強をしてください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "入門的な参考書なら、そんなに問題をやりぬくのに時間が掛からないと思うので(ただし数学を除く)、2冊目の参考書を読むに行きましょう。この際、前の参考書で練習したことは、新しい参考書では、いちいち再練習する必要ありません。まだ練習してないタイプの問題を練習してください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "問題集はよく吟味し、少ない冊数に絞りこんでやりこむのが適切です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "参考書によって、伝統的な教育内容を中心的にあつかった参考書もあれば、近年の入試動向を反映した参考書、さらには近年の検定教科書のあつかう話題を組み込んだ参考書もあり、多種多様です。たとえば、文英堂シグマベストと数研出版チャート式と学研の高校参考書では、明らかに編集方針が違っています。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ですので、複数冊所持することは一向にかまいませんが、科目や参考書のタイプによっては、記述が膨大だったりしてやたら沢山買っても読むのに時間をとられてしまい問題練習をできなくなってしまいます(もし問題練習を無視すれば、読むだけなら時間はある)。問題練習できなくなるぐらいなら、そういう科目では、これと決めた参考書を1冊やりこむ方が適切でしょう。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ある程度教科書・参考書を読んだら、次は高校の定期テスト対策レベルの簡単な問題集に取り掛かり、読み終えたぶんの問題を練習します。 (このような定期テストレベルの問題集は、「ワークブック」などと呼ばれる。書店では、参考書コーナーに置いてあるのが普通。)", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "教科書・参考書を読むだけだと、書き取り練習や計算練習などができません。そこで、高校1年 - 2年2学期くらいの段階では、高校生用の市販のワークブック(高校から配布される場合もある)を活用してください。書店の高校参考書コーナーの付近にあります。もし高校から教科書会社などの出版しているワークブックを配布されていたら、その配布されたワークブックを利用しても構いません。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "教科書や参考書を読みつつ、必要に応じて、ワークブックの問題を解いてください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "参考書にも練習問題がある場合もありますが、問題量が不足してたり、問題レベルが初心者に合ってなかったりして、いきなり参考書の問題集に取りかかるのは非効率です。まずは「ワークブック」から練習するのが効率的です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ただし、ワークブックは出題が基礎的な内容に限られているため、高校2年生の2学期くらいからは将来的に入試問題慣れをするため、受験を意識した問題集に切り替えましょう。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "参考書を読み進めることと並行して、問題集での問題練習に取り掛かってください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "このさい、問題集には書き込みしないように。教科書にも、書き込みしない。今後の復習のためです。そして、なるべく早めに教科書や参考書の未読部分を通読し、教科書や参考書を読み終え、なるべく早めに簡単な問題集を終えてください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "国立志望などのように受験教科数が多い場合や、部活や委員会などに時間を取られる場合、高校2年終わりまでにワークブックが終わらないかもしれません。その場合、偏差値50以上の高校で普段から真面目に勉強してるなら、わざわざ3年生でワークブックを勉強する必要がありません。高校3年になったら、より実践的な問題集に時間を割くべきです。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "さて、基本的なレベルの問題集だけだと入試を突破するのは難しいが、基本的なレベルの問題集も確実に解けないようでは入試を突破できるはずがない。まずは基本的なレベルの問題集もきちんと問題練習するべきです。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "定期テストの前には言われなくても試験勉強をするでしょう。それはそれで、試験前の勉強も必要なのですが、しかし、定期テストをこなすだけで満足してはいけません。定期テスト後に、最低限、未修得の分野を復習する事が必要です。全国模試の場合も同様です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "次に、入試対策用の問題集に取り組みます。まずは平均的な難度の大学向けの問題集でよいので、問題集を入手して、問題練習してください。この「標準的」とされる「入試」対策用の問題集ですら、現役の高校生には、解くのがかなり難しいです。なので、まだ「難関校むけ」の問題集には取り掛からないほうが良いでしょう。解けない問題集の解答冊子を読む作業ほど無駄な勉強はありません。たとえ難関校を志望する場合ですら、標準難度の入試問題を解く能力も要求されます。なので、志望校が難関校か中堅校かのどちらにせよ、平均的な難度の入試対策問題集を解きまくれる能力が、受験生のころまでに必要になります。難関校向けの問題集よりも、まず先に標準レベルの入試対策問題集を使用してください。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "高校1年生でも、授業で習うだろう数学IAや生物基礎などの入試問題は解けるかもしれませんが、入試問題集に深入りするのは2年以降で構いません。どうしても高1で入試問題集をしたい場合、センター試験対策の問題集にしておきましょう。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "なお、たとえどんなに数学IAの入試難問が解けたところで、数学IIIの平均的な入試問題が解けなければ、理系のまともな大学には不合格です。どんなに生物基礎の難問が解けたところで、高2高3で習う生物(旧・生物II)科目の平均的な入試問題が解けなければ、理工学部の生物学科には不合格です。", "title": "大まかな道筋" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2024年の現在、探求学習が増えたりして座学的な知識の授業時間が減ったにもかかわらず、実際の大学入試問題では、座学的な知識の要求量はあまり減っていません。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "科目によっては私大どころか国の新共通試験ですら、過去のセンター試験時代とあまり量が変わってないように見えるような実態があります。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "対策としては、(検定教科書だけでなく)参考書・問題集による予習が必要になっています(もちろん復習もそのあとに必要ですが、まずは予習です)。いつから予習をするかやその程度については志望校や科目にも寄るので個々人に任せますが、ともかく検定教科書と一般入試の出題とのギャップが大きくなっている事は把握してください。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "もちろん一般入試以外の経路(指定校推薦や総合型選抜(AO入試)など)で進学するのも人によっては手段ですが、ともかく検定教科書と一般入試がズレています。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "日本史で、探究学習で日本史の教科書が薄くなったにもかかわらず、市販の教材を見てみると入試に要求される知識量が変わっていない、という報告があります。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "大学入試対策の最後の仕上げとして、志望校の過去問に取り組みます。注意すべきなのは、過去問とは出題傾向や難度のレベルを調べるためのものであり、使用者の学力向上を第一目的としてはいないということです。眺めるのは早いに越したことはないですが、やりこむのは入試直前期だけで十分です。ただし、入試直前期には必ずやりこむべきです。特にセンター試験の過去問などは、試験馴れの目的も含めて、少なくとも過去数年分のセンター過去問ぐらいは練習したほうが良いでしょう。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "高校3年になったばかりの時期では、過去問の得点が悪いのが通常だと市販の学習ノウハウ本にも言われてますので、あまり過去問対策を急ぎすぎないようにしましょう。", "title": "大学受験に向けて" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "特に受験直前ではない低学年の学習において、基本的な教科として重要なのは英語・数学・国語の3教科です。これは、これら3教科の学力をつけるには付け焼刃ではなく時間をかけたじっくりとした学習が必要なこと、これら3教科の学力をつけることが他教科の学習効率にもつながってくること、これら3教科は大学入試において大きな配点で課されることが多いこと、などによります。中でも大学入試においては、国語は文系、数学は理系において特に重視されがちですが、英語は文理ともに最重要な教科であり、1年生のときから英語の学習を重点的に行うことが推奨されます。大学入学後の学習にも英語力は文理とも必要なことを考えれば、当然と言えるかもしれません。数学に関しては、英語についで文理ともに重要であり時間のかかる教科ですので、英語についで早くから重点的に学習することが必要になります。", "title": "教科ごとの学習のバランス" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "普通科の高校の多くでは、高校2年生から文系と理系に分かれたカリキュラムで学習するために、その選択は実際には1年生の間に迫られることになります。大昔は3年生で初めて文理を選択することが主流の時代もありましたが、昨今の学習内容の増加により、それでは各教科の学習が十分できなくなっているためです。高校1年生で進路を真剣に考えなければならないというのはそれだけでとても高いハードルですが、厳しい言い方をすればもう高校生なのですから、自分のことは自分の頭で真剣に考え、適切な選択をしなければなりません。", "title": "教科ごとの学習のバランス" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2年生以降の学習では、文理選択によりカリキュラムが決まってくることで、学習する教科のバランスは自ずと希望する進路に最適化された形で調整されます。逆に言えば、そこから進路志望を変更すること(いわゆる文転など)は極めて厳しい道になりますので、文理選択の前に十分に進路について考えておく必要があります。", "title": "教科ごとの学習のバランス" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "記憶の定着を図るために、授業の内容などをノートにとるという学習は有用かもしれません。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ノートを作る際に注意すべきなのは、ノートはあくまで手段であって、ノートづくりが目的ではないということです。複数の色のボールペンやマーカーを駆使して鮮やかなノートを作り上げる人がときどきいますが、その作業自体はあまり学習には役立たず、無駄な時間になることがほとんどです。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ノートは、書き取り練習だと割り切って、使ったほうが良いでしょう。手を動かして練習したいなら、ノートづくりをするよりも、語句の書き取り練習とか、あるいは問題練習などに時間を割いたほうが良いでしょう。「必要に応じて、ノートを作れる」という能力は、学習の結果・成果であって、けっして学習の手法ではありません。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "たとえノートで色ペン・色マーカーを使うにして、せいぜい赤ボールペンまたは青ボールペンか、あるいは色マーカーの一本でもあれば、高校生のノートでは十分でしょう。べつに予備として青ペンとか5色マーカーとかを持っていても構いませんが、あまり色の使い分けを気にする必要はありません。教師が色チョークを使うたびにその色のペンでノートをとる人が多くみられますが、実は教師自身も使い分けを意識せずなんとなく別の色を使っている場合もあります。ですので、わざわざマーカーの色を語句によって使い分けることを、いちいち気にするぐらいなら、いっそのこと、ぜんぶ同じ色のペンで使ってしまったほうが良いでしょう。複数の色ペンを使い分ける労力があるなら、授業中ならば教師の説明を聞いて理解することに集中してください。家庭学習なら、複数の色ペンを使いわける労力があるんだったら、その時間を使って参考書を読み込むとか、問題練習とかをしたほうが良いでしょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "英語や社会科や古文漢文などの文系科目において、ある程度の書き取り練習は必要ですが、すべてを丸暗記しようとして1度に10回や20回もの書き取りをするような学習はやめましょう。高校では中学のように易しい内容ばかりを問うてはくれませんので、丸暗記ではとても乗り切れないのです。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "高校生の文系科目の勉強法は、まずは、ひととおり教科書・参考書の各章・各節を読みおえたら、重要語句を覚えたり、その周辺の知識を覚えるなどしましょう。このとき、細部の丸暗記は後回しで、全体の流れを理解するように努めましょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "しかし、社会科の場合、何十回と書き取るヒマがあるなら、市販の用語集などを読み込んだほうがマシでしょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なお、共通テストはマークシート方式のため、社会科の用語の漢字を問う問題などの書き取りは出題されないので、注意のこと。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "また、書き取りの他にも、教科書・参考書を声に出して読んだりと自分で勉強方法を工夫しましょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "高校の5教科の家庭学習では、ノートの復習・整理よりも、書き取り練習用の用紙や、あるいは計算練習用の用紙などの「雑紙」が、必要になります。なので紙の枚数のことを気にせずに好きなだけ書き取り練習などに使えるような「紙」はたくさん用意しておくべきです。不要になったプリントの裏紙など、なるべく遠慮なく使い捨てられる紙を、たくさんストックしておくとよいでしょう。そのような紙を用いて、書き取り練習をしたり、計算練習をしたり、問題練習をしたりと、どんどん手を動かして記憶や理解を定着させる練習作業のほうが、はるかに学習として役に立ちます。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "もしノートに知識をまとめるなら、雑紙で練習したあとの自分の知識をまとめたものをノートにきれいに記すとよいでしょう。むろん「きれいに」というのは日本語の「てにをは」をしっかり補って答案を作成するということで、けっして色鮮やかにすることではありません。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "そうして、もし、そこそこ整理されたノートがあれば、機会があれば、学校教員または塾講師などに確認してもらえるように、彼ら教員・講師などに頼んでください。ここで、採点者に通用する答案を作成する練習をすることができます。単にノートで知識を整理するだけでは、あまり論述の練習にはなりません。だれかにノートの質を確認してもらう必要があります。質の確認の取れてないノートは、その時点では、まだ単なる鉛筆で書き込みされた紙の集まりに過ぎません。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ただし、教員にも仕事があるでしょうし、あなた以外の生徒も相手にしないといけませんので、無理にはノート確認をお願いしてはいけません。塾講師などを利用する必要があるかもしれません。もし、教員や塾講師が忙しくて、あなたのノート確認まで時間を取れないなら、自分でワークブックや問題集などで問題練習して、知識の質を確認します。簡単なワークブックとか、簡単な問題集などでも良いので、それらの教材を利用して問題練習することで、知識の質を検証してください。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "さて、学校によっては、ノート提出を学生に要求する場合もあります。もし、そういう機会があれば、せっかくの機会を利用して、ノートを提出して教員に確認してもらいましょう。また、レポート課題などを出す学校もあります。ノートに整理した内容がレポートに利用できそうであれば、せっかくノートにまとめたのですから、その内容をレポートにも利用しましょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "ただし何度も注意していますが、ノート作りはあくまで補助であって、けっしてノートづくりが目的ではありません。無理にノート作りに時間を割く必要はありません。また、無理にノートを教員・塾講師などに提出・確認依頼する必要もありません。「もし、そこそこ整理されたノートがあれば、」というふうに「もし」という条件つきです。ノートの整理のために、書き取り練習などの時間を減らしてしまうのは、本末転倒です。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ノート作りは、自然に授業中の内容とかをノートにメモしていく程度で良いのです。自然にそこそこのノートが出来上がれば、せっかくノートがあるのでしょうから、利用するのも一手というだけです。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "思い切ってノートを全く書かないというのも一つの手です。せっかく苦労してノートを書いても、専門家の書いた教科書・参考書には遠く及びません。それならば、最初から既に完成された教科書・参考書を使って勉強したほうが良いでしょう。", "title": "ノートの使い方" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "教科書ガイドの使い方について、次の2通りの意見が提出され、議論になっています。読者は、自己責任で判断してください。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "書店には、「教科書ガイド」があふれています。特に古典や英語なら、これがあれば予習のためにわざわざ自分で訳を考える必要はない、という代物です。教科書ガイドは、次のような目的には大いに役に立ちます。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "一方、次のような目的には全く役に立ちません。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "そもそもなぜ授業の予習で訳をさせるのでしょう。それは、訳を覚えるためではありません。なにしろ、教科書に載っているのとまったく同じ文章は、(稀に不注意な大学がうっかり「やらかす」ことを除けば)受験には絶対に出ないのです。授業の予習で訳をするのは、訳をするという経験を積むことによって、次に見る文章は自分で訳せるようにそのノウハウを身につけるためです。出来上がった訳などはどうでもよく、訳を作るという経験が重要なのです。その経験をすっ飛ばしてしまう教科書ガイドは、百害あって一利なしです。赤点をとらなければそれでいい、というのであれば構いませんが、学力をつけたいと思うのであれば、次の古紙回収の日にまとめて捨ててしまいましょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "古典や英語なら、教科書ガイドがあれば、自分で訳を調べる手間が、かなり省けます。古典の場合、訳を考える必要が英語よりも少ないため、古典の教科書ガイドに現代語訳がすでに書かれており、古典の教科書ガイドは大いに役に立ちます。(とはいえ、古文単語集なども勉強しておきましょう。)", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "また、古典の市販の和訳集は、たとえ高校生向けのものでも、巻号(「第○○巻」などのこと)ごとに特定の作品にばかり深入りしているものが多く(たとえば第1巻は1冊まるごと「枕草子」とか)、入試動向とはズレているので、リスク分散のためにも、古典の教科書ガイドを何冊か購入して読んでおくのが安全でしょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、国語では現代文の場合でも、著作権の理由などか、国語の市販の参考書では解説の書かれていない作品についても、教科書ガイドで解説が書かれており、参考になる場合があります。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ただし、古典を除けば、英語や現代文では、教科書とまったく同じ文章は、普通は入試には出ないので、入試対策としては、あまり教科書ガイドは役立ちません。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "なので、その教科の入試動向が分からないうちは、なるべく普段の学習では、教科書ガイドでなく、まずは参考書で勉強しましょう。例外的に、教科書ガイドも深く読んだほうが入試対策もふくめて勉強しやすい科目や事柄(古典の訳、定期テスト対策など)だけ、教科書ガイドで勉強するのが効率的でしょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "なお、英語の教科書ガイドには、そもそも、教科書の英文そのままの翻訳は教科書ガイドには書いておらず、かわりに教科書で使用されている熟語や構文などの解説が書いてあるだけです。結局、教科書ガイドを読んでも、自分で和文翻訳を考える必要が残ります。英語の教科書ガイドは、単に辞書や単語集を調べる手間を減らすためのものです。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "教科書ガイドだけで勉強していると、本来は理解できていない構文でも、教科書の構文まるごと訳を覚えてしまったりして、それでも定期試験では高得点がとれてしまう場合もあり、ついつい「理解したつもり」になってしまいがちです。なので、英語の教科書ガイドにある(構文や熟語などの)翻訳は、あくまでも定期テスト前などの確認の用途にしておきましょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "もし、自分のこれから勉強しようとする教科が、教科書ガイドを使用せずとも充分に勉強できる教科であれば(例えば数学や理科では、教科書ガイドを使う機会がない場合がほとんど)、むしろ、わざわざ教科書ガイドを購入しないほうが、「理解したつもり」に陥る(おちいる)ことを防げるので、安全かもしれません。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "同様に、国語や英語などの定期試験対策をする場合でも、なるべく、教科書ガイドに頼る時間を減らすように努力しましょう。そのため、教科書ガイドだけを購入するのではなく、5教科の参考書も購入しましょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "また、国語の古典でも、平均レベルを越えた大学の場合、検定教科書でも扱ってない作品を出題する事があるので、教科書ガイド以外に古文単語集などの勉強も必要です。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "なお、どの教科でも、授業ではその教科書すべてを扱いきれず、いくつかの単元が未習になる場合もあります。そのような場合に、独学したい場合に、教科書ガイドは活用できます。センター試験の出題範囲は、その科目の検定教科書の範囲を参考にしていますので、時間に余裕があれば、検定教科書の未集でやり残した範囲も勉強しておくと、入試対策としても安全です。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "教科書ガイドがなくても、参考書などを頼りにして、ある程度は独学する事はできますが、しかし教科によっては(国語など)、教科書の問題の答え合わせが、参考書だけではできない場合があります。そのような場合の、教科書の答え合わせに、教科書ガイドが役立ちます。 特に国語の場合、参考書でも扱っていない作品があり、すべての作品の解説を購入するのは無理なので(金銭的にも難しいし、そもそも現代文では高校生向けの解説書が販売されてない作品がほとんど)、独学の際にも役立ちます。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "教員の中には、不適切な量の予習を要求する教師もいて、そのような教師への対策としても教科書ガイドが有効な場合があります。生徒にはまず全教科の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目ばかり、大量の予習を要求したりする指導などがありますが、しかし教科書ガイドがあれば予習がしやすくなり、そのような不適切指導による負担が軽減されます。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "学校教員のなかには、教科書ガイドの内容をよく知らずに、憶測だけで「教科書ガイドを使うべきではない。教科書ガイドは役に立たない。」という主旨の指導をする人も、ときどき居ます。ですが、教科書ガイドの出版社も、それほど馬鹿ではないので、マジメな高校生が読んでも役立つように内容を工夫しています。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "もし、教科書ガイドによって、教員の授業の価値が成り立たなくなるとしたら、役に立たないのは教科書ガイドではなく、教科書本体に何らかの欠陥があるのでしょう。裏をかえせば、数学や理科などのように、教科書ガイドがなくても、教科書と参考書だけで充分に勉強できる教科では、当然ながら、教科書ガイドは、あまり役立ちません。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "なので、その教科・科目の特徴や入試傾向によって、教科書ガイドを購入するかどうか、使い分けましょう。", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "", "title": "教科書ガイドについて" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "教科ごとの学習量のバランスにも注意しましょう。特定の科目に偏るのではなく、全教科をしっかり学習することが、進路実現のためにも役に立つのです。このように言うのは簡単ですが、各教科の担当教員ごとに予習復習や課題の要求量が違いますので、ついつい課題の多い教科の学習に偏りがちです。ですので、バランスよく学習するためには、そのような意識を常に持っていることが不可欠なのです。", "title": "バランスよく学習する" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "※ 次の2通りの意見が提出され、議論になっています。", "title": "バランスよく学習する" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "これらの教科はどのような進路を選ぶにしろ学習を避けられませんし、力をつけるのに時間のかかる教科です。2年生後半からは理社にも力を入れ、5教科のバランスを整えていくことになります。このときまだ英数国の基礎力が不十分だと、理社まで手が回らず、どっちつかずでどうしようもなくなります。1年生から2年生前半までで英数国に穴をつくらないことが必要不可欠です。", "title": "バランスよく学習する" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "", "title": "バランスよく学習する" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "塾や予備校の中には、不適切な指導をするところもあるので、注意が必要です。生徒にはまず学校での学習があり、他科目の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目の、自分の塾オリジナルの、不必要な難問を含んでいたりする教材を勉強させたり、大量の宿題を要求したりする指導などが代表的でしょう。", "title": "塾・予備校の注意点" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "志望校や受験校の選択についても、過度に現役合格にこだわるあまりの不適切な指導をされることもしばしばあります。こういった指導をする塾や予備校は、市場原理で淘汰されてはいるものの、根絶されてはいません。その塾・予備校に相談しても改善が見られない場合、保護者に相談して、他の塾・予備校に変えるなどの対策が必要です。", "title": "塾・予備校の注意点" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "", "title": "塾・予備校の注意点" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "勉強には「理解」が大事と言いますが、では大学受験で要求される「理解」とは具体的にどのような知的水準でしょうか。目安として、答えは、書籍『高校の勉強のトリセツ』によると、何とか年下に教えられるレベルです。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "もっとも、若干は比喩であって、実際には高校生が年下に教える必要はありませんし、じっさいに高校時代に教えるのは時間の無駄でしょう。なぜなら素人の高校生が教育しても非効率なので。教員免許をもった専門家である学校の教師や、塾などの大卒の講師がいますので、彼らに任せたほうが効率的です。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "とりあえず勉強のさいの脳内シミュレーションとして、架空の弟や妹などで、性格が少し生意気だけど根がマジメで勉強家で理屈屋のイマジナリー弟みたいなのを脳内で想定して、ときどき、彼に教育するシミュレーションというかメンタルトレーニング的な何かをする感じで脳内で授業を論理構成して自分に教育すると良いでしょう。過去の自分に教育するように、自分が悩んだところを、彼に分かりやすく教えることを目指すと良いでしょう。ときどき、で良いです。毎日やると面倒ですので。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "じっさい、一昔前の2001年あたりの学習塾の大学生アルバイトも、たとえば大学進学して文系の学部に入学した学生なら、塾講師のバイト内容は、中学生の塾生への文系科目の講義がバイト内容です。同様、理系の学部に進学したら、塾講師バイトの内容は中学生に理系科目を教えられるレベルが水準です。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "また、大学の教職課程(きょうしょくかてい)について、どんな大学でも教職課程を修了して大学卒業すれば、少なくともその学部学科の専門分野についての教員免許は取れます(実際には、公立教師の場合、加えて都道府県の採用試験などがある)。大学進学とはそういうレベルですので、そこから逆算すると、つまり本来の高校教育で大学進学コースの生徒に要求されている知的レベルが分かります。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "もっとも、現実の高校は中学の延長上のようになっており、その水準まで到達していませんが。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "もちろん、教科書・参考書などの助けもあって何とか教育できる、という話です。少なくとも、進学校の高校1~2年の基礎レベルでも、脳内弟(理屈屋)の教育は、そこそこ有効な勉強法でしょう。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "なぜなら、そもそも進学校の高校1~2年に選ばれる科目の内容は、使用頻度が比較的に高く、加えて論理的思考力を養いやすい内容が選ばれているので、なので比較的に実用的で理路整然とした内容が選ばれているはずだから、です。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "高校前半の教育内容が、そういった思考力のようなものを涵養できる教育内容になるように、文科省が定期的に指導要領を変えているし、大学入試センターなどにも行政命令をしているから、です。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "また、教える職業なら、実用的にはスピードが要求されますので、そのためには自分が問題練習することも必要です。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦の日本の海軍の提督(ていとく)である山本五十六(やまもと いそろく)という人物が、次のように格言を言っています、", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "という川柳のような格言を山本は言っています。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "大学進学者は、学問をやってみせる事ができるように、だから問題練習も必要なのです。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "仮に自分が教師だとして授業中に予習不足で1分なやんだら、もし40人学級の担当なら、40倍の40分間の時間の無駄になってしまうのです。だから架空の授業で扱うレベルの練習問題は、スムーズに授業ができるように、きちんと練習をしないといけません。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "だから大学進学コースの高校生には問題練習が必要であり、受験基礎レベル~標準レベルの簡単な問題集でもいいので、問題練習が必要なのです。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "仮に中学卒業生に高校1年の内容を教えるなら、教育側としては評判の良い参考書などにも目を通して検定教科書以外にも周辺知識を増やさないといけません。一般に教育学などでは「人にものを教えるには、教える内容の3倍の知識が必要」と言われており、大学教育での授業時間の計算も本来はそういう理念に基づいています(大学教育の実態とは違いますが)。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "ただし、高校3年で習うレベルの選択科目(世界史探究など探究科目や、専門『化学』など理系専門科目、数学III・C など)は、なんだかんだで問題練習などを多くして覚えるしかないでしょう。探究科目などの上級の分野は、なんだかんだで、思考力うんぬんを抜きにして網羅的に繰り返し反復練習などで覚えるしかないので、だから後回しの3年生の科目にされているわけです。", "title": "大学進学に要求される「理解」の水準" } ]
null
{{独自研究の可能性}} == 高校生の勉強量 == === 高校は予習・復習しないと教科書が終わらない量になる === 中学と違い高校では、予習・復習をしないと実質的に、教科書の内容が高校在学中には終わりません。なので大学進学を志望する場合は、この点に注意して、高校2年までの家庭での勉強スケジュールを立てましょう。 べつに当wikiでは、「高校生はそう勉強すべきだ」とかは言っていません。単に、「現状の仕組みはこうなっているので、なのでこうなりたい人は、こうしなければならないだろう」という事実とそれに対する対応の例示をしているだけです。 では、予習復習が必要とはどういう事なのかを下記に説明します。 たとえばテレビのNHK教育の放映スケジュールなどを見ると、あたかも1年間に全部終わりそうに見えてしまい、たとえば数学Aなら、NHKは1年間にむりやり詰め込んでテレビ上では終わらせてます。 しかし(テレビ上ではなく)現実の高校では、定期試験とその返却の週には単元が進まないので(返却の週の前半で解説を終わらせて後半は単元を進められるだろうが、解説が面倒なので省略)最低でも4週間は遅れます(定期試験が多くの高校で年5回(1学期の中間・期末、2学期の中間・期末、3学期は期末のみ)あるので、うまく詰め込んでも定期テスト関連のせいで年あたり3~4週は遅れる)、ほか学校行事(文化祭などで最低1週間は遅れます)などもあるので、けっしてテレビ通りのハイペースでは進みません。加えて、理系科目では計算問題などの演習の時間も必要なので、教科書の単元のうち 4分の1 ~ 3分の1 くらいは授業時間をオーバーして、教科書を完了できないと思われます。 中学では学校行事などあっても教科書が終わりましたが、しかし高校では教科書で習う知識の量が多いので、決して授業だけでは終わりません(普通の高校ではそうです。例外として、私学などで、全寮制で寮内で授業があるとか、もしくは夜中にまで校舎で授業するような私立高校でもないかぎりは(実在するかどうかは知りません))。 このため、多くの高校では、多くの科目で、高校1年までには高校1年でもらった教科書の範囲が終わりませんし、高校2年でも同様に高校2年の教科書が終わりません(特に理系科目は計算練習の時間不足で、後半が終わらないでしょう)。 もしくは、もし高校でハイペースで終わらせた場合、授業での「練習問題を解く」などの演習がかなり少なくなりますので、家庭での自発的な勉強にて演習を補う必要が生じます。 予習と復習の量をどうするかは個人によって異なるし、また高校や科目によっても異なるので本ページでは明言しませんが、ともかく普通科高校はそういうものだと事前に知っておきましょう。 === 高1から趣味を減らさないと受験勉強と両立できなくなる === これはつまり、家庭での5教科の勉強以外の趣味につかう時間を、減らす必要があるという事です。それが良い事かどうかは知りませんが、その家庭での5教科の予習・復習を前提にして、文部科学省の指導要領および大学受験の出題範囲が組まれてしまっています。 定期テストの2週間前の勉強だけしか家庭で勉強しないペースでは、それで可能なのはあくまで「定期テスト対策」だけであり、もはや各学年の教科書の内容を終わらせるのは2週間だけ(×5回。 定期テストが年5回あるので)の家庭学習では無理です。 なお、高校の「探求学習」および大学受験の総合型選抜(かつての「AO入試」)で評価されるのは、あくまで学術的な未知への「探究」なので、どんなにスポーツや芸術が上手だろうが評価の対象にはなりません(少なくとも、ネット公表されている東大や慶応大などの総合型選抜の合格テーマを見る限りはそう)。 === 高校2年レベルのいくつかの科目は省略されやすい === 偏差値の高い進学校の高校では、たとえば、いくつかの中間的な科目が省略され、いつの間にか習得した事を前提にカリキュラムが組まれます。たとえば国語の古文漢文では、多くの進学校では「文学国語」という選択科目が省略されている事例が、私立進学校の公開カリキュラムで確認できます。私立高校だけでなく公立高校でも省略されます。 代わりに「古典探究」という高校国語の古典系の最上級の科目があるので、授業科目が「古典探究」に置き換わります。 進学校では、「文学国語」の内容は自然と身に付いた事にされるでしょう(こういう事は高校以降では、よくあります)。なので、参考書などで国語も予習しておきましょう。 大学入試では、省略された科目でも出題範囲になります。個別の高校のカリキュラムには合わせてくれません。 理系科目でも、数学Aや数学Bなどの全単元は授業では紹介しきれない高校が多いと思われますが、しかし高校3年になると、多くの進学校の理系クラスでは、家庭学習などで自然と身に付いた事にされます。 == 大まかな道筋 == === 教科書・参考書を読む === :※ この段階は、高校1年生から3年生まで、全学年を対象にしています。 いきなり受験用の問題集を解こうにも、高校1年 - 2年では、まったく解けません。高校の授業レベルをきちんと理解することが基本ですが、それと並行して、教科書や参考書を自分で読むことが重要です。 まずは、教科書(ただし国語科目を除く)や参考書を読みすすめてください。文系科目は、参考書などで重要語句とか単語・熟語などを覚えてください。理系科目も、とりあえず参考書を読み進めて、参考書の問題練習を解いてください。参考書に問題が無い場合、学校でもらった問題集か、または同レベルの入門的な問題集などの問題を解いてください。 ;昭和や平成初期の参考書が残っているので注意 参考書の購入のさいの注意事項として、新しい版の参考書を買うことです。なぜなら、出題範囲などが当然ですが新しい版の本のほうが現代の高校生に合っているからです。 高校レベルの参考書の場合、90年代やそれ以前に出版されたままの古い版の参考書が、大型書店だと今でも印刷されて販売されていることもあります。たとえば大手の予備校の出版した本だと、平成初期の1990年代にユニークな企画の参考書が多く出版されたので、そのような本も現代では改訂が無いのでいまだに出版されています。ほか、古文漢文の現代語訳集では、もっと古い昭和の1980年代の版の時代の本すらもあります。 そのほか、古い名著の参考書でも、著者が死んでしまって改訂できないままになっている参考書もあります。 数学の参考書にある「モノグラフ」シリーズは、監修者の矢野健太郎(やのけんたろう)が1993年に死没しているので、現代では基本的に改訂が不可能です。にもかかわらず、他に比較的に平易に高校範囲外の内容を解説した参考書が普及していないので、この参考書はよく、ちょっと参考書の充実した書店には令和の今も残っています。 ほか、チャート式の日本史の著者の門脇禎二(かどわきていじ)も2007年に死没しています。 ほか、チャート式の世界史の前川貞次郎(まえかわていじろう)も2004年に死没しています。 (なお、チャート式の倫理の共著者の佐藤正英は2023年に亡くなられました。もう一人の共著者の片山洋之介も2014年に亡くなられています。) そういった古い内容の参考書もそれはそれで必要とする人もいるし高学年で使うようになる可能性もあるので書店にはおいてあるのですが、とりあえず入学はじめのころ~高校2年の段階では新しい版の参考書を買うのが無難です。 ほか、駿台の英語の参考書の伊藤和夫(いとうかずお)も1997年に死没しており、改訂不可能です。駿台の化学の三國均(みくにひとし)も2005年に死没。なお、物理の山本義隆(やまもとよしたか)は2023年現在まだ生きています。 それでもどうしても古い参考書を使うなら、普段の学習では、歴史科目なら他社の時事的な資料集で補うか、あるいは他の教科なら別の新しい参考書を使用すると良いでしょう。 ;問題練習 (問題集ではなく)標準的な参考書にあるていどの問題は、すべてやりましょう。数学以外では、そんなに参考書の問題は時間が掛からないと思います。数学については、その科目の学習方法のページを参照してください。 大学受験をして日東駒専(日大・東洋・駒沢・専修)とかに一般入試で行きたいなら、最終的に高校2年後半~3年くらいから問題練習を中心とした勉強に移る必要があります。3年次にそれを実践できるペースを意識して日々の予習復習などの勉強をしてください。 入門的な参考書なら、そんなに問題をやりぬくのに時間が掛からないと思うので(ただし数学を除く)、2冊目の参考書を読むに行きましょう。この際、前の参考書で練習したことは、新しい参考書では、いちいち再練習する必要ありません。まだ練習してないタイプの問題を練習してください。 問題集はよく吟味し、少ない冊数に絞りこんでやりこむのが適切です。 参考書によって、伝統的な教育内容を中心的にあつかった参考書もあれば、近年の入試動向を反映した参考書、さらには近年の検定教科書のあつかう話題を組み込んだ参考書もあり、多種多様です。たとえば、文英堂シグマベストと数研出版チャート式と学研の高校参考書では、明らかに編集方針が違っています。 ですので、複数冊所持することは一向にかまいませんが、科目や参考書のタイプによっては、記述が膨大だったりしてやたら沢山買っても読むのに時間をとられてしまい問題練習をできなくなってしまいます(もし問題練習を無視すれば、読むだけなら時間はある)。問題練習できなくなるぐらいなら、そういう科目では、これと決めた参考書を1冊やりこむ方が適切でしょう。 === 定期テストのレベルの問題集に取り組む === :※ この段階は、高校1年生と2年生を対象にしています。 ある程度教科書・参考書を読んだら、次は高校の定期テスト対策レベルの簡単な問題集に取り掛かり、読み終えたぶんの問題を練習します。 (このような定期テストレベルの問題集は、「ワークブック」などと呼ばれる。書店では、参考書コーナーに置いてあるのが普通。) 教科書・参考書を読むだけだと、書き取り練習や計算練習などができません。そこで、高校1年 - 2年2学期くらいの段階では、高校生用の市販のワークブック(高校から配布される場合もある)を活用してください。書店の高校参考書コーナーの付近にあります。もし高校から教科書会社などの出版しているワークブックを配布されていたら、その配布されたワークブックを利用しても構いません。 教科書や参考書を読みつつ、必要に応じて、ワークブックの問題を解いてください。 参考書にも練習問題がある場合もありますが、問題量が不足してたり、問題レベルが初心者に合ってなかったりして、いきなり参考書の問題集に取りかかるのは非効率です。まずは「ワークブック」から練習するのが効率的です。 ただし、ワークブックは出題が基礎的な内容に限られているため、高校2年生の2学期くらいからは将来的に入試問題慣れをするため、受験を意識した問題集に切り替えましょう。 参考書を読み進めることと並行して、問題集での問題練習に取り掛かってください。 このさい、問題集には書き込みしないように。教科書にも、書き込みしない。今後の復習のためです。そして、なるべく早めに教科書や参考書の未読部分を通読し、教科書や参考書を読み終え、なるべく早めに簡単な問題集を終えてください。 国立志望などのように受験教科数が多い場合や、部活や委員会などに時間を取られる場合、高校2年終わりまでにワークブックが終わらないかもしれません。その場合、偏差値50以上の高校で普段から真面目に勉強してるなら、わざわざ3年生でワークブックを勉強する必要がありません。高校3年になったら、より実践的な問題集に時間を割くべきです。 さて、基本的なレベルの問題集だけだと入試を突破するのは難しいが、基本的なレベルの問題集も確実に解けないようでは入試を突破できるはずがない。まずは基本的なレベルの問題集もきちんと問題練習するべきです。 === 定期テストの後に、復習を忘れずに === 定期テストの前には言われなくても試験勉強をするでしょう。それはそれで、試験前の勉強も必要なのですが、しかし、定期テストをこなすだけで満足してはいけません。定期テスト後に、最低限、未修得の分野を復習する事が必要です。全国模試の場合も同様です。 === 入試平均レベルの問題集に取り組む === :※ この段階は、高校2年生と3年生を対象にしています。 次に、入試対策用の問題集に取り組みます。まずは平均的な難度の大学向けの問題集でよいので、問題集を入手して、問題練習してください。この「標準的」とされる「入試」対策用の問題集ですら、現役の高校生には、解くのがかなり難しいです。なので、まだ「難関校むけ」の問題集には取り掛からないほうが良いでしょう。解けない問題集の解答冊子を読む作業ほど無駄な勉強はありません。たとえ難関校を志望する場合ですら、標準難度の入試問題を解く能力も要求されます。なので、志望校が難関校か中堅校かのどちらにせよ、平均的な難度の入試対策問題集を解きまくれる能力が、受験生のころまでに必要になります。難関校向けの問題集よりも、まず先に標準レベルの入試対策問題集を使用してください。 * 高校1年の読者の場合 高校1年生でも、授業で習うだろう数学IAや生物基礎などの入試問題は解けるかもしれませんが、入試問題集に深入りするのは2年以降で構いません。どうしても高1で入試問題集をしたい場合、センター試験対策の問題集にしておきましょう。 なお、たとえどんなに数学IAの入試難問が解けたところで、数学IIIの平均的な入試問題が解けなければ、理系のまともな大学には不合格です。どんなに生物基礎の難問が解けたところで、高2高3で習う生物(旧・生物II)科目の平均的な入試問題が解けなければ、理工学部の生物学科には不合格です。 == 大学受験に向けて == === 入試と教科書とのズレが大きくなっている === 2024年の現在、探求学習が増えたりして座学的な知識の授業時間が減ったにもかかわらず、実際の大学入試問題では、座学的な知識の要求量はあまり減っていません。 科目によっては私大どころか国の新共通試験ですら、過去のセンター試験時代とあまり量が変わってないように見えるような実態があります。 対策としては、(検定教科書だけでなく)参考書・問題集による予習が必要になっています(もちろん復習もそのあとに必要ですが、まずは予習です)。いつから予習をするかやその程度については志望校や科目にも寄るので個々人に任せますが、ともかく検定教科書と一般入試の出題とのギャップが大きくなっている事は把握してください。 もちろん一般入試以外の経路(指定校推薦や総合型選抜(AO入試)など)で進学するのも人によっては手段ですが、ともかく検定教科書と一般入試がズレています。 日本史で、探究学習で日本史の教科書が薄くなったにもかかわらず、市販の教材を見てみると入試に要求される知識量が変わっていない、という報告があります<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=g68S-PC_M10 コバショー 著『大学受験はさらに先取りの時代へ!』、2024年02月24日 ]</ref>。 === 過去問に取り組む時期について === :※ この段階は、高校2年生と3年生を対象にしています。 大学入試対策の最後の仕上げとして、志望校の過去問に取り組みます。注意すべきなのは、過去問とは出題傾向や難度のレベルを調べるためのものであり、使用者の学力向上を第一目的としてはいないということです。眺めるのは早いに越したことはないですが、やりこむのは入試直前期だけで十分です。ただし、入試直前期には必ずやりこむべきです。特にセンター試験の過去問などは、試験馴れの目的も含めて、少なくとも過去数年分のセンター過去問ぐらいは練習したほうが良いでしょう。 高校3年になったばかりの時期では、過去問の得点が悪いのが通常<ref>『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、136ページ</ref>だと市販の学習ノウハウ本にも言われてますので、あまり過去問対策を急ぎすぎないようにしましょう。 == 教科ごとの学習のバランス == === 英数国が基本 === 特に受験直前ではない低学年の学習において、基本的な教科として重要なのは英語・数学・国語の3教科です。これは、これら3教科の学力をつけるには付け焼刃ではなく時間をかけたじっくりとした学習が必要なこと、これら3教科の学力をつけることが他教科の学習効率にもつながってくること、これら3教科は大学入試において大きな配点で課されることが多いこと、などによります。中でも大学入試においては、国語は文系、数学は理系において特に重視されがちですが、英語は文理ともに最重要な教科であり、1年生のときから英語の学習を重点的に行うことが推奨されます<ref>『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、132ページ</ref><ref>船登惟希 『改訂版 高校一冊目の参考書』、KADOKAWA、2019年3月18日、136ページ</ref>。大学入学後の学習にも英語力は文理とも必要なことを考えれば、当然と言えるかもしれません。数学に関しては、英語についで文理ともに重要であり時間のかかる教科ですので、英語についで早くから重点的に学習することが必要になります<ref>船登惟希『改訂版 高校の勉強のトリセツ』、GAKKEM、2020年3月31日 改訂版 第1刷、132ページ</ref>。 === 文理選択との兼ね合い === 普通科の高校の多くでは、高校2年生から文系と理系に分かれたカリキュラムで学習するために<ref>『高校の勉強のトリセツ』、GAKKEN、126ページ</ref>、その選択は実際には1年生の間に迫られることになります。大昔は3年生で初めて文理を選択することが主流の時代もありましたが、昨今の学習内容の増加により、それでは各教科の学習が十分できなくなっているためです。高校1年生で進路を真剣に考えなければならないというのはそれだけでとても高いハードルですが、厳しい言い方をすればもう高校生なのですから、自分のことは自分の頭で真剣に考え、適切な選択をしなければなりません。 2年生以降の学習では、文理選択によりカリキュラムが決まってくることで、学習する教科のバランスは自ずと希望する進路に最適化された形で調整されます。逆に言えば、そこから進路志望を変更すること(いわゆる文転など)は極めて厳しい道になりますので、文理選択の前に十分に進路について考えておく必要があります。 == ノートの使い方 == 記憶の定着を図るために、授業の内容などをノートにとるという学習は有用かもしれません。 === ノートづくりを目的にしてはならない === ノートを作る際に注意すべきなのは、ノートはあくまで手段であって、ノートづくりが目的ではないということです。複数の色のボールペンやマーカーを駆使して鮮やかなノートを作り上げる人がときどきいますが、その作業自体はあまり学習には役立たず、無駄な時間になることがほとんどです。 ノートは、書き取り練習だと割り切って、使ったほうが良いでしょう。手を動かして練習したいなら、ノートづくりをするよりも、語句の書き取り練習とか、あるいは問題練習などに時間を割いたほうが良いでしょう。「必要に応じて、ノートを作れる」という能力は、学習の結果・成果であって、けっして学習の手法ではありません。 === カラフルなノートを作る必要は無い === たとえノートで色ペン・色マーカーを使うにして、せいぜい赤ボールペンまたは青ボールペンか、あるいは色マーカーの一本でもあれば、高校生のノートでは十分でしょう。べつに予備として青ペンとか5色マーカーとかを持っていても構いませんが、あまり色の使い分けを気にする必要はありません。教師が色チョークを使うたびにその色のペンでノートをとる人が多くみられますが、実は教師自身も使い分けを意識せずなんとなく別の色を使っている場合もあります。ですので、わざわざマーカーの色を語句によって使い分けることを、いちいち気にするぐらいなら、いっそのこと、ぜんぶ同じ色のペンで使ってしまったほうが良いでしょう。複数の色ペンを使い分ける労力があるなら、授業中ならば教師の説明を聞いて理解することに集中してください。家庭学習なら、複数の色ペンを使いわける労力があるんだったら、その時間を使って参考書を読み込むとか、問題練習とかをしたほうが良いでしょう。 === 書き取り練習 === 英語や社会科や古文漢文などの文系科目において、ある程度の書き取り練習は必要ですが、すべてを丸暗記しようとして1度に10回や20回もの書き取りをするような学習はやめましょう。高校では中学のように易しい内容ばかりを問うてはくれませんので、丸暗記ではとても乗り切れないのです。 高校生の文系科目の勉強法は、まずは、ひととおり教科書・参考書の各章・各節を読みおえたら、重要語句を覚えたり、その周辺の知識を覚えるなどしましょう。このとき、細部の丸暗記は後回しで、全体の流れを理解するように努めましょう。 しかし、社会科の場合、何十回と書き取るヒマがあるなら、市販の用語集などを読み込んだほうがマシでしょう。 なお、共通テストはマークシート方式のため、社会科の用語の漢字を問う問題などの書き取りは出題されないので、注意のこと。 また、書き取りの他にも、教科書・参考書を声に出して読んだりと自分で勉強方法を工夫しましょう。 === ノートと雑紙 === 高校の5教科の家庭学習では、ノートの復習・整理よりも、書き取り練習用の用紙や、あるいは計算練習用の用紙などの「雑紙」が、必要になります。なので紙の枚数のことを気にせずに好きなだけ書き取り練習などに使えるような「紙」はたくさん用意しておくべきです。不要になったプリントの裏紙など、なるべく遠慮なく使い捨てられる紙を、たくさんストックしておくとよいでしょう。そのような紙を用いて、書き取り練習をしたり、計算練習をしたり、問題練習をしたりと、どんどん手を動かして記憶や理解を定着させる練習作業のほうが、はるかに学習として役に立ちます。 もしノートに知識をまとめるなら、雑紙で練習したあとの自分の知識をまとめたものをノートにきれいに記すとよいでしょう。むろん「きれいに」というのは日本語の「てにをは」をしっかり補って答案を作成するということで、けっして色鮮やかにすることではありません。 === ノートの提出・チェックなど === そうして、もし、そこそこ整理されたノートがあれば、機会があれば、学校教員または塾講師などに確認してもらえるように、彼ら教員・講師などに頼んでください。ここで、採点者に通用する答案を作成する練習をすることができます。単にノートで知識を整理するだけでは、あまり論述の練習にはなりません。だれかにノートの質を確認してもらう必要があります。質の確認の取れてないノートは、その時点では、まだ単なる鉛筆で書き込みされた紙の集まりに過ぎません。 ただし、教員にも仕事があるでしょうし、あなた以外の生徒も相手にしないといけませんので、無理にはノート確認をお願いしてはいけません。塾講師などを利用する必要があるかもしれません。もし、教員や塾講師が忙しくて、あなたのノート確認まで時間を取れないなら、自分でワークブックや問題集などで問題練習して、知識の質を確認します。簡単なワークブックとか、簡単な問題集などでも良いので、それらの教材を利用して問題練習することで、知識の質を検証してください。 さて、学校によっては、ノート提出を学生に要求する場合もあります。もし、そういう機会があれば、せっかくの機会を利用して、ノートを提出して教員に確認してもらいましょう。また、レポート課題などを出す学校もあります。ノートに整理した内容がレポートに利用できそうであれば、せっかくノートにまとめたのですから、その内容をレポートにも利用しましょう。 ただし何度も注意していますが、ノート作りはあくまで補助であって、けっしてノートづくりが目的ではありません。無理にノート作りに時間を割く必要はありません。また、無理にノートを教員・塾講師などに提出・確認依頼する必要もありません。「もし、そこそこ整理されたノートがあれば、」というふうに「もし」という条件つきです。ノートの整理のために、書き取り練習などの時間を減らしてしまうのは、本末転倒です。 ノート作りは、自然に授業中の内容とかをノートにメモしていく程度で良いのです。自然にそこそこのノートが出来上がれば、せっかくノートがあるのでしょうから、利用するのも一手というだけです。 === ノートを書かない === 思い切ってノートを全く書かないというのも一つの手です。せっかく苦労してノートを書いても、専門家の書いた教科書・参考書には遠く及びません。それならば、最初から既に完成された教科書・参考書を使って勉強したほうが良いでしょう。 == 教科書ガイドについて == 教科書ガイドの使い方について、次の2通りの意見が提出され、議論になっています。読者は、自己責任で判断してください。 === 説1 === 書店には、「教科書ガイド」があふれています。特に古典や英語なら、これがあれば予習のためにわざわざ自分で訳を考える必要はない、という代物です。教科書ガイドは、次のような目的には大いに役に立ちます。 * 目前の授業でとりあえず教員に怒られないで済ませるため * 目前の定期テストでとりあえず赤点をとらないため 一方、次のような目的には全く役に立ちません。 * 大学受験に対応できる学力をつけるため そもそもなぜ授業の予習で訳をさせるのでしょう。それは、訳を覚えるためではありません。なにしろ、教科書に載っているのとまったく同じ文章は、(稀に不注意な大学がうっかり「やらかす」ことを除けば)受験には絶対に出ないのです。授業の予習で訳をするのは、訳をするという経験を積むことによって、次に見る文章は自分で訳せるようにそのノウハウを身につけるためです。出来上がった訳などはどうでもよく、訳を作るという経験が重要なのです。その経験をすっ飛ばしてしまう教科書ガイドは、百害あって一利なしです。赤点をとらなければそれでいい、というのであれば構いませんが、学力をつけたいと思うのであれば、次の古紙回収の日にまとめて捨ててしまいましょう。 === 説2 === 古典や英語なら、教科書ガイドがあれば、自分で訳を調べる手間が、かなり省けます。古典の場合、訳を考える必要が英語よりも少ないため、古典の教科書ガイドに現代語訳がすでに書かれており、古典の教科書ガイドは大いに役に立ちます。(とはいえ、古文単語集なども勉強しておきましょう。) また、古典の市販の和訳集は、たとえ高校生向けのものでも、巻号(「第○○巻」などのこと)ごとに特定の作品にばかり深入りしているものが多く(たとえば第1巻は1冊まるごと「枕草子」とか)、入試動向とはズレているので、リスク分散のためにも、古典の教科書ガイドを何冊か購入して読んでおくのが安全でしょう。 また、国語では現代文の場合でも、著作権の理由などか、国語の市販の参考書では解説の書かれていない作品についても、教科書ガイドで解説が書かれており、参考になる場合があります。 ただし、古典を除けば、英語や現代文では、教科書とまったく同じ文章は、普通は入試には出ないので、入試対策としては、あまり教科書ガイドは役立ちません。 なので、その教科の入試動向が分からないうちは、なるべく普段の学習では、教科書ガイドでなく、まずは参考書で勉強しましょう。例外的に、教科書ガイドも深く読んだほうが入試対策もふくめて勉強しやすい科目や事柄(古典の訳、定期テスト対策など)だけ、教科書ガイドで勉強するのが効率的でしょう。 なお、英語の教科書ガイドには、そもそも、教科書の英文そのままの翻訳は教科書ガイドには書いておらず、かわりに教科書で使用されている熟語や構文などの解説が書いてあるだけです。結局、教科書ガイドを読んでも、自分で和文翻訳を考える必要が残ります。英語の教科書ガイドは、単に辞書や単語集を調べる手間を減らすためのものです。 教科書ガイドだけで勉強していると、本来は理解できていない構文でも、教科書の構文まるごと訳を覚えてしまったりして、それでも定期試験では高得点がとれてしまう場合もあり、ついつい「理解したつもり」になってしまいがちです。なので、英語の教科書ガイドにある(構文や熟語などの)翻訳は、あくまでも定期テスト前などの確認の用途にしておきましょう。 もし、自分のこれから勉強しようとする教科が、教科書ガイドを使用せずとも充分に勉強できる教科であれば(例えば数学や理科では、教科書ガイドを使う機会がない場合がほとんど)、むしろ、わざわざ教科書ガイドを購入しないほうが、「理解したつもり」に陥る(おちいる)ことを防げるので、安全かもしれません。 同様に、国語や英語などの定期試験対策をする場合でも、なるべく、教科書ガイドに頼る時間を減らすように努力しましょう。そのため、教科書ガイドだけを購入するのではなく、5教科の参考書も購入しましょう。 また、国語の古典でも、平均レベルを越えた大学の場合、検定教科書でも扱ってない作品を出題する事があるので、教科書ガイド以外に古文単語集などの勉強も必要です。 なお、どの教科でも、授業ではその教科書すべてを扱いきれず、いくつかの単元が未習になる場合もあります。そのような場合に、独学したい場合に、教科書ガイドは活用できます。センター試験の出題範囲は、その科目の検定教科書の範囲を参考にしていますので、時間に余裕があれば、検定教科書の未集でやり残した範囲も勉強しておくと、入試対策としても安全です。 教科書ガイドがなくても、参考書などを頼りにして、ある程度は独学する事はできますが、しかし教科によっては(国語など)、教科書の問題の答え合わせが、参考書だけではできない場合があります。そのような場合の、教科書の答え合わせに、教科書ガイドが役立ちます。 特に国語の場合、参考書でも扱っていない作品があり、すべての作品の解説を購入するのは無理なので(金銭的にも難しいし、そもそも現代文では高校生向けの解説書が販売されてない作品がほとんど)、独学の際にも役立ちます。 教員の中には、不適切な量の予習を要求する教師もいて、そのような教師への対策としても教科書ガイドが有効な場合があります。生徒にはまず全教科の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目ばかり、大量の予習を要求したりする指導などがありますが、しかし教科書ガイドがあれば予習がしやすくなり、そのような不適切指導による負担が軽減されます。 学校教員のなかには、教科書ガイドの内容をよく知らずに、憶測だけで「教科書ガイドを使うべきではない。教科書ガイドは役に立たない。」という主旨の指導をする人も、ときどき居ます。ですが、教科書ガイドの出版社も、それほど馬鹿ではないので、マジメな高校生が読んでも役立つように内容を工夫しています。 もし、教科書ガイドによって、教員の授業の価値が成り立たなくなるとしたら、役に立たないのは教科書ガイドではなく、教科書本体に何らかの欠陥があるのでしょう。裏をかえせば、数学や理科などのように、教科書ガイドがなくても、教科書と参考書だけで充分に勉強できる教科では、当然ながら、教科書ガイドは、あまり役立ちません。 なので、その教科・科目の特徴や入試傾向によって、教科書ガイドを購入するかどうか、使い分けましょう。 == バランスよく学習する == 教科ごとの学習量のバランスにも注意しましょう。特定の科目に偏るのではなく、全教科をしっかり学習することが、進路実現のためにも役に立つのです。このように言うのは簡単ですが、各教科の担当教員ごとに予習復習や課題の要求量が違いますので、ついつい課題の多い教科の学習に偏りがちです。ですので、バランスよく学習するためには、そのような意識を常に持っていることが不可欠なのです。 ※ 次の2通りの意見が提出され、議論になっています。 :意見A: 2年生前半までは英数国の3教科の力をしっかりまんべんなく伸ばしましょう。 :意見B: 2年生前半までは英数国の3教科の力を中心に、高校で習う全ての教科を伸ばしましょう。 これらの教科はどのような進路を選ぶにしろ学習を避けられませんし、力をつけるのに時間のかかる教科です。2年生後半からは理社にも力を入れ、5教科のバランスを整えていくことになります。このときまだ英数国の基礎力が不十分だと、理社まで手が回らず、どっちつかずでどうしようもなくなります。1年生から2年生前半までで英数国に穴をつくらないことが必要不可欠です。 == 塾・予備校の注意点 == 塾や予備校の中には、不適切な指導をするところもあるので、注意が必要です。生徒にはまず学校での学習があり、他科目の学習があるということを無視して、いたずらに自分の担当科目の、自分の塾オリジナルの、不必要な難問を含んでいたりする教材を勉強させたり、大量の宿題を要求したりする指導などが代表的でしょう。 志望校や受験校の選択についても、過度に現役合格にこだわるあまりの不適切な指導をされることもしばしばあります。こういった指導をする塾や予備校は、市場原理で淘汰されてはいるものの、根絶されてはいません。その塾・予備校に相談しても改善が見られない場合、保護者に相談して、他の塾・予備校に変えるなどの対策が必要です。 == 大学進学に要求される「理解」の水準 == 勉強には「理解」が大事と言いますが、では大学受験で要求される「理解」とは具体的にどのような知的水準でしょうか。目安として、答えは、書籍『高校の勉強のトリセツ』によると、何とか年下に教えられるレベルです<ref>船登惟希・山下佳祐 共著 『高校の勉強のトリセツ 改訂版』 、学研プラス、2020年3月19日 、</ref>。 もっとも、若干は比喩であって、実際には高校生が年下に教える必要はありませんし、じっさいに高校時代に教えるのは時間の無駄でしょう。なぜなら素人の高校生が教育しても非効率なので。教員免許をもった専門家である学校の教師や、塾などの大卒の講師がいますので、彼らに任せたほうが効率的です。 とりあえず勉強のさいの脳内シミュレーションとして、架空の弟や妹などで、性格が少し生意気だけど根がマジメで勉強家で理屈屋のイマジナリー弟みたいなのを脳内で想定して、ときどき、彼に教育するシミュレーションというかメンタルトレーニング的な何かをする感じで脳内で授業を論理構成して自分に教育すると良いでしょう。過去の自分に教育するように、自分が悩んだところを、彼に分かりやすく教えることを目指すと良いでしょう。ときどき、で良いです。毎日やると面倒ですので。 じっさい、一昔前の2001年あたりの学習塾の大学生アルバイトも、たとえば大学進学して文系の学部に入学した学生なら、塾講師のバイト内容は、中学生の塾生への文系科目の講義がバイト内容です。同様、理系の学部に進学したら、塾講師バイトの内容は中学生に理系科目を教えられるレベルが水準です。 また、大学の教職課程(きょうしょくかてい)について、どんな大学でも教職課程を修了して大学卒業すれば、少なくともその学部学科の専門分野についての教員免許は取れます(実際には、公立教師の場合、加えて都道府県の採用試験などがある)。大学進学とはそういうレベルですので、そこから逆算すると、つまり本来の高校教育で大学進学コースの生徒に要求されている知的レベルが分かります。 もっとも、現実の高校は中学の延長上のようになっており、その水準まで到達していませんが。 もちろん、教科書・参考書などの助けもあって何とか教育できる、という話です。少なくとも、進学校の高校1~2年の基礎レベルでも、脳内弟(理屈屋)の教育は、そこそこ有効な勉強法でしょう。 なぜなら、そもそも進学校の高校1~2年に選ばれる科目の内容は、使用頻度が比較的に高く、加えて論理的思考力を養いやすい内容が選ばれているので、なので比較的に実用的で理路整然とした内容が選ばれているはずだから、です。 高校前半の教育内容が、そういった思考力のようなものを涵養できる教育内容になるように、文科省が定期的に指導要領を変えているし、大学入試センターなどにも行政命令をしているから、です。 また、教える職業なら、実用的にはスピードが要求されますので、そのためには自分が問題練習することも必要です。 第二次世界大戦の日本の海軍の提督(ていとく)である山本五十六(やまもと いそろく)という人物が、次のように格言を言っています、 :「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」 という川柳のような格言を山本は言っています。 大学進学者は、学問をやってみせる事ができるように、だから問題練習も必要なのです。 仮に自分が教師だとして授業中に予習不足で1分なやんだら、もし40人学級の担当なら、40倍の40分間の時間の無駄になってしまうのです。だから架空の授業で扱うレベルの練習問題は、スムーズに授業ができるように、きちんと練習をしないといけません。 だから大学進学コースの高校生には問題練習が必要であり、受験基礎レベル~標準レベルの簡単な問題集でもいいので、問題練習が必要なのです。 仮に中学卒業生に高校1年の内容を教えるなら、教育側としては評判の良い参考書などにも目を通して検定教科書以外にも周辺知識を増やさないといけません。一般に教育学などでは「人にものを教えるには、教える内容の3倍の知識が必要」と言われており、大学教育での授業時間の計算も本来はそういう理念に基づいています(大学教育の実態とは違いますが)。 ただし、高校3年で習うレベルの選択科目(世界史探究など探究科目や、専門『化学』など理系専門科目、数学III・C など)は、なんだかんだで問題練習などを多くして覚えるしかないでしょう。探究科目などの上級の分野は、なんだかんだで、思考力うんぬんを抜きにして網羅的に繰り返し反復練習などで覚えるしかないので、だから後回しの3年生の科目にされているわけです。 == 脚注・参考文献 == [[カテゴリ:高等学校教育]]
2014-10-25T03:46:48Z
2024-03-17T09:54:30Z
[ "テンプレート:独自研究の可能性" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A15%E6%95%99%E7%A7%91%E5%85%A8%E8%88%AC
19,573
学習方法/普通科高校全般
以下の記述は高校卒業後の志望進路が、大学進学の場合を前提としたものです。 まずはじめに、現在の日本の高校にはどのような教科・科目があるのか、そのうち卒業するためにはどの科目を学習する必要があるのか、大学入試を受験するためにはどの科目を学習する必要があるのか、について解説します。なお、本ページでは 12022年以降に高校に入学した人(新課程)、22021年までに高校に入学した人(旧課程) が受けるカリキュラムについて述べます。 学習指導要領は約10年に一度のペースで全面的に改定されるため、それ以前の高校生の参考にはまったくなりません。 高校では、以下に定めるルールに従って学校がカリキュラムを作っています。その際、生徒自身が選択できる余地をいくつか残しており、その部分については、文系か理系かという「類型」を選ぶ類型選択や、個別に科目選択という形で選択をすることになります。多くの高校で、2年生になるときに文理の類型選択をすることになるでしょう。その際に選んだ類型と異なる学部学科を受験することは不可能ではありませんが、大きな不利を強いられることになりますので、この時点で進路を真剣に考えたうえで選択しなければなりません。 法律的には、高等学校を卒業するためには、「必履修科目」および「総合的な学習の時間」をすべて履修(りしゅう)したうえで、最低限でも74単位以上を修得しなければなりません。ただしこの規定はあくまで「74単位を下回ってはならない」という必要条件であり、それを上回る単位を取得するのは構いません。このほか、実際に卒業を認めるかどうかは各学校の規定に従って校長が判断します。 専門用語が多数出てきたので解説します。 必履修科目は必ず履修しなければならない科目であり、これを履修せずに卒業することはできません。 基本的には学校が適切にカリキュラムを作成しているはずですので、以上のルールを生徒が細かく気にしなければならない場面はそれほど多くありません。普通にほぼ毎日(病欠などは例外)学校に通っており、学校の提供する科目の授業を受け、試験に合格すれば、3年生を卒業するまでに卒業要件に必要な単位数を上回るはずでしょう。 この節では各教科ごとに、設定されている科目、そのうち必履修科目、大学受験でしばしば課される科目を新旧過程ともに解説します。なお、学習指導要領は学校独自の科目を設定することも認めていますので、ここにない科目が開講される高校も多数存在します。 旧過程と大きく変わっているため、2022年以降の新課程と2021年までの旧課程を説明します。 1新課程:「現代の国語」・「言語文化」・「論理国語」・「文学国語」・「国語表現」・「古典探究」 必履修科目:「現代の国語」・「言語文化」 新課程で必履修科目は「現代の国語」と「言語文化」です。内容は次の通りです。 「現代の国語」では、実社会・実生活に生きて働く国語の能力を育成する科目(現代文に該当)です。 「言語文化」では、上代(万葉集の歌が詠まれた時代)から近現代につながる日本の言語文化への理解を深める科目(古文に該当)です。 。 2旧課程:「国語総合」・「国語表現」・「現代文A」・「現代文B」・「古典A」・「古典B」 必履修科目:「国語総合」 旧課程で必履修科目は「国語総合」のみです。「国語総合」では、現代文的な内容と古典的な内容の両方を学びます。 受験については、国公立大学を受験する場合には文理ともに大学入学共通テストで「国語」教科を受験することが必要であり、文系では二次試験でもしばしば課され、国立理系でも二次試験に国語を課す大学は少数あります。国語は教科の特性上、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですので、受験のためにどの科目を学ばなければならないかということは出来ませんが、学力をつけるという意味で現代文や古典も学習することが一般的であり、推奨されます。 旧過程とほぼ大差がないため、2022年以降の新課程のみ説明します。 1 地理歴史:「地理総合」・「歴史総合」、「日本史探究」・「世界史探究」、「地理探究」 2 公民:「公共」、「倫理」、「政治・経済」 地歴は2科目履修することが必要です。地歴には総合と探究の2つの科目がありますが、総合は概論的、探究が本格的な科目です。大学入学共通テストでは総合・探究いずれも科目として設定されていますが、受験の実情では探究を1科目というのが、国公立大・私立大ともに多くの大学入試での標準的な要求です。総合は使用不可とする大学が多く、国公立入試の二次試験でも探究が範囲とされます。したがって、受験に使う科目の探究と、使わない科目の総合というパターンで履修するのが一般的です。 公民は3科目ありますが、「公共」1科目を履修しなければなりません。受験においては二次試験の科目となることはほぼないため、多くの受験生が公民は大学入学共通テスト試験のみの受験です。大学入学共通テストでは「公共」、「倫理」、「政治・経済」、「倫理、政治・経済」の4科目が設定されており、このいずれかを受験することになります。ただし難関大を中心に大学入学共通テストでの公民は「倫理、政治・経済」以外を認めないという大学もありますので注意が必要です。 理系では大学入学共通テストは地歴公民合わせて1科目のみで可ですので、公民は「現代社会」をとりあえず履修だけして国公立受験には公共を使わずに地歴で受験するという選択もできます。文系では大学入学共通テストで地歴公民合わせて2科目が必要ですので、公民もいずれか1科目受験することになります。文系では二次試験で地歴のいずれか1科目を要求されるような大学もしばしばあります。 例外的に、東京大学文系では二次試験で地歴を2科目要求されます。 数学I・数学II・数学IIIはこの順で学ぶことになっている科目で、前の科目を飛ばして次の科目を学ぶことはできません。したがって、1年生で数学Iを学ぶことからスタートし、それぞれの内容を終えるごとに次へと進んでいきます。数学IIIは理系希望者のみ履修するのが一般的です。 数学A・数学Bにはこのような縛りはありませんので、数学I・数学II・数学IIIとは独立に、数学Aは1年生ないし2年生で、数学Bは2年生ないし3年生で学習することが一般的です。 必履修科目は数学Iのみですが、数学Iのみで受験できる大学はわずかです(専門学校は数学Iのみのところも多数あり)。センター試験では、数学1(「数学I」/「数学I・数学A」)・数学2(「数学II」/「数学II・数学B」)の2科目が設定されており、文理ともに多くの大学で「数学I・数学A」および「数学II・数学B」の両方の受験が要求されます。 二次試験では、文系国立では数学を課さない大学も多数ありますが、数学I・II・A・Bまでを範囲とする試験を課す大学も少なくありません。文系学部で数学IIIの入試を課す大学はごくまれですが、京都大学経済学部で数学IIIを選択可能なほか、一橋大学経済学部(後期)では数学IIIを出題範囲に含めながらも数学IIIを学習していない受験者が不利にならないよう選択問題などで配慮するとしています。 理系国立では多くの大学の二次試験で数学が課されますが、範囲が数学I・II・A・Bまでか数学IIIも含むのかは学部・学科によりますが、多くの大学の理系学部では数学IIIも入試に要求されます。また、二次試験では数学Bの単元「確率分布と統計的な推測」を出題範囲にする大学としない大学とがありますので、注意が必要です。私立大学の理系学部についても同様です。 2020年時点における新課程・旧過程ともに全く同じ科目です。 必履修科目は、「科学と人間生活」を履修すればあとは「基礎」科目を1科目履修すればよいが、「科学と人間生活」を履修しない場合は「基礎」科目3科目の履修が必要です。「科学と人間生活」は大学受験には一切使えない科目ですので、大学受験をする前提ならば基礎3科目が一般的な履修でしょう。 大学入学共通テストでは、理科1(基礎科目)と理科2(基礎がない科目)、計2科目が使用可能です。ただし基礎科目は、2科目で1セットの扱いです。文系では基礎2科目の1セット、理系では無印を2科目というのが標準的な要求でしょう。 二次試験では、文系で理科が課されることはまずありません。理系では無印科目(「物理」、「化学」、「生物」、「地学」)を1 - 2科目課されます。ただし、大学入学共通テスト・二次試験ともに、「地学」での受験を認めない大学は少なくないですので注意が必要です。以上は私立大学の理系学部についても同様です。 教科名は「外国語」であり、英語以外を学んでも構わないのですが、英語以外の言語を開講する高校はごく少数です。ほとんどの高校では、外国語の授業では英語だけを学ぶことになります。大学入学共通テストではドイツ語・フランス語・中国語・韓国語も用意されていますので、これらの言語で腕に覚えのある受験生は利用することも可能です。二次試験で英語以外の外国語を設定する大学はほとんどありません。 必履修科目は「コミュニケーション英語I」のみです。受験では文理ともに、大学入学共通テスト・二次試験両方で課されることが非常に多く、全ての高校生が受験対策することになる教科です。大学入学共通テストでは筆記とリスニングの両方の受験を必須とするのが一般的です。国語と同様に、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですが、学力をつけるという意味で「コミュニケーション英語II」以降や「英語表現」についても(履修するかはともかく)学習することが推奨されます。 保健体育、芸術、家庭、情報の4教科についてまとめて解説します。 保健体育は2科目とも必修、芸術・家庭・情報はそれぞれ1科目ずつの履修が必要です。これらの科目が大学受験で必要になることは、例外として体育系や芸術系の学部を受験する場合に限られ、ごくまれです。しかし、高校を卒業するためには必ず履修しなければならない科目です。 芸術科目でどの科目を履修するのかは、一般的に高校生が自分で選ぶことになります。一般的には、「音楽I」・「美術I」・「工芸I」・「書道I」の4科目のうち、どれか1科目しか選べません。2科目以上を選ぶことは、通常の高校では出来ません(たとえば、「音楽I」と「美術I」の両方を履修するのは、普通は不可能)。また、「工芸」を開講する高校は少数です。 家庭科の履修科目については、「家庭基礎」・「家庭総合」・「生活デザイン」のいずれを履修するかは、高校側が決めるのが一般的でしょう。 情報科の履修科目については、情報Iが必履修です。かつては「社会と情報」・「情報の科学」という科目であり、高校側がどちらを履修するかを決めていました。 いくら定期考査の成績が良かろうが、大学入試の一般入試には受かりません。したがって、一般受験に絞る場合、高校の定期テストは留年しなければ大丈夫です。(ただし、2020年以降の現在、私大受験については推薦入試などで入学する学生の比率が大きくなっている) 大卒が就職活動する場合、企業は高校時代の成績なんて見ませんし、そもそも大卒就職の場合、高校の成績書類は企業に提出しません。 推薦入試の場合は学校の成績が大きく影響します。 ただし、高校の場合、中学校と違って高校では進路目標の近い生徒が集まっている可能性が高いので、定期考査対策が入試対策に直結する場合もあるでしょう。そのような場合、定期考査を切り捨ててしまうのはもったいないかもしれません。うまく活用して、入試に役立つ学力をつけたいものです。 なお、高卒で就職を志望する場合は、もしかしたら学校での成績が企業側からの評価基準の一部になるかもしれないので、高卒就職する場合も定期考査対策を重点に学習しましょう。 高校の国・数・理・社の内容は、中学校のように易しい内容ではありませんので、小手先の技術で何とかしようとしないことです。(ただし英単語など一部の分野は暗記せざるを得ない) 5教科の勉強では、なるべく基本的な事項から理解を深めることが、結局は学力をつける近道です。 ただし、知識の定着も入試などで問われますので、参考書を読む際は、書き取り練習や計算練習なども、必要に応じて行ってください。参考書では、重要語句などは太字になってるでしょうし、練習問題なども載ってるでしょうから、手を動かして書き取りなどの勉強してください。 詳しくは『学習方法/高校5教科全般』も参照してください。 もし職業高校などに通っていて、理科の教科書を購入する機会が無い場合で、それらの科目の教科書が欲しいなら、教科書取次店(とりつぎてん)で、高校3年の理科4科目や社会科公民の『政治経済』の教科書を取次店で買えます。 検定教科書の購入方法については検定教科書に解説があります。 2020年現在の教育制度では、5教科以外の保健体育とか家庭科とかはふつうの大学では入試に出ません。(ただし、体育大なら体育実技、音大なら音大実技、美大なら美大実技が出ることが多い) ですが、保健体育や家庭科とかが入試に出ないといっても、生活の役に立つ内容が手短かにまとまっているので、一度は目を通しておくべきですし授業も聞くべきです。ためしに、高校卒業後、必要になってから同様の内容の一般書を書店で探しても、驚くほどに内容の薄い本ばかりです。これらの分野では中学・高校の教科書が、実はかなり信頼できる実用書なのです。 しかし現実問題として、高校生は忙しいので、家庭科・保健の学習にそうは時間をかけられません。また、家庭科・保健体育の教育内容も理科・公民科目と比べると少ないので、そのため保健・家庭科・芸術科目は、(5教科とは区別すべきで)学習の基幹科目としては不適切です。しかし、極端に蔑ろ(ないがしろ)にするのももったいないことですので、余裕があるのであれば少しは学習時間を割きましょう。 なお、推薦入試で大学へ進学したい場合、大学側による「推薦していい高校生」の条件として大学側が機械的に「評定平均が5段階中4以上」とか決めてる場合があるので、そういう場合、保健体育や家庭科も含めて、成績をあげておく必要があります。ただし前述のとおり、大学入試では推薦入試は一般的な入試形態ではありません。 小学生のころだと、年度の変わり目などに、検定教科書を、ちり紙交換などに出したりして、捨てたりする事もあるかもしれません。ですが、高校では、復習などのために前の学年の検定教科書や学校配布のワークブックなどを読む機会も多いので、検定教科書を捨てないほうが良いでしょう。 例えば、「地歴公民」教科では、高校3年で習う事の多い「政治経済」科目の教科書を読んでも、「日本史」科目や「世界史」科目で習う内容については、ほとんど書かれていません。理系科目でも同様で、たとえば数学では、高校3年で習う「数学III」科目の教科書を読んでも、下の学年で習う「数学A」や「数学B」などの内容については、あまり解説していません。 地歴公民や数学に限らず、国語や理科でも同様ですので、ともかく下の学年で使ってた教科書や学校配布のワークブックなどの教材は、少なくとも高校卒業までは保管しておいてください。保管せずに検定教科書を捨ててしまうと、最悪、高校3年生の時や浪人生の時に、受験対策のために検定教科書を買い直す必要が生じます。 なお、市販の大学入学共通テスト対策などの参考書で、ある程度は高校教科書の範囲を確認できますが、かといって、全く検定教科書と大学入学共通テスト対策参考書が同内容ではないので、検定教科書は保管しておいたほうが得です。 また、検定教科書でなく、学校配布の資料集・ドリルなどの中には、購入の際に、学校教員の許可がないと注文出来ない教材も多くあります。もし、それらの購入に教員の許可の必要な資料集・ドリルなどを紛失してしまうと、購入し直すための手間が大きいので、たとえ学年が変わっても、高校卒業まではとりあえず副読本の類は捨てずに保管しておきましょう。特に実技教科(家庭科・保健体育・情報・芸術など)の資料集・ワークブックなどの副読本は、学校指定ルート以外では一般人が購入するのが困難な教材が多いので、たとえ受験で使わない科目でも、学校で貰った教材は卒業まで保管しておきましょう。 高校の資料集の場合、5教科の資料集の中には、一般の書店で買える資料集も多く流通していて学校でも採用されている資料集もありますが、しかし学生側の視点では「どの資料集が書店で市販されていて、どの資料集は市販されてないか」を判別するのは困難なので、とりあえず学年が変わっても資料集・ドリルなどは保管しておくのが安全です。 なお、大学受験で浪人した場合も、検定教科書の範囲を確認する目的で、検定教科書を読む可能性もあります。高校3年時点と卒業後で志望校が変わる場合もあり、そのため、検定教科書の範囲を確認しなおす必要が生まれる場合もあります。なので、高校卒業後もしばらく数年ほどは、高校の検定教科書は捨てないで保管しておくのが得策でしょう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "以下の記述は高校卒業後の志望進路が、大学進学の場合を前提としたものです。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "まずはじめに、現在の日本の高校にはどのような教科・科目があるのか、そのうち卒業するためにはどの科目を学習する必要があるのか、大学入試を受験するためにはどの科目を学習する必要があるのか、について解説します。なお、本ページでは 12022年以降に高校に入学した人(新課程)、22021年までに高校に入学した人(旧課程) が受けるカリキュラムについて述べます。 学習指導要領は約10年に一度のペースで全面的に改定されるため、それ以前の高校生の参考にはまったくなりません。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "高校では、以下に定めるルールに従って学校がカリキュラムを作っています。その際、生徒自身が選択できる余地をいくつか残しており、その部分については、文系か理系かという「類型」を選ぶ類型選択や、個別に科目選択という形で選択をすることになります。多くの高校で、2年生になるときに文理の類型選択をすることになるでしょう。その際に選んだ類型と異なる学部学科を受験することは不可能ではありませんが、大きな不利を強いられることになりますので、この時点で進路を真剣に考えたうえで選択しなければなりません。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "法律的には、高等学校を卒業するためには、「必履修科目」および「総合的な学習の時間」をすべて履修(りしゅう)したうえで、最低限でも74単位以上を修得しなければなりません。ただしこの規定はあくまで「74単位を下回ってはならない」という必要条件であり、それを上回る単位を取得するのは構いません。このほか、実際に卒業を認めるかどうかは各学校の規定に従って校長が判断します。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "専門用語が多数出てきたので解説します。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "必履修科目は必ず履修しなければならない科目であり、これを履修せずに卒業することはできません。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "基本的には学校が適切にカリキュラムを作成しているはずですので、以上のルールを生徒が細かく気にしなければならない場面はそれほど多くありません。普通にほぼ毎日(病欠などは例外)学校に通っており、学校の提供する科目の授業を受け、試験に合格すれば、3年生を卒業するまでに卒業要件に必要な単位数を上回るはずでしょう。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この節では各教科ごとに、設定されている科目、そのうち必履修科目、大学受験でしばしば課される科目を新旧過程ともに解説します。なお、学習指導要領は学校独自の科目を設定することも認めていますので、ここにない科目が開講される高校も多数存在します。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "旧過程と大きく変わっているため、2022年以降の新課程と2021年までの旧課程を説明します。 1新課程:「現代の国語」・「言語文化」・「論理国語」・「文学国語」・「国語表現」・「古典探究」 必履修科目:「現代の国語」・「言語文化」 新課程で必履修科目は「現代の国語」と「言語文化」です。内容は次の通りです。 「現代の国語」では、実社会・実生活に生きて働く国語の能力を育成する科目(現代文に該当)です。 「言語文化」では、上代(万葉集の歌が詠まれた時代)から近現代につながる日本の言語文化への理解を深める科目(古文に該当)です。 。 2旧課程:「国語総合」・「国語表現」・「現代文A」・「現代文B」・「古典A」・「古典B」 必履修科目:「国語総合」 旧課程で必履修科目は「国語総合」のみです。「国語総合」では、現代文的な内容と古典的な内容の両方を学びます。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "受験については、国公立大学を受験する場合には文理ともに大学入学共通テストで「国語」教科を受験することが必要であり、文系では二次試験でもしばしば課され、国立理系でも二次試験に国語を課す大学は少数あります。国語は教科の特性上、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですので、受験のためにどの科目を学ばなければならないかということは出来ませんが、学力をつけるという意味で現代文や古典も学習することが一般的であり、推奨されます。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "旧過程とほぼ大差がないため、2022年以降の新課程のみ説明します。 1 地理歴史:「地理総合」・「歴史総合」、「日本史探究」・「世界史探究」、「地理探究」 2 公民:「公共」、「倫理」、「政治・経済」", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "地歴は2科目履修することが必要です。地歴には総合と探究の2つの科目がありますが、総合は概論的、探究が本格的な科目です。大学入学共通テストでは総合・探究いずれも科目として設定されていますが、受験の実情では探究を1科目というのが、国公立大・私立大ともに多くの大学入試での標準的な要求です。総合は使用不可とする大学が多く、国公立入試の二次試験でも探究が範囲とされます。したがって、受験に使う科目の探究と、使わない科目の総合というパターンで履修するのが一般的です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "公民は3科目ありますが、「公共」1科目を履修しなければなりません。受験においては二次試験の科目となることはほぼないため、多くの受験生が公民は大学入学共通テスト試験のみの受験です。大学入学共通テストでは「公共」、「倫理」、「政治・経済」、「倫理、政治・経済」の4科目が設定されており、このいずれかを受験することになります。ただし難関大を中心に大学入学共通テストでの公民は「倫理、政治・経済」以外を認めないという大学もありますので注意が必要です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "理系では大学入学共通テストは地歴公民合わせて1科目のみで可ですので、公民は「現代社会」をとりあえず履修だけして国公立受験には公共を使わずに地歴で受験するという選択もできます。文系では大学入学共通テストで地歴公民合わせて2科目が必要ですので、公民もいずれか1科目受験することになります。文系では二次試験で地歴のいずれか1科目を要求されるような大学もしばしばあります。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "例外的に、東京大学文系では二次試験で地歴を2科目要求されます。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "数学I・数学II・数学IIIはこの順で学ぶことになっている科目で、前の科目を飛ばして次の科目を学ぶことはできません。したがって、1年生で数学Iを学ぶことからスタートし、それぞれの内容を終えるごとに次へと進んでいきます。数学IIIは理系希望者のみ履修するのが一般的です。 数学A・数学Bにはこのような縛りはありませんので、数学I・数学II・数学IIIとは独立に、数学Aは1年生ないし2年生で、数学Bは2年生ないし3年生で学習することが一般的です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "必履修科目は数学Iのみですが、数学Iのみで受験できる大学はわずかです(専門学校は数学Iのみのところも多数あり)。センター試験では、数学1(「数学I」/「数学I・数学A」)・数学2(「数学II」/「数学II・数学B」)の2科目が設定されており、文理ともに多くの大学で「数学I・数学A」および「数学II・数学B」の両方の受験が要求されます。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "二次試験では、文系国立では数学を課さない大学も多数ありますが、数学I・II・A・Bまでを範囲とする試験を課す大学も少なくありません。文系学部で数学IIIの入試を課す大学はごくまれですが、京都大学経済学部で数学IIIを選択可能なほか、一橋大学経済学部(後期)では数学IIIを出題範囲に含めながらも数学IIIを学習していない受験者が不利にならないよう選択問題などで配慮するとしています。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "理系国立では多くの大学の二次試験で数学が課されますが、範囲が数学I・II・A・Bまでか数学IIIも含むのかは学部・学科によりますが、多くの大学の理系学部では数学IIIも入試に要求されます。また、二次試験では数学Bの単元「確率分布と統計的な推測」を出題範囲にする大学としない大学とがありますので、注意が必要です。私立大学の理系学部についても同様です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2020年時点における新課程・旧過程ともに全く同じ科目です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "必履修科目は、「科学と人間生活」を履修すればあとは「基礎」科目を1科目履修すればよいが、「科学と人間生活」を履修しない場合は「基礎」科目3科目の履修が必要です。「科学と人間生活」は大学受験には一切使えない科目ですので、大学受験をする前提ならば基礎3科目が一般的な履修でしょう。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "大学入学共通テストでは、理科1(基礎科目)と理科2(基礎がない科目)、計2科目が使用可能です。ただし基礎科目は、2科目で1セットの扱いです。文系では基礎2科目の1セット、理系では無印を2科目というのが標準的な要求でしょう。 二次試験では、文系で理科が課されることはまずありません。理系では無印科目(「物理」、「化学」、「生物」、「地学」)を1 - 2科目課されます。ただし、大学入学共通テスト・二次試験ともに、「地学」での受験を認めない大学は少なくないですので注意が必要です。以上は私立大学の理系学部についても同様です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "教科名は「外国語」であり、英語以外を学んでも構わないのですが、英語以外の言語を開講する高校はごく少数です。ほとんどの高校では、外国語の授業では英語だけを学ぶことになります。大学入学共通テストではドイツ語・フランス語・中国語・韓国語も用意されていますので、これらの言語で腕に覚えのある受験生は利用することも可能です。二次試験で英語以外の外国語を設定する大学はほとんどありません。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "必履修科目は「コミュニケーション英語I」のみです。受験では文理ともに、大学入学共通テスト・二次試験両方で課されることが非常に多く、全ての高校生が受験対策することになる教科です。大学入学共通テストでは筆記とリスニングの両方の受験を必須とするのが一般的です。国語と同様に、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですが、学力をつけるという意味で「コミュニケーション英語II」以降や「英語表現」についても(履修するかはともかく)学習することが推奨されます。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "保健体育、芸術、家庭、情報の4教科についてまとめて解説します。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "保健体育は2科目とも必修、芸術・家庭・情報はそれぞれ1科目ずつの履修が必要です。これらの科目が大学受験で必要になることは、例外として体育系や芸術系の学部を受験する場合に限られ、ごくまれです。しかし、高校を卒業するためには必ず履修しなければならない科目です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "芸術科目でどの科目を履修するのかは、一般的に高校生が自分で選ぶことになります。一般的には、「音楽I」・「美術I」・「工芸I」・「書道I」の4科目のうち、どれか1科目しか選べません。2科目以上を選ぶことは、通常の高校では出来ません(たとえば、「音楽I」と「美術I」の両方を履修するのは、普通は不可能)。また、「工芸」を開講する高校は少数です。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "家庭科の履修科目については、「家庭基礎」・「家庭総合」・「生活デザイン」のいずれを履修するかは、高校側が決めるのが一般的でしょう。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "情報科の履修科目については、情報Iが必履修です。かつては「社会と情報」・「情報の科学」という科目であり、高校側がどちらを履修するかを決めていました。", "title": "高等学校カリキュラム概説" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "いくら定期考査の成績が良かろうが、大学入試の一般入試には受かりません。したがって、一般受験に絞る場合、高校の定期テストは留年しなければ大丈夫です。(ただし、2020年以降の現在、私大受験については推薦入試などで入学する学生の比率が大きくなっている)", "title": "定期考査を重視するか" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "大卒が就職活動する場合、企業は高校時代の成績なんて見ませんし、そもそも大卒就職の場合、高校の成績書類は企業に提出しません。", "title": "定期考査を重視するか" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "推薦入試の場合は学校の成績が大きく影響します。", "title": "定期考査を重視するか" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ただし、高校の場合、中学校と違って高校では進路目標の近い生徒が集まっている可能性が高いので、定期考査対策が入試対策に直結する場合もあるでしょう。そのような場合、定期考査を切り捨ててしまうのはもったいないかもしれません。うまく活用して、入試に役立つ学力をつけたいものです。", "title": "定期考査を重視するか" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "なお、高卒で就職を志望する場合は、もしかしたら学校での成績が企業側からの評価基準の一部になるかもしれないので、高卒就職する場合も定期考査対策を重点に学習しましょう。", "title": "定期考査を重視するか" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "高校の国・数・理・社の内容は、中学校のように易しい内容ではありませんので、小手先の技術で何とかしようとしないことです。(ただし英単語など一部の分野は暗記せざるを得ない)", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "5教科の勉強では、なるべく基本的な事項から理解を深めることが、結局は学力をつける近道です。", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ただし、知識の定着も入試などで問われますので、参考書を読む際は、書き取り練習や計算練習なども、必要に応じて行ってください。参考書では、重要語句などは太字になってるでしょうし、練習問題なども載ってるでしょうから、手を動かして書き取りなどの勉強してください。", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "詳しくは『学習方法/高校5教科全般』も参照してください。", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "もし職業高校などに通っていて、理科の教科書を購入する機会が無い場合で、それらの科目の教科書が欲しいなら、教科書取次店(とりつぎてん)で、高校3年の理科4科目や社会科公民の『政治経済』の教科書を取次店で買えます。", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "検定教科書の購入方法については検定教科書に解説があります。", "title": "いわゆる5教科の学習" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2020年現在の教育制度では、5教科以外の保健体育とか家庭科とかはふつうの大学では入試に出ません。(ただし、体育大なら体育実技、音大なら音大実技、美大なら美大実技が出ることが多い)", "title": "5教科以外の科目" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ですが、保健体育や家庭科とかが入試に出ないといっても、生活の役に立つ内容が手短かにまとまっているので、一度は目を通しておくべきですし授業も聞くべきです。ためしに、高校卒業後、必要になってから同様の内容の一般書を書店で探しても、驚くほどに内容の薄い本ばかりです。これらの分野では中学・高校の教科書が、実はかなり信頼できる実用書なのです。", "title": "5教科以外の科目" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "しかし現実問題として、高校生は忙しいので、家庭科・保健の学習にそうは時間をかけられません。また、家庭科・保健体育の教育内容も理科・公民科目と比べると少ないので、そのため保健・家庭科・芸術科目は、(5教科とは区別すべきで)学習の基幹科目としては不適切です。しかし、極端に蔑ろ(ないがしろ)にするのももったいないことですので、余裕があるのであれば少しは学習時間を割きましょう。", "title": "5教科以外の科目" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なお、推薦入試で大学へ進学したい場合、大学側による「推薦していい高校生」の条件として大学側が機械的に「評定平均が5段階中4以上」とか決めてる場合があるので、そういう場合、保健体育や家庭科も含めて、成績をあげておく必要があります。ただし前述のとおり、大学入試では推薦入試は一般的な入試形態ではありません。", "title": "5教科以外の科目" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "小学生のころだと、年度の変わり目などに、検定教科書を、ちり紙交換などに出したりして、捨てたりする事もあるかもしれません。ですが、高校では、復習などのために前の学年の検定教科書や学校配布のワークブックなどを読む機会も多いので、検定教科書を捨てないほうが良いでしょう。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "例えば、「地歴公民」教科では、高校3年で習う事の多い「政治経済」科目の教科書を読んでも、「日本史」科目や「世界史」科目で習う内容については、ほとんど書かれていません。理系科目でも同様で、たとえば数学では、高校3年で習う「数学III」科目の教科書を読んでも、下の学年で習う「数学A」や「数学B」などの内容については、あまり解説していません。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "地歴公民や数学に限らず、国語や理科でも同様ですので、ともかく下の学年で使ってた教科書や学校配布のワークブックなどの教材は、少なくとも高校卒業までは保管しておいてください。保管せずに検定教科書を捨ててしまうと、最悪、高校3年生の時や浪人生の時に、受験対策のために検定教科書を買い直す必要が生じます。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお、市販の大学入学共通テスト対策などの参考書で、ある程度は高校教科書の範囲を確認できますが、かといって、全く検定教科書と大学入学共通テスト対策参考書が同内容ではないので、検定教科書は保管しておいたほうが得です。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、検定教科書でなく、学校配布の資料集・ドリルなどの中には、購入の際に、学校教員の許可がないと注文出来ない教材も多くあります。もし、それらの購入に教員の許可の必要な資料集・ドリルなどを紛失してしまうと、購入し直すための手間が大きいので、たとえ学年が変わっても、高校卒業まではとりあえず副読本の類は捨てずに保管しておきましょう。特に実技教科(家庭科・保健体育・情報・芸術など)の資料集・ワークブックなどの副読本は、学校指定ルート以外では一般人が購入するのが困難な教材が多いので、たとえ受験で使わない科目でも、学校で貰った教材は卒業まで保管しておきましょう。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "高校の資料集の場合、5教科の資料集の中には、一般の書店で買える資料集も多く流通していて学校でも採用されている資料集もありますが、しかし学生側の視点では「どの資料集が書店で市販されていて、どの資料集は市販されてないか」を判別するのは困難なので、とりあえず学年が変わっても資料集・ドリルなどは保管しておくのが安全です。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "なお、大学受験で浪人した場合も、検定教科書の範囲を確認する目的で、検定教科書を読む可能性もあります。高校3年時点と卒業後で志望校が変わる場合もあり、そのため、検定教科書の範囲を確認しなおす必要が生まれる場合もあります。なので、高校卒業後もしばらく数年ほどは、高校の検定教科書は捨てないで保管しておくのが得策でしょう。", "title": "進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと" } ]
以下の記述は高校卒業後の志望進路が、大学進学の場合を前提としたものです。
以下の記述は高校卒業後の志望進路が、大学進学の場合を前提としたものです。 {{独自研究の可能性}} == 高等学校カリキュラム概説 == まずはじめに、現在の日本の高校にはどのような教科・科目があるのか、そのうち卒業するためにはどの科目を学習する必要があるのか、大学入試を受験するためにはどの科目を学習する必要があるのか、について解説します。なお、本ページでは ①2022年以降に高校に入学した人(新課程)、②2021年までに高校に入学した人(旧課程) が受けるカリキュラムについて述べます。 学習指導要領は約10年に一度のペースで全面的に改定されるため、それ以前の高校生の参考にはまったくなりません。 ;注意 :残念ながら現在のwikibooks日本語版には、こういった基本的なことを理解していない残念な大人が書いたと思しき不正確な学習方法の解説が(このページも含め)各所に掲載されています。そういった誤った記述は本来ならば一掃されるべきですが、人手の不足のため放置されているのが現状です。この章は、そういった記述の誤りに読者自身が気付くための一助として位置づけられるものです。 === 総論 === 高校では、以下に定めるルールに従って学校がカリキュラムを作っています。その際、生徒自身が選択できる余地をいくつか残しており、その部分については、文系か理系かという「類型」を選ぶ類型選択や、個別に科目選択という形で選択をすることになります。多くの高校で、2年生になるときに文理の類型選択をすることになるでしょう<ref>株式会社マイナビ『高校生のための進学ガイド』: https://shingaku.mynavi.jp/cnt/etc/column/step5/choice/ 2018年5月13日に閲覧</ref>。その際に選んだ類型と異なる学部学科を受験することは不可能ではありませんが、大きな不利を強いられることになりますので、この時点で進路を真剣に考えたうえで選択しなければなりません。 法律的には、高等学校を卒業するためには、「必履修科目」および「総合的な学習の時間」をすべて履修(りしゅう)したうえで、最低限でも74単位以上を修得しなければなりません。ただしこの規定はあくまで「74単位を下回ってはならない」という必要条件であり、それを上回る単位を取得するのは構いません。このほか、実際に卒業を認めるかどうかは各学校の規定に従って校長が判断します。 専門用語が多数出てきたので解説します。 *「履修」とは、その科目の学習をすること、平たくいえば授業に出席することを指します。 *「必履修科目」とは、履修が法的に定めらている科目であり、平たくいえば、その科目の授業を必ず受けなければいなりません。世間では、必履修科目というかわりに必修科目や必須科目などと言う場合もあります。 *「修得」とは、その科目の学習の成果を上げること、平たく言えばテストなどで合格点を取ることを指します。大前提として、履修していない科目を修得することはできません。したがって、74単位以上を修得しなければならないということは、その前に74単位以上を履修しなければならない(つまり74単位分、授業に出席しなければならない)ということになります。 *「1単位」分の授業とは、50分授業×35回(週)を指します。学校の時間割もこれに合わせて授業1コマの時間を50分または45分と設定してあるのが通常ですので、多くの学校では週に一度の授業を1年間受けた生徒に1単位を認めています。 必履修科目は必ず履修しなければならない科目であり、これを履修せずに卒業することはできません。 基本的には学校が適切にカリキュラムを作成しているはずですので、以上のルールを生徒が細かく気にしなければならない場面はそれほど多くありません。普通にほぼ毎日(病欠などは例外)学校に通っており、学校の提供する科目の授業を受け、試験に合格すれば、3年生を卒業するまでに卒業要件に必要な単位数を上回るはずでしょう。 === 教科ごとの各論 === この節では各教科ごとに、設定されている科目、そのうち必履修科目、大学受験でしばしば課される科目を新旧過程ともに解説します。なお、学習指導要領は学校独自の科目を設定することも認めていますので、ここにない科目が開講される高校も多数存在します。 ==== 国語 ==== * 設定されている科目 旧過程と大きく変わっているため、2022年以降の新課程と2021年までの旧課程を説明します。 ①新課程:「現代の国語」・「言語文化」・「論理国語」・「文学国語」・「国語表現」・「古典探究」  必履修科目:「現代の国語」・「言語文化」 新課程で必履修科目は「現代の国語」と「言語文化」です。内容は次の通りです。 「現代の国語」では、実社会・実生活に生きて働く国語の能力を育成する科目(現代文に該当)です。 「言語文化」では、上代(万葉集の歌が詠まれた時代)から近現代につながる日本の言語文化への理解を深める科目(古文に該当)です。 <ref>文部科学省:高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説:https://www.mext.go.jp/content/20210909-mxt_kyoiku01-100002620_02.pdf 2022年6月19日に閲覧</ref>。 ②旧課程:「国語総合」・「国語表現」・「現代文A」・「現代文B」・「古典A」・「古典B」  必履修科目:「国語総合」 旧課程で必履修科目は「国語総合」のみです。「国語総合」では、現代文的な内容と古典的な内容の両方を学びます。 * 受験に必要な科目 受験については、国公立大学を受験する場合には文理ともに大学入学共通テストで「国語」教科を受験することが必要であり、文系では二次試験でもしばしば課され、国立理系でも二次試験に国語を課す大学は少数あります。国語は教科の特性上、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですので、受験のためにどの科目を学ばなければならないかということは出来ませんが、学力をつけるという意味で現代文や古典も学習することが一般的であり、推奨されます。 ==== 地理歴史・公民 ==== * 設定されている科目 旧過程とほぼ大差がないため、2022年以降の新課程のみ説明します。 ① 地理歴史:「地理総合」・「歴史総合」、「日本史探究」・「世界史探究」、「地理探究」 ② 公民:「公共」、「倫理」、「政治・経済」 * 必履修科目:「地理総合」・「歴史総合」・「公共」 * 受験に必要な科目:「世界史B」、「日本史B」、「地理B」、「現代社会」・「倫理」・「政治経済」の中から、理系ならば1 - 2科目、文系ならば2 - 4科目 地歴は2科目履修することが必要です。地歴には総合と探究の2つの科目がありますが、総合は概論的、探究が本格的な科目です。大学入学共通テストでは総合・探究いずれも科目として設定されていますが、受験の実情では探究を1科目というのが、国公立大・私立大ともに多くの大学入試での標準的な要求です。総合は使用不可とする大学が多く、国公立入試の二次試験でも探究が範囲とされます。したがって、受験に使う科目の探究と、使わない科目の総合というパターンで履修するのが一般的です。 公民は3科目ありますが、「公共」1科目を履修しなければなりません。受験においては二次試験の科目となることはほぼないため、多くの受験生が公民は大学入学共通テスト試験のみの受験です。大学入学共通テストでは「公共」、「倫理」、「政治・経済」、「倫理、政治・経済」の4科目が設定されており、このいずれかを受験することになります。ただし難関大を中心に大学入学共通テストでの公民は「倫理、政治・経済」以外を認めないという大学もありますので注意が必要です。 理系では大学入学共通テストは地歴公民合わせて1科目のみで可ですので、公民は「現代社会」をとりあえず履修だけして国公立受験には公共を使わずに地歴で受験するという選択もできます<ref>逆に地歴を受験に使わないことも出来ます</ref>。文系では大学入学共通テストで地歴公民合わせて2科目が必要ですので、公民もいずれか1科目受験することになります。文系では二次試験で地歴のいずれか1科目を要求されるような大学もしばしばあります。 例外的に、東京大学文系では二次試験で地歴を2科目要求されます。 ==== 数学 ==== * 設定されている科目: 「数学I」・「数学II」・「数学III」・「数学A」・「数学B」、「数学活用」 * 必履修科目: 「数学I」 * 受験に必要な科目: 文系は「数学I」・「数学II」・「数学A」・「数学B」、理系は「数学I」・「数学II」・「数学III」・「数学A」・「数学B」 数学I・数学II・数学IIIはこの順で学ぶことになっている科目で、前の科目を飛ばして次の科目を学ぶことはできません。したがって、1年生で数学Iを学ぶことからスタートし、それぞれの内容を終えるごとに次へと進んでいきます<ref>この切れ目は必ずしも学年の切れ目と一致するとは限りません</ref>。数学IIIは理系希望者のみ履修するのが一般的です。 数学A・数学Bにはこのような縛りはありませんので、数学I・数学II・数学IIIとは独立に、数学Aは1年生ないし2年生で、数学Bは2年生ないし3年生で学習することが一般的です。 必履修科目は数学Iのみですが、数学Iのみで受験できる大学はわずかです(専門学校は数学Iのみのところも多数あり)。センター試験では、数学1(「数学I」/「数学I・数学A」)・数学2(「数学II」/「数学II・数学B」)の2科目が設定されており、文理ともに多くの大学で「数学I・数学A」および「数学II・数学B」の両方の受験が要求されます。 二次試験では、文系国立では数学を課さない大学も多数ありますが、数学I・II・A・Bまでを範囲とする試験を課す大学も少なくありません。文系学部で数学IIIの入試を課す大学はごくまれですが、京都大学経済学部で数学IIIを選択可能なほか、一橋大学経済学部(後期)では数学IIIを出題範囲に含めながらも数学IIIを学習していない受験者が不利にならないよう選択問題などで配慮するとしています。 理系国立では多くの大学の二次試験で数学が課されますが、範囲が数学I・II・A・Bまでか数学IIIも含むのかは学部・学科によりますが、多くの大学の理系学部では数学IIIも入試に要求されます。また、二次試験では数学Bの単元「確率分布と統計的な推測」を出題範囲にする大学としない大学とがありますので、注意が必要です。私立大学の理系学部についても同様です。 ==== 理科 ==== 2020年時点における新課程・旧過程ともに全く同じ科目です。 * 設定されている科目: 「科学と人間生活」、 「物理基礎」、「物理」、 「化学基礎」、「化学」、 「生物基礎」、「生物」、 「地学基礎」、「地学」、 「理科課題研究」 * 必履修科目:(「科学と人間生活」と(「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」、「地学基礎」から1つ))または(「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」、「地学基礎」から3つ) * 受験に必要な科目: 理系は「物理基礎」と「物理」、「化学基礎」と「化学」、「生物基礎」と「生物」、「地学基礎」と「地学」、の中から2セット。文系は「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」、「地学基礎」から2つ 必履修科目は、「科学と人間生活」を履修すればあとは「基礎」科目を1科目履修すればよいが、「科学と人間生活」を履修しない場合は「基礎」科目3科目の履修が必要です。「科学と人間生活」は大学受験には一切使えない科目ですので、大学受験をする前提ならば基礎3科目が一般的な履修でしょう。 大学入学共通テストでは、理科1(基礎科目)と理科2(基礎がない科目)、計2科目が使用可能です。ただし基礎科目は、2科目で1セットの扱いです。文系では基礎2科目の1セット、理系では無印を2科目というのが標準的な要求でしょう。 二次試験では、文系で理科が課されることはまずありません。理系では無印科目(「物理」、「化学」、「生物」、「地学」)を1 - 2科目課されます。ただし、大学入学共通テスト・二次試験ともに、「地学」での受験を認めない大学は少なくないですので注意が必要です。以上は私立大学の理系学部についても同様です。 ==== 外国語 ==== * 設定されている科目: 「コミュニケーション英語基礎」、「コミュニケーション英語I」・「コミュニケーション英語II」・「コミュニケーション英語III」 、「英語表現I」・「英語表現II」、 「英語会話」 * 必履修科目: 「コミュニケーション英語I」 * 受験に必要な科目: 下記参照 教科名は「外国語」であり、英語以外を学んでも構わないのですが、英語以外の言語を開講する高校はごく少数です。ほとんどの高校では、外国語の授業では英語だけを学ぶことになります。大学入学共通テストではドイツ語・フランス語・中国語・韓国語も用意されていますので、これらの言語で腕に覚えのある受験生は利用することも可能です。二次試験で英語以外の外国語を設定する大学はほとんどありません。 必履修科目は「コミュニケーション英語I」のみです。受験では文理ともに、大学入学共通テスト・二次試験両方で課されることが非常に多く、全ての高校生が受験対策することになる教科です。大学入学共通テストでは筆記とリスニングの両方の受験を必須とするのが一般的です。国語と同様に、科目名と入試の出題範囲を紐づけすることが困難ですが、学力をつけるという意味で「コミュニケーション英語II」以降や「英語表現」についても(履修するかはともかく)学習することが推奨されます。 ==== その他の教科 ==== 保健体育、芸術、家庭、情報の4教科についてまとめて解説します。 * 設定されている科目:「体育」、「保健」、「音楽I」・「音楽II」・「音楽III」、「美術I」・「美術II」・「美術III」、「工芸I」・「工芸II」・「工芸III」、「書道I」・「書道II」・「書道III」、「家庭基礎」、「家庭総合」、「生活デザイン」、「情報I」、「情報II」 * 必履修科目:「体育」、「保健」、「音楽I」・「美術I」・「工芸I」・「書道I」のいずれか、「家庭基礎」・「家庭総合」・「生活デザイン」のいずれか、「社会と情報」・「情報の科学」のいずれか * 受験に必要な科目:なし 保健体育は2科目とも必修、芸術・家庭・情報はそれぞれ1科目ずつの履修が必要です。これらの科目が大学受験で必要になることは、例外として体育系や芸術系の学部を受験する場合に限られ、ごくまれです。しかし、高校を卒業するためには必ず履修しなければならない科目です。 芸術科目でどの科目を履修するのかは、一般的に高校生が自分で選ぶことになります<ref>芸術系の専門学科は例外</ref>。一般的には、「音楽I」・「美術I」・「工芸I」・「書道I」の4科目のうち、どれか1科目しか選べません。2科目以上を選ぶことは、通常の高校では出来ません(たとえば、「音楽I」と「美術I」の両方を履修するのは、普通は不可能)。また、「工芸」を開講する高校は少数です。 家庭科の履修科目については、「家庭基礎」・「家庭総合」・「生活デザイン」のいずれを履修するかは、高校側が決めるのが一般的でしょう。 情報科の履修科目については、情報Iが必履修です。かつては「社会と情報」・「情報の科学」という科目であり、高校側がどちらを履修するかを決めていました。 == 定期考査を重視するか == いくら定期考査の成績が良かろうが、大学入試の一般入試には受かりません。したがって、一般受験に絞る場合、高校の定期テストは留年しなければ大丈夫です。(ただし、2020年以降の現在、私大受験については推薦入試などで入学する学生の比率が大きくなっている) 大卒が就職活動する場合、企業は高校時代の成績なんて見ませんし、そもそも大卒就職の場合、高校の成績書類は企業に提出しません。 推薦入試の場合は学校の成績が大きく影響します。 ただし、高校の場合、中学校と違って高校では進路目標の近い生徒が集まっている可能性が高いので、定期考査対策が入試対策に直結する場合もあるでしょう。そのような場合、定期考査を切り捨ててしまうのはもったいないかもしれません。うまく活用して、入試に役立つ学力をつけたいものです。 なお、高卒で就職を志望する場合は、もしかしたら学校での成績が企業側からの評価基準の一部になるかもしれないので、高卒就職する場合も定期考査対策を重点に学習しましょう。 == いわゆる5教科の学習 == 高校の国・数・理・社の内容は、中学校のように易しい内容ではありませんので、小手先の技術で何とかしようとしないことです。(ただし英単語など一部の分野は暗記せざるを得ない) 5教科の勉強では、なるべく基本的な事項から理解を深めることが、結局は学力をつける近道です。 ただし、知識の定着も入試などで問われますので、参考書を読む際は、書き取り練習や計算練習なども、必要に応じて行ってください。参考書では、重要語句などは太字になってるでしょうし、練習問題なども載ってるでしょうから、手を動かして書き取りなどの勉強してください。 詳しくは『[[学習方法/高校5教科全般]]』も参照してください。 * 普通科高3の理科・社会科を習わない高校の場合 もし職業高校などに通っていて、理科の教科書を購入する機会が無い場合で、それらの科目の教科書が欲しいなら、教科書取次店(とりつぎてん)で、高校3年の理科4科目や社会科公民の『政治経済』の教科書を取次店で買えます。 検定教科書の購入方法については[[検定教科書]]に解説があります。 == 5教科以外の科目 == 2020年現在の教育制度では、5教科以外の保健体育とか家庭科とかはふつうの大学では入試に出ません。(ただし、体育大なら体育実技、音大なら音大実技、美大なら美大実技が出ることが多い) ですが、保健体育や家庭科とかが入試に出ないといっても、生活の役に立つ内容が手短かにまとまっているので、一度は目を通しておくべきですし授業も聞くべきです。ためしに、高校卒業後、必要になってから同様の内容の一般書を書店で探しても、驚くほどに内容の薄い本ばかりです。これらの分野では中学・高校の教科書が、実はかなり信頼できる実用書なのです。 しかし現実問題として、高校生は忙しいので、家庭科・保健の学習にそうは時間をかけられません。また、家庭科・保健体育の教育内容も理科・公民科目と比べると少ないので、そのため保健・家庭科・芸術科目は、(5教科とは区別すべきで)学習の基幹科目としては不適切です。しかし、極端に蔑ろ(ないがしろ)にするのももったいないことですので、余裕があるのであれば少しは学習時間を割きましょう。 なお、推薦入試で大学へ進学したい場合、大学側による「推薦していい高校生」の条件として大学側が機械的に「評定平均が5段階中4以上」とか決めてる場合があるので、そういう場合、保健体育や家庭科も含めて、成績をあげておく必要があります。ただし前述のとおり、大学入試では推薦入試は一般的な入試形態ではありません。 == 進級時、前の学年で使ってた教科書や資料集などを捨てないこと == 小学生のころだと、年度の変わり目などに、検定教科書を、ちり紙交換などに出したりして、捨てたりする事もあるかもしれません<ref>例えば、小学3年生の4月の時に、小2で使ってた教科書をちり紙交換で処分するなど。</ref>。ですが、高校では、復習などのために前の学年の検定教科書や学校配布のワークブックなどを読む機会も多いので、検定教科書を捨てないほうが良いでしょう。 例えば、「地歴公民」教科では、高校3年で習う事の多い「政治経済」科目の教科書を読んでも、「日本史」科目や「世界史」科目で習う内容については、ほとんど書かれていません。理系科目でも同様で、たとえば数学では、高校3年で習う「数学III」科目の教科書を読んでも、下の学年で習う「数学A」や「数学B」などの内容については、あまり解説していません。 地歴公民や数学に限らず、国語や理科でも同様ですので、ともかく下の学年で使ってた教科書や学校配布のワークブックなどの教材は、少なくとも高校卒業までは保管しておいてください。保管せずに検定教科書を捨ててしまうと、最悪、高校3年生の時や浪人生の時に、受験対策のために検定教科書を買い直す必要が生じます。 なお、市販の大学入学共通テスト対策などの参考書で、ある程度は高校教科書の範囲を確認できますが、かといって、全く検定教科書と大学入学共通テスト対策参考書が同内容ではないので、検定教科書は保管しておいたほうが得です。 また、検定教科書でなく、学校配布の資料集・ドリルなどの中には、購入の際に、学校教員の許可がないと注文出来ない教材も多くあります<ref>高校の教材の場合、検定教科書だけは、教員の許可がなくても教科書取扱店で注文できます。</ref>。もし、それらの購入に教員の許可の必要な資料集・ドリルなどを紛失してしまうと、購入し直すための手間が大きいので、たとえ学年が変わっても、高校卒業まではとりあえず副読本の類は捨てずに保管しておきましょう。特に実技教科(家庭科・保健体育・情報・芸術など)の資料集・ワークブックなどの副読本は、学校指定ルート以外では一般人が購入するのが困難な教材が多いので、たとえ受験で使わない科目でも、学校で貰った教材は卒業まで保管しておきましょう。 高校の資料集の場合、5教科の資料集の中には、一般の書店で買える資料集も多く流通していて学校でも採用されている資料集もありますが、しかし学生側の視点では「どの資料集が書店で市販されていて、どの資料集は市販されてないか」を判別するのは困難なので、とりあえず学年が変わっても資料集・ドリルなどは保管しておくのが安全です。 なお、大学受験で浪人した場合も、検定教科書の範囲を確認する目的で、検定教科書を読む可能性もあります。高校3年時点と卒業後で志望校が変わる場合もあり、そのため、検定教科書の範囲を確認しなおす必要が生まれる場合もあります。なので、高校卒業後もしばらく数年ほどは、高校の検定教科書は捨てないで保管しておくのが得策でしょう。 == 脚注 == <references/> [[カテゴリ:高等学校教育]]
2014-10-25T04:11:58Z
2023-09-26T02:55:20Z
[ "テンプレート:独自研究の可能性" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E6%99%AE%E9%80%9A%E7%A7%91%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%85%A8%E8%88%AC
19,575
学習方法/高校世界史
歴史総合は近現代史を中心にする科目で、世界史探究は古代史から現代史までです。ページ数は、「歴史総合」よりも「世界史探究」のほうがページ数が多いので、近現代史の内容についても「世界史探究」のほうが詳細に解説されています。2022年度より歴史総合が必須科目となりました。そこで、当ページについては世界史探究に絞って解説します。 教科書会社は、入門的なレベルに合わせた入門バージョンの「世界史探究」を作ってくれてるので、自分の予備知識が不安なら、入門バージョン「世界史探究」を利用したほうが便利です。 つまり、「世界史探究」の教科書には、じつは難度別に、いくつかの種類があります。 たとえば山川出版の教科書だと、受験評論では難関大むけバージョンの「詳説 世界史探究」が有名ですが、じつは山川出版は他にも入門バージョンの「高校 世界史探究」という検定教科書を出しています。 入門バージョン「世界史探究」では、写真なども多く、イメージしやすいように作られています。 しかし、それでも歴史の教科書は山川出版社の「詳説世界史研究」をメインにしてほしいです。この本は非常に分かりやすく因果関係を省略していません。 高校の「世界史」は、けっして世界のすべての国の歴史の全時代を平均的に教えるわけでは、ありません。たとえば、古代文明では西アジア中心、中世ではヨーロッパ中心・・・というふうに、時代によって高校「世界史」であつかわれている国や地域が片寄っています。 この理由は、もし、すべての国のすべての時代を扱っていると、時間が足りないからでしょう。 たとえば石器時代だけでも、かりに地球上の全陸地をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。 そういう片寄った授業をするわけには行かないのです。なので、高校世界史で各時代ごとにあつかう地域や歴史は片寄ります。 いちおう、あまりにも特定の国に教育内容が片寄らないように、時代によって扱う地域が変わっていく工夫がありますし、その時代に影響力が高かった地域が選ばれる場合が多いです。たとえば古代の4大文明ではメソポタミアなどの西アジアやエジプトなどのアフリカ北西部が中心ですが、その後の時代はギリシアやローマなどヨーロッパ南部に扱う地域が変わります。 べつに、けっして、このギリシア・ローマの時代に、西アジアがとても衰退したわけでは、ありません(とはいえ、ギリシア北方のマケドニア出身のアレクサンドロスが、西アジアのオリエントを征服したりと、オリエントよりも、ややヨーロッパよりの地域が隆盛しているが)。単に、教育カリキュラムの重点内容が西アジアから南ヨーロッパへと変わっていっただけです。 歴史は古代より近代現代の方が、比重が高くなる傾向にあります。これは、より現代に近い時代のほうが歴史史料などが多いことと、現代への影響が大きいことが考えられます。 もし、検定教科書以外の教材も読んで勉強している場合、この点に気をつけてください。 一部の参考書や、地元の公立図書館などの歴史専門書では、古代史や中世史を、近世や近現代史と均等に扱っている可能性もあります。ですが、高校教科書は、そのように均等では、ないのです。 なお、高校日本史や中学歴史なども、じつは、高校世界史と同じように、やや近世および近現代よりの傾向になっております。日本の西暦2005年以降の「脱ゆとり教育」での中学高校での歴史教育は、やや近世および近現代よりの教育内容になっています。 このように高校「世界史」は、各時代ごとに、重点的に説明している国や地域を限定していますから、じつは分量は高校「日本史」と比べて、同じぐらいです。 けっして、「世界史」は「日本史」の何十倍や何百倍もの教育内容があるだなんて、勘違いしないでください。 また、各国史を専門書などで自習する必要もありません。せっかく、たとえばポーランドとかクロアチアとかの各国の歴史とかを調べても、あまり入試に出ません。 たとえばブラジルは南米の大国ですが、しかし高校「世界史」で紹介される時代は、主に大航海時代の以降に限られています。 また、アメリカ合衆国は超大国ですが、アメリカですら高校「世界史」で扱われる時代が、近代以降が中心です。 高校「世界史」では中国史のほうが、アメリカ史やロシア史の量よりも、中国史の量のほうが高校「世界史」では多いかもしれません。 その中国史ですら、専門書で中国史の内容を調べてみると、高校「世界史」では教えないない知識が、とても多く出てきます。だから、わざわざ中国史を専門書で調べる必要もありません。そこまで、高校生が中国史だけに時間を割くわけには、いかないのです。 その中国史の内容も、検定教科書での古代史の文学史・哲学史などを見ると、国語の漢文の内容と重なっています。 旧石器時代の高校「世界史」で教えない内容について具体的に言うと、その時代のアフリカや南米での人類については、あまり扱われません。 その後の古代文明とかでも、4大文明および周辺地域が中心です。 東洋史の古代や中世とかだと、中国やインドが中心です。ベトナムの歴史とかインドネシアの歴史とかマレーシアの歴史とかは、古代史や中世史では、あまり扱われません。 そして、さらに教える時代が進むと、だんだん北ヨーロッパのほうへと重点内容が移っていきます。 ヨーロッパで中世を過ぎて、大航海時代に突入してコロンブスがアメリカ大陸を発見したころの時期からの、アメリカ大陸などの歴史も扱い始めます。べつに、この大航海時代にアメリカ大陸の歴史が始まったわけではありません。それ以前からも、アメリカ大陸には人が住んでいます。かといって、それらコロンブス以前の歴史を詳しく教える授業時間が無いのです。 また、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見する前の時代については、アメリカ大陸を扱った当時の歴史書などが少ない(ほぼ無い)ため、研究手法が考古学的・自然科学的な場合も多いです。高校生に、いきなり考古学的な内容ばかりを教えることは、「世界史」を習いはじめた高校生には、適切な題材ではありません。 よって教育内容が片寄ってしまうのは、仕方が無いのです。 何度も何度も言うように、かりに地球上の全陸地の全歴史をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。 これから中学歴史と高校世界史のちがいを述べるが、結論としての勉強法としては、なにも特に身構える必要はなく、とりあえずアナタが高校1年〜2年生なら、その間は普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読み始めるなどして勉強し始めればよい。 さて、中学2年生(または中1〜中2)での世界史教育は、どうやら、中3の公民科目のための基礎的な話題のみに限られているようだ。たとえば、ナポレオン出現前後のフランスやイギリスの民主革命などによる近代化はあつかっても、周辺の強国のドイツですら、どうやって民主化したのか、中学の教科書ではほとんど扱われなかっただろう。または中学歴史でイギリスの産業革命をあつかっても、いっぽうドイツやロシアの産業がどうやって近代化したのかも、おそらく中学歴史ではロクに触れられていなかっただろう。 一例として中3公民と民主主義の観点で関係が深そうなフランスやイギリスの革命を例にあげたが、このような中学高校の世界教育の特徴の違いは、けっしてフランスやイギリスの革命の前後だけでない。古代から近代までの、西洋やら東洋まで、ほぼすべての分野で、中学で省略されてしまった話題を、高校の世界史では扱う。 このため、中学校の歴史科目は、まちがってこそいないものの、かなり話題が省略され単純化されている。なので、高校での学習では、中学教育での簡略化された歴史理解を、より史実(しじつ)的な理解へと置き換えていく必要がある。 かといって、なにも別に身構える必要はなく、普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読んでいけば、中学歴史で省略された話題も、高校世界史ではきちんと説明してある。 逆にいうと、たとえ中学歴史の参考書をいくら読み込んでも(どんなに高偏差値の中学生のための参考書でも)、高校世界史の内容には、まったく太刀打ち(たちうち)できない。 なので、高校生が高校世界史を勉強する際には、けっして中学歴史の参考書ではなく、かならず高校用の教科書や参考書を中心的な教材にして勉強する必要がある。 現代の参考書業界では、高校世界史の入門レベルの参考書も売ってる(たとえば、旺文社から『教科書よりやさしい世界史』というのが出てる)。なので、もし、参考書として一般的なレベルである大学受験の対応レベルの世界史参考書が難しすぎると感じても、けっして中学歴史の参考書に戻るのではなく、なるべく高校生用の入門レベルの世界史の参考書を買うほうがいいだろう。 高校用の世界史の入門レベルの参考書ですら難しすぎるとかの場合でないかぎり、あまり中学歴史に戻らないほうが良いだろう。 他の入門レベルの勉強法として、学研などの学習マンガで、小中学生向けだが世界史の教材があるので(書店では児童書コーナーなどに置いてあるだろう)、その世界史の学習マンガを何冊か買って(中学歴史では手薄(てうす)になりがちな、古代や中世をメインに世界史の学習マンガを買うと効率的かもしれない)、その時代のイメージをつかむのも、良いかもしれない。 ただし、学習マンガのあたえる情報の量は、だいぶ高校教科書や参考書に劣る(なにせ小学生向けであるので)。なので、あくまでも時代のイメージを把握するための手段のひとつとして、学習マンガはあくまで補助手段までとしておこう。 なお、世界史の学習マンガを独学に使う場合の注意として、世界史の学習マンガでは、作中に、史実(しじつ)には登場しない謎の少年少女が登場することも多い。どういう事かというと、読者の小学生に理解しやすいようにするための工夫として、読者の年齢層にちかい架空の人物を登場させて、作中では歴史上の偉人とともに行動させているわけである。万が一、読者の小学生が勘違いして、架空の少年少女を史実にもとづく人物だと思ったとしても、小学校社会科の歴史分野では世界史を習わないので、あまり問題は発生しない・・・というワケである。 しかし、高校生が偉人伝の補助教材として学習マンガを使う場合、架空の少年少女の登場人物を、信じてはならない。 またなお注意すべき事として、現代の民主主義のイメージや国際情勢などのイメージで歴史を読んでしまうと、過去の歴史のイメージを誤解してしまう。 たとえば古代ギリシア・ローマなどの民主主義は、奴隷制を経済基盤とした、貴族や軍人などにとっての民主主義だ。現代の民主主義とはだいぶ違う。 いわゆる中東、オリエント地方の歴史のイメージについても、現代では、いくつかの反アメリカ的な国が、アメリカなど欧米諸国の経済活動を敵視してるので、てっきり「中東は商業とは縁遠い」というイメージを抱きがち(いだきがち)かもしれないが、古代や中世〜近世では、中東の周辺地域は地中海貿易などの貿易の要衝として栄えたらしい。数字の「1」「2」などのアラビア数字も(じつはアラブ諸国ではなくインドで発明された数字らしいが)、インド地方やオリエント地方などでは、おカネの計算などでも重宝されたようだ。 そもそも中東の宗教も、けっして古代からイスラム教だけが信仰されたわけではなく、古代バビロニアの神話の神々や、ゾロアスター教などのように、他の宗教が信仰されていた時代も地域もある。 近現代についても、第二次世界大戦(WW2)のイメージで、第一次世界大戦(WW1)の前後の国際情勢をイメージしてしまったり、あるいはWW2のままのイメージで第二次大戦後の国際情勢をイメージしてしまうと、だいぶ間違ってしまう。 たとえばドイツと日本は、第二次大戦中でこそ同盟国であるものの、第一次大戦ではドイツは日本の敵国である。第一次大戦時、日本は過去の日英同盟の結果により、ドイツと対立するイギリスの友好国だったのだし。 このような高校世界史の学習での注意点があるものの、高校生は別に身構える必要はない。ふつうに高校世界史の検定教科書や、入門的な参考書を読み始めればよい。 あるいは、前の節で紹介したような入門的な参考書や、子供向けの学習マンガなどを活用するのも良いだろう。 検定教科書や参考書を見ると、政治経済や倫理や地理などの用語でも、紹介している場合がある。 しかし、実際に共通テストの過去問を読んでみると、あまり、それらの知識は問われない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "歴史総合は近現代史を中心にする科目で、世界史探究は古代史から現代史までです。ページ数は、「歴史総合」よりも「世界史探究」のほうがページ数が多いので、近現代史の内容についても「世界史探究」のほうが詳細に解説されています。2022年度より歴史総合が必須科目となりました。そこで、当ページについては世界史探究に絞って解説します。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "教科書会社は、入門的なレベルに合わせた入門バージョンの「世界史探究」を作ってくれてるので、自分の予備知識が不安なら、入門バージョン「世界史探究」を利用したほうが便利です。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "つまり、「世界史探究」の教科書には、じつは難度別に、いくつかの種類があります。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "たとえば山川出版の教科書だと、受験評論では難関大むけバージョンの「詳説 世界史探究」が有名ですが、じつは山川出版は他にも入門バージョンの「高校 世界史探究」という検定教科書を出しています。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "入門バージョン「世界史探究」では、写真なども多く、イメージしやすいように作られています。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "しかし、それでも歴史の教科書は山川出版社の「詳説世界史研究」をメインにしてほしいです。この本は非常に分かりやすく因果関係を省略していません。", "title": "世界史探究と歴史総合の比較" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "高校の「世界史」は、けっして世界のすべての国の歴史の全時代を平均的に教えるわけでは、ありません。たとえば、古代文明では西アジア中心、中世ではヨーロッパ中心・・・というふうに、時代によって高校「世界史」であつかわれている国や地域が片寄っています。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この理由は、もし、すべての国のすべての時代を扱っていると、時間が足りないからでしょう。 たとえば石器時代だけでも、かりに地球上の全陸地をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "そういう片寄った授業をするわけには行かないのです。なので、高校世界史で各時代ごとにあつかう地域や歴史は片寄ります。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "いちおう、あまりにも特定の国に教育内容が片寄らないように、時代によって扱う地域が変わっていく工夫がありますし、その時代に影響力が高かった地域が選ばれる場合が多いです。たとえば古代の4大文明ではメソポタミアなどの西アジアやエジプトなどのアフリカ北西部が中心ですが、その後の時代はギリシアやローマなどヨーロッパ南部に扱う地域が変わります。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "べつに、けっして、このギリシア・ローマの時代に、西アジアがとても衰退したわけでは、ありません(とはいえ、ギリシア北方のマケドニア出身のアレクサンドロスが、西アジアのオリエントを征服したりと、オリエントよりも、ややヨーロッパよりの地域が隆盛しているが)。単に、教育カリキュラムの重点内容が西アジアから南ヨーロッパへと変わっていっただけです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "歴史は古代より近代現代の方が、比重が高くなる傾向にあります。これは、より現代に近い時代のほうが歴史史料などが多いことと、現代への影響が大きいことが考えられます。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "もし、検定教科書以外の教材も読んで勉強している場合、この点に気をつけてください。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "一部の参考書や、地元の公立図書館などの歴史専門書では、古代史や中世史を、近世や近現代史と均等に扱っている可能性もあります。ですが、高校教科書は、そのように均等では、ないのです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なお、高校日本史や中学歴史なども、じつは、高校世界史と同じように、やや近世および近現代よりの傾向になっております。日本の西暦2005年以降の「脱ゆとり教育」での中学高校での歴史教育は、やや近世および近現代よりの教育内容になっています。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "このように高校「世界史」は、各時代ごとに、重点的に説明している国や地域を限定していますから、じつは分量は高校「日本史」と比べて、同じぐらいです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "けっして、「世界史」は「日本史」の何十倍や何百倍もの教育内容があるだなんて、勘違いしないでください。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "また、各国史を専門書などで自習する必要もありません。せっかく、たとえばポーランドとかクロアチアとかの各国の歴史とかを調べても、あまり入試に出ません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "たとえばブラジルは南米の大国ですが、しかし高校「世界史」で紹介される時代は、主に大航海時代の以降に限られています。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、アメリカ合衆国は超大国ですが、アメリカですら高校「世界史」で扱われる時代が、近代以降が中心です。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "高校「世界史」では中国史のほうが、アメリカ史やロシア史の量よりも、中国史の量のほうが高校「世界史」では多いかもしれません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "その中国史ですら、専門書で中国史の内容を調べてみると、高校「世界史」では教えないない知識が、とても多く出てきます。だから、わざわざ中国史を専門書で調べる必要もありません。そこまで、高校生が中国史だけに時間を割くわけには、いかないのです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "その中国史の内容も、検定教科書での古代史の文学史・哲学史などを見ると、国語の漢文の内容と重なっています。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "旧石器時代の高校「世界史」で教えない内容について具体的に言うと、その時代のアフリカや南米での人類については、あまり扱われません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "その後の古代文明とかでも、4大文明および周辺地域が中心です。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "東洋史の古代や中世とかだと、中国やインドが中心です。ベトナムの歴史とかインドネシアの歴史とかマレーシアの歴史とかは、古代史や中世史では、あまり扱われません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "そして、さらに教える時代が進むと、だんだん北ヨーロッパのほうへと重点内容が移っていきます。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ヨーロッパで中世を過ぎて、大航海時代に突入してコロンブスがアメリカ大陸を発見したころの時期からの、アメリカ大陸などの歴史も扱い始めます。べつに、この大航海時代にアメリカ大陸の歴史が始まったわけではありません。それ以前からも、アメリカ大陸には人が住んでいます。かといって、それらコロンブス以前の歴史を詳しく教える授業時間が無いのです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "また、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見する前の時代については、アメリカ大陸を扱った当時の歴史書などが少ない(ほぼ無い)ため、研究手法が考古学的・自然科学的な場合も多いです。高校生に、いきなり考古学的な内容ばかりを教えることは、「世界史」を習いはじめた高校生には、適切な題材ではありません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "よって教育内容が片寄ってしまうのは、仕方が無いのです。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "何度も何度も言うように、かりに地球上の全陸地の全歴史をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "", "title": "高校世界史の特徴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "これから中学歴史と高校世界史のちがいを述べるが、結論としての勉強法としては、なにも特に身構える必要はなく、とりあえずアナタが高校1年〜2年生なら、その間は普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読み始めるなどして勉強し始めればよい。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "さて、中学2年生(または中1〜中2)での世界史教育は、どうやら、中3の公民科目のための基礎的な話題のみに限られているようだ。たとえば、ナポレオン出現前後のフランスやイギリスの民主革命などによる近代化はあつかっても、周辺の強国のドイツですら、どうやって民主化したのか、中学の教科書ではほとんど扱われなかっただろう。または中学歴史でイギリスの産業革命をあつかっても、いっぽうドイツやロシアの産業がどうやって近代化したのかも、おそらく中学歴史ではロクに触れられていなかっただろう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一例として中3公民と民主主義の観点で関係が深そうなフランスやイギリスの革命を例にあげたが、このような中学高校の世界教育の特徴の違いは、けっしてフランスやイギリスの革命の前後だけでない。古代から近代までの、西洋やら東洋まで、ほぼすべての分野で、中学で省略されてしまった話題を、高校の世界史では扱う。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "このため、中学校の歴史科目は、まちがってこそいないものの、かなり話題が省略され単純化されている。なので、高校での学習では、中学教育での簡略化された歴史理解を、より史実(しじつ)的な理解へと置き換えていく必要がある。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "かといって、なにも別に身構える必要はなく、普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読んでいけば、中学歴史で省略された話題も、高校世界史ではきちんと説明してある。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "逆にいうと、たとえ中学歴史の参考書をいくら読み込んでも(どんなに高偏差値の中学生のための参考書でも)、高校世界史の内容には、まったく太刀打ち(たちうち)できない。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "なので、高校生が高校世界史を勉強する際には、けっして中学歴史の参考書ではなく、かならず高校用の教科書や参考書を中心的な教材にして勉強する必要がある。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "現代の参考書業界では、高校世界史の入門レベルの参考書も売ってる(たとえば、旺文社から『教科書よりやさしい世界史』というのが出てる)。なので、もし、参考書として一般的なレベルである大学受験の対応レベルの世界史参考書が難しすぎると感じても、けっして中学歴史の参考書に戻るのではなく、なるべく高校生用の入門レベルの世界史の参考書を買うほうがいいだろう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "高校用の世界史の入門レベルの参考書ですら難しすぎるとかの場合でないかぎり、あまり中学歴史に戻らないほうが良いだろう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "他の入門レベルの勉強法として、学研などの学習マンガで、小中学生向けだが世界史の教材があるので(書店では児童書コーナーなどに置いてあるだろう)、その世界史の学習マンガを何冊か買って(中学歴史では手薄(てうす)になりがちな、古代や中世をメインに世界史の学習マンガを買うと効率的かもしれない)、その時代のイメージをつかむのも、良いかもしれない。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ただし、学習マンガのあたえる情報の量は、だいぶ高校教科書や参考書に劣る(なにせ小学生向けであるので)。なので、あくまでも時代のイメージを把握するための手段のひとつとして、学習マンガはあくまで補助手段までとしておこう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "なお、世界史の学習マンガを独学に使う場合の注意として、世界史の学習マンガでは、作中に、史実(しじつ)には登場しない謎の少年少女が登場することも多い。どういう事かというと、読者の小学生に理解しやすいようにするための工夫として、読者の年齢層にちかい架空の人物を登場させて、作中では歴史上の偉人とともに行動させているわけである。万が一、読者の小学生が勘違いして、架空の少年少女を史実にもとづく人物だと思ったとしても、小学校社会科の歴史分野では世界史を習わないので、あまり問題は発生しない・・・というワケである。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "しかし、高校生が偉人伝の補助教材として学習マンガを使う場合、架空の少年少女の登場人物を、信じてはならない。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "またなお注意すべき事として、現代の民主主義のイメージや国際情勢などのイメージで歴史を読んでしまうと、過去の歴史のイメージを誤解してしまう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "たとえば古代ギリシア・ローマなどの民主主義は、奴隷制を経済基盤とした、貴族や軍人などにとっての民主主義だ。現代の民主主義とはだいぶ違う。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "いわゆる中東、オリエント地方の歴史のイメージについても、現代では、いくつかの反アメリカ的な国が、アメリカなど欧米諸国の経済活動を敵視してるので、てっきり「中東は商業とは縁遠い」というイメージを抱きがち(いだきがち)かもしれないが、古代や中世〜近世では、中東の周辺地域は地中海貿易などの貿易の要衝として栄えたらしい。数字の「1」「2」などのアラビア数字も(じつはアラブ諸国ではなくインドで発明された数字らしいが)、インド地方やオリエント地方などでは、おカネの計算などでも重宝されたようだ。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "そもそも中東の宗教も、けっして古代からイスラム教だけが信仰されたわけではなく、古代バビロニアの神話の神々や、ゾロアスター教などのように、他の宗教が信仰されていた時代も地域もある。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "近現代についても、第二次世界大戦(WW2)のイメージで、第一次世界大戦(WW1)の前後の国際情勢をイメージしてしまったり、あるいはWW2のままのイメージで第二次大戦後の国際情勢をイメージしてしまうと、だいぶ間違ってしまう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "たとえばドイツと日本は、第二次大戦中でこそ同盟国であるものの、第一次大戦ではドイツは日本の敵国である。第一次大戦時、日本は過去の日英同盟の結果により、ドイツと対立するイギリスの友好国だったのだし。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "このような高校世界史の学習での注意点があるものの、高校生は別に身構える必要はない。ふつうに高校世界史の検定教科書や、入門的な参考書を読み始めればよい。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "あるいは、前の節で紹介したような入門的な参考書や、子供向けの学習マンガなどを活用するのも良いだろう。", "title": "中学校との違い" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "検定教科書や参考書を見ると、政治経済や倫理や地理などの用語でも、紹介している場合がある。", "title": "他科目の初歩用語は共通テストに出づらい" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "しかし、実際に共通テストの過去問を読んでみると、あまり、それらの知識は問われない。", "title": "他科目の初歩用語は共通テストに出づらい" } ]
null
== 世界史探究と歴史総合の比較 == 歴史総合は近現代史を中心にする科目で、世界史探究は古代史から現代史までです。ページ数は、「歴史総合」よりも「世界史探究」のほうがページ数が多いので、近現代史の内容についても「世界史探究」のほうが詳細に解説されています。2022年度より歴史総合が必須科目となりました。そこで、当ページについては世界史探究に絞って解説します。 教科書会社は、入門的なレベルに合わせた入門バージョンの「世界史探究」を作ってくれてるので、自分の予備知識が不安なら、入門バージョン「世界史探究」を利用したほうが便利です。 つまり、「世界史探究」の教科書には、じつは難度別に、いくつかの種類があります。 たとえば山川出版の教科書だと、受験評論では難関大むけバージョンの「詳説 世界史探究」が有名ですが、じつは山川出版は他にも入門バージョンの「高校 世界史探究」という検定教科書を出しています。 入門バージョン「世界史探究」では、写真なども多く、イメージしやすいように作られています。 しかし、それでも歴史の教科書は山川出版社の「'''詳説世界史研究'''」をメインにしてほしいです。この本は非常に分かりやすく因果関係を省略していません。 == 高校世界史の特徴 == === 高校世界史は、各時代ごとに重点的に教える国や地域が片寄っている。 === 高校の「世界史」は、けっして世界のすべての国の歴史の全時代を平均的に教えるわけでは、ありません。たとえば、古代文明では西アジア中心、中世ではヨーロッパ中心・・・というふうに、時代によって高校「世界史」であつかわれている国や地域が片寄っています。 この理由は、もし、すべての国のすべての時代を扱っていると、時間が足りないからでしょう。 たとえば石器時代だけでも、かりに地球上の全陸地をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。 そういう片寄った授業をするわけには行かないのです。なので、高校世界史で各時代ごとにあつかう地域や歴史は片寄ります。 いちおう、あまりにも特定の国に教育内容が片寄らないように、時代によって扱う地域が変わっていく工夫がありますし、その時代に影響力が高かった地域が選ばれる場合が多いです。たとえば古代の4大文明ではメソポタミアなどの西アジアやエジプトなどのアフリカ北西部が中心ですが、その後の時代はギリシアやローマなどヨーロッパ南部に扱う地域が変わります。 べつに、けっして、このギリシア・ローマの時代に、西アジアがとても衰退したわけでは、ありません(とはいえ、ギリシア北方のマケドニア出身のアレクサンドロスが、西アジアのオリエントを征服したりと、オリエントよりも、ややヨーロッパよりの地域が隆盛しているが)。単に、教育カリキュラムの重点内容が西アジアから南ヨーロッパへと変わっていっただけです。 === じつは近世以降が大半 === 歴史は古代より近代現代の方が、比重が高くなる傾向にあります。これは、より現代に近い時代のほうが歴史史料などが多いことと、現代への影響が大きいことが考えられます。 もし、検定教科書以外の教材も読んで勉強している場合、この点に気をつけてください。 一部の参考書や、地元の公立図書館などの歴史専門書では、古代史や中世史を、近世や近現代史と均等に扱っている可能性もあります。ですが、高校教科書は、そのように均等では、ないのです。 なお、高校日本史や中学歴史なども、じつは、高校世界史と同じように、やや近世および近現代よりの傾向になっております。日本の西暦2005年以降の「脱ゆとり教育」での中学高校での歴史教育は、やや近世および近現代よりの教育内容になっています。 === 高校「世界史」の文量は、高校「日本史」と比べて、同じぐらい === このように高校「世界史」は、各時代ごとに、重点的に説明している国や地域を限定していますから、じつは分量は高校「日本史」と比べて、同じぐらいです。 けっして、「世界史」は「日本史」の何十倍や何百倍もの教育内容があるだなんて、勘違いしないでください。 また、'''各国史を専門書などで自習する必要もありません'''。せっかく、たとえばポーランドとかクロアチアとかの各国の歴史とかを調べても、あまり入試に出ません。 たとえばブラジルは南米の大国ですが、しかし高校「世界史」で紹介される時代は、主に大航海時代の以降に限られています。 また、アメリカ合衆国は超大国ですが、アメリカですら高校「世界史」で扱われる時代が、近代以降が中心です。 高校「世界史」では中国史のほうが、アメリカ史やロシア史の量よりも、中国史の量のほうが高校「世界史」では多いかもしれません。 その中国史ですら、専門書で中国史の内容を調べてみると、高校「世界史」では教えないない知識が、とても多く出てきます。だから、わざわざ中国史を専門書で調べる必要もありません。そこまで、高校生が中国史だけに時間を割くわけには、いかないのです。 その中国史の内容も、検定教科書での古代史の文学史・哲学史などを見ると、国語の漢文の内容と重なっています。 === 高校「世界史」の扱う時代の流れ === 旧石器時代の高校「世界史」で教えない内容について具体的に言うと、その時代のアフリカや南米での人類については、あまり扱われません。 その後の古代文明とかでも、4大文明および周辺地域が中心です。 東洋史の古代や中世とかだと、中国やインドが中心です。ベトナムの歴史とかインドネシアの歴史とかマレーシアの歴史とかは、古代史や中世史では、あまり扱われません。 そして、さらに教える時代が進むと、だんだん北ヨーロッパのほうへと重点内容が移っていきます。 ヨーロッパで中世を過ぎて、大航海時代に突入してコロンブスがアメリカ大陸を発見したころの時期からの、アメリカ大陸などの歴史も扱い始めます。べつに、この大航海時代にアメリカ大陸の歴史が始まったわけではありません。それ以前からも、アメリカ大陸には人が住んでいます。かといって、それらコロンブス以前の歴史を詳しく教える授業時間が無いのです。 また、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見する前の時代については、アメリカ大陸を扱った当時の歴史書などが少ない(ほぼ無い)ため、研究手法が考古学的・自然科学的な場合も多いです。高校生に、いきなり考古学的な内容ばかりを教えることは、「世界史」を習いはじめた高校生には、適切な題材ではありません。 よって教育内容が片寄ってしまうのは、仕方が無いのです。 何度も何度も言うように、かりに地球上の全陸地の全歴史をあつかったとすると、もはや旧石器時代の授業だけで高校3年間の授業が終わってしまいかねません。 == 中学校との違い == === 中学歴史には、あまり戻らない === これから中学歴史と高校世界史のちがいを述べるが、結論としての勉強法としては、なにも特に身構える必要はなく、とりあえずアナタが高校1年〜2年生なら、その間は普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読み始めるなどして勉強し始めればよい。 :※ '''ただし、高校3年生になったら、進路に応じて、勉強法を変える必要がある。''' (のちの節で説明する。) さて、中学2年生(または中1〜中2)での世界史教育は、どうやら、中3の公民科目のための基礎的な話題のみに限られているようだ。たとえば、ナポレオン出現前後のフランスやイギリスの民主革命などによる近代化はあつかっても、周辺の強国のドイツですら、どうやって民主化したのか、中学の教科書ではほとんど扱われなかっただろう。または中学歴史でイギリスの産業革命をあつかっても、いっぽうドイツやロシアの産業がどうやって近代化したのかも、おそらく中学歴史ではロクに触れられていなかっただろう。 一例として中3公民と民主主義の観点で関係が深そうなフランスやイギリスの革命を例にあげたが、このような中学高校の世界教育の特徴の違いは、けっしてフランスやイギリスの革命の前後だけでない。古代から近代までの、西洋やら東洋まで、ほぼすべての分野で、中学で省略されてしまった話題を、高校の世界史では扱う。 このため、中学校の歴史科目は、まちがってこそいないものの、かなり話題が省略され単純化されている。なので、高校での学習では、中学教育での簡略化された歴史理解を、より史実(しじつ)的な理解へと置き換えていく必要がある。 かといって、なにも別に身構える必要はなく、普通に高校世界史の検定教科書や入門的な参考書を読んでいけば、中学歴史で省略された話題も、高校世界史ではきちんと説明してある。 逆にいうと、'''たとえ中学歴史の参考書をいくら読み込んでも(どんなに高偏差値の中学生のための参考書でも)、高校世界史の内容には、まったく太刀打ち(たちうち)できない。''' なので、'''高校生が高校世界史を勉強する際には、けっして中学歴史の参考書ではなく、かならず高校用の教科書や参考書を中心的な教材にして勉強する必要がある。''' 現代の参考書業界では、高校世界史の入門レベルの参考書も売ってる(たとえば、旺文社から『教科書よりやさしい世界史』というのが出てる)。なので、もし、参考書として一般的なレベルである大学受験の対応レベルの世界史参考書が難しすぎると感じても、けっして中学歴史の参考書に戻るのではなく、なるべく高校生用の入門レベルの世界史の参考書を買うほうがいいだろう。 高校用の世界史の入門レベルの参考書ですら難しすぎるとかの場合でないかぎり、あまり中学歴史に戻らないほうが良いだろう。 他の入門レベルの勉強法として、学研などの学習マンガで、小中学生向けだが世界史の教材があるので(書店では児童書コーナーなどに置いてあるだろう)、その世界史の学習マンガを何冊か買って(中学歴史では手薄(てうす)になりがちな、古代や中世をメインに世界史の学習マンガを買うと効率的かもしれない)、その時代のイメージをつかむのも、良いかもしれない。 ただし、学習マンガのあたえる情報の量は、だいぶ高校教科書や参考書に劣る(なにせ小学生向けであるので)。なので、あくまでも時代のイメージを把握するための手段のひとつとして、学習マンガはあくまで補助手段までとしておこう。 なお、世界史の学習マンガを独学に使う場合の注意として、世界史の学習マンガでは、作中に、史実(しじつ)には登場しない謎の少年少女が登場することも多い。どういう事かというと、読者の小学生に理解しやすいようにするための工夫として、読者の年齢層にちかい架空の人物を登場させて、作中では歴史上の偉人とともに行動させているわけである。万が一、読者の小学生が勘違いして、架空の少年少女を史実にもとづく人物だと思ったとしても、小学校社会科の歴史分野では世界史を習わないので、あまり問題は発生しない・・・というワケである。 しかし、高校生が偉人伝の補助教材として学習マンガを使う場合、架空の少年少女の登場人物を、信じてはならない。 === 過去の時代を現代のイメージと混同しないように === またなお注意すべき事として、現代の民主主義のイメージや国際情勢などのイメージで歴史を読んでしまうと、過去の歴史のイメージを誤解してしまう。 たとえば古代ギリシア・ローマなどの民主主義は、奴隷制を経済基盤とした、貴族や軍人などにとっての民主主義だ。現代の民主主義とはだいぶ違う。 いわゆる中東、オリエント地方の歴史のイメージについても、現代では、いくつかの反アメリカ的な国が、アメリカなど欧米諸国の経済活動を敵視してるので、てっきり「中東は商業とは縁遠い」というイメージを抱きがち(いだきがち)かもしれないが、古代や中世〜近世では、中東の周辺地域は地中海貿易などの貿易の要衝として栄えたらしい。数字の「1」「2」などのアラビア数字も(じつはアラブ諸国ではなくインドで発明された数字らしいが)、インド地方やオリエント地方などでは、おカネの計算などでも重宝されたようだ。 そもそも中東の宗教も、けっして古代からイスラム教だけが信仰されたわけではなく、古代バビロニアの神話の神々や、ゾロアスター教などのように、他の宗教が信仰されていた時代も地域もある。 近現代についても、第二次世界大戦(WW2)のイメージで、第一次世界大戦(WW1)の前後の国際情勢をイメージしてしまったり、あるいはWW2のままのイメージで第二次大戦後の国際情勢をイメージしてしまうと、だいぶ間違ってしまう。 たとえばドイツと日本は、第二次大戦中でこそ同盟国であるものの、第一次大戦ではドイツは日本の敵国である。第一次大戦時、日本は過去の日英同盟の結果により、ドイツと対立するイギリスの友好国だったのだし。 このような高校世界史の学習での注意点があるものの、高校生は別に身構える必要はない。ふつうに高校世界史の検定教科書や、入門的な参考書を読み始めればよい。 あるいは、前の節で紹介したような入門的な参考書や、子供向けの学習マンガなどを活用するのも良いだろう。 == 他科目の初歩用語は共通テストに出づらい == 検定教科書や参考書を見ると、政治経済や倫理や地理などの用語でも、紹介している場合がある。 :たとえば現代史の単元では、「ASEAN」だの「BRICS」だの「PKO」だの「京都議定書」だの「中距離核戦力全廃条約」だの・・・。このように、高校「政治経済」「地理」や中学「公民」などの科目で出題されそうな用語も、いちおう世界史の範囲である。 しかし、実際に共通テストの過去問を読んでみると、あまり、それらの知識は問われない。 {{DEFAULTSORT:かくしゆうほうほうこうとうかつこうせかいし}} [[Category:歴史]] [[カテゴリ:学習方法|こうとうかつこうせかいし]]
2014-10-26T22:50:30Z
2024-03-16T05:36:22Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%96%B9%E6%B3%95/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2
19,576
租税特別措置法第42条の4
コンメンタール租税特別措置法(前)(次) (試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "コンメンタール租税特別措置法(前)(次)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)", "title": "条文" } ]
コンメンタール租税特別措置法(前)(次)
[[コンメンタール租税特別措置法]]([[租税特別措置法第42条の3|前]])([[租税特別措置法第42条の5|次]]) ==条文== (試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除) ;第42条の4 #青色申告書を提出する法人(人格のない社団等を含む。以下この章において同じ。)の各事業年度(解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)において、当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額(その試験研究費に充てるため他の者(当該法人との間に連結完全支配関係がある他の連結法人を含む。)から支払を受ける金額がある場合には、当該金額を控除した金額。以下この条において同じ。)がある場合には、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額(この条、第四十二条の五第二項、第三項及び第五項、第四十二条の六第七項から第九項まで及び第十二項、第四十二条の九、第四十二条の十第二項、第三項及び第五項、第四十二条の十一第二項、第三項及び第五項、第四十二条の十二、第四十二条の十二の二第二項、第四十二条の十二の三第二項、第三項及び第五項、第四十二条の十二の四並びに第四十二条の十二の五第七項及び第八項並びに法人税法第六十七条 から第七十条の二 までの規定を適用しないで計算した場合の法人税の額とし、国税通則法第二条第四号 に規定する附帯税の額を除く。以下第三項まで、第六項、第七項及び第九項において同じ。)から、当該事業年度の当該試験研究費の額の百分の十(試験研究費割合が百分の十未満であるときは、当該試験研究費割合に〇・二を乗じて計算した割合に百分の八を加算した割合(当該割合に小数点以下三位未満の端数があるときは、これを切り捨てた割合)。次項において「試験研究費の総額に係る税額控除割合」という。)に相当する金額(以下この項及び第十二項第四号において「税額控除限度額」という。)を控除する。ただし、当該税額控除限度額が、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の二十に相当する金額を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該百分の二十に相当する金額を限度とする。 #青色申告書を提出する法人の各事業年度(解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)において、当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される特別試験研究費の額がある場合には、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額から、当該事業年度の当該特別試験研究費の額に税額控除割合(百分の十二から当該事業年度の試験研究費の総額に係る税額控除割合を控除したものをいう。)を乗じて計算した金額(以下この項及び第十二項第四号において「特別研究税額控除限度額」という。)を控除する。ただし、当該特別研究税額控除限度額が、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の二十に相当する金額から法人税額基準控除済金額(前項の規定により当該事業年度の所得に対する法人税の額から控除された金額をいう。)を控除した残額を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該残額を限度とする。 #青色申告書を提出する法人の各事業年度(解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額が当該事業年度開始の日の前日を含む事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入された試験研究費の額(当該事業年度開始の日の前日を含む事業年度が連結事業年度に該当する場合その他の政令で定める場合には、政令で定めるところにより計算した金額)を超える場合において、当該法人が繰越税額控除限度超過額を有するときは、当該事業年度の所得に対する法人税の額から、当該繰越税額控除限度超過額に相当する金額を控除する。ただし、当該法人の当該事業年度における繰越税額控除限度超過額が、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の二十に相当する金額(当該事業年度において第一項又は前項の規定により当該事業年度の所得に対する法人税の額から控除される金額がある場合には、当該金額を控除した残額)を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該百分の二十に相当する金額を限度とする。 #前項に規定する法人の同項の規定の適用を受けようとする事業年度(以下この項及び次項において「繰越税額控除事業年度」という。)開始の日前一年以内に開始した各事業年度が連結事業年度に該当する場合における前項の規定の適用については、当該繰越税額控除事業年度を連結事業年度とみなして計算した場合における当該繰越税額控除事業年度の当該法人に係る第六十八条の九第十二項第五号に規定する連結繰越税額控除限度超過個別帰属額(当該繰越税額控除事業年度開始の日前一年以内に開始した連結事業年度終了の日の翌日から繰越税額控除事業年度開始の日の前日までの間に開始した連結事業年度に該当しない事業年度がある場合には、政令で定めるところにより計算した金額)に相当する金額(既に前項の規定により当該連結事業年度後に開始した各事業年度において法人税の額から控除された金額がある場合には、当該金額を控除した残額)は、繰越税額控除限度超過額とみなす。ただし、当該法人が法人税法第四条の五第一項 の規定により同法第四条の二 の承認を取り消され、かつ、当該繰越税額控除事業年度が当該承認の取消しのあつた日から起算して一年以内に開始した事業年度である場合には、この限りでない。 #第三項の場合において、前項の繰越税額控除事業年度開始の日前一年以内に開始した連結事業年度前に開始した各事業年度(連結事業年度に該当するものを除き、繰越税額控除事業年度開始の日前一年以内に開始した事業年度に限る。)における第一項又は第二項に規定する税額控除限度額又は特別研究税額控除限度額のうち、これらの規定による控除をしてもなお控除しきれない金額の合計額(既に第三項の規定により当該連結事業年度後の各事業年度において法人税の額から控除された金額がある場合には、当該金額を控除した残額)があるときは、当該合計額は、繰越税額控除限度超過額から控除する。 #中小企業者又は農業協同組合等で、青色申告書を提出するもの(以下この項において「中小企業者等」という。)の各事業年度(第一項から第三項までの規定の適用を受ける事業年度、解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)において、当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額がある場合には、当該中小企業者等の当該事業年度の所得に対する法人税の額から、当該事業年度の当該試験研究費の額の百分の十二に相当する金額(以下この項及び第十二項第七号において「中小企業者等税額控除限度額」という。)を控除する。ただし、当該中小企業者等税額控除限度額が、当該中小企業者等の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の二十に相当する金額を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該百分の二十に相当する金額を限度とする。 #青色申告書を提出する法人の各事業年度(第一項から第三項までの規定の適用を受ける事業年度、解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額が当該事業年度開始の日の前日を含む事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入された試験研究費の額(当該事業年度開始の日の前日を含む事業年度が連結事業年度に該当する場合その他の政令で定める場合には、政令で定めるところにより計算した金額)を超える場合において、当該法人が繰越中小企業者等税額控除限度超過額を有するときは、当該事業年度の所得に対する法人税の額から、当該繰越中小企業者等税額控除限度超過額に相当する金額を控除する。ただし、当該法人の当該事業年度における繰越中小企業者等税額控除限度超過額が、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の二十に相当する金額(当該事業年度において前項の規定により当該事業年度の所得に対する法人税の額から控除される金額がある場合には、当該金額を控除した残額)を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該百分の二十に相当する金額を限度とする。 #第四項及び第五項の規定は、前項の規定を適用する場合について準用する。この場合において、第四項中「第六十八条の九第十二項第五号に規定する連結繰越税額控除限度超過個別帰属額」とあるのは「第六十八条の九第十二項第九号に規定する繰越中小連結法人税額控除限度超過個別帰属額」と、「繰越税額控除限度超過額」とあるのは「繰越中小企業者等税額控除限度超過額」と、第五項中「第一項又は第二項に規定する税額控除限度額又は特別研究税額控除限度額のうち、これら」とあるのは「第六項に規定する中小企業者等税額控除限度額のうち、同項」と、「繰越税額控除限度超過額」とあるのは「繰越中小企業者等税額控除限度超過額」と読み替えるものとする。 #青色申告書を提出する法人が、平成二十年四月一日から平成二十九年三月三十一日までの間に開始する各事業年度(解散(合併による解散を除く。)の日を含む事業年度及び清算中の各事業年度を除く。)において、次の各号に掲げる場合に該当する場合には、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額から、当該各号に掲げる場合の区分に応じ当該各号に定める金額を控除する。ただし、当該各号に定める金額が、当該法人の当該事業年度の所得に対する法人税の額の百分の十に相当する金額を超えるときは、その控除を受ける金額は、当該百分の十に相当する金額を限度とする。 #:一 増加試験研究費の額(当該法人の当該事業年度(設立事業年度を除く。)の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額から当該法人の比較試験研究費の額を控除した残額をいう。以下この号において同じ。)が当該比較試験研究費の額の百分の五に相当する金額を超え、かつ、当該試験研究費の額が基準試験研究費の額を超える場合 当該増加試験研究費の額に百分の三十(増加試験研究費割合(当該増加試験研究費の額の当該比較試験研究費の額に対する割合をいう。以下この号において同じ。)が百分の三十未満である場合には、当該増加試験研究費割合)を乗じて計算した金額 #:二 当該法人の当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額が当該事業年度の平均売上金額の百分の十に相当する金額を超える場合 当該超える部分の金額に超過税額控除割合(当該事業年度の試験研究費割合から百分の十を控除した割合に〇・二を乗じて計算した割合をいう。)を乗じて計算した金額 #前項各号に定める金額を計算する場合において、当該法人が当該各号に掲げる場合のいずれにも該当するときは、いずれか一の場合のみに該当するものとして、同項の規定を適用する。 #連結子法人が法人税法第四条の五第一項 の規定により同法第四条の二 の承認を取り消された場合(当該承認の取消しのあつた日(以下この項において「取消日」という。)が連結事業年度終了の日の翌日である場合を除く。)において、当該連結子法人の取消日前五年以内に開始した各連結事業年度において第六十八条の九第一項から第三項まで、第六項又は第七項の規定の適用があり、かつ、当該連結子法人の当該各連結事業年度(以下この項において「税額控除連結事業年度」という。)につき次に掲げる金額があるときは、当該連結子法人の取消日の前日を含む事業年度の所得に対する法人税の額は、同法第六十六条第一項 及び第二項 並びに第四十二条の五第五項 、第四十二条の六第十二項、第四十二条の九第四項、第四十二条の十第五項、第四十二条の十一第五項及び第四十二条の十二の三第五項その他法人税に関する法令の規定にかかわらず、これらの規定により計算した法人税の額に、第六十八条の九第一項から第三項まで、第六項又は第七項の規定により各税額控除連結事業年度の連結所得に対する同条第一項に規定する調整前連結税額から控除された金額のうち当該連結子法人に帰せられる金額として政令で定める金額を加算した金額とする。 #:一  当該税額控除連結事業年度の連結所得の金額の計算上損金の額に算入された第六十八条の九第一項又は第六項に規定する試験研究費の額 #:二  当該税額控除連結事業年度の連結所得の金額の計算上損金の額に算入された第六十八条の九第二項に規定する特別試験研究費の額 #:三  当該連結子法人の当該税額控除連結事業年度における第六十八条の九第十二項第五号に規定する連結繰越税額控除限度超過個別帰属額 #:四  当該連結子法人の当該税額控除連結事業年度における第六十八条の九第十二項第九号に規定する繰越中小連結法人税額控除限度超過個別帰属額 #この条において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。 #:一  試験研究費 製品の製造又は技術の改良、考案若しくは発明に係る試験研究のために要する費用で政令で定めるものをいう。 #:二  試験研究費割合 当該事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額の平均売上金額に対する割合をいう。 #:三  特別試験研究費の額 試験研究費の額のうち国の試験研究機関、大学その他の者と共同して行う試験研究、国の試験研究機関、大学又は中小企業者に委託する試験研究、その用途に係る対象者が少数である医薬品に関する試験研究その他の政令で定める試験研究に係る試験研究費の額として政令で定めるものをいう。 #:四  繰越税額控除限度超過額 第三項に規定する法人の当該事業年度開始の日前一年以内に開始した各事業年度(当該事業年度まで連続して青色申告書の提出(当該事業年度までの間の連結事業年度に該当する事業年度にあつては、当該法人又は当該法人に係る連結親法人による法人税法第二条第三十二号 に規定する連結確定申告書の提出)をしている場合の各事業年度に限る。)における税額控除限度額又は特別研究税額控除限度額のうち、第一項又は第二項の規定による控除をしてもなお控除しきれない金額(既に第三項の規定により当該各事業年度において法人税の額から控除された金額がある場合には、当該金額を控除した残額)の合計額をいう。 #:五  中小企業者 中小企業者に該当する法人として政令で定めるものをいう。 #:六  農業協同組合等 農業協同組合、農業協同組合連合会、中小企業等協同組合、出資組合である商工組合及び商工組合連合会、内航海運組合、内航海運組合連合会、出資組合である生活衛生同業組合、漁業協同組合、漁業協同組合連合会、水産加工業協同組合、水産加工業協同組合連合会、森林組合並びに森林組合連合会をいう。 #:七  繰越中小企業者等税額控除限度超過額 第七項に規定する法人の当該事業年度開始の日前一年以内に開始した各事業年度(当該事業年度まで連続して青色申告書の提出(当該事業年度までの間の連結事業年度に該当する事業年度にあつては、当該法人又は当該法人に係る連結親法人による法人税法第二条第三十二号 に規定する連結確定申告書の提出)をしている場合の各事業年度に限る。)における中小企業者等税額控除限度額のうち、第六項の規定による控除をしてもなお控除しきれない金額(既に第七項の規定により当該各事業年度において法人税の額から控除された金額がある場合には、当該金額を控除した残額)の合計額をいう。 #:八  設立事業年度 設立(合併による設立を除く。)の日(法人税法第二条第四号 に規定する外国法人にあつては同法第百四十一条第一号 に掲げる外国法人に該当することとなつた日とし、同法第二条第六号 に規定する公益法人等(以下この号において「公益法人等」という。)及び人格のない社団等にあつては新たに同条第十三号 に規定する収益事業(以下この号において「収益事業」という。)を開始した日とし、公益法人等(収益事業を行つていないものに限る。)に該当していた同条第九号 に規定する普通法人又は同条第七号 に規定する協同組合等にあつては当該普通法人又は協同組合等に該当することとなつた日とする。)を含む事業年度(政令で定める事業年度を除く。)をいう。 #:九  比較試験研究費の額 第九項に規定する事業年度(以下この条において「適用年度」という。)開始の日前三年以内に開始した各事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額(当該適用年度開始の日前三年以内に開始した連結事業年度(以下この号において「三年以内連結事業年度」という。)にあつては当該三年以内連結事業年度の連結所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額とし、当該各事業年度の月数(三年以内連結事業年度にあつては、当該法人の当該三年以内連結事業年度の月数。以下この号において同じ。)と当該適用年度の月数とが異なる場合には当該試験研究費の額に当該適用年度の月数を乗じてこれを当該各事業年度の月数で除して計算した金額とする。)の合計額を当該三年以内に開始した各事業年度の数(三年以内連結事業年度の数を含む。)で除して計算した金額をいう。 #:十  基準試験研究費の額 適用年度開始の日前二年以内に開始した各事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額(当該適用年度開始の日前二年以内に開始した連結事業年度(以下この号において「二年以内連結事業年度」という。)にあつては当該二年以内連結事業年度の連結所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額とし、当該各事業年度の月数(二年以内連結事業年度にあつては、当該法人の当該二年以内連結事業年度の月数。以下この号において同じ。)と当該適用年度の月数とが異なる場合には当該試験研究費の額に当該適用年度の月数を乗じてこれを当該各事業年度の月数で除して計算した金額とする。)のうち最も多い額をいう。 #:十一  平均売上金額 第一項又は第九項に規定する事業年度及び当該事業年度開始の日前三年以内に開始した各事業年度(その事業年度が連結事業年度に該当する場合には、当該連結事業年度)の売上金額(棚卸資産の販売による収益の額その他の政令で定める金額をいう。)の平均額として政令で定めるところにより計算した金額をいう。 #前項の月数は、暦に従つて計算し、一月に満たない端数を生じたときは、これを一月とする。 #第一項及び第二項、第六項又は第九項の規定は、確定申告書等、修正申告書又は更正請求書に、これらの規定による控除の対象となる試験研究費の額及び特別試験研究費の額、控除を受ける金額並びに当該金額の計算に関する明細を記載した書類の添付がある場合に限り、適用する。この場合において、これらの規定により控除される金額は、当該確定申告書等に添付された書類に記載された試験研究費の額及び特別試験研究費の額を基礎として計算した金額に限るものとする。 #第三項又は第七項の規定は、第一項若しくは第二項又は第六項の規定の適用を受けた事業年度以後の各事業年度の法人税法第二条第三十一号 に規定する確定申告書に第三項 又は第七項 に規定する繰越税額控除限度超過額又は繰越中小企業者等税額控除限度超過額の明細書の添付がある場合(第四項(第八項において準用する場合を含む。)の規定により繰越税額控除限度超過額又は繰越中小企業者等税額控除限度超過額とみなされる金額がある場合には、当該明細書の添付がある場合及び第六十八条の九第一項若しくは第二項又は同条第六項の規定の適用を受けた連結事業年度以後の各連結事業年度(当該適用を受けた連結事業年度後の各事業年度が連結事業年度に該当しない場合には、当該適用を受けた連結事業年度後の各事業年度)の同法第二条第三十二号 に規定する連結確定申告書(当該適用を受けた連結事業年度後の各事業年度にあつては、同条第三十一号 に規定する確定申告書)に第六十八条の九第三項 又は第七項 に規定する連結繰越税額控除限度超過額又は繰越中小連結法人税額控除限度超過額の明細書の添付がある場合)で、かつ、第三項又は第七項の規定の適用を受けようとする事業年度の確定申告書等、修正申告書又は更正請求書に、これらの規定による控除の対象となる繰越税額控除限度超過額又は繰越中小企業者等税額控除限度超過額、控除を受ける金額及び当該金額の計算に関する明細を記載した書類の添付がある場合に限り、適用する。 #第十二項から前項までに定めるもののほか、第九項の規定の適用を受けようとする法人が合併法人、分割法人若しくは分割承継法人、現物出資法人若しくは被現物出資法人又は現物分配法人若しくは被現物分配法人である場合における適用年度の開始の日前三年以内に開始した各事業年度の所得の金額の計算上損金の額に算入される試験研究費の額の計算、第十一項の規定の適用を受ける事業年度以後の第四項(第八項において準用する場合を含む。)の規定により繰越税額控除限度超過額又は繰越中小企業者等税額控除限度超過額とみなされる金額の計算その他第一項から第十一項までの規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 #第一項から第三項まで、第六項、第七項又は第九項の規定の適用がある場合における法人税法第二編第一章 (同法第七十二条 及び第七十四条 を同法第百四十五条第一項 において準用する場合を含む。)の規定の適用については、同法第六十七条第三項 中「第七十条の二 まで(税額控除)」とあるのは「第七十条の二 まで(税額控除)又は租税特別措置法第四十二条の四第一項から第三項まで、第六項、第七項若しくは第九項(試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)」と、同法第七十条の二中「この款」とあるのは「この款並びに租税特別措置法第四十二条の四第一項から第三項まで、第六項、第七項及び第九項(試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)」と、「まず前条」とあるのは「まず同条第一項から第三項まで、第六項、第七項及び第九項の規定による控除をし、次に前条」と、同法第七十二条第一項第二号中「の規定」とあるのは「並びに租税特別措置法第四十二条の四第一項から第三項まで、第六項、第七項及び第九項(試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)の規定」と、同法第七十四条第一項第二号中「前節(税額の計算)」とあるのは「前節(税額の計算)並びに租税特別措置法第四十二条の四第一項から第三項まで、第六項、第七項及び第九項(試験研究を行つた場合の法人税額の特別控除)」とする。 #第十一項の規定の適用がある場合における法人税法 及び地方法人税法 の規定の適用については、法人税法第六十七条第一項 中「前条第一項又は第二項」とあるのは「租税特別措置法第四十二条の四第十一項(連結納税の承認を取り消された場合の法人税額)」と、同条第三項中「前条第一項又は第二項」とあるのは「租税特別措置法第四十二条の四第十一項」とするほか、同法第二編第一章第三節の規定による申告又は還付の特例その他同法及び地方法人税法 の規定の適用に関し必要な事項は、政令で定める。 ==解説== ==参照条文== ==判例== {{stub}} [[カテゴリ:租税|42の4]]
null
2022-11-29T04:38:49Z
[ "テンプレート:Stub" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E7%A7%9F%E7%A8%8E%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E6%B3%95%E7%AC%AC42%E6%9D%A1%E3%81%AE4
19,586
高等学校国語総合
故事・寓話 史伝 絶句 律詩 文章 思想 史伝 故事 小説 文章 思想 絶句 律詩
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "故事・寓話", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "史伝", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "絶句", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "律詩", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "文章", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "思想", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "史伝", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "故事", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "小説", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "文章", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "思想", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "絶句", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "律詩", "title": "漢文" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "漢文" } ]
null
:* [[小学校・中学校・高等学校の学習]] > [[高等学校の学習]] > 国語総合 ---- {{stub}} :※ 本記事の節「頻出」とは、多くの教科書会社の教科書で、取り扱いされている作品を上げている。いっぽう、取り扱いをしている教科書会社の少ない作品は、節「第二グループ」にまとめた。 :読者は、なるべく節「頻出」の作品から学習すると良いだろう。 == 古文 == === 頻出 === :[[高等学校国語総合/土佐日記]](・'''門出''' ・忘れ貝 ・帰京):'''日記文学''' 、原作:'''紀貫之''' {{進捗|50%|2014-11-17}} :[[高等学校国語総合/宇治拾遺物語]](・'''児のそら寝''' ・絵仏師良秀) {{進捗|75%|2014-11-17}} :[[高等学校国語総合/伊勢物語]](・芥川 ・'''東下り''' ・筒井筒 ・あづさ弓 ・さらぬ別れ):'''歌物語''' {{進捗|50%|2014-11-17}} :[[高等学校国語総合/十訓抄]](・'''大江山''') {{進捗|50%|2014-11-23}} :[[高等学校国語総合/古今著聞集]](・老僧の水練) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/今昔物語]](・羅城門) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/徒然草]](・亀山殿の御池に ・丹波に出雲といふ所あり ・奥山に猫またといふもの ・'''花は盛りに''' ・神無月のころ):随筆 兼好法師 {{進捗|50%|2014-11-23}} :[[高等学校国語総合/平家物語]](・'''木曾の最期''' ・富士川 ・祇園精舎(参考)):軍記 {{進捗|50%|2014-11-23}} :[[高等学校国語総合/奥の細道]](・旅立ち ・平泉 ・'''立石寺'''):紀行 松尾芭蕉 {{進捗|25%|2014-11-23}} :[[高等学校国語総合/枕草子]](・雪のいと高う降りたるを):随筆 {{進捗|50%|2014-11-23}} :万葉集 :古今和歌集 :新古今和歌集 === 第二グループ === :[[高等学校国語総合/今昔物語]](・阿蘇の史、盗人にあひてのがるること) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/徒然草]](・これも仁和寺の法師 ・ある人、弓射ることを習ふに ・友とするにわろきもの ・神無月のころ ・名を聞くより ・雪のおもしろう降りたりし朝 ・今日はそのことをなさんと思へど ・つれづれなるままに) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/奥の細道]](・白川の関 ・最上川 ・大垣 ・那須野) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/竹取物語]](・なよ竹のかぐや姫 ・かぐや姫の嘆き ・天人の迎へ) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/枕草子]](・春はあけぼの ・近うて遠きもの、遠くて近きもの ・うつくしきもの ・はしたなきもの ・憎きもの ・中納言参り給ひて ・木の花は ・ありがたきもの ・五月ばかりなどに山里に歩く ・虫は) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/沙石集]](・考孫 ・いみじき成敗) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/土佐日記]](・楫取りの心は神の御心 ・海賊の恐れ ・大津より浦戸へ) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/三冊子]] {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/うひ山ぶみ]]  :本居宣長 {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/十訓抄]](・祭主三位輔親の侍) {{進捗|00%|2015-07-25}} :[[高等学校国語総合/平家物語]] {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/今物語]](・桜木の精) {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/宇治拾遺物語]](・空を飛ぶ倉 ・博打の子の婿入り) {{進捗|00%|2015-07-25}} :[[高等学校国語総合/俊頼髄脳]] :源俊頼 {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/正徹物語]] :正徹 {{進捗|00%|2014-11-24}} :[[高等学校国語総合/方丈記]] (・ゆく河の流れ)(※冒頭のみ) {{進捗|75%|2015-07-25}}:鴨長明 :[[高等学校国語総合/源氏物語]] (・光源氏の誕生)(※冒頭のみ) {{進捗|75%|2015-07-25}}:紫式部 == 漢文 == === 頻出 === [[高等学校国語総合/故事・寓話|故事・寓話]] :[[高等学校国語総合/故事・寓話#虎の威を借る狐|虎の威を借る狐(借虎威)]](戦国策) {{進捗|50%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/故事・寓話#漁夫の利|漁夫の利(漁夫之利)]](戦国策) {{進捗|50%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/故事・寓話#朝三暮四|朝三暮四]](列子) {{進捗|75%|2015-07-31}} :[[中学校国語 漢文/矛盾|矛盾]](韓非子) :[[高等学校古文/散文・説話/故事成語#塞翁が馬|塞翁が馬(塞翁馬)]](淮南子) :[[中学校国語_漢文/五十歩百歩|五十歩百歩]](孟子) :[[高等学校国語総合/故事・寓話#蛇足|蛇足]](戦国策) {{進捗|75%|2015-07-31}} [[高等学校国語総合/史伝|史伝]] :[[高等学校国語総合/漢文/管鮑之交|管鮑之交]] (十八史略){{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/先従隗始|隗より始めよ(先従隗始)]](十八史略) {{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/臥薪嘗胆|臥薪嘗胆]](十八史略) {{進捗|50%|2015-08-01}} :[[高等学校国語総合/漢文/鶏鳴狗盗|鶏鳴狗盗]] (史記){{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/鶏口牛後|鶏口牛後]] (十八史略){{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/晏子之御|晏子之御]](史記) 絶句 :[[高等学校古文/漢詩/涼州詞|涼州詞]](王翰) {{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/早発白帝城|早発白帝城]](李白) {{進捗|75%|2015-07-31}} :[[高等学校国語総合/漢文/登鸛鵲楼|登鸛鵲楼]](王 之渙) {{進捗|75%|2015-08-01}} :[[高等学校国語総合/漢文/山行|山行]](杜牧) :[[高等学校国語総合/漢文/江南春|江南春]](杜牧) :[[高等学校国語総合/漢文/江雪|江雪]](柳宗元) {{進捗|75%|2015-08-01}} 律詩 :[[高等学校古文/漢詩/香炉峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁|香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁]](白居易) :[[高等学校国語総合/漢文/登高|登高]](杜甫) :[[高等学校国語総合/漢文/月夜|月夜]](杜甫) :[[高等学校国語総合/漢文/八月十五日夜禁中独直対月憶元九|八月十五日夜禁中独直対月憶元九]](白居易) 文章 :[[高等学校古文/散文・説話/雑説|雑説]](韓愈) {{進捗|25%|2015-07-31}} 思想 :[[高等学校古文/思想/論語|論語]] {{進捗|00%|2015-08-01}} :[[高等学校国語総合/漢文/孟子|孟子]] === 第二グループ === 史伝 :[[高等学校国語総合/漢文/死諸葛走生仲達|死諸葛走生仲達]](十八史略) 故事 :[[中学校国語_漢文/守株|守株]](韓非子) :[[高等学校国語総合/故事・寓話#苛政は虎よりも猛なり|苛政は虎よりも猛なり]](礼記) {{進捗|50%|2015-07-31}} :[[高等学校古典B/漢文/知音|知音]](呂氏春秋) 小説 :[[高等学校古典B/漢文/桃花源記|桃花源記]] (陶潜) 文章 :[[高等学校古文/散文・説話/漁父辞|漁父辞]](屈原) 思想 :[[高等学校古典B/漢文/胡蝶之夢|胡蝶之夢]] (荘子) :[[高等学校古典B/漢文/不忍人之心|不忍人之心]] (孟子) 絶句 :[[高等学校古文/漢詩/絶句|絶句]](杜甫) :[[高等学校古文/漢詩/静夜思|静夜思]](李白) :春夜洛城聞笛(李白) :[[高等学校国語総合/漢文/送元二使安西|送元二使安西]](王維) 律詩 :[[高等学校古文/漢詩/春暁|春暁]](孟浩然) :臨洞庭(孟浩然) :[[高等学校古文/漢詩/春望|春望]](杜甫) :旅夜書懐(杜甫) :山亭夏日 :王昭君 :代悲白頭翁 :人面桃花 :羆説(柳宗元) == 現代文 == === 頻出 === :[[高等学校国語総合/羅生門/解説]](芥川龍之介) :[[高等学校国語総合/夢十夜/解説]](夏目漱石) :[[高等学校国語総合/富嶽百景/解説]](太宰治) :[[高等学校国語総合/なめとこ山の熊/解説]](宮沢賢治) === 第二グループ === : == 国語便覧 == :[[高等学校国語総合/国語便覧]] == 単語集 == :[[高等学校国語総合/古文単語集]] (※ 古文Bとも兼用) [[Category:高等学校教育|国 そうこう]] [[Category:高等学校教育 国語|そうこう]] [[Category:日本語|高*]]
null
2022-03-12T02:09:16Z
[ "テンプレート:Stub", "テンプレート:進捗" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88
19,587
ビデオジョッキー入門
ビデオジョッキー(VJ)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指す。略称は「VJ」。DJと同じく、2通りの意味がある。概要はWikipediaを参照。 必要な機材は多くありません。以下の4点さえ用意すれば、すぐ始めることができます。 VJでは以下のソフトが使われます。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ビデオジョッキー(VJ)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指す。略称は「VJ」。DJと同じく、2通りの意味がある。概要はWikipediaを参照。", "title": "はじめに" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "必要な機材は多くありません。以下の4点さえ用意すれば、すぐ始めることができます。", "title": "必要な機材" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "VJでは以下のソフトが使われます。", "title": "ソフトウェア" } ]
null
== はじめに == ビデオジョッキー(VJ)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指す。略称は「VJ」。DJと同じく、2通りの意味がある。概要は[[w:ビデオジョッキー|Wikipedia]]を参照。 == 必要な機材 == 必要な機材は多くありません。以下の4点さえ用意すれば、すぐ始めることができます。 *PC *プロジェクター *HDMIケーブル *VJソフトウェア == ソフトウェア == VJでは以下のソフトが使われます。 *CoGe *Max(Max/MSP) *Modul8 *openFrameworks *Processing *Pure Data *Quartz Composer *Resolume Avenue *VDMX5
null
2014-11-07T01:35:50Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%85%A5%E9%96%80
19,590
高等学校国語総合/宇治拾遺物語
鎌倉時代の作品。成立年は、おそらく1212年~1221年ごろと思われている。作者は不明。 仏教の説話が多い。芸能や盗賊の説話もある。この作品での仏教のようすは、鎌倉時代の仏教が元になっている。 昔、比叡山に、一人の児がいた。僧たちが、ぼた餅(ぼたもち)を作っていたので、児はうれしいが、寝ずに待っているのを みっともないと思い、児は寝たふりをして待っていたところ、ぼた餅が出来上がった。 僧が児を起こそうと声をかけてくれたが、児は思ったのは、一回の呼びかけで起きるのも、あたかも寝たふりを児がしていたかのようで、みっともないだろうと思った。なので、児が思ったのは、もう一度だけ、僧が声をかけてくれたら起きようかと思っていたら、僧たちは児が完全に寝入ってしまったと思い、二度目の声をかけなくなった。なので、ぼた餅が、僧たちに、どんどん食べられてしまい、児は「しまった」と思い、それでも食べたいので、あとになってから、僧の呼びかけへの返事をして「はい」と答えた。僧たちは面白くて大笑いだった。 今(名詞) は(格助詞) 昔、比叡の山 に(格助詞) 児 あり(ラ行変格動詞・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 僧たち、宵(よい) の(格助) つれづれ に(格助)、 「いざ(感嘆詞)、かいもちひ せ(サ変格・未然) む(助動詞・意思・終止)。」 と(格助) 言ひ(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) を(格助)、 こ(代名詞) の(格助) 児、心寄せ に(格助) 聞き(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 さりとて(接続詞)、 し出ださ(四段・未然) む を(格助) 待ち(四段・連用) て(接続助詞) 寝(下二段・未然) ざら(助動・打消・未然) む(助動詞・婉曲・連体) も(係助詞)、 わろかり(形容詞・ク活用・連用) な(助動・強・未) む(助動・推・終) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、 片方 に(格助) 寄り(四段・連用) て(接続助詞)、 寝(動詞・下二段・連用) たる(助動・存在・連体) よし にて(格助)、 出で来る(いでくる)(動詞・カ行変格・連体) を(格助) 待ち(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) に(接続助詞)、 すでに(副詞) し出だし(しいだし)(四段・連用) たる(助動・完了・連体) さま にて(格助)、 ひしめき合ひ(四段・連用) たり(助動詞・存在・終止)。 こ(代名詞) の(格助詞) 児、定めて(副詞) 驚かさ むず(助動・推・終止) らむ(助動・現推・終止) と(格助) 待ちゐ たる に(接助)、 僧 の(格助)、 「もの申しさぶらはむ。 驚かせたまへ。」 と(格助) 言ふ を 、 うれし と は 思へ ども(接助)、ただ(副詞) 一度 に(格助) いらへ む も(係助)、 待ちける か(係助) と(格助) も(係助) ぞ 思ふ と(格助) て(接助)、 いま 一声 呼ばれて いらへ む と(格助)、念じ て(接助) 寝たる ほど に(格助)、 「や、な起こしたてまつりそ。 をさなき人は寝入りたまひにけり。」と言ふ声のしければ、あな(感嘆詞) わびし(形容詞・シク活用・終止) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接助)、 いま(副詞) 一度 起こせ(四段・命令) かし(終助詞) と(格助)、 思ひ寝 に(格助) 聞け(四段・已然) ば(接助)、 ひしひしと(副詞) ただ(副詞) 食ひ(四段・連用) に(格助) 食ふ(四段・連体) 音 の(格助) し(サ変・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、ずちなく(ク・用) て(接助)、 無期 の(格助) のち に(格助)、 「えい。」(感) と(格助) いらへ(下二・用) たり(助動・完了・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 僧たち 笑ふ(四・体) こと 限りなし。(ク・終) 昔、絵仏師の良秀がいた。ある日、隣家からの家事で自宅が火事になって、自分だけ逃げ出せた。妻子はまだ家の中に取り残されている。良秀は、家の向かい側に立っている。 良秀は燃える家を見て、彼は炎の燃え方が理解できたので、家なんかよりも絵の理解のほうが彼には大切なので、炎を理解できたことを「得をした」などと言って、笑っていたりした。良秀の心を理解できない周囲の人は、「(良秀に)霊でも取りついたのか」と言ったりして心配したが、良秀に話しかけた周囲の人に、良秀は自慢のような説明をして、たとえ家が燃えて財産を失おうが絵などの仕事の才能さえあれば、家など、また建てられる金が稼げることを説明し、今回の火事の件で炎の燃え方が理解できたので、自分は炎が上手く書けるから、今後も金儲けが出来るので、家を建てられることを説明した。さらに、良秀の説明・自慢は続き、そして世間の一般の人々は才能が無いから物を大事にするのだと、良秀は あざわらう。 けっきょく、良秀は、その後も絵描きとして成功し、『よじり不動』という絵が有名になって、世間の人々に褒められている。 良秀は、あまり、妻子の安否を気にしてない。まだ妻子が火事の家の中にいるを知らないのではなく、知っているが気にしてない。 後の時代だが、この作品が、近代の芥川龍之介の作品「地獄変」の題材にもなっている。 これ(代名詞) も(格助詞) 今 は(係り助詞) 昔、 絵仏師 良秀 と(格助) いふ(動詞・四段・連用) あり(動詞・ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 家 の(格助) 隣 より(格助) 火 出で来(動詞・カ変・連用) て(接続助詞)、 風 おしおほひ(動詞・四段・連用) て(接助) せめ(動詞・下二段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 逃げいで(動詞・下二段・連用) て(接助) 大路 へ(格助) 出で(動詞・下二段・連用) に(助動詞・完了・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 人 の(格助) 描か(動詞・四段・未然) する(助動詞・使役・連体) 仏 も(係助) おはし(サ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 また(接続詞)、 衣 着(動詞・上一段・未然) ぬ(助動詞・打消・連体) 妻子 など(副助詞) も(係助)、 さながら(副詞) 内 に(格助) あり(ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 それ(代名詞) も(格助) 知ら(四段・未然) ず(助動詞・打消・連用) 、 ただ(副詞) 逃げ出で(下二段・連用) たる(助動詞・完了・連体) を(格助) こと に(格助) し(サ変・用) て(接助)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立て(四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。 見れ ば(接助)、 すでに(副詞) わ(代名詞) が(格助詞) 家 に(格助) 移り て(接助)、 煙(けぶり)・炎 くゆり ける まで(副助詞)、 おほかた(副詞)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立ち て(接助) ながめ けれ ば(接助)、 「あさましき(形容詞・シク・連体) こと。」 と(格助) て(接助)、 人ども 来とぶらひ けれ(助動詞・過去・已然) ど(接助)、 騒が(四段・未然) ず(助動詞・打消・終止)。 「いかに(副詞)。」 と(格助) 人 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 向かひ に(格助) 立ち(四段・連用) て(接助)、 家 の(格助) 焼くる(下二段・連体) を(格助) 見 て(接助) 、 うちうなづき て(接助)、 ときどき(副詞) 笑ひ(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 「あはれ(感嘆詞)、 し(サ変・連用) つる(助動詞・完了・連体) せうとく かな(終助詞)。 年ごろ は(係助) わろく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) ける(助動詞・詠嘆・連体) もの かな(終助詞)。」 と(格助) 言ふ(四段・連体) 時 に(格助)、 とぶらひ に(格助) 来(カ変・連用) たる(助動詞・完了・連体) 者ども、 「こ(代名詞) は(係助) いかに(副詞)、 かくて(副詞) は(係り助詞) 立ち たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・存続・連体) ぞ(係り助詞)。 あさましき こと かな(終助詞)。 物(もの) の つき たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・完了・連体) か(係助)。」 と(格助) 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 「なんでふ(副詞) 物 の(格助) つく べき(助動詞・当然・連体) ぞ(係助)。 年ごろ 不動尊 の(格助) 火炎 を(格助) 悪しく かきける なり。 今 見れ ば(接助)、 かう(副詞) こそ(係り助詞、係り) 燃え けれ(助動詞・過去・已然・結び) と(格助)、 心得 つる(助動詞・完了・連体) なり(助動詞・断定・終止)。 これ こそ(係り助詞) せうとく よ(終助詞)。 こ(代名詞) の(格助) 道 を(格助) 立て(下二段・連用) て(接助) 世 に(格助) あら(ラ変・未然) む(助動詞・仮定・連体) に(格助) は(係助)、 仏 だに(副詞) よく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) たてまつら(補助動詞・尊敬・四段・未然) ば(接助)、 百千 の(格助) 家 も(係助) 出で来(カ変・連用) な(助動詞「ぬ」・強意・未然) む(助動詞・推量・終止)。 わ党たち こそ(係り助詞、係り)、 させる(連体詞) 能 も(係り助詞) おはせ(サ変・未然) ね(助動詞・打消・已然) ば(接助)、 物 を(格助) も(係り助詞) 惜しみ(四段・連用) たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然結び)。」 と(格助詞) 言ひ(四段・連用) て(接助)、 あざ笑ひ(四段・連用) て(接助) こそ(係り助詞、係り) 立て(四段・已然) り(助動詞・存続・連用) けれ(助動詞・過去・已然・結び)。 そ(代名詞) の(格助) のち に(助動詞・断定・連用) や(係り助詞)、 良秀 が(格助) よぢり不動 と(格助) て(接助)、 今に(副詞) 人々、 めで合へ(四段・已然/命令) り(助動詞・存続・終止)。 鎌倉時代初期に成立した説話集。編者は不明。輪数は約二百話からなる。(百九十七話) 仏教に関した話が多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "鎌倉時代の作品。成立年は、おそらく1212年~1221年ごろと思われている。作者は不明。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "仏教の説話が多い。芸能や盗賊の説話もある。この作品での仏教のようすは、鎌倉時代の仏教が元になっている。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "昔、比叡山に、一人の児がいた。僧たちが、ぼた餅(ぼたもち)を作っていたので、児はうれしいが、寝ずに待っているのを みっともないと思い、児は寝たふりをして待っていたところ、ぼた餅が出来上がった。", "title": "児(ちご)のそら寝" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "僧が児を起こそうと声をかけてくれたが、児は思ったのは、一回の呼びかけで起きるのも、あたかも寝たふりを児がしていたかのようで、みっともないだろうと思った。なので、児が思ったのは、もう一度だけ、僧が声をかけてくれたら起きようかと思っていたら、僧たちは児が完全に寝入ってしまったと思い、二度目の声をかけなくなった。なので、ぼた餅が、僧たちに、どんどん食べられてしまい、児は「しまった」と思い、それでも食べたいので、あとになってから、僧の呼びかけへの返事をして「はい」と答えた。僧たちは面白くて大笑いだった。", "title": "児(ちご)のそら寝" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "今(名詞) は(格助詞) 昔、比叡の山 に(格助詞) 児 あり(ラ行変格動詞・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 僧たち、宵(よい) の(格助) つれづれ に(格助)、 「いざ(感嘆詞)、かいもちひ せ(サ変格・未然) む(助動詞・意思・終止)。」 と(格助) 言ひ(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) を(格助)、 こ(代名詞) の(格助) 児、心寄せ に(格助) 聞き(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 さりとて(接続詞)、 し出ださ(四段・未然) む を(格助) 待ち(四段・連用) て(接続助詞) 寝(下二段・未然) ざら(助動・打消・未然) む(助動詞・婉曲・連体) も(係助詞)、 わろかり(形容詞・ク活用・連用) な(助動・強・未) む(助動・推・終) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、 片方 に(格助) 寄り(四段・連用) て(接続助詞)、 寝(動詞・下二段・連用) たる(助動・存在・連体) よし にて(格助)、 出で来る(いでくる)(動詞・カ行変格・連体) を(格助) 待ち(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) に(接続助詞)、 すでに(副詞) し出だし(しいだし)(四段・連用) たる(助動・完了・連体) さま にて(格助)、 ひしめき合ひ(四段・連用) たり(助動詞・存在・終止)。", "title": "児(ちご)のそら寝" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "こ(代名詞) の(格助詞) 児、定めて(副詞) 驚かさ むず(助動・推・終止) らむ(助動・現推・終止) と(格助) 待ちゐ たる に(接助)、 僧 の(格助)、 「もの申しさぶらはむ。 驚かせたまへ。」 と(格助) 言ふ を 、 うれし と は 思へ ども(接助)、ただ(副詞) 一度 に(格助) いらへ む も(係助)、 待ちける か(係助) と(格助) も(係助) ぞ 思ふ と(格助) て(接助)、 いま 一声 呼ばれて いらへ む と(格助)、念じ て(接助) 寝たる ほど に(格助)、 「や、な起こしたてまつりそ。 をさなき人は寝入りたまひにけり。」と言ふ声のしければ、あな(感嘆詞) わびし(形容詞・シク活用・終止) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接助)、 いま(副詞) 一度 起こせ(四段・命令) かし(終助詞) と(格助)、 思ひ寝 に(格助) 聞け(四段・已然) ば(接助)、 ひしひしと(副詞) ただ(副詞) 食ひ(四段・連用) に(格助) 食ふ(四段・連体) 音 の(格助) し(サ変・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、ずちなく(ク・用) て(接助)、 無期 の(格助) のち に(格助)、 「えい。」(感) と(格助) いらへ(下二・用) たり(助動・完了・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 僧たち 笑ふ(四・体) こと 限りなし。(ク・終)", "title": "児(ちご)のそら寝" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "昔、絵仏師の良秀がいた。ある日、隣家からの家事で自宅が火事になって、自分だけ逃げ出せた。妻子はまだ家の中に取り残されている。良秀は、家の向かい側に立っている。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "良秀は燃える家を見て、彼は炎の燃え方が理解できたので、家なんかよりも絵の理解のほうが彼には大切なので、炎を理解できたことを「得をした」などと言って、笑っていたりした。良秀の心を理解できない周囲の人は、「(良秀に)霊でも取りついたのか」と言ったりして心配したが、良秀に話しかけた周囲の人に、良秀は自慢のような説明をして、たとえ家が燃えて財産を失おうが絵などの仕事の才能さえあれば、家など、また建てられる金が稼げることを説明し、今回の火事の件で炎の燃え方が理解できたので、自分は炎が上手く書けるから、今後も金儲けが出来るので、家を建てられることを説明した。さらに、良秀の説明・自慢は続き、そして世間の一般の人々は才能が無いから物を大事にするのだと、良秀は あざわらう。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "けっきょく、良秀は、その後も絵描きとして成功し、『よじり不動』という絵が有名になって、世間の人々に褒められている。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "良秀は、あまり、妻子の安否を気にしてない。まだ妻子が火事の家の中にいるを知らないのではなく、知っているが気にしてない。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "後の時代だが、この作品が、近代の芥川龍之介の作品「地獄変」の題材にもなっている。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "これ(代名詞) も(格助詞) 今 は(係り助詞) 昔、 絵仏師 良秀 と(格助) いふ(動詞・四段・連用) あり(動詞・ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 家 の(格助) 隣 より(格助) 火 出で来(動詞・カ変・連用) て(接続助詞)、 風 おしおほひ(動詞・四段・連用) て(接助) せめ(動詞・下二段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 逃げいで(動詞・下二段・連用) て(接助) 大路 へ(格助) 出で(動詞・下二段・連用) に(助動詞・完了・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 人 の(格助) 描か(動詞・四段・未然) する(助動詞・使役・連体) 仏 も(係助) おはし(サ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 また(接続詞)、 衣 着(動詞・上一段・未然) ぬ(助動詞・打消・連体) 妻子 など(副助詞) も(係助)、 さながら(副詞) 内 に(格助) あり(ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 それ(代名詞) も(格助) 知ら(四段・未然) ず(助動詞・打消・連用) 、 ただ(副詞) 逃げ出で(下二段・連用) たる(助動詞・完了・連体) を(格助) こと に(格助) し(サ変・用) て(接助)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立て(四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "見れ ば(接助)、 すでに(副詞) わ(代名詞) が(格助詞) 家 に(格助) 移り て(接助)、 煙(けぶり)・炎 くゆり ける まで(副助詞)、 おほかた(副詞)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立ち て(接助) ながめ けれ ば(接助)、", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "「あさましき(形容詞・シク・連体) こと。」", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "と(格助) て(接助)、 人ども 来とぶらひ けれ(助動詞・過去・已然) ど(接助)、 騒が(四段・未然) ず(助動詞・打消・終止)。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「いかに(副詞)。」", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "と(格助) 人 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 向かひ に(格助) 立ち(四段・連用) て(接助)、 家 の(格助) 焼くる(下二段・連体) を(格助) 見 て(接助) 、 うちうなづき て(接助)、 ときどき(副詞) 笑ひ(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "「あはれ(感嘆詞)、 し(サ変・連用) つる(助動詞・完了・連体) せうとく かな(終助詞)。 年ごろ は(係助) わろく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) ける(助動詞・詠嘆・連体) もの かな(終助詞)。」", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "と(格助) 言ふ(四段・連体) 時 に(格助)、 とぶらひ に(格助) 来(カ変・連用) たる(助動詞・完了・連体) 者ども、", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「こ(代名詞) は(係助) いかに(副詞)、 かくて(副詞) は(係り助詞) 立ち たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・存続・連体) ぞ(係り助詞)。 あさましき こと かな(終助詞)。 物(もの) の つき たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・完了・連体) か(係助)。」", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "と(格助) 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "「なんでふ(副詞) 物 の(格助) つく べき(助動詞・当然・連体) ぞ(係助)。 年ごろ 不動尊 の(格助) 火炎 を(格助) 悪しく かきける なり。 今 見れ ば(接助)、 かう(副詞) こそ(係り助詞、係り) 燃え けれ(助動詞・過去・已然・結び) と(格助)、 心得 つる(助動詞・完了・連体) なり(助動詞・断定・終止)。 これ こそ(係り助詞) せうとく よ(終助詞)。 こ(代名詞) の(格助) 道 を(格助) 立て(下二段・連用) て(接助) 世 に(格助) あら(ラ変・未然) む(助動詞・仮定・連体) に(格助) は(係助)、 仏 だに(副詞) よく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) たてまつら(補助動詞・尊敬・四段・未然) ば(接助)、 百千 の(格助) 家 も(係助) 出で来(カ変・連用) な(助動詞「ぬ」・強意・未然) む(助動詞・推量・終止)。 わ党たち こそ(係り助詞、係り)、 させる(連体詞) 能 も(係り助詞) おはせ(サ変・未然) ね(助動詞・打消・已然) ば(接助)、 物 を(格助) も(係り助詞) 惜しみ(四段・連用) たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然結び)。」", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "と(格助詞) 言ひ(四段・連用) て(接助)、 あざ笑ひ(四段・連用) て(接助) こそ(係り助詞、係り) 立て(四段・已然) り(助動詞・存続・連用) けれ(助動詞・過去・已然・結び)。 そ(代名詞) の(格助) のち に(助動詞・断定・連用) や(係り助詞)、 良秀 が(格助) よぢり不動 と(格助) て(接助)、 今に(副詞) 人々、 めで合へ(四段・已然/命令) り(助動詞・存続・終止)。", "title": "絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "鎌倉時代初期に成立した説話集。編者は不明。輪数は約二百話からなる。(百九十七話) 仏教に関した話が多い。", "title": "『宇治拾遺物語』について" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "第二グループ" } ]
鎌倉時代の作品。成立年は、おそらく1212年~1221年ごろと思われている。作者は不明。 仏教の説話が多い。芸能や盗賊の説話もある。この作品での仏教のようすは、鎌倉時代の仏教が元になっている。
鎌倉時代の作品。成立年は、おそらく1212年~1221年ごろと思われている。作者は不明。 仏教の説話が多い。芸能や盗賊の説話もある。この作品での仏教のようすは、鎌倉時代の仏教が元になっている。 == 児(ちご)のそら寝 == *大意 昔、比叡山に、一人の児がいた。僧たちが、ぼた餅(ぼたもち)を作っていたので、児はうれしいが、寝ずに待っているのを みっともないと思い、児は寝たふりをして待っていたところ、ぼた餅が出来上がった。 僧が児を起こそうと声をかけてくれたが、児は思ったのは、一回の呼びかけで起きるのも、あたかも寝たふりを児がしていたかのようで、みっともないだろうと思った。なので、児が思ったのは、もう一度だけ、僧が声をかけてくれたら起きようかと思っていたら、僧たちは児が完全に寝入ってしまったと思い、二度目の声をかけなくなった。なので、ぼた餅が、僧たちに、どんどん食べられてしまい、児は「しまった」と思い、それでも食べたいので、あとになってから、僧の呼びかけへの返事をして「はい」と答えた。僧たちは面白くて大笑いだった。 === 一 === *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 今は昔、比叡(ひえ)の山に 児(ちご) ありけり。 僧たち、宵(よひ。ヨイ)の '''つれづれ'''に、 「'''いざ'''、'''かいもちひ''' せむ。」と言ひけるを、 この児、心寄せに聞きけり。 '''さりとて'''、し出ださむ(しいださむ)を待ちて寝ざらむも、'''わろかり''' なむ と 思ひて、片方(かたかた)に 寄りて、寝たる 由('''よし''') にて、出で(いで)来るを 待ちける に、すでに し出だし(いだし)たる さま にて、ひしめき 合ひたり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 今となっては昔のことだが、比叡山の延暦寺に(一人の)児童がいたという。僧たちが、日が暮れて間もないころ(=宵)、退屈しのぎに (=つれづれに)、「さあ、ぼたもちを作ろう。」と言ったのを、この児は期待して聞いた。'''そうかといって'''、作りあがるのを待って寝ないでいるのも、'''みっともない'''だろうと思って、(部屋の)片隅によって寝たふりで(ぼたもちが)出来上がるのを待っていたところ、(僧たちが)もう作りあげた様子で騒ぎあっている。 |} *語句(重要) :'''そら寝''' - 寝たふり。 :'''今は昔''' - 今となっては昔のことだが。昔話の出だしの決まり文句。 :比叡(ひえ)の山 - 京都と滋賀の境に比叡山(ひえいざん)がある。比叡山に延暦寺(えんりゃくじ)がある。延暦寺の宗派は天台宗。 :児(ちご) - 公家や武家などの家の少年に学問や行儀作法などを習わせるために、少年が寺に預けられていた。 :宵(よい) - 日が暮れて間もないころ。おおむね、日没から二時間後・三時間後くらいまで。 :'''つれづれ''' - することが無くて退屈。 :'''いざ''' - 現代の「さあ」に相当。呼びかけを表す。 :'''かいもちひ'''(イ) - 「かきもちひ」のイ音便。ぼた餅(ぼたもち)。おはぎの類。 :'''さりとて''' - 「さ ありとて」のつまった形。現代の「そうであるかといって」。この文での「さ」の指す内容は「'''心寄せに聞きけり'''」。 :'''わろかり''' - 良くは無い。形容詞「わろし」の活用。形容詞「あし」ほどの強い否定ではない。 :'''よし'''(由) - そぶり。 === 二=== *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| この児、定めて 驚かさ'''む ず''' らむ と 待ちゐたる に、僧の、 「'''もの申しさぶらはむ'''。 驚かせたまへ。」と言ふを、うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、 待ちけるかと もぞ 思ふとて、いま一声(ひとこゑ、ヒトコエ)呼ばれていらへむと、'''念じて'''寝たるほどに、 「や、な 起こし奉り(たてまつり)そ。'''をさなき'''人は 寝入りたまひに けり。」と言ふ声のしければ、'''あな''' '''わびし''' と 思ひて、いま一度起こせかしと、思ひ寝に聞けば、 '''ひしひしと''' ただ食ひに食ふ音のしければ、'''ずちなく'''て、 無期(むご) の のち に、 「えい。」と いらへ たり ければ、僧たち 笑ふこと 限りなし(かぎりなし)。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| この児は、きっと僧たちが起こしてくれるだろうと待っていたところ、僧が「もしもし、起きてください。」というのを、(児は)うれしいと思ったが、ただ一度(の呼びかけ)で返事をするのも、(ぼたもちを)待っていたかと(僧たちに)思われるのもいけないと考えて、もう一度呼ばれてから返事をしようと'''我慢して'''(=「念じて」に対応。)寝ているうちに、(僧が言うには)「これ、お起こし申しあげるな。幼い(おさない)人は 寝入ってしまいなさった。」と言う声がしたので、(児が、)'''ああ、情けない'''(=「あな わびし」に対応。)と思って、もう一度起こしてくれよと思いながら寝て聞くと、むしゃむしゃと、ひたすら(ぼたもちを)食べる音がしたので、'''どうしようもなくなり'''(=「ずちなくて」に対応。)、長い時間のあとに(児が)「はい」と(返事を)言ったので、僧たちの笑うこと、この上ない。 |} *語句(重要) :・'''さだめて'''  - 現代の「きっと」という意味の副詞。動詞「さだむ」+接続助詞「て」。 :・驚かさ'''むず''' - 「驚かさむ と す」がつまった形。「おどろかす」は現代の「起こす」。「むとす」がつまって「むず」になる。「驚かさむ と す」=「起こそうとする」。「おどろく」だと、現代の「目が覚める」「はっと気づく」。 :・'''な起こしたてまつりそ''' - 「な・・・そ」で、おだやかな禁止「・・・するな」を表す。起こし申し上げるな。 :・'''をさなき''' - 意味は「幼少である」、「未熟である」。幼い(おさない)。形容詞「をさなし」の連体形。 :・'''いらへむ''' - 現代の「返事をする」。「いらへ」は動詞「いらふ」の未然形。「む」は助動詞で婉曲をあらわす。 :・'''もぞ''' - 現代の「・・・すると困る」。古語の「もこそ」と同じ。 :・'''念じて''' - 現代の「我慢して」(がまんして)。 :・'''あな''' - 感嘆「ああ」。 :・'''わびし''' - つらい、情けない。 :・かし - 願望を表す助詞。「起こせかし」の意味は「起こして欲しい」。 :・'''ひしひしと''' - ここでは、現代の「むしゃむしゃ」。 :・'''ずちなし''' - どうしようもなく。「術(すべ)なくて」と同じ。 *語句 :・'''もの申しさぶらはむ''' - 丁寧な呼びかけ。今で言う「もしもし」。 === 品詞分解 === 今(名詞) は(格助詞) 昔、比叡の山 に(格助詞) 児 あり(ラ行変格動詞・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 僧たち、宵(よい) の(格助) つれづれ に(格助)、 「いざ(感嘆詞)、かいもちひ せ(サ変格・未然) む(助動詞・意思・終止)。」 と(格助) 言ひ(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) を(格助)、 こ(代名詞) の(格助) 児、心寄せ に(格助) 聞き(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 さりとて(接続詞)、 し出ださ(四段・未然) む を(格助) 待ち(四段・連用) て(接続助詞) 寝(下二段・未然) ざら(助動・打消・未然) む(助動詞・婉曲・連体) も(係助詞)、 わろかり(形容詞・ク活用・連用) な(助動・強・未) む(助動・推・終) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、 片方 に(格助) 寄り(四段・連用) て(接続助詞)、 寝(動詞・下二段・連用) たる(助動・存在・連体) よし にて(格助)、 出で来る(いでくる)(動詞・カ行変格・連体)  を(格助) 待ち(四段・連用) ける(助動詞・過去・連体) に(接続助詞)、 すでに(副詞) し出だし(しいだし)(四段・連用) たる(助動・完了・連体) さま にて(格助)、 ひしめき合ひ(四段・連用) たり(助動詞・存在・終止)。 こ(代名詞) の(格助詞) 児、定めて(副詞) 驚かさ むず(助動・推・終止) らむ(助動・現推・終止) と(格助) 待ちゐ たる に(接助)、 僧 の(格助)、 「もの申しさぶらはむ。 驚かせたまへ。」 と(格助) 言ふ を 、 うれし と は 思へ ども(接助)、ただ(副詞) 一度 に(格助) いらへ む も(係助)、 待ちける か(係助) と(格助) も(係助) ぞ 思ふ と(格助) て(接助)、 いま 一声 呼ばれて いらへ む と(格助)、念じ て(接助) 寝たる ほど に(格助)、 「や、な起こしたてまつりそ。 をさなき人は寝入りたまひにけり。」と言ふ声のしければ、あな(感嘆詞) わびし(形容詞・シク活用・終止) と(格助) 思ひ(四段・連用) て(接助)、 いま(副詞) 一度 起こせ(四段・命令) かし(終助詞) と(格助)、 思ひ寝 に(格助) 聞け(四段・已然) ば(接助)、 ひしひしと(副詞) ただ(副詞) 食ひ(四段・連用) に(格助) 食ふ(四段・連体) 音 の(格助) し(サ変・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、ずちなく(ク・用) て(接助)、 無期 の(格助) のち に(格助)、 「えい。」(感)  と(格助) いらへ(下二・用) たり(助動・完了・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 僧たち 笑ふ(四・体) こと 限りなし。(ク・終) == 絵仏師良秀 (えぶっし りやうしやう) == *大意 昔、絵仏師の良秀がいた。ある日、隣家からの家事で自宅が火事になって、自分だけ逃げ出せた。妻子はまだ家の中に取り残されている。良秀は、家の向かい側に立っている。 良秀は燃える家を見て、彼は炎の燃え方が理解できたので、家なんかよりも絵の理解のほうが彼には大切なので、炎を理解できたことを「得をした」などと言って、笑っていたりした。良秀の心を理解できない周囲の人は、「(良秀に)霊でも取りついたのか」と言ったりして心配したが、良秀に話しかけた周囲の人に、良秀は自慢のような説明をして、たとえ家が燃えて財産を失おうが絵などの仕事の才能さえあれば、家など、また建てられる金が稼げることを説明し、今回の火事の件で炎の燃え方が理解できたので、自分は炎が上手く書けるから、今後も金儲けが出来るので、家を建てられることを説明した。さらに、良秀の説明・自慢は続き、そして世間の一般の人々は才能が無いから物を大事にするのだと、良秀は あざわらう。 けっきょく、良秀は、その後も絵描きとして成功し、『よじり不動』という絵が有名になって、世間の人々に褒められている。 === 一 === *解説 良秀は、あまり、妻子の安否を気にしてない。まだ妻子が火事の家の中にいるを知らないのではなく、知っているが気にしてない。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火 出で来て(いできて)、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて(いでて)大路(おほち)へ出でにけり。 '''人の描かする仏'''も'''おはしけり'''。 また、衣(きぬ)着ぬ妻子(めこ)なども、'''さながら'''内にありけり。それも知らず、ただ逃げ出でたる(いでたる)をことにして、向かひのつらに立てり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| これも今となっては昔のことだが、絵仏師の良秀という者がいた。(良秀の)家の隣から出火して、風がおおいかぶさって(火が)迫って(「せまって」)きたので、逃げ出して大通りに出てきてしまった。(家の中には、)人が(注文して)描かせていた(仏画の)仏も、'''いらっしゃった'''。また、着物も着ないでいる妻子なども、そのまま家にいた。(良秀は)それも気にせず、ただ自分が逃げ出せたのを良いことにして、(家・道の)向かい側に立っていた。 |} *語句 :'''良秀'''(りょうしう)  - 人名。「良秀」の読みは「リョウショウ」または「ヨシヒデ」と読む。この作品の主人公。彼の詳細は不明。  :'''人の描かする仏'''  - 他人が描かせた仏。「の」は格助詞で主格を表す。「描かする」の「する」は使役の助動詞「す」の連体形。 :おはしけり  - いらっしゃった。 :衣着ぬ  - 最後の「ぬ」は、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」。「衣着ぬ」の意味は「着物を着ない」。 :'''さながら'''  - 現代の「そのまま」という意味の副詞。 === 二 === *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 見れば、すでにわが家に移りて、煙(けぶり)・炎くゆりけるまで、おほかた(オオカタ)、向かひのつらに立ちてながめければ、 「'''あさましき'''こと。」 とて、人ども'''来とぶらひ'''けれど、騒がず。 「いかに。」 と人言ひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、ときどき笑ひけり。 「あはれ、'''しつる''' '''せうとく'''かな。年ごろはわろくかきけるものかな。」 と言ふ時に、とぶらひに来たる者ども、 「こはいかに、かくては立ちたまへるぞ。あさましきことかな。物(もの)のつきたまへるか。」 と言ひければ、 「なんでふ物(もの)のつくべきぞ。'''年ごろ'''不動尊の火炎(くわえん)を'''悪しく'''('''あしく''')かきけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれと、'''心得'''(こころう)つるなり。これこそせうとくよ。この道を立てて世にあらんには、仏だによくかきたてまつらば、百千の家もいできなん。'''わ党'''(たう)たちこそ、させる能もおはせねば、物(もの)をも惜しみたまへ。」 と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々、めで合へり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 見ると、炎は既に自分の家に燃え移って、煙や炎がくすぶり出したころまで、(良秀は)向かいに立って眺めていたので、(周囲の人が)「'''大変なこと'''でしたね」と'''見舞い'''(みまい)に来たが、(まったく良秀は)騒がない。 (周囲の人が)「どうしたのですか」と(良秀に)尋ねたところ、(良秀は)向かいに立って、家の焼けるのを見て、うなずいて、ときどき笑った。(良秀は)「ああ、得が大きいなあ。長年にわたって、不動尊の炎を'''下手に'''描いていたなあ。」と言い、見舞いに来た者どもは(言い)「これは一体、なんで、このように(平然と笑ったりして)立っているのか。あきれたものだなあ。霊の類でも、(良秀に)取りついたのか」と言うと、 (良秀は答えて)「どうして霊が取り付いていようか。(笑っていた理由は、取りつかれているのではなく、)長年、不動尊の火炎を'''下手に'''描いていた、それが今見た火事の炎によって、炎はこういうふうに燃えるのかという事が(私は)'''理解'''できたのだ。これこそ、もうけものだ。(たとえ家が燃えようが、才能さえあれば、金を稼げる。) この絵仏師の道を専門に世に生きていくには、仏様さえ上手にお描き申し上げれば、たとえ百軒や千軒の家ですら、(金儲けをして)建てられる。 (いっぽう、)あなたたちは、(あまり)これといった才能が無いから、物を惜しんで大切にするのでしょう。」 ( ← 皮肉 )(  あなたたち才能の無い人々は、せいぜい物でも惜しんで大切にしてください。) と言って、(人々を)あざ笑って立っていた。 その後(のち)の事であろうか、(良秀の絵は、)良秀の よじり不動 といわれて、今でも人々が、ほめ合っている。 |} [[File:Fudō Myōō.jpg|thumb|200px|right|不動明王(五大尊のうち)。所蔵:醍醐寺]] *語句 :'''あさまし''' -  大変なこと。 :来とぶらひけれど - 見舞いに来たが。複合動詞で、 動詞「来」(く) + 動詞「とぶらふ」。 古語「とぶらふ」には、現代の「見舞う」の意味がある。「とぶらふ」には「訪問する」などの意味もあるが、文脈から「見舞う」と判断した。 :'''年ごろ''' -   長年。 '''※ 現代語とは違い、「適齢期」の意味は無い。''' :'''しつる''' '''せうとく'''かな -  「せうとく」は所得の意。「しつる」は「した」の意。「せうとく しつるかな」の転置。 :物 -  悪霊などの霊や、魔物など。物の怪(もののけ)。 :'''なんでふ'''-  反語表現。どうして・・・か(、いや、・・・ではない)。「なにといふ」が変化した形。 :不動尊 -  不動明王(ふどうみょうおう)。不動明王の絵は、背後に炎を負った形で描かれる。 :'''悪しく'''('''あしく''') -   わるく。ここでは「下手に」の意味。 :心得(こころう) -  理解する。 :わ党たち -  おまえたち。 :めで合へり -  複合動詞で、動詞「めづ」 + 動詞「合へり」(あえり)。「めで」は「めづ」の連用形。「めづ」の意味は、ここでは「賞賛する」・「褒める」などの意味。 *備考 後の時代だが、この作品が、近代の芥川龍之介の作品「地獄変」の題材にもなっている。 === 品詞分解 === これ(代名詞) も(格助詞) 今 は(係り助詞) 昔、 絵仏師 良秀 と(格助) いふ(動詞・四段・連用) あり(動詞・ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 家 の(格助) 隣 より(格助) 火 出で来(動詞・カ変・連用) て(接続助詞)、 風 おしおほひ(動詞・四段・連用) て(接助) せめ(動詞・下二段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 逃げいで(動詞・下二段・連用) て(接助) 大路 へ(格助) 出で(動詞・下二段・連用) '''に'''(助動詞・完了・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 人 の(格助) 描か(動詞・四段・未然) する(助動詞・使役・連体) 仏 も(係助) おはし(サ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 また(接続詞)、 衣 着(動詞・上一段・未然) '''ぬ'''(助動詞・'''打消'''・連体) 妻子 など(副助詞) も(係助)、 '''さながら'''(副詞) 内 に(格助) あり(ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 それ(代名詞) も(格助) 知ら(四段・未然) '''ず'''(助動詞・打消・連用) 、 '''ただ'''(副詞) 逃げ出で(下二段・連用) たる(助動詞・完了・連体) を(格助) こと に(格助) し(サ変・用) て(接助)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立て(四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。   見れ ば(接助)、 '''すでに'''(副詞) '''わ'''(代名詞) が(格助詞) 家 に(格助) 移り て(接助)、 煙(けぶり)・炎 くゆり ける '''まで'''(副助詞)、 おほかた(副詞)、 向かひ の(格助) つら に(格助) 立ち て(接助) ながめ けれ ば(接助)、 「あさましき(形容詞・シク・連体) こと。」 と(格助) て(接助)、 人ども '''来とぶらひ''' けれ(助動詞・過去・已然) ど(接助)、 騒が(四段・未然) ず(助動詞・打消・終止)。 「いかに(副詞)。」 と(格助) 人 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 向かひ に(格助) 立ち(四段・連用) て(接助)、 家 の(格助) 焼くる(下二段・連体) を(格助) 見 て(接助) 、 うちうなづき て(接助)、 '''ときどき'''(副詞) 笑ひ(四段・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 「'''あはれ'''(感嘆詞)、 し(サ変・連用) '''つる'''(助動詞・完了・連体) せうとく '''かな'''(終助詞)。 年ごろ '''は'''(係助) わろく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) ける(助動詞・'''詠嘆'''・連体) もの '''かな'''(終助詞)。」 と(格助) 言ふ(四段・連体) 時 に(格助)、 とぶらひ に(格助) 来(カ変・連用) たる(助動詞・完了・連体) 者ども、 「こ(代名詞) '''は'''(係助) '''いかに'''(副詞)、 かくて(副詞) '''は'''(係り助詞) 立ち '''たまへ'''(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・'''存続'''・連体) ぞ(係り助詞)。 あさましき こと かな(終助詞)。 物(もの) の つき '''たまへ'''(補助動詞・尊敬・四段・已然/命令) る(助動詞・完了・連体)  '''か'''(係助)。」 と(格助) 言ひ(四段・連用) けれ(助動詞・過去・已然) ば(接助)、 「なんでふ(副詞) 物 の(格助) つく '''べき'''(助動詞・当然・連体) '''ぞ'''(係助)。 年ごろ 不動尊 の(格助) 火炎 を(格助) 悪しく かきける なり。 今 見れ ば(接助)、 かう(副詞) こそ(係り助詞、'''係り''') 燃え けれ(助動詞・過去・已然・'''結び''')  と(格助)、 心得 '''つる'''(助動詞・完了・連体) '''なり'''(助動詞・'''断定'''・終止)。 これ こそ(係り助詞) せうとく '''よ'''(終助詞)。 こ(代名詞) の(格助) 道 を(格助) 立て(下二段・連用) て(接助)  世 に(格助) '''あら'''(ラ変・未然) '''む'''(助動詞・'''仮定'''・連体) に(格助) は(係助)、 仏 '''だに'''(副詞) よく(ク活用・連用) 書き(四段・連用) たてまつら(補助動詞・尊敬・四段・未然) ば(接助)、 百千 の(格助) 家 '''も'''(係助) 出で来(カ変・連用) '''な'''(助動詞「ぬ」・'''強意'''・未然) '''む'''(助動詞・'''推量'''・終止)。 わ党たち '''こそ'''(係り助詞、'''係り''')、 '''させる'''('''連体詞''') 能 も(係り助詞) おはせ(サ変・未然) ね(助動詞・打消・已然) ば(接助)、 物 を(格助) も(係り助詞) 惜しみ(四段・連用) たまへ(補助動詞・尊敬・四段・已然'''結び''')。」 と(格助詞) 言ひ(四段・連用) て(接助)、 あざ笑ひ(四段・連用) て(接助) こそ(係り助詞、'''係り''') 立て(四段・已然) '''り'''(助動詞・'''存続'''・連用) けれ(助動詞・過去・已然・'''結び''')。 そ(代名詞) の(格助) のち '''に'''(助動詞・断定・連用) '''や'''(係り助詞)、 良秀 が(格助) よぢり不動 と(格助) て(接助)、 今に(副詞) 人々、 めで合へ(四段・已然/命令) '''り'''(助動詞・'''存続'''・終止)。 == 『宇治拾遺物語』について == 鎌倉時代初期に成立した説話集。編者は不明。輪数は約二百話からなる。(百九十七話) 仏教に関した話が多い。 == 第二グループ == === 空を飛ぶ倉 ===   === 博打の子の婿入り === [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-02-05T08:12:53Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,594
高等学校国語総合/土佐日記
『土佐日記』(とさにっき)とは、紀貫之(きの つらゆき)によって平安時代に書かれた日記。 この時代、平仮名(ひらがな)や万葉仮名などの仮名(かな)は女が使うものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。 日記の内容は私的な感想などであり、べつに公的な報告・記録などでは無い。 『土佐日記』は日本初の仮名文日記である。 紀貫之は公務で、土佐(とさ、現在の高知県)に 地方官として、国司(こくし)として 赴任(ふにん)しており、土佐守(とさのかみ)としての仕事をしていた。その任が終わり、その帰り道での旅の、五十五日間の日記である。 この時代の公文書などは漢文で書かれており、男も漢文を使うものとされていた。そして日記は、男が、公務などについての、その日の記録を、漢文で書いたのが日記だとされていた。 しかし、土佐日記では、その慣例をやぶり、ひらがなで、著者が女を装い、私的な感情を書いた。このように日記で私的な感情を表現するのは、当時としては異例である。 この『土佐日記』によって、私的な日記によって文学的な表現活動をするという文化が起こり、のちの時代の日記文学および女流文学に、大きな影響を与えた。そして今で言う「日記文学」というようなジャンルが、土佐日記によって起こり始めた。 (『土佐日記』はタイトルには「日記」とつくが、しかし現代の観点で見れば、『土佐日記』は後日に日記風の文体で書いた紀行文であろう。しかし、ふつう古典文学の『土佐日記』や『蜻蛉日記』(かげろうにっき)、『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)、『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)、『更級日記』(さらしなにっき)など、古典での「○○日記」などは、日記文学として扱うのが普通である。) とくに冒頭の「門出」(かどで)が重要である。 「忘れ貝」と「帰京」は、その次ぐらいに重要である。とりあえず読者は、順番どおりに読めば、問題ないだろう。 著者の紀貫之は男だが、女のふりをして冒頭文を書いた。船旅になるが、まだ初日の12月21日は船に乗ってない。 女である私も日記を書いてみよう。 ある人(紀貫之)が国司の任期を終え、後任の者への引継ぎも終わり、ある人(紀貫之)は帰りの旅立ちのために土佐の官舎を発った日が12月21日の夜だった。そして。ある人は船着場へ移り、見送りの人たちによる送別のため、皆で大騒ぎをしているうちに夜が更けた。 (まだ船には乗ってない。) ※ 男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとて、するなり。 - とても有名な冒頭文なので、読者は、そのまま覚えてしまっても良い。 単語 「わたる」(「住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る」の文):「わたる」(渡る)はここでは「行く」の意味。古語の「わたる」には、「行く」のほかにも「時間をすごす」や「生計を立てる」、(草花や霧などが)「一面に広がる」など、さまざまな意味がある。 「よし」(「よし」の漢字は「由」): 多義語であり、1.方法、 2.由緒、 3.様子・旨、 といった意味がある。この場面では旨の意味。もとの文の意味は「その旨を、少しばかりものに書きつける。」の意味。 なお関連語として、形容詞「よしなし」は、「理由がない」「方法がない」、「つまらない」という意味である。 「果てて」(はてて): ここでは、「果てて」とは「終わって」の意味。なお、単語集で調べるときは「果つ」(はつ)で調べる。 ※ なお、枕草子の「春はあけぼの」の「日入り果てて、風の音、草の音など、はた言うべきにもあらず」の果てての意味は、「すっかり」の意味。上記の「終わる」とは、やや意味が違う。つまり、「日入り果てて」は「日がすっかり沈んでしまって」という意味。 ※ 「果つ」を掲載している単語集が少ない。三省堂『古文単語300PLUS』なら掲載されている。 22日、船旅の安全を祈る儀式をする。この日、「藤原のときざね」(人名?)が送別の宴(うたげ)を開いてくれた。 23日、「八木のやすのり」が餞別をくれた。 この人たちのおかげで人情の厚さを思い知らさた。いっぽう、関係が深かったのに送別も餞別もしない人たちの人情の薄さを思い知らされた。 24日、国分寺の僧侶も送別をしてくれた。宴で、身分に関わらず酔い、子供までも酔いしれた。 男 も(係助詞) す(サ変・終止) なる(助動詞・伝聞・連体) 日記 と(格助詞) いふ(四段・連体) もの を(格助詞)、女 も(係助) し て(接続助詞) み(上一段・未然) む(助動詞・意志・終止) とて(格助)、 する(サ変・連体) なり(助動・断定・終止)。 それ の(格助) 年 の(格助) 十二月 の(格助) 二十日余り一日 の(格助) 日 の(格助) 戌の刻 に(格助) 、 門出す(サ変・終止。 そ(代名詞) の(格助) よし、いささかに(ナリ・連用) 物 に(格助) 書きつく(下二段・終止)。 ある(連体詞) 人、 県 の(格助) 四年五年 果て(下二段・連用) て(接助)、例 の(格助) 事ども みな(副詞) し終へ(下二段・連用) て(接続助詞)、解由 など(副助詞) 取り(四段・連用) て(接続助詞)、 住む(四段・連体) 館 より(格助) 出で(下二段・連用) て(接続助詞)、 船 に(格助) 乗る(四段・終止) べき(助動詞・当然・連体) 所 へ(格助) 渡る(四段・終止)。 かれこれ(連語)、 知る(四・連体) 知ら(四・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体)、 送りす(サ変・終止)。 年ごろ、 よく(ク活用・連用) くらべ(下二段・連用) つる(助動詞・完了・連体) 人々 なむ(係助詞)、 別れ難く(ク活用・連用) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、日 しきりに(副詞) とかく(副詞) し(サ変・連用) つつ(接続助詞)、 ののしる(四段・連体) うち に(格助)、 夜 更け(下二段) ぬ(助動詞・完了・終止)。 二十二日(はつかあまりふつか) に(格助)、 和泉の国 まで(副助詞) と(格助詞)、 平らかに(ナリ・連用) 願 立つ(下二段・終止)。 藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、 船路 なれ(助動詞・断定・已然) ど(接続助詞)、 馬(むま)のはなむけ す(サ変・終止)。 上中下(かみなかしも)、酔ひ飽き(四段・連用) て(接助)、いと(副) あやしく(シク・連用)、 潮海 の(格助) ほとり にて(格助)、 あざれ合へ(四段・已然) り(助動詞・完了・已然) 。 二十三日。 八木(やぎ)のやすのり と(格助) いふ(四段・連体) 人 あり(ラ変・終止) 。 こ(代名詞) の(格助) 人、 国 に(格助) 必ずしも(副詞) 言ひ使ふ(四段・連体) 者 に(助動詞・断定・連用) も(係り助詞) あら(ラ変・未然) ざ(助動・打消・体、音便) なり(助動・推量・終止)。 これ(代名詞) ぞ(係り助詞、係り) 、たがはしき(シク・連体) やう に(助動・断定・用) て(接助)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) たる(助動・完了・連体、結び)。 守柄(かみがら) に(助動・断定・連用) や(係助詞、係り) あら(補助動詞・ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 国人(くにひと) の(格助) 心 の(格助) 常 と(格助) して(接助) 「今 は(係助詞)。」 とて(格助) 見え(下二段・未然) ざ(助動詞・打消し・連体、音便) なる(助動詞・推定・連体) を(格助) 、 心 ある(ラ変・連体) 者 は(係り助詞) 、恥ぢ(紙二段・未然) ず(助動詞・打消し・連用) に(格助) なむ(係り助詞・係り) 来(カ変・連用) ける(助動詞・詠嘆・連体、結び)。 これ(代名詞) は(係り助詞)、 物 に(格助) より(四段・連用) て(接助) 褒むる(下二段・未然) に(助動詞・断定・連用) しも(副助詞) あら(補助動詞・ラ変・未然) ず(助動詞・打消し・終止)。 二十四日(はつかあまりよか)。 講師(かうじ)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) に(格助) 出で(下二・連用) ませ(補助尊敬・四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。 あり(ラ変・連用) と(格助詞) ある(ラ変・連用) 上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ) まで(副助詞) 酔ひ痴しれ(下二段・連用) て(接助) 、一文字(いちもんじ) を(格助) だに(副助詞) 知ら(四段・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体) 者、しが足 は(係り助詞) 十文字 に(格助) 踏み て(接助) ぞ(係り助詞、係り) 遊ぶ(四段・連体、結び) 。 この「忘れ貝」の章で「船なる人」と「ある人」との和歌のやり取りがあるが、他の章などの記述では「ある人」の正体が紀貫之だという場合が多く、そのため、この「忘れ貝」の章に登場する「ある人」も紀貫之だろうと考えられている。もっとも、あくまで現代の学者たちの仮説なので、もしかしたら妻と夫は逆かもしれないし、あるいは両方の和歌とも紀貫之の和歌かもしれない。 とりあえず読者の高校生は、作中での「船なる人」と「ある人」とは夫婦であって、そして、この夫婦は任地の土佐で娘を亡くしていることを理解すればよい。 読解 「たより」(頼り、便り):古語の「たより」は、多義語であり、「1.信頼できるもの 2.ついで・機会 3.音信・手紙」現代語と同じような意味の「信頼できるもの」というような用法もあるが、しかしこの場面では別の意味。この場面では、「機会」「ついで」の意味。 「言う効(かい)なし」: ここでの「言う効なし」は「言う甲斐なし」のような意味で、「言いようがない」のような意味。 だが、江戸時代の本居宣長の随筆『玉勝間』では、「つまらない」「価値がない」のような意味で「言うかいなし」と使っている用法もある。『玉勝間』では「よきあしきをいはず、ひたぶらにふるきをまもるは、学問の道には、いふかひなきわざなり」とある。「良し悪しを言わず、ひたすら古い説を守るのは、学問の道としては、つまらないものである」のような意味。 荒れはてた庭に新しい小松が育ち始めている。出迎えの子供の様子を見て、土佐で無くなった娘を思い出し、自分の心を分かってくれる人とひそかに歌を交わした。 忘れがたいことが多く、とても日記には書き尽くすことは出来ない。ともかく、こんな紙は早く破り捨ててしまおう。 「もがな」: 土佐日記には、上記とは他の文章だが「いかで疾く(とく)京へもがな。」という文章がある。「どのようにかして、早く京都に帰りたいなあ。」という意味である。「もがな」は「したいなあ」「が欲しいなあ」の意味の終助詞である。 徒然草にも、「心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 」とあり、「情趣を解する友人がいたらなあ、と都が恋しく思われる。 」のように訳す。 また、「いかで」~「もがな」や「いかにも」~「もがな」のように、「もがな」は「いかで」などに呼応する。 『更級(さらしな)日記』に、「幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見置くこともがな。」とある。「幼い子供たちを、何とかして何とかして、自分が生きているうちに見届けておきたいものだなあ。」のような意味。 さて、百人一首に「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」という和歌がある(後撰和歌集)。この歌の後半部の「人に知られで くるよしもがな」も、「人に知られないで来る方法があればいいのになあ。」という意味である。 夜ふけて来れば、所々も見えず。京 に(格助) 入り立ち(四・用) て(接助) うれし(シク・終)。 家 に(格助) 至り(四・用) て(接助)、 門 に(格助) 入る(四・体) に(接助)、 月 明かけれ(ク・已然) ば(接助)、 いと(副詞) よく(ク・用) ありさま 見ゆ(下二段・終)。 聞き(四段・用) し(助動詞・過・体) より も(係助) まし(四・用) て(接助)、 言ふ効なく(ク・用) ぞ(係助、係り) 毀れ(下二・用) 破れ(下二・用) たる(助動・完・連体、結び)。 家 に(格助) 預け(下二・用) たり(助動・完了・用) つる(助動・完・体) 人 の(格助) 心 も(係助) 、 荒れ(下二・用) たる(助動・完・体) なり(助動・断定・用) けり(助動・詠嘆・終)。 中垣 こそ(係助、係り) あれ(ラ変・已然、結び)、一つ家 の(格助) やうなれ(助動・比況・已然) ば(接助)、望み(四・用) て(接助) 預かれ(四・已然) る(助動・完了・体) なり助動・断定・終)。 さるは(接続詞)、便りごと に(格助) 物 も(係助) 絶えず(副詞) 得(下二段・未然) させ(助動・使役・用) たり(助動・完了・終止)。 今宵、「かかる(ラ変・体) こと。」 と(格助)、声高に(ナリ・用) もの も(係助) 言は(四・未) せ(助動・使役・未) ず(助動・打消し・終)。 いと(副詞) は(係助) つらく(ク・用) 見ゆれ(下二・已然) ど(接助)、心ざし は(係助) せ(サ変・未然) む(助動・意志・終) と(格助) す(サ変・終止)。 さて(接続詞) 、池めい(四段・用、音便) て(接助) 窪まり(四段・用)、水つけ(四・已然) る(助動・存続・体) 所 あり(ラ変・終止)。 ほとり に(格助) 松 も(係助) あり(ラ変・用) き(助動・過・終)。 五年六年 の(格助) うち に(格助)、千年 や(係助、係り) 過ぎ(上二段・用) に(助動・完了・連用) けむ(助動・過去推量・連体)、かたへ は(係助) なく(ク・用) なり(四・用) に(助動・完・用) けり(助動・過・終)。 いま(副詞) 生ひ(上二段・用意) たる(助動・完・体) ぞ(係助、係り) 交じれ(四段・已然) る(助動・存続・体、結び)。 大方 の(格助) みな(副詞) 荒れ(下二段・用) に(助動・完了・用) たれ(助動・完了・已然) ば(接助)、「あはれ(感嘆詞)。」 と(格助) ぞ(係助、係り) 人々 言ふ(四段・連体、結び)。 思ひ出で(下二・未然) ぬ(助動・打消し・体) こと なく(ク・用)、 思ひ恋しき(シク・体) が(格助) うち に(格助)、 こ(代) の(格助) 家 にて(格助) 生まれ(下二段・用) し(助動詞・過去・連体) 女子 の(格助) 、もろともに(副詞) 帰らね() ば(接助) 、 いかが(副詞) は(係助) 悲しき(シク・体)。 船人 も(係助) 、皆、 子 たかり() て(接助) ののしる()。 かかる(ラ変・連体) うち に(格助)、 なほ(副詞) 悲しき(シク・連体) に(格助) 堪へ(下二段・未然) ず(助動・未) して(接助)、 ひそかに(ナリ・用) 心 知れ(四・已) る(助動・存続・連体) 人 と(格助) 言へ(四・已) り(助動・完了・用) ける(助動・過去・連体) 歌、 と(格助) ぞ(係助、係り) 言へ(四段・已然) る(助動・完了・体、結び)。 なほ(副) 飽か(四段・未然) ず(助動詞・打消し・用) や(係助、係り) あら(ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 また(副詞)、 かく(副詞) なむ(係助)。 忘れがたく(ク・用)、 口惜しき(シク・体) こと 多かれ(ク・已然) ど(接助) 、え(副詞) 尽くさ() ず(助動・打消し・終止)。 とまれかうまれ(連語、音便) 、とく(ク・用) 破り(四・用) て(助動詞・完了・未然) む(助動詞・意志・終止)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『土佐日記』(とさにっき)とは、紀貫之(きの つらゆき)によって平安時代に書かれた日記。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この時代、平仮名(ひらがな)や万葉仮名などの仮名(かな)は女が使うものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日記の内容は私的な感想などであり、べつに公的な報告・記録などでは無い。 『土佐日記』は日本初の仮名文日記である。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "紀貫之は公務で、土佐(とさ、現在の高知県)に 地方官として、国司(こくし)として 赴任(ふにん)しており、土佐守(とさのかみ)としての仕事をしていた。その任が終わり、その帰り道での旅の、五十五日間の日記である。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "この時代の公文書などは漢文で書かれており、男も漢文を使うものとされていた。そして日記は、男が、公務などについての、その日の記録を、漢文で書いたのが日記だとされていた。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "しかし、土佐日記では、その慣例をやぶり、ひらがなで、著者が女を装い、私的な感情を書いた。このように日記で私的な感情を表現するのは、当時としては異例である。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "この『土佐日記』によって、私的な日記によって文学的な表現活動をするという文化が起こり、のちの時代の日記文学および女流文学に、大きな影響を与えた。そして今で言う「日記文学」というようなジャンルが、土佐日記によって起こり始めた。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "(『土佐日記』はタイトルには「日記」とつくが、しかし現代の観点で見れば、『土佐日記』は後日に日記風の文体で書いた紀行文であろう。しかし、ふつう古典文学の『土佐日記』や『蜻蛉日記』(かげろうにっき)、『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)、『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)、『更級日記』(さらしなにっき)など、古典での「○○日記」などは、日記文学として扱うのが普通である。)", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "とくに冒頭の「門出」(かどで)が重要である。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "「忘れ貝」と「帰京」は、その次ぐらいに重要である。とりあえず読者は、順番どおりに読めば、問題ないだろう。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "著者の紀貫之は男だが、女のふりをして冒頭文を書いた。船旅になるが、まだ初日の12月21日は船に乗ってない。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "女である私も日記を書いてみよう。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ある人(紀貫之)が国司の任期を終え、後任の者への引継ぎも終わり、ある人(紀貫之)は帰りの旅立ちのために土佐の官舎を発った日が12月21日の夜だった。そして。ある人は船着場へ移り、見送りの人たちによる送別のため、皆で大騒ぎをしているうちに夜が更けた。 (まだ船には乗ってない。)", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "※ 男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとて、するなり。 - とても有名な冒頭文なので、読者は、そのまま覚えてしまっても良い。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "単語", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "「わたる」(「住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る」の文):「わたる」(渡る)はここでは「行く」の意味。古語の「わたる」には、「行く」のほかにも「時間をすごす」や「生計を立てる」、(草花や霧などが)「一面に広がる」など、さまざまな意味がある。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「よし」(「よし」の漢字は「由」): 多義語であり、1.方法、 2.由緒、 3.様子・旨、 といった意味がある。この場面では旨の意味。もとの文の意味は「その旨を、少しばかりものに書きつける。」の意味。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお関連語として、形容詞「よしなし」は、「理由がない」「方法がない」、「つまらない」という意味である。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "「果てて」(はてて): ここでは、「果てて」とは「終わって」の意味。なお、単語集で調べるときは「果つ」(はつ)で調べる。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "※ なお、枕草子の「春はあけぼの」の「日入り果てて、風の音、草の音など、はた言うべきにもあらず」の果てての意味は、「すっかり」の意味。上記の「終わる」とは、やや意味が違う。つまり、「日入り果てて」は「日がすっかり沈んでしまって」という意味。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "※ 「果つ」を掲載している単語集が少ない。三省堂『古文単語300PLUS』なら掲載されている。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "22日、船旅の安全を祈る儀式をする。この日、「藤原のときざね」(人名?)が送別の宴(うたげ)を開いてくれた。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "23日、「八木のやすのり」が餞別をくれた。 この人たちのおかげで人情の厚さを思い知らさた。いっぽう、関係が深かったのに送別も餞別もしない人たちの人情の薄さを思い知らされた。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "24日、国分寺の僧侶も送別をしてくれた。宴で、身分に関わらず酔い、子供までも酔いしれた。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "男 も(係助詞) す(サ変・終止) なる(助動詞・伝聞・連体) 日記 と(格助詞) いふ(四段・連体) もの を(格助詞)、女 も(係助) し て(接続助詞) み(上一段・未然) む(助動詞・意志・終止) とて(格助)、 する(サ変・連体) なり(助動・断定・終止)。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "それ の(格助) 年 の(格助) 十二月 の(格助) 二十日余り一日 の(格助) 日 の(格助) 戌の刻 に(格助) 、 門出す(サ変・終止。 そ(代名詞) の(格助) よし、いささかに(ナリ・連用) 物 に(格助) 書きつく(下二段・終止)。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ある(連体詞) 人、 県 の(格助) 四年五年 果て(下二段・連用) て(接助)、例 の(格助) 事ども みな(副詞) し終へ(下二段・連用) て(接続助詞)、解由 など(副助詞) 取り(四段・連用) て(接続助詞)、 住む(四段・連体) 館 より(格助) 出で(下二段・連用) て(接続助詞)、 船 に(格助) 乗る(四段・終止) べき(助動詞・当然・連体) 所 へ(格助) 渡る(四段・終止)。 かれこれ(連語)、 知る(四・連体) 知ら(四・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体)、 送りす(サ変・終止)。 年ごろ、 よく(ク活用・連用) くらべ(下二段・連用) つる(助動詞・完了・連体) 人々 なむ(係助詞)、 別れ難く(ク活用・連用) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、日 しきりに(副詞) とかく(副詞) し(サ変・連用) つつ(接続助詞)、 ののしる(四段・連体) うち に(格助)、 夜 更け(下二段) ぬ(助動詞・完了・終止)。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "二十二日(はつかあまりふつか) に(格助)、 和泉の国 まで(副助詞) と(格助詞)、 平らかに(ナリ・連用) 願 立つ(下二段・終止)。 藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、 船路 なれ(助動詞・断定・已然) ど(接続助詞)、 馬(むま)のはなむけ す(サ変・終止)。 上中下(かみなかしも)、酔ひ飽き(四段・連用) て(接助)、いと(副) あやしく(シク・連用)、 潮海 の(格助) ほとり にて(格助)、 あざれ合へ(四段・已然) り(助動詞・完了・已然) 。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "二十三日。 八木(やぎ)のやすのり と(格助) いふ(四段・連体) 人 あり(ラ変・終止) 。 こ(代名詞) の(格助) 人、 国 に(格助) 必ずしも(副詞) 言ひ使ふ(四段・連体) 者 に(助動詞・断定・連用) も(係り助詞) あら(ラ変・未然) ざ(助動・打消・体、音便) なり(助動・推量・終止)。 これ(代名詞) ぞ(係り助詞、係り) 、たがはしき(シク・連体) やう に(助動・断定・用) て(接助)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) たる(助動・完了・連体、結び)。 守柄(かみがら) に(助動・断定・連用) や(係助詞、係り) あら(補助動詞・ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 国人(くにひと) の(格助) 心 の(格助) 常 と(格助) して(接助) 「今 は(係助詞)。」 とて(格助) 見え(下二段・未然) ざ(助動詞・打消し・連体、音便) なる(助動詞・推定・連体) を(格助) 、 心 ある(ラ変・連体) 者 は(係り助詞) 、恥ぢ(紙二段・未然) ず(助動詞・打消し・連用) に(格助) なむ(係り助詞・係り) 来(カ変・連用) ける(助動詞・詠嘆・連体、結び)。 これ(代名詞) は(係り助詞)、 物 に(格助) より(四段・連用) て(接助) 褒むる(下二段・未然) に(助動詞・断定・連用) しも(副助詞) あら(補助動詞・ラ変・未然) ず(助動詞・打消し・終止)。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "二十四日(はつかあまりよか)。 講師(かうじ)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) に(格助) 出で(下二・連用) ませ(補助尊敬・四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。 あり(ラ変・連用) と(格助詞) ある(ラ変・連用) 上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ) まで(副助詞) 酔ひ痴しれ(下二段・連用) て(接助) 、一文字(いちもんじ) を(格助) だに(副助詞) 知ら(四段・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体) 者、しが足 は(係り助詞) 十文字 に(格助) 踏み て(接助) ぞ(係り助詞、係り) 遊ぶ(四段・連体、結び) 。", "title": "門出(かどで)" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この「忘れ貝」の章で「船なる人」と「ある人」との和歌のやり取りがあるが、他の章などの記述では「ある人」の正体が紀貫之だという場合が多く、そのため、この「忘れ貝」の章に登場する「ある人」も紀貫之だろうと考えられている。もっとも、あくまで現代の学者たちの仮説なので、もしかしたら妻と夫は逆かもしれないし、あるいは両方の和歌とも紀貫之の和歌かもしれない。", "title": "忘れ貝" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "とりあえず読者の高校生は、作中での「船なる人」と「ある人」とは夫婦であって、そして、この夫婦は任地の土佐で娘を亡くしていることを理解すればよい。", "title": "忘れ貝" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "", "title": "忘れ貝" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "読解", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「たより」(頼り、便り):古語の「たより」は、多義語であり、「1.信頼できるもの 2.ついで・機会 3.音信・手紙」現代語と同じような意味の「信頼できるもの」というような用法もあるが、しかしこの場面では別の意味。この場面では、「機会」「ついで」の意味。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "「言う効(かい)なし」: ここでの「言う効なし」は「言う甲斐なし」のような意味で、「言いようがない」のような意味。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "だが、江戸時代の本居宣長の随筆『玉勝間』では、「つまらない」「価値がない」のような意味で「言うかいなし」と使っている用法もある。『玉勝間』では「よきあしきをいはず、ひたぶらにふるきをまもるは、学問の道には、いふかひなきわざなり」とある。「良し悪しを言わず、ひたすら古い説を守るのは、学問の道としては、つまらないものである」のような意味。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "荒れはてた庭に新しい小松が育ち始めている。出迎えの子供の様子を見て、土佐で無くなった娘を思い出し、自分の心を分かってくれる人とひそかに歌を交わした。 忘れがたいことが多く、とても日記には書き尽くすことは出来ない。ともかく、こんな紙は早く破り捨ててしまおう。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "「もがな」: 土佐日記には、上記とは他の文章だが「いかで疾く(とく)京へもがな。」という文章がある。「どのようにかして、早く京都に帰りたいなあ。」という意味である。「もがな」は「したいなあ」「が欲しいなあ」の意味の終助詞である。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "徒然草にも、「心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 」とあり、「情趣を解する友人がいたらなあ、と都が恋しく思われる。 」のように訳す。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、「いかで」~「もがな」や「いかにも」~「もがな」のように、「もがな」は「いかで」などに呼応する。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『更級(さらしな)日記』に、「幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見置くこともがな。」とある。「幼い子供たちを、何とかして何とかして、自分が生きているうちに見届けておきたいものだなあ。」のような意味。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "さて、百人一首に「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」という和歌がある(後撰和歌集)。この歌の後半部の「人に知られで くるよしもがな」も、「人に知られないで来る方法があればいいのになあ。」という意味である。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "夜ふけて来れば、所々も見えず。京 に(格助) 入り立ち(四・用) て(接助) うれし(シク・終)。 家 に(格助) 至り(四・用) て(接助)、 門 に(格助) 入る(四・体) に(接助)、 月 明かけれ(ク・已然) ば(接助)、 いと(副詞) よく(ク・用) ありさま 見ゆ(下二段・終)。 聞き(四段・用) し(助動詞・過・体) より も(係助) まし(四・用) て(接助)、 言ふ効なく(ク・用) ぞ(係助、係り) 毀れ(下二・用) 破れ(下二・用) たる(助動・完・連体、結び)。 家 に(格助) 預け(下二・用) たり(助動・完了・用) つる(助動・完・体) 人 の(格助) 心 も(係助) 、 荒れ(下二・用) たる(助動・完・体) なり(助動・断定・用) けり(助動・詠嘆・終)。 中垣 こそ(係助、係り) あれ(ラ変・已然、結び)、一つ家 の(格助) やうなれ(助動・比況・已然) ば(接助)、望み(四・用) て(接助) 預かれ(四・已然) る(助動・完了・体) なり助動・断定・終)。 さるは(接続詞)、便りごと に(格助) 物 も(係助) 絶えず(副詞) 得(下二段・未然) させ(助動・使役・用) たり(助動・完了・終止)。 今宵、「かかる(ラ変・体) こと。」 と(格助)、声高に(ナリ・用) もの も(係助) 言は(四・未) せ(助動・使役・未) ず(助動・打消し・終)。 いと(副詞) は(係助) つらく(ク・用) 見ゆれ(下二・已然) ど(接助)、心ざし は(係助) せ(サ変・未然) む(助動・意志・終) と(格助) す(サ変・終止)。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "さて(接続詞) 、池めい(四段・用、音便) て(接助) 窪まり(四段・用)、水つけ(四・已然) る(助動・存続・体) 所 あり(ラ変・終止)。 ほとり に(格助) 松 も(係助) あり(ラ変・用) き(助動・過・終)。 五年六年 の(格助) うち に(格助)、千年 や(係助、係り) 過ぎ(上二段・用) に(助動・完了・連用) けむ(助動・過去推量・連体)、かたへ は(係助) なく(ク・用) なり(四・用) に(助動・完・用) けり(助動・過・終)。 いま(副詞) 生ひ(上二段・用意) たる(助動・完・体) ぞ(係助、係り) 交じれ(四段・已然) る(助動・存続・体、結び)。 大方 の(格助) みな(副詞) 荒れ(下二段・用) に(助動・完了・用) たれ(助動・完了・已然) ば(接助)、「あはれ(感嘆詞)。」 と(格助) ぞ(係助、係り) 人々 言ふ(四段・連体、結び)。 思ひ出で(下二・未然) ぬ(助動・打消し・体) こと なく(ク・用)、 思ひ恋しき(シク・体) が(格助) うち に(格助)、 こ(代) の(格助) 家 にて(格助) 生まれ(下二段・用) し(助動詞・過去・連体) 女子 の(格助) 、もろともに(副詞) 帰らね() ば(接助) 、 いかが(副詞) は(係助) 悲しき(シク・体)。 船人 も(係助) 、皆、 子 たかり() て(接助) ののしる()。 かかる(ラ変・連体) うち に(格助)、 なほ(副詞) 悲しき(シク・連体) に(格助) 堪へ(下二段・未然) ず(助動・未) して(接助)、 ひそかに(ナリ・用) 心 知れ(四・已) る(助動・存続・連体) 人 と(格助) 言へ(四・已) り(助動・完了・用) ける(助動・過去・連体) 歌、", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "と(格助) ぞ(係助、係り) 言へ(四段・已然) る(助動・完了・体、結び)。 なほ(副) 飽か(四段・未然) ず(助動詞・打消し・用) や(係助、係り) あら(ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 また(副詞)、 かく(副詞) なむ(係助)。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "忘れがたく(ク・用)、 口惜しき(シク・体) こと 多かれ(ク・已然) ど(接助) 、え(副詞) 尽くさ() ず(助動・打消し・終止)。 とまれかうまれ(連語、音便) 、とく(ク・用) 破り(四・用) て(助動詞・完了・未然) む(助動詞・意志・終止)。", "title": "帰京" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "", "title": "第二グループ" } ]
null
== 作品解説 == 『土佐日記』(とさにっき)とは、'''紀貫之'''(きの つらゆき)によって平安時代に書かれた日記。 この時代、平仮名(ひらがな)や万葉仮名などの仮名(かな)は女が使うものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。 日記の内容は'''私的'''な感想などであり、べつに公的な報告・記録などでは無い。 『土佐日記』は日本初の仮名文日記である。 紀貫之は公務で、土佐(とさ、現在の高知県)に 地方官として、国司(こくし)として 赴任(ふにん)しており、土佐守(とさのかみ)としての仕事をしていた。その任が終わり、その帰り道での旅の、五十五日間の日記である。 この時代の公文書などは漢文で書かれており、男も漢文を使うものとされていた。そして日記は、男が、公務などについての、その日の記録を、漢文で書いたのが日記だとされていた。 しかし、土佐日記では、その慣例をやぶり、ひらがなで、著者が女を装い、私的な感情を書いた。このように日記で私的な感情を表現するのは、当時としては異例である。 この『土佐日記』によって、私的な日記によって文学的な表現活動をするという文化が起こり、のちの時代の日記文学および女流文学に、大きな影響を与えた。そして今で言う「日記文学」というようなジャンルが、土佐日記によって起こり始めた。 (『土佐日記』はタイトルには「日記」とつくが、しかし現代の観点で見れば、『土佐日記』は後日に日記風の文体で書いた紀行文であろう。しかし、ふつう古典文学の『土佐日記』や『蜻蛉日記』(かげろうにっき)、『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)、『紫式部日記』(むらさきしきぶにっき)、『更級日記』(さらしなにっき)など、古典での「○○日記」などは、日記文学として扱うのが普通である。) :※ 高校や大学入試での時点では、『土佐日記』の文学ジャンルは「日記」「日記文学」としておいても、問題ないだろう。 *各章の重要度 とくに冒頭の「'''門出'''」(かどで)が重要である。 「'''忘れ貝'''」と「'''帰京'''」は、その次ぐらいに重要である。とりあえず読者は、順番どおりに読めば、問題ないだろう。 == 門出(かどで) == === 一 === 著者の紀貫之は男だが、女のふりをして冒頭文を書いた。船旅になるが、まだ初日の12月21日は船に乗ってない。 * 大意 女である私も日記を書いてみよう。 ある人(紀貫之)が国司の任期を終え、後任の者への引継ぎも終わり、ある人(紀貫之)は帰りの旅立ちのために土佐の官舎を発った日が12月21日の夜だった。そして。ある人は船着場へ移り、見送りの人たちによる送別のため、皆で大騒ぎをしているうちに夜が更けた。 (まだ船には乗ってない。) * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| '''男もすなる日記'''(にき)といふ(イウ)ものを、'''女もしてみむ'''(ミン)とて、'''するなり'''。 それの年の十二月(しはす、シワス)の二十日余り一日(ひとひ)の日の'''戌(いぬ)の刻(とき)'''に、門出す。そのよし、いささかに物に書きつく。 '''ある人'''、県(あがた)の四年(よとせ)五年(いつとせ)果てて、例の事(こと)どもみなし終へて(オエテ)、解由(げゆ)など取りて、住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろ、よくくらべつる人々なむ(ナン)、別れ難く思ひて(オモイテ)、'''日しきりに'''とかくしつつ、'''ののしる'''うちに、夜更けぬ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| '''男もするという日記'''というものを、'''女も書いてみよう'''として'''書くのである'''。 ある年の十二月の二十一日の午後八時頃に、(土佐から)出発する。その時の様子を、少しばかり、もの(=紙)に書き付ける。 ある人が(='''紀貫之''')、国司の(任期の)4年・5年間を終えて、(国司交代などの)通例の事務なども終えて、解由状(げゆじょう)などを(新任者から紀貫之が)受け取って、住んでいた官舎(かんしゃ)から(紀貫之は)出て、(紀貫之は)船に乗る予定の所へ移る。 (見送りの人は)あの人この人、知っている人知らない人、(などが、私を)見送ってくれる。 長年、親しく交際してきた人が、ことさら別れがつらく思って、'''一日中'''、あれこれと世話をして、'''大騒ぎ'''しているうちに、夜が更けてしまった。 |} ---- * 語句 :・'''男もすなる日記'''- この時代、日記は』男が書くものであった。「すなる」の「なる」は、伝聞の助動詞「なり」の連体形。 :・'''女もしてみむ''' - 作者は本当は男だが、女のふりをしている。 :・するなり - ここでの「なり」は断定の助動詞。 ※ '''男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとて、するなり'''。 - とても有名な冒頭文なので、読者は、そのまま覚えてしまっても良い。 :・'''戌(いぬ)の刻(とき)''' - 午後8時ごろ。当時の旅立ちや旅からの帰宅は、人目を避けるべきとされており、そのため夜に行うのが通常だった。 :・'''ある人''' - 紀貫之。 :・'''日しきりに''' - 一日中。 :・'''ののしる''' - 大騒ぎする。現代語とは違っており、悪い意味とは限らない。 単語 「'''わたる'''」(「住む館(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る」の文):「わたる」(渡る)はここでは「行く」の意味。古語の「わたる」には、「行く」のほかにも「時間をすごす」や「生計を立てる」、(草花や霧などが)「一面に広がる」など、さまざまな意味がある。 「'''よし'''」(「よし」の漢字は「由」): 多義語であり、1.方法、 2.由緒、 3.様子・旨、 といった意味がある。この場面では旨の意味。もとの文の意味は「その旨を、少しばかりものに書きつける。」の意味。 なお関連語として、形容詞「よしなし」は、「理由がない」「方法がない」、「つまらない」という意味である。 「果てて」(はてて): ここでは、「果てて」とは「終わって」の意味。なお、単語集で調べるときは「果つ」(はつ)で調べる。 ※ なお、枕草子の「春はあけぼの」の「日入り果てて、風の音、草の音など、はた言うべきにもあらず」の果てての意味は、「すっかり」の意味。上記の「終わる」とは、やや意味が違う。つまり、「日入り果てて」は「日がすっかり沈んでしまって」という意味。 ※ 「果つ」を掲載している単語集が少ない。三省堂『古文単語300PLUS』なら掲載されている。 * 古典常識 :・この時代、平仮名は女が使う文字だった。 :・この時代、日記は、男が公的な記録などを記録するものだった。 :・この時代、時刻の表記には、十二支(じゅうにし)を使う。十二支とは「えと」の「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」のこと。 * 語釈 :・解由(げゆ) - 官吏の交代のときの書類。前任の官吏に過失が無いことを証明する書類。後任の管理が発行する。前任の官吏が受け取る。前任者が帰京後、解由状を役所に提出する。 :・住む館(たち) - この日記では、国司の官舎のこと。高知県にあった。 :・ - ---- === 二 === *大意 22日、船旅の安全を祈る儀式をする。この日、「藤原のときざね」(人名?)が送別の宴(うたげ)を開いてくれた。 23日、「八木のやすのり」が餞別をくれた。 この人たちのおかげで人情の厚さを思い知らさた。いっぽう、関係が深かったのに送別も餞別もしない人たちの人情の薄さを思い知らされた。 24日、国分寺の僧侶も送別をしてくれた。宴で、身分に関わらず酔い、子供までも酔いしれた。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 二十二日(はつかあまりふつか)に、和泉(いづみ、イズミ)の国までと、平らかに願(ぐわん、ガン)立つ。藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、船路(ふなぢ、フナジ)なれど、'''馬(むま)のはなむけ'''す。上中下(かみなかしも)、'''酔(ゑ)ひ飽きて'''(エイアキテ)、いと'''あやしく'''、潮海(しほうみ、シオウミ)のほとりにて、'''あざれ合へり'''(アザレアエリ)。 二十三日(はつかあまりみか)。八木(やぎ)のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ(いい)使ふ(つかう)者にもあらざなり。これぞ、たがはしきやうにて、馬(むま)のはなむけしたる。守柄(かみがら)にやあらむ、国人(くにひと)の心の常として「今は。」とて見えざなるを、心ある者(もの)は、恥ぢずきになむ来(き)ける。これは、物によりて褒むる(ひむる)にしもあらず。 二十四日(はつかあまりよか)。講師(かうじ)、馬(むま)のはなむけしに出でませり。ありとある上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ)まで酔ひ痴しれて(しれて)、一文字(いちもんじ)を'''だに'''知らぬ者(もの)、'''しが足'''は'''十文字(ともじ、じゅうもんじ)に踏みてぞ遊ぶ'''。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 二十二日に、和泉(いづみ)の国まで無事であるようにと、祈願する。藤原のときざねが、船旅だけれど、'''馬のはなむけ'''(=送別の宴)をする。身分の高い者も低い者も、(皆、)酔っ払って、'''不思議なことに'''、潮海のそばで、'''ふざけあっている'''。 二十三日。「八木(やぎ)のやすのり」という人がいる。この人は国司の役所で、必ずしも召し使っている者ではないようだ。(なんと、)この人が(=八木)、立派なようすで、餞別(せんべつ)をしてくれた。(この出来事の理由は、)国司(=紀貫之)の人柄(の良さ)であろうか。(そのとおり、紀貫之の人柄のおかげである。) 任国の人の人情の常としては、「今は(関係ない)。」と思って見送りに来ないようだが、(しかし、八木のように)人情や道理をわきまえている者は人目を気にせず、やってくることだよ。これは、(けっして)贈り物を貰ったから褒めるのではない。 二十四日。国分寺の僧侶が、餞別をしに、おいでになった。そこに居合わせた人々は、身分の高い者・低い者だけでなく、子供までも酔っぱらって、(漢字の)「一」の文字'''さえ'''知らない(無学の)者が、(ふらついて、)'''その足を'''「十」の字に踏んで遊んでいる。 |} ---- *語句 :・'''馬(むま)の はなむけ''' - 送別の宴(うたげ)。旅立つ人への餞別(せんべつ)。旅立ちのときに、'''馬の鼻'''を旅先に'''向け'''て安全をいのる儀式が、語の元になっている。 ::船旅なので馬には乗らないが、送別の宴をしてもらったので、「馬のはなむけ」だという言葉遊び。 :・酔(ゑ)ひ飽きて - 意味は「すっかり酔っ払って」。 :・'''あやしく''' - 不思議なことに。この文では、次の文節の「あざれ」の言葉遊びに掛かっているので、作者が「不思議だ」と冗談を言っている。 :・'''あざれ合へり''' - ふざけあっている。「戯る」(あざる)の意味は「ふざける」。 ::「あざる」には他の意味で「(魚などが)腐る」という意味の「鯘る」(あざる、「魚」偏に「委」の字。)もあり、海なので塩で魚は腐らないはずだが、ふざけあっているので「あざる」という言葉遊びをして、掛けている。 :・しが足 - その足は。「しが」には諸説ある。そのうち、「し」=代名詞、「が」=格助詞(主格)、という説が学校教科書で有力。 :・'''一文字(いちもんじ)をだに''' - 漢字の「一」の文字さえ。「・・・だに」の意味は「・・・さえ」。「だに」は副助詞。おそらく「一文字」とは漢文の教養の初歩の例えか。 *語句 :・和泉(いづみ)の国 - 大阪府の南部。 :・藤原(ふづはら)のときざね - 伝未詳。土佐の国の役人か。 :・八木(やぎ)のやすのり - 伝未詳。 :・守柄(かみがら) - 国司の人柄や実績。 :・ - :・ - === 品詞分解 === ==== 一 ==== 男 '''も'''('''係助詞''') '''す'''('''サ変'''・終止) なる(助動詞・伝聞・連体) 日記 と(格助詞) いふ(四段・連体) もの を(格助詞)、女 も(係助) し て(接続助詞) み('''上一段'''・未然) む(助動詞・意志・終止) とて(格助)、 '''する'''('''サ変'''・連体) なり(助動・断定・終止)。 それ の(格助) 年 の(格助) 十二月 の(格助) 二十日余り一日 の(格助) 日 の(格助) 戌の刻 に(格助) 、 門出す('''サ変'''・終止。 '''そ'''('''代名詞''') の(格助) よし、いささかに('''ナリ・連用''') 物 に(格助) 書きつく(下二段・終止)。 '''ある'''('''連体詞''') 人、 県 の(格助) 四年五年 果て(下二段・連用) て(接助)、例 の(格助) 事ども みな(副詞) し終へ(下二段・連用) て(接続助詞)、解由 '''など'''('''副助詞''') 取り(四段・連用) て(接続助詞)、 住む(四段・連体) 館 '''より'''('''格助''') 出で(下二段・連用) て(接続助詞)、 船 に(格助) 乗る(四段・終止) '''べき'''(助動詞・'''当然'''・連体) 所 へ(格助) 渡る(四段・終止)。 かれこれ('''連語''')、 知る(四・連体) 知ら(四・未然) '''ぬ'''(助動詞「ず」・'''打消し'''・連体)、 送りす(サ変・終止)。 年ごろ、 よく('''ク活用'''・連用) くらべ(下二段・連用) つる(助動詞・'''完了'''・連体) 人々 なむ(係助詞)、 別れ難く(ク活用・連用) 思ひ(四段・連用) て(接続助詞)、日 しきりに(副詞) とかく(副詞) し(サ変・連用) '''つつ'''(接続助詞)、 ののしる(四段・連体) うち に(格助)、 夜 更け(下二段) ぬ(助動詞・完了・終止)。 ==== 二 ==== 二十二日(はつかあまりふつか) に(格助)、 和泉の国 まで(副助詞) と(格助詞)、 平らかに(ナリ・連用) 願 立つ(下二段・終止)。 藤原(ふぢはら、フジワラ)のときざね、 船路 なれ(助動詞・断定・已然) '''ど'''('''接続助詞''')、 馬(むま)のはなむけ す(サ変・終止)。 上中下(かみなかしも)、酔ひ飽き(四段・連用) て(接助)、いと(副) あやしく(シク・連用)、 潮海 の(格助) ほとり にて(格助)、 あざれ合へ(四段・已然) り(助動詞・完了・已然) 。 二十三日。 八木(やぎ)のやすのり と(格助) いふ(四段・連体) 人 あり(ラ変・終止) 。 こ(代名詞) の(格助) 人、 国 に(格助) 必ずしも(副詞) 言ひ使ふ(四段・連体) 者 に(助動詞・断定・連用) も(係り助詞) あら(ラ変・未然) ざ(助動・打消・体、音便) なり(助動・'''推量'''・終止)。 これ(代名詞) '''ぞ'''(係り助詞、'''係り''') 、たがはしき(シク・連体) やう に(助動・断定・用) て(接助)、 馬(むま)のはなむけ し('''サ変'''・連用) たる(助動・完了・連体、'''結び''')。 守柄(かみがら) に(助動・断定・連用) '''や'''(係助詞、'''係り''') あら('''補助動詞'''・ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 国人(くにひと) の(格助) 心 の(格助) 常 と(格助) して(接助) 「今 は(係助詞)。」 とて(格助) 見え(下二段・未然) ざ(助動詞・打消し・連体、音便) なる(助動詞・'''推定'''・連体) を(格助) 、 心 '''ある'''('''ラ変'''・連体) 者 は(係り助詞) 、恥ぢ(紙二段・未然) ず(助動詞・打消し・連用) に(格助) なむ(係り助詞・係り) 来(カ変・連用) ける(助動詞・'''詠嘆'''・連体、結び)。 これ(代名詞) は(係り助詞)、 物 に(格助) より(四段・連用) て(接助) 褒むる(下二段・未然) に(助動詞・断定・連用) '''しも'''('''副助詞''') あら('''補助動詞'''・ラ変・未然) ず(助動詞・打消し・終止)。 二十四日(はつかあまりよか)。 講師(かうじ)、 馬(むま)のはなむけ し(サ変・連用) に(格助) 出で(下二・連用) ませ(補助尊敬・四段・已然) り(助動詞・完了・終止)。 あり(ラ変・連用) と(格助詞) ある(ラ変・連用) 上下(かみしも)、童(わらは、ワラワ) まで(副助詞) 酔ひ痴しれ(下二段・連用) て(接助) 、一文字(いちもんじ) を(格助) '''だに'''('''副助詞''') 知ら(四段・未然) ぬ(助動詞「ず」・打消し・連体)  者、しが足 は(係り助詞) 十文字 に(格助) 踏み て(接助) '''ぞ'''(係り助詞、'''係り''') 遊ぶ(四段・'''連体'''、'''結び''') 。 == 忘れ貝 == === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 四日(よか)。楫取り(かぢとり)、「今日、風雲(かぜくも)の気色(けしき)はなはだ悪し(あし)。」と言ひて、船出ださず(ふねいださず)なりぬ。'''しかれども'''、'''ひねもすに'''波風立たず。この楫取りは、日も'''え測らぬ'''(はからぬ)かたゐなりけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 四日。船頭が、「今日、風と雲の様子が、ひどく悪い。」と言って、船を出さずになった。であるけれど、'''一日中'''、波風が立たなかった。この船頭は天気も'''予測できない'''愚か者であったよ。 |} ---- *語句 :・'''しかれども''' - そうではあるけれど。逆接の接続詞。 :・'''ひねもすに''' - 一日中。 :・'''え測らぬ''' - 予測できない。「え・・・(打消し)」の意味は「・・・できない」。この末尾「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。「え・・・ず」で'''不可能'''を表す。「え」は副詞。 :・ - *語句 :・楫取り(かぢとり) - 船頭。 :・気色(けしき) - 様子。 :・日(ひ)- ここでは天気・天候の意味。 :・かたゐ - おろかもの。ばかもの。役立たず。 :・ - ---- === 二 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| この泊(とまり)の浜には、'''くさぐさ'''の'''うるはしき'''貝・石など多かり。'''かかれば'''、ただ'''昔の人'''をのみ恋ひつつ、'''船なる人'''の詠(よ)める、 :寄する波うちも寄せなむ我(わ)が恋ふる人'''忘れ貝'''降りて拾はむ と言へれば、'''ある人'''の耐へずして、船の心やりに詠める、 :忘れ貝拾ひしもせじ'''白玉'''(しらたま)を恋ふるをだにも形見と思はむ となむ言へる。女子(おんなご)のためには、親幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを。」と、人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」と言ふやうもあり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| この泊(とまり)の浜には、'''いろいろ'''な'''美しい'''貝・石などが多くある。'''こうなので'''、ただ'''亡くなった人'''(紀貫之の娘)ばかりを恋しがって、船の中にいる人('''紀貫之の妻''')が歌を詠んだ、 :(船の中の人の歌:)  寄する波 うちも寄せなむ 我(わ)が恋ふる 人 '''忘れ貝''' 降りて拾はむ :意味: 浜辺に打ち寄せる波よ、どうか忘れ貝を打ち寄せておくれ、私の恋しい人(死んだ娘を思うつらさ)を忘れてさせてくれる忘れ貝を。(忘れ貝を、浜に)降りて拾おう。 と言ったところ、ある人('''紀貫之''')がこらえられなくなって、船旅の気晴らしに詠んだ、 :(ある人の歌:)  忘れ貝 拾ひし(ヒロイシ)もせじ '''白玉'''(しらたま)を  恋ふるをだにも 形見と思はむ :意味: 忘れ貝なんか、拾いもすまい。(あの子のことは忘れたくない。)せめて、白玉(のようにかわいかった'''亡き子''')を恋しく思う気持ちだけでも形見と思おう。 と言ったのだった。(亡くなった)女の子のためには、親は幼子のように(おろかに)なってしまうのにちがいない。「玉というほどでは、ないだろう。」と人は言うだろうか。けれども、「死んだ子は顔立ちが良かった。」と言うこともある。 |} {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| なほ同じ所に日を経ることを嘆きて、ある女の詠める歌、 :手をひてて 寒さも知らぬ 泉にぞ 汲む(くむ)とはなしに 日ごろ経にける |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| やはり、同じ場所で日を過ごすことを嘆いて、ある女の詠んだ歌、 :(ある女の歌:) :意味: 手を漬けても、寒さを感じない泉、( = 和泉)、その和泉で水を汲むわけでもなく、(なすことも無く、何日も)日を過ごしてしまったよ。 |} ---- *語句 :・'''くさぐさ''' - いろいろの。さまざまな。 :・'''うるはしき''' - 美しい。きれい。形容詞「うるはし」の連用形。整った美しさのこと。 :・'''かかれば''' - 「かくあれば」の、つづまった形。 :・'''昔の人''' - 故人。亡くなった人。ここでは、紀貫之の娘のこと。娘は死んでいる。 :・ - :・'''忘れ貝''' - これを拾うと恋しい思いを忘れることができるという。詳細は不明。 説は次の二つ。 1:二枚貝のうちの片方の貝。  2:アワビのような一枚貝。 :・'''白玉'''(しらたま) - 白い玉。真珠(しんじゅ)。この文では、'''亡くなった娘のたとえ'''。 *'''船なる人'''(船の中にいる人)が'''紀貫之の妻'''だと、なぜ分かるか? この「忘れ貝」の章で「船なる人」と「ある人」との和歌のやり取りがあるが、他の章などの記述では「ある人」の正体が紀貫之だという場合が多く、そのため、この「忘れ貝」の章に登場する「ある人」も紀貫之だろうと考えられている。もっとも、あくまで現代の学者たちの仮説なので、もしかしたら妻と夫は逆かもしれないし、あるいは両方の和歌とも紀貫之の和歌かもしれない。 とりあえず読者の高校生は、作中での「船なる人」と「ある人」とは夫婦であって、そして、この夫婦は任地の土佐で娘を亡くしていることを理解すればよい。 === 品詞分解 === == 帰京 == === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 夜ふけて来れば、所々(ところどころ)も見えず。京に入り(いり)立ちてうれし。家に至りて、門(かど)に入るに、月明かければ(あかければ)、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふ効(かひ)なくぞ毀れ(こぼれ)破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。中垣'''こそあれ'''、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。'''さるは'''、'''便りごと'''に物も絶えず得させたり。今宵(こよひ、コヨイ)、「'''かかること'''。」と、声高(こわだか)にものも言はせず。いとは辛く(つらく)見ゆれど、'''心ざし'''はせむとす。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 夜がふけてきたので、あちらこちらも見えない。京に入っていくので、うれしい。(私の)家に着いて、門に入ると、月があかるいので、とてもよく様子が見える。(うわさに)聞いていたよりもさらに、話にならないほど、(家が)壊れ痛んでいる。家(の管理)を預けていた(隣の家の)人の心も、すさんでいるのであったよ。(私の家と隣の家との間に)中垣こそあるけれど、一軒家のようなので(と言って)、(相手の隣家のほうから)望んで預かったのだ。(なのに、ひどい管理であったよ。)そうではあるが、'''ついで'''があるたびに(= 誰かが京に行くついでに隣家へ贈り物を届けさせた)、(土佐からの)贈り物を(送って、相手に)受け取らせた。(しかし、けっして)今夜は「こんな(='''荒れて、ひどい''')こと。」とは(家来などには)大声で言わせない。たいそう、(預かった人が)ひどいとは思うけど、'''お礼'''はしようと思う。 |} ---- * 語句 :・ - :・中垣'''こそあれ''' - 中垣はあるけれども。「こそ・あれ」が係り結びになってる。 :・'''便りごと''' - 機会のあるたびに。ついでに。 :・心ざし - お礼。「志」(こころざし)とも書く。 読解 :・'''かかること''' - ここでの「かかること」とは、家が荒れて、ひどいありさまなこと。 * 単語 「'''たより'''」(頼り、便り):古語の「たより」は、多義語であり、「1.信頼できるもの 2.ついで・機会 3.音信・手紙」現代語と同じような意味の「信頼できるもの」というような用法もあるが、しかしこの場面では別の意味。この場面では、「機会」「ついで」の意味。 :※ 単語集では手紙の意味を解説しているものは少ないが、しかし源氏物語で「語らひつきにける女房のたよりに、御有様なども聞き伝ふるを」という文章がある。数研出版『解法古文単語350』に音信の意味が紹介されている。 「'''言う効(かい)なし'''」: ここでの「言う効なし」は「言う甲斐なし」のような意味で、「言いようがない」のような意味。 だが、江戸時代の本居宣長の随筆『玉勝間』では、「つまらない」「価値がない」のような意味で「言うかいなし」と使っている用法もある。『玉勝間』では「よきあしきをいはず、ひたぶらにふるきをまもるは、学問の道には、いふかひなきわざなり」とある。「良し悪しを言わず、ひたすら古い説を守るのは、学問の道としては、つまらないものである」のような意味。 ---- === 二 === *大意 荒れはてた庭に新しい小松が育ち始めている。出迎えの子供の様子を見て、土佐で無くなった娘を思い出し、自分の心を分かってくれる人とひそかに歌を交わした。 忘れがたいことが多く、とても日記には書き尽くすことは出来ない。ともかく、こんな紙は早く破り捨ててしまおう。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| さて、池めいて窪まり(くぼまり)、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年(いつとせ)六年(むとせ)のうちに、'''千年(ちとせ)や過ぎにけむ'''、'''片方'''(かたへ)はなくなりにけり。いま生ひたるぞ(おいたるぞ)交じれる。大方(おおかた)の'''みな'''荒れにたれば、「'''あはれ'''。」とぞ人々言ふ。思ひ出でぬ(いでぬ)ことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子(おむなご)の、もろともに帰らねば、'''いかがは悲しき'''。船人(ふなびと)も、皆(みな)、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに'''心知れる人'''と言へりける歌、 :生まれしも(むまれしも)帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ   とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、また、かくなむ。   :見し人の松の千年(ちとせ)に'''見ましかば遠く悲しき別れせまし'''や 忘れがたく、口惜しき(くちをしき)こと多かれど、'''え尽くさず'''。'''とまれかうまれ'''、'''疾く(とく)'''破りてむ(やりてむ)。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| さて、池のようにくぼんで、水がたまっている所がある。そばに松もあった。(土佐に赴任してた)五年・六年の間に、(まるで)千年も過ぎてしまったのだろうか、(松の)'''半分'''は無くなっていた。(← 皮肉。松の寿命は千年と言われてた。) 新しく生えたのが混じっている。 だいたいが、'''すっかり'''荒れてしまっているので、「ああ(ひどい)。」と人々が言う。思い出さないことは無く(= つまり、思い出すことがある)、恋しく思うことの中でも、(とくに)この家で生まれた女の子(= 土佐で亡くした娘)が、土佐から一緒には帰らないので、どんなに悲しいことか。(=とても悲しい。) (一緒に帰京した)乗船者は、みんな、子供が集まって大騒ぎしている。こうしているうちに、(やはり?、なおさら?、※ 訳に諸説あり)悲しいのに耐えられず、ひっそりと気心の知れた仲間(= '''紀貫之の妻か'''?)と言った歌、 :(歌:)  生まれしも 帰らぬものを わが宿に 小松のあるを 見るが悲しさ :意味: (この家で)生まれた子も(土佐で死んだので)帰ってこないのに、我が家(の庭)に(新たに生えた)小さな松があるのを見ると、悲しいことよ。 と言った。 それでも/やはり(※ 訳に諸説あり)、満足できないのであろうか、またこのように(歌を詠んだ)。 :(歌:) 見し人の 松の千年に 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや :意味: 死んだあの子が、(もし)松の千年のように(生きながらえて、)(わが子を)見ることが出来たなら、'''遠く悲しい別れ( = 土佐での娘との死別)をしただろうか。いや、しなかっただろう。''' 忘れがたく、残念なことが多いけど、書きつくすことが出来ない。'''ともかく'''、(こんな日記は)'''すぐに'''破ってしまおう。 |} ---- *語句 :・'''千年(ちとせ)や過ぎにけむ''' - :・'''あはれ''' - ああ(ひどい)。まあ(ひどい)。感動詞。 :・'''いかがは悲しき''' - 結びが連体形(「悲しき」)で、係り結びになっている。係り助詞に諸説あり。 1:「は」が係り助詞。 2:「いかが」が「いかにか」の略で「か」が係り助詞と言う説もある。 どちらにせよ、例外的な用法なので、このまま「いかがは悲しき」で覚えよう。 :・'''見ましかば 遠く悲しき 別れせましや''' - 「ましかば・・・まし」で'''反実仮想'''(はんじつ かそう)。「もし・・・だったら、そうであろうか。(いや、そうではない。)」 :・ - :・'''え尽くさず''' - 「え・・・(打消し)」の意味は、・・・出来ない。ここでの意味は「書きつくすことが出来ない」 :'''とまれかうまれ''' - 「ともあれかくもあれ」の音便。ともかく。とにかく。 :・'''疾く(とく)'''破りてむ(やりてむ) - 早く破り捨ててしまおう。「とく」は形容詞「とし」の副詞的用法で連用形「とく」。 ※ 「とく」が、はたして形容詞か副詞かどちらなのかは、読者は気にしなくて良い。 * 語句 :・ - :・ - :・ - * 関連事項 「もがな」: 土佐日記には、上記とは他の文章だが「いかで疾く(とく)京へもがな。」という文章がある。「どのようにかして、早く京都に帰りたいなあ。」という意味である。「もがな」は「したいなあ」「が欲しいなあ」の意味の終助詞である。 徒然草にも、「心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 」とあり、「情趣を解する友人がいたらなあ、と都が恋しく思われる。 」のように訳す。 また、「いかで」~「もがな」や「いかにも」~「もがな」のように、「もがな」は「いかで」などに呼応する。 『更級(さらしな)日記』に、「幼き人々を、いかにもいかにも、わがあらむ世に見置くこともがな。」とある。「幼い子供たちを、何とかして何とかして、自分が生きているうちに見届けておきたいものだなあ。」のような意味。 さて、百人一首に「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」という和歌がある(後撰和歌集)。この歌の後半部の「人に知られで くるよしもがな」も、「人に知られないで来る方法があればいいのになあ。」という意味である。 === 品詞分解 === ==== 一 ==== 夜ふけて来れば、所々も見えず。京 に(格助) 入り立ち(四・用) て(接助) うれし(シク・終)。 家 に(格助) 至り(四・用) て(接助)、 門 に(格助) 入る(四・体) '''に'''('''接助''')、 月 明かけれ(ク・已然) ば(接助)、 いと(副詞) よく(ク・用) ありさま 見ゆ(下二段・終)。 聞き(四段・用) し(助動詞・過・体) より も(係助) まし(四・用) て(接助)、 言ふ効なく(ク・用) '''ぞ'''(係助、'''係り''') 毀れ(下二・用) 破れ(下二・用) たる(助動・完・連体、'''結び''')。 家 に(格助) 預け(下二・用) たり(助動・完了・用) つる(助動・完・体) 人 の(格助) 心 も(係助) 、 荒れ(下二・用) たる(助動・完・体) なり(助動・断定・用) けり(助動・詠嘆・終)。 中垣 '''こそ'''(係助、'''係り''') '''あれ'''(ラ変・'''已然'''、'''結び''')、一つ家 の(格助) '''やうなれ'''(助動・'''比況'''・已然) ば(接助)、望み(四・用) て(接助) 預かれ(四・已然) る(助動・完了・体) なり助動・断定・終)。 さるは(接続詞)、便りごと に(格助) 物 も(係助) '''絶えず'''(副詞) 得(下二段・未然) させ(助動・'''使役'''・用) たり(助動・完了・終止)。 今宵、「かかる(ラ変・体) こと。」 と(格助)、声高に(ナリ・用) もの も(係助) 言は(四・未) せ(助動・使役・未) ず(助動・打消し・終)。 いと(副詞) は(係助) つらく(ク・用) 見ゆれ(下二・已然) ど(接助)、心ざし は(係助) せ('''サ変'''・未然) '''む'''(助動・'''意志'''・終) と(格助) す(サ変・終止)。 ==== 二 ==== さて(接続詞) 、池めい(四段・用、音便) て(接助) 窪まり(四段・用)、水つけ(四・已然) る(助動・存続・体) 所 あり(ラ変・終止)。 ほとり に(格助) 松 も(係助) あり(ラ変・用) き(助動・過・終)。 五年六年 の(格助) うち に(格助)、千年 '''や'''(係助、係り) 過ぎ(上二段・用) に(助動・完了・連用) '''けむ'''(助動・'''過去推量'''・連体)、かたへ は(係助) なく(ク・用) なり(四・用) に(助動・完・用) けり(助動・過・終)。 いま(副詞) 生ひ(上二段・用意) たる(助動・完・体) ぞ(係助、係り) 交じれ(四段・已然) る(助動・存続・体、結び)。 大方 の(格助) みな(副詞) 荒れ(下二段・用) に(助動・完了・用) たれ(助動・完了・已然) ば(接助)、「'''あはれ'''('''感嘆詞''')。」 と(格助) '''ぞ'''(係助、係り) 人々 言ふ(四段・連体、'''結び''')。 思ひ出で(下二・未然) ぬ(助動・打消し・体) こと なく(ク・用)、 思ひ恋しき(シク・体) が(格助) うち に(格助)、 こ(代) の(格助) 家 '''にて'''('''格助''') 生まれ(下二段・用) し(助動詞・過去・連体) 女子 の(格助) 、もろともに(副詞) 帰らね() ば(接助) 、 いかが(副詞) は(係助) 悲しき(シク・体)。 船人 も(係助) 、皆、 子 たかり() て(接助) ののしる()。 かかる(ラ変・連体) うち に(格助)、 なほ(副詞) 悲しき(シク・連体) に(格助) 堪へ(下二段・未然) ず(助動・未) '''して'''('''接助''')、 ひそかに(ナリ・用) 心 知れ(四・已) '''る'''(助動・'''存続'''・連体) 人 と(格助) 言へ(四・已) り(助動・完了・用) ける(助動・過去・連体) 歌、 :生まれ(下二段・用意) し(助動詞・過去・体) も(係助) 帰ら(四段・未然) ぬ(助動・打消・体) '''ものを'''('''接助''') わ(代名詞) が(格助) 宿 に(格助) 小松 の(格助) ある() を(格助) '''見る'''('''上一段'''・連体) が(格助) 悲しさ   と(格助) ぞ(係助、係り) 言へ(四段・已然) る(助動・完了・体、結び)。 なほ(副) 飽か(四段・未然) ず(助動詞・打消し・用) や(係助、係り) あら(ラ変・未然) む(助動・推量・連体、結び)、 また(副詞)、 かく(副詞) なむ(係助)。   :'''見'''('''上一段'''・用) し(助動・過去・体) 人 の(格助) 松 の(格助) 千年 に(格助) 見(上一段・未) '''ましか'''(助動・'''反実仮想'''・未然) ば(接助) 遠く(ク・用) 悲しき(シク・体) 別れ せ(サ変・未然) まし(助動・'''反実仮想'''・終) や(係助) 忘れがたく(ク・用)、 口惜しき(シク・体) こと 多かれ(ク・已然) ど(接助) 、'''え'''('''副詞''') 尽くさ() ず(助動・'''打消し'''・終止)。 とまれかうまれ(連語、音便) 、とく(ク・用) 破り(四・用) '''て'''('''助動詞'''・'''完了'''・未然) む(助動詞・意志・終止)。 == 第二グループ == === 楫取りの心は神の御心  === === 海賊の恐れ ===   === 大津より浦戸へ === [[カテゴリ:日記]]
null
2023-02-02T17:12:37Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%97%A5%E8%A8%98
19,598
高等学校国語総合/平家物語
本記事では、高校教育の重要度の順に、「木曾の最後」を先に記述している。 原著での掲載順は 祇園精舎 → 富士川 → 木曾の最後 。 平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。 作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者は不明。 平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。 なお、平家がほろび、源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。 『平家物語』の文体は、漢文ではなく和文であるが、漢文の書き下しっぽい言い回しの多い文体であり、このような文体を和漢混淆文(わかんこんこうぶん)という。 なお、日本最古の和漢混淆文は、平安末期の作品の『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)だと言われている。(『平家物語』は最古ではないので、気をつけよう。)平家物語が書かれた時代は鎌倉時代である。おなじく鎌倉時代の作品である『徒然草』(つれづれぐさ)や『方丈記』(ほうじょうき)も和漢混淆文と言われている。(要するに、鎌倉時代には和漢混淆文が流行した。) 現代では、戦争を描写した古典物語のことを「軍記物語」(ぐんきものがたり)と一般に言う。 日本の古典における軍記物語の代表例として、平家物語が紹介されることも多い。略して「軍記物」(ぐんきもの)という事も覆い。 じつは、日本最古の軍記モノは平家物語ではないかもしれず、鎌倉初期の『保元物語』(ほうげんものがたり)や『平治物語』(へいじものがたり)という作品が知られており現代にも文章が伝えられているが、しかし成立の時期についてはあまり解明されてない。 『平家物語』『保元物語』『平時物語』の成立の順序は不明である。 軍記物の『太平記』や『保元物語』などの多くの軍記物な文芸作品でも、和漢混淆文が多く採用された。 下記の文中に出てくる人物「巴」(ともえ)は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、巴を実在人物としては習わないだろう。 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。 木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。 今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。 義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐはずだった。 だが、四朗の防戦中に、義仲が自害するよりも前に、敵兵に討ち取られてしまった。もはや今井四朗には、戦う理由も目的も無くなったので、今井四朗は自害した。 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。 今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。 予定では、義仲は粟津(あわづ)の松原で自害をする予定だった。 義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐために戦う予定だった。 敵勢が五十騎ほど現れた。 木曾は粟津の松原へと駆けつけた。 今井四朗は、たったの一騎で、敵50騎と戦うために敵50騎の中に駆け入り、四朗は名乗りを上げて、四朗は弓矢や刀で戦う。敵も応戦し、今井四朗を殺そうと包囲して矢を射るが、今井四朗の鎧(よろい)に防がれ傷を負わすことが出来なかった。 今井四郎が防戦していたそのころ、義仲は自害の準備のため、粟津(あわづ)の松原に駆け込んでいた。 しかし、義仲の自害の前に、義仲は敵に射られてしまい、そして義仲は討ち取られてしまった。 もはや今井四郎が戦いつづける理由は無く、そのため、今井四郎は自害のため、自らの首を貫き、今井四郎は自害した。 (巻九) 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、源義経の軍勢と戦っていた。 義仲の軍勢は、この時点の最初は300騎ほどだったが、次々と仲間を討たれてしまい、ついに主従あわせて、たったの5騎になってしまう。 義仲は、ともに戦ってきた女武者の巴(ともえ)に、落ちのびるように説得した。 巴は最後の戦いとして、近くに来た敵の首を討ち取り、ねじ切った。そして巴は東国へと落ちのびていった。 開戦の予定の前日である10月23日、平家は戦場予定地の富士川で、付近の農民たちの炊事の煙を見て源氏の軍勢の火と勘違いし、さらに水鳥の羽音を源氏の襲撃の音と勘違いして、平家は大慌てで逃げ出した。 翌10月24日、源氏が富士川にやってきて、鬨(とき)を上げた。 (※ 鬨: 戦いの始めに、自軍の士気をあげるために叫ぶ、掛け声。) (書き出しの部分) 木曾義仲は、京の都で平家を打倒し、制圧した。しかし、木曾軍は都で乱暴をはたらき、さらに後白河法皇と木曾義仲とは対立し、そのため法王は源頼朝に木曾義仲の討伐を下した。 源頼朝は弟の範頼と義経に、木曾義仲を討伐することを命じた。 そのため、範頼・義経の軍と、対する木曾方の軍とが宇治川を挟んで対峙していた。 範頼・義経方の武将の、梶原と佐々木は、先陣争いをしていた。 富士川の渡河の先陣争いでは、佐々木が先に川を渡り終え、先陣を切った。遅れて、梶原が川を渡った。 畠山重忠(はたけやましげただ)は馬を射られた。そのため馬を下りて、水中にもぐりつつ、対岸へと渡っていった。渡河の途中、味方の大串次郎重親(おおくしじろうしげちか)が畠山につかまってきた。 畠山らが向こう岸にたどり着いて、畠山重忠が大串次郎を岸に投げ上げてやると、大串は「自分こそが徒歩での先陣だぞ。」などということを名乗りを上げたので、敵も味方も笑った。 (第九巻)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本記事では、高校教育の重要度の順に、「木曾の最後」を先に記述している。 原著での掲載順は 祇園精舎 → 富士川 → 木曾の最後 。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者は不明。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、平家がほろび、源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "『平家物語』の文体は、漢文ではなく和文であるが、漢文の書き下しっぽい言い回しの多い文体であり、このような文体を和漢混淆文(わかんこんこうぶん)という。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、日本最古の和漢混淆文は、平安末期の作品の『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)だと言われている。(『平家物語』は最古ではないので、気をつけよう。)平家物語が書かれた時代は鎌倉時代である。おなじく鎌倉時代の作品である『徒然草』(つれづれぐさ)や『方丈記』(ほうじょうき)も和漢混淆文と言われている。(要するに、鎌倉時代には和漢混淆文が流行した。)", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "現代では、戦争を描写した古典物語のことを「軍記物語」(ぐんきものがたり)と一般に言う。 日本の古典における軍記物語の代表例として、平家物語が紹介されることも多い。略して「軍記物」(ぐんきもの)という事も覆い。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "じつは、日本最古の軍記モノは平家物語ではないかもしれず、鎌倉初期の『保元物語』(ほうげんものがたり)や『平治物語』(へいじものがたり)という作品が知られており現代にも文章が伝えられているが、しかし成立の時期についてはあまり解明されてない。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "『平家物語』『保元物語』『平時物語』の成立の順序は不明である。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "軍記物の『太平記』や『保元物語』などの多くの軍記物な文芸作品でも、和漢混淆文が多く採用された。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "下記の文中に出てくる人物「巴」(ともえ)は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、巴を実在人物としては習わないだろう。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。 木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。 今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐはずだった。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "だが、四朗の防戦中に、義仲が自害するよりも前に、敵兵に討ち取られてしまった。もはや今井四朗には、戦う理由も目的も無くなったので、今井四朗は自害した。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "予定では、義仲は粟津(あわづ)の松原で自害をする予定だった。 義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐために戦う予定だった。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "敵勢が五十騎ほど現れた。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "木曾は粟津の松原へと駆けつけた。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "今井四朗は、たったの一騎で、敵50騎と戦うために敵50騎の中に駆け入り、四朗は名乗りを上げて、四朗は弓矢や刀で戦う。敵も応戦し、今井四朗を殺そうと包囲して矢を射るが、今井四朗の鎧(よろい)に防がれ傷を負わすことが出来なかった。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "今井四郎が防戦していたそのころ、義仲は自害の準備のため、粟津(あわづ)の松原に駆け込んでいた。 しかし、義仲の自害の前に、義仲は敵に射られてしまい、そして義仲は討ち取られてしまった。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "もはや今井四郎が戦いつづける理由は無く、そのため、今井四郎は自害のため、自らの首を貫き、今井四郎は自害した。", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "(巻九)", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "", "title": "木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、源義経の軍勢と戦っていた。 義仲の軍勢は、この時点の最初は300騎ほどだったが、次々と仲間を討たれてしまい、ついに主従あわせて、たったの5騎になってしまう。 義仲は、ともに戦ってきた女武者の巴(ともえ)に、落ちのびるように説得した。", "title": "木曾の最後 :(前半)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "巴は最後の戦いとして、近くに来た敵の首を討ち取り、ねじ切った。そして巴は東国へと落ちのびていった。", "title": "木曾の最後 :(前半)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "", "title": "木曾の最後 :(前半)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "開戦の予定の前日である10月23日、平家は戦場予定地の富士川で、付近の農民たちの炊事の煙を見て源氏の軍勢の火と勘違いし、さらに水鳥の羽音を源氏の襲撃の音と勘違いして、平家は大慌てで逃げ出した。", "title": "富士川" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "翌10月24日、源氏が富士川にやってきて、鬨(とき)を上げた。", "title": "富士川" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "(※ 鬨: 戦いの始めに、自軍の士気をあげるために叫ぶ、掛け声。)", "title": "富士川" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "", "title": "富士川" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "(書き出しの部分)", "title": "祇園精舎" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "木曾義仲は、京の都で平家を打倒し、制圧した。しかし、木曾軍は都で乱暴をはたらき、さらに後白河法皇と木曾義仲とは対立し、そのため法王は源頼朝に木曾義仲の討伐を下した。 源頼朝は弟の範頼と義経に、木曾義仲を討伐することを命じた。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "そのため、範頼・義経の軍と、対する木曾方の軍とが宇治川を挟んで対峙していた。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "範頼・義経方の武将の、梶原と佐々木は、先陣争いをしていた。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "富士川の渡河の先陣争いでは、佐々木が先に川を渡り終え、先陣を切った。遅れて、梶原が川を渡った。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "畠山重忠(はたけやましげただ)は馬を射られた。そのため馬を下りて、水中にもぐりつつ、対岸へと渡っていった。渡河の途中、味方の大串次郎重親(おおくしじろうしげちか)が畠山につかまってきた。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "畠山らが向こう岸にたどり着いて、畠山重忠が大串次郎を岸に投げ上げてやると、大串は「自分こそが徒歩での先陣だぞ。」などということを名乗りを上げたので、敵も味方も笑った。", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "(第九巻)", "title": "宇治川(うぢがは)の先陣" } ]
本記事では、高校教育の重要度の順に、「木曾の最後」を先に記述している。 原著での掲載順は 祇園精舎 → 富士川 → 木曾の最後 。
本記事では、高校教育の重要度の順に、「'''木曾の最後'''」を先に記述している。 原著での掲載順は 祇園精舎 → 富士川 → 木曾の最後 。 == 作品解説 == [[File:Biwa-Hoshi-71-Shokunin-Uta-Awase-Picture-Scroll.png|thumb|琵琶法師。]] 平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。 作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者は不明。 平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏(へいし)との戦争をもとにした物語。 なお、平家がほろび、源氏の源頼朝(みなもとのよりとも)が政権をうばいとって、鎌倉時代が始まる。 * 和漢混淆文(わかんこんこうぶん) 『平家物語』の文体は、漢文ではなく和文であるが、漢文の書き下しっぽい言い回しの多い文体であり、このような文体を'''和漢混淆文'''(わかんこんこうぶん)という。 なお、日本最古の和漢混淆文は、平安末期の作品の『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)だと言われている。(『平家物語』は最古ではないので、気をつけよう。)平家物語が書かれた時代は鎌倉時代である。おなじく鎌倉時代の作品である『徒然草』(つれづれぐさ)や『方丈記』(ほうじょうき)も和漢混淆文と言われている。(要するに、鎌倉時代には和漢混淆文が流行した。) 現代では、戦争を描写した古典物語のことを「軍記物語」(ぐんきものがたり)と一般に言う。 日本の古典における軍記物語の代表例として、平家物語が紹介されることも多い。略して「軍記物」(ぐんきもの)という事も覆い。 じつは、日本最古の軍記モノは平家物語ではないかもしれず、鎌倉初期の『保元物語』(ほうげんものがたり)や『平治物語』(へいじものがたり)という作品が知られており現代にも文章が伝えられているが、しかし成立の時期についてはあまり解明されてない。 『平家物語』『保元物語』『平時物語』の成立の順序は不明である。 軍記物の『太平記』や『保元物語』などの多くの軍記物な文芸作品でも、和漢混淆文が多く採用された。 * 備考 下記の文中に出てくる人物「巴」(ともえ)は、歴史上は実在しなかった、架空の人物の可能性がある。そのため読者は、中学高校の歴史教科書では、巴を実在人物としては習わないだろう。 == 木曾の最後 (きそのさいご) :(※ 後半) == * 大意 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。 木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。 今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。 義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐはずだった。 だが、四朗の防戦中に、義仲が自害するよりも前に、敵兵に討ち取られてしまった。もはや今井四朗には、戦う理由も目的も無くなったので、今井四朗は自害した。 === 二 === * 大意 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、敵の源範頼(のりより)・源義経(よしつね)らの軍勢と戦争をしていた。木曾方が劣勢であった。 どんどんと木曾方の兵は討ち取られ、ついに木曾方の数は、木曽義仲と今井四朗(いまいのしろう)だけの二騎になってしまった。 今井四朗は、義仲に、敵兵の雑兵(ぞうひょう)に討ち取られるよりも自害こそが武士の名誉だと薦めて(すすめて)、義仲も自害をすることに同意する。 予定では、義仲は粟津(あわづ)の松原で自害をする予定だった。 義仲の自害が終わるまで、四朗が敵を防ぐために戦う予定だった。 敵勢が五十騎ほど現れた。 木曾は粟津の松原へと駆けつけた。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 今井四郎(いまゐのしらう、イマイノシロウ)、木曾殿(きそどの)、主従二騎になつて、'''のたまひ'''(イ)けるは、「日ごろは何ともおぼえぬ鎧(よろひ、ヨロイ)が、今日は重うなつたるぞや。」今井四郎申しけるは、「御身(おんみ)もいまだ疲れさせ給わず(タマワズ)。御馬(おんま)も弱り候はず(さうらはず、ソウロワズ)。何によつてか一領の御着背長(おんきせなが)を重うは思しめし(おぼしめし)候ふ(ウ)べき。それは御方(みかた)に御勢(おんせい)が候は(ワ)ねば、臆病でこそ、さはおぼし召し候へ。兼平(かねひら)一人(いちにん)候ふとも、余(よ)の武者千騎(せんぎ)とおぼし召せ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き(ふせき)矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津(あはづ、アワヅ)の松原(まつばら)と申す。あの松の中で御自害(おんじがい)候へ。」とて、打つて行くほどに、また新手(あらて)の武者、五十騎ばかり出で来たり。 「君はあの松原へ入らせ(いらせ)たまへ。兼平はこの敵(かたき)防き候はん。」と申しければ、木曾殿のたまひ(イ)けるは、「義仲(よしなか)、都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れ来るは、汝(なんぢ、ナンジ)と一所で(いつしょで)死なんと思ふためなり。所々で(ところどころで)討たれんよりも、一所で(ひとところ)こそ討死(うちじに)をもせめ」とて、馬の鼻を並べて駆けんとしたまへば、今井四郎、馬より飛び降り、主(しゅ)の馬の口に取りついて申しけるは、「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高名(かうみょう、コウミョウ)候へども、最後の時不覚しつれば、長き疵(きず)にて候ふなり。御身は疲れさせたまひて候ふ。続く勢(せい)は候はず。敵に押し隔てられ、'''いふかひなき'''(イウカイナキ)人の郎等(らうどう、ロウドウ)に組み落とされさせたまひて、討たれさせたまひなば、『さばかり日本国(にっぽんごく)に'''聞こえ'''させたまひつる木曾殿をば、それがしが郎等の討ちたてまつたる。』なんど申さんことこそ'''口惜しう'''(くちをしう、クチオシュウ)候へ。ただあの松原へ入らせたまへ。」と申しければ、木曾、「'''さらば'''。」とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ(タモウ)。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 今井四郎と、木曾殿は、(ついに)主従二騎になって、(木曾殿が)'''おっしゃった'''ことは、「ふだんは何とも感じない鎧が、今日は重く(感じられるように)なったぞ。」 (木曾殿の発言に対して、)今井四郎が申し上げたことには、「お体も、いまだお疲れになっていませんし、お馬も弱っていません。どうして、一着の鎧を重く思いになるはずがございましょうか。それは、見方に軍勢がございませんので、気落ちして、そのようにお思いになるのです。(残った味方は、この私、今井四郎)兼平ひとり(だけ)でございますが、他の武者の千騎だとお思いください。(残った)矢が七、八本ありますので、しばらく(私が)防戦しましょう。あそこに見えますのは、粟津の松原と申します。あの松の中で自害ください。」と言って、(馬を)走らせて(進んで)いくうちに、また新手の(敵の)武者が、五十騎ほどが出てきた。(今井四郎は木曾殿に言った、)「殿は、あの松原へお入りください。兼平は、この敵を防ぎましょう。」と申したところ、木曾殿がおっしゃったことは、「(この私、木曽)義仲は、都でどのようにも(= 討ち死に)なるはずであったが、ここまで逃げてこられたのは、おまえ(=今井四郎)と同じ所で死のうと思うからだ。別々の所で討たれるよりも、同じ所で討ち死にしよう。」と言って、(木曾殿は馬の向きを敵のほうへ変え、兼平の敵方向へと向かう馬と)馬の鼻を並べて駆けようとしなさるので、今井四郎は馬から飛び降り、主君の馬の口に取り付いて申し上げたことには、「武士は、(たとえ)常日頃どんなに功績がありましても、(人生の)最期のときに失敗をしますと、(末代まで続く)長い不名誉でございます。(あなたの)お体は、お疲れになっております。(味方には、もう、あとに)続く軍勢はございません。(もし二人で敵と戦って、)敵に押し隔てられて(離れ離れになってしまって)、'''取るに足りない'''(敵の)人の(身分の低い)家来によって(あなたが)組み落とされて、お討たれになられましたら、(世間は)『あれほど日本国で'''有名'''でいらっしゃった木曾殿を、誰それの家来が討ち申しあげた。』などと申すようなことが'''残念'''でございます。ただ、(とにかく殿は、)あの松原へお入りください。」と申し上げたので、木曾は、「'''それならば'''。」と言って、粟津の松原へ(馬を)走らせなさる。 |} ---- * 語句(重要) :・'''のたまひ'''(イ)けるは - 「のたまふ」は「言ふ」の尊敬語。 :・御身 - お体。 :・'''聞こえ''' - 有名な。 :・'''いふかひなき''' - 大したことのない。 :・'''口惜しう''' - 残念。 :・'''さらば''' - 「'''さあらば'''」の略。そうであるならば。'''「さようなら」ではない'''。 :・ - * 語注 :・今井四郎(いまゐのしろう) - 今井四郎兼平(いまいのしろうかねひら)。義仲の家来。義仲の乳母(うば)の子。(乳母子(めのとご)。) 幼い頃から木曾といっしょに育てられ、木曾と今井は堅い絆で結ばれている。 :・木曾殿(きそどの) - 源義仲(みなもとのよしなか)。木曾(今の長野県にあたる)で育ったので木曾義仲とも呼ばれている。 :・領 - 鎧などを数える単位。「両」とも書く、 :・着背長(きせなが) - 大将などが着る大鎧。 :・防き矢 - 敵の攻撃を防ぐために矢をいること。 :・粟津(あはづ、アワヅ) - 今の滋賀県 大津(おおつ)市 粟津(あわづ)町のあたり。 :・打つ手 - 馬に鞭(むち)を打って。 :・弓矢取り - 武士のこと。 ---- === 三 === * 大意 今井四朗は、たったの一騎で、敵50騎と戦うために敵50騎の中に駆け入り、四朗は名乗りを上げて、四朗は弓矢や刀で戦う。敵も応戦し、今井四朗を殺そうと包囲して矢を射るが、今井四朗の鎧(よろい)に防がれ傷を負わすことが出来なかった。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙(あぶみ)踏ん張り立ち上がり、大音声(だいおんじやう)あげて名乗りけるは、「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曾殿の御 乳母子(めのとご)、今井四郎兼平、生年(しやうねん)三十三にまかりなる。'''さる者'''ありとは鎌倉殿までも知ろし召されたるらんぞ。兼平討つて見参(げんざん)に入れよ。」とて、射残したる八筋(やすぢ)の矢を、差しつめ引きつめ、さんざんに射る。死生(ししやう)は知らず、'''やにはに'''敵八騎射落とす。その後、打ち物抜いてあれに馳せ(はせ)合ひ、これに馳せ合ひ、切つて回るに、面(おもて)を合はする者ぞなき。分捕り(ぶんどり)あまたしたりけり。ただ、「射取れや。」とて、中に取りこめ、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、あき間を射ねば'''手も負はず'''。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 今井四郎はたったの一騎で、五十騎ばかりの(敵の)中へ駆け入り、鐙(あぶみ)に踏ん張って立ち上がり、大声を上げて(敵に)名乗ったことは、「日ごろは、うわさで聞いていたであろうが、今は目で見なされ。木曾殿の御乳母子(である)、今井四郎兼平、年齢は三十三歳になり申す。'''そういう者'''がいることは、鎌倉殿(=源頼朝)までご存知であろうぞ。(この私、)兼平を討ち取って(鎌倉殿に)お目にかけよ。」と言って、射残した八本の矢を、つがえては引き、つがえては引き、次々に射る。(射られた敵の)生死のほどは分からないが、'''たちまち'''敵の八騎を射落とす。それから、刀を抜いて、あちらに(馬を)走らせ(戦い)、こちらに走らせ(戦い)、(敵を)切り回るので、面と向かって立ち向かう者もいない。(多くの敵を殺して、首や武器など)多くを奪った。(敵は、)ただ「射殺せよ。」と言って、(兼平を殺そうと包囲して、敵陣の)中に取り込み、(いっせいに矢を放ち、まるで矢を)雨が降るように(大量に)射たけれど、(兼平は無事であり、兼平の)鎧(よろい)が良いので裏まで矢が通らず、(敵の矢は)よろいの隙間を射ないので(兼平は)'''傷も負わない'''。 |} ---- * 語句(重要):・'''やにはに''' - たちまち。たちどころに。 :・手も負はず(テモオワズ) - 傷も負わず。 :・'''さる者''' - そういう者。 * 語注 :・鎌倉殿 - 源頼朝。 :・ - ---- === 四 === * 大意 今井四郎が防戦していたそのころ、義仲は自害の準備のため、粟津(あわづ)の松原に駆け込んでいた。 しかし、義仲の自害の前に、義仲は敵に射られてしまい、そして義仲は討ち取られてしまった。 もはや今井四郎が戦いつづける理由は無く、そのため、今井四郎は自害のため、自らの首を貫き、今井四郎は自害した。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 木曾殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二十一日、入相(いりあひ)ばかりのことなるに、薄氷(うすごほり)張つたりけり、深田(ふかた)ありとも知らずして、馬をざつと打ち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。あふれどもあふれども、打てども打てども'''はたらかず'''。今井が行方の覚束なさに振り仰ぎ給へる内甲(うちかぶと)を、三浦(みうら)の石田次郎為久(いしだじらうためひさ)、追つかかつて、よつ引いて、ひやうふつと射る。痛手(いたで)なれば、真向(まつかう、真甲)を馬の頭に当てて俯し給へる処に、石田が郎等二人(ににん)落ち合うて、つひに木曾殿の首をば'''取つてんげり'''。太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声を挙げて「この日ごろ日本国に聞こえさせ給つる木曽殿を、三浦の石田次郎為久が討ち奉りたるぞや。」と名乗りければ、今井四郎、いくさしけるがこれを聞き、「'''今は、誰(たれ)をかばはんとてかいくさをばすべき'''。これを見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛(かう)の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せ(うせ)にける。さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 木曾殿はたったの一騎で、粟津の松原へ駆けなさるが、(その日は)正月二十一日、夕暮れ時のことであるので、 (田に)薄氷が張っていたが(気づかず)、深い田があるとも知らずに、(田に)馬をざっと乗り入れてしまったので、馬の頭も見えなくなってしまった。(あぶみでは馬の腹をけって)あおっても、あおっても、(むちを)打っても打っても、(馬は)'''動かない'''。(義仲は)今井の行方が気がかりになり、振り返りなさった(とき)、(敵の矢が)甲(かぶと)の内側を(射て)、(その矢は)三浦(みうら)の石田次郎為久(いしだじらうためひさ)が追いかかって、十分に(弓を)引いて、ピューと射る(矢である)。(木曾殿は)深い傷を負ったので、甲の正面を馬の頭に当ててうつぶせになさったところ石田の家来が二人来合わせて、ついに木曾殿の首を取ってしまった。 太刀の先に(義仲の首を)貫き、高く差し上げ、大声を挙げて「このごろ、日本国に名声の知れ渡っている木曾殿を、三浦の石田次郎為久が討ち取り申し上げたぞ。」と名乗ったので、今井四郎は、戦っていたが、これを聞き、(今井四郎は言った、) 「今は、誰をかばおうとして、戦いをする必要があるか。これを(=私を)ご覧になされ、東国の方々。日本一の勇猛な者が自害する手本を。」と言って、(今井は自害のため)太刀の先を口に含み、馬上から逆さまに飛び落り、(首を)貫いて死んだのである。そのようないきさつで、粟津の戦いは終わった。 |} (巻九) ---- * 読解 :'''今は、誰(たれ)をかばはんとてかいくさをばすべき'''。 - この直前まで今井四郎が戦いつづけていた理由は、主君の義仲に自害をさせる時間をかせぐためであった。しかし、すでに義仲の首は敵の手によって討ち取られてしまい、もはや今井四郎が戦いを続ける理由も無い。なので、今井四郎は自害した。 * 語句(重要) :・入相(いりあい) - 夕暮れ時。たそがれ。 :・あふれども - あぶみで馬の腹をけって、急がせても。 :・'''はたらかず''' - 動かず。 :・'''取つてんげり''' - 「取りてけり」に撥音「ん」が加わり、「けり」が濁音化したもの。 :・ よつ引いて(ヨッピイテ)- 「よく引いて」の音便。 :・殿ばら - みなさま。かたがた。「ばら」は複数であることを表す。 複数人への呼びかけで敬称の一種。 * 語注 :・石田次郎為久 - 三浦一族の子孫で、頼朝方の武将の一人。勢力地は現在でいう神奈川県の伊勢原(いせはら)市のあたり。 :・ - === 品詞分解 === == 木曾の最後 :(前半) == === 一 === * 大意 木曾義仲(きそよしなか)の軍勢は、源義経の軍勢と戦っていた。 義仲の軍勢は、この時点の最初は300騎ほどだったが、次々と仲間を討たれてしまい、ついに主従あわせて、たったの5騎になってしまう。 義仲は、ともに戦ってきた女武者の巴(ともえ)に、落ちのびるように説得した。 巴は最後の戦いとして、近くに来た敵の首を討ち取り、ねじ切った。そして巴は東国へと落ちのびていった。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 木曾左馬頭(さまのかみ)、その日の装束には、赤地の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に唐綾威(からあやをどし)の鎧(よろひ)着て、鍬形(くはがた)打つたる甲(かぶと)の緒(を)しめ、厳物(いかもの)作り(づくり)の大太刀(おほだち)はき、石打ちの矢の、その日のいくさに射て少々のこったるを、頭高(かしらだか)に負ひなし、滋籐(しげどう)の弓もって、'''聞こゆる'''(きこゆる)木曾の鬼葦毛(おにあしげ)といふ馬の、きはめて太う(ふとう)たくましいに、金覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)置いてぞ乗つたりける。鐙(あぶみ)踏んばり立ちあがり、'''大音声'''(だいおんじやう)をあげて名のりけるは、「昔は聞きけん物を、木曾の冠者(くわんじや)、今は見るらむ、左馬頭兼伊予守(いよのかみ)、朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐(かひ)の一条次郎(いちじやうのじらう)とこそ聞け。互ひ(たがひ)によき敵(かたき)ぞ。義仲討つて(うつて)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)に見せよや。」とて、'''をめいて'''駆く。一条の次郎、「ただ今名のるのは大将軍(たいしやうぐん)ぞ。'''あますな'''者ども、もらすな若党、討てや(うてや)。」とて、大勢の中にとりこめて、われ討つ取らんとぞ進みける。木曾三百余騎、六千余騎が中を。縦様(たてさま)・横様(よこさま)・蜘蛛手(くもで)・十文字に駆け割つて(かけわつて)、後ろへつつと出でたれば、五十騎ばかりになりにけり。そこを破つて行くほどに、土肥次郎(とひのじらう)実平(さねひら)、二千余騎でささへたり。それをも破つて(やぶつて)行くほどに、あそこでは四五百騎、ここでは二三百騎、百四五十騎、百騎ばかりが中を駆け割り駆け割りゆくほどに、主従五騎にぞなりにける。五騎が内まで巴(ともゑ)は討たざれけり。木曾殿、「'''おのれ'''は、疾う疾う('''とうとう''')、女なれば、いづちへも行け。我は討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど、いはれん事もしかるべからず。」とのたまひけれども、なほ落ちも行かざりけるが、あまりに言はれ奉つて、「あっぱれ、'''よからう敵(かたき)がな'''。最後のいくさして見せ奉らん。」とて、控へたる(ひかえたる)ところに、武蔵(むさし)の国に聞こえたる大力(だいぢから)、御田八郎師重(おんだのはちらうもろしげ)、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べ、むずと取つて引き落とし、わが乗つたる鞍の前輪(まへわ)に押し付けて、ちつとも'''はたらかさず'''、首ねぢ切つて'''捨ててんげり'''。そののち、物具(もののぐ)脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎(てづかのたらう)討ち死にす。手塚別当(べつたう)落ちにけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 木曾左馬頭(=義仲)は、その日の装束は、赤地の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に唐綾威(からあやをどし)の鎧(よろひ)を着て、鍬形(くわがた)の飾りを打ちつけた甲(かぶと)の緒(を)しめ、いかめしい作りの大太刀(おおだち)を(腰に)着けて、石打ちの矢で、その日の戦いに射て少し残ったのを、頭の上に出るように高く背負って、滋籐(しげどう)の弓を持って、'''有名な'''「木曾の鬼葦毛」(きそのおにあしげ)という馬の、たいそう太くたくましい馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍(くら)を置いて乗っていた。鐙(あぶみ)を踏んばって立ちあがり、'''大声をあげて'''名乗ったことは、「以前は(うわさに)聞いていたであろう、木曾の冠者を、今は(眼前に)見るだろう、(自分は)左馬頭兼伊予守(いよのかみ)、朝日の将軍源義仲であるぞ。('''おまえ'''は)甲斐(かい)の一条次郎(いちじょうのじろう)だと聞く。お互いによき敵だ。(この自分、)義仲を討ってみて、兵衛佐(ひょうえのすけ)(=源頼朝)に見せてみろ。」と言って、'''叫んで'''馬を走らせる。一条の次郎は、「ただいま、名乗るのは(敵の)大将軍ぞ。'''討ち残すな'''者ども、討ち漏らすな若党、討ってしまえ。」と言って、大勢で(包囲しようと)中にとりこめようと、われこそが討ち取ってやろうと進んでいった。木曾の三百余騎、(敵の)六千余騎の中を(方位から抜け出ようと馬で駆け回り)、縦に、横に、八方に、十文字にと駆け走って、(敵の)後ろへつっと(抜け)出たところ、(木曾の自軍の残りは)五十騎ほどになってしまっていた。そこ(の敵)を破って行くほどに、(敵の)土肥次郎(とひのじらう)実平(さねひら)が、二千余騎で防戦していた。そこ(の敵)をも破ってゆくほどに、(木曾の兵数は討たれて減っていき)あそこでは四~五百騎、ここでは二~三百騎、百四十~五十騎、百騎ばかりが(敵勢の)中を駆け走り駆け走りしてゆくほどに、(ついに)木曾と家来あわせて五騎になってしまった。五騎の内、(まだ)巴(ともえ)は討たれていなかった。木曾殿は(巴に言った)、「'''おまえ'''(='''巴''')は、'''さっさと'''、(巴は)女なのだから、どこへでも逃げて行け。自分は(この戦いで)討ち死にしようと思っている。もし敵の手にかかるならば、自害をするつもりだから、木曾殿の最後のいくさに、女を連れていたなどと言われる事も、よくない。」とおっしゃるのが、それでもなお(巴は)落ちのびようと行かなかったが、(木曾殿は)あまりに(強く)言はれなさり、「ああ、(武功として)'''よき敵がいればなあ'''。最後の戦いをお見せ申し上げたい。」と言って、(敵兵を)待機していたところに、(敵勢が現れ)武蔵(むさし)の国に聞こえたる大力(だいぢから)の御田八郎師重(おんだのはちろうもろしげ)の軍勢三十騎ほどが出で来た。巴は、その中へ(自分の馬ごと)駆け入り、御田八郎の馬と並んで、むずと(御田を)掴んで引き落とし、鞍の前輪に押し付けて、ちょっとも'''身動きさせず'''、(御田の)首をねじ気って捨ててしまった。そのから(巴は)武具を脱ぎ捨てて、東国の方へと落ちのびていった。(義仲の味方の)手塚太郎(てづかのたろう)は討ち死にした。手塚の別当は逃げてしまった。 |} ---- * 語句(重要) :・装束(しょうぞく) - 服装。よそおい。いでたち。 :・'''聞こゆる'''(きこゆる) - 有名な。 :・'''大音声'''(だいおんじょう) - 大声。 :・'''をめいて''' - わめいて。大声で叫んで(さけんで)。 :・'''あますな''' - 討ち余すな。 :・若党(わかとう) - 若い従者。若い郎党。ここでは敵の一条次郎の若い従者たち。 :・'''おのれ''' - おまえ。ここでは巴のこと。 :・疾う疾う('''とうとう''') - さっさと。「疾く疾く」のウ音便。 :・'''よからう敵(かたき)がな''' - 文末の「'''がな'''」は願望の終助詞。よい敵がいたらなあ。せめて落ちのびる前に、最後の武功を義仲に見せたいという、巴の気持ち。 :・'''はたらかさず''' - 身動きさせず。 :・'''捨ててんげり''' - 「捨ててけり」に撥音「ん」がともない、「けり」が濁音化したもの。捨ててしまった。 :・ - * 語注 [[Image:Samurai uniform.jpg|220px|thumb|中世日本の甲(かぶと)]] :・木曾左馬頭 - 源義仲。木曽(長野県のあたり)で育ったため、「木曾」「木曾殿」など呼ばれている。 :・直垂(ひれたれ) - 鎧直垂(よろいひたたれ)のこと。よろいの下に着る衣服の一種。 :・鍬形(くわがた) - 甲(かぶと)の正面についている、日本の角のような飾り。 :・石打ちの矢 - 鷲(わし)の尾の羽の、「石打ち」という羽を用いた矢。 :・滋籐(しげどう)の弓 - 黒漆で塗った上に、籐(どう)で巻いた弓。籐は、蔓植物の一種。 :・鬼葦毛(おにあしげ) - 「葦毛」(あしげ)とは、馬で白い毛に黒毛や褐色の毛が混ざった馬。「鬼」は強さを表す。 :・冠者 - 貴族や武士などの若者で、元服をした若者。 :・伊予守(いよのかみ) - 伊予の国の国司。「伊予」は、現在で言う愛媛県のあたり。 :・兵衛佐(ひょうえのすけ) - 敵の総大将である源頼朝(よりとも)のこと。頼朝は、兵衛府(ひょうえふ)の次官であった。 :・巴(ともえ) - 義仲と行動をともにしていた、味方の女性の名前。彼女は武勇に秀でており、すでに何度も戦いに参加している。 :・武蔵(むさし)の国 - 地名。現在でいう東京・埼玉・神奈川のあたり。 :・御田八郎師重 - 頼朝方の武将。伝未詳。 :・手塚太郎 - 義仲方の武将のひとり、手塚光盛(みつもり)。 :・ - ---- == 富士川 == === 一 === * 大意 開戦の予定の前日である10月23日、平家は戦場予定地の富士川で、付近の農民たちの炊事の煙を見て源氏の軍勢の火と勘違いし、さらに水鳥の羽音を源氏の襲撃の音と勘違いして、平家は大慌てで逃げ出した。 翌10月24日、源氏が富士川にやってきて、鬨(とき)を上げた。 (※ 鬨: 戦いの始めに、自軍の士気をあげるために叫ぶ、掛け声。) * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| さるほどに十月二十三日にもなりぬ。明日は、源平富士川にて矢合(やあはせ)と定めたりけるに、夜に入つて平家の方より、源氏の陣を見渡せば、伊豆、駿河(するが)の人民(にんみん)百姓等が戦におそれて、あるいは野に入り山に隠れ、あるいは舟にとり乗って、海川に浮かび、営みの火のみえけるを、平家の兵ども、「あなおびただし源氏の陣の遠火(とほひ)の多さよ。げにもまことに野も山も海も川も、みな敵(かたき)でありけり。いかがせん。」とぞ慌てける。その夜の夜半ばかり、富士の沼に、いくらも群れ居たりける水鳥ともが、何にか驚きたりけむ、ただ一度にばつと立ちける羽音の、大風いかづちなんどのやうに聞こえければ、平家の兵ども、「すはや源氏の大勢の寄するは。斎藤(さいとう)別当が申しつるやうに、'''定めて'''からめ手もまはるらむ。取り込められては'''かなふまじ'''。ここをば引いて、尾張(おはり)川、洲俣(すのまた)を防げや。」とて、取る物もとりあへず、われ先にとぞ落ちゆきける。あまりに慌て騒いで、弓取るものは矢を知らず、矢取るものは弓を知らず。人の馬には我乗り、わが馬をば人に乗らる。あるいはつないだる馬に乗って馳(は)すれば、杭(くひ)をめぐること限りなし。近き宿々より迎へとつて遊びける遊君遊女ども、あるいは頭(かしら)蹴割られ、腰踏み折られて、をめき叫ぶ者多かりけり。 明くる二十四日'''卯(う)の刻'''に、源氏大勢二十万騎、富士川に押し寄せて、天も響き大地も揺るぐほどに、鬨(とき)をぞ三が度、作りける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| そうしているうちに、十月二十三日になった。明日は、源氏と平氏が富士川で開戦の合図をすると決めていたが、夜になって、平家のほうから源氏の陣を見渡すと、伊豆、駿河の人民や百姓たちが戦いを恐れて、ある者は野に逃げこみ山に隠れ、(また)ある者は船に乗って(逃げ)、海や川に浮かんでいたが、炊事などの火が見えたのを、平家の兵たちが、「ああ、とても多い数の源氏の陣営の火の多さっであることよ。なんと本当に野も山も生みも川も、皆敵である。どうしよう。」と慌てた。その夜の夜半ごろ、富士の沼にたくさん群がっていた水鳥たちが、何かに驚いたのであろうか、ただ一度にばっと飛び立った羽音が、(まるで)大風や雷などのように聞こえたので、平家の兵たちは、「ああっ、源氏の大軍が攻め寄せてきたぞ。斉藤別当が申したように、'''きっと'''(源氏軍は、平家軍の)背後にも回りこもうとしているだろう。もし(源氏に)包囲されたら(平家に)'''勝ち目は無いだろう'''。ここは退却して、尾張川、洲俣で防戦するぞ。」と言って、取る物も取りあえず、われ先にと落ちていった。あまりに慌てていたので、弓を持つ者は矢を忘れて、矢を持つ者は弓を忘れる。 他人の馬には自分が乗っており、自分の馬は他人に乗られている。ある者は、つないである馬に乗って走らせたので、杭の回りをぐるぐると回りつづける。近くの宿から遊女などを迎えて遊んでいたが、ある者は頭を(馬に)蹴折られ、腰を踏み折られて、わめき叫ぶ者が多かった。 翌日の二十四日の(朝の)'''午前六時ごろ'''に、源氏の大軍勢の二十万騎が、富士川に押し寄せて、天が響き大地も揺れるほどに、鬨(とき)を三度あげた。 |} ---- * 語句(重要) :・かなふまじ - 「かなふ」の、ここでの意味は「対抗できる」。「まじ」は、ここでの意味は、打消の推量の助動詞であり、意味は「・・・ないだろう」。 :・卯(う)の刻 - 朝の午前六時ごろ。 * 語注 :・富士川 - 現在の長野県・山梨県・静岡県を流れる川。 :・矢合(やあわせ) - 戦いを始めるときの合図の一つあり、両軍が鏑矢(かぶらや)などの矢を射あうこと。 :・斎藤別当 - 斎藤別当実盛(さねもり)。平家方の武将。東国の事情に詳しい。、 :・からめ手 - 背後から攻撃する戦法など。 :・尾張川 - 現在の木曽川。 :・洲俣(すのまた) - 現在の岐阜県 大垣市 墨俣(すのまた)町のあたり。 :・遊女 - :・鬨(とき) - 戦いの始めに、自軍の士気をあげるために叫ぶ、掛け声。 :・ - ---- == 祇園精舎 == === 一 === (書き出しの部分) * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:30%;text-indent:0em"| 祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹(しやらそうじゆ)の花の色、盛者必衰(じやうしや ひつすい)の'''ことわり'''(理)をあらはす。 おごれる人もひさしからず、ただ春の夜(よ)の夢のごとし。たけき(猛き)者も、つひ(ツイ)にはほろびぬ '''ひとへに'''(ヒトエニ)風の前のちりに同じ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (インドにある)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の音には、「すべてのものは、(けっして、そのままでは、いられず)かわりゆく。」ということを知らせる響きがある(ように聞こえる)。 沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色には、どんなに勢い(いきおい)のさかんな者でも、いつかはほろびゆくという'''道理'''をあらわしている(ように見える)。 おごりたかぶっている者も、その地位には、長くは、いられない。ただ、春の夜の夢のように、はかない。強い者も、最終的には、ほろんでしまう。 '''まるで'''、風に吹き飛ばされる塵(ちり)と同じようだ。 |} ---- * 語注 :・祇園精舎(ぎおんしょうじゃ) - '''インド'''にある寺で、釈迦(しゃか)の根拠地(こんきょち)。 :「祇園精舎は、どこの国にあるか?」(答え:インド)は、中学入試~大学入試などに良く出るので覚えること。答えを知らないと解けないクイズ的な知識だが、しかし入試に出てくるので、読者は覚えざるを得ない。 - :・娑羅双樹 - 「娑羅」はインド原産の木で常緑樹の一種。釈迦の入滅時に、床の四隅に咲いていた、二本ずつの対になっていた沙羅の木が枯れて白くなったという。 :・ - :(※ 範囲外: ) 仏教用語などで「生者必滅」という語句がある。これが「盛者必衰」の元ネタと思われている<ref>、小林保治『平家物語ハンドブック』、三省堂、2012年4月10日 第2刷、213ページ</ref>。平家物語の原作者に、なんらかのコダワリがあって、「生者必滅」を「盛者必衰」に言い換えたのだと思われている。 ---- === 二 === * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 遠く'''異朝'''(いてう、イチョウ)を'''とぶらへば'''、秦(しん)の趙高(ちやうこう)、漢(かん)の王莽(おうまう、オウモウ)、梁(りやう、リョウ)の朱伊(しうい、シュウイ)、唐(たう、トウ)の禄山(ろくざん)、これらは皆(みな)、旧主先皇(せんくわう、センコウ)の政(まつりごと)にも従はず(したがはず)、楽しみを極め(きはめ)、'''諌め(いさめ)'''をも'''思ひ(オモイ)入れず'''、天下の乱れむ事を悟らず(さとらず)して、民間の愁ふる(ウレウル)ところを知らざりしかば、久しからずして、'''亡(ぼう)じに'''し者どもなり。 近く本朝(ほんてう、ホンチョウ)をうかがふに、承平(しようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これらはおごれる心もたけき事も、皆(みな)'''とりどりにこそありしかども'''、 間近くは(まぢかくは)、六波羅(ろくはら)の入道(にふだう、ニュウドウ)前(さきの)太政大臣平朝臣(たひらのあつそん)清盛公と申しし人のありさま、伝へ(ツタエ)承る(うけたまはる、ウケタマワル)こそ、心も詞(ことば)も及ばれね(およばれね)。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| 遠く外国の(例を)'''さがせば'''、('''中国'''では、)(盛者必衰の例としては)秦(しん、王朝の名)の趙高(ちょうこう、人名)、漢(かん)の王莽(おうもう、人名)、梁(りょう)の朱伊(しゅい、人名)、唐(とう)の禄山(ろくざん、人名)(などの者がおり)、これら(人)は皆、もとの主君や皇帝の政治に従うこともせず、栄華をつくし、(他人に)'''忠告'''されても深く考えず、(その結果、民衆の苦しみなどで)世の中の(政治が)乱れていくことも気づかず、民衆が嘆き訴えることを気づかず、(権力も)長く続かずに'''滅んでしまった'''者たちである。 (いっぽう、)身近に、わが国(=日本)(の例)では、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これら(の者ども)は、おごった心も、勢いの盛んさも、皆それぞれに(大したものであり、)、(こまかな違いはあったので、)まったく同じではなかったが、最近(の例)では、六波羅の入道の平清盛公と申した人の有様(ありさま)は、(とても、かつての権勢はさかんであったので、)(有様を想像する)心も、(言い表す)言葉も、不十分なほどである。 |} ---- * 語句(重要) :・亡じにし - 滅んでしまった。 :・異朝 - 外国の王朝。ここでは'''中国'''。 :・'''とぶらへば''' - 調べてみると。探してみると。 :・諌め(いさめ) - 忠告。戒め。 :・'''思ひ(オモイ)入れず''' - 深く考えない。心に留めない。 :・'''とりどりにこそありしかども''' - 「こそ」が係助詞で、「ありしか」は已然形になっているが、これは次の「ども」に続くために已然形になってるのであり、係り結びではない。このような現象を、係り結びの「結びの'''流れ'''」という。 * 語注・人物など :・秦(しん)の趙高(ちょうこう) - 秦の始皇帝の家臣の一人。始皇帝の死後、実権を握った。 :・漢(かん)の王莽(おうまう、オウモウ) - 前漢の末、漢を滅ぼし「新」を建国し皇帝になったが、一代で滅ぼされた。 :・梁(りゃう、リョウ)の朱伊(しうい、シュウイ) - 梁の武帝に仕えたが、梁が没落し責任を問われ自殺した。 :・唐(たう、トウ)の禄山(ろくざん) - 安禄山。唐の玄宗皇帝に仕えたが反乱を起こしたが、滅ぼされた。 :・将門 - 平将門(たいらのまさかど)。承平5年(935年)に反乱を関東地方で起こしたが、滅ぼされた。 :・純友 - 藤原純友(ふじわらのすみとも)。天慶2年(939年)に反乱を瀬戸内海で起こしたが、滅ぼされた。 :・義親(ぎしん) - 源義親(みなもとのよしちか)。九州で略奪を行い、流されたあと、康和の年間に反乱を起こしたが滅ぼされた。 :・信頼(のぶより) - 藤原信頼。義朝とともに「平治の乱」を平治元年(1159年)に起こしたが、平清盛らによって滅ぼされた。 :・六波羅(ろくはら)の入道 - 平清盛のこと。「六波羅」とは、京都の地名の一つ。清盛の屋敷が六波羅にあった。現在でいう京都市の東山区の六波羅蜜寺の近く。清盛は1168年(仁安3年)に出家して入道になっていた。 ---- === 三 === * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| その先祖を尋ぬれば、桓武(くわんむ)天皇第五の皇子(わうじ)、一品(いつぽん)式部卿(しきぶのきやう)葛原親王(かづらはらのしんわう)九代の後胤(くだいのこういん)、讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(そん)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛朝臣(ただもりあつそん)の嫡男(ちやくなん)なり。かの親王(しんわう)の御子(みこ)高視の王(たかみのわう)、無官無位にして失せ(うせ)たまひぬ。その御子(おんこ)高望王(たかもちのわう)の時、初めて平(たひら)の姓(しやう)を賜はつて、上総介(かずさのすけ)になりたまひしより、たちまちに王氏(わうし)を出でて人臣(じんしん)に連なる。その子鎮守府将軍(ちんじゆふのしやうぐん)良望(よしもち)、のちには国香(くにか)と改む。国香より正盛に至るまで、六代は諸国の受領(じゆりやう)たりしかども、殿上(てんじやう)の仙籍(せんせき)をばいまだ許されず。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:40%;text-indent:1em"| その(平清盛公の)先祖を調べてみると、(清盛は忠盛朝臣の長男であり)、桓武天皇の第五の皇子である一品式部卿葛原親王の九代目の子孫である讃岐守正盛の孫、忠盛朝臣の長男であり、刑部卿忠盛朝臣の長男である。 その(葛原)親王の御子である高視王(たかみのおう)は、無官無位のままで亡くなってしまった。その(高視王の)御子の高望王(たかもちのおう)の時に、初めて平(たいら)の姓を(朝廷から)賜わり、上総介の国司におなりになったときから、急に皇族のご身分を離れて臣下(の身分)に(ご自身の名を)連なた。その(高望王の)子の鎮守府の将軍(ちんじゅふのしょうぐん)良望(よしもち)は、のちには国香(くにか)と(名を)改めた。国香より正盛に至るまでの六代は、諸国の国守(くにのかみ)であったけど、(まだ)殿上(てんじょう)に昇殿することは、まだ許されなかった。 |} ---- * 語注 :・一品 - 親王の位のうちの最高位。一品から四品まである。 :・式部卿(しきぶきょう) - 式部省の長官。「式部省」とは、宮中の儀式などを取り仕切る役所。 :・刑部卿(ぎょうぶきょう) - 刑部省の長官。「刑部省」とは、刑罰や訴訟を取り仕切る役所。 :・上総介(かずさのすけ) - 上総の国は現在の千葉県のあたり。上総の介とは、その地の国司の次官。 :・鎮守府 (ちんじゅふ)- 古来、蝦夷(えぞ)の鎮圧のため陸奥国に置かれた軍政を司る役所。「鎮守府の将軍」とは、鎮守府の長官のこと。 :・受領(ずりょう) - 国司で、任地に実際に赴任して、実務を行う役職の者。 :・殿上(てんじょう) - 天皇のいる清涼殿(せいりょうでん)にある、殿上の間のこと。 :・ - ---- == 宇治川(うぢがは)の先陣 == * 経緯 木曾義仲は、京の都で平家を打倒し、制圧した。しかし、木曾軍は都で乱暴をはたらき、さらに後白河法皇と木曾義仲とは対立し、そのため法王は源頼朝に木曾義仲の討伐を下した。 源頼朝は弟の範頼と義経に、木曾義仲を討伐することを命じた。 そのため、範頼・義経の軍と、対する木曾方の軍とが宇治川を挟んで対峙していた。 === 一 === * 大意 範頼・義経方の武将の、梶原と佐々木は、先陣争いをしていた。 富士川の渡河の先陣争いでは、佐々木が先に川を渡り終え、先陣を切った。遅れて、梶原が川を渡った。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 平等院の丑寅(うしとら)、橘の小島が崎より武者二騎、引つ駆け引つ駆け出で来たり。 一騎は梶原源太景季(かぢはらげんだかげすゑ)、一騎は佐々木(ささき)四郎高綱(たかつな)なり。人目には何とも見えざりけれども、内々(ないない)は先(さき)に心をかけたりければ、梶原は佐々木に一段(いつたん)ばかりぞ進んだる。佐々木四郎、「この川は西国一の大河(だいが)ぞや。腹帯(はるび)の伸びて見えさうは。締めたまへ。」と言はれて、梶原'''さもあるらん'''とや思ひけん、左右(さう)の鐙(あぶみ)を踏みすかし、手綱(たづな)を馬のゆがみに捨て、腹帯を解いてぞ締めたりける。その間に佐々木はつつと馳せ(はせ)抜いて、川へざつとぞうち入れたる。梶原、'''たばかられぬ'''とや思ひけん、'''やがて'''続いてうち入れたり。「いかに佐々木殿、高名(かうみやう)せうどて不覚したまふな。水の底には大綱(おほづな)あるらん。」と言ひければ、佐々木太刀(たち)を抜き、馬の足にかかりける大綱どもをば、ふつふつと打ち切り打ち切り、生食(いけずき)といふ世一(よいち)の馬には乗つたりけり、宇治川速しといへども、一文字にざつと渡いて、向かへの岸にうち上がる。梶原が乗つたりける摺墨(するすみ)は、川中(かはなか)より篦撓(のため)形(がた)に押しなされて、はるかの下よりうち上げたり。 佐々木、鐙(あぶみ)踏んばり立ち上がり、大音声(だいおんじやう)をあげて名のりけるは、「宇多(うだ)天皇より九代(くだい)の後胤(こういん)、佐々木三郎秀義(ひでよし)が四男(しなん)、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。われと思はん人々は高綱に組めや。」とて、をめいて駆く。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 平等院の北東の方向にある、橘の小島が崎から、2騎の武者が、馬で駆けて駆けてやってきた。(そのうちの)一騎は梶原源太景季(かぢはらげんだ かげすえ)、(もう一方の)一騎は佐々木四郎高綱(ささきしろう たかつな)である。他人の目には何とも(事情がありそうには)見えなかったけど、心の内では、(二人とも、われこそが)先陣を切ろうと期していたので、(その結果、)梶原景季は佐々木高綱よりも一段(=約11メートル)ほど前に進んでいる。 (おくれてしまった)佐々木四郎が、 「この川は、西国一の大河ですぞ。腹帯がゆるんで見えますぞ。お締めなされ。」 と言い、梶原は、'''そんなこともありえるのだろう'''と思ったのか、左右の鐙を踏ん張って、手綱を馬のたてがみに投げかけて、腹帯を解いて締めなおした。その間に、佐々木は、(梶原を)さっと追い抜いて、川へ、ざっと(馬で)乗り入れた。梶原は、だまされたと思ったのか、'''すぐに'''続いて(馬を川に)乗り入れた。 (梶原は)「やあ佐々木殿、手柄を立てようとして、失敗をなさるなよ。川の底には大網が張ってあるだろう。」と言ったので、 と言ったので、佐々木は太刀を抜いて、馬の足に引っかかっていた大網をぷっぷっと切って(進み)、(佐々木は)生食(「いけずき」)という日本一の名馬に乗っていたので、(いかに)宇治川(の流れ)が速いといっても(馬は物ともせず)、川を一直線にざっと渡って、向こう岸に上がった。 (いっぽう、)梶原の乗っていた摺墨(「するすみ」)は、川の中ほどから斜め方向に押し流されて、ずっと下流から向こう岸に上がった。 佐々木は、鐙を踏ん場って立ち上がり、大声を上げて、名乗ったことは、 「宇多天皇から9代目の末裔、佐々木三郎秀義(ひでよし)の四男、佐々木四郎高綱である。宇治川での先陣だぞ。我こそ(先陣だ)と思う者がいれば、(この)高綱と組み合ってみよ。」 と言って、大声を上げ、(敵陣へと)駆けていく。 |} ---- * 重要語句 :・'''さもあるらん''' - そんなこともあるだろう。「らん」は推量の助動詞、終止形。 :・'''たばかられぬ''' - だまされた。「たばかる」で、だます、の意味。「れ」は受身の助動詞「る」の連用形。「ぬ」は完了の助動詞、終止形。 :・'''やがて''' - すぐに。ただちに。さっそく。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 * 語注 :・宇治川 - 現在の京都市伏見区を流れる川。 :・梶原源太景季(かぢはらげんだかげすゑ) - 相模(さがみ、現在の神奈川県)の武将。 :・佐々木(ささき)四郎高綱(たかつな) - 近江(おうみ、現在の滋賀県)の武将。 :・一段 - 約11メートル。 :・腹帯 - 馬に鞍を固定するための帯。 :・結髪(ゆがみ) - 馬のたてがみを束ねて結んだ物。 :・生食(いけずき) - 佐々木高綱が頼朝から与えられた馬。 :・世一 - 天下一。世の中一。日本一。 :・するすみ -梶原景季が頼朝から与えられた馬。 :・篦撓(のため)形(がた) -斜め方向 。(のため)は矢の柄の曲がりを直すための道具。 :・ - 。 :・ - 。 ---- === 二 === * 大意 畠山重忠(はたけやましげただ)は馬を射られた。そのため馬を下りて、水中にもぐりつつ、対岸へと渡っていった。渡河の途中、味方の大串次郎重親(おおくしじろうしげちか)が畠山につかまってきた。 畠山らが向こう岸にたどり着いて、畠山重忠が大串次郎を岸に投げ上げてやると、大串は「自分こそが徒歩での先陣だぞ。」などということを名乗りを上げたので、敵も味方も笑った。 * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 畠山(はたけやま)、五百余騎で、'''やがて'''渡す。向かへの岸より山田次郎(やまだじらう)が放つ矢に、畠山馬の額(ひたひ)を篦深(のぶか)に射させて、弱れば、川中より弓杖(ゆんづゑ)を突いて降り立つたり。岩浪(いはなみ)、甲(かぶと)の手先へざつと押し上げけれども、事ともせず、水の底をくぐつて、向かへの岸へぞ着きにける。上がらむとすれば、後ろに者こそむずと控へたれ。 「'''誰そ(たそ)'''。」 と問へば、 「重親(しげちか)。」 と答ふ。 「いかに大串(おほぐし)か。」 「さん候ふ。」 大串次郎は畠山には烏帽子子(えぼしご)にてぞありける。 「あまりに水が速うて、馬は押し流され候ひぬ。'''力及ばで'''付きまゐらせて候ふ。」 と言ひければ、 「いつもわ殿原は、重忠(しげただ)がやうなる者にこそ助けられむずれ。」 と言ふままに、大串を引つ掲げて、岸の上へぞ投げ上げたる。投げ上げられ、'''ただ'''なほつて、 「武蔵(むさし)の国の住人、大串次郎重親(しげちか)、宇治川の先陣ぞや。」 とぞ名のつたる。敵(かたき)も味方もこれを聞いて、一度にどつとぞ笑ひける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 畠山は五百余騎で、'''すぐに'''渡る。向こう岸から(敵の平家軍の)山田次郎が放った矢に、畠山は馬の額を深く射られて、(馬が)弱ったので、川の中から弓を杖のかわりにして、(馬から)降り立った。(水流が)岩に当たって生じる波が、甲の吹き返しの前のほうにざぶっと吹きかかってきたけど、そんな事は気にしないで、水の底をくぐって、向こう岸に着いた。(岸に)上がろうとすると、背後で何かがぐっと引っ張っている。 (畠山が)「'''誰だ。'''」 と聞くと、 (相手は)「(大串次郎)重親。」 と答える。 「なんだ、大串か。」 「そうでございます。」 大串次郎は、畠山にとっては烏帽子子であった。 「あまりに水の流れが速くて、馬は押し流されてしまいました。(それで)しかたがないので、(あなたに)おつき申します。」 と言ったので、 「いつもお前らは、(この)重忠のような者に助けられるのだろう。」 と言うやいなや、大串を引っさげて、岸の上へと投げ上げた。 (大串は岸に)投げ上げられ、'''すぐに'''立ち上がって、 「武蔵の国の住人、大串の次郎重親、宇治川の徒歩での先陣だぞ。」(馬では、なくて。) と名乗った。 敵も味方もこれを聞いて、一度にどっと笑った。 |} (第九巻) ---- * 重要語句 :・'''誰そ(たそ)''' -誰だ。「そ」は'''係助詞'''「ぞ」の古い形。 :・'''力及ばで''' -力が及ばないで。「で」は'''打消'''の接続助詞。 :・ただ - すぐに。 * 語注 :・篦深(のぶか) -矢が深く突き刺さっている状態。 :・弓杖(ゆんづえ) - 弓を杖のかわりにすること。 :・岩浪(いはなみ) - 岩に水が当たって生じる波。 :・甲の手先 - 甲の吹き返しの先のほう。 :・重親 -大串次郎重親。 :・わ殿原 -武士の敬称。「原」(ばら)は複数の相手を表す。お前たち。 :・ - 。 [[カテゴリ:平家物語]]
2014-11-19T02:49:01Z
2024-01-10T15:03:39Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
19,602
高等学校国語総合/徒然草
作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。 花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。 どんなことも始めと終わりにこそ趣があるものだ。恋愛も、男女が会うばかりが趣ではない。会えずにいても、一人で相手のことを思いながらしみじみとするのも、恋の情趣であろう。 月見についても、満月よりも、他の月を見ほうが趣深いだろう。 月見や花見は、直接に目で見るのを楽しむべきではなく、心で楽しむことこそ、趣深いことだ。だから、情趣のある人の楽しみ方は、あっさりしている。情趣の無い人は、なにごとも、物質的に、視覚的に、直接に楽しむ。 (第一三七段) 「猫また」と言う怪獣が出るという、うわさを聞いていた連歌法師が、ある日の夜、動物に飛び掛られたので、てっきり猫またに襲われていると思って、おどろいて川に飛び込んだ。 実は、法師の飼い犬がじゃれて飛びついただけだった。 (第八十九段) この時点では、連歌法師は、まだ「猫また」だと思ってた動物が飼い犬だと気づいていないか、あるいは、まだ腰を抜かした様子が直ってないのだろう。 おそらく作者の気持ちでは、笑い話、と思ってるのだろう。 作者の兼好法師も、職業が同じく「法師」なので、作者は色々と思うところがあっただろう。 後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)が亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に大井川(おおいがわ)の水を引き入れようとして、地元の大井の住人に水車を造らせて、水車は組みあがったが、思うように回ってくれず、水を御池に組み入れることができない。 そこで、水車作りの名所である宇治から人を呼び寄せて、水車を作らせたところ、今度の水車は、思いどおりに回ってくれて、御池に川の水を汲み入れることができた。 何事につけても、その道の専門家は、貴重なものである。 (第五一段) 木登りの名人が、他人を木に登らせるとき、登っているときには注意しないで、下りてきてから気をつけるように注意していた。筆者の兼好法師が、わけを尋ねたところ、「人間は、自分が危険な高い場所にいる時には、本人も用心するので、私は注意しないのです。ですが、降りるときは安心してしまうので、用心しなくなってしまいがちなので、用心させるように注意するのです。失敗は、むしろ安全そうな時にこそ、起こりやすいのです。」と言うようなことを言った。 木登り名人の意見は、身分の低い者の意見だが、聖人の教えにも匹敵するような、立派な教訓であろう。 (第一〇九段) 京都の丹波にある神社は、出雲大社から神霊を分けてもらっている。つまり、複数の神社で、同じ神がまつられている。 出雲大社の主神は大国主(オオクニヌシ)。 丹波の国にある出雲神社を、聖海上人(しょうかいしょうにん)が大勢の人たちといっしょに参拝した。 社殿の前にある像の、狛犬(こまいぬ)の像と獅子(しし)の像とが背中合わせになっているのを見て、聖海上人は早合点をして、きっと深い理由があるのだろうと思い込み、しまいには上人は感動のあまり、上人は涙まで流し始めた。 そして、出雲大社の神官に像の向きの理由を尋ねたところ、子供のいたずらだと言われ、神官は像の向きを元通りに直してた。 上人の涙は無駄になってしまった。 (第二三六段)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。", "title": "作品解説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。", "title": "花は盛りに" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "どんなことも始めと終わりにこそ趣があるものだ。恋愛も、男女が会うばかりが趣ではない。会えずにいても、一人で相手のことを思いながらしみじみとするのも、恋の情趣であろう。", "title": "花は盛りに" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "月見についても、満月よりも、他の月を見ほうが趣深いだろう。", "title": "花は盛りに" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "月見や花見は、直接に目で見るのを楽しむべきではなく、心で楽しむことこそ、趣深いことだ。だから、情趣のある人の楽しみ方は、あっさりしている。情趣の無い人は、なにごとも、物質的に、視覚的に、直接に楽しむ。", "title": "花は盛りに" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(第一三七段)", "title": "花は盛りに" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "「猫また」と言う怪獣が出るという、うわさを聞いていた連歌法師が、ある日の夜、動物に飛び掛られたので、てっきり猫またに襲われていると思って、おどろいて川に飛び込んだ。", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "実は、法師の飼い犬がじゃれて飛びついただけだった。", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "(第八十九段)", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この時点では、連歌法師は、まだ「猫また」だと思ってた動物が飼い犬だと気づいていないか、あるいは、まだ腰を抜かした様子が直ってないのだろう。", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "おそらく作者の気持ちでは、笑い話、と思ってるのだろう。", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "作者の兼好法師も、職業が同じく「法師」なので、作者は色々と思うところがあっただろう。", "title": "奥山に猫またといふもの" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)が亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に大井川(おおいがわ)の水を引き入れようとして、地元の大井の住人に水車を造らせて、水車は組みあがったが、思うように回ってくれず、水を御池に組み入れることができない。", "title": "亀山殿の御池に" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "そこで、水車作りの名所である宇治から人を呼び寄せて、水車を作らせたところ、今度の水車は、思いどおりに回ってくれて、御池に川の水を汲み入れることができた。", "title": "亀山殿の御池に" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "何事につけても、その道の専門家は、貴重なものである。", "title": "亀山殿の御池に" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "(第五一段)", "title": "亀山殿の御池に" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "", "title": "亀山殿の御池に" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "木登りの名人が、他人を木に登らせるとき、登っているときには注意しないで、下りてきてから気をつけるように注意していた。筆者の兼好法師が、わけを尋ねたところ、「人間は、自分が危険な高い場所にいる時には、本人も用心するので、私は注意しないのです。ですが、降りるときは安心してしまうので、用心しなくなってしまいがちなので、用心させるように注意するのです。失敗は、むしろ安全そうな時にこそ、起こりやすいのです。」と言うようなことを言った。", "title": "高名の木登り" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "木登り名人の意見は、身分の低い者の意見だが、聖人の教えにも匹敵するような、立派な教訓であろう。", "title": "高名の木登り" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "(第一〇九段)", "title": "高名の木登り" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "京都の丹波にある神社は、出雲大社から神霊を分けてもらっている。つまり、複数の神社で、同じ神がまつられている。 出雲大社の主神は大国主(オオクニヌシ)。", "title": "丹波に出雲といふ所あり" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "丹波の国にある出雲神社を、聖海上人(しょうかいしょうにん)が大勢の人たちといっしょに参拝した。", "title": "丹波に出雲といふ所あり" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "社殿の前にある像の、狛犬(こまいぬ)の像と獅子(しし)の像とが背中合わせになっているのを見て、聖海上人は早合点をして、きっと深い理由があるのだろうと思い込み、しまいには上人は感動のあまり、上人は涙まで流し始めた。 そして、出雲大社の神官に像の向きの理由を尋ねたところ、子供のいたずらだと言われ、神官は像の向きを元通りに直してた。 上人の涙は無駄になってしまった。", "title": "丹波に出雲といふ所あり" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "(第二三六段)", "title": "丹波に出雲といふ所あり" } ]
null
== 作品解説 == 作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。 == 花は盛りに == === 一 === *大意 花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ'''見るものかは'''。'''雨に向かひて月を恋ひ'''、'''垂れ込めて春の行方知らぬ'''も、'''なほ'''あはれに情け深し。'''咲きぬべきほど'''の梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。 歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、「障ることありて'''まからで'''。」なども書けるは、 「花を見て。」と言へるに'''劣れることかは'''。花の散り、月の傾くを慕ふならひは'''さること'''なれど、ことに'''かたくななる人'''ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは'''言ふめる'''。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (はたして、)桜の花は咲いているときだけを見るべきだろうか、月は曇りないときだけを見るべきなのだろうか。(いや、そうではない。)  雨に向かって月を見るのも、(家の中で、すだれを)垂れ込めて春の行方を知らないのも、やはり、しみじみとして趣深い。今にも咲きそうな梢(こずえ)や、(既に)散ってしまった庭も、見所が多いだろう。 歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に参ったところ、とっくに散り去ってしまったので。」とか、「都合の悪いことがあってまいりませんで。」などと書いてあるのは、「花を見て。」と言ってるのに(比べて)'''劣っていることだろうか'''。(いや、そうではない。) 花が散り、月が傾くのを慕う風習は'''当然なこと'''だけど、(しかし、)特に'''情趣の無い'''人は、「この枝も、あの枝も、散ってしまった。今は見どころが無い。」などと'''言うようだ'''。 |} ---- *語句(重要) :花 - ここでは、'''桜'''(さくら)の花。日本の古文では、「花」と言ったら桜を指す場合が多い。 :・'''見るものかは''' - 見るものだろうか。(いや、そうではない。) '''反語表現'''になっている。「'''かは'''」は'''反語'''を表す係助詞。 :・'''なほ''' - やはり。 :・'''まからで''' - 参りませんので。「で」は'''打消し'''の終助詞。「まかる」の意味は「参る」である。「行く」の'''謙譲語'''。 :・'''劣れることかは''' - 劣るだろうか(いや、そうではない)。 '''反語表現'''。 :・'''咲きぬべきほど''' - 今にも咲きそうなほどの。「ぬ」は強意の助動詞。「ぬべし」で強意を表す。 :・'''さること''' - この文での意味は「もっともなこと」「当然なこと」。 :・'''かたくななる人''' - 風流ではない人。趣深くない人。教養の無い人。 :・'''言ふめる''' - 「める」は'''婉曲'''の助動詞「めり」連体形。 :・ - 。 *語注 :・'''雨に向かひて月を恋ひ''' - 漢文『類聚句題抄』(るいじゅうくだいしょう)からの文章「対雨恋月」をまねた表現。『類聚句題抄』は、源順(みなもとのしたがう)の著作。 :・'''垂れ込めて春の行方知らぬ''' -古今集に「垂れ込めて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜もうつろひにけり」という藤原因香(よるか)の和歌がある 。 :・詞書(ことばがき) - 和歌の前書き。和歌の前書きでは、その和歌の制作に当たっての事情などを説明をしていることが多い。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 どんなことも始めと終わりにこそ趣があるものだ。恋愛も、男女が会うばかりが趣ではない。会えずにいても、一人で相手のことを思いながらしみじみとするのも、恋の情趣であろう。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| よろづのことも、始め終はりこそ'''をかし'''けれ。 '''男女(をとこをんな)の情け'''も、'''ひとへに''' '''逢ひ(あひ、アイ)見る'''をば'''言ふものかは'''。逢はで(あはで)止み(やみ)にし憂さを思ひ、'''あだなる'''契りを'''かこち'''、長き夜をひとり明かし、'''遠き雲井'''を思ひやり、'''浅茅(あさぢ)が宿'''に昔を'''しのぶ'''こそ、'''色好む'''とはいはめ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| どんなことも、(盛りよりも)始めと終わりにこそ趣がある。'''男女の恋愛'''も、(はたして)'''ひたすら'''逢って契りを結ぶのを(「恋」と)'''言うのだろうか。(いや、そうではない。)'''  会わないで終わってしまったつらさを思い、(約束の果たされなかった)'''はかない'''約束を'''嘆き'''、長い夜を一人で明かし、遠い大空の下にいる'''恋人'''を思いうかべて、茅が茂る荒れはてた住まいで昔(の恋人)をしみじみと思うことこそ、'''恋の情趣を理解している'''のだろう。 |} ---- *語句(重要) :・'''をかし''' - ここでの意味は「趣がある」。 :・'''男女(をとこをんな)の情け''' - 男女の恋愛。 :・'''ひとへに''' - ひたすら。 :・'''逢ひ(あひ、アイ)見る''' - ここでの意味は、男女が出会って、契りを結ぶことなど。けっして、単に、会って、見ること'''ではない'''。 :・'''言ふものかは''' - 言うものだろうか。「かは」は反語。 :・'''あだなり''' - はかない。 :・'''かこつ''' - 嘆く。 :・'''色好む''' - 恋の情趣を理解している。現代での悪い意味での「色好み」とは違うので注意。 *語注 :・'''遠き雲井''' - 雲井とは元の意味は大空のことだが、ここでは'''離れ離れになった恋人どうし'''のこと。 :・'''浅茅(あさぢ)が宿''' - 荒れはてた家。茅(ち、ちがや)とは雑草の一種で、イネ科の雑草。 :・'''色好む''' - 恋愛の情趣を理解する。 :・ - 。 ---- === 三 === *大意 月見についても、満月よりも、他の月を見ほうが趣深いだろう。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 望月の隈(くま)なきを、千里の外まで眺めたる(ながめたる)よりも、暁近くなりて待ち出で(いで)たるが、いと'''心深う'''、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の'''影'''、'''うちしぐれたる'''むら雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかば)などの、ぬれたるやうなる葉の上に'''きらめきたる'''こそ、身にしみて、'''心あらむ友もがな'''と、都恋しうおぼゆれ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (月見についても、)満月でかげりや曇りなく照っているのを、(はるか遠く)千里のかなたまで眺めているのよりも、(むしろ)明け方近くになって、待ちこがれた(末に出た)月が、たいそう'''趣深く'''、青味を帯びているようで、深い山の木々の梢(ごし)に見えているのや、木の間(ごし)の(月の)'''光'''や、さっと時雨(しぐれ)を降らせた一群の雲に(月が)隠れている様子は、この上なく趣深い。 椎柴(しいしば)・白樫(しらかば)などの、濡れているような葉の上に(月の光が)きらめいているのは、心にしみて、'''情趣を解する友人がいたらなあ'''、と都が恋しく思われる。 |} ---- *語句(重要) :・望月(もつづき) - 満月。満月でかげり・曇りのなく照っている状態。 :・'''心深う''' - 趣深く。ここでの「心」は情趣を理解する心のこと。「心深う」は「心深く」のウ音便。 :・'''影''' - 古語での「影」の意味には、現代で言う「光」、(人や者の)「影」、「姿」などの意味がある。ここでは「'''光'''」の意味。 :・'''うちしぐれたる''' - 「うち」は接頭語で、さっと、の意味。 :・むら雲 - 一まとまりに群がっている雲。村雲。 :・'''心あらむ友''' - 情趣を理解する友人。 :・心あらむ友'''もがな''' - 情趣を解する友人が'''いたらなあ'''。「'''もがな'''」は'''願望'''の終助詞。 *語注 :・望月の隈なきを千里の外まで - 漢文の『白氏文集』(はくしもんじょう)に白居易の詩の一節で、「三五(さんご)夜中(やちゅう)新月<sub>ノ</sub>月 二千里外故人<sub>ノ</sub>心」(さんごやちゅうしんげつのつき にせんりがいこじんのこころ)とある。 :・椎柴(しいしば)・白樫(しらかば) - 両方ともブナ科の常緑高木。 :・ - 。 ---- === 四 === *大意 月見や花見は、直接に目で見るのを楽しむべきではなく、心で楽しむことこそ、趣深いことだ。だから、情趣のある人の楽しみ方は、あっさりしている。情趣の無い人は、なにごとも、物質的に、視覚的に、直接に楽しむ。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、いと'''たのもしう'''、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも'''なほざり'''なり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせず'''まもりて'''、酒のみ、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 総じて、月や(桜の)花を、そのように目でばかり見るものだろうか。(いや、そうではない。) 春は(べつに、桜の花見のために)家から外に出なくても、月の夜は寝室の中にいるままでも、(桜や月を)思っていることこそ、たいへん期待ができて、趣深いことである。 情趣のある人は、むやみに好みにふけっている様子にも見えず、楽しむ様子も'''あっさり'''している。(無教養な)片田舎の人にかぎって、しつこく、なんでも(直接的に)楽しむ。 (たとえば春の)花の下では、寄って近づきよそ見もしないで'''じっと見つめて'''、酒を飲んで連歌して、しまいには大きな枝を思慮分別なく折り取ってしまう。 (夏には、田舎者は)泉に手足をつけて(楽しみ)、(冬には)雪には下りたって足跡をつけるなどして、どんなものも、離れたままで見ることが(田舎者には)ない。 |} (第一三七段) ---- *語句(重要) :・'''たのもしう''' - 期待が持てて楽しみで。 :・'''なほざり''' - (気にせず)あっさりしている。 :・'''まもりて''' - 見続けて。見つめて。 :・ - 。 *語注 :・色濃く - しつこく。 :・あからめ - よそ見。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 奥山に猫またといふもの == === 一 === *大意 「猫また」と言う怪獣が出るという、うわさを聞いていた連歌法師が、ある日の夜、動物に飛び掛られたので、てっきり猫またに襲われていると思って、おどろいて川に飛び込んだ。 実は、法師の飼い犬がじゃれて飛びついただけだった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる。」と人の言ひけるに、 「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事は'''あなる'''ものを。」 と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(なにあみだぶつ)とかや、'''連歌(れんが)'''しける法師の、行願寺(ぎやうぐわんじ)のほとりにありけるが聞きて、ひとり'''ありかん'''身は心すべきことにこそと思ひける'''ころしも'''、ある所にて夜更くる(ふくる)まで連歌して、ただひとり帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、'''やがて'''かきつくままに、頸(くび)のほどを食はんとす。肝心(きもごころ)も失せて(うせて)、'''防かん'''とするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、 「助けよや、猫また。よや、よや。」 と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。 「'''こはいかに'''。」 とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取りて、扇(おふぎ)・小箱など懐(ひところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。'''希有に'''して助かりたるさまにて、這ふ這ふ(はふはふ)家に入りけり。 飼ひける犬の、暗けれど、主(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 山奥に猫またというもの(=化け物、妖怪)がいて、人を食うそうだ、とある人が言った。 「(ここは)山ではないけれど、このあたりにも、猫が年を取って変化して、猫またになって、人をとって食らうことがあるというのだよ。」 と言う者がいたので、なんとか阿弥陀仏とかいう連歌を(仕事または趣味などに)している法師で、行願寺の付近に住んでいた者がこれを聞いて、一人歩きをする者は用心すべきことであるな思った頃、ある所で夜が更けるまで連歌をして、たった一人で帰るときに、小川のほとりで、うわさに聞いていた猫また、(猫またの)狙いたがわずに'''首'''のあたりに食いつこうとする。 (法師は)正気も失って、'''防ごう'''とするが力も出ず、(腰が抜けて)足も立たず、小川へ転がりこんで、 「助けてくれ。猫まただ。おーい。」 と叫ぶので、 (近くの)家々から、(人々が) 松明(たいまつ)をともして走り寄ってみると、(助けを求めてる人は)このあたりで顔見知りの僧だった。 (人々は)「これは、どうしたことか。」 と言って、川の中から抱き起こしたところ、連歌で受け取っていた賞品の扇・小箱など、懐に入れていたのも、水につかってしまった。 (僧の態度は)かろうじて助かったという様子で、這うようにして家に入っていった。 |} (第八十九段) ---- *語句(重要) :・'''あなる''' - 「あるなる」の省略形。ここでの末尾の「なる」は伝聞の助動詞「なり」の連体形。 :・'''連歌(れんが)''' - 和歌の形式の一つ。和歌の五七五七七のうち、最初の五七五と、あとの七七とを分けて、二人以上の人で読む。さらに、句を何十句とつなげていくのを'''長連歌'''(ちょうれんが)とか'''鎖連歌'''(くさりれんが)などと言う。いっぽう、二句だけの、五七五と七七だけで終わらすのを'''短連歌'''(たんれんが)と言う。ここでは、作品の書かれた鎌倉時代の終わりごろには長連歌が流行っていた。なので現代では、本文の「連歌」とは、長連歌だと思われている。 :・'''ありかん''' - 「ありく」とは、歩く、のこと。 :・'''ころしも''' - 「頃しも」のことで、意味は「ちょうどその頃」。必ずしも入試などでは、漢字で「頃しも」と本文が書かれるとは限らないので注意。「しも」は強意を表す副助詞。 :・'''やがて''' - すぐに。 :・頚(くび) - 首。頭と肩の間の部分。 :・防かん - 防ごう。「ん」は意志の助動詞。「防か」は、「防く」の未然形。 :・'''こはいかに''' - これはどうしたことか。「こ」とは、法師が川に落ちて、猫またに襲われた助けてくれと、助けを求めてる状態。 :・'''稀有にして''' - かろうじて。やっとのことで。「稀有にして」は慣用表現で、ぎりぎりで助かったときに用いる表現。「稀有」そのものの意味は「めったに無いこと」。 :・'''希有に'''して助かりたるさまにて、這ふ這ふ(はふはふ)家に入りけり。 この時点では、連歌法師は、まだ「猫また」だと思ってた動物が飼い犬だと気づいていないか、あるいは、まだ腰を抜かした様子が直ってないのだろう。 *語注 :・猫また - 妖怪の一種。化け猫。猫のような顔で、体は大型の犬のように長いという。『名月記』(藤原定家の日記)によると「目は猫のごとく、其(そ)の体は犬のごとく長し。」、 :・何阿弥陀仏 - 法師の名前をぼかしてある。当時、浄土宗や時宗などで、法師などの間で自称の末尾に「阿弥」「阿」を証する者が多かった。たとえば「世阿弥」など。 :・行願寺 - 京都にあった天台宗の寺。革堂(こうどう)とも言う。今は移転して京都市中京区にある。当時は今の場所と違い、上京区のあたりにあった。 :・肝心(きもごころ) - 平常心。正気。思考力。 :・松 - たいまつ。「たいまつ」は漢字で松明(たいまつ)と書く。本文の「松ども」の、「ども」は、複数を表す接尾語。つまり、いくつもの松明で周囲を照らしている状況に、本文の当場面は、なっている。本文で「家々より」とあるので、複数の家から、それそれの家の人が、たいまつを持ってきた状況なのだろう。 :・連歌の賭物 - 連歌の会の賞品。 *鑑賞・解釈など おそらく作者の気持ちでは、笑い話、と思ってるのだろう。 作者の兼好法師も、職業が同じく「法師」なので、作者は色々と思うところがあっただろう。 === 品詞分解 === == 亀山殿の御池に == === 一 === *大意 後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)が亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に大井川(おおいがわ)の水を引き入れようとして、地元の大井の住人に水車を造らせて、水車は組みあがったが、思うように回ってくれず、水を御池に組み入れることができない。 そこで、水車作りの名所である宇治から人を呼び寄せて、水車を作らせたところ、今度の水車は、思いどおりに回ってくれて、御池に川の水を汲み入れることができた。 何事につけても、その道の専門家は、貴重なものである。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(おほゐがは、オオイガワ)の水をまかせられんとて、大井の土民に'''仰せて'''(おほせて)、水車(みづぐるま)を造らせられけり。多くの銭(あし)を賜ひて(たまひて)、数日(すじつ)に営み出(い)だして、掛けたりけるに、おほかた廻(めぐ)らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、'''いたづらに'''立てりけり。さて、宇治(うぢ)の里人(さとびと)を召して、'''こしらへさせられければ'''、'''やすらかに'''結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み(くみ)入るること、'''めでたかりけり'''。 万(よろづ)に、その道を知れる者は、'''やんごとなき'''ものなり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (後嵯峨上皇は)亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(オオイガワ)の水を引き入れようとして、大井の住民にお'''命じになって'''、水車(みづぐるま)を造らせなさった。多くの銭をお与えになって、数日で造り上げて、(川に)掛けたが'''、まったく'''回らなかったので、あれこれと直したけれども、とうとう回らないで、(水車は)'''何の役にも立たずに'''立っていた。 そこで、(水車づくりの名所である)宇治(うぢ)の里の人をお呼びになって、(水車を)'''お造らせになると'''、'''容易に'''組み上げてさしあげた水車が、思いどおりに回って、水を汲み(くみ)入れる事が、'''みごとであった'''。 何事につけても、その(専門の)道に詳しい者は、'''貴重な'''ものである。 |} (第五一段) ---- *語句(重要) :・'''仰せて'''(おおせて) - お命じになって。「命じる」「言う」などの尊敬語に当たる。 :・'''おほかた''' - (下に打消の語を伴って、)全く(「まったく」)、全然の意味。 :・'''いたづらに''' - なんの役に立たずに。 「いたづらなり」=なんの役にも立たない、無駄だ、の意味。 :・'''こしらへさせられければ''' - 「させ」は'''使役'''の助動詞で、'''対象は里人'''。「られ」は'''尊敬'''の助動詞で、'''対象は上皇'''。・・・というふうに参考書などでは解釈されている。訳は、「おつくらせになると」などと訳すと良いだろう。 :・'''やすらかに''' - 容易に。やすやすと :・'''めでたかりけり''' - 見事であった。 「めでたし」=すばらしい、見事だ、の意味。 :・'''やんごとなし''' - 尊い。貴重だ。たいしたものだ。 *名言 :・万(よろづ)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。 ::この格言は、けっこう有名な格言なので、そのまま当文章および訳を覚えてしまっても良い。訳は「何事につけても、その(専門の)道に詳しい者は、貴重なものである。」などと訳す。 *語注 :・亀山殿(かめやまどの) - 現在の京都市右京区にある天龍寺。 :・大井川(おおいがわ) - 京都の嵐山の麓(ふもと)を流れる川。 :・まかせられん - お引き入れになさろう。 :・土民 - 土地の住民。 :・宇治(うじ) - 現在の京都市宇治市および周辺のあたり。 :・やすらかに結びて - やすやすと組み立てて。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 高名の木登り == === 一 === *大意 木登りの名人が、他人を木に登らせるとき、登っているときには注意しないで、下りてきてから気をつけるように注意していた。筆者の兼好法師が、わけを尋ねたところ、「人間は、自分が危険な高い場所にいる時には、本人も用心するので、私は注意しないのです。ですが、降りるときは安心してしまうので、用心しなくなってしまいがちなので、用心させるように注意するのです。失敗は、むしろ安全そうな時にこそ、起こりやすいのです。」と言うようなことを言った。 木登り名人の意見は、身分の低い者の意見だが、聖人の教えにも匹敵するような、立派な教訓であろう。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 高名(かうみやう)の木登りと言ひし男、人を掟てて(おきてて)、高き木に'''登せて'''梢(こずゑ)を切らせしに、'''いと'''危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「'''かばかり'''になりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ち(あやまち)は、安き(やすき)ところになりて、必ず'''仕まつる(つかまつる)'''ことに候ふ。」 と言ふ。 '''あやしき'''下臈(げらふ)なれども、聖人(せいじん)の戒めに'''かなへり'''。鞠(まり)も、難きところを蹴(け)いだしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。    |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 有名な木登り(の名人だ、)と(世間が)言う男が、人を指図して、高い木に登らせて梢を切らせる時に、とても危険に見えるときには(注意を)言わないで、下りようとする時に、軒の高さほどになってから、「失敗をするな。注意して降りろ。」と言葉をかけましたので、(私は不思議に思って、わけを尋ねたました。そして私は言った。)「'''これくらい'''になっては、飛び降りても下りられるだろう。どうして、このように言うのか。」と申しましたところ、(木登りの名人は答えた、)「そのことでございます(か)。(高い所で)目がくらくらして、枝が危ないくらいの(高さの)時は、本人(=登ってる人)が怖い(こわい)と思い(用心し)ますので、(注意を)申しません。過ちは安心できそうなところになって(こそ)、きっと、いたすものでございます。」と言う。 (木登り名人の意見は、)'''身分の低い'''者の意見だが、聖人の教えにも匹敵する。蹴鞠(けまり)も、難しいところを蹴り出した後、安心だと思うと、必ず地面に落ちると(いう教えが)あるようです。 |} (第一〇九段) ---- *語句(重要) :・'''いと''' - とても。 :・あやしき - 本文では「身分が低い」の意味。  「あやし」の意味はいくつかあり、1:不思議だ。 、2:みっともない。 3:身分が低い。  本文では3。 :・'''仕まつる(つかまつる)''' - 動詞「す」「行ふ」などの謙譲語。   :・かなへり - 匹敵する。 :・ - 。 *語注 :・掟てて(おきてて) - 指図して。 :・下臈(げろう) - 身分の低い者。本来、「臈」とは、僧の、修行を積んだ年数のこと。仏道では、修行の年数の低い者を「下臈」と呼んでいた。いっぽう、修行を多く積んだ者は「上臈」と言う。 :・鞠(まり) - 蹴鞠(けまり)のこと。蹴鞠とは、貴族の遊戯の一つで、革靴をはいた数人の者たちが鞠を蹴り上げあって、地面に落とさないように、何度も数人で蹴り上げ続ける遊び。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 丹波に出雲といふ所あり == === 一 === *読解上の注意 :・ 本策の主人公は、聖海上人(しょうかいしょうにん)。本作では、他人から参拝に誘われて、京都の神社へ参拝する。 :・ 参拝に誘った人物は「'''しだのなにがし'''」である。聖海上人が誘ったの'''ではない'''。 :・ 参拝した先は京都(=丹波)にある神社。この京都の神社は、兵庫県の出雲大社に関係がある神社。聖海上人たちは、出雲大社には参拝'''していない'''。島根県に出雲大社がある。 *予備知識 京都の丹波にある神社は、出雲大社から神霊を分けてもらっている。つまり、複数の神社で、同じ神がまつられている。 出雲大社の主神は大国主(オオクニヌシ)。 ---- *大意 丹波の国にある出雲神社を、聖海上人(しょうかいしょうにん)が大勢の人たちといっしょに参拝した。 社殿の前にある像の、狛犬(こまいぬ)の像と獅子(しし)の像とが背中合わせになっているのを見て、聖海上人は早合点をして、きっと深い理由があるのだろうと思い込み、しまいには上人は感動のあまり、上人は涙まで流し始めた。 そして、出雲大社の神官に像の向きの理由を尋ねたところ、子供のいたずらだと言われ、神官は像の向きを元通りに直してた。 上人の涙は無駄になってしまった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 丹波に出雲といふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、'''めでたく'''造れり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋のころ、聖海上人(しやうかいしやうにん)、その他も人あまた誘ひて、「いざ給へ(たまへ)、出雲拝みに。掻餅(かいもちひ)召させん。」とて具しもて行きたるに、おのおの拝みて、'''ゆゆしく'''信おこしたり。 御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あな'''めでたや'''。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん。」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下(むげ)なり。」と言へば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん。」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、'''おとなし'''く、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、さだめて習ひある事に侍らん。ちと承ら'''ばや'''。」と言はれければ、「そのことに候ふ(さふらふ)。'''さがなき'''童(わらはべ)どもの'''仕り(つかまつり)ける'''、奇怪に候うことなり。」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往に(いに)ければ、上人の感涙'''いたづらに'''なりにけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 丹波の国に出雲という所がある。出雲大社(の神霊)を移して、'''立派に'''造ってある。しだの何とかと言う人の治めている所なので、秋の頃に、(しだの何とかが誘って)聖海上人や、その他の人たちも大勢誘って、「さあ、行きましょう。出雲の神社を参拝に。ぼた餅をごちそうしましょう。」と言って(一行を)連れて行って、皆がそれぞれ拝んで、たいそう信仰心を起こした。 社殿の御前にある獅子と狛犬が、背中合わせに向いていて、後ろ向きに立っていたので、上人は(早合点して)とても感動して、「ああ、すばらしい。この獅子の立ち方は、とても珍しい。(きっと)深い理由があるのだろう。」と涙ぐんで、 「なんと、皆さん。この素晴らしいことをご覧になって、気にならないのですか。(そうだとしたら)ひどすぎます。」と言ったので、皆もそれぞれ不思議がって、「本当に他とは違っているなあ。都への土産話として話そう。」などと言い、上人は、さらに(いわれを)知りたがって、'''年配で'''物をわきまえていそうな顔をしている神官を呼んで、(上人は尋ね)「この神社の獅子の立てられ方、きっといわれのある事なのでしょう。ちょっと承り'''たい'''。(=お聞きしたい)」と言いなさったので、(神官は)「そのことでございすか。'''いたずらな'''子供たちの'''したこと'''です、けしからぬことです。」と言って、(像に)近寄って置き直して、行ってしまったので、上人の感涙は'''無駄に'''なってしまった。 |} (第二三六段) ---- *語句(重要) :・'''あな''' めでたや - 「あな」は感動したときの言葉。「ああ」。 :・'''めでたく''' - すばらしい。立派だ。 :・'''ゆゆしく''' - 多くの意味があるが、ここでの意味は「程度が甚だしい(はなはだしい)」。 :・'''おとなし''' - 大人らしい。 :・殿ばら - 皆様方。「ばら」は複数を表す。 :・無下なり - ひどい。 :・あやしむ - 不思議がる。 :・'''ゆかしがりて''' - 知りたがって。見たがって。聞きたがって。 語源は「行かしがりて」が転じたと考えられている。 :・さだめて - きっと。 :・'''ばや''' - 願望を表す終助詞。 「承らばや」 = 承りたい・お伺いしたい、 などと訳す。 :・'''さがなき''' - 性格が悪い。いたずら好き。 :・'''仕り(つかまつり)ける''' - ここでの古語「仕る」(つかまつる)の意味は、現代の「する」の謙譲語。ここでの意味とは違うが、「お仕えする」と言う謙譲語の意味も、古語「仕る」にはある。 :・'''いたづらに''' - 無駄に。 :・ - 。 [[File:Dazaifu Tenmangu 06.jpg|thumb|狛犬。(福岡県、太宰府天満宮)]] *語注 :・丹波に出雲といふ所 - 現代でいう京都府 亀岡市 千歳(ちとせ)町。ここには出雲大社は'''無い'''。 :・大社 - 出雲大社。現代でいう島根県にある。 :・掻餅(かいもちひ) - ぼたもち。おはぎ。 :・つと - みやげ。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 九月二十日のころ == === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 九月二十日のころ、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入りたまひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひ、しめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。 よきほどにて出でたまひぬれど、なほ、事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 第二グループ == === これも仁和寺の法師 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔ひて(ゑひて)興に入るあまり、傍らなる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。 しばしかなでて後(のち)、抜かんとするに、おほかた抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり欠けて、血垂り、ただ腫れ(はれ)に腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三つ足なる角(つの)の上に帷子(かたびら)をうちかけて、手を引き杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり率て行きける道すがら、人のあやしみ見ること限りなし。 医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。ものを言ふも、くぐもり声に響きて聞こえず。「かかることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし。」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんともおぼえず。 かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引きたまへ。」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・仁和寺 - 。 :・ - 。 :・足鼎 - 。 :・帷子 - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 静かに思へば === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞ、せん方(かた)なき。 人静まりて後(のち)、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなる ぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変はらず久しき、いとかなし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === ある人、弓射ることを習ふに === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 友とするにわろきもの === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 神無月のころ === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 名を聞くより === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 雪のおもしろう降りたりし朝 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 今日はそのことをなさんと思へど === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 == つれづれなるままに == *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-02-05T08:13:13Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
19,603
高等学校国語総合/十訓抄
小式部内侍(こしきぶのないし)は女性貴族で、歌人。 小式部内侍の母親は、和泉式部(いずみしきぶ)。和泉式部は、この時代のとても有名な歌人。 この作品で描かれる場面まで、小式部内侍は代作を疑われていた。母親の和泉式部に和歌を作ってもらっているのでは、と疑われていた。 その疑惑のことで、定頼中納言(さだよりのちゅうなごん)にからかわれたので、小式部内侍は即興で和歌を作った。 その和歌が、 である。 大江山とか「いくの」(生野)は、母親のいる丹後の国に関わる地名。 「大江山・・・」の和歌を詠んだ人物は小式部内侍(こしきぶのないし)である。本作品には歌人が多く出てくるので、読者は間違えないようにしよう。 さて、和歌を詠まれた相手は、べつの和歌を読んで返歌するのが礼儀だった。 しかし定頼は返歌できなかった。急に小式部内侍に和歌を読まれたことと、和歌があまりにも見事だったからであろう。定頼も歌人なので、歌人ともあろうものが、返歌を出来なかったのである。しかも、先に相手をからっかたのは、そもそも定頼のほうである。 そして返歌できなかった定頼は、その場から、あわてて立ち去るはめになった。 この話は、『十訓抄』(じっきんしょう)の「人倫を侮るべからず」(じんりんをあなどるべからず、意味:人を、あなどってはいけない。)の節に書かれている逸話。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "小式部内侍(こしきぶのないし)は女性貴族で、歌人。 小式部内侍の母親は、和泉式部(いずみしきぶ)。和泉式部は、この時代のとても有名な歌人。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この作品で描かれる場面まで、小式部内侍は代作を疑われていた。母親の和泉式部に和歌を作ってもらっているのでは、と疑われていた。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "その疑惑のことで、定頼中納言(さだよりのちゅうなごん)にからかわれたので、小式部内侍は即興で和歌を作った。 その和歌が、", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "である。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "大江山とか「いくの」(生野)は、母親のいる丹後の国に関わる地名。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「大江山・・・」の和歌を詠んだ人物は小式部内侍(こしきぶのないし)である。本作品には歌人が多く出てくるので、読者は間違えないようにしよう。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "さて、和歌を詠まれた相手は、べつの和歌を読んで返歌するのが礼儀だった。 しかし定頼は返歌できなかった。急に小式部内侍に和歌を読まれたことと、和歌があまりにも見事だったからであろう。定頼も歌人なので、歌人ともあろうものが、返歌を出来なかったのである。しかも、先に相手をからっかたのは、そもそも定頼のほうである。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "そして返歌できなかった定頼は、その場から、あわてて立ち去るはめになった。", "title": "大江山" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この話は、『十訓抄』(じっきんしょう)の「人倫を侮るべからず」(じんりんをあなどるべからず、意味:人を、あなどってはいけない。)の節に書かれている逸話。", "title": "大江山" } ]
null
== 大江山 == === 予備知識 === '''小式部内侍'''(こしきぶのないし)は女性貴族で、歌人。 小式部内侍の母親は、'''和泉式部'''(いずみしきぶ)。和泉式部は、この時代のとても有名な歌人。 この作品で描かれる場面まで、小式部内侍は代作を疑われていた。母親の和泉式部に和歌を作ってもらっているのでは、と疑われていた。 その疑惑のことで、定頼中納言(さだよりのちゅうなごん)にからかわれたので、小式部内侍は即興で和歌を作った。 その和歌が、 :・ '''大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立''' である。 大江山とか「いくの」(生野)は、母親のいる丹後の国に関わる地名。 「大江山・・・」の和歌を詠んだ人物は'''小式部内侍'''(こしきぶのないし)である。本作品には歌人が多く出てくるので、読者は間違えないようにしよう。 さて、和歌を詠まれた相手は、べつの和歌を読んで返歌するのが礼儀だった。 しかし定頼は返歌できなかった。急に小式部内侍に和歌を読まれたことと、和歌があまりにも見事だったからであろう。定頼も歌人なので、歌人ともあろうものが、返歌を出来なかったのである。しかも、先に相手をからっかたのは、そもそも定頼のほうである。 そして返歌できなかった定頼は、その場から、あわてて立ち去るはめになった。 この話は、『十訓抄』(じっきんしょう)の「人倫を侮るべからず」(じんりんをあなどるべからず、意味:'''人を、あなどってはいけない。''')の節に書かれている逸話。 ---- === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 和泉式部(いづみしきぶ)、保昌(やすまさ)が妻(め)にて、丹後(たんご)に下りけるほどに、京に歌合(うたあはせ)ありけるに、小式部内侍(こしきぶのないし)、歌詠みにとられて、歌を詠みけるに、定頼中納言(さだよりのちゆうなごん)戯れて(たはぶれて)、小式部内侍、局にありけるに、「丹後へ'''遣はし'''ける人は参りたりや。いかに'''心もとなく''' '''思す'''(おぼす)らむ。」と言ひて、'''局(つぼね)'''の前を過ぎられけるを、御簾(みす)より半ら(なから)ばかり出でて、わづかに直衣(なほし)の袖を控へて    : 大江山'''いくの'''の道の遠ければまだ'''ふみ'''もみず天の橋立 と詠みかけけり。思はずに'''あさまし'''くて、「こはいかに、'''かかる'''やうやはある。」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。 小式部、これより、歌詠みの世に'''おぼえ'''出で来にけり。 これはうちまかせて理運のことなれども、かの卿(きやう)の心には、これほどの歌、'''ただいま'''詠み出だすべしとは、知らざりけるにや。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (小式部内侍の母の)和泉式部が、(藤原)保昌の妻として、丹後の国に下っていたころ、京で歌合せがあったが、小式部内侍が(歌合せの)詠み手に選ばれて、(和歌を)詠んだのだが、定頼中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いたときに、「(母君のいる)丹後へ出した'''使い'''の者は、帰ってまいりましたか。どんなにか'''待ち遠しく'''お思いでしょう。」と言って、局の前を通り過ぎなさるのを、(小式部内侍が)御簾から半分ほど(身を)乗り出して、少しだけ(中納言の)直衣の袖を引っ張って、(小式部は和歌を読み、) :(小式部の和歌:) 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 :(意味:) 大江山を越えて、生野を通って行く道のりが遠いので、まだ天の橋立を踏んだこともありませんし、(母からの)文(=手紙)も見ていません。 と詠んだ。 (定頼中納言は)思いがけなかったのか、'''驚いて'''、「これはどうしたことだ。'''こんな'''ことがあろうか。(ありえないほどに素晴らしい和歌である。)」と言って、返歌もできずに、(引っ張られていた)袖を引き払って、お逃げになった。 小式部は、この時から、歌人の世界での'''評判'''が上がった。(※別訳あり: 歌人としての評判が世間で上がった。) これは、普通の、理にかなったことなのだが、あの(中納言)卿の心には、(小式部が)これほどの歌を'''とっさに'''読み出すことができるとは、思ってもいらっしゃらなかったのだろうか。 |} ---- *語句(重要) :・'''心もとなく''' - 待ち遠しい。 :・思す(おぼす) - 「思ふ」の尊敬語。お思いになる。 :・'''局(つぼね)''' - 女官や女房のいる部屋。 :・'''いくの''' - 「'''行く'''」と「生野」(いくの)との掛詞。 :・'''ふみ''' - 「'''踏み'''」と「文」との掛詞。「文」は手紙のこと。 :・'''あさまし''' - 驚いて。 :・かかる - このような。 :・'''おぼえ''' - 評判。名声。「おぼえいでにけり」の訳は「評判が上がった」とか「名声が広がった」などと訳す。 :・うちまかせて - 普通の。 :・'''ただいま''' - すぐに。とっさに。 :・ - 。 *語注 [[File:Amanohashidate view from Mt Moju02s3s4592.jpg|thumb|300px|「天の橋立」の、近年のようす。]] :・和泉式部(いずみしきぶ) - 平安時代の女性歌人。橘道貞(たちばなのみちさだ)の妻。小式部内侍の母親。 :・保昌(やすまさ) - 藤原保昌。和泉式部と結婚した。 :・丹後(たんご) - 京都府の地域の一つ。 :・歌合(うたあわせ) - 複数人の歌人の歌を優劣を競わせるために、歌人を二組に分けて、歌を詠ませて優劣を判定する催し(もよおし)。 :・小式部内侍(こしきぶのないし) - 平安時代の歌人。和泉式部の娘。 :・定頼中納言(さだよりのちゅうなごん) - 藤原定頼(ふじわらのさだより)。定頼も、'''歌人'''。藤原公任(きんとう)の子。 :・直衣(のうし) - 男性貴族の平服。 :・大江山 - 京都市北部にある山。宮中から見て、丹後に向かう道すじに当たってる。 :・いくの - 現在の京都市 福知山(ふくちやま)市 生野(いくの)。 :・天の橋立 - 京都市北部にある砂州。景勝地になっている。日本三景の一つ :・ - 。 === 品詞分解 === [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-02-05T08:12:29Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%8D%81%E8%A8%93%E6%8A%84
19,606
高等学校国語総合/枕草子
中宮定子(ちゅうぐうていし)は、清少納言(せいしょうなごん)の知識を試そうとして、雪の日に、白居易(はくきょい)の詩を引用して、「香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるか。」と問いかけた。清少納言は白居易の詩句のとおりに、簾(すだれ)を高く巻き上げて、中宮を満足させた。 中宮定子は、女性。藤原 定子(ふじわら の ていし)。清少納言は、中宮定子に仕えていた。 (第二八〇段) 品詞分解 雪(名詞)の(格助詞)いと(副詞)高う(形容詞・ク活用・連用形のウ音便)降り(ラ行四段活用・連用形)たる(存続の助動詞・連用形)を(接続助詞)、例(名詞)なら(断定の助動詞・未然形)ず(打消の助動詞・連用形)御格子(名詞)まゐり(ラ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、炭びつ(名詞)に(格助詞)火(名詞)おこし(サ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、物語(名詞)など(副助詞)し(サ行変格活用・連用形)て(接続助詞)集まり(ラ行四段活用・連用形)さぶらう(ハ行四段活用・連体形)に(接続助詞)、「少納言(名詞)よ(終助詞)。香炉峰(名詞)の(格助詞)雪(名詞)いかなら(形容動詞「いかなり」の未然形)む(推量の助動詞「む」の終止形)。」と(格助詞)仰せ(サ行下二段活用・未然形)らるれ(尊敬の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、御格子(名詞)上げ(ガ行下二段活用・未然形)させ(使役の助動詞・連用形)て(接続助詞)、御簾(名詞)を(格助詞)高く(形容詞・ク活用・連用形)上げ(ガ行下二段活用・連用形)たれ(完了の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、笑は(ハ行四段活用・未然形)せ(尊敬の助動詞・連用形)たまふ(尊敬の補助動詞・ハ行四段活用・終止形)。 人々(名詞)も(係助詞)「さる(ラ行変格活用・連体形―連体詞)こと(名詞)は(係助詞)知り(ラ行四段活用・連用形)、歌(名詞)など(副助詞)に(格助詞)さへ(副助詞)歌へ(ハ行四段活用・已然形)ど(接続助詞)、思ひ(ハ行四段活用・連用形)こそ(係助詞)よら(ラ行四段活用・未然形)ざり(打消の助動詞・連用形)つれ(完了の助動詞・已然形)。なほ(副詞)、こ(代名詞)の(格助詞)宮(名詞)の(格助詞)人(名詞)に(格助詞)は(係助詞)、さ(副詞またはラ行変格活用「さり」の連体形「さる」の撥音便無表記)べき(当然または適当の助動詞「べし」の連体形)な(断定の助動詞「なり」の連体形の撥音便無表記)めり(推定の助動詞・終止形)。」と(格助詞)言ふ(ハ行四段活用・終止形)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中宮定子(ちゅうぐうていし)は、清少納言(せいしょうなごん)の知識を試そうとして、雪の日に、白居易(はくきょい)の詩を引用して、「香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるか。」と問いかけた。清少納言は白居易の詩句のとおりに、簾(すだれ)を高く巻き上げて、中宮を満足させた。", "title": "雪のいと高う降りたるを" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "中宮定子は、女性。藤原 定子(ふじわら の ていし)。清少納言は、中宮定子に仕えていた。", "title": "雪のいと高う降りたるを" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(第二八〇段)", "title": "雪のいと高う降りたるを" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "品詞分解 雪(名詞)の(格助詞)いと(副詞)高う(形容詞・ク活用・連用形のウ音便)降り(ラ行四段活用・連用形)たる(存続の助動詞・連用形)を(接続助詞)、例(名詞)なら(断定の助動詞・未然形)ず(打消の助動詞・連用形)御格子(名詞)まゐり(ラ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、炭びつ(名詞)に(格助詞)火(名詞)おこし(サ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、物語(名詞)など(副助詞)し(サ行変格活用・連用形)て(接続助詞)集まり(ラ行四段活用・連用形)さぶらう(ハ行四段活用・連体形)に(接続助詞)、「少納言(名詞)よ(終助詞)。香炉峰(名詞)の(格助詞)雪(名詞)いかなら(形容動詞「いかなり」の未然形)む(推量の助動詞「む」の終止形)。」と(格助詞)仰せ(サ行下二段活用・未然形)らるれ(尊敬の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、御格子(名詞)上げ(ガ行下二段活用・未然形)させ(使役の助動詞・連用形)て(接続助詞)、御簾(名詞)を(格助詞)高く(形容詞・ク活用・連用形)上げ(ガ行下二段活用・連用形)たれ(完了の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、笑は(ハ行四段活用・未然形)せ(尊敬の助動詞・連用形)たまふ(尊敬の補助動詞・ハ行四段活用・終止形)。 人々(名詞)も(係助詞)「さる(ラ行変格活用・連体形―連体詞)こと(名詞)は(係助詞)知り(ラ行四段活用・連用形)、歌(名詞)など(副助詞)に(格助詞)さへ(副助詞)歌へ(ハ行四段活用・已然形)ど(接続助詞)、思ひ(ハ行四段活用・連用形)こそ(係助詞)よら(ラ行四段活用・未然形)ざり(打消の助動詞・連用形)つれ(完了の助動詞・已然形)。なほ(副詞)、こ(代名詞)の(格助詞)宮(名詞)の(格助詞)人(名詞)に(格助詞)は(係助詞)、さ(副詞またはラ行変格活用「さり」の連体形「さる」の撥音便無表記)べき(当然または適当の助動詞「べし」の連体形)な(断定の助動詞「なり」の連体形の撥音便無表記)めり(推定の助動詞・終止形)。」と(格助詞)言ふ(ハ行四段活用・終止形)。", "title": "雪のいと高う降りたるを" } ]
null
== 雪のいと高う降りたるを == === 一 === *要旨 中宮定子(ちゅうぐうていし)は、清少納言(せいしょうなごん)の知識を試そうとして、雪の日に、'''白居易'''(はくきょい)の詩を引用して、「香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるか。」と問いかけた。清少納言は白居易の詩句のとおりに、簾(すだれ)を高く巻き上げて、中宮を満足させた。 *備考 中宮定子は、女性。藤原 定子(ふじわら の ていし)。清少納言は、中宮定子に仕えていた。 *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 雪のいと高う降りたるを例ならず御格子(みかうし)まゐりて(参りて)、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらうに、「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「'''さること'''は知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、'''この官の人'''には'''さべきなめり'''。」と言ふ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 雪がたいそう高く降り積もっているのに、いつもと違って、御格子(みこうし)をお下ろしして、角火鉢に火を起こして、(私たち女房が)話をしながら、(中宮様のもとに)集まりお使えしていると、(中宮様が私に呼びかけ、)「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるかね。」とおっしゃるので、御格子を(ほかの女房に)上げさせて、御簾(みす)を高く(巻き)上げたところ、(中宮様は満足して)お笑いになる (他の女房の言うには)「(私たちも)そのようなこと(='''白居易の詩のこと''')は知っており、歌などにまでも詠むけれど、(とっさには)思いつきませんでしたよ。(あなたは)やはり、'''中宮様'''にお仕えする人として、'''ふさわしいようだ'''。」と言う。 |} (第二八〇段) ---- *語句(重要) :・'''さべき''' - ふさわしい。「さべき」は「さるべき」の変化。 :・'''さべきなめり''' - ふさわしいようだ。「めり」は'''推量'''の助動詞「めり」の終止形。「なめり」は「なるめり」の撥音便。 :・ - 。 *読解 :・'''さること''' - 白居易の詩句「香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥げて(かかげて)看る(みる)。」のこと。 :・'''この官の人''' - '''中宮定子'''のこと。 なお、「宮」の文字通りの意味では、古語でも宮殿の意味がある。 *語注 :・炭櫃(すびつ) - いろり。四角い火鉢。 :・香炉峰(こうろほう)の雪 - 白居易の詩『白氏文集』に「香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥げて(かかげて)看る(みる)。」とある。{{Main|高等学校古文/漢詩/香炉峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁}} :・ - 。 === 品詞分解 === 品詞分解 雪(名詞)の(格助詞)いと(副詞)高う(形容詞・ク活用・連用形のウ音便)降り(ラ行四段活用・連用形)たる(存続の助動詞・連用形)を(接続助詞)、例(名詞)なら(断定の助動詞・未然形)ず(打消の助動詞・連用形)御格子(名詞)まゐり(ラ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、炭びつ(名詞)に(格助詞)火(名詞)おこし(サ行四段活用・連用形)て(接続助詞)、物語(名詞)など(副助詞)し(サ行変格活用・連用形)て(接続助詞)集まり(ラ行四段活用・連用形)さぶらう(ハ行四段活用・連体形)に(接続助詞)、「少納言(名詞)よ(終助詞)。香炉峰(名詞)の(格助詞)雪(名詞)いかなら(形容動詞「いかなり」の未然形)む(推量の助動詞「む」の終止形)。」と(格助詞)仰せ(サ行下二段活用・未然形)らるれ(尊敬の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、御格子(名詞)上げ(ガ行下二段活用・未然形)させ(使役の助動詞・連用形)て(接続助詞)、御簾(名詞)を(格助詞)高く(形容詞・ク活用・連用形)上げ(ガ行下二段活用・連用形)たれ(完了の助動詞・已然形)ば(接続助詞)、笑は(ハ行四段活用・未然形)せ(尊敬の助動詞・連用形)たまふ(尊敬の補助動詞・ハ行四段活用・終止形)。 人々(名詞)も(係助詞)「さる(ラ行変格活用・連体形―連体詞)こと(名詞)は(係助詞)知り(ラ行四段活用・連用形)、歌(名詞)など(副助詞)に(格助詞)さへ(副助詞)歌へ(ハ行四段活用・已然形)ど(接続助詞)、思ひ(ハ行四段活用・連用形)こそ(係助詞)よら(ラ行四段活用・未然形)ざり(打消の助動詞・連用形)つれ(完了の助動詞・已然形)。なほ(副詞)、こ(代名詞)の(格助詞)宮(名詞)の(格助詞)人(名詞)に(格助詞)は(係助詞)、さ(副詞またはラ行変格活用「さり」の連体形「さる」の撥音便無表記)べき(当然または適当の助動詞「べし」の連体形)な(断定の助動詞「なり」の連体形の撥音便無表記)めり(推定の助動詞・終止形)。」と(格助詞)言ふ(ハ行四段活用・終止形)。 [[カテゴリ:枕草子]]
null
2023-02-02T17:08:14Z
[ "テンプレート:Main" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90
19,620
高等学校古典B/玉勝間
『玉勝間』(たまかつま) 著者は本居宣長(もとおり のりなが)。宣長は江戸時代の国学者(こくがくしゃ)である。 本文中の「師」とは、賀茂真淵(かもの まぶち)のこと。賀茂真淵も国学者である。賀茂真淵は、本居宣長の国学の師匠であった。 もし学問で師の説が間違っていたら、間違いを指摘することが正しい態度だろう。わが師匠・賀茂 真淵(かもの まぶち)の教えでも、もし師の教えに間違いがあれば指摘するようにと、私・本居宣長(もとおり のりなが)は習った。 そもそも学問とは、けっして一人の仕事だけで完成するものではなく、先人たちの研究をもとにして、もし学説に間違いがあれば修正していくことで、少しずつ学問は改良されて正しくなっていくものである。 師の教えをそのまま鵜呑みにする態度は、一見すると師匠に忠義を尽くしている態度のように思えるが、じつは学問をないがしろにしている態度であり、よくない態度だろう。 世間の人の中には、師匠の学説を批判することもありうる考え方を、師匠への不忠義の態度だとして、批判するかもしれない。だから私も非難されるかもしれない。それならば、どうぞ私を非難するが良かろう。たとえ他者から非難されようが、私は学問をねじまげる態度なんて取りたくない。 「わろし」 : おおもとの意味は「よくない」(桐原単語集でも三省堂単語集でも共通)。派生的に、単語集によっては三省堂は「適当でない」、「貧しい」とあり、桐原は「下品だ」「体裁が悪い」とある。 ※ 単語集によって意味が異なる部分は、暗記しなくていいだろう。 古語の「あし」が、本質的に状態の悪い事を言うのに対し、一方、「わろし」は状態のよくないという消極的な意味合いである。 (生没:一七三〇~一八〇一) 江戸時代の国学者の一人。出生地は伊勢(いせ)の国、松坂(今の三重県松坂市)に生まれる。京都で学び、契沖(けいちゅう)や荻生徂徠(おぎゅう そらい)の学説に影響を受ける。賀茂真淵の弟子になった。本居宣長の著書に『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』などのほか、多くの著作がある。 本居宣長の随筆集。全十四巻。(数え方によっては全十五巻。)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『玉勝間』(たまかつま)", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "著者は本居宣長(もとおり のりなが)。宣長は江戸時代の国学者(こくがくしゃ)である。 本文中の「師」とは、賀茂真淵(かもの まぶち)のこと。賀茂真淵も国学者である。賀茂真淵は、本居宣長の国学の師匠であった。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "もし学問で師の説が間違っていたら、間違いを指摘することが正しい態度だろう。わが師匠・賀茂 真淵(かもの まぶち)の教えでも、もし師の教えに間違いがあれば指摘するようにと、私・本居宣長(もとおり のりなが)は習った。 そもそも学問とは、けっして一人の仕事だけで完成するものではなく、先人たちの研究をもとにして、もし学説に間違いがあれば修正していくことで、少しずつ学問は改良されて正しくなっていくものである。", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "師の教えをそのまま鵜呑みにする態度は、一見すると師匠に忠義を尽くしている態度のように思えるが、じつは学問をないがしろにしている態度であり、よくない態度だろう。", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "世間の人の中には、師匠の学説を批判することもありうる考え方を、師匠への不忠義の態度だとして、批判するかもしれない。だから私も非難されるかもしれない。それならば、どうぞ私を非難するが良かろう。たとえ他者から非難されようが、私は学問をねじまげる態度なんて取りたくない。", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「わろし」 : おおもとの意味は「よくない」(桐原単語集でも三省堂単語集でも共通)。派生的に、単語集によっては三省堂は「適当でない」、「貧しい」とあり、桐原は「下品だ」「体裁が悪い」とある。 ※ 単語集によって意味が異なる部分は、暗記しなくていいだろう。", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "古語の「あし」が、本質的に状態の悪い事を言うのに対し、一方、「わろし」は状態のよくないという消極的な意味合いである。", "title": "師の説になづまざること" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(生没:一七三〇~一八〇一) 江戸時代の国学者の一人。出生地は伊勢(いせ)の国、松坂(今の三重県松坂市)に生まれる。京都で学び、契沖(けいちゅう)や荻生徂徠(おぎゅう そらい)の学説に影響を受ける。賀茂真淵の弟子になった。本居宣長の著書に『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』などのほか、多くの著作がある。", "title": "著者について" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "本居宣長の随筆集。全十四巻。(数え方によっては全十五巻。)", "title": "著者について" } ]
『玉勝間』(たまかつま) 予備知識 著者は本居宣長。宣長は江戸時代の国学者(こくがくしゃ)である。 本文中の「師」とは、賀茂真淵のこと。賀茂真淵も国学者である。賀茂真淵は、本居宣長の国学の師匠であった。
『玉勝間』(たまかつま) * 予備知識 著者は'''本居宣長(もとおり のりなが)'''。宣長は江戸時代の'''国学'''者(こくがくしゃ)である。 本文中の「師」とは、'''賀茂真淵(かもの まぶち)'''のこと。賀茂真淵も国学者である。賀茂真淵は、本居宣長の国学の師匠であった。 == 師の説になづまざること == * 大意 もし学問で師の説が間違っていたら、間違いを指摘することが正しい態度だろう。わが師匠・賀茂 真淵(かもの まぶち)の教えでも、もし師の教えに間違いがあれば指摘するようにと、私・本居宣長(もとおり のりなが)は習った。 そもそも学問とは、けっして一人の仕事だけで完成するものではなく、先人たちの研究をもとにして、もし学説に間違いがあれば修正していくことで、少しずつ学問は改良されて正しくなっていくものである。 師の教えをそのまま鵜呑みにする態度は、一見すると師匠に忠義を尽くしている態度のように思えるが、じつは学問をないがしろにしている態度であり、よくない態度だろう。 世間の人の中には、師匠の学説を批判することもありうる考え方を、師匠への不忠義の態度だとして、批判するかもしれない。だから私も非難されるかもしれない。それならば、どうぞ私を非難するが良かろう。たとえ他者から非難されようが、私は学問をねじまげる態度なんて取りたくない。 === 一 === * 本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| おのれ古典(いにしへぶみ)を説くに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、いとあるまじきことと思ふ人多かんめれど、これすなはちわが師の心にて、常に教へられしは、 「後によき考えの出で来(いでき)たらむには、必ずしも師の説にたがふとて、'''なはばかりそ'''。」 となむ、教へられし。こはいと尊き教へにて、我が師の、'''世に'''優れたまへる一つなり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 私(=本居宣長)が古典を解釈するときに、師匠(賀茂真淵)の学説と違っていることが多く、師匠の学説のよくないところがあるのを、(私が)判断して言うことが多いのを、実にあってはならないことだと思う人が多いようだが、これ(=間違いの指摘)がつまり私の師匠の意向であって、いつも教えなさったことは、「(もし)後で、良い解釈が出てきた場合には、必ずしも師匠の学説と違うからといって、決して'''遠慮するな'''。」とお教えになった。これ(=マチガイがあれば指摘しろという教え)はとても尊い教えで、私の師匠がじつに優れていらっしゃる点の一つである。 |} ---- * 語句(重要) :・'''なはばかりそ''' - 遠慮するな。「な・・・そ」で禁止の構文。「な」は呼応の副詞で、「そ」は終助詞。構文「な・・・そ」で覚えたほうが良いだろう。 :・'''世に''' -実に。まことに。たいそう。とても。 ※ 「世の中に」ではないので、間違えないように。 :・ - 。 * 語注 :・師 - 賀茂真淵(かもの まぶち)。(生没:一六九七 ~ 一七六九。) 江戸中期の国学者の一人。著作に『万葉考』『歌意考』などがある。 :・ - 。 * 単語 「わろし」 : おおもとの意味は「よくない」(桐原単語集でも三省堂単語集でも共通)。派生的に、単語集によっては三省堂は「適当でない」、「貧しい」とあり、桐原は「下品だ」「体裁が悪い」とある。 ※ 単語集によって意味が異なる部分は、暗記しなくていいだろう。 古語の「あし」が、本質的に状態の悪い事を言うのに対し、一方、「わろし」は状態のよくないという消極的な意味合いである。 ---- === 二 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  '''おほかた'''(大方)、いにしへ(古)を考ふること、'''さらに'''一人二人の力もて、ことごとく明らめ(あきらめ)尽くすべくもあらず。また、よき人の説ならんからに、多くの中には、誤りも'''などか'''なからむ。必ずわろきことも'''混じらではえあらず'''。そのおのが心には、 「今はいにしへの心ことごとく明らかなり。これをおきては、あるべくもあらず。」 と、思ひ定めたることも、思ひのほかに、また人のことなるよき考への出で来るわざなり。あまたの手を経る(ふる)まにまに、先々の考えの上を、なほよく考へきはむるからに、次々に詳しくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとて、必ず'''なづみ'''守るべきにもあらず。よきあしきを言はず、'''ひたぶる'''に古きを守るは、学問の道には言ふかひなきわざなり。  また、おのが師などのわろきことを言ひ表すは、いとも'''かしこく'''はあれど、それも言はざれば、世の学者その説に惑ひて、長くよきを知る期(ご)なし。師の説なりとて、わろきを知りながら、言はず包み(つつみ)隠して、よさまに繕ひ(つくろひ)をらむは、ただ師のみを尊みて、道をば思はざるなり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| '''そもそも'''古代を研究すること(=国学)は、'''まったく'''一人や二人の力でもっては、すべては明らかにはし尽くすことが出来るなんて、ありえない。また、(たとえ)優れた人の学説であっても、多くの(学説の)中には、誤りも'''どうして'''無いだろうか。('''いや、あるだろう。''')けっして間違ってることが'''混じらないということは、ありえない'''。 その本人(=学説を提示した当人)の心からしてみれば、 「今は古代の精神が、すべて明らかである。これ(=私の学説)を除いては、あるはずもない。」 と、確信していることでも、思いがけずに、また他人の(自説とは)異なる良い考えが出てくるものである。多くの人の手を経るにつれて、以前の学説の上を、もっとよく考え究めていくから、次々に詳しくなってゆくしだいなので、師匠の説だからといって、必ずしも、'''こだわって'''守らなければならないものでは無い。良し悪しを言わず、'''ひたすら'''に古いものを守るのは、学問の道では話にならない(=言う価値が無いほどに、不要である)ことだ。  また、自分の師の(説の)良くないことを言い表す(=指摘、表明)ことは、とても'''恐れ多い'''ことではあるけれど、それ(='''おのが師などのわろきこと''')も言わなければ、世の学者はその(良くない)説に惑わされて、ずっと良い説を知る機会が無い。師の説だからといって、(説の)良くない事を知りながら、言わずにつつみ隠して、よいように取り繕っているのは、ただ師のみを尊敬して、(学問の)道を(大切に)思ってないのである。 |} ---- *語句(重要) :・'''おほかた'''(大方) - そもそも。だいたい。 :・'''さらに''' - まったく。けっして。 :・'''などか''' - どうして。 ここでは反語の意味。「などか」は疑問の副詞。 ※ 高校生用の参考書では品詞分解で諸説ある。「などか」で一つの副詞として考える場合と、「など」+係助詞「か」とで考える場合がある。 :・'''などかなからむ''' - どうして、ないだろうか(いや、あるはずだ)。 末尾「ん」は推量の助動詞「む」の'''連体形'''。 連体形になる理由の説は、いくつかある。 説1:副詞「などか」のように疑問や反語の副詞のばあい、文末は連体形で結ぶ、という説。 説2:「などか」は「など」+係助詞「か」という説。 <br />どちらの説にせよ、構文「などかなからむ」ごと覚えて、結びは連体形だ、と覚えたほうが早い。 :・'''混じらではえあらず''' - 混じらないということは、ありえない。打消「で」と打消「ず」とで、'''二重否定'''になっている。「混じらで」の'''「で」は打消の接続助詞'''。「ず」は打消の助動詞「ず」。「'''え・・・ず'''」のように、副詞「え」と打消「ず」などで'''不可能'''を表す。 :・'''なづみ'''守る - 「なづむ」とは、「こだわる」「執着する」の意味。 :・'''ひたぶる'''に - ひたすら。一途に。 :・いふかいなき - 「言ふ甲斐なき」。言っても仕方が無いほど、わるい。言う価値が無い。などの意味 :・'''かしこく''' - 恐れ多く。ここでの「かしこく」の原形「かしこし」を漢字にすれば「畏し」(かしこし)・「恐し」(かしこし)。 間違って「賢し」としないように。「賢し」だと文脈に合わない。 :・ - 。 *読解 :・'''それ'''も言はざれば - 「それ」の内容を文中から抜き出すと、「'''おのが師などのわろきこと'''」。 *語注 :・わきまへいふ - (訳)判断して言う。 「わきまへ」は判断・識別・判別などの意味 :・あるべくもあらず - (訳)あるはずがない。 :・よさま - 「よきさま」のこと。 :・期(ご) - 機会。期間。折。 === 三 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 宣長(のりなが)は、道を尊み、古ヘを思ひて、'''ひたぶるに'''道の明らかならん事を思ひ、古の意(こころ)のあきらかならんことをむね(旨)と思ふが故(ゆゑ)に、わたくしに師を尊むことわり(理)の欠けむ(かけむ)ことをば、'''えしも顧み(かへりみ)ざる'''ことあるを、なほわろしと、そしらむ人は'''そしりてよ'''。 そはせむかたなし。われは人にそしられじ、よき人にならむとて、道を曲げ、古(いにしへ)ヘの意をまげて、'''さてあるわざ'''は'''えせず'''なむ。これすなはちわが師の心なれば、かへりては師を尊むにもあるべくや。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (私・)宣長は、(学問の)道を尊重し、古代を思って、'''ひたすらに'''(学問の)道が明らかになる事を思って、古代の精神が明らかになる事を重要と思うがために、個人的に師を尊ぶ道理が欠けることを、どうしても顧みることが出来ないのを、やはりよくない、と非難する人は非難してくれ。それは(=私・宣長が非難されることは)どうしようもない。(いっぽう、)私は他人に非難されないようにしよう、よい人になろうと思って、(学問の)道を曲げ、古代の精神を曲げて、'''そのままでいること'''はできない。 これは、とりもなおさず、我が師(=賀茂真淵)の考えであるから、かえって師を尊重することになるはずだ。 |} ---- *語句(重要) :・'''えしも顧み(かへりみ)ざる''' - 「えしも・・・ず」(「ず」は打消し)の意味は、「どうして・・・できない」の意味。「えしも」の訳は「'''どうしても'''」などと訳す。不可能の構文「え・・・ず」と同様。「しも」は強意の副助詞。 :・'''そしりてよ''' - 非難してくれ。「そしる」とは非難。「てよ」は'''強意'''の助動詞「'''つ'''」の'''命令形'''。 :・'''さてあるわざ''' - そのままでいること。 :・えせず - 「・・・できない」。「え・・・ず」の構文。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 === 品詞分解 === == 著者について == *本居宣長(もとおり のりなが) (生没:一七三〇~一八〇一) 江戸時代の国学者の一人。出生地は伊勢(いせ)の国、松坂(今の三重県松坂市)に生まれる。京都で学び、契沖(けいちゅう)や荻生徂徠(おぎゅう そらい)の学説に影響を受ける。賀茂真淵の弟子になった。本居宣長の著書に『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』などのほか、多くの著作がある。 *玉勝間(たまかつま) 本居宣長の随筆集。全十四巻。(数え方によっては全十五巻。) [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:57:17Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E7%8E%89%E5%8B%9D%E9%96%93
19,621
高等学校古典B/更級日記
『更級日記』(さらしなにっき)は、菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)という平安時代の女性貴族の自伝および回想録。日記文学に分類される。 作者である菅原孝標女は、幼少のころは『源氏物語』の物語の世界にあこがれていた。十三歳になるまでの幼少時代を地方の上総(かずさ)で育ったので、当時は京を詳しく知らなかったこともあり、てっきり京の都は物語のような世界だと無邪気に勘違いしていた。そしてなにより、彼女は、てっきり自分も『源氏物語』のような恋物語に出てくる女性たちのように、高貴な貴族の男に熱心に愛される女性になれるだろうと勘違いしていた。しかし彼女は十三歳のときに家族と共に上京して、そして成長するにつれ、人生のつらい事や、たいへんな事も、色々と経験していき、物語の世界が現実とは違う事に気づかされてゆく。 作中では、大人になった彼女自身が幼少期の自分の勘違いを思い起こして、あきれている。そして彼女は、しだいに仏道への信仰に感心をよせていく。 彼女が『更級日記』を書いた頃、彼女は五十歳過ぎである。 東国のさらに奥地の上総の国で育った作者は、少女のころ、物語というものを知り、あこがれを抱いていく。だが、上総の地では、本を入手することが出来ない。読みたいという気持ちが、つのっていく。 作者は等身大の薬師仏を造り、本が読めるように拝んだりもした。 ついに自分が十三歳になる年に、父の上総での赴任が終わり、作者の家族および従者たちは上京することになった。上京にあたって、薬師仏も上総の家に置いてくことになった。作者は人知れず、つい泣いてしまった。 門出して一時しのぎに移った先は「いまたち」という。九月十五日、ついに京に向けての長旅に出る、本当の門出である。その日は雨が激しく、とても怖いと思った。 そして上総の国の「いかた」という所に泊まった。 そして翌日は、出発の遅れた人を待つ一日となった。 十七日の早朝、出発する。旅先の地で、「まのの長者」と言う人の伝説を聞き、その伝説に言われた川を渡る。私は心の中で歌をよんだ。「朽ちもせぬ この川柱 残らずは 昔の跡を いかで知らまし」という歌を。 上京した後の、その年(治安元年)の春、疫病が流行した。乳母は三月一日に亡くなった。以前の私の、物語を読みたいという気持ちも湧かなくなるほどであった。侍従の大納言の姫君も亡くなった。かつて、私が京に着いた時、手習いの見本として大納言から姫君の筆跡の書かれた手本をいただいた。その手本に書かれた歌を思い返すと、死別に関する歌もあった。筆跡もすばらしく、私はそれを見ては、いっそう涙がこみ上げてくるのであった。 叔母から源氏物語の全巻と、そのほかいくつかの物語の本をもらった。その時は、とてもわくわくした。 口惜し: 「残念だ」 ゆかし: 「見たい」、「知りたい」などの意味であり、文脈に応じて「聞きたい」「読みたい」などになる。『徒然草』52にも「参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん。ゆかしかりかれど」(参拝して山に登った人に何事かあったのか。知りたいと思ったけれど)という用例がある。 叔母からもらった物語の本を、私は熱心に読んだ。少女の頃の私は、自分も将来は、源氏物語の登場人物の女性たちのようになれるだろうと思っていた。とっくに大人になった今から見れば、少女時代の私は、じつに世間知らずであり、あきれ果てる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『更級日記』(さらしなにっき)は、菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)という平安時代の女性貴族の自伝および回想録。日記文学に分類される。 作者である菅原孝標女は、幼少のころは『源氏物語』の物語の世界にあこがれていた。十三歳になるまでの幼少時代を地方の上総(かずさ)で育ったので、当時は京を詳しく知らなかったこともあり、てっきり京の都は物語のような世界だと無邪気に勘違いしていた。そしてなにより、彼女は、てっきり自分も『源氏物語』のような恋物語に出てくる女性たちのように、高貴な貴族の男に熱心に愛される女性になれるだろうと勘違いしていた。しかし彼女は十三歳のときに家族と共に上京して、そして成長するにつれ、人生のつらい事や、たいへんな事も、色々と経験していき、物語の世界が現実とは違う事に気づかされてゆく。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "作中では、大人になった彼女自身が幼少期の自分の勘違いを思い起こして、あきれている。そして彼女は、しだいに仏道への信仰に感心をよせていく。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "彼女が『更級日記』を書いた頃、彼女は五十歳過ぎである。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "東国のさらに奥地の上総の国で育った作者は、少女のころ、物語というものを知り、あこがれを抱いていく。だが、上総の地では、本を入手することが出来ない。読みたいという気持ちが、つのっていく。 作者は等身大の薬師仏を造り、本が読めるように拝んだりもした。", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ついに自分が十三歳になる年に、父の上総での赴任が終わり、作者の家族および従者たちは上京することになった。上京にあたって、薬師仏も上総の家に置いてくことになった。作者は人知れず、つい泣いてしまった。", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "門出して一時しのぎに移った先は「いまたち」という。九月十五日、ついに京に向けての長旅に出る、本当の門出である。その日は雨が激しく、とても怖いと思った。 そして上総の国の「いかた」という所に泊まった。", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "そして翌日は、出発の遅れた人を待つ一日となった。", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "十七日の早朝、出発する。旅先の地で、「まのの長者」と言う人の伝説を聞き、その伝説に言われた川を渡る。私は心の中で歌をよんだ。「朽ちもせぬ この川柱 残らずは 昔の跡を いかで知らまし」という歌を。", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "", "title": "門出" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "上京した後の、その年(治安元年)の春、疫病が流行した。乳母は三月一日に亡くなった。以前の私の、物語を読みたいという気持ちも湧かなくなるほどであった。侍従の大納言の姫君も亡くなった。かつて、私が京に着いた時、手習いの見本として大納言から姫君の筆跡の書かれた手本をいただいた。その手本に書かれた歌を思い返すと、死別に関する歌もあった。筆跡もすばらしく、私はそれを見ては、いっそう涙がこみ上げてくるのであった。", "title": "源氏の五十余巻" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "叔母から源氏物語の全巻と、そのほかいくつかの物語の本をもらった。その時は、とてもわくわくした。", "title": "源氏の五十余巻" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "口惜し: 「残念だ」", "title": "源氏の五十余巻" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ゆかし: 「見たい」、「知りたい」などの意味であり、文脈に応じて「聞きたい」「読みたい」などになる。『徒然草』52にも「参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん。ゆかしかりかれど」(参拝して山に登った人に何事かあったのか。知りたいと思ったけれど)という用例がある。", "title": "源氏の五十余巻" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "源氏の五十余巻" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "叔母からもらった物語の本を、私は熱心に読んだ。少女の頃の私は、自分も将来は、源氏物語の登場人物の女性たちのようになれるだろうと思っていた。とっくに大人になった今から見れば、少女時代の私は、じつに世間知らずであり、あきれ果てる。", "title": "源氏の五十余巻" } ]
作品の概要 『更級日記』(さらしなにっき)は、菅原孝標女で育ったので、当時は京を詳しく知らなかったこともあり、てっきり京の都は物語のような世界だと無邪気に勘違いしていた。そしてなにより、彼女は、てっきり自分も『源氏物語』のような恋物語に出てくる女性たちのように、高貴な貴族の男に熱心に愛される女性になれるだろうと勘違いしていた。しかし彼女は十三歳のときに家族と共に上京して、そして成長するにつれ、人生のつらい事や、たいへんな事も、色々と経験していき、物語の世界が現実とは違う事に気づかされてゆく。 作中では、大人になった彼女自身が幼少期の自分の勘違いを思い起こして、あきれている。そして彼女は、しだいに仏道への信仰に感心をよせていく。 彼女が『更級日記』を書いた頃、彼女は五十歳過ぎである。
*作品の概要 『更級日記』(さらしなにっき)は、'''菅原孝標女'''(すがわら の たかすえ の むすめ)という平安時代の女性貴族の自伝および回想録。'''日記文学'''に分類される。 作者である菅原孝標女は、幼少のころは『源氏物語』の物語の世界にあこがれていた。十三歳になるまでの幼少時代を地方の上総(かずさ)で育ったので、当時は京を詳しく知らなかったこともあり、てっきり京の都は物語のような世界だと無邪気に勘違いしていた。そしてなにより、彼女は、てっきり自分も『源氏物語』のような恋物語に出てくる女性たちのように、高貴な貴族の男に熱心に愛される女性になれるだろうと勘違いしていた。しかし彼女は十三歳のときに家族と共に上京して、そして成長するにつれ、人生のつらい事や、たいへんな事も、色々と経験していき、物語の世界が現実とは違う事に気づかされてゆく。 作中では、大人になった彼女自身が幼少期の自分の勘違いを思い起こして、あきれている。そして彼女は、しだいに仏道への信仰に感心をよせていく。 彼女が『更級日記』を書いた頃、彼女は五十歳過ぎである。 == 門出 == === 一 === *大意 東国のさらに奥地の上総の国で育った作者は、少女のころ、物語というものを知り、あこがれを抱いていく。だが、上総の地では、本を入手することが出来ない。読みたいという気持ちが、つのっていく。 作者は等身大の薬師仏を造り、本が読めるように拝んだりもした。 ついに自分が十三歳になる年に、父の上総での赴任が終わり、作者の家族および従者たちは上京することになった。上京にあたって、薬師仏も上総の家に置いてくことになった。作者は人知れず、つい泣いてしまった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 東路(あづまぢ)の道の果て(はて)よりも、なほ奥つ方(かた)に生(お)ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めける事にか、世の中に物語といふ物の'''あんなる'''を、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居(よひゐ)などに、姉、継母(ままはは)などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏(ひかるげんじ)のあるやうなど、所々語るを聞くに、いとど'''ゆかしさまされど'''、わが思ふままに、そらにいかでか覚え語らむ。 いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏(やくしぼとけ)をつくりて、手あらひなどして、人まに'''みそか'''に入りつつ、「京にあげ給ひて、物語の多く候ふ(さぶらふ)なる、あるかぎり見せたまへ。」と身を捨てて額(ぬか)をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出して、いまたちといふ所にうつる。 年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、たちさわぎて、日の入り際のいとすごく霧り(きり)わたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを見捨て奉る、悲しくて人知れずうち泣かれぬ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 東国への道(=東海道)の果てよりも、さらに奥のほうで成長した人(=私)は、どんなにか田舎者じみて(京の人から見れば)見苦しかっただろうに、(どうして思い始めたのだろうか、)世の中には物語りというものがあるのを(聞き)、どうにかして読みたいと思いながら、することもない昼間や、夜の起きている時などに、姉や継母などの人々が、その物語、あの物語、光源氏(※『源氏物語』の主人公)のありさまなど、ところどころ語るのを聞くと、ますます'''知りたいけれど'''、私の思うように(姉や継母が)暗記して語るだろうか。(いや、そんなはずはない。) (私は)とてもじれったく思うので、等身大の薬師仏を造って、手を洗い清めるなどして、人がいない間に'''こっそり'''仏間に入ったりして、「京に早く上らせてくださり、物語が多くあります、(その物語を)ある限り見せてください。」と、 身を投げ出して額を(床に)つけて、お祈り申し上げるうちに、十三になる年(= 一○二○年、寛仁(かんにん)四年 )、(父の赴任が終わり)上京しようということで、九月三日に出発して、いまたちという所に移る。 長年、遊びなれた所を、外に丸見えになるほどに取り払って、大騒ぎして、日の沈む間際の、とても霧がもの寂しくたちこめているころに、車に乗ろうとしてちょっと目をやったところ、人の見ていない間におまいりして額をつけて拝んだ薬師仏が立ちなさっているのを、お見捨て申し上げるのが悲しくて、人知れず、つい泣いてしまった。 |} ---- *語句(重要) :・'''あんなる''' - 「あん」は「ある」の撥音便。 :・'''みそかに''' - こっそり。ひそかに。 :・'''ゆかしさまされど''' - 「ゆかし」は見たい・聞きたいなど。 *語注 :・東路(あづまぢ)の道の果て - 今の茨城県。常陸(ひたち)の国。 :・なほ奥つ方(かた) - 今の千葉県。上総(かずさ)の国。作者の父・菅原孝標(すがわらのたかすえ)の赴任地。 :・薬師仏 - 薬師瑠璃光如来(やくし るりこう にょらい)。 :・いまたち - 地名か。詳細は不明。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 門出して一時しのぎに移った先は「いまたち」という。九月十五日、ついに京に向けての長旅に出る、本当の門出である。その日は雨が激しく、とても怖いと思った。 そして上総の国の「いかた」という所に泊まった。 そして翌日は、出発の遅れた人を待つ一日となった。 十七日の早朝、出発する。旅先の地で、「まのの長者」と言う人の伝説を聞き、その伝説に言われた川を渡る。私は心の中で歌をよんだ。「朽ちもせぬ この川柱 残らずは 昔の跡を いかで知らまし」という歌を。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋(かやや)の、蔀(しとみ)などもなし。簾かけ、幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東(ひむがし)、西は海ちかくて、いとおもしろし。夕霧立ちわたりて、いみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、方々(かたがた)見つつ、ここをたちなむことも、あはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降る(ふる)に、境(さかひ)を出でて(いでて)、下総(しもづさ)の国のいかたといふ所にとまりぬ。庵(いほ)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくていも寝られず。野中に丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。その日は雨にぬれたる物ども干し(ほし)、国にたち遅れ(をくれ)たる人々まつとて、そこに日を暮らしつ。 十七日のつとめて、立つ。昔、下総(しもつさ)の国に、まのの長(てう)といふ人住みけり。 ひき布を千(ち)むら、万(よろづ)むら織らせ、さらさせけるが家の跡とて、深き川を舟にて渡る。昔の門(かど)の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心の内に、 :朽ちもせぬこの川柱残らずは昔の跡をいかで知らまし |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 出発して移った所(=いまたちの家)は、囲いなども無くて、間に合わせの茅ぶき(かやぶき)の家で、蔀戸なども無い。簾(すだれ)をかけ、幕などを引きめぐらしてある。南ははるか遠くの野原のほうまで見わたせる。東と西は海が近くて、とても(景色が)すばらしい。 夕霧が一面に立ち込めて、とても趣きがあるので、朝寝坊などもしないで、あちらこちらを見て(回って)いるうちに、ここを立ち去ってしまうこともしみじみと悲しいが、同じ月の十五日、雨が激しく、周りを暗くするほどに降ったが、国境を出て、下総の国のいかたという所に泊まった。仮小屋なども浮いてしまいそうと思われるほどに(激しく)雨が降るので、恐ろしくて寝ようにも寝られない。野中に丘のように高くなった所に、ただ木が三本だけ立っている。その日(十六日)は、雨にぬれてしまったものを干し、(上総の)国に(残って)出発が遅れている人々を待つということで、そこで一日を過ごした。 十七日の早朝、出発した。昔、下総の国に、まのの長者という人が住んでいた。匹布(ひきぬの)を千匹も万匹も織らせて、さらさせたという家の跡だということで、深い川を舟で渡った。昔の門の柱が、まだ残っているということで、大きな柱が、川の中に四本立っていた。人々が歌をよむのを聞いて、 (私も)心の中で、(次の歌をよむ。) :朽ちもしないこの川の柱が残っていなかったら、昔の(長者の家の)跡を、どうして知ることができるでしょう。(知ることはできないでしょう。) |} ---- *語句(重要) :・ - 。 *語注 :・ - 。 ---- == 源氏の五十余巻 == === 一 === *大意 上京した後の、その年(治安元年)の春、疫病が流行した。乳母は三月一日に亡くなった。以前の私の、物語を読みたいという気持ちも湧かなくなるほどであった。侍従の大納言の姫君も亡くなった。かつて、私が京に着いた時、手習いの見本として大納言から姫君の筆跡の書かれた手本をいただいた。その手本に書かれた歌を思い返すと、死別に関する歌もあった。筆跡もすばらしく、私はそれを見ては、いっそう涙がこみ上げてくるのであった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| その春、世の中いみじう騒がしうて、松里の渡りの'''月影'''あはれに見し乳母も、三月一日に亡くなりぬ。 せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣き暮らして見いだしたれば、 夕日のいと華やかに差したるに、桜の花残りなく散り乱る。 :散る花もまた来(こ)む春は見もやせむやがて別れし人ぞ悲しき  また聞けば、侍従の大納言の御(み)むすめ、亡くなりたまひぬなり。殿の中将の思(おぼ)し嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。上り着きたりしとき、「これ手本にせよ」とて、この姫君の御手(おほんて)を取らせたりしを、「さ夜ふけて寝覚めざりせば」など書きて、「鳥辺(とりべ)山谷に煙(けぶり)の燃え立たば'''はかなく'''見えしわれと知らなむ」と、言ひ知らずをかしげに、めでたく書きたまへるを見て、'''いとど'''涙を添へまさる。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| その(治安元年の)春、(疫病が流行して、)世の中が大変に騒がしく、(私の乳母も死んだ、)松里の渡し場の'''月の光に照らし出された姿'''をしみじみと見た乳母も、三月一日に亡くなった。 (私は)どうしようもなく、嘆き悲しんでいると、物語を読みたいという気持ちも思わなくなってしまった。 ひどく泣き暮らして、(ふと、外を)眺めたところ、夕日がたいそう華やかに差している所に、桜の花が余すところなく散り乱れている。 :散りゆく花も、また再びやってくる春には見ることもできるだろう。(しかし、)そのまま別れてしまった人(=乳母)は、二度と見ることができないないので、(とても)恋しい。  また聞くところによると、侍従の大納言の姫君が、お亡くなりになったそうだ。(姫君の夫である)殿の中将がお嘆きになるようすは、私も、もに悲しい時なので、とても気の毒と(思って)聞く。(昔、私が)京に上り着いたとき、(ある人が)「これを手本にしなさい。」と言って、この姫君のご筆跡を(私に)くれたが、(それには)「夜が更けて眠りから目覚めなかったならば」などと(歌が)書いてあり、(また、ご筆跡で)「鳥辺山の谷に煙が燃え立ったならば、'''弱々しく'''見えた私だと知ってほしい。」と(いう歌を)、何とも言えず趣深くすばらしく書いていらっしゃるのを見て、いっそう涙が増えた。 |} ---- *語句(重要) :・'''いとど''' - ますます。そのうえさらに。いっそう。 :・'''月影''' - 月の光に照らし出された姿。 :・'''はかなく''' - 弱弱しく。「はかなくなる」で死ぬの意味。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 叔母から源氏物語の全巻と、そのほかいくつかの物語の本をもらった。その時は、とてもわくわくした。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せたまふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。たれもいまだ都慣れぬほどにて、え見つけず。いみじく'''心もとなく'''、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりして、皆見せたまへ。」と、心の内に祈る。親の太秦(うづまさ)にこもりたまへるにも、異事(ことごと)なく、このことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。'''まめまめし'''き物は'''まさなかり'''かむ。ゆかしくしたまふなる物を奉らむ。」とて、源氏の五十余巻(よまき)、櫃(ひつ)に入りながら、在中将(ざいちゅうじょう)・とほぎみ・せり河(かは)・しらら・あさうづなどいふ物語ども、ひと袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| このように、(私が)ずっとふさぎこんでいるので、(周囲が私の)心を慰めようと、気の毒に思って、母が、物語などを探し求めて見せてくださるので、本等に自然に慰められてていく。『源氏物語』の紫上(むらさきのうえ)の巻を見て、続きを見たいと思ったが、人に相談することなども出来ない。 (家の者は、)まだ誰も都になれていない頃なので、見つけることが出来ない。たいそう'''じれったく'''、読みたいと思うので、「この『源氏物語』を第一巻から全部、読ませてください。」と心の中で祈る。 親が太秦(うずまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)に参詣なさったときも、他の(祈る)事は無く、この事(=源氏物語を読ませてください、という事)だけを申して、(私たち家族が寺から)出ると、この物語を読み終えてしまおうかと思ったが、(本は)見つからなかった。 とても残念と思い嘆いているうちに、叔母である人が田舎から上京した所に(親が私を)行かせたところ、「とてもかわいらしく成長しなさったなあ。」などと、懐かしがり、珍しがって、(私が)帰るときに、「(おみやげに)何を差し上げましょうか。'''実用的な'''物は、'''つまらない'''でしょう。(あなたが)ほしいと思ってらっしゃる物を差し上げましょう。」と言って、『源氏物語』の五十余巻を、木箱に入れたまま、また『在中将』(ざいちゅうじょう)・『とほぎみ』・『せり河』(せりかわ)・『しらら』・『あさうづ』などという物語を、一袋、取り入れて、(私が)もらって帰るときの気持ちのうれしさといったら、たいへんなものだった。 |} ---- * 語句(重要) :・'''心もとなく''' - じれったく。 :・'''まめまめし''' - 「実用的な」。 ※「実用的な」の意味は、市販の単語集などでも出てくる典型的な用例なので覚えよ。このほか、「まめまめし」には「本気で」の意味もあり、『源氏物語』帚木(ははきぎ)の「まめまめしくうらみたるさまも見ず」(本気でうらんでいるようには見えない)の用法もある。 :・'''まさなかり''' - 「まさなし」は、「不都合」、「よくない」の意味。 :・ - 。 :・ - 。 * 単語 口惜し: 「残念だ」 ゆかし: 「見たい」、「知りたい」などの意味であり、文脈に応じて「聞きたい」「読みたい」などになる。『徒然草』52にも「参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん。ゆかしかりかれど」(参拝して山に登った人に何事かあったのか。知りたいと思ったけれど)という用例がある。 * 語注 :・思ひくんじたる - ふさぎこんでいるのを。乳母など親しい人を疫病で亡くしたので、ふさぎこんでいた。 :・紫のゆかり - 「源氏物語」の各巻のうち、登場人物の女性の一人である紫上(むらさきのうえ)あるいは若紫(わかむらさき)について書かれている巻。紫上と若紫は別人。「ゆかり」とは縁や関係があるもののこと。 :・太秦(うずまさ) - 今の京都市右京区太秦にある広隆寺。 :・在中将(ざいちゅうじょう) - 在原業平(ありわらのなりひら)などを主人公とした物語である『伊勢物語』のこと。 :・とほぎみ・せり河(かは)・しらら・あさうづ - それぞれ物語の名前。現在には残っておらず、内容は不明。 :・ - 。 :・ - 。 ---- === 三 === *大意 叔母からもらった物語の本を、私は熱心に読んだ。少女の頃の私は、自分も将来は、源氏物語の登場人物の女性たちのようになれるだろうと思っていた。とっくに大人になった今から見れば、少女時代の私は、じつに世間知らずであり、あきれ果てる。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳(きちやう)の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟(けさ)着たるが来て、「法華経(ほけきやう)五の巻を、とく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光(ひかる)の源氏の夕顔、'''宇治の大将'''の浮舟(うきふね)の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、'''まづ'''いとはかなく、'''あさまし'''。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| '''わくわくしながら'''('''※ 訳に諸説あり''')読んで、それまでは断片的に読んでたので把握できなかった源氏物語を、第一巻から(読み)始めて、人も交えず、几帳の中で身を横にして(本を)引き出して読む気分(のうれしさ)といったら、皇后の位ですら、何だと言うのだ。(何にもならない。)(というふうに、当時の少女だった私は思ってた。) 昼は一日中(が読書の時間)、夜は目の覚めている限りは灯を近くにともして、これ(=物語)を読む以外の他のことはしないので、自然と暗記できて思い浮かべられることを、素晴らしいことだと思っていると、(ある夜の)夢に、とてもすっきりとしてきれいな僧で、黄色い地の袈裟を着ている人が現れに来て、「法華経の五の巻を早く習いなさい。」と言ったが、(その夢のことは)他人には話さず、(法華経を)習おうとも思わなかった。物語のことばかりを考えていて、私は今は美しくないけど、女ざかり(の年)になったら、(でも)外見もこの上なく良くなって、髪もたいそう長くなるに違いない、(そして『源氏物語』に出てくる)光源氏(にとって)の(愛人である)夕顔や、宇治の大将(にとって)の(愛人である)浮舟(うきぶね)の女君のように、きっとなれるだろうと思っていた(少女の頃の私の)心は、(今にして思えば)実になんともたわいなく、(今から見れば)'''あきれる'''。 |} ---- *語句(重要) :・はしるはしる - 訳に諸説あり。参考書などでは、「わくわくしながら」などと訳される場合が多い。 :・心も得ず - ここでの「心」の意味は「内容」・「話の筋」。それまで作者は断片的にしか物語を読めなかったので、いまいち内容を把握できなかった。 :・ - 。 :・'''まづ'''いとはかなく - 「まづ」は、意味が「実に」「なんとも」などの意味で、副詞。「いと」は意味が「たいそう」「とても」などの意味の副詞。「まづいと」と併用される事がある。 :・'''あさまし''' - あきれはてる。 *語注 :・ - 。 :・法華経(ほけきょう)五の巻 - 『妙法蓮華経』(みょうほうれんげきょう)第五巻。第五巻では、女人成仏(にょにんじょうぶつ)が説かれている。 :・夕顔 - 『源氏物語』の登場人物の女性の一人。 :・宇治の大将 - 光源氏の子、薫(かおる)。 :・浮舟 - 『源氏物語』宇治十帖(うじじゅうじょう)の登場人物の女性の一人。薫に愛されたが、最終的に出家する。 :・ - 。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]] [[カテゴリ:日記]]
null
2023-02-02T17:12:44Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98
19,624
高等学校古典B/方丈記
『方丈記』の作者は、鴨長明(かもの ちょうめい、かもの ながあきら)。随筆である。 鎌倉時代の初期ごろの作品であり、一二一二年(健暦二年)ごろに成立。 『徒然草』の作者の兼好法師(けんこうほうし)と間違えないように。兼好法師と鴨長明とは、別人である。 『方丈記』の文体は和漢混交文(わかん こんこうぶん)。 そもそも和漢混交文の文体が日本で定着した時期が、この鎌倉時代の初期のころである。 (なお、日本最古の和漢混交文の作品は『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)であると一般にいわれている。)京都の鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継(かもの ながつぐ)の次男として生まれた。 『平家物語』や『徒然草』よりも、『方丈記』は古い。 『平家物語』と『徒然草』は、『方丈記』の影響を受けていると思われれる。 鴨長明の生きた時代は、源平の合戦の時代の前後にあたり、鴨長明の人生観には、この争乱および、作中で語られた災害(飢饉など)などが、作中の無常観などに影響を与えていると思われる。 世の中のものはすべて、いつかは死んで滅びる。一見すると、長年変わりのないように見える物でも、たとえば川の流れのように、古いものが消えては、新しいものが来ているという結果、外から見ると川の形が変わらずに見えているだけに過ぎないように、じつは川の中身が変わっており、川の昔の水は流されてしまうように、決して、ある人が永久に繁栄しつづけることは出来ない。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」 において、それぞれ対句は、 「ゆく川」と「もとの水」 などのように対句になっている。参考書によって区切り方が微妙に違うので、あまり厳密には、こだわらなくて良いだろう。 次の文の 「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」にも対句がある。 が対句になっている。 他の文にも、多くの対句的な文もある。 「たましきの・・・小家となる」の文では、 が対句。 「あるいは露落ちて花残れり」の文では などが対句。 他にも、多くの対句がある。「住み人も・・・似たりける」の文や、「知らず・・・異ならず」の文などに、いくつもの対句がある。 「住み人も・・・似たりける」の文では、 が対句。 「知らず・・・異ならず」の文では、 が対句。 このように、方丈記では対句が多く用いられている。 対句法のほかにも技巧は使われており、「知らず」などのように倒置法が用いられている。 都ですら、けっして変わらないことはできず、火事になってしまえば、火も広がりやすい。なのに、どうして世間の人は都に家を建てたがるのだろうか。住まいにこだわるなんて、つまらないことである。 治承四年、大きなつむじ風によって、京の都が甚大な被害を受けた。まるで地獄の業の風かと思うような、すさまじさだった。 養和の頃、干ばつ・大風、洪水などにより不作となり、大きな飢饉があった。京の路上には物乞いがあふれた。 翌年になっても飢饉は終わらず、さらに疫病までもが流行した。道端は死体であふれかえり、腐臭で満たされていた。さらに、薪(たきぎ)さえも不足して、人々は自分の家を打ち壊して薪として売る者もいた。中には仏像や仏具を盗み出して薪として売りさばく者もいた。 夫婦間では、愛情の深いほうが先に死ぬ。なぜなら相手に食べ物をゆずるからである。親子間では、きまって親が先に死ぬ。 仁和寺(にんなじ)にいる隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という僧は、路上で行き倒れになっている死体を、せめて死体を成仏させようとして、額に「阿」の字を書いて、成仏させた。 死体の数は、京の一部地域だけでも、四月・五月の、たったの二か月だけで四万二千三百余りということだ。 まして、この前後の月日も飢饉で人が死んでおり、京のほかの場所でも人が死んでおり、日本全土での死者の数は、見当もつかないほどに多いだろう。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『方丈記』の作者は、鴨長明(かもの ちょうめい、かもの ながあきら)。随筆である。 鎌倉時代の初期ごろの作品であり、一二一二年(健暦二年)ごろに成立。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『徒然草』の作者の兼好法師(けんこうほうし)と間違えないように。兼好法師と鴨長明とは、別人である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "『方丈記』の文体は和漢混交文(わかん こんこうぶん)。 そもそも和漢混交文の文体が日本で定着した時期が、この鎌倉時代の初期のころである。 (なお、日本最古の和漢混交文の作品は『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)であると一般にいわれている。)京都の鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継(かもの ながつぐ)の次男として生まれた。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『平家物語』や『徒然草』よりも、『方丈記』は古い。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "『平家物語』と『徒然草』は、『方丈記』の影響を受けていると思われれる。", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "鴨長明の生きた時代は、源平の合戦の時代の前後にあたり、鴨長明の人生観には、この争乱および、作中で語られた災害(飢饉など)などが、作中の無常観などに影響を与えていると思われる。", "title": "" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "世の中のものはすべて、いつかは死んで滅びる。一見すると、長年変わりのないように見える物でも、たとえば川の流れのように、古いものが消えては、新しいものが来ているという結果、外から見ると川の形が変わらずに見えているだけに過ぎないように、じつは川の中身が変わっており、川の昔の水は流されてしまうように、決して、ある人が永久に繁栄しつづけることは出来ない。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "において、それぞれ対句は、", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "「ゆく川」と「もとの水」 などのように対句になっている。参考書によって区切り方が微妙に違うので、あまり厳密には、こだわらなくて良いだろう。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "次の文の 「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」にも対句がある。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "が対句になっている。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "他の文にも、多くの対句的な文もある。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "「たましきの・・・小家となる」の文では、", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "が対句。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "「あるいは露落ちて花残れり」の文では", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "などが対句。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "他にも、多くの対句がある。「住み人も・・・似たりける」の文や、「知らず・・・異ならず」の文などに、いくつもの対句がある。 「住み人も・・・似たりける」の文では、", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "が対句。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「知らず・・・異ならず」の文では、", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "が対句。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "このように、方丈記では対句が多く用いられている。 対句法のほかにも技巧は使われており、「知らず」などのように倒置法が用いられている。", "title": "ゆく河の流れ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "都ですら、けっして変わらないことはできず、火事になってしまえば、火も広がりやすい。なのに、どうして世間の人は都に家を建てたがるのだろうか。住まいにこだわるなんて、つまらないことである。", "title": "大火とつじ風" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "治承四年、大きなつむじ風によって、京の都が甚大な被害を受けた。まるで地獄の業の風かと思うような、すさまじさだった。", "title": "大火とつじ風" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "大火とつじ風" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "養和の頃、干ばつ・大風、洪水などにより不作となり、大きな飢饉があった。京の路上には物乞いがあふれた。", "title": "養和の飢饉" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "翌年になっても飢饉は終わらず、さらに疫病までもが流行した。道端は死体であふれかえり、腐臭で満たされていた。さらに、薪(たきぎ)さえも不足して、人々は自分の家を打ち壊して薪として売る者もいた。中には仏像や仏具を盗み出して薪として売りさばく者もいた。", "title": "養和の飢饉" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "夫婦間では、愛情の深いほうが先に死ぬ。なぜなら相手に食べ物をゆずるからである。親子間では、きまって親が先に死ぬ。", "title": "養和の飢饉" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "仁和寺(にんなじ)にいる隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という僧は、路上で行き倒れになっている死体を、せめて死体を成仏させようとして、額に「阿」の字を書いて、成仏させた。", "title": "養和の飢饉" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "死体の数は、京の一部地域だけでも、四月・五月の、たったの二か月だけで四万二千三百余りということだ。 まして、この前後の月日も飢饉で人が死んでおり、京のほかの場所でも人が死んでおり、日本全土での死者の数は、見当もつかないほどに多いだろう。", "title": "養和の飢饉" } ]
『方丈記』の作者は、鴨長明。随筆である。 鎌倉時代の初期ごろの作品であり、一二一二年(健暦二年)ごろに成立。 『徒然草』の作者の兼好法師(けんこうほうし)と間違えないように。兼好法師と鴨長明とは、別人である。 『方丈記』の文体は和漢混交文。 そもそも和漢混交文の文体が日本で定着した時期が、この鎌倉時代の初期のころである。 (なお、日本最古の和漢混交文の作品は『今昔物語』であると一般にいわれている。)京都の鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継の次男として生まれた。 『平家物語』や『徒然草』よりも、『方丈記』は古い。 『平家物語』と『徒然草』は、『方丈記』の影響を受けていると思われれる。 鴨長明の生きた時代は、源平の合戦の時代の前後にあたり、鴨長明の人生観には、この争乱および、作中で語られた災害(飢饉など)などが、作中の無常観などに影響を与えていると思われる。
[[File:鴨長明.jpg|thumb|鴨長明。伝・土佐広周(とさ ひろかね)筆。]] 『方丈記』の作者は、鴨長明(かもの ちょうめい、かもの ながあきら)。随筆である。 鎌倉時代の初期ごろの作品であり、一二一二年(健暦二年)ごろに成立。 『徒然草』の作者の兼好法師(けんこうほうし)と間違えないように。兼好法師と鴨長明とは、別人である。 『方丈記』の文体は'''和漢混交文'''(わかん こんこうぶん)。 そもそも和漢混交文の文体が日本で定着した時期が、この鎌倉時代の初期のころである。 (なお、日本最古の和漢混交文の作品は『今昔物語』(こんじゃく ものがたり)であると一般にいわれている。)京都の鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継(かもの ながつぐ)の次男として生まれた。 『平家物語』や『徒然草』よりも、『方丈記』は古い。 『平家物語』と『徒然草』は、『方丈記』の影響を受けていると思われれる。 鴨長明の生きた時代は、源平の合戦の時代の前後にあたり、鴨長明の人生観には、この争乱および、作中で語られた災害(飢饉など)などが、作中の無常観などに影響を与えていると思われる。 == ゆく河の流れ == === 一 === *大意 世の中のものはすべて、いつかは死んで滅びる。一見すると、長年変わりのないように見える物でも、たとえば川の流れのように、古いものが消えては、新しいものが来ているという結果、外から見ると川の形が変わらずに見えているだけに過ぎないように、じつは川の中身が変わっており、川の昔の水は流されてしまうように、決して、ある人が永久に繁栄しつづけることは出来ない。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| ゆく河(かわ)の流れ(ながれ)は絶えず(たえず)して、しかも、もとの水(みず)にあらず。'''よどみ'''に浮かぶ(うかぶ)うたかたは、'''かつ'''消え'''かつ'''結びて(むすびて)、久しく(ひさしく)とどまりたるためしなし。世の中にある人(ひと)とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ(ならべ)、甍(いらか)を争へる(あらそえる)、高き(たかき)、卑しき(いやしき)、人の住まひ(すまい)は、世々(よよ)を経て(へて)尽きせぬ(つきせぬ)ものなれど、これをまことかと尋ぬれば(たずぬれば)、昔ありし家は稀(まれ)なり。あるいは去年('''こぞ''')焼けて今年(ことし)作れり(つくれり)。あるいは大家(おほいへ)滅びて小家(こいへ)となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中(なか)に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡(あわ)にぞ似たりける。 知らず、生まれ死ぬる人、いづ方(かた)より来たりて、いづ方(かた)へか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔(あさがお)の'''露'''に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 流れゆく川の流れは絶えることなくて、それでいて、もとの水ではない。よどみに浮かぶ水の泡は、'''一方では'''消え、'''一方では'''出来て、長い間とどまっている例はない。世の中にある人と住みかとは、また、このようである。 玉を敷いたように美しい京の都の中に、棟(むね)を並べて、甍(いらか)を競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、世代を経ても無くならないものであるが、これを本当かと調べてみると、昔からあった家は珍しい。ある場合には去年焼けて今年作った物である。ある場合には、大きな家が滅んで小さな家となる。住む人も、これと同じである。 場所も変わらず、人も多いけれど、昔見た人は、二、三十人のうち、わずかに一人か二人である。朝に(誰かが)死に、(その一方で、)晩に(誰かが)生まれる世の習いは、まさしく水の泡に、よく似ている。 (私には)分からない、生まれてきて(そしていつか)死ぬ人は、どこから来て、どこへ去るのか。また分からない、(一時的にすぎない)仮の住まいに、誰のために心を悩まし、何によって目を喜ばせるのか。その(家の)主人と住まいとが、無常を競う様子は、まるで朝顔の露のように変わりない。ある場合は露が落ちて花が残っている。(しかし)残るといっても翌朝には枯れてしまう。ある場合は花がしぼんで、露が消えない。消えないといっても晩を待つことは無い。(露は晩まで残れない。) |} ---- *語句(重要) :・絶えずして - 「絶え」は動詞「絶ゆ」の未然形。「して」は接続助詞。 :・'''よどみ''' - 川などの流れの一部分が、障害物で停滞すること、または停滞した部分。現在でも、文学に限らず、川や風などの液体・気体の流れで、障害物などにより、周囲よりも流れが遅くなり停滞している箇所がある場合、そのように流れの停滞している箇所のことを、「よどみ」(淀み)という。 :・'''かつ'''消え'''かつ'''結びて - 「かつ」は副詞。「かつ」の意味は「一方では」。「一方では消えて、もう一方では出来て」。 :・'''ためし''' - 前例。先例。 :・'''かくのごとし''' - このようなものである、の意味。「ごとし」は比況の'''助動詞'''。 :・いやし(賎し、卑し) - 身分が低い。 :・知らず、(※中略)、いづ方(かた)へか去る - 倒置法により、動詞が先に来ている。 :・たがためにか心を悩まし - 「か」は係助詞だが、「悩まし」は連体形であるが、係り結びだからではなく、文が続くからである。係り結びが流れている。 :・何によりてか目を喜ばしむる - 「たがためにか心を悩まし」と'''対句的'''な表現になってる。「しむる」は使役の助動詞「しむ」の連体形。 :・無常 - 仏教用語で、すべてのものは生滅や変化をしつづけ、同じ状態ではいられず、永遠であることは出来ないということ。 :・露 - はかない物のたとえとして、よく古文で用いられる。 *語注 :・うたかた - 水面の泡。 :・たましきの - 「玉敷きの」のことで、宝石を敷いたように美しい、という意味。 :・甍(いらか) - 屋根瓦(やねがわら)。 :・去年('''こぞ''') - 意味は、現代の「去年」(きょねん)と同じ。読みが「こぞ」と読むことに注意。 === 対句になってる箇所 === 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 :と 「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」 において、それぞれ対句は、 :・「ゆく川の」 と 「よどみに浮かぶ」 :・「流れは」 と 「うたかたは」 :・「絶えずして」 と 「かつ消えかつ結びて」 :・「しかも・・・あらず」 と 「ひさしく・・・ためしなし」 「ゆく川」と「もとの水」 などのように対句になっている。参考書によって区切り方が微妙に違うので、あまり厳密には、こだわらなくて良いだろう。 次の文の 「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」にも対句がある。 :・「人」 と 「すみか」 が対句になっている。 他の文にも、多くの対句的な文もある。 「たましきの・・・小家となる」の文では、 :・「棟を並べ」 と 「甍を争へる」 :・「高き」 と 「いやしき」 :・「去年焼けて」 と 「今年作れり」 :・「大家滅びて」 と 「小家となる」 が対句。 「あるいは露落ちて花残れり」の文では :・「露落ちて」 と 「花残れり」 などが対句。 他にも、多くの対句がある。「住み人も・・・似たりける」の文や、「知らず・・・異ならず」の文などに、いくつもの対句がある。 「住み人も・・・似たりける」の文では、 :・「所も変はらず」 と 「人も多かれど」 :・「朝に死に」 と 「夕べに生まるる」 が対句。 「知らず・・・異ならず」の文では、 :・「生まれ」 と 「死ぬる」 :・「いづかたより来たりて、」 と 「いづかたへか去る。」 :・「たがためにか心を悩まし」 と 「何によりてか目を喜ばしむる」 :・「あるじ」 と 「すみかいづかたへか去る。」 が対句。 このように、方丈記では対句が多く用いられている。 対句法のほかにも技巧は使われており、「知らず」などのように倒置法が用いられている。 == 大火とつじ風 == === 安元の大火 === *大意 都ですら、けっして変わらないことはできず、火事になってしまえば、火も広がりやすい。なのに、どうして世間の人は都に家を建てたがるのだろうか。住まいにこだわるなんて、つまらないことである。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(はるあき)を送れる間(あいだ)に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。 いんじ安元三年四月(うづき)二十八日かとよ。 風激しく吹きて、静かならざりし夜、戌(いぬ)の時ばかり、都の東南(たつみ)より火出で来て、西北(いぬゐ)に至る。果てには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいごくでん)・大学寮・民部省などまで移りて、一夜(ひとよ)のうちに塵灰(ぢんくわい)となりにき。 火(ほ)もとは、樋口富小路(ひぐちとみのこうぢ)とかや。舞人(まひびと)を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇を広げたるがごとく末広になりぬ。遠き家は煙(けぶり)にむせび、近きあたりはひたすら炎を地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる炎、飛ぶがごとくして、一、二町を越えつつ移りゆく。 その中の人、うつし心あらんや。あるいは煙にむせびて倒れ臥し、あるいは炎にまぐれてたちまちに死ぬ。あるいは身一つ辛うじてのがるるも、資財を取り出づるに及ばず。七珍万宝(しつちんまんほう)'''さながら'''灰燼(かじん、かいじん)となりにき。その費(つひ)え、いくそばくぞ。 そのたび、公卿(くぎやう)の家十六焼けたり。まして、そのほか数へ知るに及ばず。すべて都のうち、三分が一に及べりとぞ。男女(なんによ)死ぬるもの数十人。馬牛のたぐひ辺際(へんさい)を知らず。 人の営み、みな愚かなる中に、さしも危ふき京中の家を作るとて、財(たから)を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞはべる。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 私が、物事の道理を分かるようになった時から、四十余年の年月を過ごしているうちに、世の不思議をみることが、しだいに度重なった(たびかさなった)。 去る安元三年(一一七七年)の四月二十八日だったか、風が激しく吹いて、静かでなかった夜、午後八時ごろ、都の東南より火事が起き、北西まで至った。しまいには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいごくでん)・大学寮・民部省などにまで(燃え)移り、一夜のうちに、塵と灰になった。 火元(の場所)は、樋口富(ひぐちとみ)の小路(こうぢ)だとか聞く。舞人を宿泊させていた仮屋より(火が)出てきたという。 吹き迷う(=吹き乱れる?)風によって、(火は)あちこちへ移りゆくしだいで、(まるで)扇を広げた(形の)ように末広がりになった。遠くの家では煙にむせかえり、近い所では、とにかく炎が地に吹きつけられた。空には灰を吹き上げており、(灰が)火の光に照らされ、あたり一帯が真っ赤になっている中に、風にこらえきれず、吹きちぎられた炎が、(まるで)飛ぶようにして、一、二町を越えながら(燃え)移ってゆく。その中にいる人は、生きた心地がしなかったであろう。 ある人は煙にむせて倒れ伏し、ある人は炎に目が眩んで、たちまちに死ぬ。ある人は体一つで、やっとのことで逃げられても、家財を取り出すことはできない。たくさんの珍しい宝物が、うっかり灰となってしまった。その損失は、どれほどだろうか。(数え切れないほどに大きな損失額だろう。) その(火事の)とき、公卿(=朝廷での上級の貴族階級の一つ)の家が十六軒、焼けた。まして、そのほか(の者の家の消失)は、数えて知ることができない(ほどに多い)。(火事の被害の)すべては、都のうち、三分の一に(被害が)及んだという。男女の死んだ者は数十人。馬や牛にいたっては、どれほどかも分からない。 人の営みは、すべて、愚かである中に、こんなに危険な京の中に家を建てて、財を費やし、心を悩ますことは、とりわけつまらないことである。 |} ---- *語句(重要) :・'''とかく''' - あちらこちら。 :・'''さながら''' - すっかり。全部。 :・おろかなり - 愚かだ。 :・あじきなし - つまらない。 :・ - 。 *語注 :・ものの心 - 物事の道理。 :・いんじ - 「いにし」(往にし、去にし)の撥(はつ)音便。 :・安元三年 - 一一七七年。 :・戌の刻ばかり - 午後八時ごろ。 :・朱雀門 - 大内裏の南側にある正門。 :・大極殿 - 朝廷の正殿。 :・大学寮 - 官吏を養成する教育機関。 :・民部省 - 戸籍・徴税などをつかさどる機関。 :・樋口富小路(ひぐちとみのこうぢ) - 樋口小路と富小路との交差した場所。 :・一町 - 長さの単位、および面積の単位。長さの場合、約百九メートル。面積の場合、約百二十平方メートル。 :・うつし心 - 正気。平常心。この方丈記の文では、文脈から「生きた心地」。 :・まぐれて - 目がくらんで。 :・公卿 - 朝廷の三位以上の上級貴族。 :・ - 。 ---- === つじ風 === *大意 治承四年、大きなつむじ風によって、京の都が甚大な被害を受けた。まるで地獄の業の風かと思うような、すさまじさだった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| また、治承(ぢしょう)四年卯月(うづき)のころ、中御門京極(なかみかどきやうごく)のほどより大きなる辻風(つじかぜ)起こりて、六条(ろくじょう)わたりまで吹けることはべりき。 三、四町(ちょう)を吹きまくる間(あいだ)に、篭もれる家ども、大きなるも、小さきも、一つ(ひとつ)として破れざるはなし。'''さながら'''平ら(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)柱(はしら)ばかり残れるもあり、門(かど)を吹き放ちて四、五町がほかに置き、また垣(かき)を吹き払ひて隣と一つになせり。いはむや、家の内の資材、数(かず)を尽くして空にあり。檜皮(ひはだ)・葺板(ふきいた)の類ひ(たぐい)、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵(ちり)を煙(けぶり)のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびただしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業(ごふ)の風なりとも、かばかりにこそとぞおぼゆる。家の損亡(そんまう)せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を損なふ人、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。 つじ風は常に吹くものなれど、かかることやある。ただことにあらず、さるべきものの論しかなどぞ、疑ひはべりし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| また治承四年の四月のころ、中御門京極のあたりから、大きなつむじ風が起こって、六条大路のあたりまで吹いたことがありました。 三、四町を吹きまくる間に、(つむじ風の中に)入っていた家々は、大きな家も小さな家も、一つとして壊れない物はない。まるごと(家全体が)ぺしゃんこに倒れた家もあり、桁や柱だけが残った家もある。門を吹き飛ばして四、五町も離れた所まで行った例もあれば、また、垣根を吹き飛ばして隣の家と一つになった例もある。まして、家の中の家財は、数限りなく空を舞い、檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)の類は、(まるで)冬の木の葉が乱れ飛ぶようである。塵を煙のように吹きたてているので、まったく視界も見えず、ものすごく(風音が)鳴り響くので、(人々が)言う声も聞こえない。あの地獄の業の風も、これくらいと思われる。家の損失だけでなく、これを修理している間に、けがをして、身体障害者になった人も(多くて)数知れない。この風は、南南西の方角に移っていって、多くの人を嘆かせた。 つむじ風はよく吹くものであるが、こんなこと(=治承四年のつじ風)があるだろうか(いや、今までこんなにひどい風は無かっただろう)、ただごとではない、しかるべき神仏のお告げか、などと疑いました。 |} ---- *語句(重要) :・ - 。 *語注 :・治承(ぢしょう)四年 - 一一八〇年。 :・中御門京極(なかみかどきょうごく) - 中御門大路と京極大路との交差する場所。 :・辻風(つじかぜ) - 竜巻。つむじ風。 :・地獄の業(ごう)の風 - 地獄で吹く暴風。地獄に落ちた悪人の、悪事の重さに応じて、強い風が吹いて、苦しめる。 :・未(ひつじ)の方 - 南南西。 :・ - 。 ---- == 養和の飢饉 == === 一 === *大意 養和の頃、干ばつ・大風、洪水などにより不作となり、大きな飢饉があった。京の路上には物乞いがあふれた。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| また養和(やうわ)のころとか、久しくなりて確かにも覚えず、二年(ふたとせ)が間(あひだ)、世の中飢渇(けかつ)して、あさましきこと侍りき(はべりき)。あるいは春・夏、ひでり、あるいは秋・冬、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀(ごこく)ことごとくならず。夏植うる営み(いとなみ)ありて、秋刈(か)り、冬収むるぞめきはなし。 これによりて、国々の民、あるいは地を捨てて境(さかひ)を出で、あるいは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈り(おんいのり)始まりて、なべてならぬ法(ほふ)ども行はるれど、さらにそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操(みさお)もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物(たからもの)、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金(こがね)を軽く(かろく)し、粟(ぞく)を重くす。乞食(こつじき)、道のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| また養和のころであったか、長い年月が経ってしまったので正確には覚えていないが、二年の間、世の中では飢饉になって、驚きあきれるほどにひどいことがありました。ある場合は春・夏に日照り(=干ばつ)、ある場合は秋に大風・洪水など、よくないことが次々に続いて、穀物はまったく実らない。夏に(苗を)植えるという仕事があっても、(なのに)秋には刈りとって冬には収穫するというにぎわいは無い。これ(=不作)によって、諸国の民は、ある者は土地を捨てて境(=国境など)を出て、ある者は家を放置して山に住む。(寺社では、)いろいろなご祈祷が始まって、並々ならぬ修法も行われるが、まったくその効果が無い。京の習わしとして、何事にしても、すべて、元は田舎を頼りにしているのに、まったく(京に)送りこまれる物がないので、そのようにばかり体裁を保てるだろうか(いや、保てない。)こらえかねて、さまざまな財宝を手当たり次第に捨てるように(売ろうとして穀物と交換しようと)するけど、まったく目をとめる人もいない。たまたま(財物と穀物とを)交換する者は、黄金(の価値)を軽くし、穀物(の価値)を重くする。物乞い(ものごい)が道端(みちばた)に多く、嘆き悲しむ声がどこでも聞こえた。 |} ---- *語句(重要) :・あさましき - 驚きあきれるほど、ひどい。 :・ひでり - 干ばつ。日照りのこと。 :・ - 。 *語注 :・養和 - 一一八一年から翌年までの年号。 :・五穀 - 本来は米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・豆のことだが、ここでは穀物全般のこと。 :・ぞめき - にぎわい。 :・ならひ - 習慣。習わし(ならわし)。 :・念じわびつつ - 我慢しかねる。こらえきれない。 :・目見立つる - 目をとめる。 :・耳に満てり - あちこちで聞かれる。至る所で聞かれる。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 翌年になっても飢饉は終わらず、さらに疫病までもが流行した。道端は死体であふれかえり、腐臭で満たされていた。さらに、薪(たきぎ)さえも不足して、人々は自分の家を打ち壊して薪として売る者もいた。中には仏像や仏具を盗み出して薪として売りさばく者もいた。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 前の年、かくのごとく、'''からうじて'''暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさざまに跡形なし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまりゆくさま、少水(しょうすい)の魚(うお)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞ひ歩く(こいありく)。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香(か)世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。 あやしき賤(しづ)山(やま)がつも力尽きて、薪(たきぎ)さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価(あたい)、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹付き(につき)、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひ混じはりけるを尋ぬれば、すべき方なきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世(じょくあくせ、じょくあくのよ)にしも生まれあひて、かかる心憂き(こころうき)わざをなん見侍り(みはべり)し。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 前の年は、このようにして、ようやく暮れた。翌年は、(飢饉から)立ち直るかと思われたが、さらに疫病も加わって、いっそう激しくなり、(飢饉から直るような)形跡は無い。世の人は皆、飢えきってしまったので、日がたつにつれて、(惨状が)限界に達する様子は、「少水の魚」(=少ししかない水に住む魚)のたとえに当てはまる。しまいには、笠をかぶり、足を包み、相当な身なりをしている者が、いちずに家ごとに物乞いをして歩く。このように、困窮して呆然とした人が歩いているのを見てたら、いきなり倒れ伏してしまったりもする。土塀(どべい)のそばや、道端に、飢え死にする者のたぐいは、数え切れない。 (死体を)取り片付ける方法も分からないので、臭いにおいが、あたりに満ち満ちて、(死体が腐って)変わっていく顔形や(体の)様子は、目も当てられないことが多い。まして、(鴨川の)川原などには、(死体が多く転がっており)馬や車の行きかう道さえ無い。 身分の低い者や木こりさえも力が無くなり、薪さえ欠乏していくので、頼るところの無い人は、自分の家をこわして、(それを薪として)市に出て売る。一人が持って出た値段は、一日の命(をつなぐ食費)にさえ及ばない。不思議なことには、薪の中に赤い塗料が着いており、緊迫などが所々に見える木が、混じっているのを(これは何なのかと)調べてみると、どうしようも無くなった者が、古寺に行って仏像を盗み、お堂の道具を壊して取って、割り砕いたのであった。(仏法の廃れた)汚れ果てた世に生まれて、このような情けない仕業(しわざ)を見たのでした。 |} ---- *語句(重要) :・'''からうじて''' - 「からくして」のウ音便。やっとのことで。 :・あまりさへ - そのうえ。さらに。 :・ひたすらに - いちずに。ただもう。 :・頼む - 当てにする。面倒を見てもらう。 :・あやしき賎山がつ - ここでの「あやし」は身分が低いの意味。山に住む身分の低い者。木こりや猟師などのこと。 :・あやしきこと - ここでの「あやし」は不思議の意味。 :・尋ぬれば - 調べれば。 :・ - 。 *語注 :・明くる年 - 養和二年。 :・疫癘(えきれい) - 疫病。 :・少水の魚 - 死が目前に迫ってることのたとえ。『法句経』『往生要集』などにある言葉。 :・笠うち着、足引き包み - 高貴な婦人の服装。市女笠(いちめがさ)などをかぶり、素足をみせないように足を包んだ服装。 :・山がつ - 木こりや猟師など、山に住む者で、身分の低い者。 :・赤き丹(に) - 赤色の塗料。 :・濁悪世(じょくあくせ) - 仏教用語であり、末法の世の中のこと。五濁十悪(ごじょくじゅうあく)の世のこと。 ---- === 三 === *大意 夫婦間では、愛情の深いほうが先に死ぬ。なぜなら相手に食べ物をゆずるからである。親子間では、きまって親が先に死ぬ。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| また、いとあはれなる事も侍りき。 さりがたき妻(め)・をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも、かれに譲るによりてなり。されば、親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳(ち)を吸ひつつ、臥(ふ)せるなどもありけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| また、たいそう「あはれ」な(※訳に諸説あり 「しみじみとする」?、「悲しい」?)こともありました。離れられない妻や夫を持っている者は、その愛情が(相手よりも)まさって深い者が、必ず(相手より)先に死ぬ。そのわけは、自分のことは後回しにして、相手をかわいそうだと思っているので、ごくまれに入手した食べ物を、相手にゆずるからである。なので、親子の場合は、決まったことで、親が先に死ぬ。また、母の命が無くなったことを気づかずに、おさない子が、それでも(母の)乳を吸い続けて横になっていることなどもあった。 |} ---- *語句(重要) :・いとけなき - 幼い。 :・なほ - 「やはり」「そのまま」「相変わらず」など多くの意味があるが、どの意味の場合でも、ある状態が持続している時に用いる。 :・ - 。 *語注 :・まれまれ - ごくまれ。 :・かれ - 男女に関係なく用いられる人称代名詞。 :・ - 。 ---- === 四 === *大意 仁和寺(にんなじ)にいる隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という僧は、路上で行き倒れになっている死体を、せめて死体を成仏させようとして、額に「阿」の字を書いて、成仏させた。 死体の数は、京の一部地域だけでも、四月・五月の、たったの二か月だけで四万二千三百余りということだ。 まして、この前後の月日も飢饉で人が死んでおり、京のほかの場所でも人が死んでおり、日本全土での死者の数は、見当もつかないほどに多いだろう。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 仁和寺(にんなじ)に隆暁法印(りうげうほふいん)といふ人、かくしつつ数も知らず、死ぬる事を惜しみて、その首の見ゆるごとに額に阿字(あじ)を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人数を知らむとて、四、五、両月を数へたりければ、京のうち一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の路のほとりなる頭(かしら)、すべて四万二千三百余りなんありける。いはむや、その前後に死ぬる者多く、また、河原、白河、西の京、もろもろの辺地(へんち)などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはむや、七道諸国をや。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 仁和寺(にんなじ)に隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という人(がいて)、このようにして(人々が)数も分からないほどに(I多く)死ぬことを悲しんで、その死人の頭の見えるたびに額に「阿」(あ)の字を書いて、仏縁を結ばせ(成仏させ)ることをなさった。(隆暁法印が、死者の)人数を知ろうとして、四月・五月の二ヶ月を数えたところ、京のうち、一条から南、九条から北、京極よりは西、朱雀よりは東の路の道端にある(死体の)頭、合計で四万二千三百余りであった。まして、その(二ヶ月の)前後に死んだ者も多く、また、河原、白河、西の京、もろもろの辺ぴな土地などを加えて言えば、きりがない。さらにもまして、(日本全土の死者数として、京に加えて)七道諸国を加えたら、どうなるだろうか。(もはや、とほうもない数だろう。) |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・川原 - 。 :・返地(へんじ)- 辺鄙(へんぴ)な土地。ここでは京都近郊の、やや田舎じみた土地のこと。 :・七道諸国 - 「七道」は、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道。 ---- [[カテゴリ:高等学校教育 国語|ほうしようき]]
2014-11-29T04:31:14Z
2024-01-09T08:42:12Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98
19,629
高等学校古典B/大鏡
『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の一〇〇〇年~一一○○年ごろに書かれ、平安時代の藤原道長など、摂関家(せっかんけ)として藤原(ふじわら)氏の一族が権勢を持っていた時代についての歴史物語。 作者は未詳。 作品の内容が、藤原一族の権力抗争のための行動については批判的であり、また作品が宮中の内情に詳しいことから、おそらく作者の立場は、藤原氏を批判的に見る立場にあった貴族または教養人であると思われる。 文体は、和文体である。歴史の記述のしかたは伝記ふうであり、ある時代の天皇の伝記(これを本紀(ほんぎ)という)、または主要人物の伝記であり(これを列伝(れつでん)という)、いわゆる紀伝体(きでんたい)である。 『大鏡』よりも前の時期に『栄華物語』(えいがものがたり、栄花物語)が書かれた。『栄花物語』の内容は、藤原氏を、ほめたたえる内容。 『大鏡』、『今鏡』(いまかがみ)、『水鏡』(みずかがみ)、『増鏡』(ますかがみ)の四つの歴史物語をまとめて「四鏡」(しきょう)と言う。 「四鏡」とも歴史物語。『大鏡』は、四鏡の中で最初に書かれた。 「大鏡」の「鏡」とは、上質の鏡が物を映し出すように、『大鏡』で歴史の真実を映し出そうという意図のようである。 帥殿(そちどの)(=藤原伊周(これちか))の開いた弓の競射に、道長(みちなが)は招待されてないのに、勝手に道長はやってきた。とりあえず道長にも矢を射させたら、道長の射た矢が良く当たる。 いっぽう、帥殿(そちどの)の矢は、道長よりも当たった本数が二本ほど少なかった。 負けを嫌った伊周(これちか)たちが延長をしたところ、道長は今度は自分の家の繁栄を願った発言とともに射ると、的の真ん中に、二本の矢とも当たった。 伊周の父である中関白殿(=藤原道隆(みちたか))は、伊周が二本目を射ようとするとき「もう射るな。」と止めて、その場が白けてしまった。 花山院(かさんいん)天皇は、だまされて出家してしまった。また、出家前に、花山院(かさんいん)は天皇の地位からは退位してしまった。 この策略を考えたのは、藤原兼家(ふじわら かねいえ)である。文中の「東三条殿」とは藤原兼家のこと。 花山院が退位すると、次の天皇には、兼家の孫である春宮(とうぐう)が即位する。 そのため、兼家の一族が、天皇の外戚(がいせき)として権力を握れる。外戚とは母方の親戚のこと。 天皇を退位させるため、兼家の子である藤原道兼(みちかね)にウソをつかせた。もし花山院が退位して出家したら、道兼もいっしょに出家するというウソである。 実際には道兼(みちかね)は出家をしなかった。花山寺(はなやまでら)で天皇が出家をした直後、道兼(みちかね)は口実をつけて寺から都に帰った。 花山院(かさんいん)天皇は、十七歳で天皇に即位し、十九歳で退位し出家した。天皇としての在位は二年間。出家後、二十二年間を生存した。 出家予定の夜、天皇は、月が明るいから目立つとして、出家をためらうが、粟田殿(=藤原道兼)は、天皇の出家をせきたてる。また、天皇が手紙を取りに戻ろうとしたので、粟田殿は、さらにうそ泣きをしてまで、天皇を出家にせかす。 天皇が花山寺へ行く途中、陰陽師(おんみょうじ)の安倍清明(あべの せいめい)の家の前を通る。清明は、家の前を天皇が通っていることに気づいていない。陰陽師である清明は、天変によって、天皇が退位なさったことを察知する。その事を告げる清明の声が、ちょうど家の前を通っていた天皇にも聞こえ、天皇は自らの運命を感慨深く感じる。 清明は式神を宮中に行かせようとするが、式神からの報告で、天皇が家の前を通った事を報告される。 花山寺に到着して、天皇が剃髪し終わっても、粟田殿(=道兼)は出家しなかった。天皇は、だまされたと知り、お泣きになる。だまされたとは、どういうことかと言うと、実は以前から、もし天皇が出家したら粟田殿も一緒に出家する、と粟田殿は約束していたのであった。 さて、この間、粟田殿の父である東三条殿は、粟田殿が無理やりに出家させられないようにするため、手下の者に天皇・粟田殿を見張りらせていた。護衛という名目で見張りは行われており、天皇・粟田殿の一行(いっこう)が都から寺までの移動する間と、一行が寺にいる間に、一行の見張りとして手下の者を付けさせていた。 (花山院)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の一〇〇〇年~一一○○年ごろに書かれ、平安時代の藤原道長など、摂関家(せっかんけ)として藤原(ふじわら)氏の一族が権勢を持っていた時代についての歴史物語。 作者は未詳。 作品の内容が、藤原一族の権力抗争のための行動については批判的であり、また作品が宮中の内情に詳しいことから、おそらく作者の立場は、藤原氏を批判的に見る立場にあった貴族または教養人であると思われる。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "文体は、和文体である。歴史の記述のしかたは伝記ふうであり、ある時代の天皇の伝記(これを本紀(ほんぎ)という)、または主要人物の伝記であり(これを列伝(れつでん)という)、いわゆる紀伝体(きでんたい)である。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "『大鏡』よりも前の時期に『栄華物語』(えいがものがたり、栄花物語)が書かれた。『栄花物語』の内容は、藤原氏を、ほめたたえる内容。", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "『大鏡』、『今鏡』(いまかがみ)、『水鏡』(みずかがみ)、『増鏡』(ますかがみ)の四つの歴史物語をまとめて「四鏡」(しきょう)と言う。 「四鏡」とも歴史物語。『大鏡』は、四鏡の中で最初に書かれた。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「大鏡」の「鏡」とは、上質の鏡が物を映し出すように、『大鏡』で歴史の真実を映し出そうという意図のようである。", "title": "" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "帥殿(そちどの)(=藤原伊周(これちか))の開いた弓の競射に、道長(みちなが)は招待されてないのに、勝手に道長はやってきた。とりあえず道長にも矢を射させたら、道長の射た矢が良く当たる。 いっぽう、帥殿(そちどの)の矢は、道長よりも当たった本数が二本ほど少なかった。", "title": "弓争ひ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "負けを嫌った伊周(これちか)たちが延長をしたところ、道長は今度は自分の家の繁栄を願った発言とともに射ると、的の真ん中に、二本の矢とも当たった。", "title": "弓争ひ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "伊周の父である中関白殿(=藤原道隆(みちたか))は、伊周が二本目を射ようとするとき「もう射るな。」と止めて、その場が白けてしまった。", "title": "弓争ひ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "花山院(かさんいん)天皇は、だまされて出家してしまった。また、出家前に、花山院(かさんいん)は天皇の地位からは退位してしまった。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "この策略を考えたのは、藤原兼家(ふじわら かねいえ)である。文中の「東三条殿」とは藤原兼家のこと。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "花山院が退位すると、次の天皇には、兼家の孫である春宮(とうぐう)が即位する。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "そのため、兼家の一族が、天皇の外戚(がいせき)として権力を握れる。外戚とは母方の親戚のこと。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "天皇を退位させるため、兼家の子である藤原道兼(みちかね)にウソをつかせた。もし花山院が退位して出家したら、道兼もいっしょに出家するというウソである。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "実際には道兼(みちかね)は出家をしなかった。花山寺(はなやまでら)で天皇が出家をした直後、道兼(みちかね)は口実をつけて寺から都に帰った。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "花山院(かさんいん)天皇は、十七歳で天皇に即位し、十九歳で退位し出家した。天皇としての在位は二年間。出家後、二十二年間を生存した。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "出家予定の夜、天皇は、月が明るいから目立つとして、出家をためらうが、粟田殿(=藤原道兼)は、天皇の出家をせきたてる。また、天皇が手紙を取りに戻ろうとしたので、粟田殿は、さらにうそ泣きをしてまで、天皇を出家にせかす。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "天皇が花山寺へ行く途中、陰陽師(おんみょうじ)の安倍清明(あべの せいめい)の家の前を通る。清明は、家の前を天皇が通っていることに気づいていない。陰陽師である清明は、天変によって、天皇が退位なさったことを察知する。その事を告げる清明の声が、ちょうど家の前を通っていた天皇にも聞こえ、天皇は自らの運命を感慨深く感じる。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "清明は式神を宮中に行かせようとするが、式神からの報告で、天皇が家の前を通った事を報告される。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "花山寺に到着して、天皇が剃髪し終わっても、粟田殿(=道兼)は出家しなかった。天皇は、だまされたと知り、お泣きになる。だまされたとは、どういうことかと言うと、実は以前から、もし天皇が出家したら粟田殿も一緒に出家する、と粟田殿は約束していたのであった。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "さて、この間、粟田殿の父である東三条殿は、粟田殿が無理やりに出家させられないようにするため、手下の者に天皇・粟田殿を見張りらせていた。護衛という名目で見張りは行われており、天皇・粟田殿の一行(いっこう)が都から寺までの移動する間と、一行が寺にいる間に、一行の見張りとして手下の者を付けさせていた。", "title": "花山院の出家" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "(花山院)", "title": "花山院の出家" } ]
『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の一〇〇〇年~一一○○年ごろに書かれ、平安時代の藤原道長など、摂関家(せっかんけ)として藤原(ふじわら)氏の一族が権勢を持っていた時代についての歴史物語。 作者は未詳。 作品の内容が、藤原一族の権力抗争のための行動については批判的であり、また作品が宮中の内情に詳しいことから、おそらく作者の立場は、藤原氏を批判的に見る立場にあった貴族または教養人であると思われる。 文体は、和文体である。歴史の記述のしかたは伝記ふうであり、ある時代の天皇の伝記(これを本紀という)、または主要人物の伝記であり(これを列伝という)、いわゆる紀伝体(きでんたい)である。 『大鏡』よりも前の時期に『栄華物語』(えいがものがたり、栄花物語)が書かれた。『栄花物語』の内容は、藤原氏を、ほめたたえる内容。 『大鏡』、『今鏡』(いまかがみ)、『水鏡』(みずかがみ)、『増鏡』(ますかがみ)の四つの歴史物語をまとめて「四鏡」(しきょう)と言う。 「四鏡」とも歴史物語。『大鏡』は、四鏡の中で最初に書かれた。 「大鏡」の「鏡」とは、上質の鏡が物を映し出すように、『大鏡』で歴史の真実を映し出そうという意図のようである。
『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の一〇〇〇年~一一○○年ごろに書かれ、平安時代の藤原道長など、摂関家(せっかんけ)として'''藤原'''(ふじわら)氏の一族が権勢を持っていた時代についての歴史物語。 作者は未詳。 作品の内容が、藤原一族の権力抗争のための行動については批判的であり、また作品が宮中の内情に詳しいことから、おそらく作者の立場は、藤原氏を批判的に見る立場にあった貴族または教養人であると思われる。 文体は、'''和文体'''である。歴史の記述のしかたは伝記ふうであり、ある時代の天皇の伝記(これを本紀(ほんぎ)という)、または主要人物の伝記であり(これを列伝(れつでん)という)、いわゆる'''紀伝体'''(きでんたい)である。 『大鏡』よりも前の時期に『栄華物語』(えいがものがたり、栄花物語)が書かれた。『栄花物語』の内容は、藤原氏を、ほめたたえる内容。 『大鏡』、『今鏡』(いまかがみ)、『水鏡』(みずかがみ)、『増鏡』(ますかがみ)の四つの歴史物語をまとめて「四鏡」(しきょう)と言う。 「四鏡」とも歴史物語。『大鏡』は、四鏡の中で最初に書かれた。 「大鏡」の「鏡」とは、上質の鏡が物を映し出すように、『大鏡』で歴史の真実を映し出そうという意図のようである。 == 三船の才 == === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 一年(ひととせ)、'''入道殿'''の、大井川(おほいがは)に逍遥(せうえう)せさせたまひしに、作文(さくもん)の船、管弦(くわんげん)の船、和歌の船と分かたせたまひて、 その道にたへたる人々を乗せさせたまひしに、この大納言の参りたまへるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」と のたまはすれば、「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし、 :小倉山あらしの風の寒ければ紅葉(もみぢ)の錦(にしき)着ぬ人ぞなき 申し受けたまへるかひありて'''あそばし'''たりな。御自ら(みづから)も、のたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さて'''かばかり'''の詩をつくりたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。'''口惜し'''かりけるわざかな。さても、殿の、『いづれにかと思ふ。』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし。」とのたまふなる。一事(ひとこと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道も抜け出でたまひけむは、いにしへも侍らぬことなり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| ある年、入道殿(=道長)が大井川で舟遊びをしなさったとき、(舟を三つ用意させ、)(漢詩を作る)作文(「さくもん」)の舟、管弦の舟、和歌の舟と分けなさって、それぞれの道に優れた人々を乗せなさったときに、この大納言(=藤原公任)が参上なさって、入道殿(=道長)は、「あの大納言は、どの舟に乗りなさるだろうか。」とおっしゃったところ、(大納言は)「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって、お詠みになったのですよ。 :小倉山やその対岸の嵐山からの吹き降ろしの風が(強くて)寒いので、(紅葉が落ちてしまい、)紅葉の錦を着ない人はいない (大納言は、自分から)願い出ただけあって、上手にお詠みになるなあ。(大納言)本人がおっしゃるには、「作文の舟にこそ乗るべきだったなあ。それで、'''これほど'''(=この和歌ほど)の漢詩を作ったならば、さらに名声が上がるだろうに。残念だったかな。それにしても、入道殿の、『どれにするかと思うか。』とおっしゃられたのには、自分ながら得意気に感じてしまったよ。」とおっしゃられる。一つの事ですら優れているの(で立派なの)に、このように、いずれの道でも抜け出ていることは、昔にも無いことです。 |} ---- *語句(重要) :・入道殿 - 藤原道長(ふじわらのみちなが)。一○一九年に五十四歳のとき出家したので、こう言う。ただし、本文の出来事は、出家前の出来事。「'''入道'''」とは、'''仏門に入った人'''のこと。 :・逍遥(しょうよう) - 気ままにあちこちを歩き回る。 :・あそばし - 動詞「す」などの尊敬語。 :・かばかり - これほど、これくらい。副詞。 :・口惜し - 残念だ。 :・心おごり - 得意気になる。 :・ - 。 *語注 :・大井川 - 今でいう京都市の西部を流れる川。 :・作文(さくもん) - 漢詩を作ること。 :・大納言殿 - 藤原公任(ふじわらのきんとう)。関白頼忠(よりただ)の子。歌人であり、『和歌朗詠集』の選者。 :・小倉山 - 大井川の北側にある山。嵐山とは、大井川を挟んで、向かい合っている。 :・あらし - 嵐山の「あらし」に、つよい風の「あらし」を掛けてる、または「荒らし」を掛けてると思われる。掛詞(かけことば)。 :・ - 。 ---- == 弓争ひ == === 一 === *大意 帥殿(そちどの)(=藤原伊周(これちか))の開いた弓の競射に、道長(みちなが)は招待されてないのに、勝手に道長はやってきた。とりあえず道長にも矢を射させたら、道長の射た矢が良く当たる。 いっぽう、帥殿(そちどの)の矢は、道長よりも当たった本数が二本ほど少なかった。 負けを嫌った伊周(これちか)たちが延長をしたところ、道長は今度は自分の家の繁栄を願った発言とともに射ると、的の真ん中に、二本の矢とも当たった。 伊周の父である中関白殿(=藤原道隆(みちたか))は、伊周が二本目を射ようとするとき「もう射るな。」と止めて、その場が白けてしまった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 帥殿(そちどの)の、南院(みなみのゐん)にて人々集めて弓'''あそばし'''しに、この殿わたらせたまへれば、思ひかけず'''あやし'''と、中関白殿(なかのくわんぱくどの)思し(おぼし)おどろきて、いみじう饗応(きやうよう)し申させたまうて、'''下臈(げらふ)'''におはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣りたまひぬ。中の関白殿、また御前(をまへ)にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、'''やすからず'''思しなりて、「さらば延べさせたまへ。」と仰せられて、また射させたまふとて、仰せらるるやう、「道長が家より帝(みかど)・后(きさき)立ちたまふべきものならば、この矢当たれ。」と仰せられるるに、同じものを'''中心(なから)には当たるものかは'''。次に、帥殿射たまふに、いみじう臆したまひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射たまへるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射たまふとて、「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ。」と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。饗応し、もてはやし聞こえさせたまひつる興もさめて、こと苦う(にがう)なりぬ。父大臣(おとど)、帥殿に、「なにか射る。'''な射そ'''、な射そ。」と制したまひて、ことさめにけり。 入道殿、矢もどして、やがて出でさせたまひぬ。その折は左京大夫(だいぶ)とぞ申しし。弓をいみじう射させたまひしなり。また、いみじう好ませたまひしなり。 今日に見ゆべきことならねど、人の御さまの、言ひ出でたまふことのおもむきより、かたへは臆せられたまふなむめり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 帥殿(そちどの、=藤原伊周)が、南院で、人々を集めて、弓の競射を'''なさった'''ときに、この殿(=藤原道長)がいらっしゃったので、意外で不思議だと、中関白殿(=道隆)はお思い驚きなさって、(とりあえず、)たいそう機嫌を取って、(道長殿は、当時は)'''官位が低く'''てらっしゃったが、(競射の順番を、道長殿を)先にしなさって、まず(道長殿に)射させなさったところ、帥殿は当たった矢数が、もう二本ほど(道長よりも)負けになった。中関白殿も、また(中関白殿の)御前にお仕えする人々も、「もう二回、延長させなさいませ。」と申して延長させなさったので、(道長殿は)'''心おだやかでなく'''感じなさったが「それならば、延長しなさいませ。」とおっしゃられて、また射ようとなさって、おっしゃられることは、「道長の家から帝や后が出なさるならば、この矢よ当たれ。」とおっしゃられたところ、(当たるという点では)同じ当たるでも(今度の矢は)真ん中に当たるではありませんか。次に、帥殿が射なさるところ、たいそう気後れなさって、お手も震えなさったのだろうか、(放った矢は)的の付近にさえ近寄らず、とんでもない方向を射なさってしまったので、関白殿は顔色が青ざめた。再び、入道殿(=道長)が射なさるときに「(もし私が)摂政・関白をするはずならば、この矢よ当たれ。」とおっしゃられると、初めと同じように、的が壊れるほど、同じ所に射当てなさった。(道長殿の)機嫌を取り、もてなしていた興もさめて、気まずくなってしまった。 父の大臣は、帥殿に、「どうして射るのか。(←反語)射るな、射るな。」と止めなさって、(場が)しらけてしまった。 道長殿は矢をもどして、すぐにお帰りになりました。(道長殿の呼び名は)その時は左京大夫と申した。弓をたいへん上手にお引きになさったのでした。また、たいそうお好きでいらっしゃったのでした。 (おっしゃったことが、)今日すぐに実現するわけではありませんが、人(=道長殿)のご様子や、おっしゃることの内容から、「かたへ」は(※訳に諸説あり・ 1:そばに居る人。 2:ひとつには。)気後れなさったようだ。 |} ---- *語句(重要) :・あそばし - 動詞「す」の尊敬語。 :・あやし - 不思議だ。 :・下臈(げろう) - 官位の低い者。 :・臆す - 気後れする。 :・'''中心(なから)には当たるものかは''' - 「かは」は反語や詠嘆の終助詞。ここでは詠嘆。 :・'''な射そ''' - 「な・・・そ」で、「・・・するな」の意味。「な」は副詞、「そ」は終助詞。 *語注 :・帥殿 - 藤原伊周(これちか)。 :・南院(みなみのゐん) - 二条邸の一部。 :・この殿 - 藤原道長。 :・中の関白殿 - 藤原道隆。伊周の父。 :・饗応し - 機嫌を取り、もてなし。 :・入道殿 - 藤原道長。この弓争いの時点では、まだ道長は出家してないが、『大鏡』では、道長のことを入道と呼ぶ場合がある。 :・けにや - 「故(け)にや」で、意味は「・・・のため」「・・・のせい」。「に」は断定の助動詞、「や」は係助詞。 :・無辺世界 - 仏教語で、何も無い世界のこと。この作品では、とんでもない方向のこと。 :・ - 。 ---- == 花山院の出家 == *全体の大意および予備知識など 花山院(かさんいん)天皇は、だまされて出家してしまった。また、出家前に、花山院(かさんいん)は天皇の地位からは退位してしまった。 この策略を考えたのは、藤原兼家(ふじわら かねいえ)である。文中の「東三条殿」とは藤原兼家のこと。 花山院が退位すると、次の天皇には、兼家の孫である春宮(とうぐう)が即位する。 そのため、兼家の一族が、天皇の外戚(がいせき)として権力を握れる。外戚とは母方の親戚のこと。 天皇を退位させるため、兼家の子である藤原道兼(みちかね)にウソをつかせた。もし花山院が退位して出家したら、道兼もいっしょに出家するというウソである。 実際には道兼(みちかね)は出家をしなかった。花山寺(はなやまでら)で天皇が出家をした直後、道兼(みちかね)は口実をつけて寺から都に帰った。 === 一 === *大意 花山院(かさんいん)天皇は、十七歳で天皇に即位し、十九歳で退位し出家した。天皇としての在位は二年間。出家後、二十二年間を生存した。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 次の帝(みかど)、花山院(くわさんいんの)天皇と申しき。(※ 中略)  永観二年八月二十八日、位につかせたまふ。御年十七。寛和二年丙犬六月二十二日の夜、'''あさましく'''さぶらひしきことは、人にも知らせたまはで、'''みそかに'''花山寺におはしまして、御出家入道させたまへりこそ。御年十九。世をもたせたまふこと二年。その後二十二年おはしましき。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 次の帝は花山院(かさんいん)天皇と申しあげた。(※ 中略)  永観二年八月二十八日に、(天皇の)位におつきになられました。御年(おんとし)は十七歳。寛和二年丙犬(の干支の年の)六月二十二日の夜、'''意外で'''驚きましたことは、人にもお知らせにならず、'''ひそかに'''花山寺においでになって、ご出家入道しなさったことです。御年は十九歳。(帝として)世をお治めになること二年。(ご出家なされてから)そののち二十二年(ご存命で)いらっしゃった。 |} ---- *語句(重要) :・おはしまし - 動詞「おはします」は尊敬語であり、「行く」「来」「ある」などの意味で用いられる。 :・みそかに - こっそりと。ひそかに。 :・あさまし - 意外だ。 :・ - 。 *語注 :・花山院(かさんいん) - 花山天皇。(在位: 九八四年 ~ 九八六年。)。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 出家予定の夜、天皇は、月が明るいから目立つとして、出家をためらうが、粟田殿(=藤原道兼)は、天皇の出家をせきたてる。また、天皇が手紙を取りに戻ろうとしたので、粟田殿は、さらにうそ泣きをしてまで、天皇を出家にせかす。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| あはれなることは、降り(おり)おはしましける夜(よ)は、藤壺(ふぢつぼ)の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出(い)でさせたまひけるに、有明(ありあけ)の月の明かかりければ、「顕証(けしやう)にこそありけれ。いかがすべらむ。」と仰せられけるを、「さりとて、止まらせたまふべきやう侍らず(はべらず)。神璽(しんし)・宝剣渡りたまひぬるは。」と粟田(あはた)殿の騒がし申したまひけるは、まだ帝(みかど)出でさせおはしまさざりける先(さき)に、手づからとりて、春宮(とうぐう)の御方(かた)に渡したてまつりたまひてければ、帰り入(い)らせたまはむことはあるまじく思して(おぼして)、しか申させたまひけるとぞ。  '''さやけき'''影を、まばゆく思し召しつるほどに、月のかほにむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家(すけ)は成就(じやうじゆ)するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせたまふほどに、弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)の御文(ふみ)の、日ごろ、破り(やり)残して御身もはなごらん放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかに、かくは思し召しならせおはしますぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きしたまひけるは。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| しみじみと心痛む思いのすることは、ご退位なさった(その日の)夜は、藤壺の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)からお出になったところ、有明の月がたいそう明るかったので、「目立つなあ。どうしたものか。」とおっしゃられたのを、「そうだといって、ご中止なさるわけにはいきません。神璽(しんし)・宝剣は(皇太子に)お渡りになってしまいましたからには。」と、粟田殿(=藤原道兼)がせきたて申し上げるのは、(実は)まだ天皇がお出ましにならなかった前に、(粟田殿が)自ら自身の手で、(神璽と宝剣を)春宮のお方にお渡しになってしまったので、(天皇が宮中へ)お帰りなさることはあてはならないことだとお思いになって、そのように申し上げなさったということです。 '''明るい'''月の光を、まぶしくお思いになっていたうちに、月の表面にむら雲がかかって、少し暗くなっていったので、「私の出家は成就するのだなあ。」とおっしゃって、歩き出しなさるしだいに、弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)のお手紙の、ふだん、破り捨てずに残して、御身から離さずにご覧になったいたのを思いだしなさって、「しばらく(待て)。」と言って、取りにお入りなさった時ですよ、粟田殿の、「どうして、このようにお思いになられますのか。ただ、今が過ぎたら、自然と差し障りも出て参るでしょう。」と言って、うそ泣きをしなさったのは。 |} ---- *語句(重要) :・有明(ありあけ)の月 - 陰暦十六日以降の月。 :・さやけき - 明るい。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・藤壺の上の御局 - 清涼殿の北側にある、后妃のための部屋。 :・顕証に - あらわで、はっきりしているさま。 :・神璽・宝剣 - 三種の神器のうちの、二つの、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。なお、三種の神器のもう一つは、八咫鏡(やたのかがみ)。 :・粟田殿 - 藤原道兼(みちかね)。( 生没: 九六一 ~ 九九五 )。兼家の子。「粟田」とは屋敷の名前。当時、蔵人(くろうど)として花山天皇の従者だった。 :・春宮(とうぐう) - 円融(えんゆう)天皇の皇子。のちの一条天皇。母は、兼家の娘の詮子(せんし)。「東宮」とも書く。 :・弘徽殿の女御 (こきでんのにょうご) - 花山天皇の女御。本文の前年の九八五年に病死。 ---- === 三 === *大意 天皇が花山寺へ行く途中、陰陽師(おんみょうじ)の安倍清明(あべの せいめい)の家の前を通る。清明は、家の前を天皇が通っていることに気づいていない。陰陽師である清明は、天変によって、天皇が退位なさったことを察知する。その事を告げる清明の声が、ちょうど家の前を通っていた天皇にも聞こえ、天皇は自らの運命を感慨深く感じる。 清明は式神を宮中に行かせようとするが、式神からの報告で、天皇が家の前を通った事を報告される。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| さて、土御門(つちみかど)より東(ひんがし)ざまに率(ゐ)て出だしまゐらせたまふに、晴明(せいめい)が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびただしく、はたはたと打ちて、「帝おりさせたまふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。まゐりて'''奏(そう)せむ'''。車に装束(せうぞく)とうせよ」といふ声聞かせたまひけむ、さりともあはれに思し召しけむかし。「かつがつ、式神(しきじん)一人内裏(だいり)にまゐれ。」と申しければ、目には見えぬものの戸を押し開けて、御後ろをや見まゐらせけむ、「ただ今これより過ぎさせおはしますめり。」といらへけりとかや。その家、土御門町口(まちぐち)なれば、御道なり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| さて、土御門から東のほうにお連れ出し申し上げなさったところ、(陰陽師の安倍)清明の家の前をお通りになさり、(清明)自身の声で、手を激しくパチパチと叩いて、「天皇が退位なさると思われる天変があったが、既に成立してしまったと思われることだ。参内(さんだい)して奏上しよう。車に支度を早くせよ。」と言う声を(天皇は)お聞きになっただろう、そうだからとは言え(=天皇の覚悟の上の出家だとは言え)感慨深くお思いになっただろうよ。(清明が)「とりあえず、式神一人、宮中へ参上せよ。」と申したので、目には見えないものが(清明の家の)戸を押し開けて、(天皇の)お後ろ姿を見申し上げたのだろうか、「たった今、ここを通り過ぎたようです。」と答えたとかいう事です。その(清明の)家は、土御門町口にあるので、(天皇が花山寺へ向かう際の)お道筋なのであった。 |} ---- *語句(重要) :・'''奏(そう)せむ''' - 「奏す」(そうす)は、参上する、申し上げる。天皇・上皇に申し上げる場合にのみ使う。 :・ - 。 *文法 :率(ゐ)て出だし'''まゐら'''せ'''たまふ''' ::「まゐらす」は謙譲語であり、花山天皇に対する敬意。謙譲語は動作の受け手への敬意。この場合、連れ出された人物は花山天皇だから。 ::「たまふ」は尊敬語であり、粟田殿に対する敬意。尊敬語は動作者への敬意。 *語注 :・土御門(つちみかど) - 土御門大路。 :・式神(しきじん) - 陰陽師が操る鬼神。 :・ - 。 :・ - 。 ---- === 四 === *大意 花山寺に到着して、天皇が剃髪し終わっても、粟田殿(=道兼)は出家しなかった。天皇は、だまされたと知り、お泣きになる。だまされたとは、どういうことかと言うと、実は以前から、もし天皇が出家したら粟田殿も一緒に出家する、と粟田殿は約束していたのであった。 さて、この間、粟田殿の父である東三条殿は、粟田殿が無理やりに出家させられないようにするため、手下の者に天皇・粟田殿を見張りらせていた。護衛という名目で見張りは行われており、天皇・粟田殿の一行(いっこう)が都から寺までの移動する間と、一行が寺にいる間に、一行の見張りとして手下の者を付けさせていた。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  花山寺におはしましつきて、御髪(みぐし)おろさせたまひて後にぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣(おとど)にも、変はらぬ姿、いま一度(ひとたび)見え、かくと案内(あない)申して、必ず参りはべらむ。」と申したまひければ、「朕(われ)をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせたまひけれ。あはれに悲しきことなりな。日ごろ、よく、「御(み)弟子にて候はむ(さぶらはむ)。」と契りて、'''すかし'''まうしたまひけむがお恐ろしさよ。東三条殿(とうさんでうどの)は、「もしさることやしたまふ。」と、危うさ(あやふさ)に、さるべく'''おとなし'''き人々、何がしかがしといふいみじき源氏(げんじ)の武士(むさ)たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどはかくれて、堤(つつみ)の辺よりぞうち出でまゐりける。寺などにては、「もし、押して、人などやなしたてまつる。」とて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守りまうしける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (天皇が)花山寺にお着きになって、ご剃髪なされた後に、粟田殿は、「退出して、(父の)大臣にも、(私の出家前の)変わらない姿を、もう一度見せ、こうと事情を申し上げ、必ず(戻って)参りましょう。」と申し上げなさったので、(天皇は)「私を騙したのだな。」とおっしゃってお泣きになりました。お気の毒で悲しいことですよ。(栗田殿は)日ごろ、よく、(もし天皇が出家したら、自分も)お弟子になりましょうと約束して、'''だまし'''申し上げなさったという恐ろしさよ。東三条殿(=兼家)は、そのようなこと(=粟田殿による出家)をなさったらと心配で、しかるべき'''思慮分別のあ'''る人々や、誰それという優れた源氏の武者たちを、護衛として付けなさったのでした。(粟田殿が)京の(町中にいる)うちは隠れて(見張って)、堤の辺りからは姿を現して参ったのです。寺などにおいては、「万一、(誰かが)無理やり、誰かが(粟田殿が出家するように)し申し上げるのでは。」と思って、一尺ほどの刀を抜きかけてお守り申したということです。 |} (花山院) ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・すかし申し - 「すかす」=だます。 :・おとなし - 思慮分別のある。 *語注 :・花山寺 - 今でいう京都市 山科(やましな)区 北花山 にあった寺。今の元慶寺(がんぎょうじ)。 :・東三条殿(とうさんじょうどの) - 藤原兼家(かねいえ)。「東三条」とは屋敷の場所から。 :・一尺 - 約三十センチメートル。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
2014-12-01T06:54:32Z
2024-03-03T13:41:58Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E5%A4%A7%E9%8F%A1
19,630
高等学校古典B/蜻蛉日記
『蜻蛉日記』(かげろうにっき)の作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。 作者の夫は藤原兼家(かねいえ)。作者の子は藤原道綱(みちつな)。 夫と不仲であり、日記内に、そのような事に関した話が多い。 『蜻蛉日記』は女流日記文学として日本最古。(「土佐日記」は男の紀貫之の作なので女流文学ではない。) 兼家の子の道隆(みちたか)や道長(みちなが)などは、兼家の、他の妻である時姫(ときひめ)との子であり、藤原道綱母の子ではない。 夫・兼家(かねいえ)との不仲に悩み、作者は死にたいと思うものの、一人息子の道綱(みちつな)のことを考え死なないで、かわりに出家しようとする。 出家しようと考えている事を息子・道綱に相談すると、息子は、「母が出家するなら、もはや自分も法師になってしまおう。」などと言う。 あまりに悲しいので、冗談で飼っていた鷹を今後どうするかと質問したところ、息子の出家の決心は思いのほか強く、なんと鷹を逃がしてしまった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『蜻蛉日記』(かげろうにっき)の作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。 作者の夫は藤原兼家(かねいえ)。作者の子は藤原道綱(みちつな)。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "夫と不仲であり、日記内に、そのような事に関した話が多い。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "『蜻蛉日記』は女流日記文学として日本最古。(「土佐日記」は男の紀貫之の作なので女流文学ではない。)", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "兼家の子の道隆(みちたか)や道長(みちなが)などは、兼家の、他の妻である時姫(ときひめ)との子であり、藤原道綱母の子ではない。", "title": "" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "夫・兼家(かねいえ)との不仲に悩み、作者は死にたいと思うものの、一人息子の道綱(みちつな)のことを考え死なないで、かわりに出家しようとする。 出家しようと考えている事を息子・道綱に相談すると、息子は、「母が出家するなら、もはや自分も法師になってしまおう。」などと言う。 あまりに悲しいので、冗談で飼っていた鷹を今後どうするかと質問したところ、息子の出家の決心は思いのほか強く、なんと鷹を逃がしてしまった。", "title": "鷹を放つ" } ]
『蜻蛉日記』(かげろうにっき)の作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。 作者の夫は藤原兼家(かねいえ)。作者の子は藤原道綱(みちつな)。 夫と不仲であり、日記内に、そのような事に関した話が多い。 『蜻蛉日記』は女流日記文学として日本最古。(「土佐日記」は男の紀貫之の作なので女流文学ではない。) 兼家の子の道隆(みちたか)や道長(みちなが)などは、兼家の、他の妻である時姫(ときひめ)との子であり、藤原道綱母の子ではない。
『蜻蛉日記』(かげろうにっき)の作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。 作者の夫は藤原兼家(かねいえ)。作者の子は藤原道綱(みちつな)。 夫と不仲であり、日記内に、そのような事に関した話が多い。 『蜻蛉日記』は女流日記文学として日本最古。(「土佐日記」は男の紀貫之の作なので女流文学ではない。) 兼家の子の道隆(みちたか)や道長(みちなが)などは、兼家の、他の妻である時姫(ときひめ)との子であり、藤原道綱母の子ではない。 == 鷹を放つ == === 一 === *大意 夫・兼家(かねいえ)との不仲に悩み、作者は死にたいと思うものの、一人息子の道綱(みちつな)のことを考え死なないで、かわりに出家しようとする。 出家しようと考えている事を息子・道綱に相談すると、息子は、「母が出家するなら、もはや自分も法師になってしまおう。」などと言う。 あまりに悲しいので、冗談で飼っていた鷹を今後どうするかと質問したところ、息子の出家の決心は思いのほか強く、なんと鷹を逃がしてしまった。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心として死にもしに'''しがな'''と思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、後ろ安からむ妻(め)などに預けてこそ死にも心安からむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ、と思ふに、なほいと死にがたし。 「'''いかがはせむ'''。かたちを変へて、世を思ひ離るやと試みむ(こころみむ)。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にも交じらはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、われもえせきあへねど、いみじさに、戯れに言いなさむとて、「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる。」と言ひたれば、'''やをら'''立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、 :争そへば思ひにわぶる天雲(あまぐも)にまづそる鷹ぞ悲しかりける とぞ。日暮るるほどに、文(ふみ)見えたり。天下(てんげ)のそらごと(虚言)ならむと思へば、「ただいま、心地悪しくて。」とて、やりつ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| つくづく思い続けることは、やはり、なんとかして自分の意思で早く死んでしまいたいものだなあと願う以外ほかの事もないが、ただこの一人いる人(息子の道綱)のことを考えると、たいそう悲しい。あとあと安心できそうな妻などに(息子を)預けてこそ、(私が)死ぬのも安心できそうだと思うが、(私が死んだら息子は)どのような気持ちでさまようだろうと思うと、やはりとても死ににくい。 「どうしようか。かたちを変えて(=尼となって、官位も捨てて)、夫婦仲を思い切れるかと試してみようか。」と(道綱に)話すと、まだ深くもない(年頃である)けれど、ひどくしゃくりあげて、よよと泣いて、(道綱は)「そのように(尼に)おなりになるならば、私も法師になってしまおう。何をするためにか、世間にも交わろうか(=宮仕えする必要があろうか)。(いや、母と離れてしまっては、もはや宮仕えする必要なんて無い。)」と言って、はげしくよよと泣けば、私も(泪を)こらえきれないけれど、あまりもの深刻さに、冗談に言い紛らわそうと思って、「それでは、鷹を飼わないでは、どのようにしなさるつもり。」と言ったところ、(息子は)'''そっと'''立ち上がり走って、(止まり木に)止まらせていた鷹をつかんで放ってしまった。見ている人(=女房など)も、こらえきれず、(母である私は、もっと悲しいので、私は)まして一日中悲しい。心の中で思われること(を歌にすると)、 : と、なろうか。(その後、)日が暮れる頃に、(夫・兼家からの)手紙が来た。世界一の嘘(うそ)だろうと思うので、「ただいま具合が悪いので。」と言って、(使いの者を)帰した。 |} ---- *語句(重要) :・いかが - 「いかにか」のつづまった形。「いかに」の次の'''「か」'''が'''係助詞'''なので、結びは連体形になる。 :・しがな - 願望の終助詞。「にしがな」「てしがな」などの形で使う。 :・まろ - 自称の代名詞。男女ともに使う。 :・やをら - そっと。静かに。 *語注 :・争そへば - この文では、夫婦仲が悪いこと。 :・天雲(あまぐも) - 尼(あま)との掛詞。 :・そる - 鷹が飛び去る意味の「逸る」と、剃髪の意味の「剃る」との、掛詞。 :・ - 。 == うつろひたる菊 == === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| さて、九月(ながつき)ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを、手まさぐりに開けてみれば、 人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに見てけりとのみ知られんと思ひて、書きつく。 :うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならんとすらん など思ふほどに、むべなう、十月(かみなづき)つごもり方(がた)に、三夜(みよ)しきりて見えぬときあり、つれなうて、「しばし試みる(こころみる)ほどに。」など気色(けしき)あり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| さて、九月ごろになって、兼家が出てしまった時に、文箱があるのを何気なく開けて見ると、他の人(=女)に届けようとした手紙がある。あきれて、見てしまったということだけでも(兼家に)知られようと思って、書きつける。 :疑わしい。他に送ろうとする手紙を見れば、こちらには、途絶えようちしているうのでしょうか。 などと思ううちに、(しばらくして、)案の定、十月の末ごろに、三晩続けて姿を見せない時があった。(その後、兼家は)平然として、「(あなたの気持ちを)しばらく試しているうちに。」などと事情を話す。 |} ---- *語句(重要) :・手まさぐりに - 手先で、もてあそぶこと。転じて意味が、何気なし、何気なく、などの意味になった。 :・むべなう - 「むべなし」の事で、意味は、案の定(あんのじょう)。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 :・三夜(みよ) - 当時の婚礼では、三日、通いつづける。三日続けて、兼家が自宅に来ないという事は、他の女と婚礼をしたと作者は考えている。 :・ - 。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| これ'''より'''、夕さりつ方(かた)、「内裏(うち)に、のがるまじかりけり。」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町小路(まちのこうじ)なるそこそこになむ、とまり給ひぬる。」とて来たり。 '''さればよ'''と、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日(ふつかみか)ばかりありて、暁方(あかつきがた)に、門をたたくときあり。さなめりと思ふに、うくてあけさせねば、例の家とおぼしきところに'''ものしたり'''。 つとめて、なほもあらじと思ひて、 :嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。返り言、「あくる(明くる)までもこころみむ(試みむ)としつれど、'''とみなる'''召し使ひの、来あひたりつればなん。いと'''ことわり'''('''理''')なりつるは。 :げにやげに冬の夜ならぬまきの戸もおそくあくるはわびしかりけり」 さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる。しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、'''いとどし'''う心づきなく思ふことぞ、限りなきや。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| ここ(=私の家)'''から'''、夕方、「宮中に行かざるをえない用事がある。」と言って出かけるので、(私は)納得がいかず、(召使いの)人に後をつけさせて見させたところ、「町の小路にあるどこそこに、(兼家の車が)お止まりになりました。」と言って、(もどって)来た。 '''やっぱり'''だと、たいそうつらいと思うけど、どう言おうかも分からないでいるうちに、二、三日ほどたって、夜明けごろに門をたたく時があった。そのようだと(='''兼家が来た''')思うと、つらくて、開けないでいると、例の(小路の女の)家と思われる所に'''行ってしまった'''。翌朝、やはりこのままではいられないと思って、 :嘆きながら、一人で寝る夜の、夜明けまでの間は、どんなに長いか、おわかりですか。 と、いつもよりは体裁(ていさい)を整えて書いて、色あせた菊にさした。(兼家の)返事は 「夜が明けるまで待とうとしたけれど、'''急な'''召使いが来てしまったので。(おなたが怒るのも)とても'''当然'''であります。」 :本当に本当に、(冬の夜はなかなか明かないが、)冬の夜ではないが、まきの戸が遅く開くのは、つらいことだよ。」 とても不思議であるくらい、そしらぬふりをしている。しばらくは、(本来なら)人目を避ける様子で、「宮中に。」などと言っているのが当然であるのに、不愉快に思うこと、限りない。(※訳に諸説あり この上なく不愉快?、 長く果てしなく不愉快が続く?) |} ---- *語句(重要) :・これより - ここから。この文での「これ」とは作者の家。 :・'''さればよ''' - やっぱり。「されば」は「さあれば」の変化した形。 :・ものしたり - 動詞「ものす」は婉曲的な表現。何をするのかは、文脈による。この作品では「行く」の意味。 :・とみなる - 急な。 :・ことわりなり - もっともである。当然。言うまでも無い。 :・げにやげに - 「げに」の意味は、「実に」「本当に」。「げにやげに」と二回続けることで協調した言い方。 :・おそくあくる - 「あくる」は「明くる」と「開くる」を掛けた掛詞と思われる。 :・いとどし - ますます激しい。ますますはなはだしい(甚だしい)。 *語注 :・嘆きつつ・・・ - この歌は小倉百人一首に所収された。 :・うつろひたる菊 - 兼家の心移りを暗示させた。 :・まき - 檜(ひのき)など。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]] [[カテゴリ:日記]]
null
2023-02-02T17:12:40Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E8%9C%BB%E8%9B%89%E6%97%A5%E8%A8%98
19,631
実用新案法第36条
実用新案法第36条 特許法第4章第3節の規定のうち必要な条文について準用する旨を規定する。平成5年改正前の本条については特許法第122条を参照のこと。 (特許法の準用) 第36条 特許法第110条(利害関係人による特許料の納付)の規定は、登録料について準用する。 昭和62年改正において、特111条1項新3号を準用しなかったのは、同号が延長登録制度に係る規定であるため、当該制度のない実用新案法では準用する必要がないためであった。特109条、111条の準用取り止めについては、それぞれ34条、32条の2を参照のこと。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "実用新案法第36条", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "特許法第4章第3節の規定のうち必要な条文について準用する旨を規定する。平成5年改正前の本条については特許法第122条を参照のこと。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "(特許法の準用)", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第36条 特許法第110条(利害関係人による特許料の納付)の規定は、登録料について準用する。", "title": "条文" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "昭和62年改正において、特111条1項新3号を準用しなかったのは、同号が延長登録制度に係る規定であるため、当該制度のない実用新案法では準用する必要がないためであった。特109条、111条の準用取り止めについては、それぞれ34条、32条の2を参照のこと。", "title": "改正履歴" } ]
実用新案法第36条 特許法第4章第3節の規定のうち必要な条文について準用する旨を規定する。平成5年改正前の本条については特許法第122条を参照のこと。
{{知財コンメンヘッダ|実用新案}} '''実用新案法第36条''' 特許法第4章第3節の規定のうち必要な条文について準用する旨を規定する。平成5年改正前の本条については[[特許法第122条]]を参照のこと。 == 条文 == (特許法の準用) 第36条 [[特許法第110条]](利害関係人による特許料の納付)の規定は、[[実用新案法第31条|登録料]]について準用する。 == 改正履歴 == * ''昭和62年法律第27号 - [[特許法第111条|特111条]]に準用しない1項新3号が新設されたことによる形式的な改正'' * 平成5年法律第26号 - 特111条の準用取り止め、条文移動(34条から) * 平成11年法律第41号 - [[特許法第109条|特109条]]の準用取り止め 昭和62年改正において、特111条1項新3号を準用しなかったのは、同号が[[特許法第67条の2|延長登録制度]]に係る規定であるため、当該制度のない実用新案法では準用する必要がないためであった。特109条、111条の準用取り止めについては、それぞれ[[実用新案法第34条|34条]]、[[実用新案法第32条の2|32条の2]]を参照のこと。 == 関連条文 == * [[実用新案法第36条]] - [[意匠法第45条]] - ''[[商標法第41条の3#改正履歴|商標法旧第43条]]'' {{前後 |[[コンメンタール実用新案法|実用新案法]] |第4章 実用新案権 第3節 登録料 |[[実用新案法第34条|34条]]<br />''[[実用新案法第35条|35条]]'' |[[実用新案法第37条|37条]] }} [[カテゴリ:実用新案法|36_2]]
null
2014-12-06T00:45:40Z
[ "テンプレート:知財コンメンヘッダ", "テンプレート:前後" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%94%A8%E6%96%B0%E6%A1%88%E6%B3%95%E7%AC%AC36%E6%9D%A1
19,633
高等学校古典B/去来抄
俳論。作者は向井去来(むかい きょらい)。 向井去来は、松尾芭蕉の弟子。 蕉門および門人たちについての句の批評や俳諧論が書かれている。一七○二年(元禄十五年)頃にかけて成立したとみられるが、出版された時期は、去来の没後から約七○年後の一七七五年(安永四年)。 生没: 一六五一年 ~ 一七○四年 。(慶安四年~宝永元年) 江戸時代前期の俳人。蕉門十哲のうちの一人。芭蕉の句集の一つである『猿蓑』(さるみの)の編集に参加しており、凡兆(ぼんちょう)とともに編集した。 芭蕉の「行く春を・・・」の句を尚白(しょうはく)が批判して、句中の語句の置き換えを尚白は主張した。この事について、先生(=芭蕉)は私(=去来)に意見を求めたので、私は、もとの芭蕉の句のほうが実景に基づいており、さらに実感がこもっており、もとのほうが良い句だと答えた。 先生(=芭蕉)は、私の意見に喜んだ。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "俳論。作者は向井去来(むかい きょらい)。 向井去来は、松尾芭蕉の弟子。 蕉門および門人たちについての句の批評や俳諧論が書かれている。一七○二年(元禄十五年)頃にかけて成立したとみられるが、出版された時期は、去来の没後から約七○年後の一七七五年(安永四年)。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "生没: 一六五一年 ~ 一七○四年 。(慶安四年~宝永元年) 江戸時代前期の俳人。蕉門十哲のうちの一人。芭蕉の句集の一つである『猿蓑』(さるみの)の編集に参加しており、凡兆(ぼんちょう)とともに編集した。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "芭蕉の「行く春を・・・」の句を尚白(しょうはく)が批判して、句中の語句の置き換えを尚白は主張した。この事について、先生(=芭蕉)は私(=去来)に意見を求めたので、私は、もとの芭蕉の句のほうが実景に基づいており、さらに実感がこもっており、もとのほうが良い句だと答えた。 先生(=芭蕉)は、私の意見に喜んだ。", "title": "行く春を" } ]
『去来抄』(きょらいしょう)   俳論。作者は向井去来。 向井去来は、松尾芭蕉の弟子。 蕉門および門人たちについての句の批評や俳諧論が書かれている。一七○二年(元禄十五年)頃にかけて成立したとみられるが、出版された時期は、去来の没後から約七○年後の一七七五年(安永四年)。 向井去来 生没: 一六五一年 ~ 一七○四年。(慶安四年~宝永元年)   江戸時代前期の俳人。蕉門十哲のうちの一人。芭蕉の句集の一つである『猿蓑』(さるみの)の編集に参加しており、凡兆(ぼんちょう)とともに編集した。
*『去来抄』(きょらいしょう)   俳論。作者は向井去来(むかい きょらい)。 向井去来は、松尾芭蕉の弟子。 蕉門および門人たちについての句の批評や俳諧論が書かれている。一七○二年(元禄十五年)頃にかけて成立したとみられるが、出版された時期は、去来の没後から約七○年後の一七七五年(安永四年)。 *向井去来(むかい きょらい) 生没: 一六五一年 ~ 一七○四年 。(慶安四年~宝永元年)   江戸時代前期の俳人。蕉門十哲のうちの一人。芭蕉の句集の一つである『猿蓑』(さるみの)の編集に参加しており、凡兆(ぼんちょう)とともに編集した。 == 行く春を == === 一 === *予備知識 :・近江(おうみ)と丹波(たんば)は別の国。近江は今の滋賀県のあたり。丹波は今の兵庫県のあたり。 *大意 芭蕉の「行く春を・・・」の句を尚白(しょうはく)が批判して、句中の語句の置き換えを尚白は主張した。この事について、先生(=芭蕉)は私(=去来)に意見を求めたので、私は、もとの芭蕉の句のほうが実景に基づいており、さらに実感がこもっており、もとのほうが良い句だと答えた。 先生(=芭蕉)は、私の意見に喜んだ。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| :'''行く春'''を近江(あふみ)の人と惜しみけり        芭蕉 先師いはく、「尚白(しやうはく)が難に、『近江は丹波(たんば)にも、行く春は行く歳にも、ふるべし』と言へり。汝、いかが聞きは侍るや。」と申す。去来いはく、「尚白が難あたらず。湖水朦朧(もうろう)として春を惜しむに便りあるべし。ことに今日(こんいち)の上に侍る。」と申す。先師いはく、「しかり。古人もこの国に春を愛する事、'''をさをさ'''都に劣らざるものを。」去来いはく「この一言心に徹す。行く歳近江にゐたまはば、いかでかこの感ましまさん。行く春丹波にゐまさば、もとよりこの情浮かぶまじ。風光の人を感動せしむる事、真なるかな。」と申す。先師いはく「汝は、去來、共に風雅を語るべき者なり。」とことさらに喜びたまひけり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| :過ぎゆく春を、近江(おうみ)の国の人たちと、惜しんだことだ。        芭蕉(ばしょう) 先生(=芭蕉)が言うには、「尚白(しょうはく)が批判して、『(この句では)近江は丹波にも(変えられ)、行く春は行く年にも変えられる』、と言った。おまえは、どのよう思いますか。と。 去来が言うには、「尚白の批判は当たっていません。(琵琶湖の)湖面が霞んで(かすんで)、春を惜しむのにふさわしいでしょう。くわえて、(この句は)実感を詠んだものです。」と申し上げる。 先生が言うには、「その通りだ。昔の(歌)人も、この('''近江の''')国で春を愛することは、'''少しも'''都に劣らないのだよ。」去来は言った、「この一言(=芭蕉の句)に、心に深く感銘を覚えました。(いっぽう、もし尚白の句のように)年の瀬に近江にいらっしゃったなら、どうしてこのような感慨があるでしょうか。(また、もし)過ぎ行く春に丹波にいらっしゃったなら、もとから、この感情は思い浮かばないでしょう。すばらしい風景が人を感動させるのは、本当なのですね。」と申し上げる。先生が言うには、「去来よ、おまえは、(私と)いっしょに俳諧を語ることができる者だ。と、格別にお喜びになった。」 |} ---- *語句(重要) :・行く春 - '''季語'''。この句の季節は'''春'''。過ぎ行く春、という意味。 :・いはく - 言うには。おっしゃるには。「言ふ」の未然形「言は」に接尾語「く」が付いた形。漢文などで「曰」を「いはく」と訓読する。漢文の語順では「曰」のあとに、語った内容を書くのが普通。 :・汝(なんぢ) - おまえ。あなた。対等または目下の相手に用いる二人称の代名詞。 :・'''をさをさ''' - 「をさをさ・・・(打消し)」の形で使い、意味は「ほとんど・・・ない」「少しも・・・ない」「めったに・・・ない」などの意味。 :・ものを - 詠嘆の終助詞。 :・たより - よりどころ。 :・ - 。 *語注 :・近江 - 現在でいう滋賀県の旧国名。 :・芭蕉 - 松尾芭蕉。江戸時代前期の代表的な俳人。生没:一六四四 ~ 一六九四。 :・先師 - 亡くなった師匠。執筆の時点で、芭蕉は亡くなっている。 :・尚白(しょうはく) - 芭蕉一門のうちの一人。生没:一六五〇 ~ 一七二二。 :・丹波 - 現在でいう兵庫県の旧国名。 :・ふる - もとの意味は「振り動かす」の意味だが、この作品では「置き換える」の意味。現代でも「振り替え」などと言う表現に名残があろう。 :・湖水 - の作品では琵琶湖のこと。 :・風雅 - ここでは俳諧のこと。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:56:47Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E5%8E%BB%E6%9D%A5%E6%8A%84
19,634
高等学校古典B/俊頼髄脳
沓冠折句(くつかぶり おりく)とは、次のような折句(おりく)の技法。 たとえば「あ・わ・せ・た・き・も・の・す・こ・し」(合わせ薫き物少し)という題に対して、 と答える。 それぞれの句の頭文字を、一文字ずつ、つなげると、「あはせたき」になる。 それぞれの句の末尾を、一文字ずつ、つなげると、「ものずこじ」になり、濁点を省くと「ものすこし」になる。 沓冠折句(くつかぶり おりく)という技巧がある。十文字ある言葉を、和歌の各の上下に置いて詠んだ歌である。 光孝天皇が、(後宮の)人々の、和歌の教養を試そうとして、この技法で和歌を詠んだところ、広幡(ひろはた)の女御だけが折句に気づき、和歌を解読して「合わせ薫き物少し。」という折句に気づき、御息所は天皇に薫き物を差し上げた。 天皇は、広幡(ひろはた)の女御の和歌のたしなみの深さに感心したという。 この形式とは別に、沓冠折句(くつかぶり おりく)には、各句の下の字を逆に詠むこともある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "沓冠折句(くつかぶり おりく)とは、次のような折句(おりく)の技法。 たとえば「あ・わ・せ・た・き・も・の・す・こ・し」(合わせ薫き物少し)という題に対して、", "title": "沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "と答える。", "title": "沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "それぞれの句の頭文字を、一文字ずつ、つなげると、「あはせたき」になる。 それぞれの句の末尾を、一文字ずつ、つなげると、「ものずこじ」になり、濁点を省くと「ものすこし」になる。", "title": "沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "沓冠折句(くつかぶり おりく)という技巧がある。十文字ある言葉を、和歌の各の上下に置いて詠んだ歌である。 光孝天皇が、(後宮の)人々の、和歌の教養を試そうとして、この技法で和歌を詠んだところ、広幡(ひろはた)の女御だけが折句に気づき、和歌を解読して「合わせ薫き物少し。」という折句に気づき、御息所は天皇に薫き物を差し上げた。 天皇は、広幡(ひろはた)の女御の和歌のたしなみの深さに感心したという。", "title": "沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "この形式とは別に、沓冠折句(くつかぶり おりく)には、各句の下の字を逆に詠むこともある。", "title": "沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌" } ]
null
== 沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌 == *解説 沓冠折句(くつかぶり おりく)とは、次のような折句(おりく)の技法。 たとえば「あ・わ・せ・た・き・も・の・す・こ・し」(合わせ薫き物少し)という題に対して、 :'''あ'''ふさかも '''は'''てはいききの '''せ'''きもゐず '''た'''ずねてこばこ '''き'''なばかえさじ :(逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ) と答える。 それぞれの句の頭文字を、一文字ずつ、つなげると、「あはせたき」になる。<br /> それぞれの句の末尾を、一文字ずつ、つなげると、「ものずこじ」になり、濁点を省くと「ものすこし」になる。 === 一 === *大意 沓冠折句(くつかぶり おりく)という技巧がある。十文字ある言葉を、和歌の各の上下に置いて詠んだ歌である。 光孝天皇が、(後宮の)人々の、和歌の教養を試そうとして、この技法で和歌を詠んだところ、広幡(ひろはた)の女御だけが折句に気づき、和歌を解読して「合わせ薫き物少し。」という折句に気づき、御息所は天皇に薫き物を差し上げた。 天皇は、広幡(ひろはた)の女御の和歌のたしなみの深さに感心したという。 この形式とは別に、沓冠折句(くつかぶり おりく)には、各句の下の字を逆に詠むこともある。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌といへるものあり。十文字ある事を、句の上下(かみしも)に置きて詠めるなり。 「合はせ(あはせ)薫き(たき)物(もの)すこし。」といへる事を据ゑたる歌、 :逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ これは仁和(にんな)の帝(みかど)の、方々(かたがた)に奉らせ給ひたりけるに、みな心も得ず、返しどもを奉らせ給ひたりけるに、広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ)と申しける人の、御返しはなくて、薫き物を奉らせたりければ、'''心ある'''ことにぞ思し召したりけると語り伝へたる。 「をみなえし(女郎花)・花薄(はなすすき)」といへることを、据ゑて詠める歌、 :小野の萩 見し秋に似ず 成りぞ増す 経しだにあやな しるしけしきは これは、下の花薄をば、逆さまに読むべきなり。これも一つのすがたなり。  |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 沓冠折句(くつかぶり おりく)の歌といったもの(=技巧)がある。十文字ある言葉を、句の上下に置いて詠んだ歌である。 「合はせ薫き物(たきもの)少し。」と言った言葉を(句の上下に)置いた歌、 :逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ (意味: 逢坂の関も、夜明けになれば、関守もいない。尋ねてくるなら来い、来たら帰さないぞ。) これ(=「逢坂の・・・」の歌)は、光孝天皇が、(後宮の)方々に差し上げなさった(歌である)が、(ほとんど)誰も(折句の)意図が分からず、返歌などを差し上げなさったが、広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ)と(名を)申す人だけが(理解できて)、返歌は無くて、薫き物を差し上げたので、(天皇は、広幡の御息所のことを)'''和歌のたしなみの深い'''ことだぞとお思いになられたと、(人々は)語り伝えている。 「をみなえし(女郎花)・花薄(はなすすき)」という事場を、置いて詠んだ歌、 :小野の萩(はぎ) 見し秋に似ず 成りぞ増す 経しだにあやな しるしけしきは (意味: 小野の萩は、去年に見た秋とは変わって、たくさん増えている。あなたを長い間訪れなかったのは失敗だったなあ。萩でさえ一年の間にこんなに変わっているのだから。) これは、(各句の)下の「花薄」(はなすすき)を、逆さまに読む必要がある。これも一つの詠み方である。 |} ---- *語句(重要) :・果ては(はては、ハテワ) - しまいには。最後には。 :・心(こころ)ある - 「心」には多くの意味があるが、ここでは「和歌などを理解する情趣がある」というような意味。ここでは褒める意味で「心ある」を用いているが、必ずしも古語での「心ある」は良い意味とは限らず、いい意味でも悪い意味でも「心ある」は用いられる。 :・ - 。 [[File:Patrinia scabiosifolia2.jpg|thumb|おみなえし]] *語注 :・合わせ薫き物(あわせたきもの) - 数種類の香を練り合わせたもの。練り香。 :・逢坂 - 今の滋賀県大津市の逢坂山(おうさかやま)のふもとに置かれた逢坂の関。 :・関 - 関所。関守。ここでは関守の意味。 :・仁和の帝 - 光孝天皇。 :・広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ - 村上天皇の更衣。源庶明(もろあきら)の娘、計子(けいし)。源庶明(もろあきら)が「広幡中納言」と呼ばれたので。 :・あやな - 形容詞「あやなし」であり、意味は、1:「道理に合わない」、2:「無意味である」。ここでは「道理に合わない」。 :・ - 。 <gallery widths=200px heights=200px> File:Miscanthus sinensis variegation flower leaf jp.jpg|薄(すすき) File:Lespedeza ja03.jpg| 萩(はぎ) </gallery> [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:56:43Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E4%BF%8A%E9%A0%BC%E9%AB%84%E8%84%B3
19,635
高等学校古典B/無名草子
作者は不明。評論。物語を中心に評論している。つまり、文学評論。日本に現存する、日本の物語評論としては、日本で最古。 一一九八年 ~ 一二○二年 ごろに成立したと考えられている。作者は、通説では藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)という説があるが、確証は無く、作者は未詳。 『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などを論評している。 手紙は素晴らしいものである。なぜなら、会えない人からも、語り伝えてもらえるから。あの人からも、もう亡くなってしまった、あの人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。また、まったく会ったことのないような昔の人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。異国の事だって、手紙では語れる。 そして未来の人へも、私たちが手紙で語り伝える事もできる。 手紙は素晴らしいものである。 亡くなった人の手紙を見るのは、とりわけ、感慨深い。 「ただ差し向かひ・・・」の「ただ」とは意味が違うので、混同しないように。 手紙は、昔の人からも、語り伝えてもらう事ができる。手紙は、異国の事ですらも、語り伝えてもらう事ができる。しかも、単に昔から今だけではない。さらに加えて、今から未来にも、である。つまり、手紙は、私たちが文字さえ手紙に書いておけば、あとは手紙が残りさえすれば、私たちが後世の人にも書き伝えることができる。だから手紙は素晴らしいのである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "作者は不明。評論。物語を中心に評論している。つまり、文学評論。日本に現存する、日本の物語評論としては、日本で最古。 一一九八年 ~ 一二○二年 ごろに成立したと考えられている。作者は、通説では藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)という説があるが、確証は無く、作者は未詳。 『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などを論評している。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "手紙は素晴らしいものである。なぜなら、会えない人からも、語り伝えてもらえるから。あの人からも、もう亡くなってしまった、あの人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。また、まったく会ったことのないような昔の人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。異国の事だって、手紙では語れる。 そして未来の人へも、私たちが手紙で語り伝える事もできる。", "title": "文(ふみ)" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "手紙は素晴らしいものである。", "title": "文(ふみ)" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "亡くなった人の手紙を見るのは、とりわけ、感慨深い。", "title": "文(ふみ)" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「ただ差し向かひ・・・」の「ただ」とは意味が違うので、混同しないように。", "title": "文(ふみ)" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "手紙は、昔の人からも、語り伝えてもらう事ができる。手紙は、異国の事ですらも、語り伝えてもらう事ができる。しかも、単に昔から今だけではない。さらに加えて、今から未来にも、である。つまり、手紙は、私たちが文字さえ手紙に書いておけば、あとは手紙が残りさえすれば、私たちが後世の人にも書き伝えることができる。だから手紙は素晴らしいのである。", "title": "文(ふみ)" } ]
『無名草子』(むみょうぞうし)。 作者は不明。評論。物語を中心に評論している。つまり、文学評論。日本に現存する、日本の物語評論としては、日本で最古。 一一九八年 ~ 一二○二年 ごろに成立したと考えられている。作者は、通説では藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)という説があるが、確証は無く、作者は未詳。 『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などを論評している。
*『無名草子』(むみょうぞうし)。 作者は不明。評論。物語を中心に評論している。つまり、'''文学評論'''。日本に現存する、'''日本の物語評論としては、日本で最古'''。 一一九八年 ~ 一二○二年 ごろに成立したと考えられている。作者は、通説では藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)という説があるが、確証は無く、作者は未詳。 『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などを論評している。 == 文(ふみ) == *全体の大意 手紙は素晴らしいものである。なぜなら、会えない人からも、語り伝えてもらえるから。あの人からも、もう亡くなってしまった、あの人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。また、まったく会ったことのないような昔の人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。異国の事だって、手紙では語れる。 そして未来の人へも、私たちが手紙で語り伝える事もできる。 === 一 === *大意 手紙は素晴らしいものである。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  この世に、いかでかかることありけむと、めでたくおぼゆることは、文こそ侍れな。枕草子に返す返す申して侍るめれば、こと新しく申すに及ばねど、なほいとめでたきものなり。遥かなる世界にかき離れて、幾年(いくとせ)あひ見ぬ人なれど、文というものだに見つれば、ただ今さし向かひたる心地して、なかなか、うち向かひては思ふほども続けやらぬ心の色も表し、言はまほしきことをもこまごまと書き尽くしたるを見る心地は、めづらしく、うれしく、あひ向かひたるに劣りて'''やは'''ある。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| この世に、どうしてこんなことがあるのだろうと、すばらしく思われるのは、手紙であります。『枕草子』で繰り返し繰り返し申しているようですので、(いまさら)新たに申すには及ばないが、やはりとてもすばらしいものである。とても遠くの場所に離れており、何年も会わない人であっても、手紙というものさえ見てしまうと、たった今向かい合っているような気持ちがして、むしろ、向き合っては思うほども言い表せない心の機微も(手紙では)表し、言いたいことを細かく書き尽くしているのを見る気持ちは、すばらしく、うれしくて、互いに(たがいに)向かいあっているのに(比べて)劣っている'''だろうか。(いや、劣ってはいない。)''' |} ---- *語句(重要) :・心地 - 気持ち。 :・めづらし - ここでは「素晴らしい」の意味か。現代語と同様に「珍しい」の意味とも取れる。 :・劣りて'''やは'''ある - 劣っているだろうか。「'''やは'''」は'''反語'''の係助詞。係助詞「や」に係助詞「は」がついたものだが、「やは」で一つの助詞として扱ってよい。 :・ - 。 *語注 :・枕草子に - 「めづらしといふべきことにはあらねど、文こそなほめでたきものには。」(第二百十一段)とある。 :・ - 。 === 二 === *大意 亡くなった人の手紙を見るのは、とりわけ、感慨深い。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  つれづれなる折、昔の人の文出でたるは、ただその折の心地して、いみじううれしくこそおぼゆれ。まして亡き人などの書きたるやうなるものなど見るは、いみじくあはれに、年月の多く積もりたるも、ただ今筆うち濡らして書きたるやうなるこそ、返す返すめでたけれ。  何事(なにごと)も、たださし向かひたる'''ほど'''の情'''ばかり'''にてこそはべるに、これは、ただ昔ながら、'''つゆ'''変はることなきも、いとめでたきことなり。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| することもなく手持ちぶさたな時、昔の人の手紙を見つけると、ただもう、その時(=その人と会った時)の気持ちがして、とてもうれしく思う。まして亡くなった人などの書いたようなものなどを見るのは、とても感慨深く、年月が多くたっているのに、たった今筆を濡らして書いたようなのは、返す返すも(=つくづく / とにかく)、すばらしい。  どんな事も、ただ向かい合っている'''間'''の気持ち'''だけ'''でありますが、これは(='''手紙'''は)、まったく昔のままで、'''少しも'''変わることがないのも、たいそう素晴らしいことだ。 |} ---- *語句(重要) :・ただ昔ながら - 全く昔ながら。「ただ」は副詞。 「ただ差し向かひ・・・」の「ただ」とは意味が違うので、混同しないように。 :・つゆ変はることなきも - まったく(全く)変わることがないのも。「つゆ・・・(打消し)」で、「まったく・・・ない」の意味。 :・ - 。 *語注 :・ - 。 === 三 === *大意 手紙は、昔の人からも、語り伝えてもらう事ができる。手紙は、異国の事ですらも、語り伝えてもらう事ができる。しかも、単に昔から今だけではない。さらに加えて、今から未来にも、である。つまり、手紙は、私たちが文字さえ手紙に書いておけば、あとは手紙が残りさえすれば、私たちが後世の人にも書き伝えることができる。だから手紙は素晴らしいのである。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"|  いみじかりける延喜・天暦の御時のふるごと(古事 / 故事)も、唐土・'''天竺'''('''てんぢく''')の知らぬ世のことも、この文字といふもの'''なからましかば'''、今の世の我らが片端も、いかでか書き伝へ'''まし'''など思ふにも、なほかばかりめでたきことも'''よも'''侍らじ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| すばらしかった延喜・天暦の御代の昔も、中国・'''インド'''の見知らぬ世界のことも、この文字というものが(もし)無かった'''ならば'''、今の世の私たちが一部分でも、どのようにして書き伝え'''ようか'''('''いや、書き伝えられはしない''')などと思うにつけても、やはりこれほど素晴らしい事は'''まさか'''ありますまい。 |} ---- *語句(重要) :・'''なからましかば''' - なかったなら。「・・・ましかば」で、「もし・・・だったらな」(※実際は違う)の意味。反実仮想(はんじつかそう)。「・・・ましかば ○○○ まし」で、「もし・・・だったら、○○○ だろう。」の意味。「まし」は反実仮想の助動詞。 :・よも - まさか。よもや。「よも・・・(打消し)」で、意味が「まさか・・・ない」。 :・ - 。 *語注 :・延喜・天暦 - 醍醐天皇・村上天皇の時代。延喜は醍醐天皇の元号、天暦は村上の元号である。天皇親政の時代だとされており、貴族政治の良い時代だとされていた。 :・天竺(てんじく) - インド。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:57:14Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E7%84%A1%E5%90%8D%E8%8D%89%E5%AD%90
19,637
高等学校古典B/無名抄
『無名抄』(むみょうしょう) 歌論書。 作者は鴨長明(かもの ちやうめい 、カモノ チョウメイ)。一二一一年(建暦元年)以降に成立。章段の数は、約八十段からなる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『無名抄』(むみょうしょう) 歌論書。 作者は鴨長明(かもの ちやうめい 、カモノ チョウメイ)。一二一一年(建暦元年)以降に成立。章段の数は、約八十段からなる。", "title": "" } ]
『無名抄』(むみょうしょう) 歌論書。 作者は鴨長明。一二一一年(建暦元年)以降に成立。章段の数は、約八十段からなる。
『無名抄』(むみょうしょう) 歌論書。 作者は鴨長明(かもの ちやうめい 、カモノ チョウメイ)。一二一一年(建暦元年)以降に成立。章段の数は、約八十段からなる。 == 深草の里 == :「俊成(しゅんぜい)自賛歌のこと」 === 一 === *大意 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 俊恵(しゅんゑ)'''いはく'''、五条三位入道(ごでうのさんみのにふどふ)のもとにまうで(詣で)たりし'''ついで'''に、『御詠(ごえい)の中には、いづれをか優れ(すぐれ)たりと思す(おぼす)。よその人さまざまに定めはべれど、それをば用ゐ侍るべからず。'''まさしく''' '''承らん'''と思ふ。』と聞こえしかば、 :『夕されば野辺(のべ)の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里 これをなん、身にとりては面歌(おもてうた)と思ひ給ふる。』と言はれしを、俊恵、またいはく、『世にあまねく人の申し侍るは、 :面影(おもかげ)に花の姿を先立てて幾重(いくへ)越え来(き)ぬ峰の白雲 これをすぐれたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆれば、『いさ。よそにはさもや定め侍るらん、知り給へず。なほみづからは、 先の歌には言ひくらぶべからず。』とぞ侍りし。」と語りて、これをうちうちに申ししは、「かの歌は『身にしみて』といふ'''腰(こし)の句'''のいみじう無念におぼゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気を言ひ流して、ただそらに身にしみけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優に侍れ。いみじう言ひもてゆきて、歌の詮とすべきふしを、さはと言ひあらはしたれば、'''むげに'''こと浅くなりぬる。」とて、そのついでに、「わが歌の中には、 :み吉野(みよしの)の山かき曇り雪降れば麓の里はうち時雨つつ これをなん、かのたぐひにせんと思う給ふる。もし世の末におぼつかなく言ふ人もあらば、『かくこそ言ひしか。』と語り給へ。」とぞ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 俊恵(しゅんえ)が言うことには、「五条三位入道のところに参上した'''機会'''に、『(あなたが)お詠みになったお歌のなかでは、どれが優れているかとお思いですか。他の人はさまざまに決めておりますが、それを(そのまま)採用するわけにはいきません。(あなた自身から)'''確かに''' '''お聞きしよう'''と思う。』と申し上げたところ、 :『夕されば野辺(のべ)の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里 (夕方になると、野原の秋風が身にしみて、うづらが鳴いているようだよ、この深草の里では。) これを、自分にとっては代表的な歌と思っております。』とおっしゃったが、私・俊恵(しゅんえ)がまた言うことには、『世間で広く人々が申しておりますのは、』 :面影(おもかげ)に花の姿を先立てて幾重(いくへ)越え来(き)ぬ峰の白雲 (桜の姿を先立てて(=?思い浮かべて? / 目の前に見て?)、)いくつ越えてきたのだろう、峰の白雲を。) これを優れているように申しておりますが、どうですか。』と申し上げると、『さあ、どうだか。ほかでは、そのように決めているのでしょうが、私は存じません。やはり自分としては、先の和歌(=「夕されば・・・」の和歌)には比べて言うことはできません。』と、おっしゃいました。」と語って、これを内密に申したところ、「あの歌は、『身にしみて』という'''第三句'''がたいそう残念に思われるのだ。これほどになった歌は、気色や雰囲気(だけ)を詠み表して、ただ(聞き手に)想像の中で見にしみただろうなあと思わせるほうが、奥ゆかしくも優美でもあります。(『身にしみて』という句が)とても言い表しすぎていて、和歌の題目とすべきところを、はっきりと言い表してたので、'''ひどく'''(余韻が)浅くなってしまった。』と言って、そのついでに、「私の歌の中では、 :み吉野(みよしの)の山かき曇り雪降れば麓の里はうち時雨つつ これを、あの(代表作の)類いにしようと思っています。もし、後世に(代表作が)はっきりしないという人がいれば、『こう言っていた。』と語ってください。」と(言った)。 |} ---- *和歌の用語(重要) :・'''腰の句''' - 和歌の第三句。 :・'''景気を言ひながして''' - 景色や雰囲気をさらりと詠み表して。 :・'''歌の詮'''(せん) - 和歌のもっとも重要なところ。 *語句(重要) :・いはく - いう事には。 :・ついで - 際。折。機会。 :・定め侍れど -  「さだむ」の意味は多数あり、 1:「決める」。 2:「論じる」。 などの意味がある。  1と2のどちらでも解釈ができるが、とりあえず本記事では1で訳した。参考書によっては2で訳しているのもある。 :・まさしく - 確かに。 :・承らん(うけたまわらん) - 「聞く」や「受く」などの謙譲語。 ここでは「聞く」の謙譲語なので、意味は、「お聞きする」、「伺う」(うかがう)の意味。 :・あまねく - 広く一般に。「世にあまねく」で、意味は「世間に広く一般に」。 :・'''いさ''' -「さあ、どうだか」の意味。「'''いさ・・・知らず'''」の形で「さあ、・・・については、わからないけれど、」。 :・心にくく - 奥ゆかしい。 :・むげ - ひどい。よくない。最低だ。 :・そら - 暗記などで、文を読んでいない状態。 :・おぼつかなく - 形容詞「おぼつかなし」連用形。「おぼつかなし」は、はっきりとは分からない、の意味。 :・ - 。 :・ - 。 *読解 :・かのたぐひ - 「おもて歌」のこと。 :・ - 。 *語注 :・俊恵(しゅんえ) - 平安時代の歌人。源俊頼(みなもとのとしより)の子。鴨長明の歌の師。 :・五条三位入道 - 藤原俊成(ふじわらのとしなり)。歌人。『千載集』(せんざいしゅう)の撰者(せんじゃ)。 :・夕されば・・・ - 『千載集(せんざいしゅう)』(秋上)に所収。 :・深草 - 今でいう京都市 伏見(ふしみ)区 深草(ふかくさ)。 :・'''おもて歌''' - 代表的な和歌。 :・面影に・・・ - 『新勅撰(ちょくせん)集』(春上)に所収。 :・さはと - はっきりと、あっさりと、の意味か。 :・み吉野 - 今でいう奈良県吉野群の一帯。 :・み吉野の・・・ - 『新古今和歌集』に所収。 :・世の末 - 将来。後世。 :・ - 。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:57:10Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E7%84%A1%E5%90%8D%E6%8A%84
19,638
高等学校古典B/西鶴諸国ばなし
ある浪人たちが宴会を開いた。客は七人。主催者も客も浪人である。 宴会の途中、主催者の持っていた小判十両を包み紙ごと客に見せ、宴会の終わりに回収して枚数を確認したら、なんと一両足りず九両である。客たちの間に、誰かが小判一両を盗んだのか、という疑いが生じてしまった。主催者は騒ぎをしずめようと、自分がもともと一両使ってしまっていたことにして、騒ぎをしずめようとしたが、客たちは、先ほどは確かに十両あったはずだ、と言い、騒ぎがしずまらない。ついには、運悪く小判を持ち合わせていた人が、疑いをかけられることを不名誉とし、自害するとまで言い出す。 さらにあたりを探していたら、今度は、もう二枚小判が出てきて、合計で十一両になってしまい、今度は逆に、小判が一両あまってしまった。 客の誰かが騒ぎをしずめるために、一両を出したのだろう、と主催者は考え、この一両を持ち主に返そうとするが、仲間を気づかってか名乗り出ない。 問題が解決しないので、いつまでたっても帰れない。 そこで、主催者は一計を思いつき、客を一人ずつ帰すことにして、帰る際に持ち主が見られることなく小判を持って帰れるように、離れの庭に小判一両を置くことにした。持ち主が回収してくれ、という事である。 客を全員帰してから、主催者が最期に庭を確認したら、小判がなくなっていたので、誰かが回収したはず、その誰かとは持ち主が回収したということにしよう、ということにした。 こうして、騒ぎを解決させた。 主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。 原田内助(はらだ うちすけ)が、義理の兄から借金十両を借りた。 内助は義兄の援助に喜び、浪人仲間と宴会を開いた。 十両を包んだ紙の上書きが面白かったので、宴会を盛り上げるため、小判といっしょに紙の上書きを回覧して、仲間のみんなに包み紙の上書きを見せた。そして宴会の終わる頃、小判と包み紙を回収すると、なんと小判が一両足りない。 内助はその場を収めよう(おさめよう)と、すでに一両使っていたが忘れていたということにしたが、浪人仲間たちが言うには確かに十両あったはずだとなり、場が収まらない。衣服を脱いで探したら仲間の客がたまたま一両持ち合わせていたが、身の潔白を証明するため自害するとまで言い出す。さらに念入りにあたりを探すと、さらにもう二枚小判が出てきて、合計十一両になってしまった。 (浪人仲間が持ち合わせていた一両は合計から除いている。) 内助の考えるに、だれかが騒ぎを沈めるため一両を出したことになり、その一両を内助は持ち主に返そうとするが、誰も名乗り出ない。また、解決しないので、帰るに帰れない。そこで内助は、小判を外の庭の手水鉢の上に置いて、帰る際に持ち主に取ってもらうように言い、そして一人ずつ戸を閉めて帰すことにした。その後、内助が見ると、小判はなくなっていたので、つまり誰かが持ち帰ったことになる。 こうして、騒ぎは解決した。 主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。 榧・かち栗・神の松・やま草 の(格助) 売り声 も(格助) せはしく(シク・用) 、餅 つく(四・体) 宿 の(格助) 隣 に(格助) 、煤 を(格助) も(係助) 払は(四・未) ず(助動・打消・用) 、二十八日 まで(副助) 髭 も(係助) そら(四・未) ず(助動・打消・用) 、朱鞘 の(格助) そり を(格助) かへし(四・用) て(接助)、「春 まで(副助) 待て(四・命) と(格助) 言ふ(四・体) に(接助)、 是非に(副) 待た(四・未) ぬ(助動・打消・体) か(係助)。」と(格助)、 米屋 の(格助) 若い(ク・体・音便) 者 を(格助) 、にらみつけ(下二・用) て(接助)、 すぐなる(ナリ・体) 今 の(格助) 世 を(格助) 、横 に(格助) わたる(四・体) 男 あり(ラ変・体)。 名 は(係助) 原田内助 と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 かくれ も(係助) なき(ク・体) 浪人。 広き(ク・体) 江戸 に(格助) さへ(副助) 住みかね(下二・用)、 こ(代) の(格助) 四、五年、 品川 の(格助) 藤茶屋 の(格助) あたり に(格助) 棚 借り(四・用) て(接助)、朝 の(格助) 薪 に(格助) こと を(格助) 欠き(四・用)、 夕べ の(格助) 油火 を(格助) も(係助) 見(上一・未然) ず(助動・打消・終)。 これ(代) は(格助) かなしき(シク・体)、 年 の(格助) 暮れ に(格助)、女房 の(格助) 兄、 半井清庵(なからゐせいあん) と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 神田 の(格助) 明神 の(格助) 横町 に(格助)、 薬師 あり(ラ変・終)。 こ(代) の(格助) もと へ(格助)、 無心 の(格助) 状 を(格助)、 遣はし(四・用) ける(助動・過・体) に(接助)、 たびたび(副) 迷惑ながら、見捨てがたく(ク・用)、金子(きんす)十両 包み(四・用) て(接助)、 上書き に(格助) 「貧病 の(格助) 妙薬、金用丸、よろづ に(格助) よし(ク・終)。」 と(格助) 記し(四・用) て(接助)、内儀 の(格助) かた へ(格助) おくら(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。 内助 よろこび(四・用)、 日ごろ(副) 別して(副) 語る(四・体)、浪人仲間 へ(格助)、「酒ひとつ 盛ら(四・未) ん(助動・勧・終)。」 と(格助)、 呼び に(格助) 遣はし(四・用)、 幸ひ(副) 雪 の(格助) 夜 の(格助) おもしろさ、 今 まで(副) は(係助)、 くづれ次第 の(格助)、 柴 の(格助) 戸 を(格助) 開け て(接助)、 「さあ(感) これ(代) へ(格助)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 以上 七人 の(格助) 客、 いづれ(代) も(係助) 紙子 の(格助) 袖 を(格助) つらね(下二・用)、 時 なら(助動・断・未) ぬ(助動・打消・体) 一重羽織 、どこやら(副) むかし を(格助) 忘れ(下二・未) ず(助動・打消・終)。 常 の(格助) 礼儀 すぎ(上二・用) て(接助) から(格助)、 亭主 まかり出で(下二・用) て(接助)、「私(代) 仕合はせ の(格助) 合力 を(格助) 請け て(接助)、思ひまま の(格助) 正月 を(格助) つかまつる。」 と(格助) 申せ(四・已) ば(接助)、おのおの()、「それ(代) は(係助)、あやかりもの。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 「それ(代) に(格助) つき(四・用) 上書き に(格助) 一作 あり(ラ変・終)。」 と(格助)、 くだんの(連体) 小判 を(格助) いだせ(四・已) ば(接助)、 「さても(感) 軽口なる(ナリ・体) 御事。」 と(格助) 見 て(接助) 回せ() ば(接助)、杯 も(係助) 数 かさなり(四・用) て(接助)、 「よい(ク・体、音便) 年忘れ、 ことに(副) 長座。」 と(格助) 、千秋楽 を(格助) うたひ出し(四・用)、 燗鍋・塩辛壺 を(格助) 手ぐり に(格助) し(サ変・用) て(接助) あげ(下二・未然) させ(助動・使・用)、「小判 も(係助) まづ(副)、御仕舞ひ(四・用) 候へ(補丁・四・命)。」 と(格助) 集むる(下二・体) に(接助)、十両 あり(ラ変・用) し(助動・過・体) うち、 一両 足ら(四・未) ず(助動・打消・終)。 座中 居直り(四・用)、 袖 など(副) ふるひ(四・用)、 前後 を(格助) 見れ ども(接助)、 いよいよ(副) ない(ク・体、音便) に(格助) 極まり() ける(助動・過去・体)。 あるじ の(格助) 申す(四・体) は(係助)、「そ(代) の(格助) うち 一両 は(係助)、 さる(連体) 方 へ(格助) 払ひ(四・用) し(助動・過・体) に(接助)、 拙者 の(格助) 覚え違へ。」 と(格助) 言ふ(四・終)。「ただ今 まで(副助) たしか(副) 十両 見え(下二) し(助動・過・体) に(接助)、 めいよ の(格助) こと ぞ(終助) かし(終助)。 とかく(副詞) は(係助) めいめい の(格助) 見晴れ。」 と(格助) 上座 から(格助) 帯 を(格助) とけ(四・已) ば(接助)、 そ(代) の(格助) 次 も(係助) 改め(下二・用) ける(助動・過・体)。 三人目 に(格助) あり(ラ変・用) し(助動・過・体) 男、 渋面 つくつ(四・連用、音便) て(接助) もの を(格助) も(係助) 言は(四・未) ざり(助動・打消・用) し(助動・過・体) が(接助)、 膝 立て直し、「浮世 に(格助) は(係助)、かかる(ラ変・体) 難儀 も(係助) ある もの かな(終助)。 それがし(代) は(係助)、身ふるふ(四段・体) まで(副助) も(係助) なし(ク・終)。 金子 一両 持ち合はす(四・体) こそ(係助、係り)、 因果 なれ(助動・断・已、結び)。 思ひ(四・用) も(係助) よら(四・未) ぬ(助動・打消・体) こと に(格助)、 一命 を(格助) 捨つる(下二・体)。」 と(格助) 思ひ切つ(四・連用、音便) て(接助) 申せ(四・已) ば(接助)、 一座 口 を(格助) そろへ(下二・用) て(接助)、「こなた(代) に(格助) 限ら(四・未) ず(助動・打消・用)、あさましき(シク・体) 身 なれ(助動・断・已) ば(接助) とて(格助)、 小判 一両 持つ(四・終) まじき(助動・打消当然・体) もの に(助動・断定・用) も(係助) あら(補動・ラ変・未然) ず(助動・打消・終止)。」 と(格助) 申す(四・終)。 「いかにも(副) こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 出所 は(係助)、 私(代) 持ち来たり(四・用) たる(助動・完・連体)、 徳乗 の(格助) 小柄、唐物屋十左衛門かた へ(格助)、一両二歩(ぶ) に(格助)、昨日 売り(四・用) 候ふ(補丁・四・体) こと、まぎれ は(係助) なけれ(ク・已然) ども(接助)、折ふし わるし(ク・終)。 つねづね(副) 語り合はせ(下二・用) たる(助動・完・体) よしみ に(格助) は(係助)、生害 に(格助) および(四・用) し(助動・過・体) あと にて(格助)、御尋ね(下二・用) あそばし(補尊・四段・連用) 、かばね の(格助) 恥 を(格助) 、せめて(副) は(係助) 頼む(四・終)。」 と(格助) 申し(四・用) も(係助) あへ(補動・下二段・未然) ず(助動・打消・用)、 革柄 に(格助) 手 を(格助) 掛くる(下二・体) 時、「小判 は(係助) これ(代) に(格助) あり(ラ変・終)。」 と(格助)、 丸行灯 の(格助) 影 より(格助)、 投げいだせ(四・已) ば(接助)、 「さては(接)。」 と(格助) 事 を(格助) 静め(下二・用)、 「もの に(格助) は(係助)、 念 を(格助) 入れ(下二・用) たる(助動・了・体) が(格助) よい(ク・体、音便)。」 と(格助) 言ふ(四・体) 時、 内証 より(格助)、 内儀 声 を(格助) 立て(下二・用) 、「小判 は(係助) こ(代) の(格助) 方 へ(格助) まゐつ(四・用、音便) た(助動・完・終、口語)。」 と(格助)、 重箱 の(格助) 蓋(ふた) に(格助) つけ(下二・用) て(接助)、座敷 へ(格助) いださ(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。 これ(代) は(係助) 宵 に(格助)、 山の芋 の(格助)、 煮しめ物 を(格助) 入れ(下二・用) て(接助) 出ださ(四・未) れ(助動・受・用) し(助動・過・体) が(接助)、 そ(代) の(格助) 湯気 にて(格助)、 取りつき(四・用) ける(助動・過・体) か(係助)。 さ(副) も(係助) ある(ラ変・連体) べし(助動・推・終)。 これ(代) で(助動・断・用) は(係助) 小判 十一両 に(格助) なり(四・用) ける(助動・過・体)。 いづれ(代) も(係助) 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) し(助動・過・体) は(係助)、 「こ(代) の(格助) 金子、ひたもの(副) 数 多く(ク・用) なる(四・体) こと、 めでたし(ク・終)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 亭主 申す(四・体) は(係助)、 「九両 の(格助) 小判、 十両 の(格助) 詮議 する(サ変・体) に(接助)、 十一両 に(格助) なる(四・体) こと、 座中 金子 を(格助) 持ち合はせ られ(助動・尊・用)、 最前 の(格助) 難儀 を(格助)、 救は(四・未) ん(助動・婉曲・連体) ため に(格助)、 御出だしあり(連語) し(助動・過・体) は(係助) 疑ひなし(ク・終)。 こ(代) の(格助) 一両 我(代) が(格助) 方 に(格助) 、 納む(下二・終) べき(助動・当・体) 用 なし(ク・終)。 御主 へ(格助) 返し(四・用) たし(助動・願・終)。」 と(格助) 聞く(四・体) に(接助)、 たれ(代) 返事 の(格助) して も(係助) なく(ク・用)、 一座 異な(ナリ・体、口語) もの に(格助) なり(四・用) て(接助)、 夜更け鶏 も(係助)、鳴く(四・体) 時 なれ(助動・断・已) ども(接助)、 おのおの(副) 立ちかね(下二・未) られ(助動・自発・用) し(助動・過・体) に(接助)、 「こ(代) の(格助) うへ は(係助) 亭主 が(格助)、 所存 の(格助) 通り に(格助) あそばさ(四・未) れ(助動・尊敬・用) て(接助) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、願ひ(四・用意) し(助動・過・体) に(接助)、 「とかく(副) あるじ の(格助)、 心まかせ に(格助)。」 と(格助) 、 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) けれ(助動・過・已) ば(接助)、 か(代) の(格助) 小判 を(格助) 一升枡 に(格助) 入れ(下二・用) て(接助)、 庭 の(格助) 手水鉢 の(格助) 上 に(格助) 置き(四・用) て(接助)、「どなた(代) に(助・断・用) て(接助) も(接助)、 こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 主、 取らせ(下二・未) られ(助・尊敬・用) て(接助)、 御帰り(四・用) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、御客 一人づつ、立た(四・未) しまし(助・尊・用) て(接助)、 一度一度に(副) 戸 を(格助) さしこめ(下二・用) て(接助)、 七人 を(格助) 七度 に(格助) 出だし(四・用) て(接助)、そ(代) の(格助) 後 内助 は(係助)、 手燭 ともし(四・用) て(接助) 見る(上一・体) に(接助)、 たれ(代) と(格助) も(係助) 知れ(下二・未) ず(助動・打消・用)、 取つ(四・用、音便) て(接助) 帰り(四・用) ぬ(助・完・終)。 あるじ 即座 の(格助) 分別、 座 なれ たる(助動・存続・体) 客 の(格助) しこなし、 かれこれ(代) 武士 の(格助) つきあひ、 格別 ぞ(終助) かし(終助)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ある浪人たちが宴会を開いた。客は七人。主催者も客も浪人である。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "宴会の途中、主催者の持っていた小判十両を包み紙ごと客に見せ、宴会の終わりに回収して枚数を確認したら、なんと一両足りず九両である。客たちの間に、誰かが小判一両を盗んだのか、という疑いが生じてしまった。主催者は騒ぎをしずめようと、自分がもともと一両使ってしまっていたことにして、騒ぎをしずめようとしたが、客たちは、先ほどは確かに十両あったはずだ、と言い、騒ぎがしずまらない。ついには、運悪く小判を持ち合わせていた人が、疑いをかけられることを不名誉とし、自害するとまで言い出す。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "さらにあたりを探していたら、今度は、もう二枚小判が出てきて、合計で十一両になってしまい、今度は逆に、小判が一両あまってしまった。 客の誰かが騒ぎをしずめるために、一両を出したのだろう、と主催者は考え、この一両を持ち主に返そうとするが、仲間を気づかってか名乗り出ない。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "問題が解決しないので、いつまでたっても帰れない。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "そこで、主催者は一計を思いつき、客を一人ずつ帰すことにして、帰る際に持ち主が見られることなく小判を持って帰れるように、離れの庭に小判一両を置くことにした。持ち主が回収してくれ、という事である。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "客を全員帰してから、主催者が最期に庭を確認したら、小判がなくなっていたので、誰かが回収したはず、その誰かとは持ち主が回収したということにしよう、ということにした。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "こうして、騒ぎを解決させた。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "原田内助(はらだ うちすけ)が、義理の兄から借金十両を借りた。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "内助は義兄の援助に喜び、浪人仲間と宴会を開いた。 十両を包んだ紙の上書きが面白かったので、宴会を盛り上げるため、小判といっしょに紙の上書きを回覧して、仲間のみんなに包み紙の上書きを見せた。そして宴会の終わる頃、小判と包み紙を回収すると、なんと小判が一両足りない。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "内助はその場を収めよう(おさめよう)と、すでに一両使っていたが忘れていたということにしたが、浪人仲間たちが言うには確かに十両あったはずだとなり、場が収まらない。衣服を脱いで探したら仲間の客がたまたま一両持ち合わせていたが、身の潔白を証明するため自害するとまで言い出す。さらに念入りにあたりを探すと、さらにもう二枚小判が出てきて、合計十一両になってしまった。 (浪人仲間が持ち合わせていた一両は合計から除いている。)", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "内助の考えるに、だれかが騒ぎを沈めるため一両を出したことになり、その一両を内助は持ち主に返そうとするが、誰も名乗り出ない。また、解決しないので、帰るに帰れない。そこで内助は、小判を外の庭の手水鉢の上に置いて、帰る際に持ち主に取ってもらうように言い、そして一人ずつ戸を閉めて帰すことにした。その後、内助が見ると、小判はなくなっていたので、つまり誰かが持ち帰ったことになる。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "こうして、騒ぎは解決した。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。", "title": "大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "榧・かち栗・神の松・やま草 の(格助) 売り声 も(格助) せはしく(シク・用) 、餅 つく(四・体) 宿 の(格助) 隣 に(格助) 、煤 を(格助) も(係助) 払は(四・未) ず(助動・打消・用) 、二十八日 まで(副助) 髭 も(係助) そら(四・未) ず(助動・打消・用) 、朱鞘 の(格助) そり を(格助) かへし(四・用) て(接助)、「春 まで(副助) 待て(四・命) と(格助) 言ふ(四・体) に(接助)、 是非に(副) 待た(四・未) ぬ(助動・打消・体) か(係助)。」と(格助)、 米屋 の(格助) 若い(ク・体・音便) 者 を(格助) 、にらみつけ(下二・用) て(接助)、 すぐなる(ナリ・体) 今 の(格助) 世 を(格助) 、横 に(格助) わたる(四・体) 男 あり(ラ変・体)。 名 は(係助) 原田内助 と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 かくれ も(係助) なき(ク・体) 浪人。 広き(ク・体) 江戸 に(格助) さへ(副助) 住みかね(下二・用)、 こ(代) の(格助) 四、五年、 品川 の(格助) 藤茶屋 の(格助) あたり に(格助) 棚 借り(四・用) て(接助)、朝 の(格助) 薪 に(格助) こと を(格助) 欠き(四・用)、 夕べ の(格助) 油火 を(格助) も(係助) 見(上一・未然) ず(助動・打消・終)。 これ(代) は(格助) かなしき(シク・体)、 年 の(格助) 暮れ に(格助)、女房 の(格助) 兄、 半井清庵(なからゐせいあん) と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 神田 の(格助) 明神 の(格助) 横町 に(格助)、 薬師 あり(ラ変・終)。 こ(代) の(格助) もと へ(格助)、 無心 の(格助) 状 を(格助)、 遣はし(四・用) ける(助動・過・体) に(接助)、 たびたび(副) 迷惑ながら、見捨てがたく(ク・用)、金子(きんす)十両 包み(四・用) て(接助)、 上書き に(格助) 「貧病 の(格助) 妙薬、金用丸、よろづ に(格助) よし(ク・終)。」 と(格助) 記し(四・用) て(接助)、内儀 の(格助) かた へ(格助) おくら(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。", "title": "品詞分解" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "内助 よろこび(四・用)、 日ごろ(副) 別して(副) 語る(四・体)、浪人仲間 へ(格助)、「酒ひとつ 盛ら(四・未) ん(助動・勧・終)。」 と(格助)、 呼び に(格助) 遣はし(四・用)、 幸ひ(副) 雪 の(格助) 夜 の(格助) おもしろさ、 今 まで(副) は(係助)、 くづれ次第 の(格助)、 柴 の(格助) 戸 を(格助) 開け て(接助)、 「さあ(感) これ(代) へ(格助)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 以上 七人 の(格助) 客、 いづれ(代) も(係助) 紙子 の(格助) 袖 を(格助) つらね(下二・用)、 時 なら(助動・断・未) ぬ(助動・打消・体) 一重羽織 、どこやら(副) むかし を(格助) 忘れ(下二・未) ず(助動・打消・終)。 常 の(格助) 礼儀 すぎ(上二・用) て(接助) から(格助)、 亭主 まかり出で(下二・用) て(接助)、「私(代) 仕合はせ の(格助) 合力 を(格助) 請け て(接助)、思ひまま の(格助) 正月 を(格助) つかまつる。」 と(格助) 申せ(四・已) ば(接助)、おのおの()、「それ(代) は(係助)、あやかりもの。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 「それ(代) に(格助) つき(四・用) 上書き に(格助) 一作 あり(ラ変・終)。」 と(格助)、 くだんの(連体) 小判 を(格助) いだせ(四・已) ば(接助)、 「さても(感) 軽口なる(ナリ・体) 御事。」 と(格助) 見 て(接助) 回せ() ば(接助)、杯 も(係助) 数 かさなり(四・用) て(接助)、 「よい(ク・体、音便) 年忘れ、 ことに(副) 長座。」 と(格助) 、千秋楽 を(格助) うたひ出し(四・用)、 燗鍋・塩辛壺 を(格助) 手ぐり に(格助) し(サ変・用) て(接助) あげ(下二・未然) させ(助動・使・用)、「小判 も(係助) まづ(副)、御仕舞ひ(四・用) 候へ(補丁・四・命)。」 と(格助) 集むる(下二・体) に(接助)、十両 あり(ラ変・用) し(助動・過・体) うち、 一両 足ら(四・未) ず(助動・打消・終)。 座中 居直り(四・用)、 袖 など(副) ふるひ(四・用)、 前後 を(格助) 見れ ども(接助)、 いよいよ(副) ない(ク・体、音便) に(格助) 極まり() ける(助動・過去・体)。", "title": "品詞分解" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "あるじ の(格助) 申す(四・体) は(係助)、「そ(代) の(格助) うち 一両 は(係助)、 さる(連体) 方 へ(格助) 払ひ(四・用) し(助動・過・体) に(接助)、 拙者 の(格助) 覚え違へ。」 と(格助) 言ふ(四・終)。「ただ今 まで(副助) たしか(副) 十両 見え(下二) し(助動・過・体) に(接助)、 めいよ の(格助) こと ぞ(終助) かし(終助)。 とかく(副詞) は(係助) めいめい の(格助) 見晴れ。」 と(格助) 上座 から(格助) 帯 を(格助) とけ(四・已) ば(接助)、 そ(代) の(格助) 次 も(係助) 改め(下二・用) ける(助動・過・体)。 三人目 に(格助) あり(ラ変・用) し(助動・過・体) 男、 渋面 つくつ(四・連用、音便) て(接助) もの を(格助) も(係助) 言は(四・未) ざり(助動・打消・用) し(助動・過・体) が(接助)、 膝 立て直し、「浮世 に(格助) は(係助)、かかる(ラ変・体) 難儀 も(係助) ある もの かな(終助)。 それがし(代) は(係助)、身ふるふ(四段・体) まで(副助) も(係助) なし(ク・終)。 金子 一両 持ち合はす(四・体) こそ(係助、係り)、 因果 なれ(助動・断・已、結び)。 思ひ(四・用) も(係助) よら(四・未) ぬ(助動・打消・体) こと に(格助)、 一命 を(格助) 捨つる(下二・体)。」 と(格助) 思ひ切つ(四・連用、音便) て(接助) 申せ(四・已) ば(接助)、 一座 口 を(格助) そろへ(下二・用) て(接助)、「こなた(代) に(格助) 限ら(四・未) ず(助動・打消・用)、あさましき(シク・体) 身 なれ(助動・断・已) ば(接助) とて(格助)、 小判 一両 持つ(四・終) まじき(助動・打消当然・体) もの に(助動・断定・用) も(係助) あら(補動・ラ変・未然) ず(助動・打消・終止)。」 と(格助) 申す(四・終)。 「いかにも(副) こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 出所 は(係助)、 私(代) 持ち来たり(四・用) たる(助動・完・連体)、 徳乗 の(格助) 小柄、唐物屋十左衛門かた へ(格助)、一両二歩(ぶ) に(格助)、昨日 売り(四・用) 候ふ(補丁・四・体) こと、まぎれ は(係助) なけれ(ク・已然) ども(接助)、折ふし わるし(ク・終)。 つねづね(副) 語り合はせ(下二・用) たる(助動・完・体) よしみ に(格助) は(係助)、生害 に(格助) および(四・用) し(助動・過・体) あと にて(格助)、御尋ね(下二・用) あそばし(補尊・四段・連用) 、かばね の(格助) 恥 を(格助) 、せめて(副) は(係助) 頼む(四・終)。」 と(格助) 申し(四・用) も(係助) あへ(補動・下二段・未然) ず(助動・打消・用)、 革柄 に(格助) 手 を(格助) 掛くる(下二・体) 時、「小判 は(係助) これ(代) に(格助) あり(ラ変・終)。」 と(格助)、 丸行灯 の(格助) 影 より(格助)、 投げいだせ(四・已) ば(接助)、 「さては(接)。」 と(格助) 事 を(格助) 静め(下二・用)、 「もの に(格助) は(係助)、 念 を(格助) 入れ(下二・用) たる(助動・了・体) が(格助) よい(ク・体、音便)。」 と(格助) 言ふ(四・体) 時、 内証 より(格助)、 内儀 声 を(格助) 立て(下二・用) 、「小判 は(係助) こ(代) の(格助) 方 へ(格助) まゐつ(四・用、音便) た(助動・完・終、口語)。」 と(格助)、 重箱 の(格助) 蓋(ふた) に(格助) つけ(下二・用) て(接助)、座敷 へ(格助) いださ(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。 これ(代) は(係助) 宵 に(格助)、 山の芋 の(格助)、 煮しめ物 を(格助) 入れ(下二・用) て(接助) 出ださ(四・未) れ(助動・受・用) し(助動・過・体) が(接助)、 そ(代) の(格助) 湯気 にて(格助)、 取りつき(四・用) ける(助動・過・体) か(係助)。 さ(副) も(係助) ある(ラ変・連体) べし(助動・推・終)。 これ(代) で(助動・断・用) は(係助) 小判 十一両 に(格助) なり(四・用) ける(助動・過・体)。 いづれ(代) も(係助) 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) し(助動・過・体) は(係助)、 「こ(代) の(格助) 金子、ひたもの(副) 数 多く(ク・用) なる(四・体) こと、 めでたし(ク・終)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。", "title": "品詞分解" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "亭主 申す(四・体) は(係助)、 「九両 の(格助) 小判、 十両 の(格助) 詮議 する(サ変・体) に(接助)、 十一両 に(格助) なる(四・体) こと、 座中 金子 を(格助) 持ち合はせ られ(助動・尊・用)、 最前 の(格助) 難儀 を(格助)、 救は(四・未) ん(助動・婉曲・連体) ため に(格助)、 御出だしあり(連語) し(助動・過・体) は(係助) 疑ひなし(ク・終)。 こ(代) の(格助) 一両 我(代) が(格助) 方 に(格助) 、 納む(下二・終) べき(助動・当・体) 用 なし(ク・終)。 御主 へ(格助) 返し(四・用) たし(助動・願・終)。」 と(格助) 聞く(四・体) に(接助)、 たれ(代) 返事 の(格助) して も(係助) なく(ク・用)、 一座 異な(ナリ・体、口語) もの に(格助) なり(四・用) て(接助)、 夜更け鶏 も(係助)、鳴く(四・体) 時 なれ(助動・断・已) ども(接助)、 おのおの(副) 立ちかね(下二・未) られ(助動・自発・用) し(助動・過・体) に(接助)、 「こ(代) の(格助) うへ は(係助) 亭主 が(格助)、 所存 の(格助) 通り に(格助) あそばさ(四・未) れ(助動・尊敬・用) て(接助) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、願ひ(四・用意) し(助動・過・体) に(接助)、 「とかく(副) あるじ の(格助)、 心まかせ に(格助)。」 と(格助) 、 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) けれ(助動・過・已) ば(接助)、 か(代) の(格助) 小判 を(格助) 一升枡 に(格助) 入れ(下二・用) て(接助)、 庭 の(格助) 手水鉢 の(格助) 上 に(格助) 置き(四・用) て(接助)、「どなた(代) に(助・断・用) て(接助) も(接助)、 こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 主、 取らせ(下二・未) られ(助・尊敬・用) て(接助)、 御帰り(四・用) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、御客 一人づつ、立た(四・未) しまし(助・尊・用) て(接助)、 一度一度に(副) 戸 を(格助) さしこめ(下二・用) て(接助)、 七人 を(格助) 七度 に(格助) 出だし(四・用) て(接助)、そ(代) の(格助) 後 内助 は(係助)、 手燭 ともし(四・用) て(接助) 見る(上一・体) に(接助)、 たれ(代) と(格助) も(係助) 知れ(下二・未) ず(助動・打消・用)、 取つ(四・用、音便) て(接助) 帰り(四・用) ぬ(助・完・終)。", "title": "品詞分解" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "あるじ 即座 の(格助) 分別、 座 なれ たる(助動・存続・体) 客 の(格助) しこなし、 かれこれ(代) 武士 の(格助) つきあひ、 格別 ぞ(終助) かし(終助)。", "title": "品詞分解" } ]
null
== 大晦日(おおつごもり)は合はぬ算用 == *こういう話 ある浪人たちが宴会を開いた。客は七人。主催者も客も浪人である。 宴会の途中、主催者の持っていた小判十両を包み紙ごと客に見せ、宴会の終わりに回収して枚数を確認したら、なんと一両足りず九両である。客たちの間に、誰かが小判一両を盗んだのか、という疑いが生じてしまった。主催者は騒ぎをしずめようと、自分がもともと一両使ってしまっていたことにして、騒ぎをしずめようとしたが、客たちは、先ほどは確かに十両あったはずだ、と言い、騒ぎがしずまらない。ついには、運悪く小判を持ち合わせていた人が、疑いをかけられることを不名誉とし、自害するとまで言い出す。 さらにあたりを探していたら、今度は、もう二枚小判が出てきて、合計で十一両になってしまい、今度は逆に、小判が一両あまってしまった。 客の誰かが騒ぎをしずめるために、一両を出したのだろう、と主催者は考え、この一両を持ち主に返そうとするが、仲間を気づかってか名乗り出ない。 問題が解決しないので、いつまでたっても帰れない。 そこで、主催者は一計を思いつき、客を一人ずつ帰すことにして、帰る際に持ち主が見られることなく小判を持って帰れるように、離れの庭に小判一両を置くことにした。持ち主が回収してくれ、という事である。 客を全員帰してから、主催者が最期に庭を確認したら、小判がなくなっていたので、誰かが回収したはず、その誰かとは持ち主が回収したということにしよう、ということにした。 こうして、騒ぎを解決させた。 主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。 === 一 === *大意 原田内助(はらだ うちすけ)が、義理の兄から借金十両を借りた。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 榧(かや)・かち栗(ぐり)・神の松・やま草の売り声もせはしく、餅(もち)つく宿の隣に、煤(すす)をも払はず、二十八日まで髭(ひげ)もそらず、朱鞘(しゆざや)のそりをかへして、「春まで待てと言ふに、是非に待たぬか。」と、米屋の若い者を、にらみつけて、すぐなる今の世を、横にわたる男あり。名は原田内助(はらだないすけ)と申して、かくれもなき浪人。広き江戸にさへ住みかね、この四、五年、品川の藤茶屋(ふぢぢやや)のあたりに棚借りて、朝(あした)の薪(たきぎ)にことを欠き、夕べの油火(あぶらび)をも見ず。これはかなしき、年の暮れに、女房の兄、半井清庵(なからゐせいあん)と申して、神田の明神の横町(よこまち)に、薬師(くすし)あり。このもとへ、無心の状を、遣はしけるに、たびたび迷惑ながら、見捨てがたく、金子(きんす)十両包みて、上書きに「貧病の妙薬、金用丸(きんようぐわん)、よろづによし。」と記して、内儀のかたへおくられける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| (正月用の酒の肴の)カヤの実、かち栗、神棚の松、やま草の売り声も慌ただしく、餅をつく家の隣で、煤払い(すすはらい、意味:大掃除)もせず、二十八日までヒゲもそらず、朱塗りの鞘の刀の反りをかえして、(彼の家に来た借金取りに対しては)「(支払いは)春まで待てと言うのに、どうして待たないのか。」と(借金を取りに来た)米屋の若い者をにらみつけて、まっすぐな(=正しい)政治の行われている今の世を、まっすぐに暮らさない(=正しく暮らしていない)男がいる。名は原田内助(はらだ ないすけ)と申して、よく知られた浪人。広い江戸にさえ住めなくなり、この四、五年は、品川の藤茶屋の辺りに借家を借りており、朝の(炊事用の)薪(たきぎ)にも不自由し、夜の灯火の油もない。これはかなしき年の暮れに、(原田の)女房(=妻)の兄(=義理の兄)、半井清庵(なからいせいあん)と申して、神田明神の横町(よこまち)に住んでいる、医者がいる。この(半井の)もとへ、借金を頼む手紙を、(原田は)出して、たびたびのことで迷惑ではあるが、見捨てにくく、金子(きんす)十両を包んで、上書きに「貧乏という病の妙薬、金用丸、すべてに効く。」と記して、(原田内助の)妻のところへ送った。 |} ---- *語句(重要) :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 :・ - 。 *語注 :・やま草 - シダの一種。正月の飾りつけ用。 :・神田の明神 - 今の東京都千代田区(ちよだく)神田(かんだ)にある神田明神(かんだみょうじん)。 :・金子(きんす)十両 - 小判十枚。「両」は貨幣の単位。 :・内儀 - 主婦の敬称。 :・ - 。 ---- === 二 === *大意 内助は義兄の援助に喜び、浪人仲間と宴会を開いた。 十両を包んだ紙の上書きが面白かったので、宴会を盛り上げるため、小判といっしょに紙の上書きを回覧して、仲間のみんなに包み紙の上書きを見せた。そして宴会の終わる頃、小判と包み紙を回収すると、なんと小判が一両足りない。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 内助よろこび、日ごろ別して語る、浪人仲間へ、「酒ひとつ盛らん。」と、呼びに遣はし、幸ひ雪の夜(よ)のおもしろさ、今までは、くづれ次第の、柴(しば)の戸を開けて、「さあこれへ。」と言ふ。以上七人の客、いづれも紙子(かみこ)の袖(そで)をつらね、時ならぬ一重羽織(ひとへばおり)、どこやらむかしを忘れず。常の礼儀すぎてから、亭主まかり出(い)でて、「私仕合はせの合力(かふりよく)を請(う)けて、思ひままの正月をつかまつる。」と申せば、おのおの、「それは、あやかりもの。」と言ふ。「それにつき上書きに一作あり。」と、くだんの小判をいだせば、「さても軽口なる御事。」と見て回せば、杯も数かさなりて、「よい年忘れ、ことに長座(ちやうざ)。」と、千秋楽をうたひ出し、燗鍋(かんなべ)・塩辛壺(しほからつぼ)を手ぐりにしてあげさせ、「小判もまづ、御仕舞ひ候(さうら)へ。」と集むるに、十両ありしうち、一両足らず。座中居直り、袖などふるひ、前後を見れども、いよいよないに極まりける。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 内助は喜んで、ふだん特に親しくしている浪人仲間へ、「酒をちょっと盛ろう。」と呼びにやり、さいわい雪の夜で気色もすばらしく、今までは崩れるままになっていた柴の戸を開けて、「さあ、こちらに。」と言う。合計七人の客は、どなたも紙子を着て、季節はずれの一重羽織(であるが)、どことなく昔(のたしなみ)を忘れない(ように見える)。型どおりのあいさつが済んで、亭主が参上し、「私は、運の良い援助を受け、思い通りの正月をいたします。」と申すと、それぞれ、「それは(良いことだ)、あやかりたいものだ。」と言う。 (内助が)「それについて、この上書きに一作があります。」と、例の小判を出したので、(みんなは)「なんとまあ、軽妙な事。」と(上書きを)見て(手から手へと)回すうちに、杯の数も重なって、「よい年忘れで、(楽しくて)ことさらに長居(をぢてしまった)。」と、千秋楽(せんしゅうらく)の謡をうたい出し、燗鍋や塩辛の壺を手渡しで片付け、「小判もとりあえず、おしまいください。」と集めたところ、十両あったうちの一両が足りない。 一同は座りなおし、袖などをふるって、前後を見るけれども、確かにないという結論になった。 |} ---- *語句(重要) :・くだんの - 例の。件(くだん)の。「くだりの」(下りの)が音便によって「くだんの」になった。 :・ - 。 *語注 :・千秋楽(せんしゅうらく) - 宴会の終わりの挨拶のこと。 :・紙子(かみこ) - 和紙で作られた着物。安価なため、貧しいものに流行った。 :・燗鍋(かんなべ) - 酒を温めるための鍋。 ---- === 三 === *大意 内助はその場を収めよう(おさめよう)と、すでに一両使っていたが忘れていたということにしたが、浪人仲間たちが言うには確かに十両あったはずだとなり、場が収まらない。衣服を脱いで探したら仲間の客がたまたま一両持ち合わせていたが、身の潔白を証明するため自害するとまで言い出す。さらに念入りにあたりを探すと、さらにもう二枚小判が出てきて、合計十一両になってしまった。 (浪人仲間が持ち合わせていた一両は合計から除いている。) *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| あるじの申すは、「そのうち一両は、さる方へ払ひしに、拙者の覚え違へ。」と言ふ。「ただ今までたしか十両見えしに、めいよのことぞかし。とかくはめいめいの見晴れ。」と上座(じやうざ)から帯をとけば、その次も改めける。三人目にありし男、渋面(じふめん)つくつてものをも言はざりしが、膝(ひざ)立て直し、「浮世(うきよ)には、かかる難儀もあるものかな。それがしは、身ふるふまでもなし。金子一両持ち合はすこそ、因果なれ。思ひもよらぬことに、一命を捨つる。」と思ひ切つて申せば、一座口をそろへて、「こなたに限らず、あさましき身なればとて、小判一両持つまじきものにもあらず。」と申す。「いかにもこの金子の出所(でどころ)は、私持ち来たりたる、徳乗(とくじよう)の小柄(こづか)、唐物屋十左衛門(からものやじふざゑもん)かたへ、一両二歩(ぶ)に、昨日(さくじつ)売り候ふこと、まぎれはなけれども、折ふしわるし。つねづね語り合はせたるよしみには、生害(しやうがい)におよびしあとにて、御尋ねあそばし、かばねの恥を、せめては頼む。」と申しもあへず、革柄(かはづか)に手を掛くる時、「小判はこれにあり。」と、丸行灯(まるあんどん)の影より、投げいだせば、「さては。」と事を静め、「ものには、念を入れたるがよい。」と言ふ時、内証より、内儀声を立てて、「小判はこの方へまゐつた。」と、重箱の蓋(ふた)につけて、座敷へいだされける。これは宵に、山の芋(いも)の、煮しめ物を入れて出だされしが、その湯気にて、取りつきけるか。さもあるべし。これでは小判十一両になりける。いづれも申されしは、「この金子、ひたもの数多くなること、めでたし。」と言ふ。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 主催者(=内助)の言うには、「そのうち一両は、ある所に支払ったので、(十両あると思ったのは)私の記憶違いでした。」と言う。(しかし、)「たった今まで、確かに十両あったのに、不思議なことだ。ともかく、各自の身の潔白を(証明せよ)。」と上座(にいた人)から帯を解くので、その次(の人)も(帯を解いて身を)改めた。三人目にいた人が、渋い顔をして、物を言い、「世の中には、このような不運な事もあるものだ。拙者は衣服をふるうまでもない。小判一両を持ち合わせていることこそ、(不運な)運命のめぐりあわせだ。(疑いをかけられるのは、)思いもよらないこと、(自害して)一命を捨てる。」と思い切って申すので、一同は口をそろえて、「あなたに限らず、(浪人して)落ちぶれてるからって、小判一両を持ち合たないはずではない。(=浪人でも小判一両くらい持ち合わせてる場合だってある)」と申す。(答えて、自害すると言い出した三人目が言うには、)「そのとおり、このお金の出所は、私が持っていた徳乗(とくじよう)の小柄(こづか)を、唐物屋十左衛門(からものや じゅうざえもん)の所へ、一両二歩(ぶ)で、昨日売りましたこと(が一両の出所)、間違いはないけれども、時期が悪い。」 いつも(親しく)語り合はせている縁(えん)としては(ぜひ皆様)、自害におよんだ後に、お調べあそんで、屍(しかばね)の恥を(晴らしてくれるよう)、せめては頼む。」と申しも終わらないうちに、(刀の)革柄(かわづか)に手を掛ける時、(誰かが、)「小判はここにある。」と、丸行灯(まるあんどん)の影より投げだせば、「さては(見つかった)。」と事を静め、「ものには、念を入れるがよい。」と言ふ時、台所より、妻が声を立てて、「小判はこちらの方へ来ていました。」と、重箱の蓋(ふた)につけて、座敷へだした。これ(=重箱)は宵に、山芋の煮しめ物を入れて出したが、その湯気にて、取りつきけるか。そういうことも、ありうるだろう。(しかし、)これでは小判十一両になってしまった。どの人も申すには、「この金子、ひたすら数が多くなること、めでたい。」と言う。 |} ---- *語句(重要) :・それがし - 拙者(せっしゃ)。男性の自称。鎌倉時代以降に用いられた。 :・持つまじきにもあらず - 「まじき」は打消当然の助動詞「まじ」の連体形、「ず」は打消しの助動詞「じ」の連体形。二重否定によって、強い肯定を表している。 :・あさましき身 - 落ちぶれた身。 :・さもあるべし - そういうこともあるだろう。 :・いづれも - どの人も、どなたも、などの意。 :・ - 。 *語注 :・めいよ - 不思議なこと。面妖(めんよう)のなまりか。 :・十面 - 不機嫌な面。 :・徳乗(とくじょう) - 後藤徳乗(ごとうとくじょう)という彫金家のこと。 :・唐物屋 - 中国からの輸入品などを売っている店。工芸品なども扱っていた。 :・歩 - 江戸時代の貨幣の単位。四分で一両になる。 :・生害 - 自害。 :・かばね - しかばね(屍)。 :・内証 - 奥の間、台所など。応接間では無い場所。この作品では台所のことだろう。 :・ひたもの - ひたすら。 :・ - 。 ---- === 四 === *大意 内助の考えるに、だれかが騒ぎを沈めるため一両を出したことになり、その一両を内助は持ち主に返そうとするが、誰も名乗り出ない。また、解決しないので、帰るに帰れない。そこで内助は、小判を外の庭の手水鉢の上に置いて、帰る際に持ち主に取ってもらうように言い、そして一人ずつ戸を閉めて帰すことにした。その後、内助が見ると、小判はなくなっていたので、つまり誰かが持ち帰ったことになる。 こうして、騒ぎは解決した。 主人の機転、座慣れした武士の振る舞い、見事なものだ。 *本文/現代語訳 {| style="width:100%" |valign=top style="width:40%;text-indent:0em"| 亭主申すは、「九両の小判、十両の詮議(せんぎ)するに、十一両になること、座中金子を持ち合はせられ、最前の難儀を、救はんために、御出だし(いだし)ありしは疑ひなし。この一両我が方(かた)に、納むべき用なし。御主(ぬし)へ返したし。」と聞くに、たれ返事のしてもなく、一座異なものになりて、夜更け鶏(どり)も、鳴く時なれども、おのおの立ちかねられしに、「このうへは亭主が、所存の通りにあそばされてたまはれ。」と、願ひしに、「とかくあるじの、心まかせに。」と、申されければ、かの小判を一升枡(いつしようます)に入れて、庭の手水鉢(てうづばち)の上に置きて、「どなたにても、この金子の主、取らせられて、御帰りたまはれ。」と、御客一人づつ、立たしまして、一度一度に戸をさしこめて、七人を七度(たび)に出だして、その後(のち)内助は、手燭(てそく)ともして見るに、たれとも知れず、取つて帰りぬ。 あるじ即座の分別、座なれたる客のしこなし、かれこれ武士のつきあひ、格別ぞかし。 |valign=top style="width:10%;text-indent:1em"| |valign=top style="width:45%;text-indent:1em"| 亭主(=内助)が申すには、「九両の小判、十両(あったはずだとの)の詮議をしているうちに、十一両になっていること、座中のかたが金子を持ち合わせておられて、目の前の難題を解決するために、お出しになったということに疑いない。この一両を私が受け取る理由が無い。持ち主に返したい。」と聞くが、誰も返事をする人もなく、一座の雰囲気がへんなものになって、夜更け鳥も鳴く時分であるのに、それぞれ帰りづらくなってしまい、(客の誰かが言うには、)「この上は主人の思うとおりになさってください。」と願ったところ、(ほかの客たちも)「とにかく主人の考えに任せる。」と申されたので、あの小判を一生枡に入れて、庭の手水鉢(ちょうずばち)の上に置いて、「どなたであっても、この金子の持ち主が、お取りになって、お帰りください。」と、客を一人ずつ立たせ申して、一回一回ごとに戸を閉めて、七人を七回に分けて(送り)出して、その後内助は、手燭をともして(一生枡を)見ると、(一両を)誰とも分からないが取って帰っていた。 主人の即座の機知、座なれた客のふるまい、あれもこれも武士の付き合いというものは格別なものであるよ。 |} ---- *語句(重要) :・返事のしてもなく - 「して」は「仕手」と書き、する人のこと。 :・しこなし - ふるまい。うまい処理。 :・ - 。 *語注 :・一生枡(いっしょうます) - 一升が入る枡。「升」(しょう)は容積の単位。一升は約一・八リットル。 :・ - 。 ---- == 品詞分解 == === 一 === 榧・かち栗・神の松・やま草 の(格助) 売り声 も(格助) せはしく(シク・用) 、餅 つく(四・体) 宿 の(格助) 隣 に(格助) 、煤 を(格助) も(係助) 払は(四・未) ず(助動・打消・用) 、二十八日 まで(副助) 髭 も(係助) そら(四・未) ず(助動・打消・用) 、朱鞘 の(格助) そり を(格助) かへし(四・用) て(接助)、「春 まで(副助) 待て(四・命) と(格助) 言ふ(四・体) に(接助)、 是非に(副) 待た(四・未) ぬ(助動・打消・体) か(係助)。」と(格助)、 米屋 の(格助) 若い(ク・体・音便) 者 を(格助) 、にらみつけ(下二・用) て(接助)、 すぐなる(ナリ・体) 今 の(格助) 世 を(格助) 、横 に(格助) わたる(四・体) 男 あり(ラ変・体)。 名 は(係助) 原田内助 と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 かくれ も(係助) なき(ク・体) 浪人。 広き(ク・体) 江戸 に(格助) さへ(副助) 住みかね(下二・用)、 こ(代) の(格助) 四、五年、 品川 の(格助) 藤茶屋 の(格助) あたり に(格助) 棚 借り(四・用) て(接助)、朝 の(格助) 薪 に(格助) こと を(格助) 欠き(四・用)、 夕べ の(格助) 油火 を(格助) も(係助) 見(上一・未然) ず(助動・打消・終)。 これ(代) は(格助) かなしき(シク・体)、 年 の(格助) 暮れ に(格助)、女房 の(格助) 兄、 半井清庵(なからゐせいあん) と(格助) 申し(四・用) て(接助)、 神田 の(格助) 明神 の(格助) 横町 に(格助)、 薬師 あり(ラ変・終)。 こ(代) の(格助) もと へ(格助)、 無心 の(格助) 状 を(格助)、 遣はし(四・用) ける(助動・過・体) に(接助)、 たびたび(副) 迷惑ながら、見捨てがたく(ク・用)、金子(きんす)十両 包み(四・用) て(接助)、 上書き に(格助) 「貧病 の(格助) 妙薬、金用丸、よろづ に(格助) よし(ク・終)。」 と(格助) 記し(四・用) て(接助)、内儀 の(格助) かた へ(格助) おくら(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。 === 二 === 内助 よろこび(四・用)、 日ごろ(副) 別して(副) 語る(四・体)、浪人仲間 へ(格助)、「酒ひとつ 盛ら(四・未) ん(助動・勧・終)。」 と(格助)、 呼び に(格助) 遣はし(四・用)、 幸ひ(副) 雪 の(格助) 夜 の(格助) おもしろさ、 今 まで(副) は(係助)、 くづれ次第 の(格助)、 柴 の(格助) 戸 を(格助) 開け て(接助)、 「さあ(感) これ(代) へ(格助)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 以上 七人 の(格助) 客、 いづれ(代) も(係助) 紙子 の(格助) 袖 を(格助) つらね(下二・用)、 時 なら(助動・断・未) ぬ(助動・打消・体) 一重羽織 、どこやら(副) むかし を(格助) 忘れ(下二・未) ず(助動・打消・終)。 常 の(格助) 礼儀 すぎ(上二・用) て(接助) '''から'''(格助)、 亭主 まかり出で(下二・用) て(接助)、「私(代) 仕合はせ の(格助) 合力 を(格助) 請け て(接助)、思ひまま の(格助) 正月 を(格助) つかまつる。」 と(格助) 申せ(四・已) ば(接助)、おのおの()、「それ(代) は(係助)、あやかりもの。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 「それ(代) に(格助) つき(四・用) 上書き に(格助) 一作 あり(ラ変・終)。」 と(格助)、 '''くだんの'''('''連体''') 小判 を(格助) いだせ(四・已) ば(接助)、 「さても(感) 軽口なる(ナリ・体) 御事。」 と(格助) 見 て(接助) 回せ() ば(接助)、杯 も(係助) 数 かさなり(四・用) て(接助)、 「よい(ク・体、音便) 年忘れ、 ことに(副) 長座。」 と(格助) 、千秋楽 を(格助) うたひ出し(四・用)、 燗鍋・塩辛壺 を(格助) 手ぐり に(格助) し(サ変・用) て(接助) あげ(下二・未然) させ(助動・使・用)、「小判 も(係助) まづ(副)、御仕舞ひ(四・用) 候へ(補丁・四・命)。」 と(格助) 集むる(下二・体) に(接助)、十両 あり(ラ変・用) し(助動・過・体) うち、 一両 足ら(四・未) ず(助動・打消・終)。 座中 居直り(四・用)、 袖 など(副) ふるひ(四・用)、 前後 を(格助) 見れ ども(接助)、 いよいよ(副) ない(ク・体、音便) に(格助) 極まり() ける(助動・過去・体)。 === 三 === あるじ の(格助) 申す(四・体) は(係助)、「そ(代) の(格助) うち 一両 は(係助)、 '''さる'''('''連体''') 方 へ(格助) 払ひ(四・用) し(助動・過・体) に(接助)、 拙者 の(格助) 覚え違へ。」 と(格助) 言ふ(四・終)。「ただ今 まで(副助) たしか('''副''') 十両 見え(下二) し(助動・過・体) に(接助)、 めいよ の(格助) こと '''ぞ'''('''終助''') かし('''終助''')。 とかく('''副詞''') は(係助) めいめい の(格助) 見晴れ。」 と(格助) 上座 から(格助) 帯 を(格助) とけ(四・已) ば(接助)、 そ(代) の(格助) 次 も(係助) 改め(下二・用) ける(助動・過・体)。 三人目 に(格助) '''あり'''('''ラ変'''・用) し(助動・過・体) 男、 渋面 つくつ(四・連用、音便) て(接助) もの を(格助) も(係助) 言は(四・未) ざり(助動・打消・用) し(助動・過・体) が(接助)、 膝 立て直し、「浮世 に(格助) は(係助)、'''かかる'''('''ラ変'''・体) 難儀 も(係助) ある もの '''かな'''('''終助''')。 それがし(代) は(係助)、身ふるふ(四段・体) まで(副助) も(係助) なし(ク・終)。 金子 一両 持ち合はす(四・体) '''こそ'''(係助、'''係り''')、 因果 なれ(助動・断・已、結び)。 思ひ(四・用) も(係助) よら(四・未) ぬ(助動・打消・体) こと に(格助)、 一命 を(格助) '''捨つる'''('''下二'''・体)。」 と(格助) 思ひ切つ(四・連用、音便) て(接助) 申せ(四・已) ば(接助)、 一座 口 を(格助) そろへ(下二・用) て(接助)、「こなた(代) に(格助) 限ら(四・未) ず(助動・打消・用)、あさましき(シク・体) 身 なれ(助動・断・已) ば(接助) とて(格助)、 小判 一両 持つ(四・終) まじき(助動・打消当然・体) もの に(助動・断定・用) も(係助) '''あら'''('''補動・ラ変'''・未然) ず(助動・打消・終止)。」 と(格助) 申す(四・終)。  「いかにも(副) こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 出所 は(係助)、 '''私'''(代) 持ち来たり(四・用) たる(助動・完・連体)、 徳乗 の(格助) 小柄、唐物屋十左衛門かた へ(格助)、一両二歩(ぶ) に(格助)、昨日 売り(四・用) 候ふ(補丁・四・体) こと、まぎれ は(係助) なけれ(ク・已然) ども(接助)、折ふし わるし(ク・終)。 つねづね(副) 語り合はせ(下二・用) たる(助動・完・体) よしみ に(格助) は(係助)、生害 に(格助) および(四・用) し(助動・過・体) あと にて(格助)、御尋ね(下二・用) '''あそばし'''('''補尊・四段'''・連用) 、かばね の(格助) 恥 を(格助) 、せめて(副) は(係助) 頼む(四・終)。」 と(格助) 申し(四・用) も(係助) '''あへ'''('''補動'''・下二段・未然) ず(助動・打消・用)、 革柄 に(格助) 手 を(格助) 掛くる(下二・体) 時、「小判 は(係助) これ(代) に(格助) '''あり'''('''ラ変'''・終)。」 と(格助)、 丸行灯 の(格助) 影 より(格助)、 投げいだせ(四・已) ば(接助)、 「'''さては'''('''接''')。」 と(格助) 事 を(格助) 静め(下二・用)、 「もの に(格助) は(係助)、 念 を(格助) 入れ(下二・用) たる(助動・了・体) が(格助) よい(ク・体、音便)。」 と(格助) 言ふ(四・体) 時、 内証 より(格助)、 内儀 声 を(格助) '''立て'''('''下二'''・用) 、「小判 は(係助) こ(代) の(格助) 方 へ(格助) まゐつ(四・用、音便) た(助動・完・終、口語)。」 と(格助)、 重箱 の(格助) 蓋(ふた) に(格助) つけ(下二・用) て(接助)、座敷 へ(格助) いださ(四・未) れ(助動・尊・用) ける(助動・過・体)。 これ(代) は(係助) 宵 に(格助)、 山の芋 の(格助)、 煮しめ物 を(格助) '''入れ'''('''下二'''・用) て(接助) 出ださ(四・未) れ(助動・受・用) し(助動・過・体) が(接助)、 そ(代) の(格助) 湯気 にて(格助)、 取りつき(四・用) ける(助動・過・体) '''か'''('''係助''')。 '''さ'''('''副''') も(係助) '''ある'''('''ラ変'''・連体) べし(助動・推・終)。 これ(代) で(助動・断・用) は(係助) 小判 十一両 に(格助) なり(四・用) ける(助動・過・体)。 いづれ(代) も(係助) 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) し(助動・過・体) は(係助)、 「こ(代) の(格助) 金子、ひたもの(副) 数 多く(ク・用) なる(四・体) こと、 めでたし(ク・終)。」 と(格助) 言ふ(四・終)。 === 四 === 亭主 申す(四・体) は(係助)、 「九両 の(格助) 小判、 十両 の(格助) 詮議 '''する'''('''サ変'''・体) に(接助)、 十一両 に(格助) なる(四・体) こと、 座中 金子 を(格助) 持ち合はせ られ(助動・尊・用)、 最前 の(格助) 難儀 を(格助)、 救は(四・未) '''ん'''(助動・'''婉曲'''・連体) ため に(格助)、 御出だしあり(連語) し(助動・過・体) は(係助) 疑ひなし(ク・終)。 こ(代) の(格助) 一両 我(代) が(格助) 方 に(格助) 、 納む(下二・終) べき(助動・当・体) 用 なし(ク・終)。 御主 へ(格助) 返し(四・用) たし(助動・願・終)。」 と(格助) 聞く(四・体) に(接助)、 たれ(代) 返事 の(格助) して も(係助) なく(ク・用)、 一座 異な(ナリ・体、口語) もの に(格助) なり(四・用) て(接助)、 夜更け鶏 も(係助)、鳴く(四・体) 時 なれ(助動・断・已) ども(接助)、 おのおの(副) 立ちかね(下二・未) '''られ'''(助動・'''自発'''・用) し(助動・過・体) に(接助)、 「こ(代) の(格助) うへ は(係助) 亭主 が(格助)、 所存 の(格助) 通り に(格助) あそばさ(四・未) れ(助動・尊敬・用) て(接助) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、願ひ(四・用意) し(助動・過・体) に(接助)、 「とかく(副) あるじ の(格助)、 心まかせ  に(格助)。」 と(格助) 、 申さ(四・未) れ(助動・尊・用) けれ(助動・過・已) ば(接助)、 か(代) の(格助) 小判 を(格助) 一升枡 に(格助) 入れ(下二・用) て(接助)、 庭 の(格助) 手水鉢 の(格助) 上 に(格助) 置き(四・用) て(接助)、「どなた(代) に(助・断・用) て(接助) も(接助)、 こ(代) の(格助) 金子 の(格助) 主、 取らせ(下二・未) られ(助・尊敬・用) て(接助)、 御帰り(四・用) たまはれ(補尊・四・命)。」 と(格助) 、御客 一人づつ、立た(四・未) しまし(助・尊・用) て(接助)、 一度一度に(副) 戸 を(格助) さしこめ(下二・用) て(接助)、 七人 を(格助) 七度 に(格助) 出だし(四・用) て(接助)、そ(代) の(格助) 後 内助 は(係助)、 手燭 ともし(四・用) て(接助) '''見る'''('''上一'''・体) に(接助)、 たれ(代) と(格助) も(係助) 知れ(下二・未) ず(助動・打消・用)、 取つ(四・用、音便) て(接助) 帰り(四・用) ぬ(助・完・終)。  あるじ 即座 の(格助) 分別、 座 なれ '''たる'''(助動・'''存続'''・体) 客 の(格助) しこなし、 かれこれ(代) 武士 の(格助) つきあひ、 格別 '''ぞ'''('''終助''') '''かし'''('''終助''')。 [[カテゴリ:高等学校教育 国語]]
null
2023-01-28T09:57:23Z
[]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E8%A5%BF%E9%B6%B4%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97