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82,711,215
GFDLは、以上のような文書たる著作物のコピーレフトを目的としたライセンスとして代表的なものの一つであるが、以下のような未解決の法律問題も抱えている。GFDLは著作権者以外の者による文書の改変を認めるとともに、改変版には、題扉に元の文書の著作者として最低5人の主要著作者を列記するとともに、文書にある全ての著作権表示を残すことを要求している(第4条)。著作権法28条によれば、原著作物の著作者が有する氏名表示権は二次的著作物にもおよび、原著作物の著作権者は、二次的著作物の利用に関して二次的著作物の著作者と同じ内容の権利を有する。しかし、原著作物の創作的表現が存在しないと認められる程度に改変がされた場合は、当該改変版は原著作物の二次的著作物ではないため、原著作物の著作権者は改変版に対して著作権を行使することができない。さらに、著作者は氏名表示を要求することができなくなる。
法的な問題
GNU Free Documentation License
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GFDLは、すべての者に対して自由な改変を認めるライセンスであるがゆえに、複数の者による改変を経ることにより原著作物の創作的表現が消滅してしまう機会が多いと考えられるが、そのような場合でも、第4条に基づき主要著作者としての表示が必要になったり、著作権表示を残すべきかは問題がある(日本では、著作者ではない者の実名等を著作者名として表示した著作物の複製物を頒布した場合は、著作権法121条により刑罰の対象になる)。通常、著作物の利用許諾をする場合、利用許諾書が規定するライセンスの成立及び効力につき、準拠法を指定する条項が存在する。しかし、GFDLには準拠法に関する条項が存在しない。
法的な問題
GNU Free Documentation License
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法律行為の成立及び効力につき、当事者が準拠法の定めをしなかった場合、準拠法を「締結地法」 (lex loci contractus) とするか、「履行地法」 (lex loci solutionis) とするか、当事者の「本国法」 (lex patriae) とするかについては、国際私法の内容が国により異なることもあり、世界的に統一された扱いができないが、いずれにしても当事者の意思とは無関係に準拠法が定まることになる。日本が法廷地になる場合、法の適用に関する通則法8条が適用され、利用許諾につき最も密接な関係がある地の法による。このため、原著作権者A がその著作物につき GFDL を適用して公開した後、別の者B がその改変版を公開する場合、AによるライセンスとBによるライセンスとでは、同じGFDLを適用していながら、それぞれ準拠法が異なるケースが生じることになる。
法的な問題
GNU Free Documentation License
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そのため、同じ文言のライセンスの下に利用許諾をしているにもかかわらず、改変版をめぐって法的な争いが生じた場合、元の文書の著作権者ごとにライセンスの成立及び効力について異なった法を適用しなければならず、法律関係が複雑になる懸念が生じかねないという問題がある(なお、著作権の内容自体は、著作物の利用行為地法が準拠法になると解されている。詳細は著作権の準拠法を参照)。その他の問題については、ライセンス#著作物全般の利用許諾のライセンスを参照。
法的な問題
GNU Free Documentation License
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フリーソフトウェア財団(FSF)によりGFDLとしての効力があると承認されているものは、英語の原文によるライセンスのみであり、公式の他言語訳は存在せず、FSFとしても他言語の訳文を承認しない方針を採っている。これは誤訳の可能性があるものを承認することによって生じるリスクを回避するためである。そのため、使用するときは英語のライセンス文書を使うことになっており、日本語訳はあくまで参考として示すにとどまっている。非公式ではあるものの、八田真行による"version 1.2"の日本語訳が存在する。
ライセンスの原文及び他言語訳
GNU Free Documentation License
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社会学者の一覧(しゃかいがくしゃのいちらん)では、社会学を研究する学者を一覧する。
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社会学者の一覧
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ゴーダチーズ(英語: Gouda [ˈɡaʊdə] ( 音声ファイル), [ˈɡuːdə] ( 音声ファイル)、オランダ語: Goudse kaas [ˈɣʌu̯dsə kaːs])は、エダムチーズと並ぶオランダの代表的なチーズ。オランダでのチーズ生産量の60 %を占める。ロッテルダム近郊の町、ゴーダで作られたことからこの名前がついた。正確な起源は不明だが12世紀頃にまで溯るとされることが多い。外見は黄色がかった茶色い円盤型で、正式なサイズが直径35 cm×高さ11 cm・重さ約12 kgと決められており、それより小さなものを総称して「ベビーゴーダ」と呼んでいる。中は白から黄色。熟成と共に色が変化する。熟成されたゴーダの中には表面が黒いものもある。クミンシードやニンニクなどを用いて香りをつけたものもある。主な材料は牛乳とレンネット(凝乳酵素)。チーズの種類としてはセミハードに分類される。
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ゴーダチーズ
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88,212,047
味はマイルドで日本では比較的広く親しまれている。オランダでは土産物として空港などで売られている他、食料品店、チーズ販売店などでもほぼ置いている。チーズ店などでは特に包装をしていないものを常温で積み上げている場合もある(右図)。これは表面をロウでコーティングしてあり、ナイフを入れない限り熟成が急激に進む心配がないため。他に、フィルムにくるんだものや、真空パックのように包装したものもある。日本では、チェダーチーズと並んでプロセスチーズの主要な原料として用いられているとされる。また、ゴーダチーズを原料としたスライスチーズが明治から販売されている。
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ゴーダチーズ
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87,381,771
バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]、1632年11月24日 - 1677年2月21日)は、オランダの哲学者である。ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られる。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。スピノザの汎神論は新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。生前のスピノザ自身も、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。
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バールーフ・デ・スピノザ
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スピノザの肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。
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バールーフ・デ・スピノザ
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アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれる。母はハンナ・デボラ、父はミカエル・デスピノーザ。両親はポルトガルでのユダヤ人迫害から逃れオランダへ移住してきたセファルディム。幼少の頃より学問の才能を示し、ラビとなる訓練を受けたが、家業を手伝うために高等教育は受けなかった。商人として働いていたが、商人としての利益より、人生の目的に尽くす方が利益は大きいとして商人を止める。伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかたや聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。恐らくそのため1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門・追放)にされる。狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになった。1661年の夏にライデン近郊のレインスブルフに転居。ヘンリー・オルデンバーグ来訪。
生涯
バールーフ・デ・スピノザ
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レインスブルフにいる間に『デカルトの哲学原理』となる原稿の第一部をある学生に口述。1662年にはボイルと硝石に関して論争した。1663年、ハーグ近郊のフォールブルフに移住。友人らの勧めで『デカルトの哲学原理』を公表。1664年にオランダ共和派の有力者、ヨハン・デ・ウィットと親交を結ぶ。この交際はスピノザの政治関係の著作執筆に繋がっていく。1665年『神学政治論』の執筆を開始、1670年に匿名で版元も偽って出版した。この本は、聖書の解読と解釈を目的としていた。しかし、1672年にウィットが虐殺され、この折りには、スピノザは生涯最大の動揺を示したという(「野蛮の極致(ultimi barbarorum)」とスピノザは形容した)。1673年にプファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒからハイデルベルク大学教授に招聘されるが、思索の自由が却って脅かされることを恐れたスピノザは、これを辞退した。
生涯
バールーフ・デ・スピノザ
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こうした高い評価の一方で、1674年には『神学政治論』が禁書となる。この影響で翌1675年に完成させた『エチカ-幾何学的秩序によって証明された』の出版を断念した。同書は執筆に15年の歳月をかけたスピノザの思想の総括である(スピノザ没後友人により1677年に刊行された)。また、その翌1676年にはライプニッツの訪問を受けたが、この二人の大哲学者は互いの思想を理解しあうには至らなかった。肺の病(肺結核や珪肺症などの説がある)を患っていたため、1677年2月21日、スヘーフェニンヘン(ハーグ近く)で44歳の短い生涯を終えた。遺骨はその後廃棄され墓は失われてしまった。ハーグ移住後、スピノザはレンズ磨きによって生計を立てたという伝承は有名である。しかしスピノザは貴族の友人らから提供された年金が十分にあった。
生涯
バールーフ・デ・スピノザ
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旅行記を参照するに他の方面にも支援者はおり、当時のライデン大学の教授ゲーリンクスと同額の500ギルダーの収入を得ていた。また当時のオランダでは自然科学、とりわけ光学に大きな関心が持たれていた。スワンメルダムやホイヘンスら科学者は自らレンズを磨いて改良し、後にアムステルダム市長となるヨハン・フッデもやはりレンズを磨いていることが分かっている。当時科学に興味のある知識人は当たり前のようにレンズを磨いていたのが実態で、ましてや虹についての論文や自然科学を論じる書簡が残っているスピノザの場合、生計のためというより探究のためと考える方が道理だろう。生前に出版された著作は、1663年の『デカルトの哲学原理』と匿名で出版された1670年の『神学政治論』(Tractatus Theologico-Politicus)だけである。
生涯
バールーフ・デ・スピノザ
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『知性改善論』(Tractatus de Intellectus Emendatione)、『国家論』、『エチカ』その他は『ヘブライ語文法綱要』(Compendium grammatices linguae hebraeae)などとともに、没後に遺稿集として出版された。これは部分的にスピノザ自身が出版を見合わせたためである。以上の著作は全てラテン語で書かれている。遺稿集の中の『神・人間及び人間の幸福に関する短論文』(Korte Verhandeling van God, de mensch en deszelvs welstand)はオランダ語で書かれているが、これは友人がラテン語の原文をオランダ語に訳したものである。(スピノザは日常会話にはポルトガル語を使いオランダ語には堪能ではなかった。)
生涯
バールーフ・デ・スピノザ
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スピノザの哲学史上の先駆者は、懐疑の果てに「我思う故に我あり(cogito ergo sum)」と語ったデカルトである。これは推論の形をとってはいるが、その示すところは、思惟する私が存在するという自己意識の直覚である。懐疑において求められた確実性は、この直覚において見出される。これをスピノザは「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」と解釈している(「デカルトの哲学原理」)。その思想は初期の論考から晩年の大作『エチカ』までほぼ一貫し、神即自然 (deus sive natura) の概念(この自然とは、動植物のことではなく、人や物も含めたすべてのこと)に代表される非人格的な神概念と、伝統的な自由意志の概念を退ける徹底した決定論である。この考えはキリスト教神学者からも非難され、スピノザは無神論者として攻撃された。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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一元的汎神論や能産的自然という思想は後の哲学者に強い影響を与えた。近代ではヘーゲルが批判的ながらもスピノザに思い入れており(唯一の実体という思想を自分の絶対的な主体へ発展させた)、スピノザの思想は、無神論ではなく、むしろ神のみが存在すると主張する無世界論(Akosmismus)であると評している。フランス現代思想のドゥルーズも、その存在論的な観点の現代性を見抜き、『スピノザと表現の問題』、『スピノザ――実践の哲学』などの研究書を刊行している。代表作『エチカ』は、副題の「幾何学的秩序によって論証された」という形容が表しているように、なによりその中身が如実に示しているように、ユークリッドの『幾何原論』を髣髴とさせる定義・公理・定理・証明の一大体系である。それはまさにQ.E.
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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D(「これが証明されるべき事柄であった」を示すラテン語の略)の壮大な羅列であり、哲学書としてこれ以上ないほど徹底した演繹を試みたものであった。この著作においてスピノザは、限られた公理および定義から出発し、まず一元的汎神論、次いで精神と身体の問題を取り上げ、後半は現実主義的ともいえる倫理学を議論している。ここでは、形而上学的な第1部と第2部の概要を主に記述する。デカルトは神を無限な実体として世界の根底に設定し、そのもとに精神と身体(物体=延長)という二つの有限実体を立てた。しかし、スピノザによれば、その本質に存在が属する実体は、ただ神のみである。スピノザにおいては、いっさいの完全性を自らの中に含む神は、自己の完全性の力によってのみ作用因である ものである(自己原因)。いいかえれば、神は超越的な原因ではなく、万物の内在的な原因なのである。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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神とはすなわち自然(この自然とは、植物のことではなく、人や物も含めたすべてのこと)である。これを一元論・汎神論と呼ぶ。神が唯一の実体である以上、精神も身体も、唯一の実体である神における二つの異なる属性(神の本質を構成すると我々から考えられる一側面)としての思惟と延長とに他ならない。また、神の本性は絶対に無限であるため、無限に多くの属性を抱える。この場合、所産的自然としての諸々のもの(有限者、あるいは個物)は全て、能産的自然としての神なくしては在りかつ考えられることのできないものであり、神の変状ないし神のある属性における様態であるということになる。スピノザは、「人間精神を構成する観念の対象は(現実に)存在する身体である」と宣言する。なぜなら、「延長する物および思惟する物は神の属性の変状である」以上、二つは同じものの二つの側面に他ならないからである。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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これによって心身の合一という我々の現実的なありかたを説明できる、とスピノザは考えた。精神の変化は身体の変化に対応しており、精神は身体から独立にあるわけではなく、身体も精神から独立となりえない。身体に先だって精神がある(唯心論)のでもなく精神に先だって身体がある(唯物論)のでもない。いわゆる同一存在における心身平行論である。その上、人間の身体を対象とする観念から導かれうるものだけを認識しえる人間の有限な精神は、全自然を認識する或る無限の知性の一部分であるとしており、この全自然を「想念的objective」に自己のうちに含むところの思惟する無限の力(potentia infinita cogitandi)によって形成される個々の思想と、この力によって観念された自然の中の個々の事物とは、同じ仕方で進行するとしている。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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すなわち思惟という側面から見れば自然は精神であり、延長という側面から見れば自然は身体である。両者の秩序(精神を構成するところの観念とその対象の秩序)は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致するとしている。スピノザは、デカルトとは異なり、自由な意志によって感情を制御する思想を認めない。むしろ、スピノザの心身合一論の直接の帰結として、独立的な精神に宿る自由な意志が主体的に受動的な身体を支配する、という構図は棄却される。スピノザは、個々の意志は必然的であって自由でないとした上、意志というもの(理性の有)を個々の意志発動の原因として考えるのは、人間というものを個々の人間の原因として考えると同様に不可能であるとしている。また観念は観念であるかぎりにおいて肯定ないし否定を包含するものとしており、自由意志と解される表象像・言語はじつは単なる身体の運動であるとしている。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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スピノザにおいては、表象的な認識に依存した受動感情(動揺する情念)を破棄するものは、必然性を把握する理性的な認識であるとされている。われわれの外部にある事物の能力で定義されるような不十全な観念(記憶力にのみ依存する観念)を去って、われわれ固有の能力にのみ依存する明瞭判然たる十全な諸観念を形成することを可能にするものは、スピノザにあっては理性的な認識である。その上、「われわれの精神は、それ自らおよび身体を、永遠の相の下に(sub specie aeternitatis)認識するかぎり、必然的に神の認識を有し、みずからが 神の中にあり(in Deo esse)、神を通して考えられる(per Deum concipi)ことを知る」ことから、人間は神への知的愛に達し、神が自己自身を認識して満足する無限な愛に参与することで最高の満足を得ることができるとスピノザは想定する。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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上の議論は、個の自己保存衝動を否定しているわけではない。各々が存在に固執する力は、神の性質の永遠なる必然性に由来する。欲求の元は神の在りかつ働きをなす力に由来する個の自己保存のコナトゥス(衝動)であることを、スピノザは認めた。しかし、その各々が部分ではなく全体と見なされるかぎり諸物は相互に調和せず、万人の万人に対する闘争になりかねないこの不十全なコナトゥスのカオスを十全な方向へ導くため、全体としての自然(神)の必然性を理性によって認識することに自己の本質を認め、またこの認識を他者と分かち合うことが要請される。上述のエチカの議論によれば、理性はたしかに感情を統御できる。とはいえ「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」。感情に従属する現実の人間は、闘争においては仲間を圧倒することに努め、そこで勝利した者は自己を益したより他人を害したことを誇るに至る。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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他人の権利を自己の権利と同様に守らねばならないことを教える宗教は、感情に対しては無力なのである。「いかなる感情もいっそう強い反対の感情に制止されるのでなければ制止されるものでない」とする立場からは、スピノザは国家の権能によって人民が保護されることが必要であるとする。そしてそのためには臣民を報償の希望ないしは刑罰への恐怖によって従属させることが必要であるとしている。たしかに精神の自由は個人の徳ではあるが、国家の徳は安全の中にのみあるからである。統治権の属する会議体が全民衆からなるとき民主政治、若干の選民からなるとき貴族政治、一人の人間の手中にあるとき君主政治と呼ばれる。この統治権、あるいは共同の不幸を排除することを目的として立てられた国家の法律にみずから従うような理性に導かれる者ばかりではない現実においては、理性を欠いた人々に対しては外から自由を与えることが法の目的であるとしている。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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また言論の自由については、これを認めないことは、順法精神を失わしめ、政体を不安定にするとしている。またスピノザの政治思想の特徴は、その現実主義にある。政治への理想を保持しつつ現実の直視を忘れないその姿勢は幾人ものオランダ共和国の政治家との交流から得られたものと考えられる。スピノザの汎神論は、神の人格を徹底的に棄却し、理性の検証に耐えうる合理的な自然論として与えられている。スピノザは無神論者では決してなく、むしろ理神論者として神をより理性的に論じ、人格神については、これを民衆の理解力に適合した人間的話法の所産であるとしている
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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キリスト教については、スピノザとしては、キリストの復活は、信者達に対してのみその把握力に応じて示された出現に他ならないとし、またキリストが自分自身を神の宮として語ったことは、「言葉は肉となった」(ヨハネ)という語句とともに、神がもっとも多くキリストの中に顕現したことを表現したものと解している。また徳の報酬は徳そのものであるとする立場からは、道徳律は律法としての形式を神自身から受けているか否かにかかわらず神聖かつ有益であるとしており、神の命令に対する不本意な隷属とは対置されるところの、人間を自由にするものとしての神に対する愛を推奨している。また神をその正義の行使と隣人愛によって尊敬するという意味でのキリストの精神を持つかぎり、何人であっても救われると主張している。
思想
バールーフ・デ・スピノザ
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カール・ポパーはスピノザの哲学を本質主義として批判している。ポパーは、スピノザの著作「エチカ」や「デカルトの哲学原理」は、いずれも本質主義的な定義にみちあふれ、「しかもそれらの定義は手前勝手で的外れの、かりになんらかの問題がそこあったかぎりでは問題回避的なものだ」と批判した。また、スピノザの幾何学的方法(モレ・ゲオメトリコ)と、幾何学の方法との類似性は、「まったくうわべだけのもの」としている。ポパーはスピノザと異なり、カントは本当の問題と取り組んでいると評価している。
批判
バールーフ・デ・スピノザ
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文脈自由文法(ぶんみゃくじゆうぶんぽう、Context-free Grammar、CFG)は、形式言語の理論(特に、生成文法)において全生成規則が以下のようである形式文法である。ここで V は非終端記号であり、w は終端記号と非終端記号の(0個を含む)任意個の並びである。「文脈自由」という用語は前後関係に依存せずに非終端記号 V を w に置換できる、という所から来ている(「文脈無用」という訳の提案もある)。文脈自由文法によって生成される形式言語を文脈自由言語という。
__LEAD__
文脈自由文法
829
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81,725,655
文脈自由文法はノーム・チョムスキーによる句構造文法の研究の中から、形式言語の類別(形式言語の階層やチョムスキー階層の記事を参照)のひとつとして見出されたものである。文脈自由文法の形式性は、言語学が伝統的に自然言語の文法を形式的に記述してきた既存の方法(例えばパーニニ)に倣っている。たとえば、入れ子(nesting)を自然に捉えていることや、形式的であることから形式的な手法が使えるという利点がある。一方で問題もあり、たとえば自然言語の文法の重要な機能である一致や参照といった属性は綺麗に表すことができない(自然言語に限らず、プログラミング言語でもしばしば文脈自由文法から「はみ出している」仕様がある)。
背景
文脈自由文法
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文脈自由文法は、(チョムスキーらによって言語学で)提唱されてすぐに、(形式言語と密接な関係にあるオートマトン理論のような理論計算機科学の分野にとどまらず)プログラミング言語 ALGOLの仕様策定において、構文の仕様を示すバッカス・ナウア記法という形でとり入れられ、その後コンピュータ科学一般に、あるいはもっと広く実務にも応用されている。「文脈自由文法はほとんどのプログラミング言語の文法を記述できるほど強力であり、実際、多くのプログラミング言語は文脈自由文法で構文仕様を定義している。」といった言説がしばしば見られるが(たとえば日本語版ウィキペディアのこの部分にはずっとそう書かれていた)誤りである。本当に実際の所は、yaccで定義されていても、純粋に構文では定義しきれない部分をあれこれと意味規則で補っているのが普通である。文脈自由文法は効率的な構文解析アルゴリズムを適用できる程度に単純である。
背景
文脈自由文法
831
89
81,725,655
つまり、ある文字列が特定の文法による言語に属しているかどうかを判断することができる(例えばアーリー法)。初期の構文解析手法であるLR法やLL法は文脈自由文法のサブセットを扱うものであった。全ての形式言語が文脈自由であるわけではない。文脈自由でない例として { a n b n c n : n ≥ 0 } {\displaystyle \{a^{n}b^{n}c^{n}:n\geq 0\}} がある。この言語は Parsing Expression Grammar (PEG) では生成できる。PEG は文脈自由文法と扱える範囲の文法が異なり文脈自由文法を全て扱えるわけではないがプログラミング言語に適した新たな定式化のひとつである。
背景
文脈自由文法
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81,725,655
文脈自由文法 G は次の 4-タプル で表される。G = ( V , Σ , R , S ) {\displaystyle G=(V\,,\Sigma \,,R\,,S\,)} ここでR {\displaystyle R\,} のメンバーを文法の規則と呼ぶ。
形式的定義
文脈自由文法
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89
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任意の ( α , β ) ∈ R {\displaystyle (\alpha ,\beta )\in R} について P α β ( u , v ) = ( u α v , u β v ) {\displaystyle P_{\alpha \beta }(u,\,v)=(u\alpha v,\,u\beta v)} となるような生成写像 P α β : ( V ∪ Σ ) ∗ × ( V ∪ Σ ) ∗ ⟶ ( V ∪ Σ ) ∗ × ( V ∪ Σ ) ∗ {\displaystyle P_{\alpha \beta }:(V\cup \Sigma )^{*}\times (V\cup \Sigma )^{*}\longrightarrow (V\cup \Sigma )^{*}\times (V\cup \Sigma )^{*}} が存在する。
形式的定義
文脈自由文法
834
89
81,725,655
順序対 ( u α v , u β v ) {\displaystyle (u\alpha v,\,u\beta v)} を G {\displaystyle G\,} のプロダクション(生成規則)と呼び、一般に u α v → u β v {\displaystyle u\alpha v\rightarrow u\beta v} のように表記する。任意の u , v ∈ ( V ∪ Σ ) ∗ {\displaystyle u,v\in (V\cup \Sigma )^{*}} について、 u {\displaystyle u\,} が v {\displaystyle v\,} を生成することを u ⇒ v {\displaystyle u\Rightarrow v} で表す。
形式的定義
文脈自由文法
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ただし、 u = u 1 α u 2 {\displaystyle u\,=u_{1}\alpha u_{2}} かつ v = u 1 β u 2 {\displaystyle v\,=u_{1}\beta u_{2}} で ∃ ( α , β ) ∈ R , u 1 , u 2 ∈ ( V ∪ Σ ) ∗ {\displaystyle \exists (\alpha ,\beta )\in R,u_{1},u_{2}\in (V\cup \Sigma )^{*}} が成り立たねばならない。文法 G = ( V , Σ , R , S ) {\displaystyle G=(V\,,\Sigma \,,R\,,S\,)} の言語は次の集合で表される。
形式的定義
文脈自由文法
836
89
81,725,655
L ( G ) = { w ∈ Σ ∗ : S ⇒ ∗ w } {\displaystyle L(G)=\{w\in \Sigma ^{*}:S{\stackrel {*}{\Rightarrow }}w\}}言語 L {\displaystyle L\,} は、 L = L ( G ) {\displaystyle L\,=\,L(G)} となるような文脈自由文法 G {\displaystyle G\,} が存在するとき、文脈自由言語(CFL)であるという。
形式的定義
文脈自由文法
837
89
81,725,655
S → aSb | εここで、 | は「選択」を意味し、ε は空の文字列を意味する。この文法によって生成される言語は以下のようになる。{ a n b n : n ≥ 0 } {\displaystyle \{a^{n}b^{n}:n\geq 0\}}これは正規言語ではない例でもある。また、「選択」は文脈自由文法の表現に必ずしも必須ではない。次の2つの規則でも、上の例と同様の言語を定義している。次は三種類の変数 x, y, z を使った文法的に正しい四則演算の数式を生成する文脈自由文法である。ここで演算子は中置としている。S → x | y | z | S + S | S - S | S * S | S/S | (S)この文法に従うと、例えば "( x + y ) * x - z * y / ( x + x )" といった式が生成可能である。
文脈自由文法
838
89
81,725,655
この文法は、構造が異なる構文木から同じ文字列が生成されうるという意味で曖昧である。文字セット {a,b} について、異なる個数の a と b から構成される全ての文字列を生成する文脈自由文法は以下のようになる。S → U | V U → TaU | TaT V → TbV | TbT T → aTbT | bTaT | εここで、T に関する生成規則は a と b が同数の文字列を生成するが、U は a の方が必ず多くなる文字列を生成し、V は b の方が必ず多くなる文字列を生成する。次の例は { a n b m c m + n : n ≥ 0 , m ≥ 0 } {\displaystyle \{a^{n}b^{m}c^{m+n}:n\geq 0,m\geq 0\}} である。これは正規言語ではなく文脈自由言語である。
文脈自由文法
839
89
81,725,655
以下の生成規則で生成される(この生成規則は文脈自由文法にしたがっている)。S → aSc | B B → bBc | ε文脈自由文法は数学的な「形式的」言語だけで利用されるわけではない。例えば、タミル語の詩である Venpa は文脈自由文法で定式化できることが指摘されている。
文脈自由文法
840
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81,725,655
ある文法において、開始記号からある文字列が導出される過程を記述する方法は二種類存在する。単純な方法は導出過程の途中の文字列を全て書き出していく方法である。つまり開始記号から始めて、生成規則を一回適用する度に文字列を書き出して、最後に目的の文字列になるまで列挙するのである。例えば「左端に最も近い非終端記号を最初に書き換える」という規則を適用したとすれば、文脈自由文法では適用する生成規則を列挙するだけで十分である。これを文字列の「左端導出」(Leftmost Derivation)と呼ぶ。例えば、以下の文法があるとする。(1) S → S + S (2) S → 1 (3) S → a文字列「1 + 1 + a」を導出する過程は [ (1), (1), (2), (2), (3) ] というリストになる。同様に「右端導出」も定義できる。
導出と構文木
文脈自由文法
841
89
81,725,655
この例の場合、右端導出での導出過程は [ (1), (3), (1), (2), (2)] というリストになる。左端導出と右端導出のリストが異なるのは重要なポイントである。構文解析では、文法規則毎にそれを入力文字列に適用する小さなプログラムが存在する。したがって、構文解析が左端導出を行うのか右端導出を行うのかによってそれらのプログラムを適用する順番が変わってくるのである。導出過程は導出される文字列上にある種の階層構造を描くことでも表される。例として左端導出による「1 + 1 + 1」に対する階層構造を見てみよう。導出過程は以下のようになる。S→S+S (1) S→S+S+S (1) S→1+S+S (2) S→1+1+S (2) S→1+1+1 (2){ { { 1 }S + { 1 }S }S + { 1 }S }Sここで { ...
導出と構文木
文脈自由文法
842
89
81,725,655
}S は S から導出された部分文字列を意味している。これに対応する階層構造は以下のような木構造になる。この木構造をその文字列の「具象構文木」と呼ぶ(抽象構文木も参照されたい)。この場合、上述の左端導出も右端導出も同じ構文木になるが、左端導出には以下のような別の導出過程が存在する。S→ S + S (1) S→ 1 + S (2) S→ 1 + S + S (1) S→ 1 + 1 + S (2) S→ 1 + 1 + 1 (2)これによって定義される構文木は以下のようになる。この文法のように、ある文字列を導出する構文木が複数考えられる文法を「曖昧な文法」(Ambiguous Grammar)と呼ぶ。このような文法の構文解析は、生成規則の適用順序を毎回決定しなければならないため難しい。
導出と構文木
文脈自由文法
843
89
81,725,655
空の文字列を生成しない文脈自由文法は等価なチョムスキー標準形かグライバッハ標準形に変換できる。ここでいう「等価」とは同じ言語を生成するという意味である。チョムスキー標準形文法は生成規則が単純なので、この標準形は理論的にも実用上も密接な関係がある。例えば、ある文脈自由文法についてチョムスキー標準形を使うことで多項式時間のアルゴリズムで入力された文字列がその文法で生成されるものか否かを判定できる(CYKアルゴリズム)。
標準形
文脈自由文法
844
89
81,725,655
文脈自由文法は能力が制限されているため、その操作の一部は決定可能であるが、同時に決定不能な問題もある。最も単純で分かり易い決定不能問題の1つとして、CFG が言語の全文字列を受容するかどうかという問題がある。還元によって、この問題がチューリングマシンの停止問題と同じであることが示される。その還元には、チューリングマシンのあらゆる計算過程を示す「計算履歴」と呼ばれる概念を用いる。あるチューリングマシンがある入力を与えられたとき、それを受容しない計算履歴の文字列を生成するCFGを構築でき、そうすると、そのCFGはマシンが入力を受容しないときだけ文字列を受容(認識)する。これを応用すると、2つのCFGが同じ言語を記述しているかどうかも判定不能である。なぜなら、言語の全文字列を受理する自明なCFGとの等価性を判定できないためである。
非決定性
文脈自由文法
845
89
81,725,655
また、文脈依存文法が文脈自由言語を表しているかどうかも決定不能な問題である。
非決定性
文脈自由文法
846
89
81,725,655
文脈自由文法の形式性の拡張として、非終端記号に引数を持たせ、規則内で値を渡すということが考えられる。これにより、自然言語の一致や参照といった機能を表現可能となり、プログラミング言語での識別子の定義や正しい用法を自然な形で表現可能となる。例えば、英語の文で、主語と動詞が数において合致しなければならないということを容易に表現できる。計算機科学では、このようなアプローチの例として接辞文法、属性文法、Van Wijngaarden の two-level grammar などがある。同様の拡張は言語学にもある。別の拡張として、規則の左辺に追加の記号を書けるようにする手法がある。これは文脈依存文法に他ならない。
拡張
文脈自由文法
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89
81,725,655
ノーム・チョムスキー自身は、生成文法を追加することで文脈自由文法の制限を克服したいと考えていた。そのような規則も言語学によく見られる。例えば、英語における受動態化である。しかし、それらは強力すぎるため(チューリング完全)、変換の適用は制限される必要がある。生成文法の大部分は、句構造文法と変換規則の記述機構を改善し、自然言語が表現できることを正確に表せるようにすることを目的としている。彼は自然言語が文脈自由でないと考えていたが、彼がCFGでは不十分であることを示す証拠として挙げた事例は、後に間違いであることが証明された。Gerald Gazdar と Geoffrey Pullum は、一部に文脈自由的でない構造があるものの、自然言語の大部分は文脈自由であると指摘している。
言語学的応用
文脈自由文法
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89
81,725,655
文脈自由でない部分とは、例えば、スイスドイツ語の cross-serial dependencies や、バンバラ語の畳語である。
言語学的応用
文脈自由文法
849
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88,470,131
フランス語(フランスご、français フランス語発音: [fʁɑ̃sɛ] フランセ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語の一つで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。フランス語という呼び方は、多くの言語(オック語、アルピタン語など)が存在するフランスにおいて誤解を招く可能性もあるので、単にオイル語と呼んでフランスの他の言語と区別することもある。世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダのほか、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29ヶ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。
__LEAD__
フランス語
850
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全世界で1億2300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合などの公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、フランコフォン(francophone、英語版)と言う。
__LEAD__
フランス語
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記号が二つ並んでいるものは、右が有声音、左が無声音。記号が二つ並んでいるものは、右が円唇、左が非円唇。鼻母音四つを含んだ句の例として « un bon vin blanc » /œ̃ bɔ̃ vɛ̃ blɑ̃/(おいしい白ワイン)が有名である。
音声
フランス語
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フランス語において基本的にc,r,f,lを除く語尾の子音と母音のeは発音されない。フランス語の表記は初学者には複雑に感じられるが、規則性は比較的高い。英語や日本語のローマ字表記とはかなり異なるため、フランス語を知らなければ正しく読むことはできないが、規則を覚えれば容易に発音できる。たとえば eau は常に /o/ と発音する。しかし monsieur(ムッシュ)は /mɔ̃.sjœʁ/ ではなく /mə.sjø/ であり、femme(女性、妻)は /fem/ ではなく /fam/ であるなど、イタリア語やスペイン語などほかのロマンス諸語に比べると例外が多い。faitやplusなど文脈によって発音が変わる単語もある。 また、in, im, yn, ym, ain, aim, ein, eim がすべて /ɛ̃/ になるなど、しばしば異なる綴りが同じ発音を示すため、同音異字語が多い。
綴りと発音
フランス語
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たとえば vin(ワイン)と vingt(20)はともに /vɛ̃/ であり、また形容詞 bleu (青、男性形単数) とその変化形の bleus(男性形複数)、bleue(女性形単数)、bleues(女性形複数)はすべて /blø/ である。このため、発音を聞いて書き分けるのは比較的難しい。ネイティブでさえも正しく書けない人がいるほどで、フランスでは問題視されている。そういった難しさもあり、日本で行われている実用フランス語技能検定試験(DAPF)の準2級以降の級では書き取り試験が行われ、CDで流れる文章を、文脈をしっかりと把握した上で、動詞の活用はもとより性と数の一致に気をつけながら、正しく書く能力が試される。書き取り試験ではあるが文法知識も試され、実際のところこの書き取り問題で点を落とす受験者が非常に多いことから、いかにフランス語を正しく書くのが難しいかがうかがえる。
綴りと発音
フランス語
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アルファベットのことを、フランス語ではアルファベ(alphabet)と言う。セディーユ、トレマ、アクサンテギュ、および e につくアクサングラーヴとアクサンシルコンフレクスは発音を変える記号である。一方、e 以外の母音につくアクサングラーヴとアクサンシルコンフレクスは発音を変化させない。※アクサンのつくところを強く読むわけではない。Œ, œ は o と e の合字である。この組み合わせが単母音で発音される語では、o と e は必ずこのようにつなげて書く。通常は œu で /œ/ を表す。Æ, æ は a と e の合字であり、少数のラテン語からの借用語で使う。フランス語では引用符(英語では「" "」)として「« »」(ギユメ guillemets)を用いる。フランス語の句読点の内、コンマ(,)、ピリオド(.)、括弧(( )、[ ])以外の疑問符(?)、感嘆符(!
綴りと発音
フランス語
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)、コロン(:)、セミコロン(;)の前にはスペースを入れ、引用符の後と前にもやはりスペースを入れる。
綴りと発音
フランス語
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20進法と10進法の組み合わせである。かなり複雑だが、これはフランスでの例であり、ベルギーやスイスでは70をseptante、90をnonante、さらにスイスでは80をhuitanteで表し、比較的10進法に近い。
数体系
フランス語
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フランス南部で用いられるオック語をフランス語方言とすることもあるが、言語学的には通常別系統の言語として扱う。など(French-based creole languagesを参照)。
言語変種
フランス語
858
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紀元前58年から紀元前51年にかけて、共和政ローマのガイウス・ユリウス・カエサルがガリア戦争を行い、現在のフランスの領域のほぼ全域をローマ領としたことが、この地域にフランス語の祖語であるラテン語が本格的に導入されるきっかけとなった。ガリア戦争以前には、この地域ではおもにケルト語系のゴール語が用いられていたが、ローマの支配が定着するにつれてラテン語が優勢となっていき、ガロ・ロマンス語と呼ばれるラテン語の方言群が成立した。この言語は基本的にラテン語の影響が強く、その一方言と呼べる存在であったが、ケルト語からいくつかの音韻的な影響を受けたものだった。その後、ローマ帝国の崩壊とともにフランク王国がこの地域を支配すると、彼らの言語であったゲルマン系の古フランク語が持ち込まれ、その影響を受けてこの地域のラテン語は大きく変容し、9世紀ごろにはラテン語から完全に分離した古フランス語が成立した。
歴史
フランス語
859
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その後、14世紀ごろには中世フランス語へと変化し、17世紀にはアカデミー・フランセーズによってフランス語の純化・整備が行われて現代フランス語が成立した。
歴史
フランス語
860
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フランス語の統制機関としては、アカデミー・フランセーズが挙げられる。これは1635年に宰相・リシュリューによって創設された国家機関で、フランス語の語法を整備して誰にでも理解できる言語とすることを目指し、そのためにフランス語の辞書『アカデミー・フランセーズ辞典』を編纂することを目的としていた。この『アカデミー・フランセーズ辞典』は、1694年に初版が発行されたのち、現代に至るまで編纂・発行が続けられている。もっとも新しい辞典は1992年に編纂されたものである。こうした言語の統制機関が、国家によって創設されることは当時稀であり、これはそのままフランス語に対するフランス国家の強い影響力をもたらす根源となった。また、フランス語の現状に関する勧告を出すことも任務のひとつであり、強制力こそないものの、この勧告はフランス語に強い影響力を持つ。
統制機関
フランス語
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アカデミー・フランセーズは、フランス学士院を構成する5つのアカデミーの中で、もっとも古く地位の高いアカデミーである。アカデミー・フランセーズは終身任期を持つ40人の定員で構成され、欠員が生じた場合のみ補充が行われる。このメンバーは、フランス語話者の構成およびアカデミー自体が、フランス政府の国家機関として成立・存続してきたフランスの歴史を反映して、フランス国民が圧倒的に多いが、その他の国民であっても、ふさわしいと認められれば会員となることができる。たとえば、1983年に会員となったレオポール・セダール・サンゴールは、20年にわたってセネガル共和国の大統領を務めた人物であるが、フランス語詩人としても非常に高名な存在であり、またフランス語圏の融和をはかる国際機関であるフランコフォニー国際機関の設立を主導したことなどから、会員となることを認められた。
統制機関
フランス語
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フランス語を母語話者とする人々が多数派を占めるのはフランス一国のみである。ただし、いくつかの国においてはフランス語の母語話者が大きな勢力を持っている。また、フランス国内において本来フランス語を母語とする地域は北フランスに限られており、南フランスの広い地域で話されるオック語を筆頭に、ブルターニュ半島で話されるケルト語系のブルトン語やアルザスで話されるドイツ語系のアルザス語、コルシカ島で話されるイタリア語系のコルシカ語など、系統の異なるいくつかの地方言語が存在する。ただしフランス政府はもっとも早く言語を政府の手で構築してきた国家であり、フランス革命後は一貫してフランス語をフランスにおける唯一の言語であると規定してきた。こうしたことから、教育をはじめとして国家による強力なフランス語普及政策がとられ、上記の各言語地域においても現代ではほとんどフランス語が話されるようになってきている。
話者分布
フランス語
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ただし、19世紀後半までオック語復権運動「フェリブリージュ」などが行われてきており、現在はこの状況には地方言語の保護の観点から批判が根強い。フランス以外でもっともフランス語の母語話者の割合が大きい国家はベルギーであり、フランス語話者でありベルギー南部に居住するワロン人が人口の31%を占めている。ベルギーにおいては、北部に住みオランダ語の方言を話すフランドル人が人口の60%を占めており、ワロン人との間には言語戦争と呼ばれる深刻な言語の対立状況が存在する。この対立を背景にしてベルギーは南北の連邦国家となっており、南部のワロン地域の大部分はフランス語共同体を形成している。また、首都のブリュッセルは言語境界線の北側にあるもののフランス語話者の人口が8割を占めており、ブリュッセル首都圏地域として2言語併用の独自地域となっている。ついでフランス語話者の割合が高い国家はスイスである。
話者分布
フランス語
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スイス人のうちフランス語の母語話者は20.38%を占め、64%を占めるドイツ語話者に次ぐ勢力を持っている。スイスのフランス語話者は国土の西部に集中しており、ジュネーヴ州、ヴォー州、ヌーシャテル州、ジュラ州の4つのカントンがフランス語話者が多数を占める州としてフランス語を公用語としている。また、言語境界線の両側にまたがるフリブール州およびヴァレー州は、フランス語とドイツ語の両言語を公用語としている。スイスは多言語主義をとる国家であり、連邦の公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語の3言語、それに国語としてロマンシュ語を加えた4つの言語を採用している。ヨーロッパ大陸においてフランス語の母語話者が大きな勢力を持つのはこの3か国である。このほか、フランス語の母語話者が大勢力を持つ国としてはカナダがある。フランス語の母語話者はカナダ総人口の22%を占め、無視できない勢力を持っている。
話者分布
フランス語
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特にフランス語話者が集中しているのは東部のケベック州であり、連邦においては英語とフランス語がともに公用語とされているものの、ケベック州の公用語はフランス語のみとなっており、積極的な保護政策がとられている。この言語対立を背景にしばしば独立運動が繰り広げられる。新大陸においては、上記のカナダ以外にはハイチが唯一フランス語を公用語とする国家である。またハイチにおいては、一般市民の日常語もフランス語系のクレオール言語であるハイチ語となっている。また、公用語ではないが旧フランス領であるルイジアナ州の南西部を中心にケイジャン・フランス語と呼ばれるフランス語の一派を話す人々が存在する。小アンティル諸島に点在するグアドループやマルティニーク、サン・マルタン、サン・バルテルミー島、および南アメリカ大陸のフランス領ギアナもフランス語を公用語とする。
話者分布
フランス語
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オセアニアにおいては、かつてイギリスとフランスの共同統治領であったバヌアツがフランス語を公用語のひとつとしている。また、フランスの海外領であるニューカレドニアおよびフランス領ポリネシア(タヒチ島など)、ウォリス・フツナもフランス語を公用語としている。アジアにおいては旧フランス領であるベトナム、ラオス、カンボジアの3国において公用語が現地語化されてフランス語がほぼ通用しなくなっているが、わずかにレバノンにおいてはやや通用し、準公用語的な扱いを受けている。こうしたフランス語話者の言語共同体はフランコフォニーと呼ばれ、1970年にフランコフォニー国際機関が設立され、1986年には加盟国首脳の参加するフランコフォニー・サミットが2年に一度開催されるようになるなど、フランス語圏諸国の協調が図られている。
話者分布
フランス語
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ただしフランコフォニー国際機関にはエジプトやギリシャ、ルーマニアなどのように国内にほとんどフランス語話者の存在しない国家も加盟しており、逆にフランス語話者の多いアルジェリアが参加していないなど、フランコフォニー国際機関加盟国がフランス語圏とは必ずしも言えない。
話者分布
フランス語
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フランス語は17世紀から19世紀までヨーロッパでもっとも有力な国際共通語であり、外交官用語として使われてきたため、国際機関において公用語となっていることが多い。具体例としては、以下の国際機関は、フランス語を公用語とする。国際連合(UN)、国際オリンピック委員会(IOC)、国際サッカー連盟(FIFA)、国際電気通信連合(ITU)、万国郵便連合(UPU)、列国議会同盟、イスラム諸国会議機構、アフリカ連合(AU)、北大西洋条約機構(NATO)、国際標準化機構(ISO)、世界貿易機関(WTO)、経済協力開発機構(OECD)、国境なき医師団(MSF; Médecins sans frontières)、欧州評議会 (CoE)。これらの機関において、多くの場合フランス語は唯一の公用語ではなく、英語などほかの言語と併用されている。
国際機関などにおけるフランス語
フランス語
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しかしながら、19世紀から20世紀初頭においては国際共通語としての地位を持っていたことから、この時期に創設された国際機関である万国郵便連合や国際電気通信連合、国際オリンピック委員会や国際サッカー連盟において、フランス語は第一言語となっており、英語よりも地位が高くなっている。国際連合においては、英語とフランス語は「国際連合事務局作業言語」と定義されており、その他の国連公用語(ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語)より位置づけが高い。また戦前には大日本帝国の日本国旅券においても、英語とともにフランス語が併記されていた。公式名称がフランス語である世界的に著名な国際競技団体も多い。
国際機関などにおけるフランス語
フランス語
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FIFAワールドカップを開催している国際サッカー連盟(FIFA; Fédération internationale de football association)、近代オリンピックを開催している国際オリンピック委員会(Comité international olympique, CIO)、F1を開催している国際自動車連盟(FIA; Fédération internationale d'automobile)、MotoGPを開催している国際モーターサイクリズム連盟(FIM; Fédération internationale de motocyclisme)、ツール・ド・フランスなどのUCIワールドツアーを開催している国際自転車競技連合(UCI: Union Cycliste Internationale)などである。
国際機関などにおけるフランス語
フランス語
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イタリア語(イタリアご、Italiano [itaˈljaːno] ( 音声ファイル), Lingua italiana)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語の1つで、おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。後置修飾で、基本語順はSVO。イタリアは漢字で「伊太利亜」と表記することから、「伊太利亜語」を略記し伊語と称される。
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イタリア語
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イタリア語はイタリア、サンマリノ共和国で公用語として定められている。スイスではティチーノ州全域とグラウビュンデン州(グリジョーニ州、Grigioni)の一部がイタリア語圏であり、スイス全体としても公用語になっている。また、スロベニアのイストリアとクロアチアには少数のイタリア語話者住民がいる。フランスのコルシカ島ではイタリア語の方言であるコルシカ語が使用されている。バチカン市国では、公用語であるラテン語の他に、イタリア語が一般の業務用語として使用される。また、その昔はクラシック音楽の楽譜に書き込む楽語はイタリア語が公用語として長く守られてきており、後の時代に作曲家がそれぞれの母語をも混合して楽譜に盛り込むようになってからも、基本的な伝統的楽語はイタリア語によって書き記されている。
イタリア語圏
イタリア語
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イタリア語の方言は大きく北部方言・中南部方言に大別でき、ラ・スペツィア=リミニ線が等語線となっている。そこから更に北西部・北中部方言、北東部方言、中部方言、南部方言、周辺島嶼の方言に分けられる。イタリアは西ローマ帝国滅亡以降、政治的分裂が長らく続いたため、各地域毎の方言差が大きくなったとされる。これは同じく長年にわたって領邦国家時代が続いたドイツが多数の方言と地方言語を抱えている状況と似ている。イタリア本国の国語教育および他国のイタリア語教育の場において盛んに用いられている標準イタリア語は、そうした各地の方言の中で最も周辺国の言語(フランス語やスペイン語など、イタリア地方と歴史的に縁深い国の言葉)の影響を受けていない中央イタリアのトスカーナ方言にナポリ方言・シチリア方言の語彙を取り入れたもので、統一後の標準語政策によって盛んに広められた(詳しくは方言#イタリアの方言政策を参照)。
方言
イタリア語
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そのため、現在イタリア国民のほとんどは標準イタリア語の話者となっている。しかし一方でローカリズム運動の高まりもあって、方言の中でも独自性の強いものについては、独立した地位を与え保護すべきかどうかの議論が進められている。具体的にはシチリア語、ナポリ語、ヴェネト語、ガロ・イタリア語などが例に挙げられ、高齢層を中心にイタリア国民の4割が標準イタリア語と共にそうした地域独自の言語を理解できるという。都市部などでは現地化した標準イタリア語に取って代わられている。各方言を言語とすべきとする論者の中でも、十数個の細かい言語へ分類するのか、あるいはある程度まとまりのある規模(北イタリア語、ガロ・イタリア語など)にすべきか意見が分かれている。
方言
イタリア語
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またこうした議論の一方で、イタリアにおける各地域の話し言葉が(1つの言語体系としてまとめるには少ないとしても)一定の共通点を持つことについての異論はなく、「イタリア諸語」という表現をする地域主義者も存在する。各方言の特徴は中世以降の歴史的経緯もさることながら、ラテン人によるイタリア統一前に居住していた他の古代イタリア人やギリシャ人植民者の用いた言葉の影響も存在しており、これらは俗ラテン語時代を通じて現在に残っている。
方言
イタリア語
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アルファベート(alfabeto)と呼ばれるラテン文字アルファベットの26文字を使用する。この内、母音字のA、E、I、O、Uにはアクセント符号を付ける場合があるが、辞書上ではアクセント符号を付けない文字と同じ文字として扱う。K, J, X, Yは人名や地名、方言、外来語で使用する。Wは古来の文字ではないので英語やドイツ語からなどの外来語で使用する。このため通常使用文字は21文字ともいえる。読み方は1文字だけ強調する場合はAを「アー」の様に伸ばすことも多い。イタリア語で良く使う文字の読み方は規則的だが、X以外のあまり使われない文字の読み方は長く、1つに確定していない。電話などでの綴り伝達法ではイタリアの都市の名を使い「アンコーナのA」のように使用するが、Hは1文字目がHの都市名が無いため外来語のhotelを使用している。K, J, Yは外来語の一般名詞、W, Xは固有名詞を使う。
文字
イタリア語
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辞書での単語の順は26文字を表の順(英語と同じ)に並べる。母音字のアクセント符号の有無は順に影響しない。大文字は、文章において文の先頭や固有名詞の先頭の1文字に使用する。代名詞などの敬称の先頭文字も大文字とする。 碑文、見出し、本の題名、漫画のふきだし、手紙、落書きなどにおいては、文全体が大文字で書かれることもある。最近の文字の使用方法では、携帯電話のメッセージや電子メールなどで文字数を少なくする用途で、「X」を「per」(掛け算の記号から)、「6」を「sei」(essere の現在第二人称単数形)などと読ませた文章を作成することもある。イタリア語では通常「k」を使用しないが「ch」を「k」と置き換えることもある。よって「perché」が「xke」となる。
文字
イタリア語
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15世紀のイタリア詩人のジャン・ジョルジョ・トリッシーノは、イタリア語の音素をより完璧に識別するための独自の正字法を提案したことがあるが、これは普及しなかった。
文字
イタリア語
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イタリア語の音節は、1個以上の子音と母音の組み合わせからなる。発音に対する綴りは、子音と母音が一対一の場合は日本語のローマ字綴りに近い(ローマ字綴りがイタリア語等のラテン系言語の母音の表記に倣っているため)。また以下に示すように発音が規則的であり、同じ綴りで発音が違うといったケースが非常に少ない。以下は子音+母音の代表的なものと、日本語の発音(カタカナ)と発音記号(括弧内)との対応表である。日本語での発音は近いものを選んでいる。e と o についてはそれぞれ広狭の違いは割愛した。イタリア語のアクセントは強弱アクセントである。イタリア語にはラテン語と同様の二重子音があるが、他のロマンス語であるフランス語やスペイン語のそれとは異なっている。この違いから、他のロマンス語と比べて特有のアクセントがある。
音声
イタリア語
880
91
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ラテン語で「子音 + l + 母音」であった音は、イタリア語では l が i に変化しているものが多い。接頭辞 re- が ri- になっているものが見られる。破裂音 + s, または異なる破裂音が連続する場合は後ろの音に同化し、長子音となる(actum→atto など)。また開音節で強勢を持つ短い o の多くがuoに変化している (bonus→buono)。
音声
イタリア語
881
91
88,649,150
文法、統語法についてはイタリア語の文法を参照。
文法
イタリア語
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<動詞は括弧内に現在一人称単数をあげる>
基本単語
イタリア語
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古代のイタリア半島においては複数の古代イタリア人とも言うべき部族が存在し、それぞれが異なる言語を用いていた。その後、古代イタリア人の一派であるラテン人の国家ローマによるイタリア統一によって、彼らの言葉であるラテン語がイタリア人の公用語として普及した。ラテン語はローマの力が西欧や地中海沿岸部に広がるにつれて更に拡大したが、公式の場で用いられるラテン語と民衆の話し言葉としてのラテン語、いわゆる民衆ラテン語(俗ラテン語とも)には若干の差異が存在したと言われている。ローマ帝国の分裂は各地の民衆ラテン語の方言化を招き、イタリアにおいても「民衆ラテン語のイタリア方言」と呼べる言葉が成立した。イタリアにおける民衆ラテン語の方言は時間と共に変化の度合いを深め、いつしか他地域の民衆ラテン語とは明らかに異なる言語と言えるほどの変化を得た(古イタリア語)。
歴史
イタリア語
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民衆ラテン語から古イタリア語への変化がいつごろ生じたかを正確に判断することは難しく、またどのようなものであったかについての検証も、当時の欧州諸国が公用語としてラテン語を用いていたことにより文書による記録が少ないため容易ではない。しかし少なくとも10世紀頃には既に成立していたと考えられている。イタリア語は近世のイタリア・ルネサンスにおいて、イタリア人共通の言語を形成しようとする文化人の運動の中で形成された。とりわけその主導権を握ったのはトスカーナ出身の詩人ダンテ・アリギエーリで、彼は当時古典ラテン語で書くのが一般的であった文学作品を、中央イタリア語のトスカーナ方言に南部のナポリ語・シチリア語の語彙を取り入れた言葉で執筆した。
歴史
イタリア語
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この言葉が現在のイタリア語と呼ばれる言語であるが、ダンテの作品が大きな文学的賞賛を得ながら、トスカーナ方言を中核にしたこの言葉が直ちに全土の公用語となることはなく、ダンテの死後からしばらくは死語になりかけすらした。だがバルダッサーレ・カスティリオーネらを中心とする文学者グループが再び共通語・標準語作りを呼び掛ける際、ダンテの事績を大いにたたえたことで標準語を求める動きは再加熱し、同時にダンテの「イタリア語」も脚光を浴びた。しかしここでイタリアの文学者達に大論争が巻き起こる。カスティリオーネのグループはダンテの名声を政治的に利用しつつ、イタリアの様々な言語(おおむね今日においてはトスカーナを含む中央イタリア語、ガロ・イタリア語、ヴェネト語、ナポリ語、シチリア語、サルデーニャ語などに分けられる)を平等に配分した一種のクレオール言語を作り出そうとしていた。
歴史
イタリア語
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これに対し、ダンテは中央イタリア語以外の系統に属するイタリアの言語に配慮しつつも、あくまでトスカーナ方言が標準語になることを望んでおり、同じ目的でありながら真っ向から対立する路線であった。次第にカスティリオーネらはダンテを独善的と批判するようになり、これに標準語運動の旗印であったダンテの「トスカーナ方言をベースにした標準語運動」を進めるべきとするピエトロ・ベンボ(ヴェネツィア出身で、ペトラルカの影響を受けていた)のグループが独立、イタリア中を巻き込む一大論争に発展した。最終的にこの論争は後者の勝利となり、カスティリオーネは退けられダンテの作った「トスカーナ方言の方言」としてのイタリア語が地位を得た。この言語は文学者や詩人たちの手でそれまで欧州全体の公用語であったラテン語に変わる形で用いられ、その公的地位を向上させた。
歴史
イタリア語
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こうしたルネサンス期のイタリア語文化は後のリソルジメントにおいて、民衆の統一を望む動きの原動力として影響力を発揮することとなる。統一当初、正式な標準イタリア語(「文学的なトスカーナ方言」という表現もある)は貴族や学者など上流階級のみで話されており、民衆は中部イタリア語系の俗語・方言か、系統の違うナポリ語などを話していた。イタリア政府は国民意識の更なる向上のため、フランスの政策を参考に方言の廃止と標準語の浸透を国家政策として進めた。現在、イタリア国民のほとんどがこの標準イタリア語を理解できる。しかし言語の統一は民族主義的な思想へと繋がり、第一次世界大戦においては「イタリア語の響きが聞こえる全ての土地」をイタリア民族の下に統一しようとする民族思想(イリデンティズム)が盛んになる。
歴史
イタリア語
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ラテン語から最も近いトスカーナ方言をベースにしたイタリア語(ラテン語との同一性は75%に達する)の響きを持つということは、全てのラテン語圏を指すのと同義であり、これが二度の世界大戦への参加を促す結果を生み出してしまった。各地を旅して興行が行われたオペラやコンメディア・デッラルテもイタリア語の普及に貢献した。
歴史
イタリア語
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イタリア語と日本語の関係は、ほとんど名詞を借用する程度の範囲にとどまっている。 ただ、近年の日本語において形容詞の最上級「~ッシモ」や住人を指す「~ネーゼ」(例:シロガネーゼ)のようなイタリア語の派生語作成法が取り入れられる現象も存在する。イタリア語から日本語に取り入れられた語は、階名のドレミや演奏記号などの音楽用語が多い。イタリア料理の流行に伴い、スパゲッティやティラ・ミ・スなどの語も一般的である。また、自動車の名前には古くから、近年には建物名やファッション等にイタリア語の単語が使用されている。イタリアでサッカーが盛んであることから、日本のサッカークラブではイタリア語の単語もしくはそれをもじった造語をクラブ名の一部として使用することが多い。イタリア語から日本語の外来語に転じた語。ただし音楽、食べ物の単語は除く。
日本語との関係
イタリア語
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イタリア語における外来語は徐々にイタリア語風の綴りになる傾向があり、日本語からの外来語も例外ではない。括弧内は語源イタリア語の日本語表記を参照。
日本語との関係
イタリア語
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日本における検定試験としては、イタリア語検定協会が実施している、年に二回行われている実用イタリア語検定がある。なお、イタリアの大学、高等教育機関入学資格取得を目指す外国人は、イタリア外務省より国際的な公式資格として認定されているCLIQ (イタリア語検定良質基準・Certificazione Lingua Italiana di Qualità)のペルージャ外国人大学、シエーナ外国人大学、ローマ第三大学、ダンテ・アリギエーリ協会、これらの一つの組織による検定試験が必要となる。 CLIQ (イタリア語検定良質基準・Certificazione Lingua Italiana di Qualità)とは外国語として学習するイタリア語を検定するための統一基準である。CLIQ委員会はイタリア外務省と協定を結び、下記の組織から構成されている。この基準は、EUが定める言語統一基準に適するものである。
検定試験
イタリア語
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ペルージャ外国人大学のCELIとシエナ外国人大学のCILSは、イタリア文化会館 を通じて受験でき、年に2回(CELIは6月と11月、CILSは6月と12月)主催されている。 また、ダンテ・アリギエーリ協会(Società Dante Alighieri) 主催のダンテ・アリギエーリ協会イタリア語検定も年に2回(5月と11月)行われている。過去の問題集はダンテ・アリギエーリ協会本部のホームページから閲覧できる。
検定試験
イタリア語
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スペイン語(スペインご、西: español)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。俗ラテン語から発展して形成されたロマンス諸語の一つ。略して西語とも書く。
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スペイン語
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スペイン語は、アメリカ州のうちイスパノアメリカ、スペイン、その他の旧スペイン植民地などの地域における主要言語で、スペイン語を第一言語とするものが約4億8023万人さらに第二言語として日常使用しているものを含め約5億7700万人の話者がいると推定されている。スペイン語を公用語としている国と地域の数は21以上あり、世界で英語(約80の国・地域)、フランス語(約50の国・地域)、アラビア語(約27の国・地域)に次ぐ4番目に多くの国で使用されている言語である。国際連合においては、英語、フランス語、ロシア語、中国語、アラビア語と並ぶ、6つの公用語の1つである。インターネットにおいては、利用者全体の約8%がスペイン語使用であり、英語(約27%)と中国語(約23%)に次ぐ第三の言語である。(インターネットにおける言語の使用参照)
概要
スペイン語
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日本では、一般的にスペイン語と呼ばれることが多いが、イスパニア語、カスティージャ語、カスティーリャ語などと呼ばれることもある。日本におけるスペイン語の漢字表記は「西班牙語」。漢字表記を略して西語と表記されることもある。スペイン語において「スペイン語」を意味する名詞は、“castellano”(カステリャーノ、もしくはカステジャーノ) または“español”(エスパニョール)。エスパニョールはスペイン (España) の言葉という意味。カステリャーノはカスティーリャ地方の言語という意味。南米ではカステジャーノということが多く、メキシコなど中米諸国とカリブ海諸国ではエスパニョールしか使われない。カステリャーノという名称は、スペイン国内で地方言語を使う地域においては「自分たちの言葉ではない他所者の言葉」という意味で使われる。
概要
スペイン語
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南米では逆に「本場カスティーリャから受け継いだ正しいスペイン語」という意味で用いられる。スペイン語はポルトガル語と似ており、かなりの水準で相互意思疎通が可能である(詳細はポルトガル語#スペイン語との比較にて)。
概要
スペイン語
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スペイン語は、ローマ帝国の公用語であったラテン語の口語である俗ラテン語を元に、アラビア語などの影響を受けながら発達した言語である。8世紀に北アフリカからイスラム教徒がイベリア半島に侵入し、その後、キリスト教徒によるレコンキスタ(再征服運動)が起こるが、この時期に俗ラテン語がロマンス諸語に変化した。このロマンス諸語が後に、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ルーマニア語などに分かれていく。イベリア半島では、アラビア語の影響なども受けながらイベリア系ロマンス語が発達し、カスティーリャ、レオン、ポルトガル、そしてイスラム系タイファ王国などで使用されていた(タイファ王国ではアラビア語のアンダルス方言も広く使用され、その影響を強く受けたロマンス語をモサラベ語と呼ぶ)。
歴史
スペイン語
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やがてレコンキスタの過程でカスティーリャ王国はその中心的勢力となり、スペイン王国の誕生後は事実上統一スペイン国家の国家語となった。このため、現在でもスペイン語のことをカステリャーノ (castellano) と呼ぶ人は多く存在する。この歴史的経緯により、文法などはラテン語の規則を多く受け継いでいるが、単語はアラビア語から借用したものも多く使われている。(とりわけアンダルシア方言は最も強くアラビア語の影響を受けた)スペイン語の中のアラビア語起源の単語は主に、を通じた借用がある。またイベリアのムスリムの間ではスペイン語もアラビア文字で表記されることが少なくなかった。イベリア半島のムスリムはベルベル人が多かったため、ベルベル語の影響も存在している。なお、同じイベリア半島で話されている言語であるバスク語はローマ帝国やケルト人の進出以前から半島で使われていた言語と思われ、スペイン語とは大きく異なる。
歴史
スペイン語
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しかし、スペイン語はバスク語の影響も受けている。
歴史
スペイン語
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スペイン語は国連の6つの公用語(他は英語、フランス語、ロシア語、中国語、アラビア語)の一つであり、スペインを始め、ブラジルを除く中南米18か国、北米1か国、アフリカ2か国、計21か国における公用語である。スペイン語が公用語である国・地域は以下の通り。なお、スペインではカタルーニャ州・バレンシア州・バレアレス諸島州ではカタルーニャ語(バレンシア州ではバレンシア語)が、バスク州とナバーラ州の一部ではバスク語が、ガリシア州ではガリシア語が、スペイン語同様に地方公用語として認められている。南北アメリカ大陸では、メキシコ以南の21の国・地域のうち16か国がスペイン語を公用語としており、先住民族を含め、人口の大半がスペイン語を話す。加えて、英語を唯一の公用語とするベリーズにおいても最も話されている言語はスペイン語である。
話者分布
スペイン語