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刑事部捜査第一課に加え、組織犯罪対策部からも人員を投入。
捜査本部は凶器準備集合容疑で17人の逮捕状を取得、2013年1月9日に捜査本部は詐欺罪などで公判中の石元太一および前年12月9日に出頭し事情聴取していた2名の逮捕状を取った。
ほか一部メンバーが事件後に韓国や中国・ハワイ等に出国していたため外務省が前年12月19日に旅券返納命令を出していたが、1月10日に帰国した数名を含む関東連合関係者8名(前述3名も含む)を逮捕。
その後、21日までに関東連合OBならびに関係者らが計18人逮捕された。
事件の主導役と目されフィリピン潜伏中とみられる「関東連合」元メンバーが2013年2月21日に警視庁から殺人や凶器準備集合などの疑いで指名手配され、同年2月22日に国際手配された。
2022年5月現在も警視庁により600万円の懸賞金付で指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
2013年1月31日には9人が殺人容疑で再逮捕。
が、集団で殺害した場合は殺意の立証が困難と判断し、東京地方検察庁が殺人罪の適用を見送り傷害致死罪で起訴する方針を固めた。
3人が処分保留で釈放され、15人が凶器準備集合罪で起訴され、凶器準備集合罪で起訴された15人中9人が傷害致死罪で起訴されている。
加害者の素性この事件では合計19名に逮捕状が出るに至った。
事件の首謀者とされる人物を除く18名が2013年までに逮捕されている。
起訴状によれば、現場となったクラブに実際に押し入ったのは9名で、直接手を下したのはそのうち6名。
現場で実行犯となった人物の証言によれば、19名中、関東連合の元メンバーは主犯格と石元とその人物を含む5名。
19名中ほとんどの者は関東連合の元メンバーではなかった。
警察当局の当初からの見立てでは、この事件の加害側関係者には暴力団の山口組系弘道会や山口組系山健組に籍を置く関東連合の関係者らが含まれていた。
その点から警察当局が注目したのが、同じ山口組でも異なる系列の組員さえ動かす主犯格の関東連合内外に対する権勢であったという(主犯格自身は暴力団には所属していなかった)。
主犯格は、中学時代は学年トップで高校は首席で入学した優等生だったものの、暴力的な性格から異端扱いされていた。
対立相手を完膚なきまでに叩きのめすことからインターネット上やメディアの中で「残虐王子」と呼ばれており、また「ジェノサイド」と称して襲撃した先で「(標的と)違うかも」と思いながらも無差別に人に襲いかかるなど、本事件につながる一面もあった。
被害者の素性被害者の男性は東京中野区上高田在住の31歳の飲食店経営者だった。
長野県出身で、大学中退後、塗装関係の営業職から東京・高円寺のキャバクラのボーイを経て、やがて複数のキャバクラ店舗を経営するようになる。
事件当時は、東京・杉並区内でキャバクラを経営するとともに、渋谷区内でガールズバーと焼肉店を合わせた業態の店を経営していた。
事件に絡み、手広く飲食店を手掛けていたことから加害側にあたる関東連合と何らかのトラブルを抱えていたのではないかという噂が流れもしたものの、関東連合OBの柴田大輔によれば、実際には関東連合との接点はなく、トラブルとなるような事柄もなかった。
一部のインターネットの掲示板上などでは在日韓国人説なども流布し、それを事件発生の原因と関連付けるような内容の風説が流れたものの、根も葉もない誤情報であった。
事件現場となった六本木5丁目のクラブフラワーの常連客で、来店の際にはいつも同じVIP席に座っており、事件当日は予約したうえで、VIPのソファ席にて友人男女5名と酒席をともにしていたという。
人違いの背景取り調べに対し被疑者の一部が人違いであったと供述。
背景として、関東連合OBらの証言によれば、2008年に主犯格の誕生日にあたる3月16日、ある男性が東京・西新宿の路上で襲撃を受ける西新宿事件が発生。
金属バットで武装した集団によるその襲撃で死亡するに至ったその男性は関東連合の関係者で、グループOBは対立グループを率いる元暴力団幹部を犯人とみなし行方を追っており、その幹部と被害者の特徴が似ていたことから被疑者らが勘違いして襲撃を計画した疑いが持たれた。
ライターの鈴木智彦が週刊文春2013年1月号誌上でいち早くこの人違い説を発表。
逮捕された関東連合OBのうち数名は逮捕前の任意事情聴取の段階で人違いによる襲撃であったことを示唆する供述を行っており、捜査本部も捜査の過程で人違いによる犯行と断定するに至った。
この元暴力団幹部は少年時代、西新宿で撲殺された男と同じギャング集団(関東連合ともつながりを有するジャックス)に兄と一緒に所属していた人物であった。
柴田の記すところによると、事件以前より、関東連合に敵対視され、その行方を執拗に追われながらも唯一、関東連合に制圧されない勢力を築き率いていたのがこの兄弟であった。
その敵対関係は事件に至るまで10年以上にわたって継続していたもので、件の西新宿の事件はもとより、東京都内の各所で暴力事件を伴う衝突を繰り返していた。
日本人と東南アジア系のハーフと言われるこの兄弟の弟は山口組極心連合会系暴力団を破門となった人物で、短髪に浅黒い肌、はっきりとした目鼻立ち、屈強な体格、そして当時の怪我が原因となっての片足を引きずるような歩き方、という外観的特徴が当時フラワーの従業員であった人物に伝えられており、被害者の男性も当時怪我で片足を引きずっていたことがこのたびの人違いを生む要因となった。
裁判2013年8月9日、東京地方裁判所の鬼沢友直裁判長は凶器準備集合罪のみで起訴された6人に懲役1年6月、執行猶予4年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。
前科がないことや従属的立場だったことが考慮された。
傷害致死罪で起訴された残りの9人は裁判員裁判で審理されることになり、鬼沢裁判長は1人に懲役15年、4人に懲役13年、1人に懲役12年、石元に懲役11年(求刑懲役22年)、1人に懲役10年、1人に懲役8年を言い渡した。
2014年4月22日、東京高等裁判所は、「遺族に弁償金を支払った」として一審を破棄し、一審で懲役15年、懲役13年、懲役12年を言い渡された3名に対してそれぞれ2年減刑し、懲役13年、懲役11年、懲役10年を言い渡した。
2014年12月18日、東京高等裁判所は「一審判決は石元の責任を過小評価した」として一審判決を破棄し、石元に懲役15年を言い渡した。
2016年6月15日、最高裁判所第一小法廷は石元の上告を棄却し、石元の懲役15年が確定した。
類似事件本件と犯行態様が類似した、同じく「関東連合」の関与が疑われた事件がある。
2011年12月14日-東京・六本木のキャバクラで、来店していた山口組暴力団幹部ら数名が、押しかけてきた20人程度の関東連合・住吉会関係者の男らにビール瓶等で暴行され一時意識不明の重体となった。
被害者側は山口組系落合金町連合の組員で、この件と本件との関わりを示唆する見方も示されている。
2012年12月に不良グループ怒羅権の元リーダーで指定暴力団住吉会系組員の男ら4人に傷害罪容疑で逮捕状が出た。
文献等事件の翌年にあたる2013年に、関東連合の元幹部にあたる柴田が事件の背景を詳細に記したノンフィクション書籍『いびつな絆関東連合の真実』が宝島社より出版された。
ベストセラーとなったこの書は事件の容疑者2名の初公判にも多大な影響を与えたという。
2014年には事件の加害者側(関東連合)と本来の標的側の双方と長年にわたり近しい関係にあった瓜田純士が事件の背景についてを記した、『遺書関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』が太田出版より出版された。
容疑者のうちの1名にあたる石元が事件についてを拘留中に記した『反証六本木クラブ襲撃事件「逮捕からの700日」』も双葉社より同年に出版されている。
日本工作機械販売協会(にほんこうさくきかいはんばいきょうかい英語表記: Japan Machine Tool Distributors Association (JMTDA))は、東京都港区芝公園にある工作機械関連の業界団体である。
1970年に設立された。
所在地〒108-0014東京都港区芝5-14-15機械工具会館3階目的会員の健全な経営を基盤として、工作機械の流通販売及び利用の改善向上を通じて、業界全体の総合的な発展と関連産業の振興を図るとともに、国民経済の繁栄に寄与すること日本国内における工作機械の流通販売、製造、及びリース事業を営むものにより組織する。
工作機械とは金属工作機械、成形・鍛圧機械及びFA関連機器などを含む広義の工作機械とする。
事業工作機械の事業振興、取引増進のための諸施策の推進政府並びに内外関連諸団体と連係を保ち、業界発展に関する意見の具申、発表工作機械流通に関する内外資料の収集と調査、研究、発表講演会、研修会、懇談会、見学会などの開催営業社員の職業能力を開発向上させるための教育訓練上記の事業を行うために必要な委員会の設置会員の資格金属工作機械、成形・鍛圧機械及びFA関連機器の販売事業を営むものは、正会員になることがでる。
また、前記機器の製造事業、リース事業を営むものは賛助会員になることができる。
沿革1970年工作機械流通業界初の全国組織として設立1981年「マシニングセンタ選択の手引き」出版1985年メーカーを賛助会員に加える国際パネルディスカッション主催1990年創立20周年記念式典1991年SE(セールスエンジニア)教育事業開始2000年協会ロゴ・マーク改定。
創立30周年記念式典2010年創立40周年記念式典会員正会員メーカー賛助会員リース賛助会員外部リンク工業に関する日本の業界団体1970年設立の組織日本の国際通商会東京都港区の組織
株式会社兼松KGK(かねまつケージーケー)は、工作機械専門商社。
兼松の子会社。
沿革1963年(昭和38年)5月-株式会社ファインクロダサービスを創立。
当時は黒田精工子会社であった。
1967年(昭和42年)6月-兼松江商株式会社に経営権が移動し、兼松江商工作機械販売株式会社に社名変更、メーカー問わず工作機械・関連設備の販売を開始。
1970年(昭和45年)7月-兼松江商工作機械株式会社に社名変更。
1985年(昭和60年)12月-株式会社KGKに社名変更。
1992年(平成4年)8月-株式会社兼松KGKに社名変更。
2000年(平成12年)3月-親会社である兼松より兼松産業機械株式会社の株式を取得、同社を子会社化。
2001年(平成13年)4月-親会社より産業機械関連の商権を譲受。
兼松マシナリー株式会社を統合。
2002年(平成14年)4月-兼松産業機械株式会社と合併。
出典外部リンク株式会社KGKエンジニアリングKGK International Corp.日本工作機械販売協会兼松日本の商社練馬区の企業1963年設立の企業
住友商事マシネックス株式会社(すみともしょうじマシネックス)は、工作機械専門商社で、住友商事の子会社。
沿革1962年(昭和37年)2月-友精機工株式会社として設立。
本社は大阪市に置いた。
資本金150万円。
1997年(平成9年)4月-住商マシネックス株式会社に社名変更。
2004年(平成16年)5月-住友商事マシネックス株式会社に社名変更。
本社を東京都中央区晴海に移転。
関連項目住友商事外部リンク日本工作機械販売協会住友商事日本の商社東京都中央区の企業大阪府発祥の企業1962年設立の企業
丸紅マシンツールズ株式会社(まるべにマシンツールズ)は、かつて存在していた工作機械専門商社で、丸紅の子会社。
2017年(平成29年)7月1日に、同じく丸紅子会社の丸紅テクノシステム株式会社に吸収合併され、消滅した。
沿革1967年昭和42年津上健一が「津上特機株式会社」を東京都港区新橋に創立、工作機械・自動化機械の販売を開始2004年平成16年「トッキ株式会社」からFAシステム及び工作機械販売の事業部門が独立し新会社「トッキ・インダストリーズ株式会社」として発足2010年平成22年社名を「丸紅トッキ・インダストリーズ」に変更し、丸紅㈱の連結子会社となる2010年平成22年日本国内社名を「丸紅マシンツールズ」に変更。
2017年(平成29年)7月1日、同じく丸紅子会社の丸紅テクノシステム株式会社に吸収合併され、解散。
外部リンク日本工作機械販売協会丸紅の歴史かつて存在した日本の卸売企業かつて存在した東京都の企業
伊藤忠マシンテクノス株式会社(いとうちゅうマシンテクノス)は、伊藤忠商事100%出資の完全子会社。
工作機械・産業機械・食品機械を中心に取扱う機械専門商社である。
事業所東京本社-東京都千代田区永田町2丁目14番2号山王グランドビル3F・7F大阪本社-大阪府大阪市中央区南本町3丁目6番14号イトゥビル9F名古屋支店-愛知県名古屋市中区錦1丁目5番11号名古屋伊藤忠ビル4F広島営業所-広島県広島市中区中町7番32号ニッセイ広島ビル5F帯広営業所-北海道帯広市大通南9丁目4帯広大通ビル7F福岡営業所-福岡県福岡市博多区博多駅前3丁目2番1号日本生命博多駅前ビル13F熊本営業所-熊本県熊本市中央区上通町3番31号肥後水道町ビル7F富士事業所-静岡県富士市五貫島770番地2大阪ラボ-大阪府東大阪市水走3-8-6今治出張所-愛媛県今治市南大門町1-5-6フィネス今治1F沿革1966年前身である伊藤忠化工機販売株式会社設立1988年伊藤忠産機株式会社へ社名変更1999年伊藤忠システム機器株式会社と合併2007年伊藤忠産機メックス株式会社と合併2010年伊藤忠産機株式会社と伊藤忠メカトロニクス株式会社が経営統合、伊藤忠マシンテクノス株式会社に社名変更2011年伊藤忠フーデック株式会社と合併2013年マシンテクノスメキシコ会社設立2017年カンタムエレクトロニクスと共同で、台湾電機商社の所羅門(ソロモン)が自主開発した3次元(3D)ビジョンと人工知能(AI)を組み合わせたピッキングシステムの代理販売権を取得2022年伊藤忠システックと合併関連項目伊藤忠商事
三井物産マシンテック株式会社(みついぶっさんマシンテック)は、三井物産によって設立された工作機械専門商社。
沿革1968年-三井物産工作機械株式会社が設立1997年-三井物産工作機械株式会社と三井物産機械販売株式会社が合併し、三井物産マシナリー株式会社が設立2003年-三井物産マシナリー株式会社の工作機械部門が分離・独立し、株式会社エムエムケーが設立2008年-三井物産マシンテック株式会社に社名変更
三菱商事テクノス株式会社(みつびししょうじてくのす)は、三菱商事によって設立された工作機械専門商社。
沿革1971年-三菱商事工作機械株式会社として設立。
1995年-バンコック駐在事務所設立。
2001年-社名を三菱商事テクノス株式会社に変更。
2006年-エム・シー・マシンテック株式会社と合併。
資本金を6億円に変更。
2012年-インドネシア・ブカシに現地法人PT. MC Technos Indonesia設立。
「firefly」(ファイアフライ)は、BUMP OF CHICKENの23枚目のシングル。
2012年9月12日にトイズファクトリーから発売された。
表題曲は、ドラマ『息もできない夏』の主題歌に起用され、BUMP OF CHICKENとしては、ドラマ『天体観測』(同バンドの楽曲が挿入歌として多数起用された)以来約10年ぶり2度目のドラマタイアップとなった。
なお、主題歌を担当するのはこれが初となる。
収録曲全曲、作詞・作曲:藤原基央編曲:BUMP OF CHICKEN firefly [5:32]フジテレビ系ドラマ『息もできない夏』主題歌。
「firefly」とは英語で「蛍」という意味である。
ほんとのほんと[4:38] CDシングルに収録されたカップリング曲は、現時点でこの曲が最後で、これ以降にリリースされたCDシングルは、全曲A面となっている。