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薬学
衛生上の知識に関連する学問分野として次に挙げるものが知られている。 衛生化学 - 環境科学 - 疫学 - 公衆衛生学 - 家畜衛生学 - 病態生化学 - 毒性学 - 生態学 社会薬学は薬がもつ社会的使命や価値に関する学問分野として次に挙げるものが知られている(なお、これらは自然科学のみならず、人文科学・社会科学の区分とに融合する要素があるため、社会学の一部と考えることができる)。 薬と社会 - 薬をめぐる行動とその関係および相互作用 - 社会薬学 - 薬剤経済学 - 薬史学 - 薬物乱用 日本薬局方収載医薬品は治療薬一覧に詳しい
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身体装飾
身体装飾(しんたいそうしょく)とは身体を飾る行為、またその結果の装飾である。広義には衣服や装身具の着用も含めるが、より一般的には化粧、染髪、結髪、身体に穴を開ける行為、入れ墨、ボディペインティング等による装飾を指す。外科的施術を伴うものは身体改造(身体変工)として区別する場合もある。 人類の歴史上、身体の装飾行為がいつ始まったのかは定かではない。しかし人類が社会を形成するようになって以降の遺構からは、さまざまな身体装飾の痕跡が見出されている。例えば日本列島では縄文時代の土偶などに入れ墨が表現されており、男女ともに身体装飾に使用されていた。身体の装飾は、美意識だけによるものではなく、個人ないし集団を同定し得るシンボル(目印)ともなり、通過儀礼や魔除け等のためにも行われた。自然崇拝や精霊崇拝の盛んな地域では動物と同じ能力や精霊の力を手に入れるために、その対象物の一部を模した模様や紋章などを、入れ墨や瘢痕文身として身体に入れることも見られる。また身分差別や犯罪者の識別等のための懲罰的な身体装飾もみられる。 現代的な人権意識では、纏足等身体への侵襲を伴う身体装飾(人為的に傷つけるもの)を強要したり、自意識が発達する以前に恒久的な身体装飾を施すものは問題視される傾向も見られる。
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宝石
宝石(ほうせき)とは、希少性が高く美しい外観を有する固形物のこと。 一般的に、外観が美しく、アクセサリーなどに使用される鉱物を言う。 主に天然鉱物としての無機物結晶を指すが、ラピスラズリ、ガーネットのような数種の無機物の固溶体、オパール、黒曜石、モルダバイトのような非晶質、珊瑚や真珠、琥珀のような生物に起源するもの、キュービックジルコニアのような人工合成物質など様々である。 古の中華文明圏では、価値のある石を「玉(ぎょく)」と呼んだが、非透明、あるいは半透明のものだけが珍重され、その中でも翡翠が代表的だった(玉の本義である)。透明なものは「玉」として扱われず、石の扱いであった。例えばダイヤモンドを表す漢語は「金剛石」であり、玉ではない。一方で西欧を含む非中華文明圏では、ダイヤモンドに代表される透明な鉱物が宝石として特に珍重された。 宝石としての必須条件は何よりその外観が美しいこと、次に希にしか産しないこと(希少性)であるが、第三の重要な条件として、耐久性、とりわけ硬度が高いことが挙げられる。これは、硬度が低い鉱物の場合、時とともに砂埃(環境に遍在する石英など)による摩擦風化・劣化のために表面が傷ついたりファセットの稜が丸みを帯びたりして、観賞価値が失われてしまうためである。例としてダイヤモンドはモース硬度10、ルビー・サファイアはモース硬度9である。石英のモース硬度は7であり、これらの宝石の硬度は石英のそれより高いことに注意されたい。例外的に硬度が7以下であってもオパール、真珠、サンゴなどはその美しさと希少性から宝石として扱われる。 硬度以外の耐久性の条件としては、衝撃により破壊されないこと(じん性)、ある程度の耐火耐熱性があること、酸、アルカリといった化学薬品に侵されないこと、経年変化により変色、退色しないことなどが挙げられる。その他、大きさ、色彩、透明度などの鑑賞的価値、知名度などの財産的価値といった所有の欲求を満たす性質が重要である。
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宝石
硬度以外の耐久性の条件としては、衝撃により破壊されないこと(じん性)、ある程度の耐火耐熱性があること、酸、アルカリといった化学薬品に侵されないこと、経年変化により変色、退色しないことなどが挙げられる。その他、大きさ、色彩、透明度などの鑑賞的価値、知名度などの財産的価値といった所有の欲求を満たす性質が重要である。 ただし、宝石と云う扱いを受けても、知名度があまり高くない石は、収集家やマニア向けの珍品逸品、いわゆるコレクターズアイテムの位置に留まり、見た目の美しさと希少性だけが取り上げられ、その他の条件についてはかなり緩くなっている場合が多い。この手の石にはモース硬度2~5などといった傷つき易い石、空気中の湿気を吸い取ったり、酸化が進んで変質する石、紫外線を吸収して自然と退色する石、1カラットに満たない小さなそれしか取れない石、はてはお湯をかけるだけで溶けてしまう石などがあり、当然取り扱いには注意を要する。 知名度が高い石であっても取り扱いに注意を要する石もある。例を挙げるとオパールやトルコ石は石内部に水を含んでいるため乾燥により割れたり、オパールの場合その一大特徴である遊色効果が消失することもある。サンゴや真珠は酸には極端に弱く、レモン汁や食酢が付着しただけで変色する。琥珀は高温に弱くすぐ溶ける。エメラルドは内部に無数の傷を抱えているので、とりわけ衝撃には弱くたいへん割れ易い。
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宝石
知名度が高い石であっても取り扱いに注意を要する石もある。例を挙げるとオパールやトルコ石は石内部に水を含んでいるため乾燥により割れたり、オパールの場合その一大特徴である遊色効果が消失することもある。サンゴや真珠は酸には極端に弱く、レモン汁や食酢が付着しただけで変色する。琥珀は高温に弱くすぐ溶ける。エメラルドは内部に無数の傷を抱えているので、とりわけ衝撃には弱くたいへん割れ易い。 鉱物の中で金属にあたり、希少性が高く化学反応や風化などによる経年変化が著しく低い鉱物を貴金属といい、金、銀、プラチナなどが該当する。したがって、材質のみから資産価値を定めた場合、換金性、実用用途に関しては貴金属の方が宝石よりおおよその場合優れている。貴金属、とりわけ金は価格算定の根拠となる世界的に通用する評価基準が決められており、相場や市場が整備され、さらに金本位制という経済制度によって各国通貨の貨幣価値を超国家規模で並列化している事に対し、宝石はダイヤモンドこそ国際的な評価基準ルールや市場、相場が定められているものの、それ以外はどの宝石もその評価基準は厳密ではなく、国や民族によっても大きく異なっている。具体的には、翡翠は東アジアの国々では高く評価されるが、欧米での評価はそれほどでもない(欧米で高く売買されるときは、最終的に中国に売り込むことが目論まれている)。逆に真珠のように日本国内よりも海外の方が高額で取引される宝石も存在する。誕生石が国によって異なるのもその辺りの事情を物語っている。一見貴金属並みの資産価値が確立されているように思えるダイヤモンドも、材質上の理由から火災などの高温環境にさらされると損傷を受け、資産価値が損なわれる可能性があるため、純資産として永続的に保有し続けるには難がある。 ただし、特定の宝石はホープダイヤモンドやコ・イ・ヌール、インドの星のように、その歴史的経緯や由来により動産や美術・博物収集品として品質以上の価値をもつことがままある。
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宝石
上記のように資産性においては宝石は貴金属より安定しないものの、貴金属が宝飾向け以外にも、金属特有の優れた電気電導性、箔に代表されるように著しい展延性を活かした加工、耐酸化・還元性を生かした工業用途で多々用いられるように、宝石もまた人工生産により安定供給されるものを含め、工業用製品の材料として用いられている。例えばダイアモンドは研磨材、ボーリングマシンのロッド、切削加工工具(バイト)などに使用され、サファイアはレコード針や高級腕時計の風防、クロマトグラフのプランジャー・精密機器基板、ルビーは機械式時計の軸受けやレーザー発振媒質、ガーネットはルビー同様のレーザー発振媒質および紙やすりの砥粒、水晶は水晶振動子や各種石英製品、真珠は漢方薬と個々の性質を生かして多様に用いられている。 宝石の名称は地名やギリシャ語から名付けられることが多い。特に古くから宝石として扱われてきたものには、ルビーとサファイア、エメラルドとアクアマリンのように無機物としての組成は同一だが、微量に混入する不純物(ドーパント)により色が変わると名称も変わるものがある。中でも水晶を代表とする二酸化ケイ素を組成とするものは、その結晶形や昌質、色や外観が異なるだけで石英(クォーツ)、水晶(クリスタル)、アメシスト(紫水晶)、シトリン(黄水晶)、玉髄(カルセドニー)、メノウ(アゲート)、ジャスパー、カーネリアン、クリソプレーズ、アベンチュリンなど様々な名称で呼ばれている。また近年宝石として評価されるようになった新発見の鉱物に関しては、ゾイサイトやスギライトなど発見者や研究者の名に由来するものが多い。 「宝石のはなし」(1989年刊)では「宝石は約70種ほどあるとされるが、よく知られた宝石は20種程度である」と記述される。刊行後に発見された物も含め、Wikipedia日本語版では110種余の試料を宝石として取り扱っている。 フランスのシンガーソングライター ノルウェン・ルロワ は、2017年のアルバム「宝石 - Gemme」と同名の曲で宝石にインスピレーションを受けました。
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液晶
液晶(えきしょう、英: Liquid Crystal)は、液体のような流動性と、結晶のような異方性を兼ね備えた物質である。一部の液晶は、電圧を印加すると光学特性が変化する。この性質を応用した液晶ディスプレイなどの製品が広く普及している。 液晶は、液体と結晶の間に出現する中間相の一種で、細長い分子や円盤状の分子が、分子の方向はある規則に従って揃っているが、分子の位置は結晶ほどの強い対称性を持たない状態の総称である。 液晶は、各分子の重心位置の配置の規則性の程度によって分類される。例えば、一般的な液体と同様に、分子の配置に対称性がないネマチック液晶、1次元の対称性を持つスメクチック液晶、2次元の対称性を持つカラムナー液晶などである。歴史的には、ネマチック液晶、スメクチック液晶にコレステリック液晶を加えた3分類が現在でも用いられているが、後述するようにコレステリック液晶はネマチック液晶に含まれる。また、中間相には液晶の他に、結晶と同様の3次元的な重心秩序は存在するが、分子の方向はランダムな柔粘性結晶(Plastic Crystal)がある。かつて液晶の命名は、研究者により非系統的に行われていたが、2001年にIUPAC(国際純正・応用科学連合)が国際液晶学会の協力の下、名称定義に関する勧告を公表しており、本稿での名称はそれに準じたものである。 すべての物質が液晶状態となるわけではなく、多くの物質は結晶から液体へと直接変化する。液晶相を発現する物質の中で、温度変化により結晶と液体の間に液晶状態をとるものをサーモトロピック液晶、溶媒へ溶解するとある濃度範囲で液晶となるものをリオトロピック液晶と呼ぶ。また、細長い分子からなる液晶をカラミチック液晶、円盤状分子からなる液晶をディスコチック液晶と呼ぶ。 ネマチック液晶は棒状分子の向きが平均して同一方向に揃っており、分子の重心秩序はまったくランダムな中間相である。ネマチック液晶は、普通の液体と同様の流動性がある。通常のネマチック相では分子の頭尾の向きには規則性はなく、また分子の配向方向に垂直な面内では分子の向きはランダムである。N液晶となる分子には極性を持つ物も多いが、一般的なN液晶は非極性である。
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液晶
ネマチック液晶は棒状分子の向きが平均して同一方向に揃っており、分子の重心秩序はまったくランダムな中間相である。ネマチック液晶は、普通の液体と同様の流動性がある。通常のネマチック相では分子の頭尾の向きには規則性はなく、また分子の配向方向に垂直な面内では分子の向きはランダムである。N液晶となる分子には極性を持つ物も多いが、一般的なN液晶は非極性である。 「ネマチック」という名称はギリシア語の「糸」に由来し、ネマチック液晶を顕微鏡で観察すると、糸状の構造が見られることからフリーデルが命名した。分子の平均配向方向は文字nで表記され、配向ベクトル(Director)と呼ばれている。非極性であるので物理的にn=-nであることから、ベクトル表記はされない。 棒状分子が1方向に並んでいるので配向ベクトル方向とそれと垂直方向では、屈折率や誘電率が異なっている。N液晶は光学的1軸性物質で、棒状分子のN液晶は正の1軸性である。誘電率については、分子構造により、正の異方性のものも、負の異方性のものも存在する。 ネマチック液晶には流動性があり、液体と同様に形態変化しても元の形には戻らない。しかし、配向ベクトルの空間分布に関しては、全体で一様である方がエネルギー的に有利であるため、与えられた条件下で変形のエネルギーが最小となるような空間分布となる。ただし、局所的な配向変化を安定状態に引き戻す復元力は小さいため、外部電場の印加により容易に配向ベクトル方向を変化できる。電場印加後は復元力により自動的に電場印加前の状態へと復帰する。これを利用したのが液晶ディスプレイである。 円盤状分子からなるネマチック相である。配向ベクトルは円盤面に垂直な方向となる。このため、棒状分子からなるネマチック相とは逆に、負の光学1軸性を示すことが普通である。 カイラルネマチック相は歴史的にはコレステリック液晶と呼ばれていた状態で、外観がネマチック相と大きく異なるために、別の液晶状態として命名された。コレステリック液晶という名称はコレステロール誘導体で発見されたことに由来する。
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液晶
円盤状分子からなるネマチック相である。配向ベクトルは円盤面に垂直な方向となる。このため、棒状分子からなるネマチック相とは逆に、負の光学1軸性を示すことが普通である。 カイラルネマチック相は歴史的にはコレステリック液晶と呼ばれていた状態で、外観がネマチック相と大きく異なるために、別の液晶状態として命名された。コレステリック液晶という名称はコレステロール誘導体で発見されたことに由来する。 ふつうのN液晶は、不斉炭素のない分子か、ラセミ体混合物など掌性を持たない分子により構成されるのに対して、カイラルネマチック相は、掌性のある分子か、ネマチック液晶に掌性のある分子を加えた時に発現する状態で、配向ベクトルの方向が配向ベクトルに垂直な一つの軸方向で螺旋状の変化していく構造をしている。 カイラルネマチック液晶のように、不斉構造を持つ液晶相は、その元である相に*マークをつけて不斉構造の存在を示す。カイラルネマチック相はこの規約に従いN相に*をつけてN相と表記する。ただし、歴史的経緯によりCh相と表記される場合もある。 N相は螺旋周期に平均屈折率をかけた波長の光を反射する。左巻きのN相は左円偏光のみを反射し、右円偏光は反射せずに透過する。右巻きのN相は逆に右円偏光のみを反射する。この現象は選択反射と呼ばれている。選択反射が可視領域にあると、N相は色づいて見える。この現象を利用したのが液晶温度計である。 N相と等方相との間にN相ではない中間相が出現することがある。この状態も配向ベクトル方向のねじれ構造を持つが、N相とは異なり、複数の方向にねじれるダブルシリンダー構造となっている。この相の研究初期に見いだされた状態が青色を示したことからブルー相と呼ばれるようになったが、全てのブルー相がブルーに発色するわけではない。3種類のブルー相の存在が知られている。 重心位置に1次元の周期構造を持つ液晶群はスメクチック液晶(Sm液晶)と呼ばれている。Sm相は1次元的な重心の周期構造(層構造)を持ち、結晶的な側面を持ち、液体やネマチック相のような流動性はない。シャボン膜も両親媒性分子が層をなす構造となっており、Sm相の一種として考えることが出来る。スメクチック液晶の語源は石けんを意味するギリシャ語に由来する。
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液晶
重心位置に1次元の周期構造を持つ液晶群はスメクチック液晶(Sm液晶)と呼ばれている。Sm相は1次元的な重心の周期構造(層構造)を持ち、結晶的な側面を持ち、液体やネマチック相のような流動性はない。シャボン膜も両親媒性分子が層をなす構造となっており、Sm相の一種として考えることが出来る。スメクチック液晶の語源は石けんを意味するギリシャ語に由来する。 Sm相は層内の分子の配置によりSmA、SmB、SmC,....と、さらに複数の状態に分類されている。命名は発見順になされており、液晶の状態を反映したものではない。かつて、Sm液晶とされていたものの中には、現在は別の名称が使われている物もある。 1次元的な周期構造を持つが、層内には重心の秩序はない2次元液体状態の相である。SmA相では分子長軸は層法線方向を向いているが、SmC相では層法線に対して有限の傾き角を持っている。傾き方向は層をまたいで同方向であるが、中には、層毎に逆方向に傾くものもあり、SmCA相と呼ばれている。 1次元的な周期構造に加え、層内で分子は六方対称の配置をしている。六方対称の格子方位は長距離秩序を持つが、分子の重心位置については、短距離の秩序しか存在しない。このような構造は、六角形の格子の中に、5角形と7角形の格子が組合わさった欠陥が存在することにより作り出されている。 これらの相はヘキサチック相とよばれSmBHEXのように記述されることもある。SmB相では分子長軸は層法線に平行、SmF相とI相は有限の傾きがある。SmF相では個々の分子は第2隣接分子方向に傾くのに対し、SmI相では隣接分子方向に傾いている。
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液晶
これらの相はヘキサチック相とよばれSmBHEXのように記述されることもある。SmB相では分子長軸は層法線に平行、SmF相とI相は有限の傾きがある。SmF相では個々の分子は第2隣接分子方向に傾くのに対し、SmI相では隣接分子方向に傾いている。 層内でも六方格子を組んでおり、分子の重心位置にも3次元的な秩序がある。これらの相は液晶研究者が研究対称としていたためSm相として分類されていたが、2001年のIUPACの勧告以来、Cry相と呼ばれるようになっている。完全な結晶との違いは分子長軸回りの回転が止っていないことである。直鎖アルカンでは、液体と結晶の間にローテーター相と呼ばれる状態が存在するが、これらのCry相は直鎖アルカンのローテーター相に相当するものである。CryB相は分子は層法線方向を向いているのに対して、CryG相とCryH相では分子は相法線から傾いている。CryBとSmBHEXは顕微鏡観察での区別が困難であるため、古い文献に記載されているSmBはSmBHEXの場合もCryBの場合も存在する。 これらの相では層内の配置が矩形格子となっている。また、分子の配置は矢筈型構造となっている。CryEでは分子は層に対して垂直で、CryJとCryKは傾いている。これらの相は光学的に2軸性を示す。 層構造がねじれて3次元構造を形成したもので、かつてはSmD相と称されていたが、3次元構造であることより、液晶からは外されている。 不斉炭素を含む分子からなるSmA相では通常の場合は不斉構造によるねじれはSm相の層構造により抑制され掌性のないSmA相と区別の付かない状態となる。特に不斉炭素を含んだ状態であることを示す場合にはSmA相と表記することがある。 高温側の相との転移点近傍で層構造が柔らかく、また、分子のねじれ力が強い場合には、層構造に周期的に螺旋転位が発生し層が捻れていく構造となる。この状態はツイストグレインバウンダリー(TGBA)相と呼ばれている。同様にSmC相の層が捻れたTGBC相も存在する。
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液晶
高温側の相との転移点近傍で層構造が柔らかく、また、分子のねじれ力が強い場合には、層構造に周期的に螺旋転位が発生し層が捻れていく構造となる。この状態はツイストグレインバウンダリー(TGBA)相と呼ばれている。同様にSmC相の層が捻れたTGBC相も存在する。 多くの化合物ではSmC相に不斉構造を導入した場合に、層のねじれが生じることなく、分子の傾き方向が層ごとに回転していく状態となる。この状態はSmC相と呼ばれている。SmC相の螺旋周期は物質により数百nmから数μm程度である。N相と同様に、螺旋周期が可視光領域にある場合には選択反射が起こり発色する。 SmC相はその対称性から強誘電性を示しうることが知られている。典型的なSmC*強誘電性液晶では、分極は層内で分子の傾きと垂直な方向に発生する。螺旋構造があるため、巨視的には分極方向は打ち消しているが、螺旋構造と分極は直接はリンクしておらず、適当な化合物では螺旋が発散した状態で極性を保った状態を実現できる。 いくつかのSmC相副次相の存在が知られている。SmCα相はSmC相の高温側に出現することのある相で、数分子程度の短い螺旋構造をとっている。SmCA相は傾き方向が1層ごとに反転し、数百nm程度の螺旋周期も有する相で、分極は隣接層で相殺するが、強い外部電場により傾き方向がそろった状態に転移するので、反強誘電性相として知られている。そのほか、3層周期、4層周期、さらに多層周期の構造が見いだされている。層構造により反強誘電性かフェリ誘電性を示す。 多くの場合は円盤状分子または会合により円盤状になる分子がカラムを構成して、カラムが2次元配列した構造をとっている。カラム内の分子の重心位置には規則性がなく、この点で完全な結晶と異なっている。格子により以下のような分類がなされている。 カラムが2次元的には六方格子を組んだ液晶相である。 カラムが形成する格子が長方形となったものである。 カラムが形成する格子が平行四辺形となったものである。 (出典)
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液晶
多くの場合は円盤状分子または会合により円盤状になる分子がカラムを構成して、カラムが2次元配列した構造をとっている。カラム内の分子の重心位置には規則性がなく、この点で完全な結晶と異なっている。格子により以下のような分類がなされている。 カラムが2次元的には六方格子を組んだ液晶相である。 カラムが形成する格子が長方形となったものである。 カラムが形成する格子が平行四辺形となったものである。 (出典) 液晶はオーストリアの植物生理学者 フリードリヒ・ライニッツァーによって、1888年に発見された。ライニッツァーの論文以前に、現在の目からみると液晶を扱った論文もあるが、結晶と液体の中間状態としてきちんと認識されてはいなかった。ライニッツァーの研究の主題はコレステロールの分子構造の解明であり、精製のために合成した誘導体(安息香酸コレステリル(英語版))において二重の融点を見いだし、これが液晶の発見となった。その後、1920年代には、ジョルジュ・フリーデル(フランス語版)によって、ネマチック、スメクチック、コレステリックという3分類が提唱された。 液晶は、その後、物理化学、生物との関係などの観点から研究が続けられていたが、1960年代になって、コレステリック液晶を用いた温度分布の可視化といった応用研究が始まり、1968年のRCAのジョージ・H・ハイルマイヤーらによる液晶ディスプレイの発表以来、応用面での研究が一気に開花した。 液晶に関する国際会議は1965年にKent State Universityで開催され、2回目は1968年に同じ場所で開催された後は、2年ごとに開催地を変えておこなわれている。日本では1980年に京都、2000年に仙台、そして、2018年に再び京都で開催されている。国際液晶学会は液晶の国際会議に遅れて1990年に組織された。国際液晶会議は、液晶全般について扱っているが、よりテーマを絞った内容の会議も行われている。
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液晶
日本への液晶に関する知識の伝来は明治後期から大正初期に遡る。大幸勇吉の『物理化学』や片山正夫の『化学本論』には液晶が紹介されている。この他、第二次世界大戦前の応用物理学会誌における山本健磨の解説や、いくつかの書籍で液晶が取上げられている。日本語の「液晶」という用語については、山崎栄一の論文では「液晶または晶液」と、定まっていないが、液晶という表現が当時から主流である。苗村によると、RCAの発表直後に新聞当では訳語として「液体水晶」というものが使われたというが、学会誌などに掲載された解説記事類には、その用例は見当らない。 RCAの発表以前には、液晶の研究は日本では殆ど行われていない。僅かに玉虫による論文や、界面活性剤からみの論文が検索出来る程度である。この点は、物理化学研究の伝統を持つ欧米とは大きく異なった状況にある。RCAの発表以後は国内で液晶研究が行われるようになるが、当初から、多くの企業研究者が参加していることに一つの特徴がある。これらの研究者の中には有機半導体の研究から移ったものもいる。 液晶に関する学術講演は、様々な学会で行われていたが、1975年に日本化学会第33秋季年会連合討論会合同大会で応用物理学会と日本化学会の共催により液晶討論会が開催され、液晶に関する発表が分野横断で行われる場となった。その後、連合討論会から離れた単独開催になり、1997年の日本液晶学会の設立にともない、1998年以降は日本液晶学会討論会として継続している。 「液晶ディスプレイの材料にはイカが使われている」という話と、「最初の液晶ディスプレイは、新人技術者の失敗から生まれた」という話が一部に出回っているが、これらは両方とも日本国内に限定されたもので、正しくない情報である。
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液晶
「液晶ディスプレイの材料にはイカが使われている」という話と、「最初の液晶ディスプレイは、新人技術者の失敗から生まれた」という話が一部に出回っているが、これらは両方とも日本国内に限定されたもので、正しくない情報である。 1980年代に函館にあった日本化学飼料がイカの肝を原料としたダーク油からコレステリック液晶を製造販売していたのは事実である。また、この液晶をアクセサリーとして販売していた会社も存在する。液晶ディスプレイにイカが使われているという話には2つの系統があり、一つは、コレステリック液晶を使ったカラーテレビという、まったく実現されなかった話で、もう一つは、TN型液晶ディスプレイにイカ由来の原料が使われているという話である。後者に関しては、TN型液晶ディスプレイでコレステロール誘導体が使用されていたのは事実であるが、イカ由来のコレステロール誘導体の使用は確認されていない。また、イカ墨が天然の液晶物質であるという話も流布しているが、これも事実ではない。
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液晶
液晶ディスプレイが新人の失敗から生れたという話はNHKのプロジェクトXが発祥と考えられる。当事者の記したものを調べると、プロジェクトX直後は、「大失敗」と表現されている事件は、2006年に公開された電気情報通信学会誌の記事では、『蓋を閉め忘れた液晶びんを見て、「しまった。空気中の水蒸気でシッフ塩基からなる液晶化合物が分解したかも知れない」と思うと同時に「そうだ、あの実験をやってみよう」と交流駆動の実験を行った』という話に、2007年の応用物理学会では、発明の内容について「イオン性有機化合物の意図的な添加であった。このアイデアの基礎となった液晶緩和現象と分子運動については、フランスのde Gennesらの液晶研究グループにより詳細な理論的検討がなされており、この論文はこの発明の切っ掛けをあたえてくれた。」と、先行研究があったことが示され、さらに2013年の書籍では、「1970年にOrsay LC GroupがPRL(Physical Review Letters)に出した論文で、ある程度のイオンがあればDSMが交流で効率よく起こることが理論解析で示されていた。しかし、1グラム数万円の液晶に不純物を添加するという行動は躊躇し、なかなか実行できない日々が続いていた。「このような時に幸運が舞い込んだ。」加水分解によりイオン性不純物が生じる液晶のサンプル瓶の蓋が閉め忘れて置いてあるのを見いだし「これはひょっとすると液晶が加水分解をしてイオン性不純物が増して液晶の導電率を上げてOrsayグループの言う交流駆動の条件を満足しているかも知れない」と早速この材料で交流駆動実験を行った。」という内容に変容する。交流の方が優れているという論文は、「大失敗」の1年前には公表されており、液晶を開発していたグループも目にする時間は十分にある。新人の失敗というストーリーは放送のための演出と考えるのが妥当である。
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ネマティック液晶
ネマティック液晶(ネマティックえきしょう、Nematic Liquid Crystal)とは液晶の一種である。すなわち、その構成分子が配向秩序を持つが、三次元的な位置秩序を持たない液体である。配向方向は、配向子(Director)と呼ばれる単位ベクトル n によって表される事が多い。実験的に、巨視的なネマティック液晶の対称性は D ∞ h {\displaystyle D_{\infty h}} である事が知られているので、構成分子は n を軸に自由回転をしており、また向きに関しては上向きと下向きを50%ずつ含むことが結論される。 構成分子が全て n の方向を向いているのが理想的であるが、実際の ネマティック液晶の構成分子は n の方向からある程度熱揺らぎをしている。 この熱揺らぎの度合いは秩序因子(Order Parameter)すなわち巨視的な系の物性値異方性 Δ χ {\displaystyle \Delta \chi } と絶対温度T→0における巨視的な系の物性値異方性 Δ χ 0 {\displaystyle \Delta \chi _{0}} との比 S = Δ χ / Δ χ 0 {\displaystyle S=\Delta \chi /\Delta \chi _{0}} により評価することができる(例えば、磁化率のような異方性を示す物性は、いずれも配向度の評価に用いることができる。また、 Δ χ 0 {\displaystyle \Delta \chi _{0}} は、分子物性値異方性 Δ κ {\displaystyle \Delta \kappa } を用いて Δ χ 0 = N Δ κ {\displaystyle \Delta \chi _{0}=N\Delta \kappa } と表すことができる。Nは系を構成する分子の総数であり、S は分子が配向子 n の方向にどれほど良く整列しているかの目安となる量である。全ての分子が n と平行なら S = 1であり、分子の熱揺らぎが大きくなると S は0に近づく。)
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ネマティック液晶
今、分子の n からの揺らぎ角を θ とすると、 Δ χ = 1 / 2 < 3 cos 2 θ − 1 > N Δ κ {\displaystyle \Delta \chi =1/2<3\cos ^{2}\theta -1>N\Delta \kappa } と書き換えることができる。ここで<>は統計力学的な平均である。よって S は、微視的な分子の揺らぎ角を用いて S = 1 / 2 < 3 cos 2 θ − 1 > {\displaystyle S=1/2<3\cos ^{2}\theta -1>} と書くことができる。
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文学
文学(ぶんがく、英語: literature)とは、言語によって表現される芸術作品のこと。詩、小説、戯曲、随筆、評論など。また、それらを研究する学問(文芸学を参照)。文芸(ぶんげい)ともいう。 原初的な文学は口承文芸であったが、写本による書物の流通を経て、やがて印刷技術が普及するにつれて活字印刷による文学作品の出版が主流になった。現在では電子書籍やインターネットを利用した電子メディア上で表現されるものもある。 西洋での「文学」に相当する語(英: literature、仏: littérature、独: Literatur、伊: letteratura、西: literatura)は、ラテン語のlittera(文字)及びその派生語litteratura(筆記、文法、教養)を語源とし、現在では主に以下の意味を持つ。 中国・日本での「文学」の語は古代より書物による学芸全般を意味したが、今日のような言葉による審美的な創作を意味するようになったのはliterature(英)、littérature(仏)の訳語として「文学」が当てられた明治時代からである。初期の翻訳としては、1857年ジョゼフ・エドキンズによって『六合叢談』の中で著された論説文「希臘為西国文学之祖」や、1866年香港に遣わされたドイツ宣教師Wilhelm Lobscheidによる英語・広東語・中国語辞典『English and Chinese Dictionary』が挙げられ、英語から中国語への翻訳が、著作を通して日本に入ってきた。 文学は、言葉(口頭または文字)によるコミュニケーションのうち、言語のあらゆる力を活用して受け手への効果を増大させようとするものとして定義される。個人的な判断によって境界が曖昧でまちまちとなる文学は、その媒体や分野ではなく審美的な機能によって特徴づけられる: メッセージの表現方法が内容より優位であり、(複雑なものも含む)情報の伝達に限られた実用的なコミュニケーションからもはみ出すものである。今日では、文学はそれによって作者が歳月を隔てて我々に語り掛けるところの書物文化に結び付けられ、しかしながらまた同時に我々の歌謡がその遠縁であるところの文字を持たぬ人々の伝統的な詩歌のようなさまざまな形の口承による表現や、役者の声と身体を通して受容される演劇などにも関係する。
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文学
最も普通の意味での文学は、それ自身が歴とした芸術である。しかしながら、哲学書や、舞台芸術の戯曲や脚本など(さらには漫画やある種の文字による現代美術など)に接近すると、この芸術の境界を定めるのは時として困難である。一般的には、文学は特に審美的な目的ないしは形式を持つ作品と再定義される。この審美的な側面が文学の志向性であり、ジャーナリズムや政治などの何らかの特定の制約に従う各種の作品と識別する基準である。一見すると、この定義は純粋に哲学的・政治的・歴史的な作品を排除するように思える。だが、作品の各分野やジャンルが文学に属するか否かの分類にはとくに慎重であるべきである。あるテクストは作者がそう望まなかったにもかかわらず、またそれがその分野としての目的ではなかったにもかかわらず一定の文学的側面を持ってしまい得る。作品の文学性の基準は学者の間の数々の論争の的となってきた。ある者は分野の間にヒエラルキーを設け、またある者はある作品がその分野によく一致していることや、文学的テクストに期待される役割に専念していることで満足する。またある者にとっては、文学の傑作は何よりもまず時の試練に耐えるものであり、それこそが全世界的な射程を保証する資格なのである。 実際のところ文学とはまず第一に、自分自身と自分を取り巻く世界について自分の言葉で語る者と、その発見を受容し分かち合う者との出会いなのであり、その形式の果てしのない多様性と絶え間なく新たに生まれる主題は人間存在の条件そのものを物語っているのである。 審美的な志向性を持つ作品の集合という文学の定義はかなり近代になってからのものである。事実、それまではむしろ、相応に厳密な形式的基準に適合する作品が文学として認められる傾向にあった。アリストテレスは『詩学』において、悲劇と叙事詩に的を絞りそれらの話法を支配する形式的な規則を導入した。さらに、古代ギリシア人にとっては、歴史は純然たる芸術であり、詩神クレイオーに霊感を与えられるものであった。
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文学
審美的な志向性を持つ作品の集合という文学の定義はかなり近代になってからのものである。事実、それまではむしろ、相応に厳密な形式的基準に適合する作品が文学として認められる傾向にあった。アリストテレスは『詩学』において、悲劇と叙事詩に的を絞りそれらの話法を支配する形式的な規則を導入した。さらに、古代ギリシア人にとっては、歴史は純然たる芸術であり、詩神クレイオーに霊感を与えられるものであった。 随筆もまた文学に属すると考えられていた。今日のもはや文学作品とは考えられなくなったような随筆に比べ、当時の随筆では主題は重要なものではなかった。哲学もまた劣らず両義的なものである。プラトンの対話篇やローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』の文学性は今日誰も疑問に思わないであろう。他方で、文学の審美性が厳格な単純性をもって表される詩がしばしば最も純粋な文学形式であると考えられてきた。作品の文学性は移ろいやすいものであり、世紀を経ると共に文学は領域を拡大し、多様で通俗的な諸形式を次々と取り込んで行ったものと思われる。 文学の定義に基づくと、「作者」と「作家」の間には区別がある。作家は文学作品を書く者を指すが、作者は政治・歴史・科学・文学などの別を問わず何らかの書物を著した全ての者を指す。 文学作品の芸術性の拠り所は文芸評論家たちを頻繁に分断してきた問題である。古代より、2つの異なった概念が存在し、来たるべき様々な文学や芸術の潮流に影響を及ぼしてきた。アリストテレスは『詩学』において表現的な側面は重要でないと考え、それよりも作品の形式的な特性に固執していた。作家の仕事は、厳密な規則や理論に従うという面で建物を建てる大工の仕事と類似したものであるということになる。それに反して、偽ロンギヌス(en)は『崇高論』において、感情の表現を前面に押し出した。崇高は読者を興奮させ、恍惚とさせるものであり、それは話法の完成と一致するものとされた。ここには、審美的な題材に細工を施し受け手に反応を引き起こそうと働く職人と、公衆に移入させるような感情を表し作り出す霊感に恵まれた芸術家の対比が見出される。この論争は文芸評論史で幾度となく再出現し、また古典主義とロマン主義、自然主義と耽美主義のような互いに相容れない潮流を数多く生み出した。
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文学
文学的な著述は正書法や文法だけでなく、修辞学や詩学の規範にも従う。作家は文体を作り上げることを可能にする言語的な諸手段を利用し、話法を支え、散文を美的なものにするために詩学的な破格、脱線、造語などもまた拠り所とする。作者に固有の文体的要素と修辞技法のような修辞学的効果の双方が駆使され、そのようにして作家は他と一線を画す芸術家となるのである。 原初的な文学は口伝(口承文芸)である。それが文字で書きとめられるようになり写本の形で流布するようになったが、15世紀以降印刷技術が普及し、やがて活版印刷による文学作品の出版が盛んになった。現在ではインターネットに代表される電子メディア上で表現されるものもある。 メディアの変遷に応じ、最初は音声で受容される叙事詩、抒情詩などの詩や、演劇(劇文学)が中心的な役割を果たしたが、近代に至り文字の形での受容が容易になるにつれて詩から小説への大規模な移行が起こった。 言語に依存する芸術であるため、他言語の作品を鑑賞・解釈するためには翻訳が大変重要であり、翻訳家の存在が大きな意味を持つ。翻訳された作品を翻訳文学と呼ぶ。 文学作品を研究・分析・批評することを文芸評論(文芸批評)という。広義には研究論文から雑誌のコラムまで全て評論と言える。文学だけではなく、あらゆる作品が評論の対象になる。評論には様々な手法があり、それは研究対象や時代、評論家自身などに依存する。優れた評論文は、それ自体が文学作品として評価される。作家や思想家が文芸評論家として活動することもしばしばある。 詳細はそれぞれの項目を参照。 多数(たとえば50作以上)の文学作品を編集したものを文学全集と呼ぶことが多い。 代表的なものとして世界文学全集、日本文学全集がある。他に個人の全集、特定の国の全集、特定のジャンルの全集などがある。
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音楽のジャンル一覧
音楽のジャンル一覧(おんがくのジャンルいちらん) 五十音順。 ポピュラー音楽のジャンル一覧も参照。 このページはトランス、ロック、EDM、レゲエなどのジャンルのほかに、J-POP、洋楽、アニメソング、ゲームソングなどの出典ジャンルやラブソング、卒業ソングなどの歌詞ジャンルが含まれている。
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音楽家
音楽家()、ミュージシャン(英: musician)は、音楽を作ったり歌唱、演奏したりする人のこと。 作曲家は著作権を有し、編曲家は二次的著作権を有する。これらを総称して音楽作家と呼ぶ。また、複数の役職を兼ねている制作者も多い。 指揮者、演奏者、歌手に分類される。現代の日本において実演家はその実演に対し、著作隣接権を有する。 音楽に関係する他の職業については、Category:音楽関連の職業を参照。 音楽に関係する具体的ジェイオーク人物については、Category:音楽関係者を参照。
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アイシャ・ラドワーン
アイシャ・ラドワーン、アーイシャ・ラドワーン(アラビア語: عائشة رضوان、Aicha Redouane, Aïcha Redouane, 1962年 - )は、モロッコ出身の女性歌手。主にアラブ古典音楽の歌い手として知られる。現在フランスで活動。
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言語学
言語学(げんごがく、英: linguistics)は、人間の言語の特性、構造、機能、獲得、系統、変化などを研究する学問である。下位分野として、音声学、音韻論、形態論、統語論 (統辞論)、意味論、語用論などの様々な分野がある。これらの下位分野は、(表出) 音 (手話言語の場合はジェスチャー)、音素、語と形態素、句と文、意味、 言語使用に概ねそれぞれが対応している。 言語学は、言語そのものの解明を目的とする科学である。実用を目的とする語学とは別物である。 誤解している人がよくいるが、言語学は古い時代の言語や語源だけを扱うわけではない。言語学は過去・現在をともに対象としており、さらに言うと、直接に観察できる現代の言語を対象とする研究のほうがむしろ有利であり、言語の本質に迫りやすいので、言語学ではより重要である。 言語学の目的は、人間の言語を客観的に記述・説明することである。「客観的に」とは、言語データの観察を通して現に存在する言語の持つ法則や性質を記述・説明するということであり、「記述」とは、言語現象の一般化を行って規則や制約を明らかにすることであり、「説明」とは、その規則・制約がなぜ発生するのかを明らかにすることである。 言語学は言語の優劣には言及しない。むしろ、現代の言語学においては、あらゆる言語に優劣が存在しないことが前提となっている。そのため、すべての言語は同等に扱われる。しかしながら、言語の史的変化を言語の進化ととらえ、社会・文明の成熟度と言語体系の複雑さを相関させるような視点が過去に一部存在していた。その後、いかなる言語も複雑さを有していることが明らかとなり、そうした見解は否定された。すなわち「幼稚な言語や高度な言語といったものは存在せず、すべての言語はそれぞれの言語社会と密接に関連しながら、それぞれのコミュニティに適応して用いられている」というのが現代の言語学の基本的見解である。 英語における名称「linguistics」の語源は linguistique(フランス語)であり、さらにさかのぼるとlingua(ラテン語で「舌、言葉」の意)である。linguisticsという語は1850年代から使われ始めた。 古代の言語学者に、インドのパーニニがいる。
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言語学
英語における名称「linguistics」の語源は linguistique(フランス語)であり、さらにさかのぼるとlingua(ラテン語で「舌、言葉」の意)である。linguisticsという語は1850年代から使われ始めた。 古代の言語学者に、インドのパーニニがいる。 西洋における言語研究の始まりは、紀元前にギリシアの哲学者たち(プラトン、エピクロスなど)の間で起こった言語起源論や修辞学にまでさかのぼる。古典ギリシア語の文法書は、紀元前1世紀までに完成し、ラテン語のほか後の西洋の言語の文法学(伝統文法)に大きな影響を与えた。 言語学が大きく飛躍する節目となったのは、1786年のことである。イングランドの法学者ウィリアム・ジョーンズは、インドのカルカッタに在任中に独学していたサンスクリット語の文法が、以前に学んだギリシア語やラテン語などの文法と類似していることに気づき、「これらは共通の祖語から分化したと考えられる」との見解をアジア協会において示した。これが契機となり、19世紀に入るとヤーコプ・グリム 、フランツ・ボップ、ラスムス・ラスクの3人により比較言語学が開始された。この時代の言語学は植物のように言語も成長・発展し、老いて死んでいく、有機体のように捉えられていた。しかし1876年に文献学や音声学を取り入れた、言語の歴史的展開を研究すべきなのが言語学だとする青年文法学派がドイツのライプツィヒで興り(19世紀)インド・ヨーロッパ語族の概念が確立した(印欧語学) 20世紀に入ると言語学は大きな変動期を迎えることになる。20世紀初頭にスイスの言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールの言語学は、通時的な(書き言葉の)研究から共時的な(話し言葉の)研究へと対象を広げた。またソシュールの言語学は、言語学にとどまらない、「構造主義」と呼ばれる潮流の一部にもなった(また言語学においては(ヨーロッパ)構造主義言語学とも)。20世紀以降の言語学を指して、近代言語学と呼ばれることもある。 アメリカの言語学は、人類学者のフランツ・ボアズ のアメリカ州の先住民族の言語研究やエドワード・サピアがさきがけとなった。そこから発展したアメリカ構造主義言語学(前述のヨーロッパ構造主義言語学との関連は薄い)の枠組みは、レナード・ブルームフィールドによって確立された。
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言語学
アメリカの言語学は、人類学者のフランツ・ボアズ のアメリカ州の先住民族の言語研究やエドワード・サピアがさきがけとなった。そこから発展したアメリカ構造主義言語学(前述のヨーロッパ構造主義言語学との関連は薄い)の枠組みは、レナード・ブルームフィールドによって確立された。 20世紀後半、ノーム・チョムスキーの生成文法は、以上で延べたような近代言語学からさらに一変するような変革をもたらし、現代言語学と言われることもある。後述する認知言語学からは批判もあるなど、「チョムスキー言語学」が全てではないが、現代の言語学においてその影響は大きい。 また20世紀後半には他にも、マイケル・ハリデー(en:Michael Halliday)らの機能言語学(en:Systemic functional grammar)や、ジョージ・レイコフらの認知言語学など、異なったアプローチも考案された。 音声学が発音時の筋肉の動きや音声の音響学的特性など物理的な対象を研究するのに対して、音韻論ではその言語で可能な音節の範囲(音素配列論)など言語が音声を利用するしくみを研究する。 語の成り立ちは形態論で研究し、語が他の語と結合して作る構造は統語論で研究する。統語論が研究対象とするのは文までで、それ以上のテクストや会話などは談話分析で扱う。 意味論が研究対象とする「意味」とは、伝統的に、話者や文脈・状況を捨象した普遍的な語の意味や文の意味(真理条件)に限られてきた。話者の意図は意味論の研究対象ではないと見る場合、これの研究は語用論で行う。 人間の言語学の基本原則は、言語は人々によって作成された発明ということである。 言語研究の記号論的伝統は、言語を意味と形式の相互作用から生じる記号のシステムと見なしている。言語構造の編成は計算と見なされる。 また、言語学は本質的に社会的および文化的科学に関連していると見なされている。なぜなら、言語コミュニティによる社会的相互作用ではさまざまな言語が形成されているからである。 言語の人間性の見方を表すフレームワークには、とりわけ構造言語学が含まれる。
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言語学
構造分析とは、音声、形態、構文、談話などの各層を最小単位で分析することを意味する。これらはインベントリ(音素、形態素、語彙クラス、フレーズタイプなど)に収集され、構造およびレイヤー階層内での相互作用を調査する。 機能分析は、構造分析に、各ユニットが持つ可能性のあるセマンティックおよびその他の機能的役割の割り当てを追加する。 たとえば、名詞句は、文の文法的な主語または目的語として、あるいは意味論的なエージェントまたは患者として機能することができる。 機能言語学、または機能文法は、構造言語学の一分野である。 人間性の文脈では、構造主義と機能主義という用語は、他の人間科学におけるそれらの意味に関連している。 形式的構造主義と機能的構造主義の違いは、なぜ言語が持つ特性を持っているのかという質問への答えにある。機能的な説明は、言語がコミュニケーションのためのツールである、またはコミュニケーションが言語の主要な機能であるという考えを伴う。 したがって、言語形式は、その機能的価値または有用性に関して説明される。 他の構造主義的アプローチは、形式が二国間および多層言語システムの内部メカニズムから続くという視点を取る。 言語の生物学的基礎を明らかにすることを目的とした、認知言語学や生成文法研究言語認識などのアプローチ。 生成文法は、これらの基礎が生来の文法知識から生じると主張している。したがって、このアプローチの中心的な関心事の1つは、言語知識のどの側面が遺伝的であるかを発見することである。 一例をあげると、ノーム・チョムスキーらは生成文法という仮説を唱え、「普遍文法」という仮説を提起した。 (なお、チョムスキーの仮説は、現在ではそれほど広く支持されているわけではない。 対照的に、認知言語学は、生来の文法の概念を拒否し、人間の精神がイベントスキーマから言語構造を作成する方法を研究する。 認知的制約とバイアスが人間の言語に及ぼす影響も研究されている。 神経言語プログラミングと同様に、言語は感覚を介してアプローチされる。 認知言語学者は、感覚運動スキーマに関連する表現を探すことによって知識の化身を研究する。
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言語学
対照的に、認知言語学は、生来の文法の概念を拒否し、人間の精神がイベントスキーマから言語構造を作成する方法を研究する。 認知的制約とバイアスが人間の言語に及ぼす影響も研究されている。 神経言語プログラミングと同様に、言語は感覚を介してアプローチされる。 認知言語学者は、感覚運動スキーマに関連する表現を探すことによって知識の化身を研究する。 密接に関連するアプローチは進化言語学であり、文化的複製者としての言語単位の研究が含まれる。 言語がどのように複製され、個人または言語コミュニティの精神に適応するかを研究することが可能である。 文法の構築は、ミームの概念を構文の研究に適用するフレームワークである。 生成的アプローチと進化的アプローチは、形式主義と機能主義と呼ばれることもある。 ただし、この概念は、人間科学での用語の使用とは異なる。 以下に言語学が明らかにしてきた言語の特徴をいくつか記す。 ソシュールは、「能記」(signifiant) と「所記」(signifié) という2つの概念(シニフィアンとシニフィエ)を用いて、言語記号の音声・形態とその意味との間には必然的な関係性はないという言語記号の恣意性を説いた。 これとはほぼ反対の立場として音象徴という見解がある。これは、音素そのものに何らかの意味や感覚、印象といったものがあり、言語記号はその組み合わせによって合理的に作られているとするものである。しかし、実際にはどの言語にも普遍的な音象徴というものは存在しないため、現在そのような立場の言語研究はあまり行われていない。 アンドレ・マルティネは言語が単なる音声の羅列ではなく、二重構造を有していることを指摘した。すなわち、文を最小単位に分割しようとした場合、まずは意味を持つ最小単位である形態素のレベルに分割される。そして、形態素はさらに音素に分割される。例えば、日本語の [ame](雨、飴)という語は語としてはこれ以上分解できないが、音素としては /a/、/m/、/e/ の三つに分解される。言語の持つこのような二重構造は二重分節と呼ばれる。動物の発する声にはこうした性質が見られないため、二重分節はヒトの言語を特徴づける性質とされる。
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言語学
ノーム・チョムスキーは言語の規則には、例えば「前から3番目の語」というような表層の順序に言及するようなものは存在しない、言語の規則はむしろ表層にあらわれない範疇・階層・構成素などの構造から生まれると考え、これを「構造依存性」と呼んだ。ノーム・チョムスキーはgenerative capacityという概念により、「(ある言語の)文法は、その言語の文ら(「表層」)をweakly generateし、それら文らのstructural descriptors(「深層」)をstrongly generateする」(ここで「文ら」としているのは、原文sentencesの複数形に意味があるため)と述べた。 人間の言語は過去に起こった事実や未来のことを表現することも可能である。文字の体系を持っていれば、文字に書き留めることによって、後世に伝えることも可能になる。しかし、動物の場合、餌のありかや敵の急襲を知らせるなど現在のことしか伝達できない。『(科学をおこなう前に)まず、定義だ』とか『「人間が話す言語」とは何かを明確にする必要がある』と言った人がおり、『学者らによる「言語」の定義の問題は未だに決着していない。』と言った人がいる。
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著作権
著作権(ちょさくけん、英語: copyright、コピーライト)は、作品を創作した者が有する権利である。また、作品がどう使われるか決めることができる権利である。作者の思想や感情が表現された文芸・学術・美術・音楽などを著作物といい、創作した者を著作者という。知的財産権の一種。 一般的に、著作物を他人が無断で無制限に利用できないように法的に保護する必要がある。著作物を創造した人物は、その著作物を他人が無断で利用しても、自己の利用を妨げられることはない。しかし、他人が無制限に著作物を利用できると、著作者はその知的財産から利益を得ることが困難となる。著作物の創造には費用・時間がかかるため、無断利用を許すと、知的財産の創造意欲を後退させ、その創造活動が活発に行われないようになるといった結果を招くためである。 著作者の権利は、著作物を活用して収益や名声などを得ることができる財産的権利(著作財産権)と、著作物の内容と著作者を紐づけることで、著作者の人間性を正確に表現する人格的権利(著作者人格権)に分類される。狭義に解する場合、著作権はとりわけ著作財産権と同義とされる。反対に、最も広義に解する場合、実演家、レコード製作者、放送事業者など著作物を伝達する者に付与される権利(著作隣接権)も、著作権の概念に含めることがある。 知的財産権には著作権のほか、特許権や商標権などの産業財産権があるが、保護の対象や権利の強さが違う。産業財産権は産業の発達を目的とする技術的思想(アイデア)を保護の対象とし、権利者に強い独占性を与える性質のため、所管官庁による厳しい審査を経て登録されなければ権利が発生しない。一方の著作権は、創造的な文化の発展を目的とする表現を保護の対象としていることから、産業財産権と比べて独占性は低く、日本を含む多くの国・地域では登録しなくても創作した時点で権利が発生する。 著作物の定義・範囲、著作物の保護期間、著作物の管理手続や著作侵害の罰則規定などは、時代や国・地域によって異なるものの、国際条約を通じて著作権の基本的な考え方は共通化する方向にある。しかし、著作物のデジタル化やインターネットの社会普及に伴い、著作権侵害やフェアユース(無断利用が著作権侵害にあたらないケース)をめぐる事案が複雑化している時代趨勢もある。
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著作権
著作物の定義・範囲、著作物の保護期間、著作物の管理手続や著作侵害の罰則規定などは、時代や国・地域によって異なるものの、国際条約を通じて著作権の基本的な考え方は共通化する方向にある。しかし、著作物のデジタル化やインターネットの社会普及に伴い、著作権侵害やフェアユース(無断利用が著作権侵害にあたらないケース)をめぐる事案が複雑化している時代趨勢もある。 学術的な目的で、研究者や教授が著作権で保護された作品を使用することにはいくつかの例外がある。 著作権は人権(財産権)の一種であり、同時に「著作権」という語は、人権としての著作権のほかに、法的権利としての著作権(さらに細かくは国際法上の著作権や、憲法上の著作権など)という側面もある。 著作権は狭義には著作財産権のみを指し、広義には著作財産権と著作者人格権、最広義には著作者の有する実定法上の権利(著作財産権、著作者人格権、著作隣接権)の総体をいう。広義の著作権概念は概して大陸法の諸国で用いられる著作権概念である。一方、狭義の著作権概念は英米法の諸国で用いられる著作権概念である。日本の著作権法は「著作者の権利」のもとに「著作権」と「著作者人格権」をおく二元的構成をとっている。 著作権は狭義には著作財産権のことをいう。著作者に対して付与される財産権であり、著作物を独占的・排他的に利用する権利である。著者は、著作権(財産権)を、他人に干渉されることなく、利用する権利を持つ。たとえば、小説の著作者(作者)は、他人に干渉されることなく出版、映画化、翻訳することができる。 したがって、著作権(財産権)のシステムが正しく機能している場合は、出版社などが得た収益を、後進の育成と採用への投資(育成費)に充当できる。これにより、アマチュアからプロへと進む際のハードルも低くなる。また、各分野での世代交代が活発化する。 しかし、著作者の合意(許諾)を得ていない他人が、その著作物を広く世間に発表(公表)すると、著作者は生活するために必要な収入を失い、「執筆」「作曲」「映画製作」などの仕事(創作事業)も継続できなくなる。この他人による著作者の財産を盗み取る行為が、著作権の侵害である。
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著作権
しかし、著作者の合意(許諾)を得ていない他人が、その著作物を広く世間に発表(公表)すると、著作者は生活するために必要な収入を失い、「執筆」「作曲」「映画製作」などの仕事(創作事業)も継続できなくなる。この他人による著作者の財産を盗み取る行為が、著作権の侵害である。 著作者が著作権を財産として扱える範囲を明確に限定するために、支分権を用いて細目を列挙しており、著作者以外の者にとっては、細目の把握が困難である。これにより「著作者の権利の束」と表示し、細目のすべてを含めた「すべての権利(財産権)」を保持していると、包括して記す場合もある。あるいは、支分権による細目の分類を用いて、著作権(財産権)の一部を、人(自然人や法人)に引き渡すことも可能である。このような販売形態を「譲渡」という。たとえば、小説の(著作者)が、契約により著作権の「出版権」のみを他人(自然人もしくは法人)に譲渡し、それ以外の著作権(財産権)を著作者が自ら保持するといったことも法的には可能である。 一方で、著作物を収めた記録媒体(CDやDVD、ブルーレイや書籍などの有体物)を第三者に販売した場合でも、著作権が消滅することはない。このような販売形態を(権利の)「貸与」という。ほかにも、「譲渡」や「貸与」以外に、著作者ではない人(自然人や法人)と「許諾の契約」を結び、著作者ではない人(自然人や法人)が自由に利用できるようにする方法もある。このような契約を「利用許諾の締結」といい、殊に音楽制作では「買い取り」という。著作権は相対的独占権あるいは排他権である。特許権や意匠権のような絶対的独占権ではない。すなわち、既存の著作物Aと同一の著作物Bが作成された場合であっても、著作物Bが既存の著作物Aに依拠することなく独立して創作されたものであれば、両著作物の創作や公表の先後にかかわらず、著作物Aの著作権の効力は著作物Bの利用行為に及ばない。同様の性質は回路配置利用権にもみられる。 狭義の著作権(著作財産権)は財産権の一種であるが、著作者に認められる権利(著作者の権利)としては、そのほかに著作者の人格的利益を保護するものとして、人格権の一種である著作者人格権がある。両者の関係については考え方および立法例が分かれる。
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狭義の著作権(著作財産権)は財産権の一種であるが、著作者に認められる権利(著作者の権利)としては、そのほかに著作者の人格的利益を保護するものとして、人格権の一種である著作者人格権がある。両者の関係については考え方および立法例が分かれる。 まず、著作権法により著作者に対して保障する権利を純粋に財産権としての著作権として把握する考え方がある。この考え方を徹底しているのがアメリカ合衆国著作権法であり、著作者の人格的権利はコモン・ロー上の人格権の範疇に含まれる。もっとも、ベルヌ条約が加盟国に対して著作者人格権の保護を要求していることもあり、1990年の法改正により、視覚芸術著作物について限定された形で著作者人格権を保護する旨の規定を設けた(合衆国法典第17編第106A条)。 第2に、著作者に対して、財産的権利と人格的権利の双方を著作権法上保障する考え方がある。大陸法の著作権法は基本的にこのような考え方に立脚している。フランス著作権法がこの考え方に立脚しており、著作者の権利について、人格的な性質と財産的な性質を包含するものとして規定し(111の1条第2項)、いわゆる著作者人格権は処分できないものとする(121の1条第3項)のに対し、著作権は処分できるものとして(122の7条)区別している点にこのような考え方が現れている。 第3に、著作者に対して、財産的権利と人格的権利の双方を著作権法上保障するが、両者は一体となっており分離できないものとして把握する考え方がある。ドイツの1965年9月9日の著作権および著作隣接権に関する法律がこの考え方に立脚しており、著作者の権利の内容を構成するものとして著作者人格権に関する規定を置いているが(11条-14条)、財産権と人格権が一体化しているがゆえに、財産権をも含む著作者の権利について譲渡ができない旨の規定が置かれている(29条)点にこのような考え方が現れている。 日本法の法制は、著作権法上、著作者の権利として財産権たる著作権と人格権たる著作者人格権を保障しつつ、前者は譲渡可能なものとして理解し、後者は譲渡不可能なものとして理解している点でフランス法に近い。
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日本法の法制は、著作権法上、著作者の権利として財産権たる著作権と人格権たる著作者人格権を保障しつつ、前者は譲渡可能なものとして理解し、後者は譲渡不可能なものとして理解している点でフランス法に近い。 著作者によって制作された楽曲(著作物)は、著作者である作詞家・作曲家が著作権を有している。しかし、楽曲を演奏する実演家や、それを録音するレコード製作者、楽曲を放送する放送事業者・有線放送事業者も、著作者ではないものの著作物に密接に関わる活動を業としており、1970年の現行著作権法制定に伴い、これらの利用者による実演、レコード、放送または有線放送にも著作権に準じた一定の権利(著作隣接権、英: neighboring right)が認められることになった。著作隣接権は実演家の権利(著作権法90条 - 95条)、レコード製作者の権利(同96条 - 97条)、放送事業者の権利(同98条 - 100条)、有線放送事業者の権利(同100条)からなり、人格権と財産権が含まれる。保護期間は実演日(実演)または最初の固定日(レコード)から70年間(放送、有線放送は放送等から50年間)。著作権と異なり楽曲(著作物)そのものの権利ではないため、演奏権や翻案権(編曲権)は認められていない。また映画の著作物においては、二次利用の際の著作隣接権の適用が制限される(映画の著作物#著作隣接権との関係も参照)。 著作権が本格的に考慮されるようになったのは、15世紀にグーテンベルクによる印刷術が確立するとともに、出版物の大量の模倣品が問題化するようになってからである。記録に残る最初の本の著作権は、1486年に、人文主義者のマルカントニオ・サベリーコのヴェネツィア史に与えられ、芸術家の最初の著作権は1567年にヴェネツィアの元老院からティツィアーノに与えられた。 18世紀初頭、イギリスではアン法(クイーン・アン法。1709年制定、1710年施行)で著作者の権利、すなわち著作権を認めた。この法では、著作権の有効期間(14年、1度更新可能で最大28年)や、その後のパブリック・ドメインの概念も制定されている。
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18世紀初頭、イギリスではアン法(クイーン・アン法。1709年制定、1710年施行)で著作者の権利、すなわち著作権を認めた。この法では、著作権の有効期間(14年、1度更新可能で最大28年)や、その後のパブリック・ドメインの概念も制定されている。 フランスではフランス革命時の1791年に、大陸法系の国の中では初めて著作権法が制定された。その後、18世紀から19世紀にかけて各国で著作権を保護する法律が成立した。19世紀に入ると著作権の対象は印刷物以外(音楽、写真など)に拡大されていく。 ところが19世紀半ばになっても著作権の保護の法律を持たない国があり、イギリスやフランスなどの作家の書いた作品が複製による被害を受けていた。そのため、1886年採択・1887年発効のベルヌ条約で国際的な著作権の取り決めができ、1952年採択・発効の万国著作権条約によってベルヌ条約未締結国との橋渡しがなされた。さらには世界貿易機関 (WTO) 主管のTRIPS協定が1994年に採択・1995年発効し、国際的な著作権侵害の際にはWTOに提訴できる仕組みが導入された。 また、国際条約と国内法の中間的な位置づけとして、欧州連合(EU)の各種指令がある。EU加盟国は指令を遵守して国内法を整備する義務を負うことから、EU加盟国間の著作権法のばらつきを平準化する役割を担っている。 しかし著作権法および著作権についての考え方は、著作者・著作権者・利用者など利害関係者のさまざまな要請を受け、専門家だけでなく広く世論の間でも議論が起きたり、立法の場で話し合われたり、行政の場で検討されたり、司法の場で争われたりするなど絶えず変更を受け続けている。 21世紀に入り、テクノロジーの著しい進歩および権利ビジネスの伸張など経済社会の変化を受けた産業保護の観点からの要請と、著作物の自由な利用の要請(時には自由な言論の存続の希望を含む)との衝突が顕著な争点のひとつになっている。これを受け、デジタル著作物の保護規定を強化したWIPO著作権条約が1996年に採択され、2002年に発効している。
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21世紀に入り、テクノロジーの著しい進歩および権利ビジネスの伸張など経済社会の変化を受けた産業保護の観点からの要請と、著作物の自由な利用の要請(時には自由な言論の存続の希望を含む)との衝突が顕著な争点のひとつになっている。これを受け、デジタル著作物の保護規定を強化したWIPO著作権条約が1996年に採択され、2002年に発効している。 新しいテクノロジーに関連する個別の判例や法制には、1984年に判決が出た米国のベータマックス事件(ソニー勝訴)、1992年に生まれた日本の私的録音録画補償金制度、1997年に創設されたインタラクティブ送信に係る公衆送信権・送信可能化権(日本)、1999年に起こされたソニー・ボノ法への違憲訴訟(米国、2003年に合憲判決)、2001年のナップスター敗訴(米国)などがある。 本節では著作権のうち、おもに狭義の著作権(著作財産権)の保護の対象と要件について述べる。 著作権は、著作者の精神的労力によって生まれた製作物を保護し、また、自由市場における市場価格を著作者に支払うことを保証して、著作者の創作業務を維持し、収入を安定させることで、間接的に著作者本人を保護する効果もある。 日本の現行著作権法では具体的に「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法第2条第1項第1号)と定めており、ここでいう「創作的」については、既存の著作物との差異(表現者の個性)が表れていればよく、新規性や独創性は求められず、区別できる程度であればよいとされる。
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日本の現行著作権法では具体的に「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法第2条第1項第1号)と定めており、ここでいう「創作的」については、既存の著作物との差異(表現者の個性)が表れていればよく、新規性や独創性は求められず、区別できる程度であればよいとされる。 中山 (2014)によれば、思想又は感情が現れている箇所がどのような箇所なのか明確に定義することは難しい。そのため思想又は感情でないものがどういったものなのかを定義する方が明確にそれらを区別できる。思想・感情的から漏れ出ているものとしては、第1に著作物を書いた者が事実としているもの。例えば、ガリレオが地動説に関する本を出版した際、彼は地動説を事実として扱っていた。その場合地動説は事実として扱われる。第2に契約書案等。第3に単なる事実の報道や雑報。しかし事実を報道する新聞記事などは記事の配列、評価、分析などで創作性が保たれているためそれらは著作物として成立する。著作物として成立しないものとしては表現の幅の狭い新聞の見出しや死亡報道などである。第4に、スポーツやゲームのルールである。第5に技術や自然科学のアイディアそれ自体である。どんなに苦労して完成させた理論であっても、アイディアそれ自体には著作権はない。しかしそのアイディアを表現した論文での創作性が確保されているものに関しては著作権がある (pp.46-55)。 また、表現されている必要があり、文字・言語・形象・音響などによって表現されることで著作物となる。 著作権の対象として想定されるのは、典型的には美術、音楽、文芸、学術に属する作品である。絵画、彫刻、建築、楽曲、詩、小説、戯曲、エッセイ、研究書などがその代表的な例である。ほかにインターネット掲示板の書き込み、写真、映画、テレビゲームなど、新しい技術によって出現した著作物についても保護の対象として追加されてきた。 美術的分野では、著作権のほか、意匠権が工業デザインの権利を保護するが、著作権は原則として美術鑑賞のための作品などに適用され、実用品には適用されないとする。ただし、この境界線は必ずしも明解ではなく、美術工芸品は双方の権利が及ぶとする説もある。また、国によっては意匠法と著作権法をまとめて扱っている場合もある。
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美術的分野では、著作権のほか、意匠権が工業デザインの権利を保護するが、著作権は原則として美術鑑賞のための作品などに適用され、実用品には適用されないとする。ただし、この境界線は必ずしも明解ではなく、美術工芸品は双方の権利が及ぶとする説もある。また、国によっては意匠法と著作権法をまとめて扱っている場合もある。 入学試験の問題は、数学の問題における数式そのもの、社会科の問題における歴史的事実そのものといった場合を除き、問題を作成した学校等に著作権が生じるとされる。 国によって保護の対象が異なる場合があり、たとえば、フランスの著作権法では著作物本体のほかにそのタイトルも創作性があれば保護する旨を規定している。同じく、一部の衣服のデザインが保護されることが特に定められている。米国の著作権法では船舶の船体デザインを保護するために特に設けられた規定がある。ほかに、明文規定によるものではないが、活字の書体は日本法では原則として保護されないが、保護する国もある。アプリケーションプログラミングインタフェース(API)についても日本法では明示的に保護対象外としているが、米国では「保護が及ぶ」という最高裁判決が出ている。 権利が生じず、保護の対象にならない製作物がある。おもなものは以下の通り。 そのほか、キャラクター設定や感情そのもの、創作の加わっていない模倣品、範囲外の工業製品(たとえば自動車のデザイン)などは著作物とはならないほか、短い表現・ありふれた表現(たとえば作品のタイトルや流行語や商品名)・選択の幅が狭い表現などは創作性が認められない傾向にある。 特許権、意匠権、商標権などは登録が権利発生の要件であるが、著作権の発生要件について登録などを権利発生の要件とするか否かについては立法例が分かれる。 著作権の発生要件について、登録、納入、著作権表示など一定の方式を備えることを要件とする立法例を方式主義という。これに対して著作物が創作された時点で何ら方式を必要とせず著作権の発生を認める立法例を無方式主義という。
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特許権、意匠権、商標権などは登録が権利発生の要件であるが、著作権の発生要件について登録などを権利発生の要件とするか否かについては立法例が分かれる。 著作権の発生要件について、登録、納入、著作権表示など一定の方式を備えることを要件とする立法例を方式主義という。これに対して著作物が創作された時点で何ら方式を必要とせず著作権の発生を認める立法例を無方式主義という。 ベルヌ条約は、加盟国に無方式主義の採用を義務づけている(ベルヌ条約5条2項)。なお、日本には著作権の登録の制度があるものの、ベルヌ条約の加盟国であることもあり発生要件ではなく、あくまでも第三者対抗要件であるに過ぎない。これに対して万国著作権条約は方式主義を採用している(ベルヌ条約と万国著作権条約の双方に加盟している場合には万国著作権条約17条によりベルヌ条約が優先する)。 なお、北朝鮮もベルヌ条約加盟国であるが、日本は北朝鮮を国家として承認していないことを理由に、2011年12月、北朝鮮の著作物に関しては日本国内で保護義務がないとの司法判断が最高裁によってなされた。 ベルヌ条約に加盟し無方式主義をとる国においては著作物を創作した時点で著作権が発生するため、著作物に特定の表示を行う義務は課されていない。一方、ベルヌ条約締結後も同条約に加盟せず方式主義をとる国々があった。そのため自国が無方式主義を義務づけるベルヌ条約を締結していても、方式主義をとる国々では著作権発生の要件を満たさず、そのままでは著作権保護を得ることができず不都合を生じていた。そこで万国著作権条約は無方式主義をとる国における著作物が、方式主義をとる国でも著作権保護を得ることができるよう、氏名と最初の発行年、©のマークの3つを著作権表示として明示すれば自動的に著作権の保護を受けることができるとした。著作権マーク「©」は、著作権の発生要件として著作物への一定の表示を求める方式主義国において、要件を満たす著作権表示を行うために用いられるマークである。
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先述のように、ベルヌ条約と万国著作権条約の双方に加盟している場合には、無方式主義を定めるベルヌ条約が優先する。したがって、このような問題が生じるのはベルヌ条約を締結しておらず万国著作権条約のみを締結している方式主義をとっている国においてである。かつては米国が方式主義国の代表的存在で、長い間、万国著作権条約のみを締結しベルヌ条約を締結していなかった。しかし、米国は1989年にベルヌ条約を締結して無方式主義を採用した。ほかの国においても無方式主義の採用が進んだ結果、2017年現在、万国著作権条約のみを締結し方式主義を採用している国はカンボジアだけとなっている。そのカンボジアもベルヌ条約自体は締結していないものの、2004年のWTO加盟によりTRIPS協定9条1項の適用を受けることとなり、ベルヌ条約の1条から21条の条項および附属書の遵守義務を負ったため、実質的に無方式主義に転換した。 なお、著作権表示は条約上の著作権の発生要件とは別に国内法上一定の効果を生じることがあり、たとえばアメリカの著作権法では著作権の存在を知らずパブリックドメインと信じた者を保護する善意の侵害者(innocent infrigers)の法理があるが、©マーク等の著作権表示が著作物に明確に表示されていれば原則として善意の侵害にはあたらないとされている。 著作物が有形の媒体に固定されている必要があるか否かについても立法例が分かれる。ベルヌ条約では固定を要件とするか否かに関しては加盟国の立法に委ねている(ベルヌ条約2条2項)。アメリカ合衆国著作権法では、著作物が固定されていることが保護の要件となっており(102条(a))、未固定の著作物はもっぱら州法の規律による。日本の場合は固定を要件としていないが、映画の著作物については物への固定が要件であると一般的には解されている(ただし、この点には議論がある)。 著作権侵害は、民事では差止請求権、損害賠償、名誉回復等の対象となる。また、刑事事件として罰金刑や懲役刑などの刑事罰が科される場合もある。米DMCAに基づいて、自称著作権者およびその代理人による著作権侵害告発で、正規の著作権者や合法な著作権利用が妨げられるケース、果ては言論弾圧に利用するケースすら多発している。
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著作権侵害は、民事では差止請求権、損害賠償、名誉回復等の対象となる。また、刑事事件として罰金刑や懲役刑などの刑事罰が科される場合もある。米DMCAに基づいて、自称著作権者およびその代理人による著作権侵害告発で、正規の著作権者や合法な著作権利用が妨げられるケース、果ては言論弾圧に利用するケースすら多発している。 著作権の保護については、「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」(ベルヌ条約)、「万国著作権条約」、「著作権に関する世界知的所有権機関条約」(WIPO著作権条約)、「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)などの条約が保護の最低要件などを定めており、これらの条約の締約国が、条約上の要件を満たす形で、国内の著作権保護法令を定めている。 18世紀から19世紀にかけて各国の民間交流は増大したが、それとともに剽窃も国際的な問題となった。多くの国では著作権法が制定されていたが、効力範囲は自国民などに限られていた。そこで各国は、相互主義のもと互いに相手方国民の著作権を保護する二国間条約を締結して解決を図ろうとした。しかし、二国間条約では締約国以外には効力が及ばず、各国は法律で登録などの著作権保護要件を定めていたため現実に著作権を取得することは難しく実効性に乏しいものだった。 そこで国際文芸家協会などが国際的な著作権保護の運動を展開し、スイス政府などの主導のもと1886年にベルヌ条約(文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約)が締結された。ベルヌ条約に関しては1908年のベルリンでの改正条約によって無方式主義が採用された。 ベルヌ条約は内国民待遇、遡及効、無方式主義の採用などを柱とする。 ベルヌ条約は1908年のベルリンでの改正条約によって無方式主義が採用されたが、アメリカ合衆国や中南米諸国など方式主義を採用している諸国との間に制度的な差異を生じ問題化した。そこで、方式主義を採用しているアメリカ合衆国や中南米諸国などと、ベルヌ条約に加盟して無方式主義を採用している国々との間の架橋となる条約として、1952年に万国著作権条約が成立した。 万国著作権条約は内国民待遇、不遡及効、方式主義の採用などを柱とする。ただし、ベルヌ条約と万国著作権条約の双方に加盟している場合には万国著作権条約17条によりベルヌ条約が優先する。
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万国著作権条約は内国民待遇、不遡及効、方式主義の採用などを柱とする。ただし、ベルヌ条約と万国著作権条約の双方に加盟している場合には万国著作権条約17条によりベルヌ条約が優先する。 1979年にアメリカ合衆国がベルヌ条約に加盟したのち、グアテマラなどの中南米諸国も次々とベルヌ条約に加盟するなど、各国で無方式主義への転換が進んだ。先述のように、万国著作権条約のみを締結して方式主義を採用している国は2017年現在カンボジアだけとなっており、そのカンボジアもWTO加盟によりTRIPS協定9条1項の適用を受け、ベルヌ条約の1条から21条の条項および附属書の遵守義務を負ったため、実質的に無方式主義に転換している。 日本の著作権法は、著作物によって生じる著作者の財産権の範囲を定めている(著作権法第17条第1項)。日本では創作した時点で自動的に帰属される。 日本の著作権法は「著作者の権利」のもとに「著作権」と「著作者人格権」をおく二元的構成をとっており、このうち「著作権」を著作者の財産的利益を保護する権利とする。 著作権法は以下で条数のみ記載する。 日本では、近代以前においては版木の所有者である版元が出版物に関する権利者と考えられ、著作権に相当する概念が存在しなかったとされている。明治初期に福沢諭吉らの紹介と政府への働きかけにより、「版権」として著作権の一部が保護を受けることになった。 19世紀末に日本がベルヌ条約への加盟をするにあたり、国内法の整備の一環として初めて著作権法が制定された。この著作権法は「旧著作権法」とも呼ばれるもので、1970年に旧法を全部改正して制定された新著作権法とは通常区別される。 20世紀半ば以降、企業により著作物が製作されるようになると、便宜的に架空の人物を著作者とした事例が出てくるようになった(八手三郎、アラン・スミシーなど)。 日本の著作権法の下では、原則として、著作権は創作の時点で自動的に創作者(著作者)に帰属する(無方式主義 cf.方式主義)。たとえ創作活動を職業としない一般人であっても、創作された時点で自動的に帰属される。つまり、原始的には著作者たる地位と著作権者たる地位が同一人に帰属する。
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日本の著作権法の下では、原則として、著作権は創作の時点で自動的に創作者(著作者)に帰属する(無方式主義 cf.方式主義)。たとえ創作活動を職業としない一般人であっても、創作された時点で自動的に帰属される。つまり、原始的には著作者たる地位と著作権者たる地位が同一人に帰属する。 もっとも、著作権は財産権の一種であり、譲渡することが可能であり、さらには、以下のような支分権ごとにも譲渡可能と理解されている。したがって、創作を行った者と現時点の著作権者とは一致しないことや、支分権ごとに権利者が異なることもありうる。ただし、譲渡を受けた者が第三者に対抗するためには、文化庁に著作権を登録しておく必要がある。また、映画の著作物については、著作権の原始的帰属について特例が設けられている(16条)。この場合でも人格権としての著作者人格権は著作者に残されるため(59条)、著作権者であるといえども無断で著作物を公表・改変したり、氏名表示を書き換えたりすることはできない。 なお、著作者と著作権者の用語の使い分けが分かりづらいためか、2005年1月に文化審議会著作権分科会から発表された「著作権法に関する今後の検討課題」の中では、用語の整理の検討が必要であると言及されている。 著作権(著作財産権)は個別の権利(支分権)の集合である。以下はその一覧である。 著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる(63条1項)。この許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法および条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる(63条2項)。また、この許諾に係る著作物を利用する権利は、著作権者の承諾を得ない限り、譲渡することができない(63条3項)。 共有著作権(共同著作物の著作権その他共有に係る著作権)は、その共有者全員の合意によらなければ行使することができないが(65条2項)、各共有者は、正当な理由がない限り合意の成立を妨げることができない(65条3項)し、信義に反して合意の成立を妨げることができない(65条4項、64条2項)。また、代表権に加えられた制限は、善意の第三者に対抗することができない(65条4項、64条4項)。
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共有著作権(共同著作物の著作権その他共有に係る著作権)は、その共有者全員の合意によらなければ行使することができないが(65条2項)、各共有者は、正当な理由がない限り合意の成立を妨げることができない(65条3項)し、信義に反して合意の成立を妨げることができない(65条4項、64条2項)。また、代表権に加えられた制限は、善意の第三者に対抗することができない(65条4項、64条4項)。 共同著作物とは、「2人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分離して個別的に利用できないものをいう」(2条1項12号)と定義される。間違いやすいのは、二次的著作物で、「キャンディ・キャンディ事件」(最判平成13年10月25日判例)の事案においては、ストーリー作者により事前に原稿用紙に執筆されたストーリーに基づいて作画者が作画をするという方式がとられており、二次的著作物に該当するものと判断された。 次に間違いやすいのは結合著作物である。これは、各人の創作的表現を分離して利用可能なものであり、たとえば、「歌詞と楽曲」「小説と挿絵」などがこれに該当する。この場合は、共同著作物ではなく、それぞれが著作物であり著作権を有すると解される。 10条2項は「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第1号に掲げる著作物に該当しない」と規定している。 10条3項は、本法律による保護は「著作物を作成するために用いるプログラム言語、規約及び解法に及ばない」と規定している。これによりプログラミング言語、API、アルゴリズムは、少なくとも日本法においては保護対象とならない(ただし、日本国外ではAPIが保護対象と認定された例があるため注意が必要である)。 13条は、次の著作物が「この章の規定による権利の目的となることができない」と規定している。これらの著作物の内容は、国民の権利や義務を形成するものであり、一般国民に対して広く周知されるべきものであるため、著作権による保護対象とすることは妥当でないと考えられるためである。 また、北朝鮮の著作物については、日本は保護する義務を負わないとする最高裁判所の判決が2011年12月8日に出ている。→無断放映#日本における北朝鮮著作物放映基準の最高裁判例を参照
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また、北朝鮮の著作物については、日本は保護する義務を負わないとする最高裁判所の判決が2011年12月8日に出ている。→無断放映#日本における北朝鮮著作物放映基準の最高裁判例を参照 著作物の利用や使用について、その便宜上必要とされる範囲または著作権者の利権を害しない範囲において著作権が制限されることがある。これは、著作権というものが、公共性の高い財産権であることに由来する。おもなものは以下の通り。 著作権に明るくない一般人においては、しばしば、著作物を表象した有体物の所有権を取得したことにより、著作権に類する権限も取得できると誤解する場合がある。しかし、所有権を取得したからといって著作権にかかる諸権利まで取得できるわけではない。このことは美術の著作物についての判例「顔真卿自書建中告身帖事件」で明らかになっている。 ただし、美術の著作物についての原作品の所有者による著作物の展示や展示に伴う複製などの行為には著作権の効力が及ばないとする規定がある(45条、47条)。所有権者による当該行為にまで著作権の効力が及ぶものとすると、美術品の所有権を得た者の利益が著しく損なわれるため、著作権と所有権の調整を図ったものである。 保護期間を永久と定める国も存在するが、一般に一定の保護期間の下においてのみ、保護される。保護期間の満了を迎えると、著作権は消滅、パブリックドメインとされる。 著作権者が他人に対して著作物の利用を認める契約には著作物利用許諾契約や出版権設定契約がある。 著作物利用許諾契約(ライセンス契約)は契約を結んだものに対して著作物の利用を認める契約である。著作物利用許諾契約の相手方は複数の者でもよい。 出版権設定契約は特定の者に対し出版権を設定するもので、出版権の設定を受けた出版権者は設定行為に従って著作物を複製して頒布することができる。出版行為には紙媒体やDVD、CD-ROMなどへの複製のほか、インターネットによる公衆送信行為や電子出版なども含まれる。出版権は排他的・独占的な権利であり、出版権を侵害する者に対しては差止請求や損害賠償請求が認められる。 日本では出版権は複製権の一形態として著作権法第三章(出版権)に規定される。著作物を文書または図画として出版する行為を目的とする。
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日本では出版権は複製権の一形態として著作権法第三章(出版権)に規定される。著作物を文書または図画として出版する行為を目的とする。 (80条)出版権者は、設定行為で定めるところにより、その出版権の目的である著作物について、次に掲げる権利の全部又は一部を専有する。(1項)頒布の目的をもつて、原作のまま印刷その他の機械的又は化学的方法により文書又は図画として複製する権利(原作のまま前条第一項に規定する方式により記録媒体に記録された電磁的記録として複製する権利を含む) よって出版権者は、著作権者(複製権者)との利用許諾契約の条件下で、著作物の出版行為に関し排他的権利を取得することとなる。出版権者は単なる利用許諾者であるに止まらず、法律上、著作物の公表や権利侵害訴訟の原告資格が付与され(112条)、利用許諾の範囲内では著作権者(複製権者)の複製権・出版権の行使にも影響があるなど、強力な権利を持つ。出版権は次の通り利用許諾の範囲内で存続するが、無期限とした契約の有効性については学説上も争いがあり、有限期間を明示して契約するのが通例である。 (83条)出版権の存続期間は、設定行為で定めるところによる。(2項)出版権は、その存続期間につき設定行為に定めがないときは、その設定後最初の出版行為等があつた日から三年を経過した日において消滅する。 複製権などと同様に、出版権の目的物も法第三節第五款の著作権の制限の対象となる(86条)。また出版権の再譲渡などは原権利者の承諾により可能であり(87条)、著作権と同様の登録対抗要件まで規定がある(88条)。出版権侵害も複製権侵害の場合と同じく、損害賠償請求訴訟や侵害等罪の刑事罰(非親告罪化を含む)の対象となる(第7章、第8章)。2011年に自炊代行業者を相手どった提訴があり、2012年1月20日、衆議院第2議員会館で出版社が公明党衆院議員池坊保子文部科学部会長や自民党議員らに出版社が「著作隣接権を持てる」よう要望し、これは平成26年改正において電子書籍の出版権(いわゆる電子出版権)として実現された(次掲)。 80条2項 原作のまま前条第一項に規定する方式により記録媒体に記録された当該著作物の複製物を用いて公衆送信を行う権利
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映画
映画(えいが、英: motion picture あるいは movie あるいは film、仏: cinéma、中: 電影)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に「映画」と呼ばれている。 映画館が普及して以降、一般的に映画というと専用施設(映画館等)の中でスクリーンに投影して公開する作品を指すことが多い。20世紀に大きな発展を遂げた表現手段であり、映画は今や芸術と呼ぶべき水準に達している。また、古くからの芸術である絵画、彫刻、音楽、文学、舞踊、建築、演劇に比肩する新たな芸術として「第八芸術」ないし、舞踊と演劇を区別せずに「第七芸術」とも呼ばれる。また、映像やストーリー、音楽など様々な芸術の分野を織り交ぜてひとつの作品を創造することから「総合芸術」の一種としても扱われる。 「映画」という語の本来の意味は「画を映すこと」あるいはそうして「映された画」ということである。そのため、近世末期においては写真と同義に用いられていた。そこから転じて、「(スクリーンなどに)画像を映し出すこと」や「映し出される画像」、さらに長いフィルムに撮影された「動きのある画像」に対しても用いられるようになっていった。 なお、『日本国語大辞典第二版』における「映画」の項目には、以下のように記載されている。 「活動写真」は英語「motion picture、モーション・ピクチャー)」の直訳語で、元来は幻灯機のことを指すが、後に意味が変じて、映画を指すようになった。
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なお、『日本国語大辞典第二版』における「映画」の項目には、以下のように記載されている。 「活動写真」は英語「motion picture、モーション・ピクチャー)」の直訳語で、元来は幻灯機のことを指すが、後に意味が変じて、映画を指すようになった。 「シネマ」は、フランス語の「cinéma」のカタカナ表記である。フランス語のcinémaは、「cinématographe(シネマトグラフ」の短縮形であり、1.シネマトグラフのフィルムを制作し、レアリゼ(=上映、上演)する技術、2.スクリーン上にあたかも現実が動いているかのように(フィルムを使って)投影すること(=日本語で言う「映画の上映」)、3.上映を行う場所(=映画館)、4.フィルムの配給を行う産業(映画の配給会社)、を意味する。フランスでは同国の伝統をふまえて、フランスのリュミエール兄弟が開発したシネマトグラフという概念やその技術(の延長上)というとらえかたで「cinemaシネマ」という言葉や概念が使われているわけである。語源はギリシア語の「κινεῖν(「動く」という意味)」。なお、フランス語でも「film フィルム」という用語もあり、シネマトグラフを実現するための、薄くて細長い物体も当然フィルムと呼ぶが、個々の「映画作品」という意味でもフィルムという。アメリカでは、アート作品をフランス風に「シネマ」と呼び、娯楽作品は英語風に「ムービー」と区別して呼ぶ傾向がある。 戦前の日本では、映画は「キネマ」とも呼ばれた。当時から続く映画雑誌(『キネマ旬報』(キネマ旬報社)など)にこの名前が残っている他、懐古的な情緒が好まれる時にも用いられる。 19世紀後半に写真技術が発展すると、やがてそれを利用して動く写真の開発が始まり、1893年にトーマス・エジソンが1人でのぞき込んで楽しむキネトスコープを発明するなど、1890年代にはいくつかの映画の原型が考案されていた。そうした中、1895年にフランスのリュミエール兄弟がスクリーンに動く写真を投影して公開した。これが現代にまでつながる映画の起源とされている。
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19世紀後半に写真技術が発展すると、やがてそれを利用して動く写真の開発が始まり、1893年にトーマス・エジソンが1人でのぞき込んで楽しむキネトスコープを発明するなど、1890年代にはいくつかの映画の原型が考案されていた。そうした中、1895年にフランスのリュミエール兄弟がスクリーンに動く写真を投影して公開した。これが現代にまでつながる映画の起源とされている。 スクリーンに上映する映画は登場と同時に世界中で反響を呼び、開発の翌年には各国で上映されるようになった。草創期の映画は単に事実を記録した映像に過ぎなかったが、それでも新奇さから各地の見世物で大当たりを取り、映画館が相次いで各地に設立された。20世紀に入るとストーリーを持つ映画の制作が始まり、盛んに映画作品が作られるようになった。 映画表現において大きな画期となったのは、1920年代の「トーキー」の登場、それに続いて行われたいわゆる「総天然色」映画の登場が数えられよう。これらはそれぞれ、それまでの映画の形式を最終的には駆逐するにいたった。例えば、今では「トーキー」以前の形式である「サイレント」が新たに発表されることはほぼない。また、今「モノクローム」で撮影された映画が発表されることは極めてまれである。 20世紀前半に行われたこれらの映画技術の進展とは異なり、20世紀後半の映画技術の発展は映画表現の多様性を増す方向に作用した。 戦後、普及した映画の撮影技法には、例えば「特殊撮影」「アニメーション」「コンピュータ・グラフィクス」が挙げられる。これらの新たな撮影技法は、それ以前の方法を駆逐することによって普及したのではなく、それが登場する以前の撮影技法と共存しつつ独自の分野を成す形でそれぞれの発展を遂げている。 1970年代からはVTRが普及したが、フィルムとビデオとの基本的な表示方式の違いから映画は35mmフィルムによる撮影が一般的であった。21世紀に入った頃から商業作品もデジタルビデオカメラで撮影され、フィルムを使わずコンピュータ上で編集される例が増加している。詳しくはデジタルシネマを参照。 1990年代以降はコンピューターを使って画像を生成したコンピューターグラフィックス通称CGが大々的に使われるようになる。
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1990年代以降はコンピューターを使って画像を生成したコンピューターグラフィックス通称CGが大々的に使われるようになる。 映画には、技術的な側面に着目した分類、観客に映画作品を届ける経路やビジネスモデルによる分類、コンテンツ(作品内容)による分類などさまざまな分類法がある。 映画は、もともと映画館など専用の上映施設で上映されるものとして発達してきた。ビジネスモデルとしては、映画作品を制作する会社やそれを配給する会社は、映画館に対して映画作品のフィルムを一定期間貸し出し、貸すことに対する料金を得る(収益を得る)、というしくみであり、映画館のほうは、配給会社に料金を支払う形の契約で、限られた日数だけフィルムを借り、多数の観客が入場に必要なチケットを購入してくれることで収入を得る、配給会社に支払うお金と観客から得るお金の差額が「粗利」となり、ひとたびフィルムを借りたら、なるべく多くの観客に見てもらう、多数回上演し多数の観客に入ってもらうことで利益を大きくしようとする、というしくみであった。映画の制作会社で作られた映画作品のフィルムは、映画の配給会社によって、元のフィルムから複製が多数制作され、各コピーの個体ごとの貸し出し計画が立てられた。複製されたフィルムの個体ひとつひとつは、映画館から映画館へと線的に移動してゆくことになっており、最初は都市部の大きな映画館に高額で貸され、そこでの上映期間が終わると、次第に低額で地方都市や小さな町の映画館へと貸し出されてゆくようなスケジュールが、他の映画作品の上映計画との兼ね合いや、各映画館で「穴」があかないようにすることや、各映画館での利益も考慮し緻密に組まれた。こうしたスケジュールの体系は「番線」と呼ばれた。現在でも劇場で公開する映画は映画の基本であり本流であるが、そうではない映画も増えてきたので、劇場で公開する映画をレトロニムで「劇場公開作品」「劇場公開映画」などと呼ぶことも行われている。
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その後、各国で1940年代や1950年代になってテレビの放送が始まるようになり、テレビ所有者が増大する中で、すでに劇場公開が行われた映画作品を、後からテレビの電波に乗せるということも行われるようになった。この場合、ビジネスのしくみとしては、当該の映画作品の諸権利を有する映画会社とテレビ局の間で交渉・契約が行われ、テレビ局のほうから映画会社のほうに対して放送にまつわる対価(料金)が支払われることになる。やがて、数としては比較的少ないが、最初からテレビで放送することを目的に映画フィルムで撮影される映画作品が作られるようになった。このような作品は特に「テレビ映画」と分類する方法がある。テレビ会社が映画を制作すると、上述のようなお金の流れ(テレビ局→映画会社)は生じない。テレビ番組を充実させるためにテレビ局が行った策であり、1960年代のアメリカのテレビ番組の中では一種の「主力の番組」として内容としては西部劇や「ホームドラマ」の映画が多く製作された。
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1970年代後半~1980年代以降に、ベータマックスやVHSなどといった規格の比較的安価な家庭用のビデオ装置が先進国の家庭から次第に普及してゆくと、やがてビデオ装置を所有している比較的裕福な家庭をターゲットに、数千円~1万円超という価格設定で映画作品がビデオテープの形でも販売されるようになった。これによって映画(制作)会社が収益を得る方法が増えた(映画館にフィルムを貸す、テレビ局から権利料を得る、以外の選択肢が生まれた)。こうしてビデオテープ化される映画作品の数が次第に増えてゆくと、そうしたビデオテープを貸すレンタルビデオ業者が登場したが、映画会社の収益化の方法が確立されていなかったために、映画作品の「著作権」「貸与権」、テープの使用、上映が認められる範囲の線引きに関連する裁判となり、その結果レンタル業者は、映画会社に対して「正当な対価」を支払うべきだ、といった趣旨の判決が下され、数度の裁判や映画会社とレンタル業者の協会との交渉を経て、やがて「レンタル専用」のテープは一般人向けに販売されるテープよりも あらかじめかなりの高額でレンタル業者に販売されることで映画会社の収益とするしくみや、あるいは映画会社は「貸与権」の一部をレンタル業者に分けるかわりに、レンタル業者はテープが実際にレンタルされた回数を映画会社に報告し、その回数と連動する形で増えてゆく料金をしっかりと支払う、という内容の契約を結ぶ、というしくみが定着していった。こうしてビデオレンタル、という業態が確立すると、最初から劇場公開をせず、ビデオテープとして販売されたりレンタルされる形で視聴されることを想定して撮影される映画、というものも登場するようになった。こうした映画は「ビデオ映画」(あるいは「オリジナルビデオ」など)と分類される。その後 映画作品は、DVDやブルーレイでも販売・レンタルされるようになり、さらに近年、ブロードバンドが一般家庭にも普及すると、テレビ放送以外にネット配信からも映画会社が相応の権利料を得るようになった。2010年代以降、Netflixが、最初からNetflixのコンテンツとして提供するために、"オリジナル映画"を多数製作し日本を含む世界各国で配信するようになった。
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こうして観客に映画作品が届けられる経路が多様化するにしたがい、境界域が曖昧になり、どこで線引きするか、決定的な線というは一律に定めることは次第に難しくなってきている。たとえばアメリカでは以前から「テレビ映画」のジャンルが活発であるが、映画のアカデミー賞や「ゴールデングローブ賞映画部門」などの映画賞の対象となる作品は、応募資格を「映画館で上映される作品」、あるいは「ペイパービューで配信される作品」と限定し、「テレビ映画」は排除しているのだが、その一方で、アメリカのエミー賞やゴールデングローブ賞テレビ部門などのテレビ番組賞には、「テレビ映画」を対象とする賞が別枠で設けられる、という状況になっている。 2017年2月にはNetflixオリジナル作品『ホワイト・ヘルメット -シリアの民間防衛隊-』(アインシーデル監督)が第89回アカデミー賞において短編ドキュメンタリー賞を受賞。新型コロナウイルス感染症の影響で多くの映画館が閉鎖された第93回アカデミー賞においては受賞資格が緩和されるとともに、初上映が配信形式であった作品のノミネート、受賞が相次いだ。 映画の歴史を踏まえると、もともとは映画というのは写真フィルムで撮影されるものである。 やがて、そうしたフィルムを磁気フィルムにとりこむ、ということも行われるようになったが、もともと劇場で大型スクリーンに投影することを前提としている映画の世界では、基本的に35mmフィルムでの撮影が標準でありつづけた。 1990年代あたりから、国ごとに状況が異なるようになってゆき、資金面で余裕のあるハリウッドメージャーの場合、映画(や大型テレビドラマ)は未だ35mmフィルム撮影の方が圧倒的に主流でありつづけ、日本などではむしろデジタル化が進む、という現象も起きた。一部の国で写真フィルムで撮影した素材を一旦デジタル化し、デジタル技術ならではの加工や編集を行う、という手法も用いられるようになった。
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1990年代あたりから、国ごとに状況が異なるようになってゆき、資金面で余裕のあるハリウッドメージャーの場合、映画(や大型テレビドラマ)は未だ35mmフィルム撮影の方が圧倒的に主流でありつづけ、日本などではむしろデジタル化が進む、という現象も起きた。一部の国で写真フィルムで撮影した素材を一旦デジタル化し、デジタル技術ならではの加工や編集を行う、という手法も用いられるようになった。 2000年代に入ってからは、最初から写真フィルムを用いず、HD24p等のデジタル機器で撮影・編集され、その後フィルムに変換されたうえで劇場に納品される、という映画も登場し、徐々に増えていった。音声情報も映画館の多チャンネルサラウンド化に伴い、フィルムに焼き付けずにCD-ROMなどで納品される場合が増えてきた。(日本国内の限定的な事情については日本映画のページにて詳述する。) 最近の映画館(シネマコンプレックス)で上映される映画作品のほとんどは、「配給」のしくみも変わってきており、(従来のような、フィルムという物体の形で複製物をつくって、物体として「配達」されるのではなく)最初からデジタルデータの形で各映画館にネットワーク回線で伝送(VPN(や専用回線)で伝送)され、それが、デジタルデータを直接的に映像として投影する装置によって、スクリーン上に投影されるようになっている。技術的にいえば、データセンター内に映画会社側のサーバがあり、各映画館は映画作品のデータをダウンロードし、映画会社のほうは「デジタル的な鍵」のやりとりをすることで、各映画館で各作品を上映を可能にしたり反対に不可能にするような操作・管理を行い、ビジネスを行っている。 以下のデータは、特に明記されていない限りユネスコ統計研究所による、上映された長編映画(フィクション、アニメーション、ドキュメンタリー)の上位15か国のリストである。 ユネスコ統計研究所によると、チケット販売数で上位の国々は以下のようになっている。 映画制作の最高責任者は映画プロデューサーである。プロデューサーが、企画の選択、資金調達、予算規模の決定や配分の大枠の設定、配給先候補(映画館系列)との交渉、宣伝戦略の検討や決定、監督の人選、俳優の人選、ファイナルカットの判断、等々を行う。
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ユネスコ統計研究所によると、チケット販売数で上位の国々は以下のようになっている。 映画制作の最高責任者は映画プロデューサーである。プロデューサーが、企画の選択、資金調達、予算規模の決定や配分の大枠の設定、配給先候補(映画館系列)との交渉、宣伝戦略の検討や決定、監督の人選、俳優の人選、ファイナルカットの判断、等々を行う。 プロデューサーの権限は、最大である。監督よりも強く、監督の仕事ぶりの善し悪しを判断し、場合によっては撮影の途中で監督を解雇し、別の監督にすげかえる、ということすら行う。 ある程度以上の規模の映画となると、制作するには巨額な費用がかかるもので、まずは制作のための費用を調達しなければ、ならない。資金調達が最大の、そして根本的な土台として必要で、それができなければ、予算を組むことができず、資金の配分割合も決められず、撮影計画の立案も、映画スタッフの手配も、機材の手配も、何もできない。 映画は、非常に多数・多種類の、専門職的なスタッフたちによって制作される。映画は、たとえば脚本家、プロダクション・マネージャー(撮影スケジュールの管理や撮影道具の現地搬送の管理)、カメラ(撮影監督、カメラ技師 等)、照明、録音技師、「美術」(画面に登場する物品類の構想、調達、デザイン、制作など)、メイクアップ(化粧)、衣装関連職(スタイリスト、衣装デザイナー、衣装制作者 等々)、音楽(作曲家、作詞家、歌手、演奏家、指揮者 等々)、VFX...といったように、ざっくりと分けても数十種類、細分すると数百種類におよぶ専門家たちが各自の役割を果たして成立する。映画というのは、そうしたさまざまな人々の能力を結集させることによって作られる「総合芸術」である。大規模な映画になると、数千人以上もの人々がかかわるため、エンドロール(制作関係者の表示)も膨大なものとなる。 現在、個人ないし少人数のアマチュアグループでの映画撮影は、カメラ一体型VTRで行われるのが普通である。2000年代前半からDVDやメモリー素子に記録することで、磁気テープを使用しないデジタルビデオが普及しているが、DVビデオも現役である。 安価な機材は個人制作の映画の必須条件ではなく、ジョージ・ルーカスの個人制作である『スター・ウォーズ』新三部作などは当時の商業映画と同じ機材を使用している。
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現在、個人ないし少人数のアマチュアグループでの映画撮影は、カメラ一体型VTRで行われるのが普通である。2000年代前半からDVDやメモリー素子に記録することで、磁気テープを使用しないデジタルビデオが普及しているが、DVビデオも現役である。 安価な機材は個人制作の映画の必須条件ではなく、ジョージ・ルーカスの個人制作である『スター・ウォーズ』新三部作などは当時の商業映画と同じ機材を使用している。 アナログ式のビデオテープレコーダが普及する以前は、8ミリフィルムで撮影するのが主流であった。業務用の35ミリフィルムは、個人では機材の調達が困難(カメラに限っても、購入だと数百万円必要であり、「保守に信用がおけない」ため、個人向けのレンタルはほとんど行われていない)であり、またフィルムも高価であった。よって、個人向けに、小さなフィルムを使うことでフィルム代や現像代といった感材費をおさえた。 一方、1980年代にベータカムが普及するまでは、テレビ局での野外撮影や、上述のテレビ映画には16ミリフィルムが用いられることが多かった。16ミリであれば、35ミリに比較すれば安価な制作が可能であり、個人でも「手を伸ばせば、何とかなる」ものであったため、「16ミリでの映画制作」が、「アマチュアにおけるゴール」とみなされてきた時代が長く続いた。 更に安価で手軽になった8ミリフィルムでの映画制作については、8ミリ映画の項も参照のこと。 デジタル式ビデオカメラとPCベースのノンリニア編集機材の低価格化により、アルビン・トフラーの『第三の波』に登場する生産消費者が台頭しつつある。またプロユースでもノンリニア編集システムと連動した映像管理ソフトなどが利用されている。 YouTubeなど動画サイトを用いた、誰でも簡単に表現する場ができて、映像の個人製作をめぐる状況が大きく変化してきている。上映する場所もプロジェクションマッピングなどの発達とともに、「映画」と「映像作品」の距離が縮まっている。
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YouTubeなど動画サイトを用いた、誰でも簡単に表現する場ができて、映像の個人製作をめぐる状況が大きく変化してきている。上映する場所もプロジェクションマッピングなどの発達とともに、「映画」と「映像作品」の距離が縮まっている。 日本では、明治時代から個人撮影の映画が制作され始めた。戦前から一部でカラーフィルムで撮影が行われ、NHKで2003年に『BSプライムタイム 映像記録 昭和の戦争と平和 カラーフィルムでよみがえる時代の表情』前編後編、『NHKスペシャル 映像記録・昭和の戦争と平和~カラーフィルムでよみがえる時代の表情~』、2006年に『BS特集 カラー映像記録 よみがえる昭和初期の日本』 前編後編と計3本で取り上げられた。 2017年には堀貴秀監督が独学で個人製作した『JUNK HEAD』がファンタジア国際映画祭で最優秀長編アニメーション賞を獲得。ファンタスティック映画祭で新人監督賞を受賞した。 「日本映画の父」と言われた牧野省三によると、映画には三要素があるとのことで、『スジ・ヌケ・ドウサ』の順である、とした。スジは脚本、ヌケは映像美、ドウサは役者の演技を指す。 一方、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典の「映画」の項目の解説では、「映画はシナリオ、演出、カメラ・ワーク、編集の四つの基本となる要素を組み合わせて制作される。」と、4つの要素を挙げている。 映画は、もともと映画のためだけにプロット(筋書きのエッセンス)が書かれ、映画のためだけに脚本が書かれることが多いが、あらかじめ小説などがあり、後から「映画化」が行われることもある。また(あまりそうした国は多くないが)日本やアメリカなど、漫画やコミックがさかんな一部の国では、漫画やコミックを原作として映画がつくられることがある。 小説のような文字による芸術と、映画という映像(や音響)による芸術は、それぞれ特性が大きく異なっている。(文字だからできること、反対に文字には不向きなこと、映像だからできること、反対に映像には不向きなことがある。)文字を用いた芸術と映像を用いた芸術は いわば「まったく 別物」なので、古典文学を原作として映画化を行うことは、さまざまな困難がともなう。
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小説のような文字による芸術と、映画という映像(や音響)による芸術は、それぞれ特性が大きく異なっている。(文字だからできること、反対に文字には不向きなこと、映像だからできること、反対に映像には不向きなことがある。)文字を用いた芸術と映像を用いた芸術は いわば「まったく 別物」なので、古典文学を原作として映画化を行うことは、さまざまな困難がともなう。 たとえばジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『アンナ・カレニナ』では冒頭の「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳)に相当する部分は、映像では表現することはあきらめ、結局、文字で示さざるを得なかった。 沼野充義は「単純にスローガン的に、文学を原作にした映画の効用」として3つあげている。 一つは「原作と違うといって文句を言える」こと。二番目に「文学では見てはいけないものを映画にすると見ることができる」ということ。例えば、ワレーリイ・フォーキン監督 『変身』など、カフカが映像化したくなかったかもしれないものを映像化している。三番目は「読み切れない作品を二時間程度で読んだ気になれる」ということ。例えば『戦争と平和』などは3時間あるが、絢爛豪華な歴史世界を映画で見ることができるし、いつか原作を読もうという気持にさせる。 一般的には、原作をできるだけ忠実に映像化しようと試みた映画作品は、映画作品としては評価が低くなりがちで、その反対に『砂の器』やジャン・ルノワール監督の『ピクニック』など、原作とは異なる内容の映画作品や、短編小説を原作とした映画作品(つまり、原作はせいぜい「きっかけ」や「結晶の核」として用いて、原作とは距離を置いて、文学作品の大部分の要素は思い切って切り捨てたり、変えてしまい、映画という独特の技法の側の都合を(最)優先させた映画作品)のほうが「名作」とされることが多い。
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メーリングリスト
メーリングリスト(英: mailing list)とは、複数の人に同時に電子メールを配信(同報)する仕組み。MLと略される。用途としては、特定の話題に関心を持つグループなどで情報交換をする場合に利用されることが多い。 メーリングリストの原理は、登録メンバーの電子メールアドレスのリストと、メーリングリスト宛ての代表電子メールアドレスを用意しておき、代表アドレスへ送信されたメールを、リストに登録されたメンバー全員のアドレスへ転送するものである。 元は郵便を利用したものがあったが、今日では専ら電子メールを用いたものを指す場合が多い。 メーリングリスト用のサーバソフトウェアには、fml、LISTSERV、majordomo、Mailmanなどがある。 ネット上の他のサービスとの相互乗り入れも多く、かつてはネットニュースのニュースグループとの相互乗り入れも多く行われた。しかし1990年代よりネットニュース上のEMP/ECP(excessive multipost/excessive crosspost)の増加や、帯域の増強に伴いニュースグループを介さずに個々のメンバーがメールを受け取ることに支障がなくなってきたことより、ニュースグループとの相互乗り入れによるメーリングリスト側のメリットが薄れ、相互乗り入れは減少する傾向にある。代わってワールドワイドウェブ(WWW)の普及に伴い、WWWと相互乗り入れ、ないしウェブページ上にアーカイブを公開するメーリングリストが増加している。 メーリングリストサーバを運営するにはメールサーバについてのある程度の技術的知識が必要だが、近年はWWW上で、無料で使用できるメーリングリストサーバも提供されている。代表的な無料サービスには、freeml(1997年開始 2019年12月2日終了)やYahoo!グループ(2004年2月9日開始 2014年5月28日終了)・allserver(2005年開始)・GroupML(2019年開始)などがある。 このようなことや、ADSLやFTTHといった、いわゆるブロードバンドインターネット接続の普及から、グループなどでの情報交換手段としては新規のメーリングリスト開設は下火になっており、代わりに(登録制の)電子掲示板(BBS)が多用される傾向にある。
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メーリングリスト
このようなことや、ADSLやFTTHといった、いわゆるブロードバンドインターネット接続の普及から、グループなどでの情報交換手段としては新規のメーリングリスト開設は下火になっており、代わりに(登録制の)電子掲示板(BBS)が多用される傾向にある。 メーリングリストの運用方針は管理者の志向、話題の性質や構成メンバーなどによって大きく異なる。ある組織の構成員に限る場合や、専門家対象の場合で有資格者に限る場合、紹介が必要なもの、誰でも自由に入れるものなど様々である。ロムを認めず一定期間投稿がないとリストから削除される場合もある。また、画像を添付するとサーバに負担がかかるため、禁止しているところも多い。アーカイブ(過去ログ)をWEBで公開していることもあるし、会員外への転送を禁止している場合もある。こうした運用方針については、管理者が定めることで、通常は入会時のお知らせなどに記載されている。 Outlook Expressなどのマイクロソフト製電子メールクライアント(メールソフト)では、初期設定でhtml形式で送信したり、添付ファイルが自動的に開くようになっているなど、メーリングリストでの利用に問題が発生することが多い。そのため、メーリングリストを利用する際は適切な設定を行うよう促されたり、運用上問題があるとして利用禁止にしているケースもある。 メーリングリストは古くから存在する仕組みであるが、セキュリティ上の問題点も存在する。参加を検討する際には、セキュリティ問題に関する運営者の知識レベル等を見極め、参加することのリスクを考慮する必要がある。
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画像
画像(がぞう)とは、事象を視覚的に媒体に定着させたもので、そこから発展した文字は含まない(例:文字と画像、書画)。定着される媒体は主に2次元平面の紙であるが、金属、石、木、竹、布、樹脂や、モニター・プロジェクター等の出力装置がある。また、3次元の貼り絵、ホログラフィー等も含まれる。 現存する古い画像は後期旧石器時代の洞窟壁画(スペインの《アルタミラ洞窟壁画》(全文:La Cueva de Altamira(Museo de Altamira)や、フランス《ラスコー洞窟壁画》(書影:三浦定俊(2008))。)等)である。これらの画像すなわち、岩面画から抽象化が行われ、画像に属するピクトグラム(絵文字)、さらに文字に属する象形文字が生まれた。 コンピュータで扱う画像データの最少単位を画素という。物理的な点情報をドットといい、1インチあたりのドット密度をdpiという。
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ピアノ
ピアノ(英: piano)は、弦をハンマーで叩くことで発音する鍵盤楽器の一種である。鍵を押すと、鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き、音が出る。内部機構の面からは打楽器と弦楽器の特徴も併せ持った打弦楽器に分類される。 一般に据え付けて用いる大型の楽器で、現代の標準的なピアノは88鍵を備え、音域が非常に広く、オーケストラの全音域よりも広い。 汎用性の高い楽器であることから、演奏目的として使われる以外に、音楽教育、作品研究、作曲などにも広く用いられている。そのためピアニストに限らず、作曲家、指揮者、他楽器奏者、声楽家、音楽教育者、教員などにも演奏技術の習得を求められることが多い。 「ピアノ」の名は、17-18世紀の楽器製作家バルトロメオ・クリストフォリが製作したピアノの原型であるクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(伊: Clavicembalo col piano e forte、強弱をもつチェンバロ)に由来し、これが短縮されたものとされる。 歴史的には「ピアノフォルテ」(pianoforte)や「フォルテピアノ」(fortepiano)と呼ばれ、現代でも略称としては “pf” という表記が用いられている。 現代では、イタリア語・英語・フランス語では “piano” と呼ばれる(伊・英では “pianoforte” も使用)。ドイツ語では「ハンマークラヴィーア」(“Hammerklavier”)がピアノを意味し、より一般的には “Klavier”(鍵盤の意味)と呼ばれるほか、“Flügel”(もともと鳥の翼の意で、グランド・ピアノを指す)も用いられる。ロシア語の正式名称は “фортепиано” (fortepiano) であるが、一般にはグランドピアノを意味する “рояль”(フランス語の “royal”から)や、アップライトピアノを意味する “пианино” (pianino) が用いられることが多い。その他ハンガリー語では “Zongora” と呼ぶ。
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ピアノ
20世紀後半以降、あえて「フォルテピアノ」「ハンマークラヴィーア」「ハンマーフリューゲル」などと呼ぶ場合は古楽器、すなわち現代ピアノの標準的な構造が確立される以前の構造を持つ楽器を指す場合が主で、古い時代に作曲された作品を、当時のスタイルで演奏する際に用いられている。これに対して19世紀半ば以降のピアノを区別する必要がある場合には「モダンピアノ」などと呼ぶ。 日本では、19世紀ごろに洋琴と呼ばれたり、戦前の文献では「ピヤノ」と書かれたものが見受けられる。一例として尋常小学校の国語の教科書に「月光の曲」と題されたベートーヴェンの逸話が読み物として掲載されていたことがあるが、このときの文章は「ピヤノ」表記であった。 モダンピアノは主に2つのタイプに分かれる。すなわち、グランドピアノとアップライトピアノである。モダンピアノはフォルテピアノと同様にアコースティック楽器だが、それ以外にエレクトリックピアノ(電気ピアノ)やエレクトロニックピアノ(アナログ電子ピアノ)、デジタルピアノなども存在する。 グランドピアノは地面と水平にフレームと弦を配し、弦は奏者の正面方向に張られる。そのため、グランド・ピアノは極めて大型の楽器となり、充分に共鳴の得られる、天井の高い広い部屋に設置することが理想的である。グランド・ピアノは大きさによっていくつかに分類される。製造者やモデルによって違いはあるが、大まかに言って、「コンサート・グランド」(全長がおおよそ2.2 mから3 m)、「パーラー・グランド」(おおよそ1.7 mから2.2 m)、これらよりも小さい「ベビー・グランド」(ものによっては幅よりも全長が短い)に分けられる。ベビー・グランドはゾーマー社が1884年に特許を取得している。
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他の条件がすべて同じであれば、長い弦を張った長いピアノの方が響きがよく、弦のインハーモニシティ(非調和性)が小さい。インハーモニシティとは、倍音の周波数の、基本周波数の整数倍からの遠さである。短いピアノは、弦が短く、太く、固いため、弦の両端が振動しにくい。この影響は高い倍音に顕著であるため、第2倍音は理論値よりも若干高くなり、第3倍音はもっと高くなる。このようにして、短いピアノではインハーモニシティが大きい。短いピアノではダンパーペダルを踏んだときに共鳴する弦が少ないので、音色が貧弱である。一方、コンサート・グランドでは弦長があるため短いピアノよりも自由に振動でき、倍音が理想に近くなる。 一般的にはフルサイズのコンサート・グランドは大型なだけでなく高価でもあるため、専用ホールなどでの演奏会で用いられ、より小型のグランドピアノは学校の体育館・講堂や教室(音楽室)、ホテルなどのロビー、小規模なホール、設置場所を取れる一部の家庭(ピアノ教室を開いているようなところ)などで用いられる。 アップライトピアノは、フレームや弦、響板を鉛直方向に配し、上下に延びるように作られている。グランドピアノよりも場所を取らないため、グランドピアノを設置するスペースの取れない家庭や、学校の教室、小規模の演奏会場などに広く設置されている。 グランドピアノでは、ハンマーが反動と重力によって自然な動きで下に落ちるのに対し、アップライトで一般的な前後に動くハンマーでは、反応のよいピアノ・アクションを製造することは難しい。これはハンマーの戻りをばねに依存せざるをえず、経年劣化するためである。またレペティションレバーという、ジャックをハンマーの下に引き戻す機構が、ほとんどのアップライトピアノには備わっていないため、連打性能に関しては決定的に劣る。 20世紀の中頃より、音響部分を電気回路に置き換えたエレクトリックピアノ(電気ピアノ)が登場した。 音色が独特であるため、アコースティックピアノの代用品として使用されるケースは稀であり、しばしば同じ楽曲作品内でアコースティックピアノとエレクトリックピアノの両方を使用し共存する楽曲も多い。
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20世紀の中頃より、音響部分を電気回路に置き換えたエレクトリックピアノ(電気ピアノ)が登場した。 音色が独特であるため、アコースティックピアノの代用品として使用されるケースは稀であり、しばしば同じ楽曲作品内でアコースティックピアノとエレクトリックピアノの両方を使用し共存する楽曲も多い。 発音原理はアコースティックピアノと同じく、ハンマーで音源部を叩くことで音を得ているが、音響増幅をボディ部分の反響から得ているアコースティックピアノと異なり、音源部で鳴らした音を磁気やピエゾピックアップなどで拾い、アンプで電気的に増幅してスピーカーから出力している。アコースティックピアノとエレクトリックピアノは物理的な発音構造が基本的には同じであるので、他の楽器で例えるならアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの関係に近い。合成音ではなく実際に物理的な音源部を振動で鳴らしているため、電源を入れずとも演奏すれば小音量ながら生音は聞こえる。 音源部の素材や反響・共鳴方法はメーカーや機種によってまちまちであり、最もよく知られるエレクトリックピアノの一つであるローズ・ピアノは、各鍵盤ごとの音程を発音する金属片を弦の代わりに叩くことで原音を鳴らし、またその振動を別の金属板で共鳴させている。 ヤマハの製品のように、アコースティックピアノと同じく弦を使用するものもある。当然ながら音源部が同じため、弦以外の音源を使用する機種よりもアコースティックピアノに音は近く、この構造を持つCP-70やCP-80などはエレクトリック・グランドピアノとも呼ばれる。 また、アコースティックピアノにピックアップを搭載したエレクトリックアコースティックピアノとも呼べるハイブリッドモデルも存在するが、後述の電子ピアノにおけるハイブリッド機とは構造が異なり消音機能がある訳ではない。構造としては同じ音を電気的に出力するかしないかだけであるため、仮に消音処理を行なえばエレクトリックピアノとしての音も発音されなくなる。電源を通した場合も当然アコースティックピアノとしての生鳴りは残り、住宅事情や夜間演奏の対策になるものではない。
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エレクトリックピアノは発声原理がアコースティックピアノと基本的には同じか、もしくは似通っているため、電子回路で音を生成・合成するエレクトロニックピアノ(アナログ電子ピアノ)や、デジタルピアノといった電子ピアノ類とは明確に区別される。 物理的な音源を用いずに、電子回路によって音を生成及び合成しているものは電子ピアノと呼ばれる。上位モデルではペダルや、実際のピアノの感触を再現した鍵盤、多様な音色、およびMIDI端子を備えている。とりわけ、コンサートなどで用いられることを想定した脚部分のない本体部分だけのものはステージピアノとも呼ばれる。 電子ピアノの音色生成や合成方法はアナログ・デジタルなど様々であるが、古くは1970年代にアナログシンセサイザーの技術を転用してピアノの音色再現を試みたエレクトロニックピアノが、1980年代にはデジタルシンセサイザーの技術を用いたFM音源による合成やサンプリング技術を利用して打鍵にあわせて音を再生するデジタルピアノが登場した。FM音源式はローズピアノなどの音色の再現がしやすく、サンプリング式は本物のエレクトリックピアノの音色をそのまま録音して収録できるため、メンテナンスや搬入に難の多い本物のエレクトリックピアノが駆逐される原因ともなった。特に90年代以降アコースティックピアノやエレクトリックピアノの代用として用いられているものはサンプリングタイプが多く、一般に単にデジタルピアノや電子ピアノと呼ぶ場合はこのタイプを指す。近年では通常のピアノを切り替えによって電子ピアノとしても使用できるサイレントピアノも登場している。サイレントピアノ類は、前述のアコースティックピアノとエレクトリックピアノのハイブリッド機とはまったく異なり、電子ピアノとして使用する場合は生音が消音され、デジタル音源によるサンプリング音が出力される。
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電子ピアノは内部構造や発音原理がシンセサイザー類と同じであるため、ピアノの音色や打鍵感覚に重きを置いたシンセサイザーと見ることもできる。エレクトロニックピアノはアナログシンセサイザー、デジタルピアノはデジタルシンセサイザーとそれぞれ相同である。実際のところ、「電子ピアノ」と銘打っていてもデジタルピアノには一般的なシンセサイザーのようにピアノ以外の多彩な音色を備えている機種が多く、そういった機種ではピアノ的な打鍵の重さや細かいコントローラ類が省かれているのを気にしないのであれば、シンセサイザーとしても使用可能である。 多くのデジタルピアノでアップライトやグランドなどのアコースティックピアノ音色の他に、エレクトリックピアノの音色や、古い時代のシンセサイザーに搭載されていたピアノ音色うち、人気の高いものなども搭載されている。しかし、現在の技術水準ではアコースティックピアノの要である打弦されていない弦の共鳴による響きを完全に再現することは困難であり、物理モデル音源技術などを用いた開発が続けられている。 上に分類されないピアノの形態としては、かつて長方形をしたスクエア・ピアノがあったが、19世紀中頃から次第に姿を消し、現在は製造されていない。 トイピアノは19世紀に製造が始まった、元来は玩具用のピアノである。1863年、アンリ・フルノーがピアノ・ロールを用いて自動演奏する自動ピアノを開発した。自動ピアノでは紙製のパンチ・ロールを使って演奏を記録し、気圧装置を使ってこれを再生する。現代の自動ピアノとしてはヤマハのディスクラヴィーアがあり、これはソレノイドとMIDIを使用したものである。 アーヴィング・バーリンは、1801年にエドワード・ライリーが開発した移調ピアノという特殊なピアノを使用した。これは鍵盤の下に備えられたレバーによって、望みの調に移調できるというものであった。バーリン所蔵ピアノのうちの1台はスミソニアン博物館に収められている。 20世紀現代音楽の楽器として、プリペアド・ピアノがある。プリペアド・ピアノは標準的なグランド・ピアノに演奏前にさまざまな物体を取り付けて音色を変えたり、機構を改造したものである。プリペアド・ピアノのための曲の楽譜には、奏者に対してゴム片や金属片(ねじ・ワッシャーなど)を弦の間に挿入する指示が書かれていたりする。
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20世紀現代音楽の楽器として、プリペアド・ピアノがある。プリペアド・ピアノは標準的なグランド・ピアノに演奏前にさまざまな物体を取り付けて音色を変えたり、機構を改造したものである。プリペアド・ピアノのための曲の楽譜には、奏者に対してゴム片や金属片(ねじ・ワッシャーなど)を弦の間に挿入する指示が書かれていたりする。 以下では基本的にモダンピアノの構造を解説する。モダンピアノの基本的な構造は、鍵盤、アクション(ハンマーとダンパー(4))、弦(上図-16)、響板(15)、ブリッジ(12)、フレーム(1・14)、ケース、蓋(2・5)、ペダル(11)などからなる。打鍵に連動してダンパーがあがると共にハンマーが弦を叩いて振動させ、この振動は弦振動の端の一つであるブリッジ(駒)から響板に伝わり拡大される。またペダルによって全てのダンパーがあげられていると、打弦されていない他の弦も共鳴し、ピアノ独特の響きを作り出す。鍵から手を離すとダンパーがおり、振動が止められる。 フレームおよびそれを支える木製の胴体、足、弦、アクション機構などによりピアノの重量はパイプオルガンを除くほかの楽器に比べて桁違いに重く、アップライト・ピアノで200 kg〜300 kg、グランド・ピアノでは300 kg以上、コンサート・グランドでは500 kgを超えることも珍しくない。このため、ごく少数のこだわりを持つ演奏家を除いてコンサートに自分のピアノを持参することはなく、会場にある楽器を使う。 標準的モダンピアノは黒鍵36、白鍵52の計88鍵を備える(A0からC8に及ぶ7オクターヴと短3度)。この音域のものは19世紀後半頃から作られ始め、第一次世界大戦後に標準となったものである。88鍵が標準的になったのは、この音域が楽音として人間が認識できる限度であるためだといわれている。鍵そのものは、ほとんどの場合木でできており、表面にかつては白鍵は象牙を、黒鍵は黒檀を貼っていることが多かったが、現在では合成樹脂製付き板を使ったものが多い。また、近年では、象牙や黒檀の質感を人工的に再現した新素材(人工象牙、人工黒檀)などが採用されたものもある。
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古いピアノには85鍵(A0からA7の7オクターヴ)のものも多く、また88鍵を越える楽器も存在する。ベーゼンドルファーの一部のモデルは低音部をF0まで拡張しており(92鍵)、C0まで拡大して8オクターヴ(97鍵)の音域を持つ1モデル(モデル290 “インペリアル”)も存在する。このような拡張部分は、不要時には小さな蓋で覆えるようになっているものや、拡張部分は白鍵の上面を黒く塗って、奏者の混乱を防ぐ措置がとられているものがある。これよりも最近に、オーストラリアのメーカースチュアート・アンド・サンズ社でも97鍵 (F0~F8)・102鍵 (C0~F8) ・更には108鍵(C0~B8に及ぶ9オクターヴ)の楽器を作っており、この108鍵のピアノは2018年9月に初めて作られたもので、2022年現在世界一広い音域を持つピアノとなっている。また102鍵 (C0~F8) の楽器はフランスのステファン・ポレロ社でも作られている。これらのスチュアート・アンド・サンズ社やステファン・ポレロ社などのモデルでは、拡張音域の鍵盤の見た目は他と変わらない。拡張音域は、主により豊かな共鳴を得るために追加されたもので、これらの音を使うように作曲されている楽曲は僅かである。 逆に、流しのピアニストたちが使う、65鍵の小さなスタジオ・アップライトもある。「ギグ」ピアノと呼ばれるこのタイプのピアノは、相対的に重量が軽く、2人で持ち運び可能であるが、響板部分はスピネット・ピアノやコンソール・ピアノよりも大きく、力強い低音部の響きを有する。 鍵を押し下げるとハンマーが連動して弦を叩く仕組みをアクションという。アクション機構は伝統的に木材で作られてきたが、近年はごく一部のメーカーで炭素繊維を含ませたABS樹脂なども使われる。
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鍵を押し下げるとハンマーが連動して弦を叩く仕組みをアクションという。アクション機構は伝統的に木材で作られてきたが、近年はごく一部のメーカーで炭素繊維を含ませたABS樹脂なども使われる。 鍵を押し下げた時に、ハンマーが弦の手前 2〜3ミリメートルの位置にくると、ハンマーが鍵の動きから解放される。この動きを「レット・オフ」といい、このような機構をエスケープメントと呼ぶ。打撃による発音では発音体との接触時間を短くすることが重要な要素であるが、これを鍵盤の動きにかかわらず一定の条件で行うための仕組みであり、このエスケープメント・アクションを発明したことが今日のピアノの地位を築く出発点であった。弦とハンマーの間の距離は2〜3 ミリの範囲内のいずれでも良いわけではなく、全鍵において可能な限り揃えられる必要があり、これをレット・オフ調整という。一部のメーカでは最高音部のレット・オフを 1ミリまで近づける方が充分な音色を得られることがある。この機構のため、鍵を押し下げるときに指に感じられる重さは、押し下げきる直前で軽くなる。鍵が軽くなってから鍵が深く沈むと、鍵が重く感じられる。 アクションで次に重要な課題となったのは、エスケープした部品(ジャック)を如何に素早くハンマーの下に戻して次の打弦に備えるかであり、様々な方式のアクションが発明、改良されることになった。歴史的には大きく分けてウィーン式アクションとイギリス式アクションが存在した。モダンピアノのアクションは基本的にイギリス式アクションの系列である。 モダンピアノでは、アップライト・ピアノはジャックのみがエスケープするシングル・エスケープメント・アクションを用いているが、グランド・ピアノはジャックとレペティションレバーがエスケープするダブル・エスケープメント・アクション(原型はエラールが開発)を用いている。 ダブル・エスケープメント・アクションにはレペティションレバーという部品があり、これによって素早い連打を可能としている。これは、打弦後、鍵を押し下げる力をわずかに緩めた瞬間に、レット・オフの時にジャックとともに外れて(エスケープして)いたレペティションレバーがハンマーを持ち上げて維持し、ジャックの戻りをたやすくする機構である。これにより鍵の深さの半分まで戻すことで次の打弦が可能になる。
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ダブル・エスケープメント・アクションにはレペティションレバーという部品があり、これによって素早い連打を可能としている。これは、打弦後、鍵を押し下げる力をわずかに緩めた瞬間に、レット・オフの時にジャックとともに外れて(エスケープして)いたレペティションレバーがハンマーを持ち上げて維持し、ジャックの戻りをたやすくする機構である。これにより鍵の深さの半分まで戻すことで次の打弦が可能になる。 一方、ハンマーが弦を横から叩くアップライト・ピアノでは、シングル・エスケープメント・アクションのために鍵が完全に戻らなければ次の打鍵はできない。ハンマーが戻るのを助けるバットスプリングと呼ばれるスプリングが付いているために、この力によってハンマーが戻りやすくなっているようにとらえられがちであるが、スプリングを外しても連打の性能には大きな変化はない。正しくアクション調整が行われたグランド・ピアノのアクションでは、毎秒14回程度の、アップライト・ピアノでは7回程度の連打が可能である。レペティションレバーの有無という構造の違いが、グランド・ピアノとアップライト・ピアノのタッチ、表現力の差に大きく影響を及ぼしている。グランド・ピアノのダブル・エスケープメント・アクションは、シュワンダー式アクションが主流だったが、1970年代以降スタインウェイ式アクションを採用するメーカが多くなった。 アクションにおいてハンマーとともに重要なのが、ダンパーと呼ばれる消音装置である。打鍵時以外はこれが弦に密着し、その振動を常に抑えている。鍵を叩くと、ハンマーがハンマーと弦の間(打弦距離)の1/3 ないし 1/2 進んだときにこのダンパーが弦から離れ始めるように調整される。これにより弦の自由な振動を可能とする。鍵を抑えている間中ダンパーは離れているが、鍵を離すと同時にダンパーが弦に戻り、弦の振動を止め、音が消える。ただし、ピアノの最高音部は、弦の鳴る時間が短いため、ダンパーを備えない。
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弦に直接触れるハンマーヘッドは、一時樹脂製のものが用いられたこともあったが、今ではほぼ例外なく羊毛のフェルトでできている。ハンマーヘッドは長時間演奏されれば変形するが、音色に大きく影響するものなので、音程の調律ほど頻繁ではないが定期的に調整することが必要となる。具体的には、調律師など専門の技術者が「ファイラー」と呼ばれる表面にサンドペーパー(紙または布製#80〜#800程度を数種類)を貼ったものでハンマーフェルトの表面を削り整形したり(ファイリング)、「ピッカー」と呼ばれる柄に針を数本取り付けた工具でハンマーフェルトを繰り返し刺して音色を整える整音(「ボイシング」または「ピッカーリング」とも呼ばれる)を行う。 技術が進歩した近年では、電気ピアノのように同じような発音原理を持ちながら電気的に増幅するものや、電子的に発音するピアノに類する楽器も登場している。 ピアノは鍵盤と同じ数(前述の通り現在の標準的ピアノでは88)の音高を持つが、1音あたりの弦の数は音高により異なり、最低音域では1本、低音域では2本、中音域以上では3本張られ(その境界は機種によりまちまち)、弦の総数は200本を超える。各音の弦は複数弦でも単一のハンマーで同時に叩かれるが、グランド・ピアノの弱音ペダルを踏むとハンマーを含めた鍵盤の機構すべてが物理的に横方向にずれ、中音域以上では叩かれる弦の数が3本から2本に減り、低音域では2本の場合はそのうち片方の弦のみが、1本の場合もその弦の端の方のみがハンマーで叩かれるので音量が低下する。 弦はミュージックワイヤーと呼ばれる特殊な鋼線(ピアノ線の中でも、特に高品質なもの)で、低音域では質量を増すために銅線を巻きつけてある。音域ごとの弦の仕様に関しては、具体的には次のようなものがある。
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弦はミュージックワイヤーと呼ばれる特殊な鋼線(ピアノ線の中でも、特に高品質なもの)で、低音域では質量を増すために銅線を巻きつけてある。音域ごとの弦の仕様に関しては、具体的には次のようなものがある。 弦長は、一般に長いほうが豊かな音色になる(その分張力を増さねばならない)といわれ、限られた寸法の中で最長の弦長を確保するために、弦を2つのグループに分け、各グループ内の弦は同一平面上に張られるが、段差を持った2枚の平面が角度を持って交差するようになっていることが多い(オーバー・ストリンギング)。弦はフレームに植えられたチューニングピンで張られるが、1本あたりの張力は70~80kg重程度で、全弦の張力の合計は20トン重にも及ぶ。ピアノが現在の音量を出せるようになったのは、この張力に耐える鋼製のミュージックワイヤーと鉄製のフレーム(現在は一体の鋳物)が使われるようになってからである。 現在のピアノではオーバー・ストリンギングのために、音が濁るという欠点が存在する。ドイツのDavid Klavinsは、この問題を解決するために1987年にKlavins Piano Model 370を発表した。このピアノは弦を平行に配置するために高さは3.7m(名前の由来となっている)、総重量20トン以上にも上る巨大なもので、共鳴板はグランドピアノの二倍以上あり、階段の上にアップライト型の鍵盤が配置されている。Model 370は2012年現在も世界最大のピアノである。ちなみにこの楽器はオルガン同様据え付けとなっているためコンサートなどには使用できず、ほとんど映画などの音源収録のみに使われている。2012年には、Native InstrumentsからModel 370から収録したKONTAKT 5用のソフト音源"THE GIANT"が発売されている。
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響板・響棒は弦の下に位置し、ブリッジを通じて伝えられた弦の振動を空気に効率良く伝える。響板は柾目に木取りされておりその方向はブリッジの長さ方向に一致させるのが一般的である。響棒は響板のブリッジに対して反対面に位置し、やはり柾目に木取りされている。響棒は響板木目方向に対して、つまりブリッジの長さ方向に対しても交差する方向に配置される。響板を支える骨組みの役目を果たすが、響板・響棒材を伝わる音は木目方向と木目横断方向ではおよそ4:1となるために、響板の柾目横断方向への振動の伝播を助け、響板全体に振動が均質に伝わるように工夫されてもいる。 グランドピアノでは弦を覆う上蓋(大屋根)がついており、これを持ち上げることによってより豊かな音量を出すことが出来る。これは支え棒によって斜め約45度に固定される。これにより音が指向性を帯びる。演奏者から見て右側が開くため、演奏会場では客席に向かって音を発するように、客席から向かって左側に鍵盤が置かれる。大屋根を半開にすることもでき、伴奏ではこの状態が好まれる。 アップライトピアノも上部の蓋を開けることができ、これによって若干の音量調節は可能になるものの、グランドピアノほど効果的ではない。むしろほこりが入るので開ける事はあまり好まれない。 21世紀現在の一般モダンピアノは、3本のペダルを備える。20世紀以前は2本のペダルのメーカーも存在した。 第1のペダルは、一番右の長音ペダルであり、ダンパーペダルと呼ばれる。このペダルを踏むと、すべてのダンパーが離れ、打鍵した音が延びる。また演奏した弦だけでなくそれらの部分音成分に近い振動数を持つ弦が共鳴することで、ペダルを踏まずに鍵を押下したまま音を延ばした場合よりも音が豊かに聴こえる。ペダルを放すとダンパーが戻り、延びていた音は止まる。
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第1のペダルは、一番右の長音ペダルであり、ダンパーペダルと呼ばれる。このペダルを踏むと、すべてのダンパーが離れ、打鍵した音が延びる。また演奏した弦だけでなくそれらの部分音成分に近い振動数を持つ弦が共鳴することで、ペダルを踏まずに鍵を押下したまま音を延ばした場合よりも音が豊かに聴こえる。ペダルを放すとダンパーが戻り、延びていた音は止まる。 またペダルの踏み込み具合を半分などに調節することで、音の延び具合を調節することも出来、これをハーフペダルと呼ぶ。さらに熟練した奏者は、このハーフペダルと完全に踏み込んだ状態とを往復する操作によって、延び具合を周期的に変化させ、ヴィブラートに似た演奏効果を得ることも可能である。武満徹の「雨の樹素描」では楽譜上にこれらの踏み込み具合の指定がある。このペダルを踏み込んでいるときの弦は周囲の音にも共鳴し得るので、合唱曲の伴奏などでは歌唱にピアノが共鳴している現象も聞き取れることがある。ピアノで一切発音せず、ペダルの踏み込み具合や鍵を無音で押し込むことによって他の楽器に共鳴させる奏法もある。例えばルチアーノ・ベリオの「セクエンツァX」(トランペットと共鳴ピアノのための)ではトランペット奏者がピアノの内部に向かってトランペットを吹き、その共鳴を聞き取る場面がある。 第2のペダルは、一番左の弱音ペダルであり、ソフトペダル、もしくはシフトペダルと呼ばれる。グランド・ピアノでは、このペダルを踏むと鍵盤全体がフレームに対して少し右にずれ、中高音域ではハンマーが叩く弦の本数、低音域では弦に当たるハンマーの部位が中央から端に変わり、音量が減少する(ウナ・コルダ)。アップライト・ピアノでは、ハンマーの待機位置が弦に近づく(打弦距離が短くなる)ことで打弦速度が下がり、音量が小さくなる。ハンマーは弦の手前2〜3mmで鍵盤からの動きを遮断(レット・オフ)され自由運動で打弦するが、きわめて弱い音を速いテンポで繰り返す場合には、ハンマーが弦を打たないミス・タッチとなる。そこでソフトペダルを使用して打弦距離を幾らか短くすることで、弱く弾いた場合でもミス・タッチを起こしにくくする効果がある。つまりアップライト・ピアノのソフトペダルは、他のペダルのようにペダルを踏むことによって何かしらの効果を得るものではなく、演奏の補助的な役割を果たすペダルといえる。
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第3のペダルは、中央のペダルである。かつてはエラールなど多くのメーカーによって省略されていた。グランド・ピアノでは、ソステヌートペダルと呼ばれ、このペダルを踏んだ時点で押していた鍵のダンパーが、鍵から手を放してもペダルを踏んでいる間は弦に降りないようになっている。主に低音の弦を延ばしたまま高音部を両手でスタッカートで弾いたり、あるいは高音部のみダンパーペダルを複数回踏み変える奏法に際して用いられる。前者はシェーンベルクの「3つのピアノ曲」(作曲者自身はこの指定をしていないが、ピアニストによってこの奏法を採るものが多い)、サミュエル・バーバーの『ピアノソナタ』終楽章のフーガなど、後者はドビュッシーのピアノ曲集「映像」第2曲「ラモーを讃えて」や、武満徹の「閉じた眼」「雨の樹素描」などの作品で効果的に使われる。また低音の鍵を無音で押さえたままソステヌートペダルを踏んで「鍵を押しっぱなし」と同じ状態にし、高音部の鍵をダンパーペダルなしで(多くの場合スタッカートで)弾く事により、低音で押された音の部分音の振動数に対応する音が部分音の共鳴によって若干の残響を伴って聞こえる。多くの現代音楽で使われている奏法である。 アップライトピアノの中央のペダルは、マフラーペダルとも呼ばれ、夜間練習などのために、弦とハンマーの間にフェルトを挟んで、音を弱くする。踏み込んだペダルを左右いずれかにずらすことでロックされ、踏みっぱなしにしておくことができる。 もともとのこのペダル効果はハンマークラヴィーアなどでハンマーと弦の間に薄い皮や羊皮紙などを挟み、音色の変化を愉しんだことによる。
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アップライトピアノの中央のペダルは、マフラーペダルとも呼ばれ、夜間練習などのために、弦とハンマーの間にフェルトを挟んで、音を弱くする。踏み込んだペダルを左右いずれかにずらすことでロックされ、踏みっぱなしにしておくことができる。 もともとのこのペダル効果はハンマークラヴィーアなどでハンマーと弦の間に薄い皮や羊皮紙などを挟み、音色の変化を愉しんだことによる。 歴史的楽器では4つないし5つのペダルを持つものもあり、このうちのいくつかはシンバルや太鼓といった打楽器に連動されていた。シューベルトの一部の作品では、これらの打楽器に連動するペダル構造を用いた曲もある。現代でもファツィオリ社のグランドピアノでは第4のペダルを備えるものがある。このペダルを踏むことにより、鍵盤の前面が下がり、鍵盤の沈む深さが浅くなる。現代のピアノが沈む深さは平均して約1cmであるが、モーツァルトが活躍した時代の鍵盤が沈む深さは約6mmであり、操作は現代よりも遥かに軽やかであった。この時代のような鍵盤の軽やかさを現代のピアノに持たせるために第4のペダルが備えられたものである。現在第5ペダルと呼べる「ハーモニックペダル」は、どのメーカーのグランドピアノにも接続することができる。すでに新製品に組み込んだメーカーも出現している。近年はアップライトピアノであっても、グランドピアノと同等のペダル能力を持つピアノが出現している。 またオルガンと同様に足鍵盤を備えた楽器、ペダルピアノも存在する。シューマン、シャルル=ヴァランタン・アルカンらにペダルピアノのための作品がいくつかある。ロベルト・プロッセダが現代テクノロジーを用いて復刻された楽器を用いているほか、メーカーが市販した例がある。
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またオルガンと同様に足鍵盤を備えた楽器、ペダルピアノも存在する。シューマン、シャルル=ヴァランタン・アルカンらにペダルピアノのための作品がいくつかある。ロベルト・プロッセダが現代テクノロジーを用いて復刻された楽器を用いているほか、メーカーが市販した例がある。 各弦の張力を調整する調律は、今日のほとんどのピアノが十二平均律で調律される。他の弦楽器に比べて張力が大きく、またピンの保持力も高いため音程の精度はかなり高く誤差は1セント(十二平均律の半音の100分の1)単位まで求められる。例外的に平均律以外に調律されることもあり例えば、テリー・ライリーには、通常のピアノの調律である平均律ではなく、純正律に調律されたピアノを用いる作品がある(「in C」など)。また、ジェラール・グリゼーの後期作品「時の渦」は、ピアノの特定の数音を四分音下げて調律することが要求される。調律の狂ったような音に聴こえるが、これは合成された倍音に基づく調律である。特に激しい跳躍のある第1部のカデンツァにおいて効果的に響く。いずれの場合もコンサートに用いる際はピアノ調律師の特殊な技能が要求され、また日本のコンサートホールではこのような特殊調律を断られる場合があるので、それでもあえて演奏する場合にはピアノのレンタルが必要になる。 19世紀にはヴィルトゥオーゾのピアニストらにより、リストの半音階、3本の手などの技巧が開発された。 クラスター奏法とは、ヘンリー・カウエルらによって提唱されたもので、鍵盤を手・腕・ひじを使って打楽器のように演奏する。トーン・クラスターも参照のこと。 内部奏法とは、ピアノを鍵盤によってではなく、内部の弦をギターのプレクトラム(ピック)などで直接はじいたり、弦の縁や真ん中を指で押さえながら対応する鍵盤を弾いたり、松脂を塗ったガラス繊維あるいは弦楽器の弓の毛を、ピアノ内部の特定の弦に通して擦弦したりすることにより、本来のピアノにはない音色を得るための奏法。ピアノの作音楽器に劣後する特性を何とか克服しようとするものである。
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内部奏法とは、ピアノを鍵盤によってではなく、内部の弦をギターのプレクトラム(ピック)などで直接はじいたり、弦の縁や真ん中を指で押さえながら対応する鍵盤を弾いたり、松脂を塗ったガラス繊維あるいは弦楽器の弓の毛を、ピアノ内部の特定の弦に通して擦弦したりすることにより、本来のピアノにはない音色を得るための奏法。ピアノの作音楽器に劣後する特性を何とか克服しようとするものである。 現代音楽では当たり前のように多用されるが、日本の多くのコンサートホールは新しい楽器1台しか用意してないことが多く、楽器が傷むという理由からこの内部奏法を非常に嫌悪し禁止している。それに対して外国とくにヨーロッパでは古い楽器や破壊用の楽器も万遍無く用意してあることが多いのでこのような規制はほとんど見受けられない。とはいえ、楽器に傷をつけやすい金属製器具での演奏は控えたり、指の汗が弦につくことを考慮し演奏後にはサビ防止のためにきちんと布でふき取るなどの配慮は必要である。 ピアノは1人だけでなく、2人以上が一台の楽器を同時に演奏することも可能である。これを連弾という。 19世紀のヨーロッパでは、サロンの愛好家やアマチュアの子女のたしなみとして連弾のための音楽がもてはやされた。ヨハネス・ブラームスはこのような状況を受けて『ハンガリー舞曲』を書いた。さらに後輩であるアントニン・ドヴォルザークに『スラブ舞曲』を書くことを勧めた。どちらも連弾のレパートリーとして欠かせない楽曲であり、またオーケストラ編曲としても親しまれている。 カミーユ・サン=サーンスの「交響曲第3番『オルガン付き』」では、第4楽章においてオーケストラ内のピアノが連弾で用いられる(しかし主役はオルガンであり、そちらの方がずっと目立つ)。また一般的な2人で演奏して高音部と低音部を弾き分ける4手連弾のほかに、3人で演奏する6手連弾もラフマニノフなどの楽曲に作例が見られる。 ピアノを2台並べて演奏する方法。連弾よりも音量において勝り、また奏者が2人とも音域に制限されずに演奏できる利点がある。その反面、音が混ざり易く、雑多に聞こえ易いという短所もある。2台のピアノは1台ずつそれぞれに調律するのだが、インハーモニシティはそれぞれのピアノに固有のものなので、調律は他のピアノとは完全には一致しない。そのため、微妙なずれによって賑やかな音になる。
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ピアノを2台並べて演奏する方法。連弾よりも音量において勝り、また奏者が2人とも音域に制限されずに演奏できる利点がある。その反面、音が混ざり易く、雑多に聞こえ易いという短所もある。2台のピアノは1台ずつそれぞれに調律するのだが、インハーモニシティはそれぞれのピアノに固有のものなので、調律は他のピアノとは完全には一致しない。そのため、微妙なずれによって賑やかな音になる。 多くの場合は2台のピアノを向かい合わせに置くため、双方のピアノは反響板が互いに反対方向に開いてしまう。このため大抵の場合は、聴衆とは逆に開くピアノ側の反響板を取り外して演奏する。 2台ピアノのために書かれたオリジナル曲のほか、オーケストラ曲やピアノ協奏曲を試演する際にも用いられる。この試演とは、主に19世紀において限られた音楽関係者の聴衆を前にオーケストラ曲の新作を披露する際、または現在においても音楽学校などでピアノ科の生徒が協奏曲を試験などに際して弾く際に用いられる演奏手段である。2台目のピアノを連弾にし、合計3人の奏者が演奏する場合もある。 ダリウス・ミヨーとスティーヴ・ライヒの作品には、それぞれ6台のピアノを同時演奏するものがある。 また1993年から毎年開催されているヴェルビエ音楽祭で、2003年の10周年記念として行われたガラコンサートでは、著名なピアニスト8名(エフゲニー・キーシン、ラン・ランなど)が、スタインウェイのピアノ8台を「八」の字に並べ同時演奏した。 弦を叩くことで発音する鍵盤楽器を作ろうという試みは早くより存在しており、中でも鍵盤付きのダルシマー系の楽器をピアノの先祖とみる向きもあるが、一般的には、現在のピアノはトスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチの楽器管理人であったイタリア・パドヴァ出身のバルトロメオ・クリストフォリが発明したとみなされている。クリストフォリがいつ最初にピアノを製作したのかは明らかでないが、メディチ家の目録から、1700年にはピアノがすでに存在していたことが知られる。現存する3台のクリストフォリ製作のピアノは、いずれも1720年代に製作されたものである。
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多くの発明がそうであるように、ピアノもそれまでにあった技術の上に成立している。ピアノに先行する弦を張った鍵盤楽器としてはクラヴィコードとチェンバロが特に普及していた。クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる金属片で突き上げるもので、鍵盤で音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる当時唯一の鍵盤楽器であったが、音量が得られず、狭い室内での演奏を除き、ある程度以上の広さの空間で演奏するには耐えなかった。一方のチェンバロは弦を羽軸製のプレクトラムで弾くものであり、十分な音量が得られたものの、ストップ(レジスター)の切り替えで何段階かの強弱を出せる他は自由に強弱をつけて演奏することは困難であった。これらの鍵盤楽器は数世紀にわたる歴史を通じて、ケース、響板、ブリッジ、鍵盤のもっとも効果的な設計が追求されていた。クリストフォリ自身、すぐれたチェンバロ製作家であったため、この技術体系に熟練していた。 クリストフォリの重要な功績は、ハンマーが弦を叩くが、その後弦と接触し続けない、というピアノの基本機構を独自に開発した点にある。クラヴィコードでは鍵を押している限りタンジェントが弦に触り続けるが、ハンマーが弦に触れ続ければ響きを止めてしまう。更に、ハンマーは激しく弾むことなく元の位置に戻らなければならず、同音の連打にも堪えなければならない。クリストフォリのピアノアクションは、後代のさまざまな方式のアクションの原型となった。クリストフォリのピアノは細い弦を用いており、モダンピアノより音量はずっと小さいが、クラヴィコードと比較するとその音量は相当に大きく、響きの持続性も高かった。
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クリストフォリの新しい楽器は、1711年にイタリアの文筆家フランチェスコ・シピオーネ(イタリア語版、英語版)(シピオーネ・マッフェイ)がピアノを称賛する記事をヴェネツィアの新聞に掲載するまでは、あまり広く知られていなかった。この記事には構造の図解も掲載されており、広く流通して、次世代のピアノ製作家たちにピアノ製作のきっかけを与えることとなった。オルガン製作家としてよく知られるゴットフリート・ジルバーマンもその一人である。ジルバーマンのピアノは、1点の追加を除いては、ほぼクリストフォリ・ピアノの直接のコピーであった。ジルバーマンが開発したのは、全ての弦のダンパーを一度に取り外す、現代のダンパー・ペダルの原型であった。 ジルバーマンは彼の初期製作楽器の1台を1730年代にヨハン・ゼバスティアン・バッハに見せているが、バッハはダイナミックレンジを充分に得るためには高音部が弱すぎると指摘した。その後、ジルバーマンの楽器は改良を加え、1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際にジルバーマンの新しい楽器に触れた際にはバッハもこれを評価し、ジルバーマン・ピアノの売り込みにも協力したという。 イギリスでは1760年代にはいってピアノの製造が盛んになった。ジルバーマンの徒弟だったヨハネス・ツンペ(英語版)がロンドンに移り、1760年ごろにクリストフォリの楽器をもとに改良を加えた楽器を製造してイギリス・アクションの基礎を築いた。ツンペの楽器は当時ドイツで好まれていたスクウェア・ピアノだった。1762年に渡英したヨハン・クリスティアン・バッハは1766年の『ピアノフォルテまたはハープシコードのための6つのソナタ』作品5において、ハープシコードと併記する形ではあるがはじめて曲名に「ピアノフォルテ」を使用している。 フランスのセバスチャン・エラールが1777年に制作したピアノもツンペの楽器をもとにしたイギリス・アクションの楽器だった。エラールはフランス革命のはじめにロンドンにわたり、帰国した後もパリとロンドンの両方で楽器を製造した。エラールはイギリスの楽器をもとにしながら多くの改良を加えていった。
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ピアノ
フランスのセバスチャン・エラールが1777年に制作したピアノもツンペの楽器をもとにしたイギリス・アクションの楽器だった。エラールはフランス革命のはじめにロンドンにわたり、帰国した後もパリとロンドンの両方で楽器を製造した。エラールはイギリスの楽器をもとにしながら多くの改良を加えていった。 同時期のドイツではアウクスブルクのヨハン・アンドレアス・シュタイン、その娘でウィーンのナネッテ・シュトライヒャーとヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー、同じくウィーンのアントン・ワルターなどが活躍した。ウィーン式のピアノは、木のフレームに1音2弦の弦を張り、革で覆ったハンマーをもつ。また現代のピアノとは黒鍵と白鍵の色が逆のものもある。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはシュタインやワルターの楽器を使用してそのピアノ協奏曲やピアノソナタを作曲した。これらのウィーンのピアノは、イギリス式のピアノや、現代の一般的なピアノよりも軽快な響きを持ち、減衰が早かった。20世紀後半より当時の楽器の復元がなされ、19世紀初頭以前の初期ピアノはフォルテピアノとしてモダンピアノと区別することも多い。 1790年から1860年頃にかけての時期に、ピアノはモーツァルトの時代の楽器から、いわゆるモダンピアノに至る劇的な変化を遂げる。この革新は、作曲家や演奏家からのより力強く、持続性の高い響きの尽きぬ要求への反応であり、また、高品質の弦を用いることができ、正確な鋳造技術により鉄製フレームを作ることができるようになるといった、同時代の産業革命によって可能となったことであった。時代を追って、ピアノの音域も拡大し、モーツァルトの時代には5オクターヴであったものが、モダンピアノでは71⁄3オクターヴか時にはそれ以上の音域を持っている。
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初期の技術革新の多くは、イギリスのブロードウッド社の工房でなされた。ブロードウッド社は、華やかで力強い響きのチェンバロですでに有名であったが、開発を重ねて次第に大型で、音量が大きく、より頑丈な楽器を製作し、初めて5オクターヴを越える音域のピアノを製作した。1790年代には5オクターヴと5度、1810年には6オクターヴの楽器を作っている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにも楽器を送っており、ベートーヴェンはその後期の作品で、拡大した音域を利用して作曲している。ウィーンスクールの製作家たちもこの音域拡大の流れを追ったが、イギリスとウィーンではアクションの構造が違っていた。ブロードウッドのものはより頑丈で、ウィーンのものはより打鍵への反応がよかった。 1820年代になると、開発の中心はパリに移り、当地のエラール社の楽器はフレデリック・ショパンやフランツ・リストの愛用するところとなった。1821年、セバスチャン・エラールは、ダブル・エスケープメント・アクションを開発し、鍵が上がり切っていないところから連打できるようになる。この発明によって、素早いパッセージの演奏が容易となった。ダブル・エスケープメント・アクションの機構が公に明らかになると、アンリ・エルツの改良を経て、グランドピアノの標準的なアクションとなり、今日生産されているグランドピアノは基本的にこのアクションを採用している。 日本にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって初めてピアノがもたらされたのもこの時期である。山口県萩市の熊谷美術館には1823年にシーボルトより贈られた日本最古のピアノ(スクエア・ピアノ)が現存する。
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日本にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって初めてピアノがもたらされたのもこの時期である。山口県萩市の熊谷美術館には1823年にシーボルトより贈られた日本最古のピアノ(スクエア・ピアノ)が現存する。 モダンピアノの響きを作り出した大きな技術革新の一つに、頑丈な鉄製フレームの導入があげられる。鉄製フレームは「プレート」とも呼ばれ、響板の上に設置し、弦の張力を支える。フレームが次第に一体化した構造を獲得するのにあわせて、より太く、張力が高い弦を張ることが可能になり、また張る弦の本数を増やすことも可能となった。現代のモダンピアノでは弦の張力の総計は20トンにも上りうる。単一部品の鋳物フレームは、1825年にボストンにてオルフェウス・バブコックによって特許が取得されている。これは、金属製ヒッチピン・プレート(1821年、ブロードウッド社がサミュエル・ハーヴェに代わって特許請求)と、耐張用支柱(1820年、ソムとアレンによって請求、ただしブロードウッドとエラールも請求)を組み合わせたものであった。バブコックは後にチッカリング・アンド・マッカイ社で働き、チッカリング社は1843年にグランドピアノ用のフル・アイロン・フレームを初めて特許取得した。ヨーロッパの工房はその後も組合わせフレームを好むことが多く、アメリカ式の単一フレームが標準となるのは20世紀初頭である。 その他の代表的発明として、革の代わりにフェルトをハンマー・ヘッドに用いることがあげられる。フェルト・ハンマーは、1826年にジャン=アンリ・パップによって初めて導入された。素材がより均質である上に、ハンマーが重くなり、弦の張力が増すとともに、より大きなダイナミックレンジを得ることを可能とした。音色の幅を広げるソステヌート・ペダルは、1844年にジャン・ルイ・ボワスローによって発明され、1874年にスタインウェイ社によって改良された。
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この時代の重要な技術的発明としてはほかに、弦の張り方もあげられる。低音部を除いて、1音2弦ではなく3弦が張られ、「オーバー・ストリンギング」や「クロス・ストリンギング」と呼ばれる、2つの高さのブリッジを用い、張る向きの変えて弦の並びを重ねる張り方が導入された。このことにより、ケースを長くすることなく、より大きな弦を張ることが可能になった。オーバー・ストリンギングは1820年代にジャン=アンリ・パップによって発明され、アメリカ合衆国におけるグランドピアノでの使用の特許は1859年にヘンリー・スタインウェイによって取得された。 テオドール・スタインウェイが1872年に特許を取得した、デュープレックス ・スケール(もしくはアリコット・スケール)は、張られた弦の共鳴長に続く部分を、共鳴長とオクターヴの関係に調律することで、弦の各部分の振動を制御する技術である。類似のシステム(アリコート張弦)は、同じく1872年にブリュートナー社で開発されたほか、コラード社は、よりはっきりとした振動を使って響きを調える技術を1821年に開発している。 初期のピアノの中には、一般に見慣れない外形や設計を用いているものもある。スクエア・ピアノは地面と水平に弦を張ったケースが長方形の楽器で、ハンマーの上に対角線状に弦を張り、ケースの長辺側に鍵盤が設置されている。スクエア・ピアノの設計の原型はさまざまにジルバーマンおよびクリスチャン・エルンスト・フレデリチに帰されており、ギュイヨーム=レブレヒト・ペツォルトとオルフェウス・バブコックによって改良された。18世紀後半にはツンペによりイギリスで人気を博し、1890年代には、アメリカ合衆国にてスタインウェイの鋳物フレーム、オーバー・ストリンギング・スクエア・ピアノが大量生産され、人気を博した。スタインウェイのスクエアは、木製フレームのツンペの楽器に較べて2.5倍以上大きかった。スクエア・ピアノは、製作コストが低く、安価なために大人気であったが、簡単な構造のアクションと、弦の間隔が狭いために、演奏のしやすさや響きの点からは難があった。
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ピアノ
アップライト・ピアノは弦を垂直方向に張った楽器で、響板とブリッジを鍵盤に対して垂直に設置する。開発初期のアップライト・ピアノでは、響板や弦は鍵盤よりも上に設置し、弦が床に届かないようにしている。この原理を応用し、鍵盤の上方に斜めに弦を張るジラフ・ピアノ(キリン・ピアノ)やピラミッド・ピアノ、リラ・ピアノは、造形的に目を引くケースを用いていた。 非常に背の高いキャビネット・ピアノは、サウスウェルによって1806年に開発され、1840年代まで生産されていた。鍵盤の後にブリッジと連続的なフレームが設置され、弦はその上に垂直に張られ、床近くまで延び、巨大な「スティッカー・アクション」を用いていた。同じく垂直に弦を張る、背の低いコテージ・アップライト(ピアニーノとも)は、ロバート・ワーナムが1815年頃に開発したとされ、20世紀に入っても生産されていた。このタイプの楽器は、すぐれたダンパー機構を持ち、俗に「鳥カゴピアノ」と呼ばれていた。斜めに弦を張るアップライト・ピアノは、ローラー・エ・ブランシェ社によって1820年代後半にフランスで人気を得た。小型のスピネット・アップライトは1930年代半ばより製作されている。このタイプの楽器では、ハンマーの位置が低いために、「ドロップ・アクション」を用いて必要な鍵盤の高さを確保している。 日本では、1900年に日本楽器製造株式会社(後のヤマハ)が製作した「カメンモデル」の第一号が初の国産ピアノとされる。ヤマハは1909年のアラスカ・ユーコン太平洋博覧会(英語版)に蒔絵技法を使った漆塗のアップライトピアノを出品し、名誉大賞金牌を受賞した。20世紀半ばまで日本のピアノには塗装に漆が用いられた。当時世界的には木目のピアノが主流だった(ジャパニングも行われていた)が、木目のピアノはデザインの都合上木目を合わせる必要があり、木材の選定に限界があった。ピアノを漆黒の一色で塗装することは、木材の選定に限界がなくなり最良の木材を利用することが出来るばかりか、製造における労力が減るため、大音量の楽器を大量生産することが可能になる。昭和40年代以降には、耐久性に優れる不飽和ポリエステル樹脂とアニリンブラックを用いた鏡面仕上げ塗装が行われるようになった。
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ピアノ
1965年には、日本の住宅事情に合わせて、アップライトピアノにおける音量を大幅に低下させるマフラーペダルがヤマハにより開発された。 その後は細かい部分の改良を除いては大幅な変更もなくなり、 モダンピアノの標準型が形成されることとなった。
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医学
医学(いがく、英: medical science、medicine)または医科学(いかがく、英: medical science)とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である。主流の医学は生物医学または主流医学、西洋医学などと呼ばれる。医学は、病気の予防および治療によって健康を維持、および回復するために発展した様々な医療を包含する。 仏教圏において、「医」の象徴として薬師如来が知られていることからも判るように、「医」は元々は漢方等の「薬」を扱っていた者によって行われていた。古代中国においては、「医」は主に道士や法師等によって営まれ、宗教と密接に繋がっている。伝統中国医学は、単に「医」または「医方」と呼ばれており、勘と経験に頼る部分が非常に大きかったが、明時代になると、鍼灸だけでなく、漢方薬においても、中国の根本的な理論である陰陽五行思想や経絡理論など、理で固めるようになり、理論的・学問的な色彩が強くなった。それを強調するために、あえて「醫學」という言葉が用いられるようになったのである。 また、「医学(醫學)」という言葉は、明治時代に「medicine(英語)」や「Medizin(ドイツ語)」などを翻訳する時に作られた造語(新漢語)のひとつ、とする説もある。 まず世界全体の医学を概観すると、世界各国には様々な医学があり、例えば、中国伝統医学、イスラーム医学、西洋医学 等々がある。 ギリシャ医学、ユナニ医学(イスラム医学)、中国医学、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)、チベット医学など、歴史が長い医学を、まとめて伝統医学と呼ぶことがある。なおこれらの伝統医学は各地で現在でも用いられており、現役の医学である。 エジプトのパピルスの中に「現存する最古の医学書」と言われているものがあり、そこには紀元前3世紀のエジプトにおいてすでに「外傷者に対しては、まず質問検査、機能試験、診断、治療」と記述されており、現代と変わらない診療手順を行ったことが明らかになっている。 医学は歴史をふりかえると経験医療(経験的医療)として存在していた。他の各学問が成熟してゆく中で医学も独自性を持った学問として発展し、(西洋では)「人体の研究と疾病の治療・予防を研究する学問」とされた。
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医学
医学は歴史をふりかえると経験医療(経験的医療)として存在していた。他の各学問が成熟してゆく中で医学も独自性を持った学問として発展し、(西洋では)「人体の研究と疾病の治療・予防を研究する学問」とされた。 (西洋医学は20世紀に医学を「人間の疾病に関することを取り扱う学問」などとしつつ疾病にばかり着目し他の面を見落としたり、人間をただの物体のように扱う傾向があり、それが諸問題を引き起こす結果を招いたが、反省が始まり)、近年では(西洋医学も)「人間を生理的・心理的かつ社会的に能動的ならしめ、できるかぎり快適な状態を保たせる研究」として機能や社会的な面についても見落とさないようにする立場に変わりつつある。 現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当している 西洋医学とは異なる理論・治療体系をもつ医学である。「東洋医学」と言う以上、きちんとした論理の上に成立している。 そしてそれは、日本人が持つ生命観や自然観に近いものである。 中国伝統医学は民間療法とは区別されている。 東洋医学は、民間療法とは異なった考え方に基づいて運用されている。 一例として、生姜の使い方を見ると、どちらも風邪の時に使うことはあるものの、民間療法では風邪の時に何の考えもなしにそれを機械的に与えるのに対し、中国伝統医学では、寒気(さむけ)が強い時のみに使用され、反対に熱感が強い時には使用しないのである。なぜなら、中国伝統医学では、生姜は体を温める作用がある、と考えているからである。 日本でも古代より「医」は巫女、陰陽師、僧侶によって中国から伝えられた呪術、医療が行われていた。室町時代以降は中国大陸との交易も盛んとなり、漢方が積極的に伝わっていった。江戸時代以降は、日本は独自の漢方医学を発展させ、薬学である本草学を中心に診療が行われていった。華岡青洲によって記録上世界最初となる麻酔による乳癌手術が行われたりした。また、幕末には国学の影響を受けて漢方伝来以前の医学を探求する動きも現れた。 現在は中華人民共和国では中医学、朝鮮民主主義人民共和国では東医学、大韓民国では韓医学として実践されている。これらの伝統医学は、長い歴史を通じて各地で培われ、現在でも広く実践されている。
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医学
現在は中華人民共和国では中医学、朝鮮民主主義人民共和国では東医学、大韓民国では韓医学として実践されている。これらの伝統医学は、長い歴史を通じて各地で培われ、現在でも広く実践されている。 ヨーロッパ世界においては、「医」の起源は古代ギリシアのヒポクラテスとされている。ヒポクラテスは学問としての医学を確立し、その後古代ローマのガレノスがアリストテレスなどの自然学を踏まえ、それまでの医療知識をまとめ、古代医学を大成した。 しかしこうした医学書の多くはギリシア語で書かれていたため、ローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではその知識の多くが失われ、断片的なものが残るに過ぎなくなっていた。一方、医学知識はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され、8世紀以降アッバース朝統治下においてヒポクラテスやガレノスをはじめとする医学文献がアラビア語に翻訳された。イスラム世界においてもガレノスは医学の権威とされ、その理論を基礎とするイスラム医学が発達した。11世紀初頭にはイブン・スィーナーが「医学典範」を著わしたように、この時期イスラム世界では百科全書的医学書が多く編まれ、イスラムおよびヨーロッパ世界に大きな影響を与えた。 これらのアラビア語文献は、12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモやカスティーリャ王国のトレドといった、イスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになった。これによってヒポクラテスや、特にガレノスの著作が西欧に再導入され権威とされたほか、イブン・スィーナーなどの新たな文献も流入した。 ヨーロッパ中世においては、内科学のみが医学とされ、外科学の地位は低かった。外科医療は理容師(理容外科医とも言われた)によって施術され、外科手術や瀉血治療などが行われていた。(内科学、外科学の記事を参照)。16世紀に入ると、それまでの伝統的医学を打ち破る新たな流れが生まれ始めた。解剖学ではアンドレアス・ヴェサリウスが1543年に『ファブリカ(英語版)』(人体の構造)を著わし、ガレノスの誤りを修正した。また、パラケルススは医学への化学の導入を試み医化学を確立した。
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18世紀前半には、ヘルマン・ブールハーフェが近代的な臨床の方法論を確立した。またこの時期、ジョバンニ・モルガーニが医学と解剖学を結びつけ、病理解剖の創始者となった。1796年にはエドワード・ジェンナーが種痘を成功させた。 19世紀に入ると、自然科学の発展に伴い医学も急速な発展を遂げた。特に19世紀後半には、ロベルト・コッホとルイ・パスツールによって細菌学が創始され、人工的な弱毒化によるワクチンの生産や多くの病原菌の発見が起き、さらにこれに関連して衛生学も進歩を遂げた。 日本では安土桃山時代にキリスト教の伝来に伴ってわずかに西洋医学の流入があったとされるが、本格的な流入は江戸時代中期の1774年、オランダ語の解剖学書である『ターヘル・アナトミア』が杉田玄白や前野良沢らによって翻訳され、『解体新書』として出版されてからのことである。解体新書の出版は日本の医学界に衝撃を与え、以後医学を中心に蘭学が隆盛するきっかけとなった。 近年、伝統中国医学の本場であった中国では西洋医学の医師が増加中で現代西洋医学の利用される割合が増加しつつある。 反対にアメリカ合衆国やヨーロッパ諸国では西洋医学の様々な問題点が取り沙汰され、伝統医学などの代替医療のほうが高く評価され利用率が増えており、アメリカ合衆国では代替医療の利用率が西洋医学のそれを超えた。無保険者だけでなく、富裕層の利用も増えている。 日本では、西洋的な思考様式に基づく医学を「西洋医学」、伝統中国医学の思考様式に基づく医学を「東洋医学」と、大きく区分して呼ぶことが一般的である。現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当し、中国大陸で生まれ発達し、日本にも伝えられた。西洋医学が入ってくるまでは日本の主流医学であった。江戸時代の日本に「オランダ医学」が入ってきた時に、それらの医学を呼び分ける必要が生じ、オランダの医学に対して、中国(漢)の医学という意味で「漢方医学」と呼ぶようなことも行われるようになったという。明治政府の方針により西洋医学が主流の医学と位置づけられるようになり、東洋医学を行う医師も西洋医学を学ぶことになった。それ以来、日本では西洋医学の利用者数が多くなったが、現在でももっぱら東洋医学のほうを好み愛用する人々もおり、両者は並存してきた。
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医学
研究や教育のための知識体系としての医学は、次のように分類されている。大学医学部の組織においても、研究・教育のための人員の配置がこの分類に沿って行われる場合が多い。最近は、名称が多様化しているが、実質は、下記の分類とさほど変わりがない場合が多い。 人体の構造・機能、疾患とその原因など医学研究の根拠となる知見を得るための学問分野である。これらの科目は医学部、薬学部等医療系学部以外に一部の大学では理学部や理工学部等の生物学科でも開講している。 診断や治療などに直接関連する応用的な研究分野である。 社会医学とは社会的な環境と健康について研究する医学領域。 医学に関連する分野には以下のようなものがある。 歯学 - 薬学 - 看護学 - 心理学 - 健康心理学 - 臨床心理学 - 生体機能代行装置学 - 作業療法学 - 理学療法学 - 性科学 - 抗老化医学 - 熱帯医学 - 医用生体工学 - 医療機器 - 医学教育 - 医学史(医史学)- 生命倫理学 - 医療人類学 - 病跡学 - 医療社会学 - 医療経済学 - 宇宙医学 - 臨床情報工学 - 柔道整復学 ノーベルの遺言で指定された5分野の一つで「生理学及び医学の分野で最も重要な発見を行なった」人に授与される。主な受賞者には、神経構造の研究とニューロン説提唱のS.ラモン・イ・カハール(1904年度)、ペニシリンを発見したA.フレミング(1945年度)、DNAの二重らせん構造を発見したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリック(1962年度)、日本人唯一の同賞受賞者利根川進(1987年度)等がいる。 「アルバート・ラスカー医学研究賞」は、医学賞の中でも「ノーベル(生理学・医学)賞に最も近い賞」と言われる賞である。医学で大きな貢献をした人に与えられる米国医学界最高の賞であり、ラスカー夫妻が1946年に創設した。アルバート・ラスカー基礎医学研究賞、ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞、メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞、ラスカー・コシュランド医学特別業績賞の4部門から構成される。日本では、1982年に花房秀三郎が初受賞し、利根川進、山中伸弥の2名のノーベル生理学医学賞ほ受賞者もラスカー賞を受賞している。2014年9月には、森和俊(京都大教授)がラスカー基礎医学研究賞を受賞し、7人目の日本人ラスカー賞受賞者となった。
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FAQ
FAQとは、よくある(あるいはあると想定される)質問とその回答とを集めたもののことである。 FAQの語は英語のFrequently Asked Questionsの略語で、「頻繁に尋ねられる質問」の意味である。日本語では「よくある質問」となっていることが多い。 読みは「エフ・エイ・キュー」、「フェイク」、「ファーク」(/fæk/) 。 主に、コンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア、オペレーティングシステムなどの使い方やメッセージの意味、原因など)や通信関係、周辺機器の使用方法、セットアップ方法などの分野で多用される。それ以外の分野では、同様の問答集をQ&A(質問と答え)と呼ぶことが多い。 といった状況が発生した結果、同じような質問が度々尋ねられることから、その都度答えを繰り返す代わりに、一連のQ&A集(ファイル、ウェブページなど)を参照するように促すことで、問い合わせに対する時間と手間を省くことを目的としたものである。 通常、ウェブサイトやニュースグループなどで、よくある質問が、それに対する答えと共にひとつのファイルにまとめられ、定期的に配布されたり、自由に参照できるように公開されるという形をとる。 元々はユーズネット・ニュースグループで始まったものだとされる。
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パブリックドメイン
パブリックドメイン(public domain)とは、著作物や発明などの知的創作物について、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態のことをいう。日本語訳として公有(こうゆう)という語が使われることがある。 パブリックドメインに帰した知的創作物については、その知的財産権を行使しうる者が存在しないことになるため、知的財産権の侵害を根拠として利用の差止めや損害賠償請求などを求められることはないことになる。その結果、知的創作物を誰でも自由に利用できると説かれることが多い。しかし、知的財産権を侵害しなくても、利用が所有権や人格権などの侵害を伴う場合は、その限りにおいて自由に利用できるわけではない。また、ある種の知的財産権が消滅したとしても、別の知的財産権が消滅しているとは限らない場合もある(著作物を商標として利用している者がいる場合、量産可能な美術工芸品のように著作権と意匠権によって重畳的に保護される場合など)。また、各法域により法の内容が異なるため、一つの法域で権利が消滅しても、別の法域で権利が消滅しているとは限らない。したがって、特定の知的創作物がパブリックドメインであると言われる場合は、どの法域でどのような権利が不発生あるいは消滅したのかを、具体的に検討する必要がある。 そもそも創作性を欠くなどの理由により保護すべき知的創作物にならない場合(例えば、著作権の場合は思想または感情の創作的表現でなければ著作物にならないので、単なるアイデアにとどまる場合や、境界線や海岸線などの記載しかない地図のように想定される表現が限られるようなものは、そもそも創作性を欠くので知的財産権が発生するか否かという問題自体が生じないし、ライセンス付与も本来ありえない)もあるが、著作物や発明の要件を満たしていながら、知的財産権が発生しない場合、または発生した権利が消滅する場合としては、以下のようなものがある。 例えば、特許権の取得において審査主義を採用している国においては、発明を完成させたとしても、その発明の産業上利用可能性、新規性、進歩性といった特許要件について特許庁による審査を経なければ、特許権を取得できない。
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パブリックドメイン
例えば、特許権の取得において審査主義を採用している国においては、発明を完成させたとしても、その発明の産業上利用可能性、新規性、進歩性といった特許要件について特許庁による審査を経なければ、特許権を取得できない。 また、著作権の取得について方式主義を採用している国(ベルヌ条約加盟前のアメリカ合衆国など)においては、著作物を創作したとしても、必要な方式(著作権の表示、登録など)を履行しなければ、著作権は発生しない。なお、日本の著作権法は無方式主義を採用しているので、何らの方式をも採らず著作権を取得できる。 「著作物」、「発明」など、知的財産権の客体としての要件は満たすが、主に政策的な理由によって、法が権利の付与を否定している場合がある。 例えば、国や地方公共団体が創作した著作物を、著作権の対象としない法制が多数みられる。例えば日本では、憲法その他の法令、国や地方公共団体が発する通達、裁判所の判決などは、著作権や著作者人格権の対象にならない(日本国著作権法13条)。また、イタリアでは、イタリア及び外国または官公庁の公文書には著作権法の規定を適用しない旨の規定がある。その他、アメリカ合衆国の著作権法では、連邦政府の職員が職務上作成した著作物は、著作権の対象とならない(17 U.S.C. §105)。もっとも、連邦政府の職員ではない者の著作権を連邦政府が譲り受けた場合は連邦政府による著作権の保有を否定されないし(17 U.S.C. §105)、州政府の職員が職務上作成した著作物に対しては、法は著作権の付与を否定していない。 また、外国人による権利の享有を認めない法制が存在する場合、当該外国人による創作物は(当該法域内では)、知的財産権による保護を受けないと言える。例えば、日本では外国人の権利の享有を原則として認めているが、特別法によってそれを制限することも容認している(民法3条2項)。実際に、特許法などの知的財産権法は、外国人による権利の享有を制限している(著作権法6条、特許法25条など)。もっとも、パリ条約などにおいて、内国民待遇の原則が採られているため、これらの条約の加盟国間においては、外国人であるというだけの理由により知的財産権の享有が否定されることはない。つまり、これらの条約に加盟していない国との関係で問題になるに過ぎない。
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知的創作物を対象とする独占排他権は、法定の存続期間満了により消滅する。例えば、特許権は特許出願の日から20年をもって消滅し、著作権は著作者の死後50年または70年をもって消滅するものと規定する国が多い(著作権の保護期間)。創作活動は先人の成果の上に成り立っていることは否定できないため、創作後一定の期間が経過した場合は恩恵を受けた社会の発展のために公有の状態に置くべきとの価値判断によるものである。 相続人なく知的財産権の権利者が死亡した場合において、相続財産の清算のために相続財産管理人によって著作権が譲渡されなかった場合、あるいは権利者である法人が解散した場合において、その著作権を帰属させるべき者が存在しない場合(一般社団法人及び一般財団法人に関する法律239条3項に該当する場合など)や清算法人の財産の清算のために清算人によって著作権の譲渡がされなかった場合は、知的財産権は法定の保護期間満了を待つことなく消滅する(著作権法62条1項、2項、特許法76条、実用新案法と意匠法では特許法を準用)。 民法などの原則をそのまま適用すれば、知的財産権はいずれの場合も国庫に帰属するはずである(民法959条、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律239条3項)。しかし、著作権法など知的財産に関する法律では、知的所産であり広く国民一般に利用させるのが適切として、特別規定を置き権利を消滅させることとしている。 相続人不存在の場合、特許権などは、相続人の捜索の公告の期間内に権利主張をする者が表れなかった場合に権利が消滅するのに対し(特許法76条)、著作権は、それに加えて特別縁故者に対する相続財産の分与もされなかった場合(民法959条に該当する場合)に初めて権利が消滅する(著作権法62条)という差異がある。 原則として権利(ただし財産権)を放棄することは自由なので、権利者により権利が放棄されれば法による保護を認める必要性は消滅する。
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原則として権利(ただし財産権)を放棄することは自由なので、権利者により権利が放棄されれば法による保護を認める必要性は消滅する。 日本においては、産業財産権法では、産業財産権の放棄を認める規定が存在する(特許法97条、実用新案法26条、意匠法36条、商標法35条など)のに対し、著作権法には、著作権を放棄できるとする明文の規定が存在しない。しかし、著作権も財産権の一種であり(著作権法61条、63条等参照)、譲渡も可能であるため、放棄できると解される。放棄の方式については、放棄の効力発生要件としての登録制度が存在しないことから(著作権法77条)、立法担当者からは、著作権放棄の効力を発生させるためには、著作権者による新聞広告その他への明示的な放棄の意思表示が必要であると説明されている。しかし、このような説明に対しては、そのような厳しい要件を課する理由が存在せず、要は証明の問題に過ぎないとの批判もある。仮に、権利者の意図に反して著作権放棄の効果が生じないと評価された場合、その後、著作権が消滅したことを信頼した者に対して著作権を行使することは、権利濫用または信義誠実の原則に反し、認められない場合もある。 もっとも、権利を放棄することにより他者の権利を害することはできないと解されているため、そのような場合には権利放棄は認められない。例えば、著作権者から著作物の独占的利用許諾を得ている者が存在する場合は、著作権の放棄によって誰でも著作物を利用できることになるとすると、被許諾者の財産的利益を損なう結果となるため、放棄はできないと解される。特許権の専用実施権が設定されているような場合も同様である。 なお、ある法域で成立した知的財産権の効力は当該法域でしか及ばないため(属地主義)、知的財産権の処分(譲渡、放棄など)は法域ごとに可能である。したがって、ある法域で知的財産権が放棄され知的財産権が消滅しても、他の法域において消滅しているとは言い切れず、専ら放棄当時の著作権者の意思に基づき判断せざるを得ないし、同じ対象につき法域により権利者が異なる場合は、放棄の効力は当然に他の法域に及ぶわけではない。
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