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パブリックドメイン
なお、ある法域で成立した知的財産権の効力は当該法域でしか及ばないため(属地主義)、知的財産権の処分(譲渡、放棄など)は法域ごとに可能である。したがって、ある法域で知的財産権が放棄され知的財産権が消滅しても、他の法域において消滅しているとは言い切れず、専ら放棄当時の著作権者の意思に基づき判断せざるを得ないし、同じ対象につき法域により権利者が異なる場合は、放棄の効力は当然に他の法域に及ぶわけではない。 以上、財産権としての知的財産権は放棄可能であるのが原則であるが、ドイツ著作権法の下では著作権の放棄はできないものと理解されている。ドイツにおける Urheberrecht という概念(著作権と訳されることが多いが、実際には日本法の著作者の権利に相当する)は、財産的権利と人格的権利が一体をなす概念として理解されており、そのような権利を他人に譲渡することはできないためである(ドイツ著作権法29条1項)。そのため、著作権が放棄された場合は、不特定多数の者に対して著作物の利用権を設定した状態と理解されることになる。 財産権としての著作権のほか、ベルヌ条約や多くの国の著作権法により人格権としての著作者人格権が保護されている。そのため、著作物についてパブリックドメインと言えるためには著作者人格権が消滅していることも必要ではないかとの議論をする者もいる。 アメリカ合衆国の著作権法には、一定の範囲の視覚芸術著作物を除き著作者人格権を保護する旨の規定が存在しない。これに対し、他の国ではベルヌ条約の要請もあり著作権とは別に著作者人格権の制度を著作権法に取り込んでいる。著作者人格権についてはその放棄を認めている国もあるが、日本においては、反対説もあるものの放棄はできないと伝統的に解されている(人格にかかわる権利であるため)。そのため、日本においては著作権を放棄しただけでは著作物は厳密にはパブリックドメインの状態になったとは言えないとの誤解に基づく。
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パブリックドメイン
しかし、アメリカにおいても、著作者人格権は、伝統的に著作権法に基づく権利とは理解されていなかっただけであり、同一性保持権や氏名表示権は不正競争防止法 の不正表示禁止に関する規定などにより実質的に保護されているなど、コモン・ローにより人格権が保護されているという説明がされている。つまり、著作者人格権という呼称が与えられている権利が、著作権法制の枠内にあるか否かという問題に過ぎない。したがって、著作者人格権の問題はパブリックドメインという概念を受け入れるか否かとは別問題である。ただし、ドイツでは著作権の放棄ができないがゆえに、ドイツ法では著作権放棄に基づくパブリックドメインの状態は成り立たないのは、前述のとおりである。 しかし、日本においては著作者人格権の相続は否定されるものの(民法896条但書)、法は一定範囲の遺族や遺言で指定された者に対して故人の人格的利益の請求権を有することを認めている(著作権法116条)。さらには、著作権の保護期間が経過しかつ遺族や遺言で指定した者が存在しなくなった場合でも、著作者が存しているとすればその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならず(著作権法60条)、違反者に対する罰則もあるが(著作権法120条)、それをもって著作物がパブリックドメインの状態にはないという議論はされていない。 しかし、日本法では著作者人格権の制度があるから著作権放棄に基づくパブリックドメインはあり得ないとの議論は、後述のパブリックドメインソフトウェアが日本で存在し得るかという問題に関連して、アメリカの法制度を理解していないプログラマーとその周辺で問題になったことがほとんどであり、知的財産権の専門家の間ではそのような問題自体議論されていない。
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パブリックドメイン
しかし、日本法では著作者人格権の制度があるから著作権放棄に基づくパブリックドメインはあり得ないとの議論は、後述のパブリックドメインソフトウェアが日本で存在し得るかという問題に関連して、アメリカの法制度を理解していないプログラマーとその周辺で問題になったことがほとんどであり、知的財産権の専門家の間ではそのような問題自体議論されていない。 日本においては、1990年代以前のいわゆるパソコン通信において、ネットワークを通じて配布される(オンラインソフトウェア)無料のソフトウェアをPDS (Public Domain Software) と呼んでいたことなどがあった。しかし、その実態としては、単に著作物の利用に関して著作権を行使しないことのみをもってパブリックドメインであると宣言したり、著作権表示を行いつつもパブリックドメインである旨の宣言をしている場合も多かった。この場合は、厳密には著作権自体は存続しており(パブリックドメインという語の用法を間違えているに過ぎないため)、単に著作権の行使を控える旨の宣言にとどまるので、権利放棄に伴う著作権の消滅があったことにはならない。 また、日本の著作権法の下では、国の機関などが一般に周知させることを目的として作成した広報資料などは刊行物への転載が可能であり(著作権法32条2項本文)、それゆえにパブリックドメインであるという誤解がされることがある。しかし、許諾なしに認められるのは「転載」や転載のための「翻訳」(著作権法43条2号)だけであり、翻訳を除く翻案については許諾が必要なので、著作権の保護の対象である。したがって、パブリックドメイン(=著作権が存在しない)であるとは言えない。 権利者として作品をパブリックドメインに置きたい著作者や、既にパブリックドメインとなっている作品にその旨標記したい場合がある。しかしながら前述のように解釈の問題が数多いため、実行の壁は高い。クリエイティブ・コモンズは万国共通の「CC0」と「PDM」を提供して、この障壁の低減を図っている。 著作権が切れパブリックドメイン化したにもかかわらず、元権利者が権利を主張したり、利用者側が「許諾」を得たり支払う必要のない使用料を支払う例が存在するとして、福井健策弁護士が問題提起している。
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パブリックドメイン
著作権が切れパブリックドメイン化したにもかかわらず、元権利者が権利を主張したり、利用者側が「許諾」を得たり支払う必要のない使用料を支払う例が存在するとして、福井健策弁護士が問題提起している。 著作権が消滅した著作物の活用事例として、電子図書館における著作物の収集活動が挙げられる。近年の情報技術の発達、インターネットの普及を受けて、著作物をデジタル化し、インターネットを介して誰でも閲覧することを可能とするものが多い。しかし、著作権の保護期間を延長する法改正が各国で相次いでいることから、その存続が危ぶまれているものも存在する。また、格安DVDソフトの製造販売のように、著作権が消滅しても依然として経済的価値を有する著作物(映画の著作物など)の流通によって、収益を図ろうとする事業も存在する。 特許が切れた医薬品は複数の会社から後発医薬品として販売されることで価格が低下する。 特許権消滅後に普及した工業技術としてフェネストロンなどがある。
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記録
記録(きろく)は、安定した形で定着・保存された状態にある情報である。会議の議事録が、会議の終わった後にも残るように会議中の発言を文書などの形にして保存するのがこの例である。 人類が意図的に残し、現存する、最古の記録と思われるのは、洞窟に残された壁画と推察されている。 もっとも、これらの壁画は何かの情報を保存する目的のものであったのかどうかは疑わしい。呪術などに用いられたものではないかとする説などもある。 文字に近い記録に限った場合には、古代メソポタミア文明における楔形文字が最初の例とされる。 紀元前8000年頃から、シュメール人は小さな粘土の板に記号化された絵のようなものを記し、物財の管理や分配をする際の助けにしていたとされる。表現の対象となったのは例えば、羊、一定量の油や穀物などである。 ただし、この粘土板を用いた記録の初期形態は、文字として今日、我々が考えるものとはやや異なっている。この小さな板は、ちょうどコインのようなもので、容器に入れて持ち運ばれ、羊の量と羊を描いた板の数が比例する、という形で用いられていた。 時と共に、平らな粘土板に複数の文字を並べる習慣が広まり、またそれらの文字とは独立して頭数や量を表す数字が発明された。さらに、表意文字としての性格を帯びるようにもなった。 ちなみに、メソポタミアの文字文化は、シュメール人の後に現れたアッカド人、バビロニア人にも受け継がれ、成文法の最初の例として知られるハンムラビ法典を生み出した。 このバビロニアはエジプト文明に影響を与え、ヒエログリフの使用のきっかけとなった。そしてエジプト文明は古代ギリシア文明に影響を与えたとされる。 文字による記録を行う社会と、口承によって物事を伝達する社会とでは人々の人間関係、物事の考え方、時間や世界に対する構えなどが異なる、という研究がある。正確な保存のために記録をとるという発想が文字の文化だ、という説も、そこからは導き出せる。 また、記録の仕方によっても人や社会が影響を受けるとする考察もある。例えばハロルド・イニスは、エジプトのパピルスが粘土板に代わって記録に用いられるようになったことで人々の思考も軽くなった、と論じている。
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合理主義哲学
合理主義哲学(ごうりしゅぎてつがく、英: Rationalism)は、17-18世紀の近代哲学・認識論における一派。大陸合理主義(英: Continental Rationalism)、大陸合理論とも呼ばれる。 大陸合理主義の思想的内容は、通常、当時のイギリスにおいてロック、ヒュームらによって担われていたいわゆるイギリス経験論との対比で、ヨーロッパ大陸側の傾向として理解される。イギリス経験論において人間は経験を通じて様々な観念・概念を獲得すると考えるのに対し、大陸合理主義においては、人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつと考える。 また、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹しようとする演繹法が真理の探求の方法とされた。 17世紀、フランスのデカルトに始まり、オランダのスピノザ、ドイツのライプニッツやヴォルフ、フランスのマールブランシュなどによって継承・展開された。 今日広く普及している西洋哲学史観では、18世紀にカントによって合理主義と経験論の総合が行われたという見方がなされている。
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合理主義哲学
また、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹しようとする演繹法が真理の探求の方法とされた。 17世紀、フランスのデカルトに始まり、オランダのスピノザ、ドイツのライプニッツやヴォルフ、フランスのマールブランシュなどによって継承・展開された。 今日広く普及している西洋哲学史観では、18世紀にカントによって合理主義と経験論の総合が行われたという見方がなされている。 大陸合理主義のルーツは、スコラ学、ひいてはアリストテレス(の『オルガノン』(論理学))や『ユークリッド原論』(数学・幾何学)にある。アリストテレスは、「蓋然的」な要素を排除した、「真にして第一の前提」(第一原理)から演繹的に構築される、厳密に形式化され、自己完結した体系(恒真(apodictic)的な「論証」(demonstration))しか、「学知」(エピステーメー)としては認めなかった。そうであればこそ、「学知」は他の経験的な思い込みとは区別され、信頼に足る普遍的・汎通的な知の体系としての地位を保証されることになる、という発想である。数学(幾何学)の基礎を築いた『ユークリッド原論』もまた、絶対的な「公理」「公準」をまず設定し、自己完結的に形式化された体系を導く構成になっている。これが西洋の「学知観」に決定的な影響を与えており、大陸合理主義(やカント)もその延長線上にある。また、もちろんこのような営みを可能たらしめるためには、経験によらずに先天的(アプリオリ)にそれを進めていける能力、すなわち「理性」が人間に付与されているはずだという、ある種の「信念」「信仰」を必要とする。したがって、ここで言う「合理主義」は、「形式主義」とか「(自己)完結主義」、あるいは「理性主義」などとも言い換えることができる類のものである。逆に、フランシス・ベーコン、イギリス経験論、自然科学(実証主義)などは、このような拙速な「形式主義」「自己完結主義」「理性主義」から離れ、着実にこの物理世界の「内実」「真相」に近づき、解き明かしていける道を求めて、踏み出して行った流れであると言える。
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合理主義哲学
等々、我々が少し考えてもわかるように、この大陸合理主義には多分に怪しさが孕まれているし、自然科学が発達した現代においては、経験主義・実証主義の方が信頼に足るということは自明だと言える。とりわけこういった問題は、形而上学分野において、深刻かつ顕著に現れる。実際当時も独断論が乱立し、収拾がつかない状態になっていた。そこでイマヌエル・カントは、大陸合理主義から「理性」に対する「信仰」を継承し、「理性」が実在することを前提としつつ、その性質の批判(吟味)から出発する一方、あらゆる認識は経験から始まることを認め、しかしながら「理性」の働き自体は感性界(物理世界・因果律)のみに留まらず、そこを超えた叡智界の自己完結的「道徳法則」を生み出すにまで及ぶ、といった具合に、合理主義と経験主義のある種の「折衷案」を考え、大陸合理主義的な「形式性」「自己完結性」、そして「理性への信頼・信仰」を、保全しようとした。そういった現実度外視の規範的・自己完結的な社会思想家・哲学者、あるいは神学者などを除けば、大陸合理主義の継承と言えるものは、元々それと相性がいい分野、すなわち「論理学」「数学」分野にしか事実上ない。とりわけ19世紀から20世紀にかけて、ジョージ・ブール、ゴットロープ・フレーゲ、バートランド・ラッセル、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、ダフィット・ヒルベルト等々の人々による成果として、「論理と数学の統合」(数理論理学、数学の論理主義)や、その「形式化」(形式主義)が進むと、もはや論理や数学は、現実の物理世界との一致性や、実用性、意味、直観などを一切度外視した、形式的な「公理と推論規則」のみから成り、ブツ切れのまま情報空間に漂う自己完結的な「系」「ゲーム」群としての容貌を整えていくことになり、ある面で大陸合理主義、ひいてはアリストテレスやユークリッドの「正統な後継者」としての様相を呈するようになっている。(とはいえ、その「ゲーム」の遂行者たる人間なりコンピュータなりが、「経験」や「実装」を通じて、そのルールを身に付けなくてはならない、そして、同じようにそれを身に付けたプレイヤー達との「共通前提」「共通プロトコル」を通じてのみ、「言語ゲーム」としてそれをやりとりできるようになるという点では、相も変わらず経験主義的批判の範疇内にいることに変わりは無い。)
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ミュージシャン一覧 (グループ)
ミュージシャン一覧(グループ) (ミュージシャンいちらん(グループ))は、ミュージシャン、音楽家のグループ名の50音順の一覧。 なお、「The」のつくアーティストは「The」を省いて紹介している。 参照:音楽家、音楽家の一覧(クラシック音楽をもっぱら専門とする音楽家は除く) 「日本の男性アイドルグループの一覧」、「日本の女性アイドルグループの一覧」については、各々同項目を参照。 (ポピュラー) (フォルクローレ) 日本 (タンゴの楽団) (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2000年代) (2010年代) (ポピュラー) (フォルクローレ) 日本 (ヒップホップ) (その他) (2000年代) (2010年代) (ポピュラー) 日本 (ポピュラー) (2000年代) (2010年代) (ポピュラー) 日本 (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2000年代) (2010年代) (2020年代) (ポピュラー) (タンゴの楽団) (フォルクローレ) (ロマ音楽) 日本 (タンゴの楽団) (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2000年代) (2010年代) (ポピュラー) (パゴーヂ) (フォルクローレ) (ロマ音楽) 日本 (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2010年代) (ポピュラー) (タンゴの楽団) (フォルクローレ) 日本 (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2010年代) (ポピュラー) (パゴーヂ) (フォルクローレ) 日本 (ヒップホップ) (その他) (2010年代) (ポピュラー) (フォルクローレ) 日本 (2010年代) (ポピュラー) (ロマ音楽) 日本 (2010年代) (ポピュラー) 日本 (ヒップホップ) (その他) (2010年代) (2020年代) (ポピュラー) (フォルクローレ) (ロマ音楽) 日本 (アイドル) (ヒップホップ) (その他) (2010年代) (ポピュラー) 日本 (アイドル) (その他) (2010年代) (ポピュラー) 日本 (2010年代) (ポピュラー) (パゴーヂ) 日本 (ヒップホップ) (アイドル) (その他) (2010年代) (ポピュラー) (ロマ音楽) 日本 (アイドル) (その他) (2010年代) (ポピュラー) 日本 (アイドル)
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
「イエスタデイ」(Yesterday)は、ビートルズの楽曲である。1965年8月6日に発売された5作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ヘルプ!』に収録された。アメリカでは1965年9月13日にシングルで発売されたのち、1966年6月20日に発売されたキャピトル編集盤『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、ポール・マッカートニーが単独で書いた楽曲で、弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードをビートルズ名義で初めて発売した楽曲となっている。 世界中のミュージシャンに数多くカバーされており、ビートルズ活動時点で既に1,000を超えるカバー音源が存在し、「世界で最も多くカバーされた曲」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。BMI調べによる「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングでは、700万回以上のオンエアで3位にランクインされた。BBC4が2012年に放送したドキュメンタリー番組『ザ・リッチエスト・ソングス・イン・ザ・ワールド』にて音楽史上最も稼いだ10曲を選出し、本作は第4位にランクインした。 1999年のBBCラジオ2の世論調査において「20世紀最高のベストソング」にランクインし、翌2000年にローリングストーンとMTV共同のグレイテスト・ポップソング100において第1位を獲得。 また、ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では13位にランクインした。ロックバンドがスリーコードやロックンロールのメロディにとらわれない作曲を行なったロックバンドがストリングスを使用したと評価される。ビートルズは、この試みの走りとなり、次第にアーティスト集団として見られるようになっていった。この曲は、現在では「ヘイ・ジュード」と共に主に日本の中学校・高等学校の音楽の教科書に採用され教材になっている。 本作についてジョン・レノンはそうね。『イエスタデイ』のことは誰でも知ってるんじゃない。『イエスタデイ』ではぼくもさんざん誉められたな。もちろん、あれはポールの歌で、ポールの秘蔵っ子さ。よくできてるよ。ビューティフルだよ。でもぼくが作っときゃよかったとは、1度も思ったことはないねと語った。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
本作についてジョン・レノンはそうね。『イエスタデイ』のことは誰でも知ってるんじゃない。『イエスタデイ』ではぼくもさんざん誉められたな。もちろん、あれはポールの歌で、ポールの秘蔵っ子さ。よくできてるよ。ビューティフルだよ。でもぼくが作っときゃよかったとは、1度も思ったことはないねと語った。 マッカートニーおよびビートルズの伝記によれば、当時のガールフレンドであるジェーン・アッシャーと家族が暮らすウェンポール・ストリートにあるマッカートニーの部屋で、家で睡眠中に夢の中で流れたメロディを基に作曲したという。マッカートニーは起床後、メロディを忘れないようにするために急いでコードを探してスタジオで完成させた。この時のことをマッカートニーは、あまりに自然に浮かんできたものだから、誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って皆に聞かせて回ったけど、誰もこのメロディを知らないみたいだったから、僕のオリジナル曲だと認識したと述べている。 曲が書かれた時期はいくつか説があり、マッカートニーの友人や伝記作家のバリー・マイルズ(英語版)らはレコーディングの数週間前に書かれたものと主張し、ジョージ・マーティンは初めてこの曲を聴いたのは1964年1月のパリのジョルジュサンク・ホテルで、当時は“Scrambled Egg”と呼ばれていたと記憶しており、レノンは何ヶ月も前と記憶していた。レノンによるとポールは曲のほとんどを書き上げていたんだけど、僕らはどうしても曲名が決められなかった。曲作りやレコーディング・セッションで集まるたびにこの話題が持ち上がって、とりあえずで“Scrambled Egg”というタイトルがついて、内輪のジョークになったよ。そしてある朝ポールが目覚めたら、曲もタイトルも仕上がっていたんだ。お伽話みたいだけど、これが事実なんだと語っている。 歌詞の内容から「自分の元を黙って離れて行った恋人を歌った曲」と解釈されていたが、マッカートニーは僕が14歳の時に乳癌で死去した母への想いを歌った曲と2001年に述べている。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
歌詞の内容から「自分の元を黙って離れて行った恋人を歌った曲」と解釈されていたが、マッカートニーは僕が14歳の時に乳癌で死去した母への想いを歌った曲と2001年に述べている。 2010年に『レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン』にゲスト出演した際、司会のジミー・ファロンと原曲の「Scrambled Egg」をデュエットで披露した。歌詞はマッカートニーがベジタリアンであることを反映したものに変更されている。その音源は2012年に発売されたファロンのアルバム『Blow Your Pants Off(英語版)』に収録された。 「イエスタデイ」のレコーディングは、マッカートニーの23歳の誕生日の4日前である1965年6月14日にEMIレコーディング・スタジオで開始された。マッカートニーは、ギターのチューニングを全弦1音下げでレコーディング。アコースティック・ギターとボーカルを担当したマッカートニー以外、他のビートルズのメンバー3人はレコーディングに参加していないが、スタジオには同席している。本作に対し、リンゴ・スターはこの曲にドラムを合せるのは難しいと発言し、レノンとジョージ・ハリスンはもう一本ギターを追加するのも無意味だと思うと発言した。ここでジョージ・マーティンは仮でマッカートニーに弾き語りをさせることを提案。プレイバックを聴いたあとにマッカートニーが僕のソロ曲になるの?と訊いて、メンバーが僕らが何かを足す必要はなさそうだと答えた。その後、もう一度録音されたのちテイク2が採用された。 6月17日に弦楽四重奏がオーバー・ダビングされた。弦楽四重奏のアレンジは、プロデューサーのジョージ・マーティンによるものである。マッカートニーは当初、ストリングスのアレンジをマントヴァーニみたいなことはお断りだと述べていたが、それじゃあカルテットでどう?というマーティンの提案を受容して完成させた。2度目のサビで第1フレーズと第2フレーズの間にチェロが「ドーミ♭ードシ♭ラー」と奏するアレンジと、第3コーラスでヴァイオリンが高音域でラの持続音を奏するアレンジはマッカートニーのアイデアである。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
6月14日にレコーディングされたテイク1が、1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』に収録された。このテイク1では、リリース版におけるI’m not half the man I used to be / There’s a shadow hanging over me(僕は今までの半分にも足りない男になった / 影が全身を覆っている)というフレーズが、There’s a shadow hanging over me / I’m not half the man I used to beと入れ替わっていた。 2006年に上演されたシルク・ドゥ・ソレイユのショー『ザ・ビートルズ LOVE』では、冒頭に同じくマッカートニー作の「ブラックバード」のギターのフレーズが加えられた音源が使用され、同年11月に発売されたサウンドトラック盤に収録された。マーティンは『ザ・ビートルズ LOVE』での使用について『イエスタデイ』をショーで使用するべきかどうかについては非常に悩んだ。一つの時代の象徴も言える有名な曲だが、いい加減聴き尽くされてしまったのではないかという心配もあったからだ。オリジナルに弦楽四重奏が付けられた経緯はよく知られているものの、当時のレコーディング技術がいかに限られたものであったかについては、あまり知られていない。だからこの曲を入れない可能性も強かったが、これほど素晴らしい楽曲を誰が無視できるだろうか?『ブラックバード』のポールのギター・ワークの一部をイントロに加えたが、今聴くとこれで正解だったと思える。そのシンプルさは非常にダイレクトに胸に響くと語っている。 「イエスタデイ」は、イギリスで1965年8月6日に発売されたオリジナル・アルバム『ヘルプ!』のB面6曲目に収録された。発売当時、ビートルズは「バンドのイメージに合わない」という観点から、本作のシングル・カットを拒否していた。一方アメリカでは、9月13日に新曲扱いのシングル盤として発売され、B面は「アクト・ナチュラリー」が収録された。10月9日付のBillboard Hot 100より4週連続で1位を獲得し、11週にわたってチャートインし、5週間以内で100万枚以上の売り上げを記録。『キャッシュボックス』誌では、3週連続第1位を獲得。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
その後、1966年6月にアメリカで発売されたキャピトル編集盤『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』や、同年12月にイギリスで発売されたコンピレーション・アルバム『オールディーズ』に収録され、解散後に発売された『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』、『ラヴ・ソングス』、『ビートルズ バラード・ベスト20』、『リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス』、『20グレイテスト・ヒッツ』、『ザ・ビートルズ1』にも収録された。 日本では、カップリングはアメリカ盤と同じながら、A面に「アクト・ナチュラリー」、B面に「イエスタデイ」が収録されたシングル盤として発売された。 イギリスでは、シングル・カットされなかった代わりに、1966年3月4日に4曲入りのEP盤『イエスタデイ』の表題曲として発売され、他国への輸出専用盤として『ディジー・ミス・リジー/イエスタデイ』のシングル盤が製造されている。ビートルズ解散後の1976年3月8日に「恋する二人」をB面にして、イギリス内販売用にもシングル・カットされた。このシングル盤は全英シングルチャートで最高8位を獲得した。なお日本ではこちらのシングル盤も1976年3月5日より販売されている。 この曲がビートルズのライブで演奏に際して、2種類のアレンジが存在している。 ウイングス時代は一人でエレクトリックアコースティックギターを演奏し、ストリングス部分はサポートのホーン隊が演奏した。ウイングス解散後のコンサートでもギターを一人で演奏しているがストリングスはキーボードで演奏されている。 マッカートニーのソロ・コンサートでは主にアンコールで演奏されており、1990年代のツアーではアルバレズ・ヤイリやタカミネのエレアコを使用していたが、2002年のツアーからは、この曲のレコーディングで実際に使用したエピフォン・テキサンを使って演奏している。2013年の日本公演では福島の被災者に捧げたいと前置きし歌っている。ライブ音源は『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』、『ポール・マッカートニー・ライブ!!』、『ポール・マッカートニー・ライブ・ハイライツ!!』、『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』、『バック・イン・ザ・ワールド』、『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ〜ベスト・ヒッツ・ライヴ』などの作品に収録された。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
「イエスタデイ」は、ポップ・ミュージック史上最も多くカバーされた楽曲の1つで、1986年1月時点で1600以上のカバー・バージョンが発表されていた。 「イエスタデイ」は、1965年度のアイヴァー・ノヴェロ賞で最優秀ソング・コレクション部門を受賞し、最優秀ソング部門では「ミッシェル」に次ぐ第2位に入った。2004年に『ローリング・ストーン』誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では第13位、2010年に同誌が発表した「100 Greatest Beatles Songs of All Time」で第4位にランクインした。BMI調べによる「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングでは、700万回以上のオンエアで3位にランクインされた。 1988年10月20日には、「イエスタデイ」の500万枚達成を記念した昼食会がハイドパークホテルで開催され、オノ・ヨーコに記念賞が贈られた。 本作は、1997年にグラミー殿堂賞(英語版)を受賞した。 チャック・ベリーは、本作についてあの曲を自分で書けたらどんなによかったかと思う。これまでの人生において大きな影響を受けた1曲と称賛している。一方、ボブ・ディランはアメリカ議会図書館に行けば、ティン・パン・アレーで書かれた『イエスタデイ』や『ミッシェル』よりも遥かに優れた曲がたくさん見つかると語っている。なお、ディランはハリスンと共に「イエスタデイ」をカバーしたことがあるが、未発表のままとなっている。 レノンは、1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで詩としては決して完成したものじゃないけど、悪くはない。堅実な作品だね。良い歌詞なんだけど、通して読むと何も訴えていないと語っている。レノンは、1971年に発表した楽曲「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」で、本作とマッカートニーのソロ曲「アナザー・デイ」を引き合いにThe only thing you done was yesterday, but since you’ve gone you’re just another day(お前の傑作なんざ、『イエスタデイ』だけだ。それも消えちまった今となっては『アナザー・デイ』ってわけだ)と歌っている。
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イエスタデイ (ビートルズの曲)
2012年にBBCが発表した「著作権で史上最も稼いだ曲」のランキングで、「イエスタデイ」は4位にランクインした。 ※出典 「イエスタデイ」は、ポピュラー音楽史上最もカバーされている楽曲の1つで、1986年1月までに約1600のカバー・バージョンが確認され、同月1日付でギネス世界記録に「世界で最もカバーされた曲」として登録された。 イギリスでは、マット・モンロー(英語版)によるカバー・バージョンが全英シングルチャートで最高位8位、マリアンヌ・フェイスフルによるカバー・バージョンが同チャートで最高位36位をそれぞれ獲得している。1967年には、レイ・チャールズのカバー・バージョンもシングル盤として発売され、Billboard Hot 100で最高位25位、全英シングルチャートで最高位44位をそれぞれ獲得している。 作者であるマッカートニーも、ビートルズ解散後にセルフカバーしている。1984年に公開された主演映画『ヤァ!ブロード・ストリート(英語版)』で歌唱し、その時の音源が同名のサウンドトラック盤に収録された。 その他、エルヴィス・プレスリーやフランク・シナトラ、スプリームス、マーヴィン・ゲイ、マイケル・ボルトン、トム・ジョーンズ、ヒメーシュ・パテルなど、音楽ジャンルを問わず今でもカバーされ続けている。
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Peer to Peer
Peer to Peer(ピア・トゥ・ピア または ピア・ツー・ピア)とは、複数のコンピューター間で通信を行う際のアーキテクチャのひとつで、対等の者(Peer、ピア)同士が通信をすることを特徴とする通信方式、通信モデル、あるいは通信技術の一分野を指す。略記は、P2P。 P2Pに対置される用語としてクライアント・サーバー方式がある。クライアント・サーバー方式ではネットワークに接続されたコンピューターに対しクライアントとサーバーに立場・機能を分離しており、一般的には多数のクライアントに対してサーバーが一つである。クライアントはサーバーとだけ通信でき、あるクライアントが他のクライアントと通信するにはサーバーを介する必要がある。 P2Pではネットワークに接続されたコンピューター同士が対等の立場、機能で直接通信するものである。クライアント・サーバー方式ではクライアント数が非常に多くなると、サーバーおよびその回線に負荷が集中するのに対して、Peer to Peer方式はその構造上、コンピューター機器(以下機器)数が膨大になっても特定機器へのアクセス集中が発生しにくいという特徴がある。 P2P通信の一例としては、インターネットに接続した一般ユーザーの複数パソコン (PC) 同士が互いのIPアドレスを呼び合う直接通信が挙げられる。P2Pによるネットワークはオーバーレイ・ネットワークの一つに数えられる。 実用化されたシステムとしてはP2Pデータ配信、P2P電話、P2P掲示板、P2P放送(テレビ、ラジオ)、P2Pグループウェア、P2P分散ファイルシステム、P2P-SIP、P2P-DNS、P2P-仮想ネットワーク、P2P地震情報などがある。またここ数年、商用的にも注目を集めており、特にIP電話(Skype、LINEなど)や動画配信サービス(Veohなど)といった応用例が増えてきている。 しかしこれらの応用技術は2000年代初頭から実用化され始めた技術であり、歴史的にはまだ日が浅く、成熟技術となるまでには解決しなければならない様々な問題がある(後述)。そのため現在でも学術的な研究が盛んな分野である。また無線通信で使われるモバイルアドホックネットワークもP2Pの一種であるが、無線での通信可能距離を稼ぐという特殊な使い方であるので詳細な解説は別項に譲る。
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Peer to Peer
しかしこれらの応用技術は2000年代初頭から実用化され始めた技術であり、歴史的にはまだ日が浅く、成熟技術となるまでには解決しなければならない様々な問題がある(後述)。そのため現在でも学術的な研究が盛んな分野である。また無線通信で使われるモバイルアドホックネットワークもP2Pの一種であるが、無線での通信可能距離を稼ぐという特殊な使い方であるので詳細な解説は別項に譲る。 P2Pにおける通信端末はピア (peer) と呼ばれるが、トポロジー理論、グラフ理論などで用いる「ノード」(node: 節点)という呼称を用いることも多い。またクライアントの機能とサーバーの機能を併せ持つという意味でサーバントという呼び方をすることもある。 端末装置の種類としてはPCやスマートフォンが使われることが多いが、セットトップボックス (STB) やHDDレコーダー、HDD内蔵ルーターといったものもピアになりうる。 インターネットの基盤であるIPネットワークはIPアドレスさえ分かっていればどのコンピューター機器(以下機器)にも到達できる。つまり機器同士が相手のIPアドレスを知っていればP2P通信が可能である。したがってインターネット上のP2P応用技術はIPネットワークのオーバーレイ・ネットワーク(Overlay Network:以下、OLNと略記する)と見ることができる。 例えば放送型サービスにP2Pを応用する場合はマルチキャスト型の通信形態となる。そのためこれをオーバーレイマルチキャスト(英語版) (Overlay Multicast: OLM) あるいはアプリケーション層マルチキャスト (Application Layer Multicast: ALM) と呼ぶことがある。 後者の呼び方はIPマルチキャストがTCP/IPのレイヤーでのパケットの複製によりマルチキャストを行うのに対して、アプリケーション層でデータのコピーをしてマルチキャストを行う、という意味合いから来ている。 ピア間で何を行うか、という観点で、大きく以下の4つのタイプのアプリケーションに分けられる。 複数の機能を併せ持ったアプリケーションも存在する。
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Peer to Peer
ピア間で何を行うか、という観点で、大きく以下の4つのタイプのアプリケーションに分けられる。 複数の機能を併せ持ったアプリケーションも存在する。 IP電話、LINE電話やSkypeに代表されるような、コンピューター間で一対一のコミュニケーションを行う使い方である。相手のIPアドレスを、電話番号やニックネームなどから見つけ出し(=IPアドレス解決と呼ぶ)、その後、ピアとピアが対等の立場で通信を行う。音声データであれば電話となり、映像データであればテレビ電話となる。インスタントメッセージやオンラインチャットもある。通常、アプリケーションの背後に特定の利用者が居ることが想定されており、その人物に対して接続を行うような使い方が多い。この種のアプリケーションのほとんどには、相手がオンラインかどうかを認識する仕掛け(プレゼンス機能)が設けられている。 このタイプのアプリケーションでは、データは通常、リアルタイムでのストリーミングでやりとりされる。 P2P-SIPでは、SIP-URIからIPアドレスを知るためにP2P技術を利用しており、従来からあるSIPサーバーを不要にできる。アドレス解決以外の、接続・切断のシグナリング、音声データのストリーミングに関しては、従来からのSIPやRTP/RTCPの技術をそのまま利用している。 応用例:IP電話、Skype、LINE、MSN メッセンジャー、P2P-SIP、P2Pグループウェア。 ノード間接続を、カスケード状に多段階層化して、配信ツリーを形成することで、放送型のサービスが実現できる。ツリーの根元のノードが、放送局となり、上流ノードから下流ノードへ、データをバケツリレーさせることで、全参加ノードに、ほぼ同時に同じデータを配信することが出来る。これにより、リアルタイムのストリーミング中継が可能となる。 多くのP2P型放送システムでは、アドレス解決にハイブリッドP2P方式(後述)を採用しており、通常、チャンネル名でインデックスサーバーに問い合わせると、「あのノードの下流につながってストリームをもらいなさい」というようにノードを紹介してくれる。インデックスサーバーの役割を各ノードに分散させる(=ピュアP2P型OLM)ことも可能ではあるが、そのような実装例はまだ発表されていない。
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Peer to Peer
多くのP2P型放送システムでは、アドレス解決にハイブリッドP2P方式(後述)を採用しており、通常、チャンネル名でインデックスサーバーに問い合わせると、「あのノードの下流につながってストリームをもらいなさい」というようにノードを紹介してくれる。インデックスサーバーの役割を各ノードに分散させる(=ピュアP2P型OLM)ことも可能ではあるが、そのような実装例はまだ発表されていない。 上流ノードが脱退したときに、ストリームが途切れるが、内部にバッファを持つことで、一定時間は再生が途絶えないようにして、その間に、別の上流ノードを探し出して、再接続を行う。再接続の処理には時間がかかるため、通常、予備の上流ノードを用意しておく。再接続先候補のノードを、効率的に準備しておくために、様々な創意工夫が考案されている(詳細は、オーバーレイマルチキャストまたはアプリケーション層マルチキャストを参照)。 応用例:P2P放送(映像+音声、音声のみ); (PeerCast他) 動画コンテンツの配信などでは、コンテンツを欲するノードが、当該コンテンツを持っているノードを探し出して、そこへデータを要求することで、保持ノードがそれに応じてデータを送信する(オンデマンド)、という一方向型の通信が行われる。言い換えると、持っている者から欲する者へ、という通信である。送信元は、使用しているコンピューターが複数ある場合、どれからでも良くて、不特定多数の中からアプリケーションまかせで選ばれる。送信元のIPアドレスは、コンテンツのタイトルなどを手がかりに、インデックスを検索して見つけ出し、コンテンツ保持ノードにデータ送信を要求することで、データ転送が開始される。 オンデマンド型のP2Pアプリケーションでは、配信効率を上げるために、コンテンツのコピー(レプリカ)を作ることが良く行われる。一度取得したコンテンツのコピーを保持して、他のノードに対して提供可能な状態にすることで、他の誰かが再度同じコンテンツをリクエストしたときに、負荷分散の効果が期待できるからである。これは特に、人気のあるコンテンツに対してのアクセス集中の緩和に効果的である。レプリカを作るアプリケーションでは、通常、レプリカをキャッシュフォルダー内に作り、古いレプリカから追い出すような実装になっていることが多い。
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Peer to Peer
オンデマンド型のP2Pアプリケーションでは、データ全体を、一旦リクエストした端末までは持ってきてから利用する「ダウンロード方式」の実装がほとんどである。 応用例:P2Pコンテンツ配信、P2P掲示板、P2Pグループウェア、P2P分散ファイルシステム、無線のアドホックネットワーク、ゲームソフトのアップデート ビットコイン、Rippleなどでは、通貨の取引履歴情報を、各ノードで分散して持つことによって、通常はサーバーで管理する台帳データの不正な改竄を防ぐことができるので、P2Pを利用している。これにより自分のノードの台帳データを改ざんしたとしても、他の多数のノードが正しいデータを保持していることにより、比較した際に改竄を検知することができる。 「こういうデータを持っているのは誰ですかね?」という問いに答えるためには、データを検索するための属性キーとデータのありかの対応表(インデックス)を持っている必要があるが、これをサーバーに集中して持たせる場合と、各ノードに分散して持たせる場合と、特定の選ばれたノードに分散して持たせる場合、の3種類が存在する。 ハイブリッドP2Pにおいては、インデックス情報を、中央のインデックスサーバーで一括して管理する。新しいデータを保持したノードは、自分が持っていることを、インデックスサーバーに申告しておく。データを欲するノードが、「このキーに対応する相手を教えて下さいな」とインデックスサーバーに問い合わせると、対応する相手のIPアドレスを教えてくれる。インデックスが膨大になると、スケーラビリティが無くなる点が、後述のピュアP2Pと比べて劣るが、通常規模のシステムであれば、この方式で事足りるケースが多い。インデックスサーバーがダウンすると、システム全体が停止するため、耐障害性の面では、ピュアP2Pに劣る。 BitTorrent、Napster、WinMX、放送型P2P (オーバーレイマルチキャスト(英語版)) の多くは、この方式を採用している。
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Peer to Peer
BitTorrent、Napster、WinMX、放送型P2P (オーバーレイマルチキャスト(英語版)) の多くは、この方式を採用している。 インデックス情報は、各ノードが少しずつ分散して持ち合う。 自分の知っているノードに、「データを持っているのは誰ですかね?」というメッセージを投げると、そのノードが知っていれば回答が返り、知らなければ又聞きをしてくれる(メッセージを転送する)仕組みになっている。インデックスが膨大になっても破綻しないため、スケーラビリティが高い。メッセージ転送の方式により、非構造化タイプと構造化タイプの2つに分類できる(後述)。 Gnutella、Freenet、OceanStore、Winny、Share は、この方式を採用している。 ピュアP2Pに参加する際には、既に参加しているノードのIP情報を何らかの形で知っている必要がある。このためには、常に活きているノード(コンタクトノード)を用意しておいて、参加時はいつもそこに接続するようにするか、あるいは、参加しているいくつかのノードの情報をサーバーに集めて、ここから知るように構成する。 インデックス情報は、特定の選ばれたノード(スーパーノード)が分担して持つ。スーパーノードには、できるだけ安定な端末(ずっと電源が入っていて、通信回線も安定していて、帯域幅も太いようなノード)が選ばれる。スーパーノードは、一般のエンドユーザーの端末から能力に応じて選ばれるが、サービス提供者側が用意した端末であることも多い。 KaZaA、Skypeは、この方式を採用している。 ピュアP2Pにおいては、インデックス情報も分散されて持たれるため、相手先IPアドレスの発見の仕組みは、検索メッセージを転送することで行われる。転送方式で、2種類に分類ができる。
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日本の漫画家
日本の漫画家(にほんのまんがか)では、日本における漫画家について解説する。 「漫画家」は、漫画作品を作る。脚本のみを作る者は「漫画原作者」。脚本と作画の両方を作る者も作画のみを作る者も「漫画家」である。ただしアマチュアが増加している事を考慮すると、漫画の作家全般と捉える事もできる。漫画風のイラストの需要が高いため、イラストレーターを兼ねている場合があり、明確な区別は難しい。 画家でも脚本家でも小説家でも書道家でも、創作活動に対して対価を受け取る者は「先生」と呼ばれるのが一般的である。漫画家も例外ではなく、商業誌(大小や種類を問わず)でデビューした漫画家は、「先生」の敬称を付けられる。 メディアへの露出に関しては、様々である。いしいひさいちのようにメディア露出を避ける漫画家がいる一方、江川達也、蛭子能収、やくみつるのように積極的にテレビ出演する漫画家もいる。さくらももこ、尾田栄一郎のようにメディアにしばしば登場し私生活を明らかにしながらも、素顔を出すことを拒む者もいる。また、雑誌や単行本での顔写真の公開・非公開についても、人により様々である。 また、CLAMPを始めとした共有筆名(ペンネーム)で活動する漫画家の集団もいる。この場合、作画を行わない者(単独であれば「漫画原作者」とされる者)が含まれていても「漫画家」の集団と見做される。 漫画家の中にはアシスタントを雇う者も存在する。アシスタントが担う作業の内容や量は、雇用主となる漫画家によって大きく異なる。一般には、ストーリー構成・下書き・主要人物のペン入れまでは漫画家自身が担当し、群衆や背景の描写・ベタ塗り・消しゴムかけ・スクリーントーンを貼る、集中線などの画面効果を入れるといった、高度な作画技術を要しない作業や絵柄の個性が重視されない手間のかかる作業はアシスタントに任せる場合が多い。また雇用主となる漫画家によっては、アシスタントにストーリー構成やスケジュール管理、食事の用意など作画以外の作業に従事させる事例もある。
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日本の漫画家
漫画家がアシスタントを雇う背景には、漫画の主な発表媒体が貸本から月刊雑誌そして週刊雑誌と幅広くなるに従い、主に週刊誌などで漫画を一人で完成させることが時間的に難しくなったことがある。漫画家とアシスタントは雇用関係にあるため、また絵柄を安定させるため、専属化している事例が多いが、専属のアシスタントを雇わず知人や駆け出しの漫画家にアシスタントを依頼する者も少なくない。アシスタントの給料は雇っている漫画家が支払うため、人件費を捻出できない漫画家は自然と全てを一人で製作せざるを得ず、収入に乏しい漫画家の中にはアシスタントへの給料を支払うために原稿料の前借や借金、個人資産の売却などを行う者もいる。なお最近では、パソコンを使用した漫画制作のデジタル化の影響から全ての作画を一人でこなす漫画家の比率が増えてきている。これは、アシスタントに任せる手間のかかる作業がデジタル化により短時間で容易にできるようになったためである。また、アシスタントを雇う費用の削減にもなる。アシスタントの中にはデジタル作業を主体(あるいは専門)とする者もおり、彼らは特に「デジアシ」と呼ばれる。 漫画家の多くはプロデビュー前に専属アシスタントを経験しており、アシスタントからプロデビューした際にも、作風・技法について従事していた作家の影響を受けていることが多く、基本的には師弟関係が成り立っている(小畑健→和月伸宏→尾田栄一郎・武井宏之など)。ただし全てのプロ漫画家がアシスタントを経験しているわけではなく、アシスタントを経験せず投稿などから直接プロデビューした者もいる(北条司、吾峠呼世晴など)。 アメリカや香港などでは、漫画の制作は全てを分担して作業していて役職名も細かく表示される。日本でも、単行本になった際に「スタッフ」などといった表記で紹介されることがある(専用のクレジット表示欄などはなく、あくまで漫画家の任意によるもの)。日本ではアシスタントの地位が低く、漫画家として独立しない限りはメジャーにはなれない存在である(もちろん、アメリカンコミックで作画の補助を行うアシスタント達がメジャーな存在かは疑問ではあるが、日本の場合ストーリー制作やプロダクションのマネジメントにまで関わるチーフアシスタントですら基本的に日陰の存在である)。
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日本の漫画家
スタジオとして漫画を制作していることを公にしている漫画家にさいとう・たかを、本宮ひろ志などがいる。売れっ子となった際に所得税対策(節税)により漫画家活動を法人化する作家も多い(一部は作者クレジットや著作権利表記にスタジオ名が併記されている)。又、話作りだけを担当する漫画専門の原作者(漫画原作者)も少なくない。 なお少数ながら、主体となる漫画家に公認された二次作品が、スタジオや(元)アシスタント名義で発表される事例も見られる(『名探偵コナン』『金田一少年の事件簿』、直接の師弟関係ではないが『半妖の夜叉姫』、作者没後にも関連作品が発表されている『ドラえもん』『新ナニワ金融道』など)。稀な例ではあるが、作者没後に生前の構想に基づいてスタジオや(元)アシスタントによって完結まで作品が描かれた『サイボーグ009』『ベルセルク』と言った例もある。 共同筆名とスタジオは明確に区別されるが、両者を区別する基準は特に存在しない。ただし多くの場合、共同筆名は「漫画製作の主体者」として互いが対等な関係であり、プロデビュー前から共同で漫画製作を行っている、スタジオは「漫画製作を補助する集団」として主体者と主従関係にあり、プロデビュー後に漫画製作に加わる、と言った傾向が見られる。 また作品の内容によっては、共同筆名でもアシスタントでもスタジオでもない、作画や設定、考証等の「協力者」が外部から付く場合もある(軍事考証が付いた『ヨルムンガンド』、医療監修が付いた『はたらく細胞』、ネーム担当者が付いたコミカライズ版『ロード・エルメロイII世の事件簿』など)。これは主体者となる漫画家が、作品に必要な全ての知識を網羅・検証できず、それを補完する必要があるためであり、漫画製作の主体者に準ずる存在として位置づけられる。連載作品の場合、連載途中から協力者が付く事例も見られる。 売れなければ収入にならないと思われがちだが、出版物は基本的に刷られた時点で印税(価格の5% - 15%)が発生する。逆に言えば、在庫が少しずつ売れていても増刷がかからなければ全く作家の収入にはならない。
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日本の漫画家
売れなければ収入にならないと思われがちだが、出版物は基本的に刷られた時点で印税(価格の5% - 15%)が発生する。逆に言えば、在庫が少しずつ売れていても増刷がかからなければ全く作家の収入にはならない。 収入の差が極めて大きい。稼ぎの少ない漫画家ではアシスタント代を払うことすら困難な場合もあり、借金生活を余儀なくされている者もいる。その一方で、作品が大ヒットした漫画家は、作品のアニメ化やキャラクターグッズ化などのメディアミックス化も相俟って、年収十億円を超える事すらある。収入の多い漫画家のアシスタントが数千万円を超える年収を得ていることもあるが、こういった例はごく僅かである。 売れない作家の収入が低いのはあらゆる表現媒体に共通しているが、漫画家においては、売れっ子の収入が極めて高くメディア等で取り上げられる機会も多いため、売れない者の収入の低さがより際立つようである。人気の浮き沈みが激しくかつてヒットを飛ばした漫画家が廃業し別の業界に転職したり、アシスタント専業として生計を立てていたりと安定した職業とは言いがたい現状にある。 ただし、日本の「漫画産業」は、作家の資質・関心が現在の時流にミスマッチである場合を除き、一定水準の才能を持つものが地道に努力すれば充分に生活が成り立つだけの裾野を持っていることも事実である。コンピュータゲーム・広告・一般書籍・情報誌などにおいて、漫画や漫画調のイラストレーションなどのコンテンツの需要は大きくなっており、こうした媒体がヒット作のない漫画家や漫画家志望者の収入源となっている側面が無視できない。近年は商業漫画誌に執筆しつつ同人作家を兼業している者も多く、作家によっては同人誌からの収入の方が商業誌からの収入より多い場合もある。 以前から一部の漫画家は慈善活動等を行ってきたが、東日本大震災の発生を受けて大勢の被災者を支援するために出版社の枠を超えて共同で東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」に多くの志ある漫画家が執筆した。赤い羽根共同募金に協力する漫画家もいる。 ここでは、過去と現在の別なく、日本の漫画家と特筆性の高い関係が見られる地域について記載した。 まずは、施設および地域と、イベント開催地に大別し、前者は「その件に関する最初の由来が生じた時期」を基準に時系列で記載した。
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LimeWire
LimeWire (ライムワイア、ライムワイヤ)は、かつてGNU General Public License下で公開されていたフリーソフトウェア及びオープンソースのGnutella P2Pクライアント・ソフトウェアである。米連邦地方裁判所の命令を受けて2010年10月にソフトウェアの配布を停止。 LimeWireはGnutella P2Pプロトコルを利用したファイル共有をユーザー同士で行うことができる。これは2004年12月に公開された。バージョン4.2の特徴として、ファイアウォール設置同士のファイル交換をサポートした最初のファイル共有ソフトである。開発元はLime Wire LLCである。 LimeWireはJavaで書かれているため、Java仮想マシンがインストールされたコンピュータで利用できる。普通のユーザー向けにインストールを簡単にするため、デベロッパーは Windows、Mac OS X、及び deb/RPM 形式でLinux向けにインストール・パッケージを公開していた。 ソースコードを入手して使用する場合には Javaランタイムルーチンを別途用意する必要があった。 オープンソースであったため、LimeWireはペンシルベニア州立大学での実験的上のソフトウェア開発プロジェクトLionShare、独特なインタフェースと共に人気のあるApple製Mac向けグヌーテラ・クライアントAcquisition、Cabos 、FrostWireを含む、いくつかの派生型が作成された。 LimeWireの有償版としてLimeWire PROが販売されており、価格は21.95ドルであった。PRO版の特典期間を1年間延長するLimeWire PRO延長版も販売されており、価格は34.95ドルであった。
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LimeWire
LimeWireの有償版としてLimeWire PROが販売されており、価格は21.95ドルであった。PRO版の特典期間を1年間延長するLimeWire PRO延長版も販売されており、価格は34.95ドルであった。 PROではBASICよりファイルのダウンロードが高速で行えることと、より多くのソースにアクセス可能となることが特徴であった。PROにすると電子メールサポートも可能になった。また、BASICでは起動時にPROにアップグレードを勧めるメッセージが出てくるが、PROでは出なかった。LimeWire PRO 5.5より、オランダのAVG Technologiesのウイルス対策SDKエンジンが組み込まれた。PROでダウンロードされた全ファイルは、ユーザーのPCで再生または実行される前にスキャンされ、ウイルスの感染拡大を防いでいた。 米国時間2006年8月4日、Sony BMG、Virgin Records、Warner Bros. Recordsなどが参加するレコード著作団体が著作権侵害の疑いがあるとしてLimeWireと経営陣を提訴した。内容としては1曲あたり約15万ドルの賠償金、および今後楽曲を共有する際、事業モデルをレコード会社と契約する形への変更を求めた。 しかし約2ヵ月後、LimeWireはレコード会社がLimeWireから利用者を減らそうと不当な商行為を行ったと反訴。また、オンライン楽曲配信市場の取引抑制を共謀し、シャーマン独占禁止法、クレイトン独占禁止法の条項に反しているとも主張した。 2010年5月11日、ニューヨーク州南部地区連邦地裁は、LimeWireの親会社Lime Groupとその設立者マーク・ゴートンがLimeWireによって著作権侵害およびその幇助、さらに不正競争に関与したことを認める略式判決を下した。 2010年10月26日、米連邦地裁がLimeWireに恒久的なサービス停止を命じたことを受けて、ソフトウェアの配布とサポートを停止した。
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日本の漫画作品一覧
日本の漫画作品一覧(にほんのまんがさくひんいちらん)は、日本語版ウィキペディアに記事の存在する日本の漫画作品の五十音順の一覧である。 日本以外の漫画作品については漫画作品一覧を参照。
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うる星やつら
『うる星やつら』(うるせいやつら、ラテン文字表記: Urusei Yatsura)は、高橋留美子による日本の漫画作品。週刊少年サンデー(小学館)にて、1978年39号から1987年8号まで連載された。第26回(1980年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞作。略称は、「うる星」。2020年11月時点で累計発行部数は3500万部を突破している。 浮気者の高校生・諸星あたると、彼を愛する一途な宇宙人美少女・ラムを中心に架空の町、友引町や宇宙や異次元などを舞台にしたドタバタラブコメディ。 その内容の斬新さと魅力的なキャラクターは1980年代のみならず以降の漫画界とアニメ界に衝撃を与え、当時の若者たちの圧倒的支持を受けて一大ブームを引き起こし、若者文化にも影響を与えた。 高橋留美子の初期代表作であり、後年、本作と『めぞん一刻』について、(作者自身の)「20代の漫画で自分の青春」と語っている。 1978年に短期集中連載作品として『週刊少年サンデー』(以下、『少年サンデー』)に初掲載され、好評であったため1979年に月刊連載化・不定期連載化された。当時高橋はまだ大学生であったため、約20 - 30Pの作品を数カ月おきに連載していたが、大学を卒業すると同時に週刊連載に移行。そして、1980年に『少年サンデー』にて本格的週刊連載となり(第1回の本格連載は面堂終太郎登場話である原作第23話「トラブルは舞い降りた!!」)、一週およそ16ページの連載が続けられた。定期連載以降、最終話まで作者都合による休載はない。 あだち充の『タッチ』と共に、当時の『少年サンデー』を支える二本柱となるほどの人気作品となったことからテレビアニメ化・アニメ映画化もされ、単行本34巻(全366話)に及ぶ長期連載作品となった。最終回時点では『がんばれ元気』を上回り、『名探偵コナン』に塗り替えられるまでは『少年サンデー』史上最長巻数だった。
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うる星やつら
あだち充の『タッチ』と共に、当時の『少年サンデー』を支える二本柱となるほどの人気作品となったことからテレビアニメ化・アニメ映画化もされ、単行本34巻(全366話)に及ぶ長期連載作品となった。最終回時点では『がんばれ元気』を上回り、『名探偵コナン』に塗り替えられるまでは『少年サンデー』史上最長巻数だった。 不定期連載時は恋愛要素が皆無で、ドタバタやSFをメインにしたギャグ要素が非常に強かったが、週刊連載になり話が進むにつれて恋愛をメインに、ギャグをサブにした雰囲気、いわゆるラブコメの作風に変化させてゆく。後半にゆくに従って、笑いの要素を抑えた、非常にシリアスなストーリーも盛り込まれていく。そこに高橋留美子の持ち味の奇想天外なキャラクターなどを絡ませつつ、恋愛、学園モノからSF、妖怪、幽霊、伝奇、スポーツ、冒険、格闘、歴史など、ある意味「なんでもあり」の世界観を打ち出し、長期連載作品となっていった。定期連載時や、読み切り作品(たとえば『ザ・超女』)のようなギャグ要素の強い作風は、一部がのちの『らんま1/2』に引き継がれていった。 当初は諸星あたるを中心として話が展開することが多かった。高橋は当初、いろんな災いを呼び寄せる受身のキャラクターであるあたるでは、毎回の話を作るのに行き詰まってきたため、短期連載の後半から週連載への移行を境に、あたるをもっと楽観的で積極的な浮気性のキャラクターに変化させていく。すると、今度はラムがあたるを追いかけるストーリーばかりになり、後半はラムの扱いに苦労したという。したがって、藤波親子の登場前後の週連載の前期までは、様々なキャラクターが登場してはあたるとラムの関係に絡みつつ話を展開していくパターンが多かった。藤波親子の登場あたりの中期 - 後期にかけては、次第にそれまで登場したキャラクターたちの再登場や、竜之介と弁天、レイとクラマ姫等のサブキャラ同士を絡めたり、それまで登場したキャラの近親者や関係者などを登場させて話を展開させるなど、群像劇に近いものとなる。回によってはあたるやラム以外のキャラクターを中心となって話が進み、そこにあたるやラムが登場はするものの傍観者に留まり重要な役割を果たさないエピソードも多くなる。
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うる星やつら
物語のほとんどが一話完結型。登場人物は基本的に進学、卒業などがなく、週刊連載開始後は、あたるやラムたちは友引高校2年生(開始当初・短期連載時は1年生)のままである。ただし正月、節分、七夕、クリスマスなどのいわゆる年中行事は、連載の掲載時期にあわせて毎年行われ、最終回までこの設定は貫かれた。ただし、あたるの浮気性の改善や面堂の暗所恐怖症の原因究明のため過去に行く話や、「系図」や因幡くんのシリーズ連作などで未来に行くエピソードでは、登場人物は相応に若かったり大人になったりしている。 『うる星やつら』というタイトルは、高橋のデビュー作のタイトル『勝手なやつら』の名残を残し、かつ作品の宇宙的なイメージから当時の編集長田中が名付けた。連載開始当初のタイトルロゴはおどろおどろしい感じのデザインであった。 また、サブタイトルには「思い過ごしも恋のうち」(サザンオールスターズ)「酒と泪と男と女」(河島英五)「かけめぐる青春」(ビューティ・ペア)、「ないものねだりのI Want You」(C-C-B)、「絶体絶命」等のヒットソング名を度々用いているほか、本作と同時期に『少年サンデー』で連載されていた作品のタイトルから語句を拾ってサブタイトルにしたこともある(宮本武蔵編)。 単行本は少年サンデーコミックス版が全34巻、1989年から1990年にワイド版が全15巻、文庫版が1998年から1999年にかけて全18巻で刊行された。単行本の新装版が2006年11月から2008年3月にかけ毎月2巻ずつ刊行、2016年1月には『少年サンデー』連載時のカラーページを全集成した『うる星やつらパーフェクト★カラーエディション』(上下)が刊行された。他にコンビニコミック版が度々出されている。 高橋は「『うる星』はやろうと思えば、いつまでも連載を続けられる安全パイなんだけど(いわばこれは20代の漫画であり)、勢いがあるうちに終わらせたかった」と、少年サンデーグラフィック誌でのインタビューで語っている。また、自身がお気に入りの作品は原作第3話の「石油が町に降る話」(原題「悲しき雨音」)と、水乃小路飛麿が最初に出てきた話(原題「白球に賭けた青春」)と、あたるが幽霊少女・望の願いに応える「最後のデート」。一番気に入っているコマは、「最後のデート」で、あたると幽霊の望がデート中に花火を見上げているシーンだという。
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うる星やつら
中盤あたりで、マンネリになってきたため「もう終わらせよう」という意識もあったらしいが、「藤波竜之介と父」というキャラが登場して、女らしくなりたい竜之介とそれを邪魔する父親という両者の行動原理が明確だった彼らが、かなり動かしやすかったため、その後藤波親子が絡んだエピソードが数多く作られた。高橋本人も「竜之介親子にはかなり助けられた。あの二人がいなかったら『うる星』はもっと早く終わっていたかもしれない」と語っている(詳細は藤波竜之介のリンクを参照)。従って、二人は高橋がもっとも気に入っている部類のキャラクターであり(なお、一番好きなキャラクターは「サクラ」)、次作主役の「らんま1/2」の乱馬と父のモチーフにもなった。 この物話の主役については、「私はあたるが主役であると思っています」と語っている。 宇宙人である鬼族が、地球侵略を仕掛ける。鬼族は圧倒的な技術力と軍事力を保有しており、武力で容易に地球を手に入れるのでは簡単過ぎて面白くない。そこで、鬼族代表と地球代表とが一騎討ちで戦い、地球代表が勝った場合、おとなしく帰り、地球代表が敗れた場合、地球を占領すると宣言した。その一騎討ちは、鬼族の伝統に従い『鬼ごっこ』で行われ、期限内に地球代表が鬼族代表の角を掴むと地球の勝ち、鬼族代表が逃げ切ると鬼族の勝ちというものである。 地球の命運を賭けた「鬼ごっこ」の地球代表に選ばれてしまった高校生の諸星あたるは、当初やる気がなかったものの、恋人で幼なじみである三宅しのぶの色恋仕掛け(勝ったら、結婚してあげる)により、彼女と結ばれたいがために鬼族代表のラムを追いかけ始める。あたるがラムを追いかけつつ発した「勝って結婚じゃぁ〜」の一言は、あたるが恋人で幼なじみのしのぶを想っての発言であったが、ラムは自分に求婚しているのだと勘違いし、それを受け入れてしまう。そのため、鬼ごっこには勝利、地球は侵略を免れるが、ラムは諸星家に住み着いてしまう。 こうして、恋多き男・あたると宇宙から来た押しかけ女房・ラムの果てしなき鬼ごっこが始まる。そして、友引町はさまざまな災いや奇妙な出来事に巻き込まれていく。 連載終了以降一度も再現されなかったカラー原稿を初めて収録。両巻とも、再アニメ化に合わせて2022年2月20日に第2刷が発行された。 初代単行本全34巻を完全再現し、特製BOXとして発売された。
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うる星やつら
こうして、恋多き男・あたると宇宙から来た押しかけ女房・ラムの果てしなき鬼ごっこが始まる。そして、友引町はさまざまな災いや奇妙な出来事に巻き込まれていく。 連載終了以降一度も再現されなかったカラー原稿を初めて収録。両巻とも、再アニメ化に合わせて2022年2月20日に第2刷が発行された。 初代単行本全34巻を完全再現し、特製BOXとして発売された。 本作は1981年にアニメ化されて以降、1980年代を代表する人気作となり、2022年には再びアニメ化された(なお、ここでは前者を「1981年版アニメ」、後者を「2022年版アニメ」とする)。 4年半(1981年10月 - 1986年3月)に渡る初代テレビアニメシリーズ(フジテレビほかにて放送)、6作の劇場版、12作のOVAが製作され、商品化においても100億円以上売り上げる大きな成功を収めた。LPは7作がオリコンLPチャートで10位以内にランクインしている。 劇場用アニメ『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は押井守監督作品の原点であり出世作でもある。 原作の人気に加えて、スタッフの暴走と揶揄される押井守や伊藤和典の先鋭的な演出や、当時若手の実力派アニメーターによる作画からアニメファンからも注目されるようになった。それによってアニメ界の異才をあまた輩出した伝説的な存在となっている。 また、1980年代の国産アニメで盛んに行われていたアニメーターの「お遊び」的な作画により、騒動や人ごみ(モブシーン)の中に『めぞん一刻』を始めとするさまざまな高橋キャラがしばしば「隠れキャラクター」的に登場しているほか、本作と全く関係のない他の漫画・映画・アニメのキャラクターもしばしば登場している。 フジテレビ系の深夜アニメ枠『ノイタミナ』にて、第1期は2022年10月から2023年3月まで、2クール連続で放送された。第2期は2024年に放送予定。1981年版アニメからスタッフ・キャストを一新し、完全新作として全4クールにわたって製作される。 3作共にツクダホビーより発売。
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士郎正宗
士郎 正宗(しろう まさむね、1961年11月23日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。 兵庫県神戸市葺合区(現:中央区)出身。大阪芸術大学芸術学部美術学科(油画科)卒。大学では美術の教員免許を取得。 代表作に『アップルシード』、『攻殻機動隊』など。 大学時代に漫画研究団体「アトラス」に一般メンバーとして所属、メンバーにぴゅあ(漫画家)、伊藤浩二(アニメーター)などがいた(名誉会員に星野之宣)。この頃から漫画を描き始め、1980年代初頭の在学中に同人誌『ブラックマジック』を(アトラスのメンバーに手伝ってもらいつつ)製作、アトラスから出版し、仲間と出版社などに売り込みを始めて『アップルシード』で青心社からデビューする。学生時代の面識・交流の有無は不明だが、島本和彦、庵野秀明らも同期である。卒業後は六甲山の夜間高校に美術教師として勤める傍ら、『アップルシード』の執筆を行っていたが、のち退職して専業作家となっている。 ヒット作『攻殻機動隊』で広く知られているが、デビュー当時から人気があり、『BSマンガ夜話』によれば、出版社と言えば東京に本社をおく所が牛耳っていた1980年代、地方の出版社がマンガの単行本を出版することはあり得ないことだったにもかかわらず、大阪に本拠を置く青心社発行の『アップルシード』がマニアックかつカルト的な人気に支えられ、全国に流通するという快挙を成し遂げたという。カッティングやタッチなどは田中久仁彦、山下いくとなど多くの作家に影響を与えた。 『Pieces Gem 01、攻殻機動隊データ+α』において、1995年の阪神大震災被災後から倉庫の整理もままならないまま4回に渡る引っ越しを重ね、2013年まで父親の介護などで創作活動がままならなかった事実(その間でも『攻殻1.5』は出している)について触れている。 「電脳世界へのジャックイン」というサイバーパンク的世界観と、宇宙論から量子力学など幅広いハードSF的アイデアを融合し、一部にニューエイジ的意匠を取り込んだ独特の世界観を持つ作品を発表している。 子供の頃に、ジャン・アンリ・ファーブルやチャールズ・ダーウィンの著書を読んでいて、そういった様々な記憶からストーリーを考えており、特にSF作品が好きなわけでもなく、他のマンガ家の作品にも関心がないと語っている。
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士郎正宗
子供の頃に、ジャン・アンリ・ファーブルやチャールズ・ダーウィンの著書を読んでいて、そういった様々な記憶からストーリーを考えており、特にSF作品が好きなわけでもなく、他のマンガ家の作品にも関心がないと語っている。 作品の大半は完結しておらず、非常に遅筆であることをしばしば自虐している。その一方で、〆切自体を破ったことは無い。これを「〆(締め切り)」の形をしたモニュメントを背負う自画像で表現したこともある。絵柄については大友克洋の影響が指摘される。 漫画の欄外に必ずといっていいほど註釈を入れる。その方針に対して1987年に対談した押井守から、「とてもよくわかる。僕もできれば、自分の映画に註釈を入れたいぐらいだから」と親近感を持たれている。 商業誌での連載終了以降では漫画作品をほとんど発表せず、イラストレーターとしての活動が目に付く。傾向としてはMacintoshによるデジタルペイントや3DCGを構成要素に用い、女性キャラクターやメカニックを描くことが多い。 『攻殻機動隊』のカラーページ以来、成人向けの題材を取り上げることも増えたが、基本的に男性が登場しないレズ行為が多い。男性を介在させないのは「読者も見たいと思わないだろう」というのが理由。2009年以降、過去に『ヤングマガジンアッパーズ』(講談社)などで連載していたアダルト描写を含む作品群を収めた画集シリーズ『PIECES』をリリース中。本人は未完結の漫画作品もいつかは完成させたいと話している。 代表作と言える『攻殻機動隊』は、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(監督:押井守)として1995年にアニメ化された。 この作品は、漫画家かつ映画監督として活躍している 大友克洋氏が制作した 『AKIRA』(1988年)が発表された時代に作られた。作風として【作品に非常に細かな世界設定を描きこむ】という傾向に、時代は動き始めていた。このような傾向はのちに正宗氏ら 多くの制作者に徹底的に追究されていくことになる。 その後、自身の代表作となる『攻殻機動隊』が 押井守氏により、劇場アニメーションを発表。この作品発表後 「世界的な日本アニメの原作者 『士郎正宗』」という グローバルな評価を押し上げた大作となった。国内・国外で、しばしば「ジャパニメーション」という宣伝文句が付されている。
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士郎正宗
その後、自身の代表作となる『攻殻機動隊』が 押井守氏により、劇場アニメーションを発表。この作品発表後 「世界的な日本アニメの原作者 『士郎正宗』」という グローバルな評価を押し上げた大作となった。国内・国外で、しばしば「ジャパニメーション」という宣伝文句が付されている。 本人は映像化作品についての感想は控えているが、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」は優れた演出だったとコメントしており、アニメマニアではないが、押井作品では「ビューティフルドリーマー」と「天使のたまご」が好きだと語っている。 2004年の『イノセンス』はその続編でありながら、原作のエピソードを独自の解釈によって演出したオリジナリティの強い内容となっている。TVアニメ作品『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』シリーズは、漫画を原案として再構成されたオリジナル作品。 1987年のOVA作品『ブラックマジックM-66』では自身が監督を務めているが、「原作を忠実に再現した映像作品は駄作にしかなりえない」という考えを持っている為、他のアニメ化作品には基本的にノータッチである。しかし最近はそうでも無く、「S.A.C.」シリーズや『EX MACHINA -エクスマキナ-』では詳細なプロット等を提示し、本人とは関係の無いアニメ作品にもキャラ原案・設定を持ちかける時もある。 一方で、制作側の混乱で未完成のまま公開された『ガンドレス』(1999年)の例もあり、本人も『イントロンデポ4』で「自分とアニメ業界との相性が悪いのは承知の通り」と記している。 コンピュータゲームのキャラクターデザイン、メカニックデザイン等も数多く手掛けている。また市販の光学式マウス「M-MAPP1SMシリーズ」のデザインも手がけた。 コミックス その他
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アップルシード
『アップルシード』(APPLESEED)は、士郎正宗のメジャーデビュー作となる日本のSF漫画。1985年から1989年にかけて発表された。コミックスは4巻まで刊行され、物語が中断した状態で作者による凍結宣言が出されている。 タイトルはアメリカの開拓時代のリンゴ農園民話『ジョニー・アップルシード物語』より。キャラクターや設定の各所にギリシア神話由来の名前が使われている。 サイバーパンクSF『攻殻機動隊』で知られる士郎正宗のもうひとつの代表作で、近未来を舞台に展開するSFアクション作品。1985年2月に青心社という関西の新興出版社から、雑誌連載を経ずに単行本描き下ろしという形で発表された。 考え抜かれた設定、緻密に描き込まれたメカニックや背景、しっかりしたデッサンのカワイイ女の子たちが作品の魅力となっている。 OVA『APPLESEED』(1988年)、アニメ映画『APPLESEED』(2004年)と続編『EX MACHINA』(2007年)、テレビアニメ『APPLESEED XIII』(2011年)、リブート映画『Appleseed Alpha』(2014年)と複数回アニメ化されており、映像の需要の高い作品。特に海外から高い評価を得ており、海外展開を視野に日本より先に公開されることが多い。 2015年1月、コミックスの第1巻初版刊行から30周年を記念して電子書籍化され、各電子書店で配信が開始された。電子化に際し、士郎本人が監修し、インターネットや携帯端末の普及により不要になった一部の欄外脚注は削除され、言い回しが古くなったセリフや誤解を招く部分は修正されている。しかし、絵と基本的な内容や時代設定等に関しては当時のまま一切変更を加えていない。 物語の舞台は、地球規模の世界大戦が繰り返された22世紀の荒廃した世界に存在する理想郷こと巨大都市・オリュンポス。全世界で化学兵器・生物兵器が使用された大戦を生き抜いた特殊部隊の女性隊員・デュナン・ナッツと、その恋人で全身をサイボーグ化したブリアレオスの活躍を描いた近未来サイエンスフィクション作品。 本作品は後に執筆された『攻殻機動隊』から約100年後の世界にあたり、両作品とも作中に日本の近海に存在する人工島を本社とした企業国家ポセイドンが登場する。
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アップルシード
本作品は後に執筆された『攻殻機動隊』から約100年後の世界にあたり、両作品とも作中に日本の近海に存在する人工島を本社とした企業国家ポセイドンが登場する。 世界は、中東戦争を契機に勃発したEC・米対ソ連による核戦争(第三次世界大戦)後、戦後に勃興したECと被害が少なかったアジア諸国(後に大東合衆国を結成)との間で摩擦が生じ、日本への核攻撃を契機としてEC・米と第四次非核大戦が勃発、2026年にアジア側が勝利して「地球統一ブロック」が樹立される。 この期間に電脳技術やバイオテクノロジー、核汚染除去の為のナノテクノロジー、マイクロマシン技術が飛躍的に発展、宇宙開発も月に都市を建設出来るまで発展し、終戦後には火星のテラフォーミングが行われる。 2100年頃まで地球全土で戦災からの復興活動が進められるが、2125年に勃発した世界規模の武力紛争「大戦」により再度荒廃し、第四次世界大戦の頃から北大西洋のアゾレス諸島とカナリア諸島の間に密かに建設が進められていた人工島オリュンポスに設置された総合管理局が台頭、世界をその影響下に置いている。 2127年、逃亡生活を続けていたデュナンと戦闘サイボーグであるブリアレオスは、ヒトミと名乗る少女から総合管理局の調停による停戦の知らせと“オリュンポス”への招待を受け、総合管理局の内務省部隊、ESWAT(ESpecially Weapon And Tactics)に所属して対テロ作戦などに加わる。その中で巨大な計画、旧大国の策謀が明らかになっていく。 第五次大戦後、国家や情報網は破壊され尽くし、デュナンとブリアレオスは廃墟となった無人都市を転々としながら流浪の日々を送っていた。他にどれぐらいの人間が生き残っているのかも分からない状況の中、突然来訪した若い女性・ヒトミによってオリュンポスへの移住を持ちかけられ、デュナンとブリアレオスは疑うが、警察官 (SWAT) として復職できる望みから受諾する。やがてオリュンポスに着いたデュナンとブリアレオスを待っていたのは、戦後世界とは信じられないほど、清潔かつ高度で豊かな都市だった。
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アップルシード
オリュンポスは人類がついに建設した理想郷とされているうえ、人口の半分を占める人為的にコントロールされて生まれた人間・バイオロイドが人間同士の無用な衝突を避ける緩衝剤として機能しており、人間とバイオロイドの関係性が精妙に描かれている。デュナンとブリアレオスは「ゲスト」としてオリュンポスで暮らし始め、やがて特殊部隊の隊員として「復職」する。 しかし、当初は理想郷に見えたオリュンポスも人の業を脱することはまだできておらず、さまざまな問題を抱えていた。戦争の後遺症とも言えるテロリズム、オリュンポス行政院と立法院の対立、他国との駆け引き、ライフサイエンス解禁によって科学技術が人間や社会の在り様にまで干渉する。デュナンとブリアレオスは、オリュンポスを巡るさまざまな思惑や陰謀に巻き込まれていく。 独特の生物的なフォルムや動作原理や素材、内部構造などの詳細な描写が本作の特徴の一つでもある。 青心社より単行本4巻が発売されているが、他に同社より原稿原寸版(1-3巻)、講談社よりB5判の大型版(1・2巻合本)、メディアファクトリーより文庫版が刊行されている。なお第5巻は「アルテミスの遠矢」というタイトルが発表され、画集『イントロンデポ』にはカバーイラストも掲載されている。1991年にコミックガイアで『仙術超攻殻ORION』に続いて連載されたが、「やはり連載という形態はアップルには合わない」として中断された。連載分は『士郎正宗ハイパーノーツ』に収録された。現状ではソ連崩壊に伴う作品中の世界観と現実における世界情勢の乖離、および自身のスタンスの変化により続きを描くのは困難と士郎は語っている。 雑誌連載を経ずに直接単行本として刊行された経緯から、一部の巻において雑誌原稿では用いることの出来ない薄墨を用いて、単色ではなくグレースケールで印刷する試みがなされている。 また第4巻刊行後、青心社から設定解説資料や短編を収録した『アップルシード データブック』が刊行され、後に本編新装版に合わせて内容を一部変更した『アップルシードid』として再版された。
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アップルシード
雑誌連載を経ずに直接単行本として刊行された経緯から、一部の巻において雑誌原稿では用いることの出来ない薄墨を用いて、単色ではなくグレースケールで印刷する試みがなされている。 また第4巻刊行後、青心社から設定解説資料や短編を収録した『アップルシード データブック』が刊行され、後に本編新装版に合わせて内容を一部変更した『アップルシードid』として再版された。 1988年4月21日に発売されたOVAで、初のアニメ化作品。監督と脚本は片山一良が手がけている。当初は「ガイナックス制作の劇場用アニメ」と報じられたが、後に60分ほどのOVAと訂正された。またガイナックスは直接制作には携わらず、実制作はAICとセンテスタジオが担当することも明らかになった。 原作の多脚砲台が暴走するエピソードをベースに、作品を理解しやすいようにストーリーが手直しされている。やや密度の薄い出来となっているが、その分、一読しただけでは何がどうなっているのかわからない難解な原作漫画の骨格がわかりやすくなっている。キャラクターデザインをスタジオぴえろ制作の魔女っ子シリーズを手掛けていた洞沢由美子が担当しているため、絵の雰囲気が原作とはまったく異なるが、主人公ふたりは少し茶目っ気のある言動もあり、アニメ化作品の中で原作の雰囲気にいちばん近い。また偏執的に描き込まれた原作に比べて全体的にこだわりの少ない描写の中で、銃器描写は実在する銃(デュナンのコルト・ガバメントや当時の最新鋭モデルであったオーストリア製のグロック17など)を登場させたりとリアルに描いてある。 OVAのプロモーション用に、バンダイが発行していた月刊模型誌「B-CLUB」の企画で製作したブリアレオスとデュナンのコスチュームを使用した実写ショートフィルムが制作された。デュナン・ナッツ役には白人女性を起用している。ショートフィルムは「プレリュードフィルム」というタイトルで、後に発売されたDVDに特典映像として収録された。
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アップルシード
OVAのプロモーション用に、バンダイが発行していた月刊模型誌「B-CLUB」の企画で製作したブリアレオスとデュナンのコスチュームを使用した実写ショートフィルムが制作された。デュナン・ナッツ役には白人女性を起用している。ショートフィルムは「プレリュードフィルム」というタイトルで、後に発売されたDVDに特典映像として収録された。 第3次世界大戦後の地球。荒廃した世界を統合管理局が立て直し、亜人類バイオロイドによって運営される実験理想都市「オリュンポス」が作られた。生き残った人間はその中でバイオロイドと共存しながら平和に暮らしていた。しかし、いまだ廃墟のままの外の世界から侵入した「自由人間解放同盟」を名乗るテロリストが暗躍しており、オリンポスは彼らに対抗するために特殊部隊を結成した。その隊員であるデュナンとブリアレオスは、バイオロイドと人間に関する機密情報の奪い合いに巻き込まれてしまう。 DVD特典のプロモーション用実写映像。 世界で初めてフル3Dライブアニメという表現手法によって映像化された作品。3Dライブアニメとは3DCGをセルアニメのような画風に変換するトゥーンシェーダーと、登場人物のリアルな動きを可能とするモーションキャプチャ技術を融合させた手法を示す造語である。セルアニメに近い画風でありながら、従来のアニメーションと比べ、自由なカメラワークやよりリアルな動きが表現できる。2004年4月17日の劇場公開を待つことなく、続編の制作が発表された。 原作者の士郎はノータッチである。監督の荒牧伸志は士郎の世界観を壊さずに一般の客層へのアピールを行うことを留意したという。 主人公デュナンは、声優が顔のモーションキャプチャー(フェイシャルキャプチャー)を行い、それ以外のシーンでは2名がアクションシーンと演技シーンを分担してモーションキャプチャーを行っている。声と顔の演技を務めるのは小林愛、全身の演技を三輪明日美が担当。アクションシーンをアクション女優の秋本つばさが担当している。 多脚砲台の登場シーンでは怪獣映画の要素を取り入れている。荒牧は「夜の街で多脚砲台が送電線を横切る」というカットについて、スタッフからの「未来都市に送電線があるのか」「夜景で黒い多脚砲台は見えづらい」という指摘を押しのけて強引に入れ込んだと述べている。
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アップルシード
多脚砲台の登場シーンでは怪獣映画の要素を取り入れている。荒牧は「夜の街で多脚砲台が送電線を横切る」というカットについて、スタッフからの「未来都市に送電線があるのか」「夜景で黒い多脚砲台は見えづらい」という指摘を押しのけて強引に入れ込んだと述べている。 DVDは続編公開時点までに、全世界で42万枚以上を売り上げるなど、好調なセールスを記録した。 2007年10月20日に続編『EX MACHINA -エクスマキナ-』が公開された。プロデューサーは『フェイス/オフ』や『M:i:2』等を監督したジョン・ウーが担当。 衣装デザインはファッションブランド、PRADAのミウッチャ・プラダ。 音楽監修を細野晴臣が担当。元YMOの三人(細野、坂本龍一、高橋幸宏)がHASYMO名義でメインテーマ『RESCUE』を書き下ろしている。その他、テイ・トウワ、コーネリアス、m-flo、rei harakamiなどが名を連ねている。 キャストについてはデュナン役は前作から引き続いて小林愛が担当するが、それ以外のキャラクターについては大幅なキャストの変更が加えられている。映像も前作よりリアル調のシェーディング・テクスチャが施されている。 副題の「EX MACHINA」はラテン語のデウス・エクス・マキナという言葉から来ている。意味は「機械じかけの神」、転じてご都合主義的な話の展開などを表すネガティブな言葉である。 『アップルシード α(Appleseed Alpha)』は、3作目となる長編アニメ。2014年7月に欧米を中心にビデオスルー公開、日本では2015年1月に劇場公開された。原作第一巻をベースとしたリブート作。荒牧伸志による長編アニメ三作目で、過去の二作品よりも更に実写的なCGスタイルで制作された。
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アップルシード
『アップルシード α(Appleseed Alpha)』は、3作目となる長編アニメ。2014年7月に欧米を中心にビデオスルー公開、日本では2015年1月に劇場公開された。原作第一巻をベースとしたリブート作。荒牧伸志による長編アニメ三作目で、過去の二作品よりも更に実写的なCGスタイルで制作された。 2008年3月30日、東京国際アニメフェアにて『APPLESEED GENESIS』(アップルシード・ジェネシス)のタイトルで、全編3DCGのテレビアニメを製作することが発表された。オリュンポスが完成する以前、理想郷の完成を阻止しようとするテロリストたちとデュナン・ナッツらESWATとの戦いが描かれるオリジナルストーリーで、各話30分全26話で2009年春より放送予定であった。製作は3Dアニメーションで定評のあるミコット・エンド・バサラ、監督は3DCGのインディーズ作家として同じく士郎正宗原作の『警察戦車隊 TANK S.W.A.T. 01』のアニメーションを監督し、メジャーのテレビシリーズ監督はこれが初となるロマのフ比嘉、キャラクターデザインは美樹本晴彦。海外販売を前提にしていたため、通常のテレビアニメと異なり、放送開始までに全話数の制作を完了することを目指し、放映1年前のこの時点で既に制作に入っていた。 しかし、2008年9月にアニメ制作会社ラディクスモバニメーションが、制作元のミコット・エンド・バサラを制作代金の未支払いを理由に提訴。その後、2011年にミコット・エンド・バサラが倒産したため、製作は中止となった。 アップルシード XIII(サーティーン)」は、「アップルシード」の映像作品としては初の、全13話(=サーティーン)からなる完全新作アニメシリーズ。2011年6月より、劇場での期間限定上映、ネット配信、Blu-ray Disc・DVD発売を同時展開。 2011年6月13日より劇場リミックス版「アップルシード XIII 〜遺言〜」、同年10月24日より「アップルシード XIII 〜預言〜」が公開。 宮川輝により漫画化され、『月刊アフタヌーン』(講談社)2011年12月号より2013年6月号まで連載された。
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アップルシード
2011年6月13日より劇場リミックス版「アップルシード XIII 〜遺言〜」、同年10月24日より「アップルシード XIII 〜預言〜」が公開。 宮川輝により漫画化され、『月刊アフタヌーン』(講談社)2011年12月号より2013年6月号まで連載された。 ストーリーはアニメ本編のシナリオをほぼなぞる形になっているが、ラストシーンなど一部はオリジナルの展開で再構築されている。また、原作や過去のアニメ化作品のオマージュと思われるシーンが多く、アニメ本編には登場しない立法院の七賢老、大佐、アルゲス、吉野、A-10(ボルト、ジャンク)が登場したり、デュナンとブリアレオスの恋愛関係が強く押し出されたラブコメ的な場面もたびたび登場する。細密なメカニック描写やアクションシーンが高く評価される一方で、独特の画風やキャラクターのデフォルメ、関西弁を多用したセリフ回しは賛否両論となっている。 余談であるが、作者の宮川輝は今回のコミカライズの依頼があるまで漫画のアップルシードを読んだことがなく、担当者を驚かせたという。 大武完による『アップルシード』のスピンオフ小説。同じ世界を舞台にした外伝。 非核大戦の動乱はハワイにも及んだ。味方の裏切りによる殺戮をかろうじて生き延びたルシア、ゲンゾー、シフォンの三人は、ヒトミに救助されてオリュンポスに入植する。 1988年5月5日にキングレコードから発売されたイメージアルバム。OVA版の事実上のサウンドトラック的な内容のドラマCDだが、ドラマパートのキャストはOVA版とは異なる。 スーパーファミコンおよびPlayStation 2用として『アップルシード EX』が発売されている。また、オンラインゲーム『アップルシード タクティクス』としても展開されている。 『アップルシード EX』(アップルシード エクス)は、2007年2月15日にセガが発売した ガン&ファイティングアクションゲーム。製作はドリームファクトリー。
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アップルシード
スーパーファミコンおよびPlayStation 2用として『アップルシード EX』が発売されている。また、オンラインゲーム『アップルシード タクティクス』としても展開されている。 『アップルシード EX』(アップルシード エクス)は、2007年2月15日にセガが発売した ガン&ファイティングアクションゲーム。製作はドリームファクトリー。 漫画を題材に2004年に劇場公開された映画『APPLESEED』を元にしている。ゲーム中に流れるムービーなどは監督である荒牧伸志と同映画でCGを担当したデジタル・フロンティアが製作するなど、映画との連動を強く打ち出しているものの、ゲームの内容についてはファミ通レビューにおいて過去の最低点より一つだけ上(40点満点中13点)という評価がなされている。 アップルシード XIII(サーティーン)のマルチプラットフォーム対応ブラウザ型ソーシャルゲーム。
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高橋留美子
高橋 留美子(たかはし るみこ、1957年〈昭和32年〉10月10日 - )は、日本の女性漫画家。有限会社るーみっくプロダクション代表取締役。新潟県新潟市出身。血液型A型。 1978年『勝手なやつら』でデビュー。代表作に『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』『境界のRINNE』など。特にラブコメディを得意としており、そのキャラクター造形は「萌え」の原型の一つとも言われている。 少年漫画の分野における女性漫画家の草分け的存在で、代表作はいずれもTVアニメ化されヒットを記録、長期シリーズ化され、単行本の世界累計発行部数は1995年に1億部、2017年には2億部を突破した。その独特の世界観はしばしば「るーみっくわーるど」と称され、作品集のタイトルにも用いられている。 新潟市中央区古町で産婦人科医院を開業していた高橋家の末っ子(2男1女の長女)として生まれる。 父・高橋光雄(1920年 - )は新潟県の医学者で俳人の中田瑞穂(俳号「中田みづほ」)、高野素十に俳句を学んだ「高橋卯木」の俳号を持つ俳人であり、河童を題材にした水墨画を好んで描く画家でもあった。医院の創設者である曽祖父・高橋辰五郎は明治時代に大阪の産婦人科医、緒方正清(緒方洪庵の義理の孫)の下で研修し、帰郷後は新潟県の近代産婆(助産師)教育に貢献している。 幼少期から兄の持ち物であった少年漫画を愛読し、中学の頃から漫画を描くようになり、『週刊少年サンデー』・『月刊漫画ガロ』などに作品の投稿を始める。 高校在学中、同級生であった近藤ようこと共に漫画研究会を設立、同級生にはアニメーターの後藤真砂子もいた。またこの頃から筒井康隆を愛読するようになり、影響を受けてスラップスティックなSF作品を描いていた。2年生の時に40枚ほどの作品を『週刊少年マガジン』に投稿するも落選、一時は漫画家になるのを諦めたという。 高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え で独立し上京。大学(日本女子大学)では同人作家としても活動し、目白花子と漫画研究会「(没)」を設立。会誌『びびっと』上などで作品を発表していた。その一方で大学1年生の終わり頃から劇画村塾に入学し小池一夫に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。
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高橋留美子
高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え で独立し上京。大学(日本女子大学)では同人作家としても活動し、目白花子と漫画研究会「(没)」を設立。会誌『びびっと』上などで作品を発表していた。その一方で大学1年生の終わり頃から劇画村塾に入学し小池一夫に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる。 在学中の1978年、投稿作「勝手なやつら」で第2回小学館新人コミック大賞少年部門佳作を受賞(同期の漫画家に早見純がいる)。少年誌でSF的な作品を描こうとして編集者に何度も制止された経験を持つ吾妻ひでおは、当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという。 1978年サンデー39号よりSFコメディ『うる星やつら』の連載を開始。約1年半の不定期連載の後、大学卒業を機に同人作家から本格的に漫画家に転身することとなり、1980年春から同作品の週刊連載を開始。 さらに1980年秋から並行して、青年誌『ビッグコミックスピリッツ』にて『めぞん一刻』を、連載開始(当初は月刊、のち月2回、1986年4月より週刊)。デビュー直後は画力が低かったものの、この頃から画力が安定し現在の絵柄を確立した。1987年まで2つの人気作品の連載をこなし、少年誌&青年誌という作風の広さから知名度を高めた。 1987年冬に『うる星やつら』、春に『めぞん一刻』の両作品が相次いで終了し、同年夏から格闘技を題材にしたコメディ『らんま1/2』の連載を開始、この作品は「子供が読んでも楽しい漫画を」 と、より低年齢層を意識して描かれ、ギャグ要素が初期の『うる星やつら』並みに強い作品となった。同年春に『1ポンドの福音』の連載を開始し、不定期連載となる。 1996年冬に『らんま1/2』を終了し、同年秋から『犬夜叉』の連載を開始。かねてから興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素を減らしたシリアスな路線を取った。
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1996年冬に『らんま1/2』を終了し、同年秋から『犬夜叉』の連載を開始。かねてから興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素を減らしたシリアスな路線を取った。 2008年夏に『犬夜叉』を連載終了。翌2009年春から連載を開始した『境界のRINNE』では、バトル要素を残しつつ、原点であるギャグ要素やコメディ色を強めに戻しよりハートフルな作風が描かれている。2017年冬に同作品の連載を終了し2019年春からは再びシリアスな怪奇ロマン長編『MAO』の連載を開始している。 高橋の作品の多くは英語や他のヨーロッパ言語に翻訳されている。高橋は、なぜ自分の作品が英語話者に人気があるのかはわからないと語った。 高橋とその作品に影響を受けたと述べているアーティストには、『スコット・ピルグリム』を著したカナダのブライアン・リー・オマリー、アメリカ合衆国のコリーン・クーヴァー(英語版)、中国系オーストラリア人のクイニー・チャン(英語版)、タイのウィスット・ポンニミットがいる。スコットランドのロックバンド、ウルセイ・ヤツラは、高橋のヒット作『うる星やつら』に因んで名付けられた。『シャンティ』シリーズのクリエイターであるマット・ボゾンは、彼の作品に大きな影響を与えたものとして『らんま1/2』を挙げた。2015年、「犬夜叉」に一部インスピレーションを得たインド映画「プリ」。ヴィジャイ(俳優)が半虎鬼、高橋留美子「犬夜叉」に似た強力な虎鬼を父に演じる。 2016年、コミックスアライアンスは、高橋を生涯の功労を認めるに値する12人の女性漫画家の内の1人として挙げた。 自身を「未だに中二病」というほどオタク症で、中学・高校とずっと漫画を描き続けてきた。友達や同級生にもプロの漫画家がたくさんいる。そうした環境で、少女漫画よりは少年漫画をずっと読んできた。サンデーの当時の編集長は高橋のことを「すごいのが来た、天才だ」と評し、デビュー。大学の漫画研究会出身で、初の連載でヒットという極めて稀な例であった。 影響を受けた漫画家として「赤塚先生や藤子先生に影響を受けてマンガを始めた」と述べ、憧れとしてちばてつやや永井豪、池上遼一を挙げた。本人曰く「実は池上遼一先生に会うためにマンガ家になったといっても過言ではないんです(笑)」と語っている。
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高橋留美子
影響を受けた漫画家として「赤塚先生や藤子先生に影響を受けてマンガを始めた」と述べ、憧れとしてちばてつやや永井豪、池上遼一を挙げた。本人曰く「実は池上遼一先生に会うためにマンガ家になったといっても過言ではないんです(笑)」と語っている。 2018年現在は小学館新人コミック大賞の審査員も務めている。 作詞家の岩里祐穂は高校時代の同級生。 「るーみっくわーるど」は、もともとは『うる星やつら』に付けられたキャッチコピーであり、『めぞん一刻』を共に立ち上げた2人目の担当編集者が考えたことがきっかけで生み出された。そのため、それ以前は「爆笑モンスターギャグ」というキャッチコピーだった。これをきっかけに、作品集のタイトルおよび世界観を総括した言葉としても用いられるようになった。 ギャグやコメディ作品で、両手の中指と薬指を曲げ、親指と人差し指と小指を伸ばしたポーズが良く出てくる。「ちゅどーんポーズ」、「るーみっくポーズ」、「るーみっくサイン」などと呼ばれる。これは、キャラクターがぶん殴られて吹っ飛ばされるドタバタシーンなどで、痛そうに見えないように「余裕」を見せるということで用いている。"I love you"を意味するハンドサイン(en:ILY signを参照)と同じ手の形であるが、それは偶然の一致で、"I love you"の意味は後から知ったと高橋は語っている。 ※は単行本未収録作品。 週刊少年サンデー創刊50周年記念として、「高橋留美子展 It's a Rumic World」が2008年7月から2010年3月まで全国各地で開催された。 会場では主に『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『らんま1/2』、『犬夜叉』を中心としたカラーイラスト原画や、あだち充、青山剛昌など有名作家34人が『うる星やつら』のラムを描いた「My Lum」等が展示された。また、これに伴い『うる星やつら』・『らんま1/2』・『犬夜叉』3作品のオリジナル短編アニメーションが新規製作され、会場内で上映された。この3作品のアニメはDVD『It's a Rumic World スペシャルアニメBOX』(2010年1月29日発売、完全予約限定商品)に収録されている。さらに、同年10月20日にこれら3作品が単巻Blu-ray、DVDで発売された。
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高橋留美子
アシスタントは山本貴嗣を除いて全て女性である(ただし上条はデビュー後性別を公表していない)。
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ゲーム
ゲーム(英: game)は、勝負、または勝敗を決めること。守るべきルールがあり、環境または他人との相互作用を元に行われる行為または活動である。競技性を高めることで「スポーツ」になる。 日本語へ取り入れられた際にプレイ(英: play)と混同され、国内では和製英語として、「遊び」や「遊戯」、近年では「競技」の意を包含して使用されることもある。そのため本項では「ゲーム(勝負)で遊ぶ」にも重点を置いた解説をするが、当然ながら日本以外では遊戯の意を含まないことには留意する必要がある。 英語のゲーム自体には遊びという意味は無いが、スポーツやアクティビティと同じく、それを楽しみ遊ぶことは当然ある(Play the game.という言い回しなど)。この場合でも、playという言葉は単に参加して楽しむという意味として使われ、gameにも勝負という意味しかなく決して娯楽やレジャーという意味は含意されていない。 以下はよく使われるゲームの定義である。 哲学者のウィトゲンシュタインは、探究のなかで、カテゴリ化に関する議論のなかでゲームの定義を議論した。おそらくゲームを定義づけようとした最初の議論と考えられている。ゲームと呼ばれているものは、ルールや競争を共通の要素として持っている。しかし、彼は、どのようにゲームを定義づけようとしても、必ずその定義から外れてしまうような「ゲーム(とみなされる活動)」があると述べ、しかしそれでもなお、ゲームと呼ばれるものには一定の類似点(家族的類似性)によってゆるやかにまとまっていると主張した。 フランス人社会学者のロジェ・カイヨワは、著書『遊びと人間』("Les jeux et les hommes")のなかで、以下のようにゲームを定義した。すなわち、楽しみのために行なわれること、時間と場所が区切られていること、勝敗が不確定であること、何かを生産するものではないこと、法律やルールに支配されること、現実の活動から意識的に切り離されていることをゲームの参加者が知っていることである。また彼は、playに対応するパイディアPaidea(娯楽)の類型に対するものとして、ルール的制約をもちgameに対応するルドゥスLudus(闘技)を提案した。
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ゲーム
ゲームデザイナーのグレッグ・コスティキャンは雑誌Interactive Fantasyの記事 'I Have No Words & I Must Design' において、例えば『シムシティ』の作者ウィル・ライトが自分の作品を(「ゲーム」ではなく)「toy(おもちゃ)」であるとしている言葉などを引きつつ、ゲームとは「充分な情報の下に行われた意思決定 (decision making)をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理 (managing resources)しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標 (goals)達成を目指す」ものであるとした。 ゲームデザイナーのクリス・クロフォードは二分法の一連を使ってゲームという用語を定義することを試みた。: したがって、クロフォードの定義は次のようにされるかもしれない:遊ぶアクティブなエージェントとの、互いに干渉できるインタラクティブでゴール指向の活動。 エニックス元社員のJUNZOは著書「人生ドラクエ化マニュアル」(ワニブックス、2015年、ISBN 978-4847093395)の中で「ゲームとは目的を達成する為のルールに基づいた敵との楽しい闘い」と定義した。さらに、この定義に基づき「目的」「ルール」「敵」をゲームの三大要素だとした。そして、あるものに、このゲームの三大要素(「目的」「ルール」「敵」)を導入することにより、そのあるものをゲーム化できる、というゲーム化理論を考案した。 ゲームのルールあるいはゲームのプレイに必要な情報は、プレイヤーの間でよく知られたものと仮定される(完備情報の仮定)。 ゲーム理論そのものは、(そのような名前ではあるが)ここで扱っている「ゲーム」を研究することは主な目的ではないが(ちなみに、そちらはゲーム研究という)ゲーム理論において状況の分析などに使う分類はゲーム研究でも有用なため、しばしば流用される。まず前述のように、一般にここで扱っているようなゲームでは、完備情報ゲーム or 不完備情報ゲーム という分類では、完備である。
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ゲーム
ゲーム理論そのものは、(そのような名前ではあるが)ここで扱っている「ゲーム」を研究することは主な目的ではないが(ちなみに、そちらはゲーム研究という)ゲーム理論において状況の分析などに使う分類はゲーム研究でも有用なため、しばしば流用される。まず前述のように、一般にここで扱っているようなゲームでは、完備情報ゲーム or 不完備情報ゲーム という分類では、完備である。 一般によく使われる表現に「人数 / (非)ゼロ和 / (無|有)限 / (不)確定 / (不)完全情報」という5要素を並べたものがある。例えばチェスなど多くの伝統的ボードゲームの分類である「二人零和有限確定完全情報ゲーム」などである。以下の節のうちのいくつかは、この分類法中に含まれるような話題を扱っている。 ゲームはしばしば、必要とされるコンポーネントによって分類される(ミニチュアゲーム、球技、カードゲーム、ボードゲーム、コンピュータゲームなど)。よく皮革が使用される場所で、ボールは歴史を通じてポピュラーな試合の部品であり、結果としてラグビーフットボール、バスケットボール、フットボール、クリケット、テニス、バレーボールなどの球技は世界的に人気になった。他のツールは一定の地域に特有である。たとえば、ヨーロッパの多くの国ではユニークなトランプの標準的なデッキを持っている。チェスなどのほかのゲームは主にそのゲームのピースの開発と発展を通じて追跡されるかもしれない。 多くのゲームのツールはトークンであり、他のものを表すことを意図される。トークンはボード、プレイマネー、または得点などの無形のアイテムの質入であることがある。 かくれんぼまたは鬼ごっこなどのゲームはどのような明白なツールも使用しない。むしろ、それらのインタラクティブ性は環境によって定義される。環境が変更されるならば、同じ、または同様な規則を持つゲームは違うゲームプレイを持つかもしれない。たとえば学校の建物でのかくれんぼは公園の同じゲームと異なる。オートレーシングは同じ車によってもレーストラックまたはストリートレースのコースに依存して根本的に違うことがある。 ランダム性(乱数的な要素)の有無という視点である。確定ゲーム (deterministic game) と不確定ゲーム(確率的ゲーム、probabilistic game) といった用語がある。
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ランダム性(乱数的な要素)の有無という視点である。確定ゲーム (deterministic game) と不確定ゲーム(確率的ゲーム、probabilistic game) といった用語がある。 probabilistic gameの例として、各種トランプゲーム、まわり双六、バックギャモンなどがある。トランプゲームにおいてはカードをシャフルする(かき混ぜる)事がランダムさの源で、まわり双六やバックギャモンにおいてはサイコロの目に従うことがランダムさの源である。 deterministic gameの例としては囲碁、将棋、チェス、チェッカー、ダイヤモンドゲームなどがある。これらのゲームでは偶然の要素はないが、将棋などの「振り駒」で先手、後手を不確定ゲームで決めることは行われる。 ゲームがもし「塗りあい勝ち負けを決めるスプラトゥーン」だとしても、競う相手は一人からでも楽しむ事のできるゲームも数多く存在する。 一人で楽しむ事のできるゲームはソリテール(ソリティア)、もしくはペーシェンスと呼ばれる。ソリテールの多くは、事前目標に到達できたことを「勝ち」、そうでないことを「負け」とも考えられる。 ソリテールにはボード、カードなどを使うものも昔から多様な種類が存在することも知られている。一人で遊ぶ事を主眼としたコンピュータゲームなどはソリテールに分類する事もできる。 ソリテール以外のゲームに、参加する人数が固定しているもの=例えばの話だが囲碁、将棋、コントラクトブリッジなどと、そうでないもの=例えばの話だがポーカー、7並べ、ババ抜きなどがある。固定しなくても、上下限があるものも数多く存在している。 販売戦略上、コンピュータゲームやボードゲームなど利用者が一人で遊ぶゲームを「シングルプレイヤーゲーム」と呼ぶことがあるが、実際はコンピュータやサイコロを使ったランダムな自然現象と対戦しているので、本稿のシングルプレーヤーゲームとは意味合いが異なる。
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ゲーム
販売戦略上、コンピュータゲームやボードゲームなど利用者が一人で遊ぶゲームを「シングルプレイヤーゲーム」と呼ぶことがあるが、実際はコンピュータやサイコロを使ったランダムな自然現象と対戦しているので、本稿のシングルプレーヤーゲームとは意味合いが異なる。 ほとんどのゲームは複数のプレイヤーを必要とする。しかし、シングルプレイヤーゲームは、プレイヤーが直面している挑戦のタイプとしてユニークである。ゲームのゴールに到着するために互いに張り合っているマルチプレイヤーゲームと違って、シングルプレイヤーゲームは環境(人工的な相手)の要素に対する、自分のスキルに対する、時間に対する、またはチャンスに対するのみの戦いである。ヨーヨーで遊び、壁を背景としてテニスをすることは、一般的に、手ごわい相手の欠如のため試合と認められない。 コンピュータが記録や対戦相手が意識できる単純な計算をするのみであるならば、ゲームは正当にシングルプレイヤーとされることがある。また高度な思考と間主観性を必要とするが、一人の人間が、あらかじめ各アクターの目標や制約を定めたうえで複数のアクターに「分裂」してゲームをすることが可能である。 「シングルプレイヤー」と評された多くのゲームは実際にはパズルまたはレクリエーションと名づけられるかもしれない。 囲碁、将棋、オセロなどは、現在の相手の手がすべて分かるという意味で、隠された情報がないゲームである(完全情報ゲーム)。 これに対し、ポーカー、麻雀などは、相手の手など、プレイヤーから隠された情報を推測するという要素の加わるゲームといえる(不完全情報ゲーム)。 電子ゲームではなくおもちゃである。 ゲームの必勝法探索問題それ自身の困難性は、今のところ定義されておらず、ゲームのクラスに対する必勝法探索問題の困難性が定義されている。 ハミルトンゲームはNP完全問題である。(先手後手あわせて)n手で終了するゲームの必勝法を探索する問題は に属する。 (一般化された)しりとりはPSPACE完全問題である。 尚、二人零和有限確定完全情報ゲームには必勝法があることが知られている。
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ゲームの必勝法探索問題それ自身の困難性は、今のところ定義されておらず、ゲームのクラスに対する必勝法探索問題の困難性が定義されている。 ハミルトンゲームはNP完全問題である。(先手後手あわせて)n手で終了するゲームの必勝法を探索する問題は に属する。 (一般化された)しりとりはPSPACE完全問題である。 尚、二人零和有限確定完全情報ゲームには必勝法があることが知られている。 ゲームがしばしばそれらのツールによって特徴付けられ、また規則によって定義される。規則がハウスルールに左右され、規則の十分な変化は結果として通常「新しい」ゲームを生じさせる。たとえば、野球は"本当の"野球によって、またはウィッフルボールによって行われる。しかし、プレーヤーが、3つだけのベースによって遊ぶと決めるならば、彼らは間違いなく違うゲームをしている。いくつかのゲームが意図的に自身の規則の変更に関係していることを例外として、そのときでさえしばしば不変のメタ規則が存在する。 ルールは一般にターンオーバーと、プレイヤーおよび各プレイヤーのゴールの権利と責任を決定する。プレイヤーの権利は、資源を使用することやトークンを動かすことを含む。よくある勝利条件は、最初にポイントまたはトークンの一定の割合を貯蔵すること(カタンの開拓者たちなど)、ゲームの終わりにより多くのトークンを持つこと(モノポリーなど)、ゲームのトークンを特定の条件に置くこと(チェスの詰みなど)である。 ゲームのツールと規則は結果としてスキル、戦略、運またはそれらの組み合わせの必要性を生み出すであろうし、それに応じて分類される。
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ゲーム
ゲームのツールと規則は結果としてスキル、戦略、運またはそれらの組み合わせの必要性を生み出すであろうし、それに応じて分類される。 スキルのゲームはレスリング、綱引き、石蹴り、ライフル射撃、スケートなどの物質的なスキルのゲームとイングリッシュドラフトとチェスなどのメンタルスキルのゲームを含む。戦略ゲームはイングリッシュドラフト、チェス、囲碁、アリマア、三目並べを含み、しばしば特別な道具を必要とする。運のゲームはギャンブルゲーム(ブラックジャック、麻雀、ルーレットなど)、および蛇と梯子やじゃんけんを含む。多くはカードやサイコロなどの機器を必要とする。しかし、ほとんどのゲームはこれらのうち2つまたは3つの要素を含む。たとえば、アメリカンフットボールや野球は物質的なスキルと戦略の両方に関係し、ティドリーウィンク、ポーカー、モノポリーは戦略と運を結合する。多くのカードゲームとボードゲームは3つすべてを結合する。ほとんどのトリックテイキングゲームやリスク、カタンの開拓者たち、カルカソンヌなどの多くの戦略的なボードゲームは、メンタルスキル、戦略、および運の要素に関係している。 ローンゲームは、一般に「フィールド」またはピッチより小さい、刈り取られた草(または等級付けられた交互の土)のエリアにある芝の上で行えるアウトドアのゲームである。ピッチの上で伝統的に行われる多くのゲームのバリエーションは家庭の前庭や後庭での使用のために「ローンゲーム」としてマーケティングされる。メジャーなローンゲームはホースシュー、ショルフ、クロッケー、ボッチェ、ローンボウルズ、およびスケートを含む。
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卓上ゲームは一般に、遊びの要素が小さい領域に制限され、通常ゲームのピースを置き、回復し、動かすことのみで構成され、激しい運動を必要としないゲームを指す。したがって、これらのゲームんほとんどは、プレイヤーが座り、ゲームの要素が存在するテーブルで行われる。さまざまな主要なゲームの型は一般に卓上ゲームのうちに入る。このカテゴリー、特にパーティーゲームに分類される多くのゲームが、遊びにおいてもっと自由な形式で、たとえ、基本的な前提が、ゲームが広い領域、大量の力やスタミナ、箱に入らない専門的な機器を必要としていないことであっても、パントマイムなどの身体活動に関係することを行うことが可能であることには注目する価値がある(時々、鉛筆と紙のようなものが必要になる)。 ゲームのこの分類は、関係しているスキルの要素が手先の器用さまたは手と目の統合と関連しており、コンピュータゲームを除くあらゆるゲームを含む。ジャックス、ペーパーフットボール、ジェンガなどのゲームは、非常にポータブルな、または即席で作られた機器のみを必要とし、あらゆる平面で行われる一方、ピンボール、ビリヤード、エアホッケー、テーブル・フットボール、テーブルホッケーは専門的なテーブルまたは試合用のその他の内蔵モジュールを必要とする。テーブルホッケー、ビリヤード、ピンボール、テーブル・フットボールは私的および公的なゲームルームで人気のある備え付け品であり続けるが、ホームビデオゲームシステムの出現は主としてテーブルホッケーなどのこれらのいくつかを取り替えた。これらのゲームは、反射とコーディネーションを必要としているので、一般に酔った人によってより不十分に実行されるが、結果として怪我を受けることがありそうにない。このようなゲームはドリンキングゲームとして人気がある。さらに、クォーターズなどの専門のドリンキングゲームもまた身体的な調整力に関係し、同様な理由のために人気がある。
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ボードゲームは、プレイヤーのステータス、資源、進歩が、物質的なトークンを使用して追跡されるボードを中心的なツールとして使用する。多くはサイコロやカードを使用する。(戦略的な戦闘をシミュレーションするために多くのコンピュータゲームが作成されたが)戦争のシミュレーションをするほとんどのゲームはボードゲームであり、ボードはプレイヤーのトークンが移動するマップであることである。事実上全てのボードゲームは「ターンベースの」遊びに属する。1人のプレイヤーが考え、移動し、そして次のプレイヤーが同じことをし、プレイヤーは順番に作用できるのみである。いくつかのカードゲーム、ほとんどのスポーツ、ほとんどのコンピュータゲームのような「リアルタイムの」遊びに反する。 チェス、囲碁、将棋、オセロなどのいくつかのゲームは完全な決定論であり、興味は戦略要素のみである。一方では子どものゲームは非常に幸運ベースである傾向がある。たとえばキャンディランドは作成される決定の要素を事実上全く持っていない。他のボードゲームは戦略と幸運の要素を結合する。バックギャモンは2つのサイコロのロールに基づいた最もよい戦略的な動きを決定することをプレイヤーに要求する。トリビアゲームは、人が得る問題に基づいたたくさんの無作為性を持っている。ユーロゲームは、多くのボードゲームより幸運のファクターがやや少ないことがしばしば存在することについて有名である。 ボードゲームのグループは、上で述べられているトリヴィアゲーム、ユーロスタイルボードゲームのほかにレースゲーム、ロール・アンド・ムーブ・ボードゲーム、アブストラクトゲーム、言葉遊び、ウォー・シミュレーションゲームを含む。いくつかのボードゲームは複数のグループに属し、他のジャンルの要素を含んでいる。たとえば、クラニアムはひとつの人気のある例であり、プレイヤーは4つの主要なスキルのそれぞれに成功しなければならない:芸術性、ライブパフォーマンス、トリヴィア、語学力。 子供は楽しがって遊ぶだろう。
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カードゲームは中心的なツールとしてカード一組を使用する。これらのカードは、標準的な52枚の英米式トランプデッキ(コントラクトブリッジ、ポーカー、ジン・ラミーなどを行う)、違うスート記号による32、36、40枚の地域的なデッキ(ドイツのスカートなど)、78枚のタロットカードのゲームのデッキ(ヨーロッパでトリックテイキングゲームを行うために使用される)、あるいは個々のゲームに特有のデッキ(セットや1000ブランクホワイトカードなど)であることがある。UNOとロークは元来標準のデッキとされたが、その後カスタマイズされたデッキが商品化された例である。マジック:ザ・ギャザリングなどのいくつかのトレーディングカードゲームは大きな入手可能なセットから個々に収集されるか購入されるカードの小さなセットによって行われる。 いくつかのボードゲームはゲームプレイの要素として、通常ランダム化のために、またはゲームへの注意を継続させるためにカード一組を含む。逆に、スコアを維持するために、クリベッジなどのいくつかのカードゲームはムーバーとボードを使用する。そのような場合の2つのジャンルの間の区別は、ゲームのどの要素が真っ先に作動しているかに依存する。ランダムな行動のためにカードを使用しているボードゲームは通常ランダム化のほかの方法を使用でき、一方クリヘッジはちょうど同じぐらい容易に紙に得点を記述することができる。使用されるこれらの要素は、単に目的を達成する伝統的でもっとも容易な方法である。
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ダイスゲームは中心的な要素として多くのサイコロを用いる。ボードゲームはしばしばランダム化要素のためにサイコロを用い、サイコロの各ロールはゲームの結果への深い影響を持っているが、サイコロがゲームのほかの要素の成功か失敗かを判断しないので区別される。代わりにこれらがゲームをする人の中心的な指示者である。有名なものにはヤッツィー、ファルクレ、ブンコ、ブラフ、デュド、ポーカーダイスなど。サイコロが、ごく自然に、見たところ乱数の生成を行うようにデザインされるので、これらのゲームは通常運の占める程度が高い。プレイの戦略的な要素を通じて、そして確率論の教義を通じてある程度プレイヤーが指示することができる。このゲームはギャンブルゲームとして人気がある。ブラフやポーカーダイスは本来ギャンブルゲームとして考えられたが、現在おそらくもっとも有名な例はクラップスである。 ドミノゲームは多くの点でカードゲームと同様であるが、代わりの一般的な機器は、2つの終わりを持ち、それぞれにいくつかの数のドット(あるいは「目」)が置かれ、上で現れる2つの可能な終端の値がセットの中にユニークであるような、ドミノと呼ばれるタイルのセットである。ドミノゲームは、主にマッチしている他のドミノの終端にプレイヤーの「手」からドミノをプレイしている中心に置くことによってプレイされる。このとき全体のオブジェクトは、すべてのオープンな終端を与えられた数に達せさせるため、あるいは単にボードの上に人の手からすべてのドミノをプレイするために、常にプレイを作ることができるかもしれない。セットは一つの終端の可能なドットの数の中で、およびピースの組み合わせの数によってさまざまである。歴史的に最も一般的なセットはダブル・シックスであるが、最近はダブル・ナインのようなより「拡張」されたセットが導入されている。これはゲームにおいてより大きな手と多くのプレイヤーの参加を許す。マギンズ、メキシカントレイン、チキンフットは非常に人気のあるドミノゲームである。42は"トリックテイキング"カードゲームに非常に類似しているドミノゲームである。
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伝統的なドミノのバリエーションは以下の通りである:トリオミノは理論において同様であるが、三角であり、1つのタイルあたり3つの値を持っている。同様に、クアッドオミノスとして知られているゲームは4角形のタイルを使用する。 いくつかの他のゲームはカードの代わりにタイルを使用する。ラミーキューブはアングロ・アメリカン式トランプに非常に類似している、4色の間でランクを上げていくことを数えるタイルを使用する、カードゲームラミーの同種である。麻雀はカード風の値と絵によるタイルのセットを使うラミーに非常に類似している別のゲームである。 最初に、プレイするゲームのほかの要素の上で、ボードのレイアウトを形成するために、いくつかのゲームはグラフィカルなタイルを使用する。カタンの開拓者たちとカルカソンヌがその例である。それぞれの中で、「ボード」は一連のタイルからなる。カタンの開拓者たちの中で、最初のレイアウトはランダムであるが静的であり、カルカソンヌではゲームはタイルごとのボードである「建物」によってプレイされる。ボードを全く持っていないが、ピースを動かすためにタイルを使用する抽象的な戦略ゲームハイブはチェスに類似しているメカニカルで戦略的な要素を持っている。ピース自身がレイアウトを形成し、また動くことができる。 この種類のゲームは文房具以外の専門的な機器をほとんどまたは全く必要としない。ただし、ボードゲームとして商品化される(たとえば、スクラブルはクロスワードパズルのアイディアに基づき、ボックス型のグリッドとピースによる三目ならべセットは商業的に入手可能である)。これらのゲームは多様であり、ピクショナリーのような描かれたデザインに注目しているゲームや、スプロウツのような"点と点を結ぶ"ゲーム、ボッグルやスカッテルゴリエスなどの文字と言葉のゲーム、数独やクロスワードパズルなどのソリテールとロジックのパズルゲームがある。
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推理ゲームは、1人のプレイヤーが知っている情報をコアとして所持し、オブジェクトは、テキストまたは話された言葉の中で事実上それを漏らさない情報の断片を推理することを他人に強いることである。ジェスチャーはおそらくこのタイプのもっとも有名なゲームであり、キャッチフェイズ、タブー、ピクショナリーなどの、通信のタイプの異なる規則に関係しているたくさんの商業用のバリエーションを生み出した。このジャンルはまたウィン、ルーズ・オア・ドロー、パスワード、および25000ドルのピラミッドなどの多くのゲームショーを含む。 球技などのスポーツの試合というゲームがあるが、そういうゲームとのかかわりかたは、試合に参加する方法と、見て楽しむという方法がある。 スタンリー・フィッシュは、社会的なとりきめによる規則の操作の明白な例として、野球のボールとストライクを挙げた。ストライクゾーンというのは人々がそれがあるとみなすことに互いに合意した場合だけ存在している。物理的な実体はまったく無い。人々の心の中の決めごとによって生み出されているのである。そして、どの投球も、権限を与えられた審判員の判定によって「ストライク」とか「ボール」などと声でラベルを付けて分類されるまで、ボールでもストライクでもない。 なお、すべてのスポーツがゲームというわけではない。たとえば競走や体操などは、近代オリンピックにおいてどう扱われていようが、クロフォードなどの定義によるゲームにはあたらない。彼らは間接的な方法で互いに挑むのみである。直接的に相手に干渉したりはしない。 1950年代や1960年代から大型計算機ではしるゲームソフトを書いて遊ぶ人たちがいた。 1970年代後半にパーソナルコンピュータが登場してからは、パーソナルコンピュータを買える年齢の大学生や大人たちの間でゲームソフトがさかんに制作された。 また1983年に任天堂からファミリーコンピュータというゲーム専用コンピュータが発売されてからは価格の安さと専用機の扱いやすさのおかげで爆発的に普及し子供たちがコンピュータゲームをするようになった。
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1970年代後半にパーソナルコンピュータが登場してからは、パーソナルコンピュータを買える年齢の大学生や大人たちの間でゲームソフトがさかんに制作された。 また1983年に任天堂からファミリーコンピュータというゲーム専用コンピュータが発売されてからは価格の安さと専用機の扱いやすさのおかげで爆発的に普及し子供たちがコンピュータゲームをするようになった。 それぞれの属する世代や、各人の経済力により、コンピュータ関連の「ゲーム」が指す意味は異なっている。たとえば1980年代にマイクロコンピュータを買えた世代にとって「ゲーム」と言えばマイコンゲームであったし、1980年代にまだ子供でパソコンが買えずファミコンしか買ってもらえなかった子供にとっては「ゲーム」と言えばファミリーコンピュータのゲームだったし、その後たとえばPlayStationで遊んで育った世代にとっては「ゲーム」と言えばPlayStation + ソフトを意味した。現代の幼い、まだ母親から借りたスマホしか触っていない幼稚園児・保育園児は「ゲーム」と言えば、スマホのゲームアプリのことだと思っている。 コンピュータゲームはコンピュータをゲームルールの情報処理に深く利用している。コンピュータは、カードまたはサイコロなどの、人あるいは人工知能との間でのゲームで使用されるバーチャルなツールを作成することができるか、ゲームプレーをとおじて処理できる現世の、もしくはファンタスティックなものよりずっと精巧な世界をシミュレーションすることができる。 ビデオゲームでは1つ以上の入力デバイスを使用する。アーケードゲームでは一般的に押しボタンとジョイスティックの組み合わせである。パーソナルコンピュータ用ゲームではキーボード、マウス、トラックボールである。ゲーム機ではゲームコントローラまたはモーションセンシティブツールである。パドルコントローラなどのより難解な機器も入力のために用いられる。コンピュータゲームにおいて、単純なキーボードからマウス、ジョイスティック、ジョイパッドにいたるまでのユーザーインタフェイスの発展はゲームの開発の性質を大きく変更した。
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ゲーム
多くのジャンルのビデオゲームが存在する。最初の商業用ビデオゲームポンは卓球の簡単なシミュレーションであった。処理パワーの増大に伴い、アドベンチャーやアクションゲームなどの新しいジャンルが開発された。これが障害の一連を通じて第三者の眺望からキャラクターを誘導しているプレイヤーに関係した。この「リアルタイム」要素は、一般に「ターンベースの」戦略に制限されるボードゲームによって容易に再現されない。この有利さは、ビデオゲームがより現実的に戦闘などの状況をシミュレーションすることを可能にする。さらに、コンピュータゲームの遊びは実世界の表現と同じ物質的なスキル、力、危険を必要とせず、空想的な自然、物質的な暴力を伴っているゲーム、またはスポーツのシミュレーションの要素を許し、非常にリアルだが、誇張されるか不可能な物理学を提供できる。最後に、シングルプレイヤーのよってプレイすることができるシミュレーションを引き起こし、コンピュータは成功のさまざまな程度によって、チェスなどの伝統的なテーブルゲームにおいて1人以上の人の相手をシミュレーションすることができる。 サンドボックススタイルゲームとして知られるより無制限のコンピュータシミュレーションにおいて、ゲームは、プレイヤーが自由にこの宇宙の限界の中で好きな何かをすることができるかもしれないバーチャルな環境を提供する。時々、ゴールの不足または欠如があり、これは、これらが「ゲーム」または「おもちゃ」のどちらと考えられるべきであるかについてのいくらの討論を起こした(クロフォードは特におもちゃの例としてウィル・ライトのシムシティに言及する。) タイムシェアリング方式の電話回線でつないだコンピュータの時代から、オンラインゲームは一応行われていた。PLATOなどの初期の商用システムは厳密に教育的な分野と少なくとも同じくらいゲームによって有名であった。1958年、Tennis for Twoは訪問者の日を支配し、ブルックヘブン国立研究所のオシロスコープに注意を引きつけた。1980年代、パロアルト研究所は主にメイズウォーによって知られていた。それは訪問者に実地のデモとして提供された。パソコンで遊べるゲームはフラッシュゲームなどもある。とはいえ、これはアメリカの研究所の研究員の話であり、世界中の一般人はこんなことはできなかった。
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ゲーム
一般の人々にとっては、1980年代後半のパソコン通信の時代でもオンラインゲームはあまり一般的ではなかった。1990年からすこしづつインターネットが普及したが、最初は従量制で時間あたりの料金が高すぎて、おまけに回線速度もとても遅かったので、オンラインゲームは普及しなかった。普及したのは、プロバイダー同士の競合が激化して、安い定額料金が設定され安心して遊べるようになり、回線の高速化つまりブロードバンドや光回線が一般的になってからである。 現在のオンラインゲームはインターネット接続を使用して行われる。いくつかがクライアントプログラムを献呈した一方、ブラウザゲームはウェブブラウザのみを必要とする。いくつかのより簡単なブラウザゲームは、ビデオゲームをほとんどしない人口統計のグループ(特に女性と中年)にアピールする。 コンピュータゲームは出現したニューメディアのランドスケープの全てのセクタでよく設立される。メディアは、1つだけの方法を循環する伝統的な方法からインタラクティブな方法へ変換する。これはビデオゲームの世界中で広がっている現象である。これは、オンラインとオフラインの空間が別れずに「合併される」と考えられることができる方法の明白な例である。) 社会的変化と開発の結果としてメディアの客の特徴が変化する。彼らはアクティブになり、これまでよりもっと対話する。この現象において、ゲームのプレイヤーは私たちの社会の中での構成に似ている。彼らは両方とも自動調節であり、彼ら自身の社会規範を作成していて、ゲームのコードを通して、そして時々、それを実行する人々によるゲームの取締りを通じて、規則と強制に縛られる。取り締まられる価値はゲームによって変わる。ゲーム文化の中にエンコードされた価値の多くはオフラインで文化的な価値を反映するが、ゲームはまたチャンスを強調の選択肢に提供したり、ファンタジーと遊びの名において価値を鎮圧する。新しい世紀のゲームのプレイヤーは現在見たところゲームを通じて深い自身を表現している。彼らが匿名のステータスによって遊ぶことができるときに、急ぎ、また一度も外出したことがないポジションから外に進むことを発見できる。それらはコンピュータ技術のインタラクティブで浸水の可能性に基づいた新しい体験と楽しみを提供する。
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コンピュータゲームで対戦を行うことは、1983年発売のファミリーコンピュータでも、1994年発売の初代PlayStationでも行われていた。コントローラーが2つ付属しており、2人が同時にプレイでき、2人で対戦するためのゲームソフトも販売されていたからである。ネットワークにつながなくても対戦を楽しむことができた。PS2のグランツーリスモ3 A-specでのプレーヤ2人での対戦は、ただコンピュータゲームというだけでなく、プレーヤたちは互いの車をぶつけあって干渉しあうので、クロフォードの定義の「ゲーム」にも該当する。 近年、PCゲームで対戦を行うことがさかんになり、対決試合の大会まで行われるようになり、最初はスポーツ系・肉体系の動作を表現したゲームから始まり、その直接的な競い合いぶり、そのぶつかりあいの激しさに、これはもうスポーツだ、ということでeスポーツと呼ばれるようになった。たとえば『ストリートファイター』の対戦など、自分のキャラは相手のキャラに激しく干渉しており相互作用が起きており、クロフォードの定義の「ゲーム」にも該当する。 RPGとしばしば省略されて呼ばれるロールプレイングゲームは、通常、参加者が虚構の設定上で活動するキャラクターの役割を受け持つタイプのゲームである。本来のロールプレイングゲームという用語が指す、テーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)とも呼ばれるこれらのゲームは通常、テーブルに向かい合った複数人の参加者によってプレイされ、筆記具と紙を用いたフィクションの展開に終始傾注する。 プレイヤーたちは協力して、彼らのキャラクターに関連した設定を作り、その設定を発展させ、探求し、また他人になりきって日常生活の枠を飛び越えた冒険を経験することになる。今日のテーブルトークロールプレイングゲームは、伝統的なジャンルの境界を越えて、様々な作品が作られており、戦闘重視なものから、よりストーリー重視なものまで、数百種類のゲームが存在している。
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ゲーム
プレイヤーたちは協力して、彼らのキャラクターに関連した設定を作り、その設定を発展させ、探求し、また他人になりきって日常生活の枠を飛び越えた冒険を経験することになる。今日のテーブルトークロールプレイングゲームは、伝統的なジャンルの境界を越えて、様々な作品が作られており、戦闘重視なものから、よりストーリー重視なものまで、数百種類のゲームが存在している。 ロールプレイングゲームという用語は、今日ではコンピュータRPGを指すためにも使われる(日本ではより一般的でもある)。あらかじめプログラムされた状況とストーリーを単独のプレイヤーが遊ぶゲームであることが多いが、インターネットの発達により、MORPG、MMORPGと呼称される小規模・大規模の複数プレイヤーが参加するコンピュータRPGも存在する。 また、一人で、コンピュータを用いずにプレイできるテーブルトークロールプレイングゲームとして、ゲームブックなども存在する。 なおコンピュータを用いず、ロールプレイング形式で行われるシミュレーションについては、「シミュレーション」を参照。 ビジネスゲームはインタラクティブなボードゲームから、違う支柱(ボール、ロープ、輪など)と活動のさまざまな種類に関係しているインタラクティブゲームまでのさまざまな形式を取ることができる。これらのゲームの目的は組織的な性能のいくつかの面にリンクし、ビジネスの発展についての議論を生成することである。多くのビジネスゲームは組織的な行動に注目する。これらのいくつかがコンピュータシミュレーションである一方、他方はプレイと情報の聞き出しによるシンプルなデザインである。チームビルディングはそのような活動の共通のフォーカスである。 用語「ゲーム」はさまざまな活動のシミュレーションまたは再現を含み、訓練、分析、予測などのさまざまな目的のために「実生活」で使うことができる。有名な例は軍事演習と役割演技である。この意味の根は、先史時代に端を発するかもしれないことが、原始文明を観察することから人類学によって推論された。それにおいて、子どものゲームは重要なほどに狩猟、戦争、看護、などの大人の活動を真似する。これらの種類のゲームは現代に保存される。
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ゲーム
シミュレーションのうち、未来予想・未来予測を目的とし、ロールプレイング方式で行うものはゲーミング・シミュレーションと呼ばれる。コンピュータに依拠した科学的なシミュレーションとはやや異なり、交渉で生まれる間主観性の有無を重視するため、国際政治の研究や1.5トラックで用いられることが多い。とりわけ危機対応を想定した危機管理シミュレーションは、コンピュータシミュレーションに必要な変数の抽出が不足するため、ロールプレイング方式で行われることが多い。また大学教育では、アクティブ・ラーニングの一環として環境、教育学、まちづくり、国際関係、防災など多分野で導入されている。 (⇒詳細はシミュレーション を参照) デザインゲーム(design game)とは、まちづくりにおけるシミュレーションの一種で、具体的な空間計画等を行う際に、空間イメージをシミュレーションし、目標のイメージを関係者で共有するための手法。ワークショップのような集会において、参加者が意見やアイデアをだし合い、実際に設計やデザインに参加する。ワークショップ形式での新しい公園やまちを計画する際など住民参加型の計画に用いられる。種類として、将来の町の姿をシミュレーションする「ライフデザインゲーム」や 町の更新をシミュレートする「建替えデザインゲーム」など各種ある。
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コンピュータゲーム
コンピュータゲーム(表記揺れ多数あり〈後述〉)とは、コンピュータの機能を使って動作するゲームの日本語における総称。あるいは、コンピュータ上で動作し、コンピュータと人間の間で行うゲームのこと。もしくは、コンピュータを利用したゲーム、および、そのプログラム。 「ビデオゲーム(英: video game)」は、語としては成り立ちが異なるが、多くの点で結果的に同義である(区別なく用いられたり区別されたりする)。 名称については「名称」節で詳説する。 日本語「コンピュータゲーム(表記揺れ:コンピュータ・ゲーム、コンピューターゲーム、コンピューター・ゲーム)」は、使用する機器とディスプレイ装置およびゲームソフトの供給媒体の違いから、以下のように分類される。 なお「電子ゲーム」という語は、狭義ではLSIゲーム(大規模集積回路を利用したゲーム)のことだが、広義ではLSIゲームとコンピュータゲームとを合わせた総称である。 日本語では、コンピュータ化したものという意味合いでコンピュータゲームを「デジタルゲーム」とも呼び、そう呼ぶ場合は、コンピュータゲーム以外のゲーム(非電源ゲーム)をこれと対比して「アナログゲーム」と呼ぶ人も一部にいる。だが、この「デジタル」および「アナログ」という用法は、本来の意味とは異なる、日本語独自の俗用にすぎない。
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コンピュータゲーム
日本語では、コンピュータ化したものという意味合いでコンピュータゲームを「デジタルゲーム」とも呼び、そう呼ぶ場合は、コンピュータゲーム以外のゲーム(非電源ゲーム)をこれと対比して「アナログゲーム」と呼ぶ人も一部にいる。だが、この「デジタル」および「アナログ」という用法は、本来の意味とは異なる、日本語独自の俗用にすぎない。 デジタル(ディジタル)ゲームという言葉は1975年頃には使用され、テレビを介する場合のテレビゲームの語も使われたが、1980年代初頭の段階ではテレビを使わない小規模な電子回路のゲーム機をデジタルゲームと呼び、両者は部品に一部共通点があるが別の意味の言葉だった。1980年代末には既存のボードゲームなどを意味する「アナログゲーム」なる言葉が使われ始め、同時期には『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』発売の騒ぎやサウンドトラック『交響組曲「ドラゴンクエストIII」そして伝説へ...』の発売でコンピュータゲームの音楽が、それまで「ファミコン音楽」と呼ばれていたのが「ゲームミュージック/ゲーム音楽」と呼ばれるようになり、ゲームという単語でコンピュータゲームを意味するようになっていた。1996年頃には新聞でもデジタルゲームとの見出しの記事があるが流行の1つともいえたため時が立つにつれて使用頻度が減っていったが、日本デジタルゲーム学会の設立もあり、学術用語やマニア向けに語が広まっていった。 英語では、コンピュータの信号をビデオモニターに出力して表示していた時代が長かったことから、"video game"という語を用いるのが通例。英語と日本語の対応については、英語の"video game"と日本語の「コンピュータゲーム」の語義が近く、"computer game"や"PC game"に語義が近いのは「パソコンゲーム」や「PCゲーム」である。また英語の"electronic game"は、日本語の、広義の「電子ゲーム」と同義である。
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史上初のコンピュータゲームとされるものは、1947年にコーネル大学卒業生のアメリカ人トーマス・T・ゴールドスミス(英語版)およびエストル・レイ・マン(Estle Ray Mann)によって開発された陰極線管娯楽装置(cathode ray tube amusement device)である。次いで、1952年にEDSAC上でプログラムされた『OXO』が開発された。1961年に開発された『スペースウォー!』はミニコンピュータで開発され遊ばれた、初の汎用コンピュータ用のゲームである。ここまではコンピュータゲームは好事家による趣味の域を脱していなかったが、1971年にノーラン・ブッシュネルがスペースウォーを改良した『コンピュータースペース』を開発し、これが世界初のコンピュータ式アーケードゲームとなったことで、産業化が始まった。翌1972年に最初に商業ゲームとして成功したのはアタリのアーケードゲームの『ポン』だった。 同年にはラルフ・ベアによって世界初の家庭用ゲーム機である「オデッセイ」が開発された。また1977年発売のAtari 2600ではカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムが採用され、このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた。
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コンピュータゲーム
同年にはラルフ・ベアによって世界初の家庭用ゲーム機である「オデッセイ」が開発された。また1977年発売のAtari 2600ではカートリッジでプログラムを供給するカートリッジ交換式のシステムが採用され、このAtari 2600によってテレビゲームのイメージがほぼ確立されたが、1982年にいわゆるアタリショックが起きた。 日本においては1970年代末より広まったアーケードゲームにおけるLSIゲーム(電子ゲーム)が、コンピュータゲームの産業化のはしりと言え、1978年に『スペースインベーダー』が登場することで一大ブームを巻き起こした。家庭用ゲーム機も1980年代に入るといくつか登場したが、なかでも1983年に発売されたファミリーコンピュータは社会現象となるほどの爆発的な売れ行きを記録し、ほかのハードを圧倒して家庭用ゲーム機の代名詞となった。その後もコンシューマーゲームの成長は続き、PlayStationやセガサターン、NINTENDO64といった新ハードの発売も進んで、1996年に日本国内の家庭用ゲーム市場規模は最大となった。しかしその後は家庭用ゲーム販売は減少傾向となり、2006年には携帯用ゲームソフトの販売が据え置き用のそれを上回った。しかしこのころにはすでにモバイルゲームの急速な躍進が始まっており、2009年から2011年にかけてはフィーチャーフォン向けのソーシャルゲームが急成長を遂げ、その後2011年以降はスマートフォン向けのゲームに切り替わった。 日本においては国立国会図書館法の一部を改正する法律が2000年10月1日に施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。日本標準産業分類においては、コンピュータゲームのソフトウェア産業は情報通信業に分類され、なかでも情報サービス業に区分される。ゲーム産業は、テクノロジー/ビジネスモデル/コンテンツデザインによって「変質しながら成長していく巨大な森」といわれる。
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コンピュータゲームの市場は成立以降急速に拡大を続け、一大産業へと成長した。2018年のコンピュータゲームの総売上は13兆1774億円と推定されており、そのうち90%以上がデジタル配信ゲームであり、パッケージゲームの売り上げは1割以下となっている。また、売り上げはアジア、北アメリカ、ヨーロッパの順に多く、この3地域の売り上げは95%近くにのぼる。日本国内のコンピュータゲーム売上は2018年に1兆6704億円となっており、このうちスマホゲームが1兆1660億円、家庭用ゲームが4343億円を占めた。ゲーム企業の売上は年ごとの変動が激しいが、2017年のゲーム事業売り上げデータでは、テンセント、ソニー、Apple、マイクロソフト、アクティビジョン・ブリザードの順となっていて、また、この年任天堂は9位、バンダイナムコは10位となっていた。また、コンピュータゲームを「人対人」や「チーム対チーム」の競技として行い競技大会を開催するエレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)も盛んとなってきている。 一般のゲームと全く同様に、コンピュータゲームに関しても、理論的な「人数 / (非)ゼロ和 / (無|有)限 / (不)確定 / (不)完全情報」というような分類が応用できる。コンピュータゲームの特殊性としては、(プログラム等の提供者を信じる限りにおいて)第三者として対戦ゲームなどの信用できる判定者としてコンピュータを利用できる、(「ゲーム性」の点で疑問はあるかもしれないが)プレイヤーは眺めるだけといった「0人ゲーム」といったものが(非電源ゲームなどと比較して)割とありえる、といった点がある。 以下は、よりコンピュータゲーム固有の事情や観点からの分類である。 ここではビデオゲームやデジタルゲームの特徴として、非電源ゲームであるボードゲーム、テーブルゲーム、カードゲームなどとの対比を述べる。 コンピュータゲームは、そのプラットフォームによっていくつかに分類される。
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コンピュータゲーム
以下は、よりコンピュータゲーム固有の事情や観点からの分類である。 ここではビデオゲームやデジタルゲームの特徴として、非電源ゲームであるボードゲーム、テーブルゲーム、カードゲームなどとの対比を述べる。 コンピュータゲームは、そのプラットフォームによっていくつかに分類される。 ゲーム専用機によってプレイされるゲームは、アーケードゲームとコンシューマーゲームの2つの区分がある。アーケードゲームは業務用ゲーム機によって提供されるゲームで、個人向けでなく企業向けのプラットフォームであり、ゲームセンターや遊園地などに設置されることが多く、大型の専用筐体を用いた大型筐体ゲームも存在する。コンシューマーゲームは家庭用ゲーム専用機によって提供されるものを指し、据え置き型ゲーム機によるテレビゲームと、小型で持ち運びしやすい携帯型ゲームの2種類が存在する。またコンシューマーゲームは、任天堂やソニーのようなゲーム機(ハード)を製造する企業と、ゲームソフトのみを製造しハードをプラットフォームとしてのみ使用する企業の2種類が存在し、こうしたソフト専業企業をゲーム業界ではサードパーティーと呼ぶ。 ゲーム専用機以外のハードウェアによってプレイされるゲームは、パーソナルコンピュータを利用してプレイするパソコンゲームと、携帯電話やスマートフォン、スマートデバイスなどを使用するモバイルゲームとに分かれる。また、DVDなどの再生機能つきゲーム機でプレイすることのできるDVDプレイヤーズゲーム/UMDプレイヤーズゲーム/BDプレイヤーズゲームといったものも存在する。古くはVHDゲームやLDゲームといったものがあり、特に後者はLD-ROMやMEGA-LDといったハードもあった。 「大型筐体ゲーム」という用語もプラットフォームによる分類の一種である。 アーケードゲームビジネスはコンピュータゲーム以前から存在しており、それらのゲーム機、特にビデオゲームのコンピュータ化が、1970年代のコンピュータゲームビジネスのルーツの一つである(『Pong』はビデオゲームであるが、最初の製品の時代にはコンピュータは使っていない)。
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コンピュータゲーム
「大型筐体ゲーム」という用語もプラットフォームによる分類の一種である。 アーケードゲームビジネスはコンピュータゲーム以前から存在しており、それらのゲーム機、特にビデオゲームのコンピュータ化が、1970年代のコンピュータゲームビジネスのルーツの一つである(『Pong』はビデオゲームであるが、最初の製品の時代にはコンピュータは使っていない)。 1970年代のコンピュータゲームとしては、メインフレームやミニコンピュータ上で作られ遊ばれたものもあるが、前者はデモンストレーション用といった位置付けが強い。後者は『スペースウォー!』のようにアーケードゲームに発展したものもある。しかし最も多いのは『スタートレック』のように、次に述べるマイコンゲームになったパターンであろう。1970年代後半から急速に発展したパソコン(当時の呼称はマイコン)では、当初は自作や、公開されたプログラムリストによって自由に流通するプログラムの中の1ジャンルとしてゲームは人気のある分野であったが、ビル・ゲイツの努力(en:Open Letter to Hobbyistsを参照(1976))などもありパソコン向けプログラム製品を商品とした市場ができると、パソコンゲームも商品となるようになった。 続いて、家庭用のテレビゲームがあらわれた。前述のアーケードやこれらのゲーム専用機は、1970年代のものは1機種につき1種類のゲーム、ないし多くても十数種類程度の最初から内蔵されたゲームが遊べるというものであった。1980年代にあらわれたアタリや任天堂のテレビゲーム機は、プログラム(ソフトウェア)をカートリッジに搭載のROMで供給するという形態により、ゲーム機本体をプラットフォーム化し、ゲームソフト市場を作った。後にはより小型化されディスプレイを内蔵した携帯型ゲーム機も発売された。以上の類型をまとめて「コンシューマーゲーム」(コンシューマー=民生市場向け→「家庭用」)とも呼ぶこともある。家庭用ゲーム機はその生産台数の多さから、任天堂ファミコンの場合ではリコーの各IC、セガサターンのSH2、セガドリームキャストのSH4など、集積回路産業に影響を与える存在にもなった。
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アーケードのビデオゲームも高度化によりコストが高騰したこともあり、基本的な設計の流用から始まり、1990年代以降は多くの製品が何らかのプラットフォームをベースに設計されることがほとんどとなっており、カートリッジでソフトが供給されるようなプラットフォームもある。 LSIの高性能化などにより1980年代から1990年代にあらわれた電子手帳や携帯情報端末でも、ゲームを遊べるものがあった。近年は携帯電話やスマートフォン/スマートデバイスで遊べるゲームという形態となっている。 コンピュータの処理能力の進歩により映像表現や演出が高機能かつ多彩となっている。CGやシェーダ、アニメーション、バーチャルリアリティなど、機械学習/深層学習は特に話題を集めた。 コンピュータゲームが、特にゲームソフトがどのような経路でプレーヤーに届けられているかで分類する方法である。パッケージソフトウェア / ダウンロードゲーム(配信ゲーム)などと分類する。 なお、同人ゲームという同好の士たちが交換したり小規模に販売するゲームというものもある(インディーズゲームとも)。 以下に示すのは、既存のゲームジャンルを便宜的に区分して列挙したものである。既存のゲームジャンル幾つかに跨るものも存在し、それが新しいジャンルに発展したものもあるため、ジャンル分けも絶対的なものではない。テイルズ オブ シリーズのように独特のジャンル名が付けられる場合がある。 操作技能要求系はいわゆる反射神経や動体視力がものを言うゲームであるが、その幾つかでは要素の出現パターンが決まっており、それらの暗記が求められるものもある。またコントローラーの性質で、遊び易かったり遊びにくかったりするという要素も強い傾向がある。 操作技能不要系は即決的な判断よりも、熟考して判断することが重視されるゲームである。より複雑なゲームルールである傾向が強く、また、遊ぶ時間も他のジャンルに比べ、長くなる傾向がある。セーブで中断に対応するものも多い。ゲームのジャンルとしては、ロールプレイングゲームやウォー・シミュレーションゲームのように、コンピュータゲームが生まれる以前から遊ばれていたものや、ボードゲーム/カードゲームといった卓上ゲームをコンピュータで遊べるようにしたものも多い。
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コンピュータゲーム
統合系は幾つかのゲームジャンルの要素を組み合わせたり、またはゲーム以外の概念を既存ゲームに組んだものである。登場当初は確定したジャンルが存在しなかったものも多い。RPGにアクションゲームの要素が加えられたアクションロールプレイングゲーム(ARPG)やパズルゲームにリアルタイム性を持たせたアクションパズルがある。 リアルタイムストラテジー(RTS)は、シミュレーションゲームにリアルタイム性を持たせたものである。一時停止を使用しないことでプレイに緊張感を与え、ほとんどが戦闘を扱う。少人数のオンラインゲームに分類される。シミュレーションゲームにおける分類はウォー・シミュレーションゲームや歴史シミュレーションゲームとなる。マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ(MOBA)もある。 他には、脳トレ・学習ゲームという分類もある。 オンラインゲームはコンピュータネットワークを利用して機能するゲームのジャンルである。古くはパソコン通信などであったが、2000年代に於いてその多くではインターネットへの対応を見せる。スタンドアローンなゲームに対して用い、狭義では常にネットワークに接続した状態で行うものを表す。インターネットの普及に伴って遠隔地にいるユーザ同士がプレイを共有するゲームソフトが登場している。ネットの多人数参加型コンピュータRPGとしてMORPG/MMORPGがある。 プレイ人数による分類よりも他のプレイヤーとの関係による分類が有意と言える。2人対戦を基本とするゲームでも、アルゴリズム(人工知能)を対戦相手とした1人プレイのモードが存在する。これはコンピュータが対戦相手役を兼ねるものであり、プレイヤーが1人であってもゲーム内容は2人プレイと同質のものとなる。 複数人が同時にプレイするコンシューマーゲームにおいては家庭内でゲーム機を介して他人とコミュニケーションするという意味合いもあって、協力関係であるものと競争関係にあるものが主流となっている。複数のプレイヤーが相互に一人プレイを行う形態もレトロゲームや、ボードゲームや『モノポリー』といったパーティーゲームをコンピュータゲーム化したものに見られる。携帯型ゲーム機ではセーブデータを複数保持することで、同じロムカートリッジで(厳密には各々のプレイヤーが個別に遊べるだけではあるが)複数プレイヤーに対応するものもある。
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コンピュータゲーム
2000年代より急速に進歩を見せたオンラインゲームのように、コンピュータネットワーク(インターネット)経由で他のプレイヤーと協力ないし競争するタイプのゲームも増え、こちらでは特定人数による対戦形態からMMORPGのように、ほぼ無制限なプレイヤー人数と同じ仮想世界を共有する形態も、一般化の傾向が見られる。 おもに極端な特性を持つという理由から、プレイヤー層が限定されたり条件が示されたりする分類である。販売店で購入者の適格チェックが行われる場合もある。このような作品はいわゆる全年齢対象のような万人受けは最初から切り捨てて特定のプレイヤー層に特化しているため、老若男女に受け入れられるように配慮されていない。そのため対象プレイヤー層以外(成人向けゲームなら未成年者)には与えるべきではなく、また、場合によっては内容に関する注意・免責事項が必要であると考えられる。 ゲームの分類というのは、メーカーの意図どおりに行われるとは限らない。ゲームを販売する販売店側、通販側でも分類名を用意して行われることもあるし、プレーヤー側でも独特の分類が行われることがある。プレーヤーの特定の趣味嗜好に合うか合わないかで分類する場合もある。
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ゲームのタイトル一覧
ゲームのタイトル一覧(ゲームのタイトルいちらん)では、ゲームのタイトルに関する一覧を列記する。
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ゲーム会社一覧
ゲーム会社一覧(ゲームがいしゃいちらん)では、主に 「家庭用コンピュータゲームソフトウェアの開発(ゲームデベロッパー)または販売(ゲームパブリッシャー)を行う日本国内の企業」 を一覧にまとめる。 十分な記事を作成してから追加してください。
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民族音楽
民族音楽(みんぞくおんがく)とは、英語のethnic musicの訳語で、「民族(=共通の言語・文化を持つ人の集団)が固有に伝承してきた音楽」の意味。国語辞典には昭和50年代から載るようになった比較的新しい言葉だが、この語はさまざまな用いられ方をしており、注意を要する。 この節の出典は、学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「民族音楽」の項 もともとethnicには「異民族・異教徒」という意味があり、ethnic musicは「異民族・異教徒のエキゾチックで野蛮な音楽」というニュアンスがあった。歴史的にこの語は欧米で内外の異民族、特に異教徒や少数民族の音楽の特異な響きを指して用いられることが多く、ヨーロッパ人が自民族の音楽を指す言葉としては使わなかった。 日本に移入されたこの語は、(1)の意味から自国である日本を除外して「日本以外の非欧米の伝統的な音楽」の意味でつかわれた。近年は当たり前になったが、以前は例えば「フランスの民族音楽」などのような言い方はしなかった。伝統的な音楽への志向はまだ残っており、例えば「中国の民族音楽」と言った場合、京劇や民謡がすぐ思い浮かぶが、女子十二楽坊やラン・ランは通常含まない。 (1)(2)に含まれる西欧中心主義や自民族中心主義、および伝統的な音楽とそれ以外のジャンルを峻別する考え方への批判から、例えば「日本の民族音楽」といった場合、古典音楽・民謡・民俗芸能・歌謡曲やポピュラー音楽、日本人が作曲・演奏する西洋クラシック音楽に至るまでのあらゆる音楽を指すような用法が近年見られる。この立場を推し進めると「民族音楽」という語が不要になり、単に「○○の音楽」と言えばよいことになる。 基本的には(3)の立場に立つが、「○○の音楽」と言った場合に想起されにくい音楽を示すためにあえて「○○の民族音楽」という語を使う用法。近年はこうした用法が主流になって来ている。例えば「ドイツの音楽」と言った場合、どうしてもクラシックが思い浮かびがちだが、「ドイツの民族音楽」と言われれば民謡や民族舞踊の存在を意識する。 ロシア・中国・朝鮮などでは民族音楽という語をそのような意味で使っている。中国の用法では女子十二楽坊は立派に民族音楽である。中国・朝鮮では「民族楽器」「民族舞踊」と言う際の「民族」もほぼこれに準じる。
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民族音楽
ロシア・中国・朝鮮などでは民族音楽という語をそのような意味で使っている。中国の用法では女子十二楽坊は立派に民族音楽である。中国・朝鮮では「民族楽器」「民族舞踊」と言う際の「民族」もほぼこれに準じる。 「民族音楽」というより「エスニック・ミュージック」と呼ぶ場合が多い。民族衣装や民族料理を楽しむような気軽さで異民族の音楽のエキゾチックさを楽しむ際にこの用法が使われる場合があるが、エキゾチックさを強調することは(1)の用法に近い部分があり、注意を要する。 ここでは世界で行われている音楽全て(広義のワールド・ミュージック)から、近代的な商業音楽(ポピュラー音楽)と、ポピュラー音楽の影響で生まれた融合音楽(狭義のワールド・ミュージック)と、西洋芸術音楽(クラシック音楽)を除いた音楽、つまり(4)の意味での民族音楽について、世界各地域の概観を示す。 地域の区分は平凡社『音と映像による世界民族音楽体系』に準拠するが、旧ソ連地域はヨーロッパ、西アジア、中央アジア、チベット・モンゴル、極東シベリアに分割し、さらに極東シベリアをエスキモーと統合した。また地域名称は適宜現代的なものとし、それぞれに例を示した。 当然ながら、地域の分割は様々な文明論・文化論で示されている区分(例えばハンチントンの『文明の衝突』など)とかなり似てくる。 古代中国では三分損益法・十二律・五声(五音音階)という音楽理論と、さまざまな打楽器と琴、横笛とオカリナの仲間からなる儒教の儀式用の合奏が確立した。そこに西域からさまざまな楽器(琵琶など)や音楽が伝わり、6~8世紀には代表的なものが整理されて宮廷で公式に演奏された。これは七部伎(後に拡大され、九部伎や十部伎となる)と呼ばれ、奈良・平安時代の日本や朝鮮半島に伝えられた。その後はそれぞれ独自の発展を遂げ、中国では劇音楽が発達し、民間の音楽の中心的な存在となり、現在では京劇という名で伝わっている。日本では大陸から伝わった雅楽や声明(仏教音楽)の影響の下、能楽や歌舞伎などの新しいジャンルが生まれた。朝鮮半島では仮面劇が発達し、パンソリ(唱劇ともいう。一種の歌劇)が生まれている。なお、14世紀ころには胡弓や三弦が中央アジアから中国に伝わり、そこから朝鮮や日本にも伝わった。日本では三弦は三味線のもととなった。
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民族音楽
こうした歴史から、楽器は共通のものが多い。また、五音音階をどの国でも好んで使っているが、含まれている音は若干違いがある。朝鮮の音楽には三拍子系統のものが見られる。 京劇、民楽(伝統的な楽器を用いたアンサンブル)(中国) 仮面劇、パンソリ(朝鮮半島) 雅楽、声明、能楽、歌舞伎(日本) 島唄、エイサー(琉球)など モンゴルは、五音音階を使うことは中国・朝鮮・日本と共通している。音楽の主流は声によるもので、モリン・ホール(馬頭琴)やリンベ(竹製の横笛)で伴奏され、強烈な声量と細かい節回しを特徴とする。五音音階に含まれる音はド・レ・ミ・ソ・ラであり、中国とも共通する明るいもので親しみやすい。ホーミーと呼ばれる1人の演奏者が同時に2種類の声を発声する倍音唱法も見られる。(1) 喉の奥で発せられる一定した持続低音、(2) その低音に含まれる倍音を口腔の形を調整して発する高音の共鳴音で旋律をつくるというもの。どちらも広大な草原で声を届かせるためのものである。 チベットは、ラマ教音楽の誕生した地であり、同じくラマ教を信奉したモンゴルの音楽に影響を与えた。ただチベット文化は弾圧されており、充分に調査されているとは言い難い。 オルティン・ドー、ホーミー(モンゴル) 声明、ナンマ(チベット)など 非常に多様な地域であるが、大まかには北部と南部に分けることができる。パキスタンとバングラデシュは北部、スリランカは南部の音楽と共通性が高い。 インドの音楽は基本的には単旋律の音楽で、旋律楽器(声の場合もある。シタール(北)・ビーナー(南)のような弦楽器や、バーンスリー(北)やヴェーヌ(南)といった横笛、ダブルリード楽器などが使われる)と伴奏楽器(タンブーラ(弦楽器)とムリダンガム、カンジーラ、ガタム(南)・タブラ(北)のような打楽器)によって演奏される。伴奏のうち、タンブーラはドローン(旋律をささえるための1音、またはそれ以上の持続音)を担当する。
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民族音楽
旋律は22律による7音音階とラーガに基づく。1オクターブを22の音に不均等分割する音律から7音を選び出して音階にするが、現実にはこれは4分音を含むと言うことである。ラーガは旋律を演奏するルールのようなもので、使う音や音の順番、強調すべき音、終わりの音などを決めており、北インドでは72種類、南インドでは10種類あるとされる。リズムはターラに基づく。ターラは基本的なリズムパターンで、2拍や3拍の組み合わせでパターン化されており、一つの曲の中では一つのターラが使われ続ける。どちらもインドの音楽の基本であり、蛇使いの吹く笛もこの理論にきちんと当てはまる。 カタック、バラタナーティヤム(インド)など インドと中国両方の影響を受けた地域だが、インドの文化の方が基層にあり、ヴェトナム・フィリピンを除いてはインド文化圏の辺境と言えそうである。始めインドからヒンドゥー教と仏教が、13世紀以後はイスラム教が流入し、半島部では仏教が、島嶼部ではイスラム教とヒンドゥー教がそれぞれ優勢である。このような歴史からか、インドで3~4世紀に成立した「ラーマーヤナ」(ラーマ王子の物語。インドの叙事詩)を題材とする舞踊劇や影絵芝居が方々で見られ、音楽とともに上演されて人気を博している。 東南アジア独自の要素としては、青銅のゴング(銅鑼)やチャイム、青銅や竹や木製の鍵盤打楽器による野外の合奏が挙げられる。この地域では紀元前3~2世紀ころから儀式用のゴングが広く分布しており、これらは超自然的な力を持つと信じられてきた(ちなみにこれは日本にも伝わり、銅鐸となった)。そのような伝統に基づくものと考えられる。 音楽は基本的に5音音階の地域が多いが、調律は1オクターブをほぼ5等分や7等分するなど、中国ともヨーロッパとも大幅に違い、わざと濁った響きになるように作られている。調律が合わない時に発生する「うなり」が超自然的な力を持つと考えられたため。リズムは2拍子系だが、複数の声や楽器がからみ合い、非常に複雑なリズムを作り出す。 ガムラン、ケチャ(インドネシア) ワヤン(インドネシア・マレーシア) ピーパート合奏(タイ) ティンクリン(フィリピン)など
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民族音楽
ガムラン、ケチャ(インドネシア) ワヤン(インドネシア・マレーシア) ピーパート合奏(タイ) ティンクリン(フィリピン)など サハラ砂漠以北のアフリカをマグリブ(日が沈む地=西方の意)と言い、文化的には西アジアと連続体とされる。この地域の国々はほぼ全てイスラム教を信仰しており文化的にも近い部分が多い。アラビア語が広く話されているが、長い歴史を持つイランのペルシャ語(および近縁な言語、タジキスタンやアフガニスタン)、強勢を誇ったオスマン・トルコのトルコ語(および近縁な言語、アゼルバイジャン)も有力な言語である。 イスラム教の中では音楽を認める考えと邪悪なものとして退ける考えの対立が長く、キリスト教のように宗教儀式で公式に音楽を使うことはないが、聖典コーランの朗唱キラーアや1日5回の祈りを呼びかけるアザーンなどは大変音楽的に聞こえる。とくにコーラン朗唱には地域などにより何種類かあり,優秀者をたたえるコンクールもおこなわれる。 伝統音楽では、単旋律、即興的、メリスマ的(音が長く伸びながら上下に動く)、微分音(半音の半分の音程)の使用、非常に複雑な拍子(48拍子まである)、ウード、サントゥール(カーヌーン)、ネイ(尺八のような笛)、ダラブッカ(太鼓の一種)、ラバーブ、スルナーイ(チャルメラのようなダブルリード楽器)の使用など、共通する特徴が見られる。 なお、ウードは琵琶・リュート・ギターの、サントゥールはダルシマーやピアノの、カーヌーンはプサルテリウムやツィターやハープシコードの、ラバーブはバイオリン・二胡の、スルナーイはオーボエの祖先であり、長く先進地帯だったこの地域は楽器の宝庫である。また、オスマントルコ以来トルコはアラブ世界の音楽的中心地となったほか、古くから軍楽が見られ、その中で使われているシンバルやトライアングル、ナッカーラ(ティンパニの先祖)とともに、ヨーロッパの音楽に多大な影響を与えた。 サントゥールによる古典音楽(イラン) ベリー・ダンス(全域) メフテル(トルコ) レズギンカ(アゼルバイジャン・ダゲスタン)など
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サントゥールによる古典音楽(イラン) ベリー・ダンス(全域) メフテル(トルコ) レズギンカ(アゼルバイジャン・ダゲスタン)など カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギスと中国の新疆ウイグル自治区を指す。北のステップ地帯(シャーマニズムの影響が残る)と南のオアシス地帯(トルキスタン=トルコ族の地とも呼ばれる。西アジアの影響をいち早く取り入れた)に分かれる。どちらもトルコ系言語が主流であり、アナトリア半島に進出したセルジューク・トルコも中央アジアからイランを経てである。遊牧民の末裔が多く住み、イスラム教信仰やトルコ語・ペルシャ語(に近い言語)使用など、西アジア地域との歴史的・文化的な関係が深く、楽器は西アジアと共通するものが多く、明らかに西アジアの音楽用語が使われていたりする(シャシマコームとは「6つのマカーム」の意味で、マカームとはアラブ音楽の音階・旋法・旋律の意味である)。ただしカルナイ(長いトランペットのような楽器)はウズベキスタン・タジキスタンの楽器である。西アジアの音楽を主導したトルコの音楽の土台は中央アジア共通の民俗音楽であり、太鼓による軍楽の要素はトルコの軍楽のルーツである。 キュイ(カザフスタン) シャシュマコーム(ウズベキスタン・タジキスタン)など サハラ砂漠より南の地域は黒人の数が圧倒的に多い社会である。言語はスワヒリ語やズールー語などで、声調を持つことを特徴としている。2000を超すといわれる多数の部族の中で伝承されている音楽は、きわめて多様であるが、いくつかの共通する特色をもっている。(1)さまざまな宗教儀礼や祭りなどと深く結びつき、部族社会の生活との深い関係があること(2)音楽や歌の旋律が声調に対応していること。話し太鼓として知られるトーキング・ドラムは、その典型の一つ。(3)きわめて複雑で高度なリズム。同時にいくつかのリズム型を奏するポリリズム、複数のリズムが交錯するクロスリズムなど(4)即興性。踊りと太鼓、あるいは歌詩と旋律、楽器と楽器などの場合、伝統的な旋律やリズムの型をもちながら、状況や場所、演奏者の感情によって自由に組み替えられる。
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楽器でアフリカにおいて最も注目されるのは、マリンバ、バランキ、ティンピラ、バラフォンなど多くの呼称をもつ旋律楽器の木琴類である。ヒョウタンの共鳴器をつける場合が多い。この木琴類と同じく広範に分布するのが指ピアノとして知られるサンザである。使用される楽器は打楽器系が圧倒的に多いが、ナイジェリアなどイスラム文化の影響下にある地域では弦楽器を多く使用する。 バラフォンの演奏、トーキングドラムの演奏、グリオ(世襲の演奏者)の演奏(西アフリカ) 指ピアノの演奏(全域)など ほとんどの国がキリスト教を信仰している。教会で聖歌を歌う習慣がどの国にもあり、それぞれの民族音楽に影響を与えている。上流階級的な音楽はどの国も舞踏会だったり、オーケストラの演奏会だったり、オペラやバレエだったりであまり差はないが、お祭りや結婚式や酒場での歌・楽器の演奏・踊りなどの中に特徴的な民族音楽が見られる。 ヨーロッパの民族音楽に共通する特徴は以下の通り。 ただ、イスラム勢力に支配されていたことのあるイベリア半島諸国やバルカン半島諸国は、ドイツ・イタリアを中心とするヨーロッパ中央部の音楽とは音階やリズムにかなり違った特徴も見られる。特にバルカン半島諸国では奇数拍子や変拍子が良く見られる。また、東欧諸国では明らかに西欧諸国と違う地声による発声、輪舞を主とする舞踊など、共通性が見られる。ピレネー山脈、鉄のカーテン(概ねゲルマン民族とスラブ民族の境界線)、オスマントルコの最大時の国境線(バルカン半島諸国を示す境界線)、カトリックと正教の境界線など、よくヨーロッパの潜在的な境界線とされるものは、民俗音楽の特徴の違いにも表れている。 さらに、東欧諸国やイベリア半島にはジプシー(ロマ)がかなりの数いる。ジプシーはさまざまな町を移動しながら、音楽を演奏したり、金属を加工した馬具を販売したりして生活していた人たちで、インド北西部が発祥の地と言われている。ジプシーは職業音楽家としてこれらの国で人気を博し、これらの国の民族音楽に影響を与えたとされている。 フラメンコ(スペイン) ヨーデル(スイス) カンツォーネ(イタリア) チャールダーシュ(ハンガリー) コサック・ダンス(ウクライナ) チャストゥーシカ(ロシア) バグパイプ演奏(スコットランド)など
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フラメンコ(スペイン) ヨーデル(スイス) カンツォーネ(イタリア) チャールダーシュ(ハンガリー) コサック・ダンス(ウクライナ) チャストゥーシカ(ロシア) バグパイプ演奏(スコットランド)など 極東シベリアにはロシア人が進出する前から遊牧民・狩猟民・漁労民が生活しており、それぞれ固有の文化を今でも残している。極東シベリアでは口琴や団扇太鼓が広く使われているが、衣装がモンゴル・中国・アイヌ・日本のはっぴに少しずつ似ていたり、祭りの雰囲気が日本の東北地方を思わせたりするのが興味深い。エスキモーの文化はロシア・アメリカ・カナダからグリーンランドまで広がっているが、死霊を慰め狩猟(クジラ,クマ,アザラシなど)の成功を祈願する儀礼、歓迎や娯楽のために、踊りや太鼓をともなう歌をうたう。歌は個人の所有財産で、贈答も可能である。喉を緊張させ声門と横隔膜を震わせる発声法が用いられ、舌打ちや叫び声などが装飾的に使われる。やはり団扇太鼓の使用が見られる。 ジャンル名は明確なものはないが、歌・民族楽器アンサンブル・民族舞踊(極東シベリア)や歌・ドラムダンス(エスキモー)など ネイティブ・アメリカンについて書く。宗教や儀礼に関する踊りを伴い、太鼓やラットルで伴奏する歌が多い。歌は、夢や幻覚を通して超自然的存在から授けられるとし、演奏には呪術師が関わった。喉を緊張させた発声や裏声に特徴があり、エスキモーやシベリア原住民、南米のインディオとの共通性が感じられる。 ジャンル名は明確なものはないが、それぞれの部族に儀式の歌・祭りの歌・戦いの歌や踊りが見られる。 白人と黒人が長く反目を続けた北アメリカと違って人種間の混血が多かったのが南アメリカの特徴であり、音楽もそのような歴史を反映している。 どちらにせよ、踊りを伴う活発な音楽が特徴で、ラテンなどと呼ばれ世界的に人気がある。ルンバ、ハバネラ、マンボ(キューバ)、レゲエ(ジャマイカ)、サンバ(ブラジル)、マリネラ(ペルー)、タンゴ(アルゼンチン)など、この地域はリズムの宝庫である。 カンシオン・ランチェーラ、メキシカン・ハット・ダンス(メキシコ) グアヒーラ(キューバ) カポエイラ(ブラジル) フォルクローレ(ペルー)など
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どちらにせよ、踊りを伴う活発な音楽が特徴で、ラテンなどと呼ばれ世界的に人気がある。ルンバ、ハバネラ、マンボ(キューバ)、レゲエ(ジャマイカ)、サンバ(ブラジル)、マリネラ(ペルー)、タンゴ(アルゼンチン)など、この地域はリズムの宝庫である。 カンシオン・ランチェーラ、メキシカン・ハット・ダンス(メキシコ) グアヒーラ(キューバ) カポエイラ(ブラジル) フォルクローレ(ペルー)など ニューギニア島、オーストラリア、ニュージーランド、及び太平洋の島々(ハワイを含む)。東南アジアから船に乗って人類が広がっていったと考えられており、人が住み始めたのが最も遅い地域である。アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、日本などに占領され、影響を受け続けた歴史があり、西洋音楽の影響が見られる部分も多いが、近年独立し、自分たちの古来の文化を見直そうという動きが盛んである。全体的には、楽器の使用は控えめで、身体打奏(体をたたいて音を出したり、リズムをとったり)が広い地域で見られる。 フラ(ハワイ)、ヒメネ・ターラバ、オテア(タヒチ)、ティティトレア(ニュージーランド・マオリ族)など 音楽は、(マンダ教徒などを除けば)、およそあらゆる民族が持っているものであり、人間の文化には不可欠かどうかはともかく、あらゆる文化圏に於いて、それなりの音楽が存在すると広く信じられている。こうした主張は音楽人類学者のジョン・ブラッキングやアラン・メリアムらによって広められたものである。ただし、近年ではアメリカや日本のろう者の間で、自らを少数民族と位置づける論調もあり、彼らが(一切音響を用いない手話歌はともかく)一般的な意味においての音楽を排除する傾向にあることから、「あらゆる民族が音楽を持っている」という信念に反対する者もいる。
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村上もとか
村上 もとか(むらかみ もとか、本名:村上 紀香、1951年6月3日 - )は、日本の漫画家。東京都世田谷区出身、練馬区在住。男性。 父親が映画会社の美術部に勤務していたこともあり、幼い頃から絵に親しみ、少年時代にはプラモデルの箱絵の戦車や飛行機を描く日々を送った。また近所の女の子の家にあった少女漫画雑誌で「フイチンさん」を読み、満州への憧れを持つなど後の作風に繋がる影響を受ける。当初は小説の挿絵画家を目指すも、1960年代の漫画の隆盛を機に漫画に興味が移り、高校時代に手塚治虫が創刊した漫画雑誌『COM』の影響を受け、本格的に漫画家を目指すようになった。 神奈川県立大和高等学校卒業後は建築製図の職業訓練校に進むも中退し、近くに住んでいた漫画家の望月あきらのもとに押しかけ無理やりアシスタントにしてもらったが、半年後事情があってアシスタントチームが解散になり、そこから雑誌に漫画を投稿する日々を過ごした。 その後は中島徳博の下でアシスタントを務める。1972年、投稿した作品が編集者の目に留まり、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に掲載の「燃えて走れ」でデビュー。以降、同誌を中心に活躍するも、文芸的な志向や劇画的なタッチの自身の作風から限界を感じ、青年誌的な内容を含んだ作品を多く掲載していた小学館の少年漫画誌に活躍の場を移し、『赤いペガサス』(週刊少年サンデー)や『岳人列伝』(少年ビッグコミック)などスポーツを題材にした作品を発表、繊細な描写を含んだ力強い作風で注目を浴びた。 1981年には、『週刊少年サンデー』に連載を開始した『六三四の剣』が大ヒットを記録した。テレビアニメ(テレビ東京系)、ゲーム化に加えて、読者層である小学生の間で、剣道が部活動の人気になるほどの剣道ブームが起きたほか、迫力のある試合シーンや個性豊かな登場人物とその成長の過程を丹念に描き出したドラマ性は、子供ならず大人層からも注目を浴びた。
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村上もとか
1981年には、『週刊少年サンデー』に連載を開始した『六三四の剣』が大ヒットを記録した。テレビアニメ(テレビ東京系)、ゲーム化に加えて、読者層である小学生の間で、剣道が部活動の人気になるほどの剣道ブームが起きたほか、迫力のある試合シーンや個性豊かな登場人物とその成長の過程を丹念に描き出したドラマ性は、子供ならず大人層からも注目を浴びた。 12年間の『週刊少年サンデー』での活躍を経て、1991年からは、『ビッグコミックオリジナル』に『龍-RON-』を連載開始する。昭和初期の日本を舞台に、財閥の一人息子として生まれた青年を軸に、彼の周囲の様々な人々が織り成す群像劇を中心に、サスペンスやSF的な要素を交え、高い人気を確立した。15年にわたる長期連載となり、小学館漫画賞青年一般部門受賞などの栄誉に輝いたこの作品は、村上の代表作となっただけでなく、漫画家としての活動にも大きな転機をもたらすこととなった。 『龍-RON-』と並行して、人の心を読むことのできる少女を通して現代社会に生きる人々の心を描いた『ミコ・ヒミコ』や戦前のフランス美術界をテーマにした『メロドラマ』など幅広い作品を発表し、1996年には古巣である集英社に復帰し、法曹界を舞台にした『検事犬神』を『スーパージャンプ』に連載する。2000年から同誌に連載された『JIN-仁-』では、幕末にタイムスリップした医師の目を通して人間の尊厳を描くなど、熟練したドラマ性から高い評判を呼び、テレビドラマ化(TBS系、大沢たかお主演)されると高視聴率を記録するなど、話題を集めている。
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青木光恵
青木 光恵(あおき みつえ、1969年2月24日 - )は、日本の漫画家。兵庫県尼崎市出身。夙川学院短期大学デザイン科卒。一児(娘)の母。夫は小形克宏。 1988年頃に、写真誌『Pink House』(KIYO出版)から『中華』にてデビュー。以降、一般情報誌・女性誌・4コマ誌・青年誌などに作品を発表する。1993年、当時雑誌編集者として活動していた小形克宏と結婚。 2000年代前半から慢性的な腱鞘炎などの持病などにより、時折連載を休載するなど仕事をセーブしていたが、近年は主に太田出版の『マンガ・エロティクス・エフ』や若い女性向けの雑誌である祥伝社の『フィールヤング』などに作品を発表していた。 2009年、竹書房の4コマ漫画雑誌『まんがくらぶオリジナル』3月号から10月号に永森裕二原作の『幼獣マメシバ』を連載していたほか、一迅社『コミック百合姫』7月発売号にて『プリンセス♥プリンセス』のゲスト掲載を経て10月号より新連載化された。また芳文社『まんがタイムラブリー』にて10月号から12月号にかけて『青木くんの彼女』がゲスト掲載されていた。また『まんがくらぶオリジナル』にて『はなむら酒店』が2回のゲスト掲載を経て2010年5月発売分の7月号より新連載化された。 短編のギャグ漫画や4コマ作品、エッセイを多く執筆。近年はストーリー性のある軽妙なコメディ作品も多く執筆している。デビュー当時から「可愛い女の子」を描くのが得意な漫画家として知られ、特に『女の子が好き♥』の主人公などに代表されるようなグラマーな女性を多く描く。 太く柔らかい線で描かれたシンプルな絵柄が特徴。「可愛い女の子が大好き」「巨乳好き」「できるものなら女の子とセックスしてみたい。私バイかもしれん」ということをたびたび言明しており、ガールズラブを題材にした作品も多数発表している。本人曰く「あまり萌えないので男の子を描くのは比較的苦手」とのこと。そのため、百合を苦手とする者からの抗議もあり、対応に困っている、と自身のHPの日記などで漏らしている。
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青木光恵
太く柔らかい線で描かれたシンプルな絵柄が特徴。「可愛い女の子が大好き」「巨乳好き」「できるものなら女の子とセックスしてみたい。私バイかもしれん」ということをたびたび言明しており、ガールズラブを題材にした作品も多数発表している。本人曰く「あまり萌えないので男の子を描くのは比較的苦手」とのこと。そのため、百合を苦手とする者からの抗議もあり、対応に困っている、と自身のHPの日記などで漏らしている。 デビュー当時の短編集「青木光恵のSelfish Comics」において既に現在の画風をほぼ完成させていた。代表作に『小梅ちゃんが行く!!』があるが、ここでは主人公が大阪人であることが強調されている。続編『小梅ちゃんが行く!!R』(この「R」は、Returnからきていて当時のアニメ『セーラームーンR』を意識したという説もある)で主人公が上京してからも、常に大阪人としてのアイデンティティが強調される。 西原理恵子と親しかったことがあり、西原の無頼派エッセイ漫画に登場したことがある。他に内田春菊や寺島令子とも交友があったことが複数の単行本への帯部分へのコメントやゲスト寄稿などがあることから見て取れる。また自身同人活動用ブログでは金澤尚子とも仲が良い旨が公表されている。
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赤塚不二夫
赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄(読み同じ)、1935年〈昭和10年〉9月14日 - 2008年〈平成20年〉8月2日)は、日本の漫画家、タレント、俳優。満洲国熱河省出身。フジオ・プロダクション創設者。 小学生の時に読んだ手塚治虫の『ロスト・ワールド』に影響を受け、漫画家を志す。上京後は東京で工員などをしながら漫画修業にはげみ、つげ義春の推薦で曙出版から上梓した貸本漫画『嵐をこえて』で1956年(昭和31年)にデビュー。 その後、赤塚よりも3歳年下の石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』の大ヒットで一躍人気作家となる。1967年(昭和42年)に代表作である『天才バカボン』の爆発的ヒットと、その後の『もーれつア太郎』『レッツラゴン』『ギャグゲリラ』といった一連のヒット作や長期連載作品等により「ギャグ漫画の王様」 と謳われ、戦後ギャグ漫画史の礎を築いた。 1935年(昭和10年)9月14日、満洲国熱河省灤平県古北口古城裡に赤塚藤七と妻リヨの長男として生まれる。 古北口は中国内地である河北省と満洲・熱河省との境界であった万里の長城において山海関と居庸関の中間地点に設けられた要害関門の町で、古来より北京(北平)と熱河とを結ぶ要地であり、当時は満洲国と中華民国(冀東防共自治政府をまたぐ)との国境地帯であった。
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赤塚不二夫
1935年(昭和10年)9月14日、満洲国熱河省灤平県古北口古城裡に赤塚藤七と妻リヨの長男として生まれる。 古北口は中国内地である河北省と満洲・熱河省との境界であった万里の長城において山海関と居庸関の中間地点に設けられた要害関門の町で、古来より北京(北平)と熱河とを結ぶ要地であり、当時は満洲国と中華民国(冀東防共自治政府をまたぐ)との国境地帯であった。 父親である赤塚藤七(1908年4月22日 - 1979年5月17日・満71歳没)は新潟県西蒲原郡四ツ合村井随(潟東村を経て現在は新潟市西蒲区潟東地区井随)の農家出身で地元の小学校を経て苦学の末、陸軍憲兵学校の卒業試験を2番目の成績で卒業し、1931年(昭和6年)4月より関東軍憲兵となり同年9月の満洲事変に際して奉天で巡察警邏、郵便検閲、鉄道警察、国際連盟リットン調査団護衛などの任務を務めた。しかし1933年(昭和8年)、上官の理不尽ないい分が我慢できずに職を辞し、満洲国警察古北口国境警備隊の保安局特務警察官として当時華北分離工作による政情不安に揺れていた中満国境地帯での匪賊討伐治安維持任務や現地人への定着宣撫工作、現地で抗日活動を行っていた東北抗日聯軍・八路軍等の抗日ゲリラや宋哲元・冀察政務委員会率いる国民革命軍第29軍と対峙して掃討・謀略(防諜)活動を行う特務機関員をしていた。 父・藤七は非常に厳格でなおかつ権威的であり、田河水泡の『のらくろ』や中島菊夫の『日の丸旗之助』 といった漫画を読むことを禁じられたり、箸の持ち方等で厳しくしつけられ、幼い頃の赤塚は恐怖感から父親が大の苦手であり畏怖を感じさせる存在だったという。しかし父は宣撫官という職務柄もあって普段から現地に住む中国人とも平等に接することに努め、補給された物資を現地の村人達に分けてあげたり、子供たちにも中国人を蔑視しないよう教えるなど正義感の強い人物でもあった。そのため彼には抗日ゲリラ側から当時の金額で2000円(現在の400〜500万円に相当)もの懸賞金がかけられていたにもかかわらず現地の村人から密告されることもなく、また終戦直後の奉天で赤塚家の隣に住む日本人一家が報復として中国人に惨殺される中で普段から中国人と親密にしていた赤塚の家族は難を逃れている。
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赤塚不二夫
母親であるリヨ(1911年 - 1970年8月20日・満59歳没、旧姓:寺東)は奈良県生駒郡矢田村(現・大和郡山市矢田口)出身で藤七との結婚前には満洲で芸妓をしており、藤七とは宴席で出会った後に鉄道で運命的に再会。芸妓としての経験から彼女の左腕には、父とは違う別の男の名前で「○○命」と刺青が彫られていたが、藤七はこのことも含めたリヨの過去を先刻承知のうえですべて受け入れて共通の知人の仲介を経て結婚したという。赤塚はこのことを父の回想を通して知り、「これは芸妓という悲しい過去を持つ母に対して父が見せた『いたわり』なのだ」と断言している。また1968年(昭和43年)に藤七が結核に罹患した際にリヨは「とうちゃんのために」と自らの意思で刺青を除去したという。なお、リヨは子供の頃に目を傘で突かれたことが原因で右目を失明しており、少年時代の赤塚はタンスの引き出しから見つけた母の義眼であるガラス製の目玉をそうとは知らずに妹たちに見せて驚かせていたところ、母からこっぴどく怒られたと回想している。 現地での掃討作戦及び華北分離工作の進展により古北口地域の治安情勢が安定したとして、1937年(昭和12年)3月に古北口国境警察隊が解散。その後、日中戦争(北支事変・支那事変)の勃発により日本軍が華北(北支)へと侵攻するのに合わせて(日本勢力圏と対峙していた国民革命軍・八路軍との前線が移動したことで)父・藤七は更なる危険な辺境任務を任されることとなり時には四海冶、二道河へ父親・藤七だけで単身赴任、あるいは母親・リヨと赤塚ら子供達ごと大連の親類へと預けられるか、一家で灤平、小白旗、興隆、東陵、馬蘭関と中国大陸・華北の辺境を転々とすることとなった。この時期に赤塚の弟妹として妹・寿満子(長女・1938年生)が承徳県、弟・義大(次男・1940年生)が古北口、弟・宣洋(三男・1942年生)が青龍県にて生まれている。 1944年(昭和19年)、父・藤七は特務警察官の職を辞し奉天で鉄西消防分署長となった。 1945年(昭和20年)8月15日、小学4年生の赤塚は奉天で終戦を迎えた。しかし翌16日、中国人の群衆が鉄西の工場内にある軍需物資を狙って大挙して押し寄せ暴徒化、凄惨な殺戮に発展した。
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