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図書館法第7条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第7条]] ==条文== ; 第七条(司書及び司書補の研修) : 文部科学大臣及び都道府県の教育委員会は、司書及び司書補に対し、その資質の向上のために必要な研修を行うよう努めるものとする。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第7条]]<br />(司書及び司書補の研修) |[[図書館法第6条]]<br />(司書及び司書補の講習) |[[図書館法第7条の2]]<br />(設置及び運営上望ましい基準) }} {{stub}} [[category:図書館法|07]]
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図書館法第7条の2
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の2
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の2
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第7条の2]] ==条文== ; 第七条の二(設置及び運営上望ましい基準) : 文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準を定め、これを公表するものとする。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第7条の2]]<br />(設置及び運営上望ましい基準) |[[図書館法第7条]]<br />(司書及び司書補の研修) |[[図書館法第7条の3]]<br />(運営の状況に関する評価等) }} {{stub}} [[category:図書館法|07-2]]
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図書館法第7条の3
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の3
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の3
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第7条の3]] ==条文== ; 第七条の三(運営の状況に関する評価等) : 図書館は、当該図書館の運営の状況について評価を行うとともに、その結果に基づき図書館の運営の改善を図るため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第7条の3]]<br />(運営の状況に関する評価等) |[[図書館法第7条の2]]<br />(設置及び運営上望ましい基準) |[[図書館法第7条の4]]<br />(運営の状況に関する情報の提供) }} {{stub}} [[category:図書館法|07-3]]
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図書館法第7条の4
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の4
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第7条の4
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第7条の4]] ==条文== ; 第七条の四(運営の状況に関する情報の提供) : 図書館は、当該図書館の図書館奉仕に関する地域住民その他の関係者の理解を深めるとともに、これらの者との連携及び協力の推進に資するため、当該図書館の運営の状況に関する情報を積極的に提供するよう努めなければならない。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第7条の4]]<br />(運営の状況に関する情報の提供) |[[図書館法第7条の3]]<br />(運営の状況に関する評価等) |[[図書館法第8条]]<br />(協力の依頼) }} {{stub}} [[category:図書館法|07-4]]
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図書館法第8条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第8条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第8条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第8条]] ==条文== ; 第八条(協力の依頼) : 都道府県の教育委員会は、当該都道府県内の図書館奉仕を促進するために、市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会に対し、総合目録の作製、貸出文庫の巡回、図書館資料の相互貸借等に関して協力を求めることができる。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第8条]]<br />(協力の依頼) |[[図書館法第7条4]]<br />(運営の状況に関する情報の提供) |[[図書館法第9条]]<br />(公の出版物の収集) }} {{stub}} [[category:図書館法|08]]
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図書館法第9条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第9条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第9条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第9条]] ==条文== ; 第九条(公の出版物の収集) : 政府は、都道府県の設置する図書館に対し、官報その他一般公衆に対する広報の用に供せられる独立行政法人国立印刷局の刊行物を二部提供するものとする。 : 2 国及び地方公共団体の機関は、公立図書館の求めに応じ、これに対して、それぞれの発行する刊行物その他の資料を無償で提供することができる。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第9条]]<br />(公の出版物の収集) |[[図書館法第8条]]<br />(協力の依頼) |[[図書館法第10条]]<br />(設置) }} {{stub}} [[category:図書館法|09]]
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図書館法第10条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第10条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第10条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第10条]] ==条文== ; 第十条(設置) : 公立図書館の設置に関する事項は、当該図書館を設置する地方公共団体の条例で定めなければならない。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第10条]]<br />(設置) |[[図書館法第9条]]<br />(公の出版物の収集) |[[図書館法第13条]]<br />(職員) }} {{stub}} [[category:図書館法|10]]
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23,700
図書館法第13条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第13条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第13条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第13条]] ==条文== ; 第十三条(職員) : 公立図書館に館長並びに当該図書館を設置する地方公共団体の教育委員会が必要と認める専門的職員、事務職員及び技術職員を置く。 : 2 館長は、館務を掌理し、所属職員を監督して、図書館奉仕の機能の達成に努めなければならない。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第13条]]<br />(職員) |[[図書館法第10条]]<br />(設置) |[[図書館法第14条]]<br />(図書館協議会) }} {{stub}} [[category:図書館法|13]]
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図書館法第14条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第14条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第14条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第14条]] ==条文== ; 第十四条(図書館協議会) : 公立図書館に図書館協議会を置くことができる。 : 2 図書館協議会は、図書館の運営に関し館長の諮問に応ずるとともに、図書館の行う図書館奉仕につき、館長に対して意見を述べる機関とする。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第14条]]<br />(図書館協議会) |[[図書館法第13条]]<br />(職員) |[[図書館法第15条]]<br /> }} {{stub}} [[category:図書館法|14]]
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図書館法第15条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第15条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第15条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第15条]] ==条文== ; 第十五条 : 図書館協議会の委員は、当該図書館を設置する地方公共団体の教育委員会が任命する。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第15条]]<br /> |[[図書館法第14条]]<br />(図書館協議会) |[[図書館法第16条]]<br /> }} {{stub}} [[category:図書館法|15]]
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図書館法第16条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第16条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第16条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第16条]] ==条文== ; 第十六条 : 図書館協議会の設置、その委員の任命の基準、定数及び任期その他図書館協議会に関し必要な事項については、当該図書館を設置する地方公共団体の条例で定めなければならない。この場合において、委員の任命の基準については、文部科学省令で定める基準を参酌するものとする。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第16条]]<br /> |[[図書館法第15条]]<br /> |[[図書館法第17条]]<br />(入館料等) }} {{stub}} [[category:図書館法|16]]
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図書館法第17条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第17条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第17条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第17条]] ==条文== ; 第十七条(入館料等) : 公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第17条]]<br />(入館料等) |[[図書館法第16条]]<br /> |[[図書館法第20条]]<br />(図書館の補助) }} {{stub}} [[category:図書館法|17]]
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23,705
図書館法第20条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第20条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第20条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第20条]] ==条文== ; 第二十条(図書館の補助) : 国は、図書館を設置する地方公共団体に対し、予算の範囲内において、図書館の施設、設備に要する経費その他必要な経費の一部を補助することができる。 : 2 前項の補助金の交付に関し必要な事項は、政令で定める。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第20条]]<br />(図書館の補助) |[[図書館法第17条]]<br />(入館料等) |[[図書館法第23条]]<br /> }} {{stub}} [[category:図書館法|20]]
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23,706
図書館法第23条
コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第23条
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コンメンタール>コンメンタール教育>コンメンタール図書館法>図書館法第23条
[[コンメンタール]]>[[コンメンタール教育]]>[[コンメンタール図書館法]]>[[図書館法第23条]] ==条文== ; 第二十三条 : 国は、第二十条の規定による補助金の交付をした場合において、左の各号の一に該当するときは、当該年度におけるその後の補助金の交付をやめるとともに、既に交付した当該年度の補助金を返還させなければならない。 :: 一 図書館がこの法律の規定に違反したとき。 :: 二 地方公共団体が補助金の交付の条件に違反したとき。 :: 三 地方公共団体が虚偽の方法で補助金の交付を受けたとき。 ==解説== {{前後 |[[コンメンタール図書館法|図書館法]] |[[図書館法第23条]]<br /> |[[図書館法第20条]]<br />(図書館の補助) |[[図書館法第25条]]<br />(都道府県の教育委員会との関係) }} {{stub}} [[category:図書館法|23]]
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23,718
PHP Programming/Files
ファイルの処理はどんなプログラミング言語にとっても重要なことであり、PHPも例外ではない。ファイルを使う理由が何であれ、PHPはいくつかの関数でそれを可能にしている。なお、このページではPHP/入門の読了を前提としている。 現在のディレクトリを表示する: dirname(). ディレクトリを変更する: chdir(). ディレクトリを作成する: mkdir(). fopen()はファイル処理の基本である。この関数はファイルを(指定されたモードで)開き、ファイルハンドル(ポインタ)を返す。このハンドルを使うことで、ファイルを読み込んだり、書き込んだりすることができ、それが終わるとfclose()関数でファイルを閉じる。 上記の例では'r'モードを指定して、「読み込む」ために開くことを示している。fopen()で使えるモードの一覧はPHPのマニュアルを参照の事。 上記はファイルを開く、閉じるの手順であるが、何か役に立つことをするためにはfread()とfwrite()関数を知る必要がある。 PHPスクリプトの実行が終了すると、開かれたファイルは全て自動的に閉じられる。そのため、厳密にはファイルを開いた後にそれを閉じる必要はないが、ファイルをきちんと閉じることはプログラミングにおける良い慣習とされている。 ファイルの読み込みにはいくつかの方法がある。ファイルの内容を一気に読み込みたい場合はfile_get_contents()関数を、内容を行ごとに配列に格納したい場合はfile()関数を使う。ファイルの読み込みを自分で制御したい場合はfread()関数を使うことができる。 これらの関数は一般的にはお互いの間で互換性がある。file_get_contents()とfile()ではファイルを予めfopen()で開いておく必要も読み込んだ後にfclose()で閉じる必要もなく、ファイルを一度だけ使う場合などで役に立つ。より多くの作業を必要としている場合、fopen()、fread()、fwrite()、fclose()を使うほうが良い。 コード: 出力: コード: 出力: コード: 出力: このように、上記の3関数を使うことでファイルを簡単に読み込み、処理に適するデータ型に変換することができる。下記の例は上記の関数の互換性を示すが、興味がない場合はスキップして次の節に移ることもできる。 ファイルへの書き込みはfwrite()関数で行われる(ファイルの開き閉じにfopen()とfclose()を使う必要はある)。読み込みと違い、書き込みにはそれほど多くのオプションがないが、PHP 5ではfile_put_contents()が導入され、書き込みの手順をやや簡素化することができる。この関数はわかりやすいため、PHP 5の節でのみ説明される。 ファイルへの書き込みに使われるオプションは使える関数のバラエティではなく、ファイルを開くときに使えるモードにある。ファイルのモードはfopen()で指定することができ、うちファイルへの書き込みを許可するモードは3つある。'w'モードではファイルの内容を削除するため、書き込んだ内容がそのままファイルに記載される内容となる。'a'モードでは元からファイルにある内容を残し、書き込んだ内容は元からある内容の後に記載される。'x'モードはファイルが開かれる時点でまだ存在しない場合のみ成功する。これらのモードはファイルが存在しない場合、その作成を試みるが、'r'モードではファイルの作成は行われない。 コード: 出力: コード: 出力: コード: 出力: 上記の例で示されたモードのうち、'w'と'a'が最もよく使われるが、書き込みの手順はほぼ同じである。 fopen()でファイルを開いて読み込むことと書き込むことの両方を行いたい場合、モードの後ろに'+'を追記するだけでよい。例えば、ファイルの読み込みには'r'モードを使うが、書き込むことも必要な場合は'r+'モードを使う。同じように'w+'モードでも読み書きができるが、ファイルに元からある内容は削除される。詳しい説明はfopen()を参照のこと。 エラー検出はどんなプログラミングにとっても大事なことであるが、PHPでファイルを処理するときは特に大事である。エラー検出が必要な理由は主にファイルシステムに由来する。現在使われているウェブサーバーはUnixベースのものが大半なので、PHPでウェブアプリケーションを開発している場合、ファイルパーミッションにも留意しなければならない。PHPにファイルを読み込む権限がない場合、エラーになってしまう。また、(当然のことだが)ファイルが存在するかどうかも重要である。例えば、ファイルの読み込みを試みるとき、まずファイルが存在することを確かめる必要がある。一方、'x'モードでファイルを作成して書き込む場合ではファイルが存在しないことを確かめる必要がある。 かいつまんで言うと、コードを書いてファイルを処理する場合、常に最悪な場合を予想すべきである。例えば、ファイルが存在しない場合や読み書きのパーミッションがない場合を想定すべきである。大半の場合ではユーザーにファイルのパーミッションを変更して、PHPスクリプトが処理を行えるようにするよう求めるが、一部の場合では代替となる処理に変更することもできる。 エラー処理は主に2つの方法で行われる。1つは'@'演算子(エラー制御演算子)を使ってエラーを出力させず、続いてファイル関数の戻り値がfalseであるかを検査する方法である。もう1つはfile_exists()、is_readable()、is_writable()などの関数を使う方法である。 最後の例にみられるように、エラー検出を行うことで、プログラムが強固になる。このプログラムは大半の場合によって柔軟に対応を変えることができる。 改行記号はファイルを読み込む節でも軽く触れられたが、ファイル処理ではそれに留意することが大事である。改行記号とはプログラムに改行を行うよう指示する特別な記号である。例えば、Windowsのメモ帳アプリでは改行の直前に\r\nの記号がある場合のみ、次の行に移動する(右端を折り返す設定でも改行が行われる)。 Windowsでテキストファイルを作成する場合、改行記号に\r\nが使われると予想される。同じように、より古いMacintosh(Mac OS 9以下)で作成した場合は改行記号が\rになり、UnixベースのMac OS XやGNU/Linuxでは\nになる。 改行記号が重要である理由はなんでしょうか。例えば、file_get_contents()でファイルの内容を文字列に読み込む場合、改行記号もそのまま読み込まれる。それが処理を阻害する場合もあるので、下記のように改行記号を除去することができる。 また、ファイルに内容を追加するとき、改行記号を元からある内容と合わせたい場合がほとんどなので、下記のdetectLineEndings()関数で改行記号を調べることができる。 しかし、大半の場合では改行記号がファイル内に存在して、PHPスクリプトもそれに合わせる必要があると頭の片隅に留める程度で十分である。 これまで使われたテキストはASCIIやUTF-8のようなプレーンテキスト形式でエンコードされている。しかし、画像や実行ファイルなどプレーンテキスト形式以外のファイルも多い。このようなファイルを処理する場合、ファイル関数が「バイナリ安全」(binary-safe)でなければならない。以前のPHPではモードに'b'を追記してファイルをバイナリファイルであると明示する必要があり、それがなされていない場合は予想外の結果となる。しかし、およそPHP 4.3以降、PHPはファイルがテキストファイルかバイナリファイルかを検出することができ、モードで明示する必要がなくなった。 バイナリデータの処理はプレーンテキスト処理と大きく違い、このページではカバーできないが、このような差が存在することを知るのは大事である。 シリアライズはデータを特定のフォーマットに変換して、後で元に戻せるようにするテクニックである。例えば、配列を文字列に変換してそれを保存することで、そのデータは後に配列に変換して再び使用することができる。 シリアライズは便利なテクニックであり、それ自体が一章に値するほどの内容であるが、データベースが使えないときはファイルに保存することが多いので、ここでも言及している。また、スクリプトの状態を保存したり、データをキャッシュしてより素早くアクセスできたりすることにも使われており、これらの目的にはファイルの方が適任である。 PHPにおけるシリアライズはserialize()とunserialize()関数で行うことができ、下記がその一例である。 コード: 出力: PHP 5ではファイル関連の関数が1つ導入されている。それはfile_put_contents()のことであり、ファイル書き込みの新しい方法である。 ファイルを繰り返し操作する場合を除き、file_put_contents()のほうがfopen()より優先すべきである。下記はPHP 4でfile_put_contents()の挙動を再現する方法である。
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"エラー検出はどんなプログラミングにとっても大事なことであるが、PHPでファイルを処理するときは特に大事である。エラー検出が必要な理由は主にファイルシステムに由来する。現在使われているウェブサーバーはUnixベースのものが大半なので、PHPでウェブアプリケーションを開発している場合、ファイルパーミッションにも留意しなければならない。PHPにファイルを読み込む権限がない場合、エラーになってしまう。また、(当然のことだが)ファイルが存在するかどうかも重要である。例えば、ファイルの読み込みを試みるとき、まずファイルが存在することを確かめる必要がある。一方、'x'モードでファイルを作成して書き込む場合ではファイルが存在しないことを確かめる必要がある。", "title": "エラー検出" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "かいつまんで言うと、コードを書いてファイルを処理する場合、常に最悪な場合を予想すべきである。例えば、ファイルが存在しない場合や読み書きのパーミッションがない場合を想定すべきである。大半の場合ではユーザーにファイルのパーミッションを変更して、PHPスクリプトが処理を行えるようにするよう求めるが、一部の場合では代替となる処理に変更することもできる。", "title": "エラー検出" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "エラー処理は主に2つの方法で行われる。1つは'@'演算子(エラー制御演算子)を使ってエラーを出力させず、続いてファイル関数の戻り値がfalseであるかを検査する方法である。もう1つはfile_exists()、is_readable()、is_writable()などの関数を使う方法である。", "title": "エラー検出" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "最後の例にみられるように、エラー検出を行うことで、プログラムが強固になる。このプログラムは大半の場合によって柔軟に対応を変えることができる。", "title": "エラー検出" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "改行記号はファイルを読み込む節でも軽く触れられたが、ファイル処理ではそれに留意することが大事である。改行記号とはプログラムに改行を行うよう指示する特別な記号である。例えば、Windowsのメモ帳アプリでは改行の直前に\\r\\nの記号がある場合のみ、次の行に移動する(右端を折り返す設定でも改行が行われる)。", "title": "改行記号" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "Windowsでテキストファイルを作成する場合、改行記号に\\r\\nが使われると予想される。同じように、より古いMacintosh(Mac OS 9以下)で作成した場合は改行記号が\\rになり、UnixベースのMac OS XやGNU/Linuxでは\\nになる。", "title": "改行記号" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "改行記号が重要である理由はなんでしょうか。例えば、file_get_contents()でファイルの内容を文字列に読み込む場合、改行記号もそのまま読み込まれる。それが処理を阻害する場合もあるので、下記のように改行記号を除去することができる。", "title": "改行記号" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、ファイルに内容を追加するとき、改行記号を元からある内容と合わせたい場合がほとんどなので、下記のdetectLineEndings()関数で改行記号を調べることができる。", "title": "改行記号" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "しかし、大半の場合では改行記号がファイル内に存在して、PHPスクリプトもそれに合わせる必要があると頭の片隅に留める程度で十分である。", "title": "改行記号" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "これまで使われたテキストはASCIIやUTF-8のようなプレーンテキスト形式でエンコードされている。しかし、画像や実行ファイルなどプレーンテキスト形式以外のファイルも多い。このようなファイルを処理する場合、ファイル関数が「バイナリ安全」(binary-safe)でなければならない。以前のPHPではモードに'b'を追記してファイルをバイナリファイルであると明示する必要があり、それがなされていない場合は予想外の結果となる。しかし、およそPHP 4.3以降、PHPはファイルがテキストファイルかバイナリファイルかを検出することができ、モードで明示する必要がなくなった。", "title": "バイナリ安全" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "バイナリデータの処理はプレーンテキスト処理と大きく違い、このページではカバーできないが、このような差が存在することを知るのは大事である。", "title": "バイナリ安全" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "シリアライズはデータを特定のフォーマットに変換して、後で元に戻せるようにするテクニックである。例えば、配列を文字列に変換してそれを保存することで、そのデータは後に配列に変換して再び使用することができる。", "title": "シリアライズ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "シリアライズは便利なテクニックであり、それ自体が一章に値するほどの内容であるが、データベースが使えないときはファイルに保存することが多いので、ここでも言及している。また、スクリプトの状態を保存したり、データをキャッシュしてより素早くアクセスできたりすることにも使われており、これらの目的にはファイルの方が適任である。", "title": "シリアライズ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "PHPにおけるシリアライズはserialize()とunserialize()関数で行うことができ、下記がその一例である。", "title": "シリアライズ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", 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ファイルの処理はどんなプログラミング言語にとっても重要なことであり、PHPも例外ではない。ファイルを使う理由が何であれ、PHPはいくつかの関数でそれを可能にしている。なお、このページではPHP/入門の読了を前提としている。
<noinclude>{{Programming/Navigation}}</noinclude> ファイルの処理はどんなプログラミング言語にとっても重要なことであり、PHPも例外ではない。ファイルを使う理由が何であれ、PHPはいくつかの関数でそれを可能にしている。なお、このページでは[[PHP/入門]]の読了を前提としている。 == ディレクトリ == 現在のディレクトリを表示する: dirname(). ディレクトリを変更する: chdir(). ディレクトリを作成する: mkdir(). == ''fopen()''と''fclose()'' == ''fopen()''はファイル処理の基本である。この関数はファイルを(指定されたモードで)開き、ファイルハンドル(ポインタ)を返す。このハンドルを使うことで、ファイルを読み込んだり、書き込んだりすることができ、それが終わると''fclose()''関数でファイルを閉じる。 {{Code:Basic|例 |<source lang="php"> <?php $handle = fopen('data.txt', 'r'); // ファイルを読み込むために開く fclose($handle); // ファイルを閉じる ?> </source> |}} 上記の例では'r'モードを指定して、「読み込む」ために開くことを示している。''fopen()''で使えるモードの一覧は[http://php.net/fopen PHPのマニュアル]を参照の事。 上記はファイルを開く、閉じるの手順であるが、何か役に立つことをするためには[http://php.net/fread ''fread()'']と[http://php.net/fwrite ''fwrite()'']関数を知る必要がある。 PHPスクリプトの実行が終了すると、開かれたファイルは全て自動的に閉じられる。そのため、厳密にはファイルを開いた後にそれを閉じる必要はないが、ファイルをきちんと閉じることはプログラミングにおける良い慣習とされている。 == ファイルを読み込む == ファイルの読み込みにはいくつかの方法がある。ファイルの内容を一気に読み込みたい場合は[http://php.net/file_get_contents ''file_get_contents()'']関数を、内容を行ごとに配列に格納したい場合は[http://php.net/file ''file()'']関数を使う。ファイルの読み込みを自分で制御したい場合は[http://php.net/fread() ''fread()'']関数を使うことができる。 これらの関数は一般的にはお互いの間で互換性がある。''file_get_contents()''と''file()''ではファイルを予め''fopen()''で開いておく必要も読み込んだ後に''fclose()''で閉じる必要もなく、ファイルを一度だけ使う場合などで役に立つ。より多くの作業を必要としている場合、''fopen()''、''fread()''、''fwrite()''、''fclose()''を使うほうが良い。 {{Code:Output |file_get_contents()を使った例 |<source lang="php"> <?php $contents = file_get_contents('data.txt'); echo $contents; ?> </source> |<pre>これはdata.txtの内容です</pre> |この関数はファイルの内容全てを文字列に読み込む。その後、ほかの文字列と同じように処理することができる。}} {{Code:Output |file()を使った例 |<source lang="php"> <?php $lines = file('data.txt'); foreach($lines as $Key => $line) { $lineNum = $Key + 1; echo "Line $lineNum: $line"; } ?> </source> |<pre>Line 1: ファイルの1行目 Line 2: ファイルの2行目 Line 3: ファイルの4行目だと言ったら嘘になる</pre> |この関数はファイルの内容全てを配列に読み込む。配列の値はそれぞれファイルの1行となる。}} {{Code:Output |fread()を使った例 |<source lang="php"> <?php $handle = fopen('data.txt', 'r'); $string = fread($handle, 64); fclose($handle); echo $string; ?> </source> |<pre>I am the first 64 bytes of data.txt (if it was ASCII encoded). I</pre> |この関数は指定されたバイト数をファイルから読み込み、それを文字列として返す。多くの場合、file_get_contents()とfile()のほうが良いが、この関数が必要な場合もある。}} このように、上記の3関数を使うことでファイルを簡単に読み込み、処理に適するデータ型に変換することができる。下記の例は上記の関数の互換性を示すが、興味がない場合はスキップして次の節に移ることもできる。 {{Code:Basic| |<source lang="php"> <?php $file = 'data.txt'; function detectLineEndings($contents) { if(false !== strpos($contents, "\r\n")) return "\r\n"; else if(false !== strpos($contents, "\r")) return "\r"; else return "\n"; } /* file_get_contents($file)と同等だが、より遅い */ $handle = fopen($file, 'r'); $contents = fread($handle, filesize($file)); fclose($handle); /* file($file)と同等だが、改行記号に留意する必要がある。 Windowsは\r\nを、Macintoshは\rを、Unixは\nを使っており、File($file)では自動的にチェックするが、 freadとfile_get_contentsは自動的にチェックしない */ $lineEnding = detectLineEndings($contents); $contents = file_get_contents($file); $lines = explode($lineEnding, $contents); /* file_get_contents($file)と同等 */ $lines = file($file); $contents = implode("\n", $lines); /* エンコードがASCIIの場合、fread($file, 64)と同じ */ $contents = file_get_contents($file); $string = substr($contents, 0, 64); ?> </source> |}} == ファイルに書き込む == ファイルへの書き込みは[http://php.net/fwrite() ''fwrite()'']関数で行われる(ファイルの開き閉じに[http://php.net/fopen() ''fopen()'']と[http://php.net/fclose() ''fclose()'']を使う必要はある)。読み込みと違い、書き込みにはそれほど多くのオプションがないが、PHP 5では[http://php.net/file_put_contents ''file_put_contents()'']が導入され、書き込みの手順をやや簡素化することができる。この関数はわかりやすいため、PHP 5の節でのみ説明される。 ファイルへの書き込みに使われるオプションは使える関数のバラエティではなく、ファイルを開くときに使えるモードにある。ファイルのモードは[http://php.net/fopen ''fopen()'']で指定することができ、うちファイルへの書き込みを許可するモードは3つある。'w'モードではファイルの内容を削除するため、書き込んだ内容がそのままファイルに記載される内容となる。'a'モードでは元からファイルにある内容を残し、書き込んだ内容は元からある内容の後に記載される。'x'モードはファイルが開かれる時点でまだ存在しない場合のみ成功する。これらのモードはファイルが存在しない場合、その作成を試みるが、'r'モードではファイルの作成は行われない。 {{Code:Output |'w'モードを使った例 |<source lang="php"> <?php $handle = fopen('data.txt', 'w'); // ファイルを開いてその内容を削除する $data = "I am new content\nspread across\nseveral lines."; fwrite($handle, $data); fclose($handle); echo file_get_contents('data.txt'); ?> </source> |<pre>I am new content spread across several lines.</pre> |}} {{Code:Output |'a'モードを使った例 |<source lang="php"> <?php $handle = fopen('data.txt', 'a'); // ファイルを追加書き込みモードで開く $data = "\n\n新しい内容"; fwrite($handle, $data); fclose($handle); echo file_get_contents('data.txt'); ?> </source> |<pre>元々の内容 新しい内容</pre> |}} {{Code:Output |'x'モードを使った例 |<source lang="php"> <?php $handle = fopen('newfile.txt', 'x'); // ファイルが存在しない場合のみ、書き込みモードで開く $data = "はじめての内容です"; fwrite($handle, $data); fclose($handle); echo file_get_contents('newfile.txt'); ?> </source> |<pre>はじめての内容です</pre> |}} 上記の例で示されたモードのうち、'w'と'a'が最もよく使われるが、書き込みの手順はほぼ同じである。 == 読み書きの両方が必要な場合 == [http://php.net/fopen ''fopen()'']でファイルを開いて読み込むことと書き込むことの両方を行いたい場合、モードの後ろに'+'を追記するだけでよい。例えば、ファイルの読み込みには'r'モードを使うが、書き込むことも必要な場合は'r+'モードを使う。同じように'w+'モードでも読み書きができるが、ファイルに元からある内容は削除される。詳しい説明は[http://php.net/fopen ''fopen()'']を参照のこと。 == エラー検出 == エラー検出はどんなプログラミングにとっても大事なことであるが、PHPでファイルを処理するときは特に大事である。エラー検出が必要な理由は主にファイルシステムに由来する。現在使われているウェブサーバーはUnixベースのものが大半なので、PHPでウェブアプリケーションを開発している場合、ファイルパーミッションにも留意しなければならない。PHPにファイルを読み込む権限がない場合、エラーになってしまう。また、(当然のことだが)ファイルが存在するかどうかも重要である。例えば、ファイルの読み込みを試みるとき、まずファイルが存在することを確かめる必要がある。一方、'x'モードでファイルを作成して書き込む場合ではファイルが存在''しない''ことを確かめる必要がある。 かいつまんで言うと、コードを書いてファイルを処理する場合、常に最悪な場合を予想すべきである。例えば、ファイルが存在しない場合や読み書きのパーミッションがない場合を想定すべきである。大半の場合ではユーザーにファイルのパーミッションを変更して、PHPスクリプトが処理を行えるようにするよう求めるが、一部の場合では代替となる処理に変更することもできる。 エラー処理は主に2つの方法で行われる。1つは'[http://uk.php.net/manual/en/language.operators.errorcontrol.php @]'演算子(エラー制御演算子)を使ってエラーを出力させず、続いてファイル関数の戻り値が'''false'''であるかを検査する方法である。もう1つは[http://php.net/file_exists ''file_exists()'']、[http://php.net/is_readable ''is_readable()'']、[http://php.net/is_writable ''is_writable()'']などの関数を使う方法である。 {{Code:Basic |'@'演算子を使った例 |<source lang="php"> <?php $handle = @ fopen('data.txt', 'r'); if(!$handle) { echo 'PHPにファイル読み込みのパーミッションがないか、ファイルが存在しない。'; } else { $string = fread($handle, 64); fclose($handle); } $handle = @ fopen('data.txt', 'w'); // 'a'モードでも同じ if(!$handle) { echo 'PHPにファイルへの書き込みパーミッションがないか、現在のディレクトリにファイルを作成するパーミッションがない。'; } else { fwrite($handle, '書き込みテスト'); fclose($handle); } $handle = @ fopen('data.txt', 'x'); if(!$handle) { echo 'ファイルがすでに存在するか、PHPに現在のディレクトリにファイルを作成するパーミッションがない。'; } else { fwrite($handle, '書き込みテスト'); fclose($handle); } ?> </source> |上記で示されているように、'@'演算子は主に''fopen()''関数とともに使われる。ほかの場合でも使えるが、より遅いことが多い。 }} {{Code:Basic |検査用関数を使った例 |<source lang="php"> <?php $file = 'data.txt'; if(!file_exists($file)) { // 内容がないので、読み込んでも仕方がない $contents = ''; // しかし、代わりにファイルを作成したほうがいいかもしれない $handle = @ fopen($file, 'x'); // ここでもエラーを検出する必要がある if(!$handle) { echo 'PHPに現在のディレクトリにファイルを作成するパーミッションがない。'; } else { fwrite($handle, '書き込みテスト'); fclose($handle); } } else { // ファイルが存在するので、読み込みを試みる if(is_readable($file)) { $contents = file_get_contents($file); } else { echo 'PHPにファイル読み込みのパーミッションがない。'; } } if(file_exists($file) && is_writable($file)) { $handle = fopen($file, 'w'); fwrite($handle, '書き込みテスト'); fclose($handle); } ?> </source> |}} 最後の例にみられるように、エラー検出を行うことで、プログラムが強固になる。このプログラムは大半の場合によって柔軟に対応を変えることができる。 == 改行記号 == 改行記号は[[#ファイルを読み込む|ファイルを読み込む]]節でも軽く触れられたが、ファイル処理ではそれに留意することが大事である。改行記号とはプログラムに改行を行うよう指示する特別な記号である。例えば、Windowsの[[w:メモ帳|メモ帳]]アプリでは改行の直前に\r\nの記号がある場合のみ、次の行に移動する(右端を折り返す設定でも改行が行われる)。 Windowsでテキストファイルを作成する場合、改行記号に\r\nが使われると予想される。同じように、より古いMacintosh(Mac OS 9以下)で作成した場合は改行記号が\rになり、UnixベースのMac OS XやGNU/Linuxでは\nになる。 改行記号が重要である理由はなんでしょうか。例えば、[http://php.net/file_get_contents ''file_get_contents()'']でファイルの内容を文字列に読み込む場合、改行記号もそのまま読み込まれる。それが処理を阻害する場合もあるので、下記のように改行記号を除去することができる。 <source lang="php"><?php $string = str_replace(array("\n", "\r"), '', $string); ?></source> また、ファイルに内容を追加するとき、改行記号を元からある内容と合わせたい場合がほとんどなので、下記のdetectLineEndings()関数で改行記号を調べることができる。 <source lang="php"><?php function detectLineEndings($string) { if(false !== strpos($string, "\r\n")) return "\r\n"; else if(false !== strpos($string, "\r")) return "\r"; else return "\n"; } ?></source> しかし、大半の場合では改行記号がファイル内に存在して、PHPスクリプトもそれに合わせる必要があると頭の片隅に留める程度で十分である。 == バイナリ安全 == これまで使われたテキストはASCIIやUTF-8のようなプレーンテキスト形式でエンコードされている。しかし、画像や実行ファイルなどプレーンテキスト形式以外のファイルも多い。このようなファイルを処理する場合、ファイル関数が「バイナリ安全」(binary-safe)でなければならない。以前のPHPではモードに'b'を追記してファイルをバイナリファイルであると明示する必要があり、それがなされていない場合は予想外の結果となる。しかし、およそPHP 4.3以降、PHPはファイルがテキストファイルかバイナリファイルかを検出することができ、モードで明示する必要がなくなった。 バイナリデータの処理はプレーンテキスト処理と大きく違い、このページではカバーできないが、このような差が存在することを知るのは大事である。 == シリアライズ == シリアライズはデータを特定のフォーマットに変換して、後で元に戻せるようにするテクニックである。例えば、配列を文字列に変換してそれを保存することで、そのデータは後に配列に変換して再び使用することができる。 [[Programming:PHP/シリアライズ|シリアライズ]]は便利なテクニックであり、それ自体が一章に値するほどの内容であるが、データベースが使えないときはファイルに保存することが多いので、ここでも言及している。また、スクリプトの状態を保存したり、データをキャッシュしてより素早くアクセスできたりすることにも使われており、これらの目的にはファイルの方が適任である。 PHPにおけるシリアライズは[http://php.net/serialize ''serialize()'']と[http://php.net/unserialize ''unserialize()'']関数で行うことができ、下記がその一例である。 {{Code:Output |ユーザーデータをファイルに保存して、後で取り出す例。 |<source lang="php"> <?php /* このスクリプトではデータをファイルに保存している */ $data = array( 'id' => 114, 'first name' => 'Foo', 'last name' => 'Bartholomew', 'age' => 21, 'country' => 'England' ); $string = serialize($data); $handle = fopen('data.dat', 'w'); fwrite($handle, $string); fclose($handle); /* その後、データをファイルから取り出してそれを出力する */ $string = file_get_contents('data.dat'); $data = unserialize($string); $output = ''; foreach($data as $key => $datum) { $field = ucwords($key); $output .= "$field: $datum\n"; } echo $output ?> </source> |<pre>Id: 114 First Name: Foo Last Name: Bartholomew Age: 21 Country: England </pre> |}} == PHP 5 == PHP 5ではファイル関連の関数が1つ導入されている。それは[http://php.net/file_put_contents ''file_put_contents()'']のことであり、ファイル書き込みの新しい方法である。 {{Code:Basic |PHP 4でファイルに書き込む例、及びPHP 5でfile_put_contents()関数を使った例 |<source lang="php"> <?php $file = 'data.txt'; $content = 'New content.'; // PHP 4、ファイルの内容を削除した後に書き込む $handle = fopen($file, 'w'); fwrite($handle, $content); fclose($handle); // PHP 5 file_put_contents($file, $content); // PHP 4、ファイルに追記する $handle = fopen($file, 'a'); fwrite($handle, $content); fclose($handle); // PHP 5 file_put_contents($file, $content, FILE_APPEND); ?> </source> |''file_put_contents()''はファイルが存在しない場合に作製を試み、またバイナリ安全でもある。なお、'x'モードと同等の機能は提供されていない。 }} ファイルを繰り返し操作する場合を除き、''file_put_contents()''のほうが''fopen()''より優先すべきである。下記はPHP 4で''file_put_contents()''の挙動を再現する方法である。 <source lang="php"> <?php if(!function_exists('file_put_contents')) { function file_put_contents($file, $data, $append = false) { if(!$append) $mode = 'w'; else $mode = 'a'; $handle = @ fopen($file, $mode); if(!$handle) return false; $bytes = fwrite($handle, $data); fclose($handle); return $bytes; } } ?> </source> {{Programming/Navigation}} [[Category:PHP|ふあいる]]
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2018-03-09T15:34:33Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/PHP_Programming/Files
23,719
PHP Programming
削除依頼中 当ページ「PHP Programming」の削除依頼が提出されています。今後当ページに加えられた編集は無駄となる可能性がありますのでご注意頂くとともに、削除の方針に基づき削除の可否に関する議論への参加をお願いします。なお、依頼の理由等については削除依頼の該当する節やこのページのトークページなどをご覧ください。 テンプレート:Book search テンプレート:Print version テンプレート:PDF version Note: Before contributing, check out the discussion page. How to write your examples. See also the section on avoiding session fixation in the Sessions chapter. テンプレート:Alphabetical テンプレート:Status
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "削除依頼中", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "当ページ「PHP Programming」の削除依頼が提出されています。今後当ページに加えられた編集は無駄となる可能性がありますのでご注意頂くとともに、削除の方針に基づき削除の可否に関する議論への参加をお願いします。なお、依頼の理由等については削除依頼の該当する節やこのページのトークページなどをご覧ください。", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "テンプレート:Book search テンプレート:Print version テンプレート:PDF version", "title": "" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Note: Before contributing, check out the discussion page. How to write your examples.", "title": "Setup and Installation" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "See also the section on avoiding session fixation in the Sessions chapter.", "title": "Learning the Language" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "テンプレート:Alphabetical テンプレート:Status", "title": "Appendices" } ]
テンプレート:Book search テンプレート:Print version テンプレート:PDF version
{{sakujo}} {{Book search|style=1}} {{print version}} {{PDF version}} [[Image:PHPWikibookCover.png|right]] == Introduction == * [[/Introduction/]] == Setup and Installation == * [[{{BOOKNAME}}/Setup_and_Installation|Setup and Installation]] ** [[{{BOOKNAME}}/Setup_and_Installation#Windows|Installation on Windows]] *** '''[[{{BOOKNAME}}/Setup_and_Installation#Easy_Windows_Setup_Instructions|Easy Windows Setup Instructions]]''' ** [[{{BOOKNAME}}/Setup_and_Installation#Linux|Installation on Linux]] ** [[{{BOOKNAME}}/Setup_and_Installation#Mac_OS_X|Installation on Mac OS X]] * [[{{BOOKNAME}}/Uses_of_PHP|Uses of PHP]] Note: Before contributing, check out the [[{{TALKPAGENAME}}|discussion]] page. [[{{TALKPAGENAME}}#The_newline_.22operator.22|How to write your examples]]. == Learning the Language == === The Basics === :This section is about things that are important for any type of PHP development. Useful for a PHP programmer of any level. # [[{{BOOKNAME}}/Start_a_PHP_Beginner_Tutorial|Start a PHP Beginner Tutorial]] {{stage|100%|10 Feb 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Beginning_with "Hello World!"|Beginning with "Hello World!"]] {{stage|100%|10 Feb 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Nuts_and_Bolts|Nuts and Bolts]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Commenting and Style|Commenting and Style]] {{stage|100%|14 Jan 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Comparison|Comparison operators]] {{stage|75%|2016-04-06}} # [[{{BOOKNAME}}/Arrays|Arrays]] {{stage|75%|10 Feb 2006}} #Control structures ## [[{{BOOKNAME}}/The_if_Structure|The if Structure]] {{stage|75%|19 Mar 2009}} ## [[{{BOOKNAME}}/The_switch_Structure|The switch Structure]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} ## [[{{BOOKNAME}}/The_while_Loop|The while Loop]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} ## [[{{BOOKNAME}}/The_do_while_Loop|The do while Loop]] {{stage|50%|14 Jan 2006}} ## [[{{BOOKNAME}}/The_for_Loop|The for Loop]] {{stage|50%|14 Jan 2006}} ## [[{{BOOKNAME}}/The_foreach_Loop|The foreach Loop]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Functions|Functions]] {{stage|75%|10 Feb 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Files|Files]] {{stage|100%|12 Feb 2008}} #* [[{{BOOKNAME}}/Images|Images]] # [[{{BOOKNAME}}/Mailing|Mailing]] {{stage|50%|14 Jan 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Cookies|Cookies]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} # [[{{BOOKNAME}}/Sessions|Sessions]] {{stage|75%|2008-05-07}} #Databases ## [[{{BOOKNAME}}/MySQL|MySQL]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} ##* [[/php and mySQL/]] ## [[{{BOOKNAME}}/PostgreSQL|PostgreSQL]] {{stage|25%|18 Apr 2009}} ## [[{{BOOKNAME}}/PHP_Data_Objects|PHP Data Objects]] {{stage|00%|18 Dec 2006}} ## [[{{BOOKNAME}}/Neo4j|Neo4j]] # [[{{BOOKNAME}}/Integration_Methods_(HTML_Forms,_etc.)|Integration Methods (HTML Forms, etc.)]] {{stage|75%|14 Jan 2006}} === Advanced PHP === : Advanced PHP includes high level programming and PHP techniques designed to make PHP even more useful and powerful. ====Data Structures==== # [[{{BOOKNAME}}/Data_Structures|Data Structures]] ====Object Oriented Programming (OOP)==== # [[{{BOOKNAME}}/Classes|Classes]] # [[{{BOOKNAME}}/Special_Methods|Special Methods]] # [[{{BOOKNAME}}/Overriding_and_Overloading|Overriding and Overloading]] # [[/Inheritance/]] # [[/SSH Class/]] ==== Templating ==== # [[{{BOOKNAME}}/Why_Templating|Why Templating]] # [[{{BOOKNAME}}/Templates|Templates]] # [[{{BOOKNAME}}/Caching|Caching]] # [[{{BOOKNAME}}/SMARTY_templating_system|SMARTY templating system]] #* [[/smarty/functions/]] #* [[/smarty/tutorials/]] #* [[/smarty/tutorials/simple/]] # [[{{BOOKNAME}}/PRADO_Component_Framework|PRADO Component Framework]] # [[/Flat Frog/]] # [[/XML/]] # [[{{BOOKNAME}}/XSL|XSL]] #* [[/XSL/registerPHPFunctions/]] ==== Libraries ==== # [[{{BOOKNAME}}/PHP_PEAR|PHP PEAR]] # [http://php.net/manual/en/funcref.php PHP Manual Function Reference] # [http://www.w3schools.com/php/ PHP 5 Functions] ==== Frameworks ==== {| class="wikitable" |- | align="center" | [http://www.cakephp.org/ CakePHP] || align="center" | [http://codeigniter.com/ CodeIgniter] || align="center" | [http://www.drupal.org/ Drupal] || align="center" | [http://kohanaframework.org/ Kohana] |- | align="center" | [http://www.laravel.com/ Laravel] || align="center" | [http://nette.org/ Nette] || align="center" | [http://www.qcodo.com/ Qcodo] || align="center" | [http://www.silverstripe.com/ Silverstripe] |- | align="center" | [http://www.solarphp.com/ Solar] || align="center" | [http://www.symfony-project.org/ Symfony] || align="center" | [http://www.yiiframework.com/ Yii] || align="center" | [http://framework.zend.com/ Zend] |} ==== Security ==== # [[{{BOOKNAME}}/Configuration:_Register_Globals|Configuration: Register Globals]] # [[{{BOOKNAME}}/SQL Injection| SQL Injection Attacks]] # [[{{BOOKNAME}}/Cross Site Scripting| Cross Site Scripting Attacks]] # [[{{BOOKNAME}}/User login systems|Building a secure user login system]] ''See also the [[{{BOOKNAME}}/Sessions#Avoiding Session Fixation|section on avoiding session fixation]] in the [[{{BOOKNAME}}/Sessions|Sessions chapter]].'' ==== Command-Line Interface (CLI) ==== # [[/PHP CLI/]] # [[/PHP-GTK/]] # [[/Daemonization/]] ==Appendices== * [[/Alternative Hungarian Notation/]] * [[/Building a secure user login system/]] * [[/Code Snippets/]] * [[/Coding Standards/]] * [[/Contributors/]] * [[/Cross Site Scripting Attacks/]] * [[/dbal/]] * [[/Editors/]] * [[/formatting notes/]] * [[/Get Apache and PHP/]] * [[/headers and footers/]] * [[/html output/]] * [[/OOP5/Advanced Input validation/]] * [[/OOP5/Input validation/]] * [[/PHP Include Files/]] * [[/phpDocumentor/]] * [[/Resources/]] * [[/SQL Injection Attacks/]] * [[/Reserved words/]] {{Subjects|PHP scripting language}} {{alphabetical|P}} {{status|75%}} __NOTOC__ __NOEDITSECTION__
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2018-03-09T15:59:08Z
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23,741
司法書士法第19条
法学>コンメンタール>司法書士法 (登録事務に関する報告等)
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法学>コンメンタール>司法書士法
[[法学]]>[[コンメンタール]]>司法書士法 ==条文== (登録事務に関する報告等) ;第19条 : 法務大臣は、必要があるときは、日本司法書士会連合会に対し、その登録事務に関し、報告若しくは資料の提出を求め、又は勧告をすることができる。 ==解説== ==参照条文== ---- {{前後 |[[司法書士法]] |[[司法書士法#s3|第3章 登録]]<br> |[[司法書士法第18条]]<br>(登録及び登録の取消しの公告) |[[司法書士法第20条]]<br>(第4章 事務所) }} {{stub}} [[category:司法書士法|19]]
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23,745
会社法第317条
法学>民事法>商法>コンメンタール会社法>第2編 株式会社>第4章 機関 (延期又は続行の決議)
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法学>民事法>商法>コンメンタール会社法>第2編 株式会社>第4章 機関
[[法学]]>[[民事法]]>[[商法]]>[[コンメンタール会社法]]>[[第2編 株式会社 (コンメンタール会社法)|第2編 株式会社]]>[[第2編第4章 機関 (コンメンタール会社法)|第4章 機関]] ==条文== (延期又は続行の決議) ;第317条 :[[w:株主総会]]においてその延期又は続行について決議があった場合には、[[会社法第298条|第298条]]及び[[会社法第299条|第299条]]の規定は、適用しない。 ==解説== ==関連条文== *[[会社法第80条]](延期又は続行の決議) - 創立総会の場合。 *[[会社法第309条]](株主総会の決議) *[[会社法第560条]](延期又は続行の決議) - 債権者集会の場合。 *[[会社法第730条]](延期又は続行の決議) - 社債権者集会の場合。 *[[会社更生法第198条]](関係人集会の期日の続行) ---- {{前後 |[[コンメンタール会社法|会社法]] |[[第2編 株式会社 (コンメンタール会社法)|第2編 株式会社]]<br> [[第2編第4章 機関 (コンメンタール会社法)|第4章 機関]]<br> [[第2編第4章 機関 (コンメンタール会社法)#1|第1節 株主総会及び種類株主総会]]<br> [[第2編第4章 機関 (コンメンタール会社法)#1-1|第1款 株主総会]] |[[会社法第316条]]<br>(株主総会に提出された資料等の調査)  |[[会社法第318条]]<br>(議事録) }} {{stub}} [[category:会社法|317]]
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2019-01-23T13:18:13Z
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23,750
リデプラ
これはリングワ・デ・プラネタ、リデプラ(地球同語 、Lingwa de Planeta、Lidepla、LdP)に関するフリーのウィキブックスです。 トークページでの議論、実践的な練習問題の考案、といった教科書の編纂に参加していただけたら幸いです。 この教科書は全10課で、各課では文法、翻訳演習、(解説付き)読解用文章、会話を行うのに必要な簡単な表現で構成されています。また、リデプラの元となった言語の一つについての歴史を学び、その言語で書かれた「星の王子さま」から抜粋した文章(とリデプラで使われる音素による音訳)を読み、さらに、その言語から借用した単語の一部について学ぶことができます。
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これはリングワ・デ・プラネタ、リデプラ(地球同語 、Lingwa de Planeta、Lidepla、LdP)に関するフリーのウィキブックスです。 トークページでの議論、実践的な練習問題の考案、といった教科書の編纂に参加していただけたら幸いです。 この教科書は全10課で、各課では文法、翻訳演習、(解説付き)読解用文章、会話を行うのに必要な簡単な表現で構成されています。また、リデプラの元となった言語の一つについての歴史を学び、その言語で書かれた「星の王子さま」から抜粋した文章(とリデプラで使われる音素による音訳)を読み、さらに、その言語から借用した単語の一部について学ぶことができます。
{{Wikipedia|地球同語}} これはリングワ・デ・プラネタ、リデプラ([[w:地球同語|地球同語]] 、Lingwa de Planeta、Lidepla、LdP)に関するフリーの[[w:ウィキブックス|ウィキブックス]]です。 トークページでの議論、実践的な練習問題の考案、といった教科書の編纂に参加していただけたら幸いです。 この教科書は全10課で、各課では文法、翻訳演習、(解説付き)読解用文章、会話を行うのに必要な簡単な表現で構成されています。また、リデプラの元となった言語の一つについての歴史を学び、その言語で書かれた「星の王子さま」から抜粋した文章(とリデプラで使われる音素による音訳)を読み、さらに、その言語から借用した単語の一部について学ぶことができます。 == 講座 == ;[[/第0課|第0課 はじめに]]: * リデプラの特徴 * 文字と発音 ;[[/簡単な文|第1課 簡単な文]]: * 動詞の基本形と人称代名詞 * 否定文、疑問文、感嘆詞 (ya) * 過去時制と未来時制 * 接続詞 * 会話表現:初対面 * 言語にフォーカス:英語 ;[[/複雑な文|第2課 複雑な文]]: * 補語になる代名詞 * 疑問詞と指示代名詞 * 法助動詞 * 強意助詞 (hi, ku) * 前置詞 * 会話表現:「どこから来たの?」 * 言語にフォーカス:中国語 ;[[/名詞と形容詞|第3課 名詞と形容詞]]: * 名詞 * 形容詞 * 動詞 bi, es, bin * 形容詞の定語的用法 * 存在動詞 (ye, yok, hev) * 所有形容詞と所有代名詞 * 助詞 (gro-, -ki) * 会話表現:「こんにちは」「お元気ですか?」 * 言語にフォーカス:スペイン語・ポルトガル語 ;[[/動詞の接語|第4課 動詞の接語]]: * 命令、依頼、希望 * 条件文 * 相と時制  * 相の接頭辞 * 使役形、自発形 * 会話表現:「ありがとう!」「すみません、何と言いましたか?」 * 言語にフォーカス:アラビア語 ;[[/数量表現|第5課 数量表現]]: * 厳密な数量(計算) * 概数 * 時間表現 * 曜日、月、季節 * 期限 * 測量と価格 * 会話表現:年齢 * 言語にフォーカス:ヒンディー語 ;[[/副詞と比較|第6課 副詞と比較、派生]]: * 副詞 * 比較 * 形容詞と動詞の名詞転換 * 具象、行為者を表す名詞 * 抽象、性質に関する名詞 * 起因表現 * 会話表現:天気 * 言語にフォーカス:ロシア語 ;[[/代名詞と副詞の体系|第7課 代名詞と副詞の合成語体系; 場所と運動の前置詞と副詞]]: * 代名詞の合成語体系 * 場所を表す前置詞 * 動作を表す前置詞 * 会話表現: 「どうやったら行けますか?」 * 言語にフォーカス:日本語 ;[[/動詞の構造|第8課 動詞の構造]]: * 特別な動詞 * 受動形 * 行為の時間的順序 * 前置詞と相互関係 * 言語にフォーカス:ドイツ語 ;[[/造語法|第9課 造語法]]: * 接辞 * 助詞 * 複合語 * 言語にフォーカス:フランス語 ;[[/語彙体系|第10課 語彙体系]]: ;[[/LdP文法リファレンス|LdP文法リファレンス]] == 外部リンク == * [http://prezi.com/gu0rwgl2ob-m/yeri-pa-aksham-/ リデプラの紹介] * [http://lingwadeplaneta.info/index.shtml メインサイト] * [http://wiki.lidepla.info/index.php/Shefpaja Lidepla wiki] [[カテゴリ:人工言語]]
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2022-12-23T06:04:10Z
[ "テンプレート:Wikipedia" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%87%E3%83%97%E3%83%A9
23,756
エストニア語
エストニア語の世界へようこそ!エストニア語は約100万人のエストニアの人々や、フィンランドやアメリカ、カナダ、ロシア、スウェーデンなどのエストニア人の移民の共同体で話されています。 エストニア語はだいたいヨーロッパではなされますが、インド・ヨーロッパ語族の言語ではなく、ウラル語族フィン・ウゴル語派に属しています。そのため、フィンランド語と関係があり、それより遠い関係にはハンガリー語があります。エストニア語はスウェーデン語やドイツ語などの周辺の諸言語に影響されてきて、いまも影響を受けています。また、エストニア語はEUの公用語のひとつです。 本書執筆にあたり、以下の文書を参考にした。
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エストニア語の世界へようこそ!エストニア語は約100万人のエストニアの人々や、フィンランドやアメリカ、カナダ、ロシア、スウェーデンなどのエストニア人の移民の共同体で話されています。 エストニア語はだいたいヨーロッパではなされますが、インド・ヨーロッパ語族の言語ではなく、ウラル語族フィン・ウゴル語派に属しています。そのため、フィンランド語と関係があり、それより遠い関係にはハンガリー語があります。エストニア語はスウェーデン語やドイツ語などの周辺の諸言語に影響されてきて、いまも影響を受けています。また、エストニア語はEUの公用語のひとつです。 レッスン 文字と発音 格と代名詞 直接法の動詞と対格 疑問文、副詞、未来 分格 否定文と接続詞 「全て」や「何か」 複数形と副詞 da不定詞
[[Image:Flag of Estonia.svg|300px|center|Flag of Estonia]] '''エストニア語'''の世界へようこそ!エストニア語は約100万人のエストニアの人々や、フィンランドやアメリカ、カナダ、ロシア、スウェーデンなどのエストニア人の移民の共同体で話されています。 エストニア語はだいたいヨーロッパではなされますが、インド・ヨーロッパ語族の言語ではなく、ウラル語族フィン・ウゴル語派に属しています。そのため、[[フィンランド語]]と関係があり、それより遠い関係には[[ハンガリー語]]があります。エストニア語は[[スウェーデン語]]や[[ドイツ語]]などの周辺の諸言語に影響されてきて、いまも影響を受けています。また、エストニア語はEUの公用語のひとつです。 * レッスン **[[/文字と発音|文字と発音]] **[[/格と代名詞|格と代名詞]] **[[/直接法の動詞と対格|直接法の動詞と対格]] **[[/疑問文|疑問文、副詞、未来]] **[[/分格|分格]] **[[/否定文と接続詞|否定文と接続詞]] **[[/「全て」や「何か」|「全て」や「何か」]] **[[/複数形|複数形と副詞]] **[[/da不定詞|da不定詞]] ==関連書籍== *[[Wikijunior:言語/エストニア語]] == 参考 == 本書執筆にあたり、以下の文書を参考にした。 * {{Cite book |author=松村一登 |authorlink=松村一登 |coauthors= |year=1999 |title=エストニア語文法 |location= |publisher= |language=日本語 |page= |id= |isbn= |quote= |url=http://sipsik.world.coocan.jp/download/opik_pdf/index.html |ref=松村(1999)}} [[Category:エストニア語|*]] [[カテゴリ:ヨーロッパの言語|えすとにあこ]] [[Category:語学の書庫|えすとにあこ]]
2007-11-10T01:21:54Z
2023-09-26T01:32:58Z
[ "テンプレート:Cite book" ]
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23,784
エストニア語/格と代名詞
エストニア語には曲用があり、文章中の名詞や形容詞の役割は、それらの格によって示される。ここにエストニア語の14の格の表をあげる。 名詞や形容詞のそれぞれの形は一度に一つの格変化しかしない。一種類の格はさまざまな用法を持っている。 エストニア語の代名詞には短縮形がある。以下の表にはエストニア語の一人称から三人称の単数の代名詞がのっている。 ここには動詞を含まないいくつかのフレーズがある。 まだ学習していない単語は太文字になっており、そこにマウスを合わせると、意味が表示される。また、解答にあわせると、解答が表示される。
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エストニア語には曲用があり、文章中の名詞や形容詞の役割は、それらの格によって示される。ここにエストニア語の14の格の表をあげる。 名詞や形容詞のそれぞれの形は一度に一つの格変化しかしない。一種類の格はさまざまな用法を持っている。
エストニア語には'''曲用'''があり、文章中の名詞や形容詞の役割は、それらの'''格'''によって示される。ここにエストニア語の14の格の表をあげる。 {|class="wikitable" !# !名前 (日本語) !名前 (エストニア語) !名詞の例 (単数) !名詞の疑問詞<br/>(何)の格変化 !形容詞の例 (単数) !形容詞の疑問詞<br/>(どんな)の格変化 !位置的な意味 !位置的でない意味 !由来 |- |I |主格 |Nimetav (naming) |see (<abbr title="エストニア語にはこれ、あれ、それの区別がない。">指示語</abbr>) |mis? |selline (そのような) |missugune?<br/>milline? | - |主語 | - |- |II |属格 |Omastav (owning) |selle |mille? |sellise |missuguse?<br/>millise? | - | having-determiner<br/>'''whole''' | - |- |III |分格 |Osastav (partitive) |seda |mida? |sellist |missugust?<br/>millist? | - | 直接目的語 | - |- | |- |IV |入格 |Sisseütlev (into-saying) |selle'''sse''' |millesse? |sellise'''sse''' |missugusesse?<br/>millisesse? | の中へ | - | II |- |V |内格 |Seesütlev (in-saying) |selle'''s''' |milles? |sellise'''s''' |missuguses?<br/>millises? | の中 | - | II |- |VI |出格 |Seestütlev (out-of-saying) |selle'''st''' |millest? |sellise'''st''' |missugusest?<br/>millisest? | の中から | - | II |- | |- |VII |向格 |Alaleütlev (onto-field-saying) |selle'''le''' |millele? |sellise'''le''' |missugusele?<br/>millisele? | の上へ | 与格/giving | II |- |VIII |接格 |Alalütlev (on-field-saying) |selle'''l''' |millel? |sellise'''l''' |missugusel?<br/>millisel? | の上に | having | II |- |IX |奪格 |Alaltütlev (off-of-field-saying) |selle'''lt''' |millelt? |sellise'''lt''' |missuguselt?<br/>milliselt? | から | taking | II |- | |- |X |変格 |Saav (becoming) |selle'''ks''' |milleks? |sellise'''ks''' |milliseks?<br/>missuguseks? | - | - | II |- |XI |到格 |Rajav (establishing) |selle'''ni''' |milleni? |sellise'''ni''' |missuguseni?<br/>milliseni? | 以下/まで | - | II |- |XII |様格 |Olev (being) |selle'''na''' |millena? |sellise'''na''' |missugusena?<br/>millisena? | であって、として | - | II |- |XIII |欠格 |Ilmaütlev (without-saying) |selle'''ta''' |milleta? |sellise'''ta''' |missuguseta?<br/>milliseta? | なしで | - | II |- |XIV |共格 |Kaasaütlev (with-saying) |selle'''ga''' |millega? |sellise'''ga''' |missugusega?<br/>millisega? | ~と | - | II |} 名詞や形容詞のそれぞれの形は一度に一つの格変化しかしない。一種類の格はさまざまな用法を持っている。 ==代名詞== エストニア語の代名詞には短縮形がある。以下の表にはエストニア語の一人称から三人称の単数の代名詞がのっている。 {|class="wikitable" !人称 !主格 !主格の短縮形 !属格 !属格の短縮形 !分格 !分格の短縮形 |- |1 |mina |ma |minu |mu |mind | - |- |2 |sina |sa |sinu |su |sind | - |- |3 |tema |ta |tema |ta |teda | - |} == エストニア語の単語 == === 語彙 === * '''ja''' - ~と~(英語のand) * '''laps''' - 子供 * '''mees''' - 男性 * '''naine''' - 女性 * '''poiss''' - 少年 * '''tüdruk''' - 少女 * '''õun''' - 林檎 * '''toit''' - 食べ物 === フレーズ === ここには動詞を含まないいくつかのフレーズがある。 まだ学習していない単語は<span title=太文字>'''太文字'''</span>になっており、そこにマウスを合わせると、意味が表示される。また、'''解答'''にあわせると、解答が表示される。 * <span title="男性の (属格)">'''Mehe'''</span> ja <span title="女性の (属格)">'''naise'''</span> laps **{{Et/解答|一人の男性と女性の子供}} * <span title="子供の (属格)">'''Lapse'''</span> õun ** {{Et/解答|子供の林檎}} * Naine, laps ja õun **{{Et/解答|女性、子供、そして林檎}} * <span title="少年の (属格)">'''Poisi'''</span> ja <span title="少女の (属格)">'''tüdruku'''</span> toit **{{Et/解答|その少年と少女の食べ物}} [[Category:エストニア語|2]]
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2018-03-18T11:38:21Z
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23,792
エストニア語/直接法の動詞と対格
ここでは、直接法の動詞や対格について学ぶ。 対格がないと、私たちは他動詞を使用することができない。エストニア語の主格は主語を示しており、対格は直接目的語を示している。以下にあげる表は曲用に関する表である。 最後の二つはエストニア語の「長」と「超長」という"音長"や"アクセント"の例である。超長の音節はドットとともに示される。エストニア語では、単語のアクセントはだいたい第一音節に来る。超長の単語はアクセントが必要である(ただ、聴者にはいつも理解できないというわけではない。)。また、長の音節が長すぎて伸ばせないのに対し、超長の音節はいくらでも伸ばすことができる。 .kassiは理解できなくならずに簡単にssから伸ばすことができる。.koeraはeまたは二重母音oeから伸ばせる。しかしながら、後者は聴くほうも話すほうも難しいだろう。必ずしも対格が超長の音長を暗示するわけではなく、これはそれぞれの単語を覚えづらくするためにエストニア語の格を作っている。表の最後の3つの単語は単数の代名詞である。それらのうち2つは超長だが、一つの音節しかない。 エストニア語学院は、各名詞を分類する各文法辞典list of morphological types(muuttüübid)を発行しており、形容詞と動詞は、同様の方法で曲用または活用する単語に基づいて分類されている。26のタイプの曲用(名詞と形容詞)と11のタイプの活用(動詞)が載っている。(ただし、エストニア語。) エストニア語には定冠詞や不定冠詞はないため、英語の"a/an"や"the"は交換することができる。 まだ学習していない単語は太文字になっており、そこにマウスを合わせると、意味が表示される。また、解答にあわせると、解答が表示される。
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ここでは、直接法の動詞や対格について学ぶ。
ここでは、直接法の動詞や対格について学ぶ。 == 対格 == 対格がないと、私たちは他動詞を使用することができない。エストニア語の主格は主語を示しており、対格は直接目的語を示している。以下にあげる表は曲用に関する表である。 {|class="wikitable" !意味 !主格 !属格 !対格 |- |<abbr title="エストニア語には「この」、「その」、「あの」の区別がない。">'''この'''</abbr> |see |selle |seda |- |自宅(home) |kodu |kodu |kodu |- |家(house) |maja |maja |maja |- |カーテン |kardin |kardina |kardinat |- |機械 |masin |masina |masinat |- |本 |raamat |raamatu |raamatut |- |犬 |koer |koera |.ko'''e'''ra |- |猫 |kass |kassi |.ka'''ss'''i |- |私 |mina |minu |.mi'''n'''d |- |あなた |sina |sinu |.si'''n'''d |- |彼/彼女 |tema |tema |teda |} 最後の二つはエストニア語の「長」と「超長」という"音長"や"アクセント"の例である。超長の音節はドットとともに示される。<!--正確性に疑問。http://sipsik.world.coocan.jp/download/opik_pdf/Opik99_2005.pdf#search=%27%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%AA%9E+%E5%AF%BE%E6%A0%BC%27やエストニア語版ウィキペディアを参照。ドット→アクセント記号?-->エストニア語では、単語のアクセントはだいたい第一音節に来る。超長の単語はアクセントが必要である(ただ、聴者にはいつも理解できないというわけではない。)。また、長の音節が長すぎて伸ばせないのに対し、超長の音節はいくらでも伸ばすことができる。 ''.kassi''は理解できなくならずに簡単に''ss''から伸ばすことができる。''.koera''は''e''または二重母音''oe''から伸ばせる。しかしながら、後者は聴くほうも話すほうも難しいだろう。必ずしも対格が超長の音長を暗示するわけではなく、これはそれぞれの単語を覚えづらくするためにエストニア語の格を作っている。表の最後の3つの単語は単数の代名詞である。それらのうち2つは超長だが、一つの音節しかない。 === 形態論的タイプ === [[w:en:Institute of the Estonian Language|エストニア語学院]]は、各名詞を分類する各文法辞典[http://www.eki.ee/dict/qs/muuttyybid.html list of morphological types](muuttüübid)を発行しており、形容詞と動詞は、同様の方法で曲用または活用する単語に基づいて分類されている。26のタイプの曲用(名詞と形容詞)と11のタイプの活用(動詞)が載っている。(ただし、エストニア語。) == エストニア語の動詞 == {|class="wikitable" !rowspan=2|意味 !colspan=6|直接法現在 |- !I ''mina'' !you ''sina'' !he/she ''tema'' !we ''meie'' !you ''teie'' !they ''nemad'' |- |~である(英語のbe) |olen |oled |on |oleme |olete |on |- |知っている |tean |tead |teab |teame |teate |teavad |- |欲しがる |tahan |tahad |tahab |tahame |tahate |tahavad |- |見る |näen |näed |näeb |näeme |näete |näevad |- |聞こえる |kuulen |kuuled |kuuleb |kuuleme |kuulete |kuulevad |- |食べる |söön |sööd |sööb |sööme |sööte |söövad |- |探す |otsin |otsid |otsib |otsime |otsite |otsivad |- |読む |loen |loed |loeb |loeme |loete |loevad |} == フレーズの例 == エストニア語には定冠詞や不定冠詞はないため、英語の"a/an"や"the"は交換することができる。 まだ学習していない単語は<span title=太文字>'''太文字'''</span>になっており、そこにマウスを合わせると、意味が表示される。また、'''解答'''にあわせると、解答が表示される。 *See on tüdruku <span title="林檎 (主格)">'''õun'''</span> **{{Et/解答|これ(あれ)は少女のリンゴだ。}} *Ta sööb <span title="林檎 (対格)">'''õuna'''</span> **{{Et/解答|彼/彼女は林檎を食べる。 or 彼/彼女は林檎を食べている。}} *<span title="この (限定詞)">'''See'''</span> maja on <span title="私の家 (主格)">'''minu kodu'''</span> **{{Et/解答|この家は私の家です。}} *<span title="彼/彼女 (主格)">'''Ta'''</span> tahab <span title="林檎 (対格)">'''õuna'''</span> **{{Et/解答|彼/彼女は林檎をほしがっている。}} *Sina tead <span title="this/that (対格)">'''seda'''</span> **{{Et/解答|あなたはそれを知っている。}} *Ma kuulen <span title="あなた (対格)">'''sind'''</span> **{{Et/解答|I hear you}} *Ma <span title="(I) read">'''loen'''</span> <span title="本 (対格)">'''raamatut'''</span> **{{Et/解答|私は本を読む。or 私は本を読んでいる。}} *Poiss otsib tüdruku koera **{{Et/解答|少年は少女の犬を探している。}} [[Category:エストニア語|3]]
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2018-03-18T11:40:41Z
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23,799
聖書ヘブライ語入門/複数/解答
(1) א それらの石は大きくて重い。 ב その年老いた男達は預言者だ。 ג その年老いた王はダビデだ。 ד そこには小さな子供達がいる。 ה その男達は強い王だ。 (2) 1. גָּדוֹל וְכָבֵד הָאֶבֶן 2. נְבִיאוֹת הַנָּשִׁים הַזְּקֵנוֹת 3. פֹּה נְעָרוֹת קְטַנּוֹת 4. מֶלֶךְ גִּבּוֹר הָאִישׁ
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(1) א それらの石は大きくて重い。 ב その年老いた男達は預言者だ。 ג その年老いた王はダビデだ。 ד そこには小さな子供達がいる。 ה その男達は強い王だ。 (2) 1. גָּדוֹל וְכָבֵד הָאֶבֶן 2. נְבִיאוֹת הַנָּשִׁים הַזְּקֵנוֹת 3. פֹּה נְעָרוֹת קְטַנּוֹת 4. מֶלֶךְ גִּבּוֹר הָאִישׁ
(1) א それらの石は大きくて重い。 ב その年老いた男達は預言者だ。 ג その年老いた王はダビデだ。 ד そこには小さな子供達がいる。 ה その男達は強い王だ。 (2) 1. גָּדוֹל וְכָבֵד הָאֶבֶן 2. נְבִיאוֹת הַנָּשִׁים הַזְּקֵנוֹת 3. פֹּה נְעָרוֹת קְטַנּוֹת 4. מֶלֶךְ גִּבּוֹר הָאִישׁ [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:23:09Z
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23,806
聖書ヘブライ語入門/連語/例文
7.1 例文
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7.1 例文
7.1 例文 {| |- |style="text-align:left" |<span id="7.1.文1" class="anchor"></span>1.その預言者の言葉はよい。 |style="text-align:left" |ṭōb dəḇār hannābī |style="text-align:right"|א. טוֹב דְּבַר הַנָּבִיא |- |style="text-align:left" |<span id="7.1.文2" class="anchor"></span>2.イスラエルの神ヤハウェは聖だ。 |style="text-align:left" |qādōš yahwe '<sup>e</sup>lōhē yiśrā'ēl |style="text-align:right"|&rlm;ב. קָדוֹשׁ יהוה אֱלֹהֵי יִשׂרָאֵל&lrm; |- |style="text-align:left" |<span id="7.1.文3" class="anchor"></span>3.その祭司の息子達は心賢き者だ。 |style="text-align:left" |ḥaḵmē lēḇ bənē ḥakkōhēn |style="text-align:right"|ג. חַכְמֵי לֵב בְּנֵי חַכֹּהֵן |- |style="text-align:left" |<span id="7.1.文4" class="anchor"></span>4.そしてその娘は大そう見目よい。 |style="text-align:left" |wəhanna`<sup>a</sup>rā ṭobat mar'e mə'ōd |style="text-align:right"|ד. וְהַנַּעֲרָה טֹבַת מַרְאֶה מְאֹד |- |style="text-align:left" |<span id="7.1.文5" class="anchor"></span>5.ヤハウェの大いなる日は近い。 |style="text-align:left" |qārōb yōm yahwe haggādōl |style="text-align:right"|ה קָרוֹב יוֹם יַהְוֶה הַגָּדוֹל |- |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:23:52Z
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聖書ヘブライ語入門/連語/単語
7.2 単語
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "7.2 単語", "title": "" } ]
7.2 単語
7.2 単語 {| |- |style="text-align:left" |קָדוֹשׁ |style="text-align:left" |qādōš |style="text-align:left" |聖 |- |style="text-align:left" |לֵב &lrm; |style="text-align:left" |lēḇ / liḇḇōt |style="text-align:left" |心(複数 &rlm; לִבּוֹת &lrm; ) |- |style="text-align:left" |בֵּן &lrm; |style="text-align:left" |bēn / bānīm |style="text-align:left" |息子(複数 &rlm; בָּנִים &lrm; ) |- |style="text-align:left" |כֹּהֵן |style="text-align:left" |kōhēn |style="text-align:left" |祭司 |- |style="text-align:left" |מַרְאֶה |style="text-align:left" |mar'e |style="text-align:left" |見目(みめ)、外見 |- |style="text-align:left" |יוֹם |style="text-align:left" |yōm |style="text-align:left" |日 (複数 &rlm; יָמִים &lrm;) |- |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,808
聖書ヘブライ語入門/連語/構文解説
7.3 構文解説 文1 では טוֹב と דְּבַר הַנָּבִיא とがそれぞれ一つの名詞句をなし、 後者が主部、前者が述部の役割を果たしている。 ここで新しいことは、 דְּבַר הַנָּבִיא という名詞句の構造である。 この名詞句の הַנָּבִיא は、 דְּבַר の後に立ちこれと密接に結合することによって、 דָּבָר に対し意味的に属格の関係にあることを示しているのである。 ちょうど日本語で、例えばハナ《花》がカゴ《籠》の前に立ち両者が密接に結合して出来た名詞句ハナカゴにおいて、《花》は《籠》に対し意味的には属格的であるように、 二つの語が密接に結合した結果、日本語ではアクセントの変化や連濁(ハナ+ソノ→ハナゾノ)が起こるが、 ヘブライ語でも、先行の語が主アクセントを失い、その結果(前の課で見た、性・数の接尾辞がついた語幹のように)音変化が起こる(dābā́r + hannābī'→ dəbar-hannābī')。 ヘブライ語のこのような名詞句において、意味的に属格の働きをしている語(または句)を限定語(句)、これによって限定されている語を被限定語と呼ぶ。 文1 の דְּבַר のように、被限定語となることによって、音変化を受けた結果、 そうでない独立型( דָּבָר )と異なる語形を取るとき、これを連語形と呼び、この名詞句全体を連語句と呼ぶ。 上に日本語の複合語を引合いに出したが、ヘブライ語の連語句は複合語のように全体として一つの単語をなしていると見ることはできない。ヘブライ語の名詞は原則としてすべて被限定語にも限定語にもなることができ、規則に従いつつその場その場で自由に連語句を作ることができるのであって、この生産性という点からは、日本語では ノ による名詞の結合が連語句に近い。例:預言者ノ言葉 西欧の伝統的ヘブライ語学では、おそらく古典語文法からの類推で、我々のいわゆる限定語を nomen rectum 《支配された名詞》、被限定語を nomen regens 《支配する名詞》と称する。 また、連語形のことを status constructus 《結合された状態》であるといい、独立形を status absolutus 《解放された状態》であると言う。 また「属格」と言ったけれども、ヘブライ語には、ギリシア語などと異なり、積極的に格を標示する形はない。ただ文の中での名詞の意味関係を表すために、例えば הַנָּבִיא という名詞は文1 では属格であるが、動詞の主語となるときには、同じ形のままで主格、目的語となるときには、やはり同じ形のままで目的格である、と言うことができる。 文2 では名詞句 וַהְוֶה אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל が קָדוֹשׁ に対する主部である。 אֱלֹהֵי は אֱלֹהִים の連語形であるから、この句ではまず אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל が連語句をなし、これと וַהְוֶה が同格的に並置されている。この構造は次のように図示されよう。 [ [ (יִשְׂרָאֵל) אֱלֹהֵי] [וַהְוֶה] ] [קָדוֹשׁ] 文3 では、 בְּנֵי は בָּנִים ( בֵּן の複数) の、 חַכְמֵי は חֲכָמִים ( חָכָם の男・複)の、 それぞれ連語形である。 従ってここでは主部、述部とも連語句をなしているわけである。 文4 の טֹבַת は טֹבָה ( טוֹב の女・単)の連語形。 文3 の חַכְמֵי לֵב と文4 の טֹבַת מַרְאֶה は意味上平行しており、 「心の賢い人々」「見目のよい女」ということ。 文5 の主部 יוֹם יַהְוֶה הַגָּדוֹל では、 יוֹם יַהְוֶה という連語句を גָּדוֹל が修飾している。 גָּדוֹל に冠詞が付いているのは、その修飾部 יוֹם יַהְוֶה の限定語 יַהְוֶה が固有名詞で定だからである。 このように、連語句の中の限定語が定ならばその連語句は定、限定語が不定ならば連語句全体も不定とされる。文1 、文2 の連語句および文3 の主部の連語句はいずれも定で、文3、文4 の述部をなす連語句は不定であることを確認されたい。文5 の構造は次のようである。[ (הַגָּדוֹל) [ (יהוה) יוֹם] ] [קָרוֹב]
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7.3 構文解説 文1 では ‏ טוֹב ‎ と ‏ דְּבַר הַנָּבִיא ‎ とがそれぞれ一つの名詞句をなし、 後者が主部、前者が述部の役割を果たしている。 ここで新しいことは、‏ דְּבַר הַנָּבִיא ‎ という名詞句の構造である。 この名詞句の ‏ הַנָּבִיא ‎ は、‏ דְּבַר ‎ の後に立ちこれと密接に結合することによって、 ‏ דָּבָר ‎ に対し意味的に属格の関係にあることを示しているのである。 ちょうど日本語で、例えばハナ《花》がカゴ《籠》の前に立ち両者が密接に結合して出来た名詞句ハナカゴにおいて、《花》は《籠》に対し意味的には属格的であるように、 二つの語が密接に結合した結果、日本語ではアクセントの変化や連濁(ハナ+ソノ→ハナゾノ)が起こるが、 ヘブライ語でも、先行の語が主アクセントを失い、その結果(前の課で見た、性・数の接尾辞がついた語幹のように)音変化が起こるを限定語(句)、これによって限定されている語を被限定語と呼ぶ。 文1 の ‏ דְּבַר ‎ のように、被限定語となることによって、音変化を受けた結果、 そうでない独立型の、 それぞれ連語形である。 従ってここでは主部、述部とも連語句をなしているわけである。 文4 の ‏ טֹבַת ‎ は ‏ טֹבָה ‎ (‏ טוֹב ‎ の女・単)の連語形。 文3 の ‏ חַכְמֵי לֵב ‎ と文4 の ‏ טֹבַת מַרְאֶה ‎ は意味上平行しており、 「心の賢い人々」「見目のよい女」ということ。 文5 の主部 ‏ יוֹם יַהְוֶה הַגָּדוֹל ‎ では、‏ יוֹם יַהְוֶה ‎ という連語句を ‏ גָּדוֹל ‎ が修飾している。‏ גָּדוֹל ‎ に冠詞が付いているのは、その修飾部 ‏ יוֹם יַהְוֶה ‎ の限定語 ‏ יַהְוֶה ‎ が固有名詞で定だからである。 このように、連語句の中の限定語が定ならばその連語句は定、限定語が不定ならば連語句全体も不定とされる。文1 、文2 の連語句および文3 の主部の連語句はいずれも定で、文3、文4 の述部をなす連語句は不定であることを確認されたい。文5 の構造は次のようである。‎[ (‏הַגָּדוֹל‎) [ (‏יהוה‎) ‏יוֹם‎] ] [‏קָרוֹב‎]
7.3 構文解説 [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文1|文1]] では &rlm; טוֹב &lrm; と &rlm; דְּבַר הַנָּבִיא &lrm; とがそれぞれ一つの名詞句をなし、 後者が主部、前者が述部の役割を果たしている。 ここで新しいことは、&rlm; דְּבַר הַנָּבִיא &lrm; という名詞句の構造である。 この名詞句の &rlm; הַנָּבִיא &lrm; は、&rlm; דְּבַר &lrm; の後に立ちこれと密接に結合することによって、 &rlm; דָּבָר &lrm; に対し意味的に属格の関係にあることを示しているのである。 ちょうど日本語で、例えばハナ《花》がカゴ《籠》の前に立ち両者が密接に結合して出来た名詞句ハナカゴにおいて、《花》は《籠》に対し意味的には属格的であるように、 二つの語が密接に結合した結果、日本語ではアクセントの変化や連濁(ハ<span style="text-decoration: overline">ナ</span>+<span style="text-decoration: overline">ソ</span>ノ→ハ<span style="text-decoration: overline">ナゾノ</span>)が起こるが、 ヘブライ語でも、先行の語が主アクセントを失い、その結果(前の課で見た、性・数の接尾辞がついた語幹のように)音変化が起こる(dāb<span class ="Unicode">ā&#769;</span>r + hannābī'→ dəbar-hannābī')。 ヘブライ語のこのような名詞句において、意味的に属格の働きをしている語(または句)を'''限定語(句)'''、これによって限定されている語を'''被限定語'''と呼ぶ。 文1 の &rlm; דְּבַר &lrm; のように、被限定語となることによって、音変化を受けた結果、 そうでない独立型(&rlm; דָּבָר &lrm;)と異なる語形を取るとき、これを連語形と呼び、この名詞句全体を連語句と呼ぶ。 上に日本語の複合語を引合いに出したが、ヘブライ語の連語句は複合語のように全体として一つの単語をなしていると見ることはできない。ヘブライ語の名詞は原則としてすべて被限定語にも限定語にもなることができ、規則に従いつつその場その場で自由に連語句を作ることができるのであって、この生産性という点からは、日本語では ノ による名詞の結合が連語句に近い。例:預言者ノ言葉 西欧の伝統的ヘブライ語学では、おそらく古典語文法からの類推で、我々のいわゆる限定語を nomen rectum 《支配された名詞》、被限定語を nomen regens 《支配する名詞》と称する。 また、連語形のことを status constructus 《結合された状態》であるといい、独立形を status absolutus 《解放された状態》であると言う。 また「属格」と言ったけれども、ヘブライ語には、ギリシア語などと異なり、積極的に格を標示する形はない。ただ文の中での名詞の意味関係を表すために、例えば &rlm; הַנָּבִיא &lrm; という名詞は[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文1|文1]] では属格であるが、動詞の主語となるときには、同じ形のままで主格、目的語となるときには、やはり同じ形のままで目的格である、と言うことができる。 [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文2|文2]] では名詞句 &rlm; וַהְוֶה אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל &lrm; が &rlm; קָדוֹשׁ &lrm; に対する主部である。 &rlm; אֱלֹהֵי &lrm; は &rlm; אֱלֹהִים &lrm; の連語形であるから、この句ではまず &rlm; אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל&lrm; が連語句をなし、これと &rlm; וַהְוֶה &lrm; が同格的に並置されている。この構造は次のように図示されよう。&lrm; [ [ (&rlm;יִשְׂרָאֵל&lrm;) &rlm;אֱלֹהֵי&lrm;] [&rlm;וַהְוֶה&lrm;] ] [&rlm;קָדוֹשׁ&lrm;] [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文3|文3]] では、&rlm; בְּנֵי &lrm; は &rlm; בָּנִים &lrm; ( &rlm; בֵּן &lrm; の複数) の、 &rlm; חַכְמֵי &lrm; は &rlm; חֲכָמִים &lrm;( &rlm; חָכָם &lrm; の男・複)の、 それぞれ連語形である。 従ってここでは主部、述部とも連語句をなしているわけである。 [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文4|文4]] の &rlm; טֹבַת &lrm; は &rlm; טֹבָה &lrm; (&rlm; טוֹב &lrm; の女・単)の連語形。 [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文3|文3]] の &rlm; חַכְמֵי לֵב &lrm; と[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文4|文4]] の &rlm; טֹבַת מַרְאֶה &lrm; は意味上平行しており、 「心<u>の</u>賢い人々」「見目<u>の</u>よい女」ということ。 [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文5|文5]] の主部 &rlm; יוֹם יַהְוֶה הַגָּדוֹל &lrm; では、&rlm; יוֹם יַהְוֶה &lrm; という連語句を &rlm; גָּדוֹל &lrm; が修飾している。&rlm; גָּדוֹל &lrm; に冠詞が付いているのは、その修飾部 &rlm; יוֹם יַהְוֶה &lrm; の限定語 &rlm; יַהְוֶה &lrm; が固有名詞で定だからである。 このように、連語句の中の限定語が定ならばその連語句は定、限定語が不定ならば連語句全体も不定とされる。[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文1|文1]] 、[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文2|文2]] の連語句および[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文3|文3]] の主部の連語句はいずれも定で、[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文3|文3]]、[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文4|文4]] の述部をなす連語句は不定であることを確認されたい。[[聖書ヘブライ語入門/連語/例文#7.1.文5|文5]] の構造は次のようである。&lrm;[ (&rlm;הַגָּדוֹל&lrm;) [ (&rlm;יהוה&lrm;) &rlm;יוֹם&lrm;] ] [&rlm;קָרוֹב&lrm;] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/連語/連語句と修飾句
7.4 連語句と修飾句 まず連語句の構造と<被修飾部-修飾部>の名詞句(これを修飾句と呼ぼう)の構造を比較してみよう。 便宜上、これらの句における先行部分(すなわち被限定語と被修飾部)を A、 後続部分(すなわち限定語と修飾部)を B とする。
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7.4 連語句と修飾句 まず連語句の構造と<被修飾部-修飾部>の名詞句(これを修飾句と呼ぼう)の構造を比較してみよう。 便宜上、これらの句における先行部分(すなわち被限定語と被修飾部)を A、 後続部分(すなわち限定語と修飾部)を B とする。 7.4.1 共通点 7.4.2 相違点 7.4.3 連語句と修飾句の組み合わせ
7.4 連語句と修飾句 まず連語句の構造と<被修飾部-修飾部>の名詞句(これを修飾句と呼ぼう)の構造を比較してみよう。 便宜上、これらの句における先行部分(すなわち被限定語と被修飾部)を A、 後続部分(すなわち限定語と修飾部)を B とする。 * 7.4.1 [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/共通点|共通点]] * 7.4.2 [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/相違点|相違点]] * 7.4.3 [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/連語句と修飾句の組み合わせ|連語句と修飾句の組み合わせ]] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/共通点
7.4.1 共通点 いずれも先行する A を中心(主要部)とし、これを後続の B が限定なり、修飾なりする名詞句である。 従ってこれらの名句自身の文法特性(性・数)は、原則として A のそれと同じである。 ただし、連語句の定/不定は、B の定/不定に依存する。 דְּבַר הַמֶּלֶךְ は定で、 דְּבַר מֶלֶךְ 《ある一人の王の言葉》は、原則として、不定である。
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7.4.1 共通点 いずれも先行する A を中心(主要部)とし、これを後続の B が限定なり、修飾なりする名詞句である。 従ってこれらの名句自身の文法特性(性・数)は、原則として A のそれと同じである。 ただし、連語句の定/不定は、B の定/不定に依存する。 ‏ דְּבַר הַמֶּלֶךְ ‎ は定で、‏ דְּבַר מֶלֶךְ ‎ 《ある一人の王の言葉》は、原則として、不定である。
7.4.1 共通点 いずれも先行する A を中心(主要部)とし、これを後続の B が限定なり、修飾なりする名詞句である。 従ってこれらの名句自身の文法特性(性・数)は、原則として A のそれと同じである。 ただし、連語句の定/不定は、B の定/不定に依存する。 &rlm; דְּבַר הַמֶּלֶךְ &lrm; は定で、&rlm; דְּבַר מֶלֶךְ &lrm; 《ある一人の王の言葉》は、原則として、不定である。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/相違点
7.4.2 相違点 (1) 修飾句の A と B は、性・数・定/不定において、互いに一致する。 すなわち例えば次図に表示した左右の語群のうち、文法的な組み合わせは線で結んだ組み合わせだけで、他の組み合わせは非文法的である。 そして A に冠詞が付けば B も必ず冠詞を取る。 一方、連語句では、A の性・数と B のそれとは無関係であり、また A は B の定/不定に拘らず冠詞を取らない。すなわち次図に表示した語群の、右側の任意の一つと左側の任意の一つとの組み合わせが文法的に許容される。 (例えば בַּת הַמְּלָכִים 《王たちの(一人の)娘》が実際には起こり得ないとしても、それは意味上の制約のためであって、文法の問題ではない)。 (2) A は連語句では連語形を取るのに対し、修飾句では独立形を取る。 (3) 6.1 の例文4,5 で見たように、修飾部の A, B はいずれも וְ で連結された二つ以上の名詞で構成され得る一方、連語句の場合にはいずれも回避される。 まず A について、例えば「王の息子と娘」という意味で בֶּן וּבַת הַמֶּלֶךְ とすることは、原則として不可。代わりに、接尾代名詞(後述)を用いて בֶּן הַמֶּלֶךְ וּבִתּוֹ 《王の息子と彼の娘》とする。もっとも我々のテクストでは後期の文書に僅かながら例がある: סֵפֶר וּלְשׁוֹן כַּשְׂדִּים 《カルデア人の書物と言葉》(ダニエル書14)。 ただし、連語句自身を連語形にする(すなわち限定語を次ぎの被限定語として連語形にする)ことによって、二つ以上の連語形の連なった連語句をつくることはできる。我々のテクストでは、 שְׁאָר מִסְפַּר־קֶשֶׁת גִּבּוֹרֵי בְנֵי־קֵדָר 《ケダルの息子らの勇者たちの弓の数の残り》(イザヤ書2117)などが最も長い列であろう( שְׁאָר が שְׁאַר になっていないのは、連語があまり長くなったためであろう)。 一方、連語句の B については、 קֹנֵה שָׁמַים וָאָרֶץ 《天と地との創造者》(創世記1419)のような表現もあるが、このような場合は אֱלֹהֵי הַשָּׁמַיִם וֵאלֹהֵי הָאָרֶץ 《天の神と地の神》→《天と地との神》(創世記243)のように、被限定語を繰り返した二つの連語句を接続詞で結ぶ仕方が一般的である。
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7.4.2 相違点 (1) 修飾句の A と B は、性・数・定/不定において、互いに一致する。 すなわち例えば次図に表示した左右の語群のうち、文法的な組み合わせは線で結んだ組み合わせだけで、他の組み合わせは非文法的である。 そして A に冠詞が付けば B も必ず冠詞を取る。 一方、連語句では、A の性・数と B のそれとは無関係であり、また A は B の定/不定に拘らず冠詞を取らない。すなわち次図に表示した語群の、右側の任意の一つと左側の任意の一つとの組み合わせが文法的に許容される。 A は連語句では連語形を取るのに対し、修飾句では独立形を取る。 (3) 6.1 の例文4,5 で見たように、修飾部の A, B はいずれも ‏ וְ ‎ で連結された二つ以上の名詞で構成され得る一方、連語句の場合にはいずれも回避される。 まず A について、例えば「王の息子と娘」という意味で ‏ בֶּן וּבַת הַמֶּלֶךְ ‎ とすることは、原則として不可。代わりに、接尾代名詞(後述)を用いて ‏ בֶּן הַמֶּלֶךְ וּבִתּוֹ ‎ 《王の息子と彼の娘》とする。もっとも我々のテクストでは後期の文書に僅かながら例がある: ‏ סֵפֶר וּלְשׁוֹן כַּשְׂדִּים ‎ 《カルデア人の書物と言葉》(ダニエル書14)。 ただし、連語句自身を連語形にする(すなわち限定語を次ぎの被限定語として連語形にする)ことによって、二つ以上の連語形の連なった連語句をつくることはできる。我々のテクストでは、 ‏ שְׁאָר מִסְפַּר־קֶשֶׁת גִּבּוֹרֵי בְנֵי־קֵדָר ‎ 《ケダルの息子らの勇者たちの弓の数の残り》。 一方、連語句の B については、‏ קֹנֵה שָׁמַים וָאָרֶץ ‎ 《天と地との創造者》のように、被限定語を繰り返した二つの連語句を接続詞で結ぶ仕方が一般的である。
7.4.2 相違点 (1) 修飾句の A と B は、性・数・定/不定において、互いに一致する。 すなわち例えば次図に表示した左右の語群のうち、文法的な組み合わせは線で結んだ組み合わせだけで、他の組み合わせは非文法的である。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! B !! !! A |- | &rlm; טוֹב &lrm; || ― || &rlm; בֵּן &lrm; |- | &rlm; טוֹבִים &lrm; || ― || &rlm; בָּנִים &lrm; |- | &rlm; טוֹבָה &lrm; || ― || &rlm; בַּת &lrm; |- | &rlm; טוֹבוֹת &lrm; || ― || &rlm; בָּנוֹת &lrm; |- |} そして A に冠詞が付けば B も必ず冠詞を取る。 一方、連語句では、A の性・数と B のそれとは無関係であり、また A は B の定/不定に拘らず冠詞を取らない。すなわち次図に表示した語群の、右側の任意の一つと左側の任意の一つとの組み合わせが文法的に許容される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! B !! !! A |- | &rlm; הַמֶּלֶךְ &lrm; || || &rlm; בֶּן &lrm; |- | &rlm; הַמְּלָכִים &lrm; || || &rlm; בְּנֵי &lrm; |- | &rlm; הַמַּלְכָּה &rlm; || || &rlm; בַּת &lrm; |- | &rlm; הַמְּלָכוֹת &rlm; || || &rlm; בָּנוֹת &lrm; |} (例えば &rlm; בַּת הַמְּלָכִים &lrm; 《王たちの(一人の)娘》が実際には起こり得ないとしても、それは意味上の制約のためであって、文法の問題ではない)。 (2) A は連語句では連語形を取るのに対し、修飾句では独立形を取る。 (3) [[聖書ヘブライ語入門/複数/例文|6.1]] の[[聖書ヘブライ語入門/複数/例文#6.1.文4|例文4]],[[聖書ヘブライ語入門/複数/例文#6.1.文5|5]] で見たように、修飾部の A, B はいずれも &rlm; וְ &lrm; で連結された二つ以上の名詞で構成され得る一方、連語句の場合にはいずれも回避される。 まず A について、例えば「王の息子と娘」という意味で &rlm; בֶּן וּבַת הַמֶּלֶךְ &lrm; とすることは、原則として不可。代わりに、接尾代名詞(後述)を用いて &rlm; בֶּן הַמֶּלֶךְ וּבִתּוֹ &lrm; 《王の息子と彼の娘》とする。もっとも我々のテクストでは後期の文書に僅かながら例がある: &rlm; סֵפֶר וּלְשׁוֹן כַּשְׂדִּים &lrm; 《カルデア人の書物と言葉》([[s:%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:4|ダニエル書1<sub>4</sub>]])。 ただし、連語句自身を連語形にする(すなわち限定語を次ぎの被限定語として連語形にする)ことによって、二つ以上の連語形の連なった連語句をつくることはできる。我々のテクストでは、 &rlm; שְׁאָר מִסְפַּר־קֶשֶׁת גִּבּוֹרֵי בְנֵי־קֵדָר &lrm; 《ケダルの息子らの勇者たちの弓の数の残り》([[s:%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#21:17|イザヤ書21<sub>17</sub>]])などが最も長い列であろう( &rlm; שְׁאָר &lrm; が &rlm; שְׁאַר &lrm; になっていないのは、連語があまり長くなったためであろう)。 一方、連語句の B については、&rlm; קֹנֵה שָׁמַים וָאָרֶץ &lrm; 《天と地との創造者》([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#14:19|創世記14<sub>19</sub>]])のような表現もあるが、このような場合は &rlm; אֱלֹהֵי הַשָּׁמַיִם וֵאלֹהֵי הָאָרֶץ &lrm; 《天の神と地の神》→《天と地との神》([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#24:3|創世記24<sub>3</sub>]])のように、被限定語を繰り返した二つの連語句を接続詞で結ぶ仕方が一般的である。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,829
聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成
7.5 連語形の形成 7.3 の説明で察せられたと思うが、 例えば 7.1 の例文3 の חַכְמֵי לֵב は * חֲכָמִים לֵב の音変化の結果である。 既に見たように、女性形や複数形には不規則な形があるから、もし連語形の形成規則を男性・単数形だけを基本形として述べようとするならば、規則が複雑になり、「不規則形」をさらに増やす結果になる。何よりも実態に即さない。 音規則 7.5.1 女性単数接辞 -ā́ → -át ( ־ָה → ־ַת ) 7.5.2 男性複数接辞 -ī́m → -ḗ ( ־ִים → ־ֵי ) 7.5.3 無強勢の ē, ā → ə ( ־ֵ, ־ָ → ־ְ ) 7.5.4 語末閉音節の ē, ā → a ( ־ֵ, ־ָ → ־ַ ) ただし CōCēC 型名詞では不変。 7.5.5 語末の e(h) → ē(h) ( ־ֶה → ־ֵה ) 7.5.6 *CəCə → CiC( ־ְ ־ְ → ־ִ ־ְ ), *CCə → CaC ( ־ֲ ־ְ → ־ַ ־ְ ) これら以外は原則として変化しない。 例(括弧内は適用規則): יָשָׁר → * יְשָׁר (7.5.3) → יְשַׁר (7.5.4) יְשָׁרִים → * יְשָׁרֵי (7.5.2) → * יְשְׁרֵי (7.5.3) → יִשְׁרֵי (yišrē) (7.5.6) יְשָׁרָה → * יְשָׁרַת (7.5.1) → * יְשְׁרַת (7.5.3) → יִשְׁרַת (yišrat)(7.5.6) אֲנָשִׁים → * אֲנָשֵׁי (7.5.2) → * אֲנְשֵׁי (7.5.3) → אַנְשֵׁי ('anšē)(7.5.6) יָפֶה → * יְפֶה (7.5.3) → יְפֵה (7.5.5) 若干の、しかし出現頻度の高い名詞は、不規則な連語形を取るから、個別に記憶しなければならない。 בַּיִת → בֵּית 、 בָּתִּים → בָּתֵּי 、 בֵּן → בֶּן 、 אִשָּׁה → אֵשֶת 、 עָרִים → עָרֵי 以下、単語の説明においては、女性形、複数形の場合と同じく、上記の規則から予測出来ない不規則連語形だけを記載する。
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7.5 連語形の形成 7.3 の説明で察せられたと思うが、 例えば 7.1 の例文3 の ‏ חַכְמֵי לֵב ‎ は * ‏ חֲכָמִים לֵב ‎ の音変化の結果である。 既に見たように、女性形や複数形には不規則な形があるから、もし連語形の形成規則を男性・単数形だけを基本形として述べようとするならば、規則が複雑になり、「不規則形」をさらに増やす結果になる。何よりも実態に即さない。 音規則 7.5.1 女性単数接辞 -ā́ → -át ‎ 7.5.2 男性複数接辞 -ī́m → -ḗ ‎ 7.5.3 無強勢の ē, ā → ə ‎ 7.5.4 語末閉音節の ē, ā → a ‎ ただし CōCēC 型名詞では不変。 7.5.5 語末の e(h) → ē(h) ‎ 7.5.6 *CəCə → CiC( ‏ ־ְ ־ְ ‎ → ‏ ־ִ ־ְ ‎), ‎ *CaCə → CaC これら以外は原則として変化しない。 例(括弧内は適用規則): ‏ יָשָׁר ‎ → * ‏ יְשָׁר ‎ (7.5.3) → ‏ יְשַׁר ‎ (7.5.4) ‏ יְשָׁרִים ‎ → * ‏ יְשָׁרֵי ‎ (7.5.2) → * ‏ יְשְׁרֵי ‎ (7.5.3) → ‏ יִשְׁרֵי ‎ (yišrē) (7.5.6) ‏ יְשָׁרָה ‎ → * ‏ יְשָׁרַת ‎ (7.5.1) → * ‏ יְשְׁרַת ‎ (7.5.3) → ‏ יִשְׁרַת ‎ (yišrat)(7.5.6) ‏ אֲנָשִׁים ‎ → * ‏ אֲנָשֵׁי ‎ (7.5.2) → * ‏ אֲנְשֵׁי ‎ (7.5.3) → ‏ אַנְשֵׁי ‎ ('anšē)(7.5.6) ‏ יָפֶה ‎ → * ‏ יְפֶה ‎ (7.5.3) → ‏ יְפֵה ‎ (7.5.5) 若干の、しかし出現頻度の高い名詞は、不規則な連語形を取るから、個別に記憶しなければならない。 ‏ בַּיִת ‎ → ‏ בֵּית ‎ 、 ‏ בָּתִּים ‎ → ‏ בָּתֵּי ‎ 、 ‏ בֵּן ‎ → ‏ בֶּן ‎ 、 ‏ אִשָּׁה ‎ → ‏ אֵשֶת ‎ 、 ‏ עָרִים ‎ → ‏ עָרֵי ‎ 以下、単語の説明においては、女性形、複数形の場合と同じく、上記の規則から予測出来ない不規則連語形だけを記載する。
7.5 連語形の形成 [[聖書ヘブライ語入門/連語/構文解説|7.3]] の説明で察せられたと思うが、 例えば [[聖書ヘブライ語入門/連語/例文|7.1]] の例文3 の &rlm; חַכְמֵי לֵב &lrm; は * &rlm; חֲכָמִים לֵב &lrm; の音変化の結果である。 既に見たように、女性形や複数形には不規則な形があるから、もし連語形の形成規則を男性・単数形だけを基本形として述べようとするならば、規則が複雑になり、「不規則形」をさらに増やす結果になる。何よりも実態に即さない。 音規則 <span id="7.5.1" class="anchor"></span>7.5.1 女性単数接辞 -<span class="Unicode">ā&#769;</span> → -át &lrm; ( &rlm; ־ָה &lrm; → &rlm; ־ַת &lrm; ) <span id="7.5.2" class="anchor"></span>7.5.2 男性複数接辞 -<span class="Unicode">ī&#769;</span>m → -<span class="Unicode">ē&#769;</span> &lrm; ( &rlm; ־ִים &lrm; → &rlm; ־ֵי &lrm; ) <span id="7.5.3" class="anchor"></span>7.5.3 無強勢の ē, ā → ə &lrm; ( &rlm; ־ֵ, ־ָ &lrm; → &rlm; ־ְ &lrm; ) <span id="7.5.4" class="anchor"></span>7.5.4 語末閉音節の ē, ā → a &lrm; ( &rlm; ־ֵ, ־ָ &lrm; → &rlm; ־ַ &lrm; ) ただし CōCēC 型名詞では不変。 <span id="7.5.5" class="anchor"></span>7.5.5 語末の e(h) → ē(h) &lrm; ( &rlm; ־ֶה &lrm; → &rlm; ־ֵה &lrm; ) <span id="7.5.6" class="anchor"></span>7.5.6 *CəCə → CiC( &rlm; ־ְ ־ְ &lrm; → &rlm; ־ִ ־ְ &lrm;), &lrm; *C<sup>a</sup>Cə → CaC ( &rlm; ־ֲ ־ְ &lrm; → &rlm; ־ַ ־ְ &lrm; ) これら以外は原則として変化しない。 例(括弧内は適用規則): &rlm; יָשָׁר &lrm; → * &rlm; יְשָׁר &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.3|(7.5.3)]] → &rlm; יְשַׁר &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.4|(7.5.4)]] &rlm; יְשָׁרִים &lrm; → * &rlm; יְשָׁרֵי &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.2|(7.5.2)]] → * &rlm; יְשְׁרֵי &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.3|(7.5.3)]] → &rlm; יִשְׁרֵי &lrm; (yišrē) [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.6|(7.5.6)]] &rlm; יְשָׁרָה &lrm; → * &rlm; יְשָׁרַת &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.1|(7.5.1)]] → * &rlm; יְשְׁרַת &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.3|(7.5.3)]] → &rlm; יִשְׁרַת &lrm; (yišrat)[[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.6|(7.5.6)]] &rlm; אֲנָשִׁים &lrm; → * &rlm; אֲנָשֵׁי &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.2|(7.5.2)]] → * &rlm; אֲנְשֵׁי &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.3|(7.5.3)]] → &rlm; אַנְשֵׁי &lrm; ('anšē)[[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.6|(7.5.6)]] &rlm; יָפֶה &lrm; → * &rlm; יְפֶה &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.3|(7.5.3)]] → &rlm; יְפֵה &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.5|(7.5.5)]] 若干の、しかし出現頻度の高い名詞は、不規則な連語形を取るから、個別に記憶しなければならない。 &rlm; בַּיִת &lrm; → &rlm; בֵּית &lrm; 、 &rlm; בָּתִּים &lrm; → &rlm; בָּתֵּי &lrm; 、 &rlm; בֵּן &lrm; → &rlm; בֶּן &lrm; 、 &rlm; אִשָּׁה &lrm; → &rlm; אֵשֶת &lrm; 、 &rlm; עָרִים &lrm; → &rlm; עָרֵי &lrm; 以下、単語の説明においては、女性形、複数形の場合と同じく、上記の規則から予測出来ない不規則連語形だけを記載する。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,831
聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/連語句と修飾句の組み合わせ
7.4.3 連語句と修飾句の組み合わせ (1) הָאִשָּׁה הַיָּפָה 《美しい妻》 (2) אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה 《美しい|王の妻》 (3) הָאִשָּׁה יְפַת־הַמַּרְאֶה 《見目美しい妻》 (4) אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ יְפַת־הַמַּרְאֶה 《見目美しい王の妻》 修飾句 (1) の A, B を (2)~(4) のように連語句に変えることによって拡張することは可能である。( יְפַת は יָפָה の連語形)。 一方連語句については、 (5) אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ 《王の妻》 (6) אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב 《良い王の妻》 (7) * אֵשֶׁת יְפַת הַמֶּלֶךְ (5) の B を (6) のように修飾句に変えることによって拡張することはできるが、 (7) のように A を修飾句に変えることはできない「王の美しい妻」という意味を表すときには、 (2) のように連語句自身を被修飾部とする。 文(2)~(6) は、連語句の A と B が性を異にしているため、いずれも一義的である(文2, 4 は性・数の文法素性の無い日本語では曖昧だがヘブライ語では一義的)が、 A、B が性・数を同じくする場合、例えば (2)' בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב 《良い|王の息子》 (6)' בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב 《良い王の|息子》 のように、表面的には全く同じ、曖昧な文が出来る。これを避けるためには、 (2)' の意味では前置詞(後述)を用いて בֵּן טוֹב לַמֶּלֶךְ とする。
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7.4.3 連語句と修飾句の組み合わせ (1) ‏ הָאִשָּׁה הַיָּפָה ‎ 《美しい妻》 (2) ‏ אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה ‎ 《美しい|王の妻》 (3) ‏ הָאִשָּׁה יְפַת־הַמַּרְאֶה ‎ 《見目美しい妻》 (4) ‏ אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ יְפַת־הַמַּרְאֶה ‎ 《見目美しい王の妻》 修飾句 (1) の A, B を (2)~(4) のように連語句に変えることによって拡張することは可能である。。 一方連語句については、 (5) ‏ אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ ‎ 《王の妻》 (6) ‏ אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב ‎ 《良い王の妻》 (7) ‎ * ‏ אֵשֶׁת יְפַת הַמֶּלֶךְ ‎ (5) の B を (6) のように修飾句に変えることによって拡張することはできるが、 (7) のように A を修飾句に変えることはできない「王の美しい妻」という意味を表すときには、 (2) のように連語句自身を被修飾部とする。 文(2)~(6) は、連語句の A と B が性を異にしているため、いずれも一義的であるが、 A、B が性・数を同じくする場合、例えば (2)' ‏ בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב ‎ 《良い|王の息子》 (6)' ‏ בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב ‎ 《良い王の|息子》 のように、表面的には全く同じ、曖昧な文が出来る。これを避けるためには、 (2)' の意味では前置詞(後述)を用いて ‏ בֵּן טוֹב לַמֶּלֶךְ ‎ とする。
7.4.3 連語句と修飾句の組み合わせ (1) &rlm; הָאִשָּׁה הַיָּפָה &lrm; 《美しい妻》 (2) &rlm; אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה &lrm; 《美しい|王の妻》 (3) &rlm; הָאִשָּׁה יְפַת־הַמַּרְאֶה &lrm; 《見目美しい妻》 (4) &rlm; אֵשֶׁת־הַמֶּלֶךְ יְפַת־הַמַּרְאֶה &lrm; 《見目美しい王の妻》 修飾句 (1) の A, B を (2)~(4) のように連語句に変えることによって拡張することは可能である。(&rlm; יְפַת&lrm; は &rlm; יָפָה &lrm; の連語形)。 一方連語句については、 (5) &rlm; אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ &lrm; 《王の妻》 (6) &rlm; אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב &lrm; 《良い王の妻》 (7) &lrm; * &rlm; אֵשֶׁת יְפַת הַמֶּלֶךְ &lrm; (5) の B を (6) のように修飾句に変えることによって拡張することはできるが、 (7) のように A を修飾句に変えることはできない「王の美しい妻」という意味を表すときには、 (2) のように連語句自身を被修飾部とする。 文(2)~(6) は、連語句の A と B が性を異にしているため、いずれも一義的である(文2, 4 は性・数の文法素性の無い日本語では曖昧だがヘブライ語では一義的)が、 A、B が性・数を同じくする場合、例えば (2)' &rlm; בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב &lrm; 《良い|王の息子》 (6)' &rlm; בֶּן הַמֶּלֶךְ הַטּוֹב &lrm; 《良い王の|息子》 のように、表面的には全く同じ、曖昧な文が出来る。これを避けるためには、 (2)' の意味では前置詞(後述)を用いて &rlm; בֵּן טוֹב לַמֶּלֶךְ &lrm; とする。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,833
聖書ヘブライ語入門/連語/単語2
7.6 単語
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7.6 単語
7.6 単語 {| |- |style="text-align:left" |(男)名 |style="text-align:left" |šēm, šēmōt |style="text-align:left" |&rlm; שֵׁם &lrm; (複 &rlm; שֵׁמוֹת &lrm; ) |- |style="text-align:left" |祝福された |style="text-align:left" |bārūk |style="text-align:left" |בָּרוּךְ |- |style="text-align:left" |手 |style="text-align:left" |yād |style="text-align:left" |יָד |- |style="text-align:left" |果実(複数なし) |style="text-align:left" |pərī |style="text-align:left" |פְּרִי |- |style="text-align:left" |樹木・木 |style="text-align:left" |`ēṣ |style="text-align:left" |עֵץ |- |style="text-align:left" |庭 |style="text-align:left" |gan |style="text-align:left" |גַּן |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,834
聖書ヘブライ語入門/連語/練習
7.7 練習 (解答) (1) 日本語に訳せ א. טוֹבִים דִּבְרֵי הַמְּלָכִים ב. רַע לֵב בְּנֵי הָֽאָדָם ג. בָּרוּךְ יַהְוֶה אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל ד. הַקֹּל קוֹל יַעֲקֹב וְהַיָּד יַד עֵשָׂו ה. טוֹב פְּרִי עֲצֵי הַגַּן (2)ヘブライ語に訳せ 1. (その)女王の言葉(単および複)は悪い。 2. その王の息子の妻は賢い。 3. その王の賢い妻は美しい。 4. その町の道(単および複)はまっすぐだ。 5. その女の息子の名はヤコブである。
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7.7 練習 女王の言葉(単および複)は悪い。 2. その王の息子の妻は賢い。 3. その王の賢い妻は美しい。 4. その町の道(単および複)はまっすぐだ。 5. その女の息子の名はヤコブである。
7.7 練習 ([[聖書ヘブライ語入門/連語/練習/解答|解答]]) (1) 日本語に訳せ א. טוֹבִים דִּבְרֵי הַמְּלָכִים ב. רַע לֵב בְּנֵי הָֽאָדָם ג. בָּרוּךְ יַהְוֶה אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל ד. הַקֹּל קוֹל יַעֲקֹב וְהַיָּד יַד עֵשָׂו ה. טוֹב פְּרִי עֲצֵי הַגַּן (2)ヘブライ語に訳せ 1. (その)女王の言葉(単および複)は悪い。 2. その王の息子の妻は賢い。 3. その王の賢い妻は美しい。 4. その町の道(単および複)はまっすぐだ。 5. その女の息子の名はヤコブである。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/連語/練習/解答
(1) 1. その王たちの言葉は良い。 2. その人の子らの心は悪い。 3. イスラエルの神ヤハウェは祝福されている。 4. その声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。 5. その園の木々の実は良い。 (2) א. רַע דְּבַר הַמַּלְכָּה. רָעִים דִּבְרֵי הַמַּלְכָּה ב. חֲכָמָה אֵשֶׁת בֶּן הַמֶּלֶךְ ג. יָפָה אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַחֲכָמָה ד. יְשָׁרָה דֶרֶךְ הָעִיר. יְשָׁרוֹת דַּרְכֵי הָעִיר ( דֶרֶךְ の複数・連語形は 7.5 の規則では דִּרְכֵי になるが、これはセゴール名詞なので実際は דַּרְכֵי である。) ה. יַעֲקֹב שַׁם בֶּן הָאִשָּׁה
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(1) 1. その王たちの言葉は良い。 2. その人の子らの心は悪い。 3. イスラエルの神ヤハウェは祝福されている。 4. その声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。 5. その園の木々の実は良い。 (2) א. רַע דְּבַר הַמַּלְכָּה. רָעִים דִּבְרֵי הַמַּלְכָּה ב. חֲכָמָה אֵשֶׁת בֶּן הַמֶּלֶךְ ג. יָפָה אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַחֲכָמָה ד. יְשָׁרָה דֶרֶךְ הָעִיר. יְשָׁרוֹת דַּרְכֵי הָעִיר (‏ דֶרֶךְ ‎ の複数・連語形は 7.5 の規則では ‏ דִּרְכֵי ‎ になるが、これはセゴール名詞なので実際は ‏ דַּרְכֵי ‎ である。) ה. יַעֲקֹב שַׁם בֶּן הָאִשָּׁה
(1) 1. その王たちの言葉は良い。 2. その人の子らの心は悪い。 3. イスラエルの神ヤハウェは祝福されている。 4. その声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。 5. その園の木々の実は良い。 (2) א. רַע דְּבַר הַמַּלְכָּה. רָעִים דִּבְרֵי הַמַּלְכָּה ב. חֲכָמָה אֵשֶׁת בֶּן הַמֶּלֶךְ ג. יָפָה אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַחֲכָמָה ד. יְשָׁרָה דֶרֶךְ הָעִיר. יְשָׁרוֹת דַּרְכֵי הָעִיר (&rlm; דֶרֶךְ &lrm; の複数・連語形は [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成|7.5]] の規則では &rlm; דִּרְכֵי &lrm; になるが、これはセゴール名詞なので実際は &rlm; דַּרְכֵי &lrm; である。) ה. יַעֲקֹב שַׁם בֶּן הָאִשָּׁה [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文
8.1 例文
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "8.1 例文", "title": "" } ]
8.1 例文
8.1 例文 {| |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文1" class="anchor"></span>1.私は言葉の人でない。 |style="text-align:left" |lō īš dəbārīm 'ānōḵī |style="text-align:right"|א. לֹא אִישׁ דְּבָרִים אָנֹכִי |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文2" class="anchor"></span>2.お前は賢い男だ。 |style="text-align:left" |īš ḥāḵām attā |style="text-align:right"|ב. אִישׁ חָכָם אַתָּה |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文3" class="anchor"></span>3.あなたは見目美しい女だ。 |style="text-align:left" |iššā yə<span class="Unicode">p̄</span>at mar'e att |style="text-align:right"|ג. אִשָּׁה יְפַת־מַרְאֶה אַתְּ |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文4" class="anchor"></span>4.ヤハウェは聖なる神、かれは執拗な神だ。 |style="text-align:left" |<sup>e</sup>lōhīm qədōšīm yahwe 'ēl qannō hū |style="text-align:right"|ד. אֱלֹהִים קְדֹשִׁים וַהְוֶה אֵל־קַנּוֹא הוּא |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文5" class="anchor"></span>5.ヤハウェこそ神だ。 |style="text-align:left" |yahwe hū <sup>e</sup>lōhīm |style="text-align:right"|ה. יַהְוֶה הוּא הָאֱלֹהִים |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文6" class="anchor"></span>6.私どもは一人の男の息子らです。 |style="text-align:left" |bənē īš-'eḥād <sup>a</sup>naḥnū |style="text-align:right"|ו. בְּנֵי אִישׁ־אֶחָד אֲנַחנוּ |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文7" class="anchor"></span>7.お前達はうなじの固い連中だ。 |style="text-align:left" |'attem `am qəšē `ōre<span class="Unicode">p̄</span> |style="text-align:right"|ז. אַתֶּם עַם־קְשֵׁה־עֹרֶף |- |style="text-align:left" |<span id="8.1.文8" class="anchor"></span>8.彼らは戦いの男(=兵士)たちだ。 |style="text-align:left" |hēm 'anšē hammilḥāmā |style="text-align:right"|ח. הֵם אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,840
聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/単語
8.2 単語
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "8.2 単語", "title": "" } ]
8.2 単語
8.2 単語 {| |- |style="text-align:left" |(否定詞)…でない |style="text-align:left" |lō |style="text-align:left" |לֹא |- |style="text-align:left" |(一般的に)神 |style="text-align:left" |ēl |style="text-align:left" |אֵל |- |style="text-align:left" |執拗な、嫉み深い |style="text-align:left" |qannō |style="text-align:left" |קַנּוֹא |- |style="text-align:left" |一(つの) |style="text-align:left" |'eḥād |style="text-align:left" |אֶחָד |- |style="text-align:left" |固い |style="text-align:left" |qāše |style="text-align:left" |קָשֶׁה |- |style="text-align:left" |うなじ |style="text-align:left" |`ōre<span class="Unicode">p̄</span> |style="text-align:left" |עֹרֶף |- |style="text-align:left" |戦争 |style="text-align:left" |milḥāmā |style="text-align:left" |מִלְחָמָה |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,841
聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明
8.3 説明 文1 の לֹא は否定詞の一つで、原則として、否定されるべき語、句、文の前に置かれる。たとえば 否定詞の先行という点も、これまでに見てきた、述―主、非修飾―修飾、被限定―限定の「語順」と同様、日本語と正反対である。ヘブライ語の文は、例えばこの課の例文が殆どそうであるように、文末から順に一語ずつ日本語に置き換えて行くと―その際勿論、助詞を補う必要があるが―ごく自然な日本語訳になることが多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "8.3 説明", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "文1 の לֹא は否定詞の一つで、原則として、否定されるべき語、句、文の前に置かれる。たとえば", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "否定詞の先行という点も、これまでに見てきた、述―主、非修飾―修飾、被限定―限定の「語順」と同様、日本語と正反対である。ヘブライ語の文は、例えばこの課の例文が殆どそうであるように、文末から順に一語ずつ日本語に置き換えて行くと―その際勿論、助詞を補う必要があるが―ごく自然な日本語訳になることが多い。", "title": "" } ]
8.3 説明 文1 の ‏ לֹא ‎ は否定詞の一つで、原則として、否定されるべき語、句、文の前に置かれる。たとえば 否定詞の先行という点も、これまでに見てきた、述―主、非修飾―修飾、被限定―限定の「語順」と同様、日本語と正反対である。ヘブライ語の文は、例えばこの課の例文が殆どそうであるように、文末から順に一語ずつ日本語に置き換えて行くと―その際勿論、助詞を補う必要があるが―ごく自然な日本語訳になることが多い。 8.3.1 自立人称代名詞の形 8.3.2 人称代名詞の意味 8.3.3 慣用句
8.3 説明 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文#8.1.文1|文1 ]] の &rlm; לֹא &lrm; は否定詞の一つで、原則として、否定されるべき語、句、文の前に置かれる。たとえば {| |- |style="text-align:left" |その言葉はよくない。 |style="text-align:right"|לֹא טוֹב הַדָּבָר |- |style="text-align:left" |その町は小さくて美しくない。 |style="text-align:right"|קְטַנָּה וְלֹא יָפָה הָעִיר |- |style="text-align:left" |その娘は見目よくない。 |style="text-align:right"|וְהַנַּעֲרָה לֹא טֹבַת מַרְאֶה |} 否定詞の先行という点も、これまでに見てきた、述―主、非修飾―修飾、被限定―限定の「語順」と同様、日本語と正反対である。ヘブライ語の文は、例えばこの課の例文が殆どそうであるように、文末から順に一語ずつ日本語に置き換えて行くと―その際勿論、助詞を補う必要があるが―ごく自然な日本語訳になることが多い。 *8.3.1 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/自立人称代名詞の形|自立人称代名詞の形]] *8.3.2 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/人称代名詞の意味|人称代名詞の意味]] *8.3.3 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/慣用句|慣用句]] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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消防法第5条の2
コンメンタール消防法>消防法第5条の2(前)(次)
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コンメンタール消防法>消防法第5条の2(前)(次)
[[コンメンタール消防法]]>消防法第5条の2([[消防法第5条|前]])([[消防法第5条の3|次]]) ==条文== ;消防法第5条の2 #消防長又は消防署長は、防火対象物の位置、構造、設備又は管理の状況について次のいずれかに該当する場合には、権原を有する関係者に対し、当該防火対象物の使用の禁止、停止又は制限を命ずることができる。 #:一 [[消防法第5条|前条第1項]]、[[消防法第5条の3|次条第2項]]、[[消防法第8条|第8条第3項若しくは第4項]]、[[消防法第8条の2|第8条の2第5項若しくは第6項]]、[[消防法第8条の2の5|第8条の2の5第3項]]又は[[消防法第17条の4|第17条の4第1項若しくは第2項]]の規定により必要な措置が命ぜられたにもかかわらず、その措置が履行されず、履行されても十分でなく、又はその措置の履行について期限が付されている場合にあつては履行されても当該期限までに完了する見込みがないため、引き続き、火災の予防に危険であると認める場合、消火、避難その他の消防の活動に支障になると認める場合又は火災が発生したならば人命に危険であると認める場合 #:二 [[消防法第5条|前条第1項]]、[[消防法第5条の3|次条第2項]]、[[消防法第8条|第8条第3項若しくは第4項]]、[[消防法第8条の2|第8条の2第5項若しくは第6項]]、[[消防法第8条の2の5|第8条の2の5第3項]]又は[[消防法第17条の4|第17条の4第1項若しくは第2項]]の規定による命令によつては、火災の予防の危険、消火、避難その他の消防の活動の支障又は火災が発生した場合における人命の危険を除去することができないと認める場合 #[[消防法第5条|前条第3項及び第4項]]の規定は、前項の規定による命令について準用する。 ==解説== ==参照条文== *[[消防法第5条の4]] *[[消防法第6条]] *[[消防法第8条の2の3]] *[[消防法第39条の2の2]] {{stub}} [[category:消防法|05の2]]
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消防法第39条の2の2
コンメンタール消防法>消防法第39条の2の2(前)(次)
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[[コンメンタール消防法]]>消防法第39条の2の2([[消防法第39条の2|前]])([[消防法第39条の3|次]]) ==条文== ;消防法第39条の2の2 #[[消防法第5条の2|第5条の2第1項]]の規定による命令に違反した者は、3年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。 #前項の罪を犯した者に対しては、情状により懲役及び罰金を併科することができる。 ==解説== ==参照条文== *[[消防法第45条]] {{stub}} [[category:消防法|39の2の2]]
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消防法第5条
コンメンタール消防法>消防法第5条(前)(次)
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コンメンタール消防法>消防法第5条(前)(次)
[[コンメンタール消防法]]>消防法第5条([[消防法第4条の2|前]])([[消防法第5条の2|次]]) ==条文== ;消防法第5条 #消防長又は消防署長は、防火対象物の位置、構造、設備又は管理の状況について、火災の予防に危険であると認める場合、消火、避難その他の消防の活動に支障になると認める場合、火災が発生したならば人命に危険であると認める場合その他火災の予防上必要があると認める場合には、権原を有する関係者(特に緊急の必要があると認める場合においては、関係者及び工事の請負人又は現場管理者)に対し、当該防火対象物の改修、移転、除去、工事の停止又は中止その他の必要な措置をなすべきことを命ずることができる。ただし、建築物その他の工作物で、それが他の法令により建築、増築、改築又は移築の許可又は認可を受け、その後事情の変更していないものについては、この限りでない。 #[[消防法第3条|第3条第4項]]の規定は、前項の規定により必要な措置を命じた場合について準用する。 #消防長又は消防署長は、第1項の規定による命令をした場合においては、標識の設置その他総務省令で定める方法により、その旨を公示しなければならない。 #前項の標識は、第1項の規定による命令に係る防火対象物又は当該防火対象物のある場所に設置することができる。この場合においては、同項の規定による命令に係る防火対象物又は当該防火対象物のある場所の所有者、管理者又は占有者は、当該標識の設置を拒み、又は妨げてはならない。 ==解説== ==参照条文== *[[消防法第3条]] *[[消防法第5条の3]] *[[消防法第6条]] *[[消防法第8条]] *[[消防法第8条の2]] *[[消防法第8条の2の3]] *[[消防法第8条の2の5]] *[[消防法第17条の4]] *[[消防法第39条の3の2]] {{stub}} [[category:消防法|05の2]]
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2018-03-19T10:03:59Z
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聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/自立人称代名詞の形
8.3.1 自立人称代名詞の形 文1~8 の各文に一つずつ、8.2 には掲げられていない新しい単語がある。これはすべて人称代名詞で、いずれも各文の主部に該当する。ヘブライ語の人称代名詞には自立型(その前後に発音の切れ目を置くことができ、単語に該当する)と接尾型(常にその前の部分と続けて発音され、単語の一部をなす)とがある。次に自立型を表示する。 自立人称代名詞は、名詞文の主部に立つことができる。 「一人称単数」には、'ānōḵī, anī の二つの形がある。前者から -ōḵ- を引けば後者になので、 日本語のワタクシ―ワタシからの類推で、 אֲנִי は אָנֹכִי の短くなったもので、 אָנֹכִי に比べて「くだけた」表現だ、と思われるかもしれないが、そうではない。 文法的・意味的な差異は認められないのである。ただ、聖書では אֲנִי の方が אָנֹכִי より二倍強も多く用いられ、後者は レビ記、エゼキエル書 には皆無に近く、一般に後期の文書では殆ど אֲנִי ばかり現れる。聖書は千年以上にわたって書かれた文書集であるから、こういう所にその言語的年輪が見られるわけである。 英語やギリシア語などと比べて目立つ点は、三人称だけでなく二人称にも男・女の性別があることであろう。複数形で表されるべき対象が男・女両性から成るときには、男性形をとる。(6.3 参照)。実際には、二人称女性複数の אַתֵּ֫נָה は 4 例、 אַתֵּן はわずか 1 例にすぎない。( אַתֶּם は 282 例 ― Mandelkern のヘブライ語 Konkordanz 《語句索引》に拠る)。
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8.3.1 自立人称代名詞の形 文1~8 の各文に一つずつ、8.2 には掲げられていない新しい単語がある。これはすべて人称代名詞で、いずれも各文の主部に該当する。ヘブライ語の人称代名詞には自立型(その前後に発音の切れ目を置くことができ、単語に該当する)と接尾型(常にその前の部分と続けて発音され、単語の一部をなす)とがある。次に自立型を表示する。 自立人称代名詞は、名詞文の主部に立つことができる。 「一人称単数」には、'ānōḵī, anī の二つの形がある。前者から -ōḵ- を引けば後者になので、 日本語のワタクシ―ワタシからの類推で、‏ אֲנִי ‎ は ‏ אָנֹכִי ‎ の短くなったもので、 ‏ אָנֹכִי ‎ に比べて「くだけた」表現だ、と思われるかもしれないが、そうではない。 文法的・意味的な差異は認められないのである。ただ、聖書では ‏ אֲנִי ‎ の方が ‏ אָנֹכִי ‎ より二倍強も多く用いられ、後者は レビ記、エゼキエル書 には皆無に近く、一般に後期の文書では殆ど ‏ אֲנִי ‎ ばかり現れる。聖書は千年以上にわたって書かれた文書集であるから、こういう所にその言語的年輪が見られるわけである。 英語やギリシア語などと比べて目立つ点は、三人称だけでなく二人称にも男・女の性別があることであろう。複数形で表されるべき対象が男・女両性から成るときには、男性形をとる。(6.3 参照)。実際には、二人称女性複数の ‏ אַתֵּ֫נָה ‎ は 4 例、‏ אַתֵּן ‎ はわずか 1 例にすぎない。。
8.3.1 自立人称代名詞の形 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文|文1~8]] の各文に一つずつ、[[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/単語|8.2]] には掲げられていない新しい単語がある。これはすべて人称代名詞で、いずれも各文の主部に該当する。ヘブライ語の人称代名詞には自立型(その前後に発音の切れ目を置くことができ、単語に該当する)と接尾型(常にその前の部分と続けて発音され、単語の一部をなす)とがある。次に自立型を表示する。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! !! 単数 !! 複数 |- ! 一人称 | &rlm; אָנֹכִי, אֲנִי &lrm; || &rlm; אֲנַ֫חְנוּ &lrm; |- ! 二人称男性 | &rlm; אַתָּה &lrm; || &rlm; אַתֶּם &lrm; |- ! 二人称女性 | &rlm; אַתְּ &lrm; || &rlm; אַתֵּ֫נָה, אַתֵּן &lrm; |- ! 三人称男性 | &rlm; הוּא &lrm; || &rlm; הֵ֫מָּה, הֵם &lrm; |- ! 三人称女性 | &rlm; הִיא &lrm; || &rlm; הֵ֫נׇּה &lrm; |} 自立人称代名詞は、名詞文の主部に立つことができる。 「一人称単数」には、'ānōḵī, anī の二つの形がある。前者から -ōḵ- を引けば後者になので、 日本語のワタクシ―ワタシからの類推で、&rlm; אֲנִי &lrm; は &rlm; אָנֹכִי &lrm; の短くなったもので、 &rlm; אָנֹכִי &lrm; に比べて「くだけた」表現だ、と思われるかもしれないが、そうではない。 文法的・意味的な差異は認められないのである。ただ、聖書では &rlm; אֲנִי &lrm; の方が &rlm; אָנֹכִי &lrm; より二倍強も多く用いられ、後者は [[s:%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)|レビ記]]、[[s:%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)|エゼキエル書]] には皆無に近く、一般に後期の文書では殆ど &rlm; אֲנִי &lrm; ばかり現れる。聖書は千年以上にわたって書かれた文書集であるから、こういう所にその言語的年輪が見られるわけである。 英語やギリシア語などと比べて目立つ点は、三人称だけでなく二人称にも男・女の性別があることであろう。複数形で表されるべき対象が男・女両性から成るときには、男性形をとる。([[聖書ヘブライ語入門/複数/構文解説|6.3]] 参照)。実際には、二人称女性複数の &rlm; אַתֵּ֫נָה &lrm; は 4 例、&rlm; אַתֵּן &lrm; はわずか 1 例にすぎない。( &rlm; אַתֶּם &lrm; は 282 例 ― [[w:en:Salomon_Mandelkern|Mandelkern]] のヘブライ語 Konkordanz 《語句索引》に拠る)。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/人称代名詞の意味
8.3.2 人称代名詞の意味 一人称単数は「話し手」、二人称単数は「話し相手」を指す。 一人称複数は話し手を含むグループで、日本語のワレワレ、私タチと同じく、 話し相手を含むこと(創世記138 等)も、含まぬこと(創世記1913等)もある。話し手を含まず話し相手を含むグループを指す二人称複数とともに、その指示対象となる人々がすべてその場に居合わせているとは限らないが、誰がそのグループに含まれるかは、聞き手に分かっているのが普通である。 三人称代名詞は、前後の文脈に現れる名詞その他の形で述べられている人物や事象―例えば文4 では、前に יַהְוֶה と呼ばれている対象―を指し、性・数は原則として名詞のそれと一致する。人や物をゆびさして人称代名詞で表すことはない。 このようなことから、人称代名詞は文法的には定として扱われるのが原則である。 文5 は表面的には、4.1 の例文4 の יַהְוֶה と הָאֱלהִׁים との間に代名詞 הוּא が割って入った形である。三人称代名詞はこのように、特に定名詞句だけから成る名詞文において、二つの名詞句をつなぐ役目を果たしているように見えることから、西欧の文法家の中にはこの場合の הוּא は copula 《繋辞》であると言う人もいる。しかし代名詞を後に置いて יַהְוֶה הָאֱלֹהִים הוּא とすることも可能である。このような文では、主題となる対象を表す名詞(この文では יַהְוֶה )を文の先頭に据え、その主題について改めて後続の節(この文では הוּא הָאֱלֹהִים または הָאֱלֹהִים הוּא )が述べているのである。代名詞は主題となった名詞を受けているのであるから、性・数はその名詞のそれと、当然一致する。 のように、一、二人称の自立代名詞を主題化前置することもできる。
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8.3.2 人称代名詞の意味 一人称単数は「話し手」、二人称単数は「話し相手」を指す。 一人称複数は話し手を含むグループで、日本語のワレワレ、私タチと同じく、 話し相手を含むことも、含まぬこと(創世記1913等)もある。話し手を含まず話し相手を含むグループを指す二人称複数とともに、その指示対象となる人々がすべてその場に居合わせているとは限らないが、誰がそのグループに含まれるかは、聞き手に分かっているのが普通である。 三人称代名詞は、前後の文脈に現れる名詞その他の形で述べられている人物や事象―例えば文4 では、前に ‏ יַהְוֶה ‎ と呼ばれている対象―を指し、性・数は原則として名詞のそれと一致する。人や物をゆびさして人称代名詞で表すことはない。 このようなことから、人称代名詞は文法的には定として扱われるのが原則である。 文5 は表面的には、4.1 の例文4 の ‏ יַהְוֶה ‎ と ‏ הָאֱלהִׁים ‎ との間に代名詞 ‏ הוּא ‎ が割って入った形である。三人称代名詞はこのように、特に定名詞句だけから成る名詞文において、二つの名詞句をつなぐ役目を果たしているように見えることから、西欧の文法家の中にはこの場合の ‏ הוּא ‎ は copula 《繋辞》であると言う人もいる。しかし代名詞を後に置いて ‏ יַהְוֶה הָאֱלֹהִים הוּא ‎ とすることも可能である。このような文では、主題となる対象を表す名詞を文の先頭に据え、その主題について改めて後続の節が述べているのである。代名詞は主題となった名詞を受けているのであるから、性・数はその名詞のそれと、当然一致する。 のように、一、二人称の自立代名詞を主題化前置することもできる。
8.3.2 人称代名詞の意味 一人称単数は「話し手」、二人称単数は「話し相手」を指す。 一人称複数は話し手を含むグループで、日本語のワレワレ、私タチと同じく、 話し相手を含むこと([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#13:8|創世記13<sub>8</sub>]] 等)も、含まぬこと([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#19:13|創世記19<sub>13</sub>]]等)もある。話し手を含まず話し相手を含むグループを指す二人称複数とともに、その指示対象となる人々がすべてその場に居合わせているとは限らないが、誰がそのグループに含まれるかは、聞き手に分かっているのが普通である。 三人称代名詞は、前後の文脈に現れる名詞その他の形で述べられている人物や事象―例えば[[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文#8.1.文4|文4 ]]では、前に &rlm; יַהְוֶה &lrm; と呼ばれている対象―を指し、性・数は原則として名詞のそれと一致する。人や物をゆびさして人称代名詞で表すことはない。 このようなことから、人称代名詞は文法的には定として扱われるのが原則である。 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文#8.1.文5|文5 ]] は表面的には、[[聖書ヘブライ語入門/名詞文・主述統合・冠詞・名詞の型/例文|4.1]] の例文4 の &rlm; יַהְוֶה &lrm; と &rlm; הָאֱלהִׁים &lrm; との間に代名詞 &rlm; הוּא &lrm; が割って入った形である。三人称代名詞はこのように、特に定名詞句だけから成る名詞文において、二つの名詞句をつなぐ役目を果たしているように見えることから、西欧の文法家の中にはこの場合の &rlm; הוּא &lrm; は copula 《繋辞》であると言う人もいる。しかし代名詞を後に置いて &rlm; יַהְוֶה הָאֱלֹהִים הוּא &lrm; とすることも可能である。このような文では、主題となる対象を表す名詞(この文では &rlm; יַהְוֶה &lrm; )を文の先頭に据え、その主題について改めて後続の節(この文では &rlm; הוּא הָאֱלֹהִים &lrm; または &rlm; הָאֱלֹהִים הוּא &lrm; )が述べているのである。代名詞は主題となった名詞を受けているのであるから、性・数はその名詞のそれと、当然一致する。 {| |- |style="text-align:left" |私がイスラエルの王だ。 |style="text-align:right"|אֲנִי הוּא מֶלֶךְ יִשְׂרָאֵל |- |} のように、一、二人称の自立代名詞を'''主題化前置'''することもできる。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:21:56Z
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23,850
将棋/相横歩取り
横歩取りの基本図から、後手は角交換して横歩を取り、歩損を解消した。 この戦法を相横歩取り(あいよこふどり、Double Side Pawn)という。 現局面は7八の金取りになっており、先手には▲7七銀、▲7七桂、▲7七歩の3つの受け方がある。最も自然な手は▲7七銀で、飛車角総交換の激しい変化になるが、先手よしの結論が出ている。 後手は ▲3六飛と飛車交換を拒否する指し方もあるが、▲7四同飛と取って先手よし。 ただし、▲4六角の瞬間に後手は△8二角の一手ではなく、△8二歩、△7三角、△6四歩、△8六歩、△2七角など様々なハメ手がある。 後手は△8五飛と打つのが8二の銀にひもを付けつつ、角桂両取りをかける一石三鳥の手になる。 それに対して▲8六飛と合わせるのが用意の切り返しである。 △同飛▲同銀と形を乱し、後手は△2八歩と打つ(▲同銀は△2五飛)。 以下▲8二角成△2九歩成▲4八銀△3八歩(▲同金は△2六桂)▲8一馬△3九と▲同銀△同歩成▲同金△5五角▲7二銀と攻め合いになり、△3七角成▲6八玉△7六桂▲7七玉△5九馬▲7六玉△7五銀▲同銀△同歩と後手が王手の連続で迫った局面で、
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横歩取りの基本図から、後手は角交換して横歩を取り、歩損を解消した。 この戦法を相横歩取りという。 現局面は7八の金取りになっており、先手には▲7七銀、▲7七桂、▲7七歩の3つの受け方がある。最も自然な手は▲7七銀で、飛車角総交換の激しい変化になるが、先手よしの結論が出ている。
{{shogi diagram|tright| |後手 角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |pg|pg|pg|pg| | |pg | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | | |rah|rgl| | | | | | |ps| | |ps|ps|ps|ps| |ps | |ss|gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 角歩3 |18手目△7六飛まで([[:w:相横歩取り|相横歩取り]]の基本図)<br /><br />初手からの指し手<br />[[将棋/横歩取り#▲同銀|▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩▲7八金△3二金▲2四歩△同歩▲同飛△8六歩▲同歩△同飛▲3四飛△8八角成▲同銀]]△7六飛}} [[将棋/横歩取り|横歩取り]]の基本図から、後手は角交換して横歩を取り、歩損を解消した。 この戦法を'''[[:w:相横歩取り|相横歩取り]]'''(あいよこふどり、Double Side Pawn)という。 現局面は7八の金取りになっており、先手には▲7七銀、▲7七桂、▲7七歩の3つの受け方がある。最も自然な手は▲7七銀で、飛車角総交換の激しい変化になるが、先手よしの結論が出ている。 {{-}} == ▲7七銀 == {{shogi diagram|tright| |後手 角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |pg|pg|pg|pg| | |pg | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | | | |rg| | | | | | |ps| |ssl|ps|ps|ps|ps| |ps | |durh|gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 角歩3 |19手目▲7七銀まで}} 後手は # △7四飛と飛車をぶつける一手である。 # △2六飛?は▲1五角の王手飛車があり、△3三歩▲2六角△3四歩と飛車を取り合っても、▲5三角成と馬を作られ後手不利。 # △7五飛?は▲2二歩で、△同銀は▲3二飛成、△3三桂は▲2一歩成で後手不利となる。 {{-}} === △7四飛 === {{shogi diagram|tright| |後手 角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |pg|pg|pg|pg| | |pg | | |rgl| | | |rs| | | | |uat| | | | | | | | |uas| | | | | | |ps| |ss|ps|ps|ps|ps| |ps | | |gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 角歩3 |20手目△7四飛まで}} ▲3六飛と飛車交換を拒否する指し方もあるが、▲7四同飛と取って先手よし。 {{-}} ==== ▲同飛△同歩 ==== {{shogi diagram|tright| |後手 飛角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |dah|pg|pg|pg| | |pg | | |pgl| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |ps| |ss|ps|ps|ps|ps| |ps | | |gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 飛角歩3 |21手目▲7四同飛<br />22手目△同歩まで}} # ▲5五角と香の両取りをかける手が見えるが、 # ▲8二歩△同銀と打ち捨ててから▲5五角と打ち、銀香両取りをかける方がよい。さらに # ▲4六角と打ち、△8二角▲同角成△同銀▲5五角と進めば、8二に打つ一歩を節約できる。これが定跡である。 {{-}} ===== ▲4六角 ===== {{shogi diagram|tright| |後手 飛角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| | |pg|pg|pg| | |pg | | |pg| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |bsl| | | |ps| |ss|ps|ps|ps|ps| |ps | | |gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 飛歩3 |23手目▲4六角まで}} ただし、▲4六角の瞬間に後手は△8二角の一手ではなく、△8二歩、△7三角、△6四歩、△8六歩、△2七角など様々なハメ手がある。 {{-}} ====== △8二角▲同角成△同銀▲5五角 ====== {{shogi diagram|tright| |後手 飛角歩3 |lg|ng| |gg|kg| |sg|ng|lg | |sg| | | | |gg| | |pg| | |pg|pg|pg| | |pg | | |pg| | | | | | | | | | |bsl| | | | | | | | | | | | | |ps| |ss|ps|ps|ps|ps| |ps | | |gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 飛歩3 |24手目△8二角<br />25手目▲同角成<br />26手目△同銀<br />27手目▲5五角まで}} 後手は△8五飛と打つのが8二の銀にひもを付けつつ、角桂両取りをかける一石三鳥の手になる。 それに対して▲8六飛と合わせるのが用意の切り返しである。 △同飛▲同銀と形を乱し、後手は△2八歩と打つ(▲同銀は△2五飛)。 以下▲8二角成△2九歩成▲4八銀△3八歩(▲同金は△2六桂)▲8一馬△3九と▲同銀△同歩成▲同金△5五角▲7二銀と攻め合いになり、△3七角成▲6八玉△7六桂▲7七玉△5九馬▲7六玉△7五銀▲同銀△同歩と後手が王手の連続で迫った局面で、 # ▲6六玉は△6二金▲7三銀不成△8六飛▲7六歩△同飛▲6五玉△6四歩▲5五玉△5四歩の北浜新手で後手勝ち、 # ▲8五玉は△8六飛▲7四玉△8一飛▲6一銀成△同飛▲7三桂△7二銀▲6一桂成△同銀▲7一飛△6二桂▲7五玉△7四銀▲6六玉△4四角▲5五銀で先手勝ちと見られている。 {{-}} ====== △8二歩 ====== ====== △7三角 ====== ====== △6四歩 ====== ====== △8六歩 ====== ====== △2七角 ====== ===== ▲8三飛 ===== ==== ▲3六飛 ==== == ▲7七桂 == {{shogi diagram|tright| |後手 角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |pg|pg|pg|pg| | |pg | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | | | |rg| | | | | | |ps| |nsl|ps|ps|ps|ps| |ps | |ss|gs| | | | | | |ls|durh| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 角歩3 |19手目▲7七桂まで}} {{-}} == ▲7七歩 == {{shogi diagram|tright| |後手 角歩3 |lg|ng|sg|gg|kg| |sg|ng|lg | | | | | | |gg| | |pg| |pg|pg|pg|pg| | |pg | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | | | |rg| | | | | | |ps| |psl|ps|ps|ps|ps| |ps | |ss|gs| | | | | | |ls|ns| | |ks|gs|ss|ns|ls |先手 角歩2 |19手目▲7七歩まで}} {{-}} == 参考文献 == * [[:w:飯島栄治|飯島栄治]]『研究で勝つ!相横歩取りのすべて』[[:w:マイナビ出版|マイナビ]]、2015年。ISBN 978-4-8399-5725-4 * [[:w:羽生善治|羽生善治]]『羽生の頭脳』第9巻「激戦!横歩取り」[[:w:日本将棋連盟|日本将棋連盟]]、1994年(文庫版・第5巻「横歩取り」、2010年)。 * [[:w:吉田正和|吉田正和]]『決定版!横歩取り完全ガイド』マイナビ、2015年。ISBN 978-4-8399-5470-3 {{stub}} [[Category:横歩取り|あ]]
2018-03-20T19:04:11Z
2023-11-09T02:13:05Z
[ "テンプレート:Shogi diagram", "テンプレート:-", "テンプレート:Stub" ]
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23,851
聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/慣用句
8.3.3. 慣用句 8.1 文1 の אִישׁ דְּבָרִים 《言葉の人》は「弁説に秀でた人」の意味。 לָשׁוֹן 《舌、言葉》を使った אִישׁ לָשׁוֹן 《舌の人》(詩篇14011)には文脈上マイナスのイメージがあり、「舌先三寸の男」のような意味であろう。このように、連語句には、構成要素の意味からだけでは予測不可能な意味を表すものがあり、慣用句と呼ばれる。文8 の אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה も慣用句である。 אִישׁ の他、 בֵּן 《息子》や בַּת 《娘》を被限定語とする連語句には慣用句が多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "8.3.3. 慣用句", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "8.1 文1 の אִישׁ דְּבָרִים 《言葉の人》は「弁説に秀でた人」の意味。 לָשׁוֹן 《舌、言葉》を使った אִישׁ לָשׁוֹן 《舌の人》(詩篇14011)には文脈上マイナスのイメージがあり、「舌先三寸の男」のような意味であろう。このように、連語句には、構成要素の意味からだけでは予測不可能な意味を表すものがあり、慣用句と呼ばれる。文8 の אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה も慣用句である。 אִישׁ の他、 בֵּן 《息子》や בַּת 《娘》を被限定語とする連語句には慣用句が多い。", "title": "" } ]
8.3.3. 慣用句 8.1 文1 の ‏ אִישׁ דְּבָרִים ‎ 《言葉の人》は「弁説に秀でた人」の意味。‏ לָשׁוֹן ‎ 《舌、言葉》を使った ‏ אִישׁ לָשׁוֹן ‎ 《舌の人》(詩篇14011)には文脈上マイナスのイメージがあり、「舌先三寸の男」のような意味であろう。このように、連語句には、構成要素の意味からだけでは予測不可能な意味を表すものがあり、慣用句と呼ばれる。文8 の ‏ אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה ‎ も慣用句である。‏ אִישׁ ‎ の他、‏ בֵּן ‎ 《息子》や ‏ בַּת ‎ 《娘》を被限定語とする連語句には慣用句が多い。
8.3.3. 慣用句 [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文|8.1]] [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文#8.1.文1|文1 ]]の &rlm; אִישׁ דְּבָרִים &lrm; 《言葉の人》は「弁説に秀でた人」の意味。&rlm; לָשׁוֹן &lrm; 《舌、言葉》を使った &rlm; אִישׁ לָשׁוֹן &lrm; 《舌の人》([[s:%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#140:11|詩篇140<sub>11</sub>]])には文脈上マイナスのイメージがあり、「舌先三寸の男」のような意味であろう。このように、連語句には、構成要素の意味からだけでは予測不可能な意味を表すものがあり、慣用句と呼ばれる。[[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/例文#8.1.文8|文8 ]] の &rlm; אַנְשֵׁי הַמִּלְחָמָה &lrm; も慣用句である。&rlm; אִישׁ &lrm; の他、&rlm; בֵּן &lrm; 《息子》や &rlm; בַּת &lrm; 《娘》を被限定語とする連語句には慣用句が多い。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,852
聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/単語2
8.4 単語
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8.4 単語
8.4 単語 {| |- |style="text-align:left" |使者 |style="text-align:left" |mal'āk |style="text-align:left" |מַלְאָךְ |- |style="text-align:left" |母 |style="text-align:left" |ēm |style="text-align:left" |אֵם |- |style="text-align:left" |バテセバ |style="text-align:left" |batšeḇa` |style="text-align:left" |בַּת־שֶׁבַע |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,853
聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞
5. 女性形・形容詞
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5. 女性形・形容詞 5.1 例文 5.2 単語 5.3 構文の説明 5.4 名詞と形容詞 5.5 性 5.6 単語2 5.7 練習
5. 女性形・形容詞 *5.1 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/例文|例文]] *5.2 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/単語|単語]] *5.3 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/構文の説明|構文の説明]] *5.4 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/名詞と形容詞|名詞と形容詞]] *5.5 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/性|性]] *5.6 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/単語2|単語2]] *5.7 [[聖書ヘブライ語入門/女性形・形容詞/練習|練習]] [[Category:聖書ヘブライ語|しよせいけい けいようし]]
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23,854
聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/練習
8.5 練習 (解答) (1) 日本語に訳せ א. בְּרוּכִים אַתֶּם בְּנֵי יִשְׂרָאֵל ב. אֲנִי יַהְוֶה הָאֱלֹהִים וְלֹא אִישׁ ג. מַלְאֲכֵי הָאֱלֹהִים הֵם ד. אֵם יְלָדִים חֲכָמִים הִיא ה. בַּת־שֶׁבַע הִיא אֵם שְׁלֹמֹה ו. מֹשֶׁה הוּא עֶבֶד הָאֱלֹהִים ז. אַתָּה הָאִישׁ (2) ヘブライ語に訳せ 1. 彼女は小さな娘だ。 2. その女はあなただ。 3. 私は塵だ、人でない。 4. お前はその男の息子ではない。 この「聖書ヘブライ語入門」で、例文や練習問題として挙げた文は、聖書に頻繁に現れる単語を、ヘブライ語聖書から帰納された文法に従って組み合わせたものであって、そのままの形では聖書に見出されないものもある。また、聖書からの引用も、説明上必要な場合は別として、あえて出典を明記しない。
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8.5 練習 日本語に訳せ א. בְּרוּכִים אַתֶּם בְּנֵי יִשְׂרָאֵל ב. אֲנִי יַהְוֶה הָאֱלֹהִים וְלֹא אִישׁ ג. מַלְאֲכֵי הָאֱלֹהִים הֵם ‏ד. אֵם יְלָדִים חֲכָמִים הִיא ‎ ה. בַּת־שֶׁבַע הִיא אֵם שְׁלֹמֹה ו. מֹשֶׁה הוּא עֶבֶד הָאֱלֹהִים ז. אַתָּה הָאִישׁ (2) ヘブライ語に訳せ 1. 彼女は小さな娘だ。 2. その女はあなただ。 3. 私は塵だ、人でない。 4. お前はその男の息子ではない。 この「聖書ヘブライ語入門」で、例文や練習問題として挙げた文は、聖書に頻繁に現れる単語を、ヘブライ語聖書から帰納された文法に従って組み合わせたものであって、そのままの形では聖書に見出されないものもある。また、聖書からの引用も、説明上必要な場合は別として、あえて出典を明記しない。
8.5 練習 ([[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/練習/解答|解答]]) (1) 日本語に訳せ א. בְּרוּכִים אַתֶּם בְּנֵי יִשְׂרָאֵל ב. אֲנִי יַהְוֶה הָאֱלֹהִים וְלֹא אִישׁ ג. מַלְאֲכֵי הָאֱלֹהִים הֵם &rlm;ד. אֵם יְלָדִים חֲכָמִים הִיא &lrm; ה. בַּת־שֶׁבַע הִיא אֵם שְׁלֹמֹה ו. מֹשֶׁה הוּא עֶבֶד הָאֱלֹהִים ז. אַתָּה הָאִישׁ (2) ヘブライ語に訳せ 1. 彼女は小さな娘だ。 2. その女はあなただ。 3. 私は塵だ、人でない。 4. お前はその男の息子ではない。 この「聖書ヘブライ語入門」で、例文や練習問題として挙げた文は、聖書に頻繁に現れる単語を、ヘブライ語聖書から帰納された文法に従って組み合わせたものであって、そのままの形では聖書に見出されないものもある。また、聖書からの引用も、説明上必要な場合は別として、あえて出典を明記しない。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/練習/解答
1. (1) 汝らイスラエルの子は祝福されている。 (2) われヤハウェは神であって人でない。 (3) 彼らは神の使いである。 (4) 彼女は賢い子供たちの母だ。 (5) バテセバはソロモンの母だ。 (6) モーセは神の奴隷(=しもべ)だ。 (7) その男は君だ。 2. א. נַעֲרָה קְטַנָּה הִיא ב. אַתְּ הָאִשָּׁה ג. אֲנִי עָפָר וְלֹא אִישׁ ד. לֹא בֶּן הָאִישׁ אַתָּה
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1. (1) 汝らイスラエルの子は祝福されている。 (2) われヤハウェは神であって人でない。 (3) 彼らは神の使いである。 (4) 彼女は賢い子供たちの母だ。 (5) バテセバはソロモンの母だ。 (6) モーセは神の奴隷(=しもべ)だ。 (7) その男は君だ。 2. א. נַעֲרָה קְטַנָּה הִיא ב. אַתְּ הָאִשָּׁה ג. אֲנִי עָפָר וְלֹא אִישׁ ד. לֹא בֶּן הָאִישׁ אַתָּה
1. (1) 汝らイスラエルの子は祝福されている。 (2) われヤハウェは神であって人でない。 (3) 彼らは神の使いである。 (4) 彼女は賢い子供たちの母だ。 (5) バテセバはソロモンの母だ。 (6) モーセは神の奴隷(=しもべ)だ。 (7) その男は君だ。 2. א. נַעֲרָה קְטַנָּה הִיא ב. אַתְּ הָאִשָּׁה ג. אֲנִי עָפָר וְלֹא אִישׁ ד. לֹא בֶּן הָאִישׁ אַתָּה [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,857
聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文
9.1 例文
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9.1 例文
9.1 例文 {| |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文1" class="anchor"></span>1.これが私の契約のしるしだ。 |style="text-align:left" |zōt 'ōt bərītī |style="text-align:right"|א. זאׁת אוֹת בְּרִיתִי |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文2" class="anchor"></span>2.この若者は誰の息子か。 |style="text-align:left" |ben-mī hanna`ar hazze |style="text-align:right"|ב. בֶּן־מִי הַנַּ֫עַר הַזֶּה |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文3" class="anchor"></span>3.これはあなたの僕エッサイの息子ダビデです。 |style="text-align:left" |ze dāwid ben-`abdəkā yišay |style="text-align:right"|ג. זֶה דָוִד בֶּן־עַבְדְךָ יִשַׁי |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文4" class="anchor"></span>4.お前(女)の父はアモリ人、お前の母はヘテ人だ。 |style="text-align:left" |'ābīk '<sup>e</sup>mōrī wə'immēk ḥittīt |style="text-align:right"|ד. אָבִיךְ אֱמֹרִי וְאִמֵּךְ חִתִּית |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文5" class="anchor"></span>5.彼の弟の名はヤコブである。 |style="text-align:left" |šēm 'āḥīw ya`<sup>a</sup>qōḇ |style="text-align:right"|ה. שֵׁם אָחִיו יַעֲקֹב |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文6" class="anchor"></span>6.その日は彼女の悩みの日だ。 |style="text-align:left" |yōm ṣārātāh hayyōm hahū |style="text-align:right"|ו. יוֹם צָֽרָתָהּ הַיּוֹם הַהוּא |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文7" class="anchor"></span>7.我らの神はヤハウェ、ヤハウェただひとり |style="text-align:left" |yahwe '<sup>e</sup>lōhēnū yahwe 'eḥād |style="text-align:right"|ז. יַהְוֶה אֱלֹהֵינוּ יַהְוֶה אֶחָד |- |style="text-align:left" |<span id="9.1.文8" class="anchor"></span>8.これら(=以下)は彼らの父祖の名前である。 |style="text-align:left" |ēlle šəmōt '<sup>a</sup>bōtēhem |style="text-align:right"|ח. אֵ֫לֶּה שְׁמוֹת אֲבוֹתֵיהֶם |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,862
聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/単語
9.2 単語
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9.2 単語
9.2 単語 {| |- |style="text-align:left" |しるし |style="text-align:left" |'ōt / ōtōt |style="text-align:left" |&rlm; אוֹת &lrm; (男・女:複 &rlm; אוֹתוֹת &lrm;) |- |style="text-align:left" |契約、義務 |style="text-align:left" |bərīt |style="text-align:left" |בְּרִית |- |style="text-align:left" |(疑問詞)だれ |style="text-align:left" |mī |style="text-align:left" |מִי |- |style="text-align:left" |エッサイ |style="text-align:left" |išay |style="text-align:left" |יִשַׁי |- |style="text-align:left" |父、父祖 |style="text-align:left" |'āb / '<sup>a</sup>bī / 'ābōt |style="text-align:left" |&rlm; אָב &lrm;(連 &rlm; אֲבִי &lrm;) (複 &rlm; אָבוֹת &lrm;) |- |style="text-align:left" |アモリ人 |style="text-align:left" |'<sup>e</sup>mōrī |style="text-align:left" |אֱמֹרִי |- |style="text-align:left" |ヒッタイト女 |style="text-align:left" |ḥittīt |style="text-align:left" |חִתִּית |- |style="text-align:left" |兄、弟 |style="text-align:left" |'āḥ / '<sup>a</sup>ḥī / 'aḥīm |style="text-align:left" |&rlm; אָח &lrm; (連:&rlm; אֲחִי &lrm;, 複:&rlm; אַחִים &lrm;) |- |style="text-align:left" |困窮、苦悩 |style="text-align:left" |ṣārā / ṣārat |style="text-align:left" |&rlm; צָרָה &lrm; (連:&rlm; צָרַת &lrm;) |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:14:59Z
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23,864
聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/指示詞
9.3 指示詞 聖書ヘブライ語の指示詞には、日本語のコレ《話し手に近い物》、ソレ《話し相手に近い物》、アレ《両者に遠い物》のような対立も、また英語の this - that のようないわゆる近称―遠称の対立もない。指す物の性・数によって זֶה 男性・単数 ― זאׁת 女性・単数 ― אֵ֫לֶּה 複数 が区別されるだけである(この他にも若干の異形はある)。 文1, 文3, 文8 では指示詞が名詞句を成している。主語か述語かということは、これらの文がいずれも同定文であるため、決定できない。指示詞は当然、定名詞に相当するからである。(例えば、文1 は「私の契約のしるしはこれだ」とも訳せる。)一方文2 の指示詞 זֶה は、 נַעַר 《若者》が他の若者ではなく、話し手の指さしている若者であることを、示している。このような場合、指示詞は名詞の前に置かれることもある(サムエル記上1755 では בֶּן־מִי־זֶה הנַּ֫עַר となっている。ついでながら、この文脈では「あの若者は...」と訳すべきであろう)が、後に置かれる例が多い。その際、 הָאִישׁ הַזֶּה 《こ(そ・あ)の男》 הָאִשָּׁה הַזּאׁת 《こ(そ・あ)の女》 הַיְלָדִים הָאֵ֫לֶּה 《こ(そ・あ)の子供たち》 のように、指示詞と名詞は性・数・定/不定において一致する。すなわち<被修飾部―修飾部>の構造を取る。そして הָאַנָשִׁים הַיְשָׁרִים וְהַצַּדִּיקִים הָאֵ֫לֶּה 《こ(そ・あ)の直く正しい男達》 のように修飾部の最後に置かれる。
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9.3 指示詞 聖書ヘブライ語の指示詞には、日本語のコレ《話し手に近い物》、ソレ《話し相手に近い物》、アレ《両者に遠い物》のような対立も、また英語の this - that のようないわゆる近称―遠称の対立もない。指す物の性・数によって ‏ זֶה ‎ 男性・単数 ― ‏ זאׁת ‎ 女性・単数 ― ‏ אֵ֫לֶּה ‎ 複数 が区別されるだけである(この他にも若干の異形はある)。 文1, 文3, 文8 では指示詞が名詞句を成している。主語か述語かということは、これらの文がいずれも同定文であるため、決定できない。指示詞は当然、定名詞に相当するからである。一方文2 の指示詞 ‏ זֶה ‎ は、 ‏ נַעַר ‎ 《若者》が他の若者ではなく、話し手の指さしている若者であることを、示している。このような場合、指示詞は名詞の前に置かれることもあるが、後に置かれる例が多い。その際、 ‏ הָאִישׁ הַזֶּה ‎ 《こ(そ・あ)の男》 ‏הָאִשָּׁה הַזּאׁת ‎《こ(そ・あ)の女》 ‏ הַיְלָדִים הָאֵ֫לֶּה ‎《こ(そ・あ)の子供たち》 のように、指示詞と名詞は性・数・定/不定において一致する。すなわち<被修飾部―修飾部>の構造を取る。そして ‏ הָאַנָשִׁים הַיְשָׁרִים וְהַצַּדִּיקִים הָאֵ֫לֶּה ‎ 《こ(そ・あ)の直く正しい男達》 のように修飾部の最後に置かれる。 9.3.1 指示詞と人称代名詞の違い
9.3 指示詞 聖書ヘブライ語の指示詞には、日本語のコレ《話し手に近い物》、ソレ《話し相手に近い物》、アレ《両者に遠い物》のような対立も、また英語の this - that のようないわゆる近称―遠称の対立もない。指す物の性・数によって &rlm; זֶה &lrm; 男性・単数 ― &rlm; זאׁת &lrm; 女性・単数 ― &rlm; אֵ֫לֶּה &lrm; 複数 が区別されるだけである(この他にも若干の異形はある)。 [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文1|文1]], [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文3|文3]], [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文8|文8]] では指示詞が名詞句を成している。主語か述語かということは、これらの文がいずれも同定文であるため、決定できない。指示詞は当然、定名詞に相当するからである。(例えば、[[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文1|文1]] は「私の契約のしるしはこれだ」とも訳せる。)一方[[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文2|文2]] の指示詞 &rlm; זֶה &lrm; は、 &rlm; נַעַר &lrm; 《若者》が他の若者ではなく、話し手の指さしている若者であることを、示している。このような場合、指示詞は名詞の前に置かれることもある([[s:%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%A8%98%E4%B8%8A(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#17:55|サムエル記上17<sub>55</sub>]] では &rlm; בֶּן־מִי־זֶה הנַּ֫עַר &lrm; となっている。ついでながら、この文脈では「あの若者は…」と訳すべきであろう)が、後に置かれる例が多い。その際、 &rlm; הָאִישׁ הַזֶּה &lrm; 《こ(そ・あ)の男》 &rlm;הָאִשָּׁה הַזּאׁת &lrm;《こ(そ・あ)の女》 &rlm; הַיְלָדִים הָאֵ֫לֶּה &lrm;《こ(そ・あ)の子供たち》 のように、指示詞と名詞は性・数・定/不定において一致する。すなわち<被修飾部―修飾部>の構造を取る。そして &rlm; הָאַנָשִׁים הַיְשָׁרִים וְהַצַּדִּיקִים הָאֵ֫לֶּה &lrm; 《こ(そ・あ)の直く正しい男達》 のように修飾部の最後に置かれる。 *9.3.1 [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/指示詞/指示詞と人称代名詞の違い|指示詞と人称代名詞の違い]] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:15:07Z
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23,865
聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/指示詞/指示詞と人称代名詞の違い
9.3.1 指示詞と人称代名詞の違い 文6 の名詞句 הַיּוֹם הַהוּא 《その日》では、前の課で学んだ人称代名詞 הוּא が、文2 の指示詞 זֶה のように、その前の名詞を修飾している。このように三人称自立代名詞は、指示詞と同じ働きをするように見え、また同じく「それ」とか「これ」と訳されるため、人称代名詞としてだけでなく、指示詞としても扱われることが多い。ある人々は、 זֶה 、 זאׁת 、 אֵ֫לֶּה は近称 (this, dies-) で、 הוּא 、 הִיא 、 הֵם 、 הֵ֫נָּה は遠称 (that jen-) だ、と言う。しかし前にのべたように(8.3.2)、三人称代名詞は、ある名詞句を受けてその「代」わりに用いられる言語手段であり、従って何を指すかは文脈から明らかであるのに対し、指示詞は、物や人を直接指さしながら用いられるものであるから、それが何を指すかはその言語行為の場に居合わせなければ分からないのである。(我々のテクストでは、前後の説明から、それが分かることが多い。例えば上に引用した サムエル記上1755 では、この文の前に「サウルは、ダビデがかのペリシテ人にたち向かおうとして出て行くのをみて、将軍ブネルに言った」とある。一方、例えば創世記2633 などの「この日( הַיּוֹם הַזֶּה まで)」の「この日」(=「今日」)とは何時なのか、この記事が書かれた時点ということの他はわからない。指示詞と三人称代名詞とのことのような違いを、次の文で確認されたい―「(私が指示して)これ( זֶה )はお前と一緒に行くのだ、と私がお前に言う者、その者( הוּא )がお前と一緒に行くのだ...」(士師記74)。
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9.3.1 指示詞と人称代名詞の違い 文6 の名詞句 ‏ הַיּוֹם הַהוּא ‎ 《その日》では、前の課で学んだ人称代名詞 ‏ הוּא ‎ が、文2 の指示詞 ‏ זֶה ‎ のように、その前の名詞を修飾している。このように三人称自立代名詞は、指示詞と同じ働きをするように見え、また同じく「それ」とか「これ」と訳されるため、人称代名詞としてだけでなく、指示詞としても扱われることが多い。ある人々は、‏ זֶה ‎、‏ זאׁת ‎、‏ אֵ֫לֶּה ‎ は近称 で、‏ הוּא ‎、‏ הִיא ‎、‏ הֵם ‎、‏ הֵ֫נָּה ‎ は遠称 だ、と言う。しかし前にのべたように(8.3.2)、三人称代名詞は、ある名詞句を受けてその「代」わりに用いられる言語手段であり、従って何を指すかは文脈から明らかであるのに対し、指示詞は、物や人を直接指さしながら用いられるものであるから、それが何を指すかはその言語行為の場に居合わせなければ分からないのである。(我々のテクストでは、前後の説明から、それが分かることが多い。例えば上に引用した サムエル記上1755 では、この文の前に「サウルは、ダビデがかのペリシテ人にたち向かおうとして出て行くのをみて、将軍ブネルに言った」とある。一方、例えば創世記2633 などの「この日」の「この日」とは何時なのか、この記事が書かれた時点ということの他はわからない。指示詞と三人称代名詞とのことのような違いを、次の文で確認されたい―「これはお前と一緒に行くのだ、と私がお前に言う者、その者がお前と一緒に行くのだ…」。
9.3.1 指示詞と人称代名詞の違い [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文6|文6]] の名詞句 &rlm; הַיּוֹם הַהוּא &lrm; 《その日》では、前の課で学んだ人称代名詞 &rlm; הוּא &lrm; が、文2 の指示詞 &rlm; זֶה &lrm; のように、その前の名詞を修飾している。このように三人称自立代名詞は、指示詞と同じ働きをするように見え、また同じく「それ」とか「これ」と訳されるため、人称代名詞としてだけでなく、指示詞としても扱われることが多い。ある人々は、&rlm; זֶה &lrm;、&rlm; זאׁת &lrm;、&rlm; אֵ֫לֶּה &lrm; は近称 (this, dies-) で、&rlm; הוּא &lrm;、&rlm; הִיא &lrm;、&rlm; הֵם &lrm;、&rlm; הֵ֫נָּה &lrm; は遠称 (that jen-) だ、と言う。しかし前にのべたように([[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/人称代名詞の意味|8.3.2]])、三人称代名詞は、ある名詞句を受けてその「代」わりに用いられる言語手段であり、従って何を指すかは文脈から明らかであるのに対し、指示詞は、物や人を直接指さしながら用いられるものであるから、それが何を指すかはその言語行為の場に居合わせなければ分からないのである。(我々のテクストでは、前後の説明から、それが分かることが多い。例えば上に引用した [[s:%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%A8%98%E4%B8%8A(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#17:55|サムエル記上17<sub>55</sub>]] では、この文の前に「サウルは、ダビデがかのペリシテ人にたち向かおうとして出て行くのをみて、将軍ブネルに言った」とある。一方、例えば[[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#26:33|創世記26<sub>33</sub>]] などの「この日(&rlm; הַיּוֹם הַזֶּה &lrm; まで)」の「この日」(=「今日」)とは何時なのか、この記事が書かれた時点ということの他はわからない。指示詞と三人称代名詞とのことのような違いを、次の文で確認されたい―「(私が指示して)<ins>これ</ins>(&rlm; זֶה &lrm;)はお前と一緒に行くのだ、と私がお前に言う者、<ins>その者</ins>(&rlm; הוּא &lrm;)がお前と一緒に行くのだ…」([[s:%E5%A3%AB%E5%B8%AB%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#7:4|士師記7<sub>4</sub>]])。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞
9.4 接尾人称代名詞 接尾人称代名詞の形は、名詞、前置詞等に接尾する場合と、動詞に接尾する場合とで、多少の相違はあるが、基本的には同じである。下に基本形(共時的に体系をなすものとして再構した形)と、実際に名詞語幹に接尾する形とを、並べて表示する。 接尾形は自立形と末尾部分の同じものが多く、このことから、名詞の後に置かれてこれを限定した自立人称代名詞が、その語頭部分を落として名詞に接合するに至った(*דְּבַר אֲנִי→דּבָרִי)、と推定することができる。自立形が主格を表すのに対し、名詞に付く接尾形は、連語句における限定語と同じく、属格を表す(《私の言葉》)。 人称代名詞は文法的に定である(8.3.2)から、接尾人称代名詞は冠詞と同じく限定辞であって(4.4 参照)、これが接尾した名詞は、定名詞を限定語とする連語句と同じく、定として扱われ(7.3 参照)、これを修飾する形容詞や指示詞は冠詞をとるけれども、これ自身に冠詞が付くことはない。 例えば אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה 《王の美しい妻》の הַמֶּלֶךְ を代名詞化すると אִשְׁתּוֹ הַיָּפָה 《彼の美しい妻》となる。* הָאִשְׁתּוׂ は * הָאֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ と同様に非文法的である。
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9.4 接尾人称代名詞 接尾人称代名詞の形は、名詞、前置詞等に接尾する場合と、動詞に接尾する場合とで、多少の相違はあるが、基本的には同じである。下に基本形(共時的に体系をなすものとして再構した形)と、実際に名詞語幹に接尾する形とを、並べて表示する。 接尾形は自立形と末尾部分の同じものが多く、このことから、名詞の後に置かれてこれを限定した自立人称代名詞が、その語頭部分を落として名詞に接合するに至った。 人称代名詞は文法的に定である(8.3.2)から、接尾人称代名詞は冠詞と同じく限定辞であって、これが接尾した名詞は、定名詞を限定語とする連語句と同じく、定として扱われ、これを修飾する形容詞や指示詞は冠詞をとるけれども、これ自身に冠詞が付くことはない。 例えば ‏ אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה ‎ 《王の美しい妻》の ‏ הַמֶּלֶךְ ‎ を代名詞化すると ‏ אִשְׁתּוֹ הַיָּפָה ‎ 《彼の美しい妻》となる。*‏ הָאִשְׁתּוׂ ‎ は *‏ הָאֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ ‎ と同様に非文法的である。 9.4.1 接尾人称代名詞による名詞の語形変化
9.4 接尾人称代名詞 接尾人称代名詞の形は、名詞、前置詞等に接尾する場合と、動詞に接尾する場合とで、多少の相違はあるが、基本的には同じである。下に基本形(共時的に体系をなすものとして再構した形)と、実際に名詞語幹に接尾する形とを、並べて表示する。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! rowspan="2" colspan="2" | !! colspan="2" | 基本形 !! colspan="2" | 名詞接尾型 |- ! 自立型 !! 接尾型 !! I !! II |- ! rowspan="5" | 単数 !! 一人称 |&rlm; אֲנִי &lrm;||&rlm;־ִי&lrm;||&rlm;־ִי &lrm; -ī ||&rlm;־ַי &lrm; -ay |- ! 二人称男性 |&rlm; אַתָּה &lrm;||&rlm;־ךָ||&rlm;־ְךָ&lrm; -əkā ||&rlm;־ֶ֫יךָ -<span class="Unicode">e&#769;</span>kā |- ! 二人称女性 |&rlm; אַתְּ &lrm;||&rlm;־ךְ||&rlm;־ֵךְ&lrm; -ēk ||&rlm;־ַ֫יִךְ -<span class="Unicode">a&#769;</span>yik |- ! 三人称男性 |&rlm; הוּא &lrm;||&rlm;־הוּ||&rlm;וֹ&lrm; -ō ||&rlm;־ָיו -āw |- ! 三人称女性 |&rlm; הִיא &lrm;||&rlm;־הָ||&rlm;־ָהּ&lrm; -āh ||&rlm;־ֶ֫יהָ -<span class="Unicode">e&#769;</span>hā |- ! rowspan="5" | 複数 !! 一人称 |&rlm; אֲנַ֫חְנוּ &lrm;||&rlm;־נוּ||&rlm;־ֵ֫נוּ&lrm; -<span class="Unicode">ē&#769;</span>nū ||&rlm;־ֵ֫ינוּ &lrm; -<span class="Unicode">ē&#769;</span>nū |- ! 二人称男性 |&rlm; אַתֶּם &lrm;||&rlm;־כֶם||&rlm;כֶם&lrm; -kem||&rlm;־ֵיכֶם &lrm; -ēkem |- ! 二人称女性 |&rlm; אַתֶּן &lrm;||&rlm;־כֶן||&rlm;כֶן&lrm; -ken||&rlm;־ֵיכֶן &lrm; -ēken |- ! 三人称男性 |&rlm; הֵם &lrm;||&rlm;־הֶם||&rlm;־ָם&lrm; -ām||&rlm; ־ֵיהֶם &lrm; -ēhem |- ! 三人称女性 |&rlm; הֵן &lrm;||&rlm;־הֶן||&rlm;־ָן&lrm; -ān||&rlm; ־ֵיהֶן &lrm; -ēhen |} 接尾形は自立形と末尾部分の同じものが多く、このことから、名詞の後に置かれてこれを限定した自立人称代名詞が、その語頭部分を落として名詞に接合するに至った(&lrm;*&rlm;דְּבַר אֲנִי&lrm;→&rlm;דּבָרִי&lrm;)、と推定することができる。自立形が主格を表すのに対し、名詞に付く接尾形は、連語句における限定語と同じく、属格を表す(《私<ins>の</ins>言葉》)。 人称代名詞は文法的に定である([[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/人称代名詞の意味|8.3.2]])から、接尾人称代名詞は冠詞と同じく限定辞であって([[聖書ヘブライ語入門/名詞文・主述統合・冠詞・名詞の型/冠詞|4.4]] 参照)、これが接尾した名詞は、定名詞を限定語とする連語句と同じく、定として扱われ([[聖書ヘブライ語入門/連語/構文解説|7.3]] 参照)、これを修飾する形容詞や指示詞は冠詞をとるけれども、これ自身に冠詞が付くことはない。 例えば &rlm; אֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ הַיָּפָה &lrm; 《王の美しい妻》の &rlm; הַמֶּלֶךְ &lrm; を代名詞化すると &rlm; אִשְׁתּוֹ הַיָּפָה &lrm; 《彼の美しい妻》となる。*&rlm; הָאִשְׁתּוׂ &lrm; は *&rlm; הָאֵשֶׁת הַמֶּלֶךְ &lrm; と同様に非文法的である。 * 9.4.1 [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞による名詞の語形変化|接尾人称代名詞による名詞の語形変化]] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞による名詞の語形変化
9.4.1 接尾人称代名詞による名詞の語形変化 接尾人称代名詞は、例によって名詞語幹の音変化を惹き起こすが、その際の規則は、複数接尾辞が付く場合のそれと同じである。ただし女性複数接尾辞 וֹת (-ōt) 以外の性・数接尾辞は、あらかじめ次のように変形ないし削除される。 女性単数接尾辞 -ā → -āt 例: תּוֹרָה 《律法》→ תּוֹרָת (連語形と同じ) 男性複数接尾辞 -īm は削除 例: דְּבָרִים → דְּבָר 、 בָּנִים → בָּנ この後、6.4 および 7.5.6 の音規則が適用される。すなわち、 (1)不変化型:例えば קוֹל (6.4.1)、 בָּנ (6.4.1)、 גִּבּוֹר (6.4.5)、 בְּרִית (6.4.6)、 דְּבָר (← דְּבָרִים 、上記参照)(6.4.6)。 (2)変化型:例えば עַם → עַמּ (6.4.2)《民》、 דָּבָר → דְּבָר (6.4.3)、 אֲדָמָה → אֲדָמָת → אֲדְמָת (6.4.3)→ אַדְמָת (7.5.6)《土地》、 אוֹיֵב → אוֹיְב (6.4.7)(= * אוֹיְבְ )→ אוֹיִב (7.5.6)、 שָׂדֶה → שָׂד (6.4.8)《野》 (6.4.4) の規則は適用されない。この CV́CVC 型の、所謂セゴール名詞については課を改めて学ぶ。 このようにして出来た一連の連語形に、接尾人称代名詞が付く(実際は、逆に接尾辞が付いた結果、名詞の形が変わるのであるが)。すなわち単数名詞には上の表の I 類の、複数名詞には II 類の接尾辞が付き、その際、I 類の二人称複数形 (-kem, -ken)、II 類の二・三人称複数形 (-ēkem, -ēken, -ēhem, -ēhen) の前では 7.5 の規則も適用される。代表的な名詞について、その結果を下に表示する。 括弧でくくったのは、我々のテクストたる聖書に例証されず、上の規則に従って想定した形。例証される形のうち שׂדֵהוּ は、上の規則からは שָׂדוֹ が期待されるもの。テクストには上の表にない異形(例えば בְּנוֹתֵיהֶם の異形 בְּנֹתׇם )も現れる。ともあれ、この表はモデルとして見て頂きたい。 上記の規則から導き出せない「不規則形」を二、三挙げておく。 אָב 《父》、 אָח 《兄弟》の単数は、第二子音以外は全く同じ、 連:אֲבִי 、単: אָבִי 、 אָבִיךָ 、 אָבִיךְ 、 אָבִיו (および אָבִיהוּ )、 אָבִיהָ 、複: אָבִ֫ינוּ 、 אֲבִיכֶם 、.... אֲבִיהֶם 、 אָב の複数は אָבוֹת 、接尾辞の付いた形は בָּנוֹת と同じ(ただし *אְ→אֲ)。 אָח の複数は接尾辞が付くと、 אַחַי 、 אַחֶ֫יךָ 、.... אֶחָיו .... אֲחֵיכֶם となる。 אֲחוֹת 《姉妹》はこれが単数の形で、I 類を取る。その複数は同じ形に II 類を接尾する(ただし極めて不規則)。反対に אֱלֹהִים は意味は単数でも形に従って II 類を取る。 אֵם 《母》の語幹は אִמּ imm- ( חֵץ 《矢》、 לֵב 《心》、 אֵשׁ 《火》も同様)。 同様にして כֹּל 《すべて》、 חֹק 《定め》の語幹は כֻּל kull-、 חֻקּ ḥuqq-( עַץ 《木》、 אֵל 《神》、 קוֹל 、 טוֹב は語幹も不変。この種の名詞の共時的体系については後述)。
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9.4.1 接尾人称代名詞による名詞の語形変化 接尾人称代名詞は、例によって名詞語幹の音変化を惹き起こすが、その際の規則は、複数接尾辞が付く場合のそれと同じである。ただし女性複数接尾辞 ‏ וֹת ‎(-ōt) 以外の性・数接尾辞は、あらかじめ次のように変形ないし削除される。 女性単数接尾辞 -ā → -āt 例:‏ תּוֹרָה ‎《律法》→ ‏ תּוֹרָת ‎(連語形と同じ) 男性複数接尾辞 -īm は削除 例:‏ דְּבָרִים ‎ → ‏ דְּבָר ‎、‏ בָּנִים ‎ → ‏ בָּנ ‎ この後、6.4 および 7.5.6 の音規則が適用される。すなわち、 (1)不変化型:例えば ‏ קוֹל ‎(6.4.1)、 ‏ בָּנ ‎(6.4.1)、 ‏ גִּבּוֹר ‎(6.4.5)、 ‏ בְּרִית ‎(6.4.6)、 ‏ דְּבָר ‎(← ‏ דְּבָרִים ‎、上記参照)(6.4.6)。 (2)変化型:例えば ‏ עַם ‎→‏ עַמּ ‎(6.4.2)《民》、 ‏ דָּבָר ‎→‏ דְּבָר ‎(6.4.3)、 ‏ אֲדָמָה ‎→‏ אֲדָמָת ‎→‏ אֲדְמָת ‎(6.4.3)→ ‏ אַדְמָת ‎(7.5.6)《土地》、 ‏ אוֹיֵב ‎→‏ אוֹיְב ‎(6.4.7)(= *‏ אוֹיְבְ ‎)→‏ אוֹיִב ‎(7.5.6)、 ‏ שָׂדֶה ‎→‏ שָׂד ‎(6.4.8)《野》 (6.4.4) の規則は適用されない。この CV́CVC 型の、所謂セゴール名詞については課を改めて学ぶ。 このようにして出来た一連の連語形に、接尾人称代名詞が付く(実際は、逆に接尾辞が付いた結果、名詞の形が変わるのであるが)。すなわち単数名詞には上の表の I 類の、複数名詞には II 類の接尾辞が付き、その際、I 類の二人称複数形、II 類の二・三人称複数形 の前では 7.5 の規則も適用される。代表的な名詞について、その結果を下に表示する。 括弧でくくったのは、我々のテクストたる聖書に例証されず、上の規則に従って想定した形。例証される形のうち ‏ שׂדֵהוּ ‎ は、上の規則からは ‏ שָׂדוֹ ‎ が期待されるもの。テクストには上の表にない異形も現れる。ともあれ、この表はモデルとして見て頂きたい。 上記の規則から導き出せない「不規則形」を二、三挙げておく。 ‏ אָב ‎ 《父》、‏ אָח ‎《兄弟》の単数は、第二子音以外は全く同じ、 連:‏אֲבִי ‎、単:‏ אָבִי ‎、‏ אָבִיךָ ‎、‏ אָבִיךְ ‎、‏ אָבִיו ‎(および ‏ אָבִיהוּ ‎)、‏ אָבִיהָ ‎、複:‏ אָבִ֫ינוּ ‎、‏ אֲבִיכֶם ‎、‥‥ ‏ אֲבִיהֶם ‎、‏ אָב ‎ の複数は ‏ אָבוֹת ‎、接尾辞の付いた形は ‏ בָּנוֹת ‎ と同じ。反対に ‏ אֱלֹהִים ‎ は意味は単数でも形に従って II 類を取る。‏ אֵם ‎《母》の語幹は ‏ אִמּ ‎ imm-。 同様にして ‏ כֹּל ‎《すべて》、‏ חֹק ‎《定め》の語幹は ‏ כֻּל ‎ kull-、‏ חֻקּ ‎ ḥuqq-。
9.4.1 接尾人称代名詞による名詞の語形変化 接尾人称代名詞は、例によって名詞語幹の音変化を惹き起こすが、その際の規則は、複数接尾辞が付く場合のそれと同じである。ただし女性複数接尾辞 &rlm; וֹת &lrm;(-ōt) 以外の性・数接尾辞は、あらかじめ次のように変形ないし削除される。 女性単数接尾辞 -ā → -āt 例:&rlm; תּוֹרָה &lrm;《律法》→ &rlm; תּוֹרָת &lrm;(連語形と同じ) 男性複数接尾辞 -īm は削除 例:&rlm; דְּבָרִים &lrm; → &rlm; דְּבָר &lrm;、&rlm; בָּנִים &lrm; → &rlm; בָּנ &lrm; この後、[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成|6.4]] および [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成|7.5.6]] の音規則が適用される。すなわち、 (1)不変化型:例えば &rlm; קוֹל &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.1|(6.4.1)]]、 &rlm; בָּנ &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.1|(6.4.1)]]、 &rlm; גִּבּוֹר &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.5|(6.4.5)]]、 &rlm; בְּרִית &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.6|(6.4.6)]]、 &rlm; דְּבָר &lrm;(← &rlm; דְּבָרִים &lrm;、上記参照)[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.6|(6.4.6)]]。 (2)変化型:例えば &rlm; עַם &lrm;→&rlm; עַמּ &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.2|(6.4.2)]]《民》、 &rlm; דָּבָר &lrm;→&rlm; דְּבָר &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.3|(6.4.3)]]、 &rlm; אֲדָמָה &lrm;→&rlm; אֲדָמָת &lrm;→&rlm; אֲדְמָת &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.3|(6.4.3)]]→ &rlm; אַדְמָת &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.6|(7.5.6)]]《土地》、 &rlm; אוֹיֵב &lrm;→&rlm; אוֹיְב &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.7|(6.4.7)]](= *&rlm; אוֹיְבְ &lrm;)→&rlm; אוֹיִב &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成#7.5.6|(7.5.6)]]、 &rlm; שָׂדֶה &lrm;→&rlm; שָׂד &lrm;[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.8|(6.4.8)]]《野》 [[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成#6.4.4|(6.4.4)]] の規則は適用されない。この C<span class="Unicode">V&#769;</span>CVC 型の、所謂セゴール名詞については課を改めて学ぶ。 このようにして出来た一連の連語形に、接尾人称代名詞が付く(実際は、逆に接尾辞が付いた結果、名詞の形が変わるのであるが)。すなわち単数名詞には上の表の I 類の、複数名詞には II 類の接尾辞が付き、その際、I 類の二人称複数形 (-kem, -ken)、II 類の二・三人称複数形 (-ēkem, -ēken, -ēhem, -ēhen) の前では [[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成|7.5]] の規則も適用される。代表的な名詞について、その結果を下に表示する。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! !! colspan="3" | 男性単数 !! 女性単数 !! colspan="2" | 男性複数 !! 女性複数 |- ! 独立形 | &rlm; קוֹל &lrm;||&rlm; דָּבָר &lrm;||&rlm; שָׂדֶה &lrm;||&rlm; תּוֹרָה &lrm;||&rlm; דְּבָרִים &lrm;||&rlm; בָּנִים &lrm;||&rlm; בָּנוֹת |- ! 連語形 |&rlm;קוֹל&lrm;||&rlm;דְּבַר&lrm;||&rlm;שָׂדֵה&lrm;||&rlm;תּוֹרַת&lrm;||&rlm;דִּבְרֵי&lrm;||&rlm;בְּנֵי&lrm;||&rlm;בְּנוֹת&lrm; |- ! 単数一人称 |&rlm;קוֹלִי&rlm;||&rlm;דְּבָרִי&lrm;||&rlm;שָׂדִי&lrm;||&rlm;תּוֹרָתִי&lrm;||&rlm;דְּבָרַי&lrm;||&rlm;בָנַי&lrm;||&rlm;בְּנוֹתַי&lrm; |- ! 単数二人称男性 |&rlm;קוֹלְךָ&rlm;||&rlm;דְּבָֽרְךָ&lrm;||&rlm;שָֽׂדְךָ&lrm;||&rlm;תּוֹרָֽתְךָ&lrm;||&rlm;דְּבָרֶ֫יךָ&lrm;||&rlm;בָנֶ֫יךָ&lrm;||&rlm; בָּנוֹתֶ֫יךָ&lrm; |- ! 単数二人称女性 |&rlm;קוֹלֵךְ&rlm;||&rlm;דְּבָרֵךְ&lrm;||(&rlm;שָׂדֵךְ&lrm;)||(&rlm;תּוֹרָתֵךְ&lrm;)||&rlm;דְּבָרַ֫יִךְ&lrm;||&rlm;בָּנַ֫יִךְ&lrm;||&rlm;בְּנוֹתַ֫יִךְ&lrm; |- ! 単数三人称男性 |&rlm;קוֹלוֹ&rlm;||&rlm;דְּבָרוֹ&lrm;||<span style="color:red">&rlm;שָׂדֵהוּ&lrm;</span>||&rlm;תּוֹרָתוֹ&lrm;||&rlm;דְּבָרָיו&lrm;||&rlm;בָּנָיו&lrm;||&rlm;בְּנוֹתָיו&lrm; |- ! 単数三人称女性 |&rlm;קוֹלָהּ&rlm;||(&rlm;דְּבָרָהּ&lrm;)||&rlm;שָׂדָהּ&lrm;||&rlm;תּוֹרָתָהּ&lrm;||&rlm;דְּבָרֶ֫יהָ&lrm;||&rlm;בָּנֶ֫יהָ&lrm;||&rlm;בְּנוֹתֶ֫יהָ&lrm; |- ! 複数一人称 |&rlm;קוֹלֵ֫נוּ&rlm;||&rlm;דְּבָרֵ֫נוּ&lrm;||(&rlm;שָׂדֵ֫נוּ&lrm;)||(&rlm;תּוֹרָתֵ֫נוּ&lrm;)||(&rlm;דְּבָרֵ֫ינוּ&lrm;)||&rlm;בָּנֵ֫ינוּ&lrm;||&rlm;בְּנוֹתֵ֫נוּ&lrm; |- ! 複数二人称男性 |&rlm;קוֹלְכֶם&rlm;||(&rlm;דְּבָרְכֶם&lrm;)||(&rlm;שָׂדְכֶם&lrm;)||(&rlm;תּוֹרַתְכֶם&lrm;)||&rlm;דִּבְרֵיכֶם&lrm;||&rlm;בְּנֵיכֶם&lrm;||&rlm;בְּנוֹתֵיכֶם&lrm; |- ! 複数二人称女性 |(&rlm;קוֹלְכֶן&rlm;)||(&rlm;דְּבָרְכֶן&lrm;)||(&rlm;שָׂדְכֶן&lrm;)||(&rlm;תּוֹרַתְכֶן&lrm;)||(&rlm;דִּבְרֵיכֶן&lrm;)||(&rlm;בְּנֵיכֶן&lrm;)||(&rlm;בְּנוֹתֵיכֶן&lrm;) |- ! 複数三人称男性 |&rlm;קוֹלָם&rlm;||(&rlm;דְּבָרָם&lrm;)||(&rlm;שָׂדָם&lrm;)||(&rlm;תּוֹרָתָם&lrm;)||&rlm;דִּבְרֵיהֶם&lrm;||&rlm;בְּנֵיהֶם&lrm;||&rlm;בְּנוֹתֵיהֶם&lrm; |- ! 複数三人称女性 |&rlm;קוֹלָן&rlm;||(&rlm;דְּבָרָן&lrm;)||(&rlm;שׂדָן&lrm;)||(&rlm;תּוֹרָתָן&lrm;)||(&rlm;דִּבְרֵיהֶן&lrm;)||&rlm;בְּנֵיהֶן&lrm;||(&rlm;בְּנוֹתֵיהֶן&lrm;) |} 括弧でくくったのは、我々のテクストたる聖書に例証されず、上の規則に従って想定した形。例証される形のうち &rlm; שׂדֵהוּ &lrm; は、上の規則からは &rlm; שָׂדוֹ &lrm; が期待されるもの。テクストには上の表にない異形(例えば &rlm; בְּנוֹתֵיהֶם &lrm; の異形 &rlm; בְּנֹתׇם &lrm;)も現れる。ともあれ、この表はモデルとして見て頂きたい。 上記の規則から導き出せない「不規則形」を二、三挙げておく。 &rlm; אָב &lrm; 《父》、&rlm; אָח &lrm;《兄弟》の単数は、第二子音以外は全く同じ、 連:&rlm;אֲבִי &lrm;、単:&rlm; אָבִי &lrm;、&rlm; אָבִיךָ &lrm;、&rlm; אָבִיךְ &lrm;、&rlm; אָבִיו &lrm;(および &rlm; אָבִיהוּ &lrm;)、&rlm; אָבִיהָ &lrm;、複:&rlm; אָבִ֫ינוּ &lrm;、&rlm; אֲבִיכֶם &lrm;、‥‥ &rlm; אֲבִיהֶם &lrm;、&rlm; אָב &lrm; の複数は &rlm; אָבוֹת &lrm;、接尾辞の付いた形は &rlm; בָּנוֹת &lrm; と同じ(ただし *&rlm;אְ&lrm;→&rlm;אֲ&lrm;)。 &rlm; אָח &lrm; の複数は接尾辞が付くと、&rlm; אַחַי &lrm;、&rlm; אַחֶ֫יךָ &lrm;、‥‥ &rlm; אֶחָיו &lrm; ‥‥ &rlm; אֲחֵיכֶם &lrm; となる。&rlm; אֲחוֹת &lrm; 《姉妹》はこれが単数の形で、I 類を取る。その複数は同じ形に II 類を接尾する(ただし極めて不規則)。反対に &rlm; אֱלֹהִים &lrm; は意味は単数でも形に従って II 類を取る。&rlm; אֵם &lrm;《母》の語幹は &rlm; אִמּ &lrm; imm- ( &rlm; חֵץ &lrm;《矢》、&rlm; לֵב &lrm;《心》、&rlm; אֵשׁ &lrm;《火》も同様)。 同様にして &rlm; כֹּל &lrm;《すべて》、&rlm; חֹק &lrm;《定め》の語幹は &rlm; כֻּל &lrm; kull-、&rlm; חֻקּ &lrm; ḥuqq-( &rlm; עַץ &lrm;《木》、&rlm; אֵל &lrm;《神》、&rlm; קוֹל &lrm;、&rlm; טוֹב &lrm; は語幹も不変。この種の名詞の共時的体系については後述)。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:15:57Z
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聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/単語2
9.5 単語
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9.5 単語
9.5 単語 {| |- |style="text-align:left" |邪悪な |style="text-align:left" |rāšā` |style="text-align:left" |&rlm; רָשָׁע &lrm; |- |style="text-align:left" |エジプト、(集合名詞として)エジプト人 |style="text-align:left" |miṣrayim |style="text-align:left" |&rlm; מִצְרַיִם &lrm; |- |style="text-align:left" |馬 |style="text-align:left" |sūs |style="text-align:left" |&rlm; סוּס &lrm; |- |style="text-align:left" |肉(肉体、食肉)、身体 |style="text-align:left" |bāśār |style="text-align:left" |&rlm; בָּשָׂר &lrm; |- |style="text-align:left" |霊、風 |style="text-align:left" |ru<sup>a</sup>ḥ |style="text-align:left" |&rlm; רוּחַ &lrm; |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,893
聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/練習
9.6 練習 (解答) (1)日本語に訳せ א. יהוה הַצַּדִּיק וַאֲנִי וְעַמִּי הָרְשָׁעִים ב. הִיא לֹא אִשְׁתִּי וְאָנֹכִי לֹא אִישׇׁהּ ג. וּמִצְרַיִם אָדָם וְלֹא אֵל וְסוּסֵיהֶם בָּשָׂר וְלֹא רוּחַ ד. הָאִישׁ הזֶּה אָבִיךָ וְהָאִשָּׁה הַזּאׁת הִיא אִמְּךָ (2)ヘブライ語に訳せ 1. あれは私の妻の妹だ。大そう賢い。 2. あの大きな馬は私の兄の馬です。 3. この若い女は誰の娘か。それはあなたの婢(=女奴隷)の娘です。
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9.6 練習 の娘です。
9.6 練習 ([[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/練習/解答|解答]]) (1)日本語に訳せ א. יהוה הַצַּדִּיק וַאֲנִי וְעַמִּי הָרְשָׁעִים ב. הִיא לֹא אִשְׁתִּי וְאָנֹכִי לֹא אִישׇׁהּ ג. וּמִצְרַיִם אָדָם וְלֹא אֵל וְסוּסֵיהֶם בָּשָׂר וְלֹא רוּחַ ד. הָאִישׁ הזֶּה אָבִיךָ וְהָאִשָּׁה הַזּאׁת הִיא אִמְּךָ (2)ヘブライ語に訳せ 1. あれは私の妻の妹だ。大そう賢い。 2. あの大きな馬は私の兄の馬です。 3. この若い女は誰の娘か。それはあなたの婢(=女奴隷)の娘です。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/練習/解答
(1) 1.ヤハウェが正しいもの、私と私の民は悪いもの 2.彼女は私の妻ではなく、私は彼女の夫ではない 3.エジプト人は人であって神ではない。彼らの馬は肉であって霊ではない。 4.この男が君の父で、この女が君の母だ。 (2) א. זֹאת אֲחוֹת אִשְׁתִּי חֲכָמָה מְאֹד הִיא ב. הַסּוּס הַגָּדוֹל הַזֶּה סוּס אָחִי ג. בַּת־מִי הַנַּעֲרָה הַזֹּאת הִיא בַּת אֲמָֽתְךָ
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(1) 1.ヤハウェが正しいもの、私と私の民は悪いもの 2.彼女は私の妻ではなく、私は彼女の夫ではない 3.エジプト人は人であって神ではない。彼らの馬は肉であって霊ではない。 4.この男が君の父で、この女が君の母だ。 (2) א. זֹאת אֲחוֹת אִשְׁתִּי חֲכָמָה מְאֹד הִיא ב. הַסּוּס הַגָּדוֹל הַזֶּה סוּס אָחִי ג. בַּת־מִי הַנַּעֲרָה הַזֹּאת הִיא בַּת אֲמָֽתְךָ [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:20:39Z
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賽は投げられた alea iacta est
ガイウス・ユリウス・カエサルの著作> ALEA IACTA EST スエトニウスの「カエサル伝」32節の記述によれば、カエサルがルビコン川を渡ってイタリア本土に侵攻するべきか迷っていると、不思議な男が現われてアシの笛を吹き、集まって来たカエサルの兵士たちの一人ががラッパで応じると、男はラッパを兵士から取り上げてルビコン川の岸辺でラッパを吹き鳴らしながら、川の対岸へ渡って行ったという (この不思議なエピソードは他の史家は伝えていない)。 スエトニウスは、次のように続けている。 (編集中) 帝制ローマ期のギリシア人史家 プルタルコス (Πλούταρχος, Ploútarkhos [plǔːtarkhos], 英 Plutarch ; AD46年頃~120年頃) が著した伝記文学 『対比列伝』 (Βίοι Παράλληλοι, 英 Parallel Lives ; いわゆる 『プルターク英雄伝』) の2か所で言及されている。 『対比列伝』の「カエサル伝」(Καίσαρ ; 英訳 Caesar)の32節では、次のように述べられている。 プルタルコスが記したカエサルの言葉は、ギリシア語で Ἀνερρίφθω κύβος 。 英訳では Let the die be cast、和訳では「賽は投げてしまおう」、「骰子は高く投げらるべし」 などと訳されている。 また、カエサルがルビコン川を渡るかどうか協議した側近たちの中には、ガイウス・アシニウス・ポッリオ (Gaius Asinius Pollio; BC75~AD4年) がいたことも記されている。彼は、内戦に際してカエサルに従い、後に執政官も務め、さらには同時代史を著した人物である。彼の著作は残っていないが、プルタルコスらの引用によって知られている。すなわち、カエサルが発したこの言葉は、側近だったアシニウス・ポッリオ自身によって著作に記され、プルタルコスに伝えられたと考えられるのである。 プルタルコスの『対比列伝』の「ポンペイウス伝」(Πομπήιος ; 英訳 Pompey)の60節では、次のように述べられている。 プルタルコスは、ここでも、カエサルの言葉をギリシア語の Ἀνερρίφθω κύβος (anerrhíphthō kúbos) 「サイコロは、投げてしまおう」と記し、しかも「ギリシア語で」とはっきり述べている。 (編集中) プルタルコスより少し後の世代の2世紀のギリシア人史家 アレクサンドリアのアッピアノス (Ἀππιανὸς Ἀλεξανδρεύς, Appianós Alexandréus, 羅 Appianus Alexandrinus, 英 Appian of Alexandria ; AD95頃~165年頃) が著した全24巻の大著 『ローマ史』 (Ῥωμαϊκά, Romaiká, 羅 Historia Romana) の現存する部分のうち、ローマ内戦を描写した 『内乱記』 (英 The Civil Wars ) の 第2巻5章35節 (Book 2, chapter 5, section 35) には、次のように言及されている。 アッピアノスが伝えたカエサルの言葉は、 ‘ὁ κύβος ἀνερρίφθω だが、語順が異なるだけで、プルタルコスが伝えたものと意味は同じである。 アッピアノスも、プルタルコスと同様に、アシニウス・ポッリオの史書から引用をしていると考えられる。 プルタルコスとアッピアノスの2人の史家が伝えていることから、カエサルがこのような言葉を発したことは、信憑性が高いとされている。 二人のギリシア人史家 プルタルコスとアッピアノスがカエサルの発言について言及したことを見て来たが、ところでカエサルはなぜギリシア語で「サイコロは、投げてしまおう」と言ったのであろうか。 実は、カエサルは、ギリシアの喜劇作家 メナンドロス (Μένανδρος, Ménandros /mé.nan.dros/, 英 Menander ; BC 342/41年頃~290年頃) の作品を愛好していて、その台詞を口にしたと考えられている。 メナンドロスの数多くの喜劇のほとんどは、失われて残っていない。 2~3世紀のエジプトに、ナウクラティスのアテナイオス (Ἀθήναιος Nαυκρατίτης , Athếnaios Naukratitês, /a.thɛː.nái̯.os/ → /a.θiˈnɛ.os/,/ˌæθəˈniːəs/, 英 Athenaeus, 仏 Athénée de Naucratis ; 生没年不詳) というギリシア人の著述家がいた。 このアテナイオスの 『食卓の賢人たち』 (Δειπνοσοφισταί, Deipnosophistaí, (デイプノソフィスタイ), 英 Deipnosophistae, 仏 Deipnosophistes) という風変わりな著作は、約800人もの多数の作家のギリシア語の著作から引用をしており、その中にメナンドロスの喜劇も引用されているのだ。 下の表に、該当する箇所のギリシア語・英訳・和訳を示す。 アテナイオスの引用によれば、肝心の部分は、次のようになっている。 ※あるいは、「もう決めてしまったのだ。サイコロは投げてしまおう、と。」 などと、訳されている。 メナンドロスはラテン文学の形成に大きな影響を与えた作家であり、このギリシア語の台詞の半句がローマ人たちの間で流行り言葉となっていたとも考えられる。 ルビコン川を渡るに際して、カエサルはその流行り言葉を言い放ったのであろう。 以上、見て来たことをまとめる。 と伝えられている。これは誤訳されたラテン語(the mis-translated Latin )であり、動詞 sumの3人称・単数・現在・能動・直説法 est の代わりに、3人称・単数・未来・能動・命令法 estō を用いて と訳す方が正しいという文法的な解釈もある 。 スエトニウス は、トラヤヌス帝やハドリアヌス帝に仕え、特に後者のもとでは皇帝側近の文書係(117~122年)の要職を務めていた。彼の著書 『ローマ皇帝伝』 は、この文書係のときに閲覧していた帝室文書類からの豊富な知識をもとにして書かれたといわれている。 スエトニウスは、帝室文書類から得ていた知識により、歴代皇帝についてスキャンダルや風説の類いも事細かく書き残している。 だが、スエトニウスは軍人や官吏であった割には 政治や軍事への理解が乏しく、該博な知識を持っていた割には 彼の『ローマ皇帝伝』は些末なエピソードの羅列に過ぎない、とも思われる。 スエトニウスは、同じ時代のタキトゥスやプルタルコスに比べて、歴史家としての資質を欠いていたという低い評価もある。 しかしながら、スエトニウスには伝記文学の書き手としてある種の才能があり ──特にゴシップ記事的な語り口は鋭く──、ギリシア・ローマの文化が衰退した古代末期から中世ヨーロッパ文化の形成においては、同時代の伝記作家プルタルコスよりもむしろ大きな影響を与えたことも確かなことである。 スエトニウスは、カエサルの「賽は投げられた」のほか、以下のような多くの名言をラテン語でヨーロッパに広めている。 (編集中)
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ガイウス・ユリウス・カエサルの著作>   ALEA IACTA EST  
[[ガイウス・ユリウス・カエサルの著作]]> [[画像:9BFE00 -roman lead die (FindID 103936).jpg|thumb|right|400px|古代ローマ時代に用いられていたサイコロ(賽、骰子)]] <span style="font-size:40px; font-weight:bold; color:white; background: rgb(47,94,255);background: linear-gradient(180deg, rgba(47,94,255,1) 0%, rgba(24,56,255,1) 50%, rgba(0,8,255,1) 100%);"> &nbsp;&nbsp;ALEA&nbsp;IACTA&nbsp;EST&nbsp;&nbsp; </span> == alea iacta est 賽は投げられた == *'''名言'''(1):<span style="font-size:20px;color:#ff0000;"><big>ālea iacta est</big></span>  *'''名言'''(2):<span style="font-size:20px;color:#ff0000;"><big>iacta ālea est</big></span>  (原文では(2)だが、(1)の語順で引用されることが多い。) **<span style="color:#009900;">[[wikt:en:alea#Latin|ālea]] 女性・第1変化名詞 「サイコロ」  > 単数・主格 「サイコロ(は)」</span> **<span style="color:#009900;">[[wikt:en:iacio|iaciō]] 動詞 第3活用 「投げる」 = [[wikt:en:jacio|jaciō]](別形) </span> ***<span style="color:#009900;">> [[wikt:en:iactus|iactus]] 完了受動分詞 ⇒ [[wikt:en:iacta|iacta]] 女性・単数・主格 (主語である ālea に性・数・格を合わせる)</span> ****<span style="color:#009900;">> iacta [[wikt:en:sum#Latin|est]] 3人称・単数・<u>完了</u>・<u>受動</u>・直説法</span> *'''意味''': <big><ruby><rb>[[wikt:ja:賽|賽]]</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby> は投げられた</big>  (賽は、<ruby><rb>[[wikt:ja:骰子#Japanese|骰子]]</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby> とも表記され、サイコロのこと。) (英訳 <span style="font-size:25px;">''[[wikt:en:the die is cast|the die is cast]]''</span> )<br>     カエサルがルビコン川を渡るときに言ったと伝えられる言葉。<br>     事を始めてしまった今となっては、もう断固として実行するのみである、というような意味で用いられる。 *'''出典''': 2世紀の伝記作家&nbsp;'''[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]''' ('''[[w:la:Suetonius|Gaius Suetonius Tranquillus]]''', 英 ''[[w:en:Suetonius|Suetonius]]'' ; AD69年頃~122以後?[没年諸説あり]) の<br>    『ローマ皇帝伝』 ([[w:la:De vita Caesarum|De vita Caesarum]] カエサルたちの生涯について) の<br>   「カエサル伝」(Divus Iulius 神君ユリウス伝) の32節で述べられている。 [[画像:LocationRubicon.PNG|right|200px|thumb|ガリアとイタリア本土の境であった[[w:ルビコン川|ルビコン川]]の位置。]] *'''背景''': カエサルがガリアで輝かしい戦功を上げると(『'''[[ガリア戦記]]'''』を参照)、元老院を牛耳る <ruby><rb>[[w:オプティマテス|門閥派]]</rb><rp>(</rp><rt>オプティマテス</rt><rp>)</rp></ruby> (閥族派、元老院派とも) と呼ばれる寡頭政主義者たちは、対立する <ruby><rb>[[w:ポプラレス|民衆派]]</rb><rp>(</rp><rt>ポプラレス</rt><rp>)</rp></ruby>の領袖であるカエサルが名声を高めていることを非常に警戒し、軍隊を持つカエサルが首都ローマに不在のまま翌年の執政官に立候補しようとすることを阻み、カエサルが立候補したいならガリア総督を辞し軍隊を解散して首都に来るように通告した。カエサルが部隊を連れずに首都に来ようとすれば、元老院派によって捕らわれてしまうことは明白だった。当時、ガリアとイタリア本土の境に定められていた小川であるルビコン川を軍隊を連れたまま越えることは国法により禁じられていたが、カエサルはあえて部隊をルビコン川のたもとに進めた。 === スエトニウスの記述 === スエトニウスの「カエサル伝」32節の記述によれば、カエサルがルビコン川を渡ってイタリア本土に侵攻するべきか迷っていると、不思議な男が現われてアシの笛を吹き、集まって来たカエサルの兵士たちの一人ががラッパで応じると、男はラッパを兵士から取り上げてルビコン川の岸辺でラッパを吹き鳴らしながら、川の対岸へ渡って行ったという (この不思議なエピソードは他の史家は伝えていない)。 スエトニウスは、次のように続けている。 {| class="wikitable" |+ ! ラテン語(原文) | <big>[[wikt:en:tunc|Tunc]] Caesar : '[[wikt:en:eatur|eātur]],' [[wikt:en:inquit|inquit]], '[[wikt:en:quo#Etymology_1|quō]] [[wikt:en:deorum|deōrum]] [[wikt:en:ostentum|ostenta]] et [[wikt:en:inimicorum|inimīcōrum]] [[wikt:en:iniquitas|inīquitās]] [[wikt:en:vocat|vocat]]. <span style="color:red;">[[wikt:en:iacta|Iacta]] [[wikt:en:alea#Latin|ālea]] [[wikt:en:est#Latin|est]]</span>,' inquit.</big> |- ! 和訳 | そのとき、カエサルは、「進もう」と言い、「神々の前兆と政敵たちの敵意が呼び寄せるところへ。 <span style="color:red;">サイコロは投げられたのだ</span>」と言った。 |} <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> == プルタルコスによる言及① == 帝制ローマ期のギリシア人史家 [[w:プルタルコス|プルタルコス]] (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">Πλούταρχος</span>, Ploútarkhos [plǔːtarkʰos], 英 ''[[w:en:Plutarch|Plutarch]]'' ; AD46年頃~120年頃) が著した伝記文学 <br>『対比列伝』 (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">Βίοι Παράλληλοι</span>, 英 ''[[wikt:en:Parallel Lives|Parallel Lives]]'' ; いわゆる 『プルターク英雄伝』) の2か所で言及されている。 『対比列伝』の「カエサル伝」(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">[[s:el:Βίοι Παράλληλοι/Καίσαρ|Καίσαρ]]</span> ; 英訳 ''[[s:en:Plutarch's Lives (Clough)/Caesar|Caesar]]'')の32節では、次のように述べられている。 {| class="wikitable" |+ |- ! 原文 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">ὡς ἦλθεν ἐπὶ τὸν διορίζοντα τὴν ἐντὸς Ἄλπεων Γαλατίαν ἀπὸ τῆς ἄλλης Ἰταλίας <span style="background-color:yellow;">ποταμὸν Ῥουβίκων</span> καλεῖται,</span> (中略) <br><span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">[5] ἔσχετο δρόμου καὶ τὴν πορείαν ἐπιστήσας πολλὰ μὲν αὐτὸς ἐν ἑαυτῷ διήνεγκε σιγῇ τὴν γνώμην ἐπ᾽ ἀμφότερα μεταλαμβάνων, καὶ τροπὰς ἔσχεν αὐτῷ τότε τὸ βούλευμα πλείστας πολλὰ δὲ καὶ τῶν φίλων τοῖς παροῦσιν, ὧν ἦν καὶ <span style="background-color:#99ffff;">Πολλίων Ἀσίννιος</span>, συνδιηπόρησεν, ἀναλογιζόμενος ἡλίκων κακῶν ἄρξει πᾶσιν ἀνθρώποις ἡ διάβασις, ὅσον τε λόγον αὐτῆς τοῖς αὖθις ἀπολείψουσι.  [6] τέλος δὲ μετὰ θυμοῦ τινος ὥσπερ ἀφεὶς ἑαυτὸν ἐκ τοῦ λογισμοῦ πρὸς τὸ μέλλον, καὶ τοῦτο δὴ τὸ κοινὸν τοῖς εἰς τύχας ἐμβαίνουσιν ἀπόρους καὶ τόλμας προοίμιον ὑπειπὼν, <span style="color:red;">‘Ἀνερρίφθω κύβος,’</span> ὥρμησε πρὸς τὴν διάβασιν</span> <ref>プルタルコス「カエサル伝」のギリシア語テキストは、[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0130%3Achapter%3D32%3Asection%3D6 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6] による。</ref> |- ! 英訳 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:14pt;color:#999999;"><u>When he came to the river which separates Cisalpine Gaul from the rest of Italy (it is called <span style="background-color:yellow;">the Rubicon</span>), </u> and began to reflect, now that he drew nearer to the fearful step and was agitated by the magnitude of his ventures, he checked his speed.   [5] Then, halting in his course, he communed with himself a long time in silence as his resolution wavered back and forth, and his purpose then suffered change after change. For a long time, too, he discussed his perplexities with his friends who were present, among whom was <span style="background-color:#99ffff;">Asinius Pollio</span>, estimating the great evils for all mankind which would follow their passage of the river, and the wide fame of it which they would leave to posterity.   <u>[6] But finally, with a sort of passion, as if abandoning calculation and casting himself upon the future, and uttering the phrase with which men usually prelude their plunge into desperate and daring fortunes, <span style="color:red;">‘Let the die be cast,’</span> he hastened to cross the river;</u></span> <ref>プルタルコス「カエサル伝」の英訳テキストは、[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0244%3Achapter%3D32%3Asection%3D6 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6] による。</ref> |- ! 和訳 | <span style="font-size:13pt;color:#000000;">彼(カエサル)が アルプスの内側のガリアとイタリアの残りの地方を分かつ<span style="background-color:yellow;">ルビコン川</span>にやって来たときに、(中略) ついに、一種の熱情の中で、打算をのけて、来るかも知れないことに自分自身を投げ出して、危険や大胆な企てに入る者たちがしばしば口にすることわざ<span style="color:red;">'''「サイコロは、投げてしまおう」'''</span>を使って、渡河した。</span> |} プルタルコスが記したカエサルの言葉は、ギリシア語で <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">Ἀνερρίφθω κύβος</span> 。 英訳では ''Let the die be cast''、和訳では<span style="color:red;">「賽は投げてしまおう」</span><ref>ちくま学芸文庫 『プルタルコス英雄伝 下』 より、[[w:長谷川博隆|長谷川博隆]]訳「カエサル」33(p.219)を参照。</ref>、<span style="color:red;">「<ruby><rb>[[wikt:ja:骰子#Japanese|骰子]]</rb><rp>(</rp><rt>さい</rt><rp>)</rp></ruby>は高く投げらるべし」</span><ref>マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.160-161を参照。</ref> などと訳されている。 <span style="color:red;"></span> *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:25pt;color:#009999;">Ἀνερρίφθω κύβος</span> (anerrhī́phthō kúbos) **<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">ἀναρρίπτω</span> (anarrhī́ptō‎) 動詞 「投げる」 ***<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">[[wikt:en:ἀνερρίφθω|ἀνερρίφθω]]</span> 3人称・単数・完了・中-受動相・命令法 「投げられるべし」「投げてしまえ」 **<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">[[wikt:en:κύβος#Ancient Greek|κύβος]]</span> 名詞 「サイコロ」 また、カエサルがルビコン川を渡るかどうか協議した側近たちの中には、<span style="background-color:#99ffff;">[[w:ガイウス・アシニウス・ポッリオ (紀元前40年の執政官)|ガイウス・アシニウス・ポッリオ]] ([[w:en:Gaius Asinius Pollio (consul 40 BC)|Gaius Asinius Pollio]]; BC75~AD4年)</span> がいたことも記されている。彼は、内戦に際してカエサルに従い、後に執政官も務め、さらには同時代史を著した人物である。彼の著作は残っていないが、プルタルコスらの引用によって知られている。すなわち、カエサルが発したこの言葉は、側近だったアシニウス・ポッリオ自身によって著作に記され、プルタルコスに伝えられたと考えられるのである。 == プルタルコスによる言及② == プルタルコスの『対比列伝』の「ポンペイウス伝」(<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">[[s:el:Βίοι Παράλληλοι/Πομπήιος|Πομπήιος]]</span> ; 英訳 ''[[s:en:Plutarch's Lives (Clough)/Pompey|Pompey]]'')の60節では、次のように述べられている。 {| class="wikitable" |- ! 原文 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">[2] καὶ γὰρ ἐπὶ τὸν <span style="background-color:yellow;">Ῥουβίκωνα ποταμὸν</span> ἐλθών, ὃς ἀφώριζεν αὐτῷ τὴν δεδομένην ἐπαρχίαν, ἔστη σιωπῇ καὶ διεμέλλησεν, αὐτὸς ἄρα πρὸς ἑαυτὸν συλλογιζόμενος τὸ μέγεθος τοῦ τολμήματος, εἶτα, ὥσπερ οἱ πρὸς βάθος ἀφιέντες ἀχανὲς ἀπὸ κρημνοῦ τινος ἑαυτούς, μύσας τῷ λογισμῷ καὶ παρακαλυψάμενος πρὸς τὸ δεινόν, καὶ τοσοῦτον μόνον <span style="background-color:#99ff99;">Ἑλληνιστὶ</span> πρὸς τοὺς παρόντας ἐκβοήσας, <span style="color:red;">‘ἀνερρίφθω κύβος,’</span> διεβίβαζε τὸν στρατόν. </span> <ref>プルタルコス「ポンペイウス伝」のギリシア語テキストは、[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0123%3Achapter%3D60%3Asection%3D2 Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2] による。</ref> |- ! 英訳 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#999999;">[2] And so, when he was come to <span style="background-color:yellow;">the river Rubicon</span>, which was the boundary of the province allotted to him, he stood in silence and delayed to cross, reasoning with himself, of course, upon the magnitude of his adventure.  Then, like one who casts himself from a precipice into a yawning abyss, he closed the eyes of reason and put a veil between them and his peril, and calling out <span style="background-color:#99ff99;">in Greek</span> to the bystanders these words only, <span style="color:red;">‘Let the die be cast,’</span> he set his army across. </span> <ref>プルタルコス「ポンペイウス伝」の英訳テキストは、[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0058%3Achapter%3D60%3Asection%3D2 Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2] による。</ref> |- ! 和訳 | <span style="font-size:13pt;color:#000000;">彼(カエサル)は、彼に割り当てられた属州の境界であった<span style="background-color:yellow;">'''ルビコン川'''</span>にやって来たときに、彼は沈黙したまま立ち尽くして、渡河を遅らせ、自らを説得していた。もちろん、彼の冒険の大きさを思ってのことである。 それから、絶壁から口を開けた深淵に身を投じる者のごとく、理性の見地を閉じ、彼らと彼の危険の間に覆いをして、居合わせたものたちに、<span style="background-color:#99ff99;">'''ギリシア語で'''</span>ただ<span style="color:red;">「サイコロは、投げてしまおう」</span>という言葉を叫んで、彼の軍隊を渡河させたのだ。</span> |} プルタルコスは、ここでも、カエサルの言葉をギリシア語の <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">Ἀνερρίφθω κύβος</span> ‎(anerrhíphthō kúbos‎) <span style="color:red;">「サイコロは、投げてしまおう」</span>と記し、しかも<span style="background-color:#99ff99;">「ギリシア語で」</span>とはっきり述べている。 <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;"></span> == アッピアノスによる言及 == プルタルコスより少し後の世代の2世紀のギリシア人史家 '''[[w:アッピアノス|アレクサンドリアのアッピアノス]]''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">Ἀππιανὸς Ἀλεξανδρεύς</span>, Appianós Alexandréus, 羅 [[w:la:Appianus Alexandrinus|Appianus Alexandrinus]], 英 ''[[w:en:Appian|Appian of Alexandria]]'' ;  AD95頃~165年頃) が著した全24巻の大著 '''『ローマ史』''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">Ῥωμαϊκά</span>, Romaiká, 羅 Historia Romana) の現存する部分のうち、ローマ内戦を描写した '''『内乱記』''' (英 ''The Civil Wars'' ) の 第2巻5章35節 (Book 2, chapter 5, section 35) には、次のように言及されている。 {| class="wikitable" |+ |- ! 原文 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">[35] τοὺς οὖν λοχαγοὺς αὐτῶν σὺν ὀλίγοις τοῖς μάλιστα εὐτολμοτάτοις, εἰρηνικῶς ἐσταλμένοις, προύπεμπεν ἐσελθεῖν ἐς Ἀρίμινον καὶ τὴν πόλιν ἄφνω καταλαβεῖν: ἡ δ᾽ ἐστὶν Ἰταλίας πρώτη μετὰ τὴν Γαλατίαν.   αὐτὸς δὲ περὶ ἑσπέραν, ὡς δὴ τὸ σῶμα ἐνοχλούμενος, ὑπεχώρησε τοῦ συμποσίου, τοὺς φίλους ἀπολιπὼν ἔτι ἑστιᾶσθαι καὶ ζεύγους ἐπιβὰς ἤλαυνεν ἐς τὸ Ἀρίμινον, ἑπομένων οἱ τῶν ἱππέων ἐκ διαστήματος.   δρόμῳ δ᾽ ἐλθὼν ἐπὶ τὸν <span style="background-color:yellow;">Ῥουβίκωνα ποταμόν</span>, ὃς ὁρίζει τὴν Ἰταλίαν, ἔστη τοῦ δρόμου καὶ ἐς τὸ ῥεῦμα ἀφορῶν περιεφέρετο τῇ γνώμῃ, λογιζόμενος ἕκαστα τῶν ἐσομένων κακῶν, εἰ τόνδε τὸν ποταμὸν σὺν ὅπλοις περάσειε. καὶ πρὸς τοὺς παρόντας εἶπεν ἀνενεγκών: ‘ἡ μὲν ἐπίσχεσις, ὦ φίλοι, τῆσδε τῆς διαβάσεως ἐμοὶ κακῶν ἄρξει, ἡ δὲ διάβασις πᾶσιν ἀνθρώποις.’ καὶ εἰπὼν οἷά τις ἔνθους ἐπέρα σὺν ὁρμῇ, τὸ κοινὸν τόδε ἐπειπών: <span style="color:red;">‘ὁ κύβος ἀνερρίφθω.’ </span> <ref>アッピアノス「内乱記」のギリシア語テキストは、 [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0231%3Abook%3D2%3Achapter%3D5%3Asection%3D35 Appian, The Civil Wars, Book 2, chapter 5, section 35] による。</ref></span> |- ! 英訳 | <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:14pt;color:#999999;">[35] Accordingly, he sent forward some centurions with a few of his bravest troops in peaceful garb to go inside the walls of Ariminum and take it by surprise. This was the first town in Italy after leaving Cisalpine Gaul.   Toward evening Cæsar himself rose from a banquet on a plea of indisposition, leaving some friends who were still feasting.   He mounted his chariot and drove toward Ariminum, his cavalry following at a short distance.   <u>When his course brought him to <span style="background-color:yellow;">the river Rubicon</span>, which forms the boundary line of Italy, he stopped and, while gazing at the stream, revolved in his mind the evils that might result from his crossing it with arms.</u>   <u>Recovering himself he said to those who were present, "My friends, stopping here will be the beginning of sorrows for me; crossing over will be such for all mankind."</u>   <u>Thereupon, he crossed with a rush like one inspired, uttering the common phrase, <span style="color:red;">"Let the die be cast."</span></u><ref>アッピアノス「内乱記」の英訳テキストは、 [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0232%3Abook%3D2%3Achapter%3D5%3Asection%3D35 Appian, The Civil Wars, BOOK II, CHAPTER V, section 35] による。</ref> |- ! 和訳 |'''(前略)'''  <span style="font-size:15pt;color:#000000;">彼(カエサル)の進路が、彼をイタリアの境界線を形づくる<span style="background-color:yellow;">ルビコン川</span>に連れて行ったときに、彼は立ち止まり、流れを眺めている間に、軍隊とともに彼が渡河することが招くであろう不運に想いをめぐらせた。  我に帰ると、彼は眼前にいる者たちに告げた: 「我が友らよ、ここに留まることは、私にとっての悲嘆の始まりとなるであろう; 渡河することは、全人類にとってそのようになるであろう。」  そこで直ちに、鼓舞された者であるかのように、一般的な(よく使われる)決まり文句&nbsp;<span style="color:red;">'''「サイコロは、投げてしまおう」'''</span>を発して、猛烈な勢いで渡河した。 |} アッピアノスが伝えたカエサルの言葉は、 <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">‘ὁ κύβος ἀνερρίφθω</span> だが、語順が異なるだけで、プルタルコスが伝えたものと意味は同じである。 アッピアノスも、プルタルコスと同様に、アシニウス・ポッリオの史書から引用をしていると考えられる。 プルタルコスとアッピアノスの2人の史家が伝えていることから、カエサルがこのような言葉を発したことは、信憑性が高いとされている。 <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;"></span> == メナンドロスの喜劇 (アテナイオス『食卓の賢人たち』 より) == 二人のギリシア人史家 プルタルコスとアッピアノスがカエサルの発言について言及したことを見て来たが、ところでカエサルはなぜギリシア語で「サイコロは、投げてしまおう」と言ったのであろうか。 実は、カエサルは、ギリシアの喜劇作家 '''[[w:メナンドロス (作家)|メナンドロス]]''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">Μένανδρος</span>, Ménandros [[wikt:en:Μένανδρος|/mé.nan.dros/]], 英 ''[[w:en:Menander|Menander]]'' ; BC 342/41年頃~290年頃) の作品を愛好していて、その台詞を口にしたと考えられている<ref>マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.160-161などを参照。</ref>。 メナンドロスの数多くの喜劇のほとんどは、失われて残っていない。 2~3世紀のエジプトに、'''[[w:ナウクラティス|ナウクラティス]]の[[w:アテナイオス|アテナイオス]]''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">Ἀθήναιος Nαυκρατίτης</span> , Athếnaios Naukratitês, [[wikt:en:Ἀθηναῖος|/a.tʰɛː.nái̯.os/ → /a.θiˈnɛ.os/]],/ˌæθəˈniːəs/, 英 ''[[w:en:Athenaeus|Athenaeus]]'', 仏 ''[[w:fr:Athénée de Naucratis|Athénée de Naucratis]]'' ; 生没年不詳) というギリシア人の著述家がいた。 このアテナイオスの 『'''[[w:食卓の賢人たち|食卓の賢人たち]]'''』 (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:18pt;color:#009999;">Δειπνοσοφισταί</span>, Deipnosophistaí, (デイプノソフィスタイ), 英 ''[[w:en:Deipnosophistae|Deipnosophistae]]'', 仏 ''[[w:fr:Les Deipnosophistes|Deipnosophistes]]'') という風変わりな著作は、約800人もの多数の作家のギリシア語の著作から引用をしており、その中にメナンドロスの喜劇も引用されているのだ。 下の表に、該当する箇所のギリシア語・英訳・和訳を示す。 {| class="wikitable" |+ |- ! 原文 !! 英訳 !! 和訳 |- | style="vertical-align:middle" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;"><span style="background-color:yellow;">Μένανδρος</span> δ᾽ ἐν Ἀρρηφόρῳ ἢ Αὐλητρίδι: | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;color:#999999;">And <span style="background-color:yellow;">Menander</span>, <br>in his <small>Woman carrying the Sacred Vessel of Minerva</small>, <br>or the Female Flute-player, says— </span> | style="vertical-align:middle" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:12pt;color:#000000;"><span style="background-color:yellow;">メナンドロス</span>は『アレポロス』(または『笛吹き女』)で、</span> |- | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">   οὐ γαμεῖς, ἂν νοῦν ἔχῃς, <br>τοῦτον καταλείπων τὸν βίον. <br>γεγάμηκα γὰρ αὐτός:: <br>διὰ τοῦτό σοι παραινῶ μὴ γαμεῖν. </span> | style="vertical-align:top" |<u>''A''.</u><span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;color:#999999;"> You will not marry if you're in your senses <br>When you have left this life. <br>For I myself Did marry; <br>so I recommend you not to.</span> | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:12pt;color:#000000;"> '''甲''' もし正気なら、今のその生活を捨てて、結婚なんかするな。<br>俺自身が結婚していて、その俺が言うのだ。結婚するなってな。</span> |- | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;"><span style="color:brown;">'''β.''' δεδογμένον τὸ πρᾶγμ᾽</span>&nbsp; <span style="color:red;"><big>ἀνερρίφθω κύβος.</big></span></span> | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;color:#999999;"><span style="color:brown;"><u>''B''.</u> The matter is decided—</span><span style="color:red;"><big>the die is cast.</big></span></span> | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:12pt;color:#000000;"><span style="color:brown;">'''乙''' もう話は決まっちまってるんだ。</span><span style="color:red;">ま、賽を投げろ、だな。</span></span> |- | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;">'''α.''' πέραινε, σωθείης δέ: νῦν ἀληθινὸν <br>εἰς πέλαγος αὑτὸν ἐμβαλεῖς γὰρ πραγμάτων, οὐ Λιβυκὸν οὐδ᾽ Αἰγαῖον ... ,<br>οὗ τῶν τριάκοντ᾽ οὐκ ἀπόλλυται τρία πλοιάρια: γήμας δ᾽ οὐδὲ εἷς σέσωσθ᾽ ὅλως. </span> <ref>アテナイオス「食卓の賢人たち」のギリシア語訳は、 [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0405%3Abook%3D13%3Achapter%3D8 Athenaeus, The Deipnosophists, book 13, chapter 8] による。</ref> | style="vertical-align:top" |<u>''A''.</u><span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:13pt;color:#999999;"> Go on then. I do wish you then well over it; <br>But you are taking arms, with no good reason, <br>Against a sea of troubles. <br>In the waves Of the deep Libyan or Aegean sea Scarce three of thirty ships are lost or wreck'd; <br>But scarcely one poor husband 'scapes at all.</span> <ref>アテナイオス「食卓の賢人たち」の英訳は、 [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2013.01.0003%3Abook%3D13%3Achapter%3D8 Athenaeus, The Deipnosophists, Book XIII., chapter 8] による。</ref> | style="vertical-align:top" |<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:12pt;color:#000000;">'''甲''' そうか。まあ、やってみろ。無事を祈るぞ。それにしてもな、おまえは今、正真正銘のごたごたの海に身を投じようとしているのだ。<br>十隻難破した船のうち、一隻は助かるという、リビュアの海やエーゲ海じゃない。結婚したやつは、まったく、一人も、助かってないんだぞ。</span><br><br>  (日本語訳は、<br>『食卓の賢人たち 5』 柳沼重剛訳、<br>  京都大学学術出版会 より引用。) |} アテナイオスの引用によれば、肝心の部分は、次のようになっている。 *<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">'''β.''' δεδογμένον τὸ πρᾶγμ᾽&nbsp; <span style="color:red;">ἀνερρίφθω κύβος.</span></span> **<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#999999;"><u>''B''.</u> The matter is decided—<span style="color:red;"><big>the die is cast.</big></span></span> ***<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#000000;">'''乙''' もう話は決まっちまってるんだ。<span style="color:red;">ま、賽を投げろ、だな。</span></span> ※あるいは、「もう決めてしまったのだ。<span style="color:red;">サイコロは投げてしまおう、と。</span>」<ref>マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.330-331などを参照。</ref> などと、訳されている。 メナンドロスはラテン文学の形成に大きな影響を与えた作家であり、このギリシア語の台詞の半句がローマ人たちの間で流行り言葉となっていたとも考えられる。 ルビコン川を渡るに際して、カエサルはその流行り言葉を言い放ったのであろう。 == スエトニウスのラテン語訳 == 以上、見て来たことをまとめる。 *カエサルは、元老院派と武力で対決するために 国法に違反してルビコン川を渡ることを決意して、彼自身が愛好していたメナンドロス (前4~3世紀) の喜劇の流行っていたと思われる台詞の半句 <div style="background-color:#ccccff;">   <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">Ἀνερρίφθω κύβος</span>  <span style="color:red;">'''「サイコロは、投げてしまおう」'''</span></div> を唱えながら、ルビコン川を渡った。 *カエサルの発言を、友人・側近だったアシニウス・ポッリオ (BC75~AD4年) が、後に著書の中に記したと考えられる。ポッリオの著書(現存せず)を参照している二人のギリシア人史家 '''[[w:プルタルコス|プルタルコス]]''' (AD46年頃~120年頃) と '''[[w:アッピアノス|アッピアノス]]''' (AD95頃~165年頃) が、カエサルの言葉に言及していることから判る。 彼らの言及は、'''[[w:アテナイオス|アテナイオス]]''' (2~3世紀) が引用しているメナンドロスの喜劇の台詞とも合致する。 <br><div style="background-color:#ccffcc;"><big>'''[[w:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス|スエトニウス]]'''</big> (''[[w:en:Suetonius|Suetonius]]'' ) の 『ローマ皇帝伝』 の 「カエサル伝」 32節(写本)では、ルビコン川を渡るときのカエサルの言葉は、ラテン語で :<span style="font-size:25px;color:#ff0000;">iacta ālea est</span>  <span style="font-size:20px;color:#ff0000;"> 「サイコロは、投げられた」</span>  と伝えられている。これは<u>誤訳されたラテン語(''the mis-translated Latin'' )</u>であり、<br>動詞 [[wikt:en:sum#Latin|sum]]の3人称・単数・<u>現在</u>・能動・<u>直説法</u> [[wikt:en:est#Latin|est]] の代わりに、3人称・単数・<u>未来</u>・能動・<u>命令法</u> [[wikt:en:esto#Latin|estō]] を用いて :<span style="font-size:25px;color:#ff00ff;">iacta ālea estō</span>  <span style="font-size:20px;color:#ff0000;"> 「サイコロは、投げてしまえ」</span>  と訳す方が正しいという文法的な解釈もある <ref>[[w:en:Menander#Famous quotations]] などを参照</ref>。 </div> <big>'''スエトニウス'''</big> <ref>スエトニウスについては、『増補改訂 新潮世界文学辞典』(新潮社)の「スエートーニウス」の項などを参照した。</ref> は、[[w:トラヤヌス|トラヤヌス]]帝や[[w:ハドリアヌス|ハドリアヌス]]帝に仕え、特に後者のもとでは<u>皇帝側近の文書係(117~122年)</u>の要職を務めていた。彼の著書 『ローマ皇帝伝』 は、この文書係のときに閲覧していた帝室文書類からの豊富な知識をもとにして書かれたといわれている。 <br>スエトニウスは、帝室文書類から得ていた知識により、歴代皇帝についてスキャンダルや風説の類いも事細かく書き残している。 だが、スエトニウスは軍人や官吏であった割には 政治や軍事への理解が乏しく、該博な知識を持っていた割には 彼の『ローマ皇帝伝』は些末なエピソードの羅列に過ぎない、とも思われる。 スエトニウスは、同じ時代の[[w:タキトゥス|タキトゥス]]やプルタルコスに比べて、歴史家としての資質を欠いていたという低い評価もある。 しかしながら、スエトニウスには伝記文学の書き手としてある種の才能があり ──特にゴシップ記事的な語り口は鋭く──、ギリシア・ローマの文化が衰退した古代末期から中世ヨーロッパ文化の形成においては、同時代の伝記作家プルタルコスよりもむしろ大きな影響を与えたことも確かなことである。 スエトニウスは、カエサルの「賽は投げられた」のほか、以下のような多くの名言をラテン語でヨーロッパに広めている。 *カエサル **'''「お前もか、息子よ」''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">καὶ σὺ, τέκνον</span>) *アウグストゥス **'''「ゆっくり急げ」''' ([[wikt:en:festina lente|festīnā lentē]] < <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:20pt;color:#009999;">[[wikt:en:σπεῦδε βραδέως|σπεῦδε βραδέως]]</span> のラテン語訳) **'''「アスパラガスが料理されるよりもすばやく」''' ([[w:la:Celerius quam asparagi cocuntur|celerius quam asparagī cocuntur]]) **'''「クィンティリウス・ウァルスよ、軍団を返せ!」''' (Quintili Vare, legiones redde!) <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;color:#009999;"></span> == 脚注 == <references /> == 参考文献 == == 関連記事 == *'''[[ラテン語の語句]]''' *Wikipedia英語版 **'''[[w:en:Alea iacta est]]''' **'''[[w:en:Menander#Famous quotations]]''' (メナンドロスの有名な引用句) *Wiktionary英語版 **'''[[wikt:en:iacta alea est]]''' - [[wikt:en:alea iacta est]] **'''[[wikt:en:the die is cast]]''' == 外部リンク == *[http://www.thelatinlibrary.com/suetonius/suet.caesar.html SVETONI TRANQVILII VITA DIVI IVLI] スエトニウス「カエサル伝」 (the Latin Library) *コトバンク **[https://kotobank.jp/word/%E8%B3%BD%E3%81%AF%E6%8A%95%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F-507084 賽は投げられた(サイハナゲラレタ)とは - コトバンク] **[https://kotobank.jp/word/%E9%87%87%E3%83%BB%E8%B3%BD%E3%83%BB%E9%AA%B0%E5%AD%90-271554 采・賽・骰子(さい)とは - コトバンク] **[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9-83341 スエトニウスとは - コトバンク] **[https://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%BC%9D-1165065 皇帝伝(こうていでん)とは - コトバンク] *[https://dictionary.goo.ne.jp/jn/84469/meaning/m0u/ 賽は投げられた(さいはなげられた)の意味 - goo国語辞書] === ギリシア語・英訳テキスト === *[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/ Perseus Digital Library] **プルタルコス「カエサル伝」 ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2008.01.0130 Plutarch, Caesar (Greek) (ed. Bernadotte Perrin)] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0130%3Achapter%3D32%3Asection%3D4 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 4] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0130%3Achapter%3D32%3Asection%3D5 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 5] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0130%3Achapter%3D32%3Asection%3D6 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6] ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0244 Plutarch, Caesar (English) (ed. Bernadotte Perrin)] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0244%3Achapter%3D32%3Asection%3D4 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 4] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0244%3Achapter%3D32%3Asection%3D5 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 5] ****[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0244%3Achapter%3D32%3Asection%3D6 Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6] **プルタルコス「ポンペイウス伝」 ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2008.01.0123 Plutarch, Pompey (Greek) (ed. Bernadotte Perrin)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0123%3Achapter%3D60%3Asection%3D2 Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2]''' ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2008.01.0058 Plutarch, Pompey (English) (ed. Bernadotte Perrin)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0058%3Achapter%3D60%3Asection%3D2 Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2]''' **アッピアノス「内乱記」 ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0231 Appian, The Civil Wars (Greek) (ed. L. Mendelssohn)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0231%3Abook%3D2%3Achapter%3D5%3Asection%3D35 Appian, The Civil Wars, Book 2, chapter 5, section 35]''' ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0232 Appian, The Civil Wars (English) (ed. Horace White)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0232%3Abook%3D2%3Achapter%3D5%3Asection%3D35 Appian, The Civil Wars, BOOK II, CHAPTER V, section 35]''' **アテナイオス「食卓の賢人たち」 ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2008.01.0405 Athenaeus, The Deipnosophists (Greek) (ed. Charles Burton Gulick)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2008.01.0405%3Abook%3D13%3Achapter%3D8 Athenaeus, The Deipnosophists, book 13, chapter 8]''' ***[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:2013.01.0003 Athenaeus, The Deipnosophists (English) (ed. C. D. Yonge, B.A.)] ****'''[http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A2013.01.0003%3Abook%3D13%3Achapter%3D8 Athenaeus, The Deipnosophists, Book XIII., chapter 8]''' [[Category:ガイウス・ユリウス・カエサルの著作|さいは]] [[Category:ラテン語の語句|Alea]]
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2022-12-04T08:13:35Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E8%B3%BD%E3%81%AF%E6%8A%95%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F_alea_iacta_est
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聖書ヘブライ語入門/暗誦1
イザヤ406b-8
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イザヤ406b-8
{| |- |style="text-align:left" |人はみな 草, |style="text-align:left" |kol-habbāśār ḥāṣīr |style="text-align:right"|כָּל־הַבָּשָׂר חָצִיר |- |style="text-align:left" |その優美さもみな野の花のよう. |style="text-align:left" |wəḵol-ḥasdō kəṣīṣ haśśāde |style="text-align:right"|וְכָל־חַסְדּוֹ כְּצִיץ הַשָּׂדֶֽה׃ |- |style="text-align:left" |草は枯れ,花はしぼむ, |style="text-align:left" |yāḇēš ḥāṣīr nāḇēl ṣīṣ |style="text-align:right"|יָבֵשׁ חָצִיר נָבֵל צִיץ |- |style="text-align:left" |ヤハウェの霊風(かぜ)そこに吹けば, |style="text-align:left" |kī rū<sup>a</sup>ḥ yahwe nāšəḇā bō |style="text-align:right"|כִּי רוּחַ יַהְוֶה נׇֽשְׁבׇה בּ֑וֹ |- |style="text-align:left" |まことに 民は草, |style="text-align:left" |'āḵēn ḥāṣīr hāˁām: |style="text-align:right"|אׇכֵן חׇצִיר הׇעׇֽם׃ |- |style="text-align:left" |草は枯れ,花はしぼむ, |style="text-align:left"|yāḇēš ḥāṣīr nāḇēl ṣīṣ |style="text-align:right" |יָבֵשׁ חָצִיר נָבֵל צִ֑יץ |- |style="text-align:left" |われらの神の言葉は永遠(とわ)に立つ. |style="text-align:left"|wūdəḇar-'<sup>e</sup>lōhēnū yāqūm ləˁōlām: |style="text-align:right" |וּדְבַר־אֱלהֵׁינוּ יָקוּם לְעוֹלָֽם׃ |} [[s:%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#40:6|イザヤ40<sub>6b-8</sub>]] [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:20:44Z
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聖書ヘブライ語入門/暗誦2
申命記64-5 語註 שְׁמַע は「聞く」という意味の動詞の男性・二人称・単数の命令形。命令の対象は ישראל 、多くの場合このように後置される。 וְאָהַבְתָּ は「愛する」という動詞の男性・二人称・単数のワウ完了形。 אֵת は原則として目的格の定名詞句の前に置かれる助詞。 בְּ はここでは「をもって」と訳される前置詞。 כָּל kol は כּוֹל 《すべて》の連語形。 לֵבָב 《心》、 נֶפֶשׁ ( נַפְשׁ )《のど、魂、存在》、 מְאֹד (名詞としては)《力》。 מְאֹדֶֽךָ は ־ְךָ の休止形(3.2.3)。 第二行目は 9.1の例文7 と同じであるが、 訳はわざと変えてみた。性・数を等しくする四個の名詞を並べたこの表現は、その構文からして様々な解釈が可能である。 אֶחָד を יהוה に対する修飾部として「唯一なるヤハフェ」と読むためには、原則的には הָאֶחָד となっていなければならない。しかし יהוה האחד なる表現は聖書に無く、 יהוה אחד も管見の限りではゼカリア149にあるのみ。 しかしこの文のような表現こそ論理学的な主―述関係から把えることは一方的なのではないだろうか(4.3.2参照)。その意味で Martin Buber のドイツ語訳(1868改訂)における ER unser Gott, ER Einer! (Buber は יהוה を常に ER と訳する)という訳は示唆的である。
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申命記64-5 語註 ‏ שְׁמַע ‎ は「聞く」という意味の動詞の男性・二人称・単数の命令形。命令の対象は ‏ ישראל ‎、多くの場合このように後置される。 ‏ וְאָהַבְתָּ ‎ は「愛する」という動詞の男性・二人称・単数のワウ完了形。 ‏ אֵת ‎ は原則として目的格の定名詞句の前に置かれる助詞。 ‏ בְּ ‎ はここでは「をもって」と訳される前置詞。 ‏ כָּל ‎ kol は ‏ כּוֹל ‎《すべて》の連語形。 ‏ לֵבָב ‎《心》、‏ נֶפֶשׁ ‎(‏ נַפְשׁ ‎)《のど、魂、存在》、 ‏ מְאֹד ‎(名詞としては)《力》。 ‏ מְאֹדֶֽךָ ‎ は ‏ ־ְךָ ‎ の休止形(3.2.3)。 第二行目は 9.1の例文7 と同じであるが、 訳はわざと変えてみた。性・数を等しくする四個の名詞を並べたこの表現は、その構文からして様々な解釈が可能である。‏ אֶחָד ‎ を ‏ יהוה ‎ に対する修飾部として「唯一なるヤハフェ」と読むためには、原則的には ‏ הָאֶחָד ‎ となっていなければならない。しかし ‏ יהוה האחד ‎ なる表現は聖書に無く、‏ יהוה אחד ‎ も管見の限りではゼカリア149にあるのみ。 しかしこの文のような表現こそ論理学的な主―述関係から把えることは一方的なのではないだろうか(4.3.2参照)。その意味で Martin Buber のドイツ語訳という訳は示唆的である。
{| |- |style="text-align:left" |聞け、イスラエル ― |style="text-align:left" |šəma` yiśrā'ēl. |style="text-align:right"|שְׁמַע יִשְׂרָאֵל |- |style="text-align:left" |ヤハウェが我らの神、ヤハウェひとりが |style="text-align:left" |yahwe <sup>e</sup>lōhēnū yahwe 'eḥād |style="text-align:right"|יהוה אֱלֹהֵינוּ יהוה אֶחָֽד׃ |- |style="text-align:left" |汝の神ヤハウェを汝は愛する |style="text-align:left" |wə'āhabtā 'ēt yahwe <sup>e</sup>lōheḵā |style="text-align:right"|וְאָהַבְתָּ אֵת יהוה אֱלֹהֶ֑יךָ |- |style="text-align:left" |汝の全心をもって |style="text-align:left" |bəḵol-ləḇāḇəḵā |style="text-align:right"|בְּכָל־לְבָבְךָ |- |style="text-align:left" |汝の全存在をもって |style="text-align:left" |wūḇəḵol-na<span class="Unicode">p̄</span>šəḵā |style="text-align:right"|וּבְכָל־נַפְשְׁךָ |- |style="text-align:left" |汝の全力をもって |style="text-align:left" |wūḇəḵol-mə'ōdeḵā |style="text-align:right"|וּבְכָל־מְאֹדֶֽךָ׃ |} [[s:%E7%94%B3%E5%91%BD%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:4|申命記6<sub>4-5</sub>]] 語註 &rlm; שְׁמַע &lrm; は「聞く」という意味の動詞の男性・二人称・単数の命令形。命令の対象は &rlm; ישראל &lrm;、多くの場合このように後置される。 &rlm; וְאָהַבְתָּ &lrm; は「愛する」という動詞の男性・二人称・単数のワウ完了形。 &rlm; אֵת &lrm; は原則として目的格の定名詞句の前に置かれる助詞。 &rlm; בְּ &lrm; はここでは「をもって」と訳される前置詞。 &rlm; כָּל &lrm; kol は &rlm; כּוֹל &lrm;《すべて》の連語形。 &rlm; לֵבָב &lrm;《心》、&rlm; נֶפֶשׁ &lrm;(&rlm; נַפְשׁ &lrm;)《のど、魂、存在》、 &rlm; מְאֹד &lrm;(名詞としては)《力》。 &rlm; מְאֹדֶֽךָ &lrm; は &rlm; ־ְךָ &lrm; の休止形([[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/アクセント/句読符号|3.2.3]])。 第二行目は [[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/例文#9.1.文7|9.1の例文7]] と同じであるが、 訳はわざと変えてみた。性・数を等しくする四個の名詞を並べたこの表現は、その構文からして様々な解釈が可能である。&rlm; אֶחָד &lrm; を &rlm; יהוה &lrm; に対する修飾部として「唯一なるヤハフェ」と読むためには、原則的には &rlm; הָאֶחָד &lrm; となっていなければならない。しかし &rlm; יהוה האחד &lrm; なる表現は聖書に無く、&rlm; יהוה אחד &lrm; も管見の限りでは[[s:%E3%82%BC%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#14:9|ゼカリア14<sub>9</sub>]]にあるのみ。 しかしこの文のような表現こそ論理学的な主―述関係から把えることは一方的なのではないだろうか([[聖書ヘブライ語入門/名詞文・主述統合・冠詞・名詞の型/名詞文/主部と述部|4.3.2]]参照)。その意味で [[w:%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC|Martin Buber]] のドイツ語訳(1868改訂)における E<sub>R</sub> unser Gott, E<sub>R</sub> Einer! (Buber は &rlm; יהוה &lrm; を常に E<sub>R</sub> と訳する)という訳は示唆的である。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:20:46Z
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聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文
10.1 例文
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10.1 例文
10.1 例文 {| |- |style="text-align:left" |<span id="10.1" class="anchor"></span>1.ソドムの人々はヤハウェに対してはなはだ悪く罪深い。 |style="text-align:right"|א. וְאַנְשֵׁי סְדֹם רָעִים וְחַטָּּאִים לְיהוה מְאֹד |- |style="text-align:left" |<span id="10.2" class="anchor"></span>2.汝は多数の民、大きな力が汝に(ある)。 |style="text-align:right"|ב. עַם רַב אַתָּה וְכֹחַ גָּדוֹל לְךָ |- |style="text-align:left" |<span id="10.3" class="anchor"></span>3.アブラハムは家畜と銀と金とにおいて非常に豊かだ。 |style="text-align:right"|ג. וְאַבְרָם כָּבֵד מְאֹד בַּמִּקְנֶה בַּכֶּ֫סֶף וּבַזָּהָב |- |style="text-align:left" |<span id="10.4" class="anchor"></span>4.そして生命の樹は園の中央に。 |style="text-align:right"|ד. וְעֵץ הַחַיִּים בְּתוֹךְ הַגָּן |- |style="text-align:left" |<span id="10.5" class="anchor"></span>5.これが今やわが肉からの肉。 |style="text-align:right"|ה. זאׁת הַפַּ֫עַם בָּשָׂר מִבְּשָׂרִי |- |style="text-align:left" |<span id="10.6" class="anchor"></span>6.きみは私より正しい。 |style="text-align:right"|ו. צַדִּיק אַתָּה מִמֶּנִּי |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:11:14Z
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聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/単語
10.2 単語
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10.2 単語
10.2 単語 {| |- |style="text-align:left" |&rlm; אִישׁ &lrm; の複数形 &rlm; אֲנָשִׁים &lrm; の連語形 |style="text-align:left" |אַנְשֵׁי |- |style="text-align:left" |ソドム |style="text-align:left" |סְדֹם |- |style="text-align:left" |罪深い、罪人 |style="text-align:left" |חַטָּא |- |style="text-align:left" |民、民族、民衆 |style="text-align:left" |&rlm; עַם &lrm;(複 &rlm; עַמִּים &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成|6.4.2 参照]]) |- |style="text-align:left" |多い、多数 |style="text-align:left" |&rlm; רַב &lrm;(複 &rlm; רַבִּים &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成|6.4.2 参照]]) |- |style="text-align:left" |力 |style="text-align:left" |&rlm; כֹּחַ &lrm;(単数形のみ) |- |style="text-align:left" |家畜 |style="text-align:left" |מִקְנֶה |- |style="text-align:left" |銀、金銭 |style="text-align:left" |&rlm; כֶּסֶף &lrm;(&rlm; זָהָב &lrm; と並置される時、古い資料ではここのように「銀と金」となる) |- |style="text-align:left" |生命、生涯 |style="text-align:left" |&rlm;חיִּים&lrm; (&rlm; חַי &lrm; の複数形だが、複数的意味は無い) |- |style="text-align:left" |中央 |style="text-align:left" |תּוֹךְ &lrm;(&rlm; תָּוֶךְ の連語形。殆ど常にこの形で前置詞を伴って用いられる) |- |style="text-align:left" |(女)回、度 |style="text-align:left" |פַּעַם &lrm;(冠詞が付くと、&rlm; הַיּוֹם &lrm;《この日→今日》と同じく、いま目前にしている「今回、今度」の意味となる。) |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:11:26Z
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聖書原典購読初級
1 ああ、主、ヤハウェよ 2 パンもなければ、水もない 3 わたしは荒野であなたを知った 4 わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない 5 わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか 聖書ヘブライ語入門
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1 ああ、主、ヤハウェよ 2 パンもなければ、水もない 3 わたしは荒野であなたを知った 4 わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない 5 わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "聖書ヘブライ語入門", "title": "" } ]
1 ああ、主、ヤハウェよ 2 パンもなければ、水もない 3 わたしは荒野であなたを知った 4 わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない 5 わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか 聖書ヘブライ語入門
[[聖書原典購読―初級―/1|1]] ああ、主、ヤハウェよ<br /> [[聖書原典購読―初級―/2|2]] パンもなければ、水もない<br /> [[聖書原典購読―初級―/3|3]] わたしは荒野であなたを知った<br /> [[聖書原典購読―初級―/4|4]] わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない<br /> [[聖書原典購読―初級―/5|5]] わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか<br /> [[聖書ヘブライ語入門]] [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:21:15Z
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聖書原典購読初級/1
聖書に全部で11回出てくる(ヨシュア記77、士師記622、列王紀下65、エレミア書16、410、1413、 3217、エゼキエル書414、 98、 1113、 2049)。 אֲהָהּ 'hāh 「ああ!」。おそれの間投詞。最後の ה にはマッピークがあるので、アハーではなく、アハーハと発音する。 אֲדֹנָי 'dōnāy 「主」。ヤハウェにのみ用いる。その他の場合は אָדוֹן ādōn。語尾の ־ׇי āy が元来何を意味したかについては、研究者の間で意見が分かれる。主に、1. 意味を強める接尾辞 afformative -ay から(例えば人名 הַגַּי haggay < הַג )、2. אֲדֹנִי dōnī 「わが主」から(単数 אָדוֹן に一人称単数の接尾代名詞が付いた形。接尾代名詞がつくと、語調が変わり、 אָדוֹן の母音字ワウが落ちるのが普通)、3. אֲדֹנַי dōnay 「わが主」から( אָדוֹן の複数形 אֲדֹנִים に一人称単数の接尾代名詞が付いた形。この場合の複数は、 אֱלֹהִים lōhīm 「神々」→「神」と同様、尊厳の複数)、と三通りの説明がある。確かなことはわからない。ともあれ、 אָדוֹן がヤハウェに用いられるとき、いつからかユダヤ人は אֲדֹנָי と発音し、他の場合と区別した。 יְהוִה 「ヤハウェ」。 יהוה は古代イスラエルの神名。ユダヤ人は十戒の第三戒(出エジプト記207)に従って、 יהוה の名を口にしなかった。聖書本文に יהוה の名が出るときは、普通、אֲדֹנָי dōnāy と発音した。そのために יְהוָה と母音記号がつけられた(־ֲが־ְになっているのは、־ֲ は、通常、א、ה、ח、ע の四つの喉音にしかつかないから)。ところが אֲדֹנָי が יהוה の前に来る場合には、dōnāy dōnāy と二重になってしまう。そこで、このような場合には יהוה を אֱלֹהִים と読んだ。従って、 יהוה の母音が יְהֹוִה もしくは יְהוִה となる(־ֱ が ־ְ となる理由は ־ֲ が ־ְ となる場合と同じ)。なお、この問題についてはこちらを参照。 יהוה が何故ヤハウェ(Yahweh) なのかについては、いずれ説明する機会があると思う。 我々は、人生の歩みにおいて、幾度となく「ああ、主よ」と叫びたくなることがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "聖書に全部で11回出てくる(ヨシュア記77、士師記622、列王紀下65、エレミア書16、410、1413、 3217、エゼキエル書414、 98、 1113、 2049)。", "title": "‏ אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה ‎" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "אֲהָהּ 'hāh 「ああ!」。おそれの間投詞。最後の ה にはマッピークがあるので、アハーではなく、アハーハと発音する。", "title": "‏ אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה ‎" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "אֲדֹנָי 'dōnāy 「主」。ヤハウェにのみ用いる。その他の場合は אָדוֹן ādōn。語尾の ־ׇי āy が元来何を意味したかについては、研究者の間で意見が分かれる。主に、1. 意味を強める接尾辞 afformative -ay から(例えば人名 הַגַּי haggay < הַג )、2. אֲדֹנִי dōnī 「わが主」から(単数 אָדוֹן に一人称単数の接尾代名詞が付いた形。接尾代名詞がつくと、語調が変わり、 אָדוֹן の母音字ワウが落ちるのが普通)、3. אֲדֹנַי dōnay 「わが主」から( אָדוֹן の複数形 אֲדֹנִים に一人称単数の接尾代名詞が付いた形。この場合の複数は、 אֱלֹהִים lōhīm 「神々」→「神」と同様、尊厳の複数)、と三通りの説明がある。確かなことはわからない。ともあれ、 אָדוֹן がヤハウェに用いられるとき、いつからかユダヤ人は אֲדֹנָי と発音し、他の場合と区別した。", "title": "‏ אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה ‎" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "יְהוִה 「ヤハウェ」。 יהוה は古代イスラエルの神名。ユダヤ人は十戒の第三戒(出エジプト記207)に従って、 יהוה の名を口にしなかった。聖書本文に יהוה の名が出るときは、普通、אֲדֹנָי dōnāy と発音した。そのために יְהוָה と母音記号がつけられた(־ֲが־ְになっているのは、־ֲ は、通常、א、ה、ח、ע の四つの喉音にしかつかないから)。ところが אֲדֹנָי が יהוה の前に来る場合には、dōnāy dōnāy と二重になってしまう。そこで、このような場合には יהוה を אֱלֹהִים と読んだ。従って、 יהוה の母音が יְהֹוִה もしくは יְהוִה となる(־ֱ が ־ְ となる理由は ־ֲ が ־ְ となる場合と同じ)。なお、この問題についてはこちらを参照。 יהוה が何故ヤハウェ(Yahweh) なのかについては、いずれ説明する機会があると思う。", "title": "‏ אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה ‎" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "我々は、人生の歩みにおいて、幾度となく「ああ、主よ」と叫びたくなることがある。", "title": "‏ אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה ‎" } ]
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== ああ、主、ヤハウェよ == == &rlm; אֲהָהּ אֲדֹנָי יְהוִה &lrm; == 聖書に全部で11回出てくる([[s:%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#7:7|ヨシュア記7<sub>7</sub>]]、[[s:%E5%A3%AB%E5%B8%AB%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:22|士師記6<sub>22</sub>]]、[[s:%E5%88%97%E7%8E%8B%E7%B4%80%E4%B8%8B(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:5|列王紀下6<sub>5</sub>]]、[[s:%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:6|エレミア書1<sub>6</sub>]]、[[s:%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#4:10|4<sub>10</sub>]]、[[s:%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#14:13|14<sub>13</sub>]]、 [[s:%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#32:17|32<sub>17</sub>]]、[[s:%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#4:14|エゼキエル書4<sub>14</sub>]]、 [[s:%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#9:8|9<sub>8</sub>]]、 [[s:%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#11:13|11<sub>13</sub>]]、 [[s:%E3%82%A8%E3%82%BC%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#20:49|20<sub>49</sub>]])。 &rlm; אֲהָהּ &lrm; '<sup>a</sup>hāh 「ああ!」。おそれの間投詞。最後の &rlm;ה&lrm; には[[聖書ヘブライ語入門/ダゲシュ・母音記号/マッピーク|マッピーク]]があるので、アハーではなく、アハーハと発音する。 &rlm; אֲדֹנָי &lrm; '<sup>a</sup>dōnāy 「主」。ヤハウェにのみ用いる。その他の場合は &rlm; אָדוֹן &lrm; ādōn。語尾の &rlm; ־ׇי &lrm; āy が元来何を意味したかについては、研究者の間で意見が分かれる。主に、1. 意味を強める接尾辞 afformative -ay から(例えば人名 &rlm; הַגַּי &lrm; haggay < &rlm; הַג &lrm;)、2. &rlm; אֲדֹנִי &lrm; <sup>a</sup>dōnī 「わが主」から(単数 &rlm; אָדוֹן &lrm; に一人称単数の[[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞|接尾代名詞]]が付いた形。接尾代名詞がつくと、語調が変わり、&rlm; אָדוֹן &lrm; の母音字ワウが落ちるのが普通)、3. &rlm; אֲדֹנַי &lrm; <sup>a</sup>dōnay 「わが主」から( &rlm; אָדוֹן &lrm; の[[聖書ヘブライ語入門/複数/女性形・複数形の形成|複数形]] &rlm; אֲדֹנִים &lrm; に一人称単数の接尾代名詞が付いた形。この場合の複数は、&rlm; אֱלֹהִים &lrm; <sup>e</sup>lōhīm 「神々」→「神」と同様、尊厳の複数)、と三通りの説明がある。確かなことはわからない。ともあれ、&rlm; אָדוֹן &lrm; がヤハウェに用いられるとき、いつからかユダヤ人は &rlm; אֲדֹנָי &lrm; と発音し、他の場合と区別した。 &rlm; יְהוִה &lrm;「ヤハウェ」。&rlm; יהוה &lrm; は古代イスラエルの神名。ユダヤ人は十戒の第三戒([[s:%E5%87%BA%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#20:7|出エジプト記20<sub>7</sub>]])に従って、&rlm; יהוה &lrm; の名を口にしなかった。聖書本文に &rlm; יהוה &lrm; の名が出るときは、普通、&rlm;אֲדֹנָי &lrm; <sup>a</sup>dōnāy と発音した。そのために &rlm; יְהוָה &lrm; と母音記号がつけられた(&rlm;־ֲ&lrm;が&rlm;־ְ&lrm;になっているのは、&rlm;־ֲ&lrm; は、通常、&rlm;א&lrm;、&rlm;ה&lrm;、&rlm;ח&lrm;、&rlm;ע&lrm; の四つの[[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/複合シェワー|喉音にしかつかない]]から)。ところが &rlm; אֲדֹנָי &lrm; が &rlm; יהוה &lrm; の前に来る場合には、<sup>a</sup>dōnāy <sup>a</sup>dōnāy と二重になってしまう。そこで、このような場合には &rlm; יהוה &lrm; を &rlm; אֱלֹהִים &lrm; と読んだ。従って、&rlm; יהוה &lrm; の母音が &rlm; יְהֹוִה &lrm; もしくは &rlm; יְהוִה &lrm; となる(&rlm;־ֱ&lrm; が &lrm;־ְ&lrm; となる理由は &rlm; ־ֲ &lrm; が &rlm; ־ְ &lrm; となる場合と同じ)。なお、この問題については[[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/ケレとケティブ|こちら]]を参照。&rlm; יהוה &lrm; が何故ヤハウェ(Yahweh) なのかについては、いずれ説明する機会があると思う。 我々は、人生の歩みにおいて、幾度となく「ああ、主よ」と叫びたくなることがある。 [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:21:25Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8%E5%8E%9F%E5%85%B8%E8%B3%BC%E8%AA%AD%E5%88%9D%E7%B4%9A/1
23,914
聖書原典購読初級/2
民数記215 אֵן אַיִן の連語形。 אַיִן は連語形で次に来る名詞と結びつき、「....は/がない」を意味する。英語の There is no ..... 逆に「....がある」は יֵשׁ の連語形 יֶשׁ / יֶשׁ־ を用いる。 לֶחֶם 「パン」。一般的に「食物」をも意味する。アラビア語で laḥm は肉。 וְ 「そして」。この接続詞は文脈によって順接にも逆説(「しかし」)にも、またその他にも様々に訳することができる。日本語では敢えて訳さない方がよい場合もある。 מַיִם 「水」。 מַי の複数形。形は双数に見えるが、 שׇׁמַיִם 「天」と同様、実際は複数形である。両語とも常に複数で用いる。 食物や水が十分得られない荒野の様子が簡潔に表現されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "民数記215", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "אֵן אַיִן の連語形。 אַיִן は連語形で次に来る名詞と結びつき、「....は/がない」を意味する。英語の There is no ..... 逆に「....がある」は יֵשׁ の連語形 יֶשׁ / יֶשׁ־ を用いる。", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "לֶחֶם 「パン」。一般的に「食物」をも意味する。アラビア語で laḥm は肉。", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "וְ 「そして」。この接続詞は文脈によって順接にも逆説(「しかし」)にも、またその他にも様々に訳することができる。日本語では敢えて訳さない方がよい場合もある。", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "מַיִם 「水」。 מַי の複数形。形は双数に見えるが、 שׇׁמַיִם 「天」と同様、実際は複数形である。両語とも常に複数で用いる。", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "食物や水が十分得られない荒野の様子が簡潔に表現されている。", "title": "אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים" } ]
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== パンもなければ、水もない == == אֵין לֶחֶם וְאֵין מַים == [[s:%E6%B0%91%E6%95%B0%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#21:5|民数記21<sub>5</sub>]] &rlm; אֵן &lrm; &rlm; אַיִן &lrm; の連語形。&rlm; אַיִן &lrm; は連語形で次に来る名詞と結びつき、「‥‥は/がない」を意味する。英語の There is no ‥‥. 逆に「‥‥がある」は &rlm; יֵשׁ &lrm; の連語形 &rlm; יֶשׁ &lrm;/&rlm; יֶשׁ־ &lrm; を用いる。 &rlm; לֶחֶם &lrm;「パン」。一般的に「食物」をも意味する。アラビア語で laḥm は肉。 &rlm; וְ &lrm;「そして」。この[[聖書ヘブライ語入門/複数/接続詞וְ|接続詞]]は文脈によって順接にも逆説(「しかし」)にも、またその他にも様々に訳することができる。日本語では敢えて訳さない方がよい場合もある。 &rlm; מַיִם &lrm;「水」。&rlm; מַי &lrm; の複数形。形は双数に見えるが、&rlm; שׇׁמַיִם &lrm;「天」と同様、実際は複数形である。両語とも常に複数で用いる。 食物や水が十分得られない荒野の様子が簡潔に表現されている。 [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:21:37Z
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23,915
聖書原典購読初級/3
ホセア書135 אֲנִי 人称代名詞一人称単数「わたしは」。 אֲנֹכִי 'anōḵī も「わたしは」。両者はほとんど区別なく用いられる。語源的には、後者は、前者の古いセム語形 'anā に、やはり古いセム語の一人称単数語尾 -kū がついて出来た 'anākū から来ている、と考えられている。ヘブライ語では、他のセム語と同様、動詞の形で主語がわかるのだから、「わたしは」を加えると、強調になる。 יְדַעְתִּיךָ יָדַע yāda`「知る」、「知っている」のカル一人称単数完了形 יָדַעְתִּי yāda`tī(עのシェワーは無音)「わたしは知った」に、動詞につく二人称単数男性語尾代名詞 ־ךָ 「あなたを」が添えられた形。 יְדַעְתִּיךָ の יְ のシェワーは、 יָדַ֫עְתִּי (־֫ はアクセントの位置)のアクセントの位置が、接尾代名詞が付いて一音節ふえたため תִּי に移り( יָדַעְתִּ֫יךָ )、その結果、י の母音が弱体化したからである。「知った」とは、この場合「あなたをえらんで、あなたに心を砕いた」というような意味である(アモス書32参照)。男女関係で用る「知る」(創世記41)という意味がここには比喩的に用いられている、と考える研究者もいるが、その必要はないだろう。 בַּמִּדְבָּ֑ר 前置詞 בְּ 「....で」に הַמִּדְבָּר ( מִדְבָּר +冠詞 הַ )「(かの)荒野」がつき、弱い子音 ה が落ちた形である。bə + hammidbār > bammidbār。 ヤハウェの民としてのイスラエルの出発となった出エジプト後のシナイの荒野の彷徨及びシナイ山での神との契約のことが言われている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ホセア書135", "title": "אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "אֲנִי 人称代名詞一人称単数「わたしは」。 אֲנֹכִי 'anōḵī も「わたしは」。両者はほとんど区別なく用いられる。語源的には、後者は、前者の古いセム語形 'anā に、やはり古いセム語の一人称単数語尾 -kū がついて出来た 'anākū から来ている、と考えられている。ヘブライ語では、他のセム語と同様、動詞の形で主語がわかるのだから、「わたしは」を加えると、強調になる。", "title": "אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "יְדַעְתִּיךָ יָדַע yāda`「知る」、「知っている」のカル一人称単数完了形 יָדַעְתִּי yāda`tī(עのシェワーは無音)「わたしは知った」に、動詞につく二人称単数男性語尾代名詞 ־ךָ 「あなたを」が添えられた形。 יְדַעְתִּיךָ の יְ のシェワーは、 יָדַ֫עְתִּי (־֫ はアクセントの位置)のアクセントの位置が、接尾代名詞が付いて一音節ふえたため תִּי に移り( יָדַעְתִּ֫יךָ )、その結果、י の母音が弱体化したからである。「知った」とは、この場合「あなたをえらんで、あなたに心を砕いた」というような意味である(アモス書32参照)。男女関係で用る「知る」(創世記41)という意味がここには比喩的に用いられている、と考える研究者もいるが、その必要はないだろう。", "title": "אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "בַּמִּדְבָּ֑ר 前置詞 בְּ 「....で」に הַמִּדְבָּר ( מִדְבָּר +冠詞 הַ )「(かの)荒野」がつき、弱い子音 ה が落ちた形である。bə + hammidbār > bammidbār。", "title": "אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ヤハウェの民としてのイスラエルの出発となった出エジプト後のシナイの荒野の彷徨及びシナイ山での神との契約のことが言われている。", "title": "אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר" } ]
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== わたしは荒野であなたを知った == == אֲנִי יְדַעְתִּיךָ בַּמִּדְבָּ֑ר == [[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#13:5|ホセア書13<sub>5</sub>]] &rlm; אֲנִי &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明/自立人称代名詞の形|人称代名詞]]一人称単数「わたしは」。&rlm; אֲנֹכִי &lrm; 'anōḵī も「わたしは」。両者はほとんど区別なく用いられる。語源的には、後者は、前者の古いセム語形 'anā に、やはり古いセム語の一人称単数語尾 -kū がついて出来た 'anākū から来ている、と考えられている。ヘブライ語では、他のセム語と同様、動詞の形で主語がわかるのだから、「わたしは」を加えると、強調になる。 &rlm; יְדַעְתִּיךָ &lrm; &rlm; יָדַע &lrm; yāda`「知る」、「知っている」のカル一人称単数完了形 &rlm; יָדַעְתִּי &lrm; yāda`tī(&rlm;ע&lrm;のシェワーは無音)「わたしは知った」に、動詞につく二人称単数男性語尾代名詞 &rlm; ־ךָ &lrm;「あなたを」が添えられた形。 &rlm; יְדַעְתִּיךָ &lrm; の &rlm; יְ &lrm; のシェワーは、&rlm; יָדַ֫עְתִּי &lrm;(&rlm;־֫&lrm; はアクセントの位置)のアクセントの位置が、接尾代名詞が付いて一音節ふえたため &rlm; תִּי &lrm; に移り(&rlm; יָדַעְתִּ֫יךָ &lrm;)、その結果、&rlm;י&lrm; の母音が弱体化したからである。「知った」とは、この場合「あなたをえらんで、あなたに心を砕いた」というような意味である([[s:%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%82%B9%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#3:2|アモス書3<sub>2</sub>]]参照)。男女関係で用る「知る」([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#4:1|創世記4<sub>1</sub>]])という意味がここには比喩的に用いられている、と考える研究者もいるが、その必要はないだろう。 &rlm; בַּמִּדְבָּ֑ר &lrm; 前置詞 &rlm; בְּ &lrm;「‥‥で」に &rlm; הַמִּדְבָּר &lrm;(&rlm; מִדְבָּר &lrm; +冠詞 &rlm; הַ &lrm;)「(かの)荒野」がつき、弱い子音 &rlm;ה&lrm; が落ちた形である。bə + hammidbār > bammidbār。 ヤハウェの民としてのイスラエルの出発となった出エジプト後のシナイの荒野の彷徨及びシナイ山での神との契約のことが言われている。 [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:21:45Z
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23,916
聖書原典購読初級/4
ホセア書66 חֶסֶד 「愛」とも「いつくしみ」とも「真実」とも訳せる語。ホセア書においては、神と人(民)との間の契約関係にもとづく「愛」のこととも言われている。 220、41、 64、 126などに用いられている。ここでは次の動詞 חָפַצְתִּי の目的語。目的語は動詞の後に来るのが普通ですが、ここでは強調のため、文頭に置かれているのである。 חָפַצְתִּי חָפֵץ 「悦びとしている」のカル一人称単数完了形。ヘブライ語動詞の基本形(カル三人称単数男性完了形)は כָּתַב kātaḇ のように、普通、第二子音の母音はパタハであるが、中にはこのようにツェーレーのものもある。その多くは、いわゆる状態や質を表す動詞である(例: כָּבֵד kāḇēd「重い」、 זָקֵן zāqēn「老いている」)。 וְלֹא־ 「そして....ない」。 וְ 「そして」+ לֹא־ 否定詞「....でない」。 לֹא の次の語とのマッケーフ(maqqēph) で結びつけられているのは、音読の際、韻律上の理由などで、次の語と共に一語のように読むためである。単音節の否定詞( אַל־ 、 אֵן־ ( אַיִן の連語形)など)、前置詞( אֶל־ 、 עַל־ 、 כִּי־ 、 אֶת־ I/II(単独では אֵת )、その他の小詞( כָּל־ ( כֹּל の連語形、 ־ָ は小カーメツ!)、 יֶשׁ־ ( יֵשׁ の連語形)など)の場合に多い。なお否定詞 לֹא は、普通、否定する語の直前に来る。動詞の場合は動詞の直前。 זָ֑בַח 名詞 זֶבַח 「犠牲」の休止形。 לֹא と結び付いて「(わたしが悦ぶのは)犠牲ではない」。節の終わりや、節の途中でも文の一定の切れ目の終わりの単語は休止形をとる。休止形は単語により זֶבַח の場合のように母音が変わることがしばしばある。語の調子 (tone) が変わるのである。休止形は節の終わりでは ־ֽ シルーク (sillûq. 例えば創世記11でみると、 הָאָֽרֶץ׃ の א の下にある縦線記号)で、節の途中では ־֑ アナトハ('athnāḥ.この場合がそうである。(文法3.2.3.2参照))でわかる。その他の場合もあるがここでは省略する。なお זֶבַח のもとのことばは動詞 זָבַח 「動物を屠る」、また「祭壇」は זָבַח から派生した מִזְבֵּחַ mizbēḥ。 ホセアのこのことばと同じ思想は、他に、預言書や詩篇に多くみられる(たとえばイザヤ書111-15、詩篇5116-17)。また、「福音書」によれば、このことばはイエスの特愛のことばでもあったようである(マタイ913、127参照)。
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== わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない == == חֶסֶד חָפַצְתִּי וְלֹא־זָבַ֑ח == [[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:6|ホセア書6<sub>6</sub>]] &rlm; חֶסֶד &lrm;「愛」とも「いつくしみ」とも「真実」とも訳せる語。[[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)|ホセア書]]においては、神と人(民)との間の契約関係にもとづく「愛」のこととも言われている。 [[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:20|2<sub>20</sub>]]、[[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#4:1|4<sub>1</sub>]]、 [[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#6:4|6<sub>4</sub>]]、 [[s:%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%82%A2%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#12:6|12<sub>6</sub>]]などに用いられている。ここでは次の動詞 &rlm; חָפַצְתִּי &lrm; の目的語。目的語は動詞の後に来るのが普通ですが、ここでは強調のため、文頭に置かれているのである。 &rlm; חָפַצְתִּי &lrm; &rlm; חָפֵץ &lrm;「悦びとしている」のカル一人称単数完了形。ヘブライ語動詞の基本形(カル三人称単数男性完了形)は &rlm; כָּתַב &lrm; kātaḇ のように、普通、第二子音の母音はパタハであるが、中にはこのようにツェーレーのものもある。その多くは、いわゆる状態や質を表す動詞である(例:&rlm; כָּבֵד &lrm; kāḇēd「重い」、&rlm; זָקֵן &lrm; zāqēn「老いている」)。 &rlm; וְלֹא־ &lrm;「そして‥‥ない」。&rlm; וְ &lrm;「そして」+ &rlm; לֹא־ &lrm; [[聖書ヘブライ語入門/自立人称代名詞/説明|否定詞]]「‥‥でない」。&rlm; לֹא &lrm; の次の語との[[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/アクセント/マッケーフ|マッケーフ]](maqqēph) で結びつけられているのは、音読の際、韻律上の理由などで、次の語と共に一語のように読むためである。単音節の否定詞(&rlm; אַל־ &lrm;、&rlm; אֵן־ &lrm;(&rlm; אַיִן &lrm; の連語形)など)、前置詞(&rlm; אֶל־ &lrm;、&rlm; עַל־ &lrm;、&rlm; כִּי־ &lrm;、&rlm; אֶת־ &lrm;I/II(単独では &rlm; אֵת &lrm;)、その他の小詞(&rlm; כָּל־ &rlm;(&rlm; כֹּל &lrm; の連語形、&rlm; ־ָ &lrm; は小カーメツ!)、&rlm; יֶשׁ־ &lrm;( &rlm; יֵשׁ &lrm; の連語形)など)の場合に多い。なお否定詞 &rlm; לֹא &lrm; は、普通、否定する語の直前に来る。動詞の場合は動詞の直前。 &rlm; זָ֑בַח &lrm; 名詞 &rlm; זֶבַח &lrm;「犠牲」の休止形。&rlm; לֹא &lrm; と結び付いて「(わたしが悦ぶのは)犠牲ではない」。節の終わりや、節の途中でも文の一定の切れ目の終わりの単語は休止形をとる。休止形は単語により &rlm; זֶבַח &lrm; の場合のように母音が変わることがしばしばある。語の調子 (tone) が変わるのである。休止形は節の終わりでは &rlm; ־ֽ &lrm; シルーク (sillûq. 例えば[[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:1|創世記1<sub>1</sub>]]でみると、&rlm; הָאָֽרֶץ׃ &lrm; の &rlm;א&lrm; の下にある縦線記号)で、節の途中では &rlm; ־֑ &lrm; アナトハ('athnāḥ.この場合がそうである。([[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/アクセント/句読符号/アトナハ|文法3.2.3.2]]参照))でわかる。その他の場合もあるがここでは省略する。なお &rlm; זֶבַח &lrm; のもとのことばは動詞 &rlm; זָבַח &lrm;「動物を屠る」、また「祭壇」は &rlm; זָבַח &lrm; から派生した &rlm; מִזְבֵּחַ &lrm; mizbē<sup>a</sup>ḥ。 ホセアのこのことばと同じ思想は、他に、預言書や詩篇に多くみられる(たとえば[[s:%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:11|イザヤ書1<sub>11-15</sub>]]、[[s:%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#51:16|詩篇51<sub>16-17</sub>]])。また、「福音書」によれば、このことばはイエスの特愛のことばでもあったようである([[s:%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#9:13|マタイ9<sub>13</sub>]]、[[s:%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#12:7|12<sub>7</sub>]]参照)。 [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:21:53Z
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聖書原典購読初級/5
詩篇221 十字架上でイエスが叫んだ言葉である。マタイ2746には、ēli ēli lema sabachthani 「エーリ、エーリ、レマー、サバクターニ」、マルコ1534には elōi elōi lema sabachthani 「エローイ、エローイ、レマー、サバクターニ」とある。これらがヘブライ語と異なるのは、アラム語だからである。 אֵלִי אֵל ēl「神」に一人称の接尾代名詞 ־ִי 「わたしの」がついた形。ヘブライ語で「神」は普通 אֱלֹהִים lōhīm ( אֱלוֹהַּ lōh「神」の複数形。数の上での複数ではなく、尊厳の複数)だが、詩文などには אֵל も頻繁に使われる。 אֵל は、元来、カナン人の至高神の名であったといわれる。アラム語でも אֵל 。マルコ福音書の elōi は אֵלִי でなく אֱלֹהַי lōhay( אֱלֹהִים +一人称接尾代名詞)がなまった形。 לָמָה 「何故」。前置詞 לְ 「....に、....のために」に疑問詞 מָה 「何が、何を」がついた形。「何のために」、「何故」。 לְמָה ləmā、 לָמָּה lāmmā に同じ。アラム語の場合も同様である。なお意外な驚きを表す「どうして....なのか」は מַדּוּעַ maddūˁ である。 עֲזַבְתָּנִי 「あなたはわたしを見捨てた」。 עָזַב `āzaḇ「見捨てる」のカル二人称単数男性完了形 עֲזַבְתָּ に、一人称単数接尾代名詞 ־נִי 「わたしを」がついた形。福音書の sabachtani は、「見捨てるの」のアラム語 שׁבק から来ている。なお創世記224「人はその父と母を離れて、妻と結び合い....」(協会訳)の「離れて」、エレミア書217「あなたは主を捨てたので」(協会訳)の「捨てた」なども、ヘブライ語では עָזַב である。
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== わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか == == אֵלִי אֵלִי לָמָה עֲזַבְתָּנִי == [[s:%E8%A9%A9%E7%AF%87(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#22:1|詩篇22<sub>1</sub>]] 十字架上でイエスが叫んだ言葉である。[[s:%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#27:46|マタイ27<sub>46</sub>]]には、ēli ēli lema sabachthani 「エーリ、エーリ、レマー、サバクターニ」、[[s:%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#15:34|マルコ15<sub>34</sub>]]には elōi elōi lema sabachthani 「エローイ、エローイ、レマー、サバクターニ」とある。これらがヘブライ語と異なるのは、アラム語だからである。 &rlm; אֵלִי &lrm; &rlm; אֵל &lrm; ēl「神」に一人称の接尾代名詞 &rlm; ־ִי &lrm;「わたしの」がついた形。ヘブライ語で「神」は普通 &rlm; אֱלֹהִים &lrm; <sup>e</sup>lōhīm (&rlm; אֱלוֹהַּ &lrm; <sup>e</sup>lō<sup>a</sup>h「神」の複数形。数の上での複数ではなく、尊厳の複数)だが、詩文などには &rlm; אֵל &lrm; も頻繁に使われる。&rlm; אֵל &lrm; は、元来、カナン人の至高神の名であったといわれる。アラム語でも &rlm; אֵל &lrm;。マルコ福音書の elōi は &rlm; אֵלִי &lrm; でなく &rlm; אֱלֹהַי &lrm; <sup>e</sup>lōhay( &rlm; אֱלֹהִים &lrm; +一人称接尾代名詞)がなまった形。 &rlm; לָמָה &lrm;「何故」。前置詞 &rlm; לְ &lrm;「‥‥に、‥‥のために」に疑問詞 &rlm; מָה &lrm;「何が、何を」がついた形。「何のために」、「何故」。&rlm; לְמָה &rlm; ləmā、&rlm; לָמָּה &lrm; lāmmā に同じ。アラム語の場合も同様である。なお意外な驚きを表す「どうして‥‥なのか」は &rlm; מַדּוּעַ &lrm; maddū<sup>a</sup>ˁ である。 &rlm; עֲזַבְתָּנִי &lrm;「あなたはわたしを見捨てた」。&rlm; עָזַב &lrm; `āzaḇ「見捨てる」のカル二人称単数男性完了形 &rlm; עֲזַבְתָּ &lrm; に、一人称単数接尾代名詞 &rlm; ־נִי &lrm;「わたしを」がついた形。福音書の sabachtani は、「見捨てるの」のアラム語 &rlm; שׁבק &lrm; から来ている。なお[[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:24|創世記2<sub>24</sub>]]「人はその父と母を離れて、妻と結び合い‥‥」(協会訳)の「離れて」、[[s:%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:17|エレミア書2<sub>17</sub>]]「あなたは主を捨てたので」(協会訳)の「捨てた」なども、ヘブライ語では &rlm; עָזַב &lrm; である。 [[カテゴリ:聖書]]
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2022-11-25T17:22:06Z
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聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/構文説明
10.3 構文解説 文1 の主部は אַנְשֵׁי סְדֹם で、 רָעִים 以下が述部であるが、 その構造については以下 3 通りの解釈が可能である。 (1) לְיהוה 《ヤハウェに対し》は חַטָּאִים だけを修飾し、 מְאֹד は述部全体を修飾する。すなわち [ מְאֹד ] [( לְיהוה חַטָּאִים )וְ( רָעִים )]。 (2) לְיהוה も מְאֹד もともに חַטָּאִים だけを修飾する。すなわち [(לְיהוה מְאֹד) חַטָּאִים]וְ [רָעִים] (3) לְיהוה も מְאֹד もともに רָעִים וְחַטָּאִים を修飾する。すなわち [לְיהוה מְאֹד] [רָעִים וְחַטָּאִים] 協会訳(創世記1313)等は第 2 の、上の訳は第 3 の解釈にしたがうもの。 文2 は二つ節から成る(節とは文より小さく句より大きい言語単位。このように文と同じ形をしていることが多いが、文の一部をなしているため、文と区別して節と呼ぶ)。第一の節の主部は אַתָּה 、述部は עַם רַב である。 עַם は集合名詞(個物―この場合は人―の集合を表す名詞)であるから、 רַב という形容はその構成要素に対するもの、すなわち《多くの民族》ではなく《多数の人々から成る民族》ということ。《多くの民族》は複数形 עַמִּים רַבִּים で表される。第二の節は接続詞 וְ に導かれた従属節で名詞句 כֹחַ גָּדוֹל と לְךָ とから成る。 לְךָ は文1 に出た前置詞 לְ に二人称男性単数接尾代名詞 ךָ が付いた形。文1 の לְיהוה が修飾句として機能しているのに対し、ここの לְךָ は述部として機能している。לְ の意味は日本語のニに近い。ただし לְ は前置詞であるのに対し、ニは後置詞で、この点でもヘブライ語と日本語は対蹠的である。 文3 では前置詞 בְּ と名詞とが結合した前置詞句(10.4参照)が三つ並べられて、述部の中心たる כָּבֵד を修飾している。例えば英語などのように、同じ前置詞の繰り返しを避けて最初の一つだけで済ますということは、ヘブライ語ではしないのが原則である。これは連語句において同じ連語が繰り返されるということ(7.4.2)と同類の規則であって、同格関係にある二つの名詞句においても守られることがある。例えば 文4 は名詞句 עֵץ הַחַיִּים と前置詞句 בְּתוֹךְ הַגָּן とから成る。文2 におけると同じく、名詞句と前置詞句が〈主―述〉の関係で統合された名詞文である(前置詞句については 10.4参照。 文5 の主部は指示詞 זאׁת 。この文だけでは分からないが、創世記2章の文脈では「女」を指しているから女性形なのである。 הַפַּ֫עַם は時を表す副詞で、 בָּשָׂר מִבְּשָׂרִי が述部である。ここでは、前置詞 מִן と בְּשָׂרִי とが結合した前置詞句が בָּשָׂר を修飾している。 文6 の主部は אַתָּה 、述部は צַדִּיק מִמֶּנִּי 。 צַדִּיק אַתָּה 《きみは正しい》だけでも文として成立するが、 צַדִּיק はこの場合相対的な概念を表しているので、比較の基準として מִמֶּנִּי 《私より》を補っているのである。この מִמֶּנִּי は文5 にあった前置詞 מִן に接尾人称代名詞の נִי 《私》が付いた形であり、英語の than I に相当するわけだが、形容詞の方は英語のように more や -er を付けたり、better のような「比較級」に変化することはない。ついでながら最上級という文法範疇も、ヘブライ語には無い。この点、ヘブライ語は英語などより(מִן)日本語に近い。 例:
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10.3 構文解説 文1 の主部は ‏ אַנְשֵׁי סְדֹם ‎ で、‏ רָעִים ‎ 以下が述部であるが、 その構造については以下 3 通りの解釈が可能である。 (1) ‏ לְיהוה ‎《ヤハウェに対し》は ‏ חַטָּאִים ‎ だけを修飾し、 ‏ מְאֹד ‎ は述部全体を修飾する。すなわち [ ‏ מְאֹד ‎] [( ‏ לְיהוה ‎‎ חַטָּאִים ‎)‏וְ‎(‏ רָעִים ‎)]。 (2) ‏לְיהוה‎ も ‏מְאֹד‎ もともに ‏חַטָּאִים‎ だけを修飾する。すなわち ‎[(‏לְיהוה מְאֹד‎) ‏חַטָּאִים‎]‏וְ‎ [‏רָעִים‎] (3) ‏לְיהוה‎ も ‏מְאֹד‎ もともに ‏רָעִים וְחַטָּאִים‎ を修飾する。すなわち ‎[‏לְיהוה מְאֹד‎] [‏רָעִים וְחַטָּאִים‎] 協会訳(創世記1313)等は第 2 の、上の訳は第 3 の解釈にしたがうもの。 文2 は二つ節から成る(節とは文より小さく句より大きい言語単位。このように文と同じ形をしていることが多いが、文の一部をなしているため、文と区別して節と呼ぶ)。第一の節の主部は ‏ אַתָּה ‎、述部は ‏ עַם רַב ‎ である。‏ עַם ‎ は集合名詞(個物―この場合は人―の集合を表す名詞)であるから、‏ רַב ‎ という形容はその構成要素に対するもの、すなわち《多くの民族》ではなく《多数の人々から成る民族》ということ。《多くの民族》は複数形 ‏ עַמִּים רַבִּים ‎ で表される。第二の節は接続詞 ‏וְ‎ に導かれた従属節で名詞句 ‏ כֹחַ גָּדוֹל ‎ と ‏ לְךָ ‎ とから成る。‏ לְךָ ‎ は文1 に出た前置詞 ‏לְ‎ に二人称男性単数接尾代名詞 ‏ךָ‎ が付いた形。文1 の ‏ לְיהוה ‎ が修飾句として機能しているのに対し、ここの ‏ לְךָ ‎ は述部として機能している。‏לְ‎ の意味は日本語のニに近い。ただし ‏לְ‎ は前置詞であるのに対し、ニは後置詞で、この点でもヘブライ語と日本語は対蹠的である。 文3 では前置詞 ‏בְּ‎ と名詞とが結合した前置詞句(10.4参照)が三つ並べられて、述部の中心たる ‏ כָּבֵד ‎ を修飾している。例えば英語などのように、同じ前置詞の繰り返しを避けて最初の一つだけで済ますということは、ヘブライ語ではしないのが原則である。これは連語句において同じ連語が繰り返されるということ(7.4.2)と同類の規則であって、同格関係にある二つの名詞句においても守られることがある。例えば 文4 は名詞句 ‏ עֵץ הַחַיִּים ‎ と前置詞句 ‏ בְּתוֹךְ הַגָּן ‎ とから成る。文2 におけると同じく、名詞句と前置詞句が〈主―述〉の関係で統合された名詞文である(前置詞句については 10.4参照。 文5 の主部は指示詞 ‏ זאׁת ‎。この文だけでは分からないが、創世記2章の文脈では「女」を指しているから女性形なのである。 ‏ הַפַּ֫עַם ‎ は時を表す副詞で、‏ בָּשָׂר מִבְּשָׂרִי ‎ が述部である。ここでは、前置詞 ‏ מִן ‎ と ‏ בְּשָׂרִי ‎ とが結合した前置詞句が ‏ בָּשָׂר ‎ を修飾している。 文6 の主部は ‏ אַתָּה ‎、述部は ‏ צַדִּיק מִמֶּנִּי ‎。‏ צַדִּיק אַתָּה ‎《きみは正しい》だけでも文として成立するが、‏ צַדִּיק ‎ はこの場合相対的な概念を表しているので、比較の基準として ‏ מִמֶּנִּי ‎《私より》を補っているのである。この ‏ מִמֶּנִּי ‎ は文5 にあった前置詞 ‏ מִן ‎ に接尾人称代名詞の ‏ נִי ‎《私》が付いた形であり、英語の than I に相当するわけだが、形容詞の方は英語のように more や -er を付けたり、better のような「比較級」に変化することはない。ついでながら最上級という文法範疇も、ヘブライ語には無い。この点、ヘブライ語は英語などより日本語に近い。 例:
10.3 構文解説 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.1|文1 ]]の主部は &rlm; אַנְשֵׁי סְדֹם &lrm; で、&rlm; רָעִים &lrm; 以下が述部であるが、 その構造については以下 3 通りの解釈が可能である。 (1) &rlm; לְיהוה &lrm;《ヤハウェに対し》は &rlm; חַטָּאִים &lrm; だけを修飾し、 &rlm; מְאֹד &lrm; は述部全体を修飾する。すなわち [ &rlm; מְאֹד &lrm;] [( &rlm; לְיהוה &lrm;&lrm; חַטָּאִים &lrm;)&rlm;וְ&lrm;(&rlm; רָעִים &lrm;)]。 (2) &rlm;לְיהוה&lrm; も &rlm;מְאֹד&lrm; もともに &rlm;חַטָּאִים&lrm; だけを修飾する。すなわち &lrm;[(&rlm;לְיהוה מְאֹד&lrm;) &rlm;חַטָּאִים&lrm;]&rlm;וְ&lrm; [&rlm;רָעִים&lrm;] (3) &rlm;לְיהוה&lrm; も &rlm;מְאֹד&lrm; もともに &rlm;רָעִים וְחַטָּאִים&lrm; を修飾する。すなわち &lrm;[&rlm;לְיהוה מְאֹד&lrm;] [&rlm;רָעִים וְחַטָּאִים&lrm;] 協会訳([[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#13:13|創世記13<sub>13</sub>]])等は第 2 の、上の訳は第 3 の解釈にしたがうもの。 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.2|文2 ]]は二つ節から成る(節とは文より小さく句より大きい言語単位。このように文と同じ形をしていることが多いが、文の一部をなしているため、文と区別して節と呼ぶ)。第一の節の主部は &rlm; אַתָּה &lrm;、述部は &rlm; עַם רַב &lrm; である。&rlm; עַם &lrm; は集合名詞(個物―この場合は人―の集合を表す名詞)であるから、&rlm; רַב &lrm; という形容はその構成要素に対するもの、すなわち《多くの民族》ではなく《多数の人々から成る民族》ということ。《多くの民族》は複数形 &rlm; עַמִּים רַבִּים &lrm; で表される。第二の節は接続詞 &rlm;וְ&lrm; に導かれた従属節で名詞句 &rlm; כֹחַ גָּדוֹל &lrm; と &rlm; לְךָ &lrm; とから成る。&rlm; לְךָ &lrm; は[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.1|文1 ]]に出た前置詞 &rlm;לְ&lrm; に二人称男性単数接尾代名詞 &rlm;ךָ&lrm; が付いた形。[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.1|文1 ]]の &rlm; לְיהוה &lrm; が修飾句として機能しているのに対し、ここの &rlm; לְךָ &lrm; は述部として機能している。&rlm;לְ&lrm; の意味は日本語のニに近い。ただし &rlm;לְ&lrm; は前置詞であるのに対し、ニは後置詞で、この点でもヘブライ語と日本語は対蹠的である。 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.3|文3 ]]では前置詞 &rlm;בְּ&lrm; と名詞とが結合した前置詞句([[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞、前置詞句|10.4]]参照)が三つ並べられて、述部の中心たる &rlm; כָּבֵד &lrm; を修飾している。例えば英語などのように、同じ前置詞の繰り返しを避けて最初の一つだけで済ますということは、ヘブライ語ではしないのが原則である。これは連語句において同じ連語が繰り返されるということ([[聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/相違点|7.4.2]])と同類の規則であって、同格関係にある二つの名詞句においても守られることがある。例えば {| |- |style="text-align:right" |לְעַבְדְּךָ לְיַעֲקֹב |style="text-align:left" |《汝のしもべヤコブに》 |- |style="text-align:right" |אַנְשֵׁי הָעִיר אַנְשֵׁי סְדֹם |style="text-align:left" |《その町ソドムの人々》 |} [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.4|文4 ]]は名詞句 &rlm; עֵץ הַחַיִּים &lrm; と前置詞句 &rlm; בְּתוֹךְ הַגָּן &lrm; とから成る。[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.2|文2 ]]におけると同じく、名詞句と前置詞句が〈主―述〉の関係で統合された名詞文である(前置詞句については [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞、前置詞句|10.4]]参照。 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.5|文5 ]]の主部は指示詞 &rlm; זאׁת &lrm;。この文だけでは分からないが、[[s:%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#2:1|創世記2章]]の文脈では「女」を指しているから女性形なのである。 &rlm; הַפַּ֫עַם &lrm; は時を表す副詞で、&rlm; בָּשָׂר מִבְּשָׂרִי &lrm; が述部である。ここでは、前置詞 &rlm; מִן &lrm; と &rlm; בְּשָׂרִי &lrm; とが結合した前置詞句が &rlm; בָּשָׂר &lrm; を修飾している。 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.6|文6 ]]の主部は &rlm; אַתָּה &lrm;、述部は &rlm; צַדִּיק מִמֶּנִּי &lrm;。&rlm; צַדִּיק אַתָּה &lrm;《きみは正しい》だけでも文として成立するが、&rlm; צַדִּיק &lrm; はこの場合相対的な概念を表しているので、比較の基準として &rlm; מִמֶּנִּי &lrm;《私より》を補っているのである。この &rlm; מִמֶּנִּי &lrm; は[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10.5|文5 ]]にあった前置詞 &rlm; מִן &lrm; に接尾人称代名詞の &rlm; נִי &lrm;《私》が付いた形であり、英語の than I に相当するわけだが、形容詞の方は英語のように more や -er を付けたり、better のような「比較級」に変化することはない。ついでながら最上級という文法範疇も、ヘブライ語には無い。この点、ヘブライ語は英語など<u>より</u>(&rlm;מִן&lrm;)日本語に<u>近い</u>。 例: {| |- |style="text-align:right" |יָפָה הָאִשָּׁה מֵהַמַּלְכָּה |style="text-align:left" |《その女は女王より美しい》 |} [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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23,921
圏論/代数系/関係, 同値関係
2.1 A , B {\displaystyle A,B} を集合とする. 集合論的直積 A × B = { ( a , b ) | a ∈ A , b ∈ B } {\displaystyle A\times B=\{(a,b)|a\in A,b\in B\}} の(任意に定められた)部分集合 ρ {\displaystyle \rho } を A {\displaystyle A} の元と B {\displaystyle B} の元の間の関係という. ( a , b ) ∈ ρ {\displaystyle (a,b)\in \rho } のとき a {\displaystyle a} と b {\displaystyle b} は関係 ρ {\displaystyle \rho } にある, または関係 ρ {\displaystyle \rho } をみたすといい, このとき ρ ( a , b ) {\displaystyle \rho (a,b)} あるいは a ρ b {\displaystyle a\rho b} と書く.特に A = B {\displaystyle A=B} のとき ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} の内部関係,または単に A {\displaystyle A} 上の関係 という. A {\displaystyle A} の元と B {\displaystyle B} の元との間に他の関係 σ {\displaystyle \sigma } があり, A × B {\displaystyle A\times B} の部分集合として σ ⊂ ρ {\displaystyle \sigma \subset \rho } であるとき, σ {\displaystyle \sigma } は ρ {\displaystyle \rho } より弱い関係, ρ {\displaystyle \rho } は σ {\displaystyle \sigma } より強い関係という.これは a σ b {\displaystyle a\sigma b} ならば a ρ b {\displaystyle a\rho b} でることと同等である.また Σ {\displaystyle \Sigma } が A {\displaystyle A} の元と B {\displaystyle B} の元の間の関係の族であるとき, A × B {\displaystyle A\times B} の中でのその集合論的共通部分を ⋀ Σ {\displaystyle \bigwedge \Sigma } であらわす. σ = ⋀ Σ {\displaystyle \sigma =\bigwedge \Sigma } であるとき a σ b {\displaystyle a\sigma b} であることとすべての ρ ∈ Σ {\displaystyle \rho \in \Sigma } について a ρ b {\displaystyle a\rho b} であることとは同等である. この σ {\displaystyle \sigma } を Σ {\displaystyle \Sigma } の交という. 2.2 A {\displaystyle A} は集合, ρ {\displaystyle \rho } はその上の関係とする. ρ {\displaystyle \rho } が A {\displaystyle A} の中で条件 を同時にみたすとき, ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} の上で同値条件をみたす,または同値関係であるといい, ρ {\displaystyle \rho } が同値関係であるとき a ρ b {\displaystyle a\rho b} である a {\displaystyle a} と b {\displaystyle b} は ρ {\displaystyle \rho } について互いに同値である という. 2.3 ρ {\displaystyle \rho } が A {\displaystyle A} の上の同値関係のとき,各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} に対して U ρ ( a ) = { x ∈ A | x ρ a } {\displaystyle U_{\rho }(a)=\{x\in A|x\rho a\}} とおく. ρ {\displaystyle \rho } の反射律から各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} について a ∈ U ρ ( a ) {\displaystyle a\in U_{\rho }(a)} で特に U ρ ( a ) ≠ φ {\displaystyle U_{\rho }(a)\neq \phi } . また c ∈ U ρ ( a ) ∩ U ρ ( b ) {\displaystyle c\in U_{\rho }(a)\cap U_{\rho }(b)} のとき, 対称律から a ∈ U ρ ( c ) {\displaystyle a\in U_{\rho }(c)} で, よって x ∈ U ρ ( a ) {\displaystyle x\in U_{\rho }(a)} なら推移律から x ∈ U ρ ( c ) {\displaystyle x\in U_{\rho }(c)} で,さらに x ∈ U ρ ( b ) {\displaystyle x\in U_{\rho }(b)} すなわち U ρ ( a ) ⊂ U ρ ( b ) {\displaystyle U_{\rho }(a)\subset U{\rho }(b)} . 同様にして U ρ ( b ) ⊂ U ρ ( a ) {\displaystyle U_{\rho }(b)\subset U{\rho }(a)} で,従って U ρ ( a ) = U ρ ( b ) {\displaystyle U_{\rho }(a)=U{\rho }(b)} となる.よって U = { X | {\displaystyle {\mathfrak {U}}=\{X|} ある a ∈ A {\displaystyle a\in A} について X = U ρ ( a ) } {\displaystyle X=U_{\rho }(a)\}} とおけば U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} は P ( A ) {\displaystyle {\mathfrak {P}}(A)} の部分集合 で三つの条件 1 ∘ {\displaystyle 1^{\circ }\quad \ } どの X ∈ U {\displaystyle X\in {\mathfrak {U}}} も空ではない 2 ∘ {\displaystyle 2^{\circ }\quad \ } X , Y ∈ U {\displaystyle X,Y\in {\mathfrak {U}}} ならば X ∩ Y = φ {\displaystyle X\cap Y=\phi } であるかまたは X = Y {\displaystyle X=Y} である 3 ∘ {\displaystyle 3^{\circ }\quad \ } ⋃ U = A {\displaystyle \bigcup {\mathfrak {U}}=A} をみたす. P ( A ) {\displaystyle {\mathfrak {P}}(A)} の部分集合 U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} がこの三条件をみたすとき U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} は A {\displaystyle A} の類別といい, 各 X ∈ U {\displaystyle X\in {\mathfrak {U}}} はこの類別の同値類という.また ρ {\displaystyle \rho } から上のように定められた U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} を ρ {\displaystyle \rho } から 導かれた類別という. 逆に U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} が A {\displaystyle A} の任意の類別のとき, a , b {\displaystyle a,b} が同一の X ∈ U {\displaystyle X\in {\mathfrak {U}}} に属するとき a ρ b {\displaystyle a\rho b} とすれば, ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} 上の同値関係となり,もとの U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} はこれから導かれた類別となる. 2.4 2.2 の中で考察された ρ {\displaystyle \rho } についての三つの条件, 反射律, 対称律, 推移律 はすべて次の形をしているのに気がづく. ”すべての元 a , b , c , d , ⋯ , x , y {\displaystyle a,b,c,d,\cdots ,x,y} について(これらの変数のいくつかは同一のものであってもよい), もし a ρ b {\displaystyle a\rho b} , c ρ d {\displaystyle c\rho d} , ⋯ {\displaystyle \cdots } (これらを仮設式という)であるならば x ρ y {\displaystyle x\rho y} (これを終結式という)である.” 関係に関する条件がこの形をしているとき,この条件は 含意型であるという. [注] 特別な場合として反射律のように仮設式の集合が空であってもかまわない. この場合終結式が無条件に成立つことを意味する. 補題 α {\displaystyle \alpha } が集合 A {\displaystyle A} の上の関係に関する含意型の条件, Σ {\displaystyle \Sigma } は A {\displaystyle A} の上の関係のある族とする. もしすべての ρ ∈ Σ {\displaystyle \rho \in \Sigma } が α {\displaystyle \alpha } をみたすなら σ ∈ ⋀ Σ {\displaystyle \sigma \in \bigwedge \Sigma } も α {\displaystyle \alpha } をみたす. 証明 A {\displaystyle A} の元 a , b , c , d , ⋯ {\displaystyle a,b,c,d,\cdots } に対して σ {\displaystyle \sigma } が α {\displaystyle \alpha } の各仮設式 a σ b {\displaystyle a\sigma b} 等を成立させたとする. このときすべての ρ ∈ Σ {\displaystyle \rho \in \Sigma } について a ρ b {\displaystyle a\rho b} 等が成立ち, よってすべての ρ ∈ Σ {\displaystyle \rho \in \Sigma } に対して終結式 x ρ y {\displaystyle x\rho y} が成立つ. 従って x σ y {\displaystyle x\sigma y} で σ {\displaystyle \sigma } は α {\displaystyle \alpha } をみたす.(証明終) 系 Σ {\displaystyle \Sigma } が集合 A {\displaystyle A} 上の同値関係の集合ならば ⋀ Σ {\displaystyle \bigwedge \Sigma } も同値関係である. 2.5 ρ {\displaystyle \rho } と σ {\displaystyle \sigma } が共に集合 A {\displaystyle A} 上の同値関係で, ρ {\displaystyle \rho } が σ {\displaystyle \sigma } より強ければ a , x ∈ A {\displaystyle a,x\in A} について x σ a {\displaystyle x\sigma a} ならば x ρ a {\displaystyle x\rho a} となり,よって U σ ( a ) ⊂ U ρ ( a ) {\displaystyle U_{\sigma }(a)\subset U_{\rho }(a)} . 従って σ {\displaystyle \sigma } による同値類はすべて ρ {\displaystyle \rho } による一つの同値類の部分集合となる. 一般に A {\displaystyle A} の二つの類別 U , B {\displaystyle {\mathfrak {U}},{\mathfrak {B}}} があり, U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} の各同値類が B {\displaystyle {\mathfrak {B}}} の一つの同値類に含まれるとき, U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} は B {\displaystyle {\mathfrak {B}}} より 細かい, B {\displaystyle {\mathfrak {B}}} は U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} より 粗いという. 同値関係は強いほど対応する類別は粗くなり, 特に 2.4 の系に現れる ⋀ Σ {\displaystyle \bigwedge \Sigma } を σ {\displaystyle \sigma } とすれば, U σ ( a ) = ⋂ { U ρ ( a ) | ρ ∈ Σ } {\displaystyle U_{\sigma }(a)=\bigcap \{U_{\rho }(a)|\rho \in \Sigma \}} が成り立つ. 2.6 同一関係 = {\displaystyle =} はすべての同値関係の中で最も弱いものであり, またすべての元 a , b {\displaystyle a,b} に対して a υ b {\displaystyle a\upsilon b} とした全称関係 υ {\displaystyle \upsilon } はどのような関係よりも強い同値関係である.さらに一般に 定理 τ {\displaystyle \tau } を集合 A {\displaystyle A} の上の任意に与えられた関係とするとき, τ {\displaystyle \tau } より強い同値関係の中で最も弱いもの σ {\displaystyle \sigma } が 存在する. 証明 Σ {\displaystyle \Sigma } を τ {\displaystyle \tau } より強い同値関係全体の集合とすれば、 全称関係は Σ {\displaystyle \Sigma } に入るから Σ {\displaystyle \Sigma } は空ではない. σ = ∧ Σ {\displaystyle \sigma =\wedge \Sigma } とすればよい。(証明終) また同じことであるが, a σ b {\displaystyle a\sigma b} の条件として a = b {\displaystyle a=b} であるかまたは τ {\displaystyle \tau } 鎖条件: 元 x 1 , x 2 , ⋯ , x n − 1 {\displaystyle x_{1},x_{2},\cdots ,x_{n-1}} が存在し, さらに x 0 = a , x n = b {\displaystyle x_{0}=a,x_{n}=b} として、 各 k = 1 , 2 , ⋯ , n {\displaystyle k=1,2,\cdots ,n} に対して x k − 1 τ x k {\displaystyle x_{k-1}\tau x_{k}} であるかまたは x k τ x k − 1 {\displaystyle x_{k}\tau x_{k-1}} である がみたされることにすればよい. このような x 1 , x 2 , ⋯ , x n − 1 {\displaystyle x_{1},x_{2},\cdots ,x_{n-1}} を a {\displaystyle a} と b {\displaystyle b} とを結ぶ τ {\displaystyle \tau } 鎖 という. 上のように定めた σ {\displaystyle \sigma } が同値関係であること、また σ {\displaystyle \sigma } が τ {\displaystyle \tau } より強い同値関係であれば, τ {\displaystyle \tau } 鎖で結ばれる二元 a , b {\displaystyle a,b} に対して a σ b {\displaystyle a\sigma b} に対して a σ b {\displaystyle a\sigma b} でなければならないことは明らかである. 上の σ {\displaystyle \sigma } を τ {\displaystyle \tau } から生成された同値関係という. 2.7 n {\displaystyle n} を正の整数とするとき、 a , b ∈ Z {\displaystyle a,b\in Z} に対して a − b {\displaystyle a-b} が n {\displaystyle n} の倍数であるという関係 a ≡ b ( mod n ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {n}}} は同値条件である. m {\displaystyle m} も正の整数のとき,関係 a ≡ b ( mod m ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {m}}} が a ≡ b ( mod n ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {n}}} より強くなるのは m {\displaystyle m} が n {\displaystyle n} の約数のときに限る. 同様に実数 a , b {\displaystyle a,b} に対して a − b {\displaystyle a-b} が整数であるという関係 a ≡ b ( mod 1 ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {1}}} , a − b {\displaystyle a-b} が有理数であるという関係 a ≡ b ( mod Q ) {\displaystyle a\equiv b{\pmod {Q}}} , a − b {\displaystyle a-b} が代数的数であるという関係 q ≡ b ( mod A l g . n o . ) {\displaystyle q\equiv b{\pmod {Alg.no.}}} 等は R {\displaystyle R} 上の同値関係で、この順に強くなっている. 集合 X , Y {\displaystyle X,Y} に対して X △ Y = ( X ∪ Y ) − ( X ∩ Y ) {\displaystyle X\triangle Y=(X\cup Y)-(X\cap Y)} を X {\displaystyle X} と Y {\displaystyle Y} の対称差 という。 X △ Y {\displaystyle X\triangle Y} が有限であるという関係 X ≡ Y ( mod a ) {\displaystyle X\equiv Y{\pmod {\mathfrak {a}}}} , X △ Y {\displaystyle X\triangle Y} がある無限濃度 m {\displaystyle {\mathfrak {m}}} より小さいという関係 X ≡ Y ( mod m ) {\displaystyle X\equiv Y{\pmod {\mathfrak {m}}}} は同値関係で,特に後者は m {\displaystyle {\mathfrak {m}}} が大きいほど強くなる.
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<div id="関係"> <div id="関係\rhoにある"> <div id="関係\rhoをみたす> <div id="内部関係"> <div id="2.1"> <strong>2.1</strong> <math>A, B</math> を集合とする. 集合論的直積 <math>A\times B=\{(a, b)|a\in A, b\in B\}</math> の(任意に定められた)部分集合 <math>\rho</math> を <math>A</math> の元と <math>B</math> の元の間の'''関係'''という. <math>(a, b)\in \rho</math> のとき <math>a</math> と <math>b</math> は'''関係 <math>\rho</math> にある''', または'''関係 <math>\rho</math> をみたす'''といい, このとき <math>\rho(a, b)</math> あるいは <math>a\rho b</math> と書く.特に <math>A=B</math> のとき <math>\rho</math> は '''<math>A</math> の内部関係''',または単に '''<math>A</math> 上の関係''' という. <div id="弱い関係"> <div id="強い関係"> <div id="交"> <math>A</math> の元と <math>B</math> の元との間に他の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>\sigma</math> があり,<math>A\times B</math> の部分集合として <math>\sigma \subset \rho</math> であるとき,<math>\sigma</math> は <math>\rho</math> より'''弱い'''関係, <math>\rho</math> は <math>\sigma</math> より'''強い'''関係という.これは <math>a\sigma b</math> ならば <math>a\rho b</math> でることと同等である.また <math>\Sigma</math> が <math>A</math> の元と <math>B</math> の元の間の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]の族であるとき, <math>A\times B</math> の中でのその集合論的共通部分を <math>\bigwedge\Sigma</math> であらわす. <math>\sigma=\bigwedge\Sigma</math> であるとき <math>a\sigma b</math> であることとすべての <math>\rho\in\Sigma</math> について <math>a\rho b</math> であることとは同等である. <ref> <math>a\in A, b\in B</math> を先に決めて、それに対して <math>\Sigma</math> に属する一つ一つの関係 <math>\rho \in \Sigma</math> を順次あてはめていく。 大抵の場合は、特定の関係 <math>\rho</math> にて <math>(a, b) \notin \rho</math>,すなわち関係 <math>\rho</math> はなりたたない、ということになるが、 <math>(a, b)</math> の組によっては、すべての関係 <math>\rho \in \Sigma</math> について <math>(a, b) \in \rho</math>,いいかえると <math>a\rho b</math> となる組 <math>(a, b)</math> が存在するかもしれない.そういう <math>(a, b)</math> が存在するのなら、<math>(a, b)</math> は <math>\Sigma</math> の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#交|交]] <math>\bigwedge\Sigma</math> に含まれている。 </ref> この <math>\sigma</math> を <math>\Sigma</math> の'''交'''という. <div id="同値条件"> <div id="同値関係"> <div id="同値である"> <div id="2.2"> <strong>2.2</strong> <math>A</math> は集合,<math>\rho</math> はその上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]とする.<math>\rho</math> が <math>A</math> の中で条件 <div id="反射律"> ;'''反射律''' : すべての元 <math>a</math> に対して <math>a\rho a</math> </div> <div id="対象律"> ;'''対称律''' : 各元 <math>a</math>, <math>b</math> に対して <math>a\rho b</math> ならば <math>b\rho a</math> </div> <div id="推移律"> ;'''推移律''' : 各元 <math>a</math>, <math>b</math>, <math>c</math> に対して <math>a\rho b</math> かつ <math>b\rho c</math> ならば <math>a\rho c</math> </div> を同時にみたすとき,<math>\rho</math> は <math>A</math> の上で'''同値条件'''をみたす,または'''同値関係'''であるといい, <math>\rho</math> が[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]であるとき <math>a \rho b</math> である <math>a</math> と <math>b</math> は <math>\rho</math> について互いに'''同値である''' という. <div id="2.3"> <strong>2.3</strong> <math>\rho</math> が <math>A</math> の上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]のとき,各 <math>a\in A</math> に対して <math>U_{\rho}(a)=\{x\in A|x\rho a\}</math> とおく.<math>\rho</math> の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#反射律|反射律]]から各 <math>a\in A</math> について <math>a\in U_{\rho}(a)</math> で特に <math>U_{\rho}(a)\ne\phi</math>. また <math>c\in U_{\rho}(a)\cap U_{\rho}(b)</math> のとき,<ref> そのような <math>c</math> が仮に存在した場合の論議が続き,結論は <math>U_{\rho}(a)\subset U_{\rho}(b), U_{\rho}(b)\subset U_{\rho}(a)</math> を経て <math>U_{\rho}(a)=U_{\rho}(b)</math>. </ref> [[圏論/代数系/関係, 同値関係#対称律|対称律]]から <math>a\in U_{\rho}(c)</math> で<ref> <math>c \in U_{\rho}(a) \cap U_{\rho}(b)</math> より <math>c \in U_{\rho}(a)</math>.<math>\therefore c \in \{ x \in A | x \rho a \}</math>. これに[[圏論/代数系/関係, 同値関係#対称律|対称律]]を適用して <math>c \in \{ x \in A | a \rho x \}</math>. <math>\therefore a \rho c</math>. <math>\therefore a \in \{ x \in A | x \rho c \}</math>. <math>\therefore a \in U_{\rho}(c)</math>. </ref>, よって <math>x\in U_{\rho}(a)</math> なら[[圏論/代数系/関係, 同値関係#推移律|推移律]]から <math>x\in U_{\rho}(c)</math> で,さらに <math>x\in U_{\rho}(b)</math> <ref> <math>\forall x \in A</math>について<math>x \in U_{\rho}(a)</math> のとき <math>\forall x (\in A) x \rho a</math>,…① <br /> <math>c \in U_{\rho}(a)</math> より <math>a \rho c</math>,…②<br /> ①②より[[関係, 同値関係#推移律|推移律]]から <math>\forall x(\in A) x \rho c </math>.…③<br /> <math>c \in U_{\rho}(a) \cap U_{\rho}(b)</math> より <math>c \in U_{\rho}(b)</math>.<math>\therefore c \rho b</math>.…④<br /> ③④より[[関係, 同値関係#推移律|推移律]]から <math>\forall x(\in A) x \rho b</math>.<math>\therefore x \in A</math> について <math>x \in U_{\rho}(b)</math> </ref> すなわち <math>U_{\rho}(a)\subset U{\rho}(b)</math>. 同様にして <math>U_{\rho}(b)\subset U{\rho}(a)</math> <ref> <math>c\in U_{\rho}(a)\cap U_{\rho}(b)</math> より <math>c\in U_{\rho}(b)</math>.これと[[圏論/代数系/関係, 同値関係#対称律|対称律]]より <math>\therefore b \rho c</math>…①,<br /> また <math>c\in U_{\rho}(a)</math>.<math>\therefore c \rho a</math>…②,<br /> 今 <math>\forall x \in A</math> で <math>x \in U_{\rho}(b)</math> のとき…③、<br /> ③より <math>\forall x(\in A) x \rho b</math>…④<br /> ④①より[[関係, 同値関係#推移律|推移律]]から <math>\forall x (\in A) x \rho c</math>.<br /> これと②より[[関係, 同値関係#推移律|推移律]]から <math>\forall x (\in A) x \rho a</math>.<br /> すなわち <math>\forall x (\in A) \in U_{\rho}(a)</math>.…⑤ <br /> ③⑤はすなわち <math>\forall x (\in A) \in U_{\rho}(b)</math> ならば <math> \forall x (\in A) \in U_{\rho}(a)</math>.<math>\therefore U_{\rho}(b) \subset U_{\rho}(a)</math>. </ref> で,従って <math>U_{\rho}(a)=U{\rho}(b)</math> となる.よって <div id="類別"> <div id="同値類"> <div id="関係\rhoから導かれた類別"> <math>\mathfrak{U}=\{X|</math> ある <math>a\in A</math> について <math>X=U_{\rho}(a)\}</math> とおけば <math>\mathfrak{U}</math> は <math>\mathfrak{P}(A)</math> の部分集合<ref> 各々の <math>X</math> に重なりがある可能性を含んでベキ集合として把握する. </ref> で三つの条件<br /> <math>1^\circ\quad\ </math> どの <math>X \in \mathfrak{U}</math> も空ではない <br /> <math>2^\circ\quad\ </math> <math>X, Y \in \mathfrak{U}</math> ならば <math>X \cap Y = \phi</math> であるかまたは <math>X = Y</math> である <br /> <math>3^\circ\quad\ </math> <math>\bigcup\mathfrak{U} = A</math><ref> <math>\blacktriangle</math> <math>\bigcup</math> の下に添え字がないときは <math>\bigcup\mathfrak{U}</math> は <math>\bigcup_{X \in \mathfrak{U}}X</math> を表す.<math>\bigcap\mathfrak{U}</math> についても同様 </ref> をみたす.<math>\mathfrak{P}(A)</math> の部分集合 <math>\mathfrak{U}</math> がこの三条件をみたすとき <math>\mathfrak{U}</math> は <math>A</math> の'''類別'''といい, 各 <math>X \in \mathfrak{U} </math> はこの類別の'''同値類'''という.また <math>\rho</math> から上のように定められた <math>\mathfrak{U}</math> を <math>\rho</math> から '''導かれた類別'''という. 逆に <math>\mathfrak{U}</math> が <math>A</math> の任意の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#類別|類別]]のとき,<math>a, b</math> が同一の <math>X \in \mathfrak{U}</math> に属するとき <math>a\rho b</math> とすれば,<math>\rho</math> は <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]となり,もとの <math>\mathfrak{U}</math> は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係\rhoから導かれた類別|これから導かれた類別]]となる<ref>. </ref>. <div id="含意型"> <div id="終結式"> <div id="仮設式"> <div id="2.4"> <strong>2.4</strong> [[圏論/代数系/関係, 同値関係#2.2|2.2]] の中で考察された <math>\rho</math> についての三つの条件, [[圏論/代数系/関係, 同値関係#反射律|反射律]], [[圏論/代数系/関係, 同値関係#対称律|対称律]], [[圏論/代数系/関係, 同値関係#推移律|推移律]] はすべて次の形をしているのに気がづく. ”すべての元 <math>a, b, c, d, \cdots, x, y</math> について(これらの変数のいくつかは同一のものであってもよい), もし <math>a \rho b</math>,<math>c \rho d</math>,<math>\cdots</math>(これらを'''仮設式'''という)であるならば <math>x \rho y</math> (これを'''終結式'''という)である.” [[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]に関する条件がこの形をしているとき,この条件は '''含意型'''であるという. [注] 特別な場合として[[関係, 同値関係#反射律|反射律]]のように[[圏論/代数系/関係, 同値関係#仮設式|仮設式]]の集合が空であってもかまわない. この場合[[圏論/代数系/関係, 同値関係#終結式|終結式]]が無条件に成立つことを意味する. <strong>補題 </strong> <math>\alpha</math> が集合 <math>A</math> の上の関係に関する[[圏論/代数系/関係, 同値関係#含意型|含意型]]の条件,<math>\Sigma</math> は <math>A</math> の上の関係のある族とする. もしすべての <math>\rho \in \Sigma</math> が <math>\alpha</math> をみたすなら <math>\sigma \in \bigwedge \Sigma</math> も <math>\alpha</math> をみたす. <strong>証明 </strong> <math>A</math> の元<math>a, b, c, d, \cdots</math> に対して <math>\sigma</math> が <math>\alpha</math> の各[[圏論/代数系/関係, 同値関係#仮設式|仮設式]] <math>a \sigma b</math> 等を成立させたとする. このときすべての <math>\rho \in \Sigma</math> について <math>a\rho b</math> 等が成立ち, よってすべての <math>\rho\in\Sigma</math> に対して[[圏論/代数系/関係, 同値関係#終結式|終結式]] <math>x\rho y</math> が成立つ. 従って <math>x\sigma y</math> で <math>\sigma</math> は <math>\alpha</math> をみたす.(証明終) <strong>系 </strong> <math>\Sigma</math> が集合 <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]の集合ならば <math>\bigwedge\Sigma</math> も[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]である. <div id="粗い"> <div id="細かい"> <div id="2.5"> <strong>2.5</strong> <math>\rho</math> と <math>\sigma</math> が共に集合 <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]で, <math>\rho</math> が <math>\sigma</math> より[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強]]ければ <math>a, x\in A</math> について <math>x\sigma a</math> ならば <math>x \rho a </math> となり,よって <math>U_\sigma (a) \subset U_\rho (a)</math>. 従って <math>\sigma</math> による[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]はすべて <math>\rho</math> による一つの[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]の部分集合となる.<ref> 例えば <math>\sigma</math> は '<math>=</math>',<math>\rho</math> は合同(剰余系)の'<math>\equiv</math>'. </ref> 一般に <math>A</math> の二つの[[圏論/代数系/関係, 同値関係#類別|類別]] <math>\mathfrak{U}, \mathfrak{B}</math> があり,<math>\mathfrak{U}</math> の各[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]が <math>\mathfrak{B}</math> の一つの[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]に含まれるとき,<math>\mathfrak{U}</math> は <math>\mathfrak{B}</math> より '''細かい''', <math>\mathfrak{B}</math> は <math>\mathfrak{U}</math> より '''粗い'''という. [[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強]]いほど対応する[[圏論/代数系/関係, 同値関係#類別|類別]]は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#粗い|粗]]くなり, 特に [[圏論/代数系/関係, 同値関係#2.4|2.4]] の系に現れる <math>\bigwedge \Sigma</math> を <math>\sigma</math> とすれば, <math>U_{\sigma}(a)=\bigcap\{ U_\rho(a)|\rho \in \Sigma \}</math> が成り立つ. <div id="同一関係"> <div id="全称関係"> <strong>2.6</strong> '''同一関係''' <math>=</math> はすべての[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]の中で最も[[圏論/代数系/関係, 同値関係#弱い関係|弱い]]ものであり, またすべての元 <math>a, b</math> に対して <math>a\upsilon b</math> とした'''全称関係''' <math>\upsilon</math> はどのような[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]よりも[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強い]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]である.さらに一般に <strong>定理 </strong> <math>\tau</math> を集合 <math>A</math> の上の任意に与えられた[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]とするとき, <math>\tau</math> より[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強い]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]の中で最も[[圏論/代数系/関係, 同値関係#弱い関係|弱い]]もの <math>\sigma</math> が 存在する. <strong>証明 </strong> <math>\Sigma</math> を <math>\tau</math> より[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強い]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]全体の集合とすれば、 [[圏論/代数系/関係, 同値関係#全称関係|全称関係]]は <math>\Sigma</math> に入るから <math>\Sigma</math> は空ではない. <math>\sigma = \wedge \Sigma</math> とすればよい。(証明終) また同じことであるが,<math>a\sigma b</math> の条件として <math>a=b</math> であるかまたは <div id="\tau鎖"> <div id="\tau鎖条件"> <div id="\tauから生成された同値関係> <strong><math>\tau</math> 鎖条件:</strong> 元 <math>x_1, x_2, \cdots , x_{n - 1}</math> が存在し, さらに <math>x_0 = a, x_n = b</math> として、 各 <math>k = 1, 2, \cdots, n</math> に対して <math>x_{k - 1}\tau x_{k}</math> であるかまたは <math>x_k \tau x_{k - 1}</math> である がみたされることにすればよい.<ref> これは必要条件である. </ref> このような <math>x_1, x_2, \cdots , x_{n - 1}</math> を <math>a</math> と <math>b</math> とを結ぶ '''<math>\tau</math> 鎖''' という. 上のように定めた <math>\sigma</math> が[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]であること、また <math>\sigma</math> が <math>\tau</math> より[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強い]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]であれば,[[圏論/代数系/関係, 同値関係#\tau鎖|<math>\tau</math>鎖]]で結ばれる二元 <math>a, b</math> に対して <math>a\sigma b</math> に対して <math>a\sigma b</math> でなければならないことは明らかである. 上の <math>\sigma</math> を <math>\tau</math> から'''生成された'''同値関係という. <strong>2.7 </strong> <math>n</math> を正の整数とするとき、<math>a, b \in Z</math> に対して <math>a - b</math> が <math>n</math> の倍数であるという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>a \equiv b \pmod n</math> は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値条件|同値条件]]である. <math>m</math> も正の整数のとき,[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>a \equiv b \pmod m</math> が <math>a \equiv b \pmod n</math> より[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強くなる]]のは <math>m</math> が <math>n</math> の約数のときに限る. 同様に実数 <math>a, b</math> に対して <math>a - b</math> が整数であるという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>a \equiv b \pmod 1</math>, <math>a - b</math> が有理数であるという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>a \equiv b \pmod Q</math>, <math>a - b</math> が代数的数であるという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>q \equiv b \pmod{Alg. no.}</math> 等は <math>R</math> 上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]で、この順に[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強く]]なっている. <div id="対称差"> 集合 <math>X, Y</math> に対して <math>X \triangle Y = (X \cup Y) - (X \cap Y)</math> を <math>X</math> と <math>Y</math> の'''対称差''' という。 <math>X \triangle Y</math> が有限であるという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>X \equiv Y \pmod{\mathfrak{a}}</math>, <math>X \triangle Y</math> がある無限濃度 <math>\mathfrak{m}</math> より小さいという[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>X \equiv Y \pmod{\mathfrak{m}}</math> は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]で,特に後者は <math>\mathfrak{m}</math> が大きいほど[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強く]]なる. <references/> {{DEFAULTSORT:かんけいとうちかんけい}} [[category:数学]] [[category:圏論]]
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2020-01-14T03:11:29Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%9C%8F%E8%AB%96/%E4%BB%A3%E6%95%B0%E7%B3%BB/%E9%96%A2%E4%BF%82,_%E5%90%8C%E5%80%A4%E9%96%A2%E4%BF%82
23,922
圏論/代数系/順序
3.1 集合 A {\displaystyle A} 上の関係 ρ {\displaystyle \rho } が反射律と 推移律(2.2参照)をみたすとき, ρ {\displaystyle \rho } は擬順序であるという. A {\displaystyle A} 上の擬順序 ρ {\displaystyle \rho } がさらに をみたすとき、 ρ {\displaystyle \rho } は順序であるといい、さらに が成立するとき ρ {\displaystyle \rho } は全順序であるという. これら二つの条件は含意型(2.4参照)ではない. 擬順序,順序,全順序の定義された集合をそれぞれ擬順序集合,順序集合,全順序集合という. 順序の記号は慣例的に ≦ {\displaystyle \leqq } で表し, a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} のとき, a {\displaystyle a} は b {\displaystyle b} より小さい, また b {\displaystyle b} は a {\displaystyle a} より大きいという. 数の集合 Z , Q , R {\displaystyle Z,Q,R} (1.4参照)等はすべて自然の順序で全順序集合である. 集合の間の包含関係,関係の間の強弱関係 などは順序である. ρ {\displaystyle \rho } が集合 A {\displaystyle A} 上の擬順序のとき, a , b ∈ A {\displaystyle a,b\in A} に対して a ∼ b {\displaystyle a\sim b} とは a ρ b {\displaystyle a\rho b} かつ b ρ a {\displaystyle b\rho a} であることと定義すれば ∼ {\displaystyle \sim } は対称律もみたし,従って A {\displaystyle A} の上の同値関係となる. この各同値類から一つずつ代表元をとって,それらの集合を B {\displaystyle B} とすれば B ⊂ A {\displaystyle B\subset A} で, ρ {\displaystyle \rho } を B {\displaystyle B} 上に制限したものは 反対称律をみたし,従って B {\displaystyle B} 上の順序となる. B {\displaystyle B} を擬順序集合 A {\displaystyle A} の骨格という. 3.2 L {\displaystyle L} が半束(1.8 参照)のとき, a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} とは a b = b {\displaystyle ab=b} となることとして L {\displaystyle L} 上に関係 ≦ {\displaystyle \leqq } を入れれば ≦ {\displaystyle \leqq } は順序である. 実際 a a = a {\displaystyle aa=a} であるから a ≦ a {\displaystyle a\leqq a} . a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} かつ b ≦ a {\displaystyle b\leqq a} であれば a b = b {\displaystyle ab=b} かつ b a = a {\displaystyle ba=a} , よって可換律より a = b {\displaystyle a=b} . a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} かつ b ≦ c {\displaystyle b\leqq c} ならば a b = b {\displaystyle ab=b} かつ b c = c {\displaystyle bc=c} だから結合律から a c = a ( b c ) = ( a b ) c = b c = c {\displaystyle ac=a(bc)=(ab)c=bc=c} . よって a ≦ c {\displaystyle a\leqq c} で ≦ {\displaystyle \leqq } は順序の三条件 をみたす. 次にこの順序 ≦ {\displaystyle \leqq } で a b {\displaystyle ab} は a , b {\displaystyle a,b} のどちらよりも大きい元の中で最小のものを与えている. 実際、 c = a b {\displaystyle c=ab} ならば a c = a ( a b ) = ( a a ) b = a b = c {\displaystyle ac=a(ab)=(aa)b=ab=c} で a ≦ c {\displaystyle a\leqq c} . 同様にして b ≦ c {\displaystyle b\leqq c} . さらに a ≦ x {\displaystyle a\leqq x} かつ b ≦ x {\displaystyle b\leqq x} であれば a x = x {\displaystyle ax=x} かつ b x = x {\displaystyle bx=x} であるから c x = ( a b ) x = a ( b x ) = a x = x {\displaystyle cx=(ab)x=a(bx)=ax=x} で c ≦ x {\displaystyle c\leqq x} である. 3.3 X {\displaystyle X} は順序集合 A {\displaystyle A} の部分集合とする. z ∈ X {\displaystyle z\in X} がどの x ∈ X {\displaystyle x\in X} よりも大きいとき z {\displaystyle z} は X {\displaystyle X} で最大,または z {\displaystyle z} は X {\displaystyle X} の最大元といい, z ∈ X {\displaystyle z\in X} がどの x ∈ X {\displaystyle x\in X} より小さいとき、 z {\displaystyle z} は X {\displaystyle X} で最小,または z {\displaystyle z} は X {\displaystyle X} の最小元 という. a ∈ A {\displaystyle a\in A} がどの x ∈ X {\displaystyle x\in X} より大きいとき a {\displaystyle a} は X {\displaystyle X} の上界といい, X {\displaystyle X} の上界の集合が最小元を持てばそれを X {\displaystyle X} の上端という. a ∈ A {\displaystyle a\in A} がどの x ∈ X {\displaystyle x\in X} よりも小さければ a {\displaystyle a} は X {\displaystyle X} の下界といい, X {\displaystyle X} の下界の集合が最大元を持てばそれを X {\displaystyle X} の下端という. A {\displaystyle A} の任意の部分集合が上端を持つとき A {\displaystyle A} は上に完備, A {\displaystyle A} の任意の部分集合が下端を持つとき A {\displaystyle A} は下に完備という. A {\displaystyle A} が上と下に完備のとき A {\displaystyle A} は(単に)完備という. A {\displaystyle A} の任意の有限部分集合が上端を持つとき A {\displaystyle A} は上に有限完備といい, 下に有限完備,(単なる)有限完備も同様に定義する. 3.2の内容は半束 L {\displaystyle L} が上記の関係 ≦ {\displaystyle \leqq } で順序集合となり, その任意の二元部分集合に上端がある(略して任意の二元に上端があるという)ことを意味するが, ここに次の主張が成り立つ. 補題 任意の二元に上端のある順序集合は上に有限完備である. 証明 三元集合 a , b , c {\displaystyle {a,b,c}} については a , b {\displaystyle a,b} の上端 x {\displaystyle x} と c {\displaystyle c} との上端がこの集合の上端となる. n {\displaystyle n} 元部分集合については数学的帰納法によればよい.(証明終) 系 半束 L {\displaystyle L} は a b = b {\displaystyle ab=b} のとき a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} と定義すれば関係 ≦ {\displaystyle \leqq } について上に有限完備な順序集合となる. 逆に L {\displaystyle L} が上に有限完備な順序集合のとき二元 a , b {\displaystyle a,b} の上端を a b {\displaystyle ab} とすれば L {\displaystyle L} はこの演算について半束となる. 後半の証明も容易である . 3.4 A , B {\displaystyle A,B} を集合とする.一般に A {\displaystyle A} の元と B {\displaystyle B} の元との間の関係 ρ {\displaystyle \rho } に対して, B {\displaystyle B} の元と A {\displaystyle A} の元の間の関係 ρ ′ {\displaystyle \rho '} で a ρ b {\displaystyle a\rho b} であるとき,かつそのときに限って b ρ ′ a {\displaystyle b\rho 'a} となるようなものを ρ {\displaystyle \rho } の逆関係,または略して逆という.特に A = B {\displaystyle A=B} のとき, A {\displaystyle A} の上の関係 ρ {\displaystyle \rho } の逆はまた ρ {\displaystyle \rho } の双対ともいう. ρ {\displaystyle \rho } の双対が ρ {\displaystyle \rho } と一致するための必要十分条件は ρ {\displaystyle \rho } が対称律をみたすことで,従って同値関係はその双対と一致する. 順序関係の双対はまた新しい順序関係となる.順序集合 A {\displaystyle A} にその双対順序を入れて作った 順序関係をもとの順序集合の双対という. α {\displaystyle \alpha } を順序集合に関するある概念とする. α {\displaystyle \alpha } を双対順序の中で考えると 新しい概念 β {\displaystyle \beta } になるとき β {\displaystyle \beta } を α {\displaystyle \alpha } の双対という. このとき α {\displaystyle \alpha } はまた β {\displaystyle \beta } の双対となる.例えば 3.3 で述べた 上界,上端,上に完備の双対はそれぞれ下界,下端,下に完備で,完備の双対はそれ自身である.その双対と 一致する概念は自己双対であるという. ある記述,または定理において,その中に現れるすべての概念をその双対でおきかえて作った記述,定理は もとのものの双対という.ある定理が順序集合の中で一般的に成り立つとき,その双対定理も一般的に成り立つ. もとの定理の証明の中の概念をすべてその双対で置き換えれば双対定理の証明となるからである. 例えば 3.3 の補題に対してその双対補題 補題 任意の二元に下端のある順序集合は下に有限完備である. は一般に正しい. 3.5 L {\displaystyle L} は二つの演算 ∨ ∧ {\displaystyle \lor \land } について束であるとする(1.8を参照). L {\displaystyle L} は ∨ {\displaystyle \lor } について半束だから a ∨ b = b {\displaystyle a\lor b=b} のとき a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} とすれば ≦ {\displaystyle \leqq } は L {\displaystyle L} 上の順序となる. 同様に a ∧ b = a {\displaystyle a\land b=a} のとき a ≺ b {\displaystyle a\prec b} とすれば ≺ {\displaystyle \prec } も L {\displaystyle L} 上の順序であるが, a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} ならば a ∨ b = b {\displaystyle a\lor b=b} であるから,吸収律の第一式より a ∧ b = a ∧ ( a ∨ b ) = a {\displaystyle a\land b=a\land (a\lor b)=a} で a ≺ b {\displaystyle a\prec b} . 同様にして吸収律の第二式から a ≺ b {\displaystyle a\prec b} ならば a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} となり , この二つの順序は L {\displaystyle L} 上で一致する.すなわち 定理 束 L {\displaystyle L} において a ∨ b = b {\displaystyle a\lor b=b} のとき a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} と定義すれば, ≦ {\displaystyle \leqq } は L {\displaystyle L} 上の順序で,これにより L {\displaystyle L} は有限完備で, a ∨ b , a ∧ b {\displaystyle a\lor b,a\land b} はそれぞれ二元 a , b {\displaystyle a,b} の上端と下端とを与える. 逆に有限完備な順序集合 L {\displaystyle L} において二元 a , b {\displaystyle a,b} の上端,下端をそれぞれ a ∨ b , a ∧ b {\displaystyle a\lor b,a\land b} とすれば L {\displaystyle L} は演算 ∨ , ∧ {\displaystyle \lor ,\land } により束となる. 3.6 順序という概念は数学や実世界の各所に現れる具体的な現象である大小関係,支配関係等を抽象化, 一般化して統一的に取り扱おうとする考えである.しかしこのような抽象概念を抽象的なまま考察するのは難しい. もしどのような抽象的順序集合でも,これを性質のよくわかった具体的な順序を持つ対象にひき戻すことができて, このような具体的な順序に関する考察や定理が,そのまま一般の抽象的順序に適用できることが示されたなら便利である. このような考え方を順序の,あるいはさらに一般の抽象概念の,表現という. 順序集合 A {\displaystyle A} の各元 a {\displaystyle a} に対して A ( a ) = { x ∈ A | x ≦ a } , A ~ = { A ( a ) | a ∈ A } {\displaystyle A(a)=\{x\in A|x\leqq a\},{\tilde {A}}=\{A(a)|a\in A\}} とおく.このとき a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} ならば A ( a ) ⊂ A ( b ) {\displaystyle A(a)\subset A(b)} で,逆に A ( a ) ⊂ A ( b ) {\displaystyle A(a)\subset A(b)} ならば a ∈ A ( a ) ⊂ A ( b ) {\displaystyle a\in A(a)\subset A(b)} であるから a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} である . 特に A ( a ) = A ( b ) {\displaystyle A(a)=A(b)} ならば a = b {\displaystyle a=b} . よって A {\displaystyle A} の各元と A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} の各元とは一対一対応し, A {\displaystyle A} 内で a ≦ b {\displaystyle a\leqq b} であることと, A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} 内で A ( a ) ⊂ A ( b ) {\displaystyle A(a)\subset A(b)} であることとは同等である.この A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} を A {\displaystyle A} の下界による表現という. この表現は A {\displaystyle A} の順序を A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} の包含関係で表現したわけであるが, さらに A {\displaystyle A} の二元の下端が A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} 内の集合論的交で表現されている. 実際 A {\displaystyle A} の中で二元 a , b {\displaystyle a,b} の下端 a ∧ b {\displaystyle a\land b} があれば, A {\displaystyle A} 内で x ≦ a {\displaystyle x\leqq a} かつ x ≦ b {\displaystyle x\leqq b} であることと x ≦ a ∧ b {\displaystyle x\leqq a\land b} であることとは同等であるから, A ( a ∧ b ) = A ( a ) ∩ A ( b ) {\displaystyle A(a\land b)=A(a)\cap A(b)} (ただし A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} では任意の二元 A ( a ) , A ( b ) {\displaystyle A(a),A(b)} に対して必ず A ( a ) ∩ A ( b ) {\displaystyle A(a)\cap A(b)} は存在するが,これがある c ∈ A {\displaystyle c\in A} について A ( c ) {\displaystyle A(c)} となっているとは限らない).しかし A {\displaystyle A} 内の ∨ {\displaystyle \lor } は A ~ {\displaystyle {\tilde {A}}} 内の ∪ {\displaystyle \cup } で表現されていはいない. a ∨ b {\displaystyle a\lor b} が存在しても A ( a ∨ b ) {\displaystyle A(a\lor b)} と A ( a ) ∪ A ( b ) {\displaystyle A(a)\cup A(b)} とは一般に相異なるものである. 3.7 最後に後に参照するいくつかの概念の定義を述べておく. A {\displaystyle A} を順序集合, X {\displaystyle X} はその部分集合とする. x ∈ X , a ∈ A {\displaystyle x\in X,a\in A} で x ≦ a {\displaystyle x\leqq a} ならば必ず a ∈ X {\displaystyle a\in X} となるとき X {\displaystyle X} は上に閉じているという.各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} に対して a ≦ x {\displaystyle a\leqq x} である x ∈ X {\displaystyle x\in X} が見出されるときは X {\displaystyle X} は A {\displaystyle A} に共終であるといい, さらに強く,各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} に対し a ≦ x {\displaystyle a\leqq x} である x ∈ X {\displaystyle x\in X} が存在して { x } {\displaystyle \{x\}} の上界がすべて X {\displaystyle X} に入るとき, X {\displaystyle X} は A {\displaystyle A} に等終であるという. X {\displaystyle X} が A {\displaystyle A} に共終で上に閉じていれば A {\displaystyle A} に等終となる. 上に閉じている,共終,等終の双対はそれぞれ下に閉じている,共始,等始という. 順序集合 A {\displaystyle A} の任意の二元が上界を持つとき A {\displaystyle A} は有向集合であるという. 有向集合は位相論など極限概念を取り扱うときには基本になる概念である. 半束は 3.2で考えた順序によって有向集合である. 有向集合 A {\displaystyle A} の部分集合 X {\displaystyle X} は必ずしも有向集合ではないが, X {\displaystyle X} が A {\displaystyle A} に共終ならば有向集合となる. 上に述べた共終,等終などの概念は普通は有向集合の部分集合に対して考えられるのであるが, 定義だけならば一般の順序集合の中で考えても差し支えない. 順序集合 A {\displaystyle A} の空でない部分集合が常に最小元を持つとき, A {\displaystyle A} は整列集合という.特に整列集合 A {\displaystyle A} の二元 a , b {\displaystyle a,b} のうちどちらかが集合 { a , b } {\displaystyle \{a,b\}} の最小元で,よって整列集合は全順序集合である. 整列集合の部分集合はまた整列集合である. 正整数の集合 Z + {\displaystyle Z^{+}} は整列集合であるが,さらに { m − 1 / ( n + 1 ) | m , n ∈ Z + } {\displaystyle \{m-1/(n+1)|m,n\in Z^{+}\}} { m − 1 / ( n + 1 ) − 1 / n ( n + 1 ) ( l + 1 ) | l , m , n ∈ Z + } {\displaystyle \{m-1/(n+1)-1/n(n+1)(l+1)|l,m,n\in Z^{+}\}} なども実数の部分集合として整列である.集合論の適当な公理系のもとに任意の濃度の整列集合の存在することが知られている.
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "3.1 集合 A {\\displaystyle A} 上の関係 ρ {\\displaystyle \\rho } が反射律と 推移律(2.2参照)をみたすとき, ρ {\\displaystyle \\rho } は擬順序であるという. A {\\displaystyle A} 上の擬順序 ρ {\\displaystyle \\rho } がさらに", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "をみたすとき、 ρ {\\displaystyle \\rho } は順序であるといい、さらに", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "が成立するとき ρ {\\displaystyle \\rho } は全順序であるという. これら二つの条件は含意型(2.4参照)ではない.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "擬順序,順序,全順序の定義された集合をそれぞれ擬順序集合,順序集合,全順序集合という. 順序の記号は慣例的に ≦ {\\displaystyle \\leqq } で表し, a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} のとき, a {\\displaystyle a} は b {\\displaystyle b} より小さい, また b {\\displaystyle b} は a {\\displaystyle a} より大きいという.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "数の集合 Z , Q , R {\\displaystyle Z,Q,R} (1.4参照)等はすべて自然の順序で全順序集合である. 集合の間の包含関係,関係の間の強弱関係 などは順序である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ρ {\\displaystyle \\rho } が集合 A {\\displaystyle A} 上の擬順序のとき, a , b ∈ A {\\displaystyle a,b\\in A} に対して a ∼ b {\\displaystyle a\\sim b} とは a ρ b {\\displaystyle a\\rho b} かつ b ρ a {\\displaystyle b\\rho a} であることと定義すれば ∼ {\\displaystyle \\sim } は対称律もみたし,従って A {\\displaystyle A} の上の同値関係となる. この各同値類から一つずつ代表元をとって,それらの集合を B {\\displaystyle B} とすれば B ⊂ A {\\displaystyle B\\subset A} で, ρ {\\displaystyle \\rho } を B {\\displaystyle B} 上に制限したものは 反対称律をみたし,従って B {\\displaystyle B} 上の順序となる. B {\\displaystyle B} を擬順序集合 A {\\displaystyle A} の骨格という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "3.2 L {\\displaystyle L} が半束(1.8 参照)のとき, a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} とは a b = b {\\displaystyle ab=b} となることとして L {\\displaystyle L} 上に関係 ≦ {\\displaystyle \\leqq } を入れれば ≦ {\\displaystyle \\leqq } は順序である. 実際 a a = a {\\displaystyle aa=a} であるから a ≦ a {\\displaystyle a\\leqq a} . a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} かつ b ≦ a {\\displaystyle b\\leqq a} であれば a b = b {\\displaystyle ab=b} かつ b a = a {\\displaystyle ba=a} , よって可換律より a = b {\\displaystyle a=b} . a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} かつ b ≦ c {\\displaystyle b\\leqq c} ならば a b = b {\\displaystyle ab=b} かつ b c = c {\\displaystyle bc=c} だから結合律から a c = a ( b c ) = ( a b ) c = b c = c {\\displaystyle ac=a(bc)=(ab)c=bc=c} . よって a ≦ c {\\displaystyle a\\leqq c} で ≦ {\\displaystyle \\leqq } は順序の三条件 をみたす.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "次にこの順序 ≦ {\\displaystyle \\leqq } で a b {\\displaystyle ab} は a , b {\\displaystyle a,b} のどちらよりも大きい元の中で最小のものを与えている. 実際、 c = a b {\\displaystyle c=ab} ならば a c = a ( a b ) = ( a a ) b = a b = c {\\displaystyle ac=a(ab)=(aa)b=ab=c} で a ≦ c {\\displaystyle a\\leqq c} . 同様にして b ≦ c {\\displaystyle b\\leqq c} . さらに a ≦ x {\\displaystyle a\\leqq x} かつ b ≦ x {\\displaystyle b\\leqq x} であれば a x = x {\\displaystyle ax=x} かつ b x = x {\\displaystyle bx=x} であるから c x = ( a b ) x = a ( b x ) = a x = x {\\displaystyle cx=(ab)x=a(bx)=ax=x} で c ≦ x {\\displaystyle c\\leqq x} である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "3.3 X {\\displaystyle X} は順序集合 A {\\displaystyle A} の部分集合とする. z ∈ X {\\displaystyle z\\in X} がどの x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} よりも大きいとき z {\\displaystyle z} は X {\\displaystyle X} で最大,または z {\\displaystyle z} は X {\\displaystyle X} の最大元といい, z ∈ X {\\displaystyle z\\in X} がどの x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} より小さいとき、 z {\\displaystyle z} は X {\\displaystyle X} で最小,または z {\\displaystyle z} は X {\\displaystyle X} の最小元 という. a ∈ A {\\displaystyle a\\in A} がどの x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} より大きいとき a {\\displaystyle a} は X {\\displaystyle X} の上界といい, X {\\displaystyle X} の上界の集合が最小元を持てばそれを X {\\displaystyle X} の上端という. a ∈ A {\\displaystyle a\\in A} がどの x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} よりも小さければ a {\\displaystyle a} は X {\\displaystyle X} の下界といい, X {\\displaystyle X} の下界の集合が最大元を持てばそれを X {\\displaystyle X} の下端という. A {\\displaystyle A} の任意の部分集合が上端を持つとき A {\\displaystyle A} は上に完備, A {\\displaystyle A} の任意の部分集合が下端を持つとき A {\\displaystyle A} は下に完備という. A {\\displaystyle A} が上と下に完備のとき A {\\displaystyle A} は(単に)完備という. A {\\displaystyle A} の任意の有限部分集合が上端を持つとき A {\\displaystyle A} は上に有限完備といい, 下に有限完備,(単なる)有限完備も同様に定義する. 3.2の内容は半束 L {\\displaystyle L} が上記の関係 ≦ {\\displaystyle \\leqq } で順序集合となり, その任意の二元部分集合に上端がある(略して任意の二元に上端があるという)ことを意味するが, ここに次の主張が成り立つ.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "補題 任意の二元に上端のある順序集合は上に有限完備である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "証明 三元集合 a , b , c {\\displaystyle {a,b,c}} については a , b {\\displaystyle a,b} の上端 x {\\displaystyle x} と c {\\displaystyle c} との上端がこの集合の上端となる. n {\\displaystyle n} 元部分集合については数学的帰納法によればよい.(証明終)", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "系 半束 L {\\displaystyle L} は a b = b {\\displaystyle ab=b} のとき a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} と定義すれば関係 ≦ {\\displaystyle \\leqq } について上に有限完備な順序集合となる. 逆に L {\\displaystyle L} が上に有限完備な順序集合のとき二元 a , b {\\displaystyle a,b} の上端を a b {\\displaystyle ab} とすれば L {\\displaystyle L} はこの演算について半束となる.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "後半の証明も容易である .", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "3.4 A , B {\\displaystyle A,B} を集合とする.一般に A {\\displaystyle A} の元と B {\\displaystyle B} の元との間の関係 ρ {\\displaystyle \\rho } に対して, B {\\displaystyle B} の元と A {\\displaystyle A} の元の間の関係 ρ ′ {\\displaystyle \\rho '} で a ρ b {\\displaystyle a\\rho b} であるとき,かつそのときに限って b ρ ′ a {\\displaystyle b\\rho 'a} となるようなものを ρ {\\displaystyle \\rho } の逆関係,または略して逆という.特に A = B {\\displaystyle A=B} のとき, A {\\displaystyle A} の上の関係 ρ {\\displaystyle \\rho } の逆はまた ρ {\\displaystyle \\rho } の双対ともいう. ρ {\\displaystyle \\rho } の双対が ρ {\\displaystyle \\rho } と一致するための必要十分条件は ρ {\\displaystyle \\rho } が対称律をみたすことで,従って同値関係はその双対と一致する. 順序関係の双対はまた新しい順序関係となる.順序集合 A {\\displaystyle A} にその双対順序を入れて作った 順序関係をもとの順序集合の双対という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "α {\\displaystyle \\alpha } を順序集合に関するある概念とする. α {\\displaystyle \\alpha } を双対順序の中で考えると 新しい概念 β {\\displaystyle \\beta } になるとき β {\\displaystyle \\beta } を α {\\displaystyle \\alpha } の双対という. このとき α {\\displaystyle \\alpha } はまた β {\\displaystyle \\beta } の双対となる.例えば 3.3 で述べた 上界,上端,上に完備の双対はそれぞれ下界,下端,下に完備で,完備の双対はそれ自身である.その双対と 一致する概念は自己双対であるという.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ある記述,または定理において,その中に現れるすべての概念をその双対でおきかえて作った記述,定理は もとのものの双対という.ある定理が順序集合の中で一般的に成り立つとき,その双対定理も一般的に成り立つ. もとの定理の証明の中の概念をすべてその双対で置き換えれば双対定理の証明となるからである. 例えば 3.3 の補題に対してその双対補題", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "補題 任意の二元に下端のある順序集合は下に有限完備である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "は一般に正しい.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "3.5 L {\\displaystyle L} は二つの演算 ∨ ∧ {\\displaystyle \\lor \\land } について束であるとする(1.8を参照). L {\\displaystyle L} は ∨ {\\displaystyle \\lor } について半束だから a ∨ b = b {\\displaystyle a\\lor b=b} のとき a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} とすれば ≦ {\\displaystyle \\leqq } は L {\\displaystyle L} 上の順序となる. 同様に a ∧ b = a {\\displaystyle a\\land b=a} のとき a ≺ b {\\displaystyle a\\prec b} とすれば ≺ {\\displaystyle \\prec } も L {\\displaystyle L} 上の順序であるが, a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} ならば a ∨ b = b {\\displaystyle a\\lor b=b} であるから,吸収律の第一式より a ∧ b = a ∧ ( a ∨ b ) = a {\\displaystyle a\\land b=a\\land (a\\lor b)=a} で a ≺ b {\\displaystyle a\\prec b} . 同様にして吸収律の第二式から a ≺ b {\\displaystyle a\\prec b} ならば a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} となり , この二つの順序は L {\\displaystyle L} 上で一致する.すなわち", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "定理 束 L {\\displaystyle L} において a ∨ b = b {\\displaystyle a\\lor b=b} のとき a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} と定義すれば, ≦ {\\displaystyle \\leqq } は L {\\displaystyle L} 上の順序で,これにより L {\\displaystyle L} は有限完備で, a ∨ b , a ∧ b {\\displaystyle a\\lor b,a\\land b} はそれぞれ二元 a , b {\\displaystyle a,b} の上端と下端とを与える. 逆に有限完備な順序集合 L {\\displaystyle L} において二元 a , b {\\displaystyle a,b} の上端,下端をそれぞれ a ∨ b , a ∧ b {\\displaystyle a\\lor b,a\\land b} とすれば L {\\displaystyle L} は演算 ∨ , ∧ {\\displaystyle \\lor ,\\land } により束となる.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "3.6 順序という概念は数学や実世界の各所に現れる具体的な現象である大小関係,支配関係等を抽象化, 一般化して統一的に取り扱おうとする考えである.しかしこのような抽象概念を抽象的なまま考察するのは難しい. もしどのような抽象的順序集合でも,これを性質のよくわかった具体的な順序を持つ対象にひき戻すことができて, このような具体的な順序に関する考察や定理が,そのまま一般の抽象的順序に適用できることが示されたなら便利である. このような考え方を順序の,あるいはさらに一般の抽象概念の,表現という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "順序集合 A {\\displaystyle A} の各元 a {\\displaystyle a} に対して", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "A ( a ) = { x ∈ A | x ≦ a } , A ~ = { A ( a ) | a ∈ A } {\\displaystyle A(a)=\\{x\\in A|x\\leqq a\\},{\\tilde {A}}=\\{A(a)|a\\in A\\}}", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "とおく.このとき a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} ならば A ( a ) ⊂ A ( b ) {\\displaystyle A(a)\\subset A(b)} で,逆に A ( a ) ⊂ A ( b ) {\\displaystyle A(a)\\subset A(b)} ならば a ∈ A ( a ) ⊂ A ( b ) {\\displaystyle a\\in A(a)\\subset A(b)} であるから a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} である . 特に A ( a ) = A ( b ) {\\displaystyle A(a)=A(b)} ならば a = b {\\displaystyle a=b} . よって A {\\displaystyle A} の各元と A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} の各元とは一対一対応し, A {\\displaystyle A} 内で a ≦ b {\\displaystyle a\\leqq b} であることと, A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} 内で A ( a ) ⊂ A ( b ) {\\displaystyle A(a)\\subset A(b)} であることとは同等である.この A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} を A {\\displaystyle A} の下界による表現という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この表現は A {\\displaystyle A} の順序を A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} の包含関係で表現したわけであるが, さらに A {\\displaystyle A} の二元の下端が A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} 内の集合論的交で表現されている. 実際 A {\\displaystyle A} の中で二元 a , b {\\displaystyle a,b} の下端 a ∧ b {\\displaystyle a\\land b} があれば, A {\\displaystyle A} 内で x ≦ a {\\displaystyle x\\leqq a} かつ x ≦ b {\\displaystyle x\\leqq b} であることと x ≦ a ∧ b {\\displaystyle x\\leqq a\\land b} であることとは同等であるから, A ( a ∧ b ) = A ( a ) ∩ A ( b ) {\\displaystyle A(a\\land b)=A(a)\\cap A(b)} (ただし A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} では任意の二元 A ( a ) , A ( b ) {\\displaystyle A(a),A(b)} に対して必ず A ( a ) ∩ A ( b ) {\\displaystyle A(a)\\cap A(b)} は存在するが,これがある c ∈ A {\\displaystyle c\\in A} について A ( c ) {\\displaystyle A(c)} となっているとは限らない).しかし A {\\displaystyle A} 内の ∨ {\\displaystyle \\lor } は A ~ {\\displaystyle {\\tilde {A}}} 内の ∪ {\\displaystyle \\cup } で表現されていはいない. a ∨ b {\\displaystyle a\\lor b} が存在しても A ( a ∨ b ) {\\displaystyle A(a\\lor b)} と A ( a ) ∪ A ( b ) {\\displaystyle A(a)\\cup A(b)} とは一般に相異なるものである.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "3.7 最後に後に参照するいくつかの概念の定義を述べておく.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "A {\\displaystyle A} を順序集合, X {\\displaystyle X} はその部分集合とする. x ∈ X , a ∈ A {\\displaystyle x\\in X,a\\in A} で x ≦ a {\\displaystyle x\\leqq a} ならば必ず a ∈ X {\\displaystyle a\\in X} となるとき X {\\displaystyle X} は上に閉じているという.各 a ∈ A {\\displaystyle a\\in A} に対して a ≦ x {\\displaystyle a\\leqq x} である x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} が見出されるときは X {\\displaystyle X} は A {\\displaystyle A} に共終であるといい, さらに強く,各 a ∈ A {\\displaystyle a\\in A} に対し a ≦ x {\\displaystyle a\\leqq x} である x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} が存在して { x } {\\displaystyle \\{x\\}} の上界がすべて X {\\displaystyle X} に入るとき, X {\\displaystyle X} は A {\\displaystyle A} に等終であるという. X {\\displaystyle X} が A {\\displaystyle A} に共終で上に閉じていれば A {\\displaystyle A} に等終となる.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "上に閉じている,共終,等終の双対はそれぞれ下に閉じている,共始,等始という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "順序集合 A {\\displaystyle A} の任意の二元が上界を持つとき A {\\displaystyle A} は有向集合であるという. 有向集合は位相論など極限概念を取り扱うときには基本になる概念である. 半束は 3.2で考えた順序によって有向集合である. 有向集合 A {\\displaystyle A} の部分集合 X {\\displaystyle X} は必ずしも有向集合ではないが, X {\\displaystyle X} が A {\\displaystyle A} に共終ならば有向集合となる. 上に述べた共終,等終などの概念は普通は有向集合の部分集合に対して考えられるのであるが, 定義だけならば一般の順序集合の中で考えても差し支えない.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "順序集合 A {\\displaystyle A} の空でない部分集合が常に最小元を持つとき, A {\\displaystyle A} は整列集合という.特に整列集合 A {\\displaystyle A} の二元 a , b {\\displaystyle a,b} のうちどちらかが集合 { a , b } {\\displaystyle \\{a,b\\}} の最小元で,よって整列集合は全順序集合である. 整列集合の部分集合はまた整列集合である. 正整数の集合 Z + {\\displaystyle Z^{+}} は整列集合であるが,さらに", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "{ m − 1 / ( n + 1 ) | m , n ∈ Z + } {\\displaystyle \\{m-1/(n+1)|m,n\\in Z^{+}\\}}", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "{ m − 1 / ( n + 1 ) − 1 / n ( n + 1 ) ( l + 1 ) | l , m , n ∈ Z + } {\\displaystyle \\{m-1/(n+1)-1/n(n+1)(l+1)|l,m,n\\in Z^{+}\\}}", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "なども実数の部分集合として整列である.集合論の適当な公理系のもとに任意の濃度の整列集合の存在することが知られている.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" } ]
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<div id="擬順序"> <div id="3.1"> <strong>3.1 </strong> 集合 <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>\rho</math> が[[圏論/代数系/関係, 同値関係#反射律|反射律]]と [[圏論/代数系/関係, 同値関係#推移律|推移律]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#2.2|(2.2参照)]]をみたすとき, <math>\rho</math> は'''擬順序'''であるという. <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/順序#擬順序|擬順序]] <math>\rho</math> がさらに <div id="反対称律"> <div id="順序"> ;'''反対称律''': :すべての元 <math>a, b</math> に対して <math>a\rho b</math> かつ <math>b\rho a</math> ならば <math>a = b</math> である をみたすとき、<math>\rho</math> は'''順序'''であるといい、さらに <div id="全律"> <div id="全順序"> ;'''全律''': :すべての元 <math>a, b</math> に対して <math>a\rho b</math> または <math>b\rho a</math> である<ref> 「<math>a \rho b</math> でも <math>b \rho a</math> でもない」がありえないことをいう.「<math>a \rho b</math> かつ <math>b \rho a</math>」 は[[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]]よりありうる. </ref> が成立するとき <math>\rho</math> は'''全順序'''であるという. これら二つの条件は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#含意型|含意型]][[圏論/代数系/関係, 同値関係#2.4|(2.4参照)]]ではない. <div id="擬順序集合"> <div id="順序集合"> <div id="全順序集合"> <div id="大きい"> <div id="小さい"> [[圏論/代数系/順序#擬順序|擬順序]],[[圏論/代数系/順序#順序|順序]],[[圏論/代数系/順序#全順序|全順序]]の定義された集合をそれぞれ'''擬順序集合''','''順序集合''','''全順序集合'''という. [[圏論/代数系/順序#順序|順序]]の記号は慣例的に <math>\leqq</math> で表し,<ref> [[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]]を満たすことから、等号を含む。 </ref> <math>a\leqq b</math> のとき,<math>a</math> は <math>b</math> より'''小さい''', また <math>b</math> は <math>a</math> より'''大きい'''という. 数の集合 <math>Z, Q, R</math>[[圏論/代数系/古典的代数系#1.4|(1.4参照)]]等はすべて自然の[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]で[[圏論/代数系/順序#全順序集合|全順序集合]]である. 集合の間の包含関係,関係の間の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強弱関係]] <ref> [[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>\rho\sigma</math> の間の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#強い関係|強弱関係]]は、<math>U_{\rho}, U_{\sigma}</math> の包含関係となるから。 </ref> などは[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]である.<ref> <math>a</math> は <math>b</math> の倍数であるとき <math>a\rho b</math> とすると <math>\rho</math> は[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]である.[[圏論/代数系/関係, 同値関係#反射律|反射律]]・ [[圏論/代数系/関係, 同値関係#推移律|推移律]] ・[[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]] は成立するするが,[[圏論/代数系/順序#全律|全律]] はあてはまらない. </ref> <div id="骨格"> <math>\rho</math> が集合 <math>A</math> 上の[[圏論/代数系/順序#擬順序|擬順序]]のとき,<math>a, b \in A</math> に対して <math>a \sim b </math> とは <math>a\rho b </math> かつ <math>b\rho a</math> であることと定義すれば <math>\sim</math> は[[圏論/代数系/関係, 同値関係#対称律|対称律]]もみたし,従って <math>A</math> の上の[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値関係|同値関係]]となる. この各[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]から一つずつ代表元をとって,それらの集合を <math>B</math> とすれば <math>B \subset A</math> で,<math>\rho</math> を <math>B</math> 上に制限したものは [[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]]をみたし,従って <math>B</math> 上の[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]となる. <math>B</math> を[[圏論/代数系/順序#擬順序集合|擬順序集合]] <math>A</math> の'''骨格'''という. <ref> 集合 <math>A</math> を複素平面上とし、<math>\rho</math> を <math>A</math> 上の各要素を その絶対値で比較する[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]]とするとき、<math>\rho</math> は[[圏論/代数系/順序#擬順序|擬順序]]。2つの複素数 <math>a, b</math> の絶対値が 等しいからといって、<math>a = b</math> とは限らない。すなわち[[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]]は満たさない。 <math>\sim</math> は 複素平面上の絶対値が等しいことを示し、これは原点を中心とする複素平面の同心円上に[[圏論/代数系/関係, 同値関係#同値類|同値類]]を作る。 この同心円と x 軸との交点を代表元として x 軸上の点(ただし <math>x \geqq 0</math>)を <math>B</math> とすると、 <math>B</math> は <math>A</math> の[[圏論/代数系/順序#骨格|骨格]]となる。なおこの例では <math>B</math> 上の <math>\rho</math> は [[圏論/代数系/順序#全順序|全順序]]でもある. </ref> <div id="3.2"> <strong>3.2</strong> <math>L</math> が[[圏論/代数系/古典的代数系#半束|半束]][[圏論/代数系/古典的代数系#1.8|(1.8 参照)]]のとき, <math>a\leqq b</math> とは <math>ab=b</math> となることとして <math>L</math> 上に[[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>\leqq</math> を入れれば <math>\leqq</math> は[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]である. 実際 <math>aa=a</math> であるから <math>a \leqq a</math>. <math>a\leqq b</math> かつ <math>b \leqq a</math> であれば <math>ab=b</math> かつ <math>ba=a</math>, よって[[圏論/代数系/古典的代数系#可換律|可換律]]より <ref> [[圏論/代数系/古典的代数系#半束|半束]]<math>L</math> は[[圏論/代数系/古典的代数系#可換|可換]]な[[圏論/代数系/古典的代数系#半群|半群]]であるから <math>ab=ba</math>. </ref> <math>a=b</math>. <math>a\leqq b</math> かつ <math>b\leqq c</math> ならば <math>ab = b</math> かつ <math>bc = c</math> だから[[圏論/代数系/古典的代数系#結合律|結合律]]から <math>ac=a(bc)=(ab)c = bc = c</math>. よって <math>a\leqq c</math> で <math>\leqq</math> は[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]の三条件 <ref>[[圏論/代数系/関係, 同値関係#反射律|反射律]]・[[圏論/代数系/関係, 同値関係#推移律|推移律]]・[[圏論/代数系/順序#反対称律|反対称律]]</ref> をみたす. 次にこの[[圏論/代数系/順序#順序|順序]] <math>\leqq</math> で <math>ab</math> は <math>a, b</math> のどちらよりも大きい元の中で最小のものを与えている. 実際、<math>c=ab</math> ならば <math>ac = a(ab) = (aa)b = ab =c</math> で <math>a \leqq c</math>. 同様にして <math>b \leqq c</math>. <ref> <math>c=ab</math> のとき <math>bc = b(ab) = b(ba)(\because ab = ba) = (bb)a = ba = ab = c</math> </ref> さらに <math>a\leqq x</math> かつ <math>b\leqq x</math> であれば <math>ax=x</math> かつ <math>bx = x</math> であるから <math>cx = (ab)x = a(bx) = ax = x</math> で <math>c \leqq x</math> <ref> すなわち <math>a\leqq x</math> かつ <math>b\leqq x</math> をみたす <math>x</math> の中で最小のものが <math>c=ab</math>.この節の式変形では <math>ab=a</math>あるいは<math>ab=b</math> のどちらかの仮定を使用した式変形は使われていない. </ref>である.<ref> <math>N</math> 上にて演算 <math>\bot</math> を <math>a, b \in N, a \bot b</math> は <math>a, b</math> の最小公倍数と定義した場合, <math>N</math> は <math>\bot</math> について[[圏論/代数系/古典的代数系#半束|半束]]であり, [[圏論/代数系/関係, 同値関係#関係|関係]] <math>\leqq</math> を 「<math>a \bot b = b</math> ならば <math>a \leqq b</math>」 とした場合 <math>\leqq</math> は[[圏論/代数系/順序#順序|順序]]で,<math>a \leqq b</math> ならば <math>a</math> は <math>b</math> の約数である. </ref> <div id="3.3"> <strong>3.3 </strong> <math>X</math> は順序集合 <math>A</math> の部分集合とする. <math>z \in X</math> がどの <math>x \in X</math> よりも大きいとき <math>z</math> は <math>X</math> で'''最大''',または <math>z</math> は <math>X</math> の'''最大元'''といい,<math>z \in X</math> がどの <math>x \in X</math> より小さいとき、<math>z</math> は <math>X</math> で'''最小''',または <math>z</math> は <math>X</math> の'''最小元''' という.<math>a \in A</math> がどの <math>x \in X</math> より大きいとき <math>a</math> は <math>X</math> の'''上界'''といい, <math>X</math> の上界の集合が最小元を持てばそれを <math>X</math> の'''上端'''という. <math>a \in A</math> がどの <math>x \in X</math> よりも小さければ <math>a</math> は <math>X</math> の'''下界'''といい, <math>X</math> の下界の集合が最大元を持てばそれを <math>X</math> の'''下端'''という. <math>A</math> の任意の部分集合が上端を持つとき <math>A</math> は'''上に完備''', <math>A</math> の任意の部分集合が下端を持つとき <math>A</math> は'''下に完備'''という. <math>A</math> が上と下に完備のとき <math>A</math> は(単に)'''完備'''という. <math>A</math> の任意の有限部分集合が上端を持つとき <math>A</math> は'''上に有限完備'''といい, '''下に有限完備''',(単なる)'''有限完備'''も同様に定義する. [[順序#3.2|3.2]]の内容は半束 <math>L</math> が上記の関係 <math>\leqq</math> で順序集合となり, その任意の二元部分集合に上端がある(略して任意の二元に上端があるという)ことを意味するが, ここに次の主張が成り立つ. <strong>補題 </strong> 任意の二元に上端のある順序集合は上に有限完備である. <strong>証明 </strong> 三元集合 <math>{a, b, c}</math> については <math>a, b</math> の上端 <math>x</math> と <math>c</math> との上端がこの集合の上端となる. <math>n</math> 元部分集合については数学的帰納法によればよい.(証明終) <strong>系 </strong> 半束 <math>L</math> は <math>ab=b</math> のとき <math>a \leqq b</math> と定義すれば関係 <math>\leqq</math> について上に有限完備な順序集合となる. 逆に <math>L</math> が上に有限完備な順序集合のとき二元 <math>a, b</math> の上端を <math>ab</math> とすれば <math>L</math> はこの演算について半束となる. 後半の証明も容易である <ref>. </ref>. <strong>3.4 </strong> <math>A, B</math> を集合とする.一般に <math>A</math> の元と <math>B</math> の元との間の関係 <math>\rho</math> に対して,<math>B</math> の元と <math>A</math> の元の間の関係<math>\rho'</math> で <math>a\rho b</math> であるとき,かつそのときに限って <math>b \rho' a</math> となるようなものを <math>\rho</math> の'''逆関係''',または略して'''逆'''という.特に <math>A=B</math> のとき, <math>A</math> の上の関係 <math>\rho</math> の逆はまた <math>\rho</math> の'''双対'''ともいう. <math>\rho</math> の双対が <math>\rho</math> と一致するための必要十分条件は <math>\rho</math> が対称律をみたすことで,従って同値関係はその双対と一致する. 順序関係の双対はまた新しい順序関係となる.順序集合 <math>A</math> にその双対順序を入れて作った 順序関係をもとの順序集合の'''双対'''という. <math>\alpha</math> を順序集合に関するある概念とする.<math>\alpha</math> を双対順序の中で考えると 新しい概念 <math>\beta</math> になるとき <math>\beta</math> を <math>\alpha</math> の'''双対'''という. このとき <math>\alpha</math> はまた <math>\beta</math> の双対となる.例えば [[順序#3.3|3.3]] で述べた 上界,上端,上に完備の双対はそれぞれ下界,下端,下に完備で,完備の双対はそれ自身である.その双対と 一致する概念は'''自己双対'''であるという. ある記述,または定理において,その中に現れるすべての概念をその双対でおきかえて作った記述,定理は もとのものの'''双対'''という.ある定理が順序集合の中で一般的に成り立つとき,その双対定理も一般的に成り立つ. もとの定理の証明の中の概念をすべてその双対で置き換えれば双対定理の証明となるからである. 例えば [[順序#3.3|3.3]] の補題に対してその双対補題 <strong>補題 </strong> 任意の二元に下端のある順序集合は下に有限完備である. は一般に正しい. <strong>3.5 </strong> <math>L</math> は二つの演算 <math>\lor \land</math> について束であるとする([[古典的代数系#1.8|1.8]]を参照). <math>L</math> は <math>\lor</math> について半束だから <math>a \lor b = b</math> のとき <math>a\leqq b</math> とすれば <math>\leqq</math> は <math>L</math> 上の順序となる. 同様に <math>a \land b = a</math> のとき <math>a\prec b</math> とすれば <math>\prec</math> も <math>L</math> 上の順序であるが,<math>a\leqq b</math> ならば <math>a \lor b = b</math> であるから,[[古典的代数系#吸収律|吸収律]]の第一式より <math>a \land b = a \land (a \lor b) = a</math> で <math>a \prec b</math>. 同様にして吸収律の第二式から <math>a \prec b</math> ならば <math>a \leqq b</math> となり <ref> <math>a\prec b</math> であれば <math>a\land b = a</math>,よって <math>a \lor b = (a \land b) \lor b = b \lor (a \land b) (\because \lor </math>は可換 <math>)</math>, この値は吸収律第二式により <math>b</math>、すなわち <math>a \lor b = b</math> よって <math>a \leqq b</math>. </ref>, この二つの順序は <math>L</math> 上で一致する.すなわち <strong>定理 </strong> 束 <math>L</math> において <math>a \lor b = b</math> のとき <math>a \leqq b</math> と定義すれば, <math>\leqq</math> は <math>L</math> 上の順序で,これにより <math>L</math> は有限完備で, <math>a \lor b, a \land b</math> はそれぞれ二元 <math>a, b</math> の上端と下端とを与える. 逆に有限完備な順序集合 <math>L</math> において二元 <math>a, b</math> の上端,下端をそれぞれ <math>a \lor b, a \land b</math> とすれば <math>L</math> は演算 <math>\lor, \land</math> により束となる. <strong>3.6 </strong> 順序という概念は数学や実世界の各所に現れる具体的な現象である大小関係,支配関係等を抽象化, 一般化して統一的に取り扱おうとする考えである.しかしこのような抽象概念を抽象的なまま考察するのは難しい. もしどのような抽象的順序集合でも,これを性質のよくわかった具体的な順序を持つ対象にひき戻すことができて, このような具体的な順序に関する考察や定理が,そのまま一般の抽象的順序に適用できることが示されたなら便利である. このような考え方を順序の,あるいはさらに一般の抽象概念の,'''表現'''という. 順序集合 <math>A</math> の各元 <math>a</math> に対して <math>A(a)=\{x \in A | x \leqq a\}, \tilde{A} = \{A(a) | a \in A\}</math> とおく.このとき <math>a \leqq b</math> ならば <math>A(a) \subset A(b)</math> で,逆に <math>A(a) \subset A(b)</math> ならば <math>a \in A(a) \subset A(b)</math> であるから <math>a \leqq b</math> である <ref> <math>a \in A(b)</math> すなわち <math>a \in \{x \in A|x \leqq b\}, \therefore a \leqq b</math> </ref>. 特に <math>A(a)=A(b)</math> ならば <math>a=b</math>. よって <math>A</math> の各元と <math>\tilde{A}</math> の各元とは一対一対応し, <math>A</math> 内で <math>a \leqq b</math> であることと,<math>\tilde{A}</math> 内で <math>A(a) \subset A(b)</math> であることとは同等である.この <math>\tilde{A}</math> を <math>A</math> の'''下界による表現'''という. この表現は <math>A</math> の順序を <math>\tilde{A}</math> の包含関係で表現したわけであるが, さらに <math>A</math> の二元の下端が <math>\tilde{A}</math> 内の集合論的交で表現されている. 実際 <math>A</math> の中で二元 <math>a, b</math> の下端 <math>a \land b</math> があれば, <math>A</math> 内で <math>x \leqq a</math> かつ <math>x \leqq b</math> であることと <math>x \leqq a \land b</math> であることとは同等であるから,<math>A(a \land b) = A(a) \cap A(b)</math> (ただし <math>\tilde{A}</math> では任意の二元 <math>A(a), A(b)</math> に対して必ず <math>A(a) \cap A(b)</math> は存在するが,これがある <math>c \in A</math> について <math>A(c)</math> となっているとは限らない).しかし <math>A</math> 内の <math>\lor</math> は <math>\tilde{A}</math> 内の <math>\cup</math> で表現されていはいない. <math>a \lor b</math> が存在しても <math>A(a \lor b)</math> と <math>A(a) \cup A(b)</math> とは一般に相異なるものである. <strong>3.7 </strong> 最後に後に参照するいくつかの概念の定義を述べておく. <math>A</math> を順序集合,<math>X</math> はその部分集合とする.<math>x \in X, a \in A</math> で <math>x \leqq a</math> ならば必ず <math>a \in X</math> となるとき <math>X</math> は'''上に閉じている'''という.各 <math>a \in A</math> に対して <math>a \leqq x</math> である <math>x \in X</math> が見出されるときは <math>X</math> は <math>A</math> に'''共終'''であるといい, さらに強く,各 <math>a \in A</math> に対し <math>a \leqq x</math> である <math>x \in X</math> が存在して <math>\{x\}</math> の上界がすべて <math>X</math> に入るとき,<math>X</math> は <math>A</math> に'''等終'''であるという.<math>X</math> が <math>A</math> に共終で上に閉じていれば <math>A</math> に等終となる. 上に閉じている,共終,等終の双対はそれぞれ'''下に閉じている''','''共始''','''等始'''という. 順序集合 <math>A</math> の任意の二元が上界を持つとき <math>A</math> は'''有向集合'''であるという. 有向集合は位相論など極限概念を取り扱うときには基本になる概念である. 半束は [[順序#3.2|3.2]]で考えた順序によって有向集合である. 有向集合 <math>A</math> の部分集合 <math>X</math> は必ずしも有向集合ではないが, <math>X</math> が <math>A</math> に共終ならば有向集合となる. 上に述べた共終,等終などの概念は普通は有向集合の部分集合に対して考えられるのであるが, 定義だけならば一般の順序集合の中で考えても差し支えない. 順序集合 <math>A</math> の空でない部分集合が常に最小元を持つとき, <math>A</math> は'''整列集合'''という.特に整列集合 <math>A</math> の二元 <math>a, b</math> のうちどちらかが集合 <math>\{a, b\}</math> の最小元で,よって整列集合は全順序集合である. 整列集合の部分集合はまた整列集合である. 正整数の集合 <math>Z^+</math> は整列集合であるが,さらに <math>\{m - 1/(n + 1)|m, n \in Z^+\}</math> <math>\{m - 1/(n + 1) - 1/n(n + 1)(l + 1)|l, m, n \in Z^+\}</math> なども実数の部分集合として整列である.集合論の適当な公理系のもとに任意の濃度の整列集合の存在することが知られている. == officious == <references /> [[カテゴリ:圏論]]
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2022-11-20T07:19:37Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%9C%8F%E8%AB%96/%E4%BB%A3%E6%95%B0%E7%B3%BB/%E9%A0%86%E5%BA%8F
23,923
圏論/代数系/写像,演算
4.1 ρ {\displaystyle \rho } は集合 A {\displaystyle A} の元と集合 B {\displaystyle B} の元との間の関係とする. もし 一価律: a ρ b {\displaystyle a\rho b} かつ a ρ b ′ {\displaystyle a\rho b'} ならば b = b ′ {\displaystyle b=b'} がみたされるならば, ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への半写像, または半関数といい, a ρ b {\displaystyle a\rho b} となる唯一の b {\displaystyle b} を ρ ( a ) {\displaystyle \rho (a)} で表し,これを a {\displaystyle a} における ρ {\displaystyle \rho } の値という. また A {\displaystyle A} はこの半写像の域, B {\displaystyle B} は余域という. ρ {\displaystyle \rho } の逆がまた一価律をみたすとき、 ρ {\displaystyle \rho } は一対一であるという. ρ {\displaystyle \rho } が A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への半写像であるとき、 a ρ b {\displaystyle a\rho b} である b {\displaystyle b} が存在するような a {\displaystyle a} の集合を ρ {\displaystyle \rho } の定義域, a ρ b {\displaystyle a\rho b} である a {\displaystyle a} の存在するような b {\displaystyle b} の集合を ρ {\displaystyle \rho } の像という. ρ {\displaystyle \rho } の定義域が A {\displaystyle A} と一致するとき, ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への写像,または関数といい, ρ {\displaystyle \rho } が A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への写像であることを ρ : A → B {\displaystyle \rho :A\to B} で表す. 写像 ρ {\displaystyle \rho } の像が B {\displaystyle B} と一致するとき, ρ {\displaystyle \rho } は B {\displaystyle B} の上への写像,または全射的な写像という. ρ {\displaystyle \rho } が全射的な一対一写像のとき, ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} と B {\displaystyle B} の間の一対一対応といい,このことを ρ : A ≡ B {\displaystyle \rho :A\equiv B} で表す. 再び ρ {\displaystyle \rho } は A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への半写像として, X ⊂ A , Y ⊂ B {\displaystyle X\subset A,Y\subset B} とする.このとき B {\displaystyle B} の部分集合 { ρ ( a ) | a ∈ X } {\displaystyle \{\rho (a)|a\in X\}} を X {\displaystyle X} の ρ {\displaystyle \rho } による像といい, ρ ( X ) {\displaystyle \rho (X)} で表す. ρ {\displaystyle \rho } の像とは ρ {\displaystyle \rho } による A {\displaystyle A} の像のことであった. また A {\displaystyle A} の部分集合 { a | ρ ( a ) ∈ Y } {\displaystyle \{a|\rho (a)\in Y\}} は ρ {\displaystyle \rho } による Y {\displaystyle Y} の逆像といい, ρ − 1 ( Y ) {\displaystyle \rho ^{-1}(Y)} で表す. ただし b ∈ B {\displaystyle b\in B} のとき ρ − 1 ( { b } ) {\displaystyle \rho ^{-1}(\{b\})} は単に ρ − 1 ( b ) {\displaystyle \rho ^{-1}(b)} と書く. 4.2 A , B , C {\displaystyle A,B,C} は集合, f : A → B , g : B → C {\displaystyle f:A\to B,g:B\to C} は写像とする.このとき各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} に対してただ一つの c = g ( f ( a ) ) ∈ C {\displaystyle c=g(f(a))\in C} が定まる. この c {\displaystyle c} を k ( a ) {\displaystyle k(a)} で表せば k {\displaystyle k} は写像 k : A → C {\displaystyle k:A\to C} を定義する.この k {\displaystyle k} を g ∘ f {\displaystyle g\circ f} または g f {\displaystyle gf} で表し, f {\displaystyle f} と g {\displaystyle g} の合成という.さらに h : C → D {\displaystyle h:C\to D} ならば h ∘ ( g ∘ f ) = ( h ∘ g ) ∘ f {\displaystyle h\circ (g\circ f)=(h\circ g)\circ f} である. この両辺は括弧を省略して h ∘ g ∘ f {\displaystyle h\circ g\circ f} で表される. 次の定理は容易に証明できる. 定理 A , B , C {\displaystyle A,B,C} は集合, f : A → B , g : B → C {\displaystyle f:A\to B,g:B\to C} とする. (i) f {\displaystyle f} と g {\displaystyle g} が共に一対一ならば g ∘ f {\displaystyle g\circ f} も一対一である。 (ii) f {\displaystyle f} と g {\displaystyle g} が共に全射的ならば g ∘ f {\displaystyle g\circ f} も全射的である. (iii) g ∘ f {\displaystyle g\circ f} が一対一ならば f {\displaystyle f} も一対一である . (iv) g ∘ f {\displaystyle g\circ f} が全射的ならば g {\displaystyle g} も全射的である. . 4.3 A {\displaystyle A} は集合, U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} は A {\displaystyle A} の類別とするとき, 各 a ∈ A {\displaystyle a\in A} に対して a ∈ X {\displaystyle a\in X} である X ∈ U {\displaystyle X\in {\mathfrak {U}}} がただ一つ定まる. この X {\displaystyle X} を p ( a ) {\displaystyle p(a)} とおけば p {\displaystyle p} は A {\displaystyle A} から U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} の上への写像となる.この p {\displaystyle p} を類別 U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} への標準射影という. f {\displaystyle f} が集合 A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への写像のとき, A {\displaystyle A} の二元 a , a ′ {\displaystyle a,a'} に対して f ( a ) = f ( a ′ ) {\displaystyle f(a)=f(a')} のとき a ∼ a ′ {\displaystyle a\sim a'} と定義すれば ∼ {\displaystyle \sim } は A {\displaystyle A} 上の同値関係となる. これによる類別を U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} とすれば各 X ∈ U {\displaystyle X\in {\mathfrak {U}}} に対して b ∈ B {\displaystyle b\in B} が定まり, a ∈ X {\displaystyle a\in X} ならば f ( a ) = b {\displaystyle f(a)=b} である. この b {\displaystyle b} を q ( X ) {\displaystyle q(X)} とおけば q {\displaystyle q} は U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} から B {\displaystyle B} への写像で,これは一対一である. また p : A → U {\displaystyle p:A\to {\mathfrak {U}}} は U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} への標準射影とすれば f = q ∘ p {\displaystyle f=q\circ p} . この対 ( p , q ) {\displaystyle (p,q)} を f {\displaystyle f} の右標準全単分解という. 4.4 X {\displaystyle X} が集合 B {\displaystyle B} の部分集合のとき、各 x ∈ X {\displaystyle x\in X} に対して i ( x ) = x {\displaystyle i(x)=x} とおけば, i {\displaystyle i} は X {\displaystyle X} から B {\displaystyle B} への写像となり, これは一対一である.この i {\displaystyle i} を X {\displaystyle X} の B {\displaystyle B} への理蔵または標準射入という. さらに g : B → C {\displaystyle g:B\to C} のとき,合成 g ∘ i {\displaystyle g\circ i} を g {\displaystyle g} の X {\displaystyle X} への制限といい, g ↾ X {\displaystyle g{\upharpoonright _{X}}} で表す.また h = g ↾ X {\displaystyle h=g{\upharpoonright _{X}}} に対して g {\displaystyle g} を h {\displaystyle h} の拡張という. 特に X = B {\displaystyle X=B} のとき, B {\displaystyle B} の B {\displaystyle B} への埋蔵を B {\displaystyle B} 上の恒等写像といい, 1 B {\displaystyle 1_{B}} で表す.任意の f : A → B , g : B → A {\displaystyle f:A\to B,g:B\to A} に対して 1 B ∘ f = f , g ∘ 1 B = g {\displaystyle 1_{B}\circ f=f,g\circ 1_{B}=g} である.また g ∘ f = 1 A {\displaystyle g\circ f=1_{A}} のとき g {\displaystyle g} は f {\displaystyle f} の左逆写像, f {\displaystyle f} は g {\displaystyle g} の右逆写像といい, さらに f ∘ g = 1 B {\displaystyle f\circ g=1_{B}} ならば f {\displaystyle f} と g {\displaystyle g} とは互いに他の逆写像という. このとき f {\displaystyle f} は A {\displaystyle A} と B {\displaystyle B} との間の一対一対応となる.逆に f {\displaystyle f} が一対一対応ならば f {\displaystyle f} は逆写像 g {\displaystyle g} を持つ.これを f − 1 {\displaystyle f^{-1}} で表す. 任意の写像 f : A → B {\displaystyle f:A\to B} に対して f {\displaystyle f} の像を X {\displaystyle X} とし, s ( a ) = f ( a ) {\displaystyle s(a)=f(a)} で s : A → X {\displaystyle s:A\to X} を定義すれば s {\displaystyle s} は X {\displaystyle X} の上への写像である.さらに r : X → B {\displaystyle r:X\to B} を埋蔵とすれば f = r ∘ s {\displaystyle f=r\circ s} . この対 ( s , r ) {\displaystyle (s,r)} を f {\displaystyle f} の左標準全単分解という.さらに ( p , q ) {\displaystyle (p,q)} が s {\displaystyle s} の右標準全単分解ならば f = r ∘ q ∘ p {\displaystyle f=r\circ q\circ p} で q {\displaystyle q} は一対一対応である.この三つ組 ( p , q , r ) {\displaystyle (p,q,r)} を f {\displaystyle f} の両標準全単分解という. 4.5 V = { A λ | λ ∈ Λ } {\displaystyle {\mathfrak {V}}=\{A_{\lambda }|\lambda \in \Lambda \}} を集合の族とし, A = ⋃ V {\displaystyle A=\bigcup {\mathfrak {V}}} とする.写像 φ : Λ → A {\displaystyle \varphi :\Lambda \to A} ですべての λ ∈ Λ {\displaystyle \lambda \in \Lambda } について φ ( λ ) ∈ A λ {\displaystyle \varphi (\lambda )\in A_{\lambda }} となるようなものを集合族 V {\displaystyle {\mathfrak {V}}} 上の選択関数という. V {\displaystyle {\mathfrak {V}}} 上の選択関数全体の集合を V {\displaystyle {\mathfrak {V}}} の直積といい, ∏ V {\displaystyle \prod {\mathfrak {V}}} ,または ∏ λ ∈ Λ A λ {\displaystyle \prod _{\lambda \in \Lambda }A_{\lambda }} で表す. 各 A λ ∈ V {\displaystyle A_{\lambda }\in {\mathfrak {V}}} はこの直積の成分という.また写像 π λ : ∏ V → A λ {\displaystyle \pi _{\lambda }:\prod {\mathfrak {V}}\to A_{\lambda }} で,各 φ ∈ ∏ V {\displaystyle \varphi \in \prod {\mathfrak {V}}} における値 π λ ( φ ) {\displaystyle \pi _{\lambda }(\varphi )} が φ ( λ ) {\displaystyle \varphi (\lambda )} であるものを直積の A λ {\displaystyle A_{\lambda }} 成分への標準射影という. 普通,集合論においては 選択公理:どの成分も空でなければそれらの直積も空でない を仮定している.以下の議論もこの仮定のもとに行う. 特に Λ {\displaystyle \Lambda } が有限集合 { 1 , 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , n } {\displaystyle \{1,2,\cdot \cdot \cdot ,n\}} のとき ∏ V {\displaystyle \prod {\mathfrak {V}}} は有限直積といい,また A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\displaystyle A_{1}\times A_{2}\times \cdot \cdot \cdot \times A_{n}} で表され,その元 φ {\displaystyle \varphi } で λ = 1 , 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , n {\displaystyle \lambda =1,2,\cdot \cdot \cdot ,n} に対して φ ( λ ) = a λ {\displaystyle \varphi (\lambda )=a_{\lambda }} となるものは ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\displaystyle (a_{1},a_{2},\cdot \cdot \cdot ,a_{n})} で表される. §2 の始めに現れた二つの集合の直積 A × B {\displaystyle A\times B} も Λ = { 1 , 2 } {\displaystyle \Lambda =\{1,2\}} の特別な場合であった.また A 1 = A 2 = ⋅ ⋅ ⋅ = A n = A {\displaystyle A_{1}=A_{2}=\cdot \cdot \cdot =A_{n}=A} のとき ∏ V {\displaystyle \prod {\mathfrak {V}}} は A n {\displaystyle A^{n}} で表される. 2.1 で定義したように集合 A {\displaystyle A} の元と集合 B {\displaystyle B} の元との間の関係とは直積 A × B {\displaystyle A\times B} の部分集合のことであったが,この概念を拡大して一般に A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\displaystyle A_{1}\times A_{2}\times \cdot \cdot \cdot \times A_{n}} の部分集合のことをこれらの集合の元の間の n {\displaystyle n} 元関係といい,特に A 1 = A 2 = ⋅ ⋅ ⋅ = A n = A {\displaystyle A_{1}=A_{2}=\cdot \cdot \cdot =A_{n}=A} の場合は集合 A {\displaystyle A} の上の n {\displaystyle n} 元(内部)関係という. 集合の有限直積 A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\displaystyle A_{1}\times A_{2}\times \cdot \cdot \cdot \times A_{n}} から集合 B {\displaystyle B} への写像 f {\displaystyle f} は n {\displaystyle n} 項写像,または n {\displaystyle n} 変数の写像といわれ f : A 1 , A 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , A n → B {\displaystyle f:A_{1},A_{2},\cdot \cdot \cdot ,A_{n}\to B} で表される.またこのとき直積の元 ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\displaystyle (a_{1},a_{2},\cdot \cdot \cdot ,a_{n})} における f {\displaystyle f} の値は f ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\displaystyle f(a_{1},a_{2},\cdot \cdot \cdot ,a_{n})} で表される.この a k {\displaystyle a_{k}} を写像 f {\displaystyle f} の第 k {\displaystyle k} 項という.二項以上の写像は一般に多項写像といわれる. f {\displaystyle f} が有限直積からの半写像のときも同様の定義と表記法とを用いる. 4.6 集合 A {\displaystyle A} において A n {\displaystyle A^{n}} から A {\displaystyle A} への写像, または半写像はそれぞれ A {\displaystyle A} 上の n {\displaystyle n} 項演算, または n {\displaystyle n} 項半演算ともいわれる.ただし n = 1 {\displaystyle n=1} のときは単項演算,単項半演算といい,このとき f ( x ) {\displaystyle f(x)} のかわりにしばしば x f {\displaystyle x^{f}} の形で表す. f {\displaystyle f} が A {\displaystyle A} 上の二項演算(または二項半演算,以下同様)のときは §1 で例示したように, これに適当な演算記号 ⊥ {\displaystyle \bot } 等を与え, f ( x , y ) {\displaystyle f(x,y)} のかわりに x ⊥ y {\displaystyle x\bot y} の形で表すのが普通である. 関係や演算に関する議論ではその元数や項数によって本質的な差異が起こらぬことが多い. 以下このような場合代表として二元関係,二項演算について解説する. 同じ議論が一般の n {\displaystyle n} 元関係, n {\displaystyle n} 項演算についても拡張,適用できることは各自確かめられたい. 4.7 ρ , σ {\displaystyle \rho ,\sigma } はそれぞれ集合 A , B {\displaystyle A,B} 上の二元関係, ⊥ , ⊤ {\displaystyle \bot ,\top } はそれぞれ A , B {\displaystyle A,B} 上の二項演算, f {\displaystyle f} は A {\displaystyle A} から B {\displaystyle B} への写像とする. もし f {\displaystyle f} が条件 をみたすならば, f {\displaystyle f} は関係 ρ {\displaystyle \rho } を σ {\displaystyle \sigma } に移すといい, また条件 をみたすとき f {\displaystyle f} は 演算 ⊥ {\displaystyle \bot } を ⊤ {\displaystyle \top } に移すという. 例えば log {\displaystyle \log } は正の実数の集合 R + {\displaystyle \mathbf {R} ^{+}} から実数の集合 R {\displaystyle \mathbf {R} } への写像で、 R + {\displaystyle \mathbf {R} ^{+}} 上の順序と積演算をそれぞれ R {\displaystyle R} 上の順序と和演算とに移す. また X = { x ∈ R | x > − 1 } {\displaystyle X=\{x\in R|x>-1\}} とし、 x , y ∈ X {\displaystyle x,y\in X} のとき x ∗ y = x + y + x y {\displaystyle x*y=x+y+xy} とおけば X {\displaystyle X} は ∗ {\displaystyle *} によって群となることがわかる. 実は ∗ {\displaystyle *} は R + {\displaystyle R^{+}} 上の積演算を f ( x ) = x − 1 {\displaystyle f(x)=x-1} によって X {\displaystyle X} の上に移して作られた演算である. 特に集合 A , B {\displaystyle A,B} 上に同一の記号 ρ {\displaystyle \rho } で書かれた二元関係 ρ {\displaystyle \rho } があり(または A = B {\displaystyle A=B} で f : A → A {\displaystyle f:A\to A} のとき)、条件 をみたすとき f {\displaystyle f} は 関係 ρ {\displaystyle \rho } を保存する といい, 同様に A , B {\displaystyle A,B} 上に同じ記号 ⊥ {\displaystyle \bot } で書かれた二項演算があり (または A = B {\displaystyle A=B} で f : A → A {\displaystyle f:A\to A} のとき),条件 をみたすとき, f {\displaystyle f} は 演算 ⊥ {\displaystyle \bot } を保存する という. 例えば x ∈ R + {\displaystyle x\in R^{+}} に対して f ( x ) = x 2 {\displaystyle f(x)=x^{2}} とおけばこれは R + {\displaystyle R^{+}} 上の自然な順序 ≦ {\displaystyle \leqq } を保存するが,この写像は R {\displaystyle R} 上では ≦ {\displaystyle \leqq } を保存しない. 一般に二つの順序集合の間の順序を保存する写像は 増加的 であるという。 x ∈ R {\displaystyle x\in R} に対して f ( x ) = − x {\displaystyle f(x)=-x} とおけば f {\displaystyle f} は R {\displaystyle R} 上で演算 + {\displaystyle +} は保存するが,積は保存しない. 4.8 ⊥ {\displaystyle \bot } は二つの集合 A , B {\displaystyle A,B} 上に定義された二項演算, f : A → B {\displaystyle f:A\to B} は ⊥ {\displaystyle \bot } を保存する写像とする. このとき 4.3 で示した f ( a ) = f ( b ) {\displaystyle f(a)=f(b)} のとき a ∼ b {\displaystyle a\sim b} として定義された A {\displaystyle A} 上の同値関係 ∼ {\displaystyle \sim } は条件 をみたす.実際仮定から f ( a ) = f ( b ) {\displaystyle f(a)=f(b)} で f ( c ) = f ( d ) {\displaystyle f(c)=f(d)} . f {\displaystyle f} は ⊥ {\displaystyle \bot } を保存するから f ( a ⊥ c ) = f ( a ) ⊥ f ( c ) = f ( b ) ⊥ f ( d ) = f ( b ⊥ d ) {\displaystyle f(a\bot c)=f(a)\bot f(c)=f(b)\bot f(d)=f(b\bot d)} .よって a ⊥ c ∼ b ⊥ d {\displaystyle a\bot c\sim b\bot d} . 一般に A {\displaystyle A} 上に同値関係 ∼ {\displaystyle \sim } があり,それが A {\displaystyle A} 上の演算 ⊥ {\displaystyle \bot } についての上の両立性をみたすとき, ∼ {\displaystyle \sim } は ⊥ {\displaystyle \bot } と両立するという.このとき ∼ {\displaystyle \sim } による類別 U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} の二つの同値類を X , Y {\displaystyle X,Y} とし,ある x ∈ X {\displaystyle x\in X} と y ∈ Y {\displaystyle y\in Y} とについて x ⊥ y {\displaystyle x\bot y} を含む同値類を Z {\displaystyle Z} とすれば, ∼ {\displaystyle \sim } の両立性はすべての a ∈ X {\displaystyle a\in X} と b ∈ Y {\displaystyle b\in Y} とについて a ⊥ b ∈ Z {\displaystyle a\bot b\in Z} であることを意味する.すなわち a ∈ X , b ∈ Y {\displaystyle a\in X,b\in Y} ならば a ⊥ b ∈ Z {\displaystyle a\bot b\in Z} となる同値類 Z {\displaystyle Z} は X {\displaystyle X} と Y {\displaystyle Y} から一意的に定まる.この Z {\displaystyle Z} を X ⊥ Y {\displaystyle X\bot Y} と定義すれば ⊥ {\displaystyle \bot } は U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} 上の演算となり, A {\displaystyle A} から U {\displaystyle {\mathfrak {U}}} への標準射影 p {\displaystyle p} は ⊥ {\displaystyle \bot } を保存する.
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "4.1 ρ {\\displaystyle \\rho } は集合 A {\\displaystyle A} の元と集合 B {\\displaystyle B} の元との間の関係とする. もし", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "一価律: a ρ b {\\displaystyle a\\rho b} かつ a ρ b ′ {\\displaystyle a\\rho b'} ならば b = b ′ {\\displaystyle b=b'}", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "がみたされるならば, ρ {\\displaystyle \\rho } は A {\\displaystyle A} から B {\\displaystyle B} への半写像, または半関数といい, a ρ b {\\displaystyle a\\rho b} となる唯一の b {\\displaystyle b} を ρ ( a ) {\\displaystyle \\rho (a)} で表し,これを a {\\displaystyle a} における ρ {\\displaystyle \\rho } の値という. また A {\\displaystyle A} はこの半写像の域, B {\\displaystyle B} は余域という. ρ {\\displaystyle \\rho } の逆がまた一価律をみたすとき、 ρ {\\displaystyle \\rho } は一対一であるという.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ρ {\\displaystyle \\rho } が A {\\displaystyle A} から B {\\displaystyle B} への半写像であるとき、 a ρ b {\\displaystyle a\\rho b} である b 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A,Y\\subset B} とする.このとき B {\\displaystyle B} の部分集合 { ρ ( a ) | a ∈ X } {\\displaystyle \\{\\rho (a)|a\\in X\\}} を X {\\displaystyle X} の ρ {\\displaystyle \\rho } による像といい, ρ ( X ) {\\displaystyle \\rho (X)} で表す. ρ {\\displaystyle \\rho } の像とは ρ {\\displaystyle \\rho } による A {\\displaystyle A} の像のことであった. また A {\\displaystyle A} の部分集合 { a | ρ ( a ) ∈ Y } {\\displaystyle \\{a|\\rho (a)\\in Y\\}} は ρ {\\displaystyle \\rho } による Y {\\displaystyle Y} の逆像といい, ρ − 1 ( Y ) {\\displaystyle \\rho ^{-1}(Y)} で表す. ただし b ∈ B {\\displaystyle b\\in B} のとき ρ − 1 ( { b } ) {\\displaystyle \\rho ^{-1}(\\{b\\})} は単に ρ − 1 ( b ) {\\displaystyle \\rho ^{-1}(b)} と書く.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "4.2 A , B , C {\\displaystyle A,B,C} は集合, f : A → B , g : B → C {\\displaystyle f:A\\to B,g:B\\to C} は写像とする.このとき各 a ∈ A {\\displaystyle a\\in A} に対してただ一つの c = g ( f ( a ) ) ∈ C {\\displaystyle c=g(f(a))\\in C} が定まる. この c {\\displaystyle c} を k ( a ) {\\displaystyle k(a)} で表せば k 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{\\displaystyle f(a)=f(a')} のとき a ∼ a ′ {\\displaystyle a\\sim a'} と定義すれば ∼ {\\displaystyle \\sim } は A {\\displaystyle A} 上の同値関係となる. これによる類別を U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} とすれば各 X ∈ U {\\displaystyle X\\in {\\mathfrak {U}}} に対して b ∈ B {\\displaystyle b\\in B} が定まり, a ∈ X {\\displaystyle a\\in X} ならば f ( a ) = b {\\displaystyle f(a)=b} である. この b {\\displaystyle b} を q ( X ) {\\displaystyle q(X)} とおけば q {\\displaystyle q} は U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} から B {\\displaystyle B} への写像で,これは一対一である. また p : A → U {\\displaystyle p:A\\to {\\mathfrak {U}}} は U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} への標準射影とすれば f = q ∘ p {\\displaystyle f=q\\circ p} . この対 ( p , q ) {\\displaystyle (p,q)} を f {\\displaystyle f} の右標準全単分解という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "4.4 X {\\displaystyle X} が集合 B {\\displaystyle B} の部分集合のとき、各 x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} に対して i ( x ) = x {\\displaystyle i(x)=x} とおけば, i {\\displaystyle i} は X {\\displaystyle X} から B {\\displaystyle B} への写像となり, これは一対一である.この i {\\displaystyle i} を X {\\displaystyle X} の B {\\displaystyle B} への理蔵または標準射入という. さらに g : B → C {\\displaystyle g:B\\to C} のとき,合成 g ∘ i {\\displaystyle g\\circ i} を g {\\displaystyle g} の X {\\displaystyle X} への制限といい, g ↾ X {\\displaystyle g{\\upharpoonright _{X}}} で表す.また h = g ↾ X {\\displaystyle h=g{\\upharpoonright _{X}}} に対して g {\\displaystyle g} を h {\\displaystyle h} の拡張という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "特に X = B {\\displaystyle X=B} のとき, B {\\displaystyle B} の B {\\displaystyle B} への埋蔵を B {\\displaystyle B} 上の恒等写像といい, 1 B {\\displaystyle 1_{B}} で表す.任意の f : A → B , g : B → A {\\displaystyle f:A\\to B,g:B\\to A} に対して 1 B ∘ f = f , g ∘ 1 B = g {\\displaystyle 1_{B}\\circ f=f,g\\circ 1_{B}=g} である.また g ∘ f = 1 A {\\displaystyle g\\circ f=1_{A}} のとき g {\\displaystyle g} は f {\\displaystyle f} の左逆写像, f {\\displaystyle f} は g {\\displaystyle g} の右逆写像といい, さらに f ∘ g = 1 B {\\displaystyle f\\circ g=1_{B}} ならば f {\\displaystyle f} と g {\\displaystyle g} とは互いに他の逆写像という. このとき f {\\displaystyle f} は A {\\displaystyle A} と B {\\displaystyle B} との間の一対一対応となる.逆に f {\\displaystyle f} が一対一対応ならば f {\\displaystyle f} は逆写像 g {\\displaystyle g} を持つ.これを f − 1 {\\displaystyle f^{-1}} で表す.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "任意の写像 f : A → B {\\displaystyle f:A\\to B} に対して f {\\displaystyle f} の像を X {\\displaystyle X} とし, s ( a ) = f ( a ) {\\displaystyle s(a)=f(a)} で s : A → X {\\displaystyle s:A\\to X} を定義すれば s {\\displaystyle s} は X {\\displaystyle X} の上への写像である.さらに r : X → B {\\displaystyle r:X\\to B} を埋蔵とすれば f = r ∘ s {\\displaystyle f=r\\circ s} . この対 ( s , r ) {\\displaystyle (s,r)} を f {\\displaystyle f} の左標準全単分解という.さらに ( p , q ) {\\displaystyle (p,q)} が s {\\displaystyle s} の右標準全単分解ならば f = r ∘ q ∘ p {\\displaystyle f=r\\circ q\\circ p} で q {\\displaystyle q} は一対一対応である.この三つ組 ( p , q , r ) {\\displaystyle (p,q,r)} を f {\\displaystyle f} の両標準全単分解という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "4.5 V = { A λ | λ ∈ Λ } {\\displaystyle {\\mathfrak {V}}=\\{A_{\\lambda }|\\lambda \\in \\Lambda \\}} を集合の族とし, A = ⋃ V {\\displaystyle A=\\bigcup {\\mathfrak {V}}} とする.写像 φ : Λ → A {\\displaystyle \\varphi :\\Lambda \\to A} ですべての λ ∈ Λ {\\displaystyle \\lambda \\in \\Lambda } について φ ( λ ) ∈ A λ {\\displaystyle \\varphi (\\lambda )\\in A_{\\lambda }} となるようなものを集合族 V {\\displaystyle {\\mathfrak {V}}} 上の選択関数という. V {\\displaystyle {\\mathfrak {V}}} 上の選択関数全体の集合を V {\\displaystyle {\\mathfrak {V}}} の直積といい, ∏ V {\\displaystyle \\prod {\\mathfrak {V}}} ,または ∏ λ ∈ Λ A λ {\\displaystyle \\prod _{\\lambda \\in \\Lambda }A_{\\lambda }} で表す. 各 A λ ∈ V {\\displaystyle A_{\\lambda }\\in {\\mathfrak {V}}} はこの直積の成分という.また写像 π λ : ∏ V → A λ {\\displaystyle \\pi _{\\lambda }:\\prod {\\mathfrak {V}}\\to A_{\\lambda }} で,各 φ ∈ ∏ V {\\displaystyle \\varphi \\in \\prod {\\mathfrak {V}}} における値 π λ ( φ ) {\\displaystyle \\pi _{\\lambda }(\\varphi )} が φ ( λ ) {\\displaystyle \\varphi (\\lambda )} であるものを直積の A λ {\\displaystyle A_{\\lambda }} 成分への標準射影という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "普通,集合論においては", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "選択公理:どの成分も空でなければそれらの直積も空でない", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "を仮定している.以下の議論もこの仮定のもとに行う.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "特に Λ {\\displaystyle \\Lambda } が有限集合 { 1 , 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , n } {\\displaystyle \\{1,2,\\cdot \\cdot \\cdot ,n\\}} のとき ∏ V {\\displaystyle \\prod {\\mathfrak {V}}} は有限直積といい,また A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\\displaystyle A_{1}\\times A_{2}\\times \\cdot \\cdot \\cdot \\times A_{n}} で表され,その元 φ {\\displaystyle \\varphi } で λ = 1 , 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , n {\\displaystyle \\lambda =1,2,\\cdot \\cdot \\cdot ,n} に対して φ ( λ ) = a λ {\\displaystyle \\varphi (\\lambda )=a_{\\lambda }} となるものは ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\\displaystyle (a_{1},a_{2},\\cdot \\cdot \\cdot ,a_{n})} で表される. §2 の始めに現れた二つの集合の直積 A × B {\\displaystyle A\\times B} も Λ = { 1 , 2 } {\\displaystyle \\Lambda =\\{1,2\\}} の特別な場合であった.また A 1 = A 2 = ⋅ ⋅ ⋅ = A n = A {\\displaystyle A_{1}=A_{2}=\\cdot \\cdot \\cdot =A_{n}=A} のとき ∏ V {\\displaystyle \\prod {\\mathfrak {V}}} は A n {\\displaystyle A^{n}} で表される.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2.1 で定義したように集合 A {\\displaystyle A} の元と集合 B {\\displaystyle B} の元との間の関係とは直積 A × B {\\displaystyle A\\times B} の部分集合のことであったが,この概念を拡大して一般に A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\\displaystyle A_{1}\\times A_{2}\\times \\cdot \\cdot \\cdot \\times A_{n}} の部分集合のことをこれらの集合の元の間の n {\\displaystyle n} 元関係といい,特に A 1 = A 2 = ⋅ ⋅ ⋅ = A n = A {\\displaystyle A_{1}=A_{2}=\\cdot \\cdot \\cdot =A_{n}=A} の場合は集合 A {\\displaystyle A} の上の n {\\displaystyle n} 元(内部)関係という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "集合の有限直積 A 1 × A 2 × ⋅ ⋅ ⋅ × A n {\\displaystyle A_{1}\\times A_{2}\\times \\cdot \\cdot \\cdot \\times A_{n}} から集合 B {\\displaystyle B} への写像 f {\\displaystyle f} は n {\\displaystyle n} 項写像,または n {\\displaystyle n} 変数の写像といわれ f : A 1 , A 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , A n → B {\\displaystyle f:A_{1},A_{2},\\cdot \\cdot \\cdot ,A_{n}\\to B} で表される.またこのとき直積の元 ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\\displaystyle (a_{1},a_{2},\\cdot \\cdot \\cdot ,a_{n})} における f {\\displaystyle f} の値は f ( a 1 , a 2 , ⋅ ⋅ ⋅ , a n ) {\\displaystyle f(a_{1},a_{2},\\cdot \\cdot \\cdot ,a_{n})} で表される.この a k {\\displaystyle a_{k}} を写像 f {\\displaystyle f} の第 k {\\displaystyle k} 項という.二項以上の写像は一般に多項写像といわれる.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "f {\\displaystyle f} が有限直積からの半写像のときも同様の定義と表記法とを用いる.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "4.6 集合 A {\\displaystyle A} において A n {\\displaystyle A^{n}} から A {\\displaystyle A} への写像, または半写像はそれぞれ A {\\displaystyle A} 上の n {\\displaystyle n} 項演算, または n {\\displaystyle n} 項半演算ともいわれる.ただし n = 1 {\\displaystyle n=1} のときは単項演算,単項半演算といい,このとき f ( x ) {\\displaystyle f(x)} のかわりにしばしば x f {\\displaystyle x^{f}} の形で表す. f {\\displaystyle f} が A {\\displaystyle A} 上の二項演算(または二項半演算,以下同様)のときは §1 で例示したように, これに適当な演算記号 ⊥ {\\displaystyle \\bot } 等を与え, f ( x , y ) {\\displaystyle f(x,y)} のかわりに x ⊥ y {\\displaystyle x\\bot y} の形で表すのが普通である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "関係や演算に関する議論ではその元数や項数によって本質的な差異が起こらぬことが多い. 以下このような場合代表として二元関係,二項演算について解説する. 同じ議論が一般の n {\\displaystyle n} 元関係, n {\\displaystyle n} 項演算についても拡張,適用できることは各自確かめられたい.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "4.7 ρ , σ {\\displaystyle \\rho ,\\sigma } はそれぞれ集合 A , B {\\displaystyle A,B} 上の二元関係, ⊥ , ⊤ {\\displaystyle \\bot ,\\top } はそれぞれ A , B {\\displaystyle A,B} 上の二項演算, f {\\displaystyle f} は A {\\displaystyle A} から B {\\displaystyle B} への写像とする.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "もし f {\\displaystyle f} が条件", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "をみたすならば, f {\\displaystyle f} は関係 ρ {\\displaystyle \\rho } を σ {\\displaystyle \\sigma } に移すといい, また条件", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "をみたすとき f {\\displaystyle f} は 演算 ⊥ {\\displaystyle \\bot } を ⊤ {\\displaystyle \\top } に移すという.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "例えば log {\\displaystyle \\log } は正の実数の集合 R + {\\displaystyle \\mathbf {R} ^{+}} から実数の集合 R {\\displaystyle \\mathbf {R} } への写像で、 R + {\\displaystyle \\mathbf {R} ^{+}} 上の順序と積演算をそれぞれ R {\\displaystyle R} 上の順序と和演算とに移す.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また X = { x ∈ R | x > − 1 } {\\displaystyle X=\\{x\\in R|x>-1\\}} とし、 x , y ∈ X {\\displaystyle x,y\\in X} のとき", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "x ∗ y = x + y + x y {\\displaystyle x*y=x+y+xy}", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "とおけば X {\\displaystyle X} は ∗ {\\displaystyle *} によって群となることがわかる. 実は ∗ {\\displaystyle *} は R + {\\displaystyle R^{+}} 上の積演算を f ( x ) = x − 1 {\\displaystyle f(x)=x-1} によって X {\\displaystyle X} の上に移して作られた演算である.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "特に集合 A , B {\\displaystyle A,B} 上に同一の記号 ρ {\\displaystyle \\rho } で書かれた二元関係 ρ {\\displaystyle \\rho } があり(または A = B {\\displaystyle A=B} で f : A → A {\\displaystyle f:A\\to A} のとき)、条件", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "をみたすとき f {\\displaystyle f} は 関係 ρ {\\displaystyle \\rho } を保存する といい, 同様に A , B {\\displaystyle A,B} 上に同じ記号 ⊥ {\\displaystyle \\bot } で書かれた二項演算があり (または A = B {\\displaystyle A=B} で f : A → A {\\displaystyle f:A\\to A} のとき),条件", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "をみたすとき, f {\\displaystyle f} は 演算 ⊥ {\\displaystyle \\bot } を保存する という.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "例えば x ∈ R + {\\displaystyle x\\in R^{+}} に対して f ( x ) = x 2 {\\displaystyle f(x)=x^{2}} とおけばこれは R + {\\displaystyle R^{+}} 上の自然な順序 ≦ {\\displaystyle \\leqq } を保存するが,この写像は R {\\displaystyle R} 上では ≦ {\\displaystyle \\leqq } を保存しない. 一般に二つの順序集合の間の順序を保存する写像は 増加的 であるという。", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "x ∈ R {\\displaystyle x\\in R} に対して f ( x ) = − x {\\displaystyle f(x)=-x} とおけば f {\\displaystyle f} は R {\\displaystyle R} 上で演算 + {\\displaystyle +} は保存するが,積は保存しない.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "4.8 ⊥ {\\displaystyle \\bot } は二つの集合 A , B {\\displaystyle A,B} 上に定義された二項演算, f : A → B {\\displaystyle f:A\\to B} は ⊥ {\\displaystyle \\bot } を保存する写像とする. このとき 4.3 で示した f ( a ) = f ( b ) {\\displaystyle f(a)=f(b)} のとき a ∼ b {\\displaystyle a\\sim b} として定義された A {\\displaystyle A} 上の同値関係 ∼ {\\displaystyle \\sim } は条件", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "をみたす.実際仮定から f ( a ) = f ( b ) {\\displaystyle f(a)=f(b)} で f ( c ) = f ( d ) {\\displaystyle f(c)=f(d)} . f {\\displaystyle f} は ⊥ {\\displaystyle \\bot } を保存するから f ( a ⊥ c ) = f ( a ) ⊥ f ( c ) = f ( b ) ⊥ f ( d ) = f ( b ⊥ d ) {\\displaystyle f(a\\bot c)=f(a)\\bot f(c)=f(b)\\bot f(d)=f(b\\bot d)} .よって a ⊥ c ∼ b ⊥ d {\\displaystyle a\\bot c\\sim b\\bot d} .", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "一般に A {\\displaystyle A} 上に同値関係 ∼ {\\displaystyle \\sim } があり,それが A {\\displaystyle A} 上の演算 ⊥ {\\displaystyle \\bot } についての上の両立性をみたすとき, ∼ {\\displaystyle \\sim } は ⊥ {\\displaystyle \\bot } と両立するという.このとき ∼ {\\displaystyle \\sim } による類別 U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} の二つの同値類を X , Y {\\displaystyle X,Y} とし,ある x ∈ X {\\displaystyle x\\in X} と y ∈ Y {\\displaystyle y\\in Y} とについて x ⊥ y {\\displaystyle x\\bot y} を含む同値類を Z {\\displaystyle Z} とすれば, ∼ {\\displaystyle \\sim } の両立性はすべての a ∈ X {\\displaystyle a\\in X} と b ∈ Y {\\displaystyle b\\in Y} とについて a ⊥ b ∈ Z {\\displaystyle a\\bot b\\in Z} であることを意味する.すなわち a ∈ X , b ∈ Y {\\displaystyle a\\in X,b\\in Y} ならば a ⊥ b ∈ Z {\\displaystyle a\\bot b\\in Z} となる同値類 Z {\\displaystyle Z} は X {\\displaystyle X} と Y {\\displaystyle Y} から一意的に定まる.この Z {\\displaystyle Z} を X ⊥ Y {\\displaystyle X\\bot Y} と定義すれば ⊥ {\\displaystyle \\bot } は U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} 上の演算となり, A {\\displaystyle A} から U {\\displaystyle {\\mathfrak {U}}} への標準射影 p {\\displaystyle p} は ⊥ {\\displaystyle \\bot } を保存する.", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "", "title": "officious" } ]
4.1  ρ は集合 A の元と集合 B の元との間の関係とする. もし
<strong>4.1 </strong> <math>\rho</math> は集合 <math>A</math> の元と集合 <math>B</math> の元との間の関係とする. もし <div id="一価律"> '''一価律''':<math>a\rho b</math> かつ <math>a\rho b'</math> ならば <math>b = b'</math> がみたされるならば,<math>\rho</math> は <math>A</math> から <math>B</math> への'''半写像''', または'''半関数'''といい,<math>a\rho b </math> となる唯一の <math>b</math> を <math>\rho(a)</math> で表し,これを <math>a</math> における <math>\rho</math> の'''値'''という. また <math>A</math> はこの半写像の'''域''',<math>B</math> は'''余域'''という. <math>\rho</math> の逆がまた一価律をみたすとき、<math>\rho</math> は'''一対一'''であるという. <math>\rho</math> が <math>A</math> から <math>B</math> への半写像であるとき、 <math>a\rho b</math> である <math>b</math> が存在するような <math>a</math> の集合を <math>\rho</math> の'''定義域''',<math>a\rho b</math> である <math>a</math> の存在するような <math>b</math> の集合を <math>\rho</math> の'''像'''という. <math>\rho</math> の定義域が <math>A</math> と一致するとき,<math>\rho</math> は <math>A</math> から <math>B</math> への'''写像''',または'''関数'''といい,<math>\rho</math> が <math>A</math> から <math>B</math> への写像であることを <math>\rho:A \to B</math> で表す. 写像 <math>\rho</math> の像が <math>B</math> と一致するとき, <math>\rho</math> は <math>B</math> の'''上への'''写像,または'''全射的'''な写像という. <math>\rho</math> が全射的な一対一写像のとき,<math>\rho</math> は <math>A</math> と <math>B</math> の間の'''一対一対応'''といい,このことを <math>\rho : A \equiv B</math> で表す. 再び <math>\rho</math> は <math>A</math> から <math>B</math> への半写像として, <math>X \subset A, Y \subset B</math> とする.このとき <math>B</math> の部分集合 <math>\{\rho(a)|a \in X\}</math> を <math>X</math> の <math>\rho</math> による'''像'''といい, <math>\rho(X)</math> で表す. <math>\rho</math> の像とは <math>\rho</math> による <math>A</math> の像のことであった. また <math>A</math> の部分集合 <math>\{a|\rho(a) \in Y\}</math> は <math>\rho</math> による <math>Y</math> の'''逆像'''といい,<math>\rho^{-1}(Y)</math> で表す. ただし <math>b \in B</math> のとき <math>\rho^{-1}(\{b\})</math> は単に <math>\rho^{-1}(b)</math> と書く. <strong>4.2 </strong> <math>A, B, C</math> は集合,<math>f:A \to B, g:B \to C</math> は写像とする.このとき各 <math>a \in A</math> に対してただ一つの <math>c = g(f(a)) \in C</math> が定まる. この <math>c</math> を <math>k(a)</math> で表せば <math>k</math> は写像 <math>k:A \to C</math> を定義する.この <math>k</math> を <math>g \circ f</math> または <math>gf</math> で表し, <math>f</math> と <math>g</math> の'''合成'''という.さらに <math>h:C \to D</math> ならば <math>h \circ (g \circ f) = (h \circ g) \circ f</math> である. この両辺は括弧を省略して <math>h \circ g \circ f</math> で表される. 次の定理は容易に証明できる. <strong>定理</strong> <math>A, B, C</math> は集合,<math>f:A \to B, g:B \to C</math> とする. (i) <math>f</math> と <math>g</math> が共に一対一ならば <math>g \circ f</math> も一対一である。 (ii) <math>f</math> と <math>g</math> が共に全射的ならば <math>g \circ f</math> も全射的である. (iii) <math>g \circ f</math> が一対一ならば <math>f</math> も一対一である <ref> <math>f</math> が一対一(単射)でなければ <math>g \circ f</math> は一対一でない. </ref>. (iv) <math>g \circ f</math> が全射的ならば <math>g</math> も全射的である. <ref> <math>g</math> が全射的でなければ <math>g \circ f</math> は全射的でない. </ref>. <strong>4.3 </strong> <math>A</math> は集合,<math>\mathfrak{U}</math> は <math>A</math> の類別とするとき, 各 <math>a \in A</math> に対して <math>a \in X</math> である <math>X \in \mathfrak{U}</math> がただ一つ定まる. この <math>X</math> を <math>p(a)</math> とおけば <math>p</math> は <math>A</math> から <math>\mathfrak{U}</math> の上への写像となる.この <math>p</math> を類別 <math>\mathfrak{U}</math> への'''標準射影'''という. <math>f</math> が集合 <math>A</math> から <math>B</math> への写像のとき,<math>A</math> の二元 <math>a, a'</math> に対して <math>f(a) = f(a')</math> のとき <math>a \sim a'</math> と定義すれば <math>\sim</math> は <math>A</math> 上の同値関係となる. これによる類別を <math>\mathfrak{U}</math> とすれば各 <math>X \in \mathfrak{U}</math> に対して <math>b \in B</math> が定まり,<math>a \in X</math> ならば <math>f(a)=b</math> である. この <math>b</math> を <math>q(X)</math> とおけば <math>q</math> は <math>\mathfrak{U}</math> から <math>B</math> への写像で,これは一対一である. また <math>p : A \to \mathfrak{U}</math> は <math>\mathfrak{U}</math> への標準射影とすれば <math>f = q \circ p</math>. この対 <math>(p, q)</math> を <math>f</math> の'''右標準全単分解'''という. <strong>4.4 </strong> <math>X</math> が集合 <math>B</math> の部分集合のとき、各 <math>x \in X</math> に対して <math>i(x) = x</math> とおけば,<math>i</math> は <math>X</math> から <math>B</math> への写像となり, これは一対一である.この <math>i</math> を <math>X</math> の <math>B</math> への'''理蔵'''または'''標準射入'''という. さらに <math>g:B \to C</math> のとき,合成 <math>g \circ i</math> を <math>g</math> の <math>X</math> への'''制限'''といい,<math>g{\restriction_X}</math> で表す.また <math>h = g{\restriction_X}</math> に対して <math>g</math> を <math>h</math> の'''拡張'''という. 特に <math>X=B</math> のとき,<math>B</math> の <math>B</math> への埋蔵を <math>B</math> 上の'''恒等写像'''といい,<math>1_B</math> で表す.任意の <math>f:A \to B, g:B \to A</math> に対して <math>1_B \circ f = f, g \circ 1_B = g</math> である.また <math>g \circ f = 1_A</math> のとき <math>g</math> は <math>f</math> の'''左逆写像''',<math>f</math> は <math>g</math> の'''右逆写像'''といい, さらに <math>f \circ g = 1_B</math> ならば <math>f</math> と <math>g</math> とは互いに他の'''逆写像'''という. このとき <math>f</math> は <math>A</math> と <math>B</math> との間の一対一対応となる.逆に <math>f</math> が一対一対応ならば <math>f</math> は逆写像 <math>g</math> を持つ.これを <math>f^{-1}</math> で表す. 任意の写像 <math>f:A \to B</math> に対して <math>f</math> の像を <math>X</math> とし, <math>s(a) = f(a)</math> で <math>s:A \to X</math> を定義すれば <math>s</math> は <math>X</math> の上への写像である.さらに <math>r:X \to B</math> を埋蔵とすれば <math>f = r \circ s</math>. この対 <math>(s, r)</math> を <math>f</math> の'''左標準全単分解'''という.さらに <math>(p, q)</math> が <math>s</math> の右標準全単分解ならば <math>f = r \circ q \circ p</math> で <math>q</math> は一対一対応である.この三つ組 <math>(p, q, r)</math> を <math>f</math> の'''両標準全単分解'''という. <strong>4.5 </strong> <math>\mathfrak{V} = \{ A_{\lambda} | \lambda \in \Lambda \}</math> を集合の族とし,<math>A=\bigcup \mathfrak{V}</math> とする.写像 <math>\varphi : \Lambda \to A</math> ですべての <math>\lambda \in \Lambda</math> について <math>\varphi(\lambda) \in A_{\lambda}</math> となるようなものを集合族 <math>\mathfrak{V}</math> 上の'''選択関数'''という. <math>\mathfrak{V}</math> 上の選択関数全体の集合を <math>\mathfrak{V}</math> の直積といい, <math>\prod \mathfrak{V}</math>,または <math>\prod_{\lambda \in \Lambda} A_{\lambda}</math> で表す. 各 <math>A_{\lambda} \in \mathfrak{V}</math> はこの直積の'''成分'''という.また写像 <math> \pi_{\lambda} : \prod \mathfrak{V} \to A_{\lambda}</math> で,各 <math>\varphi \in \prod \mathfrak{V}</math> における値 <math>\pi_{\lambda}(\varphi)</math> が <math>\varphi(\lambda)</math> であるものを直積の <math>A_{\lambda}</math> 成分への'''標準射影'''という. 普通,集合論においては '''選択公理''':どの成分も空でなければそれらの直積も空でない を仮定している.以下の議論もこの仮定のもとに行う. 特に <math>\Lambda</math> が有限集合 <math>\{ 1, 2, \cdot \cdot \cdot , n \}</math> のとき <math>\prod \mathfrak{V}</math> は'''有限直積'''といい,また <math>A_1 \times A_2 \times \cdot \cdot \cdot \times A_{n}</math> で表され,その元 <math>\varphi</math> で <math>\lambda = 1, 2, \cdot \cdot \cdot , n </math> に対して <math>\varphi(\lambda) = a_{\lambda}</math> となるものは <math>(a_1, a_2, \cdot \cdot \cdot, a_n)</math> で表される. [[関係, 同値関係|§2]] の始めに現れた二つの集合の直積 <math>A \times B</math> も <math>\Lambda = \{1, 2\}</math> の特別な場合であった.また <math>A_1 = A_2 = \cdot \cdot \cdot = A_n = A</math> のとき <math>\prod \mathfrak{V}</math> は <math>A^n</math> で表される. [[関係, 同値関係#2.1|2.1]] で定義したように集合 <math>A</math> の元と集合 <math>B</math> の元との間の関係とは直積 <math>A \times B</math> の部分集合のことであったが,この概念を拡大して一般に <math>A_1 \times A_2 \times \cdot \cdot \cdot \times A_n</math> の部分集合のことをこれらの集合の元の間の '''<math>n</math> 元関係'''といい,特に <math>A_1 = A_2 = \cdot \cdot \cdot = A_n = A</math> の場合は'''集合 <math>A</math> の上の <math>n</math> 元(内部)関係'''という. 集合の有限直積 <math>A_1 \times A_2 \times \cdot \cdot \cdot \times A_n</math> から集合 <math>B</math> への写像 <math>f</math> は '''<math>n</math> 項写像''',または'''<math>n</math> 変数の写像'''といわれ <math>f:A_1, A_2, \cdot \cdot \cdot , A_n \to B</math> で表される.またこのとき直積の元 <math>(a_1, a_2, \cdot \cdot \cdot , a_n)</math> における <math>f</math> の値は <math>f(a_1, a_2, \cdot \cdot \cdot , a_n)</math> で表される.この <math>a_k</math> を写像 <math>f</math> の'''第 <math>k</math> 項'''という.二項以上の写像は一般に'''多項写像'''といわれる. <math>f</math> が有限直積からの半写像のときも同様の定義と表記法とを用いる. <strong>4.6 </strong> 集合 <math>A</math> において <math>A^n</math> から <math>A</math> への写像, または半写像はそれぞれ <math>A</math> 上の '''<math>n</math> 項演算''', または '''<math>n</math> 項半演算'''ともいわれる.ただし <math>n = 1</math> のときは'''単項演算''','''単項半演算'''といい,このとき <math>f(x)</math> のかわりにしばしば <math>x^f</math> の形で表す.<math>f</math> が <math>A</math> 上の二項演算(または二項半演算,以下同様)のときは [[古典的代数系|§1]] で例示したように, これに適当な演算記号 <math>\bot</math> 等を与え,<math>f(x, y)</math> のかわりに <math>x \bot y</math> の形で表すのが普通である. 関係や演算に関する議論ではその元数や項数によって本質的な差異が起こらぬことが多い. 以下このような場合代表として二元関係,二項演算について解説する. 同じ議論が一般の <math>n</math> 元関係,<math>n</math> 項演算についても拡張,適用できることは各自確かめられたい. <strong>4.7 </strong> <math>\rho, \sigma</math> はそれぞれ集合 <math>A, B</math> 上の二元関係, <math>\bot, \top</math> はそれぞれ <math>A, B</math> 上の二項演算, <math>f</math> は <math>A</math> から <math>B</math> への写像とする. もし <math>f</math> が条件 :*) <math>a, b \in A</math> で <math>a \rho b</math> ならば <math>f(a) \sigma f(b)</math> をみたすならば,<math>f</math> は'''関係 <math>\rho</math> を <math>\sigma</math> に移す'''といい, また条件 :**) すべての <math>a, b \in A</math> について <math>f(a \bot b) = f(a) \top f(b)</math> をみたすとき <math>f</math> は '''演算 <math>\bot</math> を <math>\top</math> に移す'''という. 例えば <math>\log</math> は正の実数の集合 <math>\mathbf{R}^+</math> から実数の集合 <math>\mathbf{R}</math> への写像で、<math>\mathbf{R}^+</math> 上の順序と積演算をそれぞれ <math>R</math> 上の順序と和演算とに移す. また <math>X = \{ x \in R | x > -1 \}</math> とし、<math>x, y \in X</math> のとき <math>x * y = x + y + xy</math> とおけば <math>X</math> は <math>*</math> によって群となることがわかる. 実は <math>*</math> は <math>R^+</math> 上の積演算を <math>f(x) = x - 1</math> によって <math>X</math> の上に移して作られた演算である.<ref> <math>x * y = x + y + xy = (x + 1)(y + 1) - 1</math> <math>x * y + 1 = (x + 1)(y + 1)</math></ref> <div id="関係を保存する"> <div id="演算を保存する"> 特に集合 <math>A, B</math> 上に同一の記号 <math>\rho</math> で書かれた二元関係 <math>\rho</math> があり(または <math>A = B</math> で <math>f:A \to A</math> のとき)、条件 :*) <math>a, b \in A</math> で <math>a\rho b</math> ならば <math>f(a)\rho f(b)</math> をみたすとき <math>f</math> は '''関係 <math>\rho</math> を保存する''' といい, 同様に <math>A, B</math> 上に同じ記号 <math>\bot</math> で書かれた二項演算があり (または <math>A = B</math> で <math>f:A \to A</math> のとき),条件 :**) すべての <math>a, b \in A</math> について <math>f(a \bot b) = f(a) \bot f(b)</math> をみたすとき,<math>f</math> は '''演算 <math>\bot</math> を保存する''' という. <div id="増加的"> 例えば <math>x \in R^+</math> に対して <math>f(x) = x^2</math> とおけばこれは <math>R^+</math> 上の自然な順序 <math>\leqq</math> を保存するが,この写像は <math>R</math> 上では <math>\leqq</math> を保存しない. 一般に二つの順序集合の間の順序を保存する写像は '''増加的''' であるという。 <math>x \in R</math> に対して <math>f(x) = -x</math> とおけば <math>f</math> は <math>R</math> 上で演算 <math>+</math> は保存するが,積は保存しない. <div id="4.8"> <strong>4.8</strong> <math>\bot</math> は二つの集合 <math>A, B</math> 上に定義された二項演算,<math>f:A \to B</math> は <math>\bot</math> を保存する写像とする. このとき [[圏論/代数系/写像,演算#4.3|4.3]] で示した <math>f(a) = f(b)</math> のとき <math>a \sim b</math> として定義された <math>A</math> 上の同値関係 <math>\sim</math> は条件 <div id="両立性"> ;'''両立性''' :<math>a \sim b</math> かつ <math>c \sim d</math> ならば <math>a \bot c \sim b \bot d</math> をみたす.実際仮定から <math>f(a) = f(b)</math> で <math>f(c) = f(d)</math>.<math>f</math> は <math>\bot</math> を保存するから <math>f(a \bot c) = f(a) \bot f(c) = f(b) \bot f(d) = f(b \bot d)</math>.よって <math>a \bot c \sim b \bot d</math>. 一般に <math>A</math> 上に同値関係 <math>\sim</math> があり,それが <math>A</math> 上の演算 <math>\bot</math> についての上の両立性をみたすとき, <math>\sim</math> は <math>\bot</math> と'''両立する'''という.このとき <math>\sim</math> による類別 <math>\mathfrak{U}</math> の二つの同値類を <math>X, Y</math> とし,ある <math>x \in X</math> と <math>y \in Y</math> とについて <math>x \bot y</math> を含む同値類を <math>Z</math> とすれば,<math>\sim</math> の両立性はすべての <math>a \in X</math> と <math>b \in Y</math> とについて <math>a \bot b \in Z</math> であることを意味する.すなわち <math>a \in X, b \in Y</math> ならば <math>a \bot b \in Z</math> となる同値類 <math>Z</math> は <math>X</math> と <math>Y</math> から一意的に定まる.この <math>Z</math> を <math>X \bot Y</math> と定義すれば <math>\bot</math> は <math>\mathfrak{U}</math> 上の演算となり,<math>A</math> から <math>\mathfrak{U}</math> への標準射影 <math>p</math> は <math>\bot</math> を保存する. == officious == <references /> [[カテゴリ:圏論]]
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2022-11-20T07:19:29Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%9C%8F%E8%AB%96/%E4%BB%A3%E6%95%B0%E7%B3%BB/%E5%86%99%E5%83%8F%EF%BC%8C%E6%BC%94%E7%AE%97
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エストニア語/文字と発音
ここではエストニア語で使われるアルファベットとその発音について解説する。 エストニア語では、以下のアルファベットを使用する。 Aa,Bb,Dd,Ee,Ff,Gg,Hh,Ii,Jj,Kk,Ll,Mm,Nn,Oo,Pp,Rr,Ss,Šš,Zz,Žž,Tt,Uu,Vv,Õõ,Ää,Öö,Üü 英語にある文字のうち、C、Q、W、X、Yがなく、Õ、Ä、Ö、Üが追加されている。 以下を参考にそのまま読むとよい。但し、長と超長の区別は覚える必要がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ここではエストニア語で使われるアルファベットとその発音について解説する。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "エストニア語では、以下のアルファベットを使用する。", "title": "アルファベット" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "Aa,Bb,Dd,Ee,Ff,Gg,Hh,Ii,Jj,Kk,Ll,Mm,Nn,Oo,Pp,Rr,Ss,Šš,Zz,Žž,Tt,Uu,Vv,Õõ,Ää,Öö,Üü", "title": "アルファベット" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "英語にある文字のうち、C、Q、W、X、Yがなく、Õ、Ä、Ö、Üが追加されている。", "title": "アルファベット" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "以下を参考にそのまま読むとよい。但し、長と超長の区別は覚える必要がある。", "title": "発音" } ]
ここではエストニア語で使われるアルファベットとその発音について解説する。
ここではエストニア語で使われるアルファベットとその発音について解説する。 == アルファベット == エストニア語では、以下のアルファベットを使用する。 Aa,Bb,Dd,Ee,Ff,Gg,Hh,Ii,Jj,Kk,Ll,Mm,Nn,Oo,Pp,Rr,Ss,Šš,Zz,Žž,Tt,Uu,Vv,Õõ,Ää,Öö,Üü 英語にある文字のうち、C、Q、W、X、Yがなく、Õ、Ä、Ö、Üが追加されている。 == 発音 == 以下を参考にそのまま読むとよい。但し、長と超長の区別は覚える必要がある。 === 母音 === === 子音 === [[Category:エストニア語|1]]
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2018-06-18T21:06:52Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%AA%9E/%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%A8%E7%99%BA%E9%9F%B3
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聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞、前置詞句
10.4 前置詞、前置詞句 前置詞は名詞句の前に置かれて、その名詞句と文中の他の名詞句または動詞句との意味的関係を表す語である。 日本語の格助詞(ガ、ハ、ノ、ヲ、ニ、ヘ、ト、ヨリ、カラ、デ等)にほぼ該当するが、ヘブライ語では、既に見たように、ガ、ハに当たる形式はなく、ノは前置詞で示される場合もあるが、多くは連語句によって表される。なお、いうまでもないことだが、ヘブライ語の前置詞が日本語の格助詞と一対一に対応するわけではない。 前置詞とそれに支配された名詞句とによって構成された句を前置詞と呼ぶ。これは便宜的な名称であって、名詞句が名詞と同じ働きを持つ句であるようにして前置詞句全体が前置詞と同じ働きをするわけではない。文1 の לְיהוה 、 文2 の לְךָ (代名詞も名詞句に属する)、文3 の בַּמִּקְנֶה בַּכֶּ֫סֶף וּבַזָּהָב 、 文4 の בְּתוֹךְ הַגָּן 、 文5 の מִבְּשָׂרִי 、 文6 の מִמֶּנִּי はいずれも前置詞句である。 前置詞句は、文1 、 文3 、 文5 、 文6 では他の名詞句を修飾しつつそれと統合されて、もう一つ上位の名詞句を構成している。 文2 、 文4 では前置詞句が他の名詞句と〈主―述〉の関係で統合されている。このような機能は、既に学んだように、名詞句の機能そのものである。従って前置詞句は名詞句の一種であり、前置詞は名詞の一種だと見ることができる。ただし、これは性・数の標識を持たず、連語形として用いられる名詞であり、意味的には、上述のように、それ自体では存在しない、関係概念を表す点が特徴的である。例えば 文2 の לְ を仮に《所有》という名詞と考えると、 כֹּחַ לְךָ という文は《力は汝の所有》→《力は汝のもの》=《力が汝にある》となり、 כֹּחַ לְךָ という名詞句は《汝の所有なる力》=《汝の力》となる。 聖書ヘブライ語における各前置詞の意味を一義的に定義することはできない。 לְ を ニ としたように、一応それに近い日本語の助詞を引き当てるならば、 בְּ は「存在の場」を表す ニ、 מִן は「原点、出発点」を表す ヨリ、カラ ということになろう。
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10.4 前置詞、前置詞句 前置詞は名詞句の前に置かれて、その名詞句と文中の他の名詞句または動詞句との意味的関係を表す語である。 日本語の格助詞(ガ、ハ、ノ、ヲ、ニ、ヘ、ト、ヨリ、カラ、デ等)にほぼ該当するが、ヘブライ語では、既に見たように、ガ、ハに当たる形式はなく、ノは前置詞で示される場合もあるが、多くは連語句によって表される。なお、いうまでもないことだが、ヘブライ語の前置詞が日本語の格助詞と一対一に対応するわけではない。 前置詞とそれに支配された名詞句とによって構成された句を前置詞と呼ぶ。これは便宜的な名称であって、名詞句が名詞と同じ働きを持つ句であるようにして前置詞句全体が前置詞と同じ働きをするわけではない。文1 の ‏ לְיהוה ‎、 文2 の ‏ לְךָ ‎(代名詞も名詞句に属する)、文3 の ‏ בַּמִּקְנֶה בַּכֶּ֫סֶף וּבַזָּהָב ‎、 文4 の ‏ בְּתוֹךְ הַגָּן ‎、 文5 の ‏ מִבְּשָׂרִי ‎、 文6 の ‏ מִמֶּנִּי ‎ はいずれも前置詞句である。 前置詞句は、文1 、 文3 、 文5 、 文6 では他の名詞句を修飾しつつそれと統合されて、もう一つ上位の名詞句を構成している。 文2 、 文4 では前置詞句が他の名詞句と〈主―述〉の関係で統合されている。このような機能は、既に学んだように、名詞句の機能そのものである。従って前置詞句は名詞句の一種であり、前置詞は名詞の一種だと見ることができる。ただし、これは性・数の標識を持たず、連語形として用いられる名詞であり、意味的には、上述のように、それ自体では存在しない、関係概念を表す点が特徴的である。例えば 文2 の ‏לְ‎ を仮に《所有》という名詞と考えると、‏ כֹּחַ לְךָ ‎ という文は《力は汝の所有》→《力は汝のもの》=《力が汝にある》となり、‏ כֹּחַ לְךָ ‏ という名詞句は《汝の所有なる力》=《汝の力》となる。 聖書ヘブライ語における各前置詞の意味を一義的に定義することはできない。 ‏לְ‎ を ニ としたように、一応それに近い日本語の助詞を引き当てるならば、 ‏בְּ‎ は「存在の場」を表す ニ、‏ מִן ‎ は「原点、出発点」を表す ヨリ、カラ ということになろう。
10.4 前置詞、前置詞句 前置詞は名詞句の前に置かれて、その名詞句と文中の他の名詞句または動詞句との意味的関係を表す語である。 日本語の格助詞(ガ、ハ、ノ、ヲ、ニ、ヘ、ト、ヨリ、カラ、デ等)にほぼ該当するが、ヘブライ語では、既に見たように、ガ、ハに当たる形式はなく、ノは前置詞で示される場合もあるが、多くは[[聖書ヘブライ語入門/連語/連語句/相違点|連語句]]によって表される。なお、いうまでもないことだが、ヘブライ語の前置詞が日本語の格助詞と一対一に対応するわけではない。 前置詞とそれに支配された名詞句とによって構成された句を'''前置詞'''と呼ぶ。これは便宜的な名称であって、名詞句が名詞と同じ働きを持つ句であるようにして前置詞句全体が前置詞と同じ働きをするわけではない。[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:1|文1 ]]の &rlm; לְיהוה &lrm;、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:2|文2 ]]の &rlm; לְךָ &lrm;(代名詞も名詞句に属する)、[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:3|文3 ]]の &rlm; בַּמִּקְנֶה בַּכֶּ֫סֶף וּבַזָּהָב &lrm;、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:4|文4 ]]の &rlm; בְּתוֹךְ הַגָּן &lrm;、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:5|文5 ]]の &rlm; מִבְּשָׂרִי &lrm;、 [[ 聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:6|文6 ]]の &rlm; מִמֶּנִּי &lrm; はいずれも前置詞句である。 前置詞句は、[[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:1|文1 ]]、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:3|文3 ]]、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:5|文5 ]]、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:6|文6 ]] では他の名詞句を修飾しつつそれと統合されて、もう一つ上位の名詞句を構成している。 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:2|文2 ]]、 [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:4|文4 ]]では前置詞句が他の名詞句と〈主―述〉の関係で統合されている。このような機能は、既に学んだように、名詞句の機能そのものである。従って前置詞句は名詞句の一種であり、前置詞は名詞の一種だと見ることができる。ただし、これは性・数の標識を持たず、連語形として用いられる名詞であり、意味的には、上述のように、それ自体では存在しない、関係概念を表す点が特徴的である。例えば [[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/例文#10:2|文2 ]]の &rlm;לְ&lrm; を仮に《所有》という名詞と考えると、&rlm; כֹּחַ לְךָ &lrm; という文は《力は汝の所有》→《力は汝のもの》=《力が汝にある》となり、&rlm; כֹּחַ לְךָ &rlm; という名詞句は《汝の所有なる力》=《汝の力》となる。 聖書ヘブライ語における各前置詞の意味を一義的に定義することはできない。 &rlm;לְ&lrm; を ニ としたように、一応それに近い日本語の助詞を引き当てるならば、 &rlm;בְּ&lrm; は「存在の場」を表す ニ、&rlm; מִן &lrm; は「原点、出発点」を表す ヨリ、カラ ということになろう。 [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:11:18Z
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将棋/5手爆弾/△同歩/▲同飛
△8六歩 △8七歩▲2三歩△8八歩成▲同銀で先に角を取られ、△3五角と打たれて先手不利。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "△8六歩", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "△8六歩" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "△8七歩▲2三歩△8八歩成▲同銀で先に角を取られ、△3五角と打たれて先手不利。", "title": "△8六歩" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "△8六歩" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "△8六歩" } ]
△8六歩 ▲同歩に△8七歩と打たれて先に角を取られ、△3五角の筋で後手有利になる。 ▲2三歩?は△8七歩成のあと、△8八ととすぐに角を取らずに△8六歩と打ってと金作りを目指す手があり、後手優勢。
{{shogi diagram|tright| |後手 歩 |lg|ng|sg|gg|kg|gg|sg|ng|lg | |rg| | | | | |bg| |pg| |pg|pg|pg|pg|pg| |pg | | | | | | | |rsl| | |pg| | | | | |uat| | | | | | | | |uda| |ps|ps|ps|ps|ps|ps|ps|uda|ps | |bs| | | | | |uas| |ls|ns|ss|gs|ks|gs|ss|ns|ls |先手 歩 |7手目▲2四同飛?まで}} △8六歩 # ▲同歩に△8七歩と打たれて先に角を取られ、△3五角の筋で後手有利になる。 # [[/△8六歩/▲2三歩|▲2三歩?]]は△8七歩成のあと、△8八ととすぐに角を取らずに△8六歩と打ってと金作りを目指す手があり、後手優勢。 {{-}} == △8六歩 == {{shogi diagram|tright| |後手 歩 |lg|ng|sg|gg|kg|gg|sg|ng|lg | |rg| | | | | |bg| |pg| |pg|pg|pg|pg|pg| |pg | | | | | | | |rs| | |dah| | | | | | | | |pgl| | | | | | | |ps|ps|ps|ps|ps|ps|ps| |ps | |bs| | | | | | | |ls|ns|ss|gs|ks|gs|ss|ns|ls |先手 歩 |8手目△8六歩まで}} {{-}} === ▲2三歩 === : ''詳細は「[[/△8六歩/▲2三歩]]」を参照'' === ▲同歩 === {{shogi diagram|tright| |後手 歩 |lg|ng|sg|gg|kg|gg|sg|ng|lg | |rg| | | | | |bg| |pg| |pg|pg|pg|pg|pg| |pg | | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | |psl| | | | | | | |ps|uah|ps|ps|ps|ps|ps| |ps | |bs| | | | | | | |ls|ns|ss|gs|ks|gs|ss|ns|ls |先手 歩2 |9手目▲8六同歩まで}} △8七歩▲2三歩△8八歩成▲同銀で先に角を取られ、△3五角と打たれて先手不利。 {{-}} ==== △8七歩▲2三歩△8八歩成 ==== {{shogi diagram|tright| |後手 角 |lg|ng|sg|gg|kg|gg|sg|ng|lg | |rg| | | | | |bg| |pg| |pg|pg|pg|pg|pg|ps|pg | | | | | | | |rs| | | | | | | | | | | |ps| | | | | | | |ps|dah|ps|ps|ps|ps|ps| |ps | |tgl| | | | | | | |ls|ns|ss|gs|ks|gs|ss|ns|ls |先手 歩 |10手目△8七歩<br />11手目▲2三歩<br />12手目△8八歩成まで}} {{-}} ===== ▲同銀△3五角▲2八飛△5七角成▲2二歩成 ===== ====== △同飛▲2三歩 ====== ; △1二飛 ; △8二飛 ====== △同銀 ====== ===== ▲2二歩成 ===== == 脚注 == <references /> == 参考棋譜 == * [https://denou.jp/tournament2015/result.html 2015年11月21日 第3回将棋電王トーナメント予選リーグ5回戦 ▲メカ女子将棋 対 △カツ丼将棋] == 参考文献 == * {{cite book ja-jp|author=[[:w:鈴木宏彦|鈴木宏彦]]|year=2008|title=イメージと読みの将棋観|publisher=日本将棋連盟|isbn=978-4-8197-0252-2|ref={{sfnref|鈴木|2008}}}}(一部初出『将棋世界』2006年8月号-2008年11月号) {{stub}} [[Category:5手爆弾|2]]
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プチコン/入力
プチコンBIGには、プレイヤーに入力を要求する機能があります。 これで「ガイド?」と表示されます。 これで「ガイド」と表示されます。 これで複数の変数を入力してもらえます。 カンマ(,)で区切って入力します。 例1と「? A%」を組み合わせて、入力した値を表示させます。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "プチコンBIGには、プレイヤーに入力を要求する機能があります。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "これで「ガイド?」と表示されます。", "title": "使い方" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これで「ガイド」と表示されます。", "title": "使い方" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "これで複数の変数を入力してもらえます。 カンマ(,)で区切って入力します。", "title": "使い方" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "例1と「? A%」を組み合わせて、入力した値を表示させます。", "title": "使い方" } ]
プチコンBIGには、プレイヤーに入力を要求する機能があります。
プチコンBIGには、プレイヤーに入力を要求する機能があります。 ==使い方== ===例1=== <syntaxhighlight lang="basic"> input "ガイド";A% </syntaxhighlight> これで「ガイド?」と表示されます。 ===例2=== <syntaxhighlight lang="basic"> input "ガイド",B% </syntaxhighlight> これで「ガイド」と表示されます。 ===例3=== <syntaxhighlight lang="basic"> input "ガイド";C%,D% </syntaxhighlight> これで複数の変数を入力してもらえます。 カンマ(<code>,</code>)で区切って入力します。 ===例4=== <syntaxhighlight lang="basic"> input "ガイド";A% ? A% </syntaxhighlight> 例1と「? A%」を組み合わせて、入力した値を表示させます。 {{DEFAULTSORT:ふちこん/にゆうりよく}} [[カテゴリ:プチコン|にゆうりよく]]
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2021-11-17T14:32:31Z
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23,959
解析学基礎/微分方程式入門
未知の関数とその導関数を含む方程式を微分方程式と呼びます。本来これは総称であって正確には1変数関数の導関数(常微分)を含む常微分方程式と多変数関数の所謂偏導関数(偏微分)を含む偏微分方程式に大別されるのですが本稿では偏微分方程式は扱わないのでここで単に微分方程式と言った場合は常微分方程式を表すものとします。また理論的な詳細は常微分方程式を参照してもらう事とし本稿では解法の説明を重点的に行う事にします。 {\displaystyle } 微分方程式の中に含まれる導関数の最高階数をその微分方程式の階数といいます。この節では1階導関数を含む所謂1階微分方程式について解説します。 1階微分方程式に於いて最も単純なのは変数分離形と呼ばれる以下の形の微分方程式です。; この微分方程式は両辺をg(y)で割って積分する事により以下のように解く事ができます。; ここで C = C 2 − C 1 {\displaystyle C=C_{2}-C_{1}} という風にして積分定数(微分方程式の世界では任意定数と呼ぶ事が多いです)を1つにまとめました。(以下この様な任意定数の書き換えを適宜(暗黙裡に)行う場合があります。)この任意定数を含む解を一般解といいます。他方任意定数に特定の値を与えて一意的に決定した解を特殊解と呼びます。任意定数は y 0 = f ( x 0 ) {\displaystyle y_{0}=f(x_{0})} のように独立変数がある値のときの従属変数の値を与えることで決定する事がしばしばあります。この y 0 = f ( x 0 ) {\displaystyle y_{0}=f(x_{0})} の様な関係式 を初期条件と言い、関数値 y 0 {\displaystyle y_{0}} を初期値と言います。初期条件から特殊解を決定する計算は一般解を求めるよりは易しいことが多いですので、一般解が求まったことをもって解が求まったとしてもよさそうにも思われますが、物理現象などを記述するために微分方程式を解いているのならば、特殊解こそが現実の事象を記述しているとも言えますので、初期条件から特殊解を求めることも重要です。 未知関数及びその導関数についての1次式で書かれる微分方程式を線型微分方程式と呼びます。ここでは1階のそれについて述べる事にします。微分方程式 を1階線型微分方程式といいます。この微分方程式の一般解は以下の公式で与えられます。 証明 y = e − ∫ P ( x ) d x { ∫ e ∫ P ( x ) d x Q ( x ) d x + C } {\displaystyle y=e^{-\int P(x)dx}\left\{\int e^{\int P(x)dx}Q(x)dx+C\right\}} とすると、 導出 まず微分方程式(☆)の右辺を零とおいた y ′ + P ( x ) y = 0 {\displaystyle y'+P(x)y=0} ...(☆☆) という等式を考えます (これを(☆)に付随する同次方程式または斉次方程式といいます)。この同次方程式(☆☆)は変数分離形なので という風に解けます( C 2 = ± e C 1 {\displaystyle C_{2}=\pm e^{C_{1}}} と書き換えました。)。ここでこの解を用いて微分方程式(☆)を満たす関数を作ります。この解の任意定数 C 2 {\displaystyle C_{2}} をある関数 u ( x ) {\displaystyle u(x)} に書き換えた式 が(☆)の解になっているとします(この書き換えを定数変化法といいます。任意の関数yは u ( x ) {\displaystyle u(x)} を適切に設定すればこのように表せることに注意)。この(☆☆☆)の両辺を微分すれば が成り立ちます。そしてこの最右辺第2項を移項すれば(☆)より でなければならないことが分かります。従ってこの等式から が得られます。この関数 u ( x ) {\displaystyle u(x)} を(☆☆☆)に代入する事により上述の公式が導かれる事が分かります。(証明終) 1階微分方程式 をベルヌーイの微分方程式と呼びます。この微分方程式は m = 0 {\displaystyle m=0} のときは1階線型微分方程式、 m = 1 {\displaystyle m=1} のときは変数分離形の微分方程式ですので、既にみたようにして解くことができますが、 m ≠ 0 , 1 {\displaystyle m\neq 0,1} の場合は次のようにして解くことができます。 未知関数 y = y ( x ) {\displaystyle y=y(x)} に対して u = u ( x ) = y 1 − m {\displaystyle u=u(x)=y^{1-m}} という関数を考えて、これを微分すると が得られます。これは関数 u = u ( x ) {\displaystyle u=u(x)} に関する1階線型微分方程式に他なりません。 1階微分方程式 をクレローの微分方程式といいます。この微分方程式に於いて y ′ = p {\displaystyle y'=p} と書いて両辺を微分すると すなわち が成り立ちます。これから p ′ = 0 {\displaystyle p'=0} または x + f ′ ( p ) = 0 {\displaystyle x+f'(p)=0} が得られますが、前者からただちに p = C {\displaystyle p=C} (任意定数)が求まるので、これにより という風に一般解が導かれます。一方の後者の方ですが、この等式と当該微分方程式を連立させて p {\displaystyle p} を消去すると上述の一般解とは一味違う解が導かれます。 この解は上記一般解(✪)の任意定数にいかなる数値を代入しても求める事ができない解であり、特異解と呼ばれています。 (実はこの特異解、直線族(✪)を自身の各点に於ける接線とする曲線(包絡線といいます)を表していたりします。) ここからは2階微分方程式の解法について述べる事にします。 以下の微分方程式は置換積分を用いる事により変数分離形の1階微分方程式に帰着させる事ができます。; 上式の両辺にdy/dxを掛けて積分すれば となります。ここで u = d y d x {\displaystyle u={\frac {dy}{dx}}} とおけば ∫ d y d x d 2 y d x 2 d x = ∫ u d u {\displaystyle \int {\frac {dy}{dx}}{\frac {d^{2}y}{dx^{2}}}dx=\int udu} ですので、以下のように計算できます。; これは(形は複雑ですが)変数分離形の微分方程式に他なりません。 一般の2階の線型微分方程式は、 という形で書ける微分方程式です。また微分方程式(*)に付随する同次方程式は次式で表されます。; ここで微分方程式(**)が y 1 = y 1 ( x ) , y 2 = y 2 ( x ) {\displaystyle y_{1}=y_{1}(x),y_{2}=y_{2}(x)} という2つの解を持っていたとします。するとこれらの線型結合 も(**)を満たす事が代入により分かります。このような解 y 1 , y 2 {\displaystyle y_{1},y_{2}} を(**)の基本解といいます。一般的な形(関数係数かつ非同次)の2階線型微分方程式(*)を解くのは少し難しいのでそれに関しては後述させてもらう事にしてここでは定数係数かつ同次の2階線型微分方程式の解法について述べてゆく事にします。 それでは2階定数係数同次線型微分方程式 の解を探してみることにしましょう。やや天下り的ですが y = e λ x {\displaystyle y=e^{\lambda x}} とおくと、 y ′ = λ e λ x , y ′′ = λ 2 e λ x {\displaystyle y'=\lambda e^{\lambda x},y''=\lambda ^{2}e^{\lambda x}} なので、これを方程式に代入すれば となります。指数関数が零になる事はないので上式から二次方程式 が得られます(これを特性方程式といいます)。この二次方程式の相違なる二解を λ 1 , λ 2 {\displaystyle \lambda _{1},\lambda _{2}} と書けば二つの指数関数 e λ 1 x , e λ 2 x {\displaystyle e^{\lambda _{1}x},e^{\lambda _{2}x}} が微分方程式(★)の基本解になっている事が分かります。ゆえに(***)より次式で与えられる関数が微分方程式(★)の一般解になっている事が分かりました。; 特性方程式(★★)が重解 λ {\displaystyle \lambda } を持つ場合、以下で見るように(★)は y = e λ x {\displaystyle y=e^{\lambda x}} という形以外の解を持ちます。解がある関数 u = u ( x ) {\displaystyle u=u(x)} を用いて y = u e λ x {\displaystyle y=ue^{\lambda x}} と書けるとすると、 より が得られます。ここで λ {\displaystyle \lambda } は二次方程式(★★)の解なので、 ( λ 2 + a λ + b ) = 0 {\displaystyle (\lambda ^{2}+a\lambda +b)=0} であり、また解と係数の関係より λ + λ = − a {\displaystyle \lambda +\lambda =-a} すなわち 2 λ + a = 0 {\displaystyle 2\lambda +a=0} が成り立つので、(#)が零となるためには u ′′ = 0 {\displaystyle u''=0} すなわち u = c 1 + c 2 x {\displaystyle u=c_{1}+c_{2}x} ( c 1 , c 2 {\displaystyle c_{1},c_{2}} :積分定数) が成立せねばなりません。従って(★★)が重解を持つとき微分方程式(★)は以下の解を持つ事が分かりました。; 特性方程式(★★)の相違なる二解が複素数解 α ± i β {\displaystyle \alpha \pm i\beta } ( i {\displaystyle i} :虚数単位)である場合一般解(♪)は複素数値関数を用いて表される事になりますがこの解は以下のように適当な変形を施す事によって実数値関数を用いた式に書き換えられる事がわかります。 λ 1 = α + i β , λ 2 = α − i β {\displaystyle \lambda _{1}=\alpha +i\beta ,\lambda _{2}=\alpha -i\beta } とおけばオイラーの公式 e i θ = cos θ + i sin θ , ( θ ∈ R ) {\displaystyle e^{i\theta }=\cos {\theta }+i\sin {\theta },(\theta \in \mathbb {R} )} より が成り立ちます。したがって、解(♪)は と書き換えられますので、任意定数を書き換えることで と表されることがわかりました。 (♪♪♪)は(♪)とはずいぶん見た目の異なる表現ですので、本当に解になっているか不安になるかもしれません。実際に(★)を満たすか確かめてみましょう。(♪♪♪)を微分すると です。これを(★)の左辺に代入してみます。(★★)の解と係数の関係より a = − 2 α , b = α 2 + β 2 {\displaystyle a=-2\alpha ,b=\alpha ^{2}+\beta ^{2}} であることに注意すると、 となり、確かに解であることが確かめられました。 (♪♪♪)に於いて c 1 = A sin θ 0 , c 2 = A cos θ 0 {\displaystyle c_{1}=A\sin {\theta _{0}},c_{2}=A\cos {\theta _{0}}} とおけば解は と表せます。(♪♪♪)の表現は解が二次元の線型空間をなすことがわかりやすい表現ですが、(♬)の表現は任意定数を決めたときの関数の様子がよりわかりやすい表現で、どちらも重要な表現です。 ここからは定数係数の2階非同次線型微分方程式 の解法について考察する事にしましょう。1階線型微分方程式の節で述べた定数変化法がここでも使えます。まず同次方程式(★)の一般解を y = c 1 y 1 + c 2 y 2 {\displaystyle y=c_{1}y_{1}+c_{2}y_{2}} と書く事にします。そしてこの解の任意定数 c 1 , c 2 {\displaystyle c_{1},c_{2}} をそれぞれ二つの関数 u = u ( x ) , v = v ( x ) {\displaystyle u=u(x),v=v(x)} に置き換えたものを で表す事とし、これが(†)を満たすものとします。上式を微分すると が得られます。ここで再び天下り的ですが u ′ y 1 + v ′ y 2 = 0 {\displaystyle u'y_{1}+v'y_{2}=0} を仮定しておく事にします。すると ですが、これを更に微分すれば となります。これらを(†)に代入すれば となりますが、2つの関数 y 1 , y 2 {\displaystyle y_{1},y_{2}} は(★)の基本解だから上式の括弧内は零になります。従って仮定と組み合わせる事により2つの等式 が求まります。これを未知数 u ′ , v ′ {\displaystyle u',v'} に関する連立一次方程式と考えて解けば となります。ここで W = W ( y 1 , y 2 ) = y 1 y 2 ′ − y 1 ′ y 2 {\displaystyle W=W(y_{1},y_{2})=y_{1}y'_{2}-y'_{1}y_{2}} とおきました。(この関数Wをロンスキー行列式またはロンスキアンと呼びます。)上述の連立方程式の解を積分すれば次式が得られます。; 従ってこれらを y p = u y 1 + v y 2 {\displaystyle y_{p}=uy_{1}+vy_{2}} に代入すれば以下の式が(†)を満たすことがわかります。; この y p {\displaystyle y_{p}} と同次方程式(★)の一般解 y G = c 1 y 1 + c 2 y 2 {\displaystyle y_{G}=c_{1}y_{1}+c_{2}y_{2}} を用いて と表される関数を考えると、 ですので、この式が非同次方程式(†)の一般解になっていることがわかります。すなわち、 は一般解になっています。 (補遺)ここで上述のオイラーの公式について一点補足しておきます。当公式は指数関数及び正弦・余弦のテイラー展開を用いて証明するのが一般的なのですが一応以下のような導出法もあります。;実変数複素数値関数 f ( x ) = g ( x ) + i h ( x ) {\displaystyle f(x)=g(x)+ih(x)} に対してその微積分を で定義しておきます。ここで関数 f ( x ) = cos x + i sin x {\displaystyle f(x)=\cos x+i\sin x} を考えて上式を使って微分すれば であり、すなわち が成り立ちます。これは変数分離形の1階微分方程式であり、 f ( x ) = C e i x {\displaystyle f(x)=Ce^{ix}} という風に解けます。また f ( 0 ) = 1 {\displaystyle f(0)=1} からただちにC=1が求まるので結局 が導かれる事が分かります。(略証終) 2階冪関数係数線型微分方程式 {\displaystyle } を(2階の)オイラーの微分方程式と呼びます。この線型微分方程式は適当な変数変換を行う事により定数係数のそれに帰着させる事ができます。以下ではその事実を示してゆく事にしましょう。独立変数 x {\displaystyle x} に対して x = e t {\displaystyle x=e^{t}} とおくと、 d t d x = e − t {\displaystyle {\frac {dt}{dx}}=e^{-t}} が得られます。次に関数 y = y ( x ) {\displaystyle y=y(x)} の媒介変数 t {\displaystyle t} に関する微分をドット記号 ❝・❞ を用いて y ̇ = d y d t {\displaystyle {\dot {y}}={\frac {dy}{dt}}} 、 y ̈ = d 2 y d t 2 {\displaystyle {\ddot {y}}={\frac {d^{2}y}{dt^{2}}}} という風に書く事にすれば が成立します。これらの等式を微分方程式 (❤) に代入すれば y ̈ + ( a − 1 ) y ̇ + b y = Q ( e t ) {\displaystyle {\ddot {y}}+(a-1){\dot {y}}+by=Q(e^{t})} ...(♠) が導かれます。これは変数 t {\displaystyle t} を独立変数とする未知関数 y = y ( e t ) {\displaystyle y=y(e^{t})} に関する2階定数係数線型微分方程式に他なりません。 ここでは連立方程式の微分方程式版とも言うべき連立微分方程式の解法について考察する事にします。一般的な解法を述べるのは難しいので以下では極めて単純な1階定数係数同次線型連立微分方程式の解法についてのみ議論してゆく事にします。なお本節では行列の固有値と固有ベクトルに関する知識を仮定しています。 二つの未知関数 y 1 = y 1 ( x ) , y 2 = y 2 ( x ) {\displaystyle y_{1}=y_{1}(x),y_{2}=y_{2}(x)} に対して以下の連立微分方程式が成立しているとします。; この連立微分方程式は と表せますので、 とすると という風に簡潔に表す事ができます。(ベクトル値関数の微分は成分ごとに行うものとします。) ここで行列Aが異なる2つの固有値 λ 1 , λ 2 {\displaystyle \lambda _{1},\lambda _{2}} を持つとすると、適当な行列Pを用いて と表せます。ここで z = P − 1 y {\displaystyle \mathbf {z} =P^{-1}\mathbf {y} } とすると、 d y d x = A y {\displaystyle {\frac {d\mathbf {y} }{dx}}=A\mathbf {y} } より が得られます。 z = ( z 1 z 2 ) {\displaystyle \mathbf {z} ={\begin{pmatrix}z_{1}\\z_{2}\\\end{pmatrix}}} とすると、 となります。この方程式を解くと、 であることはただちにわかります。 P = ( p 11 p 12 p 21 p 22 ) {\displaystyle P={\begin{pmatrix}p_{11}&p_{12}\\p_{21}&p_{22}\\\end{pmatrix}}} とすると y = P z {\displaystyle \mathbf {y} =P\mathbf {z} } より となります。従って上式に表れる二つのベクトルを とおく事により以下の連立微分方程式(♡)の解の公式が導かれる事になります。; 前節で述べた2階定数係数同次線型微分方程式 は未知関数及びその導関数を y = y 1 {\displaystyle y=y_{1}} 、 y ′ = y 1 ′ = y 2 {\displaystyle y'=y'_{1}=y_{2}} とおく事により と連立微分方程式の形で書けます。ゆえに2階線型微分方程式(★)は上述の連立微分方程式(♡)の特別な場合に過ぎない事が分かります。そしてこれは を用いて d y d x = A † y {\displaystyle {\frac {d\mathbf {y} }{dx}}=A^{\dagger }\mathbf {y} } と書けます。ここでこの行列 A † {\displaystyle A^{\dagger }} の固有多項式を求めてみると となります(ただし E {\displaystyle E} は単位行列)。即ち前節で天下り的に導入した特性方程式は実は固有方程式 Ψ A † ( λ ) = 0 {\displaystyle \Psi _{A^{\dagger }}(\lambda )=0} に他ならなかったという訳です。
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"という形で書ける微分方程式です。また微分方程式(*)に付随する同次方程式は次式で表されます。;", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ここで微分方程式(**)が y 1 = y 1 ( x ) , y 2 = y 2 ( x ) {\\displaystyle y_{1}=y_{1}(x),y_{2}=y_{2}(x)} という2つの解を持っていたとします。するとこれらの線型結合", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "も(**)を満たす事が代入により分かります。このような解 y 1 , y 2 {\\displaystyle y_{1},y_{2}} を(**)の基本解といいます。一般的な形(関数係数かつ非同次)の2階線型微分方程式(*)を解くのは少し難しいのでそれに関しては後述させてもらう事にしてここでは定数係数かつ同次の2階線型微分方程式の解法について述べてゆく事にします。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "それでは2階定数係数同次線型微分方程式", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "の解を探してみることにしましょう。やや天下り的ですが y = e λ x {\\displaystyle y=e^{\\lambda x}} とおくと、 y ′ = λ e λ x , y ′′ = λ 2 e λ x {\\displaystyle y'=\\lambda e^{\\lambda x},y''=\\lambda ^{2}e^{\\lambda x}} なので、これを方程式に代入すれば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "となります。指数関数が零になる事はないので上式から二次方程式", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "が得られます(これを特性方程式といいます)。この二次方程式の相違なる二解を λ 1 , λ 2 {\\displaystyle \\lambda _{1},\\lambda _{2}} と書けば二つの指数関数 e λ 1 x , e λ 2 x {\\displaystyle e^{\\lambda _{1}x},e^{\\lambda _{2}x}} が微分方程式(★)の基本解になっている事が分かります。ゆえに(***)より次式で与えられる関数が微分方程式(★)の一般解になっている事が分かりました。;", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "特性方程式(★★)が重解 λ {\\displaystyle \\lambda } を持つ場合、以下で見るように(★)は y = e λ x {\\displaystyle y=e^{\\lambda x}} という形以外の解を持ちます。解がある関数 u = u ( x ) {\\displaystyle u=u(x)} を用いて y = u e λ x {\\displaystyle y=ue^{\\lambda x}} と書けるとすると、", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "より", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "が得られます。ここで λ {\\displaystyle \\lambda } は二次方程式(★★)の解なので、 ( λ 2 + a λ + b ) = 0 {\\displaystyle (\\lambda ^{2}+a\\lambda +b)=0} であり、また解と係数の関係より λ + λ = − a {\\displaystyle \\lambda +\\lambda =-a} すなわち 2 λ + a = 0 {\\displaystyle 2\\lambda +a=0} が成り立つので、(#)が零となるためには u ′′ = 0 {\\displaystyle u''=0} すなわち u = c 1 + c 2 x {\\displaystyle u=c_{1}+c_{2}x} ( c 1 , c 2 {\\displaystyle c_{1},c_{2}} :積分定数) が成立せねばなりません。従って(★★)が重解を持つとき微分方程式(★)は以下の解を持つ事が分かりました。;", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "特性方程式(★★)の相違なる二解が複素数解 α ± i β {\\displaystyle \\alpha \\pm i\\beta } ( i {\\displaystyle i} :虚数単位)である場合一般解(♪)は複素数値関数を用いて表される事になりますがこの解は以下のように適当な変形を施す事によって実数値関数を用いた式に書き換えられる事がわかります。 λ 1 = α + i β , λ 2 = α − i β {\\displaystyle \\lambda _{1}=\\alpha +i\\beta ,\\lambda _{2}=\\alpha -i\\beta } とおけばオイラーの公式 e i θ = cos θ + i sin θ , ( θ ∈ R ) {\\displaystyle e^{i\\theta }=\\cos {\\theta }+i\\sin {\\theta },(\\theta \\in \\mathbb {R} )} より", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "が成り立ちます。したがって、解(♪)は", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "と書き換えられますので、任意定数を書き換えることで", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "と表されることがわかりました。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "(♪♪♪)は(♪)とはずいぶん見た目の異なる表現ですので、本当に解になっているか不安になるかもしれません。実際に(★)を満たすか確かめてみましょう。(♪♪♪)を微分すると", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "です。これを(★)の左辺に代入してみます。(★★)の解と係数の関係より a = − 2 α , b = α 2 + β 2 {\\displaystyle a=-2\\alpha ,b=\\alpha ^{2}+\\beta ^{2}} であることに注意すると、", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "となり、確かに解であることが確かめられました。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "(♪♪♪)に於いて c 1 = A sin θ 0 , c 2 = A cos θ 0 {\\displaystyle c_{1}=A\\sin {\\theta _{0}},c_{2}=A\\cos {\\theta _{0}}} とおけば解は", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "と表せます。(♪♪♪)の表現は解が二次元の線型空間をなすことがわかりやすい表現ですが、(♬)の表現は任意定数を決めたときの関数の様子がよりわかりやすい表現で、どちらも重要な表現です。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ここからは定数係数の2階非同次線型微分方程式", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "の解法について考察する事にしましょう。1階線型微分方程式の節で述べた定数変化法がここでも使えます。まず同次方程式(★)の一般解を y = c 1 y 1 + c 2 y 2 {\\displaystyle y=c_{1}y_{1}+c_{2}y_{2}} と書く事にします。そしてこの解の任意定数 c 1 , c 2 {\\displaystyle c_{1},c_{2}} をそれぞれ二つの関数 u = u ( x ) , v = v ( x ) {\\displaystyle u=u(x),v=v(x)} に置き換えたものを", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "で表す事とし、これが(†)を満たすものとします。上式を微分すると", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "が得られます。ここで再び天下り的ですが u ′ y 1 + v ′ y 2 = 0 {\\displaystyle u'y_{1}+v'y_{2}=0} を仮定しておく事にします。すると", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ですが、これを更に微分すれば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "となります。これらを(†)に代入すれば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "となりますが、2つの関数 y 1 , y 2 {\\displaystyle y_{1},y_{2}} は(★)の基本解だから上式の括弧内は零になります。従って仮定と組み合わせる事により2つの等式", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "が求まります。これを未知数 u ′ , v ′ {\\displaystyle u',v'} に関する連立一次方程式と考えて解けば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "となります。ここで W = W ( y 1 , y 2 ) = y 1 y 2 ′ − y 1 ′ y 2 {\\displaystyle W=W(y_{1},y_{2})=y_{1}y'_{2}-y'_{1}y_{2}} とおきました。(この関数Wをロンスキー行列式またはロンスキアンと呼びます。)上述の連立方程式の解を積分すれば次式が得られます。;", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "従ってこれらを y p = u y 1 + v y 2 {\\displaystyle y_{p}=uy_{1}+vy_{2}} に代入すれば以下の式が(†)を満たすことがわかります。;", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "この y p {\\displaystyle y_{p}} と同次方程式(★)の一般解 y G = c 1 y 1 + c 2 y 2 {\\displaystyle y_{G}=c_{1}y_{1}+c_{2}y_{2}} を用いて", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "と表される関数を考えると、", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ですので、この式が非同次方程式(†)の一般解になっていることがわかります。すなわち、", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "は一般解になっています。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "(補遺)ここで上述のオイラーの公式について一点補足しておきます。当公式は指数関数及び正弦・余弦のテイラー展開を用いて証明するのが一般的なのですが一応以下のような導出法もあります。;実変数複素数値関数 f ( x ) = g ( x ) + i h ( x ) {\\displaystyle f(x)=g(x)+ih(x)} に対してその微積分を", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "で定義しておきます。ここで関数 f ( x ) = cos x + i sin x {\\displaystyle f(x)=\\cos x+i\\sin x} を考えて上式を使って微分すれば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "であり、すなわち", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "が成り立ちます。これは変数分離形の1階微分方程式であり、 f ( x ) = C e i x {\\displaystyle f(x)=Ce^{ix}} という風に解けます。また f ( 0 ) = 1 {\\displaystyle f(0)=1} からただちにC=1が求まるので結局", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "が導かれる事が分かります。(略証終)", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2階冪関数係数線型微分方程式 {\\displaystyle }", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "を(2階の)オイラーの微分方程式と呼びます。この線型微分方程式は適当な変数変換を行う事により定数係数のそれに帰着させる事ができます。以下ではその事実を示してゆく事にしましょう。独立変数 x {\\displaystyle x} に対して x = e t {\\displaystyle x=e^{t}} とおくと、 d t d x = e − t {\\displaystyle {\\frac {dt}{dx}}=e^{-t}} が得られます。次に関数 y = y ( x ) {\\displaystyle y=y(x)} の媒介変数 t {\\displaystyle t} に関する微分をドット記号 ❝・❞ を用いて y ̇ = d y d t {\\displaystyle {\\dot {y}}={\\frac {dy}{dt}}} 、 y ̈ = d 2 y d t 2 {\\displaystyle {\\ddot {y}}={\\frac {d^{2}y}{dt^{2}}}} という風に書く事にすれば", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "が成立します。これらの等式を微分方程式 (❤) に代入すれば y ̈ + ( a − 1 ) y ̇ + b y = Q ( e t ) {\\displaystyle {\\ddot {y}}+(a-1){\\dot {y}}+by=Q(e^{t})} ...(♠) が導かれます。これは変数 t {\\displaystyle t} を独立変数とする未知関数 y = y ( e t ) {\\displaystyle y=y(e^{t})} に関する2階定数係数線型微分方程式に他なりません。", "title": "2階微分方程式" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "ここでは連立方程式の微分方程式版とも言うべき連立微分方程式の解法について考察する事にします。一般的な解法を述べるのは難しいので以下では極めて単純な1階定数係数同次線型連立微分方程式の解法についてのみ議論してゆく事にします。なお本節では行列の固有値と固有ベクトルに関する知識を仮定しています。", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "二つの未知関数 y 1 = y 1 ( x ) , y 2 = y 2 ( x ) {\\displaystyle y_{1}=y_{1}(x),y_{2}=y_{2}(x)} に対して以下の連立微分方程式が成立しているとします。;", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "この連立微分方程式は", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "と表せますので、", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "とすると", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "という風に簡潔に表す事ができます。(ベクトル値関数の微分は成分ごとに行うものとします。)", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ここで行列Aが異なる2つの固有値 λ 1 , λ 2 {\\displaystyle \\lambda _{1},\\lambda _{2}} を持つとすると、適当な行列Pを用いて", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "と表せます。ここで z = P − 1 y {\\displaystyle \\mathbf {z} =P^{-1}\\mathbf {y} } とすると、 d y d x = A y {\\displaystyle {\\frac {d\\mathbf {y} }{dx}}=A\\mathbf {y} } より", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "が得られます。", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "z = ( z 1 z 2 ) {\\displaystyle \\mathbf {z} ={\\begin{pmatrix}z_{1}\\\\z_{2}\\\\\\end{pmatrix}}} とすると、", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "となります。この方程式を解くと、", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "であることはただちにわかります。 P = ( p 11 p 12 p 21 p 22 ) {\\displaystyle P={\\begin{pmatrix}p_{11}&p_{12}\\\\p_{21}&p_{22}\\\\\\end{pmatrix}}} とすると y = P z {\\displaystyle \\mathbf {y} =P\\mathbf {z} } より", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "となります。従って上式に表れる二つのベクトルを", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "とおく事により以下の連立微分方程式(♡)の解の公式が導かれる事になります。;", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "前節で述べた2階定数係数同次線型微分方程式", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "は未知関数及びその導関数を y = y 1 {\\displaystyle y=y_{1}} 、 y ′ = y 1 ′ = y 2 {\\displaystyle y'=y'_{1}=y_{2}} とおく事により", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "と連立微分方程式の形で書けます。ゆえに2階線型微分方程式(★)は上述の連立微分方程式(♡)の特別な場合に過ぎない事が分かります。そしてこれは", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "を用いて d y d x = A † y {\\displaystyle {\\frac {d\\mathbf {y} }{dx}}=A^{\\dagger }\\mathbf {y} } と書けます。ここでこの行列 A † {\\displaystyle A^{\\dagger }} の固有多項式を求めてみると", "title": "簡単な連立微分方程式" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "となります(ただし E {\\displaystyle E} は単位行列)。即ち前節で天下り的に導入した特性方程式は実は固有方程式 Ψ A † ( λ ) = 0 {\\displaystyle \\Psi _{A^{\\dagger }}(\\lambda )=0} に他ならなかったという訳です。", "title": "簡単な連立微分方程式" } ]
未知の関数とその導関数を含む方程式を微分方程式と呼びます。本来これは総称であって正確には1変数関数の導関数(常微分)を含む常微分方程式と多変数関数の所謂偏導関数(偏微分)を含む偏微分方程式に大別されるのですが本稿では偏微分方程式は扱わないのでここで単に微分方程式と言った場合は常微分方程式を表すものとします。また理論的な詳細は常微分方程式を参照してもらう事とし本稿では解法の説明を重点的に行う事にします。
<!--まえがき--> {{wikipedia|微分方程式}} 未知の関数とその導関数を含む方程式を'''微分方程式'''と呼びます。</br>本来これは総称であって正確には1変数関数の導関数(常微分)を含む'''常微分方程式'''と多変数関数の所謂偏導関数(偏微分)</br>を含む'''偏微分方程式'''に大別されるのですが本稿では偏微分方程式は扱わないのでここで単に微分方程式と言った場合は</br>常微分方程式を表すものとします。</br>また理論的な詳細は[[解析学基礎/常微分方程式|常微分方程式]]を参照してもらう事とし本稿では解法の説明を重点的に行う事にします。 <math></math> == 1階微分方程式 == 微分方程式の中に含まれる導関数の最高階数をその微分方程式の'''階数'''といいます。この節では1階導関数を含む所謂'''1階微分方程式'''について解説します。 === 変数分離形 === 1階微分方程式に於いて最も単純なのは'''変数分離形'''と呼ばれる以下の形の微分方程式です。; :<math>\frac{dy}{dx}=f(x)g(y)</math> (ただし<math>g(y) \neq 0</math>) この微分方程式は両辺をg(y)で割って積分する事により以下のように解く事ができます。; :<math>\int \frac{1}{g(y)} \frac{dy}{dx} dx+C_1=\int f(x) dx+C_2</math> :<math>\int \frac{1}{g(y)} dy=\int f(x) dx+C</math> ここで <math>C=C_2-C_1</math> という風にして積分定数(微分方程式の世界では'''任意定数'''と呼ぶ事が多いです)を1つにまとめました。(以下この様な任意定数の書き換えを適宜(暗黙裡に)行う場合があります。)この任意定数を含む解を'''一般解'''といいます。他方任意定数に特定の値を与えて一意的に決定した解を'''特殊解'''と呼びます。任意定数は <math>y_0=f(x_0)</math> のように独立変数がある値のときの従属変数の値を与えることで決定する事がしばしばあります。この <math>y_0=f(x_0)</math>の様な関係式 を'''初期条件'''と言い、関数値 <math>y_0</math> を'''初期値'''と言います。初期条件から特殊解を決定する計算は一般解を求めるよりは易しいことが多いですので、一般解が求まったことをもって解が求まったとしてもよさそうにも思われますが、物理現象などを記述するために微分方程式を解いているのならば、特殊解こそが現実の事象を記述しているとも言えますので、初期条件から特殊解を求めることも重要です。 === 1階線型微分方程式 === 未知関数及びその導関数についての1次式で書かれる微分方程式を'''線型微分方程式'''と呼びます。ここでは1階のそれについて述べる事にします。</br>微分方程式 :<math>y'+P(x)y=Q(x)</math> …(☆) を'''1階線型微分方程式'''といいます。この微分方程式の一般解は以下の公式で与えられます。 * <math>y=e^{-\int P(x) dx} \left\{\int e^{\int P(x) dx} Q(x) dx+C \right\}</math> <b>証明</b></br> <math>y=e^{-\int P(x) dx} \left\{\int e^{\int P(x) dx} Q(x) dx+C \right\}</math>とすると、 :<math>y'+P(x)y=-P(x)e^{-\int P(x) dx}\left\{\int e^{\int P(x) dx} Q(x) dx+C \right\}+e^{-\int P(x) dx}e^{\int P(x) dx} Q(x)+P(x)e^{-\int P(x) dx} \left\{\int e^{\int P(x) dx} Q(x) dx+C \right\}=Q(x)</math> <b>導出</b></br> まず微分方程式(☆)の右辺を零とおいた <math>y'+P(x)y=0</math> …(☆☆) という等式を考えます (これを(☆)に付随する'''同次方程式'''または'''斉次方程式'''といいます)。</br>この同次方程式(☆☆)は変数分離形なので :<math>y'=-P(x)y</math> :<math>\int \frac{1}{y}dy=-\int P(x) dx+C_1</math> :<math>y=\pm e^{-\int P(x) dx+C_1}=C_2 e^{-\int P(x) dx}</math> という風に解けます( <math>C_2=\pm e^{C_1}</math>と書き換えました。)。ここでこの解を用いて微分方程式(☆)を満たす関数を作ります。</br>この解の任意定数 <math>C_2</math> をある関数<math>u(x)</math>に書き換えた式 :<math>y=u(x)e^{-\int P(x) dx}</math> …(☆☆☆) が(☆)の解になっているとします(この書き換えを'''定数変化法'''といいます。任意の関数''y''は<math>u(x)</math>を適切に設定すればこのように表せることに注意)。この(☆☆☆)の両辺を微分すれば : <math>y'=u'(x)e^{-\int P(x) dx}+u(x)e^{-\int P(x) dx}(-P(x))=u'(x)e^{-\int P(x) dx}-P(x)y</math> が成り立ちます。そしてこの最右辺第2項を移項すれば(☆)より :<math>Q(x)=u'(x)e^{-\int P(x) dx}</math> でなければならないことが分かります。従ってこの等式から :<math>u'(x)=e^{\int P(x) dx} Q(x)</math> :<math>u(x)=\int e^{\int P(x) dx} Q(x) dx+C</math> が得られます。この関数<math>u(x)</math>を(☆☆☆)に代入する事により上述の公式が導かれる事が分かります。(証明終) === ベルヌーイの微分方程式 === 1階微分方程式</br> :<math>y'=P(x)y+Q(x)y^m</math> , <math>(m \in \mathbb{R})</math></br> を'''ベルヌーイの微分方程式'''と呼びます。この微分方程式は <math>m=0</math> のときは1階線型微分方程式、 <math>m=1</math> のときは変数分離形の微分方程式ですので、既にみたようにして解くことができますが、<math>m \neq 0,1</math> の場合は次のようにして解くことができます。 未知関数 <math>y=y(x)</math> に対して <math>u=u(x)=y^{1-m}</math> という関数を考えて、これを微分すると</br> :<math>u'=(1-m)y^{-m} \cdot y'=(1-m)y^{-m} \{P(x)y+Q(x)y^m \}=(1-m) \{P(x)y^{1-m}+Q(x) \}=(1-m) \{P(x)u+Q(x) \}</math></br> が得られます。これは関数 <math>u=u(x)</math> に関する1階線型微分方程式に他なりません。 === クレローの微分方程式 === 1階微分方程式</br> :<math>y=xy'+f(y')</math></br> を'''クレローの微分方程式'''といいます。この微分方程式に於いて <math>y'=p</math> と書いて両辺を微分すると</br> :<math>y'=p'x+p \cdot 1+f'(p)p'=p</math> すなわち :<math>p'\{x+f'(p) \}=0</math></br> が成り立ちます。これから <math>p'=0</math> または <math>x+f'(p)=0</math> が得られますが、前者からただちに <math>p=C</math> (任意定数)が求まるので、これにより</br> * <math>y=Cx+f(C)</math> …(✪)</br> という風に一般解が導かれます。一方の後者の方ですが、この等式と当該微分方程式を連立させて <math>p</math> を消去すると上述の一般解とは一味違う解が導かれます。</br> この解は上記一般解(✪)の任意定数にいかなる数値を代入しても求める事ができない解であり、'''特異解'''と呼ばれています。</br> (実はこの特異解、直線族(✪)を自身の各点に於ける接線とする曲線('''包絡線'''といいます)を表していたりします。) == 2階微分方程式 == ここからは2階微分方程式の解法について述べる事にします。 === 簡単な2階微分方程式 === 以下の微分方程式は置換積分を用いる事により変数分離形の1階微分方程式に帰着させる事ができます。; * <math>\frac{d^2 y}{dx^2}=\phi (y)</math>。 上式の両辺にdy/dxを掛けて積分すれば :<math>\int \frac{dy}{dx} \frac{d^2 y}{dx^2} dx=\int \phi (y)\frac{dy}{dx} dx+C_1</math> となります。ここで <math>u=\frac{dy}{dx}</math> とおけば<math>\int \frac{dy}{dx} \frac{d^2 y}{dx^2} dx=\int u du</math>ですので、以下のように計算できます。; :<math>\int u du=\int \phi(y) dy+C_1</math> :<math>\frac{1}{2}u^2=\int \phi(y) dy+C_1</math> :<math>\frac{dy}{dx}=\pm \sqrt{2\int \phi(y) dy+C_2}</math> これは(形は複雑ですが)変数分離形の微分方程式に他なりません。 === 2階線型微分方程式Ⅰ=== 一般の2階の線型微分方程式は、 :<math>y''+P(x)y'+Q(x)y=R(x)</math> …(*) という形で書ける微分方程式です。また微分方程式(*)に付随する同次方程式は次式で表されます。; :<math>y''+P(x)y'+Q(x)y=0</math> …(**)。 ここで微分方程式(**)が<math>y_1 =y_1 (x) , y_2 =y_2 (x)</math>という2つの解を持っていたとします。するとこれらの線型結合 :<math>y=c_1 y_1 + c_2 y_2 </math> (<math>c_1 , c_2</math>:任意定数) …(***) も(**)を満たす事が代入により分かります。このような解 <math>y_1 , y_2</math> を(**)の'''基本解'''といいます。</br>一般的な形(関数係数かつ非同次)の2階線型微分方程式(*)を解くのは少し難しいのでそれに関しては後述させてもらう事にしてここでは定数係数かつ同次の2階線型微分方程式の解法について述べてゆく事にします。 それでは2階定数係数同次線型微分方程式 :<math>y''+ay'+by=0</math> (<math>a,b=Const</math>) …(★) の解を探してみることにしましょう。やや天下り的ですが <math>y=e^{\lambda x}</math> とおくと、<math>y'=\lambda e^{\lambda x},y''=\lambda ^2 e^{\lambda x}</math>なので、これを方程式に代入すれば :<math>(\lambda ^2 +a\lambda +b)e^{\lambda x}=0</math> となります。指数関数が零になる事はないので上式から二次方程式 :<math>\lambda ^2 +a\lambda +b=0</math> …(★★) が得られます(これを'''特性方程式'''といいます)。</br>この二次方程式の相違なる二解を <math>\lambda _1 , \lambda _2</math> と書けば二つの指数関数 <math>e^{\lambda _1 x},e^{\lambda _2 x}</math> が微分方程式(★)の基本解になっている事が分かります。<br>ゆえに(***)より次式で与えられる関数が微分方程式(★)の一般解になっている事が分かりました。; * <math>y=c_1 e^{\lambda _1 x} + c_2 e^{\lambda _2 x}</math>。 …(♪) 特性方程式(★★)が重解 <math>\lambda</math> を持つ場合、以下で見るように(★)は <math>y=e^{\lambda x}</math> という形以外の解を持ちます。</br>解がある関数 <math>u=u(x)</math> を用いて <math>y=ue^{\lambda x}</math> と書けるとすると、 :<math>y'=u'e^{\lambda x} +u\lambda e^{\lambda x}=e^{\lambda x}(u'+\lambda u)</math>、 :<math>y''=\lambda e^{\lambda x}(u'+\lambda u)+e^{\lambda x}(u''+\lambda u')=e^{\lambda x}(u''+2\lambda u'+\lambda ^2 u)</math> より :<math>y''+ay'+by=e^{\lambda x} \{u''+(2\lambda +a)u'+(\lambda ^2 +a\lambda +b)u \}</math> …(#) が得られます。ここで<math>\lambda</math>は二次方程式(★★)の解なので、<math>(\lambda ^2 +a\lambda +b)=0</math>であり、また解と係数の関係より<math>\lambda +\lambda=-a</math>すなわち<math>2\lambda +a=0</math>が成り立つので、(#)が零となるためには <math>u''=0</math>すなわち<math>u=c_1 +c_2 x</math> (<math>c_1 , c_2</math>:積分定数) が成立せねばなりません。</br>従って(★★)が重解を持つとき微分方程式(★)は以下の解を持つ事が分かりました。; * <math>y=e^{\lambda x}(c_1 +c_2 x)</math> 。…(♪♪) 特性方程式(★★)の相違なる二解が複素数解 <math>\alpha \pm i\beta</math> (<math>i</math>:虚数単位)である場合一般解(♪)は複素数値関数を用いて表される事になりますがこの解は以下のように適当な変形を施す事によって実数値関数を用いた式に書き換えられる事がわかります。</br> <math>\lambda _1 =\alpha +i\beta , \lambda _2 =\alpha -i\beta</math> とおけばオイラーの公式 <math>e^{i\theta}=\cos{\theta} +i\sin{\theta},(\theta \in \mathbb{R})</math> より :<math>e^{\lambda _1 x}=e^{(\alpha + i\beta)x}=e^{\alpha x}e^{i\beta x}=e^{\alpha x}(\cos{\beta x}+i\sin{\beta x})</math> :<math>e^{\lambda _2 x}=e^{(\alpha - i\beta)x}=e^{\alpha x}e^{-i\beta x}=e^{\alpha x}(\cos{\beta x}-i\sin{\beta x})</math> が成り立ちます。したがって、解(♪)は :<math>c_1e^{\alpha x}(\cos{\beta x}+i\sin{\beta x})+c_2e^{\alpha x}(\cos{\beta x}-i\sin{\beta x})=e^{\alpha x}((c_1+c_2)\cos{\beta x}+i(c_1-c_2)\sin{\beta x})</math> と書き換えられますので、任意定数を書き換えることで * <math>y=e^{\alpha x}(c_1 \cos{\beta x}+c_2 \sin{\beta x})</math>。…(♪♪♪) と表されることがわかりました。 (♪♪♪)は(♪)とはずいぶん見た目の異なる表現ですので、本当に解になっているか不安になるかもしれません。実際に(★)を満たすか確かめてみましょう。(♪♪♪)を微分すると :<math>y'=e^{\alpha x} \left((\alpha c_1+\beta c_2)\cos \beta x+(\alpha c_2-\beta c_1)\sin \beta x)\right)</math> :<math>y''=e^{\alpha x} \left(\left((\alpha^2-\beta^2)c_1+2\alpha\beta c_2\right)\cos\beta x+\left(-2\alpha\beta c_1+(\alpha^2-\beta^2)c_2\right)\sin\beta x \right)</math> です。これを(★)の左辺に代入してみます。(★★)の解と係数の関係より<math>a=-2\alpha,b=\alpha^2+\beta^2</math>であることに注意すると、 :<math>\begin{align} & y''+ay'+by \\ =& e^{\alpha x}\left(\left(\left((\alpha^2-\beta^2)c_1+2\alpha\beta c_2\right)-2\alpha(\alpha c_1+\beta c_2)+(\alpha^2+\beta^2)c_1\right)\cos \beta x +\left(\left(-2\alpha\beta c_1+(\alpha^2-\beta^2)c_2\right)-2\alpha(\alpha c_2-\beta c_1)+(\alpha^2+\beta^2)c_2\right)\sin \beta x\right) \\ =& 0 \end{align}</math> となり、確かに解であることが確かめられました。 (♪♪♪)に於いて <math>c_1 =A\sin{\theta _0} , c_2 =A\cos{\theta _0}</math> とおけば解は * <math>y=Ae^{\alpha x} \sin{(\beta x+\theta _0)}</math> …(♬) と表せます。(♪♪♪)の表現は解が二次元の線型空間をなすことがわかりやすい表現ですが、(♬)の表現は任意定数を決めたときの関数の様子がよりわかりやすい表現で、どちらも重要な表現です。 === 2階線型微分方程式Ⅱ === ここからは定数係数の2階非同次線型微分方程式 :<math>y'' +ay' +by=R</math> …(†) (※<math>R=R(x)</math>) <math></math> の解法について考察する事にしましょう。1階線型微分方程式の節で述べた定数変化法がここでも使えます。まず同次方程式(★)の一般解を</br><math>y=c_1 y_1 +c_2 y_2</math> と書く事にします。そしてこの解の任意定数 <math>c_1 , c_2</math> をそれぞれ二つの関数 <math>u=u(x) , v=v(x)</math> に置き換えたものを :<math>y_p=uy_1 +vy_2</math> で表す事とし、これが(†)を満たすものとします。上式を微分すると :<math>y'_p=u'y_1 +uy'_1 +v'y_2 +vy'_2</math> が得られます。ここで再び天下り的ですが <math>u'y_1 +v'y_2 =0</math> を仮定しておく事にします。すると :<math>y'_p=uy'_1 +vy'_2</math> ですが、これを更に微分すれば :<math>y''_p=u'y'_1 +uy''_1 +v'y'_2 +vy''_2</math> となります。これらを(†)に代入すれば :<math>(y''_1 +ay'_1 +by_1)u+(y''_2 +ay'_2 +by_2)v+u'y'_1 +v'y'_2=R</math> となりますが、2つの関数 <math>y_1 , y_2</math> は(★)の基本解だから上式の括弧内は零になります。従って仮定と組み合わせる事により2つの等式 :<math>\left\{ \begin{matrix}u'y_1 +v'y_2 =0 \\ u'y'_1 +v'y'_2=R \end{matrix}\right.</math> が求まります。これを未知数 <math>u' , v'</math> に関する連立一次方程式と考えて解けば :<math>u'=-\frac{Ry_2}{W}</math> 、<math>v'=\frac{Ry_1}{W}</math> となります。ここで <math>W=W(y_1 , y_2)=y_1 y'_2 -y'_1 y_2</math> とおきました。(この関数Wを'''ロンスキー行列式'''または'''ロンスキアン'''と呼びます。)</br>上述の連立方程式の解を積分すれば次式が得られます。; :<math>u=-\int \frac{Ry_2}{W} dx</math> 、<math>v=\int \frac{Ry_1}{W} dx</math>。 従ってこれらを <math>y_p=uy_1 +vy_2</math> に代入すれば以下の式が(†)を満たすことがわかります。; * <math>y_p=-y_1 \int \frac{Ry_2}{W} dx +y_2 \int \frac{Ry_1}{W} dx</math>。 この<math>y_p</math>と同次方程式(★)の一般解 <math>y_G=c_1 y_1 +c_2 y_2</math>を用いて :<math>y=y_G +y_p</math> と表される関数を考えると、 :<math>y''+ay'+by=(y''_G+ay'_G+by_G)+(y''_p+ay'_p+by_p)=0+R=R</math> ですので、この式が非同次方程式(†)の一般解になっていることがわかります。すなわち、 * <math>y=c_1 y_1 +c_2 y_2-y_1 \int \frac{Ry_2}{W} dx +y_2 \int \frac{Ry_1}{W} dx</math> は一般解になっています。  (補遺)</br>ここで上述のオイラーの公式について一点補足しておきます。当公式は指数関数及び正弦・余弦のテイラー展開を用いて証明するのが一般的なのですが</br>一応以下のような導出法もあります。;</br>実変数複素数値関数 <math>f(x)=g(x)+ih(x)</math> に対してその微積分を :<math>f'(x)=g'(x)+ih'(x)</math> 、<math>\int f(x) dx=\int g(x) dx +i\int h(x) dx</math> で定義しておきます。ここで関数 <math>f(x)=\cos x +i\sin x</math> を考えて上式を使って微分すれば :<math>f'(x)=-\sin x +i\cos x=i(\cos x +i\sin x)</math> であり、すなわち :<math>f'(x)=if(x)</math> が成り立ちます。これは変数分離形の1階微分方程式であり、 <math>f(x)=Ce^{ix}</math> という風に解けます。また <math>f(0)=1</math> からただちにC=1が求まるので結局 :<math>e^{ix}=\cos x +i\sin x</math> が導かれる事が分かります。(略証終) === 2階線型微分方程式Ⅲ === 2階冪関数係数線型微分方程式 <math></math> :<math>x^2 y''+axy'+by=Q(x)</math> …(❤) を(2階の)'''オイラーの微分方程式'''と呼びます。この線型微分方程式は適当な変数変換を行う事により定数係数のそれに帰着させる事ができます。</br>以下ではその事実を示してゆく事にしましょう。</br>独立変数 <math>x</math> に対して <math>x=e^t</math> とおくと、<math>\frac{dt}{dx}=e^{-t}</math>が得られます。次に関数 <math>y=y(x)</math> の媒介変数 <math>t</math> に関する微分をドット記号 ❝・❞ を用いて <math>\dot y=\frac{dy}{dt}</math>、<math>\ddot y=\frac{d^2 y}{dt^2}</math> という風に書く事にすれば :<math>y'=\frac{dy}{dt} \frac{dt}{dx}=\dot y e^{-t}</math>より、<math>xy'=\dot y</math> :<math>y''=\frac{dy'}{dt} \frac{dt}{dx}=\frac{d}{dt}(\dot y e^{-t})\cdot e^{-t}=\{\ddot y e^{-t} +\dot y e^{-t} (-1) \} \cdot e^{-t}=(\ddot y -\dot y) \cdot e^{-2t}</math>より、<math>x^2 y''=\ddot y -\dot y</math> が成立します。これらの等式を微分方程式 (❤) に代入すれば <math>\ddot y +(a-1)\dot y +by=Q(e^t)</math> …(♠) が導かれます。これは変数 <math>t</math> を独立変数とする未知関数 <math>y=y(e^t)</math> に関する2階定数係数線型微分方程式に他なりません。 == 簡単な連立微分方程式 == ここでは連立方程式の微分方程式版とも言うべき'''連立微分方程式'''の解法について考察する事にします。一般的な解法を述べるのは難しいので以下では極めて単純な1階定数係数同次線型連立微分方程式の解法についてのみ議論してゆく事にします。なお本節では行列の固有値と固有ベクトルに関する知識を仮定しています。 二つの未知関数 <math>y_1 =y_1 (x) ,y_2 =y_2 (x)</math> に対して以下の連立微分方程式が成立しているとします。; :<math>\left\{\begin{matrix} y'_1 =a_{11} y_1 +a_{12} y_2 \\ y'_2 =a_{21} y_1 +a_{22} y_2 \end{matrix}\right.</math> …(♡) この連立微分方程式は :<math>\begin{pmatrix} y'_1 \\ y'_2 \\ \end{pmatrix} =\begin{pmatrix} a_{11} & a_{12} \\ a_{21} & a_{22}\\ \end{pmatrix} \begin{pmatrix}y_1 \\ y_2 \\ \end{pmatrix}</math> と表せますので、 :<math>A=\begin{pmatrix}a_{11} & a_{12} \\ a_{21} & a_{22} \\ \end{pmatrix}</math> 、<math>\mathbf{y}=\begin{pmatrix} y_1 \\ y_2 \\ \end{pmatrix}</math> とすると :<math>\frac{d \mathbf{y}}{dx}=A\mathbf{y}</math> という風に簡潔に表す事ができます。(ベクトル値関数の微分は成分ごとに行うものとします。) ここで行列''A''が異なる2つの固有値<math>\lambda_1 , \lambda_2</math>を持つとすると、適当な行列''P''を用いて :<math>P^{-1}AP=\begin{pmatrix} \lambda_1 & 0 \\ 0 & \lambda_2\\ \end{pmatrix}</math> と表せます。ここで<math>\mathbf{z}=P^{-1}\mathbf{y}</math>とすると、<math>\frac{d \mathbf{y}}{dx}=A\mathbf{y}</math>より :<math>\frac{d \left(P^{-1}\mathbf{y}\right)}{dx}=P^{-1}A\mathbf{y}</math> :<math>\frac{d \mathbf{z}}{dx}=P^{-1}AP\mathbf{z}</math> が得られます。 <math>\mathbf{z}=\begin{pmatrix}z_1 \\ z_2 \\ \end{pmatrix}</math>とすると、 :<math>\begin{pmatrix} z'_1 \\ z'_2 \\ \end{pmatrix} =\begin{pmatrix} \lambda_1 & 0 \\ 0 & \lambda_2\\ \end{pmatrix} \begin{pmatrix}z_1 \\ z_2 \\ \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} \lambda_1 z_1 \\ \lambda_2 z_2 \\ \end{pmatrix}</math> となります。この方程式を解くと、 :<math>z_1 =c_1 e^{\lambda_1 x},z_2 =c_2 e^{\lambda_2 x}</math> であることはただちにわかります。<math>P=\begin{pmatrix}p_{11} & p_{12} \\ p_{21} & p_{22} \\ \end{pmatrix}</math>とすると <math>\mathbf{y}=P\mathbf{z}</math> より :<math>\begin{pmatrix} y_1 \\ y_2 \\ \end{pmatrix} =\begin{pmatrix} p_{11} & p_{12} \\ p_{21} & p_{22}\\ \end{pmatrix} \begin{pmatrix}z_1 \\ z_2 \\ \end{pmatrix}=\begin{pmatrix}p_{11} z_1 +p_{12} z_2 \\ p_{21} z_1 +p_{22} z_2 \\ \end{pmatrix}=z_1 \begin{pmatrix} p_{11} \\ p_{21} \\ \end{pmatrix} +z_2\begin{pmatrix} p_{12} \\ p_{22} \\ \end{pmatrix}</math> となります。従って上式に表れる二つのベクトルを :<math>\boldsymbol{\phi_1} =\begin{pmatrix} p_{11} \\ p_{21} \\ \end{pmatrix}</math> 、<math>\boldsymbol{\phi_2} =\begin{pmatrix} p_{12} \\ p_{22} \\ \end{pmatrix}</math> とおく事により以下の連立微分方程式(♡)の解の公式が導かれる事になります。; *<math>\mathbf{y} =c_1 e^{\lambda_1 x} \boldsymbol{\phi_1} +c_2 e^{\lambda_2 x} \boldsymbol{\phi_2}</math> 前節で述べた2階定数係数同次線型微分方程式 :<math>y''+ay'+by=0</math> (<math>a,b=Const</math>) …(★) は未知関数及びその導関数を <math>y=y_1</math> 、<math>y'=y'_1=y_2</math>とおく事により :<math>\begin{cases}y'_1=y_2 \\ y'_2 =-by_1 -ay_2 \end{cases}</math> と連立微分方程式の形で書けます。ゆえに2階線型微分方程式(★)は上述の連立微分方程式(♡)の特別な場合に過ぎない事が分かります。</br>そしてこれは :<math>A^{\dagger}=\begin{pmatrix} 0 & 1 \\ -b & -a \\ \end{pmatrix}</math> を用いて<math>\frac{d \mathbf{y}}{dx}=A^{\dagger} \mathbf{y}</math>と書けます。ここでこの行列 <math>A^{\dagger}</math> の固有多項式を求めてみると :<math>\Psi_{A^{\dagger}} (\lambda)=\det (\lambda E-A^{\dagger})=\left| \begin{pmatrix} \lambda & 0 \\ 0 & \lambda \\ \end{pmatrix}-\begin{pmatrix} 0 & 1 \\ -b & -a \\ \end{pmatrix} \right | =\begin{vmatrix} \lambda & -1 \\ b & \lambda +a \\ \end{vmatrix}=\lambda (\lambda +a) -(-b)=\lambda ^2 +a\lambda +b</math> となります(ただし <math>E</math> は単位行列)。即ち前節で天下り的に導入した特性方程式は実は固有方程式 <math>\Psi_{A^{\dagger}} (\lambda)=0</math> に他ならなかったという訳です。 [[カテゴリ:微分方程式]]
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2022-11-23T12:08:19Z
[ "テンプレート:Wikipedia" ]
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ラテン語学習モジュール>
[[ラテン語学習モジュール]]> <div style="text-align: center; margin:10px"> [[画像:Roman SPQR banner.svg|300px]] </div> <center> <div lang="lat"><span style="font-family:Times New Roman;font-style:italic;font-size:20px;"><strong>VT VARIAS VSVS MEDITANDO EXTVNDERET ARTIS PAVLATIM</strong></span> &nbsp; <ref>小文字で記せば ut [[wikt:en:varius#Latin|variās]] [[wikt:en:usus#Etymology_1|ūsus]] [[wikt:en:meditando#Latin|meditandō]] extunderet [[wikt:en:artis|artis]] [[wikt:en:paulatim|paulātim]] (Vergilius : [[s:la:Georgicon/Liber I|Georgica, I-133/134]])</ref><br>経験が、練習することによって<ref>たいていは「思考することによって」と訳されるが、ここでは「練習することによって」とした。</ref>、少しずつさまざまな技術をつくり出すように <ref>ウェルギリウス 『農耕詩』 第1巻 133-134行</ref></div> <div></div> </center> == 文法 == *<span style="background-color:#ffffaa;"><strong>[[/名詞の変化]]</strong>     {{進捗|25%|2020-03-22}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/名詞の変化/第一変化|/第一変化]]     {{進捗|25%|2018-05-05}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/名詞の変化/第二変化|/第二変化]]     {{進捗|25%|2018-05-04}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/名詞の変化/第三変化|/第三変化]]     {{進捗|25%|2020-04-10}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/名詞の変化/第四変化|/第四変化]]     {{進捗|25%|2020-03-22}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/名詞の変化/第五変化|/第五変化]]     {{進捗|25%|2020-03-20}} </span> *<span style="background-color:#ffd;">[[/形容詞の変化]] {{進捗|00%|2020-04-01}}</span> **[[/形容詞の変化/第一・第二変化形容詞|/第一・第二変化形容詞]] **[[/形容詞の変化/第三変化形容詞|/第三変化形容詞]] *<span style="background-color:#ffa;"><strong>[[/代名詞・形容詞の変化]]</strong>     {{進捗|25%|2022-11-24}} </span> **[[/代名詞・形容詞の変化/人称代名詞・所有形容詞|/人称代名詞・所有形容詞]] **[[/代名詞・形容詞の変化/指示代名詞・形容詞|/指示代名詞・形容詞]] **[[/代名詞・形容詞の変化/関係詞・疑問詞|/関係詞・疑問詞]] **<span style="background-color:#ffa;">[[/代名詞・形容詞の変化/不定代名詞・不定形容詞|/不定代名詞・不定形容詞]]   {{進捗|00%|2022-11-24}} </span> <!-- 2022-11-09から --> **[[/代名詞・形容詞の変化/代名詞的形容詞・副詞|/代名詞的形容詞・副詞]] *<span style="background-color:#ffffaa;"><strong>[[/副詞]]</strong>     {{進捗|25%|2020-08-14}} </span> <!-- 2020-01-30 --> **<span style="background-color:#ffffbb;">[[/副詞/代名副詞|/代名副詞]]   {{進捗|25%|2020-04-09}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/副詞/数副詞|/数副詞]]     {{進捗|25%|2023-11-07}} </span> <!-- 2020-02-16 --> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/副詞/副詞的対格|/副詞的対格]]  {{進捗|00%|2022-07-17}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/副詞/副詞的奪格|/副詞的奪格]]  {{進捗|00%|2020-04-03}} </span> *<span style="background-color:#ffffaa;"><strong>[[/前置詞]]</strong>     {{進捗|25%|2020-08-07}} </span> <!-- 2018-04-18 --> *<span style="background-color:#ffffaa;"><strong>[[/接続詞]]</strong>     {{進捗|25%|2020-03-25}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;"><strong>[[/相関詞]]</strong>    {{進捗|00%|2020-02-24}} </span> **<span style="background-color:#ffffbb;">[[/相関詞/代名形容詞|/代名形容詞]]    {{進捗|25%|2020-03-04}} </span> **<span style="background-color:#ffffbb;">[[/相関詞/一覧表|/一覧表]]    {{進捗|25%|2020-02-24}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;"><strong>[[/動詞の変化]]</strong>    {{進捗|00%|2018-05-06}} </span> **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/動詞の変化/三人称の活用|/三人称の活用]]    {{進捗|25%|2018-05-13}} </span> :<span style="background-color:#ffffcc;">[[/不定法を伴う対格]]    {{進捗|00%|2020-07-02}} </span> *格 **<span style="background-color:#ffffcc;">[[/奪格]]    {{進捗|00%|2021-01-15}} </span> == 基本単語 == == 脚注 == <references /> == 参考文献 == *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/参考文献]]     {{進捗|25%|2020-04-03}} </span> *<big>'''[[s:en:Index:Gildersleeve and Lodge - Latin Grammar.djvu|Gildersleeve's Latin Grammar]]'''</big> third edition, by [[w:en:Basil Lanneau Gildersleeve|Basil Lanneau Gildersleeve]] and Gonzalez B. Lodge, 1895, [[w:en:St. Martin's Press|St. Martin's Press]] *<big>'''A Grammar of Classical Latin'''</big> - for use in schools and colleges -, by '''Arthur Sloman''', 1906, [[w:en:Cambridge University Press|Cambridge University Press]] == 関連項目 == *<span style="background-color:#ffffaa;">[[ガリア戦記/用例集]]     {{進捗|00%|2020-03-29}} </span> == 関連記事 == *[[ラテン語学習モジュール]] *[[ラテン語の時代区分]] *羅語版ウィキペディア **[[w:la:Grammatica Latina]] *羅語版ウィクショナリー **[[wikt:la:Categoria:Lingua Latina]] *仏語版ウィキペディア **[[w:fr:Latin#Grammaire]] *仏語版ウィキブックス **[[b:fr:Latin]] - [[b:fr:Catégorie:Latin]] *仏語版ウィキバーシティー **[[v:fr:Département:Latin]] *仏語版ウィクショナリー **[[wikt:en:Catégorie:latin]] *英語版ウィキペディア **[[w:en:Latin grammar]] *英語版ウィクショナリー **[[wikt:en:Category:Latin language]] ***'''[[wikt:en:Category:Latin appendices]]''' ***'''[[wikt:en:Appendix:Latin Swadesh list]]''' *日本語版ウィキペディア **[[w:ja:ラテン語の文法]] == 外部リンク == *[[ラテン語学習モジュール#外部リンク]] も参照 === ラテン語オンライン辞書・学習サイト === *ラテン語-英語等 # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.latin-is-simple.com/ Latin is Simple - a Latin Online Dictionary for Students]</span> (ラテン語・英語) # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://latin-dictionary.net/ Latin Dictionary and Grammar Resources - Latdict]</span> (ラテン語・英語) *ラテン語-ドイツ語 # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.latein.me/ Latein-Wörterbuch - Latein.me]</span> (ラテン語・ドイツ語辞書) # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.navigium.de/latein-woerterbuch.html Latein-Wörterbuch]</span> (ラテン語・ドイツ語辞書) # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.frag-caesar.de/ Online Latein Wörterbuch]</span>(ラテン語・ドイツ語辞書) # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.albertmartin.de/latein/ Online Latein Wörterbuch]</span>(ラテン語・ドイツ語辞書) *ラテン語-複数言語 # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.online-latin-dictionary.com/ ONLINE LATIN DICTIONARY]</span> (英語・仏語・イタリア語) # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.lexigram.gr/lex/latin/en/#Hist0 Latin Dictionary: Conjugation, Declension, Grammar, Inflection, Spelling, Identification - Lexigram]</span>(英語・イタリア語・ギリシャ語) *ラテン語活用表 # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://www.verbix.com/languages/latin Latin - verb conjugation -- Verbix verb conjugator] === 古典ラテン語 文献全文検索 === # <span style="font-family:Times New Roman;">[https://latin.packhum.org/search PHI Latin Texts - Word Search](英語) #:[https://latin.packhum.org/canon Canon of Classical Latin Authors and Works]</span>(英語) #::パッカード人文科学研究所([[w:en:Packard Humanities Institute|Packard Humanities Institute]])のラテン語文献検索 === ラテン語教育機関 === # <span style="font-family:Times New Roman;">''[https://classics.osu.edu/Undergraduate-Studies/latin-program Latin Program - Department of Classics]''</span> #: [[w:オハイオ州立大学|オハイオ州立大学]] 古典学科&nbsp;(<span style="font-family:Times New Roman;">''Department of Classics, [[w:en:Ohio State University|Ohio State University]]''</span>)のラテン語プログラム #*<span style="font-family:Times New Roman;">''[https://classics.osu.edu/Undergraduate-Studies/Latin-Program/Grammar Latin Grammar]''</span> 「ラテン語文法」(オハイオ州立大学) <!-- # <span style="font-family:Times New Roman;">[ ]</span> (英 --> [[Category:古典ラテン語|*]] [[Category:ラテン語の時代区分|古典ラテン語]] [[Category:ラテン語学習モジュール|古典ラテン語]]
2018-04-18T13:05:19Z
2023-11-06T22:27:15Z
[ "テンプレート:進捗" ]
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聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞の形
10.5 前置詞の形 10.5.1 לְ や בְּ のように一字で書かれる前置詞は、 冠詞の ה や接続詞の ו と同じく、 その次に来る語との間を空けずに続けて書かれ、 その母音が後続の音の影響を受ける。 次の課で学ぶ前置詞 כְּ もこの点では同じである。すなわち、 10.5.1.1 冠詞 ה の前では、冠詞の h がその直後の母音(= v) と前置詞の母音 (= v') とに挟まれて消失し、 そのため v' と v とが連続するので3.1 の規則(2)に従って v'v は v となり、 結果として冠詞の h を前置詞の子音に置き換えた形になる。例えば *בְּהַדָּבָר bəhaddābār→ *bəaddābār → baddābār בַּדָּבָר *לְהָאָדָם ləhā'ādām → *ləā'ādām → lā'ādām לָאָדָם *כְּהֶעָפָר kəhe`āp̄ār → *kəe`āp̄ār → ke`āp̄ār כֶּעָפָר 《塵の如く》 *לְהַיְלָדִים ləhaylādīm → laylādīm לַיְלָדִים (4.4.1.3参照。) 10.5.1.2 直後にシェワーを含む音節 Cə が続くと、CəCə → CiC (7.5.6) だから、前置詞の母音は i になり名詞の最初の ə は消失する(すなわち、有音シェワーが無音シェワーに変わる)。例えば *לְבְרִית ləbərīt → librīt לִבְרִית《契約に》。さらに名詞の語頭子音が y のときは Cəyə → Ciy → Cī。例えば * בְּיְהוּדָה → בִּיְהוּדָה → בִּיהוּדָה bīhūdā 《ユダで》(6.5.(2)参照)。ついでながら yəhūdā の h も母音に挟まれているから実際には殆ど発音されず、yəhūdā → yūdā となる。ラテン語では Iuda で、我々もユダと言う。ただし我々が kawae を「川へ」と書くように、綴字には ה が残されている。 10.5.1.3 直後に複合シェワーの付いた喉音が来ると、וְ の場合(6.5.(3))と同じく複合シェワーの母音に同化される。例えば、 * בְּחֲלוֹם → בַּחֲלוֹם baḥlōm《夢に》 * כְּאֳנִיָּה → כָּאֳנִיָּה ko'nīyyā《船のように》 * לְאֱכֹל → לֶאֱכׂל le'kōl《食べるのに》 ただし אֱלׂהִים の前では、* וְאֱלֹהִים が וֵאלֹהִים wēlōhīm となる (6.5.(3))。 10.5.2 מִן がこの形で現れるのは冠詞の前に限られ、マッケーフ ־(3.2.2)でつないで書かれる。例: מִן־הַמֶּ֫לֶךְ min hammélek。 それ以外では、min の語末の n が次の子音(すなわち名詞の語頭子音)に完全同化し、二重子音が生じる。ヘブライ文字では מן の ן が消えて מ だけになるので、 לְ や בְּ と同じく(10.5.1) 次の語を続けて書かれ、その最初の字に強ダゲシュが付く。 例えば * מִן־קוֹל min qōl → miqqōl מִקּוֹל 、* מִן־דָּבָר min dābār → middābār מִדָּבָל 。その際 miyyə → mī- (10.5.1.2参照)。例: מִן־יְרוּשָׁלִַם → * מִיְּרוּשָׁלִַם → מִירוּשָׁלִַם mīrūšalayim 10.5.2.1 既に見たように、r および喉音は二重子音とならない、したがって ר、א、ה、ח、ע にはダゲシュは付かない (2.3) から、これらの音で始まる語の前に מִן が来るときは、 מֵ mē という形をとる。 例えば * מִן־רׂאשׁ min rōš → *mirrōš → mērōš מֵרׂאשׁ 《頭から》、 מִן־עוֹלָם min `ōlām → * mi``ōlām → mē`ōlām מֵעוֹלָם 。 これは冠詞が、例えば * הַרֹּאשׁ となる代わりに הָרֹאשׁ となった(4.4.1) のと、同じ現象で、一般に代償延長と呼ばれる。 ただし冠詞の前では、この規則にしたがって מֵהַמֶּ֫לֶךְ となることも、あるいは上に述べたように מִן־הַמֶּ֫לֶךְ となることも可能。 10.5.3 前置詞は、上に述べたように、名詞句の連語形の一種であるから、人称代名詞の前に置かれるとき、人称代名詞は接尾形を取る(9.4参照)。ל、ב、מן、כ に人称代名詞の接尾した形を下に掲げる。既に学んだ名詞接尾形 (9.4) と比較して、異同を確認せよ。名詞接尾形からの類推による判定はできるはずである。מן、כ は複数二・三人称以外では מִמְּ ~ מִמֶּנ mim(men)-、 כָּמ֫וֹ kāmō- という語幹を取っており、また מן の単・三・男と複・一は偶然に同形である。
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10.5 前置詞の形 10.5.1 ‏לְ‎ や ‏בְּ‎ のように一字で書かれる前置詞は、 冠詞の ‏ה‎ や接続詞の ‏ו‎ と同じく、 その次に来る語との間を空けずに続けて書かれ、 その母音が後続の音の影響を受ける。 次の課で学ぶ前置詞 ‏כְּ‎ もこの点では同じである。すなわち、 10.5.1.1 冠詞 ‏ה‎ の前では、冠詞の h がその直後の母音。例えば *‏לְבְרִית‎ ləbərīt → librīt ‏לִבְרִית‎《契約に》。さらに名詞の語頭子音が y のときは Cəyə → Ciy → Cī。例えば *‏ בְּיְהוּדָה ‎→‏ בִּיְהוּדָה ‎→‏ בִּיהוּדָה ‎bīhūdā 《ユダで》(6.5.参照)。ついでながら yəhūdā の h も母音に挟まれているから実際には殆ど発音されず、yəhūdā → yūdā となる。ラテン語では Iuda で、我々もユダと言う。ただし我々が kawae を「川へ」と書くように、綴字には ‏ה‎ が残されている。 10.5.1.3 直後に複合シェワーの付いた喉音が来ると、וְ の場合(6.5.)と同じく複合シェワーの母音に同化される。例えば、 ‎*‏ בְּחֲלוֹם ‎→‏ בַּחֲלוֹם ‎ baḥalōm《夢に》 ‎*‏ כְּאֳנִיָּה ‎→‏ כָּאֳנִיָּה ‎ ko'onīyyā《船のように》 ‎*‏ לְאֱכֹל ‎→‏ לֶאֱכׂל ‎ le'ekōl《食べるのに》 ただし ‏ אֱלׂהִים ‎ の前では、*‏ וְאֱלֹהִים ‎ が ‏ וֵאלֹהִים ‎ wēlōhīm となる (6.5.)。 10.5.2 ‏ מִן ‎ がこの形で現れるのは冠詞の前に限られ、マッケーフ ‏־‎(3.2.2)でつないで書かれる。例:‏ מִן־הַמֶּ֫לֶךְ ‎ min hammélek。 それ以外では、min の語末の n が次の子音(すなわち名詞の語頭子音)に完全同化し、二重子音が生じる。ヘブライ文字では ‏ מן ‎ の ‏ ן ‎ が消えて ‏ מ ‎ だけになるので、‏ לְ ‎ や ‏ בְּ ‎ と同じく(10.5.1) 次の語を続けて書かれ、その最初の字に強ダゲシュが付く。 例えば *‏ מִן־קוֹל ‎ min qōl → miqqōl ‏ מִקּוֹל ‎、*‏ מִן־דָּבָר ‎ min dābār → middābār ‏ מִדָּבָל ‎。その際 miyyə → mī- (10.5.1.2参照)。例:‏ מִן־יְרוּשָׁלִַם ‎ → *‏ מִיְּרוּשָׁלִַם ‎ → ‏ מִירוּשָׁלִַם ‎ mīrūšalayim 10.5.2.1 既に見たように、r および喉音は二重子音とならない、したがって ‏ר‎、‏א‎、‏ה‎、‏ח‎、‏ע‎ にはダゲシュは付かない (2.3) から、これらの音で始まる語の前に ‏ מִן ‎ が来るときは、‏ מֵ ‎ mē という形をとる。 例えば *‏ מִן־רׂאשׁ ‎ min rōš → *mirrōš → mērōš ‏ מֵרׂאשׁ ‎《頭から》、 ‏ מִן־עוֹלָם ‎ min `ōlām → * mi``ōlām → mē`ōlām ‏ מֵעוֹלָם ‎。 これは冠詞が、例えば *‏ הַרֹּאשׁ ‎ となる代わりに ‏ הָרֹאשׁ ‎ となった(4.4.1) のと、同じ現象で、一般に代償延長と呼ばれる。 ただし冠詞の前では、この規則にしたがって ‏ מֵהַמֶּ֫לֶךְ ‎ となることも、あるいは上に述べたように ‏ מִן־הַמֶּ֫לֶךְ ‎ となることも可能。 10.5.3 前置詞は、上に述べたように、名詞句の連語形の一種であるから、人称代名詞の前に置かれるとき、人称代名詞は接尾形を取る(9.4参照)。‏ל‎、‏ב‎、‏מן‎、‏כ‎ に人称代名詞の接尾した形を下に掲げる。既に学んだ名詞接尾形 (9.4) と比較して、異同を確認せよ。名詞接尾形からの類推による判定はできるはずである。‏מן‎、‏כ‎ は複数二・三人称以外では ‏ מִמְּ ‎~‏ מִמֶּנ ‎ mim(men)-、‏ כָּמ֫וֹ ‎ kāmō- という語幹を取っており、また ‏ מן ‎ の単・三・男と複・一は偶然に同形である。
10.5 前置詞の形 10.5.1 &rlm;לְ&lrm; や &rlm;בְּ&lrm; のように一字で書かれる前置詞は、 冠詞の &rlm;ה&lrm; や接続詞の &rlm;ו&lrm; と同じく、 その次に来る語との間を空けずに続けて書かれ、 その母音が後続の音の影響を受ける。 次の課で学ぶ前置詞 &rlm;כְּ&lrm; もこの点では同じである。すなわち、 10.5.1.1 冠詞 &rlm;ה&lrm; の前では、冠詞の h がその直後の母音(= v) と前置詞の母音 (= v') とに挟まれて消失し、 そのため v' と v とが連続するので[[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/音節構造|3.1 の規則(2)]]に従って v'v は v となり、 結果として冠詞の h を前置詞の子音に置き換えた形になる。例えば &lrm;*&rlm;בְּהַדָּבָר&lrm; bəhaddābār→ *bəaddābār → baddābār &rlm; בַּדָּבָר &lrm;*&rlm;לְהָאָדָם&lrm; ləhā'ādām → *ləā'ādām → lā'ādām &rlm; לָאָדָם &lrm;*&rlm;כְּהֶעָפָר&lrm; kəhe`ā<span class="Unicode">p̄</span>ār → *kəe`ā<span class="Unicode">p̄</span>ār → ke`ā<span class="Unicode">p̄</span>ār &rlm; כֶּעָפָר &lrm;《塵の如く》 &rlm;*&rlm;לְהַיְלָדִים&lrm; ləhaylādīm → laylādīm &rlm; לַיְלָדִים &lrm; ([[聖書ヘブライ語入門/名詞文・主述統合・冠詞・名詞の型/冠詞/冠詞の型#4.4.1.3|4.4.1.3]]参照。) 10.5.1.2 直後にシェワーを含む音節 Cə が続くと、CəCə → CiC ([[聖書ヘブライ語入門/連語/連語形の形成|7.5.6]]) だから、前置詞の母音は i になり名詞の最初の ə は消失する(すなわち、有音シェワーが無音シェワーに変わる)。例えば *&rlm;לְבְרִית&lrm; ləbərīt → librīt &rlm;לִבְרִית&lrm;《契約に》。さらに名詞の語頭子音が y のときは Cəyə → Ciy → Cī。例えば *&rlm; בְּיְהוּדָה &lrm;→&rlm; בִּיְהוּדָה &lrm;→&rlm; בִּיהוּדָה &lrm;bīhūdā 《ユダで》([[聖書ヘブライ語入門/複数/接続詞וְ|6.5.(2)参照]])。ついでながら yəhūdā の h も母音に挟まれているから実際には殆ど発音されず、yəhūdā → yūdā となる。ラテン語では Iuda で、我々もユダと言う。ただし我々が kawae を「川へ」と書くように、綴字には &rlm;ה&lrm; が残されている。 10.5.1.3 直後に複合シェワーの付いた喉音が来ると、וְ の場合([[聖書ヘブライ語入門/複数/接続詞וְ|6.5.(3)]])と同じく複合シェワーの母音に同化される。例えば、 &lrm;*&rlm; בְּחֲלוֹם &lrm;→&rlm; בַּחֲלוֹם &lrm; baḥ<sup>a</sup>lōm《夢に》 &lrm;*&rlm; כְּאֳנִיָּה &lrm;→&rlm; כָּאֳנִיָּה &lrm; ko'<sup>o</sup>nīyyā《船のように》 &lrm;*&rlm; לְאֱכֹל &lrm;→&rlm; לֶאֱכׂל &lrm; le'<sup>e</sup>kōl《食べるのに》 ただし &rlm; אֱלׂהִים &lrm; の前では、*&rlm; וְאֱלֹהִים &lrm; が &rlm; וֵאלֹהִים &lrm; wēlōhīm となる ([[聖書ヘブライ語入門/複数/接続詞וְ|6.5.(3)]])。 10.5.2 &rlm; מִן &lrm; がこの形で現れるのは冠詞の前に限られ、マッケーフ &rlm;־&lrm;([[聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/アクセント/マッケーフ|3.2.2]])でつないで書かれる。例:&rlm; מִן־הַמֶּ֫לֶךְ &lrm; min hammélek。 それ以外では、min の語末の n が次の子音(すなわち名詞の語頭子音)に完全同化し、二重子音が生じる。ヘブライ文字では &rlm; מן &lrm; の &rlm; ן &lrm; が消えて &rlm; מ &lrm; だけになるので、&rlm; לְ &lrm; や &rlm; בְּ &lrm; と同じく([[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞の形|10.5.1]]) 次の語を続けて書かれ、その最初の字に強ダゲシュが付く。 例えば *&rlm; מִן־קוֹל &lrm; min qōl → miqqōl &rlm; מִקּוֹל &lrm;、*&rlm; מִן־דָּבָר &lrm; min dābār → middābār &rlm; מִדָּבָל &lrm;。その際 miyyə → mī- ([[聖書ヘブライ語入門/前置詞(1)/前置詞の形|10.5.1.2]]参照)。例:&rlm; מִן־יְרוּשָׁלִַם &lrm; → *&rlm; מִיְּרוּשָׁלִַם &lrm; → &rlm; מִירוּשָׁלִַם &lrm; mīrūšalayim 10.5.2.1 既に見たように、r および喉音は二重子音とならない、したがって &rlm;ר&lrm;、&rlm;א&lrm;、&rlm;ה&lrm;、&rlm;ח&lrm;、&rlm;ע&lrm; にはダゲシュは付かない ([[聖書ヘブライ語入門/ダゲシュ・母音記号/ダゲシュ|2.3]]) から、これらの音で始まる語の前に &rlm; מִן &lrm; が来るときは、&rlm; מֵ &lrm; mē という形をとる。 例えば *&rlm; מִן־רׂאשׁ &lrm; min rōš → *mirrōš → mērōš &rlm; מֵרׂאשׁ &lrm;《頭から》、 &rlm; מִן־עוֹלָם &lrm; min `ōlām → * mi``ōlām → mē`ōlām &rlm; מֵעוֹלָם &lrm;。 これは冠詞が、例えば *&rlm; הַרֹּאשׁ &lrm; となる代わりに &rlm; הָרֹאשׁ &lrm; となった([[聖書ヘブライ語入門/名詞文・主述統合・冠詞・名詞の型/冠詞/冠詞の型|4.4.1]]) のと、同じ現象で、一般に代償延長と呼ばれる。 ただし冠詞の前では、この規則にしたがって &rlm; מֵהַמֶּ֫לֶךְ &lrm; となることも、あるいは上に述べたように &rlm; מִן־הַמֶּ֫לֶךְ &lrm; となることも可能。 10.5.3 前置詞は、上に述べたように、名詞句の連語形の一種であるから、人称代名詞の前に置かれるとき、人称代名詞は接尾形を取る([[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞|9.4]]参照)。&rlm;ל&lrm;、&rlm;ב&lrm;、&rlm;מן&lrm;、&rlm;כ&lrm; に人称代名詞の接尾した形を下に掲げる。既に学んだ名詞接尾形 ([[聖書ヘブライ語入門/接尾人称代名詞/接尾人称代名詞|9.4]]) と比較して、異同を確認せよ。名詞接尾形からの類推による判定はできるはずである。&rlm;מן&lrm;、&rlm;כ&lrm; は複数二・三人称以外では &rlm; מִמְּ &lrm;~&rlm; מִמֶּנ &lrm; mim(men)-、&rlm; כָּמ֫וֹ &lrm; kāmō- という語幹を取っており、また &rlm; מן &lrm; の単・三・男と複・一は偶然に同形である。 {| class="wikitable" style="text-align:center" ! colspan ="2" | !! &rlm;לְ&rlm; !! &rlm;בְּ&lrm; !! &rlm;מִן&lrm; !! &rlm;כְּ&lrm; |- ! rowspan="5" | 単数 !! 一人称 | &rlm;לִי&rlm;||&rlm;בִּי&lrm;||&rlm;מִמֶּ֫נִּי&lrm;||&rlm;כָּמ֫וֹנִי&lrm; |- ! 二人称男性 | &rlm;לְךָ&rlm;||&rlm;בְּךָ&lrm;||&rlm;מִמְּךָ&lrm;||&rlm;כָּמ֫וֹךָ&lrm; |- ! 二人称女性 | &rlm;לָךְ&rlm;||&rlm;בָּךְ&lrm;||&rlm;מִמֵּךְ&lrm;||&rlm;כָּמוֹךְ&lrm; |- ! 三人称男性 | &rlm;לוֹ&lrm;||&rlm;בּוֹ&lrm;||&rlm;מִמֶּ֫נּוּ&lrm;||&rlm;כָּמ֫וֹהוּ&lrm; |- ! 三人称女性 | &rlm;לָהּ&lrm;||&rlm;בָּהּ&lrm;||&rlm;מִמֶּ֫נָּה&rlm;||&rlm;כָּמ֫וֹהָ&lrm; |- ! rowspan="5" | 複数 !! 一人称 |&rlm;לָ֫נוּ&lrm;||&rlm;בָּ֫נוּ&lrm;||&rlm;מִמֶּ֫נּוּ&rlm;||&rlm;כָּמ֫וֹנוּ&lrm; |- ! 二人称男性 |&rlm;לָכֶם&lrm;||&rlm;בָּכֶם&lrm;||&rlm;מִכֶּם&rlm;||&rlm;כָּכֶם&lrm; |- ! 二人称女性 | &rlm;לָכֶן&lrm;||&rlm;בָּכֶן&lrm;||&rlm;מִכֶּן&rlm;||&rlm;כָּכֶן&lrm; |- ! 三人称男性 | &rlm;לָהֶם&lrm;||&rlm;בָּהֶם&lrm;,&rlm;בָּם&lrm;,&rlm;בַּהֵ֫מָּה&lrm;||&rlm;מֵהֶם&lrm;||&rlm;כָּהֶם&lrm; |- ! 三人称女性 | &rlm;לָהֶן&lrm;||&rlm;בָּהֶן&lrm;,&rlm;בָּהֵ֫נָּה&lrm;||&rlm;מֵהֶן&lrm;,&rlm;מֵהֵ֫נָּה&lrm;||&rlm;כָּהֶן&lrm; |- [[カテゴリ:聖書ヘブライ語]]
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2022-11-22T17:11:21Z
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古典ラテン語/前置詞
古典ラテン語の 前置詞 (praepositiō, -ōnis) には、対格支配 と 奪格支配 などがある。 関連:Ablative with prepositions in が最も基本的な対格・奪格支配の前置詞。種類は少ないが、対格支配と奪格支配の区別に注意が必要。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "古典ラテン語の 前置詞 (praepositiō, -ōnis) には、対格支配 と 奪格支配 などがある。", "title": "" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "関連:Ablative with prepositions", "title": "奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "", "title": "奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "対格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "", "title": "対格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "in が最も基本的な対格・奪格支配の前置詞。種類は少ないが、対格支配と奪格支配の区別に注意が必要。", "title": "対格・奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "対格・奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "対格・奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "", "title": "対格・奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "", "title": "対格・奪格支配の前置詞" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "", "title": "属格名詞に先行するもの" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "", "title": "属格名詞に先行するもの" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "", "title": "属格名詞の後に置くもの" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "", "title": "属格名詞の後に置くもの" } ]
古典ラテン語の 前置詞 には、対格支配 と 奪格支配 などがある。
古典ラテン語の '''前置詞''' (<span style="font-family:Times New Roman;font-style:normal;font-size:15pt;">[[wikt:en:praepositio|praepositiō, -ōnis]]</span>) には、'''対格支配''' と '''奪格支配''' などがある。 == 奪格支配の前置詞 == :<span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;">ab (ā), dē, ex (ē), cum</span>&nbsp; などが最も基本的な奪格支配の前置詞。 :<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">prō, sine</span>&nbsp; なども頻出する。 関連:<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">[[w:en:Ablative_(Latin)#Ablative_with_prepositions|Ablative with prepositions]]</span> {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 (奪格支配) ! 場 所 ! 時 間 !その他の意味 ! colspan="2" |備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:30pt;" |[[wikt:en:ab#Latin|ā, ab <small>(abs)</small>]] | style="background-color:#ffebd8;" |~から、<br>~のそばで | style="background-color:#ffebd8;" |~から、<br>~以来 | style="background-color:#ffebd8;" |~によって<br>(手段・媒介) | colspan="2" |<span style="font-size:20pt;font-family:Times New Roman;">ā</span> は母音・<span style="font-family:Times New Roman;">h</span> の前では用いない。<br><span style="font-size:20pt;font-family:Times New Roman;">abs</span> は<span style="font-family:Times New Roman;">c, q, t</span> の前で。 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffebd8; font-size:15pt;" |[[wikt:en:clam#Preposition|clam]] | | | style="background-color:#ffebd8;" |~に隠れて、<br>~に知られずに |※奪格支配で用いられるのはまれ。<br>※「[[#対格支配の前置詞|対格支配の前置詞]]」を見よ | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:clam#Adverb|clam]] 隠れて、こっそり<br>[対義語] [[wikt:en:coram#Adverb|cōram]] 面と向かって |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffebd8; font-size:15pt;" |[[wikt:en:coram#Preposition|cōram]] | style="background-color:#ffebd8;" |~の面前に | | style="background-color:#ffebd8;" | |[語源]<br> 接辞[[wikt:en:con-#Latin|con-]]+名詞[[wikt:en:os#Latin|ōs]]<br>[対義語] [[wikt:en:clam#Preposition|clam]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br> [[wikt:en:coram#Adverb|cōram]] 面と向かって<br>[対義語] [[wikt:en:clam#Adverb|clam]] |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:30pt;" |[[wikt:en:cum#Etymology_1_2|cum]] | | | style="background-color:#ffebd8;" |~と、~とともに、<br>~と一緒に、<br>~を伴って。<br>~の状態で。 | colspan="2" |※接続詞 [[wikt:en:cum#Etymology_2_2|cum]] との区別に注意する。 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:30pt;" |[[wikt:en:de#Etymology_2_5|dē]] | style="background-color:#ffebd8;" |~から、<br>~から(分離して)下に | style="background-color:#ffebd8;" |~の直後に、<br>~の間に | style="background-color:#ffebd8;" |~について、<br>~に関して | | style="background-color:#efd;" |[副詞的用法]<br>[[wikt:fr:de#Adverbe|dē]] 下に、その場所に |- | | colspan="6" | '''dē のおもな派生語''': 分離、上から下へ、低い方へ、(時間的に)後へ続く、などの意味をもつ。 [形容詞] [[wikt:en:deterior#Latin|dēterior]](より低い)   [副詞] [[wikt:en:dein#Latin|dein]](ついで), [[wikt:en:deinceps#Adverb|deinceps]](続いて), [[wikt:en:deinde#Latin|deinde]](ついで、それから), [[wikt:en:demum#Latin|dēmum]](ついに), [[wikt:en:denique#Latin|dēnique]](ついに), [[wikt:en:deorsum#Latin|deorsum]](下方に), [[wikt:en:desuper#Latin|dēsuper]](上方から) |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:30pt;" |[[wikt:en:ex#Latin|ex]], [[wikt:en:e#Latin|ē]] | style="background-color:#ffebd8;" |~から、<br>~から外に | style="background-color:#ffebd8;" |~から(後に)、<br>~以来、<br>~直後に | style="background-color:#ffebd8;" |~から<br>(出身・理由)、<br>~に従って | colspan="2" |<span style="font-size:20pt;font-family:Times New Roman;">ē</span> は母音・<span style="font-family:Times New Roman;">h</span> の前では用いない。<br>[対義語] <span style="font-family:Times New Roman;font-size:18pt;">[[wikt:en:in#Latin|in]]</span> ~の中へ |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:15pt;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:15pt;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:15pt;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | colspan="2" | |} :palam :prae  ~の前に、~に比べて、~のおかげで *<span style="font-size:30pt;">prō</span>  ~の前に、~のために、~のかわりに、~に応じて<!-- pro + abl. : devant ; pour ; à la place de --> :procul :simul *<span style="font-size:30pt;">sine</span> <!-- sine + abl : sans --> :sub *subter <!-- subter + abl. : au dessous de (lieu où l'on est) --> :super <span style="font-size:20pt;"></span> == 対格支配の前置詞 == :<span style="font-family:Times New Roman;font-size:20pt;">ad, per</span>&nbsp; などが最も基本的な対格支配の前置詞。 :<span style="font-family:Times New Roman;font-size:18pt;">ante, apud, inter, post</span>&nbsp; なども頻出する重要単語。 :このほか、<span style="font-family:Times New Roman;font-size:13pt;">prope, contrā, trāns</span>&nbsp; など種類が多い。 {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 (対格支配) ! 場 所 ! 時 間 !その他の意味 ! colspan="2" |備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fbf; font-size:30pt;" |[[wikt:en:ad#Latin|ad]] | style="background-color:#fdf;" |~へ、~の方へ、<br>~に向かって、~のところまで、<br>~のそばに、~の辺りに | style="background-color:#fdf;" |~まで | style="background-color:#fdf;" |~のために<hr>およそ~、約~ | | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]],<br>adversum | style="background-color:#fef;" |(方向)~に向かって | | style="background-color:#fef;" |~に反対して、<br>~に抗して |[類義語]<br>[[wikt:en:contra#Preposition_6|contrā]], [[wikt:en:erga#Latin|ergā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br> [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]], [[wikt:en:adversum#Latin|adversum]]<br> 向かって、面して;反対して |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fbf; font-size:30pt;" |[[wikt:en:ante#Preposition_5|ante]] | style="background-color:#fdf;" |~の前に、<br>~の前面に、~に面して | style="background-color:#fdf;" |~の前に、<br>~までに | style="background-color:#fdf;" | |[類義語]<br>[[wikt:fr:ante#Latin|antehac, prae, prō]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:ante#Adverb_2|ante]]<br> 前に、前方に、以前に |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fbf; font-size:30pt;" |[[wikt:en:apud#Latin|apud]] | style="background-color:#fdf;" |~のもとに、~のところに、<br>~の家に、~の中に、<br>~の前に、<br>~の近くに、~の近辺に | | |[類義語]<br> [[wikt:fr:apud#Latin|ad, coram, in, inter, prope]] | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circa#Latin|circā]] | style="background-color:#fef;" |~のまわりに、<br>~の近くに | style="background-color:#fef;" |~頃に | style="background-color:#fdf;" |およそ~、<br>~に関して |[類義語]<br> [[wikt:en:circiter#Latin|circiter]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:circa#Latin|circā]] まわりに、近くに |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circiter#Latin|circiter]] | style="background-color:#fef;" |~のまわりに、<br>~の近くに | style="background-color:#fef;" |~頃に | style="background-color:#fdf;" |およそ~ |[類義語]<br> [[wikt:en:circa#Latin|circā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:circiter#Latin|circiter]] まわりに、およそ |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:circum#Latin|circum]] | style="background-color:#fdf;" |~のまわりに、<br>~の近くに | | | | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:circum#Latin|circum]] まわりに、両側に |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:en:citra#Latin|citrā]] | style="background-color:#fef;" |~のこちら側に | style="background-color:#fef;" |~より前に | style="background-color:#fef;" |~以下に、<br>~を除いて |[対義語] [[wikt:en:ultra#Latin|ultrā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:citra#Latin|citrā]] こちら側に |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:en:clam#Preposition|clam]] | | | style="background-color:#fef;" |~に隠れて、<br>~に知られずに |※まれに奪格支配で<br>用いられる。<br>[対義語] [[wikt:en:coram#Preposition|cōram]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:clam#Adverb|clam]] 隠れて、こっそり<br>[対義語] [[wikt:en:coram#Adverb|cōram]] 面と向かって |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:contra#Preposition_6|contrā]] | style="background-color:#fef;" |~に相対して、~に面して、<br>~の向こう側に | | style="background-color:#fdf;" |~に対して、<br>~に反対して<br>~に逆らって、<br>~に敵対して、<br>~の他方で |[類義語] <br> [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]]/adversum,<br> [[wikt:en:erga#Latin|ergā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:contra#Adverb_5|contrā]] 相対して、逆らって<br>[類義語] [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]], [[wikt:en:adversum#Latin|adversum]] |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:en:erga#Latin|ergā]] | style="background-color:#fef;" |~に向かって | | style="background-color:#fef;" |~に対して |[類義語] <br> [[wikt:la:adversus#Latine_II|adversus]]/adversum,<br> [[wikt:en:contra#Preposition_6|contrā]] | style="background-color:#efd;" |(副詞とみなされる場合もある) |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:extra#Latin|extrā]] | style="background-color:#fdf;" |~の外側に、<br>~の向こう側に | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" |~の程度を超えて、<br>~を除いて |[類義表現]<br> in locō exteriōre,<br> in locum exteriōrem<br>[対義語] [[wikt:en:intra#Latin|intrā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:extra#Latin|extrā]] ([[wikt:fr:extra#Latin|fr]])<br>[対義語] [[wikt:en:intra#Latin|intrā]] |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:en:infra#Latin|īnfrā]] | style="background-color:#fef;" |~の下方に | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | |[対義語] [[wikt:en:supra#Latin|suprā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:infra#Latin|īnfrā]]<br>[対義語] [[wikt:en:supra#Latin|suprā]] |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fcf; font-size:20pt;" |[[wikt:en:inter#Latin|inter]] | style="background-color:#fdf;" |~の間に | style="background-color:#fef;" |~の間に | style="background-color:#fef;" | |[派生語]<br> [[wikt:en:interim#Latin|interim]](その間) | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:18pt;" |[[wikt:en:intra#Latin|intrā]] | style="background-color:#fdf;" |~の内側に、<br>~の内部に | style="background-color:#fef;" |~の間 | style="background-color:#fef;" |~より少なく |[類義表現]<br> in locō interiōre,<br> in locum interiōrem<br>[対義語] [[wikt:en:extra#Latin|extrā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:intra#Latin|intrā]]<br>[対義語] [[wikt:en:extra#Latin|extrā]] ([[wikt:fr:extra#Latin|fr]]) |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" |[[wikt:en:iuxta#Latin|iuxtā]] | style="background-color:#fdf;" |~のすぐ近くに | style="background-color:#fdf;" |~のすぐ後に | style="background-color:#fef;" | |[別形] [[wikt:en:juxta#Latin|juxtā]]<br>[類義語] [[wikt:en:iuxtim#Latin|iuxtim]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:iuxta#Latin|iuxtā]] すぐ近くに |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" |[[wikt:en:iuxtim#Latin|iuxtim]] | style="background-color:#fef;" |~のすぐ近くに | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | |[別形] [[wikt:en:juxtim#Latin|juxtim]]<br>[類義語] [[wikt:en:iuxta#Latin|iuxtā]] | style="background-color:#efd;" |[副詞として]<br>[[wikt:en:iuxtim#Latin|iuxtim]] すぐ近くに <!-- 【●編集中●】 --> |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fef; font-size:15pt;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | | |} *<span style="font-size:20pt;">ob</span>  ~の前に、/~のために、~のゆえに(理由) *<span style="font-size:30pt;">per</span> ~を通じて、~の間、~によって <!-- per + acc. : à travers, par --> *<span style="font-size:30pt;">post</span> <!-- post + acc. : après, derrière --> *praeter  ~を過ぎて、~を除いて、~に反して *<span style="font-size:20pt;">prope</span> <!-- prope + acc. : près de --> *<span style="font-size:20pt;">propter</span> <!-- propter + acc. : à cause de --> *secundum  ~の次に、~に沿って、~に従って :sub :subter :super *<span style="font-size:20pt;">suprā</span>  ~の上に、~以上に <!-- supra + acc. : au-dessus de --> *<span style="font-size:30pt;">trāns</span>  ~を横切って <!-- trans + acc. : au-delà de --> *<span style="font-size:20pt;">ultrā</span>  ~を越えて、~の向こう側に  *usque <!-- usque + acc. : jusque --> *absque <span style="font-size:20pt;"></span> == 対格・奪格支配の前置詞 == in が最も基本的な対格・奪格支配の前置詞。種類は少ないが、対格支配と奪格支配の区別に注意が必要。 {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 ! 場 所 ! 時 間 !その他の意味 !備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" |奪格支配 | style="background-color:#ffdac0; font-size:30pt;" |[[wikt:en:in#Latin|in]] | style="background-color:#ffebd8;" |~に、~の中に、<br>~において、<br>~の場合 | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | |- style="font-family:Times New Roman;" |対格支配 | style="background-color:#fbf; font-size:30pt;" |[[wikt:en:in#Latin|in]] | style="background-color:#fdf;" |~へ、~の中へ、<br>~に向かって、<br>~に対して | style="background-color:#fdf;" | | style="background-color:#fdf;" | | |- | colspan="6" | <!--【●編集中●】--> |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#ffdac0; font-size:15pt;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | style="background-color:#ffebd8;" | | |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#fdf; font-size:15pt;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | style="background-color:#fef;" | | |} *<span style="font-size:20pt;">prae</span>  ~の前に、~に比べて、~のおかげで <!-- prae + acc. : devant --> **prae <!-- prae + abl. : devant, à cause de (dans les phrases négatives) --> *<span style="font-size:30pt;">sub</span> (対格)~の下へ、~の直後に <!-- sub + acc. : sous (lieu où l'on va) --> **<span style="font-size:20pt;">sub</span> (奪格)~の下に、~として <!-- sub + abl. : sous (lieu où l'on est) --> :subter *<span style="font-size:30pt;">super</span> (対格)~の上へ  <!-- super + acc. : au-dessus de, sur (lieu où l'on va) --> **super (奪格)~の上に、~について  <!-- super + abl. : au-dessus de, sur (lieu où l'on est) --> <span style="font-size:20pt;"></span> == 属格支配のもの == *instar <!-- instar + gén. : à la manière de --> == 属格名詞に先行するもの == <!-- précédées du génitif --> *causa <!-- causa : pour, en vue de --> *gratia <!-- gratia : pour, en vue de --> <span style="font-size:20pt;"></span> {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 ! 意 味 ! 備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="font-size:21pt;" | | | |} == 属格名詞の後に置くもの == {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 ! 意 味 ! colspan="2" | 備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#dcf; font-size:25pt;" |[[wikt:en:ergo#Latin|ergō]] | style="background-color:#dcf;" |~のゆえに |[類義語]<br> [[wikt:en:ob#Latin|ob]], [[wikt:en:propter#Latin|propter]] | style="background-color:#ffb;" |[接続詞]<br>したがって、それゆえに<br> [類義語]<br> [[wikt:en:igitur#Latin|igitur]], [[wikt:en:itaque#Latin|itaque]],<br> [[wikt:en:qua#Latin|quā]] [[wikt:en:de#Etymology_2_5|dē]] [[wikt:en:causa#Latin|causā]] |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#dcf; font-size:25pt;" | | style="background-color:#dcf;" | | | style="background-color:#ffb;" |<br> |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="background-color:#dcf; font-size:25pt;" | | style="background-color:#dcf;" | | colspan="2" | |} {| class="wikitable" |- ! ! 前置詞 ! 意 味 ! 備 考 |- style="font-family:Times New Roman;" | | style="font-size:21pt;" | | | |} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == *[[古典ラテン語/副詞]] *[[古典ラテン語/接続詞]] *<span style="background-color:#ffffcc;">[[ガリア戦記/用例集/前置詞]]    {{進捗|00%|2020-06-05}} </span> == 関連記事 == *[[w:la:Praepositio (grammatica Latina)]] *[[b:fr:Latin/Vocabulaire/Prépositions]] *[[w:en:Latin_grammar#Prepositions]] *[[ラテン語 前置詞]] [[Category:古典ラテン語|前置詞]]
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2020-08-10T13:56:38Z
[ "テンプレート:進捗" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E/%E5%89%8D%E7%BD%AE%E8%A9%9E
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高等学校世界史B/三十年戦争
アウクスブルクの和議以降にもかかわらずドイツでは、新旧(カトリック 対 ルター派)両派がいぜんとして対立しあい、また諸侯どうしも対立しあい、しだいにドイツは危険な事態におちいり、そして17世紀前半にある事件をきっかけに三十年戦争といわれる争乱が勃発した。 三十年戦争のきっかけになった事件とは、ボヘミア(「ベーメン」と言われた)の新教徒(プロテスタント)が、ハプスブルク家の政策に反抗した事件である。 また、ドイツはこの戦争で外国に介入されてしまった。当時のフランスはカトリック教国であるにもかかわらず、ドイツのプロテスタントを応援する方向性で三十年戦争に介入した。(なお、時期的には、ルイ13世紀の統治時代であり、この時代は、ヨーロッパ各国で絶対王政のような傾向が強まっていき、またフランスでは宗教的束縛が弱まっていた時代でもある。フランスでは(のちの単元で後述する)「ナントの王令」が有効な時代である。) スウェーデンも、プロテスタントを支援する方向性で、介入した。なお当時のスウェーデンは、スウェーデン王グスタフ=アドルフによって、統治されていた。 さて、上記の説明では、説明の便宜上「ドイツ」といったが、じつは当時のあの辺り(いまでいうドイツ辺り)の国名は「神聖ローマ帝国」である。 この三十年戦争の名目は、当初は表向きには、宗教対立が名目だったが、しだいに、フランスやドイツなどがヨーロッパの覇権をめぐって争うという実態に変わっていった。 この三十年戦争も、ついに1648年にウェストフェリア条約によって終了した。 この条約によって、神聖ローマ帝国は譲歩をせまられ、神聖ローマ帝国は領土を減らす結果になった。いっぽう、フランスとスウェーデンは領土を獲得した。(この条約でフランスはアルザスを獲得した。スウェーデンは西ボンメルン(北ドイツにある地名)を獲得した。)また、ウェストフェリア条約によって、オランダ(ネーデルランド連邦共和国)とスイスが独立した。 そしてドイツは、上述の戦争で戦場になって疲弊したこともあり、人口も減少し、国力も低下した。 この条約の結果もあり、ヨーロッパ諸国どうしでは、あまり他国に干渉しないように心がけるようになり、(いわゆる)「主権国家」の理念がヨーロッパでは尊重されるようになったので、ヨーロッパは主権国家体制が確立していった。 ドイツでは、この戦争後、北ドイツを拠点とするプロイセンが成長していき、しだいにドイツの覇権をにぎっていく。
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== ドイツと三十年戦争 == アウクスブルクの和議以降にもかかわらずドイツでは、新旧(カトリック 対 ルター派)両派がいぜんとして対立しあい、また諸侯どうしも対立しあい、しだいにドイツは危険な事態におちいり、そして17世紀前半にある事件をきっかけに'''三十年戦争'''といわれる争乱が勃発した。 三十年戦争のきっかけになった事件とは、'''ボヘミア'''(「'''ベーメン'''」と言われた)の新教徒('''プロテスタント''')が、ハプスブルク家の政策に反抗した事件である。 また、ドイツはこの戦争で外国に介入されてしまった。当時のフランスはカトリック教国であるにもかかわらず、ドイツのプロテスタントを応援する方向性で三十年戦争に介入した。(なお、時期的には、ルイ13世紀の統治時代であり、この時代は、ヨーロッパ各国で絶対王政のような傾向が強まっていき、またフランスでは宗教的束縛が弱まっていた時代でもある。フランスでは(のちの単元で後述する)「ナントの王令」が有効な時代である。) スウェーデンも、プロテスタントを支援する方向性で、介入した。なお当時のスウェーデンは、スウェーデン王'''グスタフ=アドルフ'''によって、統治されていた。 さて、上記の説明では、説明の便宜上「ドイツ」といったが、じつは当時のあの辺り(いまでいうドイツ辺り)の国名は「神聖ローマ帝国」である。 この三十年戦争の名目は、当初は表向きには、宗教対立が名目だったが、しだいに、フランスやドイツなどがヨーロッパの覇権をめぐって争うという実態に変わっていった。 この三十年戦争も、ついに1648年に'''ウェストフェリア条約'''によって終了した。 この条約によって、神聖ローマ帝国は譲歩をせまられ、神聖ローマ帝国は領土を減らす結果になった。いっぽう、フランスとスウェーデンは領土を獲得した。(この条約でフランスはアルザスを獲得した。スウェーデンは西ボンメルン(北ドイツにある地名)を獲得した。)また、ウェストフェリア条約によって、オランダ(ネーデルランド連邦共和国)とスイスが独立した。 そしてドイツは、上述の戦争で戦場になって疲弊したこともあり、人口も減少し、国力も低下した。 この条約の結果もあり、ヨーロッパ諸国どうしでは、あまり他国に干渉しないように心がけるようになり、(いわゆる)「主権国家」の理念がヨーロッパでは尊重されるようになったので、ヨーロッパは主権国家体制が確立していった。 ドイツでは、この戦争後、北ドイツを拠点とするプロイセンが成長していき、しだいにドイツの覇権をにぎっていく。 [[カテゴリ:ヨーロッパの戦争]] [[カテゴリ:ドイツ史]]
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2023-01-27T06:24:03Z
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高等学校世界史B/プロイセンとオーストリアとロシアの台頭
日本人にとって、プロイセン(ドイツ)は、日本史において明治維新のあとに、日本の近代化のための手本にされた国である。明治日本で、おもに軍隊(日本軍)の近代化の手本や、立憲君主制の手本として、プロイセンが手本にされることになる。 では我々、学生は、このプロイセンの成立と台頭について、学んでいこう。 なお、日本史では時期的に江戸時代後半〜幕末のころが、下記に紹介するプロイセンやロシアの台頭してきた時代と、同じ頃の時代である。 プロイセンの原型になった国は、もともと15世紀のホーエンツォレルン家のブランデンブルク公国であった。 そして17世紀、ドイツ騎士団領をもとにプロイセン公国が成立し、さらに18世紀はじめの1701年にはプロイセン王国になった。 プロイセン王国の2代目の国王であるフリードリヒ=ヴィルヘルム1世は、制度を整え、軍備も増強し、プロイセンにおける絶対王政の基礎を築いた。(なお、後世でいわゆる「フリードリヒ大王」とは、彼 フリードリヒ1世のことである。) ついで1740年にフリードリヒ2世(在位1740〜86)が即位し、(国の改革のためか)啓蒙思想を取り入れ、農民を保護し、農耕業を奨励し、さらに教育を充実させ、宗教の寛容の政策を実施するなどの施策を実行したので、彼 フリードリヒ2世は典型的な「啓蒙専制君主」となった。フリードリヒ2世は「君主は国家第一の しもべ」と言ったと伝えられる。 さて、そのころオーストリアでは、1740年、マリア=テレジアがハプスブルク家の領土を継いだ。 フランスおよびプロイセンは、マリア=テレジアの継承に異議をとなえ、武力介入し、オーストリア継承戦争となった。 なお、この開戦当時のプロイセン国王はフリードリヒ2世なので、フリードリヒ2世が武力介入したことになる。 そして最終的にプロイセンはオーストリアからシュレジエン(地名)を獲得した。 戦争後、オーストリアは対立するプロイセンに対抗するために、それまで敵対していたフランスと友好的な外交政策を行った。 そして1756年には、オーストリアが目標としてシュレジエンの奪回をめざす七年戦争(1756〜63)が起きた。 しかしプロイセンもイギリスの支援を得て対抗したこともあり、オーストリアはシュレジエンを獲得できなかった。最終的にプロイセンがシュレジエンを確保した結末で和議となった。 さて、マリア=テレジアはプロイセンに対抗する目的もあって、さまざまな内政改革をすすめていた。そしてテレジアの子ヨーゼフ2世は農奴解放令や宗教寛容令などを実施して、オーストリア政治の近代化を行い、彼ヨーゼフ2世は啓蒙専制君主として知られることになった。 ロシアでは1682年、ロマノフ朝のピョートル1世が、ロシアの近代化のために、西ヨーロッパ地方の造船術などを取り入れた。 彼ピョートル1世じしんが、300人ほどの部下とともに西ヨーロッパに視察に出てまでして、西欧の造船術などの工業を学んだ、ほどだであった。) そしてピョートルの時代、清(シン、中国)と国境を確定するためのネルチンスク条約が結ばれた。 ピョートル1世はアゾフ海に進出した。 1700年に始まった北方戦争は、ロシア対スウェーデンの戦争であり、最終的にロシアが勝利した。スウェーデンは敗退した。勝利したロシアは、バルト海東岸を獲得した。そしてロシアは、このバルトの地に、ロシアの新首都サンクト=ペテルブルクを築いた。 時はすぎ、18世紀の後半、ロシアでは女王エカチェリーナ2世が、ロシアを東方まで進出させ、その一貫として日本に使節ラクスマンを送った。 また当時のロシアは南方ではトルコと戦い、ロシアはクリミア半島を獲得した。 エカチェリーナ2世は当初は(近代化を目指すためか)啓蒙専制君主を目指し、啓蒙思想家ヴォルテールなどの助言も参考にしたが、しかし農民反乱が発生してしまい(ブガチョフの農民反乱)、(おそらく貴族の協力を得るために)エカチェリーナは農奴制を強化した。 ポーランドでは16世紀後半、ヤゲウォ朝が断絶し、選挙による王政に移行した。 1772年、プロイセンが侵略目的のため、プロイセン・ロシア・オーストリアの3か国でポーランドの分割を提案し、実行されてしまい、ポーランドはまず国境ちかくの領土を3か国にうばわれてしまった。 ポーランド側では義勇軍が貴族コシューシコ(←人名)に率いられて抵抗したが、抵抗むなしく失敗してしまい、ポーランドでは最終的に(1772年の最初の領土分割も含めて)合計3回の領土分割が行われてしまい(ポーランド分割)、そのため地図上からポーランドは、いったん消滅した。(ポーランドが独立を回復するのは第一次世界大戦後である)
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日本人にとって、プロイセン(ドイツ)は、日本史において明治維新のあとに、日本の近代化のための手本にされた国である。明治日本で、おもに軍隊(日本軍)の近代化の手本や、立憲君主制の手本として、プロイセンが手本にされることになる。 では我々、学生は、このプロイセンの成立と台頭について、学んでいこう。 なお、日本史では時期的に江戸時代後半〜幕末のころが、下記に紹介するプロイセンやロシアの台頭してきた時代と、同じ頃の時代である。
日本人にとって、プロイセン(ドイツ)は、日本史において明治維新のあとに、日本の近代化のための手本にされた国である。明治日本で、おもに軍隊(日本軍)の近代化の手本や、立憲君主制の手本として、プロイセンが手本にされることになる。 では我々、学生は、このプロイセンの成立と台頭について、学んでいこう。 なお、日本史では時期的に江戸時代後半〜幕末のころが、下記に紹介するプロイセンやロシアの台頭してきた時代と、同じ頃の時代である。 == プロイセンとオーストリアの台頭 == プロイセンの原型になった国は、もともと15世紀のホーエンツォレルン家のブランデンブルク公国であった。 そして17世紀、ドイツ騎士団領をもとにプロイセン公国が成立し、さらに18世紀はじめの1701年には'''プロイセン'''王国になった。 プロイセン王国の2代目の国王であるフリードリヒ=ヴィルヘルム1世は、制度を整え、軍備も増強し、プロイセンにおける絶対王政の基礎を築いた。(なお、後世でいわゆる「フリードリヒ大王」とは、彼 フリードリヒ1世のことである。) ついで1740年にフリードリヒ2世(在位1740〜86)が即位し、(国の改革のためか)啓蒙思想を取り入れ、農民を保護し、農耕業を奨励し、さらに教育を充実させ、宗教の寛容の政策を実施するなどの施策を実行したので、彼 '''フリードリヒ2世'''は典型的な「'''啓蒙専制君主'''」となった。フリードリヒ2世は「君主は国家第一の しもべ」と言ったと伝えられる。 さて、そのころオーストリアでは、1740年、'''マリア=テレジア'''がハプスブルク家の領土を継いだ。 フランスおよびプロイセンは、マリア=テレジアの継承に異議をとなえ、武力介入し、'''オーストリア継承戦争'''となった。 なお、この開戦当時のプロイセン国王はフリードリヒ2世なので、フリードリヒ2世が武力介入したことになる。 そして最終的にプロイセンはオーストリアからシュレジエン(地名)を獲得した。 戦争後、オーストリアは対立するプロイセンに対抗するために、それまで敵対していたフランスと友好的な外交政策を行った。 そして1756年には、オーストリアが目標としてシュレジエンの奪回をめざす'''七年戦争'''(1756〜63)が起きた。 しかしプロイセンもイギリスの支援を得て対抗したこともあり、オーストリアはシュレジエンを獲得できなかった。最終的にプロイセンがシュレジエンを確保した結末で和議となった。 さて、マリア=テレジアはプロイセンに対抗する目的もあって、さまざまな内政改革をすすめていた。そしてテレジアの子'''ヨーゼフ2世'''は農奴解放令や宗教寛容令などを実施して、オーストリア政治の近代化を行い、彼ヨーゼフ2世は啓蒙専制君主として知られることになった。 == ロシアのロマノフ朝と近代化 == === ピョートルの活躍 === ロシアでは1682年、'''ロマノフ朝'''の'''ピョートル1世'''が、ロシアの近代化のために、西ヨーロッパ地方の造船術などを取り入れた。 彼ピョートル1世じしんが、300人ほどの部下とともに西ヨーロッパに視察に出てまでして、西欧の造船術などの工業を学んだ、ほどだであった。) そしてピョートルの時代、清(シン、中国)と国境を確定するための'''ネルチンスク条約'''が結ばれた。 ピョートル1世はアゾフ海に進出した。 1700年に始まった'''北方戦争'''は、ロシア対スウェーデンの戦争であり、最終的にロシアが勝利した。スウェーデンは敗退した。勝利したロシアは、バルト海東岸を獲得した。そしてロシアは、このバルトの地に、ロシアの新首都'''サンクト=ペテルブルク'''を築いた。 === エカチェリーナ2世の活躍 === 時はすぎ、18世紀の後半、ロシアでは女王'''エカチェリーナ2世'''が、ロシアを東方まで進出させ、その一貫として日本に使節'''ラクスマン'''を送った。 また当時のロシアは南方ではトルコと戦い、ロシアはクリミア半島を獲得した。 エカチェリーナ2世は当初は(近代化を目指すためか)啓蒙専制君主を目指し、啓蒙思想家ヴォルテールなどの助言も参考にしたが、しかし農民反乱が発生してしまい('''ブガチョフの農民反乱''')、(おそらく貴族の協力を得るために)エカチェリーナは'''農奴制を強化'''した。 * 備考 :なおロマノフ王朝そのものは、1618年にミハイル=ロマノフが開いた。 == ポーランド分割 == ポーランドでは16世紀後半、ヤゲウォ朝が断絶し、選挙による王政に移行した。 1772年、プロイセンが侵略目的のため、プロイセン・ロシア・オーストリアの3か国でポーランドの分割を提案し、実行されてしまい、ポーランドはまず国境ちかくの領土を3か国にうばわれてしまった。 ポーランド側では義勇軍が貴族コシューシコ(←人名)に率いられて抵抗したが、抵抗むなしく失敗してしまい、ポーランドでは最終的に(1772年の最初の領土分割も含めて)合計3回の領土分割が行われてしまい('''ポーランド分割''')、そのため地図上からポーランドは、いったん消滅した。(ポーランドが独立を回復するのは第一次世界大戦後である) [[カテゴリ:ヨーロッパ史]]
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2022-11-25T13:41:21Z
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高等学校世界史探究/産業革命Ⅱ
1825年、イギリスは機械を国外に輸出するのを違法とする法律を廃止しました。そこで、産業革命の波は19世紀前半の西ヨーロッパ諸国、そしてアメリカ、ロシア、日本へと広がっていきました。イギリスの製品は非常に安く、またイギリスの軍隊は非常に強かったので、これらの国々は意識的にイギリスの産業革命を真似し、独自の産業革命を起こそうとしました。それは、日本が明治時代に行った「富国強兵」政策に表れています。 この目標に向かって最も早く進んでいるのが、ベルギーとフランスです。つまり、両国とも1830年頃から産業革命の中心は繊維産業でした。18世紀、フランスの経済はイギリスにそれほど劣っていませんでした。しかし、英仏通商条約(通称イーデン条約)により、両国の貿易が開放されました。イギリス製品の大量流入とフランス革命による混乱で、フランスは産業革命に大規模に加わるのが難しくなりました。 同じ頃、ドイツのライン川流域では、産業革命が始まりました。ドイツでは、19世紀後半に重化学工業の発展が特徴的でした。19世紀初頭、アメリカでは綿花産業が発展しました。しかし、本格的な産業革命が起こるのは南北戦争後です。1870年代には、ドイツやアメリカで産業革命が起こり、イギリスはもはや「世界の工場」ではなくなってしまいました。日本でも、日清・日露戦争をきっかけに産業革命的な変化が起こりました。 産業革命の時代、イギリスを初めとする各国は、アジア、アフリカ、中南米の一部を原材料や食料の市場として利用しました。その結果、これらの地域と産業革命を経た国々との間に経済格差が広がり、現在の南北問題につながりました。イギリスの綿花産業が発展すると、カリブ海やアメリカ南部では、綿花の栽培に奴隷が使われるようになりました。世界でも有数の綿織物産業を持つインドは、原料である綿花の輸出拠点となりました。 イギリスでは、産業革命によって、ランカシャー州のマンチェスター、イギリス中部のバーミンガム、スコットランドのグラスゴーなど、多くの都市が変わりました。また、リヴァプールのような港湾都市も変わりました。都市に住む人の数は急速に増え、人々の生活様式も変わりました。そのため、失業、貧困、病気など、様々な社会問題が発生しました。 産業資本主義の台頭に伴い、同じような目的を持った集団として自らを捉える「労働者階級」も台頭してきました。19世紀のイギリス社会は、おおまかにいうと、労働者階級、資本家階級、地主階級(地主貴族)の3つの集団で構成されていました。 工場を中心とした機械工業によって、産業革命は大量生産をもたらしました。そのため、熟練工が不要になり、給料の安い女性や子供がよく使われるようになりました。工芸品を作って生計を立てていた人達の中には、職を失う人もいました。彼らは、囲い込みで農業を続けられなくなった農民と同じように、都市でも田舎でもお金のために働くしかありませんでした。 産業革命の時代には、多くの工場労働者がアイルランドから仕事を求めてやってきました。1801年にアイルランドがイギリスの一部となると、この傾向はさらに強くなりました。 1814年には、徒弟制度がなくなり、誰でも独立開業出来るようになりました。そのため、それまでギルドに守られていた親方職人の存在意義がさらに薄れました。例えば、ロンドンでは仕立て屋は一般的で尊敬される仕事でした。しかし、事業に自由が与えられると、スラム街で縫製の仕事のほとんどを他の貧しい女性に非常に低い賃金で任せる人が増え、社会問題化しました。また、徒弟制度がなくなり、若いうちから工場で給料を貰って働けるようになったため、若いうちに結婚する人が多くなりました。この結果、この時代に人口が急速に増加したと考えられています。 人口が急増するにつれ、住宅などの生活環境は格段に悪くなりました。この間、労働者の家は狭く、暗く、トイレも下水もありませんでした。ドイツ人のフリードリヒ・エンゲルスは、『イギリスの労働者階級の状態』という本を書きました。その中で、彼は悲しい光景を詳しく語っています。労働時間が長く、食事もろくに取らないので、ペストは流行らなくなりましたが、結核、梅毒、天然痘といった伝染病は残っていました。特に、1830年代前半はコレラの発生が相次ぎました。 都市部だけでなく、地方の伝統的な農民社会も乗っ取られ、共有地の放牧や木の伐採で小遣い稼ぎをする家族も少なくありません。多くの人が貧しく、その様子は当時の文章によく記されています。ロマン主義は、当時の文学作品、特に詩に大きな影響を与えました。ロマン主義は、産業革命以前の農民の生活を空想し、産業文明を批判する傾向がありました。それ以来、産業革命がイギリス人の生活を良くしたのか悪くしたのかが話題になるようになりました。現代から見れば、産業革命を経た国々の生活水準が高いのは明らかです。しかし、その間に様々な社会問題が発生したため、かつては生活水準が低下したという説も根強くあります。都市部の人々は農村部のようにお互いをよく理解していないので、貧困救済が両地域で大きな問題となりました。18世紀末には、基本的な生活水準を満たすだけの収入が得られない人々を支援するために、補助金制度が設けられました。しかし、この制度はあまりにも高額だったため、1834年、エリザベス1世の時代から続いていた救貧法を全面的に改め、「自助」の精神を重視するようになりました。自助の精神に重きを置く考え方は、ピューリタニズムから生まれ、産業革命が進むにつれて勢力を拡大した中産階級に受け入れられました。この考え方からすると、貧困の原因は個人にあります。サミュエル・スマイルズの『自助論』という本は、自助の精神の必要性を訴え、大ヒットしました。明治時代「西国立志篇」には、中村正義がこの本を日本に持ち込み、大ヒットさせました。 これに対して、労働者は団結して労働条件の改善を求めるようになりました。これには政府も神経を尖らせ、団結(結社)禁止法(1799年~1800年)を制定して、これをやめさせようとしました。機械化で職を失った職人達は、古くからの打ち壊し習慣に従い、中部のメリヤス織りを中心とした「機械打ち壊し運動(ラッダイト運動)」に参加しました。「ネッド・ラッド」がリーダーでしたが、本当に存在したのかどうかは定かではありません。この運動も1810年代にピークを迎え、その後消滅しました。機械化は止められない流れになりました。 もちろん、産業革命で悲劇ばかりが起こったわけではありません。産業革命以前は、女性も子供も懸命に働かなければならず、何の権利も持っていませんでした。夫であり父親である世帯主がすべてを仕切っていました。工場制度が普及すると、家族はバラバラに働き、妻や子供の仕事は、どんなに小さなものでも、はっきりと評価され、報酬が支払われるようになりました。家庭の中では、女性や子供にとって、物事がより良い方向に進んでいるように見えます。 一方、工場で働くようになった母親は、子供のために洋服などの物を作る時間がありません。そこで、産業革命以前は家族が提供していた多くの商品やサービスが、現金で支払われるようになりました。食料も薪も同じです。人々の暮らしは、より商品らしくなっていきました。 工場の仕事は、農業のように日払いではなく、時間払いが多いので、労働者は機械の時計に従って時間を守らなければなりませんでした。当時、人々はこのような習慣に馴染みがありませんでしたから、労働時間の問題は上司との間に多くの問題を引き起こしました。そのため、1802年以降に制定された工場法のほとんどは、労働者の労働時間を短縮するための内容でした。 時給制が一般的だった時代、働く時間と自由な時間は明確に分けられていました。労働時間は自由時間でもあり、多くの労働者はパブに行って酒を飲み、楽しんでいました。これを嫌った工場経営者などは、「時は金なり」といったピューリタニズムのルールを強制する一方で、旅行や読書、音楽といった「上品」な取組みもさせようとし、これまた大変な騒ぎになりました。 産業革命の時代、人々の読み書き能力は一時的に低下しましたが、すぐに回復し、労働者のための新聞やパンフレットなどの出版物の数も増えました。この結果、労働者の集団としての団結力に大きな差が生まれました。
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高等学校歴史総合/アメリカ合衆国の独立
より詳しい内容は世界史探究『アメリカ独立革命I』『アメリカ独立革命II』にまとめています。ここでは概要のみまとめます。 アメリカ合衆国の建国以前は、北アメリカ植民地は、もともとイギリスによる13個の植民地だった。 まず1619年にヴァージニアで最初の植民地議会が開催された。 1765年にイギリス本国で(アメリカの商取引などに課税する内容である)印紙法が制定されたことに対して、アメリカは反発し、アメリカでは「代表なくして課税なし」のスローガンのもと、アメリカでイギリスへの反発運動が起きた。 1773年にイギリスが茶法(Tea act)を定めたことに対して、アメリカは反発し、同73年にアメリカのボストン港でボストン茶会事件が起きた。 イギリスは、この事件に対する制裁措置として、(イギリスが)ボストン港を封鎖した。 このようにしてアメリカ植民地とイギリスとの対立は高まっていき、アメリカでは北アメリカの各植民地が団結して大陸会議が開かれ、イギリスに抗議した。 そして1775年、イギリス兵士と植民地民兵との武力衝突が起きたことをきっかけに、独立戦争が始まった。 第2回大陸会議がひらかれ、アメリカ側はワシントンを総司令官に任命した。 そして76年、アメリカ側から独立宣言が発表された。なお、このアメリカ独立宣言はジェファーソンが起草した。 このアメリカ独立宣言の内容は、ロックなどの社会契約説や啓蒙思想にもとづく内容であり、自由・平等などの権利は人間が生れながらにして保有していると宣言している。(※ フランス革命が起きる1789年はこれより後の出来事であるので、アメリカ独立宣言ではフランス人権宣言は参考にされてない。) フランスとスペインは、アメリカ側を支援した。そしてイギリスは敗退していき、ついに1783年にアメリカ側が勝利する形で講和され、1783年にパリ条約でアメリカ合衆国の独立が認められ、イギリスはミシシッピ側以東の広い土地をアメリカにゆずった。 独立したばかりのアメリカ合衆国は、13個の州がそれぞれ別個に主権をもつ、ゆるやかな連合の国だった。 なので、中央政府の強化を望む派閥と、いっぽう、ゆるかやかな連合のままを望む派閥とが、たびたび対立した。 1787年に、憲法を制定するための会議がフィアデルフィアでひらかれ合衆国憲法が採択され、結果的に、合衆国憲法は各州に大幅な自治権をみとめつつも、中央政府の権限を強化した内容の憲法となった。 こうしてアメリカ合衆国は連邦主義の国になった。 また、アメリカ憲法では人民主権が取り入れられ、さらに(司法・立法・行政の)三権分立の思想が取り入れられた。 この合衆国憲法を支持する派閥は「連邦派」(Federalist)といわれ、いっぽう、この合衆国憲法に反対する派閥は「反連邦派」(Anti - Federalist)といわれた。 そして1789年、ワシントンが初代大統領に就任した。 1799年、ワシントンは死没する。彼の功績をたたえるため、翌1800年には首都ワシントンが建設された。 このような自由市民による政治が実現したアメリカの建国は、ヨーロッパの思想に大きな衝撃を与えた。 しかし、この当時の北アメリカの自由な市民とは、白人男性に限られていた。白人であっても女性には参政権がないなど、権利は制限されていた。黒人は奴隷として扱われているにすぎず、黒人奴隷や先住民の権利は無視されたままだった。黒人や先住民の権利が認められるのはまだまだ後のことである。
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より詳しい内容は世界史探究『アメリカ独立革命Ⅰ』『アメリカ独立革命Ⅱ』にまとめています。ここでは概要のみまとめます。
より詳しい内容は世界史探究『[[高等学校世界史探究/アメリカ独立革命Ⅰ|アメリカ独立革命Ⅰ]]』『[[高等学校世界史探究/アメリカ独立革命Ⅱ|アメリカ独立革命Ⅱ]]』にまとめています。ここでは概要のみまとめます。 == アメリカ植民地と独立戦争 == [[File:Boston Tea Party Currier colored.jpg|thumb|400px|'''ボストン茶会事件''' <br>1773年、茶法に反対する人たちが先住民に扮して、東インド会社の船に乗り込み、積荷の茶箱を海に投げすてている。]] アメリカ合衆国の建国以前は、北アメリカ植民地は、もともとイギリスによる13個の植民地だった。 まず1619年にヴァージニアで最初の植民地議会が開催された。 1765年にイギリス本国で(アメリカの商取引などに課税する内容である)印紙法が制定されたことに対して、アメリカは反発し、アメリカでは「'''代表なくして課税なし'''」のスローガンのもと、アメリカでイギリスへの反発運動が起きた。 1773年にイギリスが'''茶法'''(Tea act)を定めたことに対して、アメリカは反発し、同73年にアメリカのボストン港で'''ボストン茶会事件'''が起きた。 イギリスは、この事件に対する制裁措置として、(イギリスが)ボストン港を封鎖した。 このようにしてアメリカ植民地とイギリスとの対立は高まっていき、アメリカでは北アメリカの各植民地が団結して'''大陸会議'''が開かれ、イギリスに抗議した。 そして1775年、イギリス兵士と植民地民兵との武力衝突が起きたことをきっかけに、'''独立戦争'''が始まった。 [[File:Gilbert Stuart Williamstown Portrait of George Washington.jpg|thumb|200px|left|ワシントン]] 第2回大陸会議がひらかれ、アメリカ側は'''ワシントン'''を総司令官に任命した。 そして76年、アメリカ側から独立宣言が発表された。なお、このアメリカ独立宣言は'''ジェファーソン'''が起草した。 このアメリカ独立宣言の内容は、ロックなどの社会契約説や啓蒙思想にもとづく内容であり、自由・平等などの権利は人間が生れながらにして保有していると宣言している。(※ フランス革命が起きる1789年はこれより後の出来事であるので、アメリカ独立宣言ではフランス人権宣言は参考にされてない。) フランスとスペインは、アメリカ側を支援した。そしてイギリスは敗退していき、ついに1783年にアメリカ側が勝利する形で講和され、1783年に'''パリ条約'''でアメリカ合衆国の独立が認められ、イギリスはミシシッピ側以東の広い土地をアメリカにゆずった。 {{-}} == 合衆国憲法の制定 == 独立したばかりのアメリカ合衆国は、13個の州がそれぞれ別個に主権をもつ、ゆるやかな連合の国だった。 なので、中央政府の強化を望む派閥と、いっぽう、ゆるかやかな連合のままを望む派閥とが、たびたび対立した。 1787年に、憲法を制定するための会議がフィアデルフィアでひらかれ'''合衆国憲法'''が採択され、結果的に、合衆国憲法は各州に大幅な自治権をみとめつつも、中央政府の権限を強化した内容の憲法となった。 こうしてアメリカ合衆国は'''連邦主義'''の国になった。 また、アメリカ憲法では人民主権が取り入れられ、さらに(司法・立法・行政の)'''三権分立'''の思想が取り入れられた。 この合衆国憲法を支持する派閥は「連邦派」(Federalist)といわれ、いっぽう、この合衆国憲法に反対する派閥は「反連邦派」(Anti - Federalist)といわれた。 そして1789年、ワシントンが初代大統領に就任した。 1799年、ワシントンは死没する。彼の功績をたたえるため、翌1800年には首都ワシントンが建設された。 このような自由市民による政治が実現したアメリカの建国は、ヨーロッパの思想に大きな衝撃を与えた。 しかし、この当時の北アメリカの自由な市民とは、白人男性に限られていた。白人であっても女性には参政権がないなど、権利は制限されていた<ref>アメリカ全土で女性参政権が付与されたのは1920年のことだった(一部の州ではそれ以前から)。</ref>。黒人は奴隷として扱われているにすぎず、黒人奴隷や先住民の権利は無視されたままだった。黒人や先住民の権利が認められるのはまだまだ後のことである。 :(※ 参考 :)アメリカ独立宣言では、草稿(そうこう、※ 下書き)には奴隷の解放について記述があったが、最終的に奴隷についての記述は削られた(※ 帝国書院の教科書でコラムで記述)。また、先住民(いわゆる「インディアン」)について、独立宣言では、敵対的な姿勢で書かれている(※ 東京書籍や帝国書院などの教科書でコラムや傍注で記述)。 :(※ ほぼ範囲外 :) 「黒人奴隷」というと、世間では白人が一方的に悪いかのように言われるが、実際は、かつてアフリカ黒人どうしでも奴隷狩りが行われていた。アフリカで部族間の戦争がたびたびあり、負けた部族が奴隷として売買されていった。白人の奴隷商人は、そのような黒人の奴隷商人から、奴隷を購入していったのである。(※ 高校の帝国書院の世界史Bの教科書にも、書いてある。)ただし、その黒人の奴隷狩りの部族に、銃火器などの近代武器を売っていたのは白人の商人でもあるので、白人はまったく無関係とも言えない。 :また、中東のイスラーム商人たちも、奴隷の売買を行っていた。 ---- <references/> [[カテゴリ:アメリカ合衆国の歴史]]
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2022-11-26T15:55:55Z
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高等学校歴史総合/二つの市民革命と近代民主主義社会の成立
18世紀の終わり頃、アメリカやフランスで起きた革命は、これまでとは違う社会の実現を求めました。革命は、新しい考え方や生き方を広めて、現代の世界にも大きな変化をもたらしています。革命に参加した人逹は、どのような社会を望んでいたのでしょうか? 18世紀後半、イギリスはアメリカ東海岸にある13の植民地に対して、増税を行いました。その背景には、フランスとの戦争で発生した財政赤字を解消するためでした。イギリス本国では、議会が国の政治に大きな役割を果たすようになっていました。しかし、植民地は議会に対して、自分達の代表を送りませんでした。植民地は「代表なくして課税なし」と訴えて、1775年に独立戦争を開始しました。1776年7月4日、民主政治の基本的な考え方を示した独立宣言を採択しました。イギリスは、ヨーロッパ諸国が植民地を援助したため、孤立してしまいました。1783年、イギリスは植民地を独立させました。こうして、アメリカ合衆国が建国されました。1787年、アメリカ合衆国憲法が発布されました。アメリカ合衆国憲法は、人民主権と三権分立の考え方に基づいています。その後、ジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国初代大統領に就任しました。 フランスでは、絶対王政ともよばれる君主制が敷かれ、第1身分(聖職者)、第2身分(貴族)は、税金を払わなくてよいなどの特別な特権を手に入れました。しかし、大半の国民からなる第3身分(平民)に政治的権利はありませんでした。旧体制(アンシャン・レジーム)とは、このような社会構造の総称です。 1789年、イギリスとの戦争で国の財政が苦しくなった時、国王ルイ16世は3つの身分の代表からなる小委員会を招集し、特権的身分への税金のかけ方を考えさせました。しかし、この問題で議会の意見は分かれました。その後、国王は、第三身分の者を中心に構成されていた国民議会に圧力をかけていきました。1789年7月14日、怒ったパリ市民がバスティーユ牢獄に突入して、フランス革命が始まりました。1789年8月、国会は人権宣言を採択して、基本的人権、国民主権、私有財産権は侵害されないとしました。1791年には憲法が制定され、1793年には国王が殺害されました。この時点で、国は共和制になりました。 フランスは共和制の中で、特権をなくし、兵役の義務化を始めるなど、いろいろな改革を行いましたが、政治は不安定でした。国王の処刑や革命の拡大を恐れた各国との戦争が続き、人々が安定を求める中、ナポレオン・ボナパルトという軍人が政権を握りました。ナポレオン・ボナパルトはフランス革命に終止符を打ち、1804年に民法典(ナポレオン・ボナパルト法典)を制定して、革命が成し遂げてきた成果を積み重ねていきました。ナポレオン・ボナパルト法典は、私有財産の安全、誰もが法律で同じように扱われ、人々が自由に取引出来るようにしました。1804年、国民投票により皇帝に選出され、戦争により周辺諸国を次々と服従させて、ヨーロッパの大部分を支配しました(ナポレオン帝国)。しかし、1812年、ロシアの敗戦とフランス支配に対する各地の民族主義の台頭により、1815年にナポレオン・ボナパルトの帝国は崩壊しました。 フランス革命とナポレオン帝国の支配は、ヨーロッパ人に「国民」としての意識を植え付け、誰もが自由と平等を尊重されなければならないという思想を広めました。こうした考え方によって、世界は大きく変わりました。
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 18世紀の終わり頃、アメリカやフランスで起きた革命は、これまでとは違う社会の実現を求めました。革命は、新しい考え方や生き方を広めて、現代の世界にも大きな変化をもたらしています。革命に参加した人逹は、どのような社会を望んでいたのでしょうか?
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校歴史総合]]>日本の開国とその影響  18世紀の終わり頃、アメリカやフランスで起きた革命は、これまでとは違う社会の実現を求めました。革命は、新しい考え方や生き方を広めて、現代の世界にも大きな変化をもたらしています。革命に参加した人逹は、どのような社会を望んでいたのでしょうか? == アメリカ独立革命 == [[ファイル:Declaration of Independence (1819), by John Trumbull (cropped).jpg|サムネイル|255x255ピクセル|アメリカ独立宣言]]  18世紀後半、イギリスはアメリカ東海岸にある13の植民地に対して、増税を行いました。その背景には、フランスとの戦争で発生した財政赤字を解消するためでした。イギリス本国では、議会が国の政治に大きな役割を果たすようになっていました。しかし、植民地は議会に対して、自分達の代表を送りませんでした。植民地は「代表なくして課税なし」と訴えて、1775年に独立戦争を開始しました。1776年7月4日、民主政治の基本的な考え方を示した'''独立宣言'''を採択しました。イギリスは、ヨーロッパ諸国が植民地を援助したため、孤立してしまいました。1783年、イギリスは植民地を独立させました。こうして、'''アメリカ合衆国'''が建国されました。1787年、アメリカ合衆国憲法が発布されました。アメリカ合衆国憲法は、人民主権と三権分立の考え方に基づいています。その後、ジョージ・ワシントンがアメリカ合衆国初代大統領に就任しました。 == フランス革命 ==  フランスでは、絶対王政ともよばれる君主制が敷かれ、第1身分(聖職者)、第2身分(貴族)は、税金を払わなくてよいなどの特別な特権を手に入れました。しかし、大半の国民からなる第3身分(平民)に政治的権利はありませんでした。旧体制(アンシャン・レジーム)とは、このような社会構造の総称です。  1789年、イギリスとの戦争で国の財政が苦しくなった時、国王ルイ16世は3つの身分の代表からなる小委員会を招集し、特権的身分への税金のかけ方を考えさせました。しかし、この問題で議会の意見は分かれました。その後、国王は、第三身分の者を中心に構成されていた国民議会に圧力をかけていきました。1789年7月14日、怒ったパリ市民がバスティーユ牢獄に突入して、'''フランス革命'''が始まりました。1789年8月、国会は'''人権宣言'''を採択して、基本的人権、国民主権、私有財産権は侵害されないとしました。1791年には憲法が制定され、1793年には国王が殺害されました。この時点で、国は共和制になりました。 == ナポレオンの台頭とヨーロッパ支配 ==  フランスは共和制の中で、特権をなくし、兵役の義務化を始めるなど、いろいろな改革を行いましたが、政治は不安定でした。国王の処刑や革命の拡大を恐れた各国との戦争が続き、人々が安定を求める中、[[w:ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン・ボナパルト]]という軍人が政権を握りました。ナポレオン・ボナパルトはフランス革命に終止符を打ち、1804年に民法典(ナポレオン・ボナパルト法典)を制定して、革命が成し遂げてきた成果を積み重ねていきました。ナポレオン・ボナパルト法典は、私有財産の安全、誰もが法律で同じように扱われ、人々が自由に取引出来るようにしました。1804年、国民投票により皇帝に選出され、戦争により周辺諸国を次々と服従させて、ヨーロッパの大部分を支配しました(ナポレオン帝国)。しかし、1812年、ロシアの敗戦とフランス支配に対する各地の民族主義の台頭により、1815年にナポレオン・ボナパルトの帝国は崩壊しました。{{コラム|「英雄」ナポレオン|[[ファイル:David_-_Napoleon_crossing_the_Alps_-_Malmaison1.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|ナポレオン・ボナパルト]] 1798年、ナポレオン・ボナパルトは、イギリスとインドの連絡を切るため、エジプトに兵士を送りました。その時、「兵士諸君、4000年の歴史がピラミッドの頂上から見ていると思いなさい。」など、人々の心をつかむ名言を数多く残しています。また、宮廷画家のジャック=ルイ・ダヴィッドに自分を英雄として描かせ、強いリーダーだと国民に印象づける「イメージ戦略」を展開しました。ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ナポレオン・ボナパルトが自国に自由をもたらした姿を見て感動し、ナポレオン・ボナパルトに敬意を表して交響曲を作曲しました。しかし、ナポレオン・ボナパルトが王位についた時、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは動揺して怒りました。「ボナパルト」という名前を大音響でかき消したと言われています。}} フランス革命とナポレオン帝国の支配は、ヨーロッパ人に「国民」としての意識を植え付け、誰もが自由と平等を尊重されなければならないという思想を広めました。こうした考え方によって、世界は大きく変わりました。 [[カテゴリ:高等学校歴史総合|ふたつのしみんかくめいときんたいみんしゆしゆきしやかい]]
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2022-12-03T15:24:00Z
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高等学校世界史B/イタリア統一とドイツ統一
ウィーン会議後のイタリアは、国土が統一されずに幾つかの国によって分裂しており、サルディーニャ王国、両シチリア王国、教皇領など、いくつかの小国に分裂していた。また、ヴェネチアやロンバルディアなどの北イタリアはオーストリア領に併合されていた。 (※ 最終的にサルディーニャ王国がイタリア統一をすることになる。なお、当時のサルディーニャ国王はヴィットーリオ=エマヌエーレ2世。) このようにイタリアは小国に分裂していたが、しかしサルディーニャ王国は首相カブールのもと1859年、ナポレオン3世と秘密同盟をむすんでオーストリアと戦い、ロンバルディアを獲得した。翌1860年、中部イタリアを併合した。 いっぽう南部イタリアでは、「青年イタリア」のガリバルディが両シチリア王国を占領し、サルディーニャ王国に献上した。 この結果、教皇領を除いてイタリアが統一され、1861年にイタリア王国が成立し、サルディーニャ国王がイタリア国王となった。 その後、1866年に普墺戦争(「ふおう せんそう」、プロイセン・オーストリア間の戦争)でイタリアがプロイセンを助けたことの見返りとして、イタリアは(オーストリア領だった)ヴェネチアを獲得した。 また1870年、イタリアは教皇領を併合して、イタリア王国は首都をローマに遷都して、こうしてイタリア統一は完了した。 しかし北部と南部のあいだに経済格差があり、北部は工業化が進んでいる一方、南部は進んでおらず貧しく、イタリア南北の経済格差が残った。 また、教皇は「ヴァチカンの囚人」(しゅうじん)と自称し、イタリア王国と反目(はんもく)した。 また、トリエステや南チロルはオーストリア領にとどまり、イタリアはこれらの土地を「未回収のイタリア」と呼び、イタリアはオーストリアと対立した。(のちの第一次世界大戦で、「未回収のイタリア」がイタリア参戦の口実になる。) 17世紀前半のドイツでは、プロイセンのほか、小国が分立していた。 そのため、ドイツ地方で商品を運送をするたびに国境ぞいで関税をとられて非効率だったので、1834年にドイツ域内で関税を撤廃するためのドイツ関税同盟がプロイセンを中心に結成し、経済では早くから協力しあった。なお、この関税同盟じたいは、ドイツの国土統一を目指したものではない。 さて、1861年にプロイセン国王としてヴィルヘルム1世が即位した。そして1862年にヴィルヘルム1世はビスマルクを首相に任命した。 そしてビスマルクの政治により、軍事力が強化された(鉄血政策)。 1864年、プロイセンはオーストリアとともにデンマークを攻めて、勝利し、シュレスヴィヒ・ホルスタイン両公国をうばった。 その後、両公国をめぐってオーストリアと戦って(プロイセン・オーストリア戦争)、プロイセンが勝利した。 そして(オーストリアを盟主とする)ドイツ連邦は解体され、かわりに1867年にはプロイセンを盟主とする北ドイツ連邦が結成された。 プロイセンは1870年にはフランスと戦争して、ナポレオン3世を捕らえて捕虜にし、パリを包囲した。 そして1871年、ヴィルヘルム1世はドイツ皇帝として即位し、ドイツ帝国が成立した。 翌年の講和条約では、フランスはアルザス=ロレーヌ地方をドイツにゆずる事になり、また、フランスは莫大な賠償金を課せられた。 普仏戦争でナポレオン3世が捕虜になったので、フランスの帝政は崩壊した。 臨時政府が建てられ、プロイセンとの講和を望む臨時政府と、戦争継続を望む一部のパリ市民とが対立した。 そして臨時政府がプロイセンと講和条約を結ぶと、これに反対する戦争継続派の市民は自治政府を建てた。このときのフランスの戦争継続派の自治組織のことをパリ=コミューンという。パリ=コミューンの構成員は、主に中下層の労働者などの民衆だった。 だがパリ=コミューンは弱く、たった2か月ほどで、プロイセンの支援を受けた臨時政府によって倒された。 その後、フランス国内では将来の国家体制のありかたをめぐって王党派と共和派が対立したが、75年に共和国憲法が制定されるとともに共和政に移行し、第三共和政の基礎となった。
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== イタリアの統一 == ウィーン会議後のイタリアは、国土が統一されずに幾つかの国によって分裂しており、サルディーニャ王国、両シチリア王国、教皇領など、いくつかの小国に分裂していた。また、ヴェネチアやロンバルディアなどの北イタリアはオーストリア領に併合されていた。 (※ 最終的にサルディーニャ王国がイタリア統一をすることになる。なお、当時のサルディーニャ国王はヴィットーリオ=エマヌエーレ2世。) このようにイタリアは小国に分裂していたが、しかしサルディーニャ王国は首相'''カブール'''のもと1859年、ナポレオン3世と秘密同盟をむすんでオーストリアと戦い、ロンバルディアを獲得した。翌1860年、中部イタリアを併合した。 [[File:Gustave-Le-Gray Giuseppe-Garibaldi Palermo-1860 1-1000x1500.jpg|thumb|ガリバルディ<br>※ 検定教科書にある画像は、この白黒画像をカラーイラスト化した肖像。白黒画像ではわかりづらいが、赤色のシャツを着ており、彼のひきいる義勇軍である千人隊(せんにんたい)も赤シャツを着ていたので、彼の部隊は「赤シャツ隊」とも言われた。]] いっぽう南部イタリアでは、「'''青年イタリア'''」の'''ガリバルディ'''が両シチリア王国を占領し、サルディーニャ王国に献上した。 この結果、教皇領を除いてイタリアが統一され、1861年に'''イタリア王国'''が成立し、サルディーニャ国王がイタリア国王となった。 その後、1866年に普墺戦争(「ふおう せんそう」、プロイセン・オーストリア間の戦争)でイタリアがプロイセンを助けたことの見返りとして、イタリアは(オーストリア領だった)ヴェネチアを獲得した。 また1870年、イタリアは'''教皇領'''を併合して、イタリア王国は首都をローマに遷都して、こうしてイタリア統一は完了した。 しかし北部と南部のあいだに経済格差があり、北部は工業化が進んでいる一方、南部は進んでおらず貧しく、イタリア南北の経済格差が残った。 また、教皇は「ヴァチカンの囚人」(しゅうじん)と自称し、イタリア王国と反目(はんもく)した。 また、トリエステや南チロルはオーストリア領にとどまり、イタリアはこれらの土地を「'''未回収のイタリア'''」と呼び、イタリアはオーストリアと対立した。(のちの第一次世界大戦で、「未回収のイタリア」がイタリア参戦の口実になる。) {{-}} == ドイツの統一 == 17世紀前半のドイツでは、プロイセンのほか、小国が分立していた。 そのため、ドイツ地方で商品を運送をするたびに国境ぞいで関税をとられて非効率だったので、1834年にドイツ域内で関税を撤廃するための'''ドイツ関税同盟'''がプロイセンを中心に結成し、経済では早くから協力しあった。なお、この関税同盟じたいは、ドイツの国土統一を目指したものではない。 さて、1861年にプロイセン国王として'''ヴィルヘルム1世'''が即位した。そして1862年にヴィルヘルム1世は'''ビスマルク'''を首相に任命した。 そしてビスマルクの政治により、軍事力が強化された('''鉄血政策''')。 :(ビスマルクが演説で「現在の問題は、演説や多数決によってではなく ―これが1848年から1849年の大きな過ちであったが― 、鉄と血によってのみ解決される。」と演説したことから、『鉄血政策』と言われる。なお、1848年はフランクフルト国民議会の年。) 1864年、プロイセンはオーストリアとともにデンマークを攻めて、勝利し、シュレスヴィヒ・ホルスタイン両公国をうばった。 その後、両公国をめぐってオーストリアと戦って(プロイセン・オーストリア戦争)、プロイセンが勝利した。 そして(オーストリアを盟主とする)ドイツ連邦は解体され、かわりに1867年にはプロイセンを盟主とする'''北ドイツ連邦'''が結成された。 :※ いっぽう、オーストリアは北ドイツ連邦から除外され、ドイツ統一運動からも除外されたので、ハンガリーと手を組むために1867年にハンガリーを王国とみとめ、オーストリア=ハンガリー帝国を築いた。 [[File:Wernerprokla commented jp.png|thumb|350px|『ドイツ帝国の成立』(アントン・フォン・ヴェルナー画) 即位の場所はフランスのベルサイユ宮殿である。占領したフランスで即位を行ったため、ベルサイユ宮殿で即位を行っている。画像中央ちかくの白い服を着た人物がビスマルクである。]] プロイセンは1870年にはフランスと戦争して、ナポレオン3世を捕らえて捕虜にし、パリを包囲した。 そして1871年、ヴィルヘルム1世はドイツ皇帝として即位し、'''ドイツ帝国'''が成立した。 翌年の講和条約では、フランスは'''アルザス=ロレーヌ'''地方をドイツにゆずる事になり、また、フランスは莫大な賠償金を課せられた。 :※ アルザスとロレーヌは、ドイツとフランスの国境地帯にある地域で、鉄鉱石や石炭の産地でもあるため、歴史上、独仏の両国がたびたび領有を争った。 == フランス第二帝政の崩壊と第三共和政 == 普仏戦争でナポレオン3世が捕虜になったので、フランスの帝政は崩壊した。 臨時政府が建てられ、プロイセンとの講和を望む臨時政府と、戦争継続を望む一部のパリ市民とが対立した。 そして臨時政府がプロイセンと講和条約を結ぶと、これに反対する戦争継続派の市民は自治政府を建てた。このときのフランスの戦争継続派の自治組織のことを'''パリ=コミューン'''という。パリ=コミューンの構成員は、主に中下層の労働者などの民衆だった。 だがパリ=コミューンは弱く、たった2か月ほどで、プロイセンの支援を受けた臨時政府によって倒された。 その後、フランス国内では将来の国家体制のありかたをめぐって王党派と共和派が対立したが、75年に共和国憲法が制定されるとともに共和政に移行し、'''第三共和政'''の基礎となった。 [[カテゴリ:イタリア史]] [[カテゴリ:ドイツ史]]
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2022-12-21T04:59:26Z
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高等学校世界史B/クリミア戦争とロシアの改革
1820年代のギリシア独立戦争(ギリシアがオスマン帝国から独立した戦争)によってギリシアが独立に成功すると、オスマン帝国に実質的に支配されていたエジプトでも反トルコ的な思想にもとづく領土拡大の気運が高まり、1830年代に2度のエジプト=トルコ戦争が起きる。 ロシアは、南下政策をたくらんでいるので、見返り(不凍港や、地中海へ進出するための海峡(ボスポラス海峡およびダーダネルス海峡)通交権など)をもとめてオスマン帝国を支持した。いっぽう、イギリスおよびフランスはエジプトを支持した。 (※ イギリスは、インドへの航路をイギリス支配下にしたい。フランスは、ナポレオンのエジプト遠征のころからの利権がある。) エジプト=トルコ戦争において、最終的に、英仏の支援をうけたエジプトが勝利し、ロシアの南下は失敗する。そして1940年のロンドン会議によって、ロシアはボスポラス・ダーダネルス海峡の軍艦通行を禁止された。 このような、バルカン半島周辺の外交問題・国際問題は、ヨーロッパから見て地理的に東方にあるので、「東方問題」といわれた。 南下政策を進めたいロシアは1853年、ギリシア正教徒の保護を口実に、オスマン帝国と開戦した(クリミア戦争)。イギリス・フランスはロシアの南下を阻止するため、クリミア戦争ではオスマン帝国を支援したので、この戦争はヨーロッパ列強国を巻き込む戦争になった。 クリミア半島のセヴァストーポリ要塞を中心に激しい戦闘が行われ、最終的にロシアは敗退し、1856年にパリ条約が結ばれた。 そして、このパリ条約によって、黒海の中立化が決定し、ロシアは南下を阻止された。 クリミア戦争末期に即位したロシア皇帝 アレクサンドル2世は、クリミア戦争の敗戦後、敗戦の原因はロシアの工業化がおくれていることが原因だと考え、また、工業化の遅れた原因のひとつは農奴制にあると考え、アレクサンドル2世は1861年に農奴解放令を出した。 また、1863年にポーランドで独立運動が起きると、皇帝は専制政治を強化した。ロシアのこの頃の専制に反感を感じた知識人(「インテリゲンツィア」と言われた)の中から、農村を革命に協力させようと「人民の中へ」(ヴ=ナロード)というスローガンをかかげるナロードニキ運動が起きた。 しかし、この運動は弾圧された。弾圧によって絶望したナロードニキ運動の一部はテロに走り、アレクサンドル2世を暗殺し、その他、政府高官を暗殺した。
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== 東方問題 == 1820年代のギリシア独立戦争(ギリシアがオスマン帝国から独立した戦争)によってギリシアが独立に成功すると、オスマン帝国に実質的に支配されていたエジプトでも反トルコ的な思想にもとづく領土拡大の気運が高まり、1830年代に2度の'''エジプト=トルコ戦争'''が起きる。 ロシアは、南下政策をたくらんでいるので、見返り(不凍港や、地中海へ進出するための海峡(ボスポラス海峡およびダーダネルス海峡)通交権など)をもとめてオスマン帝国を支持した。いっぽう、イギリスおよびフランスはエジプトを支持した。 (※ イギリスは、インドへの航路をイギリス支配下にしたい。フランスは、ナポレオンのエジプト遠征のころからの利権がある。) エジプト=トルコ戦争において、最終的に、英仏の支援をうけたエジプトが勝利し、ロシアの南下は失敗する。そして1940年のロンドン会議によって、ロシアはボスポラス・ダーダネルス海峡の軍艦通行を禁止された。 このような、バルカン半島周辺の外交問題・国際問題は、ヨーロッパから見て地理的に東方にあるので、「'''東方問題'''」といわれた。 == クリミア戦争 == 南下政策を進めたいロシアは1853年、ギリシア正教徒の保護を口実に、オスマン帝国と開戦した('''クリミア戦争''')。イギリス・フランスはロシアの南下を阻止するため、クリミア戦争ではオスマン帝国を支援したので、この戦争はヨーロッパ列強国を巻き込む戦争になった。 クリミア半島のセヴァストーポリ要塞を中心に激しい戦闘が行われ、最終的にロシアは敗退し、1856年に'''パリ条約'''が結ばれた。 そして、このパリ条約によって、黒海の中立化が決定し、ロシアは南下を阻止された。 :※ 偉人伝によくある看護師ナイチンゲールが活躍したのも、このクリミア戦争である。また、赤十字社の設立につながった出来事も、このクリミア戦争である。 == ロシアの改革 == クリミア戦争末期に即位したロシア皇帝 '''アレクサンドル2世'''は、クリミア戦争の敗戦後、敗戦の原因はロシアの工業化がおくれていることが原因だと考え、また、工業化の遅れた原因のひとつは農奴制にあると考え、アレクサンドル2世は1861年に農奴解放令を出した。 また、1863年にポーランドで独立運動が起きると、皇帝は専制政治を強化した。ロシアのこの頃の専制に反感を感じた知識人(「'''インテリゲンツィア'''」と言われた)の中から、農村を革命に協力させようと「人民の中へ」(ヴ=ナロード)というスローガンをかかげるナロードニキ運動が起きた。 しかし、この運動は弾圧された。弾圧によって絶望した'''ナロードニキ'''運動の一部はテロに走り、アレクサンドル2世を暗殺し、その他、政府高官を暗殺した。 :※ 近現代の日本では知識人のことを「インテリ」とも言った。語源は、上述のナロードニキ運動の「インテリゲンツィア」である。 [[カテゴリ:ロシア史]]
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2022-11-26T15:19:13Z
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高等学校世界史B/ビスマルク外交
1871年にフランスのナポレオン3世は失脚した。 それでもビスマルクは、フランスを警戒していたので、1873年にロシア・オーストリアと三帝同盟を結んだ。つづいて1882年にプロイセンは独墺伊の三国同盟を結んだ。(独:ドイツ、墺:オーストリア、伊:イタリア) しかし、その後、ビスマルクはヴィルヘルム2世と政策が対立し、1890年にビスマルクは辞任し、そしてヴィルヘルム2世の親政が始まった。 さてロシアは、1873年の三帝同盟で同盟国を得たこともあって強気になり、(トルコを侵略しようとしたのか、)ボスニア・ヘルツェゴビナでの農民反乱およびトルコによる鎮圧をきっかけにロシアは介入して、1877年にロシアはオスマン帝国に開戦して露土戦争が始まり、ロシアはこの戦争に勝利し、翌1878年にサン=ステファノ講和条約が結ばれ、この条約によりブルガリアを保護下に置くことになったのだが、しかしイギリスとオーストリアがこの決定に反発し、ビスマルクの調停によって同1878年にベルリン会議が開かれ、結局、サン=ステファノ講和条約は破棄されて新たにベルリン条約は結ばれ、このベルリン条約によって(ロシアの保護する)ブルガリアの領土は大幅に減らされてしまい、ロシアの南下は阻止された。
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== ドイツの三帝同盟と三国同盟 == 1871年にフランスのナポレオン3世は失脚した。 それでもビスマルクは、フランスを警戒していたので、1873年にロシア・オーストリアと'''三帝同盟'''を結んだ。つづいて1882年にプロイセンは独墺伊の'''三国同盟'''を結んだ。(独:ドイツ、墺:オーストリア、伊:イタリア) しかし、その後、ビスマルクはヴィルヘルム2世と政策が対立し、1890年にビスマルクは辞任し、そしてヴィルヘルム2世の親政が始まった。 == ロシアの視点 == さてロシアは、1873年の三帝同盟で同盟国を得たこともあって強気になり、(トルコを侵略しようとしたのか、)ボスニア・ヘルツェゴビナでの農民反乱およびトルコによる鎮圧をきっかけにロシアは介入して、1877年にロシアはオスマン帝国に開戦して<big>'''露土戦争'''</big>が始まり、ロシアはこの戦争に勝利し、翌1878年に'''サン=ステファノ講和条約'''が結ばれ、この条約によりブルガリアを保護下に置くことになったのだが、しかしイギリスとオーストリアがこの決定に反発し、ビスマルクの調停によって同1878年に'''ベルリン会議'''が開かれ、結局、サン=ステファノ講和条約は破棄されて新たに'''ベルリン条約'''は結ばれ、このベルリン条約によって(ロシアの保護する)ブルガリアの領土は大幅に減らされてしまい、ロシアの南下は阻止された。 :※ なお、露土戦争の背景として、三帝同盟のほかにも背景があり、1870年代、オスマン帝国支配下のバルカンで、オスマン帝国に反発するスラブ民族主義運動である'''パン=スラブ主義'''が活発になり、ロシアはこれを利用して1877年に参戦したのである。 :(※ 「露土戦争」を太字にすると文字がつぶれて見づらいので、拡大。) == 露土戦争にいたるまでの経緯 == :(※ 『[[高等学校世界史B/クリミア戦争とロシアの改革]]』の復習。) {{コラム|露土戦争にいたるまでの経緯| 南下政策を進め始めたロシアは1853年、ギリシア正教徒の保護を口実に、オスマン帝国と開戦した('''クリミア戦争''')。イギリス・フランスはトルコの南下を阻止するため、クリミア戦争ではオスマン帝国を支援したので、この戦争はヨーロッパ列強国を巻き込む戦争になった。 クリミア半島のセヴァストーポリ要塞を中心に激しい戦闘が行われ、最終的にロシアは敗退し、1856年に'''パリ条約'''が結ばれた。 そして、このパリ条約によって、黒海の中立化が決定し、ロシアは南下を阻止された。 :※ 偉人伝によくある看護師ナイチンゲールが活躍したのも、このクリミア戦争である。また、赤十字社の設立につながった出来事も、このクリミア戦争である。 クリミア戦争末期に即位したロシア皇帝 '''アレクサンドル2世'''は、クリミア戦争の敗戦後、敗戦の原因はロシアの工業化がおくれていることが原因だと考え、また、工業化の遅れた原因のひとつは農奴制にあると考え、アレクサンドル2世は1861年に農奴解放令を出した。 また、1863年にポーランドで独立運動が起きると、皇帝は専制政治を強化した。ロシアのこの頃の専制に反感を感じた知識人(「'''インテリゲンツィア'''」と言われた)の中から、農村を革命に協力させようと「人民の中へ」(ヴ=ナロード)というスローガンをかかげるナロードニキ運動が起きた。 しかし、この運動は弾圧された。弾圧によって絶望した'''ナロードニキ'''運動の一部はテロに走り、アレクサンドル2世を暗殺し、その他、政府高官を暗殺した。 :※ 近現代の日本では知識人のことを「インテリ」とも言った。語源は、上述のナロードニキ運動の「インテリゲンツィア」である。 (ここまで復習) ---- そして1877年にロシアはオスマン帝国に開戦して露土戦争が始まったのである。 }} [[カテゴリ:ヨーロッパ史]]
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2022-11-28T13:58:41Z
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高等学校世界史B/19世紀の欧米の文化と社会
19世紀の絵画において「写実主義」や「印象派」という分類があり、検定教科書にも紹介されている通説だが、しかし、この用語は不正確である。 絵画の「印象派」(impressionism )とされる画家ルノワールは、けっして一つの作風でいくつもの作品すべてを描いたのではない。写実的に描いた作品もあれば、そうでなく印象重視で非写実的に描いた作品もある。 また、彼は、絵画中の光によって色あいの変化を表現を重視したが、光によって色が変化するのは物理的な事実であり、けっして印象ではない。 (※ 「ルノワールの画風が写実的でない」という通説は間違ってます。光によって色が変化するのは、物理的な事実です。要するに、馬鹿な美術評論家のなかには、画力の低い人達がいて、そういう人たちが美術史をつくってきた。) (印象をそのまま描こうとした画家は、ゴッホです。ゴッホは、日本の浮世絵などに影響を受け、写楽などの作品と似た構図の作品すら残すほどであった。) ミレーの画風は「写実」「主義に分類される。しかし、ミレーの作品は、『種まく人』は政治的メッセージがあると解釈されたり、このように、じっさいの美術では写実主義と印象主義の境界はあいまいである。 ルノワールより少し前の時代に流行したミレーは、農民などを題材にした絵を描き、(現代の美術史では)「写実主義」(リアリズム、realism )に分類される。たしかにミレーの画風はルノワールよりも細部まで描きこまれてる場合が多いが、だが、レンブラントなどの前時代の画家と比べたら、べつにミレーの画風が、特段、レンブラントなどの画風と比較して写真のようなわけではない。(※ レンブラントの作品については『高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会』を参照せよ。) 「写実」という訳語から、ついつい写真のような連想を、われわれ日本人はしてしまいがちである。だが、写実と和訳される前の英語、もともとの英語は realism (リアリズム)であり、直訳すれば 現実主義 という意味である。 じっさい、美術史の入門書を確認しても、美術の美術の世界でいう『写実』とは、「目の前の現実や出来事」といった意味であり、そのため、(貴族や神々といった遠い世界の出来事だけでなく、)労働者や農民の姿を作品に描くことも含んでいます。 では、なにと比べて「現実」なのだろうか。 じつは、フランス革命以前の絵画では、貴族が画家に絵画作成の注文を出すなどして、貴族などが肖像で描かれることが多かった。貴族以外のものが描かれる場合でも、教会などの注文で、キリストなどの宗教的聖人や、天使などが描かれる場合が多かった。 貴族にしろ、教会にしろ、一般の農民の小作人と比べたら、基本的には、お金持ちであり、権力者であろう。 そういう、お金もち・権力者を描く以前の美術が、「現実的でない」というような意味あいで、ミレーはそれまでは描かれることの少なかった貧農を描いたわけである(いなかったわけではない)。 もっともミレー以前にも、レンブラントだって『夜警』などの作品で、貴族以外の自警団などの市民を描いてるわけだから、けっしてミレーだけが、いきなり貴族以外のものたちを描く意義を発見したわけではない。 だが、分類の都合上、どこかの時代でわれわれは過去の画家たちの区分を線引きをする必要があり、なので美術史の慣習上、レンブラントは「写実主義」に含まれないと分類され、ミレーは「写実主義」に含まれると分類されることが多い。 (※ 範囲外)なお、芸術家に対する同時代の経済的な支援者のことを芸術用語で「パトロン」という。たとえば、「レンブラントの時代のオランダでは、(貴族だけではなく)市民階級がパトロンだった」のような言い方もできる。当時のオランダはプロテスタントが多いので宗教画があまり書かれない、という余談もある。このように、パトロンたちの階級も、芸術作品に影響を与えている。絵画に限らず、教会装飾や聖人像などの注文も、オランダ社会のプロテスタント化によって激減したという背景がある。つまりプロテスタント系の教会はあまり宗教美術を注文しなかったという背景がある。 ルノワールの画風は、教科書の小さい写真では分かりづらいが、じつは、あまり細かいところを正確には描き込んでなく、細部をボカしている。なので、そこが通説で「写実的ではない」と、現代の評論家から指摘される根拠だろう。 しかし、それは単に解像度の問題にすぎない。現代の評論家たちは、カメラの発明初期の解像度の少ない写真を見て、「写実的ではない」などとタワゴトを言うつもりだろうか? 要するに、「絵は細かいところを描きこまなくっても、重要なポイントを押さえて描けば、そこそこ写実的に見えるし、観客にテーマも伝わるぞ」って事をルノワールは発見して、自身の作品で証明したのである。だから「ルノワールは写実的ではない」と解釈してしまうと、本質を見落としてしまうだろう。 単に光を強調するだけの構図の表現は、少なくとも(フランス革命時に)レンブラントがとっくの昔に描いており、べつにルノワールの発明ではない。 また、そもそも絵画は、なんらかの印象を伝えるために描かれるのである。けっして、ルノワール以前の画家は、印象を伝える気持ちがなかったわけではないだろう。 上述のように、写実主義と印象主義の境界はあいまいであり(※ 帝国書院でも、そういう意見)、あまり厳密には区別できない。 なおミレーが作品をえがいた意図としては、フランス社会の農民の貧しさを伝えるために、政府などに批判的な意味合いでえがかれたのだろう、と考えられている。 歴史学的には、美術の風潮の発達の順序としては、 の順序で発達したとされる。 ロマン派の美術とは、代表例として、よく、19世紀前半の美術のドラクロア『民衆をみちびく女神』の絵がロマン派美術の紹介される(※ 検定教科書でも、そう)。 文学では、ゲーテやシラーが「古典主義」に分類される。しかしゲーテは、べつに古典を目指したわけではない。後世の文学史家が、勝手にゲーテたちを「古典主義」という名前の文芸思潮に分類しているだけである。 さらにゲーテやシラーの若い頃の作品は「ロマン主義」に分類されることもある(※ 実教出版の検定教科書で、そう分類している)。 (※ ハッキリいって、文学史家が馬鹿である。西洋の文系学者は馬鹿なのだ。日本の西洋文学研究者は、無能な西洋学者の研究を、伝言ゲームのように、日本の若者に伝えているだけである。) ※ 単に、ロマン主義の分類におさまらない作品が多く、(後世の評論家が)それらの作品を「古典主義」に分類しただけだろう。 ※ 絵を上手にかけない人たちが、美術史の通説をつくってきた。人気小説をかけない評論家が、文学史をつくってきた。 19世紀後半、ドイツのダイムラー(人名)が(1886年に)ガソリンエンジンと自動車を発明した。その後、ドイツのディーゼル(人名)がディーゼルエンジンを(1893年に)発明した。 電気については、イギリスのファラデーが電磁誘導の法則を(1830年代に)発見し、電気・磁気の物理の理論化がすすんだ。(※ ファラデーは物理学や化学でさまざまな量の単位になってるほどの人物であり、しかもその単位が高校物理や高校化学で出てくるので、人名「ファラデー」も覚えよう。) さらにアメリカにおいて、(1837年ごろ)モールスがモールス信号を発明し、(1875年ごろ)ベルが電話を発明し、また(1870〜90年ごろ)エディソンがさまざまな発明をした。(エディソンの発明は、蓄音機、白熱電球、映画など) アメリカのこのような発明と同じころ、大衆向けの新聞や郵便も普及してきて、情報伝達の速度が早まった。 また、ドイツのジーメンス(兄)は発電機を(1867年ごろに)改良し、性能を大幅に上げた。また、ジーメンス(兄)はモーターを改良し、電車を発明した。 上述のように、19世紀後半の工業において、アメリカやドイツの工業が発達し、もはやイギリスは「世界の工場」と言えるほどの優位的な地位は無くなっていった。 生物学では、イギリスのダーウィンが(1850年年代に)自然淘汰による適者生存を発見して発見して『種の起源』を(1857年に)著し、進化論(theory of evolution )を主張した。 (※ じつはメンデルが遺伝の法則を発見したのも、この頃(1865年)である。しかし彼の論文は注目されず、しばらく忘れられた。1900年ごろに生物学者ド=フリース、生物学者チェルマク、生物学者コレンスなどによって、35年ほど前のメンデルの論文が再発見されることになる。) また、19世紀後半にコッホやパスツールが細菌学のさまざまな発見をしたことにより、予防医学が発達した。 化学では、ノーベルがダイナマイトを発明したのが1867年。(クリミア戦争(1853〜56年)よりも後の時代。)
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== 絵画 == 19世紀の絵画において「写実主義」や「印象派」という分類があり、検定教科書にも紹介されている通説だが、しかし、この用語は不正確である。 [[File:Auguste Renoir - La Balançoire.jpg|thumb|ルノワール『ブランコ』<br>絵画史では「印象派」の作品とされるが、しかし、(縮小画像で見る限りにおいては)この絵は写実的な画風である。]] 絵画の「'''印象派'''」(impressionism <ref>橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.441</ref>)とされる画家ルノワールは、けっして一つの作風でいくつもの作品すべてを描いたのではない。写実的に描いた作品もあれば、そうでなく印象重視で非写実的に描いた作品もある。 また、彼は、絵画中の光によって色あいの変化を表現を重視したが、光によって色が変化するのは物理的な事実であり、けっして印象ではない。 (※ 「ルノワールの画風が写実的でない」という通説は間違ってます。光によって色が変化するのは、物理的な事実です。要するに、馬鹿な美術評論家のなかには、画力の低い人達がいて、そういう人たちが美術史をつくってきた。) (印象をそのまま描こうとした画家は、ゴッホです。ゴッホは、日本の浮世絵などに影響を受け、写楽などの作品と似た構図の作品すら残すほどであった。) :※ ルノワールは、それまでの西洋美術において「写実的である」とされている既存の画風について、作品をつくる事で「ちがう」と反対意見を言ってるだけであろう。 [[File:Jean-François Millet - The Sower - Google Art Project.jpg|thumb|left|ミレー『種まく人』<br>(※範囲外:)この絵は発表当時から観衆たちの解釈によって、農民の悲惨さを描いた政治的メッセージのこめられた作品だろうと受け止めた人が多く、そのため保守派(右翼系<ref>早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.118、</ref>。)と左派(共和派<ref>早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.118、</ref>)のあいだでも論争になった<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.71</ref><ref>早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.118、</ref>。なお、ミレーなど、農民を描いた絵のことを「農民画」という。<br>]] ミレーの画風は「写実」「主義に分類される。しかし、ミレーの作品は、『種まく人』は政治的メッセージがあると解釈されたり、このように、じっさいの美術では写実主義と印象主義の境界はあいまいである。 ルノワールより少し前の時代に流行したミレーは、農民などを題材にした絵を描き、(現代の美術史では)「写実主義」(リアリズム、realism <ref>橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.447</ref>)に分類される。たしかにミレーの画風はルノワールよりも細部まで描きこまれてる場合が多いが、だが、レンブラントなどの前時代の画家と比べたら、べつにミレーの画風が、特段、レンブラントなどの画風と比較して写真のようなわけではない。(※ レンブラントの作品については『[[高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会]]』を参照せよ。) 「写実」という訳語から、ついつい写真のような連想を、われわれ日本人はしてしまいがちである。だが、写実と和訳される前の英語、もともとの英語は realism (リアリズム)であり、直訳すれば 現実主義 という意味である。 じっさい、美術史の入門書を確認しても、美術の美術の世界でいう『写実』とは、「目の前の現実や出来事」といった意味であり<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.5</ref>、そのため、(貴族や神々といった遠い世界の出来事だけでなく、)労働者や農民の姿を作品に描くことも含んでいます<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.5</ref><ref>山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.67</ref>。 では、なにと比べて「現実」なのだろうか。 [[File:Jean-François Millet - Gleaners - Google Art Project 2.jpg|thumb|ミレー『落ち穂ひろい』(おちぼひろい)<br>(※範囲外:)なお、旧約聖書にも落穂ひろいの話題が出てくるので、この絵は宗教画かもしれない<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.70</ref>、という側面もある。]] :※ 「種まく人」も聖書にもとづく宗教画という説もある<ref>早坂優子 著『鑑賞のための西洋美術史入門』、視覚デザイン研究所、平成18年(2006年)9月1日 第1刷、P.119、</ref>。だが、一人の農夫による種まきは毎年の日常的にありふれた題材なので、宗教画かどうかの判別がつきづらい。 じつは、フランス革命以前の絵画では、貴族が画家に絵画作成の注文を出すなどして、貴族などが肖像で描かれることが多かった。貴族以外のものが描かれる場合でも、教会などの注文で、キリストなどの宗教的聖人や、天使などが描かれる場合が多かった。 貴族にしろ、教会にしろ、一般の農民の小作人と比べたら、基本的には、お金持ちであり、権力者であろう。 そういう、お金もち・権力者を描く以前の美術が、「現実的でない」というような意味あいで、ミレーはそれまでは描かれることの少なかった貧農を描いたわけである(いなかったわけではない)。 もっともミレー以前にも、レンブラントだって『夜警』などの作品で、貴族以外の自警団などの市民を描いてるわけだから、けっしてミレーだけが、いきなり貴族以外のものたちを描く意義を発見したわけではない。 だが、分類の都合上、どこかの時代でわれわれは過去の画家たちの区分を線引きをする必要があり、なので美術史の慣習上、レンブラントは「写実主義」に含まれないと分類され、ミレーは「写実主義」に含まれると分類されることが多い。 (※ 範囲外)なお、芸術家に対する同時代の経済的な支援者のことを芸術用語で「パトロン」という。たとえば、「レンブラントの時代のオランダでは、(貴族だけではなく)市民階級がパトロンだった」のような言い方もできる<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.47</ref>。当時のオランダはプロテスタントが多いので<ref>山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』、幻冬舎、2008年5月25日 第1刷 発行、P.51</ref><ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.47</ref>宗教画があまり書かれない、という余談もある<ref>下濱晶子 監修『10歳からの「美術の歴史」』、株式会社メイツユニバーサルコンテンツ、2020年11月30日 第1版 第1刷発行、P.47</ref>。このように、パトロンたちの階級も、芸術作品に影響を与えている。絵画に限らず、教会装飾や聖人像などの注文も、オランダ社会のプロテスタント化によって激減したという背景がある<ref>青柳正規 監修・渡辺晋輔ほか著『朝日おとなの学び直し 美術 国立美術館編 西洋美術史 ルネサンスから印象派、ロダン、ピカソまで』、2013年1月30日 第1刷 発行、P.80、参照部の著者は幸福輝</ref>。つまりプロテスタント系の教会はあまり宗教美術を注文しなかったという背景がある。 ルノワールの画風は、教科書の小さい写真では分かりづらいが、じつは、あまり細かいところを正確には描き込んでなく、細部をボカしている。なので、そこが通説で「写実的ではない」と、現代の評論家から指摘される根拠だろう。 しかし、それは単に解像度の問題にすぎない。現代の評論家たちは、カメラの発明初期の解像度の少ない写真を見て、「写実的ではない」などとタワゴトを言うつもりだろうか? 要するに、「絵は細かいところを描きこまなくっても、重要なポイントを押さえて描けば、そこそこ写実的に見えるし、観客にテーマも伝わるぞ」って事をルノワールは発見して、自身の作品で証明したのである。だから「ルノワールは写実的ではない」と解釈してしまうと、本質を見落としてしまうだろう。 単に光を強調するだけの構図の表現は、少なくとも(フランス革命時に)レンブラントがとっくの昔に描いており、べつにルノワールの発明ではない。 また、そもそも絵画は、なんらかの印象を伝えるために描かれるのである。けっして、ルノワール以前の画家は、印象を伝える気持ちがなかったわけではないだろう。 上述のように、写実主義と印象主義の境界はあいまいであり(※ 帝国書院でも、そういう意見)、あまり厳密には区別できない。 なおミレーが作品をえがいた意図としては、フランス社会の農民の貧しさを伝えるために、政府などに批判的な意味合いでえがかれたのだろう、と考えられている。 [[File:Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpg|thumb|ドラクロア『民衆を導く自由の女神』]] 歴史学的には、美術の風潮の発達の順序としては、 :ロマン派 → 写実主義 → 印象派 の順序で発達したとされる。 ロマン派の美術とは、代表例として、よく、19世紀前半の美術のドラクロア『民衆をみちびく女神』の絵がロマン派美術の紹介される(※ 検定教科書でも、そう)。 :※ 学者は否定するかもしれないが、19世紀のロマン派とは何かの定義については、あまり定義がハッキリしてない。定義よりもドラクロアなどの作家例・作品例を覚えた方が良いだろう。 [[File:Pierre-Auguste Renoir - Luncheon of the Boating Party - Google Art Project.jpg|thumb|ルノワール作『舟遊びをする人々の昼間』。右上のほうにシルクハットをかぶったユダヤ人の友人の絵が描かれている。飲み物を飲んでいる女性(帽子をかぶっている)の上にいるシルクハット男性がユダヤ人。]] {{コラム|(※ 範囲外?)ドレフュス事件と印象派| :※ 検定教科書には無い話題だが、しかしドレフュス事件は高校の世界史の範囲なので、 1894年(19世紀の末期)、フランスでユダヤ系軍人ドレフュスのスパイド疑惑という事件が起きた(『ドレフュス事件』という。※ 詳しくは [[高等学校世界史B/欧米列強の内部情勢#フランス]])。 軍隊は芸術とはあまリ関係ないが、しかし事件の起きた国が美術の本場であるフランスでの事件でもあったので、この事件は美術界も巻き込んだ論争に発展した。 なんとなく芸術家は左翼みたいなイメージがあるが、しかし実際には反ユダヤ主義をとった芸術家も少なくなく、ドガ、ルノワール、セザンヌなどの名だたる印象画家も反ユダヤ主義の立場をとった。 :なお、ピサロ、モネ、シスレー、サカットは親ユダヤ主義であり、ドレシュスを応援する作家のゾラと足並みをそろえた。なお、ピサロはユダヤ人。 ドガは事件以降、ピサロと通りであってもアイサツをしなくなったらしい。 [[File:Pierre-Auguste Renoir, 1880, Portrait of Mademoiselle Irène Cahen d'Anvers, Sammlung E.G. Bührle.jpg|thumb|left|ルノワール作『イレーン・カーン・ダンヴィール嬢の肖像』。ユダヤ人から紹介された少女を描いている。]] なお、ルノワールの反ユダヤ主義と言っても、決して、のちのヒトラーのような虐殺(アウシュビッツ収容所など)とか強制収容とかではない。「外国から来たユダヤ人などを、国家の高い地位の要職につけるのは、やめるべきだ」的な規制を求めるような意見が、ルノワールの主張ではある<ref>『芸術新潮』2022年11月号、新潮社、P.126</ref>。 21世紀の現代でも欧米・東アジアなどの各国で、移民の参政権や公務員就職の是非の問題など似たような問題が続いており、古くて新しい問題である。昔の人たちも、似たような問題で悩んだ。作家や芸術家と言えでも例外ではない。 なお、ドガはもともと愛国主義的・保守主義的で反ユダヤ主義の画家である。ドガ作『証券取引所の人々』は、金儲けに明け暮れるユダヤ人への皮肉をこめて描かれたと言われている(※ 画像がwikiで見つからない)。 1882年にはパリ証券取引所で金融恐慌が発生している。 なお、同時代のフランス出身の印象画家のゴーギャン(1848 - 1903年)は、画家になる前は証券会社のサラリーマンであった。ゴーギャンは恐慌前から絵を発表していたが、恐慌もあってか人生をとらえなおしたのか、恐慌後により本格的に絵を描き始めるようになる。1890年代からゴーギャンはタヒチに移住し、たびたびフランスに戻るが、最終的にタヒチにてゴ-ギャンは死を迎えた。 }} == 文芸 == 文学では、ゲーテやシラーが「'''古典主義'''」に分類される。しかしゲーテは、べつに古典を目指したわけではない。後世の文学史家が、勝手にゲーテたちを「古典主義」という名前の文芸思潮に分類しているだけである。 さらにゲーテやシラーの若い頃の作品は「ロマン主義」に分類されることもある(※ 実教出版の検定教科書で、そう分類している)。 :(※ 範囲外)ゲーテは、当時は文学的な地位の低かったドイツ語を使った文章により、詩や小説、(劇などの)脚本などの文芸が作れることを示したドイツ作家のひとりである。 (※ ハッキリいって、文学史家が馬鹿である。西洋の文系学者は馬鹿なのだ。日本の西洋文学研究者は、無能な西洋学者の研究を、伝言ゲームのように、日本の若者に伝えているだけである。) ※ 単に、ロマン主義の分類におさまらない作品が多く、(後世の評論家が)それらの作品を「古典主義」に分類しただけだろう。 ※ 絵を上手にかけない人たちが、美術史の通説をつくってきた。人気小説をかけない評論家が、文学史をつくってきた。 == 科学 == 19世紀後半、ドイツのダイムラー(人名)が(1886年に)'''ガソリンエンジン'''と'''自動車'''を発明した。その後、ドイツのディーゼル(人名)が'''ディーゼルエンジン'''を(1893年に)発明した。 電気については、イギリスの'''ファラデー'''が電磁誘導の法則を(1830年代に)発見し、電気・磁気の物理の理論化がすすんだ。(※ ファラデーは物理学や化学でさまざまな量の単位になってるほどの人物であり、しかもその単位が高校物理や高校化学で出てくるので、人名「ファラデー」も覚えよう。) さらにアメリカにおいて、(1837年ごろ)モールスがモールス信号を発明し、(1875年ごろ)ベルが電話を発明し、また(1870〜90年ごろ)エディソンがさまざまな発明をした。(エディソンの発明は、蓄音機、白熱電球、映画など) アメリカのこのような発明と同じころ、大衆向けの新聞や郵便も普及してきて、情報伝達の速度が早まった。 また、ドイツのジーメンス(兄)は発電機を(1867年ごろに)改良し、性能を大幅に上げた。また、ジーメンス(兄)はモーターを改良し、電車を発明した。 上述のように、19世紀後半の工業において、アメリカやドイツの工業が発達し、もはやイギリスは「世界の工場」と言えるほどの優位的な地位は無くなっていった。 [[File:Editorial cartoon depicting Charles Darwin as an ape (1871).jpg|thumb|ダーウィンを批判する風刺画]] 生物学では、イギリスの'''ダーウィン'''が(1850年年代に)自然淘汰による適者生存を発見して発見して『種の起源』を(1857年に)著し、'''進化論'''(theory of evolution <ref>橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.449</ref>)を主張した。 (※ じつはメンデルが遺伝の法則を発見したのも、この頃(1865年)である。しかし彼の論文は注目されず、しばらく忘れられた。1900年ごろに生物学者ド=フリース、生物学者チェルマク、生物学者コレンスなどによって、35年ほど前のメンデルの論文が再発見されることになる。) また、19世紀後半にコッホやパスツールが'''細菌学'''のさまざまな発見をしたことにより、予防医学が発達した。 化学では、ノーベルがダイナマイトを発明したのが1867年。(クリミア戦争(1853〜56年)よりも後の時代。) [[カテゴリ:19世紀]]
2018-04-25T05:09:06Z
2023-08-22T07:37:43Z
[ "テンプレート:コラム" ]
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2B/19%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%AC%A7%E7%B1%B3%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BC%9A
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高等学校世界史B/アジアの民族運動
1839年、アブデュル・メジト1世は、改革としてギュルハネ勅令を出し、司法・行政・財政などの西洋化の改革であるタンジマートを開始した。これらの改革は、法治主義による中央集権化をめざすものであった。 改革のさなか、1853年にはロシアがギリシア正教徒の保護を口実に攻め込んできて、クリミア戦争に発展したが、(ロシアの南下を嫌う)イギリス・フランスの支援もあってオスマン帝国が勝利して、ロシアの南下をくいとめた。 しかし、改革や戦費のための外債(がいさい)がオスマン帝国は返済できず、オスマン帝国の国家財政は1875年に破綻し、イギリス・フランスに経済的に支配されることになった。 クリミア戦争後、オスマン帝国では憲法制定の気運が高まり、1876年には大宰相(だいさいしょう)ミドハト=パシャによって起草された憲法(ミドハト憲法)が発布された。このミドハト憲法が、アジアで最初の近代憲法となった。 しかし翌1877年に発生したロシア=トルコ戦争を理由に、アブデュル=ハミト2世は1878年に憲法を停止し、議会も解散し、専制政治が始まった。 この戦争でオスマン帝国は敗北し、バルカン半島の領土を大幅に失った。 オスマン帝国の人々のいくらかは、ハミト2世の専制に反発し、立憲政治の復活をもとめる運動を展開した。やがて、当時のイタリアで展開されていた「青年イタリア」運動にならって、オスマン帝国で立憲運動をしている彼らは「青年トルコ人」と呼ばれるようになった。 (青年トルコの直接の手本は、名前のとおり、青年イタリアであるが、しかし日露戦争で白人国家のロシアに勝利した日本も、おそらく青年トルコの手本になっていると考えられる。) そして1908年に青年トルコ人の蜂起が成功して、政権をにぎり(青年トルコ革命)、ミドハト憲法を復活させた。 なお、これら一連の改革のあいだ、外交政策として、オスマン帝国は(当時イギリスと対立しかけていた)ドイツに接近した。 この頃のイランの王朝(カージャール朝)は、近代化のための鉄道敷設・道路建設などに必要な資金をおぎなうために、欧州の列強にさまざまな利権を与えることで、彼ら欧州列強にイランの近代化のための投資を出してもらおうとした。(※ 東京書籍『世界史B』平成28年検定版、および、山川出版社『新世界史B』平成27年検定版) イランでは、1890年にタバコの専売の利権がイギリス人に与えられると、ウラマーや商人層がこれに反対し、タバコ・ボイコット運動という反イギリス・反国王の運動がキッカケとなり、政治運動が盛り上がった。 その結果、イラン政府はイギリスのタバコ利権の提供を破棄し、タバコの専売権はイランに回収された。 (1905年には日露戦争で日本がロシアに勝利した。) そして1905年には、経済政策への不満や、王の専制への不満から、抗議運動が盛り上がった。その結果、翌1906年には国民議会が開かれて憲法も制定されたが(イラン立憲革命)、しかしイギリス・ロシアが干渉したことにより、1911年にイラン国王は議会を廃止し、革命は終了した。 イギリスは、現地インド人たちの要望を知るために、インドで有力者の代表などをあつめて政策要望を出してもらうインド国民会議を1885年に設立させた。 このインド国民会議は、当初は親英的な態度であったが、しだいにティラクらの急進的なヒンドゥーナショナリストが民族運動を主張していき反英的な傾向が強まった。 1905年にイギリスがヒンドゥー教徒とムスリムの分離を定めたベンガル分割令の公布がされると、これは民族運動を分断させようとするものだと判断され、インド全国に反対運動が広がり、国民会議では反英的な勢力が急増した。 そして翌1906年に開催された(国民会議の)カルカッタ大会では、イギリス製品の不買、スワデーシー(国産品愛用)、スワラージー(自治)、民族教育の4綱領(こうりょう)が採択された。 いっぽう、イギリスは国民会議に対抗させる組織をつくろうと、ヒンドゥー教優位の国民会議のなかで少数派になっているイスラーム教を信仰しているムスリムたちの不安を利用し、イギリスの支援により1906年に全インド=ムスリム連盟が結成された。
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== 西アジアの民族運動 == === オスマン帝国の改革 === 1839年、アブデュル・メジト1世は、改革としてギュルハネ勅令を出し、司法・行政・財政などの西洋化の改革である'''タンジマート'''を開始した。これらの改革は、法治主義による中央集権化をめざすものであった。 改革のさなか、1853年にはロシアがギリシア正教徒の保護を口実に攻め込んできて、クリミア戦争に発展したが、(ロシアの南下を嫌う)イギリス・フランスの支援もあってオスマン帝国が勝利して、ロシアの南下をくいとめた。 しかし、改革や戦費のための外債(がいさい)がオスマン帝国は返済できず、オスマン帝国の国家財政は1875年に破綻し、イギリス・フランスに経済的に支配されることになった。 クリミア戦争後、オスマン帝国では憲法制定の気運が高まり、1876年には大宰相(だいさいしょう)ミドハト=パシャによって起草された憲法('''ミドハト憲法''')が発布された。このミドハト憲法が、アジアで最初の近代憲法となった。 しかし翌1877年に発生したロシア=トルコ戦争を理由に、アブデュル=ハミト2世は1878年に憲法を停止し、議会も解散し、専制政治が始まった。 この戦争でオスマン帝国は敗北し、バルカン半島の領土を大幅に失った。 オスマン帝国の人々のいくらかは、ハミト2世の専制に反発し、立憲政治の復活をもとめる運動を展開した。やがて、当時のイタリアで展開されていた「青年イタリア」運動にならって、オスマン帝国で立憲運動をしている彼らは「'''青年トルコ人'''」と呼ばれるようになった。 (青年トルコの直接の手本は、名前のとおり、青年イタリアであるが、しかし日露戦争で白人国家のロシアに勝利した日本も、おそらく青年トルコの手本になっていると考えられる。) そして1908年に青年トルコ人の蜂起が成功して、政権をにぎり('''青年トルコ革命''')、ミドハト憲法を復活させた。 なお、これら一連の改革のあいだ、外交政策として、オスマン帝国は(当時イギリスと対立しかけていた)ドイツに接近した。 === イラン立憲革命の失敗 === この頃のイランの王朝(カージャール朝)は、近代化のための鉄道敷設・道路建設などに必要な資金をおぎなうために、欧州の列強にさまざまな利権を与えることで、彼ら欧州列強にイランの近代化のための投資を出してもらおうとした。(※ 東京書籍『世界史B』平成28年検定版、および、山川出版社『新世界史B』平成27年検定版) イランでは、1890年にタバコの専売の利権がイギリス人に与えられると、ウラマーや商人層がこれに反対し、'''タバコ・ボイコット運動'''という反イギリス・反国王の運動がキッカケとなり、政治運動が盛り上がった。 その結果、イラン政府はイギリスのタバコ利権の提供を破棄し、タバコの専売権はイランに回収された。 (1905年には日露戦争で日本がロシアに勝利した。) そして1905年には、経済政策への不満や、王の専制への不満から、抗議運動が盛り上がった。その結果、翌1906年には国民議会が開かれて憲法も制定されたが('''イラン立憲革命''')、しかしイギリス・ロシアが干渉したことにより、1911年にイラン国王は議会を廃止し、革命は終了した。 == インドの民族運動 == イギリスは、現地インド人たちの要望を知るために、インドで有力者の代表などをあつめて政策要望を出してもらう'''インド国民会議'''を1885年に設立させた。 このインド国民会議は、当初は親英的な態度であったが、しだいに'''ティラク'''らの急進的なヒンドゥーナショナリストが民族運動を主張していき反英的な傾向が強まった。 1905年にイギリスがヒンドゥー教徒とムスリムの分離を定めた'''ベンガル分割令'''の公布がされると、これは民族運動を分断させようとするものだと判断され、インド全国に反対運動が広がり、国民会議では反英的な勢力が急増した。 そして翌1906年に開催された(国民会議の)カルカッタ大会では、'''イギリス製品の不買'''、'''スワデーシー'''(国産品愛用)、'''スワラージ'''ー(自治)、'''民族教育'''の4綱領(こうりょう)が採択された。 いっぽう、イギリスは国民会議に対抗させる組織をつくろうと、ヒンドゥー教優位の国民会議のなかで少数派になっているイスラーム教を信仰しているムスリムたちの不安を利用し、イギリスの支援により1906年に'''全インド=ムスリム連盟'''が結成された。 [[カテゴリ:アジア史]] [[カテゴリ:民族]]
2018-04-25T22:18:19Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2B/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%B0%91%E6%97%8F%E9%81%8B%E5%8B%95
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高等学校世界史B/オスマン帝国とエジプト
「オスマン帝国の没落の時期はいつか?」と言われると、われわれ現代人はついつい、18世紀 中〜後期の産業革命や、18世紀末ごろのフランス革命を連想してしまいがちである。 しかし、じつは17世紀末のころから、オスマン帝国は軍事的には衰退に向かっていた。 オスマン帝国は17世紀末にウィーン包囲をしたが、これに失敗し、1699年のカルロヴィッツ条約によって(それまでオスマン帝国の領有していた)ハンガリーをオーストリアに割譲することになった。 さらに18世紀では、1762年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国はロシアにやぶれてしまう(ロシアでは女帝エカチェリーナ2世の時代)。 さて18世紀後半に産業革命やフランス革命も終わり、19世紀に入ると、19世紀半ばに1877年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国は敗北してしまい、クリミア半島の支配権を失った(ロシアではアレクサンドリア2世の時代)。(※ クリミア戦争とは別の出来事。混同しないように。) (「ロシア・トルコ戦争」と呼ばれる戦争は、歴史上、数回ある。) じつは18世紀の西アジアでは、イスラーム教の古い教え(預言者ムハンマドの教えなど)に立ち戻るべきだと主張するワッハーブ運動が起きている。 さてエジプトでは、1798年にナポレオンひきいるフランス軍が侵略にきたが、ナポレオンが去った後、オスマン帝国はエジプトの侵略に対抗するためにムハンマド=アリーをエジプトに送り込んだ。そして、ムハンマド=アリーは1805年にエジプト総督になった。 彼は、軍隊の改革としてヨーロッパ式の手法を取り入れたり等の改革を行った。また、綿花の専売制などの施策を行った。 また、ムハンマド=アリーひきいるエジプト軍は、ワッハーブ運動を滅ぼした。 ギリシア独立運動が起きると、オスマン帝国はエジプトに援軍を要請し、エジプトはオスマン帝国に協力して出兵したので、ムハンマド・アリーは見返りとしてエジプト総督の世襲化を望んだが、しかしオスマン帝国がエジプト総督の世襲制を認めなかったので、1830年代に2度にわたるエジプト・トルコ戦争が起きた。 2度目のエジプト・トルコ戦争の直後の1840年にロンドン会議がひらかれ、エジプト総督の世襲は認められたが、シリアなどをエジプトは手放すことになった。また、このロンドン会議により、エジプトは貿易の不平等条約のもと関税自主権を失い、国内市場を開放することになった。(※ ギリシア独立戦争のときの「ロンドン会議」とは、別の国際会議。) 1849年にムハンマド=アリーは死没した。アリーの死没後、エジプトでは鉄道がひかれたり、1869年にはスエズ運河が開通するなど、土木開発が進んだ。 しかし、このような急激な開発は資金の負担が大きい。なので、エジプトは外債(がいさい)によって、資金調達をした(「外債」とは、国家などが外国から借金すること)。また輸出産業の主力だった綿花の価格がアメリカ産の綿花のヨーロッパ等への輸出攻勢によって、綿花の価格が暴落した。このことによって、エジプトの財政は悪化し、破綻寸前になった。 スエズ運河は、フランス人技師レセップスが提案した。 スエズ運河の開通時、エジプトはスエズ運河の株を持っていた。スエズ運河の当初の大株主は、エジプトとフランスである。しかしエジプトの財政悪化のため、1875年にはスエズ運河のエジプトの持ち株をイギリスに売却した。 こうして、スエズ運河はイギリス・フランスの管理下におかれることになった。さらに翌1876年には、エジプトの国家財政が破綻した。そしてエジプトの財政は、イギリスとフランスの管理下におかれることになった。 このような外国の経済支配に対して、エジプトでは抵抗勢力が活発になり、1881年には軍人ウラービーが反ヨーロッパの改革のために立憲議会の設立をめざす運動を行った。しかし、(債権の回収できなくなることをおそれたのか)イギリスは1882年にエジプトを軍事占領し、エジプトを事実上の植民地にした。 だが、ウラービーたちが運動のさなかに掲げたスローガン「エジプト人のためのエジプト」は、その後もエジプト民族運動の精神になった。 イギリスは以降、アフリカ大陸において、エジプトを起点に、植民地を南に拡大しようとしていく(エジプトはアフリカ東北部にある)。 じつは1870年代までは、列強によるアフリカの植民地は、沿岸部だけだった。しかし、1880年代ごろから、植民地は内陸部にも拡大していく。 (前の節で上述したように、)エジプトは1880年代に、イギリスの事実上の植民地になってしまった。また、南アフリカのケープは、ナポレオン戦争以降、イギリスの植民地になっていた。 なのでイギリスは、エジプトとケープをつなげようと、植民地を南北に拡大しようとしていき、イギリス植民地でアフリカを南北に縦断しようとしていく。このようなイギリスの植民地拡大の方向性は、(エジプトの)カイロ、ケープタウン、(インドの)カルカッタの頭文字を由来に「3C政策」といわれる。 いっぽう、フランスは1830年代にアフリカ北西部のアルジェリアを獲得して植民地にしており、ここを起点に19世紀後半ごろにはモロッコ(1904年に獲得)やチェニジア(1881年に獲得)などアフリカ北西部に、フランスは植民地を拡大していく。 もっていたフランスは、当初は植民地の拡大の方向をサハラ砂漠一帯の南下方向にしてたが、(アフリカ大陸の「フ」の字型の形状により、行き止まりなので、)さらに植民地を拡大するには東部に植民地を拡大せざるをえず、フランスはイギリスと対立することになる。 さらにドイツでは1890年にビスマルクが皇帝ヴィルヘルム2世と外交政策が対立したことにより解任され、ヴィルヘルム2世が親政を行ったことにより、外交政策が対外膨張主義になり、ヨーロッパ列強のアフリカ植民地の争奪にドイツも参加する。しかし、おくれて植民地争奪戦に参加したドイツの植民地は(英仏と較べて)小さく、アフリカのほとんどの土地は、イギリスまたはフランスの植民地であった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "「オスマン帝国の没落の時期はいつか?」と言われると、われわれ現代人はついつい、18世紀 中〜後期の産業革命や、18世紀末ごろのフランス革命を連想してしまいがちである。", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "しかし、じつは17世紀末のころから、オスマン帝国は軍事的には衰退に向かっていた。", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "オスマン帝国は17世紀末にウィーン包囲をしたが、これに失敗し、1699年のカルロヴィッツ条約によって(それまでオスマン帝国の領有していた)ハンガリーをオーストリアに割譲することになった。", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "さらに18世紀では、1762年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国はロシアにやぶれてしまう(ロシアでは女帝エカチェリーナ2世の時代)。", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "さて18世紀後半に産業革命やフランス革命も終わり、19世紀に入ると、19世紀半ばに1877年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国は敗北してしまい、クリミア半島の支配権を失った(ロシアではアレクサンドリア2世の時代)。(※ クリミア戦争とは別の出来事。混同しないように。)", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "(「ロシア・トルコ戦争」と呼ばれる戦争は、歴史上、数回ある。)", "title": "オスマン帝国の没落" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "じつは18世紀の西アジアでは、イスラーム教の古い教え(預言者ムハンマドの教えなど)に立ち戻るべきだと主張するワッハーブ運動が起きている。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "さてエジプトでは、1798年にナポレオンひきいるフランス軍が侵略にきたが、ナポレオンが去った後、オスマン帝国はエジプトの侵略に対抗するためにムハンマド=アリーをエジプトに送り込んだ。そして、ムハンマド=アリーは1805年にエジプト総督になった。 彼は、軍隊の改革としてヨーロッパ式の手法を取り入れたり等の改革を行った。また、綿花の専売制などの施策を行った。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、ムハンマド=アリーひきいるエジプト軍は、ワッハーブ運動を滅ぼした。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ギリシア独立運動が起きると、オスマン帝国はエジプトに援軍を要請し、エジプトはオスマン帝国に協力して出兵したので、ムハンマド・アリーは見返りとしてエジプト総督の世襲化を望んだが、しかしオスマン帝国がエジプト総督の世襲制を認めなかったので、1830年代に2度にわたるエジプト・トルコ戦争が起きた。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2度目のエジプト・トルコ戦争の直後の1840年にロンドン会議がひらかれ、エジプト総督の世襲は認められたが、シリアなどをエジプトは手放すことになった。また、このロンドン会議により、エジプトは貿易の不平等条約のもと関税自主権を失い、国内市場を開放することになった。(※ ギリシア独立戦争のときの「ロンドン会議」とは、別の国際会議。)", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1849年にムハンマド=アリーは死没した。アリーの死没後、エジプトでは鉄道がひかれたり、1869年にはスエズ運河が開通するなど、土木開発が進んだ。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "しかし、このような急激な開発は資金の負担が大きい。なので、エジプトは外債(がいさい)によって、資金調達をした(「外債」とは、国家などが外国から借金すること)。また輸出産業の主力だった綿花の価格がアメリカ産の綿花のヨーロッパ等への輸出攻勢によって、綿花の価格が暴落した。このことによって、エジプトの財政は悪化し、破綻寸前になった。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "スエズ運河は、フランス人技師レセップスが提案した。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "スエズ運河の開通時、エジプトはスエズ運河の株を持っていた。スエズ運河の当初の大株主は、エジプトとフランスである。しかしエジプトの財政悪化のため、1875年にはスエズ運河のエジプトの持ち株をイギリスに売却した。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "こうして、スエズ運河はイギリス・フランスの管理下におかれることになった。さらに翌1876年には、エジプトの国家財政が破綻した。そしてエジプトの財政は、イギリスとフランスの管理下におかれることになった。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "このような外国の経済支配に対して、エジプトでは抵抗勢力が活発になり、1881年には軍人ウラービーが反ヨーロッパの改革のために立憲議会の設立をめざす運動を行った。しかし、(債権の回収できなくなることをおそれたのか)イギリスは1882年にエジプトを軍事占領し、エジプトを事実上の植民地にした。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "だが、ウラービーたちが運動のさなかに掲げたスローガン「エジプト人のためのエジプト」は、その後もエジプト民族運動の精神になった。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "イギリスは以降、アフリカ大陸において、エジプトを起点に、植民地を南に拡大しようとしていく(エジプトはアフリカ東北部にある)。", "title": "エジプトの自立と挫折(ざせつ)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "じつは1870年代までは、列強によるアフリカの植民地は、沿岸部だけだった。しかし、1880年代ごろから、植民地は内陸部にも拡大していく。", "title": "アフリカの植民地化の進展" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "(前の節で上述したように、)エジプトは1880年代に、イギリスの事実上の植民地になってしまった。また、南アフリカのケープは、ナポレオン戦争以降、イギリスの植民地になっていた。", "title": "アフリカの植民地化の進展" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "なのでイギリスは、エジプトとケープをつなげようと、植民地を南北に拡大しようとしていき、イギリス植民地でアフリカを南北に縦断しようとしていく。このようなイギリスの植民地拡大の方向性は、(エジプトの)カイロ、ケープタウン、(インドの)カルカッタの頭文字を由来に「3C政策」といわれる。", "title": "アフリカの植民地化の進展" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "いっぽう、フランスは1830年代にアフリカ北西部のアルジェリアを獲得して植民地にしており、ここを起点に19世紀後半ごろにはモロッコ(1904年に獲得)やチェニジア(1881年に獲得)などアフリカ北西部に、フランスは植民地を拡大していく。", "title": "アフリカの植民地化の進展" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "もっていたフランスは、当初は植民地の拡大の方向をサハラ砂漠一帯の南下方向にしてたが、(アフリカ大陸の「フ」の字型の形状により、行き止まりなので、)さらに植民地を拡大するには東部に植民地を拡大せざるをえず、フランスはイギリスと対立することになる。", "title": "アフリカの植民地化の進展" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "さらにドイツでは1890年にビスマルクが皇帝ヴィルヘルム2世と外交政策が対立したことにより解任され、ヴィルヘルム2世が親政を行ったことにより、外交政策が対外膨張主義になり、ヨーロッパ列強のアフリカ植民地の争奪にドイツも参加する。しかし、おくれて植民地争奪戦に参加したドイツの植民地は(英仏と較べて)小さく、アフリカのほとんどの土地は、イギリスまたはフランスの植民地であった。", "title": "アフリカの植民地化の進展" } ]
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== オスマン帝国の没落 == 「オスマン帝国の没落の時期はいつか?」と言われると、われわれ現代人はついつい、18世紀 中〜後期の産業革命や、18世紀末ごろのフランス革命を連想してしまいがちである。 しかし、じつは17世紀末のころから、オスマン帝国は軍事的には衰退に向かっていた。 オスマン帝国は17世紀末にウィーン包囲をしたが、これに失敗し、1699年の'''カルロヴィッツ条約'''によって(それまでオスマン帝国の領有していた)ハンガリーをオーストリアに割譲することになった。 さらに18世紀では、1762年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国はロシアにやぶれてしまう(ロシアでは女帝エカチェリーナ2世の時代)。 さて18世紀後半に産業革命やフランス革命も終わり、19世紀に入ると、19世紀半ばに1877年のロシア・トルコ戦争で、オスマン帝国は敗北してしまい、クリミア半島の支配権を失った(ロシアではアレクサンドリア2世の時代)。(※ クリミア戦争とは別の出来事。混同しないように。) (「ロシア・トルコ戦争」と呼ばれる戦争は、歴史上、数回ある。) == エジプトの自立と挫折(ざせつ) == じつは18世紀の西アジアでは、イスラーム教の古い教え(預言者ムハンマドの教えなど)に立ち戻るべきだと主張する'''ワッハーブ運動'''が起きている。 [[File:ModernEgypt, Muhammad Ali by Auguste Couder, BAP 17996.jpg|thumb|ムハンマド=アリー彼はもともとマケドニア出身のアルバニア人である。オスマン帝国の配下だった時代には、彼は傭兵部隊長として、ナポレオンの送り込んだフランス軍とたたかい、頭角を表した。]] さてエジプトでは、1798年にナポレオンひきいるフランス軍が侵略にきたが、ナポレオンが去った後、オスマン帝国はエジプトの侵略に対抗するために'''ムハンマド=アリー'''をエジプトに送り込んだ。そして、ムハンマド=アリーは1805年にエジプト総督になった。 彼は、軍隊の改革としてヨーロッパ式の手法を取り入れたり等の改革を行った。また、綿花の専売制などの施策を行った。 また、ムハンマド=アリーひきいるエジプト軍は、ワッハーブ運動を滅ぼした。 ギリシア独立運動が起きると、オスマン帝国はエジプトに援軍を要請し、エジプトはオスマン帝国に協力して出兵したので、ムハンマド・アリーは見返りとしてエジプト総督の世襲化を望んだが、しかしオスマン帝国がエジプト総督の世襲制を認めなかったので、1830年代に2度にわたる'''エジプト・トルコ戦争'''が起きた。 2度目のエジプト・トルコ戦争の直後の1840年に'''ロンドン会議'''がひらかれ、エジプト総督の世襲は認められたが、シリアなどをエジプトは手放すことになった。また、このロンドン会議により、エジプトは貿易の不平等条約のもと関税自主権を失い、国内市場を開放することになった。(※ ギリシア独立戦争のときの「ロンドン会議」とは、別の国際会議。) 1849年にムハンマド=アリーは死没した。アリーの死没後、エジプトでは鉄道がひかれたり、1869年には'''スエズ運河'''が開通するなど、土木開発が進んだ。 しかし、このような急激な開発は資金の負担が大きい。なので、エジプトは外債(がいさい)によって、資金調達をした(「外債」とは、国家などが外国から借金すること)。また輸出産業の主力だった綿花の価格がアメリカ産の綿花のヨーロッパ等への輸出攻勢によって、綿花の価格が暴落した。このことによって、エジプトの財政は悪化し、破綻寸前になった。 スエズ運河は、フランス人技師レセップスが提案した。 スエズ運河の開通時、エジプトはスエズ運河の株を持っていた。スエズ運河の当初の大株主は、エジプトとフランスである。しかしエジプトの財政悪化のため、1875年にはスエズ運河のエジプトの持ち株をイギリスに売却した。 こうして、スエズ運河はイギリス・フランスの管理下におかれることになった。さらに翌1876年には、エジプトの国家財政が破綻した。そしてエジプトの財政は、イギリスとフランスの管理下におかれることになった。 [[File:Ahmed Orabi 1882.png|thumb|180px|1882年のウラービー<br>彼が蜂起したころ、日本では明治時代だった。彼ウラービーが蜂起に失敗してセイロン(今のスリランカ)に流されたあと、彼の元には日本から官僚や留学生が訪れ、ウラービーの意見をうかがった。]] このような外国の経済支配に対して、エジプトでは抵抗勢力が活発になり、1881年には軍人'''ウラービー'''が反ヨーロッパの改革のために立憲議会の設立をめざす運動を行った。しかし、(債権の回収できなくなることをおそれたのか)イギリスは1882年にエジプトを軍事占領し、エジプトを事実上の植民地にした。 だが、ウラービーたちが運動のさなかに掲げたスローガン「エジプト人のためのエジプト」は、その後もエジプト民族運動の精神になった。 イギリスは以降、アフリカ大陸において、エジプトを起点に、植民地を南に拡大しようとしていく(エジプトはアフリカ東北部にある)。 == アフリカの植民地化の進展 == じつは1870年代までは、列強によるアフリカの植民地は、沿岸部だけだった。しかし、1880年代ごろから、植民地は内陸部にも拡大していく。 (前の節で上述したように、)エジプトは1880年代に、イギリスの事実上の植民地になってしまった。また、南アフリカのケープは、ナポレオン戦争以降、イギリスの植民地になっていた。 なのでイギリスは、エジプトとケープをつなげようと、植民地を南北に拡大しようとしていき、イギリス植民地でアフリカを南北に縦断しようとしていく。このようなイギリスの植民地拡大の方向性は、(エジプトの)カイロ、ケープタウン、(インドの)カルカッタの頭文字を由来に「'''3C政策'''」といわれる。 いっぽう、フランスは1830年代にアフリカ北西部のアルジェリアを獲得して植民地にしており、ここを起点に19世紀後半ごろにはモロッコ(1904年に獲得)やチェニジア(1881年に獲得)などアフリカ北西部に、フランスは植民地を拡大していく。 もっていたフランスは、当初は植民地の拡大の方向をサハラ砂漠一帯の南下方向にしてたが、(アフリカ大陸の「フ」の字型の形状により、行き止まりなので、)さらに植民地を拡大するには東部に植民地を拡大せざるをえず、フランスはイギリスと対立することになる。 さらにドイツでは1890年にビスマルクが皇帝ヴィルヘルム2世と外交政策が対立したことにより解任され、ヴィルヘルム2世が親政を行ったことにより、外交政策が対外膨張主義になり、ヨーロッパ列強のアフリカ植民地の争奪にドイツも参加する。しかし、おくれて植民地争奪戦に参加したドイツの植民地は(英仏と較べて)小さく、アフリカのほとんどの土地は、イギリスまたはフランスの植民地であった。 [[カテゴリ:オスマン帝国の歴史]]
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2022-11-29T17:06:46Z
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高等学校世界史B/インドの植民地化
ムガル帝国が衰退すると、インド各地で地方勢力が蜂起して、利権を争った。 この頃、イギリスやフランスがそれぞれ別個に東インド会社の経営によってインドに進出しており、インドの紛争に介入し、英仏が利権を争った。 1757年のプラッシーの戦いでは、フランスはベンガル太守軍を支援したが、イギリスはベンガル太守軍をやぶった。 そして1765年にイギリスがベンガル地方の徴税権を獲得したことをきっかけに、イギリスの東インド会社の方針は、インドの植民地拡大の方針に変わっていく。 その後、イギリスは、インドの地方勢力との抗争(南部のマイソール戦争、中西部のマラータ戦争、シク戦争)に勝利し、最終的にインドの大半を植民地にした。 1857年、イギリス東インド会社の雇っていた傭兵集団(シパーヒー)が、(イギリス支配に対する)反乱を起こすと、反乱はまたたくまにインド全土に拡大した (インド大反乱)。 シパーヒーは、名目だけの存在となっていたムガル皇帝を擁立して戦ったが、反乱はイギリス軍によって1859年には鎮圧されてしまい、ムガル皇帝は流刑(るけい)にあい、ムガル帝国は滅亡した。 その後インドは1877年、ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねることになり、イギリス支配下のインド帝国になった(1947年の独立まで、インド帝国はつづく。)。 そしてイギリスは、統治のため、宗教対立やカースト制度などを利用し、インド人同士の団結をふせぐ方針で統治を行った(特定の勢力だけを不公平に優遇することで、インド現地人の不満がイギリスに向かわずに、異なる宗教や異なるカーストのインド人にむかうように仕向けたので、このような支配の手法を「分割統治」という。)。 (なお、「分割統治」と名前の似ている「間接統治」はインド支配ではなく、東南アジア支配でイギリスが用いた手法。)
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== インド大反乱とインド帝国 == ムガル帝国が衰退すると、インド各地で地方勢力が蜂起して、利権を争った。 この頃、イギリスやフランスがそれぞれ別個に'''東インド会社'''の経営によってインドに進出しており、インドの紛争に介入し、英仏が利権を争った。 1757年の'''プラッシーの戦い'''では、フランスはベンガル太守軍を支援したが、イギリスはベンガル太守軍をやぶった。 そして1765年にイギリスがベンガル地方の徴税権を獲得したことをきっかけに、イギリスの東インド会社の方針は、インドの植民地拡大の方針に変わっていく。 その後、イギリスは、インドの地方勢力との抗争(南部のマイソール戦争、中西部のマラータ戦争、シク戦争)に勝利し、最終的にインドの大半を植民地にした。 [[File:Sepoy Mutiny 1857.png|thumb|'''インド大反乱'''<br>反乱の直接の原因は、弾薬包の紙にヒンドゥー教の神聖史する牛の脂と、イスラーム教の忌避する豚の脂が使われ、これを噛み切らなければならないというウワサであった。]] 1857年、イギリス東インド会社の雇っていた傭兵集団('''シパーヒー''')が、(イギリス支配に対する)反乱を起こすと、反乱はまたたくまにインド全土に拡大した ('''インド大反乱''')。 シパーヒーは、名目だけの存在となっていたムガル皇帝を擁立して戦ったが、反乱はイギリス軍によって1859年には鎮圧されてしまい、ムガル皇帝は流刑(るけい)にあい、ムガル帝国は滅亡した。 その後インドは1877年、ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねることになり、イギリス支配下の'''インド帝国'''になった(1947年の独立まで、インド帝国はつづく。)。 そしてイギリスは、統治のため、宗教対立やカースト制度などを利用し、インド人同士の団結をふせぐ方針で統治を行った(特定の勢力だけを不公平に優遇することで、インド現地人の不満がイギリスに向かわずに、異なる宗教や異なるカーストのインド人にむかうように仕向けたので、このような支配の手法を「分割統治」という。)。 (なお、「分割統治」と名前の似ている「間接統治」はインド支配ではなく、東南アジア支配でイギリスが用いた手法。) [[カテゴリ:インドの歴史]]
2018-04-26T02:19:14Z
2023-09-28T08:35:24Z
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高等学校世界史B/東南アジアの植民地化
イギリスは、中国などとの貿易の必要から、1820年代ごろにシンガポールなどマレー半島の港を植民地にした。 さらに1820年代からイギリスは(当時はインドのとなりにあった)ビルマを侵略し、3度にわたるビルマ戦争(1826〜86年)を起こし、最終的にビルマはやぶれ、ビルマはインド帝国に併合された。 ベトナムでは16世紀以降、北部の鄭(てい)氏と 中南部の阮(げん)氏 が対立していた。 1771年にタイソン党が反乱を起こし、南北両朝とも倒された。 これに対し、阮(げん)氏 である阮福暎(げんふくえい)によるベトナムの統一戦争で、フランス人の宣教師ピニョーが協力をし、フランス本国からの義勇兵が協力した。 そして阮福暎は1802年にベトナム全土を統一し、阮朝を建て、国号をベトナム(越南)に定めた。この経緯から、ベトナムはフランスを優遇し、ベトナムにおいて他のヨーロッパ諸国よりもフランスの影響が強くなる。 1804年にベトナムは清に朝貢し、冊封(さくほう)を受けた。 19世紀なかば(1860年頃)、フランスは阮朝のカトリック宣教師への迫害を理由に、ベトナムに軍事介入を行い、ベトナム南部を割譲させた。 その後、劉永福(りゅう えいふく)が黒旗軍を組織して北部で抵抗運動を起こしたが、フランス軍が北部に進出した。 すると清朝がベトナムに対する宗主権を主張して派兵し、清仏戦争が起きた。 ベトナムの一部はフランスの植民地になってしまったが、しかし清(中国)とフランスがベトナムに対する宗主権を争ったので、1884年に清仏戦争が起き、清はやぶれて、清はベトナムに対する宗主権を失った。 フランスは1887年にベトナムとカンボジアをあわせてフランス領インドシナ連邦を結成し、のちにラオスも1899年にこれに編入した。 18世紀には、ジャワ島の大半はオランダの支配下になっており、オランダ東インド会社をとおして経営していた。18世紀末にオランダ東インド会社は解散したが、その領土はひきつづきオランダの支配下に置かれた。 タイは、東南アジアで唯一、植民地化をまぬがれた国である。その理由は、イギリス植民地(インド・ビルマ)とフランス植民地(ベトナム)との中間的な位置にあった幸運と、たくみな外交である。 19世紀後半、タイは、王室による貿易独占をやめ、タイは自由貿易に転じて開国した。また、外国人専門家を招くなどして、行政・司法・教育・軍事の近代化にも成功した。 この頃のタイ国王チュラロンコーン(ラーマ5世)が偉い。
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== シンガポールとビルマ == イギリスは、中国などとの貿易の必要から、1820年代ごろにシンガポールなどマレー半島の港を植民地にした。 さらに1820年代からイギリスは(当時はインドのとなりにあった)ビルマを侵略し、3度にわたる'''ビルマ戦争'''(1826〜86年)を起こし、最終的にビルマはやぶれ、ビルマはインド帝国に併合された。 == ベトナム == ベトナムでは16世紀以降、北部の鄭(てい)氏と 中南部の阮(げん)氏 が対立していた。 1771年にタイソン党が反乱を起こし、南北両朝とも倒された。 これに対し、阮(げん)氏 である阮福暎(げんふくえい)によるベトナムの統一戦争で、フランス人の宣教師ピニョーが協力をし、フランス本国からの義勇兵が協力した。 そして阮福暎は1802年にベトナム全土を統一し、阮朝を建て、国号をベトナム(越南)に定めた。この経緯から、ベトナムはフランスを優遇し、ベトナムにおいて他のヨーロッパ諸国よりもフランスの影響が強くなる。 1804年にベトナムは清に朝貢し、冊封(さくほう)を受けた。 19世紀なかば(1860年頃)、フランスは阮朝のカトリック宣教師への迫害を理由に、ベトナムに軍事介入を行い、ベトナム南部を割譲させた。 その後、劉永福(りゅう えいふく)が黒旗軍を組織して北部で抵抗運動を起こしたが、フランス軍が北部に進出した。 すると清朝がベトナムに対する宗主権を主張して派兵し、清仏戦争が起きた。 ベトナムの一部はフランスの植民地になってしまったが、しかし清(中国)とフランスがベトナムに対する宗主権を争ったので、1884年に'''清仏戦争'''が起き、清はやぶれて、清はベトナムに対する宗主権を失った。 フランスは1887年にベトナムとカンボジアをあわせてフランス領インドシナ連邦を結成し、のちにラオスも1899年にこれに編入した。 == ジャワ島 == 18世紀には、ジャワ島の大半はオランダの支配下になっており、オランダ東インド会社をとおして経営していた。18世紀末にオランダ東インド会社は解散したが、その領土はひきつづきオランダの支配下に置かれた。 == タイ == タイは、東南アジアで唯一、植民地化をまぬがれた国である。その理由は、イギリス植民地(インド・ビルマ)とフランス植民地(ベトナム)との中間的な位置にあった幸運と、たくみな外交である。 19世紀後半、タイは、王室による貿易独占をやめ、タイは自由貿易に転じて開国した。また、外国人専門家を招くなどして、行政・司法・教育・軍事の近代化にも成功した。 この頃のタイ国王チュラロンコーン(ラーマ5世)が偉い。 :(※ 検定教科書に彼の名前が乗ってるので、紹介さぜるを得ない。日本人にとって当時のタイ国王の名前は、本質的には、あまり重要ではない。重要なことは :'''「タイは植民地ならなかったので、幸運にも王室が(欧米によって)滅ぼされなかったので、タイでは21世紀の現代まで王室が続いている」''' :という事である。) [[カテゴリ:東南アジア史]]
2018-04-26T04:03:49Z
2023-09-28T08:41:34Z
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https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2B/%E6%9D%B1%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%8C%96
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高等学校世界史B/東アジアの激動
18世紀に入り清朝では平和がつづき、人口が増大したが、耕地が不足したので、しだいに社会の緊張は高まった。 そして18世紀末の1796年には白蓮教(びゃくれんきょう)の反乱が起きた。反乱は長引き、鎮圧に9年ほど、かかった。(1796〜1804年 : 白蓮教徒の乱) 特に、四川(しせん)と湖北(こほく)で、この反乱がひどかった。 (しかし、この反乱(白蓮教徒の乱)は、中国の植民地化とは、あまり関係が無い。) (中国を植民地化に追い込むのは、イギリスによるアヘン輸出である。) いっぽう、イギリスは貿易の自由化をもとめて、マカートニーやアマーストを清に派遣したが、しかし清は貿易自由化を拒否した。 このころヨーロッパでは紅茶を飲む習慣が広がり、中国産の茶の需要が高まっていたので、対清貿易はイギリスの赤字(輸入超過)となり、銀がイギリスから清に流出した。(当時の世界経済は、銀を貿易用の貨幣として用いていた) イギリスは貿易赤字を補填するために、インドで栽培したアヘンを秘密裏に清に輸出する密貿易を行った。 こうして、下記に述べる三角貿易が完成した。 三角貿易とは・・・ これが三角貿易である。 清は、アヘンの禁止を主張する林則徐(りん そくじょ)を広州に派遣し、アヘンの取締りを始めた。林則徐はアヘンを没収して廃棄させた。 するとイギリスは、(不道徳にも)アヘンの対清輸出の自由化を主張し、イギリス議会内でもアヘンの貿易には反対意見はあったが、最終的に開戦をし(アヘン戦争 : 1840〜42年)、イギリスが勝利した。 やぶれた清は、1842年に南京条約を締結させられた。 上記の3つが、南京条約の主な内容である。 しかし南京条約の締結後も、イギリスの商品は 清では あまり売れなかったらしい。 さらに翌43年にも別の条約が結ばれ(清がイギリスに対して結んだ条約)、この43年の条約により、領事裁判権や治外法権、清が関税自主権を失うこと(「協定関税制」という名目)、イギリスに対する最恵国待遇が、決められた。 こうして、清は(上述の)不平等条約をイギリスと結ぶことになった。 また1844年には、アメリカが、イギリスと同等の条約を、清に締結させた( 望厦条約(ぼうかじょうやく) )。 さらに同1844年、フランスも、イギリスと同等の条約を、清に締結させた( 黄埔条約(こうほじょうやく) )。 こうして清は、英米仏に対して、治外法権、関税自主権の喪失、などを認める羽目になった。 また、1845年にイギリスは上海に、(のちに)「租界」(そかい)と言われる、清の行政権が及ばない区域を設けさせた(事実上のイギリス領土)。以降、中国の主要な港町に、外国による租界が設けられていった。 1856年、イギリス船アロー号の船員(この船員は中国人)が、清によって海賊容疑で逮捕されるという事件が起き(アロー号事件)、イギリスはこれを口実に戦争(アロー戦争)をしかけ、英仏が出兵した。(アロー戦争のことを「第二次アヘン戦争」ともいう。) 英仏軍は天津(テンシン)にせまり、清は1858年に天津条約を締結させられた。しかし翌年、批准書の交換に来た使節の入京を清軍が阻止したことにより、英仏軍はまた派兵し、英仏軍は北京に攻め込み、離宮である円明園を略奪し、北京を占領して、1860年に英仏は清と北京条約を締結した。 北京条約の内容は・・・ が北京条約の内容である。 同じ頃、アヘン貿易も公認された。 ロシアはこの頃、清の苦境に乗じて、東シベリア総督ムラヴィヨフの圧力のもと、清に条約(アイグン条約)を1858年に結ばせ、ロシアはアムール川(黒竜江)以北を領有した。 また、清はこのように開国させられたので、従来の朝貢とは違った外交の事務が必要になったので、1861年に総理各国事務衙門(そうりかっこくじむがもん)を設けた。 なお、アイグン条約の時期(1858年)は、クリミア戦争(1853年)よりも、あとである。このことから、ロシアが東洋に進出していった理由のひとつとして、クリミア戦争にロシアがやぶれたことで、地中海進出が困難になったので、かわりに中国方面に進出しようとした事が考えられてる。(※ 検定教科書でも、東京書籍などが、クリミア戦争との時期的な関係を指摘している。) ※ 中学の復習。 ・ 太平天国は「滅満興漢」(めつまんこうかん)というスローガンを掲げた。(なお清国の王朝は、満州人の王朝である。) ・ また太平天国は理念として、アヘンの厳禁、纏足(てんそく)の禁止、弁髪の拒否、を掲げていた。 ・ 太平天国の母体となった組織は、宗教結社の「上帝会」(じょうていかい)である。この上帝会は、洪秀全が組織した宗教結社であり、キリスト教系の理念を掲げた。なお洪秀全は、自分はイエスの弟である、と自称していた。 ・ 清は、太平天国を鎮圧しようとする。(清王朝は、太平天国の敵。) ・ 太平天国を鎮圧したのは、清の中央軍ではなく、地方の義勇軍(※ タテマエ上は義勇軍)。漢人官僚が地方で動員した義勇軍であり、「郷勇」と言われた。 ・ 太平天国の乱が勃発した当初の1851年は、まだ北京条約(1860年)の調印前であり、当初の欧米列強は中立の立場をとっていた。 ・ しかし1860年以降、欧米列強は(利権維持のために)清政府を支援する立場を明確にする。アメリカ人ウォードやイギリス人ゴードンが清政府側の「常勝軍」を指揮して、清政府を助けた。 ・ 太平天国が反乱を起こした時期(1851年)は、アロー戦争(1856年)よりも前の時代。したがって、北京条約(1860年)よりも前の時代である。 1864年に南京は陥落し、反乱は終了する。そして清朝の中央政府では、漢人官僚の勢力が強まっていった。(「郷勇」などの活動で、漢人勢力が活躍したため) (上述の内容を、先に起きた順番に記すと(※ 検定教科書での説明方法)・・・、) 中国ではアヘン戦争の敗戦により、賠償金の支払いのために増税されたり、またアヘンの密輸のために銀が流出するなどして、経済が悪化したため、民衆の負担も高まり、人々の不満が高まっていった。そのような不満を背景に、イエスの弟を自称する洪秀全が、キリスト教系の理念を掲げる宗教結社「上帝会」を結成し、反乱を起こし、上帝会を母体とする反乱組織「太平天国」を1851年に結成した。 太平天国は理念として、アヘンの厳禁、纏足(てんそく)の禁止、弁髪の拒否、を掲げていた。なお、太平天国は、支配下の男性を使役するのはもちろん、支配下の女性も、使役のために動員した。 清は、太平天国を鎮圧しようして、漢人官僚によって地方の義勇軍(郷勇)を多く動員して、彼らに戦わせた。曾国藩(そうこくはん)の湘軍(しょうぐん)、李鴻章(りこうしょう)の淮軍(わいぐん)などが、郷勇として活躍した。 1864年に南京が陥落して、太平天国は滅亡した。1851年〜1864年の、14年間ほどの反乱は、こうして終了した。 太平天国の乱の終結後、清は欧米から、軍事技術や工業技術などを導入しようという運動がこころみられ( 洋務運動(ようむ うんどう) )、清朝の高級官僚である曽国藩・李鴻章・左宗棠(さそうとう)らの主導のもと、中国にも兵器工場や紡績工場がつくられた。また、鉄道の敷設(ふせつ)や、鉱山、電信などの新事業が行われた。 いっぽう、そのころの日本に、アヘン戦争での清の敗戦の知らせが、貿易相手のオランダなどを通して、幕府の上層部に伝わっていきました。 また、幕府のほかの民間の学者の中にも、アジアがヨーロッパに侵略されていっているという情勢(じょうせい)に気がつく者があらわれはじめてきます。 このあと、フランスなどの他のヨーロッパの国々も、イギリスのように、武力でアジアを支配するようになっていった。 日本の幕府は、貿易相手のオランダなどを通して清の敗戦を知ったこともあり、異国船打払い(いこくせん うちはらい)の方針を変えないと欧米と戦争になり、日本が侵略されてしまう、と考え、1842年に異国船打払いの方針をあらため、外国船に薪(たきぎ)や水・食料を補給(ほきゅう)することをゆるしました。
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"清は、太平天国を鎮圧しようして、漢人官僚によって地方の義勇軍(郷勇)を多く動員して、彼らに戦わせた。曾国藩(そうこくはん)の湘軍(しょうぐん)、李鴻章(りこうしょう)の淮軍(わいぐん)などが、郷勇として活躍した。", "title": "イギリスによる清の開国" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1864年に南京が陥落して、太平天国は滅亡した。1851年〜1864年の、14年間ほどの反乱は、こうして終了した。", "title": "イギリスによる清の開国" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "太平天国の乱の終結後、清は欧米から、軍事技術や工業技術などを導入しようという運動がこころみられ( 洋務運動(ようむ うんどう) )、清朝の高級官僚である曽国藩・李鴻章・左宗棠(さそうとう)らの主導のもと、中国にも兵器工場や紡績工場がつくられた。また、鉄道の敷設(ふせつ)や、鉱山、電信などの新事業が行われた。", "title": "洋務運動" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "いっぽう、そのころの日本に、アヘン戦争での清の敗戦の知らせが、貿易相手のオランダなどを通して、幕府の上層部に伝わっていきました。 また、幕府のほかの民間の学者の中にも、アジアがヨーロッパに侵略されていっているという情勢(じょうせい)に気がつく者があらわれはじめてきます。", "title": "日本への影響" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "このあと、フランスなどの他のヨーロッパの国々も、イギリスのように、武力でアジアを支配するようになっていった。", "title": "日本への影響" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "日本の幕府は、貿易相手のオランダなどを通して清の敗戦を知ったこともあり、異国船打払い(いこくせん うちはらい)の方針を変えないと欧米と戦争になり、日本が侵略されてしまう、と考え、1842年に異国船打払いの方針をあらため、外国船に薪(たきぎ)や水・食料を補給(ほきゅう)することをゆるしました。", 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== イギリスによる清の開国 == 18世紀に入り清朝では平和がつづき、人口が増大したが、耕地が不足したので、しだいに社会の緊張は高まった。 そして18世紀末の1796年には'''白蓮教'''(びゃくれんきょう)の反乱が起きた。反乱は長引き、鎮圧に9年ほど、かかった。(1796〜1804年 : 白蓮教徒の乱) 特に、四川(しせん)と湖北(こほく)で、この反乱がひどかった。 (しかし、この反乱('''白蓮教徒の乱''')は、中国の植民地化とは、あまり関係が無い。) (中国を植民地化に追い込むのは、イギリスによるアヘン輸出である。) [[File:The Reception.JPG|thumb|400px|イギリスで描かれた風刺画 <br> 乾隆帝(けんりゅうてい)とマカートニーの会見のようす。イギリス側を美化している。清朝は尊大であるというイメージで描かれている。]] いっぽう、イギリスは貿易の自由化をもとめて、'''マカートニー'''やアマーストを清に派遣したが、しかし清は貿易自由化を拒否した。 このころヨーロッパでは紅茶を飲む習慣が広がり、中国産の茶の需要が高まっていたので、対清貿易はイギリスの赤字(輸入超過)となり、銀がイギリスから清に流出した。(当時の世界経済は、銀を貿易用の貨幣として用いていた) イギリスは貿易赤字を補填するために、インドで栽培したアヘンを秘密裏に清に輸出する密貿易を行った。 こうして、下記に述べる'''三角貿易'''が完成した。 三角貿易とは・・・ :・ イギリスからインドには綿織物を輸出。 :・ インドから清にはアヘンを輸出。 :・ 清からイギリスには茶を輸出。 これが三角貿易である。 [[File:Opium War commented jp.png|thumb|400px|アヘン戦争<br>イギリスの軍艦は絵で右側にある小型の船である。このイギリス軍艦は蒸気船であるため、蒸気を出している。清軍の軍艦はジャンク型である。この絵の右側の赤丸で囲んだイギリス蒸気船が、絵の左側にある清軍の軍艦を砲撃している。]] 清は、アヘンの禁止を主張する'''林則徐'''(りん そくじょ)を広州に派遣し、アヘンの取締りを始めた。林則徐はアヘンを没収して廃棄させた。 するとイギリスは、(不道徳にも)アヘンの対清輸出の自由化を主張し、イギリス議会内でもアヘンの貿易には反対意見はあったが、最終的に開戦をし('''アヘン戦争''' : 1840〜42年)、イギリスが勝利した。 やぶれた清は、1842年に南京条約を締結させられた。 ;南京条約の内容 :・ 多額の賠償金の支払い。 :・ イギリスに香港(ホンコン)を割譲。 :・ 上海(シャンハイ)など長江以南の5港を開港。 上記の3つが、南京条約の主な内容である。 しかし南京条約の締結後も、イギリスの商品は 清では あまり売れなかったらしい。 さらに翌43年にも別の条約が結ばれ(清がイギリスに対して結んだ条約)、この43年の条約により、領事裁判権や治外法権、清が関税自主権を失うこと(「協定関税制」という名目)、イギリスに対する'''最恵国待遇'''が、決められた。 :この場合の「最恵国待遇」とは、もしイギリス以外の国(例えばフランスやアメリカなど)が清と条約を結んで、清から権利を獲得したら、清はイギリスにも同等の権利を与える義務がある、とする取り決め。 こうして、清は(上述の)不平等条約をイギリスと結ぶことになった。 また1844年には、アメリカが、イギリスと同等の条約を、清に締結させた( 望厦条約(ぼうかじょうやく) )。 さらに同1844年、フランスも、イギリスと同等の条約を、清に締結させた( 黄埔条約(こうほじょうやく) )。 こうして清は、英米仏に対して、治外法権、関税自主権の喪失、などを認める羽目になった。 また、1845年にイギリスは上海に、(のちに)「租界」(そかい)と言われる、清の行政権が及ばない区域を設けさせた(事実上のイギリス領土)。以降、中国の主要な港町に、外国による租界が設けられていった。 1856年、イギリス船アロー号の船員(この船員は中国人)が、清によって海賊容疑で逮捕されるという事件が起き(アロー号事件)、イギリスはこれを口実に戦争('''アロー戦争''')をしかけ、英仏が出兵した。(アロー戦争のことを「第二次アヘン戦争」ともいう。) 英仏軍は天津(テンシン)にせまり、清は1858年に天津条約を締結させられた。しかし翌年、批准書の交換に来た使節の入京を清軍が阻止したことにより、英仏軍はまた派兵し、英仏軍は北京に攻め込み、離宮である円明園を略奪し、北京を占領して、1860年に英仏は清と'''北京条約'''を締結した。 :※ 中学教科書では、北京条約や天津条約の内容を南京条約による結果として説明しており、中学では「北京条約」「天津条約」などの名前を出してない。 北京条約の内容は・・・ : 天津など11港の開港。 : キリスト教の中国内地での布教の自由の権利。(検定教科書では「キリスト教の内地布教権」と略す場合もある。) : 九竜(きゅうりゅう、カオルン)半島の先端部をイギリスに割譲。 : 外国行使の北京駐在。 が北京条約の内容である。 同じ頃、アヘン貿易も公認された。 ロシアはこの頃、清の苦境に乗じて、東シベリア総督ムラヴィヨフの圧力のもと、清に条約(アイグン条約)を1858年に結ばせ、ロシアはアムール川(黒竜江)以北を領有した。 また、清はこのように開国させられたので、従来の朝貢とは違った外交の事務が必要になったので、1861年に'''総理各国事務衙門'''(そうりかっこくじむがもん)を設けた。 * 備考 なお、アイグン条約の時期(1858年)は、クリミア戦争(1853年)よりも、あとである。このことから、ロシアが東洋に進出していった理由のひとつとして、クリミア戦争にロシアがやぶれたことで、地中海進出が困難になったので、かわりに中国方面に進出しようとした事が考えられてる。(※ 検定教科書でも、東京書籍などが、クリミア戦争との時期的な関係を指摘している。) === 太平天国の乱 === ※ 中学の復習。 清は多額の賠償金を払うため、国民に重い税をかけた。このことが清国民の不満を高めた。また、もともと清の王朝は満州族の王朝であり、漢民族などは満州族による支配には不満をいだいていた。 '''洪秀全'''(こう しゅうぜん、ホンシウチュワン)を中心にする、満州族の政府である清国政府を倒そうとする反乱が1851年に起き、南京を拠点にして'''太平天国'''(たいへい てんごく)という国が、一時的に作られた。 この乱を、'''太平天国の乱'''(たいへいてんごく の らん)という。 太平天国は、運動の理想として、農民たちに土地を平等に分け与えることなどをかかげて、農民たちに支持されました。 しかし、イギリスなどの支援を受けた清国政府によって、太平天国は倒され、1864年には太平天国の拠点だった南京も占領され、洪秀全も自殺しました。 ;結果 太平天国の乱 は失敗する。 洪秀全は死亡(自殺)。 ---- ;高校の範囲。 * 太平天国について ・ 太平天国は「滅満興漢」(めつまんこうかん)というスローガンを掲げた。(なお清国の王朝は、満州人の王朝である。) ・ また太平天国は理念として、アヘンの厳禁、纏足(てんそく)の禁止、弁髪の拒否、を掲げていた。 ::(弁髪は満州人の風習である。だから、「満州人の王朝を滅ぼそう」と考える太平天国は、弁髪を強制しようとする満州人の要求を拒否するわけである。) ::なお、太平天国は、支配下の男性を使役するのはもちろん、支配下の女性も、使役のために動員した。 ・ 太平天国の母体となった組織は、宗教結社の「上帝会」(じょうていかい)である。この上帝会は、洪秀全が組織した宗教結社であり、キリスト教系の理念を掲げた。なお洪秀全は、自分はイエスの弟である、と自称していた。 * 政府の対応 ・ 清は、太平天国を鎮圧しようとする。(清王朝は、太平天国の敵。) ・ 太平天国を鎮圧したのは、清の中央軍ではなく、地方の義勇軍(※ タテマエ上は義勇軍)。漢人官僚が地方で動員した義勇軍であり、「郷勇」と言われた。 ::代表的な郷勇としては、曾国藩(そうこくはん、※ 人名)の湘軍(しょうぐん)、李鴻章(りこうしょう、※ 人名)の淮軍(わいぐん)などがある。 * 欧米の対応 ・ 太平天国の乱が勃発した当初の1851年は、まだ北京条約(1860年)の調印前であり、当初の欧米列強は中立の立場をとっていた。 ・ しかし1860年以降、欧米列強は(利権維持のために)清政府を支援する立場を明確にする。アメリカ人ウォードやイギリス人ゴードンが清政府側の「常勝軍」を指揮して、清政府を助けた。 * 発生時期と原因 ・ 太平天国が反乱を起こした時期(1851年)は、'''アロー戦争(1856年)よりも前'''の時代。したがって、北京条約(1860年)よりも前の時代である。 ::なので、つまり、アヘン戦争での中国の敗戦による南京条約(1842年)によって中国民衆の不満が高まったことが、太平天国の反乱の原因である。太平天国の原因になった条約は、(おそらくは)'''南京条約'''である。北京条約や天津条約は、原因ではない。(※ 日本の中学歴史で、「南京条約」ばかりを代表的に紹介しているのも、おそらくは、そのような理由。) * 結果 1864年に南京は陥落し、反乱は終了する。そして清朝の中央政府では、漢人官僚の勢力が強まっていった。(「郷勇」などの活動で、漢人勢力が活躍したため) <br> ---- (上述の内容を、先に起きた順番に記すと(※ 検定教科書での説明方法)・・・、) 中国ではアヘン戦争の敗戦により、賠償金の支払いのために増税されたり、またアヘンの密輸のために銀が流出するなどして、経済が悪化したため、民衆の負担も高まり、人々の不満が高まっていった。そのような不満を背景に、イエスの弟を自称する洪秀全が、キリスト教系の理念を掲げる宗教結社「上帝会」を結成し、反乱を起こし、上帝会を母体とする反乱組織「太平天国」を1851年に結成した。 太平天国は理念として、アヘンの厳禁、纏足(てんそく)の禁止、弁髪の拒否、を掲げていた。なお、太平天国は、支配下の男性を使役するのはもちろん、支配下の女性も、使役のために動員した。 清は、太平天国を鎮圧しようして、漢人官僚によって地方の義勇軍(郷勇)を多く動員して、彼らに戦わせた。曾国藩(そうこくはん)の湘軍(しょうぐん)、李鴻章(りこうしょう)の淮軍(わいぐん)などが、郷勇として活躍した。 1864年に南京が陥落して、太平天国は滅亡した。1851年〜1864年の、14年間ほどの反乱は、こうして終了した。 == 洋務運動 == 太平天国の乱の終結後、清は欧米から、軍事技術や工業技術などを導入しようという運動がこころみられ( '''洋務運動'''(ようむ うんどう) )、清朝の高級官僚である曽国藩・李鴻章・左宗棠(さそうとう)らの主導のもと、中国にも兵器工場や紡績工場がつくられた。また、鉄道の敷設(ふせつ)や、鉱山、電信などの新事業が行われた。 :なお、この洋務運動は、けっして議会制民主主義や民主主義の選挙制度を導入しようというものではなく、そのことによって、後世の歴史家から「中体西用」(ちゅうたいせいよう)と言われている。(※ 東京書籍の教科書によると、「中体西用」は当時のスローガンではなく、後世につくられた用語だと書かれている。) :「中体西用」の意味は、「中国の伝統的な政治制度のまま、西洋の科学技術を導入して活用しようとした」という意味である。 :なお「洋務運動」という語もまた、じつは後世につくられた用語である(※ 東京書籍の見解)。だが、上述のような運動があった事自体は事実だし、現代では近代中国史の歴史学の用語として「洋務運動」は定着している。 == 日本への影響 == いっぽう、そのころの日本に、アヘン戦争での清の敗戦の知らせが、貿易相手のオランダなどを通して、幕府の上層部に伝わっていきました。 また、幕府のほかの民間の学者の中にも、アジアがヨーロッパに侵略されていっているという情勢(じょうせい)に気がつく者があらわれはじめてきます。 このあと、フランスなどの他のヨーロッパの国々も、イギリスのように、武力でアジアを支配するようになっていった。 日本の幕府は、貿易相手のオランダなどを通して清の敗戦を知ったこともあり、異国船打払い(いこくせん うちはらい)の方針を変えないと欧米と戦争になり、日本が侵略されてしまう、と考え、1842年に異国船打払いの方針をあらため、外国船に薪(たきぎ)や水・食料を補給(ほきゅう)することをゆるしました。 [[カテゴリ:アジア史]]
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2022-11-24T08:54:47Z
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高等学校世界史B/欧米列強の内部情勢
1870年の普仏戦争後、ドイツではビスマルク宰相がひきつづきドイツ政治を主導していた。 ドイツ内ではカトリックは少数派だったが、フランスや南欧諸国にカトリックが多かったこともあり、1871年頃からビスマルクはカトリックを弾圧した(文化闘争)。 1873年になると、欧米の経済では大きな恐慌が起きた。 恐慌以前からヨーロッパ各地では社会主義運動や労働運動があったが、恐慌で更に(さらに)労働運動が活発化した。 1875年にドイツ政治では社会主義労働者党が台頭した。 するとビスマルクは、(社会主義者による革命をおそれたのか、はたまた政敵を妨害するためか)1878年に社会主義者鎮圧法を制定したが、一方で公的な疾病保険などの社会福祉を充実させるなどの政策を行なった。 貿易においてビスマルクは、1879年にドイツ国内産業を保護するため保護関税法を導入した。1873年の大恐慌後のことである。 外交においてビスマルクは、フランスを孤立化させるため、1873年にはオーストリア・ロシアとの三帝同盟を、1882年にはオーストリア・イタリアとの三国同盟を行うなど、巧みな外交手腕をもちいた(ビスマルク外交)。なお、1887年に三帝同盟が失効するので、更新のためロシアと再保障条約を1887年に結んだ。(しかし、この再保障条約は1890年に新皇帝によって拒否され、1890年に条約が終了してしまう。) なお、日本から伊藤博文などの使節がドイツを含む欧州にやってきた時期は、1870年代である。 1888年に新皇帝ヴィルヘルム2世が即位すると、ビスマルクは新皇帝と政策があわずに対立し、1890年にビスマルクは辞職した。(普仏戦争のときにヴェルサイユ宮殿で即位した人物はヴィルヘルム1世である。2世でないことに注意。) 新皇帝ヴィルヘルム2世は親政を開始し、対外膨張政策を主張し(「世界政策」)、再保障条約を拒否し、海軍を増強して大規模な艦隊建設を行った。そのためイギリスと競合し、イギリスとドイツは建艦競走を繰り広げることになった。 (なお、再保障条約を打ち切られた側であるロシアはドイツの敵であるフランスと接近し、1891年にロシアとフランスが露仏同盟を結んだことにより、フランスの孤立が解消される。) (さて、1895年ごろの日清戦争の戦後交渉において、ドイツ・フランス・ロシアが日本に三国干渉する。しかし1895年よりも前に三帝同盟や再保障条約は終了しており、どうやらビスマルク外交の三帝同盟は、三国干渉とは直接の関係は無さそうである。) 1890年に社会主義者鎮圧法が廃止されると、社会主義労働者党は社会民主党に改名し、その社会民主党が勢力を伸ばし、1912年には第一党になった。また、社会民主党は革命路線を捨て、資本主義と妥協しながら労働環境などの改善を目指す「修正主義」になった。修正主義を提唱した主な人物にベルンシュタインなどがある。 上記の通り、ドイツのビスマルク外交によってフランスはしばらく外交的には孤立していたが、ビスマルクの失脚によってロシア外交はフランスに接近し、1891年に露仏同盟が結ばれた。 このため経済では、フランスによるロシアへの投資が活発になった。 (後の1904年には、イギリスと英仏協商を結ぶ。) フランス国内では第三共和政は当初、政情が不安定であり、1880年代後半にはクーデター騒ぎ(ブーランジュ事件)があった。(対ドイツ強硬論者として国民的人気のあった陸軍大臣ブーランジェが1887〜89年にクーデターを起こしたが失敗し、彼は自殺した。) また、1894年には、ユダヤ系軍人ドレフュスのスパイ容疑をめぐってドレフュス事件が起きた。 ユダヤ系軍人のドレフュスに、(※ カッコ内は範囲外: ドイツのスパイとしての)スパイ容疑がかけられ、当初は終身刑が言い渡されたが、のちに冤罪が判明した。しかし軍部は撤回しなかったので、世論が反発した。(※ 当時、イスラエルなどのユダヤ国家は無い。ユダヤ国家のスパイ容疑ではなく、ドイツのスパイ容疑。)(※ 背景として、フランス国内での反ドイツ感情がある。ブーランジュ事件も反ドイツだし、高校生は関連づけて覚えよう。) 作家ゾラはドレフュス支持を表明した。 最終的に1906年にドレフュスは無罪として釈放され、この騒動は収束した。 植民地政策では、モロッコなどに植民地を拡大していった。 (※ ロシア革命以前のロシア政治は、皇帝による専制である。 革命前のレーニンの活動について、この項では詳しくは触れない。) 1890年には露仏同盟が結成された。 1891年にはシベリア鉄道の建設が始まった。(日清戦争(1894年)よりも前の出来事である。) ※ 日清戦争で日本が開戦をした背景として、(検定教科書には紹介されてない説だが、)日本側の考えで「もしシベリア鉄道が完成したら、ロシアは軍隊を簡単に東アジアに動員できるようになってしまい、東アジアは簡単にロシアに侵略されてしまう」という警戒があったのだろう、という説がある。だから日本は、「シベリア鉄道が完成しないうちに、先に日本が朝鮮半島周辺を領有してしまおう」と考えたのかもしれない、という説がある。 さて、このころロシアでは、専制への不満から社会主義思想が高まっており、社会主義政党をつくろうという熱も高まっていた。 しかしロシアに政治結社の自由はなく、1898年に創設されたばかりのロシア社会民主労働党は、警察などによる取り締まりを受けてしまい、ロシア社会民主労働党は非合法化する羽目になった。(つまり、ロシア国会の政党ではない。) 日露戦争のさなか、血の日曜日事件が起きると、各地で農民放棄とストライキが発生した。また大都市の工場では、1905年には労働者によるストライキの指導機関などとして「ソヴィエト」(「会議」の意味)が設立された。(名前はのちのソヴィエト連邦の「ソヴィエト」と同じだが、実情は異なる。そもそも、ソヴィエト連邦のほうが、先に存在したストライキ機関「ソヴィエト」の名前を真似た。) これらの1905年ごろの出来事を歴史学では「第一次ロシア革命」と呼んでいる。ただし、この時点ではまだロシアに王室が残っている。 ニコライ2世は反政府運動をおちつかせるため、同1905年、ニコライ2世は国会の開設を約束し(「十月宣言」または「十月勅令(-ちょくれい)」)、一時的に自由派の首相ウィッテを首相に任命したが、しかし(ニコライたちは国民を裏切り、)後任の首相になったストルイピンは議会を解散して、専制政治を復活させた。 ストルイピンは農村共同体(ミール)の解体などの改革を行った。(おそらく彼は「ミールが反政府革命運動の母体のひとつ」と考えたのだろう。) 1925年にソ連が制作した宣伝映画『戦艦ポチョムキン』という作品がある。この作品の元になった出来事は、日露戦争中にロシア海軍の戦艦ポチョムキンの乗組員たちが起こした反乱である。もし参考書に「この頃に海軍の反乱がどうこう〜〜」とか書かれていたら、ポチョムキンの反乱のことを言っていると思われる。ポチョムキンの乗組員たちは待遇が悪かったので反乱を起こしたようであり、べつに日本軍の味方をしたわけではない。 この事件は第一次ロシア革命の中の一つの出来事にすぎないため、歴史学的にはあまり重要ではない。そのため、この反乱が入試に出る可能性はまずない。しかし、『戦艦ポチョムキン』が映画史上重要な作品であることから、規模と影響に比してよく知られている事件である。 1898年に創設されたばかりのロシア社会民主労働党は警察などによる取り締まりを受け、非合法化する羽目になった。(つまり、ロシア国会の政党ではない。) ロシア社会民主労働党の1903年の党大会では党が分裂し、レーニンを中心として武力革命すら辞さないで革命を追求するボリシェビキと、武力革命は支持せずに議会参加を目指したり資本家との妥協や合法的活動をめざすメンシェビキとが対立した。 1905年の第一次ロシア革命で、社会主義者たちは結局帝政の政権を奪う事ができず、レーニンは後に1917年の十月革命(現在の教科書では当時使われていたユリウス暦ではなく、現在一般的なグレゴリオ暦で十一月革命と表記されることも多い)を起こすのであった。 1865年に南北戦争が終結した。1869年には最初の大陸横断鉄道が完成した。 南北戦争後、アメリカ経済では特に北部の工業が発展し、鉄鋼業などを中心にして北部の重化学工業が発展した。大企業経営者として有名なカーネギー(鉄鋼業)やロックフェラー(石油)は、このころの時代の人物である。 しだいに労働運動もさかんになり、1886年にはアメリカ労働総同盟が結成された。 1890年にはフロンティアの消失が宣言された。(フロンティア消失のこともあって、この頃からアメリカは、海外進出に関心をもちはじめる。) 共和党のマッキンリー大統領(在任: 1897〜1901)の時代には、キューバの独立運動の支援を理由にして1898年にアメリカ=スペイン戦争を起こし、スペインに勝利した。 その結果、アメリカはプエルトリコ・グアム・フィリピンを領有した。また、戦争の結果キューバはスペインから独立したものの、アメリカの保護国におかれた。 なお、同1898年にハワイを併合した。 1899年にはアメリカの国務長官ジョン=ヘイが中国市場への進出をねらい門戸開放宣言を出した。 また、アメリカはラテンアメリカの進出をねらい、1901年に就任した大統領セオドア=ローズヴェルト(共和党)(在位 1901〜09)は、カリブ海政策として棍棒外交(こんぼう がいこう)とも呼ばれる武力を背景にした外交を展開した。 また、1903年にはパナマをコロンビアから分離独立させた。1914年にはパナマ運河を完成させた。 つぎのタフト大統領(共和党)(在位 1909〜13)の時代には、・・・(※ 参考文献の不足のため、未記述。高校カリキュラムには、近年になって入ってきた話題のようであり、2010年ごろまでの参考書には書かれてない。)「ドル外交」 タフトのつぎのウィルソン大統領(民主党)(在位 1913〜21)の時代には、メキシコがメキシコ革命によって動乱中のため、アメリカ合衆国はメキシコに軍事介入した。 なおパナマ運河はウィルソン政権の時代の1914年に完成した。 ウィルソンは国内的には、反トラスト法の強化、労働者保護立法など、中下位層の人々に配慮した政策を行った。
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== ドイツ == 1870年の普仏戦争後、ドイツではビスマルク宰相がひきつづきドイツ政治を主導していた。 ドイツ内ではカトリックは少数派だったが、フランスや南欧諸国にカトリックが多かったこともあり、1871年頃からビスマルクはカトリックを弾圧した('''文化闘争''')。 1873年になると、欧米の経済では大きな恐慌が起きた。 恐慌以前からヨーロッパ各地では社会主義運動や労働運動があったが、恐慌で更に(さらに)労働運動が活発化した。 1875年にドイツ政治では社会主義労働者党が台頭した。 するとビスマルクは、(社会主義者による革命をおそれたのか、はたまた政敵を妨害するためか)1878年に'''社会主義者鎮圧法'''を制定したが、一方で公的な疾病保険などの社会福祉を充実させるなどの政策を行なった。 :(※ 高校『政治経済』の範囲内 : ) 1883年にドイツで世界でさいしょの社会保険制度がビスマルクによって創設されたが、この政策は社会主義者鎮圧法と同時につくられた政策だったため、この政策は「飴と鞭」(読み: アメとムチ)と呼ばれた。「飴」は被治者の喜ぶ政策、「鞭」は反体制派への無慈悲な弾圧を意味する。 (上述のように、世界で最初に国民全てをカバーするような社会保障制度を実現した人物はいわゆる左翼運動家ではなく、国家主義者であるドイツのビスマルクであった。) 貿易においてビスマルクは、1879年にドイツ国内産業を保護するため保護関税法を導入した。1873年の大恐慌後のことである。 外交においてビスマルクは、フランスを孤立化させるため、1873年にはオーストリア・ロシアとの三帝同盟を、1882年にはオーストリア・イタリアとの三国同盟を行うなど、巧みな外交手腕をもちいた(ビスマルク外交)。なお、1887年に三帝同盟が失効するので、更新のためロシアと再保障条約を1887年に結んだ。(しかし、この再保障条約は1890年に新皇帝によって拒否され、1890年に条約が終了してしまう。) なお、日本から伊藤博文などの使節がドイツを含む欧州にやってきた時期は、1870年代である。 1888年に新皇帝ヴィルヘルム2世が即位すると、ビスマルクは新皇帝と政策があわずに対立し、1890年にビスマルクは辞職した。(普仏戦争のときにヴェルサイユ宮殿で即位した人物はヴィルヘルム1世である。2世でないことに注意。) 新皇帝ヴィルヘルム2世は親政を開始し、対外膨張政策を主張し(「世界政策」)、再保障条約を拒否し、海軍を増強して大規模な艦隊建設を行った。そのためイギリスと競合し、イギリスとドイツは建艦競走を繰り広げることになった。 (なお、再保障条約を打ち切られた側であるロシアはドイツの敵であるフランスと接近し、1891年にロシアとフランスが'''露仏同盟'''を結んだことにより、フランスの孤立が解消される。) (さて、1895年ごろの日清戦争の戦後交渉において、ドイツ・フランス・ロシアが日本に三国干渉する。しかし1895年よりも前に三帝同盟や再保障条約は終了しており、どうやらビスマルク外交の三帝同盟は、三国干渉とは直接の関係は無さそうである。) 1890年に社会主義者鎮圧法が廃止されると、社会主義労働者党は社会民主党に改名し、その社会民主党が勢力を伸ばし、1912年には第一党になった。また、社会民主党は革命路線を捨て、資本主義と妥協しながら労働環境などの改善を目指す「修正主義」になった。修正主義を提唱した主な人物にベルンシュタインなどがある。 == フランス == 上記の通り、ドイツのビスマルク外交によってフランスはしばらく外交的には孤立していたが、ビスマルクの失脚によってロシア外交はフランスに接近し、1891年に露仏同盟が結ばれた。 このため経済では、フランスによるロシアへの投資が活発になった。 (後の1904年には、イギリスと英仏協商を結ぶ。) フランス国内では第三共和政は当初、政情が不安定であり、1880年代後半にはクーデター騒ぎ('''ブーランジュ事件''')があった。(対ドイツ強硬論者として国民的人気のあった陸軍大臣ブーランジェが1887〜89年にクーデターを起こしたが失敗し、彼は自殺した。) また、1894年には、ユダヤ系軍人ドレフュスのスパイ容疑をめぐって'''ドレフュス事件'''が起きた。 ユダヤ系軍人のドレフュスに、(※ カッコ内は範囲外: ドイツのスパイとしての)スパイ容疑がかけられ、当初は終身刑が言い渡されたが、のちに冤罪が判明した。しかし軍部は撤回しなかったので、世論が反発した。(※ 当時、イスラエルなどのユダヤ国家は無い。ユダヤ国家のスパイ容疑ではなく、ドイツのスパイ容疑。)(※ 背景として、フランス国内での反ドイツ感情がある。ブーランジュ事件も反ドイツだし、高校生は関連づけて覚えよう。) 作家ゾラはドレフュス支持を表明した。 最終的に1906年にドレフュスは無罪として釈放され、この騒動は収束した。 植民地政策では、モロッコなどに植民地を拡大していった。 == ロシア == (※ ロシア革命以前のロシア政治は、皇帝による専制である。 革命前のレーニンの活動について、この項では詳しくは触れない。) 1890年には露仏同盟が結成された。 1891年にはシベリア鉄道の建設が始まった。(日清戦争(1894年)よりも前の出来事である。) ※ 日清戦争で日本が開戦をした背景として、(検定教科書には紹介されてない説だが、)日本側の考えで「もしシベリア鉄道が完成したら、ロシアは軍隊を簡単に東アジアに動員できるようになってしまい、東アジアは簡単にロシアに侵略されてしまう」という警戒があったのだろう、という説がある。だから日本は、「シベリア鉄道が完成しないうちに、先に日本が朝鮮半島周辺を領有してしまおう」と考えたのかもしれない、という説がある{{要出典}}。 さて、このころロシアでは、専制への不満から社会主義思想が高まっており、社会主義政党をつくろうという熱も高まっていた。 しかしロシアに政治結社の自由はなく、1898年に創設されたばかりのロシア社会民主労働党は、警察などによる取り締まりを受けてしまい、ロシア社会民主労働党は非合法化する羽目になった。(つまり、ロシア国会の政党ではない。) [[File:Vladimirov-krocvavoe-voskr.jpg|thumb|400px|'''血の日曜日事件'''<br>日露戦争中のロシアで、民衆が生活の窮状からの救済を請願するために、司祭ガボンに率いられて集団で行進を行ったところ、軍隊は民衆の集団に発砲し、多数の死者が出た。]] 日露戦争のさなか、'''血の日曜日事件'''が起きると、各地で農民放棄とストライキが発生した。また大都市の工場では、1905年には労働者によるストライキの指導機関などとして「'''ソヴィエト'''」(「会議」の意味)が設立された。(名前はのちのソヴィエト連邦の「ソヴィエト」と同じだが、実情は異なる。そもそも、ソヴィエト連邦のほうが、先に存在したストライキ機関「ソヴィエト」の名前を真似た。) これらの1905年ごろの出来事を歴史学では「'''第一次ロシア革命'''」と呼んでいる。ただし、この時点ではまだロシアに王室が残っている。 ニコライ2世は反政府運動をおちつかせるため、同1905年、ニコライ2世は国会の開設を約束し(「十月宣言」または「十月勅令(-ちょくれい)」)、一時的に自由派の首相ウィッテを首相に任命したが、しかし(ニコライたちは国民を裏切り、)後任の首相になった'''ストルイピン'''は議会を解散して、専制政治を復活させた。 ストルイピンは農村共同体(ミール)の解体などの改革を行った。(おそらく彼は「ミールが反政府革命運動の母体のひとつ」と考えたのだろう。) * まめちしき 1925年にソ連が制作した宣伝映画『戦艦ポチョムキン』という作品がある。この作品の元になった出来事は、日露戦争中にロシア海軍の戦艦ポチョムキンの乗組員たちが起こした反乱である。もし参考書に「この頃に海軍の反乱がどうこう〜〜」とか書かれていたら、ポチョムキンの反乱のことを言っていると思われる。ポチョムキンの乗組員たちは待遇が悪かったので反乱を起こしたようであり、べつに日本軍の味方をしたわけではない。 この事件は第一次ロシア革命の中の一つの出来事にすぎないため、歴史学的にはあまり重要ではない。そのため、この反乱が入試に出る可能性はまずない。しかし、『戦艦ポチョムキン』が映画史上重要な作品であることから、規模と影響に比してよく知られている事件である。 === ロシアの政治情勢 === 1898年に創設されたばかりの'''ロシア社会民主労働党'''は警察などによる取り締まりを受け、非合法化する羽目になった。(つまり、ロシア国会の政党ではない。) ロシア社会民主労働党の1903年の党大会では党が分裂し、レーニンを中心として武力革命すら辞さないで革命を追求する'''ボリシェビキ'''と、武力革命は支持せずに議会参加を目指したり資本家との妥協や合法的活動をめざすメンシェビキとが対立した。 1905年の第一次ロシア革命で、社会主義者たちは結局帝政の政権を奪う事ができず、レーニンは後に1917年の十月革命(現在の教科書では当時使われていたユリウス暦ではなく、現在一般的なグレゴリオ暦で十一月革命と表記されることも多い)を起こすのであった。 == アメリカ == [[Image:Tr-bigstick-cartoon.JPG|thumb|250px|セオドア=ローズヴェルトの「棍棒外交」の風刺画。 大統領自身が「棍棒を持って、おだやかに話せば、遠くまで行ける」と語ったので、棍棒外交といわれた。]] 1865年に南北戦争が終結した。1869年には最初の'''大陸横断鉄道'''が完成した。 南北戦争後、アメリカ経済では特に北部の工業が発展し、鉄鋼業などを中心にして北部の重化学工業が発展した。大企業経営者として有名なカーネギー(鉄鋼業)やロックフェラー(石油)は、このころの時代の人物である。 しだいに労働運動もさかんになり、1886年には'''アメリカ労働総同盟'''が結成された。 1890年にはフロンティアの消失が宣言された。(フロンティア消失のこともあって、この頃からアメリカは、海外進出に関心をもちはじめる。) 共和党のマッキンリー大統領(在任: 1897〜1901)の時代には、キューバの独立運動の支援を理由にして1898年にアメリカ=スペイン戦争を起こし、スペインに勝利した。 その結果、アメリカはプエルトリコ・グアム・フィリピンを領有した。また、戦争の結果キューバはスペインから独立したものの、アメリカの保護国におかれた。 なお、同1898年にハワイを併合した。 1899年にはアメリカの国務長官ジョン=ヘイが中国市場への進出をねらい'''門戸開放宣言'''を出した。 また、アメリカはラテンアメリカの進出をねらい、1901年に就任した大統領セオドア=ローズヴェルト(共和党)(在位 1901〜09)は、'''カリブ海政策'''として<big>'''棍棒外交'''</big>(こんぼう がいこう)とも呼ばれる武力を背景にした外交を展開した。 また、1903年にはパナマをコロンビアから分離独立させた。1914年には'''パナマ運河'''を完成させた。 つぎのタフト大統領(共和党)(在位 1909〜13)の時代には、・・・(※ 参考文献の不足のため、未記述。高校カリキュラムには、近年になって入ってきた話題のようであり、2010年ごろまでの参考書には書かれてない。)「ドル外交」 タフトのつぎのウィルソン大統領(民主党)(在位 1913〜21)の時代には、メキシコがメキシコ革命によって動乱中のため、アメリカ合衆国はメキシコに軍事介入した。 なおパナマ運河はウィルソン政権の時代の1914年に完成した。 ウィルソンは国内的には、反トラスト法の強化、労働者保護立法など、中下位層の人々に配慮した政策を行った。
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2019-04-06T05:43:51Z
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高等学校世界史B/1900年前後のアジア情勢
フィリピンでは1896年に、スペインからの独立を目指すフィリピン革命が始まった。 1898年にアメリカ=スペイン戦争が起きると、当初アメリカは革命派を支持したが、アメリカがスペインに勝利すると、アメリカがフィリピンの領有権をしはじめ、アメリカはフィリピンに侵攻し、そしてフィリピンはアメリカの植民地となった。 なお、革命前からフィリピンでは、ホセ=リサールらが民族主義の言論を主張していた。ホセ自身は革命の指導者ではない。 なお、同1898年、ハワイをアメリカは併合した。 日露戦争(1904年)後、ベトナムでは知識人たちが、清仏戦争によってフランスの植民地になってしまった祖国ベトナムに対して、植民地支配脱却のため、日露戦争に勝利した日本に学ぼうと(ドンズー運動(東遊運動))、日本に留学生を送る運動をした。ファン=ボイチャウなどが、ドンズー運動すべきと主張し、「維新会」を組織した。 しかし日本政府は、欧米との協調路線のために、日本に来たヴェトナム人留学生を追放した。 日清戦争後、ヨーロッパ列強は中国に利権をつぎつぎと獲得していったが、アメリカは利権獲得に出遅れた。 そこでアメリカは、他の列強への牽制のため、1899〜1890年に国務長官ジョン=ヘイが対中貿易の門戸開放・機会均等および中国の領土保全を提唱する門戸開放宣言を出した。 これとは別に、日清戦争後の1898年、知識人の康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)たちが中国の敗戦をうれいて、中国でも日本の明治維新にならった政治改革をすべしと提唱し、その改革案は光緒帝に支持されたが、しかし改革開始の3ヶ月後に、改革に反対する保守派が西太后をかつぎだしてクーデターを起こし、皇帝は幽閉され、改革は失敗した(戊戌の政変 (ぼじゅつ の せいへん) )。 そして康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)は、日本に亡命した。 (その後、1900年に義和団事件が起きる。)
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== 東南アジア情勢 == フィリピンでは1896年に、スペインからの独立を目指す'''フィリピン革命'''が始まった。 1898年にアメリカ=スペイン戦争が起きると、当初アメリカは革命派を支持したが、アメリカがスペインに勝利すると、アメリカがフィリピンの領有権をしはじめ、アメリカはフィリピンに侵攻し、そしてフィリピンはアメリカの植民地となった。 なお、革命前からフィリピンでは、ホセ=リサールらが民族主義の言論を主張していた。ホセ自身は革命の指導者ではない。 [[File:Liliuokalani, photograph by Prince, of Washington.jpg|thumb|ハワイのリリウオカラニ女王<br>カメハメハ王朝の女王であったが、アメリカの圧力により退位させられ、ハワイはアメリカに併合された。]] なお、同1898年、ハワイをアメリカは併合した。 [[File:Mr. Phan Boi Chau.jpg|thumb|left|ファン=ボイチャウ]] 日露戦争(1904年)後、ベトナムでは知識人たちが、清仏戦争によってフランスの植民地になってしまった祖国ベトナムに対して、植民地支配脱却のため、日露戦争に勝利した日本に学ぼうと('''ドンズー運動'''(東遊運動))、日本に留学生を送る運動をした。'''ファン=ボイチャウ'''などが、ドンズー運動すべきと主張し、「維新会」を組織した。 しかし日本政府は、欧米との協調路線のために、日本に来たヴェトナム人留学生を追放した。 == 中国情勢 == 日清戦争後、ヨーロッパ列強は中国に利権をつぎつぎと獲得していったが、アメリカは利権獲得に出遅れた。 そこでアメリカは、他の列強への牽制のため、1899〜1890年に国務長官'''ジョン=ヘイ'''が対中貿易の門戸開放・機会均等および中国の領土保全を提唱する'''門戸開放宣言'''を出した。 これとは別に、日清戦争後の1898年、知識人の康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)たちが中国の敗戦をうれいて、中国でも日本の明治維新にならった政治改革をすべしと提唱し、その改革案は光緒帝に支持されたが、しかし改革開始の3ヶ月後に、改革に反対する保守派が西太后をかつぎだしてクーデターを起こし、皇帝は幽閉され、改革は失敗した('''戊戌の政変''' (ぼじゅつ の せいへん) )。 そして康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)は、日本に亡命した。 (その後、1900年に義和団事件が起きる。) [[カテゴリ:アジア史]]
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2022-11-24T08:54:28Z
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中学校社会 歴史/産業革命と欧米諸国
17世紀でのヨーロッパの工業は主に手工業だった。 しかし18世紀の後半ごろから、イギリスでは蒸気機関(じょうき きかん)を動力とする機械が、さかんに工業に使われ始めた。蒸気機関とは、石炭で湯をわかし、発生した蒸気の圧力で、物を動かしたりする装置である。 ワットなどの発明家・技術者が蒸気機関を改良していった。 イギリスでの蒸気機関の実用化により、イギリスの工業生産力が飛躍的に高まった。イギリスでは、製鉄業、機械工業、造船業などが、さかんになった。このような蒸気機関の実用化などによる、工業の機械化と工業力の飛躍的な進展のことを、産業革命(さんぎょう かくめい)と言う。 さらに汽車がスチーブンソンにより発明され、鉄道により、イギリスの交通が発達した。 イギリスの各地にはマンチェスターのような工業都市が各地にできていった。が、大変だった。 イギリスは、安価な工業製品を輸出した。19世紀のイギリスは「世界の工場」と呼ばれた。 イギリスは、インドから綿織物(めんおりもの)を輸入していたが、イギリスで産業革命が進み、イギリス国内では紡績機械で綿織物を安く大量生産できるようになって、イギリスから世界に綿織物が輸出された。 19世紀にはイギリスの周辺のフランス・ドイツなどのヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国でも、イギリスに対抗するため、産業革命が進められた。 工業用地や農地などの土地や設備などの資本(しほん)によって、生産量が大きく変わるので、それらの資本を有する地主や企業経営者などの資本家による、利益を求めての投資活動が、さらに経済を発展させるという資本主義(しほんしゅぎ)の考え方が出てきた。 産業革命による機械化により、多くの職業では熟練工がいらなくなったので、賃金の安い子供や女性も労働力として用いられるようになった。機械設備を購入するには多額の費用が必要なので、工場や土地を持つ資本家と、それらを持たない一般の労働者の経済格差が広がった。 労働者の地位は低く、たとえば工場や炭鉱などで働かされた子供は、低賃金で1日15時間以上もの長時間労働をさせられることもあった。長時間労働させられる子供は、学校などには通わせてもらえない。 失業した労働者が、仕事を求めて都市などの工場などで働いたため、都市は過密になっていった。また、石炭の煙などにより、大気汚染などの環境汚染も進んでいった。 産業革命後のイギリスでは、貧富の格差は広がっていった。イギリスをまねて産業革命をすすめた他の国でも同様に、貧富の格差は広がっていった。 ヨーロッパの貧しい者たちの中には、アメリカ大陸に希望をもとめて移住する者たちも出てきた。 資本主義が貧富の格差の原因と考えられたので、資本主義の考えの見直しの運動が起こっていった。 労働者どうしで組合(くみあい)をつくり、労働組合(ろうどう くみあい)を結成して、資本化との賃金の交渉や労働時間の交渉などで資本家に対抗していこうという考えが起こった。あるいは土地や機械設備などの生産手段を公有化していこうとする改革を起こそうという考えが起きていった。 工業文明での貧富の格差の拡大などが、資本主義の矛盾(むじゅん)だと考えられた。 労働組合の拡充や、生産設備の共有化を求める改革運動などを通して、平等な社会を築こうとする考えは、社会主義(しゃかい しゅぎ)といわれた。 このような社会主義的な運動によって、平等な社会が実現できるだろうと、当時のヨーロッパでは考えられていた。 ドイツでは、マルクスが社会主義の思想をとなえた。 マルクスの分析は、支持者から科学的な分析だと考えられた。 資本家の側からも、労働者のきびしい状況を知り、労働環境の改善につとめる人物も出てきて、オーウェンなどの人物がいる。
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== 産業革命 == [[File:SteamEngine Boulton&Watt 1784.png|thumb|right|250px|1784年にボールトンとワットが設計した蒸気機関の図面。]] [[image:Maquina vapor Watt ETSIIM.jpg|thumb|right|250px|産業革命のころの蒸気機関。ワットの蒸気機関]] 17世紀でのヨーロッパの工業は主に手工業だった。 しかし18世紀の後半ごろから、イギリスでは'''蒸気機関'''(じょうき きかん)を動力とする機械が、さかんに工業に使われ始めた。蒸気機関とは、石炭で湯をわかし、発生した蒸気の圧力で、物を動かしたりする装置である。 '''ワット'''などの発明家・技術者が蒸気機関を改良していった。 イギリスでの蒸気機関の実用化により、イギリスの工業生産力が飛躍的に高まった。イギリスでは、製鉄業、機械工業、造船業などが、さかんになった。このような蒸気機関の実用化などによる、工業の機械化と工業力の飛躍的な進展のことを、'''産業革命'''(さんぎょう かくめい)と言う。 [[File:Stephenson's Rocket.jpg|thumb|left|ロケット号 スチーブンソンが発明した蒸気機関車の複製。1830年ごろには、鉄道がリバプール=マンチェスター間に設けられた。]] さらに汽車がスチーブンソンにより発明され、鉄道により、イギリスの交通が発達した。 イギリスの各地にはマンチェスターのような工業都市が各地にできていった。 イギリスは、安価な工業製品を輸出した。19世紀のイギリスは「'''世界の工場'''」と呼ばれた。 イギリスは、インドから綿織物(めんおりもの)を輸入していたが、イギリスで産業革命が進み、イギリス国内では紡績機械で綿織物を安く大量生産できるようになって、イギリスから世界に綿織物が輸出された。 19世紀にはイギリスの周辺のフランス・ドイツなどのヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国でも、イギリスに対抗するため、産業革命が進められた。 工業用地や農地などの土地や設備などの資本(しほん)によって、生産量が大きく変わるので、それらの資本を有する地主や企業経営者などの資本家による、利益を求めての投資活動が、さらに経済を発展させるという'''資本主義'''(しほんしゅぎ)の考え方が出てきた。 :※ 教科書ではあまり強調しないが、蒸気機関は鉄製である。木材だと燃えてしまうし、レンガや陶器では強度が不足するだろう。なので、産業革命による「工業化」とは、鉄鋼業のことである。派生的に、鉄製の自動の設備を用いて木工品を生産したりして木工業なども進歩するかもしれないが、しかし発展の主要因はあくまで鉄鋼業である。 * 労働環境の悪化 産業革命による機械化により、多くの職業では熟練工がいらなくなったので、賃金の安い子供や女性も労働力として用いられるようになった。機械設備を購入するには多額の費用が必要なので、工場や土地を持つ資本家と、それらを持たない一般の労働者の経済格差が広がった。 労働者の地位は低く、たとえば工場や炭鉱などで働かされた子供は、低賃金で1日15時間以上もの長時間労働をさせられることもあった。長時間労働させられる子供は、学校などには通わせてもらえない。 失業した労働者が、仕事を求めて都市などの工場などで働いたため、都市は過密になっていった。また、石炭の煙などにより、大気汚染などの環境汚染も進んでいった。 産業革命後のイギリスでは、貧富の格差は広がっていった。イギリスをまねて産業革命をすすめた他の国でも同様に、貧富の格差は広がっていった。 ヨーロッパの貧しい者たちの中には、アメリカ大陸に希望をもとめて移住する者たちも出てきた。 [[File:Karl Marx.jpg|thumb|マルクス<br />『共産党宣言』や『資本論』などを著した(あらわした)。]] 資本主義が貧富の格差の原因と考えられたので、資本主義の考えの見直しの運動が起こっていった。 労働者どうしで組合(くみあい)をつくり、'''労働組合'''(ろうどう くみあい)を結成して、資本化との賃金の交渉や労働時間の交渉などで資本家に対抗していこうという考えが起こった。あるいは土地や機械設備などの生産手段を公有化していこうとする改革を起こそうという考えが起きていった。 工業文明での貧富の格差の拡大などが、資本主義の矛盾(むじゅん)だと考えられた。 労働組合の拡充や、生産設備の共有化を求める改革運動などを通して、平等な社会を築こうとする考えは、'''社会主義'''(しゃかい しゅぎ)といわれた。 このような社会主義的な運動によって、平等な社会が実現できるだろうと、当時のヨーロッパでは考えられていた。 ドイツでは、'''マルクス'''が社会主義の思想をとなえた。 マルクスの分析は、支持者から科学的な分析だと考えられた。 資本家の側からも、労働者のきびしい状況を知り、労働環境の改善につとめる人物も出てきて、オーウェンなどの人物がいる。 {{clear}} [[カテゴリ:中学校歴史|さんきようかくめいとおうへいしよこく]] [[カテゴリ:産業革命]]
2018-04-28T23:15:32Z
2023-11-04T15:02:51Z
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高等学校世界史探究/第一次世界大戦とロシア革命Ⅱ
第一次世界大戦とロシア革命IIでは、第一次世界大戦中のロシア内部の動向について学びます。 第一次世界大戦が始まると、ボルシェヴィキとメンシェヴィキを除くロシア国会議員が、戦争に勝つために政府とともに行動しました。戦争の前半では、ロシアはタンネンベルクの戦いで敗れました。1915年の春から夏にかけて、ロシアはガリシアとポーランドでも大敗したため、挙国一致体制が大きく揺らいでしまいました。1916年夏、労働運動が再び盛んになると、中央アジアの諸民族が動員への抗議のために立ち上がりました。鉄道などの交通網の整備も不十分で、食糧や燃料を都市部に運べず、ロシア帝国北西端の首都ペトログラードではさらに状況が悪化していました。革命は、自然発生的な大衆運動から始まりました。1917年3月8日、国際婦人デーに、ペトログラードの女性労働者が「パンをよこせ」というデモを始めました。これが全市的なゼネストに発展して、人々は専制政治の廃止と平和を訴えました。これに兵士が加わり、各地で労働者ソビエト、兵士ソビエトが結成されました。ソビエトの動向に危機感を抱いた国会は、自由主義諸党派を中心とした臨時政府を発足させて、皇帝ニコライ2世を追い出しました(二月革命)。臨時政府によって、ロシアは自由な共和国となりました。多数派を占めていたメンシェジキと労兵ソビエトの協力で、政治犯の釈放、言論、集会、結社の自由が認められ、身分、宗教、民族制限もなくなりました。しかし、臨時政府は、帝国主義ではなく、連合国側に就いて第一次世界大戦に勝ちたいと考えていました。一方、労働者や兵士の支持を受けた社会主義者は、ペトログラードなどにソビエト(評議会)を組織しました。この評議会は、工場や部隊の代表として派遣された労働者や兵士で成り立っていました。1905年の革命でも、ソビエトは独自に組織されました。5月になると、社会主義者と自由主義者が集まって、本格的な連立政権をつくりました。その目標は、民主的改革と戦争継続でした。 しかし、同時に両立は出来ませんでした。仕事が嫌になった労働者は工場経営に関わり、土地を持たなかった農民は土地の買収を争い、戦意喪失に巻き込まれた兵士は大量に戦線離脱していきました。民衆の怒りに最初に反応したのは、社会主義者の急進的集団ボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党)でした。4月にスイスから帰国した指導者ウラジーミル・レーニンは、臨時政府の崩壊と社会主義政権の樹立を求める四月テーゼを発表しました。また、ウラジーミル・レーニンは、「ソビエトに全権を」というスローガンのもと、各地にソビエトを基礎とした人民階級が支配する「ソビエト共和国」の建設を目指しました。ウラジーミル・レーニンは、世界大戦が資本主義の滅亡を示し、ロシアで社会主義革命が起これば、ヨーロッパの先進国の労働者が参加する世界革命が起こると考えていました。 7月初め、ボルシェヴィキの蜂起は失敗して、ボルシェヴィキの政党は一時的に鎮圧されました。臨時政府は、社会主義革命党のアレクサンドル・ケレンスキーを首相に就任させて、圧政を一層強化しようとしました。しかし、8月末、最高司令官ラーヴル・コルニーロフは、アレクサンドル・ケレンスキーと口論して挙兵しました。その結果、これを無くす過程で、ボルシェヴィキの勢力が再拡大しました。11月7日(ロシア暦10月25日)、ウラジーミル・レーニンやレフ・トロツキーが指導する兵士と労働者が臨時政府を武力で倒し、政権を握りました。11月8日、11月9日の全ロシア=ソビエト会議では、ウラジーミル・レーニンが執筆した「労働者、兵士、農民諸君へ」「平和に関する布告」「土地に関する布告」を採択しました。全ロシア=ソビエト会議は、ボルシェヴィキのほか、社会革命党左派が多数を占めました。「平和に関する布告」は、無併合、無償金、民族自決の原則に基づき、すぐにでも平和を実現するように求めました。また、秘密条約の公表を約束しました。「土地に関する布告」では、地主の土地は金を払わずに奪ってよい、などと書いてありました。このようにして、ソビエト政権は、二月革命以来、国民が解決しようとしてきた平和と土地の問題に対して、解決の糸口を見せました。これが十月革命(十一月革命)です。 ウラジーミル・レーニンは、ヨーロッパで革命が起きると思っていましたが、結局起きませんでした。しかし、ボリシェヴィキは支配権を譲りませんでした。何とかヨーロッパ革命まで政権を維持しようというのが、当時のソビエト政権の計画でした。1918年1月、憲法制定議会が召集されました。当初、臨時政府は二月革命の際に開催する約束をしていました。選挙では、住民の大多数を占める農民が、他のどの政党よりもエスエルに投票しました。憲法制定議会は十月革命に納得しなかったので、ボリシェヴィキは武力で解散させなければなりませんでした。1918年3月、連合国同士がブレスト=リトフスク条約を結び、ソビエト政権は第一次世界大戦から少し遅れながら、勝てなくなったので離脱しました。その代償は、ウクライナを含む多くの領土と多額の賠償金でした。首都もより安全な内陸部のモスクワに移されました。ロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)は、ヨーロッパの社会民主主義とは違うという意味を込めて、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)と改称しました。当初、ソビエト政府はボリシェヴィキだけが主導権を握っていました。1917年12月、左翼のエスエル派と連立政権が成立しました。一方、左派のエスエルは、ドイツに対する革命戦争を呼びかけ、ブレスト・リトフスク条約に反対していました。1918年3月、エスエルは連立を離脱しました。1918年7月、左派のエスエルがドイツ大使を殺害して、モスクワで反乱を起こしました。これは、ソビエト政権を倒すためではなく、共産党をドイツとの革命戦争に巻き込むためでした。しかし、この反乱は共産党に鎮圧されました。 1918年春、チェコスロヴァキア軍団の反乱によって、共産党と十月革命を支持しない勢力の間で内戦が始まりました。軍団は最初、オーストリア帝国を離れた兵士で結成されました。彼らはシベリア鉄道でウラジオストクに向かい、西部戦線に向かうはずでした。しかし、彼らはウラル山脈の麓でソビエト当局と戦い、5月に軍団から離れました。チェコスロヴァキア軍団を救うという建前で、日本を含む連合国はロシアに出向き、干渉戦争を始めました。 共産党は、大きな軍事陣営のような中央集権的体制を整えて、内戦と介入戦争を戦い抜きました。左翼エスエルの反乱を鎮圧する前に、エスエルとメンシェヴィキの両方がソビエトから追い出されました。そうして、内戦中に共産党が国を支配して、一党独裁体制にしました。これは、単に共産党が政権を運営する体制ではありませんでした。党組織が国家機構や社会団体の中心になり、その思想が政府や社会の全てを支配するという、全く独自の体制でした。共産党中央委員会の指示で、反市場経済統制が行われ、チェーカー(非常委員会)が政治的異論や反革命活動を厳しく取り締まり、レフ・トロツキーは赤軍を発足させました。 1919年春、世界革命を目指す国際共産党組織コミンテルン(第3インターナショナル)が発足しました。同時期、ハンガリーでは共産党のクン・ベーラが政権を握りますが、わずか半年で崩壊しました。1920年、ポーランドがソビエトロシアに侵攻しました。共産党は反撃しましたが、赤軍がワルシャワを占領しようとしたため、失敗に終わりました。 ウラジーミル・レーニンは、1920年代にソビエトロシアで作られた社会主義体制を「戦時共産主義」と名付けました。それは、戦時中のドイツ経済の運営方法から色々学びました。また、1920年代後半からヨシフ・スターリンが作り上げた社会主義体制の第一歩でもありました。統制された権威主義的な体制をとりながらも、民衆層から多くの人材が集められました。こうした総力戦体制が、社会の平準化や民主化のために機能した一つの方法でした。 1920年の終わり頃までに、共産主義者側がロシア内戦に勝利します。連合国による介入は、国内での抗議行動により中断されました。しかし、共産党は経済支配を緩めませんでした。反対に、市場原理を完全になくすような政策を強化しました。 その結果、民衆は反乱を起こして、農村で騒動を起こすようになりました。1921年の春、モスクワやペトログラードでも反政府デモが起こり、水兵反乱が軍港クロンシュタットで起こりました。ウラジーミル・レーニンはクロンシュタット蜂起を厳しく抑えました。しかし、第10回共産党大会で、市場原理を部分的に復活させる方針を決定しました。これが新経済政策(NEP)の始まりです。NEPのもとで、市場原理は少しずつ復活して、ネップマンと呼ばれる富裕層も育ちました。 内戦中、共産党は旧ロシア帝国の各地に出来た民族政権を崩壊させました。しかし、占領した地域をソビエト・ロシアに吸収合併をせずに、理論上、独自の国家を再び作り上げました。これは、共産党が無意味に地方のナショナリズムを煽りたくないからでした。1922年12月、ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの各ソビエト共和国は、ソビエト=ロシアと同盟を結びました。これが、ソビエト社会主義共和国連邦の始まりです。各国は主権国家として考えられていました。しかし、モスクワの共産党中央委員会が実際に全てを仕切っていました。
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 第一次世界大戦とロシア革命Ⅱでは、第一次世界大戦中のロシア内部の動向について学びます。
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校世界史探究]]>第一次世界大戦とロシア革命Ⅱ  第一次世界大戦とロシア革命Ⅱでは、第一次世界大戦中のロシア内部の動向について学びます。 == ロシア革命 == [[ファイル:Arrest of generals.jpg|サムネイル|304x304ピクセル|二月革命]]  第一次世界大戦が始まると、[[w:ボリシェヴィキ|ボルシェヴィキ]]とメンシェヴィキを除くロシア国会議員が、戦争に勝つために政府とともに行動しました。戦争の前半では、ロシアはタンネンベルクの戦いで敗れました。1915年の春から夏にかけて、ロシアはガリシアとポーランドでも大敗したため、挙国一致体制が大きく揺らいでしまいました。1916年夏、労働運動が再び盛んになると、中央アジアの諸民族が動員への抗議のために立ち上がりました。鉄道などの交通網の整備も不十分で、食糧や燃料を都市部に運べず、ロシア帝国北西端の首都'''ペトログラード'''ではさらに状況が悪化していました。革命は、自然発生的な大衆運動から始まりました。1917年3月8日、国際婦人デーに、ペトログラードの女性労働者が「パンをよこせ」というデモを始めました。これが全市的なゼネストに発展して、人々は専制政治の廃止と平和を訴えました。これに兵士が加わり、各地で労働者ソビエト、兵士ソビエトが結成されました。ソビエトの動向に危機感を抱いた国会は、自由主義諸党派を中心とした'''臨時政府'''を発足させて、皇帝ニコライ2世を追い出しました('''[[w:2月革命_(1917年)|二月革命]]''')。臨時政府によって、ロシアは自由な共和国となりました。多数派を占めていたメンシェジキと労兵ソビエトの協力で、政治犯の釈放、言論、集会、結社の自由が認められ、身分、宗教、民族制限もなくなりました。しかし、臨時政府は、帝国主義ではなく、連合国側に就いて第一次世界大戦に勝ちたいと考えていました。一方、労働者や兵士の支持を受けた社会主義者は、ペトログラードなどに'''ソビエト'''(評議会)を組織しました。この評議会は、工場や部隊の代表として派遣された労働者や兵士で成り立っていました。1905年の革命でも、ソビエトは独自に組織されました。5月になると、社会主義者と自由主義者が集まって、本格的な連立政権をつくりました。その目標は、民主的改革と戦争継続でした。  しかし、同時に両立は出来ませんでした。仕事が嫌になった労働者は工場経営に関わり、土地を持たなかった農民は土地の買収を争い、戦意喪失に巻き込まれた兵士は大量に戦線離脱していきました。民衆の怒りに最初に反応したのは、社会主義者の急進的集団'''ボリシェヴィキ'''(ロシア社会民主労働党)でした。4月にスイスから帰国した指導者'''[[w:ウラジーミル・レーニン|ウラジーミル・レーニン]]'''は、臨時政府の崩壊と社会主義政権の樹立を求める'''四月テーゼ'''を発表しました。また、ウラジーミル・レーニンは、「ソビエトに全権を」というスローガンのもと、各地にソビエトを基礎とした人民階級が支配する「ソビエト共和国」の建設を目指しました。ウラジーミル・レーニンは、世界大戦が資本主義の滅亡を示し、ロシアで社会主義革命が起これば、ヨーロッパの先進国の労働者が参加する世界革命が起こると考えていました。  7月初め、'''ボルシェヴィキ'''の蜂起は失敗して、ボルシェヴィキの政党は一時的に鎮圧されました。臨時政府は、社会主義革命党のアレクサンドル・ケレンスキーを首相に就任させて、圧政を一層強化しようとしました。しかし、8月末、最高司令官'''[[w:ラーヴル・コルニーロフ|ラーヴル・コルニーロフ]]'''は、'''[[w:アレクサンドル・ケレンスキー|アレクサンドル・ケレンスキー]]'''と口論して挙兵しました。その結果、これを無くす過程で、ボルシェヴィキの勢力が再拡大しました。11月7日(ロシア暦10月25日)、ウラジーミル・レーニンや'''[[w:レフ・トロツキー|レフ・トロツキー]]'''が指導する兵士と労働者が臨時政府を武力で倒し、政権を握りました。11月8日、11月9日の全ロシア=ソビエト会議では、ウラジーミル・レーニンが執筆した「労働者、兵士、農民諸君へ」「'''平和に関する布告'''」「'''土地に関する布告'''」を採択しました。全ロシア=ソビエト会議は、ボルシェヴィキのほか、社会革命党左派が多数を占めました。「平和に関する布告」は、無併合、無償金、民族自決の原則に基づき、すぐにでも平和を実現するように求めました。また、秘密条約の公表を約束しました。「土地に関する布告」では、地主の土地は金を払わずに奪ってよい、などと書いてありました。このようにして、ソビエト政権は、二月革命以来、国民が解決しようとしてきた平和と土地の問題に対して、解決の糸口を見せました。これが'''[[w:十月革命|十月革命]]'''(十一月革命)です。{{コラム|ロシア革命の主要政党| ロシアでは、1905年の十月宣言によって、結社の自由が認められ、政党を作れるようになりました。立憲民主党は、弁護士や改革派貴族などの自由主義者が作った政党(カデット)でした。十月十七日同盟は、地主を中心としたより穏健な自由主義者が作った政党(オクチャブリスト)でした。一方、社会主義者は十月宣言で政党の結成を認められる以前から、違法に政党を結成していました。1898年に結成されたロシア社会民主労働党は、工場労働者を中心に支持されていました。1903年、職業革命家を中心としたボルシェヴィキと大衆政党を中心としたメンシェヴィキに分かれました。ボルシェヴィキは「多数派」、メンシェヴィキは「少数派」を意味しますが、それぞれ内部分裂しており、実態を表していませんでした。1902年に発足した社会主義=革命党(エスエル)は、農村共同体を中心とした独自の社会主義を目指していました。よく、この党を「社会革命党」と呼ぶ人がいますが、その呼び方は正しくありません。}} == ソビエト政権と戦時共産主義 ==  ウラジーミル・レーニンは、ヨーロッパで革命が起きると思っていましたが、結局起きませんでした。しかし、ボリシェヴィキは支配権を譲りませんでした。何とかヨーロッパ革命まで政権を維持しようというのが、当時のソビエト政権の計画でした。1918年1月、憲法制定議会が召集されました。当初、臨時政府は二月革命の際に開催する約束をしていました。選挙では、住民の大多数を占める農民が、他のどの政党よりもエスエルに投票しました。憲法制定議会は十月革命に納得しなかったので、ボリシェヴィキは武力で解散させなければなりませんでした。1918年3月、連合国同士が'''[[w:ブレスト=リトフスク条約|ブレスト=リトフスク条約]]'''を結び、ソビエト政権は第一次世界大戦から少し遅れながら、勝てなくなったので離脱しました。その代償は、ウクライナを含む多くの領土と多額の賠償金でした。首都もより安全な内陸部の'''モスクワ'''に移されました。ロシア社会民主労働党(ボリシェヴィキ)は、ヨーロッパの社会民主主義とは違うという意味を込めて、'''ロシア共産党'''(ボリシェヴィキ)と改称しました。当初、ソビエト政府はボリシェヴィキだけが主導権を握っていました。1917年12月、左翼のエスエル派と連立政権が成立しました。一方、左派のエスエルは、ドイツに対する革命戦争を呼びかけ、ブレスト・リトフスク条約に反対していました。1918年3月、エスエルは連立を離脱しました。1918年7月、左派のエスエルがドイツ大使を殺害して、モスクワで反乱を起こしました。これは、ソビエト政権を倒すためではなく、共産党をドイツとの革命戦争に巻き込むためでした。しかし、この反乱は共産党に鎮圧されました。  1918年春、チェコスロヴァキア軍団の反乱によって、共産党と十月革命を支持しない勢力の間で内戦が始まりました。軍団は最初、オーストリア帝国を離れた兵士で結成されました。彼らはシベリア鉄道でウラジオストクに向かい、西部戦線に向かうはずでした。しかし、彼らはウラル山脈の麓でソビエト当局と戦い、5月に軍団から離れました。チェコスロヴァキア軍団を救うという建前で、日本を含む連合国はロシアに出向き、'''干渉戦争'''を始めました。  共産党は、大きな軍事陣営のような中央集権的体制を整えて、内戦と介入戦争を戦い抜きました。左翼エスエルの反乱を鎮圧する前に、エスエルとメンシェヴィキの両方がソビエトから追い出されました。そうして、内戦中に共産党が国を支配して、'''一党独裁体制'''にしました。これは、単に共産党が政権を運営する体制ではありませんでした。党組織が国家機構や社会団体の中心になり、その思想が政府や社会の全てを支配するという、全く独自の体制でした。共産党中央委員会の指示で、反市場経済統制が行われ、'''チェーカー'''(非常委員会)が政治的異論や反革命活動を厳しく取り締まり、レフ・トロツキーは'''赤軍'''を発足させました。  1919年春、世界革命を目指す国際共産党組織'''コミンテルン'''(第3インターナショナル)が発足しました。同時期、ハンガリーでは共産党のクン・ベーラが政権を握りますが、わずか半年で崩壊しました。1920年、ポーランドがソビエトロシアに侵攻しました。共産党は反撃しましたが、赤軍がワルシャワを占領しようとしたため、失敗に終わりました。  ウラジーミル・レーニンは、1920年代にソビエトロシアで作られた社会主義体制を「'''戦時共産主義'''」と名付けました。それは、戦時中のドイツ経済の運営方法から色々学びました。また、1920年代後半からヨシフ・スターリンが作り上げた社会主義体制の第一歩でもありました。統制された権威主義的な体制をとりながらも、民衆層から多くの人材が集められました。こうした総力戦体制が、社会の平準化や民主化のために機能した一つの方法でした。 == ネップとソ連の成立 ==  1920年の終わり頃までに、共産主義者側がロシア内戦に勝利します。連合国による介入は、国内での抗議行動により中断されました。しかし、共産党は経済支配を緩めませんでした。反対に、市場原理を完全になくすような政策を強化しました。 その結果、民衆は反乱を起こして、農村で騒動を起こすようになりました。1921年の春、モスクワやペトログラードでも反政府デモが起こり、'''水兵反乱'''が軍港'''クロンシュタット'''で起こりました。ウラジーミル・レーニンはクロンシュタット蜂起を厳しく抑えました。しかし、第10回共産党大会で、市場原理を部分的に復活させる方針を決定しました。これが'''新経済政策'''(NEP)の始まりです。NEPのもとで、市場原理は少しずつ復活して、ネップマンと呼ばれる富裕層も育ちました。  内戦中、共産党は旧ロシア帝国の各地に出来た民族政権を崩壊させました。しかし、占領した地域をソビエト・ロシアに吸収合併をせずに、理論上、独自の国家を再び作り上げました。これは、共産党が無意味に地方のナショナリズムを煽りたくないからでした。1922年12月、ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの各ソビエト共和国は、ソビエト=ロシアと同盟を結びました。これが、'''ソビエト社会主義共和国連邦'''の始まりです。各国は主権国家として考えられていました。しかし、モスクワの共産党中央委員会が実際に全てを仕切っていました。{{コラム|ソ連の民族政策|執筆中}} == 資料出所 == * 山川出版社『詳説世界史研究』木村端二ほか編著 ※最新版と旧版両方含みます。 * 山川出版社『詳説世界史B』木村端二、岸本美緒ほか編著 * 山川出版社『詳説世界史図録』 [[カテゴリ:ロシア史]] [[カテゴリ:第一次世界大戦]]
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2022-12-17T09:44:08Z
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高等学校世界史探究/ヴェルサイユ体制下の欧米諸国Ⅰ
ヴェルサイユ体制下の欧米諸国Iでは、第一次世界大戦の戦後処理について学習します。 1919年1月に連合国代表(英,仏,米,日,伊)によってパリ講和会議が開かれた。しかし、この講和会議にはドイツなど敗戦国は参加できず、また、ソヴィエトは招かれなかった。 さてパリ講和会議では、アメリカ大統領ウィルソンの提唱した十四か条の平和原則が、会議の基礎とされた。(しかし、英仏などの戦勝国が自国の植民地の権益を主張したため、国際連盟の設立以外には、あまり成果はなかった。) なお、十四か条の平和原則 の主な内容は・・・、 などである。 そして6月にドイツ代表の参加する滞独講和条約であるヴェルサイユ条約が調印され、ドイツはすべての植民地を失い、アルザス・ロレーヌをフランスに返還し、軍備の制限、ラインラントの非武装化、巨額の賠償金などをドイツは課せられた。 また、ドイツと同盟を結んでいたオーストリア・ハンガリー・ブルガリア・オスマン帝国などの同盟国も、それぞれ別個に連合国と講和の条約を結び、旧同盟国の諸国は領土を縮小させられたりするなどの結果になった。 ドイツが世界各地に持っていた植民地は放棄させられた。(なお、イギリスなどの戦勝国は、べつに植民地を放棄していないので、植民地の解放運動の思想とは、無関係の要求である。) さて、国際連盟の設立が、パリ講和会議およびヴェルサイユ条約で決定した。国際連盟は、全会一致による総会を最高機関とした。(現在の「国際連合」とは違い、常任理事国は最高機関ではない。なお、常任理事国は国際連盟の時代から存在する。国際連盟当初の常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・日本である。アメリカは参加していない。) そして設立した国際連盟には集団安全保障の理念が盛り込まれた。(※ 読者は中学時代に『中学校社会 公民/国際連合・他の国際組織』で集団安全保障とは何かを習っている。) アメリカ合衆国では、この集団安全保障の原則が、国家の開戦権を侵害するものだと考え、アメリカ議会上院がヴェルサイユ条約の調印に反対したので、アメリカ合衆国はヴェルサイユ条約を批准しなかった。 また、アメリカ合衆国は、国際連盟には加盟しなかった。 ドイツは当初、国際連盟への加盟が認められなかったが、1926年にドイツの加盟が認められ、1926年にドイツは加盟した。 アメリカ大統領:ハーディング(任:1921~1923)の提唱によって、1921年11月にワシントン会議(Washington Conference )が開かれた。 参加国は先の大戦の戦勝国である9カ国(米・英・日・仏・伊・中・蘭・ベルギー・ポルトガル)である。この会議の主な目的はウィルソンの『十四か条の平和原則』にも挙げられている軍備縮小であり、1922年に行われた海軍軍縮条約では、米・英・日・仏・伊の5カ国の主力艦保有比率が決められた。 ここでの目的として、日本への牽制があった。戦勝国になった後、山東省の権益と南洋群島を獲得した日本は国際的にも脅威となりつつあった。1921年に行われた四カ国条約では、日英同盟が破棄され、また九カ国条約では石井・ランシング協定が破棄された。この流れに不満を覚えた日本はファシズム勢力に傾き、後の第二次世界大戦へと繋がっていく。 戦後のドイツ(ヴァイマル共和国)は、経済が没落してしまい、賠償金の支払いが遅れてしまった。するとフランスは1923年にルール工業地帯を占領したが、しかし他の戦勝国から批判され、フランスのルール占領は失敗した。 このとき、ドイツ経済では激しいインフレがおこり、ますますドイツ経済が混乱した。しかしシュトレーゼマン内閣が通貨改革を行ったため、このインフレは収束していった。 戦勝国は、ドイツの賠償金の支払い年額の減額や、アメリカからのドイツへの投資をさだめたドーズ案をアメリカの主導で行った。このドーズ案により、賠償金の支払い方法を緩和し、ドイツ経済の回復を早めた。さらに1929年には、賠償額の総額を減額したヤング案が決まった。 1925年のロカルノ会議ではドイツも集団安全保障体制への参加が認められたので、それまでの諸会議で取り決めされていた様々な条項(ドイツ西部の国境不可侵と現状維持、ラインラントの非武装化、など)をドイツに再確認させ、ドイツは条約を批准した(ロカルノ条約)。 また、1926年にはドイツの国際連盟への加盟が認められた。 1928年には、侵略目的の戦争を違法化するケロッグ・ブリアン条約(「不戦条約」ともいう)が列強各国に批准された。日本もケロッグ・ブリアン条約に調印した。(※ 参考文献: 帝国書院の教科書) なお「ケロッグ」とはアメリカ国務長官をしていた人物の名前。「ブリアン」とはフランスの外相の名前。 さて、ワシントン会議では、各国の主力艦の保有比率の限度が定められたが、しかし補助艦(主力艦以外の、巡洋艦・駆逐艦などのこと)の保有比率は未定だった。 1930年のロンドン会議では、補助艦の保有量の限度規定がさだめられ、米英日が10:10:7の比率までしか補助艦を保有できないことが定められた。
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 ヴェルサイユ体制下の欧米諸国Ⅰでは、第一次世界大戦の戦後処理について学習します。
[[小学校・中学校・高等学校の学習]]>[[高等学校の学習]]>[[高等学校地理歴史]]>[[高等学校世界史探究]]>ヴェルサイユ体制下の欧米諸国Ⅰ  ヴェルサイユ体制下の欧米諸国Ⅰでは、第一次世界大戦の戦後処理について学習します。 == ヴェルサイユ体制とワシントン体制 == == 国際協調と軍縮の進展 == == 資料出所 == * 山川出版社『詳説世界史研究』木村端二、岸本美緒ほか編著 ※最新版と旧版両方含みます。 * 山川出版社『詳説世界史図録』 == ヴェルサイユ体制 == [[ファイル:William Orpen - The Signing of Peace in the Hall of Mirrors, Versailles.jpg|thumb|250px|ヴェルサイユ条約]] 1919年1月に連合国代表(英,仏,米,日,伊)によって'''パリ講和会議'''が開かれた。しかし、この講和会議にはドイツなど敗戦国は参加できず、また、ソヴィエトは招かれなかった。 さてパリ講和会議では、アメリカ大統領ウィルソンの提唱した十四か条の平和原則が、会議の基礎とされた。(しかし、英仏などの戦勝国が自国の植民地の権益を主張したため、国際連盟の設立以外には、あまり成果はなかった。) なお、十四か条の平和原則 の主な内容は・・・、 :秘密外交の廃止 :海洋の自由 :関税障壁の撤廃 :植民地問題の公正な調整 :民族自決 :国際連盟の設立 :軍備縮小 などである。 そして6月にドイツ代表の参加する滞独講和条約であるヴェルサイユ条約が調印され、ドイツはすべての植民地を失い、アルザス・ロレーヌをフランスに返還し、軍備の制限、ラインラントの非武装化、巨額の賠償金などをドイツは課せられた。 また、ドイツと同盟を結んでいたオーストリア・ハンガリー・ブルガリア・オスマン帝国などの同盟国も、それぞれ別個に連合国と講和の条約を結び、旧同盟国の諸国は領土を縮小させられたりするなどの結果になった。 ドイツが世界各地に持っていた植民地は放棄させられた。(なお、イギリスなどの戦勝国は、べつに植民地を放棄していないので、植民地の解放運動の思想とは、無関係の要求である。) さて、国際連盟の設立が、パリ講和会議およびヴェルサイユ条約で決定した。国際連盟は、全会一致による総会を最高機関とした。(現在の「国際連合」とは違い、常任理事国は最高機関ではない。なお、常任理事国は国際連盟の時代から存在する。国際連盟当初の常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・日本である。アメリカは参加していない。) そして設立した国際連盟には'''集団安全保障'''の理念が盛り込まれた。(※ 読者は中学時代に『[[中学校社会 公民/国際連合・他の国際組織]]』で集団安全保障とは何かを習っている。) アメリカ合衆国では、この集団安全保障の原則が、国家の開戦権を侵害するものだと考え、アメリカ議会上院がヴェルサイユ条約の調印に反対したので、アメリカ合衆国はヴェルサイユ条約を批准しなかった。 また、アメリカ合衆国は、国際連盟には加盟しなかった。 ドイツは当初、国際連盟への加盟が認められなかったが、1926年にドイツの加盟が認められ、1926年にドイツは加盟した。 == ワシントン会議 == アメリカ大統領:ハーディング(任:1921~1923)の提唱によって、1921年11月に'''ワシントン会議'''(Washington Conference <ref>橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.339</ref>)が開かれた。 参加国は先の大戦の戦勝国である9カ国(米・英・日・仏・伊・中・蘭・ベルギー・ポルトガル)である。この会議の主な目的はウィルソンの『十四か条の平和原則』にも挙げられている軍備縮小であり、1922年に行われた'''海軍軍縮条約'''では、米・英・日・仏・伊の5カ国の主力艦保有比率が決められた。 ここでの目的として、日本への牽制があった。戦勝国になった後、山東省の権益と南洋群島を獲得した日本は国際的にも脅威となりつつあった。1921年に行われた'''四カ国条約'''では、日英同盟が破棄され、また九カ国条約では石井・ランシング協定が破棄された。この流れに不満を覚えた日本はファシズム勢力に傾き、後の第二次世界大戦へと繋がっていく。 == 賠償金の緩和 == 戦後のドイツ(ヴァイマル共和国)は、経済が没落してしまい、賠償金の支払いが遅れてしまった。するとフランスは1923年にルール工業地帯を占領したが、しかし他の戦勝国から批判され、フランスのルール占領は失敗した。 このとき、ドイツ経済では激しいインフレがおこり、ますますドイツ経済が混乱した。しかしシュトレーゼマン内閣が通貨改革を行ったため、このインフレは収束していった。 戦勝国は、ドイツの賠償金の支払い年額の減額や、アメリカからのドイツへの投資をさだめた'''ドーズ案'''をアメリカの主導で行った。このドーズ案により、賠償金の支払い方法を緩和し、ドイツ経済の回復を早めた。さらに1929年には、賠償額の総額を減額したヤング案が決まった。 == その他の諸会議 == 1925年のロカルノ会議ではドイツも集団安全保障体制への参加が認められたので、それまでの諸会議で取り決めされていた様々な条項(ドイツ西部の国境不可侵と現状維持、ラインラントの非武装化、など)をドイツに再確認させ、ドイツは条約を批准した('''ロカルノ条約''')。 また、1926年にはドイツの国際連盟への加盟が認められた。 1928年には、侵略目的の戦争を違法化する'''ケロッグ・ブリアン条約'''(「不戦条約」ともいう)が列強各国に批准された。日本もケロッグ・ブリアン条約に調印した。(※ 参考文献: 帝国書院の教科書) なお「ケロッグ」とはアメリカ国務長官をしていた人物の名前。「ブリアン」とはフランスの外相の名前。 さて、ワシントン会議では、各国の主力艦の保有比率の限度が定められたが、しかし補助艦(主力艦以外の、巡洋艦・駆逐艦などのこと)の保有比率は未定だった。 1930年の'''ロンドン会議'''では、補助艦の保有量の限度規定がさだめられ、米英日が10:10:7の比率までしか補助艦を保有できないことが定められた。 [[カテゴリ:ヨーロッパ史]] [[カテゴリ:20世紀]]
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古典ラテン語/名詞の変化
古典ラテン語> ラテン語の 名詞 は、性・数・格という性質を持ち、用法に応じて格が変化する。 下表に、古典ラテン語の名詞の代表的な語尾変化を挙げる。 (注) 第三変化の ※印 は、単語ごとに語尾の形がさまざまであることを示す。 第一変化 (羅 Prima declinatio ; 英 First declension ; 仏 Première déclinaison ) は、名詞の最も基本的な変化の一つで、そのほとんどが女性名詞に当てはまる。さらに、形容詞の女性形にも同じ形が頻出するポピュラーなものである。 詳しくは、次の項を参照。 ラテン語の辞書で、たとえば amīca という単語を引くと、見出し語は 「 amīca, amīcae 」 または 「 amīca, -ae 」 と記されており、これは 単数・主格の語尾が -a 、単数・属格の語尾が -ae であることを示している。 この単語は、「 amīc- 」 という決まった語幹と第一変化の語尾から成っており、このように第一変化は語幹が変わらないため、とても分かりやすい。 下表に、第一変化の語尾と、amīca, -ae 「女友達」の変化例を示す。 (編集中) 第二変化 (羅 Secunda Declinatio ; 英 Second declension ; 仏 Deuxième déclinaison ) も、名詞の基本的な変化で、男性名詞・中性名詞に当てはまる 「 -us 」「 -um 」 という二つの型が中心である。これらは、形容詞の男性形・中性形にも同じ形が頻出するポピュラーなもので、第一変化と並んで重要である。 詳しくは、次の項を参照。 (編集中) 第三変化 (羅 Tertia Declinatio ; 英 Third declension ; 仏 Troisième déclinaison ) は、名詞の数が多く、複雑な変化に富んでいる。 形容詞の変化にも用いられる重要な変化形だが、一筋縄にはいかない難解なグループである。 分類の仕方は、文法書によっても異なるが、ここでは代表的なタイプを挙げる。 詳しくは、次の項を参照。 (注) 第三変化の ※印 は、単語ごとに語尾の形がさまざまであることを示す。 (編集中) 第四変化 (羅 Quarta Declinatio ; 英 Fourth declension ; 仏 Quatrième déclinaison ) は、名詞の数が多くはなく、第一変化~第三変化に比べると重要な変化ではないが、不規則な例外も少ない。 おもに、男性・女性名詞の 「 -us 型 」と、中性名詞の 「 -ū 型 」 からなる。 詳しくは、次の項を参照。 (編集中) 第五変化 (羅 Quinta Declinatio ; 英 Fifth declension ; 仏 Cinquième déclinaison ) は、名詞の数が少なく、あまり重要ではないグループだが、頻出語の rēs や diēs が含まれる。 詳しくは、次の項を参照。 (編集中)
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古典ラテン語>
[[古典ラテン語]]> == 名詞の変化について == ラテン語の '''名詞''' は、'''性'''・'''数'''・'''格'''という性質を持ち、用法に応じて格が変化する。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第一変化]]    {{進捗|00%|2018-05-04}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第二変化]]    {{進捗|00%|2018-05-04}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第三変化]]    {{進捗|00%|2020-03-28}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第四変化]]    {{進捗|00%|2020-03-22}} </span> *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第五変化]]    {{進捗|00%|2020-03-22}} </span> 下表に、古典ラテン語の名詞の代表的な語尾変化を挙げる。 {| border="1" class="wikitable" |+ '''名詞のおもな語尾変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! 第一変化 ! colspan="2" | 第二変化 ! colspan="2" | 第三変化 ! colspan="2" | 第四変化 ! 第五変化 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | style="background-color:#fdd;"| 女性 | style="background-color:#ddf;"| 男性 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fdf;"| 男・女 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fdf;"| 男・女 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fdf;"| 男・女 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) | style="background-color:#fdd;"| amīca<br>(女友達) | style="background-color:#ddf;"| amīcus<br>(男友達) | style="background-color:#dfd;"| verbum<br>(言葉) | style="background-color:#fdf;"| homō<br>(人間) | style="background-color:#dfd;"| corpus<br>(身体) | style="background-color:#fdf;"| manus<br>(手) | style="background-color:#dfd;"| cornū<br>(つの) | style="background-color:#fdf;"| rēs<br>(物事) |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fdd;"| -'''a''' | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | style="background-color:#fdf;"| - ※ | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#fdf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | style="background-color:#fdf;"| -'''is''' | style="background-color:#dfd;"| -'''is''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ūs''' | style="background-color:#fdf;"| -'''eī''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fdd;"| -'''am''' | style="background-color:#ddf;"| -'''um''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | style="background-color:#fdf;"| -'''em''' (-'''im''') | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#fdf;"| -'''um''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdf;"| -'''em''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | style="background-color:#fdf;"| -'''uī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdf;"| -'''eī''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ā''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | style="background-color:#fdf;"| -'''e''' (-'''ī''') | style="background-color:#dfd;"| -'''e''' / -'''ī''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ū''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ē''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ae''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ī''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ārum''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ōrum''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ōrum''' | style="background-color:#fcf;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#fcf;"| -'''uum''' | style="background-color:#cfc;"| -'''uum''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ērum''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ās''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ōs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' (-'''īs''') | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēbus''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēbus''' |} (注) 第三変化の ※印 は、単語ごとに語尾の形がさまざまであることを示す。 == 第一変化 == '''第一変化''' (羅 [[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina#Prima declinatio|Prima declinatio]] ; 英 ''[[wikt:en:Appendix:Latin first declension|First declension]]'' ; 仏 ''[[wikt:fr:Annexe:Première déclinaison en latin|Première déclinaison]]'' ) は、名詞の最も基本的な変化の一つで、そのほとんどが女性名詞に当てはまる。さらに、形容詞の女性形にも同じ形が頻出するポピュラーなものである。 詳しくは、次の項を参照。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第一変化]]    {{進捗|00%|2018-05-04}} </span> ラテン語の辞書で、たとえば amīca という単語を引くと、見出し語は 「 amīca, amīcae 」 または 「 amīca, -ae 」 と記されており、これは <u>単数・主格の語尾が -a</u> 、<u>単数・属格の語尾が -ae</u> であることを示している。 この単語は、「 amīc- 」 という決まった語幹と第一変化の語尾から成っており、このように第一変化は語幹が変わらないため、とても分かりやすい。 下表に、第一変化の語尾と、amīca, -ae 「女友達」の変化例を示す。 {| border="1" class="wikitable" |+ '''第一変化''' |- align="center" | rowspan="2"| ! colspan="3"|単数 | rowspan="7"| | rowspan="2"| ! colspan="3"|複数 |- style="text-align:center;" | 語尾 | colspan="2"| 変化例 | 語尾 | colspan="2"| 変化例 |- ! 主格 | style="background-color:#fdd;"| -'''a''' | amīc'''a''' | 一人の女友達 '''が''' | 主格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ae''' | amīc'''ae''' | 複数の女友達 '''が''' |- ! 属格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | amīc'''ae''' | 一人の女友達 '''の''' ! 属格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ārum''' | amīc'''ārum''' | 複数の女友達 '''の''' |- | 対格 | style="background-color:#fdd;"| -'''am''' | amīc'''am''' | 一人の女友達 '''を''' | 対格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ās''' | amīc'''ās''' | 複数の女友達 '''を''' |- | 与格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | amīc'''ae''' | 一人の女友達 '''に''' | 与格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | amīc'''īs''' | 複数の女友達 '''に''' |- | 奪格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ā''' | amīc'''ā''' | 一人の女友達 '''から''' | 奪格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | amīc'''īs''' | 複数の女友達 '''から''' |} <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> <!-- --> == 第二変化 == '''第二変化''' (羅 [[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina#Secunda Declinatio|Secunda Declinatio]] ; 英 ''[[wikt:en:Appendix:Latin second declension|Second declension]]'' ; 仏 ''[[wikt:fr:Annexe:Deuxième déclinaison en latin|Deuxième déclinaison]]'' ) も、名詞の基本的な変化で、男性名詞・中性名詞に当てはまる 「 -us 」「 -um 」 という二つの型が中心である。これらは、形容詞の男性形・中性形にも同じ形が頻出するポピュラーなもので、第一変化と並んで重要である。 詳しくは、次の項を参照。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第二変化]]    {{進捗|00%|2018-05-04}} </span> {| border="1" class="wikitable" |+ '''第二変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! colspan="3" | -us 型 | rowspan="13" | ! colspan="3" | -um 型 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | colspan="3" style="background-color:#ddf;"| 男性 | colspan="3" style="background-color:#dfd;"| 中性 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) ! style="background-color:#ddf;" |語尾 | colspan="2"| amīcus, -ī 「友人、男友達」 ! style="background-color:#dfd;" | 語尾 | colspan="2" | verbum, -ī 「言葉」 | rowspan="11" | ! colspan="3" |語尾比較 |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | amīc'''us''' | 一人の男友達'''が''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | verb'''um''' |一つの言葉'''が''' ! 主格 | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' |- ! 属格 | style="background-color:#ddf;"| -'''ī''' | amīc'''ī''' | 一人の男友達'''の''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | verb'''ī''' |一つの言葉'''の''' ! 属格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ī''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#ddf;"| -'''um''' | amīc'''um''' | 一人の男友達'''を''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | verb'''um''' |一つの言葉'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''um''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | amīc'''ō''' | 一人の男友達'''に''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | verb'''ō''' |一つの言葉'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ō''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | amīc'''ō''' | 一人の男友達'''で''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | verb'''ō''' |一つの言葉'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ō''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#ccf;"| -'''ī''' | amīc'''ī''' | 複数の男友達'''が''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | verb'''a''' |複数の言葉'''が''' | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#ccf;"| -'''ī''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' |- ! 属格 | style="background-color:#ccf;"| -'''ōrum''' | amīc'''ōrum''' | 複数の男友達'''の''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ōrum''' | verb'''ōrum''' |複数の言葉'''の''' ! 属格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ōrum''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#ccf;"| -'''ōs''' | amīc'''ōs''' | 複数の男友達'''を''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | verb'''a''' |複数の言葉'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#ccf;"| -'''ōs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | amīc'''īs''' | 複数の男友達'''に''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | verb'''īs''' |複数の言葉'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''īs''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | amīc'''īs''' | 複数の男友達'''で''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | verb'''īs''' |複数の言葉'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''īs''' |} <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> == 第三変化 == '''第三変化''' (羅 [[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina#Tertia Declinatio|Tertia Declinatio]] ; 英 ''[[wikt:en:Appendix:Latin third declension|Third declension]]'' ; 仏 ''[[wikt:fr:Annexe:Troisième déclinaison en latin|Troisième déclinaison]]'' ) は、名詞の数が多く、複雑な変化に富んでいる。 形容詞の変化にも用いられる重要な変化形だが、一筋縄にはいかない難解なグループである。 分類の仕方は、文法書によっても異なるが、ここでは代表的なタイプを挙げる。 詳しくは、次の項を参照。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第三変化]]    {{進捗|00%|2020-03-29}} </span> {| border="1" class="wikitable" |+ '''第三変化 (おもな語尾変化)''' |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) ! style="background-color:#fcf;" colspan="5" | 男性・女性名詞 | rowspan="14" | ! style="background-color:#dfd;" colspan="4"| 中性名詞 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (分類例) | !子音幹<hr>異数音節 !子音幹<hr>異数音節 !i幹<hr>等数音節 !i幹<hr>擬異数音節 | !子音幹<hr>異数音節 !i幹<hr>等数音節 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) | 語尾<br>変化 | style="background-color:#ccf;"| homō<br>(人間) | style="background-color:#fcc;"| cīvitās<br>(共同体) | style="background-color:#fcf;"| cīvis<br>(市民) | style="background-color:#fcc;"| urbs<br>(都市) | 語尾<br>変化 | style="background-color:#dfd;"| flūmen<br>(川) | style="background-color:#dfd;"| mare<br>(海) |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (語幹例) | | style="background-color:#ccf;"| homin- | style="background-color:#fcc;"| cīvitāt- | style="background-color:#fcf;"| cīv- | style="background-color:#fcc;"| urb- | | style="background-color:#dfd;"| flūmin- | style="background-color:#dfd;"| mar- |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fcf;"| - ※ | style="background-color:#fff;"| hom'''ō''' | style="background-color:#fff;"| cīvitās | style="background-color:#fff;"| cīv'''is''' | style="background-color:#fff;"| urb'''s''' | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#fff;"| flūmen | style="background-color:#fff;"| mar'''e''' |- ! 属格 | style="background-color:#fcf;"| -'''is''' | style="background-color:#fff;"| homin'''is''' | style="background-color:#fff;"| cīvitāt'''is''' | style="background-color:#fff;"| cīv'''is''' | style="background-color:#fff;"| urb'''is''' | style="background-color:#dfd;"| -'''is''' | style="background-color:#fff;"| flūmin'''is''' | style="background-color:#fff;"| mar'''is''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcf;"| -'''em''' (-'''im''') | style="background-color:#fff;"| homin'''em''' | style="background-color:#fff;"| cīvitāt'''em''' | style="background-color:#fff;"| cīv'''em''' | style="background-color:#fff;"| urb'''em''' | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#fff;"| flūmen | style="background-color:#fff;"| mar'''e''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ī''' | style="background-color:#fff;"| homin'''ī''' | style="background-color:#fff;"| cīvitāt'''ī''' | style="background-color:#fff;"| cīv'''ī''' | style="background-color:#fff;"| urb'''ī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | style="background-color:#fff;"| flūmin'''ī''' | style="background-color:#fff;"| mar'''ī''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fcf;"| -'''e''' (-'''ī''') | style="background-color:#fff;"| homin'''e''' | style="background-color:#fff;"| cīvitāt'''e''' | style="background-color:#fff;"| cīv'''e''' (-'''ī''') | style="background-color:#fff;"| urb'''e''' | style="background-color:#dfd;"| -'''e''' / -'''ī''' | style="background-color:#fff;"| flūmin'''e''' | style="background-color:#fff;"| mar'''ī''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fbf;"| -'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| homin'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| cīvitāt'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| cīv'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| urb'''ēs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#dedede;"| flūmin'''a''' | style="background-color:#dedede;"| mar'''ia''' |- ! 属格 | style="background-color:#fbf;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#dedede;"| homin'''um''' | style="background-color:#dedede;"| cīvitāt'''um''' | style="background-color:#dedede;"| cīv'''ium''' | style="background-color:#dedede;"| urb'''ium''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#dedede;"| flūmin'''um''' | style="background-color:#dedede;"| mar'''ium''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fbf;"| -'''ēs''' (-'''īs''') | style="background-color:#dedede;"| homin'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| cīvitāt'''ēs''' | style="background-color:#dedede;"| cīv'''ēs''' (-'''īs''') | style="background-color:#dedede;"| urb'''ēs''' (-'''īs''') | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#dedede;"| flūmin'''a''' | style="background-color:#dedede;"| mar'''ia''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fbf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| homin'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| cīvitāt'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| cīv'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| urb'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| flūmin'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| mar'''ibus''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fbf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| homin'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| cīvitāt'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| cīv'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| urb'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| flūmin'''ibus''' | style="background-color:#dedede;"| mar'''ibus''' |} (注) 第三変化の ※印 は、単語ごとに語尾の形がさまざまであることを示す。 <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> <!--● {| border="1" class="wikitable" |+ '''名詞のおもな語尾変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! 第一変化 ! colspan="2" | 第二変化 ! colspan="2" | 第三変化 ! colspan="2" | 第四変化 ! 第五変化 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | style="background-color:#fdd;"| 女性 | style="background-color:#ddf;"| 男性 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fcf;"| 男・女 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#ddf;"| 男性 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fdd;"| 女性 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) | style="background-color:#fdd;"| amīca<br>(女友達) | style="background-color:#ddf;"| amīcus<br>(男友達) | style="background-color:#dfd;"| verbum<br>(言葉) | style="background-color:#fcf;"| homō<br>(人間) | style="background-color:#dfd;"| corpus<br>(身体) | style="background-color:#ddf;"| ūsus<br>(経験) | style="background-color:#dfd;"| cornū<br>(つの) | style="background-color:#fdd;"| rēs<br>(物事) |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fdd;"| -'''a''' | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | style="background-color:#fcf;"| - ※ | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdd;"| -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ī''' | style="background-color:#fcf;"| -'''is''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''is''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ūs''' | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fdd;"| -'''am''' | style="background-color:#ddf;"| -'''um''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | style="background-color:#fcf;"| -'''em''' (-'''im''') | style="background-color:#dfd;"| - ※ | style="background-color:#ddf;"| -'''um''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdd;"| -'''em''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ae''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ī''' | style="background-color:#ddf;"| -'''uī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ā''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ō''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ō''' | style="background-color:#fcf;"| -'''e''' (-'''ī''') | style="background-color:#dfd;"| -'''e''' / -'''ī''' | style="background-color:#ddf;"| -'''ū''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdd;"| -'''ē''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ae''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ī''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | style="background-color:#fbf;"| -'''ēs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | style="background-color:#fcc;"| -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ārum''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ōrum''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ōrum''' | style="background-color:#fbf;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) um''' | style="background-color:#ccf;"| -'''uum''' | style="background-color:#cfc;"| -'''uum''' | style="background-color:#fcc;"| -'''ērum''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ās''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ōs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''a''' | style="background-color:#fbf;"| -'''ēs''' (-'''īs''') | style="background-color:#cfc;"| -'''(i) a''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | style="background-color:#fcc;"| -'''ēs''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | style="background-color:#fbf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcc;"| -'''ēbus''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fcc;"| -'''īs''' | style="background-color:#ccf;"| -'''īs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''īs''' | style="background-color:#fbf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#ccf;"| -'''ibus''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | style="background-color:#fcc;"| -'''ēbus''' |} --> == 第四変化 == '''第四変化''' (羅 [[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina#Quarta Declinatio|Quarta Declinatio]] ; 英 ''[[wikt:en:Appendix:Latin fourth declension|Fourth declension]]'' ; 仏 ''[[wikt:fr:Annexe:Quatrième déclinaison en latin|Quatrième déclinaison]]'' ) は、名詞の数が多くはなく、第一変化~第三変化に比べると重要な変化ではないが、不規則な例外も少ない。 おもに、男性・女性名詞の 「 -us 型 」と、中性名詞の 「 -ū 型 」 からなる。 詳しくは、次の項を参照。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第四変化]]    {{進捗|00%|2018-05-04}} </span> {| border="1" class="wikitable" |+ '''第四変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! colspan="3" | -us 型 | rowspan="13" | ! colspan="3" | -ū 型 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | colspan="3" style="background-color:#fdf;"| 男・女 | colspan="3" style="background-color:#dfd;"| 中性 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) ! style="background-color:#fdf;" |語尾 | colspan="2"| manus, -ūs 「手」 ! style="background-color:#dfd;" | 語尾 | colspan="2" | cornū, -ū 「角(つの)」 | rowspan="11" | ! colspan="3" |語尾比較 |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fdf;"| -'''us''' | man'''us''' | 一つの手'''が''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | corn'''ū''' |一つの角'''が''' ! 主格 | style="background-color:#fdf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' |- ! 属格 | style="background-color:#fdf;"| -'''ūs''' | man'''ūs''' | 一つの手'''の''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ūs''' | corn'''ūs''' |一つの角'''の''' ! 属格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ūs''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fdf;"| -'''um''' | man'''um''' | 一つの手'''を''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | corn'''ū''' |一つの角'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fdf;"| -'''um''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdf;"| -'''uī''' | man'''uī''' | 一つの手'''に''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | corn'''ū''' |一つの角'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdf;"| -'''uī''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fdf;"| -'''ū''' | man'''ū''' | 一つの手'''で''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | corn'''ū''' |一つの角'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ū''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | man'''ūs''' | 複数の手'''が''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | corn'''ua''' |複数の角'''が''' | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' |- ! 属格 | style="background-color:#fcf;"| -'''uum''' | man'''uum''' | 複数の手'''の''' | style="background-color:#cfc;"| -'''uum''' | corn'''uum''' |複数の角'''の''' ! 属格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''uum''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | man'''ūs''' | 複数の手'''を''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' | corn'''ua''' |複数の角'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ūs''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ua''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | man'''ibus''' | 複数の手'''に''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | corn'''ibus''' |複数の角'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ibus''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fcf;"| -'''ibus''' | man'''ibus''' | 複数の手'''で''' | style="background-color:#cfc;"| -'''ibus''' | corn'''ibus''' |複数の角'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ibus''' |} <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> <!-- --> == 第五変化 == '''第五変化''' (羅 [[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina#Quinta Declinatio|Quinta Declinatio]] ; 英 ''[[wikt:en:Appendix:Latin fifth declension|Fifth declension]]'' ; 仏 ''[[wikt:fr:Annexe:Cinquième déclinaison en latin|Cinquième déclinaison]]'' ) は、名詞の数が少なく、あまり重要ではないグループだが、頻出語の [[wikt:en:res#Latin|rēs]] や [[wikt:en:dies#Latin|diēs]] が含まれる。 詳しくは、次の項を参照。 *<span style="background-color:#ffffcc;">[[/第五変化]]    {{進捗|00%|2020-03-22}} </span> {| border="1" class="wikitable" |+ '''第五変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! colspan="3" | 属格 -eī 型 | rowspan="13" | ! colspan="3" | 属格 -ēī 型 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | colspan="3" style="background-color:#fdd;"| 女性 | colspan="3" style="background-color:#fdf;"| 女性 (男性) |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) ! style="background-color:#fdd;" |語尾 | colspan="2"| rēs, -eī 「物、事」 ! style="background-color:#fdf;" | 語尾 | colspan="2" | diēs, -ēī 「日、昼間」 | rowspan="11" | ! colspan="3" |語尾比較 |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ēs''' | r'''ēs''' | 一つの物事'''が''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēs''' | di'''ēs''' |一つの日'''が''' ! 主格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' | r'''eī''' | 一つの物事'''の''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēī''' | di'''ēī''' |一つの日'''の''' ! 属格 | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēī''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fdd;"| -'''em''' | r'''em''' | 一つの物事'''を''' | style="background-color:#fdf;"| -'''em''' | di'''em''' |一つの日'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''em''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' | r'''eī''' | 一つの物事'''に''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēī''' | di'''ēī''' |一つの日'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fdd;"| -'''eī''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ēī''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fdd;"| -'''ē''' | r'''ē''' | 一つの物事'''で''' | style="background-color:#fdf;"| -'''ē''' | di'''ē''' |一つの日'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ē''' |- ! rowspan="5"| 複数 | style="text-align:center;" | 主格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ēs''' | r'''ēs''' | 複数の物事'''が''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' | di'''ēs''' |複数の日々'''が''' | style="text-align:center;" | 主格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ēs''' |- ! 属格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ērum''' | r'''ērum''' | 複数の物事'''の''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ērum''' | di'''ērum''' |複数の日々'''の''' ! 属格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ērum''' |- | style="text-align:center;" | 対格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ēs''' | r'''ēs''' | 複数の物事'''を''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēs''' | di'''ēs''' |複数の日々'''を''' | style="text-align:center;" | 対格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ēs''' |- | style="text-align:center;" | 与格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ēbus''' | r'''ēbus''' | 複数の物事'''に''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēbus''' | di'''ēbus''' |複数の日々'''に''' | style="text-align:center;" | 与格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ēbus''' |- | style="text-align:center;" | 奪格 | style="background-color:#fcc;"| -'''ēbus''' | r'''ēbus''' | 複数の物事'''で''' | style="background-color:#fcf;"| -'''ēbus''' | di'''ēbus''' |複数の日々'''で''' | style="text-align:center;" | 奪格 | colspan="2" style="text-align:center;" | -'''ēbus''' |} <br><span style="background-color:yellow;">(編集中)</span> ===属格 -eī 型=== <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> ===属格 -ēī 型=== *<span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;">[[wikt:en:dies#Latin|diēs, diēī]] (''m''/''f'')</span> <span style="font-family:Times New Roman;font-size:15pt;"></span> <!-- --> <!-- <span style="background-color:#ffffaa;">[[/接続詞]]     {{進捗|00%|2018-04-18}} </span> --> == 脚注 == <references /> == 参考文献 == == 関連記事 == === ラテン語版 === *[[ラテン語学習モジュール]] **[[古典ラテン語]] *ラテン語版ウィクショナリー **[[wikt:la:Auxilium:Declinatio Latina]] **[[wikt:la:Categoria:Nomina substantiva Latina]] (ラテン語の名詞) ***[[wikt:la:Categoria:Nomina Latina declinationis 1]] (第一変化のカテゴリ) ***[[wikt:la:Categoria:Nomina Latina declinationis 2]] (第二変化のカテゴリ) ***[[wikt:la:Categoria:Nomina Latina declinationis 3]] (第三変化のカテゴリ) ***[[wikt:la:Categoria:Nomina Latina declinationis 4]] (第四変化のカテゴリ) ***[[wikt:la:Categoria:Nomina Latina declinationis 5]] (第五変化のカテゴリ) ***[[wikt:la: === 仏語版 === *仏語版ウィキペディア **[[w:fr:Déclinaisons latines]] *仏語版ウィクブックス **[[b:fr:Latin/Déclinaisons]] *仏語版ウィクショナリー **[[wikt:fr:Catégorie:Annexes en latin]] ***[[wikt:fr:Annexe:Première déclinaison en latin]] (第一変化) ***[[wikt:fr:Annexe:Deuxième déclinaison en latin]] (第二変化) ***[[wikt:fr:Annexe:Troisième déclinaison en latin]] (第三変化) ***[[wikt:fr:Annexe:Quatrième déclinaison en latin]] (第四変化) ***[[wikt:fr:Annexe:Cinquième déclinaison en latin]] (第五変化) === 英語版 === *英語版ウィキブックス **[[b:en:Latin/Index II]] *英語版ウィキペディア **[[w:en:Latin declension]] *英語版ウィクショナリー **[[wikt:en:Appendix:Latin first declension]] (第一変化) **[[wikt:en:Appendix:Latin second declension]] (第二変化) **[[wikt:en:Appendix:Latin third declension]] (第三変化) **[[wikt:en:Appendix:Latin fourth declension]] (第四変化) **[[wikt:en:Appendix:Latin fifth declension]] (第五変化) **[[wikt:en:Category:Latin nouns by inflection type]] ***[[wikt:en:Category:Latin first declension nouns]] (第一変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin second declension nouns]] (第二変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin third declension nouns]] (第三変化名詞のカテゴリ) ****[[wikt:en:Category:Latin masculine nouns in the third declension]] (第三 男性名詞) ****[[wikt:en:Category:Latin feminine nouns in the third declension]] (第三 女性名詞) ****[[wikt:en:Category:Latin neuter nouns in the third declension]] (第三 中性名詞) ***[[wikt:en:Category:Latin fourth declension nouns]] (第四変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin fifth declension nouns]] (第五変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin irregular nouns]] (不規則変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin indeclinable nouns]] (不変化名詞のカテゴリ) ***[[wikt:en:Category:Latin nouns with multiple declensions]] (多重変化名詞のカテゴリ) *日本語版ウィキブックス **[[ラテン語 名詞]] == 外部リンク == <!-- {| border="1" class="wikitable" |+ '''名詞のおもな語尾変化''' |- align="center" | colspan="2" | ! 第1変化 ! colspan="2" | 第2変化 ! colspan="2" | 第3変化 ! colspan="2" | 第4変化 ! 第5変化 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (名詞の性) | style="background-color:#fdd;"| 女性 | style="background-color:#ddf;"| 男性 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fcf;"| 男・女 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#ddf;"| 男性 | style="background-color:#dfd;"| 中性 | style="background-color:#fdd;"| 女性 |- style="text-align:center;" | colspan="2" style="text-align:right;"| (単語例) | style="background-color:#fdd;"| amīca<br>(女友達) | style="background-color:#ddf;"| amīcus<br>(男友達) | style="background-color:#dfd;"| verbum<br>(言葉) | style="background-color:#fcf;"| homō<br>(人間) | style="background-color:#dfd;"| corpus<br>(身体) | style="background-color:#ddf;"| ūsus<br>(経験) | style="background-color:#dfd;"| cornū<br>(つの) | style="background-color:#fdd;"| rēs<br>(物事) |- ! rowspan="5"| 単数 ! 主格 | style="background-color:#fdd;"| -'''a''' | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''um''' | style="background-color:#fcf;"| -''(?)'' | style="background-color:#dfd;"| -''(?)'' | style="background-color:#ddf;"| -'''us''' | style="background-color:#dfd;"| -'''ū''' | style="background-color:#fdd;"| -'''ēs''' |- ! 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2022-05-07T14:32:38Z
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