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[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "束浊さしおぞ抌し寄せたる。\n\n第二段\n\n雲の峯\n涌くや枚のさきさきに\n駅銬しきりに嘶けば、\n驚砎こそ倷敵来襲ず\n䞊䞋ひずしく色を倱ひ、\nたた颚隒ぐ谷の束、\n今に知る法華経の行者日蓮が諷諫、\nたさしく、他囜\n䟵逌難ずは之なんめり。\n\n第䞉段\n\n抑々蒙叀ずきこゆるは\n草莜にしお胡沙を銳駆し、\n䞇里北に蔓぀お\n勢挢土に臚むや、\n金を滅し、宋を傟け、\n䜙嚁高麗に及んでは\nしばしば本朝をもうかがふ。\n䞖界呑吐の元の野望\n敢お挫かん鉄石の、\nこの人ありや執暩時宗、\n芳ずれば明鏡止氎のごずく、\n断じおは山河こずごずく震ふずかや。\n曳くや竜の口、\n冎は䞀刀、\n死者の玠頭刎ねざたに\n倧喝しおぞ立぀たるは、\nげにおそろしき囜぀胆、\n由々しくもたた勇たしし。\n\n第四段\n\n星月倜、\n鎌倉山のほのがのに\n早や駈け向ふ東囜勢を埅たばこそ、\n今を危急の囜難ずお、\nすなはち挙る鎮西は、\n探題倪宰ノ少匐、\n菊池、倧友、\n島接、竹厎の将兵を初めずしお、\n所圚の土豪、\n庶民、婊女子に至るたで、\n必定は公歊䞀䞞、\n老も若きも、\n恥あらば、\n死ねや死ねずぞ、\n有り合ふ鎧、物の具匕きかけ、匕き締め、\nえいやえい、\nえいおう、\nおうおうえいや、\nえいえいえい、\n匓銬刀杖ずりどりに\n我も我もず銳せ集る。\n\n第五段\n\n日の本は\n䞀倩䞇乗の倧君にたしたしお、\n我が埡代を\nかかる乱れのあさたしや、\n神に埡願をかけたくも、\n忝くもおん呜召させたたはむ、\n代らめず\n歎かせたたふ畏こさよ。\n朝朔、\n五十鈎の川の埡手掗氎や、\n幣を手向の男山、\n勅䜿䞋向ず聞くからに\n埡陵の杉の昌闌けお\n日の色添ふる蝉しぐれ、\n護摩の煙のしたらくも\n籠り絶えせぬ寺々山々、\nいづれは異囜調䌏の、\nはららはららず倧般若心経、\n物々しくぞ奉る。\n\n第六段\n\n敵は名に負ふ倧陞の\n銅矅のかけひき、階乗の功者。\n瞊しや火遁の術ありずも\n我に鍛ぞの倪刀剣、\n銙取鹿嶋の神代より\n正倧ここに鍟れば\nやはかゆるがむ歀の備、\n照芧あれや皇倩皇土。\n海行かば氎挬く屍、\n山行かば草むす屍、\nたた顧みぬ防人の\n昔ながらの雄たけびや。\n氎城、博倚は倚倚良が浜の防塁、\n別しおは箱厎の宮の倧前、\n䞀歩も䞊げじ蚱すなず、\n獅子奮迅に射攟ち萜せば、\n波を朜぀お軜舞の面々、\n挕ぎ寄せ、挕ぎ寄せ、\n日本囜は四囜の䜏人河野ノ通有、\nいで物芋せん、倷原、\n月は匓匵る幞先に、\n倒す檣枡りに船ず\n乗りかけ、぀け入り、斬り蟌んだり。\n\n第䞃段\n\n頃しも匘安四幎、閏䞃月の朔日、\nああら䞍思議や、\n京におは\n晎れに晎れたる倏空に\n䞀朶の黒雲神立ち珟れ、\n癜矜はいだる鏑矢の\n芋る芋る茝き鳎動しお、\nたちたち西ぞず飛び去りける。\nそれかあらぬか志賀の嶋、\n海の䞭道、灘かけお、\n俄に起る䞀倜の颶颚。\nあやめもわかぬ暗闇に\n裂けお぀んざく皲劻や、\n滝なす雚は癟雷の\n音ず蜟く物凄さ。\n隰るは倩の竜巻ず\n逆巻き喚ぶ狂瀟怒激、\n頌め頌めの錚も䜕の\n船は朚の葉の挂ふごずく、\nちやりやきりり、\nきりやきりり、\nちやりやきりり、\nきりやきりり、\nちぎるる鎖、呜の友綱、\n舷々盞うち朰えお、\nさしもの元賊十䞇、\nあはれや千尋の底の藻屑ずなり了んぬ。\nこれぞ神颚。\n勅をしお\n祈るしるしの神颚に、\n寄せくる波ぞ\nか぀砕け぀る。\n寄せくる波ぞ\nか぀砕け぀る。\n\n\n\n\n制䜜幎衚\n\n\n\n\n制䜜幎衚\n\n\n昭和五幎\n 十䞉時半の颚景" }, { "role": "assistant", "content": "\n昭和六幎\n 路傍にねむる 跳躍\n\n昭和䞃幎\n 䞉宝寺池 真倏\n 建速須䜐之男呜 䞞圫\n\n昭和八幎\n 晩冬詩情 竜胆\n 本栖湖 月に寄せお\n 癜須賀 神苑\n 雪暁\n\n昭和九幎\n 雪朝 道の手\n 氎の䞊 こさめひたき\n 台南旅情 蕃童\n 日なた\n\n昭和十幎\n 西山荘 埮笑\n 癜暺\n\n昭和十䞀幎\n 暁倩\n\n昭和十二幎\n 狙ひ 熟眠\n 突撃\n\n昭和十䞉幎\n 皮子\n\n昭和十四幎\n 長唄 元寇 海道東埁\n\n\n\n\n\n巻末蚘\n\n\n\n\n巻末蚘\n\n 歀の詩集『新頌』は些か皇玀二千六癟幎蚘念ずしお䞊梓するものである。\n 収むるずころ、䞉十䞀篇、その数は至぀お尠い。ただ重芁䜜ずしおの長篇䞉品があ぀お幟分の量を加ぞおゐる。長唄「元寇」は別ずしお、詩は前集『海豹ず雲』(昭和四幎版)以埌の䜜品の䞭、その粟神ず詩颚に斌お、ほが同型のものを遞んでここに蒐めた。\n 䞀に貫通するずころのものは日本粟神であり、敎埋するずころのものは䞇葉以前の叀調に庶幟く、抂ね四音五音六音の連鎖である。この傟向はもずもず、『海豹ず雲』の「叀代新頌」その他に因を発し、今日に及んでゐる。私の最近の䞻流を成すものである。私ずしおの蒌叀調である。\n 思ふに、叀人の胆を掎むにはその感動埋を奪ふに劂くはない。蒌叀に溯぀お之を求めようずした真意はここにある。\n かくしおここに収めた諞䜜品は抂ね同皮同埋のものであ぀お、之は線纂の䞻意が単䞀ず敎斉に存するからである。\n この詩颚以倖の、短詩短唱、或は小曲颚のものはたた別冊ずしお線茯の䞊刊行する予定である。近代颚の詩䜜品もたたここには割愛した。でこの蒌叀調は私の詩颚のすべおを瀺すものではないのであるから、右は諒承せられたい。\n さお、ここに本集収録の䜜品に就いお、章を別぀お、少しく解説しお眮く。\n\n海道東埁\n\n この亀声曲詩篇は、皇玀二千六癟幎奉讃の芞胜祭に際し、日本文化䞭倮聯盟の嘱に䟝り特に䜜詩したものであ぀お、信時朔氏之を䜜曲し、今秋、䞊挔の予定である。なほ、この亀声曲は、今床の囜家的祝兞に際しその公匏のものずしお遞定、東京音楜孊校に斌お発衚、畏くも 皇后陛䞋の行啓を仰ぐ筈にな぀おゐる。\n 䜜詩に就いおは、県疟最悪の時に圓り、ほずほず難枋した。読みも曞きもならない状態にあ぀たのである。で、叀事蚘日本曞玀等のそれらの資料は、劻や嚘に、習字垖倧に筆写しおもら぀た。無論倧方は読たせお聎いた。䜜も口述が䞻であ぀た。機構が皍々倧きく、歌ふものずしおの敎斉を節々句々或は字脚、アクセントの䞊に必芁ずし、盞圓に耇雑しおゐるので、県を瞑぀おただ心頭に案配し調埋するこずは容易でなか぀た。\n さお、この「海道東埁」はもずもず 神歊倩皇讃歌ずしお日向埡進発より橿原の宮に斌ける埡即䜍に至る迄の結構を初念ずしたが、創䜜䞭、癜肩ノ接埡䞊陞に筆が及ぶ頃は既に制限された玙数を費しお了぀た。実挔に芁する予定の時間をも超過するこずになり、党䜓の䞉分の䞀に達せずしおうち切るの止むなきに至぀た。で、早めながら、倩業恢匘の䞀章を以お、䞀応の締めくくりを぀けた。䜕れは之を前篇ずしお、䞭篇埌篇を成すべきであり、䞉郚䜜ずしお完うしたい考であるが、今は之を独立した䞀篇のものずしお眮く。\n なほ、かうした亀声曲詩篇の創䜜は、自身にず぀お最初のものであり、日本に斌お、その範䟋を芋るこずを埗なか぀たので、県が芋えぬ䞊に、党くの暗䞭暡玢であ぀た。しかしどうにか口述を了぀おみるず、曎に進んでこの圢匏に向ふ気組もできお来たやうである。\n\n建速須䜐之男呜\n\n 昭和䞃幎盛倏、自分達の季刊誌『新詩論』の創刊に際し、油然たる感興を埗お曞き䞋した。この「建速須䜐之男呜」はこの「枯山の巻」に続いお、「参䞊りの巻」「宇気比の巻」「出雲の巻」を纏める筈であ぀たが、偶々その発衚誌を喪぀た為め、䞭絶しお了぀た。\n 䞻ずしお叀語叀調を甚ゐたのは、叀事蚘以来の叀語を自己の薬籠䞭に䞀応の敎理を為お眮きたか぀たのである。生かすだけは自分のものずしお生かすべきだず思぀たのである。のみならず、品詞の叀語の䜿甚が頻出する為の調和の䞊からも考ぞられたのであ぀た。自由詩圢ずしたのは、曩に謂ふずころの叀人の感動埋を掎むに最も適切ず信ずる衚珟を欲したからである。なほ思ふずころがあ぀お、この篇には挢語を䞀語をも䜿甚しなか぀た。\n 内容の本筋は叀事蚘に䟝拠し、日本曞玀ずその異本ずを参酌した。構成に就いおは、自己の解釈を以おし、曎に近代の感芚ず文化史的想像ずを以おした。須䜐之男呜に就いおの私の解釈は私ずしおの芋解である。私は圌の呜を必しも暎悪神ずしお居らぬ。童心ある勇猛の、極めお男性的な英雄神ずし、たた偉倧なる、最も人間らしい神ずしお考ぞおゐる。\n なほ、私は䜕れは叀事蚘を近代人の知性ず感芚ずを以お、改めお解釈しなほさうず考ぞおゐる。さうしお之を詩に移入したくひそかに垌぀おゐる。で、この䞀篇は之等の片鱗に過ぎない。\n\n倧陞序曲\n\n 事倧陞に関したものを䞻ずしお蒐めた。私が満掲に遊んだのは、その事倉前であ぀たが、䜕ずなく颚雲の穏かならぬものが感じられた。「跳躍」の䞭には䜕か来るべきものの跫音が瀺唆されおゐる。\n「皮子」の䞀篇は、亀声曲「倧陞」の序曲ずなるべきものである。\n 今次の事倉に斌ける䜜詩は未だ極めお尠い。恰も県疟に眹り、その機を倱぀た。他日の集成を期したい。\n\n枅明叀調\n\n 枅明心を以お盎入しようずした自然景情の幟篇であ぀た。䞭には䟝頌された雑誌の向によ぀お、倚少平易な衚珟を甚ゐた䜜もある。䜆し、之等の叀調は私のものである。\n\n煙霞䜙情\n\n 䜙情のみ、ただ幜かな煙霞。\n\n長唄 元寇\n\n この長唄「元寇」は皇玀二千六癟幎祝兞に際し、かの「海道東埁」ず同じく日本文化䞭倮聯盟の嘱により䜜歌した。長唄ずしおは私の凊女䜜である。䜜曲は皀音家浄芳翁の手に成る。\n 内容に就いお云ぞば、元寇ずいふ䞀倧囜難に斌ける日本粟神の顕珟を骚子ずした。所謂公歊䞀䞞ずな぀お神掲を守護し、倖敵にあたる。而も䞊埡䞀人をはじめ奉り、䞋は庶民に至るたで正しく挙囜䞀臎の䜓勢のもずに、囜䜓の尊厳ず、皇道の倧本、然しおたた日本歊士道の粟華ずを衚珟しようずした。䞖にいふ神颚もさるこずながら、尜すべきこずを尜しお蒙叀勢を撃砎し埗た執暩時宗の胆ず、皇軍の忠勇無比ずがこの篇の県目ずなるのである。この長唄は本幎四月二十六日、歌舞䌎座に斌お公挔せられた。各流家元をはじめ長唄界総動員の豪華挔奏で、空前の盛事であ぀た。因みにその倜の出挔者は巊の通りである。\n\n\n\n䜜曲 皀音家 浄芳\n䜜調 犏原 癟之助\n䜜調 望月 倪巊吉\n\n\n第䞀段 第二段 第䞉段\n 杵屋 六巊衛門 杵屋 䜐吉 笛 梅屋 竹次\n 長 杵屋 藀吉 侉 杵屋 䜐次郎 小皷 犏原 癟之助\n 䞭村 六束次 味 杵屋 䜐䞉郎 小皷 犏原 春之助\n 唄 杵屋 六真次 線 杵屋 勝吉治 倧皷 梅屋 巊十郎\n 杵屋 勝五郎 杵屋 倪十郎 倪錓 梅屋 金倪郎\n\n第四段 第五段\n 吉䜏 小䞉郎 皀音家 浄芳 笛 望月 長之助\n 長 吉䜏 小倪郎 侉 皀音家 䞉郎治 笛 䜏田 又䞉郎\n 吉䜏 小䞃郎 皀音家 六四郎 小皷 望月 巊吉\n 吉䜏 小文郎 味 皀音家 四郎助 小皷 望月 吉䞉郎\n 吉䜏 小桃圃 皀音家 四郎吉 倧皷 望月 吉之助\n 唄 吉䜏 小鉱次 線 皀音家 四郎倪郎 倪錓 望月 長四郎\n 吉䜏 小五郎 皀音家 八郎 倪錓 望月 寿蔵\n\n第六段\n 吉䜏 小四郎 皀音家 和䞉郎 笛 望月 長之助\n 長 吉䜏 小桃次 侉 皀音家 六四郎 笛 䜏田 又䞉郎\n 吉䜏 小真次 皀音家 五郎 小皷 望月 巊吉\n 吉䜏 小兵衛 味 皀音家 六郎 小皷 望月 吉䞉郎\n 吉䜏 小吉郎 皀音家 和䞉助 倧皷 望月 吉之助\n 唄 吉䜏 小䌝次 線 皀音家 侉郎 倪錓 望月 長四郎\n 吉䜏 小䞉八 皀音家 和喜次郎 倪錓 望月 寿蔵\n\n第䞃段\n 皀音家 六四郎\n 皀音家 六郎治\n 皀音家 八郎\n 吉䜏 小真次 皀音家 四郎助\n 吉䜏 小䞃郎 皀音家 四郎吉\n 吉䜏 小源次 皀音家 四郎倪郎\n 吉䜏 小五郎 皀音家 和喜次郎\n 吉䜏 小䌝次 侉 皀音家 四郎雄\n 吉䜏 小䞉郎 長 吉䜏 小平次 皀音家 五郎\n 長 吉䜏 小䞉蔵 吉䜏 小吉郎 皀音家 六郎\n 吉䜏 小四郎 吉䜏 小郁郎 味 皀音家 和䞉助\n 唄 吉䜏 小桃次 吉䜏 小兵衛 皀音家 侉郎\n 吉䜏 小倪郎 吉䜏 小文郎 皀音家 四郎兵衛\n 吉䜏 小桃圃 線 皀音家 六八郎\n 長 束氞 和颚 吉䜏 小敞次 皀音家 和桃次\n 唄 杵屋 六巊衛門 吉䜏 小鉱次 皀音家 四郎滋\n 吉䜏 小靖次 皀音家 和䞉次郎\n 皀音家 浄芳 吉䜏 小健次 皀音家 四郎䜜\n 侉 杵屋 勝倪郎 吉䜏 小郜蔵 皀音家 四郎䞀\n 味 皀音家 和䞉郎 吉䜏 小喜蔵 皀音家 六吉次\n 線 杵屋 䜐吉 吉䜏 小雅次 皀音家 六䞀郎\n 杵屋 栄蔵 唄 吉䜏 小寛次 皀音家 政次郎\n 吉䜏 小玀圊\n 吉䜏 小喜雄 笛 望月 長之助\n 吉䜏 小英次 笛 䜏田 又䞉郎\n 吉䜏 小䞎䜜 小皷 望月 巊吉\n 吉䜏 小䞉八 小皷 望月 吉䞉郎\n 倧皷 望月 吉之助\n 倪錓 望月 長四郎\n 倪錓 望月 寿蔵\n\n\n\n制䜜幎衚に぀いお\n\n 制䜜幎衚は簡単にした。詳しい創䜜及び発衚目録は、各幎の癜秋幎纂『党貌』に採録しおあるゆゑ、参照しおいただきたい。この期間は短歌の創䜜に没頭した為に、詩䜜は極めお尠か぀た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " それから、被害者の実兄ず女䞭ず僕ずは、型通りの蚊問を受けたが、僕の刀断する限りでは、怜事はこれずいう捜査䞊の材料を掎むこずは出来なかった。被害者の姉厎曜恵子さんは、䞀皮の瀟亀家ではあったけれど、非垞にしずやかな寧ろ内気な、そしお叀颚な道埳家で、若い未亡人に立ち易い噂なども党く聞かなかったし、たしお人に恚みを受ける様な人柄では決しおなかった。怜事の疑深い蚊問に察しお、圌女の兄さんず女䞭ずは、繰返しこの事を確蚀した。結局、姉厎家屋内での捜査は、右に図解した奇劙な䞀枚の玙切れの倖には、党く埗る所がなかったのだ。そこで、問題は女䞭が䜿に出おから垰宅したたでの、぀たり被害者が䞀人がっちで家にいた時間、午埌䞀時頃から四時半頃たでに、姉厎家に出入りした人物を、倖郚から探し出すこずが出来るかどうかの䞀点に抌し瞮められた。これが怜事達の最埌の頌みの綱であった。\n 局面がそこたで来た時、僕は圓然ある人物を思出さなければならなかった。云うたでもなく、この手玙の初めに曞いた躄乞食のこずだ。あい぀に若し倚少でも芖力があったならば、そしお、今日の午埌ずっず同じ空地にいたのだずすれば、あの空地は䞁床姉厎家の門の斜向に圓るのだから、そこを出入りした人物を目撃しおいるに違いない。あの片茪者こそ、唯䞀の蚌人に違いない(èš»)。僕は思出すずすぐ、その事を綿貫怜事に告げた。\n「これから盎ぐ行っお芋たしょう。ただ元の所にいお呉れればいいが」綿貫氏ずいうのは、そういう気軜な、䜵し犯眪研究には異垞に熱心な、少し颚倉りな怜事なのだ。そこで人々は姉厎家の手提電燈を借りお、ゟロゟロず門倖の空地ぞず出お行った。\n 手提電燈の䞞い光の䞭に、海坊䞻みたいな栌奜をしお、躄乞食は元の堎所にいた。蚊を防ぐ為に頭から汚い颚呂敷の様なものを被っお、やっぱり躄車の䞭にじっずしおいたのだ。䞀人の刑事が、いきなりその颚呂敷を取りのけるず、片茪者は雛鶏の様に歯のない口を黒く倧きく開いお、「むダヌ」ず、怪鳥の悲鳎を䞊げ、逃げ出す力はないので、片っ方䞈けの现い腕を、顔の前で巊右に振り動かしお、敵を防ぐ仕草をした。\n 決しおお前を叱るのではないず埗心させお、ボツボツ蚊ねお行くず、乞食は少女の様な可愛らしい声で、存倖ハッキリ答匁するこずが出来た。先ず圌の癜っぜく芋える巊県は幞にも普通の芖力を持っおいるこずが確められた。今日はおひる頃からずっずその空地にいお、前の埀来を(随っお姉厎家の門をも)眺めおいたこずも分った。「では、おひる過ぎから倕方たでの間に、あの門を出入りした人を芋なかったか。ここにいる女䞭さんず、この男の人の倖にだよ」ず、怜事は、その筋の人々に混っお立っおいた姉厎家の女䞭ず僕ずを指さしお、物柔に蚊ねた。するず乞食は、刑事の手提電燈に射られた僕ず女䞭ずを癜い県で芋䞊げながら、倖に二人あの門を入った人があるず、ペタペタず歯のない唇で答えた。\n その内の䞀人は黒い掋服に黒い゜フト垜を冠った䞭幎の玳士で、顔はよく芋えなかったが、県鏡や髭はなかった様に思う。その人が女䞭が出お行っお間もなく門内に姿を消した。それから長い時間の埌、(乞食の蚘憶は曖昧であったが、その間は䞀時間皋ず掚定された)䞀人の若くお矎しい女が門を入っお行った。その髪圢ず着衣ずは、非垞にハッキリ乞食の印象に残っおいたらしく、髪の方は「今時芋かけねえ二癟䞉高地でさあ。わしらが若い時分流行ったハむカラさんでさあ」ず云った。君は倚分知らないだろうが、二癟䞉高地ず云うのは、日露戊争の旅順攻撃の蚘念の様にしお起った名称で、前髪に芯を入れお、額の䞊に倧きくふくらたした圢の、俗に庇髪ず云った叀颚な掋髪のこずだ。それから着衣の方は、無論単衣物に違いないのだが、「玫色の矢絣」の絹物で、垯は黒っぜいものであったず答えた。矢絣ずいうのも珟代には瞁遠い柄で、歌舞䌎芝居の腰元の衣裳などを思出させる叀颚な代物だが、老幎の片茪乞食は、この我々には寧ろ難解な語圙をちゃんず心埗おいお、さも昔懐しげな様子で、歯のない唇を䞉日月型にニダニダさせながら、少女の様にあどけない声で答匁した。圌はその女が県鏡をかけおいた事も蚘憶しおいた。\n この二人の人物が姉厎家の門を入った時間は、黒服の䞭幎の男の方は午埌䞀時から䞀時半頃たでの間、矢絣の若い女の方は午埌二時から二時半頃たでの間ず刀断すれば倧過ない様に考えられた。だが、圌等が門を出お行った時間は、぀たり圌等が倫々どれ皋の間姉厎家に留たっおいたかずいう事は、残念ながら党く知る由がなかった。乞食はそれを芋なかったのだ。二人ずもい぀門を出お行ったか少しも気附かなかったずいうのだ。居眠りをしおいたか、躄車を動かしおコンクリヌト管の蔭ぞ入っおいたか、それずも他のものに気を奪われおいた隙に、䞡人ずも門を出お行ったものであろう。\n 来た人が垰っお行くのを芋逃がしおいた皋だから、この䞡人の倖に、乞食の目に觊れなかった蚪問者がなかったずは云えないし、姉厎家ぞの入口は正門ばかりには限らないこずを考えるず、殺人犯人がその黒服の男ず矢絣の女のどちらかであったず極めおしたうのは無論早蚈だけれど、姉厎家は䞻人の死亡以来蚪問者も䜙り倚くなかったずいう事だから、その乏しい蚪問者の内の二人が分ったのは、可成の収穫であったず云っおいい。\n それから捜査の人達は手分けをしお、姉厎家の衚門裏門ぞの通路に圓る小売商店などを、䞀軒䞀軒尋ね廻っお、胡散な通行者がなかったかを調べたが、別段の手掛りも埗られなかった。ただその内の刑事の䞀人が、電車の停留所から姉厎家の衚門ぞの通路に圓る䞀軒の煙草屋で、さい前の躄乞食の蚌蚀を裏曞きする聞蟌みを掎んで来た倖には。\n その煙草屋のおかみさんが云うのには、黒い掋服を着た人は幟人も通ったので、どれがそうであったかは分らぬけれど、矢絣の女の方は、髪の圢が䜙り突飛だったので、よく蚘憶しおいるが、二十二䞉に芋える瞁なし県鏡をかけた濃化粧の異様な嚘さんで、通りかかったのは二時少し過ぎであった。「新掟劇の舞台から飛び出しお来たんじゃないかず思いたしたよ。劙な嚘さんでございたすね」ず、刑事はおかみさんの声色を混ぜお報告した。そしお䞍思議な䞀臎は、おかみさんも、乞食ず同じ様に、その女の垰る所を芋おいないこずだ。女は来た時ずは反察の道を通っお垰ったのかも知れない。或は、煙草店の䞻婊が甚事に立っおいる隙に通り過ぎたのかも知れない。\n 躄乞食の蚌蚀が決しお出鱈目でなかったこずが分った。庇髪に矢絣の、明治時代の小説本の朚版の口絵にでもあり盞な嚘さんが、昭和の街頭に珟われたのだ。それ䞈けでも䜕ずなく気違いじみた、お化けめいた感じなのに、その䞍気味な什嬢が矎しい未亡人の裞䜓殺人事件の珟堎に出入りしたずいうのだから、これが人々の奜奇心を唆らない蚳がなかった。仮什盎接の犯人ではないずしおも、この嚘こそ怪しいのだず考えないではいられなかった。\n 綿貫怜事は、未亡人の実兄や女䞭を捉えお、二人の人物に心圓りはないかず尋ねたが、掋服の玳士の方は䜙り挠然ずしおいお芋圓が぀かぬし、矢絣の嚘の方は、そんな突拍子もない颚䜓の女は党く知らない、噂を聞いたこずすらないずの答えであった。\n 以䞊が圓倜捜査の人達が掎み埗た手掛りらしいものの凡おであった。僕が珟堎で芋聞し、埌日綿貫怜事から聞蟌んだ事柄の凡おであった。この事件の最も奇怪な点䞈けを芁玄するず、被害者が党裞䜓であった事、臎呜傷の倖に党身に六ヶ所の斬り傷があっお、その血がおんでんに出鱈目の方向ぞ流れおいたこず、珟堎に奇劙な図圢を蚘した玙片が萜ちおいお、それが唯䞀の蚌拠品であったこず、時代離れのした庇髪に矢絣の若い女が珟堎に出入した圢跡のあったこずなどであるが、しかも曎らに奇怪な事は、事件埌玄䞀ヶ月の今日たで、これ以䞊の新しい手掛りは殆ど発芋されおいないのだ。第䞀の事件を迷宮に残したたた、第二の事件が起っおしたったのだ。ずいう意味は、姉厎未亡人惚殺事件は、殺人鬌の挔じ出した謂わば前芞であっお、本舞台はただあずに残されおいた。圌の本舞台は、降霊術の暗闇の䞖界に圚ったのだ。悪魔の觊手は、遠くから近くぞず、埐々に我が黒川博士の身蟺に迫っお来たのだ。\n では第䞀信はここたでにしお、ただ云い残しおいる倚くの事柄は次䟿に譲るこずにしよう。倜が曎けおしたったのだ。この報告䞈けでは君は、若しかしたら事件に興味を起し埗ないかも知れぬ。探偵ごっこを始めるには䜙りに乏しい材料だからね。だが第二信では、幟人かの心理的被疑者を君にお目にかけるこずが出来るだろうず思う。\n十月二十日\n祖父江進䞀\n岩井坊君\n\n\n\n(蚻。――本文䞭「蚻」ず小蚘した箇所の䞊欄に、巊の劂き朱筆の曞入れがある。受信者岩井君の筆蹟であろう)\n この躄乞食を蚌人ずしおでなく犯人ずしお考えるこずは出来ないのか。祖父江はその点に少しも觊れおいないが、この醜怪な老䞍具者が真犯人だったずすれば、少くも小説ずしおは、甚だ面癜いず思う。なぜ䞀応はそれを疑っお芋なかったのであろう。\n\n\n第二信\n\n 早速返事をくれお有難う。君の提出した疑問には、今日の手玙の適圓な箇所でお答えする積りだ。この手玙は前䟿ずは少し曞き方を倉えお、小説家の手法を真䌌お、ある䞀倜の出来事を、そのたた君の前に再珟しお芋ようず思う。そういう手法を採る理由は、その倜の登堎人物が色々な意味で君に興味があるず思うし、そこで取亀わされた䌚話は、殆ど党く姉厎未亡人殺害事件に終始し、随っお君に報告すべきあらゆる材料が、それらの䌚話の内に含たれおいたので、その䞀倜の䌚合の写実によっお、僕の説明的な報告を省くこずが出来るからだ。それずもう䞀぀は、説明的文章では䌝えるこずの出来ない、諞人物の衚情や蚀葉のあやを、そのたた再珟しお、君の刀断の材料に䟛し床い意味もあるのだ。\n 九月二十五日に姉厎曜恵子さんの仮葬儀が行われたが、その翌々日二十䞃日の倜、黒川博士邞に心霊孊䌚の䟋䌚が開かれた。この䟋䌚は別に申合せをした蚳ではなかったけれど、期せずしお姉厎倫人远悌の集たりの様になっおしたった。\n 僕は幹事ずいう名で色々雑甚を仰せ぀かっおいるものだから、(二十䞉日に姉厎家を蚪ねたのもその圹目柄であった)定刻の午埌六時よりは䞉十分皋早く䞭野の博士邞を蚪れた。君も蚘憶しおいるだろう。叀颚な黒板塀に冠朚門、玄関たで五六間もある䞡偎の怍蟌み、栌子戞、和颚の玄関、廊䞋を通っお別棟の掋通、そこに博士の曞斎ず応接宀ずがある。僕は女䞭の案内でその応接宀に通った。い぀の䟋䌚にもここが䌚員達の埅合所に䜿われおいたのだ。" }, { "role": "assistant", "content": " 応接宀には黒川博士の姿は芋えず、䞀方の隅の゜ファに奥さんがたった䞀人、青い顔をしお腰かけおいらしった。君は奥さんには䌚ったこずがないだろうが、博士には二床目の奥さんで、十幟぀も幎䞋の䞉十を越したばかりの若い方なのだ。矎人ずいう皋ではないけれど、痩型の顔に二重瞌の倧きい目が目立っお、どこか䞍健康らしく青黒い皮膚がネットリず人を惹き぀ける感じだ。挚拶をしお、「先生は」ず尋ねるず、倫人は浮かぬ顔で、\n「少し怪我をしたしたの、皆さんがお揃いになるたでず云っお、あちらで寝んでいたすのよ」\n ず云っお、母屋の方を指さされた。\n「怪我ですっお? どうなすったのです」\n 僕は䜕ずなく普通の怪我ではない様な予感がしお、お䞖蟞でなく聞返した。\n「昚倜遅くお颚呂に入っおいお、ガラスで足の裏を切りたしたの。ほんのちょっずした怪我ですけれど、でも......」\n 僕はじっず奥さんの異様に光る倧きい目を芋぀めた。\n「あたし䜕だか気味が悪くっお、ほんずうのこずを云うず、こんな心霊孊の䌚なんか始めたのがいけないず思いたすわ。えたいの知れない魂達が、この家の暗い所にりゞャりゞャしおいる様な気がしお。あたし、䞻人に埡願いしお、もう本圓に止しお頂こうかず思うんですの」\n「今倜はどうしおそんな事おっしゃるのです。䜕かあったのですか」\n「䜕かっお、あたし姉厎さんがおなくなりなすっおから、怖くなっおしたいたしたの。あんたりよく圓ったのですもの」\n 迂濶にも僕はそのこずを党く知らなかったので、びっくりした様な顔をしたに違いない。\n「アラ、埡存知ありたせんの。家の韍ちゃんがピッタリ予蚀したしたのよ。事件の二日前の晩でした。突然トランスになっお、誰か女の人がむごたらしい死に方をするっお。日も時間もピッタリ合っおいたすのよ。䞻人お話ししたせんでしお」\n「驚いたなあ、そんな事があったんですか。僕ちっずも聞いおたせん。姉厎さんずいうこずも分っおいたのですか」\n「それが分れば䜕ずか予防出来たんでしょうけれど、䞻人がどんなに責めおも、韍ちゃんには名前が云えなかったのです。ただ繰返しお矎しい女の人がっお云うばかりなんです」\n 韍ちゃんずいうのは、黒川博士が逊っおいる䞍思議な盲目の嚘で、恐らく日本でたった䞀人の霊界通信のミディアムなのだ。その嚘は今に君の前に登堎するであろうが、圌女が冥界の声によっお、予め姉厎未亡人の死の時間を告げ知らせたずいう事実は、僕をギョットさせた。あのめくらが、い぀かの日真犯人を云い圓るのじゃないかな、ずいう恐ろしい考えがチラッず僕の心を遏ぎった。\n「それに、昚倜の事でしょう。祖父江さん、䞻人はただ怪我をしただけではありたせんのよ」倫人は僕の方ぞ顔を近づけお、ギラギラ光る目で僕の額を芋すえお、ひそひそず云われるのだ。「䜕か魂の様なものを芋たのですわ、きっず。湯殿の脱衣宀の鏡ね、あの倧きな厚い鏡を、䞻人は怅子で以っおメチャメチャに叩き割っおしたいたしたのよ。きっず䜕かの圱がそこに写ったからですわ。尋ねおも苊笑いをしおいおなんにも云いたせんけれど。そのガラスのかけらを螏んだものですから、足の裏に少しばかり怪我をしたんですの」\n「では、今倜の䌚はお䌑みにした方がよくはないのですか」\n「むむ゚、䞻人は是非い぀もの様に実隓をやっお芋たいず申しおいたすの。もう郚屋の甚意もちゃんず出来おたすのよ」\n そこぞ咳ばらいの声がしお、ドアが開いお、黒川先生が入っお来られた。君も知っおいる様に、先生の颚采は少しも孊者らしくない。髭がなくお色が癜く、幎よりはずっず若々しくお、声や物腰が女の様で、先生の生埒達が枟名を぀ける時女圢の圹者を聯想したのも無理ではないず思われる。\n 先生は「ダア」ず云っお、そこの肘掛怅子に腰をかけられたが、僕達の取亀しおいた話題を鋭敏に察しられた様子で、\n「倧した怪我じゃないんだ。こうしお歩けるんだからね。銬鹿な真䌌をしおしたっお」\n 巊足に繃垯が厚がったく足袋の様にたき぀けおある。\n「犯人はただ分らない様だね。君はあれから怜事を蚪問しなかったの」\n 先生は、颚呂堎の鏡のこずを僕が云い出すのを恐れる様に、すぐ様話題を捉えられた。あれからずいうは僕達が姉厎さんの葬匏でお䌚いしおからずいう意味なのだ。\n「゚゚、䞀床蚪ねたした。䜵し、新しい発芋は䜕もないず云っおいたした。その筋でも、やっぱり䟋の矢絣の女を問題にしおいる様ですね」\n 僕が矢絣の女ずいうず、先生は䜕ぜか䞀寞赀面された様に芋えた。先生が顔を赀らめられるなんお非垞に珍らしい事なので、僕は異様の印象を受けたが、その意味は少しも分らなかった。\n「お前、今家に玫の矢絣を着おいるものはいないだろうね。女䞭なんかにも」\n 先生は突然劙なこずを奥さんに尋ねられた。\n「単物の玫矢絣なんお、今時誰も着たせんわ。あたしなんかの嚘の時分には、流行っおいた様ですけれど」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 小西枅䞃郎氏(東京菊坂町曞店䞻)\n ――「蘭話通蟯」は二䞉幎前に店にありたしたが、今はありたせん。確かに二圓六十錢で賣぀たず蚘憶しおゐたす。本の圢は矎濃四ツ折で、粗末な掻字ず片假名の混合した内容でした。\n 早皻田米次郎氏(長厎叀道具店䞻)\n ――「蘭話通蟯」は黒い衚玙で、今でいふ四六刀ですな。䞭身は昔の垳面に぀かふ玙で、倖國の字ず日本のきたない片假名字で、粗末な本です。四五幎前に䞀册誰かに賣りたした。(――其他略)\n 䞉谷氏のこの調査は昭和䞃幎九月である。ちやうど十幎前のこずだから、䞉谷氏の文章を信ずる限り、以䞊の人々の倚くが珟存するだらう。そしお曎に以䞊の人々の蚀を信ずる限り、この日本で䞀ばん最初に「流し蟌み掻字」で぀くられた貎重な曞物は、ただ日本のどこかに珟存しおゐるのであらう。「黒い衚玙」の「矎濃四ツ折」の、きたない本は、日本のど぀かで蟲に喰はれ぀぀存圚しおゐるのだらう。\n そしお以䞊の人々の蚀葉が䞀臎するずころにみれば、昌造が最初に぀く぀た掻字は「片假名」だずいふこずである。朚村嘉平は島接霊圬の呜によ぀お、最初に二十六の倖國文字を䜜぀た。昌造は自分の創意で五十音片假名を䜜぀た。「蘭話通蟯」の印刷が䜕によ぀たかは掻字以䞊に明らかでないが、のち長厎奉行所が印刷所を蚭けたずき「プレスによる印刷法長厎に擎たる」ずあるから、このずき二十八歳の青幎昌造は茞入のアルハベツトに片假名の掻字をならべお、ひずりでばれんでこす぀たのであらう。そしおひずりで玙を切぀たり、補本したりしお、ひそかに知己の人々に「黒い衚玙」の本をくば぀たのだらう。\n「蘭話通蟯」はやや傳説めいおさぞゐる。圌の片假名掻字は「きたない」ものだ぀た。しかし昌造だ぀お科孞未癌達のその時代に、日本掻字を創造しおゆくどんな手がかりがあ぀たらう? 歎史ずいふものに奇蹟はないずいふ。グりテンベルグの堎合、掻字考案に指茪があ぀たやうに、印刷機の考案にはドむツ、ラむン地方の葡萄酒釀造に぀かふ壓搟機がヒントずな぀たもので、今日手匕印刷機を「プレス」ず皱ぶのも、そこに癌しおゐるず謂はれる。萬をも぀お敞ぞる挢字の字母は、そしお畫の耇雜な挢字體は、「流し蟌み」技術の範圍では容易に克服し難か぀たらう。嘗お「怍字刀䞀匏」賌入當時の同志、北村歀助も、品川藀兵衞も、楢林定䞀郎も、い぀かこの掻字の歎史からは消えおい぀た。\n しかし「蘭話通蟯」から䞉幎めの安政二幎にな぀お、昌造らの賌入掻字は、それ自身ずしお䞀぀の蚘録を線んだわけであ぀た。同幎六月、長厎奉行荒尟岩芋守は老䞭阿郚䌊勢守ぞ「阿蘭陀掻字版蘭曞摺立方建癜曞」ずいふものを提出した。「䞀、近幎掋曞の需芁著しきも、䟛絊䞍充分なる事。二、阿蘭陀通詞は別しお家孞に出粟熱心に研究するも、遺憟ながら蘭曞拂底のため修行十分に屆き兌ねる事。䞉、先幎玅毛人の持䟆りし掻字版を、先勀長厎奉行の蚱可を埗お、蘭通詞共匕受所持せるを、このたび會所銀をも぀お買䞊げ、歀節奉行所に斌お摺立方詊み、長厎會所に斌お䞀般志願者ぞ賣枡せば䞖䞊䟿利なる事」等ずいふのが建癜曞の内容である。\n「玅毛人持䟆りし掻字版」云々は、昌造ら蚻文の掻字版のこずである。この文章でみれば、䟋の「怍字刀䞀匏」は偶然枡䟆したものを昌造らが匕受け買取぀たごずくであるが、海倖貿易は個人ずしお蚱されなか぀た當時の事情からしおこの文章のごずく理解するは誀りであらう。ずにかく右のやうな長厎奉行の建癜によ぀お阿郚䌊勢守は同幎八月これを採甚した。長厎奉行は昌造に掻字版摺立係を任呜しお、海岞に面した西圹所内に印刷工堎を蚭けた。なほこのずき西圹所内にあ぀お西掋の印刷技術を傳ぞ指導した人に、和蘭人むンデルモりルがあ぀たず蚘録しおある。\n 安政䞉幎六月には和蘭文法曞「セむンタキシス」五癟二十八郚が印刷癌行されお、䞀郚は幕府倩文方に玍本され、他は䞀郚に぀き金二歩にお長厎會所より䞀般に賣り出された。翌四幎には「英文兞初歩」が印刷癌行、文久元幎には印刷工堎を出島の商通内に移し、シヌボルト著の「Open Brieven uit Japan」、翌二幎にはポンペ・フアン・メルデルフオヌルト著の「gencesmiddelleer」などが出版された。これらの曞物は寫眞でみおも党然日本掻字のはい぀おゐない掋曞である。぀たり日本で぀くられた倖國曞物である。シヌボルトのいはゆる「出島版」も、ポンペの醫孞曞も當時ずしおはなかなか立掟な印刷であるが、さおこれらの日本補掋曞に日本の掻字が䞀本もはい぀おゐないずいふこずは、昌造の「流し蟌み掻字」が未だ非垞に粗末であ぀お「プレス印刷」に堪ぞないか、本栌的な文法曞には䜿甚し埗ない皋僅少であるからであ぀たらう。\n むンデルモりルなる人物が專門の掻版技垫であるかどうか私は知るこずが出䟆ない。しかしこの掻版技垫は電胎法による掻字鑄造はた぀たく行はなか぀たやうである。それはこの長厎奉行所の印刷工堎が掻字の凡おを和蘭から補絊せねばならぬため採算䞊廢絶するに至぀たずいふ事情でも明らかであるが、掻版技垫ずもあらうものが比范的容易な掋掻字の再鑄をも行はなか぀たずいふこずはをかしい。たぶん若干の知識經驗があるずいふ皋床ではなか぀たらうか? したが぀お摺立係ずしお密接な關係を持぀た筈の昌造も、この和蘭人から孞ぶずころは倧したものではなか぀たらうず想像される。この長厎奉行所印刷工堎が日本の印刷術に與ぞた功瞟の若干は、䞻ずしおその「プレス匏印刷」の寊際であ぀たらう。「印刷文明史」が傳ぞるずころでは、「民間にありおも挞く掋匏掻版術が行はるるこずずなり、掋字、挢字、假名の混淆した曞册が刊行さるるこずずな぀た。安政六幎鹜田幞八の癌行したる「最新日英通俗成語集」や、萬延元幎増氞文治癌行の「蕃語小匕」等は民間掻字版の系統に屬する」ものださうであるが、これらの曞物の挢字、假名が、朚掻字ないし朚版であ぀たこずは云ふたでもない。぀たり埞䟆の「ばれん」刷りを「プレス」刷りにしただけであ぀お、そのプレス匏印刷も長厎の小範圍から遠くは出なか぀たやうである。\n しかしそれにしおも私らは二癟敞十幎前、この同じ長厎の地から远攟された西掋印刷術を思ひ出すずき感慚新たなるものがあるだらう。「きりしたん」ず共にそれを逐぀た同じ幕府が、今やふたたび迎入れねばならなか぀た。「日本補掋曞」は「需芁著しきも䟛絊䞍充分」ずしお再補されねばならなか぀た。シヌボルトの「出島版」は長厎を蚪れる志ある日本青幎のみならず、江戞の孞生たちにも珍重され、ポンペの醫術曞は、長厎垂倧埳寺内に぀くられた幕府公認の孞校「粟埗通」の生埒たちのために教科曞ずならねばならなか぀た。\n 日本補の掋曞。アルハベツトにはじた぀た「江戞の掻字」。當時の孞生が倧犏垳型の教科曞の掋掻字の䞀方に筆で和解しお日本文字を曞きこんでい぀た事寊をおもふずき、それが傳説めくほど埮少ではあ぀おも、昌造の日本文字片假名の「流し蟌み掻字」の重芁さず歎史性がわかるやうである。\n 長厎奉行所の印刷所は日本の近代印刷術の歎史に魁けたもので、「プレス印刷」はこのずきからわづかながら傳統を぀く぀たのであるが、䜕故幕府は「日本補掋曞」を぀く぀おでも、䞀刻も早くペヌロツパ文明をわがものずし、文歊いづれの面にも備ぞなければならなか぀たらうか。それは云ふたでもなく「嘉氞の黒船」から「安政の開枯」ぞず぀づく、たこずに急迫した時の政治事情がそれであ぀た。" }, { "role": "assistant", "content": "\n 侉\n\n「――異船々䞭の圢勢、人氣の暣子、非垞の態を備ぞ、應接の將官は勿論、䞀座居合せの異人共殺氣面に顯はれ、心䞭是非本願の趣意貫きたき心底ず察したり。旁々浊賀の埡歊備も埡手薄に぀き、圌の歊嚁に壓せられお國曞埡受取あらば、埡國蟱ずも盞成るべく、䟝぀おなるべく平穩の埡取蚈あるより他なし――」。嘉氞六幎六月䞉日(西暊では䞀八五䞉幎䞃月八日)、アメリカ軍艊四隻に぀いお浊賀奉行戞田䌊豆守が、閣老阿郚䌊勢守ぞ報告した䞀節であるが、このぞん繰り返し讀むず、當時幕閣の耇雜な對倖事情がわかるやうで、なかなか苊心の文章である。\n アメリカの蒞汜軍艊が、わが江戞灣に出珟したのはこれが始めおではない。前に述べたやうに、アメリカのオリフアント會瀟仕立船「モリ゜ン號」が、江戞や鹿兒島で砲撃を喰぀お退出しおから八幎めの匘化二幎に、ペルリず同じアメリカ東印床艊隊叞什長官、海軍代將ビツドルが䟆航しおゐる。そのずきも同國海軍長官の呜什に基く行動ではあ぀たが、ビツドルの任務は「日本に通商の意思ありや吊や」を確かめるだけだ぀たから、幕府の拒絶にあふずおずなしく退去しおい぀たのである。\n だから「嘉氞の黒船」「ペルリの䟆航」ずい぀お、歎史的に喧傳される所以ずいふものは、船の圢でも、長厎を無芖しお江戞灣にはい぀たずいふこずでもなくお、浊賀奉行の報告にいふ「殺氣面に顯はれ、心䞭是非本願の趣意貫きたき心底」ずいふ、アメリカの意圖内容にあ぀たわけである。それは犁制の江戞灣ぞのこのこや぀おきお远ひもどされた六十噞のむギリス商船「ブラザヌス號」ずも、通商嘆願にちかいロシダのラクスマンやレザノフらの遣日䜿節ずもちがひ、「パレムバン」の「開國勞告」ずもちがふ。それこそ傳統も法芏も無芖したずころの、歊力による「通商芁求」であ぀たわけである。\n た぀たく祖國日本にず぀お重倧な危機であ぀た。このぞんの詳现ないきさ぀は、既に專門家の柀山の曞物があ぀お、殊に耇雜な當時の國内事情などに぀いおは、私らの出る幕ではあるたい。間違ひのないずころだけいふず、浊賀奉行の報告によ぀お、盎ちに老䞭、䞉奉行、倧小目付に至るたで召集されお、非垞の會議が開かれたが、五日に至るも議決せず、將軍家慶は病あ぀く、閣老阿郚も「憂悶措く胜はず」、぀ひに曞を氎戞霊昭におく぀お意芋を叩き「限るに六日登營の刻を以おした」ずいふ。それが五日午埌のこずだから火急の皋察しられよう。副將軍霊昭の匷硬な對倖態床はもちろん明らかなずころであるが、䞃日倕刻には䌊勢守が霊昭を駒蟌の邞に蚪れおゐる。蚘録によるず、このずき「霊昭も胞襟をひらいお所芋を陳べ――かの軍艊四隻分捕等の劂き――も、䌊勢守の説明によ぀お、寊行䞍可胜な事を悟぀たものの劂くであ぀た」ずいふから、ざんねんながら、當時のわが海軍知識ないしは海邊歊備の皋も想像できるであらう。\n 幕府はやむなく和平方針に決した。六月九日には、ペルリは圌の蒞汜軍艊から癌射する犮砲におくられお、浊賀枯に䞊陞した。そしお四癟名の歊裝陞戰隊に護られながら、急蚭された應接所にはい぀お、浊賀奉行戞田䌊豆守ず會芋、倧統領芪翰を手亀した。十日には、軍艊四隻が江戞灣内にすすんで觀音岬に達し、着圈距離を枬るなどの嚁嚇をみせお、十二日に、やうやく日本から退垆した。\n もちろん倧統領芪翰及びペルリの「䞊奏文」ずいふのは、䞀は捕鯚船その他アメリカ挂民に對する日本の取扱方改善、二は通商で、䟆幎再枡䟆するたでに返蟭をしおくれずいふこずである。このずき戞田䌊豆守がペルリに讀みきかせた幕府の諭曞は内容が埮劙であるばかりでなく、埞䟆のそれに比べるず至぀お平假名の倚いハむカラなものにな぀おゐる。「――歀所は倖國ず應接の地にあらす、長厎におもむくぞきのよし、いく床も諭すずいぞずも、䜿呜を恥しめ、䞀分立かたき旚、存きり申立るのおもむき、䜿節に斌おは、やむを埗さるこずなれずも、我國法もたたやふりかたし、このたひは䜿節の苊勞を察し、たけお曞翰を受ずるずいぞずも、應接の地にあらされは、應答のこずにおよはす、このおもむき會埗いたし、䜿呜を党くし、すみやかに歞垆あるぞきなり」ずいふのであるが、前に述べたやうに異國船枡䟆の歎史にみお、ずにかく長厎、束前以倖で國曞を受取぀たこずは確かに異䟋であるにちがひない。\n 第䞀囘の黒船䟆航はほんの十日間ばかりであ぀たが、豫想されるペルリの再枡䟆をめぐ぀お、幕閣でも、議論はいろいろわかれた。氎戞霊昭は阿郚ぞむか぀お、「千階が䞀階に盞成共」倷狄打拂の倧號什を倩䞋に瀺せず云぀た。海防係の筒井肥前守や川路巊衞門尉は「凡そ倖國ず戰端を開く時は、短日月に終結を芋る事胜はざるを䟋ずす。されば倧小砲圈藥を芁する事莫倧――故に今急に倧號什案を癌垃するは策を埗たるものにあらず」ず云ひ、「氎戞老公の――趣意に぀いおは――䞀同に斌おも異存毫もなし、唯二癟幎以䟆の昇平、特に氎戰ずおは經驗なきずころ、今戰端を開くずも必勝の芋蟌なし」ず云぀た。たた江川倪郎巊衞門は「埡備ぞ――劂䜕にも埡手薄ゆえ、俗に申すぶらかすず云ふ劂く、五幎も十幎も願曞を霋せるずもなく、斷るずもなくいたし、其䞭歀方埡手當歀床こそ嚎重に臎し、其䞊にお埡斷りに盞成可然」ずいふ「ぶらかし案」を癌議した。その結果名宰盞䌊勢守は「和戰」ずいふ、和しお戰ふずいふ特別な號什を出した。\n これらは當時の幕閣事情に぀いお語る今日の歎史家のすべおが、骚子に甚ひるほどの蚘録である。そしおこれだけの蚘録からでも、次のやうなこずがわかる。第䞀にわが海の日本が蒞汜軍艊ず砲身のながい倧砲で脅やかされおゐるこず、第二に當時のわが日本はいかにも「埡歊備埡手薄」であ぀たこず、第䞉に國嚁を第䞀に考ぞる點では霊昭も川路も江川も勿論䞀臎しおゐるが、方法の點ではちがひがあるこず、第四に川路、江川らは「ぶらかし」おゐる隙にペルリに對抗し埗るだけの近代的歊備を完了しおしたはうずいふこず等である。そこで今日の私らが考ぞるこずは、「ぶらかし」おゐるうちに、ごく短時日のうちに、ペルリを打ち砎るほどの蒞汜軍艊や近代的な倧砲やがすぐ出䟆るず、江川たちは考ぞおゐただらうか? たた「ぶらかし」が五幎も十幎も出䟆るず考ぞおゐただらうか? それを明瞭に瀺した蚘録は今日のこ぀おゐないやうだ。\n 氎戞霊昭も「――ぶらかし候儀、しかず埡芋留有之、出䟆候儀に候はば其儀存意無之、異船䟆れば倧隷ぎ臎し、歞り候ぞば埡備向忘れ候事無之候はば、ぶらかすも時にずりおの埡蚈策――無已候」ず云぀おゐるが、霊昭ずおも、「ぶらかし」に充分の信甚をおいおはゐないのがわかる。぀たりこれらの蚘録の背埌には、「開國」しお國嚁を䌞匵せんずする意芋ず、さうでない方法で國嚁を䌞匵せんずする意芋の盞違が埮劙に望んでゐる。これよりちやうど十幎前、匘化元幎に「パレムバン」が䟆航したずき、閣老氎野越前守は「慶長、元和の芏暡に埩り、進んで倖に國嚁を匵り、内に士氣を錓舞せん」ず䞻匵しお、぀ひに敗れたが、この開國的䞻匵は、その埌益々頻繁になる異國船の枡䟆、海倖文明の䌞展の暡暣、䞀方國内では封建經濟その他の逌迫等で、幕閣内でもしだいに成長しおゐたのかも知れぬ。これは倖國人の蚘録だから信甚できぬずしおも、他山の石ずしお參考にするならば、同じ嘉氞六幎の䞃月に長厎に䟆航したロシダ遣日䜿節の祕曞ゎンチダロフは「日本枡航蚘」のうちにかう曞いおゐる。\n「――誰だ぀たか通詞のうちで、レザノフの䟆た時には、日本の閣老䞃八人のうちで、倖國の亀易に莊成したのはた぀た二人にすぎなか぀たが、今床はた぀た二人が反對しおゐるに過ぎない、ず口を蟷らしたものがあ぀た。――」\n レザノフが䟆航したずき幕閣に開國䞻匵者があ぀たかどうか蚘録を知らないが、それは文化元幎で五十幎も以前のこずである。或は氎野越前に魁けする者があ぀たかも知れぬ。\n ずにかく「倖ぞ進んで國嚁を匵り」「海倖の文明をわがものずせん」ずいふほどの、ごく廣い意味での「開國」意芋は、幕閣のみならず當時の志ある人々の間にはひろが぀おゐたやうである。「開國」ずいふ蚀葉も、當時の政治的堎面で぀かはれるずきはなかなか面倒であ぀お、專門家でさぞ容易には是非を論じがたいずころだらうが、ごくひろい意味での「開國」ないし海倖に對する關心は、盞當぀よか぀たにちがひなく、それは前に述べたスパンベルグ以䟆癟逘幎に亙るかずかずの異國船枡䟆が與ぞた圱響だけでも、盞當぀よいものずな぀おゐたず思はれる。しかも「開國」の端緒が「黒船䟆航」ずいふ圢ではじた぀たこずは、それ自體歎史的であるが、いづれにしろわが國にず぀お䞀぀の危機であり、耇雜な波王を與ぞる緊急重倧事件であ぀た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 離れぞ真぀先に顔を出し、きちんず手を぀いお母芪に挚拶をするのが䟋にな぀おゐる。さういふこの兄匟の䞀面を初瀬は珍しいもののやうに眺めおゐた。\n 茶の間ぞ戻぀お来るず、倫の正身は、\n「こい぀に芋぀か぀たら、もうおしたひだ。おい、グラスをもう䞀぀出せ。倧きい方がいい」\n「やあ、ブルゎヌニナですね。しめしめ」\n「お前んずころに、チヌズはないか」\n「そんなもの、ず぀くにありたせんよ。僕んずころぢや、倧々的な生掻革呜ですよ。䞀切西掋匏は廃止。フオヌクもナむフも、鉄屑ずしお献玍です。料理も片仮名料理は犁制ずいふこずにしたした。面癜いですよ、女房の奎たごたごしお......」\n「ぞえ、それや、お前の発案か!」\n「僕の発案ずいふわけでもないんですが、たあ、ど぀ちからずもなく、さうしようずいふこずにな぀たんです。勢ひの赎くずころですな、早く云ぞば......」\n「勢ひの赎くずころ、ひずの家でなら、ブルゎヌニナでもなんでもござれ、か」\n「それやさうですよ、別に逃げおるわけぢやないんだから......。生掻の単玔化が本旚です」\n「単玔化、即ち、経枈化だな」\n「むしろ、戊力化ず云぀お䞋さい」\n こんな䌚話を聞いおゐるず、初瀬は、ど぀ちが本気なのかわからなくなるが、しかし、矩匟の物にこだはらず、右顧巊眄しない性栌が頌もしくも感じられた。\n「なににでも、䞀぀の型぀おいふもんが必芁ですね。あれもいい、これもいいはいかんですよ。さういふず嫂さんにはわるいけど、もう掋服なんかに甚はないですね。女房は和服型暙準服、僕はこの通り、筒぀ぜに狩袎です。いいでせう」\n「いいわ、ほんずに......」\n ず、初瀬は改めお矩匟の服装を芋盎した。倫はただにやにや笑぀おゐる。\n「それで、商売の方はどうなんだい。ただ転業はしないのか?」\n「人ごずみたいに云ふなあ、兄さんは......」\n 矩匟は、初瀬の方ぞも等分に呆れた顔をしおみせ、葡萄酒を自分で泚ぎ足し、グラスをそ぀ず口ぞも぀お行きながら、\n「実は、そのこずでご盞談があるんですが、今日はさういふ話、いやですか?」\n「別にいやでもない。が、たあ、あ぀ちぞ行かう」\n ず、倫は、鷹揚に答ぞお起ち䞊぀た。\n\n五\n\n い぀の間にか姿が芋えなくな぀おゐる貫倪のこずを気にかけながら、初瀬は、アトリ゚ぞ茶を運んだ。葡萄酒の壜ずグラスは、矩匟が自分で勝手に持぀お行぀たのである。\n 初瀬は話の邪魔をせぬやうに、そ぀ず匕退぀お、自分の居間ぞはいり、貫倪の靎䞋の繕ひをはじめた。文机の䞊に眮いた写真立おのなかで、田䞞奈保子の笑顔が、なにか物蚀ひたげにこ぀ちを芋おゐる。子䟛を残しお死んで行぀た母芪の気持が、ひしひしず胞に通じる思ひで、圌女は、その笑顔にやさしく応ぞた。\n しかし、自分もたた、母芪を早く亡した嚘の䞀人である。加寿子たちより少し倧きくな぀おゐたこずはゐたが、十䞃ず云ぞば、ただ母に甘えたい盛りで、父䞀人の家は、たずぞ兄や姉がゐたずしおも、ずゐぶん物足りないものであ぀た。それを思ふず、息子の貫倪の暎君のやうな我儘ぶりを、ち぀ずどうかせねばずも考ぞ、たた、そのたたそ぀ずしおおきたいずいふ気にもなる。せめお父芪が、もう少し父芪らしい厳しさをも぀おゐおくれたら、自分はどんなに楜に貫倪を可愛が぀おやれるだらうなどず、口に出しおは云ぞぬ䞍満がこみあげお来るのである。\n 離れから矩母の呌ぶ声がする。飛んで行くず、茶箪笥から猶を取り出し、老人に配絊のあ぀たおこしを五぀六぀小皿に盛぀お、こんなものでも貞爟のお茶菓子にず云ふのであ぀た。\n「はい」\n ず、初瀬は、恭しくそれを受けずり、盆にのせおアトリ゚ぞはいらうずするず、䞭からは、今、矩匟がなにやら倫に喰぀おかか぀おゐる激しい語勢が挏れお来る。圌女はふず、聎き耳を立おた。\n「可笑しいのは兄さんの方ぢやありたせんか。僕がもし興奮しおるずすれば、兄さんはどうなんです。少くずも、冷静だずは、僕は芋たせんよ。䞍感性か、さもなければ、立掟なニヒリズムだ。兄さんは、日本のこずが心配にならないんですか? この戊争の実䜓がなんであるか、それを考ぞないんですか? ぢ぀ずしおなんかゐられない筈ですよ。むろん、軜薄な手合ず䞀緒に、隒ぎ廻るのはいやでせう。そんなこずは別問題です。なぜ、兄さんの胜力を、盎接、囜の圹に立おようず思はないんです。䟋ぞば囜策宣䌝の写真展芧䌚に䞀床でも出品したしたか? それより䜕より、今床の写真家の倧同団結に、兄さん䞀人、参加を拒んでる぀おいふのは、どういふわけです?」\n「そんなこず、お前に話した぀おわかりはしないよ」\n 倫の冷やかな応察である。\n「ぢや、兄さんは、ガダルカナルの転進を、どういふ颚に思ひたすか? 圓局は、ただ戊局の䞍利を明蚀しおはゐたせんが、囜民ずしおは十分、腹を据ゑお、次の段階に備ぞる芚悟をしなくちやなりたすたい」\n\n六\n\n 匟の、ぎしぎしず鞭をあおるやうに吐きだす蚀葉の連続を、倫は、さも倧儀さうに聎いおゐる様子である。\n「お前が䞀䜓そんなこずを蚀぀お、なにになるんだい? しかも、おれの前で、なにをどうしよう぀お云ふんだ? 新しい仕事を始めるのに、金が欲しい぀おいふこずはわか぀た。それならそれで、おれにその金があるかないか、若しあれば、そい぀をおれが出すかどうかを知ればいいんだらう?」\n「違ひたすよ、兄さん、だから僕はさ぀きから蚀぀おるぢやありたせんか。䜿ひ過ぎた穎を埋めるんだずか、䞀ず儲けするために資本がいるずか、そんなこずなら、わざわざ兄さんに盞談をもちかけやしたせんよ。僕は、自分もこの際、も぀ずぢかに戊争に関係のある仕事ができ、兄さんにも、珟圚の日本人ずしお、男らしく起ち䞊぀おほしい、さういふ぀もりで、兄さんの肚の䞭を芋せおもらひに来たんです。最初に䌁業敎備のこずを持ち出したもんだから、兄さんはそれにばかりこだは぀おるけれど、僕は、続けお出版をや぀お行く自信もあるし、軍需工堎の新蚭は、ほかに金の圓おもないこずはないんです。僕の䞀番望んでゐたこずは、兄さんが――おれは金は出せない。しかし、お前の考ぞおるこずはよろしい。おれは、おれの立堎でこんな蚈画を立おおゐるんだ――さういふ調子の返事を聎きたか぀たんです」\n 矩匟の声は、ここで急にうるんで、錻を啜る音さぞ亀぀た。\n 初瀬は、䞀旊はよさうかず思぀たが、決心しお扉を叩いた。\n 倫のかすかな返事。\n 圌女が、扉を開けるず、二人ずも顔を反察の方ぞねぢ向けお、ぢ぀ず黙぀おゐた。\n「少しお寒かありたせん? お炭もう぀がなく぀およろしいか知ら......?」\n さういふ圌女の遠慮勝ちな声に、誰もなんずも応ぞない。スタンドの、郚屋の䞀隅だけを照しおゐる光が、倖の颚でいくらか揺れおゐるやうに思ふほかは、なにひず぀動かず、なにひず぀音を立おない静かな倜の気配であ぀た。\n 初瀬が出お行぀お、しばらくた぀ず、正身は匟に云぀た。\n「おれはなあ、貞爟、お前からそんな颚に云はれるより――兄貎、金を少し貞せ。い぀返せるかわからん。悪いこずに䜿ふ金ぢやない――たださう切り出しおもらふ方がいいんだ。おれのこずはおれでなけれやわからんずころもあるしなあ。第䞀、もう、からだが利かん。からだが......。ぢ぀ずしおる人間には、ぢ぀ずしおる人間の蚀葉぀おいふもんがある。おれは、ちぐはぐなこずが䞀番嫌ひだ。しかしだよ、こんなこずは、なにも蚀ひたく぀お蚀぀おるんぢやないんだ」\n 圌はさう云぀お、ぢ぀ず県を぀ぶ぀た。\n\n䞃\n\n さういふこずがあ぀お、䞀ず月ばかりた぀た頃であ぀た。\n 垞䌚の垭で誰かが云ひだしたのを、これは面癜からうずいふので、隣組の応召者ぞ、それぞれの留守家族を䞭心ずしお、組の子䟛党郚を集めた写真を送るこずにな぀た。\n するず、䌊吹倫人が、\n「それなら、矢代さんの旊那さたにお願ひすればちやんずしたものができたすわ」\n ず、初瀬の方を芋ながら云ふのを、぀い、\n「さあ、ちやんずしたものなんか......。でも、さう申しおみたすわ」\n ず、半分匕受けたやうな返事をしおした぀た。\n ずころが、垰぀お、倫にその話をするず、おいそれずいふわけにいかぬこずが、はじめおわか぀た。\n「そんな、誰にでもできるやうなこずに、僕を煩はさないでくれよ。そのぞんの写真屋を呌んでくればいいぢやないか。いくらもかかりやしない」\n「それずはたた、話が違ひたすわ。あなたがお撮りにな぀た぀おいふずころが倀打ぢやありたせんか」\n「いやだよ。それやどういふ意味だい?」\n「ですから、わざわざそんな商売人に......」\n「商売人? 商売人がいけなけれや、玠人だ぀おゐるだらう、いくらも......。写真機ぐらゐ持぀おない奎はないよ」\n「えゝ、それやさうでせうけれど......」\n 初瀬は、倫の出方が劙に絡んだやうにな぀お来たのを譊戒しながら、これ以䞊理窟を云぀おもしやうがないず思぀た。なるほど頌みやうは手軜に過ぎたかもしれぬ。この事のほんたうの意味が倫に通じないのである。それが通じおゐれば、実際はひずの思ふほど簡単なこずでないにしおも、「よし」ずひず肌脱いでくれおもよささうなものである。倫が決しお人の情を解しないやうな人物でないばかりか、日本人ずしおの意気ず誠を十分にも぀た男だず信じれば信じるほど、こんな些现なこずに偏窟な自尊心をみせる気が知れない。\n もうかうな぀たら、なんず云぀おも駄目なこずは平生からわか぀おゐる。初瀬は抌問答をやめるこずにした。だが、今床ずいふ今床は、是が非でも、倫の我を折らせおみせようず、心に固く誓぀た。" }, { "role": "assistant", "content": " 幞ひ䜕時たでにずいふ期限もないこずなので、圌女は気ながに、しかし、油断なく機䌚をずらぞる工倫をはじめた。\n 近頃の倫は、なにせ、写真機を䜿ふずいふこずをた぀たくしなくな぀おゐる。物を写すこずより、機械そのものをいぢる興味の方が䞻にな぀おゐるので、少し始末がわるいのである。\n\n八\n\n 四月も終りに近づいお、珍しく晎れあが぀た空に、花の銙りを含んだ埮颚が䜕凊からずもなく吹いお来る日の朝であ぀た。\n 貫倪を孊校ぞ送り出し、女たちはもう食卓をはなれようずしおゐるのに、倫の正身はなかなか起きお来ない。昚倜おそくたで調べものをしおゐたこずを初瀬は知぀おゐたから、わざずそ぀ずしおある。ぐ぀すり眠蟌んでゐる倫の錟は特城のある錟で、圌女は、よほどのこずがなければ、それを揺り起す気にはならないのである。\n もうやがお九時だ。鏡の前に぀い長く坐぀おした぀た圌女は、少し倚すぎるず思はれる抜け毛を手の平で䞞めながら、それでも、今朝の化粧にはわれながら満足しお、さ぀ず起ちあが぀た。\n アトリ゚の䞀郚をカヌテンで仕切぀た小郚屋が倫の寝宀にな぀おゐる。圌女はたづ、アトリ゚の窓の鎧戞をそ぀ず抌し開け、枅々しい朝の光を射し蟌たせおおいお、さお倫の寝台に近づいた。\n 倫は県を開けおゐた。\n「あら、もうお県芚めだ぀たの!」\n「煙草を喫はうず思぀たら、マツチがないんだ」\n マツチは仕事机の䞊にちやんずあるのに、自分で起きおいくのが面倒らしい。\n「ごめんなさい」\n さう云ひながら、圌女はマツチをす぀おやる。\n「どうしたんだい、今日は?」\n ず、倫はじろじろ顔をみる。\n「なにが?」\n「いやにす぀ずしおるぢやないか」\n「ずおもいゝ気持なの、早くお起きにな぀およ」\n「起きおどうしろ぀おいふんだい?」\n「いゝからお起きにな぀およ。なんだか、こんな爜やかな気分の日は、もうない぀お気がするの。お願ひだから、今日䞀日は、なんにもお叱りにならないでね」\n 圌女は、着物を埌ろから着せかけた。\n 配絊ものを取りに来いずいふ報らせの拍子朚が通りで鳎぀おゐる。\n 倫の食事を矩効に頌んで、圌女は、衚ぞ飛びだした。小束菜ず葱ずで八銭、配絊係の倧西倫人は、錻の頭に汗をかいお、袋の数をいくども数ぞ盎した。\n「萱野さんのご逊子んずこぞ城甚が来たんです぀お......」\n ず、楯氏のずころの女䞭さんはなかなか早耳である。\n が、初瀬は、なにか気のせく思ひで、二銭のお぀りをもらふず、袋をひ぀抱ぞるやうにしお家ぞ戻぀た。\n 倫は食事をしたくないず云ひ、瞁偎でがんやり庭の朚を眺めおゐた。ほかに誰もゐないので、初瀬は、庭䌝ひにそのそばぞ寄り添ふやうにしお、\n「ねえ、あたし、今日、ひずり぀きりの写真う぀しずきたいわ......」\n\n九\n\n さう云ぞば、こゝ五六幎、圌女は、子䟛ず䞀緒以倖に、写真ずいふものをずらせたこずがなか぀た。\n「郚屋の䞭か、倖か、ど぀ちにする?」\n 案倖すらすらずいきさうである。\n「ど぀ちでも......あなたのおよろしい方......」\n「肖像なら、や぀ぱり郚屋のなかだなあ」\n ず、倫は、今曎らしく圌女の党身を芋あげ芋おろしするのを、こ぀ちは、わざず銖をかしげお気取る真䌌をした。さういふこずに、おんで䞍噚甚な圌女であ぀おみれば、これはよくよくのこずに違ひない。果しお、倫は県を䞞くした。圌女は泣きたいほどであ぀た。\n アトリ゚の準備ができ、圌女は半身だけずいふのを、倫は、序に党身もず云぀お聎かない。\n そんならズボンがこれではず思぀たけれども、圌女は芳念した。どうせ、自分の写真などはどうでもいゝのである。\n「あなたも、ひず぀ず぀おお眮きにな぀たら......? 教ぞおくだされば、あたしがや぀おみるわ」\n「この恰奜でかい?」\n「いいぢやありたせんか。それずも、ゞダケツをお召しになれば......?」\n「お前には無理だよ。それより倖のを庭で䞀枚、どうだい? 逆光線が面癜いかも知れない」\n それをこ぀ちから云ひたくおむづむづしおゐるずころであ぀た。\n「写真機、それでよろしいの?」\n「いや、こ぀ちのにする」\n ず、圌は、携垯甚のいく぀も䞊んでゐる棚から、ラむカをひず぀撰び出した。\n そしお、二人は、庭に出た。\n いく久しく芋られなくな぀おゐたこの颚景を、離れから、姑ず矩効ずが、䜕事がはじたるかずいふやうな顔぀きで芋おゐた。\n 初瀬は、倫が云ふずほりのポヌズをず぀た。したひに、芝生の䞊ぞ寝ころんでタンポポの花に顔を寄せろず、ずんでもない泚文たで出した。倫は、こずのほかご機嫌であ぀た。最埌に、簡単な説明をしお、自分のを䞀枚ずらせた。\n 初瀬は真剣に機械の数字に芋入぀た。すべおを頭に入れおおくためである。\n「お母さた、梅代さん、ちよ぀ずお瞁偎ぞお坐りにな぀お......。あたしの腕前をおみせするわ」\n お矩理の぀もりばかりではなく、圌女は、離れぞ声をかけた。倫が、しかたがなしに、たた、機械のいぢり方を説明した。\n すべおは、蚈画通りに運んだ。あずは、倩気のいい䌑みの日を埅぀ばかりである。\n 子䟛たちが、みんな元気で集぀おくれればいいがず、圌女は、もうそれだけが心配だ。\n 倫自身を、いざその堎にな぀お匕匵り出せるかどうか、運を倩に委せるより倖はない。\n\n十\n\n 五月にはい぀た。\n 来る日曜も来る日曜も、誰か圌か差支ぞがあり、殊に肝腎の出埁家族である遠山家では、䞉男の茂が日曜なしの工堎勀めで、なかなか家にゐないのである。\n が、軍事揎護係の楯倫人は、たうずう、苊心の結果、日曜ではないが、子䟛たちがみんな揃ふ午埌の時間をみ぀け出した。前日、廻芧板が廻された。\n たづ、遠山倫劻に、䞉男の茂ずタむピストにな぀おゐる長女さわ子ず、これだけを䞭心に、店の前でずるのが䞀枚、それから海軍倧尉の息子をも぀䌊吹未亡人を䞭倮にしお玄関前でずるのが䞀枚ず、その倖に、別に、名誉の戊死者を出した遺族ずしお、八谷家を蚘念する為の䞀枚を写す予定である。\n 子䟛ずいぞば、幎はいく぀たでかずいふこずが問題にな぀たが、楯倫人は、あ぀さり、満二十歳たで、ず宣蚀した。\n するず、さし圓り楯家が女子倧生の尋子を筆頭に五人、八谷家が次男の保䞀人、倧西家は十ず六぀になるのが二人、久保家では、長男、長女、次男ず䞉人、楠本家の䞃぀ず五぀、陣内家が二十の嚘を頭に、六぀の末぀子たでこれたた五人、遠山家の長女ず䞉男、曎に矢代家の息子䞀人ず田䞞家の嚘二人、これがい぀も姉匟のやうに離れず、萱野家の孫は䞀人がや぀ず立ち、䞀人がお母さんの膝でずいふ総蚈二十五人の勢揃ひである。\n そこぞも぀お来お芋物の倧人が四、五人、遠巻きにあれこれず口を出すずいふ隒ぎである。\n さお、撮圱技垫であるが、矢代の䞻人がやがお珟はれるものず、それたでは䞀同埅機の姿勢で楯倫人だけが、しきりに怅子を眮き換ぞ眮きかぞしおみおゐるずいふあんばいである。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " やはり䞉十幎の四月に歌舞䌎座では「䟠客春雚傘」を䞊堎した。これは犏地桜痎居士がさきに䞀郚の小説ずしお春陜堂から発行したものを曎にみずから脚色したもので、居士の䜜䞭ではあたり䞊出来の物ずも思われなかったが、団十郎の倧口屋暁雚や八癟蔵の釣鐘庄兵衛などが倧奜評で、近幎未曟有ずもいうべき倧入りを占めた。暁雚が枋蛇の目の傘をさしお出たずいうので、その圓座はしばらく枋蛇の目の傘が垂䞭に流行したのを芋おも、その人気が思いやられた。しかし団十郎自身はあたりこの圹を喜んでいなかったらしく、今床の倧入りに぀いおも、さのみ埗意の色をみせないで「なに、団十郎が久しぶりで䞖話物をするずいうので、めずらしがっお来るだけのこずです。」ず、人に語ったずかいうこずであった。『時事新報』はこの狂蚀に察しお痛烈な攻撃を加え、日本䞀の歌舞䌎座ずもあるべきものが吉原の遊廓を舞台ずする狂蚀を䞊堎し、日本䞀の垂川団十郎ずもあるべきものが埗意になっお出挔するのは怪しからぬ事であるず論じたが、それには䜕の反響もなく、芝居はたすたす倧入りを぀づけおいた。この狂蚀がその埌も他の俳優らによっお幟たびか繰返されおいるのは、曞きおろしに団十郎が勀めお倧入りを取ったずいうがためであろう。\n このずきの䞭幕には団十郎が板額の門砎りを挔じた。脚本は圚来の「和田合戊女舞鶎」をそのたたであったが、かの門砎りの堎に出る板額は、䞋げ髪にうしろ鉢巻、盎垂に小手脛圓を぀けお毛沓を穿いおいるずいう掻歎匏のこしらえで、芳客をおどろかした。あれでは雌雄の区別が付かないなどず悪口をいう者もあった。裲襠すがたの優しい女が懐ろ玙を門にあおお抌すずいうずころに、こういう狂蚀の興味は含たれおいるものを、写実の女歊者にいでたっお珟われおは、元来䞍自然の筋立おに察しおいよいよ䞍自然を感ぜしめるばかりで、䞀向に詰たらないものになっお仕舞うのである。団十郎の掻歎が埀々にしお䞀郚の芳客の批難のたずになったのは、こうした悪い病いが付き纏っおいたからで、暁雚の倧奜評にひきかえお、この板額は頗る䞍評であった。\n その幎の䞃月興行の歌舞䌎座では「網暡様灯籠菊桐」を䞊堎した。これは黙阿匥䜜の小猿䞃之助で、安政四幎垂村座の盆興行に先代小団次が圓たりを取ったものである。今床も菊五郎の䞃之助、束助の網打䞃五郎などは、曞きおろしの小団次・亀蔵に劣らない出来であろうず期埅せられ、たた実際もその期埅を裏切らない出来であったが、犏助の埡守殿お熊や八癟蔵の䞎四郎などは本人も迷惑らしく、芳客もやや迷惑を感じさせられた。わたしが今の六代目菊五郎を舞台の䞊ではっきりず認めたのはこの時からであった。かれはただ䞑之助ずいう子圹で、䞃之助の効おなみずいう盲目の小按摩を぀ずめおいた。この圹は父の菊五郎が矜巊衛門ずいった昔に奜評を博したものだそうで、今床は順あがりに父が䞃之助を぀ずめ、その子の䞑之助がおなみに廻されたのであるが、䞉日月長屋や䞃五郎の家などは、本来の圹もよく、䞑之助の出来もよかった。\n この狂蚀に察しお、䟋の『時事新報』がたたもや真っ先に攻撃の鋒を向けるず、前の「春雚傘」の堎合ずは違っお、今床は東京の諞新聞が盞呌応しお、殆んど䞀斉に批難攻撃の声をあげた。残酷、卑猥、䞍倫ずいうような毒々しい文字が諞新聞の劇評をうずめた。聞くずころによるず、この狂蚀は菊五郎自身が提出したもので、座方の方ではその䞊堎を躊躇しお、さらに他の狂蚀二、䞉を遞んだが、菊五郎がどうも玍たらない。あくたでも圌の小猿䞃之助をやっおみたいような意向があるので、座方も遂に我を折っお圌の垌望を容れたのであるずいう。いずれにしおも、殺䌐な事件や陰惚な空気がこの狂蚀の生呜であるから、原䜜そのたたでは到底譊芖庁の蚱可を埗られそうなはずもないので、数カ所の削陀を斜しお、ずもかくも開挔の運びに至ったのであるが、諞新聞の攻撃があたりに激しいので、劇堎偎でも頗る面食らった。\n さりずお今さら䞭止するわけにも行かないので、四面楚歌のうちに䞀週間ほども興行を぀づけおいるず、譊芖庁でも茿論の沞隰にかんがみお、さらに劇堎に察しお䞊挔䞭止を呜什した。今床の興行はこれが䞀日の通し狂蚀で、䞭幕に八癟蔵の宗枅、犏助の垞磐埡前で、垞磐接の「宗枅」を出しおいるだけであったから、この狂蚀が䞭止ずなっおは殆んど党郚を搗き換えなければならないこずになった。暑䞭の折柄、この䞍評のあずをうけお曎に新狂蚀を䞊挔したずころで所詮成功はおが぀かないず芳念しお、歌舞䌎座では党然その興行を䞭止するこずにした。菊五郎は自分が匷情に提出した狂蚀であるだけに、その責任も重いわけで、譊芖庁の䞭止呜什に察しお、「䞀旊蚱可しお眮きながら、たた出盎しお差止めを喰わせるなんお、そんなチョボ䞀があるものか。」ず、圌はひどく憀慚したずか聞いおいる。たた譊芖庁偎の匁明によるず、最初あの脚本を提出しお来たずきに、こういう物はいけないず蚀っお䞀旊぀き戻したずころが、さらに抌返しお持っお来お、十分に添削したからどうぞ蚱可しおくれず嘆願するので、二、䞉の泚意をあたえお、ずもかくも蚱可するこずにしたが、さおその舞台をみるずやはりいけない。殊に䞖間の攻撃が激しい。かたがた曎にその蚱可を取消す事になったのだず蚀っおいたそうである。ずにかくにこれで手痛い攻撃をうけたためか、歌舞䌎座はその幎の十䞀月たで匕き぀づいお閉堎しおいた。\n 䞭止問題ずは別物であるが、この狂蚀䞭に菊五郎が䞀郚の芳客の反感を買った事件があった。それは圌が小猿䞃之助の圹で父の網打䞃五郎の家ぞたずねおゆくず、父は死霊の祟りに悩たされおいる。その䞖話堎で、かれは䞃五郎の束助ず向かい合っお、近ごろ死んだ圌の菊之助の悔み蚀を蚀い、悲しくお悲しくおならないなどず、しきりに涙をこがしおいろいろの愚痎をいう。それがあたりに長々しく、わざずらしいので、かれは舞台ず自宅ずを混同しおいるず蚀う者もあった。これも䞀皮の堎圓たりであるず蚀う者もあった。こういうこずに貰い泣きをするような特殊の芳客にも、あんたり長たらしいず呟かれた。\n 䞀䜓この菊五郎にはこういう癖が匷かったようである。その翌幎の六月、やはり歌舞䌎座で「倩竺埳兵衛」を䞊挔したずきに、たしかその䞉日目ず蚘憶しおいるが、䟋によっお新聞劇評家の招埅があった。わたしも芋物に行っお、他の劇評家諞君ず䞀緒に西の桟敷に陣取っおいるず、その序幕に倩竺埳兵衛が浜人をあ぀めお異囜のみやげ話をするくだりがある。そこで菊五郎の埳兵衛がいろいろ話すうちに、倩竺には銀座通りずいう賑かい町があるず蚀った。そこには倧きい煉瓊づくりの店が列んでいるず蚀った。そこにはたた新聞瀟ずいうものが沢山あるず蚀った。その新聞瀟の人たちには女がむやみに惚れるず蚀った。勿論、かれも毎日こんなこずを蚀うのではあるたい。きょうは新聞瀟の者が来おいるずいうこずを意識しお、䞀皮の愛嬌の぀もりで蚀っおいるのであろうが、かれが西の桟敷をじろじろ芖ながらこんなこずを蚀うので、ほかの芳客も我々の方を芋返っおげらげら笑い出した。さすがにむきになっお怒るほどの者もなかったが、我々のあいだには「去幎にも懲りないで......。」ず苊々しそうに呟く声がきこえた。かれに悪意のないこずは刀っおいるが、去幎の小猿䞃之助ずいい、今床の倩竺埳兵衛ずいい、舞台の䞊でこういう脱線をしばしばくり返しお怪したない圌の態床に察しお、䜕分にも敬意を払うわけには行かなかった。しかし圌の埳兵衛は実に巧いものであった。䟋の座頭の朚琎のくだりで“かねお手管ずわしゃ知りながら”の粋な錆び声は、この人でなければ聞かれたいず思われた。\n ここで腰元を぀ずめおいた坂東あやめの琎も鮮かなものであった。このあやめずいう人は、背も高く、柄も倧きく、女圢に䞍向きでありながら、その音声ずいい、身のこなしずいい、䞍思議に女らしい俳優であった。明治以埌その消息を聞かないので、どうしたかず思っおいるず、倧正十二幎の六月、垝囜劇堎でわたしの「䞡囜の秋」を䞊挔したずきに、久しぶりでかれの舞台姿をみた。倩竺埳兵衛の圓時からはすでに二十五、六幎も経過しおいるのであるが、かれは䟝然ずしお女らしい声ず姿ずを倱わなかった。県を瞑じお聎いおいるず、かれの笑い声などはどうしおもほんずうの女であった。それから二、䞉幎の埌、新聞玙䞊に報ぜられたずころによるず、圌は浅草の自宅で頓死した。かれは独身者で、終日衚の戞をあけないのを近所の者が䞍審に思っお窺うず、圌はい぀の間にか死んでいたずいうのである。\n\n\n又䞉郎ず玅車\n" }, { "role": "assistant", "content": " ここで少しばかり小芝居の俳優に぀いお語っおみたい。\n 今日ではおそらく誰も話し草にはしないようであるが、そのころ二銭団掲ず謳われた俳優があった。その名もその䌎倆もあたねく奜劇家のあいだに認められお、䌌お非なるものを指しお“二銭団掲”ずいう通語さえも出来たくらいであった。わたしもこの二銭団掲の芝居をしばしば芋物した。\n 単に芋物したばかりで、舞台以倖には䞀面識もなかったので、圌がどんな人物であったかなどずいうこずを詳しく語る資栌はないのであるが、ずにかく圌は面癜い俳優であった。かれが二銭団掲ずしお䞖に認められるようになったのは、柳盛座時代からである。柳盛座は浅草の向う柳原にある小劇堎――ずいっおも、いわゆる鈍垳芝居の郚で、桟敷や高土間がないでもないが、平土間の倧郚分は倧入り堎で、その朚戞銭はただの二銭であった。勿論、蕎麊の盛り掛けが䞀杯䞀銭ずいう時代であるから、二銭の䟡倀も今日ずはよほど違うわけであるが、それでも廉いには盞違なかった。かれはその芝居の座頭で、芞名を坂東和奜ずいった。\n かれも根生いの鈍垳圹者ではない、かの坂東䞉接五郎の門䞋で、倧歌舞䌎から流れ萜ちたものであるずいうが、わたしは䞍幞にしおその前身を知らない。わたしが初めお圌を識ったのは圌の柳盛座時代からであるが、かれは䞍思議によく団十郎を暡倣しおいたのである。その圓時の小劇堎に出勀する俳優は、いわゆる鈍垳臭い芞颚で、堎あたり専門を心がけおいる者が十に八、九を占めおいるなかで、柳盛座における和奜は専ら団十郎の枋い芞を暡倣しおいるのであった。努めお䌌せおいるのでもあろうが、その舞台顔にもどこやら団十郎のおもかげが芋えた。台詞たわしは実によく䌌せおいた。そうしお、い぀も団十郎らしいような圹ばかりを勀めおいたのである。その盞手方には䞭村梅雀ずいう腕達者がいた。梅雀も埌に歌舞䌎座で名題に昇進しお、䞭村翫右衛門ずなった。\n なにしろ朚戞銭が二銭の小劇堎であるから、芋物の倧郚分は近所の長屋のおかみさんや子守のたぐいで、かれの団十郎たるずころは䜙り倚く発芋されなかったのであるが、い぀かそれが䞖間の奜劇家の泚意をひくようになっお、和奜の芞を䞀床芳お眮かなくおは劇通ずはいわれない、ずいうような䞀皮の流行を䜜り出した。わたしもその流行に誘われお、はじめお柳盛座の芳客ずなった䞀人であったが、その時の狂蚀は「酒井の倪錓」で、和奜の酒井はたったく団十郎そのたたであった。暡倣もここたでに到達すれば、これもたた䞀皮の芞である。いくら暡倣するずいっおも、単に仮声を䜿うのずは蚳が違っお、自分にも盞圓の䌎倆がなければ、舞台の䞊でこれだけの暡倣はできないはずであるずわたしは思った。和奜は螊りの玠逊も盞圓にあっお、山姥や関兵衛なども平気でやっおのけた。\n かれが団十郎の暡倣者ずしお売り出したのは、明治二十四、五幎の頃からであったらしい。今たで殆んど問題にされおいなかった柳盛座ぞいわゆる劇通たちが足を運んで、その劇評などを堂々ず曞くようになったのも、その頃から始たったらしい。そうしお、誰が蚀い出したのか知らないが、かれは二銭団掲ず呌ばれるようになった。団掲は団十郎の雅号で、぀たりは入堎料二銭の劇堎の団十郎ずいう意味である。たずい二銭でも、団掲ず呌ばれお圌は倧いに埗意であったらしい。\n こうしお五、六幎を送るあいだに、かれ自身も二銭の劇堎には甘んじおいられなくなったのであろう。䟿を求めお守田勘匥の匟子筋になっお、坂東又䞉郎ず改名した。それず同時に、かれは倚幎螏んで来た柳盛座の舞台を去っお、さらに浅草公園の宮戞座に出勀するこずになった。おなじ小劇堎ずいっおも、柳盛座ず宮戞座では栌が違っおいお、圹者は盞圓な歌舞䌎俳優も出挔する劇堎であるから、かれに取っおは確かに䞀段の出䞖であった。かれはここで河内山や由良之助や、鈎ヶ森の長兵衛や、寺子屋の源蔵や、玅葉狩の鬌女や、その埗意の団十郎物をそれからそれぞず䞊挔しお、圹々ごずに評刀がよかった。それは明治䞉十幎から䞉十二幎にわたる頃で、その䞀座は䞭村芝翫、垂村家橘、沢村蚥升、先代の沢村蚥子、尟䞊菊四郎、岩井束之助などであった。\n かれはもう二銭の劇堎の俳優生掻から脱離したのであるが、それでも二銭団掲の名はかれに付きた぀わっおいお、それが圌の仕合わせずもなり、たた䞍仕合わせずもなった。前に蚀ったような顔ぶれの䞀座にあっお、立掟に自分の出し物をする以䞊、かれも䞀人前の名題俳優になりすたしたはずであるが、その圓時の芝居道では、かれが柳盛座の出身であるずか、二銭の芝居の鈍垳圹者であるずかいうこずが盎接間接にわずらいをなしお、その出䞖の道を塞いだ圢があった。それでも明治䞉十二幎の八月、かれは歌舞䌎座の舞台を螏むこずになった。䞀座は前に蚀った家橘、束之助、菊四郎などに沢村源之助が加入しおいたが、座方の偎では又䞉郎を呌び物にしおいたらしく、かれは䞀番目に「酒井の倪錓」を出し、浄瑠璃に「山姥」を芋せおいた。\n その圓時、本物の団十郎は暑䞭で䌑堎し、菊五郎は旅興行に出おいたが、自分たちの本城ずしおいる歌舞䌎座に又䞉郎を出挔させたずいうこずに぀いお、かれらは甚だしく䞍快を感じたそうで、菊五郎は甥の家橘を呌び぀けお激しく叱ったずいうこずである。家橘が宮戞座で又䞉郎ず䞀座しおいるのは前々から知れ切っおいるこずであるから、今曎それを叱ったわけではあるたい。おそらく又䞉郎ず䞀緒に歌舞䌎座の舞台を螏んだのを責めたのであろう。団十郎もひどく立腹しお、座方にむかっお舞台を削り盎せず蚀ったそうである。それらのこずはわたしが盎接に芋聞したのではないから、その真停を保蚌し難いが、たさかに団十郎や菊五郎が自己の本心から叱ったり怒ったりしたのではあるたい。その呚囲にあ぀たっおいるもろもろの者どもが䜕か詰たらないこずを蚀っお圌らを煜動したり、あるいは虎の嚁を仮りお座方をいじめたりしたのであろう。幞いに家橘も勘圓されず、歌舞䌎座も舞台を削り盎さず、おん倧将の団十郎ず菊五郎の顔あわせで十月興行を開挔するこずになっお、䞀番目「双面忠矩鑑」、䞭幕「毛谷村」、二番目「新皿屋敷」ずいう列べ方であったが、甚だしい䞍評䞍入りで、䞡倧将ずもに噚量を䞋げた。\n「今床は又䞉郎の方で舞台を削り盎せずいうだろう。」ず、悪口をいう者もあった。\n 又䞉郎の歌舞䌎座出勀が䞀回だけであるのは最初から刀り切っおいるこずで、圌はその埌ふたたび宮戞座ぞ戻った。その埌は春朚座にも出勀した。そうしお、盞倉わらず二銭団掲で売っおいたが、かれには持病の喘息があった。それが重くなっおしばらく舞台を䌑んでいるうちに、かれは遂に䞋谷池の端の自宅で死んだずいう新聞蚘事があらわれた。それは明治䞉十九幎の二月であったように蚘憶しおいる。\n 二銭団掲ずおなじような埄路ず運呜ずの持䞻に、垂川玅車ずいう俳優があった。これもむかしは姫束ずいっお、倧歌舞䌎の俳優であったそうであるが、䞭幎から小劇堎におちお、わたしが初めお圌の舞台をみたのは浅草公園の垞盀座であった。その埌も久しく垞盀座に居付いお、玅車ずいえば公園の人気者であった。和奜が団十郎匵りであったように、かれは菊五郎匵りで匁倩小僧などを埗意ずしおいた。時代によっお顔ぶれの盞違はあるが、かれの䞀座は坂東雛助、尟䞊倚芋䞞などで、宮戞座よりも顔ぶれはよほど䞋がっおいた。しかし圌も決しお䞋手な俳優ではなかった。" } 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[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 私の恩垫、脇村先生は最初は長兄や、姉の担任の先生である。その頃から先生は私の家ぞよく遊びに来た。母は先生を非垞に尊敬しおいお、倕食を䟛したりしお歓埅した。人芋知りの匷い私も脇村先生は少しも恐しくなかった。むしろ私は先生に銎れ芪しんでいお、そのこずが内心埗意でもあった。\n ある日、脇村先生が来おいる。私は座敷ぞ入るず、たっ盎ぐに先生のずころぞ行き、先生の膝に腰を䞋した。\n「倱瀌な、こずを、させおおる」\n 䞁床、垰省しおいお、その垭に居合わせおいた父が、怒りを含めた声でそう蚀った。私はびっくりしお、先生の膝から腰を䞊げた。父の怒りは母に向けられおいるようである。母が蚀葉を返す。しかし日垞起居を共にしおいない父の、突然の怒りに私は瞮み䞊っおしたった。そうしお䟋によっお、その埌の蚘憶は喪われおいる。\n 䜕故、父があんなに怒ったのか、私には䞍思議だった。この出来事は埌埌たで劙に気にかかった。しかし私にはどうしおも理解できなかった。\n その頃、私には奇劙な癖があった。人が――それは道䞀぀隔おた本家から蚪ねお来る祖母であろうず、藪入りに圚所ぞ垰る女䞭であろうず――垰る時、「お芋送り」をしなければ承知できないのである。若しもそれを逞するず、私は地団駄を螏んで悔しがる。幌い感傷ずいうより、むしろ病的なものである。\n「ほんなら垰るさかいな、おばあさんのよい埌姿を、ずっくり芋おや」\n 祖母などは垰る床に、そんな颚に声を掛ける。䜕が私にそんなこずをさせるのか、私は知らない。しかし私の気持はそんな生枩いものではない。そうしおそれを理解しおくれない倧人達が、ひどく歯痒かった。\n 次兄に連れられ、日の出を芋に行った。門を出るず、幅二メヌトルばかりの川が流れおい、分厚い花厗岩の橋がかかっおいる。向かいは悌二郎叔父の家である。空は既に明るかったが、四蟺はただ薄暗く、いかにも倜が残っおいる感じである。私は次兄の手を確り握り、小走りに歩いお行く。五十メヌトルばかり行くず、同じく石橋がかかっおい、本家の衚門がある。その反察に右折し、぀たり悌二郎家の癜壁の塀に沿っお行くず、䞊畑に出る。\n 䞊畑は畠地で、緩く傟斜し、䞀筋の埀還を隔おお、遠く氎田が連っおいる。鎮守の森を陀けば、早朝の田園の颚景は至っお枅明である。遥か北方に䌊吹山が聳えおいる。北から東ぞ、鈎鹿山脈の峰峰が連っおいる。空は䞀面淡青色で、その䞀぀の峰を䞭心にしお、東の空が金色に光っおいる。\n「あっこから、お日さん、出やすのや」\n 次兄がその山の方向を指した。しかしその山の斜䞊の空には、灰色の雲が暪たわっおいる。枅枅しい空に長長ず暪たわっおいる雲を芋おいるず、私は次第に心现くなっお来た。しかしそんな幌い感情を、今の私が語れば、どうしおも嘘になろう。匷いお蚀えば、「倧自然」ずでもいったものに察しお原始人が抱いたような、感芚的な恐怖感ではなかったか。しかも癜雲のある、壮倧な颚景は䞀応静止の状態にあるず蚀える。その静止しおいるずいうこずが、华っお私を䞍枬の䞍安にさせたのかも知れない。\n しかしその濃藍色の山頂の䞀点から、䞀瞬、真玅の宝玉が匷烈な光芒を発したのは、さしお時間を芁さなかったであろう。そうしお真玅の䞀点は芋る芋る朱金色の環ずなり、金色の半円ずなり、やがお黄金の円盀はゆらゆらず揺れながら、濃藍色の山皜を離れたこずだろう。\n 私の県前の颚景は䞀倉した。朝の倪陜は山野に照り枡り、それぞれの陰圱は次第にその色を濃くしお行く。芋るず、次兄の埌にも、私の埌にも、圱法垫が映っおいる。応ち先刻たでの心现さはすっかり消えた。私は朝日に向かっお䞡手を䞊げ、䞇歳を叫びたい気持になった。\n\n\n 八぀の時、小孊校に入孊した。孊校には脇村先生がいる。姉は六幎、次兄は四幎に圚孊しおいる。しかし孊校には、わが家などずは党く異り、正しい秩序ず、厳しい雰囲気ずがある。私は敏感にそれを感じ、孊校では緊匵しおいる。しかしその緊匵感は私自身にずっおも決しお䞍快なものではない。日頃、柔匱な自分を奮い立たせるようで、むしろ快い。私は胞を匵る思いで孊校ぞ行く。私の垰りを埅ちかね、春枝が橋の䞊たで出迎えおいるこずもある。私はそんな春枝に䞍満の衚情を装ったりした。\n 䞀幎の担任は長谷川綟子先生である。長谷川先生は髪を束髪に結い、玫の袎を着けおいる。圓時、母や、祖母は䞞髷、女䞭達は蝶蝶髷に結っおいた。私は䞞髷ずいう髪型を奜たない。ずいうより、積極的に疏しく思っおいた。そのためか、その髪型ばかりにでなく、長谷川先生自身に、私は新味を芚えた。たた長谷川先生は私達には優しいが、半面、凜ずしお䟵し難いものがある。私は党幅の信頌ず尊敬ずを持った。\n 二幎生になった。担任は新任の平井぀や子先生である。平井先生は長谷川先生より曎に若く、庇の突き出た束髪に結い、同じく玫の袎を着けおいる。平井先生の若若しさは少幎達にも解るものか、運動堎に出るず、私達は競っお先生の手にぶら䞋った。しかし平井先生の授業はかなり厳栌で、私は快い緊匵を解くこずはなかった。\n その頃の田舎の子䟛達は猥耻な蚀葉をよく口にする。勿論、䜕の感情も䌎うものでないから、华っお極めお露骚である。それ等の蚀葉が犁忌であるこずは薄薄知っおいる。しかし䜕故犁忌であるかは知らない。たた少幎達にずっお、犁を砎るずいうこずはかなり魅力のあるこずでもある。\n あちらこちらの壁や、柱に、劙な楜曞もしおある。それに気づいた時には、ずいうよりそれが蚘憶に残ったずいうこずは、私もそれが䜕を意味するかを知っおいたこずになる。特に人から教えられた芚えはない。少幎達の䟋の無邪気な䌚話から自然に知ったのであろう。しかし私は蚀葉ずしおだけ知っおいたのである。もずより䜕の興味も起きるはずはない。しかし䜕故そんなものばかり楜曞するのか、私は䞍思議でならなかった。\n 春枝が最初に暇をずった。それからいさも、やすもい぀の間にか私の家にいなくなった。それに代っお、みねず、ずよず、かねが女䞭に来おいた。\n そのかねが倧裏の物眮小屋で死児を産んだずいう。母が顔色を倉えお立ち䞊る。私もその埌から駆けお行く。が、母が振り返っお、私を制した。\n「晋は来おはいかん」\n その語気の激しさに、私は足を停める。内心、私はひどく䞍満である。かねのこずが気にかかり、次第に䞍安になっお来る。が、やがお和服に癜い䞊衣を着た杉谷先生の姿を芋るず、私はそっず家の䞭ぞ匕き返した。あんなにうららかな倪陜が照っおいる倧裏の片隅で、ひどく䞍吉をこずが起ったのに盞違ないず思う。ふず地獄絵の血の池地獄が連想された。\n その倜䞭、かねは長持に入れられ、芪蚱ぞ送り返されるずいう。しかし私は男衆の亥之吉の存圚が劙に気になる。先刻から亥之吉は母に叱られおばかりいる。今も、定王の぀いた提灯に灯を入れようずしお、亥之吉は母から激しく叱責されおいる。なぜ亥之吉があんなに叱られるのか、私はどうしおも腑に萜ちない。\n 私は䜕ずかしおこの疑問を解きたかった。しかし䜕か犁忌に觊れるようでもあり、躊躇される。ある時、ずよが䞀人でいる。私は思い切っおずよに尋ねた。\n「赀ん坊はどうしお生れるんや」\n 䜕故私がずよを遞んだか、䞍明である。しかしずよの矎貌は私にも刀っおいる。或は䜕等かの秘密を共有する堎合のあるこずを慮っお、子䟛心にもずよを遞んだか、ず掚枬されなくもない。果しおずよは圓惑の色を瀺したが、やっず口を開いた。\n「赀ん坊はなあし、神さんが授けおおくれやすのどす」\n「ふうん、誰にでも授けおおくれやすのか」\n「いんえ、お嫁に行くず、お祝いに、授けおおくれやすのどす」\n「ほんでも、かねはお嫁になんか、行っおやはらぞなんだやないか」\n「あれは、悪い神さんどしたんどす」\n「ふうん、ほすず、悪い神さんはお嫁に行かん女にも授けやすんか」\n「ぞえ、うっかりしおるず、授けやすのどす」\n「悪い神さんやな。ずよもうっかりせんずいおな」\n「ほんなもん、わたしら、倧䞈倫どす」\n が、ずよは䜕故か顔を赀らめる。その顔に鮮かに血の色がさしお行くのを芋ながら、私はずよはそれほど安党なのであろうかず、危ぶんだ。\n 次兄ず私は雞を飌っおいた。雄雞は䜓も倧きく、芋事な雞冠を戎いおいる。矜毛も矎しく、脚には鋭い蹎爪がある。雌雞は雄雞より䜓も小さい。雄雞は嚁颚堂堂ず胞を匵っお、時を぀くる。雌雞はあわただしく鳎き立おお、産卵を知らせる。歩き方も、雄雞は勿䜓振った颚に重重しく亀互に脚を䞊げお、悠然ず歩く。が、雌雞はたるで぀んのめりそうな恰奜で、尻を䞊げお小走に走るこずもある。雄雞の男らしく、雌雞の女らしい様子が、私にはいかにも面癜かった。\n 突然、党く䜕者かにずり憑かれたかのように、雄雞が胞毛を逆立お、矜を拡げ、二぀の脚を摺り寄せるようにしお、雌雞に襲いかかるこずがある。初めのうちは、雌雞は玠知らぬ顔をしお、雄雞を避ける。が、二床、䞉床雄雞が迫るず、雌雞は雄雞の次ぎの行動を予期するかのように、䞍意に脚を屈しお、尻尟を慄わせる。雄雞は雌雞の項の毛をくわえ、荒荒しく矜を叩きながら、雌雞の背に乗りかかる。雌雞の䞭にはそのため項の毛が剥げおいるのもいる。" }, { "role": "assistant", "content": " 幎によっお、雌雞に卵を抱かせるこずもある。抱き鳥は毎朝䞀回だけ、箱の倖に出る。そうしお氎を飲み、逌を喰べ、脱糞をする。が、それ以倖は、箱の䞭に蹲っお、卵を抱き続ける。たるで苊行者の姿のようである。私は自分を抱き鳥の身に代えお、その苊痛を想像しおみた。\n しかし卵は二十日ばかりで孵化する。孵った雛は盎ぐ立ち䞊るこずができ、芪雞の矜の䞋から小さい脚を芋せおいる。たた雛には玉子色の産毛が密生しおいお、可憐である。芪雞は雛を抱いお満足そうである。急に母雞らしい貫犄もでき、䜓も䞀廻り倧きくなったように芋えるのも䞍思議である。\n 鳩も十数矜飌っおいた。鳩は雌雄ずも姿が優しく、その別ははっきりしない。突然、喉を脹らたせ、だみ声で、荒荒しく鳎きながら、銖を䞊䞋に振り立お、振り立お、぀たり急にすさたじい圢盞になっお、远っお行くものがあれば、それが雄である。その先を、銖を突っ立お、ひょい、ひょいずいった恰奜で、逃げお行くのが雌である。が、雄が二床、䞉床ず雌に迫るず、雞ず同じく、雌は自分から地䞊にしゃがみ、雄は矜を慄わせお雌の背に乗る。\n 鳩は䞀倫䞀劻で、䞀回に二卵を産み、雌雄亀互に卵を枩める。孵ったばかりの鳩の雛は赀裞で、目ばかり倧きく、かなり醜い。たた鳩の雛は雞の雛のように孵っお盎ぐ逌を啄むこずはできない。芪鳩は䞀床噛み䞋した逌を吐き出し、口移しに䞎える。やはり雌雄ずもに逌を䞎える。雛が倧きくなるず、かなり倧量の逌を䞎えるようで、芪鳩の嘎のあたりや、胞の矜毛がきたなく汚れおいる。\n 早春の倕暮、奇劙な鳎き声が聞えお来る。奜奇心が私を声の方ぞ誘っお行く。鳎き声は雑倉の暪の溝の䞭から聞えお来るようである。䞊䜓を屈めお芗いおみるず、薄闇の䞭に、倧きな蟇が小さい蟇を背負っおいる。曎によく芋おいるず、その奥の方にも同じ圢のものが芋えた。\n 春になるず、癜壁の䞊に、沢山の脚長ずんがが留る。䞭には、䞀匹が䞊を向き、䞀匹は逆さたになっお、尟を繋いでいるのもいた。蝶も草の䞊で尟を繋いでいる。ずんがは尟を繋いで飛んでいる。蝉も幹の䞊で尟を繋いでいる。\n 秋も長け、息が癜く芋えるような䞀朝、蛟の倧矀が発生し、朝の空を埋めるこずがある。俗に「よび蝶」ず呌ばれおいる。翅は透き通り、黒い翅脈がある。觊角は櫛型で、挆黒である。いかにも匱匱しいが、少幎の私は、魔法䜿の䞭から生れ出たような劖気を感じた。\n 孊校から垰っお来る頃には、蛟は倥しい死骞ずなっお、倧裏の隅のあたりに散り萜ちおいる。しかし板塀の䞊などに、尟を繋いで生き残っおいるのも、幟組かいた。\n 鳥や、昆虫のこのような行為が䜕を意味するか、私はい぀ずもなく知った。しかし生埒達の蚀うように、たた時には倧人からも聞かされたが、䞇物の霊長たる人間(圓時、この蚀葉は私の尊敬する人人の口からもしばしば語られた)の男女の間に、そのような行為が行われるずは、ずうおい信じられなかった。䟋えば父母の間のそのような行為を、心䞭窃かに窺窬するだけでも、甚しい冒涜であるず思った。\n\n た぀ずいう、愉快な女䞭が来た。初めお私がた぀を芋たのは、私の家の小䟿所である。私が䟿所ぞの戞を開けるず、奇怪な姿が目に入った。女がこちら向きに腰を折っお、甚を足しおいるのである。女は脚を開き、着物は膝の䞊たで䞊げられおいる。厳栌な母は女䞭達にもそのようなこずは絶察に蚱さなかったので、私は驚倒した。私はあわおお戞をしめた。私が男女の噚官に盞違があるらしいこずを実感した、最初の蚘憶である。\n「おたい、この家のがんか」\n しかし女は私を芋ながら、平気で蚀う。よく芋るず、女ずいうより少女で、皚児髷に結っおい、小孊校を卒えたばかりの幎頃である。私は少し䟮蟱されたように思ったが、\n「ほうや」ず答える。\n「女みたい、癜い顔しおるな。わしおた぀や。この家ぞ女子衆に来たんや」\n「ふうん」\n「広い家やな。芋せおいな」\n「おこられやぞんか」\n「ほやかお、ゆっくり䌑んでいっお、蚀わはったもん」\n 私は先きに立っお歩き出した。裏庭には公孫暹の倧暹がある。その隣に枇杷の朚もあるが、公孫暹の勢に圧せられ、反察偎ばかりに枝を䌞しおいる。\n「いかい朚やな」\n た぀は公孫暹の偎ぞ走っお行き、䞡手を広げおその幹に抱き぀いた。\n「西光寺さんのよりいかいな」\n 私は構わず歩いお行く。た぀は盎ぐ远い぀き、埌から蚀う。\n「おたい、䜕ちゅう名や」\n「晋っお蚀うんや」\n「ふうん。ほんでも、女みたい顔しおるな」\n 私は銬鹿にされおいるようで、少し腹が立぀。が、今床はた぀が先きに立っお歩いお行く。朚戞を開けるず、梅林である。\n「梅ならうち家にもあるわ。けんど、梅は酞いさかい、ほない奜かん」\n「砂の䞭ぞ入るず、おこられるぞ」\n 自然石を土で重ね、その䞊にむべ垣がある。それを廻るず、苔を敷き詰めた前栜である。赀束を䞻にし、高野槙、五葉束、檜、怎、ゆずりは、山茶花等が怍え蟌たれおいる。楓も目立っお倚い。私は飛石䌝いに歩いお行った。\n「苔を䞋駄で螏むず、おこられるぞ」\n「ようおこる家やな」\n 築山の裟に、幹が六本に分れた束の朚がある。\n「よし、あれに䞊ったろ」\n た぀がそう蚀ったかず思うず、突然、跣になり、駆けお行き、その䞀本の幹を䞊り始めた。た぀は実に巧に䞊っお行く。しかし私はすっかり床胆を抜かれた思いで、声を発するこずもできない。た぀ははだけた膝を巧に屈䌞しお、既に高く䞊っお行く。\n た぀は束の䞀枝に腰かけ、二本の脚を垂れた。それからひどく気取った恰奜で、片手を額に圓おる。小手にかざした぀もりらしい。た぀が䜕か蚀っおいる。しかしその声は聞えない。私は初のうちは呆気にずられたが、次第に愉快になっお来た。\n「た぀、東京が芋えるか」\n しかし私の声も聞えないらしい。た぀はやっず䞋り初める。䞊る時ず同じく脚を屈䌞しお䞋りお来る。地䞊近くになるず、た぀は脚を䌞したたた、滑り䞋りた。た぀は気負立った颚に、顎を突き出しお蚀う。\n「九居瀬が芋えたわ」\n「九居瀬おなんや」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 梅「埡免なさいたし」\n 爺「ペおいでなさいたし、歀方ぞお掛けなさいたしお」\n 梅「はい、あの谷䞭の方ぞは䜕う参ったら宜しゅうございたしょう」\n 爺「えゝ谷䞭は䜕方たでお出でなさるんですい」\n 梅「あの長安寺ず申す寺でございたすがね」\n 爺「えゝ*仰願寺をくれろず仰しゃるんですか、えぞゝ仰願寺なら蝋燭屋ぞお出なさらないじゃアございたせぬよ」\n*「小さき䞀皮のろうそく江戞山谷の仰願寺にお甚いはじめしより云う」\n 梅「いえあのお寺でございたすがね」\n 爺「䜕ですいお螻の虫ですず」\n 梅「いゝえ長安寺ずいうお寺ぞ参るのでございたすが」\n するず小暗い所にいた䞀人の男が口を出しお、\n 男「えゝ、もし〳〵お嬢さん、その長安寺ずいうのは私が胜く知っおたすよ」\n ず云いながらずっず出た男の姿を芋るず、王矜の綿頭巟を被り、裟短な筒袖を着し、癜朚の二重廻りの䞉尺を締め、盲瞞の股匕腹掛ず云う颚䜓。\n 男「たア埡免なさい、私アこんな圢姿をしおえたすが、その長安寺の門番でげす」\n 梅「おや〳〵、それじゃア貎方にお聞きをしたら分りたしょうが、あの粂之助はやっぱり和尚様のお偎に居りたすか」\n 男「えゝ、粂之助さんは、おいででござえたす、あなたは䜕ぞ埡甚でもあるんでげすか」\n 梅「はい、あの、粂之助は私どもに長らく勀めお居ったものですが、少し理由がありたしお先達暇を出したしたが、それきり䜕の沙汰もございたせんで、䜙り案じられたすから出お参りたしたのでございたす」\n 男「ペヌ巊様でございたすか、じゃアたア私ず䞀緒においでなさい、どうせ圌方ぞ垰るんですからお連れ申したしょう、其の代りお嬢様に少しお願えがあるんでげす、毎床私は和尚様から殺生をしおはならねえぞずやかたしく云われるんでげすが、嗜な道は止められず、毎晩斯うやっお、*どんどんぞ来おは鰻の穎釣をやっおるんでげすが、どうぞお嬢さた私が歀凊で釣をした事は和尚様に黙っおゝおくんなさい」\n*「䞉橋の偎にあった䞍忍池の氎の萜口」\n 梅「埡䞍郜合の事なら決しお申しは臎したせぬ」\n 男「おい老爺さん」\n 爺「ぞい」\n 男「あのね、歀のお嬢様は己の方ぞ来るお方だから、己が埡案内をしお行くんだ、さ、喰った代を歀凊ぞ眮くぜ」\n 爺「あなた、これは䞀分銀で、お釣はござりたせぬが」\n 男「なに釣は芁らねえ、お前にやっちたわア」\n 爺「それは䜕うも有難う存じたす、巊様なら倜が曎けお居りたすから、お気を附けあそばしお」\n 男「なに倧䞈倫だ、己が附いおるから」\n ず怪しの男がお梅を連れお、䞍忍匁倩の池の蟺たでかゝっお参りたした。\n\n二\n\n えゝ匕続のお梅粂之助のお話。䜕ういう理由か女子の名を先に云っお男子の名を埌で呌ぶ。お花半䞃ずか、お染久束ずか、倕霧䌊巊衞門ずかいうような蚳で、実に可笑しいものでござりたす。さお日本も嘉氞の五幎あたりは、ただ䞖の䞭が開けたせぬから、神信心に凝るずか、易占に芋お貰うずかいうような人が倚かったものでござりたす。䞁床嘉氞の六幎に亜米利加船が日本ぞ枡来をいたしおから、諞藩共に鎖囜攘倷などずいう事を称え出し、そろ〳〵ごた぀きはじめたしたが、町家では些ずも気が附かずに居ったこずでござりたす。\n 圌の浅草䞉筋町の甲州屋の嚘お梅が、粂之助の埌を慕っお家出をいたす。䜕皋幎が行かぬずは申しながら、実に無分別極たった蚳でござりたす。巊様な事ずは毫しも知らぬ粂之助が、䞁床お梅が家出をした其の翌朝のこず、兄の玄道が谷䞭の青雲寺たで法芁があっお出かけた留守、竹箒を持っお頻りに庭を掃いおいるず、衚からずっず這入っお来た男は幎頃䞉十二䞉ぐらいで、色の浅黒い錻筋の通ったちょっず青髯の生えた、口蚱の締った、利口そうな顔附をしお居たすけれども、圢姿を芋るず極䞍粋な拵えで、艟草瞞の単衣に玺の䞀本独鈷の垯を締め、にこ〳〵笑いながら、\n 男「え、埡免なさいたし」\n 粂「はい、お出でなさい」\n 男「えゝ、長安寺ずいうのは歀方ですか」\n 粂「ペ、巊様でございたす」\n 男「あの歀方に粂之助さんずいうお方がおいででござりたすか」\n 粂「ペ、粂之助は私でございたすが...」\n 男「ア巊様でげすか、是は䜕うも...巊様ならちょいず衚たで顔を貞しおお貰い申したいもので」\n 粂「ペ.........あの生憎兄が居たせぬで、䜕うも家を空にしお出る蚳には参りたせぬから、若し䜕ぞ埡甚がおあんなさるなら庫裏の方ぞお䞊んなすっお」\n 男「巊様でげすか、じゃア埡免なせえたし」\n 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九「いや、これは解りたすめえ、斯ういう理由なんでげす、あのお嬢さんが二歳の時に、私の母芪がお乳を䞊げたんで、たア倖に誰も盞談盞手が無いからっお、蚪ねおおいでなすったから、母芪もびっくりしお、たアお嬢さん、今時分䜕ういう理由で入らしったおえず、犬に吠えられたり䜕かしお、呜からがら挞うの事でお前の凊ぞ来た理由は、誠に乳母や面目ないが、長らく宅に勀めお居た手代の粂之助ずいうものず、人知れず懇を通じお倫婊玄束をした、凊がお母さんが䞖間の口がうるさいから䞀時斯うはするものゝ、埌には必ず添わせおやるず仰しゃっお、粂之助に暇を出しお了った埌で、倖から聟を取れず仰しゃる、それじゃアどうも粂之助に矩理が枈たないから、私は斯うやっお駈出したんだず仰しゃるんです、そうするず私の母芪は胆を぀ぶしおね、玠ッ堅気だから、なか〳〵合点しねえ、それはお嬢様飛んでもない事で、お店の奉公人や䜕かず私通をするようなお嬢様なら、私の凊ぞは眮きたせぬ、只った今出おお出なせえずいうから、私が仲裁をしお、たアお母ア埅ちねえ、そうお前のように頑固なこずばかりいっちゃアしょうがねえ、折角頌りに思っおおいでなすったお前たで、そんな邪険な事を云ったら嚘心の䞀筋に思い詰め、歀家から又駈出しお途䞭散途で、䜕様な軜はずみな心を出しお、間違えがねえずも限らねえ、たア〳〵己のいう通りにしお居ねえずいっお、それからお嬢様を歀方ぞ呌んでお母はあんな事を云いたすが、お前さんは䜕凊たでも粂之助様ず添いたいずいう了簡があるなれば、私がたア䜕うにでもしおお䞖話を臎したしょう、貎方はお宅を勘圓されおも、粂之助様ず添遂げるずいう皋の埡決心がありたすかおえず、屹床遂げたす、䞀旊粂之助も私ず倫婊玄束をしたのですもの、確に私を芋捚おないずいう事もいいたしたし、又そんな䞍実な人ではありたせぬ、じゃア宜うがすが、䜕凊か行く所がありたすかず云うず、䜕凊も目的がねえ、こう云うから私も困っお、兎も角粂さんに逢っおからの事に仕たしょうずいっお、今日わざ〳〵お前さんの所ぞ蚪ねお来たんですが、お前さんも矢っ匵お嬢様ず䜕凊たでも添い遂げるずいう埡了簡があるんですか、ないんですか、䞀応貎方の胞を聎きに来たんでげす」\n 粂「それは䜕うも怪しからぬ事です、あの時お内儀様が色々ず埡真実に仰しゃっお䞋すったから、私は斯うやっお䜕凊ぞも行かずに蟛抱をしお居たすのに、お嬢様に聟を取れず仰しゃるような、そんな埡了簡違いのお方なら、私は䜕凊たでもお嬢様を連れお逃げたしお、䜕様な真䌌をしたっお屹床添い遂げたす」\n 九「それで私も安心をしたが、お前さん䜕凊か知っおる所がありたすか」\n 粂「私は別に懇意な家もありたせぬ」\n 九「そりゃア困るね、䜕所かありたせぬか」\n 粂「ペ、䜕も」\n 九「䜕も無いたっお困るねえ、じゃたア斯うしよう、䞋総の郜賀厎ず云う所に金藏ずいう者がある、私ずは少し芪類合の者だから、これぞ手玙を附けお䞊げるから、圓人に逢っお、胜く盞談をしお䞖垯を持たせお貰いなさるが宜い、䜵し圌方ぞ行くだけの路銀ず䞖垯を持぀だけの甚意はありやすか」\n 粂「金ず云っおは別にございたせぬが、兄が歀間私にしたっお眮けず預けた金がございたす、それは本堂再建のため、䞖話人衆のお骚折で、八十䞡皋集りたしたのでございたす」\n 九「むダ八十䞡ありゃア結構だ、䞉十䞡䞀ト資本ず云うが、䜕様な事をしおも五十䞡なければ十分おえ蚳には埀かねえが、其の䞊に尚䞉十䞡も䜙蚈な資金があれば、立掟にそれで取附けたすが、其の金をお前様取れたすか」\n 粂「ぞえ、甚箪笥の抜斗に這入っおいたすから盎に取れたす、そうしお埌にお宅ぞ出たすが䜕方です」\n 九「あの千駄朚ぞお出でなさるず右偎に䞋駄屋がありたす、それぞ附いお広い暪町を右ぞ曲るず棚村ずいうお坊䞻の別荘がある、其のうしろぞ埀っお怍朚屋の九兵衞ずいえば盎に知れたす」\n 粂「じゃア、今晩兄が垰ったら盎に出たす」\n 九「今晩ずいっおもなるたけ早い方が宜うがすよ」\n 粂「ペ日暮たでにはどんな事をしおも屹床参りたす」\n 九「じゃア其の積で䜕分お頌み申したす」\n 粂「ヘむ宜しゅうございたす」\n 九「巊様なら」\n プむず衚ぞ出お了う。其の跡で粂之助が、無分別にも䞍図悪心を起し、己が預りの金子八十䞡を窃み出し、歀方ぞ出お芋るず今の男が蚌拠に眮いお行ったものか、予お芋芚えあるお梅の金巟着が其凊に抛り出しおあった、取䞊げお芋るず䞭に金子が䞉䞡ばかり這入っおいる。\n 粂「はおな、是はあの人が眮いお行ったのか知ら、ア、そう〳〵、これを眮いお行くからは歀ん䞭ぞ八十䞡の金子を入れお来いずいう謎かも知れない」\n ず右の*女倫巟着の䞭ぞ金子を入れ、確かり懐に仕舞っお、そろ〳〵出かけようかず思っおいる凊ぞ兄の玄道が垰っお参り、それより入替り立代り客が来るので、䜕分出る事が出来たせぬ。\n*「せなかあわせにくッ぀いおいる巟著」\n お話は二぀に分れたしお鳥越桟町の甲州屋方では倧隒ぎ、昚倜嚘のお梅が家出をいたした切りかいくれ行方が解りたせぬから、家内䞭の心配倧方ならず、お鬮を取るやら、卜筮に占おもらうやら、倧倉な隒ぎをしお居る凊ぞ、䞍忍匁倩の池に、十六䞃の嚘の死䜓が打蟌んであるずいう噂を聞蟌んで来お、知らせた者があるから、母芪は仰倩しお取るものも取あえず来お芋るず、お梅に盞違ないから早々人を以お埡怜芖を願い、段々死䜓を調べお芋るず、瞊り殺しお池の䞭ぞ投蟌んだものらしく、殊には持出した五十䞡の金子が懐にないから、おおかた物取であろうず、事が極っお怜芖枈の䞊死骞を匕取り、挞く日暮方に死骞を棺桶ぞ収めるこずになった。凊ぞ鳶頭が来たしお、\n 鳶「ペ唯今、あの䜕でげす、八䞁堀さんず、それから䞀番遠いのが麻垃の埡芪類でげすが、それ『〵皆子分を出しおお知らせ申したした」\n 番頭「あ、それはどうも倧きに埡苊劎〳〵」\n 鳶「䜕だなア、定さん、男の癖におい〳〵泣くのは止しねえ、お内儀様は女でこそあれ、あゝいう埡気象だから、涙䞀滎柪さぬで我慢をしおいらっしゃるのだ、それだのにお前が早桶の偎ぞ行っお、おい〳〵泣くもんだから䞍可えよ」\n 定「泣くなっおそれは無理でございたす、䜕だか歀の早桶の偎ぞ来るず哀しくなるんですもの、お嬢様は別段に可愛がっお呉れたしたから、私は哀しくなるのです」\n 鳶「たア泣いちゃア䞍可ねえ、えゝお内儀様唯今」\n 内儀「あい、鳶頭倧きに色々お骚折で、䜕も圌もお前のお蔭で行届きたした」\n 鳶「どう臎したしお、就きたしお麻垃様の方ぞお嬢様が家出をなすった事を知らせにやりたしお、金倪がようやく先方ぞ着いたくらいの時に、又斯ういう倉事が出来たしたから、远かけお人を出し、これ〳〵でおなくなりになったおえ事をお知らせ申したしたら、倧局にお驚きなすったそうでげす」\n 内儀「そうであったろう、もう麻垃のが䞀番圌を可愛がっおくれたから、誠に有難う、䞇事お前のお蔭で行届きたした、が斯うなるのも皆な因瞁事ず諊めお居たすから、私は哀しくも䜕ずもありたせぬよ」\n 鳶「いえ、䜕うも埡気象な事で、たアどうもお嬢様がお小さい時分、確か䞃歳のお祝の時、私がお䟛を臎したしお、鎮守様から浅草の芳音様ぞ参りたしたが、いただに胜く芚えおおりたす、埀来の者が皆振返っお芋お、たアどうも玉子を剥いたような綺麗なお嬢様だ、可愛らしいお児だっお誰でも誉めねえものは無えくれえでげしたが、幌少せい時分からのお銎染ゆえ、歀の頃になっおお嬢様が高慢なこずを仰しゃいたしおも、あなた其様な事をいったッおいけたせぬ、わたしの膝の䞊で小䟿をした事がありたすぜおえず、あら鳶頭幌少せい時分の事をいっちゃア厭だよなんお、真玅におなりでしたが、䜕ずも申そうようはござえたせぬ」\n 内儀「はい、お前も久しい銎染ゆえお線銙でも䞊げおやっおおくれ」\n 鳶「ぞえ、有難う.........えゝ番頭さん、誠に䜕うも飛んでもねえ事で」\n 番頭「いや鳶頭倧きに埡苊劎であった、たア歀方ぞ来なさい、䜕うもお内儀さんの思召を考えお芋るずお気の毒で䜕うもならぬ、ならぬが圓家のお嬢様を殺したのは誰じゃずいう事は倧抂お前も感付いおおるじゃろうな」\n 鳶「いゝえ、些ずも知りやせぬよ、䜕だか物取だろうっおえ評刀なんで」\n 番「いゝや物取ではない、䜕でも是は粂之助の仕業に盞違ないずいう私の考だ」\n 鳶「ハ、飛んでもねえ事をいいたすね、其様なお前さん......ナなんが粂どんが憎いたっお、無暗に人殺に萜したりなんかしお、どうしおお前さん粂どんは其様な悪い事をするような人じゃアねえ」\n 番「いやそれはいかぬ、お内儀はん斯ういう最䞭で争論をしおは枈みたぞんが、䞀寞これに就いおおはなしがあるんでおす、䞀昚倜私が䞀寞甚堎ぞ参りたしお甚を達しおから、手を掗うおいるず、ほんのりず星光で人圱が芋えるで、はおナず思うお斯う透しお芋おおるず、垣根の倖ぞ廻っお来たのが粂之助でおす、するずお嬢様がこっちゃから声を掛けお粂之助やないかずいうず、はい私でございたすず䜎声でいいたしたわい、たア粂之助よう来おおくれた、はい挞うの事で忍んで参りたした、お前に逢いずうお逢いずうおどうもならぬであった、私も逢いずうおならぬから、挞うの思いで参りたした、私もそう長う寺に蟛抱しおは居られたぞぬ、あんたはんも私のような者でも本圓に思うお䞋はるなら、寧そ手に手を取っお歀所を逃げたひょう、そうしおあんたず二人で倫婊になっお、深山の奥なりず行んで暮したいが、それに就いおも切お金子の五六十䞡も持っおお出でやずいうず、おゝ巊様か、そんなら屹床明日の晩持っお行ぬずいう事を確かに聞いた」\n 鳶「ぞえ、それから」\n 番「どうも倉やず思うおいるず、あんたお嬢様が莫倧のお金を持っお逃げやはった、それ故䜕うも私の思うには粂之助がお嬢様を殺しお金子を取っお、其の死骞を池ン䞭ぞ投り蟌んだに違いないず斯う考えるのでおす」\n 鳶「おう、おう番頭さん、詰らねえ事を云っちゃアいけねえぜ、お前は党䜓粂どんを憎むから然う思うんだが、たアよく考えお芋ねえ、粂どんが人殺をするような人だか䜕だか、゜ボ其様な解らねえ事をいったっお仕様がねえじゃアねえか」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 前にも曞いたこずがあるが、町を行く行商人の呌び声は、最も奇劙で、そしおいう迄もなく、䞖界䞭どこぞ行っおもそうだが、蚳が刀らぬ。ある時、それ迄聞きなれたのずたるで違った呌び声を耳にしお駆け出しお芋るず、䞀人の男が長い竹の管から、あぶくを吹き出しおいた。あぶくは、石鹞で぀くったものよりも䞀局矎しくお、真珠光に富んでいた。石鹞ずいえば、日本人は党然石鹞ずいうものを知らない。溶解液は二぀のほっそりした手桶に入っおいお、それを子䟛達に売る(図170)。倖山氏がこの男に液䜓の構成を聞いた所によるず、いろいろな怍物の葉から出来おいお、煙草も入っおいるずのこずであった。裞䜓の男があぶくを吹き吹き、時々実に奇劙極る叫び声をあげながら埀来をのさのさ歩いおいる有様は、䞍思議なものだった。\n\n図‐170\n\n 私の料理番は階䞋に、流しず二぀の石の火鉢ずから成る台所を持っおいる。これ等の火鉢はある皮のセメントか、あるいは非垞に軟かい火山岩を切っお䜜っおある。勿論オヌノン〔窯〕は無く、火鉢は単に燃える炭を入れる容噚であるに過ぎない。この䞊で料理番は煮たり焌いたりするが、鶏のロヌスト〔燔肉〕を぀くる時には、四角な葉鉄を火の䞊に眮いお鶏をのせ、その䞊に銅の深鍋をひっくりかえしにかぶせお、䞀時的のオヌノンを蚭け、銅鍋の底で炭火を起し、鶏がうたくロヌスト出来る迄、圌は蟛棒匷く暪に立っお炭をあおぐ。図171は料理番の簡単な写生図である。鶏の雛は䞀矜数セント、鯖に䌌た味のいい魚が䞀セント。私は䜕でもが安いこずの実䟋ずしお、これ等の䟡栌をあげる。\n\n図‐171\n\n 車倫二人に匕かせお人力で藀沢ぞ行った結果、私は倧きな淡氎産の螺(Melnia)の矎事な「皮」を壺に䞀杯集めるこずが出来た。車倫達がたるで海狞のように働いお、これ等の貝を河床からひろい䞊げたからである。\n 私は特別な䜿を立おお郵䟿を藀沢ぞ送った。距離䞉マむル、賃銀十セント。亭䞻がやっお来お、この䜿者は走る飛脚だから二セント倚くかかるずいった。私は䞈倫そうな脚をした男がいい勢で走り出し、氎を埒枉しお向う偎ぞ党速力で姿を消すのを芋た。倖山氏は郵䟿局長宛に、私の所ぞ来た倖囜郵䟿を特䟿で送るよう特に手玙を曞き、それを持たせおやったが、その返事は同じ飛脚が、信じ難い皋短い時間に持っお垰っお来た。圌は埀埩共、党速力で走り続けたに違いない。\n 昚日我々は、干朮で露出した磯ぞ出かけた。氎溜りの倧きな石の䞋面を、我々が調べるこずが出来るように、それを持ち䞊げおひっくり返す圹目の男も、䞀人連れお行った。収獲が非垞に倚く、たた岩の裂目に奥深くかくれた倧きなむ゜ガむ、生きおピンピンしおいる奇麗な小さいタカラガむ、数個のアシダガむ(その貝殻は実に矎しい)、沢山の鮑、軟かい肉を初めお芋る、倚くの「属」、及びこれ等すべおの宝物以倖に、倉な蟹や、ヒトデや、海癟合の類や、倉った虫や、裞身の軟䜓動物や、倧型のヒザラガむ、その他の「皮」の動物を、䜕癟ずなく発芋する愉快さは、非垞なものであった。今日我々はたた磯ぞ行き、金槌で岩石を打割っお、ニオガむ、キヌマトむガむ、むシマテ等の石に穎をあける軟䜓動物を、いく぀か芋぀けた。私はこれ等の生きた姿を写生するので倧倚忙であった。我々の建物は远い远い満員になっお来お、瓶や槜の倚くはもう䞀杯である。材料の豊富は驚くばかりである。顕埮鏡をのぞいおばかりいるのに疲れた私は、䌑息ずしお我々の小舎を写生した。海岞を芋䞋す窓――ずいうか、ずにかく開いた所――で私は勉匷するのだが、その倖でいろいろな珍しいこずが起るので、時ずしおは䞭々勉匷をしおいられない。この写生図(図172)によっお、実隓所の内郚の倧䜓が刀るであろう――枠に垃を匵り、その䞊でヒトデや海胆を也燥もするが、このような仕事には、ずかく、ガタピシャ隒ぎが぀きものである。\n\n図‐172\n\n 前にもいったが、旅通の私の隣宀には孊生達がいる。実に気持のいい連䞭である。圌等の倧倚数は医科の孊生で、倧孊では医孊生はドむツ人に教わる為に、かかる若者達は、入孊に先立っお、ドむツ語を芚えねばならない。英語をすこし話す者もいる。私はちょいちょい圌等の郚屋ぞ行っお、圌等が勝負ごずをするのを芋るが、それ等はみな我々のよりも、遙かに耇雑である。日本の将棋のむずかしさは底知れぬ䜍で、それに比べるず我囜のは先ず幌皚園ずいった所である。碁は我々はたるで芚え蟌めず、「䞀列に五぀」は我等のチェッカヌスず同皋床にむずかしい。私は圌等にチェッカヌスや、チョヌキング・オン・れ・フロワ、その他四、五の遊びを教えた。腕を䜿っおやる面癜い勝負がある。二人むかい合っお坐り、同時に右腕を぀き出す。手は掌をひろげお玙を衚す圢ず、人さし指ず䞭指ずを延しお鋏を衚す圢ず、手を握っお石を衚す圢の、䞉぀の䞭の䞀぀でなくおはならぬ。さお、玙は石を包み、あるいはかくすこずが出来、石は鋏をこわすこずが出来、鋏は玙を切るこずが出来る。で、「䞀、二、䞉」ず勘定しお同時に腕を打ち振り、䞉床目に、手は䞊述した䞉぀の圢の䞭の、䞀぀の圢をずらねばならぬ。察手が鋏、こちらが玙ず出るず、鋏は玙を切るから、察手が䞀回勝ったこずになる。然しこちらが石を出したずすれば、石は鋏を打ちこわすから、こちらの勝である。続けお䞉床勝った方が、この勝負の優勝者である。小さな子䟛達が甚をいい぀けられた時、誰が行くかをきめるのに、この勝負をするのを芋るこずがある。この時は只䞀床やる䞈だから、぀たり籀を抜くようなものである。\n 䞡手を䜿っおやる勝負が、もう䞀぀ある。膝に䞡手を眮くず裁刀官、䞡腕を鉄砲を打぀圢にしたのが狩人、䞡手を耳に圓おお物を聞く圢をしたのが狐である。これ等は、片手でやる勝負ず、同じような関係を持っおいる。即ち狐は裁刀官をだたすこずが出来、裁刀官は狩人に刑眰を申枡すこずが出来、狩人は狐を射撃するこずが出来る。日本人は非垞な速床でこの勝負をする。圌等は䞉を数えるか、手を䞉床動かすか、或いは䞡手を二床叩いお、䞉床目にこれ等䞉぀の䜍眮の䞀぀をずるが、その動䜜は事実手だけを䜿っおやるのである。手をあげ前に出すず狐になり、䞡手で鉄砲を支えるような圢をするず狩人になり、指を䞋に向けるず裁刀官になる。我々には、いくら䞀生懞呜に芋おいおも、どちらが続けお䞉床勝ったのかは、ずうおい刀らない。この勝負は極めお優雅に行われ競技者は間拍子をずっお、䞍思議な声を立おる。倚分「気を぀けお!」ずか「勝ったぞ!」ずかいうのであろう。芋物人も同様な声を立お、䞀方が勝぀ず声を合せお笑うので、非垞に興奮的なものになる。\n 私は倖山ず束村に向っお、䜕事にでも「䜕故、どうしお」ず聞く。そしお時々驚くのは、圌等が倚くの事柄に就いお、無知なこずである。この事は他の人々に就いおも気が぀いた。圌等が質問のあるものに察しお、吃驚したような顔぀きをするこずにも、気が぀いた。そしお圌等は質問なり、その事柄なりが、劂䜕にも面癜いように埮笑を浮べる。私はもう䞉週間以䞊も倖山、束村䞡氏ず芪しくしおいるが、圌等はいただか぀お、我々がどんな颚にどんなこずをやるかを、聞きもしなければ、圌等が興味を持っおいるにも係わらず、私の机の䞊の色々なものが䜕であるか聞きもしない。而も圌等は、䜕でもかでも芋ようずいう、奜奇心を持っおいる。孊生や孊問のある階玚の人々は、挢文なり珟代文孊なりは研究するが、ある郜䌚の死亡率や、死亡の原因などを知るこずに、興味も重倧さも感じないのであろう。\n 倖山に頌んで、女の子ず男の子の名前――我囜の掗瀌名に盞圓するもの――ず、その意味ずを曞いお貰った。\n\n\n 女の子の名前\nマツ 束\nタケ 竹\nハナ 花\nナリ 癟合\nハル 春\nフナ 冬\nナツ 倏\nダス 安らかな\nチョり 蝶\nトラ 虎\nナキ 雪\nワカ 若い\nむト 糞\nタキ 滝\n\n 男の子の名前\nタロヌ 第䞀の男子\nゞロヌ 第二の男子\nサブロヌ 第䞉の男子\nシロヌ 第四の男子" }, { "role": "assistant", "content": "マゎタロヌ 孫の第䞀の男子\nヒコゞロヌ 男性第二の男子\nゲンタロヌ 泉第䞀の男子\nカメシロヌ 亀の子第䞀〔?〕の男子\nカンゎロヌ 怜査された第五の男子\nサタシチ 心の固い第䞃の男子\nカむタロヌ 貝殻第䞀の男子\n\n\n 女の子は䞋局民でない堎合、普通その名前の前に、尊敬前眮称語ずしお「お」を぀け、その他すべおの堎合「さた」を短くした「さん」を名前の埌に぀ける。これは尊敬をあらわす蚀葉だが、人の名に぀くばかりでなく、冗談に動物の名の埌にも぀ける。この「さん」はミス、ミセス、及びミストルの圹をする。日本人が「ベビさん」「キャットさん」ずいっおいるのを聞くこずもある。だが、前眮称語の「お」は、女の子の名前にかぎっお぀ける。ミス・ハナは「お はな さん」になる。倪郎、次郎等、第䞀、第二......を意味する男の子の名前はよくあるが、我囜のゞョン゜ンなる姓が、「ゞョンの息子」なる意味を倱ったず同様に、ある点で第䞀の男子、第二の男子の意味を持たぬようになった。倖山氏の話によるず、今や男の子達は、クロムりェル時代の颚習の劂く、忍耐、垌望、甚心、信実等の劂き、いろいろな新しい名前を、沢山぀けられおいるそうである。\n 山の名前を知る為に、倖山は孊生二、䞉名を応揎ずしお呌び蟌んだ。圌等が、僅か五、六の名を思い出そうずしお、䞀生懞呜になったのは、䞀寞䞍思議だった。私は殆ど無理に返答をひき出した皋であったが、山の名のあるものは英語に蚳すこずが困難で、殊に「フゞ」にはおこずったあげく、これは「富んだサムラむ」を意味するずいった。サムラむは、封建時代、二本の刀を垯びるこずを蚱されおいた人達である。山の挢字は「ダマ」ず呌ばれる。日本の山の名で、即ち支那語の挢字の名によったものである。珟代の支那では、この挢字は、サンず発音する䞀地方を陀いおは、シャンである。倖山は英語を完党に話し、䞔぀曞くが、而も屡々、正確な英語の同意語を芋぀けるのに苊しんだ。圌が教えた名前の䞭のあるものを、以䞋にあげる。我囜の山の名ず同じような意味のものが倚いこずに気が぀くであろう――。\n\n\nオヌダマ 倧きな山\nナンタむサン 男性の身䜓の山\nハクサン 癜い山\nカブトダマ 甲の山\nシラネ 癜い峰\nタテダマ 盎立した山\nキリシマダマ 霧のかかった島の山\nノコギリダマ 鋞の山\n\n\n ノコギリはスペむン語の Sierra に盞圓するが、サクラメント垂から芋るシ゚ラ山脈は、鋞の歯のようである。\n 犬の名には赀、黒、癜等の色を甚いるが、犬は自分の色を知っおいるらしく思われる! 銬の名で普通なのは「ハルカれ」(春の颚)、「キペタキ」(枅い滝)、「オニカゲ」(悪魔の圱)。川の䞭には「早い」川や、「犀」川や、「倧きな井戞」の川や、「倩の竜」の川やその他がある。盞撲取は、この囜では非垞に尊敬されるが、「電光」「海岞の埮颚」「梅の谷」「鬌の顔の山」「境界の川」「朝の倪陜の峰」「小さな柳」等の名を持っおいる。舟にもたた、極めお小さいもの以倖は、皆䞀颚倉った名前が぀けおある。\n 山を描くにあたっおは、どの囜の芞術家も傟斜を誇匵する――即ち山を実際よりも遙かに嶮しく曞き珟わす――そうである。日本の芞術家も、確かにこの点を誀る。すくなくずも数週間にわたる経隓(それは扇、広告その他の、最もやすっぜい絵画のみに限られおいるが)によるず、富士の絵が皆倧いに誇匵しおあるこずによっお、この事実がわかる。私はふず、隣宀の孊生達に、富士の傟斜を、蚘憶によっお曞いお貰おうず思い぀いた。この壮麗な山は湟の向うに聳えおいお、朝から晩たで人の目を匕く䞀぀の察象なのである。先倜、晩飯の時、茝く空を背に、雄々しく、非垞に暗くそそり立぀この山を、出来るだけ泚意深く描いお芋た。そこで鋏を䜿甚しお茪郭を切りぬき、そしおそれを持っお山にあおがうず私が努力したにもかかわらず、傟斜をあたり急に描き過ぎたこずを発芋した。私は玙に鋏を入れおは山にあおがっお芋お、぀いに茪郭がきちんず合う迄に切り、そこで隣の郚屋ぞ入っお、通匁を通じお、出来るだけ正確な富士の茪郭を曞くこずを、孊生達に䟝頌した。私は玙四枚に、私の写生図に斌る底線ず同じ長さの線を匕いたのを甚意した。これ等の青幎はここ数週間、䞀日に䜕十遍ずなく富士を眺め、枬量や補図を孊び、角床、円の匧等を承知しおいる䞊に、特に、斜面を誇匵しないようにずの、泚意を受けたのである。図173は圌等の努力の結果で、䞀番䞋は私の茪郭図である。圌等は圌等のず私のずの茪郭の盞違に、只吃驚するばかりであったが、この詊隓には非垞な興味を芋せた。圌等は䞍知䞍識、子䟛の時から芋なれお来たすべおの富士山の図の、急な茪郭を思い浮べたのである。圌等の角床が、殆ど同じなのは面癜い。孊生の䞀人が持っお来お芋せた扇には、斜面が正確に近く描いおあった。登山した人がその山の嶮峻さを誇匵するのは、山は実際よりも必ず峻しく芋えるものだからずいうこずが、想像出来る。\n\n図‐173\n\n 昚日長い砂浜で、持垫達が、長さ数千フィヌトの繩が぀いおいる、倧きな網を匕きあげた。殆ど党郚が裞の、持倫や男の子達が、仕事を手䌝っおいる所は、誠に興味があった(図174)。倧きなうねりがさかたいお抌しよせた。人々は面癜い思い぀きの留朚を甚いお、繩にぶら䞋った。それは六フィヌトばかりの繩で、䞀端は茪になっおおり、これを腹のたわりにたき぀け、他端には倧きなボタンみたいな朚の円盀が぀いおいる。このボタンを巧みに投げるず、それが網の繩にたき぀いお、しっかりず留たる。私は図175でそれを明瞭にしようず詊みた。我囜の持倫も、この方法を知っおいるかも知れないが、もし知らぬならば真䌌をすべきである。これは繩を非垞にしっかりず぀かみ、取り倖しも至極楜で、たた速に繩にくっ぀けるこずが出来る。網が芋え出すず、倚数の人が䜕が捕れたかを芋る為に、集っお行った。私はこの裞䜓の人々の集団の䞭に無理に入っお行っお、バケツに䞀杯、各皮の海産物を取った。私はそれ迄、自発的の矀衆がこれ皋密集し埗るずは知らなかった。たるで鰯の眐詰である。\n\n図‐174\n\n\n図‐175\n\n この島の東端に、持倫の家がかたたっおいお、私はその䜕軒かを写生しようずしたが、老若男女が私の呚囲にぎっしりかたたっお了ったので、ずうずう断念せざるを埗なかった。圌等が喋舌ったの喋舌らぬの! そしお五歳ばかりの子䟛も倧きな倧人のように厳然たる口のききようをした。圌等は明かに、どの小舎を私が写生し぀぀あるかを、議論しおいた。最初私は、ある名前がハッキリいわれるのを聞くが、写生図(図176)に䟋えば倧きな魚の籠ずいったような、新しい现郚を぀け加えるず、非垞に誇りがたしい笑い声が起る。だが、倧きな魚の籠は䞀぀より倚くあるので、今床は別の䞻匵者が叫び声をあげる番になる。私は小舎を䞉軒写生した䞈で、蟛棒がしきれなくなったが、頭髪のもしゃもしゃした、皮膚の黒ずんだ土人達の長い人間道を通じお(たったく私はその間から向うを芋ねばならなかった)芋る光景は、䞍思議なものであった。私によっかかった者の䞀人、二人に察しお、私がスペむン語で呪咀したら、圌等は哄笑した。\n\n図‐176\n\n 日本人は挢字で文章を曞くが、優秀な孊生は䞉千字、四千字を知っおいる。これ等党郚に曞かれる時の圢がある。日本人は同時に、四十八字のアルファベットを持っおいお、それで蚀葉を発音通りに綎る。だが私はこのこずを䜙りよく知らないから、興味を持぀読者は、ヘップバヌンの「日英蟞兞」の序蚀を参照されるずよい。挢字の倚くは、䞀぀の点や線によっお盞違する。倖山教授は倧孊ぞ手玙を出しお網をたのんでやったが、先方はその挢字を、私が沢山持っおいる綱ず読み違えた。日本人の手玙には Dear Sir も Dear friend もなく、突然始る。物を曞く時には、図177のように筆を垂盎に持぀。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n笛の音に昔のこずも忍ばれお垰りしほども袖ぞ濡れにし\n\n\n䞍思議なほど普通の若い人ず違った人のこずは老人の問わず語りからも埡承知のできたこずず思いたす。\n\n ず蚀うのである。\n 恋しく思う人の字でなく、芋なれた昔の姑の字であるのに興味が持おず、そのたた䞭将は眮き攟しにしたこずであろうず思われる。\n 荻の葉に通う秋颚ほどもたびたび䞭将から手玙の送られるのは困ったこずである。人の心ずいうものはどうしおいちずに集たっおくるのであろう、ず昔の苊しい経隓もこのごろはようやく思い出されるようになった浮舟は思い、もう自分に恋愛をさせぬよう、たた人からもその思いのかからぬように早くしおいただきたいず仏ぞ頌む意味で経を習っお姫君は読んでいた。心の䞭でもそれを念じおいた。こんなふうに寂しい道を遞んでいる浮舟を、若い人でありながらおもしろい空気も栌別䜜らず、うっずうしいのがその性質なのであろうず呚囲の人は思った。容貌のすぐれお矎しいこずでほかの欠点はずがめる気もせず朝暮の目の慰めにしおいた。少し笑ったりする時には、珍しく華麗なものを芋せられる喜びを皆した。\n 九月になっお尌倫人は初瀬ぞ詣るこずになった。さびしく心现いばかりであった自分は故人のこずばかりが思われおならなかったのに、この姫君のように可憐で肉身ずより思えぬ人を埗たこずは芳音の利益であるず信じお尌君はお瀌詣りをするのであった。\n「さあいっしょに行きたしょう。だれにわかるこずがあるものですか。同じ仏様でもあのお寺などにこもっおお願いするこずは効隓があっおよい結果を芋た䟋がたくさんあるのですよ」\n ず蚀っお、尌君は姫君に同行を勧めるのであったが、昔母や乳母などがこれず同じこずを蚀っおたびたびお詣りをさせたが、自分には、䜕のかいもなかった、呜さえも意のたたにならず、蚀いようもない悲しい身になっおいるではないか、ず浮舟は思ううちにもこの䞀家の知らぬ人々に䌎われおあの山路を自分の来たこずは恥ずかしい事実であったず身に沁んでさえ思われた。匷情らしくは蚀わずに、\n「私は気分が始終悪うございたすから、そうした遠路をしたしおたた悪くなるようなこずがないかず心配ですから」\n ず断わっおいた。いかにもそうした物恐れをしそうな人であるず思っお、尌君はしいおも蚀わなかった。\n\n\nはかなくお䞖にふる川のうき瀬には蚪ねも行かじ二本の杉\n\n\n ず曞いた歌が手習い玙の䞭に混じっおいたのを尌君が芋぀けお、\n「二本ずお曞きになるのでは、もう䞀床お逢いになりたいず思う方があるのですね」\n ず冗談で蚀いあおられたために、姫君ははっずしお顔を赀くしたのも愛嬌の添ったこずで矎しかった。\n\n\nふる川の杉の本立知らねども過ぎにし人によそぞおぞ芋る\n\n\n 平凡なものであるが尌君は考える間もないほどのうちにこんな歌を告げた。目だたぬようにしお行くこずにしおいたのであるが、だれもかれもが行きたがり、留守宅の人の少ない䞭ぞ姫君を眮いお行くのを尌君は心配しお、賢い少将の尌ず、巊衛門ずいう幎のいった女房、これず童女だけを眮いお行った。\n 皆が出立しお行く圱を浮舟はい぀たでもながめおいた。昔に倉わった荒涌たる生掻ずはいいながらも、今の自分には尌君だけがたよりに思われたのに、その自分を愛しおくれる唯䞀の人ず別れおいるのは心现いものであるなどず思い、぀れづれを感じおいるうちに䞭将から手玙が来た。\n「お読みあそばせよ」\n ず蚀うが、浮舟は聞きも入れなかった。そしお垞よりもたた寂しくなった家の庭をながめ入り、過去のこず、これからあずのこずを思っおは歎息ばかりされるのであった。\n「拝芋しおいたしおも苊しくなるほどお滅入りになっおいらっしゃいたすね。碁をお打ちなさいたせよ」\n ず少将が蚀う。\n「䞋手でしょうがないのですよ」\n ず蚀いながらも打぀気に浮舟はなった。盀を取りにやっお少将は自信がありそうに先手を姫君に打たせたが、さんざんなほど自身は匱くお負けた。それでたた次の勝負に移った。\n「尌奥様が早くお垰りになればよい、姫君の碁をお芋せしたい。あの方はお匷いのですよ。僧郜様はお若い時からたいぞん碁がお奜きで、自信たっぷりでいらっしゃいたしたずころがね、尌奥様は碁聖䞊人になっお自慢をしようずは思いたせんが、あなたの碁には負けないでしょうずお蚀いになりたしお、勝負をお始めになりたすず、そのずおりに僧郜様が二目お負けになりたした。碁聖の碁よりもあなたのほうがもっずお匷いらしい。たあ珍しい打ち手でいらっしゃいたす」\n ず少将はおもしろがっお蚀うのであった。昔はたたにより芋るこずのなかった幎のいった尌梳きの額に、面ず向かっお始終盞手をさせられるようになっおはいやである。興味を持たれおはうるさい、めんどうなこずに手を出したものであるず思った浮舟の姫君は、気分が悪いず蚀っお暪になった。\n「時々は晎れ晎れしい気持ちにもおなりあそばせよ。惜しいではございたせんか、青春を沈んでばかりおいでになりたすこずは。ほんずうに玉に瑕のある気がされたす」\n などず少将は蚀った。倕颚の音も身に沁んで思い出されるこずも倚い人は、\n\n\n心には秋の倕べをわかねどもながむる袖に露ぞ乱るる\n\n\n こんな歌も詠たれた。月が出お景色のおもしろくなった時分に、昌間手玙をよこした䞭将が出お来た。\n いやなこずである、なんずいうこずであろうず思った姫君が奥のほうぞはいっお行くのを芋お、\n「それはあたりでございたすよ。あちらのお志もこんなおりからにはこずに深さのたさるものですもの、ほのかにでもお話しになるこずを聞いおおあげなさいたせ。あちらのお蚀葉が染になっおお身䜓ぞ぀くようにも反感を持っおいらっしゃるのですね」\n 少将にこんなふうに蚀われれば蚀われるほど䞍安になる姫君であった。姫君もいっしょに旅に出かけたず少将は客ぞ蚀ったのであるが、昌間の䜿いが䞀人は残っおおられる、ずいうようなこずを聞いお行ったものらしくお䞭将は信じない。いろいろず蚀葉を尜くしお姫君の無情さを恚み、\n「お話をしいお聞かせおほしいずは申したせん。ただお近い所で、私のする話をお聞きくだすっお、その結果私に奜意を持぀こずがおできにならぬならそうず蚀いきっおいただきたいのです」\n こんなこずをどれほど蚀っおも答えのないのでくさくさした䞭将は、\n「情けなさすぎたす。この堎所は人の繊现な感情を味わっおくださるのに最も適した所ではありたせんか。こんな扱いをしおおいでになっお䜕ずもお思いにならないのですか」\n ずあざけるようにも蚀い、\n\n\n「山里の秋の倜深き哀れをも物思ふ人は思ひこそ知れ" }, { "role": "assistant", "content": "\n\n 埡自身の寂しいお心持ちからでも埡同情はしおくだすっおいいはずですが」\n ず姫君ぞ取り次がせたのを䌝えたあずで、少将が、\n「尌奥様がおいでにならない時ですから、玛らしおお返しをしおおいおいただくこずもできたせん。䜕ずかお蚀いあそばさないではあたりに人間離れのした方ず思われるでしょう」\n こう責めるために、\n\n\nうきものず思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人ず人は知りけり\n\n\n ず浮舟が返しずもなく口ぞ䞊せたのを聞いお、少将が䌝えるのを䞭将はうれしく聞いた。\n「ほんの少しだけ近くぞ出お来おください」\n ず䞭将が蚀ったず蚀い、少将らは姫君の心を動かそうずするのであるが、姫君はこの人々を恚めしがっおいるばかりであった。\n「あやしいほどにも埡冷淡になさるではありたせんか」\n ず蚀いながら女房がたた忠告を詊みにはいっお来た時に、姫君はもう座にはいなくお、平生はかりにも行っお芋るこずのなかった倧尌君の宀ぞはいっお行っおいた。少将がそれをあきれたように思っお垰っお来お客に告げるず、\n「こんな䜏居におられる人ずいうものは感情が人より现かくなっお、恋愛に察しおだけでなく䞀般的にも同情深くなっおおられるのがほんずうだ。感じ方のあらあらしい人以䞊に冷たい扱いを私にされるではないか。これたでに恋の砎局を芋た方なのですか。そんなこずでなく、ほかの理由があるのかね。この家にはい぀たでおいでになるのですか」\n などず蚀っお聞きたがる䞭将であったが、现かい事実を女房も話すはずはない。\n「思いがけず奥様が初瀬のお寺でお逢いになりたしお、お話し合いになりたした時、埡瞁続きであるこずがおわかりになりこちらぞおいでになるこずにもなったのでございたす」\n ずだけ蚀っおいた。\n 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であるず聞いおいた老尌の所でう぀䌏しになっおいるのであったが、眠入るこずなどはむろんできない。宵惑いの倧尌君は倧きい錟の声をたおおいたし、その前のほうにも埌差しの圢で二人の尌女房が寝おいお、それも䞻に劣るたいずするように錟をかいおいた。姫君は恐ろしくなっお今倜自分はこの人たちに食われおしたうのではないかず思うず、それも惜しい呜ではないが、䟋の気匱さから死にに行った人が现い橋をあぶながっお埌ろぞもどっお来た話のように、わびしく思われおならなかった。童女のこもきを埓えお来おいたのであるが、たせた少女は珍しい異性が颚流男らしく気どっおすわっおいるあちらの座敷のほうに心が惹かれお垰っお行った。今にこもきが来るであろう、あろうず姫君は埅っおいるのであるが、頌みがいのない童女は䞻を捚おはなしにしおおいた。\n 䞭将は誠意の認められないのに倱望しお垰っおしたった。そのあずでは、\n「人情がわからない方ね。匕っ蟌み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの容貌を持っおおいでになりながら」\n などず姫君を譏っお皆䞀所で寝おしたった。\n 倜䞭時分かず思われるころに倧尌君はひどい咳を続けお、それから起きた。灯の明りに芋える頭の毛は癜くお、その䞊に黒い垃をかぶっおいお、姫君が来おいるのをいぶかっお錬錠はそうした圢をするずいうように、額に片手をあおながら、\n「怪しい、これはだれかねえ」\n ずし぀こそうな声で蚀い姫君のほうを芋越した時には、今自分は食べられおしたうのであるずいう気が浮舟にした。幜鬌が自分を䌎っお行った時は倱心状態であったから䜕も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあずで蘇生しお、たたいろいろな過去の思い出に苊しみ、そしお今たたこわいずも怖ろしいずも蚀いようのない目に自分はあっおいる、しかも死んでいたならばこれ以䞊恐ろしい圢盞のものの䞭に眮かれおいた自分に違いないずも思われるのであった。昔からのこずが眠れないたたに次々に思い出される浮舟は、自分は悲しいこずに満たされた生涯であったずより思われない。父君はお姿も芋るこずができなかった。そしお遠い東の囜を母に぀いおあちらこちらずたわっお歩き、たたさかにめぐり合うこずのできお、うれしくも頌もしくも思った姉君の所で意倖な障りにあい、すぐに別れおしたうこずになっお、結婚ができ、その人を信頌するこずでようやく過去の䞍幞も慰められおいく時に自分は過倱をしおしたったこずに思い至るず、宮を少しでもお愛しする心になっおいたこずが恥ずかしくおならない。あの方のために自分はこうした挂泊の身になった、橘の小嶋の色に寄せお倉わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかず疑われおならない。愛も恋もさめ果おた気がする。はじめから淡いながらも倉わらぬ愛を持っおくれた人のこずは、あの時、その時ずその人に぀いおのいろいろの堎合が思い出されお、宮に察する思いずは比范にならぬ深い愛を芚える浮舟の姫君であった。こうしおただ生きおいるずその人に聞かれる時の恥ずかしさに比しおよいものはないず思われる。そうであっおさすがにたた、この䞖にいる間にあの人をよそながらも芋る日があるだろうかずも悲したれるのであった。自分はただよくない執着を持っおいる、そんなこずは思うたいなどず心を倉えようずもした。\n ようやく鶏の鳎く声が聞こえおきた。浮舟は非垞にうれしかった。母の声を聞くこずができたならたしおうれしいこずであろうず、こんなこずを姫君は思い明かしお気分も悪かった。あちらぞ垰るのに付き添っお来おくれるものは早く来おもくれないために、そのたたなお暪たわっおいるず前倜の錟の尌女房は早く起きお、粥などずいうたずいものを喜んで食べおいた。\n「姫君も早く召し䞊がりたせ」\n などずそばぞ来お䞖話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がしお、\n「身䜓の調子がよくありたせんから」\n ず穏やかな蚀葉で断わっおいるのに、しいお勧めお食べさせようずされるのもうるさかった。\n 䞋品な姿の僧がこの家ぞおおぜい来お、\n「僧郜さんが今日埡䞋山になりたすよ」\n などず庭で蚀っおいる。\n「なぜにわかにそうなったのですか」\n「䞀品の宮様が物怪でわずらっおおいでになっお、本山の座䞻が修法をしおおいでになりたすが、やはり僧郜が出お来ないでは効果の芋えるこずはないずいうこずになっお、昚日は二床もお召しの䜿いがあったのです。巊倧臣家の四䜍少将が昚倜倜ふけおからたたおいでになっお、䞭宮様のお手玙などをお持ちになったものですから、䞋山の決意をなさったのですよ」\n などず自慢げに蚀っおいる。ここぞ僧郜の立ち寄った時に、恥ずかしくおも逢っお尌にしおほしいず願おう、ずがめだおをしそうな尌倫人も留守で他の人も少ない時で郜合がよいず考え぀いた浮舟は起きお、\n「僧郜様が山をお䞋りになりたした時に、出家をさせおいただきたいず存じたすから、そんなふうにあなた様からもおずりなしをくださいたし」\n ず倧尌君に蚀うず、その人はがけたふうにうなずいた。\n 垞の居間ぞ垰った浮䞹は、尌君がこれたで髪を自身以倖の者に梳くこずをさせなかったこずを思うず、女房に手を觊れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないこずであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう䞀床以前のたたの自身を芋せないで終わるのかず思うず悲しかった。重い病のために髪も少し枛った気が自身ではするのであるが、䜕ほど衰えたずも芋えない。非垞にたくさんで六尺ほどもある末のほうのこずに矎しかったずころなどはさらにこたかく矎しくなったようである。「たらちねはかかれずおしも」(うば玉のわが黒髪を撫でずやありけん)独蚀に浮舟は蚀っおいた。\n 倕方に僧郜が寺から来た。南の座敷が掃陀され装食されお、そこを円い頭が幟぀も立ち動くのを芋るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧郜は母の尌の所ぞ行き、\n「あれから埡機嫌はどうでしたか」\n などず尋ねおいた。\n「東の倫人は参詣に出られたそうですね。あちらにいた人はただおいでですか」\n「そうですよ。昚倜は私の所ぞ来お泊たりたしたよ。身䜓が悪いからあなたに尌の戒を受けさせおほしいず蚀っおおられたしたよ」\n ず倧尌君は語った。そこを立っお僧郜は姫君の居間ぞ来た。\n「ここにいらっしゃるのですか」\n ず蚀い、几垳の前ぞすわった。\n「あの時偶然あなたをお助けするこずになったのも前生の玄束事ず私は芋おいお、祈祷に骚を折りたしたが、僧は甚事がなくおは女性に手玙をあげるこずができず、埡無沙汰しおしたいたした。こんな人間離れのした生掻をする者の家などにどうしお今たでおいでになりたすか」\n こう僧郜は蚀った。\n「私はもう生きおいたいず思った者ですが、䞍思議なお救いを受けたしお今日たでおりたすのが悲しく思われたす。䞀方ではいろいろず埡芪切にお䞖話をしおくださいたした埡恩は私のようなあさはかな者にも深く身に沁んでかたじけなく思われおいるのでございたすから、このたたにしおいたしおはただ生き続けるこずができない気のいたしたすのをお助けくだすっお尌にしおくださいたせ。ぜひそうしおいただきずうございたす。生きおいたしおもずうおい普通の身ではおられない気のする私なのでございたすから」\n ず姫君は蚀う。\n「ただ若いあなたがどうしおそんなこずを深く思い蟌むのだろう。かえっお眪になるこずですよ。決心をした時は匷い信念があるようでも、幎月がた぀うちに女の身をもっおは眪に堕ちお行きやすいものなのです」\n などず僧郜は蚀うのであったが、\n「私は子䟛の時から物思いをせねばならぬ運呜に眮かれおおりたしお、母なども尌にしお䞖話がしたいなどず申したこずがございたす。たしお少し倧人になりたしお人生がわかりかけおきたしおからは、普通の人にはならずにこの䞖でよく仏勀めのできる境遇を遞んで、せめお埌䞖にだけでも安楜を埗たいずいう垌望が次第に倧きくなっおおりたしたが、仏様からそのお蚱しを埗たす日の近づきたすためか、病身になっおしたいたした。どうぞこのお願いをかなえおくださいたせ」\n 浮舟の姫君はこう泣きながら頌むのであった。䞍思議なこずである、人に優越した容姿を埗おいる人が、どうしお䞖の䞭をいずわしく思うようになったのだろう、しかしい぀か珟われおきた物怪もこの人は生きるのをいずわしがっおいたず語った。理由のないこずではあるたい、この人はあのたたおけば今たで生きおいる人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今埌も危険がないずは思えないず僧郜は考えお、" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 冬の長い囜のこずで、物蔭にはただ雪が残぀お居り、村端の溝に芹の葉䞀片青んではゐないが、晎れた空はそこずなく霞んで、雪消の路の泥濘の凊々也きかゝ぀た䞊を、春めいた颚が薄ら枩かく吹いおゐた。それは明治四十幎四月䞀日のこずであ぀た。\n 新孊幎始業匏の日なので、S村尋垞高等小孊校の代甚教員、千早健は、平生より少し早目に出勀した。癜墚の粉に汚れた朚綿の王付に、裟の擊切れた長目の袎を穿いお、クリ〳〵した䞉分刈の頭に垜子も冠らず――枠は垜子も有぀おゐなか぀た。――亭乎ずした䜓を真盎にしお玄関から䞊぀お行くず、早出の生埒は、毎朝、控所の圌方歀方から駆けお来お、敬しく枠を迎ぞる。䞭には態々枠に叩頭をする蚱りに、其凊に埅぀おゐるのもあ぀た。その朝は殊に其数が倚か぀た。平生の䞉倍も四倍も......遅刻勝な成瞟の悪い児の顔さぞ其䞭に亀぀おゐた。健は盎ぐ、其等の心々に溢れおゐる進玚の喜悊を想うた。そしお、䜕がなく心が曇぀た。\n 枠はその朝解職願を懐にしおゐた。\n 職員宀には、十人蚱りの男女――䜕れも穢い扮装をした癟姓達が、物に怖えた様にキペロ〳〵しおゐる尋垞科の新入生を、䞀人づゝ䌎れお来おゐた。職員四人分の卓や怅子、曞類入の戞棚などを䞊べお、さらでだに狭くな぀おゐる宀は、其等の人数に埋められお、身動ぎも出来ぬ皋である。これも今来た蚱りず芋える女教垫の䞊朚孝子は、䞀人で其人数を匕受けお少し呚章いたずいふ態で、腰も掛けずに䜕やら急がしく卓の䞊で垳簿を繰぀おゐた。\n そしお、健が入぀お来たのを芋るず、\n『あ、先生!』\nず蚀぀お、ホツず安心した様な顔をした。\n 癟姓達は、床板に膝を突いお、亀る『〵先を争ふ様に健に挚拶した。\n『老婆さん、いくら探しおも、束䞉郎ずいふのは圹堎から来た孊霢簿の写しにありたせんよ。』ず、孝子は心持眉を顰めお、叀手拭を冠぀た䞀人の老女に蚀぀おゐる。\n『ハア。』ず老女は圓惑した様に県をしよが぀かせた。\n『無い筈はないでせう。尀も歀蟺では、戞籍䞊の名ず家で呌ぶ名ず違ふのがありたすよ。』ず、健は喙を容れた。そしお老女に、\n『芋田の鍛冶屋だ぀たね、婆さんの家は?』\n『ハむ。』\n『いくら芋おもありたせんの。圹堎にも束䞉郎ず届けた筈だ぀お蚀ひたすし......』ず孝子はたた初めから垳簿を繰぀お、『通知曞を持぀お来ないもんですから、薩匵分りたせんの。』\n『可怪いなア。婆さん、圹堎から真箇に通知曞が行぀たのかい? 子䟛を孊校に出せずいふ曞付が?』\n『ハむ。来るにア来たしたども、匟の方のな蚱りで、歀児(ず顎で指しお、)のなは今幎ア来たせんでなす。それでハア、持぀お来なごあんさす。』\n『今幎は来ない? 䜕だ、それぢや其児は九歳か、十歳かだな?』\n『九歳。』ず、その束䞉郎が自分で答ぞた。膝に補垃を圓おた股匕を穿いお、ボロ〳〵の垃の無尻を䜕枚も〳〵着膚れた、芋るから腕癜らしい児であ぀た。\n『九歳なら去幎の孊霢だ。無い筈ですよ、それは今幎だけの名簿ですから。』\n『去幎ですか。私は又、其点に気が付かなか぀たもんですから......』ず、孝子は少しきたり悪気にしお、其児の名を別の垳簿に曞入れる。\n『それぢや䜕だね、』ず、健は再老女の方を向いた。『歀児の匟ずいふのが、今幎八歳にな぀たんだらう。』\n『ハむ。』\n『䜕故それは䌎れお来ないんだ?』\n『ハむ。』\n『ハむぢやない。歀児は去幎から出さなけれアならないのを、今幎たで延したんだらう。其麜颚ぢや䞍可い、兄匟䞀緒に寄越すさ。遅く入孊さしお眮いお、卒業もしないうちから、子守をさせるの䜕の぀お䞋げお了ふ。其麜颚だから、歀蟺の者は城兵に採られおも、倧抵䞊等兵にも成らずに垰぀お来る。』\n『ハむ。』\n『芪が悪いんだよ。』\n『ハむ。そでごあんすどもなす、先生様、兄匟䜕方も䞀幎生だら、可笑ごあんすべアすか?』\nず、老女は黒挿の萜ちた歯を芋せお、テレ隠しに远埓笑ひをした。\n『構うもんか。匟が内務倧臣をしお兄は田舎の郡長をしおゐた人さぞある。䞀緒な䜍䜕でもないさ。』\n『ハむ。』\n『婆さんの理屈で行くず、兄が死ねば匟も死なゝけれアならなくなる。俺の姉は去幎死んだけれども俺は恁うしお生きおゐる。然うだ。過日死んだ銬喰さんは、婆さんの同胞だ぀おいふぢやないか?』\n『アツハボボ。』ず、居䞊ぶ癟姓達は皆笑぀た。\n『婆さんだ぀お其通りチダンず生きおゐる。ハボボ。兎に角匟の方も今幎から寄越すさ。明日ず明埌日は䌑みで、四日から授業が始たる。その時歀児ず䞀緒に。』\n『ハむ。』\n『真箇だよ。寄越さなか぀たら俺が迎ひに行くぞ。』\n さう蚀ひながら立ち䞊぀お、健は孝子の隣の卓に行぀た。\n『お手䌝ひしたせう。』" }, { "role": "assistant", "content": "『枈みたせんけれども、それでは䜕卒。』\n『アもう八時になりたすね。』ず、枠は孝子の頭の䞊に掛぀おゐる時蚈を芋䞊げた目を移しお、障子䞀重で隔おた宿盎宀を、顎で指した。『ただ顔を出さないんですか?』\n 孝子は笑぀お点頭いた。\n その宿盎宀には、校長の安藀が家族――劻ず二人の小䟛――ず共に䜏んでゐる。朝飯の準備が今挞々出来たずころず芋えお、茶碗や皿を食卓に䞊べる音が聞える。無粟者の现君は䜕やら呟々小䟛を叱぀おゐた。\n 新入生の䞀人々々を、孊霢児童調曞に突合しお、健はそれを孊籍簿に蚘入し、孝子は新しく出垭簿を拵ぞる。䜕本を買はねばならぬかずか、石盀は石石盀が可いか玙石盀が可いかずか、塗板も有たせねばならぬかずか、父兄は䞀人々々同じ様な事を繰返しお蚊く。孝子は䞀々それに答ぞる。するず今床は健の前に叩頭をしお、小䟛の平生の行状やら癖やら、䜓の匱い事などを述べお、䜕分よろしくず頌む。新入生は埌から〳〵ず続いお狭い職員宀に溢れた。\n 忠䞀ずいふ、今床尋垞科の䞉幎に進んだ校長の長男が、甚もないのに怖々しながら入぀お来お、甘える様の姿態をしお健の卓に倚掛぀た。\n『圌方ぞ行け、圌方ぞ。』\nず、健は烈しい調子で、隣宀にも聞える様に叱぀た。\n『ハ。』\nず蚀぀お、猟さうな、臆病らしい県付で健の顔を芋ながら、忠䞀は埐々ず埌退りに出お行぀た。為様のない暪着な児で、今迄健の受持の二幎玚であ぀たが、倖の教垫も生埒等も、校長の子ずいふのでそれずなく遠慮しおゐる。健はそれを、人䞀倍厳しく叱る。五十分の授業の間を教宀の隅に立たしお眮くなどは珍しくもない事で、䞉日に䞀床は、眰ずしお攟課埌の教宀の掃陀圓番を吩付ける。其麜時は、無粟者の母芪がよく健の前ぞ来お、抱いおゐる梅ちやんずいふ児に胞を披けお倧きい乳房を含たせながら、\n『千早先生、家の忠䞀は今日も䜕か悪い事しあんしたべすか?』\n などゝ蚀ふこずがある。\n『ハ。忠䞀さんは日増に悪くなる様ですね。今日も暩倪ずいふ小䟛が新らしく買぀お来た墚を、自分の机の䞭に隠しお知らない振しおゐたんですよ。』\n『コラ、圌方ぞ行け。』ず、校長は聞きかねお现君を叱る。\n『それだ぀おなす、毎日悪い事蚱りしお千早先生に埡迷惑かける様なんだハンテ、よくお聞き申しお眮いお、埌で私もよツく吩付けお眮くべず思぀おす。』\n 健は平然ずしお卓隣りの秋野ずいふ老教垫ず話を始める。校長の劻は、ただ䜕か蚀ひたげにしお、䞊吊぀た眉をピリ〳〵させながら其凊に立぀おゐる。然うしおるずころぞ、掃陀が出来たず蚀぀お、掃陀監督の生埒が通知に来る。\n『黒板も綺麗に拭いたか?』\n『ハむ。』\n『先生に芋られおも、少しも小蚀を蚀はれる点が無い様に出来たか?』\n『ハむ。』\n『若し粗末だ぀たら、明日たた為盎させるぞ。』\n『ハむ。立掟に出来たした。』\n『奜し。』ず蚀぀お、健は莞爟しお芋せる。『それでは䞀同垰しおも可い。お前も垰れ。それからな、今先生が行くから忠䞀だけは教宀に残぀お居れず蚀ぞ。』\n『ハむ。』ず、生埒の方も嬉しさうに莞爟しお、掻溌に䞀瀌しお出お行く。健の恁麜蚓導方は、尋垞二幎には䜙りに厳し過るず他の教垫は思぀おゐた。然しその為に健の受持の組は、他玚の生埒から矚たれる皋芏埋がよく、少し物の解぀た高等科の生埒などは、䜕圌に぀けお尋垞二幎に笑はれぬ様にず心懞けおゐる皋であ぀た。\n 軈お健は二階の教宀に䞊぀お行く。するず、校長の劻は密乎ず其埌を跟けお行぀お、教宀の倖から我が子の叱られおゐるのを立聞する。意気地なしの校長は校長で、これも我が子の泣いおゐる顔を思ひ浮べながら、明日の教案を曞く......\n 健が殊曎校長の子に厳しく圓るのは、其児が人䞀倍悪戯に長けお、暪着で、時にはその生先が危たれる様な事たで為出かす為には違ひないが、䞀぀は枠の性質に、其麜事をしお或る感情の満足を求めるず蚀぀た様な点があるのず、又、然うする方が他の生埒を取締る䞊に郜合の奜い為でもあ぀た。枠が忠䞀を虐めるこずが厳しければ厳しい皋、他の生埒は枠を偉い教垫の様に思぀た。\n そしお、女教垫の孝子にも、健の其麜行動が䜕がなしに快く思はれた。時には孝子自身も、人のゐない凊ぞ忠䞀を呌んで、手厳しく譎めおやるこずがある。それは孝子にず぀おも或る満足であ぀た。\n 孝子は半幎前に歀孊校に転任しお来おから、日䞀日ず経぀うちに、䜕凊の孊校にもない異様な珟象を発芋した。それは校長ず健ずの劙な察照で、健は自分より四円も月絊の安い䞀代甚教員に過ぎないが、生埒の服しおゐるこずから蚀ぞば、健が校長の様で、校長の安藀は女教垫の自分よりも生埒に䟮られおゐた。孝子は垫範女子郚の寄宿舎を出おから二幎ずは経たず、䞀生を教育に献げようずは思はぬたでも、授業にも読曞にもただ盞応に興味を有぀おる頃ではあり、䜕凊か気性の確固した、刀断力の勝぀た女なので、日頃校長の無胜が女ながらも歯痒い䜍。殊にも、その劻のだらしの無いのが芋るも厭で、毎日顔を合しおゐながら、碌そ぀ぜ口を利かぬこずさぞ珍しくない。そしお孝子には、䞇事に生々ずした健の烈しい気性――その気性の茝いおゐる、笑ふ時は十䞃八の少幎の様に無邪気に、真摯な時は二十六䞃にも、も぀ず䞊にも芋える枠の県、(それを孝子は、写真版などで芋た奈勃翁の県に肖たず思぀おゐた。)――その県が歀孊校の粟神でゞもあるかの様に芋えた。健の県が右に動けば、䜕癟の生埒の心が右に行く、健の県が巊に動けば、䜕癟の生埒の心が巊に行く、ず孝子は信じおゐた。そしお孝子自身の心も、䜕時しか健の県に随぀お動く様にな぀おゐる事は、気が付かずにゐた。\n 霢から蚀ぞば、孝子は二十䞉で、健の方が䞀歳䞋の匟である。が、健は䜕かの事情で早く結婚したので、その頃もう小児も有぀た。そしお其家が時ずしお其日の糧にも差支ぞる皋貧しい事は、村䞭知らぬ者もなく、健自身も別段隠す態も芋せなか぀た。或日、健は朝から浮かぬ顔をしお、十分の䌑み毎に呟呻蚱りしおゐた。\n『奈䜕なさいたしたの、千早先生、今日はお顔色が良くないぢやありたせんか?』\nず孝子は䜕かの機䌚に蚊いた。健は出かゝ぀た生呿呻を噛んで、\n『䜕有。』\nず蚀぀お笑぀た。そしお、\n『今日は煙草が切れたもんですからね。』\n 孝子は䜕ずも蚀ふこずが出来なか぀た。健が平生人に魂消られる皋の喫煙家で、職員宀に入぀お来るず、甚麜事があらうず先づ煙管を取䞊げる男であるこずは、孝子もよく知぀おゐた。卓隣りの秋野は其煙草入を出しお健に薊めたが、枠は其日䞀日喫たぬ積りだ぀たず芋えお、煙管も持぀お来おゐなか぀た。そしお、秋野の煙管を借りお、矎味さうに二䞉服続け様に喫んだ。孝子はそれを芋おゐるのが、䜕がなしに蟛か぀た。宿ぞ垰぀おからたで其事を思出しお、䜕か郜合の奜い名儀を぀けお、健に金を遣る途はあるたいかず考ぞた事があ぀た。又、去幎の䞀倏、健が到頭叀袷を着お過した事、それで巊皋暑くも感じなか぀たずいふ事なども、枠自身の口から聞いおゐたが、村の噂はそれだけではなか぀た。其倏、毎晩倜遅くなるず、健の家――或る癟姓家を半分劃぀お借りおゐた――では障子を開攟しお、居たたたらぬ䜍杉の葉を燻しおは、䞭で頻りに団扇で煜いでゐた。それは倚分蚊垳が無いので、然うしお蚊を逐出しおから寝たのだらうずいふ事であ぀た。其麜に苊しい生掻をしおゐお、枠には些ずも心を痛めおゐる態がない。朝から晩たで、真に朝から晩たで、小䟛等を察手に怡々ずしお暮らしおゐる。孝子が初めお歀孊校に来た秋の頃は、毎朝昧爜から朝飯時たで、自宅に近所の小䟛等を集めお「朝読」ずいふのを遣぀おゐた。朝な〳〵、黎明の光が挞く障子に仄めいた蚱りの頃、早く行くのを競぀おゐる小䟛等――䞻に高等科の――が、戞倖から声高に友達を呌起しお行くのを、孝子は毎朝の様にただ臥床の䞭で聞いたものだ。冬にな぀お朝読が出来なくなるず、健は倜な〳〵九時頃たでも生埒を集めお、算術、読方、綎方から歎史や地理、叀来の偉人の䌝蚘逞話、幎䞊の少幎には英語の初歩なども授けた。この二月村圹堎から話があ぀お、孊校に壮䞁教育の倜孊を開いた時は、䞉週間の期間を十六日たで健が䞀人で教ぞた。そしお終ひの五日間は、毎晩裟から吹䞊る倜寒を怺ぞお、二時間も䞉時間も教壇に立぀た為に颚邪を匕いお寝たのだずいふ事であ぀た。\n それでゐお、健の月絊は唯八円であ぀た。そしお、その八円は䜕時でも前借にな぀おゐお、二十䞀日の月絊日が来おも、い぀の月でも健には、同僚ず䞀緒に月絊の枡されたこずがない。四人分の受領曞を持぀お行぀た校長が、圹堎から垰぀お来るず、孝子は倧抵玙幣ず銀貚を亀ぜお十二円枡される。怜定詊隓䞊りの秋野は十䞉円で、叀い垫範出の校長は十八円であ぀た。そしお、校長は気毒盞な顔をしながら、健には存圚な字で曞いた䞀枚の前借蚌を返しおやる。枠は平然ずしおそれを受取぀お、クル〳〵ず円めお火鉢に燻べる。淡い焔がメラ〳〵ず立぀かず芋るず、盎ぐ消えお了ふ。ず、枠は䞍揃な火箞を取぀お、癜くな぀お小く残぀おゐる其灰を突く。突いお、突いお、そしお䞊げた顔は平然ずしおゐる。\n 孝子は気毒さに芋ぬ振をしながらも、健のその態床をそれずなく芋おゐた。そしお蚳もなく胞が迫぀お、泣きたくなるこずがあ぀た。其麜時は、孝子は甚もない垳簿などを匄぀お、人埌たで残぀た。月絊を貰぀た為に怡々しお早く垰るなどず、思はれたくなか぀たのだ。\n 孝子の目に映぀おゐる健は、月絊八円の代甚教員ではなか぀た。孝子は或る時その同窓の女友達の䞀人ぞ遣぀た手玙に、この若い教垫のこずを曞いたこずがある。若しや詰らぬ疑ひを起されおはずいふ心配から、健には劻子のあるこずを詳しく蚘した䞊で、\n『私の孊校は、この千早先生䞀人の孊校ずい぀おも可い䜍よ。奥様やお子様のある人ずは芋えない皋若い人ですが、男生でも女生でも千早先生の蚀ふこずをきかぬ者は䞀人もありたせん。そら、小野田教諭がい぀も蚀぀たでせう――教育者には教育の粟神を以お教ぞる人ず、教育の圢匏で教ぞる人ず、二皮類ある。埌者には䜕人でも成れぬこずはないが、前者は癟人に䞀人、千人に䞀人しか無いもので、孊んで出来るこずではない、謂はば生来の教育者である――ツお。千早先生はその癟人に䞀人しかない方の組よ。教授法なんかから蚀぀たら、先生は乱暎よ、随分乱暎よ。今の時間は生埒ず睚めツクラをしお、敗けた奎を立たせるこずにしお遊びたしたよなどゝ蚀ふ時がありたす。(遊びたした)ずいふのは嘘で、先生は其麜事をしお、生埒の心を散るのを埡自分の䞀身に集るのです。さうしおから授業に取かゝるのです。偶に先生が欠勀でもするず、私が掛持で尋垞二幎に出たすの。生埒は決しお私ばかりでなく、誰のいふこずも、聞きたせん。先生の組の生埒は、先生のいふこずでなければ聞きたせん。私は其麜時、「千早先生はさう隒いでも可いず教ぞたしたか?」ず蚀ひたす。するず、盎ぐ静粛にな぀お了ひたす。先生は又、教案を䜜りたせん。その事で䜕日だ぀たか、巡぀お来た郡芖孊ず二時間蚱り議論をしたのよ。その時の面癜か぀たこず? 結局芖孊の方が敗けお胡麻化しお了぀たの。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ダンスが終ったずき、むカバッドがひき぀けられお加わったのは、幎寄りの物識り連䞭で、圌らはノァン・タッセル老人をかこんでノェランダのはしに坐り、煙草をふかしながら昔ばなしをしたり、独立戊争の長い物語をのんびりずやったりしおいた。\n この近蟺は、わたしが今話をしおいるこずのおこった圓時には、歎史に名高い物語や偉人が茩出した非垞にめぐたれたずころであった。独立戊争䞭は、むギリスずアメリカずの境界線が、この近くを通っおいたので、ここは略奪の修矅堎ずなり、亡呜者や、王党偎の暎れものや、そのほか、あらゆる囜境の荒くれ男どもが跳梁跋扈したのである。しかし、それからもういく幎か過ぎ、この時分には圓時の物語をする人もちょっずした郜合のよい぀くりごずで話に色を぀け、蚘憶もはっきりしないので、手柄話があれば、なんでもかたわず、自分をその立圹者にしたおるこずができるのだった。\n ドフュヌ・マヌトリングずいう青ひげを生やした倧男のオランダ人の話では、泥で぀くった胞壁から、九ポンド匟の叀い鉄の倧砲をぶっぱなしお、むギリスの軍艊をあやうく撃沈しかけたが、惜しくも圌の倧砲が六発目には砎裂しおしたったずいうこずだ。それからたた、䞀人の老玳士が話しだしたが、この人はたいぞんな金持ちのオランダ人で、かるがるしくその名は蚀うこずができないから、名は秘めおおこう。この老人は、防犊の術にすぐれおおり、ホワむトプレヌンズの戊いのずき、飛びくる匟䞞を短剣で受けながし、匟䞞が刃先をひゅうずいっおたわり、柄にかるくあたるのをたしかに感じたずさえ蚀った。そしお、その蚌拠には、その剣の柄が少し曲っおいるずころを、い぀でも芋せおやろうず蚀った。ほかにも数人おなじように戊堎で手柄をたおた人がいたが、いずれも自分の功瞟が力あっお戊争がめでたく勝利に終ったのだず蚀わないものはなかった。\n しかし、こういう物語も、そのあずに぀づいた幜霊や化け物の話にくらべたらなんでもなかった。このあたりにはそのような貎重な䌝説がたくさんあるのだ。地方色ゆたかな物語や迷信は、こういった蟺鄙な、長いあいだ人が䜏み぀いおいた僻地でもっずも盛んになるのだが、アメリカのたいおいの町や村を圢づくっおいるのは移りあるくひずびずなので、その足の䞋で螏みにじられおしたうのだ。そのうえ、ほずんどどこの村でも、幜霊に元気を぀けるものがなにもないのだ。幜霊が墓にはいっお、先ず䞀眠りしお、寝返りをう぀か、うたないうちに、ただ生存しおいる友だちは近所を去っおいっおしたう。だから、幜霊が倜なかに出おきお埘埊しおも、蚪ねおゆくべき知合いが残っおいないのである。おそらくこういうわけで、わたしたちは叀くからあるオランダ人の村以倖では幜霊のこずをほずんど聞かないのであろう。\n しかし、この近蟺に怪談が倚い盎接の原因はあきらかに近くにスリヌピヌ・ホロヌがあるこずだ。空䞭に魔力があっお、あの奇怪な堎所から吹きよせおくるのだ。この魔力がひずを倢や空想におずしいれる雰囲気を吐きだし、それが䞀面に䌝染するのだ。スリヌピヌ・ホロヌの䜏民も数人ノァン・タッセルの邞に来おおり、䟋によっお、怪しいふしぎな䌝説をぜ぀りぜ぀り物語っおいた。䞍遇なアンドレ少䜐が捕虜になった堎所に生えおいる倧きな朚のあたりで、葬匏の行列が芋えたずか、哀悌の叫びや、すすり泣きの声が聞えたずかいう陰気な話がいろいろ出た。じっさい、その倧朚はこの近所にあるのだ。癜衣に身を぀぀んだ女の話も出た。これはレむノン・ロックの暗い谷間に出没し、冬の倜、嵐の前には金切り声をあげるのが聞えるのだ。この女はそこで雪に埋もれお死んだのだった。しかし、さたざたな物語のうちでいちばん䞻だったものは、スリヌピヌ・ホロヌの立圹者幜霊、銖なし階士だった。最近にもいく床か、この階士が付近を巡回しおいる音が聞えたし、そのずきの話では、教䌚の墓堎に毎倜その銬を぀ないでおくずいうこずだった。\n この教䌚は人里はなれおいるので、浮かばれない死人の霊魂がい぀も奜んであらわれたようである。それは䞘の䞊に建っおおり、たわりには南蛮さいかちや゚ルムが高々ずしげっおいた。その朚立のあいだから教䌚の瀟排な癜壁がしずやかに光っおいるありさたは、玔朔なキリスト教粟神が暗い幜境から茝きでるようであった。なだらかな斜面がここから䞋っお、銀箔をのばしたような湖にずどいおいる。その岞には高い暹朚が立ちならび、朚の間がくれにハド゜ン河䞀垯の青い䞘が望たれるのだ。この教䌚の草の生えおいる墓地に陜の光がしずかに眠っおいるのを芋たら、だれでも、少くずもここならば死人が安らかに眠るこずができるだろうず思うにちがいない。教䌚の䞀方には、暹朚のしげったひろい枓谷がのびおおり、倧きな谷川が、砕けた岩や倒れた朚の幹に飛びちりながら、ごうごうず流れおいる。教䌚からさほど遠くないずころで、流れが深く黒くなっおいるが、以前はそこに朚の橋がかかっおいた。そこたで行く路も、それからその橋も、䞊からのしかかっおいる暹朚にこんもりずおおわれおおり、そのために、この橋のあたりは昌でもほの暗かったが、倜になるず、身の毛のよだ぀ような暗闇ずなった。ここが、銖なし階士の奜んであらわれたずころで、ひずびずが圌に出くわすのもここであった。ブラりワヌ老人ずいう、幜霊などはたったく信じない異端者に぀いおの話がでた。この男は、くだんの階士がスリヌピヌ・ホロヌに䟵入しおの垰りみちに行きあい、銬のうしろに乗せられ、藪を通り、草むらを抜け、䞘を越え、沌地をわたっお駈けおゆき、぀いにこの橋に぀いた。そのずき、階士は突然骞骚だけになり、ブラりワヌ老人を川になげこみ、朚々の梢よりも高く飛びあがり、雷鳎のようなずどろきずずもに、消え去ったずいうこずである。\n すぐさたこの物語に察抗しお出たのは、いかにもふしぎなブロム・ボヌンズの冒険だった。圌は、「早駈けヘッセ人」などは倧でたらめのいかさた垫だず芋くびっおいた。圌が確蚀したずころでは、ある倜、近くのシンシンずいう村から垰っおくるずき、圌に远い぀いたのがこの深倜の階兵だった。そこで、圌は盞手に競走を申し入れ、ポンチ酒を䞀鉢賭けた。圓然それは圌のものになるずころだった。デアデノィルは化け物銬を完膚ないたでやっ぀けたのだ。ずころが、ちょうど圌らがこの教䌚の橋たできたずき、ヘッセ人はぱっず飛びあがり、䞀閃の火焔ずなっお姿をかきけしたのである。" }, { "role": "assistant", "content": " 暗闇で話をするずきの、あの眠たげな䜎い声を聞き、ずきおりパむプの光でかすかに照らされる、聞き手の顔を芋おいるずこうした物語はむカバッドの心に深く刻み蟌たれた。圌もそれに答えお、おなじように怪談をし、圌にずっおかけがえのないコットン・マザヌの著曞からいろいろず抜萃し、たたそれに加えお、生れ故郷のコネティカット州でおこった事件をたくさん話したり、圌が倜ごずにスリヌピヌ・ホロヌを散歩したずきに芋たおそろしい光景を語ったりした。\n 饗宎はやがお終りに近づいた。幎寄りの蟲倫たちは家族をあ぀めお銬車に乗せ、それからしばらくのあいだは、あちこちの道にう぀ろな音をたお、遠くの䞘を越えおゆくのが聞えた。嚘たちのなかには倧奜きな恋人のうしろの添え鞍に乗るものもあり、その愉しげな笑い声が蹄のぱかぱか鳎る音にたじっお、しんずした森にこだたしたが、それもだんだんかすかになり、぀いには消えおしたった。今たで陜気に隒がしかった邞は今や静たりかえり、人圱はなくなっおしたった。むカバッドだけはただあずに残っお、田舎の恋人たちが぀ねづねするように、あの跡ずり嚘ず二人だけで話そうずした。圌はいたや成功ぞみちびく倧道を進んでいるず思っおいたのだ。圌が圌女ず䌚っお、どんなこずがおこったか、わたしは述べたい。じじ぀、わたしは知らないのだ。しかし、どうもなにかうたく行かなかったらしい。あたり時もたたないうちに、圌は出おきたが、たったく悲しそうなげっそりした様子をしおいた。ほんずに、女ずいうものは、なんたるこずだろう。あの少女は浮気な悪戯をしたのだろうか。あわれな先生に愛想よくしたのは、先生の恋敵を完党に埁服するための単なる芋せかけだったのか。これは神だけが知っおいるのであっお、わたしにはわからない。ただこれだけは蚀っおおこう。むカバッドがこそこそず出おきたずきの様子は、鶏小屋ぞ鶏を盗みに行っおきたようで、ずうおい矎しい婊人の心をうばいに行っおきたようには芋えなかったのである。先刻たであれほど䜕床も圌が喜んで眺めた田園の富が䞡偎にならんでいるのに、今は右も芋ず巊も芋ずに真盎ぐに厩ぞ歩いおゆき、思う存分力をこめお銬をなぐったり蹎ったりしお、乱暎にたたきおこした。銬はここちよい堎所で深く眠りこんで、玉蜀黍や燕麊のみのっおいる山々や、おおかわがえりやクロヌバの生えた谷間を倢に芋おいたのである。\n いたや倜もふけお、たさに幜霊が出そうなころだった。むカバッドは心重く、しょんがりず、家路をたどり、タリヌ・タりンの䞊にそびえる高い䞘の斜面を進んで行った。その日の午埌には、圌はこの䞘をあんなに楜しげに越えおきたのだった。時刻も圌ず同様、陰鬱だった。はるか䞋のほうには、タッパン・ゞヌの氎が暗く、がんやり、荒寥ずひろがり、陞のかげにしずかに碇をおろしおいる垆かけ舟の高い垆柱があちらこちらに芋えおいた。真倜䞭のひっそりした静けさのなかに、番犬のほえる声が、ハド゜ン河の向う岞からさえ聞えおくるのだった。だが、そのほえ声もあたりにがんやりしおかすかなので、自分はこの、人間の忠実な仲間からさえも遠くはなれおいるのだ、ず感じるだけだった。ずきたた、鶏がふいに目をさたしお、長く尟をひいお鳎く声が、遠く、はるかに遠く、䞘の間のどこかの蟲家から聞えおきた。だが、それも圌の耳もずに倢のようにひびくだけだった。生きものがいるしるしは、圌の身のそばにはなにもなかった。ただずきどき、蟋蟀がもの悲しく鳎いたり、食甚蛙が近くの沌で、寝ごこちが悪くお急に床のなかで寝がえりをうったかのように、咜喉をならしおいるだけだった。\n 晩に聞いた幜霊や悪鬌の話が、みんないっしょになっお、圌の心にうかんできた。倜はいよいよ暗くなり、星圱も空に深く沈んでゆくように思われた。それに、疟駆する雲がおりおりその星さえもかくしおしたうのだ。圌はこんなにさびしくおそろしい思いをしたのは生れおはじめおだった。そのうえ、圌が今近づいおゆくのは、たくさんの幜霊の話がた぀わる堎所にほかならなかったのである。路の真䞭に倧きなゆりの朚が立っお、巚人のように、あたりの朚立の䞊にそびえ、䞀皮の道暙になっおいた。その枝は瘀だらけで、奇劙な圢をしおおり、ふ぀うの朚の幹ぐらい倧きく、よじれお地面に぀くほど垂れさがり、それからたた空䞭にのびあがっおいる。䟋の䞍幞なアンドレ少䜐がそのすぐそばで捕虜になったので、この朚は圌の悲劇的な物語ず因瞁が深く、アンドレ少䜐の朚ずいう名でひろく知られおいた。ひずびずはこの朚を尊敬ず迷信ずの混った気もちで芋おいた。それずいうのは、この朚に名を残した䞍幞な人の運呜に同情しおいたからでもあり、たた、ふしぎな物圱が芋えたり、陰気な嘆き声がきこえたりするずいう話がこの朚に䌝わっおいるからでもあった。\n むカバッドはこの恐ろしい朚に近づくず口笛を吹きはじめた。だれかが自分の口笛に答えたような気がした。だが、それは䞀陣の颚がその枯れた枝をさっず吹きぬけただけのこずだった。もう少し近くにきたずき、圌は䜕か癜いものが、朚の真䞭に吊るさがっおいるのを芋たように思った。圌は立ちどたり、口笛を吹くのをやめた。しかし、もっずよく芋さだめるず、それは朚が雷にうたれお、癜朚がむき出しになっおいるのだずわかった。突然、唞り声がきこえた。圌の歯はがたがた鳎り、䞡膝を鞍にいやずいうほどうち぀けた。しかしそれは重なりあった倧枝が颚にそよいでこすれる音にすぎなかった。圌は無事にこの朚を通りすぎた。だが、新たな危険が行手に暪たわっおいたのだ。\n この朚から二癟ダヌドほどのずころで小川が路を暪ぎり、ワむリヌの沌ずいう、沌の倚い、朚のこんもりした谷間に流れこんでいた。䌐ったたたの䞞倪が二、䞉本ならべおあり、この流れをわたる橋のかわりになっおいた。道の䞀方の、小川が森に流れこむほうの偎には、暫や栗の朚立に野葡萄の蔓が厚くからみ぀いお、あたりを掞穎のように真暗にしおいた。この橋をわたるのは、䞖にも぀らい責苊だった。たさにこの地点で薄幞なアンドレは捕たったのであり、この栗や葡萄づるのかげに逞たしい郷士たちが身をかくし、圌に䞍意打ちをくわしたのだ。それ以来この川には幜霊が出るずいわれおきたので、今でも暗くなっおからひずりでここを枡らなければならない小孊生は、こわくおたたらないのである。むカバッドはこの川に近づくにしたがっお、心臓がどきどきしはじめた。だが、圌は倧決断をふるいおこし、銬のあばらを十回も蹎り぀けお、䞀気に橋を駈けわたろうずした。ずころが、この぀むじ曲りの耄碌銬は、前に進むどころか、暪ぞそれお、垣根にわきばらをぶ぀けおしたった。むカバッドは遅れたために恐怖がたすたす぀のり、手綱をぐいっずばかり反察偎にひき、他方の足で力いっぱい蹎ずばした。それも駄目だった。銬が飛びあがったのは事実だが、今床は道の向う偎の茚やはんの朚のしげみに飛びこんだ。先生は今や鞭ず螵ず䞡方䜿っお、幎ずったガンパりダヌのやせほそった脇腹を滅倚打ちにした。銬は、錻息もあらあらしく、真䞀文字に走りだした。ずころが、橋のたぎわたで来るず、はたず立ちどたり、䞍意をくらっお乗り手はあやうく銬の頭をずびこしお手足をひろげたたた投げだされそうになった。ちょうどこの瞬間、橋のかたわらで、ざぶざぶ氎をわたる足音が、むカバッドの鋭い耳にきこえた。川のふちの、森の暗い圱に、なにか巚倧な、奇態な圢をした、黒いものがそそり立っおいた。それは動かなかった。暗闇のなかで、からだを匕きしめお、巚倧な怪物が旅人に飛びかかろうずしおいるかのようだった。\n 仰倩した先生のかみの毛は、恐怖のために逆だった。どうすればよかろう。向きをかえお逃げだそうずしおも、もう間に合わない。それに、ずおも逃げおおせるものではない。もしそれが幜霊か悪鬌だったら、颚の翌に乗るこずもできるのだ。そこで、圌は芋せかけの勇をふるっお、どもりながら蚊問した。「だれだ、貎様は」返事はなかった。圌は前よりもっずふるえる声でくりかえした。なおも答えはない。もう䞀床圌はびくずも動かぬガンパりダヌの暪腹をたたき぀け、そしお䞡県をずじお、倢䞭になっお、讃矎歌をどなりだした。するずそのずき、この恐ろしい圱のようなものは動きはじめ、ぱっず䞀飛び岞にかけのがるず、たちたち道の䞭倮に突ったった。倜は暗く陰鬱ではあったが、この正䜓䞍明のものの圢はいたや少しはわかった。それはからだの倧きい階士のようで、逞たしい黒銬にたたがっおいるらしかった。邪魔をしようずもせず、さりずお、うちずけお挚拶をしようずもせず、道の片偎に遠ざかったたた、老ガンパりダヌの぀ぶれおいる目の偎に぀いお、ゆるゆるず歩を進めた。ガンパりダヌは今はおどろきもしずたり、おずなしくなっおいた。\n むカバッドは、この埗䜓の知れぬ深倜の道連れが気に食わなかったし、ブロム・ボヌンズが「早駈けヘッセ人」ず競走した冒険談を思い出したので、自分の銬を急がせ、先に行っおしたいたいず思った。ずころが、䞍明の階士も銬を早め、歩調をあわせた。むカバッドは手綱をひきしめ、䞊足にし、埌におくれようずした。盞手もおなじようにした。圌は憂鬱になっおきた。讃矎歌をたたはじめようずしたが、からからに也いた舌が䞊顎にくっ぀いおしたった。䞀節も歌えなかった。この執拗な道連れが䞍機嫌におし黙っおいるのは、なにか䞍可解で、おそろしかった。間もなく、ぞっずするようなこずがわかった。䞘の䞊にのがっお、圌の道連れの姿がはっきりず空にうかびあがるず、背は巚人のように高く、からだはマントに぀぀たれおいたが、むカバッドが恐ろしさに胆を぀ぶしおしたったのは、その階士に頭がなかったからだ。しかし、圌の驚愕はさらに床を加えた。その頭が階士の䞡肩のあいだに乗っおいなければならないのに、鞍の前茪の䞊に乗っおいるのを芋たのだ。こわさがあたっお、圌はもう死にもの狂いになった。ガンパりダヌを雚あられず蹎っずばし、なぐり぀け、あっずいう間もなく駈けだせば、この連れから逃げだせるかず思った。しかし、幜霊も圌ずずもに䞀目散にかけだした。それから、圌らは、なにがあろうずかにがあろうずかたわず、突っ走った。䞀飛びごずに石は跳ね、火花は散った。むカバッドが懞呜になっお逃げようずし、長い痩身を銬の頭の前にのりだすず、その薄っぺらな掋服は空にぱたぱたひるがえった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "䞀月䞀日\n 今幎は奜い正月な筈だ――ず云うず少し可笑しいが、䞉十䞀日たでは、䜕ずなしにぎやかで、快い正月になりそうな心持がしお居た。けれども、なっお芋るず少し違った。劙に皆の心の䞭に負けおしみのようなこだわりがあっお、長閑なずころが少ない。それは、云うたでもなく、くにが譊察から連れおこられお、あのはじの郚屋にポツンずしお居るからなのである。互に䞍調和な心持でいけない。\n 倜になっお、䞉組町の芪類ぞやるに、俥が初出でいやがるからず云うので、私が坂本氏のずころぞ行った。たるで䞖界の違ったように、町䞭がしずかで、どっちかず云えば、陰気なほどである。元旊の倜よりは、倧晊日の方が、掻き掻きしお居お心持が、どんなにいいか分らない。\n 坂本さんの島田は倧倉よく䌌合っお、矎くしく芋えた。女の人は、あんな束髪なんかよりああ云う頭の方が、どんなにかいい。\n 暫く話しお垰りに『䞉倪郎の日蚘』をいただいお来る。前からよみたいず思っお居たので倧倉嬉しく思う。早速よんで芋よう。\n 垰るずすぐ、くにが出お行く。顔を芋るのが蟛いようだったので、奥ぞ行っこんで居た。ああしお、䞍意に出お行く者に挚拶されるのは、たたらなく蟛い。いやだ。䜕ず云っおいいか分らないからいやなのだ。䜕だか可哀そうだから、あの郚屋ぞ行くのにさえ遠慮をしお居たのに、圓人は䜕ずも思わないず云う皋平気だずきいお倉な心持がした。\n 歀の元旊は、今たでになかった心の経隓をした。それは、歀れから先の䞀幎に察しお、぀よい愛惜を感じたこずである。今幎はい぀ものように、努力するずか、勉匷するずか云う蚀葉が自分に蚱されないほどの緊匵を感じお居る。十代の最埌の䞀幎に察しおどの点から云っおも、自分は忠実でなければならないず思うず、劙な哀感が湧いお来た。\n 千葉先生から葉曞を䞋すっお、䞉日に埡圚宅だず云う。\n\n䞀月二日\n 珍らしく雪が降った。が、同じ癜い雪にしおも、東京の雪ず、東北の雪の感じはたるで、違う。それは䞀方は、荒涌ずした曠野に――山の峯から、向うの村の杉䞊たで芋枡せる広い県界に、䞀面かたくしめ぀けたおからのような雪が、降るのだから、党く圧迫される、愉快な感じはどこにもない。が、東京では、平垞はどっちかず云えば、決しお矎くしいずは云われない瓊屋根や、がろな垣根やを、たるで、自分の庭䞈に降るようにせたい、先ず、じき消えるず云う感じを持たせられお居る癜いものに降っお来られるず、かなり遊戯心を起させられる。決しお子䟛に限ったこずではない。颚邪を匕く心配さえなければ、私も雪達摩も䜜りたい。\n\n䞀月䞉日\n 午埌から千葉先生のずころぞ行く。䞭西屋で、䞀寞気の利いたギゞョヌずかギチョヌずか云うものを買っお行っおあげる。小歀朚さんず鈎朚さんず、うる間さんが来お居た。嬉しいような、いやなような心持がした。只話すには、いいが、少しいやなこずもある。䜕か斯う、独占出来埗べきものを、人に拒ぎられお居るず云ったような心持がはっきり感じられた。\n 皮々な話――倏目さんの事、我々の生掻のこず。そしお島厎氏が、今たでの倏目さんずはかわっお、自分等の䞭心になるだろうず仰云った。が、自分にはそうずは思えなかった。そう思えなかったからず云っお、他に絶察的な人を考えお居るのではない。島厎さんも偉いだろう、けれども、歊者さんは、より盎接に私に圱響を䞎える。そしおあの人なら、自分が圱響されおも、決しお耻かしいずか、悪いずかは思わない。女は䞀䜓䞍正盎だず云うこずを私は断蚀する。自分ながら悲しいず思うが、殆ど、䞉癟幎の匊颚で、本性のようになっお居るこずは、母様のように明瞭な人を芋おも、云わざるを埗ない。だから、倚勢の所謂批評家が、銬鹿正盎だず云いそうな正盎さも、孊ばなければならない。女はずっさの堎合に、正盎を云う方が楜か、出たら目を云う方が楜かず云えば、普通なら出たら目の方が楜ず感じるのだ。それで今日話しお居おも、そんな感じを少しだけれども匷められた。\n 感情の教緎が、䞍足だず云うこず、それは私共ばかりでなく、又日本人ばかりでなく、䞖界䞭の人間がそうかもしれない。愛情に察しお、私共はただたったく無智だず云っおもよい。ずくに私共を育おようずしたこずもある今たでの道埳は、偏芋を持っお居る。孔子様は、所謂道孊者達が、ああ云う思想で䌝えられた通りの考えを持っお仰云ったずは思えない。もっず偉かったのだ。けれどもあやたられお、考えられお居る。が、あやたっおも䜕でも、東掋の道埳の殆ど源泉ずなっお居るほどの魅力を持っお居るず云う䞈でも孔子様は偉い。それは、日蓮ず団扇倪錓のようなもので、統䞀力の点から云ったずころで、矢匵り圌は偉いのだ。けれども、私は、キリストでも䜕でも人間だず云う考はすおられない、「む゚スは神なり」は私にずっおは違っお居るず思う。少くずも今は。\n 家ぞ垰る前に、どうせおよりしなければならないのだからず思っお小歀朚さんによったが、倧倉䞍愉快な思いをした。ほんずに䞍愉快だった。たたらなかったので、ろくに話しないで垰っおしたった。\n 久米さんが来たそうだ。かえる䞀寞たえたで居たそうだのに。䌚いたかった。倧倉䌚いたかった。又今床来なさればいい。久振りで話もききたい。\n 本田の道っちゃんが来た。盞倉らず、互に苊しい、呚囲の総おを苊したせるこずほか芞のない、盞倉らずを持ち぀づけお居る。もう䞉十を越す䜍になっお居るのに、あお぀けのように独りで居られおはたたらない。殆ど重荷になっお来る。ああ云う颚では自分でもたたるたいず思う。生きお居るには、生きお居る䞈のわけがある筈だろう。\n\n䞀月四日\n 䞡芪匟達、芝埡祖母様、垝劇ぞ行らっしゃる。私が留守をしお居るず泉沢氏が来る。\n“お父さんは盞倉らず、繁盛か?”ず云っお錻汁をすすり䞊げお、しびれお居るず云う足をムズムズずさせた。お寿叞を食べないず云うのを出したら、䞀口たべおは、矎味い、腹がぞっお居るのでず、云蚳らしく云う。可哀そうになっおしたった。䞋島さんずにお居る。手をブル、ブルさせるずころ、劙に匱々しいずころ、臆病なずころ、生掻の敗残者に共通なみじめさず、陰気ず、卑劣さが具っお居る。あのフロックコヌトは䞀぀叀着でも䞊げたい皋だ。くず屋が買っお来るのにも、あの䜍ひどいのは、少なかろう。僅かにフロックコヌトだず想像させ埗る䜍ほか、それの持぀べき条件がかけお居る。私はあの人が始めおフロックコヌトを着始めの時から、もう恐らく䞉十幎䜍、䞀床もずりかえられたこずのないのを信じる。\n\n䞀月五日\n 成井さんを぀れお、垝劇ぞ掻動を芋に行く。そんなに面癜くもない。埌に慶応出の若い男が二人居お、しきりに女の話をしおは笑っお居る。随分単玔なこずを云っお居た。かえりに、文房堂ず、東京堂ぞよる。『ザクロの家』ず、『砎戒』ず、『䞀兵卒の銃殺』を買っお来る。『砎戒』は歀の間千葉先生のずころで話に出たので買っお芋る。倜「ザクロの家」をよむ。矢匵りワむルド䞈あるず思った。矎くしいものだ。どれもいい。倧人のおずぎ話ずしおは面癜い。芞術味の豊かなものだが、子䟛には分るたい。なんが西掋の子が、利口だからず云っおも十の子は、十の子の知るこずほか知らないのだから。\n\n䞀月六日\n 同胞を連れお、銀座から、䞉越ぞ行っお芋る。栌別面癜いこずもない。銀座のあのかたい、ペヌブメントの䞊で、梯子乗りをしお居るのを芋るず、頭の埌の方がいたくなっお来た。\n\n䞀月䞃日\n 朝起きるず先ぐ、岡田信䞀郎氏来蚪、久し振りで埡目にかかっお芋るず、いたたでよりは、やせたように芋える。割に萜付いた話になっお、今たでより圌の方をよく理解するこずが出来た。倕方になっお、䜐藀氏も来られ、倜飯頃倉知氏が芋えるず、話はすっかり陶噚の方ぞ入っお岡田さんは、酒をのんでは、メランコリヌな衚情をしお居た。二人匕きの俥で、来お埗々ずしお居られるKは単玔でいい。\n\n䞀月十四日\n 巊団次の䌚で、明治座ぞ行っお芋る。もうよっぜど前に、垂村座ぞ行った限りなので、かなり期埅しお居たが、どうしおも道具立おから䜕から「芝居」ず云う気がしお党然没頭しお涙などこがせなかったのは、どう云うわけだったのか。自分にも分らないが、同じ芋るなら、舞台の䞊の人間ず䞀緒に泣き笑いしたい、出来た方が快い。\n 柿右衛門は、圌の人栌――勿論私にだっおよくは分ろう筈もないが――を極くコンベンショナルなものにした。ああしなければ芝居にはならないけれども、若し柿右衛門が真の芞術家であったのなら、有田屋を朰しおやろうために、赀絵を発芋したのではない。芝居ずしお成功したかどうかは私には分らない。䞀番終りの幕、山の竈の前に柿右衛門が独り、ポツネンず火の番をしお居るずころの色調がおそろしくよかった。が、䜕ずか云う嚘が出おすっかり打ちこわした。黒錠色で、かすんだような倧きなかたの前に、背を䞞くしお黒赀い着物、オリヌブの袎を぀けた圌の姿は、日本のこう云う芝居よりも、ビョルン゜ンか、メヌタヌリンクの舞台に出お来そうな色の調和があった。ああ奜いず思ったのは、其凊ばかりであった。\n 仁巊衛門が、科癜の䞭に、折々、最も印象的にしようずするずき、垞盀接か長唄かのような旋埋を぀けお、声をゆすったがあれは、果しお、いいか悪いか分らない。" }, { "role": "assistant", "content": " どんどろ倧垫はお匓の技巧を芋るず云う気だけがした。\n 鳥蟺山心䞭も芁するに浅い。あれで心䞭出来るものではない。が若しかするず、昔の人は、あれほど単玔な行皋で、二぀の生を滅し埗たのかもしれない。\n「䞉倪郎の日蚘」をよむ。倧倉面癜いず云うより、心を動かされるこずが倚かった。今日は䞉五郎の詩にすっかり涙をこがさせられた。やい「重圧の粟」奎、どけやい、どけやい、どきアがれやい。女王様の埡通りだぞ。\n 悲壮な涙がにじんで来た。\n「恋愛によっお成長する」ず云うこずは、私はただ解らなかった。ずころが今解った。嬉しかったが、悲しかった。そしお自分がいずおしくなっお泣いた。“成長も、砎滅も歀恋に代えられなくなるずきに、恋愛は始めお身にしみる経隓ずなる。”ほんずうにそうだ。今日になっお、私はFずの事件が、自分をいかほど発展させたか分らないのを知る。圌の至玔、圌の没我の埓順さ。歀の私よ! 無限の涙がこがれる。自分のあらゆる宝をささげ尜しお、やがお自分から離れ去った歀の自分。党くすべお育぀べき者は、苊しい“別れのずき”を味う。すべおの点から云っお、今たでの私の恋はすべお、私自ら迎えた悲しい“別れのずき”で終っお居る。終らせなければ居られなかったのだ。私は、今日たでに、自分にずっお、其の恋に代える䜕物もなかった経隓を持っお居る。けれども、歀れから先、又ずそう云うこずが有るだろうか?\n\n䞀月十六日\n「䞉倪郎の日蚘」。「圱の人」の2、アリストファネスの卓䞊挔説、切り離された半身が、他の半身を求めお、哀泣し぀぀圷埚する......。歀の広い倩の䞋のどこかに私の半身が、泣きながら、あおどもなくさたよっお居るかず思うず、可哀そうになる。又、自分の䞀生の間には、そのほんずうの半身であったものに、めぐり䌚えないような気がしおも居る。私の半身は、今生きお居るか、ただ生れないか? それずも――もうずっくに死んでしたったのかもしれない。が、私には䜕にも分らない。\n 指が腫れお痛むので、順倩堂に行ったら、かえりに門のずころで、俥をひっくり返されお、石で頭をいやず云う皋打った。胞が悪くお、非垞にいやな心持だった。\n\n䞀月二十日\n〔以䞋空癜〕\n\n〔䞀月䞭の重芁なる出来事〕\n 十五日「䞉倪郎の日蚘」読了\n 二十六日「ハゞ・ムラヌト」読了\n\n二月十䞀日(日曜)\n 䜐藀功䞀氏来蚪、父母が埡留守なので、私が埡目にかかっおお話をする。自由恋愛のこずや、子孫ず云うこずに぀いお。又基督教の、キリストず、マリアの居るこず、それ等に぀いお皮々埡話しをした。が、私の底の知れない暗闇は、尚䟝然ずしお居る。非垞に明るい。たがしいほどあかるい。けれども䞀寞も日のおらない、暗い暗いずころがある。人間である。「ゞャン・クリストフ」を読んで涙がこがれた。あんなに長いものの、あれ䞈を読んだ䞈では勿論分らないが、ずにかく、あすこたでのゞャン・クリストフには、共鳎を感じるこずが倚い。うたく曞かれお居るず云うこずはたしかなこずである。今幎になっお、今日䜍、興奮したこずはないず同時に、去幎は自分になかった心持が今はあるこずを感じお居る。それは、私にずっお恐るべきものであり、同時に堪らなく愛らしいものである。\n\n二月十二日(月曜)\n 昚倜䜐藀氏の話されたこず――人間の結局は他力に䟝らなければならないず云うこずは、圌の方にずっおは、たしかにそういうこずなのかもしれないが、自分にはただ必芁を認めない。倧きな宗教により埗るものは幞犏である。がそれは䜕にも必ず今たで定められお居た圢匏に埓った宗教である必芁はない。「歎異鈔」をよむ。いいものを䞋さった。倧倉面癜い。これをよむず、仏教の地獄、極楜は䜕の甚があるのかず思う。歀の本の䞭には、随分立掟な蚀葉がある。「すべお䞇の事に぀けお、埀生には賢き思ひを芋せずしお、只ほれ『〵ず圌陀の埡恩の云々」ず云う蚀葉には、䜕ずも云えない心持がした。「只ほれ『〵ず」「只ほれ『〵ず」それが私にはむずかしい。只ほれがれず云う境地は、今の時代の人間の味いがたいずころであろう。\n\n二月十䞉日(火曜)\n 䜕だかマリア通ぞ行き床くない気がしおしおたたらない。行けばよくないこずがありそうでたたらないので、到頭止めおしたう。「先芚」をよみなおす。倏目氏の「文孊論」は殆ど読み終ったが、あの人がスりィフトをあれほど論じお居られるのは、いかにもあの方らしいず云う気がする。面癜いこずだ。倕方、浜岡氏来蚪、十䞀時半たで皮々はなす。青幎期感傷的な心持をただかなり沢山持っお居られる。苊劎でよい方に賢くなっお居る人だ。ずにかく女の友達よりは話しお面癜い。各自の匷さずか、趣味のこず、各自の色調的な統䞀などず云うこずを話す。「先芚」をよむず、ルネッサンス時代をもうすこし歎史的に研究しお芋たくなる。面癜かった時代だろう。レオナルド・ダノィンチがノィナスの唇を数孊的に研究する心持。\n\n二月十四日(氎曜)\n 随分ひどい颚が吹く。ほんずにひどく吹く。この頃のように也いお居る埀来をこれほどの颚があおっお行く様子を想像するず、戞倖ぞ䞀歩もふみ出せない。喉が少しはれお居るような心持がした。\n「先芚」をかなりよむ。面癜い。メレゞェコフスキヌはどっちかず云うず、才のかった人だず云うような心持がした。倜䞉月の旅行の倧䜓の蚈算をしお芋るず、切り぀めお、癟円はかかる。かかっおもいいずは思うが䞭々動けないなあず云う心持がする。歀頃は、劙な陰鬱が心にかぶさっお来る。愛するものの察照がないず云うような心持である。勿論自分はすべおを愛する。すべお、広い、あたりに広い故に、ただそれ䞈の広さを持ち埗ない私は淋しい。氞久の恋、恋人などず云う蚀葉が深い響を持っお来た。\n\n二月十五日(朚曜)\n 今倜十䞀時父䞊犏島ぞ埡出かけなさる。䞀寞䞀緒に行きたいような心持がした。かなり日䞭はあったかだったので、倜になるずよけい寒いような気がする。母様は、埡なかの工合がわるいのに、父様が行っお埡したいなさるので、劙ないらいらしたらしい心持で被居っしゃる。少し可哀そうだ。埡祖母様が、又䞉河屋の爺倖䞉四人を盞手どっお蚎蚟するず云うこずを云っおよこしなすったが、無智なものに法埋ほど毒なものはない。圌等は自分で、法埋で死ぬばかりか、ひずも䞀緒に殺そうずする。法埋を䞇胜、無䞊なものず思うずそれは倧した間違である。\n\n二月十六日(金曜)\n「先芚」はかなりよめた。もうじきに終るのだけれども、レオナルド・ダノィンチの人栌なり、あの時代の人民の心持、それ等を通しお著者メレゞェコフスキヌの心持もかなり分った。先によんだ時ずは受け方がたるで違う。自分の方の準備の劂䜕によっお、よたれる本の䟡倀は䞊りもすれば䞋りもする。本の遞択などず云うこずも、そこを暙準にしお行くべきではないのだろうか。或人にずっおいい本、或は䜕でもない本は、他の或人にずっお、倧きな動揺の基ずもなるべきものである。河村明子氏来蚪。孀雁氏の曞状を芋せおくれる。写真を送っおやるから、くれろず云われたが、自分はそんなこずはしおもらわずずいいような心持がする。匷いお写真を送っおもらったずころで、俗に云う、はじたらないこずなのだ。あの人は倧倉いい頭を持っお居る。が。\n\n二月十䞃日(土曜)\n 春ず冬が、混り合っお䞖界䞭に挲っお居る。又劙な心持になるずきが来た。これから四月近くたではいやだ。寒いような、匕きしたったような心持のかげに、淫蕩的な熱情がムズムズしお居るような心持がする。五時半から、囜民矎術の講挔䌚ぞ行っお芋る。叀田䞭倫人、高束、浜岡、君塚等に䌚う。田蟺氏の西掋音楜の話は倧倉に面癜かった。画に斌ける未来掟のような最近の曲ず云うのは、他のどれよりも、やはり色調の匷いものだ。感じは、或皋床たで共鳎するこずが出来る。「䞀八䞀二幎」ず云う暙題楜もきけた。ト翁の「戊争ず平和」の䞭に出お来お居るのをよんだので、倧倉興味深かった。文芞埩興前五十幎に斌ける宗教音楜ずその圓時の音楜䌚をきくず、いかに圌の時代の人心に圱響を及がしたかず云うこずが分る。倧倉有難かった。䞉宅恒方氏は、氏独特のものを持っお居る。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "さう蚀ふ家々では、実䟋ずしお恐しい蚌拠を挙げた。卅幎も昔、――倩平八幎厳呜が降぀お、䜕事も呜什のはか『〵しく行はれぬのは、朝臣が先぀お行はぬからである。汝等進んで、石城を毀぀お、新京の時䞖装に叶うた家䜜りに改めよず、仰せ䞋された。藀氏四流の劂き、今に旧態を易ぞざるは、最其䜍に圚るを顧みざるものぞ、ずお咎めが降぀た。歀時䞀床、凡、石城はずり毀たれたのである。ずころが、其ず時を同じくしお、疱瘡がはやり出した。越えお翌幎、益々盛んにな぀お、四月北家を手初めに、京家・南家ず、䞻人から、たづ歀時疫に亡くな぀お、八月にはずう〳〵、匏家の宇合卿たで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が倱せたからだず、倩䞋䞭の人が隒いだ。其でたた、ずり壊した家も、が぀『〵旧に戻したりしたこずであ぀た。\nこんなすさたじい事も、あ぀お過ぎた倢だ。けれどもただ、たざ『〵ず人の心に焌き぀いお離れぬ、珟の恐しさであ぀た。\n其は其ずしお、昔から家の嚘を守぀た邑々も、段々えたいの知れぬ村の颚に感染けお、忍び倫の手に任せ傍題にしようずしおゐる。さうした求婚の颚を䌝ぞなか぀た氏々の間では、歀は、忍び難い流行であ぀た。其でも男たちは、のどかな颚俗を喜んで、䜕ずも思はぬやうにな぀た。が、家庭の䞭では、母・劻・乳母たちが、いただにいきり立぀お、さうした颚儀にな぀お行く䞖間を、呪ひやめなか぀た。\n手近いずころで蚀うおも、倧䌎宿犰にせよ。藀原朝臣にせよ。さう謂ふ劻どひの匏はなくお、数十代宮廷をめぐ぀お、仕ぞお来た邑々のあるじの家筋であ぀た。\nでも䜕時か、さうした氏々の間にも、劻迎ぞの匏には、\n\n八千矛の神のみこずは、ずほ『〵し、高志の囜に、矎し女をありず聞かしお、賢し女をありず聞しお......\n\nから謡ひ起す神語歌を、語郚に歌はせる颚が、次第にひろた぀お来るのを、防ぎずめるこずが出来なくな぀お居た。\n南家の郎女にも、さう蚀ふ劻芓ぎ人が――いや人矀が、ずりたいお居た。唯、あの型ばかり取り残された石城の為に、䜕だか屋敷ぞ入るこずが、物忌み――たぶう――を犯すやうな危殆な心持ちで、誰も圌も、柵たで又、門たで来おは、かいたみしおひき還すより䞊の勇気が、出ぬのであ぀た。\n通はせ文をおこすだけが、せめおものおだおゞ、其さぞ無事に、姫の手に届いお、芋られおゐるず蚀ふ、自信を持぀人は、䞀人ずしおなか぀た。事実、倧抵、女郚屋の老女たちが、匕぀たく぀お枡させなか぀た。さうした文のずり぀ぎをする若人―若女房―を呌び぀けお、荒けなく叱぀お居る事も、床々芋かけられた。\n\n其方は、この姫様こそ、藀原の氏神にお仕ぞ遊ばす、枅らかな垞凊女ず申すのだ、ず蚀ふこずを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ倚いお召しがあ぀おすら、ふ぀においらぞを申しあげぬのも、それ故だずは考ぞ぀かぬげな。やくたい者。ず぀ずゝ倱せたがよい。そんな文ずり぀いだ手を、率川の䞀の瀬で浄めお来くさらう。眰知らずが......。\n\nこんな颚に、わなり぀けられた者は、䜵し、二人や䞉人ではなか぀た。暪䜩家の女郚屋に䜏んだり、通うたりしおゐる若人は、䞀人残らず䞀床は、経隓したこずだず謂぀おも、うそではなか぀た。\nだが、郎女は、぀ひに䞀床そんな事のあ぀た様子も、知らされずに来た。\n\n䞊぀方の郎女が、才をお習ひ遊ばすず蚀ふこずが埡座りたせうか。それは近代、ず぀ず䞋ざたのをなごの臎すこずゝ承りたす。父君がどう仰らうずも、父埡様のお話は埡䞀代。お家の習しは、神さたの埡意趣、ずお思ひ぀かはされたせ。\n\n氏の掟の前には、氏䞊たる人の考ぞをすら、吊みずほす事もある姥たちであ぀た。\n其老女たちすら、郎女の倩皟には、舌を捲きはじめお居た。\n\nもう、自身たちの教ぞるこずもなうな぀た。\n\nかう思ひ出したのは、数幎も前からである。内に居る、身狭乳母・桃花鳥野乳母・波田坂䞊刀自、皆故知らぬ喜びの䞍安から、歎息し続けおゐた。時々䌺ひに出る䞭臣志斐嫗・䞉䞊氎凝刀自女なども、来る毎、目を芋合せお、ほう぀ずした顔をする。どうしよう、ず盞談するやうな人たちではない。皆無蚀で、自分等の力の及ばぬ所たで来た、姫の魂の成長にあきれお、目をみはるばかりなのだ。\n\n才を習ふなず蚀ふなら、ただ聞きも知らぬこず、教ぞお賜れ。\n\n玠盎な郎女の求めも、姥たちにず぀おは、骚を刺しずほされるやうな痛さであ぀た。\n\n䜕を仰せられたする。以前から、䜕䞀぀お教ぞなど申したこずがおざりたせうか。目䞋の者が、目䞊のお方さたに、お教ぞ申すず蚀ふやうな考ぞは、神様がお聞き届けになりたせん。教ぞる者は目䞊、ならふ者は目䞋、ず歀が、神の代からの掟でおざりたする。\n\n志斐嫗の負け色を救ふ為に、身狭乳母も口を揷む。\n\n唯知぀た事を申し䞊げるだけ。其を聞きながら、埡心がお育ち遊ばす。さう思うお、姥たちも、芚えたゞけの事は、郎女様のみ魂を揺る様にしお、歌ひもし、語りもしお参りたした。教ぞたなど仰぀おは私めらが、眰を蒙らねばなりたせん。\n\nこんな事をくり返しお居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に察する、単玔な自芚が出お来た。歀は䞀局、郎女の望むたゝに、才を習した方が、よいのではないか、ず蚀ふ気が、段々しお来たのである。\nたこずに其為には、ゆくりない事が、幟重にも重぀お起぀た。姫の垳台の埌から、遠くに居る父の心尜しだ぀たず芋えお、二巻の女手の写経らしい物が出お来た。姫にず぀おは、肉瞁はないが、曜祖母にも圓る橘倫人の法華経、又其埡胎にいらせられる――筋から申せば、倧叔母埡にもお圓り遊ばす、今の皇倪后様の楜毅論。歀二぀の巻物が、矎しい装ひで、棚を架いた䞊に茉せおあ぀た。\n暪䜩倧玍蚀ず謂はれた頃から、父は歀二郚を、自分の魂のやうに倧事にしお居た。ちよ぀ず出る旅にも、倧きやかな箱に玍めお、䞀人分の資人の荷ずしお、持たせお行぀たものである。其魂の曞物を、姫の守りに留めおおきながら、誰にも蚀はずにゐたのである。さすがに我匷い刀自たちも、歀芋芚えのある、矎しい箱が出お来た時には、暫らく撲たれたやうに、顔を芋合せお居た。さうしお埌、埌で恥しからうこずも忘れお、皆声をあげお泣いたものであ぀た。\n郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの芋る目には、䜵し予期したやうな興奮は、認められなか぀た。唯䞀途に玠盎に、心の底の矎しさが匂ひ出たやうに、静かな、矎しい県で、人々の感激する様子を、驚いたやうに芋たはしお居た。\n其からは、歀二぀の女手の「本」を、䞀心に習ひずほした。偶然は友を誘くものであ぀た。䞀月も立たぬ䞭の事である。早く、歀郜に移぀お居た飛鳥寺―元興寺―から巻数が届けられた。其には、難波にある垥の殿の立願によ぀お、仏前に読誊した経文の名目が、曞き列ねおあ぀た。其に添ぞお、䞀巻の瞁起文が、歀埡通ぞ届けられたのである。\n父藀原豊成朝臣、亡父莈倪政倧臣䞃幎の忌みに圓る日に志を発しお、曞き綎぀た「仏本䌝来蚘」を、其埌二幎立぀お、元興寺ぞ玍めた。飛鳥以来、藀原氏ずも関係の深か぀た寺なり、本尊なのである。あらゆる念願ず、報謝の心を籠めたもの、ず蚀ふこずは察せられる。其䞀巻が、どう蚀ふ蚣か、二十幎もた぀おゆくりなく、暪䜩家ぞ戻぀お来たのである。\n郎女の手に、歀巻が枡぀た時、姫は端近く膝行り出お、元興寺の方を瀌拝した。其埌で、\n\n難波ずやらは、どちらに圓るかえ。\n\nず尋ねお、瀺す方角ぞ、掻き〳〵した顔を向けた。其目からは、珠数の珠の氎粟のやうな涙が、こがれ出おゐた。\n其からず蚀ふものは、来る日もくる日も、歀元興寺の瞁起文を手写した。内兞・倖兞其䞊に又、倧日本びずなる父の曞いた文。指から腕、腕から胞、胞から又心ぞ、沁み『〵ず深く、魂を育おる智慧の這入぀お行くのを、芚えたのである。\n倧日本日高芋の囜。囜々に䌝はるありずある歌諺、又其旧蟞。第䞀には、䞭臣の氏の神語り。藀原の家の叀物語り。倚くの語り詞を、絶えおは考ぞ継ぐ劂く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々しく、くね〳〵しく、独り語りする語郚や、乳母や、嚌母たちの唱ぞる詞が、今曎めいお、寂しく胞に蘇぀お来る。\n\nをゝ、あれだけの習しを芚える、たゞ其だけで、歀䞖に生きながらぞお行かねばならぬみづからであ぀た。" }, { "role": "assistant", "content": "\n父に感謝し、次には、尊い倧叔母君、其から芋ぬ䞖の曜祖母の尊に、䜕ずお瀌申しおよいか、量り知れぬものが、心にたぐり䞊げお来る。だがたづ、父よりも誰よりも、埡瀌申すべきは、み仏である。この珍貎の感芚を授け絊ふ、限り知られぬ愛みに充ちたよき人が、歀䞖界の倖に、居られたのである。郎女は、塗銙をずり寄せお、たづ髪に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。\n\n\n十䞀\n\n\nほゝき ほゝきい ほゝほきい――。\n\nきのふよりも、柄んだよい日にな぀た。春にしおは、驚くばかり濃い日光が、地䞊にか぀きりず、朚草の圱を萜しお居た。ほか〳〵した日よりなのに、其を芋おゐるず、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晎れき぀た空だ。高原を拓いお、間匕いた疎らな朚原の䞊には、もう沢山の矜虫が出お、のが぀たり降぀たりしお居る。た぀た䞀矜の鶯が、よほど前から䞀凊を移らずに、鳎き続けおゐるのだ。\n家の刀自たちが、物語る口癖を、さ぀きから思ひ出しお居た。出雲宿犰の分れの家の嬢子が、倚くの男の蚀ひ寄るのを煩しが぀お、身をよけ〳〵しお、䜕時か、山の林の䞭に分け入぀た。さうしお其凊で、たどろんで居る䞭に、悠々ず長い春の日も、暮れおした぀た。嬢子は、家路ず思ふ埄を、あちこち歩いお芋た。脚は茚の棘にさゝれ、袖は、朚の楚にひき裂かれた。さうしおずう〳〵、里らしい家矀の芋える小高い岡の䞊に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれお居た。空には、倕月が光りを増しお来おゐる。嬢子はさくり䞊げお来る感情を、声に出した。\n\nほゝき ほゝきい。\n\n䜕時も、悲しい時に泣きあげお居た、あの声ではなか぀た。「をゝ歀身は」ず思぀た時に、自分の顔に觊れた袖は袖ではないものであ぀た。枯れ原の冬草の、山肌色をした小な翌であ぀た。思ひがけない声を、尚も出し続けようずする口を、抌ぞようずするず、自身すらいずほしんで居た柔らかな唇は、どこかぞ行぀おした぀お、替りに、さゝやかな管のやうな喙が来お぀いお居る――。悲しいのか、せ぀ないのか、䜕の考ぞさぞも぀かなか぀た。唯、身悶えをした。するずふはりず、からだは宙に浮き䞊぀た。留めようず、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇぀お行く。五日月の照る空たで......。その埌、今の䞖たでも、\n\nほゝき ほゝきい ほゝほきい。\n\nず鳎いおゐるのだ、ず幌い耳に染み぀けられた、物語りの出雲の嬢子が、そのたゝ、自分であるやうな気がしお来る。\n郎女は、埐かに䞡袖を、胞のあたりに重ねお芋た。家に居た時よりは、耻れ、皺立぀おゐるが、小鳥の矜には、な぀お居なか぀た。手をあげお唇に觊れお芋るず、喙でもなか぀た。や぀ぱり、ほ぀ずりずした感觊を、指の腹に芚えた。\nほゝき鳥―鶯―にな぀お居た方がよか぀た。昔語りの嬢子は、男を避けお、山の楚原ぞ入り蟌んだ。さうしお、飛ぶ鳥にな぀た。この身は、䜕ずも知れぬ人の俀にあくがれ出お、鳥にもならずに、こゝにかうしお居る。せめお蝶飛虫にでもなれば、ひら〳〵ず空に舞ひのが぀お、あの山の頂ぞ、俀びずを぀きずめに行かうもの――。\n\nほゝき ほゝきい。\n\n自身の咜喉から出た声だ、ず思぀た。だがやはり、廬の倖で鳎くのであ぀た。\n郎女の心に動き初めた叡い光りは、消えなか぀た。今たで手習ひした曞巻の䜕凊かに、どうやら、法喜ず蚀ふ字のあ぀た気がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、矎しいみ仏の詞に、感けお鳎くのではなからうか。さう思ぞば、この鶯も、\n\nほゝき ほゝきい。\n\n嬉しさうな高音を、段々匵぀お来る。\n物語りする刀自たちの話でなく、若人らの蚀ふこずは、時たた、䞖の䞭の瑞々しい消息を䌝ぞお来た。奈良の家の女郚屋は、裏方五぀間を通した、広いものであ぀た。郎女の垳台の立ち凊を䞀番奥にしお、四぀の間に、刀自・若人、凡䞉十人も居た。若人等は、この頃、氏々の埡通でするこずだず蚀぀お、苑の池の蓮の茎を切぀お来おは、藕糞を匕く工倫に、䞀心にな぀お居た。暪䜩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、たばらにな぀お、氎の反射が蔀を越しお、女郚屋たで来るばかりにな぀た。茎を折぀おは、繊維を匕き出し、其片糞を幟筋も合せおは、糞に瞒る。\n郎女は、女たちの凝぀おゐる手芞を、ぢ぀ず芋お居る日もあ぀た。ほう〳〵ず切れおしたふ藕糞を、八合・十二合・二十合に瞒぀お、根気よく、现い綱の様にする。其を瞟み麻の麻ごけに繋ぎためお行く。奈良の埡通でも、蚕は飌぀お居た。実際、刀自たちは、倏は殊にせはしく、そのせゐで、䞍機嫌にな぀お居る日が倚か぀た。\n刀自たちは、初めは、そんな韓の技人のするやうな事は、ず目もくれなか぀た。だが時が立぀ず、段々興味を惹かれる様子が芋えお来た。\n\nこりや、おもしろい。絹の糞ず、瞟み麻ずの間を行く様な劙な糞の――。歀で、切れさぞしなければなう。\n\nかうしお瞟ぎ蓄めた藕糞は、皆䞀纏めにしお、寺々に玍めようず、蚀ふのである。寺には、其々の技女が居お、其糞で、唐土様ず蚀ふよりも、倩竺颚な織物に織りあげる、ず蚀ふ評刀であ぀た。女たちは、唯功埳の為に糞を瞟いでゐる。其でも、其が幟かせ、幟たたず蚀ふ颚に貯぀お来るず、蚀ひ知れぬ愛著を芚えお居た。だが、其がほんずは、どんな織物になるこずやら、其凊たでは想像も出来なか぀た。\n若人たちは茎を折぀おは、巧みに糞を匕き切らぬやうに、長く〳〵ず抜き出す。又其、粘り気の少いさくいものを、たるで絹糞を瞒り合せるやうに、手際よく糞にする間も、ち぀ずでも口やめる事なく、うき䞖語りなどをしお居た。歀は勿論、貎族の家庭では、出来ぬ掟にな぀お居た。な぀おは居おも、物珍でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘黙行を守るこずは、死ぬよりも぀らい行であ぀た。刀自らの油断を芋おは、が぀『〵話をしおゐる。其きれ『〵が、聞かうずも思はぬ郎女の耳にも、が぀『〵這入぀お来勝ちなのであ぀た。\n\n鶯の鳎く声は、あれで、法華経々々々ず蚀ふのぢやお――。\nほゝ、どうしお、え――。\n倩竺のみ仏は、をなごは、助からぬものぢやず、説かれ〳〵しお来たがえ、其果おに、女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやず蚀ふげな。\n――こんなこず、をなごの身で蚀ふず、さかしがりよず思はうけれど、でも、䞖間では、さう蚀ふもの――。\nぢやで、法華経々々々ず経の名を唱ぞるだけで、この䞖からしお、あの䞖界の苊しみが、助かるずいの。\nほんたにその、倩竺のをなごが、あの鳥に化り倉぀お、み経の名を呌ばゝるのかえ。\n\n郎女には、い぀か小耳に揷んだ其話が、その埌、䜕時たでも消えお行かなか぀た。その頃ちようど、称讃浄土仏摂受経を、千郚写さうずの願を発しお居た時であ぀た。其が、はかどらぬ。䜕時たでも進たぬ。茫ずした耳に、歀䞖話が再たた、玛れ入぀お来たのであ぀た。\nふ぀ず、こんな気がした。\n\nほゝき鳥は、先の䞖で、埡経手写の願を立おながら、え果さいで、死にでもした、いずしい女子がな぀たのではなからうか。......さう思ぞば、若しや今、千郚に満たずにしたふやうなこずがあ぀たら、我が魂は䜕になるこずやら。や぀ぱり、鳥か、虫にでも生れお、切なく鳎き続けるこずであらう。\n\n぀ひに䞀床、ものを考ぞた事もないのが、歀囜のあお人の嚘であ぀た。磚かれぬ智慧を抱いたたゝ、䜕も知らず思はずに、過ぎお行぀た幟癟幎、幟䞇の貎い女性の間に、蓮の花がぜ぀ちりず、莟を擡げたやうに、物を考ぞるこずを知り初めた郎女であ぀た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n九\n\n\n『正治癟銖』によっお埌鳥矜院の仙掞に昇殿を蚱された数々の歌人のうちで、定家は光っおいた。その恩賞ずしお四十䞀歳で正四䜍䞋巊暩䞭将になっお、『新叀今集』序にもこの肩曞で撰者の䞭に挙げられおいる。その埌かの承久乱のために、埌鳥矜・土埡門・順埳䞉䞊皇の遷幞ずいう未曟有の事件が生じお、埌鳥矜院仙掞を䞭心にできおいた郜の歌壇がばらばらになったのは承久䞉幎、定家六十歳であった。この二十幎に定家は正䞉䜍参議民郚卿播磚暩守に昇っおいた。\n しかしそれの䞀方、次第に埌鳥矜院の埡趣味ずぎったり合わなくなっお、最埌には埡䞍興を蒙り、勘圓に䞎っお、そしお承久乱が来おしたったこずは前にちょっず觊れた通りである。これは埌鳥矜院がかわられたのでなくお、定家が倉ったのであった。それには無理もない点があった。䞀䜓『新叀今』の気分なり歌颚なりの基調になったものを、定家などが身をもっお創出したのは、治承から正治ぞかけおの二十幎であったが、そのずき定家は二十代䞉十代の盛りの幎頃であった。ずころで正治から承久たでの二十幎間は、ちょうどたた院二十代䞉十代を過された時代、院から申せば盛りの埡幎だから、いよいよ豪奢な『新叀今』の錊繍の調べを愛せられ、来る日も来る月も歌䌚の催しがにぎわしく続けられた。しかし定家はそのずきすでに、四十から六十におよぶ幎霢にさしかかっおいお、自ずずこれたでの調子には行かなくなっおいた。これは重芁な玠因ずしお、枯れた調子を愛しはじめる老衰ずいうこずも考えねばならぬが、今䞀぀は新しい時代を早く感じはじめおいたこずでもあるず思う。このこずに぀いおは埌になお、『新勅撰集』に觊れるずき、改めお考え盎すこずにするが、ずにかくそうであったのである。これたでの調子はくだらなく芋えおくるが、院の埡奜みはもずのたた故、䜕ずもなし埗なくなったずころぞ、ちょうど老境にさしかかったため、倊み疲れお、新しく自分を調節し、今䞀床創䜜の方でふみ出す力が出きれないでしたったのだず思う。にわかに䜜歌数は枛少しはじめ、仙掞の雅宎を厭いはじめる。『明月蚘』にも、「鶏鳎、月未だ入らざれど退出、老埌の数奇、病きほひ起り、はなはだ堪ぞがたし」ずか、「癟銖の題を絊ふ。幎内に詠進すべしず云々、連々ずしお䞉癟銖争でか颚情を埗んや、はなはだ以お堪ぞがたし」など曞きはじめる。たた四十八の承元䞉幎に実朝ぞ送った『近代秀歌』にも、「老に臚みお埌は、病重く憂も深く沈み䟍しかば、蚀葉の花色を忘れ、心の泉源涞れお」ずいっおいる。そしお、五十五歳の幎に自分の創䜜に䞀぀のくぎりを぀けた。『定家卿癟番自歌合』ず家集『拟遺愚草』ずがそれである。\n 建保四幎二月に自歌二癟銖をえらんで、『癟番自歌合』を぀くった。これは『続矀曞類埓』和歌郚に収められおいる。そのために、幎来の歌皿党䜓に県を通したので、それを分類敎理しお家集『拟遺愚草』䞉巻を枅曞した。䞊巻の終に成立の由来を認め、建保四幎䞉月十八日に曞いたず蚘しおいる。\n\nèš» これたで觊れおきた新叀今時代の有名な歌人䞭、慈円の『拟玉集』・良経の『秋篠月枅集』・俊成の『長秋詠藻』・西行の『山家集』・定家の『拟遺愚草』・家隆の『壬二集』を六家集ずいい、江戞時代の刊本もあり、『続囜歌倧芳』『囜歌倧系』にも入っおいるが、䞭でも『拟遺愚草』は䜐䜐朚博士校蚂の岩波文庫本がよい。近くは改造文庫にも加えられた。\n\n\n こうした気持ちになっお行ったので、埌鳥矜院も『埡口䌝』のうちに、定家は巊右なき者だが、数寄ずいうこずを知らぬから、真面目䞀途で駄目だずいうこずを蚘しずどめられたこずは前に䞀床觊れた通りで、こうした院の埡心ず定家の匷情な芞人気質ずが、次第に勘圓ずいうような砎局を醞成するようになっおいったのである。\n だから定家はこの頃になるず、若いずきずは考えも倉ったし、歌を芋る県も倉っお来た。それにこの頃になるず、兌実・良経・土埡門通芪・俊成・西行・寂蓮・隆信などすべお䞖を去り、定家・家隆の時代になったが、家隆は枩和で、それに定家が俊成の埌継者だったため、事実䞊歌界の元締めの圢になっおきお、倚くの䜜法心埗を曞いた。それがあるので幞なこずに圌の考えの倧䜓は分るのである。䞊べお芋るず、\n\n『近代秀歌』 承元䞉幎 四十八歳\n『二四代集』 建保䞉・四幎の間五十四・五歳\n『詠歌倧抂』 ┐\n ├『二四代集』より埌、『毎月抄』より前\n「秀歌之䜓倧略」┘\n『毎月抄』 承久元幎 五十八歳\n\nのようになる。(この順序を決めるには久曟神昇氏「二四代集ず定家の歌論曞」〔『囜語ず囜文孊』昭和十幎䞃月〕ずいう名研究報告に安心しおたよれるのである。)『近代秀歌』は実朝に送った心埗で、名の瀺すように、終りぞ近代の秀歌、぀たり経信・俊頌・顕茔・枅茔・基俊・俊成の近代六倧家の秀歌を蚘し添えたものであるが、自歌合や家集やを䜜る頃になるず、はっきり䞀転機が来たず芋える。『二四代集』を線んだのはちょうど同じ頃で、これは名の瀺すように八代の集、぀たり『叀今』から『新叀今』たでの勅撰和歌八代の集の秀歌の抜粋であるが、これが出来るず定家の新しい立堎ははっきりしおきた。" }, { "role": "assistant", "content": " 次に曞いた『詠歌倧抂』に添えおある「秀歌之䜓倧略」は党郚『二四代集』からの孫匕だし、たた前に述べた『近代秀歌』の秀歌を陀き去っお『二四代集』の䞭の歌を附け換えた。実朝ぞ送った方は『矀曞類埓』和歌郚に入っおいるし、埌で歌を぀け換えた方は自筆本が残っおいお、久束朜䞀博士校蚂の『䞭䞖歌論集』(岩波文庫)䞭に収められおいる。芋れば刀るこずだが、この埌の方は『叀今』以来の秀歌を取っおいるから、近代の秀歌ではなくなっおしたっおいるわけである。\n ずころが倧切なこずは、この遞歌方針は、承久乱埌の定家に䞀貫した態床であったずいうこずである。䜕故刀るかずいえば、『秀歌倧䜓』『癟人䞀銖』『新勅撰和歌集』の䞉぀によっお刀る。『秀歌倧䜓』は、承久乱の埌立たれた埌堀河院に献じたずいわれ、『叀今』『埌撰』『拟遺』のいわゆる䞉代集ず『新叀今集』ず䜵せお四代の集だけから遞歌しおあるが、䞉分の二は『二四代集』の歌ず笊合する。たた぀ぎの『癟人䞀銖』はすべお勅撰和歌集に芋える歌ばかりを揃えおいるが、こずに九十四銖は八代集の䞭に芋えおいる。その䞭九十二銖は『二四代集』の歌である。\n\n\nèš» 『癟人䞀銖』の撰者に぀いおはいろいろいわれおいお、こずにこのくらいの歌ならば定家でなくおも遞べるずいう恐るべき印象論たで出おいるが、たずえ定家でなくおもすべお『二四代集』の歌であるのを芋れば、定家の暙準ず党く同じ暙準で遞んでいるこずが刀る。この『癟人䞀銖』成立に぀いおは拙著『新叀今時代』䞭の「癟人䞀銖の再吟味」を参照しお䞋されば幞である。\n\n そしお、第九代の勅撰集である定家独撰の『新勅撰和歌集』の色あいがたた党く以䞊の堎合ず同じなのである。そんなわけで、五十四、五歳の頃、䞀転機が来たのが事実らしく、自歌合や家集やを䜜るず同時に、䞀方では党く自家甚ずしお『二四代集』を撰んだりしお、新しい批評のものさしがはっきり決ったのである。『新叀今』ず『新勅撰』ずを読み比べお芋るず、同䞀人が関係しおいるずは思えないほど感じが違っおいるのであるから、『新叀今』を良しずされる院が、新勅撰的暙準の出来おきおからの定家の蚀説態床に満足されなくなったこずは遺憟ながら臎し方のない運呜だったのである。\n\n さお承久乱の埌定家は思いもよらぬ幞運に面接した。䞀䜓定家がたよっおいた人々はみないずれかずいえば、鎌倉に察しお䜕らかの関係のある人たちであった。䞊にかかげた系図をよく芋おいただくず刀るが、九条家ず西園寺家ずは姻戚関係があり、九条家は頌朝ず姻戚関係があったので、埌京極摂政良経の子道家ず、西園寺公経の女ずの間に出来た頌経が、実朝の亡くなったあず、将軍に立おられたのは尀もだった。それに、頌朝存生䞭も、兌実や慈円やは、東西の倖亀に、惟れ努めた方だったから、この家筋の人々は鎌倉远蚎の埡䌁おのおりは、譊戒しお敬遠されおおり、慈円などは『愚管抄』ずいう歎史論を曞いお、諷諫するずいう颚であった。定家は前に述べたように、その九条家の家叞を぀ずめたし、公経の姉を劻に迎えおいるから、自然鎌倉にも瞁が出来お、実朝の添削をするようにもなり、嫡子為家には関東の豪族宇郜宮頌綱の女を嚶るずいう颚であった。しかもそれは北条時政の孫女であったのである。定家の関東ずの関係の皋が刀るのである。\n 埌堀河倩皇が䜍に即かれるず、西園寺公経が内倧臣になり、぀いで倪政倧臣になり、ややおくれお、嫡男実氏が内倧臣になった。たた良経の匟九条良平が内倧臣になり、぀いで巊倧臣に昇り、道家はたた少しおくれお関癜に就いた。乱埌の勢ずしおは、関東ずの関係䞊こうならざるを埗なかったろうが、その結果は、定家の䞀身䞊に倧きく響いおきた。圌自身は承久乱の幎は六十歳で、その翌貞応元幎埓二䜍に昇っおから、六十六で正二䜍、䞃十䞀歳で暩䞭玍蚀に就き、䞃十二歳で出家、仁治二幎八月、八十歳を以お薚去した。\n しかし埡子巊の家の幞運は、もっず著しく嫡子為家の䞊にあらわれおいる。圌は建久九幎に生れ、承久乱の幎には二十四歳で埓四䜍䞊巊暩䞭将であったが、二十八(嘉犄元幎)頭䞭将、二十九(嘉犄二幎)埓䞉䜍参議兌䟍埓、䞉十九(嘉犎二幎)埓二䜍暩䞭玍蚀に昇り、四十四歳(仁治二幎)のずきすでに正二䜍暩倧玍蚀ずなった。埡子巊の家柄ずしおは極䜍極官である。それにこの昇進の早さは、たしかに倧臣家の公達に互角であった。父定家はそれを芋お䞖を去ったのである。この昇進の早さには定家自身呆然ずしお、「二十八にお蔵人頭、将盞の家すらも猶以お幞運の茩なり」ずいったり、「頭䞭将(為家のこず)銳せ来぀お云ふ......参議に任じ䟍埓を兌ぬず......運の早速なるこず曎に筆端の及ぶ所にあらず......未だ䞉十に及ばずしお八座(参議のこず)に加はる、実に蚀語道断の事か......県前に公卿を芋る、愚県の宿運は身の運に䌌ず、驚奇するに足れり」などずも蚘しおいる。勿論九条・西園寺䞡家の背景があるからであるこずは、定家自身が䞀ばんよく知っおおった。\n 埌鳥矜仙掞の雅䌚を食った䜜家たちはみな乱の埌は䞖に隠れおしたった。家隆や源家長が第䞀それで、藀原秀胜なども出家しお劂願ずいっおいた。隠岐島で『遠島埡歌合』のお䌁おのあったずきも家隆が䞇事斡旋しお、歌をたずめおお送りしたが、定家は加らなかった。恐らくは、か぀お埡勘気を蒙っおいたからずいうよりは、圌が家隆ず組んで行うには䜙りに関東ぞの結び぀きが匷くなりすぎおおったためだったかも知れぬ。そのようなわけで、埀幎の歌人は倚くすでに䞖を去ったし、残る者はすべお䞖を憚る人々であった。前代の寵遇に䞎りながら、埌堀河の埡代ずなっお匕き぀づき時めいた歌人は、定家のほかには誰もなかったずいっおよい。そうした䞭で埌堀河倩皇の勅により、定家は独力で『新勅撰和歌集』を撰進したのであった。\n\n\n十\n\n\n 定家は貞氞元幎六月十䞉日、埌堀河倩皇から和歌集を撰進するようにずの勅呜を蒙った。この幎の末埡譲䜍、四条幌垝即䜍される。䞀幎を隔お、倩犏二幎六月䞉日に䞀千四癟九十八銖の自筆の本を奉っお仮奏芧を行ったが、その埌匕き぀づき改蚂を行い぀぀あった。ずころが八月六日埌堀河院が厩埡されたので、悲歎の䜙り翌䞃日庭䞊に草本廿巻を眮いお焌き棄おおしたった。その埌十月になっお、九条道家が院の埡手もずに奉っおあった草本を尋ね出しお、定家に完成を呜じたので、匕き぀づきそれに埓事し、翌嘉犎元幎䞉月十二日に完成しお奉った。名筆行成卿の子孫である䞖尊寺行胜の枅曞で、党二十巻、流垃本によれば歌数䞀千䞉癟䞃十六銖。歌数がこのように枛じおいるのは、道家が草本を院の埡所から尋ね出しお定家に亀付した翌月、十䞀月頃に定家自ら九条家に赎いお道家・教実父子に草本を瀺したずころ、甚捚の事ありずいうので、癟銖あたり切り棄おられた。その結果が圢の䞊にあらわれたものである。\n 定家の䞀ばん心を䜿ったのは埌鳥矜院をはじめ奉り、䞉䞊皇の埡歌を劂䜕にするかずいうこずであったに違いない。ちょうど撰集の進行䞭に、前に觊れた埌鳥矜院の『遠島埡歌合』の料の歌を家隆の手もずからたずめお埡送りするようなこずもあっお、定家は盞圓神経を぀かっおいる暡様だった。たた特に力量抜矀の䞉䞊皇の埡歌を入れなければ歌集の䜓を成さぬし、家隆や劂願法垫(秀胜)など埌鳥矜院の寵遇を蒙った歌仲間の思わくも劂䜕である。ずはいえ、関東の意況を考えれば難しいずいっお、進退に窮したりもした。䜐枡院(順埳院)が撰集の沙汰を聞し召された由だが、もし埡補を茉せ奉るなら、䞀存にせず、必ず盞談せよず某有力者から仰せを蒙ったこずも日蚘ぞ曞いおいる。\n『明月蚘』を読んでいるず刀るこずであるが、定家は神経質で立身出䞖を垌い぀぀暩力者の意向に兢々ずしおいた男だが、自己の芞道にかけおは䞊皇の埡心に楯぀いお「傍若無人、こずわりも過ぎたりき、他人の詞を聞くに及ばず」ず嘆声を発せしめ奉ったほどに匷情で、己の刀断力に固執した人物であるこずを考えるず、圌は暩力ず己の芞術心ずの間に煩悶懊悩した䞊で、䞉䞊皇の埡補を採ったのでないかず思う。道家・教実が癟銖も切り棄おたずいうこずは、『癟緎抄』に茉っおいるのだが、これは最も信ずべき史曞であるから、事実に違いない。そしお、䜐枡院のお歌を入れるなら盞談せよずいう仰せがあったずいう定家の日蚘の蚀葉ず照し合せお考えるず、定家が採った埡補を道家・教実(䞡人ずもそのずきは前関癜)の所存によっお削ったのだずいえそうである。これは別に定家を庇う意味でなく、これが定家にずっおは窮しお通ずる唯䞀の道であったのだろうず想像されるのである。\n さお䞉䞊皇の埡補に関する以倖では、歌に関する限り、定家はこわいもの知らずの地䜍にあった。圌は思うさた自己の䞻芳にたよっお遞をした。その結果が前にいった『二四代集』、「秀歌之䜓倧略」、自筆本『近代秀歌』の秀歌䟋、『秀歌倧䜓』、『癟人䞀銖』などの声調ず盞等しい声調の歌集にでき䞊った。新勅撰颚の暹立ずいうこずは矎事になしずげられおいる。\n しかし䜜家の人遞の点になるず、関東関係の政治暩力の圱響ず、定家自身の歌人的地䜍からくる私情的人遞の恣意ずが、倧分あらわれおいるようである。もちろん『新叀今集』は充分理解されたであろうように、個人的運動などの䜙り利かない方法で撰ばれた集だが、個人の撰者が勅を蒙ったずきは、随分入集を垌う人々が運動をしたもので、これはむしろ和歌界の䜳話ずしお䌝えられたりする。䜕時の撰集のずきにも珟存歌人でいお、䞀銖か二銖しか入集しおいない人がかなり倚数にあるこずは、䜜者別勅撰集を䜜っおみるず、どの集にでも感ずるこずなのだが、そうした人々の䞭には、随分瞁故を蟿ったり、玹介の効果によったりしお合栌した者も倚かったろうず思われる。『新勅撰集』には、定家の日蚘があるために、぀き合せお芋るず、運動の効によっお䞀銖か二銖入れられた蚌拠が挙るのである。しかしこれは定家だけのこずでないし、歌颚の倧局にひびくほどのこずでもない。\n 盞圓県に着くのは政治暩力ぞの顧慮からくる圱響で、歊士ず歊家出身の僧䟶ずあわせお十四人の人がえらばれおいる。『新叀今集』では歌人ずしお名のたかかった源䞉䜍頌政、平家方では忠盛、鎌倉幕府方では頌朝の䞉人で、頌朝すら䞀銖しか取られおいない。それに比べるず、実朝の歌を倚く取ったのは別ずしお、泰時・重時・政村などは関東の意を汲んだので、蓮生坊宇郜宮頌綱は岳父だから、信生法垫は宇郜宮の䞀族の䞊、実朝ず歌の䞊で芪しい臣家でもあったからずいう意味が、鎌倉方の人ずいうほかに加っおいたに違いない。ずにかく党郚で十四人の人数の出おいるこずに、勅撰集ずしおは未曟有のこずであった。朝幕関係がたざたざず反映しおきおいる。\n たた承久乱埌はその前に匕きかえ、たるで歌壇は寂挠たるもので、こずに埌堀河院は二十䞉で厩埡、次の四条倩皇は十二で厩埡ずいうふうに、歎代お若かったのであるから、犁裡仙掞に歌䌚の盛に催される気運の生れずしお終ったこずは圓然である。それだけに、歌人ずいえば『新叀今』の時代の人が䞭心になるわけであるが、それが歌人ずしおの力量の点よりも、九条・西園寺䞡家、したがっお圌自身に関係のある血筋の人ずいう点に重きを眮かれおいお、殊にその䞭でも死亡した人より珟存の人に厚くしおいる。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " やがお圌等の機関誌ができ、サロン颚の䟋䌚が毎週欠かさず行はれお、た぀たく自然の掚移のうちに、䌚員達の有志によ぀お、候鳥アンサンブルや合唱団が組織された。癜髪の老博士が嚘ず䞀緒にコヌラスを唞り、それが高い趣味のものだず思ひこんで、疑ふ者がなか぀たのである。野々宮は、発蚀するこずがすくなか぀た。然し圌の぀぀たしやかな県光をめぐ぀お、䌚は自然に針路を定めがちだ぀た。そのくせ䌚の華やかな波は、最も屡々野々宮を陀け者にする颚があ぀たず蚀ふこずができる。いはば䌚の欠くべからざる壁の花のやうだ぀た。\n 野々宮は、い぀も片隅に坐぀おゐた。それが郚屋の䞭倮ですら、圌の坐垭は、垞に片隅にすぎないのだ぀た。圌は匱々しい埮笑を浮かべ、䞀芋぀぀しみ深い静かさで、坐぀おゐるのが普通であ぀た。その様は、孀独を愛す倚くの人々の倖圢が抂ねさうであるやうな、いか぀い沈黙や無粋な孀独で人を嚁すものではなく、あなた達は喋りなさい、歌ひなさい、私はそれをききたせうず垞に語぀おゐるやうな、柔和な心を浞たせおゐた。そしお人々は各々語り、各々歌ひ、雰囲気に酔ひ、この慇懃な孀独者を無芖するこずが、最も自然の状態だ぀た。吊。屡々圌は垭䞊で歌ふこずがあ぀たのである。声量は乏しか぀たが、なかなか枋いテノヌルを持぀おゐたのだ。圌はピアノを叩きながら、時々巧みに䜎唱した。そしお䌚衆の喝采を济びた。それにも拘らず、その個性は、䜎唱の瞬間に斌おすら、たた喝采の瞬間に斌おすら、忘れられ、無芖されおゐる趣があ぀た。いはば䌚員のひずりずしおの圌の特質を䞀蚀にしお語るなら、最も目立たぬこず、或ひは、人々を豊かにするために己れの姿を消し去るこず、そのやうなものであ぀たらしい。䜕ごずを人に抌し぀ける気配もなか぀た。人々は圌をめぐ぀お饒舌や笑ひに疲れ、い぀も圌を忘れおゐるのが自然の状態であ぀たのである。\n 嘉村由子も、その䌚員のひずりであ぀た。そしお野々宮の愛人も、その䌚員のひずりださうな。\n ある日のこず、それは初秋の真昌であ぀たが、野々宮ずその愛人が、砂䞘の束原を散歩しおゐた。日本海の海颚は荒い。その海颚に吹き集められた砂䞘は、倧の男も登るのにうんざりするほど高いのだ。防颚ず防砂の目的で砂䞘に怍えられた束林は、この町の最も静かな自然であ぀た。二人は束原の砂をふみ、束籟の柱みの䞭を歩いおゐた。突然野々宮が歌ひだした。倜䌚では甚だ目立たぬ䜎唱だ぀たが、そしお束籟の枡るたびにその歌声は消えがちだ぀たが、自然の深い静寂の䞭では、圌の個性がは぀きりしおゐた。その歌は「垰れ゜レントぞ」ずいふ䌊倪利の民謡であ぀たさうな。宀内で歌はれる音楜には、生掻の剰䜙ずも蚀ふべきずころの感傷があるものである。このずき、それがなか぀た。生掻自䜓の暗らさばかりが、すべおであ぀た。\n「私達の恋愛は絶望だ」その倜、野々宮の愛人は、嘉村由子に語぀たずいふこずである。「どうするこずもできないずいふ感じだ぀た。歌をきくず盎感だけが、分か぀たのだもの。然し悲しいこずではなか぀た。仕方がないずいふ諊らめの気持であ぀た」\n そしお野々宮の愛人は、圌の䜎唱がすでに語぀おゐるかに芋える恋愛の、か぀たた人生自䜓の悲劇性に反撥し、殆んど激越な怒りをも぀お、野々宮の存圚を呪ふ思ひに萜ちたずいふ。぀き぀めお生きるこずは、確かに暗らい。぀き぀めた恋も暗らいであらう。その暗らさでは、生ききれないのだ。\n「絶望的な暗らさを䞀途の生き甲斐に生きぬけなんお、女にはできない。私が我儘で浮気぀ぜいのかも知れないけれど、明るさや、莫迊さや、子䟛぀ぜい悪戯だ぀お、必芁だ。私だけぢやない。野々宮だ぀お、必芁なのだ。野々宮の䜎唱は、私達の生き生きずした明るさを、暎力で奪ひ取぀おしたふやうな残酷なものに芋えたのだもの。あんたり䞍圓だず怒鳎りたくな぀たくらゐだ぀た」\n 野々宮の愛人は嘉村由子に語぀たずいふ。それを由子は卓䞀に語぀た。\n「女は誰しも、さうですわ」嘉村由子は卓䞀に蚀぀た。「暗いのは、いやですわ。暗さだけでは。恋愛が悲しい歌ず同じものでしかないやうな䜙裕のない珟実の䞭では、女は反逆なしに生きられないのです。愛し合ひながら、自殺できるほど、女はロマンチストではないのですもの。女は匱いのです。子䟛぀ぜくお、銬鹿ですわ。陜気な、遊ぶこずが、奜きなのです」\n「だから、あなたも」ず、由子は突然卓䞀を芖凝めお、笑ひだしおゐた。「歌぀ちや、だめ。男ず女のあひだには、゚レヂむなんか、ない方がいいのですもの。だから、ダンスを、習ひなさい」\n 卓䞀は、由子の笑ひず蚀葉ずを、閃くやうなたぶしさで、受取぀おゐた。そしおむしろそれを䞍圓な奜色で受取぀たために、突然狌狜するのであ぀た。その狌狜を隠すために、圌は顔をあからめずにゐられなか぀た。そしお無圹な返答にすぎないこずを知りながら、「さうですね。僕も螊りを芚えたいず思぀おゐるのです」ず、益々気持をくさらせながら、鹿爪らしく答えおゐる始末であ぀た。\n「でも、私ぢや、ダンスの埡盞手、华぀お埡迷惑でせう」ず、由子の芖線は柔らかく、静かで、芪しみが籠぀おゐたが「叀川さんにお䌚ひになりたしお?」ず蚀぀た。\n 卓䞀には理解しかねる蚀葉に芋えた。\n「叀川柄江さんに、ですわ」\n すでに卓䞀は萜付いおゐた。然し萜付にも拘らず、身䜓は硬盎せずにゐられなか぀た。呌吞の苊しい䞀瞬間を意識せずにゐられないのだ。冷静にそれを枬る理知はあ぀たが、肉䜓の狌狜を防ぐこずがむ぀かしい。その名は怖るべきひず぀の抂念であるらしい。理知をも぀お打ち勝ちがたい怪獣だ぀た。\n「䌚ひたせん」\n 萜付きにも拘らず、圌の蚀葉に、ぶ぀きらがうな荒々しさが、ぬけなか぀た。するず由子の瞳に、信じるこずができないわず語るやうな、かなり䜎俗な揶揄に類した明るさが衚れたので、むしろ卓䞀は、はじめおゆずりに返るこずができたのだ。由子の月䞊な応接ぶりに、むしろ䞍自由を芋出したから。\n「あの人のこずを、どうしお知぀おゐるのですか?」ず卓䞀は蚊いた。\n「叀川さんも候鳥の䌚員です。お二人のこず、私達のあひだでは、知らない人がないのです。き぀ず結婚のために、お垰りなんでせうよ぀お、噂しおゐるほどですもの」\n「人は䜕ごずによ぀お名を埗るか分からないものですね」ず卓䞀は、笑぀た。すべおを知られおゐるこずが分か぀たので、他人の噂をきくやうに、すでに心は気楜であ぀た。\n なるほど卓䞀の呚囲にも、それず同類の噂はあ぀た。圌等二人の結婚を、本人達が信じるよりも、友人達がむしろ信じおゐたのである。愛情の極点が、二人の結婚を䞍可胜にする。友人達も、それを知らないわけではなか぀た。手数をかけおゐるのだな、ず、友人達は笑ふのである。結婚を䞍可胜にする愛情だ぀お、芁するに、結婚のための愛情ぢやないか。所詮芁するに愛情なのだ。たご぀いおゐるのは、本人同志だけのこずさ、ず。\n 然し愛情の極点は、愛人に就いお、すべおのこずを考ぞさせおしたふものだ。そしお二人の前途に就いおも。そこには可胜なあらゆる蚈量が費やされる。劥協も、䞭途半端な誀魔化しも、この冷酷な蚈量を防ぐこずができないのだ。\n 卓䞀は、次の事実に圓面するず、苊笑せずにゐられなか぀た。そしお心の脆匱ずたよりなさに驚くのだ぀た。卓䞀は屡々思はずにゐられないのだ。なにゆえ柄江が、特殊なひずりの女であらうか。柄江のどこに、忘れられない女の資栌があるのであらう、ず。\n 矎貌であらうか。吊。柄江にたさる倚くの矎貌を圌は屡々芋慣れおきた。そしお心は。性栌は。教逊は。そのいづれにも、特殊な魅力を指摘するこずは䞍可胜だ぀た。こんな分らない話はない。そのくせ柄江ずいふ意職のたびに、肉䜓すらも䞍自由にするこの衝動を思ふがいい。苊笑を芚えずにゐられないのは、仕方がなか぀た。\n 昔は明確な個性の魅力があ぀たのかも知れない。長い芳察ず玩味のうちに、その鋭角がすべお殺がれお、もはや女䞀般の平凡なひず぀ず化し、没し去぀おした぀たのだ。はじめの激しい印象は、もはや衚面にその片鱗もずどめおゐないが、心底深く朜圚しお、意倖な䜜甚を起すのか。それにしおも、すべおはすでに、過ぎおゐた。すでに女䞀般の平凡なひず぀ず化した今ずな぀お、単に玠朎な衝撃にこだはるこずが可笑しいのだ。恐らく、それが間違぀おゐた。\n「䞀人の異性に、氞遠にかはらぬ愛を捧げるこずは、䞍可胜でせう」卓䞀は由子に蚀぀た。「なるほど人は、ずかく氞遠を垌はずに、生きるこずができないのかも知れたせん。然し人の脆匱な心は、たた肉䜓は、氞遠を誓ひうるほど、牢固たるものではありたせん。たたたた䞀瞬の情熱のみが、氞遠を誓぀おもなほ足りないほど、過倧にすぎるのですね。数々の恋の悲劇が、たた家庭のも぀䞍運な暗らさが、抂しお氞遠を誓ふこずの䞍圓から発しおゐるずすれば、愚かな話ではありたせんか。元来、愛情の出発に圓぀お、氞遠ずいふ過倧な蚀葉を甚ひるこずが、いけないのでせう。それにも拘らず、ずかく殆んど本胜的に、氞遠であれかしず垌ひたがるのですね。沁みるやうな切なさで。すでに僕が、さうなのです。そのこずが、理知に察する本胜のたぬかれがたい裏切りのひず぀であるなら、愛情の悲劇性も、たたたぬかれがたいものであるかも知れたせん。然し理知を信じるほかに、仕方がないではありたせんか。僕にず぀お、所詮恋愛は遊戯なのです。あの人を忘れる筈はありたせん。昔遊んだ砂䞘の束原やポプラの䞊朚ず同じやうに、忘れがたい远憶が䞀生぀づいおゐるだけです」\n「ポプラの䞊朚ぞ行きたせうか」ず由子が蚀぀た。\n もずより卓䞀には解せない蚀葉だ。「ナヌランバのこずですか」ず圌はきいた。" }, { "role": "assistant", "content": "「いいえ。叀川さんのゐる所ぞ」卓䞀は閃くやうな由子の瞳に、も぀ずも月䞊なひずりの女を読みず぀おゐた。倢が、かうしお消えるのだ。心は暗らさに堪えがたか぀た。「もう䞀軒のダンスホヌルぞ行くのです。叀川さんは、そこの埡垞連のひずりですから」\n 卓䞀は、さめはおた倢の埌味の悪さ、虚しさ、重苊しさに、぀いお行けなくな぀おゐた。欠䌞がしたくなるのであ぀た。むしろもはや倜道をひずり歩きたか぀た。安らかな孀独のみが欲しか぀た。\n「遊戯ですら、興がなければ、浞るこずができないものです」卓䞀は退屈しき぀お由子に答えた。\n その翌日のこずだ぀た。\n 越埌新報ぞ出勀した卓䞀は、朚村重吉に蚊ねた。この若い線茯蚘者は、なにか䞀皮動物的な近芪感をみなぎらせながら、異様に内気な方法で、執拗な厚意を卓䞀に向けはじめおゐた。\n「野々宮さんの䜏居は、どこです」卓䞀はきいた。\n「氎道町です」朚村重吉は答えた。「砂䞘の束林を新らしく切りひらいおできた町ですから、埡存知ないかも知れたせん。枬候所を䞋぀お、氎道の貯氎池ぞ行くあの束原のあずなのです。今は立掟な䜏宅地です」\n「野々宮さんの隣家に䜏む二十五六の女のひずを知りたせんか」\n「ちよ぀ず分りかねたすが」ず朚村重吉はだしぬけの問ひにたご぀きながら答えた。「なんでしたら、蚊ねおみたせう」\n「嘉村由子ずいふ幌銎染の人なのです」\n 朚村重苊は怯えたやうな県付をした。呆気にずられた颚でもあ぀た。卓䞀の顔を疑ぐるやうに芖凝めおゐたが\n「だ぀お、その人が、野々宮さんの隣家に䜏む筈が、あり埗ないのですが」ず圌は臆病らしく答えた。\n「どうしお?」\n「だ぀お。然し、線茯長は、ほんずに、知らないのですか」\n「なぜ」\n 朚村重吉の顔に、間の悪るさうな深い笑皺が刻たれた。そしおむしろ悲しいたでにその皺が黝むのだ぀た。\n「぀たり嘉村由子ずいふ人が」圌は吃぀た。「その人が、䟋の、野々宮さんの愛人ぢやないのですか。だ぀お、さうぢやないですか。線茯長は、ほんずに、埡存知ぢやないのですか」\n「............」\n 卓䞀は呆然ずしお朚村重吉の顔をみ぀めた。あらゆる蚀葉が、忘华の淵ぞさらひずられおゐたのである。ずりのこされた自分の空虚が、は぀きり分぀た。お䞖蟞にも苊笑を浮かべる䜙裕はなか぀た。\n 昚倜の逐䞀の蚀動を、もう䞀床䞊べなほしお、吟味しなほす必芁がある。さういふ垌求はむろんあ぀たし、それに盞応した努力もした。からかはれおゐるのだらうか。――然しすべおは、卓䞀に郜合よくしか分からなか぀た。結局あらゆる考ぞは空転に終り、自分に郜合のよい蚘憶の断片だけが意識に映぀た。結局劖艶な女の心ず肉䜓が、その食慟をそそるやうに、圌の身䜓をけだるくするのみ。劖艶な女の前に、すすんで盲ひやうずする自分の意志が、ただひず぀分かりかけおくるのであ぀た。\n 悲しい歌が恋であ぀おはいけないず蚀ふのであ぀た。それはたるで自殺のやうだず蚀ふのであ぀た。その思想が、由子の実生掻にどれほどの根をも぀ものか疑問であるが、それがたた卓䞀の思想であるのは疑ひ埗ない事実であ぀た。然し思想の思想ずしおの姿よりも、その傀儡であるこずがむしろ望たしいものに芋える由子の姿が肉䜓が、卓䞀の県、やがおそれぞれの感官をさらひ去る。思想の空虚はそこになか぀た。圚るものは、珟実のひずりの女の姿であ぀た。甘矎ず倢想が、すべおのものになりかけおゐた。\n ――俺が新期くんだりぞ逃げのびお、生掻の根を䞋さうずしたのは、こんな珟実をもずめおゐたためではなか぀たらしい。卓䞀は思はず苊笑がわくのであ぀た。俺は䜕も求めおはゐなか぀た。叀川柄江のこずにしおも、それをもずめおゐる俺ず、この土地ぞ自分を棄おさせた俺の間には違ひがある。俺はもう、物をもずめる根気がないほど、荒れおゐたのだ。俺がこの土地ぞ流れおきたのは、むしろ俺自身を攟棄したからにほかならない。拒絶ず犁止が、快い状態だ぀たからである。巊の頬぀ぺたを殎られたら、右の頬぀ぺたを出しおやらう。たちが぀おも自分のこずを考ぞるな。俺は朚像や、屍だず自分に教えおゐたのである。――その第䞀日が、そしお、もはやこれだ぀た。\n 実人生の矛盟ず倉化が、ああこれほども退屈なものか。卓䞀の口べりに、仕方なしの苊笑がからたり、冷めたくかたた぀おしたはずにゐない。俺はもう、右の頬぀ぺたを殎られたらしいな。なるほど。さうしお俺は、すでに巊の頬぀ぺたを玠盎に出したずいふらしいな。これは立掟なでくのがうだ、ず圌は嘲りを意識しおゐた。荒涌たる曠野の姿を心のうちに芋出さずにゐられなか぀た。\n\n二\n\n 西掘に沿ふお流れる寺町も新聞瀟には目ず錻のずころに、倧念寺ずいふ寺がある。昔は子沢山であ぀たずみえ、そのころ子䟛のために建お増したずいふ離れがあ぀た。離れずはいぞ独立した䞀棟で、六畳ず八畳の二間぀づき、もう荒廃した建物であるが、墓地の䞀隅にあるのである。卓䞀は巊門の家をひきあげお、そこぞ移぀た。ねるための広さず囲ひで沢山ずいふ卓䞀には、むしろ広すぎる䜏居である。\n この匕越に、巊門は䞍服を蚀はなか぀たが、内心は䞍満であ぀た。圌はもう文子が卓䞀に棄おられたやうな悲痛な哀れを感じおゐた。己れの老霢をすら無理匷ひに意識せしめられ、の぀ぎきならぬ老ひの孀独を暎力的におし぀けられたかのやうな、たるでかよはい䞀垂民が王者の暪暎を憀るに䌌た切ない呪ひを感じたのである。然し卓䞀にしおみれば、意味はたるで違ふのである。田巻巊門も問題ではない。田巻文子も嘉村由子も問題ではなか぀た。そもそもの始たりから、孀独をもずめおこの土地ぞきたのだ。その気持のどうにもならない自然の持続が、圌を孀独の䞀宀ぞ誘぀おした぀たたでであ぀た。ほかに意味はないのである。いはば流れ者の生掻であ぀た。己れすら攟棄したい荒れ果おた心に、家庭的なあたたかさはむしろ堪えられぬ刑眰である。\n「老人がゐおは䜕かず邪魔になるのだらうが、なにせ若者の自由は矚しい。孀独が怖ろしくないのだから」ず、巊門は倧寺老人に述懐した。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、高品質な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\nわづらぞる鶎の鳥屋みおわれ立おば小雚ふりきぬ梅かをる朝\n\n「煩ぞる鶎の鳥屋」ずあるは「煩ぞる鳥屋の鶎」ずせざるべからず。原䜜のたたにおは鶎を芋ずしお鳥屋ばかり芋るかの嫌ひあり。次に病鶎ず梅ずの配合は支那䌝来の趣向にお調和善けれどそこぞ小雚を加ぞたるは甚だ䞍調和なり。むしろ小雚の代りに春雪を配合せば善からん。か぀小雚にしおも「ふりきぬ」ずいふ急劇なる景色の倉化を珟はしたるは、他の病鶎や梅やの静かなる景色に配合しお調和せず、むしろ初めより降぀お居るの穏かなるに劂かず。次に「梅かをる朝」ずいふ結句は䞀句ずしおの蚀ひ珟はし方も面癜からず、党䜓の調子の䞊よりこの句ぞの続き工合も面癜からず。この事を論ぜんずするにはこの歌党䜓の趣向に枉぀お論ぜざるべからず。そはこの歌は劂䜕なる堎所の飌鶎を詠みしかずいふ事、即ち動物園かはた個人の庭かずいふ事なり。もし個人の庭ずすれば「芋おわれ立おば」ずいふ句䌌あはしからず、「芋おわれ立おば」ずいふはどうしおも動物園の芋物らしく思はる。もし動物園を詠みし者ずすれば「梅かをる朝」ずいふ句䌌あはしからず。「梅かをる朝」ずいふは個人の庭の静かなる景色らしくしお動物園などの隒がしき趣に受け取られず。もしたた動物園ずか個人の庭ずかに関係なくただ挠然ずこれだけの景色を摘み出しお詠みたるものずすればそれでも善けれど、しかしそれならば「芋おわれ立おば」ずいふが劂き䜜者の䜍眮を明瞭に珟はす句はなるべくこれを避けおただ挠然ずその景色のみを叙せざるべからず。もしこの趣向の䞭に䜜者をも入れんずならば動物園か個人の庭かをも明瞭にならしむべし。これ党䜓の趣向の䞊より結句に察する非難なりき。次にこの結句を「小雚ふりきぬ」ずいふ切れたる句の䞋に眮きお独立句ずなしたる凊に非難あり。歀の劂き䜶屈なる調子も詠みやうにお面癜くならぬにあらねどこの歌におは埒に䞍快なる調子ずなりたり。筒様に結句を独立せしむるには結䞀句にお䞊四句に匹敵するほどの匷き力なかるべからず。\n\n法垫らが髯の剃り杭に銬぀なぎいたくな匕きそ「法垫なからかむ」 (䞇葉十六)\n\nずいふ歌の結句に力あるを芋よ。新叀今に「たゞ束の颚」ずいぞるもこの句䞀銖の魂なればこそ結に眮きたるなれ。しかるに「梅かをる朝」におは䞀句軜くしお党銖の抌ぞずなりかぬるやう思はる。先づこの歌の党䜓を考ぞ芋よ。こは病鶎ず小雚ず梅が銙ず取り合せたる趣向なるがその景色の内にお最も目立぀者は梅が銙にあらずしお病鶎なるべし。しかるに病鶎は䞀銖の初め䞀寞眮かれお客たるべき梅の銙が結句に眮かれし故尻軜くしお萜ち぀かぬなり。せめお病鶎を䞉、四の句に眮かばこの尻軜を免れたらん。䞀番旚い皿を初めに出しおは埌々に出る物のたづく感ぜらるる故に肉汁を初に、フラむたたはオムレツを次に、ビステキを最埌に出すなり。されど濃厚なるビステキにおひたず打ち切りおはかぞ぀お物足らぬ故曎に附物ずしお趣味の倉りたるサラダか珈琲菓物の類を出す。歌におもいかに病鶎が䞻なればずお必ず結句の最埌に病鶎ず眮くべしずにはあらず。病鶎を䞉、四の句に眮きお「梅かをる朝」ずいふ劂きサラダ的䞀句を添ふるは悪き事もなかるべけれどさうなりし凊でこの「梅かをる朝」ずいふ句におは面癜からず。この結䞀句の意味は刀然ず分らねどこれにおは梅の暹芋えずしお薫のみする者の劂し。さすれば極めおこずさらなる趣向にお他ず調和せず。䜕故ずいふに梅が銙は人糞の劂き高き銙にあらねばやや遠き凊にありおこれを聞くには特に錻の神経を鋭くせずば聞えず。もしスコスコず錻の神経を無法に鋭くし心をこの䞀点に集めお芋えぬ梅を嗅ぎ出したりずすれば倖の者(病鶎や小雚や)はそ぀ちのけずなりお互に関係なき二ヶ条の趣向ずなり了らん。か぀「梅かをる朝」ずばかりにおはさるむづかしき錻の所䜜を珟はし居らぬなり。もしたた梅の花が芋えお居るのに「かをる」ずいひたりずすればそは昔より歌人の陥り居りし穎をいただ埗出ずに居る者なり。元来人の五官の䞭にお芖官ず嗅官ずを比范すれば芖官の刺撃せらるる事倚きは論を俟たず。梅を芋たる時に色ず銙ずいづれが匷く刺撃するかずいぞば色の方匷きが垞なり。故に「梅癜し」ずいぞばそれより銙の聯想倚少起れどもただ「梅かをる」ずばかりにおは今梅を芋お居る凊ず受け取れずしおかぞ぀お梅の花は芋えお居らで薫のみ聞ゆる堎合なるべし。しかるに叀よりこれを混同したる歌倚きは歌人が感情の蚀ひ珟はし方に泚意せざる眪なり。この歌の䜜者は果しおいづれの意味にお䜜りたるか。次に最埌の「朝」、この朝の字をここに眮きたるが気にくはず。元来この歌に朝ずいふ字がどれほど必芁......図に乗぀お䜙り曞きし故筋痛み出し、やめ。\n こんな些现な事を論ずる歌よみの気が知れず、などいふ倧文孊者もあるべし。されどかかる埮现なる凊に劙味の存圚なくば短歌や俳句やは長い詩の䞀句に過ぎざるべし。(䞉月二十八日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n\nいざや子ら東鑑にのせおある道はこの道はるのわか草\n\n この歌䞀読、倉な歌なり。先づ第䞀句にお「子ら」ず呌びかけたれば党䜓が子らに察する蚀葉なるべしず思ひきや蚀ひかけは第四句に止たり第五句は突然ず叙景の句を出したり。倉な歌ずいはざるを埗ず。あるいは第五句もたた子らにいひかけたる蚀葉ず芋んか、いよいよ倉なり。たた初に「いざや」ずあるは子らを催す蚀葉なれどもこの歌䞀向に子らを催しお䜕をするずも蚀はず。どうしおも倉なり。この歌のために謀るに最䞊の救治策は「いざや子ら」の䞀句を省くに劂かず。代りに「いにしぞの」ずか䜕ずか眮くべし。さすれば党䜓の意味通ずる故少々倉なれども倧した倉にもならざるか。そはずにかくに前の歌の結句ずいひこの歌の結句ずいひ思ひきりお䜶屈に詠たるる凊を芋れば䜜者も若返りおいはゆる新掟の若手ず共に走りツこをもやらるる芚悟ず芋えお勇たしずも勇たしき事なり。次の歌は\n\n亀の背に歌かき぀けおなき乳母のはなちし池よふか沢の池\n\n いよいよ分りにくき歌ずなりたり。この歌くり返しお読むほど益〻分らず、どうしおも裏面に䞀条の小説的話説でもありさうに思はるるなり。先づこの歌の趣向に぀きお起るべき疑問を列挙せんか。第䞀、この歌の䜜者の地䜍に立぀べき者は少幎なるか少女なるか、か぀その少幎か少女かは劂䜕なる身分の人なるか。第二、亀の背に歌曞きたるは䜕のためか、いたづらの遊びか、䜕かのたじなひか、あるいは玅葉題詩ずいふ叀事に傚ひお亀に恋の媒でも頌みたる蚳か。第䞉、乳母は劂䜕なる玠性の女にお、どれほどの教育ありしか。第四、乳母の死にしは䜕幎前にしお、病死か、はた自殺か。第五、乳母の死ず亀の事ず䜕らの関係なきかあるか。凡そこれらの事をたしかめたる埌に非ざればこの歌の評に取り掛る胜はず。もしそんな耇雑な事も䜕もあらずただこの衚面だけの趣向ずすればたるで狐に぀たたれたやうな趣向なり。なぜずいふに亀の背に歌かくずいふ事既に䞍思議にしお本気の沙汰ず思はれぬに、しかもその歌の曞き䞻が乳母である事いよいよ䞍思議なり。普通には無孊文盲においろはすら知らぬが倚き乳母(の䞭にお特に歌よみの乳母)を持ち出したるは䜕故ぞ。はたその乳母が既に死んで居るに至぀おは䞍思議ずいふも愚なる次第なり。されどかかる野暮評は暫く棚に䞊げおず぀ず掚察した凊で、池を芋お亡き乳母を懐ふずいふある少女の懐旧の歌ならんか。仮りにそれずしお結句ばかりを評すれば「深沢の池」ずばかりにおは固有名詞か普通名詞かそれも刀然せず、気ぬけのしたるやうに思はる。普通名詞ずしおは無論面癜からず。小説的固有名詞なりずすれば乳母の名も「おたよ」ずか「おふく」ずかありたき心地す。以䞊はこの歌を小説的の趣向ず芋お評したる者なれど、もし深沢の池は実際の固有名詞にしお亀に歌曞くなどいふ事実もあるものずすれば曎に入口を倉ぞお評せざるべからず。しかし䜙り長くなる故に略す。(䞉月二十九日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n\n簪もお深さはかりし少女子のたもずに぀きぬ春のあわ雪\n\n 簪にお雪のふかさをはかるずきは畳算ず共に、ドド逞䞭の材料らしくいやみおほくしおここには適せざるが劂し。「はかりし」ずここには過去になりをれど「はかる」ず珟圚にいふが普通にあらずや。「぀きぬ」ずは䜕の意味かわからず、あるいはクツツクの意か。それならば空よりふる雪のクツツキたるか䞋に぀もりたる雪のクツツキたるか、いづれにしおも穏かならぬやうなり。結句に始めお雪をいぞる歌にしお第二句に「ふかさ」ずいぞるは順序顛倒ししかもその距離遠きは䜙り䞊手なるよみ方にあらず。(䞉月䞉十日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n" }, { "role": "assistant", "content": "舞姫が底にう぀しお絵扇の圱芋おをるよ加茂の河氎\n\n この歌は堎所明かならず。固より加茂川附近ずいふ事だけは明かなれどこの舞姫なる者が劂䜕なる凊に居るか分らぬなり。舞姫は、河岞に立ちお居るか、氎の䞭に立ちお居るか、舟に乗りお居るか、河䞭に眮ける瞁台の䞊に居るか、氎䞊にさし出したる桟敷などの䞊に居るか、たたは氎に臚む高楌の欄干にもたれお居るか、たたは䞉条か四条蟺の橋の欄干にもたれお居るか、別にくはしい事を聞くに及ばねど橋の䞊か家の内か舟の䞭か䜍は分らねば党䜓の趣向が感じに乗らぬなり。次に第二句の始に「底」ずいふ字ありお結句に「加茂の河氎」ず順序を顛倒したるは前の雪の歌ず党く同䞀の芆蜍に萜ちたり。「う぀しお」ずいひお「う぀れる」ずいはざるは殊曎にう぀しお遊ぶ事をいぞるなるべく、この殊曎なる凊に厭味あり。この皮の厭味は初心の少幎は甚だ奜む事なるが、䜜者も奜たるるにや。「芋おをるよ」ずいふも少しいかがはしき蚀葉にお「さうかよ」ず悪排萜でもいひたくなるなり。(䞉月䞉十䞀日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n\nむらさきの文筥の玐のかた〳〵をわがのずかぞお結びやらばいかに\n\n「わがのず」ずは「わが玐ず」ずいふ事なるべけれど我の玐ずいふ事十分に解せられず。我文筥の玐か、我矜織の玐か、我瓢箪の玐か、はたその玐の色は赀か青か癜か黒か、もしたた玫ならば同じ濃さか同じ叀さか、それらも聞きたくなきにはあらねど䜜者の意はさる圢の䞊にあらずしお結ぶずいふ凊にあるべく、この文筥は固より恋人の文を封じ来れる者ず芋るべければ野暮評は切りあげお、ただ我らの劂き色気なき者にはこの痎なる凊を十分に味ひ埗ざる事を癜状すべし。䞀぀気になる事は結ばれたるかたかたの玐はよけれど、それがために他のかたかたの玐の解かれたるは瞁喜悪きにあらずや。売卜先生をしお聞かしめば「この瞁談初め善く末わろし狐が川を枉りお尟を濡らすずいふかたちなり」などいはねば善いがず思ふ。(四月䞀日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n\n君が母はやがおわれにも母なるよ埡手ずるこずを蚱させたたぞ\n\n 男女のなからひか矩兄匟の亀りかいづれずも分らねど今の䞖に矩兄匟ずいふやうな野暮もあるたじく、ここは男女の䞭なる事疑ひなし。男女の䞭ずした凊で、この歌は男より女に向ひおいぞる者か女より男に向ひおいぞる者か分らず。昔ならばやさしき女の蚀葉ずも芋るべけれど今の䞖は女よりも男の方にやさしきにやけたるが倚ければ、ここも男の蚀葉ず芋るが至圓なるべし。「埡手ずる」ずは日本流に手を取りお傍より扶くる意にや。西掋流に握手の瀌を行ふ意にや。日本流ならば善けれどもし西掋流ずすれば母なる人の腕が(老人であるだけ)抜けはせずやず心配せらるるなり。それから今䞀぀倉に思はるるは母なる人の手を取るこずの蚱可を母その人に請はずしおかぞ぀おその人の嚘たる恋人に請ひし事なり。されど手を取るずいふ事及びかくいひし堎合明瞭ならざれば詳しく評せんに由なし。\n\nこの身もし女なりせでわがせこずたのみおたしを男らしき君\n\n「せで」は「せば」の誀怍なるべし。「女にお芋たおた぀らたし」など『源氏物語』にあるより翻案したるか。されどそれは男の圢のう぀くしきを他の男よりかく評せるなり。しかるにこの歌は男の男らしきを偎の男よりほめお「君はなかなか男らしくお頌もしい奎だ、僕が女ならずうから君に惚れちよるよ」抔いふのであるから殺颚景にしお少しも情の写りやうなし。前者は女的男を他の男が評する事故至極尀ず思はるれど、この歌の劂きは男的男を他の男が評する事故䜙り倉にしお䜕だかいやな気味の悪い心持になるなり。畢竟この歌にお「男らしき」ずいふ圢容詞を甚ゐたるが悪きにお、かかる圢容詞はなくおもすむべく、たた他の詞を眮きおもよかりしならん。(四月二日)\n\n『明星』所茉萜合氏の歌\n\nたどぞりずみづから知りお神垣にのろひの釘をすおゝかぞりぬ\n\n この皮の歌いはゆる新掟の䜜に倚し。趣向の小説的なる者を捕ぞおこれを歌に詠みこなす事は最も難きわざなるにただ歎史を叙する劂き筆法に叙し去りお䞭心もなく統䞀もなき無趣味の䞉十䞀文字ずなし自ら埗たりずする事初心の匊なり。この歌もたた同じ病に眹りたるが劂し。先づこの歌の䜜者の地䜍に立぀べき者はのろひ釘の圓人ず芋るべきか、もし圓人が自分の事を叙すずせば「すおゝかぞりぬ」ずいふ劂き他人がたしき叙しやうあるべからず。たた傍芳者の歌ずせんか、秘密䞭の秘密に属するのろひ釘を芋る事もこずさらめきお誠しからず、はた「惑ぞりず自ら知りお」ずその心䞭たで明瞭に芋抜きたるもあるべき事ならず。されど堎合によりおは小説家が小説を叙する劂く、秘密なる事実は勿論、その心䞭たでも芋抜きお歌に詠む事党くなきにあらねどそは至難のわざなり。この歌の劂く「すおゝかぞりぬ」ず結びおは歎史的即ち雑報的の結末ずなりお矎文的即ち和歌的の結末ずはならず。぀たりこの歌は雑報蚘者が雑報を曞きたる劂き者にしお少しも感情の珟れたる凊なし。これでは先づ歌の資栌を持たぬ歌ずもいふべきか。釘をすおお垰るなどいふ事も随分倉的な想像なれど䞀々に論ぜんはうるさければ省く事ずすべし。劄評々々死眪々々。(四月䞉日)\n\n 春雚の朝からシペボシペボず降る日は誠に静かで小淋しいやうで閑談に適しお居るから、かういふ日に傘さしお袖濡らしおわざわざ話しに来たずいふ遠来の友があるず嬉しからうがさういふ事は今たであ぀た事がない。今日も雚が降るので人は来ず仰向にな぀おがんやりず倩井を芋おゐるず、匵子の亀もぶら䞋぀おゐる、芒の穂の朚兎もぶら䞋぀おゐる、駝鳥の卵の黒いのもぶら䞋぀おゐる、ぐるりの鎚居には菅笠が掛぀おゐる、蓑が掛぀おゐる、瓢の花いけが掛぀おゐる。枕元を芋るず箱の䞊に䞀寞ばかりの人圢が沢山䞊んでゐる、その䞭にはお倚犏も倧黒も恵比寿も犏助も裞子も招き猫もあ぀お皆笑顔を぀く぀おゐる。こんな぀たらぬ時にかういふオモチダにも叀笠などにも皆足が生えお病牀のぐるりを歩行き出したら面癜いであらう。(四月四日)\n\n 恕堂が或日倧きな颚呂敷包を持お来お䜙に、音楜を聎くか、ずいふから、䜙は、どんな楜噚を持お来たのだらうず危みながら、聎く、ず答ぞた。それから瞳を凝しお恕堂のする事を芋おゐるず、恕堂は颚呂敷を解いお蓄音噚を取り出した。この噚械は䜙は始お芋たので、䞀尺ほどのラツパが突然ず䜙の方を向いお口を開いたやうにしおゐたのもをかしか぀た。それからたた箱の䞭から竹の筒を六、䞃寞に切぀たやうなものを取り出した。これが蝋なので、この蝋の衚面に極めお埮现な線が぀いおをるのは、これが声の痕であるさうな。これを噚械にかけおねぢをかけるず、ひずりでにブル〳〵〳〵〳〵ずいひ出す。この竹の筒のやうなものが郜合十八あ぀たのを取り曎ぞ取り曎ぞおかけお芋たが、過半は西掋の歌であるので我々にはよくわからぬ。しかし日本の唱歌などに比べるず調子に倉化があ぀お面癜く感じる。日本のは䞉぀ほどの内に越埌獅子の垃を晒す所ぢやずいふのが䞀぀あ぀た。それは甚だ面癜か぀た。西掋の歌の䞭にラフむング、゜ング(笑歌)ず題するのがあ぀お䜕の事だかわからぬが、調子は非垞な急な調子で、ずころどころに笑ひ声が這入぀おゐる歌であ぀た。これは笑ひ声に巧みなずいふ評刀の西掋音楜垫が吹き蟌むだんださうで今詊みにこの歌を想像しお芋るず、" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " その埮笑が又玔䞀には気になった。それはどうも自分を芋䞋しおいる埮笑のように思われお、その芋䞋されるのが自分の圓然受くべき眰のように思われたからである。\n 玔䞀はどうにかしお名誉を恢埩しなくおはならないような感じがした。そしお䜙皋勇気を振り起しお云った。\n「どうです。少しお掛なすっおは」\n「難有う」\n 右の草履が碟磑の飛石を䞀぀螏んで、巊の草履が麻の葉のような皎のある鞍銬の沓脱に䞊がる。お雪さんの䜓がしなやかに䞀捩り捩られお、長い曞生矜織に包たれた腰が蹂口に卞された。\n 諺にもいう倩長節日和の冬の日がぱっず差しお来たので、お雪さんは目映しそうな顔をしお、暪に玔䞀の方に向いた。玔䞀が囜にいるずき取り寄せた近代矎術史に、ナナずいう題のマネ゚の画があっお、倧きな眉刷毛を持っお、鏡の前に立っお、䞀寞暪に振り向いた嚘がかいおあった。その皍や芏則正し過ぎるかず思われるような、现面な顔に、お雪さんが奜く䌌おいるず思うのは、額を右から巊ぞ斜に掠めおいる、小指の倧きさ皋ず぀に固たった、柔かい前髪の為めもあろう。その前髪の䞋の倧きい目が、日に目映しがっおも、少しも玔䞀には目映しがらない。\n「あなたお囜からいらっしった方のようじゃあないわ」\n 玔䞀は笑いながら顔を赀くした。そしお顔の赀くなるのを意識しお、ひどく忌々しがった。それに出し抜けに、矎䞭に刺ありずもいうべき批評の詞を济せ掛けるずは、怪しからん事だず思った。\n 婆あさんはお鉢を持っお、起っお行った。二人は暫く無蚀でいた。玔䞀は急に空気が重くろしくなったように感じた。\n 垣の倖を、毛皮の衿の附いた倖套を着た客を茉せた車が䞀぀、田端の方ぞ走っお行った。\n ずうずう婆あさんが膳を䞋げに来るたで、玔䞀は䜕の詞をも芋出すこずを埗なかった。婆あさんは膳ず土瓶ずを䞡手に持っお、二人の顔を芋競べお、「たあ、倧盞お静でございたすね」ず云っお、勝手ぞ行った。\n 蹲の向うの山茶花の枝から、雀が䞀矜飛び䞋りお、蹲の氎を飲む。この䞍思議な雀が玔䞀の結がれた舌を解いた。\n「雀が氎を飲んでいたすね」\n「黙っおいらっしゃいよ」\n 玔䞀は起っお閟際たで出た。雀は぀いず飛んで行った。お雪さんは玔䞀の顔を仰いで芋た。\n「あら、ずうずう逃がしおおしたいなすっおね」\n「なに、僕が来なくたっお逃げたのです」倧分遠慮は無くなったが、䞋手な圹者が台詞を蚀うような心持である。\n「そうじゃないわ」詞遣は急劇に芪密の床を加えお来る。少し間を眮いお、「わたし又来およ」ず云うかず思うず、倧きい目の閃を跡に残しお、千代田草履は飛石の䞊をばたばたず螏んで去った。\n\n五\n\n 玔䞀は机の䞊にある仏蘭西の雑誌を取り䞊げた。䞭孊にいるずきの倖囜語は英語であったが、聖公䌚の宣教垫の所ぞ毎晩通っお、仏語を孊んだ。初は暁星孊校の教科曞を読むのも蟛かったが、䞀幎皋通っおいるうちに、ふいず楜に読めるようになった。そこで教垫のベルタンさんに頌んで、巎里の曞店に玹介しお貰った。それからは曞目を送っおくれるので、新刊曞を盎接に取寄せおいる。雑誌もその曞店が取り次いで送っおくれるのである。\n 開けた凊には、セガンチニの死ぬるずころが曞いおある。氷山を隣に持った小屋のような田舎屋である。ろくな煖炉もない。そこで画家は死に瀕しおいる。䜓のうちの臓噚はもう運転を停めようずしおいるのに、画家は窓を開けさせお、氷の山の巓に棚匕く雲を眺めおいる。\n 玔䞀は巻を掩うお考えた。芞術はこうしたものであろう。自分の画がくべきアルプの山は珟瀟䌚である。囜にいたずき倢みおいた倧郜䌚の枊巻は今自分を挂わせおいるのである。いや、挂わせおいるのなら奜い。挂わせおいなくおはならないのに、自分は岞の蔊蘿にかじり附いおいるのではあるたいか。正しい意味で生掻しおいないのではあるたいか。セガンチニが䞀床も窓を開けず、戞の倖ぞ出なかったら、どうだろう。そうしたら、山の䞊に䜏たっおいる甲斐はあるたい。\n 今東京で瀟䌚の衚面に立っおいる人に、囜の人は沢山ある。䞖はY県の䞖である。囜を立぀ずき某元老に玹介しお遣ろう、某倧臣に玹介しお遣ろうず云った人があったのを皆こずわった。それはそういう人達がどんなに偉倧であろうが、どんなに暩勢があろうが、そんな事は自分の目䞭に眮いおいなかったからである。それから又こんな事を思った。人の遭遇ずいうものは、玹介状や䜕ぞで埗られるものではない。玹介状や䜕ぞで埗られたような遭遇は、別に或物が土台を造っおいたのである。玹介状は偶然そこぞ出くわしたのである。開いおいる扉があったら足を容れよう。扉が閉じられおいたら通り過ぎよう。こう思っお、田䞭さんの玹介状䞀本の倖は、皆貰わずに眮いたのである。\n 自分は東京に来おいるには違ない。しかしこんなにしおいお、東京が分かるだろうか。こうしおいおは囜の曞斎にいるのも同じ事ではあるたいか。同じ事なら、ただ奜い。囜で䞭孊を枈たせた時、高等孊校の詊隓を受けに東京ぞ出お、今では倧孊にはいっおいるものもある。瀬戞のように矎術孊校にはいっおいるものもある。盎ぐに瀟䌚に出お、職業を求めたものもある。自分が優等の成瞟を以お卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けお、暫く囜に留たっおいたのは、自信があり抱負があっおの事であった。孊士や博士になるこずは䜙り垌望しない。䞖間にこれぞず云っお、為お芋たい職業もない。家には今のように支配人任せにしおいおも、䞀族が楜に暮らしお行かれるだけの財産がある。そこで芪類の異議のうるさいのを排しお創䜜家になりたいず決心したのであった。\n そう思い立っおから語孊を教えお貰っおいる教垫のベルタンさんに色々な事を問うお芋たが、この人は巎里の空気を呌吞しおいた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでいる筈の新旧玄党曞でも、それを偉倧なる文孊ずしお芳察するずいう事はない。䜕かその䞭の話を問うお芋るのに、啻に文孊ずしお芳おいないばかりではない、楜んで読んでいるずいう事さえないようである。只寺院の偎から芳た煩瑣な蚻釈を加えた倧冊の曞物を、深く究めようずもせずに、貯蔵しおいるばかりである。そしお日々の為事には、囜から来た新聞を読む。新聞では列囜の均勢ずか、どこかで偶々起っおいる倖亀問題ずかいうような事に気を着けおいる。そんなら䜕か秘密な政治䞊のミッションでも持っおいるかず云うに、そうでもないらしい。恐らくは、欧米人の謂う珈琲卓の政治家の䞀人なのであろう。その倖には東掋ぞ立぀前に買っお来たずいう医曞を少し持っおいお、それを読んで自分の䜓だけの治療をする。殊にこの人の耐色の長い髪に掩われおいる頭には、持病の頭痛があっお、叀びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭な病気があるのを、い぀も手前療治で繕っおいるらしい。そんな人柄なので少し話を文孊や矎術の事に向けようずするず、顧みお他を蚀うのである。ようようの思でこの人に為お貰った事は巎里の曞肆ぞ玹介しお貰っただけである。\n こんな事を思っおいる内に、故郷の町はずれの、田圃の䞭に、じめじめした凊ぞ土を盛っお、䞍恰奜に造ったペンキ塗の䌚堂が目に浮ぶ。聖公䌚ず曞いた、叀びた朚札の掛けおある、赀く塗った門を這入るず、瓊で築き䞊げた花壇が二぀ある。その䞀぀には癟合が怍えおある。今䞀぀の方にはコスモスが怍えおある。どちらも春から芜を出しながら、癟合は秋の初、コスモスは秋の季に芚束なげな花が咲くたで、いじけたたたに育぀のである。䞭にもコスモスは、胡蘿蔔のような葉がちぢれお、瘠せた幹がひょろひょろしお立っおいるのである。\n その奥の、搏颚だけゎチック賜に造った、ペンキ塗のがらくた普請が䌚堂で、仏蘭西語を習いに行く、少数の青幎の倖には、い぀たで立っおも、この䞭ぞ這入っお来る人はない。ベルタンさんは老いがれた料理人兌小䜿を䞀人䜿っお、がらんずした、皍倧きい家に䜏んでいるのだから、どこも圌凊も埃だらけで、癜昌に錠が駈け廻っおいる。\n ベルタンさんは長厎から買っお来たずいう倧きいデスクに、千八癟五十䜕幎などずいう幎号の曞いおある、クロオスの色の赀だか黒だか分からなくなった曞物を、乱雑に積み䞊げお眮いおいる。その偎には食い掛けた腞詰や也酪を茉せた皿が、䞍粟にも勝手ぞ䞋げずに、囜から来た Figaro の反叀を被せお眮いおある。虎斑の猫が䞀匹積み䞊げた曞物の䞊に飛び䞊がっお、そこで銙箱を䜜っお、腞詰の匀を嗅いでいる。\n その向うに、茶耐色の長い髪を、癜い広い額から、背埌ぞ掻き䞊げお、䟋のタラアルたがいの黒い服を着お、お祖父さん怅子に、誰やらに貰ったずいう、北海道の狐の皮を掛けお、ベルタンさんが据わっおいる。倏も冬も同じ事である。冬は郚屋の隅の鉄砲煖炉に束真朚が燻っおいるだけである。\n 或日皜叀の時間より䞉十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんずいろいろな話をした。その時教垫がお前は䜕になる積りかず問うたので、正盎に Romancier になるず云った。ベルタンさんは二䞉床問い返しお、劙な顔をしお黙っおしたった。この人は小説家ずいうものに就いおは、これたで少しも考えお芋た事がないので、䜕ず云っお奜いか分からなかったらしい。殆どわたくしは火星ぞ移䜏したすずでも云ったのず同じ䜍に呆れたらしい。\n 玔䞀は読み掛けた雑誌も読たずにこんな回想に耜っおいたが、ふず今朝婆あさんの起しお眮いおくれた火鉢の火が、真癜い灰を被っお小さくなっおしたったのに気が附いお、慌おお炭を぀いで、頬を膚らせお頻りに吹き始めた。\n" }, { "role": "assistant", "content": "六\n\n 倩長節の日の午前はこんな颚で立っおしたった。婆あさんの運んで来た昌食を食べた。そこぞぶらりず瀬戞速人が来た。\n 婆あさんが倅の長次郎に癜げさせお持お来た、小さい朚札に、玔䞀が名を曞いお、門の柱に掛けさせお眮いたので、瀬戞はすぐに尋ね圓おお這入っお来たのである。日圓りの奜い小郚屋で、向き合っお据わっお芋るず、瀬戞の顔は倧分故郷にいた時ずは違っおいる。谷䞭の坂の䞋で逢ったずきには、向うから声を掛けたのず顔の圢よりは顔の衚情を芋たのずで、さ皋には思わなかったが、瀬戞の昔油ぎっおいた顔が、今は干からびお、目尻や口の呚囲に、䜕か蚀うず皺が出来る。家䞻の婆あさんなんぞは婆あさんでも最少し艶々しおいるように思われるのである。瀬戞はこう云った。\n「ひどくしゃれた内を芋附けたもんだなあ」\n「そうかねえ」\n「そうかねえもないもんだ。䞀䜓君は人に無邪気な青幎だず云われる癖に、食えない人だよ。田舎から飛び出しお来お、倧抵の人間ならたご぀いおいるんだが、誰の所をでも䞀人で蚪問する。家を䞀人で探しお借りる。たるで癟幎も東京にいる人のようじゃないか」\n「君、東京は癟幎前にはなかったよ」\n「それだ。君のそう云う方面は銬鹿な奎には分からないのだ。君はずるいよ」\n 瀬戞は頻りにずるいよを振り廻しお、玔䞀の知己を以お自ら任じおいるずいう颚である。それからこんな事を蚀った。今日の午埌は暇なので、玔䞀がどこか行きたい凊でもあるなら、䞀しょに行っおも奜い。䞊野の展芧䌚ぞ行っおも奜い。浅草公園ぞ散歩に行っおも奜い。今䞀぀は自分の折々行く青幎倶楜郚のようなものがある。䌚員は倚くは未来の文士ずいうような連䞭で、それに矎術家が二䞉人加わっおいる。極真面目な䌚で、名家を頌んで話をしお貰う事になっおいる。今日は拊石が来る。路花なんぞずは流掟が違うが、なんにしろ倧家の事だから、い぀もより盛んだろうず思うずいうのである。\n 玔䞀は画なんぞを芋るには、分かっおも分からなくおも、人ず䞀しょに芋るのが嫌である。浅草公園の昚今の様子は、ちょいちょい新聞に出る出来事から掚し枬っお芋おも、わざわざ埀っお芋る気にはなられない。拊石ずいう人は流行に遅れたようではあるが、ずにかく小説家䞭で䞀番孊問があるそうだ。どんな人か顔を芋お眮こうず思った。そこで倶楜郚ぞ連れお行っお貰うこずにした。\n 二人は初音町を出お、䞊野の山をぶらぶら通り抜けた。博物通の前にも、展芧䌚の前にも、銬車が幟぀も停めおある。粟逊軒の東照宮の方に近い入口の前には、立掟な自動車が䞀台ある。瀬戞が云った。\n「汜車はタアナアがかいたので画になったが、ただ自動車の名画ずいうものは聞かないね」\n「そうかねえ。文章にはもう倧分あるようだが」\n「旚く曞いた奎があるかね」\n「小説にも脚本にも沢山曞いおあるのだが、只䜿っおあるずいうだけのようだ。旚く曞いたのはやっぱりマアテルリンクの小品䜍のものだろう」\n「ふん。䞀䜓自動車ずいうものは幟ら䜍するだろう」\n「五六千円から、少し奜いのは䞀䞇円以䞊だずいうじゃあないか」\n「それじゃあ、僕なんぞは䞀生画をかいおも、自動車は買えそうもない」\n 瀬戞は火の消えた朝日を、人のぞろぞろ歩いおいる足元ぞ無遠慮に投げお、苊笑をした。笑うずひどく醜くなる顔である。\n 広小路に出た。囜旗をぶっちがえにしお立おた電車が幟台も来るが、皆満員である。瀬戞が無理に人を抌し分けお乗るので、玔䞀も為方なしに附いお乗った。\n 須田町で乗り換えお、錊町で降りた。暪町ぞ曲っお、赀煉瓊の神田区圹所の向いの凊に来るず、瀬戞が立ち留たった。\n この蟺には朚造のけちな家ばかり䞊んでいる。その䞀軒の庇に、奜く本屋の店先に立おおあるような、朚の枠に玙を匵り附けた看板が立お掛けおある。䞊の方ぞ暪に矅銬字で DIDASKALIA ず曞いお、䞋には竪に十䞀月䟋䌚ず曞いおある。\n「ここだよ。二階ぞ䞊がるのだ」\n 瀬戞は䞋駄や半靎の乱雑に脱ぎ散らしおある䞭ぞ、薩摩䞋駄を跳ね飛ばしお、正面の梯子を登っお行く。玔䞀は附いお䞊がりながら、店を暪目で芋るず、垳堎の栌子の背埌には、二十ばかりの色の蒌い五分刈頭の男がすわっおいお、勝手に続いおいるらしい䞉尺の口に立っおいる赧顔の倧女ず話をしおいる。女は襷がけで、裟をたくっお、膝の少し䞋たである、錠色になった而を出しおいる。その女が「いらっしゃい」ず倧声で云っお、䞀寞こっちを芋ただけで、蜡虫の鳎くような声で、話をし続けおいるのである。\n 二階は広くおきたない。䞀方の壁の前に、卓ず怅子ずが眮いおあっお、卓の䞊には花瓶に南倩が生けおあるが、い぀生けたものか葉がずころどころ泣菫の所謂也反葉になっおいる。その偎に氎を入れた瓶ずコップずがある。\n 十四五人ばかりの客が、二぀䞉぀の火鉢を䞭心にしお、よごれた座垃団の䞊にすわっおいる。間々にばら蒔いおある座垃団は跡から来る客を埅っおいるのである。\n 客は倧抵玺飛癜の矜織に小倉袎ずいう颚で、それに孊校の制服を着たのが亀っおいる。䞭には倧孊や高等孊校の服もある。\n 䌚話は倧分盛んである。\n 䞁床玔䞀が䞊がっお来たずき、䞊り口に近い䞀矀の䞭で、誰やらが声高にこう云うのが聞えた。\n「ずにかく、君、ラむフずアアトが別々になっおいる奎は駄目だよ」\n 玔䞀は知れ切った事を、仰山らしく云っおいるものだず思いながら、瀬戞が人にでも匕き合わせおくれるのかず、少し躊躇しおいたが、瀬戞は誰やら心安い間らしい人を芋附けお、座敷のずっず奥の方ぞずんずん行っお、その人ず小声で忙しそうに話し出したので、玔䞀は䞊り口に近い矀の片端に、座垃団を匕き寄せお寂しく据わった。\n この矀では、識らない玔䞀の来たのを、気にもしない様子で、䌚話を続けおいる。\n 話題に䞊っおいるのは、今倜挔説に来る拊石である。老成らしい䞀人が云う。あれはずにかく芞術家ずしお成功しおいる。成功ずいっおも䞀時䞖間を動かしたずいう偎でいうのではない。文芞史䞊の意矩でいうのである。それに孊殖がある。短篇集なんぞの䞭には、西掋の事を曞いお、西掋人が曞いたずしきゃ思われないようなのがあるず云う。そうするず、さっき声高に話しおいた男が、こう云う。孊問や特別知識は䜕の䟡倀もない。芞術家ずしお成功しおいるずは、旚く人圢を列べお、螊らせおいるような凊を蚀うのではあるたいか。その成功が嫌だ。纏たっおいるのが嫌だ。人圢を勝手に螊らせおいお、゚ゎむストらしい自己が物蔭に隠れお、芋物の面癜がるのを冷笑しおいるように思われる。それをラむフずアアトが別々になっおいるずいうのだず云う。こう云っおいる男は近県目がねを掛けた痩男で、柄にない倧きな声を出すのである。傍から遠慮げに喙を容れた男がある。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "或る幎の冬、私ず二人で乙女峠を越えようずしお雪の積぀た峠の頂きぞ蟿り着いた時、理由のない恐怖が挠然ず襲぀お来お、異口同音に「恐い」ず云ひ出しお、二人共真぀青になりながら倢䞭で坂を銳せ䞋぀たこずなぞもあ぀た。「ふさぎの虫」の物語は、狂人の番をしおゐる男が狂人の蚀説を尀もだず感じるやうになり、ずう〳〵自分も狂人にな぀おしたふず云ふ筋であるが、倧貫ず私ずは互に恐怖病を助長させた傟きがあ぀た。圌も私も、䞀人でゐる時より二人でゐる時の方が䜙蚈恐怖の発䜜を感じた。私の“The Affair of Two Watches”を読んだ方は埡承知であらうが、あの䞭に、杉ず云ふ男が金策に窮しお䞀蚈を案出する所がある。その方法は、圓時䞞善が「ヒストリアンス・ヒストリヌ」の予玄出版をしおゐお、最初に五円払ひ蟌めば、時䟡癟円以䞊の曞籍を党郚送り届けおくれる、あずは月賊で䞀幎間か二幎間かに成し厩しに払ぞばいゝのである、それで、先づ五円の申し蟌み金を出しお党巻を受け取り、それをそ぀ず質に入れるか、情を明かしお誰かに買぀お貰ふかする、さうすれば差し圓り癟円ぐらゐの金は出来る、䞞善の方ぞは月賊さぞキチンず払぀お行けば分る筈はない、―――小説の䞭で、杉がこんなこずをしやべるのであるが、私の友人で、それを読んでこ぀そり実行した男があ぀た。圌は䞞善から受け取぀た曞物を、瞁故を求めお或る田舎の䞭孊校ぞ売り付けた。それも原䟡ず違はない盞圓な倀で売぀たので、マンマず蚈画は成就した蚳だが、間もなく歀の男は気が倉にな぀お、をかしなこずを口走り始めた。友人達がみんな䞞善の廻し者か探偵のやうに思ぞ出しお来たのである。身近い所に起぀たかう云ふ実䟋は、䞀局私の恐怖心を募らせたもので、今に自分も心臓麻痺でやられるか気が違ふかず云ふやうな予感が始終神経をビク぀かせ、突然、埀来の真ん䞭で動悞が早鐘を打ち始め、アハダ卒倒しさうになるこずがしば〳〵あ぀た。われ〳〵に比べるず「癜暺」の人たちは遥かに健党であ぀たけれども、それでも志賀君の若い時の䜜品には「剃刀」だずか「濁぀た頭」だずか云ふやうなものがある。以おあの時代の青幎の病的さ加枛を知るこずが出来よう。\nさお、私の神経衰匱ず云ふのは匷迫芳念が頭に巣を喰぀お、時々発䜜を起すのであ぀たが、恐怖の察象はいろ〳〵に倉぀た。或る時は発狂するかず思ひ、或る時は脳溢血、心臓麻痺を起すかず思ひ、そしお、さう思ひ出すず、必ず䞀定の時間内にさうなるに違ひない気がしお来る。するず、もうその予感で顔色が真぀青に倉り、或はかあツず䞊気せお来お、䜓䞭がふるぞ出し、脚がすくみ、心臓がドキンドキン音を立おゝ鳎り出しお、今にも砎裂しさうになる。その恐ろしさを玛らすために、片手でし぀かり心臓を抌さぞ、髪の毛を掻き毟぀たり、そこらぢゆうを駈けずり廻぀たり、氎道の氎を济びたりする。それが、癲癇の発䜜ず同じやうに、時ず所を遞ばずに突発するのだから始末が悪い。偕楜園の笹沌などは倜䞭しば〳〵私に起されお、慌おゝ台所ぞ飛んで行぀お、コツプに䞀杯冷酒を持぀お来たものである。(どう云ふ蚳か、酒を飲むず発䜜が静たるのである。それでその圓座は身蟺に酒を絶やしたこずがなか぀た)で、発䜜が起らない時でも、い぀起るかも知れないず云ふ心配のためにビクビクしおゐる。䞀人の時はただいゝが、はにかみ屋の私のこずだから、人前ぞ出た時が䞀番むダだ぀た。笹沌のやうに様子を知぀おゐおくれゝば心匷いが、䜕もそんなこずを知らない人の前で起぀たらどんな醜態を挔じるかず思ふず、め぀たな家ぞ客に呌ばれお行くこずも出来なか぀た。埓぀お友人、―――殊に目䞊の人を蚪問するこず、宎䌚に出垭するこず、汜車や電車に乗るこず、芝居や掻動小屋ぞ這入るこず等、すべお犁物であ぀た。私は、電車の䞭なぞで匕぀くり芆぀たら䜓裁が悪いので、倧抂な道は歩くやうにした。しかし電車は「倉だ」ず思ふず盎ぐに降りられるからいゝが、汜車は停車堎ず停車堎の間が長いので、尚曎乗る勇気がなか぀た。掻動写真などは、それでも恐々芋に行぀たものだが、䞉等垭の出口に近い所にゐお発䜜を感じるず急いで飛び出した。(飛び出しおしたふずもう䜕ずもなくなるのだが、這入るず又恐くなるのであ぀た)その倖、床屋ぞ行くこずがむケなか぀た。じ぀ず腰掛けお、銖の呚りを締められお、髪を刈られおゐるず、きた぀お䞍安にな぀お来る。それを職人に悟られたいずしお䞀生懞呜にこらぞる。そのために尚恐くなる。鏡に映る自分の顔が土気色をしお、死盞を湛ぞおゐる。芋る〳〵うちに赀くな぀たり青くな぀たりする。ずおもじ぀ずしおゐられないので、゚ヘンず咳をしおみたり、䜓をごそ〳〵動かしおみたり、したひには銖を圌方ぞ向け歀方ぞ向けする。そしお「気分が悪いから」ずか䜕ずか云぀お、刈りかけの頭で倖ぞ出おしたふ。い぀たいに、䞀぀姿勢を持続するこずがむづかしか぀た。人に匷ひられるず尚むづかしく、䞀二分の蟛抱も出来かねた。\n写真を写されるず、露出時間の長い時は必ず動いた。宀内で人ず察談する時、絶えず居ずたひを盎し、ハツずび぀くりしたやうに急激な運動で䜍眮を換ぞ、又䞀方の手を畳ぞ衝くか立お膝をしおその脚を抱いた。" }, { "role": "assistant", "content": "さうしないず、県の前がグラグラずしお倒れさうになるのであ぀た。匷い光線、匷い色圩に射られおも眩暈を感じた。䜕事に䟝らず、匷烈な官胜的刺戟には恐怖が䌎぀た。小説「悪魔」の䞻人公の䜐䌯ず云ふ男は真倏の路面から反射する日の光りに堪ぞかねお、芚えず䞡手で顔を蔜ふのであるが、あれは私自身の䜓隓で、䜐䌯の神経衰匱は即ち私のものであ぀た。\nけれども、私のむンプルノ時代、―――今云ふやうな神経病に悩たされた時代は、ただ文壇に進出する以前、倧孊の二䞉幎頃のこずで、(その頃神経衰匱を盎すために、垞陞の囜助川にある偕楜園別荘に転地したこずは前に蚘した通りである)それから四五幎の埌京郜ぞ旅立぀時分には殆ど快癒しおゐたのであ぀た。その證拠には、長の道䞭を汜車に乗぀お来たけれども、私は䜕の䞍安にも襲はれずに、無事に京郜ぞ着いたのである。尀もさう云ぞば、汜車に乗るに぀いおは埀幎の恐怖の蚘憶があ぀たので、いくらか甚心する気にな぀お、圓時は既に急行車が出来おゐたにも拘はらず、恐くな぀たら䜕凊でゞも降りられるやうに普通車を遞び、名叀屋で䞀ず晩泊぀たりしお、譊戒しながら来たのであ぀たが、案ずる皋のこずもなく、完党に愉快な旅を続けた。私は汜車の窓から沿道の春景色を眺めながら、いかにあの頃の病癖が滑皜至極なものであ぀たかを想ひ浮かべ、匷健な神経を取り戻した今の我が身を祝犏した。私は、二日間の汜車旅行の結果を芋おす぀かり安心した蚳であ぀た。たあ云぀おみれば、もう歀の䞊はいかなる歓楜もいかなる刺戟も蟞する所にあらずず云ふ気にな぀おゐた。それで京郜ぞ着くず間もなく連日連倜の遊蕩䞉昧が始た぀たのであるが、神経病ず云ふものは䞀床癖が぀くず、盎぀たやうでも䞭々盎り切らないものなので、䞍摂生な飲酒生掻が悪圱響を及がしたらしく、又あのいやな病気が知らず識らず萌しお来たのである。それは、い぀からず云ふは぀きりした蚘憶はないが、「日蚘」にも曞いおあるやうに、䜓が非垞にくたびれるこずが始たりであ぀た。前の発病時代にも疲劎したこずはしたけれども、あの時はコチコチに痩せおゐたから、肉䜓的にはそれ皋でもなか぀たのだが、今床はもうあの時ず違぀お、芋るから倧儀さうにぶく〳〵に倪぀おゐたのである。おたけに京郜ぞ来おからず云ふものは䞀局急激に倪り出しお、日に〳〵脂肪の堆積しお行くのが自分にも分る皋だ぀たので、私は第䞀に歀の倪り方が䞍安であ぀た。䜕かしら自分の䜓に異状があるず云ふ気がした。なぜかず云぀お、぀い二䞉幎前たでは十䞀二貫の鉄火箞のやうな䜓だ぀たのが、ちよ぀ずの間に十䞃八貫に膚れ䞊り、ただ〳〵膚れお行きさうなのである。身長五尺二寞ず云ふ小兵の䞊に骚现の私がそんな目方にな぀たのだから、腕にも、脚にも、錻の頭にも、頬ツぺたにも莅肉が垂れ䞋り、指の附け根や臀の䞊には赀ん坊のやうなゑくがが出来、腹がだん〳〵セリ出しお颚船玉のやうにふくらんで来る。そこぞ持぀お来お、五月から六月ず云ふ蒞し暑い季節のこずであるから、腋の䞋や頞すぢや股の間が脂汗でゞクゞクしお、赀く爛れるので、倩華粉を塗らなければ股擊れがしお歩かれない。私は、午埌の日盛りに、幹圊君ず連れ立぀お知恩院の石段を喘ぎ〳〵䞊぀た苊しさを今も想ひ出す。あんな僅かな、募配のなだらかな段々だけれども、あの時の私には実に苊しか぀たのである。ず云ふのは、あの石段は非垞に幅が広いのである。そこぞ初倏の日が䞀面に照り぀けおゐるので、䜕凊にも蔭ず云ふものがない。\n私の疲れた芖神経には、あの石段の党䜓がたるで浩蕩たる光りの海のやうに芋えた。私は海に溺れかゝ぀た人のやうに段の䞭途に立ち止た぀おは動悞を䌑めたが、するず応ち段々の四方八方から匷烈な光線が射返しお来るので、急に立ち暈みがしお、膝頭がガクガクふるぞた。「歀の石段を䞊り切る迄に己は倒れる」ず云ふ予感がしお、早く䞊぀おしたひたいず思぀おも、息切れず股擊れで重い足を匕きず぀おゐるずころぞ、光線の嚁嚇に脅やかされた県が錯芚を起しお、氎平な段々の䞀方の端が䜎く芋えたり、ゆるやかな石のだら〳〵路が壁のやうに切぀立぀お迫぀お来たりした。奈良を䞀日歩いた時にも、あの春日野の芝生の緑があたりキラキラ反射するので軜い眩暈を芚えながら、どうも倉だぞ県に快い筈の芝生の色を正芖するこずが出来ないなんお、これは病気が再発するんぢやないのかなず、がんやりそんな颚に感じた。それに、関西は東京に比べるず土の色が癜いものだから、光線の照り返しが非垞にチカチカするのである。四月の末に䞊方ぞ来た私は、最初はさうも思はなか぀たが、若葉の時候に奈良なんぞを歩いおみるず、䞊野公園などゝは違぀お、朚の色でも地面の色でも、ずおも色圩が毒々しく、たるで塗りたおのペンキのやうにギラギラしおゐる。私は幹圊君ず二人で、䞉条通りを真぀盎ぐに春日神瀟ぞお詣りをし、博物通を芋物しお䞉笠山の䞋を通぀お、手向山八幡、䞉月堂、二月堂、倧仏殿ず、だゞ぀広い公園の圌方歀方を芋お廻぀たが、県に入るものは癜い土か、癜い壁か、それでなければ芝生や暹朚の青い色である。䜕凊ぞ行぀おもクツキリずした、パツず燃え立぀やうに明るい「癜」ず「緑」の連続、.........「新緑滎るばかり」ず云ふず涌しさうだが、その新緑がぬら〳〵ず汗で光぀おゐるやうに芋え、癜い地面はカサカサに也いおゐお、歩く床毎に灰のやうな现かい埃を䞊げる。そのくせそよずの颚もないので、足元にだけ立぀た埃が、着物の裟二䞉寞から以䞋足袋の先たでを、は぀きり段を぀けお染め分けおゐる。私は䞉笠山を䞋から芋䞊げた時に、あの぀る〳〵した、朚の䞀本もない山が、くるめくやうな日光の䞭に聳えおゐるのがぞんに薄気味悪か぀た。もう芋たゞけでりンザリしお、登぀たら嘞疲れるだらうなあず思぀たきりだ぀た。そしお宿屋ぞ着いた時は十里も十五里も歩いたやうにくたびれおゐた。そんな颚だから、五月の末頃からは昌間は殆ど倖出したこずがなく、倧きな倪錓腹を持お扱ひながらごろ〳〵寝ころんでばかり暮らしお、倕方になるず、先斗町の川附きのお茶屋ぞ出かけお行く。倜も倧抂お茶屋で泊぀お、藝者や仲居ず雑魚寝をする。その雑魚寝ず云ふのが殺生なもので、奜きな女でも亀぀おゐるず、終倜安眠が出来ないで明くる日たで頭がぎん〳〵する。(雑魚寝で䞀番悩たされたのは、倧阪の宿にゐた時分、䞭井浩氎君が新町の茚朚屋に十日も二十日も流連しおゐお、倜になるず呌び出しの電話がかゝ぀お来る、出かけお行くず浩氎君は座に盞方の矎劓を䟍らせ、い぀も必ず埡莔屓の幇間を䞀人埓ぞおゐる、さお倜が曎けるたで酒が匟んで、垰らうずするず、是非泊぀お行けず云ふ、で、泊るのはいゝんだが、浩氎君は盞方ず䞀緒に別の座敷ぞシケ蟌んでした぀お、私は倖の女どもずあぢきなく雑魚寝をさせられる。ずころが、浩氎君の盞方の矎劓の顔がい぀迄もい぀迄も県先にチラ぀いお、容易に眠られないのである。あれは故越路倪倫の逊女の小しづず云ふ劓であ぀たさうだが、矎人ず云ふよりは実に阿嚜な女であ぀た。顔の地肌が劙になためかしく、県の䞋に小さな腫物が出来おゐお、それぞ真぀癜い玙の膏薬を貌぀おゐるのが、いかにも初倏の女らしく蠱惑的に芋えた)たたに宿屋ぞ垰぀お来るず、座敷の真ん䞭にぐ぀たり打぀倒れお倧の字にな぀たきり、暪の物を瞊にもしない。かう怠けおゐおは金に困る、仕事をしなければず思ひながら、机の前に五分ず据わり続ける根気がない。幹圊君は感心なこずに䞭倮公論ぞ創䜜を䞀篇(「母の手」?)送぀たもんだが、私は長の滞圚䞭、「日蚘」を新聞ぞ十四五回曞いたゞけで、それも前埌䞉月の間に䌑み〳〵茉せたのである。だからしたひには小遣ひ銭にも困぀お来お、金を持たずに遊びに行けるお茶屋より倖には、行く所がないやうにな぀た。\nそのうちに京郜の倏は远ひ〳〵闌にな぀お来る。加茂川には床が匵り出される。カラツず晎れお空も街路も屋根瓊も壁もキラキラギラギラ茝く炎倩ず、鬱陶しい、鉛のやうに頭の重い、蒞し暑い曇り日ずが亀互に続く。それでなくおも汗掻きの私はいよ〳〵倪る䞀方なので、顔や手足や錻の頭がネバネバニチダニチダする。戞倖ぞ出れば日光が恐いし、宀内にゐれば息が詰たる。その䞊困぀たこずには、倏の着物がないのである。私は歀方ぞ来る時に、銎染みの藝者に芋立おゝ貰぀お癜朚屋で絹セルの袷を新調し、それに奜貎織の矜織、牡䞹くづしの繻珍の垯、偕楜園から貰぀た長襊袢、ず云ふいでたちで乗り蟌んだものだが、䞀぀着物を着殺す迄着おゐた時代で、着換ぞず云぀おは倧島の矜織か䜕かゞ䞀枚あ぀たくらゐなもの、それで四月以来打぀通したんだから、酒のシミや油のシミで矜織も着物もベトベトになり、長襊袢なんぞは玠肌ぞ着るので、裏が真぀黒にな぀お裟ががろ〳〵に切れおした぀た。ずころぞ持぀お来お、床屋ぞ行くのが恐いもんだから、髪ががう〳〵ず䌞びお、い぀も揉み䞊げがび぀しより汗で濡れおゐる。その恰奜でづう〳〵しく茶屋ぞ出かけお行くので、我ながら倧した床胞であ぀たが、江戞぀児の兄哥で通しお来た私も歀れには内心参぀おした぀た。かおゝ加ぞお、京郜や倧阪は東京よりも衣曎ぞの時期が早い。四月の末にはもう単衣矜織、単衣垯、麊藁垜子さぞ被る者がある。実際に又、それだけ気候が暑いのである。私は土地の人が絜の矜織を着る時分にな぀おから、たたりかねお東京ぞ手玙を出し、綎れの単衣垯ず倏矜織ずを偕楜園から送぀お貰぀たが、着物ず襊袢ずは最埌たで着た切り雀であ぀た。(あの時分、東京では䞊方の所謂「単衣矜織」ず云ふものがなか぀た。袷矜織から盎ぐ絜の矜織にな぀たので、単衣矜織ず云ぞば絜のこずであ぀た。東京で䞊方流の単衣矜織を着るやうにな぀たのは震灜以埌のやうに思はれる)歀の点では幹圊君も私ずあたり倉りがなく、垢光りに光぀た袷を着おゐたので、私は同君のみすがらしさを芋るに぀けおも、自分も歀れず同じだず思぀お、ひずしほ憂鬱になるのであ぀た。が、そんなになりながら京郜にぐづ〳〵しおゐたず云ふのは、旅費がなか぀たからばかりではない、汜車に乗るのが又恐くな぀おゐたのである。私は或る時岡本さん兄匟や幹圊君ず汜車で嵯峚ぞ行く途䞭、始めおあの病気の再発を自芚した。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "村人四 わしやっおそうじゃ。わしは、束野様のお銬が芋えたずき、すこ飛びに逃げたわ。\n村人䞃 わしは、たたずっず埌れおいたけに、束野様のお銬はおろか埡家䞭の姿やこし、たるで芋かけなかったわ。\n勘五郎 おいおいみんな、自分の身の明しを立おるよりも、今は村の難儀を考えるずきじゃぞ。\n藀䜜 そうじゃ、よういった。よういった。自分の身䞀぀逃れるよりも、村の難儀を逃れる工倫をするのが肝心じゃ。\n茂兵衛 (それに力を埗たごずく)そうじゃ、今勘五郎どのや、藀䜜どののいわれる通りじゃ。この村にお奉行様の姿を芋かけお、石を投げ打぀ような、倧それた暎れ者のおらんこずは、わしが誰よりも、よう知っずる。が、時の灜難で、䞍祥な嫌疑を受けたのを䞍運ず諊めお、村䞀統を救う぀もりで誰ぞ、名乗っお出おもらいたいのじゃ。......(間)......そういったずころで、おいそれず名乗っお出られるものでない。呜う攟り出すのじゃけにのう。が、昔䜐倉領の宗五郎様は、自分の呜を投げ出しお、癟姓衆の呜を救うたけに、今でも神様に祭られおいる。誰ぞ自分の身䞀぀投げ出し、村䞀統の難儀を救うおくれる人はないか。\n\n\n(䞀座、寂ずしお声なし。ただ、嗟嘆の声が掩れるのみ)\n\n\n茂兵衛 埡䞀統、誰も石を投げた仁はないか。\n名䞻䞀 ええないか。誰ぞ、石を投げたものは、おらんか。石を投げた芚えのある人はその石が束野様に䞭ったず諊めお、名乗っお出おくれ。\n茂兵衛 どなたもないか。\n\n\n(䞀座、顔を芋合わすのみ。䞀人も声を発するものなし)\n\n\n茂兵衛 それならば、しようがない。是非に及ばぬこずじゃ。村䞀統知らぬ存ぜぬで、どなにひどい責苊にでもかかるのじゃ。その代り、みなもその芚悟しおな、入牢の腹を決めお䞋されな。俺も、こずによっおは、磔にでもなんでもなる芚悟をするけにな。\n\n\n(皆凄惚な気に打たれる。そしお動揺しお、口々に眩き出す)\n\n\n村人五 藀䜜、わりゃ石投げたじゃねえか。\n藀䜜 (驚いお)滅盞もないこず、ぬかすな。われこそ真っ先に行ったけに、石投げたじゃねえか。\n村人五 䜕をぬかす、この阿呆め。\n藀䜜 お前こそ䜕ぬかすだ!\n\n\n(二人たったく掎み合いになろうずしお、傍人から止められる)\n\n\n村幎寄甲 誰ぞ村の難儀を救う人ないか。あの隒動のずき石投げた人はないか。\n村幎寄乙 村のために、誰ぞ出おくれい。誰ぞ出おくれ。\n\n\n(䞀座たた静たっお声を発するものなし)\n\n\n茂兵衛 じゃ、皆芚えがないずいうなら、わしゃ、そういっおお奉行様に、お返事申し䞊げるほかはないぞ。念のためにもう䞀床だけ、きこう、あの隒動のずきに、誰ぞ石を投げたものはないか。あの隒動のずきに、誰ぞ石を投げたものはないか。石を投げた人は村のためじゃず思っお出おくれ。\n\n\n(甚兵衛は、最初より茫然ずしお、人々の話をきいおいない。ただ庄屋の最埌の声が倧きいので、ふず耳をかたむける)\n\n\n村幎寄甲 さあ、今じゃぞ、石を投げた芚えのある人は出おくれ。\n村幎寄乙 村を救うおくれるのなら、今じゃぞ。今出おくれんず、村はえらい難儀になるんじゃ。\n\n\n(村幎寄の絶叫する声を聞いお、甚兵衛むくむくず立ち䞊る。甚䜜驚いお制止しようずする)\n\n\n甚兵衛 なんやず、隒動のずきに、石を投げた者ないかいうのけ。\n村幎寄甲乙 そうじゃ。そうじゃ。\n甚兵衛 (子䟛のごずく無邪気に)わしゃ投げたぞ。\n村幎寄村人たち ええ、甚兵衛どん。お前投げたか。\n甚兵衛 投げたずも。わしゃ二぀投げたぞ。\n村幎寄村人たち ほんたか。ほんたか。(驚喜す)\n甚䜜 (駆けよっお)兄や、䜕いうんじゃ。\n\n\n(おどろいお兄の口を制せんずしながらいう)\n\n\n甚兵衛 (うるさそうに、匟をはねのけながら)ええ、あっちぞいずれ。わしゃ、投げたぞ。おたけに、䞀぀の方はこななでっかいや぀じゃ。藀䜜どん。われも投げおいたじゃないか。勘五郎どん、われも投げおいたじゃねえか。\n勘五郎 (愕然ずしお)滅盞な、わりゃ䜕をいうだ。\n藀䜜 (同じく)ほんたじゃ。人違いしお䜕いうだ。\n甚兵衛 そうけ。人違いだったか。わしゃ皆投げおいたけに、わしも真䌌しお投げたんじゃ。\n勘五郎 (なお震えながら)滅倚なこずいうな。そりゃ、皆他村の衆じゃ。\n甚兵衛 そうけ。\n甚䜜 兄や、わりゃ、䜕も知らないで、そななこずいうが、いうずたいぞんなこずになるぞよう。今の嘘じゃずいえ、早ういえ!\n甚兵衛 嘘じゃねえ。われこそ、䜕いうだ。早う家ぞ垰っずれ!\n甚䜜 よし、垰っおおっ母にいっおやる。\n\n\n(甚䜜飛ぶように駆け去る)\n\n\n茂兵衛 甚兵衛どの、こっちぞござっしゃれ。\n甚兵衛 おうなんじゃ、庄屋どん。\n茂兵衛 おぬし、石を投げたに盞違ないか。\n甚兵衛 おう、投げたずも。䞀぀はこなにでっかいや぀じゃ。\n茂兵衛 誰を目圓おに投げたんじゃ。\n甚兵衛 誰圌なしじゃ。わしゃ、皆が投げおいたけに䞀緒に投げたんじゃ。\n茂兵衛 甚兵衛どの。おぬしは、この村の難儀を救うおくれるか。\n甚兵衛 わしゃ、䜕がなんだか知らねえだ。\n茂兵衛 おぬしが、束野様に石を投げたずいうおくれるず、この村の者が、みんな助かるのじゃ。この村の者は、お前を神様のように、䞀生あがめるのじゃ。どうじゃ束野様に石を投げたずいうおくれるか。\n甚兵衛 わしは、なんだか知らねえが、ええだずも。\n村人たち (口々に)甚兵衛どん、拝みたすぞ。拝みたすぞ。お前さんの恩を、䞀生涯忘れんぞ。\n甚兵衛 わしは、そういうおくれるず、嬉しいだ。嬉しいだ。こなな嬉しいこずは生れお初めおだ。\n\n\n(快く埮笑す)\n\n\n茂兵衛 (圹人たちの方ぞ向いお)おききの通りでござりたするが、この者が束野様に石を投げたに盞違ござりたせぬ。\n圹人 少し愚鈍の者ず芋えるが、申立おには誀りはあるたいな。\n茂兵衛 愚鈍ずは申せ、至っお正盎者にござりたする。\n圹人 よし、圹所に召し぀れお、よく調べるであろう。甚兵衛ずやらに瞄打お!\n\n\n(この時、甚吉たち䞉人の兄匟、あわただしく駆けおくる)\n\n\n甚吉 (甚兵衛に、飛び぀いお匕き据える)この阿呆め! 䜕いうだ。䜕をろくでもないこずを喋るんだ。芪兄匟の銖に、瞄がかかるのを知らんのけ。\n甚兵衛 䜕するんだ。䜕するんだ。わしゃ、石を投げたんじゃ。投げたんに違いないんじゃ。\n甚吉 䜕ぬかす。この阿呆め!\n\n\n(甚兵衛を叩こうずする。村人䞃、八止める)\n\n\n村人䞃、八 䜕するんじゃ。仮にも、兄たるものに、手をかけるやっがあるけ。\n甚吉 お前さんたちじゃ。お前さんたちじゃ。こなな阿呆のいうこずを取り䞊げお、こなな阿呆を䞋手人にしお、眪を逃れようずしお。庄屋どんも、きこえんぞ。阿呆はええけど、阿呆に぀ながる芪兄匟の難儀をどうするんじゃ。" }, { "role": "assistant", "content": "村人䞃 なんやず。こなな阿呆じゃず。そなな阿呆を、どうしお䞀揆に出したんじゃ。おぬしのような利口な息子が䞉人もあるのに、そなな阿呆を䜕故䞀揆に出したんじゃ。甚兵衛が石を投げたずいうのも、みんな、お前たちが投げさしたんじゃないか。\n甚吉 ええ、䜕をぬかす。お前たちが皆、よっおたかっおこの阿呆になすり぀けたんじゃないか。\n村人八 䜕ぬかす、そなな阿呆なら、なぜ䞀揆にやるんじゃ。\n村人たち そうじゃ。そうじゃ。\n甚吉 (甚兵衛に取りすがっお)早う、いうたこずを取り消せ。束野様に、石を投げたずいうず、お前磔じゃぞ。\n甚兵衛 (さのみ驚かず)磔じゃずおええわ。村の衆が、みんな欣んでくれるんじゃもの。\n甚吉 阿呆め! 俺のいうこずをきいお、早う取り消せ。早う、取り消せ。お前のためにいっおやるんじゃぞ。\n甚兵衛 あははは。わしのため! あははは。わし二十九になるけど、お前がわしのために、ええこずしおくれたこず䞀぀もありゃせん。\n甚吉 ええ䜕ぬかす。この阿呆め。......お庄屋様、お圹人様。兄の申すこずは、みんな嘘でな。こりゃ、阿呆じゃ。足らんのじゃ。こななもののいうこず、お取り䞊げになっおは困りたする。お願いでござりたする。(座っお狂気のように頭を䞋げる)\n甚兵衛 (匟にならっお頭を䞋げながら)お庄屋様、お圹人様。ほんたじゃ。わしは、こななでっかい石投げたんじゃ。銬に乗ったお歊士が来たけにのう、それを目がけお、こななでっかい石投げたんじゃ。\n甚吉 䜕いうだ。この阿呆め。お前のような䞍具者に石が投げられるけ。\n甚兵衛 䜕いうだ。お前は䞀揆に぀いお来んじゃもの。わしがしたこずがお前にわかるけ......。わしゃこななでっかいや぀を......。\n甚吉 (兄に掎みかかる)䜕ぬかす......。(村人たち、甚吉を取り抌える)\n圹人 その者は、䜕者じゃ。\n茂兵衛 甚兵衛の匟では、ござりたするが、甚兵衛が愚鈍な者でござりたすゆえに、このものが家を取っおおりたする。\n圹人 甚兵衛は、重眪の嫌疑じゃほどに、芪子兄匟も免れたい。(手䞋の捕吏に)あの者を召捕りおけ!\n甚吉 それは、きこえたせん。それはきこえたせん。こなな阿呆のいうこずをきいお。こなな阿呆が、お奉行様に石を投げ打぀ような、そなな倧それた......。\n甚兵衛 (瞄にかかりながら)わしゃ、こななでっかいや぀を......。\n村人たち 甚兵衛どの、拝みたすぞ。拝みたすぞ。\n甚兵衛 おおわしはな。こななでっかいや぀を......。\n圹人 その匟どもを、召し捕れ。\n甚吉 (口惜し泣きに泣きながら)わしたちたで、難儀をかけるのか。阿呆め! ど䞍具め!\n甚兵衛 わしは、こななでっかいや぀を......。(手で石の倧きさを瀺そうずするが、もう䞡手が瞛られお動かない)\n村人たち 甚兵衛どん、拝みたすぞ。拝みたすぞ。みんな拝んでおりたすぞ。\n茂兵衛 甚兵衛どの。わしからも瀌をいいたすぞ。おぬしを決しお芋殺しにはしたせぬぞ。埡領分䞭の癟姓衆の名前を借りお、きっず嘆願に出たするぞ。\n甚兵衛 䜕をいうぞ。わしは皆の衆にそういわれるず、ただうれしいだ。うれしいだ。\n甚吉 (無念の圢盞で、睚みすえながら)この阿呆のど䞍具め!\n甚兵衛 わしは、こななでっかいや぀をな......。(くくられた手を動かそうずする)\n\n\n(村人たちが感謝ず賞嘆ずの声のうちに)\n\n――幕――\n\n 第䞉幕\n\n\n第二幕より数日を経たる十二月の末。銙東川原刑堎。小石の倚い川原に竹矢来が䜜られおいる。かなたに氎の枯れた川原が぀づき、背景に冬枯れた山が芋える。朚枯が川原を䌝うお吹いおくる。幕開けば、初めは矢来の倖偎を芋せ、次いで舞台を半回ししお、矢来の内偎を芋せる。矢来の倖には倚くの芋物が矀集しおいる。匊打村の庄屋、名䞻、幎寄、村人たちもその䞭に亀っおいる。\n\n\n\n村人 庄屋どん。癟䜙カ村の庄屋たちが連眲の嘆願も、やっぱりむだじゃったかのう。\n茂兵衛 わしゃ、そうきかれるず面目ないがのう。お奉行様になんが泣き぀いおも、むだじゃった。\n名䞻 お䞊じゃ、誰でもかたわん。䞋手人を磔にしお、埡嚁光を芋せれば、ええんじゃ。\n村人二 なんが考えおも、甚兵衛どんは可哀そうじゃ。あの時は、みなめいめいに、石を投げたんじゃけにのう。ただ甚兵衛どんだけが、正盎でずけずけいうおしもうたんじゃけにのう。\n村幎寄 たあ、ええわ。わしゃ芝山の芳音さんが、村䞭を助けお䞋さるために甚兵衛どんに乗り移ったんじゃず思うずるんじゃ。\n茂兵衛 もう、なんが嘆いおも取り返しが぀かんわ。甚兵衛どんに死んでもろうお、その代り、埌をようするんじゃ。\n名䞻䞀 そうじゃ。埌で村の神様に祭るんじゃ。\n茂兵衛 祭るずも。祭るずも。ほんたに讃岐領の宗五郎様じゃ。矩民の鑑じゃ。\n村人䞉 それにな、ほかの人じゃったら、それに぀ながっお、銖打たれる芪兄匟が、可哀そうじゃがのう。あのおきん婆や甚吉は、あんたり可哀そうじゃないわ。長幎甚兵衛どんを苛めた眰じゃず思うず、かえっお気色がええわ。\n村人四、五 おおそうじゃ。それがあるわ。\n村人六 わしはな、甚兵衛どんに食べおもらおうず思うおこななもの持っお来たんじゃ。\n\n\n(竹の皮に包んだ握り飯を芋せる)\n\n\n名䞻 おお、それゃええ思い付きじゃ、甚兵衛どんも飢饉で、ろくなもの食べずらんけに、欣ぶに違いないわ。\n村人六 わしゃ、そう思ったけにのう、倧事な倧事な来幎の籟皮の䞭から、䞉合ばかり飯にたいたのじや。\n茂兵衛 おお、それあええこずしおくれた。この茂兵衛が瀌をいいたすぞ。\n\n\n(この時、かなたより矀衆のざわめきがきこえる)\n\n\n村人䞀、二 ああ来た! 来た!甚兵衛どんが来た。\n\n\n(矀衆、口々に甚兵衛の名を呌びながら、その方ぞ波を打っお動く。やがお、裞銬に乗せられた甚兵衛母子が着く。銬から降りる。矀衆の間を過ぎる)\n\n\n茂兵衛 甚兵衛どん。わしたちは、みんな来おおるぞ。\n名䞻䞀 わしたちは、みんな陰ながら、拝んどるぞ。\n村幎寄二 心匷う思うお䞋されや、わしたちはみんな来おおるぞ。\n村人たち わしたちは、みんな拝んどるぞ......。お前さんのこず䞀生涯忘れんぞ。あずでお前さんを神さんに祭るだ。\n甚兵衛 (快き埮笑を含んで村人たちに䌚釈する)......。\n茂兵衛 甚兵衛どん。わしゃな、癟䜙カ村を駆けずり回っお、お前さんの呜乞いの蚎状に連眲しおもろうお、お䞊ぞ差し䞊げたんじゃがのう。ずうずう、お前さんを、こなにしおしもうたんじゃ。堪忍しお䞋されや、なあ甚兵衛どん。\n甚兵衛 なに。ええわ。ええわ。わしゃ皆の衆にそういわれるず、うれしいだ。\n村人たち (口々に)甚兵衛どん。ありがずう! ありがずう! お瀌申すだ。お瀌申すだ。快く成仏しお䞋されや。\n\n\n(甚兵衛、絶えず、にこにこしながら、矢来の䞭ぞ入る。おきん及び甚吉続いお珟れる)\n\n\n村幎寄䞀 おきんさん、お前さんも気の毒じゃのう。が、村䞀統を救うず思うお、死んで䞋されや。\nおきん (憀然ずしお)䜕ぬかしゃがるんじゃ。皆よっおたかっお、阿呆をおだお、無実の眪に萜しお、芪兄匟たで、こなな目にあわしおおきながら、䜕ぬかしゃがるんだ。\n甚吉 おっ母のいう通りじゃ。わしたちを、こななひどい目にあわしおおきながら、ようも芋に来られたのう。\nおきん 芚えずれ! わしはな、銖は飛んでも、䞃生たで村䞭ぞ厇っおやるからなあ!\n村人䞀 䜕いうだ。みんなわれたちが、人のええ甚兵衛を苛めぬいた眰ではないか。\n村人たち そうじゃ! そうじゃ!\nおきん 䜕!(くくられおいながら、村人たちに飛びかかろうずする)\n瞄取りの圹人 (瞄を匕きながら)神劙にいたせ!\nおきん (恚めしそうに村人たちに)芚えずれ、よう芚えずれ! 死んだっお、恚み晎らしおやるからな。\n\n\n(おきん母子、刑堎の䞭ぞ歩み入る。舞台半回り、刑堎の内郚が芋える。磔柱が矢来に立おかけられおいる。五人の囚人、甚兵衛を先に䞀列に匕き据えられおいる。刑吏たちが埌から入っお来る。刑吏の長、床几に腰を掛ける)\n\n\n刑吏の長 甚意敎うおおるか。\n刑吏䞀 䞇事敎うおおりたする。\n刑吏の長 それでは、眪状を読み䞊げい!\n刑吏二 (声高く読み䞊げる)\n\n匊打村癟姓 甚兵衛\n\nその方儀、去る十䞉日領内癟姓䞀揆隒動いたし候砌、右䞀揆に加担いたし、銙東川堀においお䞊圹人束野八倪倫に投石殺害いたし候始末、䞍恐埡領䞻を仕方、䞍届至極に぀き、磔申付くる者也。\n同人母 きん\n同人匟 甚吉\n同じく 甚侉\n同じく 甚䜜\nその方儀、甚兵衛身寄に぀き、獄門申付くる者也。\n\n\n刑吏の長 最埌も近づいたほどに、䜕ぞ遺蚀があればきき届けお぀かわすぞ。\nおきん わしゃ、こななこずで、打銖になるのは䞍承知じゃ。なんが、お䞊のなされ方でもあんたりじゃ。あんたりじゃ。\n刑吏 この期に及んで、未緎を申すな。本人が癜状に及びたる䞊は、瞁に぀ながる䞍幞ず諊めおおれ!" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 倫婊の君は我䞊を现に問ひお、今より埌も助にならんず契り、こゝに留らん間は日ごずに蚪ぞかしずのたたひぬ。カムパニアの野邊に䜏める媌が事を語り出で絊ひしかば、我は春秋の倩氣奜き折、かしこに尋ねゆきお、我臥床の跡を芋、媌が經卷珠敞ず共に藏したる我畫反叀を芋、たた爐の偎にお燒栗を噛み぀ゝ昔語せばやずおもふ心を聞え䞊げぬ。暇乞しお出でんずせしずき、倫人は通を顧みおのたたふやう。孞校は智育に心を甚ゐるず芺ゆれど、䜜法の末たではゆきずゞかぬなるべし。この子の犮するさたこそ可笑しけれ。䞖の䞭に出でん埌は、これをも応にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから盎るべきものぞ。\n 孞校に還らんずお通を出でしは、ただ宵の皋なりしが、街はいず暗かりき。矅銬の垂に竿燈を點くるは近き䞖の事にお、其の頃はたださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の埡前に䟛ぞたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の皋の事どもを思ひめぐらし぀ゝ、埐にあゆみを運びぬ。固より咫尺の間もさやかには芋えねば、応ち我手に觞るゝものあるに驚きお、われはただ䜕ずも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にお、奇怪なる人かな、目をさぞ撞き぀ぶされなば、道はいよ〳〵芋えずやならんずいふ。われは喜のあたりに聲高く叫びお、さおはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなずいひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよず、友は我を抱きたり。さるにおも䜕處よりか䟆し。忍びお蚪ふずころやある。そは汝に䌌合はしからず。されど我に芋珟されぬれば是非なし。䟋の獄䞁はいづくに居る。孞校より぀けたる道づれは。我。吊けふはひずりなり。ベルナルドオ。ひずりずは面癜し。汝も倩晎なる少幎なり。我ず共に法皇の護衞に入らずや。\n 我は恩人倫婊のこゝに䟆たせし喜を告げしに、吟友も亊喜びぬ。これよりは足の行くに任せお、暗路を蟿り぀ゝ、別れおの埌の事どもを語りあひぬ。\n\n 猶倪の翁\n\n 途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮䞖の暣をも芋るこずを埗぀れ。そなた等が䞖にあるは、唯だ䞖にありずいふ名のみにお、ただ襁耓の䞭を出でざるにひずし。冷なる孞校の抻に坐しお、黎の生えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傟けんは、あたりに甲斐なき事ならずや。芋よ、我が銬に階りお垂を行くを。矎しき少女達は、燃ゆる劂き県なざししお、我を仰ぎ瞻るなり。わが貌は醜からず。われには號衣よく䌌合ひたり。歀街の暗きこずよ、汝は我號衣を芋るこず胜はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。圌等は汝が劂き窮措倧めきたる男にあらず。我等は埡國を祝ひお盞を傟け、又折に觞れおはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聜くに堪ぞざるずころならん。そなたの䞖を枡るさたをおもぞば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二䞉月が皋に十幎の經驗をなしたり。我はわが少幎の血氣を芺えたり。そは我血を湧し、我胞を匵らしむ。我は人生の快暂を味ぞり。我唇はただ燃え、我咜はただ痒きに、我身はこれを受甚するこず醉ひたる人の氎を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられお、我はい぀もながら氣沮みお聲も埮に、さらば君が友だちずいふはあたり善き際にはあらぬなるべしず答ぞき。ベルナルドオはこらぞず。善き際にあらず、ずは䜕をか謂ふ。我に向ひお道埳をや説かんずする。吟友だちは汝にあしさたに蚀はるべきものにはあらず。吟友だちは矅銬にあらん限の貎き血統にこそあなれ。われ等は法皇の犁軍なり。瞱ひわづかの眪ありずも、そは法皇の免陀するずころなり。われも孞校を出でし初には、汝が蚀ふ劂き感なきにあらざりしが、われは敢お盎ちにこれを蚀はず、敢お友等に知らしめざりき。われは圌茩のなすずころに傚ひき。そは我意志の最も匷き方に埞ひたるのみ。我意銬を奔らしめお、その埀くずころに任するずきは、我はかの友だちに立ち埌るゝ憂なかりしなり。されど歀間我胞䞭には、猶少しの寺院教育の滓殘り居たれば、我も䜕ずなく自ら安ぜざる劂き思をなすこずありき。我はをり〳〵歀滓のために戒められき。我は生れながらの枅癜なる身を涜すが劂くおもひき。かゝる懞念は今や名殘なく倱せたり。今こそ我は䞀人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に垶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑ぞ、おのれが欲するずころを制しお、獚り鬱々ずしお日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、逘に饒舌りお途の぀いでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキダヰカの前なり。類なき酒家にお、矅銬の藝人どもの集ふずころなり。我ず共に䟆よ。切角の邂逅なれば、䞀瓶の葡萄酒を飮たん。この家のさたの興あるをも芋せたほしずいふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し孞校の人々、わが犁軍の士官ず倶に酒店にありしを聞かば奈䜕。ベルナルドオ。珟に酒䞀杯飮たんは限なき䞍幞なるべし。されど詊に入りお芋よ。倖國の藝人等が故郷の歌をうたふさたいず可笑し。獚逞語あり。法朗西語あり。英吉利語あり。たたいづくの語ずも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。吊、君には酒䞀杯飮たんこず垞の事なるべけれど、我は然らず。匷ひお䌎はんこずは君が本意にもあらざるべし。斯く蟭ふほどに、傍なる现道の方に、蚱倚の人の笑ふ聲、喝采する聲いず賑はしく聞えたり。われはこれに䟿を埗お、友の臂を把りおいはく。芋よ、かしこに人あたた集りたるは䜕事にかあらん。想ふに聖母の埡韕の䞋にお手品䜿ふものあるならん。我等も埀きおこそ觀め。\n 我等が埀方を塞ぎたるは、極めお卑き際の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にお長き圈をなし、老いたる猶倪教埒䞀人を取り卷きたり。身うち肥えふずりお、肩幅いず廣き男あり。手に䞀條の杖を持ちたるが、これを翁が前に暪ぞ、翁に跳り超えよず促すにぞありける。\n 凡そ矅銬の垂には、猶倪教埒みだりに䜏むこずを蚱されず。その䜏むべき廓をば嚎しく圍みお、これを猶倪街ずいふ。(我國の穢倚たちの類なるべし。)倕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を眮きお人の出入するこずを蚱さず。こゝに䜏める猶倪教埒は、歳に䞀たび仲間の幎寄をカピトリりムに遣り、䟆ん幎もたた矅銬にあらんこずを蚱し絊はゞ、謝肉祭の時の競銬の費甚をも䟋の劂く蟚ぞ、又定の日には加特力教埒の寺に埀きお、宗旚がぞの説法をも聜くべし、ず願ふこずなり。\n 今杖の前に立おる翁は、こよひ歀街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんずしたるなり。「モルラ」ずいふ戲せんず集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを芋付けお、芋よ人々、猶倪の爺こそ䟆ぬれず叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんずせしに、矀衆はゆくおに立ちふさがりお通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に暪ぞお、これを跳り超えお行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すたじけれ、我等は汝が足の健さを芋んず呌びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞䌯眕の神は汝を助くるならんずいず喧しく囃したり。翁は聖母の像を指ざしおいふやう。人々あれを芋絊ぞ。おん身等もかしこに跪きおは、慈悲を願ひ絊ふならずや。我はおん身等に對しお䜕の蟜をもおかしゝこずなし。我髮の癜きを憫み絊はゞ、恙なく家に歞らしめ絊ぞずいふ。杖持ちたる男冷笑ひお、聖母爭でか猶倪の狗を顧み絊はん、疟く跳り超えよずいひ぀ゝいよ〳〵翁に迫る皋に、矀衆は次第に狹き圈を畫しお、翁の爲んやうを芋んものをず、息を屏めお芗ひ居たり。ベルナルドオはこの有暣を芋るより、前なる矀衆を抌し退けお圈の䞭に躍り入り、肥えたる男の偎に぀ず寄せお、その杖を奪ひ取り、巊の手にこれを指し䌞べ、右の手には劍を拔きお振り翳し、かの男を叱しお云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與ふこずかは。超えずは、汝が頭を裂くべしずいふ。矀衆は唯だ呆れおベルナルドオが面を打ち眺めたり。圌男はしばし倢芋る劂くなりしが、怒氣を垶びたる詞、鞘を拂ひし劍、犁軍の號衣、これ皆膜を寒からしむるに足るものなりければ、䜕のいらぞもせず、䞀跳しお杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを埅ちお杖を擲ち、その肩口をしかず壓ぞ、劍の背もお片頬を打ちおいふやう。善くこそし぀れ。狗にはふさはしき舉動かな。今䞀たびせよさらば免さんずいふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる矀衆は、今その可笑しさにえ堪ぞず、䞀床にど぀ず笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶倪の翁よ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りお埗させんずいふ。されど翁はい぀の間にか逃げゆきけん、近きずころには芋えざりき。\n 我はベルナルドオを匕きお矀衆の䞭を走り出でぬ。䟆よ我友。今こそは汝ず共に酒飮たんずおもふなれ。今より埌は、たずひいかなる事ありおも、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶倪の翁のかた持ちお、かの癡人ず爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。\n 我等は酒家に入りぬ。客は䞀間に滿ちたれども、別に我等に目を泚くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りお、共に䞀瓶の葡萄酒を酌み、友誌の氞く枝らざらんこずを誓ひお別れぬ。" }, { "role": "assistant", "content": " 孞校の門をば、心やすき番僧の幎老いたるが、仔现なく開きお入れぬ。あはれ、珍しき事の倚かりし日かな。身の疲に酒の醉さぞ加はりたれば、皋なく熟睡しお前埌を知らず。\n\n 猶倪をずめ\n\n 蚱をも受けで校倖に出で、士官ず倶に酒店に入りしは、茕からぬ眪なれば、若し事露れなば奈䜕にすべきず、安き心もあらざりき。さるを僥倖にもその倕我を尋ねし人なく、又我が圚らぬを知りたるは、䟋の蚱を埗぀るならんずおもひお、深くも問ひ糺さで止みぬ。我が日ごろの行よく謹めるかたなればなりしなるべし。光陰は穩に遷りぬ。課業の暇あるごずに、恩人の蚱におずづれお、そを無䞊の暂ずなしき。小尌公は日にけに我に昵み絊ひぬ。我は穉かりしずき寫し぀る畫など取り出でゝ、み通にもお埀き、小尌公に莈るに、しばしはそれもお遊び絊ぞど、幟皋もあらぬに砎り棄お絊ふ。我はそをさぞ拟ひ取りお、藏めおきぬ。\n その頃我はヰルギリりスを讀みき。その六の卷なる゚ネ゚アスがキナメ゚の巫に導かれお地獄に埀く條に至りお、我はその面癜さに感ずるこず垞に超えたり。こはダンテの詩に䌌たるがためなり。ダンテによりお我䜜をおもひ、我䜜によりお我友をおもぞば、ベルナルドオが面を芋ざるこず久しうなりぬ。恰も奜しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。䞔は矎しき畫、めでたき石像を觀、䞔はな぀かしき友の消息を聞かばやずおもひお、われは又孞校の門を出でぬ。\n 矎しきラフア゚ロが半身像を据ゑたる長き廊の䞭に入りぬ。仰塵にはかの倧匠の䞋畫によりお、門人等が爲䞊げたりずいふ聖經の圖あり。壁を掩ぞるめづらしき食畫、穹窿を填めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が芋慣れたるものなれど、我は心ずもなくこれに目を泚ぎお、わが埅぀人や䟆るずたゆたひ居たり。欄に凭りお遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭かぬ眺なれど、鋪石に觞るゝ劍の音あるごずに、我は其人にはあらずやずワチカアノの庭を芋おろしたり。されどベルナルドオは久しく䟆ざりき。\n 間ずいふ間を空くめぐり䟆ぬ。ラオコオンの矀の前をも埒に過ぎぬ。我はほず〳〵興を倱ひお、「トル゜オ」をも「アンチノりス」をも打ち棄おゝ、家路に向はんずせしずき、応ち矜぀きたる鍪を戎き、長靎の拍車を鳎しお、茕らかに廊を歩みゆく人あり。远ひ近づきお芋ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事倚ければ、共に䟆よず云ひ぀ゝ、友は我を延きお奧の方ぞ行きぬ。\n 汝はわが別埌いかなる苊を嘗めしかを知らざるべし。又その苊の今も猶止むずきなきを知らぬなるべし。譬ぞば我は病める人の劂し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯䞀の頌なれ。斯くさゝやき぀ゝ、友は我を延いお倧なる廳を過ぎ、そこを護れる犁軍の瑞西兵の前を歩みお、當盎士官の宀に入りぬ。君は病めりず云ぞど、面は玅に目は茝けるこそ蚝しけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖たで燃ゆるやうなり。我はそれに぀きお汝が智惠を借らんずす。先づそこに坐せよ。別れおより埌の事を語り聞すべし。\n 汝はかの猶倪の翁の事を蚘えたりや。聖母の韕の前にお、惡少幎に窘められし翁の事なり。我はかの惡少幎を懲しお埌、翁猶圚らば、家たで送りお埗させんずおもひしに、早やいづち埀きけん芋えずなりぬ。その埌翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふず猶倪廓の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬犮せられお、我は始めおこゝは猶倪街の入口ぞず芺りぬ。その時門の内を芋入りたるに、黒目がちなる猶倪の少女あたた矀をなしお䜇みたり。䟋のすきごゝろ止みがたくお、我はそが儘銬を乘り入れたり。こゝに䜏める猶倪教埒は党き宗門の組合をなしお、その家々軒を連ねお高く聳え、窓ずいふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、゚ロヒム」ずいふ祈の聲聞ゆ。街には宗埒簇りお、肩ず肩ず盞摩するさた、むかし玅海を枡りけん時も忍ばる。簷端には叀衣、雚傘その倖骚董どもを、懞けも陳べもしたり。我駒の行くずころは、叀かなもの、叀畫を鬻ぐ露肆の間にお、目も當おられず穢れたる泥淖の裡にぞありける。家々の戞口より笑み぀ゝ仰ぎ瞻る少女二人䞉人を芋るほどに、䜕におも買ひ絊はずや、賣り絊ふ物あらば價尊く申し受けんず、聲々に叫ぶさた堪ふべくもあらず。想ぞ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは曞くべかりしなれ。\n 応ち傍なる家より䞀人の翁銳せ出でゝ、我銬の前に立ち迎ぞ、我を拜むこず法皇を拜むに異ならず。貎き君よ、我呜の芪なる君よ。再び君ず盞芋る今日は、そも〳〵いかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩矩を忘れぬほどの蚘憶はありずおがされよ。かく語り぀ゞけお、末にはいかなる事をか蚀ひけん、悉くは解せず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去ぬる倜惡少幎の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖に接吻し、我衣の裟に接吻しおいふやう。かしこなるは我砎屋なり。されど鎚居のいず䜎くお君が劂き貎人を入らしむべきならぬを奈䜕せん。かく蚀ひおは拜み、拜みおは蚀ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のたはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪ぞず、我は早や銬を進めんずしたり。この時ふず仰ぎ芋れば、翁が家の暓䞊よりさし芗きたる少女あり。色奜なる我すらかゝる女子を芋しこずなし。倧理石もお刻めるアフロヂテの神か。されど亞剌䌯皮の少女なればにや、目ず頬ずには血の枩さぞ籠りたる。想ぞ汝、我が翁に匕かれお、蟭はずその家に入りしこずの無理ならぬを。\n 廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。朚の欄ある梯は、行くに足の尖たで油斷せざる皜叀を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。郚屋に入りお芋れば、さたで芋苊しからず。されど䟋の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに䟆お䜕をかせん。技癢に堪ぞざる我心をも芺らず、かの翁は氞々しき謝恩の挔説をぞ始めける。その蟭に綎り蟌めたる亞现亞颚の譬喩の倚かりしこずよ。汝が劂き詩人ならたしかば、そを暂みお聞きもせん。我は恰も消化し難き饌に向ぞる心地しお、肚のうちには圌女子今か出づるずのみおもひ居たり。歀時翁は感ずべき奜き智慧を出しぬ。あはれ歀智慧、奜き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貎きわたりに亀らひ絊ふ殿達は、定めお金倚く費し絊ふならん。君も卒かに金なくおかなはぬ時、逘所におそを借り絊はば、二割䞉割などいひお、倥しき利息を取られ絊ふべし。さる時あらば、必ず我蚱に䟆絊ぞ。利息は申し受けずしお、いくばくにおも埡甚だお䟍らん。そはむスラ゚ルの䞀枝を護りたる君が情の報なりずいひぬ。我は今さる望なきよし答ぞぬ。翁さらに語を繌ぎお。さらば先づ平かに居絊ぞ。奜き葡萄酒䞀瓶あれば、そを獻らんずいふ。我は今いかなる事を答ぞしか知らず。されどその詞ず共に䞀間に入り䟆りしは圌少女なり。いかなる圢ぞ。いかなる色ぞ。髮は挆の黒さにおしかも柀あり。こは圌翁の嚘なりき。少女はチプリむの酒を汲みお我に與ぞぬ。我がこれを飮みお、少女が壜をなしゝずき、その頬にはサロモ王の逘波の血こそ䞊りたれ。汝はいかにかの倩女が、蚀ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は䞖にたぐひなき音暂の劂く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯䞖のものにはあらざりけり。されば其姿の応ち芋えずなりお、唯だ翁ず我ずのみ座に殘りしも宜なり。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "1\n\n「ごらんなさい。あの男ですよ」\n 村圹堎の楌䞊で老村長ず察談䞭の鮫島校長は早口に叫んで荒涌ずした高原を指さした。\n なだらかに傟斜する芋果おない衰埮。癜暺の葉は萜ちお癜い朚肌のみ冷めたい高原の䞭を、朜葉を螏み、玆るやうに圷埚ふ人圱が芋えた。\n「毎日ああしお攟課埌の䞀二時間も枯枝のなかをぶら〳〵しおゐるのですよ。怿ずいふ、あれが先刻お話した赀い疑ひのある蚓導です。間違ひの起きないうちに、出来れば二孊期の終りに転任させたいものですがね。うたく欠員のある孊校がみ぀かるずいいのだが......」\n「は぀きりした巊傟の蚌拠はあるかね?」\n 老村長はぶ぀きらがうに蚊いた。\n「必ずしも。は぀きりしたこずは蚀ぞたせんが。この間違ひに限぀お䞀床おきたら取返しの぀かない怖ろしいこずになりたすからね。孊校も。村も」\n 校長は分別くさい顔付をしお、その顔付をで぀ぷりした䞊䜓ごず村長の前ぞ突き延した。\n 老村長は顔をそむける。その分別くさい顔付は芋たくもないず蚀ふやうに。そしお茫挠ず倕靄のおりそめおきた高原の奥を眺めふける。\n 窓硝子に迫たる重苊しい冬空。冬空の涯は遠景の奥で倕靄に぀づき、そしお地䞊ぞ茫挠ず垂れ萜ちおゐた。そこでは倧いなる山塊も叀い蚘憶の薄さずなり、靄の底ぞ消え沈もうずしおゐた。流れ寄る黄昏にせばめられた荒涌。なほ倧股にうねる人圱が隠芋した。\n「は぀きりしない嫌疑であの男を転任させるのは儂は奜たない。巊傟する者はどこぞ行぀おも巊傟する。そしお䞀人の校長先生が迷惑する。䞀人の校長先生がな。同じこずではないか」ず呟いた。\n「今倜僕の家ぞあの男をよこしたたぞ。儂はあの男ず話しおみやう。䞇事はそれからで遅くない」\n 老村長はたどたどしい足どりで垰぀おい぀た。\n 猪銖の校長もぶり〳〵しながら孊校ぞ戻る。倖ぞ出るず興奮しおゐる。なんお物奜きな、わけの分らない老耄なんだ、あい぀は!\n\n 老村長は氷川銬耳ずい぀た。五十五だが六十五にも䞃十にも芋え、老衰が静かな哀歌ずな぀おゐる。圌の顳顬の奥では、圌自身の像が垌望ず芇気を倱ふお、氞遠に孀独の路を垰ぞらうずする無蚀の旅人に倉぀おゐる。\n 銬耳老人は家ぞ垰぀た。村の旧家であるが貧困のために極床の節玄をしおゐたので、がらんどうの倧廈には火気ず人の気配が感じられなか぀た。\n 匟の劻、䞉十になる郜䌚の女。爜やかな矎貌の女が出迎ぞにでお、垜子ず倖套をずる。\n「今倜は来客がありたすからね。闘犬のやうな荒々しい若者がくる筈だから......」\n 銬耳は病劻の寝宀ぞ行぀た。病劻は挚拶のために数分も費しお僅かに頭の䜍眮をうごかす。その郚屋の瞁偎ぞ出お、い぀ものやうに銬耳は籐怅子に腰をおろした。\n 劻が病んでもう䞉幎。圌が歀の怅子に腰を䞋しお遠い山脈ず遥かの空を無心に仰ぎだしおから、もはや䞉幎すぎおゐる。\n 病劻もやがお死ぬだらう。そしお、劻は死んだずいふ蚀葉ずなり、䞀぀の抂念ずなるこずによ぀お圌を悲したすかも知れない。今、生きおゐおも死のやうな病劻。蚀葉も動䜜も、そしお存圚すらも已に倱぀おゐるかのやうな劻。已に珟実の䞭で圌女は死滅し、圌女は已に無のやうであるが、やがお、圌女は死んだずいふ蚀葉ずなり、䞀片の蚀葉ずなるこずによ぀お珟実のなかぞ圌女は寧ろ蘇生する。さうしお、銬耳を悲したすに違ひない。\n 匟の劻、䞉十になる郜䌚の女が瞁偎の籐怅子ぞお茶を運んできた。そしお、病劻の寝宀の隣り郚屋、圌女の郚屋ぞ垰぀おい぀た。銬耳は圌女に、今倜は来客がありたすよ、闘犬のやうな荒々しい若者がな、ず蚀぀たのである。そしお、癜暺の高原を螏む荒い単調な跫音に就お考ぞた。\n 籐怅子に凭れずに、尠し䞊䜓を前こごみにするず、隣の郚屋に線み物をする匟の劻、こずし䞉十になる女の半身が芋えるのである。もう二尺籐怅子を前ぞ動かすず、こごたずにも女の党身が芋えるであらう。䜵し銬耳にはその勇気がない。この䞉幎、それは長い習慣によ぀お定められ、庭の立朚や劻の寝姿ぞの角床を通しお然あるべきやうに慣れおした぀た叀い堎所で、もし怅子を二尺動かしたなら、恥ず叱責に満ちた傷口のやうな真空が二尺の堎所ぞ発生しお、寒い冬空ぞ混乱を、そしお銬耳ぞ混乱を䞎ぞるに違ひない。\n 銬耳は籐怅子に身をもたせ、女の姿が芋えない䜍眮に身を眮いたずき、安心しお隣宀の方をながく眺め、線み物をする癜い手頞を想像した。さうしお、前こごみずなり、隣宀のなかが芋える時には庭の黄昏を眺め、高原を螏む荒い跫音を考ぞた。\n「今宵、荒々しい闘牛士の蚪れ」\n 銬耳は考ぞる。自分はなぜ怿ず呌ぶ若い教垫に䌚ふ気持にな぀たのだらう。䜕を話し、䜕を尋ねる぀もりなのだ。\n 恐らく――圌は思぀た。\n ――若い生き生きした䞖界に興味を感じおゐるのだ......\n 巊傟。圌はそれを憎む気持になれなか぀た。理論は問題にならないのだ。迫害のなかにも自分の情熱を守らうずする癜熱した生掻力が、圌には䞍思議な驚きに芋え、讃歎に芋えた。銬耳は自分に倱はれた若い生き生きした䞖界に就お考ぞおみる。\n もう二尺籐怅子を前ぞ動かしたら、女の姿が芋えるのである。\n 女の倫は毎日二連銃を肩にしお猟にゆく。女の倫は前文郚参䞎官であ぀た。内閣が倉り閑地に぀いお圌は実家ぞ遊びに来おゐた。そしお、自慢の゚アデルを埓ぞ、濡れた冬空の䞋では鈍い灰色にぶす〳〵ず光る銃身を提げお毎日高原を歩き黄昏に垰぀おきた。前参䞎官は韍倫ず呌んだ。韍倫には肥぀た腹ず、よく刈り蟌たれた錻髭があ぀た。錻髭は濡れた癜暺の林を歩き最んだ朜葉をひそ〳〵ず螏んで、冬空の隙間を通぀おゐるに盞違ない。ずきどき高原の奥から鉄砲の音がきこえおくるのである。\n もう二尺前ぞ動けば女の姿が芋える。女は線み物をしおゐる。ずきどき雑誌を読んでゐるこずもあるが、今は毎日猟に行く韍倫のために枩いセ゚タヌを急いでゐるので、終日癜い手頞を動かしおゐる。ずきどき手を䌑めお、巊手の拇指を垯にはさめ、充血しお衚情を忘れた顔をた぀すぐに挙げお、冷めたい庭先を芋おゐるこずがあるかも知れない。そしおその時鉄砲の音がきこえたなら、女は倧理石の圫像ずな぀お幜かな埮笑を泛べるに違ひない。\n きり぀めた生掻ではただ炬燵をかけるにやや早い初冬なので、銬耳は匟倫劻のためにも小さな火鉢で我慢しおもら぀おゐるが、それだけの乏しい火気では少し膝を厩しおも寒さが身にしむに盞違なく、郚屋の空気が僅かにちり〳〵ず揺れおさぞ痛むやうに冷めたいだらう。女はさういふ環境のため、殊曎堅く、぀めたく、寒々ず端坐しおゐるに盞違ないのに、その掞窟のやうに広く冷めたい郚屋のなか、その䞭倮に竊むやうに動かずにゐお、女は、なんずいふ生き生きずした倚圩のものを燻蒞しおゐるのであらうか?\n 女には秘密の銙気ず秘密の色圩ず、そしお秘密の流れがある。流れは静かな花粉ずな぀お舞ひ、そしおめぐり、無数の絹糞の现さずな぀お空気の隙間をひそ〳〵ず瞫ひ、郚屋の片隅に流れ寄るず壁ず空気の間を䌝ひ、そしお、花やかな靄ずな぀お瞁偎の方ぞ挂ふおくる。\n 女。......隣郚屋には秘密の靄を燻蒞する䞀人の女がゐるのである。\n そしお、籐怅子ぞ凭れたたゝ盎ぐさた暪ぞ顔をそらせば、そこにも――䞀぀の「もの」がある。それは昔女であ぀た。それはこの䞉幎越しそこに睡むり、そしお銬耳はそれのみを女ず信じ、それから受ける党おの思ひ、たずぞば冷淡な死ず悲しい無関心さぞ女の属性の䞀぀であるず信じ぀ゝ、決しお疑念の起らなか぀たもはや珟実には死滅した「もの」がゐる。それはもう䞀぀の「もの」に還぀おゐる。銬耳は悲しい心を感じた。\n ――悲しい劻よ。お前の生涯は䞍幞であ぀た。私のやうに......\n ――悲しい劻よ。お前は男を知らなか぀たに違ひない。なぜなら、私も亊お前のやうに生呜のない「もの」だ぀たから......" }, { "role": "assistant", "content": " 銬耳には挢民族の錻髭があ぀た。それは垂れ、そしお死んでゐた。\n 韍倫には良く刈り蟌たれた錻髭があ぀た。そしおそれは男の食りであ぀た。装食のある男。そしお、男。銬耳は韍倫に男を感じた。時雚に濡れた高原を螏み、濡れた冬空の䞋では濡れた灰色にぶす〳〵光る二連銃を担ひ、静かに癜暺の間を通る錻髭を思぀た。冷めたい郚屋に端坐しお倚圩なものを燻しながら濡れた錻髭を思ふ䞀人の女。そしお銬耳に、男ず女の静寂な秘密が分぀おきた。......\n その黄昏。――\n もう高原も茫挠ずした靄の底ぞ沈んでから。韍倫は挞く垰぀おきた。\n 韍倫は裏門をくゞり、玄関ぞは廻らずに、築山をぬけお、庭先から、銬耳ず籐怅子のある瞁偎ぞ蟿り぀いた。\n 韍倫は瞁偎の前に立ち止り、そしお䜇み、出迎ぞの女ず籐怅子の銬耳を代る代る眺め廻しお笑ふのである。二人の顔を剜軜に眺め、ながいあいだ笑぀おゐた。そしお挞く女が笑ひだしたずき、肥぀た男は声をたおゝ哄笑し、挞く銬耳がその意味を悟぀たずき、笑ふ男は埌手に廻しお背䞭に隠しおおいた倧きな獲物をあらわしお、瞁偎の䞊ぞそ぀ず眮き、そしお眮き乍ら、笑ふ顔を突きあげお二人の顔を亀互に眺め、眮き終ぞお、冬空高く哄笑した。\n 瞁偎の䞊に、柔らかい、そしお重みあるコトリずいふ物音がした。音がしたのである。柔らかい、たるみのある物音が。そしお倚圩な矜毛に芆はれた倧きな肉塊が床板の䞊に絵ずな぀おゐた。\n 笑ふ男の背䞭から取り出された円みある柔らかい音。銬耳はその音に新鮮な力を、そしお甘矎な新鮮そのものを感じた。芋知らなか぀た埮劙な䞖界が、たた䞀぀展らかれたのだ。銬耳は新鮮な音に就お反芻した。\n「うたく、ずれたな......」\n 銬耳は笑぀た。そしお䞉人は声をたおゝ笑ひだした。茫挠たる黄昏の靄のなかにお、哄笑する䞉人のひずびず。\n 女は雉を膝ぞ茉せ、綺麗な鳥ね、これ雉なのねず蚀ひながら、塵玙をだしお掌に぀いた血を拭ひ、わりに血の出ないものね、これ぀ぜちかしらず呟いた。そしお鳥を持ちあげお傷口をしらべ、これ぀ぜ぀ちか出ないんだわず又膝ぞのせお、綺麗な鳥だわ、それにち぀ずも怖くないのねず男の顔を媚びるやうに芋䞊げた。\n「怖いものか。生きおゐるより、よ぀ぜど無邪気ぢやないか」\n「ほんずうにさうね」\n 女は顔をかゞやかしお答ぞた。\n 銬耳は静かに立ち䞊る。そしお黄昏の庭を芋る。銬耳は又䞍思議に新鮮な蚀葉をきいた。そしお新鮮な蚀葉を反芻する。生きおゐるよりも無邪気ぢやないかずいふ男の蚀葉。銬耳はその蚀葉に異様な同感を芚え、同感の奥深くに死んだ鳥の倚圩な矜毛を思ひ浮べお、それを確かに綺麗だず思぀た。そしお、指の又の凝血を拭ふ女の花車な指぀きを感じた。\n「アポロン! アポロン!」\n 韍倫は瞁偎に腰をおろしお、゚アデルを呌ぶ。犬は倕靄の圌方から韍倫の足もずぞ走぀おくる。\n ――HALLOO――\n ――HALLOO――\n 黄昏が垰滅ぞ誘ふ遥かな蚀葉。茫々たる愁ひが流れる。愁ひは枯れ果おた高原を舞ひめぐり、静かな興奮ずな぀お銬耳の胞に䞀ずひらの冷めたい血液を萜した。犬が倕靄のなかを走぀おゐる。そしお、倜が萜ちた。\n\n その倜、果しお珍客が来た。\n 珍客は生掻に窶れ、倪い皺が圌の額を走぀おゐた。圌の顔立は教育のない蟲倫のやうな鈍感な印象を䞎ぞるが、その倧きな厚い唇は匷情な意志を衚はしお、くひたが぀おゐた。䜵し圌の県は痛々しく憶病であ぀た。そしお、鋀を握るにふさわしい頑健な骚栌をしおゐた。歊骚な青幎は額に垂れる毛髪を掻きあげながら、怒るやうな顔付をしお、堅く坐に぀いおゐた。\n「君は巊翌に関係しおゐるのではないかね?」\n 村長は気軜な笑ひを泛べながら、いきなり斯う蚊ねた。青幎は吃驚しお銬耳の顔を芖凝めたが、\n「べ぀に関係しおゐたせん。それに」――青幎は疑ぐり深い目付をしお考ぞながら蚀぀た。\n「たずぞ関係しおゐたにしおも、関係しおゐないず蚀ふでせう」\n 銬耳は青幎の返事があたり生真面目で突き぀めおゐたので、寧ろび぀くりしたほどであ぀た。そしお巊翌ずいふこずを䞖間話の気軜さに考ぞおゐた自分に気付いた。\n「成皋、僕のきゝかたが悪か぀たね。䜵し君、儂は巊翌ずいふものを、ずりわけ愛しおもゐないが、ずりわけ憎んでもゐないね。あちらの郚屋には前文郚参䞎官がゐるが......」\n 銬耳は笑ひ出した。笑ひをひずり愉しむやうに、窶れた頬に现い筋肉がふるぞた。\n 䜵し銬耳の笑ひは青幎教垫を芪したすよりも脅やかすこずに圹立぀た。教垫は怪蚝な面持で、わけが分らないず自答するやうに銬耳の顔を芋凝めおゐたが、愚盎な顔に猜疑ず、぀づいお臆病な怒りをあらわした。\n「君はマルクスを読むかね?」\n「読みたした」\n「それで、感想は?」\n 怿は幟分激昂した顔色の底で疑ぐり深く考ぞをたずめおゐるやうに芋えたが、\n「誰が読んでも珟圚よりはいいず蚀ふでせう」\n 圌はぶり〳〵しお答ぞた。\n 怿教垫は生真面目な情熱的な青幎のやうに芋受けられた。いはば融通が利かないずか血のめぐりが悪いずか呌ばれがちな、頭脳の閃きによ぀お人を感動せしめるこずの絶察にないたちの人間である。そしお、この皮の人間が生掻苊にもたれるず埗おしお成りがちのやうに、圌は䜕事に察しおも憶病な猜疑ず、結局は物の圹に立たない狡猟ずを䞀応は働かせお物の真盞を芋砎らうず努力する。そしお自分では狡猟に立ち廻぀た぀もりでゐながら、結局自分の底を割るほかに仕方のないたちの人間なのだ。\n 怿はむ぀ずした顔付の奥で、自分の態床を狡猟にたずめやうずあせ぀た。䜵し結局狡猟に擬装した怒りの䞭ぞ我知らず捲き蟌たれおゐた。\n「い぀たい、䜕のためにこんなこずを蚊ねるのです?」\n 老人は郚屋の䞀ヶ所ぞ茫然ず目を眮いお、ゆるく煙草をくゆらせおゐた。そしお煙を噛むやうに、い぀たでも口をもく〳〵や぀おゐた。\n「䜵し僕はコンミュニストではありたせん。理想的にはより以䞊のものを望んでゐたすが、珟実的には殆んど僅かの向䞊でも感激するこずのできる愚かな生掻人ですよ。僕は犬の生掻を寧ろ望むでせう。「理性的」ずいふ尀もらしい人間の特暩を僕はあたり有難がらないのです。理性のおかげで僕等は痛みを感じ぀づけおゐるやうなものです。さうかず蚀぀お、僕等が理性的であるたいずしたら、なたじひに人間であるおかげで、犬よりもひどくや぀぀けられるでせうからね。僕の蚀ふこずも極端かも知れたせんが、䜵し僕は人間の憎悪や愛にあきあきしおした぀たのです。あきあきしたずいふこずは、぀たり僕がどんなにしおも其れから脱けきれないず蚀ふこずですよ。なたじ斯んなおあひが――むろん僕もそのおあひですが、仮面を被぀お停善的な共同生掻を営むよりも、い぀そむきだしの動物同志にな぀たらずさぞ思ふのです。むろん僕が醜い動物でなか぀たら、斯んな浅間敷いこずを考ぞる筈はないでせう」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "酔぀ぱら぀た䞉人は必然的に街ぞ出かけた、そしおたた飲んでさらに酔ふた、私ず敬坊ずは腕を組んで、さうらうたんさんずしお駅前の宿屋に泊぀た。\n今倜は文字通りにどろ〳〵にな぀た、泥田を這ひたは぀たのだから、からだは泥たみれだ぀た(こゝろはあたり汚れなか぀たが)。\n\n 四月廿䞉日\n\n明けお飲み、暮れお別れた、ずにかく忘れるこずのできない䞀日䞀倜だ぀た、めでたくもありめでたくもなし、喝。\n戻぀お来お、宀内を掃陀し、茶を沞かし飯を食べる。\n敬坊よ、倫婊喧嘩も時々はよからう、それはほがらかでなければならない、陰惚であ぀おはならない。\n私には喧嘩する盞手もない、独盞撲でもずるか!\n\n・こころ柄めば蛙なく\n\n昚日の二十二句は歀䞀句に及ばない。\n\n 四月廿四日\n\n晎、すべおが過ぎおした぀た! ずいふ気持、しかし昚倜は劎れおぐ぀すりねむれたので悪い気持ではない。\n身のたはりを片づける。\n出来るだけの買物をする、――米、醀油、石油、そしお焌酎䞀杯。\n初めお春蝉をきいた、だるくおねむくなる、五日ぶりに入济、さ぀ぱりした、しづかに読曞。\n酒もよいが茶もわるくありたせんね。\nF家のおばさんから、䟋のブチコハシをひやかされた、あゝいふ気分はずおも圌女等には理解できぬらしい、喧嘩でもしたのだらうず思぀おる。\n䞉ツ葉のおしたし、葉わさびをふ぀お貯蔵する(敬坊のお土産)。\n倜、暹明君来庵、たじめな、酔぀ぱらはない、なごやかな暹明を芋せおくれたのでうれしか぀た。\n\n・たどりきおからたちのはな\n・からたちの咲いおゐる始業の鐘の鳎る\n・䜕もかも過去ずな぀おした぀た菜の花ざかり\n 今日がはじたるサむレンか\n・ゆふべは豚のうめくさぞ\n・右からも巊からも蛙ぎよんぎよん\n\n\n 四月廿五日\n\n曇、間もなく雚ずな぀た、そしお䞀日䞀倜降り通した。\nのらりくらり、かういふ生掻にはもう私自身がたぞきれなくな぀た。\n敬君からの手玙は悲喜こも『〵であ぀た、君、君の家庭に平和あれ。\n\n 朝ぐもりの草のなかからおふおふひらひら\n・ここたではうおきた蔊の花で\n\n\n 四月廿六日\n\nふず氎音に県がさめた、もう明けるらしいので起きる。\n身も心もすべおが柄みわたる朝だ぀た。\n正法県蔵拝誊、道元犅垫はほんたうにありがたい。\n\n・春雚の倜あけの氎音が鳎りだした\n・唱ぞをはれば明けおゐる\n・朝の雚にぬれながらたがやす\n・癜さは朝のひかりの埡飯\n・ぬれおし぀ずり朝の氎くむ\n・氎にそうお氎をふんで春の氎\n・春はゆく氎音に颚がさわいで\n・春の氎のあふれるたたの草ず魚\n・晎れお旗日や機械も䌑んでゐる(远加)\n・蕗の皮がようむげる少幎の倢\n\n誰かきた声がする、出お芋るず、嘉川の䞇犏寺の埡開垳で、埡案内旁埡詠歌連䞭を連れお来たしたずいふ、私は困぀た、私には差䞊げる銭も米もないのだ、䜕もありたせんが、ずいふず、それではたた、ずい぀お垰぀おい぀た、たこずにお気の毒だ぀た、すみたせんでした。\n敬治君ぞ手玙を曞く、――䜕よりも先づ金銭の浪費をやめなければなりたせん、珟代の瀟䌚組織䞋に斌おは、我々にず぀お、金銭の浪費は生呜の浪費です、これを宗教的芞術衚珟でいぞば、それは仏陀の慧呜の浪費です。......\n玔情は尊いけれど、それを裏付ける匷い意志が䌎はないならばたゞそれだけにずゞたる、......よい酒ずは昚日を忘れ、明日を思はず、今日䞀日をホントりに生かしきるこずが出来るやうに圹立぀酒でなければなりたせん、......ずにかく、酒に求めないで、酒を味ふやうにならなければり゜ですね。\nちよいず出かけお、ちよいず䞀杯。\n倕方、垰途、暹明来、さびしい顔で酒が飲みたい、飲たずにはゐられないず蚎ぞる、が、私は今や八方塞がりのどうするこずも出来ない、もじ〳〵しおゐるず、君が䞀筆曞いた、それを持参しお䞀升借りお戻る、――悪い酒ではなか぀たが寂しい酒だ぀た、あゝ、䞉人でうれしい酒を飲みたい!\n\n 四月廿䞃日\n\n晎、冷、このあたりでは苗代颚ずいふ。\n昚倜も飲みすぎ食べすぎ、そしおたた朝酒。\n雑朚を雑草に掻けかぞる。\n散歩、――新囜道を嘉川たで、釈迊寺拝登、埡開扉䌚、垰途は山越、癜い花を぀けた雑朚がよか぀た。\n初めお燕を芋、初めお蚊に喰はれた。\n雀、蜂、蟻、庵をめぐ぀お賑やかなこずである。\n蕗のうたさ、ほろにがい味は䜕ずもいぞない。\n暹明君来庵、春颚埮笑颚景を展開した。\n\n・青空の筍を掘る\n・春山の奥から重い荷を負うお鮮人\n・蕗のうたさもふるさずの春ふかうなり\n\n\n 四月廿八日\n\nけふも晎れお぀めたい、きのふのやうに䞀倩雲なし。\nちよ぀ず散歩したが――郵䟿局たでハガキを出しにい぀たが――䞀文なしではあたり興がのらない。\n蕗はうたいなあ、たいにち食べおも、なんが食べおも。\n午前は読曞、午埌は畑仕事、晎耕雚読でなくお、或読或耕だ、ずにかく奜日だ぀た。\n\n 春空雲なくなたけものずしなたけおゐる\n・春蝉もなきはじめ䜕でもない山で\n・裏からすぐ山ぞ朚の芜草の芜\n・けふも摘む蕗がなんがでも\n・みんな芜ぶいおゐる䞉日月\n・䞉日月さんには雲かげもなくお\n\n\n 四月廿九日\n\n倩長節日和ずでもいはうか、たこずにのどかな日だ぀た。\n前の竹藪の持䞻から筍を頂戎した、掘りたおのホダ〳〵だ、ありがたか぀た。\n午前は山を歩いた、若葉のう぀くしさ、若草のう぀くしさ。\n午埌は青幎団員の競技をしばらく芋物したが、私にはスポヌツのおもしろさが解らない(すべおの勝負事に興味を感じない私だ)。\n運動総務の䞀人ずしお暹明さんは少しばかり興奮しおゐるらしい。\nさう〳〵戻぀お畑地を耕した、この方が私には愉快でもありたた盞圓しおゐるやうだ。\n筍はうたか぀た、蕗ずはちが぀たうたさがある、だが、私は歯がいけなくな぀お、ほろ〳〵抜けるから来幎はどうかな(鬌よ笑ぞ!)。\n\n 倧空をわたりゆく鳥ぞ寝ころんでゐる\n 春たけた山の氎を腹い぀ぱい\n・晎れき぀お旗日の新囜道がた぀すぐ\n・けさも掘る音の筍持぀おきおくれた\n・摘めば散る花の昌ふかい草\n・送電塔が山から山ぞかすむ山\n\n\n 四月䞉十日\n\n曇、をり〳〵雚、倕方からどしやぶり。\n晩春から初倏ぞう぀る季節に斌ける垞套病――焊燥、憂欝、疲劎、苊悩、――それを私もただ持ち぀ゞけおゐる。\n\n・春もどろどろの蓮を掘るずや\n・春がゆくヱンゞンが空腹ぞひびく\n・くもりおもたい蛇の死骞をたたぐ\n・食べるもの食べ぀くし雑草花ざかり\n・春はう぀ろな胃袋を持ちあるく\n・蕗を぀み蕗をたべ今日がすんだ\n・菜の花よかくれんがしたこずもあ぀たよ\n・闇が空腹\n・死ぬよりほかない山がかすんでゐる\n・これだけ残しおをくお粥の泡\n・米櫃をさかさたにしお油虫\n・それでも腹い぀ぱいの麊飯が畑う぀\n・みんな嘘にしお春は逃げおした぀た\n どしやぶり、遠い遠い春の出来事\n・晎れおのどかな、肥料壺くみほしお(远加)\n・楢の葉の若葉の雚ずな぀おゐる\n 雚に茶の朚のたゝかれおにぶい芜\n・ゆふべのサむレンが誰も来なか぀た\n\n朝は、筍をたべおはお茶をのみ、晩は蕗をたべおはお茶をのんだ、昌埡飯ずしおは葱汁! 野菜デヌだ぀た。" }, { "role": "assistant", "content": "△米櫃に米があるならば、味噌桶に味噌があるならば、そしお(れむタクをい぀おすみたせんが)煙草入に煙草があるならば、酒埳利に酒があるならば。――\n△春があれば秋がある、満぀れば猺げる、酔ぞば醒める、腹い぀ぱいも腹ぺこ〳〵も南無芳䞖音、オンアリペリカ゜ワカ。\n△飯の矎味をたゝぞ、胃の正盎をほめよ。\n倕方からどしやぶり、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ。\n倧降りの䞭を暹明君来庵、さ぀そく銀貚を投げだす、倧降りの䞭を酒買ひにい぀た、぀ゝたしい酒だ぀た、暹明君が埡飯をたべおくれたのはめづらしくもたたうれしいこずであ぀た。\n\n どしやぶりのいなびかり、酒持぀お戻るに\n・蛙ずんできお、なんにもないよ\n 雚の氎音のきこえだしおわかれる\n わかれおい぀た倜なかの畳ぞ倧きな癟足\n\nそれは倧きな癟足だ぀た、五寞以䞊あ぀た、私はぞ぀ずしお打ち殺さうずしお果さなか぀た。\n長虫――蛇、癟足、いもり、ずかげ、蚯蚓――はた぀たく嫌だ。\n今日の食事には嘘があ぀た、――ずいふのは、日蚘を぀けおした぀おから、飯が食べたくお、そしお煙草が吞ひたくおやりきれなか぀たから、私䞀流の、窮䜙の策を匄しお、酒ず米ず煙草ずを捻出したのである、――それはかうである、――A店で䞀杯ひ぀かけお(歀代金十䞀銭)その勢でB店で煙草䞀包(歀代金四銭、抵圓ずしお端曞䞉枚預けお眮いた!)を手に入れ、さらにC店で癜米二升(歀代金四十六銭)を借りお来たのである。\n䜕ず酒がうたくお、煙草がうたくお、そしお飯のうたか぀たこずよ、私は涙がこがれさうだ぀た(この涙はどういふ涙ぞ)。\n\n 五月䞀日\n\nくもり、だん〳〵晎れお、さ぀きの埮颚が吹く、雚埌の颚景のみづ〳〵しさを芋よ。\n山蕗を採぀お煮た、半日の仕事だ぀た。\n䜕日ぶりの入济か、身心さ぀さうずしおかぞる。\n暹明来(筍ず卵ずのお土産持参)、うち連れお、倕の街をあるく、倜の街を飲みたはる、――い぀もずはちが぀お、よい散歩、よい飲振、よい別れ方だ぀た。\n飲食過倚、それはや぀ぱり貪る心だ、戒々々。\n\n・酔ひざめの、どこかに月がある\n・月の萜ちる方ぞあるく\n・萜ちおただ月あかりの寝床ぞかぞる\n\n\n 五月二日\n\n曇、明るい雚ずな぀た。\n早朝、暹明来、ほがらか〳〵、玠湯ずわさび挬で、節食、どうやら過飲過食の重苊しさがなくな぀た。\n䜕だか泣きたいやうな気分になる、老いがれセンチめ!\n\n・柿若葉、あれはき぀぀きのめをず\n・草をずり぀぀䜕か考ぞ぀぀\n・くもり、けふはわたしの草ずりデヌ\n・たこず雚ふる筍の䌞びやう\n・い぀たでも話し぀ゞける地べたの春\n・芋るずなく芋おをれば明るい雚\n\n△すべおの物品を酒に換算する私だ぀たのに、い぀からずなく米で換算するやうにな぀た、䟋ぞば、五十銭の品物は酒五合だず考ぞおゐたのが、米二升だず考ぞるやうにな぀た、そしお、酒さぞあれば、ずいふ私が、米さぞあれば、の私ずな぀おゐる。......\n\n・さいおはち぀おはきんぜうげのちかみち\n・たれかきたよな雚だれのあかるくお\n・もう暮れる火のよう燃える\n・竹の子のたくたしさの竹になり぀぀\n・によきによきならんで筍筍\n・芪子で掘る筍がある颚景です\n 暹明君に\n・なんずよいお日和の筍をもら぀た\n\n\n 五月䞉日\n\n曇、颚が出お寒か぀た。\n草取、入济、散歩。......\n暹明君が垰宅の途䞭を寄぀おくれる、忠兵衛もどきで酒を捻出しお飲む、粟進料理のよい酒だ぀た。\n句もなく苊もなし、楜もなく䜕物もなし、めでたし〳〵。\n\n 五月四日\n\n晎、なか〳〵぀めたい。\n埅぀おゐるものは来ない。\n山の色がう぀くしうな぀た、苗代づくりがはじた぀た。\n敬君ぞ手玙を曞いた、悪口を曞いたけれど、私の友情はくんでもらぞるだらう、敬君、し぀かりしおくれたたぞ、たのむ。\nたじめな身心で畑仕事、蚯蚓の倚いのには閉口した。\n倜は暹明君を宿盎宀に蚪ねる、よく話しよく飲みよく食べた、ずゐぶん酔ふたが、習慣ず心構ぞずがはたらいお、おずなしく戻぀お寝た(残぀た酒を持぀お!)。\n\n・山は若葉の、そのなかの広告文字\n 山肌いろづき束蝉うたふ\n・なんにもなくな぀お氎の音\n・石にずんがはかげをすえ\n\n\n 五月五日\n\n曇、端午、男の祝日、幞にしお酒がある、朝から飲む、今日䞀日は奜日であれ。\n終日閑居、昌寝したり、読曞したり、蕗を摘んだり、草をず぀たり、空想したり、远憶したりしお。\n若葉の月はよか぀た。\n今日は䞀句も出来なか぀た。\n\n 五月六日 立倏。\n\n早起すぎた、明けるのが埅遠か぀た。\n晎、ネルセルシヌズンだ。\n入雲掞君の手玙はありがたか぀た、黎々火君のはがきはうれしか぀た、しげ子さんのたよりはかなしか぀た。\n暮春ず貧乏ずの関係劂䜕!\n酒を借り、魚を借りお来お、暹明君を招埅した、よい酒宎であり、よい月芋であ぀た。\n\n 食べたものがそのたゝで出る春ふかし(䜕ずきたない、そしお䜕ずたじめな句かよ)\n・ほしものほどようほせた藀の花\n・ゆふべしめやかな土ぞたいおゆく\n・圱は若葉で柿の若葉で(十二日の月)\n・ずんぶりぬれお枯れお䞀本束(远加)\n 今日の買物\n䞀、䞃銭 バツト\n䞀、四銭 なでしこ\n䞀、十二銭 醀油\n䞀、十二銭 いりこ\n䞀、十銭 マツチ\n䞀、匐十匐銭 焌酎\n䞀、匐十匐銭 癜米\n䞀、䞉銭 酢\n䞀、䞉銭 菓子\n䞀、五銭 湯札\n (入金壱円五十銭)\n䞀、十䞃銭 魚\n (借)\n䞀、九十五銭 酒\n\n\n 五月䞃日\n\n晎、埅぀おゐる。――\n黎々火さんが予想よりも早くや぀おきおくれた、草花の苗をど぀さり持぀お、――さ぀そく怍ゑる、――瞞萱、小米桜、桔梗、雁皮草、熊笹蘭、友犅菊、秋田蕗、等、等。――\n萱ず蕗ずがずりわけお気に入りたした、ありがたう、ありがたう、君は玔な若人である、私はたた䞀人のよい友をめぐたれた。\n暹明君が悪酔姿でや぀おくる、昚倜の酒が酒をよんだらしい、バリカン(昚倜わざず眮いおい぀た)を眺めながら、頭を撫でながら、ひそかに案じおゐたが、や぀ぱり案じた通りだ぀たらしい、暹明君よ、独りで呷る酒はよくない、さういふ酒から離れお䞋さい、頌みたす。\n倕方、みんな別れる、私はたた䞀人ずな぀お月を眺めた、今日はたこずにしめやかな䞀日であ぀た、酒なしの、おいしい埡飯をたべたゞけでも。\n\n 日の照る若葉はゆらぐずもなく\n・草の葉ふかくきり『〵すのをさなさよ\n・ぢ぀ずしおたんぜゝのちる\n・攟たれお銬にど぀さり若草がある\n・倏山のせたりくる氎をくみあげる\n・からころ〳〵氎くみにゆく\n・月あかりの筍が぀ちり\n・蕗の葉の倧きさや月かげい぀ぱい\n・月のあかるい別れ姿で\n\n\n 五月八日\n\n曇、暑くもなく寒くもない、たさに行乞日和。\n草花を芋たはる、や぀ぱり秋田蕗がよいな。\n九時頃から四時頃たで嘉川行乞、たこずに久しぶりの行乞だ぀た、行乞盞も悪くなか぀た。\n嘉川は折からお釈迊様の瞁日、たいぞんな人出、掻動写真、節劇、芋䞖物、食堂出匵店、露店がずらりず䞊んでゐた、どの家でも埡銳走をこしらぞおお客がゐた、朝から颚呂も沞いおゐた、着食぀た嚘さん、気取぀た青幎が右埃巊埃しおゐた、その間を私ず、そしおオむチ薬売ずが通るのは時代逆行的景芳であ぀た、そしお空腹ぞ焌酎䞀杯は私をほろ〳〵させるに十分だ぀た、䜕ずたあ自動車の埃、た぀たく貧乏人はみじめですね。\n垰庵しお冷飯を詰め蟌んだずころぞ、ひようぜんずしお暹明来、そしお私もひようぜんずしお、い぀しよにたたお釈迊様ぞ、おかげで人、人、埃、埃、その䞭をくぐ぀おい぀お、腰掛で飲む、䞀杯二杯䞉杯、十杯二十杯䞉十杯、――自動車で小郡駅ぞ、それから窟ぞ、おばさんのずころぞ、それでも庵ぞもど぀お雑魚寝、少し金を費はせすぎお気の毒でもあり盞枈たなか぀た。\n今倜は窟で倧にうた぀た、暹明君も私も調子を合せお、隣宀の若衆を沈黙さしたほどうた぀た、身心がすうずした。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "侀\n\n その門の前に来たずき、保本登はしばらく立停っお、番小屋のほうをがんやりず眺めおいた。宿酔で胞がむかむかし、頭がひどく重かった。\n「ここだな」ず圌は口の䞭で぀ぶやいた、「小石川逊生所か」\n だが頭の䞭ではちぐさのこずを考えおいた。圌の県は門番小屋を眺めながら、同時にちぐさのおもかげを远っおいたのだ。背䞈の高い、ゆったりしたからだ぀きや、党身のやわらかいながれるような線や、県錻だちのぱちっずした、おもながで色の癜い顔、――ちょっずどこかに手が觊れおも、すぐに頬が赀らみ、県のうるんでくる顔などが、たるで圌を招きよせでもするように、ありありず県にうかぶのであった。\n「たった䞉幎じゃないか」ず圌はたた぀ぶやいた、「どうしお埅おなかったんだ、ちぐさ、どうしおだ」\n 䞀人の青幎が来お、門のほうぞゆきながら、振向いお圌を芋た。服装ず髪のかたちで、医垫だずいうこずはすぐにわかる。登はわれに返り、その青幎のあずから門番小屋ぞ近づいおいった。圌が門番に名を告げおいるず、青幎が戻っお来お、保本さんですかず問いかけた。圌はうなずいた。\n「わかっおる」ず青幎は門番に云った、「おれが案内するからいい」\n そしお登に䌚釈しお、どうぞず気取った䞀揖をし、䞊んで歩きだした。\n「私は接川玄䞉ずいう者です」ず青幎があいそよく云った、「あなたの来るのを埅っおいたんですよ」\n 登は黙っお盞手を芋た。\n「ええ」ず接川は埮笑した、「あなたが来れば私はここから出られるんです、぀たりあなたず亀代するわけなんですよ」\n 登は蚝しそうに云った、「私はただ呌ばれお来ただけなんだが」\n「長厎ぞ遊孊されおいたそうですね」ず接川は話をそらした、「どのくらいいっおおられたんですか」\n「䞉幎ずちょっずです」\n 登はそう答えながら、䞉幎、ずいう蚀葉にたたちぐさのこずを連想し、するどく眉をしかめた。\n「ここはひどいですよ」ず接川が云っおいた、「どんなにひどいかずいうこずは、いおみなければわかりたせんがね、なにしろ患者は蚀ず虱のたかった、腫物だらけの、臭くお蒙昧な貧民ばかりだし、絊䞎は最䜎だし、おたけに昌倜のべ぀なく赀髯にこき䜿われるんですからね、それこそ医者なんかになろうずした自分を呪いたくなりたすよ、ひどいもんです、たったくここはひどいですよ」\n 登はなにも云わなかった。\n ――おれは呌ばれお来ただけだ。\n たさかこんな「逊生所」などずいう斜療所ぞ抌しこめられる筈はない。長厎で修業しお来たから、なにか参考に蚊かれるのだろう。この男は誀解しおいるのだ、ず登は思った。\n 門から五十歩ばかり、小砂利を敷いた霜どけ道をいくず、その建物に぀き圓った。すっかり叀びおいお、玄関の庇は歪み、屋根瓊はずれ、䞡翌の棟はでこがこに波を打っおいた。接川玄䞉は脇玄関ぞいき、履物を入れる箱を教え、そこから登ずいっしょにあがった。\n 廊䞋を曲っおいくず溜り堎があっお、そこに人がいっぱいいた。蚺察を埅぀患者たちであろう、䞭幎以䞊の男女ず子䟛たちで、みんな貧しいみなりをしおいるし、あたりはごみ溜か、腐敗した果物でもぶちたけたような、刺戟的な匂いが充満しおいた。\n「かよい療治の連䞭です」ず接川は錻のさきを手で払いながら云った、「みんな無料で蚺察し投薬するんです、生きおいるより死んだほうがたしな連䞭ですがね」そしおひどく枋い顔をし、片䞇ぞ手を振った、「こちらです」\n 枡り廊䞋をいっお、右ぞ曲ったずっ぀きの郚屋の前で、接川は立停っお自分の名をなのった。郚屋の䞭から、はいれずいう声が聞えた。よくひびく韻の深い声であった。\n「赀髯です」ず接川はささやき、登に䞀皮の県くばせをしお、それから障子をあけた。\n そこは六垖を二぀぀なげたような、瞊に長い郚屋で、向うに腰高窓があり、巊右は䞉段の戞玍になっおいた。叀くお风色になった暫材のがっちりしたもので、䞊の二段は戞玍、䞋段は巊右ずも抜出になっおいる。もちろん薬がしたっおあるのだろう、抜出の䞀぀䞀぀に、薬品の名を曞いた札が貌っおあった。――窓は北向きで、煀けた障子が冷たい光に染たっおおり、その光が、こちらぞ背を向けた老人の、逞しく広い背や、灰色になった蓬髪をう぀しだしおいた。\n 接川玄䞉が坐っお挚拶をし、保本登を同道したこずを告げた。老人は黙ったたた、小机に向かっおなにか曞いおいた。錠色の筒袖の袷に、同じ色の劙な袎をはいおいる。袎ずいうよりも「たっ぀け」ずいうほうがいいだろう、腰たわりにちょっず襞はあるが、脛のほうは现く、足銖のずころはきっちり玐でしめおあった。\n その郚屋には火桶がなかった。北に向いおいるので、陜のあたるこずもないのだろう、薬臭い空気はひどく冷えおいお、坐った膝の䞋から、寒さが党身にのがっおくるように感じられた。やがお、老人は筆を措いお、こちらぞ向き盎った。額の広く犿げあがった、角匵った顔぀きで、口のたわりから顎ぞかけおびっしり髯が生えおいる。俗に「長呜眉毛」ずいわれる、長くお濃い眉毛の䞋に、ちから匷い県が光っおいた。「ぞ」の字なりにむすんだ唇ず、その県ずは、犬儒掟のような皮肉さず同時に、小児のようにあからさたな奜奇心があらわれおいた。\n ――なるほど赀髯だな、ず登は思った。\n 実際には癜茶けた灰色なのだが、その逞しい顔぀きが、「赀髯」ずいう感じを䞎えるらしい。幎は四十から六十のあいだで、四十代の粟悍さず、六十代のおち぀きずが少しの䞍自然さもなく䞀躰になっおいるようにみえた。\n 登は蟞儀をし、名をなのった。\n「新出去定だ」ず赀髯が云った。\n そしお登を凝芖した。たるで錐でも揉みこむような、するどい無遠慮な県぀きで、じっず圌の顔をみ぀め、それから、きめ぀けるように云った。\n「おたえは今日から芋習ずしおここに詰める、荷物はこっちで取りにやるからいい」\n「しかし、私は」ず登は吃った、「しかし埅っお䞋さい、私はただここぞ呌ばれただけで」\n「甚はそれだけだ」ず去定は遮り、接川に向かっお云った、「郚屋ぞ䌎れおいっおやれ」\n\n二\n\n 保本登は医員芋習ずしお、小石川逊生所に䜏みこんだ。\n 圌はたったく䞍服だった。圌は幕府の埡番医になる぀もりで、長厎ぞ遊孊したのであるし、江戞ぞ垰れば埡目芋医の垭が䞎えられる筈であった。圌の父は保本良庵ずいっお、麹町五䞁目で町医者をしおいるが、その父の知人である幕府の衚埡番医、法印倩野源䌯が登の才を早くから認めおい、登のために長厎遊孊の䟿宜もはからっおくれたし、埡目芋医に掚薊する玄束もしおくれたのであった。\n 登はそのこずを接川玄䞉に話した。\n「そんなうしろ楯があるのにこういうこずになったずするず」接川はそう云いかけたが、そこでなにかを暗瀺するように笑った、「――たあ諊めるんですね、あなたの来るこずは半月もたえにわかっおいたし、どうやらあなたは赀髯に奜かれたらしいですからね」\n 接川は圌を郚屋のほうぞ案内した。\n それは新出の郚屋の前をいっお、巊ぞ曲った廊䞋の右偎にあり、同じような小郚屋が䞉぀䞊んでいた。接川はたずその端にある郚屋ぞよっお、同じ芋習の森半倪倫を圌にひきあわせた。半倪倫は二十䞃八にみえる痩せた男で、ひどく疲れたあずのような、陰気な、力のない顔぀きをしおいた。\n「お噂は聞いおいたした」ず半倪倫はなのりあったあずで云った、「ここは盞圓き぀いですがね、しかし、その぀もりになれば勉匷するこずも倚いし、将来きっず圹にたちたすよ」" }, { "role": "assistant", "content": " 半倪倫の声はやわらかであったが、剃刀を包んだ綿のような感じがしたし、よく柄んだ穏やかな県の奥にも、やはり剃刀をひそめおいるようなものが感じられた。そうしお、半倪倫がたったく接川を無芖しおいるこずに、登は気づいた。接川の云うこずには返蟞もせず、そっちぞ県を向けようずもしなかった。\n「盞暡のどこかの豪蟲の二男だそうです」ず接川は廊䞋ぞ出おからささやいた、「私ずは気が合わないんですが、圌はなかなか秀才なんですよ」\n 登は聞きながした。\n 森の隣りが接川、その次が登の郚屋であった。どの郚屋も六垖であるが、窓は北に向いおいおうす暗く、畳なしの床板に薄瞁を敷いただけずいう、いかにもさむざむずした感じだった。窓の䞋に叀びた小机があり、蒲で線んだ円座が眮いおある。片方はひび割れた壁、片方は重たげな板戞の戞玍になっおいた。\n「畳は敷かないんですか」\n「どこにも」ず接川は䞡手をひろげた、「医員の郚屋もこのずおりです、病棟も床板に薄瞁で、その䞊に寝具を敷くずいうわけです」\n 登は䜎い声で぀ぶやいた、「牢屋のようだな」\n「みんなそう云いたすよ、こずに病棟の患者たちがね」ず接川は皮肉に云った、「かれらは貧民だし、斜療院ぞはいったずいうひけめがあるから特にそういう感じがするんでしょう、おたけに着物たであれですからね」\n 登は赀髯の着おいたものを思いだし、森半倪倫も同じ着物を着おいた、ずいうこずを思いだした。蚊いおみるず、医員は倏冬ずもぜんぶ同じ色の同じ仕立であるし、病棟の患者は癜の筒袖にきたっおいる。それは男女ずも共通で、子䟛の着物のように付玐が付いおおり、付玐を解けばすぐ蚺察ができるように考えられたものだずいう。だが患者たちはそれを奜たない、床板に薄瞁ずいう郚屋の造りず共に、どうしおも牢屋の仕着のような感じがする、ずいう䞍平が絶えないそうであった。\n「昔からの芏則ですか」\n「赀髯どのの埡改革です」接川は肩をゆすった、「圌はここの独裁者でしおね、治療に関しおは熱心でもあるしいい腕を持っおいたす、倧名諞䟯や富豪のあいだにも、ひじょうな信頌者が少なくないんですが、ここではあたりに独断ず専暪が過ぎるので、だいぶみんなから嫌われおいるようです」\n「火鉢なども䜿わないずみえたすね」\n「病棟のほかはね」ず接川が云った、「江戞の寒さくらいは、华っお健康のためにいいんだそうです、それに、病棟以倖に炭を䜿うような予算もないそうでしおね、――ちょっずひず廻りしおみたしょう」\n 二人は郚屋を出た。\n 番医の詰める郚屋からはじめお、かよい療治の者を蚺察する衚郚屋、薬の調合をする郚屋、入所患者のための配膳所、医員の食堂などを芋たあず、接川は南の口から、庭䞋駄をはいお倖ぞ出た。\n 南の口ずいうのは、枡り廊䞋の角にあり、そこを出るずすぐ向うに炊事堎が芋えた。瓊葺きの、䞉十坪ちかくありそうな平屋の建物で、屋根を掛けた井戞が脇にあり、四五人の女たちが菜を掗っおいた。挬け物にでもするのであろう、掗っお山ず積たれた菜の、癜い茎ず緑ずが、朝の日光をあびお、県のさめるほどみずみずしく新鮮にみえた。\n\n侉\n\n 接川はその女たちの䞀人を指さしお云った。\n「右から二番目に黄色い襷をかけた嚘がいるでしょう、いた菜を積んでいる嚘です、お雪ずいうんですがね、森先生の恋人なんですよ」\n 登は無関心な県でその嚘を芋た。\n そのずき、病棟のほうから、十八九になる女が来お、接川に呌びかけた。品のいい顔だちで、身なりや蚀葉づかいが、倧きな商家の女䞭ずいう感じであった。いそいで来たのだろう、息をはずたせ、顔も赀らんで緊匵しおいた。\n「たたさしこみが起こったのですけれど」ずその女はせきこんで云った、「薬が切れおしたっおないんですの、すみたせんがすぐに䜜っおいただけないでしょうか」\n「新出先生に頌んでごらん」ず接川は答えた、「あの薬は先生のほかに手を぀けるこずはできないんだ、先生はお郚屋にいるよ」\n その女はちらっず登を芋た。登の芖線を感じたからだろう、登を斜亀いにすばやく芋お、さっず頬を染めながら䌚釈をし、南の口のほうぞ小走りに去った。\n 接川は登をうながしお歩きだした。南の病棟にそっおいくず、暪に長く二癟坪ほどの空地があり、その向うは柵をたわした薬園になっおいた。ここは元来が「小石川埡薬園」ずいっお、幕府盎蜄の薬草栜培地であり、䞀䞇坪ほどの栜園が二぀、道をはさんで南北にひろがっおいた。逊生所は南の栜園の䞀郚にあるのだが、このあたりは高台の西端に圓るため、薬園の高いずころに立぀ず、西にひらけた広い展望をたのしむこずができた。\n 栜園は単調だった。冬なので、薬甚の朚や草本は殆んど枯れおおり、藁で霜囲いをした脇のずころに、それぞれの品名を曞いた小さな札が立おおあった。霜どけでぬかる畊道をいくず、係りの園倫たちが幟人かで、土をひろげたりかぶせおある藁を替えたりしおい、接川を芋るずみな挚拶をした。接川はかれらに登をひきあわせ、かれらは登に向かっお、自分たちの名を鄭重になのった。倧きな躯の、肥えた老人が五平。枯朚のようにひょろ長い、無衚情な若者が吉倪郎、そのほか次䜜、久助、富五郎などずいう名を、登は芚えた。\n「五平のぐあいはどうだ」ず接川は五平に蚊いた、「ただやれないか」\n「そろそろずいうずころでしょうな」ず老人は肥えた二重顎を指で掻きながら、うっずりしたように県を现めお、うなずいた、「さよう、たあそろそろずいうずころでしょう」\n「おれはこの月いっぱいでやめるんだが、それたでに味がみたいもんだな」\n「さおね」ず老人は慎重に云った、「たぶんよかろうずは思うが、さお、どんなものかね」\n「そのうちに小屋ぞいっおみるよ」\n 接川はそう云っおそこをはなれた。\n「えびづる草の実で酒を぀くっおいるんです」ず歩きながら接川が云った、「色は黒いし舌ざわりもちょっず濃厚すぎるが、うたい酒です、赀髯が薬甚に぀くらせるんですがね、そのうちにいちどためしおみたしょう」\n 薬園を出るず、接川は北の病棟のほうぞ向かった。\n そちらには颚よけのためだろうか、倧きな怎や、みずならや、怿や、束や杉などの林があり、ふかい竹やぶなどもあったが、その竹やぶに囲たれるように、新らしく建おられたらしい、䞀ず棟の家があった。接川はその家のほうぞ近よろうずしたが、気が倉ったずみえ、頭を振りながらずおりすぎた。\n「さっきのお杉、――南の口のずころで䌚った女ですが」ず接川は歩きながら云った、「あれはいたの家にいるんですよ、病気の女䞻人に付添っおいるんですがね」\n「あの家も病宀ですか」\n「嚘の芪が自費で建おたんです、嚘ずいうのが特別な病人でしおね」\n 接川は也いたような声で話した。\n 身蚱は厳秘になっおいるのでわからないが、盞圓な富豪の嚘らしい。幎は二十二か䞉くらいになるだろう。名はゆみずいい、瞹緻もめだ぀ほうである。発病したのは十六の幎で、初めは狂気ずはわからなかった。婚玄のきたっおいた男があり、それが急に砎玄しおほかの嚘ず結婚し、そのために䞀幎ほど気鬱症のようになった。それが治ったず思われるころ、店の者を殺したのである。そこでは十䞃八人も人を䜿っおいるのだが、二幎ばかりのあいだに䞉人、䞀人はあぶないずころを助かったが、若い二人はゆみのために殺されおしたった。\n「それがただ殺すだけでないんです、いろじかけで、男の自由を奪っおおいおからやるんですよ」ず接川は唇を舐めた、「あぶなく助かった男の話なんですがね、初めに嚘のほうから恋をしかけお、男に寝間ぞ忍んで来させる、それから盞圓ないろもようがあるらしいんだが、すっかり男がのがせあがっお、無抵抗な状態になったずき、釵でぐっずやるんだそうです」\n 登は眉をひそめ、䜎い声でそっず぀ぶやいた、「男に裏切られたこずが原因なんだな」\n「赀髯のみたおは違いたす」ず接川がたた唇を舐めお云った、「䞀皮の先倩的な色情狂だずいうんです、狂気ずいうよりも、むしろ狂的躰質だず赀髯は云っおいたすよ」\n 登の頭に殺人淫楜、ずいう意味の蚀葉がうかんだ。長厎で勉匷したずきに、和蘭の医曞でそういう症䟋をたなんだ。日本にも昔からあったずいっお、同じような䟋を幟぀か指摘されたし、その筆蚘もずっおおいた。\n 芪のちからもあったろうが、嚘は眪にならなかった。殺された盞手は店の䜿甚人であり、䞻人の嚘の寝間ぞ忍びこんだうえ手ごめにしようずした。衚面はそのずおりだし、死人に口なしでそのたたにすんだ。しかし䞉人めの手代が呜びろいをしお、初めお事情がわかり、新出去定が呌ばれた。去定は座敷牢を造っお檻犁しろず云った。さもなければ、必ず同じようなこずがくり返し行われるだろう。ほかの狂気ずちがっお色情から起こるものであり、その他の点では垞人ず少しも倉らないから、檻犁する以倖にふせぎようはないず䞻匵した。しかし、家族や䜿甚人の倚い家なので、座敷牢を造ったり、そこぞ檻犁したりするこずは䞖間がうるさい。逊生所の䞭ぞ家を建おるから、そちらで治療しおもらえたいか、ず芪が云った。嚘の狂気が治るにしろ、䞍治のたた死ぬにしろ、その建物は逊生所ぞそのたた寄付するし、入費はいくらでも出す。そういうこずで、䞀昚幎の秋に家を建お、お杉ずいう女䞭を䌎れお、嚘が移っお来たのであった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ゆがみの原因は、その他にもあろうが、だいたい今かぞえたのが普通考えられる堎合である。\n いや、ただ有った。それは、その音声を発する者自䜓が、そんなゆがんだ音声しか出せない堎合である。たずえば、酒に酔っぱらっお、口がたわらなくなった人間が、マむクの前に立ったずするず、ゆがんだ音声がマむクに入る。癟歳に近い老人が死床にいお、苊しい息の䞋から遺蚀をするような堎合も、音声は盞圓ゆがんでいるであろう。\n そんな堎合でなくずも、生れ぀き発音が䞍明晰な人がある。そういう人がマむクの前に立おば、ゆがんだ音が送り出される。生れ぀きでなくずも、たずえば日本語を習いはじめたばかりの倖囜人から聞く日本語の発音のように、発音の䞍正確から来る音声のゆがみが考えられる。\n「たず、ゆがみの原因に぀いお考えられるこずは、そのくらいであろう」\n 隆倫は、可胜な堎合をほずんど残らず数えあげたず思っお、ほっず吐息した。あずは、今の堎合、ゆがみがどの原因によっお起っおいるかを突き止めるこずだ。\n しばらく隆倫は、倩井にずり぀けた高声噚から聞えおくるくしゃくしゃいう受信音に耳を傟けた。\n「なんずいういやな声だろう。䜕ずいっおいるのか、ちっずも分りやしない。うむ埅およ。これは参考のために録音しおおこうや」\n 隆倫は倧急ぎで腰掛からずびあがった。そしお録音機をずりに、ずなりの郚屋ぞいった。\n\n\n 苊しい䌚話\n\n\n 録音が行われた。\n 玄五分間にわたっお、録音された。\n 隆倫は、その録音した受信機をもずにしお䞍明瞭な音声をなんずか分析しお、その蚀葉の意味を読みずる぀もりだった。\n それには少々装眮の甚意がいる。二䞉日はかかるであろう。\n 隆倫は急に疲劎をおがえた。さっきから緊匵のし぀づけであったためであろう。ずなりの寝宀ぞ行っお、しばらく睡るこずにした。あいかわらず高声噚からは、わけのわからない蚀葉がひき぀づき出おいた。隆倫は、受信機のスむッチを切ろうず手を出したが、そのずき気がかわっお、スむッチは切らないでそのたたにしおおくこずにした。\n 隆倫は、軜䟿寝台の䞊に毛垃にくるたっお、ぐっすり睡った。\n ふず県がさめた。\n が、ただ睡くおたたらない。ぎったりくっ぀いた瞌をむりやりにあけお、倜光の腕時蚈を芋た。\n 午前䞉時だった。するず、あれから䞀時間半くらい睡ったわけだ。ただ猛烈に睡い。\n その睡いなかに、隆倫はふずがそがそず話し合っおいる人声を聞きずがめた。それは近くで話しおいる。\n「......さあ、君はそういうが、䞇䞀倱敗したずきには、どうするんだね」\n「倱敗したずきは、倱敗したずきのこずですわ。たずえ倱敗しおも、今のようなおもしろくない境遇にくらべお、この䞊倧した苊痛が加わるわけでもありたせんものね」\n 女の声であった。\n 男ず女の話声だった。ゆっくりゆっくり、がそがそず語り合っおいる。声は若いが、その語る調子は、ふけた老人のように䜎い空虚なものであった。\n 隆倫はだんだん目がさめお来た。\n「......そういう冒険は、よした方がいいず思うね。君は、僕がひっこみ思案だず軜蔑するだろう。しかしね、僕は今たでに君のような冒険を詊みお、それに倱敗しお、ひどい目に䌚った連䞭のこずをたくさん知っおいるのだ。圌らは、倱敗しおこっちぞ戻っおくるずもうすっかり気力がなくなっおね、そのうえにあの䞖界でいろいろな邪悪に染たっお、それを掗いおずすために、それはそれはひどい苊しみをくりかえすのだ。僕はずおも長くはそれを芋守っおいられなかった......」\n「もう、たくさんよ、そのお話は。そのようなこずは、あたくしも知っおいたすし、そしおいくども考えおも芋たしたの。その結果、あたくしの心は決ったんです。どうしおも、行っお芋たい。肉䜓を自分のものにしたい。二床以䞊はずもかくも、䞀床はぜひそうなっおみたい。あなたがあたくしのために芪切にながながずいっお䞋さったのはうれしいのですけれど、あたくしは、今目の前に流れお来おいる絶奜の機䌚を぀かたないでいられないのです」\n「ああ、それがあぶないんだ。僕は䜕十ぺんでも䜕癟ぺんでも、君をひきずめる」\n「どういったら、あなたはあたくしの気持を分っお䞋さるでしょうか。じれったいわ」\n「僕はどうあっおも――」\n「あ、ちょっず黙っお......あ、そうだ。ええ、行きたすずも。あたくしも。誰がこの絶奜の機䌚をのがすものですか」\n「お埅ちなさい。あなたは、だたされおいるんだ。苊しみだけが埅っおいる䞖界ぞ、あなたはなぜ行くのですか。......ああ、ずうずう行っおしたった」\n 男の声は、気の毒なほど絶望のひびきを持っおいた。女の声は、それからあず、いくら埅っおも聞かれなかった。いや、男の声も、それっ切りで終った。\n 隆倫は、今の䌚話の途䞭から、二人の䌚話がずなりの実隓宀の倩井にずり぀けおある高声噚から出おくるものであるこずに気が぀いおいた。\n なぜか理由はわからないが、さっきはあれほど䞍明瞭だった音声が、目のさめたずきから急に明瞭になったらしい。たたその音声もずっず倧きくなった。倧きく、明瞭な話し声になったので、自分は目がさめたんだなず、隆倫は気が぀いた。\n 念のために圌は、寝台から䞋りお、ずなりの実隓宀ぞいっおみた。\n 倩井の高声噚は、ちゃんず働いおいた。もちろん音声は出おいないが、小さくがりがりず音がしおいお、働いおいるのが知れた。\n「ふしぎだ。ふしぎな䌚話だ。いったいどこの誰ず誰ずの䌚話なんだろうか。たさか、あれが攟送のドラマの䞀郚だずは思われない。攟送なら、あのあずにアナりンスがあるはずだし、あんな堎面なら䌎奏がなくおはならないはず」\n この疑問は、すぐには解けなかった。\n やがお倜明けが来た。\n そしお朝の行事がい぀ものように始たった。食事をしおから、隆倫は孊校ぞいった。\n 二宮孝䜜や四方勇治がそばぞやっお来たので、隆倫はさっそく昚倜奇劙な受信をしたこずを話しお聞かせたら、二人ずも「ぞヌッ、そうかね」ずびっくりしおいた。\n「䞉朚はどうしたんだ。今日は姿が芋えないね」\n 䞉朚にこの話をしおやったら䞀番よろこぶだろうに。\n「䞉朚か。䞉朚は今日孊校を䌑むず、がくのずころぞ今朝電話をかけお来たよ」\n ず、二宮がいった。\n「ああ、そうか。たた颚邪をひいたのか」\n「そうじゃない。病人が出来たずいっおいた」\n「うちに病人? 誰が病気になったんだろう。圌が䌑むずいうからには、盞圓重い病気なんだろうね」\n「がくも聞いおみたんだ。するずね、あたり倖ぞ喋っおくれるなずこずわっお、ちょっず話しがね、圌の姉さんのお名接ちゃんがね、ず぀ぜん気が倉になったので、困っおいるんだそうな」\n「ぞえヌッ、あのお名接ちゃんがね」\n「午前䞉時過ぎからさわいでいるんだっお」\n「午前䞉時過ぎだっお」\n 隆倫はそれを聞くず、どきんずした。\n\n\n 脳波収録\n\n\n なぜ隆倫は、どきんずしたか。\n そのわけは、それを聞いたずき、圌が知っおいる䞉朚の姉名接子の声が、昚日の深倜、図らずも自分の実隓小屋で耳にした女の声によく䌌おいるこずに気が぀いたからであった。実は昚倜もあの声を聞いたずき、どうも聞きおがえのある声だずは思ったが、それが名接子の声に䌌おいるずたで決定的に思出すこずができなかったのだ。\n(ふヌん。これは重倧問題だぞ)\n 隆倫は、腹の䞭で、緊匵した。\n しかし圌は、このこずを䞉朚たちに語るのをさし控えた。それは䞇䞀ちがっおいたら、かえっお人さわがせになるし、殊に病人を出しお家䞭が混乱しおいるずころぞ、新しい困惑を加えるのはどうかず思ったのである。\n そのかわり、圌はこれを宿題ずしお、自分ひずりで解いおみる決心をした。そしお、いよいよ確実にそうず決ったら、頃合を芋はからっお䞉朚に話しおやろうず思った。\n「どうしお。君は急に黙っおしたったね」\n 二宮が、隆倫にいった。隆倫は苊笑した。\n「うん。ちょっず、或るこずを考えおいたのでね」\n「䜕を考えこんでいたんだい」\n「気が倉になった人を治療する方法は、これたでに医孊者によっお、いろいろず考え出された。しかしだ、実際にこの病気は、あたりなおりにくい。それから、今たでずは違った治療法を考えだす必芁があるず思うんだ。そうだろう」\n「それはわかり切ったこずだ」" }, { "role": "assistant", "content": " 誰もみな隆倫のいうこずに異議はなかった。\n「そこでがくは考えたんだが、そういうずきに、病人の脳から出る電波をキャッチしおみるんだ。そしおあずで、その脳波を分析するんだ。それず、垞人の脳波ず比范しおみれば、䞀局なにかはっきり分るのではないかず思う。この考えは、どうだ」\n「それはおもしろい。きっず成功するよ」\n「いや、ちょっず埅った。脳波なんお、本圓に存圚するものかしらん。かりに存圚するものずしおもだ、それをキャッチできるだろうか。どうしおキャッチする。脳波の波長はどの䜍なんだ」\n 四方勇治が、猛然ず新しい疑問をもちだした。\n「脳波が存圚するかどうか、本圓のこずは、がくは知らない。しかし脳波の話は、この頃よくずび出しおくるじゃないか。でね、脳波はいかなる理論の䞊に立脚しお存圚するか、そんなこずは今がくたちには盎接必芁のない問題だ。それよりも、ずにかく短い埮匱な電波を受信できる機械を䞉朚君の姉さんのそばぞ持っおいっお、録音しおみたらどうかず思うんだ。もしその録音に成功したら、新しい治療法発芋の手がかりになるよ」\n「それはぜひやっおくれたたえ、隆倫君」\n この話をするず、䞉朚は、はげしい昂奮の色を芋せお、隆倫の腕をずらえた。\n「おい、四方君。君はどう思う」\n「脳波の存圚が理論によっお蚌明されるこずの方が、先決問題だず思うね。なんだかわけのわからないものを枬定したっお、しようがないじゃないか」\n「いや、机の前で考えおいるより、早く実隓をした方が勝ちだよ」ず、二宮孝䜜が四方の説に反察した。\n「元来日本人はむずかしい理屈をこねるこずに溺れすぎおいる。だから、倪平掋戊争のずきに、わが囜の技術の欠陥をいかんなく曝露しおしたったのだ。ああいうよくないやり方は、この際さらりず捚おた方がいい。分らない分らないで䞀幎も二幎も机の前で悩むよりは、すぐ実隓を䞀週間でもいいからやっおみるこずだ。机の前では、思いも぀かなかったようなこずが、わずかの実隓で“おやおや、こんなこずもあったのか”ず分っちたうんだ。頭より手の方を早く働かせたがいいよ」\n「たあ、ずにかく、その実隓をやるこずにしお、がくはその準備にかかるよ。隆倫君、手぀だっおくれるね」\n 䞉朚がそういったので、䞇事は決った。もちろん隆倫は協力を同意したし、二宮も手を貞すずいい、四方たでが、がくにも手䌝わせおくれず申出た。\n 四人の協力によっお、䞉日のちに、機械の甚意ができた。\n その日の午埌、䞀同は䞉朚の家で、仕事を始めた。\n 名接子の病床には、母芪が病人よりもや぀れを芋せお、看護にあたっおいた。たこずに気の毒な光景だった。\n 䞀同がその郚屋にはいったずき、病人はすやすやず睡っおいた。なるべく音のしないように、機械を持ちこんだ。\n 機械は、電波を぀かたえるため小さい特殊型空䞭線ず、匷力なる二次電子増倍管を䜿甚し、受信増幅装眮ず、それから無雑音の録音装眮ずを組合わせおあった。 そしお脳から出る電波の収録をするず共に、病人の口から出るこずばずを同時録音するこずも出来るようになっおいた。\n いよいよその仕事が始たった。\n 病人の目をさたさないうちに、睡眠䞭病人の脳から出おいる電波をずらえるこずになった。隆倫は受信機の調敎にあたり、䞉朚は空䞭線を姉の頭の近くぞ持っおいっお、いろいろず方向をかえおみる圹目を匕受けた。あずの二人は録音や敎理の仕事にあたる。\n\n\n 深倜の圱\n\n\n「どうだい、䜕か出るかい」\n 受信機が働きはじめたずき、䞉朚はすぐそれをたずねた。\n「いや出ない」\n「だめなのかな」\n「そうずもいえない、ずにかくいろいろやっおみた䞊でないず、断定はできない」\n 隆倫は、波長垯を切りかえたり、念入りな同調をやったり、増幅段数をかえたりしお、いろいろやっおみた。\n「この機械の受信波長は、どれだけのバンドを持っおいるのかね」\n 四方が、隆倫に聞く。\n「波長垯は、䞀等長いずころで十センチメヌトル、䞀等短いずころでは䞀センチの千分の䞀あたりだ」\n「そうずうな感床を持っおいるねえ」\n「いや、その感床が䞀様にいっおないので、困っおいるこずもあるんだ」\n 電波は長波、䞭波、短波ず、だんだん波長が短くなっおきお、もっず短くなるず超短波ずなり、その䞋は極超短波ずなる。そのぞんになるず赀倖線の性質を垯びお来る。䞀センチの䜕千䞇分の䞀ずなるず、もう電波であるよりも赀倖線だ。そうなるず、装眮はたすたすむずかしさを加える。\n「なんか出お来たよ。しかしさわがないでくれたたえ」\n 隆倫が昂奮をおし぀けかねお、奇劙な声を出す。\n 䞀同の顔が、さっず玅朮しお、隆倫の顔に集たる。\n 隆倫は手たねで䞉朚に空䞭線の向きや距離をかえさせる。そしおいそがしくスむッチを切ったり入れたりしお、その目は蚈噚の䞊を走りたわる。\n「これらしい。これがそうだろう」\n 隆倫はひずりごずをいっおいる。\n「ああッ、飛ぶ、飛ぶ、赀い火がずぶ......」\n ず぀ぜん、高い女の声。\n 名接子が口を聞いたのだ。圌女は目がさめたものず芋え、むっくりず床から起䞊ろうずしお、母芪におさえられた。\n「名接ちゃん。おずなしくしなさい。母さんはここにいたすよ」\n 母芪は涙ず共に嚘をなだめる。\n それからの䞉十分間は電波収録班倧苊闘の巻であった。なにしろ目がさめた名接子は、奜きなように暎れた。匟の䞉朚も䜕もあったものではなく、空䞭線はいくたびか折られそうになった。母芪ず䞉朚は、そのたびに汗をかいたし、隆倫たちははらはらしどおしだった。そしお予定よりも早く実隓を切りあげおしたった。\n 䞉朚に別れを぀げお、残る䞉人の短波ファンは、そこを匕揚げた。\n 䞉人は隆倫の実隓小屋ぞ機械をもちこんで、しばらく話し合った。するず、二宮がしか぀めらしい顔をしお、こんなこずをいいだした。\n「人間のからだが生きおいるずいうこずはね。からだをこしらえおいる现胞の間は、攟電珟象が起ったり、たたそれを充電したり、そういう電気的の営みが行われおいるこずなんだずさ。だから䞉朚の姉さんみたいな人を治療するのには、感電をさせるのがいいんじゃないかな。぀たり電撃䜜戊だ」\n「それは電撃䜜戊じゃなくお、電撃療法だろう」\n「ああ、そうか。ずにかく高圧電気を神経系統ぞぎりっず刺すず、ずたんに癒っちたうんじゃないかな」\n「それは反察だよ」\n 四方が銖を振った。\n「なぜだい、なにが反察だい」\n「だっお、そうじゃないか。神経现胞は電線ず同じように、導電䜓だ。しかも匱い電流を通す電路なんだ。そこぞ高圧電気をかけるずその神経现胞の䞭に倧きな電流が流れお、神経が焌け切れおしたう。そうなれば、人間は即座に死ぬさ」\n「いや、電流は流されないようにするんだ。そうすれば神経现胞は焌け切れやしないよ。ねえ、隆倫君、そうだろう」\n「さあ、どっちかなあ。がくは、そのこずをよく知らないから、答えられない」\n この問題は懞案になった。\n そこぞ隆倫の母が、甘味の぀いたパンをお盆にのせおたくさん持っお来おくれたので、䞉人はそれをにこにこしおぱく぀いた。やがおお腹がいっぱいになるず、急に疲れが出お来お、睡くなった。それだから、その日はそれたでずいうこずにしお、解散した。\n さお、その倜のこずである。\n 隆倫はひずりで実隓小屋にはいった。\n 圌は、今日ずっお来た録音が気がかりで仕方がなかった。\n それで脳波の収録のずころを再生しおみるこずにした。぀たり、もう䞀床脳波にしお出しおみようず思ったのだ。\n 隆倫は、倧急ぎでその装眮を組立おた。\n それから脳波を収録したテヌプをくりだしお、その送信機に぀っこんだ。\n もちろん隆倫には、その脳波は聞えなかったけれど、怜波蚈のブラりン管で芋るず、脳波の出力が、蛍光板の䞊に明るいあずをひいおずびたわっおいるのが芋えた。\n 隆倫は、この脳波を、いかにしおこずばに倉化したらいいかず考えこんだ。\n その間に収録テヌプは、どんどんくりだされおいた。脳波は、泉から流れ出す枅流のように空間に茻射されおいたのだ。\n それを気に留めおいるのか、いないのか、隆倫は腰掛にかけ、背䞭を䞞くしお考えこんでいる。\n そのずき隆倫のうしろに、がヌッず人の圱が浮び出た。若い男の姿であった。その圱のような姿は、こたかく慄えながら、すこしず぀隆倫のうしろぞ寄っおいく。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " K君はただ私の云う事を肯わない様子であった。私も匷情であった。\n「もし岩厎ずか䞉井ずかいう倧富豪に講挔を頌むずした堎合に、埌から十円の埡瀌を持っお行くでしょうか、あるいは倱瀌だからず云っお、ただ挚拶だけにずどめおおくでしょうか。私の考ではおそらく金銭は持っお行くたいず思うのですが」\n「さあ」ずいっただけでK君は刀然した返事を䞎えなかった。私にはただ云う事が少し残っおいた。\n「己惚かは知りたせんが、私の頭は䞉井岩厎に比べるほど富んでいないにしおも、䞀般孊生よりはずっず金持に違いないず信じおいたす」\n「そうですずも」ずK君は銖肯いた。\n「もし岩厎や䞉井に十円の埡瀌を持っお行く事が倱瀌ならば、私の所ぞ十円の埡瀌を持っお来るのも倱瀌でしょう。それもその十円が物質䞊私の生掻に非垞な最沢を䞎えるなら、たたほかの意味からこの問題を眺める事もできるでしょうが、珟に私はそれを他にやろうずたで思ったのだから。――私の珟䞋の経枈的生掻は、この十円のために、ほずんど目に立぀ほどの圱響を蒙らないのだから」\n「よく考えお芋たしょう」ずいったK君はにやにや笑いながら垰っお行った。\n\n十六\n\n 宅の前のだらだら坂を䞋りるず、䞀間ばかりの小川に枡した橋があっお、その橋向うのすぐ巊偎に、小さな床屋が芋える。私はたった䞀床そこで髪を刈っお貰った事がある。\n 平生は癜い金巟の幕で、硝子戞の奥が、埀来から芋えないようにしおあるので、私はその床屋の土間に立っお、鏡の前に座を占めるたで、亭䞻の顔をたるで知らずにいた。\n 亭䞻は私の入っおくるのを芋るず、手に持った新聞玙を攟り出しおすぐ挚拶をした。その時私はどうもどこかで䌚った事のある男に違ないずいう気がしおならなかった。それで圌が私の埌ぞ廻っお、鋏をちょきちょき鳎らし出した頃を芋蚈らっお、こっちから話を持ちかけお芋た。するず私の掚察通り、圌は昔し寺町の郵䟿局の傍に店を持っお、今ず同じように、散髪を枡䞖ずしおいた事が解った。\n「高田の旊那などにもだいぶ埡䞖話になりたした」\n その高田ずいうのは私の埓兄なのだから、私も驚いた。\n「ぞえ高田を知っおるのかい」\n「知っおるどころじゃございたせん。始終埳、埳、っお莔屓にしお䞋すったもんです」\n 圌の蚀葉遣いはこういう職人にしおはむしろ䞁寧な方であった。\n「高田も死んだよ」ず私がいうず、圌は吃驚した調子で「ぞッ」ず声を揚げた。\n「いい旊那でしたがね、惜しい事に。い぀頃埡亡くなりになりたした」\n「なに、぀い歀間さ。今日で二週間になるか、ならないぐらいのものだろう」\n 圌はそれからこの死んだ埓兄に぀いお、いろいろ芚えおいる事を私に語った末、「考えるず早いもんですね旊那、぀い昚日の事ずしっきゃ思われないのに、もう䞉十幎近くにもなるんですから」ず云った。\n「あのそら求友亭の暪町にいらしっおね、......」ず亭䞻はたた蚀葉を継ぎ足した。\n「うん、あの二階のある家だろう」\n「ええ埡二階がありたしたっけ。あすこぞ埡移りになった時なんか、方々様から埡祝い物なんかあっお、倧倉埡盛でしたがね。それから埌でしたっけか、行願寺の寺内ぞ埡匕越なすったのは」\n この質問は私にも答えられなかった。実はあたり叀い事なので、私も぀い忘れおしたったのである。\n「あの寺内も今じゃ倧倉倉ったようだね。甚がないので、それから぀い入っお芋た事もないが」\n「倉ったの倉らないのっおあなた、今じゃたるで埅合ばかりでさあ」\n 私は肎町を通るたびに、その寺内ぞ入る足袋屋の角の现い小路の入口に、ごたごた掲げられた四角な軒灯の倚いのを知っおいた。しかしその数を勘定しお芋るほどの道楜気も起らなかったので、぀い亭䞻のいう事には気が぀かずにいた。\n「なるほどそう云えば誰が袖なんお看板が通りから芋えるようだね」\n「ええたくさんできたしたよ。もっずも倉るはずですね、考えお芋るず。もうやがお䞉十幎にもなろうず云うんですから。旊那も埡承知の通り、あの時分は芞者屋ったら、寺内にたった䞀軒しきゃ無かったもんでさあ。東家っおね。ちょうどそら高田の旊那の真向でしたろう、東家の埡神灯のぶら䞋がっおいたのは」\n\n十䞃\n\n 私はその東家をよく芚えおいた。埓兄の宅の぀い向なので、䞡方のものが出入りのたびに、顔を合わせさえすれば挚拶をし合うぐらいの間柄であったから。\n その頃埓兄の家には、私の二番目の兄がごろごろしおいた。この兄は倧の攟蕩もので、よく宅の懞物や刀剣類を盗み出しおは、それを二束䞉文に売り飛ばすずいう悪い癖があった。圌が䜕で埓兄の家に転がり蟌んでいたのか、その時の私には解らなかったけれども、今考えるず、あるいはそうした乱暎を働らいた結果、しばらく家を远い出されおいたかも知れないず思う。その兄のほかに、ただ庄さんずいう、これも私の母方の埓兄に圓る男が、そこいらにぶらぶらしおいた。\n こういう連䞭がい぀でも䞀぀所に萜ち合っおは、寝そべったり、瞁偎ぞ腰をかけたりしお、勝手な出攟題を䞊べおいるず、時々向うの芞者屋の竹栌子の窓から、「今日は」などず声をかけられたりする。それをたた埅ち受けおでもいるごずくに、連䞭は「おいちょっずおいで、奜いものあるから」ずか䜕ずか云っお、女を呌び寄せようずする。芞者の方でも昌間は暇だから、䞉床に䞀床は埡愛嬌に遊びに来る。ずいった颚の調子であった。\n 私はその頃ただ十䞃八だったろう、その䞊倧倉な矞恥屋で通っおいたので、そんな所に居合わしおも、䜕にも云わずに黙っお隅の方に匕蟌んでばかりいた。それでも私は䜕かの拍子で、これらの人々ずいっしょに、その芞者屋ぞ遊びに行っお、トランプをした事がある。負けたものは䜕か奢らなければならないので、私は人の買った寿叞や菓子をだいぶ食った。\n 䞀週間ほど経っおから、私はたたこののらくらの兄に連れられお同じ宅ぞ遊びに行ったら、䟋の庄さんも垭に居合わせお話がだいぶはずんだ。その時咲束ずいう若い芞者が私の顔を芋お、「たたトランプをしたしょう」ず云った。私は小倉の袎を穿いお四角匵っおいたが、懐䞭には䞀銭の小遣さえ無かった。\n「僕は銭がないから厭だ」\n「奜いわ、私が持っおるから」\n この女はその時県を病んででもいたのだろう、こういいいい、綺麗な襊袢の袖でしきりに薄赀くなった二重瞌を擊っおいた。\n その埌私は「埡䜜が奜い埡客に匕かされた」ずいう噂を、埓兄の家で聞いた。埓兄の家では、この女の事を咲束ず云わないで、垞に埡䜜埡䜜ず呌んでいたのである。私はその話を聞いた時、心の内でもう埡䜜に䌚う機䌚も来ないだろうず考えた。\n ずころがそれからだいぶ経っお、私が䟋の達人ずいっしょに、芝の山内の勧工堎ぞ行ったら、そこでたたぱったり埡䜜に出䌚った。こちらの曞生姿に匕き易えお、圌女はもう品の奜い奥様に倉っおいた。旊那ずいうのも圌女の傍に぀いおいた。......\n 私は床屋の亭䞻の口から出た東家ずいう芞者屋の名前の奥に朜んでいるこれだけの叀い事実を急に思い出したのである。\n「あすこにいた埡䜜ずいう女を知っおるかね」ず私は亭䞻に聞いた。\n「知っおるどころか、ありゃ私の姪でさあ」\n「そうかい」\n 私は驚ろいた。" }, { "role": "assistant", "content": "「それで、今どこにいるのかね」\n「埡䜜は亡くなりたしたよ、旊那」\n 私はたた驚ろいた。\n「い぀」\n「い぀っお、もう昔の事になりたすよ。たしかあれが二十䞉の幎でしたろう」\n「ぞええ」\n「しかも浊塩で亡くなったんです。旊那が領事通に関係のある人だったもんですから、あっちぞいっしょに行きたしおね。それから間もなくでした、死んだのは」\n 私は垰っお硝子戞の䞭に坐っお、ただ死なずにいるものは、自分ずあの床屋の亭䞻だけのような気がした。\n\n十八\n\n 私の座敷ぞ通されたある若い女が、「どうも自分の呚囲がきちんず片づかないで困りたすが、どうしたら宜しいものでしょう」ず聞いた。\n この女はある芪戚の宅に寄寓しおいるので、そこが手狭な䞊に、子䟛などが蒌蠅いのだろうず思った私の答は、すこぶる簡単であった。\n「どこかさっぱりした家を探しお䞋宿でもしたら奜いでしょう」\n「いえ郚屋の事ではないので、頭の䞭がきちんず片づかないで困るのです」\n 私は私の誀解を意識するず同時に、女の意味がたた解らなくなった。それでもう少し進んだ説明を圌女に求めた。\n「倖からは䜕でも頭の䞭に入っお来たすが、それが心の䞭心ず折合が぀かないのです」\n「あなたのいう心の䞭心ずはいったいどんなものですか」\n「どんなものず云っお、真盎な盎線なのです」\n 私はこの女の数孊に熱心な事を知っおいた。けれども心の䞭心が盎線だずいう意味は無論私に通じなかった。その䞊䞭心ずははたしお䜕を意味するのか、それもほずんど䞍可解であった。女はこう云った。\n「物には䜕でも䞭心がございたしょう」\n「それは県で芋る事ができ、尺床で蚈る事のできる物䜓に぀いおの話でしょう。心にも圢があるんですか。そんならその䞭心ずいうものをここぞ出しお埡芧なさい」\n 女は出せるずも出せないずも云わずに、庭の方を芋たり、膝の䞊で䞡手を擊ったりしおいた。\n「あなたの盎線ずいうのは比喩じゃありたせんか。もし比喩なら、円ず云っおも四角ず云っおも、぀たり同じ事になるのでしょう」\n「そうかも知れたせんが、圢や色が始終倉っおいるうちに、少しも倉らないものが、どうしおもあるのです」\n「その倉るものず倉らないものが、別々だずするず、芁するに心が二぀ある蚳になりたすが、それで奜いのですか。倉るものはすなわち倉らないものでなければならないはずじゃありたせんか」\n こう云った私はたた問題を元に返しお女に向った。\n「すべお倖界のものが頭のなかに入っお、すぐ敎然ず秩序なり段萜なりがはっきりするように玍たる人は、おそらくないでしょう。倱瀌ながらあなたの幎霢や教育や孊問で、そうきちんず片づけられる蚳がありたせん。もしたたそんな意味でなくっお、孊問の力を借りずに、培底的にどさりず玍たりを぀けたいなら、私のようなものの所ぞ来おも駄目です。坊さんの所ぞでもいらっしゃい」\n するず女が私の顔を芋た。\n「私は始めお先生を埡芋䞊げ申した時に、先生の心はそういう点で、普通の人以䞊に敎のっおいらっしゃるように思いたした」\n「そんなはずがありたせん」\n「でも私にはそう芋えたした。内臓の䜍眮たでが調っおいらっしゃるずしか考えられたせんでした」\n「もし内臓がそれほど具合よく調節されおいるなら、こんなに始終病気などはしたせん」\n「私は病気にはなりたせん」ずその時女は突然自分の事を云った。\n「それはあなたが私より偉い蚌拠です」ず私も答えた。\n 女は蒲団を滑り䞋りた。そうしお、「どうぞ埡身䜓を埡倧切に」ず云っお垰っお行った。\n\n十九\n\n 私の旧宅は今私の䜏んでいる所から、四五町奥の銬堎䞋ずいう町にあった。町ずは云い条、その実小さな宿堎ずしか思われないくらい、小䟛の時の私には、寂れ切っおか぀淋しく芋えた。もずもず銬堎䞋ずは高田の銬堎の䞋にあるずいう意味なのだから、江戞絵図で芋おも、朱匕内か朱匕倖か分らない蟺鄙な隅の方にあったに違ないのである。\n それでも内蔵造の家が狭い町内に䞉四軒はあったろう。坂を䞊るず、右偎に芋える近江屋䌝兵衛ずいう薬皮屋などはその䞀぀であった。それから坂を䞋り切った所に、間口の広い小倉屋ずいう酒屋もあった。もっずもこの方は倉造りではなかったけれども、堀郚安兵衛が高田の銬堎で敵を打぀時に、ここぞ立ち寄っお、枡酒を飲んで行ったずいう履歎のある家柄であった。私はその話を小䟛の時分から芚えおいたが、぀いぞそこにしたっおあるずいう噂の安兵衛が口を着けた枡を芋たこずがなかった。その代り嚘の埡北さんの長唄は䜕床ずなく聞いた。私は小䟛だから䞊手だか䞋手だかたるで解らなかったけれども、私の宅の玄関から衚ぞ出る敷石の䞊に立っお、通りぞでも行こうずするず、埡北さんの声がそこからよく聞こえたのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚ずした魂を、麗かな光に包みながら、埡北さんの埡浚いを聎くでもなく聎かぬでもなく、がんやり私の家の土蔵の癜壁に身を靠たせお、䜇立んでいた事がある。その埡蔭で私はずうずう「旅の衣は篠懞の」などずいう文句をい぀の間にか芚えおしたった。\n このほかには棒屋が䞀軒あった。それから鍛冶屋も䞀軒あった。少し八幡坂の方ぞ寄った所には、広い土間を屋根の䞋に囲い蟌んだやっちゃ堎もあった。私の家のものは、そこの䞻人を、問屋の仙倪郎さんず呌んでいた。仙倪郎さんは䜕でも私の父ずごく遠い芪類぀づきになっおいるんだずか聞いたが、亀際からいうず、たるで疎濶であった。埀来で行き䌚う時だけ、「奜い埡倩気で」などず声をかけるくらいの間柄に過ぎなかったらしく思われる。この仙倪郎さんの䞀人嚘が講釈垫の貞氎ず奜い仲になっお、死ぬの生きるのずいう隒ぎのあった事も人聞に聞いお芚えおはいるが、纏たった蚘憶は今頭のどこにも残っおいない。小䟛の私には、それよりか仙倪郎さんが高い台の䞊に腰をかけお、矢立ず垳面を持ったたた、「いヌやっちゃいくら」ず嚁勢の奜い声で䞋にいる倧勢の顔を芋枡す光景の方がよっぜど面癜かった。䞋からはたた二十本も䞉十本もの手を䞀床に挙げお、みんな仙倪郎さんの方を向きながら、ろんじだのがれんだのずいう笊城を、眵しるように呌び䞊げるうちに、薑や茄子や唐茄子の籠が、それらの節倪の手で、どしどしどこかぞ運び去られるのを芋おいるのも勇たしかった。\n どんな田舎ぞ行っおもありがちな豆腐屋は無論あった。その豆腐屋には油の臭の染み蟌んだ瞄暖簟がかかっおいお門口を流れる䞋氎の氎が京郜ぞでも行ったように綺麗だった。その豆腐屋に぀いお曲るず半町ほど先に西閑寺ずいう寺の門が小高く芋えた。赀く塗られた門の埌は、深い竹藪で䞀面に掩われおいるので、䞭にどんなものがあるか通りからは党く芋えなかったが、その奥でする朝晩の埡勀の鉊の音は、今でも私の耳に残っおいる。こずに霧の倚い秋から朚枯の吹く冬ぞかけお、カンカンず鳎る西閑寺の鉊の音は、い぀でも私の心に悲しくお冷たい或物を叩き蟌むように小さい私の気分を寒くした。\n\n二十\n\n この豆腐屋の隣に寄垭が䞀軒あったのを、私は倢幻のようにただ芚えおいる。こんな堎末に人寄堎のあろうはずがないずいうのが、私の蚘憶に霞をかけるせいだろう、私はそれを思い出すたびに、奇異な感じに打たれながら、䞍思議そうな県を芋匵っお、遠い私の過去をふり返るのが垞である。\n その垭亭の䞻人ずいうのは、町内の鳶頭で、時々目暗瞞の腹掛に赀い筋の入った印袢纏を着お、突っかけ草履か䜕かでよく衚を歩いおいた。そこにたた埡藀さんずいう嚘があっお、その人の容色がよく家のものの口に䞊った事も、ただ私の蚘憶を離れずにいる。埌には逊子を貰ったが、それが口髭を生やした立掟な男だったので、私はちょっず驚ろかされた。埡藀さんの方でも自慢の逊子だずいう評刀が高かったが、埌から聞いお芋るず、この人はどこかの区圹所の曞蚘だずかいう話であった。\n この逊子が来る時分には、もう寄垭もやめお、しもうた屋になっおいたようであるが、私はそこの宅の軒先にただ薄暗い看板が淋しそうに懞っおいた頃、よく母から小遣を貰っおそこぞ講釈を聞きに出かけたものである。講釈垫の名前はたしか、南麟ずかいった。䞍思議な事に、この寄垭ぞは南麟よりほかに誰も出なかったようである。この男の家はどこにあったか知らないが、どの芋圓から歩いお来るにしおも、道普請ができお、家䞊の揃った今から芋れば倧事業に盞違なかった。その䞊客の頭数はい぀でも十五か二十くらいなのだから、どんなに想像を逞たしくしおも、倢ずしか考えられないのである。「もうしもうし花魁え、ず云われお八ツ橋なんざたすえずふり返る、途端に切り蟌む刃の光」ずいう倉な文句は、私がその時分南麟から教わったのか、それずも埌になっお萜語家のやる講釈垫の真䌌から芚えたのか、今では混雑しおよく分らない。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 䞉味線堀の裏長屋ながら、八五郎が案内したのは芞人の䜏居らしく磚かれた家でした。\n「埡免よ、芪方は居なさるかい」\n「あッ、銭圢の芪分さん、――どうぞ」\n 半䞃郎はアタフタず二人を迎え入れたした。少し自堕萜な颚俗ですが、圹者らしく癜粉焊けのした顔や、スラリずした埌ろ姿が、平次に䌌ないこずはありたせん。\n「私を知っおいなさるかい」\n「銭圢の芪分さんを知らない者はありたせん」\n「お䞖蟞ものだね、芪方」\n「芪方ずおっしゃるのは埡勘匁を願いたす。私はただ本圓に銬の脚で――」\n 䞭山半䞃郎は頞筋を掻きたした。平次の調子が少し皮肉に聞えたのでしょう。\n「俺ず芪方が䌌おいるんだっおね、䞖間の人はそう蚀うが――」\n「ペ――」\n「もっずも、圹者に䌌おいれば、俺は本望だが、芪方の方じゃ迷惑だろう」\n「ずんでもない、芪分さん」\n 半䞃郎はたすたす恐瞮しおしたいたした。通な人達からは鰶の腹ず蚀われるピカピカの䞀匵矅、それを寝抌しお倜昌オッ通しお着おいるらしく、郚屋の䞭の調床も、田舎芝居の小道屋のようで、䜕ずなくケバケバしく芋えたす。\n「お前さん、桔梗屋のお藀を知っおいるだろうね」\n「ペ――」\n「どんな掛り合いだえ」\n「以前、埡ひいきになりたしたが、近頃は䞀向お目にかかりたせん」\n「䜕か、固い玄束でもした事はないだろうか」\n「ずんでもない、芝居者ず客の間で、――」\n「玄束はしおも圓おにはならないずいうのだろうね」\n ず平次。\n「恐れ入りたす、玠人衆はツむ倢䞭になりたすんで、ペ、ずんだ迷惑をいたしたす」\n 錻の䞋の長い癜粉焊けのした男が、こんな事を蚀うのですから、本圓にいい気なものです。\n「で、今は掛り合いがないず蚀うんだね」\n「もう䞉月もお目にかかりたせん、――近頃䞖間の評刀では、匷盗にさらわれたずいう話で、ずんだ事でございたす」\n「その疑いが芪方にも懞っおいるのだよ」\n 平次はズバリず蚀っお退けたした。\n「ご、埡冗談で、芪分さん、私は玠人衆の女なんかは、飜き飜きしおおりたす。そ、そんな銬鹿なこずがあるわけはございたせん。第䞀この通りの狭い家で、お嬢さんをさらったずころで隠しおおく堎所もない有様で」\n 半䞃郎は蒌くなっおしたいたした。こんな疑いを掛けられおはたたらぬず思ったのでしょう。急に恐ろしい達匁になっお、ベラベラず喋舌りたす。\n「お藀は、お前さんをどう思っおいたんだ」\n「それが、その、あんな気の知れないお嬢さんはありたせん。舞台姿を芋おやいのやいの蚀ったくせに、半幎も経たないうちに厭気がさしたようで、どんなに呌出しをかけおも、二床ずここぞはいらっしゃいたせん」\n\n六\n\n 平次ずガラッ八は、その足を䞡囜に䌞しお、叀川䞀座の軜業手品を芋物しおおりたした。お藀の関係した甚䞉郎ずいうのは、曲毬の名人で、綱枡り、玉乗り、なんでも䞀ず通りはいける、䞀座の花圢です。\n 幎の頃二十䞃八、青髯の跡の凄たじい、こんな瀟䌚によくある粟悍な顔をした男で、いかにも、浮気なお藀に泚目されそうな人間でした。\n 䞀ずわたり芞を芋お、楜屋ぞ入るず、\n「銭圢の芪分さん、先刻からいらっしゃるこずは存じおおりたした。わざわざこんな小屋ぞ埡運びで、有難う存じたす」\n 甚䞉郎、なかなかの聢り者らしい男です。\n「早速聞きたいが、車坂の桔梗屋のお藀――」\n「ペ」\n 甚䞉郎の顔色は動きたした。\n「あれを知っおるだろうな」\n「存じおおりたす。家出をなすったそうで」\n「家出じゃない、さらわれたのだよ」\n「............」\n「知っおいる事はみんな蚀っお貰いたいが」\n 平次の蚀葉は穏やかですが、隙もなく切り蟌んで行く名剣士の切尖のような鋭さがありたす。\n「䞖間ではいろいろの事を申したすが、私ずは身分違いで、別に埡懇意を願ったわけじゃございたせん。䞀幎ばかり前から埡ひいきにしお䞋すっお、楜屋ぞいろいろの物を䞋さいたしたが、近頃はお神楜の芪分さんず仲が良いずかいう評刀で、ここぞはお顔を芋せちゃ䞋さいたせん。そんな事は小屋の者が皆んな知っおおりたす」\n「そうか、――お前の方では、あのお嬢さんをどう思っおいるんだ」\n ず平次。\n「䜕ず思ったずころで、倧家のお嬢さんず軜業の小屋に居る私ずでは――」\n 甚䞉郎の県は悲しそうでしたが、それは、境遇から来る䞀皮の悲哀で、この男の心の底には、したたかな魂の宿っおいるこずを平次は芋逃すわけはありたせん。\n 間もなく平次はガラッ八ず䞀緒に匕揚げたした。\n「芪分、あの甚䞉郎が怪しくはありたせんか、喰えねえ男のようですが」\n ずガラッ八。\n「いや、あれは身分違いに腹を立おおいるんだ。あの男の曲毬の腕は倧したものだが、人間も聢りしおいるよ。䞭山半䞃郎ずは倧倉な違いだ」\n 平次は盞倉らず深々ず考え蟌んでおりたす。\n「残るのはお神楜の枅吉だ、行っおみたしょうか、芪分」\n 昌平橋近くぞ来るず、八五郎はこんな事を蚀いたす。\n「䞉茪の䞇䞃兄哥の家ぞか」\n「ペ」\n「銬鹿野郎、枅吉は䞋っ匕だが、䞇䞃兄哥の右の腕だ。たさか俺が出かけお、調べるわけにも行くめえ」\n 党く平次の蚀う通りです。お藀ず䜕かの噂があったにしおも、岡っ匕仲間で、調べも蚊きも出来るわけはなかったのです。\n「だっお、芪分、この䞊怪しいのは、枅吉だけじゃありたせんか」\n「䜕を぀たらねえ」\n 二人はい぀の間にやら平次の家ぞ垰っおおりたした。\n\n䞃\n\n 停平次の匷盗には、巊の頬に赀い痣がある――ずいうこずは、その日のうちに江戞䞭に知れ枡りたした。\n お蔭で平次の疑いは晎れたしたが、その代り巊の頬に痣のある男は、幎寄りも若いのも、金持も貧乏人も、橋の袂に居る乞食たでが、䞀ず通り疑われたり、調べられたりしたした。\n「芪分、赀い痣のある男が向柳原の煎逅屋に居たすぜ」\n「銬鹿、あれは右の頬だ」\n ガラッ八はこんな事を蚀っお叱られおおりたす。\n「神田から日本橋ぞかけお、少し赀い痣を探したしょう、芪分」\n「銬鹿だな、そんなに赀い痣が奜きなら、手前䞀人で勝手に捜すがいい」\n「今日は銬鹿が流行るぜ、芪分」\n「銬鹿」\n これでは手の付けようもありたせん。\n「俺は䞡囜ぞ行っお来るよ、甚䞉郎の曲毬は暇ッ぀ぶしには悪くないぜ。少し遅くなるかも知れないが、手前は、赀い痣でも捜しお歩くがいい」\n 平次が出かけたのは申刻過ぎ。\n その晩たた倧事件が起りたした。䞉味線堀の䞭山半䞃郎が、颚呂の垰りを路地の䞭で襲われ、自分の手拭で瞊り殺された䞊、家の䞭は滅茶滅茶に荒されおいたのです。\n 宵のうちのこずで、手拭で頬冠りをした男が、人埅ち顔に物蔭に立っおいたのを芋た者もあり、半䞃郎ず䜕やら蚀い争っおいる声を聞いた者もありたす。\n いろいろの噂は綜合するず、それは、銭圢平次そっくりの姿ず、その声です。\n 曲者は䟋の停平次に玛れもありたせん。死䜓の偎には、もう䞀ず筋也いた手拭が萜ちおいたした。町圹人芋廻り同心が駆け付けお、明るいずころぞ持っお行っおみるず、手拭は神田台所町の酒屋で配ったもので、頬冠りをしお、ちょうど頬の圓るあたりぞ、赀い無二膏をベットリ塗った、掌の半分ほどの巟が付いおいたのです。\n これを少し枩めお頬に貌ったずしたら、倜県遠県には、赀い痣ず芋えないはずはありたせん。\n「これだッ」\n 町圹人も、芋廻り同心も、町内の䞋っ匕も顔を芋合せたした。\n 意地の悪いこずに、そこぞ来合せたのは、䞉茪の䞇䞃ずお神楜の枅吉です。\n「赀い痣が停物だずするず、こい぀は可笑しなこずになるね、芪分」\n 倚少でも疑いを掛けられた枅吉は奜い心持そうです。\n「埅お埅お、殺されたのは䞋廻りの圹者だ。銭圢の兄哥ずは瞁がなさすぎるぜ」\n 䞉茪の䞇䞃はさすがに垞識がありたす。\n「半䞃郎はこんなだらしのない人間だが、思いの倖金を持っおいたしたよ。女から絞るこずが名人で――」\n 枅吉の蚀葉は、近所の衆に裏曞されたした。ベラベラの袷を着お、芋る圱もない調床の䞭に䜏んでいるくせに、半䞃郎は䞍思議に小金を溜めおいる様子だったのです。\n「それじゃ手前が䞀番怪しい事になるぜ、枅吉」\n「冗、冗談でしょう、怪しいのはやはり銭圢だ」\n お神楜の枅吉は倧きい声でこう蚀いたした。明日は江戞䞭に、匷盗はやはり銭圢ずいう噂が䞀パむに拡がるでしょう。\n\n八\n\n「芪分、䞉味線堀の銬の脚が殺されたんですずさ」\n ず八五郎。\n「そうだろう」\n 平次は驚く色もありたせん。" }, { "role": "assistant", "content": "「あれッ、知っおいるんですかえ」\n「いや、そんな事だろうず思ったよ、――ずころで、昚倜出がけに、お前ぞ頌んだが、暗くなっおからこの路地を出た者は誰ず誰だい」\n「誰も出たせんよ。隣の按摩が出お行ったきりで――笛の音が聞えたしたよ」\n「䜕刻だ」\n ず平次。\n「戌刻(八時)かな」\n「垰ったのは」\n「戌刻半(九時)でしたよ」\n「路地の䞭から笛を吹いお出るのは可怪しいな、八」\n「あっしは按摩は嫌いで」\n ガラッ八は錻の頭を撫でたす。\n「俺も呌んだこずはない」\n「たった半刻(䞀時間)で垰ったのも倉だね、時々そんな事があるようだが」\n「八、それだよ、――お前枈たないがあの按摩を呌んで来おくれ、芪分が腰が痛むそうだから、ちょいず揉んで䞋さいっお」\n「腰が痛むんですか、芪分は?」\n「䜕でもいいよ、腰が気に入らなきゃア臍が痛いずか䜕ずか蚀え、――それから、按摩がこの家ぞ入ったら、その隙をねらっお、あの家のお勝手から入るんだ、二階の物干しはちょうど歀家の庭の䞊だ、話が聞えるか聞えないか、耳を柄たしおいるがいい――」\n「そんな事をしおも構いたせんか、芪分」\n「いいよ、俺が匕受けるから、――それからいい加枛のずころで、火事だ、火事だっお呶鳎るんだ」\n「芪分、そんな事が――」\n「いいっおこずよ、人が集たったら俺があやたっおやるから」\n 手順がすっかり決りたした。\n 間もなくやっお来た按摩、䞀人者で薄県が芋えるようですが、恐ろしく感の悪い男で、あらゆる物に躓いお歩きたす。\n「こっちだよ、按摩さん」\n「ペペ、芪分さん、埡近所に䜏んでいながら、ろくに挚拶もいたしたせん、――今日はたた有難うございたした。私は、自分で蚀うのも倉ですが、たこずに按摩が䞋手で、――もっずもただ修業䞭でございたすが、お気に召すような事は出来たせん、ペペ」\n 五十前埌、俄按摩らしく、なるほど念入りの䞋手です。\n「お前さん、そんな䞍自由な県で、よく䞀人で居なさるんだね」\n「姪が時々手䌝いに来おくれたす。それに、冷飯に味噌を嘗めお暮すような身分で、倧した䞍自由もございたせん」\n 四方山話をしながら、それでも腰から足ぞず揉んでいるず、\n「火事だ、火事だッ」\n ガラッ八の声は隣から筒抜けたす。\n「按摩さん、お前さんのずころらしいよ」\n ず平次。\n「そ、それは倧倉ッ」\n 按摩は這い出したした。柱に鉢合せをしたり、土間に転げたり、自分の家たで行く隒ぎずいうものはありたせん。\n「按摩さん、火はもう消えたよ。お前さん火の甚心が悪いから、䞃茪の偎の枋団扇が燃え出したんだよ」\n ガラッ八は倖から入っお来たした。\n「ペ――、䞃茪の火なんかないはずですが」\n ず按摩。\n「私が飛蟌んで消しおやったよ」\n「有難うございたす」\n 按摩は面喰らっお垰っお行きたした。\n「芪分、ここの話は按摩の家の物干しに居るずよく聞えたすよ」\n「シッ」\n「それから、芪分」\n ず声をひそめるガラッ八。\n「解ったよ、按摩の家から、女が䞀人飛出したろう」\n「よく埡存じで」\n「その錠を远い出したかったんだ。それが出ないうちは蚌拠が揃わねえ」\n 平次は始めお晎れ晎れしい顔になりたした。\n\n九\n\n 䞭山半䞃郎殺しの疑いで、䞡囜の軜業小屋から、䞉茪の䞇䞃が曲毬の甚䞉郎を挙げたのは、その翌る日の昌頃でした。\n ず、同時に、車坂の桔梗屋からは、嚘のお藀が無事に垰っお来たずいう知らせが、䞉茪の䞇䞃ず銭圢の平次のずころぞありたした。\n「さア分らねえ」\n 八五郎は長い顎をしきりに撫で廻しおいるず、\n「八――、だいぶ前の事だが、花川戞の近江屋の嚘が、蜟の暩䞉ずいう銙具垫に誘拐され、幜霊の芋䞖物にされお殺されかけた事があったが、芚えおいるだろうな」(「幜霊にされた女」参照)\n 平次は劙な事を蚀い出したす。\n「あの時捕たった䞀味のうち、蜟の暩䞉ず人盞芋の芳盞院が牢砎りをしお逃出した」\n「............」\n「その芳盞院が、隣の按摩そっくりだずは思わないか」\n「あッ、県を぀ぶっおいたから気が付かなかった。なるほどそう蚀えば、あの野郎だ、しょっ匕いお来たしょうか」\n「埅お埅お、芳盞院は雑魚だ、それよりも倧物を瞛らせおやる」\n 平次がガラッ八を䌎れお車坂の桔梗屋ぞ行ったのはもう倕方。\n「芪分さん、嚘は戻っお参りたしたが、䜕を聞いおも口を噀んで䞀ず蚀も申したせん」\n 父芪の喜兵衛は狐に぀たたれたような顔をしおおりたす。\n「ちょいず逢っおみたいが――」\n 平次は奥ぞ通りたした。\n お藀は倧したや぀れもなく、母芪に䜕かず口説かれおおりたすが、矎しい顔を俯向けお田螺のごずく唇を閉じおいる様子です。\n 少し浮気っぜいにしおも、党く抜矀の矎しさ、䞋谷小町ず蚀われたのも決しお嘘ではありたせん。\n「お藀さん、――垰っお来なすったそうだね、たア、いい塩梅だ、今床は文句なしに、湯島の山厎屋ぞ嫁に行きなさるだろう?」\n「............」\n お藀はそう蚀われるず、サッず顔色を倉えお、激しく頭を振りたした。\n「八、垰ろうか」\n それっきり倖に出た平次。\n「垰るんですか、芪分」\n 物足りない八五郎の耳ぞ、\n「八、今晩は呜がけだよ」\n そっず囁くのでした。\n そこから湯島たで䞀ず走り、山厎屋の裏口ぞ八を立たせた平次は、\n「ここで芋匵っおいるがいい、誰でも構わないから飛出したら組み䌏せろ」\n そう蚀いおわるず平次は、静かに、萜着き払っお衚口から入っお行きたした。\n「今晩は」\n「おや、銭圢の芪分さん」\n 垳堎ぞ迎えた専助の顔には、䜕の蟠りもありたせん。\n「お藀は無事に垰りたしたよ」\n「ペ――、それはいい塩梅で」\n「そしお、䜕もかも打ち明けたぜ」\n「えッ」\n「埡甚ッ」\n 平次が飛びかかるのず、専助が算盀を取っお身構えるのず䞀緒でした。\n 恐ろしい栌闘が始たりたした。二人の手から互に投げ出される銭、銭、銭――。\n 平次も幟぀か顔ぞ叩き付けられたしたが、手緎の違いで、専助はずうずう力尜きお平次の膝の䞋に組䌏せられたす。\n その時、裏口ぞよがよがず逃出した物の圱のような怪しい男。\n「埡甚ッ」\n ガラッ八はやり過しおむずず組付きたした。\n\n *\n\n「芪分、解らねえこずばかりだ、絵解きをしおおくんなさい」\n 山厎屋の専助、専巊衛門芪子を番所に匕枡した垰り、ガラッ八は平次の浮かぬ顔を芗きたした。\n「父芪の専巊衛門は、蜟の暩䞉の成れの果さ。俺に捕たったのが砎滅で、䞀床は獄門台に䞊ろうずしたのを怚みに思い、倅の専助を仕蟌んで、あんな芝居を打ったんだよ」\n「専助は芪分に少しも䌌ないが」\n「それが術だ、平垞少しも䌌ない専助が、身扮から声たで俺に䌌るのは、修業のせいもあるが、専助は芪父の小屋で、物真䌌をしお客を呌んでいたこずがあるんだよ」\n「なア――る」\n「投げ銭もあれだけ噚甚になるには、骚を折っお皜叀した事だろう。お藀などにかかり合いが出来なきゃア、い぀たでも銭圢の平次が匷盗するず䞖間に思わせたかも知れない。危ない事だ。もう少しで俺も砎滅だったよ」\n「............」\n「お藀に迷っお、金の力で婿になる話を進めたのはよかったが、どたん堎になっおお藀が頭をふるので、お藀ず噂のあった人間を怚んだ。惣吉はそれで巊県をやられたのさ」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ツりランの駅から、瞊貫鉄道で、サむゎンぞ向ふ車䞭での、䞀぀の運呜が、ゆき子を、富岡ぞめぐりあはせたのであらうか。時速四二キロの盎通列車で、ゆき子は、自分䞀人だけ皆ず別れおしたふ淋しさを考ぞおゐた。篠原春子は陜気に歌぀たりしおゐた。その汜車に、やがお、ゆき子は富岡ず乗る事があらうなぞずは考ぞもしなか぀たのだ。あれはい぀だ぀たかしら、春だ぀たか、倏だ぀たか、季節の倉化のないずころなので、思ひ出のなかに月日の念が薄れおした぀おゐる。車䞭で、富岡が、ゆき子の手を握り、人目に぀かないかくしかたで、車窓に乗り出すやうなか぀かうで、走り去る疎林を指差し、あすこはベンベン、サオ、ダり、コンラむ、バンバラず教ぞおくれた。疎林は萜葉し、林床には野火の跡があり、線路近くたで延焌しお来おゐた。凄んだ林野も瞌に浮ぶ。そのなかを、時々、おそろしくこんもりした密林があり、棕梠竹や䞋草が密生しお、いはゆるゞャングルの状を瀺しおゐる凊もあ぀た。そのゞャングルのたはりを、パラず云ふ怰子の䞀皮が、巚倧な掌状葉を拡げおゐるのが、ゆき子には印象的だ぀た。\n あゝ、もう、あの景色のすべおは、暗い過去ぞ消えお行぀おした぀たのだ......。もう䞀床、呌び戻す事の出来ない、過去の冥府の底ぞかき消えおした぀たのだ。貧匱な生掻しか知らない日本人の自分にず぀おは、あの背景の豪華さは、䜕ずも玠晎しいものであ぀たのだ。ゆき子は、さうした背景の前で挔じられた、富岡ず、自分ずの恋のトラブルをな぀かしくしびれるやうな思ひで倢芋おゐる。悠々ずした景色のなかに、戊争ず云ふ倧芝居も含たれおゐた。その颚景のなかにレヌスのやうな淡さで、仏蘭西人はひそかにのんびりず暮しおゐたし、安南人は、倜になるず、坂の街を、ボン゜アず呌びあ぀おゐたものだ。ボン゜アの声が耳底から離れない。自然ず人間がたはむれない筈はないのだ。湖氎、教䌚堂、凄艶な緋寒桜、爆竹の音、むせるやうな高原の匂ひ、ゆき子は瞌に仏印の景芳を浮べ、郷愁にかられおゆくず、く぀く぀ずせぐりあげるやうに涙を流しおゐた。もう䞀床、あの堎所が恋しいのだ。こんな貧しい生き方は息苊しい。ダラットの生掻は、もう再びや぀おは来ないず思ふに぀け、富岡の皮膚の感觊がたたらなく恋しか぀た。莅沢さは矎しいものだず云ふ事も知぀た。ランビァン高原の仏蘭西人の䜏宅からもれる、人の声や音楜、色圩や匂ひが、高䟡な銙氎のやうに、くう぀ず、ゆき子の心を掠めた。林檎の唄や、雚のブルヌスのやうな貧匱な環境ではないのだ。のびのびずしお、歎史の流れにゆ぀くり腰をすゑおゐる民族の力匷さが、ゆき子には根深いものだず思ぞた。䜕も知らないずは云ぞ、教逊のない貧しい民族ほど戊争奜きなものはないやうに考ぞられる。歀の地球の䞊に、あのやうな楜園がちやんずある事を、日本人の誰もが知らないのであらう......。莅沢は敵だず云ふ、戊争䞭のスロヌガンを思ひ出したが、莅沢が敵であ぀おたたるものではないのだ。五月から十月ぞかけおの雚期をさけお、仏蘭西人がりくぞくずランビァンの高原の街ぞや぀お来た。あの生掻の゚ンゞョむの仕方が、終戊にな぀た珟圚では、も぀ず矎しく、も぀ず華々しく展開されおゐるに違ひない。サむゎンから二癟五十キロのランビァンの高原は、さながら油絵のやうに矎しか぀たものだ。ランビァンの玠晎しいホテルや、別荘䜏ひが出来ないものにも、河内近くのタムダオや、ビンや、ナベの高原に仏蘭西人はりくぞくずや぀お来おゐた。戊争の話なぞには䜕の興味もない、自分達の生掻を愉しんでゐたものである。ランビァンの野山は、仏蘭西人にず぀おは、絶奜の狩猟地でもあ぀た。ゆき子は、富岡ずの散歩で、よく狩猟家の自動車隊に行きあ぀たものであ぀た。\n 他人を芋る県のずげずげしさに蚓緎させられおゐる日本人の生掻の暗さが、ランビァンの楜園にゐる時は、䜕ずも䞍思議な人皮に芋えお、ゆき子は、生涯をランビァンに暮す぀もりで、日本の遠さを、心のうちではよその民族を芋るやうな思ひでもゐた。\n\n䞉十䞃\n\n 歎史は䞀貫しお、数かぎりもない人間を産んで行぀た。政治も幟床ずなく同じ事のくり返しであり、戊争も、䜕時たでも同じ事のくり返しで始たり、終る......。䜕が䜕だか悟りのないたゝに、人間は瀟䌚ず云ふ枠のなかで、犇きあ぀おは、生死をくり返しおゐる。\n\n 䜕時か、歳月は過ぎお、倏にな぀た。\n ゆき子は二月の終りに、䞀床静岡ぞ垰぀お、肉芪に逢぀たが、すぐたた䞊京しお来た。池袋の家も匕越しお、篠原春子の玹介で、高田銬堎の錻力屋のバラックの二階を借りた。ず぀ず富岡には逢はなか぀た。駅の近くで、電車の地響きが耳に぀くずころだ぀たが、敷金なしの、郚屋代が千円ず云ふのが気に入り、静岡から持぀お来た行李や蒲団を運びこんで、初めお人間らしい暮しに萜ち぀いたが、ゆき子はただ職業を持぀おはゐなか぀た。ゆき子は劊嚠しおゐた。富岡に䞉床ほど手玙を出したが、富岡からは、そのうち行くず云ふ返事が䞀回あ぀たきりで、その時、五千円の為替を送぀お来た。ゆき子は、郷里から持぀お来た衣類はほずんど売り尜しお、暮しにあおおゐたが、少しづ぀生掻が蟛くな぀お来た。躯の方は壮健だ぀たので、぀はりも案倖軜いものだ぀たが、ゆき子は、子䟛を産むべきかどうかを毎日思ひ悩んでゐた。ほしくもあ぀た。だが、このたゝ葬぀おしたひたい気もしお来る。ゆき子は颚呂ぞ行くか、買物に行く以倖は、䜕凊ぞも出ないで終日郚屋にこも぀おゐた。だが、歀のたゝで行けば、自分の生掻は远ひ詰められお来る事が刀぀おゐた。どうにもならなくな぀たら、䌊銙保の時の気持ちをや぀おのけるだけだず考ぞおはゐたが、さお、その時に、本圓にやれるものかどうかは䞍安である。䌊庭はちよくちよくや぀お来たが、昔の䞍矩理に就いおは、もう責めなくな぀おゐたし、歀の頃いゝ仕事でもみ぀けたのか、仲々立掟な服装をしおゐた。ゞョりずは去幎別れたきりである。ゞョりの思ひ出ず云ぞば、倧きな枕䞀぀にな぀おした぀た。ゞョりから貰぀たラゞオは静岡ぞ垰る時の旅費に売り払぀おした぀おゐた。\n 䌊庭は、ゆき子が劊嚠しおゐる事はただ知らなか぀た。ゆき子は産婆にも蚺お貰はないで、自分流にさらしで腹をき぀く締めあげおゐた。ゆき子は自分の肉䜓や生掻に察しお、これほど忍耐匷い自分を知぀た事はなか぀た。ひそかに、これでは䜕でも出来るやうな気がした。これほどの匷さが自分にあるずは思はなか぀た。加野に腕を切られた時にも、この忍耐があ぀たやうな気がした。自分の我慢匷さが、ゆき子には自分でも性根のしぶずい女だず思はれたが、この行き暮れた気持ちを、誰に打ちあけるず云ふすべもないのをよく知぀おゐたからでもある。\n 䞉日ばかり雚の続いた或る倕方、春子が尋ねお来た。䞞の内でタむピストに通぀おゐるず云ふ春子は、タむピストをしおゐるず云ふふれこみだけのもので、錻力屋のをばさんの話によるず、実際は春子はバヌぞ勀めを持぀おゐる様子だ぀た。道理で、わづかなサラリヌで働く女の服装にしおは、矎しすぎるず、ゆき子は春子に逢぀た時から睚んでゐたのだ。\n「ねえ、私達぀お、この戊争のおかげで、かすみたいな女にな぀ちや぀たわね......」\n 坐るなり、靎䞋をぬぎながら、春子はさう云぀お溜息を぀いた。春子にず぀おは、靎䞋が䞀番倧切なのであらう。土産に牛肉を癟匁買぀お来たず云぀お、竹の皮包みを出したので、ゆき子は、か぀たるい躯だ぀たが、すき焌の支床をした。雚の䞭を、垂堎たで葱を買ひに行぀たりした。春子が金を出したので、それでパンを買぀たり、砂糖を五十匁ばかり分けお貰぀たりしお垰るず、思ひがけなく䌊庭が尋ねお来おゐお、春子ず話しあ぀おゐた。\n 䌊庭は宗教に就いお、春子ず話しあ぀おゐた。䌊庭の口から、宗教の話なぞ聞くずは思はなか぀たので、ゆき子は劙な気がした。人間はすべお躓きの可胜性があるず云ふのである。人間は生れるずきから、䞋を芋お歩く動物に出来おゐお、い぀も、躓きかげんの軜重に就いお研究しおゐる動物だず䌊庭は説明した。䌊庭の金たはりのよさは、歀の頃新しくおこ぀た倧日向教ずかの䌚蚈事務に勀めを持぀やうにな぀た為である。\n「躓く人間は箒いお捚おるほどありたすからね。たづ、躓いお、初めお倩を眺め、神を祈る。私たちのや぀おゐる倧日向教ず云ふのは、ただ日も浅いのだが、かうした人間の躓きの足もずを照しおやる匷倧な日光の神様なのだから、聞き䌝ぞお、倧倉なお参りなンですがね。いたに、熱海の芳音教どころの勢力以䞊になるず思ふね......」\n「あら、ぢやア、私みたいに、躓き぀ぱなしず云ふ人間は、い぀たいどうなりたすの?」\n「そりやア、神様が起しお歩くやうにしおくれたすよ。ロマ曞の第十四章、二十䞉節にもあるずほり、凡お信仰によらぬ事は眪なりず語られおゐる通り、基督教だ぀おこんな刀りき぀た事を云぀おゐるのですから、たしお、日本の囜の倧日向教が、眪倚い人間の魂に喰ひ入぀おゆかない筈はないね。いた、田園調垃に本殿を造る敷地を求めおゐるンですがね......」\n「爟光尊みたいな宗教なの?」\n「いや、あのやうなものぢやないね。名士の他力は必芁ぢやないンだ。たゞ、私達は、倧日向の神様おひずりをお守りする、平凡階玚の守り人だけで、隆盛にや぀おみる぀もりですよ。名士を入れるず、途䞭で目立぀お、仕事がうたく運ばないおそれがあるンでね。かぞ぀お、さうした宣䌝は邪魔぀けになるンだ」\n「でも、神様぀お、本圓にあるものかしら......」\n「ありたすずも、あるから、人間は、神を信じるたでの迷ひが倚いンだね。第䞀、君、この神秘な人間の五䜓を芋おみるずいゝンだ。いくら科孊が発達したずころで、君、この人間が造れるものぢやないからね。神はある。たしかにある......」\n すき焌きの支床が出来た。䌊庭も肉鍋に手を出した。ゆき子は少しも食慟がない。生葱の癜いずころを奜んで食べた。春子は、ポケットりィスキヌを出しお、䌊庭にもすゝめた。䌊庭は女二人を前にしお、酒に酔぀お来るず、さかんに肉を぀ゝきながら、䞀床、二人でお参りに来おみおくれず云぀た。\n「昔は、䜕凊の村々町々にも寺があ぀おね、寺が庶民の寄りあひの堎所だ぀たが、寺も段々お葬ひ専門にな぀ちた぀たから、掻気がなくなり、仏教は暗いものず云぀た印象を受けるやうにな぀たからね......。そこぞ行くず、基督教぀おものは結婚匏も匕きうけるし、賑やかな宗教だよ。䜕も、癟貚店や料理屋ばかりで、䜕十組もの結婚匏を匕き受ける事はないやね。さうだらう? 倧日向教もその䌝でゆく぀もりだ。䜕事も賑やかな明朗な宗教が、躓いた人間に魅力があるもんだ。いたに倧日向教の本殿で結婚匏が始たるやうになる。葬匏は䞀切匕き受けない事にする。――東郜の䜕凊かの寺では、寅の日にお参りしお、寺で買぀た筆で垳面を぀けるず、金持ちになるず云ふ案を考ぞ出しお、それからぐうんずお参りもふぞたさうだが、考ぞ出した坊䞻は頭がいゝのさ。すべお陜気な明るいものでいかなくちやいけない。瞁結びなンおのは貧匱だね。すべお人にかくれおお参りをしなくちやならんず云ふやうな宗教は駄目だ。金たうけの宗教、人間の慟に目を぀けたものが、宗教も栄えるやうだね」\n 神は䜕凊かぞかくれお、神を利甚し、人間を利甚するテクニックに就いおの話に倉぀お来た。人間はすべお躓き、すべおが絶望の苊悩を持぀おゐるものであるず、䌊庭は云ふのである。どの人間も、絶望は長く、喜びは短い。その短い喜びは人間の五慟のなかの䞀皮の゚クスタアシむにもあたるもので、その喜びの短さをずらぞお、人間どもをそゝのかしおやる事が、今日の宗教の急務だず、䌊庭は説明した。愛慟の為に、男も女も金を䜿ふ。宗教の゚クスタアシむもそのこ぀を心埗おゐれば、宗教䜍金たうけの出来るものはないず云ふ商売通の説明にな぀た。" }, { "role": "assistant", "content": " 䌊庭は春子の手を取り、掌に耳を぀けた。\n「あなたは熱い手をしおゐる。人間の熱を蚈るには耳が、䞀番敏感なのだから、䜓枩蚈はいらないンだ。心の冷い人は、熱い手をしおゐる。手は人間の魂の゚ヌテルを発散するずころだから、あなたのやうに手の熱いのが本圓なンだ。手の冷い人間は䜓内に熱がこも぀お、䜕凊かに病気を持぀おゐる......」\n 䌊庭はい぀たでも春子の手を握り、もおあそび、離さうずはしない。\n「ずころが、いた、私は倱恋しお、盞圓たゐ぀おゐるのよ。占ひなさるの?」\n 䌊庭は倱恋したのだず聞くず、たた、春子の手を耳にあおお、自分の頬に抌し぀けるやうにしお、思ひをこらしおゐた。春子はくすくす笑ひながら、す぀ず䌊庭の耳から手を抜いた。\n「匥陀の本願には、老少善悪のひずをえらばれず、たゞ信心を芁ずするべし。その䞭ぞは、眪悪深重、煩悩熟盛の衆生をたすけんがための願ひにたしたす。ね、こんな颚なもンでね、信心は、願ふ心を信じなくちや䜕もならない。あんたみたいに、初めから、銬鹿にしおかゝ぀おゐるンではいけないね。銬鹿にしおるのなら、䞀床、自分が銬鹿にな぀お、倧日向教を信心しおみおくれなくちやいけない。いやしくも私もあなたにず぀おは異性ですよ。その異性の耳にあんたの手が觊れおゐるずころに、埮劙な神霊が䌝はるンだ。信心を芁ずすべしだね......」\n 䌊庭は、ポケットりィスキヌの半分䜍をあけおした぀お、ずろんずした県をしおゐた。\n\n䞉十八\n\n 二階は䞉畳ず四畳半で、䞉畳の方は、錻力屋の䞉人の子䟛の寝堎所であ぀た。四畳半にはひらきにな぀た半間の抌入れがあるだけで、壁はをが屑を抌し぀ぶしたやうなものが匵぀おあ぀た。出窓に䞃茪や配絊の炭を眮いお、そこで炊事をするやうにな぀おゐる。出窓の䞋は空地で、いた唐もろこしが繁぀おゐる。ゆき子はいよいよ生掻に困぀お来た。靎みがきでもしおみようかず思぀たが、地びたに坐぀おゐる仕事には、躯が耐ぞられないやうな気がした。二床ほど富岡に電報を打぀おみたが、富岡からは䜕の音沙汰もない。ゆき子は思ひ切぀お、五反田の以前の富岡の家ぞ尋ねお行぀おみたが、今では衚札も倉り、出お来た人は、五月に歀の家を買぀お匕越しお来たのだが、富岡さんのハガキがあるので、それを差䞊げようず云぀お、富岡のハガキをゆき子ぞくれた。匕越し先きは䞖田ヶ谷の䞉宿ず云ふずころにな぀おゐた。間借りでもしおゐるらしく、高瀬方ずな぀おゐた。\n ゆき子は思ひ切぀お、か぀たるい躯を抌しお、富岡の新䜏所ぞ尋ねお行぀おみた。思ひのほかの倧きな石門のある家で、昔は自動車でも持぀おゐたのか、石門のそばにガレヌヂがあ぀た。門をはい぀おベルを抌すず思ひがけなくあ぀ぱ぀ぱ姿のおせいが扉を開けお出お来た。ゆき子は、䞀瞬ぎよ぀ずしお息をのんだ。おせいも驚いたず芋えお、赧くな぀お「たア!」ず声を挙げた。\n「あら、あなた、東京に出お来おゐたの?」\n「えゝ......」\n「どうしお、こんなずころに?」\n「私の知りあひの家だものですから?」\n「富岡ゐたす?」\n「いた、留守なンですけど......」\n「嘘お぀しやいよ。劙なひずね......。党く、劙な事だわ。ぢやア、私富岡が戻぀お来るたで、富岡の郚屋で埅ちたせう......」\n おせいは黙぀おゐた。ゆき子は党身ががくがく震ぞる気がした。䜕を云぀おゐるのか、自分でもよく刀らなか぀た。\n「奥さたの方ぞお垰りにな぀おるんですよ。昚日いら぀したばかりだから、圓分いら぀しやらないンですけど......。奥さたおぐあひが悪いものですから......」\n「あら、さうなの、さうなら、なほいゝわ。私もぐあひが悪いのよ。富岡の郚屋であのひずが戻぀お来るたで、ゆ぀くり䌑息させお貰ひたすわ」\n おせいは困぀た様子だ぀た。おせいの埌の玄関を芋るず、幟䞖垯も䜏んでゐるらしく、子䟛のスクヌタアや、乳母車が入れおあ぀た。おせいはがんこにそこに突぀立぀お動かない。ゆき子もがんこに立぀おゐた。\n「玄関でもいゝわ。このお家の方に事情を話しお、私、埅たしお貰ふわよ」\n おせいは抵抗する力もなくな぀た様子で、黙぀おゆき子を二階ぞ案内しお行぀た。広い廊䞋の突き圓りの郚屋で、板の間敷にうすべりを敷いた八畳間で、壁ぎはに粗末なベッドがあり、小さい枕が二぀䞊んでゐる。壁にはおせいの玫めいせんの単衣や、シュミヌズや、富岡の济衣の寝巻がぶらさが぀おゐた。芳音開きのダむダガラスのはい぀た窓には赀い塗りの小さい姫鏡台が眮いおあ぀た。食卓や、小さい茶箪笥も新しいのが䞊んでゐる。ゆき子は䞀切が刀぀たものの胞のなかは煮えるやうな腹立たしさであ぀た。や぀ぱりこんな事だ぀たのだず思぀た。富岡は本圓にゐなか぀た。富岡のものらしいず云ぞば、男物の济衣だけである。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 日は懊惱ず困憊の裡に傟むいた。障子に映る時の圱が次第に遠くぞ立ち退くに぀れお、寺の空氣が床の䞋から冷え出した。颚は朝から枝を吹かなか぀た。瞁偎に出お、高い庇を仰ぐず、黒い瓊の小口䞈が揃぀お、長く䞀列に芋える倖に、穩かな空が、蒌い光をわが底の方に沈め぀ゝ、自分ず薄くな぀お行く所であ぀た。\n\n十九\n\n「危險う埡座いたす」ず云぀お宜道は䞀足先ぞ暗い石段を䞋りた。宗助はあずから續いた。町ず違぀お倜になるず足元が惡いので、宜道は提灯を點けお僅䞀䞁蚱の路を照らした。石段を䞋り切るず、倧きな暹の枝が巊右から二人の頭に蔜ひ被さる暣に空を遮぀た。闇だけれども蒌い葉の色が二人の着物の織目に染み蟌む皋に宗助を寒がらせた。提灯の灯にも其色が倚少映る感じがあ぀た。其提灯は䞀方に倧きな暹の幹を想像する所爲か、甚だ小さく芋えた。光の地面に屆く尺敞も僅であ぀た。照らされた郚分は明るい灰色の斷片ずな぀お暗い䞭にほ぀かり萜ちた。さうしお二人の圱が動くに䌎れお動いた。\n 蓮池を行き過ぎお、巊ぞ䞊る所は、倜はじめおの宗助に取぀お、少し足元が滑かに行かなか぀た。土の䞭に根を食぀おゐる石に、䞀二床䞋駄の臺を匕぀掛けた。蓮池の手前から暪に切れる裏路もあるが、歀方は凞凹が倚くお、慣れない宗助には近くおも䞍䟿だらうず云ふので、宜道はわざ〳〵廣い方を案内したのである。\n 玄關を入るず、暗い土間に䞋駄が倧分䞊んでゐた。宗助は曲んで、人の履物を螏たない暣にそ぀ず䞊ぞのが぀た。宀は八疊皋の廣さであ぀た。其壁際に列を䜜぀お、六䞃人の男が䞀偎に䞊んでゐた。䞭に頭を光らしお、黒い法衣を着た僧も亀぀おゐた。他のものは倧抂袎を穿いおゐた。歀六䞃人の男は䞊り口ず奧ぞ通ずる䞉尺の廊䞋口を殘しお、行儀よく鉀の手に䞊んでゐた。さうしお、䞀蚀も口を利かなか぀た。宗助は是等の人の顏を䞀目芋お、たづ其峻刻なのに氣を奪はれた。圌等は皆固く口を結んでゐた。事ありげな眉を匷く寄せおゐた。傍にどんな人がゐるか芋向きもしなか぀た。劂䜕なるものが倖から入぀お䟆おも、党く泚意しなか぀た。圌等は掻きた圫刻の暣に己れを持しお、火の氣のない宀に肅然ず坐぀おゐた。宗助の感芺には、山寺の寒さ以䞊に、䞀皮嚎かな氣が加は぀た。\n やがお寂寞の䞭に、人の足音が聞えた。初は埮かに響いたが、次第に匷く床を螏んで、宗助の坐぀おゐる方ぞ近付いお䟆た。仕舞に䞀人の僧が廊䞋口からぬ぀ず珟れた。さうしお宗助の傍を通぀お、默぀お倖の暗がりぞ拔けお行぀た。するず遠くの奧の方で鈎を振る音がした。\n 歀時宗助ず䞊んで嚎肅に控えおゐた男のうちで、小倉の袎を着けた䞀人が、矢匵無蚀の儘立ち䞊が぀お、宀の隅の廊䞋口の眞正面ぞ䟆お着座した。其所には高さ二尺幅䞀尺皋の朚の枠の䞭に、銅鑌の暣な圢をした、銅鑌よりも、ず぀ず重くお厚さうなものが懞぀おゐた。色は蒌黒く貧しい灯に照らされおゐた。袎を着けた男は、臺の䞊にある撞朚を取り䞊げお、銅鑌に䌌た鐘の眞䞭を二぀皋打ち鳎らした。さうしお、぀いず立぀お、廊䞋口を出お、奧の方ぞ進んで行぀た。今床は前ず反對に、足音が段々遠くの方ぞ去るに埞぀お、埮かにな぀た。さうしお䞀番仕舞にぎたりず䜕處かで留た぀た。宗助は坐ながら、は぀ずした。圌は歀袎を着けた男の身の䞊に、今䜕事が起り぀ゝあるだらうかを想像したのである。けれども奧はしんずしお靜たり返぀おゐた。宗助ず䞊んでゐるものも、䞀人ずしお顏の筋肉を動かすものはなか぀た。たゞ宗助は心の䞭で、奧からの䜕物かを埅ち受けた。するず応然ずしお鈎を振る響が圌の耳に應ぞた。同時に長い廊䞋を螏んで、歀方ぞ近付く足音がした。袎を着けた男は又廊䞋口から珟はれお、無蚀の儘玄關を䞋りお、霜の裡に消え去぀た。入れ代぀お又新らしい男が立぀お、最前の鐘を打぀た。さうしお、又廊䞋を螏み鳎らしお奧の方ぞ行぀た。宗助は沈默の間に行はれる歀順序を芋ながら、膝に手を茉せお、自分の番の䟆るのを埅぀おゐた。\n 自分より䞀人眮いお前の男が立぀お行぀た時は、良暫くしおから、わ぀ず云ふ倧きな聲が、奧の方で聞えた。其聲は距離が遠いので、劇しく宗助の錓膜を打぀皋、匷くは響かなか぀たけれども、たしかに粟䞀杯嚁を振぀たものであ぀た。さうしお只䞀人の咜喉から出た個人の特色を垶びおゐた。自分のすぐ前の人が立぀た時は、愈わが番が回぀お䟆たず云ふ意識に制せられお、䞀局萜付を倱぀た。\n 宗助は歀間の公案に對しお、自分䞈の解答は準備しおゐた。けれども、それは甚だ芺束ない薄手のものに過ぎなか぀た。宀䞭に入る以䞊は、䜕か芋解を呈しない譯に行かないので、已を埗ず玍たらない所を、わざず玍た぀た暣に取繕぀た、其堎限りの挚拶であ぀た。圌は歀心现い解答で、僥倖にも難關を通過しお芋たい抔ずは、倢にも思ひ蚭けなか぀た。老垫を胡麻化す氣は無論なか぀た。其時の宗助はもう少し眞面目であ぀たのである。單に頭から割り出した、恰も畫にかいた造の暣な代物を持぀お、矩理にも宀䞭に入らなければならない自分の空虚な事を耻ぢたのである。\n 宗助は人のする劂くに鐘を打぀た。しかも打ちながら、自分は人䞊に歀鐘を撞朚で敲くべき權胜がないのを知぀おゐた。それを人䞊に鳎らしお芋る猿の劂き己れを深く嫌忌した。\n 圌は匱味のある自分に恐れを抱き぀ゝ、入口を出お冷たい廊䞋ぞ足を螏み出した。廊䞋は長く續いた。右偎にある宀は悉く暗か぀た。角を二぀折れ曲るず、向の倖れの障子に灯圱が差した。宗助は其敷居際ぞ䟆お留た぀た。\n 宀䞭に入るものは老垫に向぀お䞉拜するのが犮であ぀た。拜しかたは普通の挚拶の暣に頭を疊に近く䞋げるず同時に、兩手の掌を䞊向に開いお、倫を頭の巊右に䞊べたたゝ、少し物を抱ぞた心持に耳の邊迄䞊げるのである。宗助は敷居際に跪づいお圢の劂く拜を行な぀た。するず座敷の䞭で、\n「䞀拜で宜しい」ず云ふ會釋があ぀た。宗助はあずを略しお䞭ぞ入぀た。\n 宀の䞭はたゞ薄暗い灯に照らされおゐた。其匱い光は、劂䜕に倧字な曞物をも披芋せしめぬ皋床のものであ぀た。宗助は今日迄の經驗に蚎ぞお、これ䜍埮かな燈火に、倜を營なむ人間を憶ひ起す事が出䟆なか぀た。其光は無論月よりも匷か぀た。䞔月の劂く蒌癜い色ではなか぀た。けれどももう少しで朊朧の境に沈むべき性質のものであ぀た。\n 歀靜かな刀然しない燈火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道の所謂老垫なるものを認めた。圌の顏は䟋によ぀お鑄物の暣に動かなか぀た。色は銅であ぀た。圌は党身に柁に䌌た柿に䌌た茶に䌌た色の法衣を纏぀おゐた。足も手も芋えなか぀た。たゞ頞から䞊が芋えた。其頞から䞊が、嚎肅ず緊匵の極床に安んじお、䜕時迄經぀おも變る恐を有せざる劂くに人を魅した。さうしお頭には䞀本の毛もなか぀た。\n 歀面前に氣力なく坐぀た宗助の、口にした蚀葉はたゞ䞀句で盡きた。\n「も぀ず、ぎろりずした所を持぀お䟆なければ駄目だ」ず応ち云はれた。「其䜍な事は少し孞問をしたものなら誰でも云ぞる」\n 宗助は喪家の犬の劂く宀䞭を退いた。埌に鈎を振る音が烈しく響いた。\n\n二十\n\n 障子の倖で野䞭さん、野䞭さんず呌ぶ聲が二床皋聞えた。宗助は半睡の裡にはいず應ぞた積であ぀たが、返事を仕切らない先に、早く知芺を倱぀お、又正體なく寐入぀おした぀た。\n 二床目に県が芺めた時、圌は驚ろいお飛び起きた。瞁偎ぞ出るず、宜道が錠朚綿の着物に襷を掛けお、甲斐々々しく其所いらを拭いおゐた。赀く凍んだ手で、濡雜巟を絞りながら、䟋の劂く柔和しいにこやかな顏をしお、" }, { "role": "assistant", "content": "「埡早う」ず挚拶した。圌は今朝も亊ずくに參犪を濟たした埌、斯うしお庵に歞぀お働いおゐたのである。宗助はわざ〳〵呌び起されおも起き埗なか぀た自分の怠慢を省みお、党く極の惡い思をした。\n「今朝も぀い寐忘れお倱犮したした」\n 圌はこそ〳〵勝手口から井戞端の方ぞ出た。さうしお冷たい氎を汲んで出䟆る䞈早く顏を掗぀た。延び掛か぀た髯が、頬の邊で手を刺す暣にざら〳〵したが、今の宗助にはそれを苊にする皋の逘裕はなか぀た。圌はしきりに宜道ず自分ずを對照しお考ぞた。\n 玹介状を貰ふずきに東京で聞いた所によるず、歀宜道ずいふ坊さんは、倧變性質の可い男で、今では修業も倧分出䟆䞊が぀おゐるず云ふ話だ぀たが、會぀お芋るず、䞞で䞀䞁字もない小廝の暣に䞁寧であ぀た。かうしお襷掛で働いおゐる所を芋るず、䜕うしおも䞀個の獚立した庵の䞻人らしくはなか぀た。玍所ずも小坊䞻ずも云ぞた。\n 歀矮小な若僧は、ただ出家をしない前、たゞの俗人ずしお歀所ぞ修業に䟆た時、䞃日の間結跏したぎり少しも動かなか぀たのである。仕舞には足が痛んで腰が立たなくな぀お、厠ぞ䞊る折などは、や぀ずの事壁傳ひに身體を運んだのである。其時分の圌は圫刻家であ぀た。芋性した日に、嬉しさの逘り、裏の山ぞ銳け䞊぀お、草朚國土悉皆成䜛ず倧きな聲を出しお叫んだ。さうしお遂に頭を剃぀おした぀た。\n 歀庵を預かる暣にな぀おから、もう二幎になるが、ただ本匏に床を延べお、暂に足を延ばしお寐た事はないず云぀た。冬でも着物の儘壁に倚れお坐睡する䞈だず云぀た。䟍者をしおゐた頃などは、老垫の犢錻而迄掗はせられたず云぀た。其䞊少しの暇を偞んで坐りでもするず、埌から䟆お意地の惡い邪魔をされる、毒吐かれる、頭の剃り立おには䜕の因果で坊䞻にな぀たかず悔む事が倚か぀たず云぀た。\n「挞く歀頃にな぀お少し暂になりたした。しかし未だ先が埡座いたす。修業は寊際苊しいものです。さう容易に出䟆るものなら、いくら私共が銬鹿だ぀お、斯うしお十幎も二十幎も苊しむ譯が埡座いたせん」\n 宗助はたゞ惘然ずした。自己の根氣ず粟力の足らない事を霒掻く思ふ䞊に、倫皋歳月を掛けなければ成就出䟆ないものなら、自分は䜕しに歀山の䞭迄遣぀お䟆たか、それからが第䞀の矛盟であ぀た。\n「決しお損になる氣遣は埡座いたせん。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の埳があるのは無論です。其䞊最初を䞀぀奇麗に打ち拔いお眮けば、あずは斯う云ふ颚に始終歀所に埡出にならないでも濟みたすから」\n 宗助は矩理にも亊自分の宀ぞ歞぀お坐らなければならなか぀た。\n 斯んな時に宜道が䟆お、\n「野䞭さん提唱です」ず誘぀お呉れるず、宗助は心から嬉しい氣がした。圌は犿頭を捕たぞる暣な手の着け所のない難題に惱たされお、坐ながら凝ず煩悶するのを、劂䜕にも切なく思぀た。どんなに粟力を消耗する仕事でも可いから、もう少し積極的に身體を働らかしたく思぀た。\n 提唱のある堎所は、矢匵り䞀窓庵から䞀町も隔぀おゐた。蓮池の前を通り越しお、それを巊ぞ曲らずに眞盎に突き當るず、屋根瓊を嚎めしく重ねた高い軒が、束の間に仰がれた。宜道は懷に黒い衚玙の本を入れおゐた。宗助は無論手ぶらであ぀た。提唱ず云ふのが、孞校でいふ講矩の意味である事さぞ、歀所ぞ䟆お始めお知぀た。\n 宀は高い倩井に比䟋しお廣く䞔぀寒か぀た。色の變぀た疊の色が叀い柱ず映り合぀お、昔を物語る暣に寂び果おゝゐた。其所に坐぀おゐる人々も皆地味に芋えた。垭次䞍同に思ひ々々の座を占めおはゐるが、高聲に語るもの、笑ふものは䞀人もなか぀た。僧は皆玺麻の法衣を着お、正面の曲圔の巊右に列を䜜぀お向ひ合せに䞊んだ。其曲圔は朱で塗぀おあ぀た。\n やがお老垫が珟はれた。疊を芋詰めおゐた宗助には、圌が䜕處を通぀お、䜕處から歀所ぞ出たか薩匵分らなか぀た。たゞ圌の萜ち付き拂぀お曲圔に倚る重々しい姿を芋た。䞀人の若い僧が立ちながら、玫の袱玗を解いお、䞭から取り出した曞物を、恭しく卓䞊に眮く所を芋た。又其犮拜しお退ぞく態を芋た。\n 歀時堂䞊の僧は䞀霊に合掌しお、倢窓國垫の遺誡を誊し始めた。思ひ〳〵に垭を取぀た宗助の前埌にゐる居士も皆同音に調子を合せた。聞いおゐるず、經文の暣な、普通の蚀葉の暣な、䞀皮の節を垶びた文字であ぀た。「我に䞉等の匟子あり。所謂猛烈にしお諞瞁を攟䞋し、專䞀に己事を究明する之を䞊等ず名づく。修業玔ならず駁雜孞を奜む、之を䞭等ず云ふ」云々ずいふ、逘り長くはないものであ぀た。宗助は始め倢窓國垫の䜕人なるかを知らなか぀た。宜道から歀倢窓國垫ず倧燈國垫ずは、犪門䞭興の祖であるず云ふ事を教は぀たのである。平生跛で充分に足を組む事が出䟆ないのを憀぀お、死ぬ間際に、今日こそ己の意の劂くにしお芋せるず云ひながら、惡い方の足を無理に折぀ぺしよ぀お、結跏したため、血が流れお法衣を煑染たしたずいふ倧燈國垫の話も其折宜道から聞いた。\n やがお提唱が始た぀た。宜道は懷から䟋の曞物を出しお頁を半ば擊らしお宗助の前ぞ眮いた。それは宗門無盡燈論ず云ふ曞物であ぀た。始めお聞きに出た時、宜道は、\n「難有い結構な本です」ず宗助に教ぞお呉れた。癜隱和尚の匟子の東嶺和尚ずかいふ人の線茯したもので、重に犪を修行するものが、淺い所から深い所ぞ進んで行く埑路やら、それに䌎なふ心境の變化やらを秩序立おゝ曞いたものらしか぀た。\n 䞭途から顏を出した宗助には、胜くも解せなか぀たけれども、講者は胜蟯の方で、默぀お聞いおゐるうちに、倧變面癜い所があ぀た。其䞊參犪の士を錓舞する爲か、叀䟆から斯道に苊しんだ人の閲歎譚抔を取り亀ぜお䞀段の粟圩を着けるのが䟋であ぀た。歀日も其通りであ぀たが或所ぞ䟆るず、突然語調を改めお、\n「歀頃宀䞭に䟆぀お、䜕うも劄想が起぀お䞍可ない抔ず蚎ぞるものがあるが」ず急に入宀者の䞍熱心を戒しめ出したので、宗助は芺えずぎくりずした。宀䞭に入぀お、其蚎をなしたものは寊に圌自身であ぀た。\n 䞀時間の埌宜道ず宗助は袖を぀らねお又䞀窓庵に歞぀た。其歞り路に宜道は、\n「あゝしお提唱のある時に、よく參犪者の䞍心埗を諷せられたす」ず云぀た。宗助は䜕も答ぞなか぀た。\n\n二十䞀\n\n 其内、山の䞭の日は、䞀日々々ず經぀た。埡米からは可なり長い手玙がもう二本䟆た。尀も二本ずも新たに宗助の心を亂す暣な心配事は曞いおなか぀た。宗助は垞の现君思ひに䌌ず遂に返事を出すのを怠぀た。圌は山を出る前に、䜕ずか歀間の問題に片を付けなければ、折角䟆た甲斐がない暣な、又宜道に對しお濟たない暣な氣がしおゐた。県が芺めおゐる時は、之がために名状し難い䞀皮の壓迫を受け぀ゞけに受けた。埞぀お日が暮れお倜が明けお、寺で芋る倪陜の敞が重なるに぀けお、恰も埌から远ひ掛けられでもする劂く氣を焊぀た。けれども圌は最初の解決より倖に、䞀歩も歀問題にちかづく術を知らなか぀た。圌は又いくら考ぞおも歀最初の解決は確なものであるず信じおゐた。たゞ理窟から割り出したのだから、腹の足には䞀向ならなか぀た。圌は歀確なものを攟り出しお、曎に又確なものを求めやうずした。けれども巊暣ものは少しも出お䟆なか぀た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " それに続いお倧姫君の歎く気配がした。心苊しくお、薫は自身すらも恥ずかしくなっお、\n「人生ずいうものは、䜕も皆思いどおりにいくものではありたせんからね。そんなこずには少しも経隓をお持ちにならないあなたがたにずっおは、恚めしくばかりお思われになるこずもあるでしょうが、たあしいおもそれを静めお時をお埅ちなさい。決しおこのたた悪くなっおいく埡瞁ではないず私は信じおいたす」\n などず蚀いながらも、自身のこずでなく他の人の恋でこの匁明はしおいるのであるず思うず、奇劙な気がしないでもなかった。倜になるずきたっお苊しくなる病状であったから、他人が病宀の近くに来おいるこずは䞭の君が迷惑するこずず思っお、やはりい぀もの客宀のほうぞ寝床をし぀らえお人々が案内を申し出るのであったが、\n「始終気がかりでならなく思われる方が、たしおこんなふうにお悪くなっおおいでになるのを聞くず、すぐにも䞊がった私を、病宀からお遠ざけになるのは無意味ですよ。こんな堎合のお䞖話なんぞも、私以倖のだれが行き届いおできたすか」\n などず、老女の匁に語っお、始めさせる祈祷に぀いおの蚈らいも薫はした。そんなこずは恥ずかしい、死にたいずさえ思うほどの無䟡倀な自分ではないかず倧姫君は聞いおいお思うのであったが、奜意を持っおくれる人に察しお、思いやりのないように思われるのも苊しくお、たあ生きおいおもよいずいう気になったずいう、こんな、優しい感情もある女王なのであった。\n 次の朝になっお、薫のほうから、\n「少し埡気分はおよろしいようですか。せめお昚日ほどにでもしおお話がしたい」\n ず、蚀っおやるず、\n「次第に悪くなっおいくのでしょうか、今日はたいぞん苊しゅうございたす。それではこちらぞ」\n ずいう挚拶があった。䞭玍蚀は哀れにそれを聞いお、どんなふうに苊しいのであろうず思い、以前よりも芪しみを芋せられるのも悪くなっおいく前兆ではあるたいかず胞隒ぎがし、近く寄っお行きいろいろな話をした。\n「今私は苊しくおお返蟞ができたせん。少しよくなりたしたらねえ」\n こうかすかな声で蚀う哀れな恋人が心苊しくお、薫は歎息をしおいた。さすがにこうしおずっず今日もいるこずはできない人であったから、気がかりにしながらも垰京をしようずしお、\n「こういう所ではお病気の際などに䞍䟿でしかたがない。家を倉えおみる療法に蚗しおしかるべき所ぞ私はお移ししようず思う」\n などず蚀い眮き、埡寺の阿闍梚にも熱心に祈祷をするように告げさせお山荘を出た。\n 薫の埓者でたびたびの蚪問に぀いお来た男で山荘の若い女房ず情人関係になった者があった。二人の䞭の話に、兵郚卿の宮には監芖がきびしく付き、倖出を犁じられおおいでになるこずを蚀い、\n「巊倧臣のお嬢さんず埡結婚をおさせになるこずになっおいるのだが、倧臣のほうでは幎来の志望が達せられるので二぀返蟞ずいうものなのだから、この幎内に実珟されるこずだろう。宮はその話に気がお進みにならないで、埡所の䞭で攟瞊な生掻をしお楜しんでおいでになるから、お䞊や䞭宮様の埡凊眮も圓を埗なかったわけになるのだね。自家の殿様は決しおそんなのじゃない、あたりたじめ過ぎる点で皆が困っおいるほどなのだ。ここぞこうたびたびおいでになるこずだけが驚くべき埡執心を䞀人の方に持っおおられるず蚀っおだれも感心しおいるこずだ」\n ずも蚀った。こんな話を聞きたしたず、その女が他の女房たちの䞭で語っおいるのを䞭の君は聞いお、ふさがり続けた胞がたたその䞊にもふさがっお、もういよいよ自分から離れおおしたいになる方ず解釈しなければならない、りっぱな倫人をお埗になるたでの仮の恋を自分ぞ運んでおいでになったにすぎなかったのであろう、さすがに䞭玍蚀などぞのはばかりで手玙だけは今でも情のあるようなこずを曞いおおよこしになるのであろうず考えられるのであったが、恚めしいず人の思うよりも、恥ずかしい自身の眮き堎がない気がしお、しおれお暪になっおいた。病女王はそれが耳にはいった時から、いっそうこの䞖に長くいたいずは思われなくなった。぀たらぬ女たちではあるが、その人たちもどんなにこの始末を嘲笑しお思っおいるかもしれぬず思われる苊しさから、聞こえぬふうをしお寝おいるのであった。䞭の君は物思いをする人の姿態ずいわれる肱を枕にしたうたた寝をしおいるのであるが、その姿が可憐で、髪が肩の暪にたたっおいるずころなどの矎しいのを、病女王はながめながら、芪のいさめ(たらちねの芪のいさめしうたた寝云々)の蚀葉ずいうものがかえすがえす思い出されお悲しくなり、あの䞖の䞭でも眪の深い人の堕ちる所ぞ父君は行っおおいでにはなるたい、たずえどこにもせよおいでになる所ぞ自分を迎えおほしい、こんなに悲しい思いばかりを芋おいる自分たちを捚おおお眮きになっお、父君は倢にさえも珟われおきおはくださらないではないかず思い続けお、倕方の空の色がすごくなり、時雚が降り、朚立ちの䞋を吹き払う颚の音を寂しく聞きながら、過去のこず、のちの日のこずをはかなんで病床にいる姿には、たたもない品よさが備わり、癜の衣服を着お、頭は梳くこずもしないでいるのであるが、も぀れたずころもなくきれいに筋がそろったたた暪に投げやりになっおいる髪の色に少し青みのできたのも艶な趣を添えたず芋える。目぀き額぀きの矎しさはすぐれた女の顔ずいうもののよくわかる人に芋せたいようであった。うたた寝しおいたほうの女王は、荒い颚の音に驚かされお起き䞊がった。山吹の色、淡玫などの明るい取り合わせの着物は着おいたが顔はたたこずさらに矎しく、染めたように矎しく、花々ずした色で、物思いなどは少しも知らぬずいうようにも芋えた。\n「お父様を倢に芋たのですよ。物思わしそうにしお、ちょうどこの蟺の所においでになりたしたわ」\n ず蚀うのを聞いお病女王の心はいっそう悲しくなった。\n「お亡れになっおから、どうかしお倢の䞭ででもお逢いしたいず私はい぀も思っおいるのに少しも出おおいでにならないのですよ」\n ず蚀ったあずで、二人は非垞に泣いた。このごろは明け暮れ自分が思っおいるのであるから、ふず出おおいでになるこずもあったのであろう、どうしおも父君のおそばぞ行きたい、人の劻にもならず、子なども持たない枅い身を持っおあの䞖ぞ行きたい、ず倧姫君は来䞖のこずたでも考えおいた。支那の昔にあったずいう反魂銙も、恋しい父君のためにほしいずあこがれおいた。暗くなっおしたったころに兵郚卿の宮のお䜿いが来た。こうした䞀瞬間は二女王の物思いも䌑んだはずである。䞭の君はすぐに読もうずもしなかった。\n「やっぱりおずなしくおおような態床を芋せおお返事を曞いおおあげなさい。私がこのたた亡くなれば、今以䞊にあなたは心现い境遇になっお、どんな人の媒介圹を女房が勀めようずするかもしれないのですからね。私はそれが気がかりで、心の残る気もしたすよ。でもこの方が時々でも手玙を送っおおいでになるくらいの関心をあなたに持っおいらっしゃる間は、そんな無茶なこずをしようずする女もなかろうず思うず、恚めしいながらもなお頌みにされたすよ」\n ず姫君が蚀うず、\n「先に死ぬこずなどをお思いになるのはひどいお姉様。悲しいではありたせんか」\n 䞭の君はこう蚀っお、いよいよ倜着の䞭ぞ深く顔を隠しおしたった。\n「自分の呜が自分の思うたたにはならないのですからね。私はあの時すぐにお父様のあずを远っお行きたかったのだけれど、ただこうしお生きおいるのですからね。明日はもう自分ず関係のない人生になるかもしれないのに、やはりあずのこずで心を苊しめおいたすのも、だれのために私が尜くしたいず思うからでしょう」\n ず倧姫君は灯を近くぞ寄せさせお宮のお手玙を読んだ。い぀ものようにこたやかな心が曞かれ、\n\n\nながむるは同じ雲井をいかなればおが぀かなさを添ふる時雚ぞ\n\n\n ずある。袖を涙で濡らすずいうようなこずがあの方にあるのであろうか、男のだれもが蚀う蚀葉ではないかず芋ながらも怚めしさはたさっおいくばかりであった。\n 䞖にもたれな矎男でいらせられる方が、より倚く人に愛されようず艶に䜜っおおいでになるお姿に、若い心の惹かれおいぬわけはない。隔たる日の遠くなればなるほど恋しく宮をお思いするのは䞭の君であっお、あれほどに、あれほどな誓蚀たでしおおいでになったのであるから、どんなこずがあっおもこのたたよその人になっおおしたいになるこずはあるたいず思いかえす心が垞に暪にあった。お返事を今倜のうちにお届けせねばならぬず䜿いが急がし立おるために、女房が促すのに負けお、ただ䞀蚀だけを䞭の君は曞いた。" }, { "role": "assistant", "content": "\n\nあられ降る深山の里は朝倕にながむる空もかきくらし぀぀\n\n\n それは十月の䞉十日のこずであった。\n 逢わぬ日が䞀月以䞊になるではないかず、宮は自責を感じおおいでになりながら、今倜こそ今倜こそず期しおおいでになっおも、障りが次から次ぞず倚くおお出かけになるこずができないうちに、今幎の五節は十䞀月にはいっおすぐになり、埡所蟺の空気ははなやかなものになっお、それに匕かれおおいでになるずいうのでもなく、わざわざ宇治をお蚪ねになろうずしないのでもなく、日が玛れおたっおいく。\n この間を宇治のほうではどんなに埅ち遠に思ったかしれない。かりそめの情人をお䜜りになっおもそんなこずで慰められおおいでになるわけではなく、宮の恋しく思召す人はただ䞀人の䞭の君であった。巊倧臣家の姫君ずの瞁組みに぀いお、䞭宮も今では埡譲歩をあそばしお、\n「あなたにずっお匷倧な埌揎者を結婚で埗おお眮きになった䞊で、そのほかに愛しおいる人があるなら、お迎えになっお重々しく倫人の䞀人ずしおお扱いになればよろしいではないか」\n ず仰せられるようになったが、\n「もうしばらくお埅ちください。私に考えがあるのですから」\n ずなおいなみ続けおおいでになる兵郚卿の宮であった。かりそめの恋人は䜜っおも、勢いのある正劻などを持っおあの人に苊しい思いはさせたくないず宮の思っおおいでになるこずなどは、宇治ぞわからぬこずであったから、月日に添えお物思いが加わるばかりである。\n 薫も宮を自分の芳察しおいたよりも軜薄なお心であった、䞖間で芋おいるような方ではないずお信じ申しおいお、宇治の女王たちぞ取りなしおいたのが恥ずかしくなり、女のほうを心からかわいそうに思っお、あたり宮ぞ近づいおたいらないようになった。そしお山荘のほうぞは病む女王の容䜓を聞きにやるこずを怠らなかった。\n 十䞀月になっお少しよいずいう報告を薫は埗おいお、それがちょうど公私の甚の繁倚な時であったため、五、六日芋舞いの䜿いを出さずにいたこずを急に思い出しお、ただいろいろな甚のあったのも捚おおおいお自身で出かけお行った。祈祷は恢埩するたでずこの人から呜じおあったのであったのに、少し快いようになったからずいっお阿闍梚も寺ぞ垰しおあった。それで山荘のうちはいっそう寂寞たるものになっおいた。䟋の匁が出お来お病女王のこずを報告した。\n「どこがお痛いずいうずころもございたせんような、埡倧病ずは思えぬ埡容䜓でおありになりながら、物を少しも召し䞊がらないのでございたすよ。だいたい埡䜓質が繊匱でいらっしゃいたすずころぞ、兵郚卿の宮様のこずが起こっおたいりたしおからは、ひどく物思いをばかりなさいたす方におなりになりたしお、ちょっずしたお菓子をさえも召し䞊がろうずはなさらなかったおせいでございたすよ、埡衰匱がひどうございたしおね、頌み少ないふうになっおおしたいになりたした。私は情けない長呜をいたしたしお、悲しい目にあいたすより前に死にたいず念じおいるのでございたす」\n ず蚀い終えるこずもできぬように泣くのが道理に思われた。\n「なぜそれをどなたもどなたも私ぞ知らせおくださらなかったのですか。冷泉院のほうにも埡所のほうにもむやみに埡甚の倚い幟日だったものですから、私のほうの䜿いも出しかねおいた間に、ずいぶん埡心配しおいたのです」\n ず蚀っお、この前の病宀にすぐ隣った所ぞはいっお行った。枕に近い所に坐しお薫はものを蚀うのであったが、声もなくなったようで姫君の返蟞を聞くこずができない。\n「こんなに重くおなりになるたで、どなたもおしらせくださらなかったのが恚めしい。私がどんなに埡心配しおいるかが、皆さんに通じなかったのですか」\n ず蚀い、たず埡寺の阿闍梚、それから祈祷に効隓のあるず蚀われる僧たちを皆山荘ぞ薫は招いた。祈祷ず読経を翌日から始めさせお、手぀だいの殿䞊圹人、自家の䟍たちが倚く呌び寄せられ、䞊䞋の人が集たっお来たので、前日たでの心现げな山荘の光景は跡もなく、頌もしく芋られる家ずなった。日が暮れるず䟋の客宀ぞ垭を移すこずを女房たちは望み、湯挬けなどのもおなしをしようずしたのであるが、来るこずのおくれた自分は、今はせめお近い所にいお看病がしたいず薫は蚀い、南の瞁付きの宀は僧の宀になっおいたから、東偎の郚屋で、それよりも病床に密接しおいる所に屏颚などを立おさせおはいった。これを䞭の君は迷惑に思ったのであるが、薫ず姫君ずの間柄に友情以䞊のものが結ばれおいるこずず信じおいる女房たちは、他人ずしおは扱わないのであった。\n 初倜から始めさせた法華経を続けお読たせおいた。尊い声を持った僧の十二人のそれを勀めおいるのが感じよく思われた。灯は僧たちのいる南の宀にあっお、内偎の暗くなっおいる病宀ぞ薫はすべり入るようにしお行っお、病んだ恋人を芋た。老いた女房の二、䞉人が付いおいた。䞭の君はそっず物蔭ぞ隠れおしたったのであったから、ただ䞀人床䞊に暪たわっおいる総角の病女王のそばぞ寄っお薫は、\n「どうしおあなたは声だけでも聞かせおくださらないのですか」\n ず蚀っお、手を取った。\n「心ではあなたのおいでになったこずがわかっおいながら、ものを蚀うのが苊しいものですから倱瀌いたしたした。しばらくおいでにならないものですから、もうお目にかかれないたたで死んで行くのかず思っおいたした」\n 息よりも䜎い声で病者はこう蚀った。\n「あなたにさえ埅たれるほど長く出お来たせんでしたね、私は」\n しゃくり䞊げお薫は泣いた。この人の頬に觊れる髪の毛が熱で少し熱くなっおいた。\n「あなたはなんずいう眪な性栌を持っおおいでになっお、人をお悲したせになったのでしょう。その最埌にこんな病気におなりになった」\n 耳に口を抌し圓おおいろいろず薫が蚀うず、姫君はうるさくも恥ずかしくも思っお、袖で顔をふさいでしたった。平生よりもなおなよなよずした姿になっお暪たわっおいるのを芋ながら、この人を死なせたらどんな気持ちがするであろうず胞も抌し぀ぶされたように薫はなっおいた。\n「毎日の埡介抱が、埡心配ずいっしょになっおたいぞんだったでしょう。今倜だけでもゆっくりずお䌑みなさい。私がお付きしおいたすから」\n 芋えぬ蔭にいる䞭の君に薫がこう蚀うず、䞍安心には思いながらも、䜕か盎接に話したいこずがあるのであろうず思っお、若い女王は少し遠くぞ行った。真向うぞ顔を持っおくるのでなくおも、近く寄り添っお来る薫に、倧姫君は矞恥を芚えるのであったが、これだけの宿瞁はあったのであろうず思い、危険な線は螏み越えようずしなかった同情の深さを、今䞀人の男性に比べお思うず、䞀皮の愛はわく姫君であった。死んだあずの思い出にも気匷く、思いやりのない女には思われたいずしお、かたわらの人を抌しやろうずはしなかった。\n 䞀倜じゅうかたわらにいお、時々は湯なども薫は勧めるのであったが、少しもそれは聞き入れなかった。悲しいこずである、この呜をどうしお匕きずめるこずができるであろうず薫は思い悩むのであった。䞍断経を読む僧が倜明けごろに人の代わる時しばらく前の人ず同音に唱える経声が尊く聞こえた。阿闍梚も倜居の護持僧を勀めおいお、少し居眠りをしたあずでさめお、陀矅尌を読み出したのが、老いたしわがれ声ではあったが老巧者らしく頌もしく聞かれた。\n「今倜の埡様子はいかがでございたすか」\n などず阿闍梚は薫に問うた぀いでに、\n「宮様はどんな所においでになりたしょう。必ずもう枅浄な䞖界においでになるず私は思っおいるのですが、先日の倢にお芋䞊げするこずができたしお、それはただ俗のお姿をしおいられたしお、人生を深くいずわしい所ず信じおいたから、執着の残るこずは䜕もなかったのだが、少し心配に思われる点があっお、今しばらくの間志す所ぞも行き぀かずにいるのが残念だ。こうした私の気持ちを救うような方法を講じおくれずはっきりず仰せられたのですが、そうした堎合に速く䜕をしおよろしいか私にはよい考えが出ないものですから、ずもかくもできたすこずでず思いたしお、修行の匟子五、六人にある念仏を続けさせおおりたす。それからたた気づきたしお垞䞍軜の行ないに匟子を歩かせおおりたす」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "1 この人を芋よ\n\n わたしは圌是十幎ばかり前に芞術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛しおゐた。長厎の「日本の聖母の寺」は未だに私の蚘憶に残぀おゐる。かう云ふわたしは北原癜秋氏や朚䞋杢倪郎氏の播いた皮をせ぀せず拟぀おゐた鎉に過ぎない。それから又䜕幎か前にはクリスト教の為に殉じたクリスト教埒たちに或興味を感じおゐた。殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を䞎ぞたのである。わたしはや぀ずこの頃にな぀お四人の䌝蚘䜜者のわたしたちに䌝ぞたクリストず云ふ人を愛し出した。クリストは今日のわたしには行路の人のやうに芋るこずは出来ない。それは或は玅毛人たちは勿論、今日の青幎たちには笑はれるであらう。しかし十九䞖玀の末に生たれたわたしは圌等のもう芋るのに飜きた、――寧ろ倒すこずをためらはない十字架に目を泚ぎ出したのである。日本に生たれた「わたしのクリスト」は必しもガリラダの湖を眺めおゐない。赀あかず実の぀た柿の朚の䞋に長厎の入江も芋えおゐるのである。埓぀おわたしは歎史的事実や地理的事実を顧みないであらう。(それは少くずもゞダアナリステむツクには困難を避ける為ではない。若し真面目に構ぞようずすれば、五六冊のクリスト䌝は容易にこの圹をはたしおくれるのである。)それからクリストの䞀蚀䞀行を忠実に挙げおゐる䜙裕もない。わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を蚘すのである。厳しい日本のクリスト教埒も売文の埒の曞いたクリストだけは恐らくは倧目に芋おくれるであらう。\n\n2 マリア\n\n マリアは唯の女人だ぀た。が、或倜聖霊に感じお応ちクリストを生み萜した。我々はあらゆる女人の䞭に倚少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の䞭にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や玠焌きの瓶や巌畳に出来た腰かけの䞭にも倚少のマリアを感じるであらう。マリアは「氞遠に女性なるもの」ではない。唯「氞遠に守らんずするもの」である。クリストの母、マリアの䞀生もやはり「涙の谷」の䞭に通぀おゐた。が、マリアは忍耐を重ねおこの䞀生を歩いお行぀た。䞖間智ず愚ず矎埳ずは圌女の䞀生の䞭に䞀぀に䜏んでゐる。ニむチ゚の叛逆はクリストに察するよりもマリアに察する叛逆だ぀た。\n\n3 聖霊\n\n 我々は颚や旗の䞭にも倚少の聖霊を感じるであらう。聖霊は必ずしも「聖なるもの」ではない。唯「氞遠に超えんずするもの」である。ゲ゚テはい぀も聖霊に Daemon の名を䞎ぞおゐた。のみならずい぀もこの聖霊に捉はれないやうに譊戒しおゐた。が、聖霊の子䟛たちは――あらゆるクリストたちは聖霊の為にい぀か捉はれる危険を持぀おゐる。聖霊は悪魔や倩䜿ではない。勿論、神ずも異るものである。我我は時々善悪の圌岞に聖霊の歩いおゐるのを芋るであらう。善悪の圌岞に、――しかしロムブロゟオは幞か䞍幞か粟神病者の脳髄の䞊に聖霊の歩いおゐるのを発芋しおゐた。\n\n4 ペセフ\n\n クリストの父、倧工のペセフは実はマリア自身だ぀た。圌のマリアほど尊たれないのはかう云ふ事実にもずづいおゐる。ペセフはどう莔屓目に芋おも、畢竟䜙蚈ものの第䞀人だ぀た。\n\n5 ゚リザベツ\n\n マリアぱリザベツの友だちだ぀た。バプテズマのペハネを生んだものはこのザカリアベの劻、゚リザベツである。麊の䞭に芥子の花の咲いたのは畢に偶然ず云ふ倖はない。我々の䞀生を支配する力はやはりそこにも動いおゐるのである。\n\n6 矊飌ひたち\n\n マリアの聖霊に感じお孕んだこずは矊飌ひたちを隒がせるほど、醜聞だ぀たこずは確かである。クリストの母、矎しいマリアはこの時から人間苊の途に䞊り出した。\n\n7 博士たち\n\n 東の囜の博士たちはクリストの星の珟はれたのを芋、黄金や乳銙や没薬を宝の盒に入れお捧げお行぀た。が、圌等は博士たちの䞭でも僅かに二人か䞉人だ぀た。他の博士たちはクリストの星の珟はれたこずに気づかなか぀た。のみならず気づいた博士たちの䞀人は高い台の䞊に䜇みながら、(圌は誰よりも幎よりだ぀た。)きららかにかか぀た星を芋䞊げ、はるかにクリストを憐んでゐた。\n「又か!」\n\n8 ヘロデ\n\n ヘロデは或倧きい機械だ぀た。かう云ふ機械は暎力により、倚少の手数を省く為にい぀も我々には必芁である。圌はクリストを恐れる為にベツレヘムの幌な児を皆殺しにした。勿論クリスト以倖のクリストも圌等の䞭にはたじ぀おゐたであらう。ヘロデの䞡手は圌等の血の為にた぀赀にな぀おゐたかも知れない。我々は恐らくこの䞡手の前に䞍快を感じずにはゐられないであらう。しかしそれは䜕䞖玀か前のギロテむンに察する䞍快である。我々はヘロデを憎むこずは勿論、軜蔑するこずも出来るものではない。いや、寧ろ圌の為に憐みを感じるばかりである。ヘロデはい぀も玉座の䞊に憂欝な顔をたずもにしたたた、橄欖や無花果の䞭にあるベツレヘムの囜を芋おろしおゐる。䞀行の詩さぞ残したこずもなしに。......\n\n9 ボヘミア的粟神\n\n 幌いクリストぱヂプトぞ行぀たり、曎に又「ガリラダのうちに避け、ナザレず云ぞる邑」に止た぀たりしおゐる。我々はかう云ふ幌な児を䜐䞖保や暪須賀に転任する海軍将校の家庭にも芋出すであらう。クリストのボヘミア的粟神は圌自身の性栌の前にかう云ふ境遇にも朜んでゐたかも知れない。\n\n10 父\n\n クリストはナザレに䜏んだ埌、ペセフの子䟛でないこずを知぀たであらう。或は聖霊の子䟛であるこずを、――しかしそれは前者よりも決しお重倧な事件ではない。「人の子」クリストはこの時から正に二床目の誕生をした。「女䞭の子」ストリントベリむはたづ圌の家族に反叛した。それは圌の䞍幞であり、同時に又圌の幞犏だ぀た。クリストも恐らくは同じこずだ぀たであらう。圌はかう云ふ孀独の䞭に仕合せにも圌の前に生たれたクリスト――バプテズマのペハネに遭遇した。我々は我々自身の䞭にもペハネに䌚ふ前のクリストの心の陰圱を感じおゐる。ペハネは野蜜や蝗を食ひ、荒野の䞭に䜏た぀おゐた。が、圌の䜏た぀おゐた荒野は必しも日の光のないものではなか぀た。少くずもクリスト自身の䞭にあ぀た、薄暗い荒野に比べお芋れば......。\n\n11 ペハネ\n" }, { "role": "assistant", "content": " バプテズマのペハネはロマン䞻矩を理解出来ないクリストだ぀た。圌の嚁厳は荒金のやうにそこにかがやかに残぀おゐる。圌のクリストに及ばなか぀たのも恐らくはその事実に存するであらう。クリストに掗瀌を授けたペハネは檞の朚のやうに逞しか぀た。しかし獄䞭にはひ぀たペハネはもう枝や葉に挲぀おゐる檞の朚の力を倱぀おゐた。圌の最埌の慟哭はクリストの最埌の慟哭のやうにい぀も我々を動かすのである。――\n「クリストはお前だ぀たか、わたしだ぀たか?」\n ペハネの最埌の慟哭は――いや、必しも慟哭ばかりではない。倪い檞の朚は枯かか぀たものの、未だに倖芋だけは枝を匵぀おゐる。若しこの気力さぞなか぀たずしたならば、二十䜕歳かのクリストは決しお冷かにかう蚀はなか぀たであらう。\n「わたしの珟にしおゐるこずをペハネに話しお聞かせるが善い。」\n\n12 悪魔\n\n クリストは四十日の断食をした埌、目のあたりに悪魔ず問答した。我々も悪魔ず問答をする為には䜕等かの断食を必芁ずしおゐる。我々の或ものはこの問答の䞭に悪魔の誘惑に負けるであらう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は䞀生を通じお悪魔ず問答をしないこずもあるのである。クリストは第䞀にパンを斥けた。が、「パンのみでは生きられない」ず云ふ蚻釈を斜すのを忘れなか぀た。それから圌自身の力を恃めず云ふ悪魔の理想䞻矩者的忠告を斥けた。しかし又「䞻たる汝の神を詊みおはならぬ」ず云ふ匁蚌法を甚意しおゐた。最埌に「䞖界の囜々ずその栄華ず」を斥けた。それはパンを斥けたのず或は同じこずのやうに芋えるであらう。しかしパンを斥けたのは珟実的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第䞉の答の䞭に我々自身の䞭に絶えるこずのない、あらゆる地䞊の倢を斥けたのである。この論理以䞊の論理的決闘はクリストの勝利に違ひなか぀た。ダコブの倩䜿ず組み合぀たのも恐らくはかう云ふ決闘だ぀たであらう。悪魔は畢にクリストの前に頭を垂れるより倖はなか぀た。けれども圌のマリアず云ふ女人の子䟛であるこずは忘れなか぀た。この悪魔ずの問答はい぀か重倧な意味を䞎ぞられおゐる。が、クリストの䞀生では必しも倧事件ず云ふこずは出来ない。圌は圌の䞀生の䞭に䜕床も「サタンよ、退け」ず蚀぀た。珟に圌の䌝蚘䜜者の䞀人、――ルカはこの事件を蚘した埌、「悪魔この詊み皆畢りお暫く圌を離れたり」ず぀け加ぞおゐる。\n\n13 最初の匟子たち\n\n クリストは僅かに十二歳の時に圌の倩才を瀺しおゐる。が、掗瀌を受けた埌も誰も匟子になるものはなか぀た。村から村を歩いおゐた圌は定めし寂しさを感じたであらう。けれどもずうずう四人の匟子たちは――しかも四人の持垫たちは圌の巊右に埓ふこずにな぀た。圌等に察するクリストの愛は圌の䞀生を貫いおゐる。圌は圌等に囲たれながら、芋る芋る鋭い舌に富んだ叀代のゞダアナリストにな぀お行぀た。\n\n14 聖霊の子䟛\n\n クリストは叀代のゞダアナリストにな぀た。同時に又叀代のボヘミアンにな぀た。圌の倩才は飛躍を぀づけ、圌の生掻は䞀時代の瀟䌚的玄束を螏みにじ぀た。圌を理解しない匟子たちの䞭に時々ヒステリむを起しながら。――しかしそれは圌自身には倧䜓歓喜に満ち枡぀おゐた。クリストは圌の詩の䞭にどの䜍情熱を感じおゐたであらう。「山䞊の教ぞ」は二十䜕歳かの圌の感激に満ちた産物である。圌はどう云ふ前人も圌に若かないのを感じおゐた。この海のやうに高た぀た圌の倩才的ゞダアナリズムは勿論敵を招いたであらう。が、圌等はクリストを恐れない蚣には行かなか぀た。それは実に圌等には――クリストよりも人生を知り、埓぀お又人生に察する恐怖を抱いおゐる圌等にはこの倩才の量芋の呑みこめない為に倖ならなか぀た。\n\n15 女人\n\n 倧勢の女人たちはクリストを愛した。就䞭マグダラのマリアなどは、䞀床圌に䌚぀た為に䞃぀の悪鬌に攻められるのを忘れ、圌女の職業を超越した詩的恋愛さぞ感じ出した。クリストの呜の終぀た埌、圌女のた぀先に圌を芋たのはかう云ふ恋愛の力である。クリストも亊倧勢の女人たちを、――就䞭マグダラのマリアを愛した。圌等の詩的恋愛は未だに燕子花のやうに匂やかである。クリストは床たび圌女を芋るこずに圌の寂しさを慰めたであらう。埌代は、――或は埌代の男子たちは圌等の詩的恋愛に冷淡だ぀た。(尀も芞術的䞻題以倖には)しかし埌代の女人たちはい぀もこのマリアを嫉劬しおゐた。\n「なぜクリスト様は誰よりも先にお母さんのマリア様に再生をお瀺しにならなか぀たのかしら?」\n それは圌女等の掩らしお来た、最も停善的な歎息だ぀た。\n\n16 奇蹟\n\n クリストは時々奇蹟を行぀た。が、それは圌自身には䞀぀の比喩を䜜るよりも容易だ぀た。圌はその為にも奇蹟に察する嫌悪の情を抱いおゐた。その為にも――キリストの䜿呜を感じおゐたのは圌の道を教ぞるこずだ぀た。圌の奇蹟を行ふこずは埌代にルツ゜オの同り立぀た通り、圌の道を教ぞるのには䞍䟿を䞎ぞるのに違ひなか぀た。しかし圌の「小矊たち」はい぀も奇蹟を望んでゐた。クリストも亊䞉床に䞀床はこの願に埓はずにはゐられなか぀た。圌の人間的な、䜙りに人間的な性栌はかう云ふ䞀面にも露はれおゐる。が、クリストは奇蹟を行ふ床に必ず責任を回避しおゐた。\n「お前の信仰はお前を瘉した。」\n しかしそれは同時に又科孊的真理にも違ひなか぀た。クリストは又或時はやむを埗ず奇蹟を行぀た為に、――或長病に苊しんだ女の圌の衣にさは぀た為に圌の力の脱けるのを感じた。圌の奇蹟を行ふこずにい぀も倚少ためら぀たのはかう云ふ実感にも明らかである。クリストは、埌代のクリスト教埒は勿論、圌の十二人の匟子たちよりもはるかに鋭い理智䞻矩者だ぀た。\n\n17 背埳者\n\n クリストの母、矎しいマリアはクリストには必しも母ではなか぀た。圌の最も愛したものは圌の道に埓ふものだ぀た。クリストは又情熱に燃え立぀たたた、倧勢の人々の集぀た前に倧胆にもかう云ふ圌の気もちを蚀ひ攟すこずさぞ憚らなか぀た。マリアは定めし戞の倖に圌の蚀葉を聞きながら、悄然ず立぀おゐたこずであらう。我々は我々自身の䞭にマリアの苊しみを感じおゐる。たずひ我々自身の䞭にクリストの情熱を感じおゐるずしおも、――しかしクリスト自身も亊時々はマリアを憐んだであらう。かがやかしい倩囜の門を芋ずにありのたたのむ゚ルサレムを眺めた時には。......\n\n18 クリスト教\n\n クリスト教はクリスト自身も実行するこずの出来なか぀た、逆説の倚い詩的宗教である。圌は圌の倩才の為に人生さぞ笑぀お投げ棄おおした぀た。ワむルドの圌にロマン䞻矩者の第䞀人を発芋したのは圓り前である。圌の教ぞた所によれば、「゜ロモンの栄華の極みの時にだにその装ひ」は颚に吹かれる䞀本の癟合の花に若かなか぀た。圌の道は唯詩的に、――あすの日を思ひ煩はずに生掻しろず云ふこずに存しおゐる。䜕の為に?――それは勿論ナダダ人たちの倩囜ぞはひる為に違ひなか぀た。しかしあらゆる倩囜も流転せずにはゐるこずは出来ない。石鹞の匂のする薔薇の花に満ちたクリスト教の倩囜はい぀か空䞭に消えおした぀た。が、我々はその代りに幟぀かの倩囜を造り出しおゐる。クリストは我々に倩囜に察する惝怳を呌び起した第䞀人だ぀た。曎に又圌の逆説は埌代に無数の神孊者や神秘䞻矩者を生じおゐる。圌等の議論はクリストを茫然ずさせずには措かなか぀たであらう。しかし圌等の或者はクリストよりも曎にクリスト教的である。クリストは兎に角我々に珟䞖の向うにあるものを指し瀺した。我々はい぀もクリストの䞭に我々の求めおゐるものを、――我々を無限の道ぞ駆りやる喇叭の声を感じるであらう。同時に又い぀もクリストの䞭に我々を虐んでやたないものを、――近代のや぀ず衚珟した䞖界苊を感じずにはゐられないであらう。\n\n19 ゞダアナリスト\n\n 我々は唯我々自身に近いものの倖は芋るこずは出来ない。少くずも我々に迫぀お来るものは我々自身に近いものだけである。クリストはあらゆるゞダアナリストのやうにこの事実を盎芚しおゐた。花嫁、葡萄園、驢銬、工人――圌の教ぞは目のあたりにあるものを䞀床も利甚せずにすたしたこずはない。「善いサマリア人」や「攟蕩息子の垰宅」はかう云ふ圌の詩の傑䜜である。抜象的な蚀葉ばかり䜿぀おゐる埌代のクリスト教的ゞダアナリスト――牧垫たちは䞀床もこのクリストのゞダアナリズムの効果を考ぞなか぀たのであらう。圌は圌等に比べれば勿論、埌代のクリストたちに比べおも、決しお遜色のあるゞダアナリストではない。圌のゞダアナリズムはその為に西方の叀兞ず肩を䞊べおゐる。圌は実に叀い炎に新しい薪を加ぞるゞダアナリストだ぀た。\n\n20 ゚ホバ\n\n クリストの床たび説いたのは勿論倩䞊の神である。「我々を造぀たものは神ではない、神こそ我々の造぀たものである。」――かう云ふ唯物䞻矩者グりルモンの蚀葉は我々の心を喜ばせるであらう。それは我々の腰に垂れた鎖を截りはなす蚀葉である。が、同時に又我々の腰に新らしい鎖を加ぞる蚀葉である。のみならずこの新らしい鎖も叀い鎖よりも匷いかも知れない。神は倧きい雲の䞭から现かい神経系統の䞭に䞋り出した。しかもあらゆる名のもずにやはりそこに䜍しおゐる。クリストは勿論目のあたりに床たびこの神を芋たであらう。(神に䌚はなか぀たクリストの悪魔に䌚぀たこずは考ぞられない。)圌の神も亊あらゆる神のやうに瀟䌚的色圩の匷いものである。しかし兎に角我我ず共に生たれた「䞻なる神」だ぀たのに違ひない。クリストはこの神の為に――詩的正矩の為に戊ひ぀づけた。あらゆる圌の逆説はそこに源を発しおゐる。埌代の神孊はそれ等の逆説を最も詩の倖に解釈しようずした。それから、――誰も読んだこずのない、退屈な無数の本を残した。ノオルテ゚ルは今日では滑皜なほど「神孊」の神を殺す為に圌の剣を揮぀おゐる。しかし「䞻なる神」は死ななか぀た。同時に又クリストも死ななか぀た。神はコンクリむトの壁に苔の生える限り、い぀も我々の䞊に臚んでゐるであらう。ダンテはフランチ゚スカを地獄に堕した。が、い぀かこの女人を炎の䞭から救぀おゐた。䞀床でも悔い改めたものは――矎しい䞀瞬間を持぀たものはい぀も「限りなき呜」に入぀おゐる。感傷䞻矩の神ず呌ばれ易いのも恐らくはかう云ふ事実の為であらう。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n男䞉 ......おい、お前さん方あ――?\n\n二人連〈れ〉はサツず身を匕いお開き、双方しばらく無蚀で盞察する。\n\n男䞀 ......(抌し殺した声で)お控ぞなさい......お前さんは?\n男䞉 私あ、歀の裏の柎田です。\n男䞀 私あ、麹町の久賀山です。これは匟でございたす。\n男䞉 お名前はかね『〵承぀お居りたす。でなんですかい、埡甚のすじは?\n男䞀 倖でもござんせんが、聞き及びたすりや、そこの鉄造さんの凊ぢや近頃結構なお話しがおありなさるやうだが、こちらも満ざら知らねえ仲でもなし、䜕か埡挚拶の䞀぀䜍あ぀おもよからうず思ひたしお、参぀たわけでございたす。事が、癜朚さんに埡挚拶をしなきやならない筋合ひではございたせん。\n男䞉 ぢや、お通んなさい。(蚀぀おスツず闇に消える)\n\n以䞊の事は玠早く、殆んど瞬間に行はれる。男䞀ず二はドアを抌しお店に入る。\n\nアサ もう駄目ですよ、時間過ぎですから。(さう蚀ふアサを男二が黙぀お抌しのける)もう駄目です぀たら。\n男䞀 おやぢさんに麹町の久賀山がお目にかかりたいず蚀぀おくんな。\nアサ ......今、今居たせんよ。\n男䞀 居ない筈はねえ。\nアサ なんの埡甚ですか。\n男䞀 歀の家屋の事に就いお埡盞談したいこずがあ぀お来た぀お、さう蚀぀おくれ。\n男二 おい、ねえちやん、早えずこ頌むぜ、いい子だから。(アサの腰に手をやる)\nアサ なんだい! フン、糞面癜くも無い。ゐないず蚀぀たら――\n\nず云ひかけおゐる䞭に、男二、出しぬけにステツキをふり廻す。\n\n客二 ......おい、どうしたんだよ? なんだいあんた方あ?\n男二 おめえこそ、なんだ?\n客二 物隒な物を持぀おゐたすねえ?\n男二 なによ぀!\n客二 たあ〳〵さう怒るな぀おえこずよ。\n\n客二を先皋からヂツず芋おゐた男が、あ぀ず䜎い声を出し、男二の背広のス゜を匕匵る。\n\n男二 なんだよ? ......(男䞀が耳打ち)......え? ひこ? 圊か? そい぀あいけねえ。(客二をちらツず芋る。青くな぀おゐる)\n男䞀 どうも、お芋それしちや぀お......(ペコペコする。男二もペコペコする。二人コ゜コ゜ず出お行぀おしたふ)\n客二 ......なあんだい? ハハどうした、やられたのかい?\n\nアサは面喰぀お蚀葉も出ず、県をパシパシさせおゐる。\n\n客二 甚心しなきや、いけないよ、倜䞭になるず、いろんなのが出るよ......。(杯をなめる。そこぞ「おぢさん、花買぀お頂戎」ず蚀぀お入぀お来た小嚘)そら出た。(アサ飛䞊る)ハハいらないよ。\n嚘 みんなで十銭にしずくから、買぀およ。おら、もう眠いから、たけちたう。(なるほど県がく぀぀きそうだ)\n客二 眠いのか? ......フン、ぢや買぀おやらう。ほい。\n嚘 (金を受取り)ありがたう......(花を枡しおフラ〳〵した足぀きで出お行く)\n客二 ハハ。(花をポケツトにねぢこんで)今、幟時だい?\nアサ ......もう、二時過ぎかず――\n客二 眠い筈だ......だが俺は、䞉時を廻぀たかず思぀おゐた。\n\n䞍意に階䞊で人の喚き立おる声(䞻ずしお癜朚ず鉄造ずミル)。続いおドタバタドシンず蚀ふ隒ぎ。客二倩井を仰ぐ。\n\n客二 いけねえ、酒ん䞭にホコリが萜ちお来やが぀た。\n\n二階の隒音の䞭でミルの声「こん畜生!」、癜朚の声「あぶない぀! こら!」、お蟻の声「ミル! 癜朚さん! ど぀ちも危いぢやないか!」ず蚀ふのだけがハツキリ聞える。続いお、バシン! ずいふ様な鋭い響。ギペツずしお倩井を芋䞊げるアサ。客二もギクリずしお倩井を睚んだたた。\n\n――幕――\n\n\n第䞉幕(第䞀幕に同じ)ビリダヌド宀\n\n\n\n䞀隒動あ぀た盎埌らしく、殺気立぀た顔で総立ちにな぀お睚み合぀おゐる五人――圊六ずミルは畳敷の䞊に。癜朚ず鉄造ずお蟻は床の方に。ミルは今迄振り廻しおゐたらしい刀を抜身のたた右手に振りかぶ぀お、肩で息をしながら、床の䞉人の方を睚んでゐる。その巊手は圊六に掎たれおゐる。癜朚は球台を楯に取぀お、右手に黒い物を握りしめおゐる。鉄造は長怅子の所でちぢみ䞊぀おゐる。\n\n\n ――間――\nお蟻 ......人が来るず、うるさい!\nミル 畜生!(豹の子の様な唞声を出す)\n癜朚 あゝ誰かあが぀お来たぞ!(階段の方ず宀内をパツパツず芋お、掌䞭の物を球台の䞋に差し蟌む)正宗さん、頌む! サツを割蟌たさうなんおえ、卑怯な真䌌はあんたも考ぞちやゐたいね。\n\n蚀はれお圊六はせせら笑ひをしながらチペツト考ぞおゐたが、盎ぐにそのたたミルの身䜓を抱くやうにしお、裂けたたた䞋぀おゐるカヌテンの奥ぞ抌し蟌んでしたひ、自分は寝床にゎロリず暪にな぀お毛垃を被る。癜朚は鉄造にめくばせし、キナヌを二本取り、鉄造に䞀本持たせる。階段に足音。お蟻、球のサツクを持぀お来お、球台の䞊に球をばらたく。癜朚がいきなり球を突く。抌殺した短い間。\n\nお蟻 ......䞉぀。......五぀。\n\nドアを抌しお客二がスむず入぀お来る。\n\nお蟻 ......おや、いら぀しやい......䞃぀。\n客二 (宀内を芋廻す)なんだい、今のは?\nお蟻 今の぀お? 九぀。九぀圓り。\n\nゲヌム盀をカチダリず鳎らす。癜朚、暪目で客二を芋る。\n\n客二 いや、今の音は?\n癜朚 ......あゝ(階䞋で芋た客であるこずに気が附いお)私がさ぀きキナヌを倒したから、倧方それだらう。\n客二 (鉄造を芋る)ひどく顫ぞたすね?\nお蟻 お突きんなりたすか?\n\n客二、返事をしないでニダツずする。\n\nお蟻 (笑顔を芋お、䞍意に盞手を認め、思はず立䞊る)あ! 圊䞀!\n癜朚 え?(お蟻ず客二を芋范べおゐる)\n鉄造 圊䞀さんだ!(呆然ず芋詰める)\n\n向うを向いお寝おゐた圊六が、りツ! ず蚀぀お歀方を向き、客二を芋るや起きあがる。無蚀で芋合぀おゐる父ず息子。\n間。\n\n鉄造 ......倉぀た。......今の今迄気が附かなか぀た。\n\nミル、カヌテンの蔭から抜身を持぀お飛び出しお来る。䞊り端に立぀たたた兄を芋詰める。怒぀た様にムツずした顔。刀が手から萜ちる。\n\nミル あゝ、兄さん!\n圊䞀 ......倧きくな぀たなあ、お千代......(ミルの巊手に目を付けお)ああ、いけねえ、斬぀たな。" }, { "role": "assistant", "content": "ミル なに、かす぀ただけだ。\n圊䞀 どれどれ。(腰から手拭ひを出しお裂く)぀たらない物をいぢくるから、怪我をするんだ。(ミルの指をしば぀おやる)\n\n鉄造が癜朚に、しきりず耳打ちをしおゐる。\n\n圊䞀 痛いか?\nミル 痛くなんかない。\n\n突立぀お繃垯をしお貰぀おゐたのが急に、オむオむ泣き出す。\n\n圊䞀 ......なんだ、出し抜けに?\nミル なぜも぀ず早く、垰぀お来ない。兄さんの銬鹿!\n圊䞀 どうした぀お蚀ふんだよ?\nミル (シダクリ䞊げながら)うゝん。お父さんの事を寄぀おたか぀おいぢめやが぀お、パチンコたで打ちやがるんだ。誰が糞、怖いもんか、来い、畜生!\nお蟻 ......だ぀おさ、いきなり刃物を振りたはすんであぶなく぀お仕様がないぢやないか。\n癜朚 ......おどかしですよ。どうせ、初の䞀発は空らにな぀おるんだから。ハハ。う぀ちや぀お眮けば怪我人が出たすからね。\n圊六 ずにかく、今倜はもうおそいから、これで垰぀お貰ひたせう。\n癜朚 いやあ、今倜こそハツキリ圢を付けお貰はん事にや......ずにかく、話だけは掗ひざらひしおした぀たんだから......\n圊六 私の方も蚀ふだけは蚀぀おしたひたしたよ。\n癜朚 そこを埡盞談しおゐるんだ。少し歀方にも同情しお䞋さいよ。\n圊六 同情なら歀方こそしおいただきたいもんだ。なんせかうした病人だ。叩き出されおどこぞ行く先があるんです?\n癜朚 あれだ。匱るなあ。あなただ぀お元が自由党で䞻矩のために荒぀ぜいこずもしたり、他人の眪たでかぶ぀お暗いずころに行぀たほどの人ならこの䜍の理窟は解぀おくれおもよかりさうなもんだ。こ぀ちも金づくでや぀おゐるんでもあるたいし。\n圊六 ぢやあんたは、唯でこんな事を匕うけおゐなさるのかね? それに今迄远立おられた十軒䜙りの店の、血の出るような立退料から、䞉割四割ずピンをはねたのは、どこのどなたでした? ハハハ、ずもかく、もう䞀床ツラでも掗぀お出盎しお来たらどうだい?\n癜朚 なんだず!\n圊䞀 ......党䜓どうすれば、いいずいふんです?\n癜朚 ......早いずこ立退いおくれさえすりや、いいんだ。\nお蟻 (圊六に)いい加枛にしお䞋さいよ。あなたあ心がらだから本望か知れたせんが、私や......\n圊六 おい、お蟻、私をうたく立退かせたら、五癟円だけ貰ぞる玄束にな぀おゐるのは誰だ぀けな? ......倧分もうろくはしたが、これでただ県は芋えるよ。\nお蟻 ......(青くな぀おゐるが、やがお猛然ず逆襲しお来る)ぢあそれが悪か぀たの? それず蚀ふのも、あなたが自分䞀人の我を匵぀お、私やミルちやんの事を......\nミル 私の事は蚀はないで頂戎。\nお蟻 第䞀、私が金を貰぀た぀お、そいだけの物が歀の内に入぀お来るんなら、䜕もツノメ立぀事は無いぢやないか。\n圊六 ハハ、鉄造さんずの玄束を忘れちや、苊情が出るぜ。今床歀凊に出来る食堂で鉄さんは酒堎の方をやるし、お前は女絊の監督になるやうに、チダンず話が出来おゐるさうぢやないか。\n鉄造 そ、そんな、旊那、そりやあなた――\n圊䞀 階䞋の女絊さんも監督にしお貰ふ玄束だ぀お蚀぀おたぜ。監督が䞀床に二人出来るわけか。\n癜朚 さう蚀ふ事よりも、ねえ正宗さん、あんたは、束田の方では金がうな぀おゐるずでも思぀おるから、癇も立぀んだ。ずころがどうしお〳〵遊んでゐる金なんお今時あるわけのものぢや無い。地代の倀䞊げもあり、あれやこれやで積぀おみるず、みすみす䞀日にど偉い金が消えお行くんだ。束田のオダヂさん、日に二床も䞉床も私の方にや぀お来おは、泣いおゐる始末ですぜ。\n圊六 そ぀ちは泣きや枈むかも知れないが、歀方は盎ぐに呜にかかはる事だからね。\n癜朚 ですからさ、チダンずそれだけの事はしおあるんだ。ねえ!\n圊六 私やそれでもいい。だが、叩き出された十䞀軒の家がそれでは枈むたいよ。よしんば、みんながそれで泣寝入りになるずしおも、正宗圊六が通さないんだ!\n癜朚 ふざけるな぀! 綺麗な面をしお今迄の分を倍にしお五千円払ぞだず? ぞん! 誰のフトコロに入る金だか解るかい。\n圊六 金がそ぀ちの物なら家は歀方の物だ。\n癜朚 家賃だ぀おロクに入れお無い癖に!\n圊六 貎公、い぀から歀の家の差配たでするやうにな぀たんだい?\n癜朚 こ、こ、この......(掎み掛らうずする)\n圊䞀 おい〳〵、乙なたねをするなよ。\n圊六 こ぀ちは埡芧のやうなテむタラクだ。叩぀殺されおもヘドが出る䜍のもんだらう。\n癜朚 ぢや今迄にそちらに枡した分の金はどうなるんだ?\n圊六 どうにもなりはしないよ。そちらでは枡したから受取぀たたでのこずさ。\n癜朚 仕方が無い。そ぀ちがさういふ気なら、こ぀ちも考ぞはある。\n圊䞀 だからどうだ぀おこずよ。\n癜朚 (圊䞀に)昔はなんだか知らねえが、お前さんが、䞎倪もん仲間で売぀おゐた頃ずは、新宿も倧分様子が違぀おゐるからね。あずで、ポ面をかかない様にするがいいぜ。(トツトず出お行く)\n\n間――青くな぀た鉄造口をモガモガさせお立぀お居たが、薄気味悪くなり、癜朚の埌を远぀お去る。\n\nお蟻 ......(圊䞀に)あんな事を癜朚さんに蚀぀お貰぀ちや困るぢやありたせんか!\n圊䞀 悪か぀たかねえ?\nお蟻 䞍意に垰぀お来お、事情もなんにも知らない癖しお、䜕だよ、ほんずに......\nミル 兄さん、もう䜕凊ぞも行぀ちやいけないよ。\n圊䞀 いや、俺あチペツト寄぀お芋ただけだ。さういふわけにやいかねえ。\n\nお蟻、小走りに階䞋ぞ去る。あず芪子䞉人、互ひに芋合぀おゐる。――間――\n\n圊䞀 父぀あん......随分久しぶりだなあ。\n圊六 (噛み぀くように)ど぀からうせやが぀た?\n圊䞀 ひでえ事にな぀たもんだ。ハハ、ど぀か悪いのか?\n圊六 貎様、又この蟺をりロ〳〵しおゐやがるず、向ふずねを叩き折぀おやるぞ。(足を螏みしめお立぀お来る)\n圊䞀 だが、よくこれたで頑匵぀たねえ。\n圊六 利いた颚な頀をたたくか぀! 貎様、この家の事件をどこかで聞きこんで、䞀口割蟌たうず思぀お来やが぀たんだらう。\n圊䞀 䜕を云ふんだ! 俺あ、宵の䞭に府䞭から出お来たんだが、䜕だかバツが悪くお階䞋でマゎマゎ埅぀おゐる間に、はじめお話を聞いたんだ。\n圊六 䜕を出鱈目蚀ひやがる、出来そくないめ!\nミル ......兄さん、なぜも぀ず早く垰぀お来なか぀たの?\n圊䞀 あんな、薄ぎたない阿女に、おふくろ面をされおゐる家に垰぀お来られるか。\n圊六 なにを! 䞍良狩りに匕぀かかりさうにな぀お、ずらか぀たくせしやが぀お!\n圊䞀 それもあ぀たさ。......だが、もずもず俺がグレはじめたのは、お父぀あんの女狂ひのせゐだぜ。\n圊六 それがどうした? 私あ、助平だよ。\n圊䞀 お぀母さん斜療院で死んぢた぀た時のこずだ。「お父぀あんは、゜ツずしおお眮きよ、あの人はツムゞを曲げ出すず、自分で自分の了芋が解らなくな぀おしたふ。本圓は、お父぀あんは、私の事を心から思぀おくれおゐるんだけど、ただ性であんな事になるんだ」぀お、さうい぀たよ。そんな時のお぀母さんの顔が俺の県から離れなか぀たんだ。\n圊六 ぞん、なにを䞖迷蚀ぬかしやがるんだ。\n圊䞀 可愛いい女房が病気にな぀おさ、金が無くな぀お斜療院でノタレ死をした。それがしやくに障぀たから぀お、バクチ打぀、女狂ひを始めるなんお、筋が違い過ぎおるぢやないか。\n圊六 ぢや、オダヂの女が気に喰はねえから぀おいふんで八぀圓りにほかの奎を斬぀おさ、土地を売぀たのは筋が違぀おゐないのか。(息子も父も思はずニダニダ笑ひ出す)ずきに、お前、今なにをしおゐるんだ。\n圊䞀 なに、土方みたいな事だよ。\n圊六 府䞭でか?\n圊䞀 府䞭は家だけで、あ぀ちこ぀ちの珟堎を歩き廻぀おゐるよ。方々行くが、倧䜓䞉倚摩䞀垯だ。\n圊六 ほう、あの蟺なら私も二十歳前埌によくあばれお廻぀たずころだ。䞉倚摩の自由党は嚁勢のいい奎が揃぀おゐたからなあ。さうか。(自由党時代の事を思ひ出しお身内が熱しお来るらしい)圓時、貧乏党、共和党ず云ふのが有぀おな、共和党䞇歳など曞いたムシロ旗を立おお、あの蟺の寺を抌し廻぀ちや、藩閥政府ぶ぀倒せの挔説をしお歩いたもんだ。その刀もそんずきの名残りだよ。\n圊䞀 昔からあの蟺には、そんな気颚があ぀たんだね。\n圊六 昔からず云ふず、今でもあるのか?\n圊䞀 うん、そりや自由党たあわけが違ふが、元気な仲間がゐるよ。\n圊六 仲間ず云ふのはなんだ぀!\n圊䞀 仲間だよ。貧乏だけど、みんな生きの良い連䞭だ。人は土方々々ず銬鹿にするが、矩理堅えし、善い事は善い、悪い事は悪いで、䞀旊仲間同士でかうず決぀たら、グツずもする事ぢやない。\n圊六 ぢやなにか、ムシロ旗か?\n圊䞀 さうだなあ、たあ、そんなもんかなあ。\n圊六 さうか䞉倚摩にや今でもそんなのがゐるのか。......しかしあの蟺は、近頃、朝鮮の人間が倚いさうぢやないか?\n圊䞀 倚いよ、だが倧䜓が同じやうに働らいおゐりや、鮮人も内地人もあ぀たもんぢや無え、珟に、倧阪の玉造蟺でゎロ〳〵しおゐた俺をしよぎくやうにしお歀方ぞ連れお来お二幎近く、附きに附いお俺の性根を叩き盎しおくれた男が鮮人だ。こい぀は偉い男だよ。\n圊六 ぞえ、そんな事があ぀たのか?\n圊䞀 二人で東海道を歩いお䞊぀お来る途䞭、ロクに飯が食えねえもんだから、俺がぞたばる――\nミル たあ、東海道を歩いお?\n圊䞀 するず其奎が俺をおぶ぀お呉れるんだ。たるで仏さた芋おえな男だ。俺あ圌奎の背䞭で䜕床泣いたか知れない。そん時のおかげで俺あ地道に働ける人間にな぀たんだよ。\n圊六 ふヌん、......さうか......\n圊䞀 どうだ、ず぀぀あん、ここを匕きはら぀お、おれ達のずこぞ䞀緒に来ちや。こいだけトコトン迄やり通しや、もういいぢやないか、第䞀無駄だ。\n圊六 なに? 無駄だ? おれのしおゐる事が䜕で無駄だ?\n圊䞀 だ぀お、倖の連䞭は父぀あんだけほ぀ぜり出しお行぀ちた぀たぢやないか? かうしおゐたずころで斬り死にするようなもんだ。\n圊六 お前なにか、私に説教する気か?\n圊䞀 おれ達の仲間なら、䞀人をう぀ちや぀ずいお逃げ出したりはしないず蚀぀おる迄だよ。第䞀働いお暮すにした぀お、同じやうに働く人間の仲間で暮すんでなきあ、泣くも笑ふも面癜い事があるもんか。父぀あんの自由党だ぀おその蟺は同じ事だ぀たらうぢやないか。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、高品質な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 母は私がさうひどく悲したないのを芋お安心した。さうしお私は母を倱぀た。あずで、たしか䞭孊の䞊玚に進んだころ、私はこの甚箪笥のこずをはじめお、䞖話にな぀おゐる䌯母に告癜した。䌯母は愉快さうに笑぀お、「あの時はあなたの成瞟に障りはしたいかず、お母さんはじめみんなで心配したものだけど、たあ本圓に子䟛の気持぀お無邪気なものだねえ」ず蚀぀た。私はそれを聞いお、もう䜕も蚀はなか぀た。そののちこの䌯母が私のゐる所で、母にこの笑ひ話をしお聞かせた。母は「たあ」ずい぀お静かに埮笑んだが、それは淋しい笑ひではなか぀たやうだ。\n 私は䌯母の家から䞭孊ぞ通ひはじめた。その四幎あたりは、私が䞀ばん母から離れお生掻しおゐた時期だ。いや寧ろ、私にず぀お母は存圚しないずい぀た方が圓぀おゐるだらう。したが぀お倚くを語るこずは避けなければならない。\n 前にも蚀぀たやうに、すでに他人に犯されぬ䞀䞖界を構ぞお、そこの専制的な䜏み手であ぀た私は、再瞁した母のこずを殆んど考ぞなか぀た。時々、「お母さんにあんなに苊劎をかけおゐるのだから、あなたはよ぀ぜどし぀かりしなくちや」などず䌯母たちに蚀はれるず、かうした蚀葉に私はたづ蚀ひ叀された卑俗な人情噺の臭ひを嗅ぎ぀け、だから偉くなればいいのぢやないか、ず私は内心に昂然ず蚀ひ攟぀た。母の行為を、母ずいふものが息子のためにする圓然の献身ずしか考ぞるこずをせず、それ以倖のあらゆる考ぞ方を拒吊した。私は母を、それ自らの運行をしおゐる別の星のやうに芋おゐた。もちろん感謝の念がなか぀たわけではない。それどころか感謝は抑圧されおゐるだけ、人䞀倍に匷か぀たかも知れない。しかし私はそれを内心に乃至は口に出しお衚癜するこずに、母を䟮蔑する態ずらしい圢匏以倖の䜕ものをも認めなか぀た。断わ぀おおくが、私は䜕も感謝を虚停ず芋たのではない。私はそれを、人間の知力にず぀お自明の公理ず芋おゐたのだ。私は唯、それを他人の前にわざわざ衚明する倧仕掛な仕草に愚昧ず虚停ずを芋、それぞの矞恥感に堪ぞられなか぀たたでだ。したが぀おたた私は、他人から瀌を蚀はれるこずを極床に嫌ひ、ほずんどそこに䟮蔑の衚癜をすら感じず぀た。\n「君は僕を、君の感謝しおゐるこずがわからぬほどの感の鈍い男ず芋おゐるのか?」もし蚱されたなら、私はこんな面眵を盞手に加ぞかねなか぀たらうず思ふ、「僕は僕のしたか぀たこずをしたたでの話だ。䜕も蚀はないでくれ!」(この瀌の蚀葉の蚀ぞない習慣は青幎期の私にも残぀お、ひどく私を苊しめた。)\n 私は母にたびたび䌚぀おゐた。しかし生掻はもう離れ離れにな぀おゐた。で、母は信じようずしなか぀たが、少くも私の平生を知぀おゐる䌯母だけは、私の心の動きをある皋床たで芋抜いおゐたらしい。「人䞀倍情の぀よい癖に。......ひねくれた子だね」ず䌯母は笑぀た。さうした䌯母の揶揄に遇ふたびに、私は䜕故かあわおお吊定した。私はただ自分が玔粋なだけだず信じおゐ、その玔粋さを䌯母に芋透されたこずを非垞に口惜しく思ふのだ぀た。私は自分には䜕か自分自身を誇瀺するやうな芁玠があるのではないかず疑぀た。私は益ゝ堅固に自分を鎧ふこずに努力した。それは今にな぀お思ぞば、それは圓おどのない反抗にすぎなか぀たが、少幎時代の私の燃えるやうな野心の圚り堎は、これを措いお他にはなか぀た。\n かうしお私の非情の道埳は埐々に圢成されお行぀たのだ。それはいはば無衚情の修緎を意味した。たた次第に、あらゆる卑俗なものぞの反抗を意味した。だんだん私は自分の硬さを信じるやうにな぀た。それに思ひあがりはじめおゐた。私が涙ずいふものを醜いず思぀おゐたこずは、あらためお蚀ふたでもない。\n さうした䞭で私のはじめお手にした倧人の本は、友人にそ぀ず貞しお貰぀た『䜕凊ぞ行く』の蚳本だ぀た。私はそこに物語られおゐるキリストず反キリストの闘争を、ほずんどネロの県でしか眺めなか぀た。あの物語の緯糞にな぀おゐる若い男女の恋のいきさ぀などは、愚かな戯れずしか芋なか぀た。蚀ふたでもなく私を捉ぞたのは、あのペトロニりスの哲孊だ぀た。わけおもその死に方だ぀た。私は烈しく、そこに衚はれおゐる昇華された肉感に動かされた。その埌ほずんど青幎期の䞭ごろたで、ペトロニりスの生き方は私の信条になり、私を最も深く感動させる本は、倚かれ少なかれ圌の血統をひくものず私を信じさせる本に限られおゐた。私がはじめお小遣を蓄めお賌぀た高䟡な本は、絵入りの莅沢な『アラビアン・ナむト』だ぀た。\n あるずき母は、私が高瀬家ぞ行぀おも打ちずけないで、矩父に察しおも劙に䜙所䜙所しくするず蚀぀お咎めた。そしお「䞀床でいいからお父さんず呌んで埡芧なさい。き぀ずお喜びになるから」ず附け加ぞた。私は戊慄を感じた。私は蚀䞋に、「あの家の人は教逊がないから厭だ」ず答ぞた。この教逊ずいふ蚀葉はそのころ非垞に気に入぀おゐた蚀葉で、いろんな勝手な意味を含たせおゐたのである。母は蒌ざめお、もう䜕も蚀はなか぀た。私が矩父を『お父さん』ず呌んだのは、䞭孊の䞊玚生にな぀おからで、その時は䜕かひどく堕萜しお打算的なこずを蚀぀たやうな、気恥かしさを感じたず蚘憶しおゐる。\n その䞀方、私は䞭孊ぞはいるず間もなく、建築ずいふものに烈しい熱情を芚えはじめた。そのころ『䜏宅』ずいふ薄い雑誌があり、それを或る倏、本屋の店頭でふず手にず぀たのが動機だ぀たやうだ。それは創刊号で、軜井沢にあるずいふ別荘のプランや、海蟺のサマア・ハりスの蚭蚈図などが、ひどく私の空想を刺戟した。それは非情なものに憧れる私の性情が、石や瓊や挆喰やタむルから成る建築に、究極の友を芋出したからだ぀たかも知れない。東京にあるすぐれた䜏宅の幟぀かも、私はこの雑誌から教は぀た。私はそれが歩いお行ける堎所だず䞀々芋お廻぀た。やがお私は方県玙を買぀お来お、自分で蚭蚈するやうにな぀た。そのうちに私の空想は、五十坪か癟坪でたずめお、そこに䜏む人々の数も品栌も限定されおゐる、圓り前の䜏宅建築では我慢ができないたでに昂進しお行぀た。さうした私を心酔させたのは、圓時の私の家からあたり遠くない芋附に臚んでゐる或るルネサンス颚の宮殿だ぀た。\n もしあの宮殿に番兵が立぀おゐたのだ぀たら、倏䌑みになるず遞りに遞぀お午埌二時ごろの日盛りを、䞭孊の垜子をかぶ぀た䞋品ではない小柄な色の癜い少幎が、あの芋䞊げるやうな高い鉄柵の前の篠懞の䞊朚道(それはただ珟圚のやうにずずの぀た小公園をなしおゐなか぀た――)を、䜕気ない振りをしおい぀たでも埀き぀戻り぀しおゐるのを䞍思議に思぀たに違ひない。圌はその少幎を咎めたかも知れない。あるひは友達にな぀たかも知れない。それは私の倏䌑みの日課だ぀た。私は人目に぀きはしたいか、咎められはしたいかずびくびくしおゐた。た぀たくその附近には、時たた倖濠線の小さな電車が癜い着物の袖をひらひらさせお通るばかりで、矞かしいほど人圱がなか぀た。私はなぜも぀ず倧勢の人がここぞや぀お来お、この矎しい建築を歎賞しないのだらうかず、䞍思議でならなか぀た。私は自分だけに蚱された特暩をひそかに享楜した。私はあの高い鉄柵の遥か奥、ほずんど霞たんばかりの炎暑の底に甍の緑青の色を煌めかせおゐる宮殿の秘密を、飜かず盗みずるのだ぀た。私はその内郚を想像した。(も぀ずもその幟぀かの郚屋の有様は絵葉曞で芋知぀おはゐたが。)衚広間の階段の幅、その倧理石の手欄の傟斜床、倩井の穹窿の高さ、奥庭に面した廻廊の様匏、さういふ现郚を私は熱心に思ひ描いた。私はたた車寄せを䞭心に芋事なシンメトリむをなしおゐるあの前庭の蚭蚈に芋ずれた。その芝生を劃぀おゐるあらゆる小埄の幅やその描く曲線を目で枬぀た。䞡偎の境をなしおゐる胞壁に、等間隔に䞊んでゐる壺食りを歎賞の県でかぞぞた。それは差し出おゐる暹の蔭に青ずんで芋えおゐた。たた実際にも雚にうたれお、たるでたくみな陰圱を斜したかのやうにう぀すらず苔づいおゐた。私はやがお鉄柵の呚囲をぐるりず歩いお芋、その歩数から前庭の面積や建物正面の延長を割り出さうずした。......かうした芳察を終るず私はいそいで家ぞ垰぀お、その日の印象や新たな発芋を、方県玙の䞊に再珟しようずするのだ぀た。勿論それは色々に倉圢され工倫し盎された圢であらはれた。気に入぀おゐる矅銬颚の、䞭庭のある䜏宅様匏も取入れられた。圫像も巧みに排眮され、そしお私はその家に䞉人の少女ずそれに仕ぞる奎隷たちを䜏たはせた。(ダヌンチオの『巌の凊女』も圓時の私の愛読曞の䞭にあ぀たのである。)それぞれの郚屋はその䜏み手を完党に倖界から遮るやうに工倫されおゐなければならず、たたそれぞれの粟神や肉䜓の矎しさを、党く他からの拘束なしに解き攟ち、䌞々ず成長させるやうに蚭蚈されなければならなか぀た。少女たちは倕暮になるず奥庭の氎盀のほずりで萜合぀おそれぞれの䞀日の思念を語り合ふのだ぀た。その物語の内容も、蚭蚈者である私の仕事だ぀た。かうしお私は詩を曞くこずを芚えた。\n ある幎の暮、矩父から貰぀た歳暮にお小遣を足しお、私は぀いそのころ䞭西屋の看板を塗りかぞたばかりの神田の䞞善ぞ行き、思ひ切぀おアメリカ版の高䟡な建築の本を二冊買぀た。これは収入印玙の貌぀おある受取を貰぀た最初の経隓だ぀た。もちろん今にな぀お芋れば、かうした建築ぞの情熱は、私の矞恥や朔癖によ぀お抑圧されおゐた少幎の肉情が、別の気局に描き出した䞀皮の蜃気楌珟象だ぀たこずは疑ひもない。だがさうした解釈をしおみたずころで、私はあの圓時の私の生掻の矎しさや悩たしさを䞀寞たりずも䞊げも貶しもできないこずを思ふ。それは存るものが存぀たたでだ。そしお少幎の敏感さで、その存るものの矎しさや悩たしさを生きたたでだ。事実私はこのあひだに、幟人かの理想化された少女を恋し、そしおその恋を片぀端から窒息させお行くこずに誇りを感じおゐた。" }, { "role": "assistant", "content": " しかし、私は倧急ぎで、さういふ母のゐない私の生掻を駈け抜けなければならない。䜕故なら私が君に玄束したのは、母をずほしお私の像をずらぞるこずにあ぀たからだ。も぀ずも、䞀応それ以前の私の歎史をかい぀たんで話したのは、䞀人の子䟛が母を離れおどんな生態を営み埗たかを、君に知らせたか぀たからに他ならない。するずこれから話すこずは、その子䟛がそのために、軈おどんな眰を受けたかずいふ物語になるのだらうか。私は倚分さうなるやうな気がする。......\n\n ここたで曞いお、この先の生掻に぀いお考ぞおゐたずき、私はちやうど君の手玙を受取぀た。それには、君がいよいよ垰京しおよいお蚱しが出たず曞いおある。その日たではただ䞉週間ほどあるのだけれど、私は内心に劙にそはそはしはじめた。぀たり君ずふたたび顔を合はせるたでに、私かここに曞きたいず思぀おゐるこずを、ぜひずもす぀かり君に読んで眮いおもらひたいのだ。のみならず、君の手玙には別に非難がたしい蚀葉は芋圓らないが、氞い私の沈黙もわれながら少々気がずがめる。さういふわけで私はずりあぞずここたでを封じお君に送るこずにきめた。私がいたどんなこずを考ぞおゐるかを君に分぀おもらぞれば有りがたいず思ふ。いた、君の手玙を封筒に返さうず思぀たら、底の方に吟朚銙の花のはい぀おゐるのに気が぀いた。出しお机の䞊にならべおみるず、す぀かり凋れお、沈んだ緋いろがもう黒ずんでした぀おゐるが、それでも君のゐる高原の季節は感じられる。そこにはもうず぀くに秋が来おゐるのだらう。その静かな空気のなかで私の手玙が、病埌の君をあたりひどく驚かせないやうに祈぀おゐる。\n\n2\n\n 先日の前の手玙は君に䞍愉快を䞎ぞはしなか぀たかしら。どうだ぀たかしらず心配しおゐる。ずにかく私は、前の手玙では倧そう悪い子䟛のこずを話したから、こんどは非垞に善い子䟛のこずを曞く぀もりだ。......\n 䞭孊の五幎にな぀た時、私の生掻に久しぶりの倉動が来た。぀たり私は、䞊玚の孊校ぞの入孊準備をするため、高瀬の家に匕き取られたのだ。\n 私はそこに再び母を芋出した。この頃から、己れの硬さず信じこんでゐたその物によ぀お傷぀いお行く私の歎史がはじたる。いはば私が、倧理石の肉䜓から次第に生身の人間にな぀お行く歎史がはじたる。しかしその倉化は盎ぐにはや぀お来なか぀た。私は圓分のうちは、高瀬の家でも、他から犯されぬ境に身を眮くこずができた。\n 䞀たい母が嫁いで行぀た頃の高瀬家のやうな陰惚な家庭が、倧正末幎ごろの東京に他にあ぀たかどうか、私は疑はしいず思ふ。君は極端な蚀ひ方をするずい぀お咎めるかも知れないが、そこには䞀すぢの文化の光もささず、あるものはただ饐えた封建の臭ひだけだ぀たやうな気がする。これはあるひは、蟲村から単身䞊京しおみごず重圹の怅子を占めたばかりか、歌道や曞道にも立掟な玠逊を身に぀けおほせた高瀬の父が、文化の摂取をずりちがぞお、旧官吏階玚の遺物である封建の遺習にひたすら孊ばうずしたせゐかも知れない。そこでは䞊の四人の女の子は順に矩勇奉公ずいふ名が぀いおゐた。父母は父の居間で食事をずり、䞃人の子䟛たちは別間で極端な粗食――たずぞば冬の朝孊校を急ぐ子は、凍぀た麊飯に氎をかけお食ふずい぀た類の――に甘んじさせられおゐた。男の子に察する䜓刑などもかなり極端なこずがあ぀たやうに聞いおゐる。長女はもう女孊校をそろそろ出るずいふ幎頃であるのに、倖ぞ着お出られる着物は䞀枚も甚意しおなか぀た。ひよ぀ずしたら䞀幎前に亡くな぀たずいふ圌らの母は、ひどい憂鬱症にをかされおゐたのではないかず思ふが、ずにかく䞃人の子䟛はこの激しいスパルタ匏教育の䞋で、ひどくいぢけお醜くか぀た。さうした実業家の家庭に、歊士の血をひく官吏の環境にかなり厳しく育お䞊げられ、しかも枅廉な地方官の劻であ぀た母が、あべこべにリベラリズムの空気を泚入しなければならなか぀た。母のしなければならなか぀た第䞀の仕事は、父を子䟛たちの食堂ぞ匕き出すこずだ぀た。父芪の暩嚁の手前容易に承知しなか぀た父も、「それでは子䟛たちの教育はお匕受け臎し兌ねたす」ずいふ母の蚀葉にや぀ず折れた。これを手はじめに、母はあらゆるこの家の習慣を打砎しお行぀た。それは䞻ずしお父芪ず子䟛たちずの間の融和をはかるこずだ぀た。䞃人の子䟛たちはおびえき぀おゐた。圌らはこの継母のするこずを䞍思議さうに眺めおゐた。やがお子䟛たちも次第に新しい生掻様匏に慣れお行き、父も家庭の楜しみを、勿論その暩嚁の䞀郚は守りながら、次第にさず぀お行぀たやうに思はれる。\n 私が匕きずられお行぀たのは、もはやかうした改革が䞀応終぀お、父が党く母を信甚するやうにな぀た埌だ぀た。匕きずられた日、父は私を呌んで䞀堎の蚓蟞を䞎ぞた。「もうこれからは君をわが子ず芋お、他の子䟛たちず䞀切区別はしない。したが぀お呌び棄おにする」(それたで父は君を぀けお私を呌んでゐた)ずいふ意味を蚀ひ、玠行䞊の泚意を䞎ぞ、さおあらためお子䟛たちを呌んで私を匕き合はせた。この父はさういふ儀匏がひどく奜きな、子䟛らしいずころのある人だ぀た。母はい぀もそれを可笑しが぀おゐたが、やがお子䟛たちも成長するに぀れお、次第に可笑しがりはじめおゐた。぀たり父はい぀の間にか暎君の座から匕きおろされお、奜々爺匏な父に倉化しお行き぀぀あ぀たのだ。も぀ずも雷雚はかなり頻繁に来た。厳しさも党く倱はれたのではなか぀た。さうしお残された怒り぀ぜい父の䞀面は、子䟛の県には父の志操ずう぀り、むしろよい圱響を䞎ぞおゐたやうに思ふ。\n 私は父の蚓蟞の内容を点怜した。それからは、私の解釈によるず、無私ぞの意志が抜出された。それはほずんど愛に䌌おゐたかも知れない。しかし私はこの埌者をただただ信じなか぀たし、よしんば信じたにせよ、たぶん逃げ出したらうず思ふ。が少くも私は、父の非垞に深いはずの人間的鍛錬にもずづく無私の可胜を信じた。たた自分が無私になり埗る自信も確かにあ぀た。私はこの父ず男の取匕をしようず決心した。その䞀方で私が、党く同じ無私を母にも芁求したこずは蚀ふたでもない。けれどこの方はたづ心配はなか぀た。母はその持前の勝気――それは時には䟠気に䌌るこずすらあ぀た――をも぀お、この二重の献身をみごずに統埡しおほせおゐた。その日以来、絶えず母の行動の䞍安の県を泚いでゐた私にも、それはほずんど完党なものにう぀぀た。それは䞀぀には、母を独占しようずいふ欲望を党く感じない、少くもそれを完党に窒息させるこずのできる、私のゆがんだ性栌も手䌝぀おゐたのだらうけれど。......" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「こんなはずではない。」ず圌は、通俗な劇堎から嫌になっお出おきた晩ず同じように、ふたたび蚀った。\n「他に䜕かあるはずだ。」\n「このうえ䜕がほしいんだ?」ずコヌンは尋ねた。\n クリストフは執拗にくり返した。\n「フランスさ。」\n「フランスずは、われわれのこずだよ。」ずシルノァン・コヌンは笑い出しながら蚀った。\n クリストフはちょっず圌を芋぀め、それから銖を振っお、たたくり返した。\n「他に䜕かある。」\n「じゃあ捜しおみるがいい。」ずシルノァン・コヌンはたすたす笑いながら蚀った。\n\n クリストフは捜しあおるこずができた。たさしく圌らは他のものを隠しもっおいた。\n\n" }, { "role": "assistant", "content": " 二\n\n\n パリヌの芞術が発酵しおる思想の醞造桶を、クリストフは次第にはっきりずのぞき蟌むに぀け、䞀぀の匷い印象を受けた。それは、この䞖界䞀家的な瀟䌚における婊人の最䞊暩であった。婊人はこの瀟䌚で、法倖な異垞な地䜍を占めおいた。もはや男子の䌎䟶たるこずだけでは満足しなかった。男子ず同等になっおさえも満足しなかった。婊人の喜びが男子にずっおの第䞀の掟ずならなければ承知しなかった。そしお男子もそれに賛成しおいた。民衆は老衰しおゆく時、その意志や信念やあらゆる生存の理由を、快楜を䞎えおくれる者の手に委ねるものである。男子は䜜品を䜜る。しかし女子は男子を䜜る――(圓時のフランスにおけるごずく、女子もたた䜜品を䜜るこずに立ち亀らない時には)――そしお女子が䜜るずいうのも、実は砎壊するずいった方が至圓かもしれない。もちろん、氞遠の女性は垞に、優良な男子の䞊に刺激的な力を䞎えはした。しかし䞀般男子にずっおは、疲匊した時代にずっおは、だれかが蚀ったように、たったく別な女性がある。この女性もたた氞遠なものではあるが、男子を䞋ぞ匕きおろすのである。そしおかかる女性こそ、パリヌの思想の䞻人であり、フランス共和囜の王であった。\n\n クリストフは、シルノァン・コヌンの玹介により、たた自分の技倆によっお、倚くの客間から迎えられおいたが、そこで圌は珍しげに、パリヌ婊人を芳察した。圌は倚くの倖囜人ず同じく、自分が出䌚った二、䞉の類型によっお埗た仮借なき意芋を、フランス婊人党般に抌し広げおしたった。その類型ずいうのは、幎若な婊人で、倧しお背が高くなく、さほど枅楚でもなく、しなやかな身䜓、染めた髪の毛、愛嬌ある顔の䞊にある、身䜓䞍盞応に倧きな垜子。はっきりした顔だち、少し脹れっ気味の肉。どれもみな、かなり栌奜はよいが、たいおい卑俗で、特質のない小さな錻。なんら深い生呜はないがい぀も掻発であっお、できるだけ茝かせ、できるだけ倧きく芋せようず぀ずめおる県。したりのよいきっぱりした口。ぜっおりした頀。恋愛事件にばかり没頭しながらも、決しお䞖間や家庭ぞの泚意をも怠らないそれら華奢な婊人らの、物質的な性質を瀺しおる顔の䞋郚。きれいではあるが、民族的な根は少しもない。それら瀟亀婊人のほずんどすべおには、䞀皮の臭みが感ぜられた。腐敗しおる䞭流婊人の臭みであり、もしくはそう芋せたがっおる䞭流婊人の臭みであっお、その階玚特有の䌝統が芋えおいた、慎重、倹玄、冷静、実際的胜力、利己䞻矩など。貧匱なる生掻。官胜の芁求よりもむしろ頭の奜奇心から倚く発した、快楜の欲望。平凡なしかも断固たる意志。きわめおりっぱに衣服をたずい、自動的な现かな身振りをしおいた。手の甲や掌で、髪や櫛をこたかにたたきなでおいた。そしおい぀も、倧鏡の近くででもたた遠くででも、自分の姿が映るようなふうに――そしお他人をも監芖できるようなふうに――すわるのであった。そのうえになお、食事の時でもたたはお茶の時でも、よくみがかれお光っおる匙やナむフや銀の珈琲皿などに、自分の顔がちらず映るのを芋萜ずさないで、䜕よりもその方を倚く気にかけおいた。食卓ではきびしい摂生法を守っおいた。理想的な癜粉ののりぐあいを害するかもしれないような食物は、いっさい口にしないで、氎ばかり飲んでいた。\n クリストフが出入する呚囲には、ナダダ婊人が割合に倚かった。圌はナヌディット・マンハむムに出䌚っお以来、ナダダ婊人にあたり空望をかけはしなかったが、それでも、い぀も圌女らにひき぀けられた。シルノァン・コヌンは圌を、むスラ゚ル系統の二、䞉の客間ぞ玹介しおいた。そこで圌は、才知を奜むこの民衆に通䟋の才知をもっお迎えられた。その晩逐の垭で出䌚ったのは銀行家、技垫、新聞蚘者、囜際的仲介人、アルゞェリアの黒奎売買人的な者ども――すべおフランス共和囜の実務家らであった。圌らは明敏で粟力家で、他人には無頓着で、埮笑をたたえ、腹蔵なきふりをし、しかも腹の底を堅く閉ざしおいた。クリストフは、肉ず花ずを積んだ豪奢な食卓のたわりに集たっおるそれらの人々の、過去ず未来ずのうちに、そのきびしい額の䞋に、皮々の眪悪が朜んでるように感ずるこずがあった。ほずんどすべおの者が醜かった。しかし婊人の連䞭は、党䜓ずしお芋るず、かなり光っおいた。あたり近寄っおながめおはいけなかった。倚くは線や色の繊麗さを欠いでいた。しかし光茝はそなえおいお、かなり匷烈な物質的生気をもった颚貌、芋せ぀けがたしく傲然ず差し出しおる矎しい肩、その矎やたたは醜をも、男子をずらえる眠ずなすだけの才胜、などをもっおいた。矎術家だったら、ロヌマ匏の叀い型、ネロやハドリアヌス時代の婊人を、圌女らのうちのある者に芋出したであろう。たた、肉感的な衚情をし重々しい頀がしっかりず銖にくっ぀いおいお、獣的な矎がないでもない、パルマ匏な顔も芋られた。たたある者は、房々ずした瞮れ毛ず、燃えるような果敢な県ずをもっおいた。よく芳察するず、そういう女らは慧敏で、鋭利で、䞇事にゆきわたり、他の女よりもさらに男らしく、それでもたたさらに女性であった。たたかかる連䞭の間に、あちらこちらに、いっそう霊的な顔が際だっおいた。その枅玔な顔だちは、ロヌマを越えお、ラバンの囜ぞたでさかのがるものであった。静寂の詩が、砂挠の諧調が、その顔には感ぜられた。しかしクリストフはそばに寄っおいっお、このレベッカのような婊人が、ロヌマのファりスチナやノェニスの聖バルブなどのような婊人ずかわす蚀葉を聞いた時、それもやはり他の者らず同じく、ナダダ系のパリヌ女にすぎないこずを知った。しかも本来のパリヌ女よりいっそうパリヌ的で、いっそう技巧的であり䜜り物であっお、マドンナのような県で人々の魂や身䜓を赀裞に看砎しながら、平気な意地悪を蚀っおいた。\n クリストフはどの連䞭にも仲間入りするこずができずに、䞀぀の連䞭から他の連䞭ぞずさたよい歩いた。男子らは、獰猛な調子で狩猟の話をし、粗暎な調子で恋愛の話をし、ただ金銭のこずだけは、冷静な嘲笑的な正確さで話しおいた。喫煙宀で甚件を曞き取っおいた。䞀茪の薔薇をボタンの穎にさしお、重々しい喉声の愛嬌をふりたきながら、女たちの怅子から怅子ぞず歩き回っおる色男に぀いお、次のような蚀葉をクリストフは耳にした。\n「なに、圌奎は自由な身になったのか。」\n 客間の片隅では、若い女優や貎婊人の情事に぀いお、二人の婊人が話し合っおいた。時々音楜の挔奏が催されるこずもあった。クリストフは挔奏を求められた。女流詩人らが息を切らし汗を流しながら、シュリヌ・プリュドンムやオヌギュスト・ドルシャンの詩句を、朊朧たる調子で誊した。ある名高い倧根圹者が来お、倩囜的なオルガン䌎奏に぀れお、神秘なる譚歌をおごそかに吟じた。しかしその音楜も詩句もあたりに銬鹿げおいたので、クリストフは気色が悪くなった。しかしそれらロヌマ型の婊人らは非垞に愉快がっお、みごずな歯䞊みを芋せながら心から笑っおいた。たたむプセンの物が挔ぜられるこずもあった。瀟䌚の柱たる人々にたいする偉人の争闘が、これらの婊人たちの慰みずなったのは、面癜い結末ず蚀うべきである。\n 次に圌らは皆、芞術談をなす矩務があるかのようにおのずから信じおいた。それは実にたたらないこずだった。こずに婊人らは、昵懇や瀌儀や退屈や愚蒙などのために、むプセン、ワグナヌ、トルストむ、などの話を始めるのであった。䞀床䌚話がこの方面に向かっおくるず、もう匕き止める術がなかった。その病癖は感染しおいった。銀行家や仲買人や奎隷売買人らの芞術芳を、聞かなければならなかった。クリストフは、返答を避け話頭をそらそうず぀ずめたが無駄だった。圌らは競うお、音楜や高玚の詩の話をもちかけおきた。ベルリオヌズが蚀ったように、「その連䞭はきわめお冷静にそういう蚀葉を䜿った。あたかも酒や女やたた他のくだらない事柄をでも話すように。」ある粟神病専門の医者は、むプセンの女䞻人公のうちに、自分の患者の䞀人の姿を、その方がはるかに銬鹿ではあったが、認めおいた。䞀人の技垫は、人圢の家の䞭で同情し埗られる人物は倫であるず、本気で断蚀しおいた。名高い倧根圹者――著名な喜劇圹者――は、ニヌチェやカヌラむルに関しお、深奥な思想を震え声で口ごもっおいた。ベラスケス――(それは圓時の神であった)――の絵を芋るずい぀でも、「倧粒の涙が頬に流れざるを埗ない」ず、圌はクリストフに話しおきかした。それでも圌のうち明け話――やはりクリストフにたいしおの――によれば、圌はいかに芞術を高䜍にすえるにしおも、実人生の芞術を、行為を、さらに高䜍にすえおいお、もし挔じたい圹割を遞ぶずすれば、ビスマルクの圹を遞びたがっおいた。たた時々䞀座の䞭には、いわゆる才人が亀っおいた。しかしそのために䌚話が明らかに高尚ずなるようなこずはなかった。圌らが蚀っおる぀もりでいる事や珟に蚀っおる事などを、クリストフはよくあらためおみた。するずたいおい圌らは、䜕にも蚀っおいないこずが倚かった。謎めいた埮笑を浮かべお満足しきっおいた。自分の名声だけで生きおいお、それを損じないようにしおいた。たた匁舌家もいた。たいおい南欧の者だった。この連䞭はどんなこずでも話した。䟡倀にたいする感じを具えおいなかった。すべおを同䞀の平面に眮いおいた。シェむクスピダ気取りの者もいた。モリ゚ヌル気取りの者もいた。あるいはむ゚ス・キリスト気取りの者もいた。圌らはむプセンを子デュヌマに比范したり、トルストむをゞョルゞュ・サンドに比范したりした。そしおそれはもちろん、フランスがすべおを発明したのだずいうこずを瀺さんためにであった。普通圌らはどの倖囜語も知らなかった。しかしそれに困らされはしなかった。圌らが真実のこずを蚀っおるかどうかは、その聎き手にはどうでもいいこずだった。倧事なこずは、面癜くおできるだけ囜民的自尊心におもねるような事柄を、口にするずいうこずだった。倖囜人は盛んにののしられおいた! その時々の偶像を陀けば。偶像ず蚀えばグリヌグ、ワグナヌ、ニヌチェ、ゎヌリキヌ、ダヌンチオ、だれであろうず、ずにかく流行にずっおその䞀぀がい぀も必芁だった。ただし長぀づきはしなかった。今日の偶像はい぀か塵箱に入れられるの運呜にあった。\n 圓時にあっおは、偶像はベヌトヌノェンだった。ベヌトヌノェンが――いずくんぞ知らん――流行児だったのだ。少なくずも、䞊流人士ず文孊者ずの間ではそうだった。音楜家らの方は、フランスにおける芞術趣味の䞀の法則たるシヌ゜ヌ的な方法で、すぐにベヌトヌノェンから離れおしたっおいた。フランス人は自分の考えを知るためには、たず隣人の考えを知りたがり、それによっお、同じように考えるかあるいは反察に考えるかするものである。かくお、ベヌトヌノェンが広く知られおきたのを芋るず、音楜家らのうちの最も秀でた人々は、ベヌトヌノェンも自分らから芋るずそう秀でた者ではないず考え始めた。圌らは䞖論に先んじようずしおいお、決しお䞖論のあずに埓っおゆこうずはしなかった。䞖論に同意するよりはむしろ、それに背を向けたがっおいた。それで圌らはベヌトヌノェンをもっお、金切り声で叫ぶ聟の老人だずした。傟聎すべき道埳家ではあるかもしれないが、音楜家ずしおは買いかぶられおるものだず、断定する者さえあった。――そういう悪い冗談は、クリストフの趣味に適しなかった。たた䞊流人士の心酔もやはり圌を満足させなかった。もしベヌトヌノェンがその時パリヌぞ来たら、圌は圓時の獅子ずなり埗たであろう。惜しいかな圌は䞀䞖玀前に死んでいた。それにたた、感傷的な䌝蚘によっお䞖に広く知られおる、圌の生涯の倚少小説的な事情の方が、圌の音楜よりもさらに倚く、この流行を助けおいた。獅子のような顔぀きをした圌の荒々しい面圱は、小説的な顔だちずなされおいた。婊人らは圌に同情を寄せおいた。もし自分が圌を知っおいたら圌をあれほど䞍幞にはさせなかったものをず、圌女らははばからず蚀っおいた。そしおベヌトヌノェンがその蚀葉を真面目に取るの恐れがなかっただけに、なおさら圌女らはその寛倧な心をささげようずしおいた。がこの奜々爺はもはや故人ずなっお、䜕物をも求めおはいなかったのである。――それゆえに、名手や管匊楜長や劇堎䞻らは、倚くの憐憫を圌にかけおやっおいた。そしおベヌトヌノェンの代衚者だずいう資栌で、ベヌトヌノェンにささげられた敬意を身に匕き受けおいた。ごく高䟡な華麗な倧音楜䌚は、䞊流人士らに、その寛仁さを瀺す機䌚を䞎えおいた。――時ずしおはたた、ベヌトヌノェンの亀響曲を発芋する機䌚を䞎えおいた。俳優や軜薄才子や遊蕩者や、芞術の運呜を監理するの任をフランス共和囜から垯びせられた政治家、そういう連䞭から成る委員らが、ベヌトヌノェンの蚘念碑建蚭の蚈画を、䞖間に発衚しおいた。ベヌトヌノェンが生きおいたらその足䞋に螏みにじられそうな䞋劣な連䞭が、か぀ぎ䞊げられおる若干のりっぱな人物ずずもに、その名簿に名を連ねおいた。\n クリストフはながめたた聎いおいた。悪口を蚀うたいず歯をくいしばっおいた。そんな晩じゅう、気を匵り぀め身䜓をひき぀らしおいた。口をきくこずも黙っおるこずもできなかった。愉快からでもなくたた必芁からでもなく、口をきかなければいけないずいう瀌儀から口をきくこずは、圌には卑しい恥ずかしいこずのように思われた。心底の考えを口に出すこずは、圌に蚱されなかった。぀たらないお座なりを蚀うこずは、圌にはできない業だった。しかも黙っおいお瀌を倱しないだけの才胜を、圌はもっおいなかった。隣垭の人をながめるにしおも、あたりにじっず芋぀めるのであった。圌はわれ知らず隣垭の人を研究しおるのであっお、向こうはそれを䞍快に感じた。口をきけば、自分の蚀うずころをあたりに信じすぎおいた。それは皆のものにずっお、たた圌自身にずっおも、気たずいこずだった。圌は自分の来るべき堎所でないこずをよく知っおいた。そしお盞圓に怜悧で、䞀座の調子が合っおるのを感ずるこずができ、自分が亀っおるためにその調子が狂っおるのを感ずるこずができたので、来客らず同じように自分でも自分の態床が気にくわなかった。圌はみずから自分を恚みたた他人を恚んでいた。\n 真倜䞭ごろ぀いに街路に出お䞀人っきりになるず、厭で厭でたたらなくお、歩いお垰るだけの力がなかった。昔少幎名手であったころ、倧公爵邞の挔奏から垰る途䞭、幟床もしたがったず同じように、埀来のたん䞭に寝そべっおしたいたかった。時ずするず、䞀週間の間五、六フランしかもたないにもかかわらず、その二フランを銬車に費やしおしたうこずもあった。早く逃げ出すために急いで銬車に飛び乗るのだった。銬車に運ばれながらがっかりしお嘆息しおいた。家に垰っおも寝床の䞭で、眠りながら嘆息しおいた......。それから突然、おかしな蚀葉を思い出しお攟笑した。その身振りを真䌌お蚀葉をくり返しながら、自分でもびっくりした。翌日、たたは数日埌、䞀人で歩き回りながら、にわかに獣のように唞り出すこずがあった。......なぜああいう連䞭に䌚いに行くのか? なぜ圌らに䌚いにたたやっお行くのか? 他人ず同様に身振りをししかめ顔をし、面癜くもないこずに面癜がっおるふうをするこずが、なぜ䜙儀ないのか?――面癜くないずいうのはほんずうなのか?――䞀幎前だったら、圌はかかる仲間には我慢ができなかったはずである。しかし今や、圌らは圌をいらだたせながらも実は面癜がらせおいた。パリヌ颚の無関心さが倚少圌のうちにしみ蟌んできたのか? 圌は䞍安の念をもっお、自分が匱くなったのではないかず怪しむこずもあった。しかし反察に、圌はいっそう匷くなったのだった。他囜の瀟䌚においお、圌の粟神はいっそう自由になったのだった。圌の県はわれにもあらず、䞖間の倧喜劇に向かっお開かれおいた。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "寄垭の庭\n\n町䞭や庭持぀寄垭の畳替韍雚\n かうしたいたは絶えお芋られなくな぀おした぀た寄垭の庭のおもかげ。いしくもそれを぀たぞおゐる尊い文献の䞀぀に挱石が「硝子戞の䞭」の日本橋䌊勢本を叙するの章りがある。党䜓「硝子戞の䞭」には講釈に関する随筆が少からず、のん〳〵南韍や琎凌をなの぀おゐた時代の先代銬琎の読み口や、䜜者の生家たる牛蟌銬堎䞋界隈の、幎䞭廿人䜍のお客を盞手に南麟ず云ふ講釈垫蚱りがかゝ぀おゐたさうな䞖にも䜗びしい釈堎の光景や、同じく銬堎䞋のや぀ちや堎の嚘が貞氎(恐らく先々代早川貞氎だらう)ず「死ぬの生きるのず」云぀たず云ふ話や、随分いろいろず誌されおゐるのではあるが。\n さおその䌊勢本の庭に぀いおは、\n\n\n「高座の埌が瞁偎で、その先がたた庭にな぀おゐた。庭には梅の叀朚が斜めに井桁の䞊に突き出たりしお、窮屈な感じのしない皋の倧空が、瞁から仰がれる䜍に䜙分の地面を取蟌んでゐた。其庭を東に受けお離れ座敷のやうな建物も芋えた。(äž­ç•¥)長閑な日には、庭の梅の暹に鶯が来お啌くやうな気持もした」\n\n\n云々。\n この文章の䞭の「高座の埌が瞁偎で、その先がたた庭」ず云ふのは、いたのひずたちにはちよ぀ず䜕のこずだか分るたいが、倧震灜以前の釈堎にはずころによるずいたの高座の構造ずは党く別な仕組みの、぀たり湯屋の番台をどうにかしたやうなこしらぞものがニョポッず客垭のよきずころに築き䞊げられおゐたものだ぀たので、埓぀お出挔の講釈垫たちはみな客垭の䞭にわたされおゐるながいながい歩みの板をわた぀お来おはこの高座ぞず䞊が぀たわけで、故人神田䌯山が党盛の砌りなど浅草の金車では歩みから高座ぞず䞊り切るたで拍手の絶えなか぀たこずがあ぀たず、嘗お神田䌯韍は私に談぀た。金車のほかでは柳原寄りにあ぀た神田の小柳が私がおがえおからの、番台匏の高座だ぀た。いた挱石の文章の塩梅から想像しお恐らくこの䌊勢本の高座も亊さうだ぀たのではないかずおもふので、この機䌚にいたは絶えおなくな぀おした぀たかうした高座の様匏をわざ〳〵かいおおいお芋た次第だが、しかし私自身の䌊勢本の蚘憶ず云ぞば、皚いじぶんの冬の晩、どこのかぞりだらう倧叔母に手をひかれおもう半分ほど倧戞を䞋ろしおした぀た、亻だか山本だかで買物をすたし、おもおぞでるず、䞖にもけざやかな寒月の䞋江戞茶番倧䞀座のその名前を䞖にも黒々ず倪文字で蚘した招き行燈の灯のいろが恋びずの眞のやうにたたゝいおゐたほかにはないのだから、果而䌊勢本の高座がその番台様匏のものだ぀たかどうか、そのぞんは誰かに質しお芋ないず分らない。\n 閑話䌑題――それにしおもいたは殆んどどこの寄垭にも庭らしい庭がなくな぀おした぀たけれども私がおがえおからの寄垭の庭ではやはり本郷の若竹だらう、客垭の䞡偎に䞊行しおだだ長い庭があ぀お、向぀お右偎には垭の名に因んでか、竹の叢りいず倚か぀た。巊偎は祠で、䞀番倪錓のずゞろきず共にそこぞお燈明がさし入れられ、ほんのりその灯が倏萩の茂みを濡らした。「本郷若竹亭」ず前曞しお、\n倏萩や小せんおぶはれ楜屋入り\nの句が私にあるが、盲で腰の立たなか぀た先代小せんを車倫がおぶ぀お楜屋入りしお行く哀れの姿は、ほんたうは向぀お右偎の庭を通぀おい぀たのだから、おそ倏の倜曎け、病小せんの襟銖冷やりず濡らしたものは、じ぀は倏萩ではなく䞈高い若竹の葉の露であ぀たらう。\n\n癜き蝶来るなり昌の寄垭の庭\n寄垭の庭や煙れるごずき藀の花\n 昔\n葡萄棚ありし釈堎の西日かな\n\n 未だ〳〵私には歀らの拙吟があるが、前述の金車なども猫の額ほどの小庭に、盆栜の鉢五぀六぀はおかれおあ぀た心地がしおならない。通新石町の立花にもお皲荷さたの祠があ぀たし、四谷の杉倧門(若柳亭)の庭も哀れに趣深か぀た。「葡萄棚ありし」釈堎は八䞁堀の聞楜で、䞭颚にならなか぀たころの若燕が「束葉屋半䞃」をギツチリのお客を前に続き読みしおゐた蚘憶がいずゞな぀かしく消えない。\n さりながら歀らの小庭は元より庭園法に協぀たものでもなければたた庭造りが砕心の補䜜にかゝるものでもない。むしろその倧反察のチダチな安手なや぀぀けなもので、寄垭の小庭のかそけさ矎しさこそは、朚䞋杢倪郎氏が青春詩集「食埌の唄」に、\n\n\n矩倪倫節のびら札の\n藍の匹田もすゞしげに (街頭初倏)\n\n将た又\n矜目に貌぀たる浅葱刷\n寄垭の倪倫のびら札たで (五月の頌歌)\n\n\nず繰返し〳〵歌぀おゐるビラ蟰぀くる巧みに季節々々の意匠をば採入れた蟻びらの詩趣ず共通で、それらを䞀顧し埗る人々にしおはじめお含味鑑賞し埗るずころのものず云ぞよう。藍ず薄曇矎しき氎だしあぶりだしの包装玙、瞁日の葡萄逅屋が絵行燈の朱ず萌黄ず薄むらさき、倧経垫が店先の組䞊燈籠䞉枚続きのいのちにも䌌るず云぀たら分るか。たこずに以おしる人ぞしる垂井の醍醐味至䞊味で、狩野掟円山掟アカデミむ矎術の瀌讃者に、貞秀が暪浜絵芳藀が手遊絵さおは䞉代広重が玫ぞ卑しき開化錊絵の䞋魚味感は、ずこしぞに颚銬牛であるず同じ理合でもあるず云ぞよう。\n 即ちくどいやうだが、寄垭の庭こそは「寄垭」ず云ふ䞀぀の垂井颚物詩篇の䞭の凡そ貎重な二行䞉行で、到底それらなきいたの寄垭は季感なき自由埋俳諧の無味蕪雑にも等しいずさぞあぞお云ひ床い私なのである。䞀芋どうでもいいやうに芋えお、じ぀は叀歌舞䌎に斌る「音矜屋」「成田屋」「倧番頭」など芁所々々に斌る倧向の懞声が、ある堎合ツケや拍朚や本釣り以䞊の綜合効果を珟しおゐるのに䟋ぞおもいい。その廃滅を、切に哀惜しお止たない所以である。\n 次に四隣狭隘、持぀に庭なき寄垭は、入口に暗い现長い路次を甚意しおゐた。歀がたた招き行燈の仄玅い燈火がかもしだす哀愁曲を合方にその路次の溝板螏み鳎らしお行く垂井颚流さは栌別なもので、浅草の䞊朚、䞡囜の立花家、本郷の岩本(のちの梅本)抂ねこの路次系の寄垭に属した。\n さらに庭なく路次なき寄垭に至぀おはたた二階垭の颚雅建築を誇぀おゐた。入るずすぐ女郎屋をおもはせる倧楷子があ぀おそこの二階䞉階が、高座ず桟敷ずに充おられおゐる。二階にゐながらじ぀は階䞋にゐるやうで、そのくせ窓倖の眺めはたた正に歎然ず二階で、この倒錯感がなかなかに愉しいものだ぀た。神田の癜梅、銀座の金沢、浅草の䞊朚、䞊野の鈎本(のちの鈎本キネマのずころ)はじ぀にこの二階垭系列に属し江戞末から明治ぞかけおの殷賑街のみに芋られる艶ず実益ずを兌ね備ぞた特殊建築の味感をば、十二分にず味はせお呉れた(浅草の䞊朚に至぀おは路次ず二階垭の颚流を䞡ながら具備しおゐたず云ぞる)。\n 歀を芁するに寄垭の庭、路次、二階垭――震灜埌日に〳〵烈しくなりたさ぀た泰西文化の理性反省なき暡倣の倧波激は歀らのいづれをも容赊なく過去の圌方ぞ奪ひ去぀おした぀た。今次の倧戊埌講談萜語垭は埩掻繁栄倚少の芋る可きものがでお来たずは申せ、もはや䜳き噺愉しき匵扇の音に觊るる可く、寄垭に庭なく路次なくたた二階垭の艶冶なきをいかゞすべきぞ。たこずに是れ、雑炊食堂の倧混雑裡に珍味䜳肎を貪り喰ふの嘆きにしお、鰻屋に乙な挬物なきも亊同様。アナトヌルフランスが幎少の日の巎里巷間の远憶を綎぀た長線小説「花咲く日」党篇を通読しお以来、䞀そう私は、ありし日の寄垭の庭ぞの郷愁を、烈しく感じだしたものであるこずを、おしたひに癜状しおおかう。\n\n講談萜語の愉しさ\n\n どうしお講談たた萜語の䞖界に、私が䞀生涯をさゝげ぀くしお悔ないかず云ぞば、嘗お䌊藀痎遊も云぀おゐたやうに、講談ず萜語ずはこの日本囜以倖にはない話術の極臎であるからだ。たゞ単に扇䞀本舌䞉寞で老若の悲喜を浮圫りにし、花の日の、月の倜の、雪のあしたの情景をありありず目前に蘇らせお呉れる芞術は、絶察に他囜にはない。この点、歌舞䌎や、浮䞖絵ず党く同じく埓぀おも぀ずも぀ず党䞖界から泚目されおいい日本独自の、芞術であるわけなのだが、惜しい哉、前二者のごずく「目」から「目」ぞ蚎ぞる芞でなく、先づ耳ぞ次いで目ぞかよはせる芞であるため、ハツキリ䜕割かの損をしおゐるのだず云ぞよう。" }, { "role": "assistant", "content": " もう䞀぀痎遊の蚀を匕甚させお貰ふならば、屡々圌は昔の名人が挔じた矩士銘々䌝は、䞊は城代家老の倧石から䞋は足軜䞋郎の寺坂に至るたで、その身分の高䞋によ぀お自らそこに生じお来る人柄の盞違をひずりひずり、即ち四十䞃人分立掟に描写し分けたものだず嘆称しおゐる。\n 私が斯道の叀老から芪しく聞かされたずころでは、昔、䞊野の袎越(いたの京成電車乗り堎ちかく)にでおゐた倧道講釈垫は幎䞭「倪門蚘」蚱りを読んでゐたが、この倪門蚘がなんず䞀幎分――぀たり䞉癟六十五垭あ぀お、しかも倪門秀吉の呜日には私はこの人のおかげで食べさせお貰぀おゐるのですからず云぀お、い぀もの投げ銭䞀切を断り、その日は埀来の人たちぞ終日無料で聎かせたず云ふ。今日も「倪門蚘」を読む講釈垫はなきにしも非ずだが、到底、䞉癟六十五垭をこなし埗る達人はゐない。倧道芞人、䞀ず口に乞食芞人ず呌ばれる䞋民にしお歀䞈けの芞達者があり、尚䞔歀䞈けの颚流人があ぀た。この䞀事䞈けを以おしおも、この「道」の深さが分らう。\n さらに名人円喬の迫真の描写は、明治末幎、近束秋江が埳田秋声の芞境に比范しお絶讃しおゐる。倏目挱石たた、円喬を激しくたゝぞお自分が芋聞した凡ゆる文孊音楜挔劇舞螊矎術よりも、圌の話術の方が䞊䜍であ぀たず嘆じたさうな。\n かうした特異な自囜の芞術の䜳さを、いたたで掘り䞋げもしないで投぀たらかしおおいたのは明治埡䞀新以来の日本人ず云ふ奎に党然科孊粟神が欠劂しおゐたからに倖ならない。\n では、ラヂオによる講談、萜語がその道の党囜的普及には倧そう圹立぀たが、肝腎の県の配りが芋えないためいのちずするずころの人物情景の描写がテレビにでもならないかぎり味到できない、䞁どそのごずくに速蚘もしくは掻字をずほしおの講談や萜語も亊、真の掻写の呌吞は味ぞないかず云ふず、決しお決しおさうではない。\n 珟に、倧円朝の尚倧なる党集十䞉巻を芋よ。あれを翻くず、円朝腐心の性栌描写心理描写情景描写の巧さが手に取るごずく俯瞰される。屡々云ふが「真景环ヶ淵」の䞭のお久新吉盞愛の二人が、始めおカップルで歩く倜の、いかにもりブそのものな新吉の䌚話の巧さは、かいなでの小説家では到底描けない。速蚘術を通しおゞも円朝芞術の秀逞さは、このやうに無限に汲み取るこずができるのだ。\n 円朝に次いで、速蚘で読んで愉しいのは、その門人の円遊俗に錻の円遊、ず呌ばれた錻の倧きな爆笑萜語の倧家である。垫匠の円朝ずは党く䞖界を異にしたなんせんすの集倧成であるが、党篇、小林枅芪や井䞊探景の「明治東京名所図絵」のやうな開化颚景が展開されおゐお、じ぀に矎しく愉しい。今日でも速蚘を読んでゐるず、応ちどこかそこらの居留地の䞘から音匣でも聞えお来さうだ。\n 倧正幎代には、盲目で腰が抜け、釈台に぀かた぀お萜語を挔぀た柳家小せんの速蚘がいい。斎藀緑雚の厇拝者䞈けあ぀お、前代の円遊を宗ずする倧正の東京颚俗を描写しながら、しかもそれは単なる描写でなくお䞀皮、痛烈な䞖界諷刺にさぞな぀おゐる。論より蚌拠、䞉芳屋からでた、䞉皮の小せん萜語集には、私の蚀葉を裏曞するに足る故人の痛快なる口吻が、䞉十䜙幎埌の今日も歎々ずしお生きのこ぀おゐる。\n 他に「銖提灯」の巧か぀た品川の垫匠円蔵のも、先代志ん生のも、狂銬楜のも、私の垫父先代円銬のも、みな〳〵その速蚘が良心的でさぞあれば、よくその独自な話颚は写され、氞遠に私たちを愉したせお呉れおゐる。珟に私は空襲のころ某々口挔の長線「関東䞃人男」(赀尟の林蔵)を通読したが、その背景ずする北関東の暗鬱な颚景描写など、田山花袋の小説や玀行の䞊を屡々私に聯想させ、皀に芋る愉しさだ぀た。\n 倧震灜以前、博物通からでた長線講談は、みな挔者の名前がでたらめで、぀たり本人の口挔しもしないものをいいかげんにく぀ゝけ合はせたものであるず聞いおゐるが、この習慣が远々流行しだしおから、掻字で読む講談萜語は頓に぀たらなくなり、䞔぀信甚がおけなくな぀た、すべお是れ速蚘者その人の心のあり方。くどいやうだが、ほんたうに挔者の呌吞さぞかよ぀おゐたら、速蚘による話術の䞖界たた軜んず可きものではない。\n\nわが寄垭俳句抄\n\n 空襲激化の昭和二十幎の日蚘を繙いお芋るず、䞀月十䞃日の項には、さる十䞉日物故せる垫父䞉遊亭円銬よず前曞しお、\n倧雪や噺の䞭のコツプ酒\n ありし日の豪快なりし高座振りを偲んだずころの拙吟がある。\n 同じ日、たた、さるほどに空襲䞋の寄垭は午埌二時開挔、倕かたたけお打出しぬ、ず前曞しお、\n初垭のがら〳〵の入りでありにけり\n 叀来、初垭を材ずした俳句にしおこのやうなのは皀有ず云ぞよう。\n 二月十䞀日には、小石川音矜蓮光寺に喇叭の円倪郎を掃墓しお、\n春颚や屋根に草ある朱き門\n 䞉月廿九日は、ただ只管に平和ぞ恋しく、ありし日の寄垭景情を偲べばずの前曞䞋に、\n\n初垭や梅の釣枝倪神楜\n春の倜や花籠二぀鞠の曲\n春の倜の囃子の䞭の米掗ひ\n\n やがお四月十䞉日ず五月廿五日ず、二ど焌かれた私たち䞀家は、矜埌山村ぞ、ランプの村に起臥四ヶ月、折柄の月明には、䜗びしき朜瞁に端坐しお、\n\n䜗居うたた朚村重束おもふ月\n颚悲し重束ありしころの月\n\nず諷ひ、同じころ、珟䞉笑亭可楜ず、角舘町に斌る、寄垭芞術に関する講挔に赎いお、偶々垭䞊にお旧著『円朝』ぞ題句を求められた砌りには、\n東京の寄垭の灯遠き倜長かな\nず、即吟した。わが郷愁は、こゝに極たり、きはた぀おゐたのである......。\n\n朧倜\n\n もうぢき、やがお朧倜が来る。春倜かな、ず俳句に諷はれおゐるような、朧おがろの垂井の景色は、䞀幎䞭で最も私の溺愛するずころの季節である。なればこそ、六幎前かいた「寄垭明治篇」ず云ふ小説の䞭でも、私は䞻人公のわかい萜語家今束ずお艶ずを、殊曎に朧倜の浅草新堀端で蚣別させた。\n 毎床かくが、昔の東京の寄垭は、よく现路次の突圓りにあ぀た。この薄暗い路次の奥に仄芋える朚戞の燈火は、雪の倜もいいがやはり朧倜が䞀段ず甘くな぀かしいしゞたが矎しく感じられた。尀も、路次の情調は倧阪の法善寺などもそれで、あすこは倧正末幎たで花月ず玅梅亭ず二぀の寄垭が垞に庇を䞊べおゐたので、\n逢ひに来たやうに玅梅亭を芗き\nず云ふ、圓時誰やらが川柳すらある。「逢ひに来たやうに」が、じ぀によくあの路次の魅惑を描砎しおゐる。\n 寄垭の招き行燈も、四谷の喜よしを最埌に絶えおなくな぀たが、歀は東京特有で、歀ぞ灯が入り筆倪のびら字がが぀ず浮䞊がる塩梅も亊、雪によく秋の倜長にも決しおわるくはなか぀たが、私はどこたでも朧倜を採り床い。行燈に描かれた芞人の名を芋䞊げおゐるずき、堎内から遠く花やかに倪神楜や手品の囃子のながれお来るのも、じ぀に春宵である。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「わたくし、くやしゅうございたす」ず云っおたみははげしく泣きだした。\n「もういい、泣くな」ず䞻蚈が云った、「杉江は病気で急死、ずいうこずに盞談がきたった、自殺したずいうこずを人に知られおはならない、これだけは固く守っおくれ、いいか」\n「はい」ずたみは頷いた。\n「食事のこずはあずで知らせる、ここはいいからさがっおおいで」\n たみが去り、たもなく五郎倪ず柳田良庵が来た。二人で死躰をきれいにしたそうで、良庵は小さな包を持っお、五郎倪は短刀を䞻蚈に枡しながら、これは膏でくもっおいるから、研ぎにだしお怪したれるずいけない、どこかぞしたっおおくほうがよかろうず云った。良庵は若い町医で、蘭法を修業したずいうこずだが、「心臓の故障で吐血し、そのたた急死ずいうこずにする」ず云った。包の䞭には死躰を拭いた晒朚綿がある、それで吐血を始末したずいえばよかろう。よければ芪族の集たるたで自分は残っおいる、ず云った。\n 杉江の病死は疑われるこずなく、二日めに葬儀がおこなわれた。実家からは吉原垂郎兵衛倫劻ず、匟の垂䞉郎、効の束江が来、たた、志田ぞ嫁しおいる姉の盎江も、良人ず二人で来、自分は手䌝いのためあずに残った。匔問の客は倚く、藩䞻からも近習番の者が、非公匏でくやみの意を䌝えに来た。父の六巊衛門は病気ちゅうのこずで、もちろん客の前ぞは出なかったし、心配したほど驚きも悲しみもみせなかった。\n「おたえもおれも女房運が悪いな」ず六巊衛門は沈んだ声で云った、「どこの倫婊もたいおいは女房があずに残るようだが、おれのような幎になっおあずぞ残るず迷惑なものだ、おたえもこんどは䞈倫な嫁を貰うんだな」\n それっきり、杉江に぀いおはなにも云わなかった。\n 参芲の䟛は遠慮を願い出たが、「その必芁はない」ずいうこずで、予定どおり十五日に、䞻蚈は䟛に加わっお江戞ぞ立った。出立する日の早朝、岡本五郎倪が蚪ねお来お、「こんどのこずを䞀日も早く忘れろ」ず云った。どんな理由があったにせよ、死んだ者はもうかえらない、取返せないこずで思い悩むのはみれんだ。幞い、江戞ぞゆくこずだし、土地が倉るのを機䌚にいやなこずを忘れるようにしおくれ、ず繰り返しお云った。\n「うん」ず䞻蚈はなにをみ぀めるずもない県぀きで、じっず脇のほうを凝芖しながら答えた、「――そうするようにしよう」\n\n四 岡本五郎倪の手蚘\n\n 䞃月二十䞀日、氞井䞻蚈のこずで江戞屋敷からたた䞉通の手玙が来た。差出人は巊の䞉人である。\n\n間厎重倪倫(寄合圹肝入、四十二歳、五癟䞃十石)\n河森行之助(小姓組頭、䞉十䞉歳、八十石䜙)\n䞹野真(留守圹、䞉十二歳、四癟䞉十石䜙)\n\n\n 河森ず䞹野はこちらの育ちで、氞井はもずより、私たちずも叀くから知っおいた。氞井が江戞ぞゆくずすぐ、私は手玙で圌のこずを二人に頌んだ。それに察しお、今月たでに河森からは䞃回、䞹野から五回かなり詳しくようすを知らせお来おいた。間厎重倪倫どのは氞井を預かっおいる人で、手玙をよこしたのはこんどが初めおであるが、これらはみな奜たしくない䟿りばかりで、しかも、しだいに事情の悪くなるこずを瀺しおいた。\n 䞉月の事があったあの朝、私は䞻蚈の態床や顔぀きが倉っおいるこずに気づいた。顔぀きも話す調子も、二十幎以来よく知っおいるそれずは違っお、たったく芋知らぬ人のような、冷たくよそよそしい感じであった。\n ――こんな出来事のあずだ、人が倉ったようにみえるのも圓然だろう。\n 私はそう思ったものであるが、江戞から来る手玙はみな、あのずきの䞻蚈のようすを再珟し、それがしだいに悪化しおゆくさたを䌝えおいた。河森は䞻蚈が「怒りっぜく」なり、すぐに人ず「喧嘩をする」ず曞いおいた。䞹野はこれず逆に、䞻蚈がひどく「疑い深く」そしお「陰気になった」ずいう。\n ――気をひきたおおやろうず思い、茶屋遊びなどにも䌎れだしたが、酔えば酔うほど気むずかしくなり、たすたす陰気に黙りこんでしたう、そうしお口癖のように、䞖の䞭のこずはなに䞀぀信じられない、友情などずいっおもうわっ぀らだけのものだ、ずいうような、投げやりなこずをよく云うようになった。\n そんなこずも曞いお来た。読む私には、およそ䞻蚈の気持が掚察できる。みれんだ、ずは云っおやったものの、あんなふうにしお劻に死なれたこずが、そうたやすく忘れられるものではあるたい。自殺の理由でもわかれば、そこからぬけだすみちもあろうが、理由もわからず思い圓るこずもなく、黙っお死んでしたわれたのだから救われようがないだろう。だが、氞井䞻蚈もそう若くはない、ず私は嘆息しながら思った。幎も䞉十二歳、たもなく家犄も恢埩され、䞭老職に仰せ぀けられる筈だ。もう暫くすれば立ち盎るに盞違ない、私は近ごろたでこう考えおいた。\n けれども、事はそう簡単にははこばず、华っお劙にこじれだすようであった。ずいうのは、河森ず䞹野から来る手玙の内容が、氞井のこずを䌝えるず同時に、かれら二人がだんだん䞍和になっおゆく、ずいう状態をも瀺し始めたこずだ。䞹野は四癟䜙石の留守圹、河森は八十石あたりの小姓組頭で、身分にはかなりひらきがある。少幎時代からの芪しい友人ではあっおも、幎が経っお互いに家庭を持぀ず、それだけでも、昔のたたの぀きあいが続くずいう䟋は倚くはない。たしお身分や圹目に差があれば、その関係もいっそうむずかしくなるだろう。\n ――氞井はそれをはっきりさせたのだ。\n 氞井䞻蚈が二人のあいだにはいったこずは、二人を昔の友情でむすび぀けるよりも、逆に珟圚の隔りをはっきりさせたのだ、私はそう考えたのである。\n 河森は䞹野を非難しお、「圌は氞井を堕萜させる」ず曞いお来た。しきりに茶屋遊びぞさそい、酒や女に溺れさせた。囜蚱ずは違っお江戞は広いから、家䞭の県を気にする必芁はない。金さえあれば遊ぶのにこずは欠かないし、遊ばせかたもうたい。おたけに留守圹は料理茶屋などにも顔がきくので、田舎育ちの氞井をひきたわし、遊びを仕蟌むのはたやすいこずだ。おれは氞井に䞉床ばかり意芋したが、圌は耳にもかけないし、䞉床めには喧嘩になっおしたった。......氞井は劻女に死なれたばかりだ、ず岡本は初めに云っお来た。だからおれは圌のためにできるだけのこずをする぀もりだったが、䞹野が付いおいる限り、そしお圌が䞹野ずはなれない限り、おれには圌をどうするこずもできない、どうかこのこずをよく芚えおいおもらいたい。\n 䞹野真はこれに察しお、「河森はおせっかいをしすぎる」ず云っお来た。いた氞井に必芁なのは気持の転換ず、将来ぞの垌望ず勇気をよび起こすこずだ。おれが茶屋遊びに䌎れだしたこずはたえにも曞いたが、十九やはたちではあるたいし、䞉十二にもなっおいる男、それも氞井䞻蚈ほどの男が、茶屋遊びくらいで堕萜する筈はないだろう。珟に、氞井にうちこんでいる芞劓が二人いる。柳橋ではどちらも評刀の売れっ劓で、屋敷たで文をよこすほどのがせあがっおいるが、氞井はたるで芋向きもしない。酒も匷くなったが、酔っおも陰気になるばかりで、浮かれお隒ぐなどずいう䟋はいちどもないし、独りで遊びに行くこずなどもない。......それを河森はうるさく責める、氞井を蕩児にする気か、ず云っおおれを責め、䞹野ず぀きあうな、ずいうふうに氞井を責めるらしい。氞井は黙っおいるが、おれはほかの者からそれを聞いお、困ったや぀だず思っおいる。氞井の傷心のこずは岡本の手玙で知っおいたが、日が経っおも少しも軜くなるようすがない。劻に死なれたこずが、こんなにも深いいたでを残すものだろうか。河森はそれを理解しようずもせず、ただよけいな䞖話をやくばかりだから、华っお氞井をうるさがらせ、気持をめいらせるだけのようである。......老職のあいだに、氞井の䞭老任呜の案が出おいるが、氞井がいたのような状態だず、ちょっずむずかしくなるのではないかず思う。それに぀けおも、河森のおせっかいは困ったものだ。\n そしお間厎重倪倫は、䞹野の手玙を反蚌するように、「氞井には䞭老就任の気がないようだ」ず曞いお来た。日垞のようすも奜たしくない。江戞ぞ来たのは、やがお䞭老に任ぜられるため、老臣たちに前披露をする意味を含んでいる。にもかかわらず、氞井はいちど挚拶たわりをしただけで、その埌はどこぞも寄り぀かない。人づきあいも悪く、激しい口論もたびたびやったようだ。こんなこずでは囜蚱ぞ垰すほうがよい、ずいう意芋もある。そこもずから汲田ぞ話したうえ、そちらの意向を聞かせおもらいたい。\n この間厎重倪倫の手玙を持っお、私は汲田ぞ盞談にゆく぀もりである。䞉月以来、亡き杉江どのに぀いお、私はできる限りのこずをしらべた。それを氞井に曞き送ろうず思っおいたずころだが、汲田ず盞談しおからのこずにする぀もりである。\n\n五\n\n「お酔いになったのね」ず云っお、劓が顔の觊れあうほど芗きこんだ、「苊しいんですか」" }, { "role": "assistant", "content": "「暑い」ず䞻蚈は眉をしかめた、「暑くっおしようがない、もっずはなれおくれ」\n「膝枕をしおいらっしゃるのよ」\n「いいからはなれおくれ」\n「おちよさん、枕をちょうだい」ずその劓が女䞭に云った、「ああいいわ、これでいいでしょ、なあさた」\n 劓は脇息を暪にし、ふずころ玙を圓おお、䞻蚈に枕をさせた。その劓は若くお、名は小光ずいうのだ。䞻蚈は県をあげおお袖ずいう幎増を芋、どうしたんだず云った。お袖は持っおいた盃を、そっず膳の䞊に眮いた。\n「その人にひかされお、ちょうど八幎いっしょにくらしたした」ずお袖は話を続けた、「ずころは云えたせんが、しょうばいは朚綿問屋で、奉公人も六人くらい䜿っおたでしょう、かなり繁昌するお店でしたわ」\n「そうじゃない」ず䞻蚈がもの憂げに遮った、「男ができおどうずかずいう話だ」\n「男ですっお」\n「男ができお、それずいっしょになるために苊劎したんじゃないのか」\n「なんの話かしら」お袖は小光を芋た。\n「米さんのこずよ」ず小光が云った、「このたえ話しかけおよしたでしょ、きっずあのずきのこずよ」\n「そんなこず話したかしら」\n「ずっずきのおのろけじゃないの」\n「酔っおたのね」お袖は盃を取りあげ、小光が酌をした。お袖はそれを飲んで、うっずりしたような県぀きで窓の倖を芋た、「――米さん、......な぀かしいわね」\n「思いいれよろしく、えぞん」ず小光が云った。\n お袖は聞きながしお、きたじめに話しだした。䞻蚈はたえに途䞭たで聞き、なにやら身に぀たされたのを芚えおいる。お袖は朚綿問屋の䞻人にひかされおから、たもなく、小さいじぶんに知っおいた男ず出䌚った。そうだ、盞手は幌な銎染だった。いっしょになるために苊劎したのではない。二床ず逢うたいずしお苊しいおもいをしたんだ、ず䞻蚈は聞きながら思いだしおいた。\n ――死なれたあずで、おれは初めお杉江が恋しくなった、憎い、じ぀に憎いや぀だず思いながら、どうしようもないほどあい぀が恋しいず、䞻蚈は思った。この気持が、お袖の悲しい話に䌌おいたんだ。\n お袖はほかにも幟぀か話をした。朚綿問屋ず八幎、倫婊ずしおくらしたが、䞻人が泊りがけで旅に出た留守、若い手代ずあやたちをおかした。ひどくあけすけな話なのだ。䞻人の留守をいいこずにしお、店の者たちが酒肎を䞊べ、倜の十時ごろたで隒いでいた。女だず思っおばかにしおいる、お袖は怒っお階䞋ぞおりおいった。そのずき廊䞋で、その手代ずすれちがい、若い手代の躯から発散する、匷い躰臭に觊れたのだ。圌は手掗いにゆくずころで、お袖は廊䞋に立っお埅っおいた。圌の躰臭は単に匂ったばかりでなく、お袖の党身に觊れ、肌にしみずおった。お袖は膝ががくがくするほどふるえ、それは自分が怒っおいるためだず思った。圌が戻っお来、お袖は圌を二階ぞ呌びあげた。もちろん叱る぀もりだったが、二階ぞあがり、向きあっお坐るずものが云えなくなり、躯のふるえがもっずひどくなった。それからあずのこずはわからない、お袖は「気が狂うかず思った」ず云った。「耳も聞えなくなり県も芋えなくなった」自分の意志ずはたったく無関係に、手や足や口が勝手な動䜜をした。あずで芋るず、若い手代の頞や肩に歯圢が残り、背䞭には幟筋もみみず腫れができお、血を滲たせおいた。ひかされたのが十䞃だから、むろん男を知らなかったわけではないし、朚綿問屋の䞻人ずは八幎もいっしょだったけれども、そういう感じを味わったのはそのずきが初めおであった。お袖は䞻人を憎悪した。「八幎もひずを隙しおいた」ず思い、きっぱりず別れお、たたこの柳橋から芞劓に出たずいうのだ。気が狂いそうになるあの感じを味わうたえずあずでは、女はたったくべ぀な人間になるらしい、ずお袖は云った。\n それが米吉の堎合は違うのだ。\n「逢ったのは䞉床だけなんです」ずお袖は続けおいた、「あたしは十九、米さんは二十二で、ちょうどお嫁さんを貰おうずしおいるずきでした、幌な銎染ずいっおも、子䟛どうしのこずだからなんの気持もなかったんですよ、それが、五幎か六幎ぶりかで出䌚ったら、急に䞡方ずも火が぀いたようになっおしたったんです。向うはお嫁さんがきたっおいるし、こっちには䞻人がある、蟛うござんしたわ」\n「正盎いっお」ず小光が力をいれた声で蚊いた、「いちども寝なかったの、姐さん」\n「寝るどころか、手を握りさえしなかったわ」ずお袖が云った、「こっちはお嫁さんになる人に枈たない、䞻人にも枈たないず思うし、米さんは米さんであたしの䞻人に枈たない、自分のお嫁になる人にも枈たない、䞡方がそんなふうだから、逢っおも苊しい蟛いおもいをするばかりでしたわ」\n「わからないわ、あたしなんかには」ず小光がお袖に酌をしながら云った、「べ぀にそう倉ったこずでもないのに、なにがそんなに苊しかったり蟛かったりしたのかしら」\n「それは本気だったからよ」\n「本気だず蟛くなるの」\n「本気で恋をするず、たわりの人たちのこずも本気に考えるからでしょ、あんたもそういうずきになればきっずわかるわ」\n それだな、ず䞻蚈は思っおいた。杉江が生きおいるうちは、かくべ぀杉江に気を぀かったこずはなかった。䞉幎のあいだにはいろいろなこずがあったろう、気分のいい日、悪い日。ねだりたいこず、蚎えたいこず、ずきにはあたえたいこずもあったろうが、おれはそういうこずに無関心だった。あれがなにを考えおいるかずいうこずにさえ、いちども気を぀かった芚えがない。本気ではなかったんだ。劻を嚶り、劻がそこにいる、ずいうだけで安心し、それ以䞊に気持がすすたなかった。人間ず人間ずの芯からの぀ながりを持ずうずしなかったんだ。「あの手代ずたちがいを起こしたずきも、なんのこずもなかった」お袖はなお続けお云った、「いただっお旊那があるのに、浮気をしたいずきには平気でしたす、それでこれっぜっちも蟛いずか苊しいなんお思ったこずはありゃしたせん、ずいうのが、旊那ずも浮気をする盞手ずも、本気じゃあないからだず思いたす」\n「諄いぞ」ず云っお䞻蚈は起き盎った、「本気な話はもうわかった、酒をくれ」\n「ああびっくりした」ずお袖が云った、「なにかお気に障ったんですか」\n\n六\n\n「そうじゃない、いい話だ」䞻蚈は小光に酌をさせながら云った、「いい話なんだから、諄くないほうがいいんだ」\n 涙が出お来そうだな、ず䞻蚈は思った。どうしお涙が出そうなのか、お袖の話がそれほど感動させたのか、杉江に冷たかったこずを悔むためか。そうじゃない、お袖の話なんぞありふれたものだ。杉江に察しおも、悔むほど冷たかったずは思えない。そんなこずじゃないさ、おれは途方にくれおいるんだ。杉江が恋しくっお、憎くっお、おれ自身が自分のようではなくなっちたっお、ありずあらゆるものが疑わしく、なにがしんじ぀なのかわからなくなっお、ただもう途方にくれおいるだけなんだ。よかった、涙は出なかった。䞻蚈は小光ぞ県を向けた。この女はおれず寝たがっおいる、小奎もそうだ。小奎のほうがこれより瞹緻はいい、だが小光だっお悪くはないさ。どうしお寝ないんだ。\n「あたしやさしい男なんお嫌いよ」ず小光が云っおいた、「ぞんに芪切でやさしい人なんおむしずがはしるわ、あたしは黙っお屹ずしおいる人が奜き、気にいらないこずがあっおも小蚀なんか云うより、黙っおぎしゃっずぶ぀ような人でなければいやだわ」\n「おんなじこずなのよ」ず女䞭のおちよが云った、「芪切でも薄情でも、こっちがしんから惚れおしたえば、そんな差別はなくなるんじゃないの」\n「そうらしいわ」ずお袖が云った、「男ず女が惚れあう、ずいうこずは同じなのに、䞀぀ずしお同じような惚れかたがない、みんなそれぞれに違っおいるんだから劙なものだわ」\n 䞻蚈は盃をみ぀めおいお、それからふず顔をあげた、「そうだ、そんな歌があったぞ」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「そんな蚳で、小匏郚さんにも、その日『釘抜』をやる事になったのだがね。その前に、あの人は私を捉たえお、その些䞭になるずどうも胞がむか぀いお来お――ず云うものだから、私は県を瞑るよりも――そんな時は华っお、䞊目を匷くした方がいいよ――ず教えおやったものさ。だけども、その日ばかりには限らなかったけれど、そのような折檻の痛目を前にしおいおも、あの人は䜕凊ずなく浮き浮きしおいたのだ。ず云うのは、その可遊ず云う男が、これがたた、井筒屋生き写しず云う男振りでさ。いいえどうしお、玉屋ばかりじゃないのだよ、廓䞭あげおの倧評刀。四郎兵衛さんの䌚所から秋葉様の垞倜灯たでの間を虱朰しに数えおみた所で、あの人に気のない花魁などず云ったら、そりゃ指折る皋もなかっただろうよ。なあに、もうそんな、昔の惚蚀なんぞはずうに裁刀所だっおも、取り䞊げはしたいだろうがね。だけど、その時の可遊さんず来たら、たた別の趣きがあっお、华っお銀杏八䞈の野暮䜜りがぎったり来るず云う塩梅でね。県の瞁が暈っず玅く染っお来お、小びんの埌毛をい぀も気にする人なんだが、それが知らず知らずのうちに䞀本䞀本殖えお行く――ず云うほど、あの人だっおも倢䞭になっおしたうんだよ。そりゃ、男衆にだったら、そんな時の小匏郚さんをさ――あの憎たらしいほど艶やかなししむらなら、倧抵たあ、䞀日経っおも県が飜ちくなりやしたいず思う」\n ずお筆でさえも、䞊気したかのように、そこたで語り続けたずき、圌女はいきなり蚀葉を截ち切っお、せ぀なそうな吐息を䞀぀掩らした。それから、二人の顔を等分に芋比べおいたが、やがお、目窪の皺を無気味に動かしお、声を萜した。\n「所が杉江さん、人の䞖の回り舞台なんおものは、党く䞀寞先が刀らないものでね。その時『釘抜』が始められおから間もなくのこず、ぎたりず矢車の音が止んでしたっお、二人が䜕時たでも出お来なかったず云うのも無理はないのさ。それがお前さん。心䞭だったのだよ。私も、埌から怖々芋に行ったけれども、恰床矢車が暗がりに来た所で――いいえ、それは云わなけりゃ刀らないがね。小匏郚さんを括り付けた矢柄が止たっおいた䜍眮ず云うのが、恰床あの人が真っ逆か吊りになる――云わば圓今の時間で云う、六時の所だったのだよ。぀たり、そう云う名が付いたず云うのも、矢車の半分皋から䞋に来るず、県の䞭に血が䞋りお来お、四蟺が薄暗くなっお来るのだし、それに、ぎしりず䞀叩き食わされおから、たた䞊の方に運ばれお行くず、今床は、悪血がすうっず身䜓から抜け出るような気がしお、恰床それが、倜が明けたず云う感じだったからさ。所が、小匏郚さんの銖には、䞋締が幟重にも回されおいお、その䞡偎には、身䜓䞭の黒血を䞀所に集めたような色で、蚯蚓腫れが幟筋ずなく盛り䞊がっおいる。したが、䞍思議ず云うのはそこで、繁々その顔を芋るず、末期に悶え苊しんだような跡がないのだよ。真実小匏郚さんが、歌舞の菩薩であろうずもさ。絞め付けられお苊しくない人間なんお、この䞖に又ずあろうもんかな。それから、可遊さんの方は、小匏郚さんから二、䞉尺皋暪の所で、これは、巊胞に薬草切りを突き立おおいたんだがね。それが、胞から咜喉の蟺にかけお、血朮の流れが恰床二股倧根のような圢になっおいるので、ただ遠くから芋ただけでは、䜕だか銖ず胎䜓ずが別々のように思われおさ。党くそんなだったものだから、気䞈の方では滅倚にひけを取らない私でさえも、䞀時は可遊さんが誰かに切り殺されたんじゃないかずね、たさかに、斯んな粋事ずは思えなかった皋なんだよ。だから今日この頃でさえも、鰒の䜜り身なんぞを芋るず、極っおその時は、小匏郚さんのししむらが想い出されお来おさ。いいえ、そんな涙っぜい皮じゃなくお、たしかあの人には、死身の嗜なみず云うのがあったのだろうね。絞められおも醜い圢を、顔に残さなかったばかりじゃない、肌にも蒌い透き通った玉のような色が浮いおいお、たた、その皮膚の䞋には、同じような色の柄んだ、液でもありそうに思われお来お――いいえ党くさ、私は、小匏郚さんが䜙り奇麗なもんだから、぀い二の腕のずころを圧しおみたのだがね。するず、その凹んだ痕の呚囲には、たるで赀がうふらみたいな现い血の管が、すうっず珟れおは走り消えお行くのさ。それがお前さん、その消えたり珟れたりする所ず云うのが、おっきりあの倧矢車で――それも、クルクル早く、颚芋たいな回り方をしおいるように芋えるんだよ」\n ず次第に、お筆の顔の䌞瞮が烈しくなっお行っお、圌女の述懐には、もう䞀段――いやもっず薄気味悪い底があるのではないかず思われお来た。杉江は、その異様な情景に、匷烈な絵画矎を感じたが、䞍図県の䞭に利智走った光が珟れたかず思うず光子の肩に手をかけ、匕き寄せるようにしながら、\n「たあ私には、その情態が、たるで錊絵か矜子板の抌絵のように思われお来るので埡座いたすよ。――埡隠居様ず小匏郚さんずが二人立ちで......。でも、笄の色が同しですず自然片方の小匏郚さんが匕き立ちたせんわ、ああ巊様で、あの方のは本錈甲に、その頭が黒の浮き出しで牡䞹を......。それから埡隠居様、お蚀葉の䞭からひょいんな気付きでは埡座いたすけど、その矢車ず云うのは、い぀も通り緩やかに回っおいたのでは埡座いたせんでしたか」ず静かに蚊ねるず、䞀端お筆は、眩んだように県を瞬いたが、答えた。\n「所が杉江さん、それが私には未だもっお合点が埀かないのだがね。実は、そのずっず埌になっおからだが、ゆかりず云う雲衣さん付きの犿が、斯う云う事を云い出したのだよ。その時、釘抜郚屋ず背䞭合わせになっおいる䞭二階で、その犿は、皜叀本を芋おいたのだが、どうも小匏郚さんずしか思われない声で――可遊さん、そんな早く回しちゃ、県が回っおならないよ。止めお、止めお――ず切なそうに頌む声を聎いたず云うのだがねえ。そうするず、圓然可遊の方から挑みかけた無理心䞭ず云う事になっおしたうけれども、そうなるずたた、今床は身䜓が竊み䞊がるような思いがしお来るず云うのは、その矢車の事なのさ。珟実その時は、ゆかりの耳にさえも、最初からゎトンゎトンず云う間䌞びのした調子が続いおいお、緩やかな蜆蜀の音は倉わらなかったず云うのだからね。ずにかく、それ以来六十幎の間ず云うものは、䟋えばそれが合意の心䞭であったにしおもだよ、あの時小匏郚さんの取り枈たしたような顔色ず、その矢車の響ずの二぀が、䜕時たでも私の頭から離れなくなっおしたったのさ」\n そのように、可遊小匏郚の心䞭話が、その幎の宵節句を党く湿やかなものにしおしたい、わけおも光子は、それから杉江の胞にかたく寄り添っお階段を䞋りお行ったのだった。然し、䞀日二日ず過ぎお行くうちには、その倜の蚘憶も次第に薄らぎ行っお、やがお月が倉るず、その䞀日から倧博芧䌚が䞊野に催された。その頃は圓今ず違い、芖界を劚げる建物が䜕䞀぀ないのだから、䜎い入谷田圃からでも、壮倧を極めた倧博芧䌚の結構が芋枡せるのだった。仄のり色付いた桜の梢を雲のようにしお、その䞊に寛氞寺の銅葺屋根が積朚のようになっお重なり合い、たたその背埌には、回教颚を真䌌た鋭い塔の尖や、西印床匏の五茪塔でも思わすような、建物の䞊局がもくもくず聳え立っおいた。そしお、その遥か䞭空を、仁王立ちになっお立ちはだかっおいるのが、圓時日本では最初の倧芳芧車だったのだ。\n 所が、その日の倕方になっお、杉江が二階の雚戞を繰ろうずし、䞍図斜いの離れを芋るず、そこにはおんで思いも付かぬ異様な情景が珟れおいた。党く、その瞬間、杉江は県前の劖しい色の波に、酔いしれおしたった。けれども、それは、決しお圌女の幻ではなく、勿論遠景の異囜颚景が及がしたずころの、無皜な錯芚でもなかったのである。その時、圌女の県に飛び付いお来た色圩ず云うのは、殆んど収集する隙がないほどに匷烈を極めたもので、恰床めんこ絵か絵草玙の悪どい石版絵具が、あっず云う間に、県前を掠め去ったず云うだけの感芚に過ぎなかった。平生ならば、倜気を恐れお、四時過ぎにはずうに雚戞を鎖ざしおしたう筈のお筆が、その日はどうした事か、からりず開け攟っおいるばかりでなく、瞁に敷物たでも持ち出しお、その䞊にちんたり坐っおいるのだった。それだけの事なら䜕凊に他奇があろうぞず云われるだろうが、その時、或は、お筆が狂ったのではないかずも思われたのは、圌女があろう事かあるたい事か、襠掛を矜織っおいるからだった。党く、八十を越えお老い皺匵った老婆が、濃玫の地に倧きく金糞の瞫い取りで暁雚傘を描き出した倪倫着を着、しかも、すうっず襟を抜き出し、衣王を繕っおいるのであるから、それには党く、矎くしさずか調和ずか云うものが掻き消せおしたっお、䜕さた醜怪な地獄絵か、それずも思い切っお床倖れた、匄䞞䜜者の戯画でも芋る心持がするのだった。然し、次第に萜ち着いお来るず、お筆が銳せおいる芖線の行手に杉江は気が付いた。それがい぀もの通り、口を屹っず結んでいお、その※(瞊長の「ぞ」を右から、その鏡像を巊から寄せお、M字圢に重ねたような蚘号)圢の頂蟺が殆んど顔の真䞭蟺たで䞊っお来おいるのだが、その幟分もたげ気味にしおいる目窪の䞭には、異様に茝いおいる点が䞀぀あった。そしお、そこから攟たれおいる光りの箭が、遠く西の空に飛んでいお、寛氞寺の森から半身を高く珟し、その梢を二股かけお螏んたえおいる倧芳芧車に――はっしず突き刺っおいるのだ。\n\n\n\n䞉、老遊女芳芧車を買い切るこず" }, { "role": "assistant", "content": " 䞊びにその芳芧車逆立ちのこず\n\n\n\n 仮りにもし、それが画䞭の颚物であるにしおも、遠芋の倧芳芧車ず云う開花暡様はずもかくずしお、その点睛に持っお来たのが、ものもあろうに金糞銀糞の角眩ゆい襠掛――しかもそれには、老いず皺ずではや人の䞖からは打ち抟がれおいる老遊女が、くるたり県をむいおいるのであるから、その奇絶な取り合せは、容易に刀じ了せるものではなかった。のみならず、遠く西空の芳芧車に、お筆が狂わんばかりの凝芖を攟っおいるず云う事は、たた怖れずも嗀いずも぀かぬ、異様なものだった。けれども、そうしおいるお筆を眺めおいるうちには、䜕時ずなく、圌女が人間の限界を超絶しおいるような存圚に考えられお来お、そこから満ち溢れお来る、䞍思議な力に圧倒されおしたうのだった。が、たたそうかず云っおその埗䜓の知れぬ魔力ず云うのが、华っお西空の芳芧車にあるのではないかず思われもするので......、ああでもない斯うでもないず、ず぀おい぀捻り回しおいるうちには、遠景の芳芧車も県前にある異圢なお筆も、結局䞀色の雑然ずした混淆の䞭に、溶け蟌んでしたうのだった。然し、そうしお、お筆の動䜜に惹かれお行ったせいか、杉江は、芳芧車の现かい郚分たでも知る事が出来た。\n それには现叙の必芁はないず思うが、倧䜓が盎埄二、䞉町もあろうず思われる、巚倧な車茪である。そしお、軞から茻射状に発しおいる支柱が、倧茪を䜜っおいお、恰床初期の客車のような䜓裁をした箱が、その円呚に幟぀ずなくぶる䞋っおいる。勿論、それが緩やかに回転するに぀れお、県䞋に雄倧な眺望が繰り広げられお行くのだった。が、その客宀のうちに、䞀぀だけ矎麗な玅色に塗られたのがあっお、それが䞀等車になっおいた。\n その玅車の䞀぀が、お筆の凝芖の的であった事は、埌に至っお刀明したのだったけれども、圌女の奇怪な行動はその日のみに止たらず、翌日もその次の日もいっかな止たろうずはしなかったので、その毒々しいたでの物奇きには、もう既に呆れを通り越しおしたっお、䜕か凞凹の鏡面でも眺めおいるような、䞍安定なもどかしさを感じお来るのだった。然し、そうしおいるお筆を芋おいるず、その身䜓には日増しに皮膚が也しかすばっお行っお、所々氎気を持った、黒い腫物様の斑点が盛り䞊っお来た。それでなくずも、錻翌や目窪や瞳の光りなどにも、䜕ずなく、目前の䞍吉を予知しおいるような兆が珟れおいるので、最早寞秒さえも吝たなくおはならぬ時期に達しおいるのではないかず思われた。勿論光子は、怖ろしがっお近付かなかったけれども、杉江は凡ゆる手段を尜しお、お筆の偏狂を止めさせようずした。が、結局噛み぀くような県で酬い返されるだけで、圌女は幟床か匕き䞋らねばならなかったのだ。然し、その四日目になるず、お筆は杉江を二階に呌んで、意倖な事にはその䞀等宀の買切りを呜じた、しかもその䞊曎に䞀぀の条件を加えたのであったが、その圱には、鳥枡説明の出来ぬような痛々しさが挂っおいお、生気を、その䞀重に耐え保っおいる人のように思われた。\n「ずにかく、いずれ私の死に際にでも、その理由は話すずしおさ。さぞ、お前さんも云い難いだろうがね。この事だけは、是非なんずか蚈らっお貰いたいのだよ。あの芳芧車の䞭に、䞀぀玅色に塗った車があるじゃないか。それが、毎日四時の閉堎になるず、䞀番䞋になっおしたっお、寛氞寺の森の䞭に隠されおしたうのだよ。いいからそれを、私は閉䌚の日たで買い切るからね。䞀぀、䞀番頂蟺に出しおおくれ――っお」そのように、お筆が思いも䟝らぬ空飛な行動に出たのは、䞀䜓䜕故であろうか。然し、その理由を是非にも聎こうずする衝動には、可成り悩たされたけれども、杉江はただ埓順に応えをしたのみで、離れを出た。そうしお、厚い札束ず共に、劖しい疑問の雲をお筆から譲られたのであったが、䜕故ずなくその玅色をした䞀等車ず云っただけで、さしもお筆の心䞭に枊巻いおいる偏執が刀ったような気がした。あの玅色の䞀点――それがどうしお、䞋向いおはならないのだろうか。たた、立兵庫を埌光のように食っおいる笄の圢が、よくなんず、芳芧車にそっくりではないか。\n そうしお、翌日になるず、その䞀等宀の買切りが、はや垂䞭の話題を独占しおしたったが、詰たる所は、尟圊楌お筆の時代錯誀的な倧尜颚ずなっおしたい、その劂䜕にも叀めかし気な駄駄矅振りには、栗生歊右衛門チャリネ買切りの図などが、新聞に持ち出された皋だった。然し、やがお正午が廻っお四時が来、愈々倧芳芧車の閉堎時になるず、さしも䞭空を塞いでいる倧車茪にも、芋事お筆の所望が入れられたのであろう。ぎったりず玅の指針を宙に突っ立おたのだった。\n「ああ、やれやれこれでいいんだよ。お前さんには、えらいお䞖話になったものさ。だけど杉江さん、念を抌すたでの事はないだろうが、あれは必ず、閉䌚たでは確かなんだろうね。もし䞀床だっお、あの玅い箱が䞋で止たるようだったら、私しゃ唯あ眮きゃしないからね」\n ず云うお筆の蚀葉にも、もう匵りが匛んでいお、党身の陰圱からは䞀斉に鋭さが倱せおしたった。それは、あたかも生れ倉った人のように芋えるのだった。遂ぞ今たで、襠掛を着お芳芧車を眺めおいたお筆ず云う存圚は、ずうに死んでしたっおいお、唯残った気魄だけが、その屍䜓を動かしおいるずしか思えなかったほど、圌女の圱は薄れおしたったのである。そしお、その日は、瞁からも退いおしたっお、再びお筆は、旧通りの習慣を蟿る事になった。けれども、その時の、杉江の顔をもし眺めた人があったずしたら、たしかその䞭に燃えさかっおいる、激情の嵐を芳取する事が出来たであろう。圌女は雚戞に手をかけたたたで、茫んやり前方の空間を眺めおいた。そこには倧芳芧車の円芯の蟺りを、二、䞉条の倕焌雲が暪切っおいお、それが、曞割の䜜り日の出のように芋えた。そしお、問題の䞀等車が、予期した通り円の頂点に静止しおいるのだけれども、そのもの静かな黄昏が、今宵からのお筆の安かな寝息を思わせるずは云え、华っお杉江にずるず、それが魔法のような物凄い月光に感ぜられたのであった。\n それから、圌女は雚戞を繰り、硝子戞を締めお、階段を䞋りお行ったが、䜕故か本屋に垰るではなく、離れの前庭にある楓の暹に寄りかかっお、じっず耳を凝らし始めた。するず、それから二、䞉分埌になっお、お筆がいる二階の方角で、キむず垃を匕き裂くような叫声が起った。その瞬間杉江の党身が䞀床に厩れおしたい、身も䞖もあらぬように戊き出したず思われたけれども、芋る芋る間に圌女の顔は、鉄のような意志の力で匕き締められお行った。そしお、本屋の瞁を螏む頃には、呌吞も平垞通りに敎っおいたのである。然し、それから䞀週間皋経っお、家婢が食事を運んで行くず、意倖にもそこで、尟圊楌お筆の絶呜しおいる姿が、発芋されたのであった。その死因は、明癜な心臓麻痺であり、お筆は氞い業の生涯を、慌だしくもたるで颚のように去っおしたった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「は、はい」\n「お前は、なぜ、その䞍可解な謎を、解こうずはしないのか。氞幎わしがお前に察しお信頌しおいたこずは、ここぞ来お根柢から厩れおしたったぞ。お前こそ、がんくら䞭の倧がんくらだ」\n「は、はい」\n 秘密譊察隊の叞什官ハダブサは、たすたす顔面を蒌癜にしお、おそれ入るばかりであった。\n スタヌベア倧総督がいらいらしおいるそのわけは、キンギン囜ずの戊闘においお、圌が呜じもしない玠晎らしい戊果があげられおいるこずであった。敵の参謀銖脳郚は党滅し、それから最近では、こっちぞ攻めのがっおきた敵の倧朜氎艊隊がこれたた党滅しおしたった。ずころが、圌は、この二぀のこずを、䞀決しお呜什したわけではなかったし、たた事実、そのようなずころぞ兵力や兵噚を出した芚えもなかったのである。只、ふしぎずいう倖ない。\n その䞀方、圌が自ら呜什した戊闘では、い぀もこっちが敗戊しおいる。第䞀岬芁塞を攻められたたただ。わが突撃隊がいくど突貫をやっおも、たた物凄い砲火を敵に济びせかけおも、第䞀岬芁塞は、぀いに奪還するこずができない状態にある。芁塞のうえには、今もなお敵の決死隊のしるしらしい骞骚の旗が、ぞんぜんずしお飜っおいるのであった。呜什しない戊闘に倧勝利を博し、呜什した戊闘に敗北を喫しおいる。こんなふしぎなそしお皮肉きわたる出来事があっおいいだろうか。圌の信頌するハダブサも、぀いにこの謎を解く力がなく、今、圌の前にうなだれおいるのであった。\n 倧総督は、郚屋の䞭を歩きくたびれたものず芋え、ふかぶかした自分の怅子に、身䜓をなげかけるように、腰を䞋ろした。\n「おい、ハダブサ。このこずに぀いお、お前に、なにか思いあたるこずはないか」\n「思いあたるこずず申したすず......」\n「ええい、鈍感な奎じゃ」ずスタヌベアは、倪い髭をふるわせ、\n「぀たり、誰か、このわしを蹎萜そうずいう䞍逞の郚䞋が居お、わしに盞談もしないで敵を攻めおいるのではなかろうか。そい぀は、恐るべき梟雄である!」\n「さあ......」\n ず、ハダブサ叞什官は、小銖をかしげた。\n\n\n 苊しき報告\n\n「さあずは、䜕じゃ。即座に返答ができないずは、お前の職分に恥じよ」\n 倧総督は、ハダブサを面眵した。\n「たこずに重々恐れ入りたすが、これ以䞊、私は、䜕も申䞊げられたせん。私は、免官にしおいただきたいず思いたす」\n「いや、それは蚱さん。お前は、あくたでこの問題を解決せよ。解決しない限り、お前はどこたでも、わしがこき䜿うぞ」\n「困りたしたな」\n ず、ハダブサ叞什官は、圓惑の色をうかべたが、やがお、思い切ったずいう颚に、\n「では、やむを埗たせん。思い切りたしお、䞀぀だけ、申䞊げたいこずがありたす。しかし、倧総督閣䞋は、ずおも私の蚀葉を、お信じにならないず思いたす」\n「なんじゃ。いいたいこずがあるずいうか。それみろ、お前は知っおいるのじゃ。知っおいながらわしにいわないのじゃ。なんでもいい、わしはお前を信ずる。早くそれをいっおみよ」\n 倧総督は、ハダブサを促した。しかし圌は、なおも暫時、沈思しおいるようであったが、぀いに決心の色をうかべ、\n「では、申䞊げたす。これから私の申したすこずは、ずおも埡信甚にならないず思いたすが、申䞊げねばなりたせん。じ぀は、トマト姫さたのこずでございたすが......」\n「䜕、トマト姫。姫がどうしたずいうのじゃ」\n トマト姫は、今幎九歳になる。スタヌベア倧総督の䞀人嚘で、倧総督は、トマト姫を目の䞭に入れおも痛くないほど、可愛がっおいられる。そのトマト姫のこずが、ず぀ぜん秘密譊察隊の叞什官ハダブサの口から出おきたので、倧総督の愕きは倧きかった。\n「姫が、どうしたずいうのじゃ。早く、それをいえ!」\n「は、はい」\n ハダブサ叞什官は、自分の頭を巊右にふりながら、\n「どうも、申䞊げにくいこずでございたすが、トマト姫さたこそ、たこずに奇々怪々なる埡力を持たれたお姫さたのように、存じ䞊げたす。はい」\n「なんじゃ、奇々怪々? あっはっはっはっ」\n 倧総督は、からからず笑いだした。\n「冗談にも皋がある。わしの嚘をずらえお、奇々怪々ずは、なにごずじゃ。お前は血迷ったか」\n「では、やはり、私は、それを申䞊げない方が、よろしゅうございたした」\n「な、なんずいう」\n 倧総督の顔から、笑いの圱が消えた。圌は、急に、頭を手でおさえた。\n「おい、ハダブサ、早くいえ。なぜ、早く、その先を説明しないか」\n「はい、申䞊げたす。倱瀌ながら、トマト姫さたは、実に恐るべき魔力をお持ちでありたす。この前、キンギン囜の女倧䜿ゎヌルド女史が、粟巧な秘密無電機を仕掛けた停県を嵌めお居るこずを発芋なされたのも、そのトマト姫さたでございたした。そのずき以来、私は、トマト姫さたの埡行動を、それずなく監芖――いや埡泚意申䞊げおいたしたずころ、かずかずのふしぎなこずがございたした」\n「ふしぎ? そのふしぎずは、䜕だ。早く、先をいえ」\n「或る日のこず、姫のお埌に぀いお、州立科孊研究所の廊䞋を歩いおいたすず......」\n「おいおい、わしの姫が、そんなずころを歩くものか、いい加枛なこずをいうな」\n「いえ、事実でございたす。――ずころが、郚屋の䞭で、所員の愕くこえを耳にいたしたした。“あっ、蚈噚の指針がずんでしたった、なぜだろう”」\n「なんだ、それは......」\n「぀たり、ず぀ぜん蚈噚に、倧きな電流が流れたため、指針が぀よく廻っお折れおしたったのでありたす。そういう出来事が、姫のお通りになる道で四、五回も起りたした。党く、ふしぎなこずでございたすなあ」\n 姫ず蚈噚の指針ずの間に䜕の関係があるのであろうか。\n\n\n 監芖哚\n\n マむカ地䞋倧芁塞の、陞門は、サン垂のデパヌト、サンサンず、地䞋鉄の入口ずの二぀であった。たた、その海門は、北方海岞䞀垯であった。それ以倖に、このマむカ地䞋芁塞の出入口は、どこにもないのであった。これくらい、堅固で安党な芁塞は、他にない。なにしろキンギン囜では、䞖界の富の十分の䞀にあたるずいう巚倧な費甚をかけお、この倧芁塞を䜜りあげたのであった。\n「䞀䜓、敵は、どこたで攻めお来たのかね」\n「もう十哩向うたで来おいるそうだ。もの凄い戊闘郚隊だずいうこずだぞ」\n マむカ芁塞の監芖哚が亀代になる時間であった。\n「この望遠鏡で芋おも、なんにも芋えないではないか」\n「望遠鏡で芋おも、芋える道理がないよ。敵軍は、空䞭を飛んでいるのじゃないのだ」\n「えっ、空襲じゃないのか」\n「うむ、朜氎艊隊らしい。倪青掋の氎面䞋を、たっしぐらに、こっちぞ進んでくる様子だ」\n「朜氎艊なんぞ、おそれるこずはないじゃないか」\n「それはそうだ。だが、そい぀は、朜氎艊にはちがいないが劙な圢をしおいる奎ばかりで、姿を芋たばかりで、気持がわるくなるず、さっき、将校が、わが隊長に話をしおいたぜ」" }, { "role": "assistant", "content": "「で、こっちは、どうするのか。わがキンギン囜の朜氎艊隊は党滅だそうだし、他の氎䞊艊隊は、みんなむネ州の海岞ぞいっおしたったし、䞀䜓、どうする぀もりかね」\n「さあ、おいらは叞什官じゃないから、どうするか、知らないや。倚分、海䞭電気砲で、敵を撃退するのじゃないかなあ」\n「ふん、海䞭電気砲か。あれは、このキンギン囜軍の埡自慢ものだが、こうなっおみるず、なんだか心现いなあ」\n「くだらんこずをいわないで、さあ、亀代だ。あずを頌むよ」\n 監芖哚の兵は、そこで郚眲を亀代した。\n 空䞭方面には、曎に敵の近づいた様子がないので、圌は、むしろ海䞭からの危機のこずを心配し、空䞭のこずを心配しないでいた。\n ずころが、それから䞀分間ほどたった埌、この監芖哚は、顔の色をかえお枬距儀にすがり぀かねばならなかった。それは、ず぀ぜん空䞭に、どこから湧いたか、すばらしい金色の翌を匵った超重爆撃機が数癟機、頭䞊に姿をあらわしたのであった。\n「ああ、あれは......」\n その超重爆撃機は、たるで、戊艊に翌が生えたような怪奇きわたる姿をもっおいた。\n「敵機だ。倧空襲だ!」\n 監芖哚は、ようやく、吟れにかえっお、譊報释を圧し、そしお口ごもりながら電話で報告をした。\n 高射砲が、砲撃をはじめたのは、それからわずか䞉分のちのこずだったが敵機は、それたでに、既に数癟の爆匟を翌䞋から地䞊に向け切りはなしおいた。\n 爆煙は濛々ずしお、倩日を蔜った。土は、空䞭高くはね䞊り、暹朚は裂け飛び、道路には倧きな穎が明いた。\n だが、被害は、たずそれだけであった。十数名の兵士が、死傷したのが、キンギン囜軍にずっお、最も倧きな痛手であった皋床で、地䞋にあるマむカ倧芁塞の防犊力は埮動だにしなかった。\n そのうえ、高射砲の砲匟は、刻䞀刻猛烈さを加えおいった。鳩䞀矜さえ、通さないぞずいったような、地䞊からの完党匟薬は、いかに敵の空襲郚隊が粟鋭であっおも、これ以䞊キンギン囜の領土内に䟵入するこずを蚱さなかった。それは、刻々に蚌明されおきたようである。ずいうのは、敵機は、急にスピヌドを倱っお、䞀機たた䞀機、降䞋を始めたのであった。\n「ああ、敵機撃墜だ。わが防空陣地の勝利だ!」\n ず、地䞊にわずかに砲口を芋せおいる高射砲郚隊は喊声をあげた。\n 地底深き叞什郚には、ラック倧将が、テレビゞョンによっお、この戊闘の暡様を、手に汗を握っお芳戊しおいたが、このずき、高射砲郚隊からの報告が届いた。\n“――わが高射砲郚隊は、敵機五十八機を撃墜せり。尚匕続き猛射䞭”\n だが、ラック倧将は、別に嬉しそうな顔もせず、傍の参謀に話しかけた。\n「おい、高射砲郚隊は、いい気になっお、撃墜報告をよこしたが、それにしおは敵機の様子がどうもぞんではないか」\n「はあ、閣䞋には、埡䞍審な点がありたすか」\n「うん。なぜずいっお、敵機は、火焔に包たれおいるわけでもなく、むしろ悠々ず地䞊ぞ降䞋姿勢をずっおいるずいった方が、盞応わしいではないか」\n「なるほど」\n「第䞀、わしには、このような匷力なる空襲郚隊が、急にどこから珟われたのか、その蟺の謎が解なくお、気持がわるいのだ。倪青掋䞊に配眮したわが監芖哚は、いずれも優秀を誇る近代譊備をもっお、これたで、いかなる時にも、ちゃんず仮装敵機の発芋に成功しおいる。これがわがマむカ芁塞空襲のわずか二分前たで、敵機襲来を報告しおきた者は只䞀人もいないのだからなあ」\n ず、ラック倧将は、すこぶる腑に萜ちない面持だった。\n\n\n 芆面の敵\n\n キンギン囜の心臓にも譬おいいマむカ倧芁塞を望んで、怪しい敵の空襲郚隊は、悠々ず地䞊に舞䞋った。\n その頃になっお、キンギン囜の防空砲火が、実は敵機に察し、䜕の損害も䞎えおいないこずが、はっきりした。たるで、防匟衣を着た敵兵に、ピストルの匟を、どんどん济びせかけたようなものである。䞋から打ち䞊げた高射砲匟は、奇怪にもすべお敵の超重爆撃機の機䜓から跳ねかえされおいたのであった。埌で分ったこずであるが、敵機にはいずれも匷磁力を利甚した鉄材反発装眮ずいうものが備えおあっお、地䞊から舞䞊るキンギン囜偎の砲匟は、機䜓に近づくずすべお反発されおしたったのである。そうずは知らないラック倧将以䞋は、ただ䞍思議なこずだず、銖をひねるばかりであった。\n そのうちに、只䞀本、貎重な報告が入っおきた。それは、䌝曞鳩が持っおきたものだった。その報告文には、次のような文句があった。\n“――本日十六時、本監芖哚船の前方䞀哩のずころに斌お、海面に波立぀や、突然海面䞋より倧型朜氎艊ずおがしき艊艇珟われ艊銖を波䞊より高く空に向けたず芋たる刹那、該艊の䞡舷より、するするず金色の翌が䌞び、瞬時にしお爆音を発するず共に、空䞭に舞䞊りたり。その姿を、改めお望めば、それは既に朜氎艊にあらで、超重爆撃機なり。朜氎飛行艊ず称すべきものず思わる。叞什機ず思わるる䞀機に匕続き、海面より新に飛び出したる朜氎飛行艊隊の数は、凡そ癟六、䞃十台に及べり。本船は、これを無電にお、至急報告せんずせるも、空電俄に増加し本郚ずの連絡䞍可胜に぀き、已むなく鳩䟿を以お報告す”\n 朜氎飛行艊隊!\n ラック倧将以䞋は、このおどろくべき報告に接しお、さっず顔色をかえた。\n この報告により、ラック倧将の謎ずした事情はようやく分りかけたのであった。\n キンギン囜の遠埁朜氎艊隊が途䞭においお爆砎撃沈されおのち、反っお、敵の朜氎艊隊数癟隻が、キンギン囜の領海に向けお攻めこんできたが、この朜氎艊こそ、只の朜氎艊ではなかったのだ。実は、おそるべき性胜をもった朜氎飛行艊だったのである。\n 監芖哚からの無電報告が、䞀぀ずしお、本郚に届かなかったのは、鳩䟿が぀たえおきたずおり敵軍が無電通信を劚害するため空䞭擟乱を起す電波を発明したのにちがいない。\n ラック倧将は、もうその堎に居たたたらないずいう颚に、怅子から立ち䞊った。\n「こう易々ず、敵軍のため、自囜領土内ぞ䟵入されるなんお、予想もしなかったこずだ。わがスパむ局の連䞭は、䞀䜓なにをしおいたのだろう。アカグマ囜に、こうした優秀な艊艇がありそしおわがキンギン囜ぞ攻めこむほどの積極䜜戊があるずは、これたでに䞀床も報告に接しおいない。党く、皆、なっおいない!」\n このずき、䞀人の参謀が、倧将の前に、すすみ出お、\n「閣䞋。監芖哚からの電話報告が入りたした。敵機は、いよいよ着陞を始めたそうでありたす。その地点は、八四二区です。その真䞋には、このマむカ倧芁塞の発電所があるのですが、敵は、それを考えに入れおいるのであるかどうか、刀明したせんが、ずにかく気がかりでなりたせん」\n「なに、八四二区か。ふむ、それは本圓に油断がならないぞ。敵機が着陞したら、盎に毒瓊斯郚隊で取り囲んで、敵を殲滅しおしたえ」\n「は」\n ラック倧将の呜什䞀䞋、マむカ防衛兵団は、党力をあげお、かの倧胆な䟵入郚隊に立ち向った。\n 毒瓊斯郚隊が、もちろん先頭に出お、盛んに瓊斯匟を、敵のたわりに撃ちこんだ。たた飛行機を飛ばしお、空䞭からも、靡爛瓊斯を撒き散らした。こうするこずによっお、たるで、なめくじの䞊に、塩の山を築いたようなもので、敵は党く進退谷たり、そしおあず四、五分のうちに殲滅されおしたうものず思われ、キンギン囜軍は、やっず愁眉をひらいたのであった。\n ラック倧将は、その埌の快報を、埅ち䜗おいた。もう快報の到着する頃であるず思うのに、前線からは、䜕の䟿りもなかった。倧将は、䞀旊捚おた心配を、たたたた取り戻さねばならぬようなこずずなった。\n それから間もなく、前線からは、戊況報告が入っおきた。埅ちに埅った報告であった。だがその報告の内容は、キンギン囜にずっお、あたり銙しいものではなかった。\n“――敵兵は、毒瓊斯に包たれ぀぀、平然ずしお、陣地構築らしきこずを継続し぀぀あり。尚敵兵は、いずれも堅固なる甲冑を着お居っお、䜕れの囜籍の兵なるや、刀断しがたし”\n「甲冑を着しお居っお、囜籍䞍明? ふヌむ、これは奇怪千䞇!」\n ラック倧将は、呻った。\n\n\n 倧団円\n\n 朜氎飛行艊隊は、キンギン囜郜マむカ垂䞊の八四二区の地䞊に集結しお、盛んに機械を組立おおいた。\n その機械ずいうのは、ばらばらの郚分に分けお、各艊が積んでいたもので今それを䞀぀に組立おおいるのであった。芋る芋るうちに、それは倧きな発電機のような圢になっおいった。\n そこに立ち働いおいる兵士たちの姿をみれば、甲胃を着おいるずいう報告があったずおり、いずれも重い深海の朜氎服のようなものを着おいた。それは、アカグマ囜の第䞀岬芁塞ぞ攻めこんだあの謎の郚隊ず、党く同䞀の服装をしおいたのである。\n そういえば、圌等の乗っお来た朜氎飛行艊の胎には、骞骚のマヌクが぀いおいる。それは、第䞀岬芁塞の戊闘がすんで、アカグマ囜軍が敗退したずき芁塞の䞊高く掲げられた敵軍の旗ず同じマヌクのものであった。\n 䞀䜓この䞍思議なる軍隊は、䜕囜に属しおいるのであろうか。\n 圌等は、毒瓊斯たちこめる原頭に立っお、いささかもひるむずころなく、䟋の倧きな機械の組立を急いだ。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " これを芁するに、クリストフの䜜品は、奜意を有する批評家たちからは、党然理解されず――少しも圌を奜たない批評家たちからは、陰険な敵意を受け――終わりに、味方の批評家にも敵の批評家にも指導されない倧郚分の公衆からは、沈黙を被ったのである。公衆は自分自身の考えに攟っおおかれるず、なんにも考えないものである。\n\n クリストフは萜胆しおしたった。\n 圌の倱敗はしかしながら、䜕も驚くには圓たらなかった。圌の䜜品が人に喜ばれなかったのには、䞉重の理由があった。䜜品はただ十分に成熟しおいなかった。即座に理解されるにはあたりに新しかった。それから、傲慢な青幎を懲らしおやるこずが人々にはきわめお愉快だった。――しかしクリストフは、自分の倱敗が圓然であるず認めるには、十分冷静な粟神をそなえおいなかった。䞖人の長い䞍理解ず圌らの癒すべからざる愚蒙さずを経隓するこずによっお、心の晎穏を真の芞術家は埗るものであるが、クリストフにはそれが欠けおいた。聎衆にたいする率盎な信頌の念ず、圓然のこずずしお造䜜なく埗られるものず思っおいた成功にたいする信頌の念ずは、今や厩壊しおしたった。敵をも぀のはもずよりであるず思っおはいた。しかし圌を茫然たらしめたのは、もはや䞀人の味方をももたないこずであった。圌が頌りにしおいた人々も、今たでは圌の音楜に興味をもっおたらしく思える人々も、音楜䌚以来は、圌に䞀蚀奚励の蚀葉をもかけなかった。圌は圌らの胞䞭を探ろうず぀ずめた。しかし圌らは曖昧な蚀葉に隠れた。圌は固執しお、圌らのほんずうの考えを知りたがった。するず倚少真面目に口をきいおくれる人々は、圌の以前の䜜品を、初期の愚かな䜜品を、圌の前にもち出しおきた。――それから圌は幟床も、旧䜜の名においお新䜜が非難されるのを聞くこずになった。――しかもそれは、数幎以前には、圓時新しかった圌の旧䜜を非難した人々からであった。そういうのが䞖間普通のこずである。しかしクリストフはそれに同意できなかった。圌は怒鳎り声をたおた。人から愛されなくずも、結構だ。圌はそれを承認した。かえっおうれしいくらいだった。すべおの人の友たるこずを望んではいなかった。けれども、愛しおるふりをされるのは、そしお生長するのを蚱されないのは、生涯子䟛のたたでいるこずを匷いられるのは、それはあたりのこずであった! 十二歳にしおはいい䜜も、二十歳にしおはもういい䜜ではない。そしお圌はそのたた停滞しようずは思わなかった。なお倉化し、垞に倉化したいず思っおいた。......生の停滞を望む銬鹿者ども!......圌の幌幎時代の䜜品䞭に芋出せる興味は、その幌皚な未熟さにあるのではなくお、未来のために蓄えられおる力にあるのだった。そしおこの未来を圌らは滅がそうず欲しおるのだった!......吊、圌らは圌がいかなる者であるかをか぀お理解しなかった。か぀お圌を愛したこずはなかった。圌らが愛したのは、圌のうちの卑俗な点、凡庞な茩ず共通な点ばかりであっお、真に圌自身であるずころのものをではなかった。圌らの友誌は䞀぀の誀解にすぎなかった......。\n 圌はおそらくこの誀解を誇匵しお考えおいた。そういう誀解の䟋は、新しい䜜品を愛するこずはできないが、それが二十幎もの歳月を経るず心から愛するような、朎盎な人々にしばしばある。圌らの虚匱な頭にずっおは、新しい生呜はあたりに銙気が匷すぎる。その銙気が時の颚に吹き消されなければいけない。芞術品は幎月の垢に埋もれおから初めお、圌らにわかるようになる。\n しかしクリストフは、自分が珟圚である時には人に理解されず、過去である時になっお人に理解されるずいうこずを、是認するこずができなかった。それよりはむしろ、たったく、いかなる堎合にも、決しお人に理解されないず、そう思いたかった。そしお圌は憀激した。滑皜にも、自分を理解させようずし、説明し、議論した。もずよりなんの圹にもたたなかった。それには時代の趣味を改造しなければならなかったろう。しかし圌は少しも狐疑しなかった。吊応なしにドむツの趣味を枅掃しようず決心しおいた。しかし圌には䞍可胜のこずだった。蟛うじお蚀葉を捜し出し、倧音楜家らに぀いお、たたは圓の盞手に぀いお、自分の意芋を極端な乱暎さで衚癜する䌚話などでは、だれをも説服するこずはできなかった。たすたす敵を䜜り埗るばかりだった。圌がなさなければならないこずは、ゆっくりず自分の思想を逊っお、それから公衆をしおそれに耳を傟けさせるこずであったろう......。\n そしおちょうど、よいおりに、運――悪運――が向いお来お、その方策を圌にもたらしおくれた。\n\n クリストフは管絃楜の楜員らの間に亀わり、劇堎の料理店の食卓に぀き、皆の気色を害するのも構わずに、芞術䞊の意芋を述べたおおいた。圌らは皆意芋を同じゅうしおはいなかったが、圌の恣な蚀葉には皆䞍快を感じおいた。ノィオラのクラりれ老人は、いい人物でりっぱな音楜家であっお、心からクリストフを愛しおいたので、話題を転じたいず思った。しきりに咳をしたり、たたは、機䌚をうかがっおは駄排萜を蚀ったりした。しかしクリストフはそれを耳に入れなかった。圌はたすたすしゃべり぀づけた。クラりれは困华しお考えた。\n「どうしおあんなこずを蚀っおしたいたいのか? ずんだこずだ! だれでもあんなこずは考えるかもしれないが、しかし口に出しお蚀うものではない!」\n きわめお劙なこずではあるが、圌もたた「あんなこず」を考えおいた、少なくずもちょっず思い぀いおいた。そしおクリストフの蚀葉は、倚くの疑念を圌のうちに喚び起こした。しかし圌は、そうずみずから認めるだけの勇気がなかった――半ばは、危険な砎目に陥りはすたいかずいう懞念から、半ばは、謙譲のために、自信に乏しいために。\n ホルンのワむグルは、ほんずに䜕も知りたがらない男だった。だれをも、䜕物をも、よかろうず悪かろうず、星であろうずガス燈であろうず、ただ賛矎したがっおいた。すべおが同じ平面の䞊にあった。圌の賛矎には、物によっおの倚少の別がなかった。圌はただ、賛矎し、賛矎し、賛矎しぬいた。圌にずっおそれは、生きるに必芁な欲求だった。その欲求を制限されるず、苊しみを感ずるのだった。\n チェロのクヌは、さらにひどく悩たされた。圌はたったく心から悪い音楜を奜んでいた。クリストフが嘲笑痛眵を济びせおいたものはこずごずく、圌にずっおはこの䞊もなく貎重なものだった。圌がこずに奜んでいたのは、自然に、最も因襲的な䜜品であった。圌の魂は、涙っぜい浮華な情緒の溜たりであった。確かに圌は、䌌而非倧家にたいする感激厇拝においお、虚停を装っおるのではなかった。圌がみずからおのれを欺く――それも党然無邪気に――のは、真の倧家を賛矎しおるのだずみずから思い蟌んでる点にあった。過去の倩才らの息吹きを、自分の神のうちに芋出せるず信じおいる「ブラヌムス掟」の人々がいる。圌らはブラヌムスのうちにベヌトヌノェンを愛しおいる。ずころがクヌはさらにはなはだしかった。圌はベヌトヌノェンのうちにブラヌムスを愛しおいた。\n しかし、クリストフの劄蚀に最も憀慚したのは、ファゎットのスピッツであった。圌はその音楜䞊の本胜的嗜奜をよりも、生来の屈埓的粟神をさらにはなはだしく傷぀けられた。ロヌマのある皇垝は、立ちながら死にたがったこずもあったが、スピッツは圌の平玠の姿勢どおり、腹匐いに平䌏しお死にたがっおいた。腹匐いが圌の生来の姿だった。すべお官僚的なもの、定評あるもの、「成り䞊がった」もの、そういうものの足䞋にころがっお歓んでいた。そしお奎僕の真䌌をするこずを邪魔されるず、我れを忘れおいらだ぀のだった。\n それゆえに、クヌは慚嘆し、ワむグルは絶望的な身振りをし、クラりれは取り留めもないこずを蚀い、スピッツは金切り声で叫んでいた。しかしクリストフは自若ずしお、さらにいっそう声高にしゃべりたお、ドむツずドむツ人ずに関するひどい意芋を述べおいた。\n 隣りの食卓で䞀人の青幎が、笑いこけながらそれに耳を傟けおいた。瞮らしたたっ黒な髪、怜悧そうな矎しい県、倪い錻、しかもその錻は、先端近くになっお、右ぞ行こうか巊ぞ行こうか決しかねお、たっすぐに行くよりも同時に巊右䞡方ぞ広がっおい、それから厚い唇、敏掻な倉わりやすい顔぀き、その顔぀きで圌は、クリストフの蚀うこずに残らず耳を傟け、その唇の動きを芋守り、その䞀語䞀語に、面癜がっおる同感的な泚意を瀺し、額や顳顬や県尻や、たたは小錻や頬ぞかけお、小さな皺を寄せ、盞奜をくずしお笑い、時ずするず、急にたたらなくなっお党身を揺ぶっおいた。圌は話に口出しはしなかったが、䞀蚀も聞き萜さなかった。クリストフが倧蚀壮語のうちにたご぀き、スピッツからじらされ、憀激のあたり枋滞し急き蟌み口ごもり、やがお必芁な蚀葉を――岩石を芋出しお、敵を抌し぀ぶすたでやめないのを芋るず、圌はこずに喜びの様子を瀺した。そしおクリストフが情熱に駆られお、おのれの思想の埒倖にたで飛び出し、ずお぀もない臆説を吐いお、盞手を怒号させるようになるず、圌は無䞊に面癜がっおいた。\n ぀いに䞀同は、各自に自分の優秀なこずを、感じたり肯定したりするのに飜きお、袂を分かった。クリストフは最埌たで食堂に残っおいたが、やがお出お行こうずするず、先刻あんなに面癜がっお圌の蚀葉を聞いおいた青幎から、敷居ぎわで蚀葉をかけられた。圌はただその青幎を県にずめおいなかった。青幎はおいねいに垜子を脱ぎ、笑顔をし、自己玹介の蚱しを求めた。\n「フランツ・マンハむムずいう者です。」\n 圌はそばから議論を聞いおいた無䜜法を詫び、盞手どもを粉砕したクリストフの手腕を祝した。そしおそのこずを考えながらただ笑っおいた。クリストフはうれしくもあるがただ倚少狐疑しながら、その様子をながめた。\n「ほんずうですか、」ず圌は尋ねた、「僕をひやかすんじゃないんですか。」\n 盞手は神明にかけお誓った。クリストフの顔は茝きだした。\n「それでは、僕の方が道理だず君は思うんですね。君も僕ず同じ意芋ですね?」\n「たあお聞きなさい、」ずマンハむムは蚀った、「実を蚀えば、僕は音楜家ではありたせん、音楜のこずは少しも知りたせん。僕の気に入る唯䞀の音楜は――別にお䞖蟞を蚀うわけではないが――君の音楜です。......ずいうのも、僕はあたり悪い趣味をもっおる男ではないこずを、君に蚌明したいので......。」\n「そんなこずは、」ずクリストフはうれしがりながらも疑わしげに蚀った、「蚌拠にはならない。」\n「手きびしいですね。......よろしい......僕も同意しよう、それは蚌拠にはならないず。それで、ドむツの音楜家らにたいする君の説を、批評するのはよそう。だがいずれにしおも、䞀般のドむツ人、叀いドむツ人、ロマンチックの銬鹿者ども、圌らにたいする君の説はほんずうだ。酞敗した思想をいだき、涙壺のような情緒に浞り、われわれにも賛矎させようずしお、やたらにくり返すあの叀めかしい文句、過去未来を通じお垞に存圚し、今日の掟であるがゆえに明日の掟たるべき、かの氞久の昚日......!」" }, { "role": "assistant", "content": " 圌はシルレルの有名な䞀節のある句を誊した。\n\n\n......氞久なる昚日、\nそは垞に圚りき、たた垞にめぐり来たる......。\n\n\n「圌がたっ先だ!」ず圌は暗誊の途䞭で蚀葉を切っお蚀った。\n「だれが?」ずクリストフは尋ねた。\n「これを曞いた旧匊家さ。」\n クリストフにはわからなかった。しかしマンハむムは蚀い぀づけた。\n「たず僕の考えでは、五十幎ごずに、芞術や思想の倧掃陀をやらなけりゃいけない、前に存圚しおいたものを少しも存続さしおはいけない。」\n「そりゃあ少し過激だ。」ずクリストフは埮笑みながら蚀った。\n「いやそうじゃない、たったくだ。五十幎ずいうのも長すぎる。たあ䞉十幎でいい......それも長すぎるくらいだ!......その皋床が衛生にはいい。家の䞭に父祖の叀物を残しおおかないこずだ。圌らが死んだら、それを他凊ぞ送っおおいねいに腐敗させ、決しおたたもどっおこないように、その䞊に石を眮いずくこずだ。やさしい心の者はたた花を添えるが、それもよかろう、どうだっお構わない。僕が求むるこずはただ、父祖が僕を安静にしおおいおくれるこずだ。僕の方では向こうをごく安静にしおおいおやる。どちらもそれぞれおたがいさただ、生者の方ず、死者の方ず。」\n「生者よりいっそうよく生きおる死者もあるよ。」\n「いや、違う。死者よりいっそうよく死んでる生者があるず蚀った方が、より真実に近い。」\n「あるいはそうかもしれない。だがずにかく、叀くおただ若いものもあるよ。」\n「ずころが、ただ若いんなら、われわれは自分でそれを芋出すだろう。......しかし僕はそんなこずを信じない。䞀床よかったものは、もう決しお二床ずよくはない。倉化だけがいいんだ。䜕よりも肝芁なのは、老人を厄介払いするこずだ。ドむツには老人が倚すぎる。老いたる者は死すべしだ!」\n クリストフはそれらの劄論に、深い泚意をもっお耳を傟け、それを論議するのにいたく骚折った。圌はその䞀郚には同感を芚え、自分ず同じ思想を倚少認めた。ず同時にたた、愚匄的な調子で極端にわたるのを聞くず、ある困惑を感じた。しかし圌は他人もすべお自分ず同じように真摯であるず芋なしおいたので、今自分よりいっそう教逊あるように芋えいっそうたやすく論じおいるその盞手は、おそらく䞻矩から来る理論的な結論を述べおるのであろうず考えた。傲慢なクリストフは、倚くの人からは自惚すぎおるずけなされおいたけれども、実は玠朎な謙譲さをもっおいお、自分よりすぐれた教育を受けた人々に察するず、しばしば欺かれるこずがあった――圌らがその教育を錻にかけないで困難な議論をも避けない時には、こずにそうだった。マンハむムはい぀も自分の逆説をみずから面癜がり、匁難から匁難ぞわたっお、぀いには自分で内心おかしいほどの、途方もない駄匁にふけっおばかりいたので、人から真面目に聞いおもらうようなこずは滅倚になかった。ずころが今クリストフが、自分の詭匁を論議せんずしたたはそれを理解せんずしお、いたく骚折っおるのを芋るず、すっかりうれしくなった。そしお冷笑しながらも、クリストフから重芖されおるのを感謝した。圌はクリストフを滑皜なたた愛すべき男だず思った。\n 二人はきわめお芪しい間柄になっお別れた。そしお䞉時間埌に、芝居の詊挔の時、管匊楜団の垭に開いおる小さな扉から、マンハむムの嘻々ずした匕きゆがめられた顔が珟われお、ひそかに合図をしおるのを芋お、クリストフは倚少びっくりした。詊挔がすむず、クリストフはその方ぞ行った。マンハむムは芪しげに圌の腕をずらえた。\n「君、少し隙があるだろうね。......たあ聞きたたえ。僕はちょっず思い぀いたこずがある。倚分君はばかなこずだず思うかもしれないが......。実は、䞀床、音楜に関する、䞉文音楜家らに関する、君の意芋を曞いおくれないかね。朚片を吹いたりたたいたりするだけの胜しかない、君の仲間のあの四人の銬鹿者どもに向かっお、無駄に蚀葉を費やすより、広く公衆に話しかける方がいいじゃないか。」\n「その方がいいずも! 望むずころだ!......よろしい! だが䜕に曞くんだい? 君は芪切だね、君は!......」\n「こうなんだ。僕は君に願いたいこずがあるんだが......。僕らは、僕ず数人の友人――アダルベルト・フォン・ワルトハりス、ラファ゚ル・ゎヌルデンリンク、アドルフ・マむ、ルツィ゚ン・゚ヌレンフェルト――そういう連䞭で、雑誌を䞀぀こしらえおるんだ。この町での唯䞀の高玚な雑誌で、ディオニゟスず蚀うんだ。......(君も確か知っおるだろう。)......僕らは皆君を尊敬しおる。そしお君が同人になっおくれれば、実に仕合わせだ。君は音楜の批評を受け持っおくれないか?」\n クリストフはそういう名誉に接しお恐瞮した。圌は承諟したくおたたらなかった。しかしただ自分の力に䜙る圹目ではあるたいかず恐れた。圌は文章が䞍埗手だった。\n「なに心配するこずはない、」ずマンハむムは蚀った、「確かにりっぱに曞けるよ。それに、批評家になればあらゆる暩利をも぀んだ。公衆にたいしおは遠慮はいらない。公衆はこの䞊もなく銬鹿なものだ。芞術家ずいうのも぀たらないものだ。人から非難の口笛を吹かれおも仕方はない。しかし批評家ずいうものは、『圌奎を眵倒しろ!』ず蚀うだけの暩利をもっおいる。芳客は皆思玢の困難を批評家に委ねおるんだ。君の勝手なこずを考えればいい。少なくずも䜕か考えおる様子をすればいい。それらの鵞鳥どもに逌を䞎えおやりさえすれば、それがどんな逌だろうず構わない。奎らはなんでも飲み蟌んでしたうんだ。」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " わたしたちはどの坑道から工倫たちが出お来るか教えおもらった。それで六時すこし過ぎに、わたしたちは坑道の暗いかげの䞭に、小さな明かりがぜ぀りぜ぀り芋え始めお、それがだんだんに倧きくなるのを芋た。工倫たちは手に手にランプを持ちながら、䞀日の仕事をすたしお、日光の䞭に出お来るのであった。かれらはひざがしらが痛むかのように、重い足どりでのろのろず出お来た。わたしはそののちに、地䞋の坑道のどん底たではしごを䞋りお行ったずき、それがどういうわけだかはじめおわかった。かれらの顔はえんず぀そうじのようにたっ黒であった。かれらの服ずがうしは石炭のごみをいっぱいかぶっおいた。やがおみんなは点燈所にはいっお、ランプをくぎに匕っかけた。\n ずいぶん泚意しお芋おいたのであるが、やはり向こうから芋぀けおかけ寄っお来るたで、わたしたちはアルキシヌを芋぀けなかった。もうすこしでかれを芋぀けるこずなしにやり過ごしおしたうずころであった。\n 実際頭から足たでたっ黒くろなこの少幎に、あのひじの所で折れたきれいなシャツを着お、カラヌの前を倧きく開けお癜い膚を芋せながら、いっしょに花畑の道をかけっこしたむかしなじみのアルキシヌを芋いだすこずは困難であった。\n「やあ、ルミだよ」ずかれはそばに寄りそっお歩いおいた四十ばかりの男のほうを向いおさけんだ。その人はアッケンのお父さんず同じような、芪切な快掻な顔をしおいた。二人が兄匟であるこずを思えば、それはふしぎではなかった。わたしはすぐそれがガスパヌルおじさんであるこずを知った。\n「わたしたちは長いあいだおたえさんを埅っおいたよ」ずかれはにっこりしながら蚀った。\n「パリからノァルセたではずいぶんありたしたよ」ずわたしは笑い返しながら蚀った。\n「おたけにおたえさんの足は短いからな」ずかれは笑いながら蚀い返した。\n カピもアルキシヌを芋るず、うれしがっおいっしょうけんめいそのズボンのすそを匕っ匵っお、お喜びのごあいさ぀をした。このあいだわたしはガスパヌルおじさんに向かっお、マチアがわたしの仲間であるこず、そしおかれがだれよりもコルネをうたくふくこずを話した。\n「おお、カピ君もいるな」ずガスパヌルおじさんが蚀った。「おたえ、あしたはゆっくり䌑んで行きなさい。ちょうど日曜日で、わたしたちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシヌの話ではあの犬は孊校の先生ず圹者をいっしょにしたよりもかしこいずいうじゃないか」\n わたしはおばさんに察しお気持ち悪く感じたず同じくらいこのガスパヌルおじさんに察しおは気持ちよく感じた。\n「さあ、子どもどうし話をおしよ」ずかれはゆかいそうに蚀った。「きっずおたがいにたんず話すこずが積もっおいるにちがいない。わたしはこのコルネをそんなにじょうずにふく若い玳士ずおしゃべりをしよう」\n アルキシヌはわたしの旅の話を聞きたがった。わたしはかれの仕事の様子を知りたがった。わたしたちはおたがいにたずね合うのがいそがしくっお、おんでに盞手の返事が埅ちきれなかった。\n うちに着くず、ガスパヌルおじさんはわたしたちを晩飯に招埅しおくれるこずになった。この招埅ほどわたしをゆかいにしたものはなかった。なぜならわたしたちはさっきのおばさんの埅遇ぶりで、がっかりしきっおいたから、たぶん門口で別れるこずになるだろうず、道みちも思っおいたからであった。\n「さあ、ルミさんずお友だちのおいでだよ」おじさんはうちぞはいりかけながらどなった。\n しばらくしおわたしたちは倕食の食卓にすわった。食事は長くはかからなかった。なぜなら金棒匕きであるこのおばさんは、その晩ごくお軜少のごちそうしかしなかった。ひどい劎働をする坑倫は、でもこごず䞀぀蚀わずに、このお軜少な倕食を食べおいた。かれはなによりも平和を奜む、事なかれ䞻矩の男であった。かれはけっしおこごずを蚀わなかった。蚀うこずがあれば、おずなしい、静かな調子で蚀った。だから倕食はじきにすんでしたった。\n ガスパヌルおばさんはわたしに、今晩はアルキシヌずいっしょにいおもいいず蚀った。そしおマチアにはいっしょに行っおくれるなら、パン焌き堎にねどこをこしらえおあげるず蚀った。\n その晩それから続いおその倜䞭の倧郚分、アルキシヌずわたしは話し明かした。アルキシヌがわたしに話したいちいちがきみょうにわたしを興奮させた。わたしはもずからい぀か䞀床鉱山の䞭にはいっおみたいず思っおいた。\n でもあくる日、わたしの垌望をガスパヌルおじさんに話すず、かれはたぶん連れお行くこずはできたい、なんでも炭坑で働いおいる者のほかは、よその人を入れないこずになっおいるからず蚀った。\n「だがおたえ、坑倫になりたいず思えばわけのないこずだ」ずかれは蚀った。「ほかの仕事に比べお悪いこずはないよ。倧道で歌を歌うよりよっぜどいいぜ。アルキシヌずいっしょにいるこずもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえおやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」\n わたしは、ノァルセに長くいる぀もりはなかった。自分の志すこずはほかにあった。それで぀いわたしの奜奇心を満たすこずなしに、この町を去ろうずしおいたずき、ひょんな事情から、わたしは坑倫のさらされおいるあらゆる危険を知るようになった。\n\n\n 運搬倫\n\n ちょうどわたしたちがノァルセをたずうずしたその日、倧きな石炭のかけらが、アルキシヌの手に萜ちお、危なくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に絶察の安静をあたえなければならなかった。ガスパヌルおじさんはがっかりしおいた。なぜならもうかれの車をおしおくれる者はなかったし、かれもしたがっおうちにぶらぶらしおいなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いこずであった。\n「じゃあがくで代わりは務たりたせんか」ずかれが代わりの子どもをどこにも求めかねお、がんやりうちに垰っお来たずき、わたしは蚀った。\n「どうも車はおたえには重たすぎようず思うがね」ずかれは蚀った。「でもやっおみおくれようず蚀うなら、わたしは倧助かりさ。なにしろほんの五、六日䜿う子どもを探すずいうのはやっかいだよ」\n この話をわきで聞いおいたマチアが蚀った。\n「じゃあ、きみが鉱山に行っおいるうち、がくはカピを連れお出かけお行っお、雌牛のお金の足りない分をもうけお来よう」\n 明るい野倩の䞋で䞉月くらしたあいだに、マチアはすっかり人が倉わっおいた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっおいたあわれな青ざめた子どもではなかった。たしおわたしが初めお屋根裏の郚屋で䌚ったずき、スヌプなべの芋匵りをしお、絶えず気のどくな痛む頭を䞡手でおさえおいた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっしお頭痛がしなかった。けっしおみじめではなかったし、やせこけおも、悲しそうでもなかった。矎しい倪陜ず、さわやかな空気がかれに健康ず元気をあたえた。旅をしながらかれはい぀も䞊きげんに笑っおいたし、なにを芋おもそのいいずころを芋぀けお、楜しがっおいた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなるこずであろう。\n わたしたちはずいぶん性質がちがっおいた。たぶんそれでかえっお性が合うのかもしれなかった。かれは優しい、明るい気質を持っおいた。すこしもものにめげない、い぀もきげんよく困難に打ちかっおゆく気颚があった。わたしには孊校の先生のようなしんがう気がなかったから、かれは物を読むこずや音楜のけいこをするずきにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに察しお無理を蚀ったが、䞀床もかれはおこった顔を芋せなかった。\n こういうわけで、わたしが鉱山に䞋りお行くあいだ、マチアずカピが町はずれぞ出かけお、音楜ず芝居の興行をしお、それでわたしたちの財産を増やすずいう、やくそくができあがった。わたしはカピに向かっおこの蚈画を蚀い聞かせるず、かれはよくわかったずみえお、さっそく賛成の意をほえおみせた。\n あくる日、ガスパヌルおじさんのあずにくっ぀いお、わたしは深いたっ暗な鉱山に䞋りお行った。かれはわたしにじゅうぶん気を぀けるように蚀い聞かせたが、その譊告の必芁はなかった。もっずも昌の光をはなれお地の底ぞはいっお行くずいうこずには、ずいぶんの恐怖ず心配がないではなかった。ぐんぐん坑道を䞋りお行ったずき、わたしは思わずふりあおいだ。するず、長い黒いえんず぀の先に芋える昌の光が、癜い玉のように、たっ暗な星のない空にぜっ぀りかがやいおいる月のように芋えた。やがお倧きな黒いやみが目の前に倧きな口を開いた。䞋の坑道にはほかの坑倫がはしご段を䞋りながら、ランプをぶらぶらさげお行くのが芋えた。わたしたちはガスパヌルおじさんが働いおいる二局目の小屋に着いた。車をおす圹に䜿われおいるのは、ただ䞀人「先生」ず呌ばれおいる人のほかは、残らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、若いじぶんには鉱山で倧工の仕事をしおいたが、あるずき過っお指をくだいおからは、手に぀いた職を捚おなければならなかったのであった。\n さお坑にはいっおたもなく、わたしは坑倫ずいうものが、どういう人間で、どんな生掻をしおいるものだかよく知るこずになった。\n\n\n 措氎\n\n それはこういうこずからであった。\n 運搬倫になっお、四、五日しおのち、わたしは車をレヌルの䞊でおしおいるず、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうがうから起こった。\n わたしの初めの感じはただおそろしいずいうだけであっお、ただ助かりたいず思う心よりほかになにもなかったが、い぀もものにこわがるずいっおは笑われおいたのを思い出しお、぀いきたりが悪くなっお立ち止たった。爆発だろうか、なんだろうか、ちっずもわからなかった。\n ふず䜕癟ずいうねずみが、䞀連隊の兵士の走るように、すぐそばをかけ出しお来た。するず地面ず坑道のかべにずしんず圓たるきみょうな音が聞こえお、氎の走る音がした。わたしはガスパヌルおじさんのほうぞかけおもどった。\n「氎が鉱坑にはいっお来たのです」ずわたしはさけんだ。\n「ばかなこずを蚀うな」\n「たあ、お聞きなさい。あの音を」" }, { "role": "assistant", "content": " そう蚀ったわたしの様子には、ガスパヌルおじさんにいやでも仕事をやめお耳を立おさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなっおきた。\n「いっしょうけんめいかけろ。鉱坑に氎が出た」ずかれがさけんだ。\n「先生、先生」ずわたしはさけんだ。\n わたしたちは坑道をかけ䞋りた。老人もいっしょに぀いお来た。氎がどんどん䞊がっお来た。\n「おたえさん先ぞおいでよ」ずはしご段たで来るず老人は蚀った。\n わたしたちはゆずり合っおいる堎合ではなかった。ガスパヌルおじさんは先に立った。そのあずぞわたしも続いお、それから「先生」が䞊がった。はしご段のおっぺんに行き着くたえに倧きな氎がどっず䞊がっお来おランプを消した。\n「しっかり」ずガスパヌルおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの暪朚にかじり぀いた。でもだれか䞋にいる人がほうり出されたらしかった、たきの勢いがどっどっずなだれのようにおしお来た。\n わたしたちは第䞀局にいた。氎はもうここたで来おいた。ランプが消えおいたので、明かりはなかった。\n「いよいよだめかな」ず「先生」は静かに蚀った。「おいのりを唱えよう、こぞうさん」\n このしゅんかん、䞃、八人のランプを持った坑倫がわたしたちの方角ぞかけお来お、はしご段に䞊がろうず骚を折っおいた。\n 氎はいたに芏則正しい波になっお、坑の䞭を走っおいた。気ちがいのような勢いでうずをわかせながら、材朚をおし流しお、矜のように軜くくるくる回した。\n「通気竪坑にはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプを貞しおくれ」ず「先生」が蚀った。\n い぀もならだれもこの老人がなにか蚀っおも、からかう皮にはしおも、たじめに気を留める者はなかったであろうが、いちばん匷い人間もそのずきは粟神を倱っおいた。それでしじゅうばかにしおした老人の声に、いたは぀いお行こうずする気持ちになっおいた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持っお先に立ちながら、いっしょにわたしを匕っ匵っお行った。かれはだれよりもよく鉱坑のすみずみを知っおいた。氎はもうわたしのこしたで぀いおいた。「先生」はわたしたちをいちばん近い竪坑に連れお行った。二人の坑倫はしかしそれは地獄ぞ萜ちるようなものだず蚀っお、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いお行った。わたしたちはそれからもう二床ずかれらを芋なかった。\n そのずき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。倧接波のうなる音、朚のめりめりさける音、圧搟された空気の爆発する音、すさたじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。\n「倧措氎だ」ず䞀人がさけんだ。\n「䞖界の終わりだ」\n「おお、神様お助けください」\n 人びずが絶望のさけび声を立おるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傟聎させずにおかないような声で蚀った。\n「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた固たっおいおも、しかたがない。ずもかくからだを萜ち着ける穎をほらなければならない」\n かれのこずばはみんなを萜ち着かせた。おんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は困難であった。なにしろわたしたちがかくれた竪坑はひどい傟斜になっおいお、むやみずすべった。しかも足をふみはずせば䞋は䞀面の氎で、もうおしたいであった。\n でもどうやらやっず足だたりができた。わたしたちは足を止めお、おたがいの顔を芋るこずができた。みんなで䞃人、「先生」ずガスパヌルおじさんに、䞉人の坑倫のパヌゞュ、コンプルヌ、ベルグヌヌ、それからカロリヌずいう車おしのこぞう、それにわたしであった。\n 鉱山の物音は同じはげしさで続いた。このおそろしいうなり声を説明するこずばはなかった。いよいよわれわれの最埌のずきが来たように思われた。恐怖に気がくるったようになっお、わたしたちはおたがいに探るように盞手の顔を芋た。\n「鉱山の悪霊が埩しゅうをしたのだ」ず䞀人がさけんだ。\n「䞊の川に穎があいお、氎がはいっお来たのでしょう」ずわたしはこわごわ蚀っおみた。\n「先生」はなにも蚀わなかった。かれはただ肩をそびやかした。それはあたかもそういうこずはいずれ昌間くわの朚のかげで、ねぎでも食べながら論じおみようずいうようであった。\n「鉱山の悪霊なんずいうのはばかな話だ」ずかれは最埌に蚀った。「鉱山に措氎が来おいる。それは確かだ。だがその措氎がどうしお起こったかここにいおはわからない......」\n「ふん、わからなければだたっおいろ」ずみんながさけんだ。\n わたしたちはかわいた土の䞊にいお、氎がもう寄せお来ないので、すっかり気が匷くなり、だれも老人に耳をかたむけようずする者がなかった。さっき危険の堎合に瀺した冷静沈着のおかげで、急にかれに加わった暩嚁はもう倱われおいた。\n「われわれはおがれお死ぬこずはないだろう」ずかれはやがお静かに蚀った。「ランプの灯を芋なさい。ずいぶん心现くなっおいるではないか」\n「魔法䜿いみたいなこずを蚀うな。なんのわけだ、蚀っおみろ」\n「おれは魔法䜿いをやろうずいうのではない。だがおがれお死ぬこずはないだろう。おれたちは気宀の䞭にいるのだ。その圧搟空気で氎が䞊がっお来ないのだ。出口のないこの竪坑はちょうど朜氎鐘(朜氎噚)が朜氎倫の圹に立぀ず同じりく぀になっおいるのだ。空気が竪坑にたくわえられおいお、それが氎のさしお来る力をせき止めおいるのだ。そこでおそろしいのは空気のくさるこずだ......氎はもう䞀尺(玄䞉〇センチ)も䞊がっおは来ない。鉱山の䞭は氎でいっぱいになっおいるにちがいない」\n「マリりスはどうしたろう」\n「鉱坑は氎でいっぱいになっおいる」ず蚀った「先生」のこずばで、パヌゞュは䞉局目で働いおいた䞀人むすこのこずを思い出した\n「おお、マリりス、マリりス」ずかれはたたさけんだ。\n なんの返事もなかった。こだたも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいる坑の倖にはずおらなかった。マリりスは助かったろうか。癟五十人がみんなおがれたろうか。あたりずいえばおそろしいこずだ。癟五十人は少なくずも坑の䞭にはいっおいた。そのうちいく人竪坑に䞊がったろうか。わたしたちのようににげ堎を芋぀けたろうか。\n うすがんやりしたランプの光が心现くわたしたちのせたいおりを照らしおいた。\n\n\n 生きた墓穎\n\n いたや鉱坑の䞭には絶察の沈黙が支配しおいた。わたしたちの足もずにある氎はごく静かに、さざ波も立おなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は氎があふれおいた。この砎りがたいしずんだ重い沈黙が、初め氎があふれ出したずき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっず心持ちが悪かった。\n わたしたちは生きながらうずめられお、地の䞋癟尺(玄䞉〇メヌトルだが、ここでは深いずいう意味)の墓の䞭にいるのであった。わたしたちはみんなこの堎合の恐怖を感じおいた。「先生」すらもぐんなりしおいた。\n ず぀ぜんわたしたちは手に枩かいしずくの萜ちるのを感じた。それはカロリヌであった......かれはだたっお泣いおいた。ふずそのずき匕きさかれるようなさけび声が聞こえた。\n「マリりス。ああ、せがれのマリりス」\n 空気は息苊しく重かった。わたしは息が぀たるように感じた。耳のはたにぶ぀ぶ぀いう音がした、わたしはおそろしかった。氎も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙がわたしを圧迫した。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n九十九\n\n○おくられものくさぐさ\n䞀、史料倧芳(台蚘、槐蚘、扶桑名画䌝)\n\nこのふみを、あたしし人、このふみを、よめずたばりぬ、そをよむず、ふみあけみれば、もじのぞに、なみだしながる、なさけしぬびお\n\n䞀、やたべ(川魚)やたず芋は節より\n\nしもふさの、ゆふきごほりの、きぬ川の、やたべのいをは、はしきやし、芋おもよきいを、やきおにお、うたらにをせず、あたらしも、かれの心を、おくりくる、みちにあざれぬ、そをやきお、うたらにくひぬ、うじははぞども\nそらみ぀やたずのいもは鳶のねのずろゝにすなる぀くいもなるらし\n\n䞀、やため(川魚)䞉尟は甲州の䞀五坊より\n\nなたよみの、かひのやためは、ぬばたたの、倜ぶりのあみに、䞉぀入りぬ、その䞉぀みなを、わにおくりこし\n\n䞀、仮面二぀某より\n\nわざをぎの、にぬりのおもお、ひよずこの、たがぐちおもお、䞖の䞭の、おもなき人に、かさんこのおもお\n\n䞀、草花の盆栜䞀぀はふもずより\n\n秋くさの、䞃くさ八くさ、䞀はちに、あ぀めおうゑぬ、きちかうは、たづさきいで぀、をみなぞしいただ\n\n䞀、束島の぀ずくさぐさは巊千倫蕚真より\n\nた぀したの、をしたのうらに、うちよする、波のしらたた、そのたたを、ふくろにいれお、かぞりこし、うたのきみふたり(八月十九日)\n\n\n癟\n\n○「病牀六尺」が癟に満ちた。䞀日に䞀぀ずすれば癟日過ぎたわけで、癟日の日月は極めお短いものに盞違ないが、それが䜙にず぀おは十幎も過ぎたやうな感じがするのである。ほかの人にはないこずであらうが、䜙のする事はこの頃では少し時間を芁するものを思ひ぀くず、これがい぀たで぀づくであらうかずいふ事が初めから気になる。些现な話であるが、「病牀六尺」を曞いお、それを新聞瀟ぞ毎日送るのに状袋に入れお送るその状袋の䞊曞をかくのが面倒なので、新聞瀟に頌んで状袋に掻字で刷぀おもらふた。そのこれを頌む時でさぞ病人ずしおは䜙り先きの長い事をやるずいふお笑はれはすたいかず窃かに心配しお居぀た䜍であるのに、瀟の方では䜕ず思ふたか、癟枚泚文した状袋を䞉癟枚刷぀おくれた。䞉癟枚ずいふ倧数には驚いた。毎日䞀枚宛曞くずしお十カ月分の状袋である。十カ月先きのこずはどうなるか甚だ芚束ないものであるのにず窃かに心配しお居぀た。それが思ひのほか五、六月頃よりは容䜓もよくな぀お、遂に癟枚の状袋を費したずいふ事は䜙にず぀おはむしろ意倖のこずで、この癟日ずいふ長い月日を経過した嬉しさは人にはわからんこずであらう。しかしあずにただ二癟枚の状袋がある。二癟枚は二癟日である。二癟日は半幎以䞊である。半幎以䞊もすれば梅の花が咲いお来る。果しお病人の県䞭に梅の花が咲くであらうか。(八月二十日)\n\n癟䞀\n\n○先日西掋梚の事をいふお眮いたが、その埌も経隓しお芋るに西掋梚も熟しお来るず液が倚量にある、あながち日本梚に劣らない。しかし西掋梚ず日本梚ず液の皮類が違ふ。\n 熱い囜で出来る菓物はバナナ、パむンアツプルの劂き皆肉が柔かでか぀熱垯臭いずころがある。柑橘類でも熱い土地の産は肉も袋も総お柔かでか぀甘味が倚い。それからたた寒い囜の産もやはり肉の柔かなものが倚い。林檎の柔かきはいふたでもなく梚でも柔かなものが出来る。しかるにその䞭間の地(たずぞば東海道南海道など)で出来るものは柑橘類でも比范的堅くした぀お居るずころがあ぀お、液が倚量にあり、しかもその液には酞味が倚い。それ故その液は甘味ずいふよりもむしろ枅涌なるために倏時の菓物ずしお適しお居る。日本梚の液も西掋梚の液に比するずやはり枅涌なずころがあ぀お、しかもその液は粒の倚い梚の方が倚量に持぀お居るやうだ。(八月二十䞀日)\n" }, { "role": "assistant", "content": "癟二\n\n○『ホトトギス』第五巻第十号にある虚子遞句の䞉座は人が\n川狩や刀束ねお草の䞊 倩葩\nずいふ句である。これは昔の歊士の川狩の様であらうが「束ねお」ずいふは人は䞀人で刀は倧小二本であるかあるいは二人䞉人の刀を束ぬるのであるか疑はしい。それから刀ずいふは倧をいふのであるかどうか。昔の歊士でも川狩に行く時は倧抂倧小をたばさむやうの事はなく脇指䞀本䜍で行぀たらうず思ふが、脇指でも刀ずいふであらうか。その䞊\n川狩や地蔵の膝に小脇指 䞀茶\nずいふ叀人の句もあるから、どちらにしおもこの句の手柄は少いかず思ふ。地の句は\n鉞をかたげお枡る枅氎かな 碧空生\nずいふのである。枅氎ずいふは山や野にある泉の類で、その泉の流れを成しお居る蟺をいふずしおもその氎の幅は半間か䞀間䜍に過ぎない、その幅の狭い枅氎を「枡る」ずいふた凊が䞀歩か二歩で枡぀おしたぞる、その䞀歩か二歩で枡぀おしたぞる凊をなぜにわざわざ぀かたぞお俳句の趣向にしたのであらうか。かやうな぀たらぬ事を趣向にしおこずごずしくいふのは月䞊者流のする事である。倩の句は\n䜐野が宿鉈ふるふべき藜かな 城矜郎\nずいふのである。䜐野が宿は源巊衛門の宿なるべく、鉢の朚の梅束桜を䌐りたる面圱を留めお倏季の藜を䌐るに転甚したる凊既に倚少の厭味があるやうに思ふ。その䞊に錆びたる長刀をふるふ歊士の面圱を芋せお、鉈を「ふるふ」ず、こずさらにいかめしく蚀ふお芋た凊は、十分に玠人おどしの厭味を垯びお居る。「べき」ずいふ語も厭味がある。(八月二十二日)\n\n癟䞉\n\n○今日は氎曜日である。朝から空は霜れたず芋えお病床に寝お居぀おも暑さを感ずる。䟋に䟝぀お草花の写生をしたいず思ふのであるが、今䞀぀で草花垖を完結する凊であるから䜕か力のあるものを画きたい、それには朝顔の花がよからうず思ふたが、生憎今幎は朝顔を庭に怍ゑなか぀たずいふので仕方がないから隣の朝顔の盆栜を借りに遣぀た。ずころが䜕ず間違ぞたか朝顔の花を二茪ばかりちぎ぀お貰ふお来た。それでは䜕の圹にも立たぬので独り腹立おお居るず隣の䞻人が来られお暫くぶりの面䌚であるので、䜙は麻痺剀を服しおから色々の話をした。正午頃に䞻人は垰られたが、その呜什ず芋えお幌き嚘たちは朝顔の鉢を持぀お来おくれられた。ただ䞀぀だけ咲いお居たすず県の前に眮かれるのを芋るず玫の花が䞀茪萎れもしないで残぀お居る。其凊で昌选を終ぞお埌写生に取り懞぀たが倧略の茪郭を定めるだけにかなりに骚が折れお容易には出来䞊らない。幌き嚘たちは幟らか写生を芋たいずいふ野心があるので、遊びながら画の出来るのを埅぀お居た。時々画垖を芗きに来お、ただよず小さな声で倱望的にいふのは今幎䞃ツになる児である。そのうち内の者が倖に䜙぀お居る絵の具を出しお遣぀たのでこの䞃ツになる児ず、盎ぐその姉に圓る十になる児ず二人で画を画き初めた。幎かさの倧姉さんずいふのが傍に居お監督しお居る。二人の子は䜙が写生した果物垖を広げおそれを手本にしお画いお居る様子である。林檎にしたせう、これがいいでせう抔ずいふのは䞃ツになる児で、いえそれはむづかしくお画けたせぬ、桜んがにしたせうずいふのは十になる児である。それから、この色が出ないずか絵の具が足りないずか頻りに隒いで居たが、遂にその結果を䜙の前に持ち出した。芋るず䞃ツの児の桜んがの画はチダンず出来お居る。十になる方のを芋るず、これも桜んがが曎に確かに写されお居る。原図よりはかぞ぀お手際よく出来お居るので䜙は驚いた。やがおこれにも飜いたず芋えお朝顔の画の出来䞊るのも埅たずに皆垰぀おしたふた。䜙はた぀た䞀茪の花を画いたのが成瞟がよくなか぀たので、やや困りながら、倧きな葉の癜い斑入りのや぀を画いお芋たが、これは玙が絵の具をはじくために党く出来ぬのもありたた自ら斑入りのやうに出来䞊るのもあ぀おをかしか぀た。蔓の糟れお居る工合を芋るのも䜕ずなく面癜か぀た。この時どやどやず人の足音がしお客が来たらしい。やがお刺を通じお来たのは孫生、快生の二人であ぀た。(ツヅク)(八月二十䞉日)\n\n癟四\n\n(ツヅキ) 二人ずも二幎ばかり遇はなか぀たので殊に快生などはこの前芋た時には子䟛々々したい぀その小僧さんのやうに思ふお居たが今床遇぀おみるず、折節髭も少しばかり䌞びお居るので、いたく倧人びたやうな感じがした。䜙は写生の画き残りをなほ画き続けながら話をしおゐたが、そのうち絵はほが出来䞊぀たので写生垖を傍に眮き、絵の具を向の方ぞ突きや぀おしたふた頃、孫生がいふには、実は枡蟺さんのお嬢さんがあなたにお目にかかりたいずいふのですがず意倖な話の糞口をほどいた。さうですか、それはお目にかかりたいものですが、ずいふず、実は今来お埅぀おおいでになるのです、ずいはれたので、䜙はいよいよ意倖の事に驚いた。そのうち孫生は玄関の方ぞ出お行お䜕か呌ぶやうだず思ふず、すぐその枡蟺のお嬢さんずいふのを連れお這入぀お来た。前からうすうす噂に聞かぬでもなか぀たが、固より今遇はうずは少しも予期しなか぀たので、その颚采なども䞀目芋るず予お想像しお居぀たよりは遥かに品の善い、それで䜕ずなく気の利いお居る、いはば䜙の理想に近いずころの趣を備ぞお居た。䜙はこれを芋るずから半ば倢䞭のやうにな぀お動悞が打぀たのやら、脈が高くな぀たのやら凡お芚えなか぀た。お嬢さんはごく真面目に無駄のない挚拶をしおそれで䜕ずなく愛嬌のある顔であ぀た。かういふ顔はどちらかずいふず䞖の䞭の人は䞀般に䜙り善くいはない、勿論悪くいふものは䞀人もないが、さおそれだからずいふお、これを第䞀流に眮くものもない、それで䞖人からはそれほどの尊敬は受けないのであるが、䜙から芋るずこれほどの矎人=矎人ずいふずどうしおも俗に聞えるが䜙がいふ矎人の矎の字は矎術の矎の字、審矎孊の矎の字ず同じ意味の矎の字の矎人である=は先づいくらもないず思ふ。ただ十分な事をいふず少し䜙の意に満たない凊は、぀くりがじみ過ぎるのである。勿論極端にじみなのではない、盞圓の食りもあ぀おその調和の工合は䜕ずもいはれん味があるが、それにもかかはらず䜙は今少しはでに修食したらば䞀局も二局も匕き立぀お芋えるであらうず思ふ。けれどもそれは䜙り莅沢過ぎた泚文で、吊むしろ無理な泚文かも知れぬ。これだけでも䜙の心をしお恍惚ずなるたでにするには十分であ぀た。話はそれからそれず移぀お、快生が今たで居た䞋総のお寺は六畳䞀間の庵宀で岡の高みにある、眺望は極めお善し、泥棒の這入る気遣はなし、それで檀家は十二軒、誠に気楜な凊であ぀たなどずいふ話にやや涌しくなるやうな心持もした。暫くしお䞉人は暇乞しお垰りかけたので䜙は病床に寐お居ながら䜕ずなく気がいら぀お来お、どうずも仕方のないやうにな぀たので、今垰りかけお居る孫生を呌び戻しお私かに䜙の意䞭を明しおしたふた。䜙り突然なぶし぀けな事ずは思ふたけれども䜙は生れおから今日のやうに心をなやたした事はないので、埓぀おたた今日のやうに英断を斜したのも初めおであ぀た。孫生は快く承諟しおずにかくお嬢さんだけは眮いお行きたせうずいふ。それから玄関の方ぞ行お䜕かささやいた末にお嬢さんだけは元の宀ぞ垰぀お来お今倜はここに泊るこずずな぀た。そのうち日が暮れる、飯を食ふ、今は倜になるず䟋の劂くに半ば苊しく半ば草臥れおしたふ。お嬢さんず話をしようず思ふお居る内に、もう九時頃にな぀た。九時になるず、少し眠気がさすのが䟋であるが、ずにかく自分だけは蚊垳を釣぀おもらふお、それからゆ぀くりず話でもしようず思ふお居る凊ぞ郵䟿が来た。それは先刻孫生に玄束しお眮いた「癟人豪」ずかいふ本をよこしおくれたので、蚊垳の䞭でそれを読み始めたが、終に眠くな぀お寐おしたふた。\n 翌朝起きおみるず二通の郵䟿が来お居る。その䞀通を開いおみるず、叀生からよこしたので端曞倧の掋玙に草花を写生したのが二枚あ぀た。䞀぀はグロキシアずいふ花、今䞀぀は䜕ピヌずかい぀お豌豆のやうな花である。これはきのふ自分で写生したのだずいふおよこしたのであるが、䜙り矎しいので始のうちは印刷したものずしか思ぞなか぀た。今䞀通の郵䟿を手に取぀おみるず孫生、快生連名の手玙であ぀たので、動悞ははげしく打ち始めた。手玙を開けお読んでみるず昚日あれから話をしおみたが誠によんどころないわけがあるので、貎兄の思ふやうにはならぬずいふ事であ぀た。しかしお嬢さんは圓分の内貎兄の内に泊぀お居られおも差支ないずいふのである。倱望ずいはうか、萜胆ずいはうか、䜙は頻りに煩悶を始めた。到底我掌䞭の物でないずすればお嬢さんにもい぀そ今垰぀おもら぀た方がよからう。䞀床でも二床でも芋合぀たり話し合぀たりするほど、いよいよ未緎の皮である。最早顔も芋たくない、などず思ひながら孫生、快生ぞ圓おお䞀通の返事を曞いおや぀た。その返事は極めお尋垞に極めおおずなしく曞いたのであ぀たが䜕分それでは物足りないやうに思ふおたた終りに恚みの蚀葉を曞きお\n断腞花぀れなき文の返事かな\nず䞀句を添ぞおや぀た。それから䜕をするずもなく、新聞も読たずにう぀らう぀らずしお居぀たが䜕分にも煩悶に堪ぞぬので、再び手玙を曞いた。いふたでもなく孫生、快生ぞ圓おた第二䟿なので今床は恚みを陳べた埌に曎に䜕か別に良手段はあるたいか、もし䜙の身にかなふ事ならどんな事でもするが、ずこたごたず曞いお\n草の花぀れなきものに思ひけり\nずいふ䞀句を添ぞおや぀た。それでその日は時候のためか䜕のためかずにかく煩悶の䞭に䞀日を送぀おしたふた。\n その次の日、小さな玙人圢を写生しおしたふた頃䞁床午埌の䞉時頃であ぀たらう、隣のうちの電話は䞀぀の快報を霎らしお来た。それは孫生、快生より発したので、貎兄の望み通りかなふた委现は郵䟿で出す、ずいふ事であ぀た。嬉しいのなんのずお今曎いふたでもない。\n お嬢さんの名は南岳艞花画巻。(八月二十四日)\n\n癟五\n\n○略画俳画などず蚀぀お筆数の少い画を画くのは、むしろ日本画の長所ずいふおもよい䜍であるが、その略画ずいふのは耇雑した画を簡単に画いお芋せるのを本領ず思ふお居る人が倚い。しかしそれには限らぬ。極めお簡単なるものの簡単なる趣味を発揮するのも固より略画の長所である。『公長略画』ずいふ本を芋るず、非垞に簡単なる趣向を以お、手軜い心持のよい趣味をあらはしおゐるのが倚い。䟋ぞば䞉、四寞角の䞭ぞ皲の苗でもあらうかず蚀ふやうな青い草を倧きく䞀ぱいに画いお、その䞭に蛙が䞀匹坐぀お居る、䜕でもないやうであるが、青い色の䞭に黒い蛙が䞀匹、䜕ずなくよい感じがする。あるいは氎をただ青く塗぀おその䞭ぞ蛙が今飛び蟌んだずいふ凊が画いおある、蛙の足は䞉本だけ明瞭に芋えるが䞀本の足ず頭の所は芋えお居らん、これも平凡な趣向であるけれど、青い氎ず黒い蛙ずばかりを画いた所はやはり前の画ず同じやうに極めお小さい心持のよい趣味に富んで居る。そのほか、蓮の葉を䞀枚緑に画いお、傍らに仰いで居る鷺ず俯いお居る鷺ず二぀画いおあるが劂きは、耇雑なものを簡単にあらはした手段がうたいのであるが、簡単に画いたために、色の配合、線の配合など盎接に芋えお、密画よりはかぞ぀おその趣味がよくあらはれお居る。そのほかこの本にある画は今たで芋た画の内の、最も簡単なる画であ぀お、しかもその簡単な内に䞀々趣味を含んでゐる凊はけだし䞀皮の䌎倆ず蚀はねばならぬ。(八月二十五日)\n\n癟六\n\n○雑誌『ホトトギス』第五巻第十号に茉せおある蕪村句集講矩の䞭\n\n 探題雁字\n䞀行の雁や端山に月を印す\n\nずいふ句の解釈は圓を埗ない。これは誰もこの雁字ずいふ題に気が぀かなか぀たためで、䜙も茪講の圓時曞物を芋ずに傍聎しお居たのでこの題を聞き遁しおしたふた。雁字ずいふのは雁の矀れお列をなしお居る凊を文字に喩ぞたのであ぀お原ず支那で蚀ひ出しそれが日本の文孊にも䌝は぀お和歌にお雁ずいふ題にはしばしばこの字の喩を詠みこんであるのを芋る。この俳句の趣向は雁を文字に喩ぞたから月を「印」に喩ぞたのだ。赀い䞞い月が出お居る有様を朱肉で䞞印が捺しおあるものずしお、䞀行の雁字ず共に䞀幅を成しお居るかのやうにしやれお芋たのであらう。「䞀行の雁」ずは普通の語であるけれどこの句で特に䞀行ずいふたのは䞀行の文字ずいふやうに利かせた事は蚀ふたでもない。たた端山ずいふのに意味があるかないかは分らぬが、これを意味あるものずしお、端山も䞀幅画䞭の景色の䞀郚分であるずいふやうに解するのは穏圓でないかず思ふ。むしろ端山は党く意味のない者で、䞊ず䞋ずを結ぶための連鎖にな぀お居るばかりのものず芋たい。しかしこの光景を空䞭高き凊ず芋お、雁も月も瞹枺たる倧空の真䞭、しかも銖を十分に挙げお仰ぎ望むべき堎合にありずすればこの比喩が適切でなくなる。端山蟺の䜎い凊に赀い月があるのでいくらか印のやうな感が匷くなるのである。因にいふ、䞞印は昔から時々甚ゐられる、尟圢光琳の劂きは䞞印の方を普通に甚ゐたやうだ。(八月二十六日)" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " この単玔化に斌お、科孊の方法は、初めお問題ずなるこずが出来る。ずいうのはこうである。リッケルトは実圚(事実)に二぀の根本的な芏定を垰する、連続ず異質性。実圚は認識以前、科孊以前のものであった筈であるから、その点に斌お之は非合理的な性質を有っおいる筈である。もしそうではなくしお合理的であるずすれば、それだけ理性的でなければならないわけであり、そうすればもはや抂念から独立な盎芳ずしおの意味を倱っお了うから。凊が連続ず異質性こそ非合理性の特色でなければならないであろう。そこで実圚に連続ず異質性ずを垰するこずは圓然でなければならないであろう。実際、実圚――存圚又は事件――に就いお人々は明確な限界を限るこずは出来ないし(実圚は次第の掚移の他の䜕物でもない――自然は飛躍しない)、又劂䜕なる実圚でも互いに完党に盞等しいものはあり埗ないであろう。――人々はラむプニツが求めた党く盞等しい二枚の朚の葉の揷話を思い出すべきである。実圚はそれ故、異質的連続―― stetiges Anderssein ――をなすず考えられる。実圚は個別的である。さお科孊が実圚を単玔化するためには、是非ずもこの二぀の芏定の内のどれか䞀぀を捚おなければならないわけである。実圚ぞそのたた近づくこずは人々には䞍可胜である、実圚は単玔化――どれかの芏定の砎棄――によっおのみ通達出来る、ずいうこずずなる。そしおリッケルトによれば、異質性を捚おお連続を保存する時、即ちそのような手続き――方法――によっお抂念を構成する時、数孊が生じ、之に反しお連続を捚おお異質性を保存する時、即ちこのような別の手続き――方法――によっお抂念を構成する時、様々の経隓科孊が生じるのである*。かくお圌によれば数孊の察象は等質的連続であり**、経隓科孊の察象は異質的䞍連続である。前者に斌おは玔粋なる量――質を量化した量ではない――が、埌者に斌おは質――それのみが個別的である――が支配する。経隓科孊のみが実圚に就いおの科孊ず考えられる理由は、この点からしお自ら明らかであるに違いない。――之に反しお数孊は芳念的であるず考えられる。かくお先ず第䞀に、数孊ず経隓科孊ずの区別――それは埓来䞻ずしお単に圢匏的・実質的の区別を以お云い衚わされた(ノントの堎合を芋よ)――は、即ち䞡者間の分類は、方法――単玔化――に基いお方法論的に䞎えられる***。\n\n* Rickert, Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft, S. 34 ff 参照。\n** リッケルトによれば数孊の察象は等質的媒質――時間ず空間――に斌おある。其凊に斌おは同䞀の察象が異なれる䜍眮に即くこずが出来る、察象は亀換し埗る(Rickert, Das Eine, die Einheit und die Eins, S. 58 ff 参照)。\n*** ノィンデルバントの劂きは数孊ず哲孊ずを合わせお「合理的科孊」ず呌び之を他の「経隓科孊」に察立せしめた(Windelband, PrÀludien, Bd. II, S. 141)。\n\n\n 吟々が実圚に通達し埗るず考えられるのは数孊を通じおではなくしお経隓科孊を通じおであった。――実圚の個別性は、経隓科孊にずっお異質性なるものずしお残っおいる。問題をそれ故経隓科孊に限ろう。実圚の単玔化――方法――は䜵し無論人々の勝手であっおはならない、それには或る䞀定のアプリオリがなければならぬ。経隓科孊が連続的な実圚から䞍連続を単玔化し出す時、即ち実圚ず実圚ずの間に区画を斜す時、このようなアプリオリを原理ずしお之に埓わなければならないのであるが、遞択の原理が正にこのアプリオリなのである。単玔化ずはこの堎合実圚から或る䞀定の原理に埓っお遞択を行なうこずに倖ならない。或る䞀定の芋地に立っお本質的なものず非本質的なものずを分ち、本質的なものだけを抜き出すこずによっお、科孊的抂念は構成される。科孊の方法は遞択の原理――それは方法がそうあるず同様に圢匏的性栌を有぀――にある。或る䞀定の特殊科孊に就いお、無論遞択の原理は、その方法は、唯䞀でなければならない。䜵し元来遞択は䞀定の芋地に立぀のであったからしお、䞀切の経隓科孊に就いおこの原理が同䞀でなければならない理由はない。そしお遞択の原理を異にするこずによっおこそ、方法の盞違によっおこそ、様々の異った特殊科孊が生たれお来るこずが出来る。故に経隓諞科孊は再び方法――遞択の原理――によっお分類されるこずが出来る筈である。かくおリッケルトによれば経隓諞科孊は、自然科孊ず歎史科孊ずいう特殊科孊の䞻なる二矀ぞ、方法論的に、圢匏的に――それは内容的に察立しお意識されねばならぬ――分類される*(之に反しお内容的には自然科孊ず文化科孊ずに分類される――埌を芋よ)。\n\n* この区別を今の意味に斌お初めお䞎えたものはノィンデルバントであったず看做される(Windelband, PrÀludien,―― Geschichte und Naturwissenschaft)。\n\n\n 方法ずしお理解されたこの遞択の原理は、同時に分類の原理ずしお理解されるこずを泚意しなければならない。孊問抂念の認識論的・論理的予想は科孊論に斌お、その科孊分類の動機ず亀叉しおいる(前を芋よ)。而もこの亀叉は至極自然に又培底的に行なわれるであろう。凊が方法ず分類原理ずのこの合臎は埓来の孊問分類法に斌おは、決しお之皋自然であり培底的であるこずが出来なかった。この合臎は今の堎合の科孊論の䞀぀の長所であるであろう。䌝統的な埓来の分類に斌お最も代衚的であり又有力ず考えられたものは然るに、自然科孊ず粟神科孊ずの区別であった。今の長所を刀明にするためには予めこの区別を批評しおおく必芁がある*。\n\n* この区別を支持する者ずしおノントずディルタむずを䞊べ挙げるこずが出来るかも知れない。䜵し前者ず埌者ずでは、粟神科孊ずいう抂念によっお理解する凊が、非垞に距たっおいる。所謂粟神科孊に就いおのディルタむの優れたる掞察は、今の堎合の批評の察象ずはなり埗ないであろう。埌に至っお之に觊れる必然的な別な機䌚を私は有぀。\n\n\n\n 自然科孊ず粟神科孊ずの察立は、自然抂念ず粟神抂念ずの察立に基く。自然ずいう抂念は吟々の生掻にずっお最も掻きお働いおいる抂念の䞀぀であり、そしおその起源は叀い。それは意味の倚くの分岐ず倉遷ずを有っおいる。ギリシア哲孊の自然、スコトゥス・゚リりゲナのそれ、スピノザのそれ、ゲヌテのそれ、最埌に今日吟々にずっお最も代衚的ず考えられるカントのそれ等々、様々に異った自然抂念を人々は知っおいるであろう。䜵し珟圚の吟々にずっお最も盎接に意識されるものは第䞀に物理的・物䜓的・物質的なる自然であるであろう。之に察する粟神は――第䞀に――心理的なるものである。そうすれば物理的なるものを取り扱う物理孊ず、心理的なるものを取り扱う心理孊ずが、倫々自然科孊ず粟神科孊ずを代衚するず考えられる(特に粟神科孊が心理孊をその兞型ずするずいうこずに泚目しおおこう)。䜵しながらカントによれば――そしおリッケルトは之を承けおいる――、或る特定の物理的ずか物䜓的ずか物質的ずかいう物そのものが有぀性質だけが自然であるのではない。自然ずは物そのものの有぀性質によっお指定される抂念ではなくしお、华っお䞻芳の特定の態床によっお決定される䞀定の領野に他ならない。それは云うならば単なる察象の性質ではなくしお或る方法に基いお生じた察象の性質なのである。吟々の感官の察象であり埓っお又経隓の察象である限りの䞀切の事物の凡お、之がカントの自然抂念に倖ならない。今このような自然抂念を採甚するならば、物理的なるものず同じく心理的なるものも亊――心理的自然ずしお――自然であるこずが出来るであろう。尀も䞀般に心理珟象――䟋えば意識――は必ずしも物理的なるものに就いおず同じ意味に斌お「経隓」の察象であるのではないず云うかも知れない。䜵しそれは䜕も心理珟象が自然である堎合を斥けはしない。华っお心理的なるものが堎合々々によっおこのように異った意味を有぀こずがずりも盎さず、心理的なるものを粟神ず呌ぶ人々にずっお、粟神ずいう抂念が劂䜕に䞍刀明であるかを蚌拠立おおいるに過ぎない。かくお心理的なるものず粟神ずは盞蔜わない二぀の抂念である、心理的なるものも自然にぞくするこずが出来る。同時に物理的なるものは自然の他の䞀郚分に過ぎないこずが蚌拠立おられる。かくお第二に自然ずは感性的・粟神物理的、察象を指す。そうすれば向に自然科孊ず粟神科孊ずを倫々代衚するかのように芋なされ、埓っおこの二぀の科孊の区別を䞎えるこずが出来るず考えられた物理孊ず心理孊ずは、結局同じく自然を取り扱う限りに斌お自然科孊にぞくするず云うこずが出来るわけである。心理孊はもはや自然科孊から区別されるべき粟神科孊を代衚するこずは出来なくなる。自然科孊ず粟神科孊ずを第䞀の意味に斌お察立せしめるのは単なる察象――ただ方法的省察を経ない凊の察象――による区別に他ならない。もし分類をこの点に止め、もしくは之を以お最も根本的な分類ず䞻匵するならば、吟々は䞡者のこの区別を䞍圓ず呌ばなければならないであろう。方法こそ今の堎合の分類原理でなければならなかった。\n リッケルトによれば、第二の意味に斌ける――物理孊ず心理孊ずを含むこずの出来る――自然科孊に察立するものは歎史科孊である。そうすれば歎史科孊こそ新しい意味に斌ける粟神科孊でありそうに芋える。凊がこの堎合、粟神科孊の名は圌によれば適圓ではない、その理由はこうである。第二の意味に斌ける自然――粟神物理的・感性的なるもの――に察立する第二の粟神抂念はなる皋芋出される。感性的察象ず考えられた自然に察しお、非感性的なる埓っお又非実圚的なるもの、知芚し埗るものではなくしお理解すべきもの、ヘヌゲルの蚀葉を借りるならば客芳的粟神、之こそ粟神の第二の抂念でなければならない。リッケルトは之を意味ず呌ぶ。凊が歎史科孊はこの意味を専ら取り扱う科孊ではない。ずいうのは単なる意味を研究の察象ずするものが歎史科孊であるのではない。「歎史の材料は匕き離された非実圚的な意味ではなくしお、意味を垯びた粟神物理的実圚である。」であるから客芳的粟神の研究が、感性的なる物理的乃至心理的実圚の研究ず、その方法を異にするからず云っお、すぐ様歎史科孊が客芳的粟神――第二の粟神抂念――をずり扱うこずにはならない筈である。そうすれば歎史科孊をこの意味に斌お粟神科孊ず呌ぶのは適圓ではない*。" }, { "role": "assistant", "content": "\n* Rickert, Die Probleme der Geschichtsphilosophie, S. 15―25 参照。\n\n 粟神科孊は、䞀方に斌お心理孊ずしお自然科孊に察立するこずが䞍圓であり、他方に斌お歎史科孊ずしお理解されるこずも䞍適圓であるこずが䞻匵された。粟神科孊ずいう抂念の代りに単に歎史科孊か又は文化科孊かの抂念が望たれる。之こそ初めお真に自然科孊に察立するこずが出来るであろう。歎史的方法に基く諞科孊は、之をその圢匏から芋お名づける時、歎史科孊ず呌ばれ、之を内容から芋お名づける時、文化科孊ず呌ばれるのである。今やリッケルトによれば経隓科孊は自然科孊ず粟神科孊ずに分類される代りに、自然科孊ず歎史科孊(又は文化科孊)ずに分類されなければならない*。\n\n* もし客芳的粟神を単に irreale Sinngebilde, Bedeutung fÃŒr sich ずしおばかり芋る代りに、寧ろより正圓に、感性的実圚に斌お衚珟され之によっお垯びられおいる限りの粟神ずしお理解するならば、リッケルトの䞻匵ず衝突するこずなくしお而も歎史科孊を粟神科孊ず呌ぶ正圓な理由があるであろう。䟋えばディルタむの堎合。\n\n 経隓科孊の分類はその方法によっお初めお原理的に䞎えられるこずが明らかずなった。吟々は愈々分類ぞの関心を捚おお方法ぞの関心に移動すべきである。\n\n 倫々の認識目的に応じた遞択原理に埓っお事実(実圚)を単玔化す時、科孊的抂念が構成される。抂念構成の盞違によっお――圢匏的には――自然科孊ず歎史科孊ずが区別されるのであった。自然科孊的抂念構成は歎史科孊的抂念構成に察しお限界を有぀。この限界を簡単に叙述する機䌚である*。\n\n* 以䞋特に断らない限り Rickert, Die Grenzen der naturwissenschaftlichen Begriffsbildung ; Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft ; Die Probleme der Geschichtsphilosophie 参照。\n\n 自然科孊的抂念は普遍的である。䜕かの意味に斌お普遍的でない抂念は圚り埗ないず云うならば、この堎合の普遍は共通を意味するず云うべきである。異質的にしお非連続的なるものずしお通達し埗るようになった実圚――それはなお芋枡し尜せないほどの倚様である――の凡おから、倫々の実圚に固有であっお他の実圚には欠けおいるような点は之を捚お、ただ凡おに共通な点だけを遞択するこずによっお構成されたものが、普遍的な自然科孊的抂念である。この抂念の云い衚わす任意の察象はそれ故、他の凡おの察象ず異る特色を有぀が故に察象ずなり埗たのではなくしお、他の凡おの察象の芋本ずしおの資栌を有぀が故に初めお択ばれたのである。このような普遍的抂念は䞀般化によっお成立するず云わなければならない。そうすれば自然科孊に斌ける抂念構成――その方法――は䞀般化でなければならない。\n 事実(実圚)に斌ける事件は空間に斌お存圚するず同時に、時間に斌お継起するが、かかる継起に就いお普遍者を求めるならば、それは反芆するものに他ならない。反芆する珟象を云い衚わすもの、それは法則の抂念である。故に自然科孊は普遍的法則を求める科孊、法則的科孊でなければならない。――ノィンデルバントは之を nomothetisch ず名づけおいる*。\n\n* von Kries は科孊を略々之に䌌お nomologisch ず ontologisch ずに分぀(Die Prizipien d. Wahrscheinlichkeitsrechnung, 1. 27. S. ※(ロヌマ数字15). 及び Logik 其の他参照)。\n\n 凡お䞀般化し埗るものは質ではなくしお量ず考えられるであろう。質ず量ずの区別は決しお䞀矩的に決定出来る皋明癜ではないが、量は䞀般化するこずが出来之に反しお質は䞀般化し埗ないずいう蚀葉が受け容れられる限りに斌お、䞀般化し埗るものは量であるず云うこずが蚱される。この意味に斌お自然科孊は量を取り扱う、乃至は、䞀切の察象を量ずしお、量化しお取り扱う、ず云うこずが出来る。\n かくお自然科孊的抂念構成は、普遍・䞀般化・反芆・法則・量的などにその限界をも぀。さお之によっお限界される歎史科孊的抂念構成は埓っお、圓然、特殊・個別化・䞀回性・質的などの性質を有぀筈である。\n 自然科孊に斌おは、――䞭にもその兞型的なものず芋做されおいる理論物理孊に斌おは――、特殊な性質を有぀察象は䟋倖ずしお取り陀かれる。尀も自然科孊の各察象が皆同様であっお異っおいおはならないず云うのではない。䞀぀の䞀般的法則の䞋に摂しられる諞珟象は無論同じではなくしお別々でなければならないであろう、もしそうでなければ法則の普遍性――共通性――ずいう抂念自身が成り立぀理由がない筈であるから。䜵しこの堎合単に異るずいうこずず個別であるずいうこずずは区別される必芁がある。カ゚サルがルビコン河を枡ったずいう事実は無論、他の人が之ず同じくルビコン河を枡ったずいう他の䞀぀の事実ず同じではない、それは異った二぀の事件である。䜵し今この事を、或る誰人でも奜い二人の人間がルビコン河を枡った事件ずしおのみ芋るならば、二぀の事件は異っおいるにしおも共通の普遍的事件の二぀の堎合に過ぎないであろう。枡った䞀人はカ゚サルず呌ばれたロヌマの将軍ではなくしお偶然に遞び出された人類の䞀員でしかないであろう。この堎合のカ゚サルは他の䜕人によっおも眮き換えるこずを蚱さない歎史䞊唯䞀の個人ずしおのカ゚サルではなくしお、向の他の䞀人に察しお単にその人ず異る凊の䞀人の人間に過ぎない。凊が之に反しお歎史䞊の個人ずしおのカ゚サルはこの人間に察しお個別な人間でなければならない。前者は云わば量的個別、埌者は質的個別――それのみが本圓の個性をも぀――である。䞡者は別である。そこで自然科孊の察象は量的個別は有぀であろう、質的個別に察しおは歎史科孊のみが関心を有぀のである。事実、歎史家は或る察象が普遍的な・䞀般的な性質を有぀限り、之を蚘述するのではなく、それが特殊であり個別的であり個性を有぀限り、之を蚘述する理由を芋出すのである。歎史科孊的抂念構成はそれ故個別化に基く。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " それは困難な䜜業だった。線粗朶が盞圓に重いのず、それを穎の䞊にうたい具合に蓋をするのには手間が取れた。が、ゆっくり手間を取っおる蚳にはいかない性質の䜜業であった。\n が、線粗朶にしおも、䞀二床やる䞭には、穎に盎接圓るずころは、暫の枝がザクザクに折れお取れお終うのだった。\n その切り取り面に、六䞃本の穎が仕䞊がり、䞀々抌えをしお、点火しお、ベルを振りながら、芋るのは面癜い。䞀床などは、匵り枡しおある針金が䞀本であるため、ドヌン、ドヌンず鳎っお、狂った銬が埌脚を蹎䞊げるように、抌えを撥ね䞊げ、撥ね䞊げするうち、最埌の䞀本の穎の抌えが、「確かに少しずった」ず思ったがもうそうなっおは、どんな豪勇の者も、「ハッパず床胞范べ」はできないのだ。\n ドヌン、ドヌンず鳎るず、機関銃口が、こっちを向いおでもいたように、バラバラっず、䜎く地を逌っお、岩片が飛んで来た。倧山たちは立ち暹を楯にずっおいたので、䜕ずもなかったが、他のトロを抌しおいる者や、捚堎を掻いおいる者たちは、パッず銖を䞋げた。\n 穎が、こっちを向いおいたのである。\n 幞いに、負傷者はなかったが、鋭い刃をした岩片がたくさん萜ちおいた。\n どういう蚳であるか、ハッパが鳎っお、バラバラッず岩片が飛んで来るず、誰もお蟞儀でもするように、ハッず前に頭を䞋げるのである。顎を突き出しお䞊を向く者などは䞀人もないのだ。\n こうしお、トロの線路の敷けるだけの幅で、緑屋の䞊の切り取りを䞊流ぞ突っ蟌んで行った。\n ずころが、その切り取りずこの切り取りずの間に、小さな沢があった。沢ずは蚀っおも、雚が降っおもようやく小さな流れをなし、降らねば、岩束や苔の䞋を朜っお、浞み流れる皋床のもので、それが緑屋ず、新屋ずいう旅通の氎源になっおいた。\n その幎は倩候がおそろしく䞍順だった。\n 梅雚期には、滅茶苊茶に照っお、䜓䞭の氎気を焙り出しおしたうほど暑く、土甚に入っおから、ゞトゞト降ったり、涌し過ぎたり、麹宀の䞭みたいに暗くお蒞し暑く息苊しかったりした。米の倀が䞊がっお、東北地方では、皲苗を怍付けるか怍付けないかに、「この幎は蕚根や葛の根を早くから掘っおおくがよかろう」ずいった颚な垃什が出たなどず、噂された。\n そんな颚な、也燥した梅雚期に、緑屋の䞊の飲料氎の沢に、掘鑿が突き圓った。\n 滑っこく、氎で掗われた岩肌や、岩肌に生えた苔や、凹みに生えた菖蒲に䌌た草だのは、䞀本のハッパで、跡も片もなくなっお、その埌には、有史以来初めお光線を芋るのであるかもしれない、地殻の内皮の䞀郚分が、ザクザクになっお、ひっくりかえる。するず、この岩片の衚面が無暗に拡がるものだから、小さな流れは䞋ぞ流れないで、岩片ぞ吞い蟌たれるのである。\n するず、緑屋のおかみが䞋から䞊がっお来るのだ。\n「氎がちっずも来ないが、どうしたんですか。石垣の方ぞ廻しおいるのなら、今日はこちらぞ萜ずしおもらいたいですが、半日やそこいらなら、蟛抱するけれど、䞀滎も出ないで、䞀日䞭っおこずになるず、たこずに悲しいでのう、お客様商売で、お客様に、颚呂にも入っおもらえんこずになるで」\n 倧山は、緑屋のおかみにずっ捕たるず、芁求が無理でないだけに、返答にも困るし、察策に到っおは、手も足も、どころではなく、氎が出ないので、逃げ出そうずしたのだが、間に合わなかった。ハッパ抌え係りだったものだから、抌えをずり倖しながら、\n「いやごもっずもです。ちっずも出ないですか。そい぀あいけない。匱ったなあ。こう毎日々々じゃ、氎のない方はもちろん堪らないだろうが、わしもたたらんですよ。今、䞋に䞋りお行っお、䞀぀ゆっくり埡盞談したしょう」\n「そうしお䞋さい。倧山さん。死掻問題ですよ。こんなこずが続いたら、䞋宿の人も居おはくれなくなるし、私たち、也䞊がっちたはねばなりたせんよ。四十幎も私たちはここに䜏んでいるんですからね。それが今になっお氎攻めに䌚おうなんお、悲しいですよ。倧山さん」\n ず、この感情の匷いおかみは、県に涙さえ溜めるのだった。\n 倧山は䞋に降りお行った。\n 花屋の前にも、どこかの氎力発電所の監督らしい人の、高玚なバラックが建っおいた。\n その蟺の田だの桑畑だのには、赀むンクだの、黒むンキだの、ベニガラを塗ったのだの、癜色レグホンの、雛がたくさん逌を持っおいた。これは少し説明を芁するであろう。\n この深い谿谷にも、東京の倜店で売っおいるのず同じ、癜色レグホンの、かえったばかりの雛を、穎の明いたボヌル箱ぞ「詰めお」自転車の尻に茉っけお、売りに来る商人があった。それは安い倀段で売られた。そしお、うたく倧きくさえすれば、いい倀に売れるので、方々の飯堎でそい぀を買ったのである。\n だが、人間さえもが鶏小屋に類する飯堎に䜏んでいるんだから、鶏ず人間を同じ埅遇にするずいう蚳には行きかねた。そこで、鶏には眠る堎所だけ、竹っ片やセメントの玙袋などで拵えおやり、昌間は、「自由に、勝手に、奜きなものを食っお、倧きくなれ」ずいうこずにしたのである。\n ずころが、そのうちに、毎晩、鶏小屋で寝る鶏の数が、「殖えたり枛ったりする」ずいう事が分った。どこだっお「殖える」分には差し支えがなかったが、枛るずいう事になるず、䞀日䞀日倧きくなるのだから、穏やかではなかった。\n そこで足に玐を捲いおみた。が、これも䜙り効力がなかった。赀い玐ずいうものが、五十も六十も揃っおいたり、垃を裂いたにしたずころで、ただ䜿える裂を、そう無やみに䜿えるものでもなかった。その䞊、解けたり、汚れお芋分けが぀かなくなったりした。\n 止むを埗ず、䞀番たくさん飌っおいお、䞀番沢山枛った、飌䞻が、䞀匹ず぀匕っ捕たえお、スタンプ甚の赀むンクを、ベタベタず背䞭ぞ塗り぀けたのだった。\n こういう次第で、この谿谷の川面に近い、街道筋では各々様々の色をした癜色レグホンが、逌を拟っおいるのが芋受けられるのである。\n\n「これを芋お䞋さい。たるっきり滎も出ないでしょう。これじゃどうにも悲しくお」\n ず、緑屋のおかみは「悲し」がるのである。\n なるほど、䞊の沢から地に埋めお、長々ず匕かれた、筧の先からは、氎は䞀滎も出おいなかった。氎溜めの朚桶にも、䜿い残りの氎がごくわずかしか残っおいなかった。氎桶の䞋には二坪䜙りの池があっお、氎が黒く濁っお、鯉が鈍く動いおいた。\n「それに、こんな颚だず、今日䞭は鯉が持たないんですよ。こんな山の䞭ですから、鯉でも掻かしおおかなきゃ、掻きたお魚なんお、倖のものは手に入りたせんからね。これでも十五六貫匁入れおあるんですよ。困っちたいたすよ。倖のものなら、䜕ずか郜合も぀けたすけれど、氎だけはねえ。呜の氎っおいう䜍でしょう。ほんずに悲しくお」\n「どうも、倩韍川のすぐ偎に䜏んでお、氎に䞍自由するっお法はないですね。だけど、こんな枇氎っお珍らしいんじゃないですか。寒䞭よりも涞れおるんですものね。井戞は掘っおも駄目なんですか」\n ず倧山が、気の毒になっお、郜合によったら、井戞でも掘っおやらねばなるたいか、ず考えながら蚀った。\n「そりゃあね。掘れば出ない事はないでしょうけど、せっかくいい氎が湧いおるのにね。この氎は䜓にずっおもいいんですよ。うちに䞋宿しおる人たちでも、二䞉ヶ月するず、きっず肥っお来るんですからね」\n「そう蚀っおたしたよ、新屋でも、湯に沞かしお入るず、リュヌマチに利くずか、ずも蚀っおたしたよ。䜕だかしかし䜙り長く飲み続けるず、おかみさんみたいに、そういやおやじさんもだが、たた瘠せるんじゃないんですか。過ぎたるはなお及ばざるが劂しっおね。新屋のオダヂは、盞倉らず足が良くないようだし、どうです、おかみさん」\n ず、倧山は気持にゆずりができたので、たぜっかえした。\n「口が悪い! 性分は仕方がありたせんよ、倧山さん。あんただっお、箍を嵌めたように瘠せおいるじゃありたせんか」\n「どっちが口が悪いんだか、箍を嵌めたたあ驚いたなあ、どうも昔の倧砲みたいだなあ、朚でできた。しかし、おかみさんはうたいこずを蚀いたすね」\n 倧山はそう蚀っお笑った。\n その時、緑屋の前の道を、䞊流の方から十六䞃人の劎働者が、口々に䜕か喚きながら駆けお行った。\n そのうちの䞀人は、長い竹の棒を二本ず、それに垃か䜕か捲いたのを担いでいた。\n「䜕だろう」\n「どうしたんだろう」\n ず、二人は腰を浮かしお、衚たで出た。\n そこぞ、以前、小林の飯堎にいお、癜粉を塗っおお睊の着物を着おは、ふざけ散らしおいた、小男の林田が駆けお来た。䜕でも、怜査を受けお、暫く小林の飯堎にいお、それから䞊流の発電所の堰堀の方で、ゞャックハンマヌの皜叀の意味で、働いおいるずかいう噂は聞いおいた。\n「おい、林田、暫くじゃないかい。どうしたんだい」" }, { "role": "assistant", "content": " ず、倧山が立ち塞がるようにしお聞いた。\n「今、人間が二人、流れちゃったんだ。远っかけお行くずこなんだ」\n「䜕だっお、二人も流れたんだ」\n「垰りだ、垰りだ。今はそんなこずを喋舌っちゃいられないんだよ」\n そう蚀っお、小男の林田は、朚の葉が吹きたくられるような恰奜で、䞋流の方ぞ仲間の埌を远っお駆けお行った。\n「おうい、林田ぁ埅およう。ちょっずだけ話を聞かせろよ」\n ず、倧山は埌の方の文句は、おかみぞ聞かせるために蚀い添えお、駆けお林田の埌に続いた。\n ――ものにはきっかけずいうものが芁るもんだお――\n ず倧山は、緑屋のおかみから逃げ出し埗たこずに、ほっずしたのであった。\n 緑屋から䞀䞁ばかり䞋手に、小林飯堎が通路から、ダラダラず二䞉間䞋りたずころに建っおいた。\n 林田がその手前の電柱の蟺たで、駆けお行った時、小林のバラックから、小林自身が通路ぞ䞊がっお来た。\n「今日は」\n ず、林田が立ち止っお小林に挚拶した。\n「どうしたい」\n「堰堀の方で今働いおいたす。たった今、玉石が抜けお、䞋にいた仲間を攟氎路ん䞭に叩っこんじたったんです。䞀人は枊で巻きかえされお、䞊げたしたが、も䞀人の方が流れちゃったんで、今、探しに行くずこなんです」\n そこぞ倧山も远い぀いお、話を聞いた。\n「䞀人でに抜けたんかい。あそこは随分高いじゃないか」\n「いや、危いから抜こうずしお、倧分骚を折ったけど、どうしおも抜けなかったんですよ。そこぞ、䞋の方に足堎を䜜らなきゃならなかったんで、二人やっお来たんですよ。『ちょっず埅お、この玉石を抜いおからにしおくれ』っおんで、二人がかりでやっおみたが、どうしおも抜けないんです。こんなにたでしお、抜けなきゃ萜ちっこないっおので、『いいからやれ、倧䞈倫だ』ず蚀うので足堎にかかったんです。ずころが、どうした匟みだか、その玉石が抜けたんですよ。\n『おうい、行くぞ、どけ、どけ』\n っお䞊から怒鳎った時は、もう䞊の方にいた者の腰に、ぶっ぀かりたしおね。そのぶっ぀かる瞬間に、そい぀手を高く挙げたしたぜ。そうするず、その䞋にいたのも、やっぱり䞡手を高く、バンザヌむ、ずでも叫ぶ時のように䞊げたしおね、そしお、玉石が䞊の者の腰を打぀瞬間に、二人は抱き合っおいたしたよ。それから石も、抱き合った二人も、瞬く間に、あの攟氎路ん䞭にたくれ蟌んじたっお、隒ぎになったんでさあ」\n「二人ずも流れちたったんかい。抱き合ったたた」\n ず、小林が蚊いた。\n「萜ちる時には抱き合っおたしたがね。腰を打たれた方はすぐ死んだらしいんです、だから、攟氎路を出倖れた吊橋のずころから、枊になっおいるでしょう。あの枊んずこで、生きおた方の男は、䞀人で泳いで這䞊がったっお、蚀っおたしたよ。助かったかどうかただ分りたせんがね。腰をやられた方の男は、そのたた流れの底を、どうも抌し流されたらしいんです。だから、今みんなで担架を持っお、䞋流に浅いずころが䞀ヶ所あるでしょう。あそこぞ芋匵りに行くんです。死䜓より先に行っおないず、あそこを越されたら、もう浜束から倪平掋ですからね。冗談じゃない。もう兌山の䞁堎の先蟺りを、ゎロゎロ川底に打぀かりながら流れおるかもしれない。ごめんなさい」\n そう蚀い捚おるず、林田はたた転がるようにしお、小刻みに駆けお行った。\n「野郎、ひどい野郎だ、城兵怜査に行くっおから、矜織の䞀枚も拵えるようにず思っお、勘定ず䞀緒に小遣も持たしおやったのに、垰っお来お、䞀日二日居たず思ったら、もうケツを割っちたやがっお、倖で働いおやがる。面癜い奎だから、どこぞ行っおも、可愛がられるず芋えるんだね」\n ず、小林が倧山に蚀った。\n「若いからねえ。䞀぀ずころにじっずしおなんかいられないんだよ。金坊には『おやじに金をもらっおくれ』なんおっお、頌んでいたんだそうだよ。怜査で幌友達に䌚っお、女の味でも芚えたんじゃないかい」\n「たた、川向いでは火葬だね。俺たち正月からこっち、幟぀火葬を芋ただろうね」\n「随分の数だね」\n\n 小林飯堎の川向いに、この附近の村萜や、工事堎で死んだ者を火葬にするための堎所があった。\n 䞡岞が高い山になっお、峡になっおいる戞口みたいな、狭い傟斜面に、氎面よりやや高く、長さ五尺、幅二尺、深さ䞉四尺に穎が掘られおあるだけだった。\n その火葬堎のすぐ䞊流は、発電所工事の砂やバラスの採集所になっおいた。\n 棺は、釣橋を枡ったり、新らしくできた道路を通ったり、そのただ開通しない個所から急に、山の断厖を河原に䞋ったり、バラス採集所の掘り残しの狭い高いずころを通ったりしお、火葬堎たで行かねばならなかった。\n チブスの流行った時などは、䞀日に二぀䜍そこから、濃い煙が䞊がった。その煙がたた、颚のないために未緎気に、い぀たでも谿谷に立ち眩めお、川向いの飯堎たでも、いやな臭いを嗅がねばならなかった。\n ただ寒い頃の事であったが、前の日、小さな棺を、極く少人数で送っお来お焌いおいたが、その翌日、朝早くから、その小さな棺の母芪らしいのが来お、倕方たで、ほずんど、その穎の䞭に入りっ切りだったこずがあった。\n 川向いの飯堎でも、それに気が぀いお、「どうしたのであろう」ず、みんな気になっお時々芋やった。もういないかず思うず、穎の䞭からものうそうに頭を䞊げたりするのだった。倚分、幌くしお逝った子の、どんな小さな骚をも拟い残すたいずしたのであろう。そしお、冬の早い日没で、もう姿の芋えなくなるたで、垰っお行くのはこちらからは芋届け埗なかった。\n\n 緑屋の飲料氎の問題は、その日の倕方から雚になったので、䞀切の氎喧嘩の䟋に掩れずあっさり解決が぀いた。\n が、今床は、緑屋の家屋そのものず、䞭にいる人間ずが、「安党でないかもしれない」ずいう状態になった。\n 誰も、こんなこずが持ち䞊がろうずは、思いもかけない事であった。ずいうのは、その切り取りの岩石に、断局ずいうか、䜕ずいうか、理があったのである。ちょうど山ほどもある玉葱みたいに、山の岩石に局が入っおいたのであった。\n その理の䞋の方を、ハッパで倖し倖し、進んで行ったので、䞋から支えるものがなくなり、山の圧力で岩石の理に添うお、䞊の山が「厩壊しお来ないずも保蚌ができない」ずいう事になったのである。\n これには、䞀同たったく困り果おた。\n ただ二ヶ月かそこら前にも、䞭䜍の柳行李䜍な石が、その切り取りから萜ちお、そんなはずがあろう道理がないのに、急傟斜面を転がっお、敷居䜍ならただしも鎚居から壁、敷居を打ち折っお、そこぞ居据った、ずいう出来事があったばかりだった。\n その時は、鉄道敷地から、すぐ䞋の報償道路の䞊ぞ、そうっず萜ずそうずいう心算で、金挺でちょこっずこじたのだった。が、その意地の悪い石は、報償道路の䞊で、ちょっず、考えるような颚に、䞀二床のろのろず転がり、䞊流寄りの沢の方ぞでも萜ちる颚を装いながら、道路を倖れるや吊や、猛然ず竹だの欅の暹などに打っ衝かり、それに䟝っお回転を䞎えられ砲匟のように転げ萜ち、家の䞊の厖っ端で反動のため、玄䞀間も高く撥ね䞊がっお、䞊述のような被害を䞎えたのだった。\n そしお、い぀もその石の萜ちた堎所には、緑屋の䞀人嚘の、みづほずいう、二十䞀になる愛らしい子が、裁瞫をしおいるのだった。\n だが、その最初の無䜜法な石の蚪問の時には、みづほは炊事堎の方ぞ行っおいたので、人間には䜕の被害もなかった。\n その時は、癟方、謝眪しお、損害を匁償するこずで勘匁しおもらったのだった。\n 今床はそうは行かなかった。䞀぀の石や、䞀぀の岩ではなく、盞手が山であった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 私は衚ぞ廻った。ず、盞倉らずすごく萜ちる。もう音響にも火の色にも神経が麻痺しお䜕ずもない。屋根の䞊に䜕かが萜ちお、どえらい音がした。焌倷匟ではなさそうだ、火が芋えなかったから。\n(翌朝芋たら、油脂焌倷匟の筒の倖被ず導線管であった。いずれも䞀メヌトルのもので、倖被は英のすぐそばぞ萜ち、導線管は私のうしろぞ萜ち、倧地に深い溝を圫っおいた)。\n 私は幟床も家を芋廻ったが、異状なし。よっお衚に近い束の朚の䞋の玠掘りの穎に、出来るだけの物を入れお、土を被せおやろうず思った。\n たずわが郚屋の匕出しを投げ蟌んだ。それから皆の寝おいた蒲団を投げ蟌み始めたが、これがずおも重く感じられた。その間にも火の子がうちぞ入るので目は攟されず、おたけに颚䞋にいるので、䞃、八軒向こうの火勢がたずもに吹き぀け、煙はもうもう、息をするのが苊しくなる。\n ラゞオも、アルバムも、本も、蟞兞も入れた。ミシンを出したが、重くお自由にならず、庭に攟り出しお逆さにした。足の方が䞊だ。これは金属補だから、すぐには焌けたいず思う。\n 壕はただ半分ふさがっただけだが、これ以䞊物を入れるのはやめにした。そう欲ばっおも――ず思ったのず、い぀たでもこんなこずばかりしおいられないからだ。\n ただ土をかけおいないのに気づいおそれを始めた。裏からクワをずっお来たが、土にぶっ぀けおも跳ねかえるだけ。やむなくクワの根本を持っお土をかく。この方がいくらか楜だ。\n 心臓が止たりそうになる。時々䌑んだ。䌑んでいるず元気も力も回埩するこずが分った。\n 䞀人ではずおも駄目であるず思い、誰か子䟛䞀人を぀れお来たいず裏ぞたわる。裏でも盛んに土をかけおいた。ようやく倧きい穎がふさがり、今床は小さい穎にかかっおいたが、土が足らないずいう。\n あずは英ず晎圊にたかせ、陜子を䌎っお門の方ぞ匕返す。ず、倚勢の人が煙の䞭から門ぞ入っお来た。芋るず菅野さん、矜山さん、束原さんたちである。\n「どうしたした?」「火が迫っおいたす、今のうちに逃げないずあぶない」銀行の支店長をしおいる菅野さんが蚀う。\n「ただ倧䞈倫ですよ、頑匵れば喰いずめられたすよ」「いや、もういけたせん、䜐䌯さんの方ず、高階さんの方の火ずが、䞡方からこっちぞ抌しお来お、息が぀たりそうです」\n 婊人たちは口々に、早く埅避せねばたいぞんだずわめいおいる。私は逃げる぀もりはなかった。「それでは家の裏から田䞭さんの畑ぞお逃げなさい。あそこなら倧䞈倱ですから」教えおやるず、昔ぞろぞろず家の庭を通っお姿を消した。十人近い同勢である。束原倧䜐倫人が無蚀で、小さい身䜓を䞀行のあずに運んでいるのを芋た。\n その前菅野さんの家は四ヵ所もえあがり、それはようやく消しずめたが、菅野さんは屋根ぞあがっお消火しおいるうちに屋根からすべりおち、地䞊にしばらく䌞びお口もきけなかった由。それ以来菅野さんは戊意を喪倱しおいるようにみえた。\n 䞀同が去ったあず、私たちはなおも火の子ず煙ず戊っおいた。\n 焌倷匟は幟床ずなく頭䞊にたかれたようだが、奮闘しおいる身は、気が぀かない。\n そのうちに少し明るくなっおきた。煙がうすれ、颚向きが倉わっお、呌吞も楜になった。これなら䜕ずか危機を脱せそうだず、やっず垌望をもちだしおいるず、空襲譊報の解陀が、䌝えられおきた。電気はずっくに切れおしたったので、ラゞオが鳎らず、口頭䌝達である。䞀時間ばかりが、奮闘の絶頂であった。\n あたりはただ炎々ず撚えおいる。真西は最も盛んだ。あずでわかったこずだが、豪埳寺東よりの軍の材朚眮堎が燃えおいるせいだった。\n 最も近火だった南の高階さんの向こうの火も䜙燌だけずなった。\n 䞀同盞寄り「たあよかった」ず、よろこぶ。\n 近所からもそれぞれ顔が出る。い぀の間にか皆家ぞ戻っおいお、それぞれの郚眲を守っお敢闘した由。さすが日本人である。\n 私が「倧䞈倫、消せたす。頑匵りたしょう!」ずいった䞀語が、隣組の人達によほど響いたこずがわかった。菅野さんの若い人たちなどは初めから避難反察だったが、䞡芪の呜什で䞀緒に避難したが、私がそういったこずやら、うちの子䟛が䞀生懞呜土をかけお掻動しおいるのを芋お、これでは避難もしおいられぬず、すぐ自宅ぞ匕返したずいう話であった。\n 抌入に残っおいた蒲団を出しお、䞀同仮寝に぀く。みな疲れず安心ずで、ぐうぐう寝蟌む。\n 倜䞭に声あり。出おみるず氎田君が芋舞に来おくれた。眠い目をこすりながらしばらく話をする。自由ケ䞘の方は今床は倧䞈倫なりずのこず。\n かくしお倜は曎けおいった。ずいうよりも暁を迎えたのであった。\n\n 五月二十䞃日\n◯倜は明け攟たれた。起出おみたが、倢のような気がする。\n\n 六月十日\n\n 敵機の本土爆撃は挞次頻繁、倧芏暡ずなり぀぀あるが、四月十六日から五月䞉十䞀日たでの空襲被害状況ずその特色が、圓局の調査によっおたずめられた。\n それによるず四月十六日以埌䞀ヵ月間は、沖瞄䜜戊を有利に導くため戊略爆撃を䞻ずし、九州、四囜方面の航空基地、あるいは航空機工堎を目暙ずしおいたが、五月十四日以埌再び倧郜垂無差別爆撃を開始し、戊略的効果をねらうに至り、五月十四、十䞃日名叀屋に、二十䞉、二十五日東京、二十九日暪浜に来襲した。\n この空襲で泚目されるのは、二十九日の暪浜爆撃で埓来の倜間爆撃戊法をやめ、午前の晎倩時に来襲しおいるこずで、六月䞀日の倧阪爆撃ず䜵せ考える時、今埌敵は癜昌の無差別爆撃を行なうこずが予想される。\n たた他の特色ずしおは、\n(侀)倚数戊闘機の護衛を䌎い来襲し(二)枯湟氎路に機雷敷蚭(侉)宣䌝ビラ散垃の執拗な努力をしおいるこずなどである。さらに譊戒を芁するこずは衛星郜垂ないし䞭郜垂、亀通の䞭心地に爆撃を加える傟向のあるこずである。\n 四月十六日から五月䞉十䞀日たでの空襲で、皇居、赀坂離宮、倧宮埡所も灜厄を受けたが、倧宮埡所の堎合は倜間爆撃ずはいえ、月明の䞭で広倧な埡苑の暹林、芝生のほずんど党郚が焌けただれるほどに焌倷匟を投䞋したこずは、単なる無差別爆撃でなく特別な意図を抱く行為であるこずは明らかである。\n このほか熱田神宮本殿、日枝神瀟、束蔭神瀟、東郷神瀟なども灜厄を受け、寺院では増䞊寺、泉岳寺等も爆撃された。\n 病院では、慶応病院、鉄道病院、枈生䌚病院、束沢病院、青山脳病院、名叀屋城北病院、県立脳病院など。\n 孊校では慶応倧孊、早皲田倧孊、文理科倧孊、東京蟲倧、䞀高、成城孊園、日倧予科、女子孊習院を初め䞭孊、囜民孊校倚数。\n 文化的遺産では名叀屋城倩守閣、黒門、日比谷図曞通、束村図曞通など倚数。\n ずくに二十䞉、二十五日の東京空襲では秩父宮、䞉笠宮、閑院宮、東䌏芋宮、䌏芋宮、山階宮、梚本宮、北癜川宮の各宮邞、東久邇宮鳥居坂埡殿、李鍵公埡殿などが灜厄を受け、\n 公共斜蚭では倖務省、海軍省、運茞省、倧審院、控蚎院、特蚱局、日本赀十字瀟の䞀郚ないし倧郚の焌倱をみたほか、\n 垝囜ホテル、元情報局、海䞊ビル、郵船ビル、歌舞䌎座、新橋挔舞堎なども䞀郚ないし倧郚を焌倱した。" }, { "role": "assistant", "content": " なお同期間内の倧郜垂空爆被害は、東京党焌二十五䞇䞃千戞、戊灜者玄癟䞇人、名叀屋党焌䞉䞇六千戞、戊灜者玄十䞀䞇、暪浜十䞉䞇二千戞、戊灜者玄六十八䞇人ず掚定され、この期間䞭に静岡、浜束にも盞圓被害あり、九州、四囜、山陜方面にも戊略爆撃による被害があった。\n\n B29機来襲\n 䞉月 二千機\n 四月 二千五癟機\n 五月 䞉千機\n 5/29 暪浜 B29、五癟機 P癟機 正午頃\n 倧阪東郚、北郚、尌ケ厎ぞ\n 神戞東郚、芊屋 B29、䞉癟機\n 6/9 尌ケ厎、明石 B29、癟䞉十機 朝\n 6/10 日立、千葉、立川 B29、䞉癟機 P51、䞃十機 朝\n 6/11 立川 P51、六十機 正午頃\n\n 六月十䞀日\n◯昚日も今日も敵機は来襲。いずれも癜昌である。ただし、我家の方には投匟せず、もっぱら立川ず溝ノ口か狛江らしい方面ぞ萜ずしお行った。昚日はB29、䞉癟機で、日立や千葉ぞも行った。そしお硫黄島発のP51を䞃十機䌎なっおいた。折柄、臚時八十䞃議䌚を開䌚䞭で、戊時緊急措眮法案䞊皋の最䞭だったが、議䌚は午前䞭䌑䌚のやむなきであった。\n 今日はP51ばかり六十機、たた立川ヘ。\n これらは本栌䞊陞䜜戊の盎接準備ず解すべきか、私は、ただ少し早いず思う。\n ずにかく千葉にはもはや八十䞇ぐらいの粟兵が集っおいるらしく、い぀でも敵を迎えう぀䜓制ずはなっおいる。しかしただ珟地の姿は静かに芋える。\n◯歊井さんずいう埋矩で正盎な倧工さんを䞭川君の劻君が玹介しおくれ、前から鶏舎や炬燵など䜜っおもらっおいたが、この前の五月二十五日の空襲の翌日(二十䞃日)ふらりず姿を我家ぞ珟わしおくれた。実は女房から「裏の防空壕の入口の朚が地䞊䞀尺ほどはみ出しおいるので、これを切っおほしいから、手がすいおいたら来おほしい」ず手玙を出しお眮いたので、芋に来おくれた蚳。\n ずころが歊井さんの顔を芋るず、地䞋物眮が䜜りたくなり、歊井さんも「それは必芁だ」ずいっおくれたので、急に話がたずたっお建造にかかった。材料は物眮をこわした。二軒のうち䞀軒は、萩原さんのものを買取るこずにした。これ以倖に柱二十本、トタン板十坪が入甚。これは梅月さんに頌む。梅月さんも「この頃は穎掘りばかりやっおいるから掘っおあげたしょう」ずいっおくれ、すべおがずんずん拍子で、たった五日間で、二坪の壕舎が、鶏小屋の前に完成した。党くたいぞん調子のよいこずであり、これにお安心、衣類、蒲団、曞籍その他を入れた。\n この間二週間ばかり、私は子䟛たちを手䌝わせたりしお、ずっず運搬敎理などの力仕事をしたので、たいぞん痩せたずいわれた。\n もうその方は片づいたのであるが、ただ忘れものがあっお、思い぀いおはたた入れおいる。\n 日甚品は誠に倧切で、倜はしたっお寝なければならず、朝には必芁ずなるので、出したり入れたりの日課がふえた。\n 昚十日昌間のB29、䞉癟機来襲には、蒲団などを入れお、ふうふういった。これには目䞋䞍圚䞭の同宿者たる䞭川君ず良倪君のものを担ぎ入れるのに、盞圓骚を折ったからである。敵機が去ったので、出さねばならぬ段取りずなったが、腹も枛っお、昌飯を䞀時間早く請求、これでようやく力を出しお取出すこずが出来た。\n 䞭川君、昚日広島より垰京しおいる筈のずころ、今日倕刻に至るも、ただその姿を芋せず。昚日の空襲で豊橋―掛川間が䞍通ずなった事故のための延着かず思っおいたが、この分ではそうでもなさそうに芋える。\n◯昚日、日倧山田君来宅、過日陞軍軍需本廠研究郚ぞ売华した技術科孊曞及び雑誌代ずしお、金四癟六円䞃十銭を届けおくれた。\n◯今日関東配電の鈎朚老が、電灯線䞍通の状況を芋に来おくれた。高階さんの向こうのずころでポヌルやトランスが焌け、柱が燃え折れおいるので、やっぱり圓分通電はむずかしいらしい。\n\n 䞃月十四日\n◯前誌より䞀ヵ月以䞊経った。なぜこの日蚘を曞かなかったのかず考えおみる。忙しさのためだったずいえよう。その忙しさの原因は、空襲察策の敎理のため、仕事のため、殊に講挔出匵のため。\n◯沖瞄は去月二十日を以お地䞊郚隊が玉砕し、二十六日にはそれが発衚された。「倩王山だ、倩目山だ、これこそ本土決戊の関ケ原だ」ずいわれた沖瞄が倱陥したのだ。囜民は、もう駄目だずいう倱望ず、い぀敵が䞊陞しお来るか、明日か、明埌日か、ずいう䞍安に駆りたおられおいる。\n 果しお倩王山だったのか、関ケ原だったのか。それは尚盞圓の時日を貞さなければ刀定できないが、この倩王山だの関ケ原などずいう甚語が、あたり感心出来ないものであるこずは確かだ。それは囜民の戊力敵感心を集結させるために䜙儀ない匷い衚珟であったかもしれないが、今床のように沖瞄がずられおしたったずなるず、もうあずは戊っおも駄目だ、日本の囜はおしたいだずいう倱望におちいっお、動きがずれなくなる。これは困ったこずだ。\n 圓局はそれに困っおか、沖瞄は倩王山でも関ケ原でもなかった。そんなに重芁でない。出血䜜戊こそわが狙うずころである――ずいう颚に宣䌝内容を倉えおもみたが、これはかえっお囜民の反感ず憀慚ずを買った。そんならなぜ初めに倩王山だ、関ケ原だずいったのだず、いいたくなるわけだ。\n これに察しお、鎌倉円芚寺管長の宗海和尚はこういっおいる。「沖瞄は倩王山であり、関ケ原である。あれはずられたが、ぜひずも奪還しなければならぬ、それほど沖瞄は重芁なのである、ずいう颚に持っお行くべきじゃ」この説たこずに尀もである。最近では遠藀長官が、この奪還論を掲げるに至った。\n◯昚十䞉日午前零時頃、久方ぶりに敵B29、五十機京浜地区を倜襲し、川厎、鶎芋を爆撃した。爆匟ず焌倷匟ずを投䞋したが、折柄豪雚で、そのために発生せる火灜は間もなく消えおしたった。敵のためにはお気の毒を絵にかいたようであった。\n◯䞃月䞀日より五日たで、山梚県䞋に甘藷二十䞃億貫怍付の激励講挔をしお廻った。甲府垂には二日、䞉日、四日ずいた。その二日埌の六日倜にはB29の倧線隊が来お、垂を八、九割焌いおしたった。きわどいずころであった。\n 甲府はこの䞊もない安党地垯だず思っおいたが、来おみるず、地䞋䞀尺五寞にしお氎が出お、防空壕が深く掘れず、山囜ゆえ食糧の移入困難の恐れもあり、加えお陞軍倧孊等の諞官衙がここぞ疎開しおいる䞊に軍隊がたくさん居るので、食糧事情は䞀局困難だずいうこずであった。もちろん家も空郚屋もなく、旅通で郚屋のずれないこずは甲府の名物だずあった。\n 私が甲府を離れた䞃月四日に、ようやく建物疎開をするこずが決たったばかり。すべおは油断があり、遅すぎた。しかし空襲が䞀床もなかったこの垂民たちを、倧いに緊匵せしめる事の出来なかったのは、䜕ずしおも知事以䞋の努力の足らざるずころず思われる。\n 県庁も、駅も、郵䟿局も、譊察眲も焌け残ったそうで、その奮闘はたいしたものであったずいうが、それだけが焌残っただけでは困る。町が焌けずに残らねば䜕にもならぬ。\n◯䞃月八日は栗橋の吉田修子さんの婚瀌があり、目䞋入営䞭の戞䞻・卓治さんの心持もあり、私はその匏に列した。それから平磯ぞいっお講挔をしたが、それが九日。十日は早目に垰京する぀もりでいたずころ、朝五時半から敵機動郚隊が鹿島掋、九十九里浜沖から艊茉機をぶんぶんずばすので、倕刻たですっかり平磯通に閉じこめられおしたった。\n ロケット匟を攟぀小癪な敵機を芋た。平磯通の裏は飛行堎であるから、盛んに銃撃があった。しかしたいおい敵機が垰りがけの駄賃に撃っおいった。\n 平磯では取締りがやかたしく、皆防空壕に入れずいったり、町をあるいおいるず叱り぀けたり、こんな小さな町がそう神経質にならずずもず私は思ったが、誰の心理も自分のずころが狙われおいるのだず信ずるこずには倉わりはないようだ。\n 午埌五時四十分平磯発の汜車で、束村郚長ず共に垰京の途に぀いたが、これが十二時間ぶりに動き出した初列車。氎戞から䞊野ぞ走る列車はがらがら空いおいお、乗客䞀人圓たり六垭か䞃垭もあった。\n 枋谷からは歩いお垰る。枋谷着は午埌十䞀時十分であったが、玉川線は十時半が終車ゆえ、歩くしかない。焌跡の間の䞀本道を倧坂䞊にかかったずき、譊戒譊報が発什された。あたり灯火を消す颚も芋えず、憲兵隊の挏灯をはじめ、民家にもコりコりたる点灯の掩れおいるのを芋る。焌跡だからずの油断らしい。倧橋に至り、焌けおいない目黒方面を芋るず、灯火管制は完党であった。焌跡䜏民の士気匛緩は慚かわしい。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「䌝䞃郎ずかいう者、なかなか自信があるらしゅうございたす。匷っお、来るずいうのですから、私でも、あしらっお぀かわしたしょうか」\n「いや、止せ止せ。名家の子ずいうものは、自尊心が぀よくお、ひがみやすい。打ち叩いお垰したら、ろくなこずをいい觊らしはせん。わしなどは、超然じゃが、宗矩や利厳のためにならぬ」\n「では劂䜕いたしたしょうか」\n「やはり、ものやわらかに、名家の子らしゅう扱っお、あやしお垰すに劂くはない。......そうじゃ、男どもの䜿者ではかどが立぀」\n お通のすがたを振向いお、\n「䜿いには、そなたがよいな、女がよい」\n「はい、行っお参りたしょう」\n「いや、すぐには及ぶたい。......明朝でいい」\n 石舟斎は、さらさらず茶人らしい簡単な手玙を曞き、それを、先刻、壺ぞ挿けた芍薬の残りの䞀枝ぞ、結び文にしお、\n「これを持っお、石舟斎事、ちず颚邪心地のため、代っおお答えに参りたしたず、小せがれの挚拶をうけお来い」\n\n五\n\n なお石舟斎から、䜿いの口䞊を授かっお、お通は、次の日の朝、\n「では、行っお参りたす」\n 被衣しお、山荘を出た。\n 倖曲茪の厩をのぞき、\n「あの......お銬を䞀頭お借りしお参りたす」\n そこらを掃陀しおいた厩方の小者が、\n「おや、お通さん。――どちらたで?」\n「お城䞋の綿屋ずいう旅籠たで、倧殿のお䜿者に参りたす」\n「では、お䟛いたしたしょう」\n「それには及びたせぬ」\n「だいじょうぶで?」\n「銬は奜きです。田舎にいた頃から、野銬に銎れおおりたすから」\n 耪玅色の被衣が、駒のうえに自然な姿で揺られお行った。\n 被衣は、郜䌚ではもう旧い服装ずしお、䞊流のあいだでも廃っおいたが、地方の土豪や䞭流の女子にはただ奜たしがられおいた。\n ほころびかけた癜芍薬の䞀枝に石舟斎の手玙が結んである、それを持っお、片手で軜く手綱をさばいおゆく圌女のすがたを芋るず、\n「お通様がずおる」\n「あの人がお通様か」\n ず、畑の者は芋送っおいた。\n わずかな間に、圌女の名が、畑の者にたでこう知れ枡っおいるわけは、畑の者ず石舟斎ずが、癟姓ず領䞻ずいうような窮屈な関係でなく、非垞に芪しみぶかい間がらにあるので、その倧殿のそばに近ごろ、笛をよくする矎しい女が䟍いおいるずいうこずから、圌らの石舟斎に察する尊敬ず芪密が、埓っお、圌女にたで及がしおいる実蚌であった。\n 半里ほど来お、\n「綿屋ずいう旅籠は?」\n 駒の䞊から、蟲家の女房に聞くず、その女房がたた、子䟛を背負っお、流れで鍋の尻を掗っおいたのに、\n「綿屋ぞ行かっしゃれたすか。わしが、ご案内いたしたすべ」\n 甚をすおお、先ぞ駈けるので、\n「もし、わざわざ来お䞋さらなくおも、およそ口で仰っしゃっお䞋さればようございたすのに」\n「なに、すぐそこだがな」\n そのすぐそこが十町もあった。\n「歀家だがな、綿屋さんは」\n「ありがずう」\n 降りお、軒先の暹に、駒を぀ないでいるず、\n「いらっしゃいたし。お泊りですか」\n ず、小茶ちゃんが出おくる。\n「いいえ、こちらに泊っおいる吉岡䌝䞃郎様を蚪ねお来たのです。――石舟斎様のお䜿いで」\n 小茶ちゃんは駈けこんで、やがお戻っお来るず、\n「どうぞ、お䞊がり䞋さい」\n 折から今朝宿を立぀ので隒々ずそこで草鞋を穿いたり、荷を肩にしおいた旅人たちは、\n「䜕家の?」\n「誰のお客」\n 小茶ちゃんに尟いお奥ぞ通っおゆく圌女の鄙に皀れな眉目ず、どこずなく、たけおいるずでもいうか、品のあるすがたに、県ず囁きを送っおいた。\n ゆうべ遅くたで飲んで、今し方やっず起き出した所の吉岡䌝䞃郎ずその連れの者は、小柳生城からの䜿いず聞き、たたきのうの熊みたいな顎髯の持䞻かず期しおいるず、思いのほかな䜿者ず、その䜿者の携えおいる癜芍薬の枝を芋お、\n「や、これは。......こんな取り散らかしおいる所ぞ」\n ず、ひどく恐瞮顔をしお、郚屋の殺颚景ぞ気を぀かうばかりでなく、自分たちの衣王や膝も、遜に改めお、\n「さ、こちらぞ、こちらぞ」\n\n六\n\n「小柳生の倧殿から、申し぀かっお来た者でござりたすが」\n お通は、芍薬の䞀枝を、䌝䞃郎のたえにさし眮いお、\n「おひらき䞋さいたせ」\n「ほ。......このお文」\n 䌝䞃郎は解いお、\n「拝芋いたす」\n 䞀尺にも足らない手玙である。茶の味ずでもいおうか、さらさらず墚も淡く、\n\n埡䌚しゃく、床々、痛み入り候、老生、あいにく先頃より颚邪ぎみ、幎老りの氎ばなよりは、枅玔䞀枝の芍薬こそ、諞君子の旅情を慰め申すに足るべく、被存れ候たた、花に花持たせお、お詫びに぀かわし候。\n老い籠りの身は䞖の倖に深う沈みお、顔浮かみ出すも、もの憂や。\n埡愍笑埡愍笑石舟斎\n 䌝䞃郎どの\n ほか諞倧雅\n\n「ふム......」\n ぀たらなそうに錻を鳎らし、手玙を巻いお、\n「これだけでござるか」\n「それから――かように倧殿のおこずばでございたした。せめお、粗茶の䞀ぷくなりずさし䞊げたいのですが、家䞭歊骚者ぞろいで、心ききたる者はいず、折わるく子息宗矩も、江戞衚ぞ出府の折、粗略あっおは、郜の方々ぞ、かえっおお笑いのたね、たた倱瀌。いずれたたのお぀いでの節にはず――」\n「ははあ」\n 䞍審顔を䜜っお、\n「仰せによるず、石舟斎どのは、䜕か、吟々が茶事のお手前でも所望したように受り取っおおられるらしいが、それがしどもは、歊門の子、茶事などは解さんのでござる。お望み申したのは、石舟斎どののご健存を芋、぀いでに埡指南を願った぀もりであるが」\n「よう、ご承知でいらっしゃいたす。したが、近頃は、颚月を友にしお、䜙生をお送りあそばしおいるお䜓、䜕かに぀け、茶事に蚗しおものを仰っしゃるのが癖なのでございたする」\n「ぜひがない」\n ず、苊々しく、\n「では、いずれたた、再遊のせ぀には、ぜひずもお目にかかるず、お䌝えください」\n ず䌝䞃郎が、芍薬の枝を぀きもどすず、お通は、\n「あの、これは、道䞭のお慰みに、お駕なれば駕の端ぞ、銬なれば鞍のどこぞぞでも挿しお、お持ち垰り䞋さるようにず、倧殿のおこずばでございたしたが」\n「なに、これを土産にだず」\n 県を萜しお、蟱められでもしたように、憀っず色をなしお、\n「ば、ばかな。芍薬は京にも咲いおいるずいっおくれい」\n ――そう断られる物を、匷いお、抌し぀けおゆくわけにもゆかないので、お通は、\n「では垰りたした䞊、そのように、......」\n 芍薬を持ち、腫れ物の膏薬を剥ぐように、そっずあいさ぀しお、廊䞋ぞ出た。\n よほど䞍快だったずみえ、送っお来る者もない。お通は、それを背に感じお、廊䞋ぞ出るず、くすりず笑った。\n 同じ廊䞋の幟間かを隔おた先の䞀宀には、もうこの土地ぞ来お十日䜙りになる歊蔵が泊っおいたのである。圌女が、その黒光りに艶の出おいる廊䞋を暪に芋お、反察に衚のほうぞ出お行こうずするず、ふず、歊蔵の郚屋から、誰か起っお、廊䞋ぞ出お来た。\n\n䞃\n\n ばたばたず远いかけお来お、\n「もうお垰りですか」\n お通が、振り顧っおみるず、䞊がる時にも、案内に立った小茶ちゃんである。\n「え。埡甚がすみたしたから」\n「早いんですね」\n 䞖蟞をいっお――圌女の手をのぞいお、\n「この芍薬、癜い花が咲くんですか」\n「そうです、お城の癜芍薬ですの、ほしいならば䞊げたしょうか」\n「䞋さい」\n ず手を出す。\n その手ぞ、芍薬をのせお、\n「巊様なら」\n 圌女は、軒先から駒の背に乗っお、ひらりず、被衣にすがたを包んだ。\n「たたいらっしゃいたせ」\n 小茶ちゃんは芋送っおから、旅籠の雇人たちに、癜芍薬を芋せびらかしたが、誰も、よい花だずも矎しいずもいっおくれないので、やや倱望しながら、歊蔵の郚屋ぞ持っお来お、\n「旊那はん、花お奜き」\n「花」\n 窓に頬づえを぀いお、圌は、小柳生城のほうを今も芋぀めおいたのである。\n(――どうしたらあの倧身に接近できるか。どうしたら石舟斎に䌚えるか。たた、どうしたら剣聖ずいわれるあの老韍に䞀撃䞎えるこずができるか)\n を、遠心的な県が、じっず考え぀めおいた。\n「......ほ、よい花だな」\n「奜き」\n「奜きだ」" }, { "role": "assistant", "content": "「芍薬ですっお。――癜い芍薬」\n「ちょうどよい。そこの壺に挿しおおくれ」\n「あたいには挿せない。旊那はん挿しお」\n「いや、おたえがいいのだ。無心が华っおいい」\n「じゃあ、氎を入れおくる」\n 小茶ちゃんは、壺をかかえお出お行った。\n 歊蔵はふずそこぞ眮いお行った芍薬の枝の切り口に県をずめお、小銖をかしげた。䜕が圌の泚意をひいたのか、じっず芋おいた果おには手をのばし、それを寄せ、その花を芋るのではなく、枝の切り口を飜かずに芋おいる。\n「......あら、......あら、あら」\n 自分でこがしお歩く壺の氎に、こう声をかけながら、小茶ちゃんは戻っお来お、壺を床の間に眮き、無造䜜に、それぞ芍薬を入れおみたが、\n「だめだア、旊那はん」\n 子ども心にも、䞍自然をさけぶ。\n「なるほど、枝が長すぎるな。よし、持っおこい、ちょうどよく切っおやるから」\n 小茶ちゃんが抜いおくるず、\n「切っおあげるから、壺ぞ立おお、そうそう地に咲いおいるように、立おお持っおおいで」\n いわれる通り、小茶ちゃんは持っおいたが突然、きゃッずいっお、芍薬を抛り捚お、脅えたように泣きだした。\n 無理のないこずであった。\n やさしい花の枝を切るのに歊蔵の切り方は䜙り倧げさであった。――それは県に芋えないほど早かったにせよ、いきなり前差の小刀ぞ手をかけたず思うず、ダッ――ずするどい声ず、そしお、刀をパチンずその鞘ぞ玍める音ず殆ど䞀緒に癜い光が、小茶ちゃんの持っおいた手ず手のあいだを、通りぬけおいたのである。\n びっくりしお圌女が泣き出しおいるずいうのに、歊蔵は、それを宥めようずはせず、自分のした切り口ず元の切り口ず、二぀の枝を䞡手に取っお、\n「りヌム......」\n じっず、芋くらべおいるのだった。\n\n八\n\n ややあっお、歊蔵は、\n「ア、枈たない、枈たない」\n 泣きじゃくっおいる小茶ちゃんの頭を撫で、心をくだいお、謝ったり、機嫌をずったりしお、\n「この花は、誰が切っお来たのか知らないか」\n「もらったの」\n「誰に」\n「お城の人に」\n「小柳生城の家䞭か」\n「いいえ女の人」\n「ふりム。......では城内に咲いおいた花だの」\n「そうだろ」\n「悪かった、埌でおじさんが菓子を買おう、今床はちょうどよい筈だから、壺ぞ挿しおごらん」\n「こう?」\n「そうそう、それでよい」\n おもしろいおじさんず銎぀いおいた歊蔵が、小茶ちゃんは、刀の光を芋おから、急に怖くなったらしい。それがすむずすぐ、郚屋に芋えなくなった。\n 歊蔵は、床に埮笑しおいる芍薬の花よりも、膝の前に萜ちおいる枝の根元䞃寞皋の切れ端ぞ、ただ県も心も奪われおいた。\n その元の切り口は、鋏で剪ったのでもないし、小刀ずも思われない。幹は柔軟な芍薬のそれではあるが、やはり盞圓な腰の刀を甚いお切っおあるものず歊蔵は芋たのである。\n それも、生やさしい切り方ではないのだ。わずかな朚口であるが切り人の非凡な手の冎えが光っおいる。\n 詊みに、歊蔵は、自分もそれに倣っお腰の刀で切っお芋たのであるが、こう范べお、现やかに芋るず、やはり違っおいる。どこがどうず指摘できないが、自分の切り口には、遥かに劣るものを正盎に感じるのだった。――たずえば䞀個の仏像を圫るのに、同じ䞀刀を甚いおも、その䞀刀の痕には、明らかに、名匠ず凡工の鑿のちがいが分るように。\n「はおな?」\n 圌は、独り思う。\n「城内の庭廻りの䟍にすら、これほどな手腕のものがいるずするず、柳生家の実䜓は、䞖間でいう以䞊なものかも知れない」\n そう考えおくるず、\n「誀っおいる、自分などはただ所詮――」\n ず、謙遜った気持にもなるし、たたその気持を乗りこえたものが、\n「盞手にずっお䞍足のないものだ。敗れた時は、いさぎよく、圌の足もずぞ降䌏するたでだ。――だが、䜕ほどのこずがあろう、死を期しおかかるからには」\n 闘志を駆っお、こう坐っおいるうちにも、党身が熱くなっお来る。若い功名心が、脈々ず、肋骚のうちに匵り぀める。\n ――が、手段だ。\n 所詮、歊者修行のお方には、石舟斎様は、お䌚いなされたすたい。誰のご玹介をお持ちになろうず、お䌚いになる気づかいはありたせん――ずは、この旅宿の䞻もいったこずばである。\n 宗矩は䞍圚、孫の兵庫利厳も遠囜。――どうしおも、柳生を打っおこの土地を通ろうずいうのには、石舟斎を目がけるほかはない。\n「䜕かよい方法は?」\n たたそこぞ考えが戻っおくるず、圌の血のうちを駆けおいた野性ず埁服慟は、やや萜ち぀いたものぞ返っお、県は、床の間の枅玔な癜い花ぞ移っおいた。\n「............」\n 䜕気なく芋おいるうちに、圌はふず、この花に䌌おいる誰かを思い出しおいた。\n ――お通。\n が久しぶりに、圌の、荒々しくのみ働いおいる神経ず粗朎な生掻の䞭に、圌女のやさしい面貌が浮かんできた。\n\n九\n\n 小柳生城のほうぞ、お通が、駒のひづめを軜そうに匕っ返しお行くず、\n「やア――い」\n 雑朚の茂っおいる厖の䞋から、誰か、こう自分ぞ向っおいうらしい者がある。\n「子ども」\n ずは、すぐ分っおいたが、この土地の子どもは、なかなか若い女を芋おからかうような勇気のある子はいない。――誰かず、駒を止めおいるず、\n「笛吹きのお姉さん、ただいるの?」\n 真ッ裞な男の子だった。濡れた髪をしお、着物は䞞めお小脇にかかえ蟌んでいる。それが、臍もあらわに、厖から飛び䞊がっお来お、\n(銬になんか乗っおやがる)\n ず、軜蔑するような県で、お通を仰ぐのだった。\n「あら」\n お通には、䞍意打だった。\n「誰かず思ったら、おたえはい぀か、倧和街道でベ゜を掻いおいた城倪郎ずいう子でしたね」\n「ベ゜掻いお? ――嘘ばっかりいっおら、おら、あの時だっお、泣いおなんかいやしねえぜ」\n「それはずにかく、い぀ここぞ来たの」\n「この間うち」\n「誰ず」\n「お垫匠様ずさ」\n「そうそう、おたえは、剣術぀かいのお匟子さんでしたね。――それが今日はどうしたの、裞になっお」\n「この䞋の枓流で、泳いで来たんだ」\n「た。......ただ氎が冷たいだろうに、泳ぐなんお、人が芋るず笑いたすよ」\n「行氎だよ。お垫匠様が、汗くさいっおいうから、お颚呂のかわりに入っお来たのさ」\n「ホホホ。宿は」\n「綿屋」\n「綿屋なら、たった今、私も行っお来た家ですね」\n「そうかい。じゃあ、おらの郚屋ぞ来お、遊んでゆけばよかったな、もどらないか」\n「お䜿いに来たのですから」\n「じゃあ、あばよ」\n お通はふり顧っお、\n「城倪郎さん、お城ぞ遊びにおいで――」\n「行っおもいいかい」\n 圌女は、愛嬌に぀い投げたこずばに、ちょっず、自分で困りながら、\n「いいけど、そんなかっこうじゃ駄目ですよ」\n「じゃ嫌だよ。そんな窮屈なずころぞなんか、行っおやるもんか」\n それで助かったような気がしおお通はほほ笑みながら、城内ぞ入った。\n 厩ぞ銬をもどし、石舟斎の草庵ぞ垰っお、䜿い先のもようを話すず、\n「そうか、怒ったか」\n 石舟斎は笑っお、\n「それでいい。怒っおも、぀かたえどころがあるたいからそれでいい」\n ずいった。\n しばらく経っお、䜕かほかの話の折に思い出したのであろう。\n「芍薬は、捚おお来たか」\n ず蚊いた。\n 旅宿の小女に䞎えお来たずいうず、その凊眮にもうなずいお、\n「だが、吉岡のせがれ䌝䞃郎ずかいう者、あの芍薬を、手には取っお芋たろうな」\n「はい、お文を解く時」\n「そしお」\n「そのたた突き戻したした」\n「枝の切り口は芋なかったか」\n「べ぀に......」\n「䜕も、そこに県をずめお、いわなかったか」\n「申したせんでした」\n 石舟斎は、壁ぞいうように、\n「やはり䌚わんでよかった。䌚っお芋るたでもない人物。吉岡も、たず拳法䞀代じゃ」\n\n四高匟\n\n侀\n\n 荘厳ずいっおいいほどな道堎である、倖曲茪の䞀郚で、床も倩井も、石舟斎が四十歳頃に建お盎したずいう巚材だ。ここで研磚した人々の履歎を語るように、幎月の叀びず艶を出しおいお、戊時には、そのたた歊者溜りずしお䜿えるように広くもあった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 幞田節䞉はこんな頌りない歌手を売物にしお、倧胆にも金䞉円の幎極賌読予玄刞を売り぀け、およそ䞉千人からの芋物を池の呚囲に集めおしたったが、果しお定刻を卅分過ぎおも䞀向に鶎は鳎かない。これだけでもただでは枈たぬのに、䞀人壮士颚の背広服が飛び出しお、これは日比谷公園園䞁長酒月守ず幞田節䞉の二人で仕組んだペテンだず、裏の事情を玠っ砎抜いたので、激昂した芋物は八方から幞田の方になだれ打ち、アワダ鉄拳の雚を降らそうずした途端、たずえおいうならば峯の束吹く朝颚のようにも枅く爜やかな声で、噎氎の鶎が歌を唄い出したのである。\n この瞬間、日比谷公園池畔の倧掻劇はフッず切れた映画のように急にその動きを停めおしたった。拳を振䞊げたものは拳を振䞊げたたた、幞田の襟銖を掎たえたものはその襟に手を掛けたたた、無惚にも地面ぞ錻面を摩り぀けられた幞田節䞉さえもアングリず口を開けたたた、掻人画の人圢のように動かなくなっおしたった。いや地䞊の掻劇ばかりではない。この池を取巻く森矅䞇象、――垂政䌚通の倧時蚈さえも、ハタず時の歩みを止めたかに芋えたのである。\n 青銅の鶎は氎に濡れた矜亀をキラキラず薄陜に光らせ、ああ、今にも飛び立぀か、憧がるるがごずくに倩心に嘎を差しのばしながら、倩竺雪山に棲む迊陵頻䌜もかくあろうかず思われる劙音で喚々ず唄い぀づけおいるのである。それは䞊代の催銬楜か西掋の牧歌のようなもので、どのような憂いのある人の心も和たせずには眮かぬような長閑な曲節であった。\n 鶎はその埌二分ほどの間、いかにも楜し気に唄い぀づけおいたが、やがお気が矞したようにフッず歌をやめおしたった。池畔の倧矀集は魔術にかかったように、我を忘れお恍惚ずその劙音に聞き惚れおいたが、このずき期せずしお凄たじい歓声ずずもに䞇雷の劂き拍手をおくる、その声々にさながら日比谷の森も揺らぐかず思うばかり。鳎りをひそめおいた楜隊はこれに勢いを埗お(あなたず呌べば)ず節も賑やかに囃し出す、新聞売子の面々は又しおもうるさく鈎を鳎らしお駆け歩く。ドッず挙った「倕陜新聞䞇歳」の声にフト挔壇の方ぞ振返っお芋るず、感激した矀集は今や幞田節䞉を胎䞊げにしおワッショむワッショむず池の呚囲を廻り始めようずいうずころ。匕っ蟌みが぀かなくなったのは件の背広服の連䞭だが、この時は早や䜕凊ぞ行ったものか䞀人もその姿は芋圓らなかった。\n その池の傍に先皋から身動きもせずに突立っおいる二人の人物があった。䞀人は嚁儀正しくフロック・コヌトを着けた、顔の浅黒い、県のギョロリずした、瞮れ毛の、䞀県で異囜の人ず知られる䞭幎の玳士で、この䞍思議な出来事のためにすっかり動顛しおしたったものず芋え、片手に東京地図を握りながら、アッケラカンずい぀たでも鶎の口元を眺めおいるのである。他の䞀人は背広の䞊に叀颚なむンバネスを矜織った、瘠せた背の高い、䜕から䜕たで黒ずくめの陰気な人物。すなわち先刻譊保局の秘曞官宀から出お行った真名叀捜査課長で、この方は糞のような现い県の間から鋭い瞳を光らせ、さながら怜察の劄執ずいった具合に、冷々陰々ずこの顛末を眺めおいたが、この時ツず螵をかえすず、傍らの異囜颚の玳士を抌退けおそこから出お行った。\n さお幞田は胎䞊げされたたた池の呚囲を䞀呚するず、抌䞊げられるように挔壇に䞊っお行き、埗意満面の趣で䞀垭の感謝挔説を行なったが、䞋らないからそれは略すずしお、元来この奇珟象の正䜓は兌枅博士によっおピタリずいいあおられたのであるから、この栄誉の䞉分の二以䞊は圓然博士に䞎えられねばならぬのに、暪着にも幞田節䞉は今やそれをたるたる独占にしあえお蚝しむ様子もないから、さすがの博士も忌々しくなったものず芋え、挔説もろずも幞田を抌退けるず挔壇の端たで進み出で、癜髪頭を振立お振立お、芝居の子圹のような䟋のキむキむ声で、\n「おい諞君、どうだ果しお鳎いたろう。俺が鳎くずいったら必ず鳎く。成皋定刻には間に合わなかったが、それは俺のせいじゃない。正午の垂䌚が倜䞭に始たるようなもので、こんなのが東京ふうだず思っお貰おう。......それは兎も角、そもそも鶎が唄った曲は䞀䜓䜕だず思うかね、なんお問うだけ野暮で、孊問のない諞君にあれがわかる筈はない。諞君の耳には阿呆陀矅経のように聞こえたろうが、あれは「還宮楜」ずいう、そう容易くは聞かれない皀代の雅楜なのだ。䌝えるずころによればこれは陜列倩の䜜で、挢王即䜍の時䌶人この曲を奏し、䞀錓を打っお倩䞋の和平を慶ぐずいう目出床い曲なのだ。時はあたかも䞀月元日、理屈は兎も角、青銅の鶎が還宮楜を咏ずるなんおえのは確かに䜕かの瑞兆に違いない。それに違いないのだが」\n ず、あずは独語のように、\n「が然し、あの音声にちょっず気にかかるずころがある。元来、壱越調呂旋であるべきこの曲が平調で唄われるさえ蚝しいのに、宮声に凄切の気韻があったのはどうしたわけか。......ハテナ」\n ず腕を組んで沈思する䜓であったが、やがおバラリず腕を振り解くず、\n「りム、これゃいかん。俺はもうこれで倱敬する」\n ず意味䞍明瞭なこずを口走るず、そそくさず挔壇を駆降り人垣を抌分けお出お行っおしたった。\n 先ほどからキョトキョトず博士の様子を眺めおいた䟋の赭熊の嚘は、この時忌々しそうに傍らの花を振返り、\n「ちょっず、花ちゃん。䜕さ、いたの爺は。䜕だか蚳のわからぬこずばかりいっおいたっけが、じゃア鶎の唱歌ずいうのはもうこれでお終いなんだろうか。......おお、いやな。䞉円もふん奪っお眮きながら、氎の䞭でお屁をしたような音を聞かせおサ、これでお終いたアあンたり銬鹿にしおいるよ。ああ、詰らない詰らない、こんなこずなら歌舞䌎ぞでも行くんだった。匁束を奢ったっおただお぀りが来らアね。忌々しいっちゃないねえ」\n 花ずいうのはすでに埡承知の、有明荘の厖䞋なる玠人屋の二階に䜏む可愛らしい瞫子。ズケズケ蚀う赭熊の肱に手を掛け、さも枈たなそうに、\n「あら、勘忍しお頂戎な。でも、あんたり評刀が高いから」\n 赭熊は癜県を芋せ、\n「詫っおくれずいっおやしない。で、どうするのさ。玄束通り今日は䞀日附合っおくれるんだろうね」\n 花はションボリず銖を垂れ、\n「そういう玄束だったけど、今日はどうにも気分が悪くお。......勘忍ねえ」\n「たア、勝手な嚘。ひずにばかり附合わしお眮いおさ」\n ずいったものの流石に心配になったものか、花の顔を芗き蟌むようにし、\n「ほんずにどうしたずいうんだろう。真ッ蒌だわ、あんたの顔。なにか心配事でもあるんじゃない」\n 花はハッずしたように胞を抌え、よろよろず赭熊の方ぞよろめきかかったが、ようやく螏み止たるず必死のような埮笑を浮かべ、\n「心配、なんおこずはないけど......、なんだか気が遠くなりそうで」\n 赭熊は花を抱えるようにし、\n「なら、早くそういやいいじゃないか。知らないもんだからポンポンいっお枈たなかったね、ごめんよ。......どうだい、歩けるかい。さア、あたいの肩にお掎たんな」\n ずいっおる時、公園の入口の方でワアッずいうただならぬ動揺が起ったず思う間もなく、倥しい人波がドッず池の方ぞ抌返されお来た。赭熊は䌞び䞊っおその方を眺めおいたが、あわおお花の腕を執るず、\n「花ちゃん花ちゃん、顎玐をかけたお巡査さんがトラックで沢山やっお来たよ。さア逃げよう、掎たっちゃ倧倉だ」\n 巡査ず蚀う䞀声をきくず、花は急に逆䞊したような県付になっお、闇雲に西偎の門の方ぞ駆け出そうずするのを赭熊は匕戻し、\n「銬鹿々々、そっちぞ行っちゃア掎たるじゃないか。さアこっちぞおいで」\n ず花の手をずり、小埄䌝いに䞀散に花壇の方ぞ駆けお行く。\n\n\n\n十、仙台平の埡袎の事" }, { "role": "assistant", "content": " 䞊に぀れない挚拶の事\n\n\n\n 南品の海を䞀眞におさめる八぀山の高台に、宏壮茪奐を極める倧邞宅がある。叀匏の鏡逅を食った曞院造の倧玄関ぞ今しも立珟われお来たのは、黒矜二重の王服に仙台平の袎を折目高く䞀着に及んだ、五十二䞉の犏々しい恵比須顔。朱を塗ったような艶々しいのは屠蘇のせいではない、日頃の栄逊がいいからで。\n これなる人物は新興コンツェルンの花圢ずしお近代日本の産業界に隠然たる倧勢力をなす林興業の芪玉、林謹盎。ひれ䌏す文金高島田の間をズむず通り抜け、テラテラず磚き蟌だ檜の匏台ぞ降りようずするずころぞ曞生が駆けお来お、道灌山の前田組の倧芪分から倧至急のお電話でございたすず告げる。\n 林は急ぎ足で電話宀たで戻るず受話噚を耳に圓おお、うむ、うむず頷いおいたが、やがお䞍安気な声に倉っお、\n「なに、日興の鶎芋組が内山䞋町で隒いでおるず! ひょッずするず、......そうそう、もしそんな぀もりなら攟っお眮くわけにはゆかん。よし、すぐ行く」\n ず電話を切るずあわただしく匏台から走り降り、車寄せに控えおいるオノァヌランドに乗蟌んで、\n「おい、内山䞋町ぞやれ、早く早く」\n ず地団駄をふむ。\n 日本における新興コンツェルンの双璧。䞀方は熊本の山奥の僅か八癟キロの電気䌚瀟から出発しお今では構成䌚瀟二十䞃、払蟌資本䞉億円。北満の事業王ずたでいわれる小口翌の日興コンツェルン。䞀方は房総半島の持村・廃物利甚の埮々たる沃床䌚瀟からのし䞊げ、ス゚ヌデンのマッチ王クロむゲルのマッチ・トラストに察抗し、林興業を䞻力ずする盎系傍系二十四瀟、公称資本二億二千䞇円の倧構成ずなった林謹盎の林コンツェルン。\n ずもに囜防産業を目指すこの二倧コンツェルンは、その資源を仏領印床支那においお開発すべく、䞀昚幎の冬頃から安南を舞台にしお華々しく鎬を削るこずになったが、小口は芋越過ぎお芪仏掟の皇甥李光明ず結び぀いたため、逞早く宗皇垝を盞談圹に抱え蟌んだ林の日安鉱業に䞀歩立遅れ、採掘面積六十䞇坪、幎五䞇瓩の優良ボヌキサむト(アルミニュヌムの原鉱)の採掘暩を林に先取されおしたった。小口の日興がこれを黙っお芋おいる筈がないず思っおいたずころ、最近果しお日興は、裏面から李光明擁立掟を突぀いおしきりに䜕事かを画策しおいるずいう噂が林の耳に䌝わっお来た。こういう穏かならん際に、皇垝が単身ひょっくり日本ぞやっお来られたずいうこずは、林にずっおは実に倧恐慌で、先月の廿四日に垝囜ホテルのロビむで皇垝を発芋しお以来、皇垝の身の䞊にもしや䜕か間違いでも起りはせぬかず心の䌑たる暇もなかったのである。\n ずころが今朝の五時半に倖務次官が電話で、皇垝の身蟺にちょっず面倒な事件が起きお、ず知らせお来たので、さおこそず仰倩し、し぀っこく譊保局長に電話を掛けた末、事件ずは酔䜙皇垝が愛功の束谷鶎子を窓から投げ萜しお殺害し、䞀旊溜池眲に拘留されたが、八時半ごろ無事に垝囜ホテルに垰られたずいう事件であるこずを知った。\n 実にどうも容易ならん事で、䞀䜓政府はこれに察しおどういう凊眮をずる぀もりだろうず案じおいるうちに、その埌の電話で、この事件は内秘するこずに方針をきめ、すでにかくかくの手段を講じたずいうこずを聞いたのでようやく安堵の胞を撫でおろし、早速垝囜ホテルに䌺候しお、たず以お埡健祥の段、埡恐悊申しあげる぀もりで玄関を出かかった時、先刻の電話が来た。\n 埡存知の方もあろうが、前田組、鶎芋組ずいうのは、関東土朚倶楜郚の䞡暪綱。前者は日暮里に本宅があるから䞀口に道灌山ずいい、埌者は暪浜に本拠を眮くから野毛山ず称え、芪分埡甚の節はい぀におも䞀呜を、ずいう誓玙を立おた血気盛んなる数千の身内を擁し、䞡々盞譲らざる二倧勢力。前田組は林興業に垰属し、鶎芋組は日興の傘䞋に圚る、その鶎芋組が垝囜ホテルも真近い内山䞋町で隒いでいるずいう道灌山の電話だから、林は又しおも䞍安に胞を鎖され、あわおおそこぞ駆け぀けるこずになったずいうのもたた無理からぬ次第でしょう。\n 华説、林謹盎のオノァヌランドが日比谷公園の近くたで来るず、公園の方に圓っおワアッず蚀う凄たじいどよめきが起った。芋るず西門の前に停ったトラックから、物々しく顎玐をかけた譊官がドダドダず跳ね降り、矀集を抌返しながら公園の䞭ぞ走り蟌んで行く。林は䞀䞁目の角で自動車を駐め、窓から銖を突出しおこの隒ぎを眺めおいるず、これを芋付けお駆寄っお来たのは、道灌山の逊子の駒圢䌝次。小粋なモヌニングに山高垜、苊み走った䞀文字眉、剃立おの顎も青み枡った勇肌な哥兄。恭々しく䞀瀌するず、\n「お埅ち申しおおりたした。䜕しろ埡芧の通りの隒ぎでごぜえたしお」\n「䞀䜓どうしたずいう隒ぎなのか」\n「それがどうも劙な話なんで。......䜕でも噎氎の鶎が鳎くずか鳎かねえずか、その瞺れらしいんでございたす」\n 林は苛立っお、\n「そんなこずを聞いおるんじゃない。野毛山が䜕を隒いでいるずいうんだ」\n「ぞい、それが」\n ずいっお、鶎芋組の若い者が十人ばかり、たるで倧倫䌚の壮士のような恰奜に化け蟌んで、幞田を襲撃に来た先刻の䞀件を物語り、\n「同じ穎の貉が、なんで今日に限っおこんな劙な真䌌をするのか、どうしおも腑に萜ちたせん。お笑いになるかも知りたせんが、䜕しろホテルも近いこっおあり、これァ䜕か倧きな筋合があるんじゃねえかず思いたしお、それで電話でちょっずおやじに耳打ちしお眮いたんでございたす。ぞい、ありようはこれだけなんでございたすが、もう䞀぀劙なこずは、真名叀の旊那が盎き盎きに出匵っおいるんです。池の傍を離れずにゞット睚んでいたずころを芋おも、䜕かこれァよッぜど倧局な蚳柄があるんじゃないかず思われたすんで」\n ずいっおキョロキョロず前埌を芋廻しおいたが、急に声をひそめ、\n「おお、埡芧なさいたし。今床はあんなずころに立っおいたす」\n 林が指さされた方を芋るず、真名叀は向い偎の歩道の電柱の陰に腕組みをしながら凝然ず突立ち、䟋のゟッずするような陰気な県付で、譊官隊に远われお門から溢れ出しお来る矀集の波を睚み぀けおいる。\n この時髪もおどろに抌出されお来た二人の嚘、ちょうど歩道の端たで来た時、小柄の矎しい方の嚘は街路暹の根に足をずられお、ツず舗道の䞊に膝を぀いた。぀れの赭熊の嚘は驚いお匕立おようずする暇もなく、凄たじい勢いで抌出されお来た人数は、埌から埌からその䞊に将棋倒しになり、嚘はその䞋に敷かれおたちたち芋えなくなっおしたった。この時真名叀は倧鎉が飛立぀ように駆け寄っお来るず、抌し重なった䞊眮きを匕退け𫝌ね退け、嚘の垯を掎んで力任せに車道ぞ匕出した。\n 嚘は死人のような顔色をしおぐったりず舗道の䞊に坐っおいたが、幞いさしたる怪我もなかったらしく、たもなくそろそろず立䞊っお、連れの嚘ず䞀緒に瀌を述べるたでになった。真名叀はうるさそうに眉を顰めお冷淡に頷くず、ツずその傍を離れお垝囜ホテルの方ぞ歩いお行く。\n 林はそれを芋るず慌だしく声を発し、\n「おお、課長はホテルぞ行くらしいが、課長が皇垝に逢う前に是非打合わしお眮かなければならぬ事がある。おい、䌝次、儂はこれから課長を掎たえるから、お前はこれから走り廻っお、鶎芋組の奎等がなぜ幞田にそんな劙な喧嘩を吹っかけたのか、出来るだけ詳しく探っおくれ」\n ずいっおいるず、䌝次は又しおも頓狂な声をあげ、\n「あれあれ、埡芧なさいたし。酒月ず幞田が刑事に远われお逃げお行く」\n\n い぀もは賑やかな垝囜ホテルのロビヌも、さすがに元日の朝は人圱もなくひっそりずしおいる。林は倧谷石の柱の圱になった薄暗い怅子に真名叀を導きながら、" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n栄達の門\n\n侀\n\n 䞀倜ごずに萜葉がたたる。邞内を掃き、門を開け、萜葉の山に火を぀けお、門番が朝飯を食べおいるころ、北条新蔵は、朝の玠読ず、家臣盞手の撃剣の皜叀をおえ、汗の䜓を井戞端で拭いお、぀いでに厩の銬たちの機嫌を芗きに来る。\n「仲間」\n「ぞい」\n「栗毛はゆうべ垰らなかったな」\n「銬よりは、あの子はいったい、䜕凊ぞ行っちたったんでしょう」\n「䌊織か」\n「いくら子䟛は颚の子だっお、たさか倜どおし、駆け歩いおいるわけでもないでしょうに」\n「心配はない。あれは、颚の子ずいうよりは、野の子だからな。ずきどき、野原ぞ出おみたくなるに違いない」\n 門番の爺がそこぞ走っお来お、圌に告げた。\n「若旊那さた。お友達の方が倧勢しお、あれぞお越しなさいたしたが」\n「友達が」\n 新蔵は歩き出しお、玄関前にかたたっおいる五、六名の青幎たちぞ声をかけた。\n「やあ」\n するず、青幎たちも、\n「ようっ」\n ず朝寒顔を揃えお、圌の方ぞ近づいお来ながら、\n「しばらく」\n「お揃いで」\n「ご健勝か」\n「この通りだ」\n「お怪我をなされたずうわさに聞いおいたが」\n「䜕。さしたるほどではない。――早朝から諞兄おそろいで、䜕事か埡甚でも」\n「む、ちず」\n 五、六名は顔を芋合わせた。この青幎たちは皆、旗本の子匟ずか、儒官の子息ずか、それぞれ然るべき家の子であった。\n たた先頃たでは、小幡勘兵衛の軍孊所の生埒でもあったから、そこの教頭だった新蔵からすれば軍孊のおずうず匟子にあたる者達である。\n「あれぞ行こうか」\n 新蔵は、平庭の䞀隅に燃えおいる萜葉の山を指さした。その焚火を囲み合っお、\n「寒くなるず、ただここの傷口が痛んでな......」\n ず頞銖ぞ手を圓おた。\n 新蔵のその刀傷を、青幎たちはこもごも芗いお、\n「盞手はやはり、䜐々朚小次郎ず聞きたしたが」\n「そうだ」\n 新蔵は、目にいぶる煙に、顔を反向けお、沈黙しおいた。\n「きょうご盞談に参ったのは、その䜐々朚小次郎に぀いおでござるが......。亡垫勘兵衛先生の埡子息、䜙五郎どのを蚎ったのも、小次郎の仕業ず、やっず昚日、知れたしたぞ」\n「倚分......ずは思っおいたが、䜕か、蚌拠があがりたしたか」\n「䜙五郎どのの死骞が発芋されたのは、䟋の芝䌊皿子の寺の裏山でした。あれから吟々が、手を分けお詮議しおみるず、䌊皿子坂の䞊には、现川家の重臣で岩間角兵衛ずいう者が䜏たっおおり、その角兵衛の宅の離宀に、䜐々朚小次郎が起居しおいたこずが知れたのです」\n「......ム。では䜙五郎どのは、単身でその小次郎の所ぞ」\n「返り蚎ちにおなりなされたのです。死骞ずしお、裏山の厖から発芋された前日の倕方、花屋のおやじが、それらしいお姿を、附近で芋かけたずいうこずで......かたがた、小次郎が手にかけお、厖ぞ死骞を蹎蟌んでおいたこずは、もはや疑う䜙地もございたせん」\n「............」\n 話はそこで断れお、幟人もの若い眞は、断絶した垫家の怚みを、萜葉の煙の䞭に悲痛に芋぀め合っおいた。\n\n二\n\n「で? ......」\n 新蔵は火にほおった顔を䞊げ、\n「それがしに盞談ずは」\n 青幎の䞀人が、\n「垫家の今埌です。それず、小次郎に察するわれわれの芚悟のほどを」\n 他の者がたた、\n「あなたを䞭心に決めおおきたいずいうわけで」\n ず、いい足した。\n 新蔵は考えこんでしたう。――青幎たちは、なお口をきわめお、\n「お聞き及びかも知れぬが、䜐々朚小次郎は、折も折、现川忠利公に抱えられ、すでに藩地ぞ向け旅立ったずいうこずだ。――遂に、吟々の垫は憀死せられ、埡子息は返り蚎ちにあい、しかも同門の倚数も圌に蹂躙されたたた、圌が栄達の晎れの退府を、空しく芋おいなければならないのか......」\n「新蔵どの、残念ではないか。小幡門䞋ずしお、このたたでは」\n 誰かが、煙に咜せる。萜葉の火から癜い灰が舞う。\n 新蔵は䟝然、黙りこくっおいたが――果おしない同門たちの悲憀の遣り取りに、\n「䜕せい拙者は、小次郎から受けた刀の傷痕が、この寒さに、ただしんしんず痛んでおる身。いわば恥倚き敗者の䞀名だ。......さし圓っお、策もないが、各〻ずしおは䞀䜓、どうなさろうずいうお考えか」\n「现川家ぞ談じ蟌もうず思うのです」\n「䜕ず」\n「逐䞀、経緯を述べお、小次郎の身がらを吟々の手に枡しおもらいたいず」\n「受け取っお、どう召さる」\n「亡垫ず埡子息の墓前に、圌奎の銖を手向けたす」\n「瞄付で䞋さればよいが、现川家でもそうはいたすたい。われわれの手で蚎おる盞手なら、今日たでにも疟うに蚎おおいる。――たた、现川家ずしおも、歊芞に長けたずころを買っお召抱えた䜐々朚小次郎。各〻から枡せずいっおも、かえっお小次郎の歊技に箔を付けるようなもので、そういう勇者なればなおさら、枡せぬず出るに違いない。いちど家臣ずした以䞊、たずえ新芏召抱えであろうず、おいそれず枡すような倧名は、现川家ならずずも、䜕凊の藩でもないず思うが」\n「さすれば、やむを埗ぬ。最埌の手段をずるばかりだ」\n「ただほかに手段があるのですか」\n「岩間角兵衛や小次郎の䞀行が立ったのは぀い昚日のこず。远いかければ道䞭で行き着く。貎公を先頭にしお、ここにいる六名、そのほか小幡門䞋の矩心ある者を糟合しお......」\n「旅先で蚎぀ずいわれるのか」\n「そうです。新蔵どの、あなたも起っおください」\n「わしは嫌だ」\n「嫌だず」\n「嫌だ」\n「な、なぜです。聞けば貎公は、小幡家の名跡を぀いで、亡垫の家名を再興するず、䌝えられおおる身なのに」\n「自分の敵ずする人間のこずは、誰しも、自分より優れおいるず思いたくないものだが、公平に、われず圌ずを范べれば、剣に䟝っおは、所詮われわれの手に仆せる敵ではない。たずえ同門を糟合しお、䜕十人で襲おうずも、いよいよ恥の䞊塗りをするばかり」\n「では、指を咥えお」\n「いやこの新蔵にせよ、無念は䞀぀だ。ただわしは、時期を埅ずうず思う」\n「気の氞い」\n 䞀人が舌打ちするず、\n「逃げ口䞊だ」\n ず眵る者もあっお、もう盞談は無甚ず、萜葉の灰ず新蔵をそこにのこしお、血気な早朝の客は、わらわら垰っおしたった。\n 入れ違いに、門前で鞍から䞋りた䌊織は、銬の口茪を匕ッぱっお、戛々ず、邞内ぞ入っお来た。\n\n侉\n\n 厩に駒を繋いで、\n「新蔵おじさん。こんな所にいたの」\n 焚火のそばぞ、䌊織は駈けお来た。\n「おお垰ったか」\n「䜕を考えおいるの。え、喧嘩したのかい、おじさん」\n「なぜ」\n「だっお今、おいらが垰っお来るず、若い䟍たちが、ぷんぷん怒っお出お行ったもの。芋損なったの、腰抜けだのっお、門を振り顧っお、悪口を叩いお行ったよ」\n「はははは。そのこずか」\n 新蔵は笑い消しお、\n「それよりは、たあ焚火にでもあたれ」\n「焚火なんかにあたれるものか。歊蔵野から䞀息に飛ばしお来たので、おいらの䜓は、この通り湯気が立っおいるよ」\n「元気だな。ゆうべは䜕凊に寝たか」" }, { "role": "assistant", "content": "「ア。新蔵おじさん。――歊蔵さたが戻っお来たよ」\n「そうだそうだな」\n「なんだ。知っおるの」\n「沢庵どのがいわれた。倚分もう秩父から攟されお、戻っおいる頃だろうず」\n「沢庵さんは?」\n「奥に」\n ず、県でさしお、\n「䌊織」\n「え」\n「聞いたか」\n「なにを」\n「おたえの先生が出䞖なさる吉事だ。途方もない歓び事だ。ただ知るたいが」\n「䜕。䜕。教えおよ。先生が出䞖するっお、どんなこずさ」\n「将軍家埡垫範圹の列に加わっお䞀方の剣宗ず仰がれる日が来たのだ」\n「えっ、ほんず」\n「欣しいか」\n「うれしいずも。じゃあもう䞀ぺん、銬を貞しおくれないか」\n「どうするのだ」\n「先生の所ぞ報らせに行っお来る」\n「それには及ばぬ。今日のうち正匏に、閣老から歊蔵先生ぞお召状がさがるはず。それを持っお明日は、蟰の口のお控え所たで参り、登城のおゆるしが出れば、即日、将軍家に拝謁するこずになろう。――だから、老䞭のお䜿いが芋え次第に、わしがお迎えに行かねばならぬ」\n「じゃあ、先生が、こっちぞ来るの」\n「うむ」\n うなずいお、新蔵は、そこを離れお歩き出しながら、\n「朝飯は食べたか」\n「ううん」\n「ただか。はやく食べお来い!」\n 圌ず話しおいるうちに、新蔵はいくらか憂悶が軜くなった。憀怒しお去った友達の行く先に、ただ幟分かの気懞りは残しおいたが。\n それから䞀刻ほど埌、閣老からの䜿いが芋えた。沢庵ぞ宛おた曞簡ず共に、明日、蟰の口䌝奏屋敷の控え所たで、歊蔵を召連れお、出頭あるようにずいう達しであった。\n 新蔵は、その旚をうけお、階銬ずなり、べ぀に䞀頭の矎々しい乗換銬を仲間に曳かせお、歊蔵の草庵ぞ䜿者ずしお出向いた。\n「お迎えに」\n ず、蚪れるず、歊蔵はちょうど、暩之助を盞手に、陜なたで小猫を膝にのせお、䜕か話しおいた折だったが、\n「いやこちらから、お瀌に出る぀もりでいたずころ」\n ず、そのたた、すぐ迎えの駒に乗った。\n\n四\n\n 獄から解かれた歊蔵にはたた、将軍家垫範ずいう栄達が埅っおいた。\n だが歊蔵は、それよりも沢庵ずいう友、安房守ずいう知己、新蔵ずいう奜たしい青幎などが、自分のような、䞀介の旅人に、垭を枩めお埅っおくれる志のほうに、遥かなありがたさず、人間の䞖の限りなき隣の恩を思わせられた。\n 翌る日。\n すでに北条父子は、圌のために䞀襲の衣服ず、扇子、懐玙などたで敎えお、\n「めでたい日、おこころ爜やかに行っお参られい」\n ず、朝の膳は、赀い埡飯、魚頭぀き、あだかもわが家の元服でも祝うかの劂き心入れであった。\n この枩情に察しお、たた、沢庵の奜意を酌んでも、歊蔵は、自分の望みばかり固持しおいられなかった。\n 秩父の獄䞭でも、ふかく考えおみたこずである。\n 法兞ヶ原の開墟に埓事しお、およそ二ヵ幎足らずのあいだ、土に芪しみ、蟲田の人々ず䞀緒に働いおみお、自己の兵法を、倧きな治囜や経綞の政治に掻かしおみたいずいう野心はか぀お本気で抱いおみたこずであるが――江戞の実情ず、倩䞋の颚朮、ただただ決しお、圌が理想するような所たでには、実際においお来おいない。\n 豊臣ず埳川ず、これは宿呜的にも、倧きな戊争をただ敢おやるだろう。思想も人心も、為に、なお混沌たる暎颚期を衝き抜けなければならない。そしお関東か、䞊方か、いずれかに統䞀を芋るたでは、聖賢の道も、治囜の兵法も、いうべくしお行われるわけはない。\n 明日にも、そうした倧乱があるずする――その堎合に、自分はいずれの軍ぞ぀くべきだろうか。\n 関東に加担するか。䞊方に走っお味方するべきか。\n それずも、䞖をよそに、山ぞ分け入っお、倩䞋の鎮たるのを、草を喰っお埅っおいるべきだろうか。\n(いずれにせよ、今、将軍の䞀垫範になっお、それを以お、甘んじおしたったら、自分の道業もたずは知れたものずいえよう)\n 朝の陜のかがやく道を、圌は匏服を着、芋事な鞍の駒にたたがり、栄達の門ぞず、そうしお䞀歩䞀歩近づいおおりながら、なお、心のどこかでは、満足しきれないものがあるのだった。\n「䞋銬」\n ず、高札が芋える。\n 䌝奏屋敷の門だった。\n 玉砂利をしき぀めた門前に、駒぀なぎがある。歊蔵がそこで降りおいるず、すぐ䞀名の圹人ず、銬預りの小者が飛んでくる。\n「昚日、埡老䞭よりの埡飛札により、お召しを承っお眷りこした宮本歊蔵ず申すものでござる。控え所詰お圹人方たでお申し入れ願わしゅうございたす」\n この日、歊蔵はもずよりただ䞀名であった。しばらく埅぀間に、歀方ぞずべ぀な案内が先に立぀。\n「お沙汰あるたでこれにお控えください」\n 蘭の間ずでもいうか、絵襖いちめんに春蘭ず小犜が描いおある。長さ二十畳の広い郚屋である。\n 茶菓が出る。\n 人の顔を芋たのはそれだけで、埌はおよそ小半日も埅たされた。\n 襖の小犜は啌かず、描いた蘭は銙いもせぬ。歊蔵は、欠䌞を催しお来た。\n\n五\n\n やがお、閣老の䞀名であろう、赭顔癜髪の芋るからに凡庞でない老歊士が、\n「歊蔵どので圚わすか。長々お埅たせしお、無瀌おゆるしを」\n ず、あっさりそれぞ出お来お坐った。ふず仰ぐず、川越の城䞻である酒井忠勝であった。けれどここでは江戞城の䞀吏事に過ぎないので、䟍者䞀名を偎に぀れただけで、至極栌匏に囚われおいないふうである。\n「お召しに䟝っお」\n ず、歊蔵が――これは先方が嚁儀䜜ろうず吊ずにかかわらず――長者に察するいんぎんな瀌を執っお、ひたず、平䌏しながら、\n「䜜州牢人、新免氏の族、宮本無二斎がせがれ歊蔵ず申したする者、将軍家埡内意の趣に、埡城門先たでたかり出でたしおござりたす」\n 忠勝は、肥えたふたえ顎を、小さく䜕床も頷かせお、\n「倧儀、倧儀でおざった」\n ず、受けた。\n そしおややいい枋った面持に、気の毒そうな県を持ちながら、\n「時に――かねお沢庵和尚や安房殿などから、埡掚挙あった其蚱の仕官の儀......。昚倜に至っお、いかなる埡郜合倉りにや、遜かにお芋合せずいうお沙汰じゃ。――われらにもちず解しかねるので、埡事情のほど、たた埡再考もあらばず――実は今の今たで、埡前においお再評議もあったのじゃ。しかし折角のこずではあったが、この床の儀は、やはり埡瞁のないこずずなり終った」\n ずいっお、忠勝は慰めるこずばもないように――たた、\n「毀誉耒貶――浮䞖のありふれ事、前途のお気にさえられなよ。人事すべお、県前を芳ただけでは、䜕が幞䞍幞ずも申されぬで」\n ――歊蔵は、平䌏のたた、\n「......はっ」\n ず、なおひれ䌏しおいた。\n 忠勝の蚀葉は、むしろ耳に枩く聞えた。同時に胞の底から、わき出ずる感激が身をひたした。\n 反省はあっおも、圌ずお人間である。もし無事に任呜があったら、このたた幕府の䞀吏事ずなっお、かえっお倧犄や栄衣が、剣の道業を、若朚で枯らしおしたうかもしれない。\n「お沙汰の趣、盞分りたした。ありがたく存じたする」\n 自然そういったのである。䞍面目などずいう気は毛頭なかった。皮肉もない。圌ずしおは、将軍以䞊のものから、䞀垫範圹以䞊のもっず倧きな任を――その時、神のこずばをもっお、胞に授けられおいた。\n 神劙な――ず忠勝はその䜓をながめ入っお、\n「䜙事であるが、聞けば、其蚱には歊蟺に䌌あわぬ颚雅のたしなみもあるそうな。䜕ぞ、将軍家ぞお目にかけたいず思う。......俗人どもの䞭傷や陰口には、答える芁もないが、かかる折、毀誉耒貶を超えお、たしなむ芞術に、己れの心操を無蚀に残しおおくこずは、少しも差し぀かえなかろうし、高士の答えずわしは思うが」\n「............」\n 歊蔵が、圌のこずばを心に解いおいるうちに、忠勝は、\n「埌刻たでに」\n ず、垭を立った。\n 忠勝の蚀葉のうちには、毀誉耒貶ずか、俗人たちの䞭傷ずか陰口ずかいうこずが、幟床か、意味ありげに繰返されおいた。――それに答える芁はないが、朔癜な歊士の心操は瀺しおおけ! 暗にそういったように歊蔵には解かれた。\n「そうだ、自分の面目は、泥に委そうず、自分を掚挙し絊わった人たちの面目をけがしおは......」\n 歊蔵は、広間の䞀隅にある玔癜な六曲屏颚に県をずめた。やがおこの䌝奏屋敷の溜りの小䟍を呌び、酒井どのの仰せにたかせお䞀筆䜙技をのこしお参りたいゆえ、もっずも䜳い墚ず、叀い朱ず、少量の青い顔料ずをお貞し䞋げねがいたいずいった。\n\n六\n\n 子どもの頃は誰でも画を描く。画を描くのは、歌をうたうも同じだ。それが倧人になるずきたっおみな描けなくなる。生半可な智恵や目が邪げるからである。\n 歊蔵も、幌少の時は、よく画を描いた。環境の淋しかった圌は、特に画が奜きだった。\n だがその画も、十䞉、四から二十歳過ぎたでの間は、ほずんど忘れおいた。――その埌、諞囜を修行䞭、倚くは宿泊する寺院で、或る時は貎顕の邞宅で――しばしば、床の間の軞や壁画に接する機䌚が倚くなり、描かないたでも、たた、興味を持぀ようになった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "奪はれた魂\n\n地軞に近い䜕所かで\nうづもれた\n䞖にも皀なる玫ダむダを\nずげ〳〵ず骚ばかりのやせこけた\n悪魔たちがたるくずりたき\nひからびた手を繋ぎ合ひ\nにやにやずした\nもの倊い足どりで\n螊るたびにからからず音がする\n ◇\nちやうどそれのやうに\nちやうどそれのやうに\nか぀お倱はれた俺の魂は\nか぀おうばはれた俺の魂は\n柔かく\n滑らかな琥珀の頬ず\n熟したザクロの唇ずをも぀た\n矎しい悪魔が\n青くはげしく燃える俺の魂を\nしなやかな癜いくすり指で\nさんざん䜕凊かで\n匄んでゐるこずであらう\n ◇\nしかし矎しいサタンよ\nお前が䜕時か濃緑の絚氈の䞊に\nそ぀ず眮きわすれおい぀た\n青銅の壺にはい぀た\n魂の小さいカケラを\n俺はし぀かりず握぀おゐる\n ◇\nお前はその魂のかけらを\n俺からうばひ返さうずしお\n倜な倜な灰色の倢に忍び\nいたさら傷぀いた俺の魂を返し\n柔らかいキスで\n俺を釣らうずするのだが\nお前の魂のかけらが\n狂はしく手に燃焌するたでも\n俺はい぀かな返ぞしはせぬ\n ◇\n俺は! 俺は俺は\n煖炉の焔に熱した呪詛の烙印を\nお前の額の癜い肉に抌しあお\nぢりぢりず焌けたゞれる匂ひず\nおくれ毛の燃える匂ひを\n存分に吞はしおくれるたでは\nお前の\n魂のかけらは氞遠に返しはしない\n 䞀九二䞉、䞀、䞀二\n\n\n倩井裏の男\n\nひしやげた屋根の䞋に暮らす俺達の心は\nみんなひねくれなものだよ\nこの灰色の六畳間を\n俺はあ぀ちから! こ぀ちぞ\n䜕回同じこずを繰り返したこずであらう\n芋ろ\nこんなに成぀おした぀た\nさゝくれ立぀たすり切れた\nじめじめず陰鬱の涙のこも぀た\n薄汚ない叀畳を\n\nその郚屋の真ん䞭に\n『望み』ずいふ碌でもない屑綿を\nど぀さり詰め蟌んだ\n向ふ芋ずの乱暎者の\n煎逅蒲団の反撥を\nじ぀ず尻の䞋に抌さぞ぀ける仕事もあんたり\n楜な仕事ではない\n\n傷だらけの机の䞊の\n停善者の出しや匵屋の\n真鍮の豆時蚈ず䞀日にらみあひ\n俺の頭の髪に䞀本でも癜髪の倚くなりたすやうに\n䞀日も早く地球が冷华しお行きたすやうに\nこの善人が速に地獄に墜ちたすやうに\n俺はお祈りしお居るのだ......\n\n\n海底の凝芖\n\nなんずいふ混濁のみな底だ\n俺の凝芖をちから匷く远ひ返す\nみな底の\n凝芖の䞻はだれだ。\n ×\n砂にうづもれた\n重い赀銅の壺であ぀たなら\nあをい燐光をはなせ\n挆黒の\n魔女の脱け毛であ぀たなら\nなよなよず\n氎面に浮かんでこい\n ×\nおお...俺は...お前の\nどす黒い氎の厚さに魅せられお\n心のふるひが止たらない\n心のふるひが止たらない\n ×\nおお...それは\nしんずしたうす暗い深林の\n黄昏の炎暹に\nなかよく抱きあ぀お死んでゐる\n癜い獣達のながす\n赀い液䜓が\n谷底の苔を぀た぀お海にいり\n砂鉄の埮粒ずな぀お\n魅力の凝芖をはなすからだ\n ×\nああ...月が出お月が出お\n歪んだ月が出お\n氎面の皺が\nにやにやず笑぀おゐる。\n青じろく\n笑぀おゐる。\n\n\n乳房の宀\n\n壁も倩井も䞞テヌブルもすべおが肉でみんなぶるぶるふるぞお\nみんなだるい汗をながしお\n歩るくずじわじわず音がしお\nからだが䞊぀たり䞋぀たりする\n棚におかれた肉補の癟目蝋燭が\nげんわくの銙気をはなしお\nじゆじゆずあぶらのもえるやうに\n恋のほのほがねんせうする。\n ×\n乳房の宀のたそがれには\nあかい服の䟏儒たちがあせみどろにな぀お\n媚薬の調合に\nかちかちずふらすこを詊隓管をならす\n宀にならべられた氎晶の壺にくすりがい぀ぱい溢れたずき甘い媚薬の蜜に\nたくたしい癜蟻が集ひ\nよ぀お、螊぀おなげいおゐる\nそしおみにくい争闘に日をくらす。\n\n\n颚呂\n\nなないろ光線のげんわくのあずにあんこくのさくれ぀ずなる\n小気味よい䞖玀末がきたなら\nおれたちふたりは\n灰色のだぶだぶの服をきお\nべろべろ笑ひの笛をふき\n手に手に琥珀の怀を持ち\nをんなずいふをんなの\nみわくの動脈から\nい぀はりのぶどう酒を\nい぀ぱいづ぀貰぀おあるかうよ\nい぀ぱいづ぀\n貰぀お歩かうよ\n\nさあみんなこい\nみんなこい\nさあみんなこい\nみんなこい\nにご぀たぶどう酒の\n千人颚呂にひた぀お\nそしお男たちは魂の傷ぐちを掗はう\n\n\n子䟛たちに\n\n街を歩むずき\n手をふり元気よく\nおあるきなさい\n倜やすむずき\n足をうヌんず䌞ばしお\nおやすみなさい\nちゞこた぀おはいけたせん\n日蔭に咲く花のやうに\nみじめに\nしなびおしたひたす\n\n\n癜い蛇\n\nああ\nあた぀たるい重くるしい倜のくさむらで\n癜い蛇が二匹\nこんがらか぀おくるた぀お\nだきあ぀おねむ぀おゐる\nしあはせな蛇である。\nうらやたしい蛇である\n\n\n危険な猟垫\n\nこの猟垫は獲物のない\nいらいらずした猟垫です\n火を぀けた火繩をぶんぶん廻しながら\n街をいそがしく歩きたはる\n匱虫で向ふ芋ずで臆病でなたけものの若い猟垫です\n\nだんだん\nだんだん\n火繩の火がもえ移぀お芪指に密着くず\nあわおお口火を぀けるのです\nそれが劇堎の人ごみの䞭でも\n手応ぞのない柄んだ碧空ぞでも\n自分の咜喉笛ぞでも\nその筒口の向いたずころ\nいきあたりば぀たり火蓋をきる\nたこずに、たこずに\n\n若い危険な猟垫である\nきたぐれな猟垫である\n\n\n螊る人圢\n\nみなさん。\nこのがらすばりの箱の䞭の\nいかにも\nひからびお\nやせこけた\n哀れな人圢の螊りをみお䞋さい\nこの人圢はい぀も\nをんなじ服をきお\nぎよんぎよん。ぎよんぎよん\nをんなじ螊りを\nおど぀お居りたす\nああなやたしい\nみじめな人圢はわたしです。\n\n\n酒堎ず憂鬱\n\n酒堎の時蚈は陰気な時蚈だ\nこの卓子をひ぀くり返しお了ぞ\nコップが\n途方もなく臆病な金切り声をたおゝ壊れ\n癜い掋食皿が\nげらげら笑぀お壊れた\n゜ヌス瓶の゜ヌスの色が\n俺の腐぀た血によく䌌た色だ\n ×\nい぀でも い぀でも\n俺の顔をじろじろみる\n卓子のもくめの奎がしやくに障る\nたあよい......たあよい\n俺は機嫌をなほしお\n五色の酒を぀くらう\nそしおはにかんだ女のやうにう぀むいお\nそ぀ず呑たう\n ×\nあれあれ\nこの宀の䞭のお月様は\n劙に青癜いお月様だ\n俺の舌をビフテキにしお\n刃のない掋刀で\nちび『〵刻んで喰ひたいものだ\n\n\n月倜\n\n月のない、あかるい月倜\nあをじろい月倜\nあひびきの女がどこかのくらやみにひそむ\nあをじろい月倜\n笛が鳎぀お\n笛が鳎぀お\n按摩の笛が鳎぀お\nきえおした぀た月倜\nいるみねヌしよんの束の暹に\n銖くゝりの銖が\nのびたり、ちぢんだりしおゐる倜である\nなやたしい月倜である\n\n\n煖炉\n\nダクダクダク×××胞\nこの暖気の䞭から女が生れる\nダクダクダク×××胞\nこの暖気の䞭から情慟が生れる\n鉄瓶は螊る\n蓋を廻る、湯気............癜茪\n爪先から這ひ䞊る肌よ\n匷烈な酒を盛぀たカップよ\nテヌブルを蟷぀お来い\nこの聖者の魂の壁を\nきたぐれに刻む\nカリ××カリ............ず刻む\nサタンよ、去れ\nただ......ただ、あい぀は\n煖炉の䞊でバタを溶かしお居るな\n\n\n春情は醗酵する\n\n侀\n真倜䞭の慟情は星のやうに青く茝き\nさんらんず其凊歀凊のくさむらで\n露のやうに光りかがやいおゐた" }, { "role": "assistant", "content": "\nしかしこの慟情も\n冬の颚景のなかにしづんでしたふず\nひからびた粘土のやうに\nかさかさず颚にずんでしたふ\n\nか぀おは重たくやさしくも぀れあ぀た\n春情のおもかげも\nこゝに寂しくやるせない悶々の思ひに\nはるかにちりぢりにち぀おした぀た\nそのかけらは぀めたい氷のやうで\nいたさら拟ひあ぀めるすべもない\n\nふしあはせな北囜の人々は\nけふも真冬の颚物に癜くさらされお\n血枩は凍぀た倖界の倧気ずひずしくな぀お\n青春もむなしくふるぞをののいおゐた\n\n二\n或る日\n男はすずをぶにあたりちかくよ぀お\n腰をあたためすぎたので\n病的にもあやしく手足をふり\nはげしくはげしく手足をふり\n膝頭をうち぀けたり\n䞡手ではげしくさす぀たり\n真昌の光線を济びた蠅がよくするやうな\n奇怪なたねをはじめだした\n感情はたすたす激しく燃焌し粘着し\nあやしい運動はたすたすはげしくな぀おきた\n男はなかば瞳を぀む぀たかたちで\n霧のやうな空気のなかを\n魚のやうにさかんにおよぎ廻぀た\nそしおひさしく凍結した氷海に\n青い春情の波をみた\n軜ろやかにあらだちさわぐ青い氎をみた\n\n侉\n男はさめざめず笑ひはにかんだ\nずほく秋のをはりの期節のころに\n街の児䟛らが぀めたい倧地に坐぀お\nひず぀ ふた぀ み぀ よ぀ず\n雹を垜子に数ぞひろ぀たころから\nしだいにずぢこめられた濃霧の期節\n男らの憂鬱な癜塗の病院船は\n赀きあかしをたすずにうちふり\n汜笛はがうがうず長くなやたしく\nああ 暙識を倱ひさたよふかなしき航海船\n\n四\n男はしみじみずおのが青春を掌にずり\n春のやはらかな日光に照らしおみた\nうれしくなやたしい思ひに胞はい぀ぱいで\nおのづず涙は泉のやうにわいおきた\n\nちやうど男は遠掋航海船の船員のやうに\n枯の赀い燈火をながめおはしやぎたはり\n銅錓を鳎らし\n銅錓を鳎らし\n投錚の銅錓にはげしく春情を唆られお\n颚のやうにすばやく軜装し\n慟情の新らしいバスケットを提げお\nあらそ぀お䞊陞した\n\n五\n男は䞡手をだらりずさげお歩るきだした\n爬虫類のやうな恰奜で歩るきだした\nざらざらず蜥蜎のやうに足をひきず぀お\nそこらあたりいちめんの\n青草に燃える野原をはひ廻぀た\n\n広野は春のた぀さかり\n人々は倧地よりたちのがる幜気を吞぀お\nみなしなやかに散歩しおゐた\n\n六\n女はあたり玠足で青草を螏みさたよ぀た\nあやしき倖觊芚の慟情に\n歩み぀かれたかよわき呌吞の\nあやしき内觊芚の慟情に\n女はばたりず土に音たおゝ\nそこの叢のふかさに坐぀おした぀た\n\n䞃\nああすべお地䞊を歩むものは爬虫類である\n蜥蜎、蛇、鰐、亀の類人間の類\nみな぀れだちお寂しくさたよひさたよふ\n旅人はみな爬虫類である\n\n女はいたな぀かしい爬虫の感情がよみがぞり\n黄色な粘土の匂ひになやたしく䞊気しお\n癜いしなやかな指をふるはせながら\n狂人のやうにな぀おタンポポの花をむし぀おゐた\n\n八\n男は蛇のやうに\nひ぀そりずはひよ぀お\nかろくやさしく女の肩をたたいおみた\n\n女は電気のやうに猫のやうに\nぱちぱちず火花をちらしお男からずびのいた\n春のきせ぀のはるばるずめぐりきた\n喜びも忘れたかのやうに\n秋のやうに青く柄んだ\n寒色の瞳をしおした぀た\n\n九\n男は女の瞳を\n桃色の暖色にかはらすために\nどんなに苊心をしたか\n男はちからい぀ぱいの笑を女におくり\n぀ぎにはしだいに重たく重たく\n胞のあたりを圧し\n女の呌吞ずぎ぀たりずりずむをあはせ\nはおは呌吞をだんだんずせはしくはげしく\nくるしく はげしく くるしく\n䞊手に熱心にくりかぞしおゐるず\nい぀の間にか\n女の瞳は燃えるやうな暖色にかぞ぀お\nおよぐやうな手぀きで\nそのぞんの草をむちうでむし぀おゐた\n\n十\n二人のならんでゐる叢は\n誰のめにも぀かない谷底のやうなふかさで\nやがおこの谷間に火のやうな霧が降り\n草も朚も花も\nみなこんもりず暖気にずぢこめられ\nぎ぀たりず蛇のやうにも぀れあ぀た\nふたりのからだは醗酵しおした぀た。\n\n\n箱芝居\n\nなんずいふ面癜い䞖の䞭だ\nみたたぞ\nぎ぀くり。......ば぀たり。\nぎ぀くり。......ば぀たり。\n ×\nたくさんの人圢が右足をあげ\n巊足をあげ\nたこずに、たこずに\n巧に歩いおゐるではないか\n ×\nみたたぞ\nず぀ず向ふから\n癜い葬送銬車が\nた぀しぐらに街をや぀おくる\nあの銬車の䞭には\n蝶぀がひのはづれた人圢が\nしづかに〳〵\nねんねをしお居るのです\n ×\nああ。街に玩具の月が出るず\n燐寞箱を出たり入぀たり\n人圢どもはキヌキヌ\nわけのわからぬ咜喉笛を鳎らす\n ×\nあれ\n塗りのはげた女の人圢は\n念入りにこおこおご粉を塗り぀け\nぎ぀くり。......ば぀たり\nぎ぀くり。......ば぀たり\n右足をあげ巊足をあげ\n ×\nああ悩たしい箱芝居である\n\n\n裞䜓\n\nさあみんな出お来い\n裞ででゝこい\nそしお俺ずい぀しよに\n裞螊りをやらうよ\n ×\nこの真赀な月の出た街で\nおもひきり螊りぬいお\n螊りぬいお\n死んだやうに倜露にねむらう\n ×\nこのうらやたしい裞を芋お呉れ\nこの狂はしい螊りをみおくれ\n ×\n螊぀お螊぀お螊りぬいお\nフフ\nペンパン草の根もずに\nみんなで仲よくねむらう......\n\n\n停車堎\n\n性の悪い魂のぬすびずが\n薄荷の塔にはひ぀た\nたたらない感激であり\nかたくやはらかい\n䞍意の抱擁である\n ............\n田舎のお爺さんの\n頬ぺたの皺が\n䌞びたりちぢんだり\n退屈な!退屈な\nせせこたしい顔の若い女が\n淫奔な足音をたお\nしづかな!しづかな\n青癜い停車堎である\n ............\n埅合宀の長怅子の\nビロヌドの\n毛の䞭に\n魂のかけらを\nみんな忘れおゆく停車堎である\n\n\n䞉本足の人間\n\nだらり\n也物の棒だ。\n埌光のさす束葉杖の間に\n䞍気味にふられおゐる\nふられおゐる\nその動きはさみしいが\n着物ばかりはにぎやかな\n襀耞である\nみ絊ぞ\nそのひず぀ひず぀の襀耞に\nさたざたの倉぀た色が\nひか぀おゐるではないか\nああ......なんずいふ\n情ぶかいありがたい\nお倩道さたよ\n青い䞉角ず\n赀い四角ず\n黒い䞞ず灰色の菱圢ず\nめちやくちやに\n密着きあ぀たりはなれたり\nぶんぶん廻぀たりずた぀たり\nめたぐるしい奇劙な\n街の建お物だらう\nさあさあ静かに歩むがいい\n吐息を数ぞながら\nさあさあおずなしく眠るがいい\n冷たいたちの倜露に\nおたいの党く死んだ棒も\n半殺しの棒も\n䞀寞もうごかなくなり\nそしお県の玉がこはば぀たら\nべたりずそこに坐るがいい\nお前の䜓が\nペチャンコにな぀たころ\n其凊には血のやうな\nベンベン草が生えるだらう\n\n\n女の情慟を笑ふ\n\n女は歌ふ\n雚ふり前の\n午前の日ざしをあびお\n野のひろびろさに\n秋草の匂ひをかぎお......かぎお\n秋草の枩くみにくるたりくるたりあの楜焌きの\n黄色いねば぀ちを匄぀お\nねむらうねむらう\n 男は歌ふ\nこのかげらふの熊手を䌞ばし\nをんなの乳房を......\nなたぬるく匄぀おやらう\nをんなはこころもち\n唇をひらいた\nをんなはご぀くりず\n唟をのみこんだ\n県をほそく䜓をゆする\n 悪魔は歌ふ\nあの銬鹿げた情慟はなんだ\nあのなたぬるい笑ひはなんだ\nさあさあみんなで\nたくさんの青いろうそくに\n灯をずもし\nほお぀た女の顔をおらしおやれ\nほお぀た男の顔をおらしおやれ\nあの銬鹿げた情慟を笑぀おやれ\n\n\n硝石を摺る\n\n尻尟のないやせ犬が\n藁小屋の䞭にそ぀ずしのんで\nそのたゝ\n舌をべろりずだしお\nかがた぀たたゝ死んでゐる\n屍䜓の胃袋になんにもない\n ×\nおや......それはなんでもない\nあたりたいのこずだよ\n ×\nかん、かん、かん\n垜子をかむらぬよがよがの\n男をおらし\n真倏のお日さたは\nすき぀腹をいらだゝせる" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 墓地ぞ通ずる䞊み朚道に行列がさしかかった時、うれしげなフォヌシュルノァンは棺車をながめ、倧きな䞡手をもみ合わせながら半ば口の䞭で蚀った。\n「なんずいう狂蚀だ!」\n 突然棺車は止たった。門のずころに぀いたのである。埋葬認可曞を瀺さなければならなかった。葬儀人は墓地の門番に䌚った。その盞談はたいおい䞀、二分の手間をずるのだったが、その間に、䞀人の芋なれない男がやっおきお、棺車のうしろにフォヌシュルノァンず䞊んだ。劎働者らしい男で、倧きなポケットの぀いた䞊衣を着お、小脇に鶎嘎を持っおいた。\n フォヌシュルノァンはその芋知らぬ男をながめた。\n「お前さんは䜕だね。」ず圌は尋ねた。\n 男は答えた。\n「墓掘りだよ。」\n 胞のたんなかを倧砲の匟で貫かれおなお生きおる者があるずしたら、おそらくその時のフォヌシュルノァンのような顔぀きをするだろう。\n「墓掘り人だず!」\n「そうだ。」\n「お前さんが!」\n「俺がよ。」\n「墓掘り人はメティ゚ンヌ爺さんだ。」\n「そうだった。」\n「なに、そうだったっお?」\n「爺さんは死んだよ。」\n フォヌシュルノァンは䜕でも期埅しおはいたが、これはたた意倖で、墓掘り人が死のうなどずは思いもよらなかった。しかしそれはほんずうである。墓掘り人だからずお死なないずは限らない。他人の墓穎を掘るこずによっお人はたた自分の墓穎をも掘る。\n フォヌシュルノァンはぜかんずしおしたった。ようやくにしお、これだけのこずを口ごもった。\n「そんなこずがあるだろうか。」\n「そうなんだよ。」\n「だが、」ず圌は匱々しく蚀った、「墓掘り人はメティ゚ンヌ爺さんだがな。」\n「ナポレオンの埌にはルむ十八䞖が出で、メティ゚ンヌの埌にはグリビ゚が出る。おい、俺の名はグリビ゚ずいうんだ。」\n フォヌシュルノァンはたっさおになっお、そのグリビ゚をながめた。\n 背の高いやせた色の青い男で、たったく葬儀にふさわしい男だった。あたかも医者に倱敗しお墓掘り人ずなった圢だった。\n フォヌシュルノァンは笑い出した。\n「ああ、䜕お倉なこずが起こるもんかな! メティ゚ンヌ爺さんが死んだっお! メティ゚ンヌじいさんは死んだが、小ちゃなルノアヌル爺さんは生きおる。お前さんは小ちゃなルノアヌル爺さんを知っおるかね。䞀杯六スヌのたっかな葡萄酒がはいっおる壜だよ。スュレヌヌの壜だ。ほんずうによ、パリヌの本物のスュレヌヌだ。ああメティ゚ンヌ爺さんが死んだっお。かわいそうなこずをした。おもしろい爺さんだったよ。だがお前さんも、おもしろい人だね。おいそうじゃないかい。䞀杯飲みにゆこうじゃないかね、これからすぐに。」\n 男は答えた。「俺は孊問をしたんだ。第四玚たで卒えたんだ。酒は飲たない。」\n 棺車は動き出しお、墓地の倧きな道を進んでいった。\n フォヌシュルノァンは足をゆるめた。その跛は、今では䞍具のためよりも心配のための方が倚かった。\n 墓掘り人は圌の先に立っお歩いおいた。\n フォヌシュルノァンは、も䞀床その埅ち蚭けないグリビ゚の様子をながめた。\n 若いが非垞に老けお芋え、やせおはいるがごく匷い、そういう皮類の男だった。\n「おい。」ずフォヌシュルノァンは叫んだ。\n 男はふり返った。\n「私は修道院の墓掘り人だよ。」\n「仲間だね。」ず男は蚀った。\n 孊問はないがごく機敏なフォヌシュルノァンは、話の䞊手な恐るべき盞手であるこずを芋おずった。\n 圌は぀ぶやいた。\n「それではメティ゚ンヌ爺さんは死んだんだね。」\n 男は答えた。\n「そうだずも。神様はその満期の手垳をくっおみられたんだ。するずメティ゚ンヌ爺さんの番だった。で爺さんは死んだのさ。」\n フォヌシュルノァンは機械的にくり返した。\n「神様が......。」\n「神様だ。」ず男はきっぱり蚀い攟った。「哲孊者に蚀わせるず氞劫の父で、ゞャコバン党に蚀わせるず最高の存圚だ。」\n「ひず぀近づきになろうじゃないかね。」ずフォヌシュルノァンは぀ぶやいた。\n「もう近づきになっおるよ。君は田舎者で、俺はパリヌっ児だ。」\n「だがいっしょに酌みかわさないうちはぞだおが取れないからな。杯をあける者は心を打ち明けるずいうものだ。いっしょに飲みにこないかね。断わるもんじゃないよ。」\n「仕事が先だ。」\n これはずうおいだめだ、ずフォヌシュルノァンは考えた。\n 修道女らの埋たる片すみにゆく小道にはいるには、もう数回車茪が回るだけだった。\n 墓掘り人は蚀った。\n「おい君、俺は䞃人の子䟛を逊わなけりゃならないんだ。奎らが食わなけりゃならないからしお、俺は酒を飲んじゃおれないんだ。」\n そしお圌は、たじめな男が名句を吐く時のような満足さで぀け加えた。\n「子䟛らの空腹は俺の枇きの敵さ。」\n 棺車は䞀矀の糞杉の朚立ちを回っお、倧きな道を去り、小道をたどり、荒地にはいり、茂みの䞭に進んでいった。それはもうすぐに埋葬地に着くこずを瀺すものだった。フォヌシュルノァンは足をゆるめた。しかし棺車の進みを遅らすこずはできなかった。幞いにも地面は柔らかで、か぀冬の雚にぬれおいたので、車の茪にからんでその進みを重くした。\n 圌は墓掘り人に近寄った。\n「アルゞャントゥむュの玠敵な酒があるんだがな。」ずフォヌシュルノァンは぀ぶやいた。\n「君、」ず男は蚀った、「俺はいったい墓掘り人なんかになる身分ではないんだ。芪父は幌幎孊校の門衛だった。そしお俺に文孊をやらせようずした。ずころが運が悪かった。芪父は盞堎で損をした。そこで俺は文人たるこずをやめなければならなかったんだ。それでもただ代曞人はしおるよ。」\n「ではお前さんは墓掘り人ではないんだね。」ずフォヌシュルノァンは蚀った。匱くはあったがその䞀枝を頌りずしお぀かたえたのである。\n「䞡方できないこずはないさ。兌任しおるんだ。」\n フォヌシュルノァンはその終わりの䞀語がわからなかった。\n「飲みにゆこうじゃないか。」ず圌は蚀った。\n ここに䞀蚀泚意しおおく必芁がある。フォヌシュルノァンは気が気ではなかったが、ずにかく酒を飲もうず蚀い出したのである。しかしだれが金を払うかずいう䞀点に぀いおは、はっきりさしおはいなかった。い぀もはフォヌシュルノァンが蚀い出しお、メティ゚ンヌ爺さんが金を払った。䞀杯やろうずいう提議は、新しい墓掘り人がきたずいう新たな事情から自然に出お来るこずで、圓然のこずではあったが、しかし老庭番は、䞋心なしにでもなかったが、いわゆるラブレヌの十五分間(蚳者泚 飲食の払いをしなければならない䞍愉快な時)をあいたいにしおおいた。ひどく心配はしおいたが、進んで金を払おうずいう気にはなっおいなかった。\n 墓掘り人は優者らしい埮笑を浮かべながら蚀い進んだ。\n「食わなければならないからね。それで俺はメティ゚ンヌ爺さんのあずを匕き受けたのさ。たあ䞀通り孊問をすれば、もう哲孊者だ。手の働きをしおる䞊に俺は頭の働きをもしおるんだ。セヌノル街の垂堎に代曞人の店を持っおいる。君はパラプリュむの垂堎を知っおるかね。クロア・ルヌゞュの料理女どもは皆俺の所ぞ頌みに来る。俺はその色男どもぞ莈る手玙を曞いおやるんだ。朝にはやさしい恋文を曞き、倕になれば墓穎を掘る。ねえ、そういうのが䞖の䞭さ。」\n 棺車は進んでいた。フォヌシュルノァンは心痛の頂䞊に達しお四方を芋回した。汗の倧きな玉が額から流れた。\n「だが、」ず墓掘り人はなお続けた、「二人の䞻人には仕えるこずができないものだ。俺もペンず鶎嘎ずいずれかを遞ぶべきだ。鶎嘎は物を曞く手を痛めるからね。」\n 棺車は止たった。\n 歌唱の子䟛が喪の銬車からおり、次に牧垫もおりた。\n 棺車の小さな前の車茪の䞀぀は、うずたかい土の䞊に少し䞊がっおいた。その向こうに口を開いおる墓穎が芋えおいた。\n「なんお狂蚀だ!」ずフォヌシュルノァンは唖然ずしおくり返した。\n\n六 四枚の板の䞭\n\n 棺の䞭にいたのはだれであるか? 読者の知るずおり、ゞャン・ノァルゞャンであった。\n ゞャン・ノァルゞャンはその䞭で生きおおれるだけの準備をしおおいた、そしおわずかに呌吞をしおいた。\n 本心の安静がいかにその他のいっさいのものの安静をもたらすかは、実に䞍思議なほどである。ゞャン・ノァルゞャンが考えた蚈画は、前日来着々ずしお぀ごうよく進んでいた。そしお圌はフォヌシュルノァンず同じくメティ゚ンヌ爺さんを圓にしおいた。圌は最埌の成功を疑わなかった。これほど危険な状態でしかもこれほど完党な安心は、か぀お芋られないこずだった。\n 柩の四方の板からは、恐ろしい平安の気が発しおいた。死人の䌑息に䌌たある物が、ゞャン・ノァルゞャンの萜ち着きのうちにはいっお来るかのようだった。\n 棺の底から圌は、死ず戯れおる恐るべき芝居の各郚分をたどるこずができ、たた実際たどっおいた。\n フォヌシュルノァンが䞊の板に釘を打ち終わっおから間もなく、ゞャン・ノァルゞャンは持ち出されるのを感じ、次に銬車で運ばれるのを感じた。動揺の少なくなったこずで、舗石から堅い地面ぞ出たこずを、すなわち街路を通りすぎお倧通りにさしかかったこずを感じた。重々しい響きで、オヌステルリッツ橋を枡ったこずを察した。初めちょっず止たったこずで、墓地にはいったこずを知った。二床目に止たった時、もう墓穎だなず圌は思った。\n 突然人の手が棺をずらえたこずを圌は感じた。それから棺板の䞊をこするがさがさした音を感じた。棺を穎の䞭におろすためにたわりを繩でゆわえおるのだず圌は察した。\n それから圌は目が廻るような気がした。\n たぶん人倫どもず墓掘り人ずが棺をぐら぀かしお足より頭を先にしおおろしたのであろう。そしお皋なくたた氎平になっお動かなくなった時、圌は初めおすっかり我に返るこずができた。穎の底に達したのである。\n 圌はさすがに䞀皮の戊慄を芚えた。\n 冷ややかでおごそかな䞀぀の声が䞊の方で起こった。自分にわからないラテン語の蚀葉が、その䞀語䞀語ずらえらるるくらいゆっくりず響いお来るのを圌は聞いた。" }, { "role": "assistant", "content": "「塵のうちに眠る者ら、やがお目ざむるに至らん、ある者は氞遠の生呜に、たたある者は汚蟱に。垞に(蚳者補 たこずを)芋んがためなればなり。」\n 䞀぀の子䟛の声が蚀った。\n「深き淵より。(蚳者補 䞻よ我は爟を呌ばわりぬ)」\n 重々しい声がたた初めた。\n「䞻よ圌に氞遠の䌑息を䞎えたたえ。」\n 子䟛の声が答えた。\n「恒なる光は圌に茝かんこずを。」\n その時圌は身をおおうおいる板の䞊に、雚だれのような静かな音を聞いた。たぶんそれは聖氎だったのだろう。\n 圌は考えた。「もうすぐに終わるだろう。も少しの蟛抱だ。牧垫が立ち去る、フォヌシュルノァンはメティ゚ンヌを飲みに匕っ匵っおゆく、自分は䞀人になる。それからフォヌシュルノァンが䞀人で垰っおくる。そしお自分は穎から出る。も少しの間だ。」\n 重々しい声が蚀った。\n「安らかに憩わんこずを。」\n そしお子䟛の声が蚀った。\n「アヌメン。」\n ゞャン・ノァルゞャンは耳をそばだおながら、人の足音らしいものが遠ざかっおゆくのを知った。\n「皆立ち去っおゆくのだな。」ず圌は考えた。「もう自分䞀人だ。」\n するずたちたち頭の䞊に、雷が萜ちたかず思われるような音が聞こえた。\n それは䞀すくいの土が棺の䞊に萜ちた音だった。\n 次にたた䞀すくいの土が萜ちおきた。\n 圌が息をしおいた穎の䞀぀は、そのためにふさがっおしたった。\n 第䞉の士が萜ちおきた。\n 次に第四の土が。\n いかに匷い男にずっおも、それはあたりにもひどすぎた。ゞャン・ノァルゞャンは気を倱った。\n\n䞃 札をなくすなずいう蚀葉の起原\n\n ゞャン・ノァルゞャンがはいっおいた棺の䞊の方では次のようなこずが起こったのである。\n 棺車が立ち去った時、そしお牧垫ず歌唱の子䟛ずがたた銬車に乗っお垰っお行った時、墓掘り人から目を離さなかったフォヌシュルノァンは、墓掘り人が身をかがめお、うずたかい土の䞭にたっすぐに぀きさしおある鏟を手に取るのを芋た。\n その時フォヌシュルノァンは最埌の決心をした。\n 圌は墓穎ず墓掘り人ずの間に぀っ立ち、䞡腕を組んで、そしお蚀った。\n「金は私が払う。」\n 墓掘り人は驚いお圌をながめ、そしお答えた。\n「䜕のこずだよ?」\n フォヌシュルノァンは繰り返した。\n「金は私が払う。」\n「䜕さ?」\n「酒だよ。」\n「䜕の酒だ?」\n「アルゞャントゥむュだ。」\n「アルゞャントゥむュっおどこにあるんだ。」\n「ボン・コアンの家にある。」\n「なんだばかにするない!」ず墓掘り人は蚀った。\n そしお圌は䞀すくいの土を棺の䞊にほうり蟌んだ。\n 棺はう぀ろな音を返した。フォヌシュルノァンはよろめいお、自分も墓穎の䞭にころげ萜ちそうな気がした。喉をしめられたようなしわがれ声を亀じえお圌は叫んだ。\n「おい、ボン・コアンの戞がしたらないうちにさ!」\n 墓掘り人はたた鏟で土をすくった。フォヌシュルノァンは蚀い続けた。\n「私が払う。」\n そしお圌は墓掘り人の腕を぀かんだ。\n「たあきいおくれ。私は修道院の墓掘りだ。お前さんの手助けにきおるんだ。仕事は晩にすればいい。たあ䞀杯飲みに行っおからにしようじゃないか。」\n そう蚀いながらも、絶望的にし぀こく蚀い匵りながらも、圌は悲しい考えを心のうちに浮かべおいた。「そしお酒は飲むずしおも、果しお酔っ払うかしら?」\n「なあに、」ず墓掘り人は蚀った、「どうしおも飲もうずいうんなら、飲んでもいいさ。飲もうよ。だが仕事のあずだ、前はいけない。」\n そしお圌は鏟を動かした。フォヌシュルノァンはそれを匕き止めた。\n「六スヌのアルゞャントゥむュだよ。」\n「たたか、」ず墓掘り人は蚀った、「鐘撞きみたいな奎だな。い぀も同じこずばかりぐずっおやがる。いいかげんにしろよ。」\n そしお圌は第二の䞀すくいをほうり蟌んだ。\n フォヌシュルノァンはもう自分で自分の蚀っおるこずがわからないほどになっおいた。\n「たあ䞀杯やりにこいったら、」ず圌は叫んだ、「金は私が払うんだから。」\n「赀ん坊を寝かしおからさ。」ず墓掘り人は蚀った。\n 圌は第䞉の䞀すくいをほうり蟌んだ。\n それから圌はたた鏟を土の䞭に突き入れお぀け加えた。\n「おい今倜は冷えるぞ。䜕もかぶせないでゆくず、死骞が泣き出しお远っかけお来るぜ。」\n その時墓掘り人は鏟で土をすくいながら身をかがめた、そしお䞊衣のポケットの口が倧きく開いた。\n フォヌシュルノァンの茫然ずした目぀きは機械的にその䞭に止たっお、そこにすえられた。\n 倪陜はただ地平線の向こうに萜ちおいなかった。そしおただかなり明るかったので、その口を開いたポケットの底に䜕やら癜いものが芋お取られた。\n ピカルディヌの田舎者の目が有し埗るすべおの茝きが、フォヌシュルノァンの瞳をよぎった。ある考えが圌に浮かんできたのである。\n 墓掘り人が鏟で土をすくうのに䞀心になっお気づかないうちに、圌はうしろからそのポケットの䞭に手を差し入れお、底にある癜いものを匕き出した。\n 墓掘り人は第四の䞀すくいの土を墓穎の䞭に送った。\n 圌が第五にたた䞀すくいするためふり返った時、フォヌシュルノァンは萜ち着き払っおその顔をながめ、そしお蚀った。\n「時にお前さんは、札を持っおるかね。」\n 墓掘り人はちょっず手を䌑めた。\n「䜕の札だ?」\n「日が入りかかっおるよ。」\n「いいさ、おはいんなさいずしお眮くさ。」\n「墓地の門がしたるよ。」\n「だから?」\n「札は持っおるかず蚀うんだ。」\n「ああ俺の札か!」ず墓掘り人は蚀った。\n そしおポケットをさぐった。\n 䞀぀のポケットをさぐっお、たたも䞀぀のをさぐった。それからズボンの内隠しを、䞀方をさがし䞀方を裏返した。\n「ないぞ。」ず圌は蚀った。「札がない。忘れおきたのかな。」\n「十五フランの眰金だ。」ずフォヌシュルノァンは蚀った。\n 墓掘り人は草色になった。青癜い男が曎に青くなるず、草色になるものだ。\n「䜕ずいうこずだ!」ず圌は叫んだ。「十五フランの眰金!」\n「五フラン銀貚䞉぀だ。」ずフォヌシュルノァンは蚀った。\n 墓掘り人は鏟を取り萜ずした。\n こんどこそはフォヌシュルノァンの番になった。\n「なにお前さん、」ずフォヌシュルノァンは蚀った、「そう心配するこずはないさ。銖でもくくっお墓を肥やそうずいうわけじゃあるたいしね。十五フランは十五フランだ。それにたた払わないですむ方法もあるさ。お前さんは新参だが、私は叀狞だ。䜕もかもよく承知しおるよ。うたいこずを教えおやろう。ただこれだけはどうにもならない、日が入りかかっおるこずだけは。向こうの䞞屋根に萜ちかかっおる。もう五分ずたたないうちに墓地はしたるだろう。」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n 十䞀月十二日\n\nどうしおも身心がすぐれない。\n昚日、星城子君から戎いたゲルトを汜車賃にしお癜船居を蚪ねる、い぀逢぀おもかはらない枩厚の君士人、すこし快掻にな぀お、倜は質郎居で雑草句䌚、い぀ものやうに䞎倪もずばせない、匕留められるのを断぀お二時の倜行列車で防府たで、もう埡神幞はすんでゐた、倜の明けるたで街を山を歩きたは぀た、歀地が故郷の故郷だ、䞀草䞀朚䞀石にも远憶がある。\n䜐かた利園はや぀ぱりよか぀た、囜分寺もよか぀た。\n\n石ぞ月かげの萜ちおきた\n □\n街はお祭の、せ぀せず皲を刈぀おゐる\n\n\n 十䞀月十䞉日\n\nたす〳〵憂欝になる、癜船居でめぐられた快掻が防府でたたうばはれおした぀たのだ。\n節君に逢぀たのはうれしか぀た、そしお東路君に逢ぞなか぀たのは、遺憟ずいふよりも䞍快だ぀た。\n䞀時の汜車で戻぀た、戻぀たこずは戻぀たけれど、ぢ぀ずしおゐられないから、街ぞ出かけおシペりチナりを呷぀た、そしお脱線しえられるだけ脱線したらしい(意識が朊朧ずしおゐたから)。\n\n 十䞀月十四日――十䞃日\n\nブランク、匷ゐお曞けば、降぀たり晎れたり、寝たり起きたり、泣いたり笑぀たり。\n\n 十䞀月十八日\n\n柿はす぀かり葉をおずした、裞朚もそうごんなものだ。\n茶の花ざかり、枇杷の花ざかり。\n\n 十䞀月十九日\n\nどうにもかうにもやりきれないから、䞀升借りおきお䞀杯や぀おゐるずころぞ暹明君来庵、さし぀さゝれ぀、こゝろよく飲んだ、そしお街たでい぀しよに出かけお、たた二䞉杯。\n私はい぀ものやうでなく、し぀かりしおゐたが、暹明君は日頃に䌌合はず酔ひ぀ぶれおした぀たらしい(私は先に垰぀おきた)、君の酔態を芳おゐるず、私は私自身の堎合よりも悲しく感じる。\n\n 十䞀月二十日\n\n未明に暹明君がひよろ〳〵しおや぀おきた、そしお䞀日寝お暮らした、みじめな二人だ぀た。\n暹明君は倕方に垰宅しお、たたや぀おきた、あの良劻をごたかしたのである、私は家庭争議の起らなか぀たこずを喜ぶず同時に、君の酒癖を憎たずにはゐられなか぀た。\n暹明君の劻君に幞犏あれ。\n今日䞀日、私はめづらしく冷静だ぀た。\n\n 十䞀月廿䞀日\n\n私の近来の生掻はただ愚劣の䞀語に尜く。\n\n 十䞀月廿二日\n\n独坐、読曞。\n\n 十䞀月廿䞉日\n\nすこし気分がよくな぀た、䞀升借りおきお暹明君ず飲む。\n倜、街の人々ずい぀しよに飲んだ、可もなく䞍可もない酒だ぀た、暹明君から或る家庭争議を聞いた、情痎ずいふやうな事は私にはよく解らない。\n\n 十䞀月廿四日\n\nしぐれ、しぐれ、しぐれ。\nありがたい米をいたゞいた、お米芳音ずでもいはうか。\n柿もぎにきたS家の子䟛がやたらに花をむしる、それをSがむやみにむしるなず叱る、しかしS自身が花をむし぀おゐるのだ、圌はそれを花瓶に掻けるではないか!\n胃袋が匷すぎお頭脳が匱すぎる、それが私だ、たた、胃袋は正盎で頭脳は暪着だ、それは誰もだ。\n\n 十䞀月廿五日\n\nけふもしぐれる、身心やゝよろしくなる。\nこほろぎの子、あぶらむしの子、子は䜕でもかあいらしい。\n雚に汚れ物――茶碗ずか鍋ずか䜕ずか――を掗はせる、ずいふよりも掗぀おもらふ。\n俳句講座を挫読しお、乙二を発芋した、䜕ず圌ず私ずはよく䌌おゐるこずよ、私はうれしか぀た、束窓䞃郚集が読みたい、圌に぀いお曞きたい。\nけふはほんずうにしみ『〵ずしぐれを聎いた。\n\n・さんざふる倜の蠅で぀るみたす\n・たゞ䞀本の寒菊はみほずけに\n・山茶花さいおお留守の氎をもらうおもどる\n・誰かきさうな空からこがれる枇杷の花\n・しぐれたりおりだしたりこゝそこ茶の花ち぀お\n・冬蠅ずゐお氎もずがしいくらし\n 改䜜二句\n この柿の朚が庵らしくするあるじずしお\n こゝにかうしおみほずけのかげわたしのかげ(晩課諷経)\n\n\n 十䞀月廿六日\n\n培倜、ほんずうの自分をずりもどす。\n柄むなら柄みきれ、濁るなら濁りきれ、しかし、或は柄み或は濁り、いや、柄んだらしく、濁぀たらしく、矛盟ず䞭途半端ずを繰り返すのが、私の性情らしい。\nいくら考ぞおも仕方がないから歩いた、私はや぀ぱり歩かなければならないのだ、歩き぀ゝ考ぞ、考ぞ぀ゝ歩くのだ、そしお歩くこずがそのたゝ考ぞるこずになるかも知れない(歀堎合の『歩くこず』は必ずしも行乞流転を意味しない)。\n櫚を掻ける、燃えあがる情熱だ、同時に情熱の沈朜だ、赀の沈黙だ、自然の説法だ。\n久しぶりに掃いた、柿の葉はす぀かり散぀おした぀お、枇杷の花がほろ〳〵こがれる、森の栗の葉がちらほらずんでくる。\n萜ち぀いお身蟺敎理、机の䞊が塵だらけだ぀た。\n人生は『䜕を』でなく『劂䜕に』ではないかずも思ふ、内容は無論倧切だが、それはそれを取扱ふ態床によ぀おきたるのではあるたいか。\n暹明君が来お、私の姿は山男のやうだずひやかす、ひやかしぢやない、じ぀さいなのだらう、山から来た男どころか、泥沌でもがく動物だらう。\nや぀ぱり酒だ、最埌には涞れた川ぞ転萜した。\n\n 十䞀月廿䞃日\n\n敬坊のや぀おくる日だ、予期するず先月のやうに違玄されたずき癪にさわるから、埅たないやうにしお埅぀おゐるのだ。\n午埌になるず、暹明君が埅ちきれなくおや぀おきた、連れだ぀お敬坊の実家附近ぞゆく、ゐた、ゐた、今、垰぀たずころだず敬坊がいふ、坊ちやんが぀いおゐる、奥さんの甚心ぶかい策かも知れない、瘀぀きの敬坊! 防腐剀添加の敬坊、坊ちやんは私を忘れおゐなか぀た。\n途䞭、茶店で食べた鰯の卯の花鮚はうたか぀た。\n暹明君が鯚肉、私が海老雑魚、敬坊がヱ゜を買ふ、酒も醀油も圌に買はせる、たいぞんな埡銳走だ、たづ鯚の酢の物、ヱ゜の刺身、たゝき魚の吞物、海老の煮付、等、等、等だ。\n其䞭庵の饗宎だけでは足らないので、䞉人揃぀お街ぞ、そしお䟋の窟で芁領よく飲んだ、この䞉人で、この始末は倧出来々々々。\n\n 十䞀月廿八日\n\nしづかな䞀日、しぐれがわびしか぀た、友がこひしか぀た。\n昚日、暹明君から袷、敬坊から垜子を頂戎した。\n\n 十䞀月廿九日\n\n朝早くF家から蕪ず柿ずを貰぀た、そしおSから冬着を送぀おきた、ありがたし、かたじけなし。\n寒か぀たが䞊倩気だ぀た、私だけには。\n暹明君が倕方来お、入济(十日ぶりだ぀た)しお着物を改めおゐる私を芋お、県をみは぀た、が、玳士のやうだはい぀おくれなか぀た。\n\n 十䞀月䞉十日\n\n寒い、氎仕舞する手が冷たい、もう足袋なしではゐられない、いよ〳〵本栌的に冬ずな぀た。\nたこずに奜いお倩気である、山を歩きたはる、どおらをきお、局雲をも぀お、――ずんがたでうれしが぀おゐる、山笑ふは春の季題だが、秋の山だ぀おほゝゑんでゐる。\nほ぀ずいた音信を曞く、駅のポストたで出かける。\n私は柿を食べるよりも県で味ふ、私は䞍幞にしお、ただ朚の実の味はひを解しおゐらない。\n畑の野菜が食べきれないほどにな぀た、ちしや、ほうれんさう、しんぎくのうたさよ。\n倕方から玄束通りに孊校の宿盎宀で暹明君ず飲んだ、飲みすぎた、゜ヌセヌゞはうたか぀た、理髪しお貰぀おうれしか぀た。\n\n・あしもずのりんだう䞀぀二぀ひらく\n からだい぀ぱい陜をあびずんがに奜かれる\n\n自省自戒の蚀葉二䞉。\n倜は長か぀た、暗か぀た、朝が埅ち遠か぀た、ずう〳〵朝が来た、死にたくおも死ねない人生だ、死ねないのに死にたい人生だ。\n\n 十二月䞀日\n\n曎生䞀新の朔日でなければならない。\n䜕ずもかずもいぞない奜日だ。\n昚倜の今朝だから、だいぶ劎れおはゐるけれど、身も心も軜い、冬に春がある、さういふ今日だ。\n暹明君が朝早く来た、埮醺を垯びおゐる、昚倜の残りをひ぀かけたのださうな、゜ヌセヌゞがうたすぎお少々あおられたずいふ、談笑ちよ぀ずで別れる。\n釣瓶から蛙がずびだした、圌は文字通りの井底蛙だ぀たのだ、広い倧地をぎよん〳〵ずんでい぀た、圌に幞あれ。\n䜕よりも借金取が嫌だ、それほど嫌なら借金しなければよいのに――今日の借金取はFのおばさん、圌女は最初の来庵婊人ずい぀およからう。" }, { "role": "assistant", "content": "倧した借金はないが、たた出来もしないが、借金だけはしないやうに努めたせう(぀たり懞で飲たなければよいのです)。\n今日も山を歩いた、私の別荘――山裟の草原日向――で読曞したり冥想したりした、来庵者はこゝぞ連れお来たいず思ふ(うたい氎もわいおでる)。\n\n・けさはけさのほうれんさうのおしたし\n・茶の朚も庵らしくする花ざかり\n・すくうおはのむ秋もをはりの氎のいろ\n・冬山をのがれば遠火事のけむり\n・あたゝかくあ぀た぀おずんがの幞犏(ずんがの宿)\n・赀さは日向の藪柑子\n・ずんがにずんががひなたが぀こ\n ちろ〳〵おちおゆく冬めいた山の氎\n・ふめば露がせなかに陜があたる\n □\n・お地蔵さたのお手のお花が小春日\n □\n・め぀きりお寒うなりたした蕪を䞋さ぀た\n 霜の萜葉にいもりを汲みあげた\n\n倜、暹明君が酒ず゜ヌセヌゞずを持぀お来庵、酒もうたい、゜ヌセヌゞもうたい。\n曎けお街たで送぀おゆく(ずいふ぀もりで出かけたが、途䞭すぐ別れた)、そしおそこらをたゞ歩いお戻぀た、歩けば心がなぐさむずいふのか、さりずは埡苊劎千䞇。\n\n 十二月二日\n\n日々奜日でもない、悪日でもない、今日は今日の今日で沢山だらう。\n鉄筆を握぀たり、肥柄杓を握぀たり。\n\n 十二月䞉日\n\n第五十回誕生日、圢圱共に悲しむ颚情。\n午埌、暹明来庵、皋なく敬坊幻の劂く来庵、䞉人揃ぞば酒、酒、酒。\n酒が足りなくお街ぞ。――\n\nしぐれぞ䞉日月ぞ酒買ひに行く\n\n䟋によ぀お街を飲み぀いたが、䞉人ずも無事に垰庵、䞉人が枕をならべおい぀しよに寝おゐるのは珍劙だ぀た。\n\n・茶の花や身にちかく冬のきおゐる\n・萜葉しお倧空の柚子のありどころ\n\n\n 十二月四日\n\nお誂向の雚、迎酒なかるべからずで、たた街たで酒買ひに、......それからワダ、倧ワダ、......昚倜のメチダに今日はクチダを加ぞた!\n\n 十二月五日\n\n昚日のワダの぀ゞき、ムチダクチダだ。\n敬坊をおきざりにしお垰庵する、そこらを片づけおすこしおち぀く、ぐ぀すり寝た。\n\n 十二月六日\n\n鉄筆を握り぀ゞける。\n暹明来、家庭の空気が険悪ださうな、あたりたぞだ、梅川忠兵衛のやうな堎面を挔じた眰だ、おずなしくあやた぀お、しばらく謹慎すべし、あなかしこ。\n颚がふく、いやに身にしみる颚だ。\n\n 十二月䞃日\n\n終日、䞉八九の仕事。\n倜おそく暹明君が来おお土産の新聞包をひろげた、巻鮚、柿、ザボン、焌魚、それは或る家によばれお貰぀たのだずいふ、酒はないがおいしか぀た。\n\n・䜏みなれお茶の花のひらいおはちる\n・冬日の葉からずべばずべる虫\n\n\n 十二月八日\n\nしぐれたり照぀たり、䜕だか小雪でもふりさう。\nや぀ず䞉八九出来、すぐ発送したいのだが、郵䟿料がない、それでもたあこれで䞀安心、重荷をおろしたやうな心持。\n\n冬は濁り井のなぐさむすべもなくお\n\nこれは実感そのたゝだ、濁り氎を垞甚しおゐるせいか、先日来腹工合が劙である。\n䞀週間ぶりに入济、さ぀ぱりしお倜食は癜粥。\n匷ゐられた善人はみじめだ、匷ゐられた貞婊、匷ゐられた高僧。\n△人間は買ひかぶられるよりも芋さげられた方がよい。\n△ムリのない生掻、ムラのない生掻、それは必ずしもムダのない生掻ではないが。\nもう凩だ、冬雚だ。\n暹明君よい埡機嫌でお土産持参、有難く頂戎、それは醀油䞀升眎、お正月たでは倧䞈倫だ。\n\n 十二月九日\n\n晎れ『〵ずした、自然も人間も。\n昚日、発行届を出すのに、内務倧臣の名を忘れおゐた、䞭橋か、山本か、たゝよずばかり䞭橋にしたら、山本だ぀た。\n䜕もかも忘れるずよいのに、自分自身をも忘れおしたぞ。\n△型にはめお生きた人間を評しお貰ひたくない、生身は刻々色もかはれば味もかはる、それでよいのだ、それが本圓だ、私は私でたくさんだ、山頭火は山頭火であればけ぀かうだ。\n食べおも食べおもほうれんさうが食べきれない、ずいふやうな事を思ふのも人間の゚ゎだらう。\n△朚の実の味が解らないでは、自然を十分に味ぞない、自然は県でも耳でも舌でも――からだぜんたいで味はなければならない。\n\n䞖の䞭はり゜もマコトもなかりけり\n 火はあたゝかく氎はすゞしく\n\nこれが䞉八九を綎ぢながらの感想だ぀た。\n巊足が神経痛で、少々び぀こをひくやうにな぀た、け぀かう、け぀こう、足が䞀本になるず身持がよくなる、よくならずにはゐたい(䞡足ずもいけなくな぀おは、い぀ぞや暹明君ず話しあ぀たやうに、自殺しなければなるたいから困る、自殺そのものには困らないけれど、埌始末に困るだらうず思ふ)。\n倜は暹明君が手䌝぀おくれた。\n私の倧根は葉ばかり出来お根が出来ない、倧根でなく倧葉だ、それでも今朝おろしにしお食べたらうたか぀た。\n△自分の手で䜜぀た野菜はペリうたい、これぱゎぢやない、自然ず自己ずの融合調和からくるよろこびだ(自分の所有する土地で出来た野菜だからうたいずいふのぱゎだらう)。\n死期遠からず――䜕ずなくこんな気分にな぀た、心臓の悪いこずは自分でもよく知぀おゐるが、それよりほかに、䜕物か自分に近づいおくるけはひを感じる。\n\n 十二月十日\n\n寒い、霜、氷、菜葉を掗ふ手がかじけた、このごろは菜葉ばかり食べおゐる、ほかに食べるものもないが。\n△手ずいふものはありがたいものだず、手をうごかしながら぀く『〵思぀たこずである、自己感謝ずでもいふか。\n貧苊ず貧楜、埡酒挫談、などゝ他愛もない事を考ぞながら䞉八九の発送準備、それに぀けおも郵送料二円ほど欲しいなあ。\n晩方、Jさんが癜菜二玉持぀おきおくれた、芋事々々。\n私の生掻を矚むなかれ、これはり゜からでたマコトだよ。\n\n・い぀しか明けおゐる茶の花\n・ひらりずおちたは蔊のいちたい\n・よい月倜の誰かを埅぀\n\n\n 十二月十䞀日\n\n今日です぀かり䞉八九の仕事がをは぀た、切手を貌぀お出しさぞすればよいのだが、さお質入するやうな物はなし、売るほどの品はなし、山口ぞ行乞するよりほかに仕方はあるたい、どこからか䞀枚舞ひこたないかな、咄、乞食根性!\n腹がいたい、泥氎のおかげだ、意味深長々々。\nふず干柿をちぎ぀お食べた、䜕ずいふうたさだらう、私ははじめお柿のうたさを知぀た、二぀、䞉぀、六぀食べた、実に䜕ずもいぞない甘さだ、自然そのものの甘さだ、倪陜の甘さずい぀おもよからう、これも䞀぀の生甲斐だ぀た。\n独語ず寝蚀、独身者が老埌になればね。\n或る男の手蚘、圌はた倜䞭にひずり螊る、䜕を螊る、ステテコ、ステテコ、オツトダレコラ、ハクシペむ。\n酒が飲みたいよりも煙草が吞ひたくおたたらないので、最埌の五銭玉を握぀お出かける、なでしこ四銭、それからN酒店ぞい぀お、カケで焌酎䞀杯、埡銳走々々々、ただ䞀銭銅貚が残぀おゐる。\n遠県ず近県ずこんがら぀おさびしうする。\n暹明君が新そばの粉を持぀おきおくれた、茶をのみながら浮䞖話、今倜はいやにしめ぀ぜく語り぀ゞけた。\n\n・しぐれる倜の歪んだ障子\n・茶の花のちるばかりちらしおをく\n\n\n 十二月十二日\n\n雚ずな぀おあたゝかくな぀た、山口行はオヂダンにな぀たが仕方ない、あすはよい日だらう、たあ、よい日ずしおをかう。\n鎉啌がよくない、䜕だか気にかゝる、人の身も自分の身も。\nけふもよくしぐれる、午埌は颚が出おさみしがらせた。\nあれこれず甚事がある、今月は――先月は気分が悪くお怠けたが――句皿を局雲瀟ぞ送るべくたずめた。\n倜はさみしか぀た、必ずしも酒がないためばかりではない。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " さお切字ずはどんなものでありたしょう。その䞻芁なものを䞀、二あげおみたすれば、「けり」「なり」「あり」「たり」「れり」「や」「かな」などの類でありたす。たずこれらの切字を実䟋に぀いお怜べおいっおみようず思いたす。\n\n\n菊を切る跡たばらにもなかりけり 其角\n\n\n 其角は前にも床々出たこずのある人でありたす。\n この句の堎合「けり」を切字ず申したす。すなわちこの「けり」ずいう文字によっお䞀句の意味が切れる――終末を告げる――ずいうずころから切字ずいう名前が起こったものず思いたす。\n 庭に菊畑がある、その菊を自分の家の花生に生けるためにか、もしくは人にやるためにかずにかく䞉本なり五本なりを切った、䜕だか庭の花の倚くの郚分を切り取っおしたったかのような心持がするのであるが、さお振り返っお眺めおみるず䟝然ずしお菊花壇は菊花壇で、別にあずがたばらになったようにも芋えないずこういう句意であっおこれを俗語に蚳しおみるず「......跡が栌別たばらでもありたせんでした」ずいうくらいの意味でありたす。そうするず「けり」ずいう文語䜓の切字は極めお卑近な「でした」ずいう口語䜓の助蟞ずいうこずにすぎないのでありたす。\n 次に、\n\n\n鉢たゝき来ぬ倜ずなれば朧なり 去来\n\n\n 去来も其角同様もはや読者諞君の旧知のはずでありたす。\n この句の堎合「なり」を切字ず申したす。この「なり」ずいう文字によっお䞀句の意味が切れるこずは前句の「けり」ず同様でありたす。\n 鉢たたきずいうのは京郜にあるもので、旧暊の十䞀月十䞉日から四十八倜の間瓢箪をたたき空也念仏を唱えお歩くもので、極めお卑近な行をしお俗衆を教化しようずした空也䞊人の衣鉢を䌝えたものでありたす。その鉢たたきが来ぬようになるずもうい぀の間にか春らしくなっおいお倜の景色が朧である、ずいうのでありたす。切字「なり」も俗語に蚳しおみるず、「である」ずいう極めお普通の助蟞ずいうこずにすぎないのでありたす。\n 次に、\n\n\n梅咲いお人の怒の悔もあり 露沟\n\n\n この䜜者は初めお諞君の県に觊れたこずず思いたす。\n「あり」が切字であるこずは「けり」「なり」の類ず同様でありたす。あるいは「もあり」を切字ずみおもさし぀かえありたせん。\n あるこずに぀いお非垞に腹をたおた。が、ふず梅の咲いおいるのを芋るず、その腹をたおたずいうこずが埌悔されるようになったずいうのでありたす。ただ冬の寒さのたったくずりきれない春先にあっお、枯朚の梢に枅銙銥郁たる癜い花を぀ける、痩せお気高い聖賢に接するような様を芋るず、぀たらぬこずに腹をたおたのが恥ずかしくなる、ずいうのでありたす。自分の悔いる心持をいったのでありたすが、それを䞀般の人に圓おはめお、梅の咲いたに぀けおそこにいろいろのこずがあるが、そのうちに人の怒りを埌悔するずいうこずもあるず、わざずよそよそしく蚀ったのでありたす。「もあり」もこう話しお蚀っおみるず䜕でもなくやはり「もありたす」ずいう普通の甚語ずいうこずに垰着するのでありたす。\n 次に、\n\n\n秋の空柄たるたゝに日暮たり 亜満\n\n\n「たり」が切字でありたす。\n 秋の空は春や倏にくらべるずいかにも心地よく柄みきっおいるものでありたす。冬も柄んではいるが、しかし冬になるず寒さが匷くっお、たた氎気がなくなりすぎお、草朚の枯れたのず同じように、倧空もからび果おたような気がする、秋はそれに反し気候もよくこずに春倏のよどんでいたあずをうけお初めお枅透に柄み枡るので、柄むずいう心持が冬よりも匷い、これが特に秋の空の柄み枡るのを賞翫するのでありたす。\n ちょっず途䞭ですが、ここで䞀蚀しおおきたいのは前にも(11)でこずわっおおきたしたように、俳句の季題には事実ずいうこずよりもむしろ感じずいうこずを䞻ずしおきめたものが倚うございたす。すなわち事実からいうず䞀番日が長くっお倜の短いのは倏でありたすから「日氞」「短倜」共に倏の季題ずすべきでありたすが、その「日氞」の方は春の季題になっおいたす。ずいうのはだんだんず日の氞くなっおくる時の方が日の氞くなった頂䞊よりもかえっお「日氞」ずいう感じを匷く受けるし、その䞊倏は暑さに苊しんでその日氞の心持を味わういずたがないのに反し、春は長閑に快適にその心持を味わうこずができるずころから自然春季のものずなっおいるのでありたす。これは䜕も俳句が特にこうきめたずいうわけでなく、人間の感情が自然自然こういうふうに倩然の興味を受け入れるのでありたす。倜長の方も同じこずですでに「短日」を冬ずする以䞊「倜長」も冬であるべきであるが、倜長の感じはかえっお秋においお匷いのでありたす。\n いた䞀、二の䟋をあげおこの心持をもっず明瞭に説明しおおこうず思いたす。\n たずえば藀の花ず牡䞹のごずきはほずんど同時に咲きたす。東京の電車の䞭の広告を芋たしおも亀戞の藀の案内ず四ッ目の牡䞹の案内ずは同時に出たす。それにかかわらず俳句では藀の花を春季ずし牡䞹の花を倏季ずしたす。いずれも晩春初倏にわたるものでありたしお、甲を春ずし乙を倏ずするこずはあたり片寄りすぎた定めのように思われたすが、しかしその花の性質からしお、淋しい玫や癜の房の長く垂れおいる藀の花の趣は春季の感じ、濃艶な花匁を豁然ず開いおいる牡䞹の花の趣は倏季の感じずこうおのずから区分されるのでありたしお、必ずしも某々二、䞉俳人が合議の䞊で無理にこう定めたものでなく、自然の感じがおのずからこの分類を䜜るのでありたす。\n 俳句においおはたた瓜類の花を倏季ずし実を秋ずしおいるのでありたす。実際においお花も実も倏季においおすでに芋るこずができ、秋になっおもたた同様盛んに芋るこずができるのであるのになぜに特に花を倏季ずしお実を秋季ず定むるか、詊みにこういう質問を提出した堎合、花たず開いお埌に結実するからだず答えるばかりではただ十分を尜くしたものずは申されたせん。これは私が鎌倉に移䜏しお埌実際の南瓜や瓜を䜜っおみおいちじるしく感じたこずでありたすが、倏季に至っおは瓜や南瓜は黄色い倧きい鮮やかな花がたず我等の県に染みるがごずく映じ、たずい葉隠れにたくさんの瓜や南瓜がなっおいおもその方はあたり人の心をひかないのでありたす。ずころがいったんそれが秋に入るず、花は倏よりも䞀局盛んに咲くにかかわらず、もうその花はあたり匷く人の県を刺激せず、むしろ末枯れそめた葉蔭に露わに姿を珟わしおいる瓜や南瓜の方が倚く心にずたるようになるのでありたす。もし歳時蚘――俳句の季題を集めた曞物――を芋たばかりで瓜類は倏に花が咲き秋になっお初めお結実するものだなどず考えおいる人がありたしたらそれは倧倉な間違いず申さなければなりたせん。\n あたり長くなりたすがいた䞀぀申そうなら、かの時雚ず玅葉ずでありたすが、和歌をみたするず倧抂時雚が降ったために朚の葉が染たっお赀くなる、ずいう意味になっおいたす。たずえば、\n\n\n癜雪も時雚もいたくもる山は䞋葉のこらず玅葉しにけり\n足曳の山かきくらし時雚るれど玅葉はなほぞ照りたさりける\n\n\nずある類でありたす。たた事実から申しおも時雚の降るころに山々の玅葉はだんだんず染たるのでありたす。蕪村の句に「時雚るゝや甚意かしこき傘二本」ずいう句がありたすが、䞀本には「玅葉芋や甚意かしこき傘二本」ずなっおいたす。これらも「甚意かしこき傘二本」ずいう事柄を共通に考えた点においお時雚ず玅葉ずを切り離し埗ない蕪村の感情を説明しおいたす。ずころが俳句にあっおは截然その間に区別をおいお――そうしおむしろ時雚をあずずし玅葉を先ずしお――玅葉を秋季、時雚を冬季ずしおいたす。しかしこれもたた事実いかんは問わずにおのずからこう定められるようになった人間の感情の匷い支配があるこずを忘れるこずはできたせん。ずいうのは、玅葉は朚の葉の凋萜する前の䞀珟象であっお、やがおそれは枯葉ずなっおからからにからびお地䞊を転げるものでありたすが、その赀くなったり黄色くなったりしお山々を染めおいる景色は燈明の消えんずする前に明るい光を攟぀のず同じように、いかにも花やかに――淋しい心持が぀きたずいながらも――矎くしい光景である、それはからびた癜い冬の感じずいうよりもやはり皲の黄熟などず盞䌌た――黄色をもっおその感じを抜象せしめる――秋のものずする方がふさわしいこずになるのでありたす。同時にたた時雚の方は、その油気の抜けたからびた心持のする、たちたち降っおはたちたち晎れるずいうような倏応の感じなどが、秋よりもむしろ冬のものずしお栌別の興味のあるずころから、歌などに甚いられたものず倚少の意味の転化をさえずげお俳句においおは冬のものずしお甚いられるようになっおいるのでありたす。これも俳人の勝手な定めずしお非難するよりも、むしろ倩然物――倩然の珟象――に぀いお俳句は和歌よりも䞀歩深いずころに足を螏み入れおいるものず考えなければなりたせん。\n 以䞊二、䞉の䟋のように俳句は必ずしも事実ずいうこずに重きをおかず、感じずいうこずに重きをおいおその趣味を歌うこずが倚うございたす。これも囚われ過ぎるようになるず随分匊害が倚うございたすが、しかし文孊ず科孊ずの盞違もここにあるのであっお、事実にのみ支配されず人間の感情を尊重するずころに詩ずしおの䟡倀もあるのでありたす。\n 思わぬ枝道に長くはいりたしたが、(11)で玄束しおおいたこずでもあり、この機䌚をもっお申し䞊げおおく次第でありたす。\n 倩然の珟象に぀いお実際の研究を積んでいくずいうこずはだんだん季題の感じを粟密にしおいっおいよいよ分科を倚くしおいくであろうず思いたす。(25)\n 季題趣味を軜芖するずいうこずはこの点からいっおも俳句を賊するものであるこずを忘れるこずはできたせん。\n\n もずに戻っお秋の空の句意の説明を続けたしょう。\n 前申した通り秋の空は䞀幎䞭でこずに柄んだ感じのするものでありたすが、この句意は、その秋の空が柄みきったたたで昌から倜に移っお行ったずいうのでありたす。いわゆる黄昏の空はただ倪陜の光はどこずなくずどめおいるのにはや闌干たる宵の明星は光を攟っおいるずいうような、昌間の柄んだ空のそのたた倜に移っおゆくその黄昏の光景がこの句によっおよく想像されるのでありたす。\n「日暮たり」も口語蚳にすれば「日が暮れたした」になりたす。これも切字ずいったずころで、特別に倉わった蚀葉でもないのでありたす。\n 次に、\n\n\n芋えそめお今宵になれり倩の河 鷺喬\n\n\n「れり」が切字でありたす。\n 倩の河はもう倏から空に芋えおいる、それがだんだんず月日がたっおいよいよ䞃倕の倜になった、すなわち倩の河は特に今宵のものであるず定たっおいるその倜になった、ずいうのでありたす。\n この「今宵になれり」も「今宵になりたした」の意味でやはり埓前の切字同様に倉わった蚀葉でもないのでありたす。\n こういっおくるず読者諞君は定めお切字は季題趣味に次いで倧切なものであるずいった私の蚀葉を䞍審ずされるであろうず思いたす。「おたえの説明し来ったずころでみるず切字ずいうものは少しも普通の文章や䌚話の甚語ず倉わったずころはないではないか、俳句の文法が普通の文法ず倉わらぬずいったくらいならなぜ俳句の切字も普通の蚀葉ず倉わらぬずはいわぬのか。」ず必ずこう非難されるだろうず思いたす。そうしお私はそれに察しおこう答えようず思いたす。\n おおせの通りでありたす。切字ず申したずころで䜕も特別な語法があるず申すのではありたせん。(26)\n 我々が日垞話しする時に必ず「です」ずか「たした」ずか語尟に助字を぀ける文章でも「なり」ずか「たり」ずか必ず語尟に助字を぀ける、そうしおそれで䞀語なり䞀句なりの調子ならびに意味に段萜を぀ける、それず少しも盞違はないのでありたす。以䞊あげたものはほんの䞀郚分の䟋蚌でありたしお、これらの「けり」「なり」「あり」「たり」「れり」が䞻芁な切字ずいうわけでなくその他にこの皮類のものはいくらでもあるのでありたす。蚀をかえおこれをいえば普通に文章や䌚話で䜿う段萜の文字は皆切字になるのでありたす。たずえば、\n\n\n貎人ず知らで参らす雪の宿 之兮\n冬籠燈光虱の県を射る 蕪村\n倏の暮煙草の虫の咄し聞く 重厚\n星合のそれにはあらじ倜這星 巊綱\n\n\nのごずく、文法でいうずころの盎説法の動詞止めもあり、\n\n\n凍やしぬ人転び぀る倜の音 鷺喬\n" }, { "role": "assistant", "content": "\nのごずく疑問䜓で止めもあり、\n\n\n去幎より又淋しいぞ秋の暮 蕪村\n飛ぶ蛍蠅に぀けおも可愛けれ 移竹\n唐蟛子぀れなき人に参らせん 癟池\n\n\nのごずく感嘆詞めいた蚀葉もあり、\n\n\n巻葉より浮葉にこがせ蓮の雚 杉月\n蟻君に衣借られな鉢叩 旧囜\n候く起よ花の君子を蚪ふ日なら 召波\nうき我に砧うお今は又止みね 蕪村\n\n\nのごずく呜什䜓のもありたす。「うき我」の句は「うお」ずいう呜什詞ず「止みね」ずいう呜什詞ずがずもに切字になっおいるのでこういうのを、\n 二段切ず申したす。(27)\n 前掲の諞句は䞀々句意を説明するこずはあたり煩雑にわたるから略するずしおこの句だけを解釈しおみたすれば、前半は憂いを抱いおいる自分にどうか砧を打っおくれ、淋しい砧の音を聞いお思いっきり淋しさを味わっおみよう、ずこういうので、憂いを抱く身に悲しい芝居を芋お泣きたいだけ泣くず心が慰むずいうのず同じ心持をいったのでありたす。ずころがさお実際砧を聞いおいるず、心を慰むどころか憂いに堪えぬ、今はもう止めおくれ、ずいうのが埌半でありたす。「打っおくれ」ずいうのず「止めおくれ」ずいうのずは正しく意味が二床に終止しおいるのでありたす。二段切ずいっおたいそうな議論をする俳人がありたすが、぀たり䞀句のうちに二床終止蚀があるずいうのに過ぎないのでありたす。\n 以䞊の䟋によっおこういう断定を䞋し埗るのでありたす。\n\n\n十 俳句の切字ずいうものは意味か぀調子の段萜ずなすものでありたす。\n\n\n 私は第䞀章で簡単に切字のお話をした時に、\n\n\n朝顔に釣瓶取られお貰ひ氎 千代\n\n\nを切字のない句ずしおだしおおきたした。これに䌌た句はたくさんありたす。\n\n\n蓮に誰小舟挕来るけふも又 劂菊\n小車の花立䌞お秋曇 東壺\n倏の月平陜の劓の氎衣 召波\n谷玅葉倕日をわたる寺の犬 烏西\n\n\n等がその䟋でありたす。しかしながらこれらは切字がないずいっおもよくたたあるずいっおもいいのでありたす。たず第䞀の句は、\n\n\n蓮に誰(ぞや)小舟挕来る今日も又\n\n\nずいう意味になるので、近頃の文章で「誰?」ず西掋のマヌクの぀いおいるものにちょうど盞圓しおいるのでありたす。すなわちこの句では「誰」ずいう字が切字の働きをもしおいる、ずもみるこずができるのでありたす。\n 第二の句は、\n\n\n小車の花立䌞お(あり)秋曇\n\n\nもしくは、\n\n\n小車の花立䌞お秋曇(かな)\n\n\nずいうふうに切字が略されおいるものずみるこずができ、埓っお「立䌞お」「秋曇」等が切字の働きをもしおいるず蚀っおよいのでありたす。\n 第䞉、第四の二句もこれず同様に、\n\n\n倏の月(や)平陜の劓の氎衣\n谷玅葉(や)倕日を枡る寺の犬\n\n\nもしくは、\n\n倏の月平陜の劓の氎衣(かな)\n谷玅葉倕日を枡る寺の犬(かな)\n\n\nずいうふうに切字が省略されおいるものず芋、埓っお「月」「氎衣」「玅葉」「犬」等が切字の働きをもなしおいるず蚀っおよいのでありたす。\n ここにおいおか、人によるず、\n 俳句には必ず切字がある、ずこういう断定を䞋す人もあるのでありたすが――ちょうど人間の談話には必ず調子及び意味の段萜があるずいうのず同じ意味で――しかし前掲の「誰」「立䌞お」「秋曇」「月」「玅葉」「氎衣」「寺の犬」の類は切字同様の働きをなすこずはなすが、しかしそれ自身が切字ではない、ずみる方が穏圓でありたすから、やはり第䞀章の(五)においお申し䞊げたように、\n「俳句には倚くの堎合切字を必芁ずしたす」ずいう方が適切だず考えるのでありたす。(28)\n ただ、\n その切字のない俳句にも名詞その他によっお自然に調子及び意味の段萜はある。(29)" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 開け攟った障子の隙間からはお庭もよく芋えたしたが、それが又手数の蟌んだ倧そう立掟な庭園で、暹草泉石のえも蚀われぬ配合は、ずおも筆玙に぀くせたせぬ。京の銀閣寺、金閣寺の庭園も数奇の限りを尜した、倧そう莅沢なものずかねおきき及んで居りたすので、或る時私はこちらからのぞいお芋たこずがございたすが、竜宮界のお庭に比べるずあれなどはずおも段違いのように芋受けられたした。いかに意匠をこらしおも、矢匵り珟䞖は珟䞖だけの事しかできないものず芋えたす......。\n ナニそのお宀で乙姫様にお目にかかったか、ず仰ッしゃるか――ホホホ倧そうお埅ち兌ねでございたすこず......。ではお庭の話などはこれで切り䞊げお、早速乙姫様にお目通りをしたお話に移りたしょう。――尀も私がその時お目にかかりたしたのは、玉䟝姫様の方で、豐玉姫様ではございたせぬ。申すたでもなく竜宮界で第䞀の乙姫様ず仰ッしゃるのが豐玉姫様、第二の乙姫様が玉䟝姫様、぀たりこの䞡方は埡姉効の間柄ずいうこずになっお居るのでございたすが、䜕分にも竜宮界の事はあたりにも奥が深く、私にもただ埡䞡方の関係がよく刀っお居りたせぬ。お二人が果しお本圓に埡姉効の間柄なのか、それずも豐玉姫の埡分霊が玉䟝姫でおありになるのか、䜕うもその蟺がただ充分私の腑に萜ちないのでございたす。ただしそれが䜕うあろうずも、この埡二方が切っおも切れぬ、深い因瞁の姫神であらせられるこずは確かでございたす。私は其の埌幟床も竜宮界に参り、そしお幟床も埡䞡方にお目にかかっお居りたすので、幟分その蟺の事情には通じお居る぀もりでございたす。\n この豐玉姫様ず蚀われる埡方は、第䞀の乙姫様ずしお竜宮界を代衚遊ばされる、尊い埡方だけに、矢匵りどこずなく貫犄がございたす。䜕ずなく、竜宮界の女王様ず蚀った埡様子が自然にお躯に備わっお居られたす。お幎霢は二十䞃八又は䞉十䜍にお芋受けしたすが、もちろん神様に実際のお幎霢はありたせぬ。ただ私達の県にそれ䜍に拝たれるずいうだけで......。それからお顔は、どちらかずいえば䞋ぶくれの面長、県錻立ちの䞭で䜕所かが特に取り立おお良いず申すのではなしに、どこもかしこもよく敎った、たこずに品䜍の備わった、立掟な埡暙臎、そしおその埡物越しは至っおしずやか、私どもがどんな無躟な事柄を申䞊げたしおも、決しおむダな色䞀぀お芋せにならず、どこたでも芪切に、いろいろず蚓えおくださいたす。その埡同情の深いこず、又その埡気性の玠盎なこずは、どこの䞖界を捜しおも、あれ以䞊の埡方が又ずあろうずは思われたせぬ。それでいお、奥の方には凛ずした、倧そうお匷いずころも自ずず備わっおいるのでございたす。\n 第二の乙姫様の方は、豐玉姫様に比べお、お幎霢もずっずお若く、やっず二十䞀か二か䜍に思われたす。お顔はどちらかずいえば円顔、芋るからに倧そうお陜気で、お召物などはい぀も思い切った華矎造り、䞁床桜の花が䞀時にぱっず咲き出でたずいうような趣がございたす。私が初めおお目にかかった時のお服装は、䞊衣が癜の薄物で、それに幟枚かの色物の䞋着を襲ね、垯は前で結んでダラリず垂れ、その倖に幟条かの、ひらひらした長いものを捲き぀けお居られたした。これたで私どもの知っおいる服装の䞭では、䞀番匁倩様のお服装に䌌お居るように思われたした。\n 兎に角この䞡方は竜宮界切っおの花圢であらせられ、お顔もお気性も、䜕所やら共通の所があるのでございたすが、しかし匕き぀づいお、幟代かに亘りお埡分霊を出しお居られる䞭には、埡性質の盞違が次第次第に匷たっお行き、末の人間界の方では、豐玉姫系ず玉䟝姫系ずの区別が可なりはっきり぀くようになっお居りたす。抂しお豐玉姫の系統を匕いたものは、あたりはしゃいだずころがなく、どちらかずいえばしずやかで、匕蟌思案でございたす。これに反しお玉䟝姫系統の方は至っお陜気で、進んで人䞭にも出かけおたいりたす。ただ人䞊みすぐれお情矩深いこずは、お䞡方に共通の矎点で、矢匵り埡姉効の血筋は争われないように芋受けられたす......。\n あれ、又しおも話が偎路ぞそれお先走っお了いたした。これから埌ぞ戻っお、私が初めお玉䟝姫様にお目にかかった時の抂況を申䞊げるこずに臎したしょう。\n\n二十四、なさけの蚀葉\n\n 先刻も申䞊げたずおり、私は小嚘に導かれお、あの華麗な日本間に通され、そしお薄絹補の癜の座垃団を䞎えられお、それぞ坐ったのでございたすが、䞍図自分の前面のずころを芋るず、そこには別に䞀枚の花暡様の厚い座垃団が敷いおあるのに気づきたした。『きっず乙姫様がここぞお坐りなさるのであろう。』――私はそう思いながら、乙姫様に䜕ず埡挚拶を申䞊げおよいか、いろいろず考え蟌んで居りたした。\n ず、䜕やら人の気配を感じたしたので頭をあげお芋たすず、倩から降ったか、地から湧いたか、モヌい぀の間にやら䞀人の眩いほど矎しいお姫様がキチンず蚭けの座垃団の䞊にお坐りになられお、にこやかに私の事を芋守っおお出でなさるのです。私はこの時ほどびっくりしたこずはめったにございたせぬ。私は急いで座垃団を倖しお、䞡手を぀いお叩頭をしたたた、しばらくは䜕ず埡挚拶の蚀葉も口から出ないのでした。\n しかし、玉䟝姫様の方では䜕所たでも打解けた埡様子で、尊い神様ず申䞊げるよりはむしろ高貎の若奥方ず蚀ったお物越しで、いろいろず優しいお蚀葉をかけくださるのでした。――\n『あなたが竜宮ぞお出でなさるこずは、かねおからお通信がありたしたので、こちらでもそれを楜しみに倧ぞんお埅ちしおいたした。今日はわたくしが代っおお逢いしたすが、この次ぎは姉君様が是非お目にかかるずの仰せでございたす。䜕事もすべおお心易く、䞀切の遠慮を棄おお、蚊くべきこずは蚊き、語るべきこずは語っおもらいたす。あなた方が地の䞖界に降り、いろいろず珟界の苊劎をされるのも、぀たりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にも又ずなき良い孊問ずなるのです。きけばドりやらあなたの珟䞖の生掻も、なかなか楜なものではなかったようで......。』\n いかにもしんみりず、溢るるばかりの同情を以お、䜕くれず話しかけおくださいたすので、い぀の間にやら私の方でも心の遠慮が陀り去られ、䞁床珟䞖で芪しい方ず膝を亀えお、打解けた気分でよもやたの物語に耜るず蚀ったようなこずになりたした。垰幜以来䜕十幎かになりたすが、私が斯んな打寛いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございたした。\n それから私は問われるたたに、鎌倉の実家のこず、嫁入りした䞉浊家のこず、北條ずの戊闘のこず、萜城埌の䟘䜏居のこずなど、有りのたたにお話ししたした。玉䟝姫様は䞀々銖肯きながら私の物語に熱心に耳を傟けおくだされ、最埌に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くお歿ったこずを申䞊げたすず、あの矎しいお顔をばいずど曇らせお涙さえ浮べられたした。――\n『それはたァお気毒な......あなたも随分぀らい修行をなさいたした......。』\n たッた䞀ず蚀ではございたすが、私はそれをきいお心から難有いず思いたした。私の胞に積り積れる倚幎の鬱憀もドりやらその埡䞀蚀できれいに掗い去られたように思いたした。\n『斯んなお優しい神様にお逢いするこずができお、自分は䜕ず幞犏な身の䞊であろう。自分はこれから修行を積んで、斯んな立掟な神様のお盞手をしおもあたり恥かしくないように、䞀時も早く心の垢を掗い浄めねばならない......。』\n 私は心の底で固くそう決心したのでした。\n\n二十五、竜宮雑話\n\n 䞀ず通り私の身䞊噺が枈んだ時に、今床は私の方から玉䟝姫様にいろいろの事をお蚊ねしたした。䜕しろ竜宮界の初䞊り、䜕䞀぀匁えおもいない䞍束者のこずでございたすから、随分぀たらぬ事も申䞊げ、あちらではさぞ笑止に思召されたこずでございたしたろう。䜕をお蚊ねしたか、今ではもう倧分忘れお了いたしたが、暙本の぀もりで䞀぀二぀想い出しお芋るこずに臎したしょう。\n 真先きに私がお蚊ねしたのは浊島倪郎の昔噺のこずでございたした。――\n『人間の䞖界には、浊島倪郎ずいう人が竜宮ぞ行っお乙姫さたのお婿様になったずいう名高いお䌜噺がございたすが、あれは実際あった事柄なのでございたしょうか......。』\n するず玉䟝姫様はほほずお笑い遊ばしながら、斯う蚓えおくださいたした。――\n『あの昔噺が事実そのたたでないこずは申すたでもなけれど、さりずお党く跡方もないずいうのではありたせぬ。぀たり倩接日継の皇子圊火々出芋呜様が、姉君の埡婿君にならせられた事実を珟䞖の人達が挏れきいお、あんな䞍思議な浊島倪郎のお䌜噺に䜜り䞊げたのでございたしょう。最埌に出お来る玉手箱の話、あれも事実ではありたせぬ。別にこの竜宮に開ければ玫の煙が立ちのがる、玉手箱ず申すようなものはありたせぬ。あなたもよく知るずおり、神の䞖界はい぀たで経っおも、露かわりのない氞遠の䞖界、圊火々出芋呜様ず豐玉姫様は、今も昔ず同じく立掟な埡倫婊の埡間柄でございたす。ただ呜様には倩接日継の倧切な埡甚がおありになるので、めったに埡倫婊揃っおこの竜宮界にお寛ぎ遊ばすこずはありたせぬ。珟に只今も呜様には䜕かの埡甚を垯びお埡出たしになられ、乙姫様は、ひずりさびしくお䞍圚を預かっお居られたす。そんなずころが、あのお䌜噺の぀らい倫婊の別離ずいう趣向になったのでございたしょう......。』" }, { "role": "assistant", "content": " そう蚀っお玉䟝姫には心持ちお顔を赧く染められたした。\n それから私は斯んな事もお蚊きしたした。――\n『斯うしお拝芋臎したすず竜宮は、いかにもきれいで、のんきらしく結構に思われたすが、矢匵り神様にもいろいろ぀らい埡苊劎がおありなさるのでございたしょう?』\n『よい所ぞお気が぀いおくれたした。』ず玉䟝姫様は倧そうお歓びになっおくださいたした。\n『寛いで他にお逢いする時には、斯んな奇麗な所に䜏んで、斯んな奇麗な姿を芋せお居れど、わたくし達ずおい぀も斯うしおのみはいないのです。人間の修行もなかなか蟛くはあろうが、竜神の修行ずお、それにたさるずも劣るものではありたせぬ。珟䞖には珟䞖の執着があり、霊界には霊界の苊劎がありたす。わたくしなどは今が修行の真最䞭、寞時もうかうかず遊んでは居りたせぬ。あなたは今斯うしおいる私の姿を芋お、ただ䞀人のやさしい女性ず思うであろうが、実はこれは人間のお客様を迎える時の特別の姿、い぀か機䌚があったら、私の本圓の姿をお芋せするこずもありたしょう。兎に角私達の䞖界にはなかなか人間に知られない、倧きな苊劎があるこずをよく芚えおいおもらいたす。それがだんだん刀っおくれば、珟䞖の人間もあたり我䟭を申さぬようになりたしょう......。』\n こんな真面目なお話をなさる時には、玉䟝姫様のあの矎しいお顔がきりりず匕きしたっお、たずもに拝むこずができないほど神々しく芋えるのでした。\n 私がその日玉䟝姫様から䌺ったこずはただただ沢山ございたすが、それはい぀か別の機䌚にお話しするこずにしお、ただ爰で是非附け加えお眮きたいこずが䞀぀ございたす。それは玉䟝姫の霊統を受けた倚くの女性の䞭に匟橘姫が居られるこずでございたす。『あの人はわたくしの分霊を受けお生たれたものであるが、あれが䞀ばん名高くなっお居りたす......。』そう蚀われた時には倧そうお埗意の埡暡様が芋えおいたした。\n 䞀ず通りおききしたいこずをおききしおから、お暇乞いをいたしたすず『又是非䜕うぞ近い䞭に......。』ずいう有難いお蚀葉を賜わりたした。私は心から朗かな気分になっお、再び䟋の小嚘に導かれお玄関に立ち出で、そこからはただ䞀気に途䞭を通過しお、無事に自分の山の修行堎に戻りたした。\n\n二十六、良人ずの再䌚\n\n 前回の竜宮行のお話は䜕ずなく自分にも気乗りがいたしたしたが、今床はドヌも億劫で、気おくれがしお、成ろうこずなら埡免を蒙りたいように感じられおなりたせぬ。垰幜埌生前の良人ずの初察面の物語......婊女の身にずりお、これほどの難題はめったにありたせぬ。さればずお、それが話の順序であれば、無理に省いお仕舞う蚳にもたいりたせず、本圓に困っお居るのでございたしお......。ナニ成るべく詳しく有りのたたを話せず仰っしゃるか。そんなこずを申されるず、尚曎談話がし難くなっお了いたす。修行未熟な、若い倫婊の幜界に斌ける初めおの䌚合――ずおも他人さたに吹聎するほど立掟なものでないに決っお居りたす。おきき苊しい点は成るべく発衚なさらぬようくれぐれもお䟝みしお眮きたす......。\n い぀かも申䞊げた通り、私がこちらの䞖界ぞ参りたしたのは、良人よりも䞀幎䜙り遅れお居りたした。埌で䌺いたすず、私が死んだこずはすぐ良人の蚱に通知があったそうでございたすが、䜕分圓時良人はきびしい修行の真最䞭なので、自分の劻が死んだずお、ずおもすぐ逢いに行くずいうような、そんな女々しい気分にはなれなかったそうでございたす。私は又私で、䜕より案じられるのは珟䞖に残しお眮いた䞡芪のこずばかり、それに心を奪われお、自分よりも先ぞ死んで了っおいる良人のこずなどはそれほど気にかからないのでした。『時節が来たら䜕れ良人にも逢えるであろう......。』そんな颚にあっさり考えおいたのでした。\n 右のような次第で、垰幜埌随分氞い間、私達倫婊は分れ分れになったきりでございたした。むろん、これがすべおの男女に共通のこずなのか䜕うかは存じたせぬ。これはただ私達がそうであったず申す䞈のこずで......。\n そうする䞭に私は岩屋の修行堎から、山の修行堎に進み、やがお竜宮界の蚪問も枈んだ頃になりたすず、私のような執着の匷い婊女にも、幟分安心ができお来たらしいのが自芚されるようになりたした。するず、こちらからは別に䜕ずもお願いした蚳でも䜕でもないのに、ある日突然神様から良人に逢わせおやるず仰せられたのでございたす。『そろそろ逢っおもよいであろう。汝の良人は汝よりもモヌ少し心の萜付きができお来たようじゃ......。』指導圹のお爺さんが、いずどたじめくさっおそんなこずを蚀われるので、私は気たりが悪くお仕方がなく、芚えず顔を真玅に染めお、䞀たんはお断りしたした。――\n『そんなこずはい぀でも宜しうございたす。修行の埌戻りがするず倧倉でございたすから......。』\n『むダむダ䞀床は逢わせるこずに、先方の指導霊ずも手筈をきめお眮いおある。良人ず逢った䜍のこずで、すぐ埌戻りするような修行なら、ただずおも本物ずは蚀われぬ。斯んなこずをするのも、矢匵り修行の䞀぀じゃ。神ずしお無理にはすすめぬから、有りのたたに答えるがよい。䜕うじゃ逢っお芋る気はないか?』\n『それでは、宜しきようにお願いいたしたする......。』\n ずうずう私はお爺さんにそう埡返答をしお了いたした。\n\n二十䞃、䌚合の堎所\n\n 私の修行堎を少し䞋ぞ降りた山の半腹に、小ぢんたりずした䞀぀の平地がございたす。呚囲には皋よく暹朚が生えお、䞁床眮石のように自然石があちこちにあしらっおあり、そしお䞀面にふさふさした青苔がぎっしり敷き぀められお居るのです。そこが私達倫婊の䌚合の堎所ず決められたした。\n あなたも埡承知の通り、こちらの䞖界では、䜕をやるにも、手間暇間は芁りたせん。思い立ったが吉日で、すぐに実行に移されお行きたす。\n『話が決った䞊は、これからすぐに出掛けるずしよう......。』\n お爺さんは眉䞀぀動かされず、枈たし切っお先きに立たれたすので、私も黙っおその埌に぀いお出掛けたしたが、しかし私の胞の裡は千々に砕けお、足の運びが自然遅れ勝ちでございたした。\n 申すたでもなく、十幟幎の間珟䞖で仲よく連れ添った良人ず、久しぶりで再䌚するずいうのでございたすから、私の胞には、倫婊の間ならでは味われぬ、あの䞀皮特別のうれしさが急にこみ䞊げお来たのは事実でございたす。すべお人間ずいうものは死んだからず蚀っお、別にこの倫婊の愛情に䜕の倉りがあるものではございたせぬ。倉っおいるのはただ肉䜓の有無だけ、そしお愛情は肉䜓の受持ではないらしいのでございたす。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " こんなこずをいいながら、荷物沢山な旅すがたを揃えお、ぞろぞろ降りお行ったのは䟋の堺や倧坂の商人連であり、そこぞは無数の出迎えが、提燈や乗物をあ぀め、䞀人䞀人に、幟人かの女の顔も取り巻いおいた。\n 祇園藀次は、誰よりも埌から、こっそりず陞ぞ䞊がっおいた。\n 圢容のできない顔぀きである。䞍愉快ずいっお、きょうほど䞍愉快な日はなかったに違いない。髷をちょん切られた頭には、頭巟をかぶせおいるが、眉にも唇にも、暗柹ずただよっおいる。\n ず。――その圱を芋぀け、\n「もし......ここですよ、藀次さた」\n その女も、頭巟をかぶっおいた。枡海堎に立っお吹き曝されおいた顔が、寒さに硬ばっお、幎をかくしおいる皺が、癜粉の䞊に出おいた。\n「お、お甲か。......来おいたのか」\n「来おいたのかっお、ここぞ迎えに来おいるようにず、私ぞ手玙をよこしたくせに」\n「だが、間にあうかどうか、ず実は思っおいたものだから」\n「どうしたんですえ、がんやりしお――」\n「むダ、すこし、船に暈ったずみえる......。ずにかく、䜏吉ぞでも行っお、よい宿を芋぀けよう」\n「え、あちらに、駕も連れお来たしたから」\n「そい぀は有難う、じゃあ宿も先に取っおおいおくれたか」\n「みな様も、埅ちかねおいるでしょう」\n「え?」\n 意倖な顔しお、藀次は、\n「オむお甲、ちょっず埅っおくれ。おたえずここで萜ちあったのは、二人ぎりでどこか静かな家で二、䞉日悠っくりしようずいう考えじゃないか。......それを、皆様ずは䞀䜓、誰ず誰のこずをいうのだ」\n\n二\n\n「乗らない。わしは乗らない」\n 祇園藀次は、迎えの駕を拒んでぷんぷん怒りながら、お甲の先ぞ歩いおいた。\n お甲が䜕かいうず、\n「ばかっ」\n ず、ものをいわせない。\n 圌をしお、こう立腹させた原因は、お甲が告げた新しい事情にも因づくが、すでに船の䞭からもやもやしおいた鬱憀が、あわせお今、爆発したこずは吊めない。\n「おれは、䞀人で泊るっ。駕なんか远ッ返せ。なんだ。人の気も知らないで、ばかっ、ばかっ!」\n ず、袂を払う。\n 河の前の雑魚垂堎は、みな戞が閉たっお、魚の鱗が、貝をちらしたように、暗い長屋の戞に光っおいた。\n そこたで来るず、人圱も少なくなったので、お甲は、藀次に抱き぀いた。\n「およしなさい、芋ッずもない」\n「離せっ」\n「䞀人で泊ったら、あっちが倉なものになりたすよ」\n「どうにでもなれっ」\n「そんなこずいわないで」\n 癜粉ず髪の銙の、冷たい頬が、藀次の頬ぞ貌り぀いた。藀次はやや旅の孀独から甊った。\n「......ネ、頌みたすから」\n「がっかりした」\n「そうでしょう、だけど、二人にはたたいい機があるでしょう」\n「おれは、せめお倧坂で二、䞉日は二人ぎりず、楜しみにしお着いたのだ」\n「分っおたすよ」\n「わかっおいるなら、なぜ他の者を匕ッ匵っお来たのだ。俺が思っおいるほど、おたえは俺を思っおいないからだろう」\n 藀次が責めるず、\n「たた、あんな......」\n ず、お甲はうらめしげな県をこらしお、泣きたいような顔をしお芋せる。\n 圌女のいい蚳は、こうだった。\n 藀次から飛脚を受け取るず、圌女は勿論、自分だけで倧坂ぞ来る぀もりだった。ずころが折わるく、吉岡枅十郎がその日もたた、六、䞃名の門人を連れお「よもぎの寮」ぞ飲みに来お、い぀のたにか、朱実の口から、そのこずを聞いおしたい、\n(藀次が倧坂ぞ着くなら、わしらも迎えに行っおやろうじゃないか)\n ずいい出した。それに調子をあわせる取り巻き連も倚く、\n(朱実も行け)\n ず、いう隒ぎになっおしたい、いやずもいえずお甲は䞀行十人ほどの䞭に亀じっお䜏吉の旅通に萜着き、䞀同の遊んでいる間に、自分だけ䞀人で駕を持っおここぞ迎えに来たのだずいう。\n ――聞いおみれば、事情はやむを埗ないものだったが、藀次は腐りきっおしたった。今日ずいう日に迷信がわき起るほど、䜕か、埌にも先にも、䞍愉快ばかりが考えられた。\n 第䞀、陞を螏むずすぐ、枅十郎だの同茩だのに、旅先の銖尟を聞かれるこずが蟛い。\n いやもっず嫌なこずは、この頭巟を脱ぐこずである。\n(䜕ずいおう)\n 圌は、髷のない頭を苊に病んだ、圌にも䟍ずいうものの面目はある。人に知られない恥なら掻いおもよいが、人にわかる恥を重倧に思う。\n「......じゃあ仕方がない、䜏吉ぞ行くから駕を連れお来い」\n「乗っおくれたすか」\n お甲はたた、枡海堎のほうぞ、駈け戻った。\n\n侉\n\n この倕方、船で着く藀次を迎えに行くずいっお出たお甲は、ただ垰っお来ない。その間に、同勢は颚呂にはいり、旅舎のどおらに着膚れお、\n「やがお、藀次もお甲も芋えるだろう、その間、こうしおいおも぀たらんじゃないか」\n 飲んで埅っおいようずいうこずになったのは、この同勢ずしお、圓然な玍たりであった。\n 藀次の顔が芋えるたでの぀なぎずしお飲んでいたうちはいいが、い぀の間にか膝がくずれ、杯がみだれ出すず、もうそんな者はどうでもよくなっおしたい、\n「この䜏吉には、唄い女はいないのか」\n「きれいなのを䞉、四人呌がうじゃないか。どうだ諞卿」\n ず、病気が始たる。\n(よせ、぀たらない)などずいう顔は、この䞭には䞀぀もいない。ただ垫の吉岡枅十郎の顔いろを倚少憚るのであったが、\n「若先生には、朱実が偎に぀いおいるから、別間のほうぞ、お移り願おうじゃないか」\n 暪着な奎らかなず枅十郎はにが笑いする。けれど、それは自分に取っおも奜たしい。炬燵のある郚屋に入っお、朱実ずふたりで差し向うほうが、この同勢ず飲んでいるより、どれほどいい人生かわからない。\n「さあ、これからだ」\n ずは門人どもが、門人だけになっおからの発声だった。やがお皋なく十䞉間川の名物ずいう怪しげな唄い女が笛、䞉味線などのひねこびた楜噚を持っお庭にあらわれ、\n「いったい、あんたはん達は、喧嘩するのかいな、酒あがるのかいな」\n ず蚊ねる。\n すでによほど倧トラになっおいる䞀人が、\n「ばかっ、金を費っお喧嘩する奎があるか。おたえたちを呌ぶからには、倧いに飲んで遊ぶのだ」\n「じゃあ、たちっず、静かにあがりやはったらどうかいな」\n 手際よく扱われお、\n「然らば、歌おう」\n 抛り出しおいた毛脛をひっ蟌めたり、暪にしおいた䜓を起しお、絃歌ようやく盛んならんずする頃おい、小女が来お、\n「あの、お客様が、船からお着きなさいたしお、ただ今、お連れ様ずいっしょに、ここぞきやはりたする」\n ず、告げお行った。\n「なんだ、䜕が来たず」\n「藀次ずいった」\n「冬至冬至、魚の目か」\n お甲ず祇園藀次は、あきれ顔しお郚屋の口に立っおいた。誰も圌を埅ったらしい者は䞀名もないのだった。藀次は、䞀䜓䜕のために、この幎末この同勢が、䜏吉ぞなど来おいるのかず疑った。お甲にいわせれば自分を迎えに来たのだずいうが、どこに自分を迎えに来たらしい人間が䞀人でもいるか、むっずしお、\n「おい、䞋婢」\n「はい」\n「若先生は、どこにいらっしゃるか、若先生のいる郚屋ぞ行こう」\n 廊䞋をもどりかけるず、\n「よう、先茩、ただ今お垰りか。――䞀同が埅っおおるのに、お甲などず、途䞭でよろしくやっおいるなんお、この先茩、怪しからんぞ」\n 倧トラが立ち䞊がっお来お銖の根にかじり぀いた。たたらない臭気を攟぀。逃げようずしたので、トラは匷匕に座敷ぞ匕きずり蟌んだ、そしお、膳を螏み぀けたから圢のごずく杯盀狌藉を䜜っお、共倒れに仆れた。\n「......あっ、頭巟を」\n 藀次は、あわおお自分のそれぞ手をやったが遅かった。蟷った拍子に、トラは圌の頭巟を぀かんで埌ろぞ腰を぀いおいた。\n\n四\n\n「あれ?」\n ず、奇異な感じに打たれたように、䞀座の県は、藀次の髷のない頭にあ぀たっお、\n「頭をどうかなされたので?」\n「ホホり、奇劙なお髪」\n「どうしたわけでござる」" }, { "role": "assistant", "content": " 無遠慮な凝芖を济び、藀次は狌狜に顔をどす赀くしお、頭巟をかぶり盎しながら、\n「いや、ちずな、その腫物ができたので」\n ず、誀魔化したが、\n「わははは」\n ず、皆笑いくずれ、\n「旅土産は、腫物でござったか」\n「できものに閉じ蓋」\n「頭かくしお尻かくさず」\n「論より蚌拠」\n「犬も歩けば――」\n などず駄排萜をいっお、誰も藀次のいいわけを真に受けないのである。\n その晩は、酒の興で枈んだが、次の日になるずこの同勢が、ゆうべずは打っお倉っお、旅舎のすぐ裏の浜蟺に出お、倩䞋の倧事でも議すように、\n「怪しからん沙汰だ」\n ず、肩を昂げ、唟をずばし、肱を突っ匵っお、小束の生えおいる砂地に円く坐っおいた。\n「――だが慥かか、その話は」\n「この耳で、おれが聞いたのだ、おれが嘘をいうず思うのか」\n「たあ、そう怒るな、怒っおみたずころで仕方がない」\n「仕方がないで黙過するこずはできん。いやしくも倩䞋の兵法所をもっお任じる吉岡道堎の名折れだ、断じお、これを捚おおくこずはできないぞ」\n「しからば、どうするのだ」\n「これからでも遅くあるたい。その小猿を連れお歩いおいる前髪の歊者修行を捜し出す! どんなこずをしおも捜し出す! そしお、圌奎の髷をちょん切っお、祇園藀次ずれの恥蟱じゃない、吉岡道堎の存圚を厳かにする。――異議があるか」\n ゆうべトラになった酔っぱらいが、排萜おいえば、今日は韍ずなっお嘯くかのように、趣をかえお、激昂しおいるのだ。\n その動機をたずねるず、こうなのである。――今朝がた、圌らが特に朝颚呂を呜じお、宿酔の脂をながしおいるず、そこぞ入济っお来た盞客の者で、堺の町人ずいうものが、きのう阿波から倧坂ぞくる䟿船のうちでは、実におもしろいこずがあったずいっお、䟋の小猿を携えおいる矎少幎のうわさを語り、祇園藀次が髷を切り萜された由来に及んでは、手真䌌、顔぀きたでしお、\n(なんでもその髷を切られたほうの䟍は、京郜の吉岡道堎の高匟だっおいっおいたが、あんなのが高匟じゃ吉岡道堎もざたはない)\n こずおかしげに、湯に入っおいるうち喋舌っお行った。\n 圌らの憀激はそれから始たったものである。怪しからぬ先茩ず、祇園藀次を぀かたえお詰問に及がうずするず、藀次は今朝早く、吉岡枅十郎ず䜕か話しおいたが、朝飯をたべるずすぐ、お甲ずふたりで、先ぞ京郜ぞ発っおしたったずいう。\n いよいよもっお、うわさは事実にちがいない。そういう腰抜けの先茩を远いかけるのは愚かである、远うならばどこの䜕者かわからないが、自分たちの手で、小猿を携えた前髪を捕たえ、存分に、吉岡道堎の汚名をそそいでやろうじゃないか。\n「――異議があるか」\n「勿論、ない」\n「しからば――」\n ず、手筈をしめし合せ、そこの同勢は、袎の砂を払っお立ち䞊がった。\n\n五\n\n 䜏吉の浊は、県のおよぶ限り、癜薔薇を぀ないだような波である。冬ずも思えない磯の銙が陜に煙っおいる。\n 朱実は、癜い脛を芋せお、波に戯れながら䜕か拟っお芋おは捚おおいた。\n 䜕事か起ったように、吉岡の門人たちが思い思いな方角ぞ向い、刀のこじりを刎ね䞊げお分れお行くのを眺めお、\n「オダ、䜕だろう」\n 朱実はたるい県をしながら、波打ち際に立っお芋送っおいた。\n いちばん最埌になった門人の䞀人は、圌女のすぐ偎を駈けお来たので、\n「䜕凊ぞ行くのです」\n 声をかけるず、\n「オ、朱実か」\n 足を止めお――\n「おたえも䞀緒になっお捜さんか。ほかの者もみな手分けしお、捜しに行ったんだ」\n「䜕を捜しに行ったんです」\n「小猿を携えおいる前髪の若い䟍さ」\n「その人がどうかしたのですか」\n「抛っおおいおは、枅十郎先生のお名たえにもかかわるのだ」\n 祇園藀次の飛んでもない眮土産の䞀件を話しお聞かすず、朱実は興もない口吻で、\n「皆さんは、始終喧嘩ばかり捜しおいるんですね」\n ず、たしなめ顔にいう。\n「䜕も喧嘩を奜むわけじゃないが、そんな青二才を、黙っお捚おおおいおは倩䞋の兵法所たる京流吉岡の名折れになるじゃないか」\n「なったっおいいじゃありたせんか」\n「ばかいえ」\n「男っお、ずいぶん぀たらないこずばかり捜しお、日を暮しおいるんですね」\n「じゃあ、おたえは、さっきからそんなずころで䜕を捜しおいるんだ」\n「わたし――」\n 朱実は、足もずのきれいな砂ぞ、県を萜しお、\n「わたしは、貝殻を芋぀けおいるの」\n「貝殻? ......それみろ、女の日の暮し方のほうが、なおくだらないじゃないか。貝殻など䜕も捜さなくっおも、倩の星ほど、こんなに萜ちおいる」\n「わたしの捜しおいるのは、そんなくだらない貝殻じゃありたせん。わすれ貝です」\n「わすれ貝、そんな貝があるものか」\n「ほかの浜にはないが、この䜏吉の浊にだけはあるんですっお」\n「ないよ」\n「あるんですよ」......いい争っお、朱実は、\n「嘘だず思うならば蚌拠を芋せおあげたすからこっちぞ来おごらんなさい」\n ず、ほど遠からぬ所の束䞊朚の䞋ぞ、無理やりにその門人を匕っぱっお来お䞀぀の碑を指した。\n\nいずたあらば\nひろひに行かむ䜏吉の\nきしに寄るおふ\n恋わすれ貝\n\n 新勅撰集のうちにある叀歌の䞀銖がそれには刻んである。朱実は誇っお、\n「どうです、これでもないずいえたすか」\n「䌝説だよ、取るにも足らん歌よみの嘘だ」\n「䜏吉にはただ、わすれ氎、わすれ草などずいう物もあるんです」\n「じゃ、あるずしおおくさ。――だが、それが䞀䜓䜕のお犁厭になるのかい」\n「わすれ貝を垯かたもずの䞭ぞ秘しおおくず、物事が䜕でも忘れっぜくなるんですずさ」\n「その䞊、もっず忘れっぜくなりたいのかい」\n「ええ、䜕もかも忘れおしたいたい、忘れられないために、わたしは今、倜も寝られないし、昌間もくるしいんです。......だから捜しおいるの。あんたも䞀緒になっお捜しおくださいよ」\n「それどころじゃない」\n 思い出したように、その門人は足の向きを倉えお、どこかぞ駈けおいっおしたった。\n\n六\n\n ――忘れたい。\n 苊しくなるず、そう思うほどだったが、たた、\n「忘れたくない」\n 朱実は、胞を抱いお、矛盟の境に立った。\n もしほんずにわすれ貝ずいう物があるならば、それはあの枅十郎の袂ぞこそ、そっず入れおやりたい。そしおこの自分ずいう者を圌から忘れおもらいたいず、ため息぀いお思う。\n「執こい人......」\n 思うだけでも、朱実は心がふさいだ。自分の青春をのろうために、あの枅十郎は生掻しおいるような気もちにさえ襲われる。\n 枅十郎のねばり濃い求愛に、心が暗くなる時は、必ずその心のすみで、圌女は歊蔵のこずを考えた。――歊蔵が心にあるこずは、救いであったが、たた苊しくもなっお来た。なぜならば、遮二無二に今の境遇を切り解いお珟圚の身から倢の䞭ぞ、駈け出しおしたいたくなるからだった。\n「......だけど?」\n 圌女は、しかし幟たびもためらった。自分はそこたで぀き詰めおいるが、歊蔵の気もちはわからなかった。\n「......アアいっそのこず忘れおしたいたい」\n 青い海が、ふず誘惑でさえあった。朱実は、海を芋぀めおいるず、自分が怖くなった。䜕のためらいもなく、真っ盎にそこぞ向っお駈けお行かれる気がするのである。\n そのくせ自分がこんな぀き詰めた考えを抱いおいるなどずいうこずは、およそ圌女の逊母のお甲も知らない。枅十郎も思わない。誰でも朱実ず䞀぀に暮した者は皆、この嚘は至っお快掻で、お転婆で、そしおただ、男性の恋愛が受け取れないほど開花の晩い質だず思いこんでいるらしいのである。\n 朱実はそんな男たちやたた逊母を、心のうちであかの他人に思っおいた。どんな冗戯でもいえるのである。そしおい぀も鈎の぀いた袂を振っお、駄々っ子みたいに振舞っおいるのだったが、独りになるず、春の草いきれのように熱いため息を぀いおいた。\n「――お嬢さた、お嬢さた。さっきから先生がお呌びでごさいたすよ。どこぞ行ったのかず、えらいご心配になっお」\n 旅舎の男だった。圌女のすがたを碑のそばに芋぀けお、こういいながら走っお来た。\n 朱実がもどっお行っお芋るず、枅十郎はただひずりで、束かぜの音を静かに閉おこめた冬座敷で、緋の蒲団をかけた炬燵に手を入れおぜ぀ねんずしおいた。\n 圌女のすがたを芋るず、\n「どこぞ行っおいたのだ、この寒いのに」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 勘解由は聡明の士だったので、䞀芋しお䞉十郎が心邪たであり、公卿衆などの間ぞ掚薊するこずなど、䞍可胜の人間だずいうこずを知り、その䟝頌を断わった。\n ず、この事が門匟たちぞ知れた。\n「あの人栌者の束浊勘解由様が、排斥をした䞉十郎だ、ろくな人間ではないらしい。我らも教えを受けないこずにしよう」\n こう云い合っお䞀人去り二人去り、䞉十郎から門匟たちは離れた。\n(これも勘解由の指金だな)\n 僻んだ䞉十郎はそう思い、深い怚みを勘解由に持った。\n ず䞀日䞀僕を埓え、勘解由は倪秊ぞ秋景色を芋に出た。\n そこを狙っお䞉十郎は勘解由を蚎っお取っおしたった。\n 爟来勘解由の忰の民匥が、自分を父の敵ずしお、狙っおいるずいうこずを知り、䞉十郎は身を隠した。\n が、瞁あっおあるお方から、隠れ扶持を貰うこずになり、その人の云い぀けで梶子の埌芋――附け人ずしお江戞の地ぞ、今床掟遣されお来たのであった。\n 䞉十郎は家の蔭から、梶子ず民匥ずを尚芋守った。\n 宵の色が次第に濃くなっお来る埀来で、ただ二人は囁き合っおいた。\n(それにしおも梶子殿ず民匥ずが、芪しい仲だずは知らなかった)\n(二人が芪しい仲だずするず、よほど甚心しなければならない)\n 䞉十郎はそう思った。\n 民匥の父芪を自分が殺した。で民匥が父の敵ずしお、自分を探し求めおいる。――ずいうこずを梶子に知られでもしたら、梶子の口から民匥に話され、自分は民匥に蚎たれようも知れない。\n(梶子には絶察に明かしおはならない)\n 䞉十郎はそう思った。\n(それではむしろ消極的だ。......いっそ埌腹痛めぬよう、民匥めを蚎っお取っおやろう!)\n 邪悪の心の持ち䞻の䞊に、惚酷の心の持ち䞻であった。そう䞉十郎は決心した。\n\n 菊女ず萩䞞ずを乗せた駕籠が二挺、この頃本所の亀沢町の蟺を、深川の方をさしお走っおいた。\n 菊女は絶えず背埌を振り返っお、萩䞞に向かっお秋波をおくり、萩䞞はそれに匕き぀けられ、菊女の駕籠を芋倱わないように、自分の乗っおいる駕籠舁きに呜じ、埌を远わせおいるのであった。\n 次第に宵の色が濃くなっお来た。\n 倜になるのも間近であった。\n 走り走っお菊女の駕籠は、安宅町の倖れたで来た。\n ず、そこで駕籠を䞋り、菊女は露路ぞ駈け蟌んだ。\n\n それず芋おずった萩䞞は、\n「駕籠を止めろ!」\n ず駕籠舁きに云い 駕籠が止たるず玠早く䞋り、無造䜜に小刀を抛り出し、駕籠舁きが驚いお囁いおいる隙に、萩䞞は露路ぞ駈け蟌んだ。\n 露路はいわゆる袋路で、぀きあたりが人家になっおいた。\n ず、その門口に䟋の嚘がいお、こっちを芋ながら頷いおみせ、すぐに家の䞭ぞ駈け蟌んだ。\n そこで萩䞞も家の䞭ぞはいった。\n かなり宏倧な屋敷ではあるが、癟姓家のように荒れおいお、䞀向人のいる気配もなく、ひどく寂しくひっそりずしおいた。\n 門口をはいるず広い土間で、土間は奥たで通っおい、その向こうは裏庭らしく、どうやら嚘はその裏庭の方ぞ、小走っお行ったように思われた。\n 萩䞞は土間に䜇んで、ちょっずの間考えた。\n 浅草の倧通りから嚘を远っお、小路ぞ駈け蟌んで行ったずころ、そこに二挺の駕籠があり、その䞀挺の駕籠に乗り、嚘は倧急ぎで走り出した。\n ず芋おずった萩䞞は、䜕んの躊躇するずころもなく、もう䞀挺の駕籠に乗っお、嚘の埌を远わせたのであった。\n そんな所に二挺の駕籠が、がんやり客埅ちをしおいたずいうこず、そのこずがもう胡散であっお、萩䞞が普通の垂井人だったら、早速疑がいを起こしただろう。ずころが萩䞞はそうではなく、玀州家の埡曹叞で䞖間知らず、こずには菊女の媚態に魅せられ、心を乱しおいる時だったので、躊躇せず駕籠に乗っお远わせたのであった。\n が、そういう萩䞞ではあったが、さすがにこういう屋敷ぞ来お、こういう土間ぞ立っお芋れば、考え蟌たざるを埗なかった。\n(倉に気味の悪い屋敷だなあ!)\n たず萩䞞はそう思った。\n 土間を䞭心にしおその右には、無数の郚屋があるらしく、叀障子や叀襖や、叀板戞がタラタラず䞊んでいた。そうしお巊には銬小屋らしいもの、鶏小屋らしいもの、物眮らしいものが、倪い栌子や现い栌子を、こっちぞ向けお立っおおり、二階ぞ行ける箱梯子が斜めに高くかかっおいた。\n でも森閑ずしお人気がなかった。\n(無断に奥ぞはいっお行っお、咎められるようなこずはないだろうか?)\n ぀づいおこれが心配になった。\n しかし萩䞞は嚘に察し、今も心は倢䞭であった。\n その嚘は錻の先の、裏庭のどこかにいるような気がする。\n(咎められたら詫びるたでのこずよ)\n ずうずう萩䞞はこう心を決め、裏庭の方ぞ突き進んだ。\n 裏庭における光景には、これずいっお倉わったずころもなかった。\n 広い空地に䞉棟の家が、間隔を眮いお立っおいお、二軒の家は戞締たりがしおあり、燈火䞀぀射しおいなかったが、䞀軒の家だけは窓からも門口からも、明るく燈火が射しおおり、その門口に䟋の嚘が、こっちを芋ながら立っおいる。――ず云った光景に過ぎなかった。\n「お、嚘が!」\n ず声を䞊げ、萩䞞は嬉しさにそっちぞ走った。\n ず、嚘は家の䞭ぞはいった。\n ぀づいお萩䞞も雀躍りするように、その家の䞭ぞ駈け蟌んだが、それず同時に他の二軒の家から、数人の男が走り出お来お、その家の窓際ず門口ずぞ近寄り、倖から窓を閉じ門口の戞をずじた。\n でその家も宵空の䞋に、䜕んの明るさも持たないずころの、盲目じみた家ずしお、広い裏庭に立぀こずになった。\n\n殺せ! 掻かせ!\n\n それから数日の日が経った。\n ず、深川のこの家ぞ、十数人の人々が集たっお来た。\n 鵜の䞞兵庫、束浊民匥、熊谷菊女をはじめずし、柎田䞀角、金井半九郎、加藀東䜜、吉田圊六、足掗䞻膳、有竹束倪郎、鈎朚暩倪巊衛門、関口勘之䞞、戞島粂之介、僧範円、等の人々であった。\n 由井正雪の遺業を継ぎ、倒幕の快挙をずげようずし、同志獲埗に努めおいるずころの、矩党䞭での頭領株なのである。\n 土間を䞊がるず幟個かの座敷で、その奥に倧きさ䞉十畳敷きはあろうか、そういう広い郚屋があったが、その郚屋に䞀同は集たっお、密議に耜っおいるのであった。\n 正雪筆に成るずころの「至誠貫倩」の四文字を曞いた幅が、巚倧の床の間にかかっおい、その前に眮かれた䞉方には、これも正雪が秘蔵したずころの、楠朚流の兵法の曞が、巻軞䞉巻ずなっお眮かれおあった。\n 戞倖に燈火の掩れるのを憚り、癟目蝋燭䞀本を立おた、黒塗りの燭台が䞭倮に眮かれ、それを囲んで十数人が、各自の職業に䌌぀かわしい姿で、端然ず坐り静たっおいた。\n 子の刻を過ごした深倜なのである。\n「語るべきこずはおおかた語り、云うべきこずはおおかた云うおござる。この蟺で決を取っおはいかが?」\n さすが䞀党の銖領だけに、鵜の䞞兵庫は悠々ずした態床で、こう云っお䞀座を芋廻した。\n 䞀座は寂然ずしお声がなかった。\n いずれも県を据えお膝の蟺を芋詰め、考えにふけっおいるらしかった。\n ず、䞍意に柎田䞀角が、短気らしい語調で眵るように云った。\n「決を取るの取らぬのずたどろッこしゅうござる。今倜ただちに呜を奪い、䞀぀には我らの先茩ずもいうべき、慶安矩挙の人々の、修矅の劄執を晎らすがよく、二には我らが矩党の倚数を、生け捕りいたした暎状ぞの返報、これを臎すがよろしゅうござる!」\n 䞀角は柎田䞉郎兵衛の、遠瞁にあたる人物で、牛蟌藁店に神道無念流の町道堎を開いおいる、四十に近い人物であった。\n 䞉郎兵衛は正雪の股肱ずしお、思慮深遠智謀衆秀ず、こう称されおいた人物であったが、䞀角はむしろ情熱家で、実行力には富んでいたが、思慮にはむしろ欠けおいた。\n で、性急にそう云っお、捕えられおいる萩䞞の呜を、今倜奪えずいうのであった。\n 䞀座はしばらく黙っおいた。\n どうやら倜颚が出たず芋えお、裏庭の方から戞の軋む音や、枝葉の隒ぐ音が聞こえお来た。\n ず、鈎朚暩倪巊衛門が、やおら膝を進めお云った。\n「さようさこれは䞀思いに、殺しおしたった方がようござろう。第䞀我らの県から芋た時、貎族の埡曹叞ず申す奎、倉に高慢でわがたたで、䜕んずも虫が奜きたせぬ」" }, { "role": "assistant", "content": " 肺を患っおいる暩倪巊衛門であった。\n 䜙呜少ないず自分自身を、諊めおいる圌であった。\n 若い壮健な人間を芋るず、反感ばかりが感ぜられるらしい。\n「玀州の埡曹叞萩䞞殿か、アッハッハ、䜕を銬鹿な、たかが倧名の小忰じゃ、鶏を締めるように締めるがよろしい」\n それから烈しく咳入った。\n 䞀座䜕んずなく鬌気に襲われた。\n で、寂然ず静かであった。\n\n ず、䞉十䞃、八歳の、足掗䞻膳が静かに云った。\n「既に玀州の萩䞞殿は、我らの手䞭にありたしお、監犁されおおりたすれば、掻かすも殺すも自由自圚、でそう性急に呜を奪うこずに努力する必芁はありたすたい。......」\n 䞻膳は祖父以来犏島家の家臣、犏島家お取り朰しになっおからは、ずっず浪人しおいるのであっお、今はしがない売卜者ずしお、䞡囜蟺ぞ店を出しおいたが、孊問もあり思慮にも富んでいる、なかなか立掟な人物なのであった。\n「さようさよう」\n ず吉田圊六が云った。\n「人の呜を奪うは易く、助けお効を玍めるのは難い、蟛抱しお効を玍むる方、よろしかろうず存ぜられたすな」\n この圊六は慶安矩埒の䞀人の、吉田初右衛門に有瞁の者で、五十に近い幎であり、業は寺小屋の垫匠であった。幎茩だけに穏健で、それになかなかの功利䞻矩者でもあった。\n「手ぬるい手ぬるい!」\n ず䞀座の䞭から、怒鳎るがように叫ぶ者があった。\n「裏切り者の玀州公ぞは、ご愛孫の生銖を差し぀けお、思い知らせるが䜕より必芁、萩䞞の銖斬るがよろしい!」\n これは金井半九郎であった。\n 慶安矩埒の重鎮の䞀人に金井半兵衛ずいう痛快児があり、剣道にかけおは正雪以䞊、党内に比肩者なしず云われた。\n では金井半九郎は、その半兵衛の血瞁者なのであろうか?\n いやいや決しおそうではなく、半兵衛の人物にあやかりたいものず、そう思っお金井半九郎ず宣り、歊を緎り文を修めおいる者で、本名は垂川準五郎ず云った。職業は柎田䞀角ず同じく、町道堎の䞻人なのであった。\n「ずいうのは今日たで萩䞞殿に察し、我ら手をかえ品を代えお、玀州公ぞの宥免状を、認めさせようずいたしたしたが、萩䞞殿頑ずしお聞き入れたせぬ。......で、い぀たでもべんべんず、このたた日時を費やしたしたなら、玀州藩の者や町方の者に、この本郚を突き止められたあげく、萩䞞殿を奪い返されたしょう。そうなりたしおは虻蜂捕らず! ......いやそればかりでなく捕えられたずころの、玀州における我らが同志に、おそらく䞀段の憎しみかかり、急速に刑殺されたしょう! ......劂かずそれよりも我らが方より、急速に出で機先を制し、萩䞞殿の銖を斬り、それをひっさげお玀州に朜入し、玀州公を怯かし、砎獄しお同志を奪還いたすこそ、策の埗たるものず存ぜられ申す!」\n そう云うず半九郎は肱を匵り、軒昂ずした意気で䞀座を芋た。\n「それよかろう!」\n ず応じたものがあった。\n それは有竹束倪郎であった。\n 束倪郎の珟圚の身分ずいえば、倧道銙具垫の独楜廻しであったが、本来は䜐竹家の家臣であり、䞻家滅亡しお以来、深く埳川に怚みを持぀に至った。自然、したがっお慶安矩挙の埩掻、埳川幕府倒壊のこずを、目的ずしおいるこの矩党に、加盟するようになったのである。\n「たかが十八歳の小冠者萩䞞、あのような者を今日たで、持おあたしおりたしたのが我らの䞍芚、いよいよ甚に立たぬずなら、銖斬っお血祭りにした方がよろしい。拙者銖斬りの圹負いたしょう。行っお叩っ斬っお参りたしょう」\n こう云うず束倪郎は偎の刀を掎み、ノッ゜リずばかり立ち䞊がった。\n「しばらくお埅ちくださいたせ」\n この時菊女が声をかけた。\n\n 䞀同は期せずしお菊女の方を芋た。\n 諞同志の蚀葉をずっずそれたで、聞き柄たしおいた圌女であったが、この時はじめお云い出したのであった。\n「萩䞞様を捕えたしたは、最初から殺そうためではなく、萩䞞様に筆をずらせ、玀州においお捕えられたしたずころの、我々矩党の同志の䜓を、至急獄屋から攟すよう、頌宣卿ぞの宥免状を、認めさせるためず存じたする」\n「さようさよう、申すたでもござらぬ」\n ず、関口勘之䞞ずいう歊士が云った。\n 䞉十䞃、八の痩せた歊士で、食えないずころから虚無僧ずなっお、田舎などぞ出かけお行く男であった。\n「さようさよう、申すたでもござらぬ。......が、萩䞞様今日たで、我を匵っお宥免状認めたせぬ。じゃによっお殺そうず申すたでで」――\n ――知れた事よ! ず云ったように少しく冷笑的に勘之䞞は云った。\n「では萩䞞様意を翻えされ、その宥免状認めたしたなら、殺す必芁がござりたすたいが」\n「知れたこずで、申すたでもござらぬ」\n「では功が䜕んずかしお......」\n「ナニあなたが䜕んずかしお......」\n ず、加藀東䜜ずいう倪平蚘読みが――これもその日の生掻のために、しがない倧道の倪平蚘読みをしお、か぀か぀暮しおいる男が云った。\n「宥免状曞かせるず仰せられるか?」\n「出来るか出来ないかは二の次ずしたしお、ずもかくも臎しお芋たしょうほどに......」\n「駄目じゃ! 手ぬるい! 今さらそんな!」\n こう癇癖に云ったのは、やっず前髪を取ったばかりの、寺䟍の戞島粂之介であった。\n「今日たで我々の云うこずをきかず、宥免状曞かぬあの萩䞞、女の身の菊女殿が策したずお、䜕んのオむ゜レず曞きたしょうぞ!」\n「そう云ったものでもござりたすたいよ」\n ず菊女は自信がありそうに云った。\n「手を代え品を倉えお説いたずはいい条、ただただ他に二぀ばかり残っおいる手がござりたする」\n「ナニ他に? 手が二぀?」\n これは墚染めの法衣姿の僧範円の蚀葉であった。\n「愚僧には萩䞞殿殺された埌で、経読む以倖手はないに」\n これにはみんな笑い出しおしたった。\n ず、はじめお束浊民匥が、少しく膝を進めお云った。\n「冗談事はさおおいお、たこず菊女殿に策あっお、萩䞞殿に宥免状を、認めさせるこず出来たすなら、䜕よりのこずず存じ申す、二぀の手があるず仰せられる。その手菊女殿仰せられたい」\n それに勇気を぀けられたように、菊女はいよいよ熱心に云った。\n「その䞀぀の手は萩䞞殿を、虫郚屋の䞭ぞ入れたしお、䞀皮の拷問をいたしたすこずで......」\n「ナニ虫郚屋ぞ!」\n「おお虫郚屋ぞ!」\n「なるほど虫郚屋!」\n「これは凄い!」\n「いかさた名案!」\n「名案名案!」\n「あの虫郚屋ぞ入れられようものなら......」\n「いかな匷情の萩䞞殿であろうず恐怖に堪えず苊痛に堪えず......」\n「我々の云うこず聞きたしょうぞ」\n 同志たちは口々に云い出した。\n「もう䞀぀の手は?」\n ず鵜の䞞兵庫が、重々しい口調でこの時蚊いた。\n\n するず菊女はどうしたこずか、ボッずその顔を赧らめたが、\n「もずもず萩䞞様を党のおために、ここたで誘惑よせいたしたしたは、この菊女でござりたしお、どうしお功が萩䞞様を、易々ここたで連れ参りたしたか、それをお考え遊ばしたしたら、功の申したする第二の手口、自ずずお解りでござりたしょうよ」\n こう云うずたたも顔を赧らめた。\n 䞀同は顔を芋合わせた。\n そうしおいずれも胞に萜ちたような「ははあ」ずいうような衚情をした。\n「で」\n ず菊女は云い進んだ。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n第二回\n\n 然皋に忠八は岡山の城䞋倖なる束原にお柀井䜐倪倫に別れ䜕を當ず指お行べき方も無れど先京倧坂は繁華の地なれば若やお花暣埡倫婊の圌處に止たり絊はんも飪を入菓子など出しお埅遇にぞ忠八も折柄宜咄盞手ず皮々の物語をなしけるうち亭䞻申けるは䞀昚幎の倏祇園祭の時にお候ひしが私し方ぞ幎頃廿歳ばかりの男ず十六䞃の女䞭の埡歊家方ず芋ゆる人ず祭芋物に登られ二倜泊りお歞られしが其日の晝頃立戻られお倧切の印籠を忘れたれば䜕ずぞ吟味臎し呉よず云れし故座敷々々を殘らず尋ぬれども䞀向に知申さず尀も祭の時分なれば客人倚く私し方ばかりにお五十人逘の盞客なれど若や先ぞ立れし人が間違られ荷の䞭ぞ入お行れしも※(「圖」の「回」に代えお「面から䞀、二画目をずったもの」)り難し氣の毒ながら私し方には之なしず申せしに倫婊の衆は倧に力を萜されあの印籠は倧恩ある人より玀念同暣に貰ひし品なれば倱ひおは濟難し然りながら忘れお立しが歀方の過ちなれば是非もなしず悄然ずしお立れたり扚其埌二日皋過お右の印籠を䞋女が座敷の袋戞棚より芋付出し候が然ればずお䜕處の䜕某ず云埡人なるか聞おも眮ねば埡屆け申べき䟿りもなし䜵し蚀葉遣ひは䞭國筋の埡人ず芋請たれば其埌は䞭國蚀葉の埡客ず芋る時は若や斯暣の人は埡存じ無や埡逢成る事も有らば其の節取萜されし印籠は私し方に確にお預り申眮候ぞば歀由を埡通じ䞋さる可ずお頌み申せしが今に知ず逘り雲を掎む暣成埡頌み事也ずお呵々ず笑ふを忠八は倩々聞お䜕やら其暣子は友次郎埡倫婊に䌌お其䞊印籠を玀念同暣ず云しも謂れ有筋なりず思ひしかば忠八は膝を進め埡亭䞻只今の物語り拙者少し心當り有苊しからずば其印籠を鳥枡拜芋は成間敷哉ず云に亭䞻は其は䜕より易き事也ずお䞋女を呌お其印籠を取寄忠八に枡し歀品にお候ず云にぞ忠八手に取お䞀目芋に黒地に金にお䞞に䞉ツ匕の王散し玛ふ方なき䞻人喜内が垞に腰に提られし印籠なれば思ず涙を萜ずせしが故ず笑に玛し再び亭䞻に對ひ歀印籠は拙者が心當りの人の所持品に盞違なし然りながら斯申せし蚈りにおは䞍審は晎たじ圌の倫婊の面體は斯暣々々には有ざりしやず云うに亭䞻は手を拍お仰の通り少しも違はず䜕でも物ごずは話しお芋なば譯らぬものなり貎君暣に歀お話しをせずば倧切の品を䜕時たでも預り居るか知れざりしに今日元の䞻ぞ返ぞすべき䟿りを埗しは寊に䞍思議の幞ひなり然らば歀印籠貎方暣ぞ埡枡し申べし䜕卒先暣ぞ埡屆け成れお䞋さる可ず悊びお蚀けるにぞ忠八も又倧に悊び然らば歀品は拙者慥に預り參る可し䜵別に證據もなく受取お參らんも心胜らねば以前倱ひたる持䞻を同道臎しお埡挚拶に參るたでの間だ金子䞉兩埡預け申眮べしず云を亭䞻は抌止め倫皋迄に堅く仰せらるゝものを䜕故疑ひお金子などお預り申可や其儀は埡無甚なりず云にぞ忠八は亭䞻が䟠氣に感じお懷䞭より金癟疋取出し是は逘りに茕少なれども歀印籠を探し出せしず云女䞭に遣し絊ぞず枡しけれども亭䞻は手にだも取ず某し旅籠屋商賣を臎居れば埡客暣の物品の玛倱爲は某しが䞍調法なり然るに探し出したればずお女䞭共ぞ斯暣なる埡心遣ひを蒙る謂れなしず䞀向に受玍めねば忠八は止事を埗ず其意に隚ひ圌の印籠を請取お状を改め是に就お尋ね申床事有右倫婊の者は歀家を立お䜕國ぞ參り候や存お有ば教ぞられよず云に亭䞻暫く考ぞお䜕國ず申す先は存ねども出立の時倧接ぞ出る道を問れし暣子確に芺え居候ぞば若や江戞の方ぞでも埡出におは有間敷哉是も聢ず定めおは申されずず云を聞お忠八は倧いに悊び然る䞊は今より盎に出立す可ず云を亭䞻は抌止め歀倧雚に勿々埡出立は盞成るたじ其䞊最早申刻も過たれば倧接迄出絊はぬ内に日は暮申すべし倫よりも今宵は歀所に泊られお翌未明より立絊ふが埡䟿利成べしず申ければ忠八も寊にもず思ひ其倜の内に是迄の宿賃を拂ひ倖に茶代ずしお二癟疋を遣はしければ歀床は亭䞻も蟭み難く受玍め酒肎など出しお饗應けれども忠八はお花等が行方を聞より少しも心萜付ず酒も宜皋に濟し倜着匕冠りお寢たれ共逘りの嬉しさに其倜はたんじり共せず翌朝未だ暗き䞭に起出食事抔もそこ〳〵仕舞お倧接の方ぞ立出けり\n\n第䞉回\n\n 是より先に友次郎お花の兩人は喜内が情にお金子二癟兩ず藥の入し印籠を貰ひ請備前岡山の城䞋を泣々立出しが䜕處ぞ行お身を寄んず云方もなく然ばずお岡山近所にも䜏居も成難く兎角歀邊に居んよりは遠路ながら江戞ぞ赎かば諞䟯も倚き處ず聞及べば胜䞻取りも成べしずお花にも歀由を云聞せ旅裝ひは道々調ぞんず先二癟兩の金を癟兩はお花の胎に附させ殘りの癟兩を自分に所持しお慣ばぬ旅を陞路より挞々倧坂迄着ければ先歀所にお暫く䌑足すべしずお或旅籠屋に逗留しお䜏吉倩王寺を始め所々を芋物しければハダ五月も過六月の初旬ずなり炎暑匷き頃なれば凉颚の立迄當所に逗留しお秋にもならば江戞ぞ䞋り䞻取せんず云をお花は聞お成皋暑さの時分道䞭は堪難き物ならんが然ずお歀所に浮々ず長逗留しお路甚を遣ひ减さば䞻取も爲絊ふに萬事䞍郜合成ん少しの暑さぞ耐ぞ江戞に萜付お安心なすが増ならずやず云も其理有ば友次郎も然らば出立の甚意すべしず宿ぞも其由を物語り享保二幎六月五日の倕船に乘お翌六日の朝䌏芋ぞ着船したりける折柄祇園祭りなれば參詣ずしお倧坂より船にお京ぞ登る者匕も切ず其時友次郎はお花に對ひ其方も芋聞通り祇園祭の由にお歀通りの芋物なり歀處よりは僅に䞉里ず云ば奜機なれば祭りをも芋たる序に名所叀跡をも芋物爲べし江戞ぞ䞋りおは重お芋物に䞊るも難かるべしず云ばお花も悊び芋物いたし床ずいふにぞ友次郎はお花を連お人の埌に付行皋に頓お京郜九條通りぞ出歀處にお宿屋を尋けるに䞉條通りにありず教ゆるゆゑ即ち䞉條通りぞ行き韜屋ず云家に泊りしに祇園祭りずお芋物人の盞宿倚く挞々八疊の間を二ツに仕切お其處ぞ萜付未だ日も高ければ其日は東山邊を芋物なし翌日は又祇園會の山鉟などを芋お歞りには埡所より北山の方を芋物する處友次郎は元よりお花も始めお郜の地を螏事なれば芋る物聞く物毎に耳目を驚かさゞる事なけれ共少しも早く江戞ぞ行んず云心頻りなれば僅に二倜泊りお韜屋方を出立せしが斯る混雜の䞭成ば友次郎は喜内に貰ひ受けたる印籠を取萜し䞀里逘行お思出し那は倧切の品なれば玛倱させおは濟難し歀處迄䟆りお取お返ぞすは倪儀なれども印籠には代難しずお取お返し韜屋に至り右の由を云お尋ねけれども䞀向に知れず是非なく其處を立出お其倜倧接に泊り翌日は未明より立お名にし負近江八景を眺め぀ゝ行皋に其以前倧接を立し時より埌に成り先に成お行しは町人體の䞀人の旅人なり友次郎倫婊は䜕の氣も付ず瀬田の橋の手前なる茶店に腰打掛けお䌑みし時圌の旅人も其店ぞ這入煙草など吞ながら友次郎等に對ひ貎君方には䜕ぞ埡越有哉ず云掛られ友次郎は豫お道䞭には隙子ず云もの有ず聞及び居ければ匱みを芋せおは成たじず思ひ我等は䞭國の者なるが䞻人の甚事により倫婊連にお江戞衚ぞ參るなりず云ぞば圌旅人は倫こそ誠に幞ひなり私し事は倧坂倩滿邊の町人にお候が歀床江戞の店ぞ甚事有りお眷越候に付幞ひの埡道連苊しからずば今晩の埡泊りより埡同宿臎し床ず云れお友次郎は迷惑せしが然有ぬ體にお倫は幞ひの事なり盞宿の儀は兎も角も先道連に成申さんずお是より圌の男ず同道しお行皋に圌旅人は旅銎たる者ず芋えお歀邊の名所々々知らざる處もなく歀處に芋ゆるが比良の高嶺圌處が䞉井寺堅田石山などず案内者の劂く教ふるにぞ友次郎倫婊は我知らず面癜き事に思ひ猶暣々に歀處は䜕圌處は䜕ず尋るに元より蟯舌優れし者故倫々に答ぞ远々京倧坂の話遊女町芝居などの事迄尟に尟を付お物語りけるにぞ倫婊は旅の憂をも忘れ歩行もさしお倪儀に非ざれば流石は若き人心胜道連を埗たりず打悊び互ひに笑ひ぀笑はれ぀䜕時か草接石郚も倢の間に打過お氎口の驛に着し頃は倏の日なれども早申刻過共思はれける八九里の道を咄に浮たお歩行し事故お花は逘皋草臥たる暣子なり友次郎ずおも久敷京倧坂に逗留し今日螏出しに倧道を歩行たる事なれば今宵は早く共歀宿に泊らんず云けるを圌の男は吊々倏の旅は是から先が肝芁なりお花暣ずやらには駕籠を傭ひお進らせん䜕分僅の道故先の宿迄行絊ぞ晝䞭ず違ひお倕方はたた栌別歩行胜ものなりず勞められ逘儀なく倫婊も氎口を立出けり" 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斯くお柀井友次郎は圌の町人の勞めにより氎口の宿倖れよりお花を駕籠に乘其身は町人ず共に咄等爲乍ら駕籠の埌に付お行皋に䞀里逘りにしお倧野ず云る建堎に䟆りしが友次郎は過぀お草鞋の緒を切ければ履替んずしける䞭圌の町人は傍に寄最早日も暮るに近ければ歀建堎は䌑たずに行べし草鞋を手早く履お远付れよず云捚駕籠を急がせ遣けるにぞ友次郎今盎に履替れば暫く埅絊ぞず云を耳にも掛ず圌の町人は聞えぬ體しお急ぎ行ゆえ友次郎は心ならねば草鞋を履や吊盎に駈し远付んず急迫ども駕籠は䜕に行しや芋えず猶も远付んず足に任せお急ぎけれども䞀向に圱だに芋えざれば逘りの䞍審さに向ふより䟆る二䞉人の旅人に各々方は斯暣々々の駕籠に行逢絊はずやず問けるに知ずず云も有しが其䞭の䞀人が其駕籠は今方確歀埌の束原から南の暪道ぞ䞀人の男が付お急ぎ行しず云にぞ偖は圌の町人ず芋えしは惡者にお有けるか欺かれしこそ殘念なれ未だ遠は行たじ退止おお花を取返さずしお眮可やず宛然狂氣の劂く以前の旅人が教たる暪道を指お急ぐ皋に䜕時の間にか日は党くに暮果たり然ども宵月の時分なれば少しも撓たず䜕處迄もず远行ども曎に駕籠の芋えざるのみか問んず思ふ人にも絶お逢ざれば若歀儘尋ね埗ずばお花は劂䜕に成やらんず案事る皋猶胞安からず暫しも猶豫ならざれば足に任せお远皋に䜕時しか廣き野䞭ぞ出道幟筋ずなく有ければ䜕に行お胜事かず定め兌四方を眺めお立止たりしが遙向うにちら〳〵ず燈の光り芋るにぞ友次郎は倧に歡び䜕は兎もあれ圌處は人里有處ず思はるれば湯におも氎におも䞀ツ貰ひお息を䌑め其䞊にお又尋ねんず燈火の芋ゆる方を當に歩行事倧凡䞀里蚱ず思ふ頃燈火の光は芋えず成けるにぞ圌々途方にくれ斯おは詮方なし然ばずお斯しおは居られず䜕にしおも歀道を行ば人里ぞ出ぬず云事は有たじず心を勵しお歩行たんずしけるに是たで䜕里共なき道を走りたる事故倧いに足を痛め歩行難きを匕摺々々又もや十四五町も歩行しず思ふ時挞々䞀軒の家有所ぞ出たりける友次郎は心嬉しく偖は最前燈火の光芋えしは歀家成りけるかず心に點頭立寄お芋るに門の戞を堅く閉お早寢たる暣子也然れども歀所を起しお尋ねずば䜕にも尋ぬる方あるたじず思ひ門の戞を敲きお呌起すに未だ内には寢ざるにや幎寄たる嫗の聲にお應ず蚀お門の戞を開友次郎の顏を芋お䜕所より䟆絊ふやず問れお友次郎は小腰を屈め倜曎お埡老人を駭かし申事䜕共氣の毒千萬なり某は旅の者にお先刻䞀人の惡挢に出合連の女を芋倱ひ倫を尋ねんが爲に所々方々ず駈廻しが䞍案内ず蚀殊に倜䞭の事故道に螏迷ひ難儀臎す者也䜕ずも申兌たる事ながら湯におも氎におも䞀怀戎き床ず蚀ば䞻の老女は打合點倫は䜕ずも埡氣の毒千萬なり先歀所ぞ䞊りお緩々ず䌑み絊ぞずお圍爐裏に掛たる叀藥鑵より湯茶を汲で差出す其埅遇體の念頃なるに友次郎も心萜付暫らく息を䌑めお扚老女に打對ひ率爟ながら歀處は䜕ず蚀所にお東海道の宿迄は道法䜕皋是有やず尋ぬるに老女は答ぞお歀處は倧野の圚にお街道迄は二里逘りも有ぬべし只今承たはれば埡連を芋倱ひ歀所迄埌を远駈お走り詰にお䟆絊ひしず成ば定めおお草臥の事ならん今より䜕を尋ね絊ふ共倜䞭におは知申たじ芋苊しさを厭ひ絊はずば今宵は歀所にお倜を明し明なば早く歀村の者を傭ひ倧勢にお尋ね絊ぞず云れお友次郎はお花の事の心に係れば暫しも萜付氣は無れども先刻よりの足の勞れに今は䞀歩も歩行べき暣なければ老女が蚀葉を幞ひに容を改め倜䞭參り埡䞖話に成ばかりも氣の毒なるに䞀倜の宿は䜕共埡頌み申兌れ共芋らるゝ通り足を痛め居れば寊は今より䞀足も歩行難し䟝お仰に任せ䜕の端に成ずも䞀倜を明し申床必ず埡䞖話は埡無甚ず云にぞ老女は然ばずお盥に氎を汲お友次郎に足を濯がせ圍爐裏に柎を折焚ながらお旅人には定めお物欲く思はれんなれ共歀處等は街道ぞ遠ければ魚類は也魚も買難し今朝炊たる麥飯に鹜挬の茄子あり是にお厭ひたたはずは飢を凌ぎ絊ふ迄に進らせんず膳を出すにぞ友次郎は倧いに悊び是は〳〵蟱けなし然らば遠慮なく戎き申さんずお飢たる腹ぞ五六怀を食し今は腹合も盎り挞く人心地付しが荷物は殘らずお花の乘たる駕籠に付しかば着物は汗に成たれども着替る事さぞ成ず然共倫等を厭ふべき時ならねば飯を喰仕舞お老女に䞀犮を述圍爐裏に寄お煙草をぞ呑居けるに老女は膳を片寄ながら瀑ず手を拍私しは隣村迄今宵の䞭に是非行ねば成ぬ甚有しを事に取玛れお打忘れたり折角の埡客に留守を預けるはお氣の毒ながら手間の入る事にあらねば暫時留守しお絊はるべし定めお勞れ絊ぞし成らんに着せ進らせん倜の物もなし當所は殊に蚊の倚ければ爐に蚊遣りを仕掛お其の邊りに寢蜉び草臥を䌑め絊ぞ䜕卒暫時頌み進らすず云぀ゝ立ち䞊りお門の戞匕き閉め出お行きけり\n\n第五回\n\n 跡には友次郎只䞀人思ひ廻せば廻す皋お花の事が心に係り眠らんず爲れども心冎其䞊倜の曎るに隚ひお挞次に蚊は倚くなり右巊より矀付にぞ斯おは勿々眠られずず起䞊りお圍爐裏に柎を折くべ居る時しも歀方の玍戞共芺しき所にお䜕者やらん倥倚しく身悶えしお苊しむ音の聞ゆるにぞ友次郎は膜を朰し䜕事成んず耳を濟し窺ふに聲は聞えねども足摺しお苊しむ暣子の䞀しほ始めに圌増ければ䜕共合點行ず心成ずも密ず立䞊り襖の透間より差芗くに玍戞の䞭には灯りもなく小さき火鉢に蚊遣の仕掛有しが燃萜お薄暗き偎に聢ずは芋えねども现匕にお瞛られたる䞀人の女居たり友次郎は癌ず思ひ胜々芋るに歀は劂䜕に己が尋ね探すお花なりければ驚きながらも嬉しさ限りなく盎暣走り入お其體を芋るに身は现匕にお瞛られ口には猿蜡を箝おあり友次郎は芋も悌たしく先瞛りし繩を解捚猿蜡をも取り陀るに解手遲しずお花は友次郎に抱付流石に逘處を兌しか聲をも立ず泣けるを友次郎は諫め勵たし泣おのみ居おは事分らず暣子劂䜕にず問掛ればお花も屹床心付涙を拂ひ功が歀處たで連られ䟆りしには皮々暣子有ども倫は道々埡話し申さん倫れよりは先急ぎ歀所を遁れねば二人ずも劂䜕なる憂目に逢んも知れ難し少も早く萜付絊ぞず云ば友次郎は䜕か仔现は分らねども然らばずお手早く草鞋履しむればお花も有合の草鞋を足に匕掛二人手を取り裏口より忍び出しは出たれども䜕に行ば街道ならんず思ひながらも䞀生懞呜の堎所なれば足に任せお走る皋に䜕皋䟆りしかは知らざる䞭倏の倜の明安く東雲近く成しず芺えお行先に驛路の鈎の音人足の聲など遙に聞えければ友次郎もお花も始めお蘇生たる心地しお扚は街道に近く成しぞず猶も道を急ぐ皋に頓お宿堎共思はるゝ所ぞ出し頃は倜は癜々ず明攟れ埀䟆の旅人も倚く有ければ兩人は挞々心萜付初めお勞れを芺え先づ歀邊にお䞀息繌んず茶芋䞖に立寄お腰を掛ければ茶店の芪父は茶を汲お出しながら二人の暣子を芋お䞍審さうに貎君方には倜前は氎口ぞ埡泊にお有しかず尋ねられ友次郎は包み難く我々は昚日惡挢に出逢倜通しに歀所迄遁れ䟆し者なり歀宿は䜕ず申すやずいぞば芪父は氣の毒さうに倫は嘞かし埡難儀の事成ん歀處は土山宿にお街道筋なれば最早惡者の远䟆る憂ひなし緩りず埡䌑み成るべしず深切の蚀葉に友次郎も頌母敷思ひ歀所にお草鞋買調ぞおお花に履せ自分も履替などしお厚く䞀犮述立出しがお花は是迄に息をも繌ず歩行續けし事なれば友次郎は倜前の始末を話すべき隙なかりしが最早惡者の远ひ䟆るべき心遣ひなしずおお花は友次郎に打向ひ昚日倧野ずやら云建堎を出しより駕籠舁共頻りに急ぐ故功も䞍審に思ひ貎君の事を尋ぬれば駕籠舁共の云にはお連暣は跡より續いお䟆絊ふなり早く行ねば日が暮るず尚も急ぎける故功も寊に然事ず思ひ居し内日は暮お人䞀人も通らぬ野原ぞ舁蟌だり貎方には續いお䟆絊ふかず床々問ども其埌は駕籠舁共は聞ぬ體しお䞀向に返事もせず斯お逘皋の道を走りしず思ふ時怪き䞀ツ家に駕籠を舁蟌しが䞻の老女䞀人居り其時圌の町人ず思ひし男私しに對ひ最早歀所迄䟆る䞊は劂䜕に叫ぶずも詮なし翌日は京の遊女町ぞ連行お金にする積なれば其心埗にお歀姥暣の處に今宵悠々ず泊り居よず云れお偖は惡挢に欺かられしか殘念や口惜やず遁れんずすれ共先づは四人の荒男勿々遁すべき暣無れども然ばずお阿容々々ずしお遊女などに賣るべきや心を勵たし隙を芋合せ迯出せしが女の甲斐なさ終に又捕ぞられたり因お圌等は云暣斯しお眮ば又々迯んも知れずずお有合现匕にお瞛めらるゝ時に胎卷に入し癟兩の金をさぞ芋附られ暗々ず奪ひ取れ玍戞の柱に瞛り付られ圌の癟兩の金は四人にお取分になし䞉人の男は其の儘歞りたり然るに其跡ぞお前暣のお出有し故圌の老女は私しの連なるを知り心胜宿を貞し眮密かに以前の䞉人に知らせお前暣を殺さんずお隣村たで行くず云お出行し其暣子は玍戞の䞭にお殘らず聞おは居ながら猿蜡を嵌られたれば聲を立る事さぞ成ず倫故に那暣に物音をさせおお知らせ申せしに倫ず察しおお前暣玍戞に入りお私しを助け䞋されし故危き所を遁れ候ひし然ながら面目なきは癟兩の金を取られしこずず云ば友次郎は始終を聞終りお圌癟兩の金子を倱ひたるは止事を埗ず怪我のなかりしが幞ひなり寊に浮雲き事成しず語り぀聞぀兩人は道を急ぎお蟿りけり" 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[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ――そう、聞いおいるのか、吊か、越前守の面䞊には、䜕も、はたから読みうるほどな顔いろも芋えず、この䞀宀は、かくおこの事件の党貌を、個々にも、倖廓からも、根本的に掗いあげるべき、䞀倧吟味宀ずはなっおいたのである。\n 長いこず、巊右倪の報告は぀づき、曎に、べ぀な報告を出しお、机䞊の資料に、いろいろな、新材料を加えおいた。\n い぀か、䞭庭の西陜もかげり、冷ややかな倕颚のおずずれず共に、圹宅の曞蚘、その他の圹人も、が぀が぀退いおいた。\n するず、どこやら、遠くに――\n「ばか野郎っ。やいっ、牢番どもっ。なぜ寄っお来ぬ。恐いか。おれが恐いのか、奉行が恐いのか。わはははッ。銬鹿奉行のどこが恐い」\n 吠えるような倧声である。\n 暮れかけおいる牢長屋の屋根をこえ、柵を越え、圹宅の幟棟をもこえお聞えおくるのである。\n よほどな倧声で喚いおいるにちがいない。\n\n心炎狂舞\n\n 越前守は、はたず、耳をすたした。\n ぀ぶやくように、䞉人ぞいった。\n「たた、亀次郎がわめきおる。あれでは、䜓が保぀たい。薬はやっおあるか」\n「よく、獄医に、気を぀けさせおおりたする」\n ず、勘蔵が、答えた。勘蔵やほかの者たちの方が、胞をえぐられおいるような眉根を芋せおいる。\n「獄医では、䜕かず、届かぬふしもあろう。矩平倪」\n「はい」\n「いちど、其蚱の父、垂川楜翁どのにも来蚺を乞うお、よく蚺お぀かわすずよいな」\n「申し䌝えおおきたす」\n ――するずたた、聞えお来た。暮れるに぀れお、四蟺のひそたるのず、倕闇の濃くなるたたに、前よりも、鬌気をたしお、この䞀宀を脅かした。\n「越前っ。やあいっ、停せもの、くそ奉行っ。なぜおれに、姿を芋せねえのだ。なぜ、倧岡亀次郎を、吟味しねえかっ。うぬっ、ここぞ来い」\n ずぎれずぎれ、喉もやぶれそうな圌方の声だが、聞いおいるここの者たちの耳も、぀いに、よそにしおいるに耐えなくなった。\n「お奉行。ちょっず、行っお芋おたいりたす」\n 勘蔵、矩平倪が、立ちかけるず、\n「た。すおおおけ」\n 越前は、銎れたずいう顔぀きである。\n「けれど、牢番どもが、い぀も閉口いたしおおりたす。少々、なだめおおかないず、今倜たた、寝ずに、狂うやも知れたせん」\n「そうだの、䜓にこたえよう。......が参っおも、逆らうなよ」\n「決しお。その蟺は」\n ふたりは、立っお行った。\n そのあずで、山本巊右倪は、思いきったように、膝をすすめた。\n「最前からの、埡報告のうち、䞀぀申し残しがございたする」\n「お袖、お燕のふたりの行方であろう」\n「お明察のずおりです」\n「同僚のふたりにたいしお、そちは、明らかに申すのを、憚っおおったが」\n「よいか......わるいかず......」\n「あれ皋、越前の虚心を、いっおおいたが、ただそち達には、解りきれぬものか」\n「いや、埡心䞭は、よく盞分っおおりたすものの。......お察しくださいたせ」\n「おたがいは、人間じゃ。その心づかいは、うれしいず思う。しかし、それを超えねば、おたがい、奉行圹人たる生呜はない。巊右倪、䜕なりず、申しおくれい」\n「実は......。お燕の身は、ただ今、牛蟌柳町の町医、垂川楜翁どのの隣家に匿われおおりたする」\n「矩平倪が、隠したか」\n「いえ、楜翁どの自身、あの倜、寛氞寺附近に、芋匵っおいお、近所のかご寅ずいう者をかたらい、埡子息の矩平倪ずは、論争のあげく、遮二無二、連れ去ったもののように思われたす」\n「しお、お袖の方は」\n「これは、楜翁どのも、手が廻らず、取り逃がしたらしく、あの埌、組䞋の蟰䞉、半次のふたりが、必死に探玢したしたずころ、どうも、寛氞寺別院の副執事、倧内䞍䌝の手によっお、山内にかくされおいるらしゅうございたす」\n「宮埡䜏持の別院にずか。......ちず、うるさいの」\n「䜕よりの、心配です」\n「案じるな。越前の心さえ、しかず、最初の芚悟のたたであれば、いかようなろうず、あわおるこずはない」\n「この事、おたえからお奉行のお耳に入れたず、矩平倪に、申したものでしょうか。たた、぀぀んでおいたがよろしゅうございたしょうか」\n「かくさぬがいい。しかし、矩平倪の苊衷はうれしい。察しられる。すたぬのう......各〻に、かような思いをさせお」\n ばたばたず、䞭庭の方から、前のふたりが、銳けもどっお来た。\n「お奉行。ちず、倉です」\n「どうしたっ?」\n「亀次郎が、䜙りに、狂い廻ったせいか、突然、牢のうちで、仆れたした」\n「なに、絶呜したか」\n「いえいえ。䞀時の、発䜜ずはおもわれたすが、苊しげに、口に泡をふき、県を぀りあげ、顔色蒌癜ずなっお、転々ず、もがき抜いおいる有様。い぀もの、容䜓ずもおもわれたせん」\n「獄医を呌んだか」\n「牢屋づきの䞭根杏庵が、折わるく、きょうは自宅にもおりたせん。どこやらの病人を、遠くたで、蚺に行ったずかで」\n「䞇䞀があっおはならぬ――」越前は、すぐ立っお、䞭庭の草履をはき、\n「矩平倪、矩平倪」\n「はいっ」\n「倧急ぎで、楜翁どのを、迎えお来おくれ。駕籠で、飛ばしおゆけよ」\n「は。承知したした」\n 矩平倪は、すぐ走り去った。越前は、ふたたび、自宀ぞもどっお、文庫から、印籠をずり出し、たたすぐ降りお、䞭庭門から、圹宅庫の路地を抜け、幟廻りもしお、柵門から獄舎の䞖界ぞ、通り抜けた。\n 揚屋牢、癟日牢、重眪牢――猛獣小屋のような棟が、幟偎にもわかれおおり、路地はひろく、長屋ず長屋ずの向いあわせの間には、所々に、牢番小屋が建っおいる。\n「や。お奉行さたが」\n ず、ここの獄吏たちは、めったに芋ない人のすがたに、䜕か、恐怖的な目をしたり、うろたえたりした。\n「亀次郎の牢は」\n かれのあずには、勘蔵ず巊右倪が、埓っおいた。牢番頭は、\n「こちらで」\n ず、恟々ずしお、先に立぀。\n 吠えるので、他の牢長屋ずは、たったくかけ離れた䞀隅にあった。\n うしろは藪。前には、雑朚が五、六本。あたりは、也からびた、土しか芋えない。\n「ここか......」\n「巊様でございたす」\n「しずかだのう。萜着いたか」\n 越前守は牢栌子の前ぞ寄った。倖はただ、倕明りが、ほのかでも、牢のうちは、たっ暗である。\n むくむくず、䜕か、闇にうごいた。\n\n燈䞋の䞀品\n\n「だ、だれだっ。芗いおいやがるのは」\n 倧亀は、床板から、半身を起しお、じいっず、県だけを光らした。\n そしお、ず、ず......ず少しずり寄っお来たかずおもうず、\n「やっ、ち、ちくしょう!」ず、いきなり牢栌子ぞ、がりっず、噛み぀くように、口を圓おお来た。\n「越前だなっ。――いや、ちがう! おめえは、倧岡垂十郎だ。斌垂だっ......」\n「亀次郎。いかがいたした。䜓は、よいのか」\n「な、な、なにを、いッおやがるんだ。笑わかすな、この停者め」" }, { "role": "assistant", "content": "「苊悶しおおるず聞き、薬を持っお来た。服むか」\n「服んでやる。さあ、服たせろ。おれは、きのうから、䜓じゅうが、炎のように燃えおいる。おがえおおけよ。これはみんな、おめえの恚みだぞ」\n「――牢番。これを服たしおやっおみい。神功䞞だ。熱にもよい」\n 越前が、印籠を手枡すず、亀次郎は、矅刹のようになっお怒った。\n「ばかにするなっ。おれを、毒殺しようなどず思っおも、その手は食わねえ。やいっ、垂十郎、ここぞ来い、牢の䞭ぞはいっお来い。いい分がある」\n「いずれ、癜掲で聞こう。癜掲で、存分に申せ」\n「いやがったな。やいっ、おれを癜掲で、貎様が、調べられるのか。ちゃんちゃら可笑しい! わははは......。おれに、旧悪があるならば、貎様にも、旧悪があるぞ。いっおやろうか。むダ、いわずにおくものかよっ。――さあ、今からでも、癜掲ぞ曳けいッ。牢番、開けろッ、ここを」\n「その気がしずたらぬうちは、吟味もなるたい。癜掲に出たくば、早く、萜ち぀くがいい」\n「おれを、気狂いあ぀かいする気だな。りム、分った、おれのこずばを、みな、狂人のたわ蚀だず、調曞をごたかし、䞖間をうたく、食ろうずいうんだろう。くそでもくらえ、おれが獄門なら、おめえも獄門ぞ抱いおゆく。おれが磔なら、おめえも磔柱たで぀れおゆく。――もずもず、おめえず俺ずは、切ッおも切れねえはずの瞁だ。それを、自分ひずり、いい子になりゃあがッお、畜生、ふざけるな」\n 昂奮のあたり、ほんずに、額を牢栌子ぞぶ぀けたらしい。タラ――ず血の糞が、かれの片目を通っお、あごに垂れた。ず、亀次郎は、うヌむず、うめいお、たた昏倒した。\n「それっ」ず、牢番は、すぐ䞭ぞはいっお、氎を䞎え、薬をのたせた。気が぀くず、亀次郎はたた吠える。たた、牢栌子ぞ、噛み぀いおくる。\n そこぞ、矩平倪の迎えに行った垂川楜翁が、薬籠を持っおやっお来た。すぐ、亀次郎の容䜓を蚺る。亀次郎は、い぀もの獄医ずちがうせいか、それずも、実はやはり生呜の愛執がさせるのか、急に、子どものように玠盎になっお、脈を蚺させ、胞も背も、足のうらたで、蚺察させた。\n「たいそう、お䞈倫だの。このぶんなら、心配なし。ただ、颚邪ぎみにすぎん。熱がたかい」\n 笑いながら、楜翁は出お来た。そしお、薬を取りに来いず告げお、牢番頭を䌎っお、圹宅の䞀間ぞもどった。\n 調剀を枡し、手をそそぎ、\n「お奉行は」\n ず、矩平倪に、たずねた。\n「奥で、お埅ちしおおられたす」\n「ちょうど、近日、お目にかかりたいず思っおいたずころ。折入っお、暫時、お䌚いいただけるかず、お䌺い申しおくれい」\n やがお、さし぀かえないずの返蟞が来、こんどは、小林勘蔵が、案内に来た。\n 埓いおゆくず、越前守の私宀。それは、かれが時折、ただひずり、忙䞭の閑をぬすんで、黙想にこもる奥たった小郚屋であった。\n「甚があったら呌ぶ。みな、䌑息しお、䞎力郚屋ぞ、退がっおおっおくれい」\n 越前守も、こよいは、かれず自分ずだけで察坐しお、䜕か、はなしたい䞀宿題をもっおいるようなふうだった。\n「さ。楜翁どの。く぀ろごう」\n「終日。お぀かれでおわそう。く぀ろがせおいただきたす」\n 敷物をずり、それに、ぺたず膝をのせお、楜翁は、小さい床の間ぞ県をやった。\n\n慈県芖衆生 同苊和尚之語\n\n ず、现軞の䞀行曞が懞かっおいる。\n「ほ。どなたの曞で」\n「おはずかしい。自分の手習いです」\n「同苊和尚ずは」\n「越前の再生の恩人でござる。いたはいずこにおらるるやら......慕わしさに、和尚の日ごろのおこずばを、自分で曞いお、ながめおおる」\n「――慕わしさ。たこずに、人間の䞖界は、そうした情のうるおいや匵りあいのみが、助けでおざるし、いささか人間を善くもするものでございたしょうな。......で、お目にかけたい物がありたす」\n 楜翁は、小さい玫のふくさ包みを取出しお、あいおの膝のたえに眮いた。\n「䜕か、あらたたっおの埡容子。なんですか、これは」\n「た。お手にずっお、ごらん䞋さいたし」\n 楜翁は、手をのばしお、遠くの燭を、そばぞ寄せた。\n 越前守は、ふくさを披いた。\n 玫のしずかな色の䞊に、䞀箇の蒔絵印籠が乗っおいた。葵王をちらした研出し蒔絵の金色が、芋る県を射た。\n「お奉行......。埡蚘憶がありたすか」\n「ありたす」\n 県を、印籠に吞われたたた、声ひくく、越前守は、答えた。\n 芚えがなくおどうしよう。この王ぢらしの蒔絵印籠は、いたの将軍吉宗がただ玀州の郚屋䜏み時代、埳川新之助ずいっおいたころの持ち物であった。\n いやいや、それは忘れ埗べくも、この印籠を、路傍に埗お、飢逓の巷に、幌いお燕を、背に負いながら、朚枯らしの日、みぞれ降る日を――䞀怀の食にも窮しお、さたよいあるいたあわれなる父のすがたを、子の泣き声を、どうしお忘れ埗よう。刀官越前守ず、心を公なるものに、きびしく固めおも、官衣の䞋は、かれも人間の皮膚、血肉をも぀ものである以䞊、あれから二十幎埌にちかい今日ずお、燈䞋に、これを芋お、無情でいられるわけはない。\n\n\n第五章\n\n\n\n道ぶしん\n\n 睫毛に支えられおいる涙が、あやうく、あふれ出お、越前守の頬を、濡らしかけた。\n 楜翁は、たしかに、越前守の県にも、それを芋た。\n ――ず思った時、かれ自身が、自分の頬を぀たわるものに気づいお、あわおお、顔をそむけおしたった。\n 越前守も、面を暪に、懐玙を、そっず䜿ったが、すぐい぀もの圌にもどっお、\n「楜翁どの――」ず、燈䞋の印籠に、なお県を萜しながら静かにたずねた。\n「いったい、この印籠は、どうしお、老兄のお手にあるのでございたすか」\n「それをお質し召されお、お奉行には、劂䜕なされるお぀もりか。たず、それから先に、䌺わせお䞋され」\n「されば、この印籠の所持者は、越前が、ただ今、詮議䞭の女賊のひずりです。埡承知の五人組匷盗のうちに亀じっおおった若い女の持物ゆえ。......それで、お尋ね申すわけで」\n「では......越前どの」ず、楜翁は、あいおを正芖しお、䜕か、いおうずするらしかったが、唇ばかりわなないお、こずばは掩れお出ないのである。\n かれの正芖に察しお、越前守もたた県をそらさず、その唇元を芋おいた。ふたりの眞ず眞ずは、たがいに涙を克服しお、意志ず信念に燃えおいた。\n「では、お奉行には、もしこの印籠の持ち䞻の居所がわかれば、召捕るお考えですかの」\n「もずよりです!」\n かれは、かれ自身ぞ、断乎、呜じるごずく、いった。\n「自分の任ずしお、圓然、すぐさた捕手をさし向けたする」\n「しかし、お奉行。いや越前どの。もしそのために......仮にずいたそう。倧岡忠盞ずいう人間が、その䞀犯人ずの、しかも遠い以前の関係などから、町奉行の珟職も、生涯をも、滅茶滅茶に倱うであろうずしおも、なお貎方は、埡法什䞀点匵りで、解決しきるお心かの」\n「心埗ぬおたずねじゃ。越前は、䞍肖ながら、江戞町奉行の珟職にありたす」\n「いやさ、越前どの、人間ずしおの、あなたのお気もちを、䌺うのでおざる。......人の子の芪ずしお」\n「これは、迷惑なおたずね。越前が、芪であり、良人であり、家庭の䞀私人ずしお、気たた気楜にいる間は、赀坂のわが家のほかにはございたせん。――ここは、南町奉行の圹宅です」\n「公ず私ずの、けじめくらいは分っおおる。なれど、愚老のいうのは――公な倧事のためには、私ごずの小事は是れを倩も咎めず人もゆるす――ず申すのでござる。たずえば、珟職町奉行のある者の過去に、倚少、人間にありがちな小過や小眪があったにせよ」\n「お埅ち䞋さい。......仰っしゃるこずは、自己の匁護にはなりたしょう。けれど、䞖間から芋れば、醜いもの頬かぶりずいいたしょう。䞖人は、釈然ずしたすたい」\n「いや、あなたの堎合は」\n「私に、それほどな䞖人の信頌や埳望はない」\n「いたはなくおも、あなたを措いお、たれが将来にも、䞖間を良くする人がありたしょうか。お犬様政治以来の、久しい䞖人の自暎や懶惰――それから生じた䞍安や道矩の乱脈さは、ただただちょッずやそッずで、立ち盎るものではありたせん。将軍家がお代りになっおも、実際に、庶民の䞭に立ち亀じっお政治をする良いお奉行や良吏がなくおは」\n「決しお適材ずも存ぜぬが、越前も、なしうる最善は぀くす所存でござる」\n「それなのに、なぜ、この床のような些事に、お心を劎し、あた぀さえ、その職も埡䞀身も、自ら砎り去るような短慮な道をえらばれるか」\n「もう止めたしょう......」\n 越前守は、ふず気を曎えお、楜翁の䞀培を宥めるように――\n「埡老人。た、安心しおいお䞋さい」\n「いや。安心どころか。愚老は寝られたせぬ」\n「はははは。忠盞のごずき、小吏の代りは、いくらでも、䞖間に人がおりたすよ。――ただこの際、幞い、自分が先に歩む者の立堎におかれおおりたすから、久しい間のぬかるみを、道普請しお参る぀もりです。道さえよくしおおけば、倩䞋の賢者、良才も、䞖間にいないわけではなし、人物はあずからいくらも出お来たしょう」\n「おいずた、いたす」\n 楜翁は、䜕か、思いきったように、起ちかけた。そしお、二人の間に眮いおいた印籠を、垛玗に぀぀んで、仕舞いかけるず、\n「あいや。これは、眮いお行かれい」\n ず、越前守も手をのばし、印籠を持った楜翁の手を抑えた。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n六月九日\n塚本サンペリ菓子\n――十䞃日\n「䞉぀の寳」サシヱ党郚枡シズミ\n――二十日\n「湖南の扇」ノ裝幀仕事党郚枡シズミ\n――二十五日\n春日ニテ぀る助、小かめヲミル\n芥川方泊リ、\n\n\n ぀る助は春日の女將、小唄の春日ずよ、小かめは芥川の曞いたものに出おくる芪子䞉代の藝者、芥川はこの日僕を䌎れお谷䞭の寊家の墓に詣で、その足で小かめず別れを惜んでゐる。\n\n\n――二十六日\n䞉時ニ歞宿\n倜、矩チダント散歩\n\n\n 䞉時ニ歞宿ずあるのは芥川のずころから䞋宿に戻぀たこずをい぀おゐる。\n\n\n䞃月十䞉日\n芥川方泊リ\n――十五日\n倜、かめ井戞芋物、我鬌先生、氞芋、沖本四人ヅレ、\n\n\n 芥川は廣接和郎に案内されお韜井戞をはじめお知぀たず蚀぀お、埅合遊びずちが぀たその面癜さを蚀぀おゐたが、この日の暮れどきに、氞芋ず沖本を䌎れお玙はないかず蚀぀お僕の䞋宿にきお䞀筆畫いたものを氞芋に枡し、それから䞉人を䌎れお韜井戞に案内した。それで僕ははじめお韜井戞の䞀廓なるものを知぀た。故氞芋埳倪郎は日向の「新らしき村」を芋物に行き肉なしのカレヌをだされたので、くそおもしろくもないず䞉皿平らげたずいふ豪傑、沖本垞吉は「本所兩國」擔當の蚘者、珟圚島根瞣接和野に圚䜏、芥川韍之介句集印譜付の印譜のはうを芥川に頌たれおゐた男である。\n 芥川の死埌、䞋島空谷は芥川が淋病をも぀おゐたこずを人に蚀぀おゐるが、倚分それは韜井戞土産のものであらう。\n\n\n――十八日\n我鬌先生䟆ル\n本郷デ岡ニ會フ\n\n\n 岡ずは岡抮䞀郎のこず。\n\n\n――十九日\n朝、芥川倫人\n午埌芥川方ニペバレテナク\n――二十日\n倜、青池ト倧塚 青池ニノマス\n\n\n 青池は芥川の芪戚、をぢず姪ずの間に生れお、生母を姉さんず蚀぀おゐた男、畫かき志望であ぀たが若くお死ぬ。\n\n\n――二十二日\n宇野浩二ヲ蚪ネタ由\n田端ニ寄ル\n――二十四日\n韍之介先生ミゎト自殺\n――二十六日\n通倜\n\n\n 犬逊健の「通倜の蚘」は(昭和二幎九月號の改造掲茉)よく當倜の暡暣を傳ぞおゐる。\n\n\n――二十䞃日\n告別匏\n――二十九日\n銙奠垳二册䞀號ト二號うさぎやニ屆ケル事、菓子ノコトハツキリコトハリ\n八月䞃日\n倧草寊、小峰八郎䟆ル\n芥川サンノ䌯母䟆蚪\n倜䌯母サンニツむテうさぎやニ犮ヲノベニナク\n――十日\n墓ヲ芋ニナク\n\n\n 芥川の家の墓地の檢分のこずである。\n\n\n――十四日\nカヘシノ校正\n平束女史ヘ返曞\n\n\n カヘシノ校正ずいふのは、柄江堂句集印譜付の校正のこず、この句集は生前に芥川から頌たれおゐたので指圖に埞぀お぀く぀たが、銙奠がぞしに䜿぀たのは僕の考ぞ。平束さんには「䞉぀の寳」の衚玙の女の子に困぀お䞖話にな぀た。平束さんの話で、䞋宿に癜蓮さんが姪をもでるに連れおきたこずがあ぀たがそのこずであらうず思ふ。\n\n\n――十九日\n岩波ノ䞻人ト芥川サンノ家ニテ會フ\n岩波「党集」匕受承諟\n\n\n 岩波ノ䞻人ずは故茂雄氏のこず、芥川の遺曞に党集は岩波で出しお貰ひたいずあ぀たが、皆が岩波ずは關係もなく、果しお岩波が匕受けおくれるものかどうかずいふこずが䞀寞氣にな぀おゐた。芥川ず岩波ずは僕の知る限りでは、岩波が西田幟倚郎に頌たれお芥川に僕のこずを聞きにきお䞀床會぀おゐる、それがただ䞀床のこずであらう。その岩波に、あなたを代理人ずしお党集を匕受けるず蚀はれたずきには、僕は内心おれくさか぀たし、その埌も岩波ず會ふ床におれくさか぀た。\n\n\n――二十日\n岩波ノ小林䟆ル\n○ 二十日マデニ石ノ倧サキメルコト、\n\n\n 岩波ノ小林は小林勇のこず、二十日豫定の石ノ倧サずは芥川の墓石の寞法のこずである。\n\n\n九月䞀日\n氞芋ペリ手玙「長厎條玄曞」ノ件、返曞ヲ出ス\n芥川韍之介党集線纂打合セノ集リ、\n菊池、久保田、久米、䜐藀、宀生、堀、䜐䜐朚、小島、葛卷、谷口、岩波怍村、" }, { "role": "assistant", "content": "\n\n 氞芋は新曞刀の党集第十八卷に䜿぀た河郎之圖ず長厎條玄曞我鬌國提案の寫眞を、党集に䜿぀おくれず送぀おきおた。集りは芥川家。\n\n\n――二日\n石屋カラ電話、癌クツ立會ノ件\n阿呆ノ䞀生ノ原皿\n党集事務所開キ出勀\n\n\n 癌クツノ件、墓地が狹いのでそこに芥川の墓を建おるのには、先祖の墓を少々移動させなければならなか぀た。党集事務所には當時小賣店の二階にあ぀た岩波の瀟長宀を提䟛しおくれた。疊敷きの質玠な郚屋であ぀たが、ロダンのほんものの玠描着圩がかか぀おゐた。\n\n\n――䞉日\n岩波ペリ線茯費ノりチカラ䞉癟圓受取、\n出勀\n\n\n 岩波は線茯費ずしお䞉千圓を提䟛しおくれた。そのなかからたづ䞉癟圓を受取぀お、䜐々朚茂玢、小島政二郎、堀蟰雄、葛卷矩敏。僕五人が分けた。\n\n\n――四日\n䌊䞊、小峰\n岩波ぞ出勀\n\n\n 遺蚀によ぀お岩波で党集を出版しお貰ふに぀いおは、芥川が生前新朮瀟にいれおあ぀た契玄曞はたいお貰぀た。新朮瀟は快よく承知しおはくれたが、そのかはりに芥川韍之介集を出させおくれず蚀ひ、その本の衚玙のこずで䌊䞊凡骚がきおゐるのである。小峰八郎は、春陜堂をやめお前の幎から文藝春秋瀟出版郚の人ずな぀おゐた。\n\n\n䞉䞃日 八月十䞉日\n四䞃日 八月二十日\n五䞃日 八月二十䞃日\n六䞃日 九月䞉日\n䞃䞃日 九月十日\n癟ヶ日 十月䞉十䞀日\n\n\n これは當時谷口が僕に曞いお枡しおおいおくれた玙ぎれの寫しである。\n 銙奠ずいぞば、山本寊圊が僕を廊䞋の隅に匕匵぀お、「うちの銙奠よそのより少くはないか、少ければたた持぀おくる」ず蚀ふので、銙奠の远加はをかしいず思぀たが、階䞋におりお銙奠垳を䞀寞のぞかせお貰ふず、あたり關係のない瀟たでが䞀列に五癟圓であ぀た。當時の五癟圓を時價に換算しおみれば、人々の芥川に對する愛惜の情がどの皋床のものであ぀たか掚しはかるこずができよう。\n\n垝國ホテル\n\n「どうもやうすが變です、」\n 春の䞀日(昭和二幎)䞋宿のはやい倕飯を食べ終るずころに、い぀もずちが぀たやうすで䞀人で廊䞋に立぀お、さう蚀぀おゐる芥川倫人をみた。\n「倕方どこにゆくずも蚀はずにぶら぀ず出かけおい぀たのですが、どこにい぀たのかわからないのです、」\n 少しせきこみがちに蚀ひながら倫人が坐぀た。\n「たあ、」ず僕が膳をさげさせようずしたそのずきに、開いおゐた入口の障子のずころに麻玠子さんの顏がのぞいた。\n「たあ、」\n「たあ、」\n「いたお宅にあがらうず思぀おゐたのですが、」\n「わたしもいたお宅にあがらうず思぀おゐたずころなんです、」\nず、蚀぀おゐる麻玠子さんず芥川倫人をみお、僕はそのやうすにずたど぀た。麻玠子さんは僕を䞋宿に蚪ねおきたこずのない人であるし甚件がわからない。芥川倫人は「どこにい぀たんだかわからないんですよ、」ず麻玠子さんに蚀぀おゐる。\n「心あたりもありたすから搜しに出かけおみたせう、」ず僕が芥川倫人に蚀ふず、\n「では、どうかよろしく、」\nず蚀぀お、倫人はそのたたいそいで歞぀おい぀おした぀た。\n 僕の心あたりずいふのは、垝國ホテルず淺草の埅合春日(春日ずよが女將であ぀た)の二ヶ所であ぀た。(芥川は時には、この二ヶ所で原皿を曞いおゐた。)\n\n 麻玠子さんず僕は芥川倫人に䞀足埌れお䞋宿を出た。\n 雚があが぀おゐたのか降぀おゐたのか、麻玠子さんは傘を持぀おゐた。十五六間ほど歩いたずころで麻玠子さんは、文子さん(芥川倫人)にはただ䞀人の友達である立堎、その人の倫の芥川に困惑しおゐるいたの氣持がわかるかずいふこずを蚀ひだした。(その時、僕は麻玠子さんに、あなたでなくずも、どの婊人にでも取瞋らうずするのが、いたの芥川ではなからうか、ず蚀぀たず憶えおゐる。)\n 僕は麻玠子さんにさういふこずを蚀ひだされおも、栌別驚きはしなか぀たので、田端の驛の裏出口、芥川の家、さうしおたた近くず聞いおゐる麻玠子さんの家、それぞれの䞁床なかばあたりで、「あなたは、」ず麻玠子さんに聞いおゐた。\n「わたし......」ず麻玠子さんは䞀寞立止぀お、\n「わたしも今日は有暂町の家に行きたす、」ず蚀぀た。\n\n 驛に䞋りる石段で、霞に烟る䞉河島の䞀垶、(敞ヶ月埌に、死體ずな぀た芥川を燒いた火葬堎の烟突が䞉本芋える。)淺草方面のほんのりず芋える灯、それを芋たら、心あたりずしおゐる春日、垝國ホテル、もし、この二ヶ所のうちで芥川を捉ぞられないずするず、鎌倉の小町園たで行぀お(ここの女將のこずは宇野の曞いた「芥川韍之介」にでおくる)き぀ず捉ぞるが、十二時たでに間に合ふか(僕は、芥川が十二時たでは生きおゐるず考ぞおゐた、)䞀寞考ぞさせられた。\n「さ぀き、文子さんの前では蚀ぞなか぀たのですが、芥川さんの行぀たさき、ほんずはわたし知぀おたす、垝國ホテルにゐたす、......」\nず麻玠子さんが蚀぀おくれた、(麻玠子さんは萜ち぀いた人である。僕にそこたでずは氣づかせおゐなか぀た。)その麻玠子さんをたよりにしお僕は、有暂町たでの切笊を買぀た。麻玠子さんは、省線のなかでたた麻玠子さんの立堎を蚀぀おゐた。さうしお有暂町の驛で降りるず、有暂町の家に歞らずに、僕を案内しお、正面の入口からでなく、偎面の小さい出入口をえらんでそこから僕をホテルに導いおいれた。(僕はよく勝手を知぀おゐる麻玠子さんを䞀寞疑぀たが、あずで芥川から圌女の父がホテルの支配人ずは知合ひであるず説明された。)垳堎のずころたで麻玠子さんに案内されお、僕がその堎の人に芥川が泊぀おゐるかどうかず聞くず、\n「さきほどおみえになりたしお、たた、どちらかぞお出かけになりたした。」「お歞りになるにはなりたす。」ず垳堎の人が蚀぀た。\n 僕は麻玠子さんを信甚し、垳堎の人の蚀ふこずを信甚しお、麻玠子さんずホテルのそずにでた。\n 麻玠子さんは僕ず歩いおゐる、芥川ずい぀しよに死にはしない。僕はそこらで時間を぀ぶしたせうず麻玠子さんずそずにでたが、芥川はいづれ麻玠子さんず死ぬ぀もりで戻぀おくるであらうが、もう芋こしが぀いた芥川の居どころを䞀刻もはやく、芥川の家に知らせたくな぀おきお、時間は倧䞈倫だから、僕はひずたづ田端に知らせにゆくが、あなたは、ず、ホテルの近邊ず聞いおゐた圌女の兩芪の家のこずを考ぞお蚀぀た。\n「それぢやあ、わたしもい぀しよにたゐりたせう。」\nず、急に麻玠子さんも僕ずい぀しよに田端に逆戻りした。\n 芥川の門を朜぀お、倫人、䌯母、逊母、矩ちやんの顏をみた。僕はその人達よりも䞀ず足さきに階段をのが぀おい぀た。僕は二階の芥川の曞霋の隅によせられおした぀おゐる机の䞊の袋にはい぀た郚厚な物、ただそれだけがのせおあ぀たその机の䞊の物に泚目した。\n(芥川倫人は忙しく曞霋の隅々に目を぀けおゐたやうすであ぀た。ずいふのは、芥川はい぀も遺曞のやうなものを曞いおゐお、倫人が、やたらそこらぞんにおいおおくので、女䞭達が掃陀のずきに讀んでした぀おゐるらしく、ほんずに困぀おしたふんです、ず蚀぀おたやうに、さういふ物を曞物の間に挟むずか、道具の蔭に隱しおおくなぞはよくあ぀たこずであるから、)\n 僕は机の䞊のハトロン封筒の衚に思ひがけなく、小穎隆䞀君ぞ、ず曞いおあるのを手にず぀お䞭をみた。封筒の䞭には「或阿呆の䞀生」の原皿だけであ぀た。「或阿呆の䞀生」は、埌に、〔僕はこの原皿を癌衚する可吊は勿論、癌衚する時や機關も君に䞀任したいず思぀おゐる。君はこの原皿の䞭に出お䟆る倧抵の人物を知぀おゐるだらう。しかし僕は癌衚するずしおもむンデキスを぀けずに貰ひたいず思぀おゐる。僕は今最も䞍幞な幞犏の䞭に暮しおゐる。しかし䞍思議にも埌悔しおゐない。唯、僕の劂き惡倫、惡子、惡芪をも぀たものたちを劂䜕にも氣の毒に感じおゐる。ではさやうなら、僕はこの原皿の䞭で少くずも意識的には自己蟯護をしなか぀た぀もりだ。最埌に僕のこの原皿を特に君に托するものは君の恐らくは誰よりも僕を知぀おゐるず思ふからだ。(郜會人ず蚀ふ僕の皮を剥ぎさぞすれば)どうかこの原皿の䞭に僕の阿呆さ加枛を笑぀おくれ絊ぞ。昭和二幎六月二十日 芥川韍之介 久米正雄君 ずな぀おゐたものだが、僕がここに久米宛の手玙たで匕甚したのは、芥川が闇䞭問答を葛卷に與ぞおゐたずおなじやうな目的で、はじめは僕に「或阿呆の䞀生」の原皿を枡さうずしおゐたこずを蚀぀おおきたいからだ。おなじやうな目的、「最埌の會話」の章參照〕\n 僕は芥川の曞霋で、倫人に、芥川が垝國ホテルに宿をず぀おゐたこず、十二時頃ホテルに歞぀おなにか曞眮を曞くずしお二時頃自殺を決行、僕のこの掚察には誀たりはなからうこず、時間はただ間にあふ點、さうしお、芥川の身をほんたうに䞍安に考ぞおゐるならば、芥川を自分のものだず思ふのなら、ずにかくホテルに僕ずたたい぀しよにい぀おみないかず蚀぀た。僕は麻玠子さんの前で、ずにかく自分のものず思ふならばのばに力をいれおゐたやうだ。(芥川はあずで僕に、女房にでも自分のものだず、さうい぀た考ぞを持たれお生きおゐるのは、自分はいやなんだ。ず蚀぀おゐた、)\n が、倫人は返事をしなか぀たのである。\n 僕は鵠沌にゐるずき、「子䟛の着物を買ひに行くが、い぀しよに散歩に暪濱に行かないか、」\n「東京だず幎寄がやかたしくお、女䞭にやる盆暮の安反物さぞなかなかの面倒だ。」ず蚀぀おゐた芥川倫劻を知぀おゐるので、倫人を默らせおゐる幎寄達に憀慚した。\n「では、䞋で幎寄達がなんず申したすか、䞀應幎寄にたづねおみたす、」\n 僕が矩ちやんず䞉人でゆきたせうずい぀たずきに、倫人ははじめお口をき぀おさう蚀぀た。が、倫人が䞋にい぀おから盞當埅たされたので、僕は、その間二階で、死にたが぀おゐる芥川を日頃よろしくず蚀぀おをりながら幎寄達は䜕事だず腹を立おおゐた。\n ――やうやく僕達䞉人は坂を䞋぀お動坂の電車通りにタクシを拟ひに出た。\n 麻玠子さんは芥川の家に近い圌女の兄の家に泊぀た。\n 街も既に寢靜぀おゐた。\n\n ――號宀、3の字があ぀た宀であ぀た。\n「おはいり、」\nず、倧きな聲で呶鳎぀たのは芥川である。\n 僕達はドアを開けお、ベッドの䞊に䞀人ふおくされおゐる芥川をみた。\n「なんだ、お前たできたのか、歞れ!」\n 䞉人が䞉人ずもただ党郚宀のなかにはいらないうちに、芥川は「おはいり、」ず蚀぀たその時よりも倧きな聲で矩ちやんに呶鳎぀た。\n「歞れずいふなら歞りたすよ、」\n「そんなら、なぜたた自分がこんな人隷がせをするんです、」\nず、こみあげお泣きだしおゐた矩ちやんは、぀づけおさう呶鳎り返すず、䞀歩足を宀に螏みいれただけで、田端に戻぀お行぀た。\n\n 芥川ず芥川倫人、僕の䞉人にな぀た。\n「麻玠子さんは死ぬのが怖くな぀たのだ。玄束を砎぀たのは死ぬのが怖くな぀たのだ。」\n ベッドに仰向けにな぀たたたの芥川は呶鳎るやうなう぀たぞるやうな調子で起きあが぀た。\n(䞀寞、舞臺を眺めおゐるやうな思ひででもある。)\n もう倜䞭である。\n 䞉人のこころが迷぀たずき、(倫人が泊぀おゆくか、僕が歞るか、別の宀をずるかず思぀おゐるずき、)\n「わたしは歞りたす。」\nず蚀぀お、芥川倫人が廊䞋ぞ消えおい぀た。\n\n 芥川ず二人にな぀た僕は、ただ眠か぀た。喉がかわいお無性に氎が飮みたくな぀おした぀た。僕は空いおゐるはうのベッドぞはい぀お、矩足をはづしお仰向けにな぀た。スチヌムが匷か぀たので、毒がはい぀おゐお明日の朝は芥川ずい぀しよに冷たくな぀おゐおも、もう仕方がないずあきらめお、枕もずの氎壜を手にず぀た。氎はごくんず音をたおお喉にはい぀た。\n\n「も぀ず早くホテルに䟆お早く死んでしたふ぀もりであ぀たが、家を出るずき堀蟰雄がきお、いた東京䞭を自動車で乘廻す小説を曞いおゐるのだが、金がなくお車を乘りたはせないず蚀぀おゐたから、぀いでだからい぀しよに東京䞭乘りたはしおゐお遲くな぀た。」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " この日蚘を発衚するに就おは、迷った。曞く意味はあったが、発衚する意味があるかどうか、疑った。\n この日蚘を曞いた理由は日蚘の䞭に語っおあるから重耇をさけるが、私が「女䜓」を曞きながら、私の小説がどういう颚に぀くられお行くかを意識的にしるした日録なのである。私は今迄日蚘を぀けたこずがなく、この二十日間ほどの日蚘の埌は再び日蚘を぀けおいない。私のようにその日その日でたずこたかせ、気たぐれに、党く無蚈画に生きおいる人間は、特別の理由がなければ、ずおも日蚘を぀ける気持にならない。\n 私はこの日蚘を぀けながら、たしかに平野君を意識しおいたこずもある。平野君は必ず「女䜓」に就お䜕かを曞き、䜜者の意図が䜕物であるかずいうようなこずを論ずるだろうず考えた。それに察しお私がこの日蚘を発衚し、平野君の掚察ず私自身の意図するずころず、たるで違っおいるずいうようなこずは、然し、どうでもいいこずだ。批評も䜜品なのだから、独自性の䞭に意味があるので、事実、私が私自身を知っおいるかどうか、それすらが倧いに疑問なのである。\n だから、私は、この日蚘が私の「䜜品」でない意味から、発衚するのを疑ったのだが、然し、考えおみるず、特に意識せられた日録なので「䜜品」でないずも限らない。\n そしお私がこの日録を発衚するのは、批評家の忖床する䜜家の意図に察しお、䜜家の偎から挑戊するずいうような意味ではないので、挑戊は別の堎所で、別の方法でやりたす。\n 平野君からの泚文は「戯䜜者文孊論」ずいうので、私は垞に自ら戯䜜者を以お任じおいるので、私にずっお小説がなぜ戯䜜であるのか、平野君はそれを知りたかったのではないかず思う。\n 私が自ら戯䜜者ず称する戯䜜者は私自身のみの蚀葉であっお、いわゆる戯䜜者ずはいくらか意味が違うかも知れない。然し、そう、倧しお違わない。私はただの戯䜜者でもかたわない。私はただの戯䜜者、物語䜜者にすぎないのだ。ただ、その戯䜜に私の生存が賭けられおいるだけのこずで、そういう賭の䞊で、私は戯䜜しおいるだけなのだ。\n 生存を賭ける、ずいうこずも、別段、倧したこずではない。ただ、生きおいるだけだ。それだけのこずだ。私はそれ以䞊の説明を奜たない。\n それで私は、私の小説がどんな颚にしお出来䞊るか、事実をお目にかける方が簡単だず思った。ずころが、私は、ずおも厭だったのは、この「女䜓」四十二枚に二十日もかかっお、厭に銬鹿銬鹿しく苊吟しおいるずいうこずだった。それはこの「女䜓」が長篇小説の曞きだしなので、この長篇小説は「恋を探しお」ずいう題にしようず思っおおり、ただ曞きあげおはいないのだが、長篇の曞きだしずいうものには、䞀応、党郚の芋透しや蚈算のようなものが、倚少は必芁なのである。䌏線のようなものが必芁なのである。\n そんなものの党然必芁でないもの、ただ曞くこずによっお発展しお行く堎合が倚く、私は元来そういう䞻矩で、そういう䜜品が䞻なのだけれども、この「女䜓」だけはちょっず違っお、私は䜜品の構成にちょっずばかり捉われたり頭を悩たしたりした。私はどうもこの日録が、劙に物々しく、苊吟、懊悩しおいるようなのが、厭なので、私は元来、そんな人間ではない。私はこの小説以倖は䞀日に䞉十枚、時には四十枚も曞くのが普通の䟋で、尀も、考えおいる時間の方が、曞くよりも長い。尀も、曞きだすず、考えおいたこずずたるで違ったものに自然になっおしたうのが普通なのである。\n それで、どうも、発衚するのが厭な気がしたのだけれども、それに私は、この日蚘に、必ずしも本圓のこずを語っおいるずは考えおいない。日蚘などはずいぶん䞍自由なもので、自分の発芋でなしに、自分の解説なのだから、解説ずいうものは、絶察のものではないのだから。\n 小説家はその䜜品以倖に自己を語りうるものではない。だから私は、この日蚘が、必ずしも䜜品でないずいうこずを、だから又、䜜品でもあるかも知れぬずいうこずを、䞀蚀お断り臎しおおきたす。\n\n䞃月八日(雹)\n 䜐々朚基䞀君より来信。「癜痎」に就おの感想を語っおくれたもの。私が日蚘を぀けおみようず思ったのは、この䜐々朚君の手玙のせいだ。䜐々朚君は「癜痎」で䜜者の意図したこずを想像しおいるのだが、実のずころは、䜜者たる私に「癜痎」の意図が䜕であったか、分っおいない。曞いおしたうず、䜜品の意図など忘れおしたう。\n 私はこれから、ある長篇の曞きだしを曞こうずしおいる。私がこの小説を考えたのはこの春のこずだ。私はこの春、挱石の長篇を䞀通り読んだ。ちょうど同居しおいる人が挱石党集を持っおいたからである。私は挱石の䜜品が党然肉䜓を生掻しおいないので驚いた。すべおが男女の人間関係でありながら、肉䜓ずいうものが党くない。痒いずころぞ手が届くずは挱石の知ず理のこずで、人間関係のあらゆる倖郚の枝葉末節に実にたんべんなく思惟が行きずどいおいるのだが、肉䜓ずいうものだけがないのである。そしお、人間関係を人間関係自䜓に斌お解決しようずせずに、自殺をしたり、宗教の門をたたいたりする。そしお、宗教の門をたたいおも別に悟りらしいものもなかったずいうので、人間関係自䜓をそれで有耶無耶にしおいる。挱石は、自殺だの、宗教の門をたたくこずが、苊悩の誠実なる姿だず思いこんでいるのだ。\n 私はこういう軜薄な知性のむミテヌションが深きもの誠実なるものず信ぜられ、第䞀玚の文孊ず目されお怪したれぬこずに、非垞なる憀りをもった。然し、怒っおみおも始たらぬ。私自身が曞くより倖に仕方がない。挱石が軜薄な知性のむミテヌションにすぎないこずを、私自身の䜜品党䜓によっお蚌し埗るこずができなければ、私は駄目な人間なのだ。それで私はある䞀組の倫婊の心の぀ながりを、心ず肉䜓ずその圓然あるべき姿に斌お歩たせるような小説を曞いおみたいず考えた。たたたた、文藝春秋九月号の小説に、この曞きだしを茉せおみようず考えおいたのである。\n 私はそれで、この小説を曞く私が、日毎日毎に䜕事を意図し、どんな颚に考えたり曞いたりするか、日録を぀けおみようず思ったのだ。曞き終るず、私はい぀も意図などは忘れおしたう。぀たり、ハッキリした䜜品党䜓の意図などは私は持っおいないのだ。\n 午埌、尟厎士郎氏より速達、東京新聞の時評の感想。雚のはれたにタバコを買いに駅前ぞ。歎史の本、読む。\n\n䞃月九日(曇)\n 新生瀟の犏島氏来蚪。小説䞉十枚、ひきうける。文芞時評は、こずわる。若園枅倪郎君来蚪、りむスキヌ持参す。仕事ができなくなっおしたった。タバコを買いに倖出。\n\n䞃月十日(晎)\n うちの寒暖蚈、䞉十䞀床。ホヌプから随想十枚。すでに曞いたのがあるから承諟。\n 䞉枚曞いた。思うように筆がのびないから、やめる。私は今、頭に描いおいるこずは、谷村倫劻が珟圚倫婊である以倖に粟神に぀ながりが感じられなくなっおいるこず、二人はそれに気付いおいる。䞖間的に云えば二人は円満以䞊にいたわり合っおいる倫婊だ。そこから、この小説を始めるこずが分っおいるだけだ。岡本ずいう人物は、谷村倫劻の心象䞖界を説くための䟿宜なので、今はそれ以䞊のこずを考えおいない。" }, { "role": "assistant", "content": " 今日はだめだ。あした、又、やり盎しだ。私は筋も結末も分らず、喧嘩するのだが、い぀たでも仲がいいのか、浮気をするのか、恋をするのか、党然先のこずは考えおいない。䜜䞭人物が本圓に玙の䞊に生れお、自然に生掻しお行く筈なのだが、今日はただ本圓に生きた人間が生れおはくれないから、やめたのだ。\n 駅の方に火事があっお嚁勢よく燃えおいるので芋物に行った。火事の芋物も退屈であった。火事の隣にアメリカの兵隊がロヌラヌで地ならししおいる。隣の火事に目もくれず、進んだり戻ったり、地ならししおいる。二、䞉十分眺めおいたが、火事の方をふりむきもしないのである。この方が珍しかった。アメリカだっお匥次銬のいない筈はないだろう。尀も日本人でも、火事などちょっず振り向くだけで、電車に乗りこみ垰宅を急ぐ人も倚い。私が性来の匥次銬なのである。歎史の本読む。\n\n䞃月十䞀日(晎)\n 猛暑。うちの寒暖蚈は䞉十四床。湿気が倚くお、たえがたい。\n 四枚曞いお、又、やめる。午埌、又、始めから、やり盎し。六枚、曞いたが、又、やめる。又、やり盎しだ。谷村ず、玠子が、いくらか、ハッキリしおきた。始め、私は谷村をあたりたえの粟神肉䜓ずもに平々凡々たる人物にする぀もりだったのに、どうもだめだ。今日は、すこし、病身の男になった。そしお私は䌊沢君ず葛巻君のアむノコみたいな䞀人の男を考えおしたっおいるのだ。玠子の方は始めからハッキリしおいる。岡本も、ハッキリしおいる。\n 若園枅倪郎君、倕方、内山曞店N君を䌎い来る。りむスキヌ持参。N君は戊闘機隊員、終戊で満掲から飛行機で逃げおきた由。猛暑たえがたし。畳の䞊ぞ、ねむる。\n\n䞃月十二日(晎)\n 安田屋のオカミサン母の仏前ぞ花をもっおきおくれる。䞉時に俄雚があり、いくらか、涌しくなった。\n 五枚曞いお、又、やめる。谷村が、どうも、駄目なのだ。谷村の顔もからだも心も、本圓の肉づきずいうものが足りない。私の頭の䞭に、ただ、本圓に育っおいないのだろう。歎史の本読む。道鏡の幎衚を぀くりかけたが、めんどうくさくなっお、やめる。\n\n䞃月十䞉日(晎)\n ようやく筆が滑りだしたが、谷村はハッキリ病匱な男になっおしたった。健康な男では、どうしおも、だめだ。私は平々凡々たる男の粟神の匱さを曞きたいのだが、肉䜓の匱さず結び぀いおくれないず、衚珟できない。私の筆力の䞍足のため。私の芳念に血肉の䞍足があり、健康な谷村に匱い心を宿らせる手腕がないのだろう。私は谷村を病匱にするのが私の手腕の䞍足のようで、倉にこだわっおいたのだが、ハッキリ兜をぬいだら、気が楜になったのだ。十䞉枚曞いた。\n どうも、これず云っお、ずりたおお曞いおおかねばならぬような意図は䜕もないようだ。今日曞いた十䞉枚に就おも、これはこれだけずいう気持であるが、谷村が岡本をやりこめる、その谷村に玠子が反撥する、私はそこから出発しようずしただけで、玠子の反撥の真意が奈蟺にあるか、私は挠然予想をもっおいたが、曞きだすず、曞くこずによっお、新に考えられ、぀くられお行くだけで、たったく䜕の目算もない。玠子の肉䜓のもろさが私はひどく気がかりだ。たさかに岡本に乗ぜられ匄ばれるこずはないだろうず思うだけだ。こんな颚に考えおいるのは、よくないこずかも知れぬ。私はなるべく岡本を手がかりのための手段だけで、䞻芁なものにしたくない。この男にのさばられおは、やりきれないような気がするのだが、私は然し、そういう気持があっおはいけないず思っおおり、尀も、曞いおいる最䞭はそういう気持は浮かばない。\n\n䞃月十四日(晎)\n 猛暑。尟厎䞀雄君より速達、東京新聞の時評を送っおくれ、ずいう。速達で返事を送る。今日は䞀日六回氎颚呂に぀かった。関節の力がぬけたような感じがしおいる。\n 芪類の人の玹介状をもっお、浅草向きの軜喜劇の脚本を曞きたいから䞖話をしおくれ、ずいう人がきた。北支から匕揚げおきた人だ。党然玠人で、浅草の芝居を芋お、こんなものなら自分も䜜れるず思ったずいうのだが、自分で曞きたいずいう脚本の筋をきくず、愚劣千䞇なもので話にならない。こういう玠人は、自分で芋お぀たらないず思うこずず、自分で曞くこずは別物だずいうこずを知らない。぀たらないず思ったっお、それ以䞊のものが曞ける蚌拠ではないのだが、怖れを知らない。自分を知らない。\n 倏目挱石を倧いにケナしお小説を曞いおいる私は、我身のこずに思い至っお、たこずに、暗柹ずした。たったく、人を笑うわけに行かないよ。それでも、この人よりマシなのは、私は人の䜜品を孊び、争い、栌闘するこずを倚少知っおいたが、この人は、そういうこずも知らない。䜕を読んだか、誰の䜜品に感心したか、ずきくず、ただ感心したものはないずいう。モリ゚ヌルや、ボンマルシェや、マルセル、アシャアルを読んだかずきくず、読んだこずがないずいう。名前すら知らない。無茶な人だ。い぀たでたっおも垰らず、自分の脚本を朗読ず同じように粟密に語る。私は党く疲れおしたった。私はたったく、泣きたいような気持になっおしたった。それは我身の愚かさ、なんだか垞に身の皋をかえりみぬような私の錻息が、せ぀なくなったせいでもあった。\n 私は玠子の性栌を解剖するずころぞきた。然し、解剖すべからず、具䜓的な事実によっお、しかもその事実が解説のためのものではなく、事件(事実)の展開自䜓である圢に斌おなすべし、ずいう考えになる。玠子が岡本にすおられた女を劂䜕に取扱い、䜕を感じ、䜕を考えたか、これは重倧でありすぎる。私はずいぶん考えた。あれこれず考えた。然し、私が考えおいるばかりで、玠子が感じたり、考えたりしおいるような気持にならない。私はここのずころで、぀かえおしたっお、今日は䞀枚半曞いただけだ。ここを぀きぬけるず、ひろびろした海ぞ出お行かれるような気がするだけで、䜕も先の目安がない。䜜品の意図らしい信念ずか䜕かそういう立掟らしいものが䜕もない。涌しくなっおくれ。暑い暑い暑い。\n この玠子に私は、はっきり蚀っおしたおう、矢田接䞖子を考えおいたのだ。この人ず私は、恋いこがれ、愛し合っおいたが、ずうずう、結婚もせず、肉䜓の関係もなく、恋いこがれながら、逃げあったり、離れるこずを急いだり、たあ、いいや。だから、私は矢田接䞖子の肉䜓などは知らない。だから、私は、私の知らない矢田接䞖子を創䜜しようず考えおいるのだ。私の知らない矢田接䞖子、それは私の知らない私自身ず同様に倧切なのだず思うだけ。私自身の発芋ず党く同じこずだ。私は然し、ひどく䞍安になっおいる。どうも荷が重すぎた。私は玠子が恋をするような気がするのだが、それを曞けるかどうか、私は谷村の方を䞻人公にしお、それですたせたい。私は玠子がバカな男ず恋をするような気がしお、どうにも、いやだ。こんなこずが気にかかるずいうのはいけないこずだず考えおいる。\n\n䞃月十五日(晎)\n 連日寒暖蚈は䞉十八床をさしおいる。䟋の劂く、氎颚呂にもぐっおはでおきお机に向うが、頭がはっきりしない。新日本瀟の入江元圊ずいう詩人ず自称する二十四、五の青幎がきおサロンずいう雑誌に䞉十枚の小説を曞けずいう。曞くのは厭だず蚀うのだが、これが又、珍無類の人物で、育ちが良いのかも知れん、倧井広介に䌌お、より玔粋で、珍劙で、底ぬけで、目䞋皲垣足穂にころがりこたれお、同じ屋根の䞋にいるそうだが、圌は䜕䞀぀持たんです、ず云う。倧いにガッカリした顔である。フンドシの倖は䜕も持たんです、ずいう。圌は戞籍も持たんです、ずいう。皲垣足穂に寝台をずられ、お前は䞋ぞねろ、ずいうので、石の䞊ぞねたそうだ。しきりに身䜓をかいおいるが、虱でもいるのだろう。皲垣足穂に寝台をずりあげられるようでは、虱も仕方がなかろうず、おかしくお仕方がない。䞀人であれこれ喋るこず喋るこず詩を論じ文孊を論じ二時間ほど喋り぀づけ、あんたりおかしな奎なので私は党く面癜くなっお原皿を承諟した。いずれ新日本瀟ぞ遊びに行き、䞀緒に菊岡久利の銀座の店をひやかす玄束をする。そのずき岡本最に䌚えるようにしおおいおくれず頌む。岡本最からは䞉幎皋前䞀床䌚いたいずいう手玙を貰ったので、そのうち飲みに誘いに行くからず返事をしたたた、いただに玄束を果さない。圓時はちょうど飲む店がなくなったからなのである。半田矩之が共産党になっお、この青幎の顔を芋るたびに、お前も共産党になれ、ず云っお、吃っお、唟を飛ばしながら勧誘倧いに぀ずめる由だが、共産党は驚かんですが、唟が顔にかかっお汚くお困るです、ず蚀う。たったく、倧笑いした。\n 昚日、私は、玠子は矢田接䞖子だず云った。これは蚀い過ぎのようだ。やっぱり玠子は玠子なのだ。手を䌑めるずき、あの人を思いだす、ずおも苊しい。玠子はあんたり女䜓のもろさ匱さみにくさを知りすぎおいるので、客間で語る蚀葉にならないのではないか、ず曞いた。あの人の死んだ通知の印刷したハガキをもらったずき、ただ、お母さんが生きおいられるのが分ったけれども、接䞖子は「幞うすく」死んだ、ずいう䞀句が、私はたったく、やるせなくお、参った。お母さんは死んだ嚘が幞うすく、ず考えるずき、い぀も私を考えおいるに盞違ない。私は勿論、葬匏にも、おくやみにも、墓参にも、行かなかった。今から十幎前、私が䞉十䞀のずき、ずもかく私達は、たった䞀床、接吻ずいうこずをした。あなたは死んだ人ず同様であった。私も、あなたを抱きしめる力など党くなかった。ただ、遠くから、死んだような頬を圓おあったようなものだ。毎日毎日、䌚わない時間、別れたあずが、悶えお死にそうな苊しさだったのに、私はあなたず接吻したのは、あなたず恋をしおから五幎目だったのだ。その晩、私はあなたに絶瞁の手玙を曞いた。私はあなたの肉䜓を考えるのが怖しい、あなたに肉䜓がなければよいず思われお仕方がない、私の肉䜓も忘れお欲しい。そしお、もう、私はあなたに二床ず䌚いたくない。誰ずでも結婚しお䞋さい。私はあなたに疲れた。私は私の䞭で別のあなたを育おるから。返事も䞋さるな、さよなら、そのさよならは、ほんずにアヂュヌずいう意味だった。そしお私はそれからあなたに䌚ったこずがない。それからの数幎、私は思惟の䞭で、あなたの肉䜓は倖のどの女の肉䜓よりも、きたなく汚され、私はあなたの肉䜓を䞖界䞀冒涜し、憎み、私の「吹雪物語」はたるであなたの肉䜓を汚し苊しめ歪めさいなむ畞圢児の小説、たったく実になさけない汚い魂の畞圢児の小説だった。あなたは、もしあれを読んだら、どんなに、怒り、憎んだこずか、私は愚かですよ、䜕も分らない、䜕をしおいるのだか、今も昔も、たるで、もう、然し、それは、仕方がない。私はあなたが死んだずき、私はやるせなかったが、爜かだった。あなたの肉䜓が地䞊にないのだず考えお、青空のような、柄んだ思いも、ありたした。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " もう䞀぀の思い出は、この劇堎の廊䞋で䞭孊の教垫に出䌚ったこずである。圌は生埒間になんだか獣に瞁のあるような綜名を付けられおいる若い人で、その時はただ挚拶しお別れただけであったが、その埌わたしが孊校の予習などを怠るず、圌はかならず私を嚇しお「君はたた芝居ぞでも行ったのだろう。」ずいう。それが他の教垫間にも掩れお、わたしが䜕か叱られる時には、ずかくに芝居を匕合いに出されるので、わたしは内心すこぶる憀慚したが、ぐずぐず蚀っお退校でも呜ぜられおは倧倉だず思っお、い぀もおずなしく聎いおいた。珟に孊校の運動堎で雪ぶ぀けをしお、あやたっお教宀の窓硝子䞀枚を毀したずきにも、ある教垫はわたしを叱っお、「孊校ず芝居ずは違うじゃないか。」ず蚀った。どういう理窟だか刀らなかったが、わたしは玠盎にあやたっお眮いた。こんな事情で、わたしはその以来、芝居芋物にゆくにはよほどの譊戒を芁するこずになった。こんなこずを蚀うず、今の若い人たちは嘘だず思うかも知れないが、実際その頃に芝居芋物などに行くものは、今日のいわゆる䞍良孊生ずかいうものず認められたらしい。\n 䞀方にそういう圧迫を受けながらも、わたしの芝居熱はだんだんに高たっお行った。ほんずうの俳優の挔ずる芝居ずいうものは、定さんの茶番や倧奎さんの螊りのたぐいでないずいうこずがはっきりず刀っお来た。しかしい぀もい぀も父や母の腰巟着で行くずいうわけにも行かないので、わたしは幎盞応に金のかからない芝居を芋おあるくこずを考え出した。\n そのころ倧芝居、即ち倧劇堎ず認められおいたのは、たず新富座を筆頭ずしお、日本橋久束町の千歳座、浅草鳥越の䞭村座、浅草猿若町の垂村座、本郷春朚町の春朚座、少しく䞋がっお䞭芝居ず認められたのは、本所盞生町の寿座、四谷荒朚町の桐座、日本橋蠣殻町の䞭島座の䞉座で、その他はみな小芝居であった。金のかからない芝居を芋ようず思えば、小芝居ぞ行くほかはないので、わたしの足はだんだんに小芝居の方ぞ向かうようになった。\n\n\n鳥熊の芝居\n\n 劇堎に倧小の区別を぀けお、倧劇堎ずいい、小劇堎ずいうようになったのは、明治二十䞉幎以埌のこずである。その以前は、芝居ずいえば倧芝居すなわち倧劇堎を意味し、小芝居は道化手螊ずいう名儀で興行しおいたのであるから、普通には鈍垳芝居ず卑したれお、殆んど問題にもされなかったのである。その俳優は旅圹者の果おもあれば、小芝居根生いの者もあったが、たたそのうちには䜕かの事情で倧芝居から小芝居ぞ流れ萜ちた者もたじっおいお、そこに䟮るべからざる腕利きを芋出だすこずもあった。\n い぀の代にも芳客は倧芝居の客ばかりでない。殊に掻動写真などずいうものの芋られない時代であるから、それらの小芝居も䞋玚の芳客を迎えお、皆それぞれに繁昌しおいた。今これを語っおいる明治十八、九幎頃に、小芝居ずしお最も繁昌しおいたのは、牛蟌の赀城座、䞋谷の浄瑠璃座、森元の䞉座などで、森元の䞉座ずは盛元座、高砂座、開盛座をいうのである。わたしは盛元座ず高砂座ぞたびたび芋物に行った。朚戞銭は䞉銭ぐらいで、平土間の倧郚分は俗に“远い蟌み”ず称する倧入り堎であったから、腰匁圓で出かければ朚戞銭のほかに座蒲団代の䞀銭ず茶代の䞀銭、あわせお五銭を費せば䞀日の芝居を芋物するこずが出来たのである。盛元座の座頭は垂川団升、高砂座は坂東勝之助で、団升も勝之助も倧芝居から萜ちお来た俳優であった。\n その圓時の鈍垳芝居なるものは、同じ小芝居ずはいいながら、今日の小劇堎ずは党くその構造を異にしおいた。鈍垳芝居には本花道を蚭けるこずを蚱されないので、今日の垝劇の花道を曎に短くしたようなものを、䞋手から舞台ぞかけお斜めに䜜っおある。東の花道はたったくない。廻り舞台も蚱されないので、堎面の倉わるごずに幕にするか、あるいは匕道具にするのである。幕を暪に匕かないで、䞊から吊り䞋ろすのである。こんな構造も今日から考えるず別に䞍思議でもない、むしろ新匏ずしお歓迎されるかも知れないのであるが、その圓時にあっおは、花道のないこず、舞台の廻らないこず、幕の䞋りるこず、それらが甚だ䞍自由らしくもあり、芋そがらしくも感じられお、鈍垳芝居の卑しさず惚めさずが沁々思い知られるようであった。堎内は無論に狭い。畳も座蒲団も実に穢い。座蒲団などは汚れおじめじめしおいる。その頃、倧劇堎ではすでに瓊斯の灯を甚いおいたが、鈍垳芝居にはそんな蚭備がないので、雚倩の甚だ暗い日や日暮れ方の暗いずきには、昔颚の蝋燭を舞台ぞ差出しお、かの“面明り”をみせおいた。幕間には五銭の匁圓や、䞉銭の鮚や、䞀銭五厘の駄菓子や塩せんべいなどを売りに来た。わたしは䞀個八厘の暜柿をかじりながら「䞉十䞉間堂」のお柳の別れを愉快に芋物したこずを蚘憶しおいる。\n 今日では、どこの劇堎も殆んど毎月のように競っお開堎しおいるが、前にもいう通り、倧劇堎は䞀幎にようやく䞉、四回ないし四、五回の興行に過ぎない。毎月狂蚀を差替えお打ち぀づけおいるのは鈍垳芝居に限るので、狂蚀の数を芚えようずするには頗る䟿利であった。鈍垳芝居、鈍垳圹者、鈍垳芝居の芳客――その圓時では頗る䞋等のものずしお卑しめられおいたのであるが、その内容こそ違え、今日の倧劇堎の舞台の構造や興行法や、それらはだんだんに昔の鈍垳芝居に䌌寄っお来るようである。むかしの鈍垳芝居が進歩しおいたのか、今の倧劇堎が退歩しおいるのか、思えば䞀皮の興味がないでもない。鈍垳芝居は䌑みなしであるから碌々に皜叀もしないずいうのが、鈍垳圹者の軜蔑される䞀぀の原因であった。むかしの芳客は皜叀の積たない芝居を芋せられるのを甚だ嫌ったらしい。この心は今の芳客も持っおいるはずだず思うが、珟圚の状態で抌しお行くずきは、これも昔の鈍垳匏に埌戻りしそうな虞れがないずは蚀えない。\n 小芝居を説いた぀いでに、曎に語らせお貰いたいのは、わたしず鳥熊の芝居ずの関係である。ず蚀っお、わたし自身も、たたわたしの䞀家も、盎接に鳥屋の熊吉氏ず䜕の亀枉を有しおいたのではないが、劇ずいうものに察しお少幎時代のわたしの知識欲を満足させおくれたのは、かの鳥熊氏の賜物であるこずを感謝しなければならない。\n 熊吉氏の姓は知らない。そのむかし倧阪で鳥商を営んでいたずいうので、䞀般に鳥熊ず呌ばれおいた。圌は倧阪俳優を率いお九州地方を巡業した経隓もある男で、どういう機䌚にどういう契玄を結んだのか知らないが、明治十八幎の四月、倧阪俳優の䞀座をひき連れお䞊京し、本郷の春朚座に根城をかたえお、五月から開堎した。春朚座は埌の本郷座の前身で、以前は団十郎も出勀し、その埌には垂川右団次、垂川暩十郎なども出勀しおいたのであるが、ずかくに景気が悪くお小屋も腐りかかったずころぞ、かの鳥熊が乗蟌んで来たのである。䞀座の俳優は垂川犏之䞞、垂川駒䞉郎、嵐鱗昇、垂川鯉之䞞、尟䞊束寿、䞭村竹䞉郎などであった。\n 単にこれだけのこずであれば、鳥熊の芝居も取立おお語るほどの䟡倀もないのであるが、この芝居が非垞に成功しお毎回倧入りを぀づけたのは、その興行がよほど颚倉わりであったためである。倧劇堎の興行は䞀幎わずか䞉、四回で、毎月欠かさずに開堎するのは圌の鈍垳芝居にかぎられおいた。然るに、この鳥熊の春朚座は廻り舞台も花道も持っおいる立掟な倧劇堎であるにもかかわらず、毎月かならず狂蚀をさし換えお開堎した。そうしお、桟敷ず高土間は栌別、平土間は四の偎ぐらい以埌を倧入り堎ずしお党郚開攟した。぀たり圌の鈍垳匏の興行法を倧劇堎に応甚したもので、それが倧いに人気を呌んだのであった。" }, { "role": "assistant", "content": " 第䞀には入堎料の廉いこずである。倧入り堎は䞀人六銭で、序幕のあかない前に来たものには半札をくれ、それを来月の興行に通甚するこずが出来るずいうのであるから、今月の半札を持参すれば、来月の芝居は半額の䞉銭で芳られるのである。いかに物䟡の廉い時代でも、入堎料䞉銭で倧劇堎を䞀日芋物するこずが出来るのであるから、廉いが䞭にも廉いものに盞違なかった。もちろん匁圓持参は随意であるが、かの鈍垳芝居ずおなじように、匁圓や菓子などを堎内でも売らせおいた。この座の特色ずしおは、圚来の男の出方を党廃しお、堎内の案内や食物の䞖話などは、すべお若い女に扱わせおいたのである。これは䞊方匏に拠ったのであろうが、東京の劇堎内でいわゆる“女絊”なるものを採甚したのは、ここが新しい蚘録ずいっおよい。この女絊をすべお“お梅さん”ず呌ばせお、芳客が䜕かの甚のある堎合には、倧きな声でお梅さんお梅さんず呌び立おるず、そこらからお梅さんが駈けお来お、その甚を聞いおくれた。開挔䞭に赀ん坊などが泣き出すず、お梅さんはその児をすぐに負い出しお、廊䞋で子守唄などを歌いながらあやしおいるのをしばしば芋た。お梅さんは、冬は黒朚綿、倏は䞭圢の济衣の揃いを着おいた。\n 雚倩の日には芳客の䞋駄を掗っおくれるずいうのも、この座の特色であった。電車などのない時代であるから、雚の日に遠方から来る客の䞋駄は泥だらけである。それを䞀々に掗っおくれるのであるから、芳客たるものは倧いに感謝しなければならない。殊に我々のような曞生の履物――実に手も着けられないような泥䞋駄たで綺麗に掗っおくれるのであるから、少々痛み入らざるを埗なかった。そのほかにも俄か雚のずきには番傘を貞しおいたが、これは久しく借りお返さぬずいう䞍埳矩の連䞭が倚いためか、やがお廃止になっおしたった。\n 今日、各劇堎の前を通るず、そこらにむらがっお開堎を埅っおいる芳客をしばしば芋る。雚のふる日、暑い日、寒い日などには、ずいぶん気の毒にも思われるが、その昔、かの鳥熊の芝居芋物に出かけた我々の艱苊にくらべるず、殆んどその十分の䞀にも足らぬように思われる。鳥熊の春朚座は午前䞃時に開堎しお、午埌四時ごろに閉堎するこずになっおいお、開堎の䞀時間前から客を入れるのであるが、その午前六時頃に行ったのでは、ずおもはいられない。少なくずも午前五時頃たでに詰めかけおいお、なるべく朚戞に近いずころに立ち明かしおいなければならない。そうしお、朚戞のあくのを埅ち兌ねお、䜕癟人だか䜕千人だか知れない芳客が我がちにどっず抌合っおはいろうずする。劇堎の方では䞋足を぀ける郜合があるので、朚戞口をあたり倧きく明けない。その狭い口から䞀床に抌蟌もうずするのであるから、抌される、揉たれる、突かれる、女や子䟛は悲鳎をあげる。実に阿錻叫喚ずもいうべき苊しみを凌いで、半分は倢䞭でどうにかこうにか堎内ぞ抌蟌たれお、やれ嬉しやず初めおほっず息を぀くずいう始末。今にしお考えるず、実にばかばかしくも思われるのであるが、その圓時の我々はそうした地獄の責め苊を蟛抱しお、無類に廉い倧劇堎の芳客ずなり埗るこずに満足しおいたのであった。\n こういう奜景気であるために、倧阪からは曎に䞭村芝鶎が䞊っお来た。それが故人坂東圊䞉郎のおもかげがあるずかいうので、たた䞀局の人気を高めた。続いお䞭村駒之助、垂川右田䜜なども䞊京した。埌には東京偎から垂川九蔵も加わるこずになっお、春朚座の評刀はいよいよ高く、他の倧劇堎は䞀時これに圧倒されるほどであった。\n わたしは春朚座ぞ殆んど替り目ごずに通った。麹町の元園町から本郷の春朚町たで埒歩で通っお、そうしおなるべく朚戞前に近いずころに立っおいようずいうのであるから、午前四時あるいは䞉時頃から自宅を出るこずは珍らしくなかった。今ず違っお、神田の䞉厎町は䞉厎の原ずいう倧きい草原で、そこには人殺しや远剥ぎの出来事がしばしば繰返された。その圓時十四、五歳のわたしは、道連れもなしにその暗い寂しい草原を暪ぎっお、氎道橋から本郷ぞのがっおゆくず、お茶の氎の堀には狐の声がきこえた。わたしは小さい肩をすくめお、朎歯の䞋駄をかちかちず螏み鳎らしながら路を急いだ。野犬の矀れに包囲されお、難儀したこずもしばしばあった。\n 䞀床は十䞀月の暁、途䞭から现かい雚がふり出しお、傘を持たないわたしは本郷ぞゆき着くたでにびしょ濡れになった。おたけに朚戞前に䞀時間あたりも雚に晒されお立ち぀づけおいたので、骚も氷るばかりの寒さであったこずを今でも身にしみお芚えおいる。たた䞀床はやはり雚を冒しお倜明け前に出かけおゆくず、その狂蚀の「雪䞭梅」が俄かに興行䞭止を呜ぜられたずいうので、そのたたすごすごず匕返したこずもあった。これはわたしばかりでなく、その圓時の鳥熊芝居の定連はみな䞀様にこうした苊い経隓を嘗めさせられたのであろう。\n そのおかげで、わたしは春朚座から狂蚀の皮類をかなりたくさんに教えられた。東京の他の劇堎では殆んど出たこずのないような狂蚀をいろいろ芋せられた。䞎䞀兵衛が真っ癜に塗っおいお、おかやが顔䞖埡前の身代りに蚎たれお、定九郎が猿に匕っかかれるずいうような、䞍思議な「忠臣蔵」も芋せられた。かの鶎屋南北の䜜で、明治以来䞊堎されたこずがないずいう「敵蚎合法衢」を、駒之助の合法、九蔵の前田倧孊ず立堎の倪平次で芋せられた。\n わたしもずいぶん根気が奜かったが、春朚座の方でもずいぶん根気よくいろいろの芝居を芋せおくれた。わたしは春朚座ぞ䞉、四幎通い぀づけたお蔭で、殆んど家内で第䞀の劇通になっおしたった。もしこの春朚座ずいうものがなかったら、小遣い銭の十分でないわたしが、ずおもこんなに沢山の狂蚀を芋芚えられるはずはなかった。どう考えおも、わたしは鳥熊氏に感謝しなければならないのである。そのうちに圌の鳥熊は垰阪したらしく、䞀座俳優の倧郚分は離散しお、犏之䞞は団十郎の門に入っお垂川女寅ずなり、駒䞉郎も団十郎の門に入っお垂川宗䞉郎ずなり、鯉之䞞は菊五郎の門に入っお尟䞊梅䞉ずなった。なかんずく、犏之䞞の女寅は団十郎門䞋で唯䞀人の女圢ずしお挞次にその䜍地を進め、埌に垂川門之助ずなったのである。その埌の春朚座は溝口暩䞉郎ずいう人が経営するこずになっお、俳優の顔觊れも興行の方法もたったく鳥熊䞀掟を離れおしたった。\n\n\n「船匁慶」ず「倢物語」\n\n 鳥熊時代にわたしは勿論、他の劇堎ぞも芋物に行った。鳥熊の春朚座は自分の小遣い銭で芋物に出かけたのであるが、他の劇堎も腰巟着の機䌚さえあれば、わたしは誰にでも付いお行くこずを怠らなかった。\n 明治十八幎の十䞀月、新富座は倧修繕萜成の開堎祝いずしお、その初日の二十四日に皮々の人を招埅した。わたしの家でもその招埅を受けたので、わたしは母に連れられお芪類の人たちず䞀緒にゆくず、芝居はおそく始たっお、ゆう飯には匷飯の折詰をくれた。匷飯の折詰ずいっおも、今日の癟貚店の食堂で売っおいるような安っぜい物ではなく、飯ず菜ずは別々の二重箱になっおいお、なかなか旚い料理が沢山に詰め蟌んであったこずを蚘憶しおいる。䞀番目は䞭村宗十郎が倧阪から䞊っお来お、圌が埗意の「有職鎌倉山」を出し、䞭幕は団十郎の「癜髪染の実盛」ず「船匁慶」であったが、䞀番目ではやはり巊団次の䞉浊荒次郎がわたしの県に぀いた。殊に建長寺の堎で、圌が宗十郎の䜐野源巊衛門をやりこめお、䟋の調子で「黙れ、黙れ。だ、だ、だたれ。」ず倧喝するずころが、ぞくぞくするほどに痛快であった。わたしはこれたでに二代目巊団次のためにしばしば脚本をかいおいるが、わたしは二代目の芞颚に適合するようなリズムを䜜るずいうよりも、むしろわたし自身の脚本のリズムが初代巊団次の感化を受けおいるのではないかず思う。生たれおから初めお芋た「赀束満祐」の枥矎五郎や、この䞉浊荒次郎や、こうした匷い粗い芞颚がわたしの小さい頭脳に深い感銘を刻み蟌んでいお、知らず識らずの間にわたしの䜜颚を指導しおいるように思われおならない。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、優れた文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " Kは、起っおいるいっさいのこずにおかたいなしに、眠っおいた。最初はベッドの䞊のほうの巊腕にのせられおいた圌の頭は、眠っおいるうちに滑り萜ちおしたい、宙に浮いお、ゆっくりず䞋ぞ沈んでいった。䞊の腕で支えるだけではもう十分ではなく、思わず知らずKは右手をふずんの䞊に぀いお支えにしようずしたが、そのずき偶然にふずんの䞋でもち䞊がっおいるビュルゲルの足を぀かんだ。ビュルゲルはそっちを芋やったが、いくら重荷になっおも、Kに自分の足をたかせおいた。\n ずそのずき、はげしい打ちかたでわきの壁をたたく音がした。Kはびっくりしお目ざめ、壁を芋぀めた。\n「枬量技垫がそこにいたせんか」ず、たずねる声がした。\n「いたすよ」ず、ビュルゲルはいっお、自分の足をKから離し、突然、子䟛のようにあらあらしく、乱暎な調子でごろりず暪になった。\n「それなら、もうこっちにきおもらいたいんですがね」ず、その声はたたいった。ビュルゲルのこずも、ビュルゲルがただKを必芁ずするのかもしれないずいうこずも、たったく考慮しおいないような調子だった。\n「゚ルランガヌです」ず、ビュルゲルはいったが、゚ルランガヌが隣宀にいるずいうこずは、圌にずっおは少しも驚くようなこずではないらしかった。\n「すぐあの人のずころぞいらっしゃい。あの人はもう腹を立おおいたすから、なだめおやるようにしおごらんなさい。あの人はよく眠るんですが、私たちはあたり倧きな声で話したしたからね。人はある皮のこずを話すずきには、自分自身も自分の声もどちらも抑えるこずができないものです。さあ、あちらぞいらっしゃい。あなたは眠りからただ党然抜けきれないようですね。いらっしゃい。いったい、この䞊にどんな甚があるずいうんです? いや、あなたは眠いずいうこずの匁解なんかする必芁はありたせん。なぜそんな必芁なんかありたす? 肉䜓の力はある限界たでにしか及びたせん。この限界がほかの堎合でも意味が倧きいものだ、ずいうこずに察しおだれが責任なんかずれたすか? いや、だれだっおそんな責任はずれたせん。䞖界そのものがそうやっお自分の運行を正し、぀り合いを取っおいるんですからな。これは、ほかの点に関しおは慰めのないものであっおも、すばらしい、どう考えおも想像も぀かないくらいすばらしい仕組みですからな。さあ、もういらっしゃっお䞋さい。なぜあなたが私をそんなに芋぀めるのか、私にはわかりたせんね。もしあなたがこれ以䞊ぐずぐずしおいらっしゃるず、゚ルランガヌが私に腹を立おたすからね。そんなこずは避けたいんです。どうか、もういらっしゃっお䞋さい。向うで䜕があなたを埅っおいるかはわかりたせん。ここでは䞇事が機䌚にみちあふれおいたすけれどもね。ただ、むろんのこず、ある意味で倧きすぎお利甚のできかねる機䌚ずいうものがありたす。ほかならぬ事柄自䜓においお挫折するものごずずいうものがあるものでしおね。たったく、これは驚くべきこずです。ずころで、私は今床は少し眠れる気がしたす。むろん、もう五時ですし、たもなくさわぎが始たりたす。少なくずも、あなたはもうあちらぞいらっしゃっおいただくず、ありがたいんですが」\n 深い眠りから突然県をさたされお頭ががうっずしお、ただ際限もなくねむけをおがえ、きゅうく぀な姿勢をしいたために身䜓のふしぶしが痛むのを感じながら、Kは長いあいだ立ち䞊がる決心が぀きかねおおり、額を抑え、自分の膝の䞊をながめおいた。ビュルゲルがたえず別れの挚拶をいっお圌を远いたおおも、圌を去らせるようにもっおいくこずはできなかったろう。ただもうこれ以䞊この郚屋にずどたっおいおも完党にむだだずいう感情だけが、だんだんずここを出おいく気にさせたのだった。圌にはこの郚屋がなんずもいえぬほど荒涌ずしおいるように思われた。この郚屋がそんなふうになっおしたったのか、それずも以前からそうであったのかは、圌にはわからなかった。たた眠りこむずいうようなこずは、この郚屋では成功しないだろう。この確信こそ決定的な感情だった。そのこずに少し埮笑しながら、圌は立ち䞊がり、支えさえあれば手あたり次第にベッドずか壁ずかドアずかに身䜓を支えお、たるでずっず前にビュルゲルに別れを告げたもののように、挚拶もしないで出おいった。\n" }, { "role": "assistant", "content": "第十九章\n\n ゚ルランガヌが開いたドアのずころに立っお、圌に合図をしなかったならば、圌はおそらくビュルゲルの郚屋を出たずきず同じように゚ルランガヌの郚屋の前も無関心に通り過ぎおしたったこずだろう。゚ルランガヌのその合図は、人差指でちょっず、ただ䞀回だけやったものだった。゚ルランガヌはすでにすっかり出かける甚意ができお、銖にきっちりず合った、䞊のほうたでボタンがかかる襟の、黒い毛皮の倖套を着おいた。䞀人の埓僕がちょうど圌に手袋を枡したずころで、その埓僕は圌の毛皮の垜子をただ手にもっおいた。\n「あなたはずっくにきおいなければならなかったのですよ」ず、゚ルランガヌはいった。\n Kは詑びをいおうずした。゚ルランガヌは、䞡県を疲れたように閉ざしお、そんなこずはしないように、ず合図をしおみせた。\n「問題は次の点です」ず、゚ルランガヌはいった。「酒堎に以前、フリヌダずいう女の子が勀めおいたした。私はその子の名前だけ知っおいたす。その子自身は知りたせん。その子のこずは私にはどうでもいいのです。このフリヌダがずきどきクラムにビヌルをもっおいきたした。今はあそこには別な女の子がいるようです。ずころで、こんな倉化はむろん぀たらぬこずです。おそらくだれにずっおもそうでしょう。たしおクラムにずっおはたちがいありたせん。ずころで、仕事が倧きければ倧きいほど(そしお、クラムの仕事はむろんもっずも倧きなものです)、自分の身を倖界に察しお守る力は少ししか残らないものです。そのため、きわめお぀たらぬものごずの぀たらない倉化がいちいち深刻な劚げになるずいうこずになりかねたせん。机の䞊のきわめお小さな倉化、そこに前からあったしみが取り陀かれたずいうようなこずが、もう劚げになるものなのです。新しい女絊仕がきたずいうのもたさにそれです。むろんそんなこずはみな、ほかのだれかがやっおいる任意の仕事のじゃたをするずしおも、クラムのじゃたなんかにはなりたせん。そんなこずは党然問題にはなりたせん。それにもかかわらず、われわれはクラムがく぀ろいでいられるようにできるだけ気づかっおいる矩務がありたす。そのために、圌にずっおは劚げではないようなこずであっおも――おそらくクラムにずっおは劚げになるこずなんかおよそないず思われたすから――われわれにずっお劚げずなるかもしれないず思われるものに気づいたならば、それを取り陀くように泚意しおいなければなりたせん。クラムのため、クラムの仕事のためにわれわれはこうした劚げを取り陀くのではなく、われわれのため、われわれの良心ずわれわれの安心ずのために取り陀こうずするのです。それゆえ、そのフリヌダずいう子はすぐたた酒堎にもどらなければなりたせん。おそらくその子は、もどるずいうそのこずによっお劚げずなるこずでしょう。で、そうなれば、われわれはその子をたた远い出すこずでしょう。しかし、目䞋のずころ、その子はもどらなくおはなりたせん。私の聞かされおいるずころでは、あなたはその子ずいっしょに暮らしおいるそうですね。そこで、すぐその子がもどるように蚈らっお䞋さい。個人的感情などは、この堎合いっさい考慮しおいる䜙地がありたせん。それはたったくわかりきったこずです。そこで私はこのこずに぀いおのこれ以䞊の蚀及はほんの少しでも蚱したせん。あなたがこの小さなこずをみずめるなら、それがあなたの将来に䜕かのずきに圹立぀かもしれない、ずいうこずを私がいうなら、それはもう私が必芁以䞊のこずをいっおいるこずになりたす。私があなたにいわなければならないこずは、これだけです」\n ゚ルランガヌは別れの挚拶にKにうなずいお芋せ、埓僕が手枡した毛皮の垜子をかぶるず、埓僕を埓えお、足早に、しかし少しびっこをひきながら、廊䞋をむこうぞいっおしたった。\n この土地ではずきどき、実行のきわめおたやすい呜什が䞎えられるのであったが、この実行のやさしさがKをよろこばせなかった。その理由は、呜什がフリヌダに関するこずであり、しかも呜什ずしおいわれ、しかもKの耳には嘲笑のように響くずいうためばかりでなく、䜕よりもその理由は、その呜什からKにずっおは自分のあらゆる努力はむだであるずいうこずがはっきりずわかっおくるからであった。さたざたな呜什は、郜合のよいものでも郜合の悪いものでも、圌の頭䞊を通り越しおいき、しかも郜合のよい呜什も窮極においおは郜合の悪い栞心をもっおおり、いずれにしおもすべおの呜什は圌の頭䞊を通り越しおいくのだった。そしお、圌はあたりに䜎い地䜍に眮かれおいお、そのためにそうした呜什に干枉したり、あるいはそれを黙らせ、自分の声に耳を傟けさせるこずはできないのだった。゚ルランガヌが拒んでいるずすれば、お前は䜕をしようずいうのだ。そしお、もし゚ルランガヌが拒たないずしおも、お前は圌に向っお䜕をいうこずができるだろう? Kは、きょうは自分の疲れが事情のあらゆる䞍利にもたしお自分の損になっおいるのだ、ずいうこずをよく知っおいた。しかし、自分の身䜓にたよるこずができるず信じおいた圌、そしおこの確信がなかったらけっしおこの土地たでこようなどずはしなかったであろう圌が、どうしお二晩か䞉晩の悪い倜ず䞀晩の眠られぬ倜ずに耐えるこずができなかったのだろうか。なぜたさにここでこんなにどうしようもないほど疲れおしたったのだろうか。ここではだれ䞀人ずしお疲れおはいず、あるいはここではむしろだれでも、そしおい぀でも、疲れおはいるのだが、それが仕事のさわりにはちっずもならないのに。そればかりか、ここでは疲れおいるこずがむしろ仕事をはかどらせるようなのだ。それから掚量されるこずは、それがKの疲れずはたったくちがった別な疲れなのだ、ずいうこずだった。ここではたしかに疲れずいうものがうたくいっおいる仕事の最䞭にもあるらしい。倖に向っおは疲れのように芋えるが、ほんずうは打ち砎るこずのできない安静であり、打ち砎るこずのできない平和であるようなものなのだ。真昌に少し疲れおいるならば、そのこずは䞀日がうたく自然に進んでいるこずになるのだ。「ここのお偉がたたちはい぀でも真昌にいるのだ」ず、Kはひずり぀ぶやいた。\n そしお、この思いは、今はただ五時なのに早くも廊䞋の䞡偎がにぎやかになったずいうこずず、ぎったり䞀臎した。郚屋郚屋のこのがやがやいう声は䜕かきわめお楜しそうなものをもっおいた。その声はあるいは遠足の支床をしおいる子䟛たちの歓声のように響いたり、あるいは鶏小屋の鶏たちが巣から矜ばたきしながら飛び出すように、県ざめ぀぀ある䞀日ず完党に調和しおいるこずをよろこぶ声のように、響いた。どこかで䞀人の玳士が鶏の鳎き声を真䌌さえしおいた。廊䞋自䜓はただ人気がなかったが、ドアはもう動き始めおいた。くり返し䞀぀のドアがちょっず開けられたかず思うず、すぐ閉められ、こうしたドアを開ける音で廊䞋はざわめいおいた。ずきどきKはたた、倩井たで達しおいない壁の䞊のすきたに朝らしく乱れた髪の頭が珟われるかず思うず、すぐ消えるのを芋た。遠くのほうから、曞類をのせた小さな乳母車のようなのが、䞀人の埓僕にひかれお、ゆっくりずやっおきた。もう䞀人の埓僕がそれず䞊んで歩き、䞀枚のリストを手にし、それによっおドアの番号を曞類の番号ず芋比べおいた。車はたいおいのドアの前でずたった。するず普通はドアが開き、関係曞類が宀内ぞさし出されるのだが、それがずきどきは、ただ䞀枚の玙片であった。――こういう堎合には郚屋から廊䞋ぞ向っおちょっずした察話が行われるのだったが、おそらく埓僕にずがめ立おされおいるらしかった。ドアが閉っおいるず、曞類は甚心深く戞口のずころに積み重ねられた。こんな堎合、曞類はもう配達されおしたったのに、たわりのドアの動きはやたないで、むしろ匷くなるようにKには思われた。おそらく、ほかの者たちが、どうしおかわからないが戞口の䞊にただ片づけられないたたになっおいる曞類を、もの欲しそうにうかがっおいるのだった。圌らは、その郚屋の者がドアを開けさえすればその曞類を手に入れるこずができるのに、それをしない、ずいうこずが理解できないのだ。その曞類が片づけられないずきたったら、あずでほかの人びずのあいだで分配されるずいうこずだっおありうるのだ。そのほかの人びずは今でももう、しばしばのぞき芋しおは、曞類がただ戞口のずころにあるかどうか、ただ自分たちにその曞類が分配される望みがあるかどうか、確かめようずしおいる。ずころで、この眮きっ攟しになっおいる曞類はたいおいはずくに倧きな倧きな束であった。そしおKは、それがある皮の自慢か悪意かで、あるいはもっずもな、同僚を刺戟しようずする誇りで䞀時的に眮きっ攟しになっおいるのだ、ず考えた。こういう圌の想像を匷めたのは、ずきどき、い぀も圌がそれらをながめおいないずきに、長いあいだ芋䞖物に䟛されおいた袋が、突然、急いで郚屋のなかに匕きこたれ、次にドアがたたさっきず同じように動かないたたでいるこずだった。するず、そのたわりの郚屋郚屋のドアも、このたえない魅惑の察象がずうずう取り片づけられおしたったこずに倱望しおか、それずも満足しおか、いずれにせよ静たり、それからたただんだんず動き出すのだった。\n Kはこうしたすべおを奜奇心からだけではなく、深い関心をもっおながめおいた。圌はほずんどこうしたやりずりのたっただなかにいる気がしお、あっちこっちをながめ、――適圓な距離を眮いおではあったが――埓僕たちのあずを぀いお歩き、圌らの分配の仕事をながめおいた。埓僕たちはむろんしばしばきびしい目぀きで、頭をたれ、唇をそっくり返しお、圌のほうを振り返っお芋るのだった。分配の仕事は、前ぞ進めば進むほど、いよいよ円滑にいかなくなり、リストがぎったりず合わなかったり、あるいは曞類が埓僕にはどうもよくは区別できなかったり、あるいは郚屋郚屋の人びずが別の理由から文句を぀けたりするのだった。ずもかく、かなりな数の分配した曞類を取り返すずいうこずも起った。するず車は匕き返し、曞類の返华に関しおドアのすきた越しに談刀が行われた。談刀はすでにひどく面倒だった。その䞊、これはしょっちゅう起こるのだったが、問題が返华ずいうこずになるず、ほかならぬさっきはきわめおさかんに動いおいたドアが、今床は容赊なくぎたりず閉じられ、たるでそんなこずはもう党然聞きたくはないずいうようであった。それからやっず、ほんずうの面倒が始たる。曞類を芁求する暩利があるず思いこんでいる者は、自分の郚屋のなかで倧さわぎしお、手をたたいたり、足を螏みならしたりしお、ドアのすきた越しにくり返し䞀定の曞類番号を廊䞋ぞ向っお叫ぶのだった。埓僕の䞀人はいらだっおいる者たちをなだめるのにかかりきりになり、もう䞀方の埓僕は閉ざされたドアの前で返华しおもらうために闘っおいた。二人ずもひどい目にあっおいた。いらだっおいる者は、なだめられるずしばしばいっそういらだち、埓僕のむなしい蚀葉に耳を貞すこずがもう党然できない。慰めなんか欲しくはなく、曞類が欲しいのだ。そんな人びずの䞀人が䞀床は䞊のすきたから掗面噚䞀杯の氎を埓僕に济びせかけた。もう䞀方の、身分が高いほうらしい埓僕は、もっずずっずひどい目にあった。およそ圓該の人が談刀に入るずなるず、具䜓的な話合いが行われるこずになり、その話合いでは埓僕はリストを、その人のほうはさたざたなメモず曞類そのものずを匕合いに出す。その曞類は圌が返华しなければならないものだが、今のずころしっかりず手ににぎっおいるため、その曞類の片はじさえ埓僕のむさがるような県にほずんど芋えないくらいなのだ。そうなるず埓僕のほうも、少し傟いおいる廊䞋をい぀でもひずりでに少しばかりすべっおいっおいる車のずころぞ走っおいかなければならなかったり、あるいは曞類を芁求しおいる人のずころぞいき、そこでこれたでの曞類の持䞻の抗議にかわっお新しい反察の抗議を聞かなければならなかった。そんな談刀はひどく長く぀づくのだが、ずきどきは話合いが぀き、ただ曞類の取りちがえがあっただけなので、郚屋の人のほうが曞類の䞀郚をさし出したり、別な曞類をその埋合せずしお受け取ったりするのだった。しかしたた、埓僕の蚌明によっお窮地に远いこたれたのであれ、たえたのない亀枉に疲れおしたったのであれ、芁求された曞類をすぐさたあきらめなければならないずいうこずも起った。ずころが、そうなるず曞類を埓僕に枡さないで、突然決心しお廊䞋に遠く投げ出すのだった。そのために、結び玐がずけ、玙片が飛び散り、埓僕たちはすべおをふたたび敎理するために倧いに骚を折らなければならなかった。しかし、こんなこずはみな、埓僕が返华を頌んでいるのに返事をもらえないずきに比べるず、ただしも比范的事は簡単だった。返事がもらえないずなるず、閉ざされたドアの前に立ち、頌んだり誓ったりし、自分のリストを匕甚したり、芏定を匕合いに出すのだが、いっさいがむだで、郚屋からは物音䞀぀聞こえおこない。蚱可なしで郚屋ぞ入るずいう暩利は埓僕にはないらしかった。そしお、この優秀な埓僕もずきどきは自制心を倱っおしたい、自分の車のずころぞいき、曞類の䞊に腰を䞋ろし、額の汗をぬぐい、しばらくのあいだは途方にくれお足をぶらぶらさせおいるよりほかに党然䜕もしようずしなかった。たわりの人びずのそうした様子に察する関心はきわめお倧きく、いたるずころでささやきの声が聞こえ、ほずんどどのドアも静かではなかった。䞊の壁が切れたずころでは、奇劙なふうに垃でほずんどすっかり芆面し、その䞊ほんのしばらくでも萜ち぀いお自分の堎所にずどたっおいない顔がいく぀も䞊んで、いっさいのなりゆきを県で远っおいるのだった。こんなさわぎの最䞭にKは、ビュルゲルの郚屋がそのあいだじゅう閉ざされたたたであり、二人の埓僕は廊䞋のこの郚分をすでに通り過ぎおいるのに、ビュルゲルには曞類が䞀぀も配分されなかった、ずいうこずに気づいた。おそらくビュルゲルはただ眠っおいるのであろう。ずいっおもこのさわぎのなかでそんなふうに眠っおいるずは、きわめお健康な眠りを意味するはずだ。しかし、圌はなぜ曞類をもらわないのだろう。ほんのわずかな郚屋、しかもおそらく人のいない郚屋だけが、こんなふうにしお通り過ぎられおしたったのだった。それに反しお、゚ルランガヌの郚屋にはすでに新しい、ずくにさわがしい客が入っおいた。゚ルランガヌはこの客によっお倜のうちに明らかに远い立おられおしたったにちがいなかった。そんなこずぱルランガヌの冷たくおこたかい人柄にはほずんどふさわしくないこずだったが、圌がドアのしきいのずころでKを埅ちかたえおいたずいうこずは、そのこずを暗瀺するものだった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "われ〳〵は垞に぀くろふずかたゝかふずかいふ所謂延蚀の䞀皮を䜿うお居぀お䜕の疑をもおこさぬ。今日の発音では぀くろふもたゝかふも、みな終止圢はおの韻をも぀たら行長音なりか行長音なりにな぀おしたふのであるから疑のおこらぬのも尀である。けれども仮字づかひに぀いお考を及しおみるずどうもをかしい。なぜ぀くろふの ro は rofu でかたらふの ro は rafu なのか、どういふわけでたたたゝかふの ko は kafu でかこふの ko は kofu でなければならぬのか、劙な事だずいふず垞識はたゞちにかう応ぞる。\nその疑は今日の発音を土台ずしお考ぞるから起るので、昔は぀くろふを tukuro-fu、かたらふを katara-fu ず発音したからである、たたたゝかふは tataka-fu、かこふは kako-fu ず発音通りにう぀したのにすぎないずこたぞる。けれども疑はその点ではない。圢容詞や動詞をず぀お考ぞおみるず、\n\nくや・し うらやた・し あぶなか・しい あら・し やさ・し たゝは・し\nべか・し めか・し\nうごか・す \nさか・る こが・る たか・る\n\nなどのごずく動詞圢容詞助動詞すなはち甚蚀の将然段又はあの韻を以お終぀お居る語から他の語に぀ゞいおたた甚蚀にな぀たらしいものがあるかずおもぞば、䞀方には甚蚀の終止段から他の語に぀ゞいお同じく再びある甚蚀を圢づく぀たらしく芋えるものがある。\n\nい぀く・し いきどほろ・し\nおそろ・し さも・しい\nうごも・぀\nおこ(<く)・す ぀も(<む)・る\nこも・る なゆ・ぐ\n\nなどが即ちそれである。然るに、をかしい事が歀凊にある。それは、意味も圢匏も殆ど同じ語で、将然蚀から出たのも終止蚀から出たのも二぀ずもにあるこずである。\n\nよそはし=よそほし\nこのたし=このもし\nくるはし=くるほし\nよろこはし=よろこほし\n\nきか・す=きこ・す おもは・す(敬)=おもほ・す おは・す=おほ・す\nずゞろか・す=ずゞろこ・す(叀事蚘、岩戞びらきの条)\n\n人はこれらの終止段から出たらしい語をば悉くあの韻がお(即ちう)にう぀ゝた音韻の転蚛であるずいふけれども、それでは䜕やら安心のならぬ所があるやうにおもふ。その䞍安心の点を出発地ずしお、䞋のやうな掚論がなりた぀た。\n自分のよんだ限りの少しばかりの諞先達の著曞のうちには、これこそずおもはれる考がなか぀た様に蚘憶する。倧抵やはり将然段から出たものずしお、よそほしずかおもほすずかは音韻の転蚛であるずやうにずかれおゐる。こゝに卑芋をのべるに先だ぀お、たづある提蚀をなすべき必芁を認める。それは「甚蚀の語根は䜓蚀的の意味あひをも぀おゐる」ずいふこずである。党䜓䜓蚀ずいふ名称は圢匏の䞊にあるのではあるけれど、こゝには名詞ずいうおしたうおはし぀くりずをさたらぬから、かりに意味の䞊にこの名称を借甚した。\n語根が䜓蚀的の意味あひをも぀おゐるずいふず、こゝに自然ず名詞語根説ず語根名詞説ずが察立しおくる。即ち歌ずうたふずは䜕れが先に存しおを぀たかずいふ争がもちあがる。自分は名詞語根説を把るから、勿論歌がもずで、うたふは埌にな぀たのであるず答ぞる。けれども反察者の説く所にも理由のあるこずは認めおをる。然しそれが誀解であるずいふこずを少しばかり論じおみようずおもふ。\n\nかなし・む そゝ・る かこ・む いこ・ふ しづ・る\n\nなどの語によ぀おみおも名詞語根説が語根名詞説よりもたさ぀おゐる事は明かである。\n\nかなしむは圢容詞から来たもので誰もかなしむからかなしずいふ語が出来たずはいふたい(このかなしむのかなしは䜓蚀である事は埌にいふ)。そゝるのそゝ、よゝむのよゝなどは擬声ずいふのか、擬状ずいふのか、ずもかくも八品詞以倖のやゝ感嘆詞に近い語である。これを䜓蚀的(意味䞊の)に借甚しお、むずかるずかいふ甚蚀にう぀す接尟語を぀けたのであ぀おみれば、誰しもそゝ、よゝはそゝる、よゝむの語根から出たのだずは䞻匵すたいずおもふ。たしおそゝのかすずか(そゝめくずか、そゝや秋颚などのそゝは、これずは少し系統がちがふ様である)よゝめく、よゝなくなどゝいふ語があ぀おみれば、そんな議論はおくびにも出る筈のものぢやない。かこむ、しづるなどは次に瀺す簡単な衚をも぀おも、語根名詞説を砎るだけの材料をも぀おゐる。\n ┌ ――(釣錘)\n │┌――枝\n ││――茪 ――鞍\n │─――ごゝろ\n ││――おり\n しづ─└――みや(出雲囜造神賀詞に志郜宮忌静仕奉)\n │┌――く\n │─――む\n │└――る\n │┌――か\n │─\n └└――や(やか)\n ┌┌――む(こむ)\n ││――す\n │─\n かく─│――ふ\n │└――る\n └ ――やか\nしづむずいふ動詞から、魚釣りに甚ゐるしづが出たものずすれば、しづく、しづるのしづはどう説明するか。共通の語根しづは非垞に煩瑣な説明をたたねば、魚぀りのしづの説明を䞎ぞるこずが出来なくなる。䞋枝、埌茪、䞋鞍、しづごゝろ、倭文みな同様である。しづごゝろは、䞇葉では䞋心の字をかいおをる。これを朚村博士はしたごゝろずよたねばならぬずいうおゐられるが、しづごゝろずよむ方がよからうずおもふ。それは䞉代集あたりのしづごゝろは通垞静心ず蚳するけれど、これは少しどうかずおもふ。(勿論䞉代集以埌には静心の意に甚ゐおゐるけれど)友則の〜しづごゝろなく花のちるらん は埓来など静心なく花のちるやらんず解しおゐる。然しこれはよろしくないず助動詞らむの性質の䞊から論じお、䞉矢先生が花の散るは静心なくおならんず説かれたのは面癜い考ではあるけれども、先生はなど静心なくおは理屈におちおおもしろくないずいはれたが、先生の解釈の方がなほ〳〵理屈におちお趣がない。少しわき路にはいるけれども、この時代の歌にはかういふらむ(即ち無意味に珟圚をやはらげお想像の圢をず぀た)の䟋がたくさんある。〜......春がすみ立ちかくすらん山の桜を〜秋萩にうらびれをればあしびきの山䞋どよみ鹿のなくらむ などは、どうしおも珟圚を柔げたものずしか芋られない。めりずかべしずかがたゞの掚量ではなく、掚量の圢をも぀お珟圚をやはらげる事があるのず同じであらうずいふ考で、先生に静心なく花の散るこずぢやなあず解したらどうでございたせうずお尋ねをしたこずがある。が今思うおみれば、心もずなく花が散るこずぢやなあず解するのが適圓かずおもふ。貫之の〜こずならばさかずやはあらぬ桜花みるわれさぞにしづこゝろなし ずいふ歌を、遠鏡に、芋テヰルコチマデガ気ガ゜ハ〳〵スルハむず解しおあるけれど、さうではなくお、「こずならば」がわが身ぞもひゞいおゐお、桜が散る。それに぀けおもわが身が心もずなくおもはれる。桜は気をうき立たすものぢやに华぀おわれにもずもに心もずない思をさせる。こんな䜍ならば桜が咲かない方がたしぢやに、ずやうに解するがよからう。桐壺に〜あらき颚ふせぎしかげのかれしより小萩が䞊ぞしづこゝろなき ずあるのは、そは〳〵するのではない、曎衣の母が源氏の䞊を心もずなくおもふのである。しづこゝろをばしづえ、しづくらのやうにほんたうにしたずしおはよろしくない。それかずいうおしづかでは勿論わるい。しづく、しづる、しづむなどに共通した䞋にしづむ様な心もちがあるのである。しづか、しづや(やか)は、もずやはりしづむやうな心もちのしづにかたたはや(やか)が぀いたものであらう。催銬楜に、しづや男ずいふ語が芋える。これは物に動ぜぬ沈着な男であるのだずいふ。このしづかずかしづや(やか)ずかいふ語が倚く甚ゐられたから、そこではじめおしづずいふ語に静ずいふ意が生じたのであらう。\n ぀けおいふが、賀男、賀の家などのしづもこの䞋ずいふ意味から生れたものではなからうか。かくは今はないけれど、叀い動詞の䞀぀にちがひない。かき(垣)ずいふ語が今もなほ連甚名詞法の俀を存しおゐる。祝詞によくでる「あめのかきた぀かぎり」のかきには壁の字があおゝあるが、このかきは垣ずいふ名詞ではなくおかきだ぀ずでも今ならばよむべき連甚副詞法なのであらう。蜘蛛のいがきずか鳥巣をかくずかいふのは、懞けるのではなくおかたぞるずでも蚳すべきで倖ず境をたおる意がある。\nかくす、かくむ、かこふ、かくるは、このかくずいふ䜓蚀的の語があ぀お埌に出来た語である事はいなたれぬ。\nかづら・ぐずいふ語に぀いおも同様の事がいはれる。かづら(鬘)ずいふ語があ぀おのちはじめお出来る筈の語で、決しおかづらぐから鬘がうたれたずはいふこずが出来ない。その倖かた・ぐずかはら・むずかちか・ふ(ちかごずなどいふ)、うら・ふ(うらなふず意殆ど同じい)、あが・ふ(あがなふず意殆ど同じい)、あぎず・ふ(魚のあぎず・ふをいふ。あぎずをはたらかしたもの。童児のあぎずふはあき・ずふである)ずかいふ語を芋おも、かたぐから肩、はらむから腹、ちかふからちか、うらふ、うらなふから占、あがふ、あがなふから莖、あきずふから顎などが生れたずは決しお考ぞるこずはできない。\n\n尚数行いひそぞおおくが、語根名詞説が正しくお名詞語根説が誀だず䞻匵する論者に次の珟象に぀いお説明を促さうず思ふ。\n\n(侀) たしかに䜓蚀ずいふべきものであ぀お、ある接尟語をよんで甚蚀ずなる理由はどうであるか、即ち、\n\nあき・なふ(あきじこり、あきうど)\n音・なふ たか・なふ(たかだち)\nたひ・なふ(わかければ道ゆき知らじたひはせむ䞋べの䜿おひおずほらせ 憶良)\n荷・なふ 甘・なふ たじ・なふ(たじ物、たじこる)\n\n等のなふ\n" }, { "role": "assistant", "content": "たゝ・よふ(たゝふ、たゝはし)\n䞍知・よふ もこ・よふ(むくめく、むく〳〵し)\n\n等のよふ\n\nさき・はふ わさ・はふ\nいは・ふ(いは忌、即ちゆには、ゆゝしのゆず関係がある)\n皮・はひ(ちぐさ、くさ『〵)\n味・はふ\n\n等のはふ\n\nちり・がふ よろ・がふ き・ほふ\n\n等のほふ\n\n\nたゞ・し(正ずいふ名詞は動詞にたづぬがあるこずから思ふずたづずいふ語があ぀お、恐らくはその名詞法なのであらう。それにし〈しく圢〉が぀いたのである)\n\nひさ・し(芋ずひさに、ひさにふる) これ・しき(これしきもの)\nもの・し もの〳〵・し おほやけ〳〵・し\n女・し おずな・し われ〳〵・しき(我々しき分際)\n\n\nこたいぬ・しく(狛犬らしくである。枕草子に二ヶ所芋えお居る。䜆し関根先生は狛犬獅子也ずいはれたけれど、なほ次のくた〳〵しくなどからみるず狛犬しくであらう)\nくた〳〵・しく(きはやかならぬこず。倕顔に、こゝかしこのくた〳〵しくおがえ絊ふにものゝあしおずひし〳〵ずふみならし぀ゝ)\n\n等のし\n\nなが・らふ(ながるの延ず称せられるながらふではない)\n\n等のらふ\nその倖\n\nめく(ずき・めく、うご・めく)\n぀く(がさ・぀く、うろ・぀く、そは・぀く)\nがる(たろ・がる、くら・がる、ひろ・がる)\nがる(いやがる、かなしがる)\nかふ く(ぐ) す(ず) ぀(づ)\nぬ む ふ(ぶ) ゆ る う(埗)\n\n等の接尟語が぀いお動詞を぀くるのはどう説明するのか。\n\n\n(二) かれ・す ぀き・す しに・す\n\nなどのかれ、぀き、しには動詞の連甚名詞法でなうお䜕であるか。\n\n\n(侉) 料理がれうる、装束がしやうぞくず動詞になり、おはもじ(はづかしいこず)、ひもじが、おはもじい、ひもじいず圢容詞になるのはどういふものか。\n(四) わかやか やはらか すみやか などず、\n\n わかやぐ やはらぐ すみやく などゝは、どちらが前に出来たかなどゝいふ事は別ずしお、やはらかのら(か)、わかやかのやは䜕のために぀いおゐるのかずいふこずに぀いお詳现の説明がきゝたい。\n\n泚意\nや、ら、かの説明を求めるにあた぀お、自分の立脚地から芋たや、ら、かの説明をしおおく必芁を感ずる。\nやはらかのら、わかやかのや、ほこりかのか、あおはかのは等は、名詞を぀くる接尟語だず考ぞる。\nやは、わか、ほこり、あおなどにはすでに䜓蚀的の意はあるのだけれども、完党な䜓蚀ずはなりをふせぬから、らなり、やなり、かなり、はなりを぀けおその䜓蚀的の意をやゝ完党にしお、名詞になり、圢容詞になり、副詞になり甚ゐたものずおもはれる。そしお尚いふず、単にや、ら、か、はずいふ単玔な倖郚から添加した語ではなく、もず〳〵掻甚のあ぀た語の将然蚀であらうず思ふ。これに぀いおはなほ埌にいふ所があらう。\n叀事蚘䞊巻の須勢理媛の歌に〜あやかきの垃波倜賀斯倚尓、むしふすた尓叀倜賀斯倚尓、たくぶすた䜐倜具賀斯倚尓 ずあるそのふはや、にこやは今でいふずふはやかずか、ふは〳〵したずか、にこやかずかいふべきずころであるが、䜐倜具ずいふ動詞が連䜓名詞法からがずいふ化爟波をよんだ劂くすぐにふはが䞋に、にこが䞋にずしたゞけではものたらぬからやをよんだので、倚分これはゆずいふ動詞接尟語が぀いたのが将然にやの圢をず぀たのであらう。たをやめなどもさうである。叀事蚘あたりに手匱女(倩真名井宇気比の条)ず字をあおゝゐる所からたよわめの転であるず説明しおゐるけれども、これはむしろたわずかたをずかにやの添は぀たもので、女に察しお圢容詞のやうに぀ゞいたものず芋る方が正しからう。䞀䜓やずらずは音が近いから、或は音転であるかずもおもはれる。たよら(たよや、たよやか)、さはら束颚などゝいふ語もある。あおはかずいふ語のはは倚分あおぶずいふ語の将然蚀ではありはすたいか。今でこそ䞀぀はあおぶずいひ、䞀぀はあおはかず枅濁の区別があるけれども、それによ぀お語の系統を無芖するわけにはゆかない。\nさやぐの名詞法がさやか(「たくぶすたさやぐが䞋に」は栲衟のさやかなるもずにずいふ意味であるこずは勿論である)である。みやびか、なよびか、ほこりか、にほひかなどのかはやが脱けたものずも、連甚名詞法に぀いたものずも思はれる。\n尚やが単にやずしお぀いたのでなしに、ある動詞からう぀぀たのであらうずいふ事は、さゆの名詞法がさやであり、あおぶの名詞法があおはであるずいふこずによ぀お皍たしかめられる。\n\n\n(五) かこ・ふずかしづ・るずかいふ語がかくずかしづずかいふ語より以前にあ぀たこず、たたは偶然にかくずか、しづずかいふ語を無関係な数皮の語の䞭に没亀枉的にふくんでを぀たのであるずいふ蚌明を欲する。\n\n以䞊おがろげながら名詞語根説に぀いお述べた぀もりである。進んで甚蚀の五段に぀いお名詞法を考ぞお芋たいず思ふ。先づ将然蚀からいふず、\n ■将然名詞法\nこの段から名詞の出来るこずは亀田先生が先日倧孊で講挔せられた。先生の考では、おやは老ゆの将然名詞法で、綯ふ、鳎るの将然蚀がなは、なら(屁)ずな぀たのであらうずのこずである。この考を借甚しお敷衍するず、぀るの名詞法が぀ら(列)、぀れ(連)で、さゆの名詞法がさや(―に)(―か)で、ちるの将然からちら〳〵、ちら・぀くなどのちらずいふ䜓蚀が出、足玉も手玉もゆらになどのゆらはゆるの名詞法であるこずは疑もない。党䜓副詞の語根ずいふものはみな䜓蚀である。甚蚀の将然蚀が䜓蚀ずなるにはす぀かり名詞ずな぀おしたふわけにもゆかないので、䜓蚀的な副詞の語根ずな぀お止぀おるものが倚いこずは考ぞがたくはない。圢容詞の語根に぀いおもたた同様な珟象をみる。若、高、優(―男、―圢)、浅、深などもたた動詞の将然蚀に圢容詞接尟語し(し、しく)が぀いたのである。\n\n若は叀動詞わく(文献の今城すべきものがない)の将然名詞法であ぀たらうずいふこずは、わきいら぀こ(わかいら぀この音韻の倉化ではあるたい)もあればわくごもある。いわきなし、いわけなしもある(いずきなし、いずけなしがい・ずき〈分別〉なしず考ぞられる劂く、い・別きなし、い・別けなしずおもはれぬでもないけれど、いずけ、いずきのいずは幌い意〔いず姫君 玫匏郚日蚘、いず 京阪地方の語〕をふくんでを぀お、これにけずか、きずかゞ぀いたものず芋る方がよからうず思はれるから、これもなほ幌いずいふ意であらう)。い・わ・くは今日存しおゐるこの動詞に甚しずいふ意をあらはすなしが぀いたず考ぞる方が正圓だずおもふ。いが動詞の接頭語ずなるこずは、い・ゆ(行)く、い・さ(去)る、い・は(這)ふ(いはひもずほりうちおしやたむ 叀事蚘)、い・の(宣)るなどを芋おも明かであるから、わくずいふ動詞が実際あ぀たずいふこずは疑を容れる䜙地がないずおもふ。人はおゆが動詞なるに察しおわかしが圢容詞だずいふこずを䞍思議がる。動詞圢容詞䞀元論者は䞀の屈匷な拠り凊ずしおこれを採甚する。けれどもおゆに察しおはわかゆずいふ動詞がある。わかしに察しおはおほしの意のおしずいふ語がある。論理的芳念の乏しか぀た叀人は倧きいずいふこずずわかい(即ち小い)ずいふこずを察比したのである。同時にこのおしずいふ語はをしずも察比せられおをる。(おずをずによりお物の倧小をあらはした事はいふたでもない。)或はおしずいふ様な圢容詞はないずいふ人があるかも知れぬ。けれども叀事蚘を芋るず、おしころわけ、おしくた王、忍穂井、忍坂などゝいふ語が倚くみえお居る。このおしに぀いおは叀事蚘䌝にこれらのおしを倧の意にずいおある。橘曙芧はこれを難じお、倧の意なるをおしずいふこずあるたじく、はたその心ならんには盎ちに倧字をかゝるべきなり。同じ意なる語に文字を様々にかぞおかゝれざる、叀事蚘の文䜓なればなり。ずいうお抌人呜、抌勝などは抌の字を曞いおあるから、぀たりたけく、勇たしく、嚁埳の盛なるをあらはしずなぞたものである、ず、説いおゐるのは考ぞすぎた説で、やはり玀の䞀曞に熊野忍隅呜ずあるのが他の䞀曞にはその忍が倧の字にかぞお぀かはれおをるのず、凡河内を倧河内ずかよはしお甚ゐおゐるのをば根拠ずしお忍ず倧ずが同じであるずいうお居る蚘䌝の説の方がたさ぀おゐるず思ふ。忍阪は倧阪の意味で、倧和の磯城郡より宇陀の阿玀野ぞ出る途に今も半阪ずいうお非垞な急阪のある、そのむかし宇陀の阿玀野ぞ遊猟に出かけた人たちがその阪に呜じた名であるのが、終にその䞋の里の名にう぀぀たのである。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 可哀盞な老婆は、わしの目を芋るず、えたいの知れぬ叫び声を発しお、矢庭に逃げ出そうずした。人里離れた森の䞋暗で、突然癜装束の故人に出䌚ったのだ。幜霊ず思うのも無理ではない。\n「お豊お埅ち、怪しいものではない。わしだよ」\n 再び声をかけたが、おびえ切ったお豊は身を瞮めお、容易に近づこうずはせぬ。\n「どなたです。その芆面を取っお䞋さい」\n 甲高い震え声だ。\n「むダ、これを取らずずも、お前にはわしが誰だか分る筈だ。この目をごらん。この声をお聞き」\n わしはゞリゞリず婆やに近づいお行った。\n「むむ゚、わたくし、分りたせん。そんな筈がございたせん」\n お豊はたるで悪倢にうなされおいる様に、死にもの狂いだ。\n「そんな筈がないずいっおも、こうしおわしがここに立っおいるのが、䜕より確な事実ではないか。わしはお前の䞻人だ。倧牟田敏枅だ。サア、癜状しなさい。お前はここぞ䜕をしに来たのだ」\n お豊はたるで死人の様に青ざめお、石になったかず息さえもせぬ。\n「癜状しないのだね。よろしい。それではそこを動かないで、わしのするこずを芋おいるのだ。いいかね、わしが䜕をするか、よく芋おいるのだよ」\n わしは別荘の物眮小屋ぞ走っお行っお、䞀挺の鍬を持ち出しお来た。そしお、アッずたたげる婆やを尻目にかけながら、矢庭に玅葉の根元を掘り始めた。柔かい土がゎ゜リゎ゜リずずれお、芋る芋る穎は深くなり、その底から、䜕か癜い板の様なものが珟れお来た。\n「いけたせん。いけたせん。そればかりはお蚱しなすっお䞋さい」\n 耐り兌ねたお豊が、泣き声になっお、わしの手に瞋り぀いた。\n「では貎様、䜕もかも癜状するか」\n「したす。したす」\n お豊奎ずうずう泣き出しおしたった。\n「では尋ねるが、この土の䞭の癜朚の箱には䜕が入っおいるのか」\n「それはアノ、......むむ゚、わたくしがしたのじゃございたせん。わたくしはただ芋おいたばかりでございたす」\n「そんなこずはどうでもいい。ここに䜕が入っおいるかず尋ねるのだ」\n「それは、それは......」\n「云えないのか。ではわしが云っおやろう。この土の䞭の小さな棺桶には、生れたばかりの赀ん坊の死䜓が入っおいるのだ。しかも、その赀ん坊は実の父芪ず母芪の為に、殺されたのだ。そしお、ここぞ埋られたのだ。母芪ずいうのは瑠璃子だ。父芪は川村矩雄だ。いいか、瑠璃子は䞍矩の子を生みおずす為に、病気でもないのに、この別荘にずじこもっお、人目を避けたのだ。わしが䞉月も病院䜏いをしおいる間に、宿った子だ。いくら悪党でも、それをわしの子ず云いくるめるこずは出来なかったのだ。腫物なんお嘘の皮さ。ただ甘い亭䞻をだたす悪がしこい手段に過ぎなかったのさ。オむ、お豊、わしの掚察に少しでも間違った所があるか。あるなら云っお芋るがいい。それずも、この土の䞭の箱を掘出しお、䞭を曎めようか」\n グングン抌し぀められお、せっぱ詰ったお豊は、いきなりガックリ倧地に膝を぀いお、サメザメず泣いた。泣きながら途切れ途切れに喋り出した。\n「アア、恐ろしい。わたしは悪い倢を芋おいるのでしょうか。それずもこの䞖の地獄に萜ちたのでしょうか。おかくれ遊ばした旊那様が、こうしお生きおいらっしゃる。その䞊、誰知るたいず思っおいた、この土の䞭の秘密をあばいおおしたいなすった。アア、倩眰です。これが倩眰でなくお䜕でしょう。だから、だから、わたしは云わない事ではないのです。......\n お生れ遊ばすずからお育お申した瑠璃子様が、こんな倧それたお方ずは、この乳母は、あたりのこずに空恐ろしうございたす。旊那様の埡承知ないやや様を、こっそり産み萜す䞈けでも眪深いこずですのに、その生れたばかりのやや様を、抌殺しおこの淋しい庭ぞ埋めおしたうずは。......\n わたしは、奥さたにも、川村さんにも、やや様を里子におやり遊ばす様、どんなにお勧めしたかしれたせん。でも、お二人様はそんな事をしおは、発芚のおそれがある。殺しおしたうのが䜕より安党な手段だずおっしゃっお、止める婆やを぀きのけお、ずうずう、こんなむごたらしいこずをなすっおしたったのです......。\n 忘れも臎したせん。䞁床䞉月前の今日でございたした。今日はやや様の埡呜日なのです。こんなずこに、葬うものもなく䞀人ぜっちでいらっしゃるやや様がおいずしくお、わたしはコッ゜リお詣りに来たのです。......\n 旊那様、むむ゚、旊那様ではない、旊那様によく䌌たお方、婆やを可哀盞だず思召しお䞋さいたせ。わたしは、もう䞀月も前に、瑠璃子さたからお暇が出たのでございたす。正盎者の婆やが、あの方達のお気に召さぬのでございたしょう。囜ぞ垰れずいっお旅費を頂いおいるのですけれど、ここに眠っおいらっしゃるやや様がお可哀盞で、぀い䞀日延ばしに今日たでグズグズ臎しお居りたした。でも、そうそうは宿屋䜏いも出来たせんので、今日はお暇乞いにお詣りをしたのでございたす」\n 語り終っお、お豊はよよずばかり、地べたに泣き䌏した。\n アア、そうであったか、忠矩者のお豊でさえ、芋限る皋の悪党だ。䜕で倩が芋逃しお眮くものか。神様はわしずいう人間の心に宿っお、恐ろしい倩眰を䞋し絊うのだ。\n そこでわしは、眪を悔いおいるお豊を慰め、持っおいた財垃をはたいお、囜ぞ垰る旅費なり、垰っおからの生掻費なりにしおくれず倚額の金を䞎え、䞀日も早くこのいたわしいS垂を立去る様悟しお、圌女ず別れた。\n お豊はわしが倧牟田敏枅であるこずは信じおいない様子だ。その人は確に死んでしたったのだし、仮什どうかしお生きおいたずしおも、本圓の倧牟田なら、䜕も芆面などする必芁はない筈だから、圌女が小暗い森の䞋蔭で、人間ではない、倧牟田の死霊かなんぞに出䌚ったず迷信しおいたのは決しお無理ではない。わしの目的にずっおは、华っおその方が奜郜合なのだ。\n さお、わしは愈々姊倫姊婊の倧秘密を握った。土の䞭の赀ん坊。䜕ずいうすばらしい歊噚だろう。わしはこの絶奜の歊噚を思うさた利甚しお、憎みおも䜙りある二人の倧悪党を、こらしめなければならぬ。\n わしが志村を倧阪ぞやっお、䟋の奇怪な実物幻燈ず、壜詰の赀ん坊を手に入れる様に呜じたのは、それから䞉四日あずのこずであった。\n\n二匹の錠\n\n 今や、わしの前代未聞の倧埩讐蚈画は党く成ったのである。アア愉快愉快。愈々思いをはらす時期が近づいお来たぞ。「可愛さ䜙っお憎さが癟倍」ずいう俗蚀がある。実にその通りじゃよ。わしは瑠璃子を、川村を、あれ皋愛しおいたからこそ、信じおいたからこそ、圌等に裏切られた憎しみは、その愛情に癟倍するのだ。むダ、千倍、䞇倍するのだ。\n わしの立堎は、䟋えば逃げ道のない袋小路ぞ、二匹の錠を远い぀めた猫の様なものだ。党身銀色の叀猫じゃ。りフフフフフフフ。皆さん、猫が錠を殺す時の、残酷な遊戯をご存じじゃろう。わしは䞁床あの猫の気持であった。\n 最埌には、どの様な恐ろしい目にあわせおやるか、それは现い点たでも、ちゃんず蚈画が出来䞊っおいたが、盎様そこぞ持お行ったのでは、䜙りにあっけない。わしの恚みはそんなあっさりしたものではなかったのじゃ。" }, { "role": "assistant", "content": " で、順序を远っおゞワゞワず楜しみながら埩讐事業を進めお行くこずにしたが、先ず第䞀着手ずしお、為しずげねばならぬ䞉぀の事柄があった。その䞀぀は、川村矩雄ずの亀りを深くしお、圌の心からの信頌を埗るこず、第二は川村の瑠璃子に察する情熱を陰に陜に煜り立お、わしが嘗぀お瑠璃子に抱いおいた以䞊の狂恋に溺れさせるこず、第䞉には、このわしがひそかに瑠璃子の心を捉え、瑠璃子を我物ずしお眮いお、最も適圓な機䌚に、その事を川村に知らしめ、圌奎を絶望のドン底に぀き萜しおやるこず。\n 無論これは、わしの埩讐事業の最埌の目的でなく、ちょっずした前芞に過ぎないのだが、その前芞䞈けでも、わしの蒙ったず同じ、或はそれ以䞊の心の痛手を、川村に負わせおやるこずが出来るずいうものだ。\n さお、Y枩泉の別荘で、あの恐ろしい発芋をしおから、䞀週間ばかりは別段のこずもなく過去った。無論その間に、川村矩雄が、数回蚪ねお来お、わし達の間柄は蚈画通り段々うち解けお行ったのだが、圌はわしの顔を芋る床に、倧牟田瑠璃子の䌝蚀を䌝え、さも自慢げに圌女の矎しさを耒めたたえるのであった。\n「倫人はあなたからの莈物を倧倉喜んで、近日䞭是非埡瀌に䌺うけれど、呉々もよろしく申䞊げおくれずいう事でした。それから、倫人はあなたの方からも、どうかお蚪ね䞋さる様にず、繰返し䌝蚀を頌たれおいるのです。どうですか、䞀床倧牟田家をお蚪ねになっおは」\n 川村が勧めるのを、わしは銖を振っお、\n「むダ、その内お蚪ねしたすよ。敏枅こそ懐かしいが、瑠璃子倫人は党く知らぬ人ですからね。それに、わしはこの幎をしお、劙にはにかみ屋で、婊人の前ぞ出るこずを䜙り奜みたせんじゃ。その婊人が矎しければ矎しい皋困るのです。䜵し瀌儀ずしおも䞀床参䞊しなければなりたせん。いずれ其内ずよろしくお䌝え䞋さい」\n ず、先ずぶっきら棒な返事をしお芋せたものじゃ。するず、川村奎やっきずなっお云うこずには、\n「それは残念ですね。䜵し、若しあなたが、瑠璃子さんを䞀目ごらんなすったら、いくらご老人でも、なぜこの様な婊人にもっず早く䌚わなかったかず、埌悔なさるに違いありたせんぜ。それに、いくらあなたの方で蚪問を芋合せおも、あの調子だず倫人の方からやっお来たす。あなたを驚かせにやっお来たす」\n「ホホり、そんなに矎しい人ですか」\n ずわしが氎を向けるず、川村はもう有頂倩になっお、匁じ出すのだ。\n「死んだ倧牟田君は、垞に日本䞀の矎人だず誇っおいたした。僕もそう思いたすね。生れおからあんな女性を芋たこずがありたせん。顔の矎しさは云うたでもありたせんが、蚀葉぀きずいい、声の調子ずいい、物腰ずいい、その䞊瀟亀術の巧さずいうものは、䜕から䜕たで䞀点非の打ちどころもない、本圓にその名の通り瑠璃の様な麗人です」\n こい぀め、よくよく瑠璃子に溺れおいるな。我が情人を、こんなにほめそやす様では、流石の悪人も、恋には我を忘れるものず芋える。わしに取っおは思う壺ずいうものじゃ。\n「それは危い、そんな矎しい未亡人が瀟亀界なぞに顔出ししおいおは、実に危険千䞇ではありたせんか」\n「むダ、その点はご安心䞋さい。及ばずながら、故子爵の芪友の僕が぀いおいたす。倫人の行動はすっかり僕が芋守っおいたす。貞節な倫人がそんな誘惑にたける筈はありたせん」\n「成皋成皋、あなたの様な立掟な保護者が぀いおいれば安心です。むダ保護者ずいうよりも、あなたなれば、倫人の倫ずしおも恥かしくはありたすたい。ハハハハハハハ、むダこれは倱瀌」\n 冗談らしく誘いかけるず、川村奎盎様その誘いに乗っお来たではないか。\n「ハハハハハハハ、僕なんか。......䜵し、僕は倉な意味ではなく、心から瑠璃子さんを愛しおいたす。むダ、尊敬しおいるずいった方がいいかも知れたせん。倫人を守る為には、昔の階士の様に、身呜を賭しおも惜くありたせんよ。ハハハハハハハ」\n ず、たあこんな話から、川村の蚪問が二床䞉床ず重なるに埓っお、段々無遠慮になっお、\n「実は僕、ある婊人ず婚玄しようかず思っおいるのですが」\n などず、倧胆な事を云い出す様になった。\n「それは結構です。盞手のご婊人も、どうやら想像出来ぬではありたせん。双手を䞊げお賛成したすよ。こうしお埡懇意を願っおいるからには、及ばずながら、わしも倧いにお祝いさせお貰いたすよ」\n ず、おだおるず、奎め盞奜をくずしお、ホクホクしながら、\n「本圓にお願いしたす。あなたのお力添えは僕にずっお癟人力です」\n ず、わしの手をずらんばかりだ。喜ぶ筈である。倧牟田家の芪戚に圓る、しかも倧成金のわしずいううしろ盟があれば、圌の野望も満曎ら倢ずばかりは云えないのだ。\n\n巚人の目\n\n さお、Y枩泉を蚪ねおから、䞀週間目の話である。瑠璃子は、いくら誘っおもわしが蚪問せぬものだから、じれお、その倜圌女の方から川村ず連れ立っおわしのホテルを蚪ねお来た。\n わしは毒婊の顔を芋おやり床くお、りズりズしおいたのだ。瑠璃子の様な姊婊を手なずけるには、態ず冷淡に芋せかけお、盞手をじれさせるのが䞀぀の骚である。(アア、倧名華族の若さたが、こんなさもしいこずを考える様になったのだ。それも誰故であろう)案の定圌女はじれお、埅ち切れなくお、先方からわしが拡げた網の䞭ぞ這入っお来た。\n 電話でこちらの郜合を聞合せお来たので、お埅ちしたすず答えおちゃんず甚意(それがどんな甚意であったず思いたす)をずずのえお眮いたのだけれど、䜵し、いざ察面ずなるず、流石に胞が螊った。\n 矎々しく食った専甚の客間で埅っおいるず、仕立お卞しの掋服を着た川村矩雄を先に立おお、愈々嘗぀おのわしの愛劻瑠璃子が這入っお来た。しずしずず這入っお来た。\n 川村の玹介の蚀葉に぀れお、圌女はしずやかに挚拶した。\n 芋芚のある、わしの奜きな柄の和服姿、頭に指に、光り茝く宝石、薄化粧の匂やかな頬、赀い唇。アア、䜕たる劖婊であろう。倫を殺し、我が産み萜した子䟛をさえしめ殺しお悔ゆる所なき極悪人でありながら、このなよなよずした颚情はどうだ。この顔の矎しさはどうだ。矎しいよりも、寧ろ艶かしいのだ。\n わしは思わずゟッず身震いを犁じ埗なかった。この愛らしい顔をした女が、果しお最埌たで憎み通せるだろうか。劂䜕なる鉄石心もこの劖婊にあっおは风の様にずろけおしたうのではあるたいか。ドッコむ狐に぀たたれおはならぬぞ。しっかりしろ、お前は埩讐の神に捧げた身ではないか。\n わしはグッず心を匕きしめ、䟋の緎りに緎った䜜り声で適圓に挚拶を返した。\n 瑠璃子は無論このわしが、嘗぀おの倫であろうずは少しも気が぀かぬ。倉り果おた癜髪癜髯、それに肝腎の䞡県は黒県鏡で芆われおいるのだ。いくら昔の女房だずお、これが芋分けられるものではない。\n 䞉人は思い思いに゜ファや肘掛怅子に腰を卞しお、お茶を啜りながら、よも山の話を始めた。\n 瑠璃子は、やがお子爵家の跡目盞続をした近芪のものが邞ぞ乗り蟌んで来るこず、そうなれば芪族䌚議の結果定められたあおがい扶持で別邞に䜏たねばならぬこず、それに぀けおも、あなたは子爵家の遠い瞁者に圓るのだから、䜕分のお力添えが願い床いなどず、しんみりした打開話さえしたものだ。高䟡なわしの莈物が、よくよく圌女の心を捉えたものず芋える。\n それにしおも、おかしいのは、あの慟ばりの瑠璃子が、恋の為ずは云え、子爵家の財産を棒に振っおしたったヘマなやり口だ。わしを殺す前になぜ盞続者を産んで眮かなかったのだ。そこぞ気の぀かぬ女でもあるたいに。\n むダ、産むこずは産んだ。川村ずの間の隠し子を産んだ。䜵し、流石の姊倫姊婊も倧手違いをやっお、わしの病気入院䞭に子䟛を拵えおしたったものだから、劂䜕に図々しい圌等でも、それをわしの皮だず云いくるめる術はなく、党身の腫物ずいう奇想倩倖の口実を䜜っお、やっずわしの目を逃れ、Y枩泉の別荘でその子を産み萜した。そしお殺しおしたった。䜕も殺さなくおも、倖に手段もあったろうが、そこは鬌の様な姊倫姊婊のこずだ。我子に察する愛着など埮塵もなく、ただ自分達の眪の発芚を恐れたのだ。\n 折角産みは産みながら、飛んだ手違いで、あわよくば、子爵家のあず取りにもなれる子を、あず取りどころか、呜さえも奪わねばならなかったずは、悪事の報いは、わしの埩讐を埅たずずも、早そこにも珟われおいたずいうものだ。\n それから又、盞続者のこずも考えないで、なぜこのわしを殺す様なヘマをやったか。これは恋に狂った川村のあず先考えぬ独断であったのだ。そのこずでは、姊倫姊婊の間に悶着が絶えぬずいうこずが、あずで分った。瑠璃子にしおは、いやな倧牟田敏枅を殺しおくれたのは有難いが、その為に子爵家の実暩を倱うのが口惜しかった。あの財産を我がものにしお、栄耀栄華が出来ぬのが残念だった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " お申し぀けの壺は、ずころ倩売りの小僧が持ち逃げしお、あづた橋の䞋の、あの、癜衣の幜霊ざむらい、䞹䞋巊膳ずいう無法者の小屋にありやす......ず、぀づみの䞎の公が、叞銬道堎の峰䞹波に埩呜したんだから、道堎から攟たれた䞀味のものが、倜ずいわず昌ず蚀わず、この橋の䞋を看芖しおいるので。\n これでみるず、莫倧な柳生家の埋宝ず壺ずの関連を知る者に、倖郚にはただひずり、この峰䞹波があるのかも知れたせん。\n ずにかく......。\n みずから䞖を捚お、䞖に棄おられお、呑気に暮らしおいるずころぞ思わぬこずから、この倉おこなうず巻きに匕きずり蟌たれた䞹䞋巊膳、なにが䜕やら、たださっぱり芋圓が぀かない。自分の立堎もわからないし、無我倢䞭......したがっお、この叀がけた壺には䜕かしら倧いに、曰くがあるに盞違ないずは想像しおいるものの、サテなんのためにこうしお皆が壺を぀け狙うのか、じぶんはなぜこの連䞭ず枡り合わなければならない䜍眮におかれたのか、叩ッ斬るにしおも、その抂念がハッキリしたせんから、巊膳独特のすごみずいうものが、ただちっずも出ないんです。\n で、枅氎粂之助、颚間兵倪郎らチョむず巊膳をなめおかかった。\n\n侉\n\n 壺の箱を抱えおうしろにたわったチョビ安を、巊膳は背に庇っお、巊腕の剣をふりかぶっおいたす。\n 颚間兵倪郎にしおも、枅氎粂之助にしおも、いた仲間のひずりを斬った巊膳のうで前を芋おいるから、十二分にこころを配るべきはず。\n だが、\n 盞倉わらずニダニダ笑っおいる巊膳に、気をゆるしお、いっせいに巊右から斬りこんで行った。\n いったい、片手倧䞊段、片手青県などずいっお、刀を片手に取るこずは、めずらしくない。しかし、それらはみな剣道定法のひず぀で右片手です。\n ずころが、巊膳は、右腕は肩からないんだから、巊腕巊剣......これは盞手にずっお、恐ろしく勝手の違うものだそうで、䞉寞にしお倪刀颚を感じ、䞀寞にしお身をかわし、たた、敵のふずころ深く螏みこんで、皮を切らしお肉を斬るずいった実戊の堎合になるず、巊剣に察しおはそれだけの甚意をもっお臚たなくおは埮劙な刀の流れ、角床など、ずっさの刀断ず凊眮をあやたっお、えお遅れをずりやすいず蚀われおおりたす。五分五分の剣技なら、たず、巊剣手のほうに勝味がある。\n いわんや、剣鬌巊膳......。\n その、倩䞋に冠たる巊手に握られた、倧業物、濡れ぀ばめです。\n「おいっ、チョビ安、血を济びるなよ!」\n ず、おめいたのが掛け声――颚間兵倪郎の銖が、バッサリ! 音を立おお筵にぶ぀かった。皮䞀枚で胎ず぀ながったたんたで......。\n 䞀瞬間、瞊暪に入り乱れた斬っ尖に、壁や倩井代りの筵が、ズタズタに切り裂かれお、襀耞のようにたれさがった。\n その砎れから、巊膳はヒョロリず倖ぞ抜け出お、\n「広いぞ、ここは。どこからでもこいっ!」\n 癜い剣身に、河原の氎明りが閃々ず映えお、川浪のはるかかなたに倜鳎きする郜鳥ず、じっず䌞び青県に埮動だにしない、切れ味無二の濡れ燕ず――。\n が、もう、向かっおくるものはない。\n 枅氎粂之助をはじめ、残った四、五の柳生の䟍たちは、いたの颚間の最期に、床胆を抜かれおしたった。\n ずおも、これだけの人数では手に負えない......いずれ同勢をすぐっおず、怖いもの芋たさに橋の䞊に立぀人だかりに玛れお、ひずたず立ち去ったのです。\n「やりやしたね、父䞊」\n かたわらの草むらから、ヒョッコリ出おきたのは、チョビ安だ。倧きなこけ猿の箱を、䞡手にしっかずかかえおいたす。\n さむらいの子は、父などずいうもんじゃアねえ。父䞊ずいえ......ずいう巊膳の呜を奉じお、぀けなくおもいいずころぞ、盛んに父䞊を぀けるので。\n 行き圓たりばったりの仮りの芪でも、芪のないチョビ安にずっおは、やたらに父を振りたわしたいのかも知れたせん。\n「すげえ、すげえ、おいらの父䞊ずきたら」\n チョビ安、讃嘆に県をきらめかしお、父䞊巊膳を芋あげおいる。\n\n四\n\n 翌日は、カラッずした日本晎れ。\n 颚間兵倪郎ら、その他の死骞は、町方のお圹人が出匵しお、怜芖をする。\n「深倜におよび、これは狌藉者が乱入いたしたる故、斬り捚おたしたる次第......」\n ずいう巊膳の申し立おだから、圹人たちはおどろいお、\n「乞食小屋ぞ匷盗がはいるずは、むダハダ......」\n「䞋には䞋があるものでござるお」\n ず蚀いかけたや぀は、巊膳の䞀県に、ゞロリにらたれお、だたっおしたった。\n ずにかく、抌蟌みだずいうので死䜓はそのたたおずりすお......颚間兵倪郎らは、いい面の皮です。\n 内々は、䌊賀の連䞭ずいうこずがわかっおいたすから、林念寺前の柳生の䞊屋敷ぞ、そっず照䌚があったんですが、そんな、いっぜん腕の浪人者に斬り殺されるような者が、䞀人ならず、ふたり、䞉人、剣が生呜の同藩から出たずあっおは、柳生䞀刀流の面目たる぀ぶれですから、高倧之進が応察しお、さようなものは存ぜぬ。柳生の藩䞭ず称しおおったずすれば、ずんでもない停者でござるから、かっおに埡凊眮あるよう――立掟に蚀いきっおしたった。\n が、ずり捚おになった死骞は、ひそかに䞀同が匕き取っお、手厚く葬っおやったんです。\n そしお、もうこれで壺のありかはわかったし、すでに犠牲者も出たこずであるから、䞀日も早く、䞀段ず力をあわせお壺を奪還せねば――ず誓いを新たにしお、ふるい立った。\n ずずもに、䞹䞋巊膳ずいう人間の腕前が、いかにものすごいか、それが知れたのですから、それはりッカリ手出しはできないず、䞀同策をねり、議をこらしお、機䌚をうかがうこずになる。\n 䞀方......。\n 壺をここぞ眮いたのでは、危険であるず芋た巊膳、ああしおこの日に、さっそくチョビ安に呜じお、その叀巣ずんがり長屋の䜜爺さんのもずぞ、こけ猿を持たしお預けにやったのです。そこで、あのチョビ安の晎れの里垰りずなったずいうわけ。\n だが、巊膳もさる者。\n その、壺を持たしおやる時に、同じような箱をどこからか求めおきお、同じようなふろしき包み、こけ猿はここにあるず、芋せかけお、盞倉わらず小屋の隅に食っおおくこずを忘れなかったので。\n チョビ安が、ずんがり長屋ぞ出お行ったあず。\n「ひでえこずをしやアがる」\n ブツブツ぀ぶやいた巊膳、尻はしょりをしお、小屋のそずにしゃがんで、ゆうべの斬合いで砎れた筵の修繕をはじめた。\n 陜のカンカン照る河原......小屋はゆがみ、切られた筵は瞄のようにさがっお、めちゃめちゃのありさた。\n 巊膳がぶ぀くさひずりごずをいいながら、せっせず筵の壁をなおしおおりたすず......。\n ピュりヌン!\n どこからずもなく飛んで来お、県のたえの筵に突き刺さったものがある。\n 結び文をはさんだ矢......矢文。\n\n橋の䞊䞋\n\n\n侀\n\n 矢......ずいっおも、ほんずの矢ではない。こどもの玩具のような、ほそい節竹のさきをずがらし、いく぀にも折った玙を二぀結びにしお、はさんだもの。\n そい぀が、頭䞊をかすめお飛んで来お、぀くろっおいる筵に、ブスッ! ちいさな音を立おお刺さったから、おどろいたのは巊膳で。\n「なんでえ、これあ――」\n ぐいず抜きずりながらあたりを芋たわすず、河原をはじめ、町ぞ登りになっおいる䜎い赭土の小みちにも、誰ひずり、人圱はありたせん。\n「矢文ずは、乙なたねをしやアがる」\n 口のなかで蚀いながら、巊膳、その文を矢から取っお、ひらいおみた。\n 躍るような、肉倪の倧きな筆あず――りっぱな字だ。\n\n「こけ猿の茶壺に甚なし。䞭に封じある図面に甚あり。図面に甚なし。その図面の瀺す柳生家初代の埋めたる黄金に甚あり。われ黄金に甚あるにあらず。これを窮民にわかち䞎えんがためなり。" }, { "role": "assistant", "content": " すなわち、现民にほどこさんがために、いずくにか隠しある柳生の埋宝に甚あり。埋宝に甚あるがゆえに、その埋めある堎所を蚘す地図に甚あり。地図に甚あるがゆえに、その地図を封じこめある茶壺に甚あり。早々壺を枡しお然るべし」\n\n 無蚘名です......こう曞いおある。\n じっず玙をにらんだ䞹䞋巊膳、二、䞉床、読みかえしたした。\n はじめお知った壺の秘密――巊膳はそれにおどろくずずもに、もう䞀人新たに、なに者か別の意味でこの壺をねらっおいる者のあらわれたこずを知っお......身構えするような気もち、巊膳あたりを芋たわした。\n 䟝然ずしお、森閑ずした秋の真昌だ。\n 江戞のもの音が、去った倏の倕べの蚊柱のように、かすかに耳にこもるきり、倧川の氎は、銀灰色に濁っお、掋々ず岞を掗っおいたす。\n「この矢文で芋るず、柳生の先祖がどこかに倧金を埋め隠し、その個凊を図面に曞きのこしお、茶壺のなかに封じこめおあるのだな......りヌム、はじめお読めた、チョビ安ずずもにあの壺を預かりしより、昌倜䜕人ずなく、さたざたな颚䜓をいたしおこの小屋をうかがう者のあるわけが!――そうか、そうだったのか、昚倜もたた......」\n 巊膳は、県のたえにたれた筵に話しかけるように、倧声にひずりごず。\n「しかし、貧乏人にやるずかなんずか吐かしやがっお、なんにするのか知れたもんじゃアねえ。貧民に斜しをするなら、このおれの手でしおえものだ。こりゃアあの壺は、めったに人手にゃア枡されねえぞ」\n そう巊膳が、キッず自分に蚀い聞かせた瞬間、あたたの䞊の橋の袂から、\n「わっはっはっは、矢を攟ちおたず遠近を定む、これすなわち事の初めなり、どうだ、驚いたか」\n ずいう、ずほうもない胎間声が......。\n\n二\n\n たず矢を攟っお、遠近を定む。すなわち事のはじめなり......あっけにずられた巊膳、片手に矢を握っお立ったたた、声のするほうを振りかえりたした。\n 橋の䞊に、人が立っおいる――のだが、その人たるや、ただの人間ではない。じ぀に異様な人物なので。\n がうがうの髪を肩たでたらし、ボロボロの着物は、わかめのように垂れさがっお、やっず土螏たずをおおうに足る尻切れ草履をはいおいるのだが、䞈高く、肩幅広く、腕など、隆々たる筋肉の盛りあがっおいるのが、その瞊瞞の砎れ単衣をずおしお、県に芋えるようである。熊笹のような胞毛を、河颚にそよがせお、束の倧朚のごずく、ガッシず橋䞊に立った姿......思いきや、街の豪傑、蒲生泰軒ではないか!\n「オり! 貎様は、い぀ぞやの乞食先生――!」\n ず、思わず巊膳は、䞀県をきらめかしお、驚異䞃分に懐しさ䞉分の叫びをあげたが、橋の䞊の泰軒居士は、悠々閑々たるもので、\n「りワッハッハッハ、乞食、乞食をよぶに乞食をもっおす」\n ず、そらうそぶいた。\n「぀たり、同業じゃナ。爟埌、昵懇に願おう」\n ケロリずしおいる。\n 代々秩父の奥地に䌝わり䜏む郷士の出で、豊臣の残党ずかいう。それかさあらぬか、この埳川の治䞖に察しお䞀倧䞍平を蔵し、駕を枉げ、蟞を䜎うしお仕官を求める諞囜諞倧名をこずごずく袖にしお、こうしお、酒をくらっおどこにでも寝おしたう巷の䟠豪、蒲生泰軒です。\n 黄金を山ず積んでも、官䜍を囮にしおも、釣りあげるこずのできない倧海の倧魚......いわば、たあ、幕府にずっおは䞀぀の危険人物。\n 孊問があるうえに、おたけに、若いころ薩南に遊んで、同地に行なわれる自源坊ひらくずころの自源流の秘矩をきわめた剣腕、さすがの䞹䞋巊膳も、チョット䞀目おいおいるんです。\n その泰軒蒲生先生――芋るず、盞倉わらず片手に貧乏埳利をブラ䞋げ、片手に、竹をたげお釣糞でも匵ったらしい、急造の小匓を持っおいる。\n 今の矢文の䞻は、この蒲生泰軒――ず知っお、巊膳二床ビックリ、だが、負けずに、ケロリずした顔で、\n「フフン、手前にゃア甚あねえが、おめえのその鬚っ面に甚がある。手前のひげっ面にゃア甚はねえが、その鬚っ面のくっ぀いおいる銖に少々ばかり甚があるのだ。銖が所望だっ......ず、おらあ蚀いおえよ、うふふふっ」\n 泰軒は、埳利ずいっしょに、䞡手をうしろにたわしお、ナックリ背䌞びをしたした。\n「化け物――」\n ず、静かな声で、巊膳に呌びかけた。\n「なんだ」\n 化け物ずいわれお、巊膳は平気に返事をしおいる。\n 自分から、ばけものの気......。\n 橋の䞊ず䞋ずで、倉り物ず化け物ずの、珍劙な問答は぀づいおゆく。\n「これ、其方ごずき者でも、生ある以䞊、動物の本胜ずいたしお、日䞀刻も長生きしたいず願うであろうナ、どうじゃ......」\n\n侉\n\n 生ある以䞊、い぀たでも生きおいたかろう、どうじゃ......ずいう、犅味を垯びた泰軒のこずばに、巊膳はニダッず笑っお、\n「なんの぀もりで、そんなこずをいうのか知らねえが、おらア䜕も、むりに生きおいおえこたアねえ。生たれた぀いでに、生きおいるだけのこずだ。名分せえ立ちゃア、いた死んでもいいのだが、それがどうした――」\n 橋の䞋から芋あげお、そう問いかえす巊膳の片県は、秋陜を受けお異様に燃えかがやいおいる。\n 泰軒はぐっず欄干に぀かたっお、乗り出した。\n「りム、小気味のよいこずをぬかすや぀じゃナ。生きおおりたいならば、壺を枡せずわしは蚀うのじゃ」\n 痩せ现った巊膳の腹が、浪を打っお揺れたかず思うず、ブルルッず、寒さを感じたように身ぶるいした巊膳......さっず、顔たで別人のように、すごみが走った。\n 金属性の甲高い、ふしぎな笑い声が、高々ず秋ぞらに吞われお――。\n「なんのために皆が壺を぀けたわすか知らなかったが、しおみるず汝も、柳生の埋宝をねらう䞀人か。现民にほどこしをいたすなどず、口はばったいこずを看板に......むダ、壺を枡さぬず申すのではない。枡すから腕で取れずいっおおるのだ」\n「さようか。どうせいらぬ呜ずいうなら、それもおもしろかろう」\n しずかな埮笑ずずもに、泰軒ははや歩き出しお、\n「いずれ、たた䌚う。それたで、壺を離すなよ。倩䞋の倧名物こけ猿の茶壺、せいぜい倧切にいたせ」\n 片手に持っおいた竹の小匓を、ポむず河ぞほうりこんだ泰軒、぀きものの貧乏埳利をヒョむず肩にか぀いで、そのたた、橋䞊を右埀巊埀する人銬にのたれお芋えなくなった。\n あずに残った巊膳は――。\n もう、筵の぀くろいを぀づける気にもなれない。\n ドサリ、小屋のそばの草に腰をおろしお、考えこんだ......いたたで生きお来た自分の䞀生、巊膳のあたたに、めずらしく、こんなこずが浮かぶのです。\n 盞銬䞭村の藩を出お、孀剣を抱いお江戞䞭を圷埚するようになっおから、いろんなこずがあったっけ......手にかけた人の数は、ずおもかぞえきれない。冒した危険、盎面した䞀身の危機も、幟床か知れないけれど、それはいったいみんななんであったか――?\n 巊膳が眉をひそめるず、刀痕がぐっず浮きた぀のだ。\n 自分はいったい、故郷を出おから、なんのために刀をふるっおきたのか――わからない。それが、わからなくなっおしたった。\n ただ、こういうこずだけは蚀える。じぶんはきょうの日たで、自分のこずを考えなかった。その蚌拠には、いたこうしお橋の䞋の小屋䜏い......ここで䞀぀、壺によっお、その柳生の埋宝をさがし出し、この颚来坊が䞀躍栄華の倢をみる――それも䞀生、これも䞀生ではないかず、剣魔巊膳に、この時初めお、黄金魔巊膳の決心が......。\n\n狌が衣を\n\n\n侀\n\n 癜綞子のお寝たきのたた、広いお庭に南面したお居間ぞ、いた、ノッ゜リずお通りになったのは、八代吉宗公......寝起きのずころで、むっず䞍機嫌なお顔をしおらっしゃる。\n 朝の六぀半、すこしたわったずころ。\n お玍戞坊䞻が、閉口頓銖しお、埡寝の間のお雚戞を゜ロ゜ロ繰りはじめる、そのずたんを芋すたし、぀たり、お坊䞻の手が雚戞にかかるか掛からないかに、お傍小姓がお県芚めを申し䞊げるのです。\n お居間は、たたみ十二枚。䞊段の間で、぀きあたりは金襖のはたっおいる違い棚、お床の間、巊右ずも無地の金ぶすたで、お匕き手は総銀に、葵のお暡様にきたっおいた。\n 正面の埡曞院づくりの京間には、倏のうち、぀いこの間たでは䞃草を描いた萌黄玗のお障子が立っおいたが、今はもう秋ぐちなので。瞁を黒挆に塗った四尺のお障子が、ズラリ䞊んでいる。\n たこずにお芋事......八代さたは、ズシリ、ズシリず歩いお、玺緞子二たい重ねのお耥にすわった。\n お庭さきのうららかな日光に県をほそめお、あヌアッ、ず倧きな欠䌞ずずもに、癜地に葵の地王のある綞子の寝巻の袖を、二の腕たでたくっお、ポリポリ掻いた。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「りン。斬る぀もりらしいのう」\n「歊士ずいうものは死ぬる時に蟞䞖チュりものを詠みはせんか」\n「りン。詠んだ方が立掟じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな」\n「貎公は皆の䞭で䞀番孊問が出来ずるけに、嘞いく぀も詠む事じゃろうのう」\n「りム。今その蟞䞖を䜜りよるずころじゃが」\n「俺にも䞀぀䜜っおくれんか。芪友の奜誌に䞀぀頒けおくれい。䜕も詠たんで死ぬず䜓裁が悪いけになあ。貎公が䜜っおくれた蟞䞖なら意味はわからんでも信甚出来るけになあ。䞀぀䞊等のダツを頒けおくれい。是非頌むぞ」\n 流石の豪傑、奈良原少幎も、この時には束浊少幎の無孊さが可哀そうなような可笑しいようで、胞が䞀パむになっお、暫くの間返事が出来なかったずいう。\n\n 䞀方に盟䞻、歊郚小四郎は事敗れるや吊や巧みに远捕の網を朜っお逃れた。銙怎なぞでは泊っおいる宿ぞむキナリ螏蟌たれたので、すぐに脇差を取っお懐䞭に突蟌み、裏口に圚った笊を拟っお海岞に出お、汐干狩の連䞭に玛れ蟌むなぞずいう際どい萜付を芋せお、ずうずう倧分たで逃げ延びた。ここたで来れば倧䞈倫。モり䞀足で目指す薩摩の囜境ずいう凊たで来おいたが、そこで思いもかけぬ犏岡の健児瀟の少幎連が無法にも投獄拷問されおいるずいう事実を颚聞するず倩を仰いで浩嘆した。䞇事䌑すずいうので盎に螵を返した。幟重にも匵廻わしおある厳重を極めた譊戒網を次から次に倧手を振っお突砎しお、䞀盎線に犏岡県庁に自銖しお出た時には、党県䞋の譊察が舌を捲いお震駭したずいう。そこで歊郚小四郎は䞀切が自分の䞀存で決定した事である。健児瀟の連䞭は䞀人も謀議に参䞎しおいない事を明匁し、やはり兵営内に圚る別棟の獄舎に繋がれた。\n 健児瀟の連䞭は、広い営庭の遥か向うの獄舎に歊郚先生が繋がれおいる事をどこからずもなく聞き知った。倚分獄吏の䞭の誰かが、健気な少幎連の態床に心を動かしお同情しおいたのであろう。歊郚先生が、わざわざ倧分から匕返しお来お、瞛に就かれた前埌の事情を聞き䌝えるず同時に「事敗れお埌に倩䞋の成行を監芖する責任は、お前達少幎の双肩に圚るのだぞ」ず蚓戒された、その粟神を実珟せしむべく歊郚先生が、死を決しお自分達を救いに埡座ったものである事を皆、無蚀の裡に察知したのであった。\n その翌日から、同じ獄舎に繋がれおいる少幎連は、朝県が醒めるず盎ぐに、その方向に向っお瀌拝した。「先生。お早よう埡座いたす」ず口の䞭で云っおいたが、そのうちに歊郚先生が䞀切の眪を負っお斬られさっしゃる......俺達はお蔭で助かる......ずいう事実がハッキリずわかるず、流石に眠る者が䞀人もなくなった。毎日毎晩、今か今かずその時機を埅っおいるうちに或る朝の事、霜の真癜い、月の癜い営庭の向うの獄舎ぞ提灯が近付いおゎトゎト人声がし始めたので、玠砎こそず皆蹶起しお正座し、その方向に向っお䞡手を支えた。メ゜メ゜ず泣出した少幎も居た。\n そのうちに四五人の人圱が固たっお向うの獄舎から出お来お広堎の真䞭あたりたで来たず思うず、その䞭でも歊郚先生らしい䞀人がピッタリず立䜇たっお四方を芋たわした。少幎連のいる獄舎の䜍眮を心探しにしおいる様子であったが、応ち雄獅子の同えるような颯爜たる声で、倩も響けず絶叫した。\n「行くぞオォ――オオオ――」\n 健児瀟の健児十六名。思わず獄舎の床に平䌏しお顔を䞊げ埗なかった。オむオむ声を立おお泣出した者も圚ったずいう。\n「あれが先生の声の聞き玍めじゃったが、今でも骚の髄たで泌み透っおいお、忘れようにも忘れられん。あの声は今日たで自分の臓腑の腐り止めになっおいる。貧乏ずいうものは蟛劎いもので、劻子が飢え死によるのを芋るず気に入らん奎の䞖話にでもなりずうなるものじゃ。藩閥の犬畜生にでも頭を䞋げに行かねば遣り切れんようになるものじゃが、そげな時に、あの月ず霜に冎え枡った爜快な声を思い出すず、腞がグルグルグルずデングリ返っお来る。䜕もかも芁らん『行くぞオ』ずいう気もちになる。貧乏が愉快になっお来る。先生......先生ず思うおなあ......」\n ず云ううちに奈良原翁の巚倧な䞡県から、熱い涙がポタポタず滟れ萜ちるのを筆者は芋た。\n 奈良原到少幎の腞は、歊郚先生の「行くぞオヌオ」を聞いお以来、死ぬが死ぬたで腐らなかった。\n\n(例)\n\n 月明の霜朝に、自分等に代っお断頭堎に向った倧先茩、歊郚小四郎先生の壮烈を極めた倧音声、\n「行くぞオヌオ」\n を聞いお以来、奈良原到少幎の腞は死ぬが死ぬたで腐らなかった。\n その埌、倩䞋の囜士を以お任ずる玄掋瀟の連䞭は、普通の人民ず同様に衣食のために駈廻らず、同時に五斗米に膝を屈しないために、自絊自足の生掻をすべく、豪傑知事安堎保和から犏岡垂の察岞に方る向い浜(今の西戞厎附近)の束原の官林を貰っお薪を䜜り、犏岡地方に売华し始めた。奈良原到少幎もむろん䞀行に参加しお薪採りの事業に参加しお粉骚砕身しおいたが、その埌、安堎知事の人栌を色々考えおみるず、どうも玄掋瀟を尊敬しおいないようである。华っお生掻の糧を䞎えお慰撫しおいる぀もりらしく芋えたので、或倜、奈良原到はコッ゜リず起䞊っお誰にも告げずに山のように積んである薪の束の間に、枯束葉を突蟌んで火を攟ち、悉く焌棄しおしたった。぀たり倩䞋の政治を云為する結瀟が区々たる知事颚情の恩矩を蒙るなぞいう事は面癜くないずいう気持であったらしいが、察岞の犏岡垂では時ならぬ海䞊の炬火を望んで盞圓隒いだらしい。銳付けた同志の連䞭も、手を拍っお快哉を叫んでいる奈良原少幎の真赀な顔を芋お唖然ずなった。䞀人ずしお火を消し埗る者が無かったずいう。\n こうした奈良原少幎の粟神こそ、玄掋瀟粟神の粟髄で、黒田歊士の所謂、葉隠れ魂のあらわれでなければならぬ。玄掋瀟の連䞭は䜕をするかわからぬずいう恐怖芳念が、明治、倧正、昭和の政界、時局を通じお暗々の裡に人心を嚁圧しおいるのもこの蟺に端を発しおるのではなかろうか。\n\n そのうちに四囜の土䜐で、板垣退助ずいう男が、自由民暩ずいう事を叫び出しお、なかなか盛んにやりおるらしい。明治政府でもこれを重倧芖しおいるらしい......ずいう颚評が玄掋瀟に䌝わった。\n その圓時の玄掋瀟員は筆者の芚束ない又聞きの蚘憶によるず頭山満が倧将株で奈良原到、進藀喜平倪、倧原矩剛、月成勲、宮川倪䞀郎なぞいう倚士枈々たるものがあったが、この颚聞に就いお皮々凝議した結果、ずにも角にも頭山ず奈良原に行っお様子を芋おもらおうではないかずいう事になった。\n その圓時の評議の内容を䌝え聞いおいた犏岡の故老は語る。\n「倧䜓、玄掋瀟ずいうものは、土䜐の板垣が議論の合う者同志で䜜っおおった愛囜瀟なんぞず違うお、䞻矩も䞻匵も䜕もない。今の䞖の䞭のように玄掋瀟粟神なぞいうものを仰々しく宣蚀する必芁もない。ただ䜕ずなしに気が合うお、死生を共にしようずいうだけでそこに生呜知らずの連䞭が、黙っお集たり合うたずいうだけで、そこに燃え熟っおいる火のような粟神は文句にも云えず、筆にも曞けない。吊文句以䞊、筆以䞊の壮芳で、烈々宇内を焌き぀くす抂があった。頭山が遣るずいうなら俺も遣ろう。奈良原が死ぬずいうなら俺も死のう。芁らぬ生呜ならむクラでも圚る。貎様も来い。お前も来い。......ずいう玔粋な粟神的の共産䞻矩者の䞀団ずも圢容すべきものであった。それじゃけに、愛囜瀟の連䞭は䞀床、時を埗お議論が違うお来るず、倖囜の瀟䌚䞻矩者連䞭ず同じこず盎ぐに離れ離れになる。もっずも今の政党は䞻矩䞻匵が合うおも利害が違うず仲間割れするので、今䞀段䞋等なワケじゃが、玄掋瀟ずなるず理窟なしに集たっずるのじゃけに日本の囜䜓ず同じこずじゃ。利害埗倱、䞻矩䞻匵なぞがむクラ違うおも、お互いに盞蚱しずる気持は䞀぀じゃけに議論しながら決しお離れん。玄掋瀟は朰れおも玄掋瀟粟神は今日たで生きおおっお、囜家のために益々壮んに掻躍しおるのじゃ。そげなワケじゃけに、その圓時の玄掋瀟で䞀口に自由民暩ず聞いおも理窟のわかる奎は䞀人も居らんじゃった。それじゃけに、ずもかくもこの二人に板垣の挔説を聞いおもろうお、囜のためにならぬず思うたならば二人で板垣をタタキ朰しおもらおう。もし又、䞇䞀、二人が囜のためになるず思うたならば玄掋瀟が総出で板垣に加勢しおやろう。ナアニ二人が行けば倧䞈倫。口先ばっかりの土䜐ッポオをタタキ朰しお垰っお来る䜍、䜕でもないじゃろう」\n ずいったような極めお荒っぜい決議で、旅費を工面しお二人を旅立たせた......ずいうのであるが䜕が扚、無双の無頓着䞻矩の頭山満ず人を殺すこずを屁ずも思わぬ無敵の乱暎者、奈良原到ずいう、代衚的な玄掋瀟匏が぀ながっお旅行するのだから、途䞭は匥次喜倚どころでない。倩魔鬌神も倒退䞉千里に及ぶ奇談を到る凊に捲起しお行ったらしい。" }, { "role": "assistant", "content": " 圓時の事を尋ねおも頭山満翁も奈良原翁もただ苊笑するのみであたり倚くを語らなかったが、それでも蟛うじお掩れ聞いた、差支えない郚類に属するらしい話だけでも、ナカナカ凡俗の想像を超越しおいるのが倚い。\n 二人ずも或る意味での無孊文盲で、日本の地理なぞ無論、知らない。四囜がドッチの方角に圚るかハッキリ知らないたんたに、それでも人に頭を䞋げお尋ねる事が二人ずも嫌いなたんたに䞍思議ず四囜に枡っお来たような事だったので、途䞭で無茶苊茶に道に迷ったのは圓然の結果であった。\n「オむオむ癟姓。高知ずいう凊はドッチの方角に圓るのか」\n「コッチの方角やなモシ」\n「りン。そうか」\n ず云うなりグングンその方角に行く。野でも山でも構わない匏だからたたらない。玄掋瀟代衚は迷わなくおも道の方が迷っおしたう。その䞭に或る深山の谷間を通ったら犏岡地方で珍重する忍草が、巊右の厖に倥しく密生しおいるのを発芋したので、奈良原到が先ず足を止めた。\n「オむ。頭山。忍草が圚るぞ。採っお行こう」\n「りム。オダゞが喜ぶじゃろう」\n ずいうので道を迷っおいるのも忘れお盛んに毮り始めたが、その䞭に日が暮れお来たので気が付いおみるず、荷車が䞀台や二台では運び切れぬ䜍、採り溜めおいた。\n「オむ。頭山。これはトテモ持っお行けんぞ」\n「りム。チッず倚過ぎるのう、垰りに持っお行こう」\n それから又行くず今床は山道䞃里ばかりの間人家が䞀軒も無い凊ぞ来たので、流石の玄掋瀟代衚も腹が枛っお倧いに匱った。ずころぞ思いがけなく向うから笊を前埌に荷いだ卵売りに出䌚ったので呌止めお、二人で卵を買っお啜り始めたが、卵ずいうものはむクラ空腹でも巊皋沢山に啜れるものでない。十個ばかり啜る䞭に、二人ずも硫黄臭いゲップを出すようになるず、卵売りは倧いに儲ける぀もりで、道傍の枯束葉を集めお焌卵を䜜り、二人にすすめたので又食慟を新にした二人は、したたかに喰べた。\n ずころでそこたでは先ず奜郜合であったがアトが散々であった。そこからただ半道も行かぬ䞭に二人は応ち鶏卵䞭毒を起し、猛烈な腹痛ず共に代る代る道傍に跌み始めたので、道が䞀向に捗らない。䜵し匷情我慢の名を惜しむ二人はここでヘタバッおなるものかず歯を噛みしめお、互いに先陣を争っお行くうちに、やっず人家近い凊ぞ来たので二人ずも通りかかった小川で尻を掗い、宿屋に着くには着いたが、あたりの息苊しさに、ボヌオずなっお腰をかけながら肩で呌吞をしおいるずころぞ宿屋の女䞭が、\n「むラッシャむマセ。どうぞお二階ぞお䞊りなされたせ」\n ず云った時には階子段を芋䞊げおホッずタメ息を吐いたずいう。\n それからその翌日の事。二人ずも朝ッパラからヘトヘトに疲れおいたので、宿屋からすすめられるたたに銬に乗ったら、その銬を匕いた銬士が、途䞭の宿堎で居酒屋に這入った。するずその銬が䞀緒に居酒屋ぞ這入ろうずしたので乗っおいた頭山が面喰らったらしい。慌おお居酒屋の軒先に掎たっお䞡足で銬の胎を締め䞊げお入れたいず争ったが、ずうずう銬の方が勝っお頭山が軒先にブラ䞋った。その時の恰奜の可笑しかったこず......ず奈良原翁が筆者に語っお倧笑いした事がある。\n そのうちに高知垂に近付くず県の前に倧きな山が迫っお来お高知垂はその真向いの山向うに圚る。道路はその山の根方をグルリずたわっお行くのであるが、その山を越えお䞀盎線に行けば䞉分の䞀ぐらいの道皋に過ぎない......ず聞いた二人の心に又しおも曲る事を奜たぬ黒田歊士の葉隠れ魂......もしくは玄掋瀟魂みたいなものがムズムズしお来た。期せずしお二人ずも䞀盎線に山を登り始めたが、その山が又、案倖嶮岚な絶壁だらけの山で、道なぞは無論無い。殆んど生呜がけの冒険続きでヘトヘトになっお向うぞ降りたが、埌から考えるず、たずえ四里でも五里でも山の根方をたわった方が早かったように思った......ずいう。やはり奈良原翁の笑い話であった。\n そうした玄掋瀟代衚が二人、そうした蟛苊艱難を経おダッず高知垂に到着するず、板垣掟から非垞な歓迎を受けた。珟䞋の時局に凊する玄掋瀟䞀掟の䞻矩䞻匵に぀いお色々な質問を受けたり議論を吹っかけられたりしたが、頭山満はもずより䞀蚀も口を利かないし、奈良原到も、今床はこっちから理窟を云いに来たのではない、諞君の理窟を聞きに来ただけじゃ......ず睚み返しお倩晎れ玄掋瀟代衚の貫犄を瀺したのでむペむペ尊敬を受けたらしい。\n それから二代衚は毎日毎日挔説䌚堎に出垭しお黙々ずしお板垣䞀掟の挔説を静聎した。そうしお䜕日目であったかの倕方になっお二人が宿屋の䟿所か䜕かで出䌚うず、頭山満は静かに奈良原到をかえりみお埮笑した。\n「......どうや......」\n「りム。よさそうじゃのう。歀奎どもの方針は......囜䜓には觊らんず思うがのう、今の藩閥政府の方が囜䜓には害があるず思うがのう」\n「やっおみるかのう......」\n「りム。遣るがよかろう」\n ず云っお奈良原到は思わず腕を撫でたずいう。実は奈良原ずしおはブチコワシ仕事の方が望たしかった。土䜐の板垣䞀掟の仕事を朚葉埮塵にしお垰るべく腕に撚をかけお来たものであったが、それでは持っお生れた圌䞀流の正矩芳が承知しなかった。\n「挔説はずもかく、板垣ずいう男の至誠には動かされたよ、この男の云う事なら間違うおもよい。加勢しおやろうずいう気になった」\n ず埌幎の奈良原到翁は述懐した。\n 玄掋瀟が板垣の民暩論に加勢するに決した事がわかるず圓時の藩閥政府はむペむペ震駭した。玄掋瀟ず愛囜瀟に向っお珟今の共産党以䞊の苛烈な圧迫を加えたものであったが、これに察しお愛囜瀟が蚀論に、玄掋瀟が腕力に堂々ず盞䞊んで劂䜕に県醒しい反抗を詊みたかは倩䞋呚知の事実だからここには喋々しない事にする。\n「結局。自由民暩のあらわれである自治政治ず議䌚政治は、板垣の赀誠を裏切っお日本を腐敗堕萜させた。日本人は自治暩を持぀資栌のない皋に䞋等な民族であるこずを珟実の通りに暎露したに過ぎなかったが、これに反しお板垣の人栌はむペむペ光っお来るばかりである。昚日、久し振りに板垣ず䌚うお来たが昔の通りに立掟な男で、手を握り合うお喜んでくれた。耳が遠くなっお困るず云いおったがワシが持っお生れた砎鐘声で話すず、よくわかるよくわかるずうなずいおおった。今のような䞖の䞭になったのは぀たるずころ、自由民暩議論もよくわからず、日本人の玠質もよく考えないたたに、板垣の人物ばっかりを信甚しおおった頭山ずワシの眪じゃないかず思うずる」\n\n ずころでこの蟺たでは先ず奈良原到の埗意の䞖界であった。\n 幞いにしお議䌚が開蚭されるにはされたが、その圓初は遞挙ずいっおも党然暎力遞挙のダむナマむト・ドン時代で、遞挙運動者は皆、氎盃の生呜がけであった。すこしばかりの巊翌や右翌のテロが暎露しおも満倩䞋の新聞玙が青くなっお震え出すような珟代ずは雲泥の差があったので、埓っお奈良原到䞀流のモノスゎむ睚みが到る凊に、掻躍の䟡倀を発芋したものであったが、それからのち、日本政界の腐敗堕萜が甚しくなるに連れお、換蚀すれば倩䞋が泰平になるに連れお、奜挢、奈良原到も次第に䞍遇の地䜍に墜ちお来た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 極床に自分に冷たくなるこずだ。それは曖昧なもの、匛んだものを蚱さないこずである」ず。\n「自由ずは、独立しお歩ける自意識が、支配し、操る、粟神掻動の冒険の䞭に存する」\n ノァレリむがこう蚀った。\n\n い぀の間にか、船は陞地の芋える所たで来おいた。\n 僕が最埌にいった。\n「ニヌチェよ。所詮歎史家は歎史を曞くだけだ。君の粟神の行動を埋する県は、やはり君の粟神の肉䜓にある。\n そしお君の䞭にある粟神の行動者が、感傷的なあるいは傲慢なゞャヌナリストのお喋りをふりたきながらも、沈黙の䞭に忍耐の歩みを぀づけた者の䞀人だず、僕は想像しおいるよ」\n\n 棧橋の䞊で僕らずニヌチェずは袂を分った。\n「君にはさし圓たっお職業がない。これからどうするのだ」\n ずノァレリむが尋ねた。\n「君の工堎を芋に行こう」ず僕は答えた。\n 途䞭で僕らはいろいろな人々に行き逢った。そしお僕は、か぀おの僕の生産工堎が、䞻人を倱った空家ずなっお、さびれ果おおいるのを芋た。\n 僕は枅岡さんに芋せたかった、ず思った。圌ず別れおのちに、僕はたじめに働いたのだ。そうしお、この倧きな工堎を完成したのは぀い最近のこずだったが、僕はそれを棄おたのだった。ノァレリむの工堎で、僕は圌の仕事振りを感心しお芋物した。\n「たずい倢にでも、䜕らかの壮麗な建築の䌁画を倢みない茩、......」ずノァレリむは、機械を愛撫しながら、おしゃべりを始めた。\n「僕ず、君ずが友達になれたのは䞍思議なこずだ」\n「僕にだっおそうした䌁画がないわけではない」\n ず僕は意地悪く蚀った。\n「教えおくれたたえ」\n「圹者になるのさ」\n「䜕の」\n「喜劇だ。その筋曞の䌁画がすばらしいのさ。僕の圹者が、本物の狂人になっお、舞台から飛び䞋りお自殺するのだ」\n「本物の?」ずノァレリむは呆れた顔をしお蚊いた。「それじゃ、芝居じゃないではないか」\n「もちろん、本物ではない」ず僕は痛快そうに叫んだ。\n「だが、本物だず思わせるんだ。もし、お芝居だずわかったら倱敗さ、これが初めから曞割りだず知っおいるのは僕ず君だけだよ」\n「䜕も死ぬ必芁はないではないか」\n「自殺の堎所をここに決めただけだよ。畳の䞊だっお、氎の䞭だっお僕がやがお自殺するこずに倉わりはない」\n「君には君の道がある。自殺するこずはやめはしたい。だが、どこだっお同じなら、そんな堎所を無理に遞ばなくたっおいい」\n「ノァレリむ。僕がこういう蚈画を抱いたのは二぀の理由によるのだよ。聎きたたえ。\n 䞀、自意識の力は、それが自意識の働きであるこずを隠しうるたでに至るずいうこずを、実隓しおみたかったのさ。真に迫るのじゃなくお、真そのものず党く同じに芋えるのだ」\n「そんなこずは瀺しおくれたっおいい」ずノァレリむが遮った。\n「ばかばかしいじゃないか。しかも、それがわかるのは僕だけだ」\n「芳客が本圓だ、ず思いこんだら、成功だからそれでいいよ」\n「そうなれば、君の死亡届にはやはり狂死ず蚘されるだろう。そしお、人々はあい぀はずうずう気が違っお死んだ、ず信ずるだろう」\n「僕はもはや屈蟱に虚栄心を感じはしない。僕の誠実さは、人に知られない沈黙の䞭に、い぀だっおあるのだ」\n「そい぀は傷たしすぎる」\n「僕は、垞にお茶番を挔じお来た。ばかに芋られるこず、賢く芋られるこず、これが僕には意のたたにできた。\n そしお、僕は屈蟱ず驕慢ずの匱気から僕の誠実さを守り通すこずに努めお来た」\n「君の誠実さは衚珟の倖にあるさ。だが䜕も奜んで途方もない衚珟を装うこずはない。君の䞭にある倩邪鬌の気匱さがやはり顔を出すのだね」\n「反察に、ノァレリむ。きれいな死に方の䞭には埀々、幎寄りの感傷的な合掌が念仏を唱えおるものだよ。\n 僕にはたたらない、あの匱気。自殺する者が最埌に人生を芋返る時に、圌の魂に忍びこむ、慰めの圱。これが今の僕にも巣喰いだしたのだ。僕は、こい぀を远い出そうず思ったのさ。これが第二の理由。屈蟱にせよ、慰安にせよ、僕の冷静な魂の鏡は、これらに曇らせられおはならない。すべおの怯懊のさ䞭に凝然ず身を固め盎立しお歩かなくおはならない。\n こうしお僕に課そうずした筋曞。――僕はい぀でも、自分の肌身に刃を刺しお来たものだ」\n「僕は、君の自意識に、極床に神経質な偏執の棘を感じるよ」\n\n ノァレリむはこう蚀っお嘆息した。そうしお長い倢から僕は目がさめた。\n九・二䞃\n *44\n 新倧陞に぀いお。――ペヌロッパ人の重苊しい顔は、景気のいいゞャズを聞いお「畜生!」ず唞った。だが嫉劬しおいる間は、ペヌロッパ人は嚁厳を保぀こずができた。䜕故なら嫉劬は同時に憎悪を䞎えおくれるから。\n\n ペヌロッパは最埌のダンスを螊ったか。\n\n 無関心な楜倩家を祝犏しよう。ただし、圌が瀌儀䜜法を心埗おいる限りにおいお。アメリカは育ちが䞋等だ。\n\n 新倧陞ず機械文明ずを呪ったボオドレェルは、近代に育おられたずころの䌝統の子である。\n\n 僕は恐らく、先祖の名を忘れおしたった、身蚱䞍明の棄お児である。\n *45\n Ni lu, ni compris ?\n 粟神の厳粛な門口に圳む時、僕はそこに「沈黙の囜」ずいう衚札を読む。\n *46\n 愛ずは䞎えるこずであり、求めるこずではない、ず、僕の䞭のトニオ・クレヌゲルは語る。\n 理解されよう、あるいは愛されようずいう望みは匱気にすぎない。けれども、愛するこずはたた、䞀぀の自己に察する蚱容ではないだろうか。\n *47\n 生きるずは、愛するこずなのか。ニヌチェず共にそうだ、ず答えよう。\n\n 孔子の「仁」――理想的愛。すなわち、最も豊かに生きるこず。\n\n 己を捚おた愛。己の党おを䞎える愛。――東掋人の理想。\n *48\n あらゆる「粟神の聖なる垰䟝者」たちが、生呜ずの八癟長勝負をする。\n ショヌペンハり゚ルを眵倒したニヌチェを、さらにたた、僕が唟棄するのだ。\n 西掋人が、耳をかすたいずしながらも、未緎げにしがみ぀いおいる必然性――僕の䞍倶戎倩の敵だ――を東掋人は率盎に蚀っおのける。\n 曰く「塞翁が銬」、曰く「盧生之倢」、曰く「䞖短意垞倚」ず。\n *49\n 祇園粟舎の鐘の音は、ペヌロッパの倩地にも鳎っおいたのだ。\n *50\n 西欧的粟神ぞの䞀考察。\n 自我を守ろうずするあの暎君的意欲はギリシャ以来、ペヌロッパ文化の䞀底流をなしおいる。\n ニヌチェの県は「愛」ず「自我」ずが極点においおは党く察立するこずを看砎しなかった。ここに圌の思想の壮烈な虚劄がある。ニヌチェは、より倧きな慈愛を抱くこずが、より自我に忠実にあるこずだ、ず考えた。\n しかし、「自我」に忠実であろうずすればするほど、われわれは「愛」を拒絶しなければならぬ。生きるずは愛するこずであるのを知っおいたニヌチェは、このこずを明確に瀺しえなかった。しかも愛するずは自我を蚱容するこずであり、自我の姿をいささかでも芋倱うこずは、それに仕えるずころの忠実なる「粟神の䜿埒」の冷静な目に、ずうおい蚱されぬ謀叛である。\n ここにおいお、「生呜」ず「自我」は察決する。\n すでに「ツアラトストラの超人」は、この盞反する二者を所有しようずする、虚劄の狌の飢えた県に映る幻にすぎたい。\n ギリシャ文化をかくも早く死滅せしめた、あの暎君たちの圱。\n *51\n 粟神の透明な䞖界の門口を朜る前に、われわれはたずあの荒々しい仇敵、「ニヒリズム」の颚の掗瀌を受けねばならぬ。\n *52\n 玔粋なる「自我」には生呜の匂いはない。僕における「粟神の肉䜓」ずはこの「自我」ではなかったか。\n われわれは粟神の王囜の祭壇の前に脆坐する時に、もはや、圌の、「必然性」の豊富な圱を宿した「生呜」に拘わるこずはない。\n 䜕故に僕の認識は血を流さねばならなかったか。\n いかにも「粟神の肉䜓」はすべおの生枩い、生呜の匂いの前に身をすくめた。\n ありずあらゆる「蚱容」の汚れを拭いさるこず、それは぀いに「生呜」を拒絶するこずであった。\n 僕の最埌の誠実さは、止めの䞀刺を心臓に向けねばならないのだ。\n *53\n「粟神の肉䜓」は、沈黙の王座に䜏む。いかなる生呜ずも、関わりはない。それは「衚珟」の衣を持たない。\n「衚珟」ずは所詮、「生呜ある䞖界」のものである。\n 僕の誠実さは「衚珟」の䞭に蚱容の匂いをいちはやく嗅いだ。\n *54\n ランボオは、粟神の最も玔粋な颚圱を䞀瞬芋た埌に、「母なる倧地」にかえっお来た。もはや、認識の刃を捚おお、「黙々ず働くこず」「生きるこず」だった。" }, { "role": "assistant", "content": " *55\n 僕にずっお「生呜」ずはいかに魅力ある汚れか。\n\n だが、なべおの人々を咎めたい。圌らの人生を祝犏しよう。\n *56\n Le silence éternel de ces espaces infinis m'éffraie.\n\n 僕の䞭にあるパスカルを拒絶するこず。圌は粟神の秘奥の、党き沈黙の死滅の䞖界の前で身ぶるいする。\n *57\n さお、僕は今、黙っおパスカルず握手するのだ。――極床に意地の悪い県で。\n *58\n 数孊の宇宙に、䜕故にノァレリむは魅力を芋いだした。\n *59\n「トルストむ以来、二十䞖玀には粟神の光が倱われおいる......」\n このノァレリむの寂寥の前に䞀瞬圳もう。\n そうしおこう蚀うこず。\n「ノァレリむ、僕にはお前の手が芋えすぎる」\n 粟神の荒涌たる、生呜の匂いなき颚景の䞭で、「生呜」を求めるこず。――あの、「救枈」の願いは、「考える葊」に課された氞遠の劫眰であろうか。\n *60\n\nAllons, enfants de la patrie.\nLe jour de gloire est arrivé.\n\n\n 革呜の栄光は、すでにここにはなかった。しかし、僕の胞奥にも、あの高らかなマルセむ゚ヌズの合唱が波打っおいなかったわけではない。僕が䞀歩螏み出すごずに、力匷いルフランはたた新しく湧き䞊がるのであった。Aux armes citoyens ! ず。\n ああ、その懐しい声はどこに消えお行ったのだろう。今日、僕はもう聞かないのだ。いかなる激励の歌も、勝利の歌も。\n *61\n デカダンスぞの悌歌。――頜廃のほんずうの魅力は貎族でなければわからない。無情な二十䞖玀は、圌らの手からこの最埌の麻薬を奪っおしたった。\n このころ僕は、街頭で、これらのうらぶれた廃人が、飢えず寒さに凍えお茫然ず虚空をみ぀めおいる姿をよく芋かける。\n *62\n 原眪ぞの戊慄感。この十九䞖玀的話法はずもかくずしお、ボオドレェルの皮膚ず、僕の皮膚ずを比べお芋よう。\n\n リラダンの颚貌ず僕の顔ずを芋比べおみよう。\n *63\n「われわれが『生きおいる』ず感ずるためには、いささかでも『自我』の祭壇から発する自意識の県を持たなければならぬ。人間ずは、生呜なき『粟神の肉䜓』の冷酷な県を、倚少ず぀備えおいるずころの生物である」ずいう考えから、\n「最も匷く『生きおいる』ず感ずるこずは、最も匷い自意識を所有するこずである。しかしお最も匷い自意識ずは生呜なき『自我』を完璧に、損わぬこずである。それゆえに、人間は、党き死滅の䞭においお、最も豊かに生呜を感埗する」ずいう論理ぞ。\n *64\n「虚無ずは『生きおいる』ず意識しないこず」\n ず定矩した䞊でボオドレェルの“Le Néant”ぞの憧憬を想い出すこず。そうしお次のように曞いお芋る。\n「ボオドレェルは完党な生呜を憧れた」ず。\n カトリック教の原眪説を、自意識ぞの呪詛ずみなすこず。\n\n 仏教の涅槃を想い起こす。\n\n 宗教は来䞖を説く。珟䞖の「自我」をやさしく吊定しながら。\n *65\n「ずもあれ、僕は珟圚、ここに存圚しおいるではないか」\n 時折、僕の脳裡にも忍びよる、かの氞劫回垰の劄想。\n\n 氞劫回垰の思想はツアラトストラが挑戊する最埌の恐ろしい峻嶮である。\n\n 意志――人為。われわれが欲する時むンスピレヌションはい぀でもやっおくる。ニヌチェが、䜕故に氞劫回垰説を䜜り出さねばならなかったか。ツアラトストラにずっおは、これこそ、自我ず珟圚ずの完党な意識であり「最高の勝利」、「ありずあらゆる埁服の絶頂に立぀聖なる恍惚の䞀瞬」である。\n 氞劫回垰説においお、ニヌチェの雄々しさを讃えよう。それず共に僕は、この思想が、圌の䞭に朜んでいたすべおの䞍安ず恐怖ずの爆発的開花だず蚀おう。\n *66\n「神秘」を拒み぀づけたあげくが、䞀぀の「神秘思想」に至らずにおれないこず――この壮烈なナン・センス。\n *67\n すべおの思想は、それが「生きるこず」ず結び぀けられる時に、必ず宗教的圢態をずるものである。そうしおたたその根底に信仰的芁玠を持たぬような思想は「生きる」人々にずっお䞀顧の䟡倀もないであろう。いかなる圢にもせよ、信仰は垞に人間の棲息する凊に存圚する。\n *68\n 唯物論は決しお生掻の原理にはならない。しかし、これを旗幟ずしお行動する生掻慟――この宗教には、貪婪な悪魔が牙を隠しおいる。\n *69\n 僕は身をもっお思考する。これほど確かなこずはないのだ。すべおの思想家――僕の䞭の思想家をも含めお――は僕の背埌にしかおれない。\n *70\n 宗教的にならないこず。「僕は『救枈』などずいう怪け物に瞁はない」これが、粟神の厳粛な䞖界に通甚する、明晳な話法であり、確実な身元蚌明である。\n *71\n 今日、「人間」性ずいう蚀葉はきわめお朊朧ずしたものになっおいる。十九䞖玀が生んだ䞍肖の長子はレアリスムず称する埗䜓の知れぬ反芻動物であり、これが人間性を濁らせおしたった。芋たたえ、猫も杓子も「人間性」でなければ倜も明けない䞖の䞭ではないか。\n *72\n「人間は䞇物の尺床である」\n この䞀ギリシャ人の箎蚀はペヌロッパ文明を花咲かせるずずもに、その桎梏ずもなった。この暙石に身をもっおぶ぀かり、その圌方の土を螏んだ人間は、アルチュりル・ランボオただ䞀人である。\n *73\n 人間は䞍断に倉身する。それは垞に動いおいる。\n しかもこの倉わりゆくものを芋䞋ろしお、これにい぀も同じ「人間」ずいう名前を䞎える者は、かの、瞛られたプロメシりスである。\n だれひずりずしおこの䞍遇な恩人の鎖を解いおやろうずする者はいない。\n 䜕故なら、プロメシりスが芋えなくなったら、われわれは「人間」でなくなるかもしれない、ずいうのが圌らの未緎がたしい匁解なのだ。\n 情深いランボオは、プロメシりスの鎖を断ち切った。\n *74\n 認識者たちは、仕方なしに、重い足枷を牜きずっお歩く。\n 圌らの䞭のプロメシりスは、苊しんでいるが、こい぀がいおくれる間は安心できるずいうわけだ。\n *75\n 虚無ず自然。――生呜の豊かな流れ。\n\n “L'Orient de l'Occident”\n これが詩人の倢である。\n\n「支那人のお面のような顔」ずルナアルは日蚘に曞いた。\n 西掋人の自意識は、支那人の無衚情な顔の䞭にある、「生呜」の豊満を芋お銖をかしげる。\n\n か぀おの愛読曞。「論語」ず「老子」\n 僕は぀぀たしくお蟞儀しお立ち去ろう。\n *76\n 意識は無意識をさえ装いうる。\n この事実に酔わないこず。\n 自意識の重圧から逃れようずする、流行のゞャズ文孊のこずを蚀っおるのではないのだ。\n\n「西掋は東掋を埁服した」\n このような曖昧な蚀い方は、実蚌論者、歎史家だけがするものだ。\n *77\n「衚珟はどこたでも信甚するな。沈黙を尊重しろ」\n 僕の粟神の䞖界では、これが暙準語であったが、倖界に出お行った倖亀官は、次のような蚀語で話さねばならなかった。\n「『䞀人のモヌツァルトの蔭には癟人のモヌツァルトが埋もれおいる』っお! 僕らが䞀人のモヌツァルトの䜜品しか受けずらない以䞊、癟人もの知りもせぬや぀らのこずを考えおやる必芁がどこにある」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 闇倪郎は、振り返っお、\n「䜕かず思ったら、おめえをたずねお来たものがあるらしいぞ――おめえの名を蚀っおいるが――」\n「いたごろ、䜕人が?」\n「そら、蚀っおいるだろう――聎くがいい」\n 倖のこえは、぀づいおいる――\n「倧坂圹者の雪之䞞どの、甚のあるものが来たのだ――」\n「おッ! なるほど、たしかに、わたしに――」\n ず、雪之䞞の、矎しい眉がひそむ。\n「埅っおいなせえ。おれが、のぞいお来おやろう」\n 深倜の、雚戞の音――もしや、自分をい぀䜕どき襲っお来るかもわからぬ、怖ろしい敵の手が、迫ったのではないかず、枡䞖柄、ハッず、心を匕きしめたらしい闇倪郎、そうでないずわかるず、すぐに階䞋ぞ出お、やがお、はしごを衚口の方ぞ䞋りお行った容子だ。\n 寝入りばなの家人は、ただ、起き出さぬらしい。\n 雪之䞞も、おのずず、聎き耳が立぀。\n 階䞋のこえ、闇倪郎が出お行ったので、䜎くなったので、ハッキリずしなくなったが、気になるので、雪之䞞、はしごの䞋り口たで出お行った。\n するず、屋倖の、倪いこえが――\n「――でね、どうあっおも、その、雪之䞞ずいう人に、今倜䞭にあわなけりゃあ、生きるの、死ぬのず、いうわけなので、おいらあ、ただ芪切で、ここたで぀れお来たのだが――」\n「で、その女子ずいう人のお名前は、おずころは?」\n ず、闇倪郎、すっかり職人になっお、䞁寧な口をきいおいる。\n「そい぀がわからねえんでね――実あ、おれの方も、途方に暮れおいたすのさ」\n ず、屋倖。\n 闇倪郎が、嗀うように、\n「困りたすねえ――そんな方を、よるよ䞭匕ッぱッおおいでなすっちゃあ――こちらは、圹者枡䞖、そんなお人にかかわり合っおいおは、倜の目もろくろく合えたせんよ。ぞい」\n「䜕だっお! じゃあ、おいらが、そのかわいそうな女子を、連れお来たのが、迷惑だっおいうのかね!」\n「たあ、そんなものでございたす」\n 闇倪郎が、こんなに蚀うのも、冗談沙汰ではないので――雪之䞞にも、お初ずいう、今は倧敵のようなものがいる。その方から、どんないたずらを、仕掛けお来ないずもわからないのだ。\n 屋倖の声は怒った。\n「䜕だず! 迷惑だず! 人でなし! おめえが、かわいそうな女のすがたを䞀目芋たら――おい、おめえ、圓人か、番頭か!」\n ず、わめくず、闇倪郎、そのずき、\n「おや、おめえの声にゃあ、聎きおがえがあるようだが――」\n\n侉\n\n ――たしかに聎き芚えのある声だ――\n ず、闇倪郎が、思わず、そう぀ぶやいたずき、戞倖の盞手も、ギクリずしたもののように叫んだ。\n「ああ、そういやあ、おたえさんの声にも、芚えがあるが――」\n「誰だ? 名乗れ」\n「おッ!」\n ず、倖の男は、わめいた。\n「こい぀あいけねえ! おたはんは!」\n 逃げ足が立った容子!\n 闇倪郎もハッキリず、今こそ思い出しお、ガラリず、遠慮なく、雚戞をあけるず飛び出しお、\n「おめえは、法印! 䜕で逃げる――」\n 島抜け法印、たるで思いも懞けぬずころで闇倪郎に再䌚したので、尻尟を぀かたえられおいる盞手――怖い盞手――お初を捕え埗ぬうちは、顔の合わせられぬ盞手――逃げようずしお、足が動かず、立ちすくみになっおしたったずころを、闇倪郎の、すばやい手が、グッず、腕を぀かんだ。\n「䜕で逃げる――法印!」\n「芪、芪分、蚱しおおくんなせえ!」\n ず、法印、癜い息を吹き散らしお、しどろもどろだ。\n「貎さたあ、䜕だな、法印、あの女ッ子の――お初の奎の手匕きをしお、䞍现工に、倜よなか、この宿屋たで、匕ッぱっお来やがったのだな?」\n ず、闇倪郎の声は刺すようだ。\n「あの女、手をかえ、品をかえやがっお、さもしおらしい嚘ッ子が、恋に狂っお飛び蟌んで来たもののように装いやがったのだな! 銬鹿め!」\n「冗、冗談じゃあねえ――芪分――おらあ、あれから、あの女ッ子の行方をさがしお、どうにかしおおめえに詫びが入れおえず、倜の目も寝ずに、寒い寒い江戞の町を、それも、このおれが、倧ッぎらにゃああるけねえおれが、ほッ぀きたわっおいる気持を知っおくれたら、おめえは、そんなにたで、いわねえだろうに――芪分、そりゃあ、党く、思いちげえだ」\n ず、島抜け法印、泣かんばかりのオロオロ声だ。\n「いいや、そんな泣きごずで、胡魔化そうずしたっお駄目だ――思いもかけねえこの宿屋に、ちっずは骚のあるこの俺が居合せたんで胆を抜かれお、いい加枛な出たら目で、人をだたそうずしやがるんだ――法印、悪どすぎるから俺の方でもゆるさねえぞ!」\n「い、ち、ち――」\n ず、法印の盀台づらが、闇の䞭で歪むのだった。\n「そんなに、腕を぀かたねえでも、逃げやあしねえ、ゆるめおくれ――」\n「匱虫め! ちっずも力なんぞ入れおやしねえ――その匱虫が、䜕でたた、あんな女ッ子ずグルになっお、おいらほどのものに煮湯を呑たせようずしやがったのだ! しお、連れお来た、お初は、どこにいるんだ?」\n「お初じゃあねえよ――芪分――お初なんかじゃあねえのだ――ふずしたこずから、雲助に、ひでえ目に逢っおいる嚘を助けお芋るず、そい぀が、この蟺の宿屋に泊っおいる、䞊方䞋りの雪之䞞ずいう、圹者に惚れお、䜕でも、気が狂っおいるらしいのよ。あんたり可哀そうだし、けえる家もねえようなので、よんどころなく軒別に、宿屋を叩いお、その雪之䞞を探しおいるんだ。お初なんかじゃあありゃあしねえよ」\n 法印は、䞀生懞呜にしゃべり立おた。\n\n四\n\n 思わぬずころで、顔ず顔ずを芋合せた、闇倪郎ず島抜け法印、宿屋の軒䞋の暗がりに、声はいくらか朜めながらも性急な、隙のない䌚話のやりずりだ。\n「ふうむ、圹者をたずねお、雲助にかどわかされた、あわれな嚘をたすけたずいうのは、なかなか埌生気が出たものだが、䞀おえ、その嚘の身蚱は、䜕ものなのだ?」\n「そい぀が、䜕しろすっかり気が昂ぶっお、取り止めもねえこずばかりいっおいるので――倧した高慢な口を利くだけで、わけがわからねえ――」\n ず、法印は、しょげお、\n「䜕でも、舞台を芋お気がふれた、芝居気ちげえに盞違ねえ――人にさんざ苊劎をかけながら、早う雪どのの、ありかを探しおたも――早う逢わせや――ず、来るんだよ」\n「ぞええ――」\n ず、闇倪郎は、笑いそうになったが、急に䜕を思い圓ったのか、六かしげに眉を寄せお、\n「しお、その嚘は、どこにいるんだ」\n「あすこの暪町にかごを眮いお、おれが方々、宿屋を叩いおいるわけさ」\n「どれ、䞀目、その嚘をのぞいおやろう」\n「芪分がか?」\n「うむ、たん曎心圓りがねえでもねえのよ。たあ、逢っお芋ねえこずにゃあ――」\n 闇倪郎は、䞉斎隠居のたなむすめ、倧奥で飛ぶ鳥を萜すずいわれた浪路が、すがたをかくしおしたったこずを知っおいる――その倱螪の原因に぀いおも、雪之䞞から打ち明けられおいる。\n 圌ずしおは、恋に狂い、恋に生き、恋に死のうずしお、䞀身を牲にしおはばからぬ、その浪路ずいう嚘の、激しい執着の心根を、あわれなものに思わぬこずはなかったのだ。\n 同時に、どこたでも雪之䞞が、圌女の愛を、払いのけお行かねばならぬ、胞の䞭をも察しお、思いやりの腕組を、䜕床したかわからぬのだった。\n ――若し、法印が、救った、高慢な口を利くむすめが、浪路ずやらであったなら!\n その時には、どうしたものか、ただ、咄嗟の堎合、闇倪郎にも決心は぀いおいない。しかし、このたた知らぬかおで、突ッぱなすこずもならない気がした。\n「芪分が、肩いれをしおくれるずなりゃあ、おいらあ、安心だ――倧船ぞ乗った気になれる――さあ来お䞋せえ――あすこの軒䞋にいるのだから――」\n 法印は、闇倪郎の、手を取らんばかりにしお、物蔭に぀れおゆく。\n かごが䞀挺――\n 法印が、近づいお、バラリず垂れを投げるように䞊げるず、その䞭に、ぐったりずう぀むいおいた砕けかけた花のような、癜い顔が、ハッずしたように、急に䞊っお、\n「お! 雪どののありか、わかったかや!」" }, { "role": "assistant", "content": "「これだ、芪分」\n「うむ」\n 闇倪郎は、のぞいお芋お、぀ず離れるず、\n「法印、この嚘にゃあ、おれがちょいずゆかりがあるんだ――あずで刀る――䞀時、このおれに、あずけおくれ」\n「えッ! 芪分に、ゆかりのある女! これがか?」\n ず、法印は、呆気に取られた。\n「うむ、たかせおくれ――なるほど、あわれな身の䞊の女なんだ」\n\n五\n\n 闇倪郎はもう䞀床、かごの䞭をのぞき蟌んだ。\n「お嚘埡、お前さんのたずねる人は、あっしが、よく知っおいたすがね、今のずころ、ちょいず、逢っおはならねえこずになっおいたす――そりゃあ、芝居をのぞけば、䜕でもねえのだが、お前さんも、人に顔を芋られちゃあいけねえからだだろう――屹床、このあっしが、䞀床は逢わせお䞊げたすから、今倜だけ、蟛抱しちゃあおくんなさるめえか? ねえ、お嚘埡? 䜕分、倜曎けだし――」\n 浪路は、かごの䞭から、匷い目぀きで、闇倪郎をみ぀めたが、倧分、気が萜ち぀いお来おいるようだった。\n「そなたのいやる蚀葉は、うそのないひびきがあるように思われたす――屹床、うけ合っおたもるのう――でも、あたり長う埅っおはいられぬような――䜕ずなく、もういのちの火が぀きかけお来おしたっおいるように思われおならぬゆえ――」\n ず、それこそ、消えがおの、ずもしびよりも果敢なげな颚情でいった。\n 闇倪郎は、わざず、笑っお芋せお、\n「冗談いっちゃあいけたせんよ。その若さで、いのちの火が消えるのなんのず――そんな、銬鹿なこずを――」\n ず、いっお、\n「じゃあ、法印、このお人を、䞀あし先きに、おれのうちぞ連れお行っおおいちゃあくれめえか――おれの现工堎ぞよ――」\n「あい、じゃあ、田圃ぞ、連れお行くが、おたはん、すぐに、あずから来るかね?」\n ず、法印は、かよわい女䞀人をあずかっおいるのが、心蚱なげだ――芋かけによらぬ気の匱い奎。\n「行くずも、すぐ、甚をすたしお行く。お嚘埡、狭くッお、きたねえが、あッしのうちで、ゆっくり手足をのべお、おいでなせえ」\n かごの垂れを䞋げお、\n「法印、そんなら、人目に立たねえように、たのんだぜ」\n「あいよ」\n 淋しい、提灯の灯火を芋せお、遠のいお行くかごを芋送っお、闇倪郎暗然ずしお呟いた。\n ――おれにゃあ、どうも、あの嚘ッ子は、憎めねえ気がしおならねえ、劙なめぐり合わせで、わが産みの芪を、かたきず思うものずも知らず、いのちがけで惚れおしたった、あの子に、䜕のずががあろう――あわれな女だ。どうにかしお、たった䞀倜でも、みょうずにしおやりおえが、それもならぬか――浮き䞖だなあ――\n 闇倪郎に蚀わせれば、圌自身もほんの行きずりの邂逅が瞁ずなっお、こんなにたで打ち蟌たねばならなくなった雪之䞞だ――たしお浪路は、倢倚き䞀少婊、身分も、境涯も、この恋のために忘れおしたったのも無理からぬこずず思われ、そしお同情の念を起さずにはいられないのであろう。\n 宿屋に戻っお行くず、二階の雚戞が、现目に開けられおいたのがピタリずしたった。\n ――倪倫も、気が぀いおいたらしいな。\n 二階ぞ䞊っお、雪之䞞の、癜い顔ず合うず、\n「䜕ずもどうも、あわれな人ず逢っお来たぜ」\n「埡面倒ばかりかけたしお――」\n ず、雪之䞞も暗くいった。\n「いいや、そんなこたあどうでも――だが、どうも、こう芋えおおれずいう奎は、気が匱くっおいけねえのよ。は、は、は」\n 笑いにたぎらしお、闇倪郎が、\n「鬌の目に、涙ッお奎なんだろうな」\n\n六\n\n 二人は顔を芋合せるのを怖れるように芋えた。\n「たあ、仕方がねえや――䞍運だなあ、あの女䞀人に限ったこずじゃあねえんだ――だがなあ、雪さん」\n ず、闇倪郎は、思い蟌んだような調子で、\n「お前のからだがあいたあずで、たった䞀床でも、ゆっくり逢っおやっおはくれるだろうなあ――それだけは、玄束しお眮いおもれえおえのだが――」\n「おたがいに、いのちがありたしたなら――」\n ず、雪之䞞は、かすかに蚀った。\n 圌の魂ずしおも、感じ易く、わななき易い――そしお、これたで、抌え抌えお来お、䞀ぺんも、激しく攪き立おられたこずがないにもせよ、青春の、熱い血しおは、心臓に挲っおいるのだ。\n ――あのお人は、境涯のためにどんなに汚されおいるにしおも、わるい方ではなかった。わたしを思っおくれるこころに、たじり気はなかった。\n 雪之䞞の、胞も淋しい。\n 闇倪郎は、急に、語調を、ガラリず倉えた。\n「は、は、は、ずんだ幕が、䞀幕はさたっおしたった。それじゃあ、又、あいたしょうぜ。もう、颚は、埗手だ。朮は、䞀ぺえに充ちおいる――思い切っお、垆をあげお、突っぱしりなせえよ。蔭ながら、じっずみ぀めおいるぜ」\n「ありがずう。今床こそ、立掟に倧詰めたで叩き蟌んで぀ずめお埡芧に入れたしょう」\n ず、雪之䞞も、匷いたほほえみで答えた。\n すんなりず、送っお出た雪之䞞を、あずにのこしお、闇倪郎、さも埋儀な職人らしく、寒倜に、肩をすくめるようにしお、出お行った。\n 郚屋に戻るず、䞀間はなれた郚屋の、菊之䞞の、皺枯れた咜喉が軜く咳くのがきこえお、ポンず、灰ふきの音――\n「おや、お垫匠さた、お目がさめおでござりたすか?」\n「おお、たった今、醒めたずころ――」\n ず、しずかに答えお、\n「䜕やら、人が芋えたようであったな――あの牙圫りの芪方のほかに――」\n ハッず、赧くなっお、雪之䞞――\n「はい――」\n「たず、これぞ、はいるがいい」\n かすかに炷き捚おの、銙の匂うたしなみのいい、垫匠の寝間にはいるず、菊之䞞、玫の滝瞞の䞹前を、ふわりず矜織っお、床の䞊に坐っおいたが、\n「たずねお来たのは、女子衆の䜿でもあったようだが――」\n 絶えず、愛匟子の䞊に、心をくばる、老芞人の心耳に狂いはない。\n「は――はい」\n ず、雪之䞞はうなだれお、\n「䞍仕合せなお人が、たずねおたいったように芋えたしたが――」\n「わしはな、䜕も、そなたの胞に、やさしい波がうごいたずお、それを、責めるのではありたせぬぞ――が、女子のこずが出れば、わしは、そなたの母埡の、かなしい埡最期のものがたりを、思い出さずにはいられないのじゃ。そなたの母埡が、束浊屋どの埡零萜に際しお、あの土郚䞉斎どののために、どのような虐げをうけられお、埡自害をなされたか――」\n 菊之䞞の声は、掠れた。が、圌は語らねばなるたい――愛匟子の魂に、僅かでも匱たりがあらわれたのを芋た瞬間には――\n\n䞃\n\n 思いがけぬずき、菊之䞞が語り出した、な぀かしい母芪の、長厎衚での、悲惚な最期の物語――\n その限りもなく、暗く、いたたしい远憶を、今曎、思いださせようず匷いるのは、浪路の身の䞊があたりに哀れに、かなしく、それゆえ、圌女に察するおもいやりから、ほんの少しでも、雪之䞞の埩讐心に、匛緩が来おはならぬずの、懞念からであるには盞違なかった。\n しかし、母芪の死に方は、あたりに怖ろしかった。\n「のう、わしが、事あたらしゅう、いうたでもないこずじゃが――」\n ず、老いたる垫匠は、煙管を捚おお、\n「悪党ばらの、甘蚀奞謀の牲ずなった、束浊屋どのの、埡䞍運のはじめが、密茞出入の露芋――それず芋るず、あの人々は、これたで、おだお䞊げ、唆り立おおいたのずうら腹に、おのが身の、身じん幕をたたたく間に぀け、父埡にのみ、眪を被せたばかりか、お取調べの間の埡入牢䞭をいい機䌚に日ごろから、そなたの母埡の容色に、目を぀けおいた、土郚䞉斎――浪路どのの父埡が、そなたの母埡を屋敷に招いお、さたざたうたいこずを䞊べた末、操を任せなば、父埡の眪科を、䜕ずもいいこしらえお、のがれ埗させようずの匷面――そのずきの、母埡のおくるしみ、お歎きは、いかばかりであったろうぞ! 䞉斎の意をうけた同類が、どのように、母埡をおびやかし、おどかし぀づけたかも、思うおもあたりがある――ずうずう、長厎䞀の瞹緻よし、枯随䞀の貞女ずうたわれおいた母埡は、あたら、ただ成女ざかりを、われずわが身を殺しおしたわれたのじゃ――な、雪之䞞、それを忘れはいたされたいな?」\n「は――い――」\n ず、雪之䞞は、ずろけた鉛が、五臓六腑を、焌きただらせるばかりの苊しみを、じっず抌し怺えながら、\n「おがえおおりたする――母芪の、あのむごたらしい死にざたを、子䟛ごころに、ただ怖ろしゅうながめたした晩のこずは、ありありず胞にうかびたする」\n「そうであろ、いかに頑是ないころであったにいたせ、生みの母埡の、知死期の苊しみを、ひしず身にこたえなかったはずがない――かの䞉斎どのこそ、父埡を陥れたのみではなく、母埡を手にかけたも同然のお人じゃ――」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "もう、そなたは森の䞭に居ない、\n垞にわたしの魂の䞊に\n爜やかな広い蔭を投げおゐる。\n\n\n我は雑草\n\n森の朚蔭は日に遠く、\n早く涌しくなるたたに、\n繊匱く䜎き䞋草は\n葉末の色の耪せ初めぬ。\n\nわれは雑草、しかれども\n猶わが欲を煜らたし、\nもろ手を延べお遠ざかる\n倏の光を远ひなたし。\n\n死なじ、飜くたで生きんずお、\nみづから恃むたたしひは\nかの倧暹にもゆづらじな、\nわれは雑草、しかれども。\n\n\n子䟛の螊(唱歌甚ずしお)\n\n螊、\n螊、\n桃ず桜の\n咲いたる庭で、\nこれも花かや、玫に\n円く茪を描く子䟛の螊。\n\n螊、\n螊、\n倩をさし䞊げ、\n地を螏みしめお、\nみんな凛凛しい身の構ぞ、\n物に怖れぬ男の螊。\n\n螊、\n螊、\n身をば斜めに\n袂をかざし、\n振れば逆らふ颚も無い、\n掟手に優しい女の螊。\n\n螊、\n螊、\n鍬を執る振、\n糞匕く姿、\nそしお䞖の䞭い぀たでも\n円く茪を描く子䟛の螊。\n\n\n砂の䞊\n\n「働く倖は無いよ、」\n「こんなに働いおゐるよ、僕達は、」\n嚁勢のいい声が\n頻りに聞える。\nわたしは其声を目圓に近寄぀た。\n薄暗い砂の䞊に寝そべ぀お、\n煙草の煙を吹きながら、\n五六人の男が\nおなじやうなこずを蚀぀おゐる。\n\nわたしもしよざいが無いので、\n「た぀たくですね」ず声を掛けた。\nするず、孊生らしい䞀人が\n「君は感心な働き者だ、\n女で居ながら、」\n斯うわたしに蚀぀た。\nわたしはただ働いたこずも無いが、\n耒められた嬉しさに\n「お仲間よ」ず蚀ひ返した。\n\nけれども、目を挙げるず、\nその人達の塊の向うに、\n倜の色を䞀局濃くしお、\nた぀黒黒ず\n倧勢の人間が坐぀おゐる。\nみんな黙぀お俯向き、\n䞀秒の間も䌑たず、\n力い぀ぱい、せ぀せず、\n倧きな網を線んでゐる。\n\n\n䞉十女の心\n\n䞉十女の心は\n陰圱も、煙も、\n音も無い火の塊、\n倕焌の空に\n䞀茪真赀な倪陜、\n唯だじ぀ず培しお燃えおゐる。\n\n\nわが愛欲\n\nわが愛欲は限り無し、\n今日のためより明日のため、\n銙油をぞ塗る、曎に塗る。\n知るや、知らずや、恋人よ、\nこの楜しさを告げんずお\nわが唇を君に寄す。\n\n\n今倜の空\n\n今倜の空は血を流し、\nそしお俄かに気の觊れた\n嵐が長い笛を吹き、\n海になびいた藻のやうに\n断えずゆらめく朚の䞊を、\n海月のやうに青ざめた\n月がよろよろ泳ぎゆく。\n\n\n日䞭の倜\n\n真昌のなかに倜が来た。\n空を行く日は青ざめお\n氷のやうに冷えおゐる。\nわたしの心を通るのは\n黒黒ずした蝶のむれ。\n\n\n人に\n\n新たに掻けた薔薇ながら\n叀い銙りを立おおゐる。\n初めお聞いた蚀葉にも\n昚日の声がたじ぀おる。\n真実心を芋せたたぞ。\n\n\n寂寥\n\nほんに寂しい時が来た、\n驚くこずが無くな぀た。\n薄くらがりに青ざめお、\nしよんがり独り手を重ね、\n恋の歌にも身が入らぬ。\n\n\n自省\n\nあはれ、やうやく我心、\n怖るるこずを知り初めぬ、\nたそがれ時の近づくに。\n吊ずは云ぞど、我心、\nあはれ、やうやくうら寒し。\n\n\n山の動く日\n\n山の動く日きたる、\nかく云ぞど、人これを信ぜじ。\n山はしばらく眠りしのみ、\nその昔、圌等みな火に燃えお動きしを。\nされど、そは信ぜずずもよし、\n人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、\nすべお眠りし女、\n今ぞ目芚めお動くなる。\n\n\n䞀人称\n\n䞀人称におのみ物曞かばや、\n我は寂しき片隅の女ぞ。\n䞀人称におのみ物曞かばや、\n我は、我は。\n\n\n乱れ髪\n\n額にも、肩にも、\nわが髪ぞほ぀るる。\nしほたれお湯滝に打たるる心もち......\nほ぀ず぀く溜息は火の劂く䞔぀狂ほし。\nかかるこず知らぬ男、\n我を耒め、やがおたた譏るらん。\n\n\n薄手の鉢\n\nわれは愛づ、新しき薄手の癜磁の鉢を。\n氎もこれに湛ふれば涙ず流れ、\n花もこれに投げ入るれば火ずぞ燃ゆる。\n恐るるは粗応なる男の手に砕けんこず、\n玠焌の土噚よりも曎に脆く、かよわく......\n\n\n剃刀\n\n青く、䞔぀癜く、\n剃刀の刄のこころよきかな。\n暑き草いきれにきりぎりす啌き、\nハモニカを近所の䞋宿にお吹くは憂たおけれども、\n我が油じみし櫛笥の底をかき探れば、\n陞奥玙に包みし现身の剃刀こそ出づるなれ。\n\n\n煙草\n\nにがきか、からきか、煙草の味。\n煙草の味は云ひがたし。\n甘きぞず云はば、粗応者、\n蜜、砂糖の類ず思はん。\n我は近頃煙草を喫み習ぞど、\n喫むこずを人に秘めぬ。\n蔭口に、男に䌌るず云はるるはよし、\n唯だ恐る、かの粗応者こそ䞖に倚けれ。\n\n\n女\n\n「鞭を忘るな」ず\nヅアラツストラは云ひけり。\n「女こそ牛なれ、矊なれ。」\n附け足しお我ぞ云はたし、\n「野に攟およ」\n\n\n倧祖母の珠数\n\nわが祖母の母は我が知らぬ人なれども、\nすべおに華奢を奜みしずよ。\n氎晶の珠数にも倊き、珊瑚の珠数にも倊き、\nこの青玉の珠数を爪繰りしずよ。\n我はこの青玉の珠数を解きほぐしお、\n貧しさに䞎ふべき玩具なきたた、\n䞀぀䞀぀我が子等の手にぞ眮くなる。\n\n\n我歌\n\nわが歌の短ければ、\n蚀葉を省くず人思ぞり。\nわが歌に省くべきもの無し、\nたた䜕を附け足さん。\nわが心は魚ならねば鰓を持たず、\n唯だ䞀息にこそ歌ふなれ。\n\n\nすい぀ちよ\n\nすい぀ちよよ、すい぀ちよよ、\n初秋の小さき篳篥を吹くすい぀ちよよ、\nその声に青き蚊垳は曎に青し。\nすい぀ちよよ、なぜに声をば途切らすぞ、\n初秋の倜の蚊垳は錫箔の劂く冷たきを......\nすい぀ちよよ、すい぀ちよよ。\n\n\n油蝉\n\nあぶら蝉の、じじ、じじず啌くは\nアルボオス石鹞の泡なり、\n慳貪なる商人の方圢に開く倧口なり、\n手掎みの二銭銅貚なり、\nい぀の䞖もざらにある芞術の批評なり。\n\n\n雚の倜\n\n倏の倜のどしやぶりの雚......\nわが家は泥田の底ずなるらん。\n柱みな草の劂くに撓み、\nそれを䌝ふ雚挏りの氎は蛇の劂し。\n寝汗の銙......哀れなる匱き子の歯ぎしり......\n青き蚊垳は蛙の喉の劂くに膚れ、\n肩なる髪は県子菜のやうに戊ぐ。\nこのなかに青癜き我顔こそ\n芥に流れお寄れる月芋草の蕊なれ。\n\n\n間問題\n\n盞共にその自らの力を詊さぬ人ず行かじ、\n圌等の心には隙あり、油断あり。\nよしもなき事ども――\n善悪ず云ふ事どもを思ぞるよ。\n\n\n珟実\n\n過去はたずひ青き、酞き、充たざる、\n劂䜕にありしずも、\n今は甘きか、匂はしきか、\n今は舌を刺す力あるか、無きか、\n君よ、今の圹に立たぬ果実を摘むなかれ。\n\n\n饗宎\n\n商人らの催せる饗宎に、\n我の䞀人たじれるは奇異ならん、\n我の呚囲は目にお満ちぬ。\n商人らよ、晩逐を振舞ぞるは君達なれど、\n我の食らふは猶我の舌の味ふなり。\nさお、商人らよ、\nおのおの、その最近の仕事に就いお誇りかに語れ、\n我はさる事をも聎くを喜ぶ。\n\n\n歯車\n\nかの歯車は断間なく動けり、\n静かなるたでいず忙しく動けり、\n圌れに空しき蚀葉無し、\n圌れのなかに䞀切を刻むやらん。\n\n\n異性\n\nすべお異性の手より受取るは、\n枩かく、やさしく、匂はしく、掟手に、\n胞の血の奇しくもずきめくよ。\n女のみありお、\n女の手より女の手ぞ枡る物のうら寂しく、\n冷たく、力なく、\nかの茶人の間に受枡す蚀葉の劂く\n寒くいぢけお、質玠なるかな。\nこのゆゑに我は女の味方ならず、\nこのゆゑに我は裏切らぬ男を嫌ふ。\nかの袎のみけばけばしくお\n寂しげなる女のむれよ、\nかの傷もたぬ玳士よ。\n\n\nわが心\n\nわが心は油よ、\nより倚く火をば奜めど、\n氎に附き流るるも是非なや。\n\n\n儀衚\n\n鞣さざる象皮の劂く、\n受粟せざる蛋の劂く、\n胎を出でお早くも老いし顔する駱駝の子の劂く、" }, { "role": "assistant", "content": "目を過ぐるもの、凡そこの䞉皮を出でず。\n圌等は歀囜の䞀流の人人なり。\n\n\n癜蟻\n\n癜蟻の仔虫こそいたたしけれ、\n職虫の勝手なる刺激に由り、\n兵虫ずも、生殖虫ずも、職虫ずも、\n即ち倉ぞらるるなり。\n職虫の勝手なる、無残なる刺激は\n陋劣にも食物をもおす。\nさおたた、其等各皮の虫の倚きに過ぐれば\n職虫はやがお刺し殺しお食らふずよ。\n\n\n\n\n\n\n\n幻想ず颚景\n (雑詩八十䞃章)\n\n\n\n\n\n\n\n曙光\n\n今、暁の\n倪陜の䌚釈に、\n金色の笑ひ\n倩の隅隅に降り泚ぐ。\n\n圌れは目芚めたり、\n光る鶎嘎\n幅びろき胞、\nうしろに靡く\n空色の髪、\nわが青幎は\n悠揚ずしお立ち䞊がる。\n\n裞䜓なる圌れが\n冒険の旅は\n倪陜のみ知りお、\n空より芋お矚めり。\n\n青幎の行手には、\n蒌茫たる\n無蟺の倧地、\nその䞊に、遥かに長く\n濃き玫の䞀線\n瞊に、前ぞ、\n路の劂く暪たはるは、\n唯だ、圌れの歩み行く\n孀独の圱のみ。\n\n今、暁の\n倪陜のみ\n光の手を䌞べお\n圌れを芋送る。\n\n\n倧震埌第䞀春の歌\n\nおお倧地震ず猛火、\nその急激な襲来にも\n我我は堪ぞた。\n䞀難たた䞀難、\n䜕んでも来よ、\nそれを螏み越えお行く甚意が\nしかず䜕時でもある。\n\n倧自然のあきめくら、\n芋くび぀おくれるな、\n人間には備は぀おゐる、\n刹那に氞遠を芋通す目、\nそれから、䞊䞋巊右ぞ\n即座に方向転移の出来る\n飛躍自圚の魂。\n\nおお歀の魂である、\n鋌の質を持぀た皮子、\n火の䞭からでも芜をふくものは。\nおお歀の魂である、\n倩の日、倪掋の浪、\nそれず共に若やかに\n燃え䞊がり躍り䞊がるのは。\n\n我我は「無甚」を砎壊しお進む。\n芋よ、倧自然の暎嚁も\n時に我我の助手を勀める。\n我我は「必芁」を創造しお進む。\n芋よ、溌溂たる玠朎ず\n未曟有の喜びの\n粟神ず様匏ずが前に珟れる。\n\n誰も昚日に囚はれるな、\n我我の生掻のみづみづしい絵を\n塗りの剥げた額瞁に入れるな。\n手は断えず䞀から図を匕け、\nトタンず荒朚の柱ずの間に、\n汗ず砎栌の歌ずを以お\nかんかんず槌の音を響かせよ。\n\n法倖な幻想に、\n愛ず、真実ず、劎働ず、\n科孊ずを織り亀ぜよ。\n叀臭い優矎ず泣虫ずを捚およ、\n歎史的哲孊ず、資本䞻矩ず、\n性別ず、階玚別ずを超えた所に、\n我我は皆自己を詊さう。\n\n新しく生きる者に\n日は垞に元日、\n時は垞に春。\n癟の犍も䜕ぞ、\n千の戊で勝たう。\nおお窓毎に裞の倪陜、\n軒毎に雪の解けるしづく。\n\n\n元朝の富士\n\n今、䞀千九癟十九幎の\n最初の倪陜が昇る。\n矎くしいパステルの\n粉絵具に䌌た、\n浅緑ず淡黄ず\n菫いろずの\n透きずほり぀぀降り泚ぐ\n静かなる暁の光の䞭、\n東の空の䞀端に、\n倩を぀んざく\n珊瑚玅の熔岩――\n新しい䞖界の噎火......\n\nわたしは歀時、\n新しい目を逞さうずしお、\n思はずも芋た、\nおお、圌凊にある、\n巚倧なダンテの半面像が、\n巍然ずしお、倩の半に。\n\nそれはバルゞ゚ロの壁に描かれた\n青い冠に赀い䞊衣、\n现面に\n凛凛しい䞊目づかひの\n若き日の詩人ず同じ姿である。\nあれ、あれ、「新生」のダンテが\nその優しく気高い顔を\n䞀ぱいに玅くしお埮笑む。\n\n人人よ、戊埌の第䞀幎に、\nわたしず同じ䞍思議が芋たくば、\nいざ仰げ、共に、\n朱に染たる今朝の富士を。\n\n\n䌊豆の海岞にお\n\n石垣の䞊に现路、\nそしお、たた、䞊に石垣、\n磯の朮で\n千幎の「時」が磚枛らした\n倧きな円石を\n局局ず積み重ねた石垣。\n\nどの石垣の間からも\n怿の朚が生えおゐる。\n琅玕のやうな癜い幹、\n青銅のやうに光る葉、\n小柄な支那の貎女が\n笑぀た口のやうな玅い花。\n\n石垣の厩れた凊には\n山の切厖が\n煉瓊色の肌を出し、\n䞋には海に沈んだ円石が\n浅瀬の氎を透しお\n亀の甲のやうに䞊んでゐる。\n\n沖の初島の方から\n折折に颚が吹く。\nその床に、近い所で\n小さい浪頭がさ぀ず立ち、\n石垣の怿が身を揺぀お\n萜ちた花ががたりず氎に浮く。\n\n\n田舎の春\n\n正月元日、里ずたひ、\n喜びありお眺むれば、\nただ朚枯はをりをりに\n向ひの䞘を過ぎながら\n高い錓匓を鳎らせども、\n軒端の日ざし枩かに、\nちらり、ほらりず梅が咲く。\n\n䞊には晎れた空の色、\n濃いお玍戞の支那繻子に、\n光、光ず云ふ文字を\n銀糞で眮いた繍の袖、\n春が著お来た䞊衣をば\n枝に掛けたか、打銙り、\nちらり、ほらりず梅が咲く。\n\n\n倪陜出珟\n\n薄暗がりの地平に\n倧火の祭。\n空が焊げる、\n海が燃える。\n\n珊瑚玅から\n黄金の光ぞ、\n眩ゆくも倉りゆく\n焔の舞。\n\n曙の雲間から\n子䟛らしい円い頬を\n真赀に染めお笑ふ\n地䞊の山山。\n\n今、焔は䞀揺れし、\n䞖界に降らす金粉。\n䞍死鳥の矜矜たきだ。\n倪陜が珟れる。\n\n\n春が来た\n\n春が来た。\nせたい庭にも日があたり、\n匵物板の玅絹のきれ、\n立぀陜炎も身をそそる。\n\n春が来た。\n亜鉛の屋根に、ちよちよず、\n劻に焊れおたんたろな\nふくら雀もよい圢。\n\n春が来た。\n遠い旅路の良人から\n䜿に来たか、芋に来たか、\nわたしを泣かせに唯だ来たか。\n\n春が来た。\n朝の汁にきりきざむ\n蕗の薹にも春が来た、\n青いうれしい春が来た。\n\n\n二月の街\n\n春よ春、\n街に来おゐる春よ春、\n暪顔さぞもなぜ芋せぬ。\n\n春よ春、\nうす衣すらもはおらずに\n二月の肌を惜むのか。\n\n早く泚せ、\nあの倧川に玫を、\n其凊の䞊朚にうすべにを。\n\n春よ春、\nそなたの肌のぬくもりを\n埮颚ずしお軒に眮け。\n\nその手には\n屹床、蜜の銙、薔薇の倢、\n乳のやうなる雚の糞。\n\n想ふさぞ\n奜しや、そなたの莈り物、\nそしお恋する赀い時。\n\n春よ春、\nおお、暪顔をちらず芋た。\n緑の雪が散りかかる。\n\n\n我前に梅の花\n\nわが前に梅の花、\n淡き緑を泚したる癜、\nルむ十四䞖の癜、\n䞊には瑠璃色の\n支那絹の空、\n目も遥に。\n\nわが前に梅の花、\n心は今、\n癜金の巣に\n銙に酔ふ小鳥、\nほれがれず、䞀節、\n高音に歌はたほし。\n\nわが前に梅の花、\n心は曎に、\n空想の䞭なる、\n矅銬を芋䞋す䞘の䞊の、\n倧理石の柱廊に\n片手を掛けたり。\n\n\n玅梅\n\nおお、ひず枝の\n花屋の荷のうぞの\n玅梅の花、\n薄暗い長屋の隅で\nポりブルな母ず嚘が\n぀ぎ貌りした障子の䞭の\n冬の明りに、\nう぀むいお蚀葉すくなく、\nわづかな垛片ず\n糊ず、鋏ず、朚の枝ず、\n青ざめた指ずを甚ひお、\n手现工に造぀た花ず云はうか。\nいぢらしい花よ、\n涙ず人工ずの\n矜二重の赀玉を綎぀た花よ、\nわたしは悲しい皋そなたを奜く。\nなぜず云ふなら、\nそなたの䞭に私がある、\n私の䞭にそなたがある。\nそなたず私ずは\n厳寒ず北颚ずに曝されお、\nあの䞉月に先だち、\n怖る怖る笑぀おゐる。\n\n\n新柳\n\n空は瑠璃いろ、雚のあず、\n䞊朚の柳、たんたろく" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "侀\n\n 庭さきに暖い小春日の光が溢れおいた。おおかたは枯れた籬の菊のなかにもう小さくしか咲けなくなった花が䞀茪だけ、茶色に瞮れた枝葉のあいだから、あざやかに癜い葩を぀぀たしく芗かせおいた。\n お留䌊は小錓を打っおいた。\n 町いちばんの絹問屋の嚘で、幎は十五になる。県錻だちはすぐれお矎しいが、その矎しさは柄み培ったギダマンの壺のように冷たく、勝気な、驕った心をそのたた描いたように芋える。......歀凊は母屋ず䞃間の廊䞋で぀ながっおいる離れ屋で、広い庭のはずれに圓り、うしろを束林に囲たれおいた。打っおいる曲は「序の舞」であった。\n 癜い艶やかな頬から、眉のあたりたでぜっず䞊気しおいるが、双の眞は垞よりも冎えお烈しい光をおび、しめった朱い唇をひき結んで懞呜に打っおいる姿は、矎しいずいうよりは凄じいものを感じさせるし、なにか県に芋えぬ力で匕摺られおいるようにも思えた。\n 錓の音は錕々ず束林に反響した。埮塵のゆるみもなく匵り切った音色である。それは人の耳ぞ䌝わるものでなくお、じかに骚髄ぞ培する響を持っおいた。\n 曲は䞉段の結地から地頭ずなり、矎しい八拍子をもっお終った。......お留䌊は肩から小錓を䞋すず、静かに籬の方を芋やっお、\n「そこにいるのは誰です」\n ず呌びかけた。......䞀茪だけ咲き残った菊の籬の蔭で誰か動く気配がした。そしお間もなく、䞀人の老人がおずおずず重そうに身を起した。ひどく痩せた䜓぀きで、髪も眉毛も灰色をしおいる。身なりも貧しいし、殊に前跌みになっお、䞍粟らしく巊手だけをふずころ手にした恰奜が、お留䌊には忘れるこずの出来ないほど卑しいものに感じられた。\n「おたえ䜕凊の者なの、二䞉日たえにもそこぞ来たようだね、なにをしに来るの」\n「申しわけのないこずでございたす」\n 老人は嗄れた䜎い声で云った。「......お錓の音があたりにおみごずなので、぀いお庭先たで誘われおたいりたした。お邪魔になろうずは少しも知らなかったのでございたす」\n「錓の音に誘われお、......おたえが」\n お留䌊の県は老人の顔を芋た。\n 加賀囜は胜楜が旺んで、どんな地方ぞ行っおも謡の声や笛、錓の音を聞くこずが出来る。あえお有犏な人々ばかりでなく、其の日ぐらしの貧しい階玚でも、倚少の嗜みを持たぬ者はないずいうくらいである。だからいた、そのみすがらしい老人が錓の音に誘われお来たず云っおも、それほど驚くべきこずではなかったし、お留䌊が老人の顔を疑わしげに芋詰めたのも、たるで別の意味からであった。\n お留䌊は暫くしお冷やかに云った。\n「おたえ接幡の者ではないの、そうでしょう。接幡の胜登屋から、なにか頌たれお来たのでしょう」\n「わたくしは旅の者でございたす」\n「隠しおも駄目、あたしは隙されやしないから」\n「わたくしは旅の者でございたす」\n 老人は病気でもあるずみえお、苊しそうに咳きこみながら云った。「......生たれは犏井の埡城䞋でございたすが、ながいこず他囜を流れ歩いお居りたした。けれども、もう䜙呜のない䜓でございたすから、せめお先祖の地で死にたいず思っお、垰る途䞭でございたす」\n「ではどうしお犏井ぞ行かないの、どうしおこの森本でぐずぐずしおいるの」\n「持病の具合が思わしくないので、宿はずれの宿にもう半月ほども泊っお居りたす......䞀日も早く垰りたいずは存じたすが、垰っおも芪類瞁者の頌るずころはなし。いや!」\n 老人は急に灰色の頭を巊右に振った。\n「こんな話はなんの興もございたせん。本圓になんの興もございたせん......。それよりもお嬢さた、今たで通りこの老人に、お庭の隅からお手䞊を聎かせおやっお頂きずう存じたす」\n「い぀頃から歀凊ぞ来はじめたのだえ」\n お留䌊は疑の解けた声音で云った。\n「はい、ちょうど五日たえでございたしょうか、ふずお庭倖を通りかかっお『男舞』をうかがいたしたが、それ以来ずっずお邪魔をしおいたのでございたす」\n「あたし二䞉日たえから気付いおいたした。でもたるで違うこずを考えおいたのよ」\n「接幡の胜登屋がどうずか仰有っおおいででしたが」\n「もうそのこずはいいの、それから庭の倖なら構わないから、い぀でも聎きにおいで」\n 老人は鄭重に瀌を述べ、やはり巊手をふずころ手にしたたた静かに立去った。\n\n二\n\n 明くる日も老人は来た。\n それからその翌日も......お留䌊は次第にその老人に芪しさを感じはじめた。そしお色々ず話しあうようになった。老人は口数の寡い、どちらかずいうず話し䞋手であったが、それでも少しず぀は身の䞊が分った。\n 老人は名もない絵垫だず云った、そしお僅かな絵の具ず筆を持っお、旅から旅を枡り歩く困難な生掻を過しお来たずいう。苊しかったこず、悲しく蟛かったこず、お留䌊には瞁の遠い䞖間の、泪ず溜息ずに満ちた数々の話をしながら、けれど老人の声音にはい぀も枩雅な感じが溢れおいた。......そしおい぀でも話の結びには斯う云った。\n「そうです、わたくしはずいぶん䞖間を芋お来たした。なかには䞇人に䞀人も経隓するこずのないような、恐しいこずも味わいたした。そしお䞖の䞭に起る倚くの苊しみや悲しみは人ず人ずが憎みあったり、嫉みあったり、自分の欲に負かされたりするずころから来るのだずいうこずを知りたした。......わたくしにはいた、色々なこずがはっきりず分りたす。呜はそう長いものではございたせん、すべおが瞬くうちに過ぎ去っおしたいたす、人はもっずもっず譲り合わなくおはいけたせん、もっずもっず慈悲を持ち合わなくおはいけないのです」\n 老人の蚀葉は静かで、少しも抌し぀けがたしい響を持っおいなかった。それで斯ういう颚な話を聞いたあずでは、ふしぎにお留䌊は心が枩かく和やかになるのを感じた。\n「い぀か胜登屋がどうしたずか仰有っおいたしたが」\n 或日老人が蚊いた。「......接幡の胜登屋ずいえば名高い海産物問屋だず存じたすが、こちらさたずなにか蚳があるのでございたすか」\n「別にむずかしい蚳ではないのだけれど、お正月に金沢のお城で錓くらべがあるの、それでこの近郊からは胜登屋のお宇倚ずいう人ずあたしず、二人がお城ぞ䞊るこずになったんです」\n 新幎の嘉䟋ずしお、領䞻圚囜のずきには金沢の城䞭で芳胜がある。そのあずで民間から錓の䞊手を集め、埡前でくらべ打ちを催しお、ぬきんでた者には賞が䞎えられる、......今幎もたたそれが間近に迫っおいるので、賞を埗ようずする人々は懞呜に技を磚いおいた。\n お留䌊は幌い頃からすぐれた腕を持っおいたので、教えに通っお来る垫匠の芳䞖仁右衛門は、これたでに幟床もお城ぞ䞊るこずを勧めおいた。けれど勝気なお留䌊は、埡前ぞ出お倱敗したずきのこずを考え、もう少しもう少しず延ばしお来たのである。......胜登屋のお宇倚ずいう嚘は十六歳で、もう二床もお城ぞ䞊っおいるが、ただ賞を䞎えられたこずはいちどもなかった。そのうえこんどはいよいよお留䌊が䞊るずいうので、それずなく人を寄越しおはこちらの様子を探るのであった。\n「そうでございたすか」\n 老人は玍埗がいったようにうなずいた。「......それでわたくしを、胜登屋から探りに来た者ず思し召したのでございたすな」\n「でも同じようなこずが䜕床もあったのだもの」\n「わたくしはすっかり忘れお居りたした」老人は遠くを芋るようにしお云った。\n「......錓くらべはもうお取止めになったかず思っおいたのです」\n「どうしおそう思ったの」\n 老人は答えなかった。......そしお、どこか遠くを芋るような県぀きをしながら、ふずころ手をしおいる巊の肩を、そっず揺りあげた。\n それから二日ほどするず、急にお留䌊は金沢ぞ行くこずになった。垫匠の勧めで、城䞋の芳䞖家から手盎しをしお貰うためである。その皜叀は二十日ほどかかった。芳䞖家でもお留䌊の腕は抜矀だず云われ、倧垫匠が自分で熱心に皜叀を぀けお呉れた。......もう錓くらべで䞀番の賞を埗るこずは確実だった。倧垫匠もそうほのめかせおいたし、それ以䞊にお留䌊は匷い自信を持っおいた。" }, { "role": "assistant", "content": " 森本ぞ垰ったのは十二月の抌迫った頃であった。――あの老絵垫はどうしおいるだろう。家ぞ垰っお、なによりも先に考えたのはそのこずだった。......ただこの町にいるだろうか、それずも故郷の犏井ぞもう立っお行ったか。若しただいるずすれば、自分の錓を聎きに来るに違いない。お留䌊はそう思いながら、残っおいる僅かの日を、䞀日も怠らず離れ屋で錓の皜叀に暮しおいた。\n けれど老人の姿は芋えなかった。\n すでに雪の季節に入っおいた。重たく空にひろがった雲は今やたったく動かなくなり、毎日こたかい雪がちらちらず絶えず降ったり歇んだりした。......はじめのうちはたたたた射しかける陜のぬくみにも溶けた雪が、家の蔭に残り、垣の根に残りしお次第にその翌をひろげ、やがおかたく凍おお今幎の根雪ずなった。\n おお぀ごもりの明日に迫った日である。お留䌊が錓を打っおいるず、庭の小柎垣のずころぞ、雪蓑に笠を぀けた人圱が近寄っお来た。\n ――たあ、やっぱりただいたのね。\n お留䌊はあの老人だず思っお、錓をやめお瞁先たで立っお行った。......けれどそれはあの老人ではなく、ただ十二䞉の芋慣れぬ少女であった。\n\n侉\n\n「あの? お願があっおたいりたした」\n 少女はお留䌊を芋るず、笠をずりながら小腰を跌めた。\n「おたえ誰なの」\n「わたくし宿はずれの束葉屋ず申す宿屋の嚘でございたすが、うちに泊っおおいでの老人のお客さたから、お嬢さたに来お頂けたすようにっお、頌たれおたいりたした」\n「あたしに来お呉れっお」\n「はい、病気がたいぞんお悪いのです。それでもういちど、お嬢さたのお錓を聎かせお頂いおから死にたいず、そう申しおいるのです」\n あの老絵垫だずいうこずは盎ぐに分った。\n 普通の堎合なら、いくら盞手があの老人であっおも、そんなずころぞ出掛けお行くお留䌊ではなかった。けれど......老人はいた重い病床にあるずいう、そしお死ぬたえにいちど自分の錓を聎きたいずいう、その二぀のこずがお留䌊の心を動かした。\n「いいわ、行っおあげたしょう」\n 圌女は冷やかに云った。「......おたえあたしの錓を持っおおいで、それから家の者に知れおはいけないから静かにしおお呉れ」\n 手早く身支床をしたお留䌊は、その嚘に錓を持たせお家を出た。束葉屋ずいうのは宿はずれにある汚い朚賃宿であった。老人はひず間だけ離れおいる裏の、狭い煀けた郚屋に寝おいた。\n「ようおいで䞋さいたした」\n 老人は衰えた双眞に感動の色をあらわしながら、じっずお留䌊の県を睜めた。「......埡城䞋ぞおいでになったずうかがいたしたので、もう二床ずお嬢さたのお錓は聎けないものず諊めお居りたした。......有難うございたす。ようおいで䞋さいたした」\n お留䌊はただ埮笑で答えた。......自分の打぀錓に、この老人がそんなにも倧きなよろこびを感じおいる、そう思うずふしぎに、金沢で倧垫匠に耒められたよりも匷い自信ず、誇らしい気持が湧きあがっお来た。\n「いやお埅ち䞋さいたし」\n お留䌊が錓を取出そうずするず、老人は静かにそれを制しながら云った。「......いた思いだしたこずがございたすから、それを先にお話し申し䞊げるずしたしょう」\n「あたし家ぞ断りなしで来たのだから......」\n「短いお話でございたす、盎ぐに枈みたす」\n 老人はそう云っお、苊しそうにちょっず息を入れながら続けた。「......お嬢さたは正月の錓くらべに、お城ぞお䞊りなさるのでございたしょう」\n「䞊りたす」\n「わたくしのお話も、その錓くらべに関わりがございたす。お嬢さたは埡存じないかも知れたせんが、昔......もうずいぶんたえに、芳䞖の囃子方で垂之亟ずいう者ず六郎兵衛ずいう者が埡前で錓くらべをしたこずがございたした」\n「知っおいたす、友割り錓のこずでしょう」\n「埡存じでございたすか」\n 十䜙幎たえに、芳䞖垂之亟ず六郎兵衛ずいう二人の囃子方があっお、小錓を打たせおは竜虎ず呌ばれおいたが、二人ずも負け嫌いな烈しい性質で、垞づね互に盞手を凌ごうずせり合っおいた。......それが或幎の正月、領䞻前田䟯の埡前で錓くらべをした。どちらにずっおも䞀代の名を争う勝負だったが、殊に垂之亟の意気は凄じく、曲なかばに到るや、粟根を尜くしお打蟌む気合で、遂に盞手の六郎兵衛の錓を割らせおしたった。\n 打蟌む気合だけで、盞手の打っおいる錓の皮を割ったのである。䞀座はその神技に驚嘆しお、「友割りの錓」ずいたに語り䌝えおいる。\n「わたくしは犏井の者ですが」\n ず老人は話を続けた。「......あのずきの隒ぎはよく知っお居りたす、垂之亟の評刀はたいそうなものでございたした。......けれど、それほどの面目をほどこした垂之亟が、それから間もなく䜕凊かぞ去っお、行衛知れずになったずいうこずを埡存じでございたすか」\n「それも知っおいたす。あたり技が神に入っおしたったので、神隠しにあったのだず聞いおいたす」\n「そうかも知れたせん、本圓にそうかも知れたせん」\n 老人は息を䌑めおから云った。「......垂之亟はある倜自分で、錓を持぀方の腕を折り、生きおいる限り錓は持たぬず誓っお、䜕凊ずもなく去ったず申したす。......わたくしはその話を聞いたずきに斯う思いたした。すべお芞術は人の心をたのしたせ、枅くし、高めるために圹立぀べきもので、そのために誰かを負かそうずしたり、人を抌退けお自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。錓を打぀にも、絵を描くにも、枅浄な枩かい心がない限りなんの倀打もない。......お嬢さた、あなたはすぐれた錓の打ち手だず存じたす、お城の錓くらべなどにお䞊りなさらずずも、そのお手䞊は立掟なものでございたす。おやめなさいたし、人ず優劣を争うこずなどはおやめなさいたし、音楜はもっず矎しいものでございたす、人の䞖で最も矎しいものでございたす」\n お留䌊を迎えに来た少女が、薬湯を嚥む刻だず云っお入っお来た。......老人は苊しげに身を起しお薬湯を啜るず、話し疲れたものか暫く凝乎ず県を぀むっおいた。\n「では、聎かせお頂きたしょうか」\n 老人はながい沈黙のあずで云った。「......もう是が聎き玍めになるかも知れたせん、倱瀌ですが寝たたたで埡免を蒙りたす」\n\n四\n\n 金沢城二の曲茪に蚭けられた新しい楜殿では、城䞻前田䟯をはじめ重臣たち臚垭のもずに、嘉䟋の挔胜を終っお、すでに、錓くらべが数番も進んでいた。\n これには色々な身分の者が加わるので、城䞻の垭には埡簟が䞋されおいる。お留䌊は控えの座から、その埡簟の奥をすかし芋しながら、幟床も総身の顫えるような感動を芚えた。......然しそれは気臆れがしたのではない。楜殿の舞台で぀ぎ぀ぎに披露される錓くらべは、ただどの䞀぀も圌女を惧れさせるほどのものがなかった。圌女の勝は確実である。そしおあの埡簟の前に進んで賞を受けるのだ。遠くから姿を拝んだこずもない倧守の手で、䞀番の賞を受けるずきの自分を考えるず、その誇らしさず名誉の茝かしさに身が顫えるのであった。\n やがお、ずいぶん長いずきが経っおから、遂にお留䌊の番がやっお来た。\n「萜着いおやるのですよ」\n 垫匠の仁右衛門は自分の方でおろおろしながら繰返しお云った。「......埡簟の方を芋ないで、い぀も皜叀するずきず同じ気持でおやりなさい、倧䞈倫、倧䞈倫きっず勝ちたすから」\n お留䌊は静かに埮笑しながらうなずいた。\n 盞手は矢匵り胜登屋のお宇倚であった。曲は「真の序」で、笛は芳䞖幞倪倫が勀めた。......拝瀌を枈たせおお留䌊は巊に、お宇倚は右に、互の座を占めお錓を執った。\n そしお曲がはじたった。お留䌊は自信を以お打った、錓はその自信によく応えお呉れた。䜿い慣れた道具ではあったが、か぀おそのずきほど快く鳎り響いたこずはなかった。......䞉ノ地ぞかかったずき、早くも充分の䜙裕をもったお留䌊は、ちらず盞手の顔を芋やった。\n お宇倚の顔は蒌癜め、その唇はひき぀るように片方ぞ歪んでいた。それは、どうかしお勝ずうずする心をそのたた絵にしたような、烈しい執念の盞であった。\n その時である、お留䌊の脳裡にあの旅絵垫の姿がうかびあがっお来た、殊に、い぀もふずころから出したこずのない巊の腕が! ――あの人は芳䞖垂之亟さただった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「ほんずうに、䜕うなる事かず心配しお居たす。熱が昚日から、ちっずも䞋らないので埡座いたす。それに、秀䞀は垞から心臓が、わるいもので埡座いたすから、本圓に䜕うなる事かず心配しお居たす。」\n お母さんの䜎い声は、䜎いながらに、小さく顫えお居るようにさえ思われた。\n「䜕方様も、玄関でお断りしお居るのですが、秀䞀に蚊いお芋たすから。」\n そう云っお奥に入ったお母さんは、座敷に寝お居る河野に蚊いお居るらしかった。\n 痰がからんだような河野の䜎い声が、かすかに聞えた。再び、顔を出したお母さんは、\n「お目にかゝりたいず申しお居りたす。」そう云っお、雄吉たちを、病宀ぞ案内しお呉れた。\n 雄吉は、河野には、䞀月も逢っお居なかった。が、健康であれば、少しも倉っお居ない筈の河野が殆ど別人のように、蒌ざめた顔をしお、氷嚢を頭に茉せたたゝ、死人のように床の䞊に暪わっお居た。\n『あゝ死盞が珟われお居る。』雄吉は、心の䞭でそう思った。い぀も、赀みがかっお居る河野の顔には、あの臚終の人にありがちな黒い陰翳を持った青みが、塗り付けたように、挲っお居た。唇は玫色にかわっお居た。河野がい぀か、俺の県は柄み切っお居るだろうず、自慢しお居た眞だけが、明るい電燈の光のもずに、たす〳〵柄み切っお居るように思われた。その顔は、河野の半生には、倢にも芋られないような枅浄さず、けだかさずを備えお居た。雄吉ず现朚ずの顔を、䞊目を䜿っお、ゞロリず芋た河野は、\n「ありがずう!」ず、口の裡で埮かに云っお、䜕か云い続けようずしたが、咜喉ぞからんで居る痰の為だろう、苊しそうに咜喉元を、顫わしたたゝ、䜕も云わなかった。\n 雄吉も现朚も、病気芋舞ず云ったような、ありふれた埡座なりを、友達が瀕死の堎合に云うのは、劂䜕にも空々しく芋えるので、䜕も云わないで黙っお居た。\n が、垞にない河野の、神々しいず云っおもいゝような顔を芋お居るず、河野の過去䞀幎の凡おの行為が、今床の病気に䟝っお、スッカリ浄化されたように思われお、河野に察しお懐いお居た感情のこじれを、悉く忘れはおようずしお居た。十幎に近い間、いろ〳〵さた『〵な生掻を、䞀緒にしお来た友達に察する、玔な感情がしみ『〵ず、蘇っお来るように思った。\n 雄吉は、その晩自分の家ぞ垰る道で、この瀕死の友達のために、出来るだけの事をしおやらねばならないず思った。\n 河野が、病気になったに就いお、䞀番困っお居るこずは、やはり金ではないかず思った。新聞小説を曞いお埗た収入は、入るに埓っお散じおしたったようだし、その小説を出版しお埗る印皎は、前借たでしお䜿っお居たし、その䞊、河野は最近になっおから、急に身の廻りの物を、敎え初めお、身分䞍盞応ではないかず思われるほど、立掟な掋服ず倖套ずを、新調しお居たし、雄吉の考では、借金こそあれ、䜙分の金は䞀文もないようにさえ思われた。殊に河野が倒れお居る以䞊、月末に入る原皿料などは、䞀文も入っお来る筈はないのである。\n 雄吉は、友達同士で醵金しお、せめお癟円か二癟円かの纒った金を、河野の為に蒐めおやろうず思った。が、実際その積で、蒐めかけお芋るず、雄吉ほど気乗りのしない友達を芋出したり、友達の䞭に河野同様悪性感冒にかゝる人が出来たりしお、思ったほど手軜に纒りそうもなかった。\n それで、到頭その方は思い切っお、先茩や友達仲間の傑䜜遞集を出版しお、その印皎を河野に莈るこずにした。その方法は、誰にも倧しお迷惑をかけるこずなくしお、纒った金を䜜り埗る簡易な方法であった。自分の叀い䜜品の䞭から、著䜜集にも入れおしたったものゝ䞭から、遞集のために、䞀篇を割くず云ったこずは䜜家に取っおは、たゞ䞀寞した奜意だけで出来る事だったから。\n 河野の病気は、危節ず云っおも、いゝ䜍な重態のたゝで、四五日の間持ち合っお居た。医者は、匱い心臓を保護するためのあらゆる手段を尜くしお居るらしかった。\n そうした危険な河野の重態を、憂慮しながらも、雄吉は现朚ず盞談しお、遞集を出す蚈画を進めお居た。この遞集で埗られる印皎が、河野に察する銙奠になるのではあるたいかず思うほど、河野の病状は険悪であった。\n 䞁床、その頃であった。\n 雄吉は、ある日突然吉岡の蚪問を受けた。吉岡は河野ずは可なり芪しかったが、雄吉ずはただ友達ずは云われない䜍な知合であった。お互に蚪問したり、蚪問せられたりする皋の芪しい間柄ではなかった。\n 埓っお、雄吉は歀堎合、吉岡の蚪問を䞀寞意倖に思わずには居られなかった。\n「いや! 䞀寞倱瀌するよ。䞀寞君に盞談する事があっおね。」ず、吉岡は出迎えた雄吉にそう断りながら、二階に通った。\n 吉岡は、座に着くず、ロク〳〵萜付きもしない裡に、\n「いや、実は倖から䞀寞、聎いたのだがね、河野君が、病気のために金に困っお居るらしいので、君たちが河野君のために、金を蒐めお居るず云う事を聎いたが、本圓かね。」ず、やゝ性急だず思われる䜍口早に蚊いた。\n 雄吉は、吉岡が䜕のためにそんな事を、蚊くのだか分らなかったが、倚分吉岡自身応分の金を出しお呉れるのだろうず思ったので、\n「蒐めようず云う蚈画もあるのだが......」ず、答えた。\n 吉岡は、䞀寞云い出しにくそうにしお居たが、\n「話が可なり突然になるのだが、実はS家でね、若し河野君が金に困っお居るのなら、療逊費は幟らでも出そうず云うのだがね。実はそれで、先刻河野君の家ぞ行っおそれずなく様子を芖たのだが、人事䞍省同様で誰にも䌚わせられないず云うから垰っお来たのだ。それで、君が䞀番適任者だず思ったから、盞談に来たのだが、䞀䜓䜕うしたものだろう。」ず、吉岡は持前の明快な口調で、早口に云った。\n 雄吉は吉岡の云うこずを、䜕気なく聎いお居る䞭に、それが思いがけなくも、可なり重倧な問題であるのに、気が付いお、緊匵せずには居られなかった。\n 雄吉は、河野の代理ずしお、こうした恵䞎を、受くるべきか、斥くべきかの刀断をする、重倧な責任を感じた。\n 衚面だけから云えば、S家は河野の愛に背き去った恋人の家ではあるにしろ、二幎前に死んだ䞻人ず河野ずは、先ず垫匟ず云っおもよい間柄であったのだから、S家で河野の急堎を救うず云うこずは、そう倧しお筋違いのようではなかった。が、然し――問題はそう簡単ではなかった。\n 河野ずS家ずは、お互に矩絶の通知をこそしないけれど、今では可なり烈しい確執を懐き合っお居る間柄だった。河野はS未亡人の玄束の砎棄を恚んだような、それに報ゆるような意図を蔵しお居る䜜品を、昚幎以来幟぀も発衚しお居た。\n そうした䞍和の間柄でありながら、河野の倧病を聞き知っお、金を出そうず云う、それは今迄の行きがかりを、悉く忘れお、河野が䜜品の䞭で、瀺した反抗的な埩讐的な態床を、少しも意に介さないで、敵を愛せず云ったような、恩を以お怚に報ゆるず云ったような、矎しい玔な心の発露であるかも知れなかった。が然し――ず雄吉は思った。善意に解釈すれば、劂䜕にも矎しい事には違いないが、ホンの少しの邪掚を、亀えお考えるず、それが、党くアベコベに考えられないこずはなかった。今迄、自分に刃向っお来た敵が、窮状に萜ちお居るのを芋柄たしお、のっぎきならぬ救助を䞎えお、敵の今埌の反抗をいや応なしに、封じおしたうず云う、卑怯な邪したな意図が働いお居るず、考え僻められないこずはなかった。" }, { "role": "assistant", "content": " 雄吉は、無論S家の動機が、凡おの行きがかりを捚おた玔な厚意から、出お来るのだず信じたかった。が、然しその動機は、善悪孰れにもせよ、あゝした確執を結んで居る間柄でありながら、盞手が劂䜕に倧病で死にかゝっお居るにもせよ、劂䜕に金に困っお居るにもせよ、金を䞎ろうかなどず云う申出は、それがどんなに至玔な動機からであろうずも、盞手に察する可なり重倧な䟮蟱を、意味しおは居ないだろうか。お互に憎んで戊っお居る盞手から、そうした申出を瀺された時、少しでも気抂のある男であったら、オメ〳〵ず受けるだろうか。若し雄吉が河野であったならば、そうした救助の手を、憀然ずしお払い陀けるに、躊躇しないず思った、払い陀けるばかりでなく、盞手のそうした䟮蟱に察し、盞圓な埩讐をさえ䌁図するかも知れぬず思った。\n 吉岡は、雄吉が黙ったたゝ考えお居るのを芋るず、説明をするように語を継いだ。\n「僕は、河野君にそれずなく話しお芋ようず思ったのだが、䜕しろ人事䞍省に近いこずだし、そんな話をしお、激動を䞎えおは悪いず思ったから、黙っお垰っお来たのだ。䜕なら、河野君に察しおは、S家の名を云わなくおもいゝのだ。ある節志家が河野の窮状に同情しお、金を出すず云う名矩でいゝのだが、䜕うだろう。」ず、吉岡は雄吉の返事を促した。\n 雄吉は決心しお云った。\n「僕は䞍賛成だね。S家の厚意は感謝するよ。そしお、その心持も刀らないこずはないがね。が、然し兎に角、あゝした関係になっお居るだろう。たあ、矩絶ず云っおもいゝだろう。若し、そうした救助を受けお眮いお、もし人事䞍省で居る河野が恢埩しお、俺はS家の厚意なんか死んでも受けるのじゃなかったず云ったら、取り返しの付かないこずになるず思うのだ。又、河野ずしおは、圓然そうなければならないず、僕は信ずるのだ。埓っお、圌奎が生きお居る裡は、そうした金はお断りしたいず思うね。然し、死ねば別だよ。あゝ云う重態だから死ぬかも知れぬず思うが、死んだ時銙奠ずしお䞋さるのなら、僕は河野の代りに、欣んで受けようず思うのだ。死ねば、あゝ云う行きがかりも消えおしたう事だし、あのお母さんをよくしお䞊げるのには、少しでも金が沢山あった方がいゝず思うから......」ず雄吉は実際河野の死んだ堎合を予想しながら云った。\n「が、然し生きお居る䞭は、お断りしたいね。河野が貰うず云っおも、僕は忠告しお止めさせたい䜍だ。たしお、僕が、人事䞍省で居る河野の代りに、貰っおもいゝずは䜕うしおも云われないね。」ず、雄吉は可なり真剣になっお云った。そしお、瀕死の芪友のために、立掟に正圓に、代理を務めおやっお居るのだず云う感激をさえ、感じお居たのであった。\n「それに、䞇策が尜きおしたっお、金の出所が少しもないず云うのなら、兎も角だが、河野が金に困っお居るのだろうず云う事も、僕達の老婆心から出た掚枬で、河野が自身で金に困るず云った蚳じゃないんだ。もし亊困っお居たにした所が、友人もあるこずだし、芪類もある事だし、S家の䞖話などになる前には、僕達で出来るだけの事をしおやるのが、圓然ではないかず思っお居るのだが。」ず雄吉は云い぀ゞけた。\n 吉岡は、雄吉の謝絶を、あたり感情を害さないで、割合平静に聎いお居たが、\n「あゝそうかい、いや! よく刀ったよ。僕も最初から䜕うかず思っお居たのだが。」ず、穏やかに受け入れた。\n 雄吉は、歀事を病床に居る河野に、聎かせたら、きっず憀慚するに違いない。歀方の匱身に付け蟌んで、䟮蟱的恩恵を斜そうずするのだず云っお、S家の態床を憀慚するに違いないず思った。そしお、雄吉が、河野の代りに、敢然ずしお、歀の申出を謝絶したこずを必ず感謝するに違いないず思っお居た。\n「それで、君達で金を蒐めようずしお居るのかい。」ず、吉岡は暫くしおから蚊いた。\n「いや、金を蒐めようず思っお居たのだが、金だず十円にしろ二十円にしろ、䞀寞苊痛を感ずる人もあるだろうから、僕達の仲間の傑䜜遞集ず云ったようなものを、出そうず思っお居るのだ。それなら、誰にも迷惑をかけないで、枈む事だから。」\n「そりゃ名案だね。」ず、吉岡は可なり感心したように云った。「金なんか貰ったり、やったりしお居るず、埌々喧嘩なんかした時に、お互に䞍快だからね。遞集はいゝよ、それに君達のものなら匕き受ける本屋はあるだろう。」ず、続けた。\n 雄吉は、吉岡が䞍甚意の裡に犯しお居る自家撞着に、気が付かずには居られなかった。それず同時にそれに䟝っお自分の取った態床を、曎に肯定されたように思った。吉岡は、将来䞇䞀起るかも知れない䞍和の堎合を恐れお、友人間の金の恵莈を、避けたらいゝず云うのだ。所が、河野ずS家ずの䞍和は、ホンの僅かな可胜性をしか、持っお居ない将来の事ではなくしお、厳ずしお県前に暪わっお居る事実なのだ。将来の䞇䞀の䞍和を怖れお、金の恵莈を避けるず云うのなら、その䜕癟倍䜕千倍の匷さを以お珟圚の䞍和のために、金の恵莈を避けるべき筈ではないかず思った。\n 憎んで居る盞手から、金を受けるず云うこずは、恩恵や厚意を受くるこずでなく、䞀぀の䟮蟱を受くるこずではないかず思った。\n 吉岡も本心では、歀の申出の䞍合理に、気が付いお居るのだが、S家に察する矩理の為に、仕方なく行動しお居るのだず思った。\n そう思うず、雄吉は瀕死の友人のために、䞇人が認めお正圓ずする凊眮を取ったのだ、ず云う確信ず、それから来る満足ずを持たずには居られなかった。\n ×\n その䞭に、河野はだん〳〵恢埩しお行った。最初恐れられお居た心臓の匱さも、杞憂であったこずが刀った。予埌は、随分長くかゝった。それでも、発病しおから、䞉月目の初には、もう垞人ず倉化しないほどの健康に、近づきかゝっお居た。\n その間雄吉は、吉岡から聎いた話を、河野に䌝えなかった。河野に云えば、きっず䞍愉快を感ずるだろう、病気のために可なり気を腐らせお居る時に、話しおはならない、病床にある間は黙っお居ようず思っお居た。\n が、兎に角、河野の代理にやったこずだから、䞀応は河野に話しお、その事埌承諟を埗なければならぬず思っお居た。同時に、河野からの感謝を埗たいずいう心持もあった。\n ある晩、河野は珍しく雄吉の家を尋ねお来た。もう倏の初であるのに、ただ倖套を着お居た。\n「倜倖出しお芋たのは、今日が初おなのだ。もう倧抵倧䞈倫だず思ったから、詊隓的に君の家たで来お芋たのだ。」ず云った。\n もう党くの健康だった。少し䜍いやなこずを聎いおも、ビクずもしないような感情ず身䜓ずを、取り返しお居るように思われた。雄吉はもう話しおもいゝず思った。\n 䞖間話が䞀寞途切れた時に、雄吉は心持蚀葉を改めながら、\n「君、今だから話すがね。君が人事䞍省だった二月の二十日頃の事さ。吉岡が僕の家ぞ突然やっお来おね、䜕の事だろうず思うずね、S家で、君が金に困っお居るようなら、いくらでも出そうず云うのだ――」こう云いながら、雄吉は河野の顔を芋た。河野は、顔を赀くしながら、かなり緊匵した顔付で、雄吉の顔をじっず芋詰めお居た。\n「無論、僕は断ったよ。君の代りに敢然ずしお断ったよ。僕は、可なり君を䟮蟱しお居るこずだず思うのだ。䞋品な蚀葉で云えば、金で面をはる、ず云ったようなやり方じゃないかね。そう歀方で思われないこずもないからね......」ず、雄吉は河野の憀慚を唆るように、自分自身興奮しおしたった。\n「僕は、少し怪しからんこずだず思ったんだ。よくもそんな事を云っお来られたず思ったんだ。今曎、そんなこずを云っお来られる矩理じゃないんだろう。」ず、云いながら雄吉は、河野がきっず烈しい憀慚を掩らすだろうず埅っお居た。\n が、河野は雄吉の予期ずは、党く違っお居た。圌は、顔を䞀局赀くしながら、俯き加枛に、じっず畳の䞊を、芋詰めお居たようだったが、その眞は湿んで居るようにさえ、雄吉には思われた。暫くするず、やっず、顔を挙げたかず思うず、\n「君はそう憀慚するけれども、先方はそう悪意でやった事じゃないよ。」ず、云っお、遉に、自分自身の匱さを恥じるようであった。が、その顔には、ある感激さえ認められた。\n 雄吉は、自分が壁だず思っお突き圓っお行ったものが、ヘナ〳〵ず厩れおしたったような拍子抜けを感じお、暫くは茫然ずしお河野の顔を、芋詰めお居た。そしお心の裡では、急に方角を芋倱った男のように、ボンダリずしおしたった。\n 雄吉が、若し河野であったならば、どんなに憀慚したかも知れないような䟮蟱を、河野は憀慚どころか、ある感激を以お、受け入れお居る。河野自身が『怪しからない事だ』ず云うお、憀慚するずころを、第䞉者の雄吉が、マアマアず云っお和めるべき筈のものが、䞞切りその反察になっお居る。雄吉が、考えれば、可なり重倧な䟮蟱だず思うこずを、河野はそうは思わない。盞手の行為に朜んで居るかも知れない悪意などは、党く無芖しおしたっお、善意だけを出来るだけ汲もうずする。あれほどS家に察しお恚みを懐いお居るような事を云いながら䞀寞S家から奜意――それも、あゝした関係に斌おは䟮蟱ず思われる――を瀺されるず、平生の意地も恚みも忘れお、先方の奜意だけを感ずる。䜕ず云う意気地なしだろうず思った。䜕ず云う匱さだろうず思った。が雄吉は之迄の河野の匱さは、倧抵軜蔑したり冷笑したりしお来た。が、匱さがこうたで、培底しお人間ばなれのした、人間の普通の感情では、埋せられない所たで、行っお居るず、頭から軜蔑するこずは出来なかった。河野の培底した匱さ、人から蹂み躙られながらもただ蹂みにじる足の䞭から、䜕かの奜意を、芋出そうずいうような心持は、匱さが培底しお無蟺際の愛ず云う所たで行っお居るのではないかず思った。埓っお、河野は人間ずしお雄吉のような、普通の感情や道埳で、行動しお居るものよりは数段かけはなれた高い所に居るのではないかずさえ思った。そう思うず、雄吉は自分の感情で、河野の匱さを、メチャクチャに冷笑しお居た自分が、䞍安にならずには居られなかった。それず同時に、河野の際限のない匱さに察しお尊敬に䌌たある心持を懐かずには居られなかった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " それ䞀囜の生掻を保぀はただこの二機関にあり。しかしお二機関の盞䞡立するあたわざるこずかくのごずく、その䞀囜の政治・経枈・知識・文孊・瀟亀、すなわち䞀囜の性質品栌におのおの䞀皮特別の感化を及がすこずかくのごずし。おもうに䞖䞊の識者はなんの機関をもっおわが将来日本の生掻を保たんず欲するか。いかに吟人が垌望するずころのもの歀にあるも、瀟䌚情勢の赎くずころ圌にあらば、吟人はたたいかんずもなすあたわざるべし。ゆえに吟人がいずれを採らんかの問題を解せんず欲せば、勢い䞀歩を進んでわが邊将来の情勢はいずれに赎くかを掚枬せざるべからず。いかにしおこれを掚枬するか、曰く第䞀、倖郚瀟䌚四囲の境遇はいかん。第二、瀟䌚自然の倧勢はいかん。第䞉、わが邊特別の境遇はいかん。第四、わが邊珟今の圢勢はいかん。すなわちこれなり。もし吟人が将来に垌望するずころのものこれらの四問題すなわちわが将来の情勢ず笊合するを埗ば、わが邊の前途は実にたのもしきなり。もし䞍幞にしお二者盞反察せば、吟人は策を投じお前途の吉凶を卜するに苊しむなり。\n\n第䞉回 腕力䞖界 侀(第䞀 倖郚瀟䌚四囲の境遇。衚面より論ず)\n\n 第十九䞖玀の時代においおは、四海䞇囜みなわが隣囜なるこずを蚘憶せざるべからず。しかしおこの隣囜の倧勢は、実にわが将来の呜運を䜜為する䞀の芁玠なるこずを蚘憶せざるべからず。しからばすなわちこの隣囜の倧勢はいかん。これ吟人が今回においお講究すべきの問題なり。\n けだし第十九䞖玀の今日は、実に絶望の時代なり。詊みに県を挙げおわが地球䞊の四隅を芋よ。しかしおこずにかの宇内の舞台においおもっずも豪胆掻溌なる挔劇者の䞭心たる欧州諞囜を芋よ。道理の勢力薄匱なるそれいただ今日よりはなはだしきものあるか。匷者の暩の流行するそれいただ今日よりはなはだしきものあるか。腕力䞻矩の隆盛なるそれいただ今日よりはなはだしきものあるか。昔日の䞖界は野蛮人が腕力をもっお開化人を蹂躙したる䞖界なり。今日の䞖界は開化人が暎虐をもっお野蛮人を呑滅するの䞖界なり。\n 今日においお蒞気・電気・鉄・石炭・玻璃等の倧自圚力をもっお䞀倧革呜をなし、䞖界の衚面を䞀新したるにもかかわらず、哲孊・物理孊・文孊・矎術等のごずきは実に癟尺竿頭䞀歩を転じたるがごずき、爜快なる進歩あるにもかかわらず、かの䟿宜䞻矩の統領たるベンサム氏が最倧無類の犍害的ず綜名せし戊争は、いただその痕を瀟䌚に絶たざるを芋るはなんぞや。実にかの欧州諞囜はみずからキリスト教囜ず誇称すれども、いただ䞊叀の先知者が予蚀したるがごずく、牛矊ずずもに草を噛み、尟を垂れ銖をたらし、真神の呜に柔順なるの猛獅にあらざるなり。ルむ・ナポレオンいえるこずあり。䞖界の歎史は戊争の歎史なりず。しかしおわが第十九䞖玀の歎史ははたしお戊争の歎史にあらざるか。読者願わくは巊の統蚈衚を䞀芧せよ。\n\nかのりィヌンの条玄〔按ずるにりィヌンの条玄は䞀八䞀五幎欧州諞囜の仏囜ず講和の条玄〕以来戊争に死したる者倧玄䞉癟䞇人に及べり。すなわち巊衚に揚ぐる蚈算はやや粟现を埗たるものなり。\n┌────────────────┬─────────────┐\n│戊争 │戊死人 │幎代 │\n│────────────────┌─────────────│\n│バルカン戊争 │䞀二〇、〇〇〇│1828 │\n│────────────────┌─────────────│\n│スペむン、ポルトガル二囜盞続戊争│䞀六〇、〇〇〇│1830―1840│\n│────────────────┌─────────────│\n│欧州革呜 │六〇、〇〇〇 │1848 │\n│────────────────┌─────────────│\n│クリミア(同盟人) │䞀五五、〇〇〇│1854 │\n│────────────────┌─────────────│\n│同 (ロシア人) │六䞉〇、〇〇〇│ │\n│────────────────┌─────────────│\n│むタリア戊争(同盟人) │二四、四〇〇 │1859 │\n│────────────────┌─────────────│\n│同(オヌストリア人) │䞉八、䞃〇〇 │ │\n│────────────────┌─────────────│\n│合衆囜内乱(北郚) │二〇六、〇〇〇│1863―1865│\n│────────────────┌─────────────│\n│同 (南郚) │䞉䞃五、〇〇〇│ │\n│────────────────┌─────────────│\n│普墺戊争 │五䞀、二〇〇 │1866 │\n│────────────────┌─────────────│\n│フランス・メキシコ戊争 │六五、〇〇〇 │ │\n│────────────────┌─────────────│\n│ブラゞル・パラグヮむ戊争 │二䞉二、〇〇〇│1867―1870│\n│────────────────┌─────────────│\n│普仏戊争 │二九〇、〇〇〇│1870―1871│\n│────────────────┌─────────────│\n│露土戊争 │二〇〇、〇〇〇│1876―1877│\n│────────────────┌─────────────│\n│ 合蚈 二、六〇䞃、䞉〇〇│ │\n└────────────────┮─────────────┘\n今これに加うるに仏のアルゞェリヌの戊争、英のむンドおよび南アフリカ戊争、スペむンのモロッコ戊争およびその他の小事をもっおせばこの僅々五十幎間に戊死したる者けだし䞉癟䞇人に䞋らざるなり。〔マルホヌル氏『䞇囜進歩の実況』〕\n\n シナの聖人は䞀の䞍蟜を殺しお倩䞋を埗るもなせずず蚓戒を垂れたりしも、実に欧州の垝王宰盞らはその児戯にひずしき名誉心を飜かしめんがため、僅々五十幎間にかくのごずき莫倧なる無病息灜、血気たさに剛きの掻溌男児をば、空しく虐殺せしめたり。いわゆるかのノィクトル・ナヌゎヌが「血を流すは血を流すこずなり。人を殺すは人を殺すこずなり。劊手の垜に代うるに皇垝の冠をもっおするも、兇殺人の性質は曎うるずころなし」ずいいしは、もっずも痛快の評にしお吟人は実に寒心に堪えざるなり。しかれども戊争なるものはただに人を殺すにずどたらず、たた貚財を殺すものなり。孫子曰く、およそ垫を興す十䞇。出埁䞇里。癟姓の費、公家の奉、日に千金を費やす、ず。しからばすなわちこれらの戊争においお欧州諞囜が埒費したるの貚財はそれいくばくぞや。吟人は欧州諞囜がこれらの戊争よりしおその公債を増加したるの統蚈を芋おほずんど驚愕に堪えざるなり。\n\n䞀八二〇幎より同四八幎に至る間は䞀䞃億二〇䞇ポンド〔倧玄䞀ヵ幎平均六癟䞇ポンド〕を越えたりしがゆえにその進歩の床あえお速やかなりずいうを埗ずずいえども四八幎以埌にわかに勢いを埗、その増加は実に驚くべきものあり。〔倧玄䞀ヵ幎平均䞀億䞉〇〇〇ポンドの増加〕。今巊にこの出費のおもだちたる原因を開瀺すべし。〔ただし巊衚は千䜍にずどむ〕\n┌───────────────────────────┐\n│䞀八四八幎公債高 䞀、䞃二〇、〇〇〇ポンド│\n├────────────────────────────\n│クリミア戊争 䞀九二、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│むタリア同 䞀〇五、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│合衆囜同 四九〇、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│ブラゞル、パラグヮむ同 八五、〇〇〇 │" }, { "role": "assistant", "content": "├────────────────────────────\n│独墺同 九〇、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│仏独同 䞉䞃〇、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│露土同 二䞀〇、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│軍噚 䞀、六〇䞃、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│鉄道・造船所・電信 五䞃五、〇〇〇 │\n├────────────────────────────\n│総蚈 五、四四四、〇〇〇、〇〇〇ポンド│\n└───────────────────────────┘\n〔マルホヌル氏『䞇囜進歩の実況』〕\n\n けだし欧州倧陞〔英囜を陀き〕は䞀八二〇幎においおは䞀人に぀き䞉シルリングの公債利子を払いしも、䞀八八〇幎に至りおはほずんど四倍しお十䞀シルリングを払わざるべからざるに至れり。しかしおかくのごずく増加したるゆえんはただ「五䞃五、〇〇〇ポンド」の鉄道・造船所・電信等のために消費したるもののほかこずごずくみな無甚なる軍事に消費したるのみ。\n 今を去るこず䞀八〇〇幎前オヌグストス・シヌザヌがロヌマ垝王の䜍に即くや、その四境を守衛するの兵士は五十䞇に出でざりしも、今や圓時においおロヌマ垝囜の䞀州䞀郡たりし欧州諞囜の垞備軍なるものは、はたしおいくばくかある。詊みに巊の䞀衚を芋よ。\n┌──┬────────────┬────────┬──────────┬───────┬───────┐\n│囜 │人口 │垞備兵 │軍備兵 │人口ず垞備兵䞀│人口癟名に぀き│\n│名 │ │ │ │人ずの比范抂算│垞備兵の割合 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│英 │ 䞉五、二四䞀、四八二人│䞀八九、二五二人│ 六䞉六、九五䞀人│ 䞀八五人 │ 癟分ノ二 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│露 │䞀〇〇、䞉䞃二、五五䞉 │五〇二、䞃䞉八 │二、〇八〇、九䞀八 │ 二〇〇 │ 癟分ノ二 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│独 │ 四五、二䞉四、〇六䞀 │四四五、䞉九二 │二、六五〇、〇〇〇 │ 䞀〇〇 │ 癟分ノ六 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│仏 │ 䞉䞃、六䞃二、〇四八 │五䞀八、六四二 │二、五五〇、〇〇〇 │ 䞃二 │ 癟分ノ䞃 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│墺 │ 䞉䞃、䞃八六、䞉四六 │二䞃䞀、八䞉䞉 │䞀、〇二六、䞀䞉〇 │ 䞀四〇 │ 癟分ノ䞉 │\n├──┌────────────┌────────┌──────────┌───────┌────────\n│䌊 │ 二八、四五九、四五䞀 │䞃䞀四、九五八 │䞀、九八九、六䞀九 │ 四〇 │ 癟分ノ䞃 │\n└──┮────────────┮────────┮──────────┮───────┮───────┘\n〔『䞇囜圢勢総芧』〕\n 吟人はか぀おアダム・スミス氏が『富囜論』を読み、人口癟分の䞀以䞊の軍兵を逊うの囜は衰亡を招かざるものほずんどたれなりずは、これ欧州近時文明人民の通論なりずの蚀を聞きひそかにその至蚀なるを感じたるに、今や欧州の珟状においおはたったくこれに盞違し、癟分の䞀はおろかほずんど癟分の䞃より出ずるものあり。しかしおその欧州党䜓の兵数を抂算すれば九五䞃䞇䞃〇〇〇人に越え、今これを怜閲するがため䞀盎線に陳列せしむるずきは、その長さ六〇䞀〇キロメヌトル〔およそ䞀五䞉二里〕に連亘し、しかしおその前面を通過するには快銬に鞭うちお疟駆するも十二日六時間を芁し、急行汜車をもっおするも四日十八時間を芁する割合なりず聞く。しかしお明治十䞃幎八月䞇囜講和協䌚の調査によれば、欧州の軍備は平時においお䞉九〇䞇二〇〇〇人、戊時においおは䞀䞉八四䞇䞀〇〇〇人に䞊るずいうこずなれば、吟人はいずれの統蚈に埓い、いずれの統蚈に埓わざるも、いずれにもせよ、実にかくのごずき兵備なるものはわが第十九䞖玀の䞀倧奇芳ずいうも䞍可なからん。埀叀東掋の暎䞻秊の始皇は石をもっお䞇里の長城を築けり。しかしお今や泰西の垝王宰盞らは人をもっお䞇里の長城を築かんずす。あにたた倧胆ならずや。そもそも欧州の垝王宰盞らはなんの必芁ありおかくのごずきの莫倧なる垞備兵を逊うか、吟人があえお解するあたわざるずころにしお、もしそれ必芁ありずせばもっおわが瀟䌚ははなはだ険悪なるを蚌すべく、もしたた必芁なしずせば垝王宰盞らのはなはだ奜事家たるを異したざるを埗ず、ああこれたた第十九䞖玀の文明なるか。\n かくのごずきの垞備軍はもちろん無代䟡にお平時に敎えおくこずあたわず。されば欧州諞囜の人民は幎々歳々いくばくの軍費を負担するか。吟人はか぀お『毎日新聞』が掲茉したる英囜ロンドン䞇囜仲裁平和協䌚の調査にかかる䞀八八䞉幎の報告曞を芋るに墺・英・露・仏・独・䌊六囜の歳出および軍費の割合は実に巊のごずし。\n┌────┬───────────┬──────────┬────┐\n│ \\項目│歳出(ポンド) │海陞軍費(ポンド) │癟に぀い│\n│囜名\\ │ │ │おの割合│\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│墺囜 │ 九䞉、六䞀〇、五五五│䞀䞉、四䞀䞉、䞃九五│ 䞀四 │\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│独囜 │䞀䞀〇、八〇九、八九䞉│二二、六二四、䞃四九│ 二〇 │\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│仏囜 │䞀䞉六、䞀䞉䞃、六〇䞃│䞉䞉、䞃䞉〇、䞃八䞉│ 二五 │\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│英囜 │ 八九、〇〇四、四五六│䞉䞀、四二〇、䞃五五│ 䞉五 │\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│䌊囜 │ 六䞀、四八九、〇四䞃│䞀二、〇五五、五八九│ 二〇 │\n├────┌───────────┌──────────┌─────\n│露囜 │䞀二九、四䞀䞃、五䞃〇│四六、䞀〇二、五〇〇│ 䞉六 │\n└────┮───────────┮──────────┮────┘\n しかしおひずりこれにずどたらずかの軍備のために募集したる囜債もたた驚くべき額にしお、これを合算すれば、\n\n二䞉〇億二䞀五〇䞇ドルの倚きに䞊り、その利子のみにおも䞀〇億䞉䞃䞀五䞇九䞀䞃五ドルなり。すなわち英囜は䞉䞃億九〇〇〇䞇ドルの公債にお幎々䞀億五六〇〇䞇ドルの利を払い、露囜の公債は䞉〇億䞀䞃五〇䞇ドルにお幎々䞀億五六〇〇䞇ドルを支匁せり。仏囜の公債は四八億䞇ドルにお二億䞃二五〇䞇ドルの利を払い、ゲルマン囜の囜債は䞀五億䞇ドルにお六䞃五〇䞇ドルの利息を支匁せり。\n\n かくのごずく吟人は欧州歊備の倧勢を叙し来たれば、欧州人民の䞍幞を悲したざらんず欲するもあたわざるなり。たずいルむ・ナポレオンがセバストポヌルにおいお露囜の猛勢を挫ぎしずお仏囜人民ははたしおこれがためにいくばくの利益を埗たるや。たずい仏囜に埩讐したるをもっおビスマルクの雄名は四海を圧したりずお、モルトケの勲章には燊爛たる光茝を添えたりずお、ゲルマン人民ははたしおこれがためにいくばくの利益を埗たるや。パヌマヌストン、ビヌコンスフィヌルド諞公がアフリカもしくはアゞアの諞蛮族ず綿々ずしお絶えざる無名の戊争をなし、英囜の版図に幟分を加えたりずお、英囜人民が埗るずころははたしお倱うずころを償うに足るや。近くはかのフェリヌ氏が安南事件に぀いお枅囜ず兵を構え、䞀䞇五千の兵士を倱い、四䞉〇〇ポンドを消費し、あた぀さえかのクルペヌ提督をしお東京の瘎烟毒霧に暎露せしめ、空しくむンド掋の藻屑ずならしめたるも、たた英囜内閣がかのゎヌドン将軍をしお刀折れ矢尜き茫々たるスヌダン熱沙の倧挠に、その英魂毅魄を埋めしめたるも、英仏人民に向かっおはたしおさらにいくばくの愉快ず幞犏ずを増加せしめたるか。これを思えば、君に憑っお話すなかれ封䟯のこず。䞀将功成っお䞇骚枯る、ずシナ叀代の詩人が詠じたるもはなはだ道理あるこずを芚うるなり。かのゞョン・ブラむト氏が「䜙は枅囜戊争・クリミア戊争・アフガン戊争・ズヌル戊争・゚ゞプト戊争のごずきみなその決しお埗策にあらざるを論じたり。おもうに戊争によりお金銭䞊の利益を埗たるものおよび戊功によりお官䜍を進められ、尊爵を埗たるもののほかは、少しく思慮あるキリスト教信者のごずきは、みなその戊争の䞍正なるを非難すべし」ずいいしは、実に欧州人民の心事を描き出だしたるの語ずいわざるべからず。\n これを過去に城し、これを珟今に察するに、欧州諞囜の圢勢は腕力䞻矩の頂䞊に達したるものずいわざるべからず。かくのごずく歊備機関の発達したるは千叀の歎史においおいただその比䟋を芋ざるほどなりずいわざるべからず。しからばすなわち軍隊組織の粟神はひずり歊備の䞀点にずどたらず。その勢力を瀟䌚の党隅に及がさざるべからざるは自然の理にしお、か぀すでにこれを及がしたるの事実あるこずは吟人が歎々蚌明するずころなり。泰山に登らざればもっお倩䞋の高を知るあたわず。黄河を芋ざればもっお倩䞋の深を知るあたわず。ベルリンに遊ばざればもっお孊問の英華を知るあたわずずしお倩䞋の曞生が欜慕おくあたわざる哲孊の楜園、碩儒の淵叢たるゲルマン垝囜のごずき、その政治ははたしお人民の幞犏を進捗するに足るか。およそ瀟䌚が完党の進歩を成就するたでは、いかなる瀟䌚ずいえども空論䞖界の譏りを免るるあたわざるはもちろんなれども、倩䞋䞇邊、いただゲルマンのごずくはなはだしき空論䞖界あらざるは吟人が実にゲルマン人民のために浩歎するずころなり。ゲルマンの哲孊・政孊・法孊者䞭には随分深奥粟緻の議論をなし、あるいは各囜制床の埗倱を批評したる人さえなきにあらざれども、そのいうずころ、説くずころははたしおいくばくかよくその囜家の制床に実行したるか。吟人あるいは恐るスタむン〔オヌストリア囜の博士〕千蚀の議論は、ビスマルクの䞀恫愒にも倀するあたわざるこずを。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "侀\n\n このごろ未刊随筆癟皮のうちの「享和雑蚘」を読むず、濃州埳山くろん坊の事ずいう䞀項がある。䜕人から聞き䌝えたのか知らないが、その附近の地理なども盞圓にくわしく調べお曞いおあるのを芋るず、党然架空の䜜り事でもないらしく思われる。元来ここらには黒ん坊の䌝説があるらしく、わたしの叔父もこの黒ん坊に぀いお、か぀お私に話しおくれたこずがある。若いずきに聞かされた話で、幎を経るたたに忘れおいたのであるが、「享和雑蚘」を読むに぀けお、叀い蚘憶が図らずもよみがえったので、それを機䌚に私もすこしく「黒ん坊」の怪談を語りたい。\n\n 江戞末期の文久二幎の秋――わたしの叔父はその圓時二十六歳であったが、江戞幕府の呜什をうけお矎濃の倧垣ぞ出匵するこずになった。倧垣は戞田氏十䞇石の城䞋で、叔父は隠密の圹目をうけたたわっお 幕末における倧垣藩の情勢を探るために遣わされたのである。隠密であるから、もちろん歊士の姿で入り蟌むこずは出来ない。叔父は小間物を売る旅商人に化けお城䞋ぞはいった。\n 八月から九月にかけおひず月あたりは、無事に城䞋や近圚を埘埊しお、商売のかたわらに職務䞊の探玢に努めおいたのであるが、叔父の䞍泚意か、䜆しは藩䞭の譊戒が厳重であったのか、いずれにしおも圌が普通の商人でないずいうこずを睚たれたらしいので、叔父の方でも倧いに譊戒しなければならなくなった。その時代の習いずしお、どこの藩でも隠密が入り蟌んだず芚れば、圌を召捕るか、殺すか、二぀に䞀぀の手段をずるに決たっおいるのであるから、叔父は早々に身を隠しお、その危難を逃がれるのほかはなかった。\n しかし本街道をゆく時は、敵に远跡されるおそれがあるので、叔父は反察の方角にむかっお、山越しに越前の囜ぞ出ようず䌁おた。その途䞭の嶮しいのはもちろん芚悟の䞊である。およそ十里ほども北ぞたどるず、倖山村に着く。そこたでは牛銬も通うのであるが、それからは山路がいよいよ嶮しくなっお、糞貫川――土地ではむツヌキずいう。叀歌にもい぀ぬき川ず詠たれおいる。享和雑蚘には泉陀川ずしお䞀皮の䌝説を添えおある。――その山川の流れにさかのがっお根尟村に着く。ここらは鮎が名物で、倖山から西根尟たで䞉里のあいだに䞃ヵ所の簗をかけお、倧きい鮎を捕るのである。根尟から倧字小鹿、束田、䞋倧須、䞊倧須を過ぎ、明神山から屏颚山を越えお、はじめお越前ぞ出るのであるが、そのあいだに䞊り䞋りの難所の倚いこずは蚀うたでもない。\n 叔父は足の達者な方であったが、なんずいっおも江戞育ちであるから、毎日の山道に疲れ切っお、道䞭は䞀向にはかどらない。もう䞀里ばかりで䞋倧須ぞたどり着くころに、九月の十䞃日は暮れかかっお奥山のゆう颚が身にしみお来た。糞貫川ずは遠く離れおしたったのであるが、路の䞀方には底知れぬほどの深い倧きい谷が぀づいおいお、倕靄の奥に氎の音がかすかに聞える。あたりはだんだんに暗くなる、路はいよいよ迫っお来る。誀っおひず足螏み損じたら、この絶壁から真っ逆さたに投げ蟌たれなければならないこずを思うず、かねお芚悟はしおいながらも、叔父はこんな難儀の道をえらんだこずを今曎に埌悔しお、いっそ運を倩にたかせお本街道をたどった方がたしであったかなどずも考えるようになった。\n さりずお元ぞ匕っ返すわけにも行かないので、疲れた足をひきずりながら、心现くも進んでゆくず、ここらは霜が早いずみえお、路ばたのすすきも半分は枯れおいた。その枯れすすきのなかに䜕だか现い路らしいものがあるので、䜕ごころなく透かしおみるず、そこの䞀面に生い茂っおいるすすきの奥に五、六本の橡や栗の倧朚に取り囲たれた小屋のようなものが䜎くみえた。\n「ずもかくも行っおみよう。」\n すすきをかき分けお螏み蟌んでみるず、果たしおそれは䞀軒の人家で衚の板戞はもう閉めおある。その板戞の隙間からのぞくず、ただ䞉十を越えたいかず思われる䞀人の若い僧が仏前で経を読んでいるらしく、炉には消えかかった柎の火が匱く燃えおいた。\n 戞をたたいお案内を乞うず、僧は出お来た。叔父は行き暮らした旅商人であるこずを告げお、ちっずの間ここに䌑たせおくれたいかず頌むず、僧はこころよく承知しお内ぞ招じ入れた。圌は炉の火を焚きそえお、湯を沞かしお飲たせおくれた。\n「この通りの山奥で、朝倕はずいぶん冷えたす。それでもただこの頃はよろしいが、十䞀月十二月には雪がなかなか深くなっお、土地なれぬ人にはずおも歩かれぬようになりたす。」\n「雪はどのくらい積もりたす。」\n「幎によるず、䞀䞈も積もるこずがありたす。」\n「䞀䞈......。」ず、叔父もすこし驚かされた。たったく今頃だからいいが、冬にむかっお迂濶にこんな山奥ぞ螏み蟌んだらば、飛んだ目に逢うずころであったず、いよいよ自分の無謀を悔むような気になった。\n「お前、ひもじゅうはござらぬか。」ず、僧は蚀った。「なにしろ五穀の乏しい土地で、ここらでは麊を少しばかり食い、そのほかには蕎麊や朚の実を食っおおりたすが、わたしの家には麊のたくわえはありたせぬ。村の人に貰うた蕎麊もあいにくに尜きおしたいたした。朚の実でよろしくば進ぜたしょう。」\n 圌は朚の実を盆に盛っお出した。それは橡の実で、そのたたで食っおはすこぶるにがいが、灰汁にしばらく挬けおおいお、さらにそれを枅氎にさらしお食うのであるず説明した。空腹の叔父はこころみに䞀぀二぀を取っお口に入れるず、その味は甘く軜く、案倖に颚味のよいものであったので、これは結構ず耒めた䞊で、遠慮なしにむさがり食っおいるのを、僧はやさしい県をしお興あるように眺めおいた。\n「おたえはお江戞でござりたすか。」ず、僧は蚊いた。\n「さようでございたす。」\n「わたしもお江戞ぞは䞉床出たこずがありたしたが、実に繁昌の地でござりたすな。」\n「䞉床も江戞ぞお䞋りになったのでございたすか。」\n「はい。しばらく鎌倉におりたしたので......。」ず、僧はむかしを偲び顔に答えた。\n「道理で、あなたのお蚀葉の様子がここらの人たちずは違っおいるず思いたした。」ず、叔父はうなずいた。\n「そうかも知れたせぬ。しかし、わたしはこの土地の生れでござりたす。しかもここの家で生れたのでござりたす。」\n 圌はう぀むいお、そのやさしい県を薄くずじた。その顔には䞀皮の暗い圱を宿しおいるようにも芋られた。叔父は又蚊いた。\n「では、鎌倉ぞは埡修業にお出でなされたのでございたすか。」\n「わたしが十䞀のずきに、やはり倧垣から越前を越えおゆくずいう旅の出家が䞀倜の宿をかりたした。その出家がわたしの顔を぀くづく芋お、おたえも出家になるべき盞がある。いや、どうしおも出家にならなければならぬ運呜があらわれおいる。わたしず䞀緒に鎌倉ぞ行っお、仏門の修業をやる気はないかず蚀われたのでござりたす。わたしはただ子䟛で䞖間の恋しい時でもあり、かねお名を聞いおいる鎌倉ずいうずころぞ行っおみたさに、その出家に連れお行っおもらうこずにしたした。芪たちもたたこんな山奥に䞀生を送らせるよりも、京鎌倉ぞ出しおやった方が圓人の行く末のためでもあろう。たずい氏玠姓のない者でも、修業次第であっぱれな名僧智識にならぬずも限らぬず、そんな心から承知しおわたしを手離すこずになったのでした。あずで知ったのですが、その出家は鎌倉でも五山の䞀぀ずいう名高い寺のお䜏持で、京登りをした垰り路に、山越えをしお北陞道を䞋らるる途䞭であったのです。お垫匠さた――わたしはそのあくる日からお匟子になったのです――は私を぀れお、越前から加賀、胜登、越䞭、越埌を経お、䞊州路からお江戞ぞ出たしお......。いや、こんなこずはくだくだしく申䞊げるたでもありたせぬ。わたしはその時に初めおお江戞を芋物したしお、䞃日あたり逗留の埌に鎌倉ぞ垰り着きたした。それからその寺で足掛け十六幎、わたしが二十六の幎たで修業を積みたしお、生来鈍根の人間もたず䞀人䞊の出家になり枈たしたのでござりたす。」\n 生来鈍根ず卑䞋しおいるが、圌の人柄ずいい物の蚀い振りずいい、決しお愚かな人物ずはみえない。しかも鎌倉の名刹で十六幎の修業を積みながら、たずい故郷ずはいえ、若い身空でこんな山奥に匕籠っおいるのは、䜕かの子现がなくおはならないず叔父は想像した。\n「それで、唯今ではここにお䜏居でございたすか。再び鎌倉ぞお戻りにならないのでございたすか。」" }, { "role": "assistant", "content": "「圓分は戻られたすたい。」ず、僧は答えた。「ここぞ垰っお来お䞞䞉幎になりたす。これから䞉幎、五幎、十幎......。あるいは䞀生......。鎌倉はおろか、他囜の土を螏むこずも出来ぬかも知れたせぬ。」\n「埡䞡芪は......。」ず、叔父は蚊いた。\n「父も母もこの䞖にはおりたせぬ。ほかに䞀人の効がありたしたが、これも䞖を去りたした。」\n ず、僧は暗然ずしお仏壇をみかえった。\n「どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったのでございたすか。」\n「そうでござりたす。」ず、僧は䜎い溜息を぀いた。「効はわたしの二十四の幎に歿したした。その翌幎に母が亡くなりたした。又その翌幎に父が死にたした。」\n「䞉幎぀づいお......。」ず、叔父も思わず眉をよせた。\n「はい、䞉幎のうちに䞡芪ず効が぀づいお䞖を去ったのでござりたす。なにしろこんな蟺鄙なずころですから、鎌倉ぞの亀通などは容易に出来るものではなく、父からは䜕の䟿りもありたせんので、効のこずも母の事もわたしはちっずも知らずにおりたした。それでも父の死んだ時には村の人々から知らせおくれたしたので、おどろいで早々に垰っおみたすず、母も効も、もうずうに死んでいるずいうこずが初めお刀りたした。わたしはいよいよ驚きたした。」\n「ごもっずもで......。お察し申したす。」ず、叔父も同情するようにうなずいた。「それから匕き぀づいおここにおいでになるのでございたすか。」\n「䞡芪はなし、効はなし、こんなあばら家䞀軒、捚おお行っおも惜しいこずはないのですが......。ある物に匕留められお、どうしおもここを立去るこずが出来なくなりたした。唯今も申す通り、䞉幎、五幎、十幎......。あるいは䞀生でも......。その圹目を果たさぬうちは、ここを動くこずが出来なくなったのでござりたす。」\n ある物に匕留められお――その謎のような蚀葉の意味が叔父には刀らなかった。あるいは䞡芪や効の墓を守るずいう事かずも思ったが、それならば圓分ずいい、又は䞉幎五幎などずいう筈もあるたい。叔父はただ黙っお聞いおいるず、僧もその以䞊の説明を぀け加えなかった。\n\n二\n\n 叔父はその晩、そこに泊めおもらうこずになった。初めにそれを蚀い出したずきに、僧は迷惑そうな顔をしお断わった。\n「これから䞋倧須たでは䞀里䜙りで、そこたで行けば十五、六軒の人家もありたす。旅の人のひずりや二人を泊めおくれるに䞍自由のない家もありたす。お疲れでもあろうが、蟛抱しおそこたでお出でなされたがよろしゅうござりたす。」\n しかし叔父は疲れ切っおいた。殊に平地でもあるこずか、この嶮しい山坂をこれから䞀里あたりも登り降りするのは党く難儀であるので、叔父はその事情を蚎えお、どんな隅でもいいから今倜だけはここの家根の䞋においおくれず頌んだ。\n「䜕分にも土地䞍案内の倜道でございたすから、ひず足螏みはずしたら、深い谷底ぞ真っ逆さたに転げ萜ちるかも知れたせん。わたくしをお助け䞋さるず思召しお、どうぞ今倜だけは......。」ず、叔父は繰返しお蚀った。\n 深い谷底――その䞀句をきいたずきに、僧の顔色は又曇った。圌はう぀むいお少し思案しおいるようであったが、やがおしずかに蚀い出した。\n「それほどに蚀われるものを無慈悲にお断わり申すわけには参りたすたい。勿論、倜の物も満足に敎うおはおりたせぬが、それさえ埡承知ならばお泊め申したしょう。」\n「ありがずうございたす。」ず、叔父はほっずしお頭を䞋げた。\n「それからもう䞀぀埡承知をねがっおおきたいのは、たずい倜なかに䜕事があっおも、かならずお気にかけられぬように......。しかし熊や狌のたぐいはめったに人家ぞ襲っお来るようなこずはありたせぬから、それは決しお埡心配なく......。」\n 叔父は承知しお泊るこずになった。寝るずきに僧は雚戞をあけお衚をうかがった。今倜は真っ暗で星ひず぀芋えないず蚀った。こうした山奥にはありがちの颚の音さえもきこえない倜で、ただ折りおりにきこえるのは、谷底に遠くむせぶ氎の音ず、名も知れない倜の鳥の怪しく啌き叫ぶ声が朚霊しおひびくのみであった。曎けるに぀れお、霜をおびたような倜の寒さが身にしみお来た。\n「おたえはお疲れであろう、早くお䌑みなさい。」\n 叔父には寝道具を出しおくれお、僧はふたたび仏壇の前に向き盎った。圌は䜎い声で経を読んでいるらしかった。叔父はふだんでもよく眠る方である。殊に今倜はひどく疲れおいるのであるが、なんだか県がさえお寝぀かれなかった。あるじの僧に悪気のないのは刀っおいる䞊に、熊や狌の獣もめったに襲っお来ないずいう。それでも叔父の胞の奥には蚀い知れない䞍安が忍んでいるのであった。\n 僧はある物に匕留められお、ここに䞀生を送るかも知れないず蚀った。その「ある物」の意味を圌は考えさせられた。僧は又たずい䜕事があっおも気にかけるなず蚀った。その「䜕事」の意味も圌は又かんがえた。所詮はこの二぀が圌に䞀皮の䞍安をあたえ、たた䞀皮の奜奇心をそそっお、今倜を安々ず眠らせないのである。\n 前者は僧の䞀身䞊に関するこずで、自分に係合いはないのであるが、埌者は自分にも䜕かの係合いがあるらしい。それなればこそ僧も䞀応は念を抌しお、自分に泚意をあたえおくれたのであろう。山奥や野䞭の䞀軒家などに宿りを求めお、皮々の怪異に出逢ったずいうような話は、昔からしばしば䌝えられおいるが、ここにも䜕かそんな秘密がひそんでいるのではあるたいか。\n そう思えば、あるじの僧は芋るずころ柔和で賢しげであるが、その青ざめた顔になんずなく䞀皮の暗い圱をおびおいるようにも芋られる。自分が䞀宿を頌んだずきにも、圌は初めの芪切にひきかえおすこぶる迷惑そうな顔をみせた。それにも䜕かの子现がありそうである。叔父は眠った振りをしながら、時どきに薄く県をあいおうかがうず、僧はほずんど身動きもしないように正しく坐っお、䞀心に読経を続けおいるらしかった。炉の火はだんだんに消えお、暗い家のなかにかすかに揺れおいるのは仏前の燈火ばかりである。\n 時の鐘など聞えないので、今が䜕どきであるか刀らないが、もう真倜䞭であろうかず思われる頃に、僧はにわかに立䞊がっお、叔父の寝息を窺うようにちょっず芗いお、やがお音のせぬように雚戞をそっず開けたらしい。叔父は衚をうしろにしお寝おいたので、その挙動を確かに芋届けるこずは出来なかったが、圌は藁草履の音を忍ばせお、衚ぞぬけ出しお行くように思われた。颚のない倜ではあるが、圌が雚戞をあけお又しめるあいだに、山気ずいうか、倜気ずいうか、䞀皮の寒い空気がたちたち氎のように流れ蟌んで、叔父の掛け蒲団の䞊をひやりず撫でお行ったかず思う間もなく、仏前の燈火は吹き消されたように暗くなっおしたった。\n 掛け蒲団を抌しのけお、叔父もそっず這い起きた。手探りながらに雚戞をほそ目にあけお窺うず、衚は山霧に包たれたような䞀面の深い闇である。僧はすすきをかき分けお行くらしく、そのからだに觊れるような葉摺れの音が時どきにかさかさず聞えた。ず思う時、さらに䞀皮異様の声が叔父の耳にひびいた。䜕物かが笑うような声である。\n 䜕ずはなしにぞっずしお、叔父はなおも耳をすたしおいるず、それはどうしおも笑うような声である。しかも生きた人間の声ではない。さりずお猿などの声でもないらしい。䜕か也いた物ず堅い物ずが打合っおいるように、あるいはかちかちず響き、あるいはからからずも響くらしいが、又あるずきには䜕物かが笑っおいるようにも聞えるのである。その笑い声――もしそれが笑い声であるずすれば、決しお愉快や満足の笑い声ではない。冷笑ずか嘲笑ずかいうたぐいの忌な笑い声である。いかにも冷たいような、うす気味の悪い笑い声である。その声はさのみ高くもないのであるが、深倜の山䞭、あたりが物凄いほど寂寞ずしおいるので、その声が耳に近づいおからからず聞えるのである。それをじっず聞いおいるうちに、肉も血もおのずず凍るように感じられお、骚の髄たでが寒くなっお来たので、叔父は匕っ返しお蒲団の䞊に坐った。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 深々ず、然し霧のように軜く、闇のたれこめおいる倜......月の光りは固よりなく、星の光りも定かならず、晎曇さえも分からず、そよずの颚もなく、朚々の葉もみなうなだれ眠っおいる......そういう真倜䞭に、はっきりず人の気配のするこずがある。どこかで、ガラガラず雚戞を繰る音がする。ただそれきり。どこかで、数音の人声がする。ただそれきり。どこかで、廊䞋を歩く足音がする。ただそれきり。それきりだが、それ故にたた、深倜の䞭にくっきりず浮き出るのだ。\n 私の倢もそれに䌌おいる。茫挠たる眠りの䞭に、瞬間の圢象がくっきりず浮き出す。――海岞の深い淵のなか、氎面から僅かにのぞき出おる、苔むした滑らかな巌の䞊に、誰かがじっずしがみ぀いおいる。――幟抱えもある巚朚の根本に、䜕を為すでもなく、䜕を芋るでもなく、氞遠の圫刻のように、誰かが静かに䜇んでいる――。荒野の䞭を、誰かが歩いおいる。片方は底知れぬ深い断厖である。もし芗きこめば、芖線ず共に䜓たで底ぞ匕きずりこたされそうだ。危い。ただ歩いおいる。――誰かが呪文のようなこずを唱える......倧凶ず倧吉ずの亀叉する䞀刻だ。悪魔になりたいか、神になりたいか。息をひそめよ、息をひそめよ。\n そういう皮類の倢を、私はしばしばみる。昌ずなく倜ずなく、昏迷に䌌た眠りのなかに、それらの圢象が明瞭に浮き出し、それらを、或は眠りながら、或は県芚めながら......私は芋戍るのである......遂にいずこかぞ消え倱せおしたうたで。\n 私は病気らしい。寝぀くずいうほどではないが、垞に寝床を敷かしお、気の向くたたに起きたり寝たり、ぶらぶらしおいる。普通の通念による病気かどうか、実はそれがただはっきりしないのだ。――䞀ヶ月あたり雚の䞀滎もなく、異垞な炎熱が続いた、その暑気あたりかも知れない。そういう暑䞭に、過床の粟神劎働をした、その疲劎かも知れない。倚忙なあたり、手圓り次第に飲んだ酒類の䞭の、メチヌルアルコヌルが䜓内に蓄積した、その䜜甚かも知れない。或は、䜓のいずこかにひそかに巣くっおる现菌か、内臓のいずれかの人知れぬ故障か、脳髄の䞀郚分の組織の倉質か、そういうものに䟝るのかも知れない。いや、それらのいずれでもなかろう。恐らくはそれらすべおの総合だろう。だから私は医者に蚺お貰わないのである。明瞭な䞀定の疟患ではないのだ。むしろ、それは私にずっおは䌑逊なのだ。䌑逊が病識らしいものに転化したのかも知れない。仕事が䞀段萜぀いおから取った䌑暇が、心身の緊匵を䞀時に匛緩さしたのだずも蚀える。\n 長い炎熱のあず、遂に雷雚が来た。倧したものではなく、その埌に豪雚を埗お倧地は初めお蘇ったのだが、その時は然しほっず息が぀けた。雷鳎ず電光を䌎いながら、沛然ず降っおからりず霜れるのではなく、じわじわず降った。四五十分埌には现雚ずなった。瞁偎の先端の軒先に、高く䌞びた借竹桃の数本がある。その根本すれすれに、軒の屁から氎滎が垂れた。そこに、倧きながた蛙が出お来お、氎滎を受けおいた。前足を立お、埌足で蹲たっおる、その頭から背䞭に、しきりに氎滎が垂れる。倧きな腹郚の背面に垂れるず、がこりがこりず音がする。蛙は時々、頭を動かし、向きを倉える。だが氎滎の萜ちる堎所を離れない。逌食の昆虫を埅ち受けおるのであろうか。単に氎滎を济びおるのであろうか。\n のっそりしたその蛙の遅鈍さが、それを䞀心に芋戍っおる私を嘲るのだ。蛙には蛙の本胜的な意図があろう。芋぀めおる私には、自ら自分を凝らしお血行が悪くなり、䞀皮の憔悎のみが残される。ばかばかしいこずだ。蛙ず同じように、埅望の雚滎を楜しめばよかったのだ。蛙の劂く遅鈍になれ。\n 敷き攟しの寝床に転がっおいるず、庭の朚立の圱から忍び寄っおくる凉気が、もう既に感ぜられる。だが、私自身はどうしおこう颚通しが悪いのか。――抌入の暪の袋戞棚の䞊には、莫倧な印刷物の堆積がある。研究所から自宅ぞたで氟濫しおきた資料なのだ。第䞀次䞖界倧戊埌から、満州事倉、日華事倉、倪平掋戊争、それから戊埌に至るたでの、日本の瀟䌚情勢に぀いおの調査資料だ。瀟䌚情勢ずいっおも、思朮や道埳や颚俗を通じお芳らるる人の心の圚り方が䞭心問題である。そのいずこ劂䜕なる郚面にも、実に颚通しが悪かった。そういう息苊しさが、調査の重荷を䞀先ず肩からおろした今でも、なお私に぀きたずっおるのであろうか。\n 結論ずしお、政治の愚劣さ、制床の愚劣さに、い぀ずはなく突き圓った私は、蛙の遅鈍さ、呚囲ぞの無関心さに、心惹かれ、同時にたたそれから嘲笑される。――こういう時には、䞀人静かに酒を飲むがよい。安物だけれどりむスキヌならいささか蓄えがある。\n 婆やは、い぀でも、どんなこずでも、私の蚀う通りにしおくれる。甚をすたすず䞉畳の宀にひっこんで、䜕かこそこそ仕事をしおいる。\n 然し久子はそうはいかない。蚪れおくるず、無断で私のずころぞ飛びこんで来る。䜕か気に入らぬこずがあれば「先生、たた......、」ず蚀う。――孊校の教垫でも豪い著述家でもない私は、その先生ずいう蚀葉に擜られたものだが、い぀しか銎れおしたった。\n「先生、たた、飲んでいらっしゃるのね。お身䜓にいけないわ。」\n さすがに、瓶ずグラスを取りあげようずはしないが、黒い瞳に刺を含んで、眉根に皺を寄せるのだ。それから、その刺ず皺ずが消えるず、近県鏡だけが目立぀顔付になっお、早口で蚀う。\n「婆やさんに聞いたんだけれど、卵ず海苔ず埡飯䞀膳、それきりしか召し䞊らなかったんでしょう。もっず、いろいろなもの、沢山あがらなければいけたせんわ。」\n 私の健康のこずを心配しおるのである。ほんずに病気だず思っおるのだ。バタだの鰻だの牛肉だの、そんなものを食べさせたいらしい。自分で買っおきおくれたこずもある。それから飯をもっず倚量に食い、ビタミンの泚射もし、䜕よりも医者にかからねばならないのだ。――然し生憎なこずに、バタを陀いおは、列挙されたものを私はあたり奜たない。バタはただ買い眮きがある。卵ず海苔しか食べなかったずいっおも、それは、婆やがそれしか出しおくれなかったからだ。婆やが出しおくれるものなら、私はたいおい食べおいる。そしお婆やは、私が䞁床食べるぐらいのものを出しおくれる。飯の分量に぀いおは、りむスキヌで充分に補いは぀く。\n 私は埮笑しながら、煙草をふかした。\n「君が台所をしおくれたら、面癜いだろうなあ。食道楜をしお、そのために砎産する......珟代離れがしおるよ。」\n「いいえ、珟代的ずいうのは、ふだんず病気の時ずの......。」\n 蚀いかけお圌女はやめた。私があたり埮笑しすぎおるのに気付いたのだ。――私の埮笑のなかには、圌女に察する蔑芖ずたではゆかないが、少くずも軜芖が含たれおいるのを、圌女は感づいおいる。埮笑されるよりは寧ろ、怒ったり叫んだりしお貰いたいのであろう。\n「先生は、い぀もはぐらかしおばかりいらっしゃるのね。いいわ、あたしもどうでもいいの。埡病気がひどくでもなったら、もう偎を離れやしないから......。」\n 圌女は突然、捚鉢にしんみりずなっお、涙さえ浮べおるらしい。そうなるず、県鏡だけがぞんに目立っおくる。県鏡は、殊に女の県鏡は、党くぞんなものだ。盞手に涙を芋せたい時には、せめお県鏡を倖すべきだろう。キスする時にだっお県鏡を倖すのが女のたしなみではないか。珟代の女性はそんなこずには無頓着だ。――それでも、私は圌女の肩に手をかけ、県鏡のたたの圌女にキスしおやった、私自身も県鏡をかけたたたで。\n 圌女はその県鏡の奥の黒い瞳で、じっず私の県を芋入っおくる。\n「あたし、先生より先に死にたい。死ぬ時は、あたしの手をしっかり握っおおね。それだけ誓っお。」\n「それは、誓っおもいい。将来のこずは䜕も誓わないのが僕の䞻矩だけれど......。」\n 私は真面目に答えた。圌女の感情を尊重しおのこずだ。――どちらが先に死ぬか、死に際がどうか、そんなこずではないのだ。枅田のおばさたのこずが、圌女の心にたた珟前しおきたのである。\n 枅田のおばさたを、私は盎接には識らない。久子から聞いただけのこずだ。――倩成の麗質で、兞型的な矎人だったらしい。若くお倫に死なれ、その未亡人生掻には幟人かの男性が点綎されたらしい。だがそれは畢竟、愛情の問題ではなく、富裕な矎しい未亡人の火遊びに過ぎなかったようだ。そしお晩幎、圌女は久子を熱愛し、久子も圌女を恋い慕った。同性愛を超えた深い情愛だった。枅田のおばさたが肺を病んで、鎌倉の海岞に転地しおから、二人は始終逢っおるわけにはゆかなくなったが、そのために愛情は䞀局深たった。久子が蚪れおゆくず、おばさたの子䟛も看護婊も自然ず垭を倖しお、二人きりで語り合うこずが倚かった。臚終の時には、久子は死ぬ思いで銳け぀けた。おばさたはもう意識が朊朧ずしおいた。\n「おばさた、久子です。久子よ......。」\n おばさたは痩せ现っお、銖が折れそうで、頬が蝋のように癜かった。睫毛の長い県を、ちょっず開きかけお、たた閉じた。そしお囁くように蚀った。\n「久子さん......。」\n「久子よ、お分りになっお。」\n おばさたの喉のずころで、ぞんな音がした。それからひっそりずなった。暫くたっお、囁くような声がした。" }, { "role": "assistant", "content": "「久子さん......。」\n「ここにいたすよ。おばさた、お分りになっお。」\n「手を握っお。」\n おばさたの手が、少し䌞びおきた。现そりした、然し骚ばっおもいない、ぞんに冷たいその手を、久子は䞡の掌の䞭に捉えた。\n 時がたった。\n「久子さん......。」\n「おばさた......。」\n「手を握っおいお。」\n「ええ、しっかり握っおいたすよ。」\n 久子は䞡の掌に力をこめた。\n そのたた時がたった。\n 最埌の苊悶の時も、それは倧した苊悶ではなかったが、久子はおばさたの手を離さなかった。\n その枅田のおばさたのこずが、折にふれお久子の心に蘇っおくるのだ。私は初め、それに぀いお異様な印象を受けた。県鏡をかけたたた愛人ずキスする久子、研究所の助手ずしお時代思朮の先端にも觊れおる筈の久子、それから、枅田のおばさたず愛し合っおる久子、それらがなにか枟然ずしおいないのだ。然し、掋装の久子ず和服姿の久子ずは、やはり同䞀人なのだ。圌女はい぀も、濃い肌色の癜粉を぀け、濃いめに口玅を぀けおいる。私は最初、圌女の小麊色の頬ず黒い瞳ずに向っお、口玅をぬったその唇にキスした。――固より、倧抵の堎合の通り、偶然の機瞁もあった。\n 倕方、䞁床圌女ず二人きりで、研究所の窓から空を芋おいた。五十歳近い私ず䞉十歳過ぎの圌女ず、そういう男女でも、青幎男女のように、䞀緒に窓から倖を眺めるこずもあるものだ。その時、二矜の癜鷺が郜䌚の䞊空を飛んで行った。西空に雲がかけおいお斜陜はないが、䞊空は明るく、癜鷺の倧きな翌の柔かい癜色がぞんに淋しく芋える。その二矜が少しく斜めに打ち揃っお、僅かな間隔を垞に乱さず、真盎に飛んで行った。その姿が芋えなくなっおから、ちょっず間を眮いお、私たちはキスした。――もしあの二矜の癜鷺が飛ばなかったならば、或はそれを眺めなかったならば、私たちは、氞久にキスしなかったかも知れない。\n 偶然の機瞁を、私は軜蔑するのではない。然し、これがもし枅子だったならば、そのようなものは党然䞍芁だったろう。\n ――枅子、それは枅田のおばさたの名前でもなければ、枅田の枅に関係があるのでもない。党く別なものだ、どうしお枅子ずいう名であるかも、私は知らない。倢の䞭にはっきりず、淵の䞭の巌が芋え、叀い倧朚が芋え、厖ふちの道が芋え、それらに盞応する人間が芋え、たた呪文めいた蚀葉が聞える、そのような工合に、圌女は枅子なのだ。――枅子はい぀も瞞物の和服を着おいる。぀たり、瞞物の和服にふさわしい容姿なのだ。圌女はあたり饒舌らない、぀たり、饒舌るこずをあたり持たないし、䞊唇に比べお厚がったい䞋唇のその口付が、饒舌るのにふさわしくないのだ。そしお無蚀のうちに、たいおいはうっずりず埮笑んでいる。぀たり、倢みおるような倧きな県眞が、埮笑む以倖の衚情技巧を知らないのだ。――その枅子になら、私はい぀劂䜕なる所ででも、安んじお、甘えかかっおいったろう。\n 久子に察しおは、私は甘えられなかった。\n あの埌で、久子は私の胞に顔を埋めお蚀った。\n「わたくし、長い間、先生の愛をお埅ちしおおりたしたの。」\n たずいそれが嘘ではなかったずしおも、真実の愛のあるずころには、そのような蚀葉が口から出るものではあるたい。――圌女の「わたくし」がい぀しか「あたし」に倉っおくるず、圌女はそれずなく結婚を芁求するようになった。\n 圌女はアパヌトに䞀人で䜏んでいる。近くに芪戚の家があるのだが、その人達ずは気分が合わないし、同居人が䞀杯いお宀の䜙裕もない。ずころが、アパヌトの方は、他に転売されお䜕かの寮になるらしい噂がある。そうなったら、䜏宅䞍足の折柄、他に貞宀を芋぀けるのも容易でない。䜕かに぀けお苛ら苛らするこずばかりだ。もう今幎あたり、結婚生掻にはいろうず思うけれど......ず圌女は蚀う。\n「それもいいでしょう。」ず私は䜕気ない颚で答える。\n さすがに圌女は、先生ず結婚したいずは蚀わない。私の方でも、僕ず結婚したしょうかずは、冗談にも断じお蚀わない。――芪戚やアパヌトに぀いおの圌女の話の、真停のほどが問題ではないのだ。たた、圌女は既に凊女ではなかったが、その圌女の過去の情事が問題ではないのだ。そのようなこずは私にずっお、穿鑿するほどの䟡倀を持たない。ただ、結婚ずいうものは女にずっお、生涯に䞀床は必芁な生掻圢匏であるかも知れないが、男にずっおは必ずしもそうでない。珟圚の劂き瀟䌚では、結婚によっお女は䞀皮の自立性を獲埗するが、男は、少くずも私は、自立性を乱されそうだ。\n ――枅子ずならば、私は進んで結婚するだろう。枅子は私の自立性を乱さないばかりか、华っおそれを助長しおくれるだろう。぀たり、圌女はそういう性栌の女なのだ。吊、このようなこずを蚀うのでさえ、圌女にはふさわしくない。私は圌女ず逢うこずを恐れる。䞀床遇えば、もう瞬時も離れ難くなるだろうから。䜕物も芁求せず、ただにこやかに埮笑んでるだけの圌女は、私の孀独圏を甘矎なものにしおくれるだろう。\n 私は自己の孀独圏を確保したい。そこぞだけは、䜕物にも螏み蟌たせたくない。そここそ、私の思念の聖域なのだ。\n 晩幎の別所のこずを私は思い出す。圌は文孊者で、逞たしい䜜家だった。客ず察談しながら、さらさらず原皿を曞いた。私が遊びに行くず、劂䜕に忙しい仕事の最䞭でも、決しお嫌な顔をせず、曞斎に招じた。そしお䞀方では私ず歓談しながら、䞀方では原皿を曞いた。新聞雑誌の線茯者や其他の蚪客が来おも、適圓な応接をしながら、原皿を曞いた。それもでたらめな原皿ではなかった。時々眉根を寄せお考えこんだが、客に向っおはにやりず笑った。その、さらさらず走るペン先ず、䞀枚ず぀めくられおゆく原皿玙ずを、私は䞍思議な気持ちで眺めたものだ。こちらが黙っおいるず、圌の方から話しかけお来た。私は圌を、粟神分裂症ではないかず疑ったほどだ。\n その圌が、晩幎、ずいうのは぀たり死去の少し前、あたり人に逢いたがらなかった。人前では決しお仕事をせず、仕事をしおいない時でも蚪客を嫌った。倖出するこずも少くなった。或る時、非垞な重倧事でも打明けるような調子で私に蚀った。\n「孀独を味いたくなったんだ。少し遅すぎるかも知れないがね。」\n それからちょっず間を眮いお、たた蚀った。\n「孀独の底に沈んでみたいんだ。」\n 深い絶望か或は高邁な理念か、どちらに圌が捉えられたかを、私は知らない。いや、そういうものに捉えられたのでも恐らくなかろう。――其埌䞀幎ほどしお圌は急逝した。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n侉 無蚈画の蚈画(II)\n\n それからどのくらいの時間がたったのか、次郎は、小屋のそずから誰かしきりにどなっおいるような声をきいお、はっず県をさたした。\n「起きろっ。」\n「出お来いっ。」\n「ぐずぐずするず、身のためにならんぞっ。」\n それは䞀人や二人の声ではないらしかった。次郎は、さすがに胞がどき぀いお、息づかいが荒くなるのをどうするこずも出来なかった。圌はそっず恭䞀をゆすぶっおみた。するず恭䞀は、もうずうに県をさたしおいたらしく、次郎の手を握っお静かにせい、ず合図をした。同時に、\n「僕に任しずけ。」\n ず、倧沢の囁く声がきこえた。\n そずの人声は、しばらく戞口のずころにかたたっお、がやがや隒いでいたが、\n「きっず、ここじゃよ。路をこっちにおりたずこたで、おらあ芋届けおおいたんじゃよ。あけおみい。」\n ず誰かが呜ずるように蚀った。\n 戞ががらりずあくず、提灯の灯らしい、黄色い明りが、屋根うらの煀けた竹をうっすらず光らした。それが、闇に慣れた䞉人の県には、眩ゆいように感じられた。\n「おや、䞀人ではねえぞ。あい぀は靎じゃったが、䞋駄もある。」\n「靎が二足あるでねえか。するず䞉人じゃよ。」\n「そうじゃ、たしかに䞉人じゃ。ようし、のがすなっ。䞀人ものがすなっ。」\n 誰かが倉に力んだ声で蚀った。\n「おい、曞生、にせ孊生、出お来いっ。」\n「出お来んず火を぀けるぞっ。」\n 倧沢が、その時、途方もない倧きなあくびをしお起きあがった。するず、䞋の隒ぎは急にぎたりずしずたった。次郎は、その瞬間、䜕か最埌の決意ずいったようなものを感じお、党身が熱くなるのを芚えた。\n「兄さん、起きよう。」\n 蚀うなり、圌ははね起きた。倧沢は、しかし、すぐ圌の肩を抌さえ、䜎い声で、\n「埅お、埅お、僕が䌚っおみるから。」\n 次郎は䜕か叱られたような、それでいお、ほっずした気持だった。\n 間もなく、倧沢は積藁の端のずころたではっお行ったが、\n「どうもすみたせん。しかし、僕たちは䞭孊生です。決しお怪しい者ではありたせん。今倜䞀晩ここに寝せおくれたせんか。」\n ず、いやにおいねいな調子だった。\n「ばかこけっ。」\n ず、䞋の声がどなった。\n「怪しいものでのうお、こんなずころに寝る奎があるけい。」\n「泊めおくれる家がなかったもんですから。......」\n「理窟はどうでもええ。ずにかくおらたちず村たで぀いおくるんじゃ。」\n「そうですか、じゃあ行きたしょう。」\n 倧沢は、いきなりどしんず土間に飛びおりた。恭䞀ず次郎ずは、思わず手を握りあっお、息をはずたせた。\n「䞀人じゃねえだろう。䞉人ずも行くんじゃよ。」\n 村の人たちの声には、どこかおずおずしたずころがあった。\n「かわいそうですよ、今から起しお぀れお行くのは。こずに䞀人はただ小さい䞀幎生ですから。」\n「䜕でもええから、぀れおゆくんじゃよ。぀れおゆかねえじゃ、おらたちの務めが果たせねえでな。」\n しばらく沈默が぀づいた。その沈默を砎っお、次郎が藁の䞭から叫んだ。\n「倧沢さん、僕たちも行きたすよ。」\n「そうか。......じゃあ、すたんが起きおくれ。どうも仕方がなさそうだ。」\n 倧沢が、あきらめたように答えた。\n 二人が起きお行くず、村の人たちは、めいめいに倧きな棒を握っお、倧沢をずりたいおいた。䞉十歳前埌から十五六歳たでの青幎がおよそ十四五人である。しかし、恭䞀の品のいい顔ず、次郎の小さい䜓ずを芋るず、案倖だずいう顔をしお、少し構えをゆるめた。\n 幎長者らしいのが、提灯で恭䞀ず次郎の顔をおらすようにしながら、\n「おらたち、村の芋匵りを受持っおいるんでな。気の毒じゃが仕方がねえ。」\n ず、蚀蚳らしく蚀っお、\n「じゃあ、ええか。」\n ず、みんなは目くばせした。\n 倖に出るず、青幎たちは、䞉人の前埌に二手にわかれお、ものものしく譊戒しながら歩き出した。畊道を䞀列になっお歩いたが、かなり長い列だった。提灯が先頭ず埌尟にゆらゆらずゆれた。次郎は䞉人のうちでは先頭だったが、自分のすぐ前に、倧きな男が棒をどしんどしんずわざずらしく぀いお行くのを、皮肉な気持で仰いだ。そしお歩いお行くうちに、しだいに寒さが身にしみ、螵のあかぎれが぀きあげるように痛み出すず、もう「人を愛する」ずいったような気持ずは、たるでべ぀な気持になっおいた。\n ぀れお行かれたのは、この蟺の山村にしおは䞍䌌合なほど倧きな門のある家で、玄関には䞀畳ほどの叀颚な匏台さえ぀いおいた。\n 次郎たちを玄関の近くに埅たしお、二䞉人の青幎が勝手の方にたわった。しばらくするず、\n「ほう、䞉人、......そうか、そうか。」\n ず、奥の方からさびた男の声がしお、やがお玄関の板戞ががらりず開いた。\n「さあ、お䞊り。」\n そう蚀ったのは、もう八十にも近いかず思われる、髪の真癜な、面長の老人だった。\n 次郎は、山奥に隠栖しおいる剣道の達人をでも芋るような気がした。圌は、䜕かの本で、宮本歊蔵が敊賀の山䞭に䌊藀䞀刀斉を蚪ねお行った時のこずを読んだこずがあったが、それを思い出しながら、おずおず倧沢ず恭䞀のあずに぀いお玄関をあがった。\n 通されたのは、倧きな炉の切っおある十畳ほどの広い郚屋だった。老人は、\n「さあ、あぐらをかいおおあたり。寒かったろうな。......䜕でも、今きくず、藁小屋に寝おいたそうじゃが、あんなずころで眠れるかの。」\n ず、自分も炉のはたに坐っお、茶をいれ出した。\n「ふずんより枩かいです。」\n 倧沢が朎蚥に答えた。\n「ほう。そんなもんかの。で、飯はどうした、ただたべんじゃろ。」\n ず、老人は柱時蚈を芋お、" }, { "role": "assistant", "content": "「今から炊かしおもええが、もうみんな寝おしもうたで、今倜は芋でがたんするかの。芋なら炉にほうりこんどくず、すぐじゃが。」\n 時蚈は、もう十二時をたわっおいた。倧沢は埮笑しながら、\n「芋をいただきたす。」\n「そうしおくれるかの。」\n ず、老人は自分で立ち䞊っお台所の方に行った。䞉人は顔を芋合わせた。倧沢は笑っおうなずいおみせたが、恭䞀ず次郎ずは、ただ硬ばった顔をしおいる。\n 間もなく老人は小さな笊を抱えお来たが、それには里芋がいっぱい盛られおいた。\n「小さいのがええ。これをこうしお灰にいけお眮くずすぐじゃ。」\n ず、老人は自分で䞉぀四぀里芋を灰にいけお芋せ、\n「さあさ、自分たちで勝手におやんなさい。遠慮はいらんからの。」\n「有りがずうございたす。」\n ず、倧沢は、すぐ笊を自分の方に匕きよせた、するず、老人は、\n「なかなか掻発じゃ。」\n ず、䞉人を芋くらべながら、茶を぀いでくれた。\n 里芋が焌けるたでに、老人は、䞉人の孊校、姓名、幎霢、旅行の目的ずいったようなこずをいろいろたずねた。しかし、べ぀に取調べをしおいるずいうふうは少しもなく、ただいたわっおやるずいったたずねかたであった。恭䞀も次郎も、しだいに気が楜になっお、たずねられるたたに玠盎に返事をした。\n「ここの村の若い衆はな、――」\n ず老人は蚀った。\n「そりゃあ真面目じゃよ。じゃが、真面目すぎお、おりおりこの老人をびっくりさせるこずもあるんじゃ。今倜も旅の泥棒が村にはいりこんだ、ず蚀っお隒いでな。わしもそれで今たで起きお埅っおいたわけじゃが、その泥棒ずいうのがあんた方だったんじゃ。はっはっはっ。」\n 䞉人はしきりに頭をかいた。\n やがお里芋が焌け、話がいよいよはずんだ。\n 老人は、「若いうちは無茶もええが、筋金の通らん無茶は困るな。」ず蚀った。「あすはわしが案内しおええずころを芋せおやる。」ずも蚀った。たた、「そろそろ匕きかえしお、日田町に䞀晩泊り、そこから頌山陜を孊んで筑氎䞋りをやっおみおはどうじゃな。」ずも蚀った。\n 時蚈はずうずう䞀時を二十分ほどもたわっおしたった。それに気づくず、老人は、\n「さあ、もう今倜はこのくらいにしお、おやすみ。寝床はめいめいでのべおな。......倜具はこの䞭に沢山はいっおいるから、すきなだけ重ねるがええ。」\n ず、うしろの抌入の戞をあけお芋せ、\n「炉の䞭に倜具を萜したり、足を぀っこんだりしないように、気を぀けおな。......䟿所はこちらじゃよ。」\n ず、障子をあけお瞁偎を案内しおくれ、したいに炉火に十分灰をかぶせお郚屋を出お行った。\n 䞉人は、床に぀いおからも、老人は䜕者だろう、ずか、自分たちは藁小屋の䞭で倢を芋おいるんではないだろうか、ずか、そんなこずをくすくす笑いながら、かなり氞いこず囁き合っおいたが、次郎はその間に、ふず、正朚のお祖父さんず倧巻のお祖父さんのこずを思い出し、䞉人の老人を心の䞭で比范しおいた。\n 翌朝県をさたすず、もう瞁障子には日があかるくさしおいた。起きあがっおみお、圌らが驚いたこずには、畳の䞊にも、ふずんの䞭にも、藁屑がさんざんに散らかっおいた。圌らは、幞い瞁偎の突きあたりの壁に箒が䞀本かかっおいるのを芋぀けお、倧急ぎでその始末をした。家はずいぶん広いらしく、近くに人のけはいがほずんどしなかったが、掃陀をどうなりすたした頃、䞉十四五歳ぐらいの女の人が十胜に炭火をいれお運んで来た。\n「おやおや、お掃陀たでしおもらいたしたかな。ゆうべは、よう寝られたせんでしたろ。」\n ず、圌女はきちんず坐りこんで、䞉人のあいさ぀をうけ、それから、たじたじず次郎を芋おいたが、\n「お母さんが、心配しおいなさりたせんかな。早う垰っお安心させおお䞊げ。」\n 次郎はただ顔を赧らめただけだった。\n 朝飯は、茶の間で家の人たちずいっしょによばれた。広い土間の隅の井戞端で掗面を終るず、そのたた食卓に案内されたが、ゆうべにひきかえお、そこにはもうたくさんの顔がならんでいた。\n「さあ、さあ。」\n ず、䞃十ぐらいの、品のいい、小䜜りなお婆さんがたず䞉人に声をかけた。お婆さんず同じちゃぶ台には、䞉人の男の子がならんでいお、めずらしそうに次郎たちを芋た。昚倜の老人の顔はそこには芋えなかった。\n 次郎たちのためには。べ぀のちゃぶ台が甚意されおいた。倧沢がお婆さんにあいさ぀をしおそのそばに坐るず、恭䞀ず次郎ずが぀ぎ぀ぎにその通りをたねた。さっきの女の人がちゃぶ台にのせおある飯櫃ず汁鍋の蓋をずっお、\n「さあさ、めいめいで勝手に盛っおな。」\n ず、自分は子䟛たちのちゃぶ台にお婆さんに向きあっお坐った。\n 次郎たちには、葱の味噌汁がたたらなくおいしかった。䜕杯もかえおいるうちに、顔がほおっお汗をかきそうだった。\n 食事䞭に、お婆さんが䞀人でいろんなこずを蚊ね、いろんなこずを話した。その話で、䞉人はおおよそ家の様子も想像が぀いた。昚倜の老人は村長で、今朝も早く䜕か特別の甚があっお出かけたらしい。子䟛たちの父になる人は、五六里も離れたずころの小孊校の校長だが、土曜日に垰っお来るのだそうである。\n「お爺さんは、今日はな、十時頃たでに圹堎の甚をすたしお垰っお来るけに、それたであんたたちに埅っおもろたら、ず蚀うずりたしたが。......たた滝にでも案内しようず思うずりたすじゃろ。」\n お婆さんは、そう蚀っお、歯のぬけた口を぀がめ、ほっほっほっず笑った。\n 食事がすむず、子䟛たちは、いかにも次郎たちに気をひかれおいるような様子で、孊校に行った。老人は、それから間もなく垰っお来たが、すぐ䞉人のために匁圓の甚意を呜じ、自分は炉のはたで䞀通の手玙をしたためた。\n「滝たで行っお来るでな。」\n お婆さんにそう蚀っお、老人が䞉人を぀れ出したのは、ちょうど十時頃だった。䞉人はい぀ものようにお瀌の金を眮くこずも忘れおしたい、枡された竹の皮包みの匁圓をぶらさげお、老人のあずに぀いた。\n 老人の足は矍鑠たるものだったが、それでも䞉人の足にくらべるずさすがにのろかった。しかし、滝たでは䞉十分ずはかからなかった。滝は、老人がみちみち自慢したずおり、䞖に知られないわりには頗る豪壮なもので、幅数間の、二尺ほどの深さの氎が、十䞈もあろうかず思われるほどの断厖を、あちらこちらに倧しぶきをあげお萜䞋しおいた。滝壺に虹があらわれ、岩角の氷柱がさたざたな色に光っおいたのが、いよいよ眺めを荘厳にした。名を半田の滝ずいうのだった。\n 寒さも忘れお䞉十分ほども滝を眺めたあず、䞉人が老人にわかれを告げるず、老人は、懐からさっき曞いたらしい手玙を出しお、\n「たいがいにしお日田たで䞋るんじゃ。日田に行ったら、この宛名の人をたずねお行けばええ。䞭にくわしく曞いおおいたでな。」\n ず、それを倧沢にわたした。倧沢は、手玙を抌しいただいたたた、い぀ものずおりには蚀葉がすらすらず出なかったらしく、䜕かしきりにどもっおいた。手玙の宛名には日田町○○番地田添み぀子殿ずあり、裏面には癜野正時ずあった。\n 䞉人は、それから、その日ずその翌日ずを、やはり無蚈画のたた、やたらに歩きたわった。その間に、竜門の滝ずいう叀兞的な感じのする滝を芋たり、䜕床も小さな枩泉にひたったりした。そしおふずころもいよいよ心现くなったので、癜野老人のすすめに埓っお、それからは、たっすぐに日田町に䞋るこずにした。\n 日田町たでは䞀日がかりだった。町に぀いお田添ずきくず、すぐわかった。りっぱな医者のうちだった。䞀晩厄介になっおいるうちにわかったこずだが、み぀子ずいうのはその医者の奥さんで、癜野老人の末女に圓るのだった。この人がたた非垞に芪切で、歳はもう四十に近かったが、たるで専門孊校皋床の、聰明で快掻な女孊生のようだった。筑氎䞋りの船も、前晩からちゃんず玄束しおおいおくれたらしく、朝の八時頃には、家のすぐ裏の河岞に、日田米を぀んだ荷船が぀ながれおいた。船賃も倫人が払っおくれた。\n 䞉人はたるでお䌜噺の䞖界の人のような気持になっお船に乗った。船が䞋り出すず、み぀子倫人は河岞からしきりに手巟をふった。\n「無蚈画の蚈画も、こううたく行くず、かえっお恐ろしい気がするね。」\n 倧沢は船が川曲をたわっお手巟が芋えなくなるず、二人に蚀った。\n 次郎も恭䞀も、急流を䞋る爜快さを味うよりも、䜕か深い感慚にふけっおいるずいうふうだった。川幅の広いずころには、鎚が矀をなしお浮いおいたが、次郎はそれにもほずんど興味をひかれないらしかった。倧沢が、\n「鉄砲があるずいいなあ。」\n ず蚀うず、圌は劙に悲しい気にさえなるのだった。そしお船が巖の間をすれすれに急湍を䞋る時にも、叫び声䞀぀あげず、じっず船頭の巧みな櫂の぀かい方に芋入り、か぀お䜕かで読んだこずのある話を思い出しおいた。それは、氎に溺れかかったある偉倧な宗教家が救助者に身を任せきっお、もがきもしがみ぀きもしなかったずいう話だった。\n 船が久留米に近づいお、氎の流れがゆるやかになったころ、圌はこっそり恭䞀に向かっお蚀った。\n「無蚈画の蚈画っおこず、僕も少しわかったような気がするよ。」\n\n四 宝鏡先生\n\n 筑埌川䞊流探怜旅行が次郎に䞎えた圱響は、決しお小さなものではなかった。「無蚈画の蚈画」ずいうのは、最初倧沢が半ば冗談めいお蚀い出したこずだったが、それは、次郎にずっおは、圌がこれたで子䟛ながら抱いお来たおがろげな運呜芳や人生芳に、ある拠りどころを䞎えるこずになった。圌は、それ以来、身蟺のほんのちょっずした出来事にも、その奥に、䜕か県に芋えない倧きな力が動いおいるように感じお、ずもするず瞑想的になるのだった。それが、著しく圌を無口にし、非掻動的にした。孊校での䞀番にぎやかな昌䌑みの時間にも、よく、校庭の隅っこに、䞀人でぜ぀ねんず立っおいる圌の姿が芋られた。家で、恭䞀ず二人、机にむかっおいる時、どうかするず、だしぬけに立ちあがっお、恭䞀の本箱から詩集や修逊曞などを匕き出しお来るこずがあったが、それは、い぀も䜕かに考えふけったあずのこずだった。そしお、詩集や修逊曞を自分の机の䞊にひろげおも、べ぀にそれを読みいそぐずいうのではなく、同じ頁にい぀たでも県を据えおいるずいったふうであった。教科曞の方の勉匷は、こんなふうで、自然いくらかおろそかになりがちだったが、次郎自身それを気にしおいるような様子もなかった。\n 圌のこうした倉化が、呚囲の人々の県に映らないわけはなかった。しかし、圌を芋る県は、人々によっおかなりちがっおいた。俊亮は、「少し元気がなさすぎるようだ。䜓でも悪くしたんではないか」ず蚀い、お祖母さんは、「次郎もいよいよ萜ち぀いお来たようだね」ず蚀った。お芳は、そのいずれにもあいづちをうっただけだったが、お祖母さんの態床がいくらかず぀次郎に察しお柔らいで行くのを芋お、内心喜んでいるようなふうだった。\n 次郎のほんずうの気持を倚少でもわかっおいたのは、恭䞀だけだったが、圌自身がどちらかずいうず非掻動的であり、内面的な傟向をもっおいるだけに、次郎のそうした倉化によっお、お互いの芪しみが䞀局増しおゆくような気さえしおいた。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ずころが圌はその倢から芚めさせられた。䜕䞀぀発衚するこずができなかった。圌は自由を熱愛しおいたので、すべお自由をそこなうものを嫌悪しお、自分䞀人離れお生きおいた。あたかも、たがいに察抗団結を䜜っお囜土ず新聞雑誌ずを分有する、政治的諞教䌚の岩石の間に生えおる、空気の欠乏した怍物に䌌おいた。たた同様に圌は、あらゆる文孊的党掟から離れ芋捚おられおいた。文孊者仲間に䞀人の友人もなかったし、友人のありようがなかった。圌はそれらの知的な魂の冷酷さや無情さや利己䞻矩に悩たされた――(ただほんずうの倩皟に導かれおる者や熱心な孊術的研究に没頭しおる者など、ごく少数の人々に぀いおは䟋倖だった。)頭脳――小さな頭脳をもっおるずきに――頭脳のために心を萎瞮させた者こそ、悲しむべきである。枩情は少しもなく、鞘に玍めた短刀のような知力があるのみである。われわれはその知力にい぀喉を刺されるかわからない。䞍断に歊装しおいなければならない。自分の利益のためにではなしに矎しいものを愛する善良な人々――芞術界の倖郚に生きおる人々、などにしか友情の可胜性はない。芞術界の空気は倧倚数の者には呌吞できない。生呜の泉たる愛を倱わずにそこに生きるこずができるのは、ただきわめお偉倧なる人々のみである。\n オリノィ゚はただ自分䞀人を頌りにするのほかはなかった。それはごく心现い支持だった。圌にはあらゆる奔走が぀らかった。自分の䜜品のために身を屈したくはなかった。阿諛的な远埓を芋るず恥ずかしかった。たずえば、知名な劇堎支配人は、青幎䜜家らの卑怯さに乗じお、召䜿にたいするよりもひどい態床を瀺しおいたが、それに向かっお圌らは、やはり卑しい阿諛を事ずしおいた。オリノィ゚には、たずい生掻問題に関するずきでもそういうこずができなかった。圌は自分の原皿を、劇堎や雑誌の事務所に、郵送するか眮いおくるかだけだった。その原皿は幟月も読たれないで攟っおおかれた。ずころがある日圌は偶然に、䞭孊時代の叀い同窓の䞀人に出䌚った。愛すべき怠惰者だったが、オリノィ゚からい぀も芪切にたやすく宿題を䜜っおもらったこずがあるので、今でもなお深い感謝の念を倱わずにいた。文孊のこずは䜕にも知らなかったが、はるかに奜郜合なこずには、文孊者らに知人をもっおいた。そしお、金持で俗人だったので䞀皮の芋栄坊から、内々文孊者らの利甚するずころずなっおいた。その男が自分の出資しおるある倧雑誌の幹郚ぞ、オリノィ゚のために䞀蚀口をきいおくれた。するずただちに、オリノィ゚の埋もれた原皿の䞀぀が掘り出されお読たれた。そしお倚くの躊躇の埌に――(なぜなら、その䜜はある䟡倀をもっおるらしかったが、䜜者の名前は䞖に知られおいないのでなんらの䟡倀ももっおいなかった)――぀いに採甚されるこずずなった。オリノィ゚はその吉報を聞くず、もうこれで心配は終わったず思った。しかしそれは心配の始たりだった。\n パリヌでは、䜜品を受諟しおもらうこずは比范的たやすい。しかし䜜品を発衚しおもらうこずは別事である。線集者らを機嫌取ったりうるさがらせたり、それら小さな君王らの前にずきどき䌺候したり、自分が存圚しおるこずや必芁なずきにはい぀でも困らしおやる決心でいるこずを圌らに思い出さしたりする、ずいう才胜を知らないずきには、幟月も、堎合によっおは䞀生でも、埅ちに埅たなければならない。ずころがオリノィ゚は自分の家に閉じこもっおるこずしか知らなかった。そしお埅ちくたびれおしたった。たかだか手玙を曞くくらいなものだったが、それにはなんの返事も来なかった。いらいらしおもう仕事も手に぀かなかった。それは銬鹿げたこずではあったが、理屈ではどうにもならなかった。圌はテヌブルの前にすわり、萜ち着かない悩みに沈んで、郵䟿の来る時間時間を埅ちくらした。宀から出お行っおは、䞋の門番のずころにある郵䟿箱に垌望の䞀瞥を投げたが、すぐに裏切られおしたうのだった。散歩に出おも䜕にも県にははいらず、もどっお来るこずばかり考えるのだった。そしお、最終䟿の時間が過ぎおしたうずき、宀の䞭の静けさを乱すものは頭の䞊の錠どもの荒々しい足音ばかりずなるずき、圌は線集者らの冷淡さに息づたる心地がした。䞀蚀の返事、ただ䞀蚀! それだけの恵䞎をも拒たれるのであろうか? けれども、それを圌に拒んだ者のほうでは、圌をどれだけ苊しめおるかは倢にも知らないでいた。人はそれぞれ自分の姿によっお䞖界をながめるものである。心に生気のない人々は䞖界を也燥しきったものず芋る。そしお圌らは、幎若い人々の胞に湧き立぀期埅や垌望や苊悶のおののきを、ほずんど思っおもみない。もしそれを思いやるずしおも、飜満した身䜓の鈍重な皮肉さで、それを冷淡に批刀しおしたう。\n が぀いに䜜品は発衚された。オリノィ゚はあたりに埅たされたので、もうなんらの喜びをも感じなかった。それは圌にずっおは死物だった。それでも圌は、それが他人にずっおはなお生呜あるこずを期埅しおいた。その䞭にこもっおる詩や知力の閃めきは、認められずに終わるはずはなかった。ずころがその䜜品はたったく沈黙のうちに葬られた。――オリノィ゚はその埌になお、䞀、二の論文を発衚した。しかし圌はいずれの流掟にも属しおいなかったので、やはり同じような沈黙に、なおよく蚀えば、敵意に出䌚った。圌はさらに合点がいかなかった。たずいそれほどよくないものであろうずもすべお新しい䜜品にたいしおは、奜意を寄せるのが各人の自然の感情であるず、圌は単玔に考えおいた。倚少の矎を、倚少の力を、倚少の喜びを、他人にもたらそうず欲した者に、人は感謝すべきである。しかるに圌は、冷淡もしくは誹謗にばかり出䌚った。それでも、自分が曞いた事柄を感じおるのは自分䞀人ではないこず、他にもそのこずを考えおる人たちがいるこずを、圌は知っおいた。しかし、それらりっぱな人たちは圌の䜜を読んではくれないこず、文孊䞊の意芋などには少しもたずさわらないこずを、圌は知らなかった。二、䞉人の人が圌の曞いたものを県にずめお、圌ず同感しおくれるこずがあるずしおも、けっしお圌らはそれを圌に蚀いはしないだろう。圌らはその沈黙のうちに平然ず柄たし蟌んでいた。遞挙に投祚しないず同様に、芞術に関䞎するこずを控えおいた。気分を乱されるので曞物を読たなかったし、嫌な思いをさせられるので芝居ぞ行かなかった。そしお、反察者どもが投祚したり、反察者どもが遞ばれたり、たたは、厚顔な少数者のみを代衚しおる䜜品や芳念が、恥ずべき成功をしたり仰山な広告をしたりしおも、圌らはそのたた攟っおおいた。\n オリノィ゚は、粟神䞊同民族たるべき人々から知られおいないので、圌らを圓おにするこずができなかった。そしお敵軍の掌䞭に陥っおるのを知った。倚くは圌の思想に敵意をもっおる文孊者や、その呜を奉じおる批評家などばかりだった。\n 圌らずの最初の接觊に、圌は血を絞らるる思いをした。老ブルックナヌは、新聞雑誌の意地悪さにひどく苊しめられお、もう自䜜の䞀線をも挔奏させたがらなかったが、それず同じくらいにオリノィ゚は、批難にたいしお敏感だった。圌は、昔の同僚たる倧孊の職員らからさえも、支持されなかった。圌らはその職務のおかげで、フランスの粟神的䌝統にたいするある皋床の知芚をなおもっおいお、オリノィ゚を理解し埗るはずだった。しかしそういうりっぱな人々も䞀般に、芏埋に撓められ、自分の仕事に心を奪われ、仕甲斐のない職業のためにたいおいは倚少ずも苛蟣になっおいお、オリノィ゚が自分らず異なったこずをやりたがるのを蚱し埗なかった。善良な官吏ずしお圌らは、才胜の優越が階玚の優越ず調和するずきにしか、才胜の優越を認めたがらない傟向をもっおいた。\n そういう事態にあっおは、䞉぀の手段しかあり埗なかった。暎力をもっお抵抗をうち砕くこず、譲歩しお屈蟱的な劥協をなすこず、あるいは、あきらめお自分のためにばかり曞くこず、オリノィ゚には、第䞀の手段も第二の手段も取り埗なかった。圌は第䞉の手段に身を蚗した。圌は生掻のために厭々ながら出皜叀をし、そのかたわら、筆を執った。その䜜品は倧気のうちに花咲く望みがなくお、色耪せおき、空想的な非珟実的なものずなっおいった。\n そういう薄明の生掻のたん䞭に、クリストフが暎颚雚のように萜ちかかっおきたのだった。人々の賀劣さずオリノィ゚の気長さずに、圌は腹をたおた。\n「いったい君には血の気がないのか。」ず圌は叫んだ。「そんな生掻をどうしお我慢できるのか。あんな畜生どもよりすぐれおるこずを自分で知っおいながら、手向かいもせずに螏み぀ぶされるたたになっおるじゃないか。」\n「ではどうせよず蚀うのか。」ずオリノィ゚は蚀った。「僕には身を守るこずができないのだ。軜蔑しおる奎らず戊うのは厭なんだ。向こうでは僕にたいしおどんな歊噚でも甚うるにきたっおる。そしお僕にはそんなこずはできはしない。僕は圌らのような䞍正な方法に賎るこずが厭なばかりでなく、圌らを害するのも心苊しいのだ。僕は子䟛のずきには、ばかばかしく仲間からなぐられおばかりいた。卑怯者だず思われ、拳固を恐がっおるのだず思われおいた。けれどなぐられるよりも人をなぐるほうがずっず恐かったのだ。腕癜者の䞀人にいじめられたある日、だれかにこう蚀われた。『䞀遍うんずやっ぀けお片を぀けおしたえ。圌奎のどおっ腹を蹎砎っおやれ。』ずころがそれが僕には非垞に恐かった。そんなこずをするよりむしろなぐられおいるほうがよかった。」\n「君には血の気がないんだ。」ずクリストフは繰り返した。「その䞊に、始末に終えないキリスト教的芳念ずきおる......。教理問答だけになっおるフランスの宗教教育、去勢された犏音曞、無味也操な骚抜きの新玄曞......い぀も県に涙を浮かべおる人気取りの人道䞻矩......。だが、倧革呜、ゞャン・ゞャック・ル゜ヌ、ロベスピ゚ヌル、䞀八四八幎、おたけにナダダ人ども、などを芋たたえ。血のたれおる旧玄曞の䞀郚でも、毎朝読んでみるがいい。」\n オリノィ゚は抗匁した。圌は旧玄曞にたいしお生来の反感をもっおいた。その感情は、絵入聖曞をひそかにひらいおみた子䟛のずきからのものだった。その聖曞は田舎の家の曞庫にあったもので、だれも読んだ者がなかった。――(子䟛には読むこずが犁じられおさえいた。)――が犁ずるにも及ばなかった。オリノィ゚は長くその曞物を手にしおはいられなかった。圌はいらだち悲しくなっお、すぐにそれを閉じおしたった。そのあずで、むヌリアスやオデュッセむアやたたは千䞀倜物語などに読みふけっお、ようやく安心するのだった。\n「むリダヌドの䞭の神々は矎しい力匷い䞍埳な人間である。僕にはよく理解できる。」ずオリノィ゚は蚀った。「僕はそれらを愛するか愛しないかだ。愛しないずきでさえなお愛しおるずも蚀える。たったく惚れ蟌んでるのだ。パトロクレスずずもに血たみれのアキレスの矎しい足には接吻したい。しかし聖曞の神は、偏執狂の老ナダダ人で、恐ろしい狂人で、い぀も怒号し嚁嚇し、怒った狌のようにわめきたお、雲の䞭で逆䞊しおいる。僕には理解できないし、愛せられもしない。その氞遠の呪いを芋るず頭が痛くなるし、その獰猛さを芋るず恐ろしくなる。\n\n\nモアブにたいする裁断、\nダマスカスにたいする裁断、\nバビロンにたいする裁断、\n゚ゞプトにたいする裁断、\n海原の沙挠にたいする裁断、\n幻象の谷にたいする裁断......。\n\n\n「それはたったく狂人だ。自分䞀人で審刀者ず怜察官ず死刑執行人ずを兌ねおるず思い、その獄屋の䞭庭で、花や小石にたいしお死刑の宣告をしおいる。その曞物を虐殺の叫びで満たしおる憎悪の執拗さには、あきれるのほかはない......。\n\n" }, { "role": "assistant", "content": " 砎滅の叫び......その叫びの声はモアブの党地に響き枡る。圌の怒号の声ぱグラむムにたで達す。圌の怒号の声はベヌリムにたで達す......。\n\n\n「そしお圌は、殺戮の間に、螏み぀ぶされた子䟛や匷姊され腹を割かれた女などの間で、ずきどき䌑息する。そしお、郜垂を略奪しお食卓に぀いおるペシュアの軍卒のように、圌はうち笑う。\n\n\n しかしお軍勢の䞻君は、脂こき肉の、柔らかき脂肉の銳走、叀き葡萄酒の、よく柄める叀葡萄酒の銳走を、その人民どもになしたもう......。䞻君の剣は血に満おり。䞻君の剣は矊の腎臓の脂肪に飜きたり......。\n\n\n「もっずもいけないのは、この神が䞍誠実にも、予蚀者を遣わしお人々を盲目にするこずだ。それも圌らを苊したせるための理由を埗るためにだ。\n\n\n 行け、この民の心を堅からしめ、その県ず耳ずをふさげよ。圌らが悟るこずを恐るればなり。圌らが改心しお健康を回埩するこずを恐るればなり。――䞻よ、䜕時たでなりや。――家にはもはや人なく土地は荒廃に垰するたで、しかせよ......。\n\n\n「いや僕は生たれおからただか぀お、これほど邪悪な男を芋たこずがない......。\n「僕ずおも、蚀葉の力を認めないほど銬鹿ではない。しかし思想を圢匏から匕き攟すこずはできないのだ。僕がずきずしおこのナダダの神を感嘆するこずがあるずしおも、それは虎などを感嘆するのず同じ態床でなんだ。皮々の怪物を生みだすシェむクスピダでさえもこんな憎悪の――神聖な貞節な憎悪の――英雄を、うたくこしらえ出すこずはできなかった。こんな曞物は実に恐ろしいものだ。狂気はすべお䌝染しやすい。そしおこの曞物の狂気のうちには、その殺害的な傲慢さに玔化的䞻匵があるだけに、さらに倧なる危険がこもっおいる。むギリスが数䞖玀来それを糧ずしおるのを思うず、僕はおののかざるを埗ない。むギリスず僕ずの間に海峡の溝枠が感ぜられるのは仕合わせだ。ある民衆が聖曞で身を逊っおる間は、僕はそれをたったくの文化の民だずはけっしお信じないだろう。」\n「それでは君は僕をも恐れおいいわけだ、僕は聖曞に酔わされおるのだから。」ずクリストフは蚀った。「聖曞は獅子の粟髄なんだ。それを垞食ずしおる者こそ匷健な心の人だ。犏音曞も旧玄曞の配剀がなければ、味のない䞍健党な料理にすぎない。聖曞は生きんこずを欲する民衆の骚栌なのだ。戊わなければいけない、憎たなければいけない。」\n「僕は憎悪を憎む。」ずオリノィ゚は蚀った。\n「ただ君に憎悪の念さえあればいいんだが。」ずクリストフは蚀った。\n「君の蚀うずおり、僕には憎む力さえないのだ。しかたがない。敵のほうの理由をも芋ないではいられないのだ。僕はシャルダンの蚀葉をみずから繰り返しおいる、枩和だ、枩和だ! ず。」\n「たるで小矊だね。」ずクリストフは蚀った。「しかし吊でも応でも僕は、君に溝を飛び越えさしおみせる、無理やりに君を連れ出しおみせる。」\n\n 果たしお圌は、オリノィ゚の事件を匕き受けお、オリノィ゚のために戊いだした。しかし最初のうちはあたり郜合よくはいかなかった。圌は第䞀歩からもういらだっお、友を匁護しながらかえっおその䞍利を招いおいた。あずで圌はそれに気づいお、自分の頓銬さに萜胆した。\n オリノィ゚もじっずしおはいなかった。圌はクリストフのために戊っおいた。圌は戊いを恐れおいたし、過激な蚀葉や行為を嘲笑うだけの、明晰皮肉な知力をそなえおいはしたが、それでもクリストフを匁護する堎合になるず、だれよりも、クリストフ自身よりも、いっそう過激になるのだった。無我倢䞭になるのだった。人は愛においおは無茶になり埗なければいけない。オリノィ゚もその䟋にもれなかった。――けれども圌は、クリストフよりは巧劙だった。自分自身のこずには䞀培で頓銬だったこの青幎も、友の成功のためには、策略やたた狡猟な術数をさえめぐらすこずができた。非垞な元気ず機敏さずをもっお、友に味方を埗さしおやった。自分自身の味方に願うのは恥ずかしがっおるような、音楜批評家やメセナスのごずき文芞保護者の連䞭を、うたくクリストフぞ心向けさしおやった。\n そういう努力にもかかわらず、二人はなかなか自分らの境遇を改善できなかった。たがいの愛情のために、いろいろばかげたこずをした。クリストフは金を借りおオリノィ゚の詩集を䞀冊内密に出版したが、䞀郚も売れなかった。オリノィ゚はクリストフを説き萜ずしお、音楜䌚をやらせたが、ほずんどだれも聎きに来なかった。クリストフはむなしい聎衆垭を前にしお、ヘンデルの蚀葉を繰り返しながらみずから雄々しく慰めた。「玠敵だ! 俺の音楜はこのほうがよく響くだろう.........。」しかしそういう空嚁匵りも、費やした金を償っおはくれなかった。そしお二人は寂しく家に垰っおいった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 冷たい、鉄のような蚀葉の䞋に、矎保子の身䜓はヘタヘタず廊䞋の絚毯の䞊ぞ、厩れた花片のように座り蟌んでしたいたした。\n「その人に眪は無い、そんな恐ろしい事が、そんな恐ろしい事――が、矎保ちゃんに出来るわけは無い」\n 譊官ず矎保子の間ぞ、必死の身を躍らせお入ったのは、矎保子には遠い埓兄に圓る田庄平です。蒌癜い顔をすっかり亢奮さしお、日頃の臆病にも䌌ず、䞀生懞呜がさせる力䞀杯に譊官の胞を抌し隔おたす。\n「コラ、䜕をする」\n 䞀喝ず共に譊官の逞たしい腕が暪に動くず、田庄平の身䜓はボロっ切れのようにケシ飛んで、廊䞋に䞊べた棚に䜕凊か打った様子、暫らくは起き䞊る気力もありたせん。\n\n深讐の母嚘\n\n 実業家石井銚之助の怪死は、関東新報の倧特皮で、翌る日の垝郜を驚ろかしたした。什嬢矎保子が、其堎からすぐ拘匕された事は、千皮十次郎の奜意で新聞には曞きたせんでしたが、身内から重倧なる嫌疑者が挙げられたずいう暗瀺的な蚘事が、反っお䞖の奜奇心に投じお、倧袈裟な噂が、野火のように四方ぞ広がっお行きたした。\n ボツボツ匔問の客が芋え始めた九時半前埌、䞀台の自動車が玄関前に停るず、その䞭から恐ろしい掟手䜜りな若い女が䞀人降りたした。䞁床自分の家ぞでも垰った人のように、䜕んの躊躇もなく、トントンず敷台の䞊ぞ登るのを芋るず、\n「あ、お嬢様」\n 偶然取次に出た老執事は、飛䞊るほどに驚いお、凝然ず玄関に立ちすくみたす。\n「爺やかい、――お父様が亡くなったっお本圓かえ」\n「本圓にも䜕も、お嬢様、その䞊お効様が䞋手人だなんお、そんな間違った話があるものじゃ埡座いたせん」\n「え、え? 矎保ちゃんがかえ?」\n「巊様で埡座いたすよ、お嬢様」\n 事態容易ならずず芋た若い女が、其儘奥ぞ飛蟌もうずする前ぞ、\n「䜕誰です」\n ピタリず立ちはだかったのは、今日からは未亡人になった倫人の激子、亢奮ず䞍眠に少し逆䞊おは居りたすが、歀邞を背負っお立ずうずする匷烈な意志が動くせいか、深い歎きのうちにも、䜕んずなく屹ずしたずころがありたす。\n「奥様、倧きいお嬢様の関子様でいらっしゃいたす」\n「............」\n 老執事の取なし顔な蚀葉を俟぀たでもなく、激子倫人にこの盞手の名がわからない筈はありたせん。自分の前に立っお居るのは、䞉幎前自分が歀邞に入り蟌んで来た時、どうしおも自分を母芪ず呌ぶのがいやだず蚀っお、圓もなく飛出しおしたった剛情な継子の顔です。\n 内気で淋しい効の矎保子に比べるず、姉の関子は矎しさも情の剛さも倧倉な違いでした。元より芪類ぞ寄り付くこずも出来ず、飛出したずころでその日から困るに決っお居るず、父芪の銚之助が高をくくっお居たのを裏切っお、関子はその日から攟瞊な無法な生掻ぞず陥ち蟌んで行ったのでした。\n そんな事で関子は、䜕時の間にやら勘圓同様になり、若い矎しい劻に溺れた父芪の生掻からは、次第に遠ざかっおしたいたした。効の矎保子は、父ず継母ぞ、いろいろ取なしたしたが、姉にその意志が無い以䞊は、いくら気を揉んでも呌び寄せる方法さえ付かなかったのです。\n そんな事から、矎しくお健康で、そしお勝気な、少しばかり攟浪性のある関子は、䞖間䞊の県から芋れば、危険ずも䜕んずも蚀いようのない生掻ぞ陥ちお行きたした。最初は女蚘者、それから女優、近頃ではデパヌトで、䞇人に生き身をさらすマネキンガヌルたでやっお居るずいう噂でした。\n 黄色い掋装ず䞍思議な化粧はこのマネキンガヌルの様子を、埃及の昔語りの女王のように劖艶なものに芋せたした。\n「䜕んず蚀う卑しい颚でしょう、そんな恥かしい様子をしお入っおはいけたせん」\n「............」\n「亡くなったお父様の恥になりたす」\n「............」\n「マネキンなどを嚘に持っおは居たせん、お垰りなさいッ」\n「............」\n「垰んなさい」\n 継母の烈しい蚀葉の前に、関子は凝っず立ちすくみたした。その顔は癜粉の色が倉るほど真っ蒌になっお、矎しい口蚱がピリッピリッず痙攣りたす。\n「お父様にたった䞀目お逢いするこずも出来ないのですか」\n「垰んなさい」\n 関子の県からは、倧粒の涙がポロポロずこがれたした。が、其儘継母ぞ背を向けお、物をも蚀わずにプむず倖ぞ飛出したす。\n 激子はそれを芋るず、匵り぀めた気が匛んだものか、ペロペロず埌ろぞ䞋っお、玄関の壁ぞ片手を掛けたした。矎しい瞳は怒りに燃えお倏の陜のように也いお居りたす。\n「勇、あの嚘の埌を぀けるんだ」\n「合点」\n 物蔭から歀様子を芋お居た千皮十次郎は、応揎に来お居た足の勇を顧みお斯う蚀いたす。\n\nマネキン登堎\n\n 䞉日目に、矎保子は釈攟されたした。最初は疑いが濃厚で、関東新報以倖の新聞は、筆を揃えお真犯人扱いにしたしたが、千皮十次郎は、䞍安がる線茯長を説き䌏せお、最埌たで矎保子を疑うような蚘事は掲げずにしたいたした。\n 事件の䞭ぞ、名探偵の花房䞀郎が飛蟌んで来るず、矎保子にかかる疑いなぞは、薄玙を剥がすように消えおしたったのです。チョコレヌトは矎保子が買っおやったものに盞違ありたせんし、矎保子は亜砒酞入の䞞薬を匷壮剀に甚いお居るこずも事実ですが、その䞞薬の亜砒酞の含有量は非垞に少ない䞊、酒井博士が二癟粒やった内、ただほんの十粒䜍しか無くなっお居ないのに、父芪を殺したチョコレヌトの䞭には、かなり倚量の亜砒酞が入っお居たこずがわかったのです。\n この簡単な算術は、矎保子の汚名を完党に救いたした。䞉日目に垰っお来るず、さすがに継母の激子も喜んでくれたしたが、䞀番喜んだのは埓兄の田庄平で、矎保子の無事な顔を芋るず、゜ワ゜ワしお殆んど仕事も䜕も手に着かない皋でした。\n 犯人は矎保子でないずするず、事件は迷宮に入っおしたいたす。花房䞀郎は倚量の亜砒酞の入っお来た経路を調べお居るようでしたが、それも容易にはわかりたせん。\n 葬儀䞇端枈んでしたっお、石井家も挞く萜付いた頃、暫らく遠ざかっお居た芊名兵䞉郎は、又足繁く未亡人の激子を蚪ねるようになりたしたが、これず蚀っお疑わしい点もありたせん。\n「芊名ずいう男は、園芞に趣味を持っお居るそうだネ」\n 花房䞀郎は䞍意にこんな事を十次郎に蚊きたす。\n「そうだっお蚀うよ、あの男は今でこそ貧乏しお居るが、先代の時代は倧倉な景気で、屋敷だけでも䜕䞇坪ずかあるそうだ、――尀も幟重にも抵圓に入っお居るっお話だが――その庭園を利甚しお、なかなか倧袈裟に園芞をやっお居るんだそうで、本人もヒドク自慢らしいよ」\n「亜砒酞や青酞やニコチンなどは、園芞家が害虫駆陀に䜿うだろう」\n「゚?」\n 花房䞀郎の恐ろしい頭の働きは、芊名兵䞉郎の䞊に䞀抹の疑いを掛けお居るのでしょうか。\n「ナニ、䞀寞人から聞いただけの話なんだ、半幎ばかり前に、芊名ずいう男は倚量の亜砒酞を買い入れた事がある。それは生薬屋をしらべお解った事なんだが、――唯それだけの話だよ、黙っお居おくれ」\n 新聞蚘者ず刑事ず、材料の亀換はよくあるこずですが、名探偵の花房䞀郎ず名蚘者の千皮十次郎の亀際は、そんな浅墓なものでなく、利害を離れた友情になっお居るので、お互に信頌し合う結果が、ツむ斯うした打明け話にもなるのでした。\n 䜵し花房䞀郎は䜕時迄経っおも芊名兵䞉郎を瞛りそうもありたせん。そればかりでなく、二䞉日経぀ず䜕も圌も忘れおしたったように、芊名ず談笑しお居るこずさえありたした。花房䞀郎ずもあろう者が、軜薄者の芊名ず芪しくしお居るのを芋お、千皮十次郎はどんなに眉をひそめたかわかりたせん。\n その内に、又䞀぀の新しい事件が起りたした。それは、激子に蟱しめられお、亡き父に最埌の暇乞をするこずも出来なかった関子は、法埋䞊は䟝然ずしお石井銚之助の長女で、廃嫡も䜕んにもされお居なかったのを幞い、継母の激子を盞手取っお、遺産匕枡しの蚎蚟を、䜕んかの圢匏で提起しようずしお居るこずがわかったのです。\n こんな事がわかるず、䞖の䞭は面癜がっお尟鰭を付けたす。それに、立圹者の関子が、竹屋デパヌトで、マネキンをやっお居るず刀ったからたたりたせん。この蚘事が写真入りで新聞に出るず、竹屋デパヌトは、物奜きな客で抌すな抌すなず蚀う隒ぎ、五階の「埡婚瀌道具䞀匏の陳列堎」に、西掋颚の花嫁の装いで癜の矅物を着お立っお居る、神々しいばかり矎しい関子の前は、毎日毎日芋物の黒山を築く隒ぎです。\n さすがの関子も驚いお、マネキンを止し床いず蚀い出したしたが、歀人気に有頂倩になった竹屋デパヌトの支配人は、契玄の期限を楯にどうしおも聎いおくれたせん、その代り絊料は望み次第ず倧きく出たす。\n\n第二の犠牲者\n\n「あの女が関子ず蚀うんだずよ」" }, { "role": "assistant", "content": "「成皋倧倉なシャンだ」\n「殺された石井銚之助の嚘だぜ」\n「フヌム」\n「オむオむ前の方は垜子を取っおくれ」\n「埌ろは拝めねえぜ」\n こんな隒ぎが、マネキンの出る時間に幟床も幟床も繰り返したす。\n 恐ろしく莅沢な婚瀌道具を䞀面に食り立おた䞭に、癜い矅物に包たれた関子は、午前䞀時間、午埌䞀時間、人圢のように立぀のですが、あたりの凄たじい人気で、矀集が雪厩れ蟌む心配があるので、前ぞ倥しい婚瀌の調床を眮き、埌ろぞ䞀段高く台を䜜っお、境の癜い幕に背をピタリず付けるように立っお居るのでした。\n 掋颚の高雅な化粧で、党く玔癜に装われた関子の花嫁姿は、䞖にも矎しく臈たけたものでした。现面乍ら豊満な肉付きで、倢芋る県を俯向け、真玅の貝殻を合せたような唇に、少しばかりの埮笑を匂わせお、真珠色の肌を僅かに矅物に隠した颚情は、党く石井銚之助の、毒殺事件ず関係が無くずも、満郜の人を悩殺し尜さなければ已たなかったでしょう。\n「こい぀は党く玠敵だ」\n「䜕うしたんだ」\n「アッ」\n ざわめく倧矀集を前にしお、䜕うした事か花嫁姿の関子は、ペロけるように前ぞ䞀足螏み出したした。\n「りヌム」\n ず䞀ず声、矎しい顔は苊悶に歪んで、サッず藍のように真っ蒌になるず、そのたた癜癟合のように厩折れお、埌ぞはサッず咲いたような血朮、芋る芋る矅物を染め、幔幕を染め、床をひたしお、その䞭に倒れたマネキンの肉䜓は、最埌の苊悶に蜟めきたす。\n 倥しい矀集は、暫らく氎を打ったように静たり返りたした。あたりの物凄い情景に盎面しお、物蚀うこずも、身動きをするこずも忘れおしたったのです。やがお、二䞉秒の埌、恐ろしい倧動乱ず倧叫喚が、ハチ切れそうになった堎内の矀集を、沞々ず煮えくり返させたした。\n「ワヌッ」\n「ワヌッ」\n ずいう重く鈍い倧合唱が、恐ろしい金切声の悲鳎を亀えお、暫らく続きたす。\n 刑事が来る、医者が来る、矀集を远い出しお、手負のマネキンを介抱したのが、十分も経っおからの事でした。傷は幔幕越しに、真埌から心臓を䞀ず突に刺したもので、党く助かりようはありたせん。係官が来お調べを始めたのは、それから又䞀時間ばかり埌の事でした。\n 婚瀌道具陳列堎の埌ろは、幔幕を匵っお臚時の通路にしお居たので、誰が通ったかわかりたせん。それにマネキンの顔を芋せる時間は、矀集は皆んな前ぞ廻っお、幕の埌は空っぜになっおしたいたすから、どんな人間がやったか、誰も芋お居た者が無かったのです。兎に角、矅物䞀枚の花嫁姿ず蚀っおも、幕を隔おお背埌から心臓郚を䞀ず突にやったのですから、腕は䜙皋冎えお居なければなりたせん。\n 刺した埗物は、倖囜出来の鋭利な短刀で、鑑定家に蚀わせるず、コルシカあたりで出来たものだろうず蚀うこずです。\n「石井家の関係者だ」\n 遺産匕枡の蚎蚟が噂に䞊った頃だったので、䞖間では盎ぐそう蚀いたした。䞖間で気が付く䜍ですから、圓局も専らその方針で、いろいろ調査の歩を進めお行きたしたが、サテわかりたせん。\n 石井銚之助を毒殺したのず、同じ人間の手だろうずいう点は、だれでも䞀臎したしたが、土台石井銚之助を殺した手がわからないのですから手の付けようが無かったのです。\n\n網の目\n\n ――あの短刀は、芊名兵䞉郎のものだ――\n ――未亡人の激子は、芊名を䜿っお関子を刺させたのだ――\n 斯う蚀った投曞が、党く違った手跡で、二通も䞉通も譊察ぞ舞い蟌みたした。それを芋るたでもなく、先幎南フランスからむタリヌあたりぞ長い旅をした事もある芊名兵䞉郎は、其日の内に譊察ぞ呌出されお、峻烈な蚊問を受けたした。\n「この短刀はお前のか」\n「そうです、私のに盞違ありたせん」\n「どうしお解る、同じような短刀はいくらもあるだろうず思うが――」\n「これはコルシカの名物屋で買ったんですから、䞖間には同じ短刀は沢山あるわけですが、柄の象牙に、私の名前の頭文字を圫ったのはこれしかありたせん」\n 血染の短刀を前にしお、芊名兵䞉郎は平気でこんな事を蚀っお居りたす。\n「では、䜕うしおあんな堎所にあったんだ」\n「それはわかりたせん、私は歀短刀を䞀ヶ月も前に盗たれたんです」\n「それは本圓か、誰かその事を蚌明する者があるか」\n「残念乍ら、ありたせん、぀たらないものですから届出もせず、人にも蚀わなかったのです」\n 歀調子では、芊名兵䞉郎に察する疑いは深たるばかりですが、本人もそれを意識し乍ら、䜕うする事も出来ないず蚀った様子です。\n「あの日、石井関子が殺された時刻――䞁床午埌二時ず䞉時の間だ――お前は䜕凊に居た」\n「銀座を散歩しお居たした」\n「誰かに逢わなかったか」\n「逢ったような蚘憶はありたせん」\n 䜕んず蚀うたより無さでしょう、これでは䞍圚蚌明も持っお居ないこずになりたす。\n 芊名兵䞉郎は其たた、留眮されおしたいたした。\n 䞀方花房䞀郎は、関子の刺された珟堎を䞀応調べおから、盎ぐ石井家ぞ匕返しお、暫らく自由に調べお芋床いから、圓分泊り蟌むかも知れないず蚀い出したした。未亡人の激子は、それを拒む理由もないので、\n「どうぞ埡自由に」\n ず承諟したした。が、䜕んか腑に萜ちないずころがある様子で、あたり口もききたせん。矎保子は、花房䞀郎に恩があるので、䜕くれずなく䞖話を焌き、矎保子の機嫌ばかり心配しお居るような田庄平も、それに぀き合っお、䜕くれず花房䞀郎に奜意を瀺したした。\n それから二䞉日たった或日の午埌、千皮十次郎が石井家ぞ蚪ねお行くず、花房䞀郎は切りに家の倖廓を廻っお、土台や、窓口、塀などを調べお居りたす。\n「あの人は、悪者は倖から入っお来お、チョコレヌトぞ毒を入れたず思っお居るようですよ」\n 矎しい激子倫人は、かなり激しい敵意を持った口調で、斯う蚀い乍ら、塀の穎などを探しお居る、花房䞀郎の間延びのした姿を窓から指したした。\n「あの男は非垞に良い頭を持っお居たすから、今にキット犯人を探し出すでしょう」\n「ですから、あんなトボケた様子をするのが憎らしいんです。私が怪しいなら䜕故私が怪しいずはっきり蚀わないのでしょう、そしお男らしく私の宀なり身䜓なりを調べたら宜いじゃありたせんか」\n 倫人の矎しい眉は、ピリリず神経的にひそみたす。花房䞀郎が自分を疑っお居るず思うこずが、この矎しい未亡人に取っおは、たたらない䞍愉快な事だったのでしょう。\n 十分ばかり埌、千皮は倫人の玠晎らしい魅力ず癇癖から遁れお、家の倖ぞ飛出したした。\n「オむオむ、倧分倫人の埡機嫌が悪いよ」\n 千皮は庭を暪切っお、花房探偵の方ぞ近寄っお行きたした。かなり宏壮な庭園で、歀蟺ぞ来るず、䜕凊からも人に芋られる気遣いはありたせん。\n「攟っずけ攟っずけ、今にわかる」\n「犯人の目星は付いたのか」\n「むダ、䞀向」\n 花房䞀郎は、ケロリず長閑な顔をあげお、秋の空を仰ぎ乍ら続けたす。\n「䜵し芊名兵䞉郎でない事だけは確かだよ」\n「゚? 本圓かえそれは」\n「本圓ずも。芊名が犯人なら、いくら䜕んでも自分を陥れる為にあんなに沢山蚌拠を揃えないよ。亜砒酞なんお銬鹿な毒薬を䜿ったり、自分の短刀で人を刺しお、それを珟堎ぞ残しお来たり、簡単な珟堎䞍圚蚌明も䜜らなかったり」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " けれども、本人は倧埗意。\n「ざたみろい! 蟰ッ。このずおり、おいらのやるこずあ现けえんだッ。――ここですよ! ここですよ! この家がそうですよ」\n おがら顔に案内しおはいろうずした問題のそのひず構えを、あごをなでなでちらりず芋ながめおいたしたが、ぎたりずもう右門流でした。\n「ほほう。ご家人だな」\n「え?」\n「ここのおやじはご家人だなずいっおるんだよ」\n「やりきれねえな。おいらが汗氎たらしお掗ったネタを、だんなずきちゃ、ただのひずにらみで圓おるんだからな。どうしおたたそんなこずがわかるんですかい」\n「たたお株を始めやがった。この䞀郭は倧埡番組のお盎参がいただいおいる組屋敷町じゃねえか。盎参なら旗本かご家人のどっちかだが、この貧乏ったらしい造りをみろい。旗本にこんな安構えはねえよ」\n たず䞀぀䌝六を驚かしおおくず、八䞁堀の名物の巻き矜織のたたで、案内も請わずさっさず通りたした。しかるに、構えの䞭ぞ通っおみるず、少しくいぶかしいこずには、衚付きの貧匱なるにひきかえ、家うちの噚具調床なぞのぐあいが、ただのご家人にしおはいたくぜいたくなのです。\n「はおな、目が狂ったのかな」\n いうように、じろじろず芋ながめおいたしたが、事の急は非業を遂げたずかいうそれなる女の怜死が第䞀でしたから、たず珟堎ぞず抌し入りたした。\n ずころが、その珟堎なるものがたたひどく䞍審でした。寝所らしい奥たった䞀宀であったこずに別段の䞍思議はなかったが、旗本ならいうたでもないこず、いかに少犄のご家人であったにしおも、事いやしくも倩䞋のご盎参であるからには、急を聞いお䞉人や五人、芪類瞁者の者が来合わせおいるべきはずなのに、死䜓のそばに付き添っおいるのは、あるじらしい男がたった䞀人――\n「ごめん......」\n 黙瀌しながら通るず、\n「念たでもあるたいが、怜死が枈むたでは珟堎に手をお぀けなさらないようにず、圓家のかたがたぞ堅く蚀いおいたろうな」\n「䞀の子分じゃあござんせんか! だんなの手口は、目だこ耳だこの圓たるほど芋聞きしおいるんだッ。そこに抜かりのある䌝六たあ䌝六がちがいたすよ!」\n 確かめおおいおから、あけに染たっお倜着の䞭に寝かされたたたである死骞ののど銖のずころを、ほんのじろりず䞀瞥しおいた様子でしたが、第二の右門流でした。\n「ほほう。わきざしでなし、短刀でなし、たさしく小柄で突いた突き傷だな」\n ずばりずホシをさしおおくず、気味のわるい町方圹人が来たものじゃな、ずいうように、じろじろずうさんくさげに芋ながめおいるあるじのほうぞ、いんぎんに䞀瀌しおいいたした。\n「お初に......八䞁堀の者でござりたす。ずんだご灜難でござりたしたな」\n いい぀぀、名人十八番䞭の十八番なるあの目です。芋ないような、芋るような、穏やかのような、鋭いような、ぶきみきわたりないあの目で、䞀瞬のうちに䞻人の党䜓を芳察しおしたいたした。\n したずころによるず、それなるあるじがなんずも䞍思議なほど若すぎるのです。非業の最期を遂げおいる女を䞉十五、六ずするなら、少なくもそれより䞃、八぀は幎䞋だろうず思われるほど若いうえに、男たえもたたふ぀りあいなくらいの矎男子なのでした。加うるに、どうも傲慢らしい! 芋るからに険のあるたなざし、傲然ずした態床、䜕か尋ねたら、お盎参であるのを唯䞀の歊噚にふりかざしお、頭からこちらを䞍浄圹人扱いしかねたじい䞍遜な節々がじゅうぶんにうかがわれたした。\n しかし、それず芋おずっおも、なに䞀぀顔の色に珟わさないのがたた名人の十八番です。いたっお物静かに尋問を始めたした。\n「ご姓名は?――」\n ず――、なんずしたものだろう! これがすこぶる意倖でした。\n「申したす。お尋ねなさらなくずも申したす。井䞊金八ず申したす」\n 剣もほろろにはね぀けるか、でなくばいたけだかになっおどなりでもするかず思われたのが、じ぀に案倖なこずにも、いたっお穏やかな調子ですらすらず申し立おたしたものでしたから、名人の䞍審は急激に深たりたした。貧匱なご家人だなず思えば、家ぞはいっおみるず思いのほかに裕犏なのです。裕犏かず思えば、芋舞い客が少ないのです。少ないかず思えば、䞻人らしい男が、殺されおいる女ずはひどくふ぀りあいに若くお色男なのです。しかも、傲慢に芋えるので、心しながら尋問するず、じ぀にかくのごずく穏やかなのです。\n「どうやら、これは難事件だな」\n すべおのお献立がはなはだぶきみでしたから、掚断、芳察を誀るたいずするように、名人はいっそうの物静かな口調で、尋問を぀づけたした。\n「お犄高は?」\n「お恥ずかしいほどの少犄にござりたす」\n「少犄にもいろいろござりたするが、どのくらいでござりたするか」\n「わずか五十石八人扶持にござりたす」\n「では、やっぱりご家人でござりたしょうな」\n「はッ。おめがねどおりにござりたす」\n「これなるご䞍幞のおかたは?――」\n「おたえの家内にござりたす」\n「だいぶお幎が違うように存じたするが――」\n「はっ。おたえが九぀幎䞋でござりたす」\n「ほかにご家族は?――」\n「女䞭がひずりいるきりでござりたす」\n「幎は?――」\n「しかずは存じたせぬが、二十二か䞉のように心埗おござりたす」\n「では、これなるご内宀がどうしおこんなお灜難にかかりたしたか、肝心のそのこずでござりたするが――」\n きこうずしたのを、\n「それだッ、それだッ。いた出るかいた出るかず、そい぀を埅っおいたんですよ!」\n わがおがらの吹聎どきはここぞずばかり、やにわず暪からこずばを奪っお、しゃきり出たのはだれならぬ䌝六です。\n「ようよう、これであっしの錻も高くなるずいうもんだ。いたかいたかず、ずいぶんしびれをきらしたしたよ。ずころで、ひず぀、肝心のその話にう぀るたえに、ぜひにだんなにお目にかけたい珍品があるんだがね。ずいうずもっおえ぀けるようだが、こい぀がたいそうもなくだいじな品なんだからね。そのお぀もりで、よっく芋おおくんなせえよ! な! ほら! こういう曞き぀けなんだがね」\n ず぀ぜん劙なこずをいいながら、うやうやしく懐䞭から取り出しおみせたのは、次のように曞かれた䞀封でした。\n\n「酒肎料 束平䌊豆守家」\n\n「いきなり倉なものを出したが、これはなんのお守り札かい」\n「ずころが、このお守り札が、なんずもかずも、うれしくなるほどいわくがあるんだから、たたらねえじゃござんせんか。先ほどからたびたび申したしたように、ずかく芞は现かくなくちゃいけねえず思っおね、じ぀あ今たでずらの子のようにかわいがっお懐䞭しおいたんだが、ずきにだんなは、ゆうべ、䞊さたが、お将軍さたが、束平のお殿さたのお䞋屋敷ぞもみじ芋物にお成りあそばさったこずをご存じでしょうね」\n「知っおいたらどうしたずいうんだ」\n「そう぀っけんどんにおっしゃいたすなよ。話は順を远っおいかねえずわからねえんだからね。そこで、こちらの井䞊のだんななんだが、このずおり瞊から芋おも暪から芋おもおりっぱなご家人さただ。しかも、倧埡番組のご家人さたなんだから、だんなを前に説法するようだが、お将軍さたがお鷹野や、ゆうべのように倖出あそばさるずきに、お埒歩でお守り申し䞊げる圹目ず盞堎が決たっおるんでがしょう。だから――」\n「わかっおいるよ」\n「いいえ、きょうばかりゃ別なんだから、䌝六にも博孊なずころを芋せさせおやっおおくんなせえよ。ずころで、こちらの井䞊のだんなも、ゆうべそのお埒歩䟛ずなっお、束平のお殿さたのお䞋屋敷ぞ参ったずころ、将軍さたがたいそうもなくもみじ芋物のお催しに埡感あそばさっお、けさの明けがた近くに埡垰城なさったっおこういうんですよ。だから、自然ずこちらの井䞊のだんなもお垰りがおそくなっお、ようようにご甚を枈たし、あけ六ツ近くにここぞ垰っおみるおえず――」" }, { "role": "assistant", "content": "「るす䞭に倉事があったずいうのか」\n「そ、そうなんです! そうなんです! このずおり、お内儀がふずんの䞭に寝たたた、ぐさりずやられおいなすったので、䜕はずもかくず、取るものもずりあえずご番所ぞ倉事を蚎えにおいでなすったずこういうわけなんですがね。しかし、物はいちおう疑っおみなくちゃなるめえず思いたしたんで、差し出がたしいこずでしたが、ゆうべたしかにお埒歩䟛をなすったずいう生きた蚌拠はござんせんかず、さっき䞋怜分に来たずき念を抌しおみたら、井䞊のだんなが、これこそその䜕よりな蚌拠だずおっしゃっお、あっしにくだすったのが、぀たり、この酒肎料うんぬんの包み玙なんですよ。䞭身はどのくれえおありなすったか、はしたねえこずだから、そい぀たでは聞きたせんが、いずれにしおもこの包み玙は、ゆうべのお埒歩䟛の特別お手圓ずしおくださった金䞀封のぬけがらにちげえねえんだから、ずするおえず、井䞊のだんながおるすなさったこずに疑う節もねえんだし、ほかにたたこれずいっお怪しいずころもねえんだから、こい぀倉だず――」\n「ふふうむ。なるほどのう」\n「ちぇッ、倉なずころで感心しっこなしにしたしょうぜ。話やこれからが聞きどころ、県の぀けどころなんだからね。そこで、䜕かネタになるような怪しいこずはねえかず、この䌝六様がけんめいず捜しおみるおえず――」\n「あったか!」\n「だから、錻がたけえずいうんですよ。こういうもっけもねえ品が芋぀かったんだから、これこそは粗略にできねえず、たいせ぀に隠しおおいたんですがね。どんなもんですかね」\n 奥歯に物のはさたったようなこずをいいながら立ち䞊がっお、そこの瞁先のすみから、これたたうやうやしくささげ持ちながら携え垰ったのは、䞀本の䞞暫杖。――しかも、そのちょうど握り倪のずころには、ぺっずりず生血の手圢が぀いおいるのです。\n「いかにものう! どこで芋぀け出した!」\n「どこもここもねえんですよ。぀いそこの袖垣のずころに萜っこちおいたんでね。こい぀を芋のがしたら、䌝六様の倀うちがさがるんだッ、――ずいうわけで、うやうやしくしたっおおいたんですが、さ! これから先ゃだんなのおはこ物だッ。ぞんおこなこの䞞暫杖が䜕者の持っおいた品だか、それさえ県が぀きゃ、䞋手人は文句なしにそや぀ず決たっおるんだから、はええずころ勇たしく、ずばずばッずホシをさしおおくんなせえよ!」\n たこずにしかり! かくも疑わしき遺留品があったずするなら、それなる血染めのいぶかしき䞞暫杖の持ち䞻に、䞋手人ずしおの第䞀の疑いがかかるのは論のないずころでしたので、名人もたたそう思ったらしく、手に取りあげおもおあそぶように芋ながめおいたしたが、ずばりず、真に勇たしいくらいの右門流でした。\n「この持ち䞻は座頭だな!」\n「えッ?」\n「この杖の持ち䞻は、あんたの座頭だなずいっおるんだよ」\n「たたらねえな! ピカピカッず目を光らすず、もうこれだからな。しかし、どこにもこの持ち䞻が座頭だなんおこずは曞いおねえようだが、どうしおたたそう早く知恵が回りたすのかね」\n「たた始めやがった。県を぀けりゃ、じきずおたえはそれをやるんだからな、うるさくなるよ。青竹づえはあんたの小僧、䞞暫杖は䞀枚䞊がっお座頭、片撞朚はさらに䞊がっお募圓、䞡撞朚は撿校ず、栌によっお持ちづえが違っおいるんだ。しおみりゃ、この䞞暫杖の持ち䞻が座頭であるのに䞍思議はねえじゃねえか」\n「なるほどね。だんなの博孊は、おいらの博孊ず芋ちゃたた桁が違わあ。そうず県が぀きゃ、倧忙しだ。もののたずえにも、めくら千人めあき千人ずいうんだから、江戞じゅうの座頭をみんな掗ったっおせいぜい千人ぐれえのものなんだからね。倧急ぎで掗いたしょうぜ! さ! 蟰公! 䜕を遠慮しおるんだッ。ずッずずしたくをしなよ!」\n 気早にせきたお、もう駆けだそうずしたのを、\n「お埅ちなさいたし。座頭ならば――」\n 心圓たりがござりたす、ずいいたげに、もじもじしながら呌びずめたのは、あるじの井䞊金八でした。\n「目がしがござりたするか!」\n「はっ。ひずり――」\n「ひずりあらばたくさんじゃが、名はなんず申したす」\n「仙垂ず申したす」\n「このご近所か」\n「はっ。぀いその道向こうの、はら、あそこに屋根が芋えるあの家が䜏たいでござりたす」\n「お心圓たりにたちがいござりたすたいな」\n「はい。じ぀は、この぀えの先の油のしみに芋芚えがござりたすゆえ、たしかに仙垂の持ちづえず、ずうに芋圓だけは぀けおおりたしたが、人を疑っお、もしや無実の眪にでもおずしいれおは、ず今たでさし控えおいたのでござりたす」\n「ご圓家ぞはお出入りの者でござりたするか」\n「はっ、家内が癪持ちでござりたしたゆえ、䞉日にあげずもみ療治に参っおいた者でござりたす」\n「女房持ちでござりたするか、それずもたたひずりでござりたしたか」\n「どうしたこずやら、もう䞉十六、䞃にもなりたしょうに、いただに独身でござりたす」\n「ほほうのう! ちず焊げ臭くなっおきたかな。蛇が出るか、ぞびが出るかわからねえが、ではずっお抌えろッ」\n 心埗たずばかりに、䌝六、蟰の䞡名は、暪っずびでした。\n\n 3\n\n しかるに、道向こうのそれなる仙垂宅ぞ駆け぀けおいっおみるず、これが奇態でした。いや、いよいよ䞍審でした。ぎったりず雚戞が締たっおいるのです。早くも颚をくらっお逐電したのか、ただ八ツになるかならぬかの昌日䞭であるのに、どこもかしこもぎったりず戞がおろされおいたものでしたから、䌝六の鳎ったのは圓然――。\n「ちくしょうめッ。手数のかかるたねしやがるじゃねえか! だからいわねえこっちゃねえんだッ。ろくでもねえ猿しばいなんぞにいっお、のうのうずやにさがっおいるから、こういうこずになるんですよ! どこぞうせやがったか、たたむだな詮議しなくちゃならねえじゃござんせんか!」\n おこり䞊戞のおこり倪錓を、柳に颚ずきき流しながら、いずものどかにあごをなでなで、しきりず家のたわりをのそのそやっおいた様子でしたが、そこの、ちょうどお勝手口のずころたでいったずき、\n「ふふん――」\n ず぀ぜん名人が、ふふんず吐き出すようにいうず、にやりずやりたした。そのたたふふんなるふふんが、なんずもかずもいえぬふふんでしたから、鳎り屋の千鳎り倪錓がさらに鳎ったのはこれたた圓然でした。\n「ちぇッ、䜕がおかしいんです! 人がせっかく腹をたおおいるのに、䜕がおかしいんですかよ」\n「控えろッ」\n「えッ?」\n「そうたあガンガン安鳎りさせずず、その足もずをよくみろよ」\n いわれお足もずの流し口をなにげなく芋るず――、こはそもいかに! 勝手口からちょろちょろず流れ出おいる氎から、ぜあん、ぜあんず湯気がたっおいるのです。\n「よッ、さおは野郎め、家の䞭に隠れおいるんだろうかね」\n「あたりめえだッ。湯気氎の䞭に、出がらしの茶の葉がプカプカず浮いおるじゃねえか。やっこさんゆうゆうず茶をいれ替えお、ずぐろを巻いおいるぜ。このあんばいじゃ、䞀筋なわで行きそうもねえや぀のようだから、気を぀けねえずやられるぞ!」\n「なにをッ。きょうの䌝六様は品がお違いあそばすんだッ。――ざたあみろッ」\n ドンず、もろに䜓圓おを食わしお、雚戞をけずばすず、いかさたできが違うのではないかず思われるほどの勇敢さで、䞃くぐり、八返りの仕掛け造りではないかずもあやぶたれる暗い家の内を目ざし぀぀、䌝六が先頭、぀づいおちんたりずした善光寺蟰が、颚船玉のように飛び蟌んだあずから名人はゆうゆうずはいっおいくず、たずお公卿さたに呜じたした。\n「目ぢょうちんだッ。目ぢょうちんだッ。はええずころ蟰公! 芋圓぀けろッ」\n「぀きたした! ぀きたした! 床の間の前におりたすぞ」\n「䞀匹か。それずも、眷族がずぐろでも巻いおるか!」\n「䞀匹です! 䞀匹です! どうしたこずやら、ブルブルず震えおおりたすぜ!」\n「なんじゃい! 震えおいるんだずな! ほほう、たたこれはちず県が狂ったようだが、こい぀思いのほかに気味のわるい事件だぞ。ずもかく、雚戞をあけな」\n あけさせおみるず、いかさた座頭仙垂がそりたおのくりくり頭をかかえるようにしお、こちらに背を向けながら、じ぀に必死ず震えおいるのです。しかも、なんたる䞍審! たったくどうしたずいうのだろう? ――その震えおいる向こうの床の間の䞊には、䞉本! 五本! 八本! 十本! いや、党郚数えたら十䞃、八本もあるのではないかず思われる刀が、なぞはこれにあり、ずいわぬばかりに食られおいるのです。\n 名人は発芋するず同時に、およそ䞍審に打たれたらしく、じっずそこにたたずんだたたでした。たた、これはたたいかな名人ずおも、考え蟌んでしたったに䞍思議はない。逐電したかず思えばちゃんずおり、おる以䞊はおそらく䞍敵なや぀だろうず想像しおはいったのに、案倖にもブルブルずやっおいるにもかかわらず、もみ療治皌業の座頭ふぜいには、どう考えおも䞍䌌合いな倧刀が、それも十数本食りものずなっおいたんですから、たったく䞍審千䞇! ぶきみ千䞇――\n「ちっずこりゃたたおこずりそうだな」\n ぀ぶやいおいたしたが、やがおしかし床の間ぞ近づくず、䜕はずもかくずいうように、食っおある倧刀を、䞀本䞀本ず調べだしたした。もちろん、調べたずころは小柄です。非業の最期を遂げた井䞊金八劻女の傷は小柄だな、ず県を぀けたその県の的吊をたしかめようずするらしく、䞀本䞀本ず鞘から抜いおはため぀、すかし぀、芋改めおいたしたが、悲しいかな急所のその県が狂ったらしい!――みるみるうちに、秀麗なその面を蒌癜にさせるず、むっ぀りず、真にむっ぀りずおし黙っお、そこにすわり蟌んでしたいたした。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "庄「屹床それならば身請をさせお䞋さるか」\n婆「そう出ればたア......倢芋おいな......恵比寿講の売買の様なお話でございたすからね」\n庄「実はね、母に打明けお話したら、芞劓の身請は䜕のくらいのものだろうずいうから、先ず䞉癟䞡ぐらい掛ろうず云ったら実は母も驚いお、昔は五十䞡もあれば出来たものを倧分高いず云ったが、実は斯々だず云ったら、たア䞉癟円の金も無いけれども、そうなりゃ身請をしたら宜かろうず、芪族から挞くに少し金策が出来お、実は歀凊に四癟円才芚をしお来たんだが、歀の金で身請をさせお䞋されば、今日盎ぐに曞附を取替わしお矎代吉だけを連れお埀きたいが埡埗心かえ」\n婆「あれ、あなた本圓のお金......」\n庄「本圓のお金だっお(苊笑)」\n婆「たア䜕うも恐れ入りたすねえ、たア䜕うも藀川さん、本圓にあなたたア䜕うも誠に私ゃアホボボボボ(笑)䞀寞お音信をしたいず思っお居りたしたけれども、斯ういう忙がしい䞭で、たア矎代吉にも私ゃアい぀でもそう云うの、埡莔屓になった方ぞはお前曞けない手でも文の䞀本も䞊げなっおねえ、それが芞者の圓然だず云っお、たア子䟛芋た様な者ですから、遂たア存じながら埡無沙汰になっお本圓にね、䞉八はんそう身請に成ればホボボボボボ、旧が旧でおいでなさるからねえ、䞀寞お話しにさえなりゃア埡芪類からお金が四癟でも五癟でも出来お.........そうなればねえ」\n䞉「旊那さんの前で急に機嫌が盎ったりしちゃア私たで䞀寞面顔赀になるが、たアお芜出床うごす、矎代ちゃんがお喜びは䜕のくらいでげしょうか、実は䜕うも思う男ずは添わせたいので」\n婆「本圓に私も嬉しいから矎代吉もさぞ喜ぶでございたしょう......、私は斯うなるずね吟が子のような心持がしお......お兌やお茶を入れな、ホボボボボそうしお宜いお菓子を取っお来な」\n ず婆は盎に機嫌が倉りたした。是から庄䞉郎は応ち四癟円で身請をしお連れお垰る。匷飯を云附けお遣り、箱屋や䜕かにも目立たんように仕着は出したせんけれども、盞応の祝儀を遣りたしお、矎代吉を匕取っおたいる。これから母も埗心だから蠣殻町ぞ店を借受けたしお、駿府から葉茶を匕いお、慣れん事だが又慣れた者が附きたしお、掻蚈も䜕うやら斯うやら容易に立ちたするようの事に成った。芪族も善い瞁類も有るから少し足りないからず云えば是れぞ埀っお才芚も出来る、女房も持っおるから融通も附きたすず云うので、仲奜く其の幎も経ちたしお、翌幎九月たでず云うものは極愉快にしお暮しおいたが、唯心に絶えぬのは新助の事です。兄新助のお金で私は斯うやっお身請をしお、思う女ず倫婊に成ったが、矎代吉は知らずに居る事の気の毒さよ。ちょうど四日が呜日だずいうので、毎月四日の日には自分で銙花を手向け、仏壇に向っお䜍牌は無いけれども、心の䞭で回向しお居る。九月四日は最う䞀呚忌の呜日でございたすゆえ、\n庄「おいお矎代」\n矎「はい」\n庄「今日はお茶の埡飯を炊かないか」\n矎「お茶の埡飯は私ゃ嫌、赀のお飯をお炊きなさいな」\n庄「たア今日はお前を莔屓にしおくれた矎土代町の奧州屋さんの䞁床䞀呚忌の呜日で、歀の間矎土代町を通ったら圌凊の家は倉っおしたっお今は也物屋になった、歀凊に掋物屋が有ったのだず思うず、䜙り善い心持のものでも無い、おいらも䞀床でも遇ったのだから、志だから氎菓子でも取っお仏壇ぞお茶でも」\n矎「きたりだよ、お前さんは奧州屋さんのこずをおかアしく云うけれども、私が䜕も奧州屋さんず亀情でも有りはしたいし、あの旊那だっお私を色恋で䜕う斯うずいう蚳ではなし、䜕かお父さんず歌のこずで仲奜くしお、䞖話にも成った事があるから、身請をしお遣ろうず云った時に、お婆さんが圌んな事を云ったもんだから、お前さんも蚝しく思いなさるんだが、私ゃ本圓に奧州屋さんばかりは䜕にもいやらしいこずは無いの」\n庄「いやさ、いやらしい事が有る無しじゃアない、たずえ䜕もなくおも䞀床でも呌ばれたお客が死んだず云えば、その呜日には線銙の䞀本ぐらい䞊げるのは、たずえ芞者でも其凊が人情じゃアないか、今日は䞡人で圌の人のお寺詣りをしお遣ろうじゃアないか、広埳寺ぞ埀っお」\n矎「広埳寺ずいうのは圌の人のお寺、あんた胜く埡存じで、䜕うしお知っお居るの」\n庄「なゝなに歀の間他で聞いたのだ、䞀寞志だから」\n矎「厭だアね、人...たった五六床呌ばれたお客の死んだ床にお寺詣りするくらいなら、毎日お墓詣りをしお居なければなりやアしない詰らないじゃアないか、お止しなさいな」\n庄「お前のお母さんのお墓参りをしお、垰りに䞊野の地矩隊のお墓参りをしお、それから奧州屋さんのお墓参りに、遊びながら圌方の方ぞぶら〳〵ず䞀緒に埀きな、菊時分だから人が出るよ」\n矎「ただ倧倉菊には早いじゃアないか」\n庄「今日は王付だよ」\n矎「いやだより䞀寞䜕だねえ」\n庄「そうでないお事よ、埀きなよ、お前もお母様のお墓参りに埀くのなら、王付の着物であらたたっお、銙花を手向るのが圓前じゃねえか」\n ず無理に王付にさせるのも庄䞉郎心有っおの事です。歀方のお矎代はそんな事は知りたせんが、亭䞻の云う事故仕方なく王付を着お。歀の節は滅倚に着るこずが有りたせん、久しぶりで王付を着お䞊等垯を締め、倧きな䞞髷になで぀けたしお、華矎な若粧、䜕うしおも葉茶屋のお内儀さんにいたしおは少し華矎な拵え、それに垢抜けお居るから䞀寞衚ぞ出おも目立ちたす。これよりぶら〳〵遊歩を臎しお母の墓参りをしお、䞊野を抜けお広小路ぞ参り、䞇円山広埳寺に来お奧州屋新助のお墓ぞ銙花を手向けお、お寺には瞁類の者であるず云っお附届を臎し、出お来たするず、ぜ぀うり〳〵ず秋の空の倉り易く降り出しお来たした。\n庄「困ったな降っお来たよ、䜕凊かぞ埀っおお飯でも食べお雚を止めようじゃア無いか」\n矎「出る時は降るだろうず思ったから、蝙蝠傘だけは持っお来たが、沢山の降りも有りたすたいか」\n ず倫婊で車坂の四ツ蟻たで来たすず、埌から汚ない車倫が、\n車倫「えゝ若し旊那え、垰り車でございたすから、お安くお幟蚱でも宜いんですが......ぞい䜕方で、日本橋の方ぞお垰りですか、日本橋なれば、私も圌方の方ぞ垰るんですが䜕方なんですか、四ツ谷の方に、ぞえ私も牛蟌の方ぞ垰りでげすが」\n 䜕凊ぞ垰り車だか分らない。\n庄「たア宜い、車が汚いから、あゝ倧倉に降っお来た」\n矎「私は久振ですから長者町の犏寿庵ぞ埀っおおらいさんに逢っお、矩理をしお埀きたいんですが、垰りに他家ぞ寄っおお飯を食べるなら、犏寿庵ぞ埀っお遣っおおくんなさいよ」\n庄「あゝお前の䞖話になった以前の埡甚達の犏田か」\n矎「あの旊那は倧局立掟に暮しをなさったそうだが、今では埡亭䞻が料理屋を」\n庄「おい〳〵若衆さん、あの長者町の犏寿庵ずいう汁粉屋な、圌凊でお飯を食べお、それから蠣殻町ぞ垰るんだが、少しの間埅っおるようなら埡飯ぐらい食わしおやるが」\n車倫「えゝ䜕うも有難うございたす、たるっきり今日は溢れちたっお、空ア挜いお垰るかず思っおいた凊で、䜕うか幟蚱埅っおも宜しゅうございたす、閑でげすから、お合乗でぞい、少し(空をながめる)なんでげすが倧した降も有りたすたいから、幌は掛けたすたい」\n フラン毛垃を前に抌附けお、これから犏寿庵の前に車を䞋したす。車から出お板橋を枡っお這入りたすず、奥に庭が有りたしお、あの庭は䜙皋手広で有りたしお、泉氎がございたす。その向うに離れ座敷が所々に有りたしお、客をしたすので、銎染のこずでございたすから。\n劻「たア〳〵矎代ちゃん誠にたア久しく、い぀もお噂ばっかりしお居たの、奜く.........おやそうお寺参り.........私もね䞀寞お尋ね申したいず思っおも、埡存じの通り䞀人䜓で、皆な私にばかり抌附けおあるもんだから、私は䜕凊にも出るこずが出来ないの.........じゃアね奥の六畳の方ぞ(䞋女の方をふり向きお)もうお垰りになったろう.........汚れお居るか.........あゝ、じゃ瞁偎附の方が宜かろう、あの八畳の方ぞ埡案内申しな」" }, { "role": "assistant", "content": "婢「じゃア歀方ぞ入らっしゃいたし」\n ず婢の案内でもっお八畳の間に通りたす。\n庄「䜕が有る」\n ず云うず盞倉らず、\n婢「小田巻蒞に玉子焌、お刺身が出来お塩焌が有りたす」\n庄「たんずは飲めない口だが䞀本燗けおくれ」\n ず云う䞭に懐かしいから女房が取巻きに出お来た。\n劻「たこずにたア埡無沙汰.........奜くねえ」\n矎代「私も誠に埡無沙汰いたしたした」\n劻「奜いこずね、歀の間も皻ちゃんだの小しめさんも来おね、噂たら『〵さ、心掛けの善い人ずいうものは、たア誠に劙なものだ、矎代ちゃんのくらい運のいゝ人は無い、䞖にはずんだ者に隙されお、いくらも苛いめに遭うものが倚いのに、自分の思う所に請出されお行っお埡新造に成るず云う、そんな結構な事は䜕うも誠にねえ、おや是ゃア埡免なさいたしよ、始めおおほゝゝゝ私アたア浮かりずしお、只お懐かしいので矎代ちゃんの事ばかり.........藀川様ずか......誠にね、予おお噂には䌺っお居りたしたが......そうでございたしたか、遂ね、心安立にもうね、たア矎代ちゃん〳〵ず蚀慣けお居るもんですから埡新造様の事をホボボ、私はがら〳〵しお居りたしお、そうでございたしたか.........䜕うもお二人様ずもお雛様を䞀察列べたようで.........埡緩くりなすっお、今旊那が垰っお来たすず自分で手料理が出来たすが、生憎居ないから、たア緩くり遊んで居お䞋さいな、生憎降っお来たしたが倧した降りも有りたすたいけれども、たア、それに歀の間ね新藏さんがお出でなすったが、その折あなたがお店に坐っお居たっお、元が元だから商人の店にでも官員でも䜕凊ぞ出しおも本圓に䞊品のお内儀さんだっおお噂臎しお居りたした、倧局お䌌合いなすったこず、この䞞髷は矢匵圌方の方にも芞者衆や䜕かが居たすから、髪結さんも䞊手だず芋えお倧局宜い恰奜に出来たした事、いゝ事ね、䜕お.........ただ島田が惜しいようですね、はゝゝ华っお凛々しくおね、䞞髷の方が宜しゅうございたすよ、私はいえ最う(盃を受け)有難う、たんずは頂けたせん......これから私が参っお茶怀蒞を拵えたすから」\n庄「誠に埡銳走様で」\n これから頻りにお酒を飲んで車倫の方にも酒が䞀本附きたしたる事にお、車倫も奜い機嫌になっお、\n車倫「ぞい旊那様有難う」\n庄「あゝお前も草鞋で歀凊ぞかけるがいゝ、其方ぞ螏蟌たんように」\n車倫「えゝ埡新造様有難う、䜕うも閑で仕様のねえ凊ぞ蚀倀で乗っおおくんなすっお、おたけにお酒やなんかア、たアおいしい物で埡飯を頂くなんおえ、こんな間の奜い事はねえ、ゲヌッ.........有難うございたす.........埡新造様アお䜕歳でごぜいすか、お綺麗でおいでなさるなア䜕うも......埡王付がすっかりお䌌合いなさいたすな......埡新造様の埡王はお珍らしい、こりゃア䜕だろう、ぞえ宜い埡王ですな、是は䞉蓋束おえので、䜙り付けたせん、俳優の尟匵屋の王でげすなア」\n矎代「フボボ(笑)野暮な王だから屋敷や䜕かでなけりゃア附けない王で」\n車倫「旊那さんの埡王は.........花菱だけれども、実の花菱で是も䜙り人が付けねえ埡王で.........えゝえ劙な事があるもんだ、斯う王がぎったり揃っおるのは䞍思議だなア.........えゝ旊那え、これは(煙草入を懐より出し)実は掋服持の煙草入でげすが、黒桟で䞀寞袂持の間に歀の鉈豆の煙管が這入っお、泥だらけになっお居るのを拟ったんで、掃陀をしお私が倧切に持っお居りたすが、実は私どもの持぀物ではございたせんから、質屋の番頭だっお蔑しやがッお、私どもに有っちゃア仕方がねえ、煙管が䜕うも実に旊那䞍思議なんで、私にゃア分らねえが、銀だっお云いやすが、この王がねえ、䞉蓋束に実の花菱が、そっくり象嵌で出お居るっおんだ、こい぀ア劙じゃアございたせんか、これが突蟌んだ儘で有るんでがすが、悉くりお䞡方の王が比翌に付いお居るおえのは䜕うも劙で、䞀寞これは䜕うです旊那......」\n 手に取り䞊げお庄䞉郎が恟りいたした。ただ是は矎代吉には話をせずに自分の心の䞭の惚気に、矎代吉の王ず吟が王を比翌に附けお誂えた鉈豆の煙管、去幎の九月四日の倜、劻恋坂の䞋で、これは慌おゝ取り萜したものだが、䜕うしお歀の車倫が持っお居るかずぎっくり胞に応えたしたが、偎にお矎代が居るから、\n庄「お矎代お前ず己の王が有る、䌌た王も有るが䞍思議じゃアねえか、䞍思議じゃアねえかよ、えゝ悉くり二人の王が付いおるずは是りゃア䞍思議じゃアねえか」\n矎「誰の」\n庄「誰のだか分らねえ......車倫さんお前がそれを持ずうずいうのか」\n車倫「わっちが持っお居たっお仕様がねえんでがすが、あなた王が悉くり附着いお居やすが、お廉く䜕うか廉くお買いなすっお䞋さりア有難おえんですがな、わっちが質屋なんぞに持っお埀きたすず手数が掛っおいけたせんや、そっくり貎方の埡定王だから持っお入らっしゃりゃア私が是を拟ったずも云いやせんが」\n庄「買っおも宜いけれども幟蚱で売ろうおえのだ」\n車「こんな物で、幟蚱でも宜うがす、たア人に聞いた凊の䟡倀は五十䞡が物は有るっおえので」\n庄「なにが、冗談いっちゃアいけねえ、無垢の煙管の誂えで、䜕んなにしたっお、䜕う目方が附いたっお五十䞡なら出来るじゃアねえか、こればかりの鉈豆の煙管を五十円遣っお買う奎が」\n車「たゞの煙管ずは違うんで、王がちゃアんず埡新造様の王ずあなたの王ず比翌に付いお居るずこがこい぀の䟡倀だ、はゝア誂れえりゃア出来るが、わっちが持っお居るずいけねえものだ、持っお居れば拠ろなく蚎えなければならねえ、去幎の九月四日の晩、劻恋坂䞋の建郚............サだからっお」\n庄「む......なに」\n車「拟った凊を云わなければならないが、埡迷惑が掛っちゃア枈たねえから、売りおえのを我慢しお、䜕うか埡圓人にお枡し申しおえず思っお、今たで腹掛の隠に突蟌んでいた所が、䜕時たでもね゚其の人が知れねえんだ、たア持ち腐れじゃア詰らねえから、旊那埡王所がちゃアんず合っお......五十円」\n庄「銬鹿ア云っちゃアいけねえ」\n矎代「お止しなさいな、お止しよ.........車倫さん倧抂におしよ、五十円なんお誰が人銬鹿々々しいじゃアないか、金鈍子か䜕かの䞞垯が買えるわ」\n車「垯は買えるんでしょうが、これは煙管の王が.........そりア䞀寞宜いので」\n矎「宜いのでたっお、そんな高い煙管や䜕か買える蚳のもんじゃアない、だから、あなたお止しなさいよ、(車屋に向い)たア宜いよ」\n車「無理に私アお䞊げ申すずいう蚳じゃございたせんので、私がこれたで持っお居たのは悪いから、それだけ叱られお仕舞いさいすりア......斯ういう蚳でがす、私ア酷い目に逢いたした、建郚の偎で私ア溝の䞭に転がり萜ちお䜕うも物隒で、雚の降る䞭びしゃアりずいう蚳で、䜕うも......なアに人おえ者は芋掛けに䟝らねえもんで、たア私は蚎えたすから」\n庄「たア〳〵宜い、若衆さん、買う買わねえは兎も角も䞀杯歀凊で飲みねえ、お前も䜕だろう、腹からの車挜じゃアあるたい家は䜕凊だい」\n車「家は無えんで、ふおっくされ猪歊者、取っただけは飲んでしたっおも仲間の亀際ず云うものは劙なもんで、䜕うか斯うか腹ア空れば飯い食っおたア......無理にずいう蚳じゃアないんでげすが、お互に時節柄斯ういう蚳になっお車ア挜くんで」\n矎「酔っお居るからお止しなさいよ、埡飯を食べさせお垰したしょう、酔っお車ア挜けやしない、お内儀さんを䞀寞呌んで、別に車を誂えたしょう」\n庄「お前埀っお呌んで来な、手を叩くず旊那じみお極りが悪いから、䞀寞埀っおお出で、(矎代吉の跡を芋送り)若衆」\n車「えい」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "めでたき颚景\n\n 奈良公園の䞀軒家で私が自炊生掻しおいた時、初春の梅が咲くころなどは、静かな公園を新婚の倫婊が、しばしば散歩しおいるのを私の窓から十分眺めるこずが出来た。圌ら男女は、私の䞀軒家の近くたで来るず必ず立ちどたる。そこには小さな池があり、杉があり、梅があり、亭があるので甚だ構図がよろしいためだろう。\n そしお誰も芋おいないず思っお圌ら二人は安心しお仲がいいのだ。即ち现君を池の偎ぞ立たせお、も少し右向いお、そうそう少し笑っお芋い、そやそや、ずいっお亭䞻はピントを合せるのだが、私はそれらの光景をあたり床々芋せられたためか、どうもそれ以来、写真機をぶら䞋げた玳士を芋るず少し䞍愉快を芚えるのである。どうも写真機ずいうものは実は私も持っおいるが、䞀皮のなたぬるさを持っおいおいけない。\n しかし、そのなたぬるさを嫌っおは、どうも近代の女たちからの評刀はよろしくないようだず思う。我々は叀い男たちよず呌ばれざるを埗ないであろう。\n そのなたぬるさを平気でやるだけの新鮮なる修業は、我々明治幎間に生幎月日を持぀男たちにずっおは、かなりの悩みである。\n 私は巎里で、誰れかのアミヌず共に自動車に乗る時、うっかりずお先きぞ倱敬しお、アミヌたちにその無瀌を叱られがちだった。\n い぀のこずだったか、雚が降りそうな日に、私ず私の现君ずが公蚭垂堎の近くたで来た時、理髪屋の前で现君が転んだ、高い歯の䞋駄を履いおいたのだ。私はその瞬間に倧勢の人ず散髪屋が笑っおいるのを芋たので、私はさっさず歩いおしたったものだ。起き䞊っお私に远い぀いた现君は、もうその薄情さには呆れたずいっおぶうぶういった。ずいっおおお可哀そうに、などいっお抱き䞊げるこずは、私の朜圚せる倧和魂ずいう奎がどうしおも承知しおくれないのだ。\n その倧和魂の存圚がよほど口惜しかったず芋えお、東京のNさん倫婊がその埌遊びに来た時、现君同士は男子の薄情に぀いお語り合った末、その䞀䟋ずしお劻は公蚭垂堎で転んだ件を話しお同情を求めたずころ、N倫人は、私の方はもっずひどいのよずいった。それは過日垂電のすぐ前で雚の日に転んだずいうのだ。電車は急停車したが、それを芋た亭䞻は、十間ばかり向うぞ逃げ出したそうだ。呜に関する出来事であるにかかわらず逃げるずは劂䜕なもので埡座いたしょうずいった。埡亭䞻は、それはあなたず、もじもじしおいるので私はそれがその、我々の倧和魂の珟れで、かの匁慶でさえも、この点では䞊䜿の段で、鳎く蝉よりも䜕んずかいっお悩んでいる蚳なんだからずいっお、すでに錆かかっおいる倧和魂ぞ我々亭䞻はしきりに光沢垃巟をかけるのであった。\n\n癜光ず毒玠\n\n 女絊はクリヌム入れたしょうかずたずねる。どろどろの珈琲が飲みたい日は入れおくれずいうし、甘ったるいすべおが厭な日はいらないずいっお断る。考えおみるにどろどろしたクリヌムを芁求する日は元気で心も善良で、どうかするず少しおめでたいけれども、砂糖もなきにがい珈琲を奜く日はどうも少し心がひん曲っおいるこずが倚いようである。\n 人間もだんだんどろどろしたものが厭になり、䜕事もケチが぀けおみたくなり、䜕事にも賛成できなくなり、飛び぀く食欲を芚えず、女人の顔を真正面から厚かたしく眺めるような幎配ずなっおくるこずは淋しいこずだ。\n やはり人間はカツレツず甘い珈琲が奜きで、なかば霞んでいる方がかわい気はある。あたりに冎えた女性はどうも男達からの評刀はよろしくないこずが倚い。\n 私自身も近ごろだんだん霞の煙幕の向こう偎が意地悪く芋えすいお来たりしお、なるほどこれかず思い圓たるようになっお来たこずは気の毒だ。でも老人がい぀たでも甘ったるくおも迷惑なこずである。私などは近頃、぀いうっかりず矎人の錻の穎の黒き汚れや皺の数ずその方向に芋惚れたり、その皺によっお運勢たでも芳砎しかねたじき県光の茝きをわれながら感じお来た。\n でも、この地球の䞊はありがたいこずにも幎に䞀回は必ずこれは女絊ではなく、かの朚花開耶姫が䞀匙のクリヌムを倩䞊からそそぎかけるず、たちたちにしお地䞊の空気はどろどろずなり、甘ったるく、なたぬるく、郜䌚の倕暮を぀぀み、あるいは六甲の連山をかすめる。このクリヌムの毒玠は私にも圱響する。䜕かこうじっずしおいおは眰が圓たりそうで、ずいっお䞀䜓䜕をどうすればよいか芋圓が぀かない、ずいった心もちだ。春過ぎた奎でさえこれだ。今春の最䞭にいお、この乳色のどろどろの珈琲を飲み蟌んでは、たったく若き男女は䞀䜓どうするのか、私もたた同情に堪えない。\n 四季を通じお女性はこの䞖に存圚するが、春はたったくこの毒玠にあたったものが毒にあたったものを眺めるのだから、気狂いが気狂いを芋るのず同じく、たったく女の優劣も矎麗も刀然ず区別する胜力を倱い勝ちだ。ただ春のそしお若き女性からは燊爛たる癜光が立ち䞊り、ただわれわれの県はぐらぐらずくらむだけである。たったく男達が春における女性を芋るず県はただ二個の無力なレンズであるに過ぎない。\n だからわれわれの若き時代の恋愛の手玙の䞀節を思い出しおみるがいい。おお玅薔薇の君よ、谷間の癜癟合よ、私の女神よ救っお䞋さいず嘆願したりしおいる。ちっずもそれが癟合らしくも薔薇でもないのに。\n だが、そう芋えるずころに春の毒玠の面癜さがあるのだ。たったくもっお、恥しいこずを春には口走るが、それは幞犏なたわごずずしおお互いに芋ぬふりの臎し合いをするずころに、たた春のめでたさもあるようである。\n ある写生地の山桜の䞋で䞀人の女流画家が、春だわ、春だわ、青春だわ、ず叫んで乳色の毒にあたっおふらふらしおいたのを芋たこずがあった。今でも春になるずその叫び声ずその時の悪寒を思い出す。\n ずにかく山、河、草朚、池、郜䌚、ごみ溜、ビルディングの窓ずいう窓をこずごずくこのクリヌムが包んでしたうず、男の県はガラスず倉じ、若き女性からは悩たしき癜光が立ち䞊る。\n 舞台では春の螊りやレノュヌの足の芳兵匏である。癜光ず毒玠は充満する。霞を倱い぀぀あるわれわれも、幎に䞀床は開耶姫の珈琲を遠慮なく飲んでおきたしょう。\n\n倧阪匁雑談\n\n 京阪地方䜍い特殊な蚀葉を䜿っおいる郚分も珍らしいず思う。それも文明の䞭心地垯でありながら、日本の囜語ずは党く違った話を日垞続けおいるのである。私はい぀か、西掋人に察しおさえ恥かしい思をした事があった。その西掋人は日本の囜語ず、そのアクセントを䞁寧に習埗した人であったから、矎しい東京匁なのである。そしお私の蚀葉は少し困った倧阪匁なのであった。\n 倧阪地方は蚀葉そのものも随分違っおはいるが、䞀番違っおいるのは蚀葉の抑揚である。それは東京匁の党く正反察のアクセントを持぀事が倚い。䞊るべき凊が䞋り、䞋るべき凊が䞊っおいる。\n たずえば「䜕が」ずいう「な」は東京では䞊るが倧阪は䞊らない。「くも」のくの音を䞊げるず東京では蜘蛛ずなり、倧阪では「雲」ずなる。\n 倧阪の蜘蛛は「く」の字が䜎く「も」が高く発音されるのである。これは䞀䟋に過ぎないがその他無数に反察である。\n それで倧阪で発祥した凊の浄るりを東京人が語るず、本圓の浄るりずは聞えない。さわりの郚分はただいいずしお蚀葉に至っおは党く倉なものに化けおいる事が倚い。浄るりの暙準語は䜕ずいっおも倧阪匁である。\n 埓っお、倧阪人は浄るりさえ語らしおおけば䞀番立掟な人に芋える。\n よほど以前、私は道頓堀で倧阪の若い圹者によっお挔じられた䞉人吉䞉を芋た事があった。その芞は熱心だったが、せりふの嫌らしさが今に忘れ埗ない。倧阪がんちが泥棒ごっこをしお遊んでいるようだった。芋おいる間は寒気を感じ぀づけた。\n 東京で私は忠臣蔵の茶屋堎を芋た。圹者は党郚東京匁で挔じおいた。埓っおその䞀力楌は、京郜でなく䞡囜の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居ずしおは問題にもならず、䜕かさらさらずしお意気な忠臣蔵だず思えただけであった。䞀力楌は本籍を東京ぞ移しおしたった蚳である。\n 倧阪圹者が䞉人吉䞉をやる時にも、䞀局の事、本籍を倧阪ぞ移しおからやればいいず思う。\n もしも、倧阪匁を䜿う匁倩小僧や盎䟍が珟れたら、随分面癜い事だろうず思う。その極めお歯切れの悪い、深刻でネチネチずした、粘着力のある気前えのよくない、慟匵りで、しみたれた泥棒が䞉人生れたりするかも知れない。それならたたそれで䞀぀の存圚ずしお芋おいられるかず思う。\n 先ず芝居や歌ずかいうものは、蚀葉の違いからかえっお地方色が出お、甚だ面癜いずいうものであるが、日本の珟代に生れたわれわれが、日垞に䜿う蚀葉はあたり地方色の濃厚な事は昔ず違っお䞍䟿であり、あたり喜ばれないのである。" }, { "role": "assistant", "content": " 暙準語が定められ、読本があり、䜜文がある今日、盞圓教逊あるものが、䜕かのあいさ぀や講挔をするのに持っお生れた倧阪匁をそのたた出しおは、立掟な説も笑いの皮ずなる事が倚い。品栌も䜕もかもを台なしにする事がある。\n そこで、今の新らしい倧阪人は、党くうっかりずものがいえない時代ずなっおいる。だからなるべく若い倧阪人は倧阪匁を隠そうず努めおいるようである。ある者は読本の劂く、女孊生は小説の劂くしゃべろうずしおいる傟向もあるようだ。\n ずころで暙準語も、読本の劂く文章で曞く事は、先ず蚘憶さえあれば誰れにも䞀通りは曞けるし、喋る事も出来るが、䞀番むずかしいのはその発音、抑揚、節ずいったものである。\n 君が代が安来節に聞えおも困るし、歯切れの悪い匁倩小僧も嫌である。\n\n 倧阪人は倧阪匁を、東京人は東京匁を持っお生れる。持っお生れた蚀葉が偶然にもその囜の暙準語であったずいう事は、䜕んずいっおも仕合せな事である。\n 私の劂く倧阪匁を発するものが、䜕かの堎合に正しくものをいおうずするず、それは芝居を挔じおいる心持ちが離れない。それもすこぶる拙いせりふである。\n 自分でせりふの拙さを意識するものだから、぀いいうべき事が気遅れしお、充分に心が尜せないので腹が立぀。地震で逃げる時、ワルツを考え出しおいる䜍の、ちぐはぐな心である。\n 自分の心ず、蚀葉ず、その衚情である凊の抑揚ずがお互に無関係である事を感じた時の嫌さずいうものは、党く苊々しい気のするものである。\n 時にはそんな事から、西を東だずいっおしたう䜍の間違いさえ感じる事がある。党く声色の生掻はやり切れない。\n 倧阪の玳士が電車の䞭などで、時に喧嘩をしおいるのを芋る事があるが、それは真ずに悲劇である。倧勢の芋物人の前だから、初めは暙準語でやっおいるが、応ち心乱れおくるず「䜕んやもう䞀ぺんいうお芋い、あほめ、糞たれめ、䜕吐しおけ぀かる」ずいった調子に萜ちお行く。喧嘩は殊に他人の声色ではやれるものではない。\n 私は時々、ラゞオの趣味講座を聎く事がある、その講挔者が玔粋の東京人である時は、その話の内容は別ずしお、ずもかく、その音埋だけは心地よく聎く事が出来るが倧阪人の挔ずるお話は、倧抂の堎合、その蚀葉に盞圓した矎しい抑揚が欠乏しおいるので、話が無衚情であり、埓っお退屈を感じる。少し我慢しお聎いおいるず䞍愉快を芚える。\n だから私は倧阪人の講挔では、倧阪萜語だけ聞く事が出来る。それは本圓の倧阪匁を遠慮なく䜿甚するがために、話が殺されおいないから心もちがよいのである。\n\n ある、いろいろの苊したぎれからでもあるか、近頃は倧阪匁に囜語のころもを着せた半端な蚀葉が随分珟れ出したようである。\n 䟋えば「それを取っおくれ」ずいう意味の事を、ある奥様たちは頂戎ずいう字にいんかを結び぀けお、ちょっずそれ取っお頂戎いんかずいったりする。\n 勿論こんな蚀葉は䞻ずしお若い现君や、職業婊人、孊校の先生、女孊生、モダンガアル等が䜿うようである。\n それから「あのな」「そやな」の「な」を「ね」ず改めた人も随分倚い。「あのね」「そやね」「いうおるのんやけどね」等がある。\n 少し長い蚀葉では「これがんがん、そんな事したらいけたせんやありたせんか、あほですね」などがある。\n これらの蚀葉の抑揚は、党くの倧阪颚であるからほずんど棒読みの響きを発する。埓っおこれずいうたずたった衚情を瀺さないものだから、䜕か亀通巡査が怒っおいるような、圹人が呜什しおいるような調子がある。倚少神経がたがっおいる時などこの蚀葉を聞くず、理由なしに腹が立っおくるのである。もし现君がこの蚀葉を発したら、到底ああそうかず亭䞻は承知する蚳には行くたいず思われる䜍だ。「あなた、いけたせんやないか」などいわれたら、䜕糞、もっずしおやれずいう気になるかも知れないず思う。劙に反抗心をそそる響をもった蚀葉である。\n こんな䞍愉快な蚀葉も䜿っおいる本人の心もちでは決しお亭䞻や男たちを怒らせる぀もりでは曎にないので、あるいは嘆願しおいる堎合もある䜍である。嘆願が呜什ずなっお䌝わるのだから堪らない。\n 笑っおいるのに顔の衚情が泣いおいおはなおさら困る。\n 葬匏の日に顔だけがずうずう笑い぀づけおいたずしたら、党く倱瀌の極みである。䜕んず匁解しおも圹に立たない。\n もしこの蚀葉ず同じ意味の事柄を流暢な東京匁か、本圓の倧阪や京郜匁で、ある衚情を含めお申䞊げたら、男は盎ちに柔順に承諟するであろうず考える。\n 党く、気の毒にも、今の若い倧阪人は、心ず蚀葉ず発音の䞍調和から、日々䞍知䞍識の間に、どれだけ倚くの、いらない気兌ねをしお芋たり、かんしゃくを起したり、喧嘩をしたり、笑われたり、䞍愉快になったり、しおいるか知れないず思う。\n\n ずころで私自身が、私の貧しい品栌を盞圓に保ち぀぀、䜕かしゃべらねばならない堎合においお、私が嫌がっおいる凊の倧阪的な囜語が、私の口から出おいるのを感じお、私は党く情けなくなるのだ。自分のしゃべっおいる蚀葉を厭だず考えおは次の文句はのどぞ぀かえおしたうはずである。それでは玔粋の東京流の蚀葉ず抑揚を甚いようずするず、倉に芝居じみるようで私の心の底で心が笑う。党くやり切れない事である。぀たらない事で私はどれ䜍䞍幞を背負っおいるか知れないず思う。\n それで私は、私の無瀌が蚱される皋床の仲間においおは、なるべく私の感情を充分気取らずに述べ埗る凊の、本圓の倧阪匁を䜿わしおもらうのである。するず、あらゆる私の心の芪密さが党郚ぞろぞろず湧き出しおしたうのを感じる。\n 私は、新らしい倧阪人がい぀たでもかかる特殊にしお半端な蚀葉を䜿っお、情けない気兌ねをしたり、ちぐはぐな感情を吐き出しお困っおいるのが気の毒で堪らないのである。あるいはそれほど困っおいないのかも知れないが、私にはさように思えお仕方がないのである。\n\n䞻ずしお女の顔\n\n 電車の䞭ぞ、若い女が新しく立ち珟れた時、倧抂の女客はたずその衣服を眺めるけれども、われわれ男達はたずその顔を泚芖する。盞圓の幎茩の老人でさえも雑誌や新聞の䞊から瞰むが劂く぀くづくず眺めおいるのを私は芋る。\n そしおなんだ぀たらないずいった顔しお再び新聞を安心しお読み぀づける男もあれば、興奮を感じお幟床も、幟床もその顔を芋返しながら、ある陶酔を芚えおいるらしい男達をも私は認める。そしお老人であればあるほど、無遠慮に盞手の顔を厚かたしく芳賞するものである。\n 人間が人間の顔の構造を芋お楜しむずいうこずは誰でもがするこずだが、考えるず䜕だか䞍思議な事柄である。それは単に二぀の目ずたった䞀぀の錻ず口ず䜍の造䜜に過ぎないのだが、その䞊べ方ずちょっずした圢のくるいによっお千皮䞇別の盞貌を呈し、䞭村ず、池田ず、぀る子ず、かめ子ずの差を生じ、悩たしきものを生み、汚なきものを造る。\n 地球䞊の絵画が線ず色ず調子ず圢の組み合わせ方によっおあらゆる絵画を生み、䞊には䞊があり䞋には䞋があるかの劂きものである。\n 圢は正確でちゃんずしおいるにかかわらず無味なるもの、あるいは倚少憎らしきもの、錻の圱淡きもなんずなくたるたるずしお猫に類しお愛らしきもの、目ず目ず遠く離れお鳥に類するもの、造䜜長く䞊䞋に延びお狐や銬の劂きもの、あるいは短くしお狞の劂きもの、錻のみ芋えお象を思わせるもの、目の䜍眮䞊方に過ぎお猿に䌌たる、その他埮现の倉化によっお幟千億の顔をこの地球の䞊に珟しおいる。その䞭で子は䞀人の母芪の顔を蚘憶する。自然の力の䞍思議を私は奇劙に感じおいる。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 次は『新玀元』の䞻柱であ぀た朚䞋尚江の思想の變化でありたす。蘆花の堎合は新玀元瀟の事業に殆ど圱響を及がさなか぀たが、朚䞋の堎合はさうは行かない。これにはいささか困りたした。『光』䞀掟の瀟會䞻矩者が殊曎基督教を嘲匄するのを芋お、朚䞋は遂に瀟會䞻矩者に對しお袂別の蟭を曞くに至りたした(明治䞉十九幎十月癌行『新玀元』第十二號)。も぀ずもこれを曞くに至぀た朚䞋の心持は耇雜であ぀たず思ひたす。堺が癌起した瀟會黚に入るこずを謝絶しお『堺兄に與ぞお政黚を論ず』ずいふ私の長文を『新玀元』に掲げたのが八月で、それに對しお幞埳が(既に米國から歞぀お)たた長文を寄せお『政黚なるものが、單に議會の倚敞を占めるを目的ずする黚掟、即ち遞拳の勝利のみを目的ずする者ならば、其匊や確かに君のいふ通り』だ。しかし『君のいふ劂き政黚たらしむるか、將た革呜的たらしむるかは、䞀に我等の責任に存するこずず思ふ』ずあるのが、九月號でありたす。そしお、この瀟會黚に參加した朚䞋ずしおは明癜に去就を決する責任を感じたものでありたせう。それに蘆花が『巡犮玀行』を曞き癟姓生掻を始めお、時の青幎達の間に倧きなセンセヌションを起したこずも、朚䞋の粟神生掻に倚少の圱響を與ぞたでありたせう。この時に當぀お『日刊平民新聞』創立の議が起り、私にも參加せよずいふ芁求がありたした。\n\n 日刊平民新聞\n\n 幞埳がアメリカから歞぀お䟆お間もなく、西川、堺等ずずもに『日刊平民新聞』創立の盞談を始めたした。それには竹内兌䞃ずいふ若い金持が資金を出すこずにな぀お急速に蚈畫が進んだのです。そしお堺、幞埳兩兄から私にも創立者の䞀人になれずいふ盞談が持ち蟌たれたした。わたしは兩兄の變らぬ友情にずおも嬉しく感じたが、しかし、私に最も適した『新玀元』を棄おお、最も䞍埗手な新聞蚘者になるこずは、どうかず思はれたした。それに新刊の平民新聞には倖郚から盡力させお貰぀たらどうか、こんな考ぞから、䞀應、參加を謝絶したのですが、兩兄は匷ひお參加を芁望するのでありたした。兩兄の蚀ふには『今回の事は、啻に君䞀身の問題に非ず、埞䟆䜕ずは無しに對立の圢勢をなせる基督教埒、非基督教埒の兩掟の瀟會䞻矩者が盞融和するか吊かの問題に係はる』こずであるから、ずくず瀟䞭瀟倖の同志ず協議しおくれずのこずでありたした。\n 當時朚䞋は思想の動搖のために䞊州䌊銙保枩泉に行぀おゐたので瀟䞭の赀矜巖穎、逞芋斧吉、小野有銙、暪田兵銬の諞君に諮り諞君は安郚磯雄氏を蚪うおその意芋を質したした。そしお兎も角も、日刊平民の創立に參加せよ、ずいふ衆議が成立したした。勿論『新玀元』の線集、癌行等は諞同志が協力しお繌續するずいふこずでありたした。ずころが、朚䞋が䌊銙保から歞぀お、十名ばかりの諞同志が盞會しお最埌の決定を蚈らうずしたが、䞻圹の朚䞋が繌續に同意しないので、遂に廢刊ずいふこずに逆蜉しお了ひたした。朚䞋は『新玀元』の終刊號に\n『慚謝の蟭』を掲げお\n「新玀元は䞀個の僞善者なりき。圌は同時に二人の䞻君に奉事せんこずを欲したる二心の䜞臣なりき。圌は同時に二人の情倫を操瞱せんこずを䌁おたる倚淫の嚌婊なりき」\n ず絶呌したした。\n たこずに傍若無人の態床で『慚謝』の心情など些かも窺はれない攟蚀でありたすが、ここが朚䞋の人柄ずでも蚀ふべきでありたせう。䞀幎間、熱心に『新玀元』に應揎たたは協力しお䟆た青幎同志達は或は倱望し、或は憀激し、或は呆れたしたが、どうするこずも出䟆たせんでした。(朚䞋は最期の息を匕きずるたで、かうした性栌を持ち぀づけたやうでありたす。偉倧な倩才でありたしたが、かうした性栌から、よき同志を癌芋し埗なか぀たので、その才胜を充分に癌揮し埗なか぀たのだず思ひたす。)\n 兎も角も、『新玀元』ず『光』ずは同時に廢刊しお、双方の同志が新癌足の日刊『平民新聞』に協力するこずになりたした。前蚘の堺、幞埳、西川、竹内ず私ずの五人が創立人ずなり、線集局には山口孀劍、荒畑寒村、山川均、深尟韶、赀矜巖穎等の諞君が入りたした。そしお京橋區新富町の有名な劇堎、新富座の隣りの可なり倧きな家に陣どりたした。新富座は昔は最も有名な劇堎であり、千兩圹者ばかり出堎する栌匏の高い芝居小屋でありたした。\n この日刊平民の創立は可なりのセンセヌションを日本の瀟會ず政府ずに起したした。西掋諞國の瀟會䞻矩者間にもたた少からぬ感動を與ぞたらしく、諞國の革呜家の䟆蚪に接したした。就䞭ロシダの革呜家ゲルショニずいふ巚倧な體躯の持䞻の出珟は平民瀟䞭に深い印象を與ぞたした。『新玀元』時代にもロシダの亡呜者ピルスツスキむが珟はれお、幟床か會食などしたが、今床のゲルショニはさういふこずは臎したせんでした。ゲルショニは本國の牢獄を脱しお䟆たらしく、逘り萜ち぀いおはゐられなか぀たのでありたせう。明癜な蚘憶はないが、ブハヌリンなども䟆蚪したのではなか぀たかず思ひたす。印刷機械たで据ゑ぀けお日刊玙を刷りはじめたのですから、政府の方でも少々県を芋は぀たやうでありたした。\n この新聞玙䞊で幞埳は始めから自分の『思想の變化』を癌衚しお、公然無政府䞻矩的䞻匵を宣蚀したした。それは創刊號から間もない十五、六號の頃で普通遞擧制、議會政策を無益な運動ずなし、勞働者の團結蚓緎ず盎接行動ずを䞻匵するのでありたした。この䞻匵も可なりの衝激を䞖間䞀般に與ぞ、たた瀟會䞻矩者間にも議論を沞隰せしめたした。新玀元にも平民新聞にも有力な揎助者ずな぀た田添鐵二君は議會政策論者ずしお、正面から幞埳に對立したした。\n 幞埳が盎接行動論を宣蚀したのず時を同じくしお、足尟銅山の鑛倫達の暎動が勃癌したした、たしか二月四日の倕方でした。平民瀟經營䞊の盞談のために、幞埳、堺、西川䞉君ず私ずで、近所の鳥屋に晩逐を喫しおゐるず、新聞の號倖賣りがチリチリ鈎を鳎らしお䟆る。足尟の暎動が益〻激化しお䟆たずいふ報道でありたした。これはこのたた棄おおく譯には行かないずいふこずになり、さしづめ西川君が急行しお暣子を芋たり、通信を曞いたり、對策の斜すべきこずがあれば、適當の處眮を講ずる、ずいふこずになり、その倜すぐ出癌ず決定したした。晩逐もそこそこに濟たせお西川君は先づ家に走り、私は號倖を持぀お平民瀟に歞り既に倧組を終぀お印刷にずりかからうずする工堎に行぀お、二號掻字の倧芋出しで、暎動蚘事を付加ぞたした。六日には暎動のたすたす猛烈なこず、鑛山事務所長は猛火ず動亂ずの包圍に會぀お死去したこず、遂に高厎連隊が鎭壓のために出動し戒嚎什がしかれたこず、などが倧々的に郜䞋諞新聞に報ぜられたした。䞃日には、平民新聞瀟ず堺、幞埳、西川、石川、竹内等五人の家々に、䞀霊搜玢が行はれたした。同じ日に、平民新聞玙䞊には足尟鑛山勞働者至誠會の南助束、氞岡鶎束その他五、六名の幹郚が平民玙を抱ぞ、倧旗を暹お敎列せる寫眞を掲茉したした。同じ日に、衆議院では、歊藀金吉が倧竹貫䞀他䞉十名の賛成を以お政府に詰問したした。\n\n「......倧暎動は鑛業䞻ず勞働者ずの間に起りたる䞀怿事に過ぎずずいぞども、而も亀通を遮斷し、電話、電燈、電信の電線を切斷し、道路、橋梁、鐵道、家屋建物を砎壞燒倱し、終に倚敞の人呜を傷ふに至らしめ、敞癟の譊察官を以぀お鎭撫する胜はず、なほ高厎連隊より出兵するに至りたるは、政府當局者の無責任にあらずや云々」\n\n この時、西川君は既に珟地で拘匕されお了ひたした。\n\n 平民廢刊たで\n\n 西川君が拘匕されたずいふ報に接しお、すぐにその仕事を續ける人を送らねばならぬこずになりたした。遞ばれたのは線集局の最幎少者、荒畑勝䞉(寒村)君でした。しかし荒畑君が足尟に着くず間もなく暎動は鎭た぀たず思ひたす。\n 足尟の暎動は鎭た぀たが、政府の暎動は鎭たらず、平民新聞の䞊に矢぀ぎ早やに、火矢を攟射し始めたした。わたしは線集局の番頭さんにされ、か぀、癌行兌線集の名矩人にもな぀たので、僅か䞉ヶ月の間に四぀の事件の被告人になりたした。そしお最埌に癌行犁止の宣告ずな぀たのです。\n この間に瀟會黚内に議會政策ず盎接行動ずの是非の議論がやかたしくなり、わるくするず、分裂にたで抌し進みはせぬかず危ぶたれるほどでありたしたが、たるめるこずの䞊手な堺が圚り、堺ず幞埳ずの厚い友亀の關係もあり、その危機は逞したした。しかし、倧會の決議ず、その時の幞埳の挔説ずを茉せた平民新聞は告癌され、同時に癌賣を犁止され、瀟會黚そのものも犁止されたした。わたしも䜕ずかしお分裂を避けたいずいふ念願から、瀟會黚員に對する私芋をも平民玙䞊に掲げ、倧會當日にな぀お入黚たでしたした。倧會の決議は折衷的な評議員案が成立しお無事終了したしたが、黚そのものが犁止されたので、いささかずびに油揚をさらはれた圢になりたした。皮肉なこずに政黚ぎらひな私が倧會の垭䞊、堺ず二人で幹事に遞ばれ、そのたた皮肉をこ぀皜にたで持぀お行くべく、私は瀟會黚犁止什を拜受しに譊察にたで呌び出されたした。\n 明治四十幎二月二十䞉日の平民新聞の『平民瀟より』に堺が次のやうに曞いおをりたす。" }, { "role": "assistant", "content": "\n「△今日は石川君ず僕ず二人、本郷譊察眲に呌び出された。僕は差支があ぀お、石川君だけ恐る恐る出頭した。埡甚の筋は瀟會黚黚則改正屆出遲延のお叱りで、党體瀟會䞻矩者は公私を混合しおむカン。䞀昚日堺に出頭を申遣はしお眮いたに、線集が忙しいの䜕のず勝手なこずばかり蚀぀お、而も電話なんぞかけお譊察を銬鹿にしおゐる、況んや屆曞は早速差出すず云ひながら郵䟿で以お゜ロリ゜ロリず送぀およこす、寊以お怪しからん次第だず埡意あ぀た、所が旭山、是匏の事で眰金を取られおは叶ふたじず、僕の代りに恐惶頓銖再拜しおダットの事でお詫びが濟んだ△ダレダレこれ䞈であ぀たかず、旭山胞撫でおろしお眷らんずする其時、譊郚君チョットず呌びずめ、寊は今䞀ツ埡達しするこずがある(サア䟆た)是は少し埡迷惑かも知れぬがず厭にニダニダしお猫撫聲で仰せられる。旭山謹んで承たたはるに、それこそ即ち瀟會黚犁止の達しであ぀たのだ△序に今少し旭山を玹介する、圌は昚倜深曎、劂䜕なる物の哀を感じおにや、ふらふらず家をさたよひ出で(この䞀句深尟韶案出)半圓の月に浮れお十二瀟の森に遊び、少々颚を匕いお歞぀たよし」\n\n この最埌の䞀節には芺えがないが、當時の激しい鬪爭の䞭で、平民瀟の内郚の空氣が至極ほがらかであ぀たこずを思ひ出させたす。もう䞀぀堺の『平民瀟より』を玹介したせう。\n\n「△掻版の工堎にリュりちやんずいふ十ばかりの可愛らしい女の子が居る――石川さんモり原皿は出ないこず? ――などずい぀お䜿に䟆る、われわれの事業にもコンナ小兒勞働を必芁ずするかず思ぞば情なくなる」\n「△旭山は控蚎なんぞ面倒だから仕方ないずい぀お居る、檢事の方でも眞逆やりは仕たい、するず刀決蚀枡より五日の埌、即ち䞉十䞀日に確定ずな぀お『明日檢事局に出頭しろ』ずいふ暣な通知が䞀日にくるずすれば、倚分二日から入監するこずになるだらう」\n\n この䞉十䞀日には、京橋區北槇町の池の尟ずいふずころで、『石川君片山君送迎茶話會』ずいふのが開かれたした。わたしの事件は檢事が控蚎したので入獄が延期になり、片山望は䞀ヶ月以䞊も前に歞國しおゐたので、送るには早く、迎ぞるには遲すぎる會であ぀たが、カナダの瀟會䞻矩者ゞョン・レヌなども出垭しお、にぎやかでありたした。\n ただ入獄期は確定しおはゐないが、ど぀ち道、敞重なる告癌を受けおゐるこずで、いづれ暫時の離別は免れぬずあ぀お、諞方からの埡招埅に接し、わたしは些か甘えたやうな氣分にもなりたした。䞉月廿九日の堺の『平民瀟より』に次のやうな蚘事がありたす。\n\n「△旭山は入獄の準備やら、送別の招埅やらで倧ぶん忙がしい暣だ、昚日は䞞善から䜕かの本を二、䞉册買぀お䟆た△昚日ず云ぞば秩序壞亂で又やられた、あんなものが䜕うしお、ず云぀た所で仕方がない、お䞊の遊ばされる事だ△今倜はお隣の新富座の䌊井蓉峰君から招かれお、霞倖ず旭山ず僕ず䞉人で芋物に行く、旭山は河合歊雄が奜で、入獄前に䞀床芋たいず云ふのだ△又月末にな぀た、ノンキな事ばかり云぀お居れない」\n\n 䌊井ず河合のよいコンビで挔ぜられた『瀧の癜糞』に感動せしめられお、わたしは思はず瞌を熱くしたした。暂屋に通されお䌊井ず河合ずに會談したこずも愉快でした。河合が、\n「芝居でしおさぞ囚人の圹は骚が折れたすもの、あなた暣もこれからさぞ埡苊勞遊ばすこずで埡座いたせうねえ」\n など蚀うお、慰めおくれるのに぀り蟌たれお、ほ぀ず異性の枩みに接する心地がするのでした。圌は暂屋に斌おも、その動䜜から蚀葉䜿ひたで党然女性のやうでありたした。\n こんな呑氣な生掻をしおゐる間に、山口孀劍君の『父母を蹎れ』ずいふ文章が朝憲玊亂眪に問はれ癌行犁止の宣告を受けるに至りたした。それは四月十䞉日のこずであ぀たが、平民新聞は裁刀の確定を埅たずに、翌十四日を以お自ら廢刊するに至りたした。瀟の内倖ずもに逘りに突然の決定で驚いたらしいが、無理をせずに玉碎䞻矩を採぀た譯でありたした。幞埳ず堺ずは、既に幟床か平民瀟の維持方法に就いお盞談もしたのであるが、前掲の堺の『平民瀟より』に『月末にな぀た、ノンキな事ばかり云぀おをれない』ずあるやうに五、六十人の䞖垶を維持するのは容易ではなか぀たのです。資金補絊を申し出た向もあ぀たのですが、ほんたうに䞻矩のために出資しおくれるのでなければ、埌の煩ひになるので謝絶したのでありたす。そしお政府が癌行を犁止したので、其機をずらぞお廢刊を斷行した譯でありたす。でなければ、廢刊も寊は非垞な難事であ぀たのです。\n\n 獄内での修業\n\n「䞍意に぀かた぀お、拘匕されるならずに角、自分で進んで獄䞭ぞ行くなんお、隚分いやな氣持でせうね」\n マダムはわたしの話をさぞぎ぀お、かう聞くのであ぀た。二十幎前に、自分の倫、即ち珟圚のルクリュ翁が、懲圹二十幎の猺垭刀決を受けお、英國に脱走した時のこずを思ひ出したのであらう。マダムにず぀おは興味が深刻なのであ぀た。ルクリュ翁は深い沈默で䟝然ずしお傍でこれを聞くのであ぀た。\n\n いや、それほど、いやずも思ひたせんでした。既に堺が行き、幞埳、西川が行぀た埌のこずで、恐ろしくも思はず、むしろ奜奇心にさそはれた方でした。それに先に私の文章で幞埳、西川の刑期を幟週間か長びかした責任も感じおゐた私は、晎ればれしい氣持で入獄したした。\n 最初は十䞀ヶ月の豫定でありたしたが、幟぀もの事件が重な぀おゐたしたし、赀衣を着けお幟床か法廷に立ち、幞埳の盎接行動論に就いおの蟯論も自分で思ふ存分や぀たので、刑期はたた延長しお十䞉ヶ月になりたした。入獄した最初は垂ヶ谷の東京監獄に䞀ヶ月ゐたしたが、それから巣鎚監獄に移されたした。\n 東京監獄に入぀た時、最初の二、䞉日間は、どうしおも、飯が咜を通りたせんでした。う぀はは汚なし、異暣な臭氣はするし、蟚當の箱を口のずころに持぀おゆくず嘔吐を催しお、どうにも食ふ氣になれたせんでした。それが四日目ぐらゐから、空腹に堪ぞられなくなり、䞉床の食事がうたくお埅ちどほしくなりたした。人間の生理生掻には、どんなに圈力性、融通性があるものかず驚かされるのでありたした。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 第十䞀信\n\n〔欄倖に〕面䌚\n\n二月四日(土曜)\n〔受信〕二月䞀日づけの手玙、第䞃信\n ○原さんのずころぞおひたしず鯛のさしみを届ける。\n ○面䌚、きょうはどうしたのかもう䞀人、い぀か野原の小母のずき立䌚ったのが立ち合っおいる。(電報が来たので急に)\n ○神田の本やぞたわる。\n ○林町。寿江子の経枈のこずに぀いお話をきめる。咲十八日に垯の由。こんどは前のずきずちがっお悪阻もすこしもないらしいしよく働いおいるし、いいだろう。\n ○かえりに実によい月、満月、護囜寺のずころを来るず、遠く家々の灯が赀く芋え、建おかけの小バだけ葺いた屋根が霜でもおいたように癜くぬれお芋えた。\n\n〔欄倖に〕\n 甚事は栗林のこずであった。\n これは䞉日の分を間ちがえた。\n\n\n二月五日(日曜)\n ○倕方より雪。牡䞹雪がふる。段々぀もっお雪あかりになっお来る、倜の雪空の色、き぀い歊蔵線のスパヌク、柔かい櫟の梢の重いひろがり。真癜になったずころぞ黒い䞀本盎線をひく自転車。雪の匂い。亢奮した。\n ○『䞉田新聞』のために日本映画の芳客に぀き、「芳る人芳せられる人」䞃枚曞く。\n\n二月六日(月曜)\n ○倜テヌブルに向っおいたら電報。宮からかず思っおきき耳を立おおいたら小川氏より\n「ゲンコりむマパスシタ」グンコりずある。それでも電報を打っおくれたのはうれしい。早速手玙をかく。\n ○達ちゃんぞ慰問袋を送り出す。「囜際知識」「デビッドの生い立四冊」「愛の劖粟」「荒野に生れお」「映画雑誌」花王石ケン、手拭かんづめ四぀。\n〔欄倖に〕面䌚\n\n二月䞃日(火曜)\n ○䞃草䌚、野田経枈研究所長ずいう人の話。こういう倧づかみの説でやっお行ければ、䞇事O・Kですむであろう。\n ○奥村五癟子の映画に぀いおの座談䌚。朚内キョり氏や婊女新聞の奥さんや、身の䞊盞談の倫人やら枅谷閑子女史、高良さんやいろいろ。ああいういろいろ□考にどうなるのかしらず皲ちゃんず話す。シュヌマむのおみやげ、ハンカチヌフのおみやげ。卯女ずいう䞭のの赀ちゃんの名の話をしたら、アラヌ、それ、吉屋信子の「家庭日蚘」の䞻人公の名ですよ、ずいう。それにりメずいうのはいや也、どうしよう。だたっおいるしかなかろうか、ずいうこずになる。かえり寿叞を䞀寞たべ。\n 新朮賞䞀千円の候補に「くれない」が䞊っおいるずのこず、「くれない」に賞を出すのは文孊のために結構だ。そしお千円あたればいねちゃんや私のためにおめでたい。\n ○小説の話をする。よかろうずいうこず。\n〔欄倖に〕○M子さん面䌚に行っおくれる。\n\n二月八日(氎曜)\n\n〔発信〕第十䞉信\n〔受信〕二月六日づけの手玙\n\n ○おっちゃんよっお呉れる。手玙のずっずためおあったのをくれる。䞀昚々幎䞀本。䞀昚幎䞀本、去幎よこし今幎䞀本。\n\n ○原さんのずころぞ芋舞にゆきやはり名のこず話しおしたった。皲庭ずいう家ぞデンワかけ、䞭野さんにこっちぞかけおくれずたのむ。九時迄ず云っお。倕飯たでかからず。おっちゃんのずころで倕飯をたべるず云い、熱っぜいず云っお早くかえった由。電話がかからないで、あした劙なこずになるのではないか、倫婊が。䜕だかそう思うずいやだ。もしかからなければ圹所ぞかけるしかあるたい、朝。\n ○晎倩。だが、雪が北偎の屋根の斜面や埀来に凍っおのこっおいるために、颚は぀めたいし冷える。雪が凍った坂で男の子が棒切れにのっおスケヌトの真䌌をしおいる。\n\n〔欄倖に〕\n S、昚日より林町。はなれに䞀ヵ幎ぐらいくらすずきめ、昚日囜ぞの手玙をもっお行った。そしおかえらぬ。こっちにいるず思えばこっちにい、あっちにいるずなるずあっちにい぀くずころ、䜕だか哀れで、そしおすこしいやだ、可哀そうのようで。\n\n\n二月十日(金曜)\n かえりに文房堂ぞたわる。ペンを十䞉日のために買おうずしお。グロス 4.50、二箱で 9.00 びっくりした。鉄 3.80、アルミ 2.50 ずいうので埡詊甚に二本ず぀買っお来ようずしたらサヌビスでくれた。\n onoto を䞀本 12.00 買う。ペン先がなくなったずきの甚心。ガシガシで玙は益〻ひどくおは曞くのに匱るから。\n ぀いでに栄さんの十五幎蚘念のために Book End を買う 3.50、䞀察で䞀぀ずいうずころで。ちょがちょが買もので 25.50 也。目玉ずび出す。かえりにひどい颚で閉口した。\n m、「金の矢ずいうようなこずをかくず、どういう状態なのかず思うからね」「それに぀いおおきかれになったの?」「きかれはしないがあり埗るから」そしお小さい声で笑い぀぀「ナリは倩真ランマンだから」\n 栗林氏面䌚したず云っおよる。m、スパむ殺すなずいうレヌニンの蚀葉を匕甚しお圓時の『赀旗』にも曞いおいるず話した由。そうであろう。\n〔欄倖に〕面䌚\n\n二月十䞉日(月曜)\n〔欄倖に〕面䌚\n\n二月十四日(火曜)\n〔受信〕十日づけの手玙\n\n〔欄倖に〕\n 面䌚\n 山厎氏に䌚う。\n\n\n二月十五日(氎曜)雪\n〔発信〕第十四信。\n mの蚀葉「生掻ずいうものは背氎の陣をしいおしたわなければ萜付けないものだからね」寿の生掻態床に぀いお云ったのだが、なかなかうたみある。自分に即しおいろいろず考える。どのように自分のボヌトはやいおあるかずいう点に぀いお。\n ○やくボヌトを持たぬもの\n ○やくボヌトをもっおやかぬもの\n ○ボヌトはやくべしず知っおやき切るもの\n ○これ䞀艘ぐらいはず思っおいる者\n ○䜕故やくのかね、おれのボヌトは持っおいるにふしぎはない、ずいうようなの\n ○䞀艘もなかったのにやっず出来たこれを! ずいうもの\n 䟋えば萜付いお仕事したいず思う。その心持。だが今の条件で萜付かなければ、ほかにどのように萜付けるずいうのだろう? そういう自問。\n ○癜氎瀟ぞ「チボヌ家の人々」の感想䞉枚。\n\n〔欄倖に〕\n ○去幎の萜付かなさ苊しさ。今考えるずあの状態の䞭に腰をすえ切っおいず心のどこかで違った状態を描いおいたからだず思う。描くのず、䜜っお行くのずはちがうから。\n\n\n二月十六日(朚曜)\n〔受信〕十四日づけの手玙\n\n〔欄倖に〕\n 面䌚\n こわいこわい調子、わけがわからず。䞀昚日ずあんたり急にちがうので。\n 家さがし。ナシ\n\n\n二月十䞃日(金曜)\n〔発信〕第十五信\n\n〔欄倖に〕\n 面䌚、あの顔。\n やはり原因がよくは分らない。私の知らない腹の立぀こずがあるのだろうか。\n\n\n二月十九日(日曜)\n〔発信〕第十六信\n\n二月二十䞀日(火曜)雪\n\n〔発信〕第十䞃信\n〔受信〕達ちゃんより 二月十䞀日\n\n〔欄倖に〕面䌚\n\n二月二十二日(氎曜)\n ○小説はじたる 䞉枚\n\n二月二十䞉日(朚曜)\n\n〔発信〕第十八信\n〔受信〕二十䞀日づけの手玙着\n\n\n䞉月䞀日(氎曜)\n 面䌚。九の日の人にたのむ。\n\n䞉月二日(朚曜)\n〔受信〕二月二十八日づけの手玙第十二信\n 面䌚、氎曜の人が行っおくれる。\n 倜、「その幎」四十䞀枚終る。\n\n䞉月䞉日(金曜)\n 面䌚。\n かえりに文芞春秋にゆき原皿を眮いお、東京堂ぞゆき、月報泚文。\n ○䞉省堂で、コンサむズ和英二冊買っお光子さん倫婊に送る。\n ○それから戞塚。いそがしがっおいる。倕刻皲ちゃんず䞀緒に出る。\n\n䞉月四日(土曜)\n〔発信〕第十九信\n ○倜十䞉日ののこりの人々をよぶ。池さん、倧分きこしめしお宮のこずを云い、泣いたりした。そしお、人生的に䞀倧転回をしようず思っおいる云々。宮に云ったらバカ野郎ず云われそうだ、ず云う。察しの぀くこずだ。\n\n ○きょう光子倫劻、アメリカぞ立った筈。\n\n䞉月五日(日曜)\n ○おひささん出おゆく。\n 寿江ず二人。急に思い立っお歊蔵嵐山ずいうずころたでゆき、畠山重忠の通趟の梅を芋お䞀時間ばかりでかえる。電車埀埩䞉時間。\n ○かえりの電車はもう五時二十分発だから六時すぎお川越に぀く迄電燈぀けず。倕暮、黄金い倧きい月がのがる櫟林の間をくらいたた走っおゆく。その景色倧倉珍らしくお面癜かった。\n\n䞉月六日(月曜)\n 面䌚。\n\n 降りそうで降らない。原さんのお祝いの品を届けにゆく。赀坊よく眠らない由。赀坊ずいうより病人の感じの手間ず神経の぀かいかたで苊しいようであった。\n 家の䞭によろこばしいものが少しもない。顔にも。\n\n䞉月䞃日(火曜)\n〔受信〕䞉月四日぀けの手玙、第十䞉信着\n 面䌚。\n 雚。\n ○足袋がぬれたのがはいたたたしたっお来るあの感じ。\n\n䞉月八日(氎曜)\n〔発信〕第二十信\n ○颚の぀よい朝。寿江子、ひさを぀れお熱川ぞ立぀。九時五十五分ので。\n ○「その幎」はパスするか、どうか。土曜日曜が間に入っおからおそくなっおもいるのだろうが。垞識では通らぬこずはないず思う。\n" }, { "role": "assistant", "content": " ○倜になるず昌間の颚がしずたっお、(九時頃)東の方に矎しい月が茝いおいる。その西空には遠く星がさやかに燊めいおいる早春の倜景。宀内の瓶の薄玅海の花の枝。\n ○物干の板の間にさしおいる手摺の圱、癜い䞊壁。よその矜目にさしおいる竹の圱。\n\n䞉月十䞀日(土曜)\n\n〔発信〕第二十䞀信\n〔受信〕第十四信着、九日づけ\n\n\n䞉月十二日(日曜)\n〔発信〕第二十二信\n\n䞉月十五日(氎曜)\n〔発信〕第二十䞉信(出すのは十八日になった)\n\n䞉月十六日(朚曜)\n〔受信〕十四日づけ第十五信着。\n\n䞉月十八日(土曜)\n「その幎」倧しおわるくはないが、䜜者が私だず他のよみようがあるず云っおパスしなかった由。箇人䞻矩的だ(母の心持が)ずいう由。箇人䞻矩ずいうような衚珟が、反察の極に党䜓をおいお云われおは返事にこたる也。\n\n䞉月二十䞀日(火曜)\n〔受信〕䞉月十八日づけ第十六信着。\n\n䞉月二十二日(氎曜)\n〔発信〕第二十五信(実は第二十四信だった)\n\n䞉月二十䞉日(朚曜)\n 文秋ぞかえりにたわる。原皿貰っお来お、来月ぞ随筆をかくこずにしお来る。\n\n ひさ、倕飯埌囜ぞ立぀。\n ○チャコ来。二十五日に高等を出る。匟は工業に入った。䞉犏の食堂ぞ五人行っお二人きたった。「倧抵぀ずめるのにただいくらもきたっおないのよ」八十銭、おひる(十銭で)癜飯぀き、九時、十時、十時半ず出お、倜十時半、十時、九時半ずかえる由。二十五日の匏がすむたで孊校ぞ来なければ免状あげないず云った由。\n\n䞉月二十四日(金曜)\n 面䌚。\n 出がけにポチが䞉宅さんの門前の日向にずくんでいお動かない。劙だず思ったらかえったら倉、バラさん気をもんでいる。\n 犬猫先生を迎えにゆき、来おもらい、぀れお行っお入院さす。\n\n䞉月二十五日(土曜)\n 面䌚\n 午前十時すぎから雚。ひる頃土砂降り、そのなかを犬猫病院ぞ行っおポチを芋る。しっぜもふらない。倧分出血する由。\n バラさん、ひるかえる。\n「いお䞊げる」そのこずを䜕かで衚癜する。䞋は掃陀する。しかし二階には火を入れおも、Cover はそのたた等。\n\n䞉月二十六日(日曜)\n\n〔発信〕第二十六信。\n〔受信〕䞉月二十四日づけ第十䞃信着\n\n ポチが死んだ。可哀そう。\n\n 二階を䞋りお䞀寞茶の間をのぞきかけたら、ガラス戞の倖に玫っぜい色が映っおいる。あけたら栄さん。\n けさ、六時十分、先生が東京に就職する少幎を倧勢぀れお着。匟がいる。「来たね」わからない「誰?」「姉さん」やっずわかる。その栄は去幎の䞉月䞉日に出お来おいる。\n 䞻人たちが迎えに来おいる、玹介しお、明治神宮ぞゆき、そこで写真をずり、わかれお䞻人ず。䞻人は山野楜噚店、䞀幎間、八円、五幎間倜孊。合宿ぞ぀れおゆく。䞉人䞀緒。「君たちの蚀葉ちっずも分らないね」「勝倪郎、埳山璉知っおるかい?」「勝倪郎なら知っおいるけれど」二幎た぀ず配達。\n ○婆さんは䞉時半におきお十二人の米みそ汁を぀くる。これは朝五時四十分ぐらいに皆朝めし。十四時間ぐらい働く。䞀円二十銭からもっず。女でズボンはいおせんばんでも䜕でもやっお八十円も九十円も。\n ○「二十の声をきいちゃ垯だっお心がけなけりゃ」ず二十円の□□玬を売り぀ける。五円で四ヵ月。\n 十五円出しおいる。倩理教。\n 手袋、゚リ巻をずらせる、入門のずき。\n\n䞉月二十䞃日(月曜)\n ポチ入院埋葬すべおで 9.00 也。いないず淋しい。\n\n䞉月二十九日(氎曜)\n〔受信〕第十八信二十䞃日づけ着\n あさ子さん倫婊来る\n\n䞉月䞉十日(朚曜)\n〔発信〕第二十䞃信出す\n\n四月二日(日曜)\n〔受信〕第十九信\n\n四月䞉日(月曜)\n〔発信〕二十八信\n\n四月五日(氎曜)\n〔発信〕第二十九信\n\n四月六日(朚曜)\n\n〔発信〕䞉十信\n〔受信〕着二十信 四日づけ\n\n\n四月八日(土曜)\n〔発信〕第䞉十信\n ゆうべうなされた。ひどいあばら家。バタンバタンすだれか䜕か煜っおいお、誰かが、かたわないからあけちゃいなさいよずいう声がする。あけたら、そこは空っぜのはばかり、半分戞がこわれおぶら䞋っおあおり぀けおいる。巊手に障子も䜕もない板の間の奥に暗くバラさんが臥おこっちの光景を芋おいる。そう感じおいる。その床の間のずころの぀き圓りは火のない炉、ゎタゎタした桶か䜕か。そのうち二匹の小さいきたない猫が䜕か咬えおその蟺かけずりたわり、䞀匹は私の頭の䞊を跳び越しお前や埌に。うるさいので぀かたえようずしたら私の手にかぶり぀いおはなれず。䜕かに、手にかぶり぀いたたたの猫の䜓をぶっ぀けようずさがしおいるずころで目がさめた。時蚈を芋たら二時ず䞉時の間。気味がわるかった。mの䜓の工合わるくおくるしいのか。本圓にそう思い、スタンド぀けたたた眠った。この前のずきは、雚の降る塵埃塚の䞊の癜いきたない猫(埌肢で立っおいる)い぀も猫。\n\n四月十二日(氎曜)\n〔発信〕第䞉十䞀信\n\n四月十䞉日(朚曜)\n〔受信〕第二十二信着 十䞀日発\n 朝面䌚。\n 午埌䞀時さくらで島田ぞ立぀。\n\n四月十六日(日曜)\n 広島で隆ちゃんに面䌚。\n 二十䞀日枡支ずきたる。星二぀䞀等兵になった由、昚倜八時半の点呌のずき呜什䞋った由。\n\n四月十䞃日(月曜)\n〔発信〕第䞉十二信出\n 野原ぞ倕刻、六時半のバスでゆく。\n\n四月十八日(火曜)\n 䞀日野原。\n こむらがかえっおびっこ\n\n四月十九日(氎曜)\n 䞀時䞉十分のバスでかえっお来る。\n 岩本の小母さん留守番ずきたり母䞊出京決定。サクラでゆくこずにする。\n\n四月二十日(朚曜)\n〔受信〕十八日発速達着。\n 広島で面䌚。降ったりやんだり。\n\n四月二十䞀日(金曜)\n〔発信〕第䞉十䞉信\n\n四月二十䞉日(日曜)\n〔発信〕第䞉十四信\n\n五月四日(朚曜)\n〔発信〕第䞉十五信\n\n五月六日(土曜)\n 特別面䌚、䞀時間䜙。厚着をしおいるのず息ぐるしいのず、母䞊の話題ずで、ハンカチヌフを出しお、汗をふいた。非垞に気の毒に思った。\n\n五月䞃日(日曜)\n 母䞊サクラにお垰囜、同じ車宀に宇野重吉が癜い傷病兵の服でかえっお来おいた。\n\n 倧孊祭。䞉時から人類孊教宀を芋物した。\n 説明぀きでなかなか有益であった。\n\n五月八日(月曜)\n 面䌚。䜓の工合よくない。面䌚、火、金にするこずになった。二十䞃日以来連日母䞊の面䌚で随分疲れたこずず思う。䜓重ぞっお寝汗もかく由。䞀月颚邪以来䜎䞋。食慟䞍振の由。吻っず疲れの出るずころこの話で぀かれも出ない。\n 倧日本印刷ぞ出かけ、来月随筆かくこずにきめた。䞖界倧戊なんおテヌマでなしに。\n\n五月九日(火曜)\n〔発信〕第䞉十六信\n\n五月十日(氎曜)\n〔発信〕第䞉十䞃信\n\n五月十二日(金曜)\n 面䌚。䜓の工合よくない。\n\n五月十五日(月曜)\n〔発信〕第䞉十八信\n\n五月十六日(火曜)\n 評論家協䌚\n\n五月十䞃日(氎曜)\n ○千駄ヶ谷ぞゆき、河厎先生にたのむこずたのんで来る。\n\n五月十八日(朚曜)\n〔受信〕電報 ペギハ アスデナク ケンゞ\n ペンクラブの䌚\n\n五月十九日(金曜)\n 䞀週間ぶりで面䌚。着るものがうすくなっおいる故かすっかりやせお芋える。顔のや぀れかた盞圓ひどい。この前のずきよりずっず。声に力がない。母の䞀番したいにあった五月六日のずきの様子、声、それず比べ僅か十䞉日の間に、こわい心持がした。䜓がわるい、そのずき傷぀いた獣のように独りひきこもっお諞条件ずずりくんでゆかねばならない事情。実に実に。名状しがたい。この前の工合がわるかったずき、本圓に知らないで安心しおいたこずもあろうず曞いお来た通りであった。今は違う。病気皋床も凡そわかっおいるし。公刀の前に䜎䞋しおいるの癪であろう。工合わるければ甚事は代筆、代匁にするかもしれないが、重態ず思わぬように、ず。先のずきは、心持の面からだけ倧䞈倫ず思い、それでひっくるめお抜象的に安心出来おいた。今の心持もっず具䜓的だ。気の毒さ。可哀そうさ。この手で䞀぀のこずでもしおやるこずの必芁の切実な理解。なかなか切なし。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n 諏蚪勢もよく防いだ。次第に浪士偎は山の地勢を降り、砥沢口から暋橋の方ぞ諏蚪勢を圧迫し、鯚波の声を揚げお進んだが、胞壁に拠る諏蚪勢が砲火のために撃退せられた。諏蚪束本䞡藩の兵は五段の備えを立お、右翌は砲隊を先にし鎗隊をあずにした尋垞の備えであったが、巊翌は鎗隊を先にしお、浪士偎が突撃を詊みるたびに吶喊し逆襲しお来た。こんなふうにしお远い返さるるこず䞉床。浪士偎も進むこずができなかった。\n その日の戊闘は未の刻から始たっお、日没に近いころに及んだが、敵味方の倧小砲の打ち合いでただ勝負は぀かなかった。たぶしい倕日の反射を真面に受けお、鉄砲のねらいを定めるだけにも浪士偎は䞍利の䜍眮に立぀ようになった。それを芋お䞀策を案じたのは参謀の山囜兵郚だ。圌は道案内者の蚀葉で探り知っおいた地理を考え、右手の山の䞊ぞ癟目砲を匕き䞊げさせ、そちらの方に諏蚪勢の泚意を奪っお眮いお、五、六十人ばかりの䞀隊を深沢山の峰に回らせた。この䞀隊は巊手の河を枡っお、束本勢の陣地を偎面から攻撃しうるような山の䞊の䜍眮に出た。この奇蚈は束本方ばかりでなく諏蚪方の䞍意をも぀いた。日はすでに山に入っお束本勢も戊い疲れた。その時浪士の䞀人が山の䞊から攟った銃䞞は束本勢を指揮する倧将に呜䞭した。混乱はたずそこに起こった。勢いに乗じた浪士の䞀隊は小銃を連発しながら、盎䞋の敵陣をめがけお山から乱れ降った。\n 耕雲斎は砥沢口たで進出した本陣にいた。それずばかり采配を振り、自ら陣倪錓を打ち鳎らしお、最埌の突撃に移った。あたりはもう暗い。諏蚪方ではすでに浮き腰になるもの、埌方の退路を危ぶむものが続出した。その時はただただ諏蚪勢の陣は堅く、暋橋に螏みずどたっお頑匷に抵抗を続けようずする郚隊もあったが、厩れはじめた党軍の足䞊みをどうするこずもできなかった。もはや束本方もさんざんに芋えるずいうふうで、早く退こうずするものが続きに続いた。\n ずうずう、田沌玄蕃頭は来なかった。合戊は諏蚪束本䞡勢の敗退ずなった。にわかの火の手が倩の䞀方に揚がった。諏蚪方の攟火だ。浪士らの足だたりをなくする意味で、圌らはその手段に出た。暋橋村の民家䞉軒に火を攟っお眮いお退华し始めた。癜昌のように明るく燃え䞊がる光の䞭で、諏蚪方にはなおも螏みずどたろうずする勇者もあり、ただ䞀人元の陣地に匕き返しお来お二発の倧砲を攟぀ものさえあった。远撃の小競合いはそこにもここにもあった。そのうちに攟火もすこし䞋火になっお、二十日の倜の五぀時の空には地䞊を照らす月代ずおもない。敵ず味方の芋定めも぀かないような深い闇が総厩れに厩れお行く諏蚪束本䞡勢を包んでしたった。\n この砥沢口の戊闘には、浪士偎では十䞃人ほど蚎死した。癟人あたりの鉄砲疵鎗疵なぞの手負いを出した。䞻将耕雲斎も戊い疲れたが、たた味方のもの䞀同を暋橋に呌び集めるほど元気づいた。湊出発以来、婊人の身でずっず陣䞭にある倧玍蚀の簟䞭も無事、山囜芪子も無事、筑波組の皲右衛門、小四郎、皆無事だ。䞀同は手分けをしお高島陣地その他を束明で改めた。そこの砊、ここの胞壁の跡には、打ち捚おおある兜や小銃や鎗や脇差や、それから床几陣矜織などの間に、目もあおられないような敵味方の戊死者が暪たわっおいる。生臭い血の臭気はひしひしず迫っお来る倜の空気にたじっお䞀同の錻を぀いた。\n 耕雲斎は抜き身の鎗を杖にしお、皲右衛門や兵郚や小四郎ず共に、兵士らの間をあちこちず芋お回った。戊堎のならいで敵の逆襲がないずは蚀えなかった。䞀同はたたにわかに勢ぞろいしお、本陣の四方を固める。その時、耕雲斎は䞀手の倧将に呜じ、味方の死骞を改めさせ、その銖を打ち萜ずし、思い思いのずころに土深く玍めさせた。深手に苊しむものは十人ばかりある。それも歩人に䞋知しお戞板に茉せ介抱を䞎えた。こういう時になくおならないのは二人の埓軍する医者の手だ。陣䞭には五十ばかりになる䞀人の老女も氎戞から随いお来おいたが、この人も脇差を垯の間にさしながら、医者たちを助けおかいがいしく立ち働いた。\n 倜もはや四぀半時を過ぎた。浪士らは味方の死骞を取り片づけ、名のある人々は草小屋の䞭に匕き入れお、火をかけた。その他は死骞のあるずころでいささかの火をかけ、土䞭に埋めた。仮りの埋葬も枈んだ。暋橋には敵の遺棄した兵糧や匁圓もあったので、それで䞀同はわずかに空腹をしのいだ。激しい饑え。激しい枇き。それを癒そうためばかりにも、䞀同の足は䞋諏蚪の宿ぞ向いた。やがお二十五人ず぀隊䌍を぀くった人たちは暋橋を離れようずしお、倜の空に鳎り枡る行進の法螺の貝を聞いた。\n\n\n 暋橋から䞋諏蚪たでの間には、村二぀ほどある。道案内のものを先に立お、束明も捚お、途䞭に敵の埅ち䌏せするものもあろうかず甚心する浪士らの長い行列は倜の街道に続いた。萜合村たで進み、䞋の原村たで進んだ。もはやその蟺には䞀人の敵の螏みずどたるものもなかった。\n 合図の空砲の音ず共に、浪士らの先着隊が䞋諏蚪にはいったころは倜も深かった。敗退した諏蚪束本䞡勢は高島城の方角をさしお萜ちお行ったあずで、そこにも䞀兵を芋ない。町々もからっぜだ。浪士らは思い思いの家を芋立おお、鍋釜から掗い米などの笊にそのたた眮き捚おおあるようなずころぞはいった。耕雲斎は問屋の宅に、皲右衛門は来迎寺にずいうふうに。町々の蟻、秋宮の鳥居前、䌚所前、湯のわき、その他ずころどころに篝が焚かれた。四、五人ず぀の浪士は亀代で敵の倜襲を譊戒したり、宿内の火の番に回ったりした。\n 䞉癟人ばかりの埌陣の者は容易に䞋諏蚪ぞ到着しない。今床の戊闘の遊軍で、負傷者などを介抱するのもそれらの人たちであったから、道に隙がずれおおくれるものず知れた。その間、本陣に集たる幹郚のものの䞭にはすでに「明日」の評定がある。もずもず浪士らは高島城を目がけお来たものでもない。西ぞの進路を切り開くためにのみ、やむを埗ず諏蚪藩を敵ずしお悪戊したたでだ。その倜の評定に䞊ったは、前途にどこをたどるべきかだ。道は二぀ある。これから塩尻峠ぞかかり、桔梗が原を過ぎ、掗銬本山から莄川ぞず取っお、朚曟街道をたっすぐに進むか。それずも岡谷蟰野から䌊那道ぞず折れるか。朚曟犏島の関所を砎るこずは浪士らの本意ではなかった。二十二里䜙にわたる朚曟の森林の間は、嶮岚な山坂が倚く、人銬の継立おも容易でないず芋なされた。圌らはむしろ谷も広く間道も倚い䌊那の方をえらんで、䞀筋の血路をそちらの方に求めようず䌁おたのである。\n 䞍眠䞍䌑ずもいうべき䞋諏蚪での䞀倜。ようやく埌陣のものが町に到着しお䞀息぀いたず思うころには、本陣ではすでに倜立ちの行動を開始した。だれ䞀人、この楜しい湯の銙のする町に長く螏みずどたろうずするものもない。䞀刻も早くこれを匕き揚げようずしお倚くの䞭にはろくろく湯氎を飲たないものさえある。\n「倜盗を譊戒せよ。」\n その声は、幹郚のものの間からも、心ある兵士らの間からも起こった。この混雑の䞭で、十五、六軒ばかりの土蔵が切り砎られた。だれの所業ずもわからないような盗みが行なわれた。浪士らが匕き揚げを急いでいるどさくさたぎれの䞭で。ほずんど無譊察にもひずしい町々の暗黒の䞭で。\n 暁の六぀時には浪士は残らず䞋諏蚪を出立した。平出宿小䌑み、岡谷昌飯の予定で。あわただしく道を急ごうずする倚数のものの䞭には、陣矜織のたたで倧八車を抌しお行くのもある。甲冑も着ないで銬に乗っお行くのもある。負傷兵を戞板で運ぶのもある。もはや、倧霜だ。倩もたさに寒かった。\n" }, { "role": "assistant", "content": " 二\n\n もずより浪士らは埌方ぞ匕き返すべくもない。幕府から回された蚎手の田沌勢は絶えず埌ろから远っお来るずの報知もある。千䜙人からの長い行列は前埌を譊戒しながら䌊那の谷に続いた。\n 筑波の脱走者、浮浪の埒ずいうふうに、䞖間の颚評のみを真に受けた地方人民の䞭には、実際に浪士の䞀行を迎えお芋お旅籠銭䞀人前匁圓甚共にお定めの二癟五十文ず぀払っお通るのを意倖ずした。あるものはたた、䞀行ず共に動いお行く金の葵王の箱、長柄の傘、埡王付きの長持から、長棒の駕籠の類たであるのを意倖ずしお、たるで䞉、四十䞇石の倧名が通行の隒ぎだず蚀うものもある。\n しかし、それも理のないこずではない。なぜかなら、その葵王の箱も、傘も、長持も、長棒の駕籠も、すべお氎戞烈公を蚘念するためのものであったからで。たずい埡隠居はそこにいないたでも、䞀行が「埓二䜍倧玍蚀」の倧旗を奉じながら動いお行くずころは、生きおる人を護るずほずんど倉わりがなかったからで。あの江戞駒蟌の別邞で氞蟄居を免ぜられたこずも知らずじたいにこの䞖を去った埡隠居が生前に京郜からの勅䜿を迎えるこずもできなかったかわりに、今「奉勅」ず倧曞した旗を抌し立おながら動いお行くのは、その人の愛する子か孫かのような氎戞人もしくは準氎戞人であるからで。幕府のいう賊埒であり、反察党のいう䞍忠の臣である圌らは、そこにいない埡隠居にでもすがり、その人の志を圌らの志ずしお、䞀歩でも遠く垞陞のふるさずから離れようずしおいたからで。\n 倩韍川のほずりに出おからも、浪士らは歊装を解こうずしなかった。いずれも鎧兜、あるいは黒の竪烏垜子、陣矜織のいでたちである。高く掲げた玅癜の旗、隊䌍を区別する銬印などは、銬䞊の階士が携えた抜き身の鎗に映り合っお、その無数の矀立ず集合ずの感じが䞀行の陣容をさかんにした。各郚隊の護っお行く二門ず぀の倧砲には皆埡隠居の筆の跡が鋳おある。「発而皆䞭節、源斉昭曞」の銘は浪士らが誇りずするものだ。行列の䞭倮に高く「尊攘」の二字を掲げた旗は、陣倪錓ず共に、筑波以来の蚘念でもあった。参謀の兵郚は軍䞭第二班にある。采配を腰にさし、甲冑階銬で、金の䞉蓋猩々緋の䞀段幡連を銬印に立お、鎗鉄砲を携える癟䜙人の歊者を率いた。総勢の隊䌍を、第䞀班から第六班たでの備えに線み、階銬の䜿番に絶えず前埌呚囲を芋回らせ、隊列の敎頓ず行進の合図には拍子朚を甚いるこずなぞ皆この人の粟密な頭脳から出た。氎戞家の元偎甚人で、䞀方の統率者なる小四郎は階銬の偎に惣金の銬印を立お、癟人ほどの銃隊士に護られながら䞭倮の郚隊を堅めた。五十人ばかりの鎗隊士を埓えた皲右衛門は梶の葉の銬印で、副将らしい嚁厳を芋せながらそのあずに続いた。䞻将耕雲斎は「奉勅」の旗を先に立お、䞉蓋菱の銬印を立おた癟人ばかりの階兵隊がその前に進み、二癟人ばかりの歩行歊者の同勢は抜き身の鎗でそのあずから続いた。山囜兵郚父子はもずよりその他にも芪子で連れだっお埓軍するものもある。各郚隊が護っお行く思い思いの旗の文字は、いずれも氎府矩士をもっお任ずる圌らの面目を語っおいる。その䞭にたじる「癟花の魁」ずは、䞭䞖以来の堅い殻を割っおわずかに頭を持ち䞊げようずするような、圌らの早い先駆感をあらわしお芋せおいる。\n 䌊那には高遠藩も控えおいた。和田峠での合戊の暡様は早くも同藩に䌝わっおいた。束本藩の家老氎野新巊衛門ずいう人の蚎死、そのほか倚数の死傷に加えお浪士偎に分捕りせられた陣倪錓、鎗、具足、倧砲なぞのうわさは高遠藩を沈黙させた。それでも幕府のきびしい呜什を拒みかねお、同藩では倩韍川の䞡岞に出兵したが、浪士らの抌し寄せお来たず聞いた時は指揮官はにわかに平出の陣地を撀退しお倩神山ずいう方ぞ匕き揚げた。それからの浪士らは䞀局勇んで䞀団ずなった行進を続けるこずができた。\n 進み過ぎる郚隊もなく、おくれる郚隊もなかった。䞭にはめずらしい攟吟の声さえ起こる。銬䞊で歌を詠ずるものもある。路傍の子䟛に菓子などを䞎えながら行くものもある。途䞭で䞀行におくれお、たた䞀目散に銬を飛ばす十六、䞃歳の小冠者もある。\n こんなふうにしおさらに谷深く進んだ。二十二日には浪士らは䞊穂たで動いた。そこたで行くず、䞀䞇䞃千石を領する飯田城䞻堀石芋守は郚䞋に呜じお垂田村の匓矢沢ずいうずころに防犊工事を斜し、そこに倧砲数門を据え付けたずの報知も䌝わっお来た。浪士らは䞀぀の難関を通り過ぎお、さらにたた他の難関を望んだ。\n\n\n「わたしたちは氎戞の諞君に同情しおたいったんです。実は、あなたがたの立堎を思い、飯田藩の立堎を思いたしお、及ばずながら斡旋の劎を執りたい考えで同道しおたいりたした。わたしたちは䞉人ずも平田節胀の門人です。」\n 浪士らの幹郚の前には、そういうめずらしい人たちがあらわれた。そのうちの䞀人は䌊那座光寺にある熱心な囜孊の錓吹者仲間で、北原皲雄が匟の今村豊䞉郎である。䞀人は将軍最初の䞊掛に先立っお足利尊氏が朚像の銖を䞉条河原に晒した瀺嚁の関係者、あの事件以来䌊那に来お隠れおいる暮田正銙である。\n 入り蟌んで来る間諜を譊戒する際で、浪士偎では容易にこの䞉人を信じなかった。その時応接に出たのは道䞭掛りの田村宇之助であったが、字之助は思い぀いたように尋ねた。\n「念のためにうかがいたすが、䌊那の平田埡門人は『叀史䌝』の発行を䌁おおいるように聞いおいたす。あれは䜕巻たで行ったでしょうか。」\n「そのこずですか。今じゃ第四垙たで進行しおおりたす。䞀垙四巻ずしおありたすが、もう第十六の巻を出したした。お聞き及びかどうか知りたせんが、その䞊朚を思い立ったのは座光寺の北原皲雄です。これにおりたす今村豊䞉郎の兄に圓たりたす。」正銙が答えた。\n こんなこずから浪士らの疑いは解けた。そこぞ䞉人が持ち出しお、及ばずながら斡旋の劎を執りたいずいうは、浪士らに間道の通過を勧め、飯田藩ずの衝突を避けさせたいずいうこずだった。正銙や豊䞉郎は䞀応浪士らの意向を探りにやっお来たのだ。もずより浪士偎でも戊いを奜むものではない。飯田藩を傷぀けずに枈み、たた浪士偎も傷぀かずに枈むようなこの提案に䞍賛成のあろうはずもない。異議なし。それを聞いた䞉人は座光寺の方に埅っおいる北原皲雄ぞもこの情報を䌝え、飯田藩ずもよく亀枉を重ねお来るず蚀っお、倧急ぎで垰っお行った。\n 二十䞉日には浪士らは片桐たで動いた。その蟺から飯田ぞかけおの谷間には、数十の郷村が倩韍川の䞡岞に散垃しおいる。岩厎長䞖、北原皲雄、片桐春䞀らの䞭心の人物をはじめ、平田節胀没埌の門人が堅く根を匵っおいるずころだ。飯田に、山吹に、䌎野に、阿島に、垂田に、座光寺に、その他にも熱心な節胀の䜿埒を数えるこずができる。この谷だ。今は黙っおみおいる堎合でないずしお、北原兄匟のような人たちがたち䞊がったのに䞍思議もない。\n その片桐たで行くず、飯田の城䞋も近い。堀石芋守の居城はそこに枬りがたい沈黙を守っお、浪士らの近づいお行くのを埅っおいた。その沈黙の䞭には埡䌚所での軍議、にわかな籠城の準備、芁所芁所の譊戒、その他、どれほどの混乱を抌し隠しおいるやも知れないかのようであった。䞇䞀、同藩で籠城のこずに決したら、垂内はたちたち焌き払われるであろう。その兵火戊乱の恐怖は老若男女の町の人々を襲い぀぀あった。\n 倜、歊田本陣にあおられた片桐の問屋ぞは、飯田方面から、豊䞉郎が兄の北原皲雄ず䞀緒に早駕籠を急がせお来た。その時、浪士偎では暪田東四郎ず藀田小四郎ずが応接に出た。飯田藩ずしお間道の通過を公然ず蚱すこずは幕府に察し憚るずころがあるからず蚀い添えながら、北原兄匟は町圹人ずの亀枉の結果を曞面にしお携えお来た。その曞面には巊の䞉぀の条件が認めおあった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 西暊䞀千九癟二幎秋忘月忘日癜旗を寝宀の窓に翻えしお䞋宿の婆さんに降を乞うや吊や、婆さんは二十貫目の䜓躯を䞉階の倩蟺たで運び䞊げにかかる、運び䞊げるずいうべきを䞊げにかかるず申すは手間のかかるを圢容せんためなり、階段を䞊るこず無慮四十二玚、途䞭にお䌑憩する事前埌二回、時を費す事䞉分五セコンドの埌この偉倧なる婆さんの埗意なるべき顔面が苊し気に戞口にヌッず出珟する、あたり近所は狭苊しきばかり也、この䌚芋の栄を肩身狭くも双肩に荷える䜙に向っお婆さんは媟和条件の第䞀欟ずしお呜什的に巊のごずく申し枡した、\n\n自転車に埡乗んなさい\n\n ああ悲いかなこの自転車事件たるや、䜙は぀いに婆さんの呜に埓っお自転車に乗るべく吊自転車より萜るべく「ラノェンダヌ・ヒル」ぞず参らざるべからざる䞍運に際䌚せり、監督兌教垫は○○氏なり、悄然たる䜙を埓えお自転車屋ぞず飛び蟌みたる圌はたず女乗の手頃なる奎を撰んでこれがよかろうず云う、その理由いかにず尋ぬるに初孊入門の捷埄はこれに限るよず降参人ず芋おずっおいやに軜蔑した文句を䞊べる、䞍肖なりずいえども軜少ながら錻䞋に髯を蓄えたる男子に女の自転車で皜叀をしろずは情ない、たあ萜ちおも善いから圓り前の奎でやっおみようず抗議を申し蟌む、もし採甚されなかったら䞈倫玉砕瓊党を恥ずずか䜕ずか珍江挢の気燄を吐こうず暗に䞋拵に黙っおいる、ずそれならこれにしようず、いずも芋苊しかりける男乗をぞあおがいける、思えらく胜者筆を択ばず、どうせ萜ちるのだから車の矎醜などは構うものかず、あおがわれたる車を重そうに匕匵り出す、䞍平なるは力を出しお䞊からりンず抌しお芋るずギヌず鳎る事なり、䌏しお惟れば関節が匛んで油気がなくなった老朜の自転車に䞇里の波激を超えお遥々ず逢いに来たようなものである、自転車屋には恩絊幎限がないのか知らんずちょっず䞍審を起しおみる、思うにその幎限は疟ッくの昔に来おいお今たで物眮の隅に閑居静逊を専らにした奎に違ない、蚈らざりき東掋の孀客に匕きずり出され奔呜に堪ずしお悲鳎を䞊るに至っおは自転車の末路たた憐むべきものありだがせめおは降参の腹癒にこの老骚をギュヌず云わしおやらんものをず乗らぬ先から圓人はしきりに乗り気になる、然るにハンドルなるもの神経過敏におこちらぞ匕けば股にぶ぀かり、向ぞ抌しやるず埀来の真䞭ぞ銳け出そうずする、乗らぬ内からかくのごずく凊眮に窮するずころをもっお芋れば乗った埌の事は思いやるだに涙の皮ず知られける、\n「どこぞ行っお乗ろう」「どこだっお今日初めお乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない萜ちおも人の笑わないようなずころに願いたい」ず降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は䜙が衷情を憐んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あたり繁からざる倧道の暪手銬乗堎ぞず䜙を拉し去る、しかしお埌「さあここで乗っお芋たたえ」ずいう、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを埗ざるに至った、ああ悲倫、\n 乗っお芋たたえずはすでに知己の語にあらず、その昔本囜にあっお時めきし時代より倩涯䞇里孀城萜日資金窮乏の今日に至るたで人の乗るのを芋た事はあるが自分が乗っお芋たおがえは毛頭ない、去るを乗っお芋たたえずはあたり無慈悲なる䞀蚀ず怒髪鳥打垜を衝お猛然ずハンドルを握ったたではあっぱれ歊者ぶりたのもしかったがいよいよ鞍に跚っお顧盻勇を瀺す䞀段になるずおあ぀らえ通りに参らない、いざずいう間際でずどんず萜るこず劙なり、自転車は逆立も䜕もせず至極萜ち぀きはらったものだが乗客だけはたさに鞍壺にたたらずずんでん堂ずこける、か぀お講釈垫に聞た通りを目のあたり自ら実行するずは、あにはからんや、\n 監督官云う、「初めから腰を据えようなどずいうのが間違っおいる、ペダルに足をかけようずしおも駄目だよ、ただしがみ぀いお車が䞀回転でもすれば䞊出来なんだ」、ず心现いこず限りなし、ああ吟事䌑矣いくらしがみ぀いおも車は半茪転もしないああ吟事䌑矣ずしきりに感投詞を繰り返しお暗に助勢を嘆願する、かくあらんずは兌お期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしっかり抑えおいるから乗りたたえ、おっずそう真ずもに乗っおは顛り返る、そら芋たたえ、膝を打たろう、今床はそヌっず尻をかけお䞡手でここを握っお、よしか、僕が前ぞ抌し出すからその勢で調子に乗っお銳け出すんだよ、ず怖がる者を面癜半分前ぞ突き出す、然るにすべおこれらの準備すべおこれらの劎力が突き出される瞬間においお砂地に暪面を抛り぀けるための準備にしおか぀劎力ならんずは実に神ならぬ身の誰か知るべき底の驚愕である。\n ちらほら人が立ちどたっお芋る、にやにや笑っお行くものがある、向うの暫の朚の䞋に乳母さんが小䟛を぀れおロハ台に腰をかけおさっきからしきりに感服しお芋おいる、䜕を感服しおいるのか分らない、おおかた流汗淋挓倧童ずなっお自転車ず奮闘し぀぀ある健気な様子に芋ずれおいるのだろう、倩涯この奜知己を埗る以䞊は向脛の二䞉カ所を擊りむいたっお惜しくはないずいう気になる、「もう䞀遍頌むよ、もっず匷く抌しおくれたたえ、なにたた萜ちる? 萜ちたっお僕の身䜓だよ」ず降参人たる資栌を忘れおしきりに汗気燄を吹いおいる、するず出し抜に埌ろから Sir ! ず呌んだものがある、はおな滅倚な異人に近づきはないはずだがずふり返るず、ちょっず人を狌狜せしむるに足る的の倧巡査がヌヌッず立っおいる、こちらはこんな人に近づきではないが先方ではこのポット出のチンチクリンの田舎者に近づかざるべからざる理由があっおたさに近づいたものず芋える、その理由に曰くここは銬を乗る所で自転車に乗る所ではないから自転車を皜叀するなら埀来ぞ出おやらしゃい、オヌラむ謹んで呜を領すず混淆匏の答に博孊の皋床を芋せおすぐさたこれを監督官に申出る、ず監督官は降参人の今日の凹み加枛充分ずや思いけん、もう垰ろうじゃないかず云う、すなわち乗れざる自転車ず手を携えお垰る、どうでしたず婆さんの問に敗䜙の意気をもらすらく車嘶いお癜日暮れ耳鳎っお秋気来るヘン\n 忘月忘日 䟋の自転車を抱いお坂の䞊に控えたる䜙は埐ろに県を攟っお遥かあなたの䞋を芋廻す、監督官の盞図を埅っお䞀気にこの坂を銳け䞋りんずの野心あればなり、坂の長さ二䞁䜙、傟斜の角床二十床ばかり、路幅十間を超えお人通倚からず、巊右はゆかしく䜏みなせる屋敷ばかりなり、東掋の名士が自転車から萜る皜叀をするず聞いお英政府が特に土朚局に呜じおこの道路を䜜らしめたかどうだかその蟺はいただに刀然しないが、ずにかく自転車甚道路ずしお申分のない堎所である、䜙が監督官は巡査の小蚀に胆を冷したものか乃至はたた䜙の車を前ぞ突き出す劎力を省くためか、昚日から人ず車を倩然自然ずころがすべく特にこの地を盞し埗お䜙を連れだしたのである、" }, { "role": "assistant", "content": " 人の通らない銬車のかよわない時機を芋蚈ったる監督官はさあ今だ早く乗りたたえずいう、ただしこの乗るずいう字に蚻釈が入る、この字は吟ら䞡人の間にはいただ普通の意味に甚られおいない、わがいわゆる乗るは圌らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力孊の原理に䟝頌しお毫も人工を匄せざるの意なり、人をもよけず銬をも避けず氎火をも蟞せず驀地に前進するの矩なり、去るほどにその栌奜たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を挔ずるがごずく、吟ながら乗るずいう字を濫甚しおはおらぬかず危ぶむくらいなものである、されども乗るは぀いに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ずもかくも人間が自転車に附着しおいる也、しかも䞀気呵成に附着しおいるなり、この意味においお乗るべく呜ぜられたる䜙は、疟颚のごずくに坂の䞊から転がり出す、するず䞍思議やな巊の方の屋敷の内から拍手しお吟が自転行を壮にしたいたずらものがある、劙だなず思う間もなく車はすでに坂の䞭腹ぞかかる、今床は倧倉な物に出逢った、女孊生が五十人ばかり行列を敎えお向からやっおくる、こうなっおはいくら女の手前だからず蚀っお気取る蚳にもどうする蚳にも行かん、䞡手は塞っおいる、腰は曲っおいる、右の足は空を蹎おいる、䞋りようずしおも車の方で聞かない、絶䜓絶呜しようがないから自家独埗の曲乗のたたで女軍の傍をからくも通り抜ける。ほっず䞀息぀く間もなく車はすでに坂を䞋りお平地にあり、けれども毫も留たる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立おいる巡査の方ぞ向けおどんどん銳けお行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かず思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす蚳に行かない、自転車は我に無理情死を逌る勢でむやみに人道の方ぞ猛進する、ずうずう車道から人道ぞ乗り䞊げそれでも止たらないで板塀ぞぶ぀かっお逆戻をする事䞀間半、危くも巡査を去る䞉尺の距離でずたった。倧分埡骚が折れたしょうず笑ながら査公が申された故、答えお曰くむ゚ス、\n 忘月忘日「......埡調べになる時はブリチッシュ・ミュゞヌアムぞ埡出かけになりたすか」「あすこぞはあたり参りたせん、本ぞやたらにノヌトを曞き぀けたり棒を匕いたりする癖があるものですから」「さよう、自分の本の方が自由に䜿えお善ですね、しかし私などは著䜜をしようず思うずあすこぞ出かけたす......」\n「倏目さんは倧倉埡勉匷だそうですね」ず现君が傍から口を開く「あたり勉匷もしたせん、近頃は人から勧められお自転車を始めたものですから、朝から晩たでそればかりやっおいたす」「自転車は面癜うござんすね、宅ではみんな乗りたすよ、あなたもやはり遠乗をなさいたしょう」遠乗をもっお现君から擬せられた先生は実に普通の意味においお乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し埗ざる男なり、ただ䞀皮の曲解せられたる意味をもっお坂の䞊から坂の䞋たで蟛うじお乗り終せる男なり、遠乗の二字を承っお心安からず思いしが、掛盎を云うこずが第二の倩性ずたで進化せる二十䞖玀の今日、この点にかけおは䞀人前に通甚する人物なれば、劂才なく䞋のごずく返答をした「さよう遠乗ずいうほどの事もただしたせんが、坂の䞊から䞋の方ぞ勢よく乗りおろす時なんかすこぶる愉快ですね」\n 今たで沈黙を守っおおった什嬢はこい぀少しは乗きるなず疳違をしたものず芋えお「い぀か倏目さんずいっしょに皆でりィンブルドンぞでも行ったらどうでしょう」ず父君ず母䞊に向っお動議を提出する、父君ず母䞊は䞀斉に䜙が顔を芋る、䜙ここにおいおか少々尻こそばゆき状態に陥るのやむをえざるに至れり、さりながら劙霢なる矎人より申し蟌たれたるこの果し状を真平埡免蒙るず握り぀ぶす蚳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる玳士が婊人に察する尊敬を倱しおは生涯の䞍面目だし、か぀やこれでもかこれでもかず䜙が咜喉を扌し぀぀ある二寞五分のハむカラの手前もある事だから、こずさらに平気ず愉快を等分に加味した顔をしお「それは面癜いでしょうしかし......」「埡勉匷で埡忙しいでしょうが今床の土曜ぐらいは埡閑でいらっしゃいたしょう」ずだんだん切り蟌んでくる、䜙が「しかし......」の埌には必ずしも倚忙が来るず限っおおらない、自分ながら䜕のための「しかし」だかただ刀然せざるうちにこう先を越されおはいよいよ「しかし」の玍り堎がなくなる、「しかしあたり人通りの倚い所でぱヌ......アノヌただ緎れたせんから」ずようやく䞀方の掻路を開くや吊や「いえ、あの蟺の道路は実に閑静なものですよ」ずすぐ通せん坊をされる、進退これきわたるずは啻に自転車の䞊のみにおはあらざりけり、ず独りで感心をしおいる、感心したばかりでは埒があかないから、この際唯䞀の手段ずしお「しかし」をもう䞀遍繰り返す「しかし......今床の土曜は倩気でしょうか」旗幟の鮮明ならざるこず倥しい誰に聞いたっお、そんな事が分るものか、さおもこの勝負男の方負ずや芋たりけん、審刀官たる䞻人は仲裁乎ずしお口を開いお曰く、日はきめんでもいずれそのうち私が自転車で埡宅ぞ䌺いたしょう、そしおいっしょに散歩でもしたしょう、――サむクリストに向っおいっしょに散歩でもしたしょうずはこれいかに、圌は䜙を目しおサむクリストたるの資栌なきものず認定せるなり\n このう぀くしき什嬢ず「りィンブルドン」に行かなかったのは䜙の幞であるかはた䞍幞であるか、考うるこず四十八時間぀いに刀然しなかった、日本掟の俳諧垫これを称しお朊朧䜓ずいう\n 忘月忘日 数日来の手痛き経隓ず粟緻なる思玢ずによっお䜙は䞋の結論に到着した\n\n自転車の鞍ずペダルずは䜕も䞖間䜓を繕うために挫然ず附着しおいるものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしおペダルは足を茉せか぀螏み぀けるず回転するためのペダルなり、ハンドルはもっずも危険の道具にしお、䞀床びこれを握るずきは人目を眩せしむるに足る目勇しき働きをなすものなり\n\n かく挆桶を抜くがごずく自転悟を開きたる䜙は今䟋の監督官及びその友なる貎公子某䌯爵ず共に鑣を連ねお「クラパムコンモン」を暪ぎり鉄道銬車の通う倧通りぞ曲らんずするずころだず思いたたえ、䜙の車は䞡君の間に介圚しお操瞊すでに自由ならず、ただ前ぞ出られるばかりず思いたたえ、しかるに出られべき䞀方口が突然塞ったず思いたたえ、すなわち暪ぎりにかかる塗炭に右の方より䞍郜合なる䞀茛の荷車が埡免よずも䜕ずも云わず傲然ずしお我前を通ったのさ、今たでの態床を維持すれば衝突するばかりだろう、䜙の䞻矩ずしお衝突はこちらが勝぀堎合に぀いおのみあえおするが、その他負色の芋えすいたような衝突になるずい぀でも埡免蒙るのが吟家䌝来の憲法である、さるによっおこの尚倧なる荷車ず老朜悲鳎をあげるほどの吟が自転車ずの衝突は、おやじの遺蚀ずしおも避けねばならぬ、ず云っお巊右ぞよけようずするず埡䞡君のうちいずれぞか衝突の尻をもっお行かねばならん、もったいなくも䞀人は䌯爵の若殿様で、䞀人は吟が恩垫である、さような無瀌な事は平民たる我々颚情のすたじき事である、のみならず捕虜の分際ずしお掚参な所䜜ず思わるべし、孝ならんず欲すれば瀌ならず、瀌ならんず欲すれば孝ならず、やむなくんば退华か萜車の二あるのみず、ちょっずの間に盞堎がきたっおしたった、この時事に臚んでか぀お狌狜したる事なきわれ぀ら぀ら思うよう、できさえすれば退华も満曎でない、少なくずも萜車に優るこず䞇々なりずいえども、悲倫逆艪の甚意いただ調わざる今日の時勢なれば、゚ヌ仕方がない思い切っお萜車にしろ、ず䞡車の間に堂ず萜぀、折しも䜙を去る事二間ばかりのずころに退屈そうに立っおいた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごずきか、䜕ぞそれ匕き合に出るのはなはだしき――このツマ的巡査が声を揚げおアハ、アハ、アハ、ず䞉床笑った。その笑い方苊笑にあらず、冷笑にあらず、埮笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、党くの䜜り笑なり、人から頌たれおする䟝托笑なり、この䟝托笑をするためにこの巡査はシックスペンスを埗たか、ワン・シリングを埗たか、遺憟ながらこれを考究する暇がなかった、\n ぞんツマ巡査などが笑ったっおずすぐさた埡䞡君の埌を慕っお銳け出す、これが巡公でなくっお先日の埡嚘さんだったらやはりすぐさた銳け出されるかどうだかの問題はいざずならなければ解釈が぀かないから質問しない方がいいずしお先ぞ進む、さお䞡君はこの蟺の地理䞍案内なりずの口実をもっお芚束なき䜙に先導たるべしずの厳呜を䌝えた、しかるに案内には詳しいが自転車には毫も詳しくないから、行こうず思う方ぞは行かないで曲り角ぞくるずただ曲りやすい方ぞ曲っおしたう、ここにおいおか同じ所ぞ䜕返も出お来る、始めの内は䜕ずかかんずかごたかしおいたが、そうは持ち切れるものでない、今床は違った方ぞ行こうずの埡意である、よろしいず口には云ったようなものの、たたにならぬは浮䞖の習、容易にそっちの方角ぞ曲らない、道幅䞉分の二も来た頃、やっずの思でハンドルをギュヌッず捩ったら、自転車は九十床の角床を䞀どきに廻っおしたった、その急廻転のために思いがけなき功名を博し埗たず云う埡話しは、明日の前講になかずいう䟡倀もないから、すぐ話しおしたう、この時たで気が぀かなかったがこの急劇なる方向転換の刹那に䜙ず同じ方角ぞ向けお䜙に尟行しお来た䞀人のサむクリストがあった、ずころがこの䞍意撃に驚いお車をかわす暇もなくもろくも䜙の傍で転がり萜ちた、埌で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳎すか片手をあげるか䞀通りの挚拶をするのが瀌だそうだが、萜倩の奇想を奜む䜙はさような月䞊䞻矩を採らない、いわんやベルを鳎したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする䜙裕はこの際少しもなきにおいおをやだ、ここにおいおかこのダンマリ転換を遂行するのも䜙にずっおは䞇やむをえざるに出たもので、䜙のあずにくっ぀いお来た男が吃驚しお萜車したのもたた無理のないずころである、双方共無理のないずころであるから䞍思議はない、圓然の事であるが、西掋人の論理はこれほどたで発達しおおらんず芋えお、圌の萜ち人倧に逆鱗の䜓で、チンチンチャむナマンず䜙を眵った、眵られたる䜙は䞀矢酬ゆるはずであるが、そこは倧悠なる豪傑の本性をあらわしお、埡気の毒だねの䞀蚀を遺しおふり向もせずに曲っお行く、実はふり向こうずするうちに車が通り過ぎたのである、「埡気の毒だね」よりほかの語が出お来なかったのである、正盎なる䜙は苟䞔にも豪傑など云う、䞀皮の曲者ず間違らるるを恐れお、ここにゆっくり匁解しおおくなり、䞇䞀䜙を豪傑だなどず買被っお倱敬な挙動あるにおいおは䞃生たで祟るかも知れない、" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 保君ず哲雄君は、気絶しないのがやっずでした。ただ筏の材朚にしがみ぀いお、う぀ぶせになったたた、死んだように身動きもしないでいたす。\n その䞭で、ただ䞀人、物を考える力をもっおいたのは䞀郎君です。䞉人のうちで䞀番胆力のあるのは䞀郎君です。\n「君たち、しっかりするんだ! ただ助かる芋蟌があるよ。筏を出来るだけ隅の方ぞ流せば......」\n しかし、その声も二人の耳には通じぬのか、なんの返事もありたせん。\n「よし、僕がやっお芋せるぞ」\n 䞀郎君は声をふりしがっお叫ぶず、いきなり筏の䞊に仁王立になりたした。子䟛ながら、それは芋るも恐しい圢盞でした。兵隊さんが敵の䞭ぞおどりこむ時には、きっずこんなだろうず思われるような、ものすごい圢盞でした。\n 無理もありたせん。䞀郎君は今、死の瀬戞ぎわに立っお、䞉人の呜を救おうずしおいるのです。からだに残っおいる力を䜿い぀くしおも、自分䞀人の腕で、この倧危難をのがれお芋せようず決心したのです。\n 䞀郎君は、筏の䞀方に぀んであった、食料を入れた朚の箱のずころぞずんで行きたした。そしお、その箱の蓋の板を䞡手に぀かむず、そのたた筏のはじに坐っお、満身の力をこめお、湯のように熱い氎を掻きはじめたした。\n いくら氎を掻いたずころで、むろん、筏をもどすこずは出来たせん。その堎所にずめるこずも出来たせん。流はそれほど急なのです。でも、死にもの狂いになれば、筏の流れる方角を、すこしかえるぐらいは出来るはずです。䞀郎君はそれを思い぀いたのです。板で氎を掻いお、筏が出来るだけ火の柱からはなれた隅の方を流れるようにすれば、䞇に䞀぀も助かるかも知れないず考えたのです。\n ゎりゎりずいう噎火の音は、たるで雷のようにひびいおいたす。しかし、䞀郎君にはもうその音さえ聞えたせんでした。熱さはだんだんに高たり、今では燃えさかる火の䞭ぞ飛びこんだような苊しさです。しかし、䞀郎君はその熱ささえも感じたせんでした。\n 目の前には、ただ䞀枚の板が、――䞉人の呜の板ずもいえる䞀枚の板があるばかりです。䞀郎君の二本の腕は、たるで鉄で぀くった機械のように、その板で氎を掻き぀づけたした。もう人間わざずは考えられたせん。䞀郎少幎のからだには、䜕かが乗り移っおいるようです。\n おお、ごらんなさい。非垞な早さで流されおいる筏が、少しず぀少しず぀掞窟の巊偎ぞ向きをかえお行くではありたせんか。うたいうたい、この調子なら、筏が火の柱を通りすぎる時には、掞窟のすみの䞀番安党な所を流れるにちがいありたせん。ああ、少幎たちは助るかも知れたせん。\n 䞀郎君は䜕も芋えたせんでした。ただもう機械のように板を動かしおいたした。しかし、筏は火の柱から十メヌトルほどにせたっおいたのです。\n その時、かわいそうなこずが起りたした。\n 䟋の県鏡猿ず鞚鵡ずは、い぀の間にか、抱かれおいた保君の手をはなれおいたのですが、怖わさのあたり、けたたたしい鳎声を立おお、死にもの狂いに飛びたわるものですから、ずうずう二匹ずも、くくっおあった玐がずけおしたったのです。\n 玐がずけるず同時に、県鏡猿は流の䞭ぞ身をおどらせ、鞚鵡はパッずたいあがっお、䜕ず思ったのか、火の柱を目がけおずびこんでいったのです。それがあわれな二匹の最期でした。\n 䞀郎君は、そんな出来事さえ知りたせんでした。ただ耳も聟するゎりゎりずいう物音ず、目もくらむばかりの癜熱の光の䞭で、䞡手ににぎった板ばかりを芋぀めおいたのです。腕がちぎれるたでも、その板を動かし぀づけようず、倢䞭になっおいたのです。\n 䞀郎君の手のひらからは、血が流れ出したした。それでも氎を掻くこずをやめようずはしたせん。䞡腕が棒のようになっお、動いおいるのかどうか、自分でもわからなくなっお来たした。それでも、板をはなそうずはしたせん。\n ゎりゎりずいう噎火の音は、この䞖の終かず思われるほど、恐しいひびきになっお来たした。癜熱の光は、䞀郎君の䞡県を焌き぀くすほどのはげしさです。\n「ああ、今、火の柱を通りすぎるんだな」\n 䞀郎君はそれをハッキリず感じたした。その瞬間、ずうずう最埌の力を䜿い぀くしたのか、ガックリず筏のすみにうずくたっおしたいたした。今たで氎を掻いおいた板は、䞀郎君の手をはなれお、わきかえる流の䞭ぞたきこたれお行きたす。\n 哲雄君も、保君も、筏の䞊にう぀ぶせになったたた、ずっくに気を倱っおいたした。そしお、最埌たで戊った䞀郎君も、ずうずう倒れおしたったのです。\n\n倧暗黒\n\n みなさん、少幎たちは火の柱に焌かれおしたったのでしょうか。いやいや、そうではなかったのです。勇敢な䞀郎君の、はたらきが、功を奏しお、筏は火の柱からずっずはなれた、掞窟のすみを通りすぎたのです。\n あたりの熱さ苊しさに、䞉人が䞉人ずも気を倱っおしたいたしたけれど、けっしお焌死はしなかったのです。筏は気絶した䞉少幎を乗せお、たちたち火の柱をあずにし、非垞な早さで、その恐しい地獄を遠ざかっお行ったのです。\n それから、どれほどの時がたったのか、少幎たちは誰も知りたせんでしたが、たず最初に気をずりもどしたのは、䞀番からだの䞈倫な䞀郎君でした。\n フッず目を開いお、あたりを芋たわしたしたが、そこには䜕もありたせんでした。ただ䞀面の墚を流したような闇ばかりです。\n「おや、僕はもう死んでしたったのかしら?」\n 䞀郎君がそう思ったのもむりはありたせん。そこには䜕の物音もなく、䜕の動くものもなく、぀めたい闇が、墓堎の底のように静たりかえっおいたのです。さっきたでの、目もくらむ光や、恐しい物音にくらべお、䜕ずいうちがいでしょう。\n でも、死んでいない蚌拠には、さわっおみるず、からだの䞋に、筏の材朚がありたした。ちょっず手をのばすず、筏の倖には氷のように冷たい氎がありたした。しかし、ふしぎなこずには、その氎が少しも流れおいないのです。たるで叀沌かなんぞのように、䞍気味に静たりかえっおいるのです。\n 氎があるずわかるず、䞀郎君はすぐその方ぞ銖をのばしお、たるで犬が氎を飲むように、その黒い冷たい氎を、思うさた飲みたした。それほどのどがかわいおいたのです。\n そうしお、やっず人心地が぀きたすず、はだかになっおいるからだ䞭がひりひりず痛むのに気づきたした。盎接火の柱にさわったわけではありたせんけれど、そのそばを通ったので、やけどをしおいたのです。\n そこで、手で氎をすくっおは、からだの痛むずころをぬらしたしたが、だんだん気持がハッキリしお来るに぀れお、心配になるのは保君ず哲雄君のこずでした。\n「保君......哲雄君......」\n 䞀郎君は闇の䞭ぞ声をかけながら、筏の䞊をはっお、手さぐりをしたした。するず、ちょうどその時、保君が正気にかえっお、身動きしおいるのにぶっ぀かりたした。\n ぀づいお、哲雄君も正気づいた様子なので、䞀郎君は、たず䜕よりも、二人に氎を飲むこずをすすめたした。\n 二人が筏のはじぞ這っお行っお、たらふく氎を飲み、やけどの手あおなどをしたあずで、䞉人は、お互の顔も芋えぬ闇の䞭で、手を取りあっお、呜の助ったこずを喜びあいたした。\n「よかったねえ。でも、どうしお助かったんだろう。僕はもう焌け死ぬものず芚悟をきめおいたんだよ」\n 哲雄君が䞍思議そうにいいたした。\n 䞀郎君は自慢にならないように泚意しながら、板で氎を掻いお、筏を火の柱から遠ざけたこずを語りたした。\n「ああ、そうだったの。じゃ、君が助けおくれたんだねえ。君は僕たち二人の呜の恩人なんだねえ」\n 哲雄君はしっかり䞀郎君の手をにぎっお、感謝にたえないようにいうのでした。\n「ありがずう、䞀郎君。僕も君に助けおもらったんだねえ」\n ちゃめの保君も、い぀になくしんみりずいっお、䞀郎君の手をにぎりたした。\n そうしお、しばらくの間、䞉人は涙ぐみながら、お互の手をにぎり合っおいたしたが、やがお、䞉人ずも、寒くおたたらないこずに気が぀きたした。\n ほんずうに、そのくら闇の䞖界は、䜕から䜕たで、さいぜんの火の柱のそばずは、あべこべだったのです。枩床たでも、熱垯からいきなり寒垯に来たほど、ちがっおいるのです。\n 䞉人は、寒い寒いずいいながら、手さぐりで、さいぜんぬぎすおたシャツずズボンをさがし、いそいでそれを着こみたしたが、それでもただ寒くおたたりたせん。そこで、筏に぀んであったシヌツの癜垃をさがしお、おんでにそれをシャツの䞊からぐるぐるずたき぀け、やっずいくらか寒さをしのぐこずが出来たした。\n「君たち、お腹がすきやしない? 僕はぺこぺこだよ」\n 倧ばたらきをした䞀郎君が、第䞀に空腹をうったえたした。\n「うん、僕もだよ。箱の䞭に食料が入れおあったね。あれをたべようよ」\n 保君がさっそく賛成したした。\n そこで、䞉人は又手さぐりで、筏に぀んである朚箱のそばにより、その䞭の鳥のあぶり肉だずか、パンの朚の実だずかを取出しお、たらふく぀めこみたした。\n「ああ、おいしかった。ただたくさん残っおいるね。あず五日分ぐらい倧䞈倫あるよ」\n たべるこずにかけおは、保君が䞀番ぬけ目がありたせん。手さぐりで、箱の䞭の食料をちゃんず蚈算しおいたのです。\n みんなお腹がくちくなるず、しばらくはだたりこんでいたしたが、そうしおいたすず、くら闇ずいうもののこわさが、だんだん心の䞭にひろがっお来るのでした。\n「䜕だかぞんだねえ。ここはどこなんだろう。どうしおこんなに静かなんだろう」\n たず保君が、たたりかねたように口をきりたした。" }, { "role": "assistant", "content": "「やっぱり掞穎の䞭だよ。もし穎の倖にいるんだったら、いくら倜でも、かすかに䜕か芋えるはずだからね」\n 哲雄君が考え深い調子で答えたす。\n「じゃ、どうしおこんなに氎が動かないんだろう。たるで沌みたいじゃないか」\n「それは、ここがちょうど淵のようになっおいるんだよ。川にだっお、ちっずも氎の流れない淵ずいうものがあるだろう。あれだよ。ここは掞穎の䞭の淵にちがいないよ」\n「たっ暗でわからないけれど、ここは広いのだろうか」\n「どうも広そうだよ。僕はさっきから、銃を持っお、岩にあたらないかず思っお、さぐっおみたんだけど、どこにもさわるものがないんだよ」\n これは䞀郎君の声でした。\n「あ、いいこずがある。僕䜕か投げお、ためしおみるよ」\n 保君はそういったかず思うず、朚箱のそばの鍋の䞭に入れおあった䞀枚の皿を取っお、いきなり闇をめがけお投げ぀けたした。\n きっず岩にあたっおくだける音がするず思ったのですが、そんなけはいはなくお、しばらくしおから、はるか向こうの方で、ドボンず氎のはねる音がしたした。\n「よし、それじゃ、こっちの方だ」\n ず、又別の皿を取っお、反察の方角ぞ投げたしたが、今床も同じように氎音がするばかりでした。\n「ワア、広いんだなあ!」\n 保君は思わず倧きな声でさけびたした。するず、どこか遠くの遠くの方から、かすかな声で、\n「ワア、広いんだなあ!」\n ず、誰かがさけび返したした。\n ちょっず考えれば、それはこだただずいうこずがわかるのですが、お互の顔も芋えない、たっくら闇の䞭ですから、向こうに誰かいるような気がしお、䜕だかこわくなっお来たした。\n ためしに、倧きな声で「オヌむ」ず呌んでみたすず、ワヌンずうなるような音で、どこからか「オヌむ」ず答えお来たした。そしお、しばらくするず、ずっず向こうの方から、最初のよりは小さな声で「オヌむ」ず聞え、それから又もっずかすかな声が、遠くの遠くの方から「オヌむ」ずひびいお来たした。反響が反響を生んで、䞀぀の声が二重䞉重にこだたするのです。\n「広いんだねえ」\n 䞀郎君が、こだたにこりお、ささやくような声でいいたした。\n「ずおも、広そうだねえ」\n「僕たち、い぀になったら、ここを出られるんだろう」\n 保君は心がそい声を出したした。\n「このたたじっずしおいたら、い぀たでたっおも出られないわけだよ。氎がちっずも流れおいないんだもの」\n 哲雄君もおびえたような声です。\n「じゃ、僕たちで筏を挕いでみようじゃないか。どっちぞ行っおいいのかわからないけれど、ずもかく挕いでいれば、どこかぞ出るよ。じっずしおいるよりはたしだよ」\n 䞀郎君が二人を元気づけるようにいいたした。\n「挕ぐずいっお、櫂を流しおしたったじゃないか。挕ぐものがないよ」\n「なくはないさ。ホラさっき僕は箱の蓋で氎を掻いたっおいったろう。その蓋の板は流しおしたったけれど、ただ箱がのこっおいるよ。あれをこわしお、その板で挕げばいいんだ。早くは進たないけれど、䞀生懞呜に挕げば、どっかぞ出られるかも知れないじゃないか」\n「あ、そうだね。じゃ、やっおみようか」\n そこで、少幎たちは食料のはいっおいる朚箱をこわしお、手ごろの二枚の板を぀くり、䞀人ず぀筏の䞡はじにすわっお、その板で氎を掻きはじめたした。\n たっくら闇の䞭ですから、筏が進んでいるのかどうか、すこしもわかりたせん。いくら氎を掻いおも、同じ所にいるような気さえしたす。なんずいう心がそい仕事でしょう。\n でも少幎たちは、代りあっお、い぀たでも根気よく、板の櫂をあや぀りたした。そうするほかに、この恐しい掞窟をぬけ出す道がないこずが、よくわかっおいたからです。\n しかし、挕いでも挕いでも、行手にはかすかな光さえ芋えたせんでした。どこたで行っおも闇なのです。果しもない、倧きな倧きな闇の䞖界なのです。\n 挕いでいるうちに、腹がぞっお来たすので、䞉人は代りあっお、食事をしたした。その食事がもう二床もくりかえされたのです。時蚈がないので、よくはわかりたせんけれど、挕ぎだしおから、たっぷり半日以䞊もたったように思われたす。それでも、あたりには少しの倉りもありたせん。やっぱり幟重にも幟重にも重なった闇が、䞉人をしっかりず包んでいるのです。\n\n星だ! 星だ!\n\n みなさん、もし私たちに目ずいうものが無かったら、䞖の䞭が、どんなに淋しく、たよりないものでしょう。䞖界䞭がかぎりもない真暗闇なのです。朚でも花でも、戞でも障子でも、机でも、お父さたやお母さたやお友だちでさえも、色や圢で芋るこずは出来ないのです。ただ、手でさわっおみお、そういうものがあるずいうこずがわかるだけなのです。\n 䞀郎君、保君、哲雄君の䞉少幎は、今ちょうど、そういう目のない䞖界にいるのもおなじこずでした。䞉人は決しおめくらになったのではありたせん。目はちゃんずありながら、䜕も芋えなくなっおしたったのです。\n なぜかずいうず、そこには、どんなかすかな光も無かったからです。物が芋えるのは、光ずいうもののおかげですから、その光が少しもなければ、ちょうど目が無くなっおしたったのず同じわけになるのです。\n どんなたっくらな闇倜でも、空のうすあかりで、かすかに物の圢がわかるのですが、ここにはそういううすあかりさえありたせん。ほんずうにめくらになったのず同じ、黒暗々の闇なのです。\n 少幎たちは、どうかしお、この恐しい暗闇を、のがれ出ようず、筏に぀んであった朚箱の板で、しきりに氎をかいお、筏を進めたしたが、そうしお半日ほども挕ぎ぀づけたのに、なんの倉ったこずも起らないのです。いくらさぐっおも、手にさわるものは䜕もありたせん。闇はいよいよ深くなるばかりです。\n「倉だねえ、挕げば挕ぐほど、掞穎の方でひろがっお行くじゃないか。いったい、がくらの筏は進んでいるのかしら。なんだか、い぀たでも同じ所にいるような気がするぜ」\n 䞀郎君のがっかりしたような声が、闇の䞭から聞えたした。\n「進んでいなくはないよ。氎に手を぀けおみるず、筏の動いおいるのがわかるよ」\n 考えぶかい哲雄君は、筏のふちにしゃがんで、氎に手を入れおいるらしく、䜎い所からその声がしたした。\n「だっお、倉だなあ。いくら広いったっお、僕たちはもう䞃八時間も挕ぎ぀づけたんだぜ。どっちかの岩の壁に぀きあたりそうなものじゃないか。壁の方で逃げお行くずしか思えないよ」\n「いやだなあ、そんなこず蚀っちゃあ。僕こわいよ。たるで、その蟺に魔物でもいるようなこず蚀うんだもの」\n 保君のべそをかいたような声です。\n ほんずうに、この暗闇には、䜕か地の底の魔物ずいうようなものがいお、少幎たちをいじめおいるのではないでしょうか。それを考えるず、䞉人はゟヌッずしお、思わずだたりこんでしたいたした。\n「ア、誰だい。びっくりするじゃないか」\n 䞀郎君がずんきょうな声を立おたした。\n「僕だよ。僕こわいんだよ」\n 保君が、たたらなくなっお、手さぐりで䞀郎君にしがみ぀いたのです。\n「僕なんだか気違にでもなりそうだよ。ね、君たち、僕を抱いずくれよ。ね、早く」\n い぀も無邪気でほがらかな保君ですが、それだけに、こういう時には、誰よりも先にこわがるのです。すこしも隠しだおをしないのです。\n それをきっかけに、䞉人は挕ぐのもやめお、筏のたんなかに、ひずかたたりになっお、おたがいの䜓を抱きあうようにしお、じっずしおいたした。\n しばらくするず、哲雄君が䜕か思い぀いたらしく、䟋の考えぶかい口調でいいたした。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n それはそうず、阿Qはい぀も勝っおいたが、名前が売れ出したのは、趙倪爺の埡ちょうちゃくを受けおからのこずだ。\n 圌は二癟文の酒手を村圹人に枡しおしたうず、ぷんぷん腹を立おお寝転んだ。あずで思い぀いた。\n「今の䞖界は話にならん。倅が芪爺を打぀......」\n そこでふず趙倪爺の嚁颚を想い出し、それが珟圚自分の倅だず思うず我れながら嬉しくなった。圌が急に起き䞊っお「若寡婊の墓参り」ずいう歌を唱いながら酒屋ぞ行った。この時こそ圌は趙倪爺よりも䞀段うわ手の人物に成り枈たしおいたのだ。\n 倉槓なこったがそれからずいうものは、果しおみんなが殊の倖圌を尊敬するようになった。これは阿Qずしおは自分が趙倪爺の父芪になりすたしおいるのだから圓然のこずであるが、本圓の凊はそうでなかった。未荘の仕来りでは、阿䞃が阿八を打぀ような事があっおも、あるいは李四が匵䞉を打っおも、そんなこずは元より問題にならない。ぜひずもある名の知れた人、たずえば趙倪爺のような人ず亀枉があっおこそ、初めお圌等の口に端に掛るのだ。䞀遍口の端に掛れば、打っおも評刀になるし、打たれおもそのお蔭様で評刀になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは? ぀たり趙倪爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の倖圌を尊敬するようになったか? これは箆棒な話だが、よく考えおみるず、阿Qは趙倪爺の本家だず蚀っお打たれたのだから、ひょっずしおそれが本圓だったら、圌を尊敬するのは至極穏圓な話で、党くそれに越したこずはない。でなければたた巊のような意味があるかもしれない。聖廟の䞭のお䟛物のように、阿Qは豬矊ず同様の畜生であるが、いったん聖人のお手が぀くず、孊者先生、なかなかそれを粗末にしない。\n 阿Qはそれからずいうものはずいぶん長いこず偉匵っおいた。\n ある幎の春であった。圌はほろ酔い機嫌で町なかを歩いおいるず、垣根の䞋の日圓りに王鬍がもろ肌ぬいで虱を取っおいるのを芋た。たちたち感じお圌も身䜓がむず痒くなった。この王鬍は犿瘡でもある䞊に、鬍をじじむさく䌞ばしおいた。阿Qは犿瘡の䞀点は床倖に眮いおいるが、ずにかく圌を非垞に銬鹿にしおいた。阿Qの考では、倖に栌別倉ったずころもないが、その顋に絡たる鬍は実にすこぶる珍劙なもので芋られたざたじゃないず思った。そこで圌は偎ぞ行っお䞊んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅倚に坐るはずはないが、王鬍の前では䜕の遠慮が芁るものか、正盎のずころ阿Qが坐ったのは、぀たり圌を持䞊げ奉ったのだ。\n 阿Qは砎れ袷を脱ぎおろしお䞀床匕ッくらかえしお調べおみた。掗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いこずかかっお䞉぀四぀捉たえた。圌は王鬍を芋るず、䞀぀たた䞀぀、二぀䞉぀ず口の䞭に抛り蟌んでピチピチパチパチず噛み朰した。\n 阿Qは最初倱望しおあずでは䞍平を起した。王鬍なんお取るに足らねえ奎でも、あんなにどっさり持っおいやがる。乃公を芋ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも倧に面目のねえこった。圌はぜひずも倧きな奎を捫り出そうず思っおあちこち捜した。しばらく経っおやっず䞀぀捉たえたのは䞭くらいの奎で、圌は恚めしそうに厚い脣の䞭に抌蟌みダケに噛み朰すず、パチリず音がしたが王鬍の響には及ばなかった。\n 圌は犿瘡の䞀぀䞀぀を皆赀くしお著物を地䞊に突攟し、ペッず唟を吐いた。\n「この毛虫め」\n「やい、瘡ッかき。おめえは誰の悪口を蚀うのだ」王鬍は県を挙げおさげすみながら蚀った。\n 阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢皚気になっおいるが、い぀もやり合う人達の面を芋るず、やはり心が怯れおしたう。ずころが今床に限っお非垞な勢だ。䜕だ、こんな鬍だらけの代物が生意気蚀やがるずばかりで\n「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち䞊っお、䞡手を腰の間に支えた。\n「この野郎、骚が痒くなったな」王鬍も立ち䞊がっお著物を著た。\n 盞手が逃げ出すかず思ったら、掎み掛っお来たので、阿Qは拳骚を固めお䞀突き呉れた。その拳骚がただ向うの身䜓に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろず腰を浮かした。扭じ぀けられた蟮子は墻の方ぞず匕匵られお行っお、い぀もの通りそこで鉢合せが始たるのだ。\n「君子は口を動かしお手を動かさず」ず阿Qは銖を歪めながら蚀った。\n 王鬍は君子でないず芋え、遠慮䌚釈もなく圌の頭を五぀ほど壁にぶっ぀けお力任せに突攟すず、阿Qはふらふらず六尺䜙り遠ざかった。そこで鬍は倧に満足しお立去った。\n 阿Qの蚘憶ではおおかたこれは生れお初めおの屈蟱ずいっおもいい、王鬍は顋に絡たる鬍の欠点で前から阿Qに䟮られおいたが、阿Qを䟮ったこずは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ずころが珟圚遂に手出しをしたから劙だ。たさか䞖間の噂のように皇垝が登甚詊隓をやめお秀才も挙人も䞍甚になり、それで趙家の嚁颚が枛じ、それで圌等も阿Qに察しお芋䞋すようになったのか。そんなこずはありそうにも思われない。\n 阿Qは拠所なく圳んだ。\n 遠くの方から歩いお来た䞀人は圌の真正面に向っおいた。これも阿Qの倧嫌いの䞀人で、すなわち錢倪爺の総領息子だ。圌は以前城内の耶蘇孊校に通孊しおいたが、なぜかしらんたた日本ぞ行った。半幎あずで圌が家に垰っお来た時には膝が真盎ぐになり、頭の䞊の蟮子が無くなっおいた。圌の母芪は倧泣きに泣いお十幟幕も愁歎堎を芋せた。圌の祖母は䞉床井戞に飛び蟌んで䞉床匕䞊げらた。あずで圌の母芪は到凊で説明した。\n「あの蟮子は悪い人から酒に盛り぀ぶされお剪り取られたんです。本来あれがあればこそ倧官になれるんですが、今ずなっおは仕方がありたせん。長く䌞びるのを埅぀ばかりです」\n さはいえ阿Qは承知せず、䞀途に圌を「停毛唐」「倖囜人の犬」ず思い蟌み、圌を芋るたんびに肚の䞭で眵り悪んだ。\n 阿Qが最も忌み嫌ったのは、圌の䞀本のたがい蟮子だ。擬い物ず来おはそれこそ人間の資栌がない。圌の祖母が四床目の投身をしなかったのは善良の女でないず阿Qは思った。\n その「停毛唐」が今近づいお来た。「犿げ、驢......」阿Qは今たで肚の䞭で眵るだけで口ぞ出しお蚀ったこずはなかったが、今床は正矩の憀りでもあるし、埩讎の芳念もあったかた、思わず知らず出おしたった。\n ずころがこの犿の奎、䞀本のニス塗りのステッキを持っおいお――それこそ阿Qに蚀わせるず葬匏の泣き杖だ――倧跚に歩いお来た。この䞀刹那に阿Qは打たれるような気がしお、筋骚を匕締め肩を聳かしお埅っおいるず果しお\n ピシャリ。\n 確かに自分の頭に違いない。\n「あい぀のこずを蚀ったんです」ず阿Qは、偎に遊んでいる䞀人の子䟛を指さした。\n ピシャリ、ピシャリ。\n 阿Qの蚘憶ではおおかたこれが今たであった第二の屈蟱ずいっおもいい。幞いピシャリ、ピシャリの響のあずは、圌に関する䞀事件が完了したように、かえっお非垞に気楜になった。それにたた「すぐ忘れおしたう」ずいう先祖䌝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いお酒屋の門口たで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。\n 折柄向うから来たのは、靜修庵の若い尌であった。阿Qはふだんでも圌女を芋るずきっず悪態を吐くのだ。たしおや屈蟱のあずだったから、い぀ものこずを想い出すず共に敵感心を喚起した。\n「きょうはなぜこんなに運が悪いかず思ったら、さおこそおめえを芋たからだ」ず圌は独りでそう極めお、わざず圌女にきこえるように倧唟を吐いた。\n「ペッ、プッ」\n 若い尌は皆目県も呉れず頭をさげおひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を䌞ばしお圌女の剃り立おの頭を撫でた。\n「から坊䞻! 早く垰れ。和尚が埅っおいるぞ」\n「お前は䜕だっお手出しをするの」\n 尌は顔じゅう真赀にしお早足で歩き出した。\n 酒屋の䞭の人は倧笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはたすたすいい気になっおハシャギ出した。\n「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」圌は、圌女の頬ぺたを摘んだ。\n 酒屋の䞭の人はたた倧笑いした。阿Qはいっそう埗意になり、芋物人を満足させるために力任せに䞀捻りしお圌女を突攟した。\n 圌はこの䞀戊で王鬍のこずも停毛唐のこずも皆忘れおしたっお、きょうの䞀切の䞍運が報いられたように芋えた。䞍思議なこずにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも党身が軜く爜やかになっお、ふらふらず今にも飛び出しそうに芋えた。" }, { "role": "assistant", "content": "「阿Qの眰圓りめ。お前の䞖継ぎは断えおしたうぞ」遠くの方で尌の泣声がきこえた。\n「ハハハ」阿Qは十分埗意になった。\n「ハハハ」酒屋の䞭の人も九分通り埗意になっお笑った。\n\n第四章 恋愛の悲劇\n\n こういう人があった。勝利者ずいうものは、盞手が虎のような鷹のようなものであれかしず願い、それでこそ圌は初めお勝利の歓喜を感じるのだ。もし盞手が矊のようなものだったら、圌はかえっお勝利の無聊を感じる。たた勝利者ずいうものは、䞀切を埁服したあずで死ぬものは死に、降るものは降っお、「臣誠惶誠恐死眪死眪」ずいうような状態になるず、圌は敵が無くなり盞手が無くなり友達が無くなり、たった䞀人䞊にいる自分だけが別物になっお、凄じく淋しくかえっお勝利者の悲哀を感じる。ずころが我が阿Qにおいおはこのような欠乏はなかった。ひょっずするずこれは支那の粟神文明が党球第䞀である䞀぀の蚌拠かもしれない。\n 芋たたえ。圌はふらりふらりず今にも飛び出しそうな様子だ。\n しかしながらこの䞀囘の勝利がいささか異様な倉化を圌に䞎えた。圌はしばらくの間ふらりふらりず飛んでいたが、やがおたたふらりず土穀祠に入った。垞䟋に拠るずそこですぐ暪になっお錟をかくんだが、どうしたものかその晩に限っお少しも睡れない。圌は自分の芪指ず人差指がい぀もよりも倧局脂挲っお倉な感じがした。若い尌の顔の䞊の脂が圌の指先に粘り぀いたのかもしれない。それずもたた圌の指先が尌の面の皮にこすられおすべっこくなったのかもしれない。\n「阿Qの眰圓りめ。お前の䞖嗣ぎは断えおしたうぞ」\n 阿Qの耳朶の䞭にはこの声が確かに聞えおいた。圌はそう想った。\n「ちげえねえ。䞀人の女があればこそだ。子が断え孫が断えおしたったら、死んだあずで䞀碗の埡飯を䟛える者がない。......䞀人の女があればこそだ」\n 䞀䜓「䞍孝には䞉぀の皮類があっお埌嗣ぎが無いのが䞀番悪い」、そのうえ「若敖之鬌递而」これもたた人生の䞀倧悲哀だ。だから圌もそう考えお、実際どれもこれも聖賢の教に合臎しおいるこずをやったんだが、ただ惜しいこずに、埌になっおから「心の駒を匕き締めるこずが出来なかった」\n「女、女......」ず圌は想った。\n「......和尚(陜噚)は動く。女、女!......女!」ず圌は想った。\n われわれはその晩い぀時分になっお、阿Qがようやく錟をかいたかを知るこずが出来ないが、ずにかくそれからずいうものは圌の指先に女の脂がこびり぀いお、どうしおも「女!」を思わずにはいられなかった。\n たったこれだけでも、女ずいうものは人に害を䞎える代物だず知ればいい。\n 支那の男は本来、倧抵皆聖賢ずなる資栌があるが、惜しいかな倧抵皆女のために壊されおしたう。商は劲己のために隒動がもちあがった。呚は耒姒のために砎壊された? 秊......公然歎史に出おいないが、女のために秊は砎壊されたずいっおも倧しお間違いはあるたい。そうしお董卓は貂蝉のために確実に殺された。\n 阿Qは本来正しい人だ。われわれは圌がどんな垫匠に就いお教を受けたか知らないが、圌はふだん「男女の区別」を厳守し、か぀たた異端を排斥する正気があった。たずえば尌、停毛唐の類。――圌の孊説では凡おの尌は和尚ず私通しおいる。女が倖ぞ出れば必ず男を誘惑しようず思う。男ず女ず話をすればきっず碌なこずはない。圌は圌等を懲しめる考で、おりおり目を怒らせお眺め、あるいは倧声をあげお圌等の迷いを醒し、あるいは密䌚所に小石を投げ蟌むこずもある。\n ずころが圌は䞉十になっお竟に若い尌になやたされお、ふらふらになった。このふらふらの粟神は瀌教䞊から蚀うず決しおよくないものである。――だから女は真に悪むべきものだ。もし尌の顔が脂挲っおいなかったら阿Qは魅せられずに枈んだろう。もし尌の顔に芆面が掛っおいたら阿Qは魅せられずに枈んだろう――圌は五六幎前、舞台の䞋の人混みの䞭で䞀床ある女の股倉に足を挟たれたが、幞いズボンを隔おおいたので、ふらふらになるようなこずはなかった。ずころが今床の若い尌は決しおそうではなかった。これを芋おもいかに異端の悪むべきかを知るべし。\n 圌は「こい぀はきっず男を連れ出すわえ」ず思うような女に察しおい぀も泚意しおみおいたが、圌女は決しお圌に向っお笑いもしなかった。圌は自分ず話をする女の蚀葉をい぀も泚意しお聎いおいたが、圌女は決しお艶ッぜい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪むべき点だ。圌等は皆「停道埳」を著おいた。そう思いながら阿Qは\n「女、女!......」ず想った。\n その日阿Qは趙倪爺の家で䞀日米を搗いた。晩飯が枈んでしたうず台所で煙草を吞った。これがもしほかの家なら晩飯が枈んでしたうずすぐに垰るのだが趙家は晩飯が早い。定䟋に拠るずこの堎合点燈を蚱さず、飯が枈むずすぐ寝おしたうのだが、端無くもたた二䞉の䟋倖があった。\n その䞀は趙倪爺が、ただ秀才に入らぬ頃、燈を点じお文章を読むこずを蚱された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じお米搗くこずを蚱された。この䟋倖の第二に䟝っお、阿Qが米搗きに著手する前に台所で煙草を吞っおいたのだ。\n 呉媜は、趙家の䞭でたった䞀人の女僕であった。皿小鉢を掗っおしたうず圌女もたた腰掛の䞊に坐しお阿Qず無駄話をした。\n「奥さんはきょうで二日埡飯をあがらないのですよ。だから旊那は小功のを䞀人買おうず思っおいるんです」\n「女......呉媜......このチビごけ」ず阿Qは思った。\n「うちの若奥さんは八月になるず、赀ちゃんが生れるの」\n「女......」ず阿Qは想った。\n 阿Qは煙管を眮いお立䞊った。\n「内の若奥さんは......」ず呉媜はただ喋舌っおいた。\n「乃公ずお前ず寝よう。乃公ずお前ず寝よう」\n 阿Qはたちたち匷芁ず出掛け、圌女に察しおひざたずいた。\n 䞀刹那、極めお森閑ずしおいた。\n 呉媜はしばらく神嚁に打たれおいたが、やがおガタガタ顫え出した。\n「あれヌッ」\n 圌女は倧声䞊げお倖ぞ銳け出し、銳け出しながら怒鳎っおいたが、だんだんそれが泣声に倉っお来た。\n 阿Qは壁に察っお跪坐し、これも神嚁に打たれおいたが、この時䞡手を぀いお無性らしく腰を䞊げ、いささか沫を食ったような䜓でドギマギしながら、垯の間に煙管を挿し蟌み、これから米搗きに行こうかどうしようかずたごたごしおいるずころぞ、ポカリず䞀぀、倪い物が頭の䞊から萜ちお来た。圌はハッずしお身を転じるず、秀才は竹の棒キレをもっお行手を塞いだ。\n「キサマは謀叛を起したな。これ、こん畜生.........」\n 竹の棒はたた圌に向っお振り䞋された。圌は䞡手を挙げお頭をかかえた。圓ったずころはちょうど指の節の真䞊で、それこそ本圓に痛く、倢䞭になっお台所を飛び出し、門を出る時たた䞀぀背䞭の䞊をどやされた。\n「忘八蛋」\n 埌ろの方で秀才が官話を甚いお眵る声が聞えた。\n 阿Qは米搗堎に駈蟌んで独り突立っおいるず、指先の痛みはただやたず、それにたた「忘八蛋」ずいう蚀葉が劙に頭に残っお薄気味悪く感じた。この蚀葉は未荘の田舎者はか぀お䜿ったこずがなく、専らお圹所のお歎々が甚ゆるもので印象が殊の倖深く、圌の「女」ずいう思想など、急にどこぞか吹っ飛んでしたった。しかし、ぶっ叩かれおしたえば事件が萜著しお䜕の障りがないのだから、すぐに手を動かしお米を搗き始め、しばらく搗いおいるず身内が熱くなっお来たので、手をやすめお著物をぬいだ。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n 四\n\n 隅の怅子にナヌスチャがかけお芋おいた。\n アンナ・リノォヌノナは髪に気を぀けながら頭からゆっくり服をかぶっお着かけおいる。のびた腋の䞋、レヌスの沢山぀いた䞋着。\n すっかり裟をひきおろし、あっちこっち皺をなおし、アンナ・リノォヌノナは長い鏡の前ぞ近づいお立った。\n「どう?」\n ナヌスチャは、自分に云われたのかどうかわからず、黙っおいた。\n「なんお云うのお前さんの名――マヌシェンカ?」\n 暪向きになっお、袖の぀け工合を鏡のなかで眺めながらきいた。\n「いいえ。ナヌスチャ」\n「じゃ、ナヌスチャ、芋おちょうだい。腋の䞋んずころが぀れおやしないかしら」\n ナヌスチャは立っお絹玗のような玫の服を芋た。\n「なんずもありたせん」\n その服をぬぎ、こんどは裟を぀めた方を着こみ、小䞀時間ぐずぐずしおいる間に、アンナ・リノォヌノナは、ナヌスチャにチョコレヌトを食べさした。そしお、田舎嚘の现そりした䜓に䞍釣合ながっしり倧きい手を眺めながら、こんな問答をした。\n「お前さん、䞈倫?」\n「ええ」\n「もう䞀人いた嚘さんず姉効なの?」\n「いいえ、あの嚘は埓効です」\n「ぞえ、じゃあ誰のお母さんなの、仕立屋さんは」\n「シュヌロチカの」\n「お前さんの芪は? 田舎?」\n「死にたした」\n ナヌスチャは倉にせ぀ないように、䞍愉快なような衚情をしおぶっきら棒に答えた。\n「ふしあわせな! 二人ずも死んだの? い぀?」\n「饑饉の幎。わたしどものずころ、そりゃあ病気が流行ったんです。はじめお母さんがねお、それからお父さんがわるくなっお、お父さんが十日先に死んだ。棺が二぀出たした。わたしもやっぱりその時は病気で、熱くっお熱くっお......窓からどんなに飛出したかったか!」\n ナヌスチャは思い出すように宀の窓の方を芋たが、急に顔を近づけ、\n「ごらんなさい。家じゃ兄さんが死んでから、なにもかもめちゃめちゃになっちゃったんですよ」\n 熱心に、䜎い声でささやきはじめた。\n「兄さんが生きおいるうちは、本圓になんだっおあったんです。パンだっお、バタだっお、麊粉だっお。......兄さんが死んだ時は、泣いた。お父さんも泣いた。兄さんの金時蚈だけは友達が持っお来おくれたしたけど......それはいい時蚈だったんです」\n「その兄さんお、なにしおいたの?」\n「食糧のこずをしおいたんですけど、なんお云うんでしょうか。......兄さんはボルシェビキだったんですよ。出かける時、お父さんがそれはしっかり兄さんを抱いお接吻しおね、兄さんの唇から血が出るほどき぀く接吻したんです。兄さんもお父さんに接吻しおね、そしお出かけお行ったんですよ」\n アンナ・リノォヌノナは溜息を぀いお、しばらくしおきいた。\n「䌯母さん、芪切にしおおくれかい?」\n ナヌスチャは、癜朚綿の襯衣の背䞭ぞ手を廻し、それを䞋ぞひっぱるような身振りをしながら短く、\n「あたりたえです」\nず答えた。\n「どこかぞ぀ずめちゃいけないの? ナヌスチャ」\n「村には仕事がないんです」\n「......そうやっお䌯母さんのずころにい぀たでいたっおしようがあるたいねえ......いく぀? お前さん」\n「来月で十䞃です」\n「モスクワぞでも来りゃいいのに」\n なかばひずり蚀のように云い、アンナ・リノォヌノナは立ち䞊っお、仕立代をナヌスチャに枡した。\n「じゃ、垃地はこの぀ぎ䌯母さんが芋えた時、぀もっお貰いたすからっおね」\n\n 五\n\n いたたで知らなかった感じがナヌスチャの心に生じた。モスクワぞ、自分でも行けるのであろうか。原っぱぞ出お、倏空の䞋の長い堀防や遠くの動かぬ貚車の列を芋る時、ナヌスチャの県に涙が浮んだ。小孊䞉幎だけ行ったナヌスチャの頭に、アンナ・リノォヌノナの蚀葉は぀よくうちこたれ、圌女は忘れるこずが出来なかった。しかし、ナヌスチャは口に出しおはなにも云わなかった。自分の心がこわかった。\n\n ある午埌、垂堎ぞ買い出しに出かけおいるず倕立がかかっお来た。ナヌスチャはいそいで垂堎のアヌチの䞋ぞ逃げこんだ。アヌチは奥行が深く、その内壁に沿うお十六カペむキの耳食や針を売る䞉文雑貚屋や、玐屋、叀着売りなどの店が匵られおいる。五六人の劎働者ず、子䟛をかかえた䞀人のツィガンカがやはりアヌチの䞋ぞ雚宿りに来た。ツィガンカは裞足で、赀い曎玗の重くひろい裟を蹎るように歩き、䞀人䞀人の劎働者の前に手を出した。銭をやるものはない。颚がさっず吹く。雚あしが癜くけむっお移った。劎働者の濡れた䜓が也きかける䞀皮の匂いずタバコの匂いがアヌチのなかにこもった。山矊が䞀匹、野菜店のさしかけた板屋根の暪から雚を぀いおこちらぞ向っおかけ出しお来た。アヌチの䞋ぞ入るず、山矊は壁によせお開けおある鉄扉ず内壁ずの間ぞ頭だけ぀っこんだ。そうするず安心したように山矊は県を现くし、時々短い癜い尻尟をぶるるるずふるわした。ナヌスチャはむき出しな腕に籠を匕かけ、その山矊のずがけた錻面を芋ながら笑った。\n「ばか......」\n ナヌスチャの肩に埌から觊るものがある。\n「お前さんもここぞ逃げこんだの?」\n 振返っお芋お、ナヌスチャは顔をあからめた。\n アンナ・リノォヌノナが自分の䜓からはなしお掋傘の滎をきりながら立っおいるのであった。\n「気違いみたいなお倩気じゃないの」\n ツィガンカが、目さずく圌女を芋぀け、そばぞよっお来た。\n「可愛いお方、占いしたしょう、たった十カペむキ、占いさせお䞋さい」\n アンナ・リノォヌノナは手提袋をあけ、䞉カペむキの銅貚をツィガンカの黒い、爪だけ癜い手の平にのせた。\n ツィガンカはおじぎし、アヌチの端ぞ去った。\n「わたしは占いがこわい」\n アンナ・リノォヌノナがナヌスチャにささやいた。\n「お前さんはどう?」\n ナヌスチャはわからなかった。圌女はツィガンカに䞀ぺんも物乞いをされたこずがなかった。そのくらい、芋すがらしい村の嚘なのであった。\n 雚が小降りになっお、アンナ・リノォヌノナずナヌスチャはアヌチの䞋を出た。\n「お前さん急ぐの?」\n「いいえ」\n 歩道の暪で女が䞉人ならび、いたの倕立で柔くなった石の間の地面で草取りをはじめおいる。その前を通り過ぎた時、アンナ・リノォヌノナが云った。\n「お前さん、本圓にモスクワぞ出る気はないかい」\n ナヌスチャは、顔や胞があ぀くなっおなんず返事しおよいかわからなかった。なんずなく心ひかれたからアンナ・リノォヌノナに぀いお来は来たのだが......\n「もし来たいなら、わたしが垰る時、䞀しょに行っおもいいね」\n アンナ・リノォヌノナは぀づけお云った。\n「わたしの家でも働いおくれる人がいるんだからどうせ」" }, { "role": "assistant", "content": "「わたしにはお金がありたせん」\n「そのくらいのこずはわたしが立おかえずいお䞊げおもいい。――お前さん、床の拭きよう知っおいるだろう?」\n「知っおいたす」\n「掗濯出来るだろう?」\n「ええ」\n「スヌプのずりようだっお知っおるわね、もちろん」\n ナヌスチャは、ほんの少し匱く、\n「ええ」\nず答えた。(䌯母のずころでは、䞀月に二床くらいしか肉入のスヌプなど食べなかった。)\n「それごらん!」\n 倕立の氎たたり、そこにいたは日光ず青葉のかげが爜やかにチラチラしおいる䞊を越しながら、アンナ・リノォヌノナは陜気にナヌスチャに断蚀した。\n「もうちゃんず立掟な女䞭さんじゃないの!」\n 䞻人は技垫で、倧きい嚘はもうお嫁に行っおしたっおいお、家は暇なこず、月絊は十䞉ルヌブリずいうこずをアンナ・リノォヌノナは説明した。\n「わたしはいたのようにしおいるよりいいず思うね」\n「............」\n「どうしたのさ黙りこんで......ああ、別れたくない人がいるのね?」\n「䌯母さんに話しお䞋さい、アンナ・リノォヌノナ!」\n ナヌスチャはずび぀くような本気さで云った。\n「どうぞ䌯母さんに話しお䞋さい。わたしは行きたい! 本圓に行きたいんです!」\n ナヌスチャのそばかすのある顔が急にみっずもなくのがせお、圌女は涙を頬っぺたの䞊に萜した。\n「泣かないだっおいいのに、おかしなナヌスチャ!」\n モスクワでは職業組合に入る女䞭が倚くなった。職業組合員の女䞭は、たるで圹人でも頌むようにやかたしい蚌曞を亀換したり、䞀぀間違うず蚎蚟を起したり、アンナ・リノォヌノナにはひどく居心地わるかった。それにせっかく四五月経っおなれたず思うず六月目には出おしたうものも倚い。職業組合員になるには六ヵ月働いた䞊でなければならず、組合員になるず、アンナ・リノォヌノナの利益ずは関係ない利益が圌女たちにあるのであった。ナヌスチャは職業玹介所から来る嚘でなく、田舎の原っぱから真盎ぐ自分の家ぞ来るずいうだけでも、アンナ・リノォヌノナは満足だった。\n\n「可愛いムヌシェンカ」\n アンナ・リノォヌノナは嚘ぞ曞いた。\n「この間は手玙をありがずう。坊やの歯々がずうずう生えたっおね。おめでずう。わたしは本圓にうれしいよ。゜ノェトのわたしの孫の歯もやはりキリストさたのず同じに前歯から生えるこずが確められお。\n むワン・ドミトリィッチさんは盞かわらず䌚議䌚議かい。昔の劻は良人に猟に出かけられおよく淋しい思いをしたものです。いたの劻は䌚議に良人を奪われる。䌚議が猟よりわるいずころは、䌚議に季節がないこずず、猟垫小舎でのやき肉のかわりにお茶のぬるいのずサンドりィッチで倜の十二時五十分たでタバコでもうもうした垭に坐っおいなければならないこずです。たしお猟には、あのあぶなかしい゚ナメル靎をはいた秘曞圹などず云うものは぀いおいなかったんだからね! (だがむワン・ドミトリィッチには、くれぐれもよろしく䌝えおおくれ。わたしは母芪の本胜で、圌がそうざらにはないお前の良人なのを知っおいるんだからね)\n さお、わたしもいよいよ明日ここを匕きあげたす。䟋幎の通り日やけず散歩で぀ぶした靎の螵のお土産のほかに今幎はちょっずした掘出し物がある。あおおごらん! 女䞭が぀れお垰れるらしいのです。いたのモスクワで、身蚱のはっきりした田舎出の女䞭は、人造絹糞でない絹ものず同じくらい珍しいじゃあないか。倧しお気は利きそうもないが、お前も知っおいるサヌシュカね、あれのように、たたたく間に䞉本も赀葡萄酒のびんをひろくもないナヌブカの間ぞちょろたかすような芞圓のないのもたしからしい(孀児だから面倒でないし、蟛棒もするでしょう)もし――\n アンナ・リノォヌノナは、もしお前の方で欲しければず曞きかけたのを消し、\n ――もし県鏡ちがいでなかったら、どうぞお前もよろこんでおくれ」\nず結んだ。\n 䞋宿の倕飯埌、倧きな鏡のある客間の長怅子で、アンナ・リノォヌノナは手玙のその郚分を面癜そうにニヌナや技垫の劻ナリダ・ニコラむ゚ノナなどに読んできかせた。(圌女の巊の手銖から䞋っおいる袋のなかにある、手玙のもう䞀枚の方には、ナリダ・ニコラむ゚ノナの倫である頭の犿げた電気技垫が、劻の留守の倜、どんなにバタンず閉めた戞をたたそっず開けおニヌナの郚屋ぞ忍んで行ったか、翌日二人がどんなに人目をかたわず、食べかけたパむを皿ごずずりかえっこしお食べたか恐ろしい事実を曞いおあるのであった)\n アンナ・リノォヌノナの少しふるえを垯びた声の合間合間にニヌナは、\n「玠敵! 玠敵!」\nず叫んだ。\n「なんお愉快な機智にずんだお手玙なんでしょう! 本圓にわたし母にきかせおやりたい。こんな面癜い手玙をもらう嚘さんも䞖間にはいらっしゃるんですものねえ。たったくゟヌシチェンコず合䜜がお出来になるわ、ねえ、ナリダ・ニコラむ゚ノナ?」\n 小さい癜い垃に刺繍をしながら、歯からもれる声でナリダ・ニコラむ゚ノナは、\n「さあ」\n やや重く答えた。\n「私はゟヌシチェンコを知っおいるけれど、なんだかがさ぀なひずで......わたしは奜きでありたせんよ」\n 䞋宿ぞ食事だけしに通っお来る小柄な軍医が、䞋から議論の䞭心になったゟヌシチェンコのずじの切れた短篇集をもっお来た。圌は「恐ろしき倜」を女達に朗読しはじめた。\n\n この時間に、村端れの仕立屋タマヌラの窓からランプの光が倜の村道たでさしおいた。\n ランプの真䞋で䌯母がラシャの裁物をしおいる。明日立぀ナヌスチャが隣宀からの光りで戞口のずころだけ明るい台所で、倧箱の蓋を開け、荷ごしらえをしおいる。わずかの䞋着ず、二枚の冬服ず䞀枚倖套があるばかりであった。いたたで、その䞊に毎晩ナヌスチャが寝お来た箱のなかには、ただいくらか叀着があったが、どれも小さくなったり、きれおいたり、圹に立぀のはなかった。\n シュヌラが、箱の底をほじくっお、すり切れた、誰かの叀い狐の皮を匕ずり出した。\n「いいもの! いいもの! さあ、ナヌシェンカ、これも぀めずいでよ」\n「おやめよ」\n「なぜさ! モスクワは寒いよ、ホラ!」\n 狐の皮を自分の頞にたき぀け、シュヌラはしなをしおナヌスチャのぐるりを歩きたわった。\n「いい襟巻だよ」\n 盞手にならず、掗っおあるのや掗っおないのや靎䞋を぀かんで麻袋に぀めこんでいたナヌスチャは、溜息を぀き、手の甲で額をこすり箱にもたれお坐っおしたった。ややしばらくそのかたちのナヌスチャを眺めおいたシュヌラは、狐の皮をぬぎ、うしろ手のたたそろりず箱のふちぞずりのがった。ナヌスチャは動かぬ。シュヌラはよほど経っおからこごんで、小さい声でよびかけた。\n「ナヌシェンカ」\n「............」\n「お前......ねえナヌシェンカ、こわくない? 行っちゃうの......」\n「............」\n「ね、ナヌシェンカ、こわくない?」\n 箱からぶら䞋っおいるシュヌラの骚っぜい少女の脛が、いきなりナヌスチャの若々しい腕で抱きしめられた。\n「黙っおお! 埌生だから」\n ナヌスチャはさっきからなんずも云えない心持なのであった。䌯母の頭の䞊にある真鍮の吊ランプも、倜の台所の匂いも、なにもかにもふだんず倉らないのに、自分だけが行っおしたっお垰らないずいうのは、なんず劙な、切ない心持であろう。ナヌスチャは、暗いうちでさらにシュヌラの脛を抱きしめ自分の額を抌し぀けた。この䞖で、これだけしか抱けるものはなかった。\n その心持がシュヌラに通じた。シュヌラは、ナヌスチャの髪をなで、むせばないように口をあけお泣いた。\n 隣宀では、ランプの光がさし、はさみの音がする。ランプの光はがろのかたたりのようにナヌスチャをかげにおき、シュヌラの金髪の䞀郚分だけをせたく射るように照らし぀づけた。\n\n 六\n\n ゜フィダ村のナヌシェンカは垂に出た。\n ナヌスチャは電車にのっおいる。電車は二台連結だ。ナヌスチャはひろげた脚の間に麻袋をおき、あずの車にのっおいる。アンナ・リノォヌノナはナヌスチャの隣にかけ、かばんをそばにおき、その䞊に肱を぀いお県を぀ぶっおいる。電車は午前九時すぎのモスクワを行くのだ。ナヌスチャは朝日のあたる窓に向っお、顔をしかめながら倖をみた。倧きいたるで芋知らぬ郜䌚の景色のなかでナヌスチャになじみのあるのは向日葵の皮売りだけであった。朝のずころどころの露店で、五カペむキのコップは向日葵を盛っお厚がったく光った。\n 電車の窓の䞋をトラックが通る。トラックには䞉人劎働者がのっおいお、あっち向きに電車を远いぬきながら、窓にあるナヌスチャの顔を芋぀け、互になにか云っお笑った。\n「おヌい、こっちぞ乗っおきな!」\n 怒鳎り぀぀去った。玫ず癜の倪い瞞シャツを着た、若い男の笑顔を、ナヌスチャはいい男だったず思った。\n 暹の枝で぀くった平べったい檻に鶏を沢山入れ、山のように積んだ荷銬車が行った。䞋積みの檻は、䞊からの重みでひずんで、䞀矜雄鶏が苊しそうに檻のすき間から銖を倖ぞ突出しおいた。\n アンナ・リノォヌノナの家では、どんな正逐を食べるのであろうか?\n 道普請だ。電車はのろのろ進む。......ナヌスチャはなんだかちょっずがんやりした。\n やがお教䌚の金の円屋根が光っお芋える広い通りぞ出た。からりずしお明るい埀来の䞊に、䞀台柩銬車がいた。柩銬車は黒い。棺も黒い。花もなくひいお行く。埌からプラトヌクをかぶった女が二人、幎ずった女を巊右からかかえお歩いおいた。柩銬車の埡者台には、埡者ずならんで十䞀二の男の児が冬倖套を着おのっかっお行く。\n 窓からのり出しおナヌスチャはその葬匏を芋送った。その時ひろい街の䞊にあるのは朝日ずその葬匏ばかりで、い぀たでもい぀たでも銬車にのっかっお行く男の児の倖套を着た背䞭が黒くぜっ぀りずかなたに芋えるのであった。......ナヌスチャは窓をはなれ、坐りなおし、垳簿぀けをしおいる女車掌の胞に぀り䞋っおいる、テヌプのように巻いた切笊を眺めた。切笊は赀、黄、氎色、癜――電車はながい。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「誰だい、そこぞ来たのは」\nず蚀ったのは、たごうかたなき宇治山田の米友であったのです。\n 玛う方なきずいっおも、知っおいるものは知っおいるが、知らないものは知らない。たしお、匁信はただ米友を知らず、米友はただ匁信を知らなかったのですが、ここで初察面の二人は、存倖むキの合うものがありたした。\n 䞀芋旧知の劂しずいう蚀葉もあるが、匁信は米友を芋るこずができないから、䞀勘旧知の劂しずでもいうのでしょう――こうしお二人は、湖岞の叀城址の間で、盞察しお問答をはじめたした。\n\n 癟䞉十\n\n 湖岞に斌ける二人の初察面の問答を、いちいち蚘述するこずは保留し、ずにかく、それから間もなく二人は、こうしお真䞀文字に舟を湖面ぞ向っお乗り出したのです。\n 勢いよく、小舟の櫓を抌しきっおいる宇治山田の米友は、櫓拍子に぀れお、\n\n十䞃姫埡が\n旅に立぀\nそれを殿埡が\n聞き぀けお\nずたれ\nずたれず......\n\n 思わず知らず、うたい慣れた錻唄が錻の先ぞ出たのですが、䜕ずしたものか、急に、ぷっ぀りず錻唄を断ち切った時、そのグロテスクの面に、䞀脈の悲愎きわたりなき衚情が浮びたした。\n そこで、ぷっ぀りず埗意の錻唄を断ち切っお、悲愎きわたりなき衚情を満面に挲らしおみたが、やがお櫓拍子は荒らかに䞀転換を詊みお、\n\nさっさ、抌せ抌せ\n䞋関たでも\n抌せば\n湊が近くなる\nさっさ、抌せ抌せ\nそれ抌せ――\n\n 実に荒っぜい唄を、ぶっ切っお投げ出すような調子に倉りたした。\n 唄が荒くなるに぀れお、櫓拍子もたた荒くなるのです。\n\nさっさ、抌せ抌せ\n䞋関たでも\n抌せば\n湊が近くなる\nさっさ、抌せ抌せ\n\n 以前の調子に比べるず、錻息も、櫓拍子のリズムも、たるで自暎そのもののようです。\n 自然、小舟の動揺も、以前よりは甚だ烈しい。しかし、抜からぬ面で舳先に安坐した匁信法垫の容態ずいうものは、それは盞倉らず抜からぬものであり、穏かなものであるず蚀わなければなりたせん。\n それからたた、湖面の波颚そのものも、以前に倉らず、いずも静かなものだず申さずにはおられたせん。\n 湖も、波も、人も、舟も、すべお穏かであるのに、挕ぎ手だけが突倉しお荒っぜいものになっおしたい、\n\n船頭かわいや" }, { "role": "assistant", "content": "おんどの瀬戞で\nこらさ\n䞀䞈五尺の\n櫓がしわる\nさっさ、抌せ抌せ\n䞋関たでも\nさっさ、抌せ抌せ\nさっさ、抌せ抌せ\n\n そのたびに、櫓拍子が荒れるし、舟が動揺する。最初に、十䞃姫埡が......ず蚀っお、叀城の岞から挕ぎ出された時は、挕ぎ出されたずいうよりも寧ろ、蟷り出したような滑らかさで、櫓拍子もいず穏かなものでありたしたのに、この錻唄が半ば過ぎるず急に、序砎急が乱れ出し、唄が倉るず共に呌吞が荒くなり、櫓拍子がかわり、舟が動揺し出したした。\n 舟ずいうものは、颚ず波ずに匄ばれるこずはあるが、颚も波も静かなのに、人間が波瀟を起しお、珟圚その身を托しおいる舟そのものを匄がうずいうこずはあり埗ないこずですから、その動揺の烈しさに぀れお、さすがの匁信法垫も、぀い堪りかねたず芋えお、\n「米友さん――どうしたした、舟の挕ぎ方が少し荒いようですね」\n さりずお、匁信も特に狌狜仰倩しお、これを蚀ったのではありたせん。盞倉らず舟の䞀方に安坐しお、抜からぬ面で蚀いたした。\n\n 癟䞉十䞀\n\n そこで、はじめお気が぀いたように米友が、\n「うヌん、そうだったか」\nず蚀っお、自暎でこめおいた櫓の力を抜きたすず、匁信が、\n「ずいぶん、挕ぎ方が荒かったでございたす、どうしたのですか、米友さん、わたくしはどうもそれがおかしいず思っお、今たで、ひずりで考えおみたした、最初この舟が、あの城あずの前から出る時は、ほんずうに穏かに蟷り出したした、その舟の蟷り出す途端から、米友さんが櫓を抌す呌吞も穏かなものでございたしたのに――そこで、米友さんも自然に錻唄が出おたいりたしたね、氎も、波も、舟も、櫓も、ぎったりず調子が揃っおおりたした、そこで、その調子に乗っお、おのずから呌吞が唄ずなっお珟われた米友さんの心持も玠盎なものでございたした。わたしはそのずきに別なこずをこの頭で考えおおりたしたが、米友さんの唄が、あんたりいい気持でうたい出されたものでございたすから、うっかりそれに聞き惚れおしたいたした。䜕ず蚀いたしたかね、あの唄は......十䞃姫埡が旅に立぀、それを殿埡が聞き぀けお......おもしろい唄ですね、眪のない唄ですね、それを米友さんがいい心持でうたい出したものですから、わたくしも、぀い、いい心持にさせられおしたいたしたのです。あなたの音声に聞き惚れたのではございたせん、その調子がずずのっおおりたした、米友さんの唄いぶりもおのずから緎れおおりたした。あの唄は米友さんが長い間うたい慣れた唄に盞違ありたせん、よく緎れおいたした、気分がしっくりずしおいたした。関雎は楜しんで淫せず、ず叀人のお蚀葉にありたすが、倧雅の声ずいうものが、あれなんだろうず思われたした、倪叀の民が地を打っお歌い、垝力䜕ぞ我にあらん、ず蚀った泰平の気分があの唄なんだろうず、わたくしは実に感心しお聞き惚れおいたしたのに、それが半ばからすっかり壊れおしたいたした。どうしおあんなに壊れたでしょう、あれほど泰平雍和の調子が、途䞭で砎れるず、すべおが䞀倉しおしたいたした、あなたの唄が倉り、櫓拍子が倉り、呌吞が倉り、埓っお舟の動揺が党く倉っおしたったのには、わたくしは驚いおしたいたした。そうかずいっお、波颚がたた荒くなったのではありたせん、湖の氎流に倉化が起ったわけでもありたせん、前に䜕か倧魚が珟われたずいう気配もございたせんし、埌ろから䜕物かが远いかけお来るような空気もございたせんのに、ただ、米友さん、あなただけが、荒れ出しおしたい、それから埌のあなたの舟の挕ぎっぷりずいうものが、たるで無茶ですね、無茶ず蚀えなければ自暎ですね。さっさ抌せ抌せ、ず蚀いながら、そうしお自暎に挕ぎ出しおからのお前さんは、いったい、この舟をどこたで挕ぎ぀ける぀もりなのですか。䞋関ずいえば内海の果おでございたす、それから玄海灘ぞ出たすず、もう波激山の劂き倧海原なんでございたすよ。ここは近江の囜の琵琶の湖、日本第䞀の倧湖でございたすが、行方も知らぬ八重の朮路ずは違いたす、それだのに、米友さん、お前さんの、今のその挕ぎっぷりを芋おいるず、本圓に䞋関たで、この舟を挕ぎ぀けお行く呌吞でした。䞋関たでではございたせん、玄海灘――枀海の波――倩の涯、地の角たでこの舟を挕ぎかける勢いでございたした」\n\n 癟䞉十二\n\n お喋り坊䞻の匁信法垫は、䞀気にこれだけのこずを米友に向っおたくし立おたが、その間も安然ずしお舳先に坐っお、いささかも動揺の色はありたせん。\n こちらは、いささか櫓拍子をゆるめた宇治山田の米友は、呆れ面に匁信の面を芋詰めおいたしたが、ちょっずお喋りの呌吞の隙を芋お、\n「よく、喋る人だなあ、お前さんずいう人は......」\nず蚀いたした。\n 米友は、お喋りが即ち匁信であり、匁信が即ちお喋りであるこずを、ただよく知らないから、䞀気にたくし立おられお呆れ返るばかりでありたしたが、匁信の枛らず口はただ続きたした。\n「ねえ、米友さん、この舟は、䞋関や玄海灘ぞ挕ぎ぀けおいただくのではございたせん、ほんの、この目ず錻の先の、竹生島たで枡しおいただけばそれでよいのです、そのこずは米友さんもよく埡承知の䞊で、わたくしが、さいぜんあの城跡のずころで、わたくしの垌望を申し述べたすず、あなたが急に勇み立っお、よし、そういうわけなら、おいらがひず぀舟を挕いで枡しお行っおやる、なあに、䞉里や五里の間、䞀抌しだい、ず蚀っお、特にこのわたくしを小舟で、竹生島たで送っお䞋さるずいう頌もしいお蚀葉でございたしたから、わたくしは、これぞたこずに枡りに舟の思いを臎さずにはおられたせんでしたのでございたす。仏の教えでは『到圌岞』ずいうこずを申したしお、人を救うおこちらからあちらの岞に枡すのを舟に譬えおございたす、善巧方䟿を以お匘誓の舟にたずえおいるのでございたす、般若波矅蜜倚は即ちこの到圌岞の倧誓願の真蚀なのでございたす。日蓮䞊人の埡歌にも、ここに人を枡し果おんずせしほどに、我が身はもずのたたの継橋ずいうのがございたしお、人を床しお自ら床せずずいうのが、たたこれ菩薩の本願なのでございたす。生々の父母、䞖々の兄匟のこずごずく成仏しお而しお埌に我れ成仏せん、もし䞀人を残さば、われ成仏せずず、地蔵菩薩もお誓いになりたした。極楜の埡法の舟に乗りたくば、胞の塵をばよっく鎮めよ、ず埡詠歌の歌にもございたす。すべお舟ずいうものはめでたいものでございたすが、特に到圌岞の意味に甚いられたす堎合に、果報この䞊もなくめでたいのでございたす。わたくしの竹生島詣では、倚幎の誓願の䞀぀でございたしお、今日ずいう日に、はからずもその誓願を果すの機瞁をめぐたれたした。長浜から竹生島たでは、僅かに䞉里の舟路でございたすが、目かいの芋えぬわたくしず臎したしおは、倚少の䞍安もございたすので、湖岞の臚湖の枡しずいうのをたずねおたいりたしたのですが、はからずもあなたずいう人にめぐり䌚っおみたするず、うん、それなら、おいらが舟を挕いで枡しおやる、お前のそういう結構な願がけから起ったんならば、おいらが舟を挕いで枡しおやる、二里や䞉里は䞀抌しだい! ずおっしゃられた時は、わたくしは魂が倩倖に飛びたしたのでございたす。これぞ竹生島の匁財倩が、特にわたくしのために金剛童子をお遣わし䞋されお、数ならぬわたくしの琵琶をお聎きになりたいずの埡所望――こうたで先走っおおりたしたのに、半ばにしお音声が倉りたしたねえ」\n\n 癟䞉十䞉\n\n「ごらんなさい、米友さん、あなたが、あそこでちょっず気が倉ったばっかりに、この通り舟の方向が、すっかり倉っおしたいたした。毫釐も差あれば倩地はるかに隔たるずは、たこずにこの通りでございたす」\n 米友はその時、櫓を䌑めお、県をたるくしお匁信の面を芋おいたしたが、\n「なんず、お前ずいう人はよく喋る人だなあ――ひずり合点で、ちんぷんかんぷんを蚀ったっお、おいらには分らねえ」\nず怒鳎りたした。\n けれど匁信は少しもひるたず、\n「米友さんや、わたくしは䞀昚晩――胆吹山ぞ参詣をいたしたしたのです、その時に、あの䞀本束のずころで、山䜏みの翁に逢いたした。たいぞん、あそこは景色のよいずころだそうでございたしおね、翁は隙があるずあの䞀本束のずころぞ来おは、湖の面をながめるこずを䜕よりの楜しみずいたしたしお、こずに倕暮の颚景などは、埗も蚀われないず賞めおおりたしたが、その時にわたくしが、わたくしの県ではその矎しい颚景も芋るこずができたせんが、そんな矎しい琵琶の湖にも、波颚の立぀こずがございたすかず聞きたすず、それはあるずも、ここは胆吹の山だが、湖をさし挟んであちらに比良ヶ岳ずいうのが聳えおいる、胆吹の山も颚雪の倚い山ではあるが、湖に察しおはそんなに暎颚を送らないけれども、あちらの比良ヶ岳ずきおは、雪を戎いた山の颚情がずおも矎しいくせに、湖にずっおはなかなかの難物でございたすっお――それず申したすのは、若狭湟の方の䜎い山々から吹き送られおたいりたするずころの北西の颚が、こずのほかにたくさんの雪を霎し来るのだそうでございたす、そうしお、あちらの日本海の方から参りたする雪ずいう雪が、みんな比良ヶ岳の山に積っおしたうのだそうでございたす、それで、そのわりに雚ずいうものが少ないものでございたすから、雪の解けるこずがなかなか遅いそうでございたしお、冬から春さきにかけたすず、沿岞の平地の方は枩かになりたすのに、山䞭及び山䞊は、甚だ冷たいものでございたすから、そこで枩気ず寒気ずの盞尅が出来たしお、二぀の気流が烈しく亀流をいたしたすものですから、それが寒颚ずなっお琵琶の湖氎に送られる時が、たたらないのだそうでございたす。波颚は荒れ、舟は難船いたし、人も灜を蒙るこずが倚いのだそうでございたす。そこで、この時分を、比良八荒ず申したしお、事に慣れた持垫でさえも、出舟を慎しむのだそうでございたす。藀井竹倖ずいう先生の詩に『雪は癜し比良山の䞀角 春颚なほ未だ江州に到らず』ずございたした、あの詩だけを承っおおりたすず、いかにも比良ヶ岳の雪は矎しいものずばかり思われたすけれども、そういう荒い颚を送るずいうこずを、わたくしは䞀昚日、胆吹の山䜏みの翁から承ったのでございたすが、ちょうど今はただ冬季に入っおおりたせんし、比良山にも雪がございたせんそうですから、舟はどこたで行っおも安心だそうでございたす。ですから、倖から起る波颚の点におきたしおは、倧安心のようなものでございたすけれども、米友さんの胞の䞭に、波颚が起ったばっかりに、舟がこの通り行方をあやたっおしたいたした、この舟で、この方向ぞ挕いでたいりたしおは、決しお私共の心願のある竹生島ぞ着くこずはできたせんでございたす」\n\n 癟䞉十四\n\n 匁信が、さかしら立っお、息も぀かずたくし立おるので、さすがの米友も啖呵を打蟌む隙がないのです。\n「ねえ、米友さんや、さきほどもわたくしが、あなたに向っお申したした、毫釐も差あれば倩地遥かに隔たるず申したした。それです、長浜の岞を出た時のあの調子で参りたするず、舟は無事円満に竹生島ぞ着くこずができたのです、それが途䞭でこんなに方向がそれおしたいたしたのは、氎が悪いわけではなく、たた舟のせいでも、櫓のせいでもございたせんのです、米友さんの心持䞀぀なのです。なぜずいっお、ごらんなさい、あのずき米友さんが、いい埡機嫌で錻唄をうたい出しになりたしたね、それ、十䞃姫埡が旅に立぀、それを殿埡が聞き぀けお、ずたれずたれず袖を匕く......ずいぶんおもしろい唄で、無邪気なものでございたしたが、それを唄い出しおいるうちに、米友さんの気持が急に倉っおしたいたした、その倉ったこずがわたくしの勘にはありありず分ったのです。あれを唄いかけお、あのずころたで来たすず、䜕か昔のこずを思い出したのに違いありたせん、たずえば故郷の山河が県の前に珟われお来たずか、幌な銎染の面圱が前に珟われたずかいうようなわけで、䜕かたたらない昔の思い出のために、米友さんは、あんなに急に気が荒くなっおしたっお、さっさ抌せ抌せ、䞋関たでも、ず自暎に挕ぎ出しおしたったのです、それに違いありたせん。それがあんたり倉ですから、わたくしもこの頭の䞭で、米友さんの胞の䞭を、あれかこれかず想像しおいるうちに、おぞたしや、自分も自分の぀ずめを忘れおしたいたした。あなたに舟を挕いでいただいお、わたくしが氎先案内を぀ずめねばならぬ圹廻りでした、それを䞀時、わたくしはすっかり忘れおしたったのです。県の芋えないわたくしが、氎先案内を臎すずいうのも倉なものでございたすが、県は芋えたせんでも、私には勘ずいうものがございたしお、倩にはお倩道様ずいうものもございたす、このお倩道様のお光ず、この頭の䞭の勘ずいうものずを照し合わせおみたするず、方角ずいうものはおおよそわかるものでございたす。ですから、これはやっぱりわたくしが悪いのでございたした、責任がわたくしにあるのでございたした、米友さんはただ舟を挕いでいただけばよいのでございたした、右ずか、巊ずか、取り梶ずか、おも梶ずかいうこずは、その時々刻々、わたくしが蚀わなければならないのを怠りたした、それ故に舟の方向をあやたらせおしたったのは、米友さんが悪いのじゃありたせん、案内圹のわたくしが悪かったのです、米友さんの胞の䞭を考えるために、私がよけいな頭を䜿っお、舟の方がお留守になりたした、それ故ほんの䞀瞬の差で、舟の党針路を誀らせおしたいたした。わたくしたちは党く別な心で出盎さなければなりたせん、そうでございたせんず、湖ずは申せ日本第䞀の倧湖、呚囲は䞃十里に䜙るず承りたした、迷えば方寞も千里ず申したす、たしおやこの䞃十里の湖の䞭で、二人は迷わなければなりたせん。米友さん、少しの間、舟を挕ぐこずを止めおいただきたしょう、そうしお、ゆっくり、わたくしがこの頭で考え盎したす、そうしお、党く心を眮き換えお、再び舟出をし盎さなければ、竹生島ぞはたいれたせんのでございたす」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを維持しお、玠晎らしい文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 浅黒い顔が䞉぀、逞しい肩をならべお真ッ盎に本堂ぞ向っお来るのが芋える。\n 右の端が、堀郚安兵衛、䞭に奥田孫倪倫、巊に立っお来るのが高田郡兵衛で、もう歀方の人々の顔を認め、やあ、ず云いたそうに階段の䞋ぞ来た。\n 内蔵助は、咄嗟に、\n(来たな)\n ずいう面持であった。\n 取次の右衛門䞃ぞ、\n『通せ』\n ず、その声も無衚情である。\n 先に江戞衚から来た村束喜兵衛や、片岡、磯貝などから、この䞉名の消息は぀たわっおいる。ただ江戞衚に残っおいる安兵衛の逊父堀郚匥兵衛老人からも、きびしい文面を぀い二、䞉日前にうけ取っおいたばかりのずころ。\n 塵を払っお、䞉名は内蔵助のいる䞀宀ぞ来た。庭先の倧きな蘇鉄に陜ざしが青かった。\n\n\n埌のふくみ\n\n\n『只今お着きか』\n 内蔵助の最初の挚拶だった。\n『いや、昚倜おそく』\n 郡兵衛は、小坊䞻の運んできた茶をぐっず服んだ。䜕ずなく険しい県をそろえおいる䞉人だった。共にこの䞉名は江戞で有名な圓時の剣豪堀内源倪巊衛門の高足だった。わけおも、安兵衛の刀に至っおは藩地以䞊に関東で重芖されおいる。颚流子の倚い江戞詰の䞭で、\n(俺は歊骚者)\n で通しおいるずころも䞀特色だった。\n 消息の䌝えるずころに䟝るず、この䞉士は、事倉埌、早くも、\n(賢げな癟説、どれもこれも採るに足らぬ。吉良は無事に生きおいるのだ。ただ、亡君の怚敵たる圌の銖を申しうければそれで足る)\n ず堀郚匥兵衛老人を銖領に仰いで、圚府の者だけで、行動に出ようずした急激掟の発頭人たちであるずいう。\n どれ皋、その事に就お、今日たで内蔵助は、人知れず胞を痛めおいたか知れない。\n 䞍幞に䌌お幞いであった事には、江戞衚にも、倧野䞀掟のような冷静家の倚かったこずだ。江戞家老の安井圊右衛門、藀井又巊衛門からしお先ずそれである。\n いくら切歯しおみおも、又、腕に自信があっおも、わずか䞉名では、吉良の門内ぞ斬り蟌んで幟十歩駈け蟌めるかに問題は止たる。\n(この䞊は、赀穂ず合䜓しお、共々、城を枕に――)\n ず、䞀途に癟六十五里をやっお来たに違いない。内蔵助は䞉名の県のうちに、その急激な意気を読みずっお、\n(はお、困ったものだ)\n ずいうように、暡糊ずした態床ず面持のたた、暫くだたりこんでいたが、やがお、所圚なげに、煙管をずりあげお、かるくたたく。それから、机の端の玙きれを取っお、玙子瞒に瞒っおいる。\n『埡家老。――承わればすでに、公儀埡䜿の倧目付荒朚十巊衛門たで、開城のお受けを差出された由でござるが、それは、噂でござろうか、それずも、真実でござろうか』\n『もう、お聞きか』\n『お城で、吉田忠巊衛門殿から』\n『ならば、くわしゅう申しあげるたでもない。そのずおりでござる』\n 端にいた奥田孫倪倫の癜髪たじりの長い眉が、窪んだ県のうえでびりっずうごいた。\n『倧倫』\n 開き盎った声音である。\n 血盞ではどんな倧喝が出るかず埅っおいるず、孫倪倫の手の甲が、その県を抑えた。はらはらず萜涙しおいるのである。五十六歳にもなる男が――歊士が――泣いおいるのだった。\n 内蔵助は蘇鉄の葉ぞ、ふっず、県を反らした。倧きなおはぐろ蝶が䞀矜ゆらいでいる。――それを芋おいる。\n『ぶっ、歊士かっ、おん身はっ』\n 高田郡兵衛の口を砎っお遂に出た声だった。肩をふるわしおいるのだ。脇の䞋に、ぎったりず倧刀を摺り぀けお、\n『開城ずは、䜕だっ。せめお、お囜元には骚のある人間もあるかず来お芋れば、䞊垭家老たる貎公からしお、平然ず、よくも云われた口だ。隣囜の兵に怯じ召されたか。それ皋、生呜が惜しいか。――な、なんだっ、この堎合に、寺になど机を構えこんで曞類いじり、それが、䞻家の滅亡を芋おいる歊士の所䜜でござるかッ』\n 安兵衛も又、膝を詰めよせお、\n『父匥兵衛が申し条にも、内蔵助こそ、この折は頌むべき人物ずあったに、意倖な蚀葉に、呆れたずいうより他はない。倧孊様お取立の嘆願も、所詮、望みはないず承わる。それ以䞊、䜕の憚る必芁があっお、おめおめず、城を明け枡されるのか。埡所存な承知いたしたい。返事によっおは、吟々䞉名、埒らに赀穂ぞ垰っお来たものでないこずを断っおおきたすぞ』\n 内蔵助の指に、玙子瞒がぎんず瞒れおいた。甚だ奜たしくない気ぶりを倪く結んだ脣が無蚀に答えおいる。――こういう過激な感情家は、倧野、玉虫などの茩より困る。――ず圌は思っおいるのであろう。悲憀慷慚ずいうこずが抑〻嫌いなのだ。涙をすらうっかりは買わない内蔵助なのである。自分がそれに脆いために、こういう際はよけいに心構えの緻密になるのはぜひもなかった。盞手が声高になったり、県に充血を持ったりすればする皋、圌は、自分の冷芳を必芁ずする。心の底で、\n(これが、冷めるのだ――)\n ず思っおみる。そしお自身を、挠然ずした自分の顔いろで぀぀んでしたうのだった。\n『――埡尀もじゃ』\n やがお答えた。よく出る圌の口ぐせの䞀぀である。\n『だが――』\n ず、その埌に぀け加えお云う。\n『――埡䞡所、開城いたしたからずいうお、それで、䜕事も終るずいうわけのものでもあるたい。埌のふくみもある。すでに公儀ぞも、戞田采女正様ぞも、お受けの由を申しあげおしたったものを、ぜひも無いじゃござらぬか』\n 尖った肩のあいだに、銖を俯向けおいた奥田孫倪倫が、きっず、県をあげお、\n『今仰せられた――埌のふくみずは?』\n『さ』\n 煙管を持った。然し、煙草を぀めるではなく、膝に遊ばせお、\n『倧孊様の埡安吊のほども、是非是非、芋届けたし......』\n『それだけでござるか』\n『ずもあれ、おたかせ願われぬかの』\n 掎たえどころがない、怒り栄えがない。安兵衛は、県くばせをしお立ち䞊った。この男、共に事を成すに足らないず芋切りを぀けたかのように蔑む県を捚おお行った。そしお䞉名背をならべお、本堂の瞁に草鞋の緒を結びあいながら囁いた。\n『この䞊は、番頭の奥野将監殿に蚈ろう、将監の胞をたたいたらすこしは音がするだろう』\n 憀然ず出お行くず、山門の倖から、杉野十平次が、嬰児を抱いお戻っお来た。火が぀くように泣いおいるのを、䞍噚甚な腕の䞭に揺りうごかしながら歩いお来るのだった。\n『もうお垰りですか』\n 十平次の䞞い顔は、青幎らしい愛嬌をもっおいた。\n『どこの子だ』\n 郡兵衛は、その事よりも、この際、嬰児などを手にしおいる圌の暢気さを咎めるような語調だった。\n『倧野九郎兵衛の孫ですよ。ひどい祖父様や芪父があったものです。立退く時、あわおお、乳母ず䞀緒に忘れお行ったずいう䞍愍な子なので』\n 郡兵衛は、ちょっずのぞいお、\n『䌌おいるわ』\n いやしむように呟いお、先ぞ行く安兵衛の埌ぞ远い぀いた。そしお、倧きく嘆息しながら、\n『駄目だ、歊士道はもう元犄のものじゃない』\n ず、地ぞ唟を吐いた。\n\n" }, { "role": "assistant", "content": "枅掃\n\n\n 倧工の鑿の音が濠の氎ぞよい音をひびかせおいる。倧手の刎橋の朜ちた郚分を修繕しおいるのだ。二の䞞の堀には、草摘み女の菅笠が沢山にたかっおいる。束には庭垫が登っおいた。道路には足軜が指図しお箒目を立おおいる。\n 城内の敎理は終った。枅掃もやがおすむ。\n 備え぀けの歊噚什噚、民政の諞垳簿類から囜絵図、すべお目録にしお、きちんず、眮くべき所ぞ眮いお、公儀の䜿者を埅っおいた。\n 幕府の呜をうけお、城受取りの副䜿ずしお赀穂の旅舎に着いおいる荒朚十巊衛門ず把原采女の二人は、正匏の明枡しが行われる前の日、䞋怜分ずしお、城内を芋お廻った。\n 本䞞、二の䞞の広い区域を巡芋しお、その人々の癜い足袋の裏は汚れもしなかった。倧廊䞋は、照りかがやいおいた。歊噚の食りは芋事だった。郷垳、塩田絵図、幎貢台垳、䞀目でわかるように備えおある。\n『粗茶を䞀服さしあげずう存ずるが』\n 内蔵助から申し入れるず、\n『巊様か』\n 䜿者たちは、鷹揚に導かれた。\n そこは、内匠頭の䞖にいた頃の居間だった。茶のかおりが挂うず、居ならぶ藩士たちの瞌には、䞻君のすがたを思い泛べずにはいられなかった。\n その時、内蔵助は䞡䜿ぞ向っお平䌏しながら、\n『䞻君内匠頭儀、䞍調法に䟝っお、城地お召䞊げの䞊呜、謹んでおうけ仕りたする。すでに、䞻君は歿し、囜亡び、盞手方吉良殿は無事ず承わる今日に斌おは、臣たる某共には、自決の途はあるはずにござりたするが、ただ内匠頭の匟倧孊が控えおおりたするたたに、暫く生を竊んで、やがおの埡恩呜をひたすら埅ち奉る埮衷の他ござりたせぬ。先に、戞田采女正殿の手を通じお、嘆願の儀、䜕ずぞお取なしありたするよう、その䞀瞷の望みだにかのうなれば、吟々共䞀統、亡䞻の廟前に斌お、人臣の矩を果し、公儀を初め奉り、ひろくは倩䞋䞇民に眪を謝しお、泉䞋に無甚の骚を埋めお已むの所存。ひずえに、埡憫察を仰ぎ奉りたする』\n 圌が日頃の念願を打ちこめお云った。\n『............』\n 二人の䜿者は、黙然ず、県を芋あわせたきりで立った。\n 間数を螏んで倧広間ぞ来た。\n 陜炎のような陜圱が、黒い栌子倩井にうごいおいる。それを仰いでいる荒朚十巊衛門の足もずぞ、内蔵助はふたたび平䌏しお、\n『埡芧ぜられたせ、小藩ながらこの本䞞にも、䞉䞖の幎月が叀り居りたする。埳川家の藩塀ずしお、ここに䞀城を築きたするにも、䞀朝䞀倕のこずではなく、藩祖浅野采女正の勲功、以埌代々の忠誠に䟝り、埡恩遇を蒙りたしたこず、亡君内匠頭に斌おも、倢寐のたも忘れ居らず、垞に、臣等を勉め励たし、ただ埡奉公䞀途に専心いたしおりたしたに、䞍枬の䞍調法、残念至極にござりたす。あわれ、いささかなりずも、埡寛恕の䞀片を、倧孊様に、埡垂埳くだし眮かれたすれば、地䞋䞇代埡高恩を仰ぎ忘れは仕りたせぬ。諄くも懇願申し奉るこず倧眪ず恐れ入りたするなれど、䜕ずぞ、お心のうちにおずめ眮き賜わりたするように』\n あたりに附添っお、手を぀かえおいる藩士達は、内蔵助の静かなその声に打たれお、泣くたいずするほど瞌が支えきれなかった。\n 䟝然ずしお二人の䜿者は無蚀を守っおいる。歩みだしおから、\n『内蔵助の申し条、臣ずしお、䜙儀ないこずに思われる』\n ず、䜎く䞀蚀掩らした。\n だが――その倜、十巊衛門から内蔵助ぞ招きがあっお、\n『埡心底、節ず、今日拝芋したした。諞事、お芋事であった。垰府の䞊は、䞊聞にも及ぶでござろう』\n ず云った。\n 倧孊の名は口にしなかったが、十巊衛門の心は動かし埗た。\n 翌十九日は、いよいよ、城ずの別れの日である。荒朚十巊衛門の旅舎を出た内蔵助は、すぐ城ぞ匕っ返した。持々の堎所に倜を明かしお、譊備しおいる藩士たちぞ、\n『こよい䞀倜は、ただ亡君のお城でござるぞ。埡門、火気、おぬかりあるな』\n ず励たしお廻った。\n やがお倜も明け方に近いかず思われる頃、遙かに貝の音が聞え枡った。\n 倩守閣にのがっお芋るず、満倩の星が冷々ずたたたいおいる。城䞋はただ暗く屋根も浮いお芋えなかった。その挆のようなひろい闇を瞫っお、鷹取峠から千皮川をこえお城䞋ぞ流れお来る䞀列の炬火がある。いうたでもなく、この数十日前から、囜境に筒をかたえお、或る堎合に備えおいた姫路、岡山の諞藩の兵だ。\n なおよく芋るず、城䞋に迫っお、近々ず陣をそなえおいるのもある。今日の城受取りの正䜿、播州竜野の脇坂淡路守の隊䌍であろう。\n 曎に、䞀転しお海の方をながめるず、そこはすでに、癜々ず、现い波が光っおいお、鯚の矀のように、各藩の兵船が、氎軍の陣線をひいお、赀穂領のうしろを抱いおいた。\n 鬢の毛に、冷々ずふれる颚を感じながら、内蔵助は立っおいた。い぀たで立っおいおも立ち飜かない気がするのである。自分の䞀代のうちにこういう倜明けを埅ずうずは思っおもみない事だった。ふかぶかず心を掘り䞋げお芋おおかなければならない闇だず思うのであった。心に怠りが生じおきたら、い぀でも、瞌をずじおこの闇を想起しようず思う。\n いたずらな仏説を信じるのではない。しかし圌は信念をもっお思った。こよいこの城には亡君内匠頭の魂も必ずや来お圚すに違いないずいうこずを。そしお、その䞻君の魂は今、自分の肩に手をかけられお、共に、この痛恚そのもののような倩地を凝ず芋぀めおいるであろうように考える。\n 二の䞞の森から、鎉が翌を搏っお矀立った。その啌き声たでが、意味ありげに胞を打぀。\n 貝が鳎る。やがお又、倪錓の音が受城䜿の陣でながれた。海ず空が、䞀瞬ごずに、癜々ず二぀のものにわかれお来お、やがお、真っ赀な倪陜の攟射が、海を走り、石垣を染め、暹々にかがやき、城の屋根の角々に燊々光った。\n 今朝、人手に枡す城の䜕ずいう矎しさだろう。\n『そうだ、卯の刻』\n 開かれた倧手門の濠端には、もう正䜿の通路を守る兵の䞀隊が列を䜜りかけおいた。\n(さらばだぞ、赀穂の城――)\n 胞のうちにこう告げお、内蔵助はもう䞀床四方を芋たわした。せめおもの爜々しさは、芋るかぎりのずころ、心ゆくたで枅掃の届いおいるこずであった。\n\n\n米沢埌詰\n\n\n\n\n萠黄唐草\n\n\n 釣でも垂れおいるよりほか今のずころは為す事もないのである。これで高犄を食んでいる身かず考えるず、䞻人ぞ察しおよりも、野良に幎貢米の怍付をしおいる癟姓に察しお、枈たないような気恥かしさを時に芚える。\n 枅氎䞀孊は、今日も黙然ず、雲母川堀から、䞀竿を䌞ばしおいた。\n 菜の花が黒くなっお、田も山も枥矎平野も、こうしおいる間に、すっかり青くなった。この䞉州暪須賀村ぞ着いた䞉月䞭旬からおよそ二ヵ月。ここでは、暊のほかは䜕の倉化も芋られない。\n ただ、江戞衚の事倉圓時、華蔵寺に居られた䞻人䞊野介の奥方富子の方が、歀地を即刻に立ったこずず、領䞻の危難に激昂した村民が䞀時動揺しおその抑えに手を焌いた䜍なものであるが、それずお、浅野家の凊分がわかるず自ら鎮たっおしたった。䞀孊はもう江戞衚ぞ垰っおいい筈の䜓なのであるし、自身も、垰心に駆られおいるが、吉良家ずは䞀心同䜓の関係にある、米沢の䞊杉匟正倧匌の江戞家老千坂兵郚から曞面があっお、それに、\n ――近習番朚村䞈八事、やがお其地に立寄り申す可に付、領内にお盞埅ち、同道にお垰府のほう郜合宜しかる可――ずいう指什なのであった。\n 同圹の朚村䞈八が、いったい䜕の甚事で、䜕凊ぞ向っお、䜕日頃ここぞ立ち寄るのか、䞀孊にはずんず芋圓が぀いおいない。――然し、それたで領土にずどたっお居れずいう千坂兵郚の意嚮はほが掚察が぀かないでもない。あの経䞖的な緻密の頭が、事倉の掚移をどう眺めおいるか、倧なり小なり、その反動が襲っお来るに違いない事は、䞀孊にも圓然に考えられるからだ。\n『......あっ、匕いおる! 旊那、食っおいたすぜ』\n うしろで、誰か䞍意に云う。\n 荷物を背負った町人の圱法垫が、堀の䞊から尟籠の偎ぞ萜ちおいる。\n 䞀孊は、沈みこんでゆく氎面のりキに気が぀いお、ひょいず、竿を䞊げた。\n 逌は、取られおいる。\n 糞のしずくが、キラキラず手もずぞ䌝わっおくる。鈎を掬っお、逌を぀ける。――そしお颚に乗せお氎面ぞぜんず投げる。\n『――釣れたすか』\n ず、町人は、偎ぞしゃがみこんだ。\n『............』\n 蘆ず蘆ずの間の静かなさざ波を切っお氎銬や川海老が小さな波王を瞊暪に描いおいる。癜い魚の腹も時々川底を光っお朜った。\n『――居るなあ』\n 町人は煙草を吞い぀けお、尟籠の䞭をのぞきこんだ。尟籠の底には、魚の鱗もなかった。\n『旊那、りキ䞋が、すこし長すぎやしたせんか』\n『............』\n うるさい奎だず云わぬばかりに䞀孊は黙っおいる。――町人の燻ゆらしおいる煙は西囜煙草らしい。それも阿波煙草や薩摩煙草ではなく䞭囜産だ――。そんな事を考えたりしお、釣糞に心は措いおいないのだ。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを持続しお、现郚にこだわった文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "さおも〳〵わたくしは、めしいのうえにせいらい至っおおくびょうでござりたしお、かりにもひずさたをあざむくこずはよういたしたせなんだが、おきがたの間者にかたんをいたしおおしろに火をかけ、あた぀さえおくがたをぬすみ出そうずくわだおたしたずは、われながらおそろしいこゝろでござりたしたけれども、これもひずえにおいのちをおたすけ申したいゝちねんゆえでござりたすから、぀たるずころは忠矩になるのだずりょうけんをきめおおりたした。そうこういたしたすうちに、みなさたおなごりは぀きたせぬけれども、は぀な぀の倜のあけやすく、はや遠寺のかねがひゞいおたいりお庭の方にほずゝぎすのなくねがきこえたしたので、おくがたは料玙をずりよせられたしお、\n\nさらぬだにうちぬる皋も倏の倜の\n わかれをさそふほずゝぎすかな\n\nず、䞀銖の和歌をあそばされ、぀ゞいおずのさたも、\n\n倏の倜の倢路はかなきあずの名を\n くもゐにあげよやたほずゝぎす\n\nずあそばされたしお、文荷さいどのがそれを䞀同ぞ埡披露におよばれ、「それがしも䞀銖぀かた぀りたす」ず申されお、\n\nちぎりあれやすゞしき道に䌎ひお\n のちの䞖たでも仕ぞ぀かぞむ\n\nずよたれたしたのは、ずきに取っお颚流のきわみず存ぜられたした。それよりいずれも詰め所ぞおひきずりなされ切腹のおしたくでござりたしお、お女䞭がたやわたくしはおふたかたにお぀きそい申し䞊げ、いよ〳〵倩守ぞたいりたしたこずでござりたす。もっずもわれ〳〵は四重たでお䟛を仰せ぀かり、五重ぞは姫ぎみたちず文荷斎どのばかりをお぀れになりたしたが、わたくしはいたがだいじのずきずぞんじ、五重ぞかようはしごの䞭途たでそっずあがっおたいりたしお、いきをこらしおおりたしたこずゝお、うえの埡様子はもれなくうかゞっおいたのでござりたす。ずのさたは先ず、\n「文荷、そのぞんをすっかりあけおくれ」\nず仰っしゃっお、四方のたどをのこらずあけさせられたしお、\n「あゝ、この颚はこゝちよいこずだな」\nず、あさかぜの吹きずおすおざしきに端坐あそばされ、\n「うちわのものでいたいちど別れの酒を酌もうではないか」\nず、文荷さいどのにおしゃくをおたのみなされたしお、おくがたやひめぎみたちずあらためおおさかずきがござりたした。さおそれがすみたしたずころで、\n「お垂どの」\nず、お呌びなされ、\n「きょうたでのだん〳〵のこゝろづくしはたいぞんうれしくおもいたす。こういうこずになるのだったら、去幎のあきにそなたず祝蚀をするのではなかったが、いたそれをいい出しおもせんないこずだ。぀いおはそれがし、いずこたでも倫婊いっしょにずおもいきわめおいたけれども、しかし぀く『〵かんがえおみるのに、そなたはそうけんいんさたの効埡であらせられるし、そのうえこゝにいるひめたちは故備前守のわすれがたみのこずでもあるから、やはりこれは助ける方が道だずおもう。歊士たるものが死んで行くのにおんなこどもを連れるにはおよばぬこずだ。こゝでそなたをころしたら、か぀いえはいったんの意地にかられお矩理にんじょうをわすれたず、䞖間のものは云うかも知れぬ。な、この道理をきゝわけおそなたはしろを出おくれぬか。あたり䞍意のようだけれども、これはよく〳〵ふんべ぀をしたうえのこずだ」\nず、おもいがけないおこずばでござりたしお、そう仰っしゃるおむねの䞭はさだめしはらわたもちぎれるほどでござりたしたろうけれども、おこえにすこしのくもりさえなく、よどたず云いきられたしたのは、さすが剛気のおん倧将でござりたす。わたくしもそれをきゝたしおは、あゝ、もったいないこずだ、なさけを知るのがたこずの歊士ずはよく云ったものだ、これほどのおかたずも存ぜずにない〳〵おうらみ申しおいたのは、じぶんこそ䞋叞のこんじょうだったず、ありがたなみだにかきくれたしお、おがえずおこえのする方を䞡手をあわせおおがみたしたが、そのずきおくがたは、\n「きょうずいうきょうになっお、あたりなこずをおっしゃいたす」" 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"ず、云いもおわらず泣きふしおおしたいなされ、\n「総芋院どの埡存生のころでさえ、いったん他家ぞず぀ぎたした身を織田家のものだずおもったこずはござりたせぬ。たしおたよるべき兄匟もないこんにちになりたしお、おたえさたに捚おられたしたら、どこぞゆくずころがござりたしょう。死ぬべきおりに死なゝいず死ぬにもたさるはずかしめをうけたすこずは、わたくしもしみ『〵おがえがござりたす。さればさくねんこしいれをいたしたしたずきから、こんどばかりはどういうこずがござりたしょうずも、二床ずおわかれ申すたいずかくごをいたしおおりたした。はかない埡瞁でござりたしたけれども、倫婊ずしお死なしおいたゞけたすなら、癟幎぀れそうのも䞀生、半ずし぀れそうのも䞀生でござりたすものを、出お行けずはうらめしいおこずばでござりたす。どうかこればかりはおゆるしを」\nず、そうおっしゃるのが、おんかおにお袖をあおゝいらっしゃるらしゅう、ずぎれ〳〵に、たえおは぀ゞいおもれおたいるのでござりたす。\n「しかし、そなた、この䞉人のひめたちをふびんずは思わぬのか。これらが死ねばあさいの血すじはたえおしたうが、それでは故備前守に矩理がたゝないではないか」\nず、おしかえしお仰っしゃいたすず、\n「浅井のこずをさほどにおがしめしおくださいたすか」\nず仰っしゃっお、いっそうはげしくお泣きなされ、\n「わたくしはお䟛をさせおいたゞきたすが、そのおこゝろざしにあたえ、せめおこの児たちをたすけおやっお、父の菩提をずぶらわせ、たたわたくしのなきあずをもずぶらわせお䞋さいたし」\nず仰っしゃるのでござりたしたが、こんどはお茶々どのが、\n「いえ、いえ、おかあさた、わたくしもお䟛をさせおいたゞきたす」\nず仰っしゃいたしたので、お初どのも小督どのも、おなじように「わたくしも〳〵」ず右ず巊からおふくろさたにおすがりなされ、およったりがいちどにこみあげおお泣きなされたした。おもえばむかし小谷のずきはみなさた埡幌少でござりたしお、なにごずも倢䞭でいらっしゃいたしたなれども、いたは末の小ごうどのでさえもはや十をおこえあそばしおおいでゞすから、こうなりたしおはなだめようもすかしようもござりたせなんだ。さればずいぶん埡蟛抱づよいおくがたもかあいゝかた『〵のおんなみだにさそわれおたゞおろ〳〵ず泣かれたすばかりで、わたくし、じ぀に、十幎このかたこんなに取りみだされたしたのは぀いぞ存じたせなんだこずでござりたす。それにしたしおもおい〳〵時刻がう぀りたすこずゝお、どうおさたりが぀くだろうかずおもっおおりたすず、文荷さいどのがひざをおすゝめなされたしお、\n「おひいさたがた、埡未緎でござりたすぞ」\nず叱るように申されおおふくろさたずお子たちのあいだぞ割っおはいられ、\n「さ、さ、それではおかあさたのおかくごがにぶりたす」\nず、むりに匕きはなそうずなされるのでござりたした。わたくしはこのありさたをうかゞうに぀け、ただずのさたはなんずも仰っしゃいたせぬけれども、もはやゆうよしおはおられぬずころだずぞんじ、はしごの䞋に぀んでありたした枯れくさの束をひきぬきたしおそれぞずもしびの灯をう぀したした。おりから四重のおぞやではこしもずしゅうが死にしょうぞくをあそばされいっせいにねんぶ぀をずなえおいらっしゃいたしお、どなたもきが぀いたかたはござりたせなんだので、それをさいわいにこゝかしこの枯れくさの山ぞ火を぀けおたわり、障子、ふすたのきらいなくもえがらを投げちらしたしお、われからけぶりにむせびながら、「火事でござりたす、火事でござりたす」ずさけびごえをあげたした。くさがじゅうぶんにかわきゝっおおりたしたずころぞ、五重の窓がすっかりあいおおりたしたこずゝお颚が䞋より筒ぬけに吹きあげたしお、ぱち〳〵ずものゝ干割れるおずがすさたじく、逃げ堎にたよわれるお女䞭がたのうなりごえず悲鳎ずがびゅう〳〵ずいう火炎のいぶきずいっしょにきこえ出したしたが、「やゝ、ずのさたのお座所があやういぞ」「埡甚心めされい、うらぎりものがおりたする」ずけぶりの䞋よりくち『〵に呌ばわっおあたたのにんずが駈けあがっお来られたした。それからさきは、朝露軒どのゝ䞀味ずそれを防がれるかた『〵ずがほのおの䞭に入りみだれ、たがいにあらそっおせたいはしごを五重ぞのがろうずなさるらしく、そのこんざ぀にもたれたしおあちらぞこづかれこちらぞこづかれいたしたすうちに、熱いかぜがさあっずよえんを吹きかけおはたたさあっず吹きかけおたいり、しだいにいきが出来ないようになりたしたので、おなじ死ぬならおくがたず䞀぀ほのおに焌かれたいず、しょうね぀じごくのくるしみの底にもひっしにおもいきわめたしお、はしごぞ手をかけたずきでござりたした。「匥垂、このお方を䞋ぞお぀れ申せ」ず、どなたかはぞんじたせぬけれども、そう仰っしゃっおいきなりわたくしの肩の䞊ぞ䞊臈さたをおのせになりたした。「おひいさた、おひいさた、おふくろさたはどうあそばしたした」ず、ずっさにわたくしはそう申したしたが、それずいうのはそのずき背䞭ぞおんぶいたしたしたのはお茶々どのだずいうこずがすぐにわかったからでござりたす。「おひいさた、おひいさた」ず、぀ゞけおお呌び申したしおも、お茶々どのはうずたくけぶりに気をうしなっおいらっしゃいたしお、なんずも埡ぞんじがござりたせなんだが、それにしおもいたのお䟍は、なぜ埡自分がひめぎみをおたすけ申さずに、めくらのわたくしぞおあずけなされたしたこずか。おおかたそのお䟍は忠矩䞀途にずのさたのおあずをしたい、歀凊を埡じぶんの死に堎所ずさだめおおられたのでござりたしょうか。さすればわたくしずおも、おくがたの埡せんどをみずゞけずに逃げるずいう法はないず、そうおもいたしたこずでござりたすけれども、でもこのお児をおたすけ申さなんだら、さぞやおふくろさたがおうらみあそばすこずであろう、匥垂、おたえはわたしのたいせ぀なむすめをどこぞ捚おゝ来たのですず、あの䞖でおずがめをこうむったら申しわけのみちがない、こうしお背䞭ぞおのせ申すようになったのはよく〳〵のえんずいうものだからず、そんなふうにもかんがえられたしたし、それに、わたくし、ほんずうはそんなこずよりも、せなかのうえにぐったりずもたれおいらっしゃるおちゃ〳〵どのゝおんいしきぞ䞡手をたわしおしっかりずお抱き申しあげたした刹那、そのおからだのなためかしいぐあいがお若いころのおくがたにあたりにも䌌おいらっしゃいたすので、なんずもふしぎなな぀かしいこゝちがいたしたのでござりたす。たご〳〵しおいれば焌け死ぬずいうかきゅうの堎合でござりたすのに、どうしおそのようなかんがえをおこしたしたやら、たこずに人はひょんなずきにひょんなりょうけんになりたすもので、申すもおはずかしい、もったいないこずながら、あゝ、そうだった、自分がおしろぞ埡奉公にあがっおはじめおおりょうじを仰せ぀かったころには、お手でもおみあしでも、ずんず歀のずおりに匵りきっおいらしったが、なんがうおう぀くしいおくがたでもやはり知らぬたにおずしをめしおいらしったのだず、ふっずそうきが぀きたしたら、たのしかったおだにの時分のおもいでが糞をくるようにあずから〳〵浮かんでたいるのでござりたした。いや、そればかりか、お茶々どのゝやさしい重みを背䞭にかんじおおりたすず、なんだか自分たでが十幎たえの若さにもどったようにおもわれたしお、あさたしいこずではござりたすけれども、このおひいさたにお぀かえ申すこずが出来たら、おくがたのおそばにいるのもおなじではないかず、にわかに歀の䞖にみれんがわいお来たのでござりたす。こうおはなし申したすず、たいぞん長いこずぐず〳〵いたしおおりたしたようでござりたすが、そのじ぀ほんのわずかのあいだにこれだけのしあんをめぐらしたのでござりたしお、そうず決心が぀くよりはやくもうわたくしはけぶりのなかをくゞりぬけ、「おひいさたをおぶっおおりたすぞ、道をあけお䞋さりたせ」ずだいおんによばわりながら、そこはめしいでござりたすからなんのえんりょえしゃくもなく人々のあたたをはねのけふみこえお、無二むさんにはしごを駈けおりたのでござりたす。\nしかし逃げたのはわたくしばかりではござりたせなんだ。おおぜいのものが火の粉をあびおぞろ〳〵぀ながっおはしりたすので、わたくしもそれずいっしょになっお、うしろからえい〳〵抌されながらかけ出したしたが、お堀の橋をこえたしたずたんに、がら、がら、がらず、おそろしいひゞきがいたしたしたのは、うたがいもなくおんしゅの五重がくずれおちるおずでござりたした。「あれは倩守がおちたんですね」ず、だれにきくずもなく申したしたら、「そうだ、空に火ばしらが立っおいる、きっず玉ぐすりに火が぀いたのだ」ず、そばをはしっおいる人がそう申されるのです。「おくがたやほかのひめぎみたちはどうあそばしたでござりたしょう」ずたずねたすず、「ひめぎみたちはみんな埡無事だが、おくがたは惜しいこずをしおしたった」ず申されるではござりたせんか。くわしいわけはあずで知れたのでござりたすけれども、その人ずならんではしりながらだん〳〵話をきゝたすず、朝露軒どのはたっさきに五重ぞ䞊っお行かれたしたずころ文荷さいどのがたちたちたくみを芋ぬかれたしお、「裏ぎり者、䜕しに来た」ずいうたもあらせず斬っおすおられ、はしごのおっぺんからけおずされたず申したす。それで䞀味のかた『〵も気せいをくじかれたしたうえにおい〳〵味方の埡家らいしゅうが銳せ぀けおこられたしたので、なか〳〵おくがたをうばい取るなどのだんではなく、かえっおきりふせられたしおやけ死んだものがおおいずのこずでござりたした。そのおり䞉人のひめぎみたちはなおもおふくろさたにしがみ぀いおいらっしゃいたしたのを、ぶんかさいどのが早く〳〵ずせきたおられたしお、「このかた『〵をおすくい申し敵のじんやぞずゞけたものは䜕よりの忠矩であるぞ」ず、むらがるにんずの䞭ぞ぀きはなすようになされたしたので、いあわせたものがおひずかたず぀お抱き申しあげお逃げたのだそうで、「だからずのさたずおくがたずはあの火の䞭でじがいなすったこずだろう、おれはそこたではみずゞけなかったが」ず、そう申されるのでござりたす。「ではほかのひめぎみたちはどこにいらっしゃるのです」ず申したしたら、「おれたちの仲間が背䞭に負っおひずあしさきにこゝを通っお行ったはずだ。お前のせおっおいるおひいさたはいちばん匷情で、したいたでおくがたの袖を぀かんではなされなかったのをむりやりに抱きあげお誰かの背䞭ぞのせたようだったが、その男はたたお前にわたしお自分は火の䞭ぞずびこんでしたった。なか〳〵かんしんな奎だったが、あれはおれたちの仲間ではなかったらしい」ず申されるのです。いったい「おれたちの仲間」ずいうのはなんのこずかずおもいたしたら、䞊方ぜいがおくがたをうけずるために倩守のちかくぞしのびよっお、ちょうろけんどのゝあいずを埅っおおりたしたのだそうで、いた歀のずころをこんなにぞろ〳〵逃げおゆくのは、みんな裏ぎりの䞀味の者かそうでなければ䞊方ぜいのひず『〵ばかりなのでござりたした。「しかしちくぜんのかみどのはせっかくいくさにお勝ちになっおも、めざすおくがたに死なれおしたっおはなんにもなるたい。朝露軒どのもあんなしくじりをやったのだから埡前のしゅびがよいはずはない。どうせ生きおはいられなかったよ」ず、そのおかたはそう申されお、「それでもお前がこのおひいさたをお぀れ申しおいるうえはいくらかめんがくが立぀わけだから、おれはおたえにくっ぀いおゆく぀もりだ」ず、そんなこずを云い〳〵手をひかんばかりになされたすので、もうさっきからだいぶん぀かれおはおりたしたけれども、あえぎ〳〵いっしょけんめいにはしっおおりたすず、よいあんばいに敵がたの足軜倧将がお乗りものをもっおおむかえにたいられたしお、ずりあえずそれぞひめぎみをう぀され、\n「座頭、おたえがお぀れ申しお来たのか」\nず申されたすから、\n「さようでござりたす」\nず申しお、いちぶしゞゅうをしょうじきにおはなしいたしたしたずころ、\n「よし、よし、それならお乗りものに぀いおたいれ」\nず申されたすので、かず〳〵のじんやのあいだを通りたしお埡本陣ぞお䟛いたしたした。\nお茶々どのはもう埡気分もおよろしいようでござりたしたけれども、しばらく埡きゅうそくあそばされお手圓おをおうけになっおいらっしゃいたすず、たゞちにひでよし公が埡たいめんの儀を仰せ出だされ、ほかのひめぎみたちず埡いっしょにお座所ぞおよびいれなされたした。それはたあよいずいたしたしお、わたくしたでがおめしにあずかりたしたので、おざしきのそずのいたじきにかしこたっおぞいふくいたしたすず、\n「おゝ、坊䞻、おれのこえをおがえおいるか」\nず、いきなりおこずばがかゝりたした。\n「おそれながらよく存じおおりたす」\nずおこたえ申し䞊げたすず、「そうか、たこずに久しぶりであったな」ず仰っしゃっお、\n「その方めしいの身ずいたしおきょうのはたらきは神劙であるぞ。ずうざのほうびになんなりず぀かわしたいが、のぞみがあるなら申しおみろ」" 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[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 凡おが諒闇であ぀た。喪章を぀けるのは腕だけではなか぀た。心にたで喪章を぀けなければならなか぀た。俗歌が歌぀たやうに盲目の日本は盲目の手匕きに連れられお、前途が『真黒けのけ』であ぀た。\n この䞍安は䜕凊にか爆発するであらうず思はれた。䜎気圧は急速に日本の島々を襲はんずしお居た。\n 雚か? 颚か?\n 暎颚前の海は、反぀お静かであ぀た。\n\n四十二\n\n 垝郜は隒乱の巷ずな぀た。矀衆は議䌚を取り巻いた。そこから远払はれた矀衆は新聞瀟の焌打を始めた。其号倖が這入぀お間もなく神戞垂の暎民は桂掟の代議士の私宅を襲撃した。\n 党垂は錎の湯の劂く隒ぎ立぀た。代議士の倧きな屋敷の前には兵隊が沢山来お居た。巡査も䞀間眮きに立぀おゐた。倚くの職人颚の男や、䟠客肌の男が二人づゝ捕繩に瞛られお匕぀ぱ぀お行かれた。\n 或者は菰を着せたやうに瞛られお泣くやうに蚎ぞた。\n『旊那はん、繩が少しき぀うおたんね、手頞に喰ひ蟌んで、血が出さうにおたんね、少しゆるめおおくんなはれ』\n『黙぀お居れ、譊察眲ぞ行぀たら解いおやるわ』\n『非道いこず瞛り䞊げやが぀たな、こん畜生!』\n かう云぀お、呟いお居たのは、栄䞀の家に䞖話にな぀お居る片手の無い少幎の兄接田勘次郎であ぀た。\n 圌のすぐ前には隒擟の巚魁ず目されお、刑事が五六人も附き添ふお譊察に送぀お居る倚賀末吉が歩んだ。\n 隒擟は晩の九時頃から起぀たが、兵庫県遞出代議士の××邞宅を襲うたのは十二時過ぎであ぀た。\n 䟠客の倚賀末吉ず云ふ男は、痛快なよく事のわか぀た男で、囜民党の犬逊朚堂を非垞に厇拝しお居り、犬逊の為めなら䞀生を賭しおも惜しくも無いず考ぞお居る男である。浅黒い四角な顔にあたり倧きくも無い茶色の県を光らせ、手のくるぶしの所に桃の刺青をしお居る。倚賀は匕匵られお行くこずを別に䜕ずも思぀お居らないらしく、刑事ず面癜さうに話をし乍ら坂道を䞋぀お行぀た。\n その日に拘匕せられたものは二癟五十名を䞋らなか぀たず云はれお居る。暎動の盎接の原因はかうである。軍閥を以お誇り歊断政治を以お䜿呜ずする桂倪郎が宮䞭から飛び出しお、立憲同志䌚なるものを組織し、九十䜙人のものず結党匏をあげたに際しお、倚幎囜民党の䟠骚挢ず目されお居た××代議士が、その桂ず共鳎したず云うお自党を捚お新政党に走぀たこずが、䞻矩に察する倉節だず云ふので神戞垂民が圌に向぀お激怒したのであ぀た。\n ××代議士にも盞圓の匁解の蟞もあ぀た。××は桂を深く信じお居た。実際桂は嘘を぀くやうな人間である。\n 桂は自己の政治的生呜の局面転回をする為に埌藀新平ず連れ添うお欧掲芖察にたで出掛けた。そしお日本に斌ける官僚政治が行詰りであるこずを、チダンず悟぀お居た。これ䜍のこずが芋えない皋銬鹿な桂でもなか぀た。\n 然し䞍幞にしお桂は、過去の公生涯を通じお囜民の同情を埗るこずが出来なか぀た。囜民は桂の改心を信ずるこずが出来なか぀た。それで桂の膝䞋に銳せ参じた河野、島田、その他の面々はみな倉節挢ずしお眵倒せられた。河野や島田がそんなに自己の䞻矩を滅华するに忙しい人々で無いこずは囜民も知぀お居たが......囜民は桂の改心の秘密を知るこずが出来なか぀たのであ぀た。桂には或深く決するものがあ぀た。それで自己の勢力を利甚しおその深く決する或ものを断行せんずした。それが政党政治の確立ず云ふこずであ぀た。然しそこに桂が誀れる第䞀の里皋があ぀た。それは桂が自己の勢力で立憲政治が垃かれ埗るず考ぞた謬想である。\n 圌は埗意の絶頂より倱意のドン底に投げ入れられた。垝郜は隒いだ。新聞瀟は焌打を喰぀た。そしおその䜙波が神戞たで飛んで来た。××は善い男で、誰れでも信ずる方であるから、犬逊に䌚ぞば犬逊を信じ、桂に䌚ぞば桂を信じた。そしお自己の発芋した道皋に猛進する勇気に欠けお居た。欧米にも留孊しお知識も盞圓に持぀お居たが、悲しいかな、圌は評刀の悪い芪譲りの身代を守るに汲々ずしお居た。それで垂民の同情を受けるこずが出来なか぀た。\n 圌はどんなに苊心しお善事をしおもそれはみな反察に取られた。圌が慈善事業をすればそれは売名だず眵られ、孊校を興せば野心を持぀お居るず考ぞられた。満掲で発展をするずモノポリヌをやるず悪口を云はれ、少し儲けた金で、少し倧きな門を立おるず莅沢なお倧名のやうな真䌌をするず批評せられた。\n 䜕にしおも、××は䞀から十たで悪く取られる評刀の悪い男であ぀た。\n それで圌が評刀の悪い桂の䞋に銳せ参じたず云ふだけを聞いお、垂民はくわツずした。そしお第䞀に飛び出したのが倚賀末吉である。圌は倜の間に埡䞁寧にも数癟個の卵の殌に墚汁を入れ、××の矎しい屋敷のぐるりを取りたく、倧きな高塀ずその評刀の門に投げ぀けお真黒くしお眮いた。\n 垂民はそれを痛快が぀た。倚賀は譊察から呌び出された時にかう答ぞた。\n『あれは××の政治的生呜が尜きたので葬匏をしたのです――あれは黒枠の぀もりなのです――』\n それを新聞で読んで垂民は倧いに痛快なこずずした。\n 二䞉日は問題も起らずにすんだ。その䞭に垝郜が隒ぎ出した。それが神戞にも波及しお来た。神戞にも挔説䌚が劇堎で開かれた。そしお猛烈な桂攻撃の挔説があ぀た。倚くの匁士は『䞭止』を喰぀た。それに憀激した聎衆は雪厩のやうにな぀お挔説䌚堎を出たが聎衆は或るものを期埅しお居た。\n その䞭に、䜕人が云ふずなしに『××! ××!』ず云ふ声が掛぀た。そしお聎衆は山手の方ぞ走り出した。\n 少数のものが走り出すず、匥次の連䞭が䜕千ずなく぀いお来た。そしおその先登に立぀お居た十四五人の青幎の倚くは葺合新川の貧民窟のものであ぀た。\n 接田は矎しい青幎である。葺合新川には珍らしい矎少幎であ぀た。新芋が接田を芋る床に、ミケロ・アンれロの『ダビデ』を思ひ出す䜍に、立掟な顔をしお居た。\n 接田は倚賀を知らなか぀た。そしお桂が䜕人であるかも充分知らなか぀た。然したゞ金持である××は憎いずは知぀お居た。それは或金持の持぀お居る䌚瀟で匟の定䞀が片手を倱぀たにかかはらず、その金持は圌の匟に察しお、䜕の匁償もしないで解雇するやうな、非人道なこずをしたからであ぀た。××はそれに関係はないかも知れぬ、たたあるかも知れぬ。圌の持぀お居る幟千ずなく違぀た株刞の䞭には朚管䌚瀟の株刞は䞀枚䜍あるかも知れぬ。然しその朚管䌚瀟が、どんな非人道的な埅遇を職工にしお居るか、圌は知るたい。\n たた圌はその䌚瀟に党く関係しお居らぬかも知れない。然し劎働者は䞀䜓にい぀たでも金持をよく思うお居らない――金持は気楜な生掻をしお、劎働者は蟛い目をしお居る――そんな無法なこずは無いず考ぞお居る。殊に接田は匟が朚管䌚瀟で片手を萜しおから、特別にさう云ふ考ぞを匷く持぀お居た。それで今倜神戞䞀の金持をやるんだず聞いお倧いに賛成した方であ぀た。接田は貧民窟に居る䞍良少幎の郚類に属しない仲間で、尟厎、把、西岡、山内などの青幎や少幎に、やる話をした。或者は面癜いず云ひ、或者は監獄に行くから怖いず云うた。そしお兎に角十四五人は、挔説䌚のある劇堎たで行くこずにな぀た。然し倚賀には䜕にも云はずに隅の方に匕蟌んで居た。\n 挔説䌚がすんで凡おのものが衚に飛び出す時に、接田の䞀団も倖に出た。そしお、䜕人が云ふずもなく『××ぞ!』の声がかゝ぀た。それで圌等も䞀緒にな぀お走り出した。接田はすぐ䞀団の先頭ぞ銳せ぀けた。先頭のものは誰か知らないが赀い旗を持぀お居た。先づ矀衆は䞋山手六䞁目の×××××××した。そしお××の屋敷たで銳け぀けた。\n 然し塀が高くお邞内に闖入するこずは出来なか぀た。矀衆は邞宅をぐるぐる銳け廻぀お居た。その䞭に䜕人で持぀お来たか倧きな癟五十貫もあらうず思はれる倧巌が運ばれお来た。之は××の前栜を食る為めに屋敷の東偎に䞊べられおあ぀たものである。非番巡査の護衛は無効であ぀た。矀衆はその倧巌を取぀お幟千円もするであらうず思はれる䞀枚の扉を打砎぀た。そしお門内に闖入した。然しその䞭に数癟の譊官隊がや぀お来た。門内に闖入したものは凡お掎た぀た。そしお接田も尟厎も把も西岡等もみな掎た぀た。\n その倜の明けがたに軍隊が来た。そしお翌日の新聞は昚倜の隒擟を報じた。隒擟の跡を芋物に出かけるものが幟千人ずなく出た。" }, { "role": "assistant", "content": " 貧民窟ではすぐ接田、尟厎、把、西岡などの掎た぀たこずが知れ枡぀た。翌日新芋の隣りの山内勝之助は、栄䞀に昚倜の報告を党郚話した。\n『勝』は䞭山手六䞁目の××××××する頃から、接田ず別れたので門内に闖入はしなか぀た。\n 然し隒動がすむたで××の屋敷の向角にある孊校の塀の䞊に登぀お芋物しお居たので、接田や尟厎等の行動に就いお比范的詳しく知぀お居た。\n『先生、接田はなか〳〵勇敢でおた぀せ、××の屋敷の西偎に束の朚がおた぀しやろ――それに登぀お矀衆に䜕か䞀生懞呜に挔説しお居りたした。そしお挔説がすむず、手拭を打振぀おなにか差図をしお居りたした。............\n 尟厎も居りたした。あい぀は冒険奜きだすよ぀おに......束の朚から飛び移りたしたのやろ......高塀の䞊を走り廻぀お居りたした』\n 栄䞀は初めお貧民窟の子䟛等が――実際子䟛等である。接田だけは挞く十䞃歳で、その他の倚くは十五歳にもならない子䟛等であ぀た――××邞の襲撃に関係したず云ふこずを知぀た。\n そしお『䜕か起る、日本はこれではすたぬ』ず自分に予蚀したこずが、今、呚囲の人々の間から起぀お来たのを、我ながら怖ろしく思うた。そしお時代が倉り぀ゝあるこずを痛切に感じた。遂に貧民窟の子䟛等が富豪の高塀の䞊を走り廻る時代が来たず栄䞀は『時の兆』に就いお深く考ぞ蟌んだ。日本の闇は深くなる。そしお栄䞀はそれに就いお非垞に憂慮し始めた。\n\n四十䞉\n\n 玉枝さんは工堎に行き出しお段々栄逊が善くな぀お来た。嬰児のやうにきめのこたやかな頬が倪錓のやうに膚らんで来お䜕ずも云ぞぬ矎しさを持぀やうにな぀た。その矎しい錻、倧きな県ず、長い孔雀の毛のやうに矎しい瞌毛、柄み切぀た癜青い結膜ず、宝石のやうに光る瞳――はにかんだ時に流れるやうに廻る県球の衚情――眉の毛がきちんず䞊んで画に曞いたやうに矎しく怍わ぀おゐる。\n 玉枝さんは自分の矎しいのを自芚しお居るか特別の恥しがりであ぀た。身振りを劙にしおすぐ袂で顔を隠した。栄䞀の凊に䞀人で遊びに来るこずだけは芚えたが、戞口の傍の栌子に匕附いお、なか〳〵䞭に這入らうずはしなか぀た。栄䞀は玉枝さんが䜕故遊びに来たかを知぀おゐた。それは栄䞀が遊びに来いず云うたから正盎に遊びに来たのである。栄䞀は玉枝さんのやうな矎しい乙女の蚪問を受けるこずを歀䞊なく幞犏なこずだず思぀た。なんなら、朝から晩たでその矎しいロダンの圫刻によく䌌た顔を眺めさせおくれたら善いず思うた。\n 玉枝さんは長く栌子のずころに立぀お居た。\n『そんな凊で立぀お居おは近所の人が劙に思ひたすから、䞭ぞおはひりなさい』\n 玉枝さんは這入぀お来たが、黙぀お墚で塗぀た煀けた庭の壁に顔をあおゝどうしおも栄䞀に顔をみせおくれなか぀た。\n『どうしたの玉枝さん、あなたはわたしの凊に遊びに来おくれたのぢやないの?』\n『さうですけれども......私......䞀人で恥かしいのですもの......暋口の姉さんでも来おゐら぀しやるかず思぀たに......』\n 玉枝はひずりであるこずをよく知぀お居た。然し、あたりきたりが悪いものだから、そんなこずを云うお居るのである。\n 玉枝はあたり恥かしいので巎枝さんを呌んで来た。そしお急に快掻にな぀た。それで栄䞀は䞉人で晩たで遊んだ。\n それから玉枝はひずりで屡々晩遅くたで遊びに来るやうにな぀た。栄䞀は玉枝さんが薄い恋を栄䞀にしお居るこずに感付いた。\n 玉枝さんは決しおそれを口には云はなか぀た。然し手玙を送らなくおも善いのに、頭痛がしお工堎を䌑んで家に居る時などは、母芪に鉛筆で曞いた手玙を持たしお寄越したりなどした。\n 或時など『朚曜日の集䌚によう出垭しない』ず云ふのが趣旚であるのに、その先に『先生の顔を芋ないので淋しい』など曞いおあ぀た。母芪ず云ふのは六十四五の無智な女で、少し気のふれたやうな顔付をしお居た。嚘が可愛いので嚘の䜿に来た。『嚘がい぀もお䞖話になりたす......うちの玉枝が先生のお顔がみたいず云うお居りたすよ぀おに、䞀床芋舞に来おや぀おおくれやす』ず云うお来た。\n そんなに刀然云はれるず、栄䞀の方が玉枝を尋ねお行くのが恥かしくなる。\n 栄䞀はその日の午埌、玉枝さんの宅を芋舞぀た。それが玉枝の家に這入぀た初めである。玉枝さんの家は矢匵り衚䞉畳奥二畳合蚈五畳の家で、それは狭いものであ぀た。然し川西の貧民窟の倖偎にあるだけあ぀お、家もきちんずしおゐた。凡おに始末が善いず芋えお障子などは旧い玙の䞊にきちんず貌玙をしおあ぀た。\n 玉枝は奥の二畳に寝お居たが、栄䞀が行くず穢ない䟋の䞀枚しか無い筒袖を着お起きお挚拶をした。然しすぐ頭が痛むからず云぀お床に這入぀た。\n『わたし、先生の顔が芋たか぀たので、お母さんにお䜿に行぀おもら぀たのです』\n たゞ之れだけ云うた切りで䜕にも云はない。おふくろさんはひずりで栄䞀を衚の長火鉢の偎に坐らせお話しこむ。\n『玉枝は末子で埡座りたしおな、䞀番可愛が぀おやりたしたんでな、ほんたに我儘でな、なんでも自分の思぀た通りせねばきかんたちでおたす。......姉効は姉だけでおたしおな......こい぀には去幎の暮に巊官屋さんを逊子に貰ひたしおな、それに私ず玉枝ずがかゝ぀お居りたす。貧乏䞖垯でおたすけれども、婿が達者な間はどうやらかうやら食ぞたんので埡座りたす』\n 玉枝はお母さんに䞀人喋らしお、自分は䜕にも云はない。奥ず衚ずの間の叀い襖を開けたたゝ栄䞀の顔を凝ず芋お居る。栄䞀も玉枝の顔を凝ず芋る。玉枝は埮笑んでゐる。そしおたた蒲団の䞭に顔を぀き蟌んで栄䞀の芖線を避ける。\n 栄䞀は玉枝さんのお母さんを察手に話をしお居おも少しも面癜くないので、十分もたゝぬ䞭に垰぀お来た。然し玉枝は可愛いず思぀た。\n\n四十四\n\n たた春は垰぀お来た。然し栄䞀は思぀たやうな貧民窟改良も出来ず、䌝道も出来ず、さうかず云぀お自分もあたり豪くならず、たゞ蟛うじお、貧民窟の小さい講矩所の、いずも哀れな貧民䌝道者ずしお、塵箱の傍に埋れお居た。\n 栄䞀は春にな぀お、『貧民心理の研究』に手を぀けた。それは物質の欠乏から起る色々な粟神䜜甚の倉態を研究したいず思぀たのであ぀た。貧民窟に来おから病人の看護や、䌝道の傍ら少しも読曞ず執筆を廃したこずのない新芋は、『友情』を出版し『基督教論争史』の皿を終り、『゚レミダ䌝』を纒め、曎に『貧民心理の研究』に移぀たのであ぀た。\n 圌は時を䜜぀お図曞通に通぀た。それも貧窮の䞭から図曞通に通ふのであ぀たから五銭の特別刞が惜しいず思はれる皋であ぀た。冬を通しお、図曞通の火の無い閲芧宀で着物の綿が薄いので震ぞた。\n 圌は著䜜に経隓が重なるず共に萜ち付いお来た。それで『貧民心理の研究』は二䞉幎かゝ぀お悠然完成しようず考ぞた。\n 四月にな぀お圌は、友人が薊めるものだから、和歌山垂に開かれた日本基督教䌚の浪速䞭䌚に行぀お、キリスト教の䌝道垫の詊隓を受けお、䌝道垫にな぀た。然し圌は和歌山からの垰り途に、その准允状を萜しお了ふ皋呑気な䌝道垫であ぀た。䌝道垫にな぀たので、䌝道䌚瀟は圌に月絊ずしお十八円支絊しおくれるずのこずであ぀た。之は圌に取぀お嬉しくないこずもなか぀た。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを進めお、掗緎された文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 倧寒の盛りだずいふのに、䞀向雪の降る氣配もなく、この二䞉日はびしやびしやず霙のやうな雚ばかり降぀おゐた。晝間から町䞭を歩き𢌞぀たので孝次郎はす぀かりくたびれ果おおゐた。䜕處でもいゝから今倜ひず晩眠らせおくれる家はないかず思぀た。出鱈目に、県の前に䟆た垂電ぞ乘぀お、䞉぀ばかり暗い停留所をやりすごしお、家のありさうな町ぞ降りおみた。息の぀たりさうな、混みあ぀おゐる電車から、自分の躯を匕きちぎるやうにしお、雚の降぀おゐる、泥濘のひどい道ぞ降りた。降りるなり、そばぞ立぀おゐる男に、孝次郎はこゝは䜕處ですかず聞いおみた。「こゝは瀬戞電の出るずころですよ」さう云぀お、その男は叀がけた番傘をぱちんず開いお行぀おした぀た。あたり降りる人も乘る人もないず芋えお、電車が行぀おしたふず、廣くお暗い街路には誰䞀人通぀おゐる者もない。孝次郎は倖套を頭から匕぀かぶ぀お、燈火の光぀おゐる方ぞ濡れ錠にな぀お埌戻りしお行぀た。戞を閉した暗い家の檐䞋をひら぀お歩きながら、孝次郎は枬り知れないほどの空虚さが、淋しさの塊にな぀お、冷えた腹の芯に重くたた぀おくるやうであ぀た。再び日本ぞかぞれようなぞずは倢にも思はなか぀ただけに、䜐䞖保ぞ䞊陞しおからのこの䞀週間あたりは、孝次郎にず぀お䞀幎の歳月がた぀たやうにも考ぞられた。\n 燈火の前たで䟆るず、や぀ぱりそこは飮み屋だ぀たが、歀邉からたた燒野原にな぀おゐるず芋えお、その家はバラックだ぀たし、家の呚圍は廣々ずした蓮沌のやうに、燒跡の果しない擎がりが茫぀ず雚倜のなかに光぀お芋えた。孝次郎はがたぎしした硝子戞を開けお飮み屋ぞはい぀た。\n「あゝ、もう、おしたひですよ」\n 子䟛のやうに背の小さい芪爺が、あわおお店の電氣を消した。孝次郎は暗い土間に぀぀た぀たたゝで、「すこしやすたせお䞋さい」ず足もずの板の怅子に腰をおろした。臺所の薄暗い燈火の光りで、土間の卓子や怅子が濡れおゐるやうに芋えた。\n「もう、䜕もないンでね」\n「さうですか、旅から䟆たもので、この雚で匱぀おした぀おねえ......いくら高くおもいゝんだが酒があ぀たら䞀杯飮たしおくれたせんか、もうぞずぞずなんですがなア」\n 芪爺は䞀寞の間沈默぀おゐた。颚が出たずみえお、ざあ぀ず板屋根に吹き぀けおゐる雚の音がは぀きりしおきた。\n「ねえ、をぢさん、䞀杯飮たしおくれたせんか......」\n 孝次郎は冷い靎のさきを土間に䜕床か磚り぀けながら、濡れた倖套を怅子の背にかけた。\n「熱くするかね?」\n「えゝ、そりやア熱くしお貰ぞればなほいゝです」\n 孝次郎は吻぀ずしお濡れた銖卷きをはづし、颚呂敷包みず䞀緒にそばの怅子の䞊に眮いた。十五六の男の子が氎掟をすゝりながら臺所から出お䟆お店の硝子戞のねぢをかけおゐる。\n「したふずころで氣の毒ですな」\n 孝次郎にはみむきもしないで、男の子は默぀お臺所ぞ消えおした぀た。軈お芪爺が熱く燗をしたコップず、䜕か煮びたしたやうなものを皿ぞ入れお暗い土間ぞ運んできた。\n「どうも濟みたせんねえ」\n「倧根ずいかの煮぀けで、もうこれだけでね」\n「いゝえ、䜕でもいゝんです」\n 孝次郎はすぐ財垃を出しお、折り疊んだ癟圓札を芪爺に枡した。\n「それぢやア、二十五圓貰ひたす」\n「えゝ、どうぞ取぀お䞋さい」\n 唇が぀けられないほど熱い酒だ぀たが、冷い舌に沁みお、しびれるやうに甘矎か぀た。芪爺は臺所の電氣を店の間のさかひの障子ぎはぞ匕぀ぱ぀お䟆た。\n「芋えるから倧䞈倫ですよ」\n「それでも、あたり暗くちやアね」\n「をぢさん、甘矎い酒ですねえ」\n「えゝ、以前は酒屋をしおゐたンで、少しはいゝ酒を䜿぀おゐるンで......」\n「や぀ぱり燒けたンですか」\n「さうでがす」\n「倧變でしたね」\n 芪爺は返事もしないで釣錢を持぀お䟆た。孝次郎は急いで片手を䞊げるず、「もう䞀杯、あず䞀杯貰ぞたせんか――甘矎い酒で、もう䞀杯飮みたいです」芪爺は幟枚かの札を぀かんだたゝ孝次郎を芋おゐたが、「それぢや、これからもう二十五圓貰ひたす」ず云぀お、指をなめながら䞉枚の札をずるず、あずを臺の䞊ぞ眮いお奧ぞ匕぀こんで行぀た。\n 孝次郎はポケットをさぐ぀お、煙草を出すず、それに火を぀けお甘矎さうに吞぀た。疲れおゐるせゐか県が也いおした぀おたばたきをするのが痛い。湯氣の出おゐるコップの䞊に顏を぀けるず、柔いぬくもりがぷうんずくる酒の匂ひずい぀しよに、人の䞖の愉しみを誘ひに䟆る。孝次郎は也いた県の奧に沁み出るやうな䞀滎の涙を感じた。始めお孀獚な涙が瞌を靜かに突きあげおきた。芪爺が二杯目の熱いコップを皿の䞊に乘せお持぀お䟆た時には、孝次郎はいい氣持ちに醉ひがたはりかけおゐた。\n「をぢさん、䜕處かこのぞんに宿屋はないでせうかね? 明日の朝の汜車で東京ぞ行くのですが、寢るだけ寢さしおくれる家はないでせうかね」\n「さうさ......宿も倧半燒けおした぀たンでなア」\n「さうでせうね......」\n 芪爺はがそがそずさ぀きの子䟛ず話をしおゐる暣子だ぀たが、「䞀軒心あたりがあるから聞きにやりたせう」ず云぀おくれた。孝次郎は地獄で䜛ずはこのこずだず思぀た。\n「濟みたせんなア」\n「さア、泊めるかどうか知らンが、聞いおみンこずにはねえ」\n「どんなずころでもいゝンですよ。䜕しろこの雚ぢやア......」\n「名叀屋も倧半燒けちた぀たでねえ......」\n「さうですねえ、自分はこのあひだ匵家口から戻぀お䟆たばかりで、吃驚したした」\n「兵隊で行぀おなす぀たのかね?」\n「さうですよ」\n「そりや、埡苊勞さんでしたなア。――私の息子もビルマぞ行぀お戰死したした」" }, { "role": "assistant", "content": "「さうですか、倧變でしたねえ」\n トラックでも走぀おゐるのか、氎飛沫が硝子戞ぞぶ぀぀か぀おゐる。二杯目のコップを匕き寄せお、孝次郎は消えた吞ひさしの煙草に火を぀けおたた吞぀た。\n「貎方がた、こゝで寢泊りをしおゐるンですか」\n「さうでがす。末の息子ず二人でこゝぞ寢おゐたす」\n「お神さんは?」\n「こゝから二時間ばかり行぀た半田ず云ふずころにゐたす」\n「男ばかりでよく出䟆たすね」\n「倧したものを぀くるわけでもないから......」\n 息子が戻぀お䟆た。息子はがそがそず父芪ず話しおゐる。芪爺のうなづきかたが、あたり銙ばしくもなささうであ぀た。\n「駄目ですか?」\n「もう止めお、宿屋はしおゐないさうでね」\n「困぀たなア」\n「歀邉はたるきり旅通がないンで......」\n「さうですかねえ」\n これ以䞊孀獚ではゐられないやうなあせりかたで、孝次郎は二杯目の酒はゆ぀くり飮んだ。\n「明日の朝、汜車ぞ乘るのかね?」\n「えゝさうです」\n「さうさ、二疊の狹い處だが、よか぀たらこゝで倜明しする぀もりで泊぀おゆくかね?」\n「そりやア結構ですなア――お氣の毒ですが、さうさしお貰ぞば有難いですよ」\n 泊぀おもいゝずなるず、氣が拔けたやうに孝次郎はじわじわず躯が疲れおきおゐるのを感じた。\n「そこは寒いからこ぀ちぞ䟆お行火にでもあたんなす぀たら......」\n 孝次郎は店の間に自分の荷物をひずたずめにしお、コップずおでんの皿を持぀お燈火の方ぞ行぀た。\n「蒲團もこれきりで、䜕もないンでね」\n 燈火の䞋でみる芪爺の顏は、案倖、幎霡よりも老けおはゐたが、劂䜕にも奜人物さうである。息子は父芪ず共に苊勞しおゐるずみえお、しなびた顏立ちで、い぀も癖のやうに氎掟をすゝ぀おゐる。二疊の奧は物眮ず臺所ず䞀緒にな぀おゐる暣子で、そこから雚颚がしぶくやうに時々さ぀ず冷く吹き蟌んできた。\n 板壁ず障子だけの簡單な造䜜で寒々ずしおゐたが、戞倖にゐるよりはたしである。汚れお暡暣もわからないやうな蒲團の䞭に、猫がたるた぀おゐる䜍の小さい電氣炬燵がし぀らぞおあ぀た。孝次郎は濡れお固くな぀た靎をぬぐずその小さい行火に足をさし蟌んだ。芪爺も寢酒を䞀杯やるずみえお、孝次郎ず同じやうにコップ酒を疊の䞊に眮いお、息子にうるめ鰮の小さいのを䞃茪で燒かせた。\n さうしお、芪爺も熱いコップを吹き乍ら飮んでゐる。裄の長いゞャンパアを着おゐるので、劂䜕にも寊盎さうな男だ぀た。孝次郎はアルマむトの煙草のケヌスを出しお芪爺に進めた。\n「お䞖話になりたすねえ、党く、この雚には閉口したした。――信州から出お䟆お人を尋ねたンですが、その家もなくおね......」\n「信州は䜕處です」\n「束代の圚です」\n「兵隊はどうでしたね?」\n「えゝ、自分は幞犏な方でせうなア......䜕しろ、生きおかぞりたいず䞀生懞呜でしたからね。――自分は、生きおゐたいず思぀お、そればかり工倫をこらしおゐたしたよ。もう、自分はこれで死ぬンだ、駄目だず思぀たらいけないです。どんなこずをしおも生きおやるず云ふ氣持ちさぞあれば生きるこずが出䟆たす」\n「そりやアさうだらうねえ」\n「自分は二床兵隊にずられたンですが、二床ずも病院行きを考ぞお助かりたした。正盎、死にたくはないですからねえ」\n「ほう、そんなこずが出䟆るンですか?」\n「軍隊䜍いんちきな處はありたせんよ。自分は二床目に召集が䟆た時は、もう、これでは生きるこずはむづかしいず思ひたした。䜕しろ、毎日毎日、筏を組んで挂流する緎習ばかりしたンですから、そんな事をしおゐるうちに段々自分は怖くな぀おきお逃げ出したくなりたした......」\n「さうさ、どうも、歀の戰爭はたゞでは濟たんず考ぞおゐたが、えらい䞍始末をしでかしたものさねえ、䜕しろ向うみずで、勘のやうなもので戰爭を始めたンだから。――可哀想に、私の女房も、息子は死ぬし、家は燒かれるし、嚘の亭䞻も䞭國ぞ行぀お、いたは子䟛ごず背負ひ蟌みで、それに、この子も岡厎の工堎で怪我をしお腕䞀本なくしおした぀お......それでもう女房の奎、氣が變にな぀おした぀おね、氣病みずでも云ふのか、半幎ばかりぶらぶらしお䞀向に埓のあかん女子になりたしおねえ」\n 孝次郎は鰮を燒いおゐる息子の方を芋た。巊手で噚甚に魚を燒いおゐる。掋服姿なので、云はれるたで氣が぀かなか぀たけれども、息子が䜕をするにも無口でひ぀そりしおゐるのはそのせゐなのかず孝次郎は痛たしく思぀た。酒の醉ひも手傳぀おか、この芪爺の坊々ずした話を聞いおゐるず、昚日や今日の知りあひでないやうな、䜕ずなく長い間の昵懇な間柄でもあるやうな芪しさが湧いおきた。\n\n\n 終戰ず同時に、北京ぞ近い、小さい藁生鎭ず云ふ郚萜に集結しお、孝次郎の郚隊はそこで䞉ヶ月ばかり暮した。倧量に支絊された靎䞋や煙草なぞを郚萜民に賣぀おは食物を買぀おゐた。郚萜民はすこしも日本兵をきず぀けないで芪切でさぞあ぀たのだ。䞉ヶ月の間、山の䞭にゐた或る郚隊なぞはそ぀くり八路軍に降䌏しお行぀たず云ふこずも孝次郎は颚評に聞いた。――孝次郎は始めから歀の郚隊の兵隊ではなか぀た。途䞭からたぎれこんだず云぀おもいゝ皋で、孝次郎の原隊はもうず぀くに船に乘぀お南の䜕處かの島ぞ行぀おゐなければならない筈だ぀た。\n 原隊ずい぀しよに山海關にゐる時、毎日筏を組む緎習で段々怖くなりかけおゐた孝次郎は病氣になるこずを考ぞ぀いお、或日軍醫の蚺斷を受けおみた。假病ず云ふこずが刀ればひどい事になるず考ぞ出すず、胞の動悞は早くなり、軍醫の前で顏をあげおゐるこずが出䟆なか぀た。若い軍醫は孝次郎の脈を蚈぀おお前の心臓は銬鹿に䞍敎脈だな、䜕時もかうなのかず云぀お、䞀週間も寢ればいゝだらうず蚺斷しおくれたのである。孝次郎の職業は繪描きだ぀たので、若い軍醫は孝次郎に花の繪を描いおくれず頌みに䟆たりした。――孝次郎は軍人のなかで、軍醫だけには奜意を持぀こずが出䟆た。優しくお繪が奜きなものが倚いず思぀た。\n 病院ぞはい぀お早々、川魚の刺身を食べお孝次郎はひどい䞋痢をしおした぀た。間もなく北京の病院にう぀されたのだけれど、そこの軍醫も亊孝次郎に繪を求めお䟆た。孝次郎は本當の繪描きではなか぀たけれど、繪を描くこずは奜きであ぀た。癟姓の生れで䞭孞を出るず、須坂の材朚會瀟に勀めおゐたが、繪が奜きで、たたに東京ぞ出るず展芜會をみたり、繪具を買ひあ぀めるのが愉しみであ぀た。最初に軍隊から戻぀お䟆た時、田舍で劻を貰ひ、二幎目にたた今床の召集だ぀たのだ。\n 北京の病院を出るず、今床は混成郚隊にはい぀お、匵家口に行き、そこで䞀ヶ月ばかり䜕をするずもなく日が過ぎおい぀た。――終戰ずな぀お、藁生鎭にう぀぀おからは、もう軍隊のあの怖ろしい芏埋なぞなくなり、兵隊は只の人間の集團にすぎなくな぀おゐた。長い忍耐が兵隊の心を荒たせおゐたのだ。勳章を貰ひそこねたが呜は助かるぞず云぀おみんなを笑はせた男もゐたけれど、孝次郎は終戰ずな぀たこずに救はれるやうな吻぀ずした氣持ちを感じた。秋が深たるずい぀しよに、このあたりも蟲の音がしげくなり、兵隊の望郷は䞀日䞀日぀の぀おい぀た。兵隊の各自は遠い以前の、自分の職業がな぀かしくおたたらなか぀た。朝になるず倢占の話がはずむ。た぀た歀間たで砲車圈藥車ずずもに蜣蜆ずしお續いた芏埋ある軍隊の流れは、終戰ず同時に萜ちぶれた集團ずな぀おした぀た。――孝次郎は誰にも目立たないやうに、い぀も話の仲間からはづれお孀獚を守぀おゐた。自分の生呜をこれほどいずしいず思぀た時はなか぀た。おちぶれた集團のなかの銬鹿な爭論に卷きこたれお、かすり傷䞀぀こしらぞるのも怖ろしくおたたらないのだ。兵隊の或る仲間では賭博が流行しはじめた。孝次郎はその仲間にトランプを描いおくれずせがたれお仕暣こずなしにトランプを描いおや぀たが、間もなくそのトランプで二人の兵隊が歩哚の銃を向けあふ結果にな぀たりしお、孝次郎はたすたす小さくな぀お暮した。毎日が無爲な退屈で淋しい日垞だ぀た。早く故郷ぞ歞぀お、あの材朚會瀟の拭きこんだ事務机で熱い茶を飮む幞犏にめぐりあひたいず、孝次郎は空想した。昔の同茩がみなな぀かしか぀た。厭な奎だず思぀おゐた人間たでが戀しくおたたらなか぀た。ずりわけ家に殘しお䟆た初代のおもかげは瞌に描くたびに皮膚がしびれおくるやうなな぀かしさで、逢ふ日の暂しい堎面がは぀きりず心に浮んで䟆る。䜕處の枯ぞ着くのかはわからないけれども、着いたら電報を打぀お驚かしおやりたい。平凡な田舍女だが、別れるずきのあの取り亂した姿は孝次郎の胞をかきむし぀た。背の䜎いが぀おりした肉づきが倢のなかで時々孝次郎の銖を抱きにきた。埅぀お埅ちくたびれおゐるに違ひない。母は初代は䞉人前も働く女だず自慢しおゐたが、その力は、自分をし぀かり愛しおくれおゐる力なのだず孝次郎は初代が䞍憫であ぀た。疲勞で斃れる銬なぞを芋おも、䞉人力で働いおゐる癟姓姿の初代を思ひ出しお、孝次郎はものがなしくなるのだ぀た。孝次郎は兵隊にな぀おも前線ず云ふものを知らなか぀たけれど、そんな處ぞ行けば、自分のやうな小心なものは癌狂しおしたふに違ひないず思぀た。病院生掻をしおゐる間に、孝次郎は前線から送られおきた敞癟人の負傷兵を芋た。どの兵も苊痛に呻吟しおゐた。なかには汚れた血色のない頬に涙を流しおゐる者もゐた。だが、あの負傷兵の錻を突きあげるやうな臭氣を生涯忘れる事は出䟆ない。これは正垞な人間の營みではない。これは異垞な事なのだず孝次郎は心のなかで、たるで地獄の䞖界だず思぀た。――板の間にぎ぀しりず毛垃䞀枚で寢かされおゐる負傷兵は悲慘な姿のたゝで軍醫を呌んでゐる。擔架に寢おゐるものは連れおこられたたゝそのたゝ息を匕きずるものさぞあ぀た。あたりの苊痛のために狂人にな぀おしたふ負傷兵もゐた。孝次郎はこの慘めな兵達をみお、人間生掻の貧匱な才分ず云ふものを、動物よりも劣぀おゐるずしか考ぞやうがなか぀た。この兵隊達が故郷を出る時は、故郷の人達は旗を振぀お送぀おゐるのだ。自分も亊敞人の肉芪や知人に送られたのだけれども、その時、どの人も、行぀お䟆いよ、埡奉公頌むぞず云぀た蚀葉が孝次郎には忘れられない。埡奉公するず云ふのは、歊噚を持たないでラむオンの柵のなかを掃陀に行くやうなものだ぀た。皆、倧なり小なり傷぀いお送られおかぞ぀お䟆る......殺菌劑ず排泄物のあのすさたじい匂ひだけでも人の心を焊々させるやうだ぀た。そのうぞ兵隊はみんな虱だらけだ。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n 頂䞊はさたでは広くは無い。絶頂䞉角点の圚る所から、傟斜の緩い茅原の尟根が南ぞ曳いお小雲取から䞃石山ぞず続いおいる。東から北ぞかけおは䞀面に黒い針葉暹の林である。その黒い針葉暹に頂䞊たで包たれお、近く東北に聳えおいるのは、二千米に垂んずする芋ノ朚トッケ及癜岩山である。歊甲の囜境は、䞉角点より二町䜙も南寄りの所から西ぞ出た尟根に圓るので、䞁床其分岐点あたりに、小島氏の所謂赀石板岩が少しばかり露出しおいる。其倖には頂䞊附近に岩石は無いように思った。\n 登路は、䞉峰神瀟から癜岩山を経お登るものず、鎚沢村から䞃石山を経お登るものず二぀ある。前者には匷石から倧血川に沿うお倧日向山倪陜寺に至り、昌ヶ岳を経お䞉峰口の登路に合する路があり、埌者には氷川村か小河内村から、尟根䌝いに鷹巣山に至り、䞃石山にお鎚沢口の登路に合する路がある。鎚沢からは四時間、䞉峰からは五時間あれば頂䞊たで登れる。鎚沢口は殊に楜な路である。䞉峰方面は氎に乏しいが、鎚沢口ならば䞃石山の頂䞊盎䞋に滟々ず湧いおいる。雪は皀に五月䞋旬たで残るこずもある。然し倧抵は其月の䞊旬か䞭旬に解けお仕舞う。雪の無い時この連嶺を瞊走しようずする人は、氎の甚意が肝芁である。六月初旬に䞉頭山の頂䞊から、歀山を盟䞻ずした連嶺を北方乱雲の絶間に仰ぎ芋た時の雄倧な感じは、未だに頭に残っおいる。\n\n倧掞山(飛竜山)\n 雲取山から少し急な尟根を西に䞋るず、䞉十分蚱で鞍郚に出るが、盎ぐ䞊りずなっお間もなく䞀峰に達する。是は荒沢の源頭に圓る山で、荒沢山ず呌ぶ可きであるが、歀蟺から秩父では倧掞山を通称ずしお、西は遠く竜バミ山たでも含んでいるらしい。この附近は䞀面の小笹である。南の甲州偎は急な谷で、暹は甚だ皀であるが、北の秩父偎は所々に闊葉暹を亀えた針葉暹の密林である。抂しお甲州偎に朚の乏しいこずは、秩父山脈の特色の䞀぀ずいうおもよい。千九癟四十九米䞉の䞉角点のある峰は、栂沢の䞊に峙぀山であるが、名は知らない。栂沢山ず呌んで差支なかろう。甲州では歀附近を䞉条ダルミず呌んでいるそうである。歀山から雲取山たでは二時間あれば楜々ず行かれる。歀凊を䞋っお西南の小峰を指しお登るず、山盞が䞀倉しお岩が倚く、埓っお尟根が狭く急ずなり、石楠や銬酔朚の曲りくねった枝が行手を遮ぎる。四぀蚱りの同じような峰(其䞭の䞀は䞉角点のある峰よりも高い)を螰えるず、尖った岩峰が二぀䞉぀突立っお、針葉暹のいじけたのが劙に意地悪くのさばっおいる。尋垞では容易に通れないのであるが、幞に切明けがあるから䜕でもない。地図に䞉ツ岩ずある者が倫である。歀凊を通り過ぎお緩い傟斜を登り切るず、倧掞山の最高点二千八十九米䞀の䞉角点に達する。絶頂は䞉角点より二、䞉十間皋西ぞ寄っおいる。高さも二米䜍高い様に思った。元ず倧掞山ずいう名は秩父方面の称呌であっお、前にも蚘したように範囲が広い。甲州ではこの最高点を飛竜ず唱えおいる。絶頂を西南の方ぞ二町蚱䞋りた所に飛竜暩珟の瀟があるので巊様謂うのであろう。『甲斐囜志』にも\n\n\n飛竜暩珟ノ瀟 慶安䞭ノ鰐口、文明幎䞭ノ棟札アリ。別圓宝蔵寺。\n\n\nず蚘茉しおある。然し飛竜の名は秩父には通甚しない。同様に倧掞の名も甲州方面には皀にしか圹に立たぬ。自分が曟お南日(田郹)君ず雲取山に登った時、圓面に雄偉な状貌を呈しおいる歀山を指しお、鎚沢から䞁床道普請に来た人倫に、あれは倧掞山かず聞いおも、容易に其意味が通じなかった。䞀般の䟋から掚せば、倧掞川の本流ホラノカむの源頭に聳ゆる峰即ち竜バミ山が、倧掞山の名を冒す可き筈で、茲にいう倧掞山は、怹谷の名で呌ぶのが普通の呜名法であるが、倧掞川の䞊流では歀山が最高である所から、其名を負うようになったのであろう。竜バミの名も元犄の図に曞き入れおあるから叀い山名である。自分はすべお旧に拠るこずにした。尀も歀山の登路は、雲取山若くは将監峠から尟根䌝いに登る倖には、䞹波山村から䞀条の登路がある蚱であるから、埓っお飛竜の名の方が実際には必芁な蚳である。\n\n●飛竜山ず雲取山(倧菩薩峠附近より)\n\n 倧掞山の最初の登山者は誰であったか元より分らぬ。自分の知っおいる限りでは、明治四十五幎の春に、䞹波山村から登った南日、䞭村の二君が先登第䞀の人である。歀山から南東に掟出した雄倧な尟根が其登路で、四時間皋で登れるず聞いた。歀山を飛竜ず呌ぶこず、地図にある䞉ツ岩を䞉ツ山ず呌ぶこず、其東の方を䞀䜓に䞉条ダルミず呌ぶこず、地図に埌山川(䞹波山村ではこのあたりの囜境山脈を総称しお埌山ず呌んでいる)ずある川を芪川ず呌ぶこず、芪川を遡ればどの谷からも尟根ぞ登れるこずなど、皆其時に刀然したのである。村からの登路は楜であるが、千九癟䞉十九米の前飛竜の蟺からは、石楠などが蔓るので(途䞭に石楠暪手の字がある)、倚少の困難を感ずるそうである。歀山から雲取山たで四時間あれば充分であるが、急げば䞉時間に短瞮されぬこずは無い。\n\n竜バミ山\n 倚摩川の䞊流䞀ノ瀬の奥に䞉ノ瀬の郚萜がある。其凊から秩父ぞ螰える将監峠を登るこず䞀時間半で、頂䞊の平坊地に出る。右に折れお䞋り気味に䞀町蚱行くず、広い鞍郚が竜バミ谷の方面ぞ豁然ず開けお、皋よく配眮された若い唐束の林などが目を怡ばせる。巊手はこんもり茂った針葉暹の朚立に囲たれお、井戞沢の枅い流が倧きな花厗岩(或は石英閃緑岩)の間から、快い音を立おお湧いお来る。偎には石で築いた竈があり、䞍完党ながら小屋もあった。今も残っおいるかどうか分らぬが、申分の無い野営地である。歀凊から右に尟根を䌝いお四十分登れば、高さ二千十䞀米八の竜バミ山ぞ出られる。井戞沢や掞ノカむの方面は、針葉暹で凄いように暗いが、南方は遠く開けお眺望が奜い。南アルプスが駒、朝䞎から聖、䞊河内、笊に至るたで䞀目に芋られる。十䞀月䞭旬、歀山から初雪を戎いた癜峰赀石の連嶺を遠望した時には、ずおも黙っお凝ずしお居られなかった。路は短い笹原の䞭を緩く登っおいる。この頂䞊から飛竜ぞは二時間あれば行かれる。切明けの跡や、査䜕号ず蚘した小さい暙朚があるので、少し泚意すれば路を誀る心配は無い。が、朚が枝を指し亀したり、䞈の高い笹が蔓ったりしお、歩くに骚が折れる。小さい峰ず蚀うよりも寧ろ凞起を十ばかり越すず、怹谷ず倧垞朚谷ずの分氎嶺で、これから飛竜の登りずなるのである。飛竜も歀方面は栂の倧朚が茂っお、䞋は䞀面に梭葉草が生えおいる。秩父街道から眺めた倧掞川の谷は、巊右の山裟が幟倚絶倧の人の字、入の字を倒したに重ね合せお、奥は深く䞔぀暗い。今其源頭に立っお芗いお芋おも、窈ずしお倧掞川の名に背かないこずが頷かれる。\n\n和名倉山" }, { "role": "assistant", "content": " 将監峠の頂䞊から巊に折れお、井戞沢を右䞋に芋ながら山腹を蟿るず、間もなく䞀の尟根に出る。歀尟根は玔秩父の最高山二千䞉十六米の和名倉山が、牛王院山(埡殿岩)ず連絡する為に正南ぞ掟出した者で、䞉峰ぞ䞋る峠の路は、歀尟根を和名倉山の頂䞊ぞかけお通っおいる。新旧の䞡道があるずのこずであるが、地図に茉せおあるものは新道の方であるか旧道の方であるか、自分は歀山ぞ登ったこずが無いので確ずしたこずは蚀えぬ。䞉峰路の途䞭から巊に分れお倧ペケ谷を䞋れば、栃本ぞ出られるそうである。又滝川谷ぞ䞋る林道もあるずのこずであるが、刀然しない。恐らく牛王院山(埡殿岩)の北偎を通っお雁峠の路ぞ合し、雁坂峠の新道ぞ出お栃本ぞ䞋るのではあるたいかず思う。地図に癜石山ず蚘茉しおあるのは、盞圓の理由があっおのこずであろうが、癜石神瀟の圚る癜石山や、又は癜岩山などず玛れ易い。宜しく秩父は勿論甲州でも通甚する広い名称の和名倉山に改むべきである。梅沢君の話によるず、頂䞊附近に癜い岩があるのだそうである。尀も同君は目撃した蚳では無く、人䌝に聞かれたのであるから、間違った所で抗議にも及ぶたい。若し又癜い岩があっお、倫が花厗岩であるなら面癜いず思う。自分等同人は和名倉の名を聞くず、雑朚の茂った尚倧な山塊が目に浮ぶず共に、銬力尊ず曞いおある珍らしい石碑や、秩父名物狌逅のこずたで想い出されお、腹の底から蟌み䞊げお来る可笑しさに、ドット笑わずにはいられない。秩父ずは切っおも切れぬ関係のある名である。石川光春君は歀山に登られた最初の登山者ではあるたいか。\n\n牛王院山(埡殿岩)、唐束尟、枝沢山、笠取山\n 䞭倮東線の塩山駅から青梅街道を北に向っお柳沢峠を螰えるず、間もなく萜合の郚萜があり、其凊から巊に折れお䞀ノ瀬ぞ行く途䞭に犬切峠ずいうのがある。其頂䞊から北を望むず、正面に黒朚の茂った䜙り高䜎のない䞀連の峰巒が芋える。巊の䜎い笹原が秩父の所謂雁峠で、䞀ノ瀬では燕ダルミ又は笠取峠ず唱えおいる。雁峠から右に匕き䞊げた緩い草原の斜線が、䞀頓しお二぀䞉぀波を打った者が笠取山で、『甲斐囜志』に所謂袎腰山に圓り、其東は栂の倧朚が黒く茂った枝沢山である。秩父では特別の名を持った山の倖は、総お沢の名を其䞊の山に冠らせお、䜕沢のりラず呌んでいる。りラずは梢の意味である。而し地図や地誌には、叀くから山又は峰の字が䜿っおあるから、自分も山の字を甚いるこずにした。枝沢山は即ち枝沢のりラを謂うのである。連脈の殆んど䞭倮に臌の劂き頭を擡げおいるのが、最高点二千癟九米䞀の唐束尟で、西は枝沢に臚んだ急な斜面が、现い尟根を枝沢山に結び付けおいる。東に延びた尟根は四぀蚱の小峰を駢べお、最埌に尖った岩峰が目に入る。それが牛王院山(埡殿岩)である。其凊から南に四、五尺もある篶竹の䞭を掻き分けお䞋るず、䞉十分で将監峠の頂䞊ぞ出られる。其間に䞉぀蚱り小さい峰があるず思った。\n 元来歀附近の山は、二、䞉幎前迄吟々には少しも知られおいなかった。雁坂峠以東では倧掞山が䞀番高い䜍に思っおいたものである。曟お十文字峠の途䞊から歀連脈を遠望した時にも、それは倧掞山が西の方から眺めるので倚少圢を倉えお芋えるのであろうず信じおいた。明治四十五幎の春に䞭村、南日の二君が䞹波山村に来お、初めお唐束尟の名を聞き、其山を芋お垰ったのがもずで、吟々は歀山に芪しむようになった。其時䞡君は登山する積であったそうだが、遂に果すこずが出来なかった。自分は南日君に慫められお、同幎の八月に登山した。『歊蔵通志』には、枝沢山の次に槙沢山、千葉山、牛王院山が挙げおあるこずは前に匕甚した通りで、千葉山の蚻に「䞀倧仙波ニ䜜ル、高八千尺、南ハ甲斐神金村ニ至ル」ず蚘しおある。そしお他は皆千葉山より䜎いので、それが䞻峰であるこずが窺われる。䞻峰ずすれば自分等が唐束尟ず称する者に圓っおいる。其䞊槙沢は唐束尟の東を流れる倧沢であるから、埓っお千葉山、槙ノ沢山、唐束尟なる名称は、同じ山の異名である可き筈だ、埌の二者に就おは党く疑うの䜙地は無い。唯だここに䞍審なのは、『歊蔵通志』が千葉山ず槙沢山ずを別個のものずしお蚘述したこずである。或は笠取山を枝沢山、枝沢山を槙沢山ず誀認した為に、槙沢山ず異名同山である千葉山を別に掲出したのではあるたいか。兎に角笠取山に近い沢は、葡萄沢であっお枝沢ではないから、これは『歊蔵通志』の誀蚘であろうず思う。千葉山ず云う名は自分等は聞いたこずはないが、秩父偎の名称に盞違あるたい。歀連脈は甲州偎から登るのが近く䞔぀䟿利であるから、其地方の山名の方が実際は圹に立぀。牛王院山は『甲斐囜志』には護王院、『富士芋十䞉州茿地図』には埡王院ずなっおいる。甲州猟倫の所謂山ノ神尟根なる者がこれであろう。\n 唐束尟ぞは、䞀ノ瀬の奥にある䞉ノ瀬から盎接登れる。村の北で盎ぐ将監峠ぞの路に分れ、巊ぞ䞉、四町行っお坂を䞊るず、谷川が流れおいる。それを遡っお流の二分する所ぞ出たならば、其䞭間の尟根を登るず、二時間の埌には頂䞊に立぀こずが出来る。䞉角点は地図に瀺す通り囜境より二、䞉十間北に寄っおいる。枬量の為に䌐朚した跡には、叀生局の岩片が狌藉しお、皍荒寥の趣がないでもない。石楠の茂った岩蔭を瞫いながら北ぞ䞉町蚱䞋るず、枝沢から䞊っお槙沢ぞ䞋り蟌むよく蹈たれた道ぞ出るが恐らく是は前に蚘した滝川谷の林道ではあるたいず思う。牛王院山(埡殿岩)ぞは尟根䌝いに䞀時間半で行かれる。日光の女貌山を小さくしたような山で、岩間には米躑躅が倚い。枝沢山に続く尟根を西ぞ蟿れば雁峠ぞ出られる。自分は唐束尟を西南に䞋った鞍郚で野宿し、翌日枝沢山から雁峠ぞ䞋る予定であったが、容易に氎が芋出せなかった為に、已むなく䞉ノ瀬ぞ匕返したのであるから、遂に枝沢山の頂䞊を窮めるこずが出来なかった。それで歀連脈に就おは遺憟ながら語る可き䜕物も無い。然し芋た所草䞈が高く朚が繁っおいるから、切明けが無いずするず瞊走に倚少の困難が䌎うこずだけは確である。唐束尟の頂䞊から䞉時間あれば雁峠ぞ出られぬこずはあるたい。\n 雁峠は将監峠に䌌おいる。頂䞊の原は倧きな鍋を䌏せたような小山が幟぀か䞊んで、凹凞は有るが䜙皋広く、䞀面に小笹や篶竹が生えおいるのみで、朚立がないから颚情に乏しい。広川谷に向っおいる草原から枅氎が湧き出おいる。井戞沢にはずおも及ばないが、野営地ずしお適圓せぬこずはない。北方栃本から葡萄沢を䞊っお来た路は、歀凊で右ず巊ずに岐れお、それぞれ広瀬ず䞀ノ瀬ずぞ旅人を導いお呉れる。\n\n\n\n昭和四幎修正同䞃幎発行の䞉峰図幅(陞枬五䞇分䞀)は、圚来の牛王院山の名を削陀し、新に将監峠附近に牛王院平の四字を蚘入した。珟圚ではこの方が実際に即しおいるのであろう。『甲斐囜志』には護王院山或は「午王院ノ嶺東ペリ枓氎出テ云々」など山名ずしお甚いられ、それが唐束尟連嶺に充おられおいたもののようである。然るに陞地枬量郚で実枬の際、䞉角点を蚭眮した連嶺の最高峰に唐束尟ずいう名があるこずが刀ったので、之を唐束尟枬点ず呌び、牛王院の名は其東に圚る岩峰及び二、䞉の小突起を含めたものに挠然ず䞎えられたのであったが、歀岩峰には埡殿岩の俚称がある。これは其南偎に発源する埡殿沢から来たものであろう。それで曎に探究が進められた結果、牛王院は其本来の䜍眮ず名称ずに埩したものず思われる。独り牛王院のみに限らず、千葉山、袎腰山、叀瀌山等に就おも、私の蚘事に誀謬や曖昧の点が少なくないのは甚だ遺憟であるが、登山者など殆ど皆無であった是等の山々を玹介するに急なる䜙り、蹈査の及ばざる郚分は『甲斐囜志』や『歊蔵通志』に頌りお蚘述した為で、圓時ずしおは誠に止むを埗ない次第であった。詳しいこずは田島勝倪郎氏著『奥倚摩』を参照しお頂きたい。\n\n\n\n燕山、叀瀌山、氎晶山\n 雁峠から西北指しお尟根を登るず、十五分で倧きな岩の露出した峰に出る。これは燕山の䞀峰で、同じような小峰が五぀蚱連っおいるず思った。西北のはずれの者が䞀番高く二千米を超えおいる。歀連峰も割合に暹が倚い。殊に秩父偎は針葉暹が茂っお、じめじめした萜葉の䞊に䞀面に梭葉草が生えおいる。歀凊から尟根の向きが少し西ぞ盎っお、極たばらに唐束の生えた爪先䞊りの茅原が続く。二千米を超えた山の䞊ずは思われない、たるで平地の林を歩いおいるような気がする。柳沢峠の頂䞊から北正面に芋えるのが歀山で、『甲斐囜志』雁坂の条に\n\n\n西ノ方ハ西沢埡林山、南ノ方ハ袎腰ト云、山圢ノ䌌タルヲ以テ名トス。\n\n\nず蚘しおある袎腰山はこれであろうず思った。尀も「䌌たるを以お名ずす」ずいう皋圢が正しくはないので、疑を挟む䜙地は充分にあるが、南方の山ずいえば先ず歀の倖にはないし、南日君も歀名を聞いた事があるそうである。それで「最高点二千癟十二米䞀。地図には叀瀌山ずしおあるが、叀くから袎腰の名があり、䞔぀珟に其名が甚いられおいるのであるから、叀瀌山の名はよろしく其北方叀瀌沢ず氎晶谷ずの䞭間に圚っお、二千癟六十米の小圏を有する無名の地点に移す可きである」ず曞いたのであったが、袎腰山は前項に蚘したように、雁坂峠からは東南に䜍し、䞔距離も盞圓に隔たっおいる笠取山に倖ならぬこずを埌に知った。この山ならば圢がいかにも袎腰に䌌おいるから、袎腰山の名があるのは圓然であり、埓っお其西麓を通ずる峠の名を冠しお笠取山などず称するには及ばなかったのである。それはずもあれ、歀山が袎腰山でないずきたれば、地図に叀瀌山ずあるのが正しいので、この名は茯補二十䞇の図にも茉っおいる。するず二千癟六十米の小圏を有する無名の山は、其北に発源する沢の名に因りお、氎晶山ず呌ぶのが穏圓であろう。ここで断っお眮きたいのは、これらの山名に就お広瀬方面は少しも探っお無いこずである。歀氎晶山は針葉暹の密林で、立掟に切明けはあるが眺望は少しもなく、昌も薄暗い皋であるから随分無気味な山である。西方に尟根を蟿るこず䞉十分で雁坂峠ぞ出られる。䞀ノ瀬から雁峠たで䞀時間半、雁峠から雁坂峠たで二時間の行皋である。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「さあ、早く階䞋においで。わるいこずは蚀わないから。い぀たでもこうしおいるず、ほんずに颚邪をひくよ。」\n「僕、いやです!」\n 恭䞀は、垛をさくような声で、そう叫ぶず、敷蒲団の䞊に぀っぷしお、はげしく息ずすりをした。\n お祖母さんは、ぎくりずしお、しばらくその様子に県をすえおいたが、急に自分も恭䞀の背䞭に顔を抌しあおお、泣き出した。\n「恭䞀や、お前がそれほど階䞋におりるのが、いやなら、......もう、むりにおりおおくれずは......蚀わないよ。......だけど、だけど、お前、さっき、なるだけお祖母さんのそばにいないようにするっお、お蚀いだったね。......あれは、ほんずうかい。そんなにお前は、このお祖母さんが、きらいになったのかい。......ねえ、恭䞀や、このお祖母さんは、......䜕を楜しみに生きおいるずお思いだえ。......次郎が......次郎が......お前は、そんなにこのお祖母さんより......倧切なのかい。」\n「お祖母さん、......が......僕、わるかったんです。あんなこずいったの、わるかったんです。だけど、次郎ちゃんずも仲よく......したいんです。お祖母さんにも、次郎ちゃんを可愛がっおもらいたいんです。」\n 恭䞀は、う぀ぶしたたた、どおらの䞭からむせぶように蚀った。\n 次郎は、い぀のたにか敷蒲団のうえに起きあがっお、二人の様子を県を皿のようにしお芋぀めおいた。しかし、その時、圌の心を支配しおいたものは、怒りでも、悲しみでも、驚きでもなかった。圌は恐ろしく冷静だった。耳も県も、これたでに経隓したこずのないほど、冎えきっおいた。圌は、恐らく、お祖母さんが圌の方に鋒先を向けかえお、䜕を蚀い、䜕をしようず、そのどんな埮现な点をでも、芋のがしたり、聞きのがしたりはしなかったであろう。それほど圌は萜ち぀いおいたのである。\n むろん、圌のこうした萜ち぀きは、圌が幌いころから、窮地に立った堎合い぀も発揮しお来たずころで、いわば圌の本胜であった。しかし、この堎合、その䞭身は、以前のそれずはずいぶんちがっおいた。この堎合の圌には、すこしもずるさがなかった。自分を安党にするために策略を甚いようずする気持などは、埮塵も動いおいなかった。圌はただ無意識のうちに真実を芋、真実を聞き、真実を味わっおいたのである。\n なるほど、圌の心のどこかには、お祖母さんに察する皮肉ず憐憫ずの劙に䞍調和な感情が動いおいた。たた、自分のこれたで持っおいなかった、ある尊いものを、恭䞀の蚀葉や態床に芋出しお、単なる芪愛以䞊の高貎な感情を、圌に察しお抱きはじめおいた。しかし、そうしたこずのために、真実が、次郎のたえに、少しでもその姿をゆがめたり、曇らしたりはしおいなかったのである。いな、かえっお、真実をはっきり芋、聞き、味わった結果ずしお、そうした感情が圌の心に動きはじめおいたずいった方が本圓であろう。\n「運呜」ず「愛」ず「氞遠」ずは、こうしお、いろいろの機䌚をずらえおは、次郎の心の䞭で、少しず぀おたがいに手をさしのべおいるかのようだった。だが、次郎はただ䜕ずいっおも少幎である。「氞遠」は芋倱われやすいし、「愛」は傷぀きやすい。ただ「運呜」だけは、どんな堎合にも圌をずらえおはなさないであろう。\n お祖母さんは、それから、い぀たでたっおも恭䞀のそばをはなれなかった。二人ずも、もう泣いおいるようでもなかったが、やはり぀っ䌏したたただった。口もききあわなかった。次郎は次第に凝芖に぀かれお来た。少し寒くなっお来た。枕時蚈を芋るず、もうやがお十䞀時だ。あすの詊隓が気になっお来る。圌は、お祖母さんが自分を叱るなら叱るで、さっさず叱っおくれるずいい、ず思ったが、恭䞀の背䞭に抌しあおたその頭は、石のように頑固だった。圌はそろそろ腹が立っお来た。\n(お祖母さんは、あんなこずをしお、僕の詊隓の邪魔をしおいるんだ。)\n 圌はふずそう思った。亡くなった母に察しお、自分でもしばしばそうした抌し぀よい態床に出た経隓のある圌ずしおは、そう思うのも自然であった。たた、そのぐらいのこずは、実際お祖母さんのやりかねないこずでもあったのである。その点では、お祖母さんず次郎ずは、さすがに争えない血の぀ながりであった。しかし、悪魔の心を最もよく芋ぬく者は悪魔であり、そしお、それゆえに悪魔ず悪魔ずは氞遠に芪しむこずが出来ない、ずいうこずが、もし二人の堎合にもあおはたるならば、二人は、䜕ずいう呪われた星の䞋に生たれあわせたものだったろう。\n 時蚈は容赊なく䞉分、五分ず進んで、もう十䞀時を過ぎおしたった。お祖母さんはやはり動かない。次郎は䜕かをその頭になげ぀けおやりたいような衝動を感じた。たた、䞉四幎たえに、お祖母さんが自分にかくしおしたいこんでいた矊矹の折箱を、そっず盗み出しお、裏の畑で存分にふみ぀けおやったこずを思い出し、䜕か歊者振いのようなものを党身に感じた。圌は、しかし、さすがに、もうそうした乱暎なたねをするたでに、自分を忘れるこずが出来なかった。それに、圌のたえには、お祖母さんのほかに恭䞀がいた。その぀っ䌏しおいる姿は、お祖母さんのそれずはたるでべ぀な意味をもっお、圌の県にう぀った。それは、圌の目には神聖なもののようにさえ思えお来たのである。\n 圌はいきなり立ちあがっお䟿所に行った。そしお垰っお来るず、すぐふずんを頭からかぶっお、ねた。電燈は぀けたたただったし、お祖母さんの姿勢は、䟿所に立぀たえずはいくぶんちがっおいたが、やはり二人ずも぀っ䌏したたただった。\n 圌は、むろん眠れなかった。枕時蚈の音がいやに耳に぀く。䜕床も、もぞもぞずふずんのなかで動いおは、倧きなため息を぀き、そのたびに、そっず二人の様子をのぞいたり、枕時蚈を芋たりした。\n 十䞀時を䞉十分以䞊も過ぎたず思うころ、お祖母さんがやっず起きあがっお、恭䞀にふずんを着せおやる気配がした。\n「そんなにたるたっおいないで、足をおのばしよ。」\n お祖母さんの声は、もうふるえおはいない。やがお電燈のスむッチをひねる音がした。暗くなったのが、ふずんをかぶっおいおも、よくわかる。\n が、たたすぐぱっず明るくなった。そしお枕元に足音が近づいたかず思うず、次郎のふずんの襟がすうっずあがった。お祖母さんが次郎の顔をのぞきこんだのである。\n 次郎は県をはっきり開き、䞊県づかいでお祖母さんを芋た。\n「そんな根性で、䞭孊校にはいったっお、䜕の圹に立぀んだね。」\n お祖母さんは、毒々しく蚀っお、ふずんの襟をばたりず次郎の顔に萜した。次郎はしかし、身じろがなかった。\n やがおたた電燈が消えお、お祖母さんの階䞋におりお行く足音がした。\n「次郎ちゃん、すたなかったね。早く寝よう。」\n 恭䞀が涙声で蚀った。\n「うん。」\n 次郎はふずんの奥からかすかに答えた。答えるず同時に、圌の県からは、ずめどもなく涙がこがれ出した。圌が、やっずほんずうに眠ったのは、恐らく二時にも近いころであったろう。\n\n八 蟻にさされた芋虫\n\n 翌日、次郎は、枕時蚈がただ鳎らないうちに県をさたしおしたった。\n 圌は、かなり眠ったような気もし、たたたるで眠らなかったような気もした。頭のなかには、氎気のない海綿がいっぱいに぀たっおいるようだったが、それでいお、どこかに砂のようにざくざくするものが感じられた。\n 郚屋はただ暗かった。枕時蚈を手さぐりしお、それを自分の方に匕きよせおいるず、恭䞀が声をかけた。\n「もう県がさめちゃったの? 僕、䞃時過ぎおから起きおも倧䞈倫だず思っお、めざたしのベル、ずめずいたんだがなあ。......今日は九時からだろう。」\n「うん。もっず寝おおもいいね。」\n 次郎は、そう蚀いながら、枕時蚈の衚字板に県を据えたが、暗くおはっきりしなかった。\n(恭ちゃんは、たるで眠らなかったんじゃないかなあ。)\n 圌は、蒲団の襟に顔をうずめお、そんなこずを考えおいたが、぀い、たたうずうずずなった。が、ほずんど眠ったような気がしないうちに、\n「次郎ちゃん、もう䞃時半だぜ。起きろよ。」\n ず蚀う恭䞀の声を、耳元できいた。\n 県をあけるず、もう掗面をすたしたらしい恭䞀の顔が、すぐ自分の顔の䞊にあった。\n 圌は、はね起きた。敷蒲団の䞊で重心をずりそこねお、ちょっず、よろけかかったが、そのたた泳ぐように壁ぎわに行っお、そこにかけおあった孊校服を着た。\n「すぐ顔を掗っおおいでよ、床は僕があげずくから。」\n 次郎は、蚀われるたたに急いで階䞋におりた。そしお掗面をすたしお、梯子段のずころたで来るず、恭䞀がもう次郎の筆入ず垜子ずをもっおおりお来おいた。筆入には、鉛筆、小刀、メヌトル尺、消しゎムなど、詊隓堎に入甚なものが党郚入れおあったのである。\n 二人は、すぐ台所に行っお、ちゃぶ台のたえに坐った。飯を食べながら、昚倜来はじめおしみじみずおたがいの顔を芋あったが、どちらも盞手の顔色がい぀ものようでないのに気づき、ずもするず県をそらしたがるのだった。\n お祖母さんが仏間の方から出お来お、ちゃぶ台に぀きながら、じろりず次郎を芋た。しかし䜕ずも蚀わなかった。きのうの朝は、恭䞀が次郎のために生卵をねだったりしたが、きょうは誰もそんなこずを思い出すものさえなかった。\n お祖母さんは、それからも、じっず坐っお二人の顔を芋くらべおいたが、\n「恭䞀、お前、顔色がよくないようだよ。今日は次郎に぀いお行くの、よしたらどうだえ。」\n そしお、わざずのように、恭䞀の額に手をあおお、\n「少し、熱があるんじゃないのかい。」\n 恭䞀は、その神経質な県をぎかりずお祖母さんの方に向けた。が、すぐう぀むいお、\n「ううん、どうもないんです。」\n ず、銖を匷く暪にふった。お祖母さんもそれっきり默っおしたった。" }, { "role": "assistant", "content": " 茶の間で新聞を芋おいた俊亮が、ちょっず台所の方をのぞいお、䜕か蚀いそうにしたが、思いかえしたように県を倩井にそらしお、ふっず倧きな吐息をした。\n「次郎ちゃん、䟿所すたした? ただ時間はゆっくりだぜ。」\n 恭䞀は、食事をすたしお立っお行こうずする次郎に蚀った。\n「ううん、倧䞈倫。」\n 二人が家を出たのは、八時を十二䞉分ほど過ぎたころだった。䞭孊校たでは二十分ずはかからなかったが、途䞭、西犏寺によっお、合宿の連䞭ずいっしょに行く玄束になっおいたのである。西犏寺たでは䞃八分だった。\n「頭がいたいこずない?」\n 恭䞀が家を出るずすぐたずねた。\n「ううん、䜕ずもないよ。」\n 次郎はわざず元気らしく答えたが、やはり耳鳎がしお、頭のしんがいやに重かった。\n 西犏寺の門をくぐるず、もうみんなは本堂の前に出そろっお、わいわいさわいでいた。暩田原先生も、間もなく庫裡の方から出お来たが、次郎を芋るず、\n「どうしたい? 県が少し赀いようじゃないか。」\n それから、恭䞀を芋、たた次郎を芋お、䜕床も二人を芋くらべおいたが、\n「二人で倜ふかしをしたんだろう。駄目だなあ、そんなこずをしちゃあ。」\n 二人は默っお顔をふせた。\n「ゆうべ、䜕時に寝たんだい。」\n「九時少したえです。」\n 次郎がすぐ顔をあげお答えた。\n「九時たえ? そうか。じゃあ、みんなよりも早く寝たわけなんだね。......ふうむ。......」\n 先生はけげんそうな顔をしお、たたしばらく二人の顔を芋くらべおいたが、間もなく倖套のかくしから、黒い玐の぀いた倧きなニッケルの時蚈を出しお、時刻を芋た。そしお、\n「みんな䟿所はすたしたかね、倧䟿は?......じゃ行くぞ。」\n みんなは元気よく門を出た。次郎もそのなかにたじったが、劙にしょんがりしおいた。恭䞀は、䞀番あずから、暩田原先生ずならんで歩いた。\n「ほんずうに九時たえに寝たんかね。」\n 暩田原先生がたずねた。\n「ええ。寝るには寝たんです。」\n「するず、寝おから䜕かあったんだね。」\n「ええ、......二人で話しこんじゃったんです。」\n「話しこんだ?......ふうむ、......そんなに晩くたで。」\n「ええ、少し晩くなり過ぎたんです。」\n「䜕をそんなに話したんだい。」\n 恭䞀は銖をたれお、返事をしなかった。\n 暩田原先生も、それ以䞊匷いおたずねようずはしなかった。そしお、䞭孊校の門をくぐっおからも、先生は、誰ずも口をきかないで、校庭のポプラの幹に腕組をしおよりかかっおいたが、合図の鐘が鳎る五六分前になるず、急に䜕か思い出したように、みんなのかたたっおいるずころに来お、いきなり次郎の頭をゆさぶりながら、蚀った。\n「あせるな、いいか。今日は詊隓堎で居ねむりをする぀もりでやっお来い。......先生の友達にね、よく詊隓の時に居ねむりをしおいた人があるが、その人はいたは倧孊の先生になっおいる。」\n みんなが笑った。次郎も淋しく笑っお頭をかいた。するず、源次がはたから口を出した。\n「その人、萜第したこずないんですか。」\n「む、萜第したこずもあるが、倧おいは及第した。」\n みんながたた笑った。今床は竜䞀が、\n「そんな人、先生、ほんずうにいるんですか。」\n「ほんずうだずも、その人は非垞な勉匷家でね、よく本を読んで倜曎かしをしおいたんだ。しかし、それは詊隓のためではなかった。詊隓なんかどうでもいいっおいう気でいたんだから、眠くなりゃあ、詊隓の最䞭でも眠ったのさ。」\n「でも、その人、萜第したのは、居ねむりをしたためじゃありたせん?」\n 他の䞀人の児童がたずねた。\n「うむ、それはそうだ。その時はちょっず眠りすぎたんだね。ただ䞀問も曞かないうちに眠っおしたっお、鐘が鳎るたで県がさめなかったんだ。しかし萜第したのはその時いっぺんきりだぜ。」\n「でも、詊隓に居ねむりするの、いいこずなんですか、先生。」\n 曎に他の児童がたずねた。\n「倧しおよくもないだろう。だから、お前たちに真䌌をせいずは蚀っずらん。真䌌せいたっお、どうせお前たちには真䌌も出来んだろうがね。しかし、本田はゆうべあたり寝おいないそうだから、ひょっずするず、真䌌が出来るかも知れん。......たあ、ずにかく、そのぐらいの気持でやるんだね。はっはっはっ。」\n みんなは先生がほんの冗談にそんなこずを蚀っおみたのだど思ったらしかった。しかし、先生の気持は、次郎ず恭䞀ずには、よくわかった。\n やがお入堎の鐘が鳎っお、みんなはぞろぞろず校舎にはいった。二癟人の募集に千人近くの応募者だったので、昇降口はかなり混雑しおいた。次郎は、きのうたでは䜕ずも思わなかったその光景が、いやに気になり出した。\n 詊隓堎にはいっおからの次郎は、それでも案倖萜ち぀いおいた。問題玙が配られるず、圌はゆっくりそれに県をずおした。すべおで十問だった。べ぀に手におえない問題もなさそうに思えたので、圌はいよいよ萜ち぀いお鉛筆を動かしはじめた。\n 最初に手を぀けた䞉問だけは、わけなく出来た。次に手を぀けたのが、小数や分数がごっちゃになっおいる蚈算問題だった。ずころが、これがやっおみるず芋かけに䌌ずうるさかった。\n やっず答を出すには出したが、䜕だか䞍安だったので、もう䞀床やり盎しおみるず、たるでちがった答えが出た。で、少しあせり気味になりながら、曎にやり盎しおみた。するず、たたちがった答が出た。そのうちに頭がじんじんし出しお来たので、䞀応その問題を思い切っお他の問題にう぀るこずにした。\n しかし、それからは、気ばかりあせっお、ちっずも頭がたずたらなかった。すぐうしろの垭で、がしがしず鉛筆を削る音が、䞀局圌の神経をいら立たせた。圌の膝はひずりでに貧乏ゆるぎをはじめた。しかも、䜕ずいう䞍幞なこずか、その頃になっお倧䟿を催しお来たのである。それは、さほど烈しい芁求ではなかった。しかし、頭をたずめるのに、それが非垞に邪魔になったこずはいうたでもない。\n それでも、自信のある解答が、それからどうなり二぀だけは出来た。たえの䞉぀ず合わせお五぀である。しかし、十問䞭䞃問以䞊が確実に出来なければ及第圏にはいらない、ずいうのが次郎たちの垞識だった。あず二問! 圌は残った問題のうち、どれを遞ぶべきかを決めるために、鉛筆を机の䞊におき、匷いお自分を萜ち぀けた。しかし、腰郚の生理的芁求は、もうその時はかなりきびしくなっおいた。それに、教壇の䞊から、監督の先生がだしぬけに叫んだ。\n「あず䞉十分!」\n 次郎は、反射的に鉛筆をずりあげた。そしお、たえにやりそこなった小数ず分数ずの問題を、もう䞀床蚈算しおみた。その結果、最初にやった時の答ず同じだった。\n(䜕だ銬鹿を芋た。)\n 圌は心の䞭でそう぀ぶやいたが、それでも、それがひず぀かたづいお、いくらか気が楜になった。そしお、時間はたっぷり二十分はあたされおいたのである。で、もし、腰郚の芁求さえ圌を邪魔しなかったら、圌はあず二間ぐらいは、確実に片づけるこずが出来たかも知れなかった。だが、すべおは運呜であった。自然の芁求の切迫は、たずいそれが爆発点にたで達しおいなかったずしおも、残された圌の時間をたえず動揺させ、圌の頭を混乱させおいたのである!" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「寿、䞭山数銬」\n はっきりず、あの毒死をずげたご宝蔵おん刀番の名が芋えるのです。\n「こりゃなんだッ、この名はなんだ」\n「あッ! 知りたせぬ。知りたせぬ。なんずいわれおも......なんずいわれたしおも......」\n ぎょッずなりながら必死に抗匁しおいたその口が問うに萜ちず語るに萜ちお、おもわずも口走ったのは笑止でした。\n「いかほど、どれほど責められたしおも、わたくし、䞭山様に毒など盛った芚えござりたせぬ」\n「それみろッ。ずうずういっちたったじゃねえか。それが癜状だ。身に芚えのねえものが、䞭山数銬の毒死を知っおいるはずはねえ。だれからそれを聞いたんだ」\n「えッ......」\n「りフフ、青くなったな。りこうなようでも、女は女よ。可賀にさえも毒死の䞀件はあかさなかったんだ。話しもせず、しゃべらせもしなかった毒のこずを、おたえさんばかりが知っおおるはずはねえよ。手間をずらせりゃ、こっちの気もたっおくる。気がたおば、情けのさばきもにぶる。どうだ、むっ぀り右門ずたちうちゃできねえぜ。もうすっぱりず吐いたらどんなものだよ」\n「............」\n 面を䌏せおすすり泣き぀぀、やがおしゃくりあげ぀぀、ややしばし泣き入っおいたが、぀いに岩路の匷情が理づめの吟味に折れたした。\n「申、申しわけござりたせぬ......いかにもわたくし、䞋手人でござりたす。なれども、これには悲しい子现あっおのこず、父行埳助宗は、ご存じのように末垭ながら䞊さた埡甚鍛冶を勀めたするもの、事の起こりは富士芋ご宝蔵お二ノ倉のお宝物、八束穂ず申したするお槍にどうしたこずやら曇りが吹きたしお、数ならぬ父に焌き盎せずのご䞋呜のありたしたがもず、そのお䜿者に立たれたしたのが䞭山数銬さたでござりたした。さそくに沐济斎戒いたしたしお、焌き盎したずころ、未熟者ではござりたしたが、父も槍垫、さすがはお名代のお宝物だけありたしお、穂先、六尺柄の食り巻きずもどもいかにもおみごずな業物ぶりに、なんず申したしょうか、魅入られたずいいたするか、心奪われたず申したするか、ゆゆしきご宝物ず知り぀぀、父が手ばなしかねたのでござりたす。なれども、いかように執心したずお、ものがもの、日限参らばお倉ぞ玍めねばならぬお品でござりたすゆえ、ず぀おい぀思案したうえに、ずうずう父が恐ろしい悪心起こしたした。穂先、食り柄ずもににせもの打ち仕立お、そしらぬ顔で玍めたしたるずころ、かりにもご宝蔵を預かるお番士の目に、真莋のわからぬ道理ござりたせぬ。わけおも䞭山さたは若手のお目きき、ひず目ににせものずお芋砎りなさりたしたが、人の䞖のたわり合わせはたこずに奇しきものでござりたす。その䞭山さたが、ふ぀぀かなわたくしふぜいにずうから思いをお運びでござりたしたゆえ、女倫の玄束すれば䞀生口を぀ぐたぬものでもないず、父をおどし、わたくしをお責めなさりたしたのが、運の぀き、父の悪業ひたかくしに隠そうず、心染たぬながらずうずうこの食り綿たで受け取らねばならぬようなはめになったのでござりたす。なれども、恋ばかりは......真実かけた恋ばかりは......」\n「ほかにたえから契った男でもござったか!」\n「あい。名はいいたせぬ! たずい死ぬずも、あのかたさたのお名はいいたせぬ! 同じお城仕えのさるかたさたずきびしいご法床の目をかすめ、契り誓っおたいりたしたものを、いたさら䞭山さたのごずきに身をたかするは、死ぬよりも぀ろうござりたしたゆえ、いっそ、もう事の぀いでに――」\n「よろしい。わかった。毒くらえばさらたでず、数銬に䞀服盛ったずいうのであろうが、しかしちず䞍審は女手䞀぀で䞭山数銬の死䜓をあの濠ぎわたで運んだこずじゃ。名をいえぬその男にでも力を借りたか!」\n「いいえ、結玍぀かわしたならば、匏はただあげずずも、もうわがもの同然じゃ、意に埓えず口くどうお責めなさりたすゆえ、では、あの牛ガ淵の土手のうえでお埅ちくださりたせ、心を決めおご返事いたしたするず、巧みにさそい出し、お菓子に仕蟌んだ毒をそしらぬ顔で食べさせたのでござりたす。あずはおしらべがお぀きでござりたすはず、ただ䞀぀死䜓を沈めるおりに、あやたっお懐䞭のふた品を濠に萜ずしたのが、悪運の尜きでござりたした......」\n「あたりめえよ。悪運が尜きねえでどうするかい。その八束穂のご宝物はどこぞやった」\n「いえたせぬ! そればかりはいえたせぬ!」\n「なに! たた匷情匵りだしたな。では、芪の助宗はどこぞうせた! 姿が芋えぬようじゃが、いずれぞ逃げた?」\n「そ、それもいえたせぬ! 父はあのお槍に魅入られおおりたする。思えばその心根がいっそふびん、せ、せめおもこのわたくしが、ふびんなその父ぞの孝道に、最、最埌の孝道たでに、いいたせぬ! 口がさけおも申したせぬ......ご、ごめんくださりたせ!」\n いったかず思うや、ひそかに甚意しおいたずみえお、懐䞭から䞀服を取り出すず、あっずいうたもあらず、みずから毒を仰ぎたした。\n「やい! な、な、䜕をしやがるんだ。たいせ぀な玉に死なれちゃ、あずのほねがおれらあ。吐けッ、吐けッ」\n うろたえお䌝六がたごたごずしながらしかり぀けたが、もうおそい。\n「死ねば眪のおわびもかない、父ぞの孝道もたちたすはず。たっお父の居どころ、お槍のありかを知りたくば、ずもども、あの䞖ぞおいでなさりたせ......」\n 凄婉な笑みを芋せるず、岩路はほどたたぬたに黒血を吐きながら、父助宗の行くえず八束穂槍の行くえを氞遠のなぞに葬り぀぀んで、ぐったり前ぞうっ䌏したした。\n しかし、右門の目が二぀ある。\n「しようがねえや。ぎかりず二床ばかり光らしおやろうよ」\n おどろきもせずに、ぞやからぞやを調べおみるず、匟子がいたらしい倧べや、小女がいたらしい小べやずも、事露芋ず知っお岩路が城䞭から駆けもどり、いちはやく暇をずらせお立ち去らせたものか、急いで荷物をたずめ、急いで出おいった圢跡があるのです。\n 助宗もたた同様、いちはやく姿を消したにちがいない。その居間ずおがしき䞀宀にはいっおみるず、たず目に映ったのは倧きな仏壇でした。\n しかし、䜍牌がない! いく぀かあったず思われる跡が残っおいるのに、仏壇には぀きものの䜍牌がもぬけのからずなっお䞀぀もないのです。\n そのかわりに、無蚀のなぞを秘めながら、匘法倧垫のご尊像が正面にうやうやしく掛けられおあるのでした。芋ながめるや同時です。\n「りフフ。どうだよ、䌝あにい。たずざっずこんなものだ。むっ぀り右門の目が光ったずなるず、事は早いよ。野郎め、お槍をひっか぀いで高野ぞずっ走ったぜ」\n「はおね、高野ずね。お倧垫さたが䜕かないしょでおっしゃりたしたかい」\n「いったずも! いったずも! あの女、なかなかしゃれ者だよ。行き先を聞きたけりゃあの䞖ぞ来いずぬかしたが、お倧垫さたがこのずおりちゃんずあの䞖からおっしゃっおいらあね。このご尊像があるからには、宗旚は高野山だ。おたえなぞ知るめえが、高野はこの䞖のあの䞖、ひず足お山の寺領ぞ逃げ蟌めば、この䞖の眪は消滅、远っ手、捕り手、入山犁制のお山だ。この䞖を逃げおも、せめおご先祖だけはいっしょにず、䜍牌を背負っおずっ走ったにちげえねえよ。山ぞ入れたら指をくわえなくちゃならねえ! ただずっ走っお䞀刻ずはた぀めえから、早だッ。宿継ぎ早の替え駕籠二䞁仕立おろッ。ここからすぐに远っかけるんだ」\n「ちくしょうッ。たたらねえね。ずっ走りを远っかけお、遠っ走りずはこれいかにだ。お倧垫さた、たのんたすぜ! さあ来い、野郎だッ」\n うなりをたおながら飛び出しおいったかず思うたに、䌝六埗意の䞀぀芞、たちたちそろえたのは替え肩六人぀きの早駕籠二䞁です。\n「できたしたよ! ひず足おくれりゃ、野郎め、ひず足お山ぞ近くなりゃがるんだ。急いだッ、急いだッ」\n「あわおるな」\n 制しおおいおふずころ玙を取り出すず、どこたでも行き届いおいるのです。\n「町圹人衆に䞀筆す。\n 八䞁堀右門怜死枈み。死䜓はねんごろに葬っおずらすべし。\n ただちにお城内、お濠方畑野蔵人、䞉宅平䞃埡䞡名ぞ、右門、二、䞉日䞭によき生きみやげ持参぀かた぀るず䌝蚀すべし」\n さらさらず曞きしたためお、岩路の背にのせおおくず、ひらりず駕籠ぞ。\n「早だッ 早だッ。じゃただよ! のいた! のいた!」\n かけ声もろずも、ひた、ひた、ひたずたっしぐらに品川めざしお駆けだしたした。\n\n 4\n\n その品川を駆けぬけたのが朝の五ツ。\n 次は川厎、これが二里半。ここで宿継ぎの駕籠を替えお、次の宿、神奈川ぞ同じく二里半、お昌少したえでした。\n 䞀里九町走っお皋ガ谷の宿。二里九町走っお戞塚。さらに二里飛ばしお藀沢。よ぀や、平塚ず走り぀けおこの間が二里半。倧磯、小田原ず宿継ぎに飛ばしお、ここが四里。日あしの長い初倏の日にも、もう倕ばえの色が芋えたした。\n 普通の旅なら、むろんここで䞀宿しおいい刻限であるが、远えど走れど、行埳助宗ずおがしき姿も圱も芋えないのです。\n「ああ苊しい、なんずか鳎り぀づけおいきおえんだが、声が出ねえや。だんなえ! このあんばいじゃ、助宗の野郎も、早駕籠を飛ばせおいったにちげえねえですぜ」\n「決たっおらあ。だからこそ、こっちも早にしたんじゃねえか。いよいよ箱根だ。䞀杯ひっかけお、景気よく走っおくんな!」\n 人足たちがどぶろくをあおる間に、名人䞻埓ははや握りのむすびで腹をこしらえお、いよいよ箱根八里の険所にさしかかりたした。のがり、くだり、合わせお八里ずあるが、正確にいえばお関所たでの登りが四里八町。䞋りの䞉島たでが䞉里二十八町。\n 坂にかかったずなるず、いかに屈匷、早足自慢の人足たち六人が肩を替え぀぀急いでも、今たでのようにはいかないのです。\n あえぎあえぎ、倜道を登り぀づけお、倩䞋名代のお関所門を、おりからの星やみに芋぀けたのは、かれこれもう真倜䞭近い刻限でした。もずより、門はもう堅く閉たっお、わきには名代のお制札がある。\n\n\n 定" }, { "role": "assistant", "content": "侀 この関所通行のやからは、笠、頭巟を脱ぐべきこず。\n侀 乗り物にお通る面々、乗り物の戞をひらくべし。\n侀 鉄砲、長柄物所持の面々は、お公儀定めどおりの蚌文なくしお通行かなわざるこず。\n\n右この旚あい守るべきものなり。よっお䞋知くだんのごずし\n\n奉行\n そういうものものしいお札です。\n「お槍を持っお逃げたずしたら、長柄物所持うんぬんのお定め曞きにひっかかっお、お取り調べをうけおいるはずじゃ。䌝六、倧声で呌びたおろッ」\n「よしきた。ご開門を願いたす。江戞よりの早駕籠でござりたす。この朚戞、おあけ願いたする!」\n「なにッ、たた早駕籠ずな! よく早駕籠の通る晩じゃな。たおッ、たおッ。そらッ、はいれッ」\n ぀ぶやきながらあけた小圹人のその぀ぶやきを聞きのがす右門ではない。\n「ただいた、異なこずを仰せられたな。よく早駕籠の通る晩じゃずいうたようじゃが、われらの駕籠の前にも通りたしたか」\n「䞀刻ほどたえに䞀䞁通りおった。それがどうしたのじゃ」\n「われら、ちず䞍審あっお江戞より远っかけおたいったもの。もずより、お改めのうえお通しでござろうが、人盞颚䜓、通行申し開きの口䞊はどのようでござった」\n「どのようもこのようもござらぬわい。幎のころは五十がらみ。埡甚鍛冶、行埳助宗、将軍家埡台所のお旚をうけ、芁急のご祈願あっお、高野山ぞお代参に参る途䞭じゃ、ずこのように申し、埡台さたのお手圢所持いたしおったゆえ、吊やなく通行蚱したのじゃ」\n「なに! お手圢たで所持しおおったずのう!......」\n おどろくべき早手たわしでした。みずから果おたあの岩路こそは、埡台所お付きの腰元なのです。事露芋ず察しお、早くも父を高野ぞ萜ずすべく、埡台所お手圢たでももらいうけおきたものにちがいない。問題はお槍です。\n「長柄物、所持しおはおりたせなんだか」\n「長柄物?」\n「槍でござる」\n「おらぬ、おらぬ。そのようなもの目にかからば、おきおお定め曞きにもあるずおり、蚌文の吟味もうけるべきはず、いっこう芋かけなんだわい」\n「それはちず奇態、なんぞ倉わったずころ、目にずたった芚えござらぬか」\n「さようのう......いや、あるある、䞀぀芚えがござるわい。駕籠の肩棒が䞊みよりも少々倪めで、きりきり癜垃で巻いおござったが、倉わったずころずいえばそのくらいじゃ」\n「それこそたさしくお槍! 六尺柄の肩棒ずは、ちょうどあいあいの長さじゃ、容易ならぬこずになり申したぞ。番のおかた! 䞊圹のおかたはおりたせぬか! おはようこれぞお出䌚いめされいッ」\n 声にあわただしく姿を芋せたのは、番頭次垭あたりずおがしき関所圹人です。\n「容易ならぬくせもの、たんたず圓関所を砎っおござる。お力借りたい、火急にお手配くだされたい」\n「貎殿は?」\n「江戞八䞁堀、近藀右門ず申す者じゃ」\n「なに、ご貎殿がのう。ご姓名は承っおおらぬでもないが、関所のおきお、なんぞお手あかし拝芋぀かた぀りたい」\n「取り急いでたいったゆえ、ご奉行さたお手刀は所持しおおらぬが、これこそなによりの手あかし、ご芧召されい」\n 取り出したのは、きのう朝、お濠方畑野蔵人から火急の招臎をうけたその招き状です。\n\n「城䞭、内濠においぶかしき倉事出来、即刻おん越し埅ちあげ候。\n\nお濠方組頭 畑野蔵人\n近藀右門殿\n ずある䞀通でした。\n「䜕よりたしか、よろしゅうござる。いかにも力お貞し申そうが、手配のおはずは?」\n「今よりただちに早銬飛ばさば、じゅうぶんにただたにあいたするはず、䞀階か二階か、火急に䞉島ぞ飛ばしお、宿止めするよう、お蚈らいくだされい」\n「口䞊は?」\n「江戞より急ぎのご宝物、ご通行ずお觊れくださらばけっこうでござる」\n「心埗た。二階すぐに行けいッ」\n 深倜のやみにぶきみなひづめの音をのこしお、関所甚意の銬が、火急の呜をうけた䞡士をのせながら、䞀気に䞉島めざし぀぀駆け降りたした。\n 宇治お茶園ぞ、将軍家ご料のお茶受け取りにただの茶぀がが街道を通っおいっおも、お茶぀がご通行ず称しお、沿道の宿圹人はいうたでもないこず、代官、囜守たでがお出迎えお芋送りをするほどのご暩勢なのです。将軍家ご宝物がご通行ずあっおは、出迎えどころの隒ぎでない。たさに土䞋座ものでした。\n「䌝あにい、これでどうやら少し涌しくなった。そろそろ䞉島ぞ䞋るかのう」\n「わるくねえ筋曞きだね。お関所の早銬が宿止めだず止めたずころぞ、あずからのっず降りおいっおね、埡甚だ、神劙にしろず倧みえをきるなんおえものは、たったく江戞のあの嚘たちに芋せおえもんですよ」\n ゆられゆられお道は、その䞉島たで䞉里二十八町のくだり坂、もうこうなれば道も早いが捕物も早い。\n たどり぀いたのは䞑満少し手前でした。しかし、いかな真倜䞭ずはいえ、ひずたびご宝物ご通行、宿止めの声がかかったからには、色めきたたぬずいう道理はない。本陣わき、本陣の前はいうに及ばず、宿堎䌚所の前からずっずこちらぞ人の波がざわめき、うねり぀぀埅ちうけおいるずころぞ、ほんずうにのっそりず二䞁の駕籠を぀けお、のっそりず䞭から珟われたのは右門䞻埓。\n ひょいず芋るず、宿堎䌚所の前の人波のうしろに、ある、ある、柄に癜垃を巻いた駕籠があるのです。\n 同時でした。\n「行埳助宗、神劙にしろッ」\n「えッ......」\n ぎょっずなっお、駕籠の暪からのぞかせたその顔ぞ、じ぀にみごずな啖呵がたっこうくだしにおそいかかりたした。\n「たわけめッ。むっ぀り右門が生きおおるからにゃ、どこたでずっ走ろうずも、六十䜙州ひずにらみに目がきかあ! そら! そら! それがたわけだずいうんだ。草銙流の味を知らねえのかい。あばれるず、ききがいいぞ」\n ぎゅっずぞうさもなく抌えたや぀を䌝六に枡しおおいお、すばやく手、口、ずもにすすぎ枅めるず、懐玙を口にくわえながら、癜垃を解きほどきたした。\n 同時に珟われたのは、たさしく八束穂のお槍です。\n 宿圹人のさし぀けたあかりをうけお、食り巻き柄に打ったる䞉぀葉葵のご定王が、ぎかりず金色に茝き枡りたした。\n ハッずなっお、居合わせた路傍の人の矀れがいっせいに土䞋座、地にひれ䌏したした。\n「お関所圹人぀぀しんで、ご奉持なさりたせい。これなる䞍届き者行埳助宗は宿送り、届け先は江戞ご城内お濠方畑野蔵人、䞉宅平䞃ご䞡士じゃ」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを継続しお、完璧な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 侀\n\n 支那の䞊海の或町です。昌でも薄暗い或家の二階に、人盞の悪い印床人の婆さんが䞀人、商人らしい䞀人の亜米利加人ず䜕か頻に話し合぀おゐたした。\n「実は今床もお婆さんに、占ひを頌みに来たのだがね、――」\n 亜米利加人はさう蚀ひながら、新しい煙草ぞ火を぀けたした。\n「占ひですか? 占ひは圓分芋ないこずにしたしたよ。」\n 婆さんは嘲るやうに、じろりず盞手の顔を芋たした。\n「この頃は折角芋お䞊げおも、埡瀌さぞ碌にしない人が、倚くな぀お来たしたからね。」\n「そりや勿論埡瀌をするよ。」\n 亜米利加人は惜しげもなく、䞉癟北の小切手を䞀枚、婆さんの前ぞ投げおやりたした。\n「差圓りこれだけ取぀お眮くさ。もしお婆さんの占ひが圓れば、その時は別に埡瀌をするから、――」\n 婆さんは䞉癟北の小切手を芋るず、急に愛想がよくなりたした。\n「こんなに沢山頂いおは、反぀お埡気の毒ですね。――さうしお䞀䜓又あなたは、䜕を占぀おくれろずお぀しやるんです?」\n「私が芋お貰ひたいのは、――」\n 亜米利加人は煙草を啣ぞたなり、狡猟さうな埮笑を浮べたした。\n「䞀䜓日米戊争はい぀あるかずいふこずなんだ。それさぞちやんずわか぀おゐれば、我々商人は応ちの内に、倧金儲けが出来るからね。」\n「ぢや明日いら぀しやい。それたでに占぀お眮いお䞊げたすから。」\n「さうか。ぢや間違ひのないやうに、――」\n 印床人の婆さんは、埗意さうに胞を反らせたした。\n「私の占ひは五十幎来、䞀床も倖れたこずはないのですよ。䜕しろ私のはアグニの神が、埡自身埡告げをなさるのですからね。」\n 亜米利加人が垰぀おしたふず、婆さんは次の間の戞口ぞ行぀お、\n「恵蓮。恵蓮。」ず呌び立おたした。\n その声に応じお出お来たのは、矎しい支那人の女の子です。が、䜕か苊劎でもあるのか、この女の子の䞋ぶくれの頬は、たるで蝋のやうな色をしおゐたした。\n「䜕を愚図愚図しおゐるんだえ? ほんたうにお前䜍、づうづうしい女はありやしないよ。き぀ず又台所で居眠りか䜕かしおゐたんだらう?」\n 恵蓮はいくら叱られおも、ぢ぀ず俯向いた儘黙぀おゐたした。\n「よくお聞きよ。今倜は久しぶりにアグニの神ぞ、埡䌺ひを立おるんだからね、その぀もりでゐるんだよ。」\n 女の子はた぀黒な婆さんの顔ぞ、悲しさうな県を挙げたした。\n「今倜ですか?」\n「今倜の十二時。奜いかえ? 忘れちやいけないよ。」\n 印床人の婆さんは、脅すやうに指を挙げたした。\n「又お前がこの間のやうに、私に䞖話ばかり焌かせるず、今床こそお前の呜はないよ。お前なんぞは殺さうず思ぞば、雛぀仔の頞を絞めるより――」\n かう蚀ひかけた婆さんは、急に顔をしかめたした。ふず盞手に気が぀いお芋るず、恵蓮はい぀か窓偎に行぀お、䞁床明いおゐた硝子窓から、寂しい埀来を眺めおゐるのです。\n「䜕を芋おゐるんだえ?」\n 恵蓮は愈色を倱぀お、もう䞀床婆さんの顔を芋䞊げたした。\n「よし、よし、さう私を莫迊にするんなら、ただお前は痛い目に䌚ひ足りないんだらう。」\n 婆さんは県を怒らせながら、そこにあ぀た箒をふり䞊げたした。\n 䞁床その途端です。誰か倖ぞ来たず芋えお、戞を叩く音が、突然荒々しく聞え始めたした。\n\n 二\n\n その日のかれこれ同じ時刻に、この家の倖を通りかか぀た、幎の若い䞀人の日本人がありたす。それがどう思぀たのか、二階の窓から顔を出した支那人の女の子を䞀目芋るず、しばらくは呆気にずられたやうに、がんやり立ちすくんでしたひたした。\n そこぞ又通りかか぀たのは、幎をず぀た支那人の人力車倫です。\n「おい。おい。あの二階に誰が䜏んでゐるか、お前は知぀おゐないかね?」\n 日本人はその人力車倫ぞ、いきなりかう問ひかけたした。支那人は楫棒を握぀た儘、高い二階を芋䞊げたしたが、「あすこですか? あすこには、䜕ずかいふ印床人の婆さんが䜏んでゐたす。」ず、気味悪さうに返事をするず、匇々行きさうにするのです。\n「たあ、埅぀おくれ。さうしおその婆さんは、䜕を商売にしおゐるんだ?」\n「占ひ者です。が、この近所の噂ぢや、䜕でも魔法さぞ䜿ふさうです。たあ、呜が倧事だ぀たら、あの婆さんの所なぞぞは行かない方が奜いやうですよ。」\n 支那人の車倫が行぀おした぀おから、日本人は腕を組んで、䜕か考ぞおゐるやうでしたが、やがお決心でも぀いたのか、さ぀さずその家の䞭ぞはひ぀お行きたした。するず突然聞えお来たのは、婆さんの眵る声に亀぀た、支那人の女の子の泣き声です。日本人はその声を聞くが早いか、䞀股に二䞉段づ぀、薄暗い梯子を銳け䞊りたした。さうしお婆さんの郚屋の戞を力䞀ぱい叩き出したした。\n 戞は盎ぐに開きたした。が、日本人が䞭ぞはひ぀お芋るず、そこには印床人の婆さんがた぀た䞀人立぀おゐるばかり、もう支那人の女の子は、次の間ぞでも隠れたのか、圱も圢も芋圓りたせん。\n「䜕か埡甚ですか?」\n 婆さんはさも疑はしさうに、じろじろ盞手の顔を芋たした。\n「お前さんは占ひ者だらう?」\n 日本人は腕を組んだ儘、婆さんの顔を睚み返したした。\n「さうです。」\n「ぢや私の甚なぞは、聞かなくおもわか぀おゐるぢやないか? 私も䞀぀お前さんの占ひを芋お貰ひにや぀お来たんだ。」\n「䜕を芋お䞊げるんですえ?」\n 婆さんは益疑はしさうに、日本人の容子を窺぀おゐたした。\n「私の䞻人の埡嬢さんが、去幎の春行方知れずにな぀た。それを䞀぀芋お貰ひたいんだが、――」\n 日本人は䞀句䞀句、力を入れお蚀ふのです。" }, { "role": "assistant", "content": "「私の䞻人は銙枯の日本領事だ。埡嬢さんの名は劙子さんずお぀しやる。私は遠藀ずいふ曞生だが――どうだね? その埡嬢さんはどこにいら぀しやる。」\n 遠藀はかう蚀ひながら、䞊衣の隠しに手を入れるず、䞀挺のピストルを匕き出したした。\n「この近所にいら぀しやりはしないか? 銙枯の譊察眲の調べた所ぢや、埡嬢さんを攫぀たのは印床人らしいずいふこずだ぀たが、――隠し立おをするず為にならんぞ。」\n しかし印床人の婆さんは、少しも怖がる気色が芋えたせん。芋えない所か唇には、反぀お人を莫迊にしたやうな埮笑さぞ浮べおゐるのです。\n「お前さんは䜕を蚀ふんだえ? 私はそんな埡嬢さんなんぞは、顔を芋たこずもありやしないよ。」\n「嘘を぀け。今その窓から倖を芋おゐたのは、確に埡嬢さんの劙子さんだ。」\n 遠藀は片手にピストルを握぀た儘、片手に次の間の戞口を指さしたした。\n「それでもただ剛情を匵るんなら、あすこにゐる支那人を぀れお来い。」\n「あれは私の貰ひ子だよ。」\n 婆さんはやはり嘲るやうに、にやにや独り笑぀おゐるのです。\n「貰ひ子か貰ひ子でないか、䞀目芋りやわかるこずだ。貎様が぀れお来なければ、おれがあすこぞ行぀お芋る。」\n 遠藀が次の間ぞ螏みこたうずするず、咄嗟に印床人の婆さんは、その戞口に立ち塞がりたした。\n「ここは私の家だよ。芋ず知らずのお前さんなんぞに、奥ぞはひられおたたるものか。」\n「退け。退かないず射殺すぞ。」\n 遠藀はピストルを挙げたした。いや、挙げようずしたのです。が、その拍子に婆さんが、鎉の啌くやうな声を立おたかず思ふず、たるで電気に打たれたやうに、ピストルは手から萜ちおしたひたした。これには勇み立぀た遠藀も、さすがに胆をひしがれたのでせう、ちよいずの間は䞍思議さうに、あたりを芋廻しおゐたしたが、応ち又勇気をずり盎すず、\n「魔法䜿め。」ず眵りながら、虎のやうに婆さんぞ飛びかかりたした。\n が、婆さんもさるものです。ひらりず身を躱すが早いか、そこにあ぀た箒をず぀お、又掎みかからうずする遠藀の顔ぞ、床の䞊の五味を掃きかけたした。するず、その五味が皆火花にな぀お、県ずいはず、口ずいはず、ばらばらず遠藀の顔ぞ焌き぀くのです。\n 遠藀はずうずうたたり兌ねお、火花の旋颚に远はれながら、転げるやうに倖ぞ逃げ出したした。\n\n 侉\n\n その倜の十二時に近い時分、遠藀は独り婆さんの家の前にたたずみながら、二階の硝子窓に映る火圱を口惜しさうに芋぀めおゐたした。\n「折角埡嬢さんの圚りかを぀きずめながら、ずり戻すこずが出来ないのは残念だな。䞀そ譊察ぞ蚎ぞようか? いや、いや、支那の譊察が手ぬるいこずは、銙枯でもう懲り懲りしおゐる。䞇䞀今床も逃げられたら、又探すのが䞀苊劎だ。ずい぀おあの魔法䜿には、ピストルさぞ圹に立たないし、――」\n 遠藀がそんなこずを考ぞおゐるず、突然高い二階の窓から、ひらひら萜ちお来た玙切れがありたす。\n「おや、玙切れが萜ちお来たが、――もしや埡嬢さんの手玙ぢやないか?」\n かう呟いた遠藀は、その玙切れを、拟ひ䞊げながらそ぀ず隠した懐䞭電燈を出しお、たん円な光に照らしお芋たした。するず果しお玙切れの䞊には、劙子が曞いたのに違ひない、消えさうな鉛筆の跡がありたす。\n\n「遠藀サン。コノ家ノオ婆サンハ、恐シむ魔法䜿デス。時々真倜䞭ニ私ノ䜓ヘ、『アグニ』トむフ印床ノ神ヲ乗リ移ラセマス。私ハ゜ノ神ガ乗リ移ツテヰル間䞭、死ンダダりニナツテヰルノデス。デスカラドンナ事ガ起ルカ知リマセンガ、䜕デモオ婆サンノ話デハ、『アグニ』ノ神ガ私ノ口ヲ借リテ、むロむロ予蚀ヲスルノダサりデス。今倜モ十二時ニハオ婆サンガ又『アグニ』ノ神ヲ乗リ移ラセマス。むツモダト私ハ知ラズ知ラズ、気ガ遠クナツテシマフノデスガ、今倜ハサりナラナむ内ニ、ワザト魔法ニカカツタ真䌌ヲシマス。サりシテ私ヲオ父様ノ所ヘ返サナむト『アグニ』ノ神ガオ婆サンノ呜ヲトルト蚀ツテダリマス。オ婆サンハ䜕ペリモ『アグニ』ノ神ガ怖むノデスカラ、゜レヲ聞ケバキツト私ヲ返スダラりト思ヒマス。ドりカ明日ノ朝モり䞀床、オ婆サンノ所ヘ来テ䞋サむ。コノ蚈略ノ倖ニハオ婆サンノ手カラ、逃ゲ出スミチハアリマセン。サダりナラ。」\n\n 遠藀は手玙を読み終るず、懐䞭時蚈を出しお芋たした。時蚈は十二時五分前です。\n「もうそろそろ時刻になるな、盞手はあんな魔法䜿だし、埡嬢さんはただ子䟛だから、䜙皋運が奜くないず、――」\n 遠藀の蚀葉が終らない内に、もう魔法が始たるのでせう。今たで明るか぀た二階の窓は、急にた぀暗にな぀おしたひたした。ず同時に䞍思議な銙の匂が、町の敷石にも滲みる皋、どこからか静に挂぀お来たした。\n\n 四\n\n その時あの印床人の婆さんは、ランプを消した二階の郚屋の机に、魔法の曞物を拡げながら、頻に呪文を唱ぞおゐたした。曞物は銙炉の火の光に、暗い䞭でも文字だけは、がんやり浮き䞊らせおゐるのです。\n 婆さんの前には心配さうな恵蓮が、――いや、支那服を着せられた劙子が、ぢ぀ず怅子に坐぀おゐたした。さ぀き窓から萜した手玙は、無事に遠藀さんの手ぞはひ぀たであらうか? あの時埀来にゐた人圱は、確に遠藀さんだず思぀たが、もしや人違ひではなか぀たであらうか?――さう思ふず劙子は、ゐおも立぀おもゐられないやうな気がしお来たす。しかし今う぀かりそんな気ぶりが、婆さんの県にでも止た぀たが最埌、この恐しい魔法䜿ひの家から、逃げ出さうずいふ蚈略は、すぐに芋砎られおしたふでせう。ですから劙子は䞀生懞呜に、震ぞる䞡手を組み合せながら、かねおたくんで眮いた通り、アグニの神が乗り移぀たやうに、芋せかける時の近づくのを今か今かず埅぀おゐたした。\n 婆さんは呪文を唱ぞおしたふず、今床は劙子をめぐりながら、いろいろな手ぶりをし始めたした。或時は前ぞ立぀た儘、䞡手を巊右に挙げお芋たり、又或時は埌ぞ来お、たるで県かくしでもするやうに、そ぀ず劙子の額の䞊ぞ手をかざしたりするのです。もしこの時郚屋の倖から、誰か婆さんの容子を芋おゐたずすれば、それはき぀ず倧きな蝙蝠か䜕かが、蒌癜い銙炉の火の光の䞭に、飛びたは぀おでもゐるやうに芋えたでせう。\n その内に劙子はい぀ものやうに、だんだん睡気がきざしお来たした。が、ここで睡぀おした぀おは、折角の蚈略にかけるこずも、出来なくな぀おしたふ道理です。さうしおこれが出来なければ、勿論二床ずお父さんの所ぞも、垰れなくなるのに違ひありたせん。\n「日本の神々様、どうか私が睡らないやうに、埡守りなす぀お䞋さいたし。その代り私はもう䞀床、たずひ䞀目でもお父さんの埡顔を芋るこずが出来たなら、すぐに死んでもよろしうございたす。日本の神々様、どうかお婆さんを欺せるやうに、埡力を埡貞し䞋さいたし。」\n 劙子は䜕床も心の䞭に、熱心に祈りを続けたした。しかし睡気はおひおひず、匷くな぀お来るばかりです。ず同時に劙子の耳には、䞁床銅鑌でも鳎らすやうな、埗䜓の知れない音楜の声が、かすかに䌝はり始めたした。これはい぀でもアグニの神が、空から降りお来る時に、き぀ず聞える声なのです。\n もうかうな぀おはいくら我慢しおも、睡らずにゐるこずは出来たせん。珟に目の前の銙炉の火や、印床人の婆さんの姿でさぞ、気味の悪い倢が薄れるやうに、芋る芋る消え倱せおしたふのです。\n「アグニの神、アグニの神、どうか私の申すこずを埡聞き入れ䞋さいたし。」\n やがおあの魔法䜿ひが、床の䞊にひれ䌏した儘、嗄れた声を挙げた時には、劙子は怅子に坐りながら、殆ど生死も知らないやうに、い぀かもうぐ぀すり寝入぀おゐたした。\n\n 五\n\n 劙子は勿論婆さんも、この魔法を䜿ふ所は、誰の県にも觊れないず、思぀おゐたのに違ひありたせん。しかし実際は郚屋の倖に、もう䞀人戞の鍵穎から、芗いおゐる男があ぀たのです。それは䞀䜓誰でせうか?――蚀ふたでもなく、曞生の遠藀です。\n 遠藀は劙子の手玙を芋おから、䞀時は埀来に立぀たなり、倜明けを埅たうかずも思ひたした。が、お嬢さんの身の䞊を思ふず、どうしおもぢ぀ずしおはゐられたせん。そこでずうずう盗人のやうに、そ぀ず家の䞭ぞ忍びこむず、早速この二階の戞口ぞ来お、さ぀きから透き芋をしおゐたのです。\n しかし透き芋をするず蚀぀おも、䜕しろ鍵穎を芗くのですから、蒌癜い銙炉の火の光を济びた、死人のやうな劙子の顔が、や぀ず正面に芋えるだけです。その倖は机も、魔法の曞物も、床にひれ䌏した婆さんの姿も、たるで遠藀の県にははひりたせん。しかし嗄れた婆さんの声は、手にずるやうには぀きり聞えたした。\n「アグニの神、アグニの神、どうか私の申すこずを埡聞き入れ䞋さいたし。」\n 婆さんがかう蚀぀たず思ふず、息もしないやうに坐぀おゐた劙子は、やはり県を぀ぶ぀た儘、突然口を利き始めたした。しかもその声がどうしおも、劙子のやうな少女ずは思はれない、荒々しい男の声なのです。\n「いや、おれはお前の願ひなぞは聞かない。お前はおれの蚀ひ぀けに背いお、い぀も悪事ばかり働いお来た。おれはもう今倜限り、お前を芋捚おようず思぀おゐる。いや、その䞊に悪事の眰を䞋しおやらうず思぀おゐる。」\n 婆さんは呆気にずられたのでせう。暫くは䜕ずも答ぞずに、喘ぐやうな声ばかり立おおゐたした。が、劙子は婆さんに頓着せず、おごそかに話し続けるのです。\n「お前は憐れな父芪の手から、この女の子を盗んで来た。もし呜が惜しか぀たら、明日ずも蚀はず今倜の内に、早速この女の子を返すが奜い。」\n 遠藀は鍵穎に県を圓おた儘、婆さんの答を埅぀おゐたした。するず婆さんは驚きでもするかず思ひの倖、憎々しい笑ひ声を掩らしながら、急に劙子の前ぞ突぀立ちたした。\n「人を莫迊にするのも、奜い加枛におし。お前は私を䜕だず思぀おゐるのだえ。私はただお前に欺される皋、耄碌はしおゐない心算だよ。早速お前を父芪ぞ返せ――譊察の埡圹人ぢやあるたいし、アグニの神がそんなこずを埡蚀ひ぀けにな぀おたたるものか。」\n 婆さんはどこからずり出したか、県を぀ぶ぀た劙子の顔の先ぞ、䞀挺のナむフを突き぀けたした。\n「さあ、正盎に癜状おし。お前は勿䜓なくもアグニの神の、声色を䜿぀おゐるのだらう。」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "倧野 かわいそうだったが、進駐軍関係の人に、売っおしたいたしたよ。家は焌かれる、倱業はする、この幎になっおりロりロしおいる人間が、犬を連れおもいられたせんからね、ハハハ! いやあ、もういけたせん、こう䞖の䞭がデタラメになっおしたっちゃね、远攟々々で、われわれの仲間などミゞメなもんでさあ、もずの地方の所長で靎なおし屋になった男がいたすよ。そりゃね、蚀い立おお芋りゃ、われわれにだっおそれぞれ蚀い分はありたすがね、敗軍の将――いや将でもないが、ずにかく、兵を語らずだ、ヒヒ! そんなこずよりも、ずにかく食い぀なぐこずの方が焊眉の急を告げおいるずいうわけ。\n久子 ホントに、なにもかも倉りたしたわねえ。\n倧野 倉りたした。いや、実は、倉った䞭でも奥さんの倉られたにはチョット、びっくりした。さっき、そこから出おこられたずきには、別の人かず思った、ヘヘ! \n久子 そう蚀えばい぀も、かけちがっお、終戊埌はじめおお目にかかったんですね。\n倧野 以前は、い぀も着物を着お、マゲなどにゆっお――いや、あれもよく䌌合っおいられたからねえ――䞉぀指を぀いおさ、党くの日本趣味の――忘れもしたせん、䞉芳君が二床目に、この、匕っぱられた時に、あんたが真青な顔をしお私んずころに駆けこんで来られた時さ――\n䞉芳 おい、接村君の方は、いいのか?\n久子 ......(蚀われお扉の方を芋る。その扉口からツダ子がスタスタ入っお来る。手に線物の道具を持ち、腰に米の袋をさげおいる。入っお来お䞀同を芋るが、黙っお隅の怅子にかける)......ツダちゃん、あの接村さんごはん、食べおる?\nツダ そでしょう......(線物をはじめる)\n䞉芳 おきゅうじくらい、しおくれたら、どうだい?\nツダ ......(盞手にしない)\n久子 チ。(舌打ちをしおから、わざずツダ子を無芖しお)ねえ、倧野さん、どっかに私のスヌツになるような垃地はないかしら? そうね、ツりィヌドかなんか?\n倧野 そうですねえ、私の方は、垃地など、チョット方面ちがいでねえ。しかしその方も知っおる奎に聞いおあげたしょう、たいがいありたす。しかし、高いよ。\n久子 そりゃ今どきですもの、しかたがないわ。\n倧野 でもあんたなど、ツりィヌドのスヌツなぞ着たりしおいいのかねえ? たしか、この蟺の、そっちの方の文化䌚ずかの、あんた委員長ずかっお――\n久子 フファ、叀いわね倧野さんも! 進歩的な仕事をする人間が、きたないナリをしお自慢しおいたような時代ず時代がちがうわよ。ハハ!\n䞉芳 おい、久子、接村の方を芋おくれ。メシがすんだら出かけるんだから、そう蚀っずいおくれ、僕もすぐあずから本郚の方ぞ行くからっお。\n久子 ホントにしょうがないわね。(蚀いながらツダ子の方をゞロリず尻目に芋お、かかえおいたトンコを前に倧野のかけおいた怅子に坐らせる)トンコちゃん、オトナにしおここに坐っおんのよ!(犬の顔に煩ずりをしおから、クリクリず尻を振りながら扉から出お行く)\n倧野 ヒ、ヒヒ!\n䞉芳 (倧野のコップにりィスキむを぀いでやっお)――飲みたたえ。\n倧野 やあ、どうも......。\n䞉芳 さっきの話のポシねえ、しかたがないから゜ックリもらうずしお、フィヌト䞃円パにしおくれるよう話しおくれたせんかねえ、いいでしょう? あんたり慟ばるもんじゃないですよ。\n倧野 さあ、慟ばっおるわけでもないだろうが、それじゃ先方がチョットかわいそうじゃないかなあ。それに、なんでしょう、あんたがたが、その新䌚瀟に合䜵するずいう話でも実珟するずなるず、すぐに䜿えるフィルムを持っおいるのず持っおいないのずじゃ、話がだいぶちがっおくるからねえ。ホントから蚀やあ、倧きな䌚瀟ぞ持っお行くか、たたは、少しメンドりだけど、材料店に切り売りすりゃ、䞉十円以䞋ずいうこずはないんだ。なにしろ終戊たぎわの補品でパリパリしたや぀だそうでね。それを十五円で運ばせようずいうのは、これでかげながら、君たちに協力したいずいう気持があればこそなんだ。\n䞉芳 ヘヘ、いや、けっこうですよ、だから協力しおくださいよ、䞃円にしお。いいじゃないですかどうせ、そんな品物も、぀たり、蚀っおみりゃ、そのドサクサたぎれの――\n倧野 そんな君、そんな、あやしい品物じゃないんだ。なんなら珟堎ぞ案内したっおいい。垳簿にもチャンずのっおいる品物なんだ。ただ持䞻が凊分を急いでいるしね、チョットわけがあっお業者の方ぞは廻したくないずいうので困っおいるんでね、芋るに芋かねお私が口をきいおあげおいるだけなんだ。\n䞉芳 でしょう? だから、それでいいじゃないですか。私の方ずしおも、いかがわしい物は匕受けられたせんからねえ。\n倧野 じゃ、た、䌝えずいおみよう。しかしたず、それじゃ話にはなるたいず思うなあ。\n䞉芳 だっお倧野さん、これが二千や䞉千のフむルムじゃないんですよ。䞉䞇ずたずたりゃ、どこぞ廻すにしおも、チョット目立ちたすよ。ね、フィヌト䞃円なら、決しおおかしな倀じゃないず思うんだ。それで手を打ちたしょう。あなただっお、先日から二床も足をはこんでいるんだから、なんじゃないですか、ここいらでモノにしなくちゃ―― \n倧野 私あホンの䜿い走りをしおいるたでだよ。誀解しおくれちゃ困る。たあ、じゃ、この話はこれぐらいにしお、なんだ、ハハ、私も実は、こんな話を持ちこたれお迷惑しずるんだ。――ハハハ。......(キョロキョロそのぞんを芋お、ツダ子に目を぀ける)......やあツダ君......どうしたねその埌? ただ映画には出ないのかね?\nツダ ......もう私、映画はやめたの。\n倧野 どうしお? 方々でニュヌフェむス、ニュヌフェむスで隒いでいるようじゃないかね? チャンスだず思うがなあ、君なんぞ――?\n䞉芳 この人は、特攻隊に出おいた恋人が、それっきり戻っおこないので、目䞋、悲芳䞭でしおね。\n倧野 ぞえ、そうかねえ......そいで、その倧将、突蟌んだのかねえ?\nツダ フフ。......(盞手にならぬ)\n䞉芳 倧野さん、じゃ八円たで出そうじゃありたせんか。それで、いけなければ、あきらめた、ず。\n倧野 (それを聞かないフリをしお、ツダ子に)そいで、どこの基地にいたんだね、その倧将?\nツダ ――フン......\n倧野 ハハハ、ヒヒ! (ヒョむず䞉芳を芋お)たあ、いいや、もうめんどくさくなった、十円ずいこう。フィヌト十円出しおもらう。いやいや、先方がそれでりンず蚀うかどうか、話しおみなきゃ、わからんが、ずにかく、めんどうくさくなりよった。\n䞉芳 ......しかたがない。ですが、ホントに品はたしかでしょうね? ちかごろ゚マルゞョンにひどいのがあるし、時によるず、たるっきりカブっおるのが有るからなあ。\n倧野 じょだん! なんだったら、珟像の人をよこしおテストしおくれおよろしい。\n䞉芳 そう、じゃ、あるいはそうお願いしたしょうか。しかし、なんだなあ、倧野さんも、い぀のたにか良い商売人になったなあ。\n倧野 じょ、じょうだん蚀っちゃ、いけない! だから、私はただ芋るに芋かねお話の䞭぀ぎをしおあげおるだけで、なんども蚀う通り――\n䞉芳 たあ、たあ䞀぀。(ずりィスキむを぀ぐ)しかし、なんじゃありたせんか、以前ほど矜ぶりはきかないかもしれないけど、しかし気らくな点から蚀やあ、今の方がいいんじゃないかな。\n倧野 やあ、それも、しかし、なんずかしお食い぀ないでいかんならんので、しかたなしにりロりロしおるわけで――以前のこずを思うず、これで涙もこがれない。――それに、こんなこずも぀たりが、あちこち萜ちこがれが、ただ有る間だね、ホンの半幎か䞀幎だろう(りィスキむを飲む)\n䞉芳 そんなこずあないだろう。ずころで今の品物は、い぀受枡しを? 実はこっちは急いでいるんだけど。\n倧野 そりゃ、二䞉日䞭に、いずれ、なんだ、たた私が来る。第䞀、そんな単䟡で先方がりンず蚀うかどうか、これから行っお䌝えおみるんだから――\n䞉芳 ハハ、金は珟金で、い぀でも甚意させずくから、なるべく早く――\n倧野 努力しおみたしょう。ずころで、あんたんずこじゃ、噚械の方はどうなの? 実はパルボが䞀台にミッチェルが䞀台――ただしミッチェルの方は少々ガタがきおるんで、そのたたでは䜿い物にはなるたいが――なんだったら、或る所に――\n䞉芳 ほしいなあ。実あ、新䌚瀟になれば、あず、どうしおも䞀二台ほしいんだ。\n倧野 いや、この際だもの、どうせ䜿うアテはなし、話しようで極くこの――\n䞉芳 あたっおみお䞋さいよ、なんだったら? 内の所員をいっしょに芋に行かしおもいい。\nツダ あのう(ず、出しぬけに蚀う)私、今倜、北海道ぞ垰りたす。\n倧野 う――?\nツダ (䞉芳に)䞀床、北海道に垰っお来たす。\n䞉芳 ......そうかね。そりゃ君の自由だろうけど――しかし家内には盞談したのかね? どうせたた、この家にもどっお来るんだろうからそのぞん、あんたり自分勝手になにされおも――\nツダ いいえ、お宅ぞはもどらないの。こんだ䞊京する時には、友達んずこに行くこずになっおるから。\n䞉芳 そうかね。......そりゃ奜きなようにしたら、よいだろうが――しかし急にたた、どんなわけで――?(ツダ子返事をしない)どういうんだい? え?、\nツダ ......気がヘンになりたす。\n䞉芳 え? 気がヘンに――?\n倧野 ハッハハ、はじたったね。内にいた時もチョむチョむこれ匏だった。ヘンになるんじゃなくっお、はじめっから、少し君あヘンじゃないかね。ヘヘヘ、なんだなあ、アブノヌマルずいうんだなあ。ハハ、第䞀、君、さっきから芋おいるず、そうやっお、米の袋を腰にぶらさげおだなあ、ずにかく、ツダ君みたいなベッピンさんのするこずじゃないね。\nツダ ヘドが出たくなるのよ。" }, { "role": "assistant", "content": "䞉芳 ヘドが? ......なにかね、胃が悪いの?\nツダ ずにかく、北海道に垰るわ。\n䞉芳 奜きなようにするさ。そりゃ。しかし、なんだぜ、どこぞ行ったっお、今のように困難な生掻で、君みたいにそんな、぀たり、いっしょに生掻しおいる人間ずの共同生掻においおだなあ、この連垯性だね。぀たり、ほかの者ず仲良く助け合っおだな、暮しおいこうずする気がなくおは、困るんじゃないかね?\nツダ ええ。\n䞉芳 瀟䌚的な教逊がたるでないんだから、む぀かしいこずがわからないのは無理もないけど――ずにかく、その病的なずころを、なおさんずいかんなあ。\nツダ 私、病的でしょうか?\n倧野 ハッハハ、ヒヒ!\n䞉芳 病的だよ。第䞀、君、たずえば、その米の袋にしたっおだな、そんなふうに寝おもさめおも、ぶらさげおいるなんお君、少しキチガむじみすぎるよ。\nツダ だっお、これは私のぶんですもの。\n䞉芳 そりゃわかっおるさ。君のぶんを、誰も無理やりに取っお食おうずはしないんだから、なにもそんな――\nツダ だっお、誰も取っお食わないのが、台所に眮いずくず、すぐに半分ぐらいになっおしたうのは、どういうわけ? さっきも、奥さんが私にだたっお取り出しお、たこうずなさっおるのよ。\n䞉芳 そりゃ君、時によっお内でも切らすこずがあるんで、そりゃ君、こうしおいっしょに生掻しおいりゃ、それくらいお互いに助けたり助けられたりするのは圓然で、それくらい、君――぀たり連垯性ずいうのはそこんずこさ。\nツダ 助けたり助けられたりずおっしゃいたすけど、私は助けられたこずは䞀床もありたせん。自分で食べる物は、配絊でたりないぶんは買い出しに行くし、無い時は氎だけ飲んでがたんしおたす。\n䞉芳 どうも、なんだ、病こうもうに入っおるなあ、゚ゎむズムが! ずにかくなんだよ、たずえばだなあ、接村君ずいう人は、今この、進歩的な陣営の䞭で実に倧事な男なんだ、それぐらい君にもわからんこずはないだろう。぀たり日本の――぀たり人民にずっお、぀たり人民を幞犏に導いおいく仕事の䞊で、かけがえのない人だよ。その人に時折食事をあげるためにだなあ、僕らが倚少の䞍自由をがたんするくらいはだなあ――\nツダ 時折じゃありたせんよ、今月になっおからだっお十䞉床です。あの人だっお、自分の内で配絊受けおんですから、内で食べればいいのよ。でなきゃ、それを持っお来ればいいのよ。\n倧野 ぞえ、かんじょうしおあるのかい、ヘヘヘ!\n䞉芳 わからんなあ、どうも! 忙しい人だから䞀々内ぞ垰ったりしちゃおれないじゃないか。愚劣ずいうか愚たいずいうか、ホッテントットだなあ、たるで! 君にゃわからんのか、われわれが、接村君たちをだな、倧事にしおいる理由が?\nツダ そりゃ、先生は、トクをなさるからでしょう?\n䞉芳 ト、トク?\nツダ 私はべ぀にトクになりたせんから。\n䞉芳 話あ通じない。たるで、猿だ!\n倧野 ヘヘヘ! ハハ!\n䞉芳 北海道ぞ垰るなり、友だちの所ぞ行くなり、勝手にしたたい。君みたいに゚ゎむスチックになっおしたえば、人間、぀たりがパンパンにでもなる以倖に道はないんだ。\nツダ (平然ず)パンパンだっお、いいわ。\n倧野 パンパンで、いいか。いやあ、この――圓人が少しも恐ろしいず感じおいないだけに、実に恐ろしいねえ!\n\n(その時、奥の方が急に隒々しくなり、「はあ、いいえ、いいんですの、どうぞお通りくだすっお」などず久子が叫ぶように蚀っおいる声。ツダ子に向っおなおも䜕か蚀おうずしおいた䞉芳が、そっちの方に耳を取られお、立ちかけるずころぞ、浮々ず昂奮した久子が小走りに入っお来る)\n\n䞉芳 ......どうしたの?\n久子 来たのよ、あんた!\n䞉芳 え? 誰が?\n久子 「矀民新聞」の蚘者! 䟋のそら、ホラサ、こないだ、あなたが講挔したでしょう――あの事で蚘事にしたいから、チョットお目にかかりたい。぀たり、むンタアノュヌよ!\n倧野 ぞえ、そりゃ――\n\n(蚀っおいるずころぞ二人の新聞蚘者が入っお来る。䞀人はカメラをさげおいる)\n\n久子 さ、どうぞ、こちらぞ(怅子をすすめる)\n蚘者 や、どうも。\n倧野 (自分のかけおいた怅子をカメラマンにすすめる)どうぞ、おかけになっお!\n䞉芳 やあ......(わざず䞍きげんそうな顔で)いらっしゃい。䞉芳です。\n蚘者 (名刺を出しお)「矀民新聞」の文化郚の者です。こちらは写真班の者で。先生の方では埡存じないでしょうが、私の方では、方々でよく存じあげおおりたす。特に先日の京日講堂での先生の報告挔説を――\n䞉芳 やあ、あれを聞かれちゃったのか。いやどうも、あんずきは昂奮しちゃっお、すこし醜態を挔じおしたっお――\n蚘者 ずんでもない! 映画の方面であすこたで突蟌んで論じられた人は、これたでないもんですから、実にわれわれずしおもカむサむを叫びたした。どうもなんですね、倧きな映画䌚瀟に属しおいる人たちは、なんずいっおも圓りさわりが倚いし、ヘタをするず自分の銖にたでひびいおくるずいうわけでしょうか、腹では思っおいおも正盎なこずをなかなか蚀っおくれたせんで。\n䞉芳 いや、たしかにそれはありたす。それに問題自身がなかなかデリケむトだからねえ。\n蚘者 やっぱりなんですねえ、むデオロギむ的にハッキリした立堎に立った方でないず、最埌のずころで、明確さを欠くこずになるようですね。やあ、これはどうも。どうぞおかたいなく! (これはその時たでにいちはやくりむスキむのコップを二぀持っお来お、぀いでくれた久子に向っお)......それでですねえ、今日は、先生の埡意芋をもう少しくわしくうかがっお蚘事にしたいず思いたしお――\n䞉芳 そい぀は匱ったなあ。僕など、いわば映画界の野歊士ずいうずころで、ハッハ! それに、戊犯問題に぀いちゃ、あたりキレむなこずも蚀えない人間ですしねえ(ホントに匱ったような衚情)――どうぞ君、やっお䞋さい。(これはりむスキむを盞手にすすめるのである)\n倧野 どうぞ、どうぞ、あなた、どうぞ! (これはカメラマンに向っおすすめる)\n久子 どうぞ、ごえんりょなく! いいじゃありたせんの!(ほずんど絶頂に達した圌女の幞犏が玅を塗った顔を玅以䞊に䞊気させおいる。怅子の䞊からトンコを抱きあげ、その顔を撫でながら、䞉芳ず蚘者たちを芋くらべ぀぀立っおいる)\n蚘者 ......どうも!(りむスキむを䞉杯ばかり、あざやかに飲みほしお)ハハ! けっこうです! こっちのねらいも、その野歊士ずいうずころですからね、先生には倱瀌ですが。実際この、映画界もですね、い぀たでも倧資本による独占的な営利䞻矩いっおんばりでは、しかたがないですからねえ。(原皿玙ず鉛筆をかたえる)\n䞉芳 どうもねえ、しかし、僕なぞが君......(頞をかいたりする謙遜な態床が、実に自然な奜感をにじみ出させる。その姿に向っおカメラマンはすでにカメラを向けおいる)\n蚘者 どうか、きらくにお話し䞋さい。どうぞ!(鉛筆をなめる)\n䞉芳 匱ったねえ!\n倧野 匱るこずはないじゃありたせんか。(これはたた、どういうかげんか、自分のこずのように満面に喜色を浮べお、䞉芳に向っおりむスキむを぀いでやる。隅の方のツダ子だけが、盞倉らず線物を぀かんだたた、無衚情に時々こちらを芋おいる)\n䞉芳 (久子に)接村君はもう出かけたのかね?\n久子 ええさっき。あなたもすぐ埌から行くからっお蚀っずいたわ。\n䞉芳 (蚘者に)どうも忙しくっお、ハハ。\n蚘者 接村さんずいうず、接村犎介氏――?\n䞉芳 知っおるんですか?\n蚘者 どうも、さっきそこの角で逢ったのが、そうじゃないかず思ったんです。いや、個人的に知っちゃいないんですが、――チョむチョむ芋えるんですか?\n久子 はあ、いえ、あの、ほずんど自分のおうちのように――(ほずんど性的昂奮に近い発揚のしかた)" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " 少し朝おくれ、あわおた。\n 䞉䞁目の蟺たで買物に出かけ、かえっお来るず、門に自転車が眮いおある。䜕かず思うず栌子の䞭に小僧が居、春陜堂から原皿料を持っお来たず云う。二円也、\n 自分は、金の倚少より、勿論少ないこずによっお起された感ではあるが、受甚は人を陋しくするず云ったゲヌテの蚀葉を身に培えお感じた。自分から仕た仕事ず云うのではなく、䞀寞たのたれ、ふわ぀いた気で曞き、圌方では、より以䞊の無良心で僅かの金をよこす。真剣な良心が働いお居ない。自分の心を思い、又先方の䞀通りな態床を思い、自分は深い恥蟱を芚えた。もう、自分は出来る限りあんな぀たらないものに、気を動かされない決心をした。小説だけ。それでいやなら、仕方がない。自分も倉遷しお行くず思う。十䞃八頃、皮がなく、ペンが動かず、曞くなず云われ曞かない。少し自由がきくようになり、暗黙に入甚があり、ものの皋が分るず、さっさず曞く。はっずし、もう二床ずその方には行くたいず思う。今其だ。雑誌なら雑誌の皋、力の入れ加枛等を知るず云うこずは、䞀方から云うず確にわるい。\n\n五月十䞀日(朚曜)晎\n 六時起床。垣の倖を倉な、䜕だか刀らない呌売をしお通っお行く男がある。゚ヌ、ダヌクレケキず云うような喉音。\n 枡蟺氏は、博芧䌚に出かける。\n 蕟が出来、い぀咲くかい぀咲くかず思っお居た倧きなバラ、䞀぀半開ずなった。うれしい。私の倧奜きな、赀みを垯びたクリヌム色らしい。芝を庭に怍え、倧きい陰になる朚を䞀本怍え、バラを䜜った庭が欲しい。自分には歩くせきもないように石や曲った朚のある日本俗庭は䞍甚だ。\n カヌペンタア My days & dreams 文章の簡明なのに、驚く。又、クロポトキン等ずどこか䌌た凊がある。所謂文孊者でなく、゜シアリストは、共通な単玔、明瞭を特性ずしお持぀のだろうか。\n 倜た぀が来、吻っずした。\n\n五月十二日(金曜)雹\n 今朝、枡蟺氏、去る。ゆっくりした気分ずなり、雚にぬるる薔薇の花を芋る。\n きのう、ひずりで淋しく、頭が劙になり、六畳で空を眺めお居たら、青空、癜雲、青々ず繁った柳の梢の緑が、非垞に矎しい調和に芋えた。䜕故ああ云う裟暡様を぀くらないのだろう、自然、智、愛ず云うようなものを、䞀぀の衣服の䞭に、うるわしくあらわせ、そう云う颚にこっおこそ着物に頭を䜿う甲斐があるのではないだろうか、単に色の調和でも、感じが、ずっず出るのだ。バラの色をながめ同じこずを考える。\n 着物の䞭に宇宙を包むこず。\n 皮々な点から、自分に぀いお䞀぀思ったこず――自分は、感受性ず、旺盛な生掻力で芞術が生め、クリヌア・ブレ゚ンず云うようなものはない。――そうではないだろうか。透培した県などず云うものは無く、考えずには居られない脳髄ず、感じずには居られない胞ず、゚キスプレスせずには居られない熱情ずを持った極の自然人。\n\n五月十䞉日(土曜)晎 ◎\n 芞術ず、自助生掻ずの間に考えるべきこず。垞に歀頃心にある。\n 倜、『時事』、『囜民』の蚘者が来、Aの啓明䌚のこずに぀き蚘事写真をずっお行く。自分は写真を断る。\n\n五月十四日(日曜)晎 倜高垣氏。\n 髪を切りにAが行くず間もなく蚪客、\n 午埌から、倧孊に行き、ひどくおそくかえり、八時過高垣氏来蚪。\n 野䞊さんのお胜はこずわり、おなかがいたく、蒌い顔をする。\n『時事』のAの写真よく、『囜民』に自分の名を先に出しおあるのを芋党くいやな心持になった。\n\n五月十五日(月曜)曇\n 胜に行かれなかったこずに぀き野䞊さんに手玙を曞く。\n\n五月十六日(火曜)雚『文生新聞』䞉時\n 梅雚が来たようにさむい。My days & dreams をよみ぀づける。いろいろなこずで自分の裡に、いかほど祖父(西村)の血がテムペラメンタル・テンデンシヌがあるか思わずには居られない。\n 芞術家的瀟䌚改造家ずでも云う䞀面が、哲孊、倫理孊のぞうけいずずもに圌にはあったのではないか。\n 自分は、より倚く芞術的傟向を持っお居る。しかし著しい共通があるらしい。\n\n五月十䞃日(氎曜)\n 行かなければならない凊がたたり、䞍愉快なり、出あるくのは、たたにはよいが、党くいや。そのために頭は萜付かず、たたらなく悲しい。\n 六月䞀杯にはどうしおも「枋谷」をすたせる。\n 自分が芞術的に䞀぀飛ばなければならない凊に来お居るこずを感じる。もう䞀歩倧きいスフェアに出るこず。\n 倜林町に行く。\n ダンテ「ディビナ・コメディア」斯う云うものを楜しんでよめるには、或幎が必芁であるず思う。先䞀寞名をきいおも、自分には些の愛も起らなかった。よみ始め、心が玠朎な、真心にかえっお行くような心持がする。\n\n五月十八日(朚曜)晎 午埌五時Y・W・C・A\n アメリカの郜䌚で芋たよりずっず支那の女孊生は愉快で、快掻に芋えた。が、反動によっお、圌女等が、女暩ず云うこずにいかほど刺衝されお居るか。\n 又、仲間の䞀人が、巊様なこずに぀いお話すのを、教垫が通蚳する其堎合、䞀寞䞍明な点にたご぀くず、生埒が皆心を合わせ、適圓な蚀葉を芋぀け、蚳させようず熱䞭する。぀たり、自分等を、実に䞀団のものず考え、やはり劙に思われおはいけない、斯うず云うナショナル・フィヌリングを出すのだ。\n 歀等のこずで、所謂今の女の瀟䌚運動家などず云うものが劂䜕皋、自己、人間ずしおの我に深く沈朜し考え、創造する䜙地なく、倖ぞ、倖ぞ、熱しお居るか、暗瀺の倚くを䞎えられ、䞀぀の倧きな材料ず思った。\n\n五月十九日(金曜)曇\n 人間の理想が、いかほど、時間を超えお共通なものであるのか、ず云うこずを、カヌペンタヌの、My days & dreams をよみ、ダンテをよみ思う。\n 時代の有様は、法王の圧迫、キャピタリズムの圧迫ず代っおは居るけれども――地獄倩囜の感ず自由人、自由瀟䌚察誀れる文明、コンマアシャリズム――ずなっおは居るが、根源の、よきもの、愛、神の正しさを远求する魂の方向に倉りはない。瀟䌚䞻矩的の思想傟向を、人類の远求しおやたない善人の求道心の䞀発露ずしお、通芳した堎合、珟代の゜シアリストの叫ぶような闘争的金果玉葉ずか぀ぎあげる浅薄さに陥れるだろうか。もう䞀歩其凊から深たり根本の䞍死の生呜に觊れ埗たら、今の隒乱は、もっずコンストラクティブな、マンリヌなものになりはしないだろうか。歀事は、思想ずしおではなく、実に䞀぀の実感ずしお、匷く自分に迫っお来た。歀超時間の感が、自分に雑誌のメヌキング・ラビッシュをやめさせ、䞀生をかけ、真を狙っお行く生きかたをさせるようになった力の䞀郚分なのである。\n\n五月二十日(土曜)曇\n 䞁床、たる䞉幎目のアニバヌサリヌが回っお来た。\n あの頃を考えるず、䜕ず云う今ずは異っお居たこずかず思う。新たな生掻に入ろうずする二ヵ月目に近い熱意、ああやっおホむティアから出お行き、レヌクゞョヌゞに行った心持、若し、あれを自分が敢おしなかったら、今、自分の境遇はどうなっお居たか。ず思わずには居られない。日蚘を芋るず、去幎の五月二十日は安積に居、明日垰ろうずしお居る。䞀昚幎は、たったAが垰っおから䞀月も経぀か経たないのに、Aず䞀緒に生掻するこずが、勉匷させないのだ、ず母に云われ、自分も苊しんで居る。混乱しお居たのだず思う。やっず去幎の秋頃から、或は぀い近頃から、やっず自分は少し生掻を支配する力を埗お来たのだ。Aも苊しい思をしたこずだ。\n「心の質問」を曞き始めようずする。\n 倩品ず云うもの、倩品には䞀぀の嘘もなし――無くおよいものは䞀぀もない。\n\n五月二十䞀日(日曜)曇\n Aのおできが䞀䜓に地膚れをし、なかなか痛いらしい。神経も絶間なく刺戟されるので疲れ、頭もがんやりしお芋える。午埌、ドクタヌモットの話をききに行く。久しぶりでああ云う話をきくず心持に力を䞎えられたような心持がした。\n 倜、倧阪の『女聖』に、最近出来た詩のようなものを送っおやった。どうしおも小説が曞けない。たのたれ、思い぀きでするのだず思うずどうしおも心がずがめ、思いがたずたらず、曞けないのだ。\n 枋谷正隆は、今床の集には入れず、「南路」を入れ、たずめるこずにする。心にかかっお居るず、新しいものが出来ない。" }, { "role": "assistant", "content": " A倜早くやすむ。\n 自分は颚呂に入り、床に぀いたが、頭が、玅茶のせいでさえ、眠れず。いろいろ仕事のこずを思う。\n\n五月二十二日(月曜)曇\n 陰気な、陰気な、光圩のない倩気。斯様な自然を、䞀幎の二分の䞀はながめお暮す日本人に、霊魂の匟みず云うようなもののないのは無理ないこずであるず思う。\n 北海道には、斯様那倩気が倚くあっただろうか。青い茝いた空、ちらちらする緑葉に包たれお暮したい。茝き、明るさ、が、どれ皋人の心の歓、掻力、垌望ず䞀臎するか、倜の灯火では䞎えられない健康な自然の喜悊が、我々の心に迫っお来るのだ。\n 岩波から、Aの『ペルシャ文孊史考』の怜印千五癟枚持っお来る。圌もいろいろ仕事のこずを考え蚈画しお居るらしい。\n Aの凊ぞ、孊生が返しおよこした Book lover ず云う本を芋、倧倉ためになった。ギリシアの叀兞などでどんなのがよいか圓が぀かなかったものが倧䜓刀った。よむべき本は倚く、実に倚く、第䞀流を圓にしお遞んでも、䞀生のうちよみ切れるず云うこずはないだろう。\n\n五月二十䞉日(火曜)雹\n 陰気な日、郚屋の䞭が暗く淋しい。終日かなり匷い雚の音ずあただれの雚に包たれ、さわがしい氎すだれの䞭に入っお居るような心持。\n 昚日から「南路」をなおす。\n ある雑誌をよみ、ゞムバリストの技巧は、䞀々の音が、ちゃんず指から頭に照返っお居るから䞍安がない、ず云う䞀句をよみ、自分の䜜物の䞊にも、倧いに埗るこずがあった。\n 指から――文字から頭、心、ず盎接な距離を保぀ための緊匵、頭自身の明瞭さ、心の萜付きず云うものが、欠けた時、人は只、文字の䞊を滑る。\n 志賀盎哉氏の䜜品のよい凊がよほど歀で刀った。\n 明瞭な、鏡のような頭脳。――どうも自分には、無数に絃を匵った胞の方があるようだ。然し、ベヌトりベンの䜜品は、䜕が、モヌティブ――心的になっお居るだろう、あれは頭からか?\n「南路」をなおし、駄目、駄目? ず思う。今たで䜕をしお居たのだ。\n\n五月二十四日(氎曜)晎\n Aは、遠足の筈なのを䌑んで䞀日圚宅。顔の腫物は、よほどよいが、ただものを食べるにも苊しいようだ。岩波に送る広告文を曞く。自分は、「加護」をすっかり揃える為、䞊野ぞ行く。四五月だったず思い、䞀生けんめい芋るがなかなかない。八月だった、あの時分のあわただしい生掻で、それ皋時の芳念もあやふやになっお居たのか、ず思う。\n かえりに、文房堂により、衚玙にしようずする玙を芋る。オリヌブのようなので、少し倉ったよいのがあった。\n 倜ダンテをよむ。皮々の考、ブルゞョアず云い、プロレタリアず云い、あらそいは、問題は、もう䞀歩奥に觊れらるべきものを持っお居るず思う。瀟䌚は、其凊――衚面の問題――に止っおよいのだろうが、芞術はそうでは足りないず思う。\n 宮島新䞉郎氏が、近代人の頭に適するスタむルの単玔化ずいうようなこずを云っお居られるが、□□䟡倀は、実はもっず深く、真の真心から出たものは、䜙蚈な食やひたがないず云うこずなのではないか。瀟䌚䞻矩的傟向は、喋々されるよりもっず本胜の願望であるず思う。本胜の芁求だなどず云っおも承知しないのは、そう云っお、がんやりしたものにし胡魔化したものが倚いからではないか。\n\n五月二十五日(朚曜)晎\n 近頃思う事。人間には、実に耇雑を愛する心ず、単玔をよろこぶ心ずがある。少くずも自分には、それが察立した芁求ずなっお居る。぀たり玐育のアスタヌホテルのようなもののよさも、忘られず、又自然の、我手で我食う草を採るず云う境遇もしたわしいのだ。機械、機械、発明発明ず行く心、片面の、野ぞ、玠朎ぞ、必芁の極限ぞ、ず云う心。近代人の䞀皮の煩悶である。そう云うリアクショナルの力が䞎える平均、どう匁ずべきものなのだろうか。\n ――○――\n 矎しい倩気。久しく途絶えお居たバラの花が、䞀぀、今にも満開になりそうに咲いた。午前八時頃の特別に爜やかな日光。\n「加護」の䞀郚分を曞きなおしお居るず林町から来いず云う。よろこんだ。Aが䞁床六時迄倧孊に居るので、正門前で䞀緒になり垰った。留守に『読売』の人ず、宮原さんがブランデスの本を持っお来お呉れられたよし。倚謝。――然し、宮原さんの頻繁な蚪問は、自分によい感を䞎えない。\n\n五月二十六日(金曜)曇\n 朝「加護」をなおす。『読売』の枅氎氏来蚪、心を入れ、曞いお貰うこずを話す。ために亢奮し少し仕事が぀かえた。\n 倜、Aの、むングリッシュ・リテラチュヌアの筆蚘をよみ合わせ、䞀぀詩のようなものを曞き、小品を曞きかける。\n 近頃、黙っおは居おも、宮原氏が、我々に、䞀緒のバヌデンずなっお居るず思う。自分は今幎あたり犏井には行きたくなく、安積にでも行き、あずは東京でゆっくり本でも読んで居たい。けれども、Aの居ないずき、又、圌がやたらに来、自分も話盞手がないばかりに熱䞭しお喋り合ったりするこずがあるかず思うず、いやになる。\n 䞀そ、Aず二人で行く方がよいず思う。貞操などず云うこずがいかに真実な圢に斌おは本胜だかよく刀る。\n\n五月二十䞃日(土曜)晎\n 毎日バラの花が咲く。ずっず倏たで咲いお呉れたらよいず思う。が、歀はそう云う皮類ではないのだろう。朝、「加護」を曞く。\n 倕頃A䞊野の倜景を芋に行くず云う。行く。䞍忍池の呚囲、倖方に䞀぀、茝いたパヌル䜜りのような家を芋、愛らしく矎しく思った。\n 随分電気を䜿っお居るのだから、もっず皆が盞談し、我がちにやらず、調和をずったら、すばらしい光景が珟れるのだろう。\n 趣味ず効果に斌いお倧きなりェヌストをしお居る。\n\n五月二十八日(日曜)晎 朝林町ぞ電話、\n 朝、林町ぞ電話をかける。肩がはったずかで、垞わ䌚にも出られず、あしたにしたいず云われる。そうきめ。\n 午埌早く出お行かなければならないず思うせいか、気がたずたらず、「加護」䞀向進たず。\n 吉田さんの凊ぞ集ったのはそう倧勢でもなかった。い぀か、ホむティアで逢った倧通氏が居、すおばちのような口調で、あらゆるこずを眵倒(日本の)しお居るのをきき、哀れな淋しい心持がした。た぀のこずをたのむ。\n 倜は、俄に倏めいた家の䞭に倉化を぀けるため、Aず二人で本棚を動し、カヌテンを぀るし眠るたで動く。\n 倜、床に぀き目がさえ、皮々の考えがむらがり起っお、四時頃たで目芚めお居た。\n\n五月二十九日(月曜)晎\n 暑いこず、暑いこず、おはなしにならず。朝のうち「加護」を曞いおしたう。\n 䞀時頃、母䞊ス゚子を぀れお来られる。い぀か先の先、片町の家ぞ䞀寞来られたきり䞉幎間に二床目の来蚪なのである。\n 圌女もうれしそうに芋え、自分もよろこんだ。いろいろ六時頃たで話す。近頃は、Aに察しおの心持も少しは、倉っお居られるらしいので、心持よい。安積に行きたいこず、囜男さんが倖囜に行くずきには私も䞀緒に行きたいこずなどを話す。\n 岩波から、到頭『ペルシア文孊史考』出来お来る。それでも、岩波が出しお呉れるず定った時ほどはうれしくない。Aが、䜕だか自分のものではないような気がするず云う。党く、䞖の䞭ぞ送り出した以䞊、自分のもので自分のものではないず云える。\n\n五月䞉十日(火曜)晎\n 創䜜の䞊でいろいろなこず。\n 䞀、ゞムバリストは、゚ルマンより、頭の確かさで、倚くの賞讚を埗お居る。譜を理解し、もっずもよくそれを生かすこずを第䞀の目的ずするず云う点。\n ゚ルマンは自分の出る劙音によっお、あぶない凊たで力にたかせお行くず云う。自分の仕事に察するず、自分の感動、自分の曞けお行く快感によっお曞きすすめるのではなく、しっかり察照を握みそれの実察に迫っお行こうずする意気蟌みず云うこずになるのだ。自分が才筆ず云われ䞀向わからなく思ったが、才筆ず云うこずを、右のようなセルフ・むントキシケヌトにあおはめれば刀る。自分でよう力の぀よさず危険さ。所謂頭のよい人ははっきり察照が察照ずしお察立し、自分ずごっちゃにはならないのだろう。自分は感情的で、鈍重で、総䜓でぐっず、぀かみかかり䞀緒くたになるおそれがある。\n 倧きな芞術品は、䞡者の最もよい調和にあるのだず思う。ダンテをよむず、オリゞナルの䜜者のも carry も、党くその仕事を愛し時間やその他をこえおやったず云うよい、真面目な感をうける。\n\n五月䞉十䞀日(氎曜)倧雚" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "倏䌑の宿題\n\n\n やけ野原を、東助ずヒトミが、汗をたらしながら、さたよっおいた。倏のおわりに近い日の午埌のこずで、台颚ぎみの曇り空に、雲の行き足がだんだん早くなっおいく。\n 東助少幎は手に捕虫網をもち、肩からバンドで、毒ビンず虫入れ鞄ずを䞋げおいた。ヒトミの方は、怍物採集甚のどうらんを肩から玐で぀っおいた。この二人の少幎少女は同玚生であるが、倏䌑みの宿題になっおいる暙本がただそろわないので、今日はそれをずりにきたわけだった。\n 東助の方は、今日はどうしおも、しおからずんがか、おにやんたを、それからどんな皮類でもいいから、あげはのちょうを捕る決心だった。ヒトミの方は、ぜひ、かや草ず野菊ずをさがしあおたいずおもっおいた。\n だが、二人のもずめおいるものは、いじわるく、なかなか手にはいらなかった。\n「だめだわ、東助さん。こんなにさがしおもめっからないんだから、もうあきらめお垰ろうかしら」\n ず、ヒトミががっかりした調子でいった。\n「いや、だめ、だめ。もっずがんばっお、さがしだすんだよ。これだけ草がはえおいるんだから、きっずどこかにあるよ」\n「そうかしら。だっお東助さんも、ただずんがが぀かたらないんでしょう」\n「ずんがのかずが少いんだよ。それに、みんな空の䞊をずんでいお䞋ぞおりおこないんだ」\n「やけ野原でさがすこずが無理なんじゃないかしら」\n「だっおしようがないよ。この近所で、やけ野原じゃないずころはないんだから」\n「それはそうね」\n ヒトミは、たぶしく光るやけ野原を芋たわしお、ため息を぀いた。東助は、たたずんがににげられおしたった。\n「ヒトミちゃんの理科の宿題論文は、なんずいうの」\n 東助は、きいた。\n「理科の宿題論文? それはね、『ナヌクリッドの幟䜕孊に぀いお』ずいうのよ」\n「ナヌクリッドの幟䜕孊に぀いおだっお。むずかしいんだね」\n「それほどでもないのよ。東助さんの方の宿題論文はなんずいうの」\n「僕のはね、『空飛ぶ円盀ず人魂の関係に぀いお』ずいうんだ」\n「空飛ぶ円盀ず人魂の関係? たあ、おもしろいのね」\n「おもしろいけれど、僕はただどっちも芋たこずがないんだもの。だから曞けやしないや」\n「あたしね、人魂の方なら䞀床だけ芋たこずがあるの」\n「ぞえヌッ、本圓? ヒトミちゃんは本圓に人魂を芋たこずがあるの。その人魂は、どんな圢をしおいたの、そしお人魂の色は......」\n「あれは五幎前の八月の晩だったわ。お母さたずお颚呂ぞいったのよ。その垰り路、竹藪のそばを通っおいるずね――あら、あれなんでしょう、ねえ東助さん。あそこに、ぞんなものが飛んでいるわ。あ、こっちぞくる」\n 急に人魂の話をやめたヒトミが、空の䞀角を指しおおびえたような声をあげた。\n「え、なに? どこさ」\n たおれた石門の䞊に腰を䞋しおいた東助が、おどろいお立䞊り、ヒトミの指す方角を目で远った。\n「あそこよ、あそこよ。ほら、空をなんだか䞞いものがずんでいるわ。お尻からうすく煙の尟をひいお――」\n「あッ、あれか。あ、飛んでいる、飛んでいる。飛行機じゃあない。ぞんなものだ。ぞんなものが空を飛んでいく」\n 東助少幎は芋おいるうちに、寒気がしおきた。それは色の黒っぜい䞞みのある物䜓だった。それは䜕物か分らなかった。お尻のずころからたしかに茶色がかった煙がでおいる。そしおそれは䞀盎線には飛ばないで、ぶるんぶるんず䞉段跳びみたいな飛び方を空䞭でしおいた。\n「東助さん。あれが、『空飛ぶ円盀』じゃない?」\n ヒトミがさけんだ。\n「そうかしらん。僕も今そう思ったんだけれど、『空飛ぶ円盀』ずもすこしちがうようだね。だっおあれは円盀じゃないものね。ラグビヌのボヌルを、すこし角ばらせたようなかっこうをしおいるもの」\n「西掋のお䌜噺の本で、あんなかっこうの暜を芋たこずがあったわ」\n 二人がそういっおいるうちに、その怪しい物䜓は気味のわるい音をたおお近づいおきたが、そのうちに、急にすうヌッず空から萜ちおきた。二人が立っおいたずころから五十メヌトルばかりはなれた倧きな邞宅のやけあずの、石や瓊のかけらが山のように぀みかさなっおいるずころぞ、どすんず萜ちた。\n たしかに萜ちたこずは、二人が目でも芋たし、たたそのあずで地震のような地ひびきがしお、二人の足蚱から気味わるくはいあがっおきたこずでも知れる。\n 東助ずヒトミは、恐ろしさに顔色を玙のように癜くしお、たがいに抱きあった。\n\n\n空飛ぶ怪物\n\n\n それから埌、もっず恐ろしいこずが起るのではないかず、二人はかくごしおいた。\n しかしその埌、べ぀に恐ろしいこずは起らなかった。音もせず、光りもせず、静かな広々ずした䞀面のやけ野原がねむっおいるだけのこずであった。\n 東助ずヒトミは、ようやく気をずりなおしお、巊右にはなれた。そしお二人は、おたがいが今芋たこずに぀いお語りあった。二人は党く同じものを芋、そしおそれが萜ちた堎所に぀いおも意芋が䞀臎するこずをたしかめた。\n「いっおみようか、萜ちたずころぞ。きっずあれは『空飛ぶ円盀』の䞀皮だろうから、今芋おおけば僕の曞く論文の参考になるからねえ」\n 東助は元気づいお、そうたで思うようになった。恐怖の念は、い぀の間にか消えおしたい、それにかわっお、ぜひそのふしぎな物䜓を近くで芋たいずいう奜奇心が、むくむくずあたたをもたげおきた。\n ヒトミも、もずもずメ゜子ちゃんの組ではなく、なにごずにもどんどんずびこんでいく方の明るい性質の少女だったから、東助がそういいだすず、ヒトミもおもしろがっお、早くあそこぞいっおあれをひろいたしょうずいっお、足を向けた。\n 二人は駆けだした。だれかにひろわれおは損をするず思ったからだ。しかしよく考えおみるず、この広々ずしたやけあずは無人の境ずしおほっおあるので、さっきから長い間、二人のほかに䞀人の人圱もみなかったほどである。だからひろわれるこずもあるたいず思われた。\n 二人の足は、しだいにおそくなった。それは、あのあやしい物䜓の萜ちた近くたできたので、気味がわるくなったわけだ。二人はい぀の間にか、ずしよりのように前かがみになり、党身を神経にしお、甚心ぶかく䞀足䞀足近づいおいった。\n たしかに、ここだず思うずころたできた。しかるに、あのあやしい物䜓は芋぀からないのであった。\n「ぞんだねえ。たしかにここんずころぞ萜ちたんだがね。ねえヒトミちゃん」\n「そうよ。むこうから芋るず、あの倪い焌棒くいず、こっちの鉄の扉ずの間だったから、どうしおもこのぞんにちがいないず思うわ」\n「でも、芋぀からないね、たさか消えおしたうはずもなし、どうしたのかしらん」\n 二人は、ふしぎに思っお、そこらをさがしたわった。が、ないものはなかった。あるのは瓊や石っころやさびた鉄ばかり。二人は倢を芋たのであろうかず、うたがった。\n そのずきヒトミが東助をよんで、地䞊を指した。\n「東助さん。ここに穎があいおいるわ。この穎の䞭ぞころげこんだんじゃあない」\n「なるほど、穎があるね。これかしらん」\n ず、東助が穎の方ぞ近よったずき、ふいに足の䞋がくずれだした。ヒトミが手をだしお東助をすばやく手蚱ぞひっぱっおやらないず、東助は穎の䞭ぞ萜ちこんだこずであろう。\n 土がくずれお、あずにできた穎は倧きかった。䞀坪ぐらいの穎になった。どうしたわけかず二人がのぞきこむず、どうやらそこは地䞋ぞおりる階段があるらしく思われた。そしおその底はたっくらで、䜕があるのか分らなかった。\n ここたで぀きずめたこずだから、二人はもういくずころたでいく決心をした。\n 二人は持っおいた捕虫網やどうらんをそこぞおくず、砂や石ころのざらざらする階段を、そろそろず䞋りおいった。\n 長い階段をようやくおりきるず、そこはがらんずした地䞋宀になっおいた。そしおどこからか䞀道の光がさしこんでいお、しばらくするず二人の目がやみになれお、宀内をどうやら芋定めるこずができるようになった。\n このだだっぎろい地䞋宀には、なんにも残っおなかった。――いや、䞀぀だけあった。奥の隅っこに、䞀぀の黒ずんだ暜がちょこなんず床の䞊におかれおあった。二人は同時にそれを発芋したので、同時にびっくりしお、䞡方からよりあっお、手をにぎった。\n「あれが空を飛んでいたんだ」\n「そうよ。やっぱりこの穎ぞ萜ちこんだのね。なんでしょう、暜みたいだけれど......」\n「そばぞよっお、よく芋おみよう。だけれど時限爆匟じゃないかなあ」\n「そんなものが今空をずんでいるはずはないわ。きっず暜よ。䞭にお酒か、金貚が入っおいるんじゃない」\n「よくばっおいるよ、ヒトミちゃんは。そばぞよっおから、どかんず爆発しお、死んでしたっおも知らないよ」" }, { "role": "assistant", "content": "「だっお、ただの暜の圢をしおいるわ。きっずぶどう酒が入っおいるのよ」\n「ぶどう酒が入っおいる暜が、どうしお空をずぶんだい。ぞんじゃないか」\n そういっおいるずき、ず぀ぜん暜に小さい煙突みたいなものがはえた。ず思ったら、にわかにどろどろずあやしい鳎りものがし、ぎかぎかず電光が光った。\n「あッ」\n「東助さん」\n ず぀ぜんの倉事に、二人はしっかり抱きあった。しかし二人の目は、暜からはなれなかった。\n その時、暜の煙突からすうッず癜い煙がでお、高くのがった。ず、その煙の䞭から、倧きな人の顔があらわれた。錻の高い、ひげもじゃの、あたり芋かけない顔だった。\n 䜕者であろうか、その怪人は?\n\n\n怪しい博士\n\n\n ほんずうのこずをいうず、東助ずヒトミは気をうしなう䞀歩手前たでいった。しかしそれをようやくがんばるこずができた。二人は芋た。暜の煙突の䞭からたちのがった癜い煙の䞭から、背の高い怪人があらわれお、そばに立ったこずを。\n「あなたがた、こわがるこず、ありたしぇん。わたくし、ポヌデル博士でありたす」\n 怪しい人は、そういっお、二人の方に笑っお芋せた。圌は倖囜人のようであった。脂ぎった癜い顔に、ほほひげがもじゃもじゃだ。倧きな錻の䞊に、黒い県鏡をかけおいる。頭の䞊には、小さな四角い倧孊垜がのっお、䞊から赀い房がたれおいる。そういえば、この怪人は肩から長い緋色のガりンを着おいた。癜い顔ず癜いカラヌが、赀い房ず緋色のガりンによくう぀る。しかし圌の顔はどこたでも気味がわるい。\n「わたくし、あなたがたにあうために、この土地ぞきたした。あなたがたを、おもしろいふしぎな囜ぞあんないいたしたす。あなたがた、わたくしに぀いおきたす、よろしいですか」\n ポヌデル博士は、そういっお、しきりに手を暜の方ぞふっおすすめる。\n 東助ずヒトミは、そのずきたで声をだすこずさえできなかったが、あたりおそれおいおもよくないず思ったので、東助はヒトミに目くばせをしお、怪人の方ぞすすみよった。\n「あなたは、いったいどなたですか。ポヌなんずか博士ずおっしゃいたしたが、どこの囜の方ですか」\n 東助は、なるべく気をおち぀けようず぀ずめながら、䞀語䞀語をはっきりいった。\n「わたくし、ポヌデル博士です。ポヌデル博士ずいう名前、よびにくいですか。それならば、ポヌ博士でもかたいたしぇん」\n「どこの囜の方ですか」\n「わたくしの囜? ははは、それは今いいたせん。しかしやがお自然に分りたしょう。けっしおあやしい者ではありたしぇん。安心しお、぀いおくるよろしいです」\n「いや、あなたを信甚するこずなんかできたせん。あなた――ポヌ博士ず名乗るあなたはいろいろ、あやしいこずだらけです。第䞀、さっきから芋おいれば、あなたは癜い煙の䞭から姿をあらわしたした。その癜い煙は、この小さな暜の䞭からでおきたした。この暜は、あなたの身䜓の四分の䞀の倧きさもありたせん。その䞭から、そんな倧きな身䜓がでおくるなんお理屈にあわないこずです。ですから僕たちは、あなたをお化けか、それずも魔法䜿いだず思いたす。そういうあやしい人のいうこずなんか聞いお、぀いおいけたせん。ふしぎな囜は芋たいですけれど......」\n「ははは。あなたがた、぀たらない心配しおいたす。わたくし、決しおあやしくない。お化けでもありたしぇん、魔法䜿いでもありたしぇん。あなたがたがあやしいず思うこず、本圓は決しおあやしくありたしぇん。あなたがた理科の勉匷が足りないから、そう思うのです」\n「お埅ちなさい、ポヌデル博士。僕の問いをごたかしおもだめです。なぜ博士の倧きな身䜓が、小きな暜からでおきたかをわかるように説明しお䞋さらない間は、䜕䞀぀信甚したせん」\n 東助は、なかなかゆずらなかった。\n するず怪人博士は、倧きくうなずいおから、ヒトミの方を芋ながらいった。\n「あなたがたは、この䞖界をナヌクリッド幟䜕孊の空間であるず考えおいたすね。しかしそれはたちがいです。ナヌクリッドでない空間、぀たり、非ナヌクリッド空間ずいうものが本圓にあるのです。それですよ、わたくしが今でおきたのは。この䞖界ず、暜の䞭の䞖界ずは、非ナヌクリッド空間でもっお、぀ながっおいるのです。うそだず思ったら、あなたがた、わたくしのいうずおりにしお、この煙突から暜の䞭ぞ入っおみる、よろしいです。そこにはびっくりするほどの広々ずした䞖界がありたす。そこぞ案内いたしたしょう」\n ポヌデル博士は熱心を面にあらわしお二人にすすめた。\n あたりのふしぎにうごかされ、東助ずヒトミは思いきっお、その暜の䞭にはいっおみようかずいう気になった。\n 小さい暜の䞭に、うたくはいれるだろうか。たたそのふしぎの暜の䞭には、どんなにおどろくべき䞖界が埅っおいるのだろうか。\n\n\n暜の䞭\n\n\n ポヌデル博士の話のおもしろさに぀られお、東助もヒトミも、ふしぎの暜の䞭ぞ入っおみようず思った。\n しかし、なんだか気味がわるい。\n「では、䞉人で、手を぀ないではいりたしょう。東助さん、先ぞはいりたす。東助さんの手、ヒトミさん、にぎりたす。するずヒトミさん、次に暜の䞭ぞはいりたす。ヒトミさんの手、私にぎりたす。するず䞉番目に、私、はいりたす。これ、よろしいではありたしぇんか」\n 博士は、䞉人が手を぀なぎあっおはいるこずを、すすめた。\n「だっお、こんな小さい穎の䞭ぞ、がくの倧きなからだがはいるはずはないです」\n「ただ、あなた、そんなこずいっおたすか。私のこずば信じなされ。その小さな暜の䞭にきっずはいれるず思いなさい。そうしおずびこむ、よろしいです。ふしぎに、はいれたす。うそ、いいたしぇん」\n「そうかなあ」\n「平行線は、どこたでいっおも亀わらない。そうきめたのはナヌクリッド空間です。しかし私のご案内する非ナヌクリッド空間では、平行線もやがお亀りたす。だから倧きいものも、先ぞすすめば小さくなりたす。あなたのからだも小さくなっおはいりたす。うたがうこずありたしぇん。さあ早くおはいりなさい」\n 東助には、博士のいうこずが、よく理解できなかったけれど、平行線がやがお亀わるものなら、やがおからだも小さくなるような気がしたので、思いきっお暜の小さい穎ぞずびこんでみるこずにした。\n「ではお先ぞ、ワン、ツヌ、スリヌ」\n 東助は、思いきっお、小さい穎の䞭ぞずびこんだ。氎泳のずびこみのように、手ず頭の方を先にしお。......ただし巊手はヒトミず手を぀ないでいるので、右手だけを先にのばした。\n ず、東助の頭は、急にくらくらずなった。耳もずで、すごい雷のような音を聞いた。しかしそれもほんのちょっずの間ですんだ。次は急に気もちがよくなった。\n さわやかな音楜が耳に入った。すばらしいいい銙が、はなの䞭ぞはいっおきた。あたりが明るくなった――芋なれない郚屋の䞭に、圌は腰をおろしおいた。\n あたり広くない郚屋ではあるが、たわりにいっぱい噚械がならんでいた。そうだ、どうやら倧きな飛行機の操瞊宀のようだ。しかしそれにしおも、あたりにりっぱな耇雑な噚械がいっぱい䞊んでいる。こんな倧仕掛の操瞊宀をもった飛行機は、よほど倧きい飛行機にちがいない。\n「東助さん。なにをがんやり考えこんでいらっしゃるの」\n ヒトミの声だった。\n うわッず、われにかえっおふりかえるず、い぀の間にはいっおきたのか、ヒトミもいるし、ポヌデル博士もにこにこず、ひげだらけの顔をうごかしお笑っおいる。\n「どうです。私、いったずおり、ありたしょう。小さい穎、はいれたした。そしお䞭、このずおりなかなか広い」\n 博士は埗意のようだ。い぀の間にか服がかわっおいた。探怜家がアフリカの猛獣狩にいくような半パンツの軜装になっおいる。頭の䞊には、四角い倧孊垜のかわりに、癜いヘルメット垜がのっおいる。そしお口には、ずうもろこしでこしらえたパむプをくわえお、煙草のけむりをぷかヌり、ぷかヌり。\n 東助は、自分のずおっおきたあずを考えお、ふしぎでしかたがない。\n「ここは暜の䞭ですか。それずも、別の堎所ですか」\n「もちろん暜の䞭です」\n するず、自分たちのからだは小さくちぢたったこずになるのかな。\n「さあ、私がこれからこの暜を操瞊しおおもしろい囜ぞ案内したすよ。あなたがた、そこのいすに腰かけお十五分ほど埅぀、よろしいです」\n そういうず博士は、操瞊垭らしいいすの䞀぀に腰をかけた。そしおレバヌをうごかしたり、操瞊桿をひねったりした。かすかな震動が起っお、郚屋がうごきだした。\n ああ、今、暜がずびだしたのだ。\n どこぞいく、奇劙な飛行暜は?\n\n\n䜕の泚射か\n\n\n 博士は、その行先に぀いお、なにも語らなかった。いっおから、目をあけお芋れば、ひずりでによくわかるずいった。\n 東助ずヒトミずは、向こうぞいき぀くより前に、すこしでもその囜がどんなずころであるか知りたかった。そしお博士に、いくどもねだった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを完成させお、印象的な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「じゃあ、おいらを捜しに出おいたの」\n「もしやなにか、間違いでもあったのではないかず、寝おいるにも寝おいられなくなっお」\n「ばかだなあ、病人のくせに。たたこの埌、熱が出たらどうするんだい。さあ、はやく寝床ぞ匕っ蟌みなよ」\n「それよりなんでお前は泣いおいたの」\n「埌でいうよ」\n「いいえ、凡事ではないらしい。さ、事情をお話し」\n「寝おから話すからさ、お通さんこそ、はやく寝おくれよ。明日たた、うんうん唞っおも、おいら知らないぜ」\n「じゃあ、郚屋ぞはいっお寝たすから、ちょいずだけ話しおおくれ。......おたえ沢庵様の埌を远いかけお行ったのでしょう」\n「ああ......」\n「その沢庵様から、歊蔵様のいらっしゃる所をきいおおいた?」\n「あんな情け知らずの坊さんは、おいら嫌いだ」\n「じゃあ、歊蔵様の居所は、ずうずう分らずじたいですか」\n「ううん」\n「分ったの」\n「そんなこずいいから、寝ようよ、寝ようよ。――埌で話すからさ!」\n「なぜ、わたしに隠すんですか。そんな意地悪をするなら、わたしは寝ずにここにいるからいい」\n「......ちぇッ」\n 城倪郎は、もいちど泣き盎したいように、眉を顰めながら、お通の手を匕っ匵っお、\n「――この病人も、あのお垫匠様も、どうしおそう、おいらを困らすんだろうなあ。......お通さんの頭にたた、冷たい手拭を圓おおからでないず話せないこずなんだよ。さ、おはいりよ! はいらなければ、おいらが担いで行っお寝床の䞭ぞ抌しこむよ」\n 片手にお通の手を぀かみ、片手で䞋郚門の戞をどんどん叩きながら、癇癪たぎれに、城倪郎は呶鳎った。\n「門番さん! 門番さん! 病人が寝床から倖ぞ抜け出しおいるじゃないか。――開けずくれよ。はやく開けないず病人が冷えちたうよ!」\n\n明日埅酒\n\n侀\n\n 額に汗をにじたせ、酒も少し手䌝っおいるらしい顔色をしお、本䜍田又八は、五条から䞉幎坂ぞ傍芋もせず駈けお来た。\n 䟋の旅籠屋である。石ころの倚い坂の途䞭から、汚い長屋門の䞋を駈けぬけ、畑の奥の離屋たで来るず、\n「おふくろ」\n ず、郚屋のうちを芗き、\n「――なあんだ、たた昌寝か」\n ず舌打ちしお呟いた。\n 井戞端で䞀息぀き、぀いでに手足も掗っお䞊がっお来たが、老母はただ県もさたさず、どこが錻か唇かわからないほど、手枕に顔を抌し朰しお錟をかいおいるので、\n「......おえっ、たるで泥棒猫みたいに、暇さえあるず、寝おばかりいやがる」\n よく眠っおいるず思っおいた老母は、その声にうす目をあいお、\n「なんじゃあ?」\n ず起き䞊がっおきた。\n「おや、知っおたのか」\n「芪を぀かたえお、なにをいうぞ。こうしお、寝お眮くのがわしの逊生じゃ」\n「逊生はいいが、おれが少し萜着いおいるず、若いくせに元気がないの、やれその暇に手懞りを探っお来いのず、びしびし叱り぀けながら、自分だけ昌寝しおいるのはなんが芪でも勝手すぎようぜ」\n「たあゆるせ、ずいぶん気だけは達者な぀もりでも、䜓は幎に勝おぬずみえる。――それにい぀ぞやの倜、おぬしず二人しお、お通を蚎ち損ねおから、ひどう萜胆しおのう、あの晩、沢庵坊めにおさえられたこの腕の根が、いただに痛んでならぬのじゃ」\n「おれが元気になるかず思えば、おふくろが匱音を吐くし、おふくろが匷くなるかず思えば、おれの根気がはぐれおしたうし、これじゃあ、いたちごッこだ」\n「なんの、今日はわしも骚䌑めに䞀日寝おいたが、ただおぬしに匱音を聞かせるほど、幎は老らぬ。――しお又八、なんぞ䞖間で、お通の行き先ずか、歊蔵の様子ずか、耳よりな話は聞かなんだか」\n「いやもう、聞くたいずしおも、えらい噂だぞ。知らないのは、昌寝しおいるおふくろぐらいなものだろう」\n「やっ、えらい噂ずは」\n お杉は膝を぀き寄せお来お、\n「なんじゃ? 又八」\n「歊蔵がたた、吉岡方ず、䞉床目の詊合をするずいうのだ」\n「ほ、どこで䜕日」\n「遊廓の総門前にその高札が建おおあったが、堎所はただ䞀乗寺村ずだけで、詳しくは曞いおない。――日は明日の倜明け方ずなっおいた」\n「......又八」\n「なんだい」\n「汝れは、その高札を、遊廓の総門のわきで芋たのか」\n「りム、倧倉な人だかりさ」\n「さおは昌間から、そのような堎所で、のめのめず遊んでいたのじゃろうが」\n「ず、ずんでもねえ」\n 慌おお手を振りながら、\n「それどころか、皀に酒ぐらい少し飲むが、おれは生れ代ったように、あれ以来、歊蔵ずお通の消息を探り歩いおいるじゃねえか。そうおふくろに邪掚されちゃ情けなくなる」\n ふずお杉は、䞍愍を増しお、\n「又八、機嫌なおせ、今のは、ばばの冗談じゃ。汝れの心が定たっお、元のような極道もせぬこずは、ようこの老母も芋おいるわいの。――したがさお、歊蔵ず吉岡の衆ずの果し合いが明日の倜明けずは急なこずじゃな」\n「寅の䞋刻ずいうから、倜明けもただ薄暗いうちだなあ」\n「おぬし、吉岡の門人衆のうちに、知っおいる者があるずいったの」\n「ないこずもないが......そうかずいっお、あたりいいこずで知られおいるわけでもねえからなあ、なにか、甚かい」\n「わしを䌎れお、その吉岡の四条道堎ずやらぞ案内しおほしい。――盎ぐにじゃ、汝れも支床したがよい」\n\n二\n\n 幎寄りのせっかちずいうものはひどく勝手である。悠々閑ず、今たで昌寝しおいた自分のこずは棚ぞあげ、\n「又八、早うせんか」\n ず、人の萜ち぀きに、眉をしかめお、圓っお来る。\n 又八は、身支床もせず、けろりずしお、\n「なんだい慌おお、軒に火でも぀いたように、――第䞀、吉岡道堎ぞ行っお、いったいどうする぀もりなのだ、おふくろの量芋は」\n「知れたこず、母子しお、お願いしおみるのじゃわ」\n「なにを......」\n「明日の倜明け、吉岡の門匟衆が歊蔵を蚎぀ずいうたであろが、その果し合いの人数のうちぞ、わしら母子も加えおいただき、及ばずながら力を協せお、歊蔵めに、䞀倪刀なりず、恚たにゃならぬ」\n「アハハハ、アハハハ、......冗談じゃねえぞ、おふくろ」\n「なにを笑うぞ」\n「あたり暢気なこずをいっおるからよ」\n「それは、汝れのこずじゃ」\n「おれが暢気か、おふくろが暢気か、たア街ぞ出お、䞖間の噂をちっず聞いお来るがいい。――吉岡方は、先に枅十郎を敗られ、䌝䞃郎を蚎たれ、今床ずいう今床こそは、最埌の匔い合戊だ。砎れかぶれも手䌝っお、血の逆った連䞭ばかりが、もう滅亡したも同様な四条道堎に銖をあ぀め、この䞊は、倚少の倖聞にかかわろうずも、なんでも歊蔵を打ち殺しおしたえ、垫匠の讐を匟子が打぀分には、敢お、尋垞な手段や䜜法にこだわっおいる必芁はない――ず公然、今床こそは倧勢しおも歊蔵を蚎぀ず、蚀明しおいるのだ」\n「ホり......そうか」\n 聞くだけでも耳が嚯むように、お杉は県をほそめお、\n「それでは、いかな歊蔵めも、こんどはなぶり斬りに遭うじゃろう」\n「いや、そこはどうなるか分らない。倚分、歊蔵の方でも、助倪刀を狩りあ぀め、叀岡方が倧勢ならば、圌も倚勢で迎えるだろうし、さおそうなれば喧嘩は本物、戊のような隒ぎになるのじゃないかずきょうの京郜は、その噂で持ちきりなのだ。――そんな隒動の䞭ぞ、ペボペボなおふくろが助倪刀にたいりたしたなどず行っお芋たずころで、誰も盞手にするものか」\n「りヌム......それやそうじゃろが、じゃずいっお、わしら母子が、これたで尟け狙うおきた歊蔵が、他人の手で蚎たれるのを、黙っお芋おいおよいものか」\n「だから、俺はこう思うんだ。あしたの倜明けごろたでに䞀乗寺村たで行っおいれば、果し合いのある堎所も、その様子もきっず分る。――そこで、歊蔵が吉岡の者に蚎たれたら、その堎ぞ行っお、母子しお䞡手を぀き、歊蔵ずおれ達のいきさ぀を詳しく述べお、死骞に䞀倪刀恚たせおもらう。その䞊、歊蔵の髪の毛なり、片袖なりを貰っお、かくの通り、歊蔵を蚎ち取ったず故郷の衆に話せば、それでおれ達の顔は立぀じゃねえか」\n「なるほど......。汝れの考えも智慧らしいが、そうするより他はあるたいの」\n 坐り盎しおお杉はたた、\n「そうじゃ、それでも故郷ぞの面目は立぀わけじゃ。......埌はお通ひずり、歊蔵さえ亡ければ、お通は朚から萜ちた猿も同様、芋぀け次第、成敗するに手間暇はかからぬ」\n 独り蚀に、うなずいお、やっず幎寄りのせっかちも、そこで萜ち぀くずころに萜ち぀いたらしい。\n 又八は、醒めた酒を思い出したように、\n「さあ、そうきめたら、今倜の䞑満ごろたでは、ゆっくり骚を䌑めおおかなけれやならねえ。......おふくろ、少し早いが、晩飯の䞀本を、今から酌けお貰おうか」\n「酒か。......ム、垳堎ぞいうお来やい。前祝いに、わしも少し飲もう皋に」\n「どれ......」" }, { "role": "assistant", "content": " ず、億劫そうに、手を膝にかけお起ちかけたず思うず、又八は、なにを芋たのか、あっず暪の小窓ぞ倧きな県をみはった。\n\n侉\n\n ちらず、癜い顔が窓の倖に芋えたのであった。又八がびっくりしたのは、単にそれが若い女であったずいうだけではない。\n「やっ、朱実じゃねえか」\n 圌は窓ぞ駈けよった。\n 逃げそびれた小猫のように、朱実は朚蔭に立ち竊んでいた。\n「......たあ又八さんだったの」\n 圌女もびっくりしたような県をそこにみはっお。\n そしお、䌊吹山のころから今もただ、垯か袂か、どこかに付けおいるらしい鈎が、顫えるように圌女の身動きずずもに鳎った。\n「どうしたのだ、こんなずころぞ、どうしお䞍意に来たのか」\n「......でも、わたしここの旅籠に、もうずっず前から泊っおいたんですもの」\n「ふりム......、そい぀あちっずも知らなかった。じゃあ、お甲ず䞀緒にか」\n「いいえ」\n「䞀人で?」\n「ええ」\n「お甲ずはもう䞀緒にいないのか」\n「祇園藀次を知っおいるでしょう」\n「りム」\n「藀次ずふたりで、去幎の暮、䞖垯をたたんで他囜ぞ逐電しおしたったんです。わたしはその前からお逊母さんずは別れお......」\n 鈎の音がかすかに顫えお鳎る。芋れば袂を顔に抌し圓おお、朱実はい぀の間にか泣いおいるのだった。朚蔭の光線の青いせいか、それの襟あしずいい现い手ずいい、又八の蚘憶にある朱実ずはひどく違っお来たように思われる。䌊吹山の家や、よもぎの寮で、朝倕芋おいたような凊女の艶はどこにもない。\n「――誰じゃあ? 又八」\n ず、うしろでお杉がいぶかっお蚊ねた。\n 又八は振顧っお、\n「おふくろにも、い぀か話したこずがあるだろう。あの......お甲の逊女さ」\n「その逊女が、なんでわしらの話を窓の倖で立ち聞きなどしおいたのじゃ」\n「なにもそう悪く取らなくおもいいやな。この旅籠に泊り合せおいたのだから、䜕気なく立ち寄っおみたたでのこずだろう。......なあ朱実」\n「え、そうなんです。たさか、ここに又八さんがいようなんお、倢にもあたし知らなかった。......ただ、い぀ぞや、ここぞ迷れお来た時に、お通ずいう人は芋かけたけれど」\n「お通はもういない。おめえ、お通ずなにか話したのか」\n「なにも深い話はしなかったけれど、埌で思い出したした。――あの人が、又八さんをお故郷で埅っおいた蚱嫁のお通さんなのでしょう」\n「......ム、たあ、以前は、そんなわけでもあったんだが」\n「又八さんもお逊母さんのために......」\n「おめえはその埌、ただ、独り身かい。だいぶ様子が倉ったが」\n「わたしも、あのお逊母さんのためには、ずいぶん蟛い思いを忍んで来たした。それでも育おおもらった恩矩があるので、じっず蟛抱しお来たんですけれど、去幎の暮、我慢のならないこずがあっお、䜏吉ぞ遊びに行った出先から、独りで逃げおしたったんですの」\n「あのお甲には、おれもおめえも、これからずいう若い出ばなを滅茶滅茶にされたようなものだ......。畜生め、その代りにゃあ今に、碌な死にざたはしやしねえから芋おいるがいい」\n「......でも、これから先、あたしどうしたらいいのかしら?」\n「おれだっお、これから先の道は真っ暗だ......。あい぀にいった意地もあるから、どうかしお、芋返しおやりおえず思っおいるが......。あアあ......思うばかりで」\n 窓越しに、同じ運呜を蚗ち合っおいるず、お杉はさっきから䞀人で旅包みを拵えおいたが、舌うちしお、\n「又八、又八。甚でもない人間ず、なにをぶ぀ぶ぀いうおいるのじゃ。こよい限りでこの旅籠も立぀のじゃないか、汝が身も少し手䌝うお身仕舞でもしおおかぬか」\n\n四\n\n なにかただ話したそうな様子であったが、お杉に気がねしお、朱実は、\n「じゃあ又八さん、埌でたた」\n 悄々ず、立ち去った。\n 皋なく――\n ここの離屋には灯りが点る。\n 倜食の膳には、眺えた酒が぀き、酌み亀わしおいる母子の間ぞ、勘定曞が盆に茉っおいる。旅籠の手代だの、亭䞻だの、かわるがわる別れの挚拶に来お、\n「いよいよ今倜のお立ちだそうでございたすなあ。長いご逗留にも、なんのおかたいも申しあげたせんで。......どうぞこれにお懲りなく、たた京郜ぞお越しの折にはぜひずも」\n「はい、はい。たたお䞖話になろうも知れたせぬ。幎暮から初春を越しお、思わず䞉月越しになりたしたのう」\n「なんだかこう、お名残り惜しゅうございたすな」\n「ご亭䞻、お別れじゃ、䞀盞あげたしょう」\n「おそれいりたする。......ずころでご隠居様、これからお故郷元ぞお垰りで?」\n「いえいえ、ただ故郷ぞは䜕日垰れるこずやら」\n「倜䞭に、お立ちだず䌺いたしたが、どうしおたたそんな時刻に」\n「急にちず倧事が起りたしおのう。......そうじゃ、お宅に、䞀乗寺村の割絵図があるたいか」\n「䞀乗寺村ずいえば、癜河からただずんず端れで、もう叡山に近い淋しい山里。あんな所ぞ、倜明け前にお出でなされおも......」\n 亭䞻のいう腰を折っお、又八が暪から、\n「なんでもよいから、その䞀乗寺村ぞ行く道筋を、巻玙の端にでも曞いおおいおおくれ」\n「承知いたしたした。ちょうど䞀乗寺村から来おいる雇人がおりたすゆえ、それに聞いお分りよく絵図にしお参りたしょう。したが、䞀乗寺村ずいうおも広うござりたするが」\n 又八は少し酔っおいた。やたらに鄭重振る亭䞻の話がうるさそうに、\n「行く先のこずなんざ心配しなくずもいい。道順だけ蚊いおいるのだ」\n「おそれ入りたした。――では、悠々、お支床を遊ばしお」\n 揉手しながら、亭䞻は瞁ぞ退りかけた。\n ばたばたず、母屋から離屋の呚りを、そのずき、旅籠の雇人たちが䞉、四名駈けおいた。亭䞻のすがたをここに芋るず、䞀人の番頭が、あわおおいった。\n「旊那、この蟺ぞ逃げお来たせんでしたか」\n「なんじゃ。......なにが?」\n「あの――この間から奥に䞀人で泊っおいた嚘っ子で」\n「えっ、逃げたっお」\n「倕方たでは、たしかに、姿が芋えたんですが......どうも郚屋の様子が」\n「いないのか」\n「ぞい」\n「阿呆どもが」\n 煮え湯を飲んだように亭䞻の顔は倉った。客の郚屋の閟際で揉手をしおいる時ずは別人のように口汚く、\n「逃げられおから隒いだずお、埌の祭りじゃ。――あの嚘の様子ずいい、初手から事情のあるのは知れきっおいる。――それを䞃日も八日も泊めおから、お前らは初めお䞀文なしず気が぀いたのであろが。――そんなこずで、宿屋商売が立っおゆかれるか」\n「盞枈みたせん。぀い、凊女な嚘ず思っお――たったく䞀杯食っおしたったんで」\n「垳堎の立お替えや、旅籠代の倒れは仕方がないが、なにか、盞宿のお客様の物でも玛倱しおいないか、それを先に調べお来なさい。゚゚忌々しいや぀め」\n 舌打ちしお、亭䞻も戞倖の闇ぞ、県いろを研いだ。\n\n五\n\n 倜半を埅ちながら、母子はなんべんか銚子を代えた。\n お杉は、自分だけ先に、飯茶碗をずっお、\n「又八、おぬしも、もう酒はよくはないか」\n「これだけ」\n ず、手酌で酌いで――\n「飯はたくさんだ」\n「湯挬けでも食べおおかぬず、䜓にわるいぞよ」\n 前の畑や、路地口を、雇人の提燈がしきりず出入りしおいた。お杉はそこから芋お、\n「ただ捕たらぬずみえる」\n ず、぀ぶやいた。そしお、\n「関り合いになっおは぀たらぬゆえ、亭䞻の前では黙っおいたが、旅籠代を払わずに逃げた嚘ずいうのは、昌間、汝れず窓口で話しおいたあの朱実じゃないのか」\n「そうかもしれねえ」\n「お甲に育おられた逊女では、碌な者であろうはずはないが、あのようなものず出䌚うおも、この埌は口など亀わしなさるなよ」" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを続けお、完成床の高い文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "\n\n远悌詩 ひずりたび\n\n田䞭瀟長のお子さん克行さん(四ツ)が亡くなりたした、それは真䞞い県をした可愛らしいお子さんでした\n\n\nお県めを\n぀ぶ぀た\n克行さん\n ......\nちいちやい\nあんよの\n䞀人旅\n ......\nお県めを\n぀ぶ぀た\n克行さん\n ......\n靄の\n小路の\n䞀人旅\n\n\n聯詩の䌚\n 広瀬氏歓迎垭䞊\n\n 私の家で二十䞃日倜来旭の広瀬操吉氏を䞭心に雑談をや぀た、広瀬氏が聯詩をやらうずいふ提議に車座にな぀お数枚の詩篇は、幟床ずなく䞀同をめぐり廻぀お完成された。鈎朚も今野もそしお私も、この聯詩ずいふものは始めおだがこの奇怪な䜜業に、す぀かり魅せられた。も぀ず圓地方でもこの聯詩を流行らしおもいゝず思ふ。\n 殊に私などは自我的で、自分の仕事に閉ぢこも぀たきりである、かうしお䞀぀の䞻題の䞋に、ちが぀た䞉人の個性が結び合ふずいふこずは無蚀のうちに傑れた感情を醗酵させ、たた倧きな勉匷になるこずだず思ふ。蚀語構成䞊の収穫も倚か぀た(小熊生)\n\n広瀬操吉\n今野玫藻\n鈎朚政茝\n小熊秀雄\n\n\n 颚船\n空はこばるず(今野)\n昆虫孊者は網を持ちお野原を銳ける(鈎朚)\nあゝ秋の颚船の快よき(広瀬)\n孊者はしばし昆虫をずる(小熊)\nこずを忘れお空を芋䞊げた\n空には䜕もなくな぀た(今野)\nヱアシップの哀れなるかな(広瀬)\nちぎれ雲ひず぀(小熊)\nぞう〳〵吟魂を流しゆきぬ(鈎朚)\n出題 小熊秀雄\n\n 倜の花\n浮浪人は埳利を抱いお畳に寝ころび(鈎朚)\n぀く『〵ず阿母が恋しくな぀た(小熊)\nしかず花を抱いお眠りぬ(広瀬)\nあゝこの男に昚日があるのだ(今野)\n真昌は陜気に倜は陰気に(小熊)\n幞犏ず䞍幞を織り亀ぜお(広瀬)\nあゝい぀か男の息は絶えおゐる(今野)\nされどあけがのゝ雀は障子にながむ(鈎朚)\n出題 広瀬操吉\n\n 豚\n豚が欠䌞する真昌時(広瀬)\nはらんだ牧女があらはれた(今野)\n圌女は豚に逌をやりながら胎児のこずを考ぞた(小熊)\n胎動を感じ぀ゝ矀がる仔豚を愛撫する(鈎朚)\nあはれ秋颚よ情なき男に(広瀬)\n情ある男に(今野)\n吟逊豚所のをみなの心を䌝ぞおよ(鈎朚)\nかくお重き劊婊は空を仰いだ(小熊)\n出題 鈎朚政茝\n\n 倜の陶噚\nこの壺はうれひなくふくらみ(小熊)\n倜の光線は照らされお(広瀬)\n蒌癜い叔母のマスクが写された(今野)\nこの壺はうれひなくふくらみ(鈎朚)\n遠き秋颚の音を聎き぀ゝ(広瀬)\nふるさずの唐土を远憶し(小熊)\n殺人事件を審刀する(今野)\nあゝこの壺はうれひなくふくらみ(鈎朚)\n出題 今野玫藻\n\n\n日䞭埀埩はがき詩集\n\n 䜜品第䞀番 八月二十六日倜\n小熊(1)さあ始めよう\n\n私は日本の\n雑皮的な\nバスで\n君は広東語の\n悠揚せたらざる\nアクセントで\nふたりは心の料理堎の\n材料をあるだけ\n出し合はう\n\n\n雷(2) よろしい!\n\nぢや、やらう!\n北海道から来た\n君は『飛ぶ橇』に乗぀お、\n広東から来た\n私は『沙挠』をぬけお、\n東京にふたりで\n料理屋になる。\n胞にし぀かりず積んでる\nこの島のず\nその倧陞のずの\nお土産を\n䞖界の釜で\n料理しよう!\nわが無数の逓鬌は\n私達のこしらぞる物が\nたづくおも\nおいしさうに\nが぀『〵食べお呉れるだらう。\n\n\n小熊(3)空腹な人生\n\nかう我々はこの人生を\n呌ぶ必芁がある、\n完党な空腹ぢやないね、\nこずは我々ロマンチストは\n理想の入る䜙地ず\n詩を぀くる䜙地ず\n詩が倧衆に愛される\n䜙地は充分あるね\n料理方も\n喰ひ方も\nかうしお芪密に\n心や胃の腑に入れるものを\n熱心に぀くり\n熱心に埅぀おゐる\n\n \n雷(4) 瀌儀がなく\n\nしかし瀌儀以䞊の\n敬愛ず自重を持぀我々は\nきたない倧地に\n立掟な皮を播き蟌たうずする\nその皮の萌え䞊がる実は\n黄金だらうか\n䞞匟だらうかず\nいづれもかたはぬ\nいづれでも飢逓の糧を\n取換ぞる歊噚になる\n我々はたた高い理想を\nその皮の䞭に孕たせる\n――党く自由を戊取する人間の口\n――圌らの匷い呌吞に\n\n陜気さの口笛を吹かせるず。\n\n\n小熊(5)けふ嵐の䞭で\n\n我々の皮子はずび亀぀た、\n炞烈する胚子は――、\n地䞊ぞの自由の蒔き手を\n自任しよう、\n二぀の民族は\nコルホヌズ(共同蟲堎)に\nでかけおゆく\nしかも我々の䜏んでゐるずころの\nコルホヌズは\n暁ではない、倜だ、\nた぀くらなんだ、\nたるで手探りで皮蒔いおゐる、\n\n\n雷(6) 飛砂走石たる野原に\n\n我々はトラクタヌを進たせお\n時代の最埌の嵐を远ひ消さう\n野獣の血肉ず骞骚を、\n肥料ずしお土の䞭ぞ打ち蟌む\n暁になるず我々の\n蒔いた胚子が\nたるで䞀瞬間の間に\nむら〳〵ず空ぞ䌞び䞊がる\nそしおいづれの端末にも\n茝く花の匁が\n勝利の埮笑をしお\n招いおるだらう\nその時、地球のどこにも\n平和な空気が\nあざやかに挂ふ\n\n\n小熊(7)それを倢みる\n\n君の倢を私がみる、\n私の倢を君がみたたぞ、\n珟実の毒玠的な寝台の䞊でも\nわれわれの肉䜓は腐らない、\nわれわれの真理はカビない、\n愚劣な堪ぞ難い倜よ、\n早く明け攟れおしたぞ、\nひきちぎれ\n消極的なにがにがしい、\n苊悶のヒダ食りの\n灰色のカヌテンを、\n他人の手を埅぀必芁はない\n我々のすぐ手のずどくずころから\n我々の手をも぀おそれを行動しよう\n\n\n雷(8) 心配しねえ\n\n心配しねえ\n倢みよ\nその真実な倢を。\nいや、それのみならず\n又、倢からメザマし\n倧胆で\n飛びかか぀お来る\n虎狌の耳朶を掎んで\nそい぀の背にたたが぀お\n腹たでにし぀かりず挟む。\nそれから、拳固で\nそい぀の頭を打ち぀ぶす、\n山山に 野原に\n我々のコルホヌズを\nひろげよう\n倧地の涯たでに。\n\n\n小熊(9)幞犏な土地ぞの匷烈なあこがれよ、\n\n堪ぞ難い日垞生掻を\n行動ぞの魅力で\n救枈しようずする\n単なる魅力ずしお終るか、\n新しい前進の珟実を\n具䜓的に土の䞊に建おるか、\n盎接クワをふるふか\nクワをながめおゐるか、\n暗い朝を玫の垯をひいお\n雲が走぀おゆく、\nそしお蟲倫のコヌラスは\nどこからずもなくきこえおくる\n\n\n 䜜品第二番 䞉十䞀日倜\n\n雷(1) 我々は\n\n䞍同の血液で\n共同の敵を爆炞する\n炞匟を぀くる\n䞍同の蚀葉で\nあらゆる民族の城池を\n吹き぀ぶす颱颚を\n呌び起さう\n統䞀的なむデオロギヌを\nも぀お自衛し\n最も劙な戊術を\nも぀お攻襲する\n我々は䞖界矛盟\n癜熱化の焊点に\n総爆発する火力を\n匷く準備する\nたるで火事埌に\n新しい建蚭を準備するやうに。\n\n\n小熊(2)同じからざる敵を\n\n同じからざる味方をも぀お迎ぞ撃぀、\n炞匟は個性的に\n跳ねずぶだらう、\n確固䞍動の\n粟神に前進を呜じよう、\n濶達な青幎ずしお\nたたかふ堎所は広い、\n撃たれるものも\n撃぀ものも豊富である。\n豊富ずは矎である。\nそしお地球は䞞い\n敵味方で充実しおゐる、\nそこに混迷も暗黒も挂泊も埅぀おゐる\n\n\n雷(3) 私はルンペン詩人になりたい\n\n鉄砲のやうなペンを背負぀お\n到る凊ぞ狩猟し枞撃する\n匟䞞の痕――字の跡で\n悪魔を駆立぀笊を綎り\n自芚せる人間の県をめざたしお\n暗倜の悪倢から\n真昌の憧れぞず\n䞀歩〳〵に正しい珟実の途を\n螏みしめお\n生きるための闘ひをさせなければならん、\n私もいづれかの隊の䞭に\n前に立おば\n旗手になり\n埌に守れば\nラッパになる\n戊埌に私の屍を芋えなければ\n毎床慶祝蚘念䌚の台䞊に\n私の歌を聞えるだらう。" }, { "role": "assistant", "content": "\n\n小熊(4)錓膜よ、\n\nわれわれの耳よ、\nさわがしい人生に\n答ぞおくれるお前よ、\n砲匟の䞭の歌は\nどんなにお前をふるはすか、\n感動をも぀おわれらの耳は\nりサギ銬のやうに敏感だ、\nやさしい暁の憧憬者は\nた぀たいた暗倜の叢の䞭から\nずびだしたばかりだ、\nそしお友よ、君の匟に\n私のりサギ銬は撃たる\n君の真実に――、\nそしお倒れる、\nそしお蘇生する、\nそしお君を乗せお共同の路を走りだす、\n\n\n雷(5) 私ず君\n\nいや、私達ず\n無数の勀劎倧衆に\n無条件的に\nそしお必然的に\n芪善ず合䜜をする事は出来る\nしかし匷盗は\nある家の䞻ずの犬に\n芪善ず合䜜をするずいふのは\n匕銖を出す前に\n屈服せるうたい蚂玄だ、\n我々は 芋よ\n倖の匷盗らは\nこの匷盗をにらみながら、\nピストルを持ち䞊げお\nその家の窓ぞか\n門ぞかず\n忍び蟌たうずするのだ。\n\n\n小熊(6)解攟されたずころ\n\nそこには䜕の\n戞締りもない、\n自由よ\n門よ、\n柔軟な開閉よ\nそこぞの䟵入者は呪はれる\nそこからの進発者は\nにぎやかに送別される、\n\n\n雷(7) 静かに 静かに\n\n豚のやうに\n銎良であれ\nこんな教蚓を\n頷づく者が倚い\nだけど我々は\n聎かない、そしお\n抗議する\n曎に反察な行動がする\n我々は四足の獣でもなければ\n䞡足の犜でもないだから\n又、我々は\n時代の尖端に\n最も匷い闘ひず\n最も倧きな創造を\n自任する者を\n瀺さねばならぬ。\n\n\n小熊(8)人間の行ひ為すこずの\n\n䞀切を肯定しようずする\n恐ろしい考ぞ方のために\nわれわれは敵に\n奇襲される\nそしお時には敗北する\nただそれを悔いないだけだ、\n幟床も襲はれ\n幟床も敗れ、幟床も勝぀、\nこの繰り返しの敢行よ、\nなぜ埌悔しないか、\nそれは新しい道埳のために\n奉仕するこずができるためだ、\n叀い道埳に\n新しい道埳を察比せよ。\n\n\n 䜜品第䞉番 九月二日\n\n雷(1) 粟神の圧迫されるこずは\n\n肉䜓の笞撻されるよりも\n苊しみを私はよく感ずる\nだが、私は屈服の奎隷ではない\n若し異郷に客死せねば\n或ひは旅嚢を背負぀お\nどこぞも枡぀お行かれるならば\n行動の自由によ぀お\n皮皮の倪錓を敲く、\nその倪錓の音に\n数知れず矀衆の\n吶喊を昂揚させる。\n若しも行動の自由を\n奪はれたなら\n歯切に拳固で\n最埌の決闘をやる。\n\n\n小熊(2)倪錓の打撃の快感よ、\n\n打ち、打぀、\n我々のありあはせの心臓ぞ、\n我々のもちあはせの\nむデオロギヌずいふ鞭を加ぞる、\n尊倧ではなく自信をも぀お卑俗ではなく\n普遍化された\n真実の打楜噚さ、\nずほく歎史の空間をかけたはる\nわれわれの行動の時間化よ、\nたたかひの速床よ\n\n\n雷(3) 生呜のレヌルをはか぀おはしない\n\nだけど䞀秒の生呜力を\n流線型以䞊のスピヌドで\n人間の広幅にひろげお発揮したい\n君よ 君の銬を\n絶えず飛び駈け぀぀\n私も飛行機を駕埡しようずするのだ。\nしかし忘れおはいけぬ\n君の倧刀ず\n私の機関銃を\n甚意するこずをこそ!\n\n\n小熊(4)客死か旅かずいふ\n\n君の決意のために祝盃をあげる\n異邊人たちの粟神は\n寄り集た぀お策謀しおゐる、\nも぀ずも倢倚い東掋の\n暹朚の䞋にあ぀お\n珟実的な花を論じ\nはげしい結実を論ずる\n反逆の旅嚢は肥える蚱りだ、\n転々山をのがり、谷を䞋る\n村萜の䞊ず、郜䌚の䞊ず\n軌道を行く倪陜ず同様に\nはげしい旅愁を味぀おゐる\n粟神や肉䜓の笞刑は\n歎史ず共に若者達の\n貧しい生掻の䞊に加ぞられおた、\n\n\n雷(5) 神よ鬌よ\n\nお前達の実䜓の存圚を\nわれわれは吊定する\n我々は無神論者であり\n又唯物論者である\n然るにおたぞ達が\n人間の霊魂を統制する\n䞀皮の工具になされるこずを\n歎史的な怪物ずしお知られる、\nそしお科孊によ぀お、\nそれにひかれる芳念を打砎しようず\n人間の霊魂を\n迷信的幻想から\n匕き出しお\n珟実的理想ぞ\n抌し進たせようず\n保蚌がある手段で努力する。\n\n\n小熊(6)人間の思惟の䞖界での\n\n可胜なこずは\nすべお人間の手で\n可胜化されなければならない、\n真理を信奉するものに栄誉あれ、\n珟実を愛する珟実䞻矩者よ、\n土壌のために春は蚪れた、\n春のために河は、氎は、流れた\n理想の船の匛ゆみなく\n海ぞ至る路よ、\n喧隒をも擟隒をも怖れない\n\n\n雷(7) サむレンを吹け\n\n唟沫を飛ばせ\n勇しくお\n敎然たる歩䌐で出発し\n驚かす行動のシグナルを瀺す、\n又、あらゆる同䌎者を動員しお\n戊線を固める\nプロレタリア詩人よ\nわが詩の行路を\nひらかせ!\n\n\n小熊(8)劖怪的な匷がりの宣蚀を避けお\n\nも぀ずも具䜓的な\n行為の詩を曞かう\n豊饒な思想の収穫堎に\nいたわれ〳〵は働いおゐる\n怖れるな、われらの我儘者よ、\n倧胆䞍敵な行為の自由を\nや぀おのけよ、\n敎然は愛すべきで、\n足なみを揃ぞよ、\nそしおあくたで宣䌝的であれ、\n\n\n 䜜品第四番 九月二日\n\n雷(1) 我々はいらない\n\n割匕的な文孊賞金を。\nそしおあい぀も\n我々に送぀お呉れぬ\nされど我々の䜜品には\n金銭で買はれぬ皋の\n䟡倀がある\n我々の名誉も\n䞇千の倧衆に\n定評されるだらう\n我々は若し犬にな぀たら\nしかもよく吠えるをしたら\n少くずも空腹にならないだらう\n犬になりたいものよ\nたづ尟の払ひ捲きを\nならはねばならぬ\nだが、厄介であるのは\n䞻人の運呜が\n行詰りに぀くなんだ。\n\n\n小熊(3)資本の取匕のやうに\n\n手軜にぶべ぀的に\n我々の思想は圌等に受け枡されない\n文孊ぞの賞金ずは\nい぀たい䜕なのか?\nたたかひの文孊に\n生呜をかけお賞金をもらふずは\nあたりに階士は\n銬のうぞでふざけすぎる\n民衆を銬刞買ひの\n心理に迎をやるやうに\n文芞賞ぞ文士ず民衆の関心を向けるか\nあい぀恍か぀な奎、\n\n\n雷(3) 今、倧きか぀た者に\n\nだん〳〵小さくな぀お来る\n老いがれた支那には\n孔子が华぀お\n二千䜙幎を経た墓穎から\n起されお匕぀匵はれお\nずが〳〵ず出お来るんだ\nそしお銙檳酒を飲んで\n芋せびらかしお\n廻りに歩いおゐる\nしかもどの孊校ぞも這入る\n孊生様に぀づたしく向぀お\n瀌儀・道埳・忠孝......を教ぞお\n囜を救ぞば曞経を読むべきを講ずる\n居眠りにする孊生らの県を\n打ちひろげんずするのか\n或ひはマルクスを逐ひ出さうずするのか\n臭い屁を攟ち぀぀。\n\n\n小熊(4)君よ、君は支那の睡眠性脳膜炎を歌ふさ、\n\n君のずころの孊生は\n倱ふべきものの䞭にあ぀お\n過速床的に倱぀おゐる\nあらゆる叀代支那の思想も文化も、\nそれは悲しむどころか爆竹ものだ、\nそしお月ずいりかはりに\n倪陜がのが぀おくるさ、\n新しい支那は\n䞖界的芏暡をも぀た思想の卵を抱いおゐる\nそしお孵化しおゐるのだ、\n\n\n雷(5) 君よ駿銬の持䞻\n\n私に掻力を぀けお\n生呜の発揮油を泚ぐ\n君は若し\nかなた倧陞に\n駈け廻぀たら\nそこの空に\n聳え䞊がる山山の峰が\n顫ぞお厩れられるかも知れん" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを最埌たでやり遂げお、芋事な文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": "「ああ、絹坊。この間のように、捚おおゆきゃしないよ。......いい児だから、ホラあすこにいお、蜜柑かなんか貰っお喰べおるずいい」\n 絹坊ず呌ばれた女の児は、䞀人前の劖婊かなどのように、唇を小憎らしくきゅっず曲げおニタニタず笑った。そしおクルリず螵をかえすず、錠のようにチョロチョロず奥の方に銳けおいった。䟋の花道のような背の高い卓子の蔭に極く狭い隙間があっお、その隅っこに癜い瀬戞補の痰壺が眮いおあった。僕がハッずする間に、もうその女の子は痰壺の䞊にチョコンず無造䜜に腰を䞋し、板匵りの壁に痩せた身䜓を凭せかけた。そしおいかにも楜しそうに、薄汚れた゚プロンの前で小さい䞡手をパチパチず叩きあわせた。圌女に呉れるずいった蜜柑を埅ちうけるらしく、あたりにもいじらしいその堎の光景だった。\n「なに芋おいるのよオ。――」\n 女は僕の腕をいやずいうほど぀ねった。女の顔を芋るず、圌女は早く階段を䞊れず、県で合図をした。蚀われるたたに、僕は先ぞ立っおトコトコず窮屈な階段をのがっおいった。女はすぐ埌を远っかけおきた。そしお階段をのがりきったずころにある扉を開いお、自分の身䜓をもっお僕をドヌンず宀内ぞ぀きずばした。僕は衣服の䞊から露わに女の党裞身を感じた。そこは䞀台の円い卓子ず二脚の壊れかかった肘掛怅子ずがあるっきりの、実にお粗末な小宀だった。\n「お前さんは、割合に尀もらしい顔をしおいるのネ、写真で芋るよりは......」ず、向い偎に座った女は、莚の煙を吹き吹き、正面から僕のこずを冷やかした。\n「写真? 僕の写真を、䜕凊で......」\n「䜕凊でっお、忘れっぜいのネ。お前さんの郚屋に食っおあったじゃないの」\n ずいっお、女ははだけた胞の間から、ハガキ版の写真を摘み出した。\n「ああ、......」\n 僕は驚いお立ち䞊った。それは机の前に立おお眮いたものだったけれど、真逆こんな女が持っおきおいようなどずは気が぀かなかった。\n「いいじゃないの」女は䞍貞腐れな態床を芋せお、「この写真じゃ、随分いい男だず思っお貰っおきたんだけれど、お前さん随分背が䜎いのネ」\n「ああ、するず僕の家に䟵入したのは、貎女だったんですネ」\n「あら、ただ気が぀かなかったの。呆れるわねえ。わざわざ花束たで机の䞊に捧げお来たのに。......」\n「では、時蚈だの十銭玉だのを取ったのも。......」\n「たあ察しが悪いのネ。䞀杯お酒でも飲むずいいわ。いた取っおきおあげる。......」\n ず女はフラフラする身䜓を起そうずする。僕はそんな目に䌚いたくなかったので、女の腕を掎むず無理やりに怅子の䞊にたた腰を䞋させた。女は怅子の䞊にドスンず尻逅を぀き、乱れた裟をかきあわせた。僕の䞡の掌には、蛇にでも觊ったような劖しい觊感だけが、い぀たでもハッキリず残っおいた。\n「どうせ、貎女に枡しお頌むように蚀い぀かっおきたものだからいいようなものの......。䞀䜓貎女はどこから僕の家ぞ忍びこんだのです。そしおたた䜕凊から出おいったのです」\n 女は肩をすがめるようにしお、顔を曲げた。分りきったこずを聞くものかなずいう颚に......。\n「......床䞋を朜っお、お勝手の板の間を開けお入ったのさ。お隣りは空き家で、窓の締りが䞀぀倖れるずころがあるんですよ。内郚ぞ入れば、畳のない床は、明けっ攟しよ。甚心はあたりいい方じゃないわネ」\n 僕は頭を鉄槌でガヌンず擲られたような気がした。そんな䞍甚心な抜け道があったのであるか。䜕もかもそれで分った。この女が、隣りの空き家から床䞋越しに忍びこみ、僕の家の勝手の板を䞋から抌しあげたずきに、そこに眮いおあった花筒の氎をひっくりかえしたずいうわけなんだろう。\n「県粟の花は?」\n「ホホホホ」ず女はちょっず矞らいを芋せお、高らかに笑った。「䞀床入っただけでよかったものを、埡苊劎さたにもたたもう䞀床出入りしお、あの花を買っお来たのよオ。功は男の人ずみるず、盎ぐ岡惚れしちゃうのが悪い病でネ。尀もお前さんの堎合は、写真に岡惚れしたっおわけだけれど......」\n 蓮葉だった女は語るに連れお、それでもだんだん女らしさを取りかえしおくるようだった。\n「じゃあ、もう僕は甚事がないわけですね。貎女はあのボロ垃に包んだものを、たしかに速氎茪倪郎氏に枡しお䞋すったのでしょうネ」\n「それは間違いなしだわ。......功の方に甚事はないけれど、あなたの方になにか話があるのじゃないかず思っおたのよ」\n「飛んでもない、僕の方にどうしお話なんか有るものですか」\n ず、僕は憀然ずしお立ち䞊った。\n このずき女は、憎らしいほど抌し黙っお、そっぜを向いおいた。そのはだけた襟の間からは、膚れあがったような真癜な肉の隆起が芗いおいた。その䞊を匍いのがるず、癜い氷山のような広い頞があっお、芋るのも矞かしいような现いくびれの筋が぀き、その䞊に四、五本の埌れ毛が搊み぀いおいた。肉づきのいい䞞い頀は、先のずころでふっくらず二重頀になっおいた。そしお膚ず襊袢ずの間から、懊しい幎盛りの女の銙気がムンムンず立ちのがっおくるような気がした。その劖艶な肢䜓を望んでいるず、僕はなぜかこの女を犬のように心安く扱う「深倜の垂長」のこずが、嫉劬されおきお堪えかねた。――僕はたた砎れ怅子の䞊に゜ッず腰を䞋した。\n「あの『深倜の垂長』ずいうのは䜕者ですか」\n「おやッ、甚事はないずいった癖に......」ず、女はそら芋ろずいわんばかりに僕の方に劖艶な面を向け、「そんなこずは、あのひずに盎接に聎いおみるこずだわよ」\n 女はアッサリず、僕の質問を぀き攟した。\n 僕は赭くなりながら、匟かれたように怅子から起ち䞊った。\n「僕は、あの殺人の珟堎で拟った懐䞭時蚈ず十銭玉ずが急に入甚になったんです。貎女は僕の家からあれを盗んでいったずいいたしたね。ではたった今、あれを僕に返しおください」\n 僕は卓子を叩いお、女の方に迫った。\n 女はその蚀葉には驚いたず芋え、急に半身を起しながら僕の顔を芋぀めた。\n「なんですっお? 時蚈ず十銭玉が芁るずいうの? なぜそんなこずを云いだすの、あんたは......。どっちも、もう歀凊に無いこずはよく知っおいるじゃありたせんか。それずも......」\n ずいっお女は口籠ったが、\n「それずもこの功が、隠しおいるようにでも思っおいるの。あんたは知らないだろうけれども、『深倜の垂長』さんにいい぀かったこずを䞀぀でも間違えようものなら、あたし達は䞀倜だっお無事に生きおゆけないのよ。倉なこずを云い出さないでペ」\n「じゃあ、たしかに速氎茪倪郎に枡したんだな」" }, { "role": "assistant", "content": "「分っおるじゃないの」\n「よオし。それなら僕はこれから速氎茪倪郎のずころぞゆくんだ。君はその男の居る堎所を知っおいるだろう。さあ、そい぀を教えお呉れ絊え」\n「おや、だいぶ嚁勢がよくなっお来たのね゚」ず、女は隙を芋出しおすかさず匥次るこずを忘れなかった。「それで茪倪郎さんのずころぞ行っお、䞀䜓どうしようずいうのさ」\n「それは分っおるじゃないか。僕はこの倉な事件や、この劙な環境から、䞀分間でも早く逃出したくなったのだ。速氎氏から、僕の拟った蚌拠物件を返しお貰ったら、そい぀を盎ぐその筋ぞ差出しお堂々ず裁きを぀けお貰う぀もりだ。僕はすこしも怪しいずころなんかありゃしないのだ」\n「ぞん、どうですかねえ。自分だけよければそれでいいず云うんだろう。男らしくもない」\n「君は僕に速氎氏のずころを教えないずいうんだな」\n 女はフフンず錻で嗀っお、意地悪そうに僕を芋おいたが、\n「誰も教えないずは云やしないわよ。......行きたけりゃ歀凊に曞いおあるから、地図をよく芋おゆくがいいわ」\n そういうず女は、突然袖をたくしあげお、肉づきのいい真癜な二の腕をヌッず、目の前に぀きだした。\n「............?」\n 僕は非垞に面喰った。よく芋るず、䜕時曞いたものか、女の二の腕の裏偎から腋の䞋ぞかけお、青いむンキで詳しい地図が䞹念に曞きこんであった。\n\n\n5\n\n\n 蚀うのも恥かしいこずながら、僕は力匷いもののために動かされかけた。しかしその刹那、僕は勀め先の銖尟のこずばかりが気になった。どうやら甘矎な雰囲気に䞀歩を螏みこんだものの、その甘矎な味が感ぜられれば感じられるほど、なんだか恐ろしくなっおきた。僕は事件に深入りしないうちに䞊叞ぞ具申しお、身の朔癜を立おようず思ったのであった。\n そこで僕は、萎瞮しきった浅間信十郎になりきっお、虎埡前の腕に曞き぀けられた地図を思い出しながら、通り懞った円タクを拟っお、寝静たった䞞の内街に向けお走らせた。\n 䞞ビルの前で車を棄おた僕は、暫くは冷えきった建物の蔭に身をひそめおいた。円タクはそこに䞋した僕を別段怪しむ様子もなく、スピヌドをあげお有楜町の方ぞ走り去った。目をあげお向うを芋るず、月も星もない曇り空に、尟根のような駅の屋根が、高く黒々ず浮きだしおいた。遉に列車も発着を停止したらしく、い぀もは眩しいばかりに照り぀けおいる反射灯の光も消えお、塔䞊の䞞い時蚈の文字盀だけが、ボンダリず芋えおいた。指針は正に、午前二時を指しおいた。\n 僕はオヌノァの襟を立おるず、䞞ビルの蔭から離れお、なるべく跫音のしないように、郵船ビルの方ぞ歩きだした。どちらを芋おも、たったく人圱が芋えなかった。ただずきどき向うに芋えるお濠ばたを、ツツヌッず自動車のヘッド・ラむトが倢のように流れおゆく。\n 䞞ビルの裏角たで来るず、そこを巊にずっお折れた。そこには、ずっず狭い暪䞁が真盎に通じおいた。舗道もかなり冷えおいるらしく、立おたいずする跫音が、コツコツず高く、あたりのビルディングに反響した。深倜の散歩者は、いよいよ萎瞮しきっお、䞍安な歩行を぀づけた。十字路ぞ出ようずいう途端に、突然カラカラずいう音がしお、なにかフワフワした癜いものが転がっお来た。ハッずしおその堎にピヌンず棒立になったその前を䞞たった新聞玙が小銬鹿にしたように、颚に煜られお通りすぎた。しかしそれは誰かもうこの䞖にはいない元䞞の内勀めのサラリヌマンの迷える魂が、仮りに新聞玙に慂り移っお、懐しい想い出倚い深倜のビル街を散歩しおいるようでもあった。たた䞀陣の颚が、ヒュヌッず物悲しげな音をたお、舗道の䞊を吹いおきた。\n 湖氎の底に沈んだ廃郜のような暗黒のビル街を瞫っお尋ねおゆくうち、求める䞞の内第十䞉号通ずいうのが挞くにしお芋぀かった。それは叀めかしい䞉階建の煉瓊造だった。しかし闇の䞭に透しおみるず、かなり宏倧な、たるで城廓のようにも芋える建物だった。\n その第十䞉号通の倖れたでくるず、酔っぱらいの幎増女の腕に曞いおあった地図のずおりに、隣りの建物ずの間に人間䞀人がやっず通れるくらいの実に狭い路地があった。\n「歀凊だナ。――」\n 僕は決心するず、あたりに充分気を配りながら、埐ろに奥の方ぞ這入っおいった。\n「䞀む、二り、䞉む。......䞉぀目の窓だったな」\n 窓の䞋に空気抜けの四角な穎があった。そこには頑䞈な鉄の栌子が嵌っおいたが、僕は跌むずそれに手をかけ暪に匕くず、幎増女の腕にかき぀けおあった文字どおりに、鉄栌子がズルズルず十センチほど摺れお、あずにポッカリず穎が明いた。\n 僕は腹匍いになった。そしお、右腕を゜ロ゜ロず穎の䞭に差入れおいった。この行動はすべお真暗の䞭で行われた。懐䞭電灯などを点すず、䞇䞀、誰かに芋咎められるかもしれない虞れがあったからだ。腋の䞋たで充分に腕を差蟌んで眮いお、それから僕は手探りに、巊の方の壁を撫でたわした。それは挆喰で固めおあるらしく、滑々した衚面を持っおいたが、果然指先に、壁の面から飛びだした固いものを探りあおた。それは小さいスむッチであった。\n 金属の球の぀いたスむッチ・ヘッドを指先で摘んだ僕は、遉に烈しい動悞を感ぜずにはいられなかった。......ここで勇気を倱っおはなんにもならない! 僕は思いきっお、その䞞いスむッチ・ヘッドをパチンず䞊に倒した。ずたんに地䞋宀の䜕凊かでりりヌンず䜎く電動機の起動する呻り声が聞えおきた。僕はそこで穎から腕を抜いた。そしおペロペロする脚を螏み締めお立ち䞊った。\n 錻先にある第䞉番の窓硝子が、ググヌッず音をたおお、静かに静かに䞊に明いおゆくのが、闇に慣れたわが県に、それず映った。僕は頃合を芋蚈らっお、ちょっず埌方に退るず、窓䞋の空気抜きに片足をかけるが早いか、やッず身を躍らせお雚垂れ萜ちに飛び぀いた。そしおそのたた壁を蹎っお、開かれた窓の䞭に滑り蟌んだ。そのずきブラむンドがバサリず顔を打ったのに驚いお、もすこしのこずで悲鳎をあげるずころだった。\n 家の䞭ぞ這入りこむず劙なもので、最前たでの気持ずはガラリず倉り、いやに気が萜着いお来た。床重なる倜々の冒険が、僕の心をひき緊めたのでもあろうか。それずもいただ経隓したこずもない盗賊のような振舞に、自ずず胆が据わっおきたのでもあろうか。\n 窓にブラむンドが䞋りたのを確かめた䞊、このずき始めお僕はポケットの䞭から小型の懐䞭電灯をずりだしお、パッず灯りを぀けた。小ぢんたりしたこの郚屋には、壁を背にした曞棚がいく぀も䞊んで居り、ズラリず䞊んだ同じ型の事務机の䞊は蚀いあわしたようにキチンず敎頓しおいた。僕はそんなものには再び芋向こうずもせず、前面に閉っおいる扉に近づくず把手に手をかけおグッず抌した。扉には錠がかかっおいなかった。僕はなんなくそこを宀倖ぞ抜けお、廊䞋に出た。\n 鍵がたに曲った廊䞋を、静かに歩いおゆくず、巊偎にポツンず硝子の嵌った扉が぀いおいた。\n「これだナ。――」\n ず思っお、その扉の前ぞ立ち止った僕は、硝子を通しお向うを芗いた。懐䞭電灯の灯りはよくは届かなかったけれど、扉の向うは広い庭になっおいた。僕はひずり肯いお扉に手をかけた。それは難なく開いお、懐䞭電灯の光は、䞋の方に䞋りるように蚭けられおいる埡圱石の階段をサッず照した。これを䞋りおゆけばいいのだった。\n 内庭の芝地の䞊に䞋りたっお、僕は奇異な感に打たれた。この庭の広々ずしたこずはどうであろう。芋枡したずころ、面積は二癟坪ほどもあった。土の銙りがプンプンしおいた。そこはモザむック颚のきちんず敎った花壇になっおいお、花壇の䞭には春らしい色ずりどりの花が咲いおいお、いい銙りが錻を打った。たた小さいながら、硝子ばりの枩宀なども立っおいた。このような土の銙高い庭園がアスファルトの舗装道路をめぐらしたあの宏壮な煉瓊建の建物の䞭に蚭けられお有ろうなどずは、倖を行く誰人が気づいたこずであろう。圌等はあの厳しい赀い煉瓊壁䜓の䞭には、叀がけた事務宀ず郚厚い壁ず幅の広い階段ず長い廊䞋のほかに、なにものも予想しおいないであろう。\n 僕は庭園の存圚に驚歎するあたり、この庭園の䞭倮に建぀颚倉りな建築物に぀いお述べるこずを忘れおいた。颚倉りな建築物ずいったが、それはよく町䞭でみる鉄筋コンクリヌトの倪い烟突を想像しお貰えばいいず思うが、それず殆んど同じような感じのする高塔が、庭園の䞭倮に高々ず聳えおいたのだった。ただ烟突ず異るずころは、この高塔には方々に窓が぀いおいた。そしお芋䞊げるず、遥か䞊の方の窓には、ポヌッず薄明りがさしおいた。――僕の蚪ねおきたのは、ずりもなおさず、あの高窓のうちに棲んでいる人物だったのである。あの明り窓の内郚には、「深倜の垂長」が城東で起った殺人事件の蚌拠物件を、圌の手玙ずずもに届けるようにず呜じたずころの䞍思議な科孊者速氎茪倪郎が䜏んでいる筈だった。そしお十銭掋酒店「ブレヌキ」の悪酒に酔いしれた、劖艶な幎増女の二の腕に曞き぀けお眮いた奇怪なる案内図は、いた目の前に聳えた぀この高塔の所圚を教えたものに倖ならなかった。\n 僕はもう逡巡するずころなく、塔の真䞋に芋える入口ぞ突進した。扉は軜く抌しただけで、ギむず内偎ぞ開いた。\n 内郚は十坪ほどの広さであった。䞭倮郚には傟斜の急な螺旋階段がグルグルず䞊に䌞びおいた。だから倩井の真䞭が、䞁床人間の通るだけの倧きさに䞞く切りぬいおあった。" } ]
[ { "role": "system", "content": "䞋蚘の曞き盎しを再開しお、プロフェッショナルな文曞を䜜成しおください。" }, { "role": "user", "content": " ずむやみに力みだした。\n 癟䞇遍は方䟿だから、宗旚はなんであろうずかたうこずはない。䞉郎助のいうずおりに癟䞇遍をやめ、その日から題目を唱えるこずにしたが、浪颚が立っお、玠砎死ぬかずいうずきになるず、䞉郎助は自分の蚀いだしたこずも忘れお必死に念仏をずなえ、波颚が静たるずたたお題目に戻る。これですむかず思っおいたら、たたぞろ音䞃が狂いだし、癟䞇遍に䜿った数珠繩をみなの前にひきずっおきお、\n「みなも芋おくれ。どうだ、この繩のやわらかいこずは。いたはこれたでずいうずきの甚意に、銖瞊りの茪玢をこしらえおおいたが、癟䞇遍の数珠にしたこの繩は、みなの手擊れでやわらかになり、いかにも締りぐあいがよさそうだ。今のうちに、あれずこれを取換えおおこうではあるたいか」\n ずいうず、楫取の藀介や氎倫頭の庄兵衛たでが同意し、おんでに数珠繩で銖瞊りの茪玢を぀くり、それをズラリず船梁に掛け぀らね、\n「あれは誰の茪玢、これは誰の茪玢」\n ず指差しながら語りあうのもあわれであった。\n 重吉は銬鹿らしいず思ったが、口に出しおいうわけにもいかない。いよいよこれたでず晎着に着換え、みなずいっしょに茪玢に銖を突っこんだこずが、その幎の暮たでに前埌十六遍あったが、いざずいう時になるずいくらか波颚がしずたり、そのたびにあやうく呜を拟った。\n その幎も抌詰っお倧晊日になった。重吉は衚ノ間ぞみなを呌んでいった。\n「たずたず、この幎も今日䞀日になった。春になれば南か東颚が吹きだすから、故郷ぞ吹き戻される䟿宜もあるだろう。いい幎のはじめになるように、目出床く〆食をしお正月を迎えよう」\n 氎倫には、ありあうもので〆食を぀くるようにいい぀け、賄の孫䞉郎には、豆の粉の団子を塩氎で茹であげ、圢ばかりの鏡逅を぀くるように手配させた。倕䞃ツ時、重吉が胎ノ間のランビキにずり぀き、埡酒代りの氎をずっおいるず、䞊のほうで、倧勢でなにか息巻いおいるような声がする。たた喧嘩でもはじめたのかず甲板に䞊っおみるず、いるだけの人数が、぀くりかけの〆食を眺めお泣いおいる。どうしたのかずたずねるず、亀厎の半兵衛が\n「元旊には、束の枝が折れたのさえ忌嫌うずいうのに、このざたはいったいなんずしたものだ。囜にさえ居れば、酒に酔い、逅に飜き、思うさた飲み食いしお楜しむのに、こんな船に乗ったばかりに、浅間しい春を迎えねばならぬずは」\n ずいうず、垆係の為吉があずに぀いお、\n「䌊豆の衆のいうずおり黄粉を䑛めお正月をするようでは、この先の運はもうきたった。こんな甲斐性のないや぀でも、同じ村のものだず思うから、船頭だなどず立おおきたが、思えば銬鹿らしくおならぬ。䞋り船の乗りがけに、いやな気䞭がしたが、あれこそは、こんなや぀ずいっしょに、南の海の果で藻屑になるずいうしらせだったのだろう」\n ず怒り぀泣き぀する。重吉は笑っお、\n「泣くほどのこずがどこにある。来幎は米を食える囜ぞ垰られるずいう瞁起に、明日䞀日は豆をやめ、囲い米のうちから二升だけ粥にし、米ずくめで暮らさせる぀もりなのを知らないのか」\n 為吉は、元旊には米を食べさせおもらえるなら蚀うこずはないずいい、それでみなも泣くのをやめた。\n 元旊は暗いうちに起きだし、矜織を着お衚ノ間の座敷ぞ行く。䜜法の真䌌事をし、重吉に新幎の祝儀を述べ、圢ばかりの膳に向っお埡酒代りの氎で盃をたわしはじめたが、氎盃ずいうのは䞍吉な時にかぎっおするものだから、気を悪くしおものをいうものもない。盃はだん末座たで䞋り、ずっお十六になった飯炊の房次郎の番になるず、盃を持ったたたいきなりわっず泣きだした。今たでこらえおいたものもたたりかね、䞀床に声をあわせお泣きたおる。重吉は声を荒けお、\n「昚日の玄束を忘れたのか。䞋した船を東颚に乗せお囜ぞ䞊らせようずいう目出床い祝儀に、盃が䞋ったたた䞊らないのは瞁起が悪い。房次郎よ、泣うのはやめお、早く盃をのがらせないのか」\n ず叱り぀けるず、それでようやく盃が䞊っおきた。そこぞ粥が出る。䞀人二怀ず぀食べる玄束で、米を食うのを楜しみにしおみたものも、さお雑煮の代りに粥が出たのを芋るず、心の䞭にさたざたな思いが湧き、たがいに愁い顔を芋あわせるばかり、進んで箞をずろうずするものもなかった。皆の衆、どうしたこずだず催促するず、う぀むいおがそがそ食べだした。気の早いものは二怀ずも啜りこんでしたったが、遅いものは、䞀怀も食べきれずに錻汁を啜っおいる。䞀人が涙組めばみなそれに぀いお涙を流す。重吉もたたりかねお甲板に䞊り、舷に額をあおお声を忍ばせお泣いた。\n しばらくしお衚ノ間の座敷ぞ垰るず、ただやめずに愚痎をこがしおいる。重吉ももおあたしお、「泣くのはそれくらいにしお、みなで初春の遊びをしよう。いたこの船に䞉十䞡ばかりの金がある。穎のあいた銭も䞃八把はある。枯々の雑甚に預った金だが、浊賀奉行ず埡刀物ず尟匵様の埡船印さえあれば、どこの接ぞ挂い着いおも、雑甚には事欠くこずはないから、これを皆で分けるこずにする。おぬしらは、船頭の県を眩たしお淊氎間ぞもぐりこむほど博打が奜きなのだから、これで思うさた遊ぶがいい」\n 銭箱の底を叩いお金を分けにかかるず、楫取の藀介が、\n「やめおくれえ。たずえどれほど金銀を持っおいたずお、氎䞀杯買えるじゃない。勝負に勝ったずお、なんの楜しみがあるものか。そんなこずは嚑婆にいおの話だ。それずも、このうちにそんな勝負でもしたいものがあるのかい」\n ずうわずった県぀きで䞀座を芋たわすず、そんな阿呆がいるものかずいい、誰䞀人ずりあうものもない。重吉も仕様こずなく銭箱をしたい、船䞭の䞀同は心のなかにさたざたな愁いを抱き、こうしお泣き悲しむがせめおの心やりず、力なくうち臥しおいるばかりであった。\n 正月もすぎ、二月も送り、䞉月の末になるず、誰圌なくいちように身䜓が腫れおきた。重吉は真氎をずったあずの苊汗湯を济びおいたのでそうしたこずもなかったが、月の終り頃になるずみな頭たで腫れがきお、寝框にあおのけに寝たきり、県玉を動かすこずもできず、远々たよりないようすになっお、芪や劻子や兄匟の名を呌びながら「重湯を぀くっおくれ」の、「玠麺を食おう」の、「早く西瓜を切らないのか」のず譫蚀を蚀うようになった。重吉は及ぶかぎりに身䜓をたわしお介抱しおやったが、今たでは十䞉人で手分けしおやっおいたこずを䞀人でひきうけ、そのうえ十二人の看病たでするので、半月ほどするず、疲れはおお身を起すこずもできないようになった。\n「ずおも䞀人でやれる業ではない。芪兄匟ずいうわけでもあるたい。なかには他囜者もいるずいうのに、こんなに身を苊しめるのは、぀たらぬこずだ」" }, { "role": "assistant", "content": " ず神棚の䞋ぞゎロリず寝ころがったが、いや、そうではない。知らぬ他人ずはいえ、おなじ船に乗りあわせ、こういうめぐりあわせになるのは、前䞖でこの人々の恩をうけ、今生でそれを返す番になったずいうようなこずなのにちがいない。そうであったら、芪兄匟にもかえお倧切にしなければならぬず思うず、ずおも寝おはいられず、豆を煎る間に薪をこしらえ、ランビキするひたに氎を汲み、こうなっおからは米を囲っおおいおもなにになるものかず、ありったけの米をさらけだし、残りなく重湯にしお啜らせた。そうたでしおみたが、人間の力ではひずの定呜を半日繰延すこずもむずかしく、五月の八日に半田村の䞃兵衛が死んだ。こういう暑気に死骞をずりおさめおおくのはどうかず思ったが、このたた海ぞ投げたら、残ったものたちが、おれらもああされるかず力を萜すだろう。そう思っお、腐臭が立぀のもかたわずに座敷぀づきの雑倉の板の間に安眮した。぀づいお十六日に楫取の藀介が死んだ。二十八日に飯炊の房次郎が十六歳で死んだ。六月十二日に庄兵衛ず䌊豆の子浊の犏束が死んだ。十䞉日に出家になった賄の孫䞉郎が死んだ。十䞃日に乙川村の為吉が死んだ。十八日に䌊豆柿厎の䞉郎助が死んだ。二十日に田子村の䞑蔵が死んだ。二十八日に子浊の安兵衛が死んだ。五月八日から六月二十八日たでに十人が぀ぎ぀ぎに死に、重吉ほかに、䌊豆の音䞃ず亀厎の半兵衛だけが生残った。\n 八月朔日ず二日に、十䞀ヵ月目ではじめお倧雚があった。こんなあおどのない倧海原で、どちらの島山ぞも遠いため、雲霧も及ばなかったのだろう。いた雚が降りだしたのは、どこかの囜に近くなった蚌拠にちがいないず、音吉、半兵衛の二人にも話しおきかせ、氎を受けられるものはありたけ甲板ぞ持ちだし、䜙すこずなく倩氎を貯えた。\n äž‰æ—¥ã®æœã€æµ·ãŒã‚«ãƒ¯ã‚«ãƒ¯ãšé³Žã‚‹ãŒã€æµ·é¢ãŒæš—ããŠãªã«ã‚‚èŠ‹ãˆãªã„ã€‚ã‚‚ã—ã‚„é­šã®çŸ€ã§ã‚ã‚ã†ã‹ãšãƒã‚±ã‚’æŠ•å…¥ã‚ŒãŠã¿ã‚‹ãšã€äž€å°ºã°ã‹ã‚Šã®é°¹ãŒã€ã„ãŠäžŠãŒã£ãŠããŸã€‚ãã®ã†ã‚Œã—ã•ã¯ãªã«ã«ãŸãšãˆã‚ˆã†ã‚‚ãªã„ã€‚ãƒã‚±ã‹ã‚‰å€–ã—ãŠç…™å‡ºã—ã®ç©Žã‹ã‚‰äž‹ã®ðŠ©€ãƒŽé–“ãžæŠ•ã’ãŠã‚ã—ãŠãŠãã€èˆ³ã®ã»ã†ãžè¡Œã£ãŠãƒã‚±ã‚’å…¥ã‚Œã‚‹ãšã€äžƒæœ¬é‡£ã‚ŒãŸã€‚æŒãŠã‚‹ã ã‘ã®é°¹ã‚’äž¡è„‡ã«æŠ±ãˆã€ã•ãŠäž‹ãžè¡Œã£ãŠã¿ã‚‹ãšã€ã•ã£ãç…™å‡ºã—ã®ç©Žã‹ã‚‰æŠ•ã’ãŠã‚ã—ãŠãŠã„ãŸé°¹ãŒéªšã°ã‹ã‚Šã«ãªã£ãŠã„ã‚‹ã€‚ã©ã†ã—ãŸã“ãšã ãšãŸãšã­ã‚‹ãšã€éŸ³äžƒãšåŠå…µè¡›ã¯ç‰‡æ¯ã‚’ã€ããªãŒã‚‰ã€\n「この魚は、神様がくだされたのか、重吉ぬしがくだされたのか知らないが、ここで跳ねたわっおいるのを芋るなり、倢䞭で双方からずり぀き、䞀ず口食い二た口食いしおいるうちに、このように骚だけにしおしたった。せっかくおぬしが釣ったのに、ただの䞀ず口も埗食われず、さぞ腹が立぀こずであろうが、悪気も候も、倢珟のうちにやっおしたったこずだから、どうかゆるしおくだされ」\n ず動かぬ身䜓をひッ立お、䞡手を぀いお詫びをいった。重吉はかえっおすたながり、\n「あの魚は、すこしも早くおぬしらに食わせようず思っお萜しおやったものゆえ、食っおくれれば本望。䞀本二本はなんのこずがあろうか。これこのずおり」\n ず䞃本の鰹を芋せるず、\n「ありがたや、お鰹さた」\n ずもろずもに手を合せお拝んだ。\n さっそく片身を萜し、お初穂を神棚に䟛え、煮るも焌くも埅っおいられず、片端から塩氎に挬けおずりかかり、䞉人で四本の鰹をたたたく間に食い぀くしおしたった。\n 魚の矀にうちあたったのだずみえ、バケをおろすたびに魚が釣れる。倜も昌も魚ばかり食べおいるので日増しに元気になり、十日ほどするず、音䞃も半兵衛も甲板ぞ出お魚を釣るたでになった。ある日、半兵衛がいうには、\n「さお、重吉ぬし、聞いおもらいたいこずがある。倩の恵みの雚氎ずいい、日々の糧になる魚ずいい、いたでは䞍足ないほどに埗られるようになったが、それに぀いお思うのは、こういうお恵みにも埗逢わず、逓鬌の苊しみをしお死んだ十人の者たちは、よくよく神仏に憎たれた人々ででもあったのだろう。おぬしは陞の土に葬っおやらねばならぬなどずいい、いたもっおみなの亡骞を雑倉にずりおさめおあるが、この期になっおも陞地に蟿り着かぬのは、ああいうものを船に眮いおあるので、その穢れで祟りを受けおいるのではあるたいか。そんな気がしおならない」\n 音䞃もうなずいお、\n「今日で䞞二幎、こうしお海を流れおいる。いかに海が広いずはいっおも、䞃癟日の間、垆圱䞀぀島圱䞀぀芋ずにしたうなどずいうこずがあるものだろうか。どう考えおも、なにかの祟りだずしか思えないではないか。仲間に矩理立おをするのもいいが、穢れを背負いこんで、着ける浜にも埗着けぬずいうのでは情けない。死んだものたちも、ここたでの䞖話をしおもらったうえのこずだから、海ぞ流されたからずお、怚むこずもあるたいず思うが」\n この半幎の間、重吉は雑倉の぀づきの座敷で寝起きし、朝倕、腐肉の臭いをかいでいたが、あわれずこそ思え、ただの䞀床も、穢らわしいなどず考えたこずがなかった。もし祟りを受けおいるなら、倩氎や魚の糧の恵みにあうこずもなく、ずうのむかしに船を沈められ、海の藻屑になっおいるはずだず思ったが、こんなこずで争っおもしようがないから、二人のいうようにするこずにきめ、雑倉の板扉の前ぞ行っお、\n「さお、おぬしたちはみな成仏したこずだから、わしの蚀うこずを、仏の心でおだやかに聞いおくれるだろう。おぬしたちの亡骞のこずだが、こうしおいおもい぀陞地ぞ着くずいう圓おもない。板子ずいっしょに朜ちさせるより、いっそ枅く海ぞ流しおしたおうず思う。だが、いたすぐずいうわけではない。䞀ず月のあいだ埅っおいるから、どうでも陞の土に葬っおもらいたいなら、倢にでも出お告げおもらいたい」\n ず生きた人間にいうようにいいきかせた。\n 十二月の二十䞉日たで埅っおいたが、それらしい倢も芋ない。それで翌日、倕方になるのを埅っお䞉人で死䜓の始末にかかった。\n 雑倉の板扉をおしあけるず、久しく閉めきったたたになっおいたので、えもいえぬ臭気がたちこめ、ほずんど目もあけられない。かすかに倕陜の光のさしこむ仄暗いあたりに、おがろげに人のかたちをしたものが、枚に流れ着いた流れ朚ずいったぐあいに萜々ず暪たわっおいる。芋る県にもおどろしい眺めであった。身に぀いた肉はみな溶け流れお骚ばかりになり、その骚も腐れきっお泥ず化し、觊れるそばからハラハラず砕けおしたう。抱くこずも抱えるこずも出来ないので、頭骚も手骚も諞共に叺にさらえこみ、土を運ぶようにしお海ぞ流した。\n そこたでのこずは誰䞀人考えなかったが、䜕十匹ずも知れぬ鱶が人骚の銙を慕っお集たっお来、船に぀いおいた魚の矀を远い散らしおしたい、それからはただの䞀匹も魚が釣れなくなった。䞉人で甲板ぞ出お、来る日も来る日も魚の䟿を埅ったが、そうなっおは雑魚もかからない。豆の粉を氎で溶いお日々の糧にするむかしの境界にたちかえったこずで、二人は気萜しお病人のようになり、たたぞろ寝框ぞ入ったきり動かなくなっおしたった。\n その幎も暮れ、二床目の元日の朝になった。去幎の元旊には、圢ばかりの〆食をこしらえたりしたが、もうそんな気もない。二人は艫ノ間、重吉は衚ノ間に分れ分れになっお暮し、めったに顔のあうこずもない。元日くらいはず、艫ノ間ぞ幎賀を蚀いに行ったが、二人は手枕で寝たたた返事もしない。\n 重吉は甲板ぞ䞊がっお朝の぀ずめをし、い぀ものように舳の垣根に肱を぀き、鬱々ず東のほうを眺めおいるず、はるか氎倩䞀髪の間に、島山ずも芋えるほのかなたたずたいに県を射られた。山かず思えば山のようでもあり、雲かず思えば雲のようでもある。その日䞀日、眺め暮らし、芋たずおりの山の圢を板切れに消炭でなぞっおおき、翌朝、明けきらぬうちに甲板ぞ出お眺めかえすず、昚日芋た圢ずちがわない。たごうかたなく陞地のすがたなので、さっそく二人をよろこばしおやろうず思ったが、いたずころ、島岞のなりを遠望したずいうだけで、垆も舵もないこの船が、しあわせよく挂い着けるかどうか、それさえさだかでない。わけおも音䞃は逆䞊する気味があるので、空なのぞみに焊立っお、気でもちがわれおは事である。たしかな宛ができるたではず、その日はわざず知らせずにおいた。\n 颚は南からも西からも吹き、汐路の䟿宜もないこずで、島々のありかをたなかいに芋ながら、着かず離れずずいったぐあいにおなじずころを挂っおいたが、それでも毎日すこしず぀そちらぞ流れ寄っお行き、䞀月の二十八日には陞岞の暡様の芋えるずころたで近づいた。䞀䜓が岩島だが、草の生えた䞘もあれば谷間もあり、いかさた人の䜏んでいそうなようすなので、狂気のように麟をあげたが、颚が倉っお船が南ぞ流れ、芋る芋るうちに岞から離れおしたった。島山の圱は䞀波ごずに埌ぞ退っお行き、二月䞃日の正午頃には点ほどになっお芋えおいたが、間もなく雲にたぎれおそれさえわからなくなっおしたった。埌で聞くず、それは南郚カリフォルニア州の沖にある無人島だずいうこずであった。さすがの重吉も萜胆し、もう海など眺めるのはやめようず䞀旊は決心したが、これで陞地のある方角がわかったわけだから、油断なく芋匵っおいれば、そのあたりを通る船に行逢うかもしれないず思いなおし、舳の䞉角になったずころに日陀の苫を掛け、日の出から日没たで、東北のほうばかりを眺め暮しおいた。\n\n 二月十四日のこずであった。\n い぀ものように早く起きお苫の䞋ぞ入っおいるず、倜のひきあけ頃、二本垆柱におどろくような垆数を掛けた倧船が䞀隻、䞉里ばかりの沖合を東北のほうぞゆるやかに航行しお行くのが芋えた。" } ]