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2,907 | 371 | 88,857,691 | 江戸時代に、伊予八藩と呼ばれるように、多くの藩が分立したため、地域ごとに微妙に異なる文化が息づいている。この点、同じ四国内でも一藩であった高知県(土佐、土佐藩)や徳島県(阿波、徳島藩)、二藩(高松藩、丸亀藩)であった香川県(讃岐)と状況を異にしている。明治時代以降の地理的区分である、東予、中予、南予という三区分も文化的背景を語るには欠かせない要素となっている。愛媛の人の気質は、端的にいえば保守的である。古くから山の幸、海の幸が豊富であったため、郷土料理といえるものが少なくない。住民の気質も、今日ではかなり薄まったといわれるが、東予、中予、南予で若干異なる。 | 文化・スポーツ | 愛媛県 |
2,908 | 371 | 88,857,691 | たとえ話で、100万円あったら、東予の人はそれを元手に商売を始め、2倍3倍に増やそうとする、中予の人はそれを預けて金利を趣味に充て、温泉三昧の生活を夢見る、南予の人は一晩で使い切るような大散財をする(特に酒宴)、と評される(同様の話は、四国四県にもあり、高知県の喩えは南予に似ている)愛媛県内の方言は伊予弁と呼ばれるが、地域によって違いがある。夏目漱石の小説『坊っちゃん』などの影響で「ぞなもし」が有名だが、これは松山市の方言であり、しかも現在の松山市では一部の年配者が使う「ぞな」にかろうじて形跡を感じられる程度で、一般には使われない。伊予弁はアクセントの地域差が大きく、東予・中予では京阪式アクセント、南予では東京式アクセント、大洲では崩壊アクセントである。語彙・表現では東予東部は讃岐弁、東予西部は広島弁、中予は関西弁、南予は幡多弁との関係が窺える。 | 文化・スポーツ | 愛媛県 |
2,909 | 371 | 88,857,691 | 道後温泉郷に代表されるように古くから天然温泉が親しまれている。毎年10月16・17・18日。総勢50台の太鼓台が町を練り歩く祭り。明治時代に町の発展と共に大きく豪華になり、市外の太鼓台にも影響を与えている。市内5つの地区ごとに集まりかきくらべが行われ、毎年数十万人という観光客が訪れるほど人気を誇っていたが、現在は10万人程度に落ちている。16日早朝の内宮神社宮出しの大階段かき上げはまだ夜が明けない内の行事だが、多くの観客で神社が埋めつくされる。17日午前の国領川河川敷、17日午後の山根グラウンド、17日夕方の工場前、17日夕方の多喜浜駅前、18日午前の大江浜、18日午後の一宮神社、18日午後の八旛神社等で行われるかきくらべは多くの観客で賑わう。隔年の18日午前に川西地区の新居浜港で行われる船御幸は一宮神社の神輿の船渡御に合わせて、太鼓台を台船に乗せてお供をする行事。 | 観光 | 愛媛県 |
2,910 | 371 | 88,857,691 | 近年では川東地区の新居浜東港においても川西地区の翌年に船御幸が行われるようになった。阿波踊り、よさこいに並ぶ『四国三大祭』の1つである。毎年10月13・14・15日。14日にふるさと広場で行われる、総勢14台の太鼓台による寄せ担きが見所15日に関川地区で行われる鉢合せと呼ばれる太鼓台同士の喧嘩も見応えがある。開催日は神社によって異なり、嘉母神社では毎年10月体育の日の前々日・前日、石岡神社では毎年10月14・15日、伊曽乃神社では毎年10月15・16日となっている。山車は京都の祇園祭に通ずるところがあり、だんじりや太鼓台や神輿などによる練り廻しや担き比べが見所毎年7月22・23・24日。牛鬼パレードがある。 | 観光 | 愛媛県 |
2,911 | 371 | 88,857,691 | 愛媛県は、大江健三郎(1994年ノーベル文学賞)、中村修二(2014年ノーベル物理学賞)、真鍋淑郎(2021年ノーベル物理学賞)の3人のノーベル賞受賞者を輩出している。 | 出身者 | 愛媛県 |
2,912 | 372 | 88,836,862 | 大分県(おおいたけん、(英: Oita Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は大分市。全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする多くの温泉を有し、源泉数(4,445か所)、湧出量(279,253リットル/分)ともに日本一であり 、「日本一のおんせん県おおいた」をキャッチフレーズに温泉をアピールしている。 | __LEAD__ | 大分県 |
2,913 | 372 | 88,836,862 | 山地の占める割合が大きく、西部には九重連山、南部には祖母山・傾山がそびえる。このうち九重連山の中岳は九州本土の最高峰である。平野部は北部の中津平野、中部の大分平野、南部の佐伯平野など限られた地域に分布している。海岸部は、北部から西部で瀬戸内海(西部は周防灘(豊前海)と呼ばれる)に面する。中部では豊後水道を挟んで四国地方に接しており、その最狭部の豊予海峡の幅は10キロメートルほどである。南部の日豊海岸にはリアス式海岸が発達しており、日豊海岸国定公園に指定された景観が楽しめる。江戸時代に編纂された『豊後国志』1803年)は最初の総合的地誌として名高い。瀬戸内海の西端に位置しており、気候区分上は瀬戸内海式気候から他の型への遷移域に当たる。気候の区分にはいくつかの考え方がある。気象庁では、予警報細分区域を以下の4区域に分けている。 | 地理・地域 | 大分県 |
2,914 | 372 | 88,836,862 | 降水量の年平均値、及び、降水日数の年変化の2つの観点から、以下の4区域に分ける考え方もある。大分県には、14市3郡3町1村を合わせて18市町村がある。現存するすべての町村名で、町は「まち」、村は「むら」と読む。2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、いわゆる「平成の大合併」により別府市、津久見市、姫島村、日出町、九重町、玖珠町を除くすべての市町村が合併し、市町村の数は2004年(平成16年)12月31日までの58から、姫島村を除く東国東郡4町が合併して国東市が発足した2006年(平成18年)3月31日時点で、18へと大幅に減少した。これは九州で最も少なく、全国でも4番目に少ない。なお、町の数(3町) および町村の数(4町村) は47都道府県で最も少ない。以下、6つの地域振興局の管轄ごとに市町村を記述する。「平成の大合併」により消滅した郡町村。 | 地理・地域 | 大分県 |
2,915 | 372 | 88,836,862 | 郡自体が消滅している場合は、郡名にリンクを付した。 | 地理・地域 | 大分県 |
2,916 | 372 | 88,836,862 | 大野町(現豊後大野市)の代ノ払遺跡で1981年(昭和56年)に発掘されたナウマンゾウの牙などの化石が、鋭い刃物のようなもので切断されており、人と動物が遭遇したことを示していると推測された。このため、人々が住み始めたのは、3万7000年前であると考えられている。2001年(平成13年)5月には、大分市の横尾遺跡から約6,000年前から7,000年前(縄文時代早期)の加工された角柱状の材木(長さ3.4メートル、一辺18センチメートル)が出土した。この材木は日本最古の建築部材と考えられている。現在の大分県の県名は、古来国府が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し「おおいた」という読みはイ音便の一種で、「おおきた」が転訛したものである。さらに、大分郡の名の由来については『豊後国風土記』では、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。 | 歴史 | 大分県 |
2,917 | 372 | 88,836,862 | よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と感嘆して名づけ、これが後に「大分」と書かれたとされる。しかし大分平野は広大とは言えないため、実際には狭く入り組んだ地形に多くの田が造られている様子を形容した「多き田」が転じて「大分」になったとする説が近年の定説である。古代には県の全部と福岡県の東部は豊国と呼ばれ、7世紀末頃に豊前国と豊後国に分けられた。律令制のもとで、豊前国及び豊後国はともに上国・遠国とされた。鎌倉時代に大友氏が豊後国の守護となった。室町時代にも守護に任じられた大友氏は大友氏時が九州探題斯波氏経を高崎山城に迎え助力するも南朝の勢力に押され当初は苦戦した。南北朝の統一により勢力を弱めた南朝を制し守護大名そして戦国大名へと大友氏は発展していった。大友氏は、戦国時代の21代当主大友義鎮(宗麟)の代に最盛期を迎えた。宗麟は九州6ヶ国の守護及び九州探題に任じられ、九州の大半を支配した。 | 歴史 | 大分県 |
2,918 | 372 | 88,836,862 | また、清やポルトガルなどとの交易を盛んに行い、府内(現在の大分市)等では南蛮文化が花開いた。キリスト教を積極的に保護し、豊後国の信者は3万人を超えたとされる。宗麟自身も晩年に洗礼を受けてキリシタン大名となった。しかし、大友氏は1586年(天正14年)の島津氏の侵攻(豊薩合戦)等により衰退し1593年(文禄2年)に22代当主の大友義統が改易されて、大友氏による統治は終焉を迎えた。江戸時代、当県にあたる地域には中津、杵築、日出、府内(大分)、臼杵、佐伯、岡(竹田)、森(玖珠)の八藩が分立するとともに、日田には九州の幕府領を管轄する西国筋郡代の代官所が置かれ、各地には肥後、延岡、島原藩の飛び領も点在した。このため、大きな都市は形成されなかったものの、代わりに各地に特色ある文化が生まれた。各藩の城下町だった地域には、現在も武家屋敷等が残っている所が多い。 | 歴史 | 大分県 |
2,919 | 372 | 88,836,862 | 享和3年(1803年)に完成した地誌『豊後国志』は国東郡、速見郡、大分郡、海部郡、大野郡、直入郡、玖珠郡、日田郡の8郡について、古代から近世までの歴史・地理を簡明に記載する。 | 歴史 | 大分県 |
2,920 | 372 | 88,836,862 | 大分県の総人口は1,116,823人(2021年7月1日現在)で、47都道府県中石川県に次ぐ第33位である。また、沖縄県を除く九州7県では第5位に位置する。県庁所在地の大分市に総人口の42.7%が集中している。 | 人口 | 大分県 |
2,921 | 372 | 88,836,862 | 衆議院の小選挙区は、第1区、第2区、第3区の3区。参議院の選挙区は、全県で1区の大分県選挙区(一人区)を構成。 | 政治 | 大分県 |
2,922 | 372 | 88,836,862 | 平成26年度(2014年度)の県内総生産は4兆1426億円である。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい。県内総生産の内訳は、第一次産業 910億円(2.2%)、第二次産業 1兆1974億円(28.9%)、第三次産業 2兆8154億円(68.0%)。一人当たり県民所得は258.3万円である。平松守彦前県知事が提唱した一村一品運動によって、各地で特産品を産み出す試みがなされている。農産物では、干し椎茸及びかぼすが生産量日本一で特産として知られる。干し椎茸のうちでも特に、高級品として珍重される身が厚く表層に星型の亀裂が入る冬菇(どんこ)が名産。野菜の産出額は、白ねぎ(39.0億円)、こねぎ(31.0億円)、トマト(28.0億円)、いちご(26.0億円)、果樹の生産額はナシ(30.4億円)、ブドウ(22.8億円)、ハウスみかん(16.6億円)、かぼす(11. | 経済・産業 | 大分県 |
2,923 | 372 | 88,836,862 | 3億円)の順である(2014年度)。水産業は中高級魚介類が中心で、そのため海面生産量が全国23位であるのに対して海面生産額が10位と高くなっている。特に関あじ、関さばや城下かれいはブランド魚として知られる。リアス式海岸を有する県南部では養殖も盛んであり、ブリ(15,668トン、全国2位)、カンパチ(3,488トン、全国3位)、クロマグロ(1,656トン、全国3位)、ヒラメ(660トン、全国2位)などが生産されている。畜産では久住高原をはじめとする地域で酪農が行われており、時期によっては放牧されている様が高速道路からでも見ることができる。牛乳及びその加工品も流通している。ブランド牛として豊後牛がある。高度成長期に大分市が新産業都市の指定を受けて大分臨海工業地帯が形成された。 | 経済・産業 | 大分県 |
2,924 | 372 | 88,836,862 | また近年は、大分市や大分空港周辺に電子工業等の立地が進む一方、県北部では、隣接する福岡県東部とともに、自動車関連企業が集積している。このため、全国平均に比べ第二次産業の占める割合が高い。大分県の自然エネルギー自給率は、30.1%で全国の都道府県で最も高い。八丁原発電所をはじめ3か所の商用地熱発電所が立地するなど、地熱利用が進んでおり、地熱発電の発電量が全国一であることが主な要因である。 | 経済・産業 | 大分県 |
2,925 | 372 | 88,836,862 | JR線4路線がある。私鉄や第三セクター鉄道は存在しないが、別府市に近畿日本鉄道(近鉄)グループの近鉄別府ロープウェイが運営するロープウェイ別府ロープウェイ線と、岡本製作所が運営するケーブルカー別府ラクテンチケーブル線の2路線がある。 県内の普通列車の本数は別大都市圏を除いて毎時1本以下となっている。過去の鉄道路線(廃線)大分市を中心として別府市・中津市など県北部は大分交通(連結子会社含む)・亀の井バス、佐伯市・竹田市など県南部は大分バス(連結子会社含む)、日田市など県西部は日田バスが路線網を持っている。これらの会社は西日本鉄道と資本的関係がある。また、県外の事業者では、熊本県の九州産交バス(九州横断バスなど)、福岡県の西鉄バス(日田市周辺。以前は中津市にも)が路線を有している。県の北側から東側にかけては海に面しており、多くの港が設置されている。 | 生活・交通 | 大分県 |
2,926 | 372 | 88,836,862 | また、豊後水道を横断し九州と四国を結ぶ航路や、瀬戸内海を通り九州と本州を結ぶ航路が発着している。有人離島も県内には点在しており、定期船が行き来している。NHK-FMの親局送信所は別府市の十文字原であるが、FM大分の親局およびOBSラジオのFM補完放送のメイン中継局は、大分市街地を挟んだ大分市の横江山に設置されている。デジタルテレビの親局送信所は、NHK-FMと同じ十文字原に設置されている。大分県は、民放テレビ局3社のうちOBSとOABに出資している。OABは中継局が整備されていない地域があるが、その中にはケーブルテレビで再放送が行われている地域もある。 | 生活・交通 | 大分県 |
2,927 | 372 | 88,836,862 | 県の大半の地域では豊日方言に属する大分弁が話される。大分弁は東北海岸方言、南部海岸方言、西部方言、北部方言、南部方言の5つに区分され、北部方言のうち旧中津市近辺の方言は中津弁、西部方言のうち日田市近辺の方言は日田弁と呼ばれる。中津弁は福岡県豊前方言である北九州弁との境界が曖昧であり、日田弁を含む西部方言は肥筑方言の影響が大きい。 | 文化・スポーツ | 大分県 |
2,928 | 372 | 88,836,862 | 一部シーンに登場した作品を含む。 | 大分県を舞台とした作品 | 大分県 |
2,929 | 377 | 88,826,374 | 岡山県(おかやまけん、(英: Okayama Prefecture)は、日本の中国地方に位置する県。県庁所在地は岡山市。 | __LEAD__ | 岡山県 |
2,930 | 377 | 88,826,374 | 中国地方の南東部にあって、瀬戸内の気候と地勢を背景に古代より独自の文化圏としての歴史を有し、現代でも中国・四国地方の交通網の要衝として発展を続けている。県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月1日、全国で18番目の政令指定都市に移行した。山陽本線、山陽新幹線、1988年(昭和63年)に開通した瀬戸大橋、中国自動車道、1997年(平成9年)全線開通した山陽自動車道をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を縦断している。古代、沿岸域から内陸地域にかけては「吉備国」として、現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などと併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を持っていた。江戸時代初期には岡山に池田氏、津山に森氏が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に池田綱政は日本三名園の後楽園を造成し、閑谷学校を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。 | 概要 | 岡山県 |
2,931 | 377 | 88,826,374 | 笠岡、井原は徳川家康の従兄弟で有力譜代大名の水野勝成氏の領地となり広大な新田開発が行われた他灌漑事業、産業育成により地勢が大きく変貌した。倉敷には寛永19年(1642年)に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した。県内を南北に流れる3つの一級河川(高梁川・旭川・吉井川)による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、江戸時代から昭和戦後期にかけて瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地が形成された事を背景として、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に白桃、マスカット・オブ・アレキサンドリア、ピオーネなどは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。県北の標高1,200メートルに位置する蒜山高原では、ジャージー牛の大規模な放牧が行われており、チーズ、ヨーグルト、アイスクリームなどに加工されている。 | 概要 | 岡山県 |
2,932 | 377 | 88,826,374 | 県南西部の井笠地方(井原市、笠岡市など)は明治の府県統合まで県内の大部分とは別の道を歩んできた地域である。現在でも両市は県境を越えた広島県福山市のベッドタウンであり、通学通勤に加え日常的な買い物や通院による越境が多く見られ県域を越えた結びつきが非常に強い。なお井笠地方は岡山県内にありながら経済圏、生活圏は広島県東部と一体的であり福山都市圏を構成する。戦前までは一次産業と紡績などの軽工業が県の主要産業であったが、戦後は水島地区の川崎製鉄(後に合併によりJFEスチール倉敷地区となる)、笠岡地区の日本鋼管(後のJFEスチール福山地区)と県内に大規模な二つの銑鋼一貫製鉄所が建造されるなど臨海部を中心に重工業化が進み工業県へと変貌した。両製鉄所はいずれも世界有数の生産量を誇り、特に福山地区の年間粗鉄生産能力は1200万トン規模と国内最大であり単独の製鉄工場としては世界上位である。 | 概要 | 岡山県 |
2,933 | 377 | 88,826,374 | 水島臨海工業地帯は全国総合開発計画(全総)に合わせて指定された新産業都市「岡山県南地域」の中核となり県を挙げて開発が進み国際コンテナターミナル、石油化学コンビナートが整備され、自動車等の加工組立型の企業群も進出した。笠岡地区は全国総合開発計画において備後工業整備特別地域に指定され、沿岸部の埋立により大規模な国際港湾、製鉄を含む工場群が建造された。港湾輸出入額では水島港が中四国1位、福山港が2位と中四国の上位2港を岡山県の港湾が占めている。なお笠岡港は港則法・関税法・検疫法・入国管理法・港湾運送事業法の各法上福山港に含まれ、JEF福山製鉄所の敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている。近年では瀬戸内市で2018年(平成30年)10月に運転を開始した「瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト」、2019年(令和元年)12月に運転を開始した日本最大の257. | 概要 | 岡山県 |
2,934 | 377 | 88,826,374 | 7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所、真庭市の木質バイオマス発電事業など自然エネルギーを活用する再生可能エネルギーの推進が県下全域で進められている。県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1ミリ未満の日数が全国最多であることから、1989年(平成元年)から「晴れの国 おかやま」を県のキャッチフレーズとしている。 | 概要 | 岡山県 |
2,935 | 377 | 88,826,374 | 県北部には、三本の一級河川(旭川・高梁川・吉井川)の県内源流ともなっている中国山地の山岳地帯がそびえている。標高500 - 1,000メートルの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原の高地が連続的に広がり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている。岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、干拓で江戸時代につながった児島半島が県の南端部にある。県南西部には国営笠岡湾干拓事業として1650haと全国有数の規模の大干拓地域が造成された。おもな山地としては蒜山(標高1,122メートル)や後山(標高1,345メートル)などがあり、おもな湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,936 | 377 | 88,826,374 | 兵庫県とは山地および備前市の取揚島で、鳥取県とは山地で、広島県とは山地および市街地で、香川県とは海上および玉野市の井島(石島)で隣接している。国土地理院地理情報によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87キロ、南北の長さは116.98キロである。中国山地と瀬戸内海に挟まれた南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示し温暖少雨であり雪は極稀である。一方、北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1メートルを超える積雪となるほか、-10°C以下まで下がることもある。県北部山間域には4か所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原や和気町は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く、冬季の寒さは厳しい。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,937 | 377 | 88,826,374 | 日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地・四国山地によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「凪」や山地越えのフェーン現象の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日が多い。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて日照時間が年間約2,100時間と長く、年間降水量は1,100ミリ程度であり、日本有数の降水の少ない土地である。降水量1ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている。2004年(平成16年)以降、岡山県内でも平成の大合併が進められ、2011年(平成23年)現在、以下の15市・10郡・10町・2村がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,938 | 377 | 88,826,374 | 県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 北区・中区・東区・南区の各4行政区が設置された。かつては備前、備中、備後、美作地方は吉備国と呼ばれる同一文化圏であったが現在では備後地方のみ広島県に所属している。岡山県と広島県の境は山・川などで地形的に分断されるところがなく、今でも両地方の経済・文化的な関係は強くみられ倉敷市の西部を流れる高梁川以西が備後圏、井笠地方(井原市・笠岡市)は福山圏と認識されることがある。岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。県南東部に位置し、旭川と吉井川の流域には、西日本屈指の広大で肥沃な岡山平野が広がっている。人口は約92万人で県全体の約5割を占め、医療、交通、教育、大規模商業施設などさまざまな都市機能を備え、拠点性が高い岡山市と、その周辺は人口集積が見られますが、北部、東部の中山間地域や離島では過疎化が進んでいる。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,939 | 377 | 88,826,374 | 平野部での県内最大規模の米麦栽培や、モモ、ブドウなどの果物の他にも、ナス、黄ニラ、カキなど競争力のある農林水産物が生産されるとともに、備前焼などの工芸品が作られている。観光面では、後楽園、岡山城等を核とした岡山カルチャーゾーンや、日本遺産である旧閑谷学校、吉備津神社などの歴史ある観光資源を有するほか、西大寺会陽や加茂大祭などの個性豊かな伝統行事に加え、瀬戸内海を舞台として開催される瀬戸内国際芸術祭や、岡山市中心部で開催の岡山芸術交流など現代アートを活用した魅力も創出されている。県のほぼ西半分を占め、高梁川が貫流する多様な自然環境の中、約77万人が暮らしている。平成30年7月豪雨や令和元年9月集中豪雨で大きな被害を受けた倉敷市真備地区をはじめとする地域では、被災者の生活再建、河川等公共施設の復旧と改良、土砂災害対策、地域経済の再生など、復旧・復興に向けた取組が進められている。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,940 | 377 | 88,826,374 | 高速道路や鉄道網、国際拠点港湾水島港などの広域交通基盤に恵まれ、水島コンビナートの製造業、県総合流通センターや早島インターチェンジ・岡山総社インターチェンジ付近の物流業の集積は、県経済に大きな比重を占めている。また、水島コンビナートでは、IoTやAIを活用した取組も進められている。児島・井原の繊維業や各地の醸造業など、伝統ある産業活動が展開されており、モモ、ブドウ、トマト、和牛、タコ、カキなど優れた農林水産物にも恵まれている。これらの特産品を加工・販売する事業者も多く、新製品の開発や販路開拓が進められている。吉備高原から中国山地にかけての県北東部に位置し、面積は県の4割を占め、そのうち約93%が中山間地域となっている。地域の人口約23万人のうち、65歳以上の高齢者が約34%を占める一方、若い世代は、多くが進学や就職を機に地域外に転出する傾向にある。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,941 | 377 | 88,826,374 | 農林業が盛んな地域であり、ピオーネをはじめ、黒大豆やジャージー牛などの特色のある産品が生産され、米や麦などによる土地利用型農業も行われるとともに、高品質なヒノキ等を産出し、西日本有数の木材加工産地を形成している。商工業では、事務所数は減少しているものの、化学工業や食料品、木材・木製品、機械器具製造業などを中心に製造品出荷額は増加している。都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ、およそ10万人以上の人口を有し、一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である。岡山市など大都市周辺地域については、1978年(昭和53年)からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,942 | 377 | 88,826,374 | 2014年(平成26年)12月に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において地域の広域連携に関し、一定要件を満たす都市が「連携中枢都市」となり、周辺市町村と連携協約(地方自治法252条の2第1項)を締結することで、「連携中枢都市圏」を形成するものである。経済的に笠岡市・井原市は広島県福山市を中心とした福山都市圏に含まれる。県内には山陽自動車道、山陽新幹線、山陽本線、国道2号など中国地方の交通の大動脈が東西に貫通し、人や物の往来は多い。 | 地理・地域 | 岡山県 |
2,943 | 377 | 88,826,374 | 県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)ごろからであると推測される。現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡(倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の炉跡が検出されている。 | 歴史 | 岡山県 |
2,944 | 377 | 88,826,374 | うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である。地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。 | 歴史 | 岡山県 |
2,945 | 377 | 88,826,374 | また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネのプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国は畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国や芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。 | 歴史 | 岡山県 |
2,946 | 377 | 88,826,374 | 6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国、備中国、備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備や道鏡の天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い・藤戸の戦い)。 | 歴史 | 岡山県 |
2,947 | 377 | 88,826,374 | 鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏・松田氏・三村氏・庄氏・赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。南北朝時代、後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱で室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨・備前・美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。 | 歴史 | 岡山県 |
2,948 | 377 | 88,826,374 | 赤松満祐が嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代に守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏が庄氏ら有力国人を従えていた。 | 歴史 | 岡山県 |
2,949 | 377 | 88,826,374 | その後、毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。一方で、備中の南西笠岡などは村上水軍(能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。 | 歴史 | 岡山県 |
2,950 | 377 | 88,826,374 | 備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。 | 歴史 | 岡山県 |
2,951 | 377 | 88,826,374 | 秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前岡山藩の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。 | 歴史 | 岡山県 |
2,952 | 377 | 88,826,374 | また、領内には池田家の家老の陣屋が各地に所在し、伊木家3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の宝永4年(1707年)には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在では日本三名園のひとつに数えられる御後園(後楽園)が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、安政3年(1856年)に備前一国を巻き込む強訴(渋染一揆)が発生した。 | 歴史 | 岡山県 |
2,953 | 377 | 88,826,374 | 備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩・庭瀬藩・新見藩、岡田藩、浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、交代寄合の山崎家の成羽陣屋(幕末に成羽藩となる)、交代寄合の戸川家の撫川陣屋が置かれ、戸川家は旗本としても早島・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。倉敷は天領(幕府の直轄)となり、備中のみならず伊予、讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。美作には森家が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3,000石が成立した。 | 歴史 | 岡山県 |
2,954 | 377 | 88,826,374 | 幕末期になり薩摩藩や長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩・譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれ、明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。明治4年7月14日(1871年8月29日)、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、深津県、北条県の3県に再編された。その後、1875年(明治8年)12月10日に備中国と備後国にあたる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県を併せた。 | 歴史 | 岡山県 |
2,955 | 377 | 88,826,374 | 岡山県の境域はこれ以後1896年(明治29年)に吉野郡石井村を兵庫県佐用郡へ編入、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入。戦後には1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現・備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入、後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制第六高等学校・旧制岡山医科大学(岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立なども相まって山陽地方の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出し、特に自由民権運動では片山潜やのちに首相となる犬養毅や平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した。 | 歴史 | 岡山県 |
2,956 | 377 | 88,826,374 | 戦前の産業は農業が主であり、南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、イグサ・綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方、北部では養蚕が盛んに行われた。瀬戸内海に面した児島地区(倉敷市)では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。倉敷紡績(略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の大原孫三郎によって倉敷絹織(現在のクラレ)、紡績を支える中国水力電気会社(現在の中国電力)なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の倉敷市のジーンズ、学生服の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、大原美術館、倉敷中央病院、農業や社会問題の研究所などを設立したり、石井十次の孤児養育事業を支援するなど、現在でいうメセナ事業を行った。 | 歴史 | 岡山県 |
2,957 | 377 | 88,826,374 | 1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県尾道まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに国鉄に組み入れられた。1920年(大正9年)7月、県下で腸チフスの大流行が発生。患者1,322人、死者291人。第一次大戦後には重化学工業が発達し、柵原では鉱山が開かれ、玉野では造船業が活況を呈するようになった。経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。こうした地勢より、社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。 | 歴史 | 岡山県 |
2,958 | 377 | 88,826,374 | 特に1917年(大正6年)に自県にて発足した済世顧問制度は大阪府の方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している。他にも救世軍において廃娼運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や、児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助、岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス・ペティ・アダムス、日本最初の孤児院(児童養護施設)を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。しかしながら第二次世界大戦が勃発し、戦争末期の1945年(昭和20年)6月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた。 | 歴史 | 岡山県 |
2,959 | 377 | 88,826,374 | 岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。また三木知事時代の1960年代、全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄、石油化学および自動車などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され、日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、1970年代には大気汚染、瀬戸内海への石油流出事故、赤潮、児島湖の水質悪化などに悩まされた。 | 歴史 | 岡山県 |
2,960 | 377 | 88,826,374 | 1970年代以降は山陽新幹線の開業や瀬戸大橋の開通による高速道路・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ岡山空港の開港による航空網の整備が行われ、交通の結節点としての地位を高めた。南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万都市圏を形成している(岡山都市圏)。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。2000年代には紡績工場跡地などを転用したイオンモール倉敷などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街がシャッター通りとなり、ダイエー岡山店・三越倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。 | 歴史 | 岡山県 |
2,961 | 377 | 88,826,374 | 2020年12月20日。県と県医師会は新型コロナウイルスの急速な拡大に対し、医療非常事態宣言を発表した。 | 歴史 | 岡山県 |
2,962 | 377 | 88,826,374 | 岡山県の人口は、戦後の165万人から一貫して増加を続け2002年には最大値約195万人に達した。しかし、その後は一貫して県全体では減少が続いている。2020年国勢調査によると、岡山県の人口増加率は-1.8%となっており、データのある1925年以降の国勢調査では最低の値となっている。広島市に次いで中国地方第2の都市である岡山市(約72万人)や第3位の倉敷市(約47万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。ただ、岡山市とともに岡山都市圏の中心を担う倉敷市がついに2019年から減少に転じた。一方、総社市の増加率は年々上昇している。吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。県全体では1990年(平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであった。社会動態においては、1998年(平成10年)以降転出超過の社会減となっていた。 | 人口 | 岡山県 |
2,963 | 377 | 88,826,374 | 2011年(平成23年)の東日本大震災以降から移住者の増加で一時転入超過に転じたが、2013年(平成25年度)に再び社会減となった。NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて岡山県は、2012年(平成24年)度に2位、2013年(平成25年)度に3位にランクインしている。婚姻関係では、男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている。岡山県によると、2018年での合計特殊出生率は1.53となっている。 | 人口 | 岡山県 |
2,964 | 377 | 88,826,374 | (公選知事を特に列記する)岡山県の行政機関の本庁として、岡山県庁が同市北区内山下に所在している。岡山県内に備前・美作・備中の各県民局が置かれ、その下部組織として各地域事務所が設置されている。かつては地方振興局が設置されていたが統合・再編されて現在に至る。2008年(平成20年)6月2日の定例記者会見で2011年(平成23年)度にも、2009年(平成21年)度から新たに施行された自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される財政再生団体に転落する可能性があるとして、財政危機宣言を発した。このため、構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、2008年(平成20年)8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」を公表した。 | 政治 | 岡山県 |
2,965 | 377 | 88,826,374 | その際に、歳出削減や県有施設の統廃合について、市町村、県民からさまざまな意見が表明されたことを踏まえ、同年11月に「岡山県行財政構造改革大綱2008」が策定された。この行革大綱の具体的な枠組みは、(1)職員数の削減、(2)組織体制の再構築、(3)職員の意識改革と人事制度、(4)事務事業の削減、(5)公共事業の削減、(6)歳入確保、(7)公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8)市町村の事務・権限移譲、(9)外郭団体等の抜本的な見直し、(10)効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を2012年(平成24年)度(職員数は2013年(平成25年)度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標としている。 | 政治 | 岡山県 |
2,966 | 377 | 88,826,374 | また、今後の財政運営の目標として、「収入にあわせた予算を組みます」・「県債残高をこれ以上増やしません(プライマリーバランスの黒字化)」・「同規模県と比較してもっともスリムな体制を目指します」・「行革推進債などの緊急避難的な対策による財政運営と決別します」・「今後4年間で改革の総仕上げを行います」との5つの目標を掲げ、この目標に沿った財政運営に取り組むこととされている。 | 政治 | 岡山県 |
2,967 | 377 | 88,826,374 | 都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市、笠岡市、里庄町を除き岡山市を中心とする岡山都市圏に属する。県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである。県南西部の西備地方(ただし矢掛町と浅口市は含まれず、岡山都市圏に属する)は広島県福山市を中心とする福山都市圏である。農業生産額の割合では、鶏(鶏卵・ブロイラー)が全生産額の23.7%で最も多く、米が22.8%、果実が17.5%、野菜が15.3%と成っている。岡山県南部に広がる児島湾干拓地を中心とした岡山平野や北部の津山盆地などでは、古来よりコメの栽培が盛んで、現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており、コシヒカリや朝日米、ヒノヒカリなどの品種が栽培されている。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,968 | 377 | 88,826,374 | また、南部では岡山市灘崎地区のナスや倉敷市連島地区のレンコンをはじめ大都市向けに出荷される花卉、全国的にも珍しい黄ニラなどが、北部や吉備高原ではシイタケやマツタケなどが盛んに生産されている。国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されており、明治時代以降は岡山市津高地域・栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの温室栽培が行われるようになった。全都道府県における出荷量で見れば、ブドウは4位(西日本1位)、モモは6位(和歌山県に次ぐ西日本2位)で全体シェアの5パーセントにも満たないものの、一部の品種に限れば、ブドウのマスカット・オブ・アレキサンドリア、ニューピオーネや黒大豆の作州黒の生産量は全国トップクラスであり、現在では岡山県の主要な名産品となっている。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,969 | 377 | 88,826,374 | 県内では他にも岡山市東区でお歳暮シーズンの愛宕梨(あたご梨)や鴨梨(ヤーリー)などの果物が全国シェアトップで栽培されており、高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ、高品質な商品を生産している。近年、これらの農産物を中国や台湾など海外に輸出し、販売する試みがなされている。畜産においては中国山地沿いを中心に行われ、特に新見市千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの和牛が飼育されている。酪農においては蒜山高原(真庭市)ではジャージー牛の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳などを出荷しており、吉備中央町では気候に合わせたブラウンスイス品種の乳を用いて吉田牧場が高品質のチーズを生産している。その他、山田養蜂場を中心として養蜂も行われている。かつてはイグサやコンニャク、タバコの生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,970 | 377 | 88,826,374 | 北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており、かつてはサワラやタイの中型魚がおもに獲れていたが、明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルやイイダコ、カレイなどの好漁場となっており、瀬戸内市邑久町・牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔やカキの養殖が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、ままかり(サッパの酢漬け)などがある。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,971 | 377 | 88,826,374 | また、備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた「カキオコ」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。近年の新たな取り組みとして、岡山理科大学の研究で陸上でのハタなどの海水魚の養殖も行われている。第二次大戦以前は農業県であった。大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は倉敷紡績などの製糸・紡績業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで中国・四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、水島コンビナート(倉敷市)の埋め立て造成と石油精製所・大手製鉄所・自動車工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,972 | 377 | 88,826,374 | 総社市などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し、倉敷市では児島地区にジーンズや学生服など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。県西部の笠岡市へは広島県のJFEスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。1980年代以降は吉備高原等の内陸地域を新たな産業ゾーンとするために高速道路の整備や岡山空港の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの電子デバイス工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,973 | 377 | 88,826,374 | こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。近年の岡山県の第三次産業は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。サービス業や小売業、金融業等は本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。1960年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていた。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,974 | 377 | 88,826,374 | 1970年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、中心市街地の空洞化を招いた。バブル経済の崩壊後以降は、都市部の地価の下落が進行。近年は中心市街地への高層マンションの建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や再開発事業が活発に展開されている。人口の増加も見られており、現在では再び地価が上昇している。岡山市では、江戸時代の城下町に由来する表町地区と、1972年(昭和47年)の山陽新幹線開業後に発展したJR岡山駅周辺地区が2大商業地区となっている。岡山県南都市圏は現在人口150万人を擁し、地方都市としては数少ない、成長が見込まれる都市圏のひとつである。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,975 | 377 | 88,826,374 | 岡山市の政令指定都市移行を契機として、今後も再開発などの活性化が期待されている。県南西部の井原市・笠岡市は江戸時代に備後福山藩領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく、相対的に県内他市町村(岡山市など)とのつながりが小さい。これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し、多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している。一方で、その他の地域では人口の流出・現象を伴った過疎化によって商業施設の撤退・閉鎖、大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ、地域活性化が大きな課題となっている。他県に登記上の本店を置いている企業を含む。 | 経済・産業 | 岡山県 |
2,976 | 377 | 88,826,374 | 岡山県警察本部の管轄にあり、以下の22警察署が置かれている。ここ数年の市町村合併にともない、2006年(平成18年)4月1日に警察署管轄地域の見直しが行われた。また、2009年(平成21年)4月1日からは、岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に、西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された。鉄道は1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに、中国鉄道・西大寺鉄道・片上鉄道・下津井電鉄などが次々と開通した。一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された。1972年(昭和47年)には国鉄山陽新幹線新大阪・岡山間が、2年後には岡山・博多間が開業し、1988年(昭和63年)には瀬戸大橋開通にともないJR瀬戸大橋線が開業。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,977 | 377 | 88,826,374 | 以来、JR岡山駅は本州と九州、および山陰と四国を結ぶ一大ターミナルとなっている。現在、以下の路線が存在しており、岡山市では全国的に数少なくなった路面電車も運行されている。岡山駅には新幹線の花形のぞみの全列車が停車する。山陰地方と四国の中間に位置し、古くから主要街道の山陽道が通っていた岡山県は道路網が充実しており、特に2007年(平成19年)度の高速道路延長(面積1,000km2当たり延長)は41キロと全国第5位になっている。岡山県は隣接する広島県とともにバス事業者の多い県である。岡山市内では多数の会社が乗り入れ、一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが、調整が進むなど改善している。高速バスは京阪神、山陰、広島、東京、福岡、四国各県などに伸びる。都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー、北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,978 | 377 | 88,826,374 | 県内の主要空港は岡山空港である。岡山市北区日応寺に所在し、県が管理する第三種空港、準国際空港である。国内線では東京・札幌・那覇の3都市へ、国際線ではソウル、上海がデイリー運行、北京・大連へ定期便が就航する。もとより東京行きの便が距離的・料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり、また、空港内の駐車場が無料(一部は有料)であることから、同じ中国地方で第二種空港の広島空港には大きく水を空けられているものの、近年利用者が増大しており、他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている。広島空港は広島県の中央に立地しているため、県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある。1988年(昭和63年)の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場(岡山市南区)は、現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,979 | 377 | 88,826,374 | 笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが、利用が振るわず旅客便が就航したことはなく、現在では定期便の運航はない。昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが、新幹線、高速道路など陸上交通の整備により長距離航路は全廃され、瀬戸内海の島嶼を結ぶ短距離航路のみ存続する。宇野港は高松港へ向かう宇高連絡船が発着し、四国地方への玄関口として機能していたが、2019年(平成31年/令和元年)に宇高連絡船は廃止された。藩政時代末期の1870年(明治3年)、西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され、官立大学の岡山医科大学を経て後の岡山大学医学部となった。また1970年(昭和45年)には私立川崎医科大学が開校し現在は県内に2つの医学部がある。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,980 | 377 | 88,826,374 | 岡山大学病院、岡山東部脳神経外科、川崎医科大学付属病院、倉敷中央病院、心臓病センター榊原病院などが大規模、高度な設備を備える県内の主要病院。県内の主要医療機関は岡山市、倉敷市に偏在しており県北部、西部との医療格差が問題となっている。医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担にえかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある。一方で、2021年には新型コロナウイルス感染症の拡大を受け県境の井原市や笠岡市を含む備後地域で医療が逼迫しているとして広島県の湯崎英彦知事が岡山県に患者受け入れの協力を要請するなど県境を越えた医療の連携が進んでいる。災害拠点病院は「岡山県災害拠点病院」を、保育所は「岡山県保育所一覧」を参照。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,981 | 377 | 88,826,374 | 主要診療科の中で特に産婦人科は県内で1996年には37病院・39診療所だったものが2017年には13病院・24診療所と大きく減少しており、特に減少の深刻な県北西部では最寄りの分娩施設まで車で60分以上かかるエリアや、万一の際にいずれかの周産期母子医療センターまで60分以上かかるエリアが目立つ。県南西部においては産婦人科医の常勤する病院は高梁川以西から既に消失し、井原・笠岡地域では地域の分娩機能の中心的役割は県境を越えた広島県福山市内の医療機関が担っている。ただし、笠岡市内では分娩取扱医療機関として診療所が1拠点のみ指定されている。岡山県では県域放送のNHKおよび電波相互乗り入れによる5つの民放テレビ局が視聴可能となっている。民放5局のうち3局は岡山県に、2局は香川県に本社を置いており、1970年代から相互乗り入れを実施している。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,982 | 377 | 88,826,374 | 岡山県では2006年(平成18年)12月1日より地上デジタル放送が本格的に開始された。岡山・玉野市境の金甲山送信所を親局とし、県内に78か所の中継局が整備されている。リモコン番号はリモコンキーIDの記事の岡山県部分を参照。テレビ東京系のテレビせとうちが全国の地方都市では唯一存在しているため、独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている。ただし、ケーブルテレビの契約によって、在神の独立UHF局サンテレビが視聴できる。NHKと民放在京キー局5局に属する準キー局もしくはローカル局があるのは北海道、首都圏、中京圏、関西圏、福岡県と岡山、香川の13都道府県に限られており、かなりレアである。テレビ中継局は県内に78か所所在するが、全ての個所で全局を送信しているのではなく局によって異なっている。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,983 | 377 | 88,826,374 | 岡山県内ではNHK総合・Eテレ>RSK>OHK>RNC>KSB>TSCで、最も少ないTSCは25か所の設置となっている。県域FM局の親局及びRSKのFM補完放送局送信所も、デジタルテレビ各局と同じく金甲山に置かれている。※ インターネットにおけるサイマルラジオ放送は、コミュニティ放送のつやまコミュニティFMを皮切りに各放送局で実施している。県域民放局が実施しているradikoにはRSK山陽放送と岡山エフエム放送(FM岡山)共に参加している。岡山県では県紙で1889年(明治22年)創刊の山陽新聞を中心に購読されている。また、全国紙では各紙が大阪本社の管轄下にあり、県内に支局を設置している。読売・毎日・日経・産経の各紙は県内に印刷工場を設け、朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている。ただいずれの全国紙も岡山県での夕刊の販売はしておらず、朝刊のみである。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,984 | 377 | 88,826,374 | 夕刊紙の岡山日日新聞も存在したが、2011年(平成23年)11月10日をもって廃刊した。 | 生活・交通 | 岡山県 |
2,985 | 377 | 88,826,374 | 江戸時代に備前国を治めた岡山藩は、池田光政の代である1669年(寛文9年)に全国初の藩校である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し、さらには藩主の転封や改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた。岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる。また、幕府の薦める朱子学ではなく儒学(陽明学)を学ばせ、頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県、山口県に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144か所)であった。 | 教育 | 岡山県 |
2,986 | 377 | 88,826,374 | 明治時代になると1870年(明治3年)に岡山藩医学館が設置され、1900年(明治33年)には第六高等学校が、1922年(大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスであった。ただし、女子教育については明治の初めまで、ほとんどの地域において初等教育(いわゆる市井の寺子屋や女紅場・裁縫所)以上の教育はなされなかった。上記の各学校においても中等教育以上は男子教育の場でしかなかった。そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様、明治以降にキリスト教系の信徒・思想者によって、分野開拓が行われている。岡山県内において、その嚆矢となったのが1885年(明治18年)に高梁向町(現在の高梁市向町)において福西志計子が開いた順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校)とされる。 | 教育 | 岡山県 |
2,987 | 377 | 88,826,374 | さらに、その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて、男女の別を問わず漢学を授けた山田方谷の存在を指摘する声もある。順正女学校の設立を皮切りに、翌1886年(明治19年)には岡山市内で山陽英和女学校(現在の山陽学園大学)および岡山女学校(現在のノートルダム清心女子大学)などの女学校が開校した。現在、岡山県には3つの国公立大学、15の私立大学が設置されている。2007年(平成19年)現在、人口10万人当たりの大学・短大設置数は全国第6位となっている。2006年(平成18年)度からは、岡山県と岡山経済同友会を中心に、県内15の4年制大学が参加する大学コンソーシアム岡山が開始され、産・学・官の連携による地域社会の活性化や時代に合った高等教育の創造を目指している。島嶼を多く抱える岡山県では公営の通学船(スクールボート)の運航が見られる。 | 教育 | 岡山県 |
2,988 | 377 | 88,826,374 | 岡山市を中心とする備前地域(旧備前岡山藩)は池田光政の儒教尊重が家風となり、近代以後も教育熱心な地域と言われる。古今和歌集において「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と謳われ、吉備を表す枕詞が「真金吹く」であるように、古くから岡山(旧国名は吉備)は古代吉備から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた。そのため平安時代の古備前派に端を発し、福岡千軒(現在の瀬戸内市長船町)では福岡一文字や備前長船、そして吉岡一文字、国宗派、また備中国の青江貞次らの青江派などといった有力な刀匠の一派が数々生まれて栄えた。さらに、備前・美濃・相模・山城・大和の5か国の作刀方式を「五箇伝」と呼び、その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った。また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く、国宝に指定されている。現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,989 | 377 | 88,826,374 | 一方で陶器の備前焼は日本六古窯のひとつであり、古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる。また何も塗られることもない素朴さと力強さ、炎と火の粉、薪の灰から生じる窯変の味わい、そのわびさびを体現した風貌から千利休や古田織部などといった茶人に愛された。1250度の高温で約2週間焼き締めるため「投げても割れない」と言われ、茶人や公家、武家以外の一般庶民にも広く流通した。鎌倉時代初期までの作品は「古備前」と呼ばれ特に珍重される。金重陶陽といった人間国宝などの活躍もあり、また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった。津山市を中心とする美作地域では、江戸後期から幕末にかけて宇田川家、箕作家などの洋学の人材を輩出した。主に東京式アクセントの岡山弁が用いられる。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,990 | 377 | 88,826,374 | 県内の方言は旧国ごとに「備前弁」・「備中弁」・「美作弁(作州弁・津山弁)」の3種に分類されることあるが互いに対立して分布しているという事象は、必ずしも多いとは言えない。笠岡市・井原市などは旧備中国であるが備後福山藩領であったなど歴史的な背景から広島県側と共通の方言(福山弁・備後弁)が用いられる。このため県内では井笠地域のみに広島県からの連続分布により独自の事象分布が認められ、倉敷市などの備中弁とは語彙など多くの差異がある。笠岡市の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる。古代以来の農業の盛んな地域で、農産物・水産物は豊富である。主要なものは以下の通り。岡山県は、プロ野球とJリーグの球団の両方が本拠を構えている兵庫県と広島県に挟まれ、地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,991 | 377 | 88,826,374 | 1995年(平成7年)には倉敷市を本拠としていた川崎製鉄サッカー部(現・ヴィッセル神戸)がJリーグ誘致を目指していた神戸市に本拠を移すなど、長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず、「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されることもあった。しかし、2001年(平成13年)11月に女子バレーボール・Vリーグに所属するシーガルズが岡山市に本拠を移転。美作町(現・美作市)に女子サッカークラブ・岡山湯郷Belleが設立された。その後、2005年(平成17年)には晴れの国おかやま国体が開催され、県全体でスポーツに対する関心が高まった。国体開催の機運に乗じてJリーグを目指すサッカークラブとしてファジアーノ岡山FCが設立され、好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ、JFLと次々と昇格し、2009年(平成21年)シーズンからはJ2に昇格した。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,992 | 377 | 88,826,374 | また2017年には県西部の井笠地方をホームタウンとする福山シティFCが結成された。こうした市民クラブに対するスポンサーやボランティアなどの支援の輪が広がっており、プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある。その他、女子マラソンに関しては岡山市に本店がある天満屋の女子陸上競技部から2000年(平成12年)シドニーオリンピックに山口衛里が、2004年(平成16年)アテネオリンピックに坂本直子、さらに2008年(平成20年)の北京オリンピックでも中村友梨香が出場している。さらに、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピック、1996年(平成8年)のアトランタオリンピックの2大会でメダルを獲得した有森裕子は岡山県出身であり、オリンピックに5大会連続で岡山県の関係者が出場している。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,993 | 377 | 88,826,374 | 高校野球においては1965年(昭和40年)の選抜高等学校野球大会で優勝し、平松政次や八木裕らを輩出した岡山東商業高校、星野仙一らを輩出した倉敷商業高校や倉敷工業高校をはじめとした古豪がある。近年では1999年(平成11年)の全国高等学校野球選手権大会で準優勝した岡山理科大学附属高校、関西高校などの私立校が台頭している。 | 文化・スポーツ | 岡山県 |
2,994 | 377 | 88,826,374 | 岡山県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月25日に制定された岡山県名誉県民条例(岡山県条例第24号)に基づき、「岡山県の発展に功績があり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)。対象者は「本県に居住し、又は居住していた者で、社会福祉の向上、経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり、もつて県民福祉の増進に貢献し、又は本県の名声を著しく高め、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの」であり(条例第2条)、岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条第2項)。名誉県民に選定された者には、顕彰状や徽章、記念品も併せて贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)。 | 人物 | 岡山県 |
2,995 | 379 | 88,883,514 | 沖縄県(おきなわけん、(沖縄語: ウチナー /ʔucinaa/、英: Okinawa Prefecture)は、日本の九州・沖縄地方に位置する県。県庁所在地は那覇市で最も西にあり、沖縄本島、宮古島、石垣島など多くの島々から構成される。 | __LEAD__ | 沖縄県 |
2,996 | 379 | 88,883,514 | 鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島、先島諸島、大東諸島)から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に香川県、大阪府、東京都に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある。また、八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり、与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である。県民人口の約9割が沖縄本島に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある。ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。海上輸送路(シーレーン)および軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。 | 概要 | 沖縄県 |
2,997 | 379 | 88,883,514 | 主な米軍施設として、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・バトラー等が存在する。歴史的経緯(後述)から、宗教、文化ならびに風習、人名や方言、料理や食文化および産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄「県外」のことを「内地(ナイチ)」、沖縄県外の日本人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。日本では数少ない南の島であるため、日本屈指のリゾート地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に2001年のテレビドラマ「ちゅらさん」の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、沖縄料理、レジャー、マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている。 | 概要 | 沖縄県 |
2,998 | 379 | 88,883,514 | 沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は未だ低いが、座間味島のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している。沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と低調である。沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し、熱帯低気圧が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の旅客機が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにも関わらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。格闘技界においては空手の発祥の地(琉球唐手)として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。 | 概要 | 沖縄県 |
2,999 | 379 | 88,883,514 | ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。 | 概要 | 沖縄県 |
3,000 | 379 | 88,883,514 | 「沖縄(おきなわ)」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)がある。淡海三船が著した鑑真の伝記『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん』779年成立では、天平勝宝5年(753)11月21日に遣唐使一行が阿児奈波嶋(あこなはしま/あこなわじま)に到着したと記述されており、この島は沖縄本島のことを指していたという。のちに中国側からの呼称による「流求」「琉球」と呼ばれるようになった。琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。 | 名称 | 沖縄県 |
3,001 | 379 | 88,883,514 | 内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。また、旧信濃国が長野県、旧上野国が群馬県となったように、旧国名などの広範な地域名は都道府県の名前として使用しないという原則があったのも理由の一つだと考えられる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により奄美群島が正式に日本に編入、さらに沖縄諸島・先島諸島全域が「沖縄」と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった。 | 名称 | 沖縄県 |
3,002 | 379 | 88,883,514 | 国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある(「九州#近現代の「九州」」を参照)。国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている。 国土地理院、海上保安庁によると、沖縄県は363の島から成っている。49の有人島と多数の無人島から成り、0.01km以上の面積を有する島は160島存在する。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。 | 地理・地域・公海 | 沖縄県 |
3,003 | 379 | 88,883,514 | 沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海と接続水域になっており、残りの約97海里(約180km)が排他的経済水域になっている。 与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。離島が多いものの、離島の医療は人材的あるいは経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。 | 地理・地域・公海 | 沖縄県 |
3,004 | 379 | 88,883,514 | 2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストク等が存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。沖縄本島の中南部は那覇市や沖縄市を中心として都市化や人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。 | 地理・地域・公海 | 沖縄県 |
3,005 | 379 | 88,883,514 | また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。日本国内における気候区分では南日本気候に属する。 | 地理・地域・公海 | 沖縄県 |
3,006 | 379 | 88,883,514 | 宮古島、多良間島、石垣島、西表島、与那国島、波照間島および沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、それ以外の地域は亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35°Cを超える猛暑日になることはほとんど無い。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。 | 地理・地域・公海 | 沖縄県 |
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