text
stringlengths 1
665k
|
---|
半田勇吉の次男。 |
気性が激しく、たびたび喧嘩沙汰や交通トラブルを起こしていた。 |
自転車歴は長く、小学生時代からマウンテンバイクを始め、その後はロードバイクに乗って、ジュニア競技にも出場・入賞していた。 |
父親の勇吉が、自身の高校受験時の家庭教師だった女子大生・琴美と結婚したことに激しく反発し、勇吉が愛好するロードバイクからも離れてピスト乗りに転向した。 |
家を嫌って夜の街に他のピスト乗りたちと屯していたが、無茶な走りや言動によって、昼間は足場職人として働く安井以外には敬遠されていた。 |
家への反発から進学も捨て、高校卒業後はバイト先のバイクメッセンジャーサービスで働くと一方的に決めていたが、半田グループとの関係を懸念した経営者の青木にクビにされ、進路を見失う。 |
そこへ、勇吉に依頼された更科の再挑戦(初戦は更科がピストでまともに走れずに終わる)を受け、「ロード乗りに戻る」「大学を受験する」「悪い連中(ピスト仲間)と手を切る」の三つの条件を賭けて勝負する。 |
更科・小菅コンビと勇二郎・安井コンビで戦われた変則アーレーキャットレースは勇二郎たちの敗北に終わるが、その際、小菅のスカウトに動いていたヨーコに可能性を認められ、桜島によるテストを経て「BLUE SEAGULL」に加わる。 |
なお、このとき進路を「ツール・ド・フランス(出場)」としたため、更科は勇吉から勝利報酬として受け取ったロードバイクを取り上げられた。 |
ギア無し・ブレーキ無しのピストを脚力とバイクコントロールだけで乗り回すポテンシャルを持ち、さらに高い闘争心を持つ。 |
アーレーキャットの山場では、上り坂でリタイア寸前の安井をサポートするため、ダンシング(立ち漕ぎ)で背を押し、さらに更科たちに離れていることを悟らせないため大声で歌うという離れ業を見せ、ヨーコを瞠目させた。 |
反面、真っ当なレースやトレーニングから離れていたため競技選手としては未完成で、「BLUE SEAGULL」加入前のテストでは桜島に完全敗北した。 |
加入後はロードバイクで練習を重ね、「群馬」では梶に翻弄されながらも一矢報いるなど、経験不足を喧嘩強さで補う走りを見せた。 |
「群馬」後、「BLUE SEAGULL」の海外強化選手に選ばれてフランスへ旅立ったため、最終レースの「北海道」には登場しない。 |
家族とのわだかまりが解消した描写はないが、「BLUE SEAGULL」が存続危機に陥った際には、大学進学を呑んで勇吉から援助を引き出している。 |
益田・ブルセギン・ヨーコ(ますだ・ブルセギン・ヨーコ) B.S.O.J (Bruseghin Sport Organisation Japon)のゼネラルセールスマネージャー。 |
スポンサーや選手を集め、3年で日本からツール・ド・フランスへ出場できるチームを作ろうと画策している女性。 |
親会社B.S.Oの責任者である父親から「あの国(日本)にロードレースはいらない」と言われながらも、単独挑戦でメンバーをスカウトする。 |
「乗鞍」にはヘリコプターからの実況レポーターとして参加し、更科らの活躍を中継した。 |
家庭を顧みなかった父親とは確執があるためB.S.Oからの援助は打ち切られており、半田勇吉の「HANDAグループ」だけが唯一のスポンサーである。 |
比嘉真吉(ひがしんきち) / MAX比嘉(マックスひが)今は解散している元BlueSeagull発足時の監督だったが、海外拠点でのレース実績とスポンサーの意向が異なってしまい、日本のレースに出場する選手のみを引きぬかれてチームは消滅。 |
現在は怪しい資金集めが本業のようになっていたが、新生BlueSeagullの勝利によってまた意欲を取り戻す。 |
日本ではチーム解散の悪評が根強くあり、業界人から敵視されている。 |
いつもMAXコーヒーを飲んでいる。 |
梶俊一(かじしゅんいち)通称「梶プロ」。 |
極東ホールディング(Far East Holding)と言う独自のコンチネンタルチームを持っており、自主スポンサーにて各大会に出場できる。 |
桜島曰く「日本のロード界で10本の指に入る」自転車選手。 |
更科が比嘉に勧められたシクロクロスの練習場で出会い、その後練習を共にするようになる。 |
ジャージやヘルメットに「馬鹿でありがとう」と言うロゴを入れており、独自の自転車理論で独特ながら強く理想的な走りを見せる。 |
しかし根本は更科以上の勝負馬鹿である。 |
自転車理論だけでなく今後の展開にも独自の思想を持っており、以降の目標はオリンピック出場→政界進出→入閣。 |
「イケメンは下りが遅い」と言う理由で更科のダウンヒルを見込み、アシストに使おうとするが、最終的にお互いのチーム吸収を賭けた勝負をする事となる。 |
人工透析を受けている描写があるが、これについて触れられることを嫌い、レース中に浦霞にシャントの存在を指摘され、浦霞を殴打した。 |
チームメイト3人は「極東輪輪倶楽部(きょくとうりんりんくらぶ)」と言うチーム内チームを作っているが、メンバーの名前は不明。 |
箕輪章博(みのわあきひろ)元競輪選手で晶の父。 |
自転車店「MINOWA」を経営しており、最初に更科が来た時にダイエット運動中だったためTCR100を持ち去られる。 |
半田勇吉が商売上でのお得意様であり、TCR100の弁済+高級自転車の購入斡旋と言う条件で更科を勇吉の替え玉として特訓する事に。 |
足も体力も人並みだったが、「三味線の蓑」「口八丁のミノちゃん」として人間関係の駆け引きだけで25年間競輪選手を続けていた。 |
女房逃げられ歴1回。 |
箕輪晶(みのわあきら)箕輪章博の一人娘で、ショートカットの美人だがかなり気の強い性格である。 |
登場時高校生。 |
小さな頃からMTBに乗っており、その時のライバルだった男子と初体験したのだが、その男子が自転車をやめてしまったのがトラウマになっている。 |
勝てない相手への感情を恋愛感情と履き違える癖があり、興奮するとすぐに鼻血を出す。 |
最初の頃は更科へ恋心を抱いていたようだが、更に燃えさせる小菅を憎からず思うようになっている。 |
綿矢真知子(わたやまちこ)ふくのが通う幼稚園のサブ担任。 |
父子家庭で手が行き届いていないように見える更科父娘を気にかけ、物語初期ではたびたび更科に意見をしていた。 |
真面目だが思い詰める性格で、ふくのの世話を疎かにして自転車で遊んでいる(ように見える)更科にホースの水を浴びせて平手打ちを見舞ったり、後日それを詫びるためにかぶりものと全身タイツの格好で練習中の更科を止めたりと、しばしば突飛な行動に出た。 |
厚紙製の犬のかぶりもの「ワンダフルくん」や木製の猫のかぶりもの「ニャコメちゃん」を自作するなど、手作業を好む。 |
また、元美術教師である父が箕輪から依頼された特殊メイク(更科を半田の影武者に仕立てるためのもの)も肩代わりさせられた。 |
更科に平手打ちを詫びてからは、生活の助けとして父娘の弁当を作ってやるようになり、料理の腕も悪くない様子が描かれた。 |
「乗鞍」前日にはふくのを更科から預かっていたが、上記の特殊メイクのため、その対象が更科だとは知らずにふくのを連れて現地入りした。 |
現地で更科が自転車に打ち込んでいた理由を知り、その奇蹟的な走りを目の当たりにして心を惹かれ、以降はレースにも協力して行くこととなった。 |
「北海道」のレース前夜には「太陽のように眩しい走りをする更科のそばで、私は月のような存在でいられればいい」と思いを吐露し、更科に抱き締められる。 |
更科は涙しながら妻・菊乃の失踪の顛末を打ち明けて綿矢の告白を止め、結ばれることはなかったが、本編終了後の特別読み切り『イタリア編』でもレーススタッフとして登場しており、関係は壊れなかった模様。 |
なお、父は退職した美術教師、母は現役大学教授、二人の姉はそれぞれ現役高校教師と中学教師という教員一家の出である。 |
更科ふくの(さらしなふくの)幼稚園に通う更科の一人娘。 |
やんちゃで物怖じしない性格。 |
父親に飛び付いたり、綿谷に朝の挨拶をするときは、全力で腹に突進して息を詰まらせるのが常となっている。 |
父親への信頼を「パパはかもめぞ」という言葉で表現し、父親が力を振り絞る姿や、トレーニングで傷だらけになっている姿を好む。 |
物語の再初期には、まだ口がうまく回らないのに早口で必死に喋る表現として、セリフがでたらめな当て字で書かれていた(更科いわく「嘘語」)。 |
しかし数話のうちに語尾が「ぞ」(または「ゾ」や「ZO」)になるという形で落ち着いた。 |
更科菊乃(さらしなきくの)更科の妻でふくのの母。 |
旧姓は杉浦。 |
物語では更科の回想にのみ姿を見せ、容貌ははっきりとは描かれていない。 |
大学では生物学を専攻しており、山岳部によるフィールドワーク地への案内をきっかけに更科と出会った。 |
在学中に更科と結婚してふくのを儲けるが、その後失踪。 |
ふくのに対する更科の大きな負い目になっており、更科の鬱屈の原因の一つにもなっている。 |
失踪後について、更科と菊乃の父の会話では「遺留品が見付かったことが(死亡と考える)決め手」、更科から綿谷への告白では「妻は失踪し、数年後にフィールドワークの場所で発見された」と、やや整合しない状況が語られているが、更科は菊乃が死亡したものと考え、いつかそれをふくのに伝えなければならないことに煩悶している。 |
余談単行本の最終巻である20巻には、本編のその後を描いた書き下ろし『イタリア編』が収録されている。 |
BLUE SEAGULLはエミールを加えて海外で戦うチームに成長しており、舞台はイタリアの小規模レース。 |
更科は潮信を退職して箕輪の店を買ったがローン返済のあてがなく、賞金レースであることを知って俄然やる気を出し、小菅に揶揄されながら走る。 |
先に海外へ出た勇二郎はまだBLUE SEAGULLには復帰しておらず、競合チームの選手として勝負を挑んでくる。 |
BLUE SEAGULLに再加入するらしい梶がホテルで休養中の浦霞を訪ね、浦霞が預かっているふくのとアントンの遊ぶ姿が描かれて幕となる。 |
作者・玉井の前作である「オメガトライブ」および「オメガトライブキングダム」とスターシステム的に一部主要キャラクターが共有されている。 |
小菅:「オメガトライブ」二部作に同姓同名で同じ容姿の「小菅守」が存在する。 |
桜島:「オメガトライブ」二部作に同じ容姿の「桜一郎」が存在する。 |
また、箕輪が初登場シーンで挑んでいるエクササイズビデオのキャラクターも、デフォルメされた桜の容姿を持っている。 |
梶:「オメガトライブ」二部作に同じ容姿の「梶秋一」が存在する。 |
また、取り巻きである極東輪輪倶楽部のメンバーも梶秋一の取り巻きと同じ容姿。 |
玉井の趣味がロードバイクであり、連載中はアシスタントたちもロードバイクのイベントや長距離走に連れ出していた。 |
単行本の巻末には、アシスタントによるその顛末や、各自が購入したロードバイクでの経験等が描かれている。 |
連載中には「かもめ☆チャンス杯」という主催大会も開催された。 |
単行本玉井雪雄『かもめ☆チャンス』小学館〈ビッグコミックス〉、全20巻2009年2月4日初刷発行(2009年1月30日発売)、ISBN 978-4-0918-2259-8 2009年5月5日初刷発行(2012年4月30日発売)、ISBN 978-4-0918-2409-7 2009年8月4日初刷発行(2010年7月30日発売)、ISBN 978-4-0918-2565-0 2009年11月4日初刷発行(2012年10月30日発売)、ISBN 978-4-0918-2738-8 2010年2月3日初刷発行(2010年1月29日発売)、ISBN 978-4-0918-2887-3 2010年5月3日初刷発行(2012年4月28日発売)、ISBN 978-4-0918-3143-9 2010年8月4日初刷発行(2010年7月30日発売)、ISBN 978-4-0918-3276-4 2010年11月3日初刷発行(2010年10月29日発売)、ISBN 978-4-0918-3484-3 2011年3月3日初刷発行(2011年2月26日発売)、ISBN 978-4-0918-3645-8 2011年6月4日初刷発行(2011年5月30日発売)、ISBN 978-4-0918-3824-7 2011年9月4日初刷発行(2011年8月30日発売)、ISBN 978-4-0918-4018-9 2011年12月5日初刷発行(2011年11月30日発売)、ISBN 978-4-0918-4158-2 2012年3月5日初刷発行(2012年2月29日発売)、ISBN 978-4-0918-4258-9 2012年6月4日初刷発行(2012年5月30日発売)、ISBN 978-4-0918-4508-5 2012年9月4日初刷発行(2012年8月30日発売)、ISBN 978-4-0918-4647-1 2012年12月5日初刷発行(2012年11月30日発売)、ISBN 978-4-0918-4765-2 2013年3月5日初刷発行(2013年2月28日発売)、ISBN 978-4-0918-4885-7 2013年6月4日初刷発行(2013年5月30日発売)、ISBN 978-4-0918-5228-1 2013年9月4日初刷発行(2013年8月30日発売)、ISBN 978-4-0918-5395-0 2013年10月4日初刷発行(2013年9月30日発売)、ISBN 978-4-0918-5413-1最終20巻には、連載の「その後」を描いた、特別描き下ろし「イタリア篇」が収録されている。 |
福田秀和(ふくだひでかず、1960年(昭和35年) - )は日本経済新聞社グローバル事業局次長兼中文事業部長。 |
概要1960東京都中央区日本橋生まれ。 |
1984.4一橋大学社会学部を卒業し、日本経済新聞社入社政治部で中曽根康弘総理大臣の総理番から始め、経済部、宇都宮支部、東京都庁担当。 |
1991.9テレビ東京ディレクターテレビ東京ワールドビジネスサテライトニュースデスク1996.10テレビ東京TXNニュースTHIS EVENING週末メインキャスター1997.101999.10.3テレビ東京TXNニュースワイド夕方いちばんプロデューサー・週末メインキャスター2000.7テレビ東京報道局報道番組部副部長2001.3日本経済新聞電子メディア局副参事日本経済新聞電子メディア局事業企画グループ担当次長2007.1日本経済新聞デジタルメディア(電子メディア局の分社化) 2009日本経済新聞ビジネスサイト制作部長2011日本経済新聞東京本社デジタル編成局次長2012日本経済新聞グローバル事業局次長、兼中文事業部長著書インターネット・サバイバル(日本評論社)ニュース犬ブーニー物語(ポプラ社) |
坂崎重盛(さかざきしげもり、1942年10月15日- )は、日本のエッセイスト。 |
ペンネームに、坂崎ゴメン堂、波角ゴメン堂。 |
略歴東京生まれ。 |
本庄高等学校を経て、千葉大学園芸学部造園学科卒業。 |
横浜市職員として、児童公園などの設計に参加するも1年で退職。 |
河原淳に弟子入りした後、イラストやジャズ論評、詩作などを行う。 |
出版社勤務を経て、1981年遊戯的出版プロデューサー集団「波乗社」を設立。 |
エピソードTHE ALFEEの坂崎幸之助の叔父(実父の末弟)であり、一回りほど歳が上の粋人という事もあって、幸之助にとっては憧れの叔父だったという。 |
ただし、法事を忘れたり、来ても二日酔いだったりなど、親戚は迷惑もしたという。 |
『酒とつまみと男と女』では、不良隠居の肩書きで粋な酒飲みとしてレギュラー出演している。 |
そして、甥である幸之助とも共演を果たすこととなった。 |
著書『90年代ビジネスは快楽志向』ダイヤモンド社1990『なぜ、この人の周りに人が集まるのか人望力についての実感的研究』PHP研究所1990のち文庫『豚もおだてりゃ樹に登る河童もけなせば溺れ死ぬほめて生かそう自分も人も』PHP研究所1993「「ほめ上手」には福きたるほめれば生きる自分も人も」PHP文庫『豚もおだてりゃ木に登る河童もけなせば… |
』新講社2012『超隠居術快楽的生活の発見と堪能』二玄社1995のちハルキ文庫『道草的人生のヒント「ココロ」の休日が人間を育てる』大和出版1995『やっと気づいた人間関係世の中、やわらかく生きるために』三天書房1997『蒐集する猿』同朋舎2000のちちくま文庫『東京本遊覧記』晶文社2002『「人間関係ぎらい」を楽しむ生き方』PHP文庫2003『Tokyo老舗・古町・お忍び散歩』朝日新聞社2004のち文庫『一葉からはじめる東京町歩き』実業之日本社2004のち『東京文芸散歩』角川文庫『「秘めごと」礼賛』文春新書2006『東京下町おもかげ散歩明治の錦絵・石版画を片手に、時を旅する、町を歩く』グラフ社2007『東京読書少々造園的心情による』晶文社2008『東京煮込み横丁評判記』光文社2008のち知恵の森文庫、中公文庫『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』平凡社2009『「絵のある」岩波文庫への招待名著再会』芸術新聞社2011『粋人粋筆探訪』芸術新聞社2013『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』求龍堂2014『浮き世離れの哲学よりも憂き世楽しむ川柳都々逸』中央公論新社2018『季語・歳時記巡礼全書』山川出版社2021『荷風の庭庭の荷風』芸術新聞社2023共編著『恋講座(カンガルー・ブックス)』ほへと組,波角ゴメン堂共著産業報知センター1984嵐山光三郎編著『インスタントラーメン読本』新潮文庫1985 (波角ゴメン堂名義で協同編集、共著)『恋愛の技術名作文学からまなぶ恋のケース・スタディ』荒井敏由紀共編著芸文社1992『感動的生き方の発見For your vivid life好奇心は磨くもの、感動は育むもの』編著新講社1994出演テレビ番組『酒とつまみと男と女』(2014年4月1日- 2015年3月24日、BSジャパン) -不良隠居役(雑誌『古典酒場』編集長の倉嶋紀和子と交替で出演) |
Subsets and Splits
No community queries yet
The top public SQL queries from the community will appear here once available.