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CDジャケットや歌詞カードはLPを復刻。
収録楽曲曲解説REAL元々素材としてあった全く違う2曲を、清水信之のアイデアで1つの曲にまとめて制作したという。
SEXUALITY A MOONLIGHT EPISODE真冬のランドリエ6thシングル『十人十色』のカップリング曲。
もう一度X'mas赤茶色のプレッピープールサイドミュージック・ビデオが制作されている。
ベストアルバム『2000 JOE』にも収録されている。
渚のONE-SIDE SUMMERアマチュア時代の作品に手を入れたものだという7thシングル『REAL』のカップリング曲。
十人十色味覚糖(後のUHA味覚糖)「デートキッス」CM曲(CM版は小室哲哉編曲)。
サビの詞についてEPOに相談した際「すっごくいいと思う」と言われて納得し、曲として形になったという。
ナチュラル詞と曲を同時に作りあっという間に完成したという。
ミュージシャン数原晋-トランペット佐橋佳幸-ギター金子飛鳥-ストリングス遠山淳-コンピューター・プログラミング松武秀樹-コンピューター・プログラミングEPO -コーラス関連項目小坂洋二-制作総指揮(クレジット上はエグゼクティブ・プロデューサー)
富士ロングディスタンスシリーズ(富士LD)は、1977年(昭和52年)から1992年(平成4年)まで主に富士スピードウェイで開催された耐久レースのシリーズ戦。
1983年以降からグループC時代を迎え、1985年から、全日本耐久選手権(後のJSPC)とダブルタイトルがかかるようになり、高い人気を集めたが、1992年いっぱいで休止された。
概要1977年、富士500km、500マイル、1000kmの3戦のシリーズとして開催されるようになった。
当初の参加車両は富士GC用の2座席プロトタイプレーシングカーから、市販車改造のツーリングカーまで様々なクラスが混走。
メーカー、ドライバーにタイトルがかかるのではなく、エントラントにタイトルがかかった。
当初の主催者はFISCOクラブ(現在の富士モータースポーツクラブ=FMC)。
予選は行わなず、エントリー順にグリッドが決まった。
グループC時代を迎えた1983年、JAFは全日本耐久選手権を開始したが、富士LD3戦はシリーズに加わらなかった。
1985年から全日本耐久選手権に加わるようになり、国際格式となり、主催者もビクトリーサークルクラブ(VICIC)とトヨタモータースポーツクラブ(TMSC)、ニッサンスポーツカークラブ(SCCN)、マツダスポーツカークラブ(MSCC)との共催に変更となった。
この年から予選も行われるようになり、またWEC-JAPANも加えた全4戦のシリーズとなった(但しWECでポイント対象になるのは国内エントラントのみだった)。
1991年からはJSPC全戦が対象の日本ロングディスタンスシリーズとなり、91年は鈴鹿、菅生2戦を加えた全7戦、92年は富士が3戦に減ったが、鈴鹿、菅生、美祢を加えた全6戦となった。
1993年、景気後退、グループC衰退により、耐久シリーズは開催されなくなり、シリーズは終焉した。
尚その後、富士1000kmは1999年と2007年に限り復活、富士500kmは2001年から、富士500マイルは2018年から、SUPER GT(旧全日本GT選手権)の1戦として復活している。
歴代タイトルの一覧※1979年は、プロトタイプのR2クラスは章典外となった。
1980年はプロトタイプのDクラスは章典外となった。
1992年は、LD1クラスとLD2クラスで別々にポイントが与えられた。
現存しない日本の自動車レース富士スピードウェイ静岡県のスポーツ史小山町の歴史1977年開始のスポーツイベント1992年終了のスポーツイベント
サミットクラブは、フリーで活動する小学校時代の幼馴染であるムラコと静恵一で構成されている日本のお笑いコンビ。
1999年結成。
かつてはワタナベエンターテインメント・ジェイピィールームに所属していた。
メンバー2人とも大阪府南河内郡美原町(現・堺市美原区)出身ムラコ(むらこ、本名:村林良介、- )身長178cm、体重82kg。
AB型。
既婚者、2児の父(2020年3月現在、3才の長女と2才の長男)特技はイラスト。
ペンを使ってメルヘンチックなキャラクターを描く。
代表作は、歌手・堀内孝雄の「笑うは薬」PV・アニメーションバージョンのキャラクターデザイン、「ハコネコ」シリーズなど。
アプリのデザインも行う。
ダーツの腕前も達者。
趣味は競馬。
ジョッキーなど交友関係も広い。
スポーツは野球と乗馬をしている。
特に野球では"芸人リーグ"でピッチャーをしている。
静恵一(しずかけいいち、- )身長176cm、体重65kg。
A型。
既婚者、妻はタレントの千鶴※詳細は「静恵一」を参照芸風・笑いの原点若い頃は『絶望エンターテイメントLIVE』のコント調と呼ばれる。
現在は2人とも既婚者になり『ハッピーエンターテイメントLIVE』に調子が変化する。
ムラコの笑いの師匠は、静の兄。
静の兄はbarのオーナーをしていて色々な音楽を教えてくれた。
ムラコがネタを考える発想は全部音楽から来ている。
静は小学校4年のとき心斎橋筋2丁目劇場で千原兄弟やジャリズムが人気で、初恋の子を振り向かせたい思いでお笑いをはじめる。
放送作家の疋田哲夫、博多ヒト志から声をかけてもらった『敵は多いほうがいい』『ウケたいのか?
売れたいのか?
どっちかハッキリしたほうがいい』『ボケはちょっとだけズラすセンスが必要。
“沖縄"って聞かれたら“那覇"みたいにちょっとずらせるか?“沖縄"と聞かれて“暑い"とか“シーサー"とか答えるやつは売れない』『本筋にあわなければウケるボケでも外さないとダメ。単発に走っては本当の笑いがわからない』が今でもお笑いの原点となる。略歴幼少時代美原町立平尾小学校(現在の堺市立平尾小学校)4年生のときムラコと静を含む友達4人で駄菓子屋によくたまっていた。その駄菓子屋の店主に『毎日来てサミットして!』と言われたのをキッカケに、『サミットクラブ』が出来た。美原町立美原中学校(現在の堺市立美原中学校)に進学して、ムラコは大阪府立松原高等学校に、静は大阪府立東住吉高等学校と別々の学校に進学。漫才との出会いムラコが通っていた高校の授業に"上方漫才研究"というのがあり、2年の時に、静を誘い『第20回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール』に応募。コンクールの参加資格はプロアマ不問で過去に受賞経験のないコンビもしくはグループで。過去にはダウンタウン、ナインティナイン、宮川大助・花子、大木こだま・ひびき、ミルクボーイなど賞を獲るお笑いの登竜門。そこで「香川登枝緒賞」を受賞。新人コンクールの審査員をしていた1人が放送作家・疋田哲夫で、たまたま決勝で見せた美原町(現・堺市美原区)をひたすらディするネタを疋田が気に入ってくれた。あとあと疋田が美原町に住んでいたことは後で知る。上京ワタナベエンターテインメント所属時代高校3年になって疋田の紹介もあり、大手事務所複数から声がかかり、2001年にワタナベエンターテインメントに所属する。同期には波田陽区、クールポコなど。2人とも東京に上京。ムラコは芸の道一本に絞る。静は桜美林大学文学部総合文化学科に入学して演劇を専攻する。ムラコに声をかけ、静はコントユニット『High×position(通称・ハイポジ)』を結成。事務所にはネタ見せの毎日が続くなか鳴かず飛ばずで仕事がないなか、『ハイポジ』の公演は1,000人越えをする人気になる。4年間でワタナベエンターテインメントを退所。2005年11月、23才のときにアップフロントグループの関連会社「ケーアッププロモーション」に移籍する。アイドル事務所への移籍移籍してから『Berryz工房』『℃-ute』といった同じ関連会社のアイドルと仕事をする機会が増える。バラエティー番組やイベントMCの仕事が増加。2009年、日テレジェニックのお仕事を機に安定した給与が確保できるようになる。他事務所の社長から声をかけられることが多くなり、イベント司会を頼まれたり、アイドルを使った芝居の作・演出を頼まれたり、多岐にわたって仕事量が増えた。2011年から脚本家・演出家の仕事が増えていき、サミットクラブは色々な才能を開花。2013年6月に所属事務所がお笑い事業から撤退することを期に、フリーランスの道を選択。無所属の選択ムラコは、得意な競馬の知識を活かして競馬場イベントのMCや競馬セミナーの講師、『ウマバラ』金曜・土曜のレギュラーに出演。タレント活動のほか、イラスト、デザイン、絵本作家、脚本家、構成作家、MC、アパレル業をマルチにこなす。静は、土曜のラジオレギュラーのほか、2020年内に未発表の書き下ろし舞台脚本が4本控える。作家、演出家、脚本家、放送作家、MCなどこなす。主なコントネタ1赤い糸【あらすじ】夏休みの登校日、学校に行ったら同級生の手に赤い糸が・・・先生の手にも赤い糸が・・・どうやら『誰と誰が結ばれている』ということが見えてしまう不思議な力を持ったらしい。性格の悪いビッチな友人が味方のフリをして近づき・・・思わぬ展開に。2玉転師匠【あらすじ】60才を超え、真打に昇進した落語家。苦労人で落ちこぼれ師匠は惚れやすい体質で、興奮すると下ネタを言ってしまう悪い癖が。今日も失恋し、哀愁漂う「なぞかけ」を叫ぶ3思い出モンスター【あらすじ】親を亡くした10才の少年は、昔の嫌な思い出を全部消したい。森に思い出を食べてくれるモンスターが住んでいるという噂を聞いて行ってみると、そこには見知らぬ浮浪者が・・・。浮浪者は苦い思い出は美味しくないと言い、少年に新しい思い出作りの提案をする4キス部【あらすじ】中学校に「キス部」という部活が存在する。キスの達人世界一を決める大会を目前に合宿をする女子中学生。キスの経験のない後輩に先輩は様々なキス技を伝授する青春ストーリー5なに部やねん!【あらすじ】新しい学校に赴任してきた教師。何の部活か聞かず部室に入るが何の部活か分からず、「なに部やねん!」と突っ込みまくる。生徒たちはヒントを小出しにしながらボケまくる。6鬼ごっこ【あらすじ】バスを待っているサラリーマン。不審者な男に「つかまえた!」と肩を叩かれる。男は小学校の同級生だった。「20年探したぞ」と話し出す男・・・捕まえたら100万円という賞金が自分にかけられていて・・・7ムラえもん、しず太と最後の日【あらすじ】今日は、ムラえもんが未来に帰らなければいけない日。なのに、しず太と家族は出かけて不在。イライラしながら待つムラえもん。帰宅したしず太は浮かれ気分。ムラえもんが未来に帰る日だということを忘れていた?ムラえもんのこれまでの不満が爆発する8恋の矢【あらすじ】ある朝、道で困っている天使を助けた女子高生。そのお礼にと1本の矢をもらう。これで好きな人を射抜けば恋が叶うと言う。早速片思いをする同級生に使い二人は交際をはじめ、やがて結婚するのだが・・・9新田さん【あらすじ】男性アイドル「砂嵐」のメンバー・シズカの追っかけをする通称新田さん。青ヒゲのおじさんヲタである新田さんがシズカを好きになった本当の理由とは? 10チキンボーイ【あらすじ】鶏の格好をしたチキンボーイが鳥インフルエンザで殺処分された父鶏の墓参りをしていると、養鶏所の職員がやって来る。あの時何故、父鶏は殺されなければいけなかったのか?職員は反省の弁を述べるのだが・・・11ミライ【あらすじ】ある日、少年が帰宅すると部屋の様子がおかしい。買ってもらったばかりの勉強机も、随分古くなっている。そこに現れたのは、自分そっくりのサラリーマン。それは未来の自分だった・・・果たして少年の夢は大人になって叶っているのか? 12ストーカー【あらすじ】サミットクラブ2人でネタ合わせしているところ、ムラコに彼女が出来たと報告を受ける、一方静の彼女はストーカー被害に悩んでいる。だんだんと話を聞いていくうちに、ムラコがストーカーなのではないかと疑問が湧いてくる・・・13サイコパス【あらすじ】取り調べをする刑事。容疑者は異常犯罪者のサイコパスで犯罪心理テストを行うが・・・予想を反して模範解答を連発する容疑者。何度も「俺はサイコパスだ」と言うのだが・・・14道を聞いたら【あらすじ】駅前で道に迷った青年。通りすがりの人に道を尋ねるのだが、この人の説明が下手すぎる。最後には服を脱いで、道に見立てて説明してくれるのだが・・・15大村の修学旅行【あらすじ】忘れ物が多い中学生の大村君。修学旅行当日に色々なものを忘れる。しかし頑として忘れたことを認めない・・・最悪爆笑な修学旅行の夜16文字で死ぬ【あらすじ】TwitterなどのSNSで悩む主人公。悩み過ぎて文字が形となって巨大化して、流れ弾になって当たって死ぬ。17宇佐井健【あらすじ】「まじっすか」が口癖のチャラそうに見える青年、宇佐井健。師匠の代わりにファッションショーでのスタイリストを任せられるも、その“ま"の悪い相槌に空気を悪くする。更にはモデルより目立ってしまい・・・。18ブルマ【あらすじ】ある日、放課後の教室でブルマを盗む同級生を目撃してしまう。問いただしているところを、ブルマの持ち主に見られてしまい大変なことに・・・よくわからない熱い正義感で、同級生をかばうのだが・・・なんだか変な方向に19修学旅行の花ちゃん【あらすじ】修学旅行先で泊まった旅館に親娘の幽霊が。その名も花ちゃん。お母さんは後追い自殺して死んだという。楽しい旅行が一転、悲劇に変わると思ったが・・・とんでもない感動が待っていた。20ストップボーイ【あらすじ】大きな大会を目前に、お笑いコンビ2人はネタ練習にいそしむが、突然相方の体が固まってしまい、全く動かなくなってしまった。その珍しさから、相方は大人気となり売れっ子芸能人に。しかしその人気も長く続かず・・・離れたコンビの心はまた一つになるのだろうか? 21赤い糸と恋の矢【あらすじ】恋人が出来た自分の指に赤い糸がついていて、最近モテモテの相方は体中に矢が刺さっていて、見えるのは自分だけ?相方は候補者の中から一人に絞ると言うのだが22三日後にサヨウナラ。【あらすじ】ある日、死んだはずの友人が目の前に現れ「お前の彼女が三日後に死ぬ」と伝える。彼女を助ける方法は一つ・・・代わりに死ぬこと。彼はどうするのか・・・書籍ハコネコのねがい(絵・文ムラコ、電子書籍)ハコネコのともだち(絵・文ムラコ、電子書籍)ハコネコのやさしいなみだ(絵・文ムラコ、電子書籍)
上寺久雄(かみでらひさお、1920年- 2018年5月19日)は、日本の教育学者。
兵庫教育大学名誉教授。
本籍は広島市。
来歴広島大学大学院博士課程。
64年「デューイ教育哲学の根本問題質的経験の形成理論」で広島大教育学博士。
小学校、中学校、高等学校教諭ののち、大阪市教育研究所所長、大阪教育大学教授、84年定年、兵庫教育大学学長、92年退任。
文部省「高等学校教育の改革の推進に関する会議」座長。
聖徳学園岐阜教育大学学長。
99年、岐阜県公文書公開審査会長として、いじめに関する公文書非公開を妥当と判断した。
1997年、勲二等瑞宝章受章。
没後従七位から従四位に進階。
著書『これからの父親学・母親学新しい「親と子」の教育学』東方出版1964『新しい親子の教育学』教育タイムス社1967『道徳指導の本質と系統性』黎明書房1968『親よ・親であれ家庭教育のバックボーン』黎明書房1971『甘やかすこと・耐えさせること教育を甦らす十六の視点』黎明書房1974『それでも親かオヤでない親を求めて』カイガイ出版部1976『父親の出番その教育的役割』黎明書房1978『ゆとりと充実をめざす教育経営教育指導と管理の統一をめざして』明治図書出版1979学校運営研究全書『現代教師論教育道・授業道を求めて』協同出版1981教職課程新書『父親の出番その教育的役割』黎明書房1981れいめい家庭教育双書のち三笠書房知的生きかた文庫『育児パパの意気地なし父親はひかり母親はにおい』黎明書房1982『親の成長と子供の教育』聖教新聞社1984文化教養シリーズ『教師の心・教師の顔教師が教師であるために』教育開発研究所1986『教育の道・教育の庭』教育開発研究所1990『師魂教才教育道に生きる』日本教育新聞社出版局1995『教育界のさまよい鳥教育道に生きた軌跡』リトル・ガリヴァー社2001『「日本のこころ」の底ぢから「日本を消す教育」から「日本の見える教育」へ』毎日ワンズ2008共編著『親がする道徳教育家庭でのしつけの実際』佐藤正夫共著西日本図書1960『ティーム・ティーチングの実践研究その可能性と限界』編著文理書院1967『フィルター方式を生かした授業演習教程』編黎明書房1967『講座能力差と教育』編明治図書出版1971『道徳教育の昏迷からの脱出道徳教育の前進を目ざして』編著泰流社1975『母親のために新・家庭教育読本』鈴木清,品川不二郎共著希文社1975『教育活性化をめざす意欲づくり・人間づくり現代教育の実践課題』編著黎明書房1982『生徒指導』編有信堂高文社1982現代教育学シリーズ『個が生きる感動体験のすすめ方』福岡県大野城市立大野小学校共著東洋館出版社1988翻訳アーウィン・エドマン『ジョン・デューイその哲学の現代への寄与』荘司雅子,土井嗣夫共訳刀江書院1961トニー・ディヴァイン,ジュンホ・ソク,アンドリュー・ウィルソン編『「人格教育」のすすめアメリカ・教育改革の新しい潮流道徳、結婚、性教育が主要テーマに』監訳コスモトゥーワン2003参考『母親のために』著者紹介注日本の教育学者大阪教育大学の教員兵庫教育大学の教員岐阜聖徳学園大学の教員従四位受位者勲二等瑞宝章受章者広島大学出身の人物1920年生2018年没
もっとTV(もっとティーブイ)は2015年3月15日にサービス終了した、日本の民放キー局5局と電通が共同で推進するインターネットテレビにおけるビデオ・オン・デマンド(VOD)サービスである。
概要日本テレビ放送網・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビジョンの民放キー局5局と、電通が共同で推進するテレビ向けVODサービスで2012年4月1日にサービスを開始した。
サービス開始後にNHKオンデマンドも参加して民放キー局5局とNHKのVODサービスの事業者が出そろった。
各放送局がコンテンツを提供し、電通がシステムを提供する。
対応機種の普及の伸び悩みなどにより、サービスの新規登録は2014年12月22日13時で終了しており、今後は2015年1月31日20時59分をもってコンテンツの新規販売を終了、同2月28日23時59分をもって月額見放題パックの販売終了、同3月15日23時59分で全コンテンツの視聴を終了した。
対応機種2014年9月現在、テレビではパナソニック「ビエラ」・東芝「レグザ」・LGエレクトロニクス「Smart TV」、ブルーレイ/DVDレコーダーではパナソニック「ディーガ」が対応していた。
他に、Android OS搭載のスマートフォン(docomo・au・ソフトバンクモバイル・ディズニー・モバイル)やタブレット(REGZA Tablet・ARROWS Tab・Nexus 7)に対応アプリをインストールすることで視聴できた。
決済方法クレジットカード決済。
各携帯電話業者のまとめ払い。
注意点番組をテレビでスムーズに試聴するためには、実効速度で10 Mbps以上のブロードバンドインターネット接続環境が推奨されている。
また、スマートフォンやタブレットではWi-Fi接続環境での視聴が勧められている。
パソコンからの視聴には対応していない。
参加VODサービス事業者日テレオンデマンドテレ朝動画TBSオンデマンドテレビ東京オンデマンドフジテレビOn Demand NHKオンデマンド
ナガサワ文具センター(ナガサワぶんぐセンター)は兵庫県神戸市中央区に本社を置く文房具専門店である。
「ナガサワ文具センター」の他に「NAGASAWA」と表記されることもある。
概要社是『文具(ステーショナリー)・事務用品を商社的発想にもちつつ、当社人材を通じて文化と環境の高揚と創造に貢献する』特徴文房具専門店として兵庫県と大阪府出店する。
オリジナル万年筆やオリジナル革製品「beside」、オリジナルインク「Kobe INK物語」の企画販売を行う。
沿革1882年(明治15年) - 5月長澤力蔵が神戸市葺合区(現神戸市中央区)において日用雑貨商「長澤紙店」を創業。
1914年(大正3年) -「長澤文具店」として長澤丑次が二代目世襲。
1945年(昭和20年) -長澤堅次が三代目世襲。
1947年(昭和22年) -法人設立し、「株式会社長澤堅次商店」とする。
1960年(昭和35年) -「株式会社ナガサワ文具センター」に社名変更。
1965年(昭和40年) -三宮地下街に「さんちか店」オープン。
1975年(昭和50年) -都市改造ビル完成と同時に「センター店」オープン。
1977年(昭和52年) -創業95周年を迎え、記念キャンペーン、記念式典を行う。
1980年(昭和55年) -神戸市中央区の三宮いくたロードに地上7階延面積1070平方メートルの「本店」完成。
1985年(昭和60年) -さんちか20周年「リボーン85」に伴い「さんちか店」改装オープン。
1987年(昭和62年) - 8月長澤基夫が四代目世襲。
1988年(昭和63年) - 9月知的文化の創造を目指し、「センター店」改装オープン。
1990年(平成2年) - 3月「さんちか店」改装オープン。
1994年(平成6年) - 2月神戸市兵庫区新開地に「オフィスサポート部/流通センター」開設。
1994年(平成6年) - 4月JR西宮駅前のフレンテ西宮に「西宮フレンテ」オープン。
1999年(平成11年) - 12月楽天市場出店。
2001年(平成13年) - 11月JR明石駅前のアスピア明石に「アスピア明石店」オープン。
2002年(平成14年) - 9月長澤宗弘が五代目世襲。