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2,102 | 237 | 88,802,801 | 共に強い立場にありながら弱い者を守り、決して差別しない態度をとった父親と奈良での小学生時代の同級生の奥村の二人と接した少年時代の経験がきっかけとなって後の赤塚作品では「弱い者いじめはしない」という姿勢が貫かれることとなったとされ、小説家の井上ひさしは「ある意味で、赤塚の作品は道徳的だ。例えば、暴力シーンはいっぱい出てくるが、弱虫でチビのハタ坊がいじめられるシーンは決して出てこない。喧嘩も、対等か、強い者に逆らう時に起きている。チビ太が一人で六つ子に挑んでいくような時だ。」と評している。 | 評価 | 赤塚不二夫 |
2,103 | 238 | 88,183,146 | 一条 ゆかり(いちじょう ゆかり、本名:藤本 典子(ふじもと のりこ)、1949年9月19日 - )は、日本の漫画家。岡山県玉野市出身。玉野市立玉野商業高等学校卒業。少女漫画の技法に貢献した。代表作に『有閑倶楽部』『砂の城』等。 | __LEAD__ | 一条ゆかり |
2,104 | 238 | 88,183,146 | 1960年代終わりから70年代の半ばごろ、少女漫画の華麗な画風の進展をリードした作家。平面的・装飾的とも言えるイラスト的な線によるドラマチックな表現を進めた。当時の発表の場である『りぼん』『りぼんコミック』は当時の少女漫画の前衛的な場の一つともなっていた。その後も総じて安定した長期の作家活動をしている。コメディ「有閑倶楽部」は長くシリーズ化されたヒット作となっている。 | 概要 | 一条ゆかり |
2,105 | 238 | 88,183,146 | 好物は牡蠣だが、生牡蠣アレルギーであり、食べると蕁麻疹が出るとのこと。 幼少期は野菜全般が嫌いであり、今もネギや漬物の類は嫌っており、野菜のキムチは嫌悪している(タコキムチなどは好きとのこと)。 | 人物 | 一条ゆかり |
2,106 | 238 | 88,183,146 | ※ りぼんマスコットコミックスから発行される「全2巻」の作品は通常「前編・後編」であるが、ここでは便宜上「全2巻」の表記を用いる。 | 作品リスト | 一条ゆかり |
2,107 | 239 | 88,544,028 | うすた 京介(うすた きょうすけ、1974年5月25日 - )は、日本の漫画家。愛知県生まれ、熊本県合志市育ち。熊本県立大津高等学校美術コース卒。妻は漫画家の榊健滋。主に『週刊少年ジャンプ』でギャグ漫画を発表。代表作に『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『ピューと吹く!ジャガー』。 | __LEAD__ | うすた京介 |
2,108 | 239 | 88,544,028 | 1990年、「ザ★手ぬきくん対物酢御くん」で第2回GAGキング特別賞を受賞。同作品の「パート2」が『週刊少年ジャンプ』(集英社)1991年5号に掲載されてデビュー(なお、パート1はジャンプ・コミックスより刊行の短編集『チクサクコール』に掲載)。本人曰く、「白黒で描いたものが2色カラーになって掲載され、驚いた」という。1991年、「それゆけ!未確認飛行物体男」で第34回赤塚賞佳作を受賞し、『週刊少年ジャンプ増刊 サマースペシャル』(集英社)掲載。1995年から1997年まで、『週刊少年ジャンプ』で「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」を連載。同作は人気を博し、1998年にはアニメ化された。連載終盤には「若さゆえ疲れ切り、原稿を放り出し逃げた」という噂があったが、後にうすた本人はこれを否定し、実際は意図して落としたのではなく最後までやったが落ちた、と述べている。 | 略歴 | うすた京介 |
2,109 | 239 | 88,544,028 | 1999年、『週刊少年ジャンプ』18号より同年40号まで「武士沢レシーブ」を連載する。2000年、「ピューと吹く!ジャガー」を『週刊少年ジャンプ』で連載開始。2010年第38号まで10年の長期に渡って連載した。2015年、『少年ジャンプ+』(集英社)で『フードファイタータベル』を連載。すでに妻の榊健滋も同サイトで『ラブデスター』を連載していたので、夫婦そろっての連載となった。2016年、『少年ジャンプルーキー』にて自身の名前を冠した新人賞「うすた京介漫画賞」が創設される。2021年、アイドルグループ「きのホ。」の漫画・キャラクターデザイン担当として運営陣に参加する。 | 略歴 | うすた京介 |
2,110 | 239 | 88,544,028 | 台所にあったウスターソースから名前をとって「うすた宗介」として賞に応募、ところが誌面での受賞発表では誤植で「うすた京介」になっていた。「誤植でも受賞した名前だからといいか」ということで現在のペンネームになったという。独特のセンスと描写で描くシュールギャグを得意とする。叶恭弘によると「紳士」。かた焼きそばが大好物。喫煙者。学生時代は剣道部と美術部に入っていた。『すごいよ!!マサルさん』のコミックス巻末では、声優椎名へきると対談をしているが、同作品のキャラクターである「田中・スーザン・ふ美子(さかきばらのぶゆき)」のシンボルの赤いマスクを被っていた。当時、本人は顔出しを控えていたが、後の『ピューと吹く!ジャガー』には節々で顔出しをしている。またジャンプリミックス版では、お笑いコンビさまぁ〜ずの三村マサカズと対談している。 | 人物 | うすた京介 |
2,111 | 239 | 88,544,028 | アニメ監督の大地丙太郎は、「すごいよマサルさん」のアニメ化の際、原作の作者のセリフの適当さに親近感を抱いていたが、実際に会ったら非常に真面目な性格で、演出内容の細かい訂正を要求され、困惑したと後述している。パチンコが嫌いである。2016年12月29日、第一子となる男児が誕生。2018年7月3日、第二子となる女児が誕生。2018年12月より北海道札幌市に在住。 | 人物 | うすた京介 |
2,112 | 240 | 88,897,082 | 浦沢 直樹(うらさわ なおき、1960年1月2日 - )は、日本の漫画家。東京都府中市出身。1983年デビュー。漫画賞の受賞が多く、手塚治虫文化賞大賞を2度受賞している唯一の漫画家である。2021年12月時点で紙のコミックスの世界累計発行部数は1億4000万部を突破している。府中市立府中第四中学校、東京都立富士森高等学校、明星大学人文学部経済学科卒業。1960 - 1970年代のロックのファンで、『20世紀少年』にはその影響が色濃く反映されている。特にボブ・ディランの大ファンであり、2007年にはロッカー和久井光司との共著『ディランを語ろう』を発行したほか、2016年には個展の特別イベントとして『ボブ・ディラン 聴いて歌って描きまくる』を開催するなどしている。 | __LEAD__ | 浦沢直樹 |
2,113 | 240 | 88,897,082 | 1960年、東京都府中市に次男として生まれる。幼稚園には通わず、昼間は祖父母と3人きりの幽閉状態であった。このころ、手塚治虫の『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』を買い与えられ、自分でも漫画を描くようになる。地元の小学校に入学、3年生から学級委員を務め、学級新聞に4コマ漫画を連載した。一時期いじめられかけたこともあったが、クラスのガキ大将に漫画を描いたことがきっかけでいじめはピタリと止まったという。このころ、初めて長編漫画『太古の山脈』を描き上げる。当時テレビでも放映していたフィルム・ノワールの影響を受けた暗い内容のもので、当時は4つ上の兄がもっぱらの読者であった。中学では当初陸上部に入るも、先輩の偉そうな態度が嫌になり、軽音楽部へ転入。吉田拓郎にのめり込み、拓郎が影響を受けたと公言するボブ・ディランの研究を始める。 | 来歴 | 浦沢直樹 |
2,114 | 240 | 88,897,082 | 中学生時代の経験は後に『20世紀少年』に活かされ、浦沢は「ケンヂが校内放送で曲をかけたが変化無しと言うのは自分自身の実体験だが、こういうことをした人は結構多かった」「10分の1くらいは自叙伝」と語っている。また、中学の1年先輩に小室哲哉がおり、浦沢がリクエストした『20th Century Boy』を流した放送部には小室が部長として所属していた。高校、大学も軽音楽部に所属していた。一方で漫画の制作も続けており、高校では国語の教科書に載っていた芥川龍之介の『羅生門』を漫画化している。もっとも当時の梶原一騎ブームに乗れず、一時期漫画に興味を失いかけていたこともあった。しかし大学の時に登場した大友克洋をはじめとするニューウェーブの作品群に感化され、漫画に対する情熱を取り戻した。「マンガ君」と思われるのが嫌で、大学では漫研には近寄らなかったが、漫研の人よりもたくさん漫画を描いていたという。 | 来歴 | 浦沢直樹 |
2,115 | 240 | 88,897,082 | なお大学の軽音部では1年上にTHE STREET SLIDERSのHARRYが所属しており、プロの演奏を目の当たりにして、自身のバンドをきっぱりと断念。下手にバンドで食べていこうと思わなかったのは、彼のパフォーマンスを見たからかもしれないと語っている。もともと漫画家になるつもりはなかったが、就職活動時に小学館に編集者としての面接を受けた際、ついでに持って行った原稿「Return」が新人賞に入選、これを機に1年で芽が出なければやめるつもりで漫画家を志す。アシスタント等を経て、1983年に「BETA!」(『ゴルゴ13 別冊』掲載)でデビューし、1984年開始の「踊る警官」で初連載する。長崎尚志担当のもと、『ビッグコミックオリジナル』で外国を舞台にした『パイナップルARMY』『MASTERキートン』を連載する一方、『ビッグコミックスピリッツ』で『YAWARA!』『Happy! | 来歴 | 浦沢直樹 |
2,116 | 240 | 88,897,082 | 』と女子スポーツを題材にした作品を発表し人気を得る。1986年開始の『YAWARA!』以降は2誌掛け持ちで、毎月100枚を越える連載を10年以上続けた。スリラー作品『MONSTER』、手塚治虫の『鉄腕アトム』をリメイクした『PLUTO』により2度の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。2004年には『20世紀少年』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で最優秀長編賞を受賞している。『週刊モーニング』にて2008年から『BILLY BAT』を隔週で連載開始。何度か長期休載を挟みつつ2016年に完結。2012年から2014年まで、『MASTERキートン』の正式な続編である『MASTERキートン Reマスター』を『ビッグコミックオリジナル』に不定期掲載した。2008年より長崎尚志とともに名古屋造形大学(2007年まで名古屋造形芸術大学)の客員教授も務めている。 | 来歴 | 浦沢直樹 |
2,117 | 240 | 88,897,082 | 2014年からは「浦沢直樹の漫勉」がNHK Eテレにおいてスタートした。2018年、『連続漫画小説 あさドラ!』の連載開始にあわせ、浦沢作品の雑誌での電子書籍の配信が解禁となる。2020年に開催される東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の公式アートポスター、「あなたの出番です。」を手掛ける。2021年12月28日、浦沢作品の電子書籍の配信を開始。浦沢は「やはり紙の本が好き」だが「そうも言ってられない」ため、読者に漫画を楽しんでもらえるよう、最善の形を追求していくという。初の電子書籍の配信は、浦沢のファンの間で大きな反響を得た。 | 来歴 | 浦沢直樹 |
2,118 | 240 | 88,897,082 | 浦沢の作品は登場人物の表情が印象的で、その微妙さ浦沢漫画の特徴の一つとも言われている。浦沢は原稿にペン入れをする時に、最も気を付けているのは人物の表情であると語っている。浦沢はわかりやすく単純な表情を嫌っており、「絵文字のようにシンプルにニコッと笑っている人などいません」と述べている。 | 作風 | 浦沢直樹 |
2,119 | 240 | 88,897,082 | 元アシスタントも含む。 | アシスタント | 浦沢直樹 |
2,120 | 241 | 88,562,752 | 車田 正美(くるまだ まさみ、1953年12月6日 - )は、日本の漫画家・作詞家。男性。東京都中央区月島出身。血液型はA型。 | __LEAD__ | 車田正美 |
2,121 | 241 | 88,562,752 | 東京都中央区月島のとび職の家に生まれる。若い頃は下町の不良少年で喧嘩に明け暮れ、本宮ひろ志の漫画『男一匹ガキ大将』に感銘を受けて漫画家を志す。漫画を本格的に描き始めた当初は画材を知らず、青インクでペン入れをしたという。高校3年生の時、初作品を『週刊少年ジャンプ』の「ヤングジャンプ賞」に投稿したが落選。週刊少年ジャンプ編集部に落選理由を尋ねに行ったのがきっかけで、当時『侍ジャイアンツ』を連載していた井上コオのアシスタントとなる(一時的に本宮ひろ志のアシスタントも兼ねた)。20歳の時、『週刊少年ジャンプ』にて『スケ番あらし』でデビュー。『リングにかけろ』『風魔の小次郎』『男坂』『聖闘士星矢』『SILENT KNIGHT翔』を同誌で連載し、荒唐無稽ながらも独特の作風で黄金期ジャンプの看板漫画家の一人として活躍する。 | 略歴 | 車田正美 |
2,122 | 241 | 88,562,752 | 『SILENT KNIGHT翔』終了後、『週刊少年ジャンプ』を離れ、『スーパージャンプ』で新選組を題材とした『あかね色の風』を連載するが連載は途中中断。その後、創刊まもなかった『月刊少年エース』(角川書店)に移籍して連載した『B'T-X』は、人気作品となりアニメ化された。現在は秋田書店の雑誌を中心に活動中。『週刊少年チャンピオン』にてフルカラーで『聖闘士星矢』の続編である『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話』を不定期連載。2014年、デビューから40年を迎えたのを機に「車田正美 熱血画道40周年」と題した各種記念企画を展開。『男坂』の連載を『週刊プレイボーイ』公式サイトの『週プレNEWS』内で29年ぶりに再開し、北の大地編を収録した4巻が10月に発売され12月から新章を開始。 | 略歴 | 車田正美 |
2,123 | 241 | 88,562,752 | またWEBコミック誌『チャンピオンクロス』で『雷鳴のZAJI』の特別編を26年ぶりに掲載し、さらにデビュー40周年の集大成として自伝的作品『藍の時代 一期一会』を『週刊少年チャンピオン』誌上で連載した。 | 略歴 | 車田正美 |
2,124 | 241 | 88,562,752 | 根性や友情、兄弟愛、仁義をキャラクターに語らせる熱血漫画を得意とする。本宮ひろ志に影響されたと語る大ゴマや大胆な見開きなどを多用し、ダイナミックな必殺技の応酬を描くのが特徴。その一方で、作中に古人の名言を引用したり、物理学の知識を応用した展開を見せる。『リングにかけろ』の中盤あたりから「リングを切り裂く、窓をぶち破る、建造物を破壊する」などの荒唐無稽なパワーを宿すボクサー、また神々の力を宿す奇跡のボクサーなどが登場し始め、「SFボクシング」とでもいうべき新しいジャンルを開拓。同作のトーナメント式団体戦は後の『週刊少年ジャンプ』の格闘漫画の先駆けとなった。島本和彦は『アオイホノオ』において『リングにかけろ』の一場面を引用し「これは車田正美が長い年月をかけて作り上げた様式美。本人だけが許されるオリジナリティー」と評価している。 | 作風 | 車田正美 |
2,125 | 241 | 88,562,752 | 描線は一見太く力強いが、かぶらペンで引いた細い線を重ねて太く見せている。「SHWOK」「ZZRAK」「BAKCOOON(あるいはBAKOOOM)」などのアルファベットの擬音や、墨を飛び散らせたような黒い吹き出しなどは車田独特の様式として頻繁に使われる。『週刊少年ジャンプ』連載中は激しい生存競争の中、「面白いと思ったアイディアはすぐ使う」という考えからの怒涛のストーリー展開が多く、突然突飛な設定を持ち出すこともある。謎の人物として登場したシルエットが正体を現すと全く違うデザインになっている場合もあるほか、作中で死亡したように描かれたキャラクターをのちに再登場させることもある。車田は「自分の漫画に必要なのは起承転結ではなく、いかに読者を驚かせるかだ」と語っている。 | 作風 | 車田正美 |
2,126 | 241 | 88,562,752 | それが故に物語が途中のまま最終ページに「未完」(『男坂』)や「NEVER END」(『SILENT KNIGHT翔』)といった言葉を載せて事実上完結する作品も多い。車田自身も、「自分にこの職業を与えてくれたことは感謝するが、自分は本当に漫画家に向いているかどうかはわからない」とコメントしている。 | 作風 | 車田正美 |
2,127 | 241 | 88,562,752 | 太字の作品はメディアミックスされた作品車田正美自身の手に拠らない、車田正美を原作者とするスピンオフ作品など。 | 作品リスト | 車田正美 |
2,128 | 242 | 87,179,158 | 高橋 しん(たかはし しん、本名:高橋 真(たかはし しん)、男性、1967年(昭和42年)9月8日 - )は、日本の漫画家。北海道士別市出身。北海道士別高等学校、山梨学院大学法学部法学科卒業。 | __LEAD__ | 高橋しん |
2,129 | 242 | 87,179,158 | 大学1年生の時に第63回箱根駅伝(1987年(昭和62年))で最終10区を走った経験がある(チームはこの時に箱根初出場。総合15位、個人成績は区間11位)。在学中からチームのTシャツのデザインを担当し、その洒落たデザインは他大学は元より高校生にとっても羨望の的であったという。1990年(平成2年)、「好きになるひと」で第11回スピリッツ賞奨励賞を受賞し、「コーチの馬的指導学」(『ビッグコミックスピリッツ冬の増刊号』)でデビュー。その後、新人漫画家に5話程度の短期連載を競わせる企画が『ビッグコミックスピリッツ』であり、高橋も1話を執筆したが、原因不明の疾病で執筆が行えなくなる。1年ほど療養して原因不明のまま治った高橋に連載の話が持ち上がり、編集から短期連載の企画の流用を勧められ、1993年(平成5年)『ビッグコミックスピリッツ』18号から「いいひと。」の連載を始める。 | 略歴 | 高橋しん |
2,130 | 242 | 87,179,158 | 高橋にとっての、各エピソード毎に主人公が変わるという実験的作品(読者はあまり認識していなかったようであった)「いいひと。」は『ビッグコミックスピリッツ』で長期連載された。この作品が原案で制作された連続テレビドラマ『いいひと。』は、平均視聴率20%以上を超える大ヒットとなった。ただし、ドラマ版の『いいひと。』に関して「主人公のゆーじと、妙子のキャラだけは改変しないでください」と条件を出していたにも関わらず、実際には両者とも著しく改変されていたことに激怒し、「原作」のテロップを認めず、最終的には原作の連載をも取りやめてしまったことで知られている。のちに高橋は『さよなら、パパ。』という『いいひと。』登場人物の後日談集を発表している。『最終兵器彼女』はそれまでの一般庶民の生活に密着した作風から、一変したSF色の強い作品である。 | 略歴 | 高橋しん |
2,131 | 242 | 87,179,158 | この作品は大ヒットしアニメ化もされ、2006年(平成18年)2月には前田亜季主演の実写映画も公開された。『好きになるひと』では、画に対するこだわりを見せ、古い作品を全て描き直すという作業をしている。『きみのカケラ』では、少年誌にSFファンタジーで初挑戦している。白泉社の『月刊メロディ』2005年(平成17年)1月号(11月28日発売)より、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』を原作とした「トムソーヤ」を連載、2007年(平成19年)に完結した。2016年(平成28年)から2018年(平成30年)にかけては『ビッグコミックスピリッツ』で駅伝を主題にした「かなたかける」を連載。 | 略歴 | 高橋しん |
2,132 | 242 | 87,179,158 | これらの作品は2006年7月発売の外伝『最終兵器彼女外伝集 世界の果てには君と二人で』に収録された。 | 作品リスト | 高橋しん |
2,133 | 242 | 87,179,158 | 高橋しんの個人事務所。及び、高橋しん作品におけるアシスタントスタッフの総称。通称「しんプレ」。『いいひと』を新連載するにあたって、高橋しんの読切時代のアシスタントさかもとたけしと新人漫画家同士の仲間いけだたかしと共に結成し、事務所を設立。後ちに両者は、退所し独立する。 | SHIN Presents! | 高橋しん |
2,134 | 243 | 88,142,016 | 高屋 奈月(たかや なつき、1973年7月7日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都出身。血液型はA型。1992年、『花とゆめプラネット増刊』(白泉社)に掲載の「Born Free」でデビュー。以来、主に白泉社の『花とゆめ』『別冊花とゆめ』で活動。代表作『フルーツバスケット』は、2001年に同作で第25回講談社漫画賞少女部門を受賞。ほかの代表作に『翼を持つ者』、『星は歌う』、『リーゼロッテと魔女の森』など。 | __LEAD__ | 高屋奈月 |
2,135 | 243 | 88,142,016 | 1991年に「SICKLY BOYは陽に弱い」が第178回花とゆめまんが家コース佳作を受賞。『別冊花とゆめ』(白泉社)に掲載される。翌1992年『花とゆめプラネット増刊』(白泉社)9月1日号に掲載された「Born Free」でプロデビューし、以降白泉社を中心に活動する。1998年から2006年まで『花とゆめ』に「フルーツバスケット」を連載、2001年に第25回講談社漫画賞少女部門を受賞し、同年テレビアニメ化される。後に国外でも発売され、最も売れた少女漫画としてギネス・ワールド・レコーズにも記録される大ヒット作となる。同作連載中に脳神経の病気にかかり、療養のため休載し、約1年後に復帰した。広く腱鞘炎と噂されていたが、自身のTwitterにて「職業性ジストニア」により頭蓋骨に穴をあけた手術を行ったことをツイートしており、その部分だけ未だにハゲがあるとのこと。 | 来歴 | 高屋奈月 |
2,136 | 243 | 88,142,016 | 「フルーツバスケット」の連載終了後も白泉社で作品を発表するかたわら、2008年にはNHK「みんなのうた」8月・9月の曲「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」(作曲:アンジェラ・アキ)のキャラクター原案を手がけている。2013年11月、病気療養のため、「リーゼロッテと魔女の森」の長期休載を発表。12月にはブログを更新し以前患った職業性ジストニアの再発ではないことを明かした。2015年9月、花とゆめONLINE(花LaLa onlineを経て現マンガPark)で「フルーツバスケット another」を連載を開始。2021年11月、東京都の西武池袋本店別館2階の西武ギャラリーにて、画業30周年に向けた展示イベント「フルーツバスケットの世界展〜高屋奈月画業30周年へ〜」を開催。『フルーツバスケット』を軸とした高屋の作品が展示された。 | 来歴 | 高屋奈月 |
2,137 | 244 | 85,629,945 | 竹本 泉(たけもと いずみ、本名・竹本 謙(たけもと けん)、1959年(昭和34年)1月19日 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。男性。血液型はB型。日本大学経済学部卒業。配偶者はマンガ家の矢野礼子。 | __LEAD__ | 竹本泉 |
2,138 | 244 | 85,629,945 | 少女漫画は妹の影響で読み始めた。和田慎二『銀色の髪の亜里沙』の影響を受けて少女漫画を描き始め、「なかよしまんがスクール」に2年間投稿。大学4年次の教育実習時に第21回なかよし・少女フレンド新人漫画賞佳作となった『夢みる7月猫(ジュライキャット)』にて『なかよし』1981年8月号でデビュー。『なかよし』本誌での初連載作品は「パイナップルみたい♥」。 | 経歴 | 竹本泉 |
2,139 | 244 | 85,629,945 | 短編または短編連作型のシチュエーション・コメディを得意としており、ほのぼのとしているがどこか変な話というのが基本的な作風で、これはデビュー当初から掲載誌のジャンルの変遷を経ても一貫している。その作風を端的に表現したものとして「エロとグロのない吾妻ひでお」という評もある。エドガー・ライス・バローズをはじめとしたSFファンで、作品中に著名SF作品を下敷きにしたネタが散見される。またいくつかのSF作品は、宇宙人、コピーされた地球など設定が同じである。各作品世界が同一のものであるかは不明。また、無類の猫好きとして知られ、猫をテーマとした漫画をしばしば描く。猫以外にも犬、イルカ、宇宙人、恐竜なども、よく作品に登場する。2003年まで飼っていた飼い猫のエピソードを漫画化した作品として『ある日のツヴァイ』などもある。飼い猫や作中に登場する猫にツヴァイ、どら菜、ふゅあ菜、ふゅん菜、じーく菜などが頻出する。 | 人物と作風について | 竹本泉 |
2,140 | 244 | 85,629,945 | 『なかよし』の専属契約を離れフリーランスの漫画家となって以降は、ゲーム誌やマニアックな雑誌での作品が増え、現在はほぼその方面で活動する作家である。しかし本人は少女誌の仕事がほとんどなくなった後も、少女漫画家を自称し続けている。趣味は海外SFを中心とした読書と、チェス、アニメ鑑賞、テレビゲーム。ポリシーとして原稿はいつも締め切り前に仕上げる。ただ、毎年11月は休載が慣例となっている。独特のポップな背景、かわいらしい画風を持つ。この作風とペンネームゆえ、かつては女性と誤解されることが多かった。登場人物の台詞と名前、作品タイトルも掛詞や言葉遊びを凝らした独特のものが多い。 | 人物と作風について | 竹本泉 |
2,141 | 244 | 85,629,945 | ヤシの木などの慣れている物であれば、当たりをつけただけの下書きでペン入れしたりするなど、作画のスピードは速く、『エマ ヴィクトリアンガイド』で『エマ』の作者である森薫と対談した際、原稿を描くスピードについて「ネームが決まれば1日半から2日で仕上げまで」と発言して森を絶句させている。月刊で連載をしていた森は2週間程度使っていたが、竹本は更に続けて、森の作品の背景なら密度があるので「もう2日くれって言います」と発言し森を驚愕させた。長年、作画にはGペンを使用していたが、2011年末に遂にモノクロ原稿のみデジタルを導入した。カラー原稿は、少女誌で活動していた頃はカラーインクやエアスプレーを使用していたが、後にコピックやアクリルガッシュに移行。2015年末ごろよりカラー原稿もデジタル化している。 | 人物と作風について | 竹本泉 |
2,142 | 244 | 85,629,945 | デビュー間もない頃からアニメに向いた絵柄という評価があり、フリーランスになってからの掲載誌についてはメディアミックスに注力している雑誌・出版社も少なくないため、作品のメディアミックス展開、とりわけテレビアニメ化については各方面で度々噂が上がった作家である。また、『アニメディア』などのアニメ雑誌が行うアニメ化希望作品についての読者アンケート調査でも、1980年代後半の一時期、『あおいちゃんパニック!』などが上位ランクインの常連作品の一つになっていた事がある。しかし、竹本の原作作品はもとより、竹本が関連する作品についても、テレビアニメ方面で作品展開されたケースは実質的に存在しない。 | メディアミックス展開について | 竹本泉 |
2,143 | 244 | 85,629,945 | わずかにメディアミックス絡みのものとして、1986年から1987年に掛けて倉金章介の『あんみつ姫』をリメイクしたテレビアニメ作品が放映された際に、これに先行する形で『なかよし』では竹本が同作のリメイク漫画作品(以下、竹本版)を連載したことが挙げられるが、このテレビアニメは竹本版とはキャラクターデザイン もストーリーもまるで別物で、特徴的なことと言えば本来アニメ企画用に用意されたオリジナルキャラクターである隣国の若殿様“さくらもち太郎”が竹本版に登場していたという点くらいであった。1980年代には当時の講談社・東映動画の日曜朝の放映枠で『魔法使いさんおしずかに!』がアニメ化候補となったこともあるものの、この時に実際にアニメ化された作品は『はーいステップジュン』であり 制作には至らなかった。 | メディアミックス展開について | 竹本泉 |
2,144 | 244 | 85,629,945 | 1992年にはとあるアニメ制作プロダクションから海洋少女冒険もののアニメ企画のキャラクターデザインの依頼が持ち込まれたものの、竹本曰く「その企画は流れた」という。その後も『MAGI×ES』で、同作に至ってはアニメ化を前提に立ち上げられた企画であったはずにもかかわらず、第2巻のあとがきで登場キャラクターに「全ての企画をなしにしてしまうすばらしくマイナスな魔法力」と言わせており、やはりアニメ化企画が頓挫していることを暗に示している。テレビゲームソフトについては、コンシューマ機用のものを中心に過去に数作発売されている。しかし、企画段階で頓挫した作品、制作中止になった作品も多い。また発売された作品もゲーム性の低いマルチメディア作品が大半である。上述の『あんみつ姫』ではセガ・マークIII用のテレビゲームソフトも制作されているが、こちらのキャラクターもアニメ版に拠るものである。 | メディアミックス展開について | 竹本泉 |
2,145 | 244 | 85,629,945 | ※巻数の記載の無い物は1巻完結。各単行本の出版社は刊行順。「絶版」には品切重版未定を含む。※巻数の記載の無い物は1巻完結。ebookjapan などにて以下の作品が購入可能。 | 作品リスト | 竹本泉 |
2,146 | 245 | 86,309,226 | 寺沢 武一(てらさわ ぶいち、男性、1955年(昭和30年)3月30日 - )は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。 | __LEAD__ | 寺沢武一 |
2,147 | 246 | 88,384,653 | 冨樫 義博(とがし よしひろ、本名同じ、1966年(昭和41年)4月27日 - )は、日本の漫画家。妻は同じく漫画家の武内直子。弟の冨樫(冨樫秀昭)も漫画家。1987年(昭和62年)に『『週刊少年ジャンプ』Winter Special』に掲載された「とんだバースディプレゼント」でデビューし、1989年(平成元年)から『週刊少年ジャンプ』で開始した「てんで性悪キューピッド」で連載デビュー。主に『週刊少年ジャンプ』で活躍。代表作『幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER』『レベルE』はいずれもテレビアニメ化され人気を博している。『幽☆遊☆白書』により1993年(平成5年)、第39回小学館漫画賞少年部門受賞。『週刊少年ジャンプ』誌上において『HUNTER×HUNTER』を不定期連載中。血液型はA型。 | __LEAD__ | 冨樫義博 |
2,148 | 246 | 88,384,653 | ※ 各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。 | 作品リスト | 冨樫義博 |
2,149 | 247 | 88,738,346 | 鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - )は、日本の漫画家、デザイナー。愛知県名古屋市出身、愛知県清須市在住(合併前は清洲町)。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バード・スタジオ)。血液型はA型。妻は少女漫画家のみかみなち。 | __LEAD__ | 鳥山明 |
2,150 | 247 | 88,738,346 | 1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、Dr. | 概要 | 鳥山明 |
2,151 | 247 | 88,738,346 | スランプ単行本の描きおろしページによると、当時は名古屋飛行場(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた。1980年から1990年代の(週刊少年)ジャンプの全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は2022年の現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。 | 概要 | 鳥山明 |
2,152 | 247 | 88,738,346 | 初代担当編集者の鳥嶋和彦は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と述べている。鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている。「当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った」と言い、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している。妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた。尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,153 | 247 | 88,738,346 | 一番影響を受けたのはディズニーアニメであり、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた。幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)のデザイン科に進学した。「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」と言う。1974年に同校を卒業した。高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い地元の広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職したが、平然と遅刻を繰り返したり、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差して約2年半ほど経った1977年1月に退職した。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,154 | 247 | 88,738,346 | 本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」とべている。退職後1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する。投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,155 | 247 | 88,738,346 | 投稿した作品は入賞には及ばないものの、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった。鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,156 | 247 | 88,738,346 | デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で“水田二 期作(みずたに きさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」だと言う。1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、アンケートの結果は最下位であり、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする女性を主人公とした作品だったが、評判が良かったため『週刊少年ジャンプ』での掲載が決まった。1980年に『Dr. | 来歴 | 鳥山明 |
2,157 | 247 | 88,738,346 | スランプ』の連載を開始。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役にしようと考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主役にし、千兵衛は脇役にした。これが功を奏して人気作となり、1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化され、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になるなど大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している。ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り、第6巻は初版220万部を記録した。連載1年目は、睡眠は3日に1回、最高記録となる6日連続徹夜、ペン入れの記憶がない回があるなどと多忙を極めた。アイディアの不足を理由に『Dr. | 来歴 | 鳥山明 |
2,158 | 247 | 88,738,346 | スランプ』の連載終了を相談したところ、「3ヶ月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であり、アンケートで反響も無く人気は低迷していたが、ストーリーの調整を経て、格闘大会天下一武道会で人気が出たのをきっかけに、次々に登場する強敵・難敵との戦闘をメインに据えたシリアスな物語となることで人気を獲得し、1986年から1997年まで放送されたTVアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した。『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,159 | 247 | 88,738,346 | 堀井雄二の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった。なお専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,160 | 247 | 88,738,346 | 鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという。鳥嶋の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,161 | 247 | 88,738,346 | キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている。『ドラゴンクエスト』のキャラクターデザインを初めて堀井雄二と中村光一に見せた際、全てがフルカラーのドット絵で手書きされており、2人とも困惑したという。『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,162 | 247 | 88,738,346 | 1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,163 | 247 | 88,738,346 | 2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スランプ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した。2013年7月から10月まで、『週刊少年ジャンプ』で『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。2017年11月、租税回避に関する流出文書、パラダイス文書に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,164 | 247 | 88,738,346 | この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明したにすぎない。この煽りを受ける形で11月8日に自宅前で『FLASH』の突撃取材に遭い、元々露出を好まない本人の意思とは無関係に顔出しをすることになった。 | 来歴 | 鳥山明 |
2,165 | 247 | 88,738,346 | インクはパイロット製図用インクか証券用インク。ペンはゼブラGペン、たまにコピックペン、ピグマ。着色は昔はルマのカラーインク、現在はほとんどパソコンで、使用ソフトはAdobe Photoshop、たまにCorel Painterを使用。また「ペン入れの際スベスベの紙を使えばスムーズな線が描けることを、ほとんどマンガを書かなくなった最近になって発見。これまで使っていた紙は質が悪かったようでちょっとショック」と語っている。 | 作風 | 鳥山明 |
2,166 | 247 | 88,738,346 | 『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』(1983年5月4日放送)に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている。元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だからという理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている。 | マスコミへの露出 | 鳥山明 |
2,167 | 247 | 88,738,346 | スーパーマーケットなどを見て歩くのが好きだというが、新しくオープンしたスーパーマーケットに行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、それ以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、顔のあからさまな露出も避けるようになった。自画像は『Drスランプ』連載時は普通の人間の顔だったが、のちに擬人化した鳥やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による。 | マスコミへの露出 | 鳥山明 |
2,168 | 247 | 88,738,346 | 1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『鳥山明○作劇場』シリーズに収録されている。 | 作品リスト | 鳥山明 |
2,169 | 247 | 88,738,346 | アシスタントは歴代2人。『Dr.スランプ』連載初期はアシスタントを雇うこと自体知らなかったため、1人で全部描いていた。アシスタントを呼ぶのは1週間に1日だった。 | 関連人物 | 鳥山明 |
2,170 | 248 | 85,528,878 | 永野 のりこ(ながの のりこ、7月5日 - )は、日本の女性漫画家。東京都多摩地区出身。通称「ナガノ」。代表作に『GOD SAVE THE すげこまくん!』『みすて♡ないでデイジー』など。初期に「永野のり子」の表記も使用していた。 | __LEAD__ | 永野のりこ |
2,171 | 248 | 85,528,878 | 東京都多摩地区出身で、作品にときどき多摩地区の方言が現れる。法政大学文学部哲学科卒。同期にほりのぶゆきがいる。ほりは漫画研究会所属だったが永野は所属しておらず、当時面識は無かった。出産早々夫が失業し、自分が漫画で家計を支えようと持ち込みを始める。子供を背負って持ち込みをし、気の毒がられたというエピソードがある。彼女を最初に担当した編集者は徳間書店の大塚英志だった。1985年に『Sci-Fiもーしょん!』(『月刊少年キャプテン』)でデビュー。『アニメージュ』の投稿コーナーの左枠に描かれている『まじょっ子ソンソン』は、同誌で最も長い連載作品である(1987年8月号付録及び11月号読切、1988年1月号より現在まで連載)。1992年末から『ヤングマガジン』で連載した『GOD SAVE THE すげこまくん!』で大きな人気を博した。 | 経歴 | 永野のりこ |
2,172 | 248 | 85,528,878 | 同作品のドラマCDでは作者の歌唱によるオリジナルソング「ラジオボーイ」を聞くことができる。近年は作中でカトリックについての言及が見られる。一人娘はオタク系バンド「Little Non」(2011年2月解散)のボーカルとして活躍し、現在はソロのシンガーソングライター、造形・縫製作家として活躍中の 永野希 である。産経新聞火曜日に連載されていた子育てエッセイ漫画『ちいさなのんちゃん』の主役でもある(「おかっぱ少女」として描かれている)。 | 経歴 | 永野のりこ |
2,173 | 248 | 85,528,878 | 見やすい絵柄と破天荒なストーリー展開(ファンからは「ナニなアレ」と称される)、その裏に隠されたリリカルさが魅力で、著名漫画家にもファンが多い。主役がコミュニケーションが苦手で、社会から疎外され気味の立場に置かれていることが多く、その主役がもがき苦しみ、傷つきながらも最終的に何らかの形で他者との交流を築き上げていくことが作品のメインテーマとなっていることから、「ナガノに救われた」と共感・感動させられる読者も少なくない。熱心なファン・読者は「ナガノ者(もの)」と称されることが多い。いわゆるメガネ男子好きであるため、ほぼすべての作品に眼鏡をかけた少年が主要人物として登場する。また、おかっぱ(ボブ)の女の子の登場頻度も高く、初期の作品は少年が歪み切った愛情表現としてこの女の子をいじめる(そして最終的には結ばれる)というパターンのものが多い。 | 作風 | 永野のりこ |
2,174 | 248 | 85,528,878 | 脇役キャラも、黒髪ロングの少女、茶髪の少女、ショートカットの少女、ウェーブのかかったロングヘアの少女、細身の少年、マッチョで角刈りの少年、お下げ髪でメガネの少女など、ある程度見た目と性格のパターンが固定化されている。漫画を描くことについては母から大反対された。そのため母との折り合いが悪くなり、永野が漫画家としてヒットを飛ばしてからも決してその活躍を認めなかったという。そのため、娘の希は「メガネくんはつらい現状から逃避しようとする母、おかっぱ女性はそんな自分を許し癒そうとするもうひとりの母」であると語っている。当初はタッチの荒い少年漫画調の絵柄であったが、1990年代前半からベタ塗りを多用したレディースコミック調に変化し、現在はスクリーントーンを多用したアニメ調の絵柄となっている。SF・特撮ファンでもあり、作中どさくさにまぎれて、ウルトラ怪獣等が多く登場する。 | 作風 | 永野のりこ |
2,175 | 248 | 85,528,878 | 同嗜好の唐沢なをきによる「怪獣王」では、全体の1/3を占めるロング対談の相手をつとめ、怪獣ものTV番組や映画に関する思いを吐露しており、臨月でオールナイトの「ウルトラQ」上映会に参加したエピソードなどのほか、「(怪獣が)もう、好きで好きで、大人になっても好きで好きで、好きで好きで、好きで好きで、好きで好きでしょうがないんですよね」という、誤植と見まがうほどの熱烈な発言まで見られる(対談の文字起こしは唐沢よしこ)。また自身の作品『GOD SAVE THE すげこまくん!』のドラマCDはサブタイトルが「ウルトラ総進撃」となっており、円谷プロダクションの協力により、文字通り多数のウルトラ怪獣が登場する。音楽ではニュー・ウェイヴやテクノポップが好きであり、作品中でもネタとして登場する。好みの男性はディーヴォのマーク・マザーズボーである(メガネが特徴の人物である)。 | 作風 | 永野のりこ |
2,176 | 248 | 85,528,878 | 非常にシャイな性格であり、一度発表し雑誌等に掲載した作品を「恥ずかしい」といってお蔵入りにすることもあるため、連載作品でも単行本未収録が数話ある。2010年2月11日、『ちいさなのんちゃん すくすくマーチ 新装丁版』の発売に合わせ、サイン会、Little Nonバレンタインスペシャルライヴイベントが六本木ヒルズにて開催された。 | 作風 | 永野のりこ |
2,177 | 248 | 85,528,878 | 父が福島県双葉町の帰還困難区域であることから、やなせたかし等の協力を得て早くから東日本大震災に伴う原発事故被害地域への慈善活動に取り組んでおり、その一つおきあがりこぼしプロジェクトでは一本木蛮とともにウクライナへも渡航した。 | 慈善活動 | 永野のりこ |
2,178 | 249 | 87,129,333 | 聖 悠紀(ひじり ゆき、1949年12月21日 - )は、日本の男性漫画家。本名は長谷川 清俊(はせがわ きよとし)。『くるくるパッX』など一部の作品ではひじり悠紀や聖 ゆきの表記が使われていた。SF漫画を中心に執筆しており、代表作に『超人ロック』シリーズなど多数。 | __LEAD__ | 聖悠紀 |
2,179 | 249 | 87,129,333 | 新潟県新発田市出身で、小学生時代は三条市や新潟市など新潟県内を転々としていた。中学3年生で愛知県名古屋市に引っ越し、高校進学後に石森章太郎の「マンガ家入門」を読んだことがきっかけとなって、漫画を描くようになる。高校2年の時、貸本屋で借りた「ボーイズライフ」に掲載されていた作画グループの会員募集を見て会員になり、1967年(昭和42年)にグループの肉筆回覧誌に掲載するため送った作品が後に代表作となる『超人ロック』の1作目「ニンバスと負の世界」で、これにより一挙に会員の注目を集めた。大学に進学すると学業の傍ら漫画にも没頭し、春・夏・冬の休みには当時大阪府にあった作画グループの本部に1週間以上も泊まり込んで漫画漬けの生活を送ったという。当時からグループ代表のばばよしあきの他にみなもと太郎とは深い親交があり、長らくグループ内では「トリオ・ザ・サクガ」の名で呼ばれていた。 | 略歴 | 聖悠紀 |
2,180 | 249 | 87,129,333 | 1969年に『超人ロック』の第2作である「この宇宙に愛を」、1970年には第3作「ジュナンの子」を完成させたが、「ジュナンの子」は肉筆回覧誌には収録されず、グループが当時貸本漫画向けに刊行を始めた「作画グループシリーズ」第2弾として発刊され、全国規模でファンを獲得することになった。さらに肉筆回覧誌に収録された「この宇宙に愛を」が編集者の目に止まったことがきっかけとなり、1971年に小学館の「別冊少女コミック」から『うちの兄貴』でデビュー。少女漫画家として活動するようになり、1973年には上京。そのような状況の中『超人ロック』の熱烈なファンの声に押された作画グループ代表のばばよしあきの説得もあって、1974年に第4作「コズミックゲーム」を発表。新たなファンを獲得したものの、活動の場を少女漫画から特撮やアニメのコミカライズなど「テレビ漫画」の分野に移す結果を招いた。 | 略歴 | 聖悠紀 |
2,181 | 249 | 87,129,333 | 当時関わった作品では、アニメのキャラクターデザインも担当した『闘将ダイモス』などが知られている。1977年に『超人ロック』の特集が「月刊OUT」で組まれ、同誌の別冊「ランデヴー」で「新世界戦隊」が連載された。これは初の『超人ロック』の商業連載で、その後は少年漫画誌などを主な活動の場としている。漫画家となるきっかけになった作画グループではその後も活動を続け、多数の会員が集まって一つの漫画を制作する「合作」にも参加していた(後述)。2017年11月に慢性副鼻腔炎の手術を受けた。術後の経過診断のための診察時に倒れて心停止となった。蘇生に成功するが昏睡状態となり、その後12月に心臓の外科手術を受けた。術後2ヵ月入院し、2月初頭の退院直後に「まだ以前のようには動けない」旨とリハビリ中であることを自身のTwitterアカウントにて発表した。単行本と画集の発売も遅れたが、画集は同月中に刊行された。 | 略歴 | 聖悠紀 |
2,182 | 249 | 87,129,333 | また、当時連載中の『超人ロック 鏡の檻』と『超人ロック ガイアの牙』は5ヵ月間休載となった。2020年6月10日、パーキンソン病で闘病中であることを公表した。 | 略歴 | 聖悠紀 |
2,183 | 249 | 87,129,333 | 子供向けテレビ番組を幼年誌へ掲載するために漫画化したもの(内部リンクは大元のテレビ番組に対してなされている)。 | コミカライズ作品 | 聖悠紀 |
2,184 | 249 | 87,129,333 | 主に登場キャラクターの一人を作画している。初期には主人公やヒロイン担当も多い。詳細は各記事を参照。 | 作画グループ合作 | 聖悠紀 |
2,185 | 250 | 88,021,102 | 日渡 早紀(ひわたり さき、1961年(昭和36年)7月5日 - )は日本の漫画家。神奈川県出身。血液型はB型。代表作に『ぼくの地球を守って』など。 | __LEAD__ | 日渡早紀 |
2,186 | 250 | 88,021,102 | 実家は書店。1981年(昭和56年)、「魔法使いは知っている」で白泉社の第6回アテナ大賞第2席を受賞。この作品が1982年(昭和57年)『花とゆめ』(白泉社)第4号に掲載され、デビュー。なお、この作品は早紀シリーズ第1話として位置付けられている。 | 来歴 | 日渡早紀 |
2,187 | 250 | 88,021,102 | ※ 発表年は掲載誌の号数に準拠。単行本は花とゆめコミックス、文庫版は白泉社文庫、愛蔵版はジェッツコミックスより刊行(全て白泉社)。 | 作品リスト | 日渡早紀 |
2,188 | 251 | 88,898,972 | 藤島 康介(ふじしま こうすけ、1964年7月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都生まれ、千葉県出身。千葉県立成東高等学校卒業。妻はコスプレイヤー・タレントの御伽ねこむ。1986年に『コミックモーニング』(講談社)掲載の「MAKING BE FREE!」でデビューし、同年に『モーニングパーティー増刊』(同)で開始した『逮捕しちゃうぞ』で連載デビュー。他に代表作として『ああっ女神さまっ』がある。『月刊アフタヌーン』(同)誌上において『トップウGP』を連載中(2021年3月現在)。 | __LEAD__ | 藤島康介 |
2,189 | 251 | 88,898,972 | 江川達也のアシスタントを経て、『コミックモーニング』(講談社)1986年8号掲載の「MAKING BE FREE!」でデビュー。1986年より『モーニングパーティー増刊』(同)に『逮捕しちゃうぞ』、1988年より『月刊アフタヌーン』(同)に『ああっ女神さまっ』を連載。いずれも人気作となり、アニメ化、映画化されている。また『サクラ大戦シリーズ』『テイルズ オブ シリーズ』をはじめとするゲーム、アニメ作品のキャラクターデザインやイラストなどでも人気が高い。2008年11月、『good!アフタヌーン』(同)初号にて、『ああっ女神さまっ』より20年振りの新連載『パラダイスレジデンス』が開始した。2009年5月12日、『ああっ女神さまっ』で第33回講談社漫画賞一般部門を受賞。 | 来歴 | 藤島康介 |
2,190 | 251 | 88,898,972 | 子供の頃読んだ松本零士の漫画に影響を受け、漫画家を志すようになった。1980年代前半の一時期に漫画情報誌『ぱふ』の編集者もしており、同誌で4コマ漫画『(ぱ)の洋子ちゃん』を南田 洋名義で連載していた。南田名義では同人活動もしており、所属サークル名は「ワルキューレ」。同時期に千葉県内で初めて開催された同人誌即売会『ライブ・マガジン・フェスティバル(LMF)』の案内カタログに、スタッフ漫画を描いていたこともある。オートバイマニアで、作品中でもバイクに関わる話が頻繁に描かれる。車もフェラーリ・360モデナ、ケーターハム、アルファロメオ・156、ロータス・エランS3(漫画家の田中むねよしより購入)を所有。自転車やプラモデルにも造詣が深い。2014年に前妻と離婚。2016年6月29日、コスプレイヤー・タレントの御伽ねこむと結婚したと報じられた。 | 人物 | 藤島康介 |
2,191 | 251 | 88,898,972 | なお、2016年7月21日発売のPlayStation 4用ロールプレイングゲーム『クロバラノワルキューレ Black Rose Valkyrie』は藤島がキャラクターデザインを務めており、御伽が一之宮ルナ役で声優として初出演している。2016年7月7日、自身の誕生日であるこの日にTwitterで結婚を報告した。同年7月27日、前日26日に御伽との間に第一子が誕生したことを双方のTwitter及び御伽の公式ブログを通じて報告した。 | 人物 | 藤島康介 |
2,192 | 252 | 88,097,236 | 山下 和美(やました かずみ、1959年8月15日 - )は、日本の漫画家。北海道小樽市出身。女性。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。横浜国立大学教育学部中退。 | __LEAD__ | 山下和美 |
2,193 | 252 | 88,097,236 | 1980年、『週刊マーガレット』(集英社)でデビュー。当初は少女漫画誌で活動していたが、その後は青年漫画誌である『モーニング』(講談社)に活動の場を移して人気を博す。代表作に、大学教授の父親・古瀬大六を主人公のモデルとした『天才柳沢教授の生活』、マーク・トウェインの同名の小説から着想を得た『不思議な少年』など。2003年、『天才柳沢教授の生活』で第27回(平成15年度)講談社漫画賞一般部門を受賞。2011年時点、『モーニング』と『モーニング・ツー』以外では、『YOU』(集英社)で『寿町美女御殿』を経て、『数寄です!』を掲載している。2021年3月より画業40周年を記念して「山下和美 画業40周年記念原画展」開催。2021年4月 『ランド』で第25回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。 | 経歴 | 山下和美 |
2,194 | 253 | 86,424,062 | 和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふみ)、1950年4月19日 - 2011年7月5日)は、日本の漫画家。広島県呉市出身。代表作『スケバン刑事』はTVドラマ化・映画化もされるなど高い人気を得た。その他の代表作に『超少女明日香』、『怪盗アマリリス』、『ピグマリオ』、『少女鮫』などがある。漫画原作者・挿絵画家としての仕事も手がけた。 | __LEAD__ | 和田慎二 |
2,195 | 253 | 86,424,062 | 1971年、東海大学在学時に「パパ!」(『別冊マーガレット』9月号)でデビュー。大学卒業後の1974年に作品『キャベツ畑でつまずいて』の中で、日本で最初に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を使ったといわれている。集英社『別冊マーガレット』、白泉社『花とゆめ』などの少女誌で主に執筆していたが、『少女鮫』の終了後、少年誌やミステリー・ホラー誌などを中心に執筆。その後、白泉社と決裂して版権を引き上げ、メディアファクトリーから新作や過去の代表作を新装出版した。2011年7月5日、虚血性心疾患のため自宅で死去。61歳没。秋田書店の月刊少女漫画誌『ミステリーボニータ』にて連載中だった『傀儡師リン』(コミックス既刊14巻まで)が遺作となった。 | 略歴 | 和田慎二 |
2,196 | 253 | 86,424,062 | ジャンルは少女漫画に分類されるが、作風としては壮大なファンタジーに加えて大胆なアクションを取り入れたものが多い。『スケバン刑事』は根強い人気がある作品であり、コミックは累計で2000万部を超えている。また、実写作品としてシリーズでテレビドラマ化されている。1985年にフジテレビと東映の制作により主人公・麻宮サキを斉藤由貴が演じた第1シリーズは和田の意向がほとんど反映されず、和田自身が納得のいく内容ではなかったが高視聴率作品となった。以後、麻宮サキ役は南野陽子、浅香唯が演じてこれらのシリーズも高視聴率を記録し映画版も作成されるなど好評だった。なお、和田は『II』のみ好意的な評価を下している。テレビシリーズ3作目において、和田は「ただのスケバンが強い敵を倒すのが『スケバン刑事』の面白さだ。スーパーヒーローものがやりたければ他でやれ!」「自分の為だけに闘うヒロインがあるか? | 作品について | 和田慎二 |
2,197 | 253 | 86,424,062 | なぜ学生刑事が生まれてきたのかを理解していない!」と激怒し、その後は『スケバン刑事』の新作のオファーが来ても断っていた。しかし主役が大ファンだった「あやや」ならということで映画化を許諾し、テレビシリーズ終了後の2006年には4代目となる主人公・麻宮サキを松浦亜弥が主演、深作健太監督作品として映画化された。和田の作品には、一度出演したキャラクターが後の作品で再登場する例がたびたびある。例として、代表作の『スケバン刑事』では神恭一郎、海堂美尾、沼重三、スガちゃんなど。これらのキャラクターは彼の他の作品にも登場しており、特に神恭一郎は和田がデビュー当時より執筆を続けていた単発読切シリーズの一つである『神恭一郎シリーズ』の主人公である(なお、『スケバン刑事』の第二部は、『神恭一郎シリーズ』の完結編という意味合いも持つ)。 | 作品について | 和田慎二 |
2,198 | 253 | 86,424,062 | 『スケバン刑事』終了後は神は死亡したとして、同作品のキャラクターだったムウ・ミサが探偵事務所を引き継いだ。沼重三は『大逃亡』ではヒロインの江木真里亜を追い詰める保護司として悪役を演じていたが、ヒロイン・麻宮サキの担任教師となった『スケバン刑事』では彼が真里亜の墓参りをする場面が存在し、物語が地続きであることが明かされる。さらに沼重三は作中で出会った渡辺由梨を妻に迎えた後、彼女とともに『超少女明日香シリーズ』にも出演している。スガちゃんは、『スケバン刑事』後は『怪盗アマリリス』で主人公宅のお手伝いさんとしてレギュラー出演している。「シリーズ 風がめざめる時代(とき)」三部作の藤野病院とその院長である藤野医師は『スケバン刑事』、『怪盗アマリリス』にも同様の役柄で登場する。 | 作品について | 和田慎二 |
2,199 | 253 | 86,424,062 | 和田自身もデビュー初期の兄貴シリーズから、漫画家の「岩田慎二(いわた しんじ)」通称「岩(がん)さん」や「ヒゲクマ」の名で劇中に登場することが多く、実写でもヨーヨー売りの男性役で映画『スケバン刑事』(1987年)にカメオ出演している。和田は手塚治虫のスター・システムを積極的に継承している漫画家のひとりである。しかも人間の顔に関する二通りの考え方(「顔が似ているから性格も似ている」と「顔は同じであるが性格はまったく違う」)のどちらも取り入れている。例えば、『怪盗アマリリス』の黒沢ゆかりと『超少女明日香 黄金のドクロが笑う』の黒百合島のアッパラパー娘は同じ性格・同じ役割を持つのに対し、『恐怖の復活』の鳴海麻矢と『スケバン刑事』の鳴海碧子は、まるで違う役柄を演じ分けた例である。 | 作品について | 和田慎二 |
2,200 | 253 | 86,424,062 | 『少女鮫』の石動医師と『Lady Midnight』の木場刑事、『怪盗アマリリス』の麻丘社長と『傀儡師リン』のバイオリニスト麻丘雅(これに関しては名前が一緒)も、一人の役者が異なる役を演じていると考えることができる。海堂美緒は『バラの追跡』では神の親友・西園寺京吾を父の敵として闘うが、『バラの迷路』では夫婦であり敵という関係になっている。また、『愛と死の砂時計』では一見正直者だが実際は強欲な老人だった用務員が、『スケバン刑事』ではサキの母ナツの昔馴染であり、サキのおしめを替えたこともあると語る好々爺として描かれた。また、『超少女明日香』に登場する芙蓉夫人のスパイ・八雲は、『スケバン刑事』では信楽老の部下、『怪盗アマリリス』ではマナベプロの新社長・八雲翔、『傀儡師リン』では阿積美保の弟・阿積八雲として出演した。 | 作品について | 和田慎二 |
2,201 | 253 | 86,424,062 | 『呪われた孤島』で悪魔の女医・日下部亜矢の悪行を知りながら愛する助手・遠藤は『騎士よ...』ではドン・キホーテ(と自らを思い込んでいる月面基地司令官)のお供として活躍を見せた。 | 作品について | 和田慎二 |
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