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3,507
426
88,679,488
在阪民放3局(MBSラジオ・ABCラジオ・ラジオ大阪)は放送対象地域が"近畿広域圏"であり、兵庫県も対象地域に入っている。radikoでは兵庫県各局に加え在阪民放AM・FM各3局も兵庫県内で無料聴取が可能である。NHKラジオ第1放送・第2放送は南部は大阪から受信する。北部は中継局(豊岡市・香美町・新温泉町)がある(ただし、香住・新温泉は第1放送のみ)。コミュニティFMは以下の11局が放送しており、近畿2府4県では最多である。
生活・交通
兵庫県
3,508
426
88,679,488
兵庫県は異なる歴史を持つ地域の寄せ集めであり、地域によって風俗や習慣に違いが見られる。兵庫県民としての連帯感はそれほど強くなく、神戸市、姫路市、豊岡市、阪神地域に隣接する大阪市など、各エリアの中心となる都市圏に帰属意識を持つ。そのため、自らを「兵庫県民」と称することが少ない。実際、県人会も県内の出身各地方で別々となっている(東京淡路会、大阪但馬人会、関東氷上・多紀郡郷友会など)。方言の違いも多彩である。県南部では近畿方言(関西弁)が使われるが、県北部では中国方言である但馬弁が使われる。県南部の方言も、中国方言の影響を受けた播磨地域の播州弁、大阪弁の流れを汲む阪神地域の摂津弁、播州弁と摂津弁の中間的な方言で神戸市を中心に使われる神戸弁、京言葉の流れを汲む丹波弁、阿波弁などともつながりがある淡路島の淡路弁、と細かく分かれる。
文化・スポーツ
兵庫県
3,509
426
88,679,488
兵庫県は様々な景色を持つため、多くの映像産業に積極的に協力している。宝塚市において製作された映画作品については、以下も参照。西宮市、芦屋市において大正時代から戦前にかけて製作された作品については、以下も参照時代劇などでは「姫路城」の映像を「江戸城」に見立てて使用している場合も多い。
兵庫県を舞台とした作品
兵庫県
3,510
428
88,896,497
広島県(ひろしまけん、(英: Hiroshima Prefecture)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は広島市。
__LEAD__
広島県
3,511
428
88,896,497
臨海部(瀬戸内海工業地域)を中心に工業(自動車産業、製鉄、造船)が発展。広島都市圏、福山都市圏と県内に二つの大きな都市圏を持つ。県庁所在地の広島市は政令指定都市であり中国・四国地方最大の都市である。一方で海・山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである。このことから産業分布が日本平均に近く、県民所得も中位にあり「日本国の縮図」とも呼ばれることがある。旧国制に倣い、大まかに広島市を中心とする県西部を「安芸」、県東部で岡山県と隣接している福山市を中心とする県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化の点で一部違いを見せる(方言については広島弁・備後弁を参照のこと)。ただし、近年の広島県の施策では有する都市機能と生活圏などから広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北部)の3つに分ける場合も多い。
概要
広島県
3,512
428
88,896,497
第二次世界大戦において世界で初めて核兵器による攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島と原爆ドームの2つのユネスコ世界遺産を有しており、日本国外からの観光客も多い。
概要
広島県
3,513
428
88,896,497
瀬戸内海沿岸部に向かって、中国山地と平行に高地から低地へ階段状の地形を形成している点が特徴で、基本的には北(島根・鳥取県側)へ行くほど海抜が高くなる。また、開けた平野部は河川流域と河口付近のみに限られ、海抜そのものは高くないものの山が多数連なる地勢でもある。これは沿岸部でも同様で、海岸のすぐそばまで山が迫っている場所も珍しくない。花崗岩類と花崗岩風化産物であるマサ(真砂)が広域に分布し、表土の下に広がるマサ土の層は最大数十mの厚さに達する。しかし、そのためか土石流の危険渓流、急傾斜地崩壊の危険箇所も多く指定箇所数は全国一位となっている。広島県内には太田川水系と江の川水系の2大水系の他、瀬戸内沿岸部に東から高梁川、芦田川、沼田川、黒瀬川、八幡川、小瀬川などがある。太田川流域はほぼ県西部(安芸)に相当し、江の川流域は県北東部(備北)である。県東部(備後)は芦田川、沼田川水系などとなっている。
地理・地域
広島県
3,514
428
88,896,497
広島市や福山市など埋め立てによる平野部があるが、山がちの地形であり、内陸部に三次盆地や西条盆地などがある。東部には世羅高原や神石高原が広がっている。瀬戸内海には大小併せて約140の島を有す。国土地理院地理情報 によると広島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは131.62km、南北の長さは118.79kmである。また、国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、広島県の面積は8479.63平方キロメートルである。北部は日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候に分類される。沿岸部では冬でも晴天日数が多いが北部の一部は豪雪地帯となっている。北部は緯度の割には冬は低温であり、山間部を中心に降雪量も多い。特に中国山地の山沿いは、北広島町の東八幡原(標高774m)で観測された−28.0°C(1977年(昭和52年)2月19日)を筆頭に、庄原市の高野地区の−26.
地理・地域
広島県
3,515
428
88,896,497
0°C(1977年(昭和52年)2月19日)など−20°C以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。北広島町八幡の592cm、庄原市高野の582cmなど日本海側との脊梁部には降雪量が3mから6m近くに達する豪雪地帯が広がっている。庄原市や三次市などの市街地でも80cm〜120cm程度の降雪量がある。県下には14市5郡9町が存在する。村は2004年11月5日に消滅した。かつては県庁によって1つの大都市周辺地域および7つの広域市町村圏の計8つの広域行政圏に区分されていた。ただし、この広域行政圏は実際の都市圏の枠組みとは異なっていた。県内には広島市を中心とする広島都市圏、福山市を中心とする備後都市圏が存在し、それぞれ広域行政圏や県境を越えて広がっている。なお、広域行政圏政策そのものは、2009年(平成21年)3月末に廃止された。
地理・地域
広島県
3,516
428
88,896,497
以下、かつての広域行政圏ごとに市町村を記載し、人口を付記する(2015年(平成27年)国勢調査人口)。1963年(昭和38年)岡山県笠岡市に編入されていた城見村の旧茂平村(1889年(明治22年)他2村と共に城見村設立)が岡山県笠岡市より分離、福山市への編入を模索していた。旧茂平村地区は旧来より地理的(地区が隣接し境界に河川などの天然障壁がない)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)に福山市との結び付きが強い地域であった。1963年(昭和38年)岡山県の日生町福浦が強い住民運動により兵庫県の赤穂市に合併されたことに刺激を受けた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)の賛同の下、福山市議会議員数人の賛同も得た。
地理・地域
広島県
3,517
428
88,896,497
また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧茂平村地区は旧用之江村地区と共同で福山市に合併嘆願書を提出した。福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こった。また翌年(1964年(昭和39年))岡山県の知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し騒動は終結した。平成の大合併の際、愛媛県越智郡上島諸島の弓削町・生名村・岩城村・魚島村が愛媛県より分離し、広島県因島市との合併を模索していた。などの理由により、4町村が広島県の因島市との越県合併を検討。4島のうち最も広島県に近い生名村は昭和30年代にも広島県への併合を模索したことがあった。しかし島だけではなく、大きな漁域を失うことを恐れた越智郡や今治市の漁師が大規模な海上デモ活動を行った。
地理・地域
広島県
3,518
428
88,896,497
また愛媛県、越智郡も反対し決行されなかった経緯がある。生名村は、因島までの距離が300mと近い。また、村営の渡船が1日50往復近く運行されており、因島市のベッドタウン的な立場であった。2000年(平成12年)5月5市町村の間で連携交流協議会を設置するも、両県市町村間での調整が難航した。結局、愛媛県側4町村で上島町を設立、合併案は事実上凍結された。なお現在まで上島町は橋やフェリーなどで愛媛県に接続されておらず、車両で四国に上陸するためには一旦広島県側を経由しなければならない状態になっている。国土交通省の平成10年および平成14年の報告では、広島県にはがけ崩れや土石流による土砂災害危険箇所が31,987箇所あり、これは都道府県の中で最多である。
地理・地域
広島県
3,519
428
88,896,497
2位以下は、島根県(22,296)、山口県(22,248)、兵庫県(20,748)、大分県(19,640)、和歌山県(18,487)、高知県(18,112)、愛知県(17,783)となっている。危険箇所の少ない地域は、沖縄県(1,032)、山形県(3,771)、東京都(3,786)、青森県(4,005)などで全国に525,307箇所ある。上位3県が広島、島根、山口と中国地方西部となっておりこれは山がちな地形であるため住宅地が山の裾野まで迫り、さらには山腹まで宅地開発されていることと、花崗岩が風化したまさ土による地質の脆弱さによるものである。
地理・地域
広島県
3,520
428
88,896,497
県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島城築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字の一つとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を併せたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。
歴史
広島県
3,521
428
88,896,497
旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学(東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある。倉橋島(呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、飛鳥時代後期には備後国に寺町廃寺(三次市)などの寺院が建立された。司馬遼太郎は、著書の中で広島県は瀬戸内海文化圏と考えられているが、その自然地理面積は実に狭く、市街を出て太田川とその上流の根之谷川を20kmも北上すれば、もう川が日本海に向かって流れるのはただ事ではない。広島県の古墳の分布では、瀬戸内海側は非常に少なく、県北の三次を中心に河川が日本海へ流れる地方に古墳がむやみに密集している。それらの地方の古社もほとんどが出雲系の神々で、飛躍を恐れずにいえば、古代の広島県は瀬戸内海文化よりも日本海文化に属していたのではないかと指摘した。
歴史
広島県
3,522
428
88,896,497
江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩。また備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。
歴史
広島県
3,523
428
88,896,497
普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円
政治
広島県
3,524
428
88,896,497
江戸期にはたたら製鉄による日本有数の鉄の産出地であった。近代には日本陸軍・海軍の主要拠点が置かれた広島県は、呉の海軍工廠を始め多くの軍需施設が置かれた。戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである。自動車産業・造船、そしてのちに加わった鉄鋼業を中心に、瀬戸内工業地域の中核として発展。1994年(平成6年)までは工業出荷額で、中四国・九州の西日本17県でトップを維持したが、バブル景気の崩壊でこうした重厚長産業は大きく影響を受け、三社の自動車メーカーの工場などを誘致した福岡県に製造品出荷額等で抜かれた。しかし2004年(平成16年)頃の景気の回復、および中国特需でこれらの業種は空前の好景気を記録、2004年(平成16年)の製造業出荷額は、6.3%増の7兆4153億円、製造品出荷額等は5.
経済・産業
広島県
3,525
428
88,896,497
7%増の計21兆7468億円と、10年ぶりに福岡県を抜き関西以西でトップに返り咲いた。また重厚長産業に偏重した反省から、半導体製造のエルピーダメモリや日東電工などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図っている。明治以降、広島市に大本営が置かれてから今日までの、広島市を中心としたエリアのドラスティックな歴史が、同じく明治以降の日本の歴史とシンクロされるため、近年経済誌でよく特集を組まれている。県東部の備後地方は常石造船に代表される造船業、昭和30年代に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区を中心とした鉄鋼業、シャープ福山工場などのIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。他府県に拠点を移した企業。
経済・産業
広島県
3,526
428
88,896,497
広島県警察本部の管轄にあり、以下の26警察署が置かれている。人口規模の割には私鉄路線がほとんどなく、私鉄路線は路面電車、新交通システムや第三セクター鉄道のみで、1967年に井笠鉄道が廃線から1999年に井原鉄道が開通まで普通鉄道の私鉄路線が一切存在しなかった。すでに退職した世代から団塊の世代にかけて、日教組系教職員の組織力が強かった。部落解放同盟広島県連と連携するなど、競争原理よりも平等に重きが置かれていた(例・総合選抜制の入試など)。しかしその是正を掲げて、文部科学省から教育長が順次派遣され、上意下達式の変革がなされた(2007年(平成19年)4月から二十数年ぶりに生え抜きの教育長が就任した)。2005年度入試から全県で学区の壁がなくなり、受験競争が激化している。小学校では「100ます計算」に象徴されるように、基礎基本の定着が一層図られるようになった。
生活・交通
広島県
3,527
428
88,896,497
小学5年生と中学2年生において共通学力テストが実施され、その結果は、各学校ホームページで公開されている。なお、元々被爆県として平和教育が盛んであった関係で、式典における国旗掲揚、国歌斉唱の取り扱いについて、現場に意見の差が残る。処分の適否が司法の場に預けられているところである。中学などで学校選択制が始まるとともに、公立中高一貫校が複数スタートした。競争原理が予算面にまで影響するようであれば、納税者の理解が得られるかどうかが未知数である。
生活・交通
広島県
3,528
428
88,896,497
広島県内の方言は中国方言に分類されるが、県の東西で違いがある。
文化・スポーツ
広島県
3,529
428
88,896,497
県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。便宜上1000人以上収容施設を記載している。
観光
広島県
3,530
428
88,896,497
広島県は1984年(昭和59年)9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年(平成9年)5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。
対外関係
広島県
3,531
428
88,896,497
詳細は「広島県を舞台とした作品一覧」を参照。原爆関係については「広島原爆をテーマとした作品」も参照のこと。
広島県を舞台とした作品
広島県
3,532
428
88,896,497
広島県名誉県民の称号は、「社会文化の興隆に卓越した功績があり、県民の誇りとして等しく尊敬を受ける」者へ贈られる。広島県県民栄誉賞は、「輝かしい業績をあげ、広く県民に夢と希望を与え」た者へ贈られる。
人物
広島県
3,533
432
88,611,483
福井県(ふくいけん、(英: Fukui Prefecture)は、日本の北陸地方に位置する県。県庁所在地は福井市。北陸地方で最も人口が少ない県である。
__LEAD__
福井県
3,534
432
88,611,483
山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方および敦賀市)より構成される。また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あるが全て無人島で、常神半島沖の岩礁である千島で約3kmの距離しか離れていない。越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。地理上は北陸地方または中部地方と分類されるが、行政管轄区分において近畿地方とされる場合もある。
概要
福井県
3,535
432
88,611,483
ケッペンの気候区分では県内全域が温暖湿潤気候であるが、日本海側気候であり県内全域が豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)に指定されている。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、大野市では年間降雪量500cm、最深積雪100cmを超える。福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する富山市や金沢市などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2018年2月7日に積雪147cmを記録しているなど1m以上の積雪となることもある。一方、日本海沿岸部では対馬暖流の影響により冬でも比較的暖かく、雪よりも雨の日が多い。年間の降水日数は170日あり、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。なお兵庫・豊岡市にも「弁当忘れても傘忘れるな」という格言が存在する。福井県は地図で見ると、鍵あるいはゾウのような形をしている。
地理・地域
福井県
3,536
432
88,611,483
特に、嶺南に所属する若狭湾の海岸線はリアス式海岸として有名である。以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。勝山市と池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留している。
地理・地域
福井県
3,537
432
88,611,483
※令制国ごとの歴史は、越前国・若狭国も参照。
歴史
福井県
3,538
432
88,611,483
衆議院の小選挙区が2。参議院では、全県で1区を構成。
政治
福井県
3,539
432
88,611,483
工業地域としては北陸工業地域の南端を担っている。第二次産業と第三次産業を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。(五十音順、カッコがないものは東証1部上場)福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、アトム、飛島建設、前田建設工業、山善などがある。 また、村田製作所やアイシン、森永乳業といった大企業のグループ会社も多数位置している。
経済・産業・企業
福井県
3,540
432
88,611,483
定期便が飛ぶ最寄りの空港は小松空港(石川県小松市)である。越美北線を除いて、電化されている。北陸本線の特急列車並びに新快速を除く、県内を運行する普通列車の大半がワンマン運転を実施している。普通列車の日中の運転本数は、JRで県下全域に亘り毎時1本以下、私鉄(嶺北地域のみ)は毎時2本程度。
生活・交通
福井県
3,541
432
88,611,483
同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は北陸方言に、嶺南地方の方言は近畿方言に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。
文化・スポーツ
福井県
3,542
434
88,907,897
福島県(ふくしまけん、(英: Fukushima Prefecture)は、日本の東北地方に位置する県。県庁所在地は福島市。最大の都市はいわき市。
__LEAD__
福島県
3,543
434
88,907,897
面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、地形・気候・交通・歴史などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し越後山脈と奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「会津」、県の中央部に位置し奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「中通り」、県の東部に位置し阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「浜通り」である。
概要
福島県
3,544
434
88,907,897
これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」(冬季の累積降雪量)があり、会津の会津若松市は300 - 400cm程度、中通りの福島市は100cm前後、浜通りのいわき市小名浜は10cmに満たない年が多く、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「うつくしま」とのキャッチコピーが県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた。廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年(明治9年)8月21日に会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立した。
概要
福島県
3,545
434
88,907,897
なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる。当県には1899年(明治32年)に全国7番目、かつ、東北初の日本銀行営業所(後に支店)が開設されるほど鉱工業が発達していた。県内に一極集中都市(プライメイトシティ)はなく、人口30万人前後の都市が3市あって機能分担している。すなわち、浜通りには、広大な面積を持ち、かつては炭鉱都市であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積するいわき市があり、中通りには行政機能が集中し全国有数の果樹地帯を形成している福島市(テレビではNHK福島放送局およびTBS系列TUFとフジテレビ系列FTVが所在)、そして、商業・内陸工業地帯となっている郡山市(テレビでは日本テレビ系列FCTとテレビ朝日系列KFBが所在)とがある(参照)。
概要
福島県
3,546
434
88,907,897
また、会津の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの奥羽(東北地方)の玄関口であった白河の関がある白河市も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には大内宿(重要伝統的建造物群保存地区)を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる磐梯朝日国立公園には磐梯高原・五色沼・猪苗代湖などリゾートエリアも擁する。
概要
福島県
3,547
434
88,907,897
東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90kmで、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川の地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。西から順に「会津」と「中通り」、阿武隈高地の東側の「浜通り」の三地域に別れている。
地理
福島県
3,548
434
88,907,897
福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り・中通り・会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋と阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。
地域
福島県
3,549
434
88,907,897
以下、人口は2022年3月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,803,122人)。県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約1.4万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷
地域
福島県
3,550
434
88,907,897
福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう。
歴史
福島県
3,551
434
88,907,897
縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳(郡山市、前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳(会津若松市、前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳(会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方(那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。
歴史
福島県
3,552
434
88,907,897
5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は評(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国と石背国が分置された。現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。
歴史
福島県
3,553
434
88,907,897
分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡も耶麻郡を始め多くの郡に分割された。平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。
歴史
福島県
3,554
434
88,907,897
国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏、相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領や鎌倉公方の支配を受けるようになる。
歴史
福島県
3,555
434
88,907,897
戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。
歴史
福島県
3,556
434
88,907,897
しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国の上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成で会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。
歴史
福島県
3,557
434
88,907,897
一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷や開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。
歴史
福島県
3,558
434
88,907,897
白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにも関わらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保は京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた薩長同盟(薩摩藩・長州藩)との衝突が鳥羽・伏見の戦いから生じ、敗れた旧幕府側は朝敵とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。
歴史
福島県
3,559
434
88,907,897
江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。
歴史
福島県
3,560
434
88,907,897
1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。
歴史
福島県
3,561
434
88,907,897
1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。
歴史
福島県
3,562
434
88,907,897
これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。
歴史
福島県
3,563
434
88,907,897
1997年の213万7406人をピークに減少傾向にある。 2019年10月1日時点の推計人口は184万4173人で、全国21位である。東日本大震災の影響で2011、2012年は人口減少率が全国最高を記録したが、2013年は全国25位とやや落ち着いている。合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。
人口
福島県
3,564
434
88,907,897
現在の福島県知事は、内堀雅雄(第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は
政治
福島県
3,565
434
88,907,897
本キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあったが、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体と全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋、うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。
政治
福島県
3,566
434
88,907,897
2008年(平成20年)度の県内総生産は7兆6669億円である。世界の国の国内総生産 (GDP) と比較しても、世界70位以内にランクインしており、県単独で世界の過半数の国より大きな経済規模を有している。第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位)などの水産物が主要産物である。第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在)
経済・産業
福島県
3,567
434
88,907,897
第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇り商都と呼ばれている。農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている。
経済・産業
福島県
3,568
434
88,907,897
また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)。2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額等によると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額等が多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。
経済・産業
福島県
3,569
434
88,907,897
東京方面との連絡は、東北新幹線および常磐線特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、いわき駅は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。福島民報と福島民友は、いずれも県紙と言え、いずれも47NEWSに加盟している。戦時中の新聞統制で一県一紙となった際は民報がその一紙となったが、戦後すぐに民友が復活している。
生活・交通
福島県
3,570
434
88,907,897
現在のシェア・発行部数は民報の方が高いが、民友も民報よりは低いが全国紙を上回るシェア・発行部数を持っている。いわき民報はいわき市に特化した新聞である。民報と付いているが、福島民報とは関係がない。本社演奏所の立地として、福島市(県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。また、デジタルテレビ・県域FM局の親局送信所及び補完FM局のメイン送信所は福島市の笹森山に設置されている。戦後の福島県域2大新聞社である福島民報(毎日新聞系)と福島民友(読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。
生活・交通
福島県
3,571
434
88,907,897
しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い。その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。なお、東北地方では唯一通常時全民放TV局で終夜放送を行っていない県である。以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない。
生活・交通
福島県
3,572
434
88,907,897
福島県内では、自治体が免許人となりラジオ中継局を設ける「受信障害対策中継局」を活用している自治体が多く、ラジオの難聴地域である昭和村、葛尾村、広野町(2023年予定)において、NHKラジオ第1放送・ラジオ福島・ふくしまFMの微弱電波による中継局を町村内くまなく設置している。また、いわき市でもこの制度を活用し、いわき市民コミュニティ放送のみの中継局が多数設置されている。相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が放送区域になっている。いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。
生活・交通
福島県
3,573
434
88,907,897
福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県、長野県、富山県、岐阜県。鳥取県、山口県、福岡県にも見られる。地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。
生活・交通
福島県
3,574
434
88,907,897
会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「ニシンの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。
文化・スポーツ
福島県
3,575
436
88,878,325
北海道(ほっかいどう、(英: Hokkaido)は、日本の北海道地方に位置する道。道庁所在地は札幌市。47都道府県中唯一の「道」である。ブランド総合研究所による「都道府県の魅力度ランキング」で2021年現在、13年連続で1位に選ばれ、観光意欲度、産品購入意欲度でも1位、居住意欲度でも3位となっており、各意欲の面で高い評価を得ている。
__LEAD__
北海道
3,576
436
88,878,325
この島を居住地の一つとするアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」) と呼ばれる。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた。ロシアの進出に伴い江戸時代末期になると「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの改称は実現しなかった。明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討。1869年(明治2年)、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出し、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定。
概要
北海道
3,577
436
88,878,325
明治2年8月15日太政官布告により「蝦夷地自今北海道ト被稱 十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候事」と周知された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいることから考案したと説明している。しかし、言語学者の金田一京助は当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。北海道は地方自治法において他の「都・府・県」と同格の普通地方公共団体(都道府県)の1つとされているが、「都」「府」「県」の場合、これを外して、「東京」「大阪」「京都」「富山」「福岡」のように表記・呼称することがあるのに対し、北海道については「道」を外して単に「北海」と表記・呼称することは(北海タイムス、北海学園大学など、社名や学校名などの固有名詞の一部分に使用される例はあるものの)非常に稀である。
概要
北海道
3,578
436
88,878,325
英語での公式表記は『Hokkaido Government』、もしくは『Hokkaido』 であり、『Hokkai Government』や『Hokkai Prefecture』と表記する事はない。一方、「道」である普通地方公共団体は北海道のみであることから、「道」が「道産米」、「本道」、「道外」など、事実上北海道を唯一的に指し示す語彙(形態素)として広く普及している。後述の通り、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで北海道を管轄した地方行政官庁は、北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと並んで置かれた官庁の名である(樺太と樺太庁の関係に同じ)。この「北海道庁」は、現在用いられているような地方自治体の中央官庁ではない。
概要
北海道
3,579
436
88,878,325
1901年(明治34年)に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて「北海道会」という議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正された際、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて道府県制に統合された。また改正法律の附則の規定により、従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年(昭和22年)の地方自治法施行により、「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。
概要
北海道
3,580
436
88,878,325
北海道本島は面積77,983.90平方キロメートル、日本の島の中では本州に次ぐ第2位の面積で、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の面積を持ち、樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島35,980平方キロメートルの約2倍の大きさである。これは九州と四国を合わせた面積55,050.77平方キロメートルを上回る。四方を太平洋、日本海、オホーツク海に囲まれている。北海道本島は、面積77,983.90平方キロメートル (km) 、最高標高2,291メートル (m) 、本州、四国、九州とともに日本列島を構成する主要4島の一つ。北海道本島は日本の国土面積の約2割を占め、本州の約3分の1、九州の約2倍、四国の約4倍に相当する。上記4島の中では、唯一、島名と地方公共団体名が同じで、1「道」のみで管轄する島である。
地理
北海道
3,581
436
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日本の島の中では本州に次ぐ第2位、世界の島の中ではアイルランド島に次ぐ第21位の大きさである。江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて蝦夷ヶ島、本島単独では蝦夷地、北州、十州島などと呼ばれていたが、明治2年(1869年)、古代日本の律令制における広域行政区画「五畿七道」の7つの「道」に倣って、北海道 (令制)と命名された。なお、地質学や考古学などでは北海道島という名称も使用される。国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、北海道の面積は83423.84平方キロメートルである。北海道の東西南北それぞれの端と重心は以下の位置である。北端は択捉島のカモイワッカ岬、南端は渡島小島、東端は択捉島のラッキベツ岬、西端は渡島大島にある。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は栗山町本沢にある。(東端、北端は日本政府、北海道当局の公式見解。
地理
北海道
3,582
436
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前述のように、2011年現在施政権は及んでいない。)南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函隧道により鉄路で繋がれており、同トンネル内で青森県に接しているトンネルの上の津軽海峡中央部は公海であるが、日本の排他的経済水域である。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、および親潮と東樺太海流が流れている。北海道は大きく分けて胴体部に当たる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島を含む)よりなる。胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き、北海道の脊梁を成している。
地理
北海道
3,583
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蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地などの盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。北海道東部は千島弧の延長である知床半島・根室半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続いて平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地などの大平野が形成されている。胴体部と半島部の間の地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約200万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市などが並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。
地理
北海道
3,584
436
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半島部には、石狩低地帯の西に位置する南西部山地と、その南西に延びる渡島半島があり、間に太平洋側から内浦湾(噴火湾)が入り込む。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部に当たり、渡島山地がある。渡島山地と南西部山地の間には、日本海側の寿都町から内浦湾にかけての低地があり、黒松内低地帯という。北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰など)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,291メートルである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山などの山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。
地理
北海道
3,585
436
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阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖がある。隣接県は青森県である。青森県をはじめ、北海道と各都府県は陸路、歩行では移動することができない。飛行機、船、青函トンネルを介して北海道新幹線に乗車のいずれかが必須となっており、いずれも運賃がかかる。西岸海洋性気候や温暖湿潤気候が見られる道南の一部沿岸地域を除くと、亜寒帯湿潤気候である。日本海側、内陸部で冬の積雪は根雪となる。日本海側は特に豪雪地帯であり、一部市町村は特別豪雪地帯になっている。道北、道東の内陸部は寒さが非常に厳しい。太平洋沿岸部は、親潮の影響を受け夏は涼しく冬は比較的少雪。
地理
北海道
3,586
436
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「北海道」1道から成る地方を北海道地方と言い、人口5,475,783人で都道府県順位第8位、面積83,456.75kmで都道府県順位第1位、これは日本の総面積の約2割 (22.9%) に当たる。また、国土交通省による日本の14地域区分の1つである北海道も、「北海道」1道から成る。なお、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島については「北海道」の領域に含まれるものの、日本の管轄下に置かれていない。すなわち、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけてソビエト連邦が不法占拠し、現在もその後継国家であるロシア連邦が継続して不法占拠中にあり、日本の施政権が及んでいない(北方領土問題参照)。「北海道」には179の市町村(35市129町15村)、64の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。「北海道」では、森町を「もりまち」と読む以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。
地域 
北海道
3,587
436
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北海道本島とその付随する島々(利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島、色丹島、歯舞群島など)、千島列島から成る地方公共団体が「北海道」であり、47都道府県で唯一の「道」である。北海道は全体で一つの行政区域となっており、第二次世界大戦後の地方自治法で他の都府県とならぶ普通地方公共団体となった。北海道庁は札幌市中央区に置かれる。歴史的には明治政府は北海道に開拓使を置いていた。同時期に道南の松前地方には館県、弘前県、青森県の管轄地域が存在したことがある。松前地方では版籍奉還により松前藩が館藩となり、廃藩置県で館県が成立。館県は弘前県に併合され、弘前県は青森県となったが、青森県からは再三にわたり松前地方の管轄免除、開拓使からは同地方の管轄の願い出が行われたため、1872年に松前地方も開拓使に移管された。
地域 
北海道
3,588
436
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北海道に置かれた開拓使は開拓使十年計画が終わったことで、1882年に廃止され、北海道に札幌県・函館県・根室県が誕生した。ところが非効率的で開拓の実があがっていないという批判が多く、内閣制度発足による機構改革とともに、1886年、3県を廃止し、北海道全体を管轄する北海道庁が設置された。北海道は、地方自治法155条第1項に基づき、支庁を設置している。「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」において「北海道総合振興局」(以下「総合振興局」)および「北海道振興局」(以下「振興局」)とされている。各総合振興局および振興局は、その所管区域において、納税証明書の発行および旅券発給などの窓口業務は、所管区域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。
地域 
北海道
3,589
436
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2008年(平成20年)6月28日の北海道議会で、それまであった14支庁を9総合振興局に再編し、その下に総合振興局の出張所として5振興局を置くとする条例が可決された。しかし、檜山支庁、日高支庁、留萌支庁、根室支庁の支庁所在地を抱える管内各自治体では、住民の反発の声が上がり、地域経済の悪化に拍車が掛かることも懸念された。また、再編する際に必要な公職選挙法の改正が先送りされ(北海道では衆議院小選挙区区画区分を支庁管内境界で区分している)、2009年(平成21年)4月1日実施は不可能となった。これらのことから、当初の条例は施行されず、結局2009年(平成21年)3月31日の道議会で「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」が改正され、総合振興局・振興局への改称後も、どちらも同格の支庁として存続することになった。
地域 
北海道
3,590
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88,878,325
但し総合振興局は、隣接する振興局管内の広域行政を担うことができ、該当する振興局が条例で規定されている。この改正では、網走支庁がオホーツク総合振興局となる以外は、名称は従来の支庁名が継承された。なお幌延町が旧留萌支庁管内から宗谷総合振興局管内へ、幌加内町が旧空知支庁管内から上川総合振興局管内に移った。※ 人口は2022年2月28日の住民基本台帳人口。※ 面積は2015年10月1日全国都道府県市区町村別面積調。※ 根室振興局の市町村の( )内は北方領土内の村。人口・面積には、北方領土を含まない。一般的な区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。胆振・日高・後志を道南に区分したり、オホーツクの北見網走地区を道北に区分したり、あるいは上川の大雪地区(旭川富良野地区)や空知の深川地区を道北に区分したりする例も見られる。地域生活経済圏の人口比率
地域 
北海道
3,591
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北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏 (PDF) 」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。北海道は東北地方に新潟県を加えた面積に匹敵する程広大であるため、旭川市、函館市、釧路市の3市に、本州以南であれば都府県庁所在地にのみ設置される機関が置かれる例が見られる。国の出先機関の支局などが札幌市・旭川市・函館市・釧路市に設置される場合は、概ね振興局を分割することなく、その支局などが置かれる振興局と近隣の振興局を管轄することとなる。一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、振興局を分割して管轄する場合がある。日銀の管轄は、函館支店が渡島・檜山2振興局、釧路支店は釧路・根室・十勝3振興局を担当。その他は札幌支店が管轄するが、その中の旭川事務所の管轄が上川・オホーツク・宗谷・留萌4振興局となっている。また、道内の放送局は7地域に分割される。
地域 
北海道
3,592
436
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詳細は、北海道の報道機関の一覧を参照。
地域 
北海道
3,593
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北海道には数万年前の氷期にシベリアからマンモスやオオツノシカなどの大型哺乳動物を追いかけて、陸橋となった宗谷海峡を人類が渡ってきたとされる。約12,000年から13,000年前(-8000年から-9000年)には、氷河が後退し温暖となってからは本州からも渡来したようである。道内各地で旧石器時代の発掘調査は、群馬県の岩宿遺跡で旧石器が発見されたのをきっかけに行われるようになった。それらの遺跡は約2万年前から1万3000年前の間、つまり後期旧石器時代と推定されている。現在のところ最も古い遺跡は、千歳市祝梅(しゅくばい)三角山遺跡と考えられている。この遺跡から採取した炭化材を放射性炭素年代測定法では21450±750年BPであった。出土した石器類は、ナイフ形石器・尖頭器・削器・石核などである。これらの石器の原材料となった黒曜石の産地は「十勝石」の名で親しまれている白滝村が代表的である。
歴史
北海道
3,594
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他には、置戸・十勝三股・赤井川などがある。縄文時代に入ると、渡島半島・函館市の女名沢遺跡など、本州からの亀ヶ岡文化の影響が見られるようになる。縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯に集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡、芦別市野花南、標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。北海道ではストーンサークルが多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。渡島管内森町の鷲ノ木遺跡、後志管内小樽市の忍路環状列石・地鎮山環状列石、余市町の西崎山環状列石、石狩地方では空知管内深川市の音江環状列石、旭川市の神居古潭ストーンサークルなど。古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場している。事実かどうかは諸説あるが、『日本書紀』には、斉明天皇が阿倍比羅夫に命じ、蝦夷を征するため、渡島へ1万の軍勢を送ったとある。
歴史
北海道
3,595
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比羅夫は蝦夷を下し、さらに降伏した蝦夷とともに粛慎なる異民族を討ち、捕虜を連れ帰ったという。奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)など様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、鉄などを日本人(和人)の交易で得るようになっていった。また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。室町時代には、渡島半島南端(後の和人地)に和人、渡党、アイヌが居住し、豪族が館を構えていた。
歴史
北海道
3,596
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和人の築いた道南十二館のひとつである勝山館跡では和人とアイヌの混住が考古学的にも確認されている。当地に割拠していた館主(たてぬし)らは安東氏と被官関係を結んでおり、かれらが北海道に渡った時期は不明であるが、その多くは鎌倉時代に津軽や糠部の北条氏所領の代官層であった侍の子孫とも考えられている。室町・戦国期には本土から和人の渡海者が増え、現地のアイヌとの間に対立が起きたという。近世以前の北海道に関しては松前藩の由緒を記した『新羅之記録』(寛永20年(1643年)成立)があり、同書に拠れば康正3年/長禄元年(1457年)に起きたコシャマインの戦いで、甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。
歴史
北海道
3,597
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安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いで蜂起したものの、松前藩によって鎮圧された。天明4年(1784年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。江戸時代後期に、ロシアがシベリアから領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本に北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。
歴史
北海道
3,598
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また、統治機構として享和2年(1802年)に蝦夷奉行を置き、後に箱館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は文政4年(1821年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。律令制・幕藩体制の延長期慶応4年/明治元年4月12日(1868年5月4日)に、新政府は蝦夷地にそれまで置かれていた箱館奉行を箱館裁判所に置き換え、すぐにその名を箱館府と改めた(府藩県三治制)。これに伴い、道内でもそれまでの公議御料(幕府直轄領)は天領(天皇の御料)となった。ただし、明治元年12月(1869年1月)旧幕府軍が五稜郭を占拠し榎本武揚を首班とする「蝦夷共和国」が成立、翌年にかけて新政府軍との間で戊辰戦争の一つ箱館戦争が戦われた。
歴史
北海道
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旧幕府側の降伏直後の明治2年(1869年)、和人地および蝦夷地(北州)には大宝律令の国郡里制を踏襲し北海道11国86郡が置かれた(→北海道 (令制))。同年7月(天保暦)館藩(松前藩)領以外は箱館県(箱館府の後身)から引き継ぐ開拓使(「使」という名称は、律令制下で使用された臨時の独自な任務をこなす令外官である。東北地方などには按察使が置かれた)が設けられ北海道の開拓は本格化した。当初、開拓使直轄領以外では、道外の藩・士族・寺院・華族などによる幕藩体制と同様の北海道の分領支配も行われていた。また、同年10月場所請負制が漁場持と名称を変えしばらくの間存続することとなった。※ 得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった
歴史
北海道
3,600
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1943年(昭和18年)3月20日には町村制の改正により北海道一・二級町村制が廃止(旧二級町村は特例で指定町村と)された。1946年(昭和21年)9月27日の府県制改正にともない、北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「道府県制」に移行し、指定町村の特例も廃止されている。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。1902年(明治35年)、1913年(大正2年)、1931年(昭和6年)、1941年(昭和16年)は冷夏になり、農作物の収率が例年の半分以下になる大凶作となった。また、1912年(明治45年)3月、暴風雪が発生し、死者68人の被害。
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北海道
3,601
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1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道をはじめとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧一級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道はすべての国道を国が管理する体制がとられた。
歴史
北海道
3,602
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1967年(昭和42年)には旭川市旭山動物園が開園し、1968年(昭和43年) には北海道百年記念祝典が開催された。また、1971年(昭和46年)に日本で4番目の地下鉄となる札幌市営地下鉄が開業。翌1972年(昭和47年)にはアジア初の冬季オリンピックである第11回冬季札幌オリンピックが開催され、オリンピック後の4月1日には札幌市が政令指定都市に指定された。1988年(昭和63年)7月20日には、新千歳空港が千歳空港に代わる民間航空用の空港として開港した。2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。2003年(平成15年)9月26日午前4時50分頃、 十勝沖地震 - Mj 8.0(Mw 8.0〜8.
歴史
北海道
3,603
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3)、北海道新冠町・静内町・浦河町・鹿追町・幕別町・豊頃町・忠類村・釧路町・厚岸町で最大震度 6弱、死者・不明者2人。津波警報が発表され2メートルを超える津波が来襲し2人が飲み込まれ、2年後に1人が遺体で発見された。2008年(平成20年)7月7日〜7月9日 - 北海道洞爺湖サミット開催。2010年(平成22年)、支庁制度改革、支庁を「総合振興局・振興局」と改称。2018年(平成30年)9月6日午前3時8分頃、胆振地方中東部(北緯42.7度 東経142.0度)で最大震度7 (M.6.7) を観測する北海道胆振東部地震が発生した。厚真町では震度7を観測した。北海道で震度7を観測したのは観測史上初。
歴史
北海道
3,604
436
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北海道の人口は522万4614人(2020年(令和2年)10月1日、国勢調査)であり、都道府県単位で全国8位である。しかし人口密度はもっとも低く、これが地域の特色にもなっている。北海道は他の多くの都府県と比べて主要都市部に人口が偏在するという性格が強く、特に近年は札幌市への人口集中が著しく、道内の他の自治体を大きく圧倒する。 2番目の人口規模をもつ旭川市でさえ札幌市の人口の6分の1程度しかない。 道内の179の自治体のうち政令指定都市は札幌市の1市、中核市は旭川市と函館市の2市で、施行時特例市は存在しない。人口の都市集中は、他の市町村の人口密度がさらに低いことを意味する。家屋の密度が著しく低く、大区画でほぼ無人の畑地・牧草地が広がる大地を、どこまでも続く直線道路が切っていく景観は、人口密度の低さで北海道につぐ東北地方でも見られない、北海道独特のものである。
人口
北海道
3,605
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総務省によると、2011年(平成23年)現在の段階で179の自治体のうち、ほぼ80%に上る143の自治体が過疎地域に指定されている。
人口
北海道
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2019年4月7日に行われた道議会議員選挙の結果を反映している。2006年(平成18年)度の実質公債費比率は19.9%と、全国では長野県に次いで2番目に悪い。2017年(平成29年)現在、衆議院議員選挙は、小選挙区を12区に分け、比例北海道ブロック議席は8議席保有している。比例北海道ブロック 自由民主党-4議席、立憲民主党-3議席、公明党-1議席
政治
北海道