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4,507 | 577 | 88,855,408 | これは安全上の限界を超えてエンジンを噴射するという意味ではなく、初期のエンジン出力と比較しての値を指す。長い開発期間のうちに製造元のロケットダイン社は、安全出力を当初の設計値の104%にまで向上させることができたのだが、これまでに作成した膨大な量の文書やソフトを書き直す必要を避けるため104%という言い回しが残ることとなった。SSMEの進歩の歴史は、フェーズII、ブロックI、ブロックIA、ブロックIIA、ブロックII のような「ブロック番号」となって残されている。これらの改良によってエンジンの信頼性・メンテナンス性・性能は大きく向上し、2001年にはブロックIIエンジンを109%の推力にまで到達させることができた。ただし通常使用される最大推力は104%までで、106%または109%が実現されるのは緊急事態が発生して飛行が中止される時だけである。 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,508 | 577 | 88,855,408 | 最初の二回の飛行STS-1とSTS-2では、外部燃料タンクが太陽光を吸収して内部の温度が上昇するのを防ぐため全体が白色に塗られた。しかし地上での試験で必要ないことが分かったので次回からは廃止され、その塗料の分だけ軌道に投入できる搭載量が増えることとなった。他のところでは、液体水素タンク内部の桁のいくつかも不要なことが判明したため、軽量化のために取り除かれた。改良を施された軽量タンクはほとんどの飛行で使用されてきたが、STS-91からは超軽量タンク(SLWT)に置きかえられた。改良型の超軽量タンクにはアルミニウム/リチウム合金2195が使用されていて、最終型の軽量タンクに比べ3.4トンの減量に成功した。シャトルは無人では飛行できない設計になっているため、これらは実際の飛行で試してみる以外に手段がなかった。SRB(固体燃料補助ロケット)もまた、何度も改良されてきた。 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,509 | 577 | 88,855,408 | 代表的なところではチャレンジャー号爆発事故の後、本体接合部分の密閉性を確保するOリングが三重に強化された。SRBには他にも性能や安全性を高めるためのいくつかの改良が試みられたが、実現されることはなかった。その中の一つに、より簡略かつ低コストで、安全面や性能にも格段の向上を果たしたと考えられる発展型SRB(Advanced Solid Rocket Booster, ASRB)があった。ASRBは1990年代半ばに宇宙ステーション計画支援のため製造が開始されたが、開発費が22億ドルにまではね上がったため中止が決定された。この代替案として、搭載能力を向上させるために超軽量タンクが開発されたが、安全性は向上しなかった。空軍は独自に、分割式ではない一体成形型の軽量SRBを開発していたが、こちらもまたキャンセルされた。 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,510 | 577 | 88,855,408 | 1995年、発射台上で準備作業をしていたディスカバリー号のETの発泡断熱材にキツツキが穴を空けたため、発射が遅れるという事態が発生した。この時以来、NASAは発射台周辺に市販の鳥よけのためのフクロウの模型や風船を配置するようになった。これらは打ち上げの直前にすべて取り除かれる。ET断熱材は発泡スチロールのようにもろい物質であるため、発射の際の衝撃や空気抵抗ではがれ落ち、軌道船を大気圏再突入の熱から保護する耐熱タイルを傷つける事故がこれまでにもたびたび発生してきた。断熱材の剥落は2003年2月1日に発生したコロンビア号空中分解事故の原因になり、その後も何度も打上げスケジュールの延期の原因になった。人間が搭乗せず、搭載物だけを宇宙に送る無人の発射計画も1980年代以来何度も提案されてきたが、そのたびに却下された。 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,511 | 577 | 88,855,408 | 「シャトルC(英語版)」と呼ばれるこれらの計画は、シャトルで蓄積されてきた技術を応用し、再使用という特性を放棄することとひきかえに、大幅なコストの削減が期待できるはずだった。最初の4回の飛行では、飛行士は離陸時と帰還時には完全密閉型のヘルメットを着用し、空軍の高々度用与圧服を改良した宇宙服を着た。5回目の飛行からはこの与圧服は廃止され、青いワンピースのフライトスーツと部分与圧ヘルメットを着用するようになったが、チャレンジャー号事故による2年間の中断の後に再開された1988年の飛行からは、打上げ/帰還時にはあまりかさばらないように改良されたヘルメットつきのオレンジ色の部分与圧服(Launch-Entry Suit: LES)を着用するようになった。1995年からは、完全与圧式の改良型与圧服 (Advanced Crew Escape Suit: ACES) に置き換えられた。 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,512 | 577 | 88,855,408 | 軌道船がISSとドッキングして宇宙に滞在できる期間を延長するために、ステーション・シャトル電力供給システム (Station-to-Shuttle Power Transfer System, SSPTS) が導入された。SSPTSはISSが発生した電力を使用して軌道船の消耗品の消費を抑えるもので、STS-118から実用化された。軌道船諸元(OV-105エンデバー号)外部燃料タンク諸元(超軽量タンク)固体燃料補助ロケット諸元 | 構造・メカニズム・諸元 | スペースシャトル |
4,513 | 577 | 88,855,408 | シャトルの発射は、すべてケネディ宇宙センターで行われる。発射時に適用される天候基準は以下のとおりである。ただし、これだけに限定されるものではない。特に落雷が起きる可能性がある場合には、シャトルは絶対に発射されない。航空機はしばしば雷の直撃を受けることがあるが、構造が伝導体であることや、電気的に接地されていないために電流が空気中に放電されることなどにより、機体が悪影響を受けることはない。これに対してシャトルは、機体構造は通常のジェット旅客機と同じように伝導性のアルミニウムで作られているので内部機器が電流の影響を受けることはないが、発射時に噴射される噴煙が機体と地面をつなぐ電線の役目を果たしてしまう。このためNASAの基準では、周辺10海里以内に積乱雲が発生している場合には発射を行ってはならないことになっている。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,514 | 577 | 88,855,408 | 当日は気象担当官が発射台周辺のみならず、大西洋を越えた緊急着陸地点やSRB(固体燃料補助ロケット)の回収点の天候なども監視し、最終的に発射を行うかどうかを判断する。シャトルは雷に対してはまず安全だとは思われるが、アポロ12号が発射された時には実際に落雷で船内が一時停電する事故が発生したため、NASAはこの件については特に慎重になっている。長い間、シャトルは12月31日と1月1日をまたがっては飛行できなかった。1970年代に開発されたシャトル用のソフトウェアは年越しができるようには設計されておらず、もし飛行中にそれを強行するとコンピューターをリセットしなければならなくなり、予測できないようなエラーが発生する可能性が生じるからである。NASAの技術者がこの問題を解決したのは2007年のことで、これによってようやくシャトルは年を越えて飛行できるようになった。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,515 | 577 | 88,855,408 | 発射当日はTマイナス9分前の最後のホールド(待機)が解除された後、いよいよ最終的な準備段階に入り、管制センターに設置された地上の打上げ管制装置 (Ground Launch Sequencer, GLS) が秒読み作業を引き継ぐが、もしシャトルに搭載された機器に重大な問題が発生した場合には秒読みは自動的に停止される。発射31秒前には、「オート・シークエンス・スタート (Auto Sequence Start)」と呼ばれる作業工程によって秒読み作業がGLSからシャトルのメイン・コンピューターに引き継がれる。発射16秒前(Tマイナス16)、騒音抑制装置が作動し、猛烈な音響で機体が損傷を負わないようにするために移動式発射台やSRBの火炎偏向板(フレームトレンチ)に1,100m3の水が放出されはじめる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,516 | 577 | 88,855,408 | 発射10秒前(Tマイナス10)、SSME(メイン・エンジン)のノズル内に停滞している水素ガスを燃焼させて除去するために、ノズルの下で電気火花が飛ばされはじめる。エンジン周辺にこれらのガスが残っていると、点火する過程で搭載した検知機が異常を感知して、異常な加圧を招いたり爆発したりする可能性がある。この時、SSMEのターボ・ポンプが作動して燃焼室内に液体酸素や液体水素を供給しはじめる。この間、軌道船の4台のコンピューターは相互に指令を交わし、点火に必要なすべての動作を制御する。発射6.6秒前(Tマイナス6.6)、SSMEの点火が始まる。点火指令は軌道船のGPC(汎用コンピューター)を経由して、3番エンジン(右側)、2番エンジン(左側)、1番エンジン(中央)の順に120ミリ秒の間隔を置いて送られる。GPCはSSMEの推力を90%にまで到達させると同時に、ノズルの向きを所定の位置に固定する。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,517 | 577 | 88,855,408 | エンジンに点火されると、騒音抑制装置の水が蒸発して大量の水蒸気となり、南側に向かって噴出される。3基のSSMEの推力はそれから3秒以内に100%に達しなければならず、もしそれが実現しなかった場合はGPCがエンジンを緊急停止させる。逆に正常に推力が発生されていることが確認されれば、SRBを発射台に固定している8本の爆発ボルトが吹き飛ばされ、SRBに点火される。この時間こそが「Tマイナス0」と規定されている発射の瞬間であり、この直後に機体は上昇を開始する。そしてSRBは、いったん点火されたら燃料をすべて消費するまで燃焼を停止することはできない。SRBの排気ガスは北側に向かって掘られた火炎坑に沿って音速に近い速度で噴出され、しばしば衝撃波を発生させる原因となる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,518 | 577 | 88,855,408 | GPCは、4台の汎用コンピューターに設定された「発射手順制御装置(Master Events Controller)」と呼ばれるプログラムを介して点火の手順を実行する。上昇中に様々な異常事態が発生したときの緊急対応手順(中止方法)は、広範囲なものが用意されている。その大部分を占めるのは最も複雑で大きな負荷がかかるSSMEに関するもので、SRBが原因でチャレンジャー号爆発事故が発生した後には、緊急対応手順はより拡充されたものになった。SSMEに点火されSRBが発射台から解放されるまでの間、機体はエンジンの推力によって機首下げの方向にわずかに(操縦席付近で約2m)傾く。この運動は、NASAの隠語で「うなずき (nod)」あるいは「はじき (twang)」などと呼ばれている。その後機体は約6秒かけてまた元の位置に揺れ戻ってきて、完全に垂直になった瞬間にSRBに点火されて上昇を開始する。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,519 | 577 | 88,855,408 | 発射整備塔を離れた直後、シャトルは予定軌道に対応するためロール運動とピッチ運動を開始し、ETとSRBが上になった裏返しの姿勢になる。機体はゆるやかな弧を描きながら上昇し、燃料はどんどん消費されて重量が軽くなっていくため、加速度は徐々に増加していく。発射直後の加速度は1.2Gで、SRBが切り離される直前は2.5Gに増大し、SRB切り離し直後はいったん0.9Gに落ち、その後SSMEが燃焼を停止する直前には3Gにまで達する。地球周回軌道に乗るためには垂直方向よりもむしろ水平方向への加速がより多く必要とされるが、機体が視界から消える前はほぼ垂直に上昇していくため、水平方向への運動はほとんど確認することはできない。ISSが周回している高度380km付近での周回速度は秒速7.68km、時速27,650kmで、地表付近ではマッハ23に相当する。ISSは赤道に対して51. | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,520 | 577 | 88,855,408 | 6°の傾斜角をもって地球を周回しているので、シャトルがランデブーをするためにはその角度に合わせる必要がある。マックスQ付近では、機体の、特に主翼などの弱い部分にかかる空気力学的圧力を抑えるため一時的にSSMEの推力が65%にまで絞られる。その前後では、空気の急激な圧縮と断熱膨張によりベイパーコーン (vapor cone) やプラントル・グロワートの特異点が起こる。発射126秒後、SRBをETにつなぎとめていたボルトが爆薬で切断される。SRBはブースター分離モーターを噴射して機体の後方へと押しのけられ、残った推力を偏向し180度のターンを行い燃焼を完全に終了し、真下を向いて落下する。SRBはパラシュートで海に着水して再使用のため回収されるが、シャトルはSSMEの推力でなおも上昇を続ける。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,521 | 577 | 88,855,408 | この時点では、機体はSRBがなくなったことで推力と重量の比は1を下回っているため、SSMEの力だけでは地球の重力を振り切ることはできなくなる。しかし燃焼を続けるうちに燃料が消費されて徐々に機体が軽くなり、やがて推力:重量比は再び1を超え、最終的に軌道に到達するまで二度と1を下回ることなく加速を続ける。 機体はその後も機首をやや上に向けた姿勢で徐々に軌道を水平に近づけ、SSMEの力で加速する。発射から約5分45秒後、地上との直接通信が終了し、背面が宇宙空間に向いた姿勢になるよう機体を反転させる。地上との交信は、その後は追跡およびデータ中継衛星 (Tracking and Data Relay Satellite, TDRS) を介して行われる。最後の10秒間には機体は相当に軽くなっているため、飛行士に負担をかけないよう加速度が3G以下になるように推力が絞られる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,522 | 577 | 88,855,408 | メイン・エンジンは空転すると機器を傷める可能性があるので、燃料が完全に空になる前に停止される。液体酸素は液体水素よりも前に供給が停止される。液体酸素はより過激に反応する傾向があり、停止直後の加熱した金属部分に触れると爆発するかもしれないからである。ETはエンジン停止後に爆発ボルトで切り離され、大部分は大気圏内で消滅してわずかな部品がインド洋または太平洋に落下するが、どこに落ちるかは打上げプロファイルによって変わる。タンク内の配管はすべて密閉されており、圧力を解放するような装置は設けられていないため、ETは大気圏下層部で内圧によって破裂する。大気圏再突入時に表面の断熱材が焼失すると、内部に残っていた液体酸素や液体水素を熱から保護する手段がなくなるため、急膨張して爆発の大きな要因になる。このような手段によって、地上に大きな破片が落下するのを防いでいる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,523 | 577 | 88,855,408 | ET分離直後は、軌道の近地点はまだ大気圏を離れてはいないので、そのままでは大気圏に再突入することになる。そのため軌道船は軌道操縦システム (Orbital Maneuvering System, OMS) を噴射し、近地点をより高い高度に設定してETと衝突するのを防止する。一部の飛行(すなわちISSミッションなど)では、打上げ能力を確保するためにOMSが、メイン・エンジンの燃焼後期に並行して使用された。投入時の軌道をこのように設定しているのは、ETを宇宙空間に放出せず大気圏内で廃棄するためと、もしOMSが点火しなかったり、何らかの理由で搭載室のドアが開かなくなるような事態が発生しても、このような軌道にしておけば自動的に地球に帰還できるから、という安全上の理由もある。軌道に乗ると、シャトルは様々な、しばしば相互に関連した任務をこなす。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,524 | 577 | 88,855,408 | 1980年代から90年代にかけては、NASAとヨーロッパ宇宙機関が共同開発した宇宙実験室 (Spacelab) などを含む宇宙科学計画や多種多様な衛星や科学探査機の軌道投入に使用されてきた。90年代から2000年代にかけては衛星打上げの任務は減少し、計画の焦点はもっぱら宇宙ステーションの建設に移った。ほとんどの飛行は数日から2週間程度で終了するが、軌道滞在期間延長機器 (Extended Duration Orbiter) を搭載したり国際宇宙ステーションにドッキングすれば、滞在期間をさらに延長することもできる。シャトルの大気圏再突入の過程では、降着装置をおろすのと、対気速度計に使うピトー管 (air data probe) を展開する作業以外はすべてコンピューターが自動で行うが、もし何か緊急事態が発生した場合は手動で再突入することも可能である。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,525 | 577 | 88,855,408 | 滑走路への進入と着陸も自動操縦装置に任せることはできるが、通常は手動で行われる。再突入の作業は、まず軌道船の飛行方向を反転させ、機体後部を進行方向に向けることから始まる。その姿勢でOMSロケットを進行方向に約3分間噴射し(逆噴射)、軌道周回速度を322km/hほど減速する。これにより、軌道の近地点を下げて大気圏上層部に入るようにする。逆噴射の間にかかる加速度は約0.1Gである。その後軌道船は反転して機首を下げ(地球から見ればひっくり返した姿勢になっていたので機首を上げる方向(ピッチ軸を時計回り)に180度回転)、機首を進行方向に向ける。逆噴射は、着陸地点のケネディ宇宙センターから見てほぼ地球の裏側の、インド洋上空の赤道付近で行われる。高度約120kmの熱圏下層部にさしかかる頃、機体にかかる空気抵抗が顕著になりはじめる。この時の速度はマッハ25(時速30,000km、秒速8. | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,526 | 577 | 88,855,408 | 3km)ほどである。シャトルは40°ほどの迎角をとりつつ姿勢制御システムと動翼を併用して機体を制御し、長い航跡を引いて速度だけでなく熱も減少させながら次第に降下していく。空気抵抗が増加するにつれ、シャトルは宇宙船から次第に航空機としての性格を現すようになる。直進している間は、機体には機首を下げるかもしくは40°よりも高い迎角をとらせようとする力が働く。軌道船は途中で4回、70°以上の深いバンク角をとったS字飛行をする。この間迎角は40°を保ったままで、各Sターンは数分間行われる。この操作を行うことで、機体の運動エネルギーを上下方向ではなく左右方向に分散して減速する。このS字飛行が始まるのは熱負荷が最も強烈になる時間帯で、この間熱保護シールドは灼熱化し、加速度は最大となる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,527 | 577 | 88,855,408 | 最後のターンが終わる頃には軌道船は完全に航空機(グライダー)となっており、機首を下げて機体を水平にし、着陸施設への進入作業が開始される。軌道船の最大滑空比/揚抗比は速度によって相当に変化し、極超音速域では1:1、超音速域では2:1で、滑走路への進入と着陸を行う亜音速域では4.5:1にまで低下する。 大気圏下層部では、軌道船は毎秒50m(時速180km)という高い降下率を除けば通常のグライダーのように飛行する。この高い高い降下率は、しばしば「空飛ぶレンガ」「翼の生えたレンガ」と揶揄される。速度がマッハ3程度にまで低下したところで、機体の対気速度を検出するため、胴体前方下部の左右両側に設置された対気速度測定用のピトー管が展開される。高度3,000m、滑走路端まで12kmに達したところで、進入および着陸操作が開始される。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,528 | 577 | 88,855,408 | 飛行士は空力ブレーキを作動させ、機体の速度を682km/hから着陸速度の346km/hにまで減速させる(一般的なジェット旅客機の着陸速度は260km/h程度である)。機体のノーズは滑走路手前ギリギリまでノーズダウンの状態であるが、着陸寸前でノーズアップの状態とされ機体下面の空気抵抗を利用してさらに減速が行われる。430km/hで降着装置がおろされ、343km/hあたりでタイヤが接地し着陸する。シャトルは通常航空機に対して重く、着陸時のタイヤへの加重は過酷で、ボーイング747の2-3倍の63.6トンにもなる。タイヤは16層構造で1本4000ドルで6回まで再使用できるが、実際は使い捨てである。空力ブレーキの作動を補助するために、後輪または前輪が接地したところで直径12mのドラグシュートが展開されるが、どちらの段階で開くかはシュートの展開モードの選定によって変わる。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,529 | 577 | 88,855,408 | ドラグシュートは機体が110km/h以下になった段階で投棄される。着陸後は、機体の表面温度が下がるまで数分間待ち、有毒な水素やヒドラジン、四酸化二窒素(姿勢制御システムや3台ある補助動力装置の燃料として使用される)、アンモニアが機体周囲から検出されないかを確認し終えるまで、軌道船は滑走路上で停止したままにされる。支援車両によってパージとベント用の配管が軌道船の燃料配管と貨物室への配管に取り付けられ、着陸後約45-60分かけて有害なガスが除去される。以上の着陸行程は、基本的にグライダーとして動作するために、やり直しが行えない。そのため着陸地点の天候は厳重にチェックされ、気象予報によっては他の着陸ポイントに変更される。機体は航空機としては非常に重量があるため、通常の飛行場の滑走路では耐えられず、特別に強化された路面をもつ飛行場が選ばれた。通常はNASAシャトル着陸施設の長さ5. | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,530 | 577 | 88,855,408 | 2kmの滑走路が主に使用されるが、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地も使用された。この他世界各地に予備の着陸地点が指定され、日本では嘉手納飛行場がその一つであった。上記のような操縦特性とアプローチに習熟するため、NASAではガルフストリーム IIを改造したシャトル訓練機での訓練を行っていた。シャトルの着陸は、初期はカリフォルニア州エドワーズ空軍基地に、ケネディ宇宙センターの滑走路が整備された後は基本的にはケネディ宇宙センターで行われることが多かった。ケネディ宇宙センターの天候が不順な場合は回復するまで宇宙で待機したり、あるいはエドワーズ空軍基地やその他世界中に配置された代替基地に着陸することもできた。ただしケネディ以外の施設に着陸するということは、その後にシャトル輸送機でケープ・カナベラルまで運ばれて来なければならないことを意味した。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,531 | 577 | 88,855,408 | 代替着陸基地の一つのホワイト・サンズ空軍基地の滑走路はシャトルが着陸するには整備が不十分という問題もあった。STS-3ではコロンビア号がニューメキシコ州のホワイト・サンズ空軍基地に着陸したが、この滑走路は当時はまだ整備が行き届いておらず、細かい砂が機体に入り込んでその後の整備が大変だった。シャトルを空輸するためのクレーン設備も準備する必要があるなど問題があった。結局、同基地に着陸したのはこの1回だけである。代替着陸施設は多数あるが、エドワーズ空軍基地とホワイト・サンズ空軍基地以外は使用されることはなかった。エドワーズ空軍基地についても、シャトルの大陸横断に掛かる多額のコストのため近年はできるだけ利用しない方針が採られており、日本人最後の乗務となったSTS-131の着陸時にも一時は使用が決定していたが、最終的にはケネディ宇宙センターへの着陸となった。 | 飛行手順の詳細 | スペースシャトル |
4,532 | 577 | 88,855,408 | 主なシャトルの飛行記録は以下のとおりである。出典:NASA打上げマニフェスト、NASAスペースシャトル公文書記録1986年1月28日、スペースシャトルチャレンジャー号が発射から73秒後に右側のSRBのOリングの故障が原因で空中分解し、搭乗していた7名の飛行士全員が犠牲になった。機体の最重要機器の一つであるOリングが、異常寒波が原因の低温により損傷した。現場の技術者は再三にわたり12°C以下の気温でのOリングの安全性は保証できないと警告したが、NASAの幹部はこれを無視した。2003年2月1日、スペースシャトルコロンビア号が発射の際に主翼前縁の強化カーボン・カーボン断熱材が損傷したことにより、大気圏再突入時に空中分解した。 | 飛行記録 | スペースシャトル |
4,533 | 577 | 88,855,408 | 地上管制室の技術者たちは損傷の広がりをより明確に把握できるよう、国防総省に対して三回にわたって高解像度の写真を撮影するよう要求し、NASAの熱保護システムの技術主任はコロンビアに搭乗している飛行士たちに耐熱タイルのダメージを調査させるべく船外活動の許可を求めた。NASAの幹部は国防総省の支援の動きに介入してこれを停止させ、船外活動の要求も拒否した。その結果、飛行士が自ら修理に赴くことや、発射準備作業中だったアトランティスで救援に向かうことの実現性は、ついにNASA幹部によって考慮されることはなかった。 | 飛行記録 | スペースシャトル |
4,534 | 577 | 88,855,408 | 2011年7月8日(日本時間9日未明)に打ち上げられたアトランティスのSTS-135をもって、30年あまりに及んだスペースシャトル計画を終了した。当初の予定では2011年2月26日の打ち上げが最後になる予定だったが、後に追加予算が認められて、非常時の救援ミッションのために待機していたアトランティスをISSの補給ミッションに転用する形で同年7月の打ち上げが認められた。シャトル退役による宇宙開発計画の間隙を埋めるべく、飛行士や搭載物をISSに運ぶだけでなく、地球を離れて月や火星まで到達できるような宇宙船が現在開発中である。当初「有人開発船(Crew Exploration Vehicle)」と呼ばれていた計画概念は、その後オリオン宇宙船やコンステレーション計画へと発展した。 | 退役 | スペースシャトル |
4,535 | 577 | 88,855,408 | しかし2010年にオバマ政権はコンステレーション計画の予算を打ち切り、今後は低軌道への衛星発射の事業は民間企業に委託することを提案した。次世代の宇宙船が登場するまでは、飛行士がISSに到達しまた帰還するためにはロシア連邦のソユーズ宇宙船か、または開発中のアメリカの民間商用宇宙船に頼る以外に手段がなくなる。オバマ大統領の提案はアメリカ合衆国議会によって承認されたが、次の宇宙船が開発されるまでの5年間にシャトルを延長して使用する可能性を含む対抗案も2010年に議会で検討された。しかし結局、シャトルの退役計画は覆されなかった。退役後は、ディスカバリーはスミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館別館、アトランティスはケネディ宇宙センターの見学者用施設、エンデバーはロサンゼルスのカリフォルニア科学センターにそれぞれ展示される。 | 退役 | スペースシャトル |
4,536 | 577 | 88,855,408 | 国立航空宇宙博物館別館に展示中のエンタープライズは、同館にディスカバリーが展示されることに伴い、ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館に移されることになっている。2010年4月、タイム紙は「2010年に最も影響を与えなかった人々」のリストの中にスペースシャトルを挙げ、その理由を「シャトルは従来のロケットのように格好良くないから」とした。2008年12月23日、NASAはISSへの物資補給を民間に委ねる商業軌道輸送サービス (COTS) に関する契約を、スペースX社およびオービタル・サイエンシズ社と取り交わしたことを発表した。スペースXは2012年にファルコン9ロケットでドラゴン宇宙船を、オービタル・サイエンシズは2013年にアンタレスロケットでシグナス宇宙船を打ち上げ、スペースシャトルに代わってISSへの無人補給ミッションを果たした。 | 退役 | スペースシャトル |
4,537 | 577 | 88,855,408 | NASAは次いでISSへの有人飛行も民間に委ねるべく商業乗員輸送開発 (CCDev) 計画を開始し、2014年にスペースXのドラゴン2宇宙船とボーイングのCST-100宇宙船を選定した。しかし、有人宇宙船の開発はたびたび遅延を繰り返し、民間によるISSへの有人飛行が実現したのは、スペースシャトル退役から9年後の2020年5月の事であった。 | 退役 | スペースシャトル |
4,538 | 577 | 88,855,408 | シャトル訓練機 (STA) はシャトルの着陸訓練に使用されたアメリカ航空宇宙局の練習機である。グラマン ガルフストリーム IIをベースに4機が改造された。操縦特性が着陸進入時のオービタの挙動と合致するようになっており模擬的に着陸訓練を行うことが出来た。外観は飛行訓練中の高い空気力学的荷重に耐えられるように改造されていた。操縦室の左席がオービタの制御と視界を忠実に再現していた。通常の飛行は右席のみで可能となっており、訓練空域までの移動などはこちらで操縦する。4機のSTAが通常はテキサス州エルパソで飛行訓練を行い、ヒューストンで整備を行った。STAは同様にフロリダ州のケネディ宇宙センターでも使用された。機体後部には数名分の座席が設置されておりT-38が使用できない・人数が多い場合(T-38は2名)に、STAはジョンソン宇宙センターとケネディ宇宙センター間の乗員輸送に使用された。 | シャトル訓練機 | スペースシャトル |
4,539 | 577 | 88,855,408 | シャトル派生型打ち上げ機Shuttle-Derived Launch Vehicleまたは単純にシャトル派生機Shuttle-Derived Vehicle (SDV) はスペースシャトル計画で開発された技術を基にしたロケットで幅広い機種がこれまで提案されてきた。しかし2011年現在、どれも実用化には至っていない。SDVは既にNASAで複数回、提案されては廃案になるという事を繰り返してきた。1980年代末から1990年代初頭にNASAは公式に貨物専用のシャトル-Cを研究してきた。2005年にNASAは月と火星の有人飛行計画のためにスペースシャトルの部材を大幅に流用したアレスIとアレスVの開発を決定した。同様に3番目のアレスIVも研究した。2011年4月の時点でNASAはスペースシャトルの代替としてのSDVはスペース・ローンチ・システムである。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,540 | 577 | 88,855,408 | SDVの概念はシャトル自体が飛行を開始した当時から提案された。SDVの概念には以下を含む:これらの案に共通するのは既存のスペースシャトルの構成要素を流用する事で開発費を抑え、より廉価に新型の重量物を軌道に投入する能力を持つ打ち上げシステムを開発しようという意図である。しかし、実際には個々の構成要素は新しい目的別には最適化されておらず、従来の構造体を流用する事によって補強が必要になるなど構造重量の増加の一因ともなり、最適化の障害となっている。有人飛行用としての高度な安全性を備え、再利用を前提としたシステムを使い捨てとして使用しようとした場合、過剰な安全装置等が貨物打ち上げには不要である場合も多い。その為、結局、新技術を盛り込んで最適化された構造の完全新規開発の機体と比較して無駄が多い事は否めず、生産、運用の過程で高くつく可能性が指摘されている。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,541 | 577 | 88,855,408 | シャトルCはアメリカ航空宇宙局が提案したスペースシャトルの構成要素を流用した無人貨物打ち上げロケットである。外部燃料タンク (ET) と固体燃料補助ロケット (SRB) とメイン・エンジンを備えた貨物用モジュールを組み合わせて使用される予定だった。複数のシャトルCの概念が1984年から1995年にかけて提案された。シャトルCの概念は理論的にはシャトル計画で開発された再利用技術によって重量物打ち上げロケットの開発費を減らす事が期待された。提案は複数回行われ、いずれも既存のシャトルの構造体や使用回数限度の迫ったメイン・エンジンや航法コンピュータを流用するというものだった。中にはコロンビア号やエンタープライズ号を1回限りの貨物打ち上げ機として使用する案もあった。チャレンジャー号の事故の前にNASAは年間14回の打ち上げを期待していた。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,542 | 577 | 88,855,408 | チャレンジャー号の事故の後にはこの打ち上げ頻度は複数の理由により非現実的である事が明らかになった。シャトルCは無人であるので高い打ち上げ頻度でも整備費が安く安全性に関する要求水準が低いと考えられた。2段階の開発が計画された。第一段階として貨物輸送機の形状と大きさが検討された。NASAによる研究は小型だが最も打ち上げ効率の良い機能的な輸送機を示した。1990年代初頭、NASAの技術者は火星探査用の宇宙船を組み立てる為に地球周回軌道へ80トンの使い捨ての6機のセグメントを打ち上げる為にシャトルCの設計を含む有人火星飛行計画を立案した。代替案は4機のサターンVを使用する案だった。ブッシュ大統領が2010年にスペースシャトルの運用を終了すると発表した後、これらの提案された仕様は検討対象から外された。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,543 | 577 | 88,855,408 | DIRECTはNASAのビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーションで提案されたアレスIとアレスVの代替案として提案された。元のシャトル派生打ち上げ機では"ジュピター"と称され、より野心的な"プロジェクト2"で重量物打ち上げロケットのレビタリアン、軌道周回支援ステーションオリンピア、ガロン重量貨物宇宙船、宇宙ステーションアルゴとヘリオスと乗員貨物船アルテミスから構成され2011年に打ち上げる計画だった。 2008年9月, DIRECTチームは69人のメンバーで構成されるとされ、 NASAの技術者、コンステレーション計画でNASAと契約した技術者とマネージャー62人から構成され、グループの刊行物によると少数のNASAには属さないメンバーもいる。計画の名称である"DIRECT"はスペースシャトル計画のハードウェアと施設を"直接"移行する事によって最大限流用する哲学に由来する。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,544 | 577 | 88,855,408 | DIRECTには三つの派生機種があり2009年5月に最新の3.0版が発表された。2009年6月17日にワシントンDCで開催された有人宇宙飛行計画委員会の公聴会で明らかになった。10月11日に2010年のNASAの権限法 (S. 3729) へのオバマ大統領による調印によってスペース・ローンチ・システムが義務化され、DIRECTチームは彼らの努力の成功を宣言した。彼らは新しい宇宙技術企業である: C-Star エアロスペース, LLC.へ組織変更した。スペース・ローンチ・システム,またはSLSはNASAがコンステレーション計画の中止に伴いスペースシャトルの代替として開発中のシャトル派生型打ち上げシステムの一種である。2010年NASA権限法によってアレスIとアレスVの機体設計を乗員と貨物輸送の両方に使用できる単体のロケットに一本化する構想である。より強力な機種に更新された。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,545 | 577 | 88,855,408 | 当初の打ち上げ能力は上段を除いたコアのみで構成され低軌道へ70から100トンの投入能力を備える。更に地球離脱段を上段に加えることで130トン以上の打ち上げ能力を獲得する見込みである。ジュピターシリーズは現在計画中のDIRECTスペースシャトル派生ロケットの一つである。NASAがコンステレーション計画のために開発していたアレスIとアレスVの代替として企図された。出来るだけスペースシャトルの構成要素や施設を流用する事が予定される。 | シャトル派生型打ち上げ機 | スペースシャトル |
4,546 | 580 | 88,225,574 | 『秘密戦隊ゴレンジャー』 (ひみつせんたいゴレンジャー) は、1975年4月5日から1977年3月26日まで、NET系列で毎週土曜19:30 - 20:00 (JST) に全84話が放送された、NET (現・テレビ朝日)・東映制作の特撮テレビドラマ、および作中に登場するヒーローチームの名称。 | __LEAD__ | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,547 | 580 | 88,225,574 | 「スーパー戦隊シリーズ」第1作目として扱われている。他方、シリーズ初期には、本作品と『ジャッカー電撃隊』はシリーズに含まないという見解もあった。変身ヒーロー作品に「戦隊」という図式を取り入れたうえ、ヒーロー5人が最初から登場するという設定が子供たちの大きな人気を集め、結果的に最高視聴率は22%、放映話数も全84話という記録を打ち立てた。再放送を含めて、2年間という放送期間はスーパー戦隊シリーズの最長記録となっており、未だにその記録は破られていない。人気を支えた理由としては、第1話の時点で5人のキャラクターを明確にしたことや、ハードなスパイアクションからギャグ、次回予告にも使われたなぞなぞネタといった、あらゆる娯楽的要素を盛り込んでいたことなどが挙げられる。 | 概要 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,548 | 580 | 88,225,574 | 本作品では後年の『バトルフィーバーJ』以降で採用される巨大ロボットこそ登場しなかったものの、ミニチュア特撮による大型メカの活躍場面が用意されているのも特徴である。東映プロデューサーの吉川進は、当時ロボットが子供たちの人気を集めていたことから、メカニックの要素は軽視できなかったことを述べている。集団変身ヒーローの嚆矢としては、テレビアニメでは1972年の『科学忍者隊ガッチャマン』、実写作品でも同年に制作された『トリプルファイター』がすでに存在していたが、一部書籍では本作品が「実写では本邦初」と説明されている。主題歌「進め!ゴレンジャー/秘密戦隊ゴレンジャー」のシングルレコードは、番組のヒットにも乗ってミリオンセラー(資料によっては42万枚)を記録した。また、後述のゴレンジャーマシーンなどを商品化したポピニカ商材は、年間46億円以上の売り上げを記録した。 | 概要 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,549 | 580 | 88,225,574 | 本作品は石森により、スパイアクション漫画作品として『週刊少年サンデー』などの少年漫画誌でも連載されていたが、テレビ版のタッチがコメディ路線に移行していくにつれ、途中からギャグ漫画に180度方向転換し、漫画のタイトルもジャンル変更にともない『週刊少年サンデー』のみ『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』に改題された。石森は本作品について「まんがよりもテレビでこそいきる」作品であると述べている。「ドラマや敵の怪人をコミカルに描く」というコンセプトは、本作品で美術全般を担当したエキス・プロダクションの前沢範が企画会議で石森に「舞台のショーで見られるような、コミカルで楽しいものにしましょう」と提案し、採用された。視聴率は20%を超えるまでになり、吉川進プロデューサーが女子大生のファングループから訪問を受けるなど、性別や年齢を問わない幅広い層から支持を集めた。 | 概要 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,550 | 580 | 88,225,574 | メインライターは、上原正三が同じ石森原作である『がんばれ!!ロボコン』と並行して担当。上原はコメディ路線へ作風が変化した理由について、俳優のイメージに引きずられた点と、『ロボコン』との相乗効果が生じた点、沖縄出身である自身の陽気で楽天的な資質などを挙げている。後年、スーパー戦隊シリーズ9作品のメインライターを務めることとなる曽田博久も、本作品よりすでにサブライターとして参加しており、『激走戦隊カーレンジャー』まで、20年間にわたってスーパー戦隊シリーズの脚本に携わることとなる。アクション面では、仮面ライダーシリーズと異なる集団戦の描写が取り入れられ、ワンフレームで全員が戦う広域カットと個々の戦いを組み合わせることなどにより演出の幅が広がったとされる。 | 概要 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,551 | 580 | 88,225,574 | また、集団戦に加え各ヒーローが皆異なる武器を持っていることも仮面ライダーシリーズと異なる特長であり、肉弾戦と武器の描写を織り交ぜることで、戦いの流れに変化をつけている。本作品では、山陰地方(第38話・第39話・第41話)や愛媛県松山市近辺(第60話)などで、本格的な地方ロケを行っている。 | 概要 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,552 | 580 | 88,225,574 | NET(現:テレビ朝日)では本作品の放送前、土曜19時台後半より在阪準キー局・毎日放送制作の『仮面ライダーアマゾン』を放送していた。しかし1975年春(3月31日)より「腸捻転」解消によるネットチェンジが実施され、毎日放送はTBS系列に変更となり、その影響で「仮面ライダーシリーズ」の放映権もTBS系列に異動となった。背景には当時のテレビ局と新聞社の統合系列化というマスコミの大変革があった。『仮面ライダーX』での「メカニック・ヒーロー」への挑戦や『仮面ライダーアマゾン』の「本格的怪奇アクションドラマ」への回帰は成功したとはいえなかったが、それでもNETとしては「仮面ライダーシリーズ」という有力コンテンツを失う危機感は少なからずあった。 | 制作経緯 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,553 | 580 | 88,225,574 | その穴を埋めるべく東映テレビ事業部本部長の渡邊亮徳は『仮面ライダーストロンガー』制作時に毎日放送に却下されていた「『スパイ大作戦』を参考にした複数の専門家が集まったヒーローチーム」という「5人ライダー」の案件を再検討し、新番組に採り入れることを決定した。また、「5人」とした理由について、企画に参加していた石森プロの加藤昇は『サイボーグ009』のような9人では実写で描写するには多すぎ、同時期に3人ヒーローである『アクマイザー3』の企画が進行していたことを理由に挙げており、東映テレビ事業部部長の渡邊亮徳は7人では多すぎ、3人では少なすぎ、4人では縁起が悪く、5人が収まりが良かったとしている。原作者の石森章太郎は、集団で戦うイメージソースとして自身の作品『少年同盟』も挙げている。石森は「5人のヒーロー集団」という設定から複雑なデザインは避け、一目でわかるシンプルなヒーロー像を設定した。 | 制作経緯 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,554 | 580 | 88,225,574 | カラーテレビの時代を反映させ、かつての『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ放送)と同様、「色」で個性を強調することとした。強化服を纏うという設定は、既存の作品に見られる改造人間・ロボット・宇宙人などとの差別化から生み出された。石森はこの設定について『007シリーズ』などのスパイものの小道具を全身にまとったイメージと述べている。企画書では、敵味方ともに仮面の集団であることを作品のポイントとしており、仮面という古典的要素と現代的なメカ要素を組み合わせることによる劇画的な雰囲気を強調することが狙いであるとしている。番組のコンセプトはスムーズに決定したが、ネーミングについては難航した。当初のタイトル案は『レッド・1』というものであり、各メンバーの名もレッドマスクなどと仮称されていた。その後に考案されたのが『ファイブレンジャー』で、メンバーの名称もレッドレンジャーなどとするものだった。 | 制作経緯 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,555 | 580 | 88,225,574 | しかし、この『ファイブレンジャー』は「理屈っぽい」として渡邊に却下され、次に出た『ガッツレンジャー』も却下された後、最終的に「5人レンジャー」の「人」を取って「5レンジャー」の名前が考案され、これにOKを出した渡邊によって片仮名の『ゴレンジャー』が決定名となった。これに伴い、メンバーの名称も渡邊によって日本語に直された。「モモレンジャー」については、当時「ピンク」という単語に「ピンク映画」「ピンク産業」などとエロチックな用法が多かったため、「ピンクレンジャーでは子供向け番組には刺激が強い」と判断し、渡邊が「果物のモモ、ハートのモモ、ふっくらした女性のモモが、ちょっと不良っぽくていい」と「モモレンジャー」に決定した。平山は、小牧リサの太ももから「モモレンジャー」を発想したと証言している。 | 制作経緯 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,556 | 580 | 88,225,574 | その後、2015年に『手裏剣戦隊ニンニンジャー』が制作されるまで、各ヒーローの色名に日本語が使われた戦隊は、シリーズ中本作品のみであった。 | 制作経緯 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,557 | 580 | 88,225,574 | 世界征服を企み、国際的に暗躍する黒十字軍。彼らの侵攻を食い止めるべく、国連はイーグルという国際的平和組織の秘密防衛機構を設立、スイス・ジュネーヴに本拠地を置き、全世界に各10ブロックのガードサークルを配置して黒十字軍に対抗していた。しかしある日、黒十字軍は日本ブロックに焦点を絞って総攻撃を仕掛け、全国の各支部(北海道・東北・関東・関西・九州)は壊滅してしまう。しかし、各支部に1名ずつ奇跡的に生き残った者がいた。関東支部の海城分隊長の弟で、秘密工作のスペシャリスト海城 剛、東北支部の分隊長新命 明、九州支部の精密技術班員大岩 大太、北海道支部の化学分析班員ペギー 松山、そして関西支部の新米隊員明日香 健二である。イーグル日本ブロックの最高指揮官である江戸川権八は、彼ら5名を新宿の秘密基地に呼び寄せた。 | あらすじ | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,558 | 580 | 88,225,574 | ここに、イーグル日本ブロックが黒十字軍に逆襲するために創設した特別部隊ゴレンジャーの戦いが始まった。 | あらすじ | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,559 | 580 | 88,225,574 | 国連が人類を守るために設立した国際秘密防衛機構イーグル(Earth Guard League)の日本ブロックに属する精鋭部隊。作中では単に「ゴレンジャー」と呼称され、「秘密戦隊」のネーミングは作品タイトルや主題歌の歌詞に用いられるのみに留まっている。黒十字軍の襲撃により壊滅的打撃を受けたイーグル日本ブロック各支部の生き残り隊員が、江戸川権八総司令の指揮下でレンジャー訓練を受け、地球の平和を守るために黒十字軍と戦う特殊部隊ゴレンジャーとなった。正規メンバーは5人であるが、熊野大五郎のようにイーグル内で選抜されたゴレンジャー予備隊員も存在する。ゴレンジャーの正体は一般には秘匿されているが、第4話の時点で素顔の写真と詳細なプロフィールが黒十字軍の手に渡っており、怪人がスナック「ゴン」にやって来た際には姿を隠すなどして秘密を守っていた。ゴレンジャーのメンバーは2代目キレンジャーを含め以下の6人。 | 登場人物 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,560 | 580 | 88,225,574 | 当初のメンバー5人の本名である海城(かいじょう)、新命(しんめい)、大岩(おおいわ)、ペギー、明日香(あすか)の頭文字を繋げると「カシオペア」となり、これはクライマックスへ向けての重要な伏線となっている(後述)。集合時の名乗りは、「5人揃って、ゴレンジャー!」。大野剣友会の振付による、勢ぞろいした5人が右の掌を前に掲げる決めポーズは、殺陣師の高橋一俊が歌舞伎の『白浪五人男』から採ったものである。 | 登場人物 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,561 | 580 | 88,225,574 | 黒十字総統が率いる、人間社会の完全破壊と地球征服を目的とする国籍不明の悪の軍隊。モットーは「破壊と殺戮」。世界規模の組織を有し、アフリカ(日輪仮面将軍)・中央アジア(鉄人仮面テムジン将軍)・北欧(火の山仮面マグマン将軍)には大幹部が配置されている。大幹部以外にもアラビア砂漠の鉄カゴ仮面など幹部級の実力を有する仮面怪人が各地に存在している。歴史も古く、ゴールデン仮面大将軍のような古代からの構成員も存在する。大組織であるがそれに留まらずイーグル構成員を金で寝返らせたり、死者を蘇生改造して仮面怪人にする、アトランティスの遺産、コンドラー戦闘爆撃隊を入手する、宇宙忍団を呼びよせるなど戦力増強もたびたび行っている。 | 黒十字軍 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,562 | 580 | 88,225,574 | 作戦面では一般的な怪人の能力に依拠したテロ作戦以外にも最初に日本を攻撃した際に黄金仮面、武者仮面、青銅仮面、ヒスイ仮面、毒ガス仮面の五人の仮面怪人を同時に投入するなど大規模作戦も実行、そのいずれもイーグル支部を壊滅させるなど精度が高かった。 | 黒十字軍 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,563 | 580 | 88,225,574 | ナレーター以外は全てノンクレジットカッコ内は出演話数。66話までは大野剣友会が、67話以降はジャパンアクションクラブ(JAC)がアクションを担当した。前者では剣劇を応用した集団戦が、後者ではスピード感あるアクションが特徴となっており、それぞれの得意分野が取り入れられている。新堀和男によると大野剣友会時代のベストメンバーは「アカ・新堀、アオ・中屋敷、キ・前田、モモ・栗原、ミド・中村」とのことであるが、実際にこの組み合わせが実現したのは1,2回程度だという。アカレンジャー役を務めたJACの大葉健二(高橋健二)は、JAC担当になった当初は誠直也から要望を出されたが、誠がアフレコでスタントの様子を見てからは何も言われなくなり、大葉は自分たちが認められたと感じたという。 | キャスト | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,564 | 580 | 88,225,574 | サブタイトルはいずれも「○○! ××」(第64話から「○○!! ××」)というフォーマットで統一。また色名が必ず入れられている。1975年12月13日に第14話、1976年1月24日に第20話、2月21日に第25話、3月6日に第26話、8月14日に第53話、8月21日に第54話、1977年3月5日に第1話、3月19日に第2話を再放送。1976年6月26日は、「アントニオ猪木対モハメド・アリ」中継を始めとしたスポーツ特別番組『格闘技世界一決定戦』(19:30 - 21:21)のため放送休止。「猪木対アリ」戦では本番組よりモモレンジャー役の小牧リサと、同局で放映中の『ベルサイユのトラック姐ちゃん』より山本由香利(ゆか里)が、劇中の衣装で登場し花束贈呈を担当。その模様は試合中継映像のDVD「燃えろ! 新日本プロレス エクストラ 猪木VSアリ 伝説の異種格闘技戦」にて確認できる。 | 放送日程 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,565 | 580 | 88,225,574 | いずれも東映まんがまつりの一編として公開された。これらの作品は2003年7月21日発売の『スーパー戦隊THE MOVIE BOX』および、単品では2004年7月21日発売の『スーパー戦隊THE MOVIE VOl.1』に収録されている。2011年11月21日発売の「復刻!東映まんがまつり 1976春」には「真赤な猛進撃!」のみ収録されている。2020年11月2日、第33回東京国際映画祭ジャパニーズ・アニメーション部門で「真っ赤な猛進撃!」、「爆弾ハリケーン」加えて「ジャッカー電撃隊VS秘密戦隊ゴレンジャー」を上映。 | 劇場版 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,566 | 580 | 88,225,574 | 特記のない限り、いずれも発売元は東映ビデオ。 | 映像ソフト化 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,567 | 580 | 88,225,574 | 各作品での詳細はそれぞれのリンク先を参照。 | シリーズ内の他作品への登場 | 秘密戦隊ゴレンジャー |
4,568 | 581 | 88,278,292 | 日本の伝統芸能(にほんのでんとうげいのう)は、日本に古くからあった芸術と技能の汎称。特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事などで行われてきたものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された、有形無形のものを言う。詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。 | __LEAD__ | 日本の伝統芸能 |
4,569 | 581 | 88,278,292 | 伝統芸能とは、西洋文化が入ってくる前の芸術と技能を現代芸術と区別した呼称である。日本固有の文化という意味だが、文化の先進国であった中国から流入したものを日本独自のものに作り変えたものが多い。したがって成立の仕方は現代芸術とさほど変わりはない。しかし、明治期の西洋化以降も伝統芸能が既存の形式を保持して存続し、現代芸術と相互に関連性が少ない形で併存しているのは事実である。また、日本では別々の時代に成立した多くの伝統芸能が並列的に存在しているが、すべての伝統芸能が現存しているわけではない。 | 伝統芸能の定義 | 日本の伝統芸能 |
4,570 | 581 | 88,278,292 | 詳細な分類はそれぞれの項目を参照のこと。 | 形式による分類 | 日本の伝統芸能 |
4,573 | 583 | 88,805,363 | 1984年(1984 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。昭和59年。この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。 | __LEAD__ | 1984年 |
4,574 | 583 | 88,805,363 | ※ 主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 | 他の紀年法 | 1984年 |
4,575 | 583 | 88,805,363 | 3月18日- 江崎グリコ社長誘拐事件を端緒とする一連の企業テロ事件が発生、犯人逮捕に至らず警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。 | できごと | 1984年 |
4,576 | 584 | 88,228,264 | 『超電子バイオマン』(ちょうでんしバイオマン)は、1984年2月4日から1985年1月26日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:25(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。 | __LEAD__ | 超電子バイオマン |
4,577 | 584 | 88,228,264 | 本作品では視聴者層の拡大を図り、様々な新機軸が導入された。マンネリ打破を掲げた本作品では、「戦隊」という語句が含まれない冠名の使用や、戦隊シリーズで多数見られる「戦隊名の一部+色」に代わり「色+ナンバー(例:レッドワン)」を各戦士の呼び名とするなどといった様々な試みがなされており、スーパー戦隊シリーズ自体の転機(ターニングポイント)となった作品でもあった。その一環として、企画当初は「男性5人のみの戦隊」という案も出ていたが、5人全員を男性にしてしまうとドラマの展開が難しくなることから見送られ、自然なキャラクター造形のため、代わって東映プロデューサーの鈴木武幸による「女性戦士が2人」という要素が導入された。この要素には、女性1人ではメンバーの飾り物になりがちなところを、2人だと女の子同士の会話というドラマ造りができるなどの利点があった。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,578 | 584 | 88,228,264 | 一般的には男児向け作品での女性戦士はあまり受けが良くないものであり、スタッフからは反対意見も出たが、実施してみると好評だったため、翌年には一転して「女性5人でもいいのでは」という意見まで出たという。さらに本作品では等身大の怪人が一話限りで退場せず幹部と同じくレギュラーとして登場し、その帰結として毎回の巨大戦では敵方の異なる巨大ロボットが登場するという初の試みもなされている。敵組織が巨大ロボットを繰り出す展開は過去のシリーズ作品でも幾度か試みられていたが、等身大の怪人をレギュラー化させたり、等身大の怪人と巨大ロボットとは形態上での関連性を一切持たせないなど、本作品では先行するそれらの作品ともオリジナリティーの面で大きな差別化が図られた。従来の巨大戦はセットでの撮影のみであったが、本作品では屋外での撮影も多用され、クレーンによる吊りなどアクション自体も特徴的なものとなった。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,579 | 584 | 88,228,264 | 企画当初は物語と設定におとぎ話の要素を盛り込んでおり、過去にバイオロボと邂逅しバイオ粒子を浴びたおとぎ話の主人公たち(桃太郎、金太郎、一寸法師、かぐや姫)が現代へとタイムリープしてきて現代人の女性とともに戦うという構想が考えられていた。この設定は早い時期に「子供が皆おとぎ話を知っているかどうかが疑問」ということで没となったが、郷の動物との意思疎通能力や、メンバーのキャラクター設定などにその名残が見られる。昔話の要素を切り捨ててからの企画はハイテク寄りになり、当時世に出始めた生命工学を表す専門用語「バイオテクノロジー」を題名に取り入れ、なおかつ「超電子」を冠するということでマスクには点滅する発光ダイオードが施された。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,580 | 584 | 88,228,264 | このバイオテクノロジーという単語から想起される「生体改造」というイメージから、サイボーグ的なヒーローを登場させる案もあったが、こうした「負の要素」を背負ったヒーローは、スーパー戦隊シリーズが掲げる「明るさ」「にぎやかさ」といった統一コンセプトからかけ離れてしまうことからこちらも没とされた。その後も5人全員が異星人という案や、500年前に理想郷を求めて旅をしていた5人がバイオ粒子を浴び、その子孫が戦うといった感じで設定が二転三転。5人の名前も数回にわたって変更されている。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,581 | 584 | 88,228,264 | この当時、勧善懲悪の1話完結というスタイルでは、1年という長期間に亘って視聴者の関心を引き付け続けるのは難しいという東映側の判断や、鈴木がかつて関わっていた長浜ロマンロボシリーズの影響もあり、本作品では従来の1話完結という基本を踏まえながらも、敵首領・ドクターマンこと蔭山秀夫とその息子である秀一、そして秀一に似せて作られたアンドロイドのプリンスをめぐる親子の愛憎劇、さらにリーダーである郷史朗と肉親との再会劇といったドラマが用意されるなど、年間を通して大河ドラマとしても楽しめる連続性をもたせた構成が取られている。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,582 | 584 | 88,228,264 | 他には、前出の長浜ロマンロボシリーズのひとつである『闘将ダイモス』を意識する形で恋愛ドラマの要素を盛り込むことも検討されていたが、アニメとは異なり生身の人間が演じる実写作品では生々しい映像になり過ぎ、保護者層からの反感を買う恐れもあったことから時期尚早ということで見送られ、結果としてこの要素は『鳥人戦隊ジェットマン』まで持ち越されることとなった。技術的な面でも、ヒーローのスーツの素材が本作品より変更されており、それまで多用されてきた綿とナイロンによるものから、新たに伸縮性・耐熱性に優れた「オペコット」と呼ばれる合成繊維による生地が使用されるようになった。また既にメタルヒーローシリーズでは『宇宙刑事ギャバン』から使われていた「東通ecgシステム」が、本作品よりスーパー戦隊シリーズにも本格的に導入され、以降『超力戦隊オーレンジャー』まで使用されることとなった。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,583 | 584 | 88,228,264 | また本作品から、主に敵の初登場時に名前のテロップが下に挿入されるようになった。スーパー戦隊シリーズのDX超合金を手がけたポピーが、前作『科学戦隊ダイナマン』放映中にバンダイへ吸収合併されたため、本作品では当初より超合金(DX 電子合体バイオロボ)などの関連玩具商品もバンダイブランドで発売された。詳細は科学戦隊ダイナマン#ポピーからバンダイへの移行も参照。また超合金だけでなくプラモデルも、バンダイホビー事業部(現在のBANDAI SPIRITS)よりいろプラ黎明期に、いろプラとして、ベストメカコレクションサイズでバイオロボが発売され、同事業部最後のスーパー戦隊ロボのスケールモデル商品となった。一応の合体変形を有していたが、いろプラ黎明期の簡易な製品化のため主にバイオジェット2号(下半身部)は脚部などの変形がオミットされている。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,584 | 584 | 88,228,264 | 他方でカプセルトイ(ガシャポン)、食玩の平行販売で発売されたプラ組立てキット(後のミニプラ)は簡易ながらも、劇中設定を踏襲した変形合体を実現していた。こちらはスーパー戦隊シリーズ#食玩並びにミニプラ#1984年を参照。マンネリ化打破と野心的な新機軸が多く盛り込まれた結果、視聴者層を幼児・児童層から10代全般にまで拡大し、女子層の獲得にも成功したとされる。玩具展開でも当時の戦隊シリーズで「シリーズ最高」の売上を達成した作品であり、戦隊シリーズを玩具業界で「定番」と位置づけた。ただしバンダイの見込みでは本作品は前作『ダイナマン』対比で130%の売上を期待されていたが、110%の売上に留まった。バンダイのデザイン部プレックスに在籍していた大石一雄は、本作品の販売成績について苦戦していたと述べており、バイオロボの合体方法が2機合体だったことが苦戦した要因ではないかと推測している。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,585 | 584 | 88,228,264 | またテレビ局に入る本作品のキャラクター使用料は、1984年度における全テレビ局のキャラクターの中で『キン肉マン』に次ぐ2位である。 | 概要 | 超電子バイオマン |
4,586 | 584 | 88,228,264 | かつて高度な文明によって栄えたバイオ星は、その超科学によって生み出された物質活性化を促進させるバイオ粒子をめぐって引き起こったバイオ平和連合と反バイオ同盟の戦争により滅んでしまう。バイオ粒子の平和利用を目指していたバイオ平和連合の科学者たちは滅亡は避けられないと悟り、宇宙一美しい地球では将来自分たちのような科学をめぐっての悲劇を繰り返させてはならないと、1484年に自我とバイオ粒子を持つ巨大ロボットバイオロボとそのサポートロボピーボを地球に送りこむ。それから500年経った1984年。ドクターマンと名乗る狂気の天才科学者が、自らが作り出したメカ人間による新帝国ギアを率いて世界征服を開始した。科学による地球の危機に目覚めたピーボは5人の若者をバイオベースに召喚する。彼らは500年前、バイオロボによって肉体と精神を強靱にするバイオ粒子を浴びせられた5人の若者の子孫だった。 | あらすじ | 超電子バイオマン |
4,587 | 584 | 88,228,264 | 宿命の糸で結ばれた5人の若者は超電子頭脳の戦闘マニュアルに従って、バイオマンとしてギアに立ち向かうことになるが、ギアの猛攻は凄まじくイエローフォー / 小泉ミカが倒れた。残された4人は、同じバイオ粒子を受け継いだ矢吹ジュンを戦列に加え、心新たにギアとの宿命的な戦いに身を投じていく。 | あらすじ | 超電子バイオマン |
4,588 | 584 | 88,228,264 | 500年前に地球に飛来したバイオロボが放出したバイオ粒子を浴びた地球人の子孫たちによって結成されたスーパー戦隊。特徴として、バイオ粒子の影響により身体能力を高められる。名乗りの際には各人毎に「ワン」「ツー」「スリー」「フォー」「ファイブ」を発した後、レッドの「超電子」と全員での「バイオマン」を発する。劇場版では個人名乗りを終えた後に行った。 | 登場人物 | 超電子バイオマン |
4,589 | 584 | 88,228,264 | 飛躍的にエネルギー効率を高めるバイオ粒子によって、超電子頭脳が発展し、バイオロボやビーボのように自我を持つようになっている。 | バイオマンの装備・戦力 | 超電子バイオマン |
4,590 | 584 | 88,228,264 | 「メカこそ優秀、メカこそ絶対、メカこそ永遠」と考える総統ドクターマンが率いるメカ人間の帝国。南極の奥地にある機械の都市要塞ネオグラードを拠点とする。人間を下等な存在だと断定し、メカ人間こそが地球を支配すべきという考えの下、人類への攻撃を開始した。メカ人間たちは「フォア・ザ・マン!」、「オブ・ザ・マン!」、「バイ・ザ・マン!」とドクターマンへの尊称を連呼し、巨大ロボ・メカジャイガン(後にネオメカジャイガン)とメラージュ戦闘機で日本を狙う。スーパー戦隊シリーズにおいて、人間が悪の組織の首領である初のケースとなっている。バイオマンのメンバーを変身後でなく、変身前のフルネームで呼んでいる。メカ人間はアンドロイドとほぼ同義であるが、ドクターマンのように元々人間でサイボーグの概念で語るべきものも含んでいる。ただしドクターマンに関しては、自分が人間だったことを隠していた。 | 新帝国ギア | 超電子バイオマン |
4,591 | 584 | 88,228,264 | ジューノイド五獣士以外の各幹部・レギュラーの身長・体重などの設定はない。ギアの大幹部で、メカジャイガンやジューノイドを使い実際の作戦を指揮する。初期企画ではヒューマノイド三人衆という総称であった。ドクターマンが生体部品とメカを合成して作り出した戦闘用メカ獣士たちで、ジューノイド5獣士と呼ばれる。後半はサイゴーン、メッツラー、ジュウオウのジューノイド3獣士となる。第28話、第31話、劇場版は5人全員で出撃。劇場版では、ジュウオウ、メッサージュウ、サイゴーン、メッツラー、アクアイガーの順にバイオマンの名乗りを模した名乗り口上を行い、それぞれの必殺技を一斉に仕掛けて相手を攻撃する連携技 ジューノイドスクラムアタックを披露した。 | 新帝国ギア | 超電子バイオマン |
4,592 | 584 | 88,228,264 | 第32話以降、生き残って再生された3獣士はビッグスリー同様に武装だけでなく、防御力に於いても、全身をドクターマンによって生み出された新金属 超合金ミラクルG-Xで覆い、バイオエレクトロンを寄せ付けなかった。3獣士は強化された力を存分に振るってバイオマンを苦戦させたが、新必殺技スーパーエレクトロンの威力の前には勝てず、最終的に3人ともスーパーエレクトロンによって最期を遂げた。新帝国ギアが誇る数々のメカニックも、すべてドクターマンの手で作り上げられたものである。ドクターマンの専門分野はロボット工学であるが、電子工学や材料工学の分野でも既存の技術を遥かに凌駕する製品を開発しており、果てはタンパク質合成で生体コンピューターを作り上げるなど、世界一の天才の自称に恥じない優秀な技術力を有している。 | 新帝国ギア | 超電子バイオマン |
4,593 | 584 | 88,228,264 | 1984年2月ごろ、第7話以降のアフレコを前にして矢島由紀(ミカ役)が突然失踪。このような状況下で制作された第10話では、ミカは終始イエローフォーのスーツ姿のまま戦死扱いになり、埋葬シーンでも採石場にてスーツ状態のまま遺影も飾られずに弔いが行われるという展開になった。当初降板理由は不明であり、JAC側からも正式な発表・説明はされなかったが、その後牧野美千子(ひかる役)と太田直人(真吾役)がバラエティ番組において、矢島が番組途中で失踪していたこと、千葉でいわゆるオナベとして働いているところに出くわしたことを語っている。なお、第7話から10話では「日本一声にうるさいマネージャー」が推薦した、矢島と声質が似ている声優の田中真弓が代役としてアフレコを行った。諸般の事情から実現には至らなかったものの、当時JACに所属していた声優富沢美智恵も矢吹ジュン役のオーディションを受ける予定だった。 | キャスト | 超電子バイオマン |
4,594 | 584 | 88,228,264 | 戦隊側のキャストは当初、阪本良介(郷役)と矢島以外は芸歴の浅い新人で構成されていたが、この矢島の降板に伴い前年デビューしたばかり田中澄子(ジュン役)が加わったことで、レッド以外は全員新人俳優が担当することとなった。また、この件が起因して鈴木武幸は矢島の所属事務所JACのエースである真田広之を出すように依頼し、当時アイドル的人気が高かった真田が異例のゲスト出演を果たした。真田は驚くほど礼儀正しく現場に一番早く来ていて、鈴木は「さすがトップスターだ」と思ったという。それまでの俳協中心のキャスティングに代わり、仮面ライダーシリーズなど幾多の東映作品に参加したテアトル・エコー所属の声優が多数起用されている。この影響により、それまで戦隊シリーズでナレーションを務めて来た大平透に代わり村越が起用された。 | キャスト | 超電子バイオマン |
4,595 | 584 | 88,228,264 | また、本作品から登場人物の声を担当する声優の名前がOPクレジットに表記されている(ただしレギュラーのみ)。参照ゴーグルV・ダイナマン・バイオマン大全 2004イエローフォー役の辻井は、本作品で初めて女性キャラクターを担当した。ピンクファイブ役の竹田は、本作品を最後にスーツアクターとして引退し、アクションコーディネーターへ転向した。 | キャスト | 超電子バイオマン |
4,596 | 584 | 88,228,264 | メインライターは前作から引き続き曽田博久。曽田はそれまでも常に新しくすることを考えていたため、本作品で特別に革新を狙ってはいなかったが、しっかりした縦糸を作らないと持たない気がしたと述べている。本作品からは藤井邦夫がサブライターとして新たに参加し、多彩なストーリーを執筆した。元々助監督として東映テレビプロダクションに入社し、『特捜最前線』でも演出陣に名を連ねていたこともあり、藤井には本作品への参加に際して監督としてもオファーがあったが、特撮作品の演出は自信がないとの理由で依頼を断っている。メイン監督は前年より特撮作品の演出に参入した堀長文がパイロットを担当。スーパー戦隊シリーズに初めてビデオ合成を導入したり、長回しのカットを多用したりと演出に新風を吹き込ませた。堀はその後3作品連続でパイロット作品を手掛けた。 | スタッフ | 超電子バイオマン |
4,597 | 584 | 88,228,264 | また東映の鈴木武幸プロデューサーが本作品の途中からチーフプロデューサーに昇格、シリーズの数多の作品で辣腕を振るい続けることになる。シャープなデザインが特徴のギアの各キャラクターは、前作より引き続き参加の出渕裕が担当した。デザインだけでなくプロットも手掛けるなど制作に深く関わっており、後年にも自身の肌にあった作品であったと述懐している。後のスーパー戦隊シリーズで特撮監督を務める佛田洋の初参加作品である。 | スタッフ | 超電子バイオマン |
4,598 | 584 | 88,228,264 | 『電子戦隊デンジマン』以来となる単独の劇伴を収録したLP『超電子バイオマン 音楽集』が発売され、本作品より歌曲中心の「ヒット曲集」と劇伴による「音楽集」の二本立てによるリリース形式が確立された。 | 音楽 | 超電子バイオマン |
4,599 | 584 | 88,228,264 | 系列は放送当時のもの。 | 放送局 | 超電子バイオマン |
4,600 | 584 | 88,228,264 | いずれも発売元は東映ビデオ。徳間書店から全1巻が発売されている。特徴としては敵方がドクターマンとジューノイド五獣士のみで、ビッグスリーもファラキャットも登場しない。またテレビシリーズとはエピソード的な関連も低く、物語的にもかなりダイジェスト化されている。『テレビマガジン』、『てれびくん』、『テレビランド』の各雑誌は2月号より本作品の掲載が始まっているが、『TVアニメマガジン』では他の競合雑誌からは1か月遅れの番組開始の3月号からの掲載となった。また同誌が1984年6月号をもって休刊したため、23話以降のクレジットは前述の3雑誌のみに変更された。フランスで吹替版が放送され、高い人気を得た。 | 他媒体展開 | 超電子バイオマン |
4,601 | 584 | 88,228,264 | アメリカ合衆国では1985年にサバン・プロダクションズが1話につき1万ドルで国際放映権を取得し、本作品をベースにアメリカで撮影した映像を組み合わせた作品『Bio-Man』(監督・脚本 - シュキ・レヴィ)を制作するが、放送には至らなかった。1990年代初頭にFoxチルドレンネットワーク社長のマーガレット・ローシュが『Bio-Man』を見たことがパワーレンジャーシリーズ制作のきっかけとなっている。 | 他媒体展開 | 超電子バイオマン |
4,602 | 585 | 88,797,278 | 加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。 | __LEAD__ | 加瀬邦彦 |
4,603 | 585 | 88,797,278 | 東京府(現東京都)生まれ。幼稚舎から慶應義塾に通う。1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から茅ヶ崎市に転居したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならずプライベートでも親交を深めるようになる。慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらと「キャノンボール」を結成。1963年には事務所の指示により、かまやつと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いで約3か月後に脱退し、寺内タケシとブルージーンズに加入した。 | 経歴・人物 | 加瀬邦彦 |
4,604 | 585 | 88,797,278 | 1966年、ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることになったが、警備上の措置として、前座のバンドは演奏終了後、楽屋に監禁され、ビートルズを見ることや演奏を聴くことが出来ない状態になっていたため、客席からビートルズを見たかった加瀬はブルージーンズを脱退した。所属していたホリプロはそれでも、加瀬を引きとめ給料を支払い続けていたが、「ただで給料をもらうのも申し訳ない」と同年7月に、加山雄三が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成(この時、渡辺プロに移籍)。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。解散後は、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなり、全盛期の沢田を支えた。 | 経歴・人物 | 加瀬邦彦 |
4,605 | 585 | 88,797,278 | 1981年1月、日本劇場取り壊しに伴う最後の日劇ウエスタンカーニバルにザ・ワイルドワンズ(加瀬、鳥塚繁樹、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹)のメンバー5名が集結して出演したことを契機として、ザ・ワイルドワンズの再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を辞退した渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成した。一時期、渡辺茂樹と共にタイガース・メモリアル・クラブバンドにも在籍した。“ケネディハウス銀座”のオーナーや、加山雄三&ハイパーランチャーズのプロデューサーとしても活躍した。1994年に食道癌の手術をしたことを著書で明かしていた。2014年には下咽頭癌を発症し、手術後は自宅療養していた。 | 経歴・人物 | 加瀬邦彦 |
4,606 | 585 | 88,797,278 | 2012年4月21日、ももいろクローバーZの横浜アリーナでのライブ公演『ももクロ春の一大事2012 〜横浜アリーナ まさかの2DAYS〜』の一日目に百田夏菜子 With ザ・ワイルドワンズとして参加。加瀬が百田夏菜子の為のソロ曲として作詞・作曲した「渚のラララ」を披露した。2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り、死亡した。74歳没。呼吸用のチューブがふさがれた状態で発見された。通夜は27日に葬儀委員長を鳥塚しげきらザ・ワイルドワンズのメンバーが務めて護国寺で営まれ、音楽仲間の寺内タケシ、高木ブー、中村あゆみ、モト冬樹、エド山口、江木俊夫らが参列した。翌28日葬儀・告別式が営まれ、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる、つのだ☆ひろなど関係者300人が参列し、仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山雄三は音声メッセージで加瀬を哀悼した。戒名は常樂院悠照清邦居士。 | 経歴・人物 | 加瀬邦彦 |
4,607 | 585 | 88,797,278 | 同年、第57回日本レコード大賞・特別功労賞が贈られた。 | 経歴・人物 | 加瀬邦彦 |
4,608 | 586 | 88,908,068 | セイントフォー(Saint Four)とは、加瀬邦彦が音楽プロデュースをしていた1980年代のアイドルグループである。2018年3月から濱田・岩間・鈴木の元メンバー3人で本格的に再始動している(2021年8月からコロナ禍の影響により、グループ活動を一時的に休止している)。 | __LEAD__ | セイントフォー |
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