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419
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農業産出額が県全体の4割を超える長崎県を代表する農業地帯であり、野菜や畜産をはじめ、果樹、花きなど、恵まれた気候・土壌条件を活かして、多様な産地が形成されている。また、特用林産物である菌床しいたけの生産も盛んな地域である。九州の最西端に位置し、比較的平坦な福江島を除いて起伏が多く、島々の海岸線は溶岩海岸や砂浜、リアス海岸と変化に富んでおり、海と山が織りなす美しい自然景観は一部が西海国立公園に指定されている。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」や日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」をはじめとする数多くの歴史・文化遺産に恵まれており、観光産業は基幹産業の一つとなっている。
地理・地域
長崎県
3,408
419
88,809,388
海洋再生可能エネルギー導入の先進地域として、浮体式洋上風力発電の事業化及び潮流発電の実用化に向けた取組や、メンテナンスサービス等の関連産業の育成、発電施設を観光資源としたインフラツアーが推進されている。島内最高峰の岳ノ辻をはじめ、奇岩や白砂青松の砂浜など変化に富んだ海岸線が壱岐対馬国定公園に指定されている。特に辰の島等周辺海域はサンゴ類が生育する等優れた海中景観を有することで海域公園地区に指定されている。福岡県と対馬市の中間地点で玄界灘に面し、福岡市博多港から芦辺港まで北西67km(ジェットフォイルで約1時間)の位置にあり、福岡都市圏との結びつきが強い地理的な特徴がある。壱岐にはいくつもの美しい海水浴場があり、県内外から多くの海水浴客が訪れます。
地理・地域
長崎県
3,409
419
88,809,388
古くから大陸文化の中継地として重要な役割を果たし、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」として日本遺産に認定されるなどの豊かな歴史もあり、観光資源が豊富です。近年は日本のモンサンミッシェルと呼ばれる小島神社など、島内に数多く点在する神社がパワースポットとして新たな観光資源となっている。壱岐地域の第1次産業は、他地域に比べて割合が高く、農業産出額(H30:約70億円)の過半を占める肉用牛は「壱岐牛」として地域団体商標にも登録されるなど子牛繁殖、肥育とともに重要な作目となっている。県内第2位の平野面積を誇る深江田原を中心とした水稲、麦、大豆などの土地利用型作物やアスパラガス、いちごなどの施設園芸農業、葉たばこなども盛んです。全島の89%が森林で占められており、龍良山など全国屈指の原生的な照葉樹林が国指定天然記念物及び壱岐対馬国定公園に指定されている。
地理・地域
長崎県
3,410
419
88,809,388
また、複雑に入り組んだリアス海岸や断崖絶壁が特徴的な浅茅湾一帯も国定公園に指定されている。野生生物では、国の希少野生動植物及び天然記念物に指定されているツシマヤマネコをはじめ、対馬でしか見ることのできない生物や大陸からの流れをくむ生物が数多く生息・生育しており、生物多様性の豊かさを物語っている。対馬では、第1次産業の就業人口の割合が19.9%となっており、長崎県の7.7%、全国の4.0%と比べて高くなっている。中でも、漁業は15.5%となっており、第1次産業でも大きな割合を占めている。一方、就業者数は、第1次、第2次産業の従事者が減少し、第3次産業の従事者が増加している。長崎県内には、対馬を除く地域において市町村下の地名の末尾に付する独特の単位が複数存在する。
地理・地域
長崎県
3,411
419
88,809,388
壱岐島では農村集落で「触(ふれ)」、漁村集落で「浦(うら)」、壱岐を除く旧平戸藩領では「免(めん)」、旧大村藩領および五島列島では「郷(ごう)」、旧佐賀藩領および旧島原藩領では「名(みょう)」が付く。 これらの単位の中には市町村合併などで町名の変更があった際に削除されるものも多いが、現在も市町村下の行政区画単位として一部の地域で使われ続けている。人口は2022年3月1日現在。
地理・地域
長崎県
3,412
419
88,809,388
古くは肥前国(佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国、壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市(旧大和町)にあった。現在の佐世保市に当たる地域からは、福井洞窟や泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。2003年(平成15年)12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の土層から旧石器が見つかり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。弥生時代の遺跡としては、『魏志倭人伝』に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。
歴史
長崎県
3,413
419
88,809,388
また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳、根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群、曲崎古墳群がある。倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人や烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。
歴史
長崎県
3,414
419
88,809,388
小野妹子をはじめとする遣隋使や遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。五島列島は遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平家方の水軍として戦った。中世には松浦党などの海賊衆(水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。1274年(文永11年)(文永の役)、1281年(弘安4年)(弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島に元・高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。
歴史
長崎県
3,415
419
88,809,388
室町時代に入り、1419年には応永の外寇、1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会の宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。
歴史
長崎県
3,416
419
88,809,388
大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。二十六聖人という。17世紀にはいるとオランダ東インド会社、イギリス東インド会社が相継いで平戸に商館を開設している。
歴史
長崎県
3,417
419
88,809,388
江戸時代の長崎県は佐賀藩、島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)、平戸新田藩、福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府の鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山に倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。
歴史
長崎県
3,418
419
88,809,388
現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域 となっている。しかし、第二次世界大戦中に投下された原子爆弾は教会(浦上教会)のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会で8月15日の聖母の被昇天の祝日に向けて「ゆるしの秘跡」が行われていた為、司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2013年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは遠国奉行首座たる長崎奉行が治めていた長崎であったが、「鳥羽・伏見の戦い」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行河津祐邦は慶応4年(1868年)1月15日早朝に長崎を船で脱出。
歴史
長崎県
3,419
419
88,809,388
これを受けて、長崎詰めの各藩藩士や長崎の地役人達の間に協議が行われ、政府から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、長崎奉行所西役所がその役所とされた。江戸幕府崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には澤宣嘉を総督に長崎裁判所が、5月4日には沢を府知事に長崎府が設置され、肥前国松浦郡5村・彼杵郡6村・高来郡5村、筑後国三池郡12村、肥後国天草郡89村の幕府領および肥後国松浦郡の旗本領5村を管轄。明治2年(1869年)6月20日にはこれが長崎県へと改められ、旧肥前国域は明治4年(1871年)の第1次府県統合の際に長崎県と伊万里県(現佐賀県)とに分立した。その後、佐賀県の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、1874年(明治7年)の佐賀の乱後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。
歴史
長崎県
3,420
419
88,809,388
1883年(明治16年)、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。なお、天草諸島は一時、富岡県(のち天草県に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で八代県(現・熊本県)に移管された。佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分 (JST) 米国陸軍爆撃機B-29ボックスカーによって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。
歴史
長崎県
3,421
419
88,809,388
五島、壱岐、対馬には県の出先機関として支庁を設置していたが、2003年(平成15年)に地方局に再編された後、2009年(平成21年)からは本土と同様の振興局となっている。
政治
長崎県
3,422
419
88,809,388
平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊や米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国や台湾からの観光客も多い。その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代頃からそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。
経済・産業
長崎県
3,423
419
88,809,388
県内唯一の株式上場企業であった十八銀行が、2019年3月27日に東京証券取引所第一部・福岡証券取引所本則市場の上場を廃止したことに伴い、長崎県は株式上場企業が一社もない唯一の都道府県となった。なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。2010年11月30日、産学官関係団体の連携を強化し、産学官の研究開発等を推進することにより、持続的・発展的にイノベーションを創出するシステムを構築し、科学技術による産業振興及び県民生活の向上に寄与することを目的として、長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(通称NRC:Nagasaki Renaissance Consortium)が設立された。会長は長崎県知事、副会長は長崎大学長。
経済・産業
長崎県
3,424
419
88,809,388
国内外の路線に就航する大手航空会社や格安航空会社の他に、県が設立した第三セクターの航空会社をルーツとするオリエンタルエアブリッジが離島と本土を結んでいる。長崎県内で旅客輸送を行っている鉄道・軌道は以下の通り。
生活・交通
長崎県
3,425
419
88,809,388
長崎県を放送対象地域とするデジタルテレビ・FMラジオの親局・およびNBCラジオのFM補完放送のメイン中継局は、いずれも稲佐山に置かれている。開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの)
マスメディア
長崎県
3,426
419
88,809,388
「長崎県の観光地」も参照
観光
長崎県
3,427
419
88,809,388
長崎県名誉県民の称号は、1980年(昭和55年)10月13日に制定された長崎県名誉県民条例(長崎県条例第28号)に基づき、「社会・文化の興隆に著しい功績がある者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「公共の福祉の増進又は学術、技芸の進展に寄与し、もって県民の生活及び文化に貢献し、その功績が卓絶して」おり、「県民が郷土の誇りとして、ひとしく尊敬」し、「本県(長崎県)に居住している者又は居住していた者」であり(条例第2条)、長崎県知事が長崎県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第3条)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や記念品の金盃も併せて贈られるほか(条例第4条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第5条)。
人物
長崎県
3,428
421
88,875,857
長野県(ながのけん、(英: Nagano Prefecture)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は長野市。令制国名の信濃国にちなみ「信州」とも呼ばれている。海に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。キャッチフレーズはしあわせ信州。長野市は善光寺の門前町として発展し、第18回冬季オリンピックの開催地でもある。
__LEAD__
長野県
3,429
421
88,875,857
現在の長野県の県域は、令制国の信濃国にほぼ相当する。ただし、旧神坂村・旧山口村が岐阜県中津川市に越境編入されたように、僅かながら差異もあるため、「信州」(しんしゅう)と呼ばれることも多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代では科野(しなの)と書いた。日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別健康寿命では男女共に1位であった。丘陵や山脈が多く、三大都市圏からのアクセスも良好なことから、軽井沢や上高地を筆頭とした高原リゾート・山岳リゾートが多いことで知られている。「日本三大外国人避暑地」に数えられた軽井沢と野尻湖、イギリス人によって見出された日本アルプス、オーストリア人に紹介されたことで有名になった菅平高原、国際的なスキーリゾートとしてその地位を確立しつつある白馬村など、古くから欧米人の余暇活動の拠点となってきた歴史がある。
概要
長野県
3,430
421
88,875,857
上記以外にも「日本の〇〇(ヨーロッパの地域名)」などと称される地域が多数ある(下栗の里:「日本のチロル」、諏訪盆地:「東洋のスイス」など)。
概要
長野県
3,431
421
88,875,857
長野県は本州の中部に位置しており、周囲8県に隣接し、東西約128キロメートル、南北約220キロメートルと、東西に短く南北に長い県域である。県内の南半分は太平洋側に近く、南信州地域の多くは東京よりも南であり、県の最北端は那須塩原市やいわき市とほぼ同緯度である。長野県の面積は13,562.23平方キロメートルであり、これは南関東1都3県の面積の合計に近く、日本の都道府県では、北海道、岩手県、福島県に次いで4位の面積を持っている。本県は群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・富山県・新潟県と8つの県と隣接し、隣接都道府県数8は、47都道府県で最多である。ただし、これらの県とは陸続きでありながら、その間の交通は必ずしも簡単ではない。例えば、埼玉県と県境が接している長さは10キロメートル程度しかなく、川上村道192号梓山線のみでしか直接的な行き来ができない。
地理
長野県
3,432
421
88,875,857
また、富山県とは陸続きで接しているものの、3,000メートル級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的に険しく、また非常に山奥であるため空路か関電トンネル電気バスでしか往来ができず、一般人は自家用車両による往来は不可能である。これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられる。また、地形的な問題などで飯田市と静岡県静岡市、松本市と下諏訪町、王滝村と大桑村など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。県境を越える事が地形的に難しい理由として、長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間の幾つかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆地など)を中心とした地域である点が挙げられる。県境付近の山々は「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。
地理
長野県
3,433
421
88,875,857
ただ、長野県の中央部も平坦というわけではなく、内部にも山岳が多数見られる、急峻で複雑な地形である。これは日本列島が新期造山帯であること以外に、長野県付近が、北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない。なお、本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走り、糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖からは中央構造線が南に走っている。このようなこともあり、善光寺地震を始め、多数の地震を経験してきた。また、長野県内には活火山も複数存在する。自然地理学の分野では、長野県付近は中部地方の中央高地として分類される。内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの、本州が日本海と太平洋とに挟まれており、さらに、長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり、県内には数多の水源を擁する。
地理
長野県
3,434
421
88,875,857
県内には大小多数の河川が見られ、それぞれの河川が山々を侵食した地形も多数見られる。長野県に流域を持つ一級河川としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・矢作川水系・富士川水系・関川水系・利根川水系がある。なお、県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している。例えば、天竜川(南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ注ぐ。また例えば、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ注ぐ。姫川(中信)も日本海へと流れている。なお、県下の最大人口を誇る都市は長野市の38万7146人であり、最大面積の自治体は松本市の978.77平方キロメートル、最大人口密度の自治体は岡谷市の620.27(人/平方キロメートル)、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%であった。
地理
長野県
3,435
421
88,875,857
土地利用としては、長野市、須坂市および上高井郡小布施町、松本市、塩尻市の4都市計画区域で区域区分による市街化調整区域が設定されている。
地理
長野県
3,436
421
88,875,857
長野県は内陸に位置するため、おおむね内陸性気候で、標高の高い地域もあるため中央高地式気候と言われる。ただし、北信地方の大半と、中信地方・東信地方の一部は日本海側気候の特色を併せ持つ。逆に、中信地方の一部と南信地方は太平洋側気候の特色を併せ持つ。また、長野県の各都市は標高が異なり、さらに山脈や盆地の形状などの影響で、気候に修飾を受けるため、気候に違いが見られる。ただ、全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい。中でも、軽井沢、信濃町、志賀高原、菅平高原、八ヶ岳山麓、開田高原、野辺山高原、上高地などの標高が高い地域は、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Df)であり、通年で北海道並みの気候である。また特に標高の高い場所では北極圏並みの寒さの地域もある。
気候
長野県
3,437
421
88,875,857
夏は、長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず、時には猛暑日も観測されるものの、朝晩は涼しく、熱帯夜が観測される日は皆無に等しい。降水量も地域差が大きく、東信地方から北信地方にかけては年間900ミリメートル前後と少ないが、中信地方から南信地方にかけては年間1,500ミリメートルに達する。降雪に関しては、北信地方、中信地方、東信地方の一部地域は、豪雪地帯または特別豪雪地帯である。県の南北で降雪条件が異なる。長野県には「上雪(かみゆき)」「下雪(しもゆき)」と言われる雪の降り方がある。「上雪(かみゆき)」は、普段ならば雨の降るはずが、南岸低気圧が通過することによって、気温が低下して雪となる現象で、低気圧に近い中・南信や東信で降雪量が多くなる。
気候
長野県
3,438
421
88,875,857
「下雪(しもゆき)」は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで、長野県の北部の雪の降り方で、西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い、いわゆる日本海型の降雪である。なお、南信地方の伊那谷は、飯田市の旧南信濃村地域を除き雪は少ないものの、寒暖の差が激しい。地方気象台による警報・注意報は、原則として各市町村ごとに発表される。ただし、松本市は「松本」および「乗鞍上高地」、塩尻市は「塩尻」および「楢川」に別けて発表される。
気候
長野県
3,439
421
88,875,857
長野県は、日本のほぼ中央に位置しているが、東西の分類では中部電力など一部の企業や団体で西日本に分類されることもあり、文化的・歴史的・人口の比率・面積の比率からして東日本に分類されることもある。地方の分類では中部地方、甲信地方、信越地方、甲信越地方、北信越地方などがある。県による区分では地方事務所の管轄に準じて10地域に細分化される。(人口は2022年3月1日現在)都市雇用圏(10%通勤圏、中心都市DIDが1万人以上)の変遷北信(北信、長野) 東信(佐久、上田) 中信(松本、木曽、北アルプス)平成の市町村大合併は、他県ほど実施されず、中小自治体が櫛比する。ただし、広域連合制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発である。2005年(平成17年)には長野県から岐阜県中津川市へ越県合併の事例もあった。
地域
長野県
3,440
421
88,875,857
明治の大合併の際にも合併件数は少なかったが、これは地租改正の時期に小規模な村の合併が進んだことが理由である。地租改正でできた広大な村に通し番号で地番を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない。また、町村名の次に番地が来る住所も多い。北信(北信地域、長野地域)、東信(佐久地域、上田地域)、中信(松本地域、木曽地域、北アルプス地域)、南信(上伊那地域、南信州地域、諏訪地域)の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴がまったく異なっている。これは、「信濃の国」(県歌)における「松本、伊那、佐久、善光寺」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信と南信を除いて4地域は互いに接している。
地域
長野県
3,441
421
88,875,857
北陸新幹線・信越本線・飯山線・小海線や国道18号・上信越自動車道の沿線である北信と東信は、千曲川流域でおもに中山道と北国街道沿線にあたる。北信は、新潟県・群馬県に接しており、戦国時代には村上氏・武田氏・織田氏・上杉氏の支配圏に置かれてきた。善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、新潟県、群馬県、東京とのつながりが深い。近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、中信とは長野自動車道・篠ノ井線により接続している。北信は長野盆地を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。一方の東信は、群馬県・埼玉県・山梨県に接しており、戦国時代には武田氏・織田氏・徳川氏・北条氏・真田氏の支配権に置かれてきた。
地域
長野県
3,442
421
88,875,857
中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線・上信越自動車道で接続していることから、浅間山や碓氷峠を越えた群馬県、東京との交流も深い。また、野辺山高原を経由する国道141号・小海線によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、中部横断自動車道が整備中である。三国峠 (長野県・埼玉県)を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で雁坂峠の国道140号が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - 静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。
地域
長野県
3,443
421
88,875,857
これらに対して、中央本線・飯田線・大糸線や中央自動車道・長野自動車道の沿線である中信と南信は、中山道、甲州街道、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、北国西街道、三州街道沿線にあたる。中信は、新潟県・富山県・岐阜県に接しており、戦国時代には小笠原氏・仁科氏・木曾氏を経て、武田氏・織田氏の支配権に置かれてきた。中山道、甲州街道、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県、岐阜県、山梨県、愛知県、東京都との交流が深い。北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており、長野地域と接続している。中信地域の北部に位置する北アルプス地域は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の八方尾根スキー場や、栂池高原スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。
地域
長野県
3,444
421
88,875,857
また、国道147号・国道148号を経由してつながる新潟県との交流もあり、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している。また、中信地域の中部に位置する松本地域(中信)は、諏訪地域(南信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信地域の南部に位置する木曽地域(中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや、国道19号(中山道)を通して、岐阜県・愛知県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。一方、南信は、山梨県、静岡県、愛知県に接しており、戦国時代には諏訪氏・武田氏・織田氏・徳川氏の支配圏に置かれてきた。中山道、甲州街道、三州街道の沿線であったことから、山梨県、東京都、静岡県、愛知県との交流が深い。
地域
長野県
3,445
421
88,875,857
諏訪地域は、松本地域(中信)とともに中山道と甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県、東京都、岐阜県(東濃)との交流が深い。また、南信州地域(南信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、中央自動車道・国道153号(三州街道、足助街道)を通して、岐阜県東濃地方、愛知県名古屋・尾張・西三河地方、さらには三重県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。さらに、南信州地域では、静岡県・愛知県東三河地方とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、三遠南信自動車道(飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR飯田線、国道151号線で、新城市・豊川市を経て豊橋市に出られる。
地域
長野県
3,446
421
88,875,857
水系は、北信・中信(松本地域、北アルプス地域)・東信(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、南信・中信(木曽地域)・東信(佐久市・立科町・南牧村の一部)は太平洋側水系に属している。一般に、南信州地域、木曽地域は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い。近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、という3地域に区分できるようになった。ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている。
地域
長野県
3,447
421
88,875,857
長野県域でも旧石器時代の遺跡がいくつか発掘されている。その中の野尻湖遺跡(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウやオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したキルサイトと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの旧石器時代の遺物が出土した。
歴史
長野県
3,448
421
88,875,857
この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された。2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃が矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている。有史以前、県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町の和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村の阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。
歴史
長野県
3,449
421
88,875,857
続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市の柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸と銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。
歴史
長野県
3,450
421
88,875,857
などの計43団体に県が出資または出捐している(2009年〈平成21年〉4月現在)。田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。
政治
長野県
3,451
421
88,875,857
本社を置く企業についてはCategory:長野県の企業を参照。
経済・産業
長野県
3,452
421
88,875,857
現在、13の消防本部がある。中部電力をはじめ、東京電力リニューアブルパワー、東北電力、関西電力、電源開発などの水力発電所がある。県企業局による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。送配電は長野県の全域が中部電力パワーグリッド(本社は名古屋市)の送配電区域である。60Hzの電源周波数の区域が大半を占めるものの、小諸市高峰高原、大町市の一部、小谷村の一部、松本市奈川、松本市安曇の一部、安曇野市穂高の中房温泉、飯山市の一部、栄村の一部などでは50Hzとの混在区域がある。長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年(平成18年)に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。
生活・交通
長野県
3,453
421
88,875,857
その後、2006年(平成18年)7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。長野都市ガスは東京ガスグループに属している。上記も含め、長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り。それ以外の水道事業は各市町村の当該部課や、水道局(地方公営企業)および水道企業団(一部事務組合)などが供給している。長野県は古くから、中山道、北国街道、甲州街道など、国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。また、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。関東地方や近畿地方からの距離があり、広大な面積を持つ県であるため、全国で唯一JR本州3社すべての管轄路線が存在している。特に伊那谷と木曽郡は、首都圏(東京・鎌倉)と畿内(大阪・京都・奈良)から等距離に位置している。
生活・交通
長野県
3,454
421
88,875,857
1990年代前半の高速道路(中央自動車道・長野自動車道・上信越自動車道)や新幹線(北陸新幹線)が開通する前まで、地理的事情などによる他県や首都圏・中京圏などへのアクセスのしづらさから「陸の孤島」と呼ばれていた。諏訪ナンバーは、地元での支持率が低かった(導入に関する全戸アンケートの回収率は20パーセント前後)にもかかわらず広域行政主体で導入したためか、全国の18のご当地ナンバーの中で、普及率は15位、交付台数は17位。行政としては、車両入れ替えによる、自然切替での普及を期待している。この他、伊那谷に「伊那」ナンバーあるいは「南信州」ナンバーの導入を、東信地方に「軽井沢」ナンバーあるいは「佐久」ナンバーの導入を、国土交通省に求める動きがある。なお、上田市、松川町、喬木村は、市町村内において独自のデザインナンバープレートを採用している。
生活・交通
長野県
3,455
421
88,875,857
長野県は、旧国鉄の線路がJR本州3社に分割された唯一の都道府県である。おもに東日本旅客鉄道(JR東日本)が北信・東信・中信(木曽地域と北アルプス地域北部を除く)地方および諏訪地域を、東海旅客鉄道(JR東海)が南信(諏訪地域を除く)、木曽地方を管轄している。また、西日本旅客鉄道(JR西日本)は南小谷駅以北の大糸線非電化区間を管轄している。普通列車の本数は長野・松本両市のごくごく近郊の区間 および東信地域 を除いて毎時1本以下である。内陸県で唯一、空港を有する。長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ、次第に長野県の「教育県」イメージは薄れていった。
生活・交通
長野県
3,456
421
88,875,857
2002年(平成14年)度より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、2005年(平成17年)度には、小学校1 - 4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されているが、冬休みや夏休みなどの長期休業が短いため、ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく、その分登校日が多くなっている。長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県立○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。これは北海道、宮城県と同様である。
生活・交通
長野県
3,457
421
88,875,857
1920年に旧制の県立学校の名称から「立」の字を削除するとした「県令第38号」が出された時に遡及するものであり、長野県の場合、学制改革当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず、「長野県○○高等学校」を名乗っていた例があり、市町村立や組合立の高校が順次県立に移管されていった経緯がある。四年制大学進学者のうち、県内大学への進学率は1987年には8.0%(全国ワースト2) であったが、1990年代以降、四年制大学の開学が相次ぎ、2013年には16.4%(全国ワースト5) まで改善している。日本新聞協会によれば、2007年上半期の購読部数は信濃毎日新聞(約48万)、読売新聞(約6.9万)、朝日新聞(約6.1万)、中日新聞(約4.8万)、日本経済新聞(約3.4万)の順であった。長野県で民放テレビの4局目が開局したのは1991年である。
生活・交通
長野県
3,458
421
88,875,857
190万人以上の人口を抱えていた22都道府県で、民放テレビ4局目が開局したのは長野県が最後だった。それ以降もテレビ東京・TXN系列局は存在しないが、ケーブルテレビによる区域外再放送で在京キー局のテレビ東京(木曽地域・下伊那地域ではテレビ愛知)が視聴可能である。なお、関東・甲信越地方では唯一すべての民放テレビ局で終夜放送は災害・特番を除いて一切行われていない。長野県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送の親局及びSBCラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも美ヶ原に設けられている。長野県内のケーブルテレビ局の数は、日本の都道府県の平均よりも多く、加入者も県内全世帯の半数を超え、局数も20局以上存在する。これは県内に山地が多く、難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる。しかし、ケーブルテレビが発達して間もない時期は、局数が少なかった。
生活・交通
長野県
3,459
421
88,875,857
そのために、難視聴地域解消という目的以外にも、県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は、長野県域民放局の再送信に加え、在京民放キー局(下伊那地域の一部では在名民放基幹局)の再送信(いわゆる区域外再放送)を実施した。この区域外再放送は、県内に民放が4局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが、2011年の地上デジタル放送完全移行により、基本的にデジタル放送では、区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け、テレビ東京分を除き2014年7月24日を以って廃止された。
生活・交通
長野県
3,460
421
88,875,857
長野県は沖縄県と同様に、公営競技場および投票券場外発売場が1つもない県である。そのため、テレビなどではローカルで「レースガイド」が放送されることは滅多にない(しかし、NBSにおいてフジテレビ系列日曜午後の競馬番組(みんなのKEIBA)・フジテレビ系列日曜未明の競馬番組(うまズキッ!)の中央競馬関連番組はネットしている)。また隣県の競馬・競輪・競艇場などのローカルCMが県内民放各局で流れる。
文化・スポーツ
長野県
3,461
421
88,875,857
信州人は一般的に自負心が強いが、悪く言えば排他的で、偏屈質を多分に持ち合わせている。また真面目で誠実、独創性に富んだ人が多く、理屈好きであるとされる。信州は南北に長く広大であるため、北に行くほど根性があるなど、地域によって気質に差がみられる。誠実で忍耐強いが、社交下手で引っ込み思案が多く、自己顕示欲が少ない。また、理屈で相手を屈伏させるようなことも少ない。内向的で、閉鎖性のため心底を見せることはないが、責任感は非常に強い。県下でもっとも理屈っぽく、筋を通すまでは絶対論争をやめない。喜怒哀楽を面に出す熱血漢が多く、おおむね社交下手で、人を傷つけることはしない。信州では唯一団結できる気質を持っている。荒っぽくて妥協心が薄く、短気で喧嘩っ早い。感情家で、理屈は筋を通すことを徹底している。排他的で、他人を傷つけることもお構いなしな部分があるが、感受性が強く、ものに対する粘りに欠ける。
県民性
長野県
3,462
421
88,875,857
誠実で、人を疑うことを知らず、互いに傷つけ合うこともない。忍耐力が強く、古い伝習をよく守っている。おおむね穏健で、進歩的である。対人感情にはムラがあり、一度や二度で信頼感情を示すことは少なく、安易な妥協は許さない。また、心の琴線にそぐわないことには、まるでそっぽを向いてしまうことが多い。理性的・科学的な面が強く、合理的である。また責任感が強い。一度決めたら、あえて険しい道でも我が道を行く。人がよく非常に暖かいが、物事を徹底的にやりきるという厳しさに欠ける。県の各地域からは「おっとりしている」といった印象を持たれている。
県民性
長野県
3,463
421
88,875,857
長野県県民栄誉賞は、2015年(平成27年)に創設された賞で、県表彰規則では「個人又は団体で、広く県民に敬愛され、県の名を高めるとともに、県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの」を対象にしている。
長野県出身の人物
長野県
3,464
424
88,813,848
新潟県(にいがたけん、(英: Niigata Prefecture)は、日本の県。県庁所在地は新潟市。
__LEAD__
新潟県
3,465
424
88,813,848
本州の中北部に位置し、北東から南西へ細長い領域を持つ。離島の佐渡島・粟島も擁する。面積は約12,584 kmで、47都道府県のうち第5位。海岸線の長さは約634.0 kmである。人口は約220万人前後で、47都道府県のうち第15位(2019年推計値時点)。詳細は「#人口」節で後述。県内は地理的観点から、一般に次の上越地方・中越地方・下越地方・佐渡地方の4地域に大きく区分される。詳細は「#地域」節で後述。主な都市として、人口の上位3市は次の通り。これらは各地方の最大都市でもある。ほか、人口の多い順に、新発田市・三条市・柏崎市・燕市・村上市・南魚沼市・佐渡市・十日町市などがある(人口5万以上のもの。2021年1月1日時点)。詳細は「#都市」節で後述。県名は、県庁所在地である新潟市に由来する。古代には、越国(こしのくに)の領土であった。
概要
新潟県
3,466
424
88,813,848
五畿七道においては北陸道のうち東半分を占め、令制国(旧国)における越後国(えちごのくに)と佐渡国(さどのくに)の2国の全域に相当する。この国名を合わせて越佐(えっさ)と呼称することもある。明治維新と廃藩置県の直後には、現在の新潟県にあたる領域には13個もの藩や県が並立していた。のちに統合を経て、1876年(明治9年)までに新潟県(旧)と柏崎県と相川県との3県が合併することで、ほぼ現在の新潟県と等しい区域となった。そして1886年(明治19年)に福島県から東蒲原郡が新潟県へと移管されたことで、現在の新潟県の形が成立した。詳細は「#歴史」節を参照。県章は「新」の字を崩した物を中央上に置いて、その周りを「ガタ」を丸く図案化したもので囲んだものである。また、県章とは別にシンボルマークも制定されている。以下の5県と隣接する。
概要
新潟県
3,467
424
88,813,848
北西は日本海に面する。北東から南西までは朝日山地・越後山脈・頸城山塊などの山々に囲まれ、他県との県境を形成する。越後山脈から流れる信濃川や阿賀野川の流域(県の中北部)に、越後平野が広がる。信濃川は日本で最も長い河川である。越後平野は日本で二番目に広い沖積平野であり、日本海沿岸の平野としては最大である。また頸城山塊の焼山から流れる関川の流域(県の西部)には、高田平野が広がる。県内全域日本海側気候であり、豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)の指定を受ける。山間部の降雪量や積雪量は世界的にも有数であり、津南町や十日町市、魚沼市などでは市街地でも積雪深の平年値が2 mを超えるほか、十日町市松之山では4 mを超える積雪深もしばしば観測される。また、上越市板倉区の柄山集落では1927年2月に818 cmの積雪深があったとされ、人里での最高記録とも言われる。
地理
新潟県
3,468
424
88,813,848
一方、柏崎市や新潟市などの沿岸部の積雪はそれほどでもない(詳細は新潟市の地理#雪を参照)。また、下越地方を流れる阿賀野川を境として、西側では気候・風土が北陸地方型、東側では東北地方型とされる。日本海の暖流(対馬海流)の影響で緯度の割には冬の気温が高く、日照時間が少ないために放射冷却が起こりにくく、朝晩はあまり冷え込まない。そのため降る雪は水分が多く、重たい性質である。夏季の気温は平均25 °C前後であり、関東地方とほぼ同じである。ただし、台風シーズンにフェーン現象の影響で稀に異常な高温を観測することがある。2020年9月3日には三条市や胎内市において9月としては国内最高となる40°C超えの気温を観測したほか、2019年8月15日には糸魚川市や佐渡市相川など県内の数地点で最低気温が30°Cを下回らず、国内の最低気温の最高記録となった。
地理
新潟県
3,469
424
88,813,848
海洋性気候である佐渡島は、冬は暖かく、雪よりも雨の日が多いほどである。日照時間は冬は短いものの、晩春から初秋にかけては太平洋側地域と比較して長く、晴れやすい気候である。
地理
新潟県
3,470
424
88,813,848
以下の4地方に区分される。ただし、佐渡島以外の地方境界は明確でないこともある。天気予報もこの4地域単位で報道され、気象警報・注意報はさらに細部化された14の地域 ごとに発表される。この他、新潟県内では、一般に、中越地方と下越地方の境界付近に位置する三条市・燕市周辺を県央地域、中越地方の南魚沼市、小千谷市や十日町市周辺を魚沼地域、下越地方の阿賀野川以北を阿賀北や県北と呼ぶこともある。新潟県は面積が広いこともあり、2000年(平成12年)の段階では、112の市町村があった(当時北海道、長野県に次ぎ全国3位)。しかし平成の大合併により、2010年(平成22年)4月までに30市町村となっている。郡部については、岩船郡が2村を有する他は、全てが1町村のみの状態になっている。以下の20市9郡6町4村がある。町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。
地域
新潟県
3,471
424
88,813,848
1969年策定の新全国総合開発計画(新全総)を発端とする広域生活圏(広域市町村圏)が、新潟県内では14圏域(当初は12圏域)設定され、広域行政単位となっていた。平成の大合併以降は圏内一市となる例が出現したため、9つの広域行政圏と5つの市という内訳になったが、連携中枢都市圏構想・定住自立圏構想など新制度の登場などもあり、多くが解散した(圏内一市の場合、圏名は斜体 )。
地域
新潟県
3,472
424
88,813,848
新潟県は、かつて人口が日本で最も多い道府県であった。本県の範囲がおおむね現在と等しくなった1874年(明治7年)から1896年(明治29年)までの23年間にわたって、本県の人口は統計上約140万人から170万人で推移し、そのうち8年間を除いた15年間において全国の道府県で最多の住民を擁した。具体的には、1874年に新潟県(当時の管轄は下越のみ)が柏崎県(管轄は上越・中越)を併合して、越後国のほぼ全域を管轄したのち、さらに1876年に相川県(佐渡島の全域)を併合した。この3年間において本県は人口が最多であった。ただし、翌1877年(明治10年)から1881年までの5年間にかけては、石川県が富山県の全域および福井県の嶺北地方を併合した「大石川県」となっていた ため、1位の座は石川県に譲った。
人口
新潟県
3,473
424
88,813,848
その後、石川県から福井県・富山県が相次いで独立し、石川県の人口が小さくなったことで、1882年(明治15年)から1883年(明治16年)にかけて新潟県が最多となった。ただ、翌1884年(明治17年)から1886年(明治19年)までの3年間には、大阪府が奈良県の全域を併合していた ため、1位は大阪府に譲った。なお、この1886年に東蒲原郡(現在の阿賀町)が福島県から新潟県へと移管されたことで、本県の範囲は現在と等しくなった。その後、大阪府から奈良県が独立し、大阪府の人口が小さくなったことで、1887年(明治20年)から1896年に至るまでの連続10年間は新潟県が最多を守った。しかし、1897年(明治30年)には東京府(現在の東京都)の人口が最多となり、以後は本県の人口が最多となることはなかった。近代以前の日本は都市化が進んでおらず、住民の9割近くが農業によって生活を成り立たせていた。
人口
新潟県
3,474
424
88,813,848
そのため、稲作に適した広大な越後平野を擁して収穫高が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった。さらに19世紀以前の輸送手段は海運が主流であり、とくに本県が接する日本海を航行する北前船は、太平洋よりも安全かつ安価な航行が可能であった。このため、本県を含む日本海側の地域は物流によって栄えた。1878年(明治11年)の人口統計では、同じく日本海側の金沢が日本で第5位の都市であり、富山も日本第9位の都市であった(なお新潟市は上位10位圏外だった)。また、著述家の辰井裕紀によれば、新潟県や北陸地方では浄土真宗などの仏教の信仰が強かった。そのため、日本中の農村で多くみられた「間引き」(新生児を親が殺すこと。貧困による)や「身売り」(少女を親が売春宿へ売り払うこと。貧困による)が本県や北陸では非常に少なく、人口が増加しやすかったのだという。
人口
新潟県
3,475
424
88,813,848
しかし、明治以降における工業化の進行に伴って太平洋ベルト地帯が発展し、また鉄道の普及に伴って海運が衰退していった。それに伴い、本県を含む日本海側からは東京・大阪といった太平洋側の大都市や、開拓地の北海道へと人口が流出していった。国勢調査における本県の人口は、1940年(昭和15年)に200万人を突破し、1955年(昭和30年)に247.3万人となったが、1970年(昭和45年)には236.1万人と一旦減少した。その後は増加し、1985年(昭和60年)に247.8万人に達した。1997年(平成9年)に249万1874人(推計人口)でピークを記録した。その後は減少傾向となり、2005年(平成17年)に243.1万人(全国14位)、2010年(平成22年)には約237.1万人となった。特に、進学や就職などの理由による18歳〜24歳の若年層の減少が深刻で、県では人口対策を最重要課題に掲げている。
人口
新潟県
3,476
424
88,813,848
10万人以上の都市雇用圏(2015年国勢調査時点の10%都市圏)
人口
新潟県
3,477
424
88,813,848
括弧書きは藩府県庁所在地の現所属市町村現在の新潟県は、日米修好通商条約によって開港場に指定された新潟を管内に抱え、また戊辰戦争の主戦場の1つになったことから、その成立までの変遷は他府県にも増して複雑なものだった。 1870年(明治3年)の新潟県(第2次)成立までの変遷は「越後府」および「柏崎県」の項を参照のこと。
歴史
新潟県
3,478
424
88,813,848
2011年(平成23年)1月25日に泉田裕彦新潟知事と篠田昭新潟市長による共同会見で、東京都に倣い、現新潟市を特別区に移行し、他市町村間も更に合併を進め人口規模30万クラスの基礎自治体とする州制移行構想が発表された。また、各特別区、基礎自治体の権限は現行の東京都の23の各特別区が持つ以上のレベルを想定している。衆議院の小選挙区が6。参議院では、全県で1区を構成。
政治
新潟県
3,479
424
88,813,848
2016年(平成28年)度の県内総生産は名目8兆8840億円である。世界の過半数の国の GDP より大きな規模を有している。県民所得は6兆4596億円であり、一人当たり県民所得は282.6万円である。主要な産業としては農業が挙げられる。米作(コシヒカリ)が中心で、コシヒカリの収穫量は日本一である。特に魚沼地方で栽培されるコシヒカリは「魚沼産コシヒカリ」として食味日本一の評価を受けるトップブランドであり、日本一の米どころであるといえる。また、米に関連して米菓(煎餅、あられなど)の生産額も日本一、日本酒も兵庫県、京都府に次ぐ第3位で酒蔵数は日本一である。米の生産が多いため、米粉の研究を行っており、研究を利用して製品を販売する新潟製粉に出資している。米以外では、茄子と枝豆の作付面積が日本一。また、チューリップ、西瓜の栽培も盛んである。漁業も盛んであり、蒲鉾など魚肉練り製品も有力である。
経済・産業
新潟県
3,480
424
88,813,848
錦鯉は19世紀に、現在の小千谷市と長岡市(山古志地域)を中心とする地域で飼育が始まったと考えられている。 現在は錦鯉の養鯉が盛んに行われている。北陸工業地域の中心的存在でもある。三条市や燕市では刃物、金物、洋食器などの製造が盛ん。県内では石油ストーブ、石油ファンヒーターといった石油燃焼器具の生産が大きい。他には金属製品の生産が多い。燕市・三条市の金属食器は国内シェアの9割を持ち、機械部品では、非鉄金属材料の加工に強みをもつ企業が多い。はさみや包丁、スパナなどの金属工具も大阪府に次ぐ2位である。繊維産業では、ニットの生産高が日本一である。しかし近年は、人件費の安さを求めた生産拠点の海外移転や価格の安い外国勢(中国や東南アジア諸国等)に押され気味である。1989年(平成元年)には工場立地件数で日本一になったこともある。
経済・産業
新潟県
3,481
424
88,813,848
かつて佐渡島には金・銀の鉱脈が分布しており(佐渡金山を参照)、最大規模の相川金銀山を中心に近世から近代にかけて盛んに採掘が行われたが、1989年(平成元年)に閉山された。日本で数少ない原油の生産地であり、古くから石油を産出していたことで知られている。近代頃を中心に尼瀬油田(出雲崎町)や東山油田(長岡市)、新津油田(新潟市秋葉区)など各地で採掘が行われていた。現在でも新潟県は日本国内の石油産出量のほとんどを占める産油県である。近代以降、新潟県内では数多くの石油会社が設立された。主なものとして、日本石油(現、ENEOS)、昭和石油(後の昭和シェル石油)、大協石油(現、コスモ石油)など現代の石油元売大手に連なる企業が新潟県で創業した。現在では天然ガスの採掘が盛んであり、南長岡ガス田(長岡市)、片貝ガス田(小千谷市)、岩船沖油ガス田(胎内市沖)などで採掘が進められている。
経済・産業
新潟県
3,482
424
88,813,848
東新潟油ガス田(新潟市北区)、西蒲原ガス田(新潟市西蒲区)、中条ガス田(胎内市)では水溶性天然ガスを分離した後の地下水から国内生産量の10%にあたるヨウ素も採取されている。発電では、阿賀野川流域に大規模水力発電所が立地している。また柏崎市と刈羽郡刈羽村にある東京電力ホールディングス柏崎刈羽原子力発電所は、原子力発電所としては世界最大の出力である。他に上越市直江津地区では、東北電力、JERAが共同で操業する上越火力発電所がある。新潟県内の事業所による年間商品販売額は、卸売業、小売業の合計で全国第14位である(平成26年度)。まだ事業者数は第12位、従業員数は第14位である。多くの温泉地、海水浴場を抱えており、都道府県別で温泉地数が第3位、海水浴場数も第3位である。日本有数の積雪地帯であるため、中越地方と上越地方の山間部ではスキー場が多く立地している。
経済・産業
新潟県
3,483
424
88,813,848
しかし、バブル崩壊直後の1993年(平成5年)頃を境にスキーブームは過ぎ去り、更には、新潟県中越地震の影響や豪雪による交通網麻痺の懸念などが影響し、新潟県におけるスキー客は、2000年代以降減少傾向にある。 この影響により、閉鎖されるスキー場も見られるようになった。(詳細は日本のスキー場一覧#新潟県を参照)。 近年ではスノーリゾートのリノベーションが進められたり、上越地方に北陸新幹線が開通するなど、沿線自治体と共に産官学連携で経済対策が模索される。よく「新潟県人はスキーをあまりしない」と言われるが、冬季の厳しい豪雪下の生活を知る県民にとっては「雪=辛いもの」というイメージが強い。つまりスキー客の大半は滅多に銀世界にならない首都圏などからの集客によるところも大きかったという側面がある。今後は「雪を生かした観光」を目指し、新たな観光システムを構築されている。
経済・産業
新潟県
3,484
424
88,813,848
新潟県には多くの都市で雁木通りの街並みが残っている。2019年度の新潟県内の高校生の大学等進学率は46.9%であり全国値の54.7%を下回っているが、専門学校進学率は26.0%で全国値を大きく上回っており(全国値16.4%)、両者を足し合わせた進学率72.9%は全国値71.1%を上回る。県内で27校の専門学校を運営しているNSGグループのNSGカレッジリーグをはじめ、県内には専門学校が多数立地しており、人口10万人当たりの専修学校数は3.57校で全国第6位に位置する。東北地方の放送局との共同制作番組があったり、一方で、中部地方の放送局との共同制作番組も存在し、また、ニュースでは関東甲信越地方・甲信越地方として放送されるなど様々である。
生活・インフラ
新潟県
3,485
424
88,813,848
なお、NHKは新潟県を関東甲信越(首都圏放送センター直轄)としているが、国政選挙やアマチュアスポーツなどでは北陸・信越ブロックに属するため、これらの報道・中継などは名古屋局を介して北陸3県とネットすることになる。 また、新潟市中央区では信濃川沿いに放送局が立ち並んでいる。県内にはNHKの新潟放送局が置かれているほか、民放では日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日の4大キー局の各系列局がある。県民の地デジ対応が早く、2010年11月の調査では全国トップの95.1%だった。県内テレビ局・県域FM局の親局及びFM補完中継局のメイン局はいずれも弥彦山に設置されている。AM放送ではBSNラジオ、FMラジオではJFN系列のFM-NIIGATAが県内全域をカバー。
生活・インフラ
新潟県
3,486
424
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県土が広くて拠点都市が多いこともあるが、モータリゼーションが発達しているため、ラジオ(FM・コミュニティFM・AM)による訴求能力がテレビ並みに高いと言われている。また、五大都市圏以外では初となる独立ラジオ局で平成新局の新潟県民エフエム放送(FM PORT)が存在したが経営難により2020年6月30日を以って閉局した。
生活・インフラ
新潟県
3,487
424
88,813,848
以下の2空港がある。新潟県にはいわゆる日本海縦貫線が通る。京阪神や首都圏と北奥羽や北海道を結ぶ旅客車・貨物列車等が多く運行され、日本海側の交通の大動脈となっている。新幹線には以下の2路線がある。県内に新幹線が発着する鉄道駅は7あり、これは岩手県と並んで全国の都道府県の中で最も多い。要因として、本県は面積が大きいこと(全国5位)や、上越新幹線とは別の経路で北陸新幹線が県内に開通したことが挙げられる。なお、本県には上越新幹線と北陸新幹線の2本が運行しているが、これらは同一の駅では接続していない(上越新幹線は南の群馬県から中越・下越地方へと走る。北陸新幹線は南西の長野県から上越地方を走り、西の富山県へ抜ける)。全国の都道府県のうち、このように複数の新幹線が交わらずに別々に敷設されているのは新潟県が唯一である。
交通
新潟県
3,488
424
88,813,848
上越新幹線と北陸新幹線の駅が最も接近するのは長岡駅と上越妙高駅の間であるが、両駅間の移動には高速道路または特別急行列車でも最短1時間以上を要する。特別急行列車には以下の2路線がある。普通列車として複数の路線が走る。新潟駅からごく近郊の区間 は日中毎時3本(概ね20分毎)だが、その他の大半は日中毎時1本以下である。JRの路線では東日本と西日本の2社が乗り入れている。この2社のみが乗り入れる都道府県は全国で新潟県だけである。
交通
新潟県
3,489
424
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新潟県は地域によって方言の違いが大きく、阿賀北地域の方言は東北方言の一種である北奥羽方言、佐渡島の方言は北陸方言、それ以外の地域は東海東山方言の一種である越後方言に分類される(東条操による分類)。
文化・スポーツ
新潟県
3,490
424
88,813,848
本県を指す漢字表記は複数存在するが、日本語においてはいずれの字体であっても「にいがた、[ɲ̟iːɡa̠ta̠] にーがた」と読む。中でも正字とされる「潟」を用いた「新潟」が最も一般的な表記である。 他に、さんずいに写と書く「泻」を用いて「新泻」と書く場合がある。かつて「泻」は節用集にも登録されるほど一般的に認知された文字であり、江戸時代の板本(印刷本)おいて、松尾芭蕉『おくのほそ道』および上田秋成『雨月物語』では「象泻」(現・秋田県にかほ市の象潟)との表記が見られ、鈴木牧之『北越雪譜』では「新泻」や「鎧泻」といった現在の本県における地名においても「泻」の使用が認められる。これら印刷本の流通により、全国で「潟」と略字とされる「泻」は同列視されていたとみられる(「潟」には複数の異体字がある)。
「潟」の字について
新潟県
3,491
424
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明治に入ると活版印刷が出版物の主流となるが、終戦までに販売された明朝体の活字を調べると、正字とされる「潟」のみが販売され、略字とされる「泻」は販売されなかった。すなわち明治以降、「泻」の字は印刷物から一掃されるが、新潟・象潟・八郎潟、あるいは島根県の白潟天満宮 など、「潟」の字を日常的に使用するエリアにおいて「泻」は活字以外で生き残り、方言字化していった。新潟県では道路標識などでも「新泻」が使用されていたが、1981年(昭和56年)に「潟」の字が常用漢字に採用されると「新泻」との表記は衰微していった。中国語においては、簡体字で「新泻」、繁体字で「新瀉」 と表記する例が見られる。これらは北京語で拼音: Xīnxiè(シンシエ)と発音する。
「潟」の字について
新潟県
3,492
424
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2007年(平成19年)6月28日の新潟県議会6月定例会総務文教委員会において、中国語における泻(瀉)の字義と潟のそれが異なることを理由に、これらの中国語表記を問題視する質問があった。同年8月1日、新潟県庁は公式サイト上で中国語での「新潟」(拼音: Xīnxì シンシー)の表記の使用を県庁内および県関連機関に要請した(日本語において「新泻」の使用を止めて「新潟」を使用するよう要請したものではない)。
「潟」の字について
新潟県
3,493
426
88,679,488
兵庫県(ひょうごけん、(英: Hyogo Prefecture)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は神戸市。
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兵庫県
3,494
426
88,679,488
南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ。北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している県である。本州で2つの海に接している県は、両端である青森県と山口県を除けば兵庫県のみである。本州を青森県から山口県まで陸路で縦断しようとすると、必ず本県を通ることになる。ほぼ中央を日本標準時子午線(東経135度)が南北に通過し、明石市にはこれに因む明石市立天文科学館がある。県中央部には中国山地が東西に横たわり、交通の難所ともなっている。南部の瀬戸内海沿岸は阪神工業地帯や播磨臨海工業地帯といった日本有数の重化学工業の集積地となっており、近畿圏最多の工場立地数となっている。一方で、中部から北部にかけては農林水産業が主な産業であり、過疎地や豪雪地帯も抱える。これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、日本の縮図といわれることがある。
概要
兵庫県
3,495
426
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また、南東部の阪神間は大阪府のベッドタウンとしての性格があり、神戸市(国内の大都市人口7位)と阪神地方で県人口の約6割を占め、複数の幹線道路や鉄道路線が並行している。なお、兵庫県の人口は国内7位、人口密度は国内8位である。令制国(旧国)の摂津国西部、丹波国南西部および但馬国、播磨国、淡路国のそれぞれ全域で県域の大半が構成されるが、岡山県からの越境編入が2回あったため、僅かながら美作国東部、備前国南東部も含んでいる。北海道(11国)に次ぐ7国にまたがり、その7国が五畿八道の畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国・美作国・備前国)、南海道(淡路国)に分かれるため、全国最多の4地方にまたがる当県は、古来の行政区分・地方区分をほとんど無視する形で成立している。
概要
兵庫県
3,496
426
88,679,488
現在の地方区分でも、鳥取県境より西に位置する西播磨地域の西部は、地図帳等において近畿地方のページには収まりきれず、中国地方のページに掲載されている場合がある。外貨獲得を急務とした明治政府は、但馬の生糸の輸出に摂津の神戸港を活用するため、大久保利通の指示の下、櫻井努が策定した案を基に1876年(明治9年)、第三次兵庫県の区域を確定した。神戸を発展させるための財源として、豊かな農業国であった播磨・但馬などからの税収を充てたのである。江戸時代に置かれた藩は摂津国に尼崎藩・三田藩、丹波国に篠山藩・柏原藩、但馬国に出石藩・豊岡藩があり、播磨国に姫路藩・林田藩・明石藩・龍野藩・赤穂藩・三日月藩・小野藩・三草藩・安志藩・山崎藩が、淡路国に阿波藩(阿波徳島藩)の洲本城代の稲田家、旗本(交代寄合)の山名家の村岡陣屋、交代寄合の池田家の福本陣屋が存在した。
概要
兵庫県
3,497
426
88,679,488
上記のように多様性を内包した当県は、かつて存在したユーゴスラビア社会主義連邦共和国になぞらえて「ヒョーゴスラビア」と呼ばれることがあり、県もこれに乗る形で2018年(平成30年)から「U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)」というプロモーションを行っている 。現在の神戸市兵庫区にあった兵庫城に役所が置かれたことによる。兵庫城のあった八部郡兵庫津(旧称は大輪田泊)は、当時人口2万人を超える港町として栄えていたが、兵庫津の北東に近接し、事実上の開港場となった同郡神戸村が明治以降急速に発展。兵庫津は自治体名としては1879年(明治12年)に神戸区に、港湾名としても1892年に神戸港に併呑されてしまった。「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来し、兵庫県旗と県章も兵の字を図案化したものである。
概要
兵庫県
3,498
426
88,679,488
国土地理院地理情報によると兵庫県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは111.13km、南北の長さは168.50kmである。大阪湾に面した南部は平野部だが、中部・北部の大半は山地・丘陵地帯となっている。人口は南部に集中している。ため池の数が日本一多い。 県内では、淡路市の13,301か所が最も多く、洲本市の7,014か所、神戸市の6,305ヶ所と続く。淡路島全体で県の約半分を占める。一方近年、県の調査により全体の3割近い約1万ヶ所が実際には存在していないことが判明している。ただそれを勘案しても、ため池の数は相変わらず全国1位である。北部は日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候で、北部の自治体は豪雪地帯に指定されている。夏季は全般に高温である。
地理・地域 
兵庫県
3,499
426
88,679,488
北部や内陸部を中心にフェーン現象による猛暑日が発生することがしばしばあり、また、南部では神戸から阪神間の沿岸部を中心に熱帯夜になることが多くなる。冬季は瀬戸内海沿岸部では温暖であるが、その他の内陸部や北部の1月平均気温は3°C台以下で冬日も多く比較的寒い。三田市など、同標高で比較しても北関東等の東日本より低温となるところもある。 北部の日本海側気候の地域では北西の季節風の影響で降水日数ならびに降雪量が多くなる。日本海寒帯気団収束帯の影響を受けると半日から数日の短時間で積雪が急増し、豊岡市街地や香住などの平野部でも50cmから1m前後のドカ雪となることもある。播磨北部の内陸部でも、南部の沿岸部・平野部と比較すると降水日数がやや多くなり、日本海から活発な雪雲が南下してきた場合は20cm前後の大雪となることもある。
地理・地域 
兵庫県
3,500
426
88,679,488
瀬戸内海沿岸部でも播磨南部を中心に小雨や小雪、みぞれが降る日もあるが、積雪は多くとも一冬に1〜2回・5~10cm程度である。特に神戸から阪神間での積雪は極めて少なくなっている。(出典:気象庁・気象統計情報)県内には29市と12町がある。なお、町の読み方は全て「ちょう」である。また、村は1962年に消滅している。以下は、県が地域ごとに設置している総合出先機関である7の「県民局」と3の「県民センター」ごとに記述している。「県民局」と「県民センター」の違いは、管内に政令市・中核市を擁し県から多くの業務が移譲されている地域は「県民センター」として「県民局」よりも組織がスリム化されている。なお、推計人口は2022年3月1日現在の統計である。神戸県民センター管内には、以下の1市(9区)が属しており、管内の推計人口は1,512,018人である。
地理・地域 
兵庫県
3,501
426
88,679,488
阪神南県民センター管内には、以下の3市が属しており、管内の推計人口は1,034,054人である。阪神北県民局管内には、以下の4市と1町が属しており、管内の推計人口は710,330人である。東播磨県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は713,329人である。北播磨県民局管内には、以下の5市と1町が属しており、推計人口は259,416人である。中播磨県民センター管内には、以下の1市と3町が属しており、推計人口は566,381人である。西播磨県民局管内には、以下の4市と3町が属しており、推計人口は242,035人である。丹波県民局管内には、以下の2市が属しており、推計人口は99,324人である。但馬県民局管内には、以下の3市と2町が属しており、推計人口は154,201人である。淡路県民局管内には、以下の3市が属しており、推計人口は125,275人である。
地理・地域 
兵庫県
3,502
426
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兵庫県が発表した2020年国勢調査結果の速報値によると、2020年10月1日時点の兵庫県の人口は、546万9184人であった。
地理・地域 
兵庫県
3,503
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第2次府県統合により、摂津国の西部(八部郡・菟原郡・武庫郡・川辺郡・有馬郡)、丹波国の南西部(多紀郡・氷上郡)、但馬国の全域、播磨国の全域、淡路国の全域で構成されるようになった。同時に、畿内(摂津国)、山陰道(丹波国・但馬国)、山陽道(播磨国)、南海道(淡路国)と4つの地方にまたがることにもなった。その後、岡山県からの越境編入が2回あった。1896年(明治29年)に岡山県吉野郡石井村が兵庫県佐用郡へ転属、吉野郡讃甘村大字中山が佐用郡江川村へ編入となり、美作国の一部を含むようになった。1963年(昭和38年)には岡山県和気郡日生町大字福浦(北部の寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ編入となり、備前国の一部を含むようになった。
歴史
兵庫県
3,504
426
88,679,488
U5Hプロジェクトとは、兵庫に関わりを持つ個人、一人一人が自身の兵庫における『ふるさと』について再発見していくために立ち上げられた兵庫県公式のプロジェクトである。冒頭の『U5H』とは『United 5koku of Hyogo』の略称である。5koku(五国)については以下に詳細に記す。衆議院の小選挙区が12。参議院では、全県で1区を構成。
政治
兵庫県
3,505
426
88,679,488
神戸市および阪神間、播磨、但馬、淡路島で概ね事業者は分かれるが、神戸市は明石海峡大橋の開業で淡路島や四国への高速バスが発達し、また鉄道だけではカバーしきれない地域などに多くの路線が伸びる。都市型の阪神間に対し、但馬などでは過疎路線も少なくない。公営事業者も少なくなかったが、姫路市営バス、明石市交通部、尼崎市交通局が撤退して民間委譲されている。主な事業者は下記。かつては淡路島や四国への連絡航路が多数発着していたが、明石海峡大橋の開通でその多くが役目を終えた。しかし長距離の国内外へ向かうフェリーなどが今も神戸港を発着する。下記航路のうち特記なきものはフェリー。従来、兵庫県を放送対象地域とする民間放送局は、中波(AM)、超短波(FM)、テレビジョン(TV)の3つ全てが独立放送局であったが、2003年(平成15年)に Kiss-FM KOBEがJFNに加盟。
生活・交通
兵庫県
3,506
426
88,679,488
これに伴い、3つ全てが独立放送局である都道府県は神奈川県のみとなった。放送区域は近畿広域圏に属する。以下は兵庫県域放送局テレビ大阪(TXN系)は尼崎市や伊丹市を中心とした阪神地域や神戸市の一部地域などで直接受信が可能であるがあくまで大阪府域局であり、県域放送局であるサンテレビでは諸事情によりTXN系の番組が放送できないため、46都道府県の地上波テレビ局で放送されているTXN系列の番組が兵庫県内では視聴できないものもある。播磨灘沿いの県南西部の一部では、岡山県・香川県の各放送局が受信できる地域が存在する。これらの地域では1969年(昭和44年)までNHK岡山放送局、西日本放送、山陽放送)しか受信できなかった。兵庫県が放送対象地域であるFM局の親局及びラジオ関西のFM補完放送のメイン局は、地上デジタルテレビの県域局も含め摩耶山に設置されている。
生活・交通
兵庫県